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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100386
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[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
1. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2020年1月27日 01:01:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-948]


フランツ・シャルク


Franz Schalk (1863 – 1931) Beethoven Symphony 6 1928 VPO





________












Wiener Philharmoniker
Franz Schalk, Conductor
04.11.& 12.IV.1928

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
2. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2020年1月27日 01:25:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-947]

ワインガルトナー

Beethoven: Symphony No. 6, Felix Weingartner / R.P.O. 1927, restored

___







Felix Weingartner
Royal Philharmonic Orch.
recorded 18-19 January 1927, Scala Theatre, London
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7131/2 (AX-2363/5)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c2
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
3. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2020年1月27日 01:34:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-946]


メンゲルベルク


Beethoven Symphony No.6 Willem Mengelberg 1938







Willem Mengelberg, conductor
The Royal Concertgebouw Orchestra

Recorded 12,1937/1,1938

▲△▽▼

Beethoven:Symphony#6 in F {Pastorale} Mengelberg & Concertgebouw"Live"1940





Mengelberg Willem
Royal Concertgebouw Orchestra

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[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
4. 中川隆[-14150] koaQ7Jey 2020年1月27日 02:13:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-945]

ハンス・プフィッツナー

Beethoven:Symphony#6-''Pastorale''-Pfitzner & Berlin State Opera Or-1930





___






Berlin State Opera Orchestra
1930, Berlin
Mechan. Copt. 1938 - Polydor 95378/83
matrices: 582 GO, 583 GO, 584 GO, 585 GO, 905 GS 8 D, 906 GS 8 D, 586 GO,587 GO, 588 GO, 589 GO, 590 GO

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[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い
マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い

元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。たとえば、ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。

また馬渕は、米国の中央銀行である連邦準備銀行について、連邦政府の機関ではなく100%の民間銀行だと述べる。たしかに各地の地区連銀はその株式を地元の民間銀行が保有し、形式上は民間銀行といえる。しかしその業務は政府によって厳しく規制されているし、利益の大半は国庫に納めなければならない。地区連銀を統括する連邦準備理事会になると、完全な政府機関である。

馬渕はニューヨーク連銀の株主一覧なるものを掲げ、主要な株主は欧州の金融財閥ロスチャイルド系の銀行だと解説する。そこにはたとえば「ロスチャイルド銀行(ベルリン)」が挙げられているが、ベルリンには昔も今も、ロスチャイルドの銀行は存在しない。ドイツではフランクフルトにあったが、それも米連銀が発足する以前の1901年に廃業している。

前防大教授でもある馬渕はこうした嘘を並べ立てたあげく、ユダヤ人の目的はグローバリズムによって人類を無国籍化することであり、日本はナショナリズムによってこれに対抗せよと主張する。規制や関税に守られ、消費者を犠牲にして不当な利益を得てきた事業者やその代弁者である政治家・官僚にとってまことに都合のよいイデオロギーである。 約二十年前、オウム真理教が国家転覆を企てたのは、ユダヤ陰謀論を信じ、その脅威に対抗するためだった。無責任な陰謀論は、新聞の誤報に劣らず、害悪を及ぼすのである。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
1. 中川隆[-14149] koaQ7Jey 2020年1月27日 11:27:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-944]
ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。

当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。


レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。

普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。

ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。


世界共産革命が使命


一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。

中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。

大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。


ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。

両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。

ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。


因みに「ソビエト連邦」は実は国家ではなく、全世界共産化の勢力範囲に過ぎませんでした。

中国もまた地球を統一し共産化する事を大義としていて、だから際限なく勢力を拡大しようとします。

資本主義を倒して地球を統一する市民団体が中国やソ連で、相手が従わなければ暴力と軍事力で共産化します。


だから共産国家は必ず軍事国家で破壊的であり、平和的な共産国家は存在しません。

世界革命に賛同した国(軍事力で服従させた国)は衛星国家として従わせ、東ドイツや北朝鮮のようになります。

共産国家は勝ち続ける事が使命であり、負けることは絶対に許されず、負けは神から与えられた使命の挫折を意味します。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c1

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
2. 中川隆[-14148] koaQ7Jey 2020年1月27日 11:34:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-943]

因みに、世界共産革命というのは馬渕さんが妄想している現在のアメリカが推進している

グローバリズム=帝国主義=植民地主義

とは全く違います。世界共産革命というのは、ソ連でも中共でも全く同じですが、民族自治を一切認めないミンゾクジョウカ政策なのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c2

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
3. 中川隆[-14147] koaQ7Jey 2020年1月27日 11:38:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-942]
因みに、世界共産革命というのは馬渕さんが妄想している現在のアメリカが推進している

グローバリズム=帝国主義=植民地主義

とは全く違います。世界共産革命というのは、ソ連でも中共でも全く同じですが、民族自治を一切認めないミンゾクジョウカ政策なのです:

社会主義4 バルト三国 SOCIALISM 4 BALTICS
https://www.youtube.com/watch?v=1iZJJdSp7pE
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c3

[近代史3] リビアの戦乱を引き起こしたのはアメリカ政府を操ってきたネオコン(シオニストの一派)
リビアの戦乱を引き起こしたのはアメリカ政府を操ってきたネオコン(シオニストの一派)


2020.01.27
2011年の軍事侵略でリビアを破壊した責任の一端は国連にある

 リビアの戦乱に終止符を打とうという動きが出ている。今年に入り、1月12日からの停戦を目指す話し合いがモスクワで実施されたのもそうした動きのひとつ。

 しかし、前途多難ではある。トリポリを拠点とするGNA(国民合意政府)のファイズ・サラージは署名したものの、ベンガジを拠点とするLNAのハリファ・ハフタルは署名せずに立ち去ってしまう。そこで1月19日にベルリンで停戦を目指す会議が開かれた。

 国連が承認しているのはGNAだが、LNAのハフタルは1960年からCIAに保護されてきた人物で、彼に従う武装グループはアメリカで軍事訓練を受けている。

 LNAはペルシャ湾岸の産油国やエジプトの支援を受け、捕虜になったLNAの空軍幹部によると、その​エジプトがF-16戦闘機でトリポリやミスラタのGNA軍を空爆している​という。その幹部によると、フランスの専門家チームが偵察、通信傍受、兵站活動を指揮しているともいう。

 それに対し、トルコがGNAを支援するため、2019年5月頃から戦闘部隊をリビアへ派遣しているとも言われている。トルコは2011年3月から始まったシリア侵略にムスリム同胞団を中心とする武装勢力を送り込んでいたのだが、その武装勢力がシリアのイドリブに取り残されて扱いに苦慮している。

 トルコ政府はシリアの戦乱を終息させるため、その武装勢力をリビアへ移動させるという見方もあるのだが、それによって戦闘が激しくなる可能性があるだろう。

 しかし、リビアで新たな戦争が始まろうとしているとは言えない。2011年2月から戦乱は続いているのだ。その戦乱を引き起こしたのはアメリカ政府を操ってきたネオコン(シオニストの一派)にほかならない。アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、イスラエル、カタール、トルコといった国々がリビアを破壊し、問題を生み出したのだ。その侵略戦争に西側の有力メディアが協力したことも忘れてはならない。

 ネオコンの戦略に基づいてジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを正規軍で先制攻撃したのが2003年3月。その攻撃によってサダム・フセイン政権は倒され、中東で地獄の門が開いた。

 イラクでの戦争によって親イスラエル派の体制を樹立することがネオコンのプランAだったが、失敗する。イランに近い政権が誕生したのだ。そこでアメリカ政府はイラクを「石器時代」にするというプランBへ切り替える。ブッシュ政権は​2007年のはじめ、スンニ派の武装勢力を使った傭兵戦へ向かって進み始めた​のだ。的として想定されたのはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラ。

 2009年にアメリカ大統領となったバラク・オバマはブッシュ政権の方針を引き継ぎ、2010年8月にPSD-11を出してムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを始めた。編成された武装集団はムスリム同胞団のほかサラフィ主義者も参加することになる。

 リビアへの軍事侵攻にはフランスやイギリスも積極的に関与している。2011年3月上旬にイギリスは「外交チーム」をリビアへ送り込むが、その実態は破壊活動、秘密工作を専門とするSAS(特殊部隊)やMI6(対外情報機関)の集団。このチームはベンガジから約30キロメートルの地点で反政府軍に拘束されるが、2日後に解放され、帰国している。

 この段階で戦闘は激しくなっていたが、アル・カイダ系戦闘集団のLIFGを主力とする地上部隊だけで政府軍に勝つことは難しい。そこで2011年3月17日に国連の安全保障理事会は飛行禁止空域の導入を決議した。これによってアメリカ、イギリス、フランスをはじめとするNATO軍はシリア上空での制空権を握ることになり、空爆が始まる。

 NATO軍は8月20日に首都攻撃を開始、ムハンマド・アル・カダフィは首都トリポリから故郷シルテへ向かうのだが、そのシルテも10月20日に攻略され、カダフィは惨殺された。その数週間前からNATOはカダフィの動きを正確に把握していたと言われている。

 そして反カダフィ軍による宗教的な弾圧、虐殺、民族浄化が始まるが、その一方で戦闘員や武器/兵器がシリアへ運び込まれていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 例えば、2011年11月には元アムネスティ・インターナショナル事務総長で国連事務総長特別代表だったイアン・マーティンがアル・カイダ系戦闘員1500名をリビアからトルコへ「難民」として運んだとも報告されているほか(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Progressive Press, 2019)、12月になると​マークの消されたNATOの軍用機​がトルコの軍事基地へ武器を運んできたと報道されている。

 こうした侵略戦争による殺戮と破壊の結果、リビアは暴力に支配される破綻国家になった。教育、医療、電力料金が無料、農業は元手なしで始めることができるという国だったリビアは無残なことになっている。ヨーロッパを上回る生活水準を維持していたリビアは地上から消え、今は暴力が支配する破綻国家だ。

 リビアのカダフィ体制を破壊した大きな理由のひとつと考えられているのは、カダフィがアフリカを欧米から自立させようとしていたこと。自分たちの通貨体制を作りだし、ドルやフランによる支配から抜けだそうとしたのだ。アフリカの資源を盗むことで自分たちの社会を維持している欧米の支配層にとっては深刻な事態だ。

 ​フィナンシャル・タイムズ紙によると​、リビアの中央銀行が保有する金の量は少なくとも143.8トンあった。ウィキリークスが公表したシドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへあてた2011年4月2日付け電子メールによると、リビア政府が保有していた金の量は143トン。同量の銀も保有していたという。カダフィはこの金は利用し、ディナールというアフリカ共通の通貨を導入しようとしていたのだ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001260000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/847.html

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
5. 中川隆[-14146] koaQ7Jey 2020年1月27日 15:08:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-939]
カール・マルクスはプロイセンの裕福な家庭に生まれ、キリスト教徒として育ちました。マルクスはある作品の中に「キリストとの一体は、キリストとの緊密でみずみずしい友情の中に、またこうした事実の中にある。キリストはいつも私たちの目の前に、そして私たちの心の中にいる」と記しています。

それから弁証法のヘーゲルはプロテスタントです。
マルクス経済学や弁証法はユダヤ思想とは全く関係ないですね
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c5

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
5. 中川隆[-14145] koaQ7Jey 2020年1月27日 16:51:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-938]
トスカニーニ

Beethoven: Symphony No. 6, 1937 (Restored NEW), Toscanini / BBC S.O.






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B.B.C. Symphony Orch.
transfer from Jpn Victor 78s /JD-1205/6 (2EA-3585/7)
recorded in 1937, Queen's Hall, London
re- transferred

▲△▽▼

Beethoven Symphony No.6 Toscanini 1938


Recording Date : January 8, 1938

▲△▽▼

The 1939 Beethoven Cycle: Symphony No 6 "Pastorale"/Toscanini





Arturo Toscanini, conductor
The NBC Symphony Orchestra

Recorded November 11, 1939
at Studio 8-H Radio City, NY


▲△▽▼

BEETHOVEN - Symphony No 6 'Pastorale' - Arturo Toscanini (1941) HD



BEETHOVEN - Symphony No 6 'Pastorale'
Live at Studio 8H April 1941 (The notation of the image is wrong.)
Arturo Toscanini
NBC Symphony Orchestra
[enhanced sound by tagtom55]
- Using public domain sound source -


▲△▽▼

Beethoven: Symphony No. 6, Toscanini & NBCso (1952)



Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 14 January 1952, at Carnegie Hall, in New York

▲△▽▼

Beethoven, Symphony No 6, conducted by Arturo Toscanini


Recorded in 1953

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c5
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
6. 中川隆[-14144] koaQ7Jey 2020年1月27日 17:11:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-937]

カール・シューリヒト

Beethoven: Symphony No. 6, Schuricht & PCO (1957)





Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
Paris Conservatoire Orchestra (Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)

Rec. 30 April & 2, 6 May 1957, at Salle Wagram, in Paris

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c6
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
7. 中川隆[-14143] koaQ7Jey 2020年1月27日 17:17:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-936]
ピエール・モントゥー

Beethoven - Symphony n°6 - Vienna / Monteux





Wiener Philharmoniker
Pierre Monteux
Studio recording, Vienna, 29-31.XI.1958


ピエール・モントゥー指揮ウイーン・フィル(1958録 音/DECCA盤)
 
1950年代のウイーン・フィルの演奏がDECCAの優秀なステレオ録音で残されているのは幸せなことです。さしものウイーン・フィルといえども戦前の音の甘さと柔らかさが時とともに確実に薄れてしまっているからです。ですが、ここにはまだ都会的でない鄙びたウイーンの雰囲気が一杯に漂っています。

モントゥーはメカニカルな統率をしない昔風の指揮者ですので、この時代のこのオケとこの曲にはベスト・マッチといえます。何の作為もなくウイーン・フィルに自然に歌わせた演奏だからこそ素晴らしいのです。変に神経質なところが無く、とても温かみを感じます。もしもワルター/ウイーン・フィルの戦前の演奏を良い音で聴きたければ、このCDを聴かれることをお勧めします。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c7
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
8. 中川隆[-14142] koaQ7Jey 2020年1月27日 17:41:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-935]
カール・ベーム

Beethoven Symphony No.6 "Pastorale"(Karl Böhm 1971)






Karl Böhm (conductor)
Wiener Philharmoniker
1971年5月

__________

ベートヴェン 交響曲第6番 ベーム / ウィーンフィル 1975ザルツブルク


カール・ベーム  / ウィーン・フィルハーモニー
1975年8月17日 ザルツブルク祝祭大劇場


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Beethoven Symphony No. 6 - Karl Böhm Tokyo 1977


Wiener Philharmoniker at Tokyo NHK Hall on 2nd March 1977


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カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1971年録音/グラモフォン盤)

 1970年代に入ってコンサートマスターがウイーン生まれではないヘッツェルに交代してからは、ウイーン・フィルの音の甘さが少しづつ減少していきます。但し最晩年のベームにとってはオケを引き締めて統率するヘッツェルとはベストの組み合わせだったと思います。この演奏は、2楽章ではもう少し柔らかさが欲しいかなという印象ですが、3楽章以降では音が実に立派になり大変に感銘を受けます。甘さの少ない硬派の「田園」としてベストを争うと思います。

___

カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1977年録音/Altus盤) 

日本公演のNHKホールでのライブ録音です。当日の後半プログラムの「運命」と一緒にCDに収められています。ベームの「田園」はFM放送で聴いたザルツブルクでのライブがベストだったと思いますが、これはそれに迫る演奏だと思います。

グラモフォン盤とは一長一短ですが、僕は1、3楽章はグラモフォン盤を、2、5楽章はライブ盤のほうを好みます。なお1楽章の提示部の反復はライブでは行いません。

この時のテレビではヘッツェルがオケを強力にリードしている姿が非常に印象的でした。老ベームはこの4年後に亡くなりますが、まさかその後を追ったわけでも無いでしょうに、ヘッツェルも50代の若さでアルプス登山中に転落して亡くなってしまいます。そんなことを思い出しながら聴いていると感慨深いです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/cat54407501/index.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c8
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
9. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2020年1月27日 17:58:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-934]

ムラヴィンスキー

Beethoven - Symphony No 6 in F major, Op 68 - Mravinsky 1979


Leningrad Philharmoc Orchestra
Evgeny Mravinsky, conductor

Recorded live, May 1979

_____

Beethoven - Symphonies n°6 Pastoral & 4,1,3,5,7 + Presentation (reference rec. : Evgeny Mravinsky)


Symphony no.6 in F major op.68 « Pastoral » / 1982
Leningrad Philharmonic Orchestra
Evgeny Mravinsky
Live recordings in 82
New mastering in 2017 by AB for CMRR

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c9
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
10. 中川隆[-14140] koaQ7Jey 2020年1月27日 18:06:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-933]

フルトヴェングラーのベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』

Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 1
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu08.htm

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。

Beethoven: Sym.No.6


1)43/12/22-3 VPO Musikverein(EMI Studio)

2)44/03/20-2 BPO Berlin Opera(RRG)

3)47/05/25 BPO Titania(RIAS)

4)52/01/10 RAIRomaO RAIRoma

5)52/11/24-5 VPO Musikverein(EMI Studio)

6)54/05/15 BPO Lugano

7)54/05/23 BPO Titania


▼1)にはSPの別テイクがある。

▲晩年の味わいがよい。つまり 6)か 7)だが私は 6)。

>>>>>My Best is 6)


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c10

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
11. 中川隆[-14139] koaQ7Jey 2020年1月27日 18:41:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-932]

Beethoven "Symphony No 6" Wilhelm Furtwängler 1943 Wien


Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Wien, 22.&23.XII.1943

▲△▽▼

1943年
●12月22-23日 22-23 Dec. 1943 VPO Musikverein (Electrola=EMI studio Version)
Beethoven:Sym.No.6 ベートーヴェン/田園 (o-96)
VPO ムジークフェライン 独エレクトローラ(HMV系)スタジオ録音
Matrix:2RA6038-2/39-3/40-2/41-2/42-2/43-2/45-2/46-2/47-2/48-2/49-2

LP/PR: VoxTV4408(71/02) Columbia(JP)DXM131('71) Pioneer(JP)H5060(81/11) ToshibaWF60078(86/06)
CD: ToshibaTOCE6056('89)TOCE3728(00/08) Prieser90199('95) M&ACD954('96)King(JP)KKC4166(19/02)

>>>Japan Columbia DXM131 contain the other take.(3rd of 11sp)

▼田園の日本初出のコロムビア盤(DXM131='71)やパイオニア盤(H5060=81/11)の頃はアセテート盤による放送録音とも言われたが、実は独エレクトローラへのスタジオ録音盤。

SP盤での発売は現時点(2019年)では確認されていない。
EMI系はVox系とはSP11面中4面が別テイクとされる。

東芝初出盤(WF60078=86/06)の際、初めて1楽章提示部の反復が収められたと発表された。しかし巨匠は他の演奏では反復を行なっておらず、このLP以降EMI系(Prieserを含む)のすべての録音は同じ録音を2度使っていると思われる。つまり巨匠の演奏スタイルどおりなのはVox盤のほうということになる。(藤沢HS氏/YN氏などによる)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c11
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
12. 中川隆[-14138] koaQ7Jey 2020年1月27日 18:51:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-931]

Beethoven - Symphony n°6 - Berlin / Furtwängler 1944






Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 20/22.III.1944

▲△▽▼

1944年
●3月20-22日 20-22 Mar. 1944 BPO Berlin State Opera (RRG=Melodiya=SFB=excepts Sym)DRA B003125984
Beethoven:Sym.No.6 ベートーベン/田園 (o-99)

LP/PR: MelodiyaD027777-8('71)
CD: PAL1026('88) SWF901('90) WFSA2001('90?) MEL10 00712('93) TahraFURT1034-9(98/11) OpusKuraOPK5001(03/11) BPO KKC5952(18/12)

BPO 国立歌劇場 RRG録音 Ravel=SFB所蔵(No1=1987,No2=1991) Sym.=SFB所蔵(1987) Weber=SFB所蔵(1987/91)

>>>>Melodiya D027777-8(LP) used Mravinsky's LP Jacket.

▼この田園のメロディア盤は中古LP店などでよく見かける。ジャケットにはムラヴィンスキー&レニングラードpoと記載され上に紙片が貼り付けてあるという「いわくつき」のもの。

当時、メロディア盤はソ連のアーチストのものしか輸出できなかったための措置とされている。80年代になりメロディアが初出盤を出し存在が知られるようになった「魔弾」は良好な音源が確認されているが、この田園はエコーがかかりすぎて聞きづらい。蔵盤は比較的聞き易い板おこし。米フ協会盤も評判がよい。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c12
[近代史3] 馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形 中川隆
4. 中川隆[-14137] koaQ7Jey 2020年1月27日 19:36:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-930]


2019.5.27「日銀と通貨発行権の誤解について」
大西つねきの週刊動画コラムvol.80
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80



2019年5月27日 · 週刊動画コラム
https://www.youtube.com/watch?v=foc3lmP7TSE&feature=emb_title


皆さん、こんにちは。大西つねきの週刊動画コラム、本日5月27日の週刊動画コラムのテーマは「日銀と通貨発行権の誤解について」というテーマでお話ししたいと思います。何でこの話をしようと思ったかというと、昨日も僕、講演会行ってきました。講演会に行くと必ずとまではいきませんが、かなりの割合で、要するに、日銀が株式会社であるということ、その株主が、55%は政府が出資してるんですけど、残り45%が民間だということ、それが誰が持ってるか公開されていないということで、いろんな憶測というか、それを陰謀論みたいなものにつなげる人が多くて、そういうことを結構聞かれたりするんですね。ただ、いつも僕答えるのは、日銀の株主の半分近くが民間で、それが誰だかわからないから、だから何なの?って聞き返すんですよ。大抵聞き返された人はもちろん答えられなくて、日銀がお金を発行してるのに民間じゃおかしいとか、それを何とかチャイルドみたいな陰謀論と結びつけて考えてるんです。結局何が問題なのかその人たち自身もよくわかってなくて。ただ、そういうふうに騒ぐ人たちが一部に恐らくいるんでしょうね。ただ、これ、仕組みを知ると、いや、別に全然そんな話じゃないっていうのがよくわかります。

どこからはじめようかな。まず日銀に関しては、民間だからといって、まあもちろん利益も挙がります、ある程度。その利益がどうやって挙がるかというと、これまたお札を1枚、1万円札を作るのに20円しかかからなくて、それが1万円になるから9980円もうけるんだみたいなことを、そういう間違ったことを言う人がいるんですね。それ完全に間違ってます。そうはなりません。基本的にお札の発行ってどうやってるかというと、例えば、そもそもあのお札誰が作ってるかというと、日銀じゃなくて国立印刷局というところが毎年の財務省の計画に従って作ってます。作るっていうのは、それは何で必要かというと、今までのお札が古くなって破れたりするぶんとか、あと、マネーストック、皆さんの現金、預貯金が増えるにしたがって、より多くのお札を引き出すようになるんで、そのぶん恐らく必要だろうということで、ある程度計画的に作ってるんですね。国立印刷局がそれを刷ります。例えば、じゃあ1兆円のお札を国立印刷局が刷ったとして、それをどうやって発行するのか、発行するっていうか世の中に回してくのかというと、まず1兆円の紙幣を作ります。それを日銀の金庫に入れるんですね。日銀の金庫に入れますけど、日銀はそれを1兆円として受け取るわけですけど、それ、そのまま日銀が1兆円をもらってしまったら日銀が1兆円もうかってしまいますよね。(笑)。それおかしいですね、もちろん。20円で作ったものを1兆円で受け取って、1兆円になってしまったら、確かにそれをやってしまったら日銀は1兆円もうかってしまいますけれども、そうはならなくて。どうするかというと、要するに1兆円の紙幣を金庫に入れて、それは資産になるわけですね、日銀の。で、それが利益にならないように負債の側に1兆円の発行済み銀行券という負債を書き込むんです、バランスシートの負債のほうに。要するに、その時点で左右バランスするんで利益はそれで出ないんですね、日銀は。1兆円の紙幣を資産として預かって、それを預かりましたという、預かったことにするんです、負債にするっていうことは。それ誰から預かってるかというと、別に相手基本的にいないんですね。まあいうなれば、日本国民全員に対して新しい紙幣の1兆円ぶん借とするわけですね。もともと日銀っていうか中央銀行っていうのは、1兆円っていうのは、紙幣っていうのはただの紙ですから、要するに実体的な価値はないわけですね。だから最初は多分恐らく、その信用のなさから何を持っていたかというと、その1兆円の紙を、まあ1兆円っていうよりも1万円札ですね、を持ってきたときに、いつでもそれをちゃんと実体のある、価値のあるものと交換しますよっていうことで、今度、日銀の資産の部分には、金地金という実際の貴金属というのを資産として持ってたんですね。紙で発行してるんで、要するに、これは負債として、それを持ってくればいつでもそういう実体の金地金と交換しますよっていう、そういう一応論理立てだったんですけども、実際、今、日銀のバランスシートには、金地金っていうのはもうほとんどないです。一応ちょっとありますけど、ほとんどないわけです。逆に言うと、日銀のバランスシートの、今度、負債の側、借金の側には、約100兆円の発行済み銀行券っていう負債が入ってます。それは何かというと、今までそうやって発行し続けてきた、要するに紙幣の履歴なわけですね。100兆円ぶん今まで発行しましたよって、だから100兆円ぶんの現金が世の中に回ってますってことです。だけど、その100兆円っていうのはもちろん日銀にしてみれば借金なわけですから、要するに、100兆円ぶんの紙幣を発行したときに20円の制作費除いて100兆円近く、99兆8000億円ですか、もうかったかというと全然そんなことはないってことですね。だから、この国では少なくとも紙幣を発行するときにそんな利益なんか全く挙がらないっていうことですね。だから、日銀が民間だからといってそもそも大騒ぎすることはないということです。そもそも、それから日銀の政策決定に関してはもちろん株主は一切決定権ないです。議決権が全くないんですね。議決権が全くないから逆に、要するに公開する必要もないわけです。一般の株式会社が5%ルールみたいなかたちで、発行済みの株式の5%以上を取得するとそれが公開されるのは議決権があるからですね。逆に日銀は一切議決権はなくて、日銀に対しては、株主は全くないです。で、政策は誰が決めてるかっていうと、日銀の政策委員会が決めてますね。政策委員会総裁がいて、副総裁が2人いて、あと、審議員みたいな人が6人ですかね、9人の政策委員会で。この人たちはどうやって任命されるかっていうと、内閣が任命しますね。で、国会の承認を得てっていうかたちになるんで、結局、株主一切関係ないです。だから、よくそういう、あまり仕組みを知らずにそういう陰謀論みたいなものに結びつける人たちがいるんですけど、実際、日銀の株主の半分近くが誰だかわからなかったとしても、僕にしてみれば、だから何なの?って話なんですよね。だから何が問題なの?(笑)、ちゃんと説明してって感じなんですけど、誰も説明してくれません。僕は大した問題だとは思ってません。

それからあともう一つ、それでも日銀っていうのは実は利益を挙げるんですね。どうやって利益が挙がるかっていうと、日銀は基本的に、例えば国債を大量に買ってますけど、国際の利息だったりとか、その利息収益とかあるし、あと、外貨資産も持ってるわけですね、ドルを持ってアメリカの国債を持ってたりするんで。それで利益とか、利益っていうのは要するに利息みたいなもの、基本的には利息で挙がっていきます。それで挙がるんですけど、年間、結構そこそこの利益は、1兆円以上挙がったりとかするんですよ。ただ、それも結局どうなってるかというと、これ日銀法[SM1] を読めばわかるんですけど、日銀法の第五十三条っつうのがあるんですよ。五十三条を読むとわかるんですけど、日銀法の第五十三条の、まず第四項ね。四項は株式の、要するに株を持ってる株主に対して配当がどうなってるかっていうことは第五十三条の四項に書いてあるんですけど、「日本銀行は、財務大臣の認可を受けて、その出資者に対し」て、これ株主ですね、「各事業年度の損益計算上の剰余金の配当をすることができる。」まあ配当は出せるってことですね。「ただし、払込出資金額に対する当該剰余金の配当の率は、年百分の五の割合を超えてはならない。」要するに5%を超えて配当は出してはならないっていうことになっていて。五十三条の第五項、「日本銀行は、各事業年度の損益計算上の剰余金の額から、第一項又は第二項の規定により積み立てた金額及び前項の規定による配当の金額の合計額を控除した残額を、当該各事業年度終了後二月以内に、国庫に納付しなければならない。」と。要するにこれ、もうかったぶんっていうのは、積立金とかあるんですね、準備金っていうのが。要するに、例えば外貨準備を持ったりとか、外貨の、要するに資産を持っていて、その為替の変動とかあるので、それに備えて積み立てとか準備金ってあるんですよ。それをやったあとは、結局、余ったお金っていうのは国庫に返納しなきゃいけないってことなので(笑)、それで株価がものすごい上がるとかっていう話にはならないので、そもそもそんなことを、なるんであれば、日銀の株っていうのはジャスダックなんかで誰でも買えることになってるんで、そんなに日銀がもうぼんぼんぼんぼんもうけるような話であれば、それをみんなが買うって話になりますよね、間違いなくもうかるんで。そんなことはならないのは、結局こういう法律があって、日銀はもうかっても別にその剰余金を国庫返納っていうことで。だから、45%の日銀の株主が誰だかわからないったところで、別に大した問題ではないんですね。という話(笑)。

通貨発行権みたいな話も、結局、日銀が持ってるみたいなことを、間違ったことを言う人がいますけども、別に日銀は全く通貨発行権は持ってなくて。結局、通貨発行って今の仕組みを理解すると、誰が通貨発行権を持ってるかっていうと、各民間銀行の融資担当者がみんな一人一人、通貨発行権持ってると思ったほうがいいです。何でかっていうと、結局、今の仕組みは信用創造という、銀行がお金を貸すことによってお金が生まれるということは、その判断をする一人一人の融資担当者がその権利を持ってるってことですね。だから、日銀とか中央銀行が通貨発行権を持ってみたいな話は都市伝説というか、もうガセネタというか、特に中央銀行は通貨発行権なんて持ってません、そういった意味で言うと。今、おっきな通貨発行権を実質的に持ってるのは例えば、あ、ちょっと待って。その前に日銀の役割の話を先にしますね。

日銀の役割は何かっていうと金融調節をやってるんですけど、それはどうやってやってるかというと、結局、金利の上げ下げとか量的緩和みたいなことを最近やってます。金利の上げ下げのほうは簡単なんで先に説明しますけれども、金利を、日銀はお金の量を、例えば減らすために上げます。金利を上げると何が起きるかというと、金利が高くなるんで、お金を借りたい人とか借りられる人が減りますよね。そうすると、お金って大体借金っていうのは借りたらみんな毎月返していきますね。それに対して、金利が高くなると、毎月みんながお金を返していくとそのぶんお金が減ってくわけですね。お金を返すときに実はお金って消える。お金を借りるときにお金が生まれるっていう仕組みになってるんで、返していくとだんだん減っていきますけど、それに対して金利を上げたときに、要するに金利が高いんで借りる人が減ってくとだんだんお金が減ってくんですよ。そういう金融調節。逆に、今度お金を増やしたいときには金利を下げます。金利を下げると借りたい人とか借りられる人が増えるんで、それに対して銀行がお金を貸していけば、借金を増やしていけばお金が増える。つまり日銀は何をやってるかというと、あくまでも民間銀行の貸し出しの増減を誘導してるにすぎません。通貨発行権みたいな権利を持ってるわけでも何でもなくて、要するに、あくまでもそれは各民間銀行がその通貨を発行する、そういう権利というか機能を持っていて。彼らが要するに借金を増やしたり減らしたりすることによって世の中のお金を増やしたり減らしたりするっていう、その誘導をしてるにすぎなくて、通貨発行権みたいなものは日銀は持ってません。あと、それから、これ講演会でも説明してますけれども、ある時期から日本の民間銀行っていうのは民間にお金を貸さなくなってしまって、民間の信用創造による通貨の発行、お金の発行っていうのはあまり機能しなくなってるんですね。それからしばらくどうやって、もう数十年たってるんですけど、どうやってお金を発行し続けてきたかというと、実は政府が借金をして、それを使ってお金を発行してきたっていうことをやってきたんですね。これ、今、あんまり時間ないんで詳しくは説明しませんけれども。つまりどういうことかというと、毎年の予算ですね。政府が予算を組みます。で、それを赤字にします。赤字にするっていうことはその赤字ぶんを銀行から借りて、銀行から借りてっていうか、新たなお金を作るわけですね、銀行が政府の国債を買うことによって。それで新たなお金を作って世の中のお金を増やしてきたってことをやり続けてきたっていうことは、要するに、今、実質的に通貨発行権誰が持ってるかというと、国会の予算委員会が持ってると言っても過言ではないです。赤字ぶんっていうのは必ずお金の発行になります。借金ぶんっていうのは新たなお金を作って政府が使う、ないものを作って使うってことになりますから、それで実は世の中のお金は増えてるんですね。それが通貨発行、ここ数十年で起きてきた、要するに、政府による、政府の予算委員会による、まあ国会の予算委員会に、もちろん政府が予算案を作ってそれを国会で承認してという、そういうプロセスによるお金の発行っていうのがここ数十年で起きてきた。ということは、日銀何やってんの?って。日銀は通貨発行してません、ですから。繰り返しになりますが。だから、通貨発行権とかいうその権利みたいなものを誰か一部の、何とかチャイルドみたいな(笑)、そういう国際金融家が握っていて、それがすべてをコントロールしてるみたいなのは、もうこれは幻想でしかなくて。仕組みを知ればそんなことではないっていうことがよくわかります。だから何が問題なのかっていうと、この仕組み、銀行が借金でお金を作り出すという仕組みはもう完全に時代遅れになってしまっていて、そういったことから変えてくっていうことを、私大西つねき、それからフェア党は言っています。なので、皆さんもちょっとそこら辺いろいろ調べていただけるとわかると思うんですが、日銀が民間銀行だからどうとか、通貨発行権がどうたらということはあまり本気にしないほうがいいです。基本的にあんまり恐らくわかってないんじゃないかなあというふうに思います。ということで、この質問、よく本当に講演会のあとに聞かれて、一回一回説明してるので、もう一旦これ動画で作って皆さんに見てもらったほうが早いかなと思って、今回、動画を作りました。


ということで、来週何の話をしようかな。実は面白い質問をいただいていて、それについてずっと考えてるんですが、なかなかうまい答えが見つからなくて。もしその答えが見つかったら来週その話をしたいと思います。ということで、大西つねきの週刊動画コラム、本日は「日銀と通貨発行権の誤解」ですかね、そんなタイトルだったと思いますが、でお話ししました。
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html#c4

[番外地7] ユダヤ人の起源 中川隆
2. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2020年1月27日 20:17:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-929]
「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する  
ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した 後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語をベースとしたイディッシュもその一つです。  

一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりませんでした。変える理由も必要も無かったのです。  

たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。  スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、タガログ語は滅びなかったのですよ。  ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。

ハザール人はあくまでハザール人であり、東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。  

「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。  まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケるのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。  それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなんですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/437.html#c2

[近代史3] 昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは 中川隆
1. 中川隆[-14135] koaQ7Jey 2020年1月27日 20:30:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-928]
2020年01月27日
反日罪が裁かれる日 左翼の言論はいつまでも自由ではない


大正時代は自由や民権運動が盛んで、共産主義や反日がカッコいいとされていた。
自由な時代は軍の反撃であっけなく終わった

画像引用:https://buzzap.net/images/2016/06/24/modern-girls1920/top.jpg

言論はいつまでも自由ではない

日本では自国を攻撃する反日が罪にならないが、これは世界でも少数派で、多くの国では即刑務所にぶちこまれる。

70年代から90年代に北朝鮮の日本人拉致が行われたが、国内の協力者は一人も逮捕されていない。

不審船が上陸するにも事前に情報が無くては上陸地点も「標的」も決められないので、協力者がいたはずでした。


当時も今も日本の法律では、北朝鮮の拉致に協力して情報提供しても、何ら罪に問われません。

北朝鮮を支持する人間が公然と「日本打倒」を掲げてデモ行進しても合法で、こういう国は日本以外に無い。

日本では日本を攻撃する「反日」が一種の遊び程度に考えられているが、他の国では極刑や逮捕に値する重罪です。


アメリカではベトナム戦争敗戦から自国を侮辱したり攻撃するのが流行し、反米がカッコいいとされた時期があった。

その結果起きたのが9.11同時多発テロで、この日以来「反米」は犯罪として摘発され刑務所にぶちこまれるようになった。

2000年までは「アメリカをぶっ壊す」とプラカードを掲げてホワイトハウス前を行進できたが、今は公安に連行されます。


最近はネット上で「アメリカで大きな事をやる」と書いただけで入国拒否されたという例が多く報告されている。

日本の現状は9.11以前のアメリカに近く、反日はカッコいい事で、「日本をぶっ壊す」と宣言した外国人を入国させています。

歴史上こういう事は何度も繰り返されていて、今回が初めてではありませんでした。

過去の反日ブームと弾圧

ある国で自国を攻撃する破壊活動がブームになると、それが数十年続いた後で強烈な反作用が起きることが多い。

簡単な例は日本の大正デモクラシーで、現代風に解説すると平和活動と反日活動、民主運動が高まりました。

日露戦争に勝利した日本はもう戦争は起きないとして軍縮し、現在の自衛隊と同規模の20万人程度まで軍を縮小した。


当時はハイテクは無いので人数=兵力であり、帝国陸軍は解散寸前といった状態で、消費文化や民権運動がブームでした。

日本の公安も弛緩してしまい、ソ連誕生で共産主義がブームになり、日本を共産化しようという共産運動が広まった。

昭和1桁時代には公然と日本を批判する反日もブームで、昭和12年には有名女優がソ連に亡命する事件も起きた。


後に連合艦隊司令長官になった山本五十六は「アメリカかぶれ」として有名で、アメリカに移住してアメリカ人になりたいと思っていました。

山本は武官としてアメリカに在住した事もあって、アメリカの豊かさを知り強い憧れを抱いていたようです。

こうした弛緩した空気を一変させたのが昭和6年の満州事変と、昭和11年の226事件でした。


反日ブームや共産主義、民権主義を苦々しく思っていた軍部は政治の主導権を握ると引き締めを図った。

これが昭和10年代の軍部の圧政で、例えば野球でも英語を使ってはならず、ストライクは「一本」などと言っていた。

戦争が終わるとGHQは自由化を進めたが、実は自由なのは「日本の悪口だけ」で、日本を褒める事は一切禁止した。


だから黒澤明など昭和期の映画はすべて反日映画で、日本を褒めるような内容はGHQが禁止していました。

歴史は自由と弾圧を繰り返す

欧州でも自由と弾圧はなんども繰り返されていて、フランス革命は王国時代はあらゆる言論自由で、そのせいで革命が起きました。

革命派は「パンがなければケーキを食べなさいよ」とマリーアントワネットが言ったと言いふらしたが、後にねつ造なのが判明している。

自由を求めてフランス革命を起こした連中は、革命に成功したら一切の言論を禁じ、自分を批判させないため圧政を敷きました。


ロシア革命も同様で、革命前はあらゆる言論すべて自由だったのに、革命後はソ連になり一切の自由を奪いました。

すべての「革命」の正体はこのようなもので、自由を掲げながら革命が終わったら前より不自由になります。

ギリシャ、ローマ時代から同じ事は何度も繰り返されていて、自由な時代と弾圧時代は交互にやってきていました。


今日本は自由な時代なわけですが、永遠に続く自由は無いのもまた、歴史は証明しています。

日本で最初にこうした事が起きたと記録されているのは聖徳太子から天智天皇の時代で、聖徳太子は仏教を導入し律令制度などを作りました。

聖徳太子の時代に日本は唐や百済から進んだ制度を導入し栄えたが、当然のこととして反日日本人が増えた。


唐や百済が進んでいるから導入するので、「日本なんか劣等国だよ」などという今風の左翼が増えた。

聖徳太子は仏教派だったがこれは神道派と対立し、国内で深刻な争いも起きていた。

その後に登場したのが中大兄皇子こと後の天智天皇で、645年に大化の改新という軍事クーデターを起こした。


天皇を任命したり敵対する王子を葬り去るなどやりたい放題の蘇我入鹿を、中大兄皇子が自分で切りつけたとされている。

天智天皇となった663年には百済を滅ぼした羅漢連合を成敗するため、史上初(三韓征伐を除く)の対外戦争を起こすが惨敗してしまう。

この白村江の戦いの真の目的は、対外戦争によって乱れた人心をまとめる事だったとされている。


昭和6年の満州事変では戦争を利用して軍部が権力を握り乱れた国内を引き締めたが、同じ目的だったと思われます。

対外戦争を起こすことで国家総動員体制になり、反日はカッコいいなどと抜かす連中は刑務所にぶち込めるようになります。

こうして天智天皇は実質的に初めての「日本国の天皇」になったが、大陸進出の野望は無く国内の発展に努めた。


こんな風に自由な社会で弛緩した空気は、戦争や革命やクーデーターなど、何か強い力によって終わる。

戦前の欧米ではドイツだけではなく、米英仏でも「反ユダヤ」が流行したが、今は口にしただけで逮捕される。

このように行き過ぎた自由には必ず終わりが来る。
http://www.thutmosev.com/archives/82040161.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html#c1

[近代史3] チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか? 中川隆
18. 中川隆[-14134] koaQ7Jey 2020年1月27日 21:31:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-927]
【Front Japan 桜】なぜ安倍政権は「デフレ化」政策を続けるのか? [桜R2/1/27]
https://www.youtube.com/watch?v=488O3kEyCMc

キャスター:三橋貴明・鈴木くにこ・前田有一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html#c18

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
14. 中川隆[-14133] koaQ7Jey 2020年1月27日 21:32:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-926]
【Front Japan 桜】なぜ安倍政権は「デフレ化」政策を続けるのか? [桜R2/1/27]
https://www.youtube.com/watch?v=488O3kEyCMc

キャスター:三橋貴明・鈴木くにこ・前田有一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c14

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
7. 中川隆[-14132] koaQ7Jey 2020年1月27日 21:32:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-925]
【Front Japan 桜】なぜ安倍政権は「デフレ化」政策を続けるのか? [桜R2/1/27]
https://www.youtube.com/watch?v=488O3kEyCMc

キャスター:三橋貴明・鈴木くにこ・前田有一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c7

[近代史3] 安倍首相は売国官僚と親中議員に支配された政治を変えようとした為に引き摺り降ろされようとしている 中川隆
12. 中川隆[-14131] koaQ7Jey 2020年1月27日 21:34:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-924]
以上はすべて馬渕さんの妄想でしたね:


【Front Japan 桜】なぜ安倍政権は「デフレ化」政策を続けるのか? [桜R2/1/27]
https://www.youtube.com/watch?v=488O3kEyCMc

キャスター:三橋貴明・鈴木くにこ・前田有一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/191.html#c12

[番外地7] 731部隊
731部隊


細菌兵器と武漢肺炎 2020年01月27日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1011.html

 731部隊
 https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A

 日中戦争開戦を遡る5年前、1932年、陸軍軍医学校防疫部、石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室が開設された。
 このとき、関東軍防疫班が組織され、翌1933年からハルビン郊外の背陰河において活動が始まった。

 つまり、開戦の五年前から、日本はすでにBC兵器を利用した中国国民殲滅作戦を計画していたことになる。
 後に、日中戦争では、「三光作戦」すなわち、「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という戦略を掲げて民衆大虐殺を繰り返したが、こうした作戦は、盧溝橋事件による戦争開始のはるか前から準備されていたことを意味する。
 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-03/ftp20081203faq12_01_0.html

 1936年、関東軍参謀長 板垣征四郎によって関東軍防疫部の新設が提案され、同年8月には、正式発足した。これが、通称731部隊である。
 これは通称「加茂部隊」とも呼ばれ、石井四郎の出身地である山武郡芝山町加茂部落の出身者が多数いたことに由来する。実は、同県内の里美村には、中国でアヘンを大量生産・生成して、戦争資金を得る目的で売りさばいた陸軍軍属、里見甫がいた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB
 これは陸軍内で、731部隊と、里見アヘン部隊(電通)が非常に近い関係だった可能性を示している。

 第一次世界大戦における化学兵器の使用を受け、1925年のジュネーヴ議定書では戦争時における化学兵器・生物兵器(細菌兵器)の使用禁止が規定された。
 しかし、731部隊は単に生物兵器の研究を行っていただけではなく、生物兵器を実戦で使用していた。
 731部隊ではペストやチフスなどの各種の病原体の研究・培養、ノミなど攻撃目標を感染させるための媒介手段の研究が行われ、寧波、常徳、浙贛などで実際にペスト菌が散布された。

 元関東軍の大尉であった小島隆男は、731部隊と協力し、中国大陸にコレラ菌を拡大させる作戦に従事した。
 「コレラ菌は対象地域に撒きました。まず病気が発生したことを確認し、対象地域に入ります。日本軍が侵入すると中国人たちは逃げて、新しい人たちに次々に感染させ、我々の計画通りに病気を蔓延させます。
 死者の死体や動けない人々が、あたりに横たわっていました。夏になると蝿がたかり、ぞっとする風景でした。私たちは2週間これらの作戦を続け、任務成果報告書に中国人およそ2万人がコレラで死亡したと記入しました。」

 731部隊関係者からの事情聴取によると、日中戦争において、浙贛作戦(1942年)などで12回の生物兵器の使用があった。また、ペスト菌汚染された蚤を空中散布した、チフス菌を井戸や畑の果物などに撒いた、細菌入りの饅頭を配ったなどとする証言者も複数存在する。

 部隊長石井四郎軍医は、フェル博士による尋問で炭疽菌の効果について次のように語っている。
 「炭疽菌についていえば、もっとも有効な菌であると確信しました。量産できるし、抵抗力があって猛毒を保持し、致死率は80%〜90%にのぼる。最も有効な伝染病はペスト、媒介節足動物による最も有効な病気は流行性脳炎であると考えました」。

 1940年の新京や農安でのペストの大流行が、731部隊の細菌散布により起きたとする元731部隊所属の金子順一軍医の「論文集(昭和19年)」が、2011年に日本の国立国会図書館関西部で発見された。

 1940年6月4日に日本軍が農安(吉林省)でノミ5グラムをまき、1次感染8人、2次感染607人の患者が発生し、同年10月27日には寧波で2キロ軍機から投下し、1次・2次感染合計1554人、41年11月4日には常徳に1.6キロ投下し、2810人を感染させ、6つケースの細菌戦では感染者は計2万5946人に上ったと報告している。

 1940年10月27日早朝に行われた寧波へのペスト菌攻撃は、低空飛行の飛行機から細菌をまく方法で行われた。この時使われたノミは、ペスト菌を持つネズミの血を吸い「ペストノミ」となったものだった。

 2011年の金子論文発見により、ジャーナリストの渡辺延志は、新京でのペスト流行は新京から60キロの農安で始まった731部隊の細菌攻撃に端を発しており、農安から持ち込まれた犬が入院していた新京の日本人経営の犬猫病院を起点として、ペスト菌が拡大していったと述べている。

 1941年に行われた浙贛への細菌攻撃では、1万人以上の被害が出た。コレラ患者を中心1700人以上が死亡したものの、犠牲者はすべて日本兵だった。被害にあった日本兵は上官から、「これは中国による生物兵器攻撃だ」と教えられたと供述している。

 731部隊では生物兵器の開発や治療法の研究などの目的で、本人の同意に基づかない不当な人体実験が行われていた。
 石井四郎は医学研究において「内地でできないこと」があり、それを実行するために作ったのがハルビンの研究施設であった、と戦後に語っており、この「(日本)内地でできないこと」とは主に人体実験を指している。

 石井四郎の右腕といわれた内藤良一(のちの「ミドリ十字」の設立者)は、戦後のニール・スミス中尉による尋問で次のように証言している。
 「石井がハルビンに実験室を設けたのは捕虜が手に入るからだったのです。(中略)石井はハルビンで秘密裏に実験することを選んだのです。
 ハルビンでは何の妨害もなく捕虜を入手することが可能でした。」

 さらに、細菌部隊のアイデアは石井ひとりのものだったとし、「日本の細菌学者のほとんどは何らかの形で石井の研究に関わっていました。(中略)石井はほとんどの大学を動員して部隊の研究に協力させていた」と供述している。

 実験材料「マルタ」と呼ばれた人々

 人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていた。
 ジャーナリストの西野瑠美子によれば、731部隊が性別、年齢層、人種を超えた、幅広い実験データを必要としたためであり、女性マルタは主に性病治療実験の材料になったという。

 高い外壁で囲まれ、コンクリート造りの特設監獄(「マルタ小屋」と呼ばれた)に一度収容されると、脱出は極めて困難であったといわれる。
 石井四郎付き運転手であった越定男は、野外の安達細菌爆弾実験場で脱出を試みたマルタたち40人をトラックで轢き殺したとして、次のように証言している。
 「一度、縛られていたマルタおよそ40人が、お互いに縄をほどき合って、散り散りになって逃げたことがあります。しかし、遠隔地の空港ですから、逃げおおせる場所はありません。トラックで次々に彼らを轢き殺しました。前輪でひっかけたり(中略)、轢いた時は衝撃を感じました」。

 マルタの人数は、終戦後にソ連が行ったハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言によると3,000人以上とされる。
 731部隊の「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は2007年に「毎日2〜3体、生きた人を解剖し(中略)多い時は1日5体を解剖した」と証言している。

 731部隊における人体実験は通常、生体解剖を意味した。これは被験者が死亡してしまうと人体に雑菌が入るため、人体に雑菌が入らないうちに解剖して臓器などを取り出す必要があったからであるとする。

「ワクチンなしでペスト菌を注射されたその男性は(中略)、2、3日後には、高い熱が出て顔色が悪くなり、その翌日くらいには瀕死の状態で顔が黒っぽく変わっていきました。(中略)この男性はまだ息のある状態で裸のまま担架に乗せられ、私たちが待機している解剖室に運ばれてきました。
 (中略)大山軍医少佐から「はじめよう」の命令がでました。細田中尉が、目でメスをわたすように私に合図します。足かせ手かせで固定された男は、カッと目を見開き、この凶行を確かめるように首を回しましたが、体の自由はききません。男は無念の涙を目にたたえ、天井の一点を見つめています。何か叫びを発しようとしているようですが、乾ききった口からは声は出ず、わずかに口を動かすだけです。

 男の首をなで回していた細田中尉が、右手のメスでズバリと頸動脈に沿って切り下げました。血がジューッと流れ出しました。男は、ペスト病の苦しみと、切りさいなまれた痛さで首を左右に振り回します。そのたびに顎にかかっている首かせが食い込み、ついにガクリと首をたれ失神しました。私はあわてて血を抜き取りました。

 (中略)ビタカン(ビタミン剤とカンフル剤を混合したもの)を4本打っても、男の鮮血を絞ることはできません。「鬼子ッ!」男は憎しみの火と燃える一言を絞り出すとスーッと顔色が代わり、呼吸が止まりました。「解剖刀をよこせ」細田中尉は、解剖刀を逆手に握ると、上腹部から下腹部へ得意然として切りさいなみ、骨を切るノコギリを引いて肋骨を引き切り、内臓の全部を露出させました。」

 731部隊では、ガス壊疽実験、凍傷実験、銃弾実験などのように、人体を極限まで破壊すると、人体はどのくらいの期間持ちこたえることができるのか、あるいはそこからどのように治療すれば回復させることができるのか、といった生理学的な研究も頻繁に行われた。こういった実験は、731部隊以外の陸軍病院などでも行われた。

 元731部隊員の越定男によれば、731部隊で最も熱心に行われた人体実験は、ガラスで覆われたガス室の外から犠牲者を観察するガス実験であったという。越は、ガス実験に立ち会った時の様子を次のように語っている。

 マルタと一緒に鳩、鶏などが籠に入れられたまま運び込まれる。(中略)背の高い眼鏡をかけた通訳生がマルタに適当な嘘を言って送り込んでくる。やがてガス発生機の音や風車の音がし始める。大抵ガスは眼に見えない。ガラス越しにマルタの表情を見て、ガスの濃度や効果を知るわけである。

 ガラスを通してみるマルタの表情、動きは刻々に変わる。ガスの種類によって突然、泡を吹き出す者もあれば、苦痛に顔をゆがめる者もあり、鼻水を出したり、時には喀血する者もいる。使用ガスは、イペリット、ホスゲン、ルイサイト、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどさまざまである。(中略)絶命したマルタは解剖室へ、半死半生のマルタは特別室へ入れて、二度、三度と実験に使い、決して生かしておくことはない。

 731部隊の印刷部員だった上園直二は、「2人の白系ロシア人の男性が零下40度から50度の冷凍室の中に素裸で入れられていました。研究者たちが彼らが死んでいく過程をフィルムに撮影していました。彼らはもがき苦しんでお互いの体に爪をめり込ませていました。」という証言をしている。

 731部隊付き看護婦であった赤間まさ子によれば、石井四郎は日本への帰路において731部隊員と家族に対し、「戦争は負けた。俺は、君たちみなを故郷に送り返す。帰郷したお前たちが731部隊の秘密を漏らすようなことがあったら、この石井はどこまでも、草の根をわけても捜すぞ。」と悪魔のような形相で叫んだという。

 731部隊の実験データの多くは元隊員たちが密かに持ち帰ったため、最終的にはアメリカ軍の戦後の生物兵器開発に生かされたと述べている。また、人体実験に手を染めたものの、ハバロフスク裁判を免れた軍医たちは連合国から戦犯として裁かれることなく、大学医学部や国立研究所や各地の病院に職を得たと述べている。

 部隊員の戦後の処遇について、「戦後も、元隊員には多額のお金が支払われました。200万円もらった人もいます。昭和23〜24年当時に、このような支払いが行われたということは信じられないことです。
 恐らく、米軍からの支払いがあったのだろうと思います。731部隊関係者はほとんど例外なく、いくばくかのお金を受け取りました。
 731部隊の仕事は、最高の稼ぎを保証しました。大勢の大学教授が731部隊に関連していました。とりわけ厚生省の幹部のような上層部の人たちやワクチン関係者は、みな石井部隊と何らかの関係を持っていました。

 米国が731部隊員に提示した条件は、以下の9項目。
--- 鎌倉会議で取り交わされた9ヵ条の密約 ---

 日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人のみに提供される。
ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
報告書は一般に公表されない。研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。主要な研究者は米国へ行くことを許可される。

アメリカ政府は次のように結論した。

a. 日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。
b.【略】
c. アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全にとって非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である。
d. 国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない。
e. 日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり「戦犯」の証拠として使用すべきではない。

 朝鮮戦争でアメリカは日本軍の731部隊のデータをもとに細菌戦を実施し、また石井四郎も従軍したといわれる。

*********************************************************************

 引用以上

 ウィキペディアの731部隊に関する情報は、おそらく公開されている全資料のなかでも、もっとも価値が高いもので、編者に心から敬意を表したい。
 また、よくぞ、今まで、この内容が極右勢力によって改竄・歪曲されないですんでいることにも驚いている。

 ここに引用したものは、ウィキの記載の1割程度しかない。詳細は、冒頭のリンクから確認していただきたい。
 私は、これを引用しながら、あまりの非人道、人間性崩壊の凄まじさに驚愕するとともに、激しい打撃を受けて、もう引用することも辛くなってしまったので短くした。

 と同時に、この内容が、中国共産党政権による法輪功大弾圧に、あまりにも酷似していることに驚かされる。
 つまり、中国政府が行っている反共産党勢力に対する残酷の極地のような弾圧は、実は、日本軍731部隊の作戦行動から学んだものであることを、はっきりと理解することができる。

 そして、現在、中国で進行形の武漢肺炎について、これがSARS・MARSと同じように、細菌戦争の作戦ではないかという疑いを強く抱かざるを得ない。
 これを疑う、最大の理由は、感染のタイミングが春節にかかっているということである。
 春節は、日本人には、想像もできないほど祝日として最高ランクにあるもので、年間最大級の民族大移動が起きる。これによって、感染者は中国全土に拡大することが約束される。こんなうまいタイミングは、計画しなければできるものではない。
 中国全土に感染拡大パンデミックが及んだときは、中国の歴史最大級のパニックが訪れることだろう。

 私は、日本にも数十万の中国人が押し寄せることから、これを中国共産党自身が仕組んだものであっても不思議でないと思っている。中国共産党にとっては、自国民の悲惨よりも、日本の弱体化の方が大切と思っている可能性がある。
 中国政府は、共産党の利権を守るためだけの組織であり、民衆を守るための組織ではないからだ。
 もしも、中国政府の陰謀だったなら、共産党幹部だけ、感染率が低くなるから分かるはずだ。

新型肺炎「武漢だけで、2月4日までに最大35万人超が感染」英米研究チーム
 https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200127-00160519/

 731部隊では、もっとも効果の高い細菌兵器は、「炭疽菌」であったと語られていた。感染者の致死率が高いという意味だ。
 しかし、細菌兵器の扱いや効果は極めて難しいもので、感染力も毒性も、実験培養室を離れた瞬間から刻一刻と変化し、時間とともに突然変異の確率が増して、効果を失ってゆくといわれている。
 これが、これまでの新型肺炎が、狙い通りの成果を上げられなかった理由だろう。

 細菌兵器を誰が散布したのか? については、もっとも可能性の高いのが、CIAかMOSADOによる中国の弱体化を狙った作戦だが、法輪功弾圧で分かるように、中国共産党政府自体が、非人道的で残酷な細菌兵器の開発に血道を上げてきたわけで、そうした開発過程で、何らかの自国民での実験を行った可能性も捨てきれないし、春節を利用した日本への感染打撃を狙った可能性も否定できない。

 もし、アメリカやイスラエルが行ったのなら、おそらく中国政府は報復するだろうから、アメリカでも致死的な大規模感染が起きるだろうと予想している。
 2017年、アメリカのCIAスパイが、数十名、(根こそぎ)中国政府によって殺害された事件があった。
  https://www.sankei.com/world/news/170609/wor1706090003-n1.html
 この頃から、アメリカ政府による中国政策は人道的抑制を超えて残酷な先鋭化の様相を帯びている。だから、いずれ、このような細菌兵器実験を行うに違いないと予想していた。

 問題は日本だ。春節での中国人流入は、最低でも数十万人、あるいは100万人に上る可能性がある。中国政府は、今のところ団体旅行を禁止しただけで、個人旅行は禁止していないので、抜け道だらけだ。

 この結果、日本に新型肺炎コロナウイルスを散布したのと同じ効果があるわけで、金儲けしか興味のない安倍政権自民党が、疫学的な厳しい対策をできるはずがない。
 日本でも、SARSの数十倍の感染者、死者が出るのは確実であろう。

 中国政府が、事実上の経済破綻を起こしているので、この巨大なデフォルトの嵐に対する言い訳=正当化に使われる可能性も考えるべきだろう。
 日本には、阿鼻叫喚の感染地獄がもたらされる可能性があることを視野に入れるべきだろう。

 対策としては、とにかく街中に出ないこと。やむをえず、スーパーなどに買い物に出るときは、厳格なウイルス防御対策を行うこと。
 用事は電話ですませ、人には会わないようにする必要がある。濃厚感染のタイミングは、たぶん一ヶ月程度なので、その間、小さくなって閉じこもって過ごすべきだ。

 コロナウイルス=エンベロープ型に必要な消毒資材は、まず、一番安く上がるのが、ブリーチ・ハイターの次亜塩素酸ソーダで、100円以下で買えるので、もっとも有効である。苛性ソーダが含まれていて、皮膚を溶かすので、100倍くらいに薄めて清掃に使用する。これを水虫に使っても効果がある。
 放置すれば、分解して炭酸ガスと水になるので、安全性も比較的高い。
 次に、エタノールだが、濃度が80%程度は欲しい。50%は効かない可能性がある。
 イソブロピルは効果がないという。まずは70円で買えるブリーチを多用しよう。

 追記 コロナウイルス殺菌に使われるのは「次亜塩素酸水」であって「ブリーチ」は効果がないという意見がありました・
 しかし、多くの専門サイトで、次亜塩素酸ソーダのウイルス不活化能力について肯定的に書かれています。
 http://www.maruishi-pharm.co.jp/med2/files/disinf/support/23/sup.pdf?1483665582
 

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1011.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/443.html

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
42. 中川隆[-14130] koaQ7Jey 2020年1月28日 11:32:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-923]
2019.5.27「日銀と通貨発行権の誤解について」
大西つねきの週刊動画コラムvol.80
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80

2019年5月27日 · 週刊動画コラム
https://www.youtube.com/watch?v=foc3lmP7TSE&feature=emb_title

皆さん、こんにちは。大西つねきの週刊動画コラム、本日5月27日の週刊動画コラムのテーマは「日銀と通貨発行権の誤解について」というテーマでお話ししたいと思います。

何でこの話をしようと思ったかというと、昨日も僕、講演会行ってきました。
講演会に行くと必ずとまではいきませんが、かなりの割合で、要するに、

日銀が株式会社であるということ、
その株主が、55%は政府が出資してるんですけど、残り45%が民間だということ、
それが誰が持ってるか公開されていない

ということで、いろんな憶測というか、それを陰謀論みたいなものにつなげる人が多くて、そういうことを結構聞かれたりするんですね。

ただ、いつも僕答えるのは、日銀の株主の半分近くが民間で、それが誰だかわからないから、だから何なの?って聞き返すんですよ。大抵聞き返された人はもちろん答えられなくて、

日銀がお金を発行してるのに民間じゃおかしいとか、
それを何とかチャイルドみたいな陰謀論と結びつけて考えてるんです。


結局何が問題なのかその人たち自身もよくわかってなくて。
ただ、そういうふうに騒ぐ人たちが一部に恐らくいるんでしょうね。

ただ、これ、仕組みを知ると、いや、別に全然そんな話じゃないっていうのがよくわかります。


どこからはじめようかな。

まず日銀に関しては、民間だからといって、まあもちろん利益も挙がります、ある程度。その利益がどうやって挙がるかというと、これまた

お札を1枚、1万円札を作るのに20円しかかからなくて、それが1万円になるから9980円もうけるんだ

みたいなことを、そういう間違ったことを言う人がいるんですね。

それ完全に間違ってます。そうはなりません。

基本的にお札の発行ってどうやってるかというと、例えば、そもそもあのお札誰が作ってるかというと、日銀じゃなくて国立印刷局というところが毎年の財務省の計画に従って作ってます。

作るっていうのは、それは何で必要かというと、今までのお札が古くなって破れたりするぶんとか、あと、マネーストック、皆さんの現金、預貯金が増えるにしたがって、より多くのお札を引き出すようになるんで、そのぶん恐らく必要だろうということで、ある程度計画的に作ってるんですね。

国立印刷局がそれを刷ります。例えば、じゃあ1兆円のお札を国立印刷局が刷ったとして、それをどうやって発行するのか、発行するっていうか世の中に回してくのかというと、

まず1兆円の紙幣を作ります。それを日銀の金庫に入れるんですね。

日銀の金庫に入れますけど、日銀はそれを1兆円として受け取るわけですけど、それ、そのまま日銀が1兆円をもらってしまったら日銀が1兆円もうかってしまいますよね。(笑)。それおかしいですね、

もちろん。20円で作ったものを1兆円で受け取って、1兆円になってしまったら、確かにそれをやってしまったら日銀は1兆円もうかってしまいますけれども、そうはならなくて。

どうするかというと、要するに1兆円の紙幣を金庫に入れて、それは資産になるわけですね、日銀の。

で、それが利益にならないように負債の側に1兆円の発行済み銀行券という負債を書き込むんです、バランスシートの負債のほうに。

要するに、その時点で左右バランスするんで利益はそれで出ないんですね、日銀は。

1兆円の紙幣を資産として預かって、それを預かりましたという、預かったことにするんです、

負債にするっていうことは。それ誰から預かってるかというと、別に相手基本的にいないんですね。まあいうなれば、日本国民全員に対して新しい紙幣の1兆円ぶん借とするわけですね。

もともと日銀っていうか中央銀行っていうのは、1兆円っていうのは、紙幣っていうのはただの紙ですから、要するに実体的な価値はないわけですね。だから最初は多分恐らく、その信用のなさから何を持っていたかというと、その1兆円の紙を、まあ1兆円っていうよりも1万円札ですね、を持ってきたときに、いつでもそれをちゃんと実体のある、価値のあるものと交換しますよっていうことで、今度、日銀の資産の部分には、金地金という実際の貴金属というのを資産として持ってたんですね。

紙で発行してるんで、要するに、これは負債として、それを持ってくればいつでもそういう実体の金地金と交換しますよっていう、そういう一応論理立てだったんですけども、実際、今、日銀のバランスシートには、金地金っていうのはもうほとんどないです。一応ちょっとありますけど、ほとんどないわけです。

逆に言うと、日銀のバランスシートの、今度、負債の側、借金の側には、約100兆円の発行済み銀行券っていう負債が入ってます。

それは何かというと、今までそうやって発行し続けてきた、要するに紙幣の履歴なわけですね。100兆円ぶん今まで発行しましたよって、だから100兆円ぶんの現金が世の中に回ってますってことです。

だけど、その100兆円っていうのはもちろん日銀にしてみれば借金なわけですから、要するに、100兆円ぶんの紙幣を発行したときに20円の制作費除いて100兆円近く、99兆8000億円ですか、もうかったかというと全然そんなことはないってことですね。

だから、この国では少なくとも紙幣を発行するときにそんな利益なんか全く挙がらないっていうことですね。だから、日銀が民間だからといってそもそも大騒ぎすることはないということです。

そもそも、それから日銀の政策決定に関してはもちろん株主は一切決定権ないです。議決権が全くないんですね。議決権が全くないから逆に、要するに公開する必要もないわけです。

一般の株式会社が5%ルールみたいなかたちで、発行済みの株式の5%以上を取得するとそれが公開されるのは議決権があるからですね。

逆に日銀は一切議決権はなくて、日銀に対しては、株主は全くないです。

で、政策は誰が決めてるかっていうと、日銀の政策委員会が決めてますね。

政策委員会総裁がいて、副総裁が2人いて、あと、審議員みたいな人が6人ですかね、9人の政策委員会で。

この人たちはどうやって任命されるかっていうと、内閣が任命しますね。
で、国会の承認を得てっていうかたちになるんで、結局、株主一切関係ないです。

だから、よくそういう、あまり仕組みを知らずにそういう陰謀論みたいなものに結びつける人たちがいるんですけど、実際、日銀の株主の半分近くが誰だかわからなかったとしても、僕にしてみれば、だから何なの?って話なんですよね。だから何が問題なの?(笑)、ちゃんと説明してって感じなんですけど、誰も説明してくれません。僕は大した問題だとは思ってません。


それからあともう一つ、それでも日銀っていうのは実は利益を挙げるんですね。

どうやって利益が挙がるかっていうと、日銀は基本的に、例えば国債を大量に買ってますけど、国債の利息だったりとか、その利息収益とかあるし、あと、外貨資産も持ってるわけですね、ドルを持ってアメリカの国債を持ってたりするんで。

それで利益とか、利益っていうのは要するに利息みたいなもの、基本的には利息で挙がっていきます。それで挙がるんですけど、年間、結構そこそこの利益は、1兆円以上挙がったりとかするんですよ。

ただ、それも結局どうなってるかというと、これ日銀法[SM1] を読めばわかるんですけど、日銀法の第五十三条っつうのがあるんですよ。五十三条を読むとわかるんですけど、日銀法の第五十三条の、まず第四項ね。四項は株式の、要するに株を持ってる株主に対して配当がどうなってるかっていうことは第五十三条の四項に書いてあるんですけど、

「日本銀行は、財務大臣の認可を受けて、その出資者に対し」て、これ株主ですね、「各事業年度の損益計算上の剰余金の配当をすることができる。」

まあ配当は出せるってことですね。

「ただし、払込出資金額に対する当該剰余金の配当の率は、年百分の五の割合を超えてはならない。」

要するに5%を超えて配当は出してはならないっていうことになっていて。五十三条の第五項、

「日本銀行は、各事業年度の損益計算上の剰余金の額から、第一項又は第二項の規定により積み立てた金額及び前項の規定による配当の金額の合計額を控除した残額を、当該各事業年度終了後二月以内に、国庫に納付しなければならない。」と。

要するにこれ、もうかったぶんっていうのは、積立金とかあるんですね、準備金っていうのが。

要するに、例えば外貨準備を持ったりとか、外貨の、要するに資産を持っていて、その為替の変動とかあるので、それに備えて積み立てとか準備金ってあるんですよ。

それをやったあとは、結局、余ったお金っていうのは国庫に返納しなきゃいけないってことなので(笑)、それで株価がものすごい上がるとかっていう話にはならないので、そもそもそんなことを、なるんであれば、日銀の株っていうのはジャスダックなんかで誰でも買えることになってるんで、そんなに日銀がもうぼんぼんぼんぼんもうけるような話であれば、それをみんなが買うって話になりますよね、間違いなくもうかるんで。

そんなことはならないのは、結局こういう法律があって、日銀はもうかっても別にその剰余金を国庫返納っていうことで。

だから、45%の日銀の株主が誰だかわからないったところで、別に大した問題ではないんですね。という話(笑)。


通貨発行権みたいな話も、結局、日銀が持ってるみたいなことを、間違ったことを言う人がいますけども、別に日銀は全く通貨発行権は持ってなくて。

結局、通貨発行って今の仕組みを理解すると、誰が通貨発行権を持ってるかっていうと、各民間銀行の融資担当者がみんな一人一人、通貨発行権持ってると思ったほうがいいです。

何でかっていうと、結局、今の仕組みは信用創造という、銀行がお金を貸すことによってお金が生まれるということは、その判断をする一人一人の融資担当者がその権利を持ってるってことですね。

だから、日銀とか中央銀行が通貨発行権を持ってみたいな話は都市伝説というか、もうガセネタというか、

特に中央銀行は通貨発行権なんて持ってません、そういった意味で言うと。今、おっきな通貨発行権を実質的に持ってるのは例えば、あ、ちょっと待って。その前に日銀の役割の話を先にしますね。


日銀の役割は何かっていうと金融調節をやってるんですけど、それはどうやってやってるかというと、結局、金利の上げ下げとか量的緩和みたいなことを最近やってます。金利の上げ下げのほうは簡単なんで先に説明しますけれども、

金利を、日銀はお金の量を、例えば減らすために上げます。
金利を上げると何が起きるかというと、金利が高くなるんで、お金を借りたい人とか借りられる人が減りますよね。そうすると、お金って大体借金っていうのは借りたらみんな毎月返していきますね。それに対して、金利が高くなると、毎月みんながお金を返していくとそのぶんお金が減ってくわけですね。

お金を返すときに実はお金って消える。
お金を借りるときにお金が生まれるっていう仕組みになってるんで、返していくとだんだん減っていきますけど、それに対して金利を上げたときに、要するに金利が高いんで借りる人が減ってくとだんだんお金が減ってくんですよ。

そういう金融調節。

逆に、今度お金を増やしたいときには金利を下げます。
金利を下げると借りたい人とか借りられる人が増えるんで、それに対して銀行がお金を貸していけば、借金を増やしていけばお金が増える。

つまり日銀は何をやってるかというと、あくまでも民間銀行の貸し出しの増減を誘導してるにすぎません。通貨発行権みたいな権利を持ってるわけでも何でもなくて、要するに、あくまでもそれは各民間銀行がその通貨を発行する、そういう権利というか機能を持っていて。彼らが要するに借金を増やしたり減らしたりすることによって世の中のお金を増やしたり減らしたりするっていう、その誘導をしてるにすぎなくて、通貨発行権みたいなものは日銀は持ってません。

あと、それから、これ講演会でも説明してますけれども、ある時期から日本の民間銀行っていうのは民間にお金を貸さなくなってしまって、民間の信用創造による通貨の発行、お金の発行っていうのはあまり機能しなくなってるんですね。それからしばらくどうやって、もう数十年たってるんですけど、どうやってお金を発行し続けてきたかというと、

実は政府が借金をして、それを使ってお金を発行してきたっていうことをやってきたんですね。

これ、今、あんまり時間ないんで詳しくは説明しませんけれども。つまりどういうことかというと、毎年の予算ですね。

政府が予算を組みます。で、それを赤字にします。
赤字にするっていうことはその赤字ぶんを銀行から借りて、銀行から借りてっていうか、新たなお金を作るわけですね、銀行が政府の国債を買うことによって。

それで新たなお金を作って世の中のお金を増やしてきたってことをやり続けてきたっていうことは、要するに、

今、実質的に通貨発行権 誰が持ってるかというと、国会の予算委員会が持ってると言っても過言ではないです。

赤字ぶんっていうのは必ずお金の発行になります。
借金ぶんっていうのは新たなお金を作って政府が使う、ないものを作って使うってことになりますから、それで実は世の中のお金は増えてるんですね。

それが通貨発行、ここ数十年で起きてきた、要するに、政府による、政府の予算委員会による、まあ国会の予算委員会に、もちろん政府が予算案を作ってそれを国会で承認してという、そういうプロセスによるお金の発行っていうのがここ数十年で起きてきた。

ということは、日銀何やってんの?って。

日銀は通貨発行してません、ですから。繰り返しになりますが。だから、

通貨発行権とかいうその権利みたいなものを誰か一部の、何とかチャイルドみたいな(笑)、そういう国際金融家が握っていて、それがすべてをコントロールしてるみたいなのは、もうこれは幻想でしかなくて。

仕組みを知ればそんなことではないっていうことがよくわかります。だから何が問題なのかっていうと、この仕組み、銀行が借金でお金を作り出すという仕組みはもう完全に時代遅れになってしまっていて、そういったことから変えてくっていうことを、私大西つねき、それからフェア党は言っています。なので、皆さんもちょっとそこら辺いろいろ調べていただけるとわかると思うんですが、

日銀が民間銀行だからどうとか、通貨発行権がどうたらということはあまり本気にしないほうがいいです。

基本的にあんまり恐らくわかってないんじゃないかなあというふうに思います。

ということで、この質問、よく本当に講演会のあとに聞かれて、一回一回説明してるので、もう一旦これ動画で作って皆さんに見てもらったほうが早いかなと思って、今回、動画を作りました。


ということで、大西つねきの週刊動画コラム、本日は「日銀と通貨発行権の誤解」ですかね、そんなタイトルだったと思いますが、でお話ししました。
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c42

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について
2019.5.27「日銀と通貨発行権の誤解について」
大西つねきの週刊動画コラムvol.80
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80


2019年5月27日 · 週刊動画コラム
https://www.youtube.com/watch?v=foc3lmP7TSE&feature=emb_title


皆さん、こんにちは。大西つねきの週刊動画コラム、本日5月27日の週刊動画コラムのテーマは「日銀と通貨発行権の誤解について」というテーマでお話ししたいと思います。

何でこの話をしようと思ったかというと、昨日も僕、講演会行ってきました。
講演会に行くと必ずとまではいきませんが、かなりの割合で、要するに、

日銀が株式会社であるということ、
その株主が、55%は政府が出資してるんですけど、残り45%が民間だということ、
それが誰が持ってるか公開されていない

ということで、いろんな憶測というか、それを陰謀論みたいなものにつなげる人が多くて、そういうことを結構聞かれたりするんですね。

ただ、いつも僕答えるのは、日銀の株主の半分近くが民間で、それが誰だかわからないから、だから何なの?って聞き返すんですよ。大抵聞き返された人はもちろん答えられなくて、

日銀がお金を発行してるのに民間じゃおかしいとか、
それを何とかチャイルドみたいな陰謀論と結びつけて考えてるんです。


結局何が問題なのかその人たち自身もよくわかってなくて。
ただ、そういうふうに騒ぐ人たちが一部に恐らくいるんでしょうね。

ただ、これ、仕組みを知ると、いや、別に全然そんな話じゃないっていうのがよくわかります。

どこからはじめようかな。

まず日銀に関しては、民間だからといって、まあもちろん利益も挙がります、ある程度。その利益がどうやって挙がるかというと、これまた

お札を1枚、1万円札を作るのに20円しかかからなくて、それが1万円になるから9980円もうけるんだ

みたいなことを、そういう間違ったことを言う人がいるんですね。

それ完全に間違ってます。そうはなりません。

基本的にお札の発行ってどうやってるかというと、例えば、そもそもあのお札誰が作ってるかというと、日銀じゃなくて国立印刷局というところが毎年の財務省の計画に従って作ってます。

作るっていうのは、それは何で必要かというと、今までのお札が古くなって破れたりするぶんとか、あと、マネーストック、皆さんの現金、預貯金が増えるにしたがって、より多くのお札を引き出すようになるんで、そのぶん恐らく必要だろうということで、ある程度計画的に作ってるんですね。

国立印刷局がそれを刷ります。例えば、じゃあ1兆円のお札を国立印刷局が刷ったとして、それをどうやって発行するのか、発行するっていうか世の中に回してくのかというと、

まず1兆円の紙幣を作ります。それを日銀の金庫に入れるんですね。

日銀の金庫に入れますけど、日銀はそれを1兆円として受け取るわけですけど、それ、そのまま日銀が1兆円をもらってしまったら日銀が1兆円もうかってしまいますよね。(笑)。それおかしいですね、

もちろん。20円で作ったものを1兆円で受け取って、1兆円になってしまったら、確かにそれをやってしまったら日銀は1兆円もうかってしまいますけれども、そうはならなくて。

どうするかというと、要するに1兆円の紙幣を金庫に入れて、それは資産になるわけですね、日銀の。

で、それが利益にならないように負債の側に1兆円の発行済み銀行券という負債を書き込むんです、バランスシートの負債のほうに。

要するに、その時点で左右バランスするんで利益はそれで出ないんですね、日銀は。

1兆円の紙幣を資産として預かって、それを預かりましたという、預かったことにするんです、

負債にするっていうことは。それ誰から預かってるかというと、別に相手基本的にいないんですね。まあいうなれば、日本国民全員に対して新しい紙幣の1兆円ぶん借とするわけですね。

もともと日銀っていうか中央銀行っていうのは、1兆円っていうのは、紙幣っていうのはただの紙ですから、要するに実体的な価値はないわけですね。だから最初は多分恐らく、その信用のなさから何を持っていたかというと、その1兆円の紙を、まあ1兆円っていうよりも1万円札ですね、を持ってきたときに、いつでもそれをちゃんと実体のある、価値のあるものと交換しますよっていうことで、今度、日銀の資産の部分には、金地金という実際の貴金属というのを資産として持ってたんですね。

紙で発行してるんで、要するに、これは負債として、それを持ってくればいつでもそういう実体の金地金と交換しますよっていう、そういう一応論理立てだったんですけども、実際、今、日銀のバランスシートには、金地金っていうのはもうほとんどないです。一応ちょっとありますけど、ほとんどないわけです。

逆に言うと、日銀のバランスシートの、今度、負債の側、借金の側には、約100兆円の発行済み銀行券っていう負債が入ってます。

それは何かというと、今までそうやって発行し続けてきた、要するに紙幣の履歴なわけですね。100兆円ぶん今まで発行しましたよって、だから100兆円ぶんの現金が世の中に回ってますってことです。

だけど、その100兆円っていうのはもちろん日銀にしてみれば借金なわけですから、要するに、100兆円ぶんの紙幣を発行したときに20円の制作費除いて100兆円近く、99兆8000億円ですか、もうかったかというと全然そんなことはないってことですね。

だから、この国では少なくとも紙幣を発行するときにそんな利益なんか全く挙がらないっていうことですね。だから、日銀が民間だからといってそもそも大騒ぎすることはないということです。

そもそも、それから日銀の政策決定に関してはもちろん株主は一切決定権ないです。議決権が全くないんですね。議決権が全くないから逆に、要するに公開する必要もないわけです。

一般の株式会社が5%ルールみたいなかたちで、発行済みの株式の5%以上を取得するとそれが公開されるのは議決権があるからですね。

逆に日銀は一切議決権はなくて、日銀に対しては、株主は全くないです。

で、政策は誰が決めてるかっていうと、日銀の政策委員会が決めてますね。

政策委員会総裁がいて、副総裁が2人いて、あと、審議員みたいな人が6人ですかね、9人の政策委員会で。

この人たちはどうやって任命されるかっていうと、内閣が任命しますね。
で、国会の承認を得てっていうかたちになるんで、結局、株主一切関係ないです。

だから、よくそういう、あまり仕組みを知らずにそういう陰謀論みたいなものに結びつける人たちがいるんですけど、実際、日銀の株主の半分近くが誰だかわからなかったとしても、僕にしてみれば、だから何なの?って話なんですよね。だから何が問題なの?(笑)、ちゃんと説明してって感じなんですけど、誰も説明してくれません。僕は大した問題だとは思ってません。

それからあともう一つ、それでも日銀っていうのは実は利益を挙げるんですね。

どうやって利益が挙がるかっていうと、日銀は基本的に、例えば国債を大量に買ってますけど、国債の利息だったりとか、その利息収益とかあるし、あと、外貨資産も持ってるわけですね、ドルを持ってアメリカの国債を持ってたりするんで。

それで利益とか、利益っていうのは要するに利息みたいなもの、基本的には利息で挙がっていきます。それで挙がるんですけど、年間、結構そこそこの利益は、1兆円以上挙がったりとかするんですよ。

ただ、それも結局どうなってるかというと、これ日銀法[SM1] を読めばわかるんですけど、日銀法の第五十三条っつうのがあるんですよ。五十三条を読むとわかるんですけど、日銀法の第五十三条の、まず第四項ね。四項は株式の、要するに株を持ってる株主に対して配当がどうなってるかっていうことは第五十三条の四項に書いてあるんですけど、

「日本銀行は、財務大臣の認可を受けて、その出資者に対し」て、これ株主ですね、「各事業年度の損益計算上の剰余金の配当をすることができる。」

まあ配当は出せるってことですね。

「ただし、払込出資金額に対する当該剰余金の配当の率は、年百分の五の割合を超えてはならない。」

要するに5%を超えて配当は出してはならないっていうことになっていて。五十三条の第五項、

「日本銀行は、各事業年度の損益計算上の剰余金の額から、第一項又は第二項の規定により積み立てた金額及び前項の規定による配当の金額の合計額を控除した残額を、当該各事業年度終了後二月以内に、国庫に納付しなければならない。」と。

要するにこれ、もうかったぶんっていうのは、積立金とかあるんですね、準備金っていうのが。

要するに、例えば外貨準備を持ったりとか、外貨の、要するに資産を持っていて、その為替の変動とかあるので、それに備えて積み立てとか準備金ってあるんですよ。

それをやったあとは、結局、余ったお金っていうのは国庫に返納しなきゃいけないってことなので(笑)、それで株価がものすごい上がるとかっていう話にはならないので、そもそもそんなことを、なるんであれば、日銀の株っていうのはジャスダックなんかで誰でも買えることになってるんで、そんなに日銀がもうぼんぼんぼんぼんもうけるような話であれば、それをみんなが買うって話になりますよね、間違いなくもうかるんで。

そんなことはならないのは、結局こういう法律があって、日銀はもうかっても別にその剰余金を国庫返納っていうことで。

だから、45%の日銀の株主が誰だかわからないったところで、別に大した問題ではないんですね。という話(笑)。

通貨発行権みたいな話も、結局、日銀が持ってるみたいなことを、間違ったことを言う人がいますけども、別に日銀は全く通貨発行権は持ってなくて。

結局、通貨発行って今の仕組みを理解すると、誰が通貨発行権を持ってるかっていうと、各民間銀行の融資担当者がみんな一人一人、通貨発行権持ってると思ったほうがいいです。

何でかっていうと、結局、今の仕組みは信用創造という、銀行がお金を貸すことによってお金が生まれるということは、その判断をする一人一人の融資担当者がその権利を持ってるってことですね。

だから、日銀とか中央銀行が通貨発行権を持ってみたいな話は都市伝説というか、もうガセネタというか、

特に中央銀行は通貨発行権なんて持ってません、そういった意味で言うと。今、おっきな通貨発行権を実質的に持ってるのは例えば、あ、ちょっと待って。その前に日銀の役割の話を先にしますね。

日銀の役割は何かっていうと金融調節をやってるんですけど、それはどうやってやってるかというと、結局、金利の上げ下げとか量的緩和みたいなことを最近やってます。金利の上げ下げのほうは簡単なんで先に説明しますけれども、

金利を、日銀はお金の量を、例えば減らすために上げます。
金利を上げると何が起きるかというと、金利が高くなるんで、お金を借りたい人とか借りられる人が減りますよね。そうすると、お金って大体借金っていうのは借りたらみんな毎月返していきますね。それに対して、金利が高くなると、毎月みんながお金を返していくとそのぶんお金が減ってくわけですね。

お金を返すときに実はお金って消える。
お金を借りるときにお金が生まれるっていう仕組みになってるんで、返していくとだんだん減っていきますけど、それに対して金利を上げたときに、要するに金利が高いんで借りる人が減ってくとだんだんお金が減ってくんですよ。

そういう金融調節。

逆に、今度お金を増やしたいときには金利を下げます。
金利を下げると借りたい人とか借りられる人が増えるんで、それに対して銀行がお金を貸していけば、借金を増やしていけばお金が増える。

つまり日銀は何をやってるかというと、あくまでも民間銀行の貸し出しの増減を誘導してるにすぎません。通貨発行権みたいな権利を持ってるわけでも何でもなくて、要するに、あくまでもそれは各民間銀行がその通貨を発行する、そういう権利というか機能を持っていて。彼らが要するに借金を増やしたり減らしたりすることによって世の中のお金を増やしたり減らしたりするっていう、その誘導をしてるにすぎなくて、通貨発行権みたいなものは日銀は持ってません。

あと、それから、これ講演会でも説明してますけれども、ある時期から日本の民間銀行っていうのは民間にお金を貸さなくなってしまって、民間の信用創造による通貨の発行、お金の発行っていうのはあまり機能しなくなってるんですね。それからしばらくどうやって、もう数十年たってるんですけど、どうやってお金を発行し続けてきたかというと、

実は政府が借金をして、それを使ってお金を発行してきたっていうことをやってきたんですね。

これ、今、あんまり時間ないんで詳しくは説明しませんけれども。つまりどういうことかというと、毎年の予算ですね。

政府が予算を組みます。で、それを赤字にします。
赤字にするっていうことはその赤字ぶんを銀行から借りて、銀行から借りてっていうか、新たなお金を作るわけですね、銀行が政府の国債を買うことによって。

それで新たなお金を作って世の中のお金を増やしてきたってことをやり続けてきたっていうことは、要するに、

今、実質的に通貨発行権 誰が持ってるかというと、国会の予算委員会が持ってると言っても過言ではないです。

赤字ぶんっていうのは必ずお金の発行になります。
借金ぶんっていうのは新たなお金を作って政府が使う、ないものを作って使うってことになりますから、それで実は世の中のお金は増えてるんですね。

それが通貨発行、ここ数十年で起きてきた、要するに、政府による、政府の予算委員会による、まあ国会の予算委員会に、もちろん政府が予算案を作ってそれを国会で承認してという、そういうプロセスによるお金の発行っていうのがここ数十年で起きてきた。

ということは、日銀何やってんの?って。

日銀は通貨発行してません、ですから。繰り返しになりますが。だから、

通貨発行権とかいうその権利みたいなものを誰か一部の、何とかチャイルドみたいな(笑)、そういう国際金融家が握っていて、それがすべてをコントロールしてるみたいなのは、もうこれは幻想でしかなくて。

仕組みを知ればそんなことではないっていうことがよくわかります。だから何が問題なのかっていうと、この仕組み、銀行が借金でお金を作り出すという仕組みはもう完全に時代遅れになってしまっていて、そういったことから変えてくっていうことを、私大西つねき、それからフェア党は言っています。なので、皆さんもちょっとそこら辺いろいろ調べていただけるとわかると思うんですが、

日銀が民間銀行だからどうとか、通貨発行権がどうたらということはあまり本気にしないほうがいいです。

基本的にあんまり恐らくわかってないんじゃないかなあというふうに思います。

ということで、この質問、よく本当に講演会のあとに聞かれて、一回一回説明してるので、もう一旦これ動画で作って皆さんに見てもらったほうが早いかなと思って、今回、動画を作りました。


ということで、大西つねきの週刊動画コラム、本日は「日銀と通貨発行権の誤解」ですかね、そんなタイトルだったと思いますが、でお話ししました。
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
41. 中川隆[-14129] koaQ7Jey 2020年1月28日 11:47:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-922]
2020年01月28日
再エネ固定価格買取が日本の再エネ普及を妨げた


国が買取価格を決めたので、再エネ価格が下がる筈がありません

画像引用:http://www.shinwa-d.co.jp/common/img/company/img_H28_PVchotatsu.jpg

固定価格買取が日本の再エネを妨げた

2019年に全世界の再生可能エネルギーが過去最高となったが、エネルギー効率の上昇は小幅にとどまった。

太陽光発電の発電容量は18年の496ギガワットから7%増の約530ギガワットに増加したと推測されている。

世界の発電構成に再生可能エネルギーが占める割合は、2019年に約27%(〜28%)となりました。


再生可能エネルギーはヨーロッパの電力構成の36%、中国の26%、アメリカ、インド、日本の約18%を占めています。(グローバルエネルギー統計イヤーブック)

2018年のデータですが国別では国内で再生可能エネルギー比率が最高だったのはノルウェーで97.9%、ニュージーランドは83%でした。

再生可能エネルギー上位国は水力発電の多い国が占めていて、自然条件に恵まれていました。


EUトップはポルトガルが52%、ルーマニア、イタリア、スペインが40%前後でドイツは36%した。(2018年)

全世界の電力消費量は最近年3.5%増加し、再生可能エネルギーは7%増加しているので、再エネ比率がそれだけ増加しています。

日本では水力の比率が大きく、太陽光・風力・バイオマス・地熱の合計は約10%に過ぎない。


日本の再生可能エネルギー比率が低い原因は皮肉にも菅直人政権が決めた再生可能エネルギーの高額買取制度でした。

欧米では太陽や風力の発電コストが下がっているのに、日本は1KW40円から始まり現在やっと20円前後です。

しかも日本では40円で契約した事業者はその後20年間40円のままなので、今後も数十年間日本の再生可能エネルギー価格は高いままです。


森林(=山)は貯水と防災機能を持っているので、太陽パネルや風車を設置したら災害が起きます

画像引用:https://www.shinrin-ringyou.com/forest_japan/img/menseki_japan/01.gif

太陽、風力は日本に向いてない

固定価格で買い取った再生電力は大手電力会社の負担になり、電力会社は消費者に全額請求しています。

高額な電気料金に批判が高まり、大手電力は一時買取拒否という手段に出て、政府は新規募集を制限しました。

欧米で再エネが増えているのは安いからであり、地球環境の為に増やしてはいません。(特にアメリカ)


日本では政府が高額な買取価格を決めてしまったので、再生エネルギーは非常に高価なものになり普及を妨げました。

もうひとつの問題は地理的要因で、水力以外の再エネが普及した国は平野が多く山地は少ない。

日本は山地が国土の8割以上を占め、山地は森でもあり水源地でもあり、水を蓄えて水害を防ぐ機能も持っている。


もし森林を伐採してソーラーパネルや風車を設置したら、山が崩れて平野部に災害が及ぶのは猿にでも想像できる。

残念ながら日本の国土は太陽光や風力発電に適していないが、その代わり水不足がおき難く、砂漠や禿山はない。

日本の国土の8割が山で7割が森、ドイツは3割が森で同じく3割が山となっています。


国土交通省によると日本の可住地面積(人が住める地形)は27%、ドイツは67%、英仏も7割前後になっています。

ドイツのエネルギー政策を見習えと言いますが、日本は風車や太陽パネルを設置する場所が最初からないのです。

日本は可住地のすべてに人が住むか利用しているが、英仏独は可住地でも利用していない場所がいくらでもありました。


しかも森林面積は3割に過ぎないので、ドイツは人も住まず森でもないという場所がたくさんありました。

日本では人が住まず利用していない場所はすべて山地の森林であり、貯水と災害防止という役割を担っています。

おかげで日本では水がなくてしんだ人は有史以来あまり居ないので、山と森が多いメリットも甘受している。
http://www.thutmosev.com/archives/82048424.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c41

[近代史3] 天皇のY染色体ハプログループ 中川隆
9. 中川隆[-14128] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:14:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-921]
2020年01月28日
ピャスト朝の遺伝的調査
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_43.html

 ポーランドのピャスト朝の遺伝的調査に関して報道されました。この研究では、ピャスト家の人々の遺伝子を調べ、王家の起源や個体間の血縁関係、さらには健康や外見も明らかにしようとしています。

当初、ポーランド全土と他地域から、500人の被葬者がピャスト家の構成員の候補とされたそうです。しかし、ほとんどの場合、墓が破壊されていたか、遺骨が後世のものもと完全に混同されていたそうです。数年の調査の後、30人以上の墓がピャスト家のものとして特定されました。この中には、ヴァヴェル大聖堂の保護の観点から、ヴワディスワフ1世やカジミェシュ3世のようにヴァヴェルの丘に埋葬された人物は含まれていませんが、今後は両者の調査も検討されているそうです。

 この研究は、ピャスト朝初代のミェシュコ1世(在位は963〜992年)から王朝末期(1370年)までと、マゾフシェ公およびシレジアのピャスト家も調査対象としました。この研究はY染色体のDNA解析を重視しています。

ピャスト家の男子ならば、同じY染色体ハプログループ(YHg)を有している、と考えられます。しかし、現時点で30人のY染色体が調査されていますが、YHgが一致せず、その理由について決定的なことは分かりません。

ピャスト朝において妻の浮気あったようですが、どこかの段階で起きて後世に伝わったのか、あるいはピャスト家の分家の一つで起きたのか、まだ明らかになっておらず、今後は他の遺骸も調査していく予定とのことです。

 系図と生物学的な父子関係が一致しない場合もあること(ペア外父性)は、多くの人が常識的に知っていると思います。

14〜20世紀のネーデルラントの調査事例から、人口密度が高く、下流階級ほどペア外父性率が高く、

人口密度の高い下流階級では5.9%、
人口密度の低い地域の中流〜上流階級は0.4〜0.5%

と推定されています(関連記事)。ピャスト家ともなると、文句なしに上流階級ですが、それでもペア外父性が発生した可能性は低くない、というわけです。

もちろん、この事例を単純に日本の皇室に当てはめることはできませんが、皇位継承に関して男系維持派がY染色体を根拠とすること(関連記事)はあまりにも筋の悪い主張だな、と改めて思い知らされました。
https://sicambre.at.webry.info/202001/article_43.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/584.html#c9

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
221. 中川隆[-14127] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:17:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-920]
子どもの言語獲得と早期英語教育の盲点  福岡大学・山田英二教授(言語学博士)に聞く 2020年1月27日
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/15514


 ひとがことばを理解できるのは、お互い同じものを持っているからだ。発音や単語の組み立て方、言葉の仕組みなどに共通したものがある。その共通性に着目し、言語学者のノーム・チョムスキーという人が生成文法という理論を生み出した。言語について「人は同じシステムを遺伝子的に頭のなかに持って生まれてくる。それがあるから、人は言語を獲得(習得)できるのである。動物はそれがないから言語を獲得できない」といっている。

 日本人の親を持つ子どもでも、生まれてからすぐに英語圏で生活するようになれば、完璧な英語を話すようになる。スワヒリ語を話す地域で育てば、完全なスワヒリ語のネイティブスピーカーになる。人種などで言語が決まるのではないということだ。世界で6000から7000の言語があるが、どの子どももどの言語でも獲得できる能力を持っていて、問題はどこで育つかということだ。

子供が言語を獲得する仕組み
    
 人間はどうして3〜5歳ぐらいまでの短期間に言語を獲得することができるのだろうか。まだ算数もできない、走ることも十分にはできない幼少期の子どもがなぜ言語を獲得することができるのだろうか。子どもは周囲が話す言葉を聞いて覚えているだけだという見方もある。耳にする言葉を聞きながら規則的な何かを探り出して文法をつくっているのではないかという考え方がある。だが日本語を覚えて日本語の文法をつくる、英語を覚えて英語の文法をつくるという考え方では説明できないことがたくさんある。子どもたちは、日本語や英語、スワヒリ語の個別言語を耳にしながら、その言葉のなかには表面的には出現しない情報を感知し、それを自分のことばに組み入れ、話せるようになることが知られている。

 これを説明するには、人間は脳のなかに遺伝子的に言語の種のようなものを持っていると考えるしかない。普通、植物の種ならば同じ芽が出てくるが、言語の種は、環境により芽の出方や枝の分かれ方が違ってくる。その違いが、英語になり、スワヒリ語、日本語になる。そう考えるとそれぞれの言語の根っこは共通であり、そういう意味で共通するところがたくさんあるといえる。この言語の種を普遍文法と呼んでいる。

 簡単に説明しよう。すべての言語には動詞、名詞、前置詞、副詞的なものがあり、語順がある。これは当然のようだが不思議なことで、仮に宇宙人がいるとして、地球の言語を見ると「地球の言語は共通しているな」と考えるだろう。

 だが多くの人は「英語と日本語は全然違う。中学から大学まで勉強しても外国人の前では話せないではないか」と言うだろう。もちろん日本語と英語は違う。では何が共通しているのだろうか。

 例えば「私はボールを蹴る」という日本文がある。これを二つに分けると、「私は」と「ボールを蹴る」になるだろう。「ボールを蹴る」という部分を、動詞を中心とした「動詞句」と呼ぶ。英文の場合は「I kick a ball」になる。これも「I(私)」と「kick a ball(ボールを蹴る)」に分かれ、「kick a ball(ボールを蹴る)」が動詞句だ。この場合、主語が先にくる語の並び方は同じだ。

    
 ところが大きく違うのは、動詞句の中で、日本語では、目的語になる「ボール(を)」が先に来ている。「蹴る」という動詞が右側にくる。英語は「kick a ball」で、動詞の部分が左側に来る。英語の場合は、動詞句をつくっている主要な部分である「動詞」は左側になる。日本語は動詞が右側になる。この右か左が大きく関わってくる。

 枝の出方をどちらにするのか、それを決めるのが「主要部」という考え方だ。子どもは「この言語は主要部をどちらに置くのか」を考えながら言葉を聞く。いくつかの日本語に接すると「主要部は右側だな」と考え、そのように設定する。英語では「主要部は左側だな」と考え、そう設定する。そうすると、それ以外の文法の各部もそれに従い、自動的に決まってくる。

 前(後)置詞句も同じだ。例えば「東京で」の後置詞句の主要な要素は「で」で右側になる。英語でいえばそれを表す前置詞句は「in Tokyo」になり、主要部の「in」が左側になる。だから主要部が右側と決まれば、その文法全体の各部の主要部の位置が右側になる。左側と決まれば、各部も左側になる。このような仕組みをわれわれはパラメーターという。動詞句の主要部を左に選ぶか右に選ぶか、その一カ所が決まれば、動詞句以外のその他の部分もほぼ決まってしまう。子どもはそれを設定しながら文法を獲得していく。このような「仕組み」がどの言語にも共通なのだ。

 子どもは頭のなかにあるこのようなもともとの仕組みを使って、右に入れるか、左に入れるかの「スイッチを入れる」作業をしているということだ。比喩的な言い方をすると、コンピューターをつくっているマザーボード内にいくつかのスイッチがあり、そのスイッチを入れていくといえる。そうすると基盤は同じだから言語の共通性はそれで説明できる。違うところはスイッチの入れ方といえる。このような仕組みを調べるのが生成文法であり、そのなかの中心に普遍文法というものがある。だがそれだけでは言語は獲得できない。単語自体の意味と形はそれぞれ覚えていく必要がある。

 さて、このような仕組みは、ことばの「音の世界」にもあり、私は強勢(アクセント)の位置を決める仕組みもこれと同じような方法で説明できるのではないかと考えている。私は音の分野で生成文法の考え方が当てはまるかを研究している。

 Q 「ネイティブスピーカーになるには幼少期から英語をやろう」という宣伝が出てきているが、生成文法の考え方から見たらどうだろうか。

 A 日本語の環境で暮らす子どもの場合、獲得される第一言語は日本語になるが、そのスイッチ入れの作業の大部分は5、6歳までにほぼ終わってしまう。仮に幼少期に1時間、2時間の英会話をやったとしても、親や地域の人たちが日本語で話す環境であるならば、英会話の時間だけでは英語スイッチが入ることにはならない。だからそのような方法で英語のネイティブスピーカーにしようとするのは無理ではないだろうか。

 Q 今、小・中学校で話す英語、耳で聞く英語をやっているが、それだけでは意味がなく、逆にいえば言語には法則があるから、それをつかめば英語も理解できるということか。

 A 今の小学校からの英語教育に反対している人たちは、ことばの仕組み、論理的な仕組みに「気づく」ことが大事であるといっている。もっといえば、その「気づき」があれば、日本語もきちんと話せるし外国語も英語も学ぶことができる。それがないと言語を本当には獲得することはできない。単純会話の応答レベルでとどまっている限り、外国語で議論もできないし、深い内容については理解することができない。だから小学校からの英語教育より、むしろ日本語教育の方が大事ではないかと主張している。

「使用人」英語教育でよいか
    
 Q 他の国の言葉の仕組みを知る前に、自分の国の言葉を使って、ことばへの「気づき」を得ることが大事ということか。

 A そうだ。母語であれば、その言葉の仕組みや論理性についてはそれほど深く考えることはないだろう。自然に獲得した母語の仕組みについて通常は意識することはない。だからこそ、小学校で、ことばの仕組みや論理性に気づけるようにしておけば、中学になって、日本語とは違う仕組みを持つ言語を学ぶとき、それがおもしろいと感じるだろう。それを抜きにして、話すための英語だけをすることは本当に危うい。

 これほど国が力を入れている英語教育の目的を「東京オリンピックで海外の人から英語で道を聞かれて対応するため、グローバルな人材を育てるため」などという人がいる。しかし、今おこなわれようとしている英語教育は、いわゆる「使用人」英語でしかない。相手(ご主人)がいったことに従って行動できる程度のものだ。

 本当に反論する力、思考する力は、母語としての日本語で文学や小説などを読むことから生まれてくる。今、文科省を中心に国をあげて「文系廃止」といっている。高校の国語教科書から文学作品をなくすといい、マニュアル文を読むような内容が国語教育になろうとしている。

 文学を読むことは、どう生きるかなど思想的な物事を考える機会にもなる。そのために文学は必要だが、生き方や国のあり方を考える人間がいない方がいいのだろう。極論をいえば、外国語教育の目的を上滑りの英語教育にしようとしていること、文系廃止、文学はいらないといっていることはつながっている。

 しかも現在の英語教育改革論議で問題なのは、これまでの英語教育がダメだったから変えるといっていることである。今、日本人はノーベル賞を比較的多く受賞している。彼らは英語で論文を書いてきた。しかも、彼らは30、40年前の英語教育を受けてきた人たちだ。それで成果が出ている。今後、20、30年後に日本から同じようにノーベル賞をとる人たちが出てくるだろうか。現時点でいって、非英語圏でのノーベル賞受賞数を見ると日本はかなり多い。そのことからしても、「日本の英語教育は失敗だった」とは断言はできないのではないか。

 「英語教育は失敗だった」という人たちは、6年間勉強しても話せないということをその根拠にしているが、そもそも「教育」自体が、実用を主目的としているのかどうかという問題もある。その辺りの議論はなされずに、なんとなくで英語教育改革が推し進められてきた。その中身は、「なんとなく聞ける、話せる」レベルであり、それは「使用人」レベルの英語である。それではノーベル賞は出ない。(文責・編集部)
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/15514
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c221

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
1. 中川隆[-14132] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:47:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-919]
大西つねき氏(れいわ新選組)の演説を文字で読む 現代社会が抱える金融システムの不条理 2019年7月12日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166

岡山駅前でのれいわ新選組の街頭演説(10日)

 参議院選に10人が立候補した山本太郎率いる「れいわ新選組」が全国でくり広げている街頭演説や講演会が話題を集めている。そのなかの1人、元外資系銀行ディーラーの大西恒樹氏(全国比例)が10日、広島市内で講演会を開き、現代の日本社会が抱える金融・経済システムの不条理に焦点を当て、資本主義社会のもとで広がる貧困化、格差拡大、増税などの財政問題について問題提起をおこなった。現在の経済の仕組みを根本から問い直す内容が各地で反響を呼んでいる。大西氏の講演を概括して紹介する(掲載する図やグラフは同氏による提供)。

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 日本は世界一のお金持ち国にもかかわらず、7人に1人の子どもが貧困状態にある。私は3年前から地元神奈川県のある高校の図書館カフェでボランティアをしている。そこからは高校生たちの何気ない会話の中からいろんな問題が垣間見えてくる。学校や家庭の悩みに加えて、最近はバイトの悩みなども多く、日本中の企業が驚くほどブラック化していて、5月の10連休に高校生たちは10連勤している状態もあった。さらにはJK(女子高生)ビジネスといういかがわしいビジネスも横行している。そこから聞こえる何気ないSOSを拾って、しかるべき支援に繋げていくというボランティアだ。この子どもたちの一人一人の顔が、私が政治をやる非常に強いインセンティブ(刺激)になっている。

 そこからは、子どもの貧困はさらに悪化していることがわかる。教育困難校といわれる学校に行くと、3人に1人が生活保護だったりする。この世界一のお金持ち国の現実がすでにそうなっている。では、貧困状態にある子どもたちの何がいけなかったのか? それは生まれてきた境遇によるもので子どものせいではない。

 子どもだけの問題ではなく、大人も簡単に貧困状態に陥る状態にある。病気、ケガ、失業、離婚、災害…などでちょっとバランスを崩した瞬間に一気に貧困状態に突き落とされてしまう。そのようなことが簡単に起こる経済、社会の仕組みになっている。

 例えば、2011年3月の東日本大震災。私が政治団体を立ち上げたきっかけは、この大震災だ。当時、私は宮城県石巻市にボランティアとして通っていた。そのとき私はある民主党議員のところで復興支援室でボランティアをしており、民主党政権下だったので民主党の物資倉庫で物資のやりとりを担当していた。

 あるとき石巻のボランティア団体から電話がかかってきた。「石巻エリアで1500人くらいの人が食うのに困っているから、カップラーメンを2万食送ってくれ」という。だがすでに5月末で、みんな避難所にいっていて、そこには食料も物資もあるはずだ。「なぜ?」という違和感があった。すぐに2万食を送ったものの、何が起きているのか自分の目で確かめようと思い、翌日、車に布団を積んで石巻まで走って行った。

 石巻インターを降りると、すぐ左側に巨大なイオンが営業している。店内に入ってみると、土曜日の午後でもあり、人でごった返し商品も溢れている。まったく被災地感はなく、どこにでもある土曜日の混雑したイオンだった。「何かおかしいな?」と不可解さを抱きながら、そのまま沿岸部に向かった。女川トンネルを抜けた瞬間に景色が一変した。ぐちゃぐちゃになった車が積み重なり、ガソリンスタンドの支柱には車が刺さったまま宙に浮いている。そこで案内されたのは、食うに困っている人たちの代表のお宅だった。避難所ではない。被災後、その人たちも一度は避難所に行ったが、そこには限界状態にある人たちがたくさん集まっていて、プライバシーもない過酷な環境だ。

大震災と津波に襲われた後の石巻市雄勝町(2011年4月、本紙取材にて撮影)
 だから、自宅の1階まで水に浸かり、家の半分がぶち抜かれて泥だらけになり、家電製品が使えなくなっていても、自宅の2階に戻って住んでいた方がマシだということで、石巻では約1万世帯くらいの人たちが在宅被災者という形で自宅に避難して暮らしていた。

 実はいまだに同じ状況が続いている。数は少し減っているが、つい2カ月前にNHKが石巻の渡波(わたのは)という地域の在宅被災者のドキュメンタリーを放映していたが、そこはいまだに壊れた自宅に住んでいる。なぜかといえば、家を直すにも1000万〜2000万円かかる。支援金、義援金を合わせても全壊世帯で600万円。住宅ローンも抱えている。当時は被災で働けなくなり貯金を切り崩して暮らしていた。それが「食うに困っている人たち」の真実であり、だからこそ「1食でもタダでもらえるならもらいたい」ということでカップラーメン2万食という救済の声があがっていたのだ。

 その話を聞いたとき、これは震災の問題でもなく、津波の問題でもなく、巨大な金融問題だ、経済問題だと思った。結局、今の金融経済では困っている人たちのところにはお金がいかない仕組みになっている。

 おそらく他の理由でも同じようなことが起こる。病気、ケガ、失業、離婚…そういう理由で全国津々浦々で経済的に困る人が必ず出る。経済の仕組みがそうなっている。これから大きな問題になるのは高齢者の貧困だ。年金が足りず、2000万円の貯金がなければ大変だといわれているが、そんな額が簡単に貯められるものではない。当然、高齢になると病気もケガもしやすい。そのときに十分な貯金がなく、年金もわずかで、働くこともできなければ、もう誰も助けてくれない。そうやって一気に貧困に突き落とされ、誰にも知られることなく孤独死したり、将来を悲観して自殺するようなことが簡単に起きる。全国津々浦々で日常茶飯事のように起きることが容易に想像できる。

 高齢者だけではない。若者たちもちょっとバランスを崩したり、引きこもったり、いろんな理由で一気に貧困に突き落とされる人がたくさん出る。これも経済の仕組みに起因している。

豪雨災害に見舞われた広島県呉市天応地区(2018年7月12日)

3年たちながら仮設住宅暮らしを強いられている熊本地震の被災者たち(2019年4月、益城町)
お金に支配される本末転倒な社会

 私はもともとJPモルガンという銀行にいて、今の金融システムのど真ん中で働いてきたので、その仕組みがいかに残酷で、いかに格差拡大的であるかを身をもって体験している。震災の光景を見ながら、根本的な原因は金融システム、経済の仕組み、資本主義というような私たちの考え方、生き方にあり、これを根こそぎ変えなければ解決できないと感じた。これを根こそぎ変えるために政治団体を設立した。なぜかといえば、そんなことをいっている政治家も政党もどこにもいないからだ。今の金融経済がおかしい、今の金融システムがおかしい、資本主義はそろそろ限界だ、などといっているような政党はいまだに皆無だ。誰かがそれを大きな声でいい出して、新しい勢力をつくらなければダメだと考えた。

 むしろ、今の仕組みがおかしいということは、国会の中の人たちよりも、その外にいて毎日一生懸命働いても働いてもちっとも楽にならないという人たちの方がはるかに実感している。だから、そういう人たちに、今何が起きていて、何が本当の原因で、何が問題なのかをひたすら伝え続けて納得してもらい、その人たちの気持ちを集めれば必ず後で大きな数となり、本当に政権をとって国をひっくり返す。その先に今の仕組みを根本的に変えることができるだろうと思い、政治団体を設立した。

 2011年の被災地で、私の堪忍袋の緒を切った出来事がもう一つある。5月末か6月ごろ、石巻エリアで巨大な建物が建設され始めた。なぜ被災地にこんな巨大な建物をいきなり建てるのだろう? と思ったが、これはきっと病院や、当時泊まる場所がなくて寝袋を持ってきていたボランティアが寝泊まりできるような復興の手助けになる施設ができるのではないかとワクワクして見ていた。何カ月か後、初めてそれが何かがわかったときに衝撃を受けた。二つとも巨大なパチンコ店だった。自分の中で何かがブチッと切れた。

 確かに今の金融経済では、お金は物凄いスピードでもうかるところへ移動する。困っている人のところにはお金はいかない。もうからないからだ。ある人はいうかも知れない。「当たり前だよ。それが金融資本主義だから」「そういう仕組みだから」と−−。だが、それを「そういう仕組みだから」という理由で鵜呑みにし続けていいのだろうか。困っている人を助けるためにどうすべきかを考えなければいけない。お金も経済の仕組みもそのためにあるべきだ。その本質が忘れ去られ、いつの間にかカネ、カネ、カネの社会、経済になってしまっていることから変えなければ、人間の生き方や人生までおかしくなってしまう。私は、生きて働いて、死ぬときに「何をしたのか?」という自問に答えられないような人生を送ってしまうことに気付いたとき、絶対にこれを変えてやると思った。お金に支配された社会、経済を根こそぎ変えなければ、個人の心の自由も、自分の人生における時間をどのように使うのかという基本的な人権も奪われ続ける。

 週に5日も6日も会社の上司や株主など金持ちのいうことを聞かなければいけない生活を強いられ、場合によっては残業をやらされ、わずかに残った自分の時間だけ自由に過ごせるという人生を30年、50年続けて、最後には何のために生きていたのかわからない状態になるほど歪んでしまっている。自分でコントロールできるはずの時間を一人一人に返さなければいけない。奪われてしまっている時間の解放は、金融経済を変えることによって可能になる。これは未来の子どもたちにとっても非常に不公平な仕組みだ。ひたすら作って、消費して、壊すというサイクルを続ければ地球の環境も悪化し、あらゆる種を絶滅に追い込んでいくことになる。これを根こそぎ変えるには、国家経営の間違いも含めてまったく新しい社会を描かなければいけない。それは世界を変えることでもあり、そのために日本だからこそできることがある。

世界一の金持ち国で340兆円のタダ働き

 冒頭にいった「日本は世界一のお金持ち国」であるという事実はあまり知られていない。だがこれは紛れもない事実だ。主要国の対外純資産【表参照】を調べると、日本はプラスの341兆円で1位。ドイツが2位、中国が3位。そして、アメリカ合衆国がなんとマイナスの1076兆円。日本はこの数十年間不動の1位だ。かたやアメリカは不動の最下位。世界中から借金をしている世界一の借金大国だ。トランプのディール外交というのは、この莫大な借金を解消するために米国製品をひたすら売る。とくに日本に対してポンコツのオスプレイとかGMO(遺伝子組み換え生物)食品、F35、詐欺まがいの金融商品とか、バカ高い医薬品とか、とにかく何でもいいから日本に買わせて世界一の日本の資産を奪っていこうとするものだ。中国に対するプレッシャーも、3位にいる中国人に25%の関税をかけ、「アメリカに売ってばかりでなくて買え」と圧力をかけているのが米中貿易摩擦だ。トランプの政策はとても単純だ。世界一の借金を負っているから少しでも米国製品を売ってそれを解消しようとしている。

 では、日本はなぜこれほど大きな資産を持っているのか。それはみなさんがこの30年間黒字を稼ぎ続けてきた結果だ。日本は戦後復興を貿易立国、輸出主導型でずっとやってきた。海外に製品をたくさん輸出し、輸入を少なく抑えることで黒字を稼いだ。その結果たまった黒字341兆円は、実際には3兆jの外貨で円ではない。国際決済はドルでやってきた。原油もドルで買うし、輸出の代金もドルで受けとる。だから黒字もドルで貯まる。アメリカの1076兆円の赤字も円ではなく、約10兆jのドルを借りている。そのドルは黒字国が貸している。

 では、なぜ世界一の黒字を稼いでいるのにみなさんにその実感がないのか。それはこの稼いだ3兆jがみなさんのために使われないからだ。この黒字は使わなければただの紙切れだから当然投資する。ドルならドルを使うアメリカに投資する。この3兆jはその国で使われる。労働者の賃金を払い、つくった製品も国内に提供し、米国内で循環する。日本には入ってこない。黒字が増え続けたとしても海外投資になるため日本のみなさんは受けとれない。だからまったく実感がない。家庭に例えるなら、親が「わが家は世界一金持ち」といいながら稼いだお金を全部貯金して使わなければ、子どもは「嘘だね。何も買ってくれないじゃないか」というだろう。それと同じ状態で、何一つ受けとれていない。

 それどころか、この30年間みなさんはとんでもない働き方をさせられてきた。1971年から2016年までの為替レート【グラフ参照】を見るとそれがよくわかる。1971年には1j=360円だった。これが今は110円くらいになっている。円の価値が3倍になり、ドルが3分の1に下がっている。その契機が1985年のプラザ合意だ。

 プラザ合意とは、ニューヨークのプラザホテルでG5(主要5カ国)が集まって、各国の協調介入でドルを下げることを決めた合意だ。なぜかといえば、当時のレーガン米政権は「強いアメリカ」であるための「強いドル政策」をしていた。強い自国通貨のドルで労働者に高い給料を払えば、その国の労働者がつくった製品は高くなる。そのかわりに、逆に海外からは物を安く買える。自国の通貨が高いため、輸入ばかり増えて、輸出はしにくくなり、その結果大赤字を抱えた。一方、戦後復興を輸出主導型でやってきた日本と西ドイツはともに戦敗国であり、戦後賠償もあったので輸出で稼いで貿易黒字が続いていた。アメリカは「いい加減に黒字を稼ぐのをやめろ」といって、西ドイツのマルクと日本の円の為替レートを上げることによって、これらの国の黒字を減らしてアメリカの赤字を減らそうとした。

プラザホテル
 その結果、プラザ合意前夜に1j=230円だった為替レートが、2年以内で一気に1j=120円にまで真っ逆さまに落ちた。ほぼ半額のドル安、2倍の円高だ。簡単にいえば、1j=200円が100円になった。日本の輸出企業にはたいへんな事態で、今まで200円のコストで作っていたものが1jで売れていたのに、2jで売らなければならない。海外からすればまったく同じ製品が値段が2倍になるため、日本製品は高すぎて買えないということになる。逆に、海外からの輸入では2j(200円)していたものが1j(100円)で買えるようになる。輸出がしにくく輸入がしやすいので赤字になる可能性がある。つまりアメリカに「日本の貿易収支を赤字にしろ」と要求されたのがプラザ合意だった。

 日本は何をしたか。確かにバブルの3年間はそれをやって金融緩和でお金を回し、みんながそれを使って遊んだので輸入が増えて輸出が減った。それで黒字が少し減った。だが、バブルが崩壊して景気が悪化すると、何とか景気を回復させようとした。

 日本の経済構造は輸出企業が中心だ。彼らはコストカットを始めた。1j=200円のときに200円でつくっていたものをそのままのコストでつくったのでは円高で値段が倍になって売れない。それなら、今まで200円でつくっていたものを100円のコストでつくれば、これまで通り1jで売れるという話だ。要するにコストをカットすればなんとか売れる、売るためにコストをカットする、ということを景気回復のためにひたすらやってきた。

 だが、コストとは、そのまま誰かの売上であり給料だ。それを30年もずっと削り続けて3兆jも稼いだわけだ。半分のコストでつくるといっても人間が2倍の速度で働けるわけもなく、要するにコストカットの名の下に、みなさんが受けとるべき給料や代金がちゃんと支払われなかったということだ。これが支払われていたら製品の値段は上がるので、輸出が伸びず、3兆jも資産は増えなかったかもしれない。つまり、みなさんが自分の身を削り、無理矢理安くつくって、3兆jの黒字を稼いだということだ。胸に手を当てて考えてみてほしい。日本で横行しているサービス残業とは何か。働いているのに給料がもらえないということだ。海外の労働者にしてみれば狂気の沙汰だ。

 この3兆jはみなさんが受けとらなかった分であり、みなさんのタダ働き分だ。現在は1j=110円だから330兆円、1j=200円だったことを考えると600兆円だ。これだけの給料を受けとらないまま、それだけのタダ働きをして世界一の3兆jの黒字を稼いでしまった。しかも、その3兆jはほぼ海外に貸しっぱなしでみなさんは受けとれていない。

 今アベノミクスの賃金偽装疑惑みたいなもので、「実は賃金が〇・何%低かった」というような細かい話をしているが、いかにみなさんが受けとるべき給料が受けとれていなかったかは、もっと大きなデータを俯瞰して見ると一目瞭然だ。

お金の量は5倍に増えたのに給料は削減

 ここに1980年から2018年までの4つのデータ【グラフ参照】がある。すべて日銀からとってきたデータだ。4本の線のうち、マネーストックM2というのは、日本中の現金・預貯金(ゆうちょ銀行や農協に預けたお金を除く)をすべて足した額だ。つまり、日本には今お金がいくらあるのかという数値だ。

 1980年にはマネーストックは200兆円だった。それが2018年には1000兆円を超えている。このあいだに5倍に増えた。私が就職した1986年のマネーストックは340兆円だった。このとき私が会社から受けとった初任給は20万円だった。そして、私の息子が就職した2017年のマネーストックは990兆円。息子の初任給はまったく同じ20万円だった。31年たってお金が3倍に増えているにもかかわらず、大学生の初任給は変わっていない。私は外資系金融機関だったので他よりちょっと高かったかもしれないが、それほど極端な金額ではない。600兆円のお金が増えながら、この30年間ほとんど給料は上がっていないという話だ。ではその600兆円はどこにいったのか? みなさん薄々気づいているだろう。日本の大企業の内部留保は600兆円とか、500兆円といわれる。

 この内部留保は、会社が従業員に給料を払うのをやめて、安い法人税を払うと溜まる仕組みになっている。もちろん内部留保は全部現金ではないが、その資産はお金があったから買えたものだ。

 対外資産の3兆jはみなさんに支払われなかったものだと考えると、この30年で日本の企業というのは給料を払うのをやめたということだ。昔の日本の企業は「三方よし」などといわれ、従業員、お客様、株主みんなのためにあったはずだが、小泉・竹中改革あたりから政財界は「会社は株主のもの」という明確な答えを出した。利益を上げるのがよい経営者で、利益を上げないものはクビになる。ひたすら株主のために利益を上げ続けるし、そのために従業員の給料はひたすら削り続ける。みなさんは削るべきコストだ。人間をコストとするのが今の企業経営になっている。そういう仕組みの中で、法人税を下げたり、株式売買益に対する課税が極端に低かったりする。すべて一部の株主のためだとしか思えないような国家経営をずっとやっている。

 この30年間、間違いだらけの国家経営をしてきた。現在の自民党政権がやり続けてきたことだ。だが問題は、この間違いをどの野党も指摘できていないことだ。わかっていないもの同士のプロレスごっこが続いている。私がれいわ新選組から立候補したのは、真実を知らせて彼らの無能を理解してもらい、外に新しい勢力をつくって中に殴り込みをかけるしかないということをわかってもらうためだ。

GDPが上がればよいか 国民の幸せは置き去り

 彼らには、国家経営という概念すらない。強いていえば、「GDPを上げる」「株価を上げる」という浅はかな答えが返ってくるだろう。みなさんが幸せになった結果、GDPや株価が上がるというなら別に悪くないが、これが目的になってしまうと完全に本質を見失う。

 残念ながらこの国の首相は就任した途端に「GDP600兆円」みたいなことをいっていた。そのための「一億総活躍」だ。みんなが活躍して稼げばGDPが上がる、それがみなさんの幸せと信じて疑わないという浅はかな思考の持ち主がこの国の首相だ。

 経済成長の目安にされているGDP(国民総生産)とは、1年間にどれだけのお金が動いたかというだけの指標だ。今までお金の交換でなかったものをお金の交換にすれば上がる。例えば、子育てを保育サービスにするとGDPが上がる。母親が保育料を稼ぐために外に働きに出るとGDPが上がる。それで時間がなくなったから、自分でつくっていたご飯を外で買ってくるようになればGDPが上がる。介護も同じだ。そうしたい人はそれでもいいが、子育てや介護のために自分の手を掛けるとGDPは上がらない。

 GDPとは、消費+政府支出+投資+純輸出だ。純輸出とは、輸出から輸入を引いた差であり、黒字になればプラスで、赤字になればマイナスだ。日本の戦後復興はこの純輸出をプラスにするところからはじまった。焼け野原で資源もないから、まず資源を輸入しなければ生産ができない。輸入するにはドルが必要になる。だからドルを借りて資源を輸入し、それを加工して輸出して黒字を稼ぐとそこからドルを返せた。黒字をたくさん稼ぐと輸入がさらに増やせた。戦後はなにもないから、原材料を輸入してたくさんつくっても飛ぶように売れた。純輸出が増えれば消費が増え、たくさんつくるための投資も増え、政府支出も増える。全部がプラスだからGDPはずっとプラスだ。これで戦後復興を30年、40年ずっとやってきた。その結果、何も考えなくなり、GDPがプラスならいいと思い込み、そこで政治家も官僚も思考停止してしまった。

 戦後復興はそれでよかったが、1985年のプラザ合意でアメリカから円高にされても基本的にやっていることは変わらない。そして、純輸出を上げるためにみなさんの給料を削った。それで売って稼いだ3兆jの黒字は海外に貸しっぱなしで、みなさんの幸せは置いてけぼりになっている。

 売上や給料を削ったために、みなさんが好きなように消費し、自由に時間を使うことができない。それで消費が伸び悩んだとしても、輸出を維持し、作るための投資をし、政府が赤字を垂れ流しながら支出を続ければ、差し引きでGDPはプラスだ。これで「経済成長してます」「政治はうまく機能しています」と政治家も官僚も大手マスコミもずっと言い続け、野党もこれを指摘できない。経団連は輸出企業の塊みたいなものだが、これらが巨額の献金を自民党にすれば輸出企業に有利な政策をする。それによって労働者の幸せなどはとうの昔に置いてけぼりだ。これがこの30年間の日本の国家経営だ。

 いまだに東京五輪をやって外国人にお金を落としてもらえば経済が活性化し、GDPがあがるなどという。五輪で観光客が来たところで落とされるのは外貨であり、輸出と変わらない。いくら黒字を稼いでも海外に貸しっぱなしになって受け取れない。TPP(環太平洋経済連携協定)でも「これで日本の輸出が伸びる」という。そんなことをやってもみなさん幸せになれないことは30年間で証明されているにもかかわらず、いまだにそんなことを言っている。それに対して新しい提言をすべき野党が同じかそれ以下のレベルだからずっとこれが続いている。

 黒字を稼いでも使わなければ意味がない。どうやって使うかは簡単だ。政府がお金を作って配る。1人100万円でいい。あくまでこれは、れいわ新選組の公約ではなく私個人の持論だ。4人家族なら400万円もらえれば現役世代は使うだろう。働く時間を減らして、その分遊ぶ余裕ができれば、消費が増える。消費が増えるから資源の輸入が増える。生産が減るので輸入が増える。もしかしたら赤字になるかもしれないが、むしろ赤字にしなければいけない。赤字にすることが黒字を使う唯一の方法だからだ。政府が国家経営を誤ったために支払われなかった3兆jを「黒字還付金」として国民に配る。1人100万円を1億3000万人に配っても130兆円。タダ働き分の3分の1に過ぎない。それでも赤字がたいしたことなければ1人あたり8万円のベーシックインカムを2年くらい配ることだってできる。これは実は日本だからできることだ。日本がタダ働きで品質のいいものをつくると世界が迷惑する。黒字が出るということは、どこかが赤字なのだ。この構図が続くことは持続可能な社会とはいえない。

借金でお金をつくってきた現代の経済システム

 もう一つは、財政金融の考え方を根本的に間違え続けてきた。政府の借金が大変だから税金でそれを返し続けなければならないとか、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の達成、つまり税収の範囲内で支出を抑えなければならないという発想だ。財務省をはじめ大手メディアもずっと言っている。これは全部大ウソ、大間違いだ。なにもわかっていない人の世迷い言でしかない。

 実は政府の借金とは、政府の無駄遣いのせいでも、税収が足りないせいでもない。もっと根本的な原因はいまのお金の発行の仕組みにある。いまのお金の発行の仕組みを続ければ、世界中のほぼすべての国は赤字(借金)まみれになるという帰結になる。そのお金の発行の仕組みを続けている限りは政府の借金問題は絶対に解決しない。

 では、「お金の発行の仕組み」とはなにか。日銀券だから日銀が発行していると思っているだろうが、それではつじつまが合わない。お金がどれだけあるのかは、さきほど見たとおり1980年に200兆円だったものが現在1000兆円を超えている。800兆円以上のお金が増えている。みなさんがお金だと思っている日銀券は、日本中の紙幣をかき集めても100兆円にもならない。誰がどう見ても計算が合わない。お金の量は1000兆円を超えているのにお札は100兆円しかないのだから。

 では、どうやって800兆円も増えたのだろうか。現金・預貯金の総額であるマネーストックM2というのは、日本中の個人や企業が自分のお金だと認識しているものを足したものだ。みなさんも自分のお金は財布の中だけでなく、預金通帳の中にあるものも含めて自分のものだと思っているだろう。1000兆円あるうち100兆円しか紙幣がないということは、ほとんどが預金でしかないということだ。実際には存在しておらず、あると勘違いしているだけだ。では、どうやってその勘違いが生まれるのか。それがいまのお金の発行の仕組みの正体だ。

 現代のお金の増やし方=信用創造の仕組みを説明する。

 例えば、Aさんが100万円をA銀行に預けに行ったとする。するとA銀行は金庫に入れ、運用もする。銀行には預金準備制度というのがあり、預かった預金のごく一部を日銀に預けなければいけない仕組みになっている。仮に預金準備率が1%とすると、100万円の預金を預かったA銀行は100万円の1%(1万円)を日銀に預けて、残りの99万円を貸すことができる。私がA銀行にお金を借りに行くと、銀行は必ず口座を持たせる。なぜかといえば私が99万円を借りると私の預金通帳に99万円と書き込むだけだからだ。これで私は自分が99万円を持っていると思う。Aさんも口座に100万円持っていると思っている。その時点でお金は199万円に増えている。ただ私は借金だからあまり自分のお金とは思えない。

 だが私がB銀行の誰かに99万円を送金してしまえば、それを受けとった誰かはその99万円を純粋に売上か給料かわからないが自分の預金として認識する。これがもともと私の借金であるかなど知らないし、気にもしない。晴れてめでたく、Aさんの100万円の預金は99万円の預金とあわせて、もともと100万円だったお金が199万円に増えることになる。新たに99万円を預かったB銀行は、そのうち1%の9900円を日銀に預け、98万100円をまた誰かに貸すことができる。また同じことが起きる。これをC銀行の誰かに送金すれば、その誰かは98万100円を純粋に自分の預金と認識し、これを預かったC銀行はまた1%(9801円)を日銀に預けて、残りの97万299円を誰かに貸すことができる。もうこの時点で、私の99万円を受けとった人は99万円を持っているし、これを借りて送金した相手は99万100円を持っていることになる。もともとお金を預けたAさんはお金を1円も動かしていない。預金通帳に100万円と書かれたまま。だがお金は300万円に増えている。

 これをぐるぐるとやっているうちに、貸せる金額は1%ずつ減っていくが、100万円の元預金÷預金準備率1%=1億円までお金を作り出すことができる。これが信用創造という現代のお金の発行の仕組みだ。こうやってお金が増えている。その結果、みなさんそれぞれが1000兆円持っていると勘違いしているという状態だ。実際にはもっていないのだから勘違いにすぎない。実際に存在しているのではなく、銀行が誰かに借金を貸すことによって作り出した数字が電子的に回ってきて、それをみんながお金と認識し、自分のものだと思っている。みんなが一斉に銀行にお札を取りに行っても金庫にお金があるわけではない。

拡大し続ける巨大なイス取りゲーム

 「借金でお金を作る」――この仕組みが意味することは、借金を返すとお金が消えるということだ。最初に私が99万円借りたときには、99万円のお金を作り出し、それを使うこともできる。だが私が返せないかもしれない…と弱気になってすぐ返したとする。返した途端に相殺してお金も消える。仮になんとか借り切ってなにかに使ったとすると、私の手元に残るのは99万円の借金だけだ。もし1年ローンだとすると、1年以内に99万円を世の中から集めてこなければ私はたいへんなことになる。だから1年後に99万円を集めて借金を返すと、同時に世の中から99万円のお金を消して自分の借金を相殺して消すことになる。これはすぐに返しても1年後でも同じだ。

 これが意味するものは、現代のお金はほとんどが借金で生まれているということだ。だからみんなが借金を返してしまえばお金が消える。つまりみんなが借金を返してはいけない仕組みなのだ。ただ、だからといって銀行からお金を借りて「お金を返したらお金が消える仕組みだから返さない」といっても銀行は納得しない。必ず返せという。だからみんな毎月返済する。その分お金は消えている。でもお金が減らないのは、その分誰かが借りているからだ。誰かが返せば、誰かが借りて新しいお金を生むという自転車操業だ。返した分、誰かが借り続けなければいけない。

 しかも問題は、元本分だけ返すのではなく利息が付く。私も99万円返せばいいのではなく5%の利息なら104万円返さないといけない。借金によって元本分しかお金は生まれていないのにそれ以上のお金を集めようとする。それで何が起きるかといえば、お金が足りなくなる。発行されていないのだから−−。

 例えばこの部屋に100人いたとして、1人100万円ずつ銀行からお金を借りて経済を回すとする。それぞれの銀行口座に100万円と記入されてスタートだ。みなさんがマッサージでも占いでもそれぞれサービスを交換し、お金を払ったり、貰ったりして経済を回す。1年後に100万円ずつ借金を返さないといけない。返してしまえばお金は消える。ここに5%の利息が付けば、みんなが1年後までに105万円ずつ集めようとするとお金が足りない。100万円×100人=1億円のお金しか回っていないのに、利息を含めて1人が105万円返そうとすると500万円足りず、必ず誰かが破たんする。いまの金融システムは巨大なイス取りゲームなのだ。

 みんなが破たんせずに105万円を返済するには、あと500万円が余分に必要だ。そのためには誰かが借金をする必要がある。ここにもう5人いて100万円×5人=500万円の新たな借金が生まれ、それがみなさんのところにいけばめでたく利息も返済できる。だがそのときはお金が消えている状態で、この5人の手元には500万円の借金しか残らない。この人たちが返すためにさらに5人が必要になる。そして、もともとの1億円のお金があった状態に戻すためにはもう一部屋必要になる。100万円お金を借りる100人だ。つまり、どんどん部屋が大きくなって増えていかなければ回らない。

 人口が増え続け、借りる人も増え続け、その人たちが必要とする価値(いろんなサービスや製品)が増え続け、作れば売れ続けるような高度成長期のような状態が続けばいいが、そう長くは続かない。経済成長は必ず止まる。借金でお金を増やし続けなければいけない経済も必ず立ちゆかなくなる。

「政府の借金=お金の発行」 という仕組み

 では、実際どうなったのかを先ほどのグラフで見てみたい。日本の現金・預貯金の総額である@マネーストックが200兆から1000兆円へと5倍に増えている。右肩あがりに堅調に伸びているのは、お金と借金が増え続けなければいけない金融システムだからだ。お金を作るために作った借金に利息が付いてどんどん返す金額が増え、それを返すためにどんどんお金が必要だったといことだ。当初は、青い線のB民間銀行貸出が並行に走っており、借金がお金を作っていたことがわかる。

 ところがあるときを境にこの2つの線が乖離していく。CGDPが増えなくなり、すっかり横ばいになる。そうすると銀行は誰に貸し続けるのか。1億3000万人しかいないのに同じ人たちに対して永遠にお金と借金を増やす続けることなどできない。B民間銀行貸出が下がっていくのは、それが実際にできなかったというデータだ。

 バブルが崩壊してから銀行は不良債権を処理し、貸しはがしや貸し渋りで実は100兆円近く貸し出しを減らしている。貸せる相手が見つからないから、その後も伸ばせていない。貸さないが、いままで借りた人は「返せ」といわれて返し続けるから、だんだんお金は減っていく。新たな借金がなければお金は減る。

 だが、@マネーストックはまっすぐ増えている。では、誰が借金をしているのか。答えは赤い線A国債残高だ。民間銀行がマネーストックを支えきれなくなってから急激に日本の国債残高が上がり、いまや並行して上がっている。つまり、政府が借金をしてお金を発行し続けたということだ。民間の借金にかわって政府の借金でお金を作ってきたということだ。これはすべて日銀のデータだ。その気になれば誰でも引っ張ってこれる。みごとに政府の借金がお金を作っていることが証明されている。

 いまや1000兆円のみなさんのお金に対して政府の借金は900兆円だ。この900兆円を返すために900兆円の税金を集めれば、みなさんの預貯金はほとんどなくなる。政府が借金でお金を作っているのだから、政府が返済すればマネーストックも道連れにして下まで下がっていく。だから政府の借金がたいへんだから税金を上げなければいけないとか、消費税を上げなければいけないというのは全部大ウソだ。まったくあり得ない世迷い言でしかない。プライマリーバランスも同じだ。でもそれを政府もマスコミも言い続けている。

政府の借金を税金では消せない

 政府の借金でお金を発行するというのは、どういうメカニズムなのか。日本の政府の一般会計における税収は年間約50兆円だ。例えば、政府が50兆円の税収を集めれば、みなさんの預貯金が同額減る。それに対して50兆円の予算を組んだとすると、政府の予算というのは公務員給与とか政府支出で民間に行く。集める相手と渡す相手が同じ人とは限らず、ひどく不公平なこともあるだろうが、経済全体としては50兆円の税金を集めて50兆円使うことによって、みなさんに50兆円戻すことになる。基本的には「行って来い」の差し引きゼロだ。

 もし70兆円の予算を組んだとすると、みなさんから50兆円集めたうえで、政府は借用書(国債)を書いてそれを銀行に買わせる。銀行がそれを買って20兆円を政府に払う。この20兆円はみなさんの預金から出ていることになる。だが、政府の借金を銀行が買うからといって、みなさんの銀行の預金残高は1円も減らない。減れば誰もが怒るだろう。

 そうならないのは、銀行は20兆円分のお金をつくって政府に貸しているからだ。先ほどの例えでAさんが100万円の預金をし、僕が99万円を借りるときにAさんの預金が減らないのも、銀行が99万円をつくって貸しているからだ。政府が銀行に借金をするときも同じ事が起こる。そうすると、政府は集めた税収50兆円に加えて20兆円分の新しいお金を手に入れて、70兆円を政府予算で使う。

 そうすると最初の50兆円の税金を払ったみなさんは、70兆円戻ってくるので差し引きで20兆円分増えている。受けとっている実感はなくても誰かが受けとって、そのお金がぐるぐるまわって全体としてみなさんの預金を20兆円増やしている。この20兆円と政府の借金20兆円が同じなのは偶然でもなんでもなく、両方が並行して上がっていく。だからグラフもその通りになっている。これが政府の借金でお金を増やすメカニズムだ。

 では逆に政府の借金を税金で返すというのはどういう意味か。例えば、政府の借金を返すために税収を70兆円に上げたとする。みなさんのお金が70兆円減ってしまうが、その後に50兆円の予算しか組まなければ、差し引き20兆円みなさんのお金が消えてしまう。どこに行くかといえば、それは政府の黒字だ。その黒字で借金を返すので、政府の借金とみなさんのお金を20兆円分相殺して消す。借金を返せば、その分のお金が世の中から消えるのは当然のことだ。これをずっとやれば政府の借金は減るが、そのかわりみなさんのお金もほぼ消えてしまう。論理的にありえない話だ。当たり前のことなのだが、ずっとわからないままやり続けて、ようやく去年ぐらいからMMT(現代貨幣理論)が話題になりはじめた。

 現代貨幣理論とは、政府が借金をしてお金を発行し続ければいいという話だ。まさに日本が数十年間やっていることだ。必ずこうなる当然の帰結だ。政府の借金でお金を発行し続けたのだから−−。そうでなければ回らない金融システムだ。民間の信用創造、民間の借金によるお金の発行は必ず頭打ちになる。地球は一個しかないのだから、経済成長は必ず止まる。お金と借金を増やし続けるようなことが続くはずがない。この金融システムを維持するために誰かが借金をし続け、お金を発行し続けなければ立ちゆかない。最後まで借り続け、1円も返さなくても借り続けられる政府が借金をし続けてお金を発行し続けなければ、今の金融システムを維持する方法はない。

 だからMMTとは、この仕組みをただ単に認めたということに過ぎない。仕組みの結果を認めただけで解決策ではない。そのままそれをやればいいという話ではない。私のことをMMT論者だと誤解している人もいるが、それは間違いだ。

 なにが根本的な問題なのか。それは、借金でお金を発行する仕組みそのものだ。このまま借金を続けることは大きな問題があり、政府の国債のもとに年間9兆円もの利息を発生させている。利息とはお金を持っている人がお金を増やす仕組みだ。持っていない人にお金を貸してもっとお金を貰う。年間9兆円だ。日本政府の国債のもとに30年間で300兆円以上の利息が発生している。つまりそれだけお金を持っていない人からお金持ちに所得が移転されているという話だ。なぜお金という公共のもの(それがなければ経済が回せないもの)をつくるのに利息が発生し、その利息が富める者を富ませ、貧しい者から奪い続けるのか。こんなものは社会にとって意味がない。

政府通貨という発想

 唯一の解決策は、誰の借金でもないお金を政府が責任をもって発行することだ。早くこれに気づかなければ所得の移転が進み、いまの金融経済そのものが巨大な格差拡大マシーンになっていくし、すでになっているということだ。

 私が考える政府通貨とは、1兆円紙幣でいい。この1兆円×130枚を日銀に預けるとする。それを日銀は金庫に入れて、政府の預金口座に130兆円と数字を書き込む。あとはそれを普通にみなさんに送金すればいい。1人100万円ずつ。みなさんの預金口座50万円だったものが150万円になる。それを使うときにはいままで通りに送金したり、1万円札で引き出せばいい。政府貨幣が現行の貨幣と混同されることはない。政府貨幣1兆円は日銀の金庫の中に入ったまま二度と出てこない。それならスペースを取らない1兆円札でいい。

 政府の借金を消すときも、政府が1兆円紙幣を900枚作ればいい。それを日銀に預けて金庫に入れると、政府預金口座に900兆円と書き込まれるだけだ。あとは、それをお金を貸してくれる人に返せばいいが、政府の借金はほぼ銀行がまかなっている。銀行が国債を山ほど持っていた。「持っていた」と過去形にしたのはアベノミクスの異次元金融緩和で、日銀が銀行から山ほど国債を買ってしまっている。半分以上の500兆円ほど買ってしまっている。それでなにが起きたかといえば、なにも起きていない。インフレにもなっていないし、金融的になにも起きていない。それなら全部買ってしまえばいい。

 それで何が起きるかといえば、日銀の金庫の中に900兆円の国債が入っている。これは政府に貸している分だ。日銀の政府預金口座に900兆円があり、政府が借りた900兆円の国債と政府から預かった900兆円が同じ日銀の中に両方あるという状態になる。相殺して消してしまえばいい。これを消したところでみなさんはなにも感じない。おそらく蝶が羽ばたいたくらいの感覚しかない。

 だが、このバタフライ・エフェクトは必ず大きな変化を起こす。なぜかといえば年間9兆円発生していた利息が消滅する。この30年で300兆円もの所得を移転してきた巨大な格差拡大マシーンが止まる。誰が一番困るかと言えば、それでもうけ続けてきた銀行だ。銀行はこの仕組みによって、いままで900兆円、半分買われて400兆、500兆円という利息を得てきた。それが買い取られていきなり現金に変わる。だから収支を圧迫しており、いまや青息吐息だ。日銀は銀行から国債を買って、銀行に「民間にお金を貸しなさい」とプレッシャーを掛けている。それは銀行がお金を貸してはじめてお金が生まれる仕組みからだ。これが金融緩和の本質だ。でも、それができていない。つまり日銀も大したことはやれていないということだ。日銀から全部の国債を買われてしまうといくつかの銀行は潰れる。いろんな手当てをしたうえでやっているが、原理はそういうことだ。このように考えると国家経営も根本的に変わっていく。

忘れ去られている税制の本質

 税金とはなにか。ほとんどの人が、使うために必要だから集めると思っている。実際には、日本政府はこの50年間ほとんど赤字でやっている。前回の東京五輪の翌年に建設国債を発行してから、何年かの例外を除いてずっと税収よりも多い予算を組んで、足りない分を政府の借金で賄ってやってきた。足りない分お金をつくってきたし、それができていた。それができるなら別に集めなくてもいい。全部借金でお金を作って使うこともできる。本当は使うために集めているのではない。

 だから無税国家にすることも可能だ。政府通貨でお金をつくって全部の政府支出を賄えばいい。税金をゼロにするとみなさんが余計にお金を手にして余裕が生まれ、働く時間を減らし、そのお金と時間を使って休んだり、より文化的な生活が送れる。すると消費が増え、輸入が増える。赤字になるかもしれないが、もしそれで大した赤字にならなかったら、そのまま無税国家ができる。日本は世界一の黒字国だから赤字にしていい国なのだ。

 ただ、だからといって税金をゼロにすればいいとは思わない。税金にはもっと大事な、思想の反映とか国家の形をつくるという側面がある。つまり税金は使うために集めるのではなく、国の形をつくるためにある。それはわれわれの考え方に従って決めるものだ。

 例えば、所得税が累進課税になっているが、これはお金持ちから余計にとって貧しい人に回していく。これは「所得の再配分」という思想の反映だ。ある程度所得を平準化させて格差を縮めるということだ。みなさんがそのような社会を望むからそう決まっている。

 相続税を0%にするか、100%にするかも明確に思想が違う。相続税0%ならばお金持ちの家庭は子や孫もお金持ちという富の格差が世代を超えて続く。100%にすれば富の格差は一代でなくなる。みなさんがどちらの社会に住みたいかによって、その思想を税制に反映させればよいものだ。それによって税制も税金も変わっていくし、それこそが政治の本質だ。

 このような税制の本質を忘れ去って、お金が足りないから課税する、政府の借金が大変だから消費税を上げる…という、お金を集めるためのつぎはぎ税制になっている。

価値を生み出さないマネーゲームを優遇

 さらに、政治家が点数稼ぎをするためのおかしな税制になっている。

 私が非常におかしいと思うのは分離課税だ。それは金融課税。株式の売買や配当に対して所得税とは別に税金が課税される。それが一律20%だ。つまり、株式でいくらもうけようと、配当でいくら稼ごうと一律20%しか課税されない。一時は10%まで減税されていた。それに対して所得税の最高税率は45%だ。地方税も合わせると50%以上とられる。

 株式の売買や配当はなにも生み出さない。右から左にお金を動かして、結局なにも作っていない。そういう所得に課税される分離課税がたったの一律20%だ。逆に、所得税というのは基本的に自分たちで働いて価値を作り出している人たちが払う税金であり、それに最高55%が課税される。価値を作って働くよりも、他人のふんどしで相撲をとって右から左にお金と所有権を流す方が低税率で得だから、そうしなさいというのが今の政府だ。

 だが、みんなが株式の売買だけを始めたら国は滅ぶ。株式売買といってもその株式会社で実際に価値を作り出して働く人がいなければ株価など上がらない。みんなが株式の売買をやれば国が滅ぶのに「それでいいですよ」というメッセージをこの国の税制は発しているということだ。完全に狂っている。

 その結果どのようなことが起きているか。所得によってどれくらいの税負担があるかを国税庁の資料【グラフ参照】でみると、一番高い28・7%の税金を払っているのは1億円プレイヤーだ。この人たちがだいたい所得税を払っているサラリーの上限だ。そこから先は税負担が下がり、右端の100億円以上稼いでいる人たちは、金融課税が10%だった平成25年度では11%しか払っていなかった。翌年に税率が20%になっても所得に対して17%しか払っていないということだ。

 つまり、100億円以上稼ぐ人たちは所得税など払っていないということだ。所得税は税率が高くて損だからそういう稼ぎ方はしないのだ。いまの税制の結果だ。税率が低いのは株主優遇なのだ。例えば外国人株主がすごく多いとか、売買を盛んにさせて株価が上がれば「政治家がうまくやった」とか、GDPが上がれば「経済政策が成功した」という。思い込みの点数稼ぎをやっていると、みなさんの本来の働き方や生き方、幸福は全部置き去りになる。そろそろ「おかしいだろ」と誰かがいう必要があるし、それをみんなが理解し、こんなものは変えようという機運をつくる必要がある。

 山本太郎代表は、分離課税と所得税を一体化させて総合課税にして累進課税をかければいいと主張している。もちろんそういう考え方もある。だが私個人の意見はもっと過激で、分離課税をそのままにして思いっきり課税すればいいと思う。1年未満の株式売買で得た利益に対しては99%課税する。要するにやめろという話だ。1年未満で株式を売ってもうける人がこの社会に必要なのか? それは誰のためになっているのか? そんな人はいらないし、そんな行為がいらない。

 1〜3年の株式保有でもうけても85〜90%。3〜5年なら80%。5年以上もってようやく70%と、どんなに保有しても所得税の最高税率より低くならないようにすればいい。そうすると外国人投資家が裸足で逃げ出す。株価は落ちるかもしれないが、そんなものは知ったことではない。株価が下がってもみなさんの生活には基本的になにも関係ない。一部それを保有している人たちの簿価が下がるだけだ。これがれいわ新選組の政策になるかはわからない。だが、これもみなさん次第で正しいと思う人が多ければ政策になるかもしれない。

価値を生み出すために作るのがお金

 国家予算の考え方も根本的に変わる。予算とは、集めたお金の使い道だとたいていの人は思っている。だがこれも違う。そもそも集めなければお金がないということが幻想だ。なぜならいままでも集めらないのにお金を作ってきた。政府通貨でもお金は作れる。

 お金を集めなければいけないという発想も古い時代の思い込みだ。かつて日本の場合、戦争に負けて焼け野原になり、生産能力がなかった。それに対してみんなモノが欲しかった。需要>供給、つまり圧倒的な需要に対して供給量が少ない時代だ。供給する生産能力がなかった。だから一時的に税金を集めた。そして、みんなが貯金をした。するとみなさんのお金が減り、購買力が落ちる。需要を抑えて、国家が集めたお金で大規模に投資する。道路や橋、港湾や空港などインフラを充実させる。すると生産性が飛躍的に上がる。それではじめて需要を満たすことができる。これを戦後復興期はずっとやってきた。

 昔はサプライサイドエコノミーといわれていた。サプライサイド、つまり供給する側の経済だ。いかにして生産能力を高めるかという話で、生産能力を高めれば高めるほど売れまくっていた時代だ。だが、いまや国家が成熟してインフラも整って、逆に生産能力が有り余る状況になっている。そして、お金を集め続けることにより、とくにプラザ合意以降、みなさんの購買力をコストカットの名の下に落としてしまうことによって生産能力に対して需要が思い切り冷え込んでいる。需要<供給、つまり戦後復興期とは逆のことが起きているのに高い税金を集め、みんなが2000万円を目指して貯金などはじめると大変なことになる。これではお金が動かず、人が動かなくなる。

 富とはなにか。それはみなさんが作り出す価値だ。だからみなさんが活動しなくなれば富は生まれない。お金を貯めるというのはこれからは自殺行為だ。でもそういう発想の転換が政治家にはできていない。仕組みをわかっていないからゼロから考える能力がないのだ。

 何をするべきなのか。お金を作って配り、使うことだ。価値を作るためにお金を作るのだ。例えば、これから介護産業にものすごい人数が必要になる。この産業を大きくする必要がある。そこにはたくさんの仕事がある。若者たちに行ってほしくても、お金がなく十分な給料がもらえないからみんな行かない。そこにお金を作って投入すれば、そこで働く人が増えて、実際にそこで人が動き始め、そこではじめて価値が生まれる。価値が生まれるなら、その分のお金を先につくって注ぎ込めばいい。それをせずに生まれるべき価値が生まれないということは富がないということだ。根本的に発想を転換する必要がある。

国家の財産とは人の時間と労力

 すぐに結果がお金で返ってくるような短期的な投資は民間企業に任せておけばいい。政府がやるべきは中長期的な価値の創造だ。例えば、子どもの教育や環境の保護。こういったものはすぐに利益が返ってくるものではない。子どもの教育にいくら人を使い、お金を投入しても、それが実際にお金として返ってくるのは20年後か、30年後か、50年後かわからない。そんな長期的な投資は民間企業はできない。だが教育の充実は必ず国を豊かにする。そこに絶対に価値が生まれるという信念のもとに政府がお金を作って投入しなければ、その価値は生まれない。

 環境保全でもお金など戻ってこない。その価値は計算できない。だがそれは絶対に価値があるものだと信義をもってお金を投じなければいけない。そのためならお金などいくらでも作って突っ込めばいい。そういう発想をもって政府は動かなければいけない。お金で考えるから本質を失う。民間企業だけでなく、政府の予算立案者も政治家もカネ、カネ、カネばっかり考える。

 国家経営にとって大事なのはGDPでも株価でもなく、最も大事なのは人の時間と労力と貴重な資源だ。国家が持っているものはこれだけだ。この国にあるのは一人一人の時間と労力、自然資源だけだ。外貨もあるが基本的にこれだけだ。その貴重な時間と労力をいかに大事に無駄なく使って、本当に意味あることに役立てるかというのが国家経営だ。カネの話ではない。

 例えば、1億円で穴を掘って埋める。まったく意味のない無駄な事業だ。無駄なのは1億円だからではない。10億円でも1000万円でも関係ない。お金というのはぐるぐると経済を回るだけでなくなりはしない。本質は、このお金が回る間に何をするかだ。1億円の穴掘り事業が無駄なのは、そのために使われた人の時間と労力は二度と返ってこないからだ。それに使われた資源も同じだ。われわれの時間と労力と、国の資源をどれだけ何のために使うかが大事なのだ。これこそが国家経営の本質だ。お金はそのためのツールに過ぎない。

 それが人の時間と労力の使い方を決めるのであれば、カネがあるとかないとかは全然関係ない。カネがあろうとなかろうと、絶対にやらなければいけない仕事ならばやればいい。そういう発想が必要だ。なにをやらないかも大事で、人の労力と時間を無駄にしないために障害は取り除かなければいけない。

 例えば、この国では高速道路は有料だ。あんなものは無料が当たり前だ。お金で考えるから有料という発想になる。高速道路などは造った時点でコストは確定している。そのために使った人の時間と労力と地球の資源は二度と返ってこない。それを取り戻せると思うのはカネで考えるからだ。課金すればカネが返ってくる。だが有料にすれば高いからみんな使わず、下道を走るといい始める。本来はそれを使ってみなさんの時間と労力をセーブしてもらうために造っているのに、課金して使わせないことによって、そこから先の人の時間と労力は無駄になる。こんなバカな話はない。

 あらゆるインフラがそうだ。電気、ガス、水道、通信、郵便、銀行のATMも、公共交通機関もだ。なぜ民営化しているのか? なぜ企業がもうけなければいけない? みなさんの生活に必要なものを提供している企業がもうける必要はない。公営化し、国営化し、最低限の金額でいいし、赤字でも構わない。

 例えばJRも国鉄に戻して、一定金額までタダにすればいい。学生とか若者の交通費など全部無料にすればいい。それで有り余る時間を使って、好きな場所に行き、好きな人に会い、好きなモノを見て、持っている時間を有効に使えと。それが富を生む。みなさんの時間と労力を使う以外に実際に富を生む方法などない。課金することによって、富を生み出す機会をどんどん潰している。

 消費税がなぜいけないのか。あれが金持ち優遇だとか、8%か5%かというような話ではない。消費税を課税することで、余計にお金を払わされることでみなさんが活動しにくくなる。全国民の活動が低下する。人生の長さは変わらないから、その分人の貴重な時間が無為に過ごされる。これ以上の国家の損失があるだろうか。その分みなさんが価値を生むチャンスを潰しているのだ。思想的にあり得ない。どこかの国はもっと高いなど関係ない。その国が愚かなだけで、消費税などゼロが当たり前だ。そういう無駄な障害を確実に取り去っていく必要がある。

なんのために働くのかという新しい価値観

 もう一つ大事なのは、明確な方向性だ。国家経営の仕事として、国を成り立たせるために必要な仕事をみんなに分担してもらう必要がある。食糧の自給、エネルギーの自給、この国に無い物を買ってくるだけの十分な外貨を稼ぐことだ。この3つがなければ基本的に国として自立できない。残念ながら食料の自給とエネルギーの自給ははるか遠く及ばない。これはなんとかしなければならない。それでも外貨は世界一稼いでいる。もうやりすぎたので、お金を配って返すことによって生活を楽にし、みなさんから取り過ぎた時間を返すべきだ。

 それをやったとしても、みなさんは「遊ぶより人のために役立ちたい」といって休まずに働き続けるかもしれない。それなら今まで通りの働き方ではなく、何のために働くのかという新しく明確な方向性を出そうと−−。われわれはこの30年以上、その大きな方向性を失っている。戦後復興という大きな目標を成し遂げた後、何のために生き、働いているのかわからなくなったまま、ひたすら目先の利益とか売上のために働き続ける状態がずっと続いてきた。若者たちはそんな大人たちを見てもっとわからない。そんな社会になんで入っていかなければいけないのか、なんのためにそれをしているのか、どこの企業に入っても「売れ、売れ」といわれるが、それがそんなに重要なのか若者たちはわからない。おそらく彼らもそれほど生きる意義を見いだせないから、10〜30代の若者の死因のトップが自殺になったりしている。

 われわれ大人が何のために生き、働くのかというのを国家として大きな方向性を示す。これだけの経済大国で、世界一の黒字を稼ぐ生産性を持つに至ったわれわれとしては、もはやそれを自分たちのためだけに役立てるのではなく、もっと世界中の困っている人たち、餓死寸前に置かれている10億人の人たち、壊れゆく地球環境を保全する技術、そのための生き方や社会のインフラなど、世界の問題を解決するようなモデル社会をつくるために使わなければいけない。われわれの社会が大きな使命を帯びたときに、人の生き方や働き方が変わり、何が不必要で何が必要かがみなさんの中で選別されていくだろう。カジノやパチンコ産業などがいかに無用なものであるかがはっきりしてくる。

お金集めのために社会や地球を破壊

 世界のあらゆる問題を解決するには、いまの世界がいかにおかしいかをちゃんと認識する必要がある。残念ながらいまの世界経済はすでに狂気だ。本質から経済システムがかけ離れている。経済とは、価値の生産と価値の交換だ。みなさんに必要な価値があるからそれを作り、それを互いに交換する、それだけだ。必要ないものは作らなくていいし、売らなくていい。なのに私たちは必要ないものを膨大に作り、捨てさせ、壊し続けている。いつの間にかお金を貰うために経済を動かしている。

 結局、お金をもらうゲームだ。先ほどいったように、1人100万円の借金に利息をつけて経済を回す巨大なイス取りゲームだ。お金をもらわないと破たんするゲームだから、何を提供するかなど関係ない。それが人を幸せにするものかなど関係なく、だましてお金を取った方が楽だ。1年後にお金を集めなければ破たんするのだから。

 あらゆる理屈を付けて、短時間でいかにお金を稼ぐかというゲームが始まり、何を作っているかなど二の次になる。一番簡単な方法は「安かろう悪かろう」の商品を作り、買ってもらい、すぐ捨ててもらい、また買ってもらうことをいかに短い時間でくり返すかだ。現実に身の回りに溢れている。当然、世界はゴミの山になる。お金がすべての社会。狂気の沙汰でしかない。

 いかに短時間で手を掛けずに商品化してお金をもらうか――いまの経済や経営学は、学問でもなく、世の中の本質を見失っている。経済の専門家がことあるごとに「コストがどうだ」というが、いまの経営学がいうコストとは人間が動く労力の分しか入っていない。魚を獲るときに無駄な種も含めてばっさり大量に捕獲しているのは、その方が安いからだ。あくまで人間が獲るコストしか入っておらず、多様な魚がそこに存在するまでにかかった長い時間は一切入っていない。原油や石炭などの鉱物のコストも、掘り出す人間が動くコストしか入っておらず、それらの鉱物がその状態になるまでにかかった何十万年という長い時間は入っていない。原発もそうだ。元に戻しようのないものをコストとして考えること自体が無理がある。計算しようのないものをコストに入れていないのだから、論理として完全に破たんしている。そろそろ正気に戻る必要がある。

 世界中の企業がそんなことばかりやって、こんな経済を回していたら地球が破たんするに決まっている。

資本主義にかわる新しい社会の展望

 みんなが当たり前だと思っている資本主義という制度も疑わなければいけない。資本主義とは、資本家のいうことをきかなければいけないという考え方だ。誰もが自由意思をもって生きているのに、週5日も6日もお金のために拘束されて動かされ続け、残りのわずかな時間だけ自分のために使える。その人がお金をもっているからというだけで、誰かのいうことを聞いて生きなければいけない理由がどこにあるのだろうか?


 資本主義というのは、資本家が労働者を安く使って、同じ労働者(消費者)に高く売りつけるという仕組みだ。企業が利益を上げるためにそれ以外の方法はない。世界中の企業がそれをやっている。だから、世界で最も裕福な28人が世界の下位半分の36億人と同じだけの資産を持つに至っている。そして10億人の人たちが年中餓死寸前の状態に置かれている。資本主義だから仕方がないのか? 文明を持つ人間の生き方として根本的に間違っていないか? そろそろ真剣に考えるときに来ている。

 資本家が利益を上げて資本が増えるというが、資本って本当に増えるのか。お金で考えるから増えると勘違いする。数字が増えるから。でも資本とは何かといえば、人の労働力や土地といった基本的に実態物だ。お金などいくら貯めても実態としては札束という紙切れでしかなく、預金であれば数字でしかない。そこからは何も作り出せない。

 本来の資本である人の労働力、使える土地などは永遠に増え続けるのか? 一つしかない地球が2個、3個になるのか? 普通に考えれば全部思い込みでしかないことがわかる。

 お金とは虚の数字でしかない。いま実際に起きていることは、この数字を一部の人たちがどんどん集め、その数字を使って市場で土地を買ったり、株を買ったり、さらに知的所有権、種子、水道などみなさんの生活に必要なものの権利を買っていく。膨大に膨れてしまった何の意味もない数字で、実際にみなさんが生きるために必要な地球を買い取っている。それによってみなさんを永続的に隷属化することができる。そういうことがもうすでに起きているということを、そろそろみなさんもお気づきだろう。狂気なのだ。

 お金には何の意味もないことに気づかなければいけない。お金とは、交換できる実体(価値)があって初めて意味を持つ。でも実体物は、金利でお金が増えるように時間とともに増えるものではない。普通のものは時間とともに壊れたり、腐ったりして減っていくのが自然だ。だがお金が金利で増えていけば、変わらない実体物(価値)の量に対してお金が膨大に増えてバランスがとれなくなる。バランスを取るために無理矢理作って売ることをやっていれば当然地球は破壊される。追いつくはずがないのだから。

 同時に、気づかなければいけないのは、お金の量=借金の量ということだ。このことをほとんどの人が知らないことが問題なのだ。みなさんがあると思っているお金は、すべて借金の裏返しなのだ。借金をすべて返してしまえばお金はない。あるのは実態物だけであって、お金というのは借金と利益を合わせたゼロサムゲームだ。借金と利益を平等に分け合えばお金は消えてしまうので、お金を奪い合い、借金を押しつけ合あわせる。私たちもそうしなければ、ちょっとバランスを崩して弱い方に回ってしまうと借金まみれになり、貧困に突き落とされる。みんなが豊かになるのではなく、必ず多くの人が貧困に突き落とされる社会の仕組みなのだ。

 必然的に熾烈な競争社会になり、生産性のない人たちがいじめられるようになる。生産性がないというのはとても狭い価値観の中での言葉だ。その人たちが社会保障などでお金を手にすると、その分の借金が誰かに回る。「俺たちが一生懸命働いているのに、生産性のない連中が社会保障でお金を手に入れるのはけしからん」という感情もこの経済システムが生み出すものだ。社会はどんどんギスギスしていく。こんな醜い仕組みをこのまま子どもたちに渡していいわけがない。

 いますべきことは、この金融資本主義の仕組みを根こそぎ変えることだ。これ以上に重要な政治課題はないと思う。すべての政治家が命をかけてとりくむべき課題だ。地球規模の大転換が迫られている。

 日本の政治というのは、それを促進するための政治であるべきだと思う。だからまったく新しい次元の新しい政党をつくって、新しい政治を実行するべきだ。いまの既存の政党や政治家はこのレベルにはいない。なぜみなさんが世界一の黒字を稼ぎながら、こんなに苦しいのかということすらわかっていない。だから、これから世界がどこにシフトしていくのかについても考えすら及ばない。新しい次元でものごとを考える勢力を作って、国会の中に殴り込みを掛けなければいけない時に来ている。

 2011年に政治団体を設立し、お金の仕組みのおかしさを言い続けてきた私がれいわ新選組から立候補したのは、この地球規模の大転換のチャンスがいまここに来ていると思ったからだ。まったく無名の人間や勢力が国政の壁を突破することはたいへん難しい。だが、世界的な新しいムーブメントがそこに生まれようとしている。

 ただ、例え国政を突破しても、世界を変えるためには、社会を構成する一人一人の頭の中を変革することからしか変わらない。紙切れを「お金」と思い込むのは、人間が作り出した概念に過ぎないし、所有権というのも人間の意識だ。人間の生命活動は本来生きて死ぬだけなのに、地球上のものを所有していると思い込むことによってサバイブ(生き残る)できると思い込む。資本主義とは、一種の所有主義であり、所有者支配主義だ。株主つまりお金を持っている人のいうことを聞かなければいけない。なぜ? という問いに哲学的に答えられるだろうか。ただそういう仕組みだというだけの話だ。その正しさを誰か説明できるだろうか。

 資本主義制度によって効率的にモノを生産でき、みんなが生き残れた時代もあったかもしれないが、現在はそれが逆にみんなを苦しめている。これからは金持ちのいうことを聞いて生きる社会ではなく、もっとみんなが自由に創造的に生き、お互いの人権が尊重される社会がもうそこまで来ている。そのような大きな思想の転換が求められる時代が来ており、政治もその新しい転換をベースにして新しい運動を作らなければ、大きな数は生まれないと思っている。

 できるか、できないかではない。自分がやらなければならいと信じることをやるか、やらないかだ。いずれ死ぬのなら、人間生きている間に何をするかだ。仮にそれができなくても、誰かがそれをやり、他にもやる人が出てきて、ちょっとずつ進んでいるうちに最後には大転換が到来する。すべてはプロセスであり、自分が生きている間に何ができるかをみんながくり返していけば、大きな変化が起きる。この社会がおかしい理由をみんなが気づき始めれば、それはもう止まらない。そこからみんなが新しい希望を抱くようになれば世界は変わる。昨今の世界情勢、日本国内の変化をみれば、それはもう遠い未来の話ではなくなっている。

一人一人の意識や行動が変われば、世界は変わる。みんなで日本から世界を変えよう。

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おおにし・つねき
東京都出身。上智大学外国語学部英語学科卒業。シアトル大学政治科学専攻。JPモルガン銀行資金部為替ディーラー。株式会社インフォマニア代表取締役。政治団体フェア党代表
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c1

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
2. 中川隆[-14137] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:49:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-918]
れいわ新選組・大西つねき氏が萩市で講演 格差拡大させる金融システムの不条理伝える 2019年9月14日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13097


真実知ることで新しい価値観を

 れいわ新選組の大西つねき氏の講演会(主催/スマイルマップやまぐち)が9日、山口県萩市の総合福祉センターで開かれた。「お金の仕組みを知ってワクワクする未来をつくろう!」をテーマにした講演会には、平日にもかかわらず萩市内をはじめ山口県内各地、島根、広島、福岡からも聴講希望者が訪れ、約100人が会場を埋めた。

 大西氏は、JPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行で為替ディーラーやトレーダーとして働いた後、被災地や学校などでのボランティア活動をしながら「現代の狂った金融システム」についての研究・執筆活動を重ね、この経済の仕組みを根本的に変えなければ日本社会が抱える問題はなにも解決しないこと、そのためには経済・金融のあるがままの現実を知らせ、多くの人がこれまで正しいと思い込まされてきた価値観を転換する必要を感じたことから政治団体を立ち上げて活動してきたことをのべた。

 とくに近年は、横浜市内の「底辺校」といわれる高校で図書館や校内カフェのボランティア活動に参加するなかで高校生とのふれあいが増え、「昼休みになると市民から差し入れられたお菓子やジュースをめがけて200人もの高校生が押し寄せてくる。不思議に思っていたが、よく聞いてみると“昨日からなにも食べてない”“今日は校内カフェがあるからなにも(食事を)持って来ていない”という。糖分補給のために来ているのだ」と子どもたちの置かれている窮状を伝えた。

 「単に生まれた環境が違うだけで、有能で感性豊かな多くの子どもたちが社会的に排除され、努力が足りないといわれ、“生きている価値がない”とさえ思い込まされる。子どもだけでなく、大人も同じだ。病気、ケガ、失業、離婚、災害などの少しのきっかけで貧困に突き落とされる。東日本大震災の被災地でも、あれだけの災害を生きのびながら、お金がないために負債を抱えながら壊れた家に住まなければならない人がたくさんいる。お金が、社会が必要としているところではなく、もうかるところにしか流れないからだ。これは巨大な経済、金融問題であり、社会を形づくる根本的な価値観の問題だ」とのべた。

大西つねき氏
 「本来の豊かさとは、お金ではなく、個人の心の自由、つまりみんなが自分の時間と労働力を本当に意味あるものに使うことができる社会だと思う。だが、日本のマネーストック(現金・預貯金の総額)がこの三十数年間で200兆円から1000兆円へと5倍も増えているのに、もらえる給料も自由な時間も増えていない。生産効率化の成果は人人の生活には還元されず、いまも人人はお金に追い回されて人生を奪われ続けている。とくに日本は対外純資産341兆円(貿易黒字)を持つ世界一のお金持ち国家でありながら、国民の多くはその恩恵を受けとることなく、大企業が内部留保を貯め込み、債務返済のためといって消費税増税までしている。世界一の借金国家アメリカ(対外純資産=マイナス1077兆円)に大金を払ってポンコツオスプレイ、F35、最近では山盛りのトウモロコシまで買わされている。働いても働いても楽にならないのはこの狂気ともいえる仕組みのためだ」と指摘した。

 現代のお金は、銀行がはじめに借り入れた預金の貸し付けをくり返しながら銀行間をめぐるあいだに数字上で100倍に膨らむ「信用創造」によって増えており、だれかの借金に依存して社会全体のお金が増えている。また、借金を返済すると同時に同量のお金が社会から消える。90年代初頭のバブル崩壊後は信用収縮で民間が借金をしなくなったため、かわりに政府の赤字国債でお金を増やしてきたことを日銀のデータをもとに解説した。そして「政府の借金=民間の資産」であり、900兆円もの国の借金を税金で返してしまえば、社会全体から同量(ほぼすべての現金・預貯金)が消え、金融経済が破たんするカラクリを指摘した。

 大西氏は、この国の借金に年間約9兆円の利息が発生し、それによる富の移動で格差が拡大していることをあげ、「900兆円の国の負債を返すには、1兆円の政府紙幣を900枚発行して日銀に納め、日銀は民間から900兆円分の国債をすべて買いとり、日銀のなかで両者を相殺すれば国の財政問題は簡単に解決する。国民にとっては、蝶が羽ばたいたくらいのインパクトしかないだろうが、これによって巨大な格差拡大マシーンが消滅する。計り知れない効果を生む」と強調した。

 また、「税とは、予算を組む(使う)ために集めると思われているが、日本の予算はこの50年間赤字国債でやっている。つまり、必要なら集めなくても借金でお金をつくれることを証明している。税制とは、予算が足りないから集めるというものではなく、所得の再配分(累進課税)や所得格差の是正(相続税)など、みなさんの思想を国の形に反映するためのものだ。それこそが政治の本質だ」とのべ、金融資産や株取引への課税を所得税から分離軽減して、なんの価値も生み出さないギャンブルを奨励している現在の税制の本末転倒ぶりを批判した。

 現代の経済システム全体が「巨大なイスとりゲーム」であり、すでに上位8人が下位36億人と同じ資産を独占するまでに行き着くなど資本主義が末期的な局面を迎えている。お金をもらうために人間がキリキリ舞いさせられ、お互いに富を奪い合う荒廃した社会ではなく、この不条理を乗りこえる新しい価値観に立って「本当に豊かな暮らし、社会を実現するためにまず自分自身から変えていこう。そうすれば社会が変わり、日本が変われば、世界が変えられる」と呼びかけた。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13097
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c2

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
3. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2020年1月28日 12:51:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-917]
反響呼ぶ大西つねきのお話会 in 下関 社会と人間蝕む金融システムの本質伝える2019年11月5日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/14039

市内外から300人が聴講

 「お金の仕組みを知ってワクワクする未来を作ろう! 子ども達の未来のために」をテーマにしたれいわ新選組・大西つねき氏のお話会(主催/スマイルマップやまぐち)が2日、下関市のシーモールホールで開かれた。大西氏は、JPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行でトレーダーとして働いてきた経験から、貧困や格差、戦争など現在の社会で起きている問題の根本原因である金融経済の不条理な仕組みについて解説し、このシステムを変える世界的な変化がすでにはじまっていることについて熱を込めて講演した。下関で初となる講演会には、市内をはじめ、県内各地、福岡、広島などから約300人が詰めかけ、3時間におよぶ講演に集中して聞き入った。

◇  ◇  ◇

 冒頭、大西氏は「いまの日本の問題を考えるうえで一番足りないのは現状認識だ。今、私たちの国がどういう状態にあるのかがわからないから、政治もどう対応したらいいのかわからない。世界中で起きている問題も同じだ。みなさんも薄々感じている格差、貧困、戦争、環境破壊、病気……などの大きな問題の中心には必ずお金が絡んでいる。問題の本質に迫れば必ずお金の問題につきあたる。だが、これについて日本だけでなく世界中のどの政党も誰もいわない。政治に必要な根本的な思想と哲学を失っている。その根本原因であるお金の発行の仕組みを伝えたい。この仕組みを変えることにこそ世界の希望がある」という問題意識で政治団体を立ち上げ、2011年から執筆や言論活動をはじめたことを明かした。

 そして、自身の考え方が大きく変化した事柄として、神奈川県内の「底辺校」といわれる高校ではじめた校内カフェのとりくみを紹介。ボランティアがかかわって開設した校内カフェには、さまざまな困難を抱えた子どもたちが訪れる。金髪や茶髪は当たり前で、顔や体中に自分でピアスの穴を開けていたり、「単純にお金がないという理由だけでなく、自傷行為も入っている。リストカットの傷を持つ子も多く、“自分なんて生きていたってしょうがない”という声もよく聞かれる。そんな子どもたちが昼休みになると、カフェに置かれたお菓子やジュースめがけて200人くらいが殺到する。よく聞いてみると、前日の晩からなにも食べていない、なにも食事を持って来ていないという。糖分補給のために来ているのだ」と子どもたちの窮状を伝えた。

 「感性豊かで多くの可能性を秘めている子どもたちが居場所を失い、社会的に排除され、その才能を開花させることなく命を失ってしまうケースも多多ある。これは単純に親や学校や地域の大人たちの問題として片付けられるものではない。大人たちも現在の金融経済の仕組みのなかで競争を煽られ、みんな必死になり、余裕を失っている。優しさを失った社会のなかで、子どもなどの弱者がみずから命を絶ってしまうような悲劇があちこちで起きている。

 格差が拡大するなかで社会のクラス化が進み、学校も進学校と問題校に分かれ、頑張れば報われた世代からは“頑張りが足りない”“自己責任”“相対的貧困であって食べていくのには困ってないでしょ”と語られることが多い。だが、そもそも“生きていても仕方がない”という根本的な自己肯定感が欠けている子どもたちに“自分のために頑張れ”といっても説得力がない。貧困が親から子へ連鎖するのは、単純にお金が無いからではなく、根本的な自己肯定感を得られる環境になかったことがある。どんな家庭に生まれたとしても最低限の自己肯定感が得られ、頑張って挽回できるところまで引き上げなければ解決しない」と指摘した。

 貧困は子どもたちの問題に限らない。大人でも病気、ケガ、失業、離婚、災害などをきっかけにしてたちまち貧困に突き落とされる。

 大西氏は、東日本大震災被災地でのボランティアの経験から、多くの被災者が家を失い、生き残った人たちが多額の負債で生活が立て直せていない現状に触れ、「これは震災問題ではなく、震災を入口にした巨大な経済・金融問題だ。まったく別の理由でも運悪く不利な立場になったとたんに同じ境遇に陥る。高齢者の貧困を見ても、どんどん年金が削られ、病気やケガになっても誰も助けてくれない。まるで網の目からこぼれ落ちるように孤独死や自死に追い込まれていく。私は金融システムのど真ん中で働いてきたので、いまの金融システム、資本主義の仕組みがいかに冷淡で格差拡大的であるかをこの目で見てきた。お金はもうかるところにしかいかない。いくら困っている人を助けてももうからないから民間からお金は流れない。そして命を救うべき行政(国)は、“財源がない”といって手を差しのべない。だがお金の仕組みを知れば、まったくおかしな理屈だ。政治家や官僚よりも、その外側で生きている多くの人たちの方が、すでにそのおかしさに気がついているし、その数は日に日に増大していることを実感している。隠されてきた真実を知る人が増していけば、必ず現在の政治を総とっかえする時が到来する。これは歴史の必然だ」と力をこめた。

受け取れなくなった労働の対価  国内外で二重の搾取

 また大西氏は、「お金に支配された社会からどんな社会を目指すべきか? それは個人の心の自由、つまり一人一人の人生そのものである自分の時間と労働力を本当に意味あるもののために使うことができる社会だと思う。だが現在の社会は、働いて金をいかに稼ぐかを中心に回っている。昔と比べてはるかに生産力が増し、生産が効率化しているのに、人人の生活に余裕ができるどころか、金を稼ぐために昔以上にキリキリ舞いさせられ、時間的にも体力的にも限界まで働いている。富(お金)を所有している人間に従い、その仕事に意味を感じなくても、ただ金を稼ぐために人生(時間と労働力)を浪費させられる。それが果たして社会を形づくる思想・哲学・価値観であっていいのか? 金融経済の仕組みを根こそぎ変えるためには、この現在当たり前とされている思い込みが間違いであることを知ることからはじまる」とのべ、現在の日本社会が置かれている現状を以下のように解説した。

 現在「国の借金900兆円、一人あたり900万円」と宣伝される日本だが、それは政府の借金であって国民の借金ではない。日本国は政府だけでできているのではなく、政府と民間の二つで構成されている。900兆円の借金を政府に貸しているのは、ほとんどが民間(国民)であり、国内でいえば「借金=資産」という相殺関係にある。


 さらに日本全体でみれば、対外純資産(外国への貸付から借金を差し引いた額)は341兆円(2018年度)の黒字をもっている【表@参照】。圧倒的に貸している金額が大きい世界一の金持ち国だ。逆に米国はマイナス1076兆円で、圧倒的に借りている金額が大きい世界一の借金大国だ。トランプのディール外交は、この巨額の赤字を消すために世界中に米国製品を売りつけるもので、「資産を持つ従順な国」になんでもかんでも押しつける。オスプレイ、F35、GMO(遺伝子組み換え)食品、詐欺まがいの金融商品、高額な医薬品…そして山盛りのトウモロコシ。同じことを、純資産国3位の中国に仕掛けているのが米中貿易摩擦だ。

 日本が対外純資産を膨らませたのは輸出主導型の経済政策の結果だが、国際決済はドルであるため、輸入はドルで支払い、輸出の対価もドルで受けとる。つまり日本の対外資産である341兆円の実体は3兆jの外貨だ。米国の借金も、実際には10兆jの借金であり、それを貸しているのが日本をはじめとする黒字国だ。つまり、日本が稼いだ3兆jは日本に入ってくることなく、米国の銀行に貯まり続けて米国内で循環している。日本が世界一の資産国であることをみなさんが実感できないのはそのためだ。

 もう一つは、1j=360円だった円/ドルの為替相場を変動相場制にし、さらに1985年の「プラザ合意(主要5カ国による協調行動への合意)」を境に米国から円高を強いられ、1j=250円から1j=120円にまで急激な円高が進んだことにある【グラフA参照】。日本の悲劇はここからはじまったといっても過言ではない。

  
 これまで海外で1jで売れていたものが2jになる。日本の輸出製品の値段が倍に跳ね上がって海外で売れなくなるため、企業はこぞってコストカットを叫び、輸出製品の値下げを進めた。労働者の給料を削り、サービス残業という「奉仕」が横行した。みなさんに労働の対価を払わないことで海外で安く売ることができ、その結果として膨大な黒字を稼いだ。つまり日本の3兆jの対外純資産はみなさんが身を削ったタダ働きによって得たものだ。

 日銀データで日本のマネーストック(現金・預貯金の総額)を見ると、1980年の200兆円から2018年の1000兆円へと右肩上がりに800兆円(約5倍)も増えているが、みなさんが受けとれる給料の金額は20年間ほぼ変わっていない。この間に大手企業は460兆円といわれる内部留保金を蓄えた。給料を払わず、下請への支払いを削り、法人税が安いから溜まり続ける。対外純資産の341兆円は海外に貸し出し、460兆円は内部留保にとられ、二重に搾取されているのだから豊かさが実感できるわけがない。

 そして昔は、消費者・従業員・経営者に優しい「三方よし」といわれた日本の企業も、小泉・竹中内閣あたりから「株主のもの」という明確な定義づけがされはじめた。国家経営から哲学や思想が失われた結果、残ったものはカネだけ。お金に支配された殺伐とした社会と一部による富の独占だ。

 現在の政府が目標に掲げる「GDP(国内総生産)600兆円」「一億総活躍社会」というのも社会の豊かさには繋がらない。GDPとは消費+政府支出+投資+純輸出だ。いくら純輸出が増えたところで国内には還元されず、消費(内需)が冷え込んでいても、政府が赤字を垂れ流しながら支出を削らなければ数値としてのGDPは維持できる。みなさんが自分の時間や労働力を自由に使える、つまり消費が活発になったことをまったく意味しない。

 東京五輪でいくら海外からのインバウンドの客が増えても、外貨(ドル)が落ちるだけで輸出と同じ。TPPでたとえ輸出を伸ばしても稼ぎは海外に貸しっぱなしになり、みなさんの豊かさとは関係がない。それはこの30年間で証明されている。私の持論としては、政府が一人100万円を全国民に配り、生活に余裕をとり戻し、消費を活発にする。たとえ貿易収支が赤字になってもいいし、むしろ赤字にしなければいけない。黒字は使わなければ意味がなく、黒字を使う唯一の方法は赤字にすることだからだ。これはバラ撒き政策ではない。一人100万円を1億3000万人に配っても130兆円。みなさんが受けとっていないタダ働き分の3分の1に過ぎない。「黒字還付金」だ。

借金でお金増す仕組み 巨大なイスとりゲーム

 次に大西氏は「お金の仕組みをみんなが理解すれば、現在の国家経営や財政政策がいかに支離滅裂なものであるかがわかる」とのべ、そのメカニズムを説明した。

 2018年時点の日本のマネーストック(現金・預貯金)は1000兆円にのぼるが、実際に現金(紙幣や貨幣)として存在するのは100兆円程度しかない。ほとんどが預金(数字)なのだ。お金は「日本銀行券」だが、日銀が民間の預金を増やすわけではない。「では、どうやって増えているのか?」――それが現代のお金発行の仕組み【図B参照】だ。

    
 A銀行に100万円のお金を預けると、A銀行はその1%(預金準備率)を日銀に預け、その顧客の預金口座に100万円という金額を書き込む。そして、銀行は残った99万円を元手にもうけるために運用(貸付)に回す。すると、その99万円を借りた誰かが送金したB銀行の口座にも金額が書き込まれ、またその1%を日銀に預ける。残ったお金が誰かに貸し出され、さらに別のC銀行の口座に振り込まれると、実際には100万円しか存在しなかったはずのお金が三つの銀行と日銀の口座をあわせると約300万円に増える。

 「このように貸し借りをくり返しながら銀行間の循環を続けるうちに100万円が数字上で1億円(100倍)にまで膨らんでいく。これが『信用創造』という現代のお金発行の仕組みだ。つまりほとんどのお金を借金で作っているので、借金を返すと同時にお金が消える。みんながお金を返したら成り立たない仕組みであり、お金を増やすためには誰かが返した分、誰かが借金をしなければならない巨大な自転車操業のシステムなのだ」と解説した。

 そのため借金には必ず利息が発生する。金利5%ならば、100万円借りたら105万円を返さなければならない。限られた圏内でみんなが借金を返済するためにはお金が足りなくなるため、さらに外へ外へと果てしなく借金をする人たちを増やさなければならず、その結果世界が「巨大なイスとりゲーム」と化していることをのべた。

 そして日銀のデータ【グラフC参照】をもとに、日本国内のマネーストック(現金・預貯金の総額)は、90年代初頭までは民間銀行の貸し出し(民間の借金)によって増えていったが、バブル崩壊による信用収縮で民間銀行は貸し渋り・貸しはがしをはじめたため、それにかわって国債(政府の借金)に依存して増えていることを指摘した。

   
 グラフを見ると、国内の現金・預貯金の総額であるマネーストックM2(太い実線)が、90年代はじめまでは民間銀行貸出(青い線)と並行して増えていくが、バブル崩壊後の2000年以降は国債残高(赤い線)と並行して増えていることがわかる。毎年、政府が赤字国債を刷って民間銀行に買わせている関係であるため、それを一部の人間が独占していたとしても「政府の借金=民間の預貯金」であり、政府の借金900兆円を民間から集めた税金で返してしまえば政府の赤字はなくなるが、国内から同額のお金(ほぼすべての現金・預貯金)が消えることを意味している。


 「世界広しといえども永遠に借金を続けられる民間企業などない。人口は限られているのに、経済成長が永遠に続くわけがない。借金が増え続けるということは一円も負債を返済していないということであり、1円も返済せずに銀行から借金できるのは政府しかいない。だが返してしまえば経済が破綻する。そもそも未来永劫返さないものを『借金』と呼ぶ意味すらない。完全に論理破綻している」とのべ、最近、米国などで提唱されているMMT(現代貨幣理論)は、自国の通貨発行権を持つ政府は赤字国債(借金)で予算を組むことができるこの仕組みを解説したものであることを説明した。

 だが、この政府の借金には、毎年9兆円、この30年で300兆円以上もの利息が累積している。利息とは、お金持ちがお金をもっているというだけで、時間とともにお金が入ってくるという仕組みだ。その利息は、国債を買い込んでいる機関投資家(民間銀行や保険会社など)が受けとっている。そのため時間がたてばたつほど、貧困者から金持ちへの富の移転が進み、国内の格差はどんどん拡大していく。

 その解決策として大西氏は、「まだ世界にお金が必要である以上は、税金や赤字国債ではなく、新たな政府通貨として1兆円紙幣を900枚発行して日銀に預け、日銀が民間銀行にある900兆円分の国債を買いとればいい。すでにアベノミクスの金融緩和で半分もの国債を買いとっているがインフレもなにも起きていない。知らない人もいるくらいだ。すべて買いとってしまえば、同じ日銀の金庫の中に、政府から預かった900兆円(政府通貨)と政府に貸している900兆円(国債)が存在することになり、両者が相殺される。すべて数字上の話であり、おそらくみなさんには蝶が羽ばたいたくらいの感覚しかないだろうが、このバタフライ・エフェクトによって年間9兆円もの膨大な利息を生んでいた巨大な格差拡大マシーンが停止する。国債から利息を稼いでいた銀行は青息吐息になるだろうが、社会全体からみれば後に劇的な変化を生む。皆さんが知らず知らずのうちに奪われつづけてきた膨大な時間とお金をとり戻すことができる」との持論を展開した。

人の労力と時間が国の資産 税制と国家予算の本質

 また「国家経営において“税金を集めなければ使えるお金がない”という発想は、税を年貢米で納めていた時代のものだ。コメは集めなければ使えない。だが、お金とはそもそも無だ。すべて借金で作り出している。現に日本の国家予算はこの50年間毎年赤字だ。その気になれば、無税国家にしてすべて政府の借金でお金を作って回すことも可能であることを証明している」としたうえで、「ただ税制には、国の形をつくるという大事な意義がある」と強調した。

 現在の累進課税には「所得の再配分」、相続税には「所得格差の是正」という思想が反映されており、「みなさんが望む社会のあり方に従って国の形を作っていく。それが本来の税制の役割であり、政治の本質だ」とのべた。

 現在は所得税の最高税率が45%であるのに対して、株や為替取引など金融取引で得た1億円以を稼ぐ投資家の所得は分離課税(17%程度)で優遇され、なんの価値も生み出さず他人の富を奪うギャンブルを国が奨励している。「この金融取引で得た所得に高税率をかけられると投資家は飛び上がるが、“どうせ働くならこの世に価値を生み出して下さい。それが私たちが望む国の形だ”という明確なメッセージを与えることになる。日本は世界一お金を貸している国であり、外国人投資家など本当は必要ないのだ。だが私たちは外国人投資家を追い出す前に在日米軍を追い出さなければそれを実現できないだろう。その覚悟を持って政治家と政党を選んでいくことが必要だ」とのべた。

 国家予算についても「お金は紙切れであり、経済の中を数字がぐるぐる回るだけで消えることはない。それ自体は何の価値も生み出さない。本来の国家の財産とは、人間の時間と労力、そして環境資源だ。これが実体価値を生み出す源泉で、使ってしまうと二度と返ってこない。これを有効に使うことこそが国家経営であり、その価値を作り出すためならばお金はいくらでも作ることができる。だが現在は、教育や介護にしても、必要としている人がいて、働きたい若者もいるのに、そこにお金が注がれないために価値を生み出せない本末転倒な状態に置かれている。電気、水道から鉄道や道路をはじめ社会全体にとって必要不可欠な公共インフラの民営化、消費税、カジノ解禁など、社会にとってなんの価値もない金もうけのために人の時間と労力が無駄に使われる。これこそが国家にとってのコストだ。お金で考えるから論理が逆転するのだ」と指摘した。

本質を知り動き出した世界 進む価値観の転換

 最後に大西氏は、「この30年間、日本は明確な方向性を失ってきた。戦後復興という大きな目標を成し遂げた後、何のために生き、働くのかさえわからないまま、ひたすら目先の利益や売上のために働き続けてきたが、それがすでに社会の豊かさとはかけ離れたものになっていることを誰もが薄々気がついている。大人がそうであれば、それを見ている子どもたちは余計にわけが分からない。奨学金という借金を抱えて社会に放り出され、ただ“売れ、売れ”といわれるが、それに価値があることすら感じられず、生きる意義を見いだせない。だからこそ10代〜30代の若者の死因のトップが自殺というような歪な社会になっている。私たちは、ただ金を稼ぐために働くという目的から、よりよい社会を作るために時間と労働力を使うことを明確にし、日本から新しい国づくりをはじめることを提案したい。そのためには、この狂気と化した金融経済を変えるための指針を示す国家経営をする政治家を作り出さなければならない」と強調し、以下のように続けた。

 そもそも経済とは、価値の生産と交換だ。みんなに必要なものを作るからこそ交換できる。だが、今は必要ないものを無理矢理作って売る。お金をもらうための経済だからだ。それは金融の仕組みが、誰かの借金で成り立っている巨大なイス取りゲームだからだ。売ったものが社会にとって必要か、不必要かすら判断できなくなっている。

 経済の専門家も政治家も、お金を「あるもの」として考え、コストも人間が効率的にカネをもうけられることを基準にしか考えない。その他の多くの人の方が本質に気がつき、疑問に感じているはずだ。


 価値とは、人が必要とするモノやサービスなどの実体そのものであり、それを交換するためのお金はその量に見合うだけあればよく、金利や借金で増え続ける必要などない。限られている実体価値以上にお金が増え続ける、つまり同じだけの借金が増え続けた結果、みんながそれに課せられた金利を返すために熾烈な競争社会になり、誰かを蹴落とさなければ生きていけない経済のシステムになっている。この問題を解決しなければ、貧困や格差、戦争、病気などあらゆる社会の問題は絶対に解決しない。みんなが仲良く共存できない世界をこの金融システムが作っている。

 この金融資本主義の仕組みを根こそぎ変えることは、世界中の政治家にとって最大の政治命題だ。すでに地球も社会も維持できないところまで来ており、歴史の必然として地球規模の大転換がそこまで迫っている。

 そのためにはまったく新しい次元の新しい政党をつくる必要があり、れいわ新選組はその大転換の動きが生み出したものだ。米国大統領選でサンダース旋風が起きたのも地球規模で始まった自浄作用といえる。人間の意識は地球を壊滅させることもできるが、それを立て直すこともできるすごい力を持っている。既成の政治勢力の外側から新しい社会を目指す勢力が生まれている。名前がなんであれ、代表が誰であれ、この考え方が新しい時代を作っていくことを断言できる。

れいわ新選組の街頭演説に集まった人々(7月、東京)
 だが単純にそのような政党が政権をとっただけで世界が変わるほど甘いものではない。かつて政権を失った民主党がそうだったように、われわれ自身が大して変化していないからだ。お金の発行の仕組みは、世界中の経済の仕組みを変えなければならず、みんなが是が非でもという強い熱意をもってそれを求めなければ変わらない。一人一人が、世界を狂わしているお金に従って動いていくなら、狂った社会はなにも変わらない。

 大事なのはみんなの頭の中だ。みんながお金よりも大事なものに気がついて、少しずつ自分の判断を変えていくのなら、その数が増えるだけ社会にものすごい変化を起こしていく。その先に政権を取る事業があり、日本が変わればその影響は世界に計り知れない変化をもたらすことになる。

 所有という概念も人間が作り出した意識にすぎず、自然界にあるものは人間を含めたすべての生き物の共有物だ。支配という概念も、株主(資本家)のいうことを聞かなければいけないという意識も、この社会であたりまえとされて信じ込まされているだけの観念であり、真理でもなんでもないことに気がつくことができる。お金も紙切れにすぎず、それそのものに何の価値もない。ないもの(カネ)に縛られてあるものを歪めていくのか、あるもの(時間と労働力)を使って新しい世界を創造していくのか。それはすべて頭の中から始まり、それぞれが自分の頭で考えて決めていけばいい。

 私の考えでは、よりよい世界を作るためには、まず1人からできることをやる。自分の頭の中だけは誰からも邪魔されないからだ。自分の思い込みが正しいとは限らないのに、たくさんの人を巻き込もうとすれば逆に失敗する。他人と結果はコントロールできないが、自分が1段の階段を上がることはできる。それをみんなが始めたら社会は大きく変わっていく。

 私の場合は、2011年時点で、世界は変わり始めたし、すでに変わったと直感した。だから、私はその変わった世界と、みなさんの頭の中に漠然と起きている変化を整頓して言語化していくことによって、それを皆さんが意識するようになると思った。だから本を書いたり、動画を作ったり、講演会活動を始め、まったく相手にされない時期もあったが、やっているうちにだんだん周りが影響されて耳を傾けてくれる人が増え始めた。

 そして、みなさんから「それは私が思っていたことだ」「それがおかしいと思っていた」「それを求めていた」といわれ始めた。私の言葉であるのに、それを通じてみんながこれまで気がつかなかった自分の心が発していた言葉に気付いていくことができるということを経験してきた。自分をとり巻く世界で起きている現状とその問題を生み出す本質的な原因に気がついたとき、人は自分の本当の声を聞くことができるのだと感じた。自由を奪ってきた思い込みや既成概念が取り払われると、自分にとって本当に大切なものが見えてきて自然とワクワクしてくる。

 そこで私が次にみなさんに期待するのは、突き放すようだが「勝手にしてくれ」だ。自分の声を聞いたのなら、自分がやりたいことや望む生き方がはっきりする。それに向かって自分のペースで動いていけばいい。よいことをしようとするなら「利己的になって焦らない」のが大切だ。主観的に結果や他人をコントロールしようと思えば、それはエゴにしかならない。

 他者に対しては、愛して信じて待つ。自分の信念に従ってまず自分を変える。自分だからこそできることがあるし、自分が変わるから他者に影響を与えることができる。そのようにしてしか世界は変わらないし、それが世界を変える大きな鍵だと思っている。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/14039
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c3

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
8. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2020年1月28日 13:14:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-916]
我が流儀の源はストラヴィンスキー 2020 JAN 27 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/27/我が流儀の源はストラヴィンスキー/


ストラヴィンスキーの門をくぐったことで我がクラシック遍歴は始まった。ベートーベンの第九交響曲より詩篇交響曲の方が歌えるという時期が長くあり、頭の中のライブラリーの分量ではモーツァルト作品に並ぶかもしれない。こういう聴き方を音楽の先生はきっと推奨しないのだろうが、これでいいのだということをストラヴィンスキーが語ったある言葉で得心した。音楽に限ったことでなく、人生全般、生き方そのものに関わる言葉としてだ。

それはこの本にある。弟子で指揮者のロバート・クラフトが師匠との日々を日記形式で綴ったドキュメントだ。


質問者「いったい現代音楽とは何でしょうか」

I・S「いわゆる現代音楽は私にはどうでもいいのです。私の様式が現代的かどうかですか。私の様式は私の様式で、ただそれだけです」

これを読んで背筋に電気が走った。何もわかってない子供だから、ストラヴィンスキーは男として格好いいとシンプルに惚れこんでしまった。

高校生あたりから漠然と「格好いい人生を送りたい」という稚気に満ちた願望があった。何になりたいでもなく、自分なりに格好いいと想像する姿、それが、
「あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

だった。これは当時流行っていた木枯し紋次郎のニヒルな名セリフである。それとストラヴィンスキーと何の関係があるんだ?それは脳内でこうつながる。


「現代音楽?あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

他人が何をしているかなんて俺にゃぜんぜん関係ないぜ。そうだよな、世間体を気にしたり、八方美人で人に関わってたりしたら春の祭典は書けねえ。そう思った。中村敦夫は今風なイケメンではない。泥臭い。そういう顔じゃないとあのハードボイルド、ニヒリズムは出ない。誰が見ても素敵、カッコいいを目指しちゃいけない、そういう顔つきからは格好いいものは出てこないんじゃないか。

ストラヴィンスキーは音楽の渡世人だった。作風が転々としてカメレオンなんて揶揄もされた。しかしどれも彼の様式なのだ。もし三大バレエみたいな曲を一生書いてたら、それはそれで更なる金字塔を打ち建てたには違いない。しかし渡世人は安住しないのだ。誰にも世話にならず面倒かけず、風の向くまま気の向くまま、どうせこの世にゃ俺ひとり・・・。彼の顔もタダものじゃない。

春の祭典は聴衆を暴徒に変え、大騒ぎさせ、警官隊まで出動させた。音だけの力で。これが音で人の心を動かす作曲を商売とする者にどれほどの脅威か。格好いいとはこういうことなのである。それほどの革命的な創造をしながら、しかし、彼は次々と違う響きに関心を寄せていく。成功なんかポイっと捨てちまって、どんなに求められても二度とそこには戻ってこない。うわべだけのカッコよさだけ求めて生きてるような薄っぺらな男にそんなことは逆立ちしてもできない。書く音楽以前に、自身が勇気に満ちたプログレッシブな人間なのだ。渡世の道は花園かもしれないが無間地獄かもしれない。地獄であっても、もがいて這い出せればそれが幸福だ。何が幸いするかわからないから世の中は面白い。こんな格好いい人生があろうかと思う。

僕にとって、一つの成功に安住する人はすべからく、つまらない人だ。
若い時にこうして電気が走ると一生痕跡が残る。

これ以来、僕の生きる流儀はだんだんこういうものに収れんしていった。

・興味ないことはしない
・空気を読まない
・群れない
・人と同じことはしない
・つまらないことに1秒も使わない


この道に言い訳は落ちていない。結果がすべてであって、結果を出すための工夫を死に物狂いでするしかない。こうして僕はスナイパーになれ、結果は出さないが懸命に群れて、周囲の空気を率先して読んで、人と違うことは積極的に避け、興味ないことを忠犬みたいに黙々とする「満員電車のっちまえ族」とは決定的に袂を分かつ人生を送ることになった。

75才のストラヴィンスキーがロバート・クラフトと対談しているビデオがある。
弟子の質問に師匠が答えていく図式だが、テレビのドキュメンタリー番組だからやらせっぽさ満点だ。ロバートはド真面目なインテリ青年で質問は台本通りであるのがバレバレだが、ストラヴィンスキーは母国語でない英語で喜々として答えている。しかし本音を言わず大人の会話に終始しているのはこの録画が後世に残ると知っているからだろう。曲をスタジオ録音する際に安全運転になるのと似て、表面づらはあまり面白くない。

そこで、まことに僭越ではあるが、愚生が時にチラッと垣間見えるストラヴィンスキーの笑み、表情の変化、語彙の選び方などを手掛かりとして、大先生の本音をこっそり盗み取って注釈してみたいと思う(英語が聞き取りにくくひょっとしてヒアリング・ミスがあるかもしれない。そんなアホなという部分は切にご訂正、ご笑納をお願いしたい)。

ではご覧いただきたい。


A Conversation with Igor Stravinsky, 1957


from The Wisdom Series, 1957



TVカメラ用のポーズをつけ、ピアノに向かって作曲中を装う彼は精一杯の演技でカメラの脇に待機していたロバートを呼び入れる。スコアに音符を書き込む姿はエンジニアのように見える。別室に移ってスコアを広げる光景を見ると僕は建築士の事務所を思い浮かべる。色鉛筆まで使って几帳面に書きこまれた彼の巨大なスコアは設計図を髣髴とさせるが、そのイメージにフィットする。

ストラヴィンスキーはこんな事を言ってる。以下、注はすべて筆者による。

8才で始めたピアノで音階練習をしていて、音階というものは誰かが発明したのだと考え、それならばと自分が創ってもいいだろうとオリジナルの音階を作った。14才でピアノを習った19才の女性教師が好きになってしまった(注1)。やがて師匠、友人となるリムスキー・コルサコフの弟子に和声法、対位法を習ったが死ぬほど退屈で(注2)、師匠に君は音楽院には行かずに自習しろと言われた(注3)。


注1・old maidは俗語でセクシャルに意味深。母親にバレた。

注2・この教師は知識はあるが音楽知らずのただの馬鹿と本音はナメ切っている

注3・耐えられなかったのは和声法で、対位法は関心あったと決然と言う。彼は古典を研究し、形式論理を重んじ、論理の進化で作風を転々とした。退屈で済ますわけにはいかず、あえて繕ったコメントと感じる。

初めて会ったディアギレフはオスカー・ワイルド(注4)みたいな男で、とても優雅でシックで敷居がお高く、微笑みながらやさしく肩を叩いてキミの庇護者だよとにおわせるスタイルの人だった(注5)。ディアギレフは火の鳥の契約をする前にショパンのオーケストレーションをしてくれと頼んできた。春の祭典の初演のスキャンダルを彼は(興業としては)喜んだが、それを巻きおこしたのは私の音楽であって彼のバレエではなかったから嫉妬もしていた。

注4・アイルランド出身の作家。ここでは「ホモの性癖が過ぎて投獄され梅毒で死んだあいつ」という意味で引用されていると思われる。ディアギレフもその道で著名。

注5・ディアギレフとの縁で功成り名を遂げたものの、彼のニヤリとした表情には「あの食わせ者にはやられたよ」感が満載で、それ以上の関係を感じないでもない。ディアギレフは貴族で海千山千の起業家だ、10才下の若造をおだてて手玉に取るのはわけなかっただろう。

私が指揮台に登るのは、どの指揮者よりも聴衆をうならせることができるからだ。私の父は当代一流の、あのシャリアピンに比肩される歌手である。私は偉大な解釈者の息子であり、彼の強烈な劇的表現の才能を受け継いで指揮をしている(注6)。

注6・指揮者としての自分を血筋で正当化している。作曲者なのだから解釈の正統性をなぜ謳わないのか不思議だが、彼はスイスに亡命したため1917年の十月革命で財産を没収され、ロシアがベルン条約加盟国でなかったためにパリでのロシア・バレエ団からのギャラ支払も拒否されてディアギレフと争っていた。だから三大バレエは人気を博したものの彼にはあまり印税をもたらさず生活は困窮した。すでにアンセルメ、モントゥーら著名指揮者のレパートリーとなっており、彼はチャレンジャーだったから血筋まで持ち出す心理になったのだろう。このインタビューはコロンビア・レコードが彼の自作自演盤を市場に出し始めたころに行われたから、彼は売上に敏感だったろう。ただ、結果としてレコードは売れて彼は「生きたレジェンド」になり、米国作曲作詞出版家協会(ASCAP)が彼の印税のランクを上げたため収入が3万5千ドルから7桁に近い6桁台に急上昇した。

私が自作を指揮をすると指揮者たちが怒るが、その理由は私の音楽(の解釈)についてではない、収入が減るからだ。競争(を仕掛けられた)と思うのだ。『ショパン』の稼ぎより『ルービンシュタインのショパン』の稼ぎの方が多くなくてはいけないのだよ、わかるだろう?(注7)まあ彼は友人だから悪くは言えないがね(注8)。

注7:俺の曲にただ乗りして稼ぐ奴らは許せんという意味。三大バレエは花のパリで初演から話題を巻き起こして興業的に当たっていたのだから、若くて金のない彼に「チクショー損した」感が大きかったのは当然だ。彼は創作過程について詳しいコメントを残していないが、想像するに三大バレエの時期はロシア革命、亡命、裏切りと重なる彼のトラウマでもあるだろう。

注8:ルービンシュタインに「ペトルーシュカからの三章」を書いて献呈している関係があるための弁解。作曲家は経済的に不毛だったペトルーシュカを金にでき、ピアニストは『ルービンシュタインのストラヴィンスキー』を手に入れられるグッド・ディールだったとにおわせる。

演奏家は、トランペットならその奏者が、私のイマジネーション(注9)のとおりの音を出さなくてはいけない。音のイマジネーションを分かり易くするためにクラフトマンシップについて説明してください(注10)。(クラフトマンは)物を作る人だ。その物は独創的(発明的)でないといけないが(注11)。

注9:ロバートに「アゴン」のスコアの変拍子をひとしきり解説して見せた後、ストラヴィンスキーが創造の核心に触れだした。ロバートには「それはどこからどのように来るのですか?」と質問してほしかった。

注10:ところがロバートは(たぶん台本を消化するため)この一見もっともらしいが実はくだらない質問にすり替えてしまった。

注11:別の場所では、演奏家は作曲家が創った鐘を鳴らす叩く鐘突きだ、鐘は突けばちゃんと鳴るように創られていると述べている。質問の脈絡が不明のためストラヴィンスキーは鐘はそう造られるべきと苦し紛れに答えているわけだが、誠にもったいない機会損失であった。

彼(注12)はその知識を自己流儀で獲得していたが、音楽というものを習得してなかった。とても優れた耳と記憶力を持ってはいたがね、ロバート、君のようにね、でも君は作曲家じゃないが、彼は作曲家だ(注13)。

注12:前述の始めて和声法、対位法を習ったリムスキー・コルサコフの弟子。

注13:これを言うストラヴィンスキーは、自分はパフォーマーではなく創造者だ、作曲家は演奏家より上だという強いプライドを漂わせている。2日後に「アゴン」を指揮するロバートはその言葉に反応を見せない。パフォーマーに徹したことで評価されたのだろうが、世間の評価はピエール・ブーレーズが上だった。

音楽は音を聞くだけではアブストラクト(抽象)であり、振動を感じなくてはわからない。音楽は音のリアライゼーション(具現化)であり、それは人の心の働きである(注14)。哲学者ショーペンハウエルは「音楽はそれ自体が宇宙である」と言っている(注15)。

注14:鉛筆をくわえてその先をピアノにくっつけ、ベートーベンは耳が聞こえないからこうしていたと実演しているが、言いたかったのはこれだろう。アブストラクトでないものが彼にイマジネーションとして心の働きを喚起し、音として “聞こえて” おり、それを書きとるのがリアライゼーションと筆者は理解した。別なインタビューで彼は「最高の作品とはまさに妊娠している母親のように、心と耳で感じられるものだ」と語っている。

注15:ショーペンハウエルの音楽論の部分を書きとっている。彼が全編読んでいたかは不明。8才でオリジナルの音階を創造しようとしたストラヴィンスキーの心の作用は万物の根源に向かうという意味ですぐれて哲学的、科学的であるが、前掲書によると、死生観などは呪術的でもある。

以上。


ここでストラヴィンスキーが本当にやりたかったわけではないであろうパフォーマーの仕事ぶりを見てみよう。1959年にN響を指揮した火の鳥である。選曲も管弦楽法も聞きなれぬバージョンの組曲であり、その差異により、彼が著作権を持って課金できているはずのものだ。終曲のおしまい、ロ長調になる部分のぶつ切れは彼がそりが合わなくなっていたアンセルメ(彼はフル・ノート延ばす)へのプロテストかと感じないでもない。


Stravinsky Conducts The Firebird Suite, Japan 1959



Stravinsky, The Firebird Suite (1945 revised version)
NHK Symphony Orchestra
Igor Stravinsky, conductor
Osaka International Festival, May 1, 1959



ストラヴィンスキー夫妻とロバートはこの年行われた皇太子ご成婚にかけて来日し、兼高かおるが同行して京都、大阪、箱根、鎌倉、日光を旅した行程が詳細にロバートの上掲書に記されているが、ストラヴィンスキーのために2回のリハーサルをつけたこと以外は5月1日のこの演奏会にはまったく言及がない。彼らの意識の中ではその程度のものだったのだろう。

上掲ビデオのNBC番組については、ロバートの上掲書に記述がある。6月12,13日で、その5日あとが巨匠の75才の誕生日だった。

最晩年のロバート・クラフト(October 20, 1923 – November 10, 2015)が1971年にヴェニスで執り行われたストラヴィンスキーの葬儀の思い出を語っている。最後の一言に衝撃を受けた、まさに感動的だ。


Testimony of Robert Craft



Emocionante depoimento de Robert Craft para Jocy de Oliveira descrevendo o funeral de Stravinsky na ilha San Micaelis em Veneza, 1971
Em 2015, o funeral de Robert Craft também se realiza nesta mesma ilha.

Moving testimony of Robert Craft given to Jocy de Oliveira describing Stravinsky’s funeral at the Island San Micaelis in Venice ,1971
2015 , Robert Craft's funeral also takes place at this chosen Island.




https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/27/我が流儀の源はストラヴィンスキー/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c8
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
13. 中川隆[-14155] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:04:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-915]


Beethoven - Pastoral Symphony - Furtwangler (1947 live)





Wilhelm Furtwängler, Berliner Philharmoniker
Recorded live at Titania Palast, 25-V-1947


▲△▽▼

1947年
25 May 1947 BPO Titania (RIAS)
Beethoven: Sym.No.6

●5月25日 ベートーヴェン/田園・運命 BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR: CetraFE32('83) King(JP)K19C266-7(83/07)KIJC2001-2('90?)
CD/SB: WFSG TMK008080('96) EvangelFRL1004(97/04)
CD: CetraCDE1014('90=ANF307) RodolpheRPC32522-4('90?) TAHRA FURT1016(97/06) King(JP)K33Y193(86/10)KICC7091(91/04)KICC2293(93/07)KKCC4232(98/03) M&ACD789('93)CD922('96)

>>King(Japan)KICC2293 were dull sound. German WFS's CD is the best sound. But I don't like TAHRA sound. TAHRA use much noise reduction.

CetraFE32, King K33Y193(from Cetra) and KICC2293(from Italy My Sound) are authentic 5/25 performance. But King KICC7091(from Cetra), ANF(Japan)307(from Cetra) and Cetra CDE1014 are 5/27 performance.(according to Mr.Tsushimi)

▼初出のCetra盤LPやそれを原盤としたキング盤(K19C266-7)は劣悪な音で有名。
局出し音源の独協会TMK008080('96)の音質はDGの27日盤を上回るほど。
それをデジタルコピーしたと思われるEvangel盤(FRL1004)も同様。
97/06TAHRA から正規市販盤が出たが、これも金管が生々しく47年とは到底思えない音質。
SK氏は協会盤やEvangel盤のほうがいい音質−としている。
shin-pも聞き比べたが TAHRA盤はノイズリダクションが強くかかりすぎて本来の明瞭な音がしない。
独フ協会盤と Evangel盤はヒスノイズが若干多いものの音自体が生々しく良好な音質。
キングは98年 TAHRA盤を国内盤扱いで発売。演奏は時にアンサンブルが乱れたりもするがそんな些細なことはどうでもよくなるほど熱気あふれるもの。

RIAS は西側(米)占領軍による放送局で、oda氏によれば、ベルリンの壁崩壊後90年代半ばまで存在したという。そのアーカイヴは Deutschlandfunk に移管されたと思われる。ただし、独協会盤頒布以降の運命の音質向上は目が覚めるほどだったが、田園はそれほどではない。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu11.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c13
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
14. 中川隆[-14154] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:11:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-914]

1952年
10 Jan. 1952 RAI Roma Orc. RAI Roma studio
Beethoven:Sym.No.6

●1月10日 ベートーヴェン/田園&運命 RAIローマ放送響 RAIスタジオ(Auditorium del Foro Italico) RAI収録

LP/PR(No6):OlympicOL8120-7('75?)
CD: KingKICC2346-7('94)

▽初出は日本フォノグラムからも出た世界初の巨匠のベートーヴェン交響曲全集からのもの。
14 Jan. 1952 RAI Roma Orc. RAI Roma studio

▼RAIローマ響との一連の録音は3月のトリノ録音と比べれば音質良好。

ステレオ録音ではないかとされる Cetra LP も米Olympicと同様「テープから保存用にコピーされたパデローニという放送用ディスク」からの復刻。
STEREO と明記されたFE5の田園や桧山氏がステレオではないかとするFE6のエロイカは「疑似ステ」と思われる。
ただし音の明瞭さは Cetra が優る。

音質は、運命/英雄/田園の順。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c14

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
15. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-913]


Beethoven: Symphony No. 6, Furtwängler/ Vienna P.O. 1952







Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
【録音】1952年11月24,25日

▲△▽▼

1952年
24/25 Nov. 1952 VPO Musikverein (EMI studio Version)
Beethoven: Sym.No.6

●11月24、5日 ベートーヴェン/田園 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音

LP/PR: ALP1041(53/11)
CD: EMI7630342('89)ToshibaTOCE7530-4(91/12)TOCE8440(94/08)

▼このあたりのスタジオ録音から現在に通じるハイファイ音がきかれる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c15
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
16. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:30:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-912]

1954年
15 May 1954 BPO Lugano Theatre Apollo(RTSI)
Beethoven: Sym.No.6

●5月15日 ベートーベン/田園 モーツアルト/ピアノ協奏曲第20 R・シュトラウス/ティル BPO ルフェビュール(P) ルガノ・テアトロ・アポロ スイス・イタリア語放送(RTSI)

LP/PR(No6): CetraLO529('80?)KingSLF5017-8(80/06)
CD: ErmitageERM120('92)

▼フランス・イタリア・スイスを回る演奏旅行の最終日。スイス=イタリア語放送(ルガノ放送)のオリジナルテープによるErmitage盤が発売され、これら録音の優秀さが再確認された。

ただ田園は冒頭がテープが傷んでいるらしく聞きづらくERM盤 CDより Cetra LPの方が自然な印象。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c16

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
17. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2020年1月28日 14:38:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-911]


L.V.Beethoven Symphony#6 "Pastorale" [ W.Furtwängler Berlin-PO ] (May/23/1954)







Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, May 23, 1954

▲△▽▼

1954年
23 May 1954 BPO Titania(RIAS)
Beethoven: Sym.No.6

●5月23日 ベートーヴェン/田園・運命 BPO ティタニア RIAS収録

LP/PR(No6): GHE86125('72)WFSJ TRP1159(72?) WFSG F669310-1M('85?)
CD: HuntCD503('91?)Virtoso2697162('89)EMBLEM F4003(94/03)M&ACD869('95?)

▼ 田園は初出 GHE盤や独協会盤、日本協会 CDは 3楽章冒頭部が欠落。
日本協会 LP他市販盤は完全盤。
音質は若干のヒスノイズを除けば、EMBLEM が格段に優れている。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c17
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』
ベートーヴェン 『交響曲第4番』



ムラヴィンスキーの『交響曲第4番』


Beethoven "Symphony No 4" Yevgeny Mravinsky 1973




1973年4月29日録音
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー


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Beethoven "Symphony No 4" Yevgeny Mravinsky 1955


Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky, Conductor
Prague, Smetana Hall, 03.VI.1955
Prague Spring Festival 1955


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▲△▽▼


ベートーヴェン 『交響曲第4番』


スケッチ帳の紛失のため正確な作曲時期は不明だが、1806年夏ごろから本格的な作曲が始められている。この年はラズモフスキー四重奏曲集、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、オペラ《レオノーレ》第2稿などが作曲されたベートーヴェンの創作意欲が旺盛な時期であり、この作品も比較的短期間に仕上げられている。
10月中には作品が完成し、献呈先のオッペルスドルフ伯爵(英語版)に総譜が渡されたと考えられている。


ベートーヴェンの交響曲の中では古典的な均整の際立つ作品で、ロベルト・シューマンは、「2人の北欧神話の巨人(第3番と第5番のこと)の間にはさまれたギリシアの乙女」と例えたと伝えられている。
また、エクトル・ベルリオーズは「スコアの全体的な性格は生き生きとしていて、きびきびとして陽気で、この上ない優しさを持っている」と評した。
しかし、そのようなイメージとは異なった力強い演奏がなされる例もあり、ロバート・シンプソンは「この作品の持つ気品は『乙女』のものでも『ギリシア』のものでもなく、巨人が素晴らしい身軽さと滑らかさで気楽な体操をこなしているときのものなのだ。ベートーヴェンの創造物には、鋼のような筋肉が隠されている」と述べている[1]。


初演


1807年3月、ロプコヴィツ侯爵邸で開かれた私的演奏会で、ベートーヴェンの指揮によって初演された。なお、同じ演奏会で『コリオラン』序曲とピアノ協奏曲第4番も初演されている。公開初演は1807年11月15日にブルク劇場で行われた慈善演奏会において、やはりベートーヴェンの指揮で行われた。


楽器編成
標準の二管編成よりさらにフルートが1本少なく、ベートーヴェンの交響曲の中で最小である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第4番_(ベートーヴェン)


1806年は「傑作の森」の中にあっても、特に粒揃いの作品が生み出された年とされる。交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、歌劇『レオノーレ』(第二版、序曲は『レオノーレ3番』)、弦楽四重奏曲7〜9番『ラズモフスキー1〜3番』等正に錚々たる顔触れといったところだが、このピアノ協奏曲4番も決して忘れる事の出来ない傑作である。


ベートーヴェンというと、交響曲『英雄』や第五の様に、重厚さや激烈さを秘めた作品をイメージする者が少なくない。しかし、彼が尊敬するモーツァルトとはまた別の優しさや美しさに満ちた作品を数多く遺している事も確かである。


1806年に書かれた交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、そしてこのピアノ協奏曲や『ラズモフスキー』等にはそうしたベートーヴェンのもう一つの面が顕著である。これには楽聖の恋愛事情も関係あると見なされる。


ベートーヴェンは旧知の貴族、ブルンスビック家の娘で、未亡人となっていたヨゼフィーヌに当時入れ込んでいたという。嘗てはこの年にベートーヴェンはヨゼフィーヌの姉、テレーゼと婚約した事から作品にその影響が反映されていると言われていたが、今では楽聖がこの時期ヨゼフィーヌに思いを寄せていた事が判明し、婚約説は否定されている。


相手がテレーゼだったにせよ、ヨゼフィーヌだったにせよ、ベートーヴェンが女性美に通じる優しさや美しさを持つ作品を書いた事だけは確かな事である。勿論、ベートーヴェンはベートーヴェンだ。単に優美なだけの作品は書いていない。主題の提示方法、展開手法、表現手法何れも彼ならではの独創性を盛り込んでいる。正に創造力が爆発している。だからこそ、この時期の作品群が「傑作の森」と称されるのである。
http://mahdes.cafe.coocan.jp/myckb4b.htm


ヨゼフィーネ・ダイムを思い描いて書いた曲


・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3
・交響曲第四番
・ピアノ協奏曲第四番
・ヴァイオリン協奏曲


ヨゼフィーヌはベートーヴェンが不滅の恋人とされるアントーニアと出会う前に愛した女性で、13通の情熱的な手紙が残されている。ヨゼフィーヌは後に精神の病で天国へ逝ってしまうが(この時ベートーヴェンの第9の3楽章がスケッチされている)ベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉に育てられ成人後は生涯独身で長寿を全うした。


ベートーヴェンは大変なロマンティストで、若い頃にはいつも恋をしていた、といいます。「憧れ」の対象になる女性を見つけては、情熱を燃やし、それを自分の創作活動のエネルギー源にしているのです。そうしたベートーヴェンの数少ない「本物の恋」の相手になったのは、ハンガリーの貴族ブルンスウィック家の令嬢で、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵未亡人でした。この人との恋愛関係は、1804年から1807年まで続いていますが、恐らく身分の違いが原因で、この恋愛はつぶれてしまいます。ヨゼフィーネ・ダイムは、平民のベートーヴェンに対して、貴族の誇りを捨てることが出来なかったのでしょう。


ベートーヴェンはアントーニアとボヘミアで幸せな時間を過ごすが、当時ベートーヴェンはアントーニアとその子供達も連れてロンドン移住を真剣に考えていた(アントーニアは夫と別居していて夫婦間は冷めていた)。
ベートーヴェンはアントーニアの家族と一夏を共にし人生で最も幸福な時間を過ごす。
その後ベートーヴェンはアントーニア達と行動を別にして弟のいるリンツを訪れるが、このリンツ滞在中に突然幸せ絶頂だったベートーヴェンとアントーニアの関係は崩壊してベートーヴェンは絶望のどん底に突き落とされる。当時の日記の幸福から絶望への豹変は生々しい。
実はベートーヴェンが以前愛していたヨゼフィーヌがベートーヴェンの子供を妊娠していた。かつての恋人ヨゼフィーヌがベートーヴェンに悩みを相談しに会いに来たときにできた子供とされ(あらゆる研究からこれは間違い無いとされている)、おそらくベートーヴェンとアントーニアが別れた原因はベートーヴェンがアントーニアにこのヨゼフィーヌが妊娠した事実を報告したからと言われている。
ベートーヴェンの予想に反して、アントーニアはこのヨゼフィーヌの妊娠を理由に2人は別れる運命と決心して、離婚するつもりでいた夫とよりを戻し一緒に暮らすようになる。


ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816〜17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。
この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201505.htm


不滅の恋人は現在ではアントーニア・ブレンターノ(夫とは別居してた)に間違いないとされる。出会いは1810年で翌年に喜びに狂喜乱舞する7番が生まれる。


有名な不滅の恋人への手紙(ベートーヴェンの死後に発見された)は、1812年の夏のチェコ旅行直前に交わされたもので、アントーニアが妊娠を告げた内容とされる(ベートーヴェンの子供か旦那の子供か2つの説がある)。


この手紙の後にチェコ旅行で2人は幸福な時間を過ごし(この時の想い出が8番に込められてる)、ベートーヴェンはアントーニアとその子供とのロンドン移住を真剣に考えていたが、旅行が終わった直後に破局を迎え、アントーニアは夫の元へ帰る。それ以後もベートーヴェンはアントーニアを愛し続け、最後の3つのピアノソナタにも不滅の恋人への想いがこめられている。


ベートーヴェンには不滅の恋人と出会う前の恋人でベートーヴェンの子供まで産んだヨゼフィーヌという女性がいた。


ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816〜17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。


この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。


アントーニアにしても、ヨゼフィーヌにしても人妻だったことからベートーヴェン死後も周りの人間が秘密を厳守した。ヨゼフィーヌが亡くなった1921年当時のベートーヴェンの会話帳のページは、ヨゼフィーヌの親族の要望で破棄されてしまったらしく破られて無くなっているという。


またベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉によって育てられた後、生涯独身で長寿をまっとうした。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201309.htm#fromsachio20130920-Beethoven-symphonyNo9-02


「不滅の恋人」 が誰だったのかやっぱり気になる。
世界的な権威であるベートーヴェン研究者の 青木やよひ 女史の 「アントーニア」 説が最も説得力があるが ・・・
第九を指揮してると 「ヨゼフィーネ」 説を信じてしまう ・・・
何故ならば、第九を作曲していたときにヨゼフィーネは天国にいて、アントーニアは生きていた ・・・


「天上の楽土から来た娘」 という言葉や、 「天使」 と言う言葉が明らかに 「不滅の恋人」 に重ね合わせられてると僕には感じるので、 どうしても生きていた女性より天国にいる女性を想像してしまう・・・・・


またあの第3楽章の美しい旋律は 「ヨゼフィーネ」 が死んだ1821年にスケッチされたとも言われてる ・・・・・
第3楽章の後半はまるで恋人と夢の中で踊っているようだ ・・・・・


50歳頃(1820)
「第九」を作曲
していた頃。
ちなみにどちらの女性とも不倫関係にあり、 (だからベートーヴェンや周りの人たちが秘密を守り未だに恋人が特定できない) ヨゼフィーネとの間に子供がいたことは確証されている。


いずれにせよベートーヴェンの不滅の恋人に対する想いやいかに!! ・・・だ。
これは第九だけに限らず、最後の3大ピアノソナタにも大きく影響している。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081004-Beethoven-symphonyNo9





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』
ベートーヴェン 『交響曲第2番』


ブルーノ・ワルターの『交響曲第2番』


Beethoven: Symphony No. 2, Walter & ColumbiaSO (1959)



Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 5, 9 January 1959


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Beethoven - Symphony n°2 - NYP / Walter




New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 17.III.1952



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ベートーヴェン 『交響曲第2番』


断片的な着想は第1番作曲中の1800年に遡り、1801年から本格的な作曲が開始されている。
1802年3月には完成されたと考えられ、1803年4月5日、ウィーン近郊アン・デア・ウィーン劇場にて、ピアノ協奏曲第3番、オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』とともに初演された。


この作品が作曲されたのはベートーヴェンの持病である難聴が特に悪化した時期であり、10月には「ハイリゲンシュタットの遺書」も書かれているが、作品内に苦悩の跡はほぼ見られない。


形式的には未だにフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの枠組みの中にあるが、作曲技法としては第1番よりも更に進歩しており、第1楽章序奏の規模が拡大し重要性が増していること、動機労作がより緻密になり、ソナタ形式楽章におけるコーダが第二展開部としての様相を呈し始めていることなどが指摘される。


楽器法の面でも、木管楽器(特にクラリネット)の活用や、チェロとコントラバスを分割して扱う手法が顕著になっていることが注目される。


初演では「奇を衒いすぎている」と評された。
なお、後に自身の手によって、ピアノ三重奏用に編曲された(1805年刊行)。
これは、当時の庶民にとってオーケストラを聴くことは高価であったため、作品を手軽に家庭で楽しめるようにする必要があったためだと思われる。


曲の構成


全4楽章からなり、随所に後の交響曲第9番を思わせるパッセージが登場する。


第1楽章 Adagio molto ニ長調 4分の3拍子 - Allegro con brio ニ長調 4分の4拍子
序奏付きのソナタ形式(提示部反復指定あり)。序奏部は大胆な転調を含む大規模なもので、中ほどにニ短調の主和音がアルペッジョで下降するパッセージが見られ、交響曲第9番の第1楽章・第1主題を彷彿とさせる。主部は力強い第1主題と穏やかな第2主題を持つ。展開部は長く2部に分かれており、更にコーダも長く、第2展開部としての役割も果たす。


第2楽章 Larghetto イ長調 8分の3拍子
ソナタ形式。旋律の美しさによって有名で、後に何者か[1]によって歌詞が付けられて歌曲になったこともある。
第1主題部は長めで弦楽部に始まり、木管で繰り返される。第2主題も第1ヴァイオリンで導かれる。コデッタの後、反復なしで第1主題を主とした展開部に入る。再現部は対位法を効果的に使ったものとなっているが、流れ自体は提示部と変わらない。


第3楽章 Scherzo
Allegro ニ長調 4分の3拍子
複合三部形式。ベートーヴェンが交響曲に初めて「スケルツォ」の名称を用いた。トリオの旋律は第九交響曲のスケルツォのトリオに類似している。ベートーヴェンの交響曲の舞曲楽章の中では最も規模が小さい。


第4楽章 Allegro molto ニ長調 2分の2拍子
ロンドソナタ形式。何者かに問いかけるようなユニークな動機の第1主題で開始され、その動機が楽章全体を支配している。チェロによる田園的な経過句の後、木管に第2主題が現れる。短いコデッタの後、反復なしに展開部へ移行する。劇的な迫力を伴い、総休止を効果的に使って進行する。再現部は型どおりで、コーダは全体の3分の1を占める長大なものとなっている。第6番や8番のフィナーレと同じく提示部の繰り返し記号はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第2番_(ベートーヴェン)





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
18. 中川隆[-14159] koaQ7Jey 2020年1月28日 16:08:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-908]
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の『交響曲第6番 田園』
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven6-m.htm


 フルトヴェングラーの演奏はどれも緩急の差が激しすぎる。
しかし、それがドイツの交響曲に対する彼の表現方法なのだろう。

ウィーン・フィル----1952年11月24-25日、ムジークフェライン
EMI。1952年11月録音。全集(写真はイタリア盤)。

超スローテンポ。第2楽章が特に遅い。一方、第5楽章は相変わらず少しずつ速くなっていってしまう。

しかし彼の「田園」では結局これが一番良い。

 2004年、没後50年記念で国内盤24bitリマスター盤TOCE 55704が出た。
リマスタリングはHS-2088シリーズと同じYoshio Okazaki氏であるが、このリマスターの出来は良いと思う。

このCDにはベルリン・フィルとの「レオノーレ第2番」スタジオ録音がカップリングされているので購入したのである。


______


ウィーン・フィル----1943年12月22-23日、ムジークフェライン、エレクトローラ(EMI系)によるSP録音
PREISER 90199。

結構、普通の演奏なのだが、やはり終楽章は速くなってしまう。

同時期録音の「ハイドンの主題による変奏曲」とカップリング。
(この2曲とも戦時中の困難な時期にわざわざ録音したにもかかわらず長らく未発売だった。)


______


ベルリン・フィル----1944年3月20-22日、国立歌劇場、放送録音
TAHRA。FURT 1034/39。戦時中マグネットフォン録音集6枚組。

終楽章最初のヴァイオリンのテーマは祈るような感じで感動的、と思ったらすぐに活発というより熱狂的テンポになってしまう。そして最後はまた祈り。起伏の激しい演奏だ。

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ベルリン・フィル----1947年5月25日、ティタニア・パラスト、Live

TAHRA FURT-1016(左)。
ドイツ・フルトヴェングラー協会盤 TMK008080。
audite RIAS録音集12枚BOX(中央)。
さらに同じくauditeからこの日の録音がシングルレイヤーのSACD国内盤でも出た(右)。

歴史的復帰演奏会初日のライヴ録音。
同日の「運命」とカップリング。音質等についてはその「運命」のほうで詳しく書いた。

終楽章はかなり速くなってしまっている。「歴史的復帰」でフルトヴェングラーとBPOとが「ムジツィーレン」できる喜びに感極まっているんだなぁ、と思うと、聴いている私も、(笑いながらも)涙が出て来てしまう。


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ローマRAI交響楽団----1952年1月10日、ローマ、ライヴ

ANDROMEDA。52年RAI録音集6枚組ANDRCD 5010。
同日の「運命」も収録されている。


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ベルリン・フィル----1954年5月15日、ルガーノ、Live
ERMITAGE。スイス・イタリア語放送のオリジナルテープを使用。

同日演奏されたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ルフェビユール)を聴くために購入したCDである。


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ベルリン・フィル----1954年5月23日、
ティタニア・パラスト、Live

TAHRA。FURT-1008/11。
同日録音の「運命」のほか、「英雄」「グレイト」などをカップリングした没後40年記念の4枚組(写真左)。

結構落ち着いた演奏で、全集盤に近い最晩年の芸風が聴ける。

2000年末に、TAHRAが「残響付加無し、24bitリマスター盤」4枚組FURT1054/57を出したのを入手(写真左から2番目)。上の従来盤とはだいぶ印象が異なる。

2009年発売のaudite盤RIAS録音集12枚BOXも入手(写真右から2番目)。
さらに同レーベルでシングルレイヤーのSACD国内盤も出た(写真右端)。

http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven6-m.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c18

[近代史3] ベートーヴェン 『エグモント序曲』
ベートーヴェン 『エグモント序曲』



フルトヴェングラー指揮『エグモント序曲』


Beethoven - Egmont Overture - Wilhelm Furtwängler, 1953





Wilhelm Furtwängler
Vienna Philharmonic Orchestra
Live Recording (Munich), 4 Sept. 1953


1953年
4 Sep. 1953 VPO MunichDutchMusium(Bavarian Radio)
Beethoven:Egmont Ove. ,


●9月4日 ベートーヴェン/エグモント序曲・交響曲第4・英雄 VPO ミュンヘン・ドイツ博物館 バイエルン放送所蔵


LP/PR(Ove): CetraFE50('85?)AT07-08('85?)
CD: M&ACD792('89)


▼51年ロマンティックや52年ブラ2などミュンヘンで行われたすべての録音にいえることだが、マイクがオケから遠く、聴衆ノイズは鮮明だが楽器の音質が悪すぎる。これはホールの影響なのだろうか。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm



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Beethoven: Egmont Overture, Furtwängler & BPO (1947)



Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra


Rec. 27 May 1947, at Titania-Plast, in Berlin


1947年
●5月27日 ベートーヴェン/エグモント序曲・運命 BPO ベルリン英占領区ソ連放送局スタジオ 旧VEB(旧DDR)/DRA所蔵


LP/PR: DG LPM18724(61/11)2535810('77) Eterna820280(64/11) DG(JP)LGM1070('62)MG1439('68)MG6006('77)
CD: DG439832-2('85) DG(JP)POCG2131('90?)DG(JP)POCG3788(97/08) SWF013('01)MythosNR5003('02)


>>>MG6006(Japan DG) is my unforgetable LP.
I listened at highschool student, and I was moved to tears.
"Originals" only released in Japan are good sound.


▼久しく廃盤になっていた70年代、このMG6000シリーズの登場を、高校生だった私も心待ちにしていた。現在のようにHMV/Virgin/Towerがない時代で、しかも私は当時四国の地方都市にいたので国内盤のみが頼みだったのだ。CDになってさらに良好な音質(1年半後の名盤48年ブラ4番より良好な音質)で聴けるようになったのはうれしい。


なお、収録場所については1997年までティタニアパラストとされていたが、実際はイギリス占領地区にあるソ連管轄の放送局スタジオでの聴衆を入れての収録となっている。45年4月22日ソ連戦車隊のベルリン市街突入、5月2日ベルリン占領の際、このベルリン放送局から多くのRRG収録テープや機器がソ連側に接収された。この演奏を収録した放送局は49/10/07ドイツ民主共和国(東独)建国後DDRとなり移転、その所在地Masurenalleeでは1954年SFBが放送を開始、現在は公共放送の統廃合がされRBB(ベルリンブランデンブルグ放送)となっている。


[Rundfunk Berlin-Brandenburg by de.Wikipedia]
https://de.wikipedia.org/wiki/Rundfunk_Berlin-Brandenburg


[現在もMasurenalleeに建つRBB社屋 by de.Wikipedia]
https://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Berlin_rbb_Gebaeudekomplex.jpg&filetimestamp=20070824194909


Eternaは東独の国営レコード会社でDDR(東ドイツ国営放送)と同じVEB(国営企業体)にあり、その音源を使ったエテルナLPが音質最高という声もある。日本独自企画オリジナルスについては、元々この演奏が当時としては驚異的な音質だったため、大きな改善は見られなかった。さらにDGオリジナルスやSWF盤では3楽章の弦のミスを修復している。


またHS氏から「手元にあるLP2種(DG 2721 202及び2740 260)どちらもA面(第1,2楽章) のみ疑似ステレオです。これはA面は古い88 011の原盤を使用していますが、 B面はカップリングの関係(エグモント序曲が88 011には無い)からか、 新しい「ヒストリカル・シリーズ」の原盤を使用した為こうなってしまった ものと思われます。」というご意見を頂きました。


これについて01/12/28伊豫守氏は
「A面は古い88 011の原盤に使用された同じ擬似ステレオ音源を使用」
とするのがより正確なようだ。88 011のA面の音溝部分の幅は約6ミリ、
2740260は約7ミリで、2740260の方が出力レベルが高く、ステレオ感も
88 011より、顕著であるように聴こえる。
とされています。 但し日本盤MG6006は別原盤を使用し、オリジナルのモノだが、音質は初期盤よりも劣るという声大。MythosNR5003('02)は初出盤LPM18724の板おこしとされる。日本初出盤LGM1070('62)も人気がある。


また、25日と表記されながら全曲あるいは部分的に27日を使っているものもある。これについては[25日の資料室]参考のこと。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu11.htm



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Beethoven: Egmont Overture (Furtwängler BPO 1933)




Berlin Philharmonic
Wilhelm Furtwängler, conductor
1933


1933年


●録音日不祥 ? 1933 BPO Belrin Polydor Studio
ベートーヴェン/エグモント序曲 Beethoven:Egmont Ove.
Matrix(Egmont):735-36BE1


SP/PR: Pol67055(34/01)
LP: DG2535827('75) WFSJ JP1101-2('70) DG(JP)MG6017('77)
CD: Symposium1043('90) *1*2*3 Koch('95?)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm#19260000



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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの《エグモント Egmont》作品84は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの1787年の同名の戯曲(en)のための劇付随音楽。


現在では序曲のみが単独で演奏されることがほとんどだが、他にソプラノ独唱を伴う曲を含む9曲が作曲されている。 難易度はとても難しい。


1809年、ウィーン宮廷劇場の支配人であるヨゼフ・ハルトルはゲーテとシラーの戯曲に音楽をつけ、一種のオペラのようにして上演する計画を立てた。そして、ゲーテの作品から『エグモント』を選んでベートーヴェンに作曲を依頼した。


ちなみに、シラーの作品から選ばれたのは『ヴィルヘルム・テル』であり、こちらはアダルベルト・ギロヴェッツに作曲が依頼された(なお、ベートーヴェンが弟子のカール・ツェルニーに語ったところによれば、ベートーヴェンは本当は「ヴィルヘルム・テル」に曲をつけたかったようである)。しかし、敬愛するゲーテの作品ということもあり、否応なしに引き受けた。


1809年10月から1810年6月までに作曲され、1810年5月24日にブルク劇場でベートーヴェン自身の指揮で初演された。なお、序曲は初演に間に合わず、6月15日の4回目の公演から付されたと考えられている。


作品の題材は、エフモント(エグモント)伯ラモラールの物語と英雄的行為である。作品中でベートーヴェンは、自らの政治的関心を表明している。圧政に対して力強く叛旗を翻したことにより、死刑に処せられた男の自己犠牲と、とりわけその英雄的な高揚についてである。


初演後、この楽曲には称賛の評価がついて回った。とりわけE.T.A.ホフマンがこの作品の詩情を賛えたものが名高く、ゲーテ本人もベートーヴェンは「明らかな天才」であると述べた。


曲の構成


付随音楽は以下のような楽曲が含まれ、とりわけリート《太鼓が鳴ると Die Trommel gerühret 》や「クレールヒェンの死」が名高い。


序曲: Sostenuto, ma non troppo - Allegro、ヘ短調→ヘ長調


力強く雄渾多感な序曲は、ベートーヴェン中期の終わりに位置する作品で、序曲《コリオラン》や、2年早く完成された《交響曲 第5番》と同じくらいに有名であり、また作曲様式でも類似点が見られる。


リート: "Die Trommel gerühret"
第1幕第3場の民家の場面で、クレールヒェン(クラーレ)が歌うリート。


アントラクト: Andante
第1幕の幕が下りると演奏される幕間の音楽。


アントラクト: Larghetto
第2幕の幕が下りると演奏される幕間の音楽


リート: "Freudvoll und Leidvoll"
第3幕第2場でクレールヒェンが自宅で歌うリート


アントラクト: Allegro - Marcia
第3幕の幕が下りると演奏される幕間の音楽


アントラクト: Poco sostenuto e risoluto
第4幕の幕が下りきらないうちに演奏される幕間の音楽。下りきらないうちに演奏するのは、第4幕の最後でエグモントが逮捕され、冒頭3小節がその場面の音楽だからである。


クレールヒェンの死: Clärchens Tod
第5幕第3場で、クレールヒェンの自宅の場面で演奏される音楽。
ここでクレールヒェンが毒をあおって自決する。


メロドラマ: "Süßer Schlaf"
第5幕の獄中のエグモントの場で、エグモントのモノローグに続いて演奏される音楽


勝利のシンフォニア: Allegro con brio
エグモントの最後の台詞の後、幕が下り始めると演奏される音楽。序曲のコーダと同一の楽曲であるが、こちらが先に完成されたと言われている。


上演について
初演後、「エグモント」が劇として上演された回数は不明(1973年のザルツブルク音楽祭の演劇部門で上演された記録がある)。


一方で、劇の内容をナレーターが説明し、上演する方法が比較的早い時期から行われていたようである。その際に使う説明文としては、かつてはフランツ・グリルパルツァーらが手がけたものを使用していたが、最近ではゲーテの原作から自由に台詞を抜粋して(ただし、話の流れを無茶苦茶にしない程度)上演する方法も多い。
演奏会やレコーディング等でのナレーター役には俳優などがしばしば起用され、例えば1991年のベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートで演奏されたときは、ブルーノ・ガンツがナレーターを務めている。日本では1969年にNHK交響楽団が川久保潔をナレーターとして上演している[1]。


楽器編成(序曲)
フルート2(セカンドがピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部。


https://ja.wikipedia.org/wiki/エグモント_(劇音楽)






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html

[番外地7] ユダヤ人の起源 中川隆
3. 中川隆[-14167] koaQ7Jey 2020年1月28日 17:38:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-906]


77 71 分前(編集済み)

>スファラディからのディアスポラで、北上したグループと、トルコルーマニアを移動したグループは基本、白人系では無い。ユダヤ人を部族、人種で論じることの出来ない愚か者は民族の力を過小評価しすぎる。

ユダヤ人は遺伝子的にはアラブ人と同じだよ。 ただ、アシュケナージの男はヨーロッパ人の嫁を貰ったからヨーロッパ化しただけだよ:

【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ人だった 2013年10月9日

アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。

主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。

その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。

要するに、アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だったという事ですね。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/437.html#c3

[近代史3] ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
ベートーヴェン 『コリオラン序曲』



フルトヴェングラー指揮『コリオラン序曲』


Beethoven - Coriolan - Berlin / Furtwängler 1943






Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 27.VI.1943


1943年
●6月27-30日 27-30 June 1943 BPO Philharmony (with audience)DRA B003321740
Beethoven:Colioran Ove. コリオラン序曲 (o-85)


LP/PR: D09868(68?) SWF7002(70/02) Columbia(JP)DXM103UC(70/10) TV4344(71/10)
CD: MEL10 00718('93) TahraFURT1034-9(98/11) TOCE3732(00/08) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)
BPO フィルハーモニー RRG実況録音 SFB所蔵(1987=all/91=1st Mov. Missing)DRA 5500556


▼コリオランは日本直輸入メロディアLP登場('89)までの西側盤は歪みが多く、音質的に大きなハンディがあった。最後のピッチカートには欠落があり西側のレーベルでは修復されていた。


桧山氏は最後のピッチカートが弦だけに聞こえることから、「どこから持ってきたのだろう」とこの演奏とは別演奏のものの可能性を臭わせていたが、マグネトフォン特有(?)のブーというハム音が最後の音も聞こえることから、即断できない状況。


初期のメロディア盤は、この時のモノではないと思われる明瞭な音質の拍手と共に最後のピッチカートが聞こえる。


最新のメロディアLPなどではこの欠落が修復され、現在は形の上では正常になっている。
しかし近年正常な形で発売されたメロディア盤やM&A盤にしても最後のピッチカート部分にはテープの継ぎ目が感じられ、収録ミス説もある。


仙台S氏によれば、


(1)メロディア初期盤(青聖火・ピンク)およびSFB返還テープと
(2)メロディア黒盤およびCD


の2種のテープが存在するという。
前者がピチカート欠落版でメロディア盤は明瞭すぎる拍手をかぶせている。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm


▲△▽▼


Beethoven - Coriolan - Vienna / Furtwängler 1951


Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Munich, 29.X.1951


1951年
29 Oct. 1951 VPO Deutsche Museum in Mu"nchen
Beethoven:Coriolan Ove.


●10月29日 ベートーヴェン/コリオラン序曲 シューマン/春 ブルックナー/ロマンティック VPO ミュンヘンドイツ博物館 バイエルン放送収録


LP/PR(Ove): DeccaECM684-5(73/02)
CD:London(JP)POCL4302(97/07)ORFEO559022(02/04)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm


▲△▽▼


Beethoven: Coriolan Overture (Furtwängler VPO 1947)


Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded in 1947.11.25


1947年
●11月25日 ベートーヴェン/コリオラン序曲 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音
Matrix:2VH7101-2/02-1


SP/PR: HMV DB6625(48/09)
LP: PatheFBLP25113(63/09) ToshibaAB8031(68/05) UnicornWFS9('72)
CD: EMI CHS5655132('90?) ToshibaCC33-3468('86?)TOCE8441(94/08)TOCE3724(00/08)


>>DANTE LYS205 is 1952version. TestamentSTB1142 is great sound!


▼コリオラン序曲は録音の色調も暗めだが、演奏も身の毛がよだつほどの迫力で、スタジオ録音の白眉。
復刻に使用したSPの前半と後半で音質が大きく異なり、後半の方が鮮明。
独エレクトローラによれば別テイクが存在するという。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu11.htm


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序曲『コリオラン』(Ouvertüre zu "Coriolan")作品62は 1807年の初め頃に作曲された演奏会用序曲で、恐らくごく短期間で完成したとされる。


ベートーヴェンの友人で、ウィーンの宮廷秘書官を務め、また法律家で詩人でもあったハインリッヒ・ヨーゼフ・フォン・コリン(en:Heinrich Joseph von Collin)による、古代ローマの英雄コリオラヌスを主人公にした戯曲『コリオラン』を見たときの感動が、作曲の動機となったという。


物語は、古代ローマで大きな勢力を持っていたが政治上の意見の相違で追放されたコリオランが、隣国の将軍となり大軍とともにローマへの進攻に参加するものの、妻と母の献身的な忠告で再び祖国側についたので殺されてしまうというものである。献身的な妻が出てくるという点で、ベートーヴェン唯一の歌劇『フィデリオ』との類似が見られる。


この曲が書かれた1807年にベートーヴェンは、交響曲第4番、第5番、第6番の3つの交響曲やピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲などを作曲したが、こうした多忙な中でこの序曲が一気に書かれたという。


特に第5交響曲の第1楽章とは同じハ短調、アレグロ・コン・ブリオである他、動機の執拗な展開など類似点が多く見出せる。曲はコリンに献呈された。


楽器編成


木管楽器:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2
金管楽器:ホルン2、トランペット2
その他:ティンパニ、弦五部


構成


アレグロ・コン・ブリオ、ハ短調、4分の4拍子。ソナタ形式。


ベートーヴェンらしい打撃的な激しい冒頭部で始まる。すぐに暗いが行動的な感じの第1主題が続く。この主題は傲慢かつ情熱的な主人公の性格を表現しているといわれている。(この主題はハイドンの交響曲第39番ト短調の第1楽章第1主題に似ている)


第2主題は主人公を憂える妻とも比せられる柔らかいものだが、緊張は持続されたままで、再び第1主題をベースに悲劇的な色を濃くしていく。


第1主題の動機が伴奏に回っている中そのまま展開部に移行する。展開部は提示部のコデッタと類似したもので、ベートーヴェンの交響曲のそれよりは変化に乏しいものの力強く劇的である。


冒頭の打撃を迎えて再現部に入る。再現部はほぼ型どおりに進むが、突然切れてコーダとなる。コーダは第2主題で始まり、提示部と同じ展開で悲劇色を強めたのち、冒頭の打撃が堰き止めるように三たび立ち現れ、そのあと息も絶え絶えとなった第1主題で曲は終わる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/コリオラン





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/852.html

[番外地7] ユダヤ人の起源 中川隆
4. 中川隆[-14169] koaQ7Jey 2020年1月28日 18:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-904]
ユダヤ人の起源はヨーロッパの研究者にとって最も関心ある問題だから詳細に調べられているよ。DNA解析の日本語文献は

ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか? 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/437.html#c4

[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』


フルトヴェングラー指揮『レオノーレ序曲 第2番』


Beethoven: Leonore Overture No. 2, Op. 72a (Live)




Conductor: Wilhelm Furtwängler
Orchestra: Berlin Philharmoniker
REC : 1954年 4月 5日 ベルリン高等音楽院


1954年
4/5 April 1954 BPO Berlin Musik school(EMIstudio)
Beethoven:Leonore No.2


●4月4-5日 ベートーヴェン/レオノーレ第2 BPO ベルリン高等音楽院 EMIスタジオ録音


LP/PR: ALP1324(56/04)
CD: CHS5655132('95)


▼両日共にBPOの演奏会がティタニアパラストで行われていた。
通常、EMIのスタジオ録音ではプロデューサーとエンジニアが記載されているが、この録音は「unknown」とされていることから、この高等音楽院での録音はリハーサルを放送録音として放送局(SFB?)が収録したものをEMIが版権取得したと考えられる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm


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「レオノーレ」序曲第2番ハ長調Op.72a / W.Furtwängler BPO


ソ連メロディア D-26585
10インチ 
1949年10月18日
ベルリン・ダーレム、ゲマインデハウス(モノラル/放送録音)


1949年
18 Oct.1949 BPO Gemeindehaus Dahlem / Titania palast(=only Holler) (SFB)
Beethoven:LeonoreNo.2


●10月18日 ベートーヴェン/レオノーレ2番 ヘラー/チェロ協奏曲2番 ブルックナー/交響曲第7 BPO ダーレムゲマインデ 、ティタニア(へラーのみ) SFB収録


LP/PR(Leo): DG LPM18742(63/11)
CD: POCG2351('91)


▼ダーレムゲマインデハウス(公会堂)は聴衆を入れた演奏会が開けるホールではなく、BPOはリハーサルとSFBの放送録音用に利用していたようだ。


ブルックナーは聴衆ノイズがなく記載通りと思われるが、CetraFE31で聞くへラーは聴衆が存在し、さらに終演後の拍手もある。つまりへラーは同じ日に行われたティタニアでの演奏会と思われる。[ダーレムゲマインデについて]
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu13.htm


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『レオノーレ』序曲第2番 作品72aは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがオペラ『フィデリオ』(レオノーレ)のために作曲した序曲の一つ。


1805年に作曲され、『フィデリオ』が同年11月20日に初演された際に序曲として用いられた。後に『フィデリオ』が改訂された際、新たに作曲された現行の『フィデリオ』序曲に差し替えられた。その後、この序曲は演奏会用序曲として単独で演奏されるようになったが、『レオノーレ』序曲第3番と比べるとあまり演奏される機会がない。


曲の素材は第3番と同じであるが、規模は第3番よりも大きく、また複雑になっている。逆に言えば第3番の方が簡潔にまとまっている。


演奏会用序曲としてはベートーヴェン没後の1840年1月9日、メンデルスゾーン指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏が初演となる。その2年後の1842年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版された。


楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部、舞台裏にトランペット1
第3番と同一の編成である。


楽曲構成
序奏つきのソナタ形式であるが、再現部を欠く。ハ長調。演奏時間は約13分。
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオノーレ序曲第2番






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html

[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』



フルトヴェングラー指揮『レオノーレ序曲 第3番』


Beethoven: Leonore Overture no. 3 (Furtwangler 1944)





ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


1944年6月2、3日、ウィーン、ムジークフェラインザール
「マグネトフォン・コンサート」のための放送用セッション


1944年
●6月2-3日 2-3 June 1944 VPO Musikverein (RRG=ORF&DRA)
Beethoven:Leonore, Ove.No.3(recorded on 2 June) ベートーヴェン/レオノーレ3番 (o-100)


LP/PR: SWF7101(71/03) WFSJ JP1191-2('75?) DiscocropRR469('75?) Columbia(JP)OZ7512BS('76) DG(Kr)435977-1('89)
CD: SWF901('90) DG435324('91)


>>>>They are Magnetofonkonzert.


▼レオノーレはLP発売時は5月2日となっていた。
VPOとのはじめてのマグネトフォン(テープ)録音で聴衆のいない放送録音。
SWF盤は45/01/28録音としているが今までのものと同じ演奏。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm


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Leonore No. 3, Op. 72/a: Ouverture for Fidelio 1948 Stockholm


Stockholm Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängle
13 Nov. 1948


1948年
Beethoven:LeonoreNo.3
●11月13日 ベートーヴェン/レオノーレ3番 交響曲第7&8 ストックホルムpo ストックホルム・コンサートホール スウェーデン放送収録


LP/PR(No8&Ove.): UnicornWFS5('72)Fonogram(JP)SETC7501-7('75=miss data)
CD: EMI CDH7630342('89) ToshibaTOCE3720/22(00/08)


▼40年スウェーデン国立o と表記のフィリップス(日本フォノグラム)盤は、48年盤と同じ演奏ながら EMI系よりもなぜか音質良好。
没後20年当時のステ芸特集では、48年盤とは別録音で演奏の方もフィリップス盤の方が優秀と書かれていた。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm


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Beethoven: Leonore Overture No. 3, Furtwängler & Concertgebouw (1950)


Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Concertgebouw Orchestra Amsterdam (Royal Concertgebouw Orchestra)
REC : 1950年 7月13日


1950年
Rec. 13 July 1950, at Concertgebouw Grote Zaal, in Amsterdam
13 July 1950 Concertgebow Orc. Amsterdam(VARA)
Beethoven:Leonore No.3


●7月13日 ベートーヴェン/交響曲第1&レオノーレ序曲3番 ブラームス/交響曲第1 アムステルダム・コンセルトヘボウO アムステルダム・コンセルトヘボウ VARA収録


LP/PR(Ove): WFSJ JP1199-200('75?)AT09-10('89?)CetraFE48('82?)K17C9532('86)
CD: WFSA2001('85?)DR920032('92)King(JP)KICC2292('93?)TAHRA FURT1012-3('95)


▼1947年から開催されているオランダ音楽祭に巨匠が招かれた際の録音。
戦後唯一のコンセルトヘボウとの演奏会録音。
曲によって録音状態は多少異なるが、テープ収録の後ディスクに復刻されており全体的に聞きづらい音質。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm


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Beethoven: Leonore #3: Furtwangler conducting.1950


Orchestra of the Vienna State Opera
Chorus of the Vienna State Opera
Wilhelm Furtwängler
1950


1950年
5 Aug 1950 VPO Salzburg Fes.( Rot Weiss Rot = RIAS&ORF & SwedishRadio)
Beethoven:Fidelio


●8月5日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO ザルツブルク音楽祭 Rot-Weiβ-Rot収録 RIAS所蔵


LP/PR: BJR112('70)MRF50('73?)MOR5001('70?)DiscocropIGI328('75?)Columbia(JP)OP7530-2(80/01)CetraFE44('81)
CD: EMI CHS7649012('93)ToshibaTOCE8296-7('93)HUNT/ArkadiaWFE354('91)OpuskuraOPK7004(04/10)


▼東芝CD解説では、オリジナルテープは占領軍が運営していたRot-Weiβ-Rotが収録したが音楽祭側との契約により消去済みとしている。この正規盤は電信ケーブルを通じてザルツブルクから直接RIAS放送に送られたライヴを収録したテープと、同様に収録したORFザルツブルクのテープの2つからマスターを作ったとされる。


ザルツブルク音楽祭はRot-Weiβ-Rotが独占的に収録権を所有していたとみられ、その存在がなくなった今、一部を除きプライヴェートなエアチェックテープや中継回線を通じて録音したコピーテープしか存在せず、録音が貧弱なものが多いのは悔やまれる。このフィデリオについてはトレマン本ではRIASのテープは1幕に欠落があるとし、スウェーデン放送にもコピーテープがあるとしている。


EMI盤の音質は53年スタジオ盤に大きく劣るが、演奏はものすごい熱気。EMIの正規盤が出るまでは8/22録音とされていた。この22日にも同じメンバーで演奏会があったが、現在では放送日とされている。


BJR盤は70年代半ば、良好音質の初出私家盤といわれたが、BWS盤やCetra盤との差は感じられない。EMI盤がノイズリダクション多用で生気のない音になっているのは事実だが、オリジナリティの違いではないと思われる。オーパス蔵盤は初出BJRを板おこししたCD。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm


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Leonore No. 3, Op. 72a: Ouverture 1952


Wilhelm Furtwängler
1952年3月3日、トリノ・イタリア放送交響楽団


【世界初出となる「レオノーレ」序曲第3番について】
このディスクに収録された1952年3月3日、トリノ・イタリア放送交響楽団とのベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番は“世界初出” 音源です。


この演奏はデータ上では過去に国内ではキングレコード、海外ではCetra、Urania、Andromeda、Myto などからすでに出ていることになっていますが、中身の演奏はすべて1950年7月13日、アムステルダム・コンセルトヘボウとのものであり、単に誤記がそのまま定着していただけでした。


ところが、このたびイタリアより入手した音源は表記と中身が一致する初めてのものであり、まさにファン待望の発売です。当時のイタリアではまだアセテート盤による収録だったようですが、音質は予想以上にしっかりしていて鮮明であり、著しく劇的なフルトヴェングラーの解釈を心ゆくまで堪能出来ます。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_Beethoven-1770-1827_000000000034571/item_Symphony-No-7-Furtwangler-Bpo-1943-Leonore-Overture-No-3-Turin-Rai-So-1952_3779845



1952年
3 March 1952 RAI Torino Orc. Turin
Beethoven:LeonoreNo.3


●3月3日 ハイドン/V字 ベートーヴェン/レオノーレ3番 ラヴェル/スペイン狂詩曲 R・シュトラウス/死と変容 RAIトリノ放送響 トリノ(Auditorium A via Montebello) RAI収録


CD/PR(Leo): UraniaURN22.227('03)
CD: KICC2349(94/01=M&A)


>>>CetraFE48 and KICC2349, Leonore are 1950 ACO performance.(according to Mr.Shimazu)


▼KICC2292(93/07=Cetra原盤)のレオノーレは宇野本によれば50/07/13のACO盤と同じ。HS氏によると初出盤 CetraFE48も ACO盤とのこと。Cetraの日本盤K17C9542もURHS氏は78回転周期ノイズの存在から ACO盤という。但し HUNTは ACO盤と表記されたM&A原盤のKICC2349(94/01)が実はトリノ録音としているがshin-pは未聴。ただ、このキング盤の原盤であるWFSA-2001('89)が本物のACO盤だと確認されていることから、これもトリノ盤ではない可能性大きく、このトリノでのレオノーレは未発売の公算が大きかった。


04/11会議室でのとますにくそん氏の調査で「ノイズの質、足音、演奏、オケの質」の違いから伊UraniaURN22.227('03)は、この日の演奏である公算が大きくなった。


05/05/25会議室のナオG氏の見解は「アムステルダムとされるDR盤とは同一の演奏に思えました.正規盤のTAHRAは所有していないので確実なことは言えないのですが・・・.ちなみにURANIAとDRでは,後者の方がヒスノイズはあるものの加工の少ない自然な音質で,終了後の拍手も収められています.」


DISという私家製初出盤は、Not for sale時代のDiscocorpのこと。日本ではコロムビアから出たワルター協会(BWS)盤として有名。このV字の初出盤は71年にBWS708として米で発売され、翌72年DIS708として出た。ジャケットはBWSのまま。80年代後半以降はM&AとしてキングからCDが発売されている。


トリノでの一連のコンサートは、RAIトリノ響が戦前本拠地としていたAuditorium RAIが戦災によりこの年(1952年)末に復興されるまでは、さまざまな劇場を移動して行われたとされ、収録条件がローマに比べて不利で音質に影響を及ぼしている。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm


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Beethoven - Leonore III - Vienna / Furtwängler 1953 live


Orchester der Wiener Staatsoper
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Vienna, 12.X.1953


1953年
12 Oct. 1953 VPO an der Wien (RotweiserRadio=ORF&RIAS)
Beethoven:Fidelio


●10月12日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO アン・ディア・ウィーン ロトヴァイザーラジオ収録 ORF&RIAS所蔵


LP/PR: ReplicaRPC2439-41('80?=Italy)King(JP)K20C417-9(86/03)
CD: CetraCDC12('86)CetraCDC12('86)


13-17 Oct. 1953 VPO Musikverein (EMIstudio)
Beethoven:Fidelio
●10月13-17日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音
LP/PR: ALP1130-2(54/05)
CD: EMI7644962('92)ToshibaTOCE9343('95)


▼12日の演奏はロトヴァイザーのアーカイヴから返還されたテープを使って79年にORFが没後25年記念として放送し、初めて存在が明らかになった録音。


現在発売されているものはすべてそのエアチェックと思われる。
この演奏会の次の日から同じメンバーでスタジオ録音された。
序曲集などはこの全曲盤からとられている。
なお戦災で焼失した国立歌劇場の再建は55年11月5日で当時は代わりにアンディアウィーンが使われていた。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm



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歌劇《レオノーレ》(フィデリオ)の改訂上演(いわゆる第2版)のために、その序曲としてレオノーレ序曲第2番を改作する形で作曲されたものである。


初演はオペラの上演と同時に1806年3月29日、アン・デア・ウィーン劇場にて、イグナーツ・フォン・ザイフリート(Ignaz Xaver Ritter von Seyfried)の指揮によって行われた。


《フィデリオ》にはこの楽曲の前に1曲、後に2曲の序曲が書かれており(フィデリオ序曲を参照)、単独で演奏される機会はこの「レオノーレ序曲第3番」が最も多い。


グスタフ・マーラーが始めたと言われる習慣として、《フィデリオ》上演の際、第2幕第2場の前にこの序曲が挿入されることがある。


楽器編成


フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部、舞台裏にトランペット1


構成
ハ長調、序奏を持つソナタ形式。演奏時間は13分前後。


アダージョ、3/4拍子の序奏はG音の強奏で始まり、様々な調をさまよう。途中、木管に変イ長調の旋律が現れるが、これはオペラ第2幕冒頭のフロレスタンのアリア「人生の春の日に」("In des Lebens Frühlingstagen")の一節である。


主部はアレグロ、2/2拍子で、弦がシンコペーションを用いた第一主題を奏して始まる。ホルンに導かれる第二主題はホ長調に始まり、これも調的には安定しない。展開部は劇的な展開を見せ、途中で現れるトランペットのファンファーレが印象的である。 再現部は、演奏の難しさで有名なフルートのソロで第一主題が再現されて始まる。提示部通りの再現が続いたあと、第二主題の動機を用いながら静まっていくが、弦楽のパッセージがプレストのコーダを導き、熱狂的に結ばれる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/レオノーレ序曲第3番





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html

[近代史3] 中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている 中川隆
8. 中川隆[-14210] koaQ7Jey 2020年1月28日 22:14:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-901]


2020年01月28日
細菌より人権の方が有害だ ! / 支那人を排除出来ない日本
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797865.html


パンデミックの恐怖

Chinese pandemic 1Chinese tourists 7


(左 : ウィルス感染を気にせず春節旅行を続ける支那人 / 右 : 空港のゲートで検査を受ける支那人旅行者 )

  一般の日本人は遠慮し口にしないが、支那は「黴菌の温床」である。拙著『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で夏目漱石のエピソードを紹介したが、支那人は昔から不潔で、きれい好きの日本人が近づく場所ではない。支那大陸で平然と暮らせるのは、糞尿まみれが当たり前だった朝鮮人と、汚濁のガンジス河で水浴びができるインド人くらいだろう。日本人の女子高生なんか、支那の便所に近づいただけで卒倒するんじゃないか。真夏の南鮮を旅行した日本人が、公衆便所の扉を開けて失神するのと同じだ。清潔な日常が“当然”の日本人にとって、猥雑でゴチャゴチャしたアジアは異質である。とても文明国とは思えない。したがって、アジア人は日本人と“同等”な人種ではないし、アジア人を日本に受け容れるべきではない。とりわけ、貴重な日本国籍を与えるなど以てのほか。もし、2万円払ったら「フェラーリF8スパイダー(Ferrari F8 Spider)」や「ランボルギーニ・アヴェンタドール(Lamborgini Aventador)」をもらえる、という電話が掛かってきたら、誰だって疑うだろう。なぜなら、そのようなウマイ話はこの世に存在しないからだ。ところが、日本国籍は無料配布されている。だから、我々はとんでもない愚行を犯していると言えよう。(ここでは関係ないけど、日本の男の子なら一度でいいから、「ラ・フェラーリLaFerrari」を乗ってみたいよねぇ〜。)

  去年の12月、支那の武漢で新型のコロナウィルス(2019-nCoV)による「武漢肺炎」が発生し、「サーズ(重症急性呼吸器症候群 / Severe Acute Respiratory Symdrome)」のように猛威をふるいはじめた。ところが、この事態は大々的に報道されることはなかった。というのも、責任回避と隠蔽体質が支那人の“宿痾(しゅくあ)”になっているからだ。12月上旬に肺炎患者が浮上したが、その病状について報告はされず、外部に知らせようとした者は処罰されたという。ところが同月下旬、内部の公文書がネットに流出したことで、ようやく公式に発表されたのである。しかし、これは致命的な隠蔽だった。武漢で発生した原因不明の肺炎は、人々の間で“噂”にのぼったものの、感染源とされる「華南海鮮城(市場)」は封鎖されなかった。それゆえ、多くの支那人が武漢を離れて各地に飛び火した。日本の自動車メーカーの社員が駐在していることからも分かる通り、武漢は東京並みの人口を抱える商業都市。商人や配送人の往来も盛んだ。悪い予感は当たるもので、自覚症状のない感染者は、親戚や友人を訪ねるべく、他の地域へと赴くし、微熱を抱えた者でも、解熱剤を服用して旅行を断行してしまったそうだ。日本へ渡航したある支那人の中年女性は、航空券やホテルの予約をキャンセルできず、「もったいない」から日本にやって来たという。

Chinese market 1China Coronavirus 6


(左 : 武漢の市場で食肉を売る支那人 / 右 : コロナウィルスの写真 )

  支那人には「他人への配慮」という考えが全く無い。あるのは自分の利益だけ。北京政府や外国の政府が何を言おうが知ったことではない。例えば、イナゴの大群に「今月は稲刈りだから来ないでね!」と頼んでも無駄だろう。それと同じく、日本政府がいくら支那人観光客に「自粛」を呼びかけたところで、あの支那人が日本人に従うとは思えない。案の定、1月になると続々と観光客が日本に流入し、各地の空港は支那人で溢れかえっていた。本来、支那大陸で疫病の発生が報告されたら、即座に「支那人の入国禁止」を実施すべきなのに、我が国の政府ときたら、「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。まだ、感染者は数人なんだから。大袈裟に考えなくても大丈夫。それに、春節で観光地が支那人を期待しているんだから、入国禁止なんて絶対できないよぉ〜」という始末。烏合の衆が送り出す代議士なんて、所詮この程度である。

  他の国会議員も全く同じで、支那人が落とすお金に首ったけ。選挙の時に応援してくれる地元の観光業者が、支那人を求めるんだから追い払うわけには行くまい。爆買いの観光客で潤うから「支那人様々、熱烈歓迎!」で大拍手。でも、支那人大好きの国民は、高熱にうなされるとは夢にも思っていないのだ。ホント、日本人は呑気だねぇ〜。売り上げ増加でも、黴菌到来じゃ割が合わないのに・・・。まぁ、一部の議員は分かっているんだろうけど、世間が銭儲けに夢中なんだからしょうがない。こんな塩梅だから、大半の国会議員は「俺には関係ないし、どうせ感染するのは庶民のジジィやババァだろう。ウチの家族は高級住宅地に住んでいるから安全さ !」と高を括っている。たとえ、日本中にウィルスが蔓延しても、全責任は安倍総理と閣僚にある。非難の矛先は、彼らに向ければいい。立憲民主党などは政権批判のネタが一つ増えたから万々歳。ほとんどの左翼議員にとっては、日本人の生命なんか二の次、三の次、下駄の底。本音を言えば「附け足し」ていど。選挙の時だけ「神様、仏様、お客様」ときている。

  支那大陸で異常事態が起こると、その“不都合な真実”を隠したくなるのが、朝日新聞を始めとする日本のマスコミだ。1月24日附の朝日新聞には、悪名高い「素粒子」のコラムが載っており、朝日の執筆者は次のように仰っていた。

  中国人を排除するより、ともに手を洗おう。

  こんな新聞を定期購読している日本人は、本当に愚かだ。支那人と一緒に手を洗えば、ウィルスの拡散を防げるのか? じゃあ、隣で手を洗っている支那人が、自身の感染に気づかず、くしゃみをしたら「どう」するのか? 朝日新聞の社員は笑顔で「ニイハオ」と挨拶するのか? そんなことはないだろう。朝日の社員は周囲に目を配って、支那人らしき人物には近づかず、たとえ支那人と遭遇しても3m以内には近づかないはずだ。感染を防禦するためには、最低でも半径2mの距離が必要だから、朝日やNHKの重役は、電車通勤じゃなくリムジン通勤に切り替えるんじゃないか。朝日のコラムニストは手洗い除菌やマスクの着装を呼びかけながら、一般読者に安心するよう訴えかけるが、高齢者の親を持つ中年サラリーマンや海外赴任の特派員は心配になるぞ。日本は世界有数の高齢化社会だ。大学生や新入社員は大丈夫でも、隠居老人がウィルスに感染したら致命的となる。他人の親には「冷静にしろ」と説教するが、自分の親は大切だから、偽善的な朝日社員は実家の両親に連絡し、「絶対に支那人に接触しないでね ! もし、外出する事になったら、電車じゃなくタクシーを使ってね!」と念を押すんじゃないか。リベラル気取りの新聞記者は、社外で平等思想と博愛主義を掲げるが、自宅に戻ると冷徹な差別主義者となる。中には家庭内暴力の常習者がいたりして。

Japan aging society 2Chinese market 2

(左 : ウィルス感染の危険に晒される日本の高齢者 / 右 : 購買意欲旺盛な支那人)

  インターネットが普及した現代、さすがに総てを隠すことはできないから、新聞や民放各局はなるべく“抑制”した報道に終始する。疫学や医療に詳しい専門家を呼んで、「過剰な反応やパニックを起こさないように!」とか、「新型肺炎による症状はSARS程ではありません」と宣伝し、厳選した御用学者に脚本通りの解説を喋らせようとする。例えば、テレ朝の『TVタックル』は、国立感染症研究所で働いていた元研究員の岡田春恵・白鴎大学教授を招き、「冷静な対応」を取るよう視聴者に促していた。岡田教授は北京政府の情報操作を警告せず、今回の新型コロナウィルスはSARSやMERS(中東呼吸器症候群)ほど強くなく、症状は軽い方で、潜伏期間は約14日くらいです、と語っていた。来日する支那人がウィルスをまき散らす事態を質問された時、彼女は「私ならマスクをして他人にうつさないよう配慮します」と述べていた。

China Coronavirus 3China Wuhan outbreak 111


(左 : 武漢でウィルスに感染した患者 / 右 : 封鎖命令を受けた武漢の様子)

  もう聞いていて呆れてしまうが、潜伏期間が長く、初期症状も軽いのであれば、逆に厄介で恐ろしいんじゃないのか。日本の病院に収容された在日支那人は、解熱剤を飲んで武漢から戻り、空港のサーモグラフィーを通過していたのだ。それに、あの図々しい支那人が、周囲の日本人を気遣ってマスクをするのか? 彼らがマスクをするのは、他人からウィルスをもらわないためだ。でも、これは無駄な努力で、市販のマスクは防毒マスクじゃない。支那人というのは迷信の民族だから、アホらしいことでも自分の利益と思えば簡単に信じる。

例えば、2003年、SARSが荒れ狂った時のことだ。当時、15歳だった支那人の李(仮名)は、同級生と一緒に受験に向けて猛勉強中だった。家に帰ってくつろぐ時間も無かったので、多くの生徒は親から食事の差し入れを貰っていたそうである。だから、子供が病気に罹るんじゃないか、と心配する親がいても当然だ。李は当時を振り返って言う。彼が教室に入ると、中は酢の匂いが充満していた。なぜなら、支那人は病気拡散の防止には、お酢が効果的と思っていたからだ。(Julia Hollingworth, "A lot has changed since China's SARS outbreak 17 years ago. But some things havn't", CNN, January 25, 2020.) あのよぉ〜、空気中を漂う酢がウィルスを殺すなんあり得ないだろ〜。じゃあ、ポン酢を使った料理は口内炎に効くのか? まぁ、支那人のことだ。硫酸を「酢」と偽って販売するから、確かにコロナウィルス対策には有効だ。何しろ、細菌が侵入する宿主が死んでしまうから。(支那流ブラックジョーク。)

  今さら呆れても仕方ないが、当初、日本政府は支那人観光客に、「微熱や気分の悪い人は、空港職員に申し出てください!」と呼びかけていた。しかし、支那からの観光客が壁に貼られた注意書きを読んで、「じゃあ、申告しよう」と思うのか? もし、こんな事を“有り得る”とか、支那人でも“自主的”に申告するはずだ、と考える奴がいたら、ライオンかワニの檻に入って一緒にチキンナゲットを喰ってみろ ! 机上の空論が如何に危険かを実感できるだろう。仮に、ウィルス感染を怪しんだ支那人がいたとしても、その観光客は症状を隠し、涼しい顔で空港のゲートを通り抜けるはずだ。支那人はどんな容疑であれ、捕まる事を懼れる。中には、武漢や支那大陸がヤバいから、安全な日本へ避難しようと、日本を目指す輩がいるはずだ。そもそも、入国条件の“緩和”で普通の支那人がドンドン渡航ビザを手にできるし、日本へ渡る料金だって子供の小遣い程度なんだから。例えば、日本の地方空港へ渡る料金は、3千円から8千円ほどなので、電車に乗るような気軽さだ。それに、もし肺炎に罹ったとしても、支那の病院に搬送されるより遙かにマシである。

Japan airport notification 3Chinese tourists in airport

(左 : 空港で支那人観光客に「自己申告」を促す張り紙 / 右 : 続々と外国の空港に押し寄せる支那人 )

  一般の日本人は知識不足で、支那大陸の悲惨さを解っていないのだ。支那の病院は治療施設なのに驚くほど不潔で、最新の医療技術など期待できない。その代わり、お金(賄賂)次第で待遇が異なる。医者だって商人だ。自分の健康を危険に晒して患者を治す意識は更々無い。貧乏な老人だと「手抜き治療」が当たり前だし、厄介な患者が来れば適当にあしらい、「医療過誤」でも「自然死」として処理する。こうした暗黒大陸と比べれば、我が日本はアダムとイヴでさえ羨む程の楽園だ。日本の病院は安全清潔。医者は義務感に燃え、看護婦は優しく、介護師までもが真面目に接してくれるという。そのうえ、高度医療設備も整っているから、まさしく至れり尽くせり。さらに、国民健康保険制度があるから、低料金で高度医療も受けられるという特典つき。だから、支那人は大挙して日本に押し寄せ、端金(はしたがね)で文明の恩恵に与ろうとする。たとえ、健康保険に入っていなくても大丈夫。知り合いの在日支那人が持っている保険証を借りればいい。仮に、「なりすまし」とか詐欺がバレても、治療中なら叩き出されることはないから、治るまで日本に滞在できる。これなら嘘をついた方が断然「お得」だ。支那人に良心の呵責は無い。自分の命と銭が最優先。日本人が考える「倫理」というものは、支那大陸に皆無。「嘘も方便」どころか「嘘は賢い処世術」、「バレなければ嘘ではない」、「騙される日本人の方が悪い」、「正直であれとは憲法に書いていない」と開き直る。そもそも、「なんで嘘をついてはいけないんだ?」というのが支那人の発想だ。

Chinese Tourists 8Chinese tourists 45


(左 : 堂々と外国を訪れる支那人 / 右 : 元気な支那人観光客 )

  日本のマスコミは「北京政府が武漢を閉鎖しました」と報道し、習近平がいかにもウィルスの拡大を防いでいるかのように宣伝するが、既に武漢から感染者が大量に流出しているんだから、今さら震源地を封じ込めても手遅れじゃないか。支那各地はおろか、日本にも感染者が雪崩れ込み、あちこちで菌をばら撒いているんだから、日本での発症数が増えるのは目に見えている。既に、支那へ渡航した30代の在日支那人が神奈川で発症したし、武漢に住む30代の支那人女性が来日し、東京のホテルに滞在していたそうだ。その他、二名の支那人旅行者が日本で発症し、合計四名が病院で治療を受けている。(1月28日現在で、ウィルスの感染者数は支那国内で約4,500名、世界中の総計だと約7,000名となっているが、各地で続々と感染者が増加しているから、実態は不明である。)

Chinese Patient 2China outbreak 4


(左 : 病院に搬送される感染者 / 右 : 武漢の病院を訪れた政府関係者)

  日本のマスコミは絶対に口にしないが、北京政府からすれば、日本へ渡航する支那人がいることは結構なことだ。彼らが支那国内でウィルスに感染すれば、支那の医療機関が収容せねばならない。ただでさえ、病院は患者でいっぱいなのに、さらに感染者数が増えれば、地方政府の負担は重くなる。それなら、既に感染した者や発症予備軍を日本に送って、本人か日本政府の負担で治療させた方がいい。日本人はお人好しだから、お金が無くても患者を放置する事はできず、必ず病院に搬送するから、来日した支那人は安心して動き回ることができる。迷惑を蒙るのはいつも日本人。症状の軽い支那人観光客は、遠慮無く電車の吊り革を握るし、販売店のドアノブを掴むから、至る所に病原菌が付着することになる。日本人は間抜けだから、マスクをすれば大丈夫と思っているけど、吊り革を握った手で目をこすったり、顔を触ったりすればアウトだ。知らないうちに感染者となってしまう。便座除菌クリーナーを持ち歩いている人でも、案外、こうした知識が無くて、コロナウィルスやインフルエンザに罹ったりする。

  黴菌に感染する恐怖は、ドラマや映画を観ても解るのに、我が国の一般人ときたら、せっかくの科学ドラマを単なる娯楽作品と考え、何も学ぼうとはしないのだ。例えば、2004年から2008年に掛けて放送された『リ・ジェネシス(Re : Genesis)』というカナダのTVドラマがあった。日本でもWOWOWで放送されたから、ご存じの方もいるだろう。このドラマはウィルス感染やバイオテロ、伝染病の拡散、ウィルスの遺伝子操作によるパニックや事件、生物兵器の恐怖を扱っていて、とても勉強になる作品だった。ウィルス感染による病気や死亡は、自然発生的なものもあるが、中には政府に雇われた科学者が遺伝子操作をして殺人ウィルスを開発することもあるし、テロリスト集団が外国の研究所から細菌を入手して、密かにばら撒くというケースもあるのだ。バイオテロには必ずしも犯行声明が伴うとは限らない。何らかの政治的意図で垂れ流す場合もあるし、ある人物を抹殺するために、関係ない人々を巻き込む場合だってある。「コラテラル・ダメージ(付随的な被害 / やむを得ない副次的損傷)」にされた人々は堪ったもんじゃないが、テロリストは容赦なく一般人を犠牲にするから恐ろしい。

ReGenesis 1ReGenesis 6


(左 : 『リ・ジェネシス』に出演する俳優たち / 右 : 「サンドストローム博士」を演じるピーター・アウターブリッジ)

  日本の観光業者は自分が儲けたいから、「支那人の皆様、いらっしゃい!」と大歓迎するが、一般国民は「コラテラル・ダメージ」になる危険性がある。いくら観光地が儲かっても、日本人がウィルスに感染して高熱を発症したら大損害だ。マスクやゴーグルを販売する製造業者は大喜びだが、仕事を休むことができない零細企業の社員や夫婦だけで店を切り盛りする自営業者は、こまめにアルコール殺菌したり、うがいや体力維持で防ぐしかない。でも、いくら本人がウィルス感染に注意を払っても、実家に居る高齢の両親が迂闊だと大変な事になる。医療機関の専門家は、致死率が低いと説明するが、高齢者はヤバいと付け加える。もっとも、国議員緯や厚労省の役人は、早めにジジイやババアが死ねば年金受給が減るから、却って良い事だ、とほくそ笑むかも知れない。何しろ、拉致被害者だって見捨てる日本政府だ。病気に罹った老人なんかに憐憫は無い。実際、自民党の二階俊幹事長は支那人を優先し、日本国民に冷たいじゃないか。

  北京政府や西歐諸国が何と言おうとも、日本政府は日本国民を「第一」に考えるべきだ。日本の左翼陣営は、「支那人追放」や「支那人の入国禁止」となれば、決まって「人権無視の暴挙だ !」と大騒ぎする。しかし、何処に住んでいるか判らぬ「人間」の「権利」なんて、日本国民が先祖代々受け継ぐ「権利」に比べたら「屁」みたいなものだ。なんで支那大陸に住む野蛮人や賤民と我々が“同等”なんだ? 国連で「人権」を叫んでいるのは、劣等国のアフリカ人やアジア人ばかりじゃないか。 ! しかも、「人権擁護」とか「難民保護」を仕込んだのは、歐米に潜むユダヤ人。歐米諸国で嫌われ者だったユダヤ人は、宿主に向かって「先祖代々の臣民」を主張できなかったから、「国民」という概念が嫌いだった。入植時代の先祖は「ブリテン臣民」で、WASPの家系に生まれたアメリカ人と、ハンガリーやポーランドから追い出されたユダヤ移民とじゃ比較にならない。でも、イギリス系とかスカンジナヴィア系、ドイツ系といった区別を無くし、アメリカ国民は総て「地球に住む人間」にすれば、ユダヤ人に対する差別は無くなる。だから、彼らは普遍的な「人間」の権利を讃えているのだ。

  これを知らない日本人は、大学に入ってクルクルパーに改造されるから、支那人も朝鮮人も総て日本人と“対等な人々”と思ってしまう。ある意味、「人権教育」はウィルス感染よりも恐ろしい。高熱の病気なら数日で沈静化するが、左翼ウィルスは何時までも残留し、その後遺症を気づかない人が非常に多い。パンデミック(世界的な流行)はコロナウィルスだけじゃないぞ。

  ウィルス拡散に関しては次回のブログでも取り上げたい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797865.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html#c8

[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』 中川隆
1. 中川隆[-14209] koaQ7Jey 2020年1月28日 23:53:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-900]
『レオノーレ』序曲第3番の扱いについて


マーラーは1904年に『フィデリオ』を指揮した際、第2幕第2場への間奏曲として『レオノーレ』序曲第3番を演奏し、賛否両論を巻き起こした。

反対派の意見としては「表現力が壮大すぎて、終幕の力を弱めてしまう」といったものが多かった。

一方で、演出面からすれば、第2幕の第1場と第2場では場面が明らかに違うので、場面転換のためにも必要という意見も多かった。

もっとも、マーラー存命時から死後しばらくは、この方法は定着しなかった。
この習慣が定着しだしたのは1930年代になってからである。
マーラーのやり方に賛同したフルトヴェングラーは次のように述べている。

たった1箇所『レオノーレ』序曲第3番が演奏されるのに相応しい場所がある。
それはまた、マーラーによって打ち出されたウィーンの伝統に従うことにもなるのだが、それは第2幕の長い「牢獄の場」が終わったところである。

この箇所に『レオノーレ』序曲を置くならば、それは『神々の黄昏』でジークフリートの死に続く「葬送行進曲」が占めるのと同じような意義を獲得するであろう。

序曲は過去への追憶となり讃美となるのである。
("Ton und Wort, Aufsätze und Vorträge, 1918 bis 1954"より、日本語訳は『音と言葉』ISBN 978-4102024010で読むことができる)


今日でもマーラーのやり方で上演する指揮者もいる。ただし、この場面でこの序曲を使用すると、救出の場面を繰り返してしまうことになり、話の流れが乱れてしまうという意見も多い。

最近では、上演で『レオノーレ』序曲第3番を演奏しない指揮者も多い。

模範的な上演のウィーン国立歌劇場では現在でも普通は『レオノーレ』序曲第3番を入れている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/854.html#c1

[近代史3] ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』
ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』



フルトヴェングラー指揮『フィデリオ序曲』


Beethoven - Fidelio Ouvertüre - Vienna / Furtwängler 1953 live


Orchester der Wiener Staatsoper
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Vienna, 12.X.1953


1953年
12 Oct. 1953 VPO an der Wien (RotweiserRadio=ORF&RIAS)
Beethoven:Fidelio


●10月12日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO アン・ディア・ウィーン ロトヴァイザーラジオ収録 ORF&RIAS所蔵


LP/PR: ReplicaRPC2439-41('80?=Italy)King(JP)K20C417-9(86/03)
CD: CetraCDC12('86)CetraCDC12('86)


▼12日の演奏はロトヴァイザーのアーカイヴから返還されたテープを使って79年にORFが没後25年記念として放送し、初めて存在が明らかになった録音。
現在発売されているものはすべてそのエアチェックと思われる。
この演奏会の次の日から同じメンバーでスタジオ録音された。
なお戦災で焼失した国立歌劇場の再建は55年11月5日で当時は代わりにアンディアウィーンが使われていた。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm


▲△▽▼


Beethoven: Fidelio Overture, Furtwängler & VPO (1953)


Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra

Rec. 13-17 October 1953, at Musikvereinsaal, in Vienna


1953年
13-17 Oct. 1953 VPO Musikverein (EMIstudio)
Beethoven:Fidelio


●10月13-17日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音


LP/PR: ALP1130-2(54/05)
CD: EMI7644962('92)ToshibaTOCE9343('95)


▼12日の演奏会の次の日から同じメンバーでスタジオ録音された。
序曲集などはこの全曲盤からとられている。
なお戦災で焼失した国立歌劇場の再建は55年11月5日で当時は代わりにアンディアウィーンが使われていた。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm


▲△▽▼


BEETHOVEN - FIDELIO - FURTWÄNGLER - SHORT OPERA [1] 1950


I. Overtüre
II. Quartett 'Mir ist so wunderbar'
III. Marsch der Wachen


Elisabeth Schwarzkopf, Sopran
Kirsten Flagstad, Sopran
Anton Dermota, Tenor
Josef Greindl, Bass


Chor der Wiener Staatsoper
Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, Leitung
Salzburger Festspiele 5 Aug 1950


1950年
5 Aug 1950 VPO Salzburg Fes.( Rot Weiss Rot = RIAS&ORF & SwedishRadio)
Beethoven:Fidelio


●8月5日 ベートーヴェン/フィデリオ全曲 VPO ザルツブルク音楽祭 Rot-Weiβ-Rot収録 RIAS所蔵


LP/PR: BJR112('70)MRF50('73?)MOR5001('70?)DiscocropIGI328('75?)Columbia(JP)OP7530-2(80/01)CetraFE44('81)
CD: EMI CHS7649012('93)ToshibaTOCE8296-7('93)HUNT/ArkadiaWFE354('91)OpuskuraOPK7004(04/10)


▼東芝CD解説では、オリジナルテープは占領軍が運営していたRot-Weiβ-Rotが収録したが音楽祭側との契約により消去済みとしている。この正規盤は電信ケーブルを通じてザルツブルクから直接RIAS放送に送られたライヴを収録したテープと、同様に収録したORFザルツブルクのテープの2つからマスターを作ったとされる。


ザルツブルク音楽祭はRot-Weiβ-Rotが独占的に収録権を所有していたとみられ、その存在がなくなった今、一部を除きプライヴェートなエアチェックテープや中継回線を通じて録音したコピーテープしか存在せず、録音が貧弱なものが多いのは悔やまれる。このフィデリオについてはトレマン本ではRIASのテープは1幕に欠落があるとし、スウェーデン放送にもコピーテープがあるとしている。


EMI盤の音質は53年スタジオ盤に大きく劣るが、演奏はものすごい熱気。EMIの正規盤が出るまでは8/22録音とされていた。この22日にも同じメンバーで演奏会があったが、現在では放送日とされている。


BJR盤は70年代半ば、良好音質の初出私家盤といわれたが、BWS盤やCetra盤との差は感じられない。EMI盤がノイズリダクション多用で生気のない音になっているのは事実だが、オリジナリティの違いではないと思われる。オーパス蔵盤は初出BJRを板おこししたCD。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm


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Beethoven: Fidelio Overture, Furtwängler & VPO (1948)


Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra

Rec. 3 August 1948, in Salzburg (Live Recording)


1948年
3 Aug. 1948 VPO Salzburg Fes.(Rotwaiser Radio = RIAS)
Beethoven:Fidelio(Edelmann/Patzak/shluter etc.)


●8月3日 ベートーヴェン/フィデリオ(抜粋) VPO ザルツブルク音楽祭 RWR収録 RIAS所蔵


LP/PR: Rococo1012(74?)
CD: MelodramCDM 25009('90?)WFG TMK10670('97=Ove&Leo3)MYTO 2CD991H025(99/02) SWF992-3 TAHRAFURT1036-7(99/08)


>>The public performance on 31 July is exist on film partly.(Dreamlife DMLB27) 4 scenes of No.5 to 8 are missing.


▼第5曲から8曲までの計4曲がオリジナルテープの紛失のため欠落している。
レオノーレ3番と序曲に97年独協会の正規盤出現。
全曲正規盤も99/08TAHRAから出現し、当初は完全版との噂もあったが、欠落はそのままだった。


7月31日公演のレオノーレ3番とされるOrfeoC525-991も99/08に出たが、HS氏の比較試聴ではTAHRAの全曲盤と同じ録音という。
清水氏によればメロドラム盤はレオノーレ3番が3分ほど欠落しているといい、あるいはメロドラム盤のレオノーレのみ8/3で他は7/31で修復されているという可能性も残る。
同じ7月31日とされる第2幕フィナーレの映像は残っており、ドリームライフDMLB27で発売されていたが、日付は確定していない。


録音は悪いながらも、熱気は50年盤を大きく上回る。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm


▲△▽▼
▲△▽▼


ベートーヴェンは『フィデリオ』への序曲を作曲するにあたり何度も推敲を重ねたため、「フィデリオ序曲」(あるいは「レオノーレ序曲」)としては4曲が書かれている。


1つ目のものは『レオノーレ』第1稿の初演に使用された序曲であり、現在『レオノーレ』序曲第2番として知られているものだと考えられている。


2つ目のものが『レオノーレ』第2稿の初演に使用された序曲で、現在『レオノーレ』序曲第3番として知られている。この版は4つの序曲のうち現在もっともよく知られており、また同時に最も高く評価されている版でもある。しかし、この版はオペラへの序曲とするにはあまりにも音楽的な内容が濃密に過ぎ、実用的な軽い序曲への変更を要する結果となった。この序曲は現在では演奏会用序曲として、オーケストラのコンサートなどの前プロで演奏されることが多い。


ベートーヴェンは続いて、1807年のプラハでの上演に向けて再び序曲を書き直した。これが「レオノーレ序曲」の第3稿であり、現在『レオノーレ』序曲第1番として知られているものだと考えられている。


最後の版は、『フィデリオ』のために作曲されたもので、これが現在『フィデリオ』序曲として知られている曲である。調性上の理由や軽快な曲想から、4つのうち最もオペラの序曲に適している。『フィデリオ』序曲の編成は以下の通り。


フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、弦五部
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AA




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/855.html

[近代史3] ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』 中川隆
1. 中川隆[-14208] koaQ7Jey 2020年1月29日 00:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-898]


1948年8月3日 ザルツブルク (実況録音)

Beethoven: Fidelio Overture, Furtwängler & VPO (1948)


Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra

Rec. 3 August 1948, in Salzburg (Live Recording)
_____

Beethoven - Fidelio - Act II Finale - Schlüter, Patzak, Edelmann, Alsen - Furtwängler (1948)


Ludwig van Beethoven
Fidelio
Heil sei dem Tag, heil sei der Stunde ... Der besten Königs Wink und Wille ... Du schlossest auf des Edlen Grab ... Wer ein holdes Weib errungen

Don Fernando - Otto Edelmann
Rocco - Herbert Alsen
Don Pizarro - Ferdinand Frantz
Leonore - Erna Schlüter
Marzelline - Lisa della Casa
Florestan - Julius Patzak
Jaquino - Rudolf Schock

Wiener Staatsopernchor
Wiener Philarmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Salzburg, August 3, 1948

_______

1948年
3 Aug. 1948 VPO Salzburg Fes.(Rotwaiser Radio = RIAS)
Beethoven:Fidelio(Edelmann/Patzak/shluter etc.)

●8月3日 ベートーヴェン/フィデリオ(抜粋) VPO ザルツブルク音楽祭 RWR収録 RIAS所蔵

LP/PR: Rococo1012(74?)
CD: MelodramCDM 25009('90?)WFG TMK10670('97=Ove&Leo3)MYTO 2CD991H025(99/02) SWF992-3 TAHRAFURT1036-7(99/08)

>>The public performance on 31 July is exist on film partly.(Dreamlife DMLB27) 4 scenes of No.5 to 8 are missing.

▼第5曲から8曲までの計4曲がオリジナルテープの紛失のため欠落している。
レオノーレ3番と序曲に97年独協会の正規盤出現。
全曲正規盤も99/08TAHRAから出現し、当初は完全版との噂もあったが、欠落はそのままだった。
7月31日公演のレオノーレ3番とされるOrfeoC525-991も99/08に出たが、HS氏の比較試聴ではTAHRAの全曲盤と同じ録音という。
清水氏によればメロドラム盤はレオノーレ3番が3分ほど欠落しているといい、あるいはメロドラム盤のレオノーレのみ8/3で他は7/31で修復されているという可能性も残る。

同じ7月31日とされる第2幕フィナーレの映像は残っており、ドリームライフDMLB27で発売されていたが、日付は確定していない。

録音は悪いながらも、熱気は50年盤を大きく上回る。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/836.html#c1
[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 1 中川隆
38. 中川隆[-14207] koaQ7Jey 2020年1月29日 01:35:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-897]
【ch桜北海道】末永千草の情報シュート!「バンコク番外編2020おすすめグルメ&スポット」[R2/1/23]



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c38
[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 1 中川隆
39. 中川隆[-14206] koaQ7Jey 2020年1月29日 01:37:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-896]
【ch桜北海道】末永千草の情報シュート!「プロサッカー選手を目指す若者たち in バンコク」[R2/1/16]


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c39
[番外地7] 帝国主義や他民族の支配・搾取は、農耕民だったユダヤ人ではなく、遊牧民だったゲルマン人の考え方 中川隆
2. 中川隆[-14205] koaQ7Jey 2020年1月29日 11:24:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-895]
@mogurazz
僕は学会の定説を教えてやっただけだからね。 学会の定説に僕個人の意見が入る訳ないだろ。

今中国がやっているグローバリズムもJPモルガンやゴールドマン・サックスが手取り足取りで中共幹部に教えた物、アメリカの帝国主義の考え方そのままだよ。
共産主義とは何の関係もない。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/423.html#c2

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
6. 中川隆[-14204] koaQ7Jey 2020年1月29日 11:33:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-894]
@mogurazz
僕は学会の定説を教えてやっただけだからね。 学会の定説に僕個人の意見が入る訳ないだろ。

今中国がやっているグローバリズムもJPモルガンやゴールドマン・サックスが手取り足取りで中共幹部に教えた物、アメリカの帝国主義の考え方そのままだよ。
共産主義とは何の関係もない。

そもそも、グローバリズム=帝国主義=植民地主義 は遊牧民だったゲルマン人・アングロサクソンに特有な考え方だからね。ゲルマン人は元々略奪と戦争で食っていた民族だからね。

農耕民の yudaya 人はそういう考え方はしない。

略奪する相手をヨーロッパから世界に拡大したのがグローバリズムだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c6

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』
シューベルト 『未完成交響曲』



ムラヴィンスキー指揮 『未完成交響曲』


Schubert Symphony No.8 "Unfinished" Yevgeny Mravinsky / Leningrad Philharmonic Orchestra 1983




Yevgeny Mravinsky
Leningrad Philharmonic Orchestra
1983.11.20, Minsk Philharmonic Hall


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Schubert - Symphony n°8 - Leningrad / Mravinsky Vienna 1978


Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky
Live recording, Vienna, 1978


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Yevgeny Mravinsky: Unfinished Symphony by Franz Schubert 1978




The Leningrad Philharmonic
Yevgeny Mravinsky, conductor
1978


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Schubert - Symphony n°8 - Leningrad / Mravinsky Tokyo 77


Leningrad Philharmonic Orchestra
Yevgeny Mravinsky
Live recording, Tokyo, 1977


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▲△▽▼


交響曲第7番ロ短調D 759『未完成』(Sinfonie Nr. 7 in h moll D 759 "Die Unvollendete" )は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが1822年に作曲した未完の交響曲である。


シューベルトはグラーツ楽友協会から「名誉ディプロマ」を授与された。わずか25歳でのこの授与に対し、シューベルトは返礼として交響曲を作曲することにした。しかし、シューベルトが送付したのは第1楽章と第2楽章だけで、残りの楽章は送付しなかったとされる。


そのままシューベルトはなぜか別の交響曲(ハ長調 D 944)を作曲しだし、ロ短調交響曲を完成させる前に逝去した。シューベルトの名声が確実なものとなった没後数十年を経て、残された2楽章分のみが出版されることになった。


初演は1865年12月17日、ウィーン[3]。初演された当時、シューベルトはすでに「大家」の扱いであり、未完成の理由について多くの推察が行われたが、決定的な証拠は遺されなかった。


交響曲は通常4つの楽章から構成され、その最も典型的な形が『運命』や『新世界』などに見られるアレグロ・ソナタ - 緩徐楽章 - スケルツォ - フィナーレ という形式である。シューベルトも当初はそのようなものを構想して、この交響曲ロ短調の作曲を進めていったのであろうと考えられる。しかし、シューベルトは第2楽章まで完成させ、スケルツォ(第3楽章)をスケッチまでほぼ仕上げながら、そこで作曲を中止してしまったとされているが、諸説ある。


なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのかには、さまざまな説がある。例えば


「第1楽章を4分の3拍子、第2楽章を8分の3拍子で書いてしまったために、4分の3拍子のスケルツォがありきたりなものになってしまった」というもの、


また「シューベルトは、第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それ以上のつけたしは蛇足に過ぎないと考えた」という説などである。


事実、第3楽章のスケッチの完成度があまり高くないため、シューベルトのこの判断は正しかったと考える人は多い。


もっとも、このように音楽作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトはきわめて頻繁に行っており[4]、「未完成」であることは、この交響曲の成立に関してそれほど本質的な意味はないとする考えもある。


これとは別に、シューベルトはこの交響曲を完成させていたが、劇付随音楽『ロザムンデ』に音楽を流用するためグラーツ楽友協会に第3・第4楽章の楽譜の返還を求め、結果として楽譜が散逸した、とする説もある[5]。


シューベルトの多くの作品で見られることであるが、第1楽章の第1主題冒頭の自筆譜にかかれた記号は、アクセントなのかデクレッシェンドなのか判然とせず、今日でも見解が分かれたままである。「そのどちらでもなく」演奏することが慣例であるが、どちらかとして解釈する演奏も見られる[6]。


補筆の試み
シューベルトが残したスケルツォにオーケストレーションをほどこして第3楽章とし、『ロザムンデ』の間奏曲第1番を流用して第4楽章とする全4楽章の補筆完成版には、イギリスの音楽学者エイブラハム(英語版)とニューボウルド(英語版)による[7]ものや、SAMALE=COHRS復元2015年版[8]や、ニューボールド=ヴェンツァーゴ補筆2016年版[9]などがある。


20世紀の名指揮者・作曲家であったフェリックス・ワインガルトナーは、この曲の未完の第3楽章を補筆し、自作の『交響曲第6番』作品74の中に使用している。


2019年、マティアス・ローダーをリーダーとする音楽学者とプログラマーによるチームが AI をつかって補筆が試みられたこともあったが、完成した曲はシューベルトの曲というより、アメリカの映画音楽のようだと酷評されている[10]。
このチームはベートーベン交響曲10番やマーラーやバッハの未完成曲についても同様の作業を試みている[10]。


楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ、弦五部


曲の構成


第1楽章
Allegro moderato ロ短調、4分の3拍子。冒頭からロ―嬰ハ―ニの有名な動機が現れる。単に序奏というのではなく楽章の最後まで執拗に支配している。オーボエとクラリネットのユニゾン木管の甲高い第1主題を弦楽が支えながら第2主題に入る。通常のソナタ形式であれば、短調の第1主題に対して3度上の平行調であるニ長調で書かれる第2主題が、ここでは逆に3度下であり平行調の下属調であるト長調で書かれている。この調性関係は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第1楽章と同じであるが、シューベルトがこの交響曲を作曲した1822年の時点ではベートーヴェンの交響曲第9番は作曲途中であり、演奏はされていない。第2主題では、伸びやかなチェロがシンコペーションに乗って歌われる。展開部は序奏を発展させる形のもの。半音階ずつ転調を繰り返す。再現部では、第2主題は提示部とは逆の3度上(平行調)のニ長調で再現される。


第2楽章
Andante con moto ホ長調、8分の3拍子。通常の演奏会ではここまでが演奏される。展開部を欠くソナタ形式。穏やかな下降音階の第1主題が提示される。コーダでは、シューベルトが好んで用いた三度転調により一時変イ長調に転調する。


第3楽章
Allegro(未完) ロ短調、4分の3拍子。20小節目までが総譜にされ、残りはピアノスケッチ(主部114小節)のみ。主部は最初ユニゾンで始まり、転調がめまぐるしく、最初の主題がすぐに同主張のロ長調で繰り返された後、すぐにもとのロ短調のユニゾンに戻り、第1楽章と同じく遠隔調(フリギア調の関係)にあるト長調へと移調する。トリオはやはりト長調であるが、16小節で自筆譜は途切れている。


楽譜の発見当時、見つかった総譜部分はほとんどユニゾンの9小節までだったため、現在流布している楽譜には補遺として9小節まで収録されているものが多い。10小節以降20小節目までの総譜は近年になって切り取られた形で発見された。


マリオ・ヴェンツァーゴ補筆構成版では第1トリオのみならず、第2トリオも『ロザムンデ』の総譜から復元している。


第4楽章
多くの補筆完成版では作曲時期や編成の類似、調性がロ短調であることから、『ロザムンデ』の間奏曲第1番(Allegro molto moderato)を基にしており、またこの間奏曲はそもそも完成されていたこの交響曲の第4楽章を流用したものである、とする説もある[5]。


その中には


「シューベルトは劇付随音楽ロザムンデを完成させるため、グラーツ楽友協会へ『第3楽章と第4楽章を返してくれないでしょうか』と自筆譜の返還を申し出たのであり、未完成交響曲は実は完成していた[11]。
完成していたことを証明するため、第3楽章の第1フォリオ(第1ページと第2ページ)のみを協会の預かりにした……」


という意見がある。


マリオ・ヴェンツァーゴ補筆構成版は「フィナーレだから失われた第1括弧部分がある」という説に基づき、バレエ音楽の前半をまず第1括弧部分として演奏し、モノディー・トータル・ユニゾン部分に差しかかると第1間奏曲冒頭に戻って最後までカットなしですべて演奏する。SAMALE=COHRS復元版は、ノーカットのヴェンツァーゴ版よりは適度なカットを施している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』



クナッパーツブッシュ指揮 『交響曲 ハ長調 D 944 』


Schubert: Symphony No. 9 - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1957)




Vienna Philharmonic Orchestra
HANS KNAPPERTSBUSCH, cond.
Recording: Musikverein, Wien, 27 October 1957


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フランツ・シューベルトの交響曲第8番ハ長調 D 944 は、1825年から1826年にかけて作曲され、1838年に初演された4楽章からなる交響曲


本記事で扱うシューベルトの交響曲は、古くより番号が様々に呼ばれ、20世紀初頭までは「未完のものを除いて7番目」なので第7番と呼ばれることが多かった。
次いで、1951年にオットー・エーリヒ・ドイチュがシューベルトの作品目録を作成しドイッチュ番号を振って以降は、未完ながら演奏される2曲(D729のホ長調のもの、および、D759のロ短調の『未完成交響曲』)を含めて第9番と呼ばれるようになった。
その後ドイチュの死後の1978年にヴァルター・デュルWalther Dürr(独語版)、アルノルト・ファイルArnold Feil(独語版)らによってドイチュ番号の改定が行われ、自筆譜のままで演奏できるという意味で完成されていると認められる交響曲の8番目のものであることから第8番とし、テュービンゲンの「国際シューベルト協会」(Internationale Schubert-Gesellschaft e.V.)をはじめ多くの楽譜出版社がこれに従ったため、第8番とすることも多くなってきている。
ただし、そういう場合でも混乱を招かないように、第8(9)番と紹介することも少なくない。世界的には現在も第9番としている例も多く[注 1]、日本でもCDや楽譜のタイトルには第9番とついている場合が多いので、注意を要する。

本記事の交響曲は通称『ザ・グレート』(独:Die große C-dur 、英:The Great C major)と呼ばれる事があるが、この呼び名はシューベルトの交響曲のうちハ長調の作品に第6番と第8番の2曲があり、第6番の方が小規模であるため「小ハ長調(独:Die kleine C-Dur)」と呼ばれ、第8番が「大ハ長調」と呼ばれることに由来する。


この『ザ・グレート』はイギリスの楽譜出版社が出版する際の英訳によって付けられたものであるが、本来は上述のように第6番と区別するために付けたため「大きい方(のハ長調交響曲)」といった程度の意味合いしかなく、「偉大な」という趣旨は持たない。しかしそのスケールや楽想、規模は(本来意図したものではないにせよ、偉大と言うニュアンスでも)『ザ・グレート』の名に相応しく、現在ではこの曲の通称として定着している。


指示通りに演奏してもゆうに60分以上かかる大曲であり、シューマンは曲をジャン・パウルの小説にたとえ、「すばらしい長さ (天国的な長さ)」[注 2]と賞賛している。ベートーヴェンの交響曲の規模の大きさと力強さとを受け継ぎ、彼独自のロマン性を加えて完成された作品となっており、後のブルックナー、マーラー、20世紀のショスタコーヴィチなどの交響曲につながっている。


シューマンによる発見と初演


完成直後の1826年、シューベルトは同曲の楽譜をウィーン楽友協会へ献辞を添えて提出したが、わずかな謝礼こそ得たものの、演奏困難との理由で演奏されることはなかった。1828年にも同協会に提出したが、同様に演奏されることはなかった。


この作品は、シューベルトの死後、1839年にシューマンが、すっかり忘れ去られてしまっていたシューベルトの自筆譜を発見して世に知られるようになった。前年にシューベルトの墓を訪れていたシューマンは、同年1月1日にウィーンのシューベルト宅を訪れるまでは、シューベルトはあくまで歌曲や小規模な室内楽、ピアノ曲などを演奏する、気心知れた仲間内の演奏会「シューベルティアーデ」の作曲家という認識しか持っていなかった。


彼の部屋を管理していた兄フェルディナントはシューベルトの死後そのままに仕事机を保管していた。シューマンは、その机の上にあった長大な交響曲を発見し、シューベルトを歌曲の作曲家と見ていた自らの認識を覆すその作品に驚愕した。シューマンはぜひこれを演奏したい、楽譜をライプツィヒの盟友メンデルスゾーンに送りたいとシューベルトの兄に懇願し、ようやく許可を取り付けてメンデルスゾーンのもとに楽譜が届けられたという。


1838年3月21日、メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によって、この交響曲は初演された。シューマンは初演には立ち会えず、翌年の再演でようやく聴くことが出来た。


グムンデン・ガスタイン交響曲


シューベルトは、幻の「グムンデン・ガスタイン交響曲」なる曲を作曲したとされる。これは作曲家の日記や手紙から1825年に彼がグムンデンおよびバート・ガスタインに滞在し、そこで作曲したとされるものであるが、その曲がどれに当たるかは解明されていない。


このD 944の交響曲は、かつては直筆譜の日付から1828年の作曲と考えられてきた。
しかし用紙のすかし模様が25年ごろに用いられていたものと一致すること、28 が 25 の読み間違いの可能性があることなどの理由から、現在では1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。
このため、このD 944が「グムンデン・ガスタイン交響曲」ではないかとする説が提唱された。
その後、シュトゥットガルトでD 849にあたるホ長調の交響曲の筆写譜が発見されて、ギュンター・ノイホルト(英語版、ドイツ語版)指揮のシュトゥットガルト放送交響楽団による演奏の録音が南ドイツ放送でFM放送され、また出版もされた。
ゲルハルト・サミュエル指揮のシンシナティー・フィルハーモニー管弦楽団でCD化されている。


現在はこのD849をグムンデン・ガスタイン交響曲とみなす説もある。
D 849 は D944と主題がそっくりで、演奏時間は60分ぐらいと規模も同じであり、D 944のための下書きとして書かれたものと考えられている。
この作品が『未完成』の後に書かれた交響曲であり、『ザ・グレート』はグムンデン・ガスタイン交響曲の脱稿直後に取りかかった作品となる。
しかし、現在もこのD 849とされるホ長調の交響曲がシューベルトの真作であるかどうかは確定していない。


データ
ドイッチュ番号:944


作曲時期:1825年から1826年


初演:1839年3月21日、ライプツィヒにて、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。(遺作)


楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1対、弦五部


作品構成


第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo
ハ長調、2/2拍子、序奏付きソナタ形式(提示部リピート付き)。


ホルン2本のユニゾンでおおらかに始まる。この開始部分はシューマンの交響曲第1番『春』やメンデルスゾーンの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番のモデルとなっている。


この序奏部分が楽章全体を構成する主要なモチーフを提示している点に大きな特徴がある。第1主題は音の大きく動く付点のリズムと3連符に特徴がある。第2主題が5度上の属調であるト長調ではなく、3度上のホ短調で書かれているのも大きな特徴(再現部では同主調のハ短調で1度、平行調のイ短調でもう一度奏されており、ソナタ形式としての整合性が取られている)。変イ短調に始まるトロンボーンの旋律が第3主題とされることもあるが、動機としては序奏の旋律の断片である。リズミカルなモチーフを主体として主題が構成されている点には、尊敬してやまなかったベートーヴェンの特に交響曲第7番と多くの共通点を持つ一方で、大胆な転調や和声進行にはシューベルトらしさが満ちあふれている。第662小節から最終685小節にかけて、序奏の主題が、音価を2倍に引き伸ばされた形で(結果として序奏と同じテンポに聞こえる)2度力強く再現され、楽章を終える。なお、この手法をシューベルトは交響曲第1番第1楽章ですでに用いている。
なお、初版においては拍子が4/4拍子に改竄されていた。現在では、本来の自筆譜通り(2/2)に戻されている。


第2楽章 Andante con moto
イ短調、2/4拍子、展開部を欠くソナタ形式の緩徐楽章。


7番の第2楽章と同じような構造(A-B-A-B-A(コーダ))である。主としてオーボエが主旋律を担当する第1主題部(A)は、スタッカートが特徴のリズミカルな動機を主体とし、かつ3つの異なる旋律から構成され、ピアノとフォルテシモの頻繁な交代を特徴としている。第2主題(B)はヘ長調で書かれ(7番第1楽章と同じ調性関係)、第1主題とは対照的に息の長いレガートを主体とした下降旋律を特徴とする、シューベルトの面目躍如たる美しい旋律であり、対旋律の美しさも特筆に価する。中でも第148小節から12小節に渡るホルンと弦との対話はシューマンが絶賛していた。再現部では、第1主題が劇的に発展し、第2主題は主調の同主長調であるイ長調で再現する。第330小節からのコーダでは第1主題が短縮された形で再現する。


第3楽章 Scherzo. Allegro vivace


ハ長調、三部形式、3/4拍子の大掛かりなスケルツォ。
ベートーヴェンのスケルツォよりはメヌエットの性格を残している。後のブルックナー後期作品を思わせるような息せき切るような主部の旋律と、シューベルトらしい旋律に溢れた雄大な中間部トリオ(イ長調)の対照が効果的である。スケルツォ主部はそれだけでソナタ形式の構造をしており、提示部に加え、展開部+再現部にもリピートがつけられており、特に後者は省略されることも多い。トリオの旋律はベートーヴェンの交響曲第4番の第3楽章のトリオのそれに似ている。


第4楽章 Finale. Allegro vivace
ハ長調、2/4拍子、自由なソナタ形式(提示部リピート付き)。
1,155小節にも及ぶ長大なフィナーレ。第1楽章同様付点のリズムと3連符、そしてこの楽章ならではのオスティナートと強弱のコントラスト、激しい転調に特徴があり非常に急速で息を付かせない。ところどころ同じ和音が数小節にわたって続くところを如何に聞かせるかが、演奏者の腕の見せ所である。シューベルトはピアノソナタ第18番以降、同音連打を積極的に導入しており、このフィナーレでも存分にこれが展開される。


開幕の付点音符を素材とするハ長調の第1主題は非常に躍動的で、確保された後にト長調で抒情的な第2主題が木管によって朗々と歌われる。これが発展し、劇的な展開を見せた後にコデッタを経て、変ホ長調でこの曲の真の展開部。クラリネットが奏する第1・2主題と全く異なる旋律はベートーヴェンの交響曲第9番の「歓喜の主題」が改変されて引用されており、ベートーヴェンに対するオマージュと考えられる。歓喜の歌も含めた展開、やや変型された再現部の後にppまで落ち、972小節目から始まるコーダでは2つの主題と歓喜の歌が組み合わさって堂々たる終結を迎える。



演奏上の問題


第1楽章においては、序奏がコーダで再現されるところで、両者のテンポ設定をどうするかが問題となる。かつてピリオド楽器による演奏がバロック音楽や古典派音楽に留まり、ピリオド楽器による初期ロマン派音楽の演奏が一般的でなかった時代においては、自筆譜の拍子及びメトロノームに忠実に基づいてテンポ設定をするとコーダが速すぎて楽章全体のクライマックスを築けない、という感覚が一般的であったため、多くの録音ではテンポを徐々に落としたりAndanteに戻していた。

しかし、ピリオド楽器による演奏や、ピリオド系の演奏でキャリアを築いてきた指揮者がモダン楽器のオーケストラを指揮した演奏[注 3]では、当時の演奏習慣の研究から楽譜に指示のないテンポダウンは後の時代の習慣だとしてコーダをそのままの速さで演奏する例が多く、徐々にそのような演奏が増えつつある。コーダをそのままの速さで入ることを最初に提唱したのは、ルネ・レイボヴィッツである。[4]彼は、ベートーヴェンの交響曲を作曲者のメトロノーム通りに演奏することを主張したことでも著名な存在である。


そして上述のとおり、終楽章の同じ和音の連続をどう処理するかが問題となる。ピリオド楽器で手がけても、終楽章で弦楽器に要求されるBPMは一秒間に12パルスを超えており、モダン楽器を備えた現代人にとっても簡単ではない。


シューベルトの多くの作品で見られることだが、自筆譜に書かれた記号の(>)が、アクセントにしては異様に長く、デクレッシェンドにしては短く、どちらなのか判然としない書き方も見られる。「どちらでもない」演奏が一般的だが、時に極端な解釈も見られる。特に最後の小節に関しては、それまでの楽曲の流れを重視して強奏で終わることが通例となっているが、クレンペラーやアーノンクールのようにデクレッシェンドとして演奏する例もある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第8番_(シューベルト)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
100. 中川隆[-14203] koaQ7Jey 2020年1月29日 12:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-892]
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c100
[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
シューベルト 劇付随音楽『ロザムンデ』



フルトヴェングラー指揮 『ロザムンデ』


Schubert: Rosamunde Overture (Furtwangler) 1953




Berlin Philharmonic
Conductor : Wilhelm Furtwängler
Recording Date - September 15, 1953 Recording Location - Berlin, Titania-Palast .


1953年
15 Sep. 1953 BPO Titania(RIAS)
Schubert:Rosamunde Ove.


●9月15日 シューベルト/ロザムンデ序曲 未完成 ザ・グレイト BPO ティタニア RIAS録音


LP/PR(Ove): DG2535804('77)
CD: DG(JP)POCG3790(97/08)KingKICC2297('93)


▼15-17日まで3日連続のシューベルト演奏会初日の実況録音。
TAHRA の CD はいつもの派手な音質加工がなく平凡な仕上がり。
ティタニアパラストの音質的限界を感じさせる一枚。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm


▲△▽▼


Rosamunde, D. 797: No. 5, Entr'acte No. 3. Andantino , Wiener Philharmoniker 1950




Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
REC : 1950年2月2日
______


Rosamunde, D. 797: No. 9, Ballet Music No. 2. Andantino, Wiener Philharmoniker 1950




Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
REC : 1950年2月2日


1950年
2 Feb. 1950 VPO Brahmssaal (EMI studio Version=SP)
Schubert:Rosamunde Ballet No2 & Ent.No.3


●2月2日 チャイコフスキー/弦楽セレナーデ〜ワルツ&終曲 シューベルト/ロザムンデ〜バレー音楽2番&間奏曲3番 VPO ブラームスザール EMIスタジオ録音


Matrix:2VH7216-1A/17-1A(Walz)/18-1C/19-1A(Final)/20-1A(Ballet)/21-1C(EntNo3)


SP/PR(Rosamunde): DB21172(52/12)
LP:
CD: ToshibaTOCE8439(94/08)


>>>Legg Discography said at Musikvereinsaal.


▽これらは全てSP/EP片面に収録できる曲で、オリジナルテープが残されていると思われる音質だ。桧山氏の[参考資料@]ではレッグ・ディスコグラフィーを引用し、この2月2日のセッションがムジークフェラインで行われたとしている。shin-pはこれらの録音の状態から前日以前のセッションよりは小さなホールでの収録であると感じる。


魔笛2曲の30年以上にわたるお蔵入り、ピッチカートポルカの2ヴァージョン、セッションの場所、さらにはベト7&オベロンの「声」混入などに関連したオリジナルテープの存在など50年セッションはミステリーでいっぱいだ。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm


▲△▽▼


Rosamunde: Overture, D. 644 Furtwangler Wiener Philharmoniker 1951





Orchestra: Wiener Philharmoniker
Conductor: Wilhelm Furtwängler
録音時期:1951年1月3,17日
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール(2)


1951年
3/17 Jan. 1951 VPO Musikverein (EMI studio Version)
Schubert:Rozamunde Ove.


●1月3、17日 シューベルト/ロザムンデ序曲 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音


Matrix:2VH7233-4/34-3/35-4
LP/PR: ElectrolaWALP1500('55?)
CD: ToshibaEMI TOCE6068(90/01)


▽SP用の原盤も作られたが未発売に終わった。オリジナルテープからのLP/CD化と思われる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm


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【高音質復刻】Furtwängler & VPO - Schubert: Rosamunde, D 797 Entr'acte No 3 (1944.6.2-3)


シューベルト:劇音楽《ロザムンデ》D.797〜間奏曲第3番
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1944年6月2、3日、ウィーン、ムジークフェラインザール
「マグネトフォン・コンサート」のための放送用セッション


1944年
●6月2-3日 2-3 June 1944 VPO Musikverein (RRG=ORF&DRA)
Schubert:Rosamunde ent.2(recorded on 3 June) シューベルト/ロザムンデ3番 (o-1なし)
CD/PR: TAHRA FURT1014-5(97/04)


>>>>They are Magnetofonkonzert. Mozart:Sym.No.40 (TAHRA FURT1014-5 recorded on 2/3 June 1944) is the same Recording that M&A released CD258 in 1987. M&A said TAHRA is right about date of this performance.(According to Mr.Imamura)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm


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Schubert : Rosamunde,Entracte/Furtwangler/1932/VPO


疑似ステレオ、ノイズ除去、デジタル加工化
シューベルト、ロザムンデ、間奏曲
フルトウェングラー/1932年頃 ウィーンフィルの演奏です


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Schubert - Rosamunde - Berlin / Furtwängler 1929/30





Rosamunde D.797


Ouvertüre "Die Zauberharfe" D.644 0:00
Entr'acte n°3 9:43
Ballettmusik n°2 14:58


Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Berlin, 13.VI.1929 (Ballet Music) & 1930 (Overture & Entr'acte)
___


Furtwängler - Schubert : Rosamunde - Entr'acte No.3 (1930) 再復刻




Berlin Philharmonic Orch.
recorded in 1930
transfer from Jpn Polydor 78s / 45153


____


Schubert: Rosamunde, D. 797 - 9. Ballet Music No. 2





Schubert: Rosamunde, D. 797 - 9. Ballet Music No. 2
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
℗ 1930 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


1929年
●6月13日 13 June 1929 BPO Hochschule für Musik, Belrin


シューベルト/ロザムンデ〜バレー音楽2番&間奏曲3番
Schubert:Rosamunde Balletmusic No.2 & Entracte No.3
Matrix(Ballet):861Bi1


SP/PR(Ballet)66935(31/03) Pol(JP)S4041('32?)
LP: WFSJ JPL1044-6('75?) DG(JP)MG1479(70/03)
CD: *1*2*3 Koch('95?) Symposium(GB)1043('90) VENEZIA CD V-1016(00/08)
Matrix(Ent.):862Bi1
SP/PR(Ent.) not issued? Pol95458('31?)


▼ ロザムンデ間奏曲は LP/CD復刻盤は29年録音と表記があるモノを含めて、すべて30年録音のMatrix1102(1/2)Bi1が使われていると思われる。


録音表の清水氏の情報では、ドイツZYX社のCD(PD5024-2)をトレミヌ本では29年録音としているが実際は30年録音という。
shin-pもジャケットのみ確認したが、30年録音と明記されている。
トレミヌは発売前にZYX盤が29年録音という情報を得たが、実際には30年録音で発売されたのだろう。
さらにHS氏の疑問提示で清水氏はAT盤の真偽の確認作業を開始。
結果は、SP盤でも聞き取れる3つの「ボーン」音からAT盤も30年録音と断定。


29年はSP盤以外永らく未発売だったが、VENEZIA盤が2000年に発売された。
日本ポリドールSP盤S-4041はマトリクス番号の刻印が確認できず、30年録音と同じという意見も多い。
桧山氏が現在までに聞いた全てのSP/LP/CDは同じモノとしている。


びなお氏の独DGへの問い合わせでは−
>本件に関して独DGから直接情報をいただきました。
>先方も数日調査いただいたようなのですが、残念な結果となりました。
>すなわち、ハノーバーのプロダクション・スタジオには原盤、
>シェラック・ディスクとも既になく、
>これを再発売することは不可能であるとのことでした。


収録時間の関係で盤面の余白が少なく、SP盤面にマトリクスNoがあるものとないものが存在するのは事実だが、実際にマトリクスNoのないものが29年盤であったかどうかについては不明。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm#19260000


1930年
●録音日不祥 ? 1930 BPO Belrin Polydor Studio
シューベルト/ロザムンデ序曲 Schubert:Rosamunde Ove.
Matrix:1091-92Bi1


SP/PR: Brunswick90147(31?)
LP: WFSJ JPL1101-2(75?) AT05-06('90?)
CD/SB: Symposium1043('90) *1*2*3 Koch('95?)


▼ロザムンデ序曲はドイツでは発売されず、SPは米ブランズウィック盤のみ。
日グラモフォンPOCG2342-4('94)ではこの曲を米エール大学所蔵のSPから復刻している。


[シューベルト ロザムンデ フルトヴェングラー 1930年 on ニコニコ動画SEARCH]
https://www.nicovideo.jp/search/シューベルト%20ロザムンデ%20フルトヴェングラー%201930年


●録音日不祥 ? 1930 BPO Belrin Polydor Studio
シューベルト/ロザムンデ間奏曲3番 Schubert:Rosamunde entracte No.3


Matrix:1102(1/2)Bi1
SP/PR: Pol95418(31/03)
LP: AT05-06(89?)
CD: *1*2*3 Koch('95?) ZYXCD PD5024-2('98)


▼ロザムンデ3番で29年録音だと一部で誤記されているZYX盤、29年録音と表記のAT盤はすべて30年録音。詳細は29年の項を参照のこと。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm#19260000



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『キプロスの女王ロザムンデ』(Rosamunde, Prinzessin von Zypern )作品26、D797は、フランツ・シューベルトが同名のロマン劇のために作曲した劇付随音楽である。
『ロザムンデ』と略される。


この付随音楽は、ベルリン出身の女流作家ヘルミーネ・フォン・シェジー(1783年 - 1856年)の戯曲『キプロスの女王ロザムンデ』のために作曲された。
シェジーは1823年の10月にウェーバーの歌劇『オイリアンテ』の台本を書き、その初演に立ち会うためにウィーンに滞在していたが、10月25日にケルントナートーア劇場で行なわれた上演が不評だったため、急遽名誉挽回のために『ロザムンデ』を12月20日に書き上げ、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で上演した。しかし劇は翌日再演されただけで上演が打ち切られてしまった。


その劇音楽の作曲を依頼されたのがシューベルトで、12月20日の初演までの短い期間で、10曲からなる付随音楽を完成させた[1][2]。


この時、序曲だけが間に合わず、その前年に作曲された歌劇『アルフォンソとエストレッラ』D732の序曲を転用した。『アルフォンソとエストレッラ』は、シューベルトのかなりの自信作であったが、ウィーンで上演されることがなかったため、序曲だけでも人々の耳に触れさせるために意図したと考えられている。


後に、1820年に作曲されてかなりの評判を得た劇付随音楽『魔法の竪琴』D644の序曲が『ロザムンデ』の序曲として転用された。


この『魔法の竪琴』序曲の自筆の草稿には、後に何者かによって『ロザムンデ作品26』というタイトルが書き込まれていて、かなりややこしくなっている。


上述の通り、1823年12月20日に初演がアン・デア・ウィーン劇場で行なわれたが、台本の稚拙さゆえに失敗に終わってしまった。舞台は貧弱で、主役の女優が下手だったことや、ウェーバーとシューベルトが『オイリアンテ』のことで仲違いをしたために、ウェーバーの支持者たちが可能な限り上演を妨害したからだといわれている。しかしシューベルトの音楽は、初演当時から好評をもって迎えられたのは事実であり、現在でも部分的にはたびたび演奏されている。


『ロザムンデ』の台本は散逸してしまったと考えられてきたが、最近になって発見され[3]、1996年に出版された[4]。


楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部


構成
序曲は約10分、全曲は約1時間を要する。
全曲が演奏されることは滅多になく、抜粋で演奏されることが多い。


序曲
アンダンテ(ハ短調)の序奏とアレグロ・ヴィヴァーチェのハ長調の主部からなり、序奏は抒情的でロマン的な旋律の美しさが印象的である。主部はソナタ形式による単純な形をとっているが、親しみやすい楽想をもっている。


これは序曲『魔法の竪琴』 D644からの転用であるが、コーダはイタリア風序曲ニ長調 D590と同じで、『ガスタイン交響曲』ホ長調が『グレート交響曲』ハ長調の下書きであったように、下書きの序曲からの清書であると見られている。


演奏時間は約10分であり、演奏会にも独立して頻繁に演奏される。


No.1
第1幕の後の間奏曲。ロ短調、アレグロ・モルト・モデラート。
全曲そのままではあまりにも間延びするという理由で、クルト・マズアほかの指揮者は途中で速くテンポを切り上げているが、シューベルトの現指定にそのような指示はない。
ニューボールドほかの研究者は、これこそが未完成交響曲の真のフィナーレと主張している。


No.2
バレエ音楽第1番。No.1と同じ素材のロ短調、アレグロ・モデラートと後半がト長調のアンダンテ・ウン・ポコ・アッサイ。
このアンダンテ・ウン・ポコ・アッサイ部分はもともと未完成交響曲第三楽章のトリオ2だったと主張する研究者がいる。


No.3
a 第2幕の後の間奏曲。ニ長調、アンダンテ
b ロマンツェ。ヘ短調、アンダンテ・コン・モート


No.4
幽霊の合唱。ニ長調、アダージョ


No.5
第3幕間奏曲。アンダンテイーノ、変ロ長調
第3幕と第4幕の間で演奏される間奏曲で、シューベルトの作曲した中でも特に名高いもののひとつで、弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』D804や即興曲 変ロ長調 D935-3にも流用されている。
主部とト短調、変ロ短調の2つのトリオからできている。


No.6
羊飼いの旋律。変ロ長調、アンダンテ


No.7
羊飼いの合唱。変ロ長調、アレグレット


No.8
狩人の合唱。ニ長調、アレグロ・モデラート


No.9
バレエ音楽第2番。ト長調、アンダンテイーノ。
第4幕で踊られる軽快なバレエで、第2番ではアンダンティーノの軽快な楽想で始まる。その後様々な楽想が次々と現れ、変化に富んだ音楽に作り上げられてゆく。最後は再び中心の楽想が戻ってきて終わる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/キプロスの女王ロザムンデ




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
101. 中川隆[-14202] koaQ7Jey 2020年1月29日 14:35:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-891]
シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c101
[番外地7] 馬渕睦夫は何処が間違っているのか?

馬渕睦夫は何処が間違っているのか?


僕は馬渕さんの話が間違っていると指摘してるだけだよ。
自分の意見を言う必要なんか無い。

現時点で明らかになっているのは

1.馬渕さんは無知蒙昧なアホである

2. グローバリズムは共産主義やユダヤ思想とは何の関係も無い

3. トランプや安部が反グローバリストだというのは馬渕さんの妄想だ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/444.html

[近代史3] シューベルト 『軍隊行進曲』
シューベルト 『軍隊行進曲』



クナッパーツブッシュ指揮 『軍隊行進曲』


Schubert: 3 Marches militaires No. 1, Knappertsbusch & VPO (1960)




Three Marches Militaires, Op. 51, D. 733: No. 1 in D Major
arr. Leopold Weninger (1879-1940)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 15-17 February 1960, at Sofiensaal, in Vienna


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3 Marche militaires, Op. 51, D. 733: No. 1 in D Major · Bayerisches Staatsorchester 1955


The Great Conductors: Hans Knappertsbusch
Charity Concert for the Rebuilding of the Munich National Theatre
20th March 1955 (Remastered 2015)


Orchestra: Bayerisches Staatsorchester
Conductor: Hans Knappertsbusch



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『3つの軍隊行進曲』(Trois Marches Militaires für Klavier zu 4 Händen )D733、作品51は、フランツ・シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集。
第1番が特に有名であり、管弦楽編曲版や吹奏楽編曲版、ピアノ独奏版でもよく演奏されている。


ツェリス(現在のスロヴァキア・Želiezovce)でエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた1818年に作曲され、1826年にアントニオ・ディアベリにより出版された。


いずれもファンファーレ風の音形をともなった勇壮な主題に始まり、下属調のトリオを挟んだ3部形式で書かれている。


第1番 アレグロ・ヴィヴァーチェ、ニ長調、4分の2拍子。
第2番 アレグロ・モルト・モデラート、ト長調、4分の4拍子。
第3番 アレグロ・モデラート、変ホ長調、4分の4拍子。
https://ja.wikipedia.org/wiki/軍隊行進曲_(シューベルト)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
102. 中川隆[-14201] koaQ7Jey 2020年1月29日 15:42:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-890]

シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c102
[近代史3] シューベルト 『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』
シューベルト 『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』



カザルス 『シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』


Franz Schubert, Quintet D 956 (complete), Vegh Quartet & Pablo Casals, 1961 (Live in Prades, France)





Performers: Végh Quartet & Pablo Casals
Sándor Végh (violin)
Sándor Zöldy (violin)
Georges Janzer (viola)
Paul Szabo (cello)
Pablo Casals (2nd cello)
Year of recording: 1961 (Live in Prades, France)


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String Quartet in C Major, Op. 163, D. 956 1959






パブロ・カザルス(VC)
ブダペスト四重奏団
【録音】1959年


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Schubert - String quintet D.956 - Krachmalnik Pernel Tuttle Foley Casals 1953 (Live in Prades, France)


Jacob Krachmalnik
Aurea Pernel
Karen Tuttle
Madeline Foley
Pablo Casals
Live recording, Prades, 7.VII.1953


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Schubert-Quintet in C Major op. 163, D. 956 1952 (Live in Prades, France)




Isaac Stern: violin
Alexander Schneider: violin
Milton Katims: alto
Pablo Casals:cello
Paul Tortelier: cello
Recorded July 1,2, 1952, Prades


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弦楽五重奏曲 ハ長調 D956 は、フランツ・シューベルト最晩年の室内楽曲。
1828年の夏に作曲された。作曲者の死を2ヵ月後に控えて完成された遺作である。
1850年になってようやく初演され、1853年に初版が出版された。作品番号は163とされた。


本作は、シューベルトの多岐にわたる楽曲の中でも、唯一の本格的な弦楽五重奏曲として目立った存在となっている。


また、独特な楽器編成でも抜きん出ており、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2という楽器編成となっている。たいていの弦楽五重奏曲は、モーツァルトの先例に従って、弦楽四重奏に第2ヴィオラを加えた編成を標準としている。シューベルトのこの作品では、低音域の充実とバランスが図られているのである。


以下の4楽章で構成されるが、各楽章は規模が大きく、全曲を通して演奏するのにほぼ1時間を要する。


アレグロ・マ・ノン・トロッポ Allegro ma non troppo


アダージョ Adagio


「スケルツォ」(プレスト)−「トリオ」(アンダンテ・ソステヌート) Scherzo: Presto – Trio: Andante sostenuto


アレグレット Allegretto


第2楽章は、いささか瞑想的な基調ゆえに名高く、しばしば映像作品の沈思的な場面や夜景の伴奏音楽に転用されてきた。
カール・ベームの葬儀では、この楽章が演奏された。
また、アルトゥール・ルービンシュタインは、自らの葬儀にこの楽章を流すように要望した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/弦楽五重奏曲_(シューベルト)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/860.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
103. 中川隆[-14200] koaQ7Jey 2020年1月29日 16:34:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-889]
シューベルト 『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/860.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c103
[近代史3] フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』
フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』


バックハウス 『ショパン 幻想即興曲』


Backhaus plays Chopin - Fantaisie-Impromptu, Op. 66






Wilhelm Backhaus (piano) Recorded: 1927


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Backhaus plays Chopin Fantaisie-Impromptu (1908 rec.)




The young Wilhelm Backhaus (1884-1964) plays Chopin's famous Fantaisie-Impromptu in C sharp minor opus 66 (op. posth.).


Acoustic recording, 1908, originally made for the Gramophone Company, transferred by Pearl.



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フレデリック・ショパン 幻想即興曲


即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66は、ポーランドの作曲家フレデリック・ショパンが作曲したピアノ曲である。


ショパンの4曲の即興曲のうち最初に作曲され、ショパンの死後1855年、友人のユリアン・フォンタナの手により『幻想即興曲』(Fantaisie-Impromptu)と題して出版された。


ショパンの作品のなかでもっともよく知られる作品のひとつである。


曲の構成


複合三部形式(A - B - A')による即興曲。ベートーヴェンの月光と調性、構成、雰囲気が類似している。 


Allegro agitato (A)
嬰ハ短調、序奏 + 三部形式(a - b - a) + 経過句。左手は1拍が6等分、右手は1拍が8等分されたリズムとなっている(ポリリズム)。


トリオ Più lento - cantabile(フォンタナ版はLargo - Moderato cantabile)(B)
変ニ長調、序奏 + 三部形式(a - a' - b - a')。後半のb - a'は若干変化して繰り返される。
(フォンタナ版はPresto)(A')
嬰ハ短調、三部形式。Aの再現。


コーダ
Bの主題が左手部分で回想され、静かに終わる。


公表の経緯
上述の通り、ショパンの生前には出版されなかった。ショパンは「自分の死後、この楽譜を燃やして処分して欲しい」と頼んだが、フォンタナが遺言にそむいて公表したとも言われる。


ショパンがこの曲を生前公表しなかった理由としては、モシェレスの即興曲 作品89[1]や、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」第3楽章のカデンツァとの類似性などが考えられるが、定かでない。



複数のバージョン


この作品の筆写譜はいくつか現存しているものの、自筆譜は長らく見つかっていなかった。ところが、ショパンの弟子であるエステ公爵夫人に献呈された1835年の自筆譜が、1962年アルトゥール・ルービンシュタインによって発見された。これは筆写譜との相違が多く、よりあとに書かれたものとみられる。


この新しい自筆譜に基づくバージョンは、ウニヴェルザール出版社ウィーン原典版(エキエル編)、ポーランド音楽出版社ナショナル・エディション(エキエル編)、ペータース社原典版(今井顕、バドゥラ=スコダ編)、および同社の原典版ショパン全集新批判版(グラボフスキ、アーヴィング編)で見ることができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/幻想即興曲



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
104. 中川隆[-14199] koaQ7Jey 2020年1月29日 17:10:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-888]
フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c104
[近代史3] フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』



若き日のホロヴィッツは史上最高、前代未聞・空前絶後の超天才でしたね:


ホロヴィッツ 『ショパン バラード第1番』


Vladimir Horowitz - Chopin Ballade No. 1 (live 1946)


Live in Carnegie Hall, April 6, 1946.
Unreleased recording from the Yale Archive. Not available commercially in any format.


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Vladimir Horowitz - Chopin : Ballade No.1 g-moll op.23 (1947) 再復刻




recorded May 19, 1947、New York - Town Hall
Transferred from Jpn Victor 78s / SD-127(11-9844)


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Vladimir Horowitz: Chopin - Ballade Op. 23 No. 1 in G minor


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HOROWITZ AT CARNEGIE HALL 1-Chopin Ballade No.1 Op.23


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Historical Return at Carnegie Hall [1965]





Vladimir Horowitz (piano)
1965/05/09 Stereo, Carnegie Hall, New York
Live Recording


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Horowitz-chopin-ballade no 1 live in Carnegie Hall, 1968.wmv


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horowitz plays chopin ballade #1 - live, 1974


audio only - vladimir horowitz plays chopin ballade #1 - cleveland, 1974, pt 1, live recording. no commercial recording of this performance was ever released.



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Vladimir horowitz Chopin ballade no.1 in 1982




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Horowitz plays Chopin Ballade 1and talk 1982 London konser


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horowitz la scala 1985 conc. #2 - 11 chopin ballade no1 g min op23


vladimir horowitz in concert at la scala, milan, italy, 24 november 1985 [concert #2] - 11 chopin ballade no1 g min op23. this recording was never released commercially.



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フレデリック・ショパン バラード第1番ト短調 作品23


バラード第1番ト短調 作品23 は、フレデリック・ショパンが作曲した最初のバラード(譚詩曲)で初期の代表作である。


パリ滞在中の1831年から1835年に作曲、1836年に出版された。
献呈者はシュトックハウゼン男爵。


シューマンはこの曲を「ショパンの曲で最も好きだ」と語っている。
また「この曲は大変優れている。しかし、彼の作品の中では最も天才的・独創的なものというわけでもない」とも評している。


後にショパンはシューマンに第2番を献呈したが、シューマンは第1番ほどには第2番を評価しなかった。


なお、ショパンのバラードは作曲家の祖国であるポーランドの詩人、アダム・ミツキェヴィチの愛国的な詩に啓発されたといわれることもあるが、標題音楽のように詩と曲との関連を明確に見いだせる箇所は存在しない。


構成

形式はソナタ形式の自由な変形。序奏・主題の拍子は4分の6拍子、コーダ部では2分の2拍子になる。


冒頭はラルゴ(自筆譜・フランス初版・イギリス初版。ドイツ初版はレント)の7小節からなる変イ長調のレチタティーヴォ風の序奏で始まる。この終止は四度五度の音程を使った変イ長調の不協和音だが、ト短調のナポリの和音とも解釈できる[1]。


主部はソナタ形式らしく第1主題が提示された後、変ホ長調の第2主題がソット・ヴォーチェのppで現れて変奏・展開される。


第94小節から2回めの第1主題がイ短調で現れる。第102小節からのクレッシェンドを受け、第106小節のffの頂点に達すると、第2主題がイ長調で復帰する。右手のオクターブの音階がfffまで盛り上がった後、スケルツァンドの軽快なパッセージを経て、3度目の第1主題(ソナタ形式の再現部にあたる)が変ホ長調で現れる。2回目と同様に短縮された形をとり、クレッシェンドで盛り上がると(今回はさらにsemple cresc.、molto cresc.の指示がある)、そのまま第208小節から54小節のコーダ(Presto con fuoco)へと続く。第242小節では高速な半音階上昇から一気に下降する。第250-257小節の印象的なつなぎの後、最後は両手のオクターブの半音階進行がfffで下行し、劇的に締めくくられる。


その他
ウジェーヌ・イザイによる、ヴァイオリンとピアノ用の編曲版がある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/バラード第1番_(ショパン)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
105. 中川隆[-14198] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:02:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-887]

フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c105
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
257. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:16:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-886]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c257

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
70. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:17:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-885]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c70

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
13. 中川隆[-14195] koaQ7Jey 2020年1月29日 18:17:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-884]

2020年01月29日
「お金に働いてもらう」という間違った考え 金持ち父さんは居ない

誰でも投資で成功できるというのは、誰でもイチローになれると言っているのと同じ

引用:http://jiyusoku.jp/wp-content/uploads/2015/08/main.jpg


少し前、自分は何もせずお金を働かせれば儲かる、という宣伝文句が大ヒットしました。

このセリフを口にする人が居たらまず詐欺師なので、騙そうとしていると考えた方がいい。

楽して儲ける金持ち父さん


ロバートキヨサキが金持ち父さん貧乏父さんという本をヒットさせてから「お金に働いてもらう」とあらゆる業界人が口にするようになりました。

業界人とは投資とか金融、株、先物、FXその他あらゆる金融商品の関係者、不動産業界の人などです。


自分が働かずにお金を働かせれば、貴方は楽をして巨額の資産を築けますというが、本心からそう思っている人は居ません。



そんなにいい話があるなら、勧める本人が先にやって絶対に他人には教えない筈なので、彼らが客に教える情報は「カス」だけです。

例えば手元に100万円があり毎月5万円を積み立て、年利10%の利益を30年上げ続けるとします。

一つ一つは別に難しい事ではないのですが、30年間続ければ約2000万円に増えています。


10年目に700万、20年目に1300万、30年目におよそ2000万円近くにもなります。

株なり投資で年利10%を上げている人は多い訳ですが、これを素人が意図してやろうとすると、並大抵では無いのが分かるでしょう。

資金を減らすリスクを負わずにノーリスクで増やせるのは年利数パーセントで、10%にするには何かのリスクを負わないと困難です。


例えば資金を株に投資したら、上げるか下がるかは運次第で、悪くすればバブル崩壊のように4分の1になってしまいます。

FXでも日経先物でも金銀でも原油でも債権でも、同じようなリスクを背負ってしまいます。

そしてリスクが現実化するバブル崩壊は、人々が考えるよりずっと頻繁に発生しています。

その度に多くの日本人が、数千万円というような借金を背負って破産しているのです。


危機は毎年起きている


日本のバブル崩壊は1992年だったが、1995年には阪神大震災と超円高が発生し、1997年にはアジア通貨危機が発生しました。

1998年にロシアがデフォルトし山一ショックも起き、2000年にはITショック、2001年にはアルゼンチンデフォルトとエンロンショックが発生した。

2002年はワールドコムショック、2005年は人民元ショック、2006年はライブドアショック、2007年はサブプライムショックが発生した。


2008年からはご存知リーマンショックが発生し、東北地震、尖閣竹島騒動、ギリシャ危機など延々と○○ショックが続いています。

つまり平均するとマスコミが「100年に一度」と言っている金融危機は、実は毎年発生しているのです。

経済危機と無関係に大損失が発生する事もあり、2009年「ランド危機」ではドイツの銀行が閉店30秒前にイカサマ取り引きをやり、通貨を暴落させました。


この事件の真相は闇の中ですが、くりっく365の為替相場を決定していたドイツの銀行が、嘘のレートを配信したため、30秒間で20%も下落してしまいました。

さっき1ドル115円だったのが、よそ見して30秒後にモニターを見たら1ドル85円になっていたというような話しです。

やらかしたドイツの銀行は大儲けしたかも知れませんが、日本では破産した人が大勢でました。


誤発注で株価が操作される事もあり、2005年ジェイコム株の誤発注は有名な事件でした。

2010年5月6日にはダウ工業株30種平均が一瞬で1000ドル(10%)近くも下落する事件があり、何者かの誤発注か株価操作だと思われました。

ところが馬鹿げた事にNY取引所は調査した結果「正常な取り引きだった」と発表し、この事件も闇の中に葬られました。

投資の世界では理不尽な事はほとんど調査されずに、誰かが大儲けして闇の中に葬られます。


お金ではなく自分が働く


こんな理不尽な事件も毎年のように発生していて、完全に避けるのは不可能です。

こうしたイカサマ、経済危機、天変地異を乗り越えて何十年も利益を上げ続ける人が居るなら、真の天才なのかも知れません。

投資の世界にもイチローのような天才は存在する筈ですが、投資をしている90%以上の人は結局負けているという現実があります。


一生涯でのトータルという意味では95%とも99%以上とも言われる投資家が、結局負け越して人生を終えます。

1%の人以外は「投資でお金を増やす」事に失敗するのです。

ではネット上で完結するマネーゲームではない、現実世界の投資はどうでしょうか。


アパート投資、マンション投資、駐車場投資など、様々な投資や事業が「資産を増やせる」として紹介されています。

現実世界の投資はどれも経験とかノウハウが必要で、自分自身の能力を向上させる必要があります。


「自分は働かずにお金を働かせる」というイメージで居たら、きっとお金をなくしてしまうでしょう。

「誰でも投資で成功できる」という人は「野球をやれば誰でもイチローになれる」と言っているようなものです。


イチローや大谷やダルビッシュになれるのは真の才能があって運に恵まれ努力もした人だけです。


毎年甲子園を目指す高校生が何万人もいるが、その中でイチローや大谷になれたのは年に1人くらいしか居ません。
http://www.thutmosev.com/archives/47108203.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c13

[近代史3] 市川崑 ビルマの竪琴 (日活 1956年) 中川隆
2. 中川隆[-14194] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:12:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-883]
 ビルマと中国 2020年01月29日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1013.html


 ビルマ国は、1943年8月1日から1945年3月27日にかけて、日本占領時期のインドネシア半島西側に存在した国家。後に「ミャンマー」と名を変えた。
 日本の支援を受けてイギリスの植民地支配から独立したが、日本の傀儡政権であった。

 私の実父は、徴兵されて中支からビルマ戦線に動員された。日本軍きっての悪将と評判の牟田口廉也のインパール作戦に従軍させられたが、わずかに英語を話せたことで、英軍との交渉に当たる中で比較的早期に捕虜になり、おかげで生還率数パーセントの戦場から帰国することができた。

 帰国後は、国鉄機関士に復帰し、後に国労や愛労評の役員を務めた。
 97歳まで長命だったが、その理由について、インパールに散った戦友たちのことを口にしていた。
 「もの凄い数の死者のなかで生き残った者は、死者の分まで生きねばならない……」

 私は、老人施設にいた実父からビルマのことを何回も聞き出していたが、彼は、ビルマ北部の山岳民族について、夢見るように賛美していたことを思い出す。
 ビルマ北部の西側は、2000メートル級の山岳地帯で、日本軍がインパール作戦で惨敗したのは、この山々に兵器を持って、水牛を連れて徒歩で超えようとして、力を使い果たしたからだったといわれるが、この土地の先住民は、インドシナ半島山岳地帯の高地民族で、雲南高地族と同系列であった。

 実父が言うには、とにかく女性たちが美しく魅力的だったと言うのだ。
 みんな女性らしい容姿で、本当に可愛い女性ばかりだったという。私が後に理解したことは、この地域には、プエラリアという野生芋が採れて、これを食べていると、女性が美しくなるということだった。
 今は、プエラリア芋は、日本でも人気のサプリメントになっている。

 ビルマのことを語るとき、竹山道雄による「ビルマの竪琴」という小説と映画を忘れられない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E7%AB%AA%E7%90%B4

 この本当のモデルは、群馬県利根郡昭和村の住職、武者一雄だったことが明らかにされた。
 私は、この物語を読んでいるだけで、あまりの悲しさに涙が止まらなくなるので、最後まで読めなかった。
 しかし、竹山道雄が反戦主義者だと思っていたのに、実は国粋主義者だと知ってからは、この物語に対する感動が失われた。
 しかし、実父は自分の体験と直接重なっているので、特別の思いがあったようだ。私の子供の頃は、テレビが、市川崑の「ビルマの竪琴」を繰り返し放送していた。
 だから「水島上等兵」と聞いただけで、ストーリーが浮かぶほどだった。

 インドシナ半島は、欧米列強の植民地政策の好餌にされていて、ベトナム・ラオス・ビルマ・タイ・ビルマは、英仏和軍に支配され、先住民は、事実上、奴隷としての扱いを受けていた。
 日本軍は、「東アジア住民を欧米列強の植民地政策から解放する」というのが、大東亜共栄圏構想の大義名分であったから、これらの植民地軍を武力で追放することで、現地住民から圧倒的な支持を受けた。

 1941年末、アウンサン(スーチーの父)率いるビルマ独立義勇軍が、日本軍と共にイギリス統治下のビルマへと進軍、翌1943年4月にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、傀儡ビルマ国の首班とした。
 1945年アウンサンは日本傀儡政権であるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。

 傀儡ビルマ国では、台湾や朝鮮のような日本政府による支援がなく、教育体制にも手がつけられなかったため、大東亜共栄圏諸国のような親日的な雰囲気がない。

 1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行った。
 ビルマ・ラオス国境の「黄金の三角地帯」と呼ばれる世界最大のアヘン生産地を生み出したクンサーは、雲南反共軍=国民党軍の残党である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%9C%B0%E5%B8%AF
 蒋介石国民党軍が、どれほどアヘンに依存していたかを物語っている。

 CIAが国民党軍を大規模に援助し、アヘンの運び出しも行った。ビルマ連合政権は国際連合で中華民国と米国の策動に抗議した。一方では中国(中共)と連携し、シャン州の一部に中国人民解放軍および国軍部隊を展開し、国民党軍を追放した。
 これが、ミャンマー軍と中国共産党軍の深い結びつきの嚆矢で、以来、相互に深い関係が成立することになった。

 1958年、ビルマ社会主義計画党を結成したネ・ウィンが大統領となり、ビルマ式社会主義を掲げた。
 1988年まで、ネ・ウイン軍事独裁体制が強固に続いたが、その資金源は、アヘンに依存したいびつな状態であった。

 アウンサンスーチーらは国民民主連盟 (NLD) を結党するが、選挙前の1989年に自宅軟禁された。
 1989年に軍政側はミャンマー連邦へ国名の改名を行った。
 1992年 タン・シュエ将軍が国家法秩序回復評議会議長兼首相に就任。
 保守派のソー・ウィンが首相に就任した2004年。中国・ビルマ・パイプラインの協議が中国との間で開始され、翌2005年に中国石油天然気との間で契約が成立し、中国のミャンマー進出が加速した。

 実は、このミャンマー中国石油パイプライン構想こそ、ロヒンギャのジェノサイドが起きた最大の原因であった。
 「天然気」は、中国共産党直轄企業で、中国が、中東の石油を、マラッカ海峡を経由せずに、ミャンマー屈指の良港であるチャウピュ港に上げて、そこから中国昆明の産業地帯に、パイプラインで石油を輸送するという計画を実現しようとしたが、そのルート上には、ロヒンギャ族の開墾地と集落があった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3

 世上、ロヒンギャがイスラム教徒であり、仏教とのミャンマー人と宗教上の対立があったことが、ジェノサイドの理由とされていたが、真実は違う。
 「天然気」が計画したパイプライン敷設地にロヒンギャが生活基盤を築いていたので、この追放をミャンマー軍に依頼したのが真実である。

 ロヒンギャ族に何が起きたのか?
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45393059

 このとき、ノーベル平和賞を受賞したほどの「民主派」と目されていたアウンサン・スーチーは、ロヒンギャに対して「国内先住民ではなく、バングラ難民にすぎない」と、異常に冷たかった。
 そして、中国べったりの政策を行った。本人も中国を訪れ、習近平との親しさをアピールした。
 https://www.asahi.com/articles/ASN1L64ZVN1LUHBI00Z.html

 現在、このパイプライン計画は着々と進み、もはやロヒンギャの土地は回復不能となっている。チャウピュ港も、中国資本によって大規模に開発が進んでいる。
 習近平は、間違いなく、ミャンマーの中国併合を腹に持っているはずだ。スーチーは、中国の手口をよく理解していないらしい。
 
 孤立するミャンマーに中国「一帯一路」の甘い誘惑(ロイター)
 https://jp.reuters.com/article/china-silkroad-myanmar-idJPKCN1UX1YN

 中国の「一帯一路」構想 ミャンマーへの思惑
 https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200113/mcb2001130500003-n1.htm

 中国の一帯一路構想における常套手段は、国家指導者に多額の賄賂を送って籠絡し、巨額の貸し付け債務を作り、中国人だけが儲かる多数のインフラ計画を実行させて、債務返済が困難になると、債務延滞と引き換えに、その国の有力な戦略的要衝を分捕るというものである。

 欧州玄関港を支配する中国、トロイの木馬と化すギリシャ
 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/15434

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 ミャンマーもまた、間違いなく「債務の罠」に引っかけられた鹿やイノシシの類いになっていて、この先は、債務返済困難と引き換えに、チャウピュ港が中国に分捕られるのは確実とみるべきだろう。
 アウンサン・スーチーには、中国政府から多額の資金が渡っているはずだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1013.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/769.html#c2

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
222. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:48:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-882]

片山さつきの悪質な嘘


2020年1月29日
消費「減」税は是か非か? 〜片山さつき議員とのTV討論報告〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/15287


先週、テレビ朝日の「羽鳥慎一のモーニングショー」のそもそも総研というコーナーの「消費減税 是か非か?」という企画で、消費減税賛成派の立場で登壇いたしました。「減税反対派」の方としては、自民党の税制調査会幹事(以下、税調幹事)の片山さつき衆議院議員が登壇されました。
この内容は、SNSなどを通して様々に拡散されたようです。消費減税の可能性について多くの方々にご一考頂く機会となり、大変有難く感じているところです。こうした機会を設けていただいた番組作成者、ならびに、ご議論いただいた片山さつき議員に心より感謝申し上げます。
このTV出演については既に
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
でもご報告差し上げていますが、今日は改めて、消費税減税が必要なのか否かを判断いただく際の基礎情報のご提供という趣旨で、片山自民党税制調査会幹事のご発言をご紹介いたしたいと思います。
(1)現在の景気の低迷は「台風」が原因と主張
まず、当方から今、消費、小売りが大幅に冷え込んでいること、しかもその冷え込みは、2014年の8%増税の時よりも激しい水準だと言うことを、下記データを用いて解説しました。

https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
これに対して片山議員は、現時点の景気の冷え込みは「台風」が大きな影響であると主張されました。
このご発言に対して、当方からは、消費増税直前の9月に大きな駆け込み需要があったことから考えて、この10月の消費の冷え込みの主要因は消費税であることは確実だと考えられます、と解説しました。

https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
当方と片山議員の見解は相違していますが、いずれの主張が正しいのでしょうか・・・? ご判断は是非、皆様にお任せしたいと思います。
(2)現在の消費の成長率の下落は「少子高齢化」が原因と主張
続いて、当方からこちらのグラフをお示ししながら、

https://twitter.com/bakutaro2/status/1220138689084325890/photo/1
過去、消費税増税を繰り返すたびに消費が冷え込み、かつ、その「成長率」が下落していっていることを解説しました。
そうしますと、この長期的な消費の伸び率の下落は「少子高齢化」が原因だと主張されました。
このご発言に対して、当方からは、次の様に発言差し上げました。
「少子高齢化の影響はゼロとは言わないけれど増税した途端にストンと下がって伸び率が下がってるんですから、このグラフを見て消費増税の影響がないって考える理性的な人は僕はこの世に存在しないと思う。詭弁を吐く人以外、消費増税が関係ないとは、絶対言えない。ですから、これを少子高齢化(が原因だ)と言うのは詭弁に過ぎると思う。」
筆者はどれだけ考えても、詭弁を弄しない限り、「少子高齢化主犯&増税無罪」説を唱えることは不可能だと思うのですが・・・いかがでしょうか?
(3)「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
さらに、討論の中で、片山さつき議員が、「人口が減っていくなか、社会保障費を確保するために消費増税が必要だ」とご発言されたので、当方から、今片山先生がおっしゃったのが政府の今の公式の見解だが、その政府の考え方は「完全に間違いだと大学教授として確信している」と申し上げました。
そもそも、片山先生がおっしゃったように人口が減っていくのだから、成長するためには、一人当たりの消費を増やさなければいけない、一方で、経済成長のメインエンジンは消費で、消費税は消費の罰金として働く、だから、そんな時に消費増税やったら、経済が奈落の底に落ちていくのは間違いない。1人あたりの消費を増やすのに、消費減税ほど効果的なものはない、と申し上げました。
そうしますと、片山議員は、
「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
とご発言されました。
これは、片山税調幹事は、消費増税をすると、奈落の底に落ちるリスクがある、そして、今、まさにそうなっている可能性がある、という認識を持っている、と解釈可能でしょう。
なお、当方はこのご発言について特に発言差し上げませんでしたが、奈落の底に落ちている可能性をご認識されているのなら、是非とも、その認識の下、消費減税も含めた徹底的な対策を政府与党としてさらにお進めいただきたいと思います。
(4)「マレーシアは消費税の代わりに物品税を導入してるから、結局、消費の伸び方は、消費税導入後も変わっていない」
最後に、ちょっと細かい点ですが・・・もう一つご報告します。細かすぎて、あまり詳しく説明するのは気が進まないのですが、あの番組を見て、筆者の説明に「間違い」「切り取り」等があったと誤解している視聴者も中にはおられるかもしれない・・・という点がありましたので、説明させていただきたいと思います。
今回の討論で、当方は5%への消費減税を行うことで、消費は確実に拡大すること、そしてそれを通して、税収も大幅に拡大するであろうという数値シミュレーションを報告差し上げました。

https://ameblo.jp/kinakoworks/image-12569605977-14701596986.html
その上で、これはもちろん一つの試算ではありますが、97年増税後の「実績」と類似した計算結果であることは、本試算の信ぴょう性をサポートする傍証だと思われる、と述べました。
さらに、
1)マレーシアでは消費税を廃止した直後、消費「増加率」が上昇したこと、
2)しかしその後に(消費税と類似した)売上税を再導入した結果、消費「増加率」はまた下落してしまったこと、
3)ただし、導入された売上税の方が廃止された消費税よりも規模が小さいことから、消費税導入直前よりも、売上税導入後の方が、消費「増加率」が高い状況となっている、
という実データを紹介し、こうした
「減税すると消費の伸び率が上昇する」←上記の1)
「増税すると消費の伸び率が下落する」←上記の2)
という動きは、今回の筆者の計算事例と全く同じ動きを示しているのであり、したがって、このマレーシアのデータもまた筆者の試算の正当性を部分的にサポートする傍証の一つだとお話しました。
以上で話が終わっていればそれでよかったのですが・・・これに対して、番組コーナーが終わり、もうCMにいかないといけない・・・というタイミングで、片山幹事長は、
a)実はマレーシアは、(藤井は触れてなかったが)消費税をなくしたんじゃなくて、結局、売上税を入れてる(!)。
b)しかも藤井さんは、消費増税の直前からのデータしか示していないが、「消費データ」の推移をみると、実は、増税前からマレーシアは成長していたのが分かりますよね(!)、だから、増税した後も、結局同じように成長しており、藤井さんが言うような増税の影響なんて見られないんです(!)。
という趣旨のお話をされました。
この説明を聞いたスタジオの人びとは、「結局どっちも都合のいいデータをもってきて、切り取って話ししてるだけなんだな」という空気になってしまいました。
反論したかったのですが、既にCM時間に食い込んでいる発言だったため、発言が全くできず、片山議員が藤井のデータの不当性を暴露したかのような雰囲気で番組が終わってしまいました。
・・・が、この片山議員の藤井批判は、完璧なる「藁人形論法」と呼ばれる詭弁です。
なぜなら、第一に、実際は当方は「消費税を廃止した後、売上税を導入した」と説明していたにも関わらず、片山議員はa)にて藤井がさもそれを無視しているかのように話をして、藤井の説明が不当である印象付けをされています。
しかも第二に、当方は消費の「伸び率」のグラフを示しており、それが消費税をなくし、売上税を導入する間に上昇し、かつ、売上税導入後にそれが下落している、という説明をしているのに、その説明の一切を無視して、ただ単に、消費税廃止&売上税導入の前後で「消費はどちらも同じように右肩上がりに伸び続けている」という事実をもってして、藤井の説明が不当である、という印象付けをされています。
したがってこの片山議員の最後の説明は、「藤井の説明の信頼性を毀損する印象操作のための藁人形論法」という詭弁と考えざるを得ないと思うのですが・・・・ご判断は全て、視聴者にお任せしたいと思います。
・・・
当方は、こうした議論が、万人が目撃できるTVという媒体で30分以上に渡って展開されたことだけでも、「真実」を国民に届ける大変に有難い機会になったものと思っております。
ついては繰り返しますが、TV局の関係者、そして、議論をさせていただいた片山さつき議員に、心からの感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
追伸1:
片山さつきさんが、なぜあんな発言をされたのか? について、最新の「キッチュ=まがい物/ウソ話」に関する社会心理学研究に基づいて、解説差し上げました。是非、ご一読下さい! 『「消費税を巡るTV討論」を、「キッチュ」の視点から人文学的・社会心理学的に考察しました。』
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
追伸2:
今週の「週刊クライテリオン・ラジオ」でも、「政府のウソ」についてお話しました。是非、お聞きください!
『「ウソをつく政府」と「ウソを許す国民」 日本はなんでこんな国になったのか?』
https://www.youtube.com/watch?v=rVwFSRNUUg8&feature=emb_logo


https://38news.jp/economy/15287
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c222

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
157. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月29日 19:50:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-881]
片山さつきの悪質な嘘

2020年1月29日
消費「減」税は是か非か? 〜片山さつき議員とのTV討論報告〜
From 藤井聡@京都大学大学院教授
https://38news.jp/economy/15287

先週、テレビ朝日の「羽鳥慎一のモーニングショー」のそもそも総研というコーナーの「消費減税 是か非か?」という企画で、消費減税賛成派の立場で登壇いたしました。「減税反対派」の方としては、自民党の税制調査会幹事(以下、税調幹事)の片山さつき衆議院議員が登壇されました。
この内容は、SNSなどを通して様々に拡散されたようです。消費減税の可能性について多くの方々にご一考頂く機会となり、大変有難く感じているところです。こうした機会を設けていただいた番組作成者、ならびに、ご議論いただいた片山さつき議員に心より感謝申し上げます。
このTV出演については既に
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
でもご報告差し上げていますが、今日は改めて、消費税減税が必要なのか否かを判断いただく際の基礎情報のご提供という趣旨で、片山自民党税制調査会幹事のご発言をご紹介いたしたいと思います。
(1)現在の景気の低迷は「台風」が原因と主張
まず、当方から今、消費、小売りが大幅に冷え込んでいること、しかもその冷え込みは、2014年の8%増税の時よりも激しい水準だと言うことを、下記データを用いて解説しました。
https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
これに対して片山議員は、現時点の景気の冷え込みは「台風」が大きな影響であると主張されました。
このご発言に対して、当方からは、消費増税直前の9月に大きな駆け込み需要があったことから考えて、この10月の消費の冷え込みの主要因は消費税であることは確実だと考えられます、と解説しました。
https://pbs.twimg.com/media/EO7YuT2U8AAG91N.jpg
当方と片山議員の見解は相違していますが、いずれの主張が正しいのでしょうか・・・? ご判断は是非、皆様にお任せしたいと思います。
(2)現在の消費の成長率の下落は「少子高齢化」が原因と主張
続いて、当方からこちらのグラフをお示ししながら、
https://twitter.com/bakutaro2/status/1220138689084325890/photo/1
過去、消費税増税を繰り返すたびに消費が冷え込み、かつ、その「成長率」が下落していっていることを解説しました。
そうしますと、この長期的な消費の伸び率の下落は「少子高齢化」が原因だと主張されました。
このご発言に対して、当方からは、次の様に発言差し上げました。
「少子高齢化の影響はゼロとは言わないけれど増税した途端にストンと下がって伸び率が下がってるんですから、このグラフを見て消費増税の影響がないって考える理性的な人は僕はこの世に存在しないと思う。詭弁を吐く人以外、消費増税が関係ないとは、絶対言えない。ですから、これを少子高齢化(が原因だ)と言うのは詭弁に過ぎると思う。」
筆者はどれだけ考えても、詭弁を弄しない限り、「少子高齢化主犯&増税無罪」説を唱えることは不可能だと思うのですが・・・いかがでしょうか?
(3)「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
さらに、討論の中で、片山さつき議員が、「人口が減っていくなか、社会保障費を確保するために消費増税が必要だ」とご発言されたので、当方から、今片山先生がおっしゃったのが政府の今の公式の見解だが、その政府の考え方は「完全に間違いだと大学教授として確信している」と申し上げました。
そもそも、片山先生がおっしゃったように人口が減っていくのだから、成長するためには、一人当たりの消費を増やさなければいけない、一方で、経済成長のメインエンジンは消費で、消費税は消費の罰金として働く、だから、そんな時に消費増税やったら、経済が奈落の底に落ちていくのは間違いない。1人あたりの消費を増やすのに、消費減税ほど効果的なものはない、と申し上げました。
そうしますと、片山議員は、
「奈落の底なのかどうかを、今見てるわけですよ」
とご発言されました。
これは、片山税調幹事は、消費増税をすると、奈落の底に落ちるリスクがある、そして、今、まさにそうなっている可能性がある、という認識を持っている、と解釈可能でしょう。
なお、当方はこのご発言について特に発言差し上げませんでしたが、奈落の底に落ちている可能性をご認識されているのなら、是非とも、その認識の下、消費減税も含めた徹底的な対策を政府与党としてさらにお進めいただきたいと思います。
(4)「マレーシアは消費税の代わりに物品税を導入してるから、結局、消費の伸び方は、消費税導入後も変わっていない」
最後に、ちょっと細かい点ですが・・・もう一つご報告します。細かすぎて、あまり詳しく説明するのは気が進まないのですが、あの番組を見て、筆者の説明に「間違い」「切り取り」等があったと誤解している視聴者も中にはおられるかもしれない・・・という点がありましたので、説明させていただきたいと思います。
今回の討論で、当方は5%への消費減税を行うことで、消費は確実に拡大すること、そしてそれを通して、税収も大幅に拡大するであろうという数値シミュレーションを報告差し上げました。
https://ameblo.jp/kinakoworks/image-12569605977-14701596986.html
その上で、これはもちろん一つの試算ではありますが、97年増税後の「実績」と類似した計算結果であることは、本試算の信ぴょう性をサポートする傍証だと思われる、と述べました。
さらに、
1)マレーシアでは消費税を廃止した直後、消費「増加率」が上昇したこと、
2)しかしその後に(消費税と類似した)売上税を再導入した結果、消費「増加率」はまた下落してしまったこと、
3)ただし、導入された売上税の方が廃止された消費税よりも規模が小さいことから、消費税導入直前よりも、売上税導入後の方が、消費「増加率」が高い状況となっている、
という実データを紹介し、こうした
「減税すると消費の伸び率が上昇する」←上記の1)
「増税すると消費の伸び率が下落する」←上記の2)
という動きは、今回の筆者の計算事例と全く同じ動きを示しているのであり、したがって、このマレーシアのデータもまた筆者の試算の正当性を部分的にサポートする傍証の一つだとお話しました。
以上で話が終わっていればそれでよかったのですが・・・これに対して、番組コーナーが終わり、もうCMにいかないといけない・・・というタイミングで、片山幹事長は、
a)実はマレーシアは、(藤井は触れてなかったが)消費税をなくしたんじゃなくて、結局、売上税を入れてる(!)。
b)しかも藤井さんは、消費増税の直前からのデータしか示していないが、「消費データ」の推移をみると、実は、増税前からマレーシアは成長していたのが分かりますよね(!)、だから、増税した後も、結局同じように成長しており、藤井さんが言うような増税の影響なんて見られないんです(!)。
という趣旨のお話をされました。
この説明を聞いたスタジオの人びとは、「結局どっちも都合のいいデータをもってきて、切り取って話ししてるだけなんだな」という空気になってしまいました。
反論したかったのですが、既にCM時間に食い込んでいる発言だったため、発言が全くできず、片山議員が藤井のデータの不当性を暴露したかのような雰囲気で番組が終わってしまいました。
・・・が、この片山議員の藤井批判は、完璧なる「藁人形論法」と呼ばれる詭弁です。
なぜなら、第一に、実際は当方は「消費税を廃止した後、売上税を導入した」と説明していたにも関わらず、片山議員はa)にて藤井がさもそれを無視しているかのように話をして、藤井の説明が不当である印象付けをされています。
しかも第二に、当方は消費の「伸び率」のグラフを示しており、それが消費税をなくし、売上税を導入する間に上昇し、かつ、売上税導入後にそれが下落している、という説明をしているのに、その説明の一切を無視して、ただ単に、消費税廃止&売上税導入の前後で「消費はどちらも同じように右肩上がりに伸び続けている」という事実をもってして、藤井の説明が不当である、という印象付けをされています。
したがってこの片山議員の最後の説明は、「藤井の説明の信頼性を毀損する印象操作のための藁人形論法」という詭弁と考えざるを得ないと思うのですが・・・・ご判断は全て、視聴者にお任せしたいと思います。
・・・
当方は、こうした議論が、万人が目撃できるTVという媒体で30分以上に渡って展開されたことだけでも、「真実」を国民に届ける大変に有難い機会になったものと思っております。
ついては繰り返しますが、TV局の関係者、そして、議論をさせていただいた片山さつき議員に、心からの感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
追伸1:
片山さつきさんが、なぜあんな発言をされたのか? について、最新の「キッチュ=まがい物/ウソ話」に関する社会心理学研究に基づいて、解説差し上げました。是非、ご一読下さい! 『「消費税を巡るTV討論」を、「キッチュ」の視点から人文学的・社会心理学的に考察しました。』
https://foomii.com/00178/2020012416024463005
追伸2:
今週の「週刊クライテリオン・ラジオ」でも、「政府のウソ」についてお話しました。是非、お聞きください!
『「ウソをつく政府」と「ウソを許す国民」 日本はなんでこんな国になったのか?』
https://www.youtube.com/watch?v=rVwFSRNUUg8&feature=emb_logo

https://38news.jp/economy/15287
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c157

[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事
悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事

そもそも、アメリカが何故今頃になって突如としてウィグルとかチベットで騒ぎ始めたか考えないと本質はわからないんだよ。
アメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。戦前のドイツ、戦後のソ連と日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。

「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。

ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。

ソ連崩壊後、アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。  しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ とは考えない。

これは当然、「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西 側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業 は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5 %。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど 無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政 権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html

[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
1. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 21:50:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-883]
万一、ロシアや中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c1
[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
2. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 21:57:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-882]
このオバサンはアメリカの本質がわかってない _ 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事
そもそも、アメリカが何故今頃になって突如としてウィグルとかチベットで騒ぎ始めたか考えないと本質はわからないんだよ。
アメリカに挑む新興勢力は必ず、米国の7割程度の国力をピークに、衰退期に入る。戦前のドイツ、戦後のソ連と日本がそうだったし、中国も同じくらいのGDPで頭打ちになり、衰退期に入りました。

「7割の法則」が在るのかどうか知りませんが、アメリカの衰退時期と新興国家の成長期が重なるとこうなっている。ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。

一方中華人民共和国が生まれた経緯はソ連以上に奇怪で、当時日本帝国と中華民国(今の台湾)が戦争をしていました。中華民国は日本との戦争で疲弊してボロボロになり、そのせいで国内の対抗勢力の共産軍(毛沢東)に敗れました。大戦終了後に、余力があった共産軍は大陸全土を支配し、中華民国は台湾島に追い払われて現在の中国ができた。

ソ連、ロシアともに成立過程を嘘で塗り固めていて、ソ連は民衆蜂起、中国は日本軍を追い払った事にしている。両国とも本当の歴史を隠すためか、盛大な戦勝式を行って国民の結束を高めるのに利用しています。ソ連・中国ともに共産国家であり、「全世界で共産主義革命を起こし世界統一国家を樹立する」のを国是としている。

ソ連崩壊後、アメリカは「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう この国を破壊し尽くそう」と考えた。

アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらい いだろうかと考えました。

 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。  しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなこ とは考えない。

これは当然、「ロシアが二度とアメリカに 反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。

 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した

 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西 側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業 は壊滅した。

 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5 %。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。

 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど 無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政 権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。

万一、中国やロシアや日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c2

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
5. 中川隆[-14198] koaQ7Jey 2020年1月29日 22:14:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-881]
悪の帝国アメリカとイギリスが香港で帝国主義・植民地主義に基づいた反中国運動を扇動している。
ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 

1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。
 
リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 
学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。
その年の5月に戒厳令が敷かれた。抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。

吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 
台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。
東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。
____

アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。 

香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。 

反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c5

[番外地7] アメリカとイギリスが香港で反中国運動を扇動している 中川隆
6. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月29日 22:16:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-880]
万一、現在アメリカの植民地の中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/433.html#c6
[近代史3] フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』


若き日のホロヴィッツは史上最高、前代未聞・空前絶後の超天才でしたね:


ホロヴィッツ 『ショパン ピアノソナタ第2番 変ロ短調』


Vladimir Horowitz: 1936 Chopin Piano Sonata No. 2 (first movement)


March 9, 1936.
I. Grave. Doppio movimento
(all the other movements were attempted on June 2, 4 & 6, 1935 and March 9 1936, but never released - the metal masters were destroyed).


▲△▽▼


Chopin - Piano sonata n°2 - Horowitz 1950




Vladimir Horowitz
Studio recording, New York, 13.V.1950


▲△▽▼


Vladimir Horowitz 1962 Chopin Piano Sonata No. 2 in B-flat minor





Recording: CBS 30th Street, New York City, April 18th & 24th, and May 9th & 14th, 1962.


▲△▽▼


Chopin-piano sonata (Horowitz at White House 1978) 2.wmv





This si Vladimir Horowitz playing Chopin's 2nd piano sonata at the white house


▲△▽▼
▲△▽▼


フレデリック・ショパン ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35


第3楽章に有名な葬送行進曲が用いられていることから「葬送」または「葬送行進曲付き」の副題でよく知られる。
1839年にノアンで作曲されたが、葬送行進曲は他の楽章に先立ち、1837年には作曲されていたらしい。

全体に悲劇的かつ陰鬱で、葬送行進曲が用いられている(もちろん誰にも献呈されていない)ことなどから、当時のポーランドの悲劇的状況を反映したものではないかとも言われるが、ショパンの真意は定かでない。


このあとのソナタ作品は完全なピアノ独奏でなく室内楽を志向した構造になっているので、事実上ピアニズムの精華といえるのは本作だけである。葬送行進曲を中心として構成された最高傑作という点に人間ショパンの一面が象徴されている。


また、全ての楽章が短調で書かれてはいるものの、上記のように前半楽章は両者とも長調で閉じられる他、第1楽章の第2主題や、スケルツォと葬送行進曲、それぞれのトリオも優美な長調の音楽なので、暗いばかりの作品というわけではない。


なおこの曲は古典的なソナタの構成感に乏しいと指摘される。ロベルト・シューマンは当時の評論の中で「ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた」と評し、「田舎の音楽教師がソナタの名につられて、素晴しい古典だろうと思って楽譜を買い求め、いざ弾いてみて激怒する」様子を面白おかしく想像している。もちろんシューマンはショパンを批判しているのではなく、その古典的形式にとらわれない斬新な独創性を(「旧態依然たる音楽観の持ち主たちにはこの曲は理解できまい」という皮肉を込めて)絶賛しているのである。


アントン・ルビンシテインはこのソナタを「死の詩(うた)」と評した。


曲の構成


第1楽章 グラーヴェ - ドッピオ・モヴィメント
変ロ短調 - 変ロ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。


短い劇的な後の陰鬱な序奏で始まり、2倍の速さ(ドッピオ・モヴィメント)の嵐を思わせる第1主題、対照的におだやかで叙情的な第2主題と続く。展開部はもっぱら第1主題をもとに展開され、再現部は第2主題だけからなるという変則的なソナタ形式をとる。再現部で展開部に用いた第1主題を再度再現させるのは冗長になるからである。なお、序奏の動機と第1主題の動機が全曲にわたって用いられていることをルドルフ・レティ(英語版)は自著で指摘している(参考文献参照)。


第1主題左手部に現れるリズムはショパン特有のもので、変ロ短調の前奏曲など陰鬱激烈な曲想にしばしば顔を出す。少し明るさを取り戻した3連符で第1部は終結する。第2主題は変ニ長調のコラール風のもので、冒頭の3音は第1主題の音形と音程が一致する。展開部は第1主題の転調展開。前の3連符も加わり、ベートーヴェンに似た昂揚が充満する。第1主題を省略するのは展開部の素材として消化し尽くされているからとも言える。再現部は変ロ長調に変わる他は形式通り。コーダでは左手に第1主題のリズムが出現し、和音の連続で終結する。


多くの楽譜では第4〜5小節の間(ドッピオ・モヴィメント)にリピート開始の縦線があるが、これはドイツ初版に基づいている。しかしその底本となった筆写譜では複縦線になっていて、冒頭から繰り返すようになっている。自筆譜(現存せず)が底本となったフランス初版でもリピート開始ではなく通常の縦線であるから、ドイツ初版の誤りである可能性が高い。


第2楽章 スケルツォ
変ホ短調 - 変ト長調、4分の3拍子、三部形式。


明るいと言うよりはむしろ破壊的に活発な主部と、嵐の過ぎ去った静けさの如くおだやかなトリオからなる三部形式。コーダにもトリオがわずかに顔を出す。主部は左手半音階、さらには両手声部半音階が不気味さを醸し出す。エンハーモニックな転調は作者の常套である。浄福なトリオは特に左手に旋律美がある。終結部は新規楽想を使わず見事に変ト長調に誘導されている。ショパンは、スケルツォ第2番やバラード第2番でも、副主題(トリオではない)の調で曲を閉じている。


第3楽章 葬送行進曲:レント
変ロ短調 - 変ニ長調、4分の4拍子、三部形式。


全曲中、最も有名な楽章。鐘を鳴らすような主題が次第に近づくように大きくなり、慰めるような変ニ長調のトリオ(後に書かれたチェロソナタ 作品65の第3楽章もこれに似ている)の後、最初の主題が現れて次第に去ってゆく。
なお、ショパンの葬儀の際にはナポレオン・アンリ・ルベールによって管弦楽編曲されたものが演奏されたといわれている。


第4楽章 フィナーレ:プレスト
変ロ短調、2分の2拍子、


両手のユニゾンが最初から終末間際まで続き、調性も明確でない。前述のレティは、第1楽章第1主題の音形が、この楽章では半音階の中に分散されていると解釈する。「葬送行進曲の後を受け、墓場に風が吹く」などと表現されるが、ショパン自身はこれを「行進曲の後で両手がおしゃべりをする」と表現している。こうした特質からか、第3楽章からアタッカで演奏するピアニストが多く、ガヴリーロフのCD(1984年 - 1985年録音)にいたっては1つのトラックに第3楽章と共に収められている。


なお、同様の書法で書かれた曲としては、彼自身の変ホ短調の前奏曲や、ショパンの友人であったシャルル=ヴァランタン・アルカンがこの曲と同じ1839年頃に作曲した『3つの大練習曲』作品76の第3曲が挙げられる(この3曲はそれぞれ左手のみ、右手のみ、そして両手ユニゾンで演奏される)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノソナタ第2番_(ショパン)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
106. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:02:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-879]
フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c106
[近代史3] フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』


コルトー 『ショパン 舟歌 Barcarolle 』


Chopin - Barcarolle - Cortot 1933





Alfred Cortot
Studio recording, London, 5.VII.1933


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Barcarolle in F-Sharp Major, Op. 60 1951




Alfred Cortot, piano (1951)


Having made a well-known recording of Chopin's Barcarolle in 1933, Cortot recorded it again in 1951. Although the playing is technically less secure, the subtle differences in the interpretation make this rarer recording worth hearing as well.



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フレデリック・ショパン 『舟歌』嬰ヘ長調(Barcarolle 作品60)


『舟歌』嬰ヘ長調(Barcarolle 作品60)は、フレデリック・ショパンが1846年に作曲・出版したピアノ独奏曲。シュトックハウゼン男爵夫人に献呈。


嬰ヘ長調、Allegretto、三部形式。


通常の舟歌は 2拍子系の8分の6拍子であるが、より優雅安楽な演出のために4拍子系の8分の12拍子にしている。ノクターンに近い曲想。


冒頭は調性不安定な和声進行。嬰ト短調−嬰ハ長調−主調と舟歌の浮揚感を象徴している。


パウゼ(休止)のあと主題が始まる。左手の特徴的なリズムの上に右手が3度6度の和声で叙情的に謡う。トリルも重音で現れるので滑らかな運指が必要。
中間部では一旦平行短調(嬰ヘ短調)で導入するが、対立や発展というより連綿と同様主題が転調反復される。イ長調の進行。しかし時に嬰ト長調(変イ長調)のアルペッジョを取り入れて単調な舟歌に節目をつけている。


モノフォニーの嬰ハ長調レチタティーヴォが現れ、音階進行とトリルの後、主題が左手オクターヴ奏法に乗って再現する。


調性不安定なクロマチックの後に6度の和声で主調が回想され、最後には下降音階が華々しく締めくくるが余韻嫋々とした演奏もある。


晩年の作品であり技術、表現の面で難易度が高いため演奏会で取り上げる場合は上級者向けの曲。
https://ja.wikipedia.org/wiki/舟歌_(ショパン)




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html

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107. 中川隆[-14195] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:24:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-878]

フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c107
[近代史3] フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』


コルトー 『ショパン 英雄ポロネーズ』


Alfred Cortot - Chopin : Polonaise op.53 "Heroic" 英雄ポロネーズ (1933) 再復刻






recorded 4, 5 July 1933
78rpm / Victor, D-8027(2B-5205/6)


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Chopin “Polonaise No 6, op 53 ‘Héroïque’” Alfred Cortot, 1952





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フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』


ポロネーズ第6番変イ長調 作品53は、フレデリック・ショパンが1842年に作曲し、翌年に出版したポロネーズ。
『英雄ポロネーズ』の通称で親しまれており、ショパンが作曲したポロネーズの中でも『軍隊ポロネーズ』(第3番イ長調)や『幻想ポロネーズ』(第7番変イ長調)とともに有名であり、人気が高い。


全体的に半音階的な上昇進行、動機の短縮、低音オクターヴによる音量効果がちりばめられておりピアノに管弦楽的な表現を遺憾なく発揮させている。色彩感を追求するあまり、難解になった作曲者の作品にしては、主題を執拗に繰り返すことで一貫した内容になっている。そのため聴衆側にも受け入れられやすい作品に仕上がっている。力強いリズムを持つ本作品は、ポーランドの栄光をたたえているとされ、ショパンの愛国心のあらわれと指摘される。


なお、『英雄ポロネーズ』と名付けたのはショパン自身ではなく、誰が付けたのかは現在不明であるが、一説にはショパンと関わりが深い弟子たち、あるいはこの曲を聞いて感心した人たちが付けたといわれている。


構成
変イ長調、Maestoso、3/4拍子。曲は複合三部形式で構成されている。


主題部
長い前奏の後に輝かしい第1主題が提示される。序奏は属調変ホ長調で半音階的な動機を中心に転調しながら繰り返される。7度の和声で効果的なオクターヴの進行の後に主題が現れる。両手のユニゾンは時に神がかった崇高さを歌い出している。平行短調を効果的に取り入れた別の主題がはっきりとポロネーズのリズムを刻む。ここは不協和音が多く切迫した演出に成功している。第1主題が多少の装飾を持って繰り返されたあとトリオに入る。


中間部
トリオではホ長調に転調し、左手のオクターヴ連打の上にメロディーが現れる。高らかな吹奏楽ファンファーレのメロディーの下にこのオクターブ連打は、曲中でかなりのテクニックを必要とする。トリオはさらに転調と曲想の変化を繰り返し、盛り上がったところで第1主題の再現となる。再現は不完全なままやはり壮大なコーダに入る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポロネーズ第6番_(ショパン)






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html

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108. 中川隆[-14194] koaQ7Jey 2020年1月29日 23:49:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-877]
フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c108
[近代史3] フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』


ホロヴィッツ 『ショパン 軍隊ポロネーズ』


Vladimir Horowitz, rejected take: Chopin, "Military" Polonaise. (1951)


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Vladimir Horowitz plays Chopin: Polonaise in A Major, Op. 40, No. 1 (1974)



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Arthur Rubinstein - Chopin Polonaise in C Minor, Op. 40 No. 2


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フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』


ポロネーズ第3番イ長調 作品40-1 は、フレデリック・ショパンが1838年に作曲したポロネーズ。『軍隊ポロネーズ』の通称で親しまれており、作品40-2と共に1840年にまとめられた。


2曲は曲想として一対を成す。この曲は明るく威厳があり、堂々とした曲想からこの俗称で呼ばれ、有名である。ポーランドの国の雄大さが表現されていると解する見方もあり、ショパンの勇壮な愛国心がうかがえる作品の一つである。


構成
Allegro con brio


曲はショパンの作品としては驚くほど単純な形式を持ち、序奏もコーダも経過部も持たない。初歩的な複合三部形式で書かれている。


主部はイ長調、中間部はニ長調であるが、曲想にあまり変化はなく、堂々としたリズムの伴奏の上で、オクターブで旋律が鳴らされるというものである。


後年管弦楽編曲も盛んにされた(『レ・シルフィード』など)。ショパンに特徴的な半音階進行がない。単純な曲想が広く受け入れられ、勇壮な愛称までつけられている。ハ短調ポロネーズの方が作曲技巧も練達しており、本作と対で発表していることに、作曲者と演奏者聴衆の各嗜好の相違が象徴されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポロネーズ第3番_(ショパン)




ポロネーズ第4番 (ショパン)


フレデリック・ショパンのポロネーズ第4番ハ短調作品40-2は前作と対になって1839年に作曲、翌年出版された。献呈先は友人のユリアン・フォンタナ。


前作の明朗快活な進行とは対照的に、低音のオクターブ奏法による鈍調さと陰鬱な演出をしている。アルトゥール・ルービンシュタインによれば、前作は作曲者故国ポーランドの栄光、本作はその没落を象徴している。


Maestoso
右手の主和音による簡単な序奏に乗って、左手が幅の広いオクターブを響かせる。随所に最強音を指示しているが物理的に音量を上げる以上の解釈が必要である。
中間部は変イ長調の感傷的なもの。半音階を使用して調性が不安定。 再現部では、主部の旋律が、中間部から誘導されたモチーフと絡み合いながら再現される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポロネーズ第4番_(ショパン)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
109. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:11:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-876]
フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c109
[近代史3] フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』


コルトー 『ショパン 幻想ポロネーズ』


Alfred Cortot plays Chopin Polonaise Fantaisie Op. 61 1947





Alfred Cortot: The Late Recordings, Vol. 1 (Recorded 1947)



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フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』


幻想ポロネーズ(Polonaise-Fantaisie)変イ長調、作品61は、フレデリック・ショパンのピアノ独奏曲。1846年に出版され、A.ヴェイレ夫人に献呈された。


「ポロネーズ第7番」ではあるが、所々にポロネーズ的リズムは散見されるも、構成からは幻想曲に近い。実際、ショパンは当初この曲の題を「幻想」としており、ポロネーズとしてではなく幻想曲として作曲していた。複雑な和声と自由な形式をもつ独創的な作品で、ショパンの独立した作品としては大規模な部類に入る。


作品
「この痛ましい幻影は芸術の域を超えている」とフランツ・リストは評している。
アルトゥール・ルービンシュタインやヴラジーミル・ホロヴィッツの演奏もあり20世紀半ばになって人気が出た。現在は同時期に書かれた舟歌(作品60)、チェロソナタ(作品65)とともに最晩年の傑作とされる。


楽曲
5つの主題(第1、第2の主題がポロネーズ風)による自由な形式を持ち、ショパンらしい悲愴なパッセージもしばしば現れるが、全体を支配するのは美しくも夢幻的な雰囲気であり、終盤では何かが沸き起こるかのような Allegro maestoso から、最後はやや快活なスケルツォ風に終わるなど、多彩な内容を持つ。
調性や、冒頭の4度降下のモチーフなど、幻想曲(作品49)との共通点も指摘される。


構成
Allegro maestoso、変イ短調(調号は変イ長調)、序奏。テンポ設定は緩く、自由即興的な転調を楽しむ。
Allegro maestoso、変イ長調、第1主題。ポロネーズのダンスリズムが登場。
Allegro maestoso、変イ長調、第2主題 — ホ長調 — 変イ長調
Allegro maestoso、変ロ長調、第3主題 — ロ短調。右手の華やかな走句が印象的。
Poco più Lento、ロ長調、第4主題。穏やかなコラール風の部分。
Poco più Lento、嬰ト短調/ロ長調、第5主題。左手シンコペーションが加わり、右手は半音階的な旋律を歌う。
Poco più Lento (lento)、ロ長調、序奏の再現
Poco più Lento、ヘ短調/変イ長調、第5主題―Allegro maestoso
Allegro maestoso、変イ長調、第1主題。三連符が右手中声部に現れる。
Allegro maestoso、変イ長調、第4主題。最後に高い主和音が曲の終わりを告げる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/幻想ポロネーズ



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
110. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-875]
フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c110
[近代史3] フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』


コルトー 『ショパン 夜想曲第2番 変ホ長調』


Alfred Cortot - Chopin : Nocturne in E-flat op.9- 2 (1929) 再復刻






recorded 13 March 1929
transferred from JPN Victor 78s /RL-38(CC-16227-2)


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Chopin “Nocturne No 2, op 9 2” Alfred Cortot, 1949




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Chopin “Nocturne No 2, op 9 2” Alfred Cortot, 1952


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フレデリック・ショパン 夜想曲第2番 変ホ長調 作品9-2


夜想曲第2番 変ホ長調 作品9-2 は、フレデリック・ショパンが1831年に作曲したピアノのための夜想曲。翌1832年に出版された。献呈はベルリオーズの元婚約者でピアノ製作会社プレイエル社長カミーユ・プレイエルの妻マリーに対し行われた。


この曲は全21曲あるショパンの夜想曲の中でも最もよく知られた曲であり、一般的に「ショパンのノクターン」と言えばまずこの第2番を指す。


また、この作品は作品9-1と同様、ジョン・フィールドからの影響を強く受けている。しかしながら、甘美な旋律が装飾されて繰り返されるだけなので、それほど内容があるとは言えない、という考え方もある[1]。また、ショパンはしばしば次の例のような変奏[2]を行っていたといわれ、弟子の楽譜にも変奏の例が書き込まれている。


構成
変ホ長調、アンダンテ、8分の12拍子。


ロンド形式風の"A-A-B-A-B-A-コーダ"という構成となっている。始終右手は装飾音で飾られた旋律を歌い、左手は同じリズムの旋律が繰り返される。旋律は再現のたびに装飾的に変奏され、ここにはショパンのイタリア・オペラの装飾的歌唱からの影響が見られる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/夜想曲第2番_(ショパン)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
111. 中川隆[-14191] koaQ7Jey 2020年1月30日 00:48:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-874]
フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c111
[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
1. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月30日 10:29:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-876]
アメリカがソ連みたいに中国共産党を滅ぼせば餓死者が何十億人も出て、日本にも難民が何億人も押し寄せますからね。
そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国
中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。

ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。

清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。

今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。

漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。

チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。

このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c1

[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
2. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月30日 10:35:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-875]
アメリカがソ連みたいに中国共産党を滅ぼせば餓死者が何十億人も出て、日本にも難民が何億人も押し寄せますからね。

そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c2

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
228. 中川隆[-14191] koaQ7Jey 2020年1月30日 11:20:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-874]

2020年01月30日
コロナ騒動でも日本株は下落せず、経済の構造が変化した


SARSで下落した日経平均は、今回は変動していない


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/EPUqDWAUYAAiFxB.jpg


ウイルス騒動でなぜ日経は下落しないのか

2019年末に中国で新型ウイルス騒動があり、中国経済に大打撃を与え世界経済にも影響があると言われている。

いつもなら忽ち円高になり日経平均は大暴落、あっという間にデフレ不況になるが今回はなっていません。

年末からの動きをチェックすると為替相場は新型肺炎発表まえの12月29日に1ドル109円43でした。



1月26日に1ドル108円81をつけたが、29日現在は1ドル109円08と騒動前の水準に戻っている。

日経平均は12月30日に2万3656円だったが現在は2万3379円とやや下落している。

だが新型肺炎発表前の19年11月は2万3000円、10月は2万1000円代だったので、それよりは高い水準にある。


新型肺炎がなければもっと上がっていたのかも知れないが、今のところ為替や株への影響は限定的です。

2002年から2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)では為替レートが大きく変動し、日経平均も下落していました。

SARSが発覚したのは2002年11月27日で、その前のドル円レートは1ドル120円から130円台とかなりの円安でした。


SARS騒動の最中ドル円は115円から120円で推移したが、2002年の前半は130円台、後半は120円台だったのと比べると10円以上円高になった。

日経平均は2002年に9000円から1万円前後だったのが、騒動中は7600円まで下落し、8000円台が多かった。

SARS期間中はドル円は10%程度円高になり、日経平均も10%程度は下落していたと思います。

円高になりにくい構造に変化した

今回の新型ウイルス騒動では、1か月経過した時点で為替相場も日経平均も、騒動前とほとんど変わりません。

これから下落する可能性もありますが、日本経済が危機に強い体質に変化したとも考えられます。

90年代から2000年代の日本経済は「輸出大国」を自負するほど輸出に依存しており、膨大な貿易黒字を持っていました。


2002年の貿易黒字は約800億ドル(約10兆円前後)もあり、最近は1兆円から10兆円以上の貿易赤字です。

その代わり最近は年20兆円前後の経常黒字なので、トータルでは2002年ごろより対外収支は儲かっている。

貿易黒字は物を輸出した金額で、経常収支は海外生産や海外子会社の利益などが多くを占めています。


90年代や2000年代は輸出で売り上げた代金が溜まると、ドルから日本円に換金されて円高を引き起こしていました。

今はトヨタやホンダの米国工場が仮に1兆円売り上げたとしても、米国内や新興国で再投資され日本に戻ってこない。

企業が日本本社にお金を送金したから円高になっていたので、海外で上げた売り上げを海外で使えば円高は起きません。


貿易赤字によって日本に送金されるお金が減り、経常黒字で儲けた金額は海外で再投資され円に交換されない。

この仕組みによって円高が起きにくくなり、日経株価も下落しにくくなっていると考えられます。

もっとも経常黒字の毎年20兆円が永遠に海外にとどまったままという保証もないので、一気に円に交換されると大変な事態になります。


毎年20兆円経常黒字なら10年間で200兆円、それだけのドルが一斉に円に交換されたら1ドル80円以下の超円高になるでしょう。

だが当面そうなることは無く、しばらくは1ドル100円台を保つのかも知れない。


為替レートが安定していたら日経平均も安定するので、大きく下落する事はないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/82076890.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c228

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』


ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』


Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms




Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950


________


Brahms - Vier ernste Gesänge 1 - Kathleen Ferrier


Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh;
wie dies stirbt, so stirbt er auch;
und haben alle einerlei Odem;
und der Mensch hat nichts mehr denn das Vieh:
denn es ist alles eitel.


Es fährt alles an einem Ort;
es ist alles von Staub gemacht,
und wird wieder zu Staub.
Wer weiß, ob der Geist des Menschen
aufwärts fahre,
und der Odem des Viehes unterwärts unter
die Erde fahre?


Darum sahe ich, daß nichts bessers ist,
denn daß der Mensch fröhlich sei in seiner Arbeit,
denn das ist sein Teil.
Denn wer will ihn dahin bringen,
daß er sehe, was nach ihm geschehen wird?


________


Brahms, Vier ernste Gesänge 2 Kathleen Ferrier


Alle, die Unrecht leiden unter der Sonne;
Und siehe, da waren Tränen derer,
Die Unrecht litten und hatten keinen Tröster;
Und die ihnen Unrecht täten, waren zu mächtig,
Daß sie keinen Tröster haben konnten.


Da lobte ich die Toten,
Die schon gestorben waren
Mehr als die Lebendigen,
Die noch das Leben hatten;
Und der noch nicht ist, ist besser, als alle beide,
Und des Bösen nicht inne wird,
Das unter der Sonne geschieht.


________


Brahms, Vier ernste Gesänge 3 Kathleen Ferrier


O Tod, wie bitter bist du,
Wenn an dich gedenket ein Mensch,
Der gute Tage und genug hat
Und ohne Sorge lebet;
Und dem es wohl geht in allen Dingen
Und noch wohl essen mag!


O Tod, wie bitter bist du.
O Tod, wie wohl tust du dem Dürftigen,
Der da schwach und alt ist,
Der in allen Sorgen steckt,
Und nichts Bessers zu hoffen,
Noch zu erwarten hat!
O Tod, wie wohl tust du!


__________


Brahms, Vier ernste Gesänge 4 Kathleen Ferrier


Wenn ich mit Menschen und mit Engelszungen redete,
Und hätte der Liebe nicht,
So wär' ich ein tönend Erz,
Oder eine klingende Schelle.
Und wenn ich weissagen könnte,
Und wüßte alle Geheimnisse
Und alle Erkenntnis,
Und hätte allen Glauben, also
Daß ich Berge versetzte,
Und hätte der Liebe nicht,
So wäre ich nichts.
Und wenn ich alle meine Habe den Armen gäbe,
Und ließe meinen Leib brennen,
Und hätte der Liebe nicht,
So wäre mir's nichts nütze.


Wir sehen jetzt durch einen Spiegel
In einem dunkeln Worte;
Dann aber von Angesicht zu Angesichte.
Jetzt erkenne ich's stückweise,
Dann aber werd ich's erkennen,
Gleich wie ich erkennet bin.


Nun aber bleibet Glaube, Hoffnung, Liebe,
Diese drei;
Aber die Liebe ist die größeste unter ihnen.


▲△▽▼


Brahms: Four Serious Songs, Flagstad & McArthur (1956)


Vier ernste Gesänge, Op. 121 (Four Serious Songs)


Kirsten Malfrid Flagstad (1895-1962), Soprano
Edwin McArthur (1907-1987), Piano


Rec. 22-23, 26-27 November 1956, in London


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Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore


Hans Hotter
Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951


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Dietrich Fischer-Dieskau; "Vier ernste Gesänge"; (1973); Johannes Brahms


Dietrich Fischer-Dieskau--Baritone
Wolfgang Sawallisch--Piano
1973


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Johannes Brahms, 27 Lieder und Vier ernste Gesänge, Dietrich Fischer-Dieskau, Sawallisch, Barenboim


Opus 97 Nr. 1-3, 5, 6
Opus 105 Nr. 1, 3-5
Opus 106 Nr. 1-5
Opus 107 Nr. 1, 2, 4
Vier ernste Gesänge, Opus 121
Opus 69 Nr. 3.5. 7
Opus 70 Nr. 1-4
opus 71 Nr. 1, 2


Dietrich Fischer-Dieskau, Baritone
Wolfgang Sawallisch, Piano (1 - 22)
Daniel Barenboim, Piano (23 - 31)


Recorded between 1964 and 1974


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Brahms - Vier ernste Gesänge - Fischer-Dieskau / Moore Salzburg 1958


Dietrich Fischer-Dieskau
Gerald Moore
Live recording, Salzburg, 9.VIII.1958


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Brahms - Vier ernste Gesänge - Fischer-Dieskau / Klust


Dietrich Fischer-Dieskau
Hertha Klust
Studio recording, Berlin, 20.IX.1949


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『4つの厳粛な歌』(Vier ernste Gesänge)は、ヨハネス・ブラームスが作曲したバスとピアノのための歌曲集。


1896年5月7日、ブラームスが迎えることのできた最後の誕生日に書き上げられた。
初演は1896年9月9日にウィーンで、アントン・ジスターマンス(英語版)の歌とケーンラード・ボス(Coenraad V. Bos)のピアノによって行われた。
列席していたブラームスは「完璧に(私の)意図を理解していた」[1]と称賛したと伝えられる。同年中に出版され、友人マックス・クリンガーに献呈された。


テキストは『ドイツ・レクイエム』と同様に聖書(ルター聖書)から取られている。
ブラームスが完成させた最後の声楽曲であり、この後に書かれた作品はオルガンのための『11のコラール前奏曲』のみである。
このため、3月26日にクララ・シューマンが脳出血で倒れ完成直後に亡くなっていることもあって、自らの死を予期したブラームスが死にいま一度向き合った、いわば「辞世」の作品とみなされる。


自筆譜には管弦楽版の構想も書きつけられており、エーリヒ・ラインスドルフ、ギュンター・ラファエル、デトレフ・グラナート(英語版)、ヘンク・デ・フリーヘル(英語版)が管弦楽伴奏版の編曲を試みている。また、マックス・レーガーがピアノ独奏のための編曲を残している。


楽曲構成


全4曲からなり、演奏時間は18分前後。
テキストは第1-3曲が旧約聖書から、第4曲は新約聖書から取られている。

第1曲 人の子らに臨むところは獣にも臨むからである(Denn es gehet dem Menschen) 伝道の書3章19-22節。アンダンテ‐アレグロ、ニ短調、4/4拍子‐3/4拍子。A-B-A'-Bの複合二部形式で、荘重なアンダンテと力強いアレグロとが交互に現れる。


第2曲 わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た(Ich wandte mich, und sahe an) 伝道の書4章1-3節。アンダンテ、ト短調、3/4拍子。繰り返される下行音形が深い苦しみを表現する。終結部はわずかな安らぎを見せ、ト長調で終止する。


第3曲 ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか(O Tod, wie bitter bist du) シラ書41章1-2節。グラーヴェ、ホ短調、3/2拍子。前二曲に増して重々しい足取りで進む。後半はホ長調となり、死の救いを歌う。


第4曲 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても(Wenn ich mit Menschen) コリント人への第一の手紙13章1-3, 12-13節。アンダンテ・コン・モート・エド・アニマ‐アダージョ、変ホ長調、4/4拍子。曲集中唯一、一貫して長調で書かれた曲であり、旋律も大きく躍動する。第1曲と同様の二部形式で書かれ、ロ長調、3/4拍子のおおらかな旋律が対比される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%8E%B3%E7%B2%9B%E3%81%AA%E6%AD%8C

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
112. 中川隆[-14190] koaQ7Jey 2020年1月30日 12:02:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-873]
ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c112
[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』


ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello




Mischa Maisky · Pavel Gililov
℗ 1990 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


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Adolf Busch- Sonata n°1 Brahms (3rd mvt)


Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London


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8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen


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8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen


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Dietrich Fischer-Dieskau; "Nachklang"; Johannes Brahms



Dietrich Fischer-Dieskau--Baritone
Jörg Demus--Piano
1958


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Brahms: Lieder und Gesänge op.59 - 4. Nachklang




Dietrich Fischer-Dieskau
Daniel Barenboim
℗ 1983 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


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Regenlied op. 59 Nr. 3 (Live)


Brahms: Regenlied, Op.59, No.3 · Dietrich Fischer-Dieskau · Jörg Demus


℗ 1958 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


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Brahms: Lieder und Gesänge op.59 - 3. Regenlied


Dietrich Fischer-Dieskau · Daniel Barenboim
℗ 1983 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


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■Acht Lieder und Gesänge 8つの歌曲と歌 Op.59 (1871)


1 Dämmrung senkte sich von oben たそがれが上方から降り来て 詞:ゲーテ
2 Auf dem See 湖上にて 詞:ジムロック
3 Regenlied 雨の歌 詞:グロート
4 Regenlied 「余韻」作品59-4_「雨の歌」遺作24(1870年作曲) 詞:グロート
5 Agnes アグネス 詞:メーリケ
6 Eine gute,gute Nacht ぐっすりとおやすみなさい 詞:ダウマー 原詩:ロシア詞
7 Mein wundes Herz ぼくの傷ついた心は 詞:グロート
8 Dein blaues Auge きみの青い瞳 詞:グロート
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/COMP/Brahms.htm


8つの歌曲 op.59
ヴァイオリンソナタ第1番で引用されたことで有名な「雨の歌op.59-3」を含む歌曲集.


第1曲 黄昏が天より降り Dämmerung senkte sich von oben
黄昏時の持つ独特な神秘性を歌う. 重い音楽だが途中で一筋の光が差す.


第2曲 湖上で Auf dem See
湖の上から見られる空, 山, 波といった景観を称える歌. 民謡調の平易な旋律が親しみやすい.


第3曲 雨の歌 Regenlied
153小節の大規模な作品. 雨の日に幼い頃の楽しかった思い出に耽る, という歌詞. しっとりとした旋律, 細やかなピアノの動きの醸し出す情感は筆舌に尽くしがたい.


第4曲 余韻 Nachklang
「雨の歌」と同じ旋律による歌. 第3曲を作曲した「余韻」で作られたとされる.


第5曲 アグネス Agnes
3拍子+2拍子+2拍子という変則的な拍子 (ピアノトリオ第3番第3楽章でも採用されている) の旋律による. この拍子のために, 失恋の悲しみがとめどもなく押し寄せてくることが強調される.


第6曲 ぐっすりとおやすみなさい Eine gute, gute Nacht
横で眠る恋人への恋情で寝付けない, という歌. 増四度の特徴的な響きが, 恋人の「おやすみ」という言葉で揺れ動く心を映し出している.


第7曲 ぼくの傷ついた心は求める Mein wundes Herz verlangt
やや意表を突く短い前奏の後, 伴奏なしで歌唱が始まる. 行き詰まっているのにどうすべきかわからない焦燥感で全編が統一されている.


第8曲 きみの青い瞳 Dein blaues Auge
愛する人の瞳を覗き込んだときに湧き上がる様々な感情が, しっとりとした響きのピアノで表現される.
http://jb098.blogspot.com/2016/02/8-op59.html


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Regenlied 「余韻」  Acht Lieder und Gesänge Op.59-4  
作品59-4_「雨の歌」遺作24(1870年作曲)
詩: グロート (Klaus Groth,1819-1899) 
曲: ブラームス (Johannes Brahms,1833-1897) 


Regentropfen aus den Bäumen
Fallen in das grüne Gras,
Tränen meiner trüben Augen
Machen mir die Wange naß.


Wenn die Sonne wieder scheinet,
Wird der Rasen doppelt grün:
Doppelt wird auf meinen Wangen
Mir die heiße Träne glühn.


木々より落ちる雨は
青草の上に落ち
わが悲しき目より流れた涙は
頬をぬらす


再び太陽が輝けば、
草はさらに倍に青くなり
わが頬のあつい涙は
さらに倍に燃える


「余韻」作品59-4
この歌曲は、「雨の歌」の補足のようなものとして知られていますが、ブラームスは最初、この曲を出版するつもりはなかったようです。
詩の内容は、「雨の歌」と違って、とても悲しい歌です。
それに、「雨の歌」とほとんど同じメロディーをつけた理由は、よくわからないですね。「雨の歌」より前に作曲されたのでしょうか。
この曲は「雨の歌」と対で録音されており、「雨の歌」で上げた歌手の録音が上げられます。


「雨」遺作23(1870年作曲、詩;クラウス・グロート)
この曲は、1870年ごろに作曲されたということになっていますが、この時期、ブラームスはクララ・シューマンの娘のユーリエに失恋して,苦しんでおり(「アルトラプソディー」が書かれた)、この歌曲もそうした心境を映していると言いたくなる様な悲しい歌曲です。勿論この曲は、ブラームスの生前には、出版されなかったわけですが。
「余韻」と違って、半音階の進行が多く、とても魅力的な歌曲だと思います。
意外と録音の種類が少なく、私が聴いたのは、
1. エディット・マティス(Pf ヴァイス)
2. ジェシー・ノーマン(Pf バレンボイム)
どちらも素晴らしいですが、私はエディット・マティスをとります。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S119.htm


Regenlied 雨の歌   Acht Lieder und Gesänge Op.59-3
詩: グロート (Klaus Groth,1819-1899) 
曲: ブラームス (Johannes Brahms,1833-1897) 


Walle,Regen,walle nieder,
Wecke mir die Träume wieder,
Die ich in der Kindheit träumte,
Wenn das Naß im Sande schäumte!


Wenn die matte Sommerschwüle
Lässig stritt mit frischer Kühle,
Und die blanken Blätter tauten,
Und die Saaten dunkler blauten.


Welche Wonne,in dem Fließen
Dann zu stehn mit nackten Füßen,
An dem Grase hin zu streifen
Und den Schaum mit Händen greifen.


Oder mit den heißen Wangen
Kalte Tropfen aufzufangen,
Und den neuerwachten Düften
Seine Kinderbrust zu lüften!


Wie die Kelche,die da troffen,
Stand die Seele atmend offen,
Wie die Blumen,düftertrunken,
In dem Himmelstau versunken.


Schauernd kühlte jeder Tropfen
Tief bis an des Herzens Klopfen,
Und der Schöpfung heilig Weben
Drang bis ins verborgne Leben.


Walle,Regen,walle nieder,
Wecke meine alten Lieder,
Die wir in der Türe sangen,
Wenn die Tropfen draußen klangen!


Möchte ihnen wieder lauschen,
Ihrem süßen,feuchten Rauschen,
Meine Seele sanft betauen
Mit dem frommen Kindergrauen.


雨よ降れ、降れ
子供のころのあの夢を
もう一度呼び覚ましてくれ、
雨水が砂の上で泡立つ時に


すがすがしい冷気に、たちまち
夏のものうげな暑さが和らぐ時に、
そして青い葉が雨にぬれ
麦畑がいっそう青くなる時に


裸足で雨に打たれ、
草の中に手をさし伸べ、
手で水の泡に触れるのは、
なんと楽しいのだろう


そうでなければ、頬に冷たい雨を
受けとめて、
子供の頃に還った胸が、
初めて立ち上る香りに包まれるのは


濡れて水を滴らせている、
その盃の形をした花のように、
初めての香り、天からの露に
酔った花のように、心はらくに呼吸する


身震いのするほど冷たい、全ての雨滴が
降りてきて、この鼓動する胸を冷やし、
こうして、創造の聖なる営みが
私のひそやかな命に忍び入るのだ


雨よ降れ、降れ
あの昔の歌をもう一度呼び覚ましてくれ
雨だれが外で音をたてていたときに
戸口でいつも歌ったあの歌を


もう一度、あの、やさしい湿った雨音に
耳を澄ませていたい
聖なる、子供のときに感じた畏れに
私の心はやさしくつつまれる


この「雨の歌」の内容は、ちょっと変わっています。子供の頃を思い出しながら、自然の造化の妙に神を感じると言う詩です。
「こうして、創造の聖なる営みが、私のひそやかな命に忍び入るのだ」というところが一つの山ですが、フィッシャー・ディースカウはうまく祈るように歌っていますね。


有名な歌曲ですが、私の知る限り録音が少なく、以下のものを聴きました。


1. フィッシャー・ディースカウ(3種録音あり)
2. オラフ・ベーア(pf:ジェフリー・パーソンズ)
3. アンドレア・シュミット(pf:ヘルムート・ドイチュ)
4. ルート・ジーザク(pf:ウルリッヒ・アイゼンロール)


やはりこういう心と頭を両方使うような内容の歌はフィッシャー・ディースカウですね。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S118.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
113. 中川隆[-14189] koaQ7Jey 2020年1月30日 13:24:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-872]
ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c113
[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』


ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』


Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2
Mischa Maisky - Song of the Cello



Mischa Maisky · Pavel Gililov


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Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2





Kathleen Ferrier · Bruno Walter
Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.


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Margaret Price 5 Lieder, Op. 105: No. 2. Immer leise wird mein Schlummer


Margaret Price
James Lockhart


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Elly Ameling Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2


Elly Ameling · Dalton Baldwin
℗ 1977 Universal International Music B.V.


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Brahms - Lieder (Op 105)


00:00 - Wie Melodien zieht es mir
02:17 - Immer leiser wird mein Schlummer
05:47 - Klage
07:40 - Auf dem Kirchhofe
10:22 - Verrat


Ann Murray/Stephen Kovacevich



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■Fünf Lieder 5つの歌曲 Op.105 (1886)


1 Wie Melodien zieht es メロディのように 詞:グロート
2 Immer leiser wird mein Schlummer わが眠りは一層浅くなり
3 Klage 嘆き 詞:ドイツ語の民謡
4 Auf dem Kirchhofe 教会の庭で 詞:リリエンクローン
5 Verrat 裏切り 詞:レムケ
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/COMP/Brahms.htm


Immer leiser wird mein Schlummer   Fünf Lieder Op.105-2   
わが眠りは一層浅くなり  
詩: Hermann von Lingg,1820-1905   
曲: ブラームス (Johannes Brahms,1833-1897) 


Immer leiser wird mein Schlummer,
Nur wie Schleier liegt mein Kummer
Zitternd über mir.
Oft im Traume hör ich dich
Rufen drauß vor meiner Tür,
Niemand wacht und öffnet dir,
Ich erwach und weine bitterlich.


Ja,ich werde sterben müssen,
Eine Andre wirst du küssen,
Wenn ich bleich und kalt.
Eh die Maienlüfte wehn,
Eh die Drossel singt im Wald:
Willst du mich noch einmal sehn,
Komm,o komme bald!


わが眠りは一層浅くなり
まるでヴェールのように、悲しみだけが
震えながら私を包む
時折 夢の中で私はあなたの声を聞く
私の戸口の前で呼んでいるのを
だが誰も目覚めず あなたを呼び入れない
私は目覚め 苦い涙を流すのだ


そうだ、私は死ぬのだろう
他の人にあなたはくちづけするのだ
もし私が青ざめ冷たくなってしまったならば
五月の風が吹く前に
ツグミが森で歌いだす前に
もしもあなたがもう一度私に会いたいと思ってくれるなら
来ておくれ、おお来ておくれ今すぐ!
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S2212.htm




ブラームス/まどろみはますます浅く 〜 《5つの歌曲 Op. 105》より
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-2211.html


ブラームスのピアノ協奏曲第2番第3楽章の有名な冒頭主題はチェロが独奏する牧歌的な旋律。


ブラームス自身、この主題がとても気にいっていたのか、後に《5つの歌曲 Op.105》の第2曲「まどろみはますます浅く」の旋律に転用している。


詩は Hermann Van Lingg。


ピアノ協奏曲の第3楽章は変ロ長調。
主題旋律は穏やかで安らぎに満ちているので、子守歌のようにまどろんでしまいそう。
それと正反対に、歌曲「まどろみはますます浅く」は嬰ハ短調で、まどろむどころか、歌詞は悲嘆にくれた痛切な思いを切々と綴っている。


同じ主題を別のフォーマットの曲に転用することは多いけれど、長調と短調を入れ替えて曲想を180度変えるのは、珍しいかも。


この主題旋律は、長調でも短調でもとても美しい。
短調の歌曲は”Langsam und leise”(ゆっくりとそっと静かに)。静けさの奥深くで強く抑えた感情が滲みでてくるようで、ブラームス独特の陰翳が濃い。
調べてみると、第3楽章の中間部でクラリネットが弾いている旋律も、歌曲《Todessehnen/死へのあこがれ Op.86-6》へ転用されている。


もしかして、ピアノ協奏曲の方でも、表面上の穏やかさとは裏腹に抑制された哀感を篭めていたのだろうか?


《5つの歌曲》は "für eine tiefer Stimme" とあるので、アルトのレパートリーとして有名らしい。ソプラノ歌手もよく歌っている。(録音があるのは、フェリアー、シュトゥッツマン、ポップなど)


これはアルトではなく、ソプラノのマーガレット・プライスの歌。
Margaret Price: Immer leiser wird mein Schlummer by Johannes Brahms
(James Lockhart, piano)



こちらがピアノ協奏曲第2番第3楽章。
冒頭のチェロ独奏は、ウィーンフィルの首席チェロ奏者シャイヴァイン。
クラリネット独奏は7:00〜。(注意して聴いていないと、歌曲《Todessehnen》で使われている旋律と同じだとわからないかも)


Brahms - 4_5 - Piano Concerto N 2 - 3° mov. - Andante - Pollini - Abbado.


*Comment


5つの歌曲


ホルンも好きだけど、チェロも好きなので、この部分もとても大好き!ですが、歌曲に転用されていたとは知りませんでした。クラリネット独奏のところなどは、指摘してもらわなければ、気付かないまますぎてしまいそうです。


歌曲もとてもブラームスらしい陰影のあるものですね。とっても好きだなあ。


これもアルトのための歌なんですね。ブラームスは自分のメロディーは、アルトが一番映えると自分で考えていたんでしょうか。
posted by Tea316 2012.08/09 08:36分



ブラームスとアルト歌手


Tea316様、おはようございます。


チェロ独奏はとっても素敵ですね!この曲では一番有名な旋律かも。
クラリネットの旋律は、メロディ自体が地味ですし、歌曲冒頭ではなく曲半ばで出てくるので、かなり注意して聴いていないとわからないかもしれません。


ブラームスの歌曲は聴けば聴くほど良いですね〜。


ブラームスは学生時代から好きなのですが、歌曲はピアノ曲や交響曲ほどにはしっかり聴いていなかったので、(年のせいか?)今になってその良さがよくわかるようになりました。


調べてみると、《5つの歌曲 Op. 105》は、当時ブラームスが恋していた24歳も年下のアルト歌手シュピースの声の素晴らしさに触発されて、書いた曲でした。
彼女には、歌曲のOp.96&Op.97も捧げられたそうです。ロマンティックな交響曲第3番もこの時期に書かれてます。


ブラームスの人生に深く関わりがあったアルト歌手やソプラノ歌手は数人いますから、彼女たちがブラームスの創作意欲を刺激したのではないかと思います。
それにブラームスは《アルト・ラプソディ》を書いていますから、アルトはもともと好きな声域なのでしょう。


ヴィオラを伴奏で使ったりソナタを書いたりしているのも、ヴァイオリンよりもやや低く地味目の音色を好んだのかもしれませんね。


posted by yoshimi 2012.08/09 08:56分
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-2211.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
114. 中川隆[-14188] koaQ7Jey 2020年1月30日 14:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-871]
ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c114
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
1. 中川隆[-14187] koaQ7Jey 2020年1月30日 15:54:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-870]


フルトヴェングラー


Furtwängler dirigiert Schubert: Große Symphonie Nr. 9 C-Dur (1942)











Berliner Philharmoniker
Leitung: Wilhelm Furtwängler
Aufnahme eines öffentlichen Konzerts in der Berliner Philharmonie
vom 6. Dezember 1942

1942年
●12月6-8日 6-8 Dec. 1942 BPO Philharmony(RRG=Melodiya=SFB)
Schubert Sym .No.9 シューベルト/第9 (o-70)

LP/PR: MelodiyaD10033('61?) TurnaboutTV4364('70) Columbia(JP)DXM109(71/02) SWF7201('72) ToshibaWF70008(75/05)
CD: PricelessD13272('87?) CrownPAL1027(87/04) MEL10 00723('93) DG427 773 2('89) WFG TMK017204('02) MythosNR5006('02) WFJ23('03) OpusKuraOPK7010('04)DeltaDCCA0004-5(04/12) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)

▼第9は戦時中でなければ出来得ない劇的な表現。
ただし、そこまでシューベルトに求める必要があるのかという疑問も残る。
オルセンはこの演奏を6月のベルリン芸術週間の際収録としている。
同時に演奏されたコルトーとのシューマン協奏曲の出現も期待されたが、'92年にH・シューベルトの未発表録音がメロディアから出て、この上記2曲の演奏日がほぼ確定するとともに、コルトーとの夢の録音は幻に終わりそうだ。
メロディアピンクを復刻したと思われるM&Aや東芝盤などでは終演時に「明瞭すぎる拍手」が収録されている。
メロディア聖火を復刻した日本協会盤はLPをストレートにデジタル化した好印象CD。
ソ連共産党員限定盤VSG復刻 Mythos CD もある。
独協会盤CDは戦後風の音質に改寵し各楽章間と冒頭に聴衆ノイズを加えた疑問盤。
現時点では、メロディアCDが雑音もすくなく最も良好にこの演奏を聞ける。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm


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F.Schubert Symphony#9 [ W.Furtwängler Berlin-PO ] (Dec/2~4/1951)





1951年
27,28 Nov. 1951 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)
Schubert: Sym.No.9

●11月27、28日、12月2、4日 シューベルト/ザ・グレイト BPO イエスキリスト教会 DGスタジオ録音

SP/PR: DG LVM72153-6('52)
LP/PR: LPM18015-6(52/03)
CD: DG4474392('96)POCG3619('97)
4,5 Dec. 1951 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)

>>>>Date provided by Mr Mike Gray. He is the Classical Music Editor of Fi Magazine in USA

▼初出盤はSP/LP両方で発売されたが、元はテープ録音。もう一つ録音に色彩があればと思うのは51年録音としては無理な注文か。(最近ウェストミンスターのCD復刻盤が出て、当時の録音でももっといいものがあるのを思うと悔しい。)

演奏は巨匠の全グレイト(全4種)のなかで一番好きなもの。
録音日については、各ディスコグラフィーでは単に12月としか記載されていない。
(V字のみ12月5日と記載) 上記日付は米Fi Magazineの編集者Mike Gray氏からのメールを通じ「the DG archival "Aufnahme-Protkolls"」に記載されたものを引用しました。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm



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Schubert - Symphony n°9 "The Great" - Vienna / Furtwängler 1953



Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Salzburg, 1953

1953年
30 Aug. 1953 VPO Salzburg(private arc.)
Schubert: Sym.No9
●8月30日 シューベルト/ザ・グレイト ヒンデミット/世界の調和 VPO ザルツブルク音楽祭 ロトヴァイザーラジオ収録 private archive

LP/PR(No9): RVCRCL3336(84/12)
CD: EMICHS5653532(94/09)ToshibaTOCE8467-8('94)TahraFURT1095(05/03=only Sym.)

▼両曲とも94年EMIから正規盤が出たが放送局音源ではなく夫人所有のテープかららしい。
音質はこの種のものとしては良好で、オリジナルに近いものと思われる。
ただし不思議なことに正規盤以前に出た第9の RVC盤(伊Laudis原盤)やヒンデミットCetra盤LP の方が EMI盤よりも高音質。
Tahraからstereo 表記で出るグレイトは、1楽章のみ試聴した限りでは若干の広がりを感じる高音質盤。但し、RVC盤に比べるとテープの違いのせいかドロップアウトが多い気がする。

52年肺炎を患って以来の巨匠の演奏は出来不出来(というよりも燃え方の違い?)がはっきりしている。このグレイトは40年代の巨匠の演奏を思わせるものと世評は高いが、なぜか終演を急ぎすぎて悲しくなってしまう。しっくりいかないのはshin-pだけだろうか。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm




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Schubert - Symphony n°9 - Berlin / Furtwängler 1953





Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Recorded Live on September 15, 1953
at Pallast-Berlin

1953年
15 Sep. 1953 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym.No.9

●9月15日 シューベルト/ロザムンデ序曲 未完成 ザ・グレイト BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR(No9): CetraFE12('82?)K22C185(82/06)
CD: WFJ13-14('90?)TAHRA FURT1010('94)TAHRA FURT1017(97/07)

▼15-17日まで3日連続のシューベルト演奏会初日の実況
9番は「チェトラ・フルトヴェングラー・エディション」の国内第一弾(K22C185=82/06=LP)として発売された。

TAHRA の CD はいつもの派手な音質加工がなく平凡な仕上がり。
ティタニアパラストの音質的限界を感じさせる一枚。

また韓国SKCが9月19日録音の 9番CDを伊Laudis原盤で発売したと言う情報もある。
SuitCDS1-6005('87=Laudis発売)は9月10日の表示。
同じ原盤を使った日RVC RCL3306(84/03)は9月15日の表記だった。
Laudis系のLP/CDは録音日が不確かなモノが多い。例えばRVC53年ベト1、Suite47年エグモントなど。

50年DR盤は、仙台S氏の調査でこの日の演奏と判明。
演奏は同年ザルツブルクでの第9に比べて、不出来なときの巨匠という演奏評が多いが−
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c1
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
2. 中川隆[-14186] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:10:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-869]

フルトヴェングラー ウィーン・フィル 1943


Symphony No.9 C major D. 944 The Great 1943 Vienna Philharmonic Orchestra










Wilhelm Furtwängler
Vienna Philharmonic Orchestra
Live Recording Stockholm 12.05.1943



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c2
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
3. 中川隆[-14185] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:16:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-868]

1943年
●5月12日 12 May 1943 VPO Stockholm Concert Hall(Swedish Radio)

Schubert: Sym.No.9 ザ・グレイト (o-81)

LP/PR: DiscocropRR405(75?) Columbia(JP)OZ7518BS(76/11) WFSJ JP1190('76?) SWF8403-4(84/05)
CD: King(JP)KICC2353('94) M&ACD802('97) SWF973('97) DanteLYS109('97)TAHRA FURT1040(99/02)

VPO ストックホルムコンサートホール スウェーデン放送収録

▼SWF盤の解説で詳説され、[参考資料@]でも桧山氏が述べているように、録音は英製スチールバンドを用いた後33回転盤にダビングされており、針音はあるものの鮮明で良好な音質。

SWF盤は第9のあとのアンコールを求める拍手が収録されており、録音の良さもあってか当時の雰囲気が伝わってくる。後半に行くに従って音質が良くなるせいもあって、メインのシューベルト・プロよりむしろ皇帝円舞曲の方に魅力があり、38小節しかない断片録音が悔やまれる。

グレイトには3楽章に演奏上のカットがある。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c3

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
4. 中川隆[-14184] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-867]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のシューベルト 交響曲第9(8)番「グレイト」 
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

ベルリン・フィル

DG。1951年12月、ベルリン、イエス・キリスト教会で録音。
OIBP化され、ハイドン「V字」とカップリング(447 439-2, 1CD、写真左)。

2011年、生誕125周年ということでシングルレイヤーのSACDも発売された(写真右)。 演奏・録音とも、フルトヴェングラーの全録音の中で最高の1枚。

ベルリン・フィル
DG。1942年12月8日ライヴ。マグネットフォン録音。

ソ連から返還されたデジタル・コピー・テープからのCD化である。

のち、ドイツ・フルトヴェングラー協会盤(TMK 017204)でも入手した。
こちらのほうが、余計な残響が無くて良い。



ウィーン・フィル
TAHRA。FURT 1040。1943年5月12日、ストックホルムでのライヴ。

スウェーデン放送協会のテープからCD化されたもので、音が大変良い。
演奏も全楽章通して熱気にあふれており、ライヴのフルトヴェングラーを堪能できる。



ベルリン・フィル
TAHRA。FURT-1008/11(写真左)。
1953年9月15日ライヴ。

「英雄」「運命」「田園」他とカップリングされた没後40年記念の4枚組。
同レーベルから同日の「未完成」とカップリング(FURT 1017、写真中央)でも出ている。
また、auditeから出たRIAS録音集(21.403、写真右)にも収録されている。

ウィーン・フィル

EMI。1953年8月30日、ザルツブルク音楽祭ライヴ。

初めEMI国内盤2枚組TOCE 8467/68で入手。同日演奏のヒンデミット「世界の調和」を収録し、さらに、この日のプログラムを全曲復元するために、当日のテープが残っていない「ドン・ファン」を翌年のEMIスタジオ録音を収録している。

2004年にORFEOから出た8枚組C409 048L(写真右)にも収録。
なんとこのBOXでも「世界の調和」とともにEMI録音の「ドン・ファン」を収録して当日のプログラムを再現しているが、その必要性が全く理解できない。EMI国内盤は譲渡した。

2005年、フルトヴェングラーの友人アルフレート・クンツ氏所蔵のテープからCD化されたTAHRA(FURT 1095/7、写真右)には、ステレオ録音の「魔弾の射手」とともに、この「グレイト」の「モノラルではない録音」が収録されている。しかし「魔弾」とは異なり、どう聴いてもちゃんとしたステレオのようには思えない。詳細不明としか言いようがない。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c4

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
5. 中川隆[-14183] koaQ7Jey 2020年1月30日 16:36:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-866]




ブルーノ・ワルター

シューベルト: 交響曲 第8(9) 番 ハ長調 D 944「ザ・グレイト」ワルター 1959





ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
31 Jan. & 2, 4, 6 Feb.1959

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c5
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』


アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』



ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
ブルーノ・ワルター 指揮 ロサンゼルス・スタンダード交響楽団







ロサンゼルス・スタンダード交響楽団 - Los Angeles Standard Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 16 July 1942


▲△▽▼



Dvořák: Symphony No. 9, Walter & ColumbiaSO (1959)




Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 14, 16, 20 February 1959, at American Legion Hall, in Hollywood


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交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』(英: From the New World、独: Aus der neuen Welt、チェコ語: Z nového světa)は、アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した、4つの楽章からなる最後の交響曲である。古くは出版順により第5番と呼ばれていたが、その後作曲順に番号が整理され、現在では第9番で定着している。


ドヴォルザークは1892年、ニューヨークにあるナショナル・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージック・オブ・アメリカ(ナショナル音楽院)の院長に招かれ、1895年4月までその職にあった。この3年間の在米中に、彼の後期の重要な作品が少なからず書かれている。作品95から106までがそれである。


この作品は弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』、チェロ協奏曲と並んで、ドヴォルザークのアメリカ時代を代表する作品である。ドヴォルザークのほかの作品と比べても際立って親しみやすさにあふれるこの作品は、旋律が歌に編曲されたり、BGMとしてよく用いられたりと、クラシック音楽有数の人気曲となっている。オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーの一つでもあり、日本においてはベートーヴェンの交響曲第5番『運命』、シューベルトの交響曲第7(8)番『未完成』と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもある。


『新世界より』という副題は、新世界アメリカから故郷ボヘミアへ向けてのメッセージ、といった意味がある。全般的にはボヘミアの音楽の語法により、これをブラームスの作品の研究や第7・第8交響曲の作曲によって培われた西欧式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。


作曲の経緯と初演


上述のようにこの曲は、ドヴォルザークのアメリカ滞在中(1892年 - 1895年)に作曲された。アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、「新世界から」故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われている。

「アメリカの黒人やインディアンの民族音楽の旋律を多く主題に借りている」という風にいわれることがあったが、これは誤解である。それはドヴォルザーク自身が友人の指揮者オスカル・ネドバルへの手紙に書いていることでも明らかである。その中で彼はこう言っている。


“私がインディアンやアメリカの主題を使ったというのはナンセンスです。嘘です。
私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたのです”と。

1893年12月15日に楽譜が出版された。初演は1893年12月16日、ニューヨークのカーネギー・ホールにて、アントン・ザイドル指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団による。初演は大成功だったと伝えられている。


楽器編成
持ち替えは一部で存在するものの、全体としては伝統的な2管編成に近い。


この曲の中で、シンバルは全曲を通して第4楽章の一打ちだけであることがよく話題となるが、奏者についてはトライアングル(第3楽章のみ)の奏者が兼ねることが可能である。この一打ちが弱音であるためか、「寝過ごした」「楽器を落として舞台上を転がした」などのエピソードが存在する(倉本聰はかつてフランキー堺主演で、この一打を受け持つ奏者の心理を描いた短編TVドラマを書いている)。実際クラシック初心者にとってシンバルの音はなくても気付かない、あるいはどこでなったのかわからない等と言われることもある。


イングリッシュホルンについては上述の通り、ドヴォルザークは第2オーボエ奏者の持ち替えとして作曲していると判断できるが、最近では単独のパートとして扱われることが多い。カーマス社の楽譜は、イングリッシュホルンを単独のパート譜として出版している。


チューバが使われているが、第2楽章のコラール部分のみ、合計10小節にも満たない。しかもバス・トロンボーン(第3トロンボーン)と全く同じ音(ユニゾン)である。これについては、初演時のオーケストラで第3トロンボーン奏者がバス・トロンボーンを用いていなかった(代わりにテナー・トロンボーンを用いた)ための代替措置に起因するという説がある。


第1楽章の再現部ではフルートの第2奏者によるソロが指定されている(理由は不明)。

フルート 2(ピッコロ持ち替え 1)、オーボエ2(イングリッシュホルン持ち替え 1)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、トライアングル、シンバル、弦五部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)


曲の構成
アメリカの音楽を取り入れながらも、構成はあくまでも古典的な交響曲の形式に則っている。 第1楽章で提示される第1主題が他の全楽章でも使用され、全体の統一を図っていることが特筆される。


第1楽章 Adagio - Allegro molto


アダージョ―アレグロ・モルト。ホ短調、序奏付きソナタ形式(提示部の反復指定あり)。 序奏は弦の旋律によって始まる。クラリネットやホルンの信号的な動機に続き、木管楽器に冒頭の旋律が戻ってくると、突如として荒々しく低弦とティンパニ、クラリネットが咆哮する。盛り上がった後一旦静まり、アレグロ・モルトの主部に入る。第1主題は10度にわたるホ短調の分散和音を駆け上がる動機と、これに木管楽器が応える動機からなっている。第1主題前半の動機はその後の楽章にも度々現れ、全曲の統一感を出す役割を果たしている。弦が一気に盛り上げ、トランペットのファンファーレと共にこの主題が確保される。次いでフルートとオーボエによるト短調の第2主題が提示される[2]。これは半音の導音を伴わない全音での自然的短音階であり、黒人霊歌を思わせる旋律となっている。続いてフルートにト長調で歌謡的な小結尾主題[2]が出る(こちらを展開部や後の楽章での再現、調性等の観点から、第2主題と捉える解釈もある[2])。これは黒人霊歌『静かに揺れよ、幌馬車(Swing low Sweet Chariot)』に似ている、という指摘もあるが、これに対しては、アメリカ民謡借用説の例にひかれ、全体もそのように書かれているような印象が広まってしまったものであり、そのように解釈するのは不適切であるという見解もある。また、この主題は提示部と再現部で一か所だけ付点音符の有無によるリズムの違いがあり、指揮者の解釈によって処理が異なる場合がある。この主題が弦に受け継がれて高潮し、提示部が終わる。提示部は反復指定があるが、ドヴォルザークの他の交響曲同様、あまり繰り返されない。展開部では第1主題と小結尾主題の2つの主題が巧みに処理される。再現部では第1主題が途中で遮られ、その後の主題は半音上がった調で再現される。調の変化で主題をより劇的にする巧みな主題操作が見て取れる。小結尾の主題に第1主題が戦闘的に加わるとコーダに入る。幾分不協和なクライマックスを迎えた後、トランペットのファンファーレに続き、短調のまま強烈なトゥッティで楽章を閉じる。


第2楽章 Largo


ラルゴ。変ニ長調、複合三部形式。 変ニ長調は作品全体の主調であるホ短調からは遠隔調に相当する。このため、この楽章は前後の楽章との対比から独特の浮遊感がある。イングリッシュホルンによる主部の主題は非常に有名であり、ドヴォルザークの死後にさまざまな歌詞をつけて『家路』『遠き山に日は落ちて』などの愛唱歌に編曲された。中間部は同主調(異名同音で)の嬰ハ短調に転じる。クライマックスでは第1楽章の第1主題の動機が加わる。冒頭の主題が再現された後、静かなコーダが続いて終わる。よくインディアン民謡からの借用と誤解されもしたが、これは紛れも無いドヴォルザークのオリジナルである。


第3楽章 Scherzo. Molto vivace


ホ短調、スケルツォ、複合三部形式。ABACABA-Codaの形で2つのトリオを持つ。1つ目のトリオは同主調のホ長調で、民謡風のものである。2つ目のトリオに入る直前には、転調のために第1楽章第1主題の動機を利用した経過句がある。2つ目のトリオはハ長調で、西欧風の主題である。この楽章のみトライアングルが使用される。コーダにおいても第1楽章第1主題が3/4拍子に形を変えて現れる。コーダでは、第1楽章から2つの主題が回想される。


第4楽章 Allegro con fuoco


アレグロ・コン・フオーコ。ホ短調、序奏付きソナタ形式。 大きく2つの主題を持つが、それまでの楽章で扱われてきた主題も姿を見せる、統括的なフィナーレ。
緊迫した半音階の序奏が一気に盛り上がり、ホルンとトランペットによる第1主題を導く。第2主題が現れる前に激烈な経過部が有る。この経過部の後半(演奏開始から1分55秒後ほど)に、全曲を通じてただ1度だけのシンバルが打たれる(弱音なので目立たない)が、これについてはまだ謎が多い。


第2主題は、クラリネット(A管)とフルート、およびチェロを主体にした柔和な旋律である。そして、ヴァイオリンなどが加わると盛り上がって小結尾になる。第1主題の動機も加えたあと静まり、展開部に入る。小結尾で現れたフルートのトリルが多い動機に続き、第1主題の断片と経過部主題が続く。第2楽章の主題が印象的に回想され、第1楽章第1主題の回想に続いて、この楽章の第1主題が激烈に再現する。静まった後第2主題が再現し、気分が落ち着いたものとなる。それまでの主題の回想はなおも続き、今度は第1楽章小結尾主題と第1主題に続いて、フィナーレに向かってゆく。第1主題と経過部主題が同時に再現し、しばらく展開の後に第2楽章の序奏が壮大に回想され、静まった後第2楽章の主題と第3楽章の主題が同時に再現する。そしてコーダに入り、弦が壮大に第1主題を奏でると、管楽器は第1楽章第1主題と第2楽章の主題を不協和に奏して妨げるが、ホ長調に転じてこれを振り切り、テンポを上げて感動的に終結する。


最後の1音はフェルマータの和音をディミヌエンドしながら出すというもので、指揮者ストコフスキーはこの部分を「新大陸に血のように赤い夕日が沈む」と評した。
この言葉は彼がピアノを弾きながら曲のアナリーゼをするレコードに肉声が遺されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第9番_(ドヴォルザーク)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
115. 中川隆[-14182] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:32:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-865]

アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c115
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第9番』 中川隆
13. 中川隆[-14181] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:50:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-864]

ストコフスキー

Beethoven, Symphony no. 9 in D, "Choral" / Leopold Stokowski ( 1934 )




Leopold Stokowski, conductor
The Philadelphia Orchestra

Agnes Davis, soprano
Ruth Cathcart, contralto
Robert Betts, tenor
Eugene Loewenthal, baritone

1934 ( Music & Arts )

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html#c13
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
1. 中川隆[-14180] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:56:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-863]

ストコフスキー

Dvorak: Symphony No.9 - Stokowski & Philadelphia o


________





The Philadelphia Orchestra
Leopold Stokowski (cond)
22 X 1934

▲△▽▼

Dvorak 'New World' Symphony Stokowski on Vinyl Stereo


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c1
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
2. 中川隆[-14179] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:03:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-862]

トスカニーニ


Dvořák: Symphony No. 9, Toscanini & NBCso (1953)


Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 2 February 1953, in Carnegie Hall



▲△▽▼



Toscanini/NBC Broadcast Concert Dec 13th, 1941, restored (Barber, Smetana, Dvořák)






Toscanini / NBC play the following:

0:57 Samuel Barber: "Adagio for Strings"

8:41 Smetana: "Vltava" ("The Moldau") from "Má vlast"

Dvořák: Symphony No. 9 in E minor "New World Symphony"
20:07 Adagio, Allegro molto
27:58 Largo
37:54 Scherzo: Molto vivace – Poco sostenuto,
44:53 Allegro con fuoco

55:26 The US National Anthem





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c2
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
3. 中川隆[-14178] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:08:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-861]

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

A.Dvořák Symphony#9 "From The New World" [ I.Kertesz Vienna-PO ] (1961)







Istvan Kertesz
Vienna Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c3
[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
4. 中川隆[-14177] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:16:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-860]

スヴェトラーノフ

Evgeny Svetlanov conducts Dvorak Symphony no. 9 - video 1981


Evgeny Svetlanov conducting the State Academic SO in Dvorak's Symphony no. 9, op. 95, live on 17 March 1981.


▲△▽▼

Dvořák: Symphony No. 9 - Russian State Symphony Orchestra/Svetlanov (1997)


State Symphony Orchestra of the Russian Federation
EVGENY SVETLANOV, cond.
Recording: Festival de Montpellier, 20 July 1997


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c4
[番外地7] 悪の帝国アメリカがこれから中国に対してやろうとしている事 中川隆
3. 中川隆[-14176] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:27:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-859]
悪の帝国アメリカとイギリスが香港で帝国主義・植民地主義(今はグローバリズムとかいう名で呼んでいるが、全く同じもの) に基づいた反中国運動を扇動している。
ここにきて力を入れているのが台湾。ここには吾爾開希など1989年に中国で展開された新自由主義派の活動家が入り込んでいる。 

1989年1月、アメリカではジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。元CIA長官だが、この人物はエール大学の学生だった当時、CIAにリクルートされたと見られている。ブッシュの父親はウォール街の出身で、巨大資本の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった人物だ。ダレスはCIAの最高権力者だった。 そのブッシュとエール大学からの友人で、やはりCIAにリクルートされたと言われているジェームズ・リリーが1989年4月に中国駐在大使に就任している。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、大使を辞任した後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。
 
リリーが大使に就任する5日前に新自由主義派の胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦と組んで新自由主義を推進していたのが趙紫陽である。活動の指揮者と見られているのはジーン・シャープ。 
学生の間では新自由主義の支持者が少なくなかったようだが、労働者の間では逆。貧富の差が拡大していることへの不満が高まり、社会は不安定化していた。そこで中国政府は軌道修正を図るのだが、それに激怒したのがアメリカということだ。
その年の5月に戒厳令が敷かれた。抗議活動が沈静化した後、方励之、柴玲、吾爾開希などの指導グループはイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。香港へ逃れた活動家は約400名と言われている。

吾爾開希はハーバード大学で学んだ後、台湾へ渡った。この逃走ルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのMI6で、今でも機能しているという。 
台湾では1月11日の総統選挙があり、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得している蔡英文が再選された。
東アジアでもアメリカの影響力は低下しているが、それをNATOが補充するとも言われている。
____

アメリカ議会は香港の反中国派を支援する目的で「香港人権・民主主義法」という反中国人法を通した。 反中国派の活動は香港で広がらず、過激化。建造物を破壊、交通機関を止め、石や火炎瓶を投げるだけでなく活動を批判する市民に可燃性の液体をかけて燃やして大やけどを負わせ、洋弓で矢を射るということも行うようになったのだが、その一方で孤立していった。ここにきて活動は封じ込められたようだ。次の一手としてアメリカは反中国人法を成立させようとしている。ロシアに対して行った手口と同じだ。 

香港の反中国派はアメリカのネオコンと連携している。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)などが前面に出てくるが、そうした若者の後ろには元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれている新自由主義者の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)などがいる。アメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6がその背後で暗躍していることも秘密ではない。 

反中国運動を支えているのは法輪功というカルトだとも指摘されている。このカルトが出現したのは1992年。その教義は仏教と道教を合体したものだとされているが、創始者の劉振営はキリスト教の福音主義者で、「エルサレムへ戻ろう」という運動を行っている。 この団体は反コミュニズムでも有名で、アメリカの支配層はその点を評価。アメリカの政府機関であるUSAGM(米国グローバル・メディア庁)から法輪功へ資金が流れているのもそのためだろう。

万一、現在アメリカの植民地の中国や日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/445.html#c3

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
22. 中川隆[-14175] koaQ7Jey 2020年1月30日 18:31:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-858]
中国人観光客が日本に大挙する理由…日本は「物価も賃金も安い国」になったという現実
https://biz-journal.jp/2020/01/post_139021.html
2020.01.30 文=加谷珪一/経済評論家 「加谷珪一の知っとくエコノミー論」 Business Journal


中国・国慶節の大型連休 日本にも大勢の観光(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)


 日本の相対的な経済力の低下によって、日本が世界から見て「安い国」になっているという話は、国内でも徐々に認知されるようになってきた。モノやサービスの値段が安いことは、外国人観光客を呼び寄せる材料となるが、それはウラを返せば、国内の賃金が低く推移していることを意味している。人口減少によって国内経済の縮小が予想されるなか、私たちはもっと内外価格差について敏感になっておく必要があるだろう。

■同じダイソーの商品が、外国では150円から200円で売られている

 政府が積極的に受け入れ拡大策を進めたこともあり、日本には年間3000万人もの外国人観光客がやってくるようになった。彼らは日本文化楽しむためや、日本料理を食べに日本に来ているのだろうか。もちろん、人によって来日目的はさまざまなので一概には言えないが、訪日客の7割を占める中国、韓国、台湾、香港からの観光客に限っていえば、最大の目的は買い物である。

 観光庁の調査によると、中国人は日本を訪問するにあたって、1人あたり約20万円の消費を行っているが、このうち買い物代が約半分を占めており宿泊費や飲食代を大きく上回る。韓国人は買い物の比率が低いという特長があるが、中華圏の人たちはとにかく買い物である。

 彼らがこぞって日本で買い物をするのは、日本の物価が極めて安いからである。特に中国は近年、物価上昇が著しく、なかでも沿岸部の大都市では何もかもが高いという状況だ。

 日本では多くの人が100円均一のお店を利用しているが、業界大手のダイソーは積極的に海外進出しており、中国などアジア地域にも多くの店舗を構えている。店舗によって事情は異なるが、ダイソーの場合、中国の店舗ではたいてい10元均一で商品を販売している。1元=15円とすると150円均一ということになる。

 ダイソーは米国にも多数、店舗を出しているが、米国のなかでも物価が高いニューヨークは1.9ドル均一、他の都市では1.5ドル均一になっていることが多い。1ドル=110円と仮定すると、165円から209円の範囲で商品を販売していることになる。ダイソーの海外店舗はどの地域でも概ね、日本の1.5倍から2倍の価格になっているのが実状だ。

 もちろん各国で商品構成は異なっているが、日本国内で販売しているのと同じ商品もあり、基本的には同一、もしくはそれに近い商品を売っていると思ってよい。そうなると、100円という低価格で販売しているのは日本だけという話になってしまう。

 海外では同じモノが1.5倍から2倍の値段になっているということは、日本にやってきた外国人が日本国内の店舗で買い物をすると、何もかもが安いという感覚になる。実際、中国人観光客の多くは、日本の商品の安さに歓声を上げており、この安さが買い物への支出を支えている。

■日本のディズニーランドは激安

 こうした内外価格差はサービスにもあてはまる。ディズニーランドは世界各国にあるが、実は国によって入場料には大きな差がある。日本では1日入場券は7500円だが、上海では同様の入場券は399元から575元(ピーク時には665元)で販売されている。1元=16円とすると6384円から9200円である。香港では639香港ドルで、1香港ドル=14円とすると8946円になる。

 カリフォルニアにある本場のディズニーランドは、104ドルから149ドルの範囲になっている。1ドル=110とすると、1万1440円から1万6390円の価格設定であり、パリのディズニーランドも米国とほぼ同じ水準である。日本のディズニーランドは世界でもっとも入場料が安いと考えてよいだろう。

 海外旅行のついでに現地のディズニーランドに行くという人は多いが、外国から来た観光客は日本の入場料が安いので大喜びしているはずだ。日本のディズニーランドがここまで安い理由は、日本の消費者の購買力が他国と比較して弱く、このくらいの価格設定にしないと他のテーマパークとの競争に負けてしまうからである。

 ディズニーランドは、圧倒的なブランド力があり、どんなに高くても来場するように思えるが、そうではない。価格が高いとリピーターの頻度が減り、全体の来場者数は減ってしまう。顧客を囲い込み、高いブランド力を維持するためにも、適切な価格設定が必要であり、日本の価格設定はまさに日本経済の現状を反映した水準となっているのだ。

 マクドナルドも全世界に展開しているので、価格比較にはよく使われる店舗といってよい。国際的な価格比較サイト「Numbeo」によると、日本のマクドナルドにおけるセット販売の平均価格は695円である。これに対してニューヨークは986円、シドニーは853円、パリは1055円なので、先進各国は総じて日本よりもかなり高い。アジアに目を移すと、香港が493円、上海が556円 バンコク(タイ)617円、シンガポールは651円となっており、日本と同レベルか日本より少し安い程度である。

 カフェはどうだろうか。日本ではカプチーノの平均価格は388円だが、上海では466円、香港では506円、パリは416円、バンコク253円、シドニーでは302円、ニューヨークでは515円、シンガポールでは444円だった。バンコクとシドニーの価格は安いが、それ以外の都市では基本的に日本よりも高いと考えてよいだろう。

■日本人の賃金が低いことが最大の原因

 日本は諸外国と比べて、なぜここまで物価が安くなっているのだろうか。基本的にモノやサービスの価格は、消費者の購買力に比例するので、端的に言ってしまうと日本の賃金が安くなったことが最大の原因である。

 OECDの調査によると、購買力平価でドル換算した日本の平均賃金は約4万ドルだが、米国は6万3000ドル、フランスは4万4000ドル、オーストラリアは5万3000ドルとなっている。日本は先進諸外国のなかでは圧倒的に賃金が安いので、日本の消費者の購買力も低くなり、結果として国内物価も安く推移している。

 当然のことながら、中国やタイの平均賃金は日本よりも低いが、平均値が低いからといって、購買力が小さいとは限らない。近年、企業活動のグローバル化が進んでおり、一定水準以上のグローバル企業の場合、どの地域の社員にもほぼ同じ賃金を支払うのが当たり前となっているからだ。

 こうしたグローバル企業の初任給は40〜50万円が相場といわれており、日本の平均的な初任給と比較するとかなり高い。アジア地域の労働者でも、相応の大学を出てグローバル企業、もしくはそれに類する企業に就職した人の場合、数百万円の年収を稼ぐのはザラである。そうなると、全体の一部とはいえ、日本と同レベルの物価であっても、モノやサービスをバンバン購入する人が一定数存在してもおかしくない。

 特に中国の場合、14億人もの人口があるため、仮にそうした所得層が5%しかいなくても、7000万人の市場規模になる。上海や香港に行くと物価が高いと感じるのはそのためであり、こうした階層の人たちであれば、逆に日本にやってきた時には、物価が安いと感じるはずだ。

■デフレで自動車価格が決して下がらない理由

 現代社会は以前と比較して、全世界的に価格平準化が進みやすい環境にある。自動車の価格は国内事情とは一切関係なくグローバル市場の需要やコスト構造で決まってしまう。日本ではデフレが進んでいるとされてきたが、過去20年、自動車価格が安くなったことは一度もない。クルマは次々モデルチェンジするので、同一車種と装備のクルマで比較することはできないが、基本的にクルマの価格は一貫して上昇していると考えてよい。

 スマホも同様である。スマホはどこでつくってもコストはほぼ同じであり、最終的な販売価格も似たような水準となる。スマホを使って行うネット通信や通話についても同じことがいえる。通信会社というのは典型的な設備産業であり、コストの多くは、交換機、基地局などの通信機器類である。

 どの国の通信会社であっても、ほぼ同一の通信機器を使って回線を構築しているので、コスト構造もほぼ同じになる。政府が通信料金に対して規制をかけない限り、同じような料金になることが多い。飲食についても、人件費こそ違うだろうが、原材料はほぼすべてが輸入なので、やはりグローバル価格の影響を受けてしまう。

 社会のIT化の進展はこうした傾向をさらに顕著にする効果をもたらすので、相対的に賃金の安い国は不利になる。日本は物価が安いので住みやすいという考え方もあるが、それは賃金が安いことの裏返しであり、グローバルに価格が決まる製品やサービスを購入する負担が大きいことを意味している。

 価格が安いことは、インバウンド・ビジネスには効果があるが、消費者の生活にはマイナス面が多い。日本は安い国のままでよいのか、もう一度、真剣に考え直す必要があるだろう。

(文=加谷珪一/経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c22

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第9番』 中川隆
14. 中川隆[-14174] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:24:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-857]

ストコフスキー

Leopold Stokowski - Beethoven : Symphony No. 9 in D Minor, Op. 125 ("Choral")












Stokowski conducting the London Symphony Orchestra
Recorded in 1967 and originally issued on LP by Decca/London.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html#c14
[近代史3] ベートーヴェン 『エグモント序曲』 中川隆
1. 中川隆[-14173] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:37:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-856]
ストコフスキー

Beethoven: Overture "Egmont"



New Philharmonia Orchestra
Leopold Stokowski

℗ 1975 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』 中川隆
19. 中川隆[-14172] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:41:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-855]
ストコフスキー

Beethoven "Symphony No 6" Leopold Stokowski




NBC Symphony Orchestra
Leopold Stokowski, Conductor

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html#c19
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第7番』 中川隆
17. 中川隆[-14171] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:49:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-854]

ストコフスキー

Beethoven: Symphony No.7 in A, Op.92















New Philharmonia Orchestra
Leopold Stokowski

℗ 1975 Decca Music Group Limited

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html#c17
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
1. 中川隆[-14170] koaQ7Jey 2020年1月30日 20:20:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-853]

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン 『交響曲第4番』


Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 1

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu08.htm


Beethoven:Sym.No.4


1)43/06/27-30 BPO Berlin Phil.(RRG=No Audience)

2)43/06/27-30 BPO Berlin Phil.(RRG)

3)49/01/26-9 MunchenPO Munchen

4)50/01/25-30 VPO Musikverein(EMI Studio)

5)52/12/1-2 VPO Musikverein(EMI Studio)

6)53/09/04 VPO Munhen


▼1)の3・4楽章と2)の1・2楽章を組み合わせたハイブリッド盤もあり。3)は未発売。

▲2)がいちばんWF的だが、この曲にそこまでの劇性が必要か−ということでやはり5)。

>>>>>My Best is 5)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c1

[近代史3] 欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上 中川隆
3. 中川隆[-14169] koaQ7Jey 2020年1月30日 20:27:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-852]
2020年01月30日
世界2位の富裕国スイスで増える路上生活者 豊かになっても貧困者は減らない


スイスのホームレスは身なりがきれいな事が多い

画像引用:https://www.rts.ch/2018/10/04/11/58/9892752.image?w=800&h=449

スイスのホームレスはアメリカより多い

スイスは1人当たりGDPが世界2位の8万3000ドル(約900万円)と日本の2倍以上の超富裕国として知られている。

もともと時計などハイテクに強かったがITや金融で成功し、高所得者の移民を増やすことでGDPを上げた。

この辺はシンガポールに近く、高収入な企業や外国人を移住させれば何もしなくてもGDPが上昇します。


オランダもそんな感じで多国籍企業や富裕層、投資家、各界の成功者を低税率で受け入れてGDPを押し上げている。

こんなスイスにも貧困者がいるしホームレスも存在するが、スイス人気質として自分が貧困なのを隠そうとする。

スイス人は人種的にドイツ人と同じだが、ドイツ人も同じように貧困や失敗を隠そうとし、成功した話だけをしたがる。


こういう国では貧困者やホームレスが存在しないことになっていて、居たとしても社会の失敗者とか負け犬の烙印を押され同情されない。

ドイツもスイスもホームレスの公式調査をしていないが、民間団体によるとかなりの数が確認された。

スイス第3の都市バーゼル市(人口20万人)では屋外生活者50人とシェルター生活者50人の計100人が存在した。


路上生活者が4千人に1人存在するという事で、日本の2万5千人に1人よりも多い。

民間団体の推測ではドイツには5万2千人の路上生活者が居るので、1590人に1人が路上生活者という事になる。

アメリカは1000人に1人がホームレス(シェルター含む)で、ハワイは592人に1人が路上生活者です。

金持ち国になっても貧困者は減らない

スイスのバーゼル市という一つの街だけではあるが、スイスのホームレスや路上生活者は他の国と比べて少なくないのが分かる。

この事は重大な事実を示唆していて、それは国がどれだけ豊かになっても「貧しい人は減っていない」という事です。

多くの議論では国が豊かになったり景気が良くなれば貧困者が減り、ホームレスは居なくなるのを前提にしています。


だが実際には日本のあらゆる人が「目標にするべきだ」というドイツは日本の16倍もの路上生活者が居る。

好景気を謳歌してきたアメリカは日本の10倍以上のホームレスが居るし、金満国家スイスは日本の6倍の路上生活者が居る。

経済的成功と貧困者の減少には関連性が見られず、アメリカやスイスが今の10倍金持ちになってもホームレスは減っていないでしょう。


そういえば中東の金持ち国家ドバイでは貧困者が非常に多く、金持ちは貧困者を働かせることで、より金持ちになっている。

むしろ貧困者が増えれば増えるほど、お金を持っている人はお金を増やしているのが真実です。

日本でも某ワタミとか某ユニクロとか、貧困者を低賃金で働かせるビジネスモデルで大成功していました。


スイスは金持ち国家なのでホームレスや路上生活になっても、無料で食事をしたりシャワーを浴びれる場所が存在する。

だから物乞いをする必要がなく働く必要もなく、路上とシェルターを行き来して暮らす人が多い。

ジュネーブでは貧困者向けの無料食堂で毎日200人が食事をしており、そこではインターネットも使える。


スイス政府によると人口850万人のうち62万人が深刻な貧困で、約120万人が貧困層となっている。

富裕国なのになぜ貧困者が多いのかは簡単な話で、例えばユニクロの柳井は資産3兆円だが、ユニクロ労働者は時給1000円以下に過ぎない。

富裕国では豊かな人はどんどん豊かになるが、豊かな人の下で働く無数の人々は決して豊かにならない。


働いていも働いてもお金はたまらず借金が増えるばかりで、気づくと貯金ゼロの貧困老人になっている。
http://www.thutmosev.com/archives/82060156.html

これが世界の富裕国の人々の実態です。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html#c3

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
4. 中川隆[-14168] koaQ7Jey 2020年1月30日 21:22:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-851]
目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき 2016/10/03



国の借金が880兆円あると言われているけど、実は日本は世界一お金持ち。

お金は国や政府が発行しているわけではない。

お金の発行の仕組みとは?

政府の借金を20年で完済する方法。…

既存の経済理論を覆す新しい哲学で国家経営の本質を語る、フェア党代表の大西つねきさんの「目からウロコ」の経済学講座です。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c4
[番外地7] トランプはネオコンの一員
トランプはネオコンの一員

また嘘八百のアホ陰謀論やってるね。そもそもスレイマニは反ネオコンだよ。

米国ネオコンはウク ライナからベネズエラまでの世界各地で、政権転覆の試みとして反政府デモを扇 動してきた。それに対し、スレイマニの コッズ軍は、パキスタンからレバノンまでの中東地域で、米国の軍産複合体が育 成支援してきたISアルカイダなどと戦い、ロシアとも協力してこれらの地域を安定させ、中国が一帯一路の投資をやりやすい状況を作ろうとしてきた。

つまり、トランプはネオコンの一員であり、スレイマニやプーチンは反ネオコンというのが正しい。

米国は、中東時間の1月3日未明にイラクにやってきた直後スレイマニを殺した
が、この時スレイマニはイラン政府の代表としてサウジアラビア国王にあてた手
紙を持ち、この日の午前8時にアブドルマハディと会う予定だった。昨秋来、サ
ウジアラビアはイラク政府の仲裁でイランと和解したがっており、サウジがイラ
ク経由でイランに親書をわたし、それに対するイランの返信をスレイマニが持っ
てイランを訪問した時に米軍に爆殺された。

トランプは、スレイマニを殺すこと で、中国とイランが組んで中東を安定させてインフラ整備して中国が石油利権を得る流れを壊そうとしただけでなく、サウジとイランの和解を妨害しようとした。 サウジはスレイマニ殺害後すぐにサウジは特使を米国に派遣し、トランプに対し、イランと戦争しないでくれ、米イラン戦争はサウジや湾岸諸国を不安定にするのでやめてくれと懇願している。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html

[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
1. 中川隆[-14167] koaQ7Jey 2020年1月31日 02:17:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-850]
また嘘八百のアホ陰謀論やってるね。そもそもスレイマニは反ネオコンだよ。
米国ネオコンはウク ライナからベネズエラまでの世界各地で、政権転覆の試みとして反政府デモを扇 動してきた。それに対し、スレイマニの コッズ軍は、パキスタンからレバノンまでの中東地域で、米国の軍産複合体が育 成支援してきたISアルカイダなどと戦い、ロシアとも協力してこれらの地域を安定させ、中国が一帯一路の投資をやりやすい状況を作ろうとしてきた。

つまり、トランプはネオコンの一員であり、スレイマニやプーチンは反ネオコンというのが正しい。

米国は、中東時間の1月3日未明にイラクにやってきた直後スレイマニを殺した
が、この時スレイマニはイラン政府の代表としてサウジアラビア国王にあてた手
紙を持ち、この日の午前8時にアブドルマハディと会う予定だった。昨秋来、サ
ウジアラビアはイラク政府の仲裁でイランと和解したがっており、サウジがイラ
ク経由でイランに親書をわたし、それに対するイランの返信をスレイマニが持っ
てイランを訪問した時に米軍に爆殺された。

トランプは、スレイマニを殺すこと で、中国とイランが組んで中東を安定させてインフラ整備して中国が石油利権を得る流れを壊そうとしただけでなく、サウジとイランの和解を妨害しようとした。 サウジはスレイマニ殺害後すぐにサウジは特使を米国に派遣し、トランプに対し、イランと戦争しないでくれ、米イラン戦争はサウジや湾岸諸国を不安定にするのでやめてくれと懇願している。

ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、サウジや日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c1

[近代史3] ベートーヴェン 『エグモント序曲』 中川隆
2. 中川隆[-14166] koaQ7Jey 2020年1月31日 02:58:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-849]

ブルーノ・ワルター


Egmont, Op. 84: Overture (Live) · Wiener Philharmoniker


 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音時期:1950年8月24日
 録音場所:ザルツブルク、旧祝祭劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)
 ロート・ヴァイス・ロート放送グループ収録

▲△▽▼


Beethoven='Egmont' Overture=Walter in 'New Estereo'


New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter
Walter, The NYPO & a very fine Egmont circa '54.

▲△▽▼

Walter conducts Beethoven - Haydn - Wagner - NYP 1943 (complete concert)


November 7, 1943 Carnegie Hall (live rec.)
Bruno Walter - New York Philharmonic.
American National Anthem
Beethoven Egmont Overture op.84
Haydn Symphony no. 88
Brahms Symphony No. 1 op.68

▲△▽▼


Egmont, Op. 84: Ouverture · Bruno Walter, Columbia Symphony Orchestra


Bruno Walter dirige... (Mono Version)
℗ 1959 - BNF Collection 2013

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html#c2
[近代史3] アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』
アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』


ホロヴィッツ 『スクリャービン 焔に向かって』


Vladimir Horowitz - Scriabin pieces (live 1948, unreleased)


▲△▽▼


Scriabin Vers la flamme, Op.72 (Horowitz)




Vladimir Horowitz, 1972


▲△▽▼


horowitz plays scriabin vers la flamme - live, 1974


audio only - vladimir horowitz plays scriabin "vers la flamme" - cleveland, 1974, live recording. no commercial recording of this performance was ever released.


▲△▽▼


VLADIMIR HOROWITZ PLAYS SCRIABIN "Verse la flamme"


From Vladimir Horowitz " A reminescence"


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VLADIMIR HOROWITZ PART 5/7 - VERS LA FLAMME, POEME OP.72 - SCRIABIN


VERS LA FLAMME, POEME OP.72 - SCRIABIN


▲△▽▼
▲△▽▼


焔に向かって


『焔に向かって』(ほのおにむかって、フランス語:Vers la flamme)作品72はアレクサンドル・スクリャービンの最後のピアノ曲の一つ。1914年に作曲された。


作品の開始に現れる動機(C#-D)が繰り返されるうちに、徐々に息の長い旋律線に成長するよう作曲されており、ラヴェルの《ボレロ》に先駆けて、クレッシェンドが構成原理に利用されている。


当初は「ピアノ・ソナタ第11番」として着想されたが、上記のように、従来のソナタ形式とは大きくかけ離れた楽曲構成法のため、ソナタではなく、スクリャービン自身によって「詩曲」に分類された。


ホロヴィッツによると、スクリャービンは世界の終末を夢に見てから、この作曲を思い立ち、地球が灰燼に帰すという幻影からこのような題名を付けたという。


曲全体がほぼ神秘和音で統一されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%94%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/873.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
116. 中川隆[-14165] koaQ7Jey 2020年1月31日 03:52:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-848]
アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/873.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c116
[近代史3] モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』
モデスト・ムソルグスキー 組曲『展覧会の絵』



ホロヴィッツ 『ムソルグスキー 展覧会の絵』


Mussorgsky: Pictures at an Exhibition, Horowitz (1951)


モデスト・ムソルグスキー
組曲「展覧会の絵」(ホロヴィッツ編曲版)


(00:05) 1. 第1プロムナード
(01:25) 2. 小人(グノーム)
(03:45) 3. 第2プロムナード
(04:34) 4. 古城
(08:22) 5. 第3プロムナード
(08:52) 6. テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか
(10:01) 7. ビドロ(牛車)
(12:36) 8. 第4プロムナード
(13:18) 9. 卵の殻をつけた雛の踊り
(14:30) 10. サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
(16:48) 11. リモージュの市場
(18:05) 12. カタコンベ - ローマ時代の墓
(19:22) 13. 死せる言葉による死者への呼びかけ
(21:43) 14. 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー
(24:59) 15. キエフの大門


ピアノ:ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ


録音:1951年4月23日 カーネギー・ホール (ニューヨーク)(実況録音)


▲△▽▼


HOROWITZ TRANSCRIPTION of MUSSORGSKY Pictures at an Exhibition (1947)





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html

[近代史3] モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』 中川隆
1. 中川隆[-14164] koaQ7Jey 2020年1月31日 04:36:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-847]

組曲『展覧会の絵』(露: Картинки с выставки; 仏: Tableaux d'une exposition)は、1874年にロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲である。

後世にモーリス・ラヴェルをはじめとした管弦楽への編曲版によっても知られる。

成立

『展覧会の絵』はムソルグスキーが、友人であったヴィクトル・ハルトマン(ガルトマンとも)の遺作展を歩きながら、そこで見た10枚の絵[1]の印象を音楽に仕立てたものである。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなどさまざまな国の風物が描かれている。

また、これらの10枚の絵がただ無秩序に並ぶのではなく、「プロムナード」という短い前奏曲あるいは間奏曲[2]が5回繰り返して挿入されるのが特徴的で、この「プロムナード」は展覧会の巡回者、すなわちムソルグスキー自身の歩く姿を表現している(使われるごとに曲想が変わるので、次の曲の雰囲気と調性とを的確に感じて弾くことが大切である[3])といわれる。

「プロムナード」、「古城」、「卵の殻をつけた雛のバレエ」、「ビドロ」、「鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー」、「キエフの大門」など覚えやすいメロディーと緩急自在の構成(ユーモラスな曲、優雅な曲、おどろおどろしい曲、重々しい曲など)から、ムソルグスキーの作品の中でももっとも知られた作品の一つである。


さまざまな編曲

また、古今東西の多くの音楽家によりさまざまな編曲がなされているのも特徴である。

ラヴェルによる管弦楽への編曲
エマーソン・レイク・アンド・パーマー (ELP) によるロック版
冨田勲のシンセサイザー版
山下和仁のギター・ソロ版

などが有名である。

また、この音楽を主題にした次のような作品なども知られている。
カンディンスキーの舞台芸術
手塚治虫の実験アニメーション(音楽は冨田勲編曲による。ただし、シンセサイザー版とは別)
エマーソン・レイク・アンド・パーマーのアルバムタイトル


組曲の構成

絵の印象を描いた10曲と、「プロムナード」[2]5曲(自筆譜では第2プロムナード、第3プロムナード、第4プロムナードは調号を用いずに臨時記号で書かれている[3])、「死せる言葉による死者への呼びかけ」の16曲からなる。

ただし、ラヴェル版は第6曲と第7曲の間の第5プロムナードが削除された[4]15曲で、これにならった版も多い。
「死せる言葉による死者への呼びかけ」は「プロムナード」の変奏であり、6番目の「プロムナード」と位置づけることもできる。

なおムソルグスキーは各プロムナードと直後の曲、「リモージュの市場」から「死せる言葉による死者への呼びかけ」、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門」をアタッカで繋ぐ指示をしている[5]。


作曲と編曲の経緯

原典版(自筆譜)

ムソルグスキーは音楽史などでは「ロシア5人組」と呼ばれる音楽家集団の1人として良く知られているが、ムソルグスキー1人に限って見ると、後年になるほどウラディーミル・スターソフの影響がきわめて大きい。スターソフはロシアの芸術史研究家であり評論家であったが、指導者的な面もあり、多くの若い芸術家の慈父のような役割を果たした。そして彼のサロンには、音楽、絵画、建築、彫刻家などが集まり、ロシア固有の芸術を探求する空気が醸成されていた。

1870年ころ、ムソルグスキーはヴィクトル・ハルトマンという建築家であり画家でもある男と出会い、交友を結ぶ。しかし1873年8月4日、ハルトマンは動脈瘤が原因で急死してしまう。ムソルグスキーの落胆ぶりは大きく、残された手紙などによると、ハルトマンの体の異常に気づきながら友人としてなすべきことをしていなかったのではないかと、自責の念にかられている様子がわかる。一方、スターソフはハルトマンの遺作展を開くことにした。ハルトマンの作品を整理することと、ハルトマン未亡人のための資金援助が目的であったと思われる。遺作展は、1874年の2月から3月にかけて、母校であったペテルブルク美術アカデミーにおいて400点の遺作を集めて大々的に開催された。

その展覧会から半年後の1874年7月4日、ムソルグスキーは『展覧会の絵』を完成させた。同年6月24日付のスターソフへの手紙には、この曲について興奮気味に「アイディアが煮えたぎっていて紙に書く暇がない」「今間奏(プロムナード)とそれ以外に(曲集前半の)4曲を書いた」などと書かれており、その前に作曲していた歌曲の完成よりまだ10日程度しかたっていないことから、作業の遅いムソルグスキーにしては珍しく2 - 3週間足らずで一挙に作曲されたものと推測されている。この自筆譜は、現在はレニングラード国立公共M. J. サルティコフ・シェッシュドリン図書館に保存されている(手稿本部門、M. P. ムソルグスキー基礎資料502番、文書番号129)。いわゆる自筆譜とかファクシミリ版と呼ばれているものである。なお原典版・原曲といった場合、本来はムソルグスキーの自筆譜(またはファクシミリ版)を指すが、ファクシミリ版が1975年まで公開されなかったため、1931年に出版されたモスクワ音楽院教授のパヴェル・ラム(Pavel Lamm)による校訂版が今でも原典版として広く受け入れられている[7]。


ムソルグスキーの死とリムスキー=コルサコフ版

しかしこの『展覧会の絵』はムソルグスキーの生前は、一度も演奏されず、出版もされないままであった。そもそも作曲者本人が、1880年にフーゴー・リーマンが編纂中であった音楽事典への依頼に応えて書いた原稿の中で「オペラ作曲中の気晴らしに絵画のような作品集を書いた」と、タイトルすら書かないで述べるほど関心を失っていたようである。そして1881年3月28日、ムソルグスキーはアルコール依存症と生活苦から衰弱してこの世を去る。今日よく知られる彼の肖像画は、死の3週間ほど前、スターソフの元でやはり懇意であったイリヤ・レーピンの筆によるものである(レーピンは『ヴォルガの舟曳き』で有名なロシア・リアリズムの画家)。

幸いにもリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの遺稿の整理に当たった。そして、『展覧会の絵』のピアノ譜が1886年に出版され、ついに陽の目を見る。ただしリムスキー=コルサコフの改訂が目立つため、現在は「リムスキー=コルサコフ版」として、原典版とは区別されている。改訂は、現在では独創的で斬新とも評価されるムソルグスキーの原典版が、当時の感覚ではあまりに荒削りで、非常識と捉えられる部分もあったためと言われており、時にはリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの音楽を理解していなかったからだとも言われている。しかし、ムソルグスキーの様々な作品の楽譜を世に出した意味は大きく、5人組の中で、リムスキー=コルサコフが最もその音楽の素晴らしさを認識していた証左といってよい。

特に明確な原典版との相違点は、「ビドロ」が弱音で始まって次第に音量が大きくなる点(原典版ではフォルティッシモで始まる)、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の最後がC-D♭-C-B♭となる点(原典版はC-D♭-B♭-B♭)。これらは下記のラヴェル版でも踏襲されている。

トゥシュマロフ版

ムソルグスキーの残した音楽の多くが未完成のものであったが、後にさまざまな音楽家がこれを補筆もしくは改訂や編曲をして世に出した。

リムスキー=コルサコフ校訂のピアノ譜の出版の5年後の1891年、リムスキー=コルサコフの弟子であったミハイル・トゥシュマロフがこの曲の最初のオーケストラ編曲を行った。トゥシュマロフ版は5番目以外の「プロムナード」、「小人」、「ビドロ」、「テュイルリーの庭」を省略した短縮版であった。トゥシュマロフ版は通常「トゥシュマロフおよびリムスキー=コルサコフ編」と表記されているが、リムスキー=コルサコフが編曲にどこまで関与したかは明らかではない。ただし、トゥシュマロフ版は、発表の年にリムスキー=コルサコフの指揮によって初演されている。

ラヴェル版

1922年、フランスのラヴェルが、指揮者クーセヴィツキーの依頼で『展覧会の絵』を管弦楽へと編曲した。この編曲版はクーセヴィツキーの率いるオーケストラによって、同年10月19日(初演)と10月26日にパリのオペラ座で演奏され、これをきっかけに一挙にムソルグスキーの『展覧会の絵』は世界的に有名になった。

ラヴェルがこの仕事を引き受けた理由としては、報酬もさることながら当時フランスの音楽家(サン=サーンスやドビュッシー、ラヴェルなど)にムソルグスキーの和音を多用する様式が評価されつつあったこと、ムソルグスキーのピアノ曲は管弦楽曲を作るための習作のような作り[8]であったことなどが挙げられている。

ラヴェルは編曲に当たり、友人のカルヴォコレッシに譜面の手配を依頼した。その手紙(1922年2月3日付)には「ムソルグスキーの自筆譜(の入手)を期待している。何とかして入手する方法はないだろうか。または入手可能な人物を知らないか」と書き、ラヴェルが当時の出版譜にはリムスキー=コルサコフの改変があることを知っており[9]、自身はムソルグスキーのオリジナルから編曲をする意図であったことが判っているが、カルヴォコレッシは自筆譜を入手できなかったようで、最終的にはすでに出版されていたリムスキー=コルサコフ版に基づき[10][11]、1922年の3月からまず「キエフの大門」に着手して5月1日に完成、続けて残りを初秋頃までかけて編曲を行った。

その編曲は特に冒頭のトランペットのファンファーレ的な「プロムナード」に象徴されるように、ラヴェルの異名である「オーケストラの魔術師」どおりの華麗で色彩的なもので、原曲のロシア的な要素を重視するよりもオーケストラ作品としての華やかな色彩を与えることを企図し、そして成功している。ラヴェルの編曲は粗野な趣の『展覧会の絵』に新しい生命を与えることに成功したと言ってよい。

なお楽譜は1929年にロシア音楽出版から出版され、現在は同社の業務を引き継いだブージー・アンド・ホークスなどで刊行されている。

さまざまな編曲

ラヴェル版が世界的な人気を得たが、同版の演奏権はクーセヴィツキーが5年間独占する契約だったことや、著作権の問題[12]で他の音楽家によるオーケストラ編曲も多数試みられた。

その中で特に有名なものは、指揮者ストコフスキーによる編曲版である。冒頭の「プロムナード」の旋律が第一ヴァイオリンのみのユニゾンで演奏される。ラヴェル版のフランス風に洗練された編曲に対し、原曲のロシア的な響きを生かすという意図のもとに編曲されている。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが録音するなど本場ロシア(ソビエト)でも受け入れられていた。

リヒテルのソフィア・ライブ(原典版の復活)

ラヴェル編曲のオーケストラ版の人気に伴い原曲(ピアノ曲)の方も、少しずつ演奏されるようになってきた。しかし難曲であったため、これを弾けるのは「ヴィルトゥオーゾの証明」のような扱いになりかけていたし、むしろ管弦楽版が原曲であるかのような扱いでもあった。また1931年にラムの校訂版が出版されてからも、演奏されることはあってもリムスキー=コルサコフ版だった。そうした中、ロシアのピアニスト、リヒテルのレコードが新しい扉を開く。1958年のことである。

当時はアメリカとソ連(現在のロシア)の対立が激化し、東西冷戦の真っ最中である。ロシアのピアニストたちは高い評価を得ていたが、そのレコードや演奏が西側諸国で聞ける機会はなかなかなく、リヒテルも幻のピアニストと言われていた。そのリヒテルのソフィア(ブルガリアの首都)でのコンサート録音がレコードとして発売された。曲目の中に『展覧会の絵』があった。西側諸国ではまだ殆ど聴くことができなかった原典版に忠実な演奏であった。リヒテルのすさまじいばかりの演奏技術も衝撃的で、これが原典版がメジャーになるきっかけと言って良い。

現在、入手可能なCDやレコードを整理すると、この1958年を境にして、『展覧会の絵』のピアノ曲の録音が、リムスキー=コルサコフ版から原典版へとがらりと切り替わるのがよくわかる。原典版は、ラヴェル編曲版とは違いロシア臭が強く、強烈な個性がある。無論、演奏するには難曲であることに替わりはないが、ラヴェル版のピアノ編曲のようになりがちであったピアノ原曲が、ラヴェル版にはない魅力を持ったものになった。そして、ラヴェル版に負けず劣らぬ人気の曲になった。

なお、リヒテル当人はラヴェル編に関しては「私はあの編曲は嫌いだ」「ムソルグスキーの音楽を理解していない」と評しており、たいへんに批判的であった。

ピアノ版のホロヴィッツによる編曲

一方、ムソルグスキー自身は一流のピアニストではなかったため、原曲ではラヴェル編曲の管弦楽版のような色彩感に乏しいことは否めない。1940年代に入るころ、ロシア出身で当時アメリカに亡命していたウラディミール・ホロヴィッツが独自の編曲を手掛け、1947年からコンサートでしばしば演奏するようになった。1947年のスタジオ録音と1951年のライヴ録音がレコードとして発売され大きな話題になった。

これらの録音は、編曲とはいえ、ピアノ版の「展覧会の絵」の録音としては最も古い部類に属する。原典を重視する向きには敬遠される[13]ことがあるものの、ムソルグスキーによるピアノ原曲を世界に知らしめる上で、ホロヴィッツの演奏が果たした役割は極めて大きい。同時に、ホロヴィッツがこの編曲の楽譜を公開しなかったことと、彼自身の録音が越え難い決定盤と評価され続けたことが、上記のリヒテルによるレコードまで他のピアニストがピアノ版に取り組むことを避けた最も大きな要因とも言える。勿論原曲より技巧的には難しくなっている個所が多いが、その後、幾人かが録音された演奏からの楽譜起しを試みた結果、聴感上の難易度に比べ非常に効率的な編曲がなされていることが分かっており、ホロヴィッツがいかにピアノ技法を熟知していたかをうかがい知ることができる。

ホロヴィッツ自身、この編曲は超絶演奏技巧を披露するためではなく、ムソルグスキーの原曲の持つロシア的な性格を一層引き出しつつ、ピアノの持つ可能性を最大限に活かすことを目的とした編曲であると述べている。

ELPのロック版とそれ以降の発展

1971年、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(略称ELP)が『展覧会の絵』のライブレコードを出す。ロック・グループが、クラシックの曲をシンセサイザーやハモンドオルガンでアレンジして演奏した事は当時はセンセーショナルであった。ただし、エマーソン・レイク・アンド・パーマー版は『展覧会の絵』の中の一部の抜粋であり、バンドによるオリジナル曲を挿入した形式であった。

このELP以降、一挙に様々なアレンジが出てくる。冨田勲のシンセサイザー版(1974年)、山下和仁のソロ・ギター版(1981年)などは世界的にも大きな影響を与えた。このほか、オルガン版や吹奏楽版、マンドリン版などの人気も高く、現在もさまざまな録音が次々と出ている。また、プログレッシブ・ロックの影響を受けたドイツのヘヴィメタル・バンドであるメコン・デルタはエマーソン・レイク・アンド・パーマー版を元にした曲、およびオーケストラとの共演版を発表している。

またハルトマンの絵についても、1991年に日本のNHKが團伊玖磨の進行でスペシャル番組「革命に消えた絵画・追跡・ムソルグスキー“展覧会の絵”」を放送した。ハルトマンの絵のうち『展覧会の絵』のモチーフとなったとされる10枚の絵をすべて明らかにする、という『展覧会の絵』の謎解きの核心にせまった番組であった。こちらについては絵柄と楽想の乖離や、学問的な手続きが不十分であるという批判もあり、曲と絵との関連性がすべて明らかになったとは言えないが、それまで曲に比べてハルトマンの絵の研究はほとんどされていなかったので先駆的な仕事であったと言って良い。また「ビドロ」という言葉の意味(ポーランド語の"bydło"には「牛車」の他に「(牛のように)虐げられた人」の意味がある。ハルトマンがポーランドで描いたスケッチのタイトルは『ポーランドの反乱』)や音楽的な印象などから絵を推理していく「面白さ」は画期的であった。

2015年、ドイツのプログレッシブ・ロック・バンド Stern-Combo Meissen が "Bilder einer Ausstellung" のタイトルで『展覧会の絵』の全編をロック化した作品を発表している。

さまざまな編曲

最も有名な編曲はラヴェルのオーケストレーションによるものであり、オーケストラの演奏会で取り上げられる演目のほとんどはこの版だが、他にも多くの版が存在する。ラヴェル以降に作られた管弦楽版は、ラヴェル版(またはラヴェル以前に作られたリムスキー=コルサコフ版)を参考にしているものが多く、その影響はきわめて大きい。

日本の冨田勲は、シンセサイザーによる編曲・録音を行った。彼の2つの編曲版のうち、管弦楽版は手塚治虫の実験アニメーションのために書き下ろした作品である。これは手塚がラヴェル版を用いようとしたところムソルグスキーの著作権は消滅していたもののラヴェルの著作権が生きていることが判明し(1998年まで)、デュラン社から膨大な使用料を要求され予算を超えてしまったためやむなく取り下げ、代わりに冨田に依頼したという経緯がある。冨田はわずか1週間でこの編曲を仕上げたという[14](現在DVDなどで見られる実験アニメーションの展覧会の絵は、完成当時のものではなく、宗教対立のエピソードがカットされたなどにより、曲の一部が編曲当時のものとは異なる)。

管弦楽版

トゥシュマロフ版(「トゥシュマロフおよびリムスキー=コルサコフ版」「リムスキー=コルサコフ版」と表記されることが多い)
ヘンリー・ウッド版
ラヴェル版
レオ・フンテク版(ラヴェル版以前に編曲)
セルゲイ・ゴルチャコフ(Sergei Gorchakov)版
ユッカ=ペッカ・サラステ版(ゴルチャコフ版とフンテク版から任意で選択)
ルシアン・カイエ(Lucien Cailliet)版
レオポルド・ストコフスキー版(終曲にオルガンを含む)
近衛秀麿版
北爪道夫版 (サックスを含む)
冨田勲版(手塚治虫のアニメーションのためにオーケストラ編曲)
ウラディーミル・アシュケナージ版
レナード・スラットキン版(さまざまな版(ラヴェル版を含む総計15の版)から任意で選択)(終曲に歌詞付きの男声合唱を含む)
津留崎直紀版(弦楽オーケストラ)(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
酒井格版(飛騨ヴィルトーゾオーケストラ2011の為の編曲)
ピーター・ブレイナー(Peter Breiner)版

協奏曲
ロランス・レナード(Lawrence Leonard)版(ピアノ協奏曲)
エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff)版(ピアノ協奏曲)(曲中にオリジナルの部分を含む)

室内楽
ジュリアン・ユー版(室内オーケストラ)
イリヤ・イオフ版(弦楽合奏)
北方寛丈版
田中範康版(オルガンと打楽器アンサンブル)
音楽三昧版(いろいろな楽器(リコーダー類、擦弦楽器類)のアンサンブル)
菅原淳版(打楽器アンサンブル)
トーマス・ウィルブラント(Thomas Wilbrandt)版(いろいろな楽器(木管楽器、金管楽器、打楽器、擦弦楽器、ピアノ:オンド・マルトノ)のアンサンブル)
サミュエル・ラングマイヤー(Samuel Langmeier)版(バイオリン、ギター、コントラバスによるアンサンブル)
蓬田梓版(木管五重奏)

吹奏楽版
エリック・ライゼン版
マーク・ハインズリー版(ラヴェル版を基にしている)
ロジェ・ブトリ版(ラヴェル版を基にしている)
エルガー・ハワース(Elgar Howarth)版(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルによる、金管アンサンブルと打楽器)
サイモン・ライト(Simon Wright)版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
スティーブン・ロバーツ(Stephen Roberts)版
平石博一版(金管アンサンブルと打楽器)
林光版
高橋徹版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
ジョン・ボイド(John Boyd)版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
石川尭典版(キエフの大きな門のみ。原曲からの編曲)
三谷澤俊匡版(ラヴェル版を基にしているが、第5プロムナードを復活させている)
中橋愛生版(ラヴェル版を基にせず、原曲からの編曲)
保科洋版

マンドリンオーケストラ
大栗裕版
小穴雄一版
難波研版

器楽曲
ホロヴィッツ版(ピアノ独奏。原曲ではなくラヴェルの管弦楽版を参考に、より超絶技巧性を持たせたもの)
チャールス・シフ(Charles Schiff)版(独奏チェロとピアノ)
クリスティアン・リンドベルイ版(独奏トロンボーンとピアノ)
長生淳版(独奏サクソフォン(複数持替)とピアノ)
山下和仁版(ギター独奏)
ミカ・ヴァユリネン(Mika Väyrynen)版(アコーディオン)

ロック
エマーソン・レイク・アンド・パーマー (EL&P) 版(プログレッシブ・ロック)
メコン・デルタ(Mekong Delta)版(プログレッシブ・メタル)

ジャズ
アリン・ファーガソン(オールイン・ファーガソン、Allyn Ferguson )版(ジャズ・ビッグバンド)
松本治(山下洋輔スペシャル・バンド)版(ジャズ・ビッグバンド)
マッツ・アップ(MATS-UP)版(ジャズ・アンサンブル版。アルバムタイトルは"Same Pictures - New Exhibition"。)

その他
冨田勲のシンセサイザー版
彭修文(ペン・シュウェン、Peng Xiuwen)版(中国民族楽器大合奏)
甲田潤版(全曲に歌詞をつけた混声合唱)
伊藤康英版(「二台八手ピアノ、サクソフォーン四重奏、混声合唱と吹奏楽のための交響的カンタータ」とし、16曲中13曲に歌が付けられている)


モチーフとされているハルトマンの絵

卵の殻をつけた雛の踊り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_Chicks_sketch_for_Trilby_ballet.jpg

カタコンベ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_Paris_Catacombs.jpg

鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤーガ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_-_Hut_of_Baba_Yaga.jpg

キエフの大門
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5#/media/ファイル:Hartmann_--_Plan_for_a_City_Gate.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
117. 中川隆[-14163] koaQ7Jey 2020年1月31日 04:37:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-846]
モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c117
[番外地7] 台湾人は外省人だけでなく内省人も殆どが戦前に中国から台湾に移民した漢民族
台湾人は外省人だけでなく内省人も殆どが戦前に中国から台湾に移民した漢民族

台湾先住民は日本のアイヌ人同様に漢民族から迫害・差別、ミンゾク ジョウカされて現在では 54万人しか生き残っていません:

台湾の漢民族は、戦前(主に明末清初)から台湾に居住している本省人と、国共内戦で敗れた蒋介石率いる国民党軍と共に台湾に移住した外省人に分かれる。

本省人が台湾で85%を占めており、本省人は福建(閩南)系と客家系に分かれる。
外省人13%、
原住民2%(タイヤル、サイシャット、ツォウ、ブヌン、アミなど14民族)。

2014年末の台湾先住民族人口は約54万人、アミ族が最多 2016-01-28)
 内政部が2月14日に発表した台湾先住民(原住民)の人口に関する統計によると、2014年末の時点における台湾先住民人口は54万23人で、2013年末の時点と比較して1.2%増加した。また、台湾の総人口に占める割合は2.30%だった。

台湾先住民のうち、平地先住民は25万3,716人(46.98%)、山地先住民は28万6,307人(53.02%)だった。

 各部族別では、アミ族が20万604人で台湾先住民総人口の37.1%を占め、最多であった。それに次いで、パイワン族が9万6,334人(同17.8%)、タイヤル族が8万5,888人(同15.9%)と続き、これら3部族で台湾先住民総人口の71%を占めた。

 各県市における先住民人口は花蓮県が9万1,675人で全体の17.0%を占め、最多であった。それに次いで台東県が7万9,622人(同14.7%)、桃園市が6万5,440人(同12.1%)と続いた。


 各県市の人口における先住民人口が占める割合が最も高いのは、台東県の35.5%であり、花蓮県27.5%、屏東県6.9%がこれに続いた。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/447.html

[リバイバル3] 日本のカレーライスはインド料理ではなく純然たる日本料理 中川隆
5. 中川隆[-14162] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:15:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-845]
2020年01月31日
ココイチ(壱番屋)創業者 宗次徳二 孤児からカレー王へ


引用:http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sukima911/20070607/20070607183539.jpg


カレーのココイチは唯一成功したカレー・チェーンと言って良く、国内外に約1470店を展開しています。

ココイチの成長は創業者に支えられていて、妥協せず他のチェーンの真似をする事もしませんでした。


捨て子で孤児院に引き取られる

ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋の株式の50%以上をハウス食品が取得し、事実上身売りしました。

創業者の宗次徳二氏が保有していた株をハウスが取得し、創業者は経営から完全に退きました。

ハウスはココイチにカレー粉を提供し、以前から株式の約20%を取得していて、連結子会社になった。


カレー専門店は同じ品質のカレー粉を大量に安定確保するのが難しく、ハウス資本を受け入れることで全国展開していた。

創業以来、宗次徳二氏の丁寧なカレー造りを曲げず、バブル崩壊も平成デフレも乗り越えてきました。

創業者が退いた事で、ココイチは確実に変わるだろうし、一つの時代が終わったと言えるでしょう。


宗次徳二(むねつぐ とくじ)は1948年石川県生まれで両親は不明、兵庫県尼崎市の孤児院に預けられました。

3歳のとき雑貨商を営む宗次夫婦の養子に貰われ兵庫県に住んだが、養父が競輪で破産し、岡山県玉野市に夜逃げをした。

住み家は住人が居なくなった廃屋を転々としたが、養母は家を出て行き、金が無いので電気や水道が無かったそうです。


一応生活保護を受給していたが、食べるものが無く草などを食べたと言っているので、夜逃げが原因で受給が途絶えたのかも知れない。

出て行った養母が見つかると、養父とともに名古屋へ移住したが、養母はまた家を出て養父と2人になりました。

養父はやはり働く事はなく、宗次徳二はパチンコ屋で落ちている玉を拾ったりしてお金を稼ぎ、養父は15歳の時になくなった。


養父と暮らした時代の唯一の贅沢は、年末の生活困窮者一時金で、父が買って来るリンゴを食べることだったという。

父がなくなった後は学校に通い、愛知県の商業高校を卒業しているが、怠け者で暴力を振るう父のほうが好きだったという。

不動産屋からカレー専門店へ

高校を卒業すると地元の土地開発会社に就職し、3年後に大和ハウスに転職し、不動産関係の仕事に就いた。

そこで現在の妻と結婚し、3年後の1973年に自宅で不動産仲介会社を設立しました。

不動産はうまく行かなかったので、1974年に夫婦は名古屋で喫茶店「バッカス」を開店しました。


当時喫茶店経営は流行していて、日本中にこうした個人経営の喫茶店が存在していました。

宗次徳二は喫茶店を開業したとき、不動産よりこうした飲食店をやりたいと強く思ったそうです。

食べたい物を満足に食えなかった子供時代の思い出が、影響していたのかも知れません。


喫茶店では若者達やサラリーマンがコーヒーを飲んでお喋りしたり、軽食を食べたりしていました。

喫茶店で出す定番メニューの一つがカレーであり、妻が作ったカレーが美味いと評判になりました。

1978年にカレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店を名古屋に開店し、ココイチの歴史が始まりました。


ココイチは他のカレー屋とは違い、自分で辛さやトッピングを細かく指定する事ができるが違いはそれだけではありません。

ほとんどのチェーン店では合理化を進め、雇ったその日から一人で働いたり店長をしたりしています。

ココイチではそういう事は無く、バイトとして入店してから何年も修行し、やっと社員になり店長になります。

さらに何年も修行してやっと自分の店を持つオーナーに成れる、という制度を取っています。


1978年に開店した名古屋の1号店

引用:http://livedoor.blogimg.jp/hontennotabi/imgs/2/e/2ef2aeda.jpg

完全さを求めた創業者

フランチャイズというよりも江戸時代の丁稚奉公から番頭になり、暖簾分けする制度に近い。

外国に出店したココイチでも同じ制度で、バイトから長い時間を掛けて店長やオーナーを育成します。

アメリカ発祥のフランチャイズシステムでは、こうした人材育成は無駄なコストとされていて、雇ったその日からマニュアルに従います。


今日雇ったバイトでもマニュアルに従えば、店長の仕事は出来るのがアメリカ流で、ココイチはファーストフードでは無いといえる。

無駄なコストが掛かるのでココイチのカレーは価格が高く、安いカレーが食べたければ牛丼屋に行けという態度です。

他にも一般的なカレー屋との違いがあり、普通のカレー屋は実はレトルトカレーを使い自社で製造はしません。


カレーは腐敗しやすいのと味が変わりやすいなどが原因ですが、ココイチでは集中してカレールーを造り、全店舗に運んでいます。

特徴のトッピングは店内で調理し、フライなどは揚げたてを提供しています。

こうした作業もフランチャイズシステムでは「無駄」であり、冷凍庫から出して電子レンジで加熱するのが普通です。


だがこうした数々の無駄は実は、ブランドイメージを確立するのに重要な意味があります。

例えばフェラーリが合理性を追求して、余った製造ラインで大衆車を作っていたら、決して現在のフェラーリにはなっていないでしょう。

逆に日本車やアメリカ車は合理的であるために、決して高級ブランドに成る事はできません。


創業者の宗次徳二は引退するまでずっと、1,000軒以上の店舗を一軒ずつまわり、店員の教育や味などをチェックしていました。

少しでも店内が汚れていると、自分で掃除用具を持って掃除したという逸話から、彼の完全主義が想像できます。

ココイチのルーはあえて個性をなくし平凡な味にしてあり、誰にでも受け入れられるようにしています。


店内は定員数をあえて少なくするため、大きなテーブルに少ないイスが配置してあります。

これは完全なサービスを提供できる人数しか店に入れない為に、わざと少ししかイスを置いていないそうです。

こうした完全さを求めてきたが、1400店に増えた事と大企業の子会社になった事で、もしかしたら変わっていくかも知れません。


宗次徳二は創業以来一日も休まず遊んだ事も無く、友人は一人も居らず、仕事に人付き合いは要らないが信念だという。

美味しいカレーをつくり、客が満足するために、社長がチャラチャラ遊んだり友達を増やす必要は無い。

引退した宗次徳二は、株式の売却利益を慈善事業などを行う資金に当てるそうです。

宗次徳二が去ったココイチはマックのように、合理性を求めるようになるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/47404759.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/998.html#c5

[近代史3] 市販のカレー・ルウ と レトルト・カレーは買ってはいけない、外食でカレーを食べてはいけない 中川隆
10. 中川隆[-14161] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:16:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-844]
2020年01月31日
ココイチ(壱番屋)創業者 宗次徳二 孤児からカレー王へ


引用:http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sukima911/20070607/20070607183539.jpg


カレーのココイチは唯一成功したカレー・チェーンと言って良く、国内外に約1470店を展開しています。

ココイチの成長は創業者に支えられていて、妥協せず他のチェーンの真似をする事もしませんでした。


捨て子で孤児院に引き取られる

ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋の株式の50%以上をハウス食品が取得し、事実上身売りしました。

創業者の宗次徳二氏が保有していた株をハウスが取得し、創業者は経営から完全に退きました。

ハウスはココイチにカレー粉を提供し、以前から株式の約20%を取得していて、連結子会社になった。


カレー専門店は同じ品質のカレー粉を大量に安定確保するのが難しく、ハウス資本を受け入れることで全国展開していた。

創業以来、宗次徳二氏の丁寧なカレー造りを曲げず、バブル崩壊も平成デフレも乗り越えてきました。

創業者が退いた事で、ココイチは確実に変わるだろうし、一つの時代が終わったと言えるでしょう。


宗次徳二(むねつぐ とくじ)は1948年石川県生まれで両親は不明、兵庫県尼崎市の孤児院に預けられました。

3歳のとき雑貨商を営む宗次夫婦の養子に貰われ兵庫県に住んだが、養父が競輪で破産し、岡山県玉野市に夜逃げをした。

住み家は住人が居なくなった廃屋を転々としたが、養母は家を出て行き、金が無いので電気や水道が無かったそうです。


一応生活保護を受給していたが、食べるものが無く草などを食べたと言っているので、夜逃げが原因で受給が途絶えたのかも知れない。

出て行った養母が見つかると、養父とともに名古屋へ移住したが、養母はまた家を出て養父と2人になりました。

養父はやはり働く事はなく、宗次徳二はパチンコ屋で落ちている玉を拾ったりしてお金を稼ぎ、養父は15歳の時になくなった。


養父と暮らした時代の唯一の贅沢は、年末の生活困窮者一時金で、父が買って来るリンゴを食べることだったという。

父がなくなった後は学校に通い、愛知県の商業高校を卒業しているが、怠け者で暴力を振るう父のほうが好きだったという。

不動産屋からカレー専門店へ

高校を卒業すると地元の土地開発会社に就職し、3年後に大和ハウスに転職し、不動産関係の仕事に就いた。

そこで現在の妻と結婚し、3年後の1973年に自宅で不動産仲介会社を設立しました。

不動産はうまく行かなかったので、1974年に夫婦は名古屋で喫茶店「バッカス」を開店しました。


当時喫茶店経営は流行していて、日本中にこうした個人経営の喫茶店が存在していました。

宗次徳二は喫茶店を開業したとき、不動産よりこうした飲食店をやりたいと強く思ったそうです。

食べたい物を満足に食えなかった子供時代の思い出が、影響していたのかも知れません。


喫茶店では若者達やサラリーマンがコーヒーを飲んでお喋りしたり、軽食を食べたりしていました。

喫茶店で出す定番メニューの一つがカレーであり、妻が作ったカレーが美味いと評判になりました。

1978年にカレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店を名古屋に開店し、ココイチの歴史が始まりました。


ココイチは他のカレー屋とは違い、自分で辛さやトッピングを細かく指定する事ができるが違いはそれだけではありません。

ほとんどのチェーン店では合理化を進め、雇ったその日から一人で働いたり店長をしたりしています。

ココイチではそういう事は無く、バイトとして入店してから何年も修行し、やっと社員になり店長になります。

さらに何年も修行してやっと自分の店を持つオーナーに成れる、という制度を取っています。


1978年に開店した名古屋の1号店

引用:http://livedoor.blogimg.jp/hontennotabi/imgs/2/e/2ef2aeda.jpg

完全さを求めた創業者

フランチャイズというよりも江戸時代の丁稚奉公から番頭になり、暖簾分けする制度に近い。

外国に出店したココイチでも同じ制度で、バイトから長い時間を掛けて店長やオーナーを育成します。

アメリカ発祥のフランチャイズシステムでは、こうした人材育成は無駄なコストとされていて、雇ったその日からマニュアルに従います。


今日雇ったバイトでもマニュアルに従えば、店長の仕事は出来るのがアメリカ流で、ココイチはファーストフードでは無いといえる。

無駄なコストが掛かるのでココイチのカレーは価格が高く、安いカレーが食べたければ牛丼屋に行けという態度です。

他にも一般的なカレー屋との違いがあり、普通のカレー屋は実はレトルトカレーを使い自社で製造はしません。


カレーは腐敗しやすいのと味が変わりやすいなどが原因ですが、ココイチでは集中してカレールーを造り、全店舗に運んでいます。

特徴のトッピングは店内で調理し、フライなどは揚げたてを提供しています。

こうした作業もフランチャイズシステムでは「無駄」であり、冷凍庫から出して電子レンジで加熱するのが普通です。


だがこうした数々の無駄は実は、ブランドイメージを確立するのに重要な意味があります。

例えばフェラーリが合理性を追求して、余った製造ラインで大衆車を作っていたら、決して現在のフェラーリにはなっていないでしょう。

逆に日本車やアメリカ車は合理的であるために、決して高級ブランドに成る事はできません。


創業者の宗次徳二は引退するまでずっと、1,000軒以上の店舗を一軒ずつまわり、店員の教育や味などをチェックしていました。

少しでも店内が汚れていると、自分で掃除用具を持って掃除したという逸話から、彼の完全主義が想像できます。

ココイチのルーはあえて個性をなくし平凡な味にしてあり、誰にでも受け入れられるようにしています。


店内は定員数をあえて少なくするため、大きなテーブルに少ないイスが配置してあります。

これは完全なサービスを提供できる人数しか店に入れない為に、わざと少ししかイスを置いていないそうです。

こうした完全さを求めてきたが、1400店に増えた事と大企業の子会社になった事で、もしかしたら変わっていくかも知れません。


宗次徳二は創業以来一日も休まず遊んだ事も無く、友人は一人も居らず、仕事に人付き合いは要らないが信念だという。

美味しいカレーをつくり、客が満足するために、社長がチャラチャラ遊んだり友達を増やす必要は無い。

引退した宗次徳二は、株式の売却利益を慈善事業などを行う資金に当てるそうです。

宗次徳二が去ったココイチはマックのように、合理性を求めるようになるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/47404759.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/333.html#c10

[リバイバル3] パンケーキはダメ!実はカステラが美容スイーツだった 中川隆
1. 中川隆[-14160] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:23:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-843]
共立てで作る基本のスポンジケーキ レシピ・作り方
https://www.kurashiru.com/recipes/8974221b-509a-4e99-982f-c0616646696d

「共立てで作る基本のスポンジケーキ」の作り方を簡単で分かりやすいレシピ動画で紹介しています。

基本のスポンジケーキの作り方です。

今回は卵黄と卵白、それぞれを泡立てる方法ではなく、全卵で泡立てて作るスポンジケーキです。コツ、ポイントが分かってしまえばご自宅でもふわふわのスポンジケーキを焼く事が出来ますよ。

調理時間:40分
費用目安:200円前後


材料(1台分(直径15cm丸型))

無塩バター 10g

卵 (Mサイズ) 2個

グラニュー糖 60g

お湯 (湯せん用、50℃)適量

薄力粉 60g

バニラエッセンス少々


料理を安全に楽しむための注意事項

作り方

準備.
型にシートを敷き込んでおきます。 オーブンを180℃に予熱します。

1.無塩バターは湯せんで溶かします。

2.ボウルに卵とグラニュー糖を入れて、グラニュー糖が溶けるまで湯せんにかけながらハンドミキサーで泡立てます。

3.生地を上から垂らした際に10秒程度文字が消えずに残るまでしっかりと泡立てます。

4.薄力粉をふるい入れ、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせます。

5.1とバニラエッセンスを加えて、さらに混ぜ合わせます。

6.型に流し入れて上から2、3回軽く落として空気を抜き、180℃のオーブンで25分焼きます。

7.竹串を刺してついてこなければ焼きあがりです。熱いうちに型から外して冷まします。


料理のコツ・ポイント

・手順2で湯煎にかけながら泡立てますが、湯煎しすぎてしまうと膨らみにくくなってしまいますので、グラニュー糖が溶けたら湯煎から外してください。

・生地はしっかりと泡立てて下さい。目安は生地を上から垂らした際に10秒程度残っている状態です。

・薄力粉を振るい入れたら、必ずゴムベラに持ち替え、さっくりと切る様に手早く混ぜて下さい。混ぜすぎてしまうと生地の泡が消え膨らまなくなってしまいます。

・ご使用のオーブンによっては火力に誤差が生じる事がありますので、焼き時間は目安にし、様子をみながら焼いて下さい。
https://www.kurashiru.com/recipes/8974221b-509a-4e99-982f-c0616646696d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1029.html#c1

[リバイバル3] パンケーキはダメ!実はカステラが美容スイーツだった 中川隆
2. 中川隆[-14159] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:26:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-842]

【スイーツレシピ】スポンジケーキの作り方 How to make a sponge cake





バースデーケーキや、クリスマスケーキなどのデコレーションケーキの土台となるスポンジケーキの作り方

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1029.html#c2
[番外地7] メモ帳 _ 国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだった 中川隆
1. 中川隆[-14158] koaQ7Jey 2020年1月31日 12:55:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-841]
国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだ
国会で法案の中身が議論される事は少なく、政府のスキャンダルの追及に野党は明け暮れています。これをして「くだらない野党」とか「無力な野党」と揶揄する人がネトウヨに限らず大勢居ます。しかし、これが少数派の野党に精一杯の抵抗だという事を知っている国民は少ない。 「多数決が正義」の国会で野党は「時間闘争」しか対抗手段を持たない 

「民主主義」は単純に言ってしまえば「多数決」が全てです。国会で多数派の与党は、審議などせずとも強硬採決によって、どんな法律も成立させる事が出来ます。


しかし、それでは「数による独裁」となってしまうので、形だけでも国家で与野党が充分に法案について話し合って採決するというポーズを取ります。法案の内容を審議した所で、最後は「数の力」で法案は成立してしまいます。国民も「充分内容を審議した」と納得してしまいます。

そこで、少数派の野党は「時間切廃案」という「時間闘争」で抵抗するしか手が有りません。


本来、時間稼ぎは法案の内容の審議であるべきですが、国民はこんな細かい事に興味はありません。国民を見方に付けない限り「審議は充分尽くされた」として採決に持ち込まれてしまいます。だから野党は「国民が興味を示し易いスキャンダル」で審議時間を使い尽くし、「強硬採決を許さない空気を醸成」して、法案をまとめて「時間切れ廃案」に持ち込む「時間闘争」を常套手段にしています。


■ 国会は既に法案の中身を審議する場では無くなっている ■


そもそも日本の国会は法案の中身を審議する場では無くなっています。その理由は「議員が勉強不足」だから。


日本の法律は「議員立法」が少ない事は皆さんもご存じだと思います。法律の多くは「閣法」です。「閣法」は、内閣が閣議決定して国会に提出される法案の事です。


1) 官僚が法案の雛形を作る
2) 自民党内の政務調査会の部会で法案の内容が審議される(利権の調整)
3) 自民党の「総務会」で法案の内容が検討される(さらなる利権の調整)
4) 国会への法案提出が閣議決定される

5) 国会内の委員会で法案が審議される(野党との調整)
6) 法案が本会議に提出され、審議後に採決される


自民党は「政治主導」の名の元に小泉政権時代から国会議員の国会での自由な裁量を制限して来ました。議員は国会で自民党が提出した議案に反対すると、次の選挙で党の公認が得られなくなるのです。だから、現在の国会議員は「数合わせ」に過ぎないのです。

当然、国会議員の質も低下します。かつては政策に精通した議員も多く居ましたが、現在では「選挙で勝てる議員」が「良い議員」です。世襲議員で後援会の基盤がしかかりしていたり、或いは話題性があって当選が見込める人が党の推薦を受け易くなります。

かくして国会で法案の中身を審議出来る議員が居ない、いえ必用無くなったのです・・・。

イギリス議会にしても、アメリカ連邦議会にしても、民主主義は形骸化しており、民主主義の理想とは大きくかけ離れた物になっていますが、日本の国会の形骸化はその最たるものかも知れません。「民主主義」が本当に機能する為には「理知的で公平な国民」が必須ですが、実際には国民は「利己的な集団」に過ぎません。結果的に民主主義を国民の手に委ねると国家は滅亡します。だって、税金払う人、居なくなりますから・・・。

「民主主義」は近代政治が生み出した「妥協案」ですが、様々な手段を使って「民主主義を制約」する事で機能して来ました。日本の国会システムも、長い年月をかけて作られた「妥協案」の一つです。

国民から見ると「理解不能」な国会システムですが、これも先人の知恵(と欲望)の結晶と思えば、評価する点もあるのかも知れません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/439.html#c1

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
2. 中川隆[-14157] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:31:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-840]

Furtwängler Beethoven No 4 most lively! Berlin Philharmonic Alte Philharmonie 1943









Wilhelm Furtwängler, conductor
The Berlin Philharmonic Orchestra

Recorded June 30, 1943
at Philharmonie, Berlin

Furtwangler conducted Beethoven's symphony No. 4 in four concerts, 27th - 30th June 1943 in the Alte Philharmonie Berlin, as part of a pure Beethoven program, together with Coriolan overture and the 5th Symphony. MOVEMENTS: I 0:11 II 11:23 III 23:23 IV 29:03 - INTRODUCTION & TIPS:


▲△▽▼

Furtwangler Beethoven 4th symphony 1943-no audience


Berlin Philharmonic Orchestra
Furtwangler Wilhelm
聴衆なしの録音

__________


1943年
●6月27-30日(1944年1月録音?) 27-30 June 1943 BPO Philharmony (without audience)DRA 5500557

Beethoven:Sym.No.4 ベートーベン/交響曲第4 (o-83/97)

LP/PR: VOX PL7210(51/12) D09083-4('61?) DG LPM18817(62/09) DG(JP)MG1444('70) Columbia(JP)DXM132VX('72)
CD: POCG 2349('91) OpusKuraOPK7002(03/11) VeneziaV1021(03/12) DeltaDCCA0002(04/10) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)


BPO フィルハーモニー RRG放送録音 No4=旧DDR No5=ヘッセン放送 SFB所蔵(No5=1987,No4=1991=only 2nd Mov.)DRA B003286954
●6月27-30日 27-30 June 1943 BPO Philharmony (with audience)DRA B003321740

Beethoven:Sym.No.4 ベートーベン/交響曲第4 (o-84)

LP/PR: MEL33D09083-4('73) DG(Kr)427 773-1('89)
CD: DG427777-2('89) DG(JP)F20G29090('89) MEL10 00719('93) TOCE3731(00/08) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)
LP/PR(1-2Mov.Live): Melodia D09083-4(65?) Columbia(JP)DXM103UC(70/10) SWF7103(72/03)
CD(1-2Mov.Live): ToshibaCE28-5747('89)TOCE8519('94)VeneziaV1022(04/04=only 1-2Mov.)

>>>> SWF said No.4 had two sorts of different live performances.

▼第4の演奏には実況盤、放送録音盤および両者を組み合わせたハイブリッド盤が存在する。

米Vox系、DG旧盤及びメロディア最初期盤=青色大聖火ガスト56は完全放送録音。
浅岡氏所有LPによると、白または桃色大聖火ガスト61では完全放送録音盤と1,2楽章のみ実況盤が混在している。
ピンクレーベル(ガスト61)メロディア盤とそれをコピーした旧西側のレコードは1,2楽章のみ実況盤。
1989年に出たDG427777-2は全楽章実況録音でメロディアの日本直輸入黒盤LP/CDも同じ完全実況盤。
但し70年頃までDG旧盤とその音源提供元の旧東独エテルナ盤は44年の放送録音(放送されたのが44年3月)で上記2盤とは別録音とされていた。

Vox盤はバイエルン放送から正式に入手したものという説もあるが、音質はDGに劣る。
実況盤は1分45秒付近に大きな物音があるが、他はミスもなく、終楽章の迫力は凄い! 
なお、完全実況盤は韓国ポリグラムLPやDG盤CDが初出盤とされていたが、現在では73年頃発売された黄レーベルのメロディア盤が初出とされている。

つまり、メロディア盤は発売時期によって放送録音(59年頃)、ハイブリッド(66年頃)、実況録音(73年頃)の3種が存在する。

完全放送録音のDG系LP/CDは3楽章20小節までの反復で後の方が2度使われている。
Vox、メロディアは正常。
ドイツに残されたコピーテープ(DG=東独放送局/Vox=西独のいずれかの放送局所蔵)と思われる聴衆なし放送録音はガザガサボコボコノイズが多く鑑賞に支障がある。

初期のメロディア盤はオリジナルテープからと思われ、明快な音質。
SWFLPやオーパス蔵盤が最初期全楽章放送録音のメロディア板おこしとされる。
特に蔵盤は、最も明瞭度を高めた今後の標準盤という声も高い。
Venezia盤はさらに明瞭だが針音も盛大。

仏フ協会報2002-1では、SWF8801に収録された第4の第1,2楽章は、現在流布しているロシアから返還されたものとは別の実況盤という。
SWF011-3では3種の異なる演奏という名目で頒布されたが、全楽章通し演奏と思われるSWF011の演奏は全て53年VPO盤(SWF892)と同じ演奏。
SWF012の1,2楽章は現在メロディア盤などで流通しているLiveと同じもの。
清水氏によれば、SWF8801も今までと同じ演奏という。

再登場したSWF011Rも従来と同じ演奏で、結局43年 No4 Liveは現時点で1種類しか確認されていない。
DRAではDRA 1590084として24分11秒の2,3,4楽章の別テープが存在するが、別演奏かどうかは不明。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c2
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
3. 中川隆[-14156] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:34:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-839]
Beethoven / Symphony No.4 / Wilhelm Furtwängler


Vienna Philharmonic Orchestra
cond. by Wilhelm Furtwängler

Recorded 25, 30, January 1950

HMV DB-9524-8
12inch 78rpm x 10side


1950年
25/30 Jan. 1950 VPO Musikverein (EMI studio Version=SP)
Beethonen: Sym. No.4

●1月25、30日 ベートーヴェン/交響曲第4 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音
Matrix:2VH7207-1A/08-1A/09-1A/04-1A/05-1A/06-1A/10-1A/11-1A/12-1A/13-1A

SP/PR: DB21099-103('50?)
LP: ToshibaEAC47009-14('75)WF70045('76)
CD: ToshibaTOCE6180('91)



▽日本ではSPは出なかった。

75年東芝から「世紀の9大指揮者によるベートーヴェン交響曲全集(EAC47009-14)」で日本初出LPが出た。

SP片面ごとに収録したオリジナルテープを LP用に編集したと思われるテープが使われていると思われたが、若干周期ノイズと思われる部分もあり、即断できない。

全集盤からの分売WF70045 はつなぎ目の粗さはあるが、比較的聞きよい音質だが、同じような条件の7番よりも東芝TOCE37xx同士の比較では音質が悪い。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c3
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
4. 中川隆[-14155] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:39:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-838]
Beethoven - Symphony n°4 - Vienna / Furtwängler 1952





Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Vienna, 1-3.XII.1952


1952年
1/2 Dec. 1952 VPO Musikverein (EMI studio Version)
Beethoven: Sym. No.4

●12月1、2日 ベートーヴェン/交響曲第4 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音

LP/PR: ALP1059(53/06)
CD: EMI(GB)763192('89)ToshibaTOCE8438(94/08)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c4
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
5. 中川隆[-14154] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:43:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-837]
1953年
4 Sep. 1953 VPO MunichDutchMusium(Bavarian Radio)
Beethoven Sym. No.4

●9月4日 ベートーヴェン/エグモント序曲・交響曲第4・英雄 VPO ミュンヘン・ドイツ博物館 バイエルン放送所蔵


LP/PR(No4): RVCJapanRCL3333(84/12)
CD: SWF892('89)KingJapanKICC2354('94)


▼51年ロマンティックや52年ブラ2などミュンヘンで行われたすべての録音にいえることだが、マイクがオケから遠く、聴衆ノイズは鮮明だが楽器の音質が悪すぎる。これはホールの影響なのだろうか。

ベト4 の SWF011-3 に含まれる43年録音とされる演奏は、この53年盤と同じ演奏。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c5

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
6. 中川隆[-14153] koaQ7Jey 2020年1月31日 13:48:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-836]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン 『交響曲第4番』


ベルリン・フィル----1943年6月27-30日、放送用録音
DG。POCG 2349。
カップリングはピアノ協奏曲第4番(ハンゼン)。
11:16, 12:08, 5:42, 7:01

このほうが、下のライヴよりも音質・演奏ともに自然である。
西ドイツに残されたマグネットフォン録音から比較的早い時期にDGがリリースしていたものである。

______


ベルリン・フィル----1943年6月27-30日、Live
DG。F20G 29090。
カップリングは、ヘンデルの合奏協奏曲op.6-10。
11:09, 11:59, 5:30, 6:51

マグネットフォン録音がソ連から変換された時にCD化されたものである。
残響が不自然なのと、ややテンポが急速すぎて踏み外しすぎたところがあるように思う。

 ほとんど同じ時期に

「POCG 2349----全楽章聴衆無し」
「F20G 29090----全楽章ライヴ」

と完全に2通りの録音がなされていたわけである。
(同様の例が、戦後のブルックナー第8番でもある。)

 POCG 2349の桧山浩介氏の解説によると、昔のメロディア盤LPや、EMIユニコーンから発売されていたものは「聴衆無し放送用録音の第1・2楽章と、ライヴの第3・4楽章をつなぎあわせたもの」だったという。

しかし、同じメロディア盤でも93年のCD(MEL10 00719)は全曲ライヴである。


______


ウィーン・フィル----1950年1月23,24日
EMI。
同時期の第7番と同じ録音方式(つまりSP1面分ずつ細切れのテープ録音)である。

私は初め、これをHS-2088リマスターの国内盤で入手した(2000年6月発売)のだが、このCDは第1楽章4分45秒あたりで、編集にキズがあり「おかしな演奏」に聞こえる。

しかし、2004年夏、TAHRAから発売されたフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル録音集4枚組FURT 1084/7に収録されたものは、素晴らしい復刻である。

これに収録された第7番はLP用テープではなくSPレコードから復刻したものなので、この曲もおそらくそうしていると予想される。

所用時間は、10:53, 12:20, 5:58, 7:28。

この演奏は気合いがみなぎっている。音の出し方ひとつひとつに神経を使っている。


______


ウィーン・フィル----1952年12月1,2日
EMI。全集中の録音である。
10:32, 11:44, 5:57, 7:29。

録音は良いのだが、演奏の燃焼度は低い。
カルロス・クライバー盤が出るまでは、この曲をやや柔和なイメージ(ベートーヴェンの偶数番号)でとらえる演奏が多かったので、これもアリなのだろうが..。

しかしフルトヴェングラー自身は戦時中にあれだけエキサイティングな演奏をしていたことを考えると、この録音は「運命」の54年スタジオ録音と並んで“レコーディングで急に冷静になってしまったフルトヴェングラー”の代表例となろう。

3・4楽章の所用時間は50年録音とほとんど変わらないのだが、どこか流しているような印象がある。


______


ウィーン・フィル
TAHRAから出た没後50周年3枚組FURT 1090/3。
1953年9月4日、ミュンヘンでのライヴ録音。

2度目のスタジオ録音よりもあとのため、終楽章も落ち着いたテンポではあるが、テンションは高い。

同日のエグモント序曲も収録されている。

http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c6

[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
7. 中川隆[-14152] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-835]
クレンペラー


Beethoven - Symphony No 4 in B-flat major, Op 60 - Klemperer


Cologne Radio Symphony Orchestra
Otto Klemperer

Cologne, 1954

▲△▽▼

Otto Klemperer Beethoven Symphony No.4 , Concertgebouworkest, 1956









09.05.1956, Concertgebouw.

▲△▽▼

Beethoven - Symphony n°4 - Philharmonia / Klemperer





Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
Recorded at Kingsway Hall, London, on 21-22 October 1957

▲△▽▼

Beethoven Symphony no. 4 The Philharmonia Orchestra Klemperer 1960



▲△▽▼

Beethoven: Symphony No. 4 ( BRSO & Otto Klemperer )


Symphonie-orchester des Bayerischen-Rundfunks
Otto Klemperer

Herkulessaal, München, 30. V. 1969

▲△▽▼


BEETHOVEN Symphony No.4 in B flat major Op.60 OTTO KLEMPERER


Otto Klemperer (conductor)
New Philharmonia Orchestra
Royal Festival Hall
London 1970.


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c7
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
8. 中川隆[-14151] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:17:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-834]



ブルーノ・ワルター

Beethoven: Symphony No. 4, Walter & ColumbiaSO (1958)


Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 8, 10 February 1958

▲△▽▼

Beethoven - Symphony n°4 - NYP / Walter





New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 24.III.1952

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c8
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第4番』 中川隆
9. 中川隆[-14150] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:42:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-833]
カルロス・クライバー

ベートーヴェン 交響曲第4番 カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団 1982


Conductor: Carlos Kleiber
Orchestra: Bayerisches Staatsorchester

カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。1982年5月3日、バイエルン国立歌劇場でのカール・ベーム追悼コンサートのライヴ録音。

私が学生生活を始めた84年にLPで発売され、ものすごいセンセーションをまきおこした超名演である。

このレコードがでる以前は、いわゆる「ベートーヴェンの偶数番号=優しいイメージ」という言われ方がなされていた。実際は、フルトヴェングラーなどの戦時中の録音を引き合いに出すまでもなく、カラヤンなども終楽章で結構なスピードで演奏していたのだが、それにもかかわらず「偶数番号はワルターやベーム」ということで、何となくのどかな演奏こそがふさわしいとされていたのであった。

ほぼ同じ頃にブリュッヘンが18世紀オーケストラとの録音を出すようになったため、吉田秀和氏がそれらを並べて「男性的なベートーヴェンが復活してきた」といったような評論を書かれていたと記憶している。

2011年、シングルレイヤーSACDでもリリースされた。
2005年初頭、同日演奏の第7番もORFEOからCD化された。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm



▲△▽▼




CARLOS KLEIBER ~ BEETHOVEN SYMPHONY # 4 in B flat - CONCERTGEBOUW ORCHESTRA 1983





the Concertgebouw Symphony Orchestra in Amsterdam.


PHILIPS。1983年ライヴLD。第7番とカップリング。

CDよりも躍動感にとむ超名演!とにかくクライバーの指揮は「見たい」。

これもまた私が学生時代に、学生生協でレーザーディスクプレーヤーのデモで毎日のように見ていたものである。

彼の死後、DVD化されたので購入(写真)。
5.1チャンネル・サラウンドにも切り替えられる。また、LDではA面に第7・B面に第4が収録されていたが、DVDではコンサートの曲順通り第4・第7の順で収録されている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven4.htm



▲△▽▼


Beethoven: Symphony No.4 / C.Kleiber Bayerische Staatsorchester (1986 Movie Live)


Carlos Kleiber
Bayerische Staatsorchester

1986.5.19 Tokyo. Japan Live




カルロス・クライバーも死後急速に忘れ去られましたね。

フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターより 2ランクか 3ランクは落ちる評価になってしまいました。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html#c9
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
1. 中川隆[-14149] koaQ7Jey 2020年1月31日 14:52:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-832]
クナッパーツブッシュ


Beethoven: Symphony No. 2, Knappertsbusch & BremenPO (1952)

Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Bremen Philharmonic State Orchestra (Bremer Philharmonisches Staatsorchester)


Rec. 12 December 1952, in London (Live Recording)


▲△▽▼

Beethoven "Symphony No 2" Hans Knappertsbusch 1962 Wiener Philharmoniker


Wiener Philharmoniker
Hans Knappertsbusch, Conductor
1962年録音

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
2. 中川隆[-14148] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:12:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-831]



フルトヴェングラー

Beethoven: Symphony no. 2 (Furtwangler)



_____










Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 3 October 1948, at Royal Albert Hall, in London (Live Recording)



1948年
3 Oct. 1948 VPO Royal Albert Hall London (BBC = EMI)
Beethoven: Sym. No.2

●10月3日 ベートーヴェン/交響曲第2 VPO ロンドン・ロイヤルアルバートホール BBC収録

EMIMatrix:2XEA6732
LP/PR: Electrola1C14953542-9('79)ToshibaEMI EAC47240-6(79/11)
CD: EMI7636062('89) M&ACD942('95) ToshibaTOCE3720(00/08) [アルバートホール]

>>This concert was recorded by BBC on tape.
This tape copied Disks after this.
These CD & LP were made by copied Disks. This sound is dull.


▼没後25年を経てやっとそろった EMI「ベートーヴェン交響曲全集」最後の1枚。
このロンドンでの演奏会ではベートーヴェン交響曲の全曲が演奏され、BBC が全曲のテープ録音をしたとされる。

ただそれらの録音ではこの曲と同じ日に演奏された「英雄」しか残っていないといわれている。

テープ録音は後にディスクに移されテープはすべて消去されたとされる。
ディスクから復刻した CD はやはり音質が劣悪で、常時鑑賞するには苦痛が生じる。
同じ EMI がライセンスを持つ実況盤でも 11/13のストックホルムでの第8の方が聴きやすい。このロンドン公演の他の録音が残っていたとしてもこの程度の録音では資料的価値しかないと思われる。

現在まで巨匠唯一の 2番だが、8番よりは巨匠には合っているように思われ、録音の貧弱さが悔やまれる。

京都在住のK氏によると Iron needle の CD が現在最もダイナミックレンジをとった復刻盤で、それをもとにノイズキャンセルしたCDを個人的に聞いていらっしゃるという。shin-pも聞いたが、楽器そのものの音質がかなり変化しているが、大変聞き易く巨匠のこの曲の解釈は充分伝わる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c2
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
3. 中川隆[-14147] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-830]

カール・シューリヒト


Beethoven - Symphony n°2 - Vienna / Schuricht 1952




Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht
Studio recording, Vienna, 27-30.V.1952

▲△▽▼

Beethoven: Symphony No. 2, Schuricht & PCO (1958)





Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
Paris Conservatoire Orchestra (Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)

Rec. 26-27 September 1958, at Salle Wagram, in Paris


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Beethoven : Symphony No.2 in D major Orchestre de la Suisse Romande 1946




Carl Schuricht
Orchestre de la Suisse Romande
(Rec.1946) Public Domain

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c3
[近代史3] ベートーヴェン 『交響曲第2番』 中川隆
4. 中川隆[-14146] koaQ7Jey 2020年1月31日 15:44:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-829]

コンヴィチュニー

Beethoven: Symphony No. 2 Konwitschny & LGO (1959)



Franz Konwitschny (1901-1962), Conductor
Leipzig Gewandhaus Orchestra

Rec. June 1959


ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調op.36 名盤

フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960年頃録音/edel classics盤) これも全集盤に収められていますが、昔、学生時代に廉価LP盤で聴いて非常に好きだった演奏です。

1楽章序奏部の和音から厚いドイツの響きがとても美しく魅了されてしまいます。更に主部に入ると、ゲヴァントハウス管の合奏の上手さと切れ味に驚嘆させられます。それは単に機能的に優れているだけではなく、ドイツの伝統そのものから成り立つ凄さを感じるからです。

2楽章は速めで甘さは控えめですが、和音はやはり美しいです。続く3楽章も良いですが、終楽章は分厚い合奏に凄みすら感じます。

それにしても、この凄さは実際に耳で聴いてみないと分からないと思います。


以上の中から、特に好きな演奏を上げるとすれば、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス盤がダントツです。これは学生時代から全く変わりません。

他には、ウイーン・フィルが美しいベーム盤、SKドレスデンが素晴らしいブロムシュテット盤、そして指揮者の芸格が抜きんでたワルター盤も外せません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/op36-9d11.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html#c4
[番外地7] 台湾人は外省人だけでなく内省人も殆どが戦前に中国から台湾に移民した漢民族 中川隆
1. 中川隆[-14145] koaQ7Jey 2020年1月31日 17:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-828]
朝川遥華
>言葉も出身地も違う福ロウ(人偏に老)人を"漢人"にカウントする手法

そもそも黄河文明人はコーカソイドの麦作牧畜民で、周りのモンゴロイドを征服して女性にして混血児を産ませてできたのが現在の漢民族です。

現在の華北と華南の中国人が全く違うのは ハーフの子供を産ませた女性が別民族だからなのですね。

華南には長江系稲作漁労民が住んでいたのですが、黄河文明人が征服して、現地女性に生ませたのが現在の華南の民族です。

元々長江で稲作をやっていた民族はタイ、雲南、台湾、chousen、日本に逃げたのですね。

日本の弥生人と台湾先住民はそうやって逃げた長江系稲作漁労民です。

日本のアイヌ人は北海道縄文人の直系の子孫だとDNA解析で証明されています。

台湾先住民は長江系稲作漁労民だとDNA解析で証明されています。

台湾本省人は現在の華南の民族だとDNA解析で証明されています。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/447.html#c1

[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
1. 中川隆[-14144] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:04:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-827]

ブルーノ・ワルター

Kathleen Ferrier & Bruno Walter; "Romance"; Rosamunde; D 797/3b; Franz Schubert


Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

_____

Kathleen Ferrier & Bruno Walter "Du bist di Ruh"; Franz Schubert


Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

__________

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter


Franz Schubert (1797-1828) - Lieder
Romance from ‘’Rosamunde’’, D797 no.3b (00:00)
Du bist die Ruh, D776 (03:51)
Die junge Nonne, D828 (08:34)
Der Tod und das Mädchen, D531 (13:01)
Suleika I, D720 (15:39)
Du liebst mich nicht ! D756 (20:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.1


London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6770)

▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.2


London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6771)

▲△▽▼

Rosamunde: Intermezzo No. 3


Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c1
[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』 中川隆
1. 中川隆[-14143] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:07:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-826]

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter




Johannes Brahms (1833-1897)


Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)

Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)

Botschaft, op.47 n°1 (55:12)

Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)



Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter

Live recording in 1949, Edinburgh Festival

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html#c1
[近代史3] ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』 中川隆
1. 中川隆[-14142] koaQ7Jey 2020年1月31日 18:31:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-825]

ブルーノ・ワルター

Leonore Overture No. 2, Op. 72a New York Philharmonic 1946


Conductor: Bruno Walter
Orchestra: New York Philharmonic Symphony Orchestra
REC : 1946

▲△▽▼

Beethoven Coriolano Leonora II Bruno Walter




2. 序曲『コリオラン』 op.62
3. 『レオノーレ』序曲第2番 op.72a

 コロンビア交響楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)

 録音時期:1959年4月(2)、1960年7月(3)
 録音方式:ステレオ(セッション)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/853.html#c1
[近代史3] イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』
イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』


ラローチャ 『アルベニス アストゥリアス』


Alicia de Larrocha plays Albéniz - Cantos de España, Op.232 [live,1972]


ISAAC ALBÉNIZ (1860-1909)
Cantos de España, Op.232


I. Prélude 00:00
II. Oriental 05:48
III. Bajo la palmera 09:24
IV. Córdoba 13:08
V. Seguidillas 19:07


Alicia de Larrocha (piano)


Live Performance: 11 December 1972
St. John's Smith Square, London Westminster, UK
Broadcast by BBC Radio 3, Lunch Time Recital


_____


Isaac Albéniz: Asturias (Leyenda). Suite Española, Op. 47, V (Piano: Alicia de Larrocha)


_____


Albéniz: Suite española, Op.47 - Asturias (Leyenda) (Op. 232/1)


▲△▽▼


Leyenda by Albeniz in HD - Andres Segovia


Master Segovia plays "Leyenda" also known as "Asturias" composed by Isaac Albeniz.


▲△▽▼


Narciso Yepes - Asturias - Composed by Isaac Albéniz


This is Narciso Yepes playing Isaac Albéniz' composition "Asturias".


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Asturias - Isaac Albeniz


Asturias(Leyenda) - Isaac Albeniz played by John Williams



▲△▽▼
▲△▽▼


アストゥリアス(伝説)


《アストゥリアス (伝説曲)(西語:Asturias (Leyenda))》は、イサーク・アルベニスのピアノ曲の一つ。元来は、《スペインの歌》作品232の第1曲「前奏曲」として書かれた曲である。


アルベニスは全8曲から成る《スペイン組曲( "Suite Española" )》を構想していたが、実際に作曲したのは第1〜3曲、第8曲のみで、残る第4〜7曲はタイトルしか残さなかった。アルベニス没後にこの曲集が《スペイン組曲( "Suite Española" )第1集》作品47として出版された際、実在しない第4〜7曲にはアルベニスの他の作品が宛てられた。第5曲アストゥリアス (Asturias)に宛てられたのが前出の「前奏曲」である。その後、原題より「アストゥリアス」のタイトルの方がよく知られるようになった。


《スペイン組曲》の中でも最も印象的な楽曲の一つ。アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ト短調、4分の3拍子で、コーダの付いた3部形式。ギターのつまびきを模した忙しないトッカータ音型に始まり、跳躍を挟んで高揚したところでテンポを緩めて現れる、両手ユニゾンによる繊細で幽玄な旋律と、突然の大胆な気分の変化ゆえに名高い。トッカータ音形が再現されたのちテンポを落とし、新しい旋律とトッカータ音形が現れたのち、静かな二つの和音で終結する(後世のフォルテで終わる版で演奏されることもある)。演奏時間は約6分。


後にアンドレス・セゴビアによりギター曲として編曲された。その際、調性は音域上の問題からホ短調に移調されており、16部音符による同音連打は一部3連符に変更されている。


単独の小品としてはギター版のほうが原曲よりも有名であり、ドアーズやアイアン・メイデンなどのロック・バンドによっても曲の一部が利用されている。また、映画音楽やCM曲にも利用される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%EF%BC%88%E4%BC%9D%E8%AA%AC%EF%BC%89

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/875.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
118. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2020年1月31日 19:40:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-824]
イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/875.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c118
[近代史3] イサーク・アルベニス 『マラゲーニャ』
イサーク・アルベニス 『マラゲーニャ』


ラローチャ 『アルベニス マラゲーニャ』


Isaac Albéniz: III. «Malagueña» de "España: Seis hojas de álbum" Op. 165 (1890)




Piano: Alicia de Larrocha


▲△▽▼


Michelangeli plays Albeniz Malaguena


Arturo Benedetti Michelangeli, recorded in 1942


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Albeniz / Narciso Yepes, 1967: Malaguena, Op. 165 - DG 139 366




▲△▽▼
▲△▽▼


アルベニス :スペイン(6つのアルブムブラット) Op.165
Albeniz, Isaac:España(6 hojas de album) Op.165


作曲年:1890年 
出版年:1890年 
初出版社:H.B Stevens, Boston ; Pitts & Hatzfield, London
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:曲集・小品集
総演奏時間:16分00秒

1889年〜1890年にかけて作曲された。アルベニスが、作曲、演奏ともに精力的な活動をしていた時期の作品である。


「6つのアルブムブラット」という副題をもち、6つの小曲からなる。
簡素な書法でかかれていながらも、スペイン的な要素が顕著である。
とくに第2曲「タンゴ」は、人気が高い。
全曲通して演奏した場合、所要時間は約15〜16分程度。


1.前奏曲 / "Preludio":ラからはじまるミの旋法。4分の3拍子、アンダンティーノ。
演奏時間、1分強。冒頭からユニゾンで奏される歌。イスラムの香りが艶やかにたちこめる。こぶしをきかせた魅惑的な音の動きに、心が惹きこまれていく。


2.タンゴ ニ長調 / "Tango":続く「タンゴ」は、曲集中最も人気の高い曲。さまざまな楽器用の編曲がなされている。
ニ長調、4分の2拍子、アンダンティーノ。心地よい揺れにのせて、南国風の旋律がのんびりとした調子で歌われていく。揺れの幅に自由な変化をもたせていくと雰囲気が出るだろう。


3.マラゲーニャ / "Malaguena":シからはじまるミの旋法、8分の3拍子、アレグレット。
何度も繰り返されるカスタネットの伴奏音型と、広い音域にわたってのびやかにうたわれる歌が、非常に効果的にくみあわされている。中間部のアダージョの部分では、悲しみに満ちた情熱的な旋律がうたわれる。合間にいれられている伴奏は、寄せる波のようだ。


4.セレナータ / "Serenata":ト短調、4分の3拍子、アレグレット。冒頭は、ギターを爪弾くような音で。ロマンティックな雰囲気をもつ旋律が特徴的である。ルバートを効果的に用いるとよいだろう。楽想の変化が多いので、それぞれの性格の特徴をつかみながら弾きわける。その際、流れが不自然にならないように、特にフレーズの最後の音を大切に処理するようにしたい。


5.カタルーニャ奇想曲 / "Capricho catalan":変ホ長調、4分の2拍子、アレグレット。穏やかな曲調であるが、左手のシンコペーションのリズムが、音楽に推進力を与えている。旋律は、非常に優美に歌われ、転調とともに高まりをみせる。


6.ソルチーコ / "Zortzico":ホ長調、8分の5拍子、アレグレット。ソルチーコとは、バスク地方の踊りである。ここにきて、5拍子のリズムが新鮮に響く。強拍、弱拍の変化をしっかりとつけ、踊りのもつ歯切れのよさも十分に表現したい。
https://enc.piano.or.jp/musics/6

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/876.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
119. 中川隆[-14140] koaQ7Jey 2020年1月31日 20:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-823]
イサーク・アルベニス 『マラゲーニャ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/876.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c119
[番外地7] アイヌの民族浄化政策 中川隆
5. 中川隆[-14139] koaQ7Jey 2020年1月31日 20:37:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-821]
明治以前は北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったから、日本人が侵略したに決まってるよ。もう勝手に侵略して図々しく居座っている日本人を追い出すしかないだろ。
先住民が住んでいる所を勝手に侵略して開拓していい訳ないんだ。そもそもアイヌは縄文人の直系の子孫だと証明されている。アイヌ語が縄文語だというのも定説だ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/432.html#c5
[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
10. 中川隆[-14138] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:10:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-820]
ニュービーはあるエピソードを紹介している。

時は、ジョン・F・ケネディー大統領まだ生きていた頃。彼はアイゼンハワー政権から引き継いだCIAの極秘作戦(covert operation)、通称「マングース作戦(Operation Mangoose)」を1961年に承認し、キューバのフィデル・カストロを失脚させてやろうと考えた。

何しろ、当時のアメリカは「ピッグス湾上陸作戦(Bay of Pigs Invasion)」で失敗した後だから、どうしても次の手を打つ必要があった。とりわけ、面子を潰されたCIAは躍起だった。軍を出し抜いてカストロを排除しようと思ったら、殊のほかCIAの作戦が杜撰で、上陸作戦のメンバーは窮地に・・・。

焦ったCIAは大統領に爆撃機の支援を仰ぐが、ケネディーはこれを却下。最終的に、CIAに協力した地下組織のキューバ人はカストロ側に捕まってしまう。


(左 : ジョン・F・ケネディー / フィデル・カストロ / チャールズ・カベル / 右 : アール・カベル )

当時、CIAの副長官を務めていたのは、合衆国空軍のチャールズ・カベル将軍(General Charles Cabell)だ。1962年1月、ケネディー大統領は作戦の失敗を咎めてカベル将軍を解任。だから、この空軍大将が激怒したのも不思議じゃない。殺したくなるほどケネディーを憎んだんじゃないか。

そして、CIAに恥をかかせたケネディー大統領は、翌年の1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスで暗殺された。(これは「エルム街の悪夢」じゃなく「エルム通りの惨劇」だ。)

時のダラス市長は、カベル将軍の弟であるアール・カベル(Earle Cabell)。何とも“出来すぎた”シチュエーションだよねぇ〜。(ちなみに、この暗殺事件には副大統領のジョンソンやハワード・ハントが深く関わっていた。そして、「マングース作戦」を指揮したのは合衆国空軍のエドワード・ランズデール少将だ。この軍人は実に興味深いが、ここでは立ち入らないことにする。)

  戦争には幾つかの形態があって、ミサイルや白兵戦を用いる直接攻撃もあれば、政治宣伝を使って内部混乱を狙う間接攻撃もある。この他に、敵国の経済をメチャクチャにして民衆の暴動を煽り、反体制派に政府転覆を肩代わりさせるという手口もある。

ケネディー政権の了承を取り付けたCIAは、キューバ経済を徹底的に破壊して、カストロ政権を打倒しようと考えた。その一環として目を附けたのは、キューバ経済を支えるサトウキビであった。ニュービーが接触した元CIA局員の話によれば、彼がまだ新人職員であった頃、上司から二つの箱を渡され、この中身をキューバの上空からサトウキビ畑に播いてやれ、と言われたそうだ。

こうして最初の任務を命ぜられた新米は、セスナに乗ってキューバ上空に向かい、目標の地点で箱の蓋を開けると驚いた。そこには感染したダニが一杯詰まっていたのだ。

でも、命令は絶対だ。彼は飛行機の扉を開けると、急いで箱を逆さまにしてダニを振り落とした。身震いするほどの恐怖だったが、即座に扉を閉めて、さっさと帰還したそうだ。

(なるほど酷い作戦だけど、アメリカの諜報機関は敵国人を「人間」とは思わない。もし、キューバ人が同じ事をしたら、何年経ってもアメリカ人はキューバ人を赦さないだろう。)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797866.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c10

[リバイバル3] チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男 中川隆
5. 中川隆[-14137] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:11:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-819]
ニュービーはあるエピソードを紹介している。

時は、ジョン・F・ケネディー大統領まだ生きていた頃。彼はアイゼンハワー政権から引き継いだCIAの極秘作戦(covert operation)、通称「マングース作戦(Operation Mangoose)」を1961年に承認し、キューバのフィデル・カストロを失脚させてやろうと考えた。

何しろ、当時のアメリカは「ピッグス湾上陸作戦(Bay of Pigs Invasion)」で失敗した後だから、どうしても次の手を打つ必要があった。とりわけ、面子を潰されたCIAは躍起だった。軍を出し抜いてカストロを排除しようと思ったら、殊のほかCIAの作戦が杜撰で、上陸作戦のメンバーは窮地に・・・。

焦ったCIAは大統領に爆撃機の支援を仰ぐが、ケネディーはこれを却下。最終的に、CIAに協力した地下組織のキューバ人はカストロ側に捕まってしまう。


(左 : ジョン・F・ケネディー / フィデル・カストロ / チャールズ・カベル / 右 : アール・カベル )

当時、CIAの副長官を務めていたのは、合衆国空軍のチャールズ・カベル将軍(General Charles Cabell)だ。1962年1月、ケネディー大統領は作戦の失敗を咎めてカベル将軍を解任。だから、この空軍大将が激怒したのも不思議じゃない。殺したくなるほどケネディーを憎んだんじゃないか。

そして、CIAに恥をかかせたケネディー大統領は、翌年の1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスで暗殺された。(これは「エルム街の悪夢」じゃなく「エルム通りの惨劇」だ。)

時のダラス市長は、カベル将軍の弟であるアール・カベル(Earle Cabell)。何とも“出来すぎた”シチュエーションだよねぇ〜。(ちなみに、この暗殺事件には副大統領のジョンソンやハワード・ハントが深く関わっていた。そして、「マングース作戦」を指揮したのは合衆国空軍のエドワード・ランズデール少将だ。この軍人は実に興味深いが、ここでは立ち入らないことにする。)

  戦争には幾つかの形態があって、ミサイルや白兵戦を用いる直接攻撃もあれば、政治宣伝を使って内部混乱を狙う間接攻撃もある。この他に、敵国の経済をメチャクチャにして民衆の暴動を煽り、反体制派に政府転覆を肩代わりさせるという手口もある。

ケネディー政権の了承を取り付けたCIAは、キューバ経済を徹底的に破壊して、カストロ政権を打倒しようと考えた。その一環として目を附けたのは、キューバ経済を支えるサトウキビであった。ニュービーが接触した元CIA局員の話によれば、彼がまだ新人職員であった頃、上司から二つの箱を渡され、この中身をキューバの上空からサトウキビ畑に播いてやれ、と言われたそうだ。

こうして最初の任務を命ぜられた新米は、セスナに乗ってキューバ上空に向かい、目標の地点で箱の蓋を開けると驚いた。そこには感染したダニが一杯詰まっていたのだ。

でも、命令は絶対だ。彼は飛行機の扉を開けると、急いで箱を逆さまにしてダニを振り落とした。身震いするほどの恐怖だったが、即座に扉を閉めて、さっさと帰還したそうだ。

(なるほど酷い作戦だけど、アメリカの諜報機関は敵国人を「人間」とは思わない。もし、キューバ人が同じ事をしたら、何年経ってもアメリカ人はキューバ人を赦さないだろう。)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68797866.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/715.html#c5

[昼休み52] "新喜び組"は23歳以下の美女たち! 中川隆
142. 中川隆[-14136] koaQ7Jey 2020年1月31日 21:20:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-818]
2020.01.31
死んだはずだった金正恩の叔母が姿を現した


 ​金正恩の叔母に当たる金慶喜がコンサート会場に姿を現し​、話題になっている。金慶喜は2013年12月に処刑された張成沢の妻で、CNNやデイリー・テレグラフのような西側メディアは2014年に毒殺されたと伝えていた。そのほか、自殺説、脳卒中や心臓発作で倒れたとする話などさまざまな噂が飛び交っていたのだが、公の席に登場したことから死亡説は否定された。

 朝鮮に関する情報が乏しいということは事実だが、それを利用して西側の有力メディアは西側支配層にとって都合の良い怪しげな話を流し放題である。

 特に好まれるストーリーは権力者の周辺が粛清されるという話で、例えば、金正恩と親しい関係にあったという歌い手の玄松月。2013年にポルノ映像を売り、処刑されたと伝えられたが、翌年に嘘が明らかになった。2017年からは党中央委員会の委員だ。2016年には朝鮮人民軍総参謀長を経験した李永吉が処刑されたと伝えられたが、すぐに誤報だと判明している。

 アメリカと朝鮮の首脳は2019年2月27日から28日にかけてベトナムのハノイで会談したが、決裂した。その際に朝鮮側で実務交渉を担当した国務委員会対米特別代表の金革哲(金赫哲)が処刑され、対米交渉を総括していた金英哲労働党統一戦線部長は「革命化措置」(強制労働および思想教育)を受けたと韓国で報じられたが、金英哲は健在、金革哲も処刑されていないようだ。

 トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、朝鮮側は違う説明をしている。制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところアメリカ側は拒否し、核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたというのだ。

 ドナルド・トランプ大統領との交渉が決裂したことに金正恩労働党委員長はショックを受け、その責任を問われたとしているのだが、当時の状況から考えて、そうしたことはありそうにない。アメリカ支配層が交渉できる相手だと考えるほど朝鮮の首脳は愚かでないだろう。

 2017年から金正恩の目は中国とロシアに向けられ、アメリカとの交渉は環境作りにすぎない。朝鮮側はアメリカ側が自分たちを屈服させ、支配したいのだということを理解していたはずである。決裂は織り込み済みだっただろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001310000/
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html#c142

[番外地7] アイヌは劣等民族ではない
アイヌは劣等民族ではない


しかし、水島 総はアイヌが劣等民族だとか悪質なヘイト発言ばかりしていますね。
狩猟民族だから文化が低いというのが日本人の思い上がりなんですね、
そもそもアイヌ人は擦文時代までは大規模な農耕をしていたんですけどね。

アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていたのです。
アイヌ語は現存する世界最古で最美の言葉だといわれています。

アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われている。

アイヌ文化は西洋文化とは180度反対の方向に進化した究極の文化なのですね。
シャーマンが行うアイヌ医療は慢性病や医者では治せない難病の治療では西洋医学より優れていたし、アイヌの宗教やシャーマニズムはあらゆる宗教の最高峰だと言われています。

アイヌ人は超能力(千里眼、テレパシー能力、動物と会話する能力)を持って居た様で、科学ではなく超能力の方向に進化したのですね。少なくともウイグル人やチベット人よりは遥かに高度な文化を持って居た。

昔のアイヌ人やアイヌ最後のシャーマン 青木愛子さんが持って居た不思議な能力については

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) 1982/12
藤村 久和 (著)


アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)


アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録1983/8
青木 愛子 (著)
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/448.html

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第100番ト長調「軍隊」



ブルーノ・ワルターの ハイドン 交響曲第100番「軍隊」


Bruno Walter / VPO - Haydn : Symphony #100 "Military " (1938) 再復刻





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Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded 1/10, 1938
transfer from JPN Columbia 78s /JS-39(2VH-7016/7)


▲△▽▼


Haydn: Symphony No. 100 (Military), Walter & ColumbiaSO (1961)




Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 2, 4 March 1961, at American Legion Hall, in Hollywood


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交響曲第100番ト長調 Hob.I:100 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1793年から94年にかけて作曲した4楽章の交響曲。ロンドン交響曲のうちの一曲で、「軍隊」の愛称で知られている。


「軍隊」という愛称は、有名な「トルコ軍楽」の打楽器(トライアングル、シンバル、バスドラム)が第2楽章と、終楽章の終わりで使われていることによる。


なお、18世紀のヨーロッパの宮廷ではトルコがエキゾティシズムの対象であり、様々な「トルコ風音楽」が流行として取り入れられた。モーツァルトのジングシュピール『後宮からの誘拐』ではトルコの宮殿が舞台であり、序曲において打楽器がふんだんに使用される。また『トルコ行進曲』の愛称で知られるピアノソナタ第11番(イ長調K.331)の第3楽章や、ヴァイオリン協奏曲第5番などがトルコ軍楽のリズムや音色を意識したものとして知られる。


第二楽章は「2つのリラのための協奏曲ト長調」Hob. VIIh-3 をほぼそのまま転用したものだが、最後に軍隊ラッパの模倣と、印象的なティンパニのソロが新しく加えられている。当時の音楽ではティンパニのソロは異例中の異例だった。ハイドンは交響曲103番の冒頭で再びティンパニのソロを使用している。


初演は1794年3月31日にロンドンのハノーヴァー・スクエア・ルームズにおける第8回ザロモン演奏会で行われた。


構成
第1楽章 Adagio - Allegro
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Menuetto:Moderato
第4楽章 Finale:Presto


https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第100番_(ハイドン)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
120. 中川隆[-14135] koaQ7Jey 2020年1月31日 23:23:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-817]
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c120
[番外地7] 日本の株価が上がると外人投資家が儲かって、日本人の資産が減る

日本の株価が上がると外人投資家が儲かって、日本人の資産が減る


>安倍の対韓国外交と株価を上げたことは評価してきました。

日本の株価が上がると外人投資家が儲かって、日本人の資産が減るんですよね。
自民党はまともじゃないから桜問題でも何でもいいから信用を無くすのが一番いいんですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/449.html

[近代史3] ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
ヨハン・シュトラウス 2世『皇帝円舞曲』



ブルーノ・ワルター指揮 『ヨハン・シュトラウス 皇帝円舞曲』


Bruno Walter /VPO - Johann Strauss : Emperor Waltz 皇帝円舞曲 (1937)






Vienna Philharmonic Orch.
recorded 18 Oct. 1937
transferred from Jpn Columbia 78s / W-85(2VH-7012)


▲△▽▼


Emperor Waltz, Walter




Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 22-23 March 1956


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Johann Strauss jr Valzer Bruno Walter


Johann Strauss jr.


G'schichten aus dem Wienerwald
Wiener Blut
Kaiser Walzer
An der Schonen Blauen Donau


Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 22-23 March 1956


▲△▽▼
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『皇帝円舞曲』(Kaiser-Walzer)作品437は、ヨハン・シュトラウス2世が1889年に作曲した演奏会用のウィンナ・ワルツ。原題のまま『カイザー・ワルツ』と呼ばれることも多い。


晩年の作品の中では最も高い人気を誇っており、シュトラウス2世の「十大ワルツ」に数えられ、その中でも『美しく青きドナウ』と『ウィーンの森の物語』とともに「三大ワルツ」に数えられる[1]。


曲調壮大なワルツ幻想曲の趣があり、和声の扱いは他の代表曲に比べ遥かに巧緻である。
フルトヴェングラーのように、ウィンナ・ワルツの中では本作のみを繰り返し取り上げた指揮者もいる。カラヤンもシュトラウス2世のワルツとしては最多の8回の録音を残した。


作曲の経緯


1889年10月19日、ドイツ帝国の首都ベルリンで「ケーニヒツバウ(ドイツ語版)(国王の建築)」と命名された新しいコンサートホールが開場することとなった[2]。10月19日から5日間の「こけら落とし演奏会」が催されることとなり、著名な音楽家たちに作曲・指揮の依頼が行われた。ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世も依頼を受けた音楽家の一人であった。


シュトラウス2世は当時オペラ『騎士パズマン』の作曲に取り組んでいて多忙だったことから、この依頼を断ろうとした。しかし、五夜にわたる祝典演奏会の最初に指揮するという名誉ある要請であったことと、楽団が総勢100人という大構成であり報酬も良かったことから、結局シュトラウス2世は考え直してこの仕事を引き受けることに決めた[2]。


当時のベルリンやウィーンの新聞は、シュトラウス2世の『手に手をとって』(Hand in Hand)という題名の曲がケーニヒツバウで初演されることを報じている[2]。この演奏会には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の臨席が予定されていた[2]。『手に手をとって』とは、独墺両国の親善を祝う意味でつけられた曲名である。


のちにベルリンの楽譜出版社「ジムロック」が曲名を『皇帝円舞曲』と改めたほうがよいと強硬に主張し、シュトラウス2世がこれを受け入れたことで現在の曲名に変更された[2]。1848年に即位したフランツ・ヨーゼフ1世の「在位40周年祝賀舞踏会」のために作曲されたと長らく伝えられてきたが[3][1]、現在ではそれは事実ではないと明らかとなっている。


初演・出版


初演日は10月19日ではなく21日にずれ込んでしまったが、予告通り100人編成の大オーケストラによって演奏され、大成功を収めた[4]。


このワルツはブラームスから大いに称賛を受けた。ブラームスはシュトラウス2世の大親友だったが、彼は当時シュトラウス2世のことを年老いて創造力が減退したと思っていた[5]。二重和声が付けられたシリーズや、普段から簡単な楽曲ばかりを作曲しているにも関わらずわざわざ「誰でも弾けるピアノ曲集」などと銘打ったシュトラウス2世のこの時期の作品群をブラームスは嫌っていた[5]。しかしそんなブラームスもこのワルツについては非常に好意的にとらえ、


「 これは管弦楽法がすばらしいので、見事に鳴るんだ。
しかし結局、魅力の秘密なんか考えてもしょうがないな[5]。」
などと語り、ジムロック社からこのワルツの楽譜が出版されることを心から喜んだという[5]。シュトラウス2世にジムロック社を紹介したのはブラームスであった。ジムロック社の考えでは「皇帝」とは複数(オーストリアとドイツの両皇帝)を意味するものであったが、実際に出版されたピアノ譜の表紙絵にはオーストリアの帝冠のみが描かれている[4]。


発表されるとたちまちヨーロッパ中で評判になり、当時ウィーンで軍楽隊長を務めていたカール・ミヒャエル・ツィーラーは、出版されたピアノ譜をもとにして自分で勝手に管弦楽曲に編曲し、11月11日にロナッヒャー劇場(ドイツ語版)で演奏してしまった[4]。このツィーラーの行動にシュトラウス2世は激怒し、当時はすでに弟のエドゥアルト・シュトラウス1世に指揮活動をほとんど任せていたにも関わらず、11月24日にウィーン楽友協会で自ら指揮してウィーン初演を行った[4]。ちなみに、この時の批評は次のようなものであった。
「 曲の最初のほうのマーチはプロイセン的で、軍人らしいフリードリヒ大王の行進を思わせる[4]。」


構成


序奏
テンポ・ディ・マルチア、ハ長調、2分の2拍子[3]。
行進曲風の序奏で開始され、続いて第1ワルツの主旋律が4分の4拍子でゆっくりと演奏され、再び初めの行進曲が繰り返される。そしてテンポ・ディ・ヴァルスを経て、ワルツ部分に移行する[6]。


第1ワルツ
ハ長調、二部形式。ワルツには珍しいことに、反復の指定はない[6]。


第2ワルツ
変イ長調、二部形式[6]。


第3ワルツ
ハ長調、二部形式[6]。


第4ワルツ
ヘ長調、三部形式[6]。


後奏
第1ワルツの主旋律を暗示する導入に続いて、その旋律がはっきりと示され、やがて第3ワルツの旋律が奏でられる。再び第1ワルツの主旋律が静かに示され、一転して急激な結びに移り、力強く終わる[6]。


ニューイヤーコンサート
「三大ワルツ」の一角であることから、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのプログラム上においても、特に頻繁に取り上げられる作品の一つとなっている。


映画
詳細は「皇帝円舞曲 (映画)」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/皇帝円舞曲_(映画)


パラマウントが1948年に製作したビング・クロスビー主演、ビリー・ワイルダー監督の音楽映画。クロスビーが劇中で歌う「奥様お手をどうぞ」はのちにスタンダードナンバーとなった。


https://ja.wikipedia.org/wiki/皇帝円舞曲



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
121. 中川隆[-14134] koaQ7Jey 2020年2月01日 01:39:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-816]
ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c121
[近代史3] ヨハン・シュトラウス 2世 オペレッタ 『こうもり』
ヨハン・シュトラウス 2世 オペレッタ 『こうもり』



Strauss, Die Fledermaus, Vienna Philharmonic, Clemens Krauss 1950





________





isenstein, Julius Patzak (tenor)
Rosalinde, Hilde Gueden (soprano)
Alfred, Anton Dermota (tenor)
Adele, Wilma Lipp (soprano)
Dr. Falke, Alfred Poell (baritone)
Frank, Kurt Preger (baritone)
Prinz Orlofsky, Sieglinde Wagner (mezzo-soprano)
Dr. Blind, August Jaresch (tenor)


Vienna Philharmonic,
Vienna State Opera Chorus,
Clemens Krauss, Conductor
Recorded in Vienna: June 22; September 16-22, 1950


▲△▽▼


J. Strauss II, Die Fledermaus, Karajan,Gedda, Schwarzkopf 1955


Gabriel von Eisenstein - Nicolai Gedda (tenor)
Rosalinde - Elisabeth Schwarzkopf (soprano)
Alfred - Helmut Krebs (tenor)
Adele - Rita Streich (soprano)
Dr. Falke - Erich Kunz (baritone)
Frank - Karl Doench (baritone)
Prince Orlowsky - Rudolf Christ (tenor)
Dr. Blind - Erich Majkut (tenor)
Ida - Louise Martini (soprano-speaker)
Frosch - Franz Boeheim (speaker)


Conductor Herbert Von Karajan
Philharmonia Orchestra
Recording from April 1955.


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Karajan -Live in Wien- Johann Strauss, Die Fledermaus, December 31, 1960




Eberhard Waechter(Gabriel von Eisenstein)
Hilde Gueden(Rosalinde)
Erich Kunz(Frank)
Gerhard Stolze(Prinz Orlofsky)
Giuseppe Zampieri(Alfred)
Walter Berry(Dr. Falke)
Peter Klein(Dr. Blind)
Rita Streich(Adele)
Elfriede Ott(Ida)
Josef Meinrad(Frosch)


Orchestra and Chorus of the Vienna State Opera
Herbert von Karajan
Wiener Staatsoper December 31, 1960


▲△▽▼


J. シュトラウス:こうもり (C. クライバー, 1986年)【全曲・日本語字幕】


1986年12月 ミュンヘン (ライヴ)
指揮:カルロス・クライバー
バイエルン国立管弦楽団


演出:オットー・シェンク


アイゼンシュタイン:エーベルハルト・ヴェヒター
ロザリンデ:パメラ・コバーン
フランク:ベンノ・クッシェ
オルロフスキー:ブリギッテ・ファスベンダー
アルフレート:ヨーゼフ・ホプファーヴィーザー
ファルケ:ヴォルフガング・ブレンデル
ブリント:フェリー・グルーバー
アデーレ:ジャネット・ペリー


バイエルン国立歌劇場バレエ・合唱団


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Johann Strauss II: Die Fledermaus / Carlos Kleiber (1976)


Personnel:


Hermann Prey, baritone
Julia Varady, soprano
Lucia Popp, soprano
René Kollo, tenor
Ivan Rebroff, bass
Bernd Weikl, baritone


Bayerischer Staatsopernchor
Bayerisches Staatsorchester
Carlos Kleiber, conductor


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▲△▽▼


『こうもり』(Die Fledermaus)は、ヨハン・シュトラウス2世が1874年に作曲し、同年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で初演された全3幕のオペレッタである。


原作:ロデリヒ・ベンディックスの喜劇『牢獄』(1851年)に基づいて、アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィが書いた喜劇『夜食』(1872年)


台本:カール・ハフナーとリヒャルト・ジュネがメイヤックとアレヴィの原作を手直しした


作曲時期:1874年


初演:1874年4月5日、アン・デア・ウィーン劇場


数あるウィンナ・オペレッタの中でも最高峰とされる作品で、「オペレッタの王様」ともよばれる。


ヨハン・シュトラウス2世特有の優雅で軽快なウィンナ・ワルツの旋律が全編を彩り、その親しみやすいメロディーは全世界で愛されている。なお、台本には日付の設定はないが、ウィーンをはじめドイツ語圏の国々の歌劇場では大晦日恒例の出し物となっている。


歌手の歌の配分が比較的均等であり、合唱の活躍場面も比較的多いため、華やかにオールスターを並べることが可能である。ソロパートは8人だが、歌の上では軽い役であるフランク所長を高名なベテランが歌うことが慣例化しており、おおむね7人までスターが並ぶ。三重唱を1曲歌うだけのブリント弁護士のみは脇役専門のブッフォテナーの持ち役だが、ここに往年のスター歌手を起用した例もある。また、ドラマ上は脇役のアデーレに最も多くソロが用意されているため、主役級のロザリンデよりも格上のスターがあてられるケースが珍しくない。


ウィーン国立歌劇場では毎年年末年始に公演が組まれており、大晦日の国立歌劇場の『こうもり』と年始のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート(大部分がシュトラウス作品)がウィーンでの恒例行事となっている。オーケストラは各70人前後のニ手に分かれて、二つのシュトラウス・プログラムに従事する。ドイツ圏の他の歌劇場またそれ以外の歌劇場でもこれにならっているところがある。

もっとも、かつてのウィーン国立歌劇場(ウィーン宮廷歌劇場)は格式を重んじてオペレッタの上演は原則的に行わなかった(それ以前にはシュトラウスの『騎士パズマン』をオペラという名目で初演)ため、『こうもり』については、初演20年後の1894年にシュトラウスのデビュー50周年を記念して、宮廷歌劇場の年金機関運営委員会の主催で上演されたのが初めてである。その後、1897年に当時の宮廷歌劇場総監督グスタフ・マーラーによって正式にレパートリーとなった。


オペレッタの作曲に至る経緯


『こうもり』が誕生するきっかけとなった人物は2人いる。当時パリで大成功を収め、「シャンゼリゼのモーツァルト」とよばれていたジャック・オッフェンバックと、シュトラウスの最初の妻イェッティである。オッフェンバックは1865年、ウィーンに自作の『美しきエレーヌ』を持ち込んできた。同作はウィーンで大変な成功を収めた。シュトラウスとオッフェンバックが初めて会ったのもこの頃のことである。オッフェンバックはシュトラウスに「あなたはオペレッタを作曲すべきだ」と言ったという。しかし、シュトラウスはそうしなかった。なぜなら、既にウィーンではフランツ・フォン・スッペの作品が大成功を収めており、自分がオペレッタの世界に入る余地がないと考えていたのである。そういったこともあって、彼がオペレッタに手を染めることはなかった。


そんなシュトラウスに転機が訪れたのは、1869年になってからである。前年『美しく青きドナウ』を発表して大成功を収めていたシュトラウスに対して、劇場の支配人たちが、いずれシュトラウスが劇作品を発表しだすと考え始めたのである。その中の一人にアン・デア・ウィーン劇場支配人マックス・シュタイナーがいた。シュタイナーはシュトラウスの妻イェッティ(元女優で顔が広い女性でもあった)に夫にオペレッタ作曲を勧めることを依頼した。これを引き受けた妻は夫を説得し、最初のオペレッタの台本『ウィンザーの陽気な女房たち』が渡され、作曲が開始された。この作品は、主役を誰が演じるかでプリマドンナ2人が激しく争った結果、これにうんざりしたシュトラウスが怒って、上演は頓挫した。


しかしシュタイナーは諦めず、次の台本『インディゴと40人の盗賊』を渡した。かくして1871年2月10日、シュトラウスのオペレッタ第1作『インディゴと40人の盗賊』はアン・デア・ウィーン劇場で初演された。この作品はある程度の成功を収めたものの、台本の不備が次第に観客に露呈されたことで、やがて上演打ち切りに追い込まれた。しかし、シュトラウスはオペレッタで成功を収めるという思いを捨てなかった。続いて1873年、オペレッタ第2作『ローマの謝肉祭』が作曲され、同年3月1日にアン・デア・ウィーン劇場で初演される。しかし、この作品は失敗に終わった。『こうもり』が誕生する前年のことである。


『こうもり』誕生と初演


アン・デア・ウィーン劇場の支配人シュタイナーのところに『こうもり』の原作となるアンリ・メイヤックとリュドヴィ・アレヴィ作の戯曲『夜食』(Le Réveillon)が届けられたのは、1874年のことである。シュタイナーはこの作品を、ウィーンの聴衆とシュトラウスに合うように台本作家のカール・ハフナーとリヒャルト・ジュネに手直しをさせてから、シュトラウスに渡した。一読して台本に魅了されたシュトラウスは自宅にこもり、一説によると6週間でこの作品を書き上げたという。そして1874年4月5日、『こうもり』は初演の日を迎えた。


『こうもり』は初演から16回上演された後、打ち切りとなった。しかしこれは失敗ではなく、財政上の理由で中止したのであって、作品自体の失敗ではなかった。その後、この作品はベルリンでも上演されて成功を収め、ウィーンで再演されたが、この時は見事な成功を収めた。


構成


序曲
第1幕 アイゼンシュタイン邸の居間
第2幕 オルロフスキー公爵邸の舞踏会場
第3幕 刑務所長フランクの部屋


登場人物


ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン男爵(テノールまたはバリトン) - 金持ちの銀行家
ロザリンデ(ソプラノ) - その妻
フランク - 刑務所長(バリトンまたはバス)
オルロフスキー公爵(メゾソプラノ まれにカウンターテナーやテノール) - ロシアの貴族で遊び人
アルフレード(テノール) - 声楽教師でロザリンデの昔の恋人
ファルケ博士(バリトン) - アイゼンシュタインの友人
アデーレ(ソプラノ) - ロザリンデの小間使い
イーダ(ソプラノまたは台詞)- アデーレの姉(演出によっては妹)
ブリント博士(テノールまたはバリトン) - アイゼンシュタインの弁護士
フロッシュ(台詞) - 刑務所の看守


声域は厳密ではない。アイゼンシュタインは1970年代まではテノールが歌うことがほとんどだったが、近年はバリトンで歌われることが多い。主役でありながら二枚目、ヒーロー的な要素がまったくない人物なので特にテノール起用には苦心がともなう。オルロフスキーはバリトンや地声で歌う場合もあり、異色の例としてはカルロス・クライバー指揮の1976年の録音におけるロシア民謡歌手イヴァン・レブロフ(英語版)の起用や、2001年ザルツブルク音楽祭でのフリージャズ系パフォーマーのデイヴィッド・モス(英語版)の起用がある。前者のレブロフはシャリアピンの再来といわれた低音を封じて全てファルセットで歌い、後者のモスは音楽祭を騒然とさせた過激な演出のもと、重症麻薬中毒者という設定でファルセットと低音を交えた歌唱であった。


楽器編成


フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ1対、打楽器(小太鼓:大小2個、大太鼓、鐘、スプローネ(拍車)、トライアングル、シンバル、チューブラーベル)、弦5部(12型)


演奏時間


約2時間半(各50分、60分、40分)、これはごく普通の上演で台詞付きであるが、スコアには台詞はほとんど書かれていないで、演出家のその時の演出で行われ、しばしばアドリブも追加される。音楽は自由に挿入(couplets)されたり省略されたりする。他のウィンナ・ワルツから追加されることもよくある。これはオペレッタ一般の共通事項である。お笑いが必要なため、特に台詞はその都度お客を笑わせるために良く工夫される。レコード用セッションにはセリフを一切省略した音楽演奏だけの全曲盤も存在する(クレメンス・クラウス盤など)が、この場合で90分程度、これにラジオドラマ風にセリフを加えた録音(カラヤン旧盤など)で110分程度(第3幕冒頭のフランクの一人芝居などはオーケストラ伴奏つきなので音楽に含まれる)。ただ、舞台ではここまでセリフをシンプルに切り詰めることは難しいため、大幅に長くなる。


あらすじ


第1幕


ガブリエル・フォン・アイゼンシュタインの妻ロザリンデは困ったことに直面していた。一つは役人を殴ってしまったことで5日間の禁固刑を申し渡されてしまった夫。夫は刑の取り消しを要求したが、ブリント弁護士の下手な弁護でかえって刑期が延びてしまい、8日間の禁固刑にされてしまう。


それだけでも災難だが、家の前ではかつての恋人アルフレードが、毎日のようにセレナーデを歌ってロザリンデに思いを寄せている。しかも今夜ロザリンデの夫が刑務所に入るので、その留守にロザリンデと逢引しようと企んでいる。ロザリンデの方もまんざらでもないのだが、なにぶん世間体が気になるのでどうすることもできない。


そこへ夫の友人ファルケ博士がやってくる。博士はアイゼンシュタインに、「舞踏会が今夜、ロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれる、そこで楽しんでから刑務所に入ればいい」と勧める。しかし「妻はどうする」と言ってためらうアイゼンシュタイン。博士は「奥さんなんて黙っておけばいくらでもごまかせる」といってそそのかす。すっかりその気になったアイゼンシュタインは、舞踏会に行くことを承知し2人は手を取って「ランラララ〜」と歌いながら小躍りする。


博士が去ると、アイゼンシュタインは妻に「礼服を出して」と言う。「どうも夫は自分だけ楽しみにいくようだ」と察知した妻は、それなら自分も……と決心し、小間使いのアデーレに今夜は暇を出す。アデーレはおばさんの具合が良くないので今夜暇が欲しいと言っていたが、実は姉(もしくは妹)から手紙で誘われて、オルロフスキー邸の舞踏会に行くつもりだった。喜んで去っていくアデーレと夫を見送ったロザリンデ。そこへアルフレードが現れる。久々の浮気にロザリンデもまんざらではなく、2人は一杯飲みだす。ところが、あろうことかそこへ夫を連行しに来た刑務所長フランクが現れる。


夫がいないのに男を家に引き入れたことが知られるととんでもないことになる、と思ったロザリンデは、とっさにアルフレードを夫に仕立てる。後でどうにかするからというロザリンデに、アルフレードもアイゼンシュタインに化けることを承知して、身代わりに刑務所に連れて行かれる。


第2幕


オルロフスキー邸では華やかに舞踏会が行われていた。この家の主オルロフスキー公爵は、ファルケ博士に「何か面白いことは無いか、退屈だ」と言う。ファルケは、「今夜は“こうもりの復讐”という楽しい余興がある」と告げる。


やがて、女優オルガと名乗ってロザリンデのドレスを着込んだアデーレや、フランス人の侯爵ルナールを名乗るアイゼンシュタインが現れる。アイゼンシュタインは、女優オルガにむかって「家の小間使いにそっくり」と言うが、彼女の方は「こんなに美しく優雅な女が小間使いなわけがないじゃない」とアイゼンシュタインをさんざんからかう(「私の侯爵様」)。


そこへ刑務所長フランクもシュヴァリエ・シャグランの偽名でやってくる。お互い知ってる限りのフランス語でめちゃくちゃな挨拶をするフランクとアイゼンシュタイン。そして仮面をかぶってハンガリーの伯爵夫人に変装したロザリンデが現れる。


ロザリンデは、夫が刑務所に行かずに遊んでいる上に、アデーレが自分のドレスを着ていることに腹をたて、夫をとっちめることを決意する。一方、アイゼンシュタインもこの伯爵夫人に目をつけ、自慢の懐中時計を取り出して、妻とはまったく気が付かず口説きだす。この懐中時計を浮気の証拠にしようと考えたロザリンデは、言葉巧みにこれを取り上げる。そこへ人々がやってきて、仮面の女性の正体を知りたがるが、彼女はハンガリーの民族舞踊チャールダーシュを歌って「私はハンガリー人よ」と言う。


さらに人々はファルケ博士に「“こうもりの話”をしてくれ」と言う。3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが酔いつぶれたファルケを森に置いて来てしまったときの話だった。そのため翌日、ファルケは日も高くなった中、仮面舞踏会のこうもりの扮装のまま帰宅する破目になり、それを見た近所の子どもから「こうもり博士」という変なあだ名をつけられたのだった。


こうして話の種は尽きないが、オルロフスキー公爵の合図で晩餐が始まる。夜も更けると舞踏会を締めくくるワルツが始まり、みんなが華やかに歌い踊る。やがて午前6時の鐘が鳴り、アイゼンシュタインはあわてて「出頭する時間だ」といって去っていく。フランクも刑務所に帰らなきゃとばかりに、すっかり仲良くなった2人して会場を後にする。同じところに行くとは全く思わず。


第3幕


刑務所の中ではアルフレードが相変わらずロザリンデへの歌を歌っている。朝っぱらからスリポヴィッツ(チェコ産の度数の高いブランデー)でしこたま酔っ払った看守のフロッシュがくだを巻いていると、そこへ同じく酔っ払ってご機嫌なフランクが戻る。酔っ払い同士が掛け合い漫才をしていると、アデーレとイーダがやってくる。アデーレは「自分は小間使いだけれど女優になりたい、パトロンになって」とフロッシュに売り込みをかけるが、ルナール公爵が来たというので動揺したフランクはアデーレたちを留置場の空き部屋に入れる。


牢屋での再会に驚くアイゼンシュタインとフランク。お互いの素性を確認するものの、既に牢にはアイゼンシュタイン氏が入っているんだが、とフランクから言われて驚くアイゼンシュタイン。そこにアルフレートの要請でフロッシュが呼んだブリント弁護士が来たので、アイゼンシュタインは様子をうかがうためにブリントから服をむしり取って追い出し弁護士に変装する。刑務所を訪れたロザリンデは昨日の経緯をアイゼンシュタインが変装している弁護士に話す。同席したアルフレートも助言を求めるが、2人の態度に堪忍袋の切れたアイゼンシュタインが正体を現し妻とアルフレートをなじる。ところが妻は例の奪い取った時計を取り出して見せ、逆に夫をぎゃふんと言わせてしまう。追い詰められたアイゼンシュタインは「俺はアイゼンシュタインじゃない!牢屋にも入らん!」とわめきちらすが、そこにファルケ博士とオルロフスキー公爵その他舞踏会の客たちぞろぞろが現われる。


ファルケ博士が「昨日舞踏会に誘ったのは、すべて私が仕組んだこと。3年前の“こうもりの復讐”ですぞ。」と種明かしをすると、では浮気も芝居なのか、と安心するアイゼンシュタイン。アルフレードは「ちょっと実際とは違うけどまあいいか」とつぶやく。アデーレはオルロフスキーがパトロンとなって女優になることになり、最後はロザリンデの歌う「シャンパンの歌」で幕となる。


名演・名盤


オペラ・オペレッタふくめて最高傑作のひとつとされるだけに、数多くの名演・名舞台が重ねられてきた。


グスタフ・マーラーが好んで指揮したのをはじめ、1907年には早くもベルリンでブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ドイツ語版)指揮による全曲録音が行われており、これは『道化師』と並ぶ世界初のオペラ全曲録音である。


LP初期には、クレメンス・クラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤンといった巨匠がその名声にふさわしい優れた録音を残した。なかでもニューイヤーコンサートの創始者でもあるクラウスのウィーン情緒溢れる演奏は、今なお第一級の名盤として君臨している。


カラヤン盤もウィーン・フィルとのステレオ再録音より、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団との録音を高く評価する人が多く、カラヤン死去の際、『レコード芸術』誌の追悼特集でドイツ文学者の田辺秀樹は、膨大なその録音のベストにこれを挙げた。


同時期には他にアッカーマンやフリッチャイにも優れた全曲録音がある。
共に英語だが、オペラ録音自体が希少なオーマンディがメトロポリタン歌劇場を指揮してスタジオ録音とライブ録音を残しており、これだけ多数の大物指揮者が録音を残している演目はオペラでも数少ない。


カラヤンのステレオ再録音もウィーンフィルの美音を鮮明に残して一定の人気があり、特に当時デッカ専属だった歴史的名歌手たちが名を連ねるガラ・パフォーマンスが豪華なオマケとして話題を呼んだが、この部分は歌手に合わせてローマとロンドンで録音されたものでカラヤンもウィーンフィルも参加していない。また、このカラヤンの再録ではオルロフスキーの有名な第二幕のクプレが短三度低く移調されて演奏されている。

1970年代にはカール・ベーム指揮のもと、ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場の看板歌手を集めて映画が製作されている。
ただし、オペレッタというよりも、モーツァルトからリヒャルト・シュトラウスに繋がるドイツ・オペラとしてとらえられた演奏と評された。これは、オペレッタを上演する際もウィーン・フォルクスオーパーとの差別化を求められるウィーン国立歌劇場らしい格式的な伝統スタイルによる演奏の模範と言える。違和感を表明する人も少なくないとはいえ、こうした重厚な解釈にも耐えられるのも『こうもり』の一面には違いない。

カルロス・クライバーの数少ないレパートリーにも含まれ、1975年のスタジオ録音、1986年のライブ映像がある。


ただし、これらを含め、十五年以上にわたって続けられた公演はすべていずれもバイエルン国立歌劇場で行われ、ウィーン国立歌劇場では一度もこの演目を指揮していない(彼は『椿姫』『ボエーム』『オテロ』『ばらの騎士』などは世界各地の歌劇場で指揮している)。


最後の来日公演でも取り上げるよう懇願されたものの、固辞し続けてタクトはウルフ・シルマーに委ねられた。美音よりはフレージングで色香を醸し出す、ウィーン伝統スタイルとは一線を画した独自の『こうもり』である点も関係しているかも知れない。(1989年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで序曲だけは指揮している)。


オットー・シェンクの演出は、ひとつのスタンダードとして各歌劇場で引っ張りだことなり、ベーム、クライバーのほか、グシュルバウアーがウィーン国立歌劇場に名歌手を結集したライブなども映像として残されている。この公演は指揮者・演出をふくめ、極力ウィーン生まれのメンバーを多く集めた点が、ベーム盤は全員を完全にドイツ圏出身者で固めた布陣がひとつの特徴であり、国際化が進行した現在ではともに貴重である(なお、ほぼドイツ圏出身者で固めながらも、2人のヒロインだけについてのみ東欧系オーストリア人となっているグシュルバウアー盤、クライバーCD版、アメリカ人となっているクライバー映像版は、自国のソプラノが不足していたこの時期のドイツ・オペラ界を象徴している)。


ドイツ圏以外で最もシュトラウス好きの国といわれる英国でも、近年ウラディーミル・ユロフスキー指揮のグラインドボーン音楽祭公演が新しい名舞台として映像化されている。また、1996年や2012年のメルビッシュ湖上音楽祭ライブは、演奏や歌唱の技術にこだわらず、雰囲気や演出効果を気楽に楽しめる記録である。


作品自体が優れているのに比べ名演が生まれにくい一部オペラとは対照的に、よほどのことがない限り水準以上の出来が保証され、なおかつ天才が手がけた場合は飛びぬけた名演にもなり得るという幸福な作品である。2010年現在、DVDの国内販売が累計8種(7つがドイツ語歌唱、1つが英語訳詞)というのもオペレッタではずば抜けた数字である。


日本でも、二期会が創立当初から日本語上演を繰り返し行って人気を集めてきたほか、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオパー、ベルリン・コーミッシェオーパー、バーデン市立歌劇場といった本場ドイツ圏からの引越公演も多い。新国立劇場でも人気のレパートリーである。序曲は、NHK-FMの『オペラ・アワー』のテーマ音楽として長年親しまれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/こうもり_(オペレッタ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/879.html

[番外地7] 中川隆投稿集 新稿 中川隆
3. 中川隆[-14133] koaQ7Jey 2020年2月01日 02:42:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-815]
ヨハン・シュトラウス 2世 オペレッタ 『こうもり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/879.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/335.html#c3
[番外地7] 日本人は北海道の侵略者

日本人は北海道の侵略者

明治以前は北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったから、日本人が侵略したに決まってるよ。もう勝手に侵略して図々しく居座っている日本人を追い出すしかないだろ。

先住民が住んでいる所を勝手に侵略して開拓していい訳ないんだ。そもそもアイヌは縄文人の直系の子孫だと証明されている。アイヌ語が縄文語だというのも定説だ。

現在の北海道や千島、樺太などで狩猟採集生活を営んでいたアイヌは、日本語とは異なる独自の言語や信仰、文化、生活様式を持つ少数民族である。ところが明治維新以降、日本政府は「蝦夷地」と呼んでいた地域を北海道と改称し、本州の和人による移住・開拓が強行される。政府は同化政策を強行し、富国強兵の「臣民化」の流れで、アイヌは住む場所や文化・生活を奪われていった。和人はアイヌら北方の少数民族を「土人」などと呼び、差別的に扱っていた(そのことは、1899年制定の「北海道旧土人保護法」の名称にも表れている)。

 世界的な帝国主義の潮流に遅れを取るまいとする明治維新後の日本政府は、アイヌたち少数民族を怠惰で非文明的な「土人」と捉えて、日本語を教え、日本式の風習を叩き込み、「立派な日本人」に同化させようとした。それは、「先進国」であるヨーロッパの大国が、非ヨーロッパの人々を「野蛮人」とみなし、「啓蒙」によって支配下に置こうとする構図の再生産だった。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/450.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
258. 中川隆[-14132] koaQ7Jey 2020年2月01日 09:43:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-814]
平野憲一の株のお話 2020.02.01 株には動・反動がある。翻弄されず「突っ込み買い」。
http://kasset.blog.fc2.com/


 週末31日のNY株。
 ダウは603.41ドル安の2万8256.03ドル、ナスダックも147.99ポイント安の9150.94ポイントと大幅安。ダウは昨年8月23日以来、約5カ月ぶりの下げ幅でした。

 国務省は中国本土への渡航警戒レベルを最高の「渡航中止・退避勧告」に引き上げ、アメリカン航空グループなど航空会社が相次ぎ中国便の運航を一時休止すると発表した為、疾病対策センターの「米国人へのリスクは低い」との見方で新型肺炎には冷静だった米国にも一気に不安感が広がりました。

 10年債利回りが財務省証券(TB)3カ月物金利を下回る「逆イールド」となった為、景気後退懸念でファンド筋の売りが出ました。

 日本株。

 木曜日の日経平均400円安も意外でしたが、昨日の一時400円高も意外でした。市場は短期ファンド筋の動きに翻弄されています。

NY株の大幅安も、短期順張り(AIで、一定幅動いた方に仕掛ける)ファンド筋の激しい運用の結果と思われます。

この動きになったら、材料を真面目に考えていると弱気でも強気でも間違えます。

 「株には動・反動がある。行き過ぎるのも相場」。今年の予想レンジは2万2000円〜2万8000円、レアケースで2万円以下・3万円以上と言う予想にもならない予想レンジをだした某大手証券もあります。

AIに翻弄されず「突っ込み買い」です

ただ、「鯨3文でも金なきゃ買えぬ」。買う資金が無ければ買えません。余裕の資金管理が条件です。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c258

[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』


フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』



フジ子・ヘミング〜ラ・カンパネラ(2015)


Ingrid Fujiko Hemming - La Campanella


ラ・カンパネラ / フジコ・ヘミング


パリ エコールノルマル国立音楽院 サル コート
フジコ・ヘミング 81歳の演奏


_______


フジ子・ヘミング ラ・カンパネラ 1973 - full album


1ラ.カンパネラ(パガニーニによる大練習曲 S.141 第3番)
0:00
2夜想曲 第2番 変ホ長調 作品9の2
5:50
3ワルツ 第15番 変イ長調 作品39の15
10:23
4練習曲 第3番 ホ長調 作品10の3《別れの曲》
12:20
5ため息(3つの演奏会用練習曲 S.144の3)
16:08
6鬼火(《超絶技巧練習曲》S.139 第5番)
21:17
7練習曲 第12番 ハ短調 作品10の12《革命》
25:25
8パゴダの女王レドロネット(《マ・メール・ロワ》から)
27:45
9ハンガリー舞曲 第5番 嬰ヘ短調
30:52
10泉のほとりで(巡礼の年 第1年《スイス》S.160の4)
33:03
11マズルカ 第49番 イ短調 作品68の2
37:42
12ラ.カンパネラ1973年(パガニーニによる大練習曲 S.141 第3番)
40:37


▲△▽▼
▲△▽▼


『ラ・カンパネラ』(La Campanella)は、フランツ・リストのピアノ曲。
ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を編曲して書かれた。


名前の Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味である。


リストが「ラ・カンパネラ」を扱った作品は4曲存在するため、以下に作曲された順に紹介する。


最終稿の『パガニーニによる大練習曲』第3番は、数多くあるリストの作品の中でも最も有名なものの一つ。


____


1. 『パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲』
(Grande Fantaise de Bravoure sur "La Clochette" de Paganini, S. 420)


『パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲』とも呼ばれる。1831年から1832年にかけて作曲され、1834年に出版された。「ラ・カンパネッラ」を扱った最初の作品である。ニコロ・パガニーニのヴァイオリンの演奏を聴き、大きな衝撃を受けたリストが「僕はピアノのパガニーニになる!」と決意し、自らの技術を磨き上げて作り上げたと伝えられる。


詳しくはパガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AE%E3%80%8C%E9%90%98%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%A9%E9%A2%A8%E5%A4%A7%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%9B%B2


テレビ番組の企画に出演した小山実稚恵はこの曲について番組内で


「即興から生まれているとしか言いようがなく、右手で弾いたらなんでも無いのに左手を交差するように指示していたり、音でも視覚でも魅せるように意識して、わざと難しくなるように楽譜に書き添えていて、(リストは)真のヴィルトゥオーソだったと思う」


と語っている。


《パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲》を演奏したピアニスト


レスリー・ハワード
ブルーノ・メッツェナ
セルジオ・フィオレンティーノ
ジョン・オグドン
マルコ・パシーニ
碇山典子
ケマル・ゲキチ
小山実稚恵(テレビ番組内において一部のみ演奏)


_____


2.『パガニーニによる超絶技巧練習曲』第3番 変イ短調
(Etudes d'Execution Transcendante d'apres Paganini, S. 140)


1838年に作曲された、全6曲からなるパガニーニによる超絶技巧練習曲の第3番。
録音を行っているピアニストは、作曲から170年以上経っている現在においても僅か6名のみである。
この版ではパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章のロンドの主題も用いている。
なお、2014年8月に出版された『リスト/パガニーニ大練習曲集(原典版)』(全音楽譜出版社)では、巻末に本曲の初版が収録されているが、日本国内での出版はこれが初である。


詳しくはパガニーニによる超絶技巧練習曲を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A4%A7%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2#初版『パガニーニによる超絶技巧練習曲』


《パガニーニによる超絶技巧練習曲》第3番を演奏したピアニスト
ジョン・オグドン
ニコライ・ペトロフ
レスリー・ハワード
大井和郎
ジャンヌ=マリー・ダルレ
ゴラン・フィリペツ(英語版)
ヴォイチェフ・ヴァレチェク
阪田知樹
Elisa Tomellini[1]


_____


3.『パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲
(Grande Fantaise (Variations) sur des themes de Paganini - La Clochette et La Carnaval de Venise - First Version S. 700i)


1845年に作曲された。改作版の『パガニーニの主題による大幻想曲』S. 700Aが同年に作曲されている。


どちらも演奏の機会は無いに等しい。レスリー・ハワードのリスト全集にのみ収録されている。


______


4.『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調
(Grandes Etudes de Paganini, S. 141)


1851年に作曲された、最も有名な版。
『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『パガニーニによる大練習曲』の第3曲にあたり、異名同音の嬰ト短調で書かれている。
今日「ラ・カンパネッラ」として演奏されるほぼ全てがこの作品となる。


リストは曲全体の構成を洗練し、ピアノの高音による鐘の音色を全面に押し出した。 全体として、器用さ、大きい跳躍における正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使うことができる。最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま2オクターブ上で同じ音符が演奏される。ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む。


A(嬰ト短調)-B(ロ長調)-A-B-A-B-A-コーダの簡単なロンド形式で書かれている。用いられる楽想はこれまでの「ラ・カンパネラ」やパガニーニの原曲と比較しても限定されているが、主題が登場する度に様々な装飾を加えることによって単調さを避けている。




補足


これらの主題は、パガニーニのオリジナルの主題とは一部変更されている。


パガニーニの原曲をイ短調に直すと、


E-E'-E'-D'-C'-C'-H-A-G#-A-H-E-E-F-E-D-C-H.-A.-C-H.-A.-E.


となるが、リストはS.420以降、


E-E'-E'-D'-C'-C'-H-A-G#-A-H-E-E-F-E-D-C-C-H.-A.-G#.-A.-H.


と書き換えている。


S.141は他の作曲家・演奏家によって再編曲されることもある。
フェルッチョ・ブゾーニによるものが有名であり、またマルカンドレ・アムランの《短調のための12の練習曲》第3番は「ラ・カンパネッラ」の再編曲である。


《パガニーニによる大練習曲》第3番の演奏者として名高いピアニスト


アグスティン・アニエヴァス
マルカンドレ・アムラン
ゲザ・アンダ
セシル・ウーセ
ジョン・オグドン
アリス=紗良・オット


アンドレイ・ガヴリーロフ
エフゲニー・キーシン
フランス・クリダ
ケマル・ゲキチ
ルイス・ケントナー


ジョルジュ・シフラ


ミッシャ・ディヒター
フランソワ=ルネ・デュシャーブル


レナード・ペナリオ
フジ子・ヘミング
ホルヘ・ボレット


アリシア・デ・ラローチャ
ユンディ・リ
ヴァレンティーナ・リシッツァ


アンドレ・ワッツ


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%A9

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
122. 中川隆[-14131] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:06:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-813]
フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c122
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
1. 中川隆[-14130] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:13:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-812]

リスト自作自演

Liszt Plays "La Campanella" digitally remastered (EXCLUSIVE RECORDING)



Recently discovered recording of Pianist-Composer Franz Liszt Playing "La Campanella" From His Album "six Grandes études de Paganini".
The Key Is G Sharp Minor. S. 141.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c1
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
2. 中川隆[-14129] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-811]
パデレフスキー



Paderewski plays Liszt "La Campanella" (1927)





French 78 rpm record.
His Master's Voice (recorded 18 August 1927)
Ignace Jan Paderewski, piano
La Campanella (Paganini-Liszt)
DB-1167


____


Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella" (2) · Ignacy Jan Paderewski


Paderewski: The American Recordings – The Complete Victor Recordings (1914-1931)

▲△▽▼

Paderewski, piano Paganini - Liszt: La Campanella (Rec. 1912 - Original Version)


Ignace Jan Paderewski, piano
Recorded in July 3, 1912 at Gramophone E. Head Office, Hayes, Middlesex
(Original Version)

_____


Paderewski, piano Paganini - Liszt: La Campanella (Rec. 1912 - Remastering Version)


Ignace Jan Paderewski, piano
Recorded in July 3, 1912 at Gramophone E. Head Office, Hayes, Middlesex
(Remastering Version)

_____


Jan Paderewski; LA CAMPANELLA


Ignace Jan Paderewski
Victrola 6389-B
1911

______

Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella" (1) · Ignacy Jan Paderewski


Paderewski: His Earliest Recordings & The Complete European Recordings (Recorded 1911-1912)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c2
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
3. 中川隆[-14128] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:39:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-810]
ブゾーニ

BUSONI PLAYS Liszt LA-CAMPANELLA


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c3
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
4. 中川隆[-14127] koaQ7Jey 2020年2月01日 10:43:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-809]
ゴドフスキー


Liszt La Campanella Godowsky Rec 1913


This performance of Liszt's La Campanella was recorded in April of 1913 during Godowky's first recording session.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c4
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
5. 中川隆[-14126] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:21:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-808]
バックハウス


Wilhelm Backhaus - La Campanella (1908)





Hupfeld Animatic roll No. 50748 (recorded before 1912/3, ca. 1907)
Paganini-Etude Nr. 3 (La Campanella) (Franz Liszt)
Wilhelm Backhaus, piano

Wilhelm Backhaus plays Liszt's famous piece "La Campanella" for G&T in 1908. This was one of his first recording he made, and he was 24 years old.



▲△▽▼

Franz Liszt: LA CAMPANELLA, gespielt von Wilhelm Backhaus



Gespielt von Wilhelm Backhaus (1884 - 1969)
Notenrolle "Animatic T" der Firma HUIPFELD,
Leipzig (um 1920),
Klavier der Marke HERMANN GRAF,
Augustusburg (um 1925)

____

Franz Liszt (1813 - 1901) LA CAMPANELLA
Gespielt von Wilhelm Backhaus (1884 - 1969)


Notenrolle "Hupfeld Animatic T"
("Tri-Phonola") Nr. 50748,
Klavier "Feurich Tri-Phonola" (um 1920)
Wilhelm Backhaus (* 26. März 1884 in Leipzig; † 5. Juli 1969 in Villach, Österreich) war ein deutscher Pianist.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c5
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
6. 中川隆[-14125] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:39:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-807]


Liszt La Campanella Rubinstein - YouTube 動画
nico22059
Arthur rubinstein´s interpretation of Liszt´s etude "La Campanella"
https://www.youtube.com/results?search_query=Liszt+La+Campanella+Rubinstein


2010年02月18日
◆ルービンシュタインの「ラ・カンパネラ」は清水和音という、何とも確認しようがない噂。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20100218

昨年、【音楽】ラ・カンパネラ大特集。7人による演奏。最後が、フジ子・ヘミングさんです。(ココログ)を書いた。

2009年07月13日
【音楽】ラ・カンパネラ大特集。7人による演奏。最後が、フジ子・ヘミングさんです。
◆このブログで常に最もアクセスが多いのは「大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです」なのです。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20090713

7人の中にYouTubeで拾った、アルトゥール・ルービンシュタインの演奏を加えたが、

動画はなくて音声だけである。このYouTube音声がニコニコ動画で取りあげられて、

コメントに「これを弾いているのは、実は清水和音だ」という噂があるらしい。

当該記事のコメントに、「本当のところはどうなのか?」という趣旨の質問(?)を頂いた。

分かりませんねえ。国内版で今は製造中止になっているようだが、「ルービンシュタイン大全集」という

CD94枚からなる、やたらと高いセットがあるが、この中には「ラ・カンパネラ」は無い。


しかし、アメリカのAmazonを"Rubinstein"で検索した結果を見ると、膨大な録音をルービンシュタインが残したことが分かる。

この中に「ラ・カンパネラ」が含まれていることを確認するのは余りにも手間なので省略する。


いずれにせよ、ルービンシュタインのテクニックと音楽性は「20世紀を代表する」という形容がそのまま当てはまる。


◆ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」とファリャ-“恋は魔術師”より「火祭りの踊り」

それは次の二つの演奏を見て、聴けば明らかである。

1曲目は、
2009年12月28日(月) 「ラフマニノフ 鐘」で検索して来られる方が多いですね(笑)。ラフマニノフの他の曲を聴いてみます?
(ココログ)

でご紹介した、ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」である。これは、ラ・カンパネラよりも更に難しいが、

ルービンシュタインは、サラッと弾いている。画質・音質ともに悪いが、ご覧頂きたい。2つのファイルに分かれる。


Paganini Rhapsody (Rachmaninoff) - Arthur Rubinstein - (1/2)



Paganini Rhapsody (Rachmaninoff) - Arthur Rubinstein - (2/2)



このピアニストが「ラ・カンパネラ」を弾けない、ということは、あり得ない。

それはこの1曲で十分過ぎるほどわかるが、もう1曲。3分半ほどの曲だが、

ルービンシュタインの十八番のひとつ。

ファリャという作曲家の作品。“恋は魔術師”より「火祭りの踊り」である。

これは、視覚的に非常に印象的で再生開始後50秒辺りと、2分26秒辺り。ルービンシュタインが右手と左手を

大きくあげて、交互にピアノの鍵盤を「叩く」かのように弾くところがある。

この映像が日本で初めて紹介されたとき、ピアノが上手い素人は、皆こっそり、ルービンシュタインの真似をした。

ヒッヒッヒ。思い出すと恥ずかしいでしょう? ご覧下さい。あいにく、埋め込み不可なのでリンクを貼らせて頂く。


Artur Rubinstein in De Falla's "Ritual Fire Dance"



サマになってますね。ヘタクソが演ると、ハッタリに見えて、客の方が恥ずかしくなるが、ルービンシュタインは、

実に「洗練されたキザさ」であるため、イヤミがないし、何しろ上手いから文句は言えない。

◆ルービンシュタインのお薦めCD

ご覧頂いた演奏は見事なのだが、余りにも音質が悪い。

ショパンの名曲を集めた、ザ・ベスト・オブ・ショパン が良いでしょう。

私、昔から好きなんです。ショパンの演奏は、ずっと同じテンポで弾いたら芝居の「棒読み」のようになってしまい、

聴き手に何の感興も催さないので、テンポ・ルバートといって、微妙にテンポを速めたり、遅くしたり、絶えずテンポが揺れるのですが、

やり過ぎても、くどくて耳障りになる。ピアニストのセンス、才能がモロに出る曲ばかりです。

ルービンシュタインはそれが絶妙でして、ルバートをかけながらも、比較的あっさり。

くどくもなく、淡泊過ぎることもない。私は非常に好きです。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20100218


▲△▽▼


2012.07.18
RubinsteinのLa Campanellaと称するものの確認 (2)

You TubeのArthur Rubinstein plays "La Campanella"

nico22059
Arthur rubinstein´s interpretation of Liszt´s etude "La Campanella"
http://www.youtube.com/watch?v=hQULyGMhhWs



は、清水和音氏の演奏であるという書き込みを見たので、
パソコンの音の出力とCD(SRCR‐9159を使ったが、
32DC544でも同じ)の出力とを、ペン・レコーダによる、
音の大小とタイミングのパターンとして見た。
 添付画像の上二つは、You TubeのRubinsteinの
La Campanellaと称するもの。
 下二つは、清水 和音氏の演奏(SRCR‐9159を使ったが、
32DC544でも同じ)。
 左側は、何れもL-ch、右側はR-ch。
 画像の縦軸は、何れも一目盛り1dBである。
 パソコンとCDプレーヤの増幅器は同じではないので、厳密
には一致する事は無いが、これだけタイミングと、音の大小
の具合とが一致すれば、同一音源だと断定せざるを得ない。
 演奏時間は、チャートの長さで、共に80.1mm、紙送り速
度が0.3mm/sなので、共に267秒である。
 やはり、これは、清水和音氏の録音であって、Rubinstein
のカンパネラではない。
 投稿者のnico22059氏は、何故、清水氏のを、
Rubinsteinのとしたのであろうか。
(両者の音量は、完全には一致させ難いので相対値で見て欲しい)
https://plaza.rakuten.co.jp/kmsirjp/diary/201207180000/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c6
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
7. 中川隆[-14124] koaQ7Jey 2020年2月01日 11:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-806]

Il maestro Salvatore Accardo suona La Campanella col cannone di Paganini



_______


Salvatore Accardo plays La Campanella by Paganini



Salvatore Accardo, London Philharmonic Orchestra, Charles Dutoit


アッカルド / パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲 第2番

パガニーニのスペシャリストとして知られるアッカルドによるヴァイオリン協奏曲集。明るいイタリア風の旋律とヴァイオリンの特異な技巧を特徴とする第2番を収録しています。


パガニーニ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.6
・ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調 op.7『ラ・カンパネッラ』

 サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 シャルル・デュトワ(指揮)
 録音:1975年1月、ロンドン(ステレオ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c7
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
8. 中川隆[-14123] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:07:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-805]
ゲザ・アンダ


Liszt: La Campanella - arr. Busoni · Géza Anda


Géza Anda: Troubadour Of The Piano
℗ 1942 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


▲△▽▼


Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor, La Campanella. Allegretto (After Violin Concerto No. 2, Op. 7, by Niccolò Paganini) · Géza Anda



Récital Liszt (Mono Version)


▲△▽▼


Emil Gilels & Geza Anda play Liszt Paganini Etude No. 3 in G sharp minor "La Campanella"



Paganini-Liszt (arr. Busoni): "La Campanella", two performances in comparison:

1. Emil Gilels (live)
2. Geza Anda (4:24)


▲△▽▼


Concours Géza Anda 2012 | Recital Moutouzkine Alexandre 07.06.2012



Moutouzkine Alexandre Russia/USa (1980)

R. Schumann
Fantasie C-Dur op. 17
Phantastisch und leidenschaftlich vorgetragen
Mässig. Durchaus energisch
Langsam getragen

F. Liszt
6. Paganini-Etüden
Nr. 1 Andante - Non troppo lento
Nr. 2 Andante - Andantino capriccioso
Nr. 3 La Campanella - Allegretto
Nr. 4 Vivo
Nr. 5 Allegretto
Nr. 6 Quasi presto

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c8
[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
9. 中川隆[-14122] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:09:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-804]

フジ子・ヘミング〜ラ・カンパネラ _ 「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c9
[リバイバル3] 「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか? 中川隆
38. 中川隆[-14121] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:11:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-803]
フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html#c38
[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
47. 中川隆[-14120] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:46:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-802]
2020年02月01日
借金は踏み倒せ 投資、賭け、遊びでも自己破産免責はできる


免責される、されないは裁判官の裁量で決まり、法律通りではない。

引用:https://d3sb4p2b6628ak.cloudfront.net/moneytalk/2960/2960_1.jpg


投資の失敗や遊び、賭け事で自己破産はできないという常識を鵜呑みにして、人生を投げてしまう人が多い。

ところがこれは間違った常識で、浪費でも無茶な投資でも、多くの場合は大幅な債務の減額が認められるのです。


投資や遊びでも免責はできる

株価などの乱高下で損をする人は多く、そうした借金を抱えた人も居ると思います。

常識では投資の損失は本人に責任があるので、免責は降りないとされています。

競馬やパチンコなどの賭け事にハマッてしまい、貯金を使い果たしたうえに借金を作った人もいると思います。


遊びやブランド物、趣味で入れ込みすぎて、多額の借金をしてしまった人もいると思います。

これらも浪費による債務に該当するので、原則として免責されないとされています。

だがこれらの「常識」や「原則」に関わらず、実際には多くの人が自己破産による免責を認められているのです。


「遊びや投資で免責が降りない」という素人のウンチクを真に受けてしまい、悲観してあの世に行ってしまう人が居ます。

こうした早まった絶望をした人たちは、実は裁判所に申し立てれば借金が消えた筈だった場合が多かったのでした。

多重債務者という、サラ金などから借りれるだけ借金をして返せなくなった人たちが居ます。


彼らの大半は生活苦ばかりではなく、収入に不相応な贅沢をしたり、「免責不許可事由」に該当する行為をした事がある。

それでも多くの多重債務者は自己破産の免責を認められているし、一部免責を認められた人はもっと多く居ます。

絶対に免責が降りないのは、最初からお金を搾取する目的でお金を借りた場合などです。

どんな理由でも借金の減額はできる

破産法252条1項の免責不許可事由の中に、「浪費又はとばくその他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと」という記載があります。

これが遊び、投資、浪費、賭け事で免責が降りないという法的根拠ですが、一方で「裁量免責」の余地が裁判所に与えられています。

「法律にはそう書いてあるけど、裁判官の判断で決めて良いよ」というのが「裁量免責」で、このため免責が降りているのです。


例えば遊びや投資のお金は、直接相手から借りるより、ローン会社などから借りる場合が多いと思います。

そうするとローン会社からの債務は免責や一部免責が認められる場合がかなり多いです。

一部免責といっても50%から90%も免責されるので、返済がかなり楽になります。


本来は免責されないのだが、その借金の為に生活が破綻していて、支払う能力が無いと認められると免責されます。

本人の反省度合いとか努力とか、将来の返済計画などを裁判官が評価して、更生できると判断すると認められます。

例えば年収300万円なのに1000万円の借金があると、800万を免責して200万円を支払いなさいなどの判断が下される。


もし免責が降りなくても、必ず全額払わねばならないかというと、まだ最後の手段があります。

「個人再生」や「任意整理」「特別調停」がそれで、自己破産と違って借金の原因が浪費でも可能です。

これらは借金がチャラになる訳ではないが、やはり現実的に支払い不能と認められれば、大幅に減額されます。


個別のケースによって、一概にどれが良いとは言えないので、その手の経験が豊富な弁護士や司法書士に依頼する事になります。

その際ドラマの「悪徳弁護士」のようなのに引っ掛かると、弁護士から法外な料金を請求される場合があります。

借金はしないのが一番ですが、どんな理由でいくら借金があっても、大抵は大幅に減額する方法があるものです。
http://www.thutmosev.com/archives/55521203.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c47

[リバイバル3] 投資損失でも自己破産はできる 常識は嘘だらけ 中川隆
1. 中川隆[-14119] koaQ7Jey 2020年2月01日 12:46:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-801]
2020年02月01日
借金は踏み倒せ 投資、賭け、遊びでも自己破産免責はできる

免責される、されないは裁判官の裁量で決まり、法律通りではない。

引用:https://d3sb4p2b6628ak.cloudfront.net/moneytalk/2960/2960_1.jpg


投資の失敗や遊び、賭け事で自己破産はできないという常識を鵜呑みにして、人生を投げてしまう人が多い。

ところがこれは間違った常識で、浪費でも無茶な投資でも、多くの場合は大幅な債務の減額が認められるのです。


投資や遊びでも免責はできる

株価などの乱高下で損をする人は多く、そうした借金を抱えた人も居ると思います。

常識では投資の損失は本人に責任があるので、免責は降りないとされています。

競馬やパチンコなどの賭け事にハマッてしまい、貯金を使い果たしたうえに借金を作った人もいると思います。

遊びやブランド物、趣味で入れ込みすぎて、多額の借金をしてしまった人もいると思います。

これらも浪費による債務に該当するので、原則として免責されないとされています。

だがこれらの「常識」や「原則」に関わらず、実際には多くの人が自己破産による免責を認められているのです。


「遊びや投資で免責が降りない」という素人のウンチクを真に受けてしまい、悲観してあの世に行ってしまう人が居ます。

こうした早まった絶望をした人たちは、実は裁判所に申し立てれば借金が消えた筈だった場合が多かったのでした。

多重債務者という、サラ金などから借りれるだけ借金をして返せなくなった人たちが居ます。


彼らの大半は生活苦ばかりではなく、収入に不相応な贅沢をしたり、「免責不許可事由」に該当する行為をした事がある。

それでも多くの多重債務者は自己破産の免責を認められているし、一部免責を認められた人はもっと多く居ます。

絶対に免責が降りないのは、最初からお金を搾取する目的でお金を借りた場合などです。


どんな理由でも借金の減額はできる

破産法252条1項の免責不許可事由の中に、「浪費又はとばくその他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと」という記載があります。

これが遊び、投資、浪費、賭け事で免責が降りないという法的根拠ですが、一方で「裁量免責」の余地が裁判所に与えられています。

「法律にはそう書いてあるけど、裁判官の判断で決めて良いよ」というのが「裁量免責」で、このため免責が降りているのです。


例えば遊びや投資のお金は、直接相手から借りるより、ローン会社などから借りる場合が多いと思います。

そうするとローン会社からの債務は免責や一部免責が認められる場合がかなり多いです。

一部免責といっても50%から90%も免責されるので、返済がかなり楽になります。


本来は免責されないのだが、その借金の為に生活が破綻していて、支払う能力が無いと認められると免責されます。

本人の反省度合いとか努力とか、将来の返済計画などを裁判官が評価して、更生できると判断すると認められます。

例えば年収300万円なのに1000万円の借金があると、800万を免責して200万円を支払いなさいなどの判断が下される。


もし免責が降りなくても、必ず全額払わねばならないかというと、まだ最後の手段があります。

「個人再生」や「任意整理」「特別調停」がそれで、自己破産と違って借金の原因が浪費でも可能です。

これらは借金がチャラになる訳ではないが、やはり現実的に支払い不能と認められれば、大幅に減額されます。


個別のケースによって、一概にどれが良いとは言えないので、その手の経験が豊富な弁護士や司法書士に依頼する事になります。

その際ドラマの「悪徳弁護士」のようなのに引っ掛かると、弁護士から法外な料金を請求される場合があります。

借金はしないのが一番ですが、どんな理由でいくら借金があっても、大抵は大幅に減額する方法があるものです。
http://www.thutmosev.com/archives/55521203.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1017.html#c1

[番外地7] 埴輪の飾りがユダヤ起源だとか、またレベルが低い妄想を垂れ流していますね
埴輪の飾りがユダヤ起源だとか、またレベルが低い妄想を垂れ流していますね(呆れ)

ユングの集合的無意識の研究で今はもう常識になっていますが、無意識はどんな民族でも同じなので、同じイメージが全く関係無い民族でも出て来るんですね:

「集合的無意識」という概念

これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。普遍的に存在する「無意識」全ての人類に共通して存在すると言われている「集合的無意識」。

でも、ユングはなぜ、「人類に共通して」と言い切る自信があったのでしょうか? その答えの一つが、「マンダラ」です。

マンダラは、仏教の世界観を表現した円形の絵。祈祷の道具に使われたりもしますので、みなさんも1度くらいは目にしたことがあるのではないでしょうか?

そのマンダラと、ユング自身が描いていた絵との間に大きな共通点があったのです。この発見を機に、ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には共通したテーマを扱った物も多いことから、洋の別を問わず人類の心の奥深くには「共通した何か」があると考えたのです。

例えば、「太陽を崇拝する」というテーマや自然に「母性」を見出すというテーマ…etc。

これらのテーマを生みだす根底にあるもの、それが「集合的無意識」なんですね。

意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。

集合的無意識の役割とは?ユングによれば、私たちが「自分」を認識できるのもまた、この「集合的無意識」が存在するからなのだとか。

確かに、無意識・普遍的に共有できる「何か」がなければ、自分が生きる価値を見いだすこともできないでしょうし、他人と話をしても通じないような気がしますよね。

遠い昔の民話や伝説から学ぶことが多いのも、世代が違う人と会話できるのも、国籍が違う人との間に会話が成立するのも、(言語の壁をクリアすれば、の話ですが…)普遍的に共有できているものがあるからなのかもしれません。 そういったベースがなければ、会話は全く噛み合わないでしょう。

「集合的無意識があるからこそ、人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」
と言うユングの説はごもっともですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/451.html

[番外地7] 秦氏の Y-DNA はO1 で長江稲作民

秦氏の Y-DNA はO1 で長江稲作民

また見え透いたデマばかり流していますね。

秦氏の Y-DNA はO1 で長江稲作民だし
中国のキリスト教(景教)はペルシャ人が伝えたものだし
秦の政治体制はペルシャと同じだし
中国にはペルシャのソグド人やアーリア人(R1a)は入っていたけど、ユダヤ人(J2, E1b) は入っていません。

そもそも農耕民のユダヤ人が中国に来る訳ないですね。 アラブ人はユダヤ人と遺伝子が全く同じなので、来るとしたら遊牧民のアラブ人ですが、その形跡もゼロですね:

中国人にも日本人にもユダヤの血は全く流れていません

ユダヤ人の(Sephardi)のY-DNAは
E1b : 19.2%(ラテン人), I : 11.5%(クロマニヨン人), J : 28.2%(セム人), R1b : 29.5% (ゲルマン人)

中国人の Y-DNAは
O2 53.3% : 漢民族系 、O1 24.5% : 長江系稲作民 、C2 7.8% : 満州人・モンゴル人、 N 6.9% : トルコ系

日本人の Y-DNAは
D1a2a–32% :焼畑農耕民、O1b2-32% :長江系稲作民、O2—20%(旧表記O3):漢民族系、C2—-6% :縄文系、C1—-5% :縄文系


従って、日本人にも中国人にもユダヤの血は全く流れていません


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/452.html

[番外地7] アイヌの日本人同化政策
アイヌの日本人同化政策


明治以前は北海道にはアイヌ人しか住んでいなかったから、日本人が侵略したに決まってるよ。もう勝手に侵略して図々しく居座っている日本人を追い出すしかないだろ。

先住民が住んでいる所を勝手に侵略して開拓していい訳ないんだ。そもそもアイヌは縄文人の直系の子孫だと証明されている。アイヌ語が縄文語だというのも定説だ。

現在の北海道や千島、樺太などで狩猟採集生活を営んでいたアイヌは、日本語とは異なる独自の言語や信仰、文化、生活様式を持つ少数民族である。ところが明治維新以降、日本政府は「蝦夷地」と呼んでいた地域を北海道と改称し、本州の和人による移住・開拓が強行される。政府は同化政策を強行し、富国強兵の「臣民化」の流れで、アイヌは住む場所や文化・生活を奪われていった。和人はアイヌら北方の少数民族を「土人」などと呼び、差別的に扱っていた(そのことは、1899年制定の「北海道旧土人保護法」の名称にも表れている)。
 世界的な帝国主義の潮流に遅れを取るまいとする明治維新後の日本政府は、アイヌたち少数民族を怠惰で非文明的な「土人」と捉えて、日本語を教え、日本式の風習を叩き込み、「立派な日本人」に同化させようとした。それは、「先進国」であるヨーロッパの大国が、非ヨーロッパの人々を「野蛮人」とみなし、「啓蒙」によって支配下に置こうとする構図の再生産だった。


日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。
1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、

アイヌは和人と同化したので、もはや先住民ではない、

ととんでもないことを書いているのです。
 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/453.html

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
90. 中川隆[-14118] koaQ7Jey 2020年2月01日 14:57:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-800]

991名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:41:46.20ID:XNN/kaNn

ワルターの愛人(?)フェリアーの歌

Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter
https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)
Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)
Botschaft, op.47 n°1 (55:12)
Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival

992名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:45:33.91ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

993名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:49:01.44ID:XNN/kaNn

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI&feature=emb_title

Brahms: Four Serious Songs, Flagstad & McArthur (1956)
Vier ernste Gesänge, Op. 121 (Four Serious Songs)
Kirsten Malfrid Flagstad (1895-1962), Soprano
Edwin McArthur (1907-1987), Piano
Rec. 22-23, 26-27 November 1956, in London
https://www.youtube.com/watch?v=oNnuPNNQ-Pc&feature=emb_title

Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title

994名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 14:53:07.23ID:XNN/kaNn

モーツァルト : ガキの音楽

ブラームス: 大人の音楽
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c90

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
49. 中川隆[-14117] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:07:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-799]
2020.02.01
アフガンで米軍機が墜落、ソレイマーニー暗殺の責任者が搭乗していたとの情報

 アメリカ空軍のBACN(戦域通信中継機)、E-11Aが1月27日にアフガニスタン東部で墜落し、搭乗していた全員が死亡したという。タリバーンは撃墜したと発表した。アメリカ側も墜落は認めたが、撃墜されたことを示す証拠はないとしている。

 ロシアの情報機関からの情報として伝えられているところによると、墜落したE-11Aにはマイケル・ダンドレアというCIAのオフィサーが乗っていたという。この人物はイラン工作の責任者で、ドローンを使い、テロリストを疑わせる動きをしている人びとを殺す工作でも中心的な役割を演じてきた。CIAはベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムやラテン・アメリカにおける死の部隊と同じことを繰り返しているのだ。

 イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官が1月3日にバグダッド国際空港で暗殺された。

 ソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーで、イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。和平の動きを潰すことがアメリカ側の目的だったということだ。

 この暗殺を指揮していたのもダンドレアだと言われている。つまりイランはソレイマーニーらの暗殺に対する報復としてダンドレアを殺した可能性がある。

 高空を飛行するE-11Aを撃墜する能力はタリバーンにないという見方もあるが、ソレイマーニー暗殺への報復としてイランが関与していたとするなら、話は違ってくる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002010000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c49

[番外地7] ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し 中川隆
2. 中川隆[-14116] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:21:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-798]
2020.02.01
アフガンで米軍機が墜落、ソレイマーニー暗殺の責任者が搭乗していたとの情報

 アメリカ空軍のBACN(戦域通信中継機)、E-11Aが1月27日にアフガニスタン東部で墜落し、搭乗していた全員が死亡したという。タリバーンは撃墜したと発表した。アメリカ側も墜落は認めたが、撃墜されたことを示す証拠はないとしている。
 
ロシアの情報機関からの情報として伝えられているところによると、墜落したE-11Aにはマイケル・ダンドレアというCIAのオフィサーが乗っていたという。この人物はイラン工作の責任者で、ドローンを使い、テロリストを疑わせる動きをしている人びとを殺す工作でも中心的な役割を演じてきた。CIAはベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムやラテン・アメリカにおける死の部隊と同じことを繰り返しているのだ。

 イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーとPMU(人民動員軍)のアブ・マフディ・ムハンディ副司令官が1月3日にバグダッド国際空港で暗殺された。

 ソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーで、イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。和平の動きを潰すことがアメリカ側の目的だったということだ。

 この暗殺を指揮していたのもダンドレアだと言われている。つまりイランはソレイマーニーらの暗殺に対する報復としてダンドレアを殺した可能性がある。

 高空を飛行するE-11Aを撃墜する能力はタリバーンにないという見方もあるが、ソレイマーニー暗殺への報復としてイランが関与していたとするなら、話は違ってくる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002010000/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/434.html#c2

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』 中川隆
1. 中川隆[-14115] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-797]
マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov

Brahms: Songs without words - Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh op.121 No.1




Brahms: Songs without words - Ich wandte mich und sahe an op. 121 No. 2



Brahms: Songs without words - O Tod, wie bitter bist du op. 121 No. 3




Mischa Maisky · Pavel Gililov
℗ 1997 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin



Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html#c1
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
91. 中川隆[-14114] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:38:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-796]
995名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 15:35:58.50ID:XNN/kaNn

Brahms: Songs without words
Mischa Maisky · Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c91

[番外地7] メモ帳 _ 国会で桜問題しか取り上げない日本の野党はまともだった 中川隆
2. 中川隆[-14113] koaQ7Jey 2020年2月01日 15:58:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-795]
桜を見る会再論 - 内田樹の研究室 2020-02-01
http://blog.tatsuru.com/2020/02/01_1152.html


 もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。
 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。
 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。
 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。
 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。
「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、ウチダみたいな『自分は頭がいい』と思っているやつだけなんだよ。そういうのは、落すの簡単なんだ。供述のわずかな矛盾を指摘しただけで、がたがたっと崩れちゃうから。」
 なるほど。
 だから、ヤクザなんかは供述の矛盾をいくら指摘しても、平気で、「オレ、そんなこと言いましたっけ。あ、それ間違いですから、消しといてください。今日話したのがほんとの話です」と済ませてしまうのだそうである。
 彼らは供述の矛盾や変遷は、それだけでは有罪性の根拠とならないことをよく知っている。
 だから、誰も信じないようなでたらめを言い続ける。「そんなことあり得ないだろう!」と怒っても、「世の中、そういうことがあるからびっくりですよね」と平気で言う。
 自分は矛盾とか、因果とか、蓋然性とか、そういうことはぜんぜん気にならない人間なんです。「ふつうに考えて」という想定ができないんです。「論理的に言って」ということがわからないんです。
 そう言い続けると検察官に「敗けない」ということを彼らは知っているのである。
 自分の知性が健全に機能していないということを「切り札」にしている人間を「理詰め」で落とすことはできない。
「桜を見る会」の国会審議でわれわれが見せられているのは、「ヤクザと検察官」の戦いのひとつの変奏である。
 官僚たちも政治家たちも、平然と自分の知性がふつうに機能していないことを認めている。
「桜を見る会」の招待者名簿にしても、ホテルニューオータニの「前夜祭」領収書にしても、それを「はい」と提示すれば、首相の潔白が満天下に明らかになる文書を、なぜか官僚たちも安倍講演会の人たちも、全員があっという間に捨ててしまった。それが「桜を見る会」と「前夜祭」の合法性を何よりも雄弁に証明できる書類である以上、仮に廃棄期限が来ても、官僚でも後援会員でも少しでも論理的に思考できる能力があるなら、「もしものことがあったら困るから、一応とっとこう」と思うはずである。
 そう思った人間がなんと一人もいないのである。
 つまり世にも例外的に頭の悪い人たちだけで内閣府や安倍後援会は組織されていたというきわめて蓋然性の低い主張によって、首相は「不正が証明できない以上、私は潔白だ」という言い続けているのである。
 こういうドタバタがもう3ヶ月も続いている。
 もう終わりにしたいと思う人は自民党内にもいるらしく、先日は参院自民党に示達された「招待者名簿は公開請求の対象であるので取り扱いに注意」という内部書類が共産党議員によって委員会で暴露されてしまった。
 だが、これほど「申し開きのできない証拠」を突きつけられても、首相の「申し開き」は続いている。
 首相は数日前に、招待者について「幅広く募っているという認識」ではあったが、「募集しているという認識ではなかった」という没論理的な答弁をしたが、今回は招待者名簿について「公開の対象とは書いてるけど、公開されるとは書いてない」という小学生のような答弁をしてみせた。
「開示請求があった場合に公開しなければならない」という注意なのだから、要するに「人選には配慮すること。開示請求があったときに『捨てました』というような無様なことがないようにちゃんと管理すること」というお達しである。自民党総裁としては自民党が示達した注意を二つながらまるまる無視して招待者を選定した上に、書類をさくさくとシュレッダーにかけた内閣府の役人については殺してやりたい「気分」になっていいはずだが、そんな気配もない。
 首相は「自分は論理的に思考しないので、『論理的にあり得ない』ことがあっても別にそれが不思議だと思わない。言葉の語義はわかるけれども、それが含意しているコノテーションはわからない」という「おのれの知性が普通の人よりも不調である」という主張によって有罪性を免れようとしている。
 裁判において弁護人が被告の「心神耗弱」で無罪を勝ち取ろうとするのと同じである。
 この「愚者戦略」はこれまでのところ成功している。
 それは社会制度は世界どこでも「ふつうの人はわりと論理的にものを考える」ということを基準に設計されているからである。だから、その基準にはずれる人間については対処するマニュアルがないのである。
 これから後も首相は有罪を免れるために、あらゆる「申し開きのできない証拠」に対して、「論理的に思考できないふり、日本語がわからないふり」をしてみせるだろう。
 この成功体験が広く日本中にゆきわたった場合に、いずれ「論理的な人間」は「論理的でない人間」よりも自由度が少なく、免責事項も少ないから、生き方として「損だ」と思う人たちが出て来るだろう。
 いや、もうそういう人間が過半数に達しているから、「こういうこと」になっているのかも知れない。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/01_1152.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/439.html#c2

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』 中川隆
1. 中川隆[-14112] koaQ7Jey 2020年2月01日 16:04:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-794]
マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html#c1

[近代史3] ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』 中川隆
2. 中川隆[-14111] koaQ7Jey 2020年2月01日 16:05:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-793]

マイスキー

Mischa Maisky · Pavel Gililov Brahms: Songs without words - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JfKKyjMeRzE&list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html#c2

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
5. 中川隆[-14110] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:06:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-792]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった西岡力氏は、

@終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、
A植民地時代のchousenで人口が増加したことや、
Bchousenからの不法渡航者が強制送還されていたこと

などを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張には問題があります。まず、

@「終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「zainichi chousen人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地chousen人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。

つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。そして、

A「植民地時代の chousenで人口が増加した」、B「chousen からの不法渡航者が強制送還されていた」

の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本なchousen半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。まとめこのように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。

1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、sei dorei じゃないから「強制連行」性はない。)

3「chousenn chousen人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。

(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%87%8E%E6%B7%BB-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4784513345  


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c5

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
6. 中川隆[-14109] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:09:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-791]
徴用工問題で日本の元外務官僚が「kankoku に100%の理、日本に100%の非」「日韓対立は安倍政権に全責任」と断言
「kankokuには100%の理があり、日本には100%の非がある」「日韓関係悪化の全責任は安倍政権にある」と批判をしている元外務官僚がいる。外務省条約局国際協定課長、アジア局中国課長、イギリス国際戦略研究所研究員などを歴任した浅井基文氏だ。
 浅井氏は「日韓関係を破壊する安倍政権」と銘打った9月10日の緊急講演会(主催は重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京、村山談話を継承し発展させる会)で、いまだにテレビや大新聞がほとんど報じない「国際人権規約」(日本は1979年に批准)の存在を紹介、安倍首相の詐欺的手口をこう暴露した。

「(kankoku を国際法違反状態と見なす)安倍政権の最大の論拠は『過去の個人の請求権、過去の chousen の人たちの日本に対する請求権は1965年の日韓請求権交渉で全て解決済み』というところにある。その主張が正しいのかどうかをまずはっきり踏まえないといけない。


 私も外務省で25年間飯を食ったこともあり、アジア局や条約局勤務が合計で9年間あったので、『過去の請求権問題は1965年の請求権協定で全て解決済』としてきた日本政府の主張は理解している。


 しかし国際人権法が確立することによって崩れたことを申し上げたい。もっと具体的に国際人権規約Bがあります。ここに加盟(署名)したのが1978年なのだが、私は1978年に条約局の国際協定課長という立場で、国際人権規約の国会承認を事務方の先頭に立っていたものだから、非常に愛着もあるが、今回の日韓問題を議論する時に誰もこの国際人権規約のことを言わない。これが私は非常におかしいと思う。国際人権規約は条約であり、憲法上も『条約は国内法に優先する』というふうになっている」


■日韓請求権協定から14年後の国際人権規約批准で「解決済み」の結論は崩れている

    

 その詐欺的手口を見破るカギは、安倍首相が戸黄門の印籠のように突きつける「1965年の日韓請求権協定」締結から14年後の1979年、国際人権規約が国会承認(批准)された歴史的事実に注目することだ。安倍首相は1978年以前なら通用したカビの生えた主張を、国際人権規約批准で崩れ去ったのにもかかわらず、正論であるかのように訴えて続けているということだ。


 まず国際人権B規約の第2条3項には「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を義務づけるとあると指摘、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者」の「権利」や「自由」こそ、徴用工や従軍慰安婦に該当するとも指摘した。


 たしかに第7条には「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と書いてあり、また第8条には「何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する」(1項)、「何人も、隷属状態に置かれない」(2項)、「何人も、強制労働に服することを要求されない」(3項a)とあり、従軍慰安婦や徴用工に当たることが分かる。浅井氏はこう結論づけた。

「元従軍慰安婦の方々、徴用工の方々は日本国によって『効果的な救済措置』を講じるように要求する権利があることが明確にいえるのです」「まさに国際人権規約をはじめとする国際人権法ができてから、各国は過去の国が行った行為について謝罪し、補償をするということが行われるようになった。そういうことを考えると、やはり日本も従軍慰安婦や徴用工の皆さんに対して謝罪し、補償しなければいけないということが当然のこととして言えるのです」

 しかも外務省は、1991年8月27日の参議院予算委員会で「個人の請求権自体は消滅することはない」と答弁していた。その内容は、国が放棄したのは「国家の外交保護権」であり、「国と国との間でやりとりをする権利については放棄した」ということであって、「個人の請求権自体はそういう協定によっても消滅することはない」と結論づけるものだった。浅井氏は当時を「私が外務省にいた頃は(個人請求権が消滅しないことは)外務省の中で議論されてもいないことだった」と振り返った上で、今回の元徴用工裁判における kankoku大法院(最高裁判所)判決を次のように全面的に支持した。

「それ(kankoku 大法院判決)は1991年の外務省の国会答弁から言っても、非常に正しいこと、抗弁できないことであって、認めなければいけないとことなのです」


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c6

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった 中川隆
7. 中川隆[-14108] koaQ7Jey 2020年2月01日 19:11:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-790]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 徴用工の強制連行は無かった、待遇も良かった?
西岡力氏は、
@終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、
A植民地時代のchousenで人口が増加したことや、
Bchousenからの不法渡航者が強制送還されていたこと

などを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張には問題があります。まず、

@「終戦時のzainichi chousen人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「zainichi chousen人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地chousen人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。

つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。そして、

A「植民地時代の chousenで人口が増加した」、B「chousen からの不法渡航者が強制送還されていた」

の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本なchousen半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。まとめこのように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。

1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、sei dorei じゃないから「強制連行」性はない。)

3「chousenn chousen人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。

(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%87%8E%E6%B7%BB-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4784513345
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/417.html#c7

[リバイバル3] 苗場の近くの名湯 2 _ 女性に超絶人気の 川古温泉別館 旅館 峰 中川隆
13. 中川隆[-14107] koaQ7Jey 2020年2月01日 20:05:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-789]
群馬 広河原温泉 旅館峰 2019/06/22
http://1561.blog.fc2.com/blog-entry-719.html


先週に苗場スキー場で開催されたイベント
〔山たけのこ山菜ウィーク2019〕

宿泊した宿に忘れ物をしてしまったのだった(^^;;
行こうと予定した温泉あり🎵忘れ物を取りに苗場へ


シュプールイン苗場に到着💦

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先週と同様に土曜は雨の苗場である
明日も山たけのこ山菜ウィークが開催されるのだ❗

「こんちにわ〜🎵忘れ物を取りに来ました」
宿の食堂で明日に参加する三人が話し合っていた

『コーヒーでも飲んでって💓』と女将さん
都内から参加する三人の内二人は初参戦だそうじゃ❗

「自分との闘いです」とアドバイスを告げ宿を後にする

国道17号線を南下する❗みなかみ方面に向かう

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国道17号線沿いに看板が出ている
苗場からでは看板が裏側になる為に見えない💦

この看板の川古温泉は雪見風呂で宿泊して事もある
今回は広河原温泉に行く計画していたのだった😉


県道270号線を山奥に進むと広河原温泉の看板❗

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看板の咲きの橋を渡ると広河原温泉
広河原温泉は川古温泉の別館となっている


広河原温泉 旅館峰

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どしゃ降りの中を走って到着💦
国道17号線から5.5km山奥に在る一軒温泉宿である

前回訪れた時は宿の下見で温泉に入らなかった
今回が広河原温泉に初入浴となるのじゃ(*>∀<*)

「こんにちは🎵」と玄関を開けると・・・・・。

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左手に入浴料金を入れる箱がある
宿からは人の居る気配を全く感じなかった


広河原温泉のロビー

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シーンと静まり返っている
受付であろう窓にもカーテンで閉ざされている❗


ロビーから奥に進み温泉を発見💡

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やはり人の居る気配は感じなかった
おそらく男女の入れ替えは無い固定式の温泉だろう


シンプルな脱衣所

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雨の寒い時でも扇風機が回っている
脱衣所で常連客の人が風呂から出てきた

この人は川崎から山奥の広河原温泉に度々訪れている
川崎からでは足利より遠いじゃんか(^∀^;)💦

「大抵の人は露天風呂が在る川古に行くんだよね」
川崎の人!私は物好きだから広河原に入りに来るそうです

そんな自分も物好きの1人なんだろう(笑)

脱衣所の棚横に貼り紙がしてあった

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噂に聞いていたが温湯らしく
風呂に入る前から扇風機の風で寒いのだけど(^^;;


脱衣所の洗面器にドライヤーを発見💦

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電気を点けなければ分からなかった


浴室の壁に石骨泉の標示がある

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石骨泉とは聞き慣れない温泉
引用にも効果があるそうなので胃腸にも効くのかも💓

洗い場は小じんまりしている

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シャワーは一基のみととなる


時代を感じる蛇口

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お湯が出るのに少し時間が掛かる
シャワー一基でも蛇口のお湯で洗えるから十分であろう


広河原温泉は内湯のみ

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石骨泉は透き通った温泉なのだ❗
山奥で源泉が流れ出る音だけしか耳に入ってこない


湯船の底には玉石が敷き詰められている

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川古温泉の内湯にも玉石が敷き詰められていた
これは足ツボ効果を狙った玉石なのだろうか(・_・?)

誰かに聞きたくても人が居ませんから(苦笑)


引用が出来る源泉を飲んでみよう🎵

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う〜む💦超薄い〜昆布茶みたい
普通に源泉は飲めました❤中には不味い源泉もあるから(笑)

泉質はカルシウム・ナトリウム・一硫酸塩泉


窓の下に枕木がある

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温い温泉で浸かる為の枕木じゃ
確かに温い温泉ですな💦福島の二階堂旅館と同じかな〜


初めて広河原温泉に浸かる〜🎵

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刻がゆっくりと流れる様に感じる
川崎から訪れている常連さんの気持ちが分かりますな🎵


次回は泊まりで広河原温泉に来たい思いました
インターネットやblogの掲載は止めて下さいと貼り紙あり


今回は非公開の設定で載せる事にした

広河原温泉 旅館峰

群馬県利根郡みなかみ町相俣2217

Tel  0278−66−0155

日帰り入浴料金  ¥1000

日帰り入浴時間  10:00〜16:00

http://1561.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/575.html#c13

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
92. 中川隆[-14106] koaQ7Jey 2020年2月01日 21:17:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-788]
2名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 16:53:40.32ID:XNN/kaNn

これがブラームス 最高の名曲

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』

Mischa Maisky - Song of the Cello
https://www.youtube.com/watch?v=9oZX2hjn7PU&feature=emb_title

Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 4, Nachklang · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=bdvR-Vr71cQ&feature=emb_title

8 Lieder und Gesange, Op. 59: No. 3, Regenlied · Lenneke Ruiten & Hans Adolfsen
https://www.youtube.com/watch?v=Wt91UV3bxlc&feature=emb_title

3名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:45:17.21ID:XNN/kaNn

>>2 よりこっちの方が名曲じゃないかと思ったりするんだけど:


中島みゆき 世情
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより)
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo&list=RDRy_bpaKDcAo&index=1


歌曲では差が出ないんだよね

6名無しの笛の踊り2020/02/01(土) 20:58:20.92ID:XNN/kaNn
これ位の大曲でないと差が出ないよね:

Brahms - Ein deutsches Requiem - Stockholm / Furtwängler(1948)
https://www.youtube.com/watch?v=D_dxlS87yrw&feature=emb_title


Bruno Walter: Brahms Live - Edinburgh Festival 08-09-1953 (Fischer-Dieskau & Seefried)

JOHANNES BRAHMS

• Tragic Overture, op. 81
• Ein Deutsches Requiem, op. 54

Irmgard Seefried, sp
Dietrich Fischer-Dieskau, br
Edinburg Choral Union & the Wiener Philharmoniker: BRUNO WALTER
Live - Edinburgh Festival September 8, 1953

https://www.youtube.com/watch?time_continue=90&v=733HSVuUC0Q&feature=emb_title
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c92

[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』


R. Strauss - Der Rosenkavalier - Excerpts - Richard Mayr, Viorica Ursuleac - Clemens Krauss (1933)


Richard Strauss
Der Rosenkavalier
Excerpts:
a) Act I - Vorspiel ... Wie du warst, wie du bist
b) Act I - Pardon, mein hübsches Kind
c) Act I - Bin ich da nicht wie ein guter Hund
d) Act I - I komm' glei ... Di rigori armato il seno ... Als Morgengabe ... Mein lieber Hyppolyte [with interruption]
e) Act I - Kann mich auch an ein Mädel erinnern
f) Act II - Mit ihren Augen voll Tränen
g) Act III - Ist ein Traum


Die Feldmarschallin - Viorica Ursuleac
Octavian - Eva Hadrabova
Sophie - Maria Gerhard
Baron Ochs auf Lerchenau - Richard Mayr
Annina - Bella Paalen
Valzacchi - Hermann Gallos
Italian Singer - Koloman von Pataky
Modistin - Fr. Braun
Tierhändler - Richard Tomek
Drei adelige Waisen - Fr. Jonas, Fr. Mathias, Fr. Brunnbauer
Vier lakaien - Hr. Schinke, Hr. Rouland, Hr. Scholtys, Hermann Reich


Orchester der Wiener Staatsoper
Clemens Krauss, conductor


Wiener Staatsoper, January 22, 1933


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Lotte Lehmann; M. Olszewska; E. Schumann; R. Mayr; "DER ROSENKAVALIER"; (Abridged); R. Strauss

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Lotte Lehmann: Soprano
Elisabeth Schumann: Soprano
Richard Mayr: Tenor/baritone
Maria Olszewska: Mezzo soprano
Robert Heger: conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Recorded in June 20-24,1933 at Mittlerer Konzerthaussaal, Vienna


ローベルト・ヘーガー指揮ウィーン・フィル
ロッテ・レーマン、マリア・オルツェヴスカ、エリーザベト・シューマン、リヒャルト・マイール


EMI。1933年9月録音。Referenceシリーズ輸入盤。
抜粋だが、実に味わい深い。古き良き時代が聞こえる。


最後の侯爵夫人の「Ja,Ja」の一言だけ、レーマンが忘れて録音セッションから帰宅してしまったため、(ゾフィ役の)シューマンが歌っている。


山崎浩太郎氏によれば、本来はこのメンバーを指揮するべきはブルーノ・ワルターのはずだった、という。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


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Strauss - Der Rosenkavalier - Excerpts - Lehmann, Hadrabova, Schumann - Knappertsbusch (Wien, 1936)


Richard Strauss Der Rosenkavalier Excerpts:


a) Act I - Vorspiel ... Wie du warst, wie du bist
b) Act I - Ich will ihn nicht seh'n, solch schreclichen Tag ... Ich werd jetzt in die Kirchen geh'n
c) Act II - Vorspiel ... Ein erster Tag
d) Act II - Mir ist die Ehre widerfahren
e) Act III - Leopold mir genga ... Mein Gott, es war halt nichts als eine Farce
f) Act III - Hab mir's gelobt, ihn lieb zu haben


Die Feldmarschallin - Lotte Lehmann
Octavian - Eva Hadrabova
Sophie - Elisabeth Schumann
Baron Ochs auf Lerchenau - Berthold Sterneck
Faninal - Victor Madin
Marianne Leitmetzerin - Aenne Michalsky
Annina - Bella Paalen
Valzacchi - William Wernigk
Haushofmeister bei Faninal - Richard Tomek


Chor der Wiener Staatsoper
Orchester der Wiener Staatsoper
Hans Knappertsbusch, conductor
Wiener Staatsoper, April 22, 1936


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Richard Strauss: Der Rosenkavalier / Knappertsbusch ( Wien 1955 )




Die Feldmarschallin, Fürstin Werdenberg: Maria Reining
Der Baron Ochs auf Lerchenau: Kurt Böhme
Octavian, genannt Quinquin: Sena Jurinac
Herr von Faninal: Alfred Poell
Sophie, seine Tochter: Hilde Güden
Jungfer Marianne Leitmetzerin: Judith Hellwig
Valzacchi, ein Intrigant: László Szemere
Annina, seine Begleiterin: Hilde Rössel-Majdan
Der Haushofmeister bei der Feldmarschallin: Harald Pröglhöf
Der Haushofmeister bei Faninal: William Wernigk
Ein Notar: Ljubomir Pantscheff
Ein Sänger: Karl Terkal
Polizeikommissär: Adolf Vogel
Drei adelige Waisen: Alberta Kolm, Elfriede Hochstätter, Maria Trupp
Ein Tierhändler: Erich Majkut
Ein Wirt: Fritz Sperlbauer
Eine Modistin: Berta Seidl


Chor und Orchester der Wiener Staatsoper
Hans Knappertsbusch


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル
マリア・ライニング、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、クルト・ベーメ
GOLDEN Melodram。1955年11月16日、ウィーン国立歌劇場再建記念公演シリーズのライヴ。


 第2次大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場は元通りに再建され、1955年11月5日、カール・ベーム指揮の「フィデリオ」で再開した。この再建記念公演では、他にベームが「ドン・ジョヴァンニ」「ヴォツェック」「影のない女」、フリッツ・ライナーが「マイスタージンガー」を振っている。


 このクナの「ばらの騎士」は、上のクライバー盤と主役女性が全く同一である。やはり、このキャストはこの3人に「とどめをさす」ということになっていたのだろう。


 第2幕から聞き始めたら、なんともおっとりしたテンポで、なかなかウキウキしてこない。いざ、ばらの騎士が現れたら、ますますテンポが落ちて、若い2人はそこで目一杯歌っている。が、指揮するクナは決して陶酔していないのである。


 2004年末、以前に入手しそこなっていたRCA盤を入手(写真)。しかし音質は似たり寄ったりである。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


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Richard Strauss: Der Rosenkavalier / Knappertsbusch ( München 1957 )
(Erika Köth & Hans Knappertsbusch • Bayerische Staatsoper, 1957)

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Feldmarschallin: Marianne Schech
Octavian: Hertha Töpper
Sophie: Erika Köth
Faninal: Albrecht Peter
Baron Ochs: Otto Edelmann
Leitmetzerin: Liesl Kadera
Annina: Ina Gerhein
Valzacchi: Paul Kuën
Wirt: Karl Ostertag
Sänger: Lorenz Fehenberger
Haushofmeister: Walter Carnuth
Polizeikommissär: Carl Hoppe


Chor und Orchester der Bayerischen Staatsoper
Hans Knappertsbusch


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Der Rosenkavalier : E.Kleiber / Vienna Philharmonic, Reining, Jurinac, etc (1954 Monaural)



エーリヒ・クライバー/『ばらの騎士』
昔から極めつけと言われる名盤中の名盤


1954年モノラル録音。エーリヒ&カルロスのクライバー親子は、どちらも『ばらの騎士』を大得意としていましたが、当盤は、父エーリヒが残した極めつけと言われる名盤中の名盤。


濃厚で個性的な往年のウィーン・フィル・サウンドと、名歌手たちの味わい豊かな歌唱が聴きものです。


 元帥夫人:マリア・ライニング
 オックス男爵:ルートヴィヒ・ヴェーバー
 オクタヴィアン:セーナ・ユリナッチ
 ファーニナル:アルフレート・ペル
 ゾフィー:ヒルデ・ギューデン
 マリアンネ:ユーディト・ヘルヴィヒ
 アンニーナ:ヒルデ・レッスル=マイダン
 ヴァルツァッキ:ペーター・クライン
 歌手:アントン・デルモータ
 警部:ヴァルター・ベリー
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 エーリヒ・クライバー(指揮)


 録音:1954年5月29日-6月28日、ウィーン(モノラル)


この演奏が貴重なのは、第二次大戦を生き延びたウィーンの古きよき伝統が肌で感じられるからです。クライバー・パパが振った「ばらの騎士」が現存するだけでもたいしたものです。この演奏の特徴は、ドイツ語で綴られた歌詞が聞き取りやすく、歌詞が極めて聴き取りにくく絢爛豪華だけのカラヤンの新盤の対極をいくものであることです。恐らく、クライバー・パパは、カラヤンとは全く異なるオペラ観をしていたのでしょう。


あと1年でSTEREOだったのに残念。でもいまもこれが代表盤。ユリナッチのオクタヴィアンが美しく、ペルとギューデン親子の喧嘩もおかしい。しかしなによりエーリヒが聞かせるのは、これは「歌芝居」だということ。早い言葉のスピード、応酬をそのまま音楽に載せ、芝居をやらせる。こうした「ばらの騎士」はほぼ同じキャストのクナッパーツブッシュ盤、それにカルロスしか他にないのです。カラヤンなどは豪勢な音楽に歌が載っているだけ。


初めての人にはお薦めできないが・・・


この曲を得意にし、素晴らしい演奏を重ねながら、もうスタジオ録音は期待できないカルロス・クライバーの父親の録音(カルロスが2種の映像を発売許可した意義はきわめて大きいと思うが)。


古い録音だけにデメリットはある。まず、モノラルで音が良くない。R.シュトラウスの流麗きわまる音楽を堪能するには、これは非常に残念。あと、ちょうど女性オペラ歌手の歌唱法が変化する時代のものだけに、その歌い方は現代の我々にはやはり古風に感じられる。


しかし、演奏そのものは実にすばらしいものである。加えて、通常の上演ではカットされる部分も含めた「完全録音」である意味も大きい。だが、何よりの魅力は音楽に込められた実に若々しい生命力。息子のカルロスもこの「いのちのいぶき」を継承したことで、大成功を収めたと思う。


その意味では、世評に高いカラヤンの旧盤(新盤は問題外)さえ、凌ぐできと僕は思う。僕のコレクションでも特に大切な1組。ただし、前記欠点があるので、この曲を初めて聞く方にはお薦めできない。録音のいい新しい盤(その意味ではカラヤンの新盤がいいか?)か、カルロスの映像でこの作品の魅力をある程度わかった上でお聞きになると、エーリッヒが単なる「カルロスの父親」ではなく、自身極めて優れた指揮者であったこと、この作品の最高級の理解者であったことがご理解いただけると思う。
https://www.amazon.co.jp/R-シュトラウス-ばらの騎士-クライバー-エーリヒ/dp/B00005HMCB/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8



エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィル
マリア・ライニング、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、ルートヴィヒ・ヴェーバー


DECCA。1954年6月、ムジークフェラインでの録音。


 モノラルだが、本場の人に言わせれば「これしかない!」という名演。
(この国内盤CDが出たとき、吉田秀和氏が「レコ芸」今月の1枚でそう書いていた。)


 E.クライバーの持つ「トスカニーニ的」な面 − 歌うところと、リズミックな推進力が必要なところのコントラスト − がこのオペラには向いている。この特質は息子カルロスにもよりはっきりした形で受け継がれている。クライバー親子と比べると、カラヤンの演奏は「ただ何となく流れていってしまうだけ」のように聞こえてしまうのである。


 2000年10月、DECCA LEGENDSシリーズで、96kHZ, 24bit リマスタリングされた輸入盤を入手した。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm



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『薔薇の騎士』( Der Rosenkavalier)作品59 は、リヒャルト・シュトラウスの作曲したオペラ。


この作品はワーグナーの後期のオペラに比肩する長大な作品規模と大掛かりな管弦楽ゆえにしばしば楽劇と呼ばれるが、これはシュトラウス自身の命名ではない。
出版時のタイトルは


Komödie für Musik in drei Aufzügen:Der Rosenkavalier
(3幕の音楽のための劇『薔薇の騎士の騎士』)


とあるに過ぎない。
台本はフーゴ・フォン・ホーフマンスタールによる(日本語訳は下記を参照)。


シュトラウスは、ホーフマンスタールと既に『エレクトラ』で共作していたが、それは既に上演された舞台戯曲にシュトラウスが曲をつけただけであった。それゆえこの『ばらの騎士』こそがシュトラウスとホーフマンスタールの2人の大家による長年の実り豊かな作品の実質的に最初の共同作業となった。


作曲は1909年初めから1910年にかけて行われた。当初ホーフマンスタールの発案で男装の女性歌手を起用した軽い喜劇的な作品として計画されたが、2人の夥しい数の往復書簡(下記の日本語訳文献に詳しい)を中心とした議論の末、最終的に現在の形としてまとめられた。


タイトルの「ばらの騎士」とは、ウィーンの貴族が婚約の申込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、このように呼ばれる。物語当時の貴族の間で行われている慣習という設定であるが、実際にはホーフマンスタールの創作である(「このオペラでは一見本物に見えるものが実は虚構なのです」とホーフマンスタールは言っている)。


音楽内容的には、「モーツァルト・オペラ」を目指したものである。


物語の舞台はマリア・テレジア治世下のウィーンに置かれ、ロココの香りを漂わせつつ、遊戯と真実を対比させた作品として仕上げられた。
プロットが『フィガロの結婚』と似ているのはこのためである。


物語に即して『サロメ』、や『エレクトラ』(部分的には無調ですらあった)の激しいオーケストレーションや前衛的な和声はすっかり影を潜め、概して親しみやすい平明な作風で書かれている。声楽パートも「吼える二匹のケモノのような」(とホーフマンスタールが揶揄した)ワーグナーのドラマティックなものから、モーツァルト的な、リリックな歌唱スタイルになっている。


このオペラは筋立ては貴族達の恋愛がテーマのコメディ作品でありながら、全3幕からなる非常に大規模で演奏困難なオペラである。


第1幕・第2幕はウィーンの貴族の屋敷内に、第3幕は居酒屋・宿屋に設定されている。
作品の主要な人物4名のうち3名が第1幕で登場し、残る1名が第2幕で登場、第3幕では最後に全員が揃い、物語の完結を迎える。


バレエは当初挿入される予定であったが外され、合唱も大きな役割は持たない。
主要な4人に次ぐ役が 3、4人おり(ただし比重は4人に比べて格段に低い)、ソロ又は重唱で歌う役は名の無い役も含め28人を数える。
そのほかに黙役のオックス男爵の庶子等も必要である。
1幕に登場するテノール歌手はイタリアオペラのパロディを狙った端役ではあるが、曲自体はかなり美しいこともあって特別にスター歌手を呼び舞台に華を添える事もある。


このオペラは長大で難しいため、上演のみならず録音でもしばしば慣習的にカットが行われている。これはシュトラウス自身が認めていたものである。


なお、ほとんどが重唱曲でアリアは一切なく、テノールは第1幕でかなり揶揄的な扱いで登場するのみであるなど、シュトラウスのイタリアオペラ嫌いがかなり反映されている。


また、2人の小悪党がイタリア人として設定され、オクタヴィアンもロフラーノという姓からイタリア系貴族であることが暗示されており、オックスが怒りのあまりイタリア人差別的な言葉をわめき散らした後、2人がオクタヴィアン側に寝返る伏線となっている(基本的には金で転んだのだが)。


これらは、ハプスブルク帝国が中東欧や北イタリアへ支配を広げた結果、イタリアをふくむ非ドイツ系貴族の一部がドイツ風の名乗りでオーストリア宮廷に仕えていた当時の状況を反映している。


なお、シュトラウスのイタリアオペラ批判は、後年、自ら台本にも加わった最後のオペラ『カプリッチョ』で、より徹底的な形で(擁護的な立場も取り入れる一方、揶揄の描写としては遥かに痛烈に)繰り返されることになる。


初演と評価


初演は入念なリハーサルの後 1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で、エルンスト・フォン・シューフの指揮、ゲオルク・トラーとマックス・ラインハルトの演出により上演され、未曾有ともいえる大成功を収めた。すでに作曲家としての地位を確立していたシュトラウスの新作に対する世間の期待は高く、ウィーンからドレスデンまでの観劇客用特別列車が運行されたほどである。引き続き50回におよぶ再演が続けられたほか、ベルリン宮廷歌劇場、プラハ歌劇場、バイエルン宮廷歌劇場、ミラノのスカラ座など主要な歌劇場でも立て続けに上演され、いずれも好評をもって迎えられた[1]。


それまでのシュトラウスの前衛的な作風に好意を示していた批評家や作曲家たちからは、本作は「時代遅れ」で「大衆迎合的」だと批判されたが、聴衆の支持は絶大で、今日ではシュトラウスの代表作と見なされているばかりか、ドイツ圏の主要歌劇場や音楽祭において最も重要なレパートリーの一つに数えられる。


大作であり歌手への要求項目も多いため、水準の高い上演は容易ではないが、各歌劇場がこぞって意欲的に取り組むこともあり、録音や録画でもロングセラーに耐えるような演奏が数多く残されている。ドイツ圏の外でも人気は高く、比較的小規模上演の可能なモーツァルト作品や『こうもり』などに伍して最もよく上演されるドイツオペラのひとつである。


有名な上演としては、第二次世界大戦中の爆撃で破壊されたため、再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演(1955年、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮)や、ウィーン国立歌劇場の来日公演(1994年、カルロス・クライバー指揮)などが挙げられる。


作品の構成


主な登場人物


元帥夫人マリー・テレーズ
声質はリリックソプラノ。
オーストリア陸軍元帥であるヴェルデンベルク侯爵の夫人で、一般には「元帥夫人」またはドイツ語で「マルシャリン」と呼ばれる。シュトラウスの説明では年齢は32歳未満とされる。公務や趣味の狩などでしばしば家を空ける夫とは年齢が離れている。


いとこで青年貴族のオクタヴィアンと愛人関係にある。内省的で、いずれは若い愛人も自分を捨てて去っていくのだという諦念をもっている。台詞からはオクタヴィアン以前にも愛人がいたとの解釈も可能である。


侯爵夫人としての気品をそなえる歌唱および舞台での演技力と、長大なモノローグや愛人との重唱では微妙な心の揺れを表現することが求められる難しい役である。かなり名をなしたベテランが演じることが多く(ゾフィーやオクタヴィアンから転じた例も少なくない)、この役を得ることはドイツオペラ系ソプラノ歌手の夢でもある[6]。


このオペラの実質的な主人公であるにもかかわらず、2幕には登場しない。
出ずっぱりとなる1幕の長丁場を終えると後は 3幕の後半までは全く出番が無い。


オクタヴィアン
元帥夫人の若い愛人で17歳の青年貴族。親しい女性からはカンカンの愛称で呼ばれる。
元帥夫人と愛し合っていたが、ばらの騎士として会ったゾフィーとたちまち恋に落ち、最後には彼女と結ばれる。


物語中では女装して元帥夫人の小間使いマリアンデルを演じる。
ほぼ全編出ずっぱりの大役である。ホーフマンスタールの当初の構想にあった人物と思われ、ソプラノまたはメゾソプラノ歌手が男装して颯爽と演ずる、いわゆるズボン役の代表格。


同じ男装役である『フィガロの結婚』のケルビーノと共通のレパートリーとする歌手も多い。劇中で女装して女中に化けるという設定もケルビーノと共通する。


ちなみにゾフィーが寝床でいつも読み耽っている“Ehrenspiegel Österreich”というタイトルの貴族譜におけるオクタヴィアンのフルネームは“Octavian Maria Ehrenreich Bonaventura Fernand Hyazinth”で、これをゾフィーは暗誦してみせ、オクタヴィアンを驚かせる。


レルヒェナウ男爵オックス
声質はバス。
元帥夫人の従兄。性格は野卑で傲慢で自己中心的で好色漢、おまけにケチである。しかも剣はからきし苦手な臆病者という、一見極めつけの俗物である。
しかしその強烈なキャラクターから、元帥夫人とともに、このオペラの主役と言ってもよい(事実、当初の題は『オックス』であった)。
喜劇的な性格俳優としての演技力とともに卓越した歌唱力(歌の多い2幕の最後で低いホ音を長く伸ばして歌う)をも要求される。
以上のような大役ゆえに、この役は経験豊かなベテランのバス歌手によって歌われる事が多い。そのせいで、オックスを熟年か初老の男と誤解されがちであるが、実はR.シュトラウスによると「オックスは35歳位の田舎者で、女たらしではあるがいつも貴族然としていなければならない(たとえ田舎貴族であろうと)」とある。


ゾフィー
声質は高いリリックソプラノ。
ファニナルの一人娘。修道院を出たばかりで、父親が決めた政略結婚に従い、オックス男爵の婚約者に予定される。
社交界や青年貴族の系譜などを見て彼らの生活を夢見る、夢多き若い娘である。オックス男爵に失望して、ばらの騎士として登場したオクタヴィアンに助けを求める。
初々しい歌唱が要求される。


フォン・ファニナル
声質は高いバリトン。
新たに貴族に叙せられたばかりの富裕な俄成金。妻は以前に亡くしており、子はゾフィー一人である。血縁によって貴族としての立場を強化するために、娘とレルヒェナウ家のオックス男爵との婚約を計画する。


オーケストラ編成
注意書きとして、弦編成は指揮者の判断により(台詞の明瞭性に配慮し)演奏するプルト数を制限させること、とある。
第3幕では舞台裏でワルツなどを奏するバンダとして、フルート2、オーボエ、クラリネット3、ファゴット2、ホルン2、トランペット、小太鼓、ハルモニウム、ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバスを配置する。
弦編成についての注意書きによると、非常に良いソロ奏者5名の良く響く楽器による演奏、または各パート複数奏者で演奏させ、その場合に各2名を避けること、とある。[7]


あらすじ


第1幕
ウィーンにあるヴェルデンベルク侯爵夫人の寝室。


元帥夫人とオクタヴィアンがベッドで昨夜からの愛の余韻に浸っている。若いオクタヴィアンは情熱的に愛を語るが、夫人はふと物思いにとらわれている。黒人少年の召使が朝食を持ってくるので二人で食べ始める。部屋の外が騒がしくなるので、ふたりは元帥が突然帰ってきたのかと狼狽し、オクタヴィアンは物陰に隠れる。しかし、夫人は続きの間から漏れ聞こえる声でそれが侯爵ではなく従兄のオックス男爵であることを知る。オクタヴィアンは小間使いの服を着て現れ、来客のどさくさに紛れて引き上げようとするが、ドアのところでオックスと鉢合わせする。好色なオックスは「彼女」が男性だとは気づかずに興味を示し、来客の用件もそこそこに口説き始める。オクタヴィアンが逃れようとしてもできないため、あきらめた元帥夫人が「彼女」をマリアンデルという娘だとオックスに紹介し同席するよう命ずると、オックスはやっと用件を切り出す。


彼は最近貴族に列せられた富裕な商人ファニナルの一人娘と婚約したので、婚約申し込みの使者として「ばらの騎士」を務めてくれる貴族を紹介して欲しいという。元帥夫人は悪戯心を起こし、オクタヴィアンの絵姿を見せて“従弟”のロフラーノ伯爵ではどうかと尋ねる。オックスは同意するが、オクタヴィアンと目の前のマリアンデルが瓜二つであるのに驚き、曖昧にごまかす夫人の言葉から、ロフラーノ家の庶子だと思いこむ。そこへ侯爵家の執事や面会客がぞくぞく入ってくるので、オクタヴィアンはようやく抜け出すことに成功する。


夫人の調髪師が彼女の髪を整える間、孤児の母親や帽子売りなど、来客が次々に用件を述べる。情報屋のヴァルツァッキとアンニーナがゴシップを売りこみに来るが夫人は取り合わない。しかたなく彼らはオックスに取り入り、男爵はあとで宿屋に来るよう言う。テノール歌手が夫人の前でオペラセリア風の空虚なアリアを歌っている間、オックスは侯爵家の公証人とともに結婚契約書を作り始めるが、欲深い彼は膨大な持参金を受け取る条項を無理やりに入れようとして弁護士を怒鳴りつける。ちょうどそのとき、夫人が「髪型がおばあさんのようだ」というので調髪師が慌てて手直しをしている。心が沈んだ夫人は教会に行く時間だからと皆を下がらせる。オックスはどうにか結婚契約書を作り上げ、元帥夫人に礼を述べると立ち去る。


元帥夫人は物思いにふけり、自分がいずれは年を取らねばならぬ思いを一人語る。彼女はそれが悲しいけれども受け入れなければならない現実であるという諦念を持つが、実感としてはまだあきらめきれない複雑な気持ちである。そこへ自分の服に着替えたオクタヴィアンが颯爽とやってくる。彼は元帥夫人が悲しそうな様子なので元気付けようとするが、心乱れた夫人からいずれ自分が夫人の元を去ることになるだろうといわれて憤慨し、いつまでも自分はあなたとともにあるのだと情熱的に語る。しかし、夫人が考えを改めないので不安になり、彼女を問い詰めるが、彼女は動じない。夫人は午後の再会を約束して彼をさらせる。彼を傷つけたことを悔いた夫人は、部屋を去るオクタヴィアンと別れのキスもしなかったと気づいて召使に呼びにやらせる。しかし、オクタヴィアンはすでに馬で駆け去っていたという報告を聞き、ふたたび一人物思いに沈む。


第2幕
第1幕から数日後、ウィーン市内のファニナル家の客間。


「ばらの騎士」と婚約者オックスが初めて訪ねてくる当日の朝。婚約者となるゾフィー当人ばかりか、父親のファニナルも落ち着かずそわそわとしている。ゾフィーは落ち着くために神に祈っている。ばらの騎士到着より先に婚約者を迎えに行かねばならないファニナルが出発すると、ほどなく外が騒がしくなり、ロフラーノ伯爵の到着を告げる。使者の行列に導かれて純白の衣装に身を包んだオクタヴィアンが登場する。


緊張した彼は銀のばらをゾフィーに手渡し、口上を述べると、ゾフィーもぎこちなく返礼を述べる(銀のばらの献呈の場面)。儀式が終わるとようやく打ち解けたゾフィーはいろいろと語り始める。それを見ていたオクタヴィアンは自分の心に沸き起こった不思議な感情を押さえられない。彼は一目見ただけでゾフィーを恋してしまったことを知る。緊張の解けた二人が語らいを続けていると、そこにオックス男爵が従者とともに登場する。しかしオックスの無作法な振る舞いにゾフィーは驚き、オクタヴィアンも脇で憤慨する。ファニナルがオックスを別室に案内すると他の人も一緒に付き従って去るが、ゾフィーとオクタヴィアンは残る。レルヒェナウ家の従者が酒に酔ってファニナル家の女中たちを追い回す騒ぎが起こり、ファニナル家の家来が皆その場を去る。二人きりになったため、ゾフィーはオクタヴィアンに助けを求め、彼は応じて二人のために守ると宣言するのでゾフィーは感激し、二人は抱き合う。


そこへ第1幕でオックス男爵の手下となったヴァルツァッキとアンニーナが現れ、二人を引き離し大声を出してオックス男爵を呼ぶ。オックスが登場すると、彼と口をきくのも嫌なゾフィーに代わってオクタヴィアンがゾフィーの気持ちを伝えようとするが、オックスは彼を小馬鹿にして取り合わない。ついにゾフィーがオックスとは結婚しないと宣言するが、オックスは無視して彼女を連れだそうとするので、オクタヴィアンは剣に手を掛ける。オックスは家来を呼ぶが、オクタヴィアンが剣を抜くので彼らはだらしなく引き下がる。ついにオックスも剣を抜いて応戦するが、あっさり肘を突かれて悲鳴を上げる。オクタヴィアンを遠巻きにして言葉だけは威勢の良いレルヒェナウ家の召使が騒いでいるところにファニナルが登場し、起こったことに仰天する。医者がオックスの治療にとりかかる。オクタヴィアンが騒ぎを詫びて退場し、ゾフィーは父親に男爵との結婚を取りやめるよう懇願するがファニナルは聞き入れず彼女を叱責する。彼はゾフィーを去らせると、手当ての終わったオックスに詫びて酒を振舞う。


落ち着きを取り戻した男爵は酔った勢いで鼻歌交じりである。そこにアンニーナが登場し、オックス宛ての手紙を持ってくる。男爵がそれを読ませると、それはマリアンデルから会いたいという手紙である。当然オクタヴィアンの計略だが、そうとは知らない男爵はすっかり有頂天になりワルツに乗せて歌う。謝礼を求めるアンニーナを無視するので失望した彼女は怒ってその場を去る。そんなことは全く気にせず一人「私がいなけりゃ毎日さびしい。私がいれば夜も短い」と歌いつつオックス男爵が退場するところで幕が降りる。


第3幕
第2幕と同日夕刻のウィーンの居酒屋の部屋。


幕が上がると怪しげな居酒屋の一室で食事の準備が行われている。オックスを計略にかけるべく店員に準備をさせているのはケチなオックスに見切りをつけてオクタヴィアン側に寝返ったヴァルツァッキとアンニーナである。食事の支度だけではなく、オックスを驚かせる仕掛けが準備されている。やがて、マリアンデルに扮したオクタヴィアンが登場する。手はずが整ったことに満足して二人に財布を渡し、その場を去る(この間、オーケストラ演奏だけによるパントマイムで進行する)。


ほどなくオックス男爵とマリアンデルが登場する。オックスは店主たちを去らせ、マリアンデルを口説き始めるが、彼女は純朴な田舎娘の芝居をしつつはぐらかす。やがて、先ほどの仕掛けが働き始め、オックスは驚き混乱、マリアンデルも驚いて見せる。そこへアンニーナが登場してオックスを自分の夫だと告げ大勢の子供が「パパ、パパ」と叫んでオックスにまとわり付くので、オックスは怒って大声で通りの警察官を呼ぶ。警察官の質問に対しオックスは自分の身分を告げ、マリアンデルをファニナルの娘で自分の婚約者だと紹介する。そこへオクタヴィアンがオックスの名で呼んだファニナルが登場する。彼は警察官にマリアンデルのことを問われ、驚愕して自分の娘であることを否認する。騒ぎを聞きつけて集まった野次馬が「これはスキャンダルだ!」と大騒ぎしているところに、突如元帥夫人が到着する。


彼女がやってくることはオクタヴィアンの計画にはなかったので当惑するオクタヴィアン。さらにゾフィーまでもそこに現れ、状況をみて驚きあきれる。彼女は気分が悪くなった父親を連れて別室に去る。元帥夫人がオックスの身分を保証するので警官は去る。ゾフィーが戻って来て、現れた父の言葉として二度と自分の前に現れないようオックスに告げるのでオックスは憤慨する。元帥夫人はオクタヴィアンに扮装を解いて出てくるようにいう。オックスは驚き、ここでようやくオクタヴィアンとマリアンデルが同一人物であることを悟る。同時に、先日の朝マリアンデル、すなわちオクタヴィアンが元帥夫人の寝室にいた事情も察する。ゾフィーも三人のやりとりでオクタヴィアンと元帥夫人の関係に気付いて呆然とする。元帥夫人はオックスに「すべては終わった」と告げ、退場を命ずる。初めは納得せず渋ったオックスも負けを認め、その場を去ろうとする。そこへ宿屋の主人が勘定書きをつきつけ、アンニーナにつれられた子供たちが再び登場してオックスを追いかけるので、彼は従者をつれてそこを逃げ出す。宿屋の主人やアンニーナたちが彼を追いかけて全員去り、舞台には元帥夫人とオクタヴィアン、それにゾフィーの三人だけが残る。


元帥夫人は先日予期したときが思いのほか早くやってきたことを悲しみつつ、若い二人を祝福する気持ちでオクタヴィアンをゾフィーの元に行かせる。自分の気持ちにまだ戸惑いながらも、元帥夫人に感謝してオクタヴィアンがゾフィーに近づき、当惑する彼女に思いを告げる。ゾフィーがまだ事態を受け入れかねているので、元帥夫人は彼女にやさしくオクタヴィアンとともに家に帰るよう諭す。最初はぎこちなく拒否していたゾフィーも、オクタヴィアンの求愛を受け入れる。複雑な心境を三人それぞれが歌う(終幕の三重唱)。元帥夫人はそっと去る。それには気付かず二人が抱き合って夢ではないかと語り合う。元帥夫人がファニナルを伴って再登場し、ファニナルは納得して夫人とともに去る。幸福感に満たされた若い二人は今ひとたび短い二重唱を歌って退場する。二人が去ったあと軽妙な音楽に乗って、元帥夫人の黒人小姓が現れ、ゾフィーの落としたハンカチを見つけて駆け去ると幕が下りる。


楽曲解説
「モーツァルト風のオペラ」を目指したこともあり、概ね3管編成のオーケストラは随所でシュトラウスならではの官能的・色彩的な部分もあるものの、比較的軽妙で透明な音色を主体としている。その意味ではモーツァルトのオペラ・ブッファを意識したかのようなつくりである。


物語の舞台となったウィーン名物のウィンナ・ワルツがあちこちに登場しているのは、作品の時代とは合わないとして一部の批評家からの指摘を受けたが、聴衆からは好評であった。オックス男爵のワルツはしばしば独立して演奏されることがある。


序奏
第1幕の幕が開く前に演奏される。元帥夫人とオクタヴィアンが過ごした一夜を描くとされる短い導入曲で、オクタヴィアンを表す若々しく情熱的な動機や、それに応えて元帥夫人を表す柔和な音楽が奏されるうちに幕が開く。


元帥夫人のモノローグ
第1幕で独りになった元帥夫人の独白である。夫人は、修道院を出てきたばかりの若い自分はどこへいったのかと問い、また避けられない老いの予感に心を痛めるが、時の移ろいは誰にも避けられないものであることを悟り、いつかはオクタヴィアンが去ることを予言する。元帥夫人を演ずる歌手の重要な聴かせどころのひとつで、リサイタルで独立して演奏されることもある。


銀のばらの贈呈の場面と二重唱
第2幕でオクタヴィアンがゾフィーに婚約のしるしであるペルシャ産の香油をたらした銀の薔薇の造花を渡す場面の音楽である。ハープやチェレスタに彩られて弱音器つきの弦楽器が木管が奏でる優美で、繊細な色彩感をもった音楽に乗って婚約申込みの口上が述べられる。そのあとには打ち解けた二人の二重唱が続くが、結婚の喜びを歌い上げるゾフィーと、彼女に惹かれて恋心を抱き始めたオクタヴィアンがそれぞれ歌う音楽には微妙なずれがある。


オックス男爵のワルツ
第2幕後半で、オクタヴィアンに腕を傷つけられたオックス男爵が、ファニナルの薦める酒を飲んで機嫌を直して歌う場面の音楽。通称『ばらの騎士のワルツ』で知られるが、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『ディナミーデン』をもとにした作品である。なお、シュトラウスはこの『ばらの騎士のワルツ』について「あのウィーンの陽気な天才(ヨハン・シュトラウス2世)を思い浮かべずして作曲するなど、ありえただろうか?」と語っている。


パントマイム
第3幕冒頭で、マリアンデル名義でオックス男爵をおびき出し、一杯食わせようというオクタヴィアンの作戦を実行するため、宿屋で準備を行う場面で奏される。歌唱・台詞無しのパントマイムで進行する。軽快・快活な曲想である。


三重唱
『ばらの騎士の三重唱』として知られる名場面。
それぞれが自分の想いを独白で歌う三重唱である。オクタヴィアンは一目惚れしたゾフィーに夢中だが、先日まで愛し合っていた元帥夫人にも未練があり、ひどく混乱している。ゾフィーはオックスに裏切られ、自分を救ってくれると信じたオクタヴィアンが各上の元帥夫人と愛人関係にあることを知って傷ついている。


オクタヴィアンをつなぎとめることも出来たはずの元帥夫人であるが、潔く若い二人を祝福し、身を引く決意をする。ホーフマンスタールはシュトラウスに手紙を送り、この場面で元帥夫人がゾフィーに見劣りするような音楽を書いてはならないと注意を呼びかけている。若いオクタヴィアンの気持ちとしてはゾフィーに夢中であることを表しつつ、彼女よりも魅力的な元帥夫人が敢えて身を引くことを音楽でも示すように、との趣旨である。


今日、この場面はゾフィー役ではなく、元帥夫人役の歌手にとっての聴かせどころの一つと見なされていることから、シュトラウスは台本作者の要求に見事に応えたのだと考えてよい。シュトラウスにとっても愛着のある曲であり、遺言により彼の葬儀で演奏された(指揮はゲオルク・ショルティ)。


ワルツ第1番、ワルツ第2番、組曲ほか
便宜上「ワルツ第1番」と称されているもの(TrV227c)は、1944年にシュトラウスが第1幕と第2幕の素材から編纂したワルツである。


同じく「ワルツ第2番」と称されている第3幕の素材を編纂したもの(TrV227a)は、それより10年前の1934年に成立したと言われている(編曲者の名は伝わっていない)。


「組曲」は、全曲から選んだ場面を再構成して1945年に出版されたもの(TrV227d)、初演直後にナンブアト("Nambuat"。この名はペンネームであり、実際はタウブマン(Otto Taubmann)編と伝えられている)が編纂したものなどがある。指揮者のアルトゥール・ロジンスキ編と伝えられ(シュトラウスの関与の程度など、成立事情は定かでない)、現在広く演奏される1945年の「組曲」[8]は実際には音楽の切れ目がなく、いわば全曲を交響詩に編み直したような構成となっている。


その他、1926年にサイレント映画の伴奏音楽用にシュトラウス自身が編曲した映画音楽「ばらの騎士」(TrV227b)もある(自作自演の音盤あり)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html

[番外地7] 中川隆投稿集 新稿 中川隆
4. 中川隆[-14105] koaQ7Jey 2020年2月02日 01:00:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-787]
リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/335.html#c4
[番外地7] 昭和天皇は天皇の血筋ではない 中川隆
1. 中川隆[-14104] koaQ7Jey 2020年2月02日 08:47:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-786]
天皇一族に敬意を払う必要が無い理由 昭和天皇は天皇の血筋ではないから

大正天皇は4人の男子を生んだが本当は「種なし」であったために,東久邇宮稔彦のような〔皇族の立場にある女性になぞらえていえば「〈天皇の配偶者:皇后〉を出せる資格がある」とされた皇族の立場にあった〕男性が主に,万世一系の維持のために性的に協力したという話になる。

 明治以降の天皇家の種が断絶していてはまずい。それゆえ,皇室の藩屏たるそれも「皇族のなからその種」を提供し,万世一系の系譜を創作しつづけてきたわけである。
明治天皇自身が何人もの側室(典侍および権典侍といったが,要するに正妻以外の2号以下の妾)をもち,5人の側室に女10人:男5人を産ませた。だが,男子のうち成人したのは大正天皇だけであった。

この大正天皇が〈種なし〉であったために,明治天皇があえて裕仁天皇の種つけをした話もある。

 大正天皇は実際には正妻:貞明〔皇后〕とのあいだで子どもができていなかった。そこで,貞明に子どもを産ませて天皇「後継者:男子」をえようと,東久邇宮稔彦などが代わりにその「人間再生産」の製作作業 [大正天皇も嫌々ながら認めていた自分の配偶者の他者との性交渉] に参与したという筋書なのである。
貞明は,最初に押しつけられた男〔明治天皇(舅!)か?〕を嫌がっていた。それで,裕仁に拒否反応をもっていた(この段落,鬼塚,前掲書,408頁, [ ] 内のみ 422頁)。
 それにしても,裕仁と秩父宮・高松宮・三笠宮の全員が顔つきが違う。
秩父宮の父〔東久邇宮稔彦?〕が貞明の心を射止めていたので,貞明は秩父宮を溺愛した。貞明はそのせいで,裕仁を皇位継承から外し,秩父宮を天皇の座に送りたかった。これを画策したのが山県有朋であった。これはさらにまた,昭和天皇の妃が薩摩藩の血を引く良子に決定されたさい〈色盲〉問題が提起されたひとつの背景である。

昭和天皇の出生の疑惑

大正天皇の第1皇子の昭和天皇の出生に関する疑惑がいろいろ出てきている。
とりあえず、今まで出てきた疑惑を整理してみると。

まず、笠原和夫の本「昭和の劇」。
この中で、昭和天皇の皇女・照宮成子内親王の舅で、香淳皇后の叔父に当たる東久邇稔彦が、

「大正天皇は子種がなく、代わりに貞明皇后に何人かの男を当てて産ませていった。だから、昭和天皇の兄弟は皆、顔が違う」

と語っていたことを河野司から聞いたと笠原は語っている。
笠原がこの説にかなり確信を持っていたとうかがわせる発言がある。

次に、鬼塚英昭の本「昭和のいちばん醜い日」。
この本には、「昭和の劇」の東久邇稔彦の発言が引用しつつ、「木戸幸一日記」の島津治子の調書から昭和天皇の父親は西園寺八郎だとしている。

また別の歴史家の本には、明治天皇が昭和天皇の父親だとする説もある。


原武史は、大正天皇に万が一のことがあった場合、有栖川宮威仁親王が次の皇位継承者であったと語っている。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/438.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
93. 中川隆[-14103] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:22:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-785]
9名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:54:29.81ID:OJ3PStc1


Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter

Johannes Brahms (1833-1897)

Immer leiser wird mein Schlummer, op.105 n°2 (47:41)

Der Tod, das ist die kühle Nacht, op.96 n°1 (51:45)

Botschaft, op.47 n°1 (55:12)

Von ewiger Liebe, op.43 n°1 (57:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


https://www.youtube.com/watch?v=LFKRTQJyTKg&feature=emb_title

10名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:57:46.28ID:OJ3PStc1

Mischa Maisky · Pavel Gililov

Brahms: Songs without words - Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh op.121 No.1
https://www.youtube.com/watch?v=0XldMyyTs-U&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - Ich wandte mich und sahe an op. 121 No. 2
https://www.youtube.com/watch?v=Y8zv0sp9Reg&feature=emb_title

Brahms: Songs without words - O Tod, wie bitter bist du op. 121 No. 3
https://www.youtube.com/watch?v=AaBEERFx_4E&feature=emb_title

11名無しの笛の踊り2020/02/02(日) 08:59:54.47ID:OJ3PStc1

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=dro8ijKzpuo&feature=emb_title


Dietrich Fischer-Dieskau; "Vier ernste Gesänge"; (1973); Johannes Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=9IbycKYgiD8&feature=emb_title


Brahms - Vier ernste Gesänge - Hotter / Moore
Hans Hotter Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0&feature=emb_title
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c93

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
565. 中川隆[-14102] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-784]
2020年02月02日
ダム拒否した集落は消滅、受け入れた集落は存続


ダム候補地になる集落は、ダムができなくとも住民が逃げ出して消滅します

画像引用:https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2018/7/26/1532558148_1532558119_1____20180527-DJI_0022-2-x828-y552.jpg

ダム拒否した集落から消滅した

今から10年前くらいまでダム建設反対を唱える「反ダム運動」や大型モール反対を唱える「反大型店」が大ブームでした。

現在は反原発や反米軍基地がブームですが、過去のブームを知れば将来が予測できるかも知れません。

反ダム運動とはダム建設を推進しようとした政府に、故郷の村が消えるとして各地で反対運動が起きました。


ダム建設にはきっかけがあり、1959年伊勢湾台風は死者5千名以上、浸水や流された家屋は数数万戸に達した。

東日本大震災の死者は約1万5,700人だったが、連続台風によって巨大地震並みの被害が出た。

1950年代から60年代は大型台風の被害が多発し、1961年の第2室戸台風でも200名以上の死者を出しました。


台風は地震より局地的な被害は少ないが、日本列島を縦断するので沖縄から東北、北海道まで被害が及んだ。

被害が拡大したのは戦争とGHQ統治で災害防止工事が止まっていたからで、ダムなどの建設工事をする機運が高まった。

こうしたタイミングで登場したのが「土建屋宰相」の田中角栄で、並外れた才能を示し1972年総理大臣になった。


田中は総理になる前と総理を辞任後も強い影響力があったので、60年代後半から87年の中曽根内閣までが実際の田中時代だった。

田中角栄は日本列島改造を唱えて大規模公共事業を行い、その一つがダム建設でした。

上越・東北・九州・北陸新幹線や地方の高速道路は全て田中角栄が指示して建設したもので、田中が居なかったらこれらは無かった。


ダムを受け入れた集落には膨大な投資が行われ、電力や水資源保護、防災、観光などの職場が産まれた

画像引用:https://www.shiibakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/1265589203-640x333.jpg


ダム受け入れた集落は存続

時代は替わり90年代になると「公共事業悪玉論」が台頭し、日本が悪いのはすべて公共事業のせいだという空気になった。

空気に正体はないが、マスコミや学者がみんなそう言うので日本ではあらゆる公共事業が批判され工事停止した。

高速道路も新幹線も原発も港湾も空港も新規建設は行わなくなり、当然の結果として日本経済は衰退した。


日本中のダム建設も中止されたが、最近また地球温暖化で大型台風が増え、やっぱりダムは必要だという空気になっている。

おかしなものであれほど「ダム反対」を唱えていた人たちが、台風で被害が出たら「なぜダムを造らなかったのか」と批判した。

政治家が「空気」つまり雰囲気に流されて政治をしたら、必要なダムや公共事業が行われなくなり、日本経済を破壊してしまいました。


さてダム建設候補地だった自治体は、ダムを建設した村と拒否した村に分かれたのだが、結果はどうなったのでしょうか。

ダムで村が沈むとして建設拒否した村は例外なく限界集落になり、今後すべて消滅集落になります。

ダムの底になるような山奥の谷底に好んで住む人はいないので、ダムが無くても人口は減り村は消滅しました。


一方ダムを受け入れた村では確かに集落はダム底に消えたが、住民は補償金を受け取り平野部に移住したり、周辺のもっとマシな場所に移住しました。

ダム建設の資金が小さな村に数十億円も投入され、バブル景気に湧き様々な施設や道路が建設された。

そうしたダムの多くは秘境となり、釣り人や観光客が訪れる場所になっています。


人口百人程度の集落では、一日数人が宿泊する民宿であっても経済効果が大きく、ダム周辺には小集落が残る。

結局ダムを拒否した村の方が消滅し、ダムを受け入れた村のほうが、細々ながら存続している。

この理由は単純に「お金」で、ダムによってダムや観光などの職場ができ、職場があれば人々は定住します。


一方ダムを拒否した集落には収入源が無く、職場がないので住人はいずれ去っていきます。

郷土愛だけでは故郷は守れなかったという事です。
http://www.thutmosev.com/archives/82090443.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c565

[近代史3] 人類進化史 中川隆
36. 中川隆[-14101] koaQ7Jey 2020年2月02日 09:52:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-783]
2020年02月02日
現代アフリカ人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_6.html



 現代アフリカ人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響に関する研究(Chen et al., 2020)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類(Homo sapiens)は絶滅した他のホモ属(古代型ホモ属)と交雑してきました(関連記事)。具体的には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)です。すべての非アフリカ系現代人のゲノムには、約2%のネアンデルタール人由来の領域があり、その中でもオセアニア系には、デニソワ人由来の領域が追加で2〜4%存在します(関連記事)。

 しかし、古代型ホモ属のゲノムの中には現代人に継承されていない大きな領域も確認されており、選択が生じた可能性も指摘されています(関連記事)。一方で、古代型ホモ属由来の配列が有益だった可能性も指摘されています(関連記事)。ただ、古代型ホモ属から現生人類への遺伝子流動における、機能的影響や選択については、まだ研究が始まったばかりである、と本論文は指摘します。また、非アフリカ系現代人のゲノムにおける古代型ホモ属由来の領域の割合について、アジア東部系がヨーロッパ系よりも20%ほど高いことなど(関連記事)、地域差が見られることも指摘されてきました。これに関しては、ヨーロッパ系現代人の祖先集団が、まだ化石の確認されていない仮定的な存在(ゴースト集団)で、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていなかったと推測される「基底部ユーラシア人」と交雑したからだ、との仮説(希釈仮説)や、選択の違いを想定する説や、ボトルネック(瓶首効果)説や、複数回交雑説など、さまざまな仮説が提示されており、まだ確定していません(関連記事)。

 こうした現生人類と古代型ホモ属との間の遺伝子流動について、近年では研究が飛躍的に発展してきました。それは研究手法改善の結果でもあり、古代型ホモ属の参照ゲノムを利用せずとも、現代人のゲノム配列の比較により古代型ホモ属との交雑の痕跡と思われる領域を検出する方法では、以前には検出できなかったデニソワ人と現生人類との複数回の交雑が明らかになりました(関連記事)。本論文は、古代型ホモ属と交雑していない参照現代人ゲノム配列を必要とせず、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統を検出する新たな手法であるIBDmixを用いて、現生人類とネアンデルタール人の交雑を検証します。本論文はIBDmixを、ユーラシア・アメリカ・アフリカの現代人の大規模ゲノムデータセットに適用し、現代アフリカ人におけるネアンデルタール人系統に関する新たな知見を提示し、ユーラシア人におけるネアンデルタール人系統の相対的な水準を再検証するとともに、適応的な遺伝子移入の事例を調査します。

 これまで、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域の識別には、一般的にヨルバ(YRI)などネアンデルタール人と混合していないとされる現代人のゲノムを参照配列として利用し、共有配列を特定したうえで決定します。しかし、参照配列にネアンデルタール人配列が含まれていると、対象となる現代人のネアンデルタール人配列を見落とす場合があります。本論文が用いる新たな手法であるIBDmixの名称は、遺伝的原理である「同祖対立遺伝子(identity by descent)」に由来します。IBDmixでは、現代人の参照配列は利用されません。同祖対立遺伝子(IBD)とは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示します。IBD領域の長さは、2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。

 本論文は、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人配列に関して、5万年前頃の両者の交雑に起因する配列と、50万年前頃かそれ以前に共通祖先を有していたことに起因する配列とを区別するために、IBDmixを用いました。以前の手法は、ネアンデルタール人と交雑していないとされる現代人のゲノムを参照配列として、現生人類のゲノムにおける、共通祖先に由来しないネアンデルタール人由来の領域を特定しました。しかし本論文は、この方法では、どの集団の個体のゲノムを参照配列として用いるかにより、ネアンデルタール人由来の領域の推定に相違が生じる可能性を指摘します。IBDmixでは、変異頻度やIBD領域の長さのようなネアンデルタール人の配列の特徴を用いて、共通配列が最近の交雑なのか、それとも共通祖先に起因するのか、区別します。

 IBDmixの使用により、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の領域をより正確に検出できるようになりました。ただ、以前の研究では、現代人に遺伝的影響を残しているネアンデルタール人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された女性個体(関連記事)の集団(東方系ネアンデルタール人)とは遺伝的にやや異なる集団(西方系ネアンデルタール人)と推測されています(関連記事)。そのため本論文は、参照古代型ゲノム(本論文では南シベリアのネアンデルタール人)が遺伝子移入をもたらした古代型ゲノム(西方系ネアンデルタール人)と離れた関係にある場合、IBDmixがどのように機能するのか、検証しました。その結果、短い配列でわずかな低下が観察されましたが、全体的なパフォーマンスは一貫していました。本論文は、IBDmixが古代型ホモ属からの遺伝子移入を検出する強力な手法であることを指摘します。

 本論文は、1000ゲノム計画に登録された地理的に多様な現代人集団からの2504人のゲノムにIBDmixを適用し、南シベリアのネアンデルタール人個体の参照ゲノムを利用して、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の配列を特定しました。2504人の現代人のゲノムでは、重複分を除くと、合計でネアンデルタール人由来の12億9千万塩基対が特定されました。上述のように、IBDmixは現代人の参照配列にネアンデルタール人と交雑していないと推定されるアフリカ集団を利用しなかったため、現代アフリカ人集団におけるネアンデルタール人由来の領域を初めて堅牢に特定できました。

 アフリカ人では、ナイジェリアのエサン(ESN)集団の1640万塩基対(16.4 Mb)からケニアのルヒヤ(Luhya)集団の1800万塩基対まで、平均して1700万塩基対のネアンデルタール人配列が特定されました。これは、以前の推定である26000〜500000塩基対よりもはるかに多くなります。また、アフリカ人のゲノムのネアンデルタール人配列のうち94%以上は、非アフリカ人と共有されていました。非アフリカ系現代人のゲノムに見られるネアンデルタール人配列の平均は、ヨーロッパ系が5100万塩基対、アジア東部および南部系がともに5500万塩基対で、以前の推定である20%よりもずっと低く、8%ほどの違いしかありませんでした。なお、アメリカ合衆国やカリブ海のアフリカ系のゲノムに見られるネアンデルタール人配列は、非アフリカ系との交雑を反映してかアフリカ人よりは多いものの、アジア系よりはずっと少なくなっています(2270万〜2750万塩基対)。

 アフリカ人に見られる、以前の推定よりもずっと多いネアンデルタール人配列の起源について本論文は、ネアンデルタール人と交雑した出アフリカ現生人類集団の一部がアフリカに「戻って」きたことに加えて、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類がネアンデルタール人と交雑したことを想定すると最も整合的である、と見出しました。また、アフリカに戻って来た現生人類は、大きく分けると、アジア東部系と分岐した後のヨーロッパ系(ユーラシア西部系と言う方がより正確かもしれませんが)であることも明らかになりました。

 上述のように、本論文が示す現代人のネアンデルタール人配列の割合は、以前にも推定されていたようにヨーロッパ系よりもアジア東部系の方が高いものの、その違いは以前の推定である20%増よりもずっと低い8%増である、と明らかになりました。これは、以前の手法では、ネアンデルタール人と交雑していないという前提の現代アフリカ人のゲノムを参照配列として用いていたことに起因する、と本論文は指摘します。IBDmixでアフリカ人に見られるネアンデルタール人配列を除去して計算すると、ネアンデルタール人配列はヨーロッパ系よりもアジア東部系が18%ほど増加します。これは、ヨーロッパ系(ユーラシア西部系)現生人類がアフリカに「戻って」きたことにより、アフリカ人のみと共有されるネアンデルタール人配列が、アジア東部系よりもヨーロッパ系(ユーラシア西部系)の方でずっと多いためです(前者が2%なのに対して後者が7.2%)。以前の推定ではこの効果が無視されていた、というわけです。

 本論文は、現代人に見られる高頻度のネアンデルタール人由来のハプロタイプについても検証しています。これらは現生人類の適応度を高めたかもしれないため、以前から注目されていました。本論文は固有の高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプを、非アフリカ系現代人で38、アフリカ人で13特定し、以前に特定されている高頻度ハプロタイプと比較しました。非アフリカ系現代人の38ハプロタイプのうち19は、以前の研究で報告されていました。また、アフリカ人とヨーロッパ人が共有する高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプも特定されました。これはIBDmixの威力を示しています。アフリカ人固有となる13の高頻度ネアンデルタール人ハプロタイプには、免疫機能に関連する遺伝子(IL22RA1およびIFNLR1など)や紫外線感受性関連遺伝子(DDB1およびIL22RA1など)があります。これらのうちいくつかは、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動でもたらされたかもしれませんが、アフリカ人とヨーロッパ人で共有される高頻度のネアンデルタール人ハプロタイプのうちの一つ(3番染色体に位置します)のみが、現生人類から南シベリアのネアンデルタール人への遺伝子移入(関連記事)の結果として特定された遺伝子座と重なっており、その他は重なっていません。こうした高頻度のネアンデルタール人ハプロタイプは、アフリカ人の進化史における選択の考察に有益です。

 上述のように、古代型ホモ属のゲノムの中には現代人に殆どあるいは全く継承されていない大きな領域(不毛領域)も確認されており、選択が生じた可能性も指摘されています。その結果、ネアンデルタール人に関しては、以前に報告されていた6ヶ所の不毛領域のうち、7番染色体の発話能力に関連するFOXP2と、3番染色体の脳細胞の突起抑制に関連するROBO1およびROBO2を含む4ヶ所で改めて確認されました。これは、デニソワ人の不毛領域とも一致します。古代型ホモ属の不毛領域の頻度はアフリカ人全体の標本を含めても含めずとも大きく変わらず、アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人配列がおもに非アフリカ系現生人類からの遺伝子移入に起因する、という推測と一致します。

 本論文は、現生人類と古代型ホモ属との交雑の検出にIBDmixがきわめて有効であることを示しました。しかし本論文は、IBDmixは古代型人類の参照ゲノム配列を必要とするため、未知もしくは配列されていない人類系統から現生人類へと遺伝子移入された配列の検出には適していない、と注意を喚起しています。また本論文は、IBDmixにおいて、ゲノムおよび集団間の遺伝的組換え率の不均一性による影響があることも指摘しています。そのため、標本サイズが限定され、アレル(対立遺伝子)頻度と遺伝的組換え率の推定が不正確である個体のゲノムへの適用は困難です。IBDmixはゲノム解析におけるこれまでの手法の上位互換ではなく、相互補完的手法になる、というわけです。

 本論文は上述のように、アフリカ人のゲノムに見られるネアンデルタール人由来の領域の割合が、以前の推定よりもずっと高いことを明らかにしました。とはいえ、その割合は非アフリカ系現代人の約1/3と低くなっています。しかし、じゅうらいの推定よりもずっと高いこの割合は、アフリカの人類集団が静的ではなく動的で、現生人類の出アフリカ後も同様だったことを示します。それは、最近のアフリカ西部の古代DNA研究でも改めて示されました(関連記事)。

 出アフリカ現生人類集団の一部がアフリカへと「戻り」、アフリカ集団に遺伝的影響を与えたことは、以前から指摘されていました。古代DNA研究では、現代アフリカ東部集団の遺伝子プールの25%ほどはユーラシア西部集団に由来し、アフリカ西部・中央部・南部の現代人集団にも、この「逆流」の遺伝的影響は及んでいる、とすでに2015年の研究で推測されていました(関連記事)。2017年の古代DNA研究では、現代人では早期に分岐した集団とされるコイサンも、アフリカ東部やユーラシアの集団から9〜30%の遺伝的影響を受けている、と推定されています(関連記事)。また現代人のゲノムデータに基づく2015年の研究では、アフリカ西部のヨルバ(Yoruba)人集団と、古代ユーラシア人集団との10500〜7500年前頃の交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。

 本論文は、アフリカ全土の集団において、多様な水準でゲノムにネアンデルタール人由来の領域が見られても不思議ではない、と指摘します。私も、漠然とした想定よりも高かったものの、とくに不思議な結果ではない、と思います。「純粋なサピエンスはアフリカ人のみ」といった認識もネットで見られますが、それには大きな問題があります(関連記事)。また近年では、現生人類の形成過程がたいへん複雑であることを指摘した見解も提示されており(関連記事)、そもそも「純粋な種」という概念自体に問題があるのでしょう。

 また上述のように、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカの前に、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類からネアンデルタール人への遺伝子流動の可能性が指摘されています。この年代に関しては、10万年前頃から25万年前頃まで、議論が続いていますが、本論文は15万〜10万年前頃と推定しています。ただ本論文は、追加のデータが必要とも指摘しています。ネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属と現生人類との交雑は、たいへん複雑だった可能性が高そうです。

 アフリカ人のゲノムにおける以前の推定よりもずっと高いネアンデルタール人配列の割合を明らかにしたことと共に、本論文の知見で重要なのは、上述のように、ヨーロッパ系とアジア東部系の間でゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合の違いが以前の推定よりもずっと小さい、と示したことです。以前はこの違いについて、上述の希釈仮説も提示されていました(関連記事)。希釈仮説に対しては、ヨーロッパ系とアジア東部系の間の、ゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合の違いを説明できるほどではない、との批判もありますが、本論文によりその違いは以前の推定よりもずっと小さい、と見直されたので、希釈仮説がより説得的になった、とも言えるかもしれません。ただ本論文は、現生人類の特定の集団とネアンデルタール人との追加の交雑が起きた可能性を排除するわけではない、と注意を喚起しています。


参考文献:
Chen L. et al.(2020): Identifying and Interpreting Apparent Neanderthal Ancestry in African Individuals. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.01.012


https://sicambre.at.webry.info/202002/article_6.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c36

[番外地7] 自衛隊の中東派遣
自衛隊の中東派遣

トンデモ話だね
自衛隊を中東派遣するより、日本のタンカーが攻撃されたら被害額を日本政府が保証すればいいんだよ
そっちの方が安くつくし、中東諸国との関係も悪化しない
日本は中東諸国の一番大切な顧客だし、親日国家ばかりだからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/454.html

[番外地7] 自衛隊の中東派遣 中川隆
1. 中川隆[-14100] koaQ7Jey 2020年2月02日 11:30:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-782]
自衛隊の中東派遣はアホ右翼のトンデモ話だね
自衛隊を中東派遣するより、日本のタンカーが攻撃されたら被害額を日本政府が保証すればいいんだよ。 そっちの方が安くつくし、中東諸国との関係も悪化しない
日本は中東諸国の一番大切な顧客だし、親日国家ばかりだからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/454.html#c1
[番外地7] 憲法九条を変える必要なんかない

憲法九条を変える必要なんかないよ
米軍さえ日本から追い出せば戦争なんか起きる訳ないんだよ
と言うより、台風や地震による停電くらいで大騒ぎになる日本で戦争なんかできる訳ないだろ

国を守りたかったら中国人移民さえ入れなければいいんだよ

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/455.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
259. 中川隆[-14099] koaQ7Jey 2020年2月02日 12:06:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-781]
平野憲一の株のお話 2020.02.02 昨日の個人投資家IRセミナー。
http://kasset.blog.fc2.com/


日本株の割安根拠。

@IMF2020年成長見通しで、世界と米国は0.1ポイント下方修正されていたが、日本は0.2ポイント上方修正。

Aマネタリーベース(量的緩和の水準)は日本より4倍のGDPを誇る米国が385兆円(ドル110円換算)に対し、日本は518兆円。

Bクイック企業価値研究所の2019年度業績見通しは全産業(金融を除く)純利益は12.1%の減益だが、2020年度は11.1%の増益。

C1990年の国内法人の支払い配当金は4兆5000億円だったが、2019年は26兆円。2018年度の企業の内部留保総額は463兆円。

D日本株のPBRは1.22倍だが、米独仏英はそれぞれ 2.61、1.54、1.79、1.47倍。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c259

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった
天皇一族はソウル出身の chousenn人だった

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。
これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、chousenn式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。
それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。
終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、
それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。
日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。
日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、

天皇のルーツはchousenn hantou の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、 それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html

[番外地7] 防衛費はゼロでいい
防衛費はゼロでいいよ、憲法九条を変える必要もない
米軍さえ日本から追い出せば戦争なんか起きる訳ないんだよ
と言うより、台風や地震による停電くらいで大騒ぎになる日本で戦争なんかできる訳ないだろ

国を守りたかったら中国人移民さえ入れなければいいんだよ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/457.html

[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
1. 中川隆[-14098] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:21:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-780]
カラヤン フィルハーモニア管弦楽団


Der Rosenkavalier : Karajan / Philharmonia, Schwarzkopf, Ludwig, etc (1956 Stereo)



R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』全曲
 元帥夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ
 オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
 オックス男爵:オットー・エーデルマン
 ゾフィー:テレサ・シュティヒ=ランダル
 ファニナル:エバーハルト・ヴェヒター、他
 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音:1956年[ステレオ]


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団
エリーザベト・シュヴァルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、テレサ・シュティヒ・ランダル、オットー・エーデルマン
EMI。1956年12月録音。不滅の名盤である。
ただ、クライバーのLDなどを先に聴いていた私にとっては、この録音はやや生硬な感じもする。(その点はむしろ下のDG盤のほうが雰囲気が良い。)
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


1956年ステレオ録音。レコード史上有名なアルバム。
なんと言っても、カラヤンのさっそうとした指揮ぶりが注目されるところで、おびただしいカラヤンのディスコグラフィのなかでもベストに挙げられることもあるほど。録音から半世紀を経た今日でも魅力を失っていません。

カラヤンは後年、ウィーン・フィルとも素晴らしい録音を残していますが、壮年期におこなわれたこの演奏はやはりひと味違います。
 豪華なキャストも強みで、至高の元帥夫人とうたわれたシュヴァルツコップを筆頭に、ルートヴィヒ、エーデルマン、シュティヒ=ランダル、ヴェヒターなど主要な配役はもちろん、バイロイトで鳴らした“ミーメ歌い”パウル・クーエンによるヴァルツァッキ役、名テノール、ニコライ・ゲッダの歌手役など、適材適所の配役は強力です。ARTリマスタリング。

_____

私が初めて聴いた「ばらの騎士」は当然これなのだが、良さがわからず、カラヤン新盤を聴いてますますわからなくなった。
その後エーリヒ・クライバー、ベーム、クナッパーツブッシュ、それにカルロスの演奏を知り、こんなに面白いオペラだったんだと驚いた。

正直高く評価されすぎの演奏だと思う。特に女声トリオがよくない。

シュワルツコップは厚化粧の大年増に聴こえるが、マルシャリンは若い女性である。表情に凝りすぎる歌唱が古い。デラ=カーザだったらどんなによかったか。

シュティッヒ=ランダルのゾフィーも大人しすぎるが、アコールのセットを聴くと素晴らしいソプラノだったことがわかる。ゾフィーには合わなかったということ。

カラヤンの指揮は巧みだが、クライバー親子のような目もくらむ勢いがあるわけでもなく、クナのユーモアがあるわけでもない。フィルハーモニアも魅力が薄い。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_Strauss-Richard-1864-1949_000000000019384/item_Der-Rosenkavalier-Karajan-Philharmonia-Schwarzkopf-Ludwig-etc-1956-Stereo-3CD_618140


2019年07月10日
ハイレゾで聴く R・シュトラウス「ばらの騎士」 カラヤン/フィルハーモニアo 1956年録音
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html


R・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」名盤と言えば、今やカルロス・クライバーの演奏となっていますが、一時代前のクラシック通ならば「エーリッヒ・クライバーかカラヤンのフィルハーモニア録音」と相場が決まっていたものでした。ただ父クライバー録音、カラヤンの旧盤とも1950年代の録音でカルロスの新旧DVDに比べてしまうと音がやはり物足りない。

e-onkyoサイトでカラヤンの音源をいくらかなと検索していたら、この「ばらの騎士」旧盤の音源に出会いました。昔ブリリアントレーベルで廉価で所持していたものの、やはり音質が微妙。歌手についてはシュヴァルツコップを中心に流石だなと思いました。意外とこの名盤今は入手難で国内廃盤が続いている状況。

英語で検索するとワーナー盤が出てきます。

flac 96kHz/24bitで3,471円。CDだと3枚組になるので、1枚当たり1,400円程度。これなら買いかと購入。何より「2017年オリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオでの24bit/96kHzリマスター」の言葉に負ける。

R・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」全曲
エリザベート・シュワルツコップ(元帥夫人)
オットー・エーデルマン、クリスタ・ルートヴィヒ
シュッティッヒ=ランデル他
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
1956年セッション録音 ステレオ
録音 4.35点  演奏  4.60点
※ハイレゾ音源ならの録音点



冒頭のホルンからいい音です。EMI録音特有の少し臨場感過多で距離感がある録音ながら、ハイレゾだと丁度良くも思える。夭折した名ホルン奏者 デニス・ブレインのホルンです。「ばらの騎士」はホルンが活躍する歌劇なので、これほどブレインのホルンの美しい響きを堪能できる録音は無いでしょう。歌手の名唱とともに称えられるべきです。

映像版はウィーンpoの演奏。1960年録音です。歌手がシュヴァルツコップ以外変わっています。演奏も少し落ちる。


ハイレゾになり音質は一新。1980年代のデジタル臭いデジタル録音よりは好ましい録音。声や木管楽器の艶とあでに酔わされます。当時は「ウィーンpoではないのが残念」と言われたものですが、いやいやこのイギリス楽団の木質的な響きで逆に良かったと思うようなオーケストラの音色です。

まだカラヤンがオーケストラを支配し過ぎない時期の演奏なので、金管が耳障りでなく弦楽器もお化粧し過ぎでないところ(威力的に分厚くない」が丁度よろしい。オーケストラをコントロールしきれていないというか、録音当時はプロデューサーのウォルター・レッグやシュヴァルツコップの方が力があったのでしょう。

映像版の第3幕3重唱。ここは素晴らしい。

[Der Rosenkavalier Final Trio - Schwarzkopf, Jurinac, Rothenberger


Elisabeth Schwarzkopf, Sena Jurinac, Anneliese Rothenberger,
Wiener Philharmoniker conducted by Karajan,
from the 1962 film directed by Paul Czinner


歌手に関しては多少歌い口に古臭さはあるものの、今これだけの歌手陣で揃えれないのが現状。カルロスの演奏のような風を切る颯爽さは無いですが、何度も何度も腰を落ち着けて聴きたくなるのはこういった少し落ちついた演奏の方が相応しい。カルロス盤は映像が無いとどこか物足りないですよね。レコードが文化だった匂いがプンプンします。シュヴァルツコップの名盤は多いですが、3本の指に入る名唱と言っても過言では無い。まだ若きクリスタ・ルートヴィヒの歌声も若い。ランデルの高音の美しさもハイレゾでさらに微細に感じ取れるようになった気がします。

この「ばらの騎士」の名盤はまだSACD化されていないはずです。2017年にリマスターされていたことにも驚き。カラヤンは特に好きな指揮者ではありませんが、意外な掘り出し物でした。歌を中心に聴くにはカルロスよりもこちらかな・・・しかしいい時代があったものだ、もうそれも半世紀以上前のことなのかと時代の流れに驚く名盤(名データ?)との出会いでした。
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c1
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
2. 中川隆[-14097] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:49:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-779]

カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1960


Richard Strauss: Der Rosenkavalier - Salzburg, 1960




The Vienna State Opera Chorus
Vienna Philharmonic Orchestra
Conducted by Herbert Von Karajan


Cast

Elisabeth Schwarzkopf The Marschallin
Otto Edelmann Baron Ochs auf Lerchenau
Sena Jurinac Octavian
Erich Kunz Herr von Faninal
Anneliese Rothenberger Sophie
Judith Hellwig The Duenna
Renato Ercolani Valzacchi
Hilde Rossel Majdan Annina
Alois Pernerstorfer A Commissary of Police
Erisch Majkut Major Domo of the Princess
Siegfried Frese Major Domo of Faninal
Josef Knapp A Notary
Fritz Sperlbauer Landlord
Giuseppe Zampieri A Singer
Hans Kres A Hairdresser
Liselotte Maikl Three Orphans of Noble Family
Ute Frey Three Orphans of Noble Family
Evelyn Labruce Three Orphans of Noble Family
Mary Richards A Milliner
Kurt Equiluz A Vendor of Animals
Fritz Mayer Four Footmen of the Princess
Rudolf Stumper Four Footmen of the Princess
Otto Vajda Four Footmen of the Princess
Alois Buchbauer Four Footmen of the Princess
Karl Kolowratnik Four Waiters
Ludwig Fleck Four Waiters
Kurt Bernhard Four Waiters
Norbert Balatsch Four Waiters
Hermann Tichavsky Leopord
Georg Pichler A Doctor
Wolfgang Kres A Little Black Boy


▲△▽▼


Der Rosenkavalier - Jurinac, Rothenberger, Schwarzkopf, Karajan




Marchallin - Elisabeth Schwarzkopf
Octavian - Sena Jurinac
Sophie - Anneliese Rothenberger
Baron Ochs - Otto Edelmann
Conductor - Herbert von Karajan
Salzburg Mozarteum Orchestra





ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

エリーザベト・シュヴァルツコップ、セーナ・ユリナッチ、アンネリーゼ・ローテンベルガー、オットー・エーデルマン

1960年、ザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭で収録。

パウル・ツィンナー監督の映画。
演出:ルドルフ・ハルトマン、装置:テオ・オットー、衣装:エルニ・クニーペルト。

この年の音楽祭では、7月26日、8月4,6,13,18,28日の計6回「ばらの騎士」が上演された。そのうちシュヴァルツコップはたった1回しか侯爵夫人を歌っていない(日にちは不明)。その1回をライヴ録音して、映像は(フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」同様)後から音に合わせて演技して収録した。


____



ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

リザ・デラ・カーザ、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、オットー・エーデルマン

DG。1960年7月26日、新しいザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭初日ライヴ。


この年の音楽祭では、上記のように計6回「ばらの騎士」が上演されたが、そのうち初日を含む5回はリザ・デラ・カーザが侯爵夫人を演じた。本当はその初日がテレビ中継される予定だった。しかし、上の映画製作の話がもちあがり権利問題もからんで中継は中止となったという。かえすがえすも残念なことだ。もし中継がなされ、そのフィルムが残っていれば絶世の美女デラ・カーザの侯爵夫人が見られたのに。

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」では、音楽祭期間中はドンナ・エルヴィーラを全部シュヴァルツコップが歌ったのに、映画ではデラ・カーザが出演していたのと、ちょうど反対の形である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c2
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
3. 中川隆[-14096] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:03:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-778]

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1984

Der Rosenkavalier - Salzburg 1984 - Agnes Baltsa, Anna Tomowa Sintow, Kurt Moll







Der Rosenkavalier
Salzburg 1984
Conductor Herbert von Karajan

Agnes Baltsa
Anna Tomowa Sintow
Kurt Moll


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル

1984年のザルツブルク祝祭大劇場ライヴである。
舞台装置・衣裳は1960年と同じものを使用している!のがうれしい。
(メンバーはDG録音と同じである。)


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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル
DG。1982〜84年録音。

ウィーン・フィルの音色が良い。

この録音でしっかりと「オーストリア弁」の発音をカラヤン自ら歌手に特訓した、という。
その上で、83,84年に音楽祭で上演した。84年の音楽祭の模様が上記テレモンディアルの映像である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c3
[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
4. 中川隆[-14095] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:18:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-777]

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場


Richards Strauss Der Rosenkavalier Carlos Kleiber part 1 1979



Der Rosenkavalier Richard Strauss Carlos Kleiber part 2 " The work of a master"(Los Angeles Times)


Bavarian State Orchestra & Chorus



カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

ギネス・ジョーンズ、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、マンフレート・ユングヴィルト、ベンノ・クッシェ

1979年、同歌劇場でのライヴ。クライバーが若々しい!

クライバーの指揮で1972年プレミエのオットー・シェンク演出だが、20年目の1991年に私がミュンヘンに行ったときもこれと同じ舞台演出で見ることができた。ヴァルヴィーゾ指揮、フェリシティ・ロットの公爵夫人、アン・マレイのオクタヴィアン、バルバラ・キルドゥフのゾフィー、そしてクルト・モルのオックス男爵であった。

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カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

クレア・ワトソン、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、カール・リッダーブッシュ、ベンノ・クッシェ

1973年7月13日、バイエルン国立歌劇場ライヴ録音。

オットー・シェンク演出のプレミエは 1972年4月20日だったので、その翌年ということになる。

しかし主役キャストはプレミエとこのCDとは全く同じである。
上記UNITEL映像では、侯爵夫人はジョーンズに、オックス男爵がユングヴィルトにかわっている。どちらにせよ、ほぼ同じメンバーで少なくとも8年は続けていたわけだ。決まった人たちとしか仕事をしないクライバーらしい。
(なおUNITELの国内盤DVDの解説ではプレミエの時の侯爵夫人がジョーンズだったように書かれているが、上記のように音源が残っているので誤りであろう。)

なお、ORFEOからルチア・ポップがバイエルン国立歌劇場で歌ったオペラのライヴ抜粋盤CD1枚が2003年にリリースされた(C580 031B、写真右)。

それには、なんとシェンク演出のプレミエである1972年4月20日の公演から、第2幕冒頭の銀のばらを送る場面と、第3幕の最後の3重唱・2重唱が収録されている。モノラルなのは残念だが、クレア・ワトソンの侯爵夫人、ファスベンダーのオクタヴィアン、ポップのゾフィーが聴ける。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c4

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