1. 中川隆[-11696] koaQ7Jey 2019年3月06日 07:37:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[294]
中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751
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3年B組金八先生 2 第24話 - YouTube 動画
22:55 から中島みゆきの「世情」が流れる
https://www.youtube.com/watch?v=Ai9gWCQjrXI
心に残るこのシーン 2017/3/8
加藤逮捕!
中島みゆきの「世情」が流れる『3年B組金八先生』の加藤逮捕シーン!
https://lineblog.me/wondergarage4444/archives/244364.html
加藤逮捕!
僕の中では何と言ってもこのシーンですね。
このシーン、当時のテレビ番組では相当衝撃でしたよね。
まだ学生だったのですが、すごくショックを受けたのはよく覚えています。
大人視点でドラマを見れば他の方法があるだろうにって思うのでしょうが、まだまだ未熟な中学生からすれば、大人達に対して感じた矛盾への精一杯の主張でしょう。
良いドラマでした (´ー`)
この逮捕シーン、今では観ることができないですよね。
テレビ局がダメなのか中島みゆきさんの「世情」がダメなのかよくわかりませんが…
でも、見つけちゃいました (๑˃̵ᴗ˂̵)
こういうところは、さすが中国!
感謝です ( *´艸`)
中島みゆきさんの「世情」…
このシーン以降、ずっと心に残ってます (´-`)
https://lineblog.me/wondergarage4444/archives/244364.html
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特段の欝状態で、生きるか死ぬかのときに、女性で誰を聴くかといえば、それは、あなた、中島みゆきでしょ@@
アルバムでは『愛していると云ってくれ』が好きだが、当時はドロドロの愛憎歌が多く、彼女のファンだった女の子が、毎日聴いてると暗くなるから、、と言っていた^^
彼女の詩質へのこだわりは谷川俊太郎との出会いが決定的だとよく言われるが、そのとおりでしょう。
アルバムのなかに「世情」というのがある。
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世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている
包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
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この歌は難解であるとか、反体制・不条理とか、いろいろ枕詞が並んでいるがそんなことはない。
句読点を仮に入れればこうなる。
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
1 変わらない夢を 流れに求めて、
時の流れを止めて 2 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
対立の構図が明確だ。
前者の夢を後者の体制は卑下したように眺めいる、ここでの夢は永遠性をもった聖。
これは自然な解釈だ。
しかし、この歌を聴いていると、隠された聴きづらさが伴う。
1 と 2 は同じ夢なのか?
そう思うリスナーも出てくるのだ。
前者は無産共産主義の夢で、後者の夢 2 は現世で確立された利益、なのかもしれない。
そうなると、それぞれが自分に都合のいい夢を求めているという、むしろ、染み入ってくるような解釈になる。
そして、面白いのは「流れに求めて」という反権力志向的なデモスタイル。
当時の学生運動の根底にあったのは「暴力の肯定」であり、建前は鉄と血の意志だったはずだ。
決して流れに身を委ねたわけじゃ、あるめー
歌詞というのは、かように、面白いものなんです。
1978年当時、ベトナム戦争はすでに終結し、若者は長髪を切って社会人になった。
自由主義思想と共産主義思想のハザマを勘違いした自称共産主義者が、愚かな行動を続けていたが、多くの若者はさっさと現実に戻っていた。
この歌は、変革への情念が冷えつつあったときに、(価値観がゆっくり壊れだした)絶対と相対の相克感を歌っているような気がする。
そして、深い現実に対してなにもなしえない、知識人へのサヨナラ。
いまの民進党はそのころの残党が多いので、未来を見据えていた歌ともいえる。
しかし、それはいまだから語れる詩篇に対する評論であって、中島みゆきは、単に学生運動の敗残者に対して歌ったのかもしれない。
ここまでアタシが話を引っ張ったのは、坂本龍一がこのアルバムに参加しているからです。
坂本は高校の後輩で同じ社研にいたが、早くから吉本隆明の胡散臭さを言っていました。
アタシと同じで、根っこはアナーキストの香りがする男だ。
彼が自在な思想観を中島みゆきに伝播した結果、色彩不透明な歌詞がうまれたともいえるし、おそらくそうだと思う。
アタシはこの曲を聴くたびに、ただ涙が流れ出してよろよろして、倒れそうになるので、あまり聴かないようにしている。。。
ちなみに中島みゆきのレコードを仕切っていたのは川上源一、ヤマハの天皇といわれた男。
中島みゆきのレコードの音質がいいのは、世界のヤマハの音響技術のおかげだ。
彼女は生涯、川上への畏敬の念を失わなかったという。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/
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