★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100217
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100217
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100217.html
[リバイバル3] インド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害 中川隆
2. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月24日 12:47:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21079]

【報ステ】未開の島の住民 米国人宣教師を殺害(18-11-23) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=oQqWQUa_qbY

11/23(金) 23:30配信 テレ朝 news

 インド東部にある北センチネル島で、数千年にわたり外部との接触を拒んでいる住民にキリスト教を広めようとしたアメリカ人男性(27)が殺害された。

住民は部外者に敵対的で、その危険性などから島に近付くことも禁止されているが、男性は無許可で上陸。魚などを持参し、友好を図ろうとしていたが、上陸直後に矢が降り注いだという。

その後、男性は首に縄をかけられて引きずられていき、翌朝、遺体で見つかった。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html#c2

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
123. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月24日 15:18:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21079]

日本人だけが知らない、GAFAとアメリカ株の「終わりの始まり」 巨大IT「包囲網」はもう止まらない
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58528
2018.11.24 中原 圭介 経済アナリスト 現代ビジネス


S&P500(NYダウと並ぶアメリカの代表的な株価指数)の2013年〜2018年9月末までの上昇分のうち、実にその4割弱はアマゾン、アップル、アルファベット(グーグルの持ち株会社)、フェイスブック、マイクロソフト、ネットフリックスの6社がもたらしたものです。

リーマン・ショック以降、世界的に経済成長率の低下が指摘されているなかで、これら6社は新しいビジネスモデルを築いた成長株として、投資家の資金を過剰といわれるほどに集めることができたのです。

しかしながら2018年10月以降、これら6社の株価は総じて下落する基調を強めてきています。2018年7~9月期の決算は概ね好決算といえる内容であったものの、利益率が低下しているということが悪材料視されてしまっているためです。

「社会と共存するコスト」を求められ始めた

たとえば、アマゾンやアップルは10月以降からのわずか1ヵ月半で株価が20%近くも下落しています。ヘッジファンドはこれらのIT株に資金を集中させ、市場平均を上回るリターンを得ることができましたが、10月の運用成績はマイナス6%に接近するまでに落ち込み、2008年のリーマン・ショックに次ぐマイナス幅を記録しています。

投資家にとって成長株と位置付けられているIT株の魅力というのは、その利益率の高さと投資(コスト)の少なさにあります。データという無形資産を武器に莫大な利益を稼ぐIT企業は、重厚長大な設備を抱える製造業のように大規模な投資を必要とせず、データを独占するビジネスモデルによって高成長を続けてきています。

それにもかかわらず、過度な節税によって正当な税金を払わないばかりか、他の大企業と比べて極めて少ない従業員でビジネスが事足りてしまうため、社会全体への還元には消極的な姿勢を取り続けてきたのです。

ところが最近では、これらのIT企業に対して、社会と共存するためのコストが求められ始めています。欧州を中心に課税を強化しようとする動きが広がっている一方で、賃上げによるコストや情報監視・情報流出の対策コストが膨らんできているのです。

たとえば、利益を従業員や社会に還元していないと批判されていたアマゾンでは、アメリカ国内の従業員の最低賃金を時給15ドルに引き上げるという決定をしています。大幅な賃上げは11月1日から実施するということですから、2018年10〜12月期決算からコスト増による利益率の低下は避けられない見通しです。

たとえば、偽ニュースの拡散や情報流出の問題が相次いだフェイスブックでは、これらの問題に対応するために新たに社員を増員し、正社員数は2018年9月末で約3万3600人と1年前の約2万人から7割近くも増えています。おまけに、今年に入ってデータの不正利用が発覚した反省から、個人データを第三者に渡さない選択権を利用者に与えるようになり、広告収入の伸びが鈍化してきているのです。

グーグルでも個人情報が大量に流出し、すべてのプラットフォーマーが個人情報保護に関する対策費の積み増しを迫られています。その結果、冒頭に挙げた6社のコストは2013年と比較して優に2倍超に膨らんできているというわけです。

利益率が低下する要因は、これらのコスト増だけではありません。

巨大IT企業はこれまでM&A以外では大規模な投資をする経験が乏しかったので、従来から大規模投資をしてきた大企業のような厳格さは持ち合わせていないようです。そのため、アマゾンが広告事業に新規に参入し、アップルが動画配信に事業の拡大を目指すなど、すでに強力なライバルがいる事業に巨額に資金を投じることによって、利益率の低下が避けられないのは仕方がない状況にあるのです。

さらに、巨大IT企業が無形資産のデータで稼ぎまくっているのに正当な税金を支払っていないとの批判が高まっているなか、先進各国では新たな課税も検討されています。

今までの国際課税ルールでは、国内に支店や工場といった恒久的な施設がない限り、外国企業の売り上げや利益には課税できないという原則がありました。ところが今や、欧州ではIT企業に対して利益ではなく売上高に課税する「デジタル課税」案が浮上しているのです。

傍若無人を認めない…! 狭まる「巨大IT包囲網」

実際に、英国が他の国々に先駆けるかたちで、大手のIT企業を対象にしたデジタル課税を2020年4月から導入すると決定しています。大手のIT企業が英国の消費者から稼いだ売上高に対して、一律に2%の税率で課税するというのです。

英国のデジタル課税の導入は、EUがデジタル課税を前向きに進める契機になるはずでしょうし、G20の議論にも大きな影響を与えることになるでしょう。利益率という尺度とは異なりますが、デジタル課税がIT企業の税引き後の利益を抑える要因になるのは間違いありません。

そこへ持ってきて、巨大IT企業がデータを寡占している立場を乱用し、取引先に不利な取引を強いている状況も改められる環境が整備されつつあります。

我が国でも経済産業省が実施した大掛かりな調査によれば、日本の中小企業は巨大IT企業との取引において、不利な取引条件を押しつけられるという実態が明らかになっています。経済産業省の調査を踏まえ、公正取引委員会も問題のある取引や契約がないかを調べる方針だといいます。

何も日本に限らず、多くの国々でIT企業の傍若無人さが認められない状況になっていくことになりそうです。

NYダウは下落へ!18年高値から2〜3割のダウンもある

これらのいくつもの流れを見ていると、巨大IT企業の利益率が今より低下する傾向はもはや止めることができないでしょう。

いよいよアメリカ株の上昇基調を支えてきた成長株としてのIT株への資金集中は、大きな転換点を迎えたといっても過言ではないのかもしれません。過去数年で強気を貫いてきたウォール街でも、GAFMAや FANGと呼ばれるIT株が最高値を更新し続けるような相場に戻るのは困難だろうという見解が増えてきているようです。

成長期待から上昇トレンドを保ってきたアメリカ株は、2019年には本格的な調整の期間に入る可能性が高いと見ております。NYダウとS&P500の双方のチャートがダブルトップの形になり、今年の2月の調整時よりも先行きが不透明になっていることを知らせてくれています。

IT株の成長期待の剥落→アメリカ経済の大減速という経路を辿って、2019年のNYダウとS&P500が2018年の高値から2割〜3割下がることは十分にありえると覚悟しておいたほうが無難でしょう。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c123

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
595. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月24日 15:46:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21079]
櫻井よしこが植村隆裁判の不当判決に乗っかり会見で「捏造攻撃」を正当化! ネトウヨは「植村を極刑にしろ」
https://lite-ra.com/2018/11/post-4389.html
2018.11.24 植村隆裁判の不当判決で調子に乗る櫻井よしことネトウヨ  リテラ

    
    16日放送の『櫻LIVE』(言論テレビ)より


 ジャーナリストの櫻井よしこ氏からの「捏造記者」との攻撃に対し、名誉毀損で訴えた元朝日新聞記者・植村隆氏が、今月9日の札幌地裁判決(原告の請求棄却)を不服として、22日、札幌高裁に控訴した。

 周知のとおり、植村氏は、2014年の朝日新聞慰安婦報道問題で、朝日が訂正をした「吉田清治証言」とはまったく無関係であるにもかかわらず、元慰安婦の金学順さんに関する記事を書いたことで、右派やネット右翼から総攻撃を受けた記者だ。内定していた再就職先や勤務先の大学に抗議が殺到、さらに家族への殺害予告まで送られるなど、スケープゴートにされた植村氏への“リンチ”は過激化した。

 しかし、植村氏は不当なバッシングに沈黙していたわけではない。2015年、自らを「捏造」などと攻撃した右派言論人らに対し複数の裁判を起こした。そのひとつが、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、氏の記事を掲載した出版3社を相手取った札幌地裁の裁判である。法廷では、原告弁護団の追及により、櫻井氏が「植村記事は捏造」とした根拠のデタラメが次々とあらわになった。しかし、札幌地裁が今月9日に下した判決は、原告・植村氏の請求をいずれも棄却するものだった。

 植村氏は今月15日、日本外国特派員協会での会見で「この判決を私は、言論戦、言論の戦いで勝って判決で負けてしまった悪夢のような判決だというふうに思っています」と述べていたが、その通りだろう。札幌地裁判決がいかに「不当判決」であったかは、本サイトの11日付記事(https://lite-ra.com/2018/11/post-4354.html)で詳しく解説したので、ぜひご一読いただきたい。

 しかし、植村氏の控訴を受け、またぞろネットでは、異常としか言いようがない“植村バッシング”が再燃している。控訴を伝える時事通信の報道がYahoo!のトップニュースになったのだが、そのコメント欄が、こんな脅迫めいた文言や誹謗中傷、そして悪質なデマで埋め尽くされているのだ。

〈できる事なら国家反逆罪で極刑にして欲しい〉
〈この反日極左売国奴「植村隆」を許すつもりも無ければ、願わくば惨殺体で発見される事を切に祈るよ。〉
〈間違いなく捏造記者です。あと2回チャンスがありますが2回とも敗訴して頂かねばなりません。〉
〈むしろ最高裁まで行って、決定的に捏造であることが明らかになれば良い〉
〈あなたは、捏造記者に認定されたんだ。悪あがきはよせ。〉

 「極刑」「惨殺体」などという書き込みは、まさに2014年に植村氏とその家族が被害にあった殺害の示唆を彷彿とさせる。そして、コメント欄に多く見られた「植村は捏造記者と認定された」というような話は、完全なるデマである。

 簡単に振り返っておくが、そもそも札幌地裁の判決は、植村氏の記事を「捏造」と攻撃した櫻井氏の記事には「原告の社会的評価を低下させる事実の摘示や意見ないし論評がある」と認定しながらも、櫻井氏が参考にした資料や社会状況から「真実であると信じる相当の理由がある」として免責したというものだ。

 しかし、「真実と信じる相当の理由」を認めること=「真実相当性」を認定することと、摘示事実の「真実性」を認定することは、まったくの別モノである。実際、長い判決文の隅から隅まで読んでも、札幌地裁は「原告の記事は捏造であった」とも「原告は捏造記者である」とも、あるいは「原告は事実と異なることを知りながら記事を執筆した」などとも認めていない。つまり、裁判所は櫻井氏が摘示した「植村氏は捏造記事を書いた」ということについて「真実である」とは、まったく認定していないのだ。

 それどころか、裁判の主要な争点のひとつである櫻井氏の“金学順さんは継父によって人身売買されて慰安婦にさせられたのに、植村氏はそれを知りながら意図的に書かないことによって強制連行を印象付けようとした”という主張にかんして、判決文は〈「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という事実が真実であると認めることは困難である〉と言及している。ようするに、櫻井氏の主張の前提にある「人身売買説」自体の真実性を認めていないと言っていいだろう。

■判決文が植村記者の捏造を認めていないことを否定した櫻井側弁護士

 繰り返すが、ネトウヨたちが口走っている「裁判所は植村を捏造記者だと認定した」という話はまったくの事実無根である。しかし驚くのは、櫻井氏側が公の場で、こうしたデマを助長するような発言をしていることだ。

 植村氏が会見を開いた翌16日の午後、櫻井氏も日本外国特派員協会での会見に臨んでいた。その質疑応答での一幕でのことだ。まず、北海道新聞の記者がこのように質問した。

「植村さんが捏造したということは、判決では認定しませんでしたけども、櫻井さんはいまでも植村さんが記事を捏造したとお考えでしょうか」
「櫻井さんは1998年に植村さんの名前を出して、植村さんが『誤報』、もしくは『混同』しているというふうに批判されました。けれども、次に2014年になって記事を書かれた時に、突然『捏造した』という記事に変わりました。なぜ、何を根拠に『捏造』という表現に変えたんでしょうか」

 これに対して櫻井氏はこう述べた。

「私は、植村さんの記事については、『捏造したと言われてもしかたがないだろう』という意見を申し上げたと思います。時間が経つにつれていろんなことがわかってきて、植村さんがそのようにしたのではないかという疑問が、強くなったために、捏造したと言われても弁明できないのではないかと、仕方がないだろうということを書きました。以上です」

 櫻井氏は自分が使った「捏造」という言葉のまずさがわかっていたのか、明らかにごまかしながら、しかし、それでも自分の「捏造」攻撃があたかも正当であるかのように強弁した。しかも、そこに櫻井氏の主任弁護人である林いずみ弁護士がこう付け加えたのである。

「一点だけ。いま北海道新聞の長谷川さんが、この判決は捏造を認めなかったというふうにおっしゃり、昨日の(会見で配布された)植村さんの判決の要約もそのように書いていると思いますが、そのようなことはありません」

 ようするに櫻井氏の主任弁護士は、裁判所が植村氏を「捏造」と認めなかったことを否定しにかかったのである。これではまるで、「裁判所は植村氏を捏造記者と認定した」なるデマを振りまいているネトウヨを扇動しているようなものではないか。

■櫻井よしこはネットTVで全面勝訴宣言も、植村は控訴

 何度でも言うが、判決文のどこにも「原告は記事を捏造した」などとは書かれておらず、ましてや、主要な争点である「人身売買説」については「真実であると認めることは困難である」とハッキリ述べられているのだ。逆に言えば、これは被告・櫻井氏側が「人身売買説」を立証する必要があるにもかかわらず、それができていないと指摘しているのである。当然、“植村氏は金学順さんが人身売買されたという経緯を知りながらそれを書かなかった”という櫻井氏の主張の前提条件が崩れたと解するのが妥当だろう。

 しかも、この「人身売買説」に関しては、逆に櫻井氏の記事のほうの誤りが暴露されてきたことは、本サイトでも何度かお伝えしてきたとおりだ。たとえば櫻井氏は「WiLL」(ワック)2014年4月号の記事のなかで、1991年12月に金学順さんが日本国政府を集団提訴した際の訴状を持ち出して、〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている〉とし、〈植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった〉などと批判していた。ところが、実際の訴状には「継父によって四十円で売られた」なる記載など存在しなかったのである。

 なお、法廷で追及された櫻井氏は、金学順さんの訴状に記載されていない記述についての自らの誤りを認め、「WiLL」2018年7月号は訂正文を掲載、また産経新聞2018年6月4日付でも同様の誤りを訂正している。

 つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことをでっち上げて、植村氏に対し「捏造記者」などと攻撃を繰り返していたのだ。付言すると、櫻井氏が参照した、金学順さんの発言に基づいて書かれたハンギョレ新聞の記事には、櫻井氏が「人身売買説」の根拠とする記述のすぐ後ろに、〈私を連れていった養父も当時、日本人に金ももらえず私を武力で奪われたようでした〉との記述がある。これは日本軍による強制連行の記述だが、櫻井氏はこうした部分については完全にネグっていた。そしてここにきて、弁護士が「判決は植村氏の捏造を認めなかったということではない」という新手の攻撃を加えてきているのである。

 櫻井氏は、記者会見のあった16日の夜、自らが主催するネット番組『櫻LIVE』(言論テレビ)で、「わたくしの、全面勝訴です」「全面勝訴で、私も非常に嬉しかったんですね」「ほんとに日本人の名誉とか日本国のこととか、(自分の記事の目的は)公益以外の何物でもない」などと勝ちどきをあげた。

 だが、まだ終わっていない。むしろ、札幌地裁の不当判決によって、ネトウヨたちがまたぞろ植村氏の生命と生活を脅かすような異常なバッシングを再開し始めている。札幌での控訴の行方はもちろん、本サイトではこの歪んだ社会状況をも含めてレポートを続けていくつもりだ。
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c595

[昼休み54] 発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる 中川隆
40. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月24日 16:56:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21082]

温暖化が影響「米国で45兆円の被害」 2015年以降
11/24(土) 12:29配信 朝日新聞デジタル

米ロサンゼルスの北西で起きた山火事で、警備する警察官=11月9日、カリフォルニア州シミバレー、竹花徹朗撮影


 米政府は23日、地球温暖化の米国への影響や対策の効果などをまとめた「国家気候評価書」を発表した。米国で温暖化に関連した山火事やハリケーンなどにより、2015年以降で4千億ドル(約45兆円)近くの被害が出たと指摘している。

 ニューヨーク・タイムズ紙などによると、評価書は、適切な対策が取られなかった場合、温暖化により2100年までには米国の国内総生産の最大10%の経済損失が生じるとした。これまで4年に1度改定され、トランプ政権では初めて。作成には政府や大学などの研究者が参加し、エネルギー省など13の政府機関も携わった。

 米国ではカリフォルニア州の山火事や、カリブ海やメキシコ湾岸のハリケーン被害などが相次ぐ。温暖化が進めば、渇水や洪水・高潮、山火事の頻度が増えたり、地域が広がったりする。評価書は対策として、温室効果ガスの排出に価格をつける炭素税などの導入や政府による排出規制、再生エネルギー研究への支援などをあげた。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html#c40

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
48. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月24日 17:18:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21082]

京都府北部、丹後半島の付け根にある天橋立は、日本三景の一つに数えられる観光の名所ですが、天橋立を渡ったところにある丹後一の宮、籠(この)神社はまた、古代史ファンにはよく知られた神社です。

 1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表され、関係者の大きな注目を集めました。現存する日本最古の系図として、また、従来にない古代史の新史料として、思いがけないものだったからです。翌年にはさっそく国宝の指定を受けたのも異例のスピードでした。

 この系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。

 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。

 「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
 それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。

 どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。

 この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。

 「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。

 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。しかも、丹後に天降っているというのです。

 天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。

 籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。


息津鏡(下)と辺津鏡(上) (c)gakken

 ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。

 前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。

 驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
 
では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。


 籠神社のある丹後半島周辺は、不思議な伝説が多いところでもあります。

 『丹後国風土記逸文』には、このあたりの漁師の若者が竜宮城を訪れる話、つまり、有名な浦島太郎の伝説が残っています。ほかにも、羽衣を奪われた天女が天に帰れなくなるという羽衣伝説、さらに、天橋立はもともとイザナギ命が天から通ってくる梯子でしたが、神が地上で寝ている間に倒れて天橋立になった、という伝説もあります。いずれも、天上界や海の彼方にある別世界と交渉する内容をもっているのが特徴といえます。

 籠神社の名前の由来も、神代に彦火火出見命(ひこほほでみのみこと・彦火明命の別名)が籠船で龍宮に行ったとの伝説があり、そのために昔は籠宮(このみや)といったようです。
   


 丹後はこのように、どこか神話的な世界の残る地方でもあります。籠神社のある宮津市の「宮津」とは、大きな宮のそばにある港という意味です。むろん籠神社を指してのことです。天橋立はもともと籠神社の参道だったからです。 
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/index.html

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c48

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
148. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月24日 17:19:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21082]

京都府北部、丹後半島の付け根にある天橋立は、日本三景の一つに数えられる観光の名所ですが、天橋立を渡ったところにある丹後一の宮、籠(この)神社はまた、古代史ファンにはよく知られた神社です。

 1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表され、関係者の大きな注目を集めました。現存する日本最古の系図として、また、従来にない古代史の新史料として、思いがけないものだったからです。翌年にはさっそく国宝の指定を受けたのも異例のスピードでした。

 この系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。

 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。

 「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
 それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。

 どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。

 この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。

 「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。

 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。しかも、丹後に天降っているというのです。

 天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。

 籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。


息津鏡(下)と辺津鏡(上) (c)gakken

 ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。

 前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。

 驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
 
では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。

 籠神社のある丹後半島周辺は、不思議な伝説が多いところでもあります。

 『丹後国風土記逸文』には、このあたりの漁師の若者が竜宮城を訪れる話、つまり、有名な浦島太郎の伝説が残っています。ほかにも、羽衣を奪われた天女が天に帰れなくなるという羽衣伝説、さらに、天橋立はもともとイザナギ命が天から通ってくる梯子でしたが、神が地上で寝ている間に倒れて天橋立になった、という伝説もあります。いずれも、天上界や海の彼方にある別世界と交渉する内容をもっているのが特徴といえます。

 籠神社の名前の由来も、神代に彦火火出見命(ひこほほでみのみこと・彦火明命の別名)が籠船で龍宮に行ったとの伝説があり、そのために昔は籠宮(このみや)といったようです。
   


 丹後はこのように、どこか神話的な世界の残る地方でもあります。籠神社のある宮津市の「宮津」とは、大きな宮のそばにある港という意味です。むろん籠神社を指してのことです。天橋立はもともと籠神社の参道だったからです。 
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/index.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c148

[政治・選挙・NHK254] 他人の税金と大阪万博(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
2. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2018年11月24日 17:25:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21082]
『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/160.html#c2
[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
49. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月24日 17:51:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21088]

2008.9.28
邪馬台国の会 【特別講演会】 柳田康雄先生  伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm


1.伊都国と邪馬台国  柳田康雄先生


私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。

平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。

今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。

■ 弥生時代のクニと国の出現

弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。

現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。

そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。

銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15〜16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。

弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。

少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8〜10個出土した甕棺が出現する。

福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。

比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。

弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。

これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。

三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。


2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。

なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。


井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。


最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。

九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。

このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。

後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。

吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。

■ 平原遺跡

平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。

王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。

王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。

鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。

棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。

10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。

墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。

頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。

墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。

出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。

この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。

また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。

しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。

また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。

つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。

平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。

平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。

耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。

耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。

平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。

平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。

右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。

平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。

三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。

ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。

伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。

■ 弥生終末から古墳時代

福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。

このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。

弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。

この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。

北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。

近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。

近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。

近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。

弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。

考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。

平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。


2.柳田先生の論点                             安本美典先生


邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。

■ 考えの一致する部分と異なる部分

柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。

また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。

邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。

いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。

北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。

骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。

■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について

洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。

下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。

平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。

奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147〜160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。

柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。

ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。

3.対談                         柳田康雄先生 VS 安本美典先生


■ 平原遺跡について

安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?

柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。

安本:女性の墓か?

柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。

また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。

■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現

安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?

柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。

■ 庄内式土器

安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?

柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。

庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。

九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。

■ ホケノ山古墳

安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留T式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?

『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。

柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。

一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。

また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。

■ 伊都国と女王国の位置関係

安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。

ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?

柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。

大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。

文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。

■ 三種の神器

安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?

柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?

安本:璧という字は下に玉がついているので・・・

柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)

璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。

東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c49

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
149. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月24日 17:52:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21088]

2008.9.28
邪馬台国の会 【特別講演会】 柳田康雄先生  伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm

1.伊都国と邪馬台国  柳田康雄先生

私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。

平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。

今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。

■ 弥生時代のクニと国の出現

弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。

現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。

そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。

銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15〜16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。

弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。

少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8〜10個出土した甕棺が出現する。

福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。

比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。

弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。

これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。

三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。


2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。

なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。

井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。


最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。

九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。

このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。

後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。

吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。

■ 平原遺跡

平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。

王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。

王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。

鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。

棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。

10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。

墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。

頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。

墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。

出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。

この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。

また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。

しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。

また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。

つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。

平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。

平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。

耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。

耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。

平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。

平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。

右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。

平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。

三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。

ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。

伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。

■ 弥生終末から古墳時代

福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。

このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。

弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。

この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。

北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。

近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。

近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。

近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。

弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。

考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。

平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。


2.柳田先生の論点                             安本美典先生

邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。

■ 考えの一致する部分と異なる部分

柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。

また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。

邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。

いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。

北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。

骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。

■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について

洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。

下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。

平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。

奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147〜160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。

柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。

ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。


3.対談                         柳田康雄先生 VS 安本美典先生

■ 平原遺跡について

安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?

柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。

安本:女性の墓か?

柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。

また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。

■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現

安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?

柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。

■ 庄内式土器

安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?

柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。

庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。

九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。

■ ホケノ山古墳

安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留T式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?

『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。

柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。

一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。

また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。

■ 伊都国と女王国の位置関係

安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。

ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?

柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。

大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。

文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。

■ 三種の神器

安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?

柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?

安本:璧という字は下に玉がついているので・・・

柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)

璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。

東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c149

[昼休み54] 毛沢東気取りの習近平の近況 中川隆
90. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月24日 18:24:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21091]

中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html


中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。

実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。

「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)

この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう

『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。

(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」

精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。

(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」

中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html#c90

[昼休み54] 中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口 中川隆
20. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月24日 18:25:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21091]

中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html


中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。

実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。

「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)

この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう

『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。

(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」

精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。

(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」

中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html#c20

[昼休み54] 高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口 中川隆
16. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月24日 18:31:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21091]

2018年11月24日
中国が一帯一路に仕掛けた「借金の罠」


中国は「無料」でインフラ建設するが、実は高金利の借金に過ぎない


画像引用:http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/5/0/50d90_769_70cb040fac0a1643ebcd35a0210cbe90.jpg

一帯一路「借金の罠」

中国が提唱した新シルクロード政策一帯一路を巡って「借金の罠」に注目が集まっている。

パプアニューギニアで開催されたAPECでも議論が集中し、特に米中の主張が対立した。

結局APECでは共同声明なしの異常事態で閉幕し、米中対立を印象付けた。



アジアを含むこの手の会議は全員一致でないと何も決められない仕組みになっている。

その理由はアジアには共産国家や独裁国家、つまりくそ国家が多いからで、そうした国は全員一致を条件に参加している。

だからアセアンもAPECもアジアを含む他の会議も、毎回成果なしで終わるのが通例です。


それはともかく中国の一帯一路は、美味しい話を持ち掛けて相手国に借金を背負わせるのが知れ渡った。

最初は中国に飛びつかんばかりに歓迎した国々も、なるべく中国からの「援助」を減らしたり撤回しようとしている。

中国の援助とは大半が有償援助つまり金を貸す行為で、IMFや日本のODAよりかなり金利が高い。


日本は1%程度で有償援助しているが中国がアジア諸国に融資するときは数倍の金利で、ちっとも「援助」ではない。

だが中国は「高速鉄道をつくれば成長率10%以上になる」などの試算を示して「簡単に返済できる」と持ち掛けます。

その気になった国は中国から金を借りてインフラ投資するが、経済成長は起きないので返済できなくなる。

「援助」という名の高金利融資

すると中国は「金を返せないならお前の国の鉄道や港湾権利をもらう」と言い、最初から契約書に書いてあるなどと言い出します。

金融ドラマの悪徳業者そのもので、病人の布団を剥がして借金を回収するようなことをしています。

中国から援助を受けたパキスタンやミャンマー、タイ、インドネシアなどの国々は「新植民地」と呼ばれている。


中国が提案する事業は一見美味しい話でも必ず罠を仕掛けてあります。

日本と中国が激しく争って中国が受注したインドネシア高速鉄道は、結局中国がゼロ円で受注しました。

タダで鉄道を作るという中国の申し出にもちろんインドネシアは飛びついたが、これにも裏があった。


高速鉄道沿線の開発権利は中国の物になり、土地の売却益などで鉄道建設費をまかなう。

鉄道が完成しても完成した高速鉄道は中国のもので、建設費用を返済し終わるまでインドネシアのものではない。

早い話、永久に建設費の元が取れなければインドネシアの高速鉄道と沿線は中国の支配下に置かれます。


もしインドネシアが高速鉄道を自分の物にしたければ、かかった建設費用を中国側に支払う必要がある。

無料と言いながらぼったくり詐欺同然で、鉄道が自分のものではないと気づいてからインドネシア人は騒ぎ始めるでしょう。

こうしてインドネシアも少しづつ中国に権益をかすめ取られ、気づいたら「新植民地」になっています。
http://www.thutmosev.com/archives/78233164.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html#c16

[政治・選挙・NHK254] 米中新冷戦構造 はずれコラムを書き続けるH氏のご託宣(世相を斬る あいば達也) 代々木
1. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月24日 19:15:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21091]

・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/163.html#c1

[国際24] 中国 − 新しい経済哲学(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
1. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月24日 19:46:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21094]
中国 − 新しい経済哲学

中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。

『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。

(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」

ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。

(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」

デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。

(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」

あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html


中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。

実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。

「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)

この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう

『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。

(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」

精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。

(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」

中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。

http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/608.html#c1

[経世済民129] 中国 − 新しい経済哲学(マスコミに載らない海外記事) :国際板リンク  赤かぶ
1. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月24日 20:28:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21097]
中国 − 新しい経済哲学

中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。


『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。


(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」


ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。


(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」


デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。


(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」


あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html


中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。


実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。


「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)


この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう


『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。


(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」


精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。


(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」


中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう



http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/601.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 野党の政治屋共にもの申す! 天橋立の愚痴人間
2. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月24日 20:57:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21100]
既に何千人も書いてる事を繰り返すなよ

中卒は引っ込んでいた方が恥かかなくていいよ

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/167.html#c2

[国際24] 米国を震撼させた中国のデータ覇権(米中対決の根源はこれだ) 天木直人  赤かぶ
2. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月25日 04:46:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21103]

中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html


中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。


実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。


「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)


この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう


『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。


(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」


精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。


(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」


中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。


▲△▽▼

中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。


『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。


(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」


ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。


(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」


デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。


(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」


あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


▲△▽▼

2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


▲△▽▼

詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/611.html#c2

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
143. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月25日 05:51:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21103]

PRINCE SNOW RESORTS プレミアムシーズンチケット
https://www.princehotels.co.jp/ski/premium_season_ticket/#__utma=1.1742574698.1527999580.1543043362.1543091960.87&__utmb=1.2.10.1543091960&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1541456652.57.3.utmcsr=google|utmccn=(organic)|utmcmd=organic|utmctr=(not%20provided)&__utmv=-&__utmk=250705926


9つのプリンススノーリゾート(下記対象スキー場)の2018年営業開始から2019年営業終了までご利用いただけるリフト・ゴンドラ・ロープウェー共通シーズンチケットです。


スキー場 営業期間 お問合せ

富良野スキー場 2018年11月24日(土)〜2019年5月6日(月・祝) TEL: 0167-22-1111
〒076-8511 北海道富良野市中御料

雫石スキー場 2018年12月15日(土)〜2019年3月31日(日) TEL: 019-693-1114
〒020-0593 岩手県岩手郡雫石町高倉温泉

苗場スキー場 2018年12月8日(土)〜2019年3月31日(日) TEL: 025-789-4117
〒949-6292 新潟県南魚沼郡湯沢町三国202

かぐらスキー場 2018年11月23日(金・祝)〜2019年5月26日(日)

[田代エリア]
2018年12月8日(土)〜2019年5月6日(月・祝) TEL: 025-788-9221
〒949-6211 新潟県南魚沼郡湯沢町三俣742

みつまたステーション

六日町 八海山スキー場 2018年12月21日(金)〜2019年3月24日(日) TEL: 025-775-3311
〒949-7121 新潟県南魚沼市山口1610


軽井沢プリンスホテルスキー場 2018年11月3日(土・祝)〜2019年3月31日(日) TEL: 0267-42-5588
〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢

万座温泉スキー場 2018年12月8日(土)〜2019年3月31日(日) TEL: 0279-97-3117
〒377-1595 群馬県吾妻郡嬬恋村万座温泉

志賀高原 焼額山スキー場 2018年12月1日(土)〜2019年5月6日(月・祝) TEL: 0269-34-3117
〒381-0497 長野県下高井郡山ノ内町志賀高原焼額山

妙高 杉ノ原スキー場 2018年12月22日(土)〜2019年3月31日(日) TEL: 0255-86-6211
〒949-2113 新潟県妙高市杉野沢


【内 容】

SEIBU PRINCE CLUB会員限定販売商品となります。
非会員のお客さまはご入会していただく必要があります。

SEIBU PRINCE CLUB| カードの種類・入会
https://club.seibugroup.jp/card/


内容 プレミアムシーズンチケット

(対象スキー場が駐車料金有料日にシーズンチケット呈示で無料となります)

料金 ¥100,000

https://www.princehotels.co.jp/ski/premium_season_ticket/#__utma=1.1742574698.1527999580.1543043362.1543091960.87&__utmb=1.2.10.1543091960&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1541456652.57.3.utmcsr=google|utmccn=(organic)|utmcmd=organic|utmctr=(not%20provided)&__utmv=-&__utmk=250705926
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c143

[番外地7] 「しょぼくれたアメリカ」への怒りが より過激なトランプ新大統領を生み出した 中川隆
66. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月25日 06:55:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21106]

米国、「トランプ氏」中国問題で財務長官に不満「米中会談に関係」2018年11月25日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13798677.html


米中首脳会談は、あと1週間以内に迫ってきた。トランプ大統領は例によって、中国を揺さぶっている。翻弄され続けている中国が、いかなる対案を出してくるのか。大勝負がかかった一番となってきた。

米国は、中国を袋小路に追い込むように、これまで打てる手はすべて打った感じだ。@副大統領による「新冷戦宣言」、A14種類のハイテク技術の輸出規制案、B通商法301条に照らした改善行為はゼロで実行する意思もない、Cハッカー実態調査で精華大学が関与など、詳細に取り上げている。

米国は、ここまで中国を追い込みながら、中国の反応を見ている。中国はどのように対応するのか。メンツにこだわって徹底抗戦の道を選べば、中国経済はその時点で異次元の世界へ飛び込むにちがいない。米国の財務長官経験者は、その場合、米国にも類が及ぶから、その一歩手前でブレーキをかけるように働きかけている。その窓口が、財務長官のムニューシン氏である。この動きに、トランプ大統領はご立腹と報じられた。

『共同』(11月24日付)は、「米財務長官に不満か、トランプ氏、株安と対中国」と題する記事を掲載した。

(1)「米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル電子版』は23日、トランプ米大統領がムニューシン財務長官に不満を抱いていると報じた。最近の株安と中国に対する通商政策で融和的な姿勢なのが原因という。トランプ氏は中間選挙後の記者会見で閣僚の一部交代を検討する考えを示し、セッションズ司法長官を解任した。ただ、同紙は『不満はムニューシン氏の解任を必ずしも意味しない』と分析している」

トランプ大統領は、ムニューシン氏が対中政策において融和的であるとして批判的だという。このことは、米中首脳会談が物別れに終わることを意味している。中国は、妥協せずに突っ込むのであろうか。

(2)「トランプ氏は米連邦準備理事会(FRB)の利上げが株価下落の要因とみて、FRB批判を繰り返している。パウエル氏をFRB議長に指名した人事ではムニューシン氏の推薦があった。関係者によると、トランプ氏は『彼(パウエル氏)がそんなに良いのならば、なぜこんなこと(株価下落)が起こるのだ』とムニューシン氏を批判した。ムニューシン氏は対中貿易協議で米側代表として交渉にあたってきたが、政権内では中国に融和的だとして知られる。同氏が会議で『われわれの(強硬な)対中戦略は非常にうまくいっている』と語ったところ、トランプ氏は『“われわれ”とはどういう意味だ』と問い返したという」

トランプ発言は、当意即妙であるから聞く方は面白いが、相手をする者にとっては気が抜けないであろう。安倍首相は、このトランプ氏と気が合うというのだ。トランプ氏との会話では、絶対にトランプ氏の発言を否定せずに先ず賛成すること。その後で、こういう考えはどうでしょうと言えば、聞いて貰えるという。米中首脳会談で、習氏はどのように渡り合うのか。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/105.html#c66

[昼休み54] 日本のマスコミは悪い 中川隆
47. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月25日 07:02:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21106]
このブログを始めた最大の理由は、有力メディアが事実を伝えなくなっていることにあります。そうしたメディアはフェイクニュースの発信源、プロパガンダのための機関になってしまったのです。

 アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わって間もない頃、モッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトをスタートさせました。そのプロジェクトを動かしていたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズというCIAの幹部、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムです。


 ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズの母方の祖父は国際決済銀行の初代頭取、グラハムの義理の父は世界銀行の初代総裁。CIAはウォール街の機関だとも言えるでしょう。軍需産業、軍隊、情報機関の上には巨大金融機関が存在しているのです。

 情報操作は事実の隠蔽と偽情報の流布、つまり秘密保護と宣伝がセットになっています。支配層が知られたくない情報を明らかにする内部告発を支配層が厳しく取り締まるのはそのためです。

 内部告発を支援するために作られたウィキリークスが激しく攻撃され、その創設者であるジュリアン・アッサンジをアメリカの司法当局が起訴した理由も支配層の秘密を守ることが目的です。

 ウィキリークスが行ってきたことは支配層が隠していた情報を外部に伝えることであり、報道以外の何ものでもありません。その報道をアメリカ支配層は犯罪だとみなしているわけです。

 2016年のアメリカ大統領選挙でヒラリー・クリントンを担いでいた勢力の不正行為をウィキリークスは暴露しましたが、この件に絡み、支配勢力の一部は司法当局や有力メディアを使ってロシアゲートなる話をでっち上げました。アメリカをはじめとする西側の有力メディアは言論弾圧に加担しています。

 有力メディアはジャマル・カショーギの事件を大きく取り上げていますが、この人物をサウジアラビアの反体制的なジャーナリストだと説明することは正しくないでしょう。

 ジャマルはロッキード事件やイラン・コントラ事件でも登場したアドナン・カショーギの甥に当たり、ウェールズ公妃ダイアナの恋人だったドディ・ファイードは従兄弟だという事実は良いとして、問題は情報機関との関係。20代から情報活動の世界へ入っているのです。

 その当時からジャマルを使っていたタルキ・ファイサル・アル・サウドは2001年9月1日、つまり9/11の10日前までGIP(サウジアラビアの情報機関)の長官を務めていました。GIPはCIAと緊密な関係にあり、ジャマルもアドナンもCIAにつながります。

 1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密工作にタルキも協力していました。アフガニスタンへソ連軍を誘い込み、そこでジハード傭兵と戦わせるという工作でした。

 そうした傭兵を集める仕事をしていたひとりがオサマ・ビン・ラディンにほかなりません。ジャマルがビン・ラディンと親しいのはそのためです。ジャマル・カショーギの肩書きはジャーナリストかもしれませんが、その実態は情報機関のエージェントであり、テロリストと深く結びついているのです。

 ジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言したそうです。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811250000/

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/104.html#c47

[アジア14] 韓国の元慰安婦がフランスで致命的なミスをやらかし歴史の嘘がついに崩壊!2ch仏決議案採択のため、議員と政府の協力…より 木卯正一
4. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月25日 07:37:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21106]
「私は捏造記者ではありません」 ー 植村(札幌)訴訟結審
http://article9.jp/wordpress/?p=10720
2018年7月13日 澤藤統一郎の憲法日記

植村隆元朝日新聞記者が、櫻井よしこらを訴えた名誉毀損損害賠償請求訴訟(札幌地裁)が先週の金曜日(7月6日)に結審した。判決言渡は11月9日の予定。原告・弁護団そして支援者は意気軒昂である。

櫻井よしこや西岡力らは、産経や週刊文春、WiLLなどを舞台に、植村隆を「捏造記者」として攻撃した。櫻井や西岡に煽動されたネット右翼が、植村本人だけでなく、その家族や勤務先の北星学園までを標的に攻撃して、大きな社会問題となった。問題とされた植村隆の朝日の記事は、1991年8月のもの。常軌を逸したバッシングというほかはない。

ことは表現の自由やジャーナリズムのありかたにとどまらない。従軍慰安婦をめぐる歴史修正主義の跋扈を許すのか、安倍政権を押し上げた右翼勢力の民族差別やリベラル派勢力への攻撃を默過するのか、という背景をもっている。

私も、同期の友人たちと語らって、植村・北星バッシングへの反撃の声をあげた。そのときの率直な気持は、この社会の動向に、薄気味悪さだけでなく恐ろしさを感じていた。伝えられている、あのマッカーシズムの雰囲気を嗅ぎ取らざるを得なかったのだ。この訴訟、この判決は、この社会の健全さを占うものとしての重みをもっている。

リベラルバネが多少は働いて、いま櫻井よしこや西岡力の影響力は明らかに落ちてきている。判決が、植村ではなく櫻井よしここそが「捏造ジャーナリスト」であることを明らかにするものとなるよう期待したい。

「植村裁判を支える市民の会」が立派なホームページを作っている。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトから、結審(2018年7月6日)の法廷と、2年前3か月の第1回法廷(2016年4月22日)での、原告植村隆渾身の意見陳述を引用しておきたい。

**************************************************************************

     結審(2018年7月6日)法廷での意見陳述

今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしていました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

私は高知の田舎町で、母一人子一人の家で育ちました。豊かな暮らしではありませんでした。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人びとへの理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側に立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。

新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られて来なければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思い出し、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問では再び、あのバッシングの時のような「悪意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。

「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。

この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付の著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんが自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書きいれました。

私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足らないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。

そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」

金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

きょうも、金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。

私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。

そして「日本の加害の歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」でない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。

そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。

いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行され」ようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。

しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。

あのひどいバッシングに巻き込まれた時、娘は17歳でした。それから4年。『殺す』とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人びとがいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょうか。事実を以て、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。

「WiLL」の2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした「月刊宝石」やハンギョレ新聞の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。

しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、「WiLL」と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でないというのです。日本軍による強制連行という結論をもつ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経、「WiLL」を含めて、少なくとも6件確認されています。

提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃が始まりましたが、「希望の光」が見えてきたことを、実感しています。

そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

「私は捏造記者ではありません」

裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。

**************************************************************************

    第1回法廷(2016年4月22日)での原告意見陳述

■「殺人予告」の恐怖
裁判長、裁判官のみなさま、法廷にいらっしゃる、すべての皆様。知っていただきたいことがあります。17歳の娘を持つ親の元に、「娘を殺す、絶対に殺す」という脅迫状が届いたら、毎日、毎日、どんな思いで暮らさなければならないかということです。そのことを考えるたびに、千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じ、くやし涙がこぼれてきます。

私は、2015年2月2日、北星学園大学の事務局から、「学長宛に脅迫状が送られてきた」という連絡を受けました。脅迫状はこういう書き出しでした。

「貴殿らは、我々の度重なる警告にも関わらず、国賊である植村隆の雇用継続を決定した。この決定は、国賊である植村隆による悪辣な捏造行為を肯定するだけでなく、南朝鮮をはじめとする反日勢力の走狗と成り果てたことを意味するものである」

5枚に及ぶ脅迫状は、次の言葉で終わっています。

「『国賊』植村隆の娘である●●●を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」

私は、足が震えました。

大学に脅迫状が送られてきたのは2014年5月末以来、これで5回目でした。最初の脅迫状は、私を「捏造記者」と断定し、「なぶり殺しにしてやる」と脅していました。さらに「すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」と書いていました。

娘を殺害する、というのは、5回目の脅迫状が初めてでした。もう娘には隠せませんでした。「お前を殺す、という脅迫状が来ている。警察が警戒を強めている」と伝えました。娘は黙って聞いていました。

娘への攻撃は脅迫だけではありません。2014年8月には、インターネットに顔写真と名前が晒されました。そして、「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」と書かれました。こうした書き込みを削除するため、札幌の弁護士たちが、娘の話を聞いてくれました。私には愚痴をこぼさず、明るく振舞っていた娘が、弁護士の前でぽろぽろ涙をこぼすのを見て、私は胸が張り裂ける思いでした。

なぜ、娘がこんな目にあわなければならないのでしょうか。1991年8月11日に私が書いた慰安婦問題の記事への攻撃は、当時生まれてもいなかった高校生の娘まで、標的にしているのです。悔しくてなりません。脅迫事件の犯人は捕まっていません。いつになったら、私たちは、この恐怖から逃れられるのでしょうか。

■私への憎悪をあおる櫻井さん
櫻井よしこさんは、2014年3月3日の産経新聞朝刊第一面の自身のコラムに、「真実ゆがめる朝日報道」との見出しの記事を書いています。このコラムで、櫻井さんは私が91年8月に書いた元従軍慰安婦の記事について、こう記述しています。

「この女性、金学順氏は後に東京地裁に 訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。その上で、櫻井さんは「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じ」ていない、と批判しています。しかし、訴状には「40円」の話もありませんし、「再び継父に売られた」とも書かれていません。

櫻井さんは、訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者への印象をあえて操作したのです。これはジャーナリストとして、許されない行為だと思います。

さらに、櫻井さんは、私の記事について、「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」と断定しています。

櫻井さんは「慰安婦と『女子挺身隊』が無関係」と言い、それを「捏造」の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました。

例えば、櫻井さんがニュースキャスターだった日本テレビでも、「女子挺身隊」という言葉を使っていました。1982年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、日本テレビが「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーを放映すると出ています。

私は、神戸松蔭女子学院大学に教授として一度は採用されました。その大学気付で、私宛に手紙が来ました。「産経ニュース」電子版に掲載された櫻井さんの、そのコラムがプリントされたうえ、手書きで、こう書き込んでいました。

「良心に従って説明して下さい。日本人を貶めた大罪をゆるせません」

手紙は匿名でしたので、誰が送ってきたかわかりません。しかし、内容から見て、櫻井さんのコラムにあおられたものだと思われます。

この神戸の大学には、私の就任取り消しなどを要求するメールが1週間ほどの間に250本も送られてきました。結局、私の教授就任は実現しませんでした。

櫻井さんは、雑誌「WiLL」2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」という論文でも、40円の話が訴状にあるとするなど、産経のコラムと似たような間違いを犯しています。

このように、櫻井さんは、調べれば、すぐに分かることをきちんと調べずに、私の記事を標的にして、「捏造」と決めつけ、私や朝日新聞に対する憎悪をあおっているのです。

その「WiLL」の論文では、私の教員適格性まで問題にしています。「改めて疑問に思う。こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか、と。植村氏は人に教えるより前に、まず自らの捏造について説明する責任があるだろう」

「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえること、デッチあげることです。記事が「捏造」と言われることは、新聞記者にとって「死刑判決」に等しいものです。

朝日新聞は、2014年8月の検証記事で、私の記事について「事実のねじ曲げない」と発表しました。しかし、私に対するバッシングや脅迫はなくなるどころか、一層激しさを増しました。北星学園大学に対しても、抗議メールや電話、脅迫状が押し寄せ、対応に追われた教職員は疲弊し、警備費は膨らみました。

北星学園大学がバッシングにあえぎ、苦しんでいた最中、櫻井さんは、私と朝日新聞だけでなく、北星学園大学への批判まで展開しました。

2014年10月23日号の「週刊新潮」の連載コラムで、「朝日は脅迫も自己防衛に使うのか」という見出しを立て、北星学園大学をこう批判しました。「23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか」

同じ2014年10月23日号の「週刊文春」には、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい “OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」との見出しで、櫻井よしこさんと西岡力さんの対談記事が掲載されました。私はこの対談の中の、櫻井さんの言葉に、大きなショックを受けました。

「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」

櫻井さんの発言には極めて大きい影響力があります。この対談記事に反応したインターネットのブログがありました。

「週刊文春の新聞広告に、ようやく納得。もし、私がこの大学の学生の親や祖父母だとしたなら、捏造で大問題になった元記者の事で北星大に電話で問い合わせるとかしそう。実際、心配の電話や、辞めさせてといった電話が多数寄せられている筈で、たまたまその中に脅迫の手紙が入っていたからといって、こんな大騒ぎを起こす方がおかしい。櫻井よしこ氏の言うように、「錦の御旗」にして「捏造問題」を誤魔化すのは止めた方が良い」

私はこのブログを読んで、一層恐怖を感じました。ブログはいまでもネットに残っています。

櫻井さんは、朝日新聞の慰安婦報道を批判し、「朝日新聞を廃刊にすべきだ」とまで訴えています。言論の自由を尊ぶべきジャーナリストにもかかわらず、言葉による暴力をふるっているようです。「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起している」のは、むしろ、櫻井さん自身の姿勢ではないか、と思っています。

■「判決で、救済を」

「言論には言論で闘え」という批判があります。私は「朝日新聞」の検証記事が出た後、複数のメディアの取材を受け、きちんと説明してきました。また、複数の月刊誌に手記を掲載し、自分の記事が「捏造」ではないことを、根拠を上げて論証しています。にもかかわらず、私の記事が「捏造」であると断定し続ける人がいます。大学や家族への脅迫もやむことがありませんでした。こうした事態を変えるには、「司法の力」が必要です。

脅迫や嫌がらせを受けている現場はすべて札幌です。櫻井さんの「捏造」発言が事実ではない、と札幌で判断されなければ、こうした脅迫や嫌がらせも、根絶できないと思います。

私の記事を「捏造」と決めつけ、繰り返し世間に触れ回っている櫻井さんと、その言説を広く伝えた「週刊新潮」、「週刊ダイヤモンド」、「WiLL」の発行元の責任を、司法の場で問いたいと思います。私の記事が「捏造」でないことを証明したいと思います。

裁判長、裁判官のみなさま。どうか、正しい司法判断によって、「捏造」記者の汚名を晴らしてください。。家族や大学を脅迫から守ってください。そのことは、憲法で保障された個人の表現の自由、学問の自由を守ることにもつながると確信しています。

(2018年7月13日)


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


585. 中川隆[-13751] koaQ7Jey 2018年8月16日 20:11:04: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17887] 報告
▲△▽▼

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962
2018.08.15 貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 現代ビジネス
ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実

今年も8月15日がめぐってきた。だが、73年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。

とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、いわゆる「戦後ゼロ年」であろう。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。高度成長という威勢の良い華やかなサクセス・ストーリーの陰で、暗い役回りを押し付けられたせいかもしれない。

だがもっと本質的なことは、敗戦直後の時代には、その時代を経験した人であっても知ることのできなかった秘密がたくさんあるということだ。

占領軍は、情報をコントロールしていることを悟られないような巧妙なやり方で検閲をおこない、メディアを支配する情報戦を仕組んでいた。その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわばブラックホールのなかへ姿を消してしまった。

「戦後社会の原点」とみなされる時代であるにもかかわらず、多くの真実が欠落し、核心がぼやけたまま風化してしまったのである。

ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。原動力のひとつは、機密資料の公開である。たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、150万点に達するGHQの検閲記録がある。A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。

こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。まず、時計の針を敗戦から3日後の1945年8月17日にあわせてみよう。

日本政府がつくった「性の防波堤」

この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。

実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。

40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。

RAAをめぐる公式記録『R・A・A協会沿革誌』はこう述べている。

〈R・A・A協会が、その使命を忠実に達成する為、真先に開業したのは慰安所である。進駐軍将兵にとって、何よりも先ず慰安すべき面はセックスの満足であった〉

電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。

占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。

「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」(大霞会編『続内務省外史』、地方財務協会)

軍国主義者がおびえていたのは、結局のところ、来るべき占領軍の蛮行というよりも、鏡に映った己の姿、日本軍の影だったのではあるまいか。

「からだじゅうが痛くて…」

8月28日、午前9時、RAAの幹部20名が皇居前広場に集合した。『R・A・A協会沿革誌』によれば、ここで全員が宮城に向かい宣誓式を行ったという。宣誓の主旨はこうである。

〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉

敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。

8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。

50人の女性、それも大半はシロウトの女性が送り込まれ、10畳、20畳の大部屋をカーテンや屏風で仕切り、30ほどの部屋が作られた。待ちかねたように、米兵がどっと押し寄せ、障子や襖を蹴破って、土足のまま押し入ってくる。女たちは恐怖のどん底へ投げ込まれた。

「恐怖におびえるまもなく、兵隊が入ってくるなり私を抱くと、しびれるほど唇を吸う。(略)入れ替わりに、つぎの兵隊がくる。(略)つぎからつぎへと抱いては送り、送っては抱き、(略)からだじゅうが痛くて……。」(『東京闇市興亡史』より)


RAAが横須賀に設けた慰安施設「安浦ハウス」(米軍資料)

女とみると、手あたりしだい

『R・A・A協会沿革誌』によれば、小町園を皮切りに、立川「キャバレー富士」、調布「調布園」、福生「福生営業所」、北多摩「ニューキャッスル」、築地「宮川」、人形町「花家」、向島「迎賓館大蔵」、若林「R・A・Aクラブ」が次々とオープン。

東京だけで33か所。従業員は450人。ダンサー2000人。350人の「慰安婦」。ひとりの女性が最高で一日60人を相手にした、との証言もある。


銀座松坂屋近くにRAAがつくったキャバレー“Oasis of Ginza”(Photo by gettyimages)

一方、RAAの幹部連中は何をしていたか。戦前に吉原で遊郭を経営していた経歴を持つRAA営業所長・岡本清次の談。

「RAAの仕事は国家の肝煎りですから、国から給料もらっているような身分でした。基本給千百円、手当て千百円の計二千二百円というのは、当時としてはそうとうな高給取り」

「食事のほうは、米兵からの土産もあったし、なにしろ警視庁から食券がきていましたから。(略)兵隊がもってくる牛肉は、ブ厚くてスキヤキにするとほんとうにうまかった」

当時、警視総監であった坂は、「RAAがあったおかげで占領軍兵士による強姦事件はほとんどなかった」と主張している。しかし、近年公開された米軍の極秘資料は、それがまぎれもなく“虚偽の申告”であり、実態はむしろ逆であったことを示唆している。

米兵による暴行事件は、8月30日にはじまり、RAAの営業によっても止むことがなかった。1945年11月中に発生した米兵の犯罪は、婦女暴行、強姦、盗み、おどし、たかりなど、554件に達している。報道が禁止されていたゆえ、一般に知られなかっただけなのである。

特に強姦事件や強盗事件が多かったのは、小町園に近い大森海岸であった。売春婦の紹介業を務めていた菅原道雄は、その理由をこう証言している。

「大森で、強盗・強姦事件が頻繁におきたのも慰安所と関係ありますね。タバコや洋服を『金にかえてくれ』といってくるヤツが多かったし、それもないヤツは強盗をしてまで女を抱く金を得ようとする。慰安所にはGIが行列をなしていてあぶれちゃうヤツがでるんですよ。そうなると、手あたりしだい、女とみると襲いかかるのです。

夜の八時ころだったでしょうか。大森から大森海岸へ行くまっ暗な道で女の人の悲鳴をきいたことがあります。たぶん素人の人でしょうが強姦されていたんです。私は一目散に逃げましたよ。だって、アメちゃんは刃物をもってましたからね」

RAAの組織と人脈から、占領終了後、赤線や基地売春が生まれた。国家がつくりだした巨大売春施設こそ、戦後の売春産業の源泉であったのである。

いまも残る「東京ブラックホール」

戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。

あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、こうした莫大な財産は国民には返還されず、高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。

戦後ゼロ年、飢餓やインフレは、戦争中より深刻だった。もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。

人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。

膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。

米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。

こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。

戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、戦争を推進した旧支配層を取り込んで、アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。

『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


586. 中川隆[-13519] koaQ7Jey 2018年9月28日 06:37:40: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18859] 報告
▲△▽▼

『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/09/26/antena-332/
佐藤和雄|2018年9月26日10:23AM 週刊金曜日
 
 尋問を終えた西岡力氏。東京・霞ヶ関。(撮影/高波淳)


「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏――。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ。

東京地裁では、元「慰安婦」記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元『朝日新聞』記者の植村隆・韓国カトリック大学客員教授が西岡氏らを相手取り、損害賠償などを求めた訴訟が2015年1月から続いている。

植村氏は1991年8月、韓国での「慰安婦」問題に取り組む市民団体への取材やその聞き取り調査に応じた女性(のちに記者会見で名乗り出た金学順さん)の録音テープを聞いてスクープし、同年12月にも証言を記事化した。

西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』2014年2月6日号で「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。

しかし、尋問で「そう訴状に書いてあるのか」と問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。金さんの記者会見を報じた韓国『ハンギョレ』新聞の記事を著作で引用した際、「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた。

西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。

(佐藤和雄・ジャーナリスト、大学非常勤講師、2018年9月14日号)

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


587. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2018年9月28日 07:03:34: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18877] 報告
▲△▽▼

「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
http://www.bengo4.com/topics/2536/
2015年01月09日 16時33分 弁護士ドットコムニュース

■《慰安婦報道問題》植村隆 元朝日新聞記者 記者会見 主催:日本外国特派員協会

Broadcast live streaming video on Ustream


慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆氏が1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、週刊誌記事などで「捏造」と批判されていることについて、「私は捏造記者ではない。不当なバッシングに屈するわけにはいかない」と主張した。植村氏はこの日、「捏造記者」と報じた文藝春秋と西岡力・東京基督教大学教授に損害賠償を求める訴えを起こした。


植村氏は朝日新聞記者時代の1991年8月、元慰安婦だと初めて名乗り出た韓国人女性が証言しているテープをもとに、記事を書いた。朝日新聞社が昨年8月に虚偽であると判断した故・吉田清治氏の「慰安婦狩り」証言の報道とともに、慰安婦問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった。


植村氏は2014年に朝日新聞社を退職し、現在は北星学園大学(札幌市)で非常勤講師を勤めているが、大学に対して、植村氏の退職を求める脅迫状が届き、大きな問題になった。植村氏の記事をめぐっては、昨年8月の朝日新聞社の検証で、「記事に事実のねじ曲げない」としながらも、「女子挺身隊=慰安婦」という表現は誤っていたと認めている。


以下、植村氏が外国人記者に向けて語ったスピーチの全文を紹介する。


●冒頭スピーチ全文


みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。


私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、脅迫状が送られてきました。匿名性に隠れた卑劣な脅迫行為は、絶対に許すことができないと思います。なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、私がそこに勤務しているからであります。去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、こうした脅迫行為がおこなわれています。


私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、この訴訟を起こしました。


私は24年前の大阪社会部時代に、慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。彼女の勇気のある証言で、慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。


1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。この見出しを見ていただければわかりますが、「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。


西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。


(私の記事では)本文2段落目に、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。そこには触れないで、(西岡氏は)「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。これはフェアではないと思います。


私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。しかし、西岡氏は1992年4月の文藝春秋で、「重大な事実誤認」と批判していました。その当時、西岡氏は、「朝日に限らず日本のどの新聞も、金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」と書いています。


しかし、その後は、私だけを狙い撃ちにして批判しています。98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。フレームアップだと思います。結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。これはフレームアップの延長線上だと思います。


この記事が原因で、私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。


標的は大学だけではありません。私の家族、娘にまで及びました。娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。たとえば、「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」。私のパートナーは韓国人です。つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。娘に対してヘイトスピーチのような、コリアンを差別するようなコメントも書かれています。


週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的にこうした状況を引き起こしたのだと思います。私は言論の場でも手記を発表して反論しています。それだけではなく、法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。


私は「捏造記者」ではありません。不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。


              ◇


<慰安婦報道>元朝日新聞記者 文春と西岡教授を提訴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150109-00000055-mai-soci
毎日新聞 1月9日(金)17時32分配信


 従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆氏(56)が9日、記事を捏造(ねつぞう)したと報じられ名誉を傷つけられたとして、文芸春秋と西岡力・東京基督教大教授に1650万円の賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。弁護団は同様の報道を順次提訴するといい、「中傷を完全に打ち消す」としている。


 訴状によると、文芸春秋は週刊文春の昨年2月6日号と8月14・21日号で、西岡氏は書籍や雑誌で、植村氏が執筆した記事を「捏造と言っても過言ではない」などと報じた。「いわれなき中傷を流布され、家族を含め激しい迫害を受けている」と主張している。


 植村氏は提訴後に記者会見し「不当なバッシングには屈しない」などと話した。


 週刊文春編集部は「記事には十分な自信を持っている」、西岡氏は「私が書いていることは、憲法が保障する言論の自由の中だと思っている」とコメントした。【山本将克】


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


588. 中川隆[-13361] koaQ7Jey 2018年10月21日 13:36:25: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19411] 報告
▲△▽▼

櫻井よしこに続き西岡力も「捏造」を法廷で白状! 安倍応援団や右派の朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈
https://lite-ra.com/2018/10/post-4323.html

2018.10.20 櫻井よしこ、西岡力、文春…朝日・慰安婦報道叩きのデタラメが次々露呈 リテラ

    
    『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E7%A7%81%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%8D%8F%E9%80%A0%E8%A8%98%E8%80%85%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%A4%8D%E6%9D%91-%E9%9A%86/dp/4000610945/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1540096531&sr=1-1&keywords=%E7%9C%9F%E5%AE%9F+%E7%A7%81%E3%81%AF+%E6%8D%8F%E9%80%A0%E8%A8%98%E8%80%85+%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84


「慰安婦問題は朝日新聞が捏造した」という右派のおきまりのフレーズが、まさに自らに突き刺さる事態となっている。元朝日新聞記者の植村隆氏が提訴した裁判で、植村氏を「捏造記者」などと攻撃した極右言論人たちの嘘とでっち上げが、次々と白日のもとに晒されているのだ。

 念のため振り返っておくと、植村氏は、2014年に朝日新聞がいわゆる「吉田清治証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消した問題で、右派メディアやネット右翼たちからスケープゴートにされた記者だ。植村氏は朝日が虚偽だと認めた「吉田証言」とは無関係だが、過去に従軍慰安婦の記事を2度執筆しており、その内容が「事実上の人身売買であるのに強制連行されたと書いた」などとして、右派から「植村は捏造記者だ」と総攻撃を受けた。

 しかし、植村氏はその後、自分への攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、極右言論人と出版社を相手取って複数の裁判を起こした。そのひとつが、櫻井よしこ氏と櫻井氏の原稿を掲載したワック、新潮社、ダイヤモンド社を相手取った札幌地裁の名誉毀損裁判である。当時、本サイトでも詳しく伝えたように、今年3月の口頭弁論では、櫻井氏が本人尋問にて、植村氏を「捏造記者」と書いた根拠に関する重要な事実関係の間違いを認めている。

 そして今秋、慰安婦否定論の急先鋒で“安倍晋三のブレーン”のひとりといわれる西岡力氏と、「週刊文春」の版元・文藝春秋を訴えた東京地裁の法廷でも、たて続けに連中の悪質なウソと捏造が暴かれた。いい機会なので丁寧に解説しておこう。

 そもそも、一連の“植村バッシング”に火をつけたのは、「週刊文春」2014年2月6月号の記事「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大学教授に」だ。この記事が大きくネットで拡散され、植村氏が同年4月から教壇に立つ予定だった神戸松蔭女子学院大学に「なぜこんな者を教授にするのか」「辞めさせろ」などの大量の電話や約250通ものメールが殺到。植村氏自身も著書『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)のなかで〈私の人生が大きく狂うことになった〉と記しているように、結果、大学側は就任前に植村氏の内定を取り消してしまった。さらに、記者時代から非常勤講師を務めていた北星学園大学にも「なぶり殺しにしてやる」などの脅迫が殺到し、本人だけでなく娘にも殺害予告が送られる事態に発展した。

 実は、この問題の文春記事のタイトルの元になったのが、掲載された西岡氏(当時・東京基督教大学教授)のコメントだった。

「植村記者の記事には、『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係がありません。しかも、このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事といっても過言ではありません」(「週刊文春」2014年2月6日号)

 この西岡氏のコメントは、札幌地裁、東京地裁両裁判の重要な争点と重なっている。西岡氏はほかにも「植村記者が記事で言及した女性は日本軍に強制連行されたのではなく、親に身売りされて慰安婦になっていたのです」(「週刊文春」2014年3月13日号)などと、繰り返し断じてきた。

■朝日・慰安婦報道を「捏造」と攻撃し続けた西岡力のほうが捏造していた!

 西岡氏が「捏造記事」と言いふらしているのは、朝日新聞1991年8月11日大阪朝刊に掲載された植村氏の署名記事「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」だ。挺身隊問題対策協議委員会(挺対協)が、元慰安婦の金学順さんに聞き取りをしたテープ等を元に、〈「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」〉の生存などを報じたもので、その後、金学順さんは日本国を相手に集団提訴に踏み切った。

 西岡氏の言う「このとき名乗り出た女性」は金学順さんを指し、「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き」がこの提訴時の訴状のこと。「韓国紙の取材にもそう答えているというのはハンギョレ新聞の記事のことだ。

 その後も西岡氏は著書などで、ハンギョレ新聞を根拠として「金学順は40円でキーセンとして売られた」という趣旨の主張を続けてきた。いわゆる“慰安婦たちは日本軍に強制連行されたのではなく、キーセンとして合法的に売られた”という「人身売買説」である。

 ところが、だ。実際には、訴状のなかに「親に身売りされて慰安婦になった」などという記述はまったく存在しなかった。さらに「韓国紙で金氏が40円で売られたと話している」という根拠も、なんと西岡氏が“捏造”したものだったことが裁判のなかで判明したのだ。

「週刊金曜日」2018年9月29日号に掲載された、水野孝昭・神田外語大学教授によるレポートによれば、原告弁護団から訴状に「親に身売りされた」との記載がなかったことを追及された西岡氏は、「記憶違いだった」と虚偽を認めた。

 また、ハンギョレ新聞の記事は西岡氏自身も翻訳しているのだが、原告側弁護士が記事原文とそれを引用した西岡氏の著書の初版を比較。「私は四〇円で売られてキーセンの修行を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところの行きました」という西岡氏の翻訳について、この記述は原文にはないと追及すると、西岡氏は「ありません。間違いですね」を認めたというのだ。「週刊金曜日」は、その9月5日東京地裁での本人尋問の一部をこう伝えている。

 弁護士「いかにも本人の発言であるかのような、この文章はどこから持ってきたのですか」

 西岡氏「覚えていないですね。まずいですね」

 弁護士「まずいですよね。これは記事の引用ですか? 元の文書がどこかにないとおかしいですね?」

 西岡氏「おかしいですね」

 弁護士「それとも月刊『宝石』の記事をもとにして、あなたが勝手に作って書き足した言葉ですか?」

 西岡氏「うーん、覚えてないですね。これ間違いですね」

■西岡力・櫻井よしこが根拠として提出した記事に、強制連行を裏付ける記述が

「まずいですね」で済む問題ではない。もはや“捏造”どころか、西岡氏による「創作」というべきだろう。なお、西岡氏と原告側弁護士とのやりとりに出てくる「月刊『宝石』の記事」というのは、ジャーナリスト・臼杵敬子氏が同誌1992年2月号に寄せたもので、そのなかには金学順さんの証言が掲載されている。西岡氏はこの記事を証拠のひとつとして裁判に提出しているのだが、むしろ「宝石」記事には、金学順さんが強制連行されたことを裏付ける証言が掲載されていた。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。〉(「宝石」での学順さんの証言)

「養父」というのはキーセン学校の経営者のことだが、日本人将校がその養父を暴力で脅して排除。金学順さんは日本軍のトラックで連れて行かれたという証言だ。前述のハンギョレ新聞も“養父は日本軍による武力で私を奪われた”と同じ趣旨を学順さんの発言として報じている。つまり、西岡氏はどこにも書かれていない「親に身売りされて慰安婦になった」というくだりをでっち上げただけでなく、こうした日本軍による強制性を裏付ける証言を意図的に無視してきたのだ。

 それだけではない。西岡氏はいたるところで“挺身隊は慰安婦とは関係なく植村氏の虚偽である”と主張しているが、そもそも事実として、金学順さん本人が1991年8月14日の会見で「挺身隊」という言葉を用いている。また、当時の社会認識として、韓国メディアも日本メディアも「女子挺身隊」と「慰安婦」は同じものだという前提で記事を書いており、これは1991年9月3日付産経新聞大阪本社版にも〈「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と表現しているとおり。端的に言って西岡氏の誤りだ。

 西岡氏は〈自分で、キーセンに売られたと話している老女を「挺身隊として強制連行された慰安婦」として、平気でウソを書く新聞記者〉(『増補新版 よくわかる慰安婦問題』草思社)と植村氏を攻撃するが、「平気でウソ」をつくとは、まさに西岡氏のことではないのか。

 ようは、植村氏を「捏造記者」呼ばわりして攻撃し、殺害予告まで起きたバッシングを扇動した西岡氏のほうが、実は、証言や資料を捻じ曲げ、あろうことか「慰安婦の強制連行はなかった」という右派の“願望”にそうよう捏造までしていたのである。

 前述したもう一つの裁判、札幌地裁の法廷での櫻井よしこ氏の虚偽判明も、西岡氏のデタラメとよく似た同じ構造をしている(詳しくは本サイトの過去記事を参照https://lite-ra.com/2018/04/post-3921.html)。いずれにしても、こうしたデタラメな言説を繰り返された結果、植村氏は不当にも“血祭り”にあげられてしまったのだが、その責任は西岡氏や櫻井氏らだけにあるのではない。極右言論人にまる乗りしてバッシングキャンペーンを張った「週刊文春」などのメディアもまた同罪だろう。

■文春で植村バッシング記事を手がけたのは、官邸に近いあの記者だった!

 実は、9月5日の東京地裁では、もうひとつの興味深いことがあった。それは、証人尋問に、前述の“植村バッシング”に火をつけた「週刊文春」2014年2月6日号の記事を手がけた記者が立ったことだ。その元文春記者とは、あの竹中明洋氏である。

 あの、と言っても、すぐにはピンとこないかもしれない。竹中氏はもともと、NHK記者などを経て「週刊文春」の契約記者に転身。本サイトでも取り上げてきた「週刊文春」の“沖縄バッシング”記事の多くに関わってきたとされるが、2016年に別名でライバル誌である「週刊新潮」に密かに寄稿。これが文春側にバレて契約解除となって以降は、フリージャーナリストとして活動中だ。

 昨年出版した著書『沖縄を売った男』(扶桑社)の帯には菅義偉官房長官のコメントが写真付きで飾られ、自民党青年局の定例昼食会で講演するなど、竹中氏は安倍官邸・自民党との距離が極めて近い。先日の沖縄知事選では、自民公明などが推薦する佐喜真淳陣営の一員に加わっていたことも取りざたされた。

 9月5日の口頭弁論では、その竹中氏が、問題の文春記事を取材・執筆した記者として証言台にあがった。「週刊金曜日」9月28日号の中町広志氏によるレポートによれば、原告側弁護士から取材の経緯や狙い、反響について聞かれた竹中氏は、詳細については「覚えていない」と発言。裁判長らから当該記事以前の慰安婦問題の取材歴について質問されると「記憶の限りでは、ありません」と答えたという。

 しかし、竹中氏の取材には様々な点で問題が指摘されている。竹中氏は記事を書くにあたって、2014年1月に神戸松蔭女子学院大に電話で質問したという。だが、植村氏が前掲の著書『真実』で明かすところによれば、竹中氏は「植村さんは捏造記事を書いた人ですよ」などと大学側に語っていた。さらにメールでは、植村氏の記事が〈重大な誤り〉〈意図的な捏造〉〈日本の国際イメージを大きく損なった〉などと指摘されているとしたうえで、〈貴大学は採用にあたってこのような事情を考慮されたのでしょうか〉などと連ねてあったという。

 前述した「週刊金曜日」によると、法廷で電話の真意について尋ねられた竹中氏は「記憶にない」と答えたというが、植村氏によれば、竹中氏は同年8月には北星学園にも質問状を送付。やはり〈大学教員としての適性には問題ないとお考えでしょうか〉などとしていた。結果的として松蔭女子学院大は植村氏の教授内定を取り消してしまったように、これでは取材というよりも、ほとんど「圧力行為」や「恫喝」と受け取られてもしかたがあるまい。

 いずれにしても、植村氏が桜井氏らと西岡氏らを提訴したふたつの裁判は、「従軍慰安婦は朝日の捏造だ」とがなりたてる極右界隈のデタラメと捏造を満天下に知らしめた。しかし、こうした連中の卑劣な実態を報じるメディアは少なく、朝日さえもいまだに一連のバッシングで萎縮している状況だ。札幌地裁のほうはいよいよ11月9日に判決が下る。マスコミは、いまこそ真実を伝えるべきである。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


589. 中川隆[-13363] koaQ7Jey 2018年10月21日 14:14:18: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19414] 報告
▲△▽▼

朝日新聞の慰安婦報道を「捏造」と糾弾していた櫻井よしこの「捏造」が裁判で明らかに!2018.04.02.
https://lite-ra.com/2018/04/post-3921.html

本サイトで連日お伝えしているように、朝日新聞のスクープによる公文書改ざん問題の直撃を受けて、安倍応援団メディアや極右御用評論家のトンデモぶりが次々明らかになっている。周知の通り、連中は事あるごとに「森友問題は朝日のフェイク」「捏造報道の朝日は廃刊せよ」などとがなりたててきたわけだが、改ざんが事実であることが発覚して“捏造”“フェイク”が自分たちであることを満天下に知らしめてしまったのだ。

 しかし、実はこうした構図は森友文書改ざんだけではない。まさに安倍応援団と極右論壇が「捏造」「国賊」と叫んで一斉に攻撃していた朝日新聞の慰安婦報道をめぐる裁判で重鎮・櫻井よしこ氏の嘘とインチキが明らかになった。

 この裁判というのは、元朝日新聞記者・植村隆氏が起こした裁判。周知のように、植村記者は、2014年、朝日新聞が「吉田証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消した問題で、右派メディアやネット右翼たちからスケープゴートにされた記者だ。植村氏は朝日が虚偽だと認めた「吉田証言」とは無関係だが、過去に従軍慰安婦の記事を2度執筆しており、その内容が「事実上の人身売買であるのに強制連行されたと書いた」などとして、右派から「植村は捏造記者だ!」と総攻撃を受けた。そして、非常勤講師を務めている北星学園には脅迫が殺到、さらに本人だけでなく娘にも殺害予告が届くなど、“リンチ”とも呼べる状況が続いたのである。

 しかし、その後、植村記者は反撃に転じた。自分の身に降りかかった攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、「捏造記者」などと攻撃した極右言論人と出版社に対し、裁判を起こしたのだ。

 今回の裁判はそのひとつで、櫻井よしこ氏と、櫻井氏の原稿を掲載した「WiLL」の発行元ワック、新潮社、ダイヤモンド社を相手取って、札幌地裁に名誉毀損の損害賠償を請求する訴訟を起こしたものだ。

 たしかに、これらのメディアで櫻井氏は植村氏のことを「捏造記者」と誹謗中傷していた。たとえば、「WiLL」(ワック)2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」なるタイトルの記事では、〈朝日新聞が日本国民と日本国に対して犯した罪のなかで最も許し難いものは、慰安婦問題の捏造〉〈日本人による「従軍慰安婦」捏造記事〉〈日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事〉として植村氏を名指しして書き連ねている。

 ところが、3月23日に開かれた第11回口頭弁論、被告の櫻井氏の本人尋問で、その根拠がまったくのデタラメであることが暴かれてしまったのだ。どうしようもなくなった櫻井氏が全面的に自らの誤りを認める場面もあった。

自ら誤りを認めた後も、訂正することなく植村記者攻撃を続ける櫻井よしこ


 櫻井氏が、「捏造」と攻撃したのは、朝日新聞1991年8月11日付大阪朝刊に掲載された「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」と題する植村氏の署名記事など。挺身隊問題対策協議委員会(挺対協)が金学順さんに聞き取りをした証言テープ等を元に、〈「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」〉の生存などを報じたものである。報道の3日後、金学順さんは実名で記者会見をし、同年12月には日本国を相手に集団提訴。植村氏は弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し、同12月25日に金学順さんの証言を記事にした。

 ところが、櫻井氏は金学順さんが東京地検に提訴した訴状のことをもちだして、前出の「WiLL」記事のなかで、こう書いていた。

〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。
 植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とはなんの関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。〉

 つまり、櫻井氏がいう「捏造」の根拠のひとつは「訴状には金学順さんが継父によって40円で売られ、さらに再び継父によって連れられて慰安婦にさせられた、という記述があるのに、植村氏はこれを無視するという意図的な捏造報道を行った」というものだ。

 ところが、実際の訴状には、櫻井氏がいう「継父によって四十円で売られた」なる記述は、そもそも存在していなかった。つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことを“捏造”して、植村氏に対し「捏造記者」などという攻撃を繰り返していたのである。

 実は、この点は、2016年4月22日の第一回口頭弁論でも植村氏側が指摘しており、櫻井氏はその後の記者会見で「訴状にそれが書かれていなかったということについては率直に私は改めたいと思いますが」(産経ニュース「櫻井よしこ氏会見詳報(2)」より)と、訂正する旨の発言をしていた。だが、これ以降も、櫻井氏は一向に反省した様子はなく、「WiLL」16年7月号は櫻井氏の意見陳述全文を掲載し、「恥なき朝日と植村元記者へ」なるタイトルまでつけて、植村氏を攻撃していた。

 しかし、今回の尋問で、植村氏側の弁護士から改めて「継父によって四十円で売られた」という記述が訴状にないことを追及され、櫻井氏はそのことを法廷で認めざるをえなかった。

 しかも、櫻井氏への反対尋問では、さらに杜撰な実態が露呈した。櫻井氏は植村氏側弁護士から「継父によって四十円で売られたという話の根拠はなんなのか」と問い詰められ、1992年2月の月刊「宝石」(休刊/光文社)の記事からの引用の間違いだったと釈明した。その「宝石」記事はジャーナリストの臼杵敬子氏によるもので、金学順さんの証言が掲載されている。

 ところが、である。実は「宝石」記事の金学順さんへのインタビューにも、やはり「継父によって四十円で売られた」「十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた」なる記述は、どこにもないのである。


櫻井よしこが根拠と主張した記事には、強制連行を裏付ける記述が!


 まず、「宝石」記事にある金学順さんの証言によると、学順さんが14歳の時、母親が再婚したが〈私は新しい父を好きになれ〉なかったとして、こう振り返っている。

〈その後、平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。
 ところが、十七歳のとき、養父は「稼ぎにいくぞ」と、私と同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。〉

 学順さんがいう「養父」とは「妓生専門学校の経営者」のことであって、「継父」(=「新しい父」)ではない。また、金学順さんは挺対協の聞き取りに対しても〈母は私を、妓生を養成する家の養女に出しました〉〈それから母は養父から四十円をもらい、何年かの契約で私をその家に置いて行ったと記憶しています〉(『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店)と、同じような証言をしている。よしんば、櫻井氏が「養父」と「継父」を勘違いしたとしても(それも致命的なミスであることに変わりはないが)記述と言い逃れとのペテン的矛盾は明らかだろう。

 しかもきわめつけは、櫻井氏が出典だとする「宝石」記事では、上の引用部の直後に、むしろ強制連行を裏付ける記述が続いていることだ。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。〉(「宝石」での学順さんの証言)

 つまり、養父は学順さんを「四十円で売った」とはどこにも書かれておらず、逆に日本人将校らに暴力で脅されて土下座までして、その場から排除されたという証言である。そして、金学順さんは日本軍のトラックで鉄壁鎭に連れて行かれたというのだ。

 すなわち、櫻井氏がいう〈十四歳のとき、継父によって四十円で売られ〉〈十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられ〉〈継父によって人身売買された〉なる主張は「宝石」記事からはまったく読み取ることが不可能なデタラメであり、逆に、本当にこの証言を出典としたのならば、櫻井氏はわざと日本軍による強制連行をネグったことになる。

 ようするに、櫻井氏は、訴状に書かれていないことを「捏造」しておいて、出典を間違えたという言い訳でも自分に都合の悪い「重要な部分」を外していた。にもかかわらず、植村氏を「捏造記者」呼ばわりし、メディアで何度も言いふらして攻撃した。デタラメとしか言いようがない。


嘘だらけ!櫻井よしこは、福島瑞穂と架空の会話をでっちあげた過去も


 櫻井氏のペテンの暴露はまだある。櫻井氏は、学順さんが自らを「挺身隊」とは称していないと主張し、植村氏の「捏造」だと主張した。ところが、91年8月14日の会見では、学順さんは実際に「挺身隊」と言っていたのだ。

 裁判を傍聴していたジャーナリストの安田浩一氏がネット番組『NO HATE TV』(3月28日放送)で、この部分についての櫻井氏と植村氏側弁護士のやりとりをこう紹介している。

「これは韓国各紙がきちんと報じている。弁護士は、韓国各紙の翻訳を一つ一つ櫻井さんに見せて、これは認めますね、とやっていった。櫻井さんはしょんぼりと、はい「認めます」「認めます」というかたちで認めた。自らの調査、取材のいい加減さ、あるいは認識の甘さというものは、全部、法廷でもって明らかになったわけです」

 さらに、原告弁護士は反対尋問の終わりに、櫻井氏の別の捏造事件についても質問していた。本サイトでも以前取り上げたことがあるが、櫻井氏が1996年の講演会で、まだ国会議員になる前の福島瑞穂氏について、本人が言ってもいないことを「捏造」して吹聴していたのだ。

 月刊誌「創」(創出版)1997年4月号で福島氏本人がこう明かしている。

〈1996年12月上旬頃、桜井さんから電話がかかってきた。「福島さんに対して実に申し訳ないことをしました。講演をしたときに、うっかり口がすべって『従軍慰安婦の問題について福島さんももう少し勉強をしたらどうですか』と言ってしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」といった内容の謝罪の電話であった。12月29日ごろ、講演録の冊子を見て心底驚いた。
「私は福島さんを多少知っているものですから、あなたすごく無責任なことをしているんではないですか、というふうに言いました。せめてこの本を読み、せめて秦郁彦さんの研究なさった本を読み、済州新聞を読み、そして秦郁彦さんなどの歴史研究家の従軍慰安婦の資料を読んでからお決めになったらどうだろう、吉田清治さんの本を証拠として使うこと自体がおかしいのではないかと言ったら、ウウンまあ、ちょっといろいろ勉強してみるけど──というふうにおっしゃってましたけれども……」となっているのである。
 講演や話し言葉のなかで、うっかり口がすべったり、不確かなことをしゃべってしまうことはもちろんある。しかし、この講演で話されている私との会話は、全く存在しない架空の虚偽のものである。〉

 ようするに、櫻井氏は論敵である福島氏との虚偽の会話をでっちあげ、さも自分が言い負かしたかのように語っていたのである。安田氏は、この“発言捏造事件”について原告弁護士が櫻井氏を追及したときの光景をこう伝えている。

「ここで弁護士がとどめの一言を言うんです。『あなたが言っていることはまるっきり嘘ではないですか』と、そう指摘したわけです。櫻井さんはなんと答えたかというと、『朝日が書いたことも嘘でしょ』。ここで尋問終わりです(笑)」

 この開き直りかた……。もはや唖然とするレベルだが、いずれにせよ、司法の場で明らかにされたのは、植村氏と朝日新聞を「捏造」と散々攻撃してきた櫻井氏のほうが実は「捏造」を犯していたという事実だ。結審は7月の予定だが、現段階で完全に「勝負あり」と言って差し支えないだろう。


「日本軍が慰安婦を強制連行」と書き広めたのは、朝日ではなく産経新聞


 しかし、忘れてはならないのは、こうしたペテンを駆使して植村氏や朝日を攻撃、「慰安婦問題は朝日の捏造」という印象操作をしかけてきたのは、櫻井氏だけではないということだ。たとえば、この裁判でも櫻井氏側は懲りずに「植村氏は挺身隊と慰安婦を意図的に混同させた」などとがなりたてているが、安田氏も指摘しているように、当時は韓国メディアも市民も慰安婦のことを挺身隊と言って、日本のメディアも一様に「挺身隊の名で連行された」と慰安婦について説明していた。

 この点について本サイトでも過去に検証したことがある。いい機会なので繰り返しておくが、当時の新聞各紙を見てみると、産経を含む朝日以外も「女子挺身隊」「慰安婦」は同じものだという前提で記事が書かれていた。たとえば1991年9月3日付産経新聞大阪本社版には〈「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われている。これは産経が「誤報」をしていたという意味ではなく、当時の社会認識として「挺身隊」と「慰安婦」が混同されていたということを意味する。

 それどころか、当時の産経は金学順さんについて「日本軍によって強制連行された」と、確認できただけで最低2回、ハッキリとそう書いているのだ。うちのひとつ、1993年8月31日付の産経新聞大阪本社版の記事を紹介しよう。

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉

 ちなみに植村氏の記事では、「強制連行」という言葉はひとつも出てこない。ようは、「日本軍によって強制連行された」というフレーズは、朝日ではなく産経が広めたものだったのである。

 ところが、産経はこうした自社の記事をチェックすることなく、朝日新聞、とりわけ植村氏を“慰安婦問題のスケープゴート”に仕立て上げ、櫻井氏ら極右界隈で一丸となって植村氏を血祭りにあげたのだ。

 そして、冒頭に触れたように、朝日バッシングで勢いづいた極右界隈は、「慰安婦大誤報を犯した朝日は信頼できない」「フェイク新聞」などと繰り返し叫び立てることで、慰安婦の存在自体はもちろん、ありとあらゆる朝日報道が虚報であるかのごとく印象操作を続けた。

 その意味では、今回、植村氏が起こした裁判で明らかになったのは、櫻井よしこという“極右の女神”の信じられないようなペテンとデタラメだけではない。極右界隈が事実を簡単に捏造し、自分たちに不都合な事実を覆い隠し、さらにそこに安倍首相ら極右政治家がのっかって、朝日新聞というメディアと植村氏を潰しにかかった。その民主主義国家とは到底思えないグロテスクさが、あらためて、白日のもとにさらされたと言っていいだろう。

〈私は「捏造記者」ではない。これからも、闘っていく。決して屈しない。〉

 植村氏は2016年の著書『真実』(岩波書店)の最後に、あらためてこう決意を示していた。判決を待ちたい。

(編集部)


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


590. 中川隆[-13362] koaQ7Jey 2018年10月21日 14:15:34: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19414] 報告
▲△▽▼

従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

591. 中川隆[-13567] koaQ7Jey 2018年11月10日 23:13:47: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20461] 報告
▲△▽▼

2018年3月25日 札幌第11回■詳報
櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!
「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html

札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。

この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。櫻井氏はその一部については、訂正を約束した。

傍聴券交付に252人の列
尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者は最多記録の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方で、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。

満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も加わっていた。櫻井氏側はいつもと同じ7人と新たに2人の計9人。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別傍聴席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

午前10時32分、開廷。裁判長が証拠類の採否を告げた後、植村氏に証言台で宣誓をするように促し、尋問が始まった。尋問の前半は植村氏、後半は櫻井氏。自身の弁護団に答える主尋問、相手側からの質問に答える反対尋問という順で行われ、重要な争点についての考えが明らかにされた。この中で、櫻井氏のこれまでの言説には重大な誤りや虚偽があることがはっきりした。

植村氏の尋問

植村氏は、1991年当時の記事執筆の経緯と、捏造決めつけ攻撃による被害の実態を詳しく説明した(別掲・陳述書要約を参照)。質問は植村弁護団若手の成田悠葵、桝井妙子両弁護士が行った。主尋問は淡々と進み、予定の1時間で終わって昼休みに入った。

午後1時再開。植村氏への反対尋問が始まった。質問したのは、浅倉隆顕(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信敬(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同)の5弁護士。尋問は1時間40分にわたった。質問が集中したのは、植村氏が記事の前文で「挺身隊」「連行」という用語を使ったこと、また、本文でキーセン学校の経歴を書かなかったことについてだった。このほかに、記事執筆の開始・終了時間や、慰安婦関連書籍の読書歴、関連記事のスクラップの仕方など、争点とは直接関連のない質問も繰り返された。


植村氏は終始ていねいに答えたが、「吉田証言」についてのやりとりで、怒りを爆発させる場面もあった。
朝日新聞社は1997年に「吉田清治証言」(済州島で「慰安婦」を狩り出したとの証言)について調査チームを作り、検証作業を行った。当時ソウル特派員だった植村氏もチームに加わり、済州島での調査結果メモを提出した。安田弁護士はそのメモについて、2014年に朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会の報告書は「あなたの調査はずさん、という表現をしている」と言った。ところが同報告書には植村メモについて「徹底的な調査ではなかったようである」と書かれているものの、「ずさん」という表現は一切ない。
植村氏は、「名誉棄損裁判の法廷で名誉棄損発言をするのですか」と激しく抗議した。安田弁護士は植村氏の剣幕に圧されて「怒らないで下さい、謝ります」と述べ、そのまま尋問を終えてしまった。廷内のあちこちから失笑と溜息が聞こえてきた。


主任弁護人格の高池弁護士はこれまでの弁論ではほとんど発言しなかったが、今回は質問に立った。しかし、慰安婦問題や植村氏の記事について深く踏み込んだ質問はなかった。意外だったのは、植村氏が朝日新聞を早期退職して大学教授を志した理由や、植村氏が東京と札幌で提訴したことなど、訴訟の基本的な情報についての質問だった。植村氏が、自由な立場で研究と著作活動ができる場として大学教授の道を選んだこと、バッシング当時も現在も札幌市の住民であることを伝えると、高池弁護士は怪訝な表情を浮かべた。初めて知った、という表情に見えた。

植村氏の反対尋問が終わった後、岡山忠広裁判長とふたりの陪席裁判官から、植村記事の「(女子挺身隊の)名で」「連行」の意味、韓国内での「挺身隊」という表現や吉田証言の韓国内での影響などについて、質問があった。植村氏の尋問は午後2時50分に終わり、10分間の休憩に入った。

櫻井氏の尋問

午後3時、再開。櫻井氏の主尋問が始まった。櫻井氏は、林いづみ弁護士の質問に答え、慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけと基本的な考え、これまでに行った取材や研究内容を語った。自身の著述や発言に誤りがあるとの指摘についても釈明し、「間違いですからすみやかに訂正したい」と述べた。朝日新聞の慰安婦報道については、「海外で日本の評価を傷つけた」との持論を繰り返し、植村氏の記事についても「意図的な虚偽報道だ」とのこれまでの主張を繰り返した。主尋問は45分で終わった。

続いて植村側の川上有弁護士が反対尋問を行った。川上弁護士は、櫻井氏の著述の問題点を具体的に指摘し、取材や確認作業の有無を徹底的に突いた。ゆっくりと柔らかい口調はまるでこどもを諭す小学校教師のようだが、中身は辛辣なものだった。刑事事件を多く手がけてきたベテラン弁護士ならではの面目躍如である。

川上弁護士は、櫻井氏が書いた記事やテレビ番組での発言を突き付け、櫻井氏が主尋問であらかじめ認めていた間違いについて、畳みかけた。「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。櫻井側弁護団はその都度、証拠書面の提示を求めた。証言台上の書面を確認し終えた櫻井側弁護士は、自席に戻らずにそのまま立ち続けた。川上弁護士は「いつまでそばにいるんですか、証言誘導の誤解を招きますよ」と指摘した。そうこうするうちに、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。

櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。

月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。

川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。

櫻井氏、訂正を約束

では、櫻井氏はなぜ「訴状に40円で売られたと書かれていた」という間違いを繰り返したのか。
櫻井氏は、ジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)が出典であるとし、「出典を誤りました」と主張した。櫻井氏はこれまでに提出した書面でも、「宝石」の記事で金さんが「平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満洲(ママ)のどこかの駅でした」と語ったことを根拠に、「親に40円で妓生に売られた末に慰安婦になった」と主張してきた。だが、川上弁護士は、「宝石」の記事で、櫻井氏の引用部分の直後に、こういう記述があることを指摘した。

「サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父の間で喧嘩が始まり『おかしいな』
と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」
つまり、櫻井氏が出典である、と主張する「宝石」にも、養父が40円で売って慰安婦にしたという「人身売買説」の根拠となる記述はどこにもない。むしろ、養父も日本軍に武力で脅され、金さんと強引に引き離されたという証言内容から、櫻井氏が強く否定し続けてきた日本軍による強制的な連行を示す記述があるのだ。
この直後部分をなぜ引用しなかったのか。川上弁護士は、櫻井氏が自身の「人身売買説」に都合の悪い部分を引用せず、植村氏の記事を捏造と決めつけたことのおかしさを指摘した。そして、「櫻井さんは、訴状にないことを知っていて書いたのではないですか」などと述べ、同じ間違いを繰り返した理由を厳しく問い質した。櫻井氏は「訴状は手元にあり、読んで確認もしたが、出典を間違った」と、弁解に終始した。川上弁護士が紙誌名を逐一挙げて訂正を求めると、櫻井氏は「正すことをお約束します」と明言した。ただ、テレビについては「相手のあることなので」と語り、約束は保留した。

じつは、この問題は2年前からくすぶり続けている。2年前、第1回口頭弁論の意見陳述で植村氏は、WiLLと産経新聞の「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを指摘、「この印象操作はジャーナリストとしては許されない行為だ」と批判した。そして、櫻井氏は口頭弁論後の記者会見で「ジャーナリストですからもし訴状に書かれていないのであるならば、訴状に、ということは改めます」と誤りを認めた。しかし、WiLLでも産経新聞でも、訂正しなかった。そのため、植村氏は2017年9月、東京簡裁に調停申し立てを行い、産経新聞社が訂正記事を掲載するように求めている。その審理はまだ継続している。

櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。

この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。

櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。

櫻井氏の22年前の大ウソ
川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。

1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。

「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」

「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」

「まるっきりウソじゃないですか」

「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」

最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。

尋問終了後、岡山裁判長は今後の進め方について双方の意見を求めた上で、次回口頭弁論で結審すると宣言した。閉廷は予定通りの午後5時だった。

次回開催日は7月6日(金)。開廷は午後2時。この日、最終弁論で双方がまとめの主張を行って審理は終結し、9月以降に予想される判決を待つことになる。
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html


_____


【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた、悪夢のような判決」! 2018.11.9
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435438

 元朝日新聞記者の植村隆氏(現・「週刊金曜日」発行人)が1991年8月、朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり、植村氏が記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と株式会社新潮社、株式会社ワック、株式会社ダイヤモンド社を名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で、2018年11月9日、岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決を言い渡した。


 IWJは判決を受けた札幌地裁前の旗出し、続く判決報告記者会見を生中継した。

 以下に、記者会見の内容を速報で伝える。

弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士「不当で残念な判決だと考える。櫻井よしこ氏が3つの雑誌(週刊新潮、月刊WiLL、週刊ダイヤモンド)に書いた植村さんへの批判は、事実と異なる記事で、植村氏の名誉や社会的信用を毀損したことは認めながら、櫻井さんがそのような記事を書いた相当性が認められると。名誉毀損として、慰謝料を払わせるほどの違法はないとして、原告側の請求を棄却した。

 この訴訟の特徴は、著名なジャーナリストが責任ある言説をしていないことを問題にしました。当然行われるべき取材がなされないままで、櫻井さんは植村さんを攻撃した。

 櫻井さんの批判は、『言論の自由の中で違法とは言えない』という判決となっている。当然控訴して戦う」


▲伊藤誠一弁護士


■札幌地裁前 「不当判決」の旗出し


■「植村裁判札幌訴訟 判決報告記者会見」

◦日時 2018年11月9日(金)15:30過ぎ〜(旗出し:15:45予定)/16:30〜(記者会見)
◦場所 札幌地方裁判所前/北海道高等学校教職員センター(札幌市中央区)
◦主催 植村裁判弁護団

弁護団声明についての説明「櫻井氏の言論によって、植村さんの名誉が傷つけられたことは認定されています。この判決は『捏造』との表現をめぐるものです。ジャーナリストのずさんな言説を免責する判決は非常に問題がある」

植村隆氏「悪夢のような判決。言論で勝って、法廷で負けてしまった。

 櫻井さんは本人尋問で間違いを認め、訂正を出した。この法廷と今日の判決がどうつながるのか?

 北海道新聞のOB記者でソウル特派員だった喜多義憲さんは、私が書いた記事の3日後に金学順(キム・ハクスン)さんに直接取材されて、キムさんが『挺身隊だった』と言っていることも確認して記事を書かれている。当時私は喜多さんと全く面識なく、喜多さんも私の記事を見てなかった。

 当時を知っている他社の記者が、『捏造であるとか虚偽であるとか、そのものが理解を超えた、言いがかりのように感じました』と証言した。

 利害関係のない人物の証言が判決に一切評価されていない。ジャーナリストの皆さん、これは悪夢ではないですか。正義が法廷で実現されていないんです。

 そして、判決要旨に『ハンギョレ新聞以外の報道にも養父または義父が営利目的で金学順氏を慰安婦にしたことを示唆するものがある』とあるが、裁判長、ふざけるな。ハンギョレ新聞を読んだのか?ハンギョレ新聞には、『養父または義父が営利目的で金学順氏を慰安婦にしたことを示唆するもの』など、出ていません。

 こんな判決を許したら明日は他のジャーナリストが同じ犠牲を受けるんですよ。それは、皆さんかもしれません。歴史の事実に向き合おうとするジャーナリストに対する不当な攻撃なんです。私は徹底的に戦います。ありがとうございました」


▲植村隆氏

神原元弁護士「判決は櫻井よしこさんが、『金学順さんが人身売買によって慰安婦になったと信じたのかもしれない、さらに植村さんが知っていて書かなかった、と櫻井さんが信じたとしても仕方ない』という、とんでもない不当判決だ」


▲神原元弁護士

弁護団「20数年前の記事に対して、ずさんな取材をした櫻井さんに、やさしい判決」

神原弁護士「この判決は櫻井さんの記事が虚偽であることすら証明できないとし、櫻井さんの意図についてはふれていない。この判決では事実なんかどうでもいいことになっている」

上田文雄弁護士「この裁判は市民の関心が非常に高かった。しかし、残念ながら判決は不当。

 一般市民が酔っ払って言っている話とジャーナリストの発信は違う。倫理性や真面目さについて、非常に低い水準で裁判所は判断した。まっとうなジャーナリストに対する侮辱だ」

朝日新聞記者「真実性の部分は、本人尋問などで、『櫻井さんの書いていることは真実ではない』との心証を裁判官は持ったと思いますが、どうか」

弁護団「真実性には裁判所はふれていない。櫻井さんを免責するものとなっている」

質問者「真実性を捨象して判断するということは、櫻井さんを、ジャーナリストに対してというより一般の人として扱っていることになる」

植村氏「ジャーナリストと一般の人は違う。こんなずさんなことが櫻井さんだと免責される。強い疑問があります」

質問者「植村さんが受けた実害を判決は考慮していないように思える」

植村氏「私の大学との契約が攻撃されたり、娘の顔写真がさらされて警備までついた。櫻井さんが私を捏造記者だと繰り返し攻撃したことが原因のはず。法廷で間違いを認めたのは櫻井さん」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435438

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


592. 中川隆[-13593] koaQ7Jey 2018年11月11日 17:25:43: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20521] 報告
▲△▽▼

捏造したのは櫻井よしこのほうなのに…「慰安婦報道を捏造」と攻撃された元朝日記者・植村隆の名誉毀損裁判で不当判決
https://lite-ra.com/2018/11/post-4354.html
2018.11.11 植村隆の名誉毀損裁判で不当判決!櫻井よしこの捏造を無視 リテラ
     
     櫻井よしこHP『プロフィール』より


「日本の名誉を毀損したのは植村隆のほうだった」「やっぱり植村隆は捏造記者だった」

 9日の夕方から、右派メディアやネトウヨがこんな言葉をがなりたて、大喜びしている。元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、櫻井氏の記事を掲載した新潮社、ダイヤモンド社、ワックを相手取り、「捏造」などとされて名誉を傷つけられたとして訴えた裁判で、9日、札幌地裁が植村氏の請求を棄却したのだ(岡山忠広裁判長)。

 しかし、これは「不当判決」としか言いようがないものだ。そもそも、この裁判では、植村氏のことを「捏造」と攻撃した櫻井氏のほうの“根拠捏造”が、被告の本人尋問などで明らかになっていた。ところが、判決はそのことに一切ふれることなく「被告が真実であると信じる相当の理由がある」などと結論付けたのだ。

 具体的に解説しよう。まず、この名誉毀損裁判を起こした植村氏は、2014年、朝日新聞が「吉田証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消した問題で、右派メディアやネット右翼たちからスケープゴートにされた元朝日新聞の記者だ。植村氏は朝日が虚偽だと認めた「吉田清治証言」とは無関係だが、過去に従軍慰安婦の記事を2度執筆しており、その内容が「人身売買であるのに強制連行されたと書いた」などとして、右派から「植村は捏造記者だ!」と総攻撃を受けた。そして、非常勤講師を務めていた北星学園大学には脅迫が殺到、さらに本人だけでなく娘にも殺害予告が届くなど、“リンチ”とも呼べる状況が続いたのである。

 しかし、その後、植村記者は反撃に転じた。自分の身に降りかかった攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、「捏造記者」などと攻撃した極右言論人と出版社に対し、裁判を起こしたのだ。今回の札幌地裁での裁判はそのうちのひとつである。

 札幌地裁の判決はまず、櫻井氏の記事について「原告の社会的評価を低下させる事実の摘示や意見ないし論評がある」と認めた上で、櫻井氏が記事で展開していた「金学順氏は継父によって人身売買され、慰安婦にさせられた」という主張が、「真実であると認めることは困難である」と結論付けている。つまり、裁判所も、櫻井氏の記事が事実でない可能性があることを認めていた。当然、植村氏の記事が「捏造」だとも、植村氏が「捏造記者」だともまったく認定していない。

 ところが、その後、判決文は一転。櫻井氏が金学順さんのことを「継父によって人身売買された女性」と「信じ」、「植村氏が事実と異なる記事を敢えて執筆した」と「信じたこと」はさまざまな資料に記載があったためやむをえなかった、と続けるのだ。

■存在しない記述を根拠にした櫻井を正当化するトンデモ判決!

 はっきり言うが、この判決はめちゃくちゃだ。なぜなら、裁判所は櫻井氏が「金学順氏は継父によって人身売買された女性」と信じた根拠として、「金学順氏が日本国政府を訴えた訴状」「金学順氏を取材した内容をまとめた臼杵氏執筆の論文」の記載などをあげているが、そもそもこれらの資料には、そんな記述など一切ないからだ。

 そのことは、今年3月23日の第11回口頭弁論の櫻井氏の本人尋問で暴かれ、櫻井氏自身も誤りを認めている。

 まず、この口頭弁論で問題になったのは、「WiLL」(ワック)2014年4月号の記事(「朝日は日本の進路を誤らせる」)。櫻井氏は〈日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事〉などと植村氏を批判するために、前述した金学順さんの訴状をもちだし、こう書いていた。

〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。
 植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とはなんの関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。〉

 つまり、櫻井氏は「訴状には金学順さんが継父によって40円で売られ、さらに再び継父によって連れられて慰安婦にさせられた、という記述があるのに、植村氏はこれを無視するという意図的な捏造報道を行った」と攻撃していたのだ。

 ところが、実際の金学順さんの訴状には、櫻井氏が言う「継父によって四十円で売られた」なる記述は、存在していなかった。つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことを“捏造”して、植村氏に対し「捏造記者」などという攻撃を繰り返していたのである。

 それだけではない。原告側弁護士から「継父によって四十円で売られたという話の根拠はなんなのか」と問い詰められた櫻井氏は、1992年2月の月刊「宝石」(休刊/光文社)の臼杵敬子氏執筆の記事からの引用の間違いだったと釈明した。

 これが裁判所の言う「金学順氏を取材した内容をまとめた臼杵氏執筆の論文」なのだが、実は、その臼杵論文=「宝石」記事にも、やはり「継父によって四十円で売られた」「十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた」なる記述はなかった。

■櫻井よしこがもちだした資料には、逆に「日本軍の強制連行」の記述が

 まず、「宝石」記事にある金学順さんの証言によると、学順さんが14歳の時、母親が再婚したが〈私は新しい父を好きになれ〉なかったとして、こう振り返っている。

〈その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。
 ところが、十七歳のとき、養父は「稼ぎにいくぞ」と、私と同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。〉

 学順さんがいう「養父」とは「妓生専門学校の経営者」のことであって、「継父」(=「新しい父」)ではない。しかも、この「宝石」記事には、上の引用部の直後、金銭で売られたどころか、逆に日本軍の強制連行と性暴力を物語る記述が続いていた。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。
 日本軍が占領したその集落には三百人ほどの日本兵が駐屯していました。トラックで夜着いた私たちは、将校に案内され、真っ暗な部屋に入れられ、外から鍵をかけられ閉じ込められたのです。そのとたん、私は「しまった」という後悔でいっぱいでしたが、もうどうしようもありません。
 次の朝、馬のいななきで人々が生活しているのがわかり、室内から外をうかがうと隣りの部屋には三人の朝鮮人女性がいるのがわかりました。(中略)将校が私を小さな部屋に連れて行き、服を脱げと命令したのです。
 当時、私は十七歳。何も知りませんでした。そのときのことを考えるだけでも心臓が爆発しそうです。とにかく必死で逃げようとしました。「嫌だ!」と叫ぶと、その日本兵は「この野郎! 朝鮮人のくせに!とののしり、私を殴り、足で蹴り揚げ、暴力で犯したのです。」(「宝石」での金学順さんの証言)

 念のために言っておくが、これは櫻井氏が自分の主張の出典とした資料だ。ところが、そこには櫻井氏の主張する「継父が金学順さんを四十円で売った」とはどこにも書かれておらず、「妓生専門学校の経営者」が逆に日本人将校らに暴力で脅されてその場から排除された、そして、金学順さんは日本軍のトラックで鉄壁鎭に連れて行かれたという証言が掲載されていた。

 櫻井氏が本当にこの証言を出典としたのならば、櫻井氏はわざと日本軍による強制連行をネグったことになる。

■なぜ裁判所は“根拠捏造”を無視してまで櫻井よしこらを「勝訴」させたのか

 また、裁判所はもうひとつ、櫻井氏が信じた根拠として「韓国の新聞報道」もあげており、これは櫻井氏側が証拠として提出したハンギョレ新聞と思われるが、ここにも、「宝石」などと同様の〈生活が苦しくなり、14歳の時に母親に平壌にあるキーセンの検番に売られた。3年間の検番生活を終えた金さんが最初の就職だと思って検番の養父についていった所は、兵士3000人余りが所属する北中国・鉄壁鎭の日本軍小部隊の前だった〉とあるだけで、慰安所にお金で売られたという記述はない。

 それどころか、このハンギョレ新聞にも、〈私を連れていった養父も当時、日本人にカネももらえず私を実力で奪われたようでした〉という、強制連行の記述があった。

 いずれにしても、法廷でこうした事実を突きつけられた櫻井氏は、金学順さんの訴状に記載されていない記述についての自らの誤りを認め、「WiLL」7月号は訂正文を掲載。また、産経新聞6月4日付でも同様の誤りを訂正している。

 にもかかわらず、札幌地裁の判決は、こうした資料をもとに、櫻井氏が「金学順氏が継父によって人身売買されて慰安婦にされた女性であると信じた」ことは「相当の理由がある」というのだ。この裁判長は本当に提出証拠や本人尋問の記録をちゃんと読んでいるのか。

 また、百歩、いや1万歩譲って、これらの資料を目にした櫻井氏が「金学順氏は継父によって人身売買された」と誤読したことがやむをえなかったとしても、だからといって、なぜ櫻井氏が植村氏のことを「捏造」などと攻撃することが正当化されるのか。

 そもそも植村氏は、朝日新聞の記事に金学順さんが「日本軍に強制連行された」などと書いているわけではなかった。〈女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた〉と書いただけだった。

 ところが、櫻井氏は〈植村氏は、彼女(金学順さん)が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった〉などとして〈真実を隠して捏造記事を報じた〉と攻撃したのだ。

だとしたら、自らが出典とした資料にハッキリとある強制連行の記述をネグった櫻井氏だって「捏造」になるのはもちろん、情報の取捨選択をしているほとんどの報道が「捏造」ということになるだろう。

 なお、櫻井氏が「捏造」だとがなりたてる1991年8月11日付の植村氏の署名記事は、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が金学順さんから聞き取った証言テープがもとになっているのだが、同記事でキーセンについて触れなかった理由について植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」と説明している(朝日新聞2014年8月5日朝刊)。

 とにかく、この櫻井氏が植村氏に向けた「捏造」攻撃は、どこからどう見ても根拠がなく、名誉毀損なのだが、しかし、札幌地裁の裁判長は前述したように、まったく理屈にならない理屈をつけて、請求棄却を言い渡した。判決文を読むかぎり、岡山裁判長は櫻井氏らを勝訴させるという結論ありきで、まともに証拠資料に目を通してなかったとしか思えない。それとも、もしかして、裁判所までが歴史修正主義者に乗っ取られようとしているのか。

 植村氏側はこの判決直後、控訴することを表明。また、もうひとつ、西岡力氏と文藝春秋を相手取った東京地裁での判決も控えている(詳しくは過去記事参照 https://lite-ra.com/2018/10/post-4323.html)。控訴審やこちらの裁判では真っ当な判断が下されると信じているが、いずれにしても本サイトではレポートを継続し、右派による歴史修正の杜撰な実態とその卑劣さ何度でも伝えてゆく。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


593. 中川隆[-13587] koaQ7Jey 2018年11月12日 06:25:26: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20536] 報告
▲△▽▼

控訴審では真っ当な判決で悪夢を晴らそう ー 植村勝訴の逆転判決を
http://article9.jp/wordpress/?p=11436
2018年11月11日 澤藤統一郎の憲法日記

植村隆元朝日新聞記者が、無茶苦茶なバッシングを受けて、やむにやまれずの提訴に踏み切った2件の名誉毀損損害賠償請求訴訟。1件は札幌地裁、もう1件は東京地裁係属事件。いずれも、「私は捏造記者ではありません」と、痛切な声を上げての訴え。櫻井よしこらに対する札幌地裁訴訟が先行して判決となった。私も原告訴訟代理人の一人として、11月9日判決の勝訴を確信していた。敗訴の報告に、いまだに信じられない思いである。これで勝てないのか。

とは言え、さすがにこの「不当判決」も、櫻井の名誉毀損言論の最重要部分について真実とは認定していない。「金学順氏が慰安婦とされるに至った経緯に関する部分が真実であるとは認めることは困難である」としつつも、「被告櫻井が上記のように信じたことには相当の理由があるということができる」としたのだ。櫻井は、その程度の確度の記事で、植村の新聞記事を「捏造」と決めつけたのだ。その背景には、抜きがたい歴史修正主義のイデオロギーがある。

判決批判については、「植村裁判を支える市民の会」のホームページをお読みいただきたい。URLは以下のとおり。ここに、法廷の経過報告、判決要旨、判決全文、弁護団声明、「支える会」声明などのすべてが掲載されている。
http://sasaerukai.blogspot.com/

そのサイトから引用しておきたい。

闘いは再び始まった!
訴審に向け あふれる判決批判、闘う決意

 植村さんが立った。「悪夢のような判決でした。私は法廷で、悪夢なのではないか、これは本当の現実なんだろうかとずっと思っていました。今の心境は、言論戦で勝って、法廷で負けてしまった、ということです。櫻井氏は3月の本人尋問ではいくつもずさんな間違いを認めていった。あの法廷と今日の法廷がどうつながるんだろうか」「激しいバッシングを受けたとき、これは単に植村個人の問題ではないということで、様々なジャーナリストが立ち上がってくれました。いまも新聞労連、日本ジャーナリスト会議、リベラルなジャーナリストの組織も応援してくれています」「この裁判所の不当な判決を高等裁判所で打ち砕いて、私は捏造記者でないということを法廷の場でもきちんと証明していきたいと思っています」。

まったく同感である。

ぜひご覧になっていただきたいもう一つのサイトがある。

「捏造したのは櫻井よしこのほうなのに…『慰安婦報道を捏造』と攻撃された元朝日記者・植村隆の名誉毀損裁判で不当判決」という、リテラ(編集部)の記事。いつもながらの、問題に真正面から切り込む熱のこもった緻密な内容。
https://lite-ra.com/2018/11/post-4354.html

私は、この微妙な判断をした判決に櫻井よしこがどう反応するか、この人のホームページでのきちんとした発言に注目しているのだが、本日(11月11日)夜までのところ音沙汰なしである。訴訟の過程で、自分の記事の間違いを具体的に指摘されて訂正している。それでも、判決主文では勝訴した櫻井がなんというのだろうか。いまだに、植村記事を捏造と言えるのか。

おそらく、櫻井よしこは安部英(元帝京大学医学部教授)から名誉毀損で訴えられた訴訟の高裁判決の悪夢を思い出しているに違いない。

2003年当時、櫻井自身が、「高裁判決での逆転敗訴はジャーナリズム全体への冒涜」という標題で次のような記事を自分のサイトに掲載している。

「2月26日、東京高裁大藤敏裁判長、高野芳久、遠山廣直両裁判官によって、私は逆転敗訴の判決を言い渡された。元帝京大学副学長安部英氏から名誉毀損で訴えられていた件である。

 高裁判決は、地裁判決とは正反対の内容だった。一審判決で真実、あるいは真実と信ずるに相当の理由があったとして認められた記述が、ことごとく否定された。

 ひと言でいえば、このような判決を出されたのでは、調査報道は成り立たなくなる。事は私一人の問題にとどまらず、日本のジャーナリズム全体に影響する問題と言わざるを得ない。

 大藤裁判長らは、私の取材した薬害エイズ被害患者の言葉も、信じられないとして退けたが、本当に彼らの言葉は信ずることができないのか。」

 この判決には控訴審が続く。高裁判決が「地裁判決とは正反対の内容となり、一審判決で真実、あるいは真実と信ずるに相当の理由があったとして認められた記述が、ことごとく否定される」逆転判決となる可能性は、けっして小さくない。日本の民主主義のために、その日の来たらんことを切望したい。

なお、ウィキペディアが、安部英対櫻井よしこの訴訟経緯をこう簡潔に紹介している。

「フリージャーナリストの櫻井よしこが『安部元副学長が製薬会社、ミドリ十字のために加熱製剤の治験開始を遅らせた』などと記述したことについて、安部は損害賠償などを求め民事訴訟を起こしたが、一審は記事内容に真実性があるとして安部の全面敗訴、二審は記事内容を真実ではなく真実相当性もないとして安部の逆転勝訴、最高裁は真実相当性があったとして安部の逆転敗訴となった。」

 本件も、真実性の有無ではなく、相当性存否の判断で微妙に結果が分かれた判決例である。櫻井の植村に対する批判の言論の真実性が否定された点で、ジャーナリストとしては大きな顔はできまい。傲岸な態度をとり続けることは不可能だ。

にもかかわらず、櫻井よしこや西岡力らが、「捏造」と断定して記事を書けば、付和雷同のネトウヨたちが、人権侵害のバッシングを積み重ねる。この人たちの責任は大きいのだ。控訴審での、植村逆転勝訴判決を期待する。植村の悪夢を晴らして、櫻井にこそ悪夢がふさわしいのだ。

(2018年11月11日)


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


594. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月24日 08:31:57: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21052] 報告
▲△▽▼

現在の「技能実習生」の扱い方を見れば、かつての「徴用工」や「慰安婦」の実態も容易に想像できる(読む・考える・書く) 2018-11-17
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/17/134003


日本で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。

ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。

https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。

 7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。ベトナムでは、現地の日本大使館書記官が、技能実習生制度は「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らすほどの事態に至っている。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1

さらに、今年前半の半年だけで4,279名の技能実習生が失踪。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長妻昭氏「外国人技能実習生、失踪者は今年1〜6月までで何人いるか」
山下法相「4279名です」
長妻昭氏「これ、異常ですよ。逃げた方が悪いのか。私はそう思わない。逃げざるを得ない。こういう現状を放置して新たに外国人労働者を受け入れる。非常に無責任だ」#kokkai #国会中継 #国会2018
— shinkai10911 (@jubilee0710) 2018年11月1日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

失踪の背景には、最低賃金以下の異常かつ違法な低賃金、職場での差別やいじめ、暴力(性暴力含む)の横行がある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://t.co/6VQe6M5DBe"茨城県のシソ生産農家が中国人女性の技能実習生(25)に深夜2時3時まで時給300円の深夜残業を強いただけでなく、セクハラ行為を働き、実習生側から未払い賃金などの賠償を請求されている。この裁判で被告訴訟代理人を務めているのが丸山議員"
— 外教 (@yuantianlaoshi) 2016年2月24日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京新聞1面。技能実習生たちの証言。

・飛び降り自殺を図った中国人女性「職場でいじめに遭いました。仕事を頑張っても認めてもらえない」「今、うつ病の治療を受けています」

・指を切断し治療費の自己負担と帰国を求められた中国人男性「けがをしたら、なぜ帰らないといけないのか」 pic.twitter.com/sM39kAjh6Z
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月8日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しかも、在留資格の制約で技能実習生には転職の自由がなく、過酷な職場から逃げようとするとそれ自体が違法行為となり、入管収容→強制送還となってしまう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
外国人技能実習生にも最低賃金は適用されるから、300円は当然違法ですよ。問題は、外国人がその違法な企業での実習を辞めて自分で転職すると、それ自体が別な違法行為(入管法違反)になり日本から追い出されてしまうということです。 https://t.co/rJOAmLSfEd
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月9日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブラックな実習先にあたった技能実習生は転職の自由もなくまずその実習先に閉じ込められる。

実習先から逃走して在留資格を失った元実習生は次に入管に摘発され収容所に閉じ込められる。

これだけ転職の自由やジョブマッチの大切さが語られる時代に「人手が足りない」だけで残していい制度ではない。
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月9日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「外国人技能実習制度」の実態は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力する」(by厚労省)などというご立派な建前とはまるで違う。これは、弱い立場の外国人を、搾取されても逃げることのできない安価な労働力として企業や農家に供給する現代の奴隷制度にほかならない。

その背景には、自分たちより「遅れている」と見なすアジア諸国の人々への、日本人の根深い差別意識がある。

そういえば、安田浩一氏の著書『差別と貧困の外国人労働者』の中に、次のような印象的な一節があった。[1]

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 本文へ入る前に、結論めいたことをひとつだけ述べたい。
 外国人労働者の姿、置かれた環境は、その国(受け入れ国)の民度を測る重要なモノサシになるのではないか、ということだ。少なくとも私は、外国人労働者が漏らすため息と憤りの言葉から、あらためて「日本」を思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

敗戦による「民主化」から70年以上が経っても、なおこのザマなのだ。「人権」など問題にもされなかった戦時中における「徴用工」や「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)たちへの扱いがどのようなものだったかは、容易に想像できる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
徴用工が高給取りだっただの、相変わらず汚物のようなデマが湧いてきているが、教育実習生を時給数百円で搾取したうえに、住居費だ制服代だのとハイエナのようにむしり取る今の日本をみてれば、一瞬で出鱈目だと分かりそうだけどな。
— ペロンパー (@klezmer722) 2018年11月1日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日本の外で甘言で騙して若者を集めて、連れて来たら日本人でないことを利用して好き放題に搾取する」ってやり口、従軍慰安婦から技能実習生までこの国の常套手段なんだよな。そうやって日本がアジアに振り撒いた被害の事実はその後何十年にわたって日本への不信と摩擦を生み続けてる。
— シュナムル (@chounamoul) 2018年11月3日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

[1] 安田浩一 『差別と貧困の外国人労働者』 光文社新書 2010年 P.7
 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/433403568X


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


595. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月24日 15:46:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21079] 報告
▲△▽▼

櫻井よしこが植村隆裁判の不当判決に乗っかり会見で「捏造攻撃」を正当化! ネトウヨは「植村を極刑にしろ」
https://lite-ra.com/2018/11/post-4389.html
2018.11.24 植村隆裁判の不当判決で調子に乗る櫻井よしことネトウヨ  リテラ
    
    16日放送の『櫻LIVE』(言論テレビ)より


 ジャーナリストの櫻井よしこ氏からの「捏造記者」との攻撃に対し、名誉毀損で訴えた元朝日新聞記者・植村隆氏が、今月9日の札幌地裁判決(原告の請求棄却)を不服として、22日、札幌高裁に控訴した。

 周知のとおり、植村氏は、2014年の朝日新聞慰安婦報道問題で、朝日が訂正をした「吉田清治証言」とはまったく無関係であるにもかかわらず、元慰安婦の金学順さんに関する記事を書いたことで、右派やネット右翼から総攻撃を受けた記者だ。内定していた再就職先や勤務先の大学に抗議が殺到、さらに家族への殺害予告まで送られるなど、スケープゴートにされた植村氏への“リンチ”は過激化した。

 しかし、植村氏は不当なバッシングに沈黙していたわけではない。2015年、自らを「捏造」などと攻撃した右派言論人らに対し複数の裁判を起こした。そのひとつが、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、氏の記事を掲載した出版3社を相手取った札幌地裁の裁判である。法廷では、原告弁護団の追及により、櫻井氏が「植村記事は捏造」とした根拠のデタラメが次々とあらわになった。しかし、札幌地裁が今月9日に下した判決は、原告・植村氏の請求をいずれも棄却するものだった。

 植村氏は今月15日、日本外国特派員協会での会見で「この判決を私は、言論戦、言論の戦いで勝って判決で負けてしまった悪夢のような判決だというふうに思っています」と述べていたが、その通りだろう。札幌地裁判決がいかに「不当判決」であったかは、本サイトの11日付記事(https://lite-ra.com/2018/11/post-4354.html)で詳しく解説したので、ぜひご一読いただきたい。

 しかし、植村氏の控訴を受け、またぞろネットでは、異常としか言いようがない“植村バッシング”が再燃している。控訴を伝える時事通信の報道がYahoo!のトップニュースになったのだが、そのコメント欄が、こんな脅迫めいた文言や誹謗中傷、そして悪質なデマで埋め尽くされているのだ。

〈できる事なら国家反逆罪で極刑にして欲しい〉
〈この反日極左売国奴「植村隆」を許すつもりも無ければ、願わくば惨殺体で発見される事を切に祈るよ。〉
〈間違いなく捏造記者です。あと2回チャンスがありますが2回とも敗訴して頂かねばなりません。〉
〈むしろ最高裁まで行って、決定的に捏造であることが明らかになれば良い〉
〈あなたは、捏造記者に認定されたんだ。悪あがきはよせ。〉

 「極刑」「惨殺体」などという書き込みは、まさに2014年に植村氏とその家族が被害にあった殺害の示唆を彷彿とさせる。そして、コメント欄に多く見られた「植村は捏造記者と認定された」というような話は、完全なるデマである。

 簡単に振り返っておくが、そもそも札幌地裁の判決は、植村氏の記事を「捏造」と攻撃した櫻井氏の記事には「原告の社会的評価を低下させる事実の摘示や意見ないし論評がある」と認定しながらも、櫻井氏が参考にした資料や社会状況から「真実であると信じる相当の理由がある」として免責したというものだ。

 しかし、「真実と信じる相当の理由」を認めること=「真実相当性」を認定することと、摘示事実の「真実性」を認定することは、まったくの別モノである。実際、長い判決文の隅から隅まで読んでも、札幌地裁は「原告の記事は捏造であった」とも「原告は捏造記者である」とも、あるいは「原告は事実と異なることを知りながら記事を執筆した」などとも認めていない。つまり、裁判所は櫻井氏が摘示した「植村氏は捏造記事を書いた」ということについて「真実である」とは、まったく認定していないのだ。

 それどころか、裁判の主要な争点のひとつである櫻井氏の“金学順さんは継父によって人身売買されて慰安婦にさせられたのに、植村氏はそれを知りながら意図的に書かないことによって強制連行を印象付けようとした”という主張にかんして、判決文は〈「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という事実が真実であると認めることは困難である〉と言及している。ようするに、櫻井氏の主張の前提にある「人身売買説」自体の真実性を認めていないと言っていいだろう。

■判決文が植村記者の捏造を認めていないことを否定した櫻井側弁護士

 繰り返すが、ネトウヨたちが口走っている「裁判所は植村を捏造記者だと認定した」という話はまったくの事実無根である。しかし驚くのは、櫻井氏側が公の場で、こうしたデマを助長するような発言をしていることだ。

 植村氏が会見を開いた翌16日の午後、櫻井氏も日本外国特派員協会での会見に臨んでいた。その質疑応答での一幕でのことだ。まず、北海道新聞の記者がこのように質問した。

「植村さんが捏造したということは、判決では認定しませんでしたけども、櫻井さんはいまでも植村さんが記事を捏造したとお考えでしょうか」
「櫻井さんは1998年に植村さんの名前を出して、植村さんが『誤報』、もしくは『混同』しているというふうに批判されました。けれども、次に2014年になって記事を書かれた時に、突然『捏造した』という記事に変わりました。なぜ、何を根拠に『捏造』という表現に変えたんでしょうか」

 これに対して櫻井氏はこう述べた。

「私は、植村さんの記事については、『捏造したと言われてもしかたがないだろう』という意見を申し上げたと思います。時間が経つにつれていろんなことがわかってきて、植村さんがそのようにしたのではないかという疑問が、強くなったために、捏造したと言われても弁明できないのではないかと、仕方がないだろうということを書きました。以上です」

 櫻井氏は自分が使った「捏造」という言葉のまずさがわかっていたのか、明らかにごまかしながら、しかし、それでも自分の「捏造」攻撃があたかも正当であるかのように強弁した。しかも、そこに櫻井氏の主任弁護人である林いずみ弁護士がこう付け加えたのである。

「一点だけ。いま北海道新聞の長谷川さんが、この判決は捏造を認めなかったというふうにおっしゃり、昨日の(会見で配布された)植村さんの判決の要約もそのように書いていると思いますが、そのようなことはありません」

 ようするに櫻井氏の主任弁護士は、裁判所が植村氏を「捏造」と認めなかったことを否定しにかかったのである。これではまるで、「裁判所は植村氏を捏造記者と認定した」なるデマを振りまいているネトウヨを扇動しているようなものではないか。

■櫻井よしこはネットTVで全面勝訴宣言も、植村は控訴

 何度でも言うが、判決文のどこにも「原告は記事を捏造した」などとは書かれておらず、ましてや、主要な争点である「人身売買説」については「真実であると認めることは困難である」とハッキリ述べられているのだ。逆に言えば、これは被告・櫻井氏側が「人身売買説」を立証する必要があるにもかかわらず、それができていないと指摘しているのである。当然、“植村氏は金学順さんが人身売買されたという経緯を知りながらそれを書かなかった”という櫻井氏の主張の前提条件が崩れたと解するのが妥当だろう。

 しかも、この「人身売買説」に関しては、逆に櫻井氏の記事のほうの誤りが暴露されてきたことは、本サイトでも何度かお伝えしてきたとおりだ。たとえば櫻井氏は「WiLL」(ワック)2014年4月号の記事のなかで、1991年12月に金学順さんが日本国政府を集団提訴した際の訴状を持ち出して、〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている〉とし、〈植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった〉などと批判していた。ところが、実際の訴状には「継父によって四十円で売られた」なる記載など存在しなかったのである。

 なお、法廷で追及された櫻井氏は、金学順さんの訴状に記載されていない記述についての自らの誤りを認め、「WiLL」2018年7月号は訂正文を掲載、また産経新聞2018年6月4日付でも同様の誤りを訂正している。

 つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことをでっち上げて、植村氏に対し「捏造記者」などと攻撃を繰り返していたのだ。付言すると、櫻井氏が参照した、金学順さんの発言に基づいて書かれたハンギョレ新聞の記事には、櫻井氏が「人身売買説」の根拠とする記述のすぐ後ろに、〈私を連れていった養父も当時、日本人に金ももらえず私を武力で奪われたようでした〉との記述がある。これは日本軍による強制連行の記述だが、櫻井氏はこうした部分については完全にネグっていた。そしてここにきて、弁護士が「判決は植村氏の捏造を認めなかったということではない」という新手の攻撃を加えてきているのである。

 櫻井氏は、記者会見のあった16日の夜、自らが主催するネット番組『櫻LIVE』(言論テレビ)で、「わたくしの、全面勝訴です」「全面勝訴で、私も非常に嬉しかったんですね」「ほんとに日本人の名誉とか日本国のこととか、(自分の記事の目的は)公益以外の何物でもない」などと勝ちどきをあげた。

 だが、まだ終わっていない。むしろ、札幌地裁の不当判決によって、ネトウヨたちがまたぞろ植村氏の生命と生活を脅かすような異常なバッシングを再開し始めている。札幌での控訴の行方はもちろん、本サイトではこの歪んだ社会状況をも含めてレポートを続けていくつもりだ。


http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/449.html#c4

[アジア14] 韓国の元慰安婦がフランスで致命的なミスをやらかし歴史の嘘がついに崩壊!2ch仏決議案採択のため、議員と政府の協力…より 木卯正一
5. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月25日 07:38:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21106]
従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/449.html#c5

[アジア13] 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 中川隆
596. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月25日 08:09:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21112]

従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c596

[原発・フッ素50] 原発再稼働めぐり“不適切発言”、日本原電が地元自治体に謝罪〜地元の反発は強く、東海第二原発がいつ再稼働できるかは不透明 仁王像
1. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月25日 08:11:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21112]
福島原発事故は既に昔の話で、現在でも原発稼働が危険だという事にはなりません
技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった

「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
img_0
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0


福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。

菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました


あの日責任者達は何をしていたのか

6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。

東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。

福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。

翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。

燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。

燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。


福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。

この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。

事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。


後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。

枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。

「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。


「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。

メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。

清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。


東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。

事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。

自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。


3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。

だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。

清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。


枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。

自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。

燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。


菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg


「なんだ、馬鹿野郎」

ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。

首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。


結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。

所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。


自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。

自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。

アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。


吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。

海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。


嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。

菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。

だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。


だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。

要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。

こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。


空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。

だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。

果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。


だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。

最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。

その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html


▲△▽▼


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる

温室ガス濃度、史上最高更新 国連
2018年11月23日 6:25 発信地:ジュネーブ/スイス

http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
.

【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。

 来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。

 UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。

 パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。

 エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1


▲△▽▼


北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html

発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html



http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/585.html#c1

[原発・フッ素50] 福島第一原発 排気筒解体に向けた実証試験 公開〜実際の1、2号機共用の排気筒の解体が始まるのは来年2月末から3月の予定/ 仁王像
1. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月25日 08:12:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21112]
福島原発事故は既に昔の話で、現在でも原発稼働が危険だという事にはなりません

技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。


菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった

「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
img_0
引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0


福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。

菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました


あの日責任者達は何をしていたのか

6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。

東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。

福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。

翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。

燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。

燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。


福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。

この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。

事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。


後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。

枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。

「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。


「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。

メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。

清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。


東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。

事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。

自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。


3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。

だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。

清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。


枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。

自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。

燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。


菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg


「なんだ、馬鹿野郎」

ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。

首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。


結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。

所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。


自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。

自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。

アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。


吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。

海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。


嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。

菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。

だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。


だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。

要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。

こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。


空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。

だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。

果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。


だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。

最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。

その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html


▲△▽▼


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる

温室ガス濃度、史上最高更新 国連
2018年11月23日 6:25 発信地:ジュネーブ/スイス

http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
.

【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。

 来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。

 UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。

 パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。

 エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1


▲△▽▼


北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html

発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html



http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/584.html#c1

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
44. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月25日 08:19:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]

45年前のアンプを生き返らせる - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2018年11月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/de2c7edd80ba1b1fdf948858cae0a52e

昨年10月に45年前のアンプ「ケンソニック:C200+P300」を、今年2月に「エクスクルーシブ:C3+M4」アンプを購入しました。

どちらのアンプの組み合わせも、プリとパワーアンプは別々の方から購入しました。いずれのアンプも購入当初は「まともな動作」をしませんでした。電気は通電していてもまともな音や機能がしていない状態でした。眠っていたアンプ(死んだアンプ)だったと思います。

音が出ていると思っていたら、片chから音が出ていなかったり、突然ノイズを発生させたりと色々な不具合を体験させてもらいました。・・・これで本当に正常なサウンドが出て来るのか?心配になりました。

毎日「鳴らし込み」を2時間以上して、半年ほどは安心して使える状態ではありませんでした。8ヶ月経過したころからやっと安定してきた様です。現在では何の不安もなく使える様になってきました。

一度眠ってしまったアンプを生き返らせるには最低「半年」(2時間以上×180日・・・累計400〜500Hr)の「鳴らし込み」の時間が必要だと云う事です。ケーブルを上級グレードに交換しても同じくらいの累積時間が必要な事が判っています。

古いアンプには「生き返る確率」も有ると思いますので、その面で行けば運が良かったのかもしれません。くれぐれも半年かければ生き返る・・・等と安直に思ってはいけません。お陀仏になるアンプも有る事を知って置いてください。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c44

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
251. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2018年11月25日 09:04:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]

【討論】朝鮮半島とは何か?−過去・現在・未来[桜H30-11-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oCvz8ZjXCWY

2018/11/24 に公開


◆朝鮮半島とは何か?−過去・現在・未来

パネリスト:
 宇山卓栄(著作家)
 黄文雄(作家・評論家)
 但馬オサム(編集者・文筆人)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 西村幸祐(批評家・岐阜女子大学客員教授・関東学院大学講師)
 三浦小太郎(評論家)
 室谷克実(評論家)
司会:水島総

_________


従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


____


2018年3月25日 札幌第11回■詳報
櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!
「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c251

[リバイバル3] インド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害 中川隆
3. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月25日 09:54:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]

弓矢で殺された米国人宣教師、先住民保護のため遺体収容は困難か 印
11/24(土) 22:20配信 AFP=時事


【AFP=時事】現代文明から隔絶されたインド・アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島の島に上陸し、弓矢を浴びて殺害された米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)氏(27)について、専門家らは遺体が島から運び出されることはないかもしれないとの見通しを示している。

【図解】北センチネル島の位置
http://www.afpbb.com/articles/-/3198663?pid=20739165&tmpl_skin=gallery&utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=p1&cx_rss=afp&cx_id=3199018

 先住民の人権に関する専門家らは、同諸島にある北センチネル島(North Sentinel Island)の人々にとって、チャウさんが単独で島に侵入したことは非常に脅威であったため、殺人罪が島民らに問われることはなく、世界でも最後とみられる新石器時代以前の暮らしを送る彼らを保護する観点から、チャウさんの遺体は島にとどめ置かれることになるだろうと指摘する。

 北センチネル島に国内法を適用しようとしないインド当局は、外部者に対して長年にわたり敵対的な行動を取ってきたこの島の先住民に対し、警察を上陸させて事情聴取しようとすらしていない。

 一方で警察は23日、北センチネル島付近に、チャウさんが殺害されて以降2度目となる船舶の派遣を実施。「特に脆弱(ぜいじゃく)な民族集団である彼らの生活を混乱させたり、苦痛を与えたりすることがないよう、正当な予防策を講じた」と説明している。

 チャウさんは、島の5キロ以内に近付くことは違法と知りながら、キリスト教を布教するために何度か島への上陸を試み、島の先住民に複数の矢で射られて死亡した。

 風邪といった軽い現代の病気でも、感染すれば先住民は絶滅する恐れがあり、電力やインターネットを体験することで生活様式が徹底的に破壊されるかもしれないという懸念から、先住民は外界と隔離したままにされている。

 そうして守られた世界に、チャウさんは「イエス(Jesus)は皆さんを愛しています」というメッセージを携えて侵入した。

 先住民の人権に関する専門家で、同諸島に関する著作もあるパンカジ・セクサリア(Pankaj Sekhsaria)氏は、チャウさんの遺体を収容しようとするのは「無益な試み」だと指摘。AFPに対し「(北センチネル島の)近くに行くことが良いアイデアとは思わない。現地社会との対立を生むからだ」と語った。

 先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」の研究者であるソフィー・グリグ(Sophie Grig)氏も「作業者とセンチネルの人々双方を危険にさらすことなく、遺体を収容するための安全な方法があるとは考えていない」と話す。

 デリー大学(University of Delhi)で人類学を教えるアヌプ・カプール(Anup Kapoor)教授は、センチネルの人々と対話を持ちたい人は誰でも「同じ水準」であることを示す必要があったと指摘。「何も着るな、そうしたら何らかの関係が築くことが期待できるかもしれない」と話した。カプール教授はかつて同諸島の別の先住民であるオンゲ(Onge)の人々に対し、「下着以外、自分の服全部を脱いでから」接触した経験を持つという。

 その一方、同諸島の警察は、チャウさんの遺族の祈りにどう応えるか、また北センチネル周辺で先住民の生存にとって必須である隔離をどう維持するかというジレンマに頭を悩ませている。

 アンダマン警察トップのデペンドラ・パタック(Dependra Pathak)氏は、遺体発見に向けたスケジュールは出し得ないと述べている。

 またセクサリア氏も、当局はチャウさんをまねる行動を防ぐため、北センチネル周辺の監視を強化する必要があるかもしれないと指摘。同氏は詳細について明らかにしなかったものの、「行政側はこの問題を承知している。彼らは監視についてすでに検討している」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000032-jij_afp-int
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html#c3

[昼休み54] 韓国は既に共産体制へ向かって驀進中 中川隆
29. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月25日 11:09:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]

【討論】朝鮮半島とは何か?−過去・現在・未来[桜H30-11-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oCvz8ZjXCWY
2018/11/24 に公開


◆朝鮮半島とは何か?−過去・現在・未来

パネリスト:
 宇山卓栄(著作家)
 黄文雄(作家・評論家)
 但馬オサム(編集者・文筆人)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 西村幸祐(批評家・岐阜女子大学客員教授・関東学院大学講師)
 三浦小太郎(評論家)
 室谷克実(評論家)
司会:水島総

_________


従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


____


2018年3月25日 札幌第11回■詳報
櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!
「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り
http://sasaerukai.blogspot.com/2018/03/11_25.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/278.html#c29

[昼休み54] ドローンが臓器移植の未来を変える _ 乗り越えなければならない課題

ドローンが臓器移植の未来を変える _ 乗り越えなければならない課題

ドローンが臓器移植の未来を変える
土方細秩子(ジャーナリスト) 2018年11月25日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14599


 ドローンの有効利用の方法の一つとして、米国の医学研究者が移植用臓器の搬送に世界で初めてドローンを採用する実験を行った。ドローン搬送実験を行ったのはメリーランド大学のジョセフ・スカリア医師。スカリア医師は自らが移植外科医であり、過去に移植用の臓器が時間内に届かなったため結果として使用できなかった、という経験を持つ。移植用臓器はドナーから摘出後できるだけ早い時間でレシピエントに移植する必要がある。時間とともに臓器の機能は衰え、移植の失敗に繋がることになる。

 「せっかく提供された臓器を無駄にしないために、搬送用のより良いシステムを構築する必要があった」と語るスカリア医師は、メリーランド大学の宇宙航空工学部を巻き込んだ研究チームを設立し、ドローンによる移植の可能性を探ってきた。

 チームが用いたのはDJI M600ドローンで、これに冷蔵ボックスを組み込み、さらに搬送中に臓器の状態をモニターするためのバイオセンサーも装着させた。この実験機を実際に利用する機会を数カ月待っていた、という。チャンスが訪れたのは今年3月で、「健康ではあるが移植に適さない」腎臓を手に入れることができた。チームはこの腎臓を使い、実験機の駐留場所であるボルチモアから14カ所への試験的搬送を行った。

 スカリア医師は実験についての論文の中でドローン輸送を考えた理由の一つに「臓器の輸送可能距離が長くなった」ことを挙げている。米国の臓器移植ネットワークではこれまで腎臓を搬送できる最長距離を440マイル(約700キロ)としていたが、最近になって706マイル(約1100キロ)に改めた。搬送可能距離が長くなることは、それだけ対象レシピエントが増えることを意味するが、医師にとっては輸送時間が長くなることは問題だ。

 米国では長距離輸送には小型飛行機やヘリコプターが使われることが多いが、病院にヘリポートがあり利用できる場合はともかく、どちらかの病院にヘリポートがない場合、最寄りの飛行場から陸上輸送となる。このラストマイルの時間的ロスをなくすために、ドローンが有効なのでは、と考えた、という。

 今回の実験では最長5キロまでの14回の輸送を行い、実験の前後に腎臓の状態をバイオプシーにより精査したところ、非常に良い状態で輸送できた、という。またドローンのモーターにより冷蔵ボックス内の温度に影響が出るのでは、とも懸念されたが5キロの距離でもボックス内の温度は2.5度に保たれた。


乗り越えなければならない課題

 米国では移植用に摘出されたものの劣化により移植に使用されない腎臓は20%前後だという。ドローン輸送の導入によりこの数字を低めることが出来れば、移植により助かる命が増える、と論文は主張している。今回の実験でのドローンの速度は時速67キロ程度だったが、もし時速350マイル(約560キロ)で飛ぶドローンが実現できれば、米国の東西を結ぶ臓器搬送も可能になる。腎臓は摘出後24時間以内に移植できるのが理想とされるが、現在の米国の平均搬送時間は16−18時間、内陸部郊外など一部の場所では30時間を超えることも少なくない。

 ただしドローンの臓器搬送への導入には超えるべき壁も多い。最大のものは現在のFAA(連邦航空局)による規制で、ドローンは可視範囲の高度で飛ぶことが定められている。そのため現時点ではドローンは短距離の輸送にしか適さない手段となっている。また今回の実験では短時間の飛行であるため臓器の劣化は目立たなかったが、長距離を移動する場合は現在よりも大掛かりな冷蔵ボックス装置が必要となり、その重量に耐えうる、かつ長距離を高速で移動できるドローンを開発する必要がある。

 医学の現場でのドローン活用は臓器搬送に限らない。ミシシッピー州のウィリアム・キャリー大学では自然災害の際、あるいは僻地への医療支援物資のドローンによる輸送を研究している。医学の現場へのドローン活用は今後も可能性が広がっていきそうだ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14599


▲△▽▼

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/328.html

[経世済民129] 一発勝負!貿易戦争停戦の可能性を探る「トランプ・習会談」の行方 「習が譲歩するなら…」(現代ビジネス) :国際板リンク  赤かぶ
1. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月25日 12:24:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]
中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html

中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。


実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。


「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)


この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう


『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。


(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」


精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。


(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」


中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。


▲△▽▼

中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。


『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。


(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」


ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。


(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」


デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。


(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」


あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


▲△▽▼

2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう



http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/608.html#c1

[国際24] 一発勝負!貿易戦争停戦の可能性を探る「トランプ・習会談」の行方 「習が譲歩するなら…」(現代ビジネス) 赤かぶ
1. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月25日 12:24:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21121]
中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html

中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。


実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。


「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)


この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう


『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。


(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」


精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。


(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」


中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。


▲△▽▼

中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。


『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。


(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」


ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。


(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」


デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。


(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」


あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


▲△▽▼

2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう



http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/616.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 技能実習生が窃盗団結成(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
3. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月25日 16:16:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21127]
『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/189.html#c3
[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
13. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2018年11月25日 16:57:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21127]

2018年11月25日
フランス政府の「日産国有化」計画と日産の反発


マクロン大統領は「日産を国有企業にして日本から工場を奪う」プランを描いていた


画像引用:http://1.bp.blogspot.com/-2OZJ4CIJUgk/VUY5vdEjn-I/AAAAAAAAC8s/5EOaBjne6SU/s1600/Renault.jpg

日産は日本企業かフランス企業か

逮捕された日産のゴーン会長とフランス政府の関係、ゴーンを告発した日産経営陣の関係が興味深い。

ゴーン会長の逮捕前、フランス政府のパニエルナシェ仏経済・財務副大臣はルノーの保有株式について「変えるつもりがない」と話していました。

フランス政府はルノー株の15%を保有する筆頭株主で、フランスの法律によって議決権は2倍の30%で、ルノーが株式を保有する日産と三菱も間接的に所有している。




マクロンがまだ大統領ではなかった2015年ごろから、フランス政府は日産をフランス企業にしてフランスに工場を移転するなどと言っていました。

中でも強硬派だったのが現大統領のマクロンで、ルノー日産のゴーンと激しく対立していました。

ちなみにゴーンはルノー日産を退職した後は、フランス大統領選に立候補すると予想されていました。


マクロンが大統領に当選した事で日産国有化は確実と思われたが、そのマクロンの支持率が急降下した。

当選直後は70%以上だった支持率は25%になり、日本なら辞任ラインと言われる水準です。

閣僚は次々に辞任してレイムダック政権になったが、日産国有化を実行しようとしていました。


フランスは今景気が悪く失業率は10%近くで、EU離脱したイギリスの2倍もある。

日産を国有企業にして日本の工場を閉鎖してフランスで生産すれば雇用対策になるという計算です。

ルノーは日産と同じようにEVを販売しているが、これは日産の技術を流用したもので、体のいい技術泥棒です。

フランス国有になれば日本は全てを失う

ルノーの経営強化と雇用対策の両面で浮上したのがルノーと日産の経営統合で、マクロンは熱心に進めていました。

これに反対したのがゴーンで、ゴーンとしてはルノー日産はあくまで「自分のもの」にしておきたい。

国有化されてしまえばマクロン主導でゴーンはルノー日産から追放されてしまい、影響力を排除される。


ゴーンがフランス大統領になるにはルノー日産の後押しが絶対に必要で、フランス産業界を代表する人物として立候補したい。


こうした理由でゴーンは国有化に反対したが、最近ゴーンはルノー、日産、三菱の3社統合を進めようとしていました。

ゴーンは最初国有化や統合に反対したものの、自分の身分の保証などと引き換えに「寝返り」したと見られる。

これに猛反発したのが日産の西川社長らの「日産独立派」で、ゴーンを追放する機会を狙っていました。


複数のメディアによるとゴーンは数か月以内にルノー日産三菱の統合を実行しようとしていました。


そのタイミングで日産はゴーンの不正を東京地検に報告し、特捜部が直接逮捕に乗り出した。

東京地検特捜部は大物政治家などを対象に創設された組織で、国政がらみの事件が多い。


特捜部の本当の目的は「フランス政府による日産乗っ取り」防止だったのではないだろうか。


日産にとってルノーと協力するメリットは皆無だが、ルノーは日産を失うとすぐに倒産する。


逆にもし日産がフランス政府所有物になったら日本は全てを失う。


多くの国では自国企業が外国政府に買収されるのを禁止しているが、日本は何も防止策を講じていない。
http://www.thutmosev.com/archives/78216606.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c13

[政治・選挙・NHK254] 中国は悪くない!尖閣も取ります!   赤かぶ
1. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月25日 19:08:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21127]
日本は近い将来、中国小日本省になる


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976

中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


「外国人参政権」 を認めると沖縄が中国に編入される


なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07 
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616


かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。

今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。


小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に

選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。

たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。

毎日新聞10月3日から。


◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ


希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。

希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?


ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ

コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア

南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア

アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。

・クリミア

クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)

イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ

スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。

「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」

これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。

私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。

そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616  

日本人は謀略工作や心理戦に弱い。

我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。

しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。

ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。

落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。

しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。

隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html


中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる


国会で話題になっていた「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが「在日韓国・朝鮮人」であることです。

この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。


「外国人参政権法案」の国会提出回数


公明党   27回(賛成)
民進党   15回(賛成)
共産党   11回(賛成)
自民党   0回(反対)
国民新党 0回(反対)
みんな   0回(反対)


※外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)

※民主党(現在:民進党)は韓国民潭からの要請を受けて提出
※社民党・共産党も賛成 →共産党は被選挙権(立候補する権利)まで要求
※「自民党、国民新党、みんなの党、維新の会」は”反対”


(最後に/移民・難民問題)


日本国内で失踪する外国人(中国人)が増加
失踪目的で、技能研修を受けるものもいる

在日の犯罪の件数は多いのか、多い地域、どこにある?川崎市


その一方で日本には、イスラム圏からも多くの外国人が難民申請をしています(現在は多くが却下されている)
今後どのようになるかは分かりません。
http://www.geocities.jp/tokua33/

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/194.html#c1

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
50. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:13:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21127]

邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡
2018年11月23日 06時00分

 邪馬台国の時期と重なる古墳時代前期(3世紀半ば〜後半)に使用されたとみられるすずり5個が福岡市早良区の西新町遺跡から出土していたことが、柳田康雄・国学院大客員教授の調査で分かった。一つの遺跡から5個確認されたのは最多。同遺跡は王都のような政治的拠点ではなく、交易拠点だったと考えられており、まとまった数のすずりは、古代社会の経済活動でも広く文字が使われた可能性を示している。

 弥生時代から古墳時代前期のすずりは、北部九州ではこれまで8個が見つかっていた。各地域の中心とみられる場所からの出土が多く、「王」などの権力者周辺による文字使用が想定されていた。西新町遺跡は中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる「伊都国」と「奴国」の中間に当たり、古墳時代前期に朝鮮半島や日本各地から多数の土器がもたらされるようになり、倭の貿易港として急激に成長したと考えられている。

 5個のすずりは2007年度までの調査で発掘され、砥石(といし)などとみられていた。柳田教授が他の遺跡の出土品と比較し、形状などからすずりと判断した。長方形の完全な形に近い状態のものが1個(長さ約10・4センチ)で破片が4個。いずれも厚さは0・5センチ前後で、破片も含めて両辺が確認できるものは幅が約4・4〜5・4センチ。3個には朱を使った跡があるという。

 西谷正・九州大名誉教授(考古学)は「政治だけでなく経済でも文字が使われていた可能性が高まり、日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」と評価。柳田教授は「交易で普通に文字を使っていたと考えられる。他の遺跡の出土品を見直せば、もっと見つかるかもしれない」と話している。

=2018/11/23付 西日本新聞朝刊=
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/467782/


北九州の くに では漢文で朝鮮の人間とコミュニケートして、中国製の鏡を太陽神として崇拝していたという事ですね。

つまり、北九州の くに というのは朝鮮との貿易拠点で、倭人用の市場だったという事ですね。

当然、くに の人間は華僑か漢民族系朝鮮人でしょう。


http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c50

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
150. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:14:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21127]

邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡
2018年11月23日 06時00分

 邪馬台国の時期と重なる古墳時代前期(3世紀半ば〜後半)に使用されたとみられるすずり5個が福岡市早良区の西新町遺跡から出土していたことが、柳田康雄・国学院大客員教授の調査で分かった。一つの遺跡から5個確認されたのは最多。同遺跡は王都のような政治的拠点ではなく、交易拠点だったと考えられており、まとまった数のすずりは、古代社会の経済活動でも広く文字が使われた可能性を示している。

 弥生時代から古墳時代前期のすずりは、北部九州ではこれまで8個が見つかっていた。各地域の中心とみられる場所からの出土が多く、「王」などの権力者周辺による文字使用が想定されていた。西新町遺跡は中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる「伊都国」と「奴国」の中間に当たり、古墳時代前期に朝鮮半島や日本各地から多数の土器がもたらされるようになり、倭の貿易港として急激に成長したと考えられている。

 5個のすずりは2007年度までの調査で発掘され、砥石(といし)などとみられていた。柳田教授が他の遺跡の出土品と比較し、形状などからすずりと判断した。長方形の完全な形に近い状態のものが1個(長さ約10・4センチ)で破片が4個。いずれも厚さは0・5センチ前後で、破片も含めて両辺が確認できるものは幅が約4・4〜5・4センチ。3個には朱を使った跡があるという。

 西谷正・九州大名誉教授(考古学)は「政治だけでなく経済でも文字が使われていた可能性が高まり、日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」と評価。柳田教授は「交易で普通に文字を使っていたと考えられる。他の遺跡の出土品を見直せば、もっと見つかるかもしれない」と話している。

=2018/11/23付 西日本新聞朝刊=
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/467782/


北九州の くに では漢文で朝鮮の人間とコミュニケートして、中国製の鏡を太陽神として崇拝していたという事ですね。

つまり、北九州の くに というのは朝鮮との貿易拠点で、倭人用の市場だったという事ですね。

当然、くに の人間は華僑か漢民族系朝鮮人でしょう。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c150

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
97. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:39:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]


雪日記 かぐら初滑り。

【18-19シーズン 19日目】 天候:晴れ
11/25(日) かぐらスキー場でスノーボード。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3438.html

明けましておめでとうございます。
これから半年間お世話になるホームに帰って来ました。

木曜まで全く雪が無かったかぐらスキー場ですが、
金曜の降雪で土曜日から無事オープン!
みつまたエリアにも意外と雪が積もっております。

今シーズンより、みつまたロープウェイ〜みつまた1高間に、
サンキッド(スノーエスカレーター)が設置されました。
サマーゲレンデの設備を冬も再利用、いいですね。
特にスクールや休憩所からロープウェイに帰る時に役に立つ予感がします。

みつまたはファミリーコースもオープンしました。

一応リフト乗り場までどうにか雪が付いています。

大会バーン側も“自己責任”で滑られている方がおりました。

ゴンドララインは…、

真ん中はほぼピスラボ!
端を滑ればどうにか雪上移動ができました。

さぁかぐらエリア!

数日前までなーんにも無かったのが信じられないくらい真っ白!

1高への道もどうにか繋がっております。

今シーズン初かぐら第1高速リフト!
シーズン中、どのリフトよりも一番乗車させていただく最重要リフト!

カグリーくん、
まだ届かない…、遠い存在。
いつかその手に…。

よくぞたった1日の降雪でここまで仕上げてくれました。
素晴らしい!!

降雪機側はうっすらパウダー、その下は氷。
逆側はパウダー、その下は地雷だらけ!

昨日はかなり良かったらしいのですが、
まだ降雪は一発のみ、
いつものシーズンイン初頭のゲレンデです。

正直、コース状況は中々厳しい〜!!
滑走だけで言ったら軽プリの方が正解です。

でも、
やっぱりこれだけの広大なゲレンデを滑れる事が、
さいこ〜!!

少ない雪で1高稼働、よくぞここまで!
やっぱりかぐらがホームゲレンデで良かったと思わせるシーズン始まりです。

場所を選べばパウダーもありました!
降った雪質はいい!

場所を間違えると、地雷にヤラレルかアイスバーンで滑落するか…。

ラインコブもありましたが、
草滑走が必要なのでなんとも…(笑)

夕日が沈むゴロマ。
どうかこのままで終わらないで下さい。

夕暮れのみつまた2ロマ。
明日からはピスラボ滑走必至です。

本日から正式コースとなったみつまたファミリー。
どうにか雪上滑走できましたが、
明日以降は移動ゲレンデかな。

コブ二郎さんがかなり楽しめました。

コブ太郎さんは…、
恐ろしくて突撃できませんでした。

みつまたロープウェイ山頂駅には、
カーペットが敷かれていましたよ。

少ない降雪でも、どうにかオープンしていただいたかぐらスキー場。
少雪や暖冬の時こそかぐらがホームで良かったぁと実感できます。
ゲレンデの状況はカチカチだったりフカフカだったり草だったり様々ですが、
それがこの時季のスキー場。
それでもきっちり整備してオープンさせてくれるスキー場って中々無いのでは!?

シーズンイン初頭の地形や地雷を楽しめる最高のスキー場です。

安全に滑走だけを謳歌したいのなら軽プリの方が正解かもしれませんが、
やっぱりかぐらオープンは格別だな〜!!

格別の越後湯沢夜の部も始まりました。
今夜は独りもつ鍋シーズンインパーティー!!

もちろん、おやじでアーライッ!です。

スキー場発表積雪量:50〜70cm

使用板:GENTEMSTICK / INDEPENDENT STICK
ビンディング:BURTON / STEP ON
ブーツ:BURTON / PHOTON STEP ON

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3438.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c97

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
144. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:40:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]


雪日記 かぐら初滑り。
11/25(日) かぐらスキー場でスノーボード。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3438.html

明けましておめでとうございます。
これから半年間お世話になるホームに帰って来ました。

木曜まで全く雪が無かったかぐらスキー場ですが、
金曜の降雪で土曜日から無事オープン!
みつまたエリアにも意外と雪が積もっております。

今シーズンより、みつまたロープウェイ〜みつまた1高間に、
サンキッド(スノーエスカレーター)が設置されました。
サマーゲレンデの設備を冬も再利用、いいですね。
特にスクールや休憩所からロープウェイに帰る時に役に立つ予感がします。

みつまたはファミリーコースもオープンしました。

一応リフト乗り場までどうにか雪が付いています。

大会バーン側も“自己責任”で滑られている方がおりました。

ゴンドララインは…、

真ん中はほぼピスラボ!
端を滑ればどうにか雪上移動ができました。

さぁかぐらエリア!

数日前までなーんにも無かったのが信じられないくらい真っ白!

1高への道もどうにか繋がっております。

今シーズン初かぐら第1高速リフト!
シーズン中、どのリフトよりも一番乗車させていただく最重要リフト!

カグリーくん、
まだ届かない…、遠い存在。
いつかその手に…。

よくぞたった1日の降雪でここまで仕上げてくれました。
素晴らしい!!

降雪機側はうっすらパウダー、その下は氷。
逆側はパウダー、その下は地雷だらけ!

昨日はかなり良かったらしいのですが、
まだ降雪は一発のみ、
いつものシーズンイン初頭のゲレンデです。

正直、コース状況は中々厳しい〜!!
滑走だけで言ったら軽プリの方が正解です。

でも、
やっぱりこれだけの広大なゲレンデを滑れる事が、
さいこ〜!!

少ない雪で1高稼働、よくぞここまで!
やっぱりかぐらがホームゲレンデで良かったと思わせるシーズン始まりです。

場所を選べばパウダーもありました!
降った雪質はいい!

場所を間違えると、地雷にヤラレルかアイスバーンで滑落するか…。

ラインコブもありましたが、
草滑走が必要なのでなんとも…(笑)

夕日が沈むゴロマ。
どうかこのままで終わらないで下さい。

夕暮れのみつまた2ロマ。
明日からはピスラボ滑走必至です。

本日から正式コースとなったみつまたファミリー。
どうにか雪上滑走できましたが、
明日以降は移動ゲレンデかな。

コブ二郎さんがかなり楽しめました。

コブ太郎さんは…、
恐ろしくて突撃できませんでした。

みつまたロープウェイ山頂駅には、
カーペットが敷かれていましたよ。

少ない降雪でも、どうにかオープンしていただいたかぐらスキー場。
少雪や暖冬の時こそかぐらがホームで良かったぁと実感できます。
ゲレンデの状況はカチカチだったりフカフカだったり草だったり様々ですが、
それがこの時季のスキー場。
それでもきっちり整備してオープンさせてくれるスキー場って中々無いのでは!?

シーズンイン初頭の地形や地雷を楽しめる最高のスキー場です。

安全に滑走だけを謳歌したいのなら軽プリの方が正解かもしれませんが、
やっぱりかぐらオープンは格別だな〜!!

格別の越後湯沢夜の部も始まりました。
今夜は独りもつ鍋シーズンインパーティー!!

もちろん、おやじでアーライッ!です。

スキー場発表積雪量:50〜70cm

使用板:GENTEMSTICK / INDEPENDENT STICK
ビンディング:BURTON / STEP ON
ブーツ:BURTON / PHOTON STEP ON

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3438.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c144

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
14. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:55:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]

実務ほぼなし…“不正関与のため”日産に?
11/24(土) 12:18配信 日テレNEWS24
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181124-00000018-nnn-soci


日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン容疑者が逮捕された事件で、共謀したとして逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者が、担当する実務がほぼないにもかかわらず、ゴーン容疑者の不正に関与するために日産にとどまっていたとみられることがわかった。

関係者によると、逮捕された元代表取締役のケリー容疑者は、2014年に社長室長を退いた後は、来日して出社するのは株主総会など年に数回で、担当する実務もほぼなかったという。

ケリー容疑者はゴーン容疑者から、報酬の額を少なく記載するよう指示を受けていたとみられている。また、ゴーン容疑者が無償で住宅の提供を受けていたオランダにある子会社の役員も務めていて、こうしたことに関与するために日産にとどまっていたとみられるという。

ケリー容疑者が代表取締役にとどまることで支払われていた役員報酬は、こうしたことへの関与の見返りだった可能性もあるという。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c14

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
15. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月25日 20:58:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]

ゴーン容疑者、監査法人の指摘に「必要ない」
11/24(土) 12:08配信 TBS News i
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181124-00000041-jnn-soci


 日産自動車・前会長のカルロス・ゴーン容疑者が逮捕された事件で、役員報酬を有価証券報告書に記載するよう監査法人から求められた際、ゴーン容疑者が「法律的な問題がない」と拒否していたことが分かりました。

 カルロス・ゴーン容疑者(64)は、有価証券報告書に自らの報酬をおよそ50億円少なく記載したとして金融商品取引法違反の疑いで逮捕されました。

 日産は役員報酬として「ストックアプリシエーション権」と呼ばれる、株価に連動して報酬を得られる制度を導入していて、これによりゴーン容疑者は数十億円を得ていましたが、有価証券報告書に記載されていませんでした。

 その後の関係者への取材で、監査法人がゴーン容疑者の役員報酬について、「ストックアプリシエーション権」分が含まれていないことに気づき、「記載すべき」だと指摘しましたが、ゴーン容疑者は法律の専門家の助言を得るなどして「必要ない」と結論づけていたということです。

 また、ゴーン容疑者の母親や姉が住む住宅を購入させたオランダにある日産の子会社についても、監査法人が日産側に「実態が不透明」と指摘していたことも分かりました。東京地検特捜部は、有価証券報告書の作成経緯を詳しく調べています。(24日10:38)
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c15

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
16. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月25日 21:03:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
高額報酬得る外国人経営者 グローバル化で進んだ富の一極集中 
カルロス・ゴーン逮捕を巡って 2018年11月25日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10037


逮捕されたカルロス・ゴーン

 日産会長のカルロス・ゴーンが役員報酬を過少申告していた容疑で逮捕され、その金額が実は2倍の年間20億円近くだったことに衝撃が走っている。今回の事件は、有価証券報告書に記載された「役員報酬額」が異なっても、会社ぐるみで隠蔽してしまえばまかり通る仕組みになっていることや、海外資本も入り乱れた関係のなかで、国境をまたいで日仏間で暗闘がくり広げられていることを赤裸裸に暴露した。同時に多国籍化した大企業において、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)等の肩書きを持つ者や、社長、会長、役員たちがいかに法外な報酬を得ているかを知らしめるものとなった。表に出てくる報酬額の信憑(ぴょう)性が揺らいでいるとはいえ、日本の大企業や世界の大企業群の経営者たちは、いったいどれだけの報酬を得ているのか見てみた。

 東京商工リサーチの調べでは、日本国内で2018年3月期に1億円以上の報酬を得た役員の数は538人にのぼる。そのうち、上位30人【図参照】を見てみると、ソニーのCEOを退任した平井一夫の27億1300万円を筆頭に、上位10人の報酬は10億円をこえ、多くを外国人経営者たちが占めている。ルノーから送り込まれた18位(過少申告による順位。実際にはルノー、日産、三菱自動車の3社から19億円の報酬を得ていた)のカルロス・ゴーンに限らず、大企業の資本を外資が握る過程で、海外からやってきた経営者が企業トップの座につき、報酬そのものも「グローバル・スタンダード(世界基準)」を追う形で高額化してきた。グローバル化に日本市場がガッチリと組み込まれ、草刈り場にされていることを物語っている。

   

 上場企業のなかでは、外資の株式保有比率が高まり、日産といっても仏ルノーの出資によって経営している外資系企業にほかならない。外国人の持ち株比率が50%をこえる企業としては、オリックス、ソニー、大東建託、新生銀行、レナウン、良品計画、三井不動産、日本マクドナルドHD、HOYA、シャープ、ドンキホーテHD、中外製薬、モノタロウ、ユニバーサルエンターテイメント、リーバイ・ストラウスジャパン、日本オラクルなど、見かけは日本企業と思うようなものも多い。しかし軒並み外資系企業と化しており、株を握る海外ファンドの存在感が高まっているのが実態だ。

 とりわけ、アベノミクスによって日銀が異次元緩和で円安に誘導したり、株高演出の官製相場をつくりだしたことによって、この数年は優良企業の株式は外資にとって格好の餌食となった。そして実行を迫られるのは日産の「コストカッター」ことカルロス・ゴーンに負けず劣らずの大合理化をはじめ、低賃金化を基本にした徹底したコストカットであった。外国人労働者の増大、すなわち「低賃金労働力の不足」問題も、これら大企業群からの需要に応えるものとして進めている国境をこえた労働力の流動化策である。労働力としての人間が足りないので人口を増やすのではなく、「足りないならよそから引っ張ってくればよい」式で、資本の都合によって民族的な枠組みや社会の成り立ちそのものが改造を余儀なくされている関係だ。

 このようにして大企業が生み出した利益は外資ファンドをはじめとした株主に還元されるほか、そのために経営指揮をとったCEOやCOOといった役員たちには高額報酬が与えられ、この番頭役たちもより利益を叩き出すために尻を叩かれている関係にほかならない。産業資本の上段に金融資本が巣くい、「1%vs99%」といわれるむき出しの搾取構造が、以前にも増して露骨な形であらわれている。労働者の所得はさほど伸びていないにもかかわらず、経営者の報酬や金融資本の分け前だけは桁違いのものとなり、その所得格差は既に「日本型資本主義」などといわれていた時代とは比べものにならない。そして、高額報酬を得ている経営者たちよりもはるかに財力を蓄えたスーパーリッチといわれる超富裕層が、わずか80人で世界人口の半分にあたる下層三五億人の総資産をも上回るカネを握りしめ、タックスヘイブン(租税回避地)に隠匿するという、きわめて歪(いびつ)な構造がある。

米国ではウォール街を占拠


ニューヨークで起こったウォール街占拠運動

 5年で100億円を得たカルロス・ゴーンと比較して、世界はどうなっているのか。2016年の高額役員報酬の数値を見てみると、グーグルCEOのサンダー・ピチャイの210億円を筆頭に、ディスカバリーCEOのデイビット・ザスラフが165億円、ソフトバンク・グループの副社長に就任したニケシュ・アローラが同じく165億円、リバティ・グローバルCEOのマイク・フライズが118億円、ギャムコ・インベスターズCEOのマリオ・ガベリが93億円、マイクロソフトのサティア・ナデラが89億円、ゴープロ創設者のニック・ウッドマンが82億円、リバティ・メディアCEOのグレッグ・マッフェイが78億円、ブラックベリーCEOのジョン・チェンが74億円、オラクルCEOのラリー・エリソンが71億円と続き、上位20人は40億円超えを果たしている。税控除が有利であることから、固定の報酬に加えてストックオプションによって積み増す方式が主流といわれている。


 米国でも70年代まではCEOの年間報酬も1億円程度で、労働者と経営者の賃金格差も30倍程度だったとされている。


 これが、ニクソンショックをへて新自由主義へと転換し、金融自由化をテコにしたレーガノミクスがたけなわとなる80年代以降、富める者はますます富み、圧倒的国民には貧困が押しつけられるなかで、いまや企業によっては労働者と経営者の賃金格差は200〜300倍という桁違いのものになっている。


 そして、日本社会と同じように、アメリカ国内も搾取する対象である国民に貧困を押しつけた結果、国内市場は頭打ちとなり、大企業群は新たな市場を求め、さらなる低賃金労働に寄生するために生産拠点その他を海外に移してしまい、ラストベルトに象徴される産業空洞化でますます貧困が深刻化する悪循環に見舞われた。


 そうした社会の歪みが近年では「1%vs99%」「ウォール街を占拠せよ!」を掲げたオキュパイ運動や、アメリカ大統領選であらわれたサンダース現象、その後も資本主義に成り代わる次なる時代を求める社会運動が台頭する根拠となり、強欲資本主義と一般大衆との非和解的な矛盾が激化している。

辛抱きかぬ強欲社会を壊す

 「カリスマ経営者」のように持て囃されてきたカルロス・ゴーンの守銭奴ぶりがここにきてクローズアップされているものの、同じように強欲極まりない経営者たちは他にも山ほどいる。強欲資本主義といわれる時代にあって、世間一般から見て「そんなに独り占めして何に使うのだろうか?」と思うほど、遠慮のない資本の独占が蔓延(はびこ)っている。社会がどうなろうが知ったことではなく、もっぱら自己の利益のみを追求するところに新自由主義イデオロギーの特徴がある。


 日産は「再建」と称して2万1000人の労働者を解雇して路頭に迷わし、その運命を翻弄したが、競争力を高め、株価を上げるためにはリストラがもっとも手っとり早い手段だったというだけである。その冷徹さで2万1000人の収入をゼロにすることによって、ゴーンの手に年間20億円という高額報酬が転がり込んだ関係だ。


 産業資本は昔のように銀行から借金をして設備投資する形から、新株や社債発行によって資本を獲得する直接金融方式に変わり、株価が上がるか下がるかが最大の基準になってきた。こうして株価が下がればヘッジファンドなどに企業買収を仕掛けられ、リストラ合理化を経て上がったら、株主や役員がたくさん報酬をもらうのは当然という、ハゲタカ集団による食い漁りのようなことが常態化している。労働者に分配しないことによって、その法外な利益は保障されている。


 国内製造大手を見てみると、目先の利益を追い求めることに汲汲として、長期的展望に立った技術継承など切り捨ててきた。その結果、技術立国といわれてきた日本の大企業の凋落ぶりは著しく、アメリカの原発事業でババを引かされた東芝、台湾企業に買収されたシャープを筆頭に世界市場のなかで競り負け、技術者は中国や韓国の台頭する資本に引き抜かれるといった事態が進行してきた。外資に食い物にされた企業の末路は惨憺(たん)たるものがある。


 こうした金融支配のもとで、製造業だけでなく農漁業も破壊され、担い手である労働者や地方で第一次産業に従事する生産者の困窮度は以前にも増してはなはだしいものとなった。世界的に見ても異常なる少子高齢化、地方の急激な衰退は、こうした社会全体の構造的な変化の反映といえる。現在進んでいるTPP、日米FTA、水道民営化、漁業権の民間開放や諸諸の市場開放は、日本社会売り飛ばしの総仕上げを意味している。


 強烈な搾取社会の到来によって社会の存立基盤そのものが脅かされ、なおも社会的に保障すべき教育や医療、介護、福祉、学問、インフラにいたるまで、人人が生活し、社会を維持していくために必要としてきた機能を金融資本の都合で切り捨てたり、ビジネスの具にしていく方向が強まっている。


 世界を股にかけるこれら新自由主義イデオロギーの特徴の第一は、強欲な金融投機集団、金利生活者の利益を代表しているという点である。彼らの願望に社会的な現実も自然界の現実も従わせようという逆立ちした超観念論であるが、その欲望の実現のために社会的な規制をとり払い、金利生活者がもうけるために力尽くで世の中を従わせようとする。そのために叫んでいる「自由化」は、自分たちが銭もうけをするための自由というだけで、その他の圧倒的多数である社会の構成員の自由を奪い、カネも奪っている。


 このような行き着くところまで行き着いた資本主義社会の末期的な状況に対して、勤労大衆の側が意識的に対抗しなければ、強欲な側は遠慮なく陣地を広げていく関係だ。


 社会は市場原理ではなく生産原理で動いており、超富裕層や強欲な経営者たちがいるおかげでその他の人間が生きているわけではない。逆に彼らが寄生しているために、世界的には金余りであるにもかかわらず、マネーゲームだけが宙の上でくり広げられ、しかも欲深いが故にサブプライム等等で事あるごとに破裂し、貧困層は増えるばかりとなっている。


 生産活動が社会の活力の原動力であり、それと結びついて社会科学、自然科学、文学、芸術が豊かに発展すること、金融資本が暴れる状況を強烈に規制して、みなが働いてまともに暮らしていける状況をつくりだすことが求められている。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10037
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c16

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
17. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:03:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]

日産前会長逮捕
邸宅購入や家族旅行…「私物化」続々
毎日新聞2018年11月26日 06時45分(最終更新 11月26日 07時48分)
https://mainichi.jp/articles/20181126/k00/00m/040/122000c?inb=ys



ゴーン前会長を巡る疑惑の構図
https://mainichi.jp/articles/20181126/k00/00m/040/122000c?inb=ys


日産関係者「何から何まで会社のお金を」

 国内外に大きな衝撃を与えた日産自動車前会長、カルロス・ゴーン容疑者(64)らの逮捕から、26日で1週間。この間、日産の業績を回復させた「カリスマ経営者」を巡る疑惑は、逮捕容疑となった約50億円の役員報酬の過少記載のほか、会社資金の不正流用などにも広がっている。日産側は、前会長が会社を「私物化」していたとして法的措置も検討する方針だ。【服部陽、大久保昂、片平知宏】


 ゴーン前会長が日産の最高執行責任者(COO)に就任したのは1999年6月。以後、社内の大規模リストラに乗り出すなど「コストカッター」として経費を切り詰めていった。しかし、その裏で巨額の会社資金を私的に流用するなどしていた疑いが指摘されている。

 これまでにゴーン前会長は、日産側に世界6カ国(ブラジル・リオデジャネイロ▽レバノン・ベイルート▽フランス・パリ▽オランダ・アムステルダム▽アメリカ・ニューヨーク▽東京)で高級住宅を無償提供させていた疑いが浮かんでいる。

 関係者によると、このうちリオとベイルートの住宅の購入には、日産がオランダに出資して設立した子会社「ジーア」から、租税回避地(タックスヘイブン)に設けた孫会社など複数の会社を経由させた資金が充てられた疑いがあるという。住宅購入などに使われた費用は数十億円に上るとみられる。

 ある日産関係者は「オランダの会社は、いろいろなベンチャービジネスを買収するために設立された。しかし、そうした投資は一切行われていなかった」と指摘する。

 また、前会長の姉に業務実態のない契約料▽娘の通う大学への寄付金▽家族旅行の費用−−などに会社資金が充てられた疑いも浮上している。送金に関わっていたとされる社員らは東京地検特捜部に任意で事情聴取されており、送金の詳細を説明している模様だ。

 日産関係者は「前会長は、自身ではビタ一文出していなかった。外出してのどが渇いて部下に水を買わせる時も会社持ち。何から何まで会社のお金を使っていた」と強調する。

 ゴーン前会長の私的流用も、共に逮捕された前代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者(62)が、外国人執行役員らに具体的に指示していたとみられる。特捜部は資金の流れを示す送金記録を入手し、裏付け捜査を進めているものとみられる。

 一方、前会長の役員報酬の過少記載について、特捜部は逮捕容疑となった2010〜14年度の5年分に加え、15〜17年度の3年分についても立件を検討している。計8年分の不記載分計約80億円について、ゴーン前会長は退任後に受け取る仕組みを考案し、日産と契約を結んでいたという。

 有価証券報告書に記載すべき役員報酬について、検察幹部は「将来受け取る報酬であっても、受取額が確定していれば確定した時の報告書に記載しなければならない」との見方を示している。

 日産は特捜部の捜査を見守りながらゴーン前会長に民事訴訟で損害賠償を請求することや、刑事告訴も検討している。
.
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c17

[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
33. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:11:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]


2018年07月17日公開
名張毒ぶどう酒事件の真相!奥西勝/冤罪/真犯人/会長/夜這い
https://kirari-media.net/posts/1071

名張毒ぶどう酒事件を知っていますか?
名前にインパクトのあるこの名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた男性は奥西勝と言う人物ですが、冤罪だったとも言われています。

奥西勝が起こしたとされるこの事件の真相とは?
奥西勝は真犯人なのか?

その真相に迫っていきます。


名張毒ぶどう酒事件とは?

名前にやたらインパクトのある名張毒ぶどう酒事件は帝銀事件や和歌山カレー事件に並ぶ日本の三大毒殺事件と言われています。

この名張毒ぶどう酒事件について知っている人はもう少なく、名張毒ぶどう酒事件と聞いてもどんな事件か知らない人も多いのではないでしょうか?

過去にこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画が公開されましたが、それでも知らない人の方が多いでしょう。この日本の三大毒殺事件のひとつと言われている名張毒ぶどう酒事件とはどのような事件だったのか始めに紹介しておきましょう。

三重県名張市葛尾の公民館で起きた大量殺人事件




名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた毒物混入事件とされており、その毒物が混入されていたのが、ぶどう酒だったことから名張毒ぶどう酒事件と言う名が付けられた事件です。

名張毒ぶどう酒事件により5人が死亡、12人が中毒症状を起こしたとされており、名張毒ぶどう酒事件が起こる前に毒殺事件として世間を騒がせていた帝銀事件と同じ数の被害者を出した事から名張毒ぶどう酒事件は「第二の帝銀事件」とも言われていました。

重要参考人として呼ばれたのは三人の男性

この名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされたのが奥西勝でした。名張毒ぶどう酒事件が起きた当初、その懇親会に出席していた男性たちが怪しいと見て3人の男性が重要参考人として警察に呼ばれていました。

しかし、3人の内2人は犯行を否認、奥西勝だけが名張毒ぶどう酒事件の犯行を認め、自供したとされています。が、奥西勝は公判において、名張毒ぶどう酒事件に関する自供は警察によって強要されたものだったとして突如名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認しました。

真相・真犯人は不明?冤罪逮捕の可能性

この名張毒ぶどう酒事件で一度は無罪判決が下ったものの、二審で死刑判決となった後も、立て続けに名張毒ぶどう酒事件再審請求を送ったにもかかわらず、奥西勝が獄中で死亡するまでこの判決が覆されることはありませんでした。

ただ、名張毒ぶどう酒事件における奥西勝の無罪を支持する声や意見が上がっていたことも事実です。また、真犯人として三奈の会会長の名前が挙げられているなど、名張毒ぶどう酒事件の真犯人はいまだ謎のままとされています。

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないのであれば誰が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相はいまだ謎のまま、今も奥西勝を守る会と題して弁護団が名張毒ぶどう酒事件は冤罪だったとして真相解明に心血を注いでいます。

名張毒ぶどう酒事件の概要

名張毒ぶどう酒事件について分かったところで、名張毒ぶどう酒事件についてさらに真相を突き詰めていきましょう。果たして奥西勝は真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相とはどのようなものなのか、それとも冤罪なのか調査していきます。

「三奈の会」で女性12名が負傷・5名が死亡

1961年3月28日夜、名張毒ぶどう酒事件が起こる前、三重県名張市葛尾地区の公民館で生活改善を目的としたサークル「三奈の会」で懇親会が開かれており、その公民館には当時32人の男女が集まっていたとされています。

懇親会が開始された直後女性だけが苦しみ始め、医者が呼ばれたものの5人が死亡、12人が中毒症状を起こしました。女性だけが被害にあった理由は、毒物が混入されたぶどう酒にありました。

当時ぶどう酒はお洒落な飲み物と言う認識があり、特に女性には人気の嗜好品でした。そのため、この名張毒ぶどう酒事件で振舞われたぶどう酒を口にしたのは女性のみで、男性陣は清酒を楽しんでいたため名張毒ぶどう酒事件の難を逃れるに至りました。

出されたぶどう酒から農薬のニッカリンが見つかる

ぶどう酒を飲んでいた女性ばかりに中毒症状が出ていたため、警察もぶどう酒に毒物が混入されていると見て捜査を開始しました。警察の見立て通り、ぶどう酒からはニッカリンと呼ばれる農薬が検出されました。

そのことから重要参考人として懇親会に出席していた3人の男性が重要参考人として呼ばれましたが、内2人は容疑を否認していたと言います。

奥西勝が逮捕・起訴され死刑判決を受ける

重要参考人として呼ばれた3人の中で唯一犯行を自供したのが奥西勝だったとされています。動機とされたのが、殺害された女性の中に奥西勝の愛人が含まれていたため、その愛人との関係に行き違いがあったと推測されています。

供述は「公民館でひとりになった際にぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入した」と供述したとされています。

奥西勝は冤罪を主張するも再審請求は全て棄却

4月2日に行われた取り調べで奥西勝は「公民館でひとりになった際、ぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入したと供述しており、この自供を真相として警察は奥西勝を容疑者と断定しました。

しかし、公判で奥西勝が「自供は警察に強要されたもの」として犯行を否認しました。1964年の一審で「無罪」となったものの、1969年の二審では「死刑」判決が下されています。

1972年6月に最高裁でも「死刑」判決が下り、奥西勝の死刑が決定されました。奥西勝はこの判決を不服として名古屋高裁に異議を申し立てていました。

奥西勝死刑囚が獄死する

1972年6月に下された死刑判決に異議を申し立てていた奥西勝死刑囚ですが、2012年6月に肺炎を患って以降体調が悪化し、八王子病院に身柄を移されてからは人工呼吸器を装着して寝たきりとなっていました。

2014年4月19日には国内の死刑囚としては最高齢に認定されました。2015年5月15日に奥西勝死刑囚の病状を気にかけた弁護団により最高裁への特別抗告が取り下げられましたが、同年10月4日午後0時19分奥西勝死刑囚の死亡が確認されました。

奥西勝死刑囚が死亡した後、妹にあたる人物が最高裁へ10次再審請求を出すも2017年12月8日に棄却されています。

奥西勝の家族構成・人間関係

名張毒ぶどう酒事件の真犯人として死刑判決が下されたまま無念の死を遂げた奥西勝ですが、名張毒ぶどう酒事件を引き起こしたとされている奥西勝とはどのような人物だったのか、家族構成や人間関係の視点から調査してみました。

三奈の会会長・奥西楢雄

まず、三奈の会会長である奥西楢雄は名張市葛尾地区に住んでいます。昔から葛尾地区で役職を努めるなど精力的に活動していた経緯があり、趣味にも余念のない人物です。

淡路島を訪れた際は乗馬を楽しみ、その楽しさから名張乗馬クラブを結成するなど、公私とも精力的な活動をしていました。「動ける間は色々したい」と語り、現在は交通事故をいかになくすかを考えていると話しました。

奥西勝とは愛人を共有した仲と言う認識で違いないようです。愛人の共有と言うと現在社会では考えられない話ですが、事件当時の葛尾地区では夜這いの習慣があったとされていることからも、愛人の共有は当たり前のように行われていたとされています。

母・奥西タツノ

奥西勝の母にあたるのが奥西タツノです。奥西タツノに関する情報は名張毒ぶどう酒事件の大きさゆえに伏せられていますが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供した際には名張葛尾地区の村人によって手厚く保護しようとする動きが見られました。

しかし、奥西勝が裁判で名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認し始めると、手のひらを返したように奥西タツノに暴行を加えたと言われています。

また、奥西勝家の墓だけが共同墓地から追い払われるなど、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認に転じてからというもの村人からの迫害を受け続けた人物となります。

妻・奥西千恵子

名張毒ぶどう酒事件で死亡した5人の内の一人が奥西勝の妻・奥西千恵子でした。1947年1月に奥西勝と恋愛結婚を果たし1948年に長男、1954年に長女をもうけています。

1960年10月に奥村勝が北浦ヤス子と仲睦まじく歩く姿を目撃して以降夫婦仲は険悪となっていったようです。名張毒ぶどう酒事件で被害者の一人に名を連ねたのはそういった背景があってのことと考えられています。

奥西勝の子供

奥西勝と妻・千恵子の間に生まれた子供は名張毒ぶどう酒事件当時長男が中学生、長女が小学6年生であったとされています。名張毒ぶどう酒事件直後、母は名張毒ぶどう酒事件の被害者となり死亡しています。

しかも、父は名張毒ぶどう酒事件について警察の取り調べを受けているなど、子供にとってショックの大きさは計り知れません。また、奥西勝も娘の中学入学に間に合うなどそそのかして名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供させたとも言われています。

愛人・北浦ヤス子

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた大きな要因である愛人・北浦ヤス子は冷め切っていた夫婦関係とは裏腹に、奥西勝と畑や映画に行くなど非常に仲のいい関係であったと言われています。

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行に至った経緯には、北浦ヤス子が会長である奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥様とも分かれてほしい」と迫っていたことを奥西勝が知り、名張毒ぶどう酒事件を起こしたとされています。

奥西勝が犯人とされた理由

冤罪ともささやかれる名張毒ぶどう酒事件で奥西勝はなぜ真犯人とされたのでしょうか?奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を起こす動機や警察が集めた名張毒ぶどう酒事件の証拠について調べてみました。

奥西勝が真犯人とされた動機とは

名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙されたからには奥西勝には名張毒ぶどう酒事件を引き起こすなんらかの動機があってしかるべきですが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こした理由として挙げられたのは愛人とのすれ違いによるものだったと言われています。

愛人・北浦ヤス子と奥西勝は当時不倫関係にあったとされています。しかも、この愛人・北浦ヤス子は会長である奥西楢雄とも愛人関係にあった人物で、奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥西楢雄にも妻と別れてほしい」とせがんでいたと言われています。

その現場を偶然目撃した奥西勝と会長・奥西楢雄、愛人・北浦ヤス子と揉めている現場を目撃した人がいました。愛人との関係にすれ違いを感じての犯行であると警察は見ていたようです。

こうした揉め事は村の風習「夜這い」にも関係が

名張毒ぶどう酒事件発生当時の葛尾地区には現在日本では考えられない風習「夜這い」が横行していました。この夜這いは男性が気になる女性の元に夜訪れるもので、一見犯罪のように見受けられます。

しかし、この地区の夜這いは相手女性の同意なしに夜這いを強行できないようになっていました。もし、無理にでも夜這いをしようものなら村八分にされるなど、一重に夜這いと言っても女性側に強みのある夜這いでした。

と言うのも、当時テレビなどの娯楽もなく、娯楽らしい娯楽と言えばお酒と食事くらいだったこの地区では、夜這いも一種の娯楽として嗜まれていたようです。

果たして愛人との揉め事は動機になりうるか

夜這いと言う特殊な風習に伴い、奥村勝にも北浦ヤス子以外に数人愛人がいたと言われています。当然のように夜這いが行われる風習であったため、葛尾地区人口100人、15世帯の内10組が夜這いによる不倫関係であったとも言われています。

ここで疑問がわいてきます。果たして、「夜這いによる不倫関係が当たり前であった地区で愛人との痴情のもつれが原因で名張毒ぶどう酒事件を引き起こす動機になりうるのか?」と言う疑問です。

妻も被害者となっていることから不倫による痴情のもつれが動機となるのは分かります。が、村の夜這いと言う風習と絡めると奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こすに足る動機になるとは考えにくいものがあります。

事件直前の目撃証言

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙された要因のひとつに目撃証言がありました。懇親会で出されるぶどう酒を公民館に運び込んだ石原と言う人物です。

石原は会長である奥西楢雄からぶどう酒の発注を受け、公民館に運び入れた人物で、このぶどう酒と清酒を受け取ったのは奥西楢雄の妻だったとされています。その時刻は17時頃とされています。

ぶどう酒が運び込まれた直後に三奈の会が開かれたため、毒物を混入できたのは奥西勝しかいないとされ、名張毒ぶどう酒事件の真犯人として奥西勝が真犯人とされたのです。

名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物について

ぶどう酒に混入されたと言われているニッカリンですが、どのような毒物なのでしょうか?また、その入手経路とはどのようなものか調べてみました。

ぶどう酒に混入されたニッカリンとは

名張毒ぶどう酒事件に使われたニッカリンとは、農薬の名前でこのニッカリンに多く含まれている成分がピロリン酸テトラエチルです。ピロリン酸テトラエチルの致死量は0.06グラム〜0.15グラムとされています。

脊椎動物が筋肉などを動かす際に出される脳からの信号を伝達する物質の活動を著しく抑えます。この物質は伝達を終えると他の細胞に吸収されるのですが、伝達を終えていない物質は回収されず細胞内に止まったままとなります。

結果、筋肉には命令が出されたままの状態に陥るためずっと動き続けることになり、筋肉が痙攣を起こしてしまい、最終的には呼吸筋が動かなくなり死亡します。

ニッカリンの入手経路

名張毒ぶどう酒事件のぶどう酒に入れられたニッカリンと言う農薬は現在でこそ農薬としての使用が禁止されていますが、名張毒ぶどう酒事件発生当時は一般的に使用されていた農薬です。つまり農家であれば誰でも所持しているものだったと言うわけです。

そのため、名張市葛尾地区で農家を営んでいた奥西勝も当然この農薬を所持・使用していたと考えられます。これも奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人と断定した要因となったようです。

農薬としての名前はニッカリンまたはテップなどと言った商品名で一般に販売されていましたが、高い毒性を示したために農薬の登録から外され、劇薬として厳重取扱注意となっています。

名張毒ぶどう酒事件の判決

いたるところから不信な点が見つかる名張毒ぶどう酒事件の真相が冤罪なのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた奥西勝にはどのような判決が下ったのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の裁判を振り返ってみましょう。

第一審では無罪判決だった

名張毒ぶどう酒事件は検察・弁護団から何度も異議申し立てがあったことで何度も裁判が行われています。そもそも、いくつか不審な点が見受けられる名張毒ぶどう酒事件には真相に迫る確たる証拠は何もありませんでした。

そもそも奥西勝の供述によれば、名張毒ぶどう酒事件は「ひとりになったときにぶどう酒のフタを歯で空けて自宅から持ち込んだニッカリンを入れた」となっています。

歯でフタを空けたため、フタに残っていた傷跡が奥西勝のものであるという試験結果と、一致しなかったと言う結果の両方が出ています。この点について弁護団より追求され、1964年12月23日一審は無罪判決となりました。

検察側の異議申し立てにより二審で死刑判決

しかし、裁判での判決を不服とした検察が名張毒ぶどう酒事件再審申請をしたことにより、無罪判決が下されたはずの名張毒ぶどう酒事件の真相は急転します。

1969年9月10日の名張毒ぶどう酒事件再審により、ぶどう酒のフタに残された歯型は奥西勝のものである、村人の供述通り名張毒ぶどう酒事件当日ぶどう酒に毒物を混入できたのは奥西勝だけであったと裁判所が決定しました。

また、奥西勝と愛人・北浦ヤス子との痴情のもつれが犯行の動機として十分だとして名張毒ぶどう酒事件再審で下された判決は死刑となりました。

なぜ再審されなかったのか?

奥西勝死刑囚と弁護団は再審の判決を不服として名張毒ぶどう酒事件再審を求めました。しかし、この名張毒ぶどう酒事件再審については裁判所から棄却されています。

その後、5回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求をしたにもかかわらず、これらすべてが棄却されています。裁判所が下した名張毒ぶどう酒事件再審棄却の理由は、ぶどう酒が公民館に運び込まれてから10分間奥西勝死刑囚が一人でいたことがあげられています。

ぶどう酒のフタに残った歯型が奥西勝死刑囚のものと一致したこと、何より奥西勝死刑囚の自供があったことから裁判所は名張毒ぶどう酒事件再審を棄却しています。

名張毒ぶどう酒事件の弁護団

このように、冤罪の可能性が色濃く残る名張毒ぶどう酒事件の真相ですが、この真犯人とされてしまった奥西勝には味方となりうる人物が数多くいます。

その内のひとつである弁護団にスポットをあてて、弁護団が内立ててきた名張毒ぶどう酒事件裁判での戦歴を振り返ってみましょう。

奥西勝の為に戦う弁護団

名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされてしまった奥西勝死刑囚のために立ち上がった弁護団は名張毒ぶどう事件を「ずば抜けて不当」とし、奥西勝死刑囚が亡くなった今も遺族とともに裁判所へ名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出し続けています。

弁護団が提出する次回の名張毒ぶどう酒事件再審提出で10次になることから分かるようにこれまで9回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求が棄却されていることになります。

そこで、奥西勝死刑囚のために戦う弁護団がこれまで裁判所に提出してきた追加証拠について振り返っていきましょう。

追加証拠を提出!裁判官・検察に真実を問う

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求では、ぶどう酒の中ブタが完全に折れ曲がっていたという事実に対して、歯で空けた場合完全に折れ曲がることはないとした鑑定結果を得ました。

また、ニッカリンが混入されたぶどう酒が白ぶどう酒であったこと、ニッカリンが赤色の農薬であったことから、混ぜれば少なくとも赤くなることから、奥西勝死刑囚の自供とは矛盾が生じるとして名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出しました。

しかし、裁判所の判断は名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物は奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンの可能性は十分にある、中ブタの曲がり方に関しては死刑判決を覆すほどのものではないとして、弁護団の努力もむなしく裁判所は再審請求を棄却しました。

名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画

第二の帝銀事件、弁護団から「ずば抜けて不当」と言われたこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画があります。名張毒ぶどう酒事件を元に製作された映画について紹介しましょう。

冤罪事件であるとして制作されている

この名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画の製作に当たったスタッフは実際に裁判資料を読み、現地の人々に取材を重ねた上で、これは奥西勝死刑囚の冤罪事件であると判断して映画が製作されています。

一審で無罪判決を受けたにもかかわらず、二審では死刑判決が下され、その後すべての再審請求が棄却されていく絶望と心情に焦点を当てた作品になっており、そこかしこに冤罪と言うニュアンスがちりばめられています。

この映画からは司法の在り方を世のすべての人に訴えかけ、名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件であることを認識させようとしています。この映画を製作した監督は「名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件であることを伝えなくてはならない」と熱く語っていたと言います。

映画「約束」にこめられた願い

名張毒ぶどう酒事件を元に製作された「約束」は奥西勝死刑囚のドキュメンタリー映画となっています。いつくるか分からない処刑という絶望と何度も提出される再審請求という希望の狭間で生きる奥西勝死刑囚の心情が映画の中で絶妙に表現されています。

この映画には、この世に生きる人々のすべてが映画の中の奥西勝死刑囚と同じ境遇に立たされるかもしれないという事実を突き付けています。この映画を持って私たちにできることは何かを考えされられる仕上がりになっています。

名張毒ぶどう酒事件の真相・真犯人は?

警察や裁判所が有効とした自供や証拠には不審な点が多く見受けられるにもかかわらず、名張毒ぶどう酒事件以降、再審請求は棄却され続け、奥西勝死刑囚は死刑判決のまま獄中死しました。

この名張毒ぶどう酒事件には奥西勝死刑囚が語った真相とは別の真相、真犯人の存在がまことしやかにささやかれています。名張毒ぶどう酒事件の真犯人とは誰なのでしょうか?

犯人は奥西勝だったのか?会長が真犯人と言われる理由

名張毒ぶどう酒事件の真犯人としてよく名前が挙げられるのが、会長の奥西楢雄と言われています。北浦ヤス子が奥西勝と同時に会長とも愛人関係にあったこと、「妻と別れること」を迫られていた会長にも名張毒ぶどう酒事件を起こす動機があったと考えられためです。

名張毒ぶどう酒事件では奥西勝の妻も被害者となっていますが、会長の妻も同様に名張毒ぶどう酒事件が原因で死亡しています。犯行動機となった愛人との三角関係は会長にもあったのです。

また、三奈の会が行われる会場には会長の妻と会長もいたことから、会長にも十分に犯行できる状況であったことも会長が真犯人である可能性を強めています。

会長が犯人と言われる村人の不審な行動@

また、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないかと言われる理由のひとつに、事件からたった2時間で村人の供述が変わったことあります。

ぶどう酒が運び込まれた時間が名張毒ぶどう酒事件直後は16時頃だったと証言されていたのにもかわらず、名張毒ぶどう酒事件発生からたった2時間で、17時だったと証言を覆す村人が続出したのです。

これにより空白の1時間が消え、犯行可能だった人物が奥村勝死刑囚のみとされてしまいました。この証言の変化が名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件と言われる所以でもあります。

会長が犯人と言われる村人の不審な行動A

また、奥西勝に死刑判決が下った直後は奥西勝死刑囚の家族を保護しよう」という動きが見られましたが、名張毒ぶどう酒事件再審請求をした途端村人の態度は一変しました。

奥西勝死刑囚の家族をリンチする、奥西勝家の墓を共同墓地から出すなど村八分のような扱いを受けています。これほどの統率した動きを村人にさせられるのは会長しかいないため、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのではないかと言う億測がなされているのです。

奥西勝の自白のみで物的証拠のなかった事件

名張毒ぶどう酒事件は物的証拠が何もありませんでした。ぶどう酒のフタを空ける際の歯型も9割一致していませんでした。指紋が検出された事実もなければ、名張毒ぶどう酒事件で混入された毒物が奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンだという確証もありません。

裁判所も弁護団が提出する証拠を新証拠に該当するものとしながらも名張毒ぶどう酒事件再審請求を棄却するに至っています。

というのも、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供があるためとしていますが、名張毒ぶどう酒事件については自供以外の物的証拠もなしに、死刑を確定すると言うのはいささか疑問が残ります。

名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件の可能性も

ここまで、名張毒ぶどう酒事件について様々な観点から振り返ってきましたが、名張毒ぶどう酒事件に関して検察や裁判書は奥西勝死刑囚が名張毒ぶどう酒事件の犯人と決め付けてしまっている印象があります。

有効な物的証拠もなく、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供だけで死刑判決が下されている点、その自供も奥西勝死刑囚の証言通り強要されたものとすれば、名張毒ぶどう酒事件は過去最大の冤罪事件だったのではないかと疑わざるを得ません。

奥西勝死刑囚が獄中死した今も奥西勝死刑囚とその遺族、弁護団が名張毒ぶどう酒事件の真相解明にあたっています。映画でも問われていたように司法の在り方に疑問を抱いてしまう名張毒ぶどう事件は他人事ではありません。
https://kirari-media.net/posts/1071
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c33

[昼休み52] 分かっていても公表できないこともある 中川隆
27. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:12:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]

2018年07月17日公開
名張毒ぶどう酒事件の真相!奥西勝/冤罪/真犯人/会長/夜這い
https://kirari-media.net/posts/1071

名張毒ぶどう酒事件を知っていますか?
名前にインパクトのあるこの名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた男性は奥西勝と言う人物ですが、冤罪だったとも言われています。

奥西勝が起こしたとされるこの事件の真相とは?
奥西勝は真犯人なのか?

その真相に迫っていきます。


名張毒ぶどう酒事件とは?

名前にやたらインパクトのある名張毒ぶどう酒事件は帝銀事件や和歌山カレー事件に並ぶ日本の三大毒殺事件と言われています。

この名張毒ぶどう酒事件について知っている人はもう少なく、名張毒ぶどう酒事件と聞いてもどんな事件か知らない人も多いのではないでしょうか?

過去にこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画が公開されましたが、それでも知らない人の方が多いでしょう。この日本の三大毒殺事件のひとつと言われている名張毒ぶどう酒事件とはどのような事件だったのか始めに紹介しておきましょう。

三重県名張市葛尾の公民館で起きた大量殺人事件




名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた毒物混入事件とされており、その毒物が混入されていたのが、ぶどう酒だったことから名張毒ぶどう酒事件と言う名が付けられた事件です。

名張毒ぶどう酒事件により5人が死亡、12人が中毒症状を起こしたとされており、名張毒ぶどう酒事件が起こる前に毒殺事件として世間を騒がせていた帝銀事件と同じ数の被害者を出した事から名張毒ぶどう酒事件は「第二の帝銀事件」とも言われていました。

重要参考人として呼ばれたのは三人の男性

この名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされたのが奥西勝でした。名張毒ぶどう酒事件が起きた当初、その懇親会に出席していた男性たちが怪しいと見て3人の男性が重要参考人として警察に呼ばれていました。

しかし、3人の内2人は犯行を否認、奥西勝だけが名張毒ぶどう酒事件の犯行を認め、自供したとされています。が、奥西勝は公判において、名張毒ぶどう酒事件に関する自供は警察によって強要されたものだったとして突如名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認しました。

真相・真犯人は不明?冤罪逮捕の可能性

この名張毒ぶどう酒事件で一度は無罪判決が下ったものの、二審で死刑判決となった後も、立て続けに名張毒ぶどう酒事件再審請求を送ったにもかかわらず、奥西勝が獄中で死亡するまでこの判決が覆されることはありませんでした。

ただ、名張毒ぶどう酒事件における奥西勝の無罪を支持する声や意見が上がっていたことも事実です。また、真犯人として三奈の会会長の名前が挙げられているなど、名張毒ぶどう酒事件の真犯人はいまだ謎のままとされています。

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないのであれば誰が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相はいまだ謎のまま、今も奥西勝を守る会と題して弁護団が名張毒ぶどう酒事件は冤罪だったとして真相解明に心血を注いでいます。

名張毒ぶどう酒事件の概要

名張毒ぶどう酒事件について分かったところで、名張毒ぶどう酒事件についてさらに真相を突き詰めていきましょう。果たして奥西勝は真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相とはどのようなものなのか、それとも冤罪なのか調査していきます。

「三奈の会」で女性12名が負傷・5名が死亡

1961年3月28日夜、名張毒ぶどう酒事件が起こる前、三重県名張市葛尾地区の公民館で生活改善を目的としたサークル「三奈の会」で懇親会が開かれており、その公民館には当時32人の男女が集まっていたとされています。

懇親会が開始された直後女性だけが苦しみ始め、医者が呼ばれたものの5人が死亡、12人が中毒症状を起こしました。女性だけが被害にあった理由は、毒物が混入されたぶどう酒にありました。

当時ぶどう酒はお洒落な飲み物と言う認識があり、特に女性には人気の嗜好品でした。そのため、この名張毒ぶどう酒事件で振舞われたぶどう酒を口にしたのは女性のみで、男性陣は清酒を楽しんでいたため名張毒ぶどう酒事件の難を逃れるに至りました。

出されたぶどう酒から農薬のニッカリンが見つかる

ぶどう酒を飲んでいた女性ばかりに中毒症状が出ていたため、警察もぶどう酒に毒物が混入されていると見て捜査を開始しました。警察の見立て通り、ぶどう酒からはニッカリンと呼ばれる農薬が検出されました。

そのことから重要参考人として懇親会に出席していた3人の男性が重要参考人として呼ばれましたが、内2人は容疑を否認していたと言います。

奥西勝が逮捕・起訴され死刑判決を受ける

重要参考人として呼ばれた3人の中で唯一犯行を自供したのが奥西勝だったとされています。動機とされたのが、殺害された女性の中に奥西勝の愛人が含まれていたため、その愛人との関係に行き違いがあったと推測されています。

供述は「公民館でひとりになった際にぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入した」と供述したとされています。

奥西勝は冤罪を主張するも再審請求は全て棄却

4月2日に行われた取り調べで奥西勝は「公民館でひとりになった際、ぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入したと供述しており、この自供を真相として警察は奥西勝を容疑者と断定しました。

しかし、公判で奥西勝が「自供は警察に強要されたもの」として犯行を否認しました。1964年の一審で「無罪」となったものの、1969年の二審では「死刑」判決が下されています。

1972年6月に最高裁でも「死刑」判決が下り、奥西勝の死刑が決定されました。奥西勝はこの判決を不服として名古屋高裁に異議を申し立てていました。

奥西勝死刑囚が獄死する

1972年6月に下された死刑判決に異議を申し立てていた奥西勝死刑囚ですが、2012年6月に肺炎を患って以降体調が悪化し、八王子病院に身柄を移されてからは人工呼吸器を装着して寝たきりとなっていました。

2014年4月19日には国内の死刑囚としては最高齢に認定されました。2015年5月15日に奥西勝死刑囚の病状を気にかけた弁護団により最高裁への特別抗告が取り下げられましたが、同年10月4日午後0時19分奥西勝死刑囚の死亡が確認されました。

奥西勝死刑囚が死亡した後、妹にあたる人物が最高裁へ10次再審請求を出すも2017年12月8日に棄却されています。

奥西勝の家族構成・人間関係

名張毒ぶどう酒事件の真犯人として死刑判決が下されたまま無念の死を遂げた奥西勝ですが、名張毒ぶどう酒事件を引き起こしたとされている奥西勝とはどのような人物だったのか、家族構成や人間関係の視点から調査してみました。

三奈の会会長・奥西楢雄

まず、三奈の会会長である奥西楢雄は名張市葛尾地区に住んでいます。昔から葛尾地区で役職を努めるなど精力的に活動していた経緯があり、趣味にも余念のない人物です。

淡路島を訪れた際は乗馬を楽しみ、その楽しさから名張乗馬クラブを結成するなど、公私とも精力的な活動をしていました。「動ける間は色々したい」と語り、現在は交通事故をいかになくすかを考えていると話しました。

奥西勝とは愛人を共有した仲と言う認識で違いないようです。愛人の共有と言うと現在社会では考えられない話ですが、事件当時の葛尾地区では夜這いの習慣があったとされていることからも、愛人の共有は当たり前のように行われていたとされています。

母・奥西タツノ

奥西勝の母にあたるのが奥西タツノです。奥西タツノに関する情報は名張毒ぶどう酒事件の大きさゆえに伏せられていますが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供した際には名張葛尾地区の村人によって手厚く保護しようとする動きが見られました。

しかし、奥西勝が裁判で名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認し始めると、手のひらを返したように奥西タツノに暴行を加えたと言われています。

また、奥西勝家の墓だけが共同墓地から追い払われるなど、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認に転じてからというもの村人からの迫害を受け続けた人物となります。

妻・奥西千恵子

名張毒ぶどう酒事件で死亡した5人の内の一人が奥西勝の妻・奥西千恵子でした。1947年1月に奥西勝と恋愛結婚を果たし1948年に長男、1954年に長女をもうけています。

1960年10月に奥村勝が北浦ヤス子と仲睦まじく歩く姿を目撃して以降夫婦仲は険悪となっていったようです。名張毒ぶどう酒事件で被害者の一人に名を連ねたのはそういった背景があってのことと考えられています。

奥西勝の子供

奥西勝と妻・千恵子の間に生まれた子供は名張毒ぶどう酒事件当時長男が中学生、長女が小学6年生であったとされています。名張毒ぶどう酒事件直後、母は名張毒ぶどう酒事件の被害者となり死亡しています。

しかも、父は名張毒ぶどう酒事件について警察の取り調べを受けているなど、子供にとってショックの大きさは計り知れません。また、奥西勝も娘の中学入学に間に合うなどそそのかして名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供させたとも言われています。

愛人・北浦ヤス子

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた大きな要因である愛人・北浦ヤス子は冷め切っていた夫婦関係とは裏腹に、奥西勝と畑や映画に行くなど非常に仲のいい関係であったと言われています。

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行に至った経緯には、北浦ヤス子が会長である奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥様とも分かれてほしい」と迫っていたことを奥西勝が知り、名張毒ぶどう酒事件を起こしたとされています。

奥西勝が犯人とされた理由

冤罪ともささやかれる名張毒ぶどう酒事件で奥西勝はなぜ真犯人とされたのでしょうか?奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を起こす動機や警察が集めた名張毒ぶどう酒事件の証拠について調べてみました。

奥西勝が真犯人とされた動機とは

名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙されたからには奥西勝には名張毒ぶどう酒事件を引き起こすなんらかの動機があってしかるべきですが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こした理由として挙げられたのは愛人とのすれ違いによるものだったと言われています。

愛人・北浦ヤス子と奥西勝は当時不倫関係にあったとされています。しかも、この愛人・北浦ヤス子は会長である奥西楢雄とも愛人関係にあった人物で、奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥西楢雄にも妻と別れてほしい」とせがんでいたと言われています。

その現場を偶然目撃した奥西勝と会長・奥西楢雄、愛人・北浦ヤス子と揉めている現場を目撃した人がいました。愛人との関係にすれ違いを感じての犯行であると警察は見ていたようです。

こうした揉め事は村の風習「夜這い」にも関係が

名張毒ぶどう酒事件発生当時の葛尾地区には現在日本では考えられない風習「夜這い」が横行していました。この夜這いは男性が気になる女性の元に夜訪れるもので、一見犯罪のように見受けられます。

しかし、この地区の夜這いは相手女性の同意なしに夜這いを強行できないようになっていました。もし、無理にでも夜這いをしようものなら村八分にされるなど、一重に夜這いと言っても女性側に強みのある夜這いでした。

と言うのも、当時テレビなどの娯楽もなく、娯楽らしい娯楽と言えばお酒と食事くらいだったこの地区では、夜這いも一種の娯楽として嗜まれていたようです。

果たして愛人との揉め事は動機になりうるか

夜這いと言う特殊な風習に伴い、奥村勝にも北浦ヤス子以外に数人愛人がいたと言われています。当然のように夜這いが行われる風習であったため、葛尾地区人口100人、15世帯の内10組が夜這いによる不倫関係であったとも言われています。

ここで疑問がわいてきます。果たして、「夜這いによる不倫関係が当たり前であった地区で愛人との痴情のもつれが原因で名張毒ぶどう酒事件を引き起こす動機になりうるのか?」と言う疑問です。

妻も被害者となっていることから不倫による痴情のもつれが動機となるのは分かります。が、村の夜這いと言う風習と絡めると奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こすに足る動機になるとは考えにくいものがあります。

事件直前の目撃証言

奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙された要因のひとつに目撃証言がありました。懇親会で出されるぶどう酒を公民館に運び込んだ石原と言う人物です。

石原は会長である奥西楢雄からぶどう酒の発注を受け、公民館に運び入れた人物で、このぶどう酒と清酒を受け取ったのは奥西楢雄の妻だったとされています。その時刻は17時頃とされています。

ぶどう酒が運び込まれた直後に三奈の会が開かれたため、毒物を混入できたのは奥西勝しかいないとされ、名張毒ぶどう酒事件の真犯人として奥西勝が真犯人とされたのです。

名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物について

ぶどう酒に混入されたと言われているニッカリンですが、どのような毒物なのでしょうか?また、その入手経路とはどのようなものか調べてみました。

ぶどう酒に混入されたニッカリンとは

名張毒ぶどう酒事件に使われたニッカリンとは、農薬の名前でこのニッカリンに多く含まれている成分がピロリン酸テトラエチルです。ピロリン酸テトラエチルの致死量は0.06グラム〜0.15グラムとされています。

脊椎動物が筋肉などを動かす際に出される脳からの信号を伝達する物質の活動を著しく抑えます。この物質は伝達を終えると他の細胞に吸収されるのですが、伝達を終えていない物質は回収されず細胞内に止まったままとなります。

結果、筋肉には命令が出されたままの状態に陥るためずっと動き続けることになり、筋肉が痙攣を起こしてしまい、最終的には呼吸筋が動かなくなり死亡します。

ニッカリンの入手経路

名張毒ぶどう酒事件のぶどう酒に入れられたニッカリンと言う農薬は現在でこそ農薬としての使用が禁止されていますが、名張毒ぶどう酒事件発生当時は一般的に使用されていた農薬です。つまり農家であれば誰でも所持しているものだったと言うわけです。

そのため、名張市葛尾地区で農家を営んでいた奥西勝も当然この農薬を所持・使用していたと考えられます。これも奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人と断定した要因となったようです。

農薬としての名前はニッカリンまたはテップなどと言った商品名で一般に販売されていましたが、高い毒性を示したために農薬の登録から外され、劇薬として厳重取扱注意となっています。

名張毒ぶどう酒事件の判決

いたるところから不信な点が見つかる名張毒ぶどう酒事件の真相が冤罪なのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた奥西勝にはどのような判決が下ったのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の裁判を振り返ってみましょう。

第一審では無罪判決だった

名張毒ぶどう酒事件は検察・弁護団から何度も異議申し立てがあったことで何度も裁判が行われています。そもそも、いくつか不審な点が見受けられる名張毒ぶどう酒事件には真相に迫る確たる証拠は何もありませんでした。

そもそも奥西勝の供述によれば、名張毒ぶどう酒事件は「ひとりになったときにぶどう酒のフタを歯で空けて自宅から持ち込んだニッカリンを入れた」となっています。

歯でフタを空けたため、フタに残っていた傷跡が奥西勝のものであるという試験結果と、一致しなかったと言う結果の両方が出ています。この点について弁護団より追求され、1964年12月23日一審は無罪判決となりました。

検察側の異議申し立てにより二審で死刑判決

しかし、裁判での判決を不服とした検察が名張毒ぶどう酒事件再審申請をしたことにより、無罪判決が下されたはずの名張毒ぶどう酒事件の真相は急転します。

1969年9月10日の名張毒ぶどう酒事件再審により、ぶどう酒のフタに残された歯型は奥西勝のものである、村人の供述通り名張毒ぶどう酒事件当日ぶどう酒に毒物を混入できたのは奥西勝だけであったと裁判所が決定しました。

また、奥西勝と愛人・北浦ヤス子との痴情のもつれが犯行の動機として十分だとして名張毒ぶどう酒事件再審で下された判決は死刑となりました。

なぜ再審されなかったのか?

奥西勝死刑囚と弁護団は再審の判決を不服として名張毒ぶどう酒事件再審を求めました。しかし、この名張毒ぶどう酒事件再審については裁判所から棄却されています。

その後、5回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求をしたにもかかわらず、これらすべてが棄却されています。裁判所が下した名張毒ぶどう酒事件再審棄却の理由は、ぶどう酒が公民館に運び込まれてから10分間奥西勝死刑囚が一人でいたことがあげられています。

ぶどう酒のフタに残った歯型が奥西勝死刑囚のものと一致したこと、何より奥西勝死刑囚の自供があったことから裁判所は名張毒ぶどう酒事件再審を棄却しています。

名張毒ぶどう酒事件の弁護団

このように、冤罪の可能性が色濃く残る名張毒ぶどう酒事件の真相ですが、この真犯人とされてしまった奥西勝には味方となりうる人物が数多くいます。

その内のひとつである弁護団にスポットをあてて、弁護団が内立ててきた名張毒ぶどう酒事件裁判での戦歴を振り返ってみましょう。

奥西勝の為に戦う弁護団

名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされてしまった奥西勝死刑囚のために立ち上がった弁護団は名張毒ぶどう事件を「ずば抜けて不当」とし、奥西勝死刑囚が亡くなった今も遺族とともに裁判所へ名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出し続けています。

弁護団が提出する次回の名張毒ぶどう酒事件再審提出で10次になることから分かるようにこれまで9回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求が棄却されていることになります。

そこで、奥西勝死刑囚のために戦う弁護団がこれまで裁判所に提出してきた追加証拠について振り返っていきましょう。

追加証拠を提出!裁判官・検察に真実を問う

名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求では、ぶどう酒の中ブタが完全に折れ曲がっていたという事実に対して、歯で空けた場合完全に折れ曲がることはないとした鑑定結果を得ました。

また、ニッカリンが混入されたぶどう酒が白ぶどう酒であったこと、ニッカリンが赤色の農薬であったことから、混ぜれば少なくとも赤くなることから、奥西勝死刑囚の自供とは矛盾が生じるとして名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出しました。

しかし、裁判所の判断は名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物は奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンの可能性は十分にある、中ブタの曲がり方に関しては死刑判決を覆すほどのものではないとして、弁護団の努力もむなしく裁判所は再審請求を棄却しました。

名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画

第二の帝銀事件、弁護団から「ずば抜けて不当」と言われたこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画があります。名張毒ぶどう酒事件を元に製作された映画について紹介しましょう。

冤罪事件であるとして制作されている

この名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画の製作に当たったスタッフは実際に裁判資料を読み、現地の人々に取材を重ねた上で、これは奥西勝死刑囚の冤罪事件であると判断して映画が製作されています。

一審で無罪判決を受けたにもかかわらず、二審では死刑判決が下され、その後すべての再審請求が棄却されていく絶望と心情に焦点を当てた作品になっており、そこかしこに冤罪と言うニュアンスがちりばめられています。

この映画からは司法の在り方を世のすべての人に訴えかけ、名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件であることを認識させようとしています。この映画を製作した監督は「名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件であることを伝えなくてはならない」と熱く語っていたと言います。

映画「約束」にこめられた願い

名張毒ぶどう酒事件を元に製作された「約束」は奥西勝死刑囚のドキュメンタリー映画となっています。いつくるか分からない処刑という絶望と何度も提出される再審請求という希望の狭間で生きる奥西勝死刑囚の心情が映画の中で絶妙に表現されています。

この映画には、この世に生きる人々のすべてが映画の中の奥西勝死刑囚と同じ境遇に立たされるかもしれないという事実を突き付けています。この映画を持って私たちにできることは何かを考えされられる仕上がりになっています。

名張毒ぶどう酒事件の真相・真犯人は?

警察や裁判所が有効とした自供や証拠には不審な点が多く見受けられるにもかかわらず、名張毒ぶどう酒事件以降、再審請求は棄却され続け、奥西勝死刑囚は死刑判決のまま獄中死しました。

この名張毒ぶどう酒事件には奥西勝死刑囚が語った真相とは別の真相、真犯人の存在がまことしやかにささやかれています。名張毒ぶどう酒事件の真犯人とは誰なのでしょうか?

犯人は奥西勝だったのか?会長が真犯人と言われる理由

名張毒ぶどう酒事件の真犯人としてよく名前が挙げられるのが、会長の奥西楢雄と言われています。北浦ヤス子が奥西勝と同時に会長とも愛人関係にあったこと、「妻と別れること」を迫られていた会長にも名張毒ぶどう酒事件を起こす動機があったと考えられためです。

名張毒ぶどう酒事件では奥西勝の妻も被害者となっていますが、会長の妻も同様に名張毒ぶどう酒事件が原因で死亡しています。犯行動機となった愛人との三角関係は会長にもあったのです。

また、三奈の会が行われる会場には会長の妻と会長もいたことから、会長にも十分に犯行できる状況であったことも会長が真犯人である可能性を強めています。

会長が犯人と言われる村人の不審な行動@

また、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないかと言われる理由のひとつに、事件からたった2時間で村人の供述が変わったことあります。

ぶどう酒が運び込まれた時間が名張毒ぶどう酒事件直後は16時頃だったと証言されていたのにもかわらず、名張毒ぶどう酒事件発生からたった2時間で、17時だったと証言を覆す村人が続出したのです。

これにより空白の1時間が消え、犯行可能だった人物が奥村勝死刑囚のみとされてしまいました。この証言の変化が名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件と言われる所以でもあります。

会長が犯人と言われる村人の不審な行動A

また、奥西勝に死刑判決が下った直後は奥西勝死刑囚の家族を保護しよう」という動きが見られましたが、名張毒ぶどう酒事件再審請求をした途端村人の態度は一変しました。

奥西勝死刑囚の家族をリンチする、奥西勝家の墓を共同墓地から出すなど村八分のような扱いを受けています。これほどの統率した動きを村人にさせられるのは会長しかいないため、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのではないかと言う億測がなされているのです。

奥西勝の自白のみで物的証拠のなかった事件

名張毒ぶどう酒事件は物的証拠が何もありませんでした。ぶどう酒のフタを空ける際の歯型も9割一致していませんでした。指紋が検出された事実もなければ、名張毒ぶどう酒事件で混入された毒物が奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンだという確証もありません。

裁判所も弁護団が提出する証拠を新証拠に該当するものとしながらも名張毒ぶどう酒事件再審請求を棄却するに至っています。

というのも、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供があるためとしていますが、名張毒ぶどう酒事件については自供以外の物的証拠もなしに、死刑を確定すると言うのはいささか疑問が残ります。

名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件の可能性も

ここまで、名張毒ぶどう酒事件について様々な観点から振り返ってきましたが、名張毒ぶどう酒事件に関して検察や裁判書は奥西勝死刑囚が名張毒ぶどう酒事件の犯人と決め付けてしまっている印象があります。

有効な物的証拠もなく、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供だけで死刑判決が下されている点、その自供も奥西勝死刑囚の証言通り強要されたものとすれば、名張毒ぶどう酒事件は過去最大の冤罪事件だったのではないかと疑わざるを得ません。

奥西勝死刑囚が獄中死した今も奥西勝死刑囚とその遺族、弁護団が名張毒ぶどう酒事件の真相解明にあたっています。映画でも問われていたように司法の在り方に疑問を抱いてしまう名張毒ぶどう事件は他人事ではありません。
https://kirari-media.net/posts/1071
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/289.html#c27

[政治・選挙・NHK254] ゴーン逮捕に思う 日本の人質・中世司法制度に世界驚がく(世相を斬る あいば達也) 赤かぶ
3. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:17:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
>ゴーン容疑者だ。彼は社内では可能な限り日本語を使い、「信じてください」と呼び掛けた。社員は意気に感じただろう。


これは悪質な嘘

ゴーンは日本に20年いるけど片言の日本語すら話せない
日本語の勉強をしようとした事すらない
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/222.html#c3

[文化2] 女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの? 中川隆
150. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:20:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
片山さつきの疑惑はまだまだ終わらない! 「国税口利き」を決定づける新たな仲介者の証言、産廃業者との癒着も
https://lite-ra.com/2018/11/post-4392.html
2018.11.25 片山さつきの疑惑に新証言、産廃癒着も リテラ

    


 この間、日産ゴーン前会長の逮捕にかき消され、マスコミであまり扱われなくなった片山さつき地方創生担当相の不正報道だが、けっして疑惑そのものがなくなったわけではない。それどころか、いまも次から次へと新たな疑惑が噴出。さらにここにきて最大の問題である「国税100万円口利き疑惑を決定づける証言が飛び出した。問題の口利きを仲介した人物が、その現場で目撃した一部始終を語ったのだ。

 周知のように、この疑惑はもともと、片山氏に口利きを依頼したX氏が「週刊文春」(10月25号)に告発したもの。2015年7月、製造業を営むX氏は、会社に税務調査が入ったことで青色申告の承認が取り消されそうになっている状況をなんとかしようと、片山事務所に相談。片山氏の私設秘書である南村博二氏を紹介され、南村氏から指定された口座に100万円を振り込んだと証言した。

 X氏はその後、片山氏とも面談し、口利きを依頼したこと、片山氏が「じゃあやっておきますよ。任せてもらえれば、大した問題じゃないから」「うまくいったら、百万円なんて決して高いものじゃないわよね」と答え、旧知の国税局幹部の名前を出していたことなども証言した。

 ところが、片山氏はこの告発内容を完全否定したうえ、10月22日には名誉を傷つけられたとして発行元の文藝春秋に1100万円の損害賠償を求め提訴、さらに係争中を理由に、メディア取材や国会で口利き疑惑に関するきちんとして説明をしようとさえしていない。

 これに対して、「週刊文春」はすでにX氏と片山氏との間で交わされた音声を公開。これに対し片山氏が「自分の声か判断できない」と国会で答弁すると、その声紋鑑定を行い片山氏と“一致”するとの分析結果も公表してきた。

 そして、最新の「週刊文春」(11月29日号)では、そのX氏から片山氏への口利き依頼を仲介し、“依頼の現場”を直接目撃したという片山氏の元後援会役員Y氏が、その面会の様子を赤裸々に告発したのだ。

 Y氏が口利き依頼のためX氏とその父親を伴い片山事務所を訪れたのは2015年9月4日のこと。Y氏は「週刊文春」でその面会について、こう証言している。

「X社長が『百万円はご指定の口座に既に振り込ませていただきました』と報告をすると、片山氏は急に態度を一変させたのです。(中略)片山氏は傍にいた秘書に『これは会社に通さないとダメでしょ!』と言っていました」
「また『国税庁の同期』『国税局長』などと、片山氏自らX社長に話していたことをよく覚えています」
「最後に片山氏は、『じゃあ、やっておきます』、『任せてもらえれば』などと口にしていました」

 これらはすべて、当事者であるX氏が先に「文春」で証言をしていたことと一致する。つまり、当事者の告発を、第三者である元後援会役員Y氏が裏付けたということになり、片山氏の「口利き疑惑」の真実性はほぼ立証されたと言ってもいいだろう。これでよくもまあ、「事実無根」などといって、文藝春秋を名誉毀損で訴えることができたものではないか。

■週刊新潮ではパチンコ業者や産廃業者と癒着して口利きの報道

 しかも、片山氏の疑惑はこれだけでなく、まさに湧水のごとく溢れ出てきている。それは、国会で追及されてきた公職選挙法違反を疑われるカレンダーの無償配布や、著書の宣伝と称した顔写真入りの特大看板の設置、会計責任者の名義貸し疑惑、さらには政治団体や関連団体での収入未記入などでの政治資金収支報告書の訂正などだけではない。

「国税口利き疑惑」に匹敵する悪質な不正疑惑も浮上してきている。たとえば、「週刊文春」のライバル誌である「週刊新潮」では、大阪のパチンコ業者に対し銀行融資が受けられるよう財務省幹部に口利きしたとの疑惑や、片山氏の後援会組織「山桜会」会長が暴力団関係者と組んで宮城県の産廃業者を乗っ取ったこと、さらにその会長から事務所の無償提供を受け、秘書給与を肩代わりしてもらう“ヤミ献金”疑惑も報じられている。また最新号(11月29日号)では新たに静岡県御前崎市の産廃処分場の口利き誘致疑惑も明らかになった。

 しかし片山氏はこうした一連の疑惑に対して、いまも大臣辞職はもちろん、誠実な説明をおこなう姿勢さえ示していない。口利き疑惑について、文藝春秋を訴えたことを理由に説明を拒否したのはもちろん、国会でも「(政治資金は)秘書が間違えた」「(巨大看板は)書籍の宣伝広告であり、政治活動のためのものではない」「(その許可申請は)看板の掛かっているビルの所有者などが行っている」などと責任転嫁とごまかしに終始している。

 だがそれも当然だろう。なにしろ片山氏を任命した安倍首相こそが、森友・加計問題をはじめとするさまざまな疑惑に対してなんら、責任も説明も果たさないまま、いまだ最高権力の椅子に座ったままなのだ。そして、自分が任命した大臣がどんな不祥事を起こそうが、どんな失言を口にしようが、自分の任命責任が問題になるような責任のとらせ方はせず、内閣改造でこっそり交代させるというごまかしを繰り返してきた。なかには、麻生太郎財務相のように、いまだ馘にしないまま据え置き続けている大臣もいる。

 おそらく、片山氏もこうした先例を見て、自分もこのまま訴訟を理由に、のらりくらりと追及をかわし、居座れば、責任を逃れられると考えているのだろう。実際、新聞やテレビは片山氏のペースに乗せられ、どんどん追及が鈍ってきている。

 だがこのままで終わらせていいはずがない。今回「週刊文春」の新たな証言によって、疑惑は決定的になった。もしこれでも、片山氏を辞任に追い込めないとなれば、それこそ、日本はどこかの独裁国家と同じレベルの権力者汚職横行の国になってしまうだろう。

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html#c150

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
18. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:26:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
(Affaire Carlos Ghosn: comment en est-on arrivé là ?: RFI)
http://www.rfi.fr/emission/20181120-affaire-carlos-ghosn-renault-alliance-nissan-comment-arrive

カルロス・ゴーン事件:どうしてそうなったのか?
記者 アーブラ・ジュナイディ
放送:2018年11月20日


昨日、11月19日月曜日、財務上の不正の容疑により日本で逮捕されたカルロス・ゴーン氏はルノー・日産・三菱による有名な『アライアンス』の設計者だった。そのため、このアライアンスの未来について多くの質問が出てくるのは当然のことだ。この複雑な連合体が事件を生き延びるか否かを全世界がいま話題にしている。


カルロス・ゴーン氏にとってこの数年の重要な仕事は、自ら取締役会に出席するアライアンスの3社を近づけることだった。ルノー―日産、そして、2016年からは三菱という、2つの国の3つの異なる企業文化の連合体をだ。

株式の持ち合いが、この販売台数世界第1位のアライアンスの大きな特徴だ。ルノーは日産株の43%を保有し、日産はルノー株の15%を保有する。

3社が歩み寄ることで生産コストと輸送コストの合理化が促進され、巨額のドルを浮かせることが可能になった。もっと先へ進めとフランス政府は求める。同政府は日産の持ち分と同じようにルノー株の15%を持つが、合併に向けて進みもっと仕組みを見やすくしろ。投資家たちが評価しやすくなるようにと。


どうしてカルロス・ゴーン氏はその作業のキーパーソンになったか?


カルロス・ゴーン氏はこのアライアンスの歴史的な立役者だ。彼は3社から成る取締役会に出席していると言われる。カルロス・ゴーンであるということ、それは1週間をフランスで、1週間を日本で、残りの期間を米国・モロッコ・ロシア・インドで過ごすということ。特に、アライアンスが興味や野心を持つ場所でだ。要するに、彼は数々の観点で全てのことに没頭して時を過ごす。相違点がいくつもあるのにこの風変わりな連合体が長い間やって来れたのは、このためだ。

しかし、それは摩擦なしには進まなかった。昨日の日産社長の記者会見は非常に示唆的だった。西川廣人氏は、1990年代に日産を救ったカルロス・ゴーン氏の働きを称えた…。しかし彼は、このフランス人リーダーから権力の集中についての教訓を引き出さなければならないとも言った。ゴーン氏抜きでも、彼がいなくとも、アライアンスは生き延びるだろうと。

その背後には繰り返されてきた非難があった。恐らくそのために日産の一部の役員たちが不祥事を暴露する気になり、今日の彼の転落を促した。

カルロス・ゴーン氏はずっと1人でアライアンスを指揮していた。彼は日産を犠牲にしてルノーを優遇していると日本人たちは非難していた。自分たちだけがアライアンスの名の下に、例えば失敗したことが判明しているロシア市場の征服のような、危険な冒険に身を投げ出すリスクを背負わされていると。


日産はアライアンスの利益の原動力だったので、尚のこと批判が激しい


会社同士の歩み寄りが当然のように進まなかったのはそのためでもある。事業の上で協業に取り組む?いいよ。合併に向かって進む?とんでもない。

今年、日産は60億ユーロの年間純利益を上げた。その大部分はSUVやピックアップトラックの巨大市場である米国での販売によるものだった。これは盟友ルノーが主張できないことの1つの例だ。日産との協業がなければルノーが電気自動車への方向転換に着手する方策を見いだせなかったことは間違いない。


ルノーはこれらの出来事に不意を突かれたようだ。


月曜日、このフランス企業は渋々と手短なコミュニケを出した。そこには、アライアンスにおけるルノーの利益を守ることに注力すると書かれていた。しかし、フランス政府はアライアンスの解体によるルノーの弱体化を避けるために、企業トップの承継作業を加速するよう既にカルロス・ゴーン氏に呼びかけていた。

フィアットによるクライスラー復活の立役者で、今年7月25日に突然に死去したセルジオ・マルキオンネ氏のケースが象徴的な例だ。その企業にとって連合の消滅から立ち上がることはいつまでも難しい。


昨日、ルノーは今後の対応を決めるために取締役会が『至急』招集されると表明した。


カルロス・ゴーン氏がいようといまいと、ルノー経営陣、そして株主・フランス政府にとって難題とは、この緊急事態の中で今後の対応を考え出すことに尽きる。ただ、難題は山積している。ガバナンスを見直せとの日産からの圧力への対応、電気自動車を生産する上での難題への対応、そして最後に大事なことを言うが、この業界に混乱をもたらしている米国の仕掛ける貿易戦争への対応がある。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c18

[国際24] 台湾の苦悩に同情を禁じ得いない  天木直人  赤かぶ
1. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:28:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
台湾は中国ではないんだけど
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html


【東京発信・Cool Eyes】第21回 歴史学者・宮脇淳子 台湾を語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J-MM1p7gPXw

鄭成功氏前の台湾・台湾出兵・旧慣調査と台湾私法等
(2018年7月収録)



http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/620.html#c1

[国際24] 台湾の中国離れは遠い・・「台湾」呼称の五輪出場認めず=100万票差で否決−住民投票(かいけつニュース速報) 怪傑
1. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月26日 09:29:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21130]
台湾は中国ではないんだけど
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html


【東京発信・Cool Eyes】第21回 歴史学者・宮脇淳子 台湾を語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J-MM1p7gPXw

鄭成功氏前の台湾・台湾出兵・旧慣調査と台湾私法等
(2018年7月収録)



http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/615.html#c1

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
145. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月26日 10:11:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]

丸沼高原スキー場
https://www.marunuma.jp/winter/
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0025s.htm


群馬県 利根郡 片品村 東小川 4658-58
TEL.0278-58-2211

ライブカメラ 丸沼高原スキー場
https://www.marunuma.jp/winter/live-camera

5ちゃんねる 丸沼高原スキー場
https://find.5ch.net/search?q=%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4/@36.8149244,139.330278,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xbe48e2a280c5fdfc!8m2!3d36.8149244!4d139.330278?hl=ja

11月27日(火)プレオープンが決定しました。

大変お待たせしましたが、20日からの冷え込みと22日夜半からの自然降雪により、27日にプレオープン出来る程度の積雪量を確保することができそうです。

プレオープン期間中及び12月からの料金などについては→ https://www.marunuma.jp/winter/ticket/fees/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c145

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
146. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月26日 10:15:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]

丸沼高原スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46630

丸沼高原スキー場 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c146

[リバイバル3] インド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害 中川隆
4. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月26日 10:24:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]

弓矢で宣教師射殺、先住民と遺体捜索の警察がにらみ合い インド
2018年11月25日 23:27 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3199082?cx_part=top_topstory&cx_position=4


上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL

【11月25日 AFP】現代文明から隔絶されたインドの北センチネル島(North Sentinel Island)では、米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)を弓矢で射殺した先住民と、遺体を捜索するため同島の沖合にボートを停泊させている警察が、緊張に満ちたにらみ合いを続けている。警察が25日、明らかにした。

 地元警察のデペンドラ・パタク(Dependra Pathak)署長がAFPに語ったところによると、警察の捜索チームは24日、チャウさんが最後に目撃された島の浜辺の400メートル沖合から、双眼鏡で先住民の姿を発見。先住民らは弓矢で武装していた。

 チャウさんは先住民に向かってキリスト教のメッセージを叫んでいたところ、こうした弓矢で殺害されたと報じられている。

 北センチネル島については、先住民独自の生活様式の保護や疫病対策の観点から、島の5キロ以内に近付くことは違法とされている。

「先住民たちはわれわれを凝視し、われわれも彼らを注視していた」とパタク署長は語った。結局、先住民との衝突するいかなる事態も避けるため船は引き返したという。

 外部者に閉ざされた島で、先住民たちの新石器時代以前の暮らしを妨げずにチャウさんの遺体を捜索するため、警察は苦心に苦心を重ねている。

 チャウさんの死は公式には殺人事件の扱いだが、人類学者らはチャウさんの遺体収容はほぼ不可能とみており、法律で保護された先住民に殺人罪は適用できないとの見解を示している。

 チャウさんの死をめぐっては、チャウさんが小舟で北センチネル島に渡る手引きをした地元漁師6人を含む7人が逮捕された。この漁師らは警察の遺体捜索チームに同行し、チャウさんが殺害された場所の特定に協力している。(c)AFP

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html#c4

[リバイバル3] ドイツ人はお腹がいっぱいになれば食べる物は何でもいい 中川隆
10. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月26日 10:54:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]

Hi-Fi JAPANの社長 繁田さん

「ドイツ人だけどMartinはビールは絶対呑まない、一滴も。その代わりワインを呑む。

ビールは労働者階級の飲み物だからね。

凄いおぼっちゃまだよ。兄は買い物はパリに行く、洋服はイヴ・サンローラン。
スイスでも道路の標識には「この方角はパリ」とだけ書いてあるんだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/767.html#c10

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
51. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月26日 11:21:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]

畿内は朝鮮からの渡来人に完全に乗っ取られた


埴原和郎 東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授

私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。

その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。

時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。

この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。


▲△▽▼


小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。

このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落

われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。

(中略)

身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。

大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)


▲△▽▼

網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。

小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。

この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。

その中で私がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。

そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。

これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。

小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、実際に関西では少なからずあったと思います。

これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。

小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。


▲△▽▼


生体の頭長幅指数分布の分布図
http://i.imgur.com/RXXfQ0q.gif

最初は、化石でなく生体の頭長幅指数分布の分布図である。

頭長幅指数とは上から見た頭骨について長さに対する幅の百分比であり、値が大きいほど短頭である(丸い頭である)ことを示す。

この場合、朝鮮半島と同様に九州から中四国、近畿そして関東にかけて、短頭の地域が分布している。

 日本学術会議の研究班は1949年から4年をかけ全国5万6千人を対象に日本人の生体を計測した。

小浜基次はこの結果の地方差から東北・裏日本型と畿内型に分類し、
「その2つの型の分布状況を歴史的に解釈すると、まず、アイヌ系の東北型が広く日本に分布していた。

その後、朝鮮半島から朝鮮系が渡来し、畿内、瀬戸内に本拠をしめ、一部は東進して南関東に達した。

この畿内型の周縁や西日本の離島に東北型がのこっているのも、先住民であったからであろうといっている。

上田常吉はこの後来の朝鮮系が弥生文化をもたらしたと解釈した。」
(樋口隆康「日本人はどこから来たか」講談社現代新書、1971年)

▼各地の男性頭骨の弥生・縄文判別関数値

(池田次郎・京都大学名誉教授による)※数値が高いほど朝鮮に近い

+2.12…畿内 ←★ (アッ…
+1.08…四国
+0.76…東中国
+0.70…西中国、北東九州
+0.51…関東、東北
+0.40…北陸
-0.87…西九州、南東九州


▼手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との遺伝的距離

(山口敏『日本人の顔と身体』より)

0.000…朝鮮半島
0.007…近畿地方
- - - - - - - - - - -  日本と朝鮮の境界
0.012…中部地方
0.035…中国地方
0.035…九州地方
0.038…四国地方
0.048…関東地方
0.068…東北地方
0.092…南西諸島


▽分離型耳垂(福耳)の出現率(兵庫医大・欠田名誉教授)

アイヌ 96.2%
奄美諸島 77.24%
新潟県 72.8%
山形県 70.5%
青森県 63.3%
三重県 60.4%
- - - - - - - - - - -  日本と朝鮮の境界
山口県 36.88%
京都府 36.6%
朝鮮半島 32.6%


▲△▽▼


▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』

▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』

▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』

▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』

▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』

▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』

▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』

▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』

▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』

▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』

▼ハシゲ徹(大阪民國総統)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』

▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』

▼戸田恵梨香(神戸市出身・女優)
『神戸って大阪と一緒にされるの凄い嫌なんですよね〜大阪は下品!汚い!』

▼堤真一(西宮市出身・俳優)
『兵庫は大阪と違って洗練された町なんで』

▼森喜朗(石川県出身・元首相)
『大阪は日本のタンツボ』

▼ローラ(東京都出身・モデル)
『アニョハセヨは関西弁』

▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』

▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』

▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』

▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』

▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』

▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』

▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』

▼全国体力テスト(文部科学省、21世紀)
『大阪男子の体力は47位で全国ビリ、学力は45位』

▼向江松雄さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』

▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』

▼坂本芳次さん(自動車第34連隊)
『うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね』

▼田辺聖子(大阪府出身・作家)
『浪速の男どもはみな争いごと好まず、膂力(腕力)にも乏しい』

▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』

▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』


▲△▽▼

道府県別朝鮮人人口(1940年) 
典拠:内務省警保局『社会運動の状況』、総理府統計局『国勢調査報告』

01 大阪312,269
02 福岡116,864
03 兵庫115,154
04 東京87,497
05 愛知77,951
06 山口72,700
07 京都67,698
08 北海道38,273
09 広島38,221
10 神奈川24,842
11 岐阜20,093
12 長崎18,144
13 静岡15,726
14 岡山11,887
15 福井11,725
16 三重11,660
17 和歌山11,298
18 山梨9,514
19 奈良9,232
20 佐賀8,693
  長野8,152
  大分8,046
  滋賀7,792
  島根7,146
  熊本5,699
  福島5,549
  愛媛5,506
  宮崎5,476
  石川5,169
  千葉4,886
  埼玉4,884
  群馬4,544
  新潟4,365
  茨城3,877
  富山3,876
  高知3,744
  岩手3,721
  鹿児島3,220
  鳥取2,678
  香川2,214
  青森2,175
  栃木2,091
  宮城2,015
  秋田1,678
  徳島1,343
  山形1,048
  沖縄109

▲△▽▼


【難波=朝鮮】

摂津の地域では、難波の地にあたる東生(成)、西成の両郡に吉志系の氏族と三宅忌寸とが居住していたことが知られる。

東生郡では難波忌寸・日下部忌寸、西成郡では吉士・三宅忌寸が、それぞれの郡の郡領をつとめる有力氏族であったのであろう。

吉士は朝鮮語の首長を意味する語に由来し、新羅では官位十七等の十四位の称にも用いられており、これを氏姓とする氏族の実体は渡来系氏族であると思われる。
『日本書紀』によると、難波忌寸がもとは草香部吉士であることが知られる。
(『大阪府史』)

【浪花っ子=朝鮮人】

高権三『大阪と半島人』(1938年)より

・大阪の半島人は平壌人口よりも多い。
・大阪の浪波子には朝鮮の人の血を受けていないものは、殆どない。
・大阪の何処の通りに行っても、何処のデパートに於ても、朝鮮服の女の姿の見受けられぬところはない。

▽大阪=ヤクザ
関西に暴力団が10人おったらそのうち9人はマイノリティ(『グリコ・森永事件 最重要参考人M』宮崎学・大谷昭宏)

約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、
山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない(『文藝春秋』昭和59年11月号)

▽大阪=部落
部落民の分布は、穢多の水上と称せられる近畿地方を中心として最も多い。大阪西浜は、全国の中心をなすほどの大部落である。
(『被差別部落一千年史』高橋貞樹・大分県出身)

被差別部落の人口数からいうと、近畿が半数の50%を占め、九州、中国、四国がそれぞれ12%前後、関東、中部となると5%前後となっています。
(『被差別部落の歴史』原田伴彦・佐賀県出身)

▽大阪=在日
いま在日韓国・朝鮮人は67万人だが、うち半数が関西に住む。大阪府下は18万人で実に全国の3割に近い
(大谷晃一・帝塚山学院大学学長)

関西の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める。
(仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授)

▽大阪=ヘタレ
大阪の剣術は日本一レベル低い
→鎌倉〜幕末の大阪府下三カ国で名の知れた剣豪は一人も居ない

大阪の侍は日本一弱い
→信州長野の人国記によると大阪武士は詐欺師まがいの狐侍と酷評されている

大阪に武士道などない
→佐賀の葉隠に上方武士は打算で動く卑怯者とある

▽大阪=帰化人
→近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する(国民百科事典・平凡社)

→大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)

→朝鮮系の土器の列島内における分布は、畿内の河内、大和にとりわけ多い(『アジアからみた古代日本』)

→河内国(大阪府)は列島随一の渡来人(朝鮮半島)の集住地域(熊谷公男・東北学院大学教授)


http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c51

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
151. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月26日 11:21:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21142]


畿内は朝鮮からの渡来人に完全に乗っ取られた


埴原和郎 東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授

私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。

その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。

時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。

この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。


▲△▽▼


小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。

このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落

われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。

(中略)

身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。

大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)


▲△▽▼

網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。

小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。

この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。

その中で私がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。

そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。

これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。

小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、実際に関西では少なからずあったと思います。

これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。

小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。


▲△▽▼


生体の頭長幅指数分布の分布図
http://i.imgur.com/RXXfQ0q.gif

最初は、化石でなく生体の頭長幅指数分布の分布図である。

頭長幅指数とは上から見た頭骨について長さに対する幅の百分比であり、値が大きいほど短頭である(丸い頭である)ことを示す。

この場合、朝鮮半島と同様に九州から中四国、近畿そして関東にかけて、短頭の地域が分布している。

 日本学術会議の研究班は1949年から4年をかけ全国5万6千人を対象に日本人の生体を計測した。

小浜基次はこの結果の地方差から東北・裏日本型と畿内型に分類し、
「その2つの型の分布状況を歴史的に解釈すると、まず、アイヌ系の東北型が広く日本に分布していた。

その後、朝鮮半島から朝鮮系が渡来し、畿内、瀬戸内に本拠をしめ、一部は東進して南関東に達した。

この畿内型の周縁や西日本の離島に東北型がのこっているのも、先住民であったからであろうといっている。

上田常吉はこの後来の朝鮮系が弥生文化をもたらしたと解釈した。」
(樋口隆康「日本人はどこから来たか」講談社現代新書、1971年)

▼各地の男性頭骨の弥生・縄文判別関数値

(池田次郎・京都大学名誉教授による)※数値が高いほど朝鮮に近い

+2.12…畿内 ←★ (アッ…
+1.08…四国
+0.76…東中国
+0.70…西中国、北東九州
+0.51…関東、東北
+0.40…北陸
-0.87…西九州、南東九州


▼手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との遺伝的距離

(山口敏『日本人の顔と身体』より)

0.000…朝鮮半島
0.007…近畿地方
- - - - - - - - - - -  日本と朝鮮の境界
0.012…中部地方
0.035…中国地方
0.035…九州地方
0.038…四国地方
0.048…関東地方
0.068…東北地方
0.092…南西諸島


▽分離型耳垂(福耳)の出現率(兵庫医大・欠田名誉教授)

アイヌ 96.2%
奄美諸島 77.24%
新潟県 72.8%
山形県 70.5%
青森県 63.3%
三重県 60.4%
- - - - - - - - - - -  日本と朝鮮の境界
山口県 36.88%
京都府 36.6%
朝鮮半島 32.6%


▲△▽▼


▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』

▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』

▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』

▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』

▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』

▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』

▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』

▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』

▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』

▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』

▼ハシゲ徹(大阪民國総統)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』

▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』

▼戸田恵梨香(神戸市出身・女優)
『神戸って大阪と一緒にされるの凄い嫌なんですよね〜大阪は下品!汚い!』

▼堤真一(西宮市出身・俳優)
『兵庫は大阪と違って洗練された町なんで』

▼森喜朗(石川県出身・元首相)
『大阪は日本のタンツボ』

▼ローラ(東京都出身・モデル)
『アニョハセヨは関西弁』

▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』

▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』

▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』

▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』

▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』

▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』

▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』

▼全国体力テスト(文部科学省、21世紀)
『大阪男子の体力は47位で全国ビリ、学力は45位』

▼向江松雄さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』

▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』

▼坂本芳次さん(自動車第34連隊)
『うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね』

▼田辺聖子(大阪府出身・作家)
『浪速の男どもはみな争いごと好まず、膂力(腕力)にも乏しい』

▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』

▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』


▲△▽▼

道府県別朝鮮人人口(1940年) 
典拠:内務省警保局『社会運動の状況』、総理府統計局『国勢調査報告』

01 大阪312,269
02 福岡116,864
03 兵庫115,154
04 東京87,497
05 愛知77,951
06 山口72,700
07 京都67,698
08 北海道38,273
09 広島38,221
10 神奈川24,842
11 岐阜20,093
12 長崎18,144
13 静岡15,726
14 岡山11,887
15 福井11,725
16 三重11,660
17 和歌山11,298
18 山梨9,514
19 奈良9,232
20 佐賀8,693
  長野8,152
  大分8,046
  滋賀7,792
  島根7,146
  熊本5,699
  福島5,549
  愛媛5,506
  宮崎5,476
  石川5,169
  千葉4,886
  埼玉4,884
  群馬4,544
  新潟4,365
  茨城3,877
  富山3,876
  高知3,744
  岩手3,721
  鹿児島3,220
  鳥取2,678
  香川2,214
  青森2,175
  栃木2,091
  宮城2,015
  秋田1,678
  徳島1,343
  山形1,048
  沖縄109

▲△▽▼


【難波=朝鮮】

摂津の地域では、難波の地にあたる東生(成)、西成の両郡に吉志系の氏族と三宅忌寸とが居住していたことが知られる。

東生郡では難波忌寸・日下部忌寸、西成郡では吉士・三宅忌寸が、それぞれの郡の郡領をつとめる有力氏族であったのであろう。

吉士は朝鮮語の首長を意味する語に由来し、新羅では官位十七等の十四位の称にも用いられており、これを氏姓とする氏族の実体は渡来系氏族であると思われる。
『日本書紀』によると、難波忌寸がもとは草香部吉士であることが知られる。
(『大阪府史』)

【浪花っ子=朝鮮人】

高権三『大阪と半島人』(1938年)より

・大阪の半島人は平壌人口よりも多い。
・大阪の浪波子には朝鮮の人の血を受けていないものは、殆どない。
・大阪の何処の通りに行っても、何処のデパートに於ても、朝鮮服の女の姿の見受けられぬところはない。

▽大阪=ヤクザ
関西に暴力団が10人おったらそのうち9人はマイノリティ(『グリコ・森永事件 最重要参考人M』宮崎学・大谷昭宏)

約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、
山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない(『文藝春秋』昭和59年11月号)

▽大阪=部落
部落民の分布は、穢多の水上と称せられる近畿地方を中心として最も多い。大阪西浜は、全国の中心をなすほどの大部落である。
(『被差別部落一千年史』高橋貞樹・大分県出身)

被差別部落の人口数からいうと、近畿が半数の50%を占め、九州、中国、四国がそれぞれ12%前後、関東、中部となると5%前後となっています。
(『被差別部落の歴史』原田伴彦・佐賀県出身)

▽大阪=在日
いま在日韓国・朝鮮人は67万人だが、うち半数が関西に住む。大阪府下は18万人で実に全国の3割に近い
(大谷晃一・帝塚山学院大学学長)

関西の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める。
(仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授)

▽大阪=ヘタレ
大阪の剣術は日本一レベル低い
→鎌倉〜幕末の大阪府下三カ国で名の知れた剣豪は一人も居ない

大阪の侍は日本一弱い
→信州長野の人国記によると大阪武士は詐欺師まがいの狐侍と酷評されている

大阪に武士道などない
→佐賀の葉隠に上方武士は打算で動く卑怯者とある

▽大阪=帰化人
→近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する(国民百科事典・平凡社)

→大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)

→朝鮮系の土器の列島内における分布は、畿内の河内、大和にとりわけ多い(『アジアからみた古代日本』)

→河内国(大阪府)は列島随一の渡来人(朝鮮半島)の集住地域(熊谷公男・東北学院大学教授)


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c151

[昼休み52] 意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領 富山誠
96. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月26日 11:38:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21145]
2018.11.26
シリアが安定しつつある中、アメリカが戦闘の激化を目論む動き

 シリアのバシャール・アル・アサド政権の打倒を目指して戦闘を続けてきたサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵は壊滅寸前の状態で、内部抗争も伝えられている。

 イラクの政府系武装集団のハシュド・アル・シャービによると、アメリカ軍はダーイッシュを率いてきたと言われているアブ・バクル・アル・バグダディを助けるため、ライバルの武装集団のリーダーをドローンで殺害しているという。

 シリアから流れてくる情報によると、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の幹部をアメリカ軍はヘリコプターで救出している。

 そのハシュド・アル・シャービはシリアに残っているダーイッシュを攻撃する準備を進めているようだが、アメリカの情報機関はイラクにあるハシュド・アル・シャービの基地に関する情報を収集中で、攻撃の準備ではないかとも言われている。

 アル・バグダディはムスリム同胞団の出身だと言われ、アメリカの軍や情報機関と連携している可能性は高い。バラク・オバマ大統領が2010年8月に出したPSD-11はイスラム世界で政権転覆工作を実行するためにムスリム同胞団を使うとしている。

 アル・バグダディはイスラエルのスパイだという噂もあるが真偽は不明。ただ、シリアで戦うジハード傭兵がゴラン高原でイスラエルと連携していることは本ブログでも何度か書いた通りだ。

 エルサレム・ポスト紙によると、​2013年3月から16年5月までイスラエルの国防大臣を務めたモシェ・ヤーロンは在任期間中、シリアの反政府軍と会っている​。アル・カイダ系武装集団にしろ、ダーイッシュにしろ、イスラエルを攻撃することはない。

 ジハード傭兵を使った侵略を行ってきたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ。当初はトルコやカタールもシリア侵略に加担していた。

 しかし、2015年9月末、アメリカのバラク・オバマ政権が閣僚を好戦的な布陣に変更した直後、シリア政府の要請でロシア軍が介入したことで戦況は一変、アメリカなどが送り込んだジハード傭兵の支配地域は急速に縮小、今ではアサド政権の打倒は無理だという認識が広がっている。そうした状況を受け、シリア政府との関係を修復する動きが現れてきた。


 こうした動きはアメリカの支配層にとって好ましくない。アメリカ軍はシリア領内でジハード傭兵に対する訓練を続けているようで、再び戦火を広げようとしているのかもしれない。そうした中、反政府軍はアレッポで塩素を使用、ロシア軍はその部隊を空爆したと伝えられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811260000/
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html#c96

[リバイバル3] コストが安い暖房は? 優秀なコタツ、ファンヒーター 中川隆
3. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月26日 14:13:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21145]

2018年11月26日
冬の暖房費を徹底的に安く抑える方法

みんなでコタツに入れば暖房代はほとんど掛からない

画像引用:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-57-93/whitebreath2xxx/folder/289124/98/24148898/img_0


もっとも安い暖房は?

低コストな暖房は何度か書いてきたが、結局暖かさとの兼ね合いで妥協する人が多いと思います。

反射式灯油ストーブは燃費が非常に悪いが短時間で温まるので、朝の1時間や他の暖房が温まるまでなら有効に使える。

そうした妥協を一切せず、冬でも暖かい暖房を探し、いくらになるかを計算してみます。



安い暖房手段としてはコタツ、電気毛布、電気カーペットなど電気モノがあり、身体に触れたり包み込むことで暖かくなれる。

部屋全体を温めないので電気代は格安でコタツは1時間5円以下、電気毛布は1円前後、カーペットは2畳用で7円以下というところです。

仮にカーペットの上にコタツを置いて、さらに電気毛布をかぶっても1時間13円、これは石油ファンヒーターと同じくらいです。


その石油ファンヒーターは最初に部屋を暖める1時間ほどは「強」なので時間32円ほど、その後「弱」になると時間7円ほどになります。

ファンヒーターで節約するコツは「付けっぱなしにすること」で途中で消すとまた部屋が冷えて強運転になってしまいます。

またファンヒーターで温められるのは1部屋だけで、2部屋や家全体を温めると常に強運転になり燃料代が高額になります。

サザエさん一家は節約している

一日中家に居るとか自宅で仕事している人にファンヒーターは向いていて、少なくも夕方から寝るまで継続して使う人向きです。

朝1時間だけ、夜も2時間程度しか使わないとほとんど「強」で運転することになり燃費は反射式灯油ストーブより悪くなります。

1時間程度しか使わないなら、ファンヒーターより普通のストーブの方が燃料代は少なくなります。


反射式灯油ストーブ(小型)は時間22円ほどですが、カーボンヒーターやグラファイトヒーターは400Wだと時間10円程度になります。

部屋全体は温まらないが、帰宅直後や起きて調理する間など短時間に少し温まりたいなら安いです。

それでも台所が寒い時は小さいミニ電気カーペットなら時間1円で足元を温められます。


寒い思いをせず、かつ最も安く温まる方法としては「メイン暖房をコタツ、電気マット、電気毛布にする」「短時間だけ石油暖房やカーボンヒーターを併用する」のが有効でしょう。

家族が何人かいる場合は「家族が一部屋に集まる」ことで大幅に暖房代を減らせる。

サザエさん風にみんなでコタツに入れば、ファンヒーターを併用しても時間15円から20円ほどで済みます。


また家の中で体温が下がらないように、高機能衣類を着るのも効果的で、Tシャツ1枚だとどうしても強力な暖房が必要になります。

今は安くて軽くても暖かい衣類が売られているので、暖房を節約するなら衣類にこだわりましょう。
http://www.thutmosev.com/archives/78244461.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/926.html#c3

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
52. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月26日 14:28:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21145]

耳かきで分かるあなたの先祖 意外な勢力図 2011/1/21
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000

人間の耳あかは、各自の体質(遺伝子)によって、乾いて粉状になる乾型(カサカサ)と、松ヤニのように粘り気のある湿型(ネバネバ)の2種類に分かれる。通常、耳そうじをする際、カサカサな人は小さなスプーンのような形をした「耳かき」を使い、ネバネバな人は「綿棒」を使う。ところが、こんな奇妙な話を耳にした。

「日本ではおなじみのあの『耳かき』が、海外ではほとんど見かけない」というのだ。耳そうじがしたくても、現地のホテルや店に「耳かき」が見当たらず、困った経験をした人も多いらしい。

どうしてなのか?

不思議に思って、耳あかの種類を決める遺伝子を発見した北海道医療大学の新川詔夫学長に取材してみた。

「実は日本では7割から8割までがカサカサな乾型なんです。逆に、欧米ではネバネバな湿型がほとんどで乾型はあまり見られない」。新川さんはこんな“逆転現象”があると教えてくれた。そのため、日本では「耳かき派」が主流で、海外では「綿棒派」が主流になっているというのだ。


図1と表2を見てほしい。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000


新川さんらが世界33民族を対象に調査した世界の乾型遺伝子の出現率である(耳あかが実際に乾型になる割合は遺伝子出現率を2乗した値)。世界における乾型と湿型の勢力分布がはっきりと読み取れる。

調査によると、たしかに世界では湿型が圧倒的に多く、乾型は東アジアに偏在している。乾型はとりわけ黄色人種によく見られる特徴で、耳かきを使った耳そうじは、世界でも東アジアを中心とした地域に限られるようだ。

さらに分析を続けてみよう。

乾型遺伝子の出現率が最も高いのは中国北部やその周辺(たとえば中国山西省や韓国大邱市は100%)。ところが、中国北部から離れるほど出現率が低下する。

中国北部からやや離れた日本の平均は7〜8割程度。タイでは7割程度、インドネシアでは5割程度、カザフスタンでは4割程度となり、ヨーロッパまで行くと1〜2割程度に下がる。そして、さらに遠方のアフリカや南米ではついに5%を切る。

この調査から何が分かるだろうか?

実は、各自の遠い先祖のルーツをたどることができるという。


「もともと人間の耳あかはすべて湿型だった。ところが、数万年前に中国北部やモンゴルの周辺で遺伝子の突然変異に伴い乾型の耳あかが生まれ、周辺地域に広がった」


新川さんはこんな仮説を披露する(図3)。乾型と湿型の“逆転現象”はこうして生まれたというわけ。

https://style.nikkei.com/article-image?ad=DSXBZO2189245019012011I00000&ng=DGXBZO21914010Z10C11A1000000

かつて、アフリカで誕生した人類の祖先は世界各地に広がり、黒人、白人、黄色人などに分化した。そのうちの中国北部にいた黄色人の中から乾型の耳あかが生まれた。「それが寒冷気候への適応だったのか、感染症への抵抗性だったのか、理由はまだ不明だが、ある特定の環境下で乾型の耳あかを持つ人は生存に有利だったのではないか」と推測する。

では、日本にどう伝わったのか。

「弥生時代以来、日本に移り住んできた渡来人が乾型の遺伝子を運び込んだ」と新川さんは見る。もともと日本の先住民だった縄文人は、白人や黒人らと同様に湿型ばかりだった。そこへ、渡来人が高度文明や技術、専門知識などとともに乾型の遺伝子も持ち込んだらしい。

乾型の遺伝子は縄文人と混血を繰り返しながら日本人の血に溶け込み、やがて、現在のように湿型と乾型が混在するようになった(図4)。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?page=2


しかも、現在も遺伝子の混血は進行中だという。

実は、その痕跡を示す統計がある。


図5と表6は、日本国内の耳あかの乾型と湿型の勢力分布を示したものだ。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?page=3


新川さんらと共同で県立長崎西高校が調査した都道府県別の乾型遺伝子出現率(対象1963人)をもとに作成した。最も高いのは京都、次いで岐阜、大分、愛媛、福井……。逆に最も低いのは岩手、次いで沖縄、広島、宮城、山梨……。

調査を見ると、「乾型は西日本で特に多い」というざっくりした傾向が浮かび上がる。詳しく言うと「乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。

これは何を意味するのか?

「渡来人が通った足跡のように見えませんか?」と新川さんは言う。「大陸から来た渡来人は中央権力があった近畿地域を目指して移り住んだ。そのルートに沿う形で、乾型遺伝子が多く残った」というのだ。

この仮説によれば「耳あかが湿型の人は縄文人、耳あかが乾型の人は弥生人(渡来人)が祖先」ということになる。何だか、太古の人との「きずな」を見せられたような気がして、歴史のロマンをかき立てられる。

実は、これとよく似た現象を以前、このコラムで書いたことがある。

2010年7月2日に掲載した「全国酒豪マップ」――。耳あかと同様、人が酒に強い(酒豪)か、弱い(下戸)かも各自の体質(遺伝子)で決まる。もともと人間は酒に強かったが、中国南部で酒に弱い遺伝子が突然変異で生まれ、周辺に広がったという話だ。

下戸の遺伝子は渡来人とともに日本に伝わり、酒が強い土着の縄文人との混血で混ざり合った。今では下戸と酒豪が混在しており、近畿、中部、瀬戸内、九州北部など渡来人が移り住んだルートに特に下戸が多い。

比べてみると、たしかに「全国酒豪マップ」との共通点は多い。

例外はあるが、乾型遺伝子の出現率が上位の都道府県は近畿、四国北部、九州東部など下戸が多い地域と重なり、一方の出現率が低い都道府県は東北、四国南部、九州西部など酒豪が多い地域と重なっている。

最後に新川さんにこう尋ねてみた。

「耳あかがカサカサな乾型の人は、そのまま酒に弱い下戸ということになるのですか?」。ともに祖先が渡来人と考えられるからだ。耳あかの種類で酒豪か下戸かが判断できるのなら、便利に違いない。

だが、残念ながら「耳あかと下戸の遺伝子は直接は関連していない。乾型だからといって、その人が必ずしも下戸だとは限らない」という答えが返ってきた。それぞれ、遺伝子上はまったく別の現象らしい。つまり、乾型の耳あかの持ち主が酒豪だったり、湿型の耳あかの持ち主が下戸だったり、はっきりとは区別できないらしいのだ。

とはいえ「どちらも『渡来人と先住民の縄文人が混血しながら日本民族を形成した』という仮説を支持している」と新川さんは言う。

現代の生活では、耳あかの違いも、酒豪か下戸かの違いも、生命を脅かすほどの決定的な要因にはなりえない。ただ太古の時代は謎に包まれている。予想もできない出来事が大きな役割を果たしていた可能性だってある。

乾型耳あかや下戸の遺伝子がなぜ淘汰を免れたのか――。その完全な全体像を解明するには、まだまだ時間がかかりそうだ。

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c52

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
152. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月26日 14:28:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21145]

耳かきで分かるあなたの先祖 意外な勢力図 2011/1/21
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000

人間の耳あかは、各自の体質(遺伝子)によって、乾いて粉状になる乾型(カサカサ)と、松ヤニのように粘り気のある湿型(ネバネバ)の2種類に分かれる。通常、耳そうじをする際、カサカサな人は小さなスプーンのような形をした「耳かき」を使い、ネバネバな人は「綿棒」を使う。ところが、こんな奇妙な話を耳にした。

「日本ではおなじみのあの『耳かき』が、海外ではほとんど見かけない」というのだ。耳そうじがしたくても、現地のホテルや店に「耳かき」が見当たらず、困った経験をした人も多いらしい。

どうしてなのか?

不思議に思って、耳あかの種類を決める遺伝子を発見した北海道医療大学の新川詔夫学長に取材してみた。

「実は日本では7割から8割までがカサカサな乾型なんです。逆に、欧米ではネバネバな湿型がほとんどで乾型はあまり見られない」。新川さんはこんな“逆転現象”があると教えてくれた。そのため、日本では「耳かき派」が主流で、海外では「綿棒派」が主流になっているというのだ。


図1と表2を見てほしい。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000


新川さんらが世界33民族を対象に調査した世界の乾型遺伝子の出現率である(耳あかが実際に乾型になる割合は遺伝子出現率を2乗した値)。世界における乾型と湿型の勢力分布がはっきりと読み取れる。

調査によると、たしかに世界では湿型が圧倒的に多く、乾型は東アジアに偏在している。乾型はとりわけ黄色人種によく見られる特徴で、耳かきを使った耳そうじは、世界でも東アジアを中心とした地域に限られるようだ。

さらに分析を続けてみよう。

乾型遺伝子の出現率が最も高いのは中国北部やその周辺(たとえば中国山西省や韓国大邱市は100%)。ところが、中国北部から離れるほど出現率が低下する。

中国北部からやや離れた日本の平均は7〜8割程度。タイでは7割程度、インドネシアでは5割程度、カザフスタンでは4割程度となり、ヨーロッパまで行くと1〜2割程度に下がる。そして、さらに遠方のアフリカや南米ではついに5%を切る。

この調査から何が分かるだろうか?

実は、各自の遠い先祖のルーツをたどることができるという。


「もともと人間の耳あかはすべて湿型だった。ところが、数万年前に中国北部やモンゴルの周辺で遺伝子の突然変異に伴い乾型の耳あかが生まれ、周辺地域に広がった」


新川さんはこんな仮説を披露する(図3)。乾型と湿型の“逆転現象”はこうして生まれたというわけ。

https://style.nikkei.com/article-image?ad=DSXBZO2189245019012011I00000&ng=DGXBZO21914010Z10C11A1000000

かつて、アフリカで誕生した人類の祖先は世界各地に広がり、黒人、白人、黄色人などに分化した。そのうちの中国北部にいた黄色人の中から乾型の耳あかが生まれた。「それが寒冷気候への適応だったのか、感染症への抵抗性だったのか、理由はまだ不明だが、ある特定の環境下で乾型の耳あかを持つ人は生存に有利だったのではないか」と推測する。

では、日本にどう伝わったのか。

「弥生時代以来、日本に移り住んできた渡来人が乾型の遺伝子を運び込んだ」と新川さんは見る。もともと日本の先住民だった縄文人は、白人や黒人らと同様に湿型ばかりだった。そこへ、渡来人が高度文明や技術、専門知識などとともに乾型の遺伝子も持ち込んだらしい。

乾型の遺伝子は縄文人と混血を繰り返しながら日本人の血に溶け込み、やがて、現在のように湿型と乾型が混在するようになった(図4)。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?page=2


しかも、現在も遺伝子の混血は進行中だという。

実は、その痕跡を示す統計がある。


図5と表6は、日本国内の耳あかの乾型と湿型の勢力分布を示したものだ。

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?page=3


新川さんらと共同で県立長崎西高校が調査した都道府県別の乾型遺伝子出現率(対象1963人)をもとに作成した。最も高いのは京都、次いで岐阜、大分、愛媛、福井……。逆に最も低いのは岩手、次いで沖縄、広島、宮城、山梨……。

調査を見ると、「乾型は西日本で特に多い」というざっくりした傾向が浮かび上がる。詳しく言うと「乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。

これは何を意味するのか?

「渡来人が通った足跡のように見えませんか?」と新川さんは言う。「大陸から来た渡来人は中央権力があった近畿地域を目指して移り住んだ。そのルートに沿う形で、乾型遺伝子が多く残った」というのだ。

この仮説によれば「耳あかが湿型の人は縄文人、耳あかが乾型の人は弥生人(渡来人)が祖先」ということになる。何だか、太古の人との「きずな」を見せられたような気がして、歴史のロマンをかき立てられる。

実は、これとよく似た現象を以前、このコラムで書いたことがある。

2010年7月2日に掲載した「全国酒豪マップ」――。耳あかと同様、人が酒に強い(酒豪)か、弱い(下戸)かも各自の体質(遺伝子)で決まる。もともと人間は酒に強かったが、中国南部で酒に弱い遺伝子が突然変異で生まれ、周辺に広がったという話だ。

下戸の遺伝子は渡来人とともに日本に伝わり、酒が強い土着の縄文人との混血で混ざり合った。今では下戸と酒豪が混在しており、近畿、中部、瀬戸内、九州北部など渡来人が移り住んだルートに特に下戸が多い。

比べてみると、たしかに「全国酒豪マップ」との共通点は多い。

例外はあるが、乾型遺伝子の出現率が上位の都道府県は近畿、四国北部、九州東部など下戸が多い地域と重なり、一方の出現率が低い都道府県は東北、四国南部、九州西部など酒豪が多い地域と重なっている。

最後に新川さんにこう尋ねてみた。

「耳あかがカサカサな乾型の人は、そのまま酒に弱い下戸ということになるのですか?」。ともに祖先が渡来人と考えられるからだ。耳あかの種類で酒豪か下戸かが判断できるのなら、便利に違いない。

だが、残念ながら「耳あかと下戸の遺伝子は直接は関連していない。乾型だからといって、その人が必ずしも下戸だとは限らない」という答えが返ってきた。それぞれ、遺伝子上はまったく別の現象らしい。つまり、乾型の耳あかの持ち主が酒豪だったり、湿型の耳あかの持ち主が下戸だったり、はっきりとは区別できないらしいのだ。

とはいえ「どちらも『渡来人と先住民の縄文人が混血しながら日本民族を形成した』という仮説を支持している」と新川さんは言う。

現代の生活では、耳あかの違いも、酒豪か下戸かの違いも、生命を脅かすほどの決定的な要因にはなりえない。ただ太古の時代は謎に包まれている。予想もできない出来事が大きな役割を果たしていた可能性だってある。

乾型耳あかや下戸の遺伝子がなぜ淘汰を免れたのか――。その完全な全体像を解明するには、まだまだ時間がかかりそうだ。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c152

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
147. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月26日 14:42:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21148]

たんばらスキーパーク
https://www.snow-tambara.jp/
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0170s.htm

群馬県 沼田市 玉原高原
TEL 0278-23-9311


たんばらスキーパーク ライブカメラ
https://www.snow-tambara.jp/livecamera/

たんばらスキーパーク - 5ちゃんねる
https://find.5ch.net/search?q=%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%88%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4+%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89/@36.7784595,139.0727102,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x57036ede3b169f4c!8m2!3d36.7784595!4d139.0727102?hl=ja

2018.11.25 スキー場オープンのお知らせ


積雪不足によりオープンを延期しておりましたが、センターコース1,450mの整備が出来ましたので、11月27日(火)よりたんばらスキーパークの営業を開始致します。尚、コース幅の狭い箇所もございますので、滑走の際は十分にご注意くださいませ。今シーズンもどうぞよろしくお願い致します。

【11月27日〜30日営業内容(予定)】
▼運行リフト
第2高速リフト(9:00~15:30)※レストハウス前までバスで送迎致します。

▼オープンコース
センターコース(1,450m)

▼リフト料金
1日券:大人3,000円/シニア(50歳以上・要証明書)2,500円、こども(小学生)2,000円、キッズ(4歳以上の未就学児)1,500円
回数券:1回券500円/11回券5,000円

※8:45より第2高速リフト乗り場付近までマイクロバスにて無料送迎致します。
※コース幅が狭い箇所並びにコースサイドにはブッシュの出ている箇所もございます。十分にご注意くださいませ。
※状況に営業内容を変更する場合がございますので、予めご理解ご了承くださいませ。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c147

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
148. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月26日 14:44:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21148]

たんばらスキーパークの14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46595

たんばらスキーパーク - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c148

[リバイバル3] 群馬県 たんばらスキーパーク

群馬県 たんばらスキーパーク
https://www.snow-tambara.jp/
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0170s.htm

群馬県 沼田市 玉原高原
TEL 0278-23-9311


たんばらスキーパーク - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

たんばらスキーパーク ライブカメラ
https://www.snow-tambara.jp/livecamera/

たんばらスキーパークの14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46595

たんばらスキーパーク - 5ちゃんねる
https://find.5ch.net/search?q=%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

アクセス


●関越自動車道 沼田IC→県道266号(上発知材木町線)→スキー場 約30分 19km

電車
●JR上毛高原駅下車 無料シャトルバス(びゅうプラザにて申込可)60分
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0170m.htm
https://www.snow-tambara.jp/access/


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%88%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4+%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89/@36.7784595,139.0727102,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x57036ede3b169f4c!8m2!3d36.7784595!4d139.0727102?hl=ja


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/930.html

[リバイバル3] 群馬県 たんばらスキーパーク 中川隆
1. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月26日 15:06:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21148]

2018.11.25 スキー場オープンのお知らせ


積雪不足によりオープンを延期しておりましたが、センターコース1,450mの整備が出来ましたので、11月27日(火)よりたんばらスキーパークの営業を開始致します。尚、コース幅の狭い箇所もございますので、滑走の際は十分にご注意くださいませ。今シーズンもどうぞよろしくお願い致します。


【11月27日〜30日営業内容(予定)】

▼運行リフト
第2高速リフト(9:00~15:30)※レストハウス前までバスで送迎致します。

▼オープンコース
センターコース(1,450m)

▼リフト料金
1日券:大人3,000円/シニア(50歳以上・要証明書)2,500円、こども(小学生)2,000円、キッズ(4歳以上の未就学児)1,500円
回数券:1回券500円/11回券5,000円

※8:45より第2高速リフト乗り場付近までマイクロバスにて無料送迎致します。
※コース幅が狭い箇所並びにコースサイドにはブッシュの出ている箇所もございます。十分にご注意くださいませ。

※状況に営業内容を変更する場合がございますので、予めご理解ご了承くださいませ。
https://www.snow-tambara.jp/news/11%E6%9C%8827%E6%97%A5%EF%BD%9E30%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%96%B6%E6%A5%AD%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/930.html#c1

[リバイバル3] 群馬県 丸沼高原スキー場

丸沼高原スキー場
https://www.marunuma.jp/winter/
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0025s.htm

群馬県 利根郡 片品村 東小川 4658-58

TEL.0278-58-2211


丸沼高原スキー場 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4

ライブカメラ 丸沼高原スキー場
https://www.marunuma.jp/winter/live-camera

丸沼高原スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46630


5ちゃんねる 丸沼高原スキー場
https://find.5ch.net/search?q=%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4


アクセス


●関越自動車道 沼田IC→R120→日光方面へ(沼田インターから丸沼高原まで約50分)

電車
●上越新幹線 上毛高原駅下車→バス鎌田行70分→バス丸沼高原行 25分
●JR上越線 沼田駅下車→バス鎌田行50分→バス丸沼高原行 25分
https://www.marunuma.jp/winter/access
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0025m.htm


地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%B8%E6%B2%BC%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4/@36.8149244,139.330278,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xbe48e2a280c5fdfc!8m2!3d36.8149244!4d139.330278?hl=ja



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/931.html

[リバイバル3] 群馬県 丸沼高原スキー場 中川隆
1. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月26日 15:11:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21148]

11月27日(火)プレオープンが決定しました。

大変お待たせしましたが、20日からの冷え込みと22日夜半からの自然降雪により、27日にプレオープン出来る程度の積雪量を確保することができそうです。

プレオープン期間中及び12月からの料金などについては→ https://www.marunuma.jp/winter/ticket/fees/



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/931.html#c1

[経世済民129] ゴーン逮捕の副産物(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月26日 16:36:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21148]

『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html

ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html

 

 



http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/616.html#c1

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
19. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月26日 16:59:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

ゴーン氏の腐敗を許した日産の罪〜「ガバナンス(統治)が働かなかった」は的外れ=吉田繁治 2018年11月25日
https://www.mag2.com/p/money/585102



日産をV字回復させた英雄ゴーン氏は、いつから成果の達成にコミットするリーダーから、命令する絶対権力者に変節したのか。そして経営者の犯罪までを行ったのか。その理由を考えます。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

理想的なリーダシップ型経営が、いつの間にか「絶対権力経営」に

社内告発で「報酬隠し」発覚

日産のV字回復を主導したカルロス・ゴーン氏が、5年間で50億円と見られる報酬隠しと、会社経費の20億円超の私的な流用のため、成田に到着直後に逮捕されました。

発覚は、社内告発からです。関与していた関係者が、捜査協力することで告発と刑が減免される「司法取引」です。

<偽装された有価証券報告書>

有価証券報告書は、会社の取締役が、会社のオーナー(株の所有権者)である株主に対して行う、資産/負債の変化の内容、利益と投資状況、そして利益金処分案の説明です。

この中に、まず代表取締役会長であるゴーン氏の役員報酬が、過小に書かれていたこと。ゴーン氏のストックオプションの利益が、意図的にゼロとされていました。これが、年間10億円、5年で約50億円です。

さらに、ベンチャー企業への投資のためとして日産が全額出資したオランダの子会社(資本金60億円)を通じて別荘の建築が行われ、ゴーン氏が賃貸料を払わずに利用していたことです(20億円相当の利益供与になる)。これは、会社の業務に忠実でなければならない役員の任務にそむく背任に当たります。

「リーダシップ型経営法」が招いた?

ゴーン氏については、1年でV字回復を果たした2001年に、本メール・マガジンで「リーダシップ型経営」の事例としてとりあげたことがあります。『鋭利なメスをもつ精神分析医:カルロス・ゴーン』という標題でした。

複雑な要素をもつ経営を単純化し、「車づくりのビジョン」にまとめて引っ張るリーダシップ経営の典型に見えたからです。

リーダシップ型経営は、「ビジョンの実現のために実行すべき」ことを明確に示し、社員の仕事の努力の方向を成功する1本にまとめるものです。

これは上からの強制権力による統制(命令)ではない。示されたビジョンへの社員の共感が、MBO(成果目標による経営)の形になって、その目標が、社員の自己目標になり、自発的に展開されていくものです。

成果目標の達成にコミットするということも、当時は新しかった。日本型経営にはなかった、成果責任を負うものでした。日産の強固な縦割り組織を横断する、クロス・ファンクションチームも新鮮だった。

対極は「権力型経営」

こうしたリーダシップ型経営の対極が、権力型の経営です。CEO(経営の責任者の意味)は、経営の実行において権力を持ちます。権力とは、当人の意に染まないことでも強制し、実行させる力です。

権力は、CEOに帰属している以下の職能から生まれます。主なものを示します。



<CEOの主な職能>
◾人事権(雇用と解雇の決定)
◾仕事の評価権(昇進、昇給、降格、降給、配転の決定)
◾経費の配分権(増額経費とカット経費の決定)
◾会社が目指すビジョンの決定権
◾仕事の標準的な方法の決定権
◾組織の決定権

社員(雇用される人)の仕事、そして仕事の条件や環境となるももののすべては、CEOが決定できます。CEOが命じる通りのことを実行し、仕事で求められた成果を上げないと評価権または人事権が発動されて不利益を受けるか、最悪の場合は解雇されても対抗できないのが社員です。英米型経営では、社員は、上長の「ファイア」の一言で解雇されます。

上記の権力は、取締役と執行役員、または部長に分有(権限の移譲)されますが、分有の程度を決めるのもCEOです。


「ガバナンス(企業統治)が働いていなかった」は的外れ

CEOは、過半数の株をもつオーナー型CEOでない限りは、会社の所有者である株主の持ち株数の過半数で選任されたマネジャー(経営者の意味)です。

マネジャーは、マネジメントする責任を負う経営者です。マネジメントの成果が、利益です。株主に対して、会社の利益を上げ、株価をあげることが経営者(マネジャー)の責任です。外資から派遣されたCEOは、利益責任を強く負っていて、目標とする利益を上げることができないことが2年も続くと、簡単に解任されます。日本の、社内から上がった社長には、考えられないことです。

ところが、現代の経営では、株主は、個々にはわずか株しか持たない数万人数十万人から成ります。ほとんどの株主は、株を長期保有はしていません。「買った価格より高くなったとき売って利益を得る」という投機の目的で買っています。

株主の権利である、(1)取締役の人事の決定、(2)経営への関与、(1)利益目標の提示を目的して株を保有するのは、会社のM&Aを目的としたとき多数株を買ったときだけです。M&A以外での株所有は「株の値上益と配当が目的」であり、取締役の人事と経営への関与は目的とはしていません。

つまり株主の経営へ関与は、株主数が広がって増え、短期所有が増えるに比例して、「希薄化」してきたのです。株主の、経営への関与の形態を、ガバナンス(統治)とも言います。

メディアは、ゴーン氏による日産の経営に関し、「ガバナンスが働いていなかった」とコメントしていますが、多数の少数株主になっていることが多い他の上場大手でも、株主の、経営に対するガバナンスは働いてはいないのです。このコメントは当をえていません。

むしろ日本の大手企業の経営では、「株式の持ち合い」などの方法で、株主からのガバナンスを受けないような経営を推進してきました。経営者は、株主総会をできる限り短時間に終わらせ、質問のないように運営することに努めてきたのです。株主総会を、上場他社と同じ日の、同じ時間に開くのは、多くの株主に出席をさせないためです。

株主によるガバナンスは希薄化している

マネーの出し手にはどの株をもつのか分からない「投資信託の増加」も、株主の経営関与の希薄化を促進しています。投資組合のヘッジファンドによる短期所有の増加も同じです。マネーの出し手(これが株主)は、どの株を持つかということに関与していない(※注:ヘッジファンドも投資信託の一種であり、特に、リスクヘッジをするファンドを言います)。

メディアはこれを「ガバナンス(会社の統治)」の問題としていますが、超多数株主になると、株主が本来持っているガバナンスの権利は蒸発し、真空化してしまいます。

民主主義の、選挙における1票の権利行使が、ごく小さなものになって、事実上は、票を多く集めた政治家と与党に従う官僚の強い権力になってることと同じです。実際、株の選挙の場とも言える、東証やNYSEの「株式市場」こそが、株主の経営関与を、希薄化させてきたのです。

このため、株主総会で、株主から選任されたという形式をとって、CEOになった経営者が、人事権と経営権を独占する傾向になっています


絶対権力者になったCEO

西欧の中世では、経営者は、貴族の館の執事(召使いの長)であり、わが国では、オーナー家族が雇用する番頭でした。その執事や番頭が、株式市場の発達よる「株主の希薄化」により、経営の全権をもつCEOになったのです。

日産のCEOの「腐敗という犯罪」は、V回復を果たした「カリスマ経営者」という声望から、社内の誰も意見・進言ができない絶対権力者になったゴーン氏の、自分の権力への驕り(おごり)がもたらしたものです。

株主から見れば執事に当たるCEOの、約20年という「絶対権力」は長すぎます。

長すぎる権力所有は、倫理的な自己抑制ができるごく少数の例外者を除き、「チェックを受けない行動の中に腐敗」をはらみます。

絶対とは、誰からも意見をされずチェックを受けない独裁者の意味です。中世の王権(=領主権)と同じです。

会社の利益は株主のもの。それを横領したことに…

資本主義での、会社の利益の帰属について考えます。

われわれの社会は、国民に代わって政治を行う「代議士(Representative)」を選挙で選ぶ間接民主制です。しかしその社会を環境とする法人は、民主主義ではなく資本主義です。

資本主義とは、労働より資本(マネー)を重んじる制度ということです。資本主義では、会社(法人)が、経営者(CEO)の指揮による経済活動で上げた利益は、会社の株をもつ株主のものです。労働を提供した社長、部長、社員のものではない。利益は、会社に資本金を提供した株主のものとされます。

有価証券(=株式)報告書の一番重要なところは、「利益金処分案」です。有価証券は、株のことですから、この報告書は、株の利益を計算して、会社の所有者である株主に対して示すものです。

会社が上がた利益は、株式(=資本)が上げたものとされるので、CEOは、「会計の規則」に沿って計算した利益額を示し、利益を、次年度に向かってどう処理するかの案を作り、株主の承認を得ます。これが株主総会です。役員賞与、株の配当、投資、資本の準備金にして留保することなどが、処分案です。

ゴーン氏は、この有価証券報告書で、自分の報酬を約50%少なく書いていました。これは、株主のものである利益処分を偽る犯罪です。株主に帰属すべき利益を、5年間で50億円、掠め取ったとも言えます。政治家の公金流用に匹敵する罪です。

会社の組織は、縦の階級制

民主社会には、封建時代のような身分の階級はありません。しかし民主社会の中にあっても、会社の組織は階級制です。

まず、株主が「代議士に匹敵する取締役」を選ぶ。その取締役が、代表取締役を選ぶ。代表取締役は、会社の最上位の、権限をもつ階級として業務を実行する。どういった組織を作るかは、人事権をもつ代表取締役が人を雇用して、決めます。

日本の株式会社は、官営だった国鉄(現在はJR)の部課長制をモデルにした組織を作ってきました。名称の変更が加わったのは1997年のソニーの執行役員制からです。それまでの組織と階級は、およそ以下のようなものでした。



代表取締役社長
   │
  取締役(専務、常務、取締役、監査役)
   │
  部長(営業、製造、購買、物流、経理、総務…)
   │
  課長
   │
  社員

この階級は、権限の広さ、深さによるものでした。権限とは、「◯◯◯を、個人で決定、実行できるという権利」です。

国鉄をモデルにしていた組織は権限の体系だったのです。権限の体系では、軍隊のように、下の階級の者は、上の階級からの命令に、服従しなければならない。物事を決定し、実行を命じるのは、直属の上長です。官僚制は、今も、この権限の体系です。

会社の所有者である株主が取締役(Director)を選び、その取締役が代表取締役を選ぶので、本来は、取締役会が代表取締役の上の階級に来るでしょう。しかしこれは取締役個人ではなく、取締役が集まって構成する取締役会です。このため、取締役個人は、代表取締役の下の階級になる。

実際は多くの場合、取締役は、株主が選任して派遣するのではなく、代表取締役が社員から選んで、株主総会の承認を得ています。このため、取締役の指名者は代表取締役です。

そして、代表取締役が選んだ取締役が、多数決で(ほとんどの場合、全会一致で)、代表取締役を選ぶ。これは、代表取締役が自分で自分を代表取締役に選ぶことと、事実上は同じでしょう。こうした実態から、代表取締役は、会社の帝王のような、絶対権をもつことになるのです。

絶対権をもつ、代表取締役の上の株主は、上場の大手企業では1人1票のように超多数であり株主が希薄化しているからです。

封建の絶対君主制では、三権の分立はなく、現代の中国のように、帝王(=習近平主席)の言葉と命令が、法と裁判になります。

カルロス・ゴーン氏は、V字回復の成功から、代表取締役社長として社内での絶対権を獲得していったのです。


日産に舞い降りた「リーダシップ型経営」の組織

ドラッカーがその主著『マネジメント』で提唱したのは、旧国鉄のような「上位の権限による命令と統制の組織」ではなく、ビジョンつまり長期で達成すべきことをかかげ、年次では成果目標による管理を行う組織でした。

(※注:MBO[Management By Objectives]がこれです。統制型の経営ではなく、経営参加型とも言えます。階級は、それぞれの成果責任を負うので、組織は、命令の権限ではなく、果たすべき責任の体系になります。)

命令ではなく、ビジョンに沿う年次の成果目標によって、自己管理する組織です。これが、90年代の米国企業に出現したリーダシップ型経営でした。成果目標の達成を、上級のマネジャーに約束することを、コミットメントと言いました。

ゴーンが言ったビジョンやコミットメントは、2000年代初期の、日本の部課長制の上からの権限による経営とは違って、新しい響きをもっていました。このリーダシップ型の経営が、カルロス・ゴーンとともに、日本の最大手級の企業である日産に、舞い降りたのです。

メディアと経営者そして車を買う人々が歓呼で迎えた理由がこれです。ゴーン氏が、フランス語なまりの日本語とともに体現したのは、リーダシップ型の経営の新しさでした。オーナー型ではない経営者として、初めて現れたスターだったと言ってもいいでしょう。

ゴーン氏がなぜ、いつから、成果の達成にコミットするリーダーから、命令する絶対権力者に変節したのか。そして経営者の犯罪までを行ったのか。

原因は「権力の長期化」と「進言者がいない」こと

理由は、「絶対権力の長さ」であり、「誰も進言する人がいなくなった」からとも思われます。

声望の高い絶対権力者なら、自分の報酬を欲しいだけ上げればいい。株主に対して詐欺的なことまでを行う必要はない。なぜ報酬を正当に上げなかったのか?

株主総会で、「高すぎる」と指摘されるのが嫌だったのか。謎のまま残ります。仮に、2倍の報酬でも、日産を倒産から救い、再生させた功績に対して、株主総会で否決されることはなかったと思えるからです。資本の投入だけではできないことを、行ったからです。

アマゾンの奥の町で生まれた幼少のころ貧困だったことが、躊躇を生んでいたのかと思うと悲哀を禁じえません。フィッツジェラルドが書いた名作『グレート・ギャツビー』のような成功でした。貧しかったギャツビーが、巨万の富を得ます。このギャツビーの結末も死でした。


ゴーン氏の動機はいずれ明らかになる…

ゴーン氏の報酬は、現代アメリカの、特に金融業のトップの報酬に比べれば、微々たる水準です。

貧困だった記憶が、「大きすぎる報酬」を意識させたのかもしれません。裁判の過程で、その動機が明らかになるでしょう。

地検の特捜や官僚の裁判官では、高額報酬とする基準が低いところにあります。口外しない本音では、「悪いことをしているに違いない」という恨みすらもつ人も、少なからず存在するからです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c19

[リバイバル3] 群馬県 丸沼高原スキー場 中川隆
2. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月26日 18:06:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

ぐんまスノーエリア共通リフト券 2018/09/18
https://gunma-dc.net/news/snowticket

ぐんまスノーエリア 共通リフト券 販売開始!

群馬県スキー場経営者協会では、本年もより多くの皆様に県内スキー場(19カ所)を利用して頂けるよう、

例年、大変好評を得ているお得なリフト券を限定販売いたします。

ぐんまプラチナシーズン券

・回  数   利用期間中、何度でも利用可能

・枚  数   25枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   60,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※1枚1名様にご利用いただける、パスポート形式のシーズン券です。
※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。
※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。
※ナイターは利用できません

・購入方法  WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・下記リンクの、インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまプラチナシーズン券抽選申込フォーム

B・ハガキでの申込抽選

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

ぐんまドリーム券

・回  数   利用期間中、4回

・枚  数   150枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   14,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※使い切りチケット形式の回数券となります。4枚綴りです。

※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。

※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。

※ナイターは利用できません。

・購入方法 WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選 
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまドリーム券申込フォーム

B・ハガキでの申込

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

利用可能スキー場(会員19スキー場)

・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク

・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場 ・水上高原スキーリゾート ・ノルン水上スキー場

・赤沢スキー場 ・ホワイトワールド尾瀬岩鞍 ・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場

・オグナほたか ・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア ・軽井沢スノーパーク

・草津温泉スキー場 ・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

ハガキ応募について

ハガキに下記の内容を記載のうえ、期間中にご応募ください。

(1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号

(2)希望のリフト券 ぐんまプラチナシーズン券 または ぐんまドリーム券

(3)お気に入りのスキー場アンケート(上記の利用可能スキー場から1つを選び記載してください)

※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

〒371-0026 前橋市大手町2−1−1

群馬会館3階 「群馬県スキー場経営者協会」宛て

2018年10月22日(月)(必着)

当選発表

申込み多数の場合は抽選となります。

当選者のみ郵送にてご通知いたします。

プラチナシーズン券(25名) 10月31日(水)までにご通知いたします。

ドリーム券(150名) 11月5日(火)までにご通知いたします。

支払い方法等

抽選販売の場合、当選通知にお支払い方法を明記いたしますので、11月16日(日)までにお振込をお願いいたします。なお、ぐんまプラチナシーズン券にご当選された方は、パスカードを制作いたしますので、指定のサイズの顔写真を上記(応募宛先)の同協会へご送付願います。 お振込を確認後、準備ができ次第、パスカード又はリフト回数券をご送付いたします。


比較表 ぐんまプラチナシーズン券 ぐんまドリーム券
日数  利用期間中、何度でも利用可能  利用期間中、4回
枚数  25枚限定(応募者多数の場合、抽選)  150枚限定(応募者多数の場合、抽選)
金額 60,000円(税込) 14,000円(税込)
利用期間 平成31年1月1日〜平成31年3月31日
販売方法  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選
ネット受付  プラチナ券申込フォーム
 (申込はこちら)  ドリーム券申込フォーム
 (申込はこちら)
ハガキ受付
 2018年9月18日(火)〜10月22日(月)(必着)
 ハガキに下記の内容を記載の上ご応募ください。

 (1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号
 (2)希望のリフト券 プラチナシーズン券 または ドリーム券
 (2)アンケート:最も利用する群馬県のスキー場
 ※下記記載の利用可能スキー場から、1つをご記載ください
 ※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

 〒371-0026 前橋市大手町2-1-1
 群馬会館3階
「群馬県スキー場経営者協会」宛て

利用可能スキー場 <みなかみエリア>
・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク
・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場
・水上高原スキーリゾート
・ノルン水上スキー場・赤沢スキー場

<片品エリア>
・ホワイトワールド尾瀬岩鞍
・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場・オグナほたか

<吾妻エリア>
・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア
・軽井沢スノーパーク・草津温泉スキー場

<たんばら川場エリア>
・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

https://gunma-dc.net/news/snowticket

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/931.html#c2

[リバイバル3] 群馬県 たんばらスキーパーク 中川隆
2. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月26日 18:07:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

ぐんまスノーエリア共通リフト券 2018/09/18
https://gunma-dc.net/news/snowticket

ぐんまスノーエリア 共通リフト券 販売開始!

群馬県スキー場経営者協会では、本年もより多くの皆様に県内スキー場(19カ所)を利用して頂けるよう、

例年、大変好評を得ているお得なリフト券を限定販売いたします。

ぐんまプラチナシーズン券

・回  数   利用期間中、何度でも利用可能

・枚  数   25枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   60,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※1枚1名様にご利用いただける、パスポート形式のシーズン券です。
※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。
※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。
※ナイターは利用できません

・購入方法  WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・下記リンクの、インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまプラチナシーズン券抽選申込フォーム

B・ハガキでの申込抽選

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

ぐんまドリーム券

・回  数   利用期間中、4回

・枚  数   150枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   14,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※使い切りチケット形式の回数券となります。4枚綴りです。

※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。

※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。

※ナイターは利用できません。

・購入方法 WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選 
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまドリーム券申込フォーム

B・ハガキでの申込

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

利用可能スキー場(会員19スキー場)

・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク

・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場 ・水上高原スキーリゾート ・ノルン水上スキー場

・赤沢スキー場 ・ホワイトワールド尾瀬岩鞍 ・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場

・オグナほたか ・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア ・軽井沢スノーパーク

・草津温泉スキー場 ・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

ハガキ応募について

ハガキに下記の内容を記載のうえ、期間中にご応募ください。

(1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号

(2)希望のリフト券 ぐんまプラチナシーズン券 または ぐんまドリーム券

(3)お気に入りのスキー場アンケート(上記の利用可能スキー場から1つを選び記載してください)

※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

〒371-0026 前橋市大手町2−1−1

群馬会館3階 「群馬県スキー場経営者協会」宛て

2018年10月22日(月)(必着)

当選発表

申込み多数の場合は抽選となります。

当選者のみ郵送にてご通知いたします。

プラチナシーズン券(25名) 10月31日(水)までにご通知いたします。

ドリーム券(150名) 11月5日(火)までにご通知いたします。

支払い方法等

抽選販売の場合、当選通知にお支払い方法を明記いたしますので、11月16日(日)までにお振込をお願いいたします。なお、ぐんまプラチナシーズン券にご当選された方は、パスカードを制作いたしますので、指定のサイズの顔写真を上記(応募宛先)の同協会へご送付願います。 お振込を確認後、準備ができ次第、パスカード又はリフト回数券をご送付いたします。


比較表 ぐんまプラチナシーズン券 ぐんまドリーム券
日数  利用期間中、何度でも利用可能  利用期間中、4回
枚数  25枚限定(応募者多数の場合、抽選)  150枚限定(応募者多数の場合、抽選)
金額 60,000円(税込) 14,000円(税込)
利用期間 平成31年1月1日〜平成31年3月31日
販売方法  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選
ネット受付  プラチナ券申込フォーム
 (申込はこちら)  ドリーム券申込フォーム
 (申込はこちら)
ハガキ受付
 2018年9月18日(火)〜10月22日(月)(必着)
 ハガキに下記の内容を記載の上ご応募ください。

 (1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号
 (2)希望のリフト券 プラチナシーズン券 または ドリーム券
 (2)アンケート:最も利用する群馬県のスキー場
 ※下記記載の利用可能スキー場から、1つをご記載ください
 ※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

 〒371-0026 前橋市大手町2-1-1
 群馬会館3階
「群馬県スキー場経営者協会」宛て

利用可能スキー場 <みなかみエリア>
・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク
・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場
・水上高原スキーリゾート
・ノルン水上スキー場・赤沢スキー場

<片品エリア>
・ホワイトワールド尾瀬岩鞍
・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場・オグナほたか

<吾妻エリア>
・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア
・軽井沢スノーパーク・草津温泉スキー場

<たんばら川場エリア>
・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

https://gunma-dc.net/news/snowticket

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/930.html#c2

[リバイバル3] 万座温泉スキー場 中川隆
1. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月26日 18:10:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

ぐんまスノーエリア共通リフト券申込 2018/09/18
https://gunma-dc.net/news/snowticket

ぐんまスノーエリア 共通リフト券 販売開始!

群馬県スキー場経営者協会では、本年もより多くの皆様に県内スキー場(19カ所)を利用して頂けるよう、

例年、大変好評を得ているお得なリフト券を限定販売いたします。

ぐんまプラチナシーズン券

・回  数   利用期間中、何度でも利用可能

・枚  数   25枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   60,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※1枚1名様にご利用いただける、パスポート形式のシーズン券です。
※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。
※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。
※ナイターは利用できません

・購入方法  WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・下記リンクの、インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまプラチナシーズン券抽選申込フォーム

B・ハガキでの申込抽選

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

ぐんまドリーム券

・回  数   利用期間中、4回

・枚  数   150枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   14,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※使い切りチケット形式の回数券となります。4枚綴りです。

※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。

※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。

※ナイターは利用できません。

・購入方法 WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選 
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまドリーム券申込フォーム

B・ハガキでの申込

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

利用可能スキー場(会員19スキー場)

・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク

・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場 ・水上高原スキーリゾート ・ノルン水上スキー場

・赤沢スキー場 ・ホワイトワールド尾瀬岩鞍 ・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場

・オグナほたか ・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア ・軽井沢スノーパーク

・草津温泉スキー場 ・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

ハガキ応募について

ハガキに下記の内容を記載のうえ、期間中にご応募ください。

(1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号

(2)希望のリフト券 ぐんまプラチナシーズン券 または ぐんまドリーム券

(3)お気に入りのスキー場アンケート(上記の利用可能スキー場から1つを選び記載してください)

※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

〒371-0026 前橋市大手町2−1−1

群馬会館3階 「群馬県スキー場経営者協会」宛て

2018年10月22日(月)(必着)

当選発表

申込み多数の場合は抽選となります。

当選者のみ郵送にてご通知いたします。

プラチナシーズン券(25名) 10月31日(水)までにご通知いたします。

ドリーム券(150名) 11月5日(火)までにご通知いたします。

支払い方法等

抽選販売の場合、当選通知にお支払い方法を明記いたしますので、11月16日(日)までにお振込をお願いいたします。なお、ぐんまプラチナシーズン券にご当選された方は、パスカードを制作いたしますので、指定のサイズの顔写真を上記(応募宛先)の同協会へご送付願います。 お振込を確認後、準備ができ次第、パスカード又はリフト回数券をご送付いたします。


比較表 ぐんまプラチナシーズン券 ぐんまドリーム券
日数  利用期間中、何度でも利用可能  利用期間中、4回
枚数  25枚限定(応募者多数の場合、抽選)  150枚限定(応募者多数の場合、抽選)
金額 60,000円(税込) 14,000円(税込)
利用期間 平成31年1月1日〜平成31年3月31日
販売方法  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選
ネット受付  プラチナ券申込フォーム
 (申込はこちら)  ドリーム券申込フォーム
 (申込はこちら)
ハガキ受付
 2018年9月18日(火)〜10月22日(月)(必着)
 ハガキに下記の内容を記載の上ご応募ください。

 (1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号
 (2)希望のリフト券 プラチナシーズン券 または ドリーム券
 (2)アンケート:最も利用する群馬県のスキー場
 ※下記記載の利用可能スキー場から、1つをご記載ください
 ※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

 〒371-0026 前橋市大手町2-1-1
 群馬会館3階
「群馬県スキー場経営者協会」宛て

利用可能スキー場 <みなかみエリア>
・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク
・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場
・水上高原スキーリゾート
・ノルン水上スキー場・赤沢スキー場

<片品エリア>
・ホワイトワールド尾瀬岩鞍
・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場・オグナほたか

<吾妻エリア>
・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア
・軽井沢スノーパーク・草津温泉スキー場

<たんばら川場エリア>
・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

https://gunma-dc.net/news/snowticket

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/851.html#c1

[リバイバル3] 草津温泉スキー場 中川隆
1. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月26日 18:11:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

ぐんまスノーエリア共通リフト券 2018/09/18
https://gunma-dc.net/news/snowticket

ぐんまスノーエリア 共通リフト券 販売開始!

群馬県スキー場経営者協会では、本年もより多くの皆様に県内スキー場(19カ所)を利用して頂けるよう、

例年、大変好評を得ているお得なリフト券を限定販売いたします。

ぐんまプラチナシーズン券

・回  数   利用期間中、何度でも利用可能

・枚  数   25枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   60,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※1枚1名様にご利用いただける、パスポート形式のシーズン券です。
※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。
※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。
※ナイターは利用できません

・購入方法  WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・下記リンクの、インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまプラチナシーズン券抽選申込フォーム

B・ハガキでの申込抽選

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

ぐんまドリーム券

・回  数   利用期間中、4回

・枚  数   150枚限定 ※応募者多数の場合、抽選

・金  額   14,000円

・利用期間   2019年1月1日〜2019年3月31日

※使い切りチケット形式の回数券となります。4枚綴りです。

※ハガキ1枚で複数名のお申込は承れません。

※ただし、天候等によりクローズが早いスキー場もあります。

※ナイターは利用できません。

・購入方法 WEB申込またはハガキ申込 ※応募者多数の場合、抽選 
      (下記いずれかにてお申し込みください お一人様1回)

A・インターネットでの申込フォームにて抽選受付

リンク:ぐんまドリーム券申込フォーム

B・ハガキでの申込

下記に記載のハガキ応募方法を参照ください

利用可能スキー場(会員19スキー場)

・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク

・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場 ・水上高原スキーリゾート ・ノルン水上スキー場

・赤沢スキー場 ・ホワイトワールド尾瀬岩鞍 ・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場

・オグナほたか ・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア ・軽井沢スノーパーク

・草津温泉スキー場 ・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

ハガキ応募について

ハガキに下記の内容を記載のうえ、期間中にご応募ください。

(1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号

(2)希望のリフト券 ぐんまプラチナシーズン券 または ぐんまドリーム券

(3)お気に入りのスキー場アンケート(上記の利用可能スキー場から1つを選び記載してください)

※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

〒371-0026 前橋市大手町2−1−1

群馬会館3階 「群馬県スキー場経営者協会」宛て

2018年10月22日(月)(必着)

当選発表

申込み多数の場合は抽選となります。

当選者のみ郵送にてご通知いたします。

プラチナシーズン券(25名) 10月31日(水)までにご通知いたします。

ドリーム券(150名) 11月5日(火)までにご通知いたします。

支払い方法等

抽選販売の場合、当選通知にお支払い方法を明記いたしますので、11月16日(日)までにお振込をお願いいたします。なお、ぐんまプラチナシーズン券にご当選された方は、パスカードを制作いたしますので、指定のサイズの顔写真を上記(応募宛先)の同協会へご送付願います。 お振込を確認後、準備ができ次第、パスカード又はリフト回数券をご送付いたします。


比較表 ぐんまプラチナシーズン券 ぐんまドリーム券
日数  利用期間中、何度でも利用可能  利用期間中、4回
枚数  25枚限定(応募者多数の場合、抽選)  150枚限定(応募者多数の場合、抽選)
金額 60,000円(税込) 14,000円(税込)
利用期間 平成31年1月1日〜平成31年3月31日
販売方法  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選  ネット申込
 ハガキ申込
 ※ネット・ハガキ合計で抽選
ネット受付  プラチナ券申込フォーム
 (申込はこちら)  ドリーム券申込フォーム
 (申込はこちら)
ハガキ受付
 2018年9月18日(火)〜10月22日(月)(必着)
 ハガキに下記の内容を記載の上ご応募ください。

 (1)郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号
 (2)希望のリフト券 プラチナシーズン券 または ドリーム券
 (2)アンケート:最も利用する群馬県のスキー場
 ※下記記載の利用可能スキー場から、1つをご記載ください
 ※ハガキ1枚につき、1名様のお申込となります。

 〒371-0026 前橋市大手町2-1-1
 群馬会館3階
「群馬県スキー場経営者協会」宛て

利用可能スキー場

<みなかみエリア>
・谷川岳天神平スキー場 ・ホワイトバレースキー場 ・大穴スキー場 ・奥利根スノーパーク
・水上宝台樹スキー場 ・水上高原藤原スキー場
・水上高原スキーリゾート
・ノルン水上スキー場・赤沢スキー場

<片品エリア>
・ホワイトワールド尾瀬岩鞍
・スノーパーク尾瀬戸倉 ・丸沼高原スキー場・オグナほたか

<吾妻エリア>
・万座温泉スキー場 ・鹿沢スノーエリア
・軽井沢スノーパーク・草津温泉スキー場

<たんばら川場エリア>
・川場スキー場 ・たんばらスキーパーク

https://gunma-dc.net/news/snowticket

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/850.html#c1

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
1. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月26日 18:17:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

本物のお金持ちは普段何を食べているのか
11/25(日) 6:00配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181125-00250696-toyo-bus_all

シンガポールでの一般的な昼食はこんな感じだ。野菜2品と肉1品とご飯、スープの定食、といったところか(写真:筆者撮影)


 ファイナンシャルプランナーの花輪陽子です。アメリカ市場をはじめとする株高などによって、富裕層といわれる人たちの資産は年々増え続けています。特に、昨今、その存在感を示しているのがアジアの富裕層です。

 ボストンコンサルティンググループの「2018年版グローバルウェルス・レポート」によると、金融資産に占める富裕層の保有金融資産の割合が、2017年には50%に迫っています。しかも、家計が保有する金融資産を、「投資可能資産」(株や債券、現預金など)と、流動性の低い「非投資可能資産」(保険、年金、非公開株など)に分けたところ、前者の割合はアジアや中東で高いことがわかりました。
.

■お金持ちはセレブエリアで、どんな食事をしているのか

 私が住んでいるシンガポールには、国土が狭いにもかかわらず、アジアの富裕層がたくさん集まっています。中国やインドから来た富裕層が多いのですが、彼らの投資手法やライフスタイルには本当にたびたび驚かされます。こうした富裕層は日々、インスタ映えするような高級レストランで食事をし、豪邸でパーティざんまいなのだろうと思われるでしょう。しかし、実際はそんなことはありません。特に、食事は一般人と変わりなく、びっくりするくらい質素です。
.

 では、富裕層といわれる人たちが普段どんなものを食べているのかを、私の実体験からお話しします。

 大邸宅が並び、一戸当たりの不動産価格が数十億円ともいわれるシンガポールのセントーサ・コーブ。以前も少しだけお伝えしましたが、セントーサ島内にある、ケタ外れのセレブだけが居住するこのエリアは、クルーザーがズラリと停泊していたり、高級ワインがぎっしり並んでいる大型セラーのあるお店が点在していたり、まさに別世界です。シンガポールは一戸建てが少なく、国土の8割が国有地のため、長期の借り受け契約が一般的です。ところが、セントーサ・コーブは外国人が唯一、一戸建ての購入ができるエリアなのです。

 そんなセントーサ・コーブの3階建てで暮らすアジア人富裕層のご自宅に招かれ、夕食を何度かともにしたことがあります。その食卓は意外なほど質素でした。もちろん、何か意地悪をされたわけではありません。メード(使用人)さんが作った野菜のパスタ、野菜炒め、スープの3品に水のみで、別の日も同じようなメニューでした。突然、夕食をご一緒することになったので、家族の夕食を分けていただいたのですが、普段は本当に質素な暮らしをしているようです。
.

 また、セントーサとは別で、ブキティマという広い豪邸が多く立ち並ぶ、古くからのお金持ちが住む地区があります。『クレイジー・リッチ・アジアンズ』(邦題:クレージー・リッチ! )というシンガポールを舞台にした映画が日本でも話題になりましたが、映画で出てきた、「主人公の友人宅」のような広い豪邸がそこかしこにあります。

 そのブキティマ地区に暮らす富裕層宅に招待されたときのことです。メゾネットのマンションタイプでしたが、エレベーターもついている2階建てで、日本では見たことのないくらい広いスペースでした。そこのおうちでご馳走になったのは、ご飯に野菜炒め、メイン(肉や小エビなど)、スープに水でした。スープの具も海藻や豆腐のみ、メインもお肉やエビがドン! という感じではなく、小エビなどを揚げたり、炒めたりしたものでした。これが定番メニューなのです。メードさんを雇っているのでは? と言われたらそれまでですが、1人当たり500円もあれば十分食べられるメニューです。
.

■日本人の富裕層のほうが、おもてなしは豪華? 

 日本人の富裕層宅に招かれると、まずシャンパンなどのおしゃれなドリンクが出てきて、なくなるとすぐに注いでくれます。お菓子やらお酒やら何品も出てくることが多く、テーブルもおしゃれにコーディネートされていることがほとんどです。しかし、そういったおもてなしは、シンガポールのセレブ宅では皆無でした。

 島屋のショッピングセンターなどがある、オーチャードという中心街の近くに住む欧米人の一戸建てに招かれたときも、ティーバッグの紅茶を振る舞ってもらっただけだったので、かえって気が楽でした。普段自分が飲食しているものをシェアしてくれるだけで、気合いを入れてもてなしている感じではないのです。

 また、中華系の富裕層のバーベキューに招かれたときのことです。参加者のほとんどは中華系、もしくはインドネシア系だったのですが、宗教上のこともあって、お肉は定番の牛肉ではなく全部串刺しのチキン、あとは大量の野菜でした。また、外国人のパーティの場合、完全にDIYのケースも多く、ホストが飲み物を注いでくれるわけではないので、自分からお酒や飲み物を探しに行かないとのどがカラカラになって干からびそうになります。遠慮していてはいけないようです。
.

 もちろん、人によってはパーティのためのスタッフを雇っていて、日本人以上にきめ細やかに振る舞ってくれることもあります。しかし、気配りの水準は日本人のほうがはるかに優っています。お金持ちの中には、人をたくさん呼んだパーティの際には奮発をした料理を振る舞ってくれる人もいますが、普段はいたって質素な夕食をしている場合が多いのです。

 彼らはメードを使って、市場に安い食材を買いに行かせて、安い労働力で食事を作らせて食費をしっかりと締めています。
.

 私は以前、節約レシピを料理研究家の先生と一緒に、1日500円以内(1人分)でいかに栄養がある料理を作れるかにチャレンジしたことがありますが、質素な富裕層の食卓を見ていると、1食4人分程度で1000円もかけていない印象です。シンガポールでメードを使っていた日本人が帰国すると、食費が上がって仕方がないという声をよく聞きます。日本だと高級スーパーや宅配サービス、デパ地下のお惣菜など、高くつくからでしょう。また、彼らはお酒が飲めても、日本人のように毎日晩酌をする習慣はあまりないようです。
.

■「貧乏芸人」の食事のほうが、普段はよほど豪華

 私はテレビの仕事で、月収10万円前後の「貧乏芸人」さんのご自宅を拝見したことがあります。そこで見た食事は、私が遊びに行ったシンガポールの富裕層のものよりよほど豪華だった気がします。「家計に余裕がない」と言いつつも、冷蔵庫の中に飲み物やお菓子などの嗜好品やドレッシング類がたくさん入っていたからです。シンガポールの富裕層のお宅では、ドレッシングはその都度メードに手作りさせていました。安く作れるうえに、添加物などが入っていませんから、体にはいいでしょう。こうして「食を慎む」のは、健康管理の面を意識してのことでもありそうです。
.

 しかし、普段は質素にしつつも、資産運用などでは本当にしっかり使っています。だからこそ、ますます資産を増やしていけるのかもしれません。飲食は毎日の習慣です。いくらお金があっても普段から散財していては、本当の富裕層であり続けられないのだと教えられました。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c1

[リバイバル3] 群馬県 丸沼高原スキー場 中川隆
3. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月26日 20:25:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

スキー場で雪質の良いところって首都圏から行けるところは群馬?2017/02/19
http://yorezo.xyz/3649.html

スキーやスノボで滑りに行っても、カチンコチンのアイスバーンだったり、ザラメ雪だったりすると、がっかりですよね。せっかく行くのなら雪質の良いスキー場に行きたいし。首都圏から行けるところってなると、どのあたりでしょうか。群馬県が意外といいって聞いたけど。っていう貴方にお伝えします。

スキー場で雪質の良いところって首都圏からだと?

雪質が良いスキー場って言っても、パウダースノーのことなのか、それとも、歩くとキュキュって音がする雪なのかによって若干違ってきますよね。

それに時期にもよるし。基本的にいわゆる「雪がいい」っていうのは、1月ですよね。12月の後半でもいいけど、去年や今年みたいに雪が遅いとそもそもスキー場がオープンしてないし。

寒いのは2月っていうイメージですが、やはり厳冬期ってことになると、1月の大寒から立春まで。ですから、寒冷地のこちらでも、2月に入ると少しずつ寒さの厳しが和らいできます。

ってこともあって、1月に滑りに行くのか3月に滑りに行くのかで、同じスキー場でも違ってきますが、まあ、1月とか2月に滑りに行く場合に、雪質がいいってところですよね。

もちろん北海道まで行けば、ホント雪が違いますね。根雪になっているところから違うから、その上に雪が積もっても、いわゆる「エッジが噛む」っていうところばかりで、北海道で滑ると他のところに行く気がしないっていうもの分かります。

が、まあ、首都圏から日帰りなり1泊2日なりで行く場合に、雪質がいいってどこ?って聞かれたので、今回は首都圏近郊で考えてみましょう。

で、滑りに行く時期について書きましたが、もう一つ基本的なこととして、内陸側の方が雪質が良いっていうのがあります。

というのも、例えば新潟って豪雪のところが多いですよね。でも、海に近いっていうか、海に面している県ですからね。そうすると、雪自体は多いんですけど、水分の多い雪だから、ベチャってしているんです。

これが内陸になると、だいたい周りに山がありますよね。ですから、その水分の多い雪が山に当たって、そこで乾いた雪になるので、山を越えてやって来る雪雲による降雪があるところは、サラサラの雪。いわゆるパウダースノーになるって訳です。

そういう意味では、谷川岳に雪雲が当たって水分の少なくなる雪になる群馬県の沼田エリアとかが雪質いいです。湯沢だとイマイチなのに、逆に首都圏に近い方が雪質がいいっていうのも皮肉なものですね。

同じように長野県も海なし県だから、雪質が良さそうですよね。確かに雪質が良いところもあります。

が、例えば白馬なんかは、実は日本海まで50キロって標識出ていて、長野県と言ってもかなり上の方。あっ、上って地図上での話。いわゆる北ということ。

ですから、沼田で滑っている人が白馬に行くと、結構雪質が悪いっていいます。ただし、長野県って縦に長い県ですからね。いわゆる中信とか南信でも北よりの地域だと、雪質は最高です。

志賀高原も標高が高いから雪質は悪くないけど、結構北信っていうか、海が遠くないから、雪が良い雪が良いって聞いてる割には、アレ?っていうカンジもあります。

やはり内陸に行かないとね。とは言っても、内陸でも雪自体が少ないところっていうのもあります。

そういうところだと、今度は寒いんだけど雪が降らない、たまには降るけど、それが凍るから、アイスバーンになる。ってことで、内陸でも降雪自体が少ないところは、これまた雪質はよくないんですね。

ってことで、中々難しいところですが、上に書いたようなことを満たす沼田エリアについて具体的なスキー場を紹介しますね。

スキー場で雪質の良いところは群馬では?

ってことで、首都圏から手軽に行けて、雪質がいいのが群馬県の沼田エリア。高速が混んでなければ、沼田インターまで約2時間。インター降りて、30分から1時間で到着するゲレンデばかりです。

じゃあ、実際どこのスキー場がいいの?ってことなると、そりゃーもうなんたって丸沼高原スキー場ですな。

っていうのも、標高が違います。ベースで1500メートルありますからねえ。ゲレンデトップは2000メートルです。

ってことで、沼田エリアでは一番早くオープンするし、クローズも一番遅いです。沼田インターからは一番遠いし、奥だからちょっと敬遠する人も多かったけど、今は椎坂峠の下がトンネルになりましたからね。

クネクネ道も走らなくていいし。時間も短縮されました。雪質に拘るなら丸沼高原スキー場ですな。

隣と言うか、沼田エリアの奥には尾瀬戸倉スノーパークっていうのもあって、特にボーダーに人気のスキー場です。

ここも沼田エリアだから雪質はいいんですが、この尾瀬戸倉スノーパークのゲレンデトップと、丸沼高原のベースが一緒ぐらいの標高。

ってことは、どんだけ丸沼の方が雪質がいいか想像できますよね。丸沼高原の広告にも、「北海道並みのパウダースノー」って言う表現がありますが、決して誇大広告じゃなくて、行ってみると実感できると思いますよ。

他にも尾瀬戸倉じゃないけど、沼田エリアにはたくさんスキー場があるから、いろいろと滑り比べてもいいんじゃないでしょうか。

特に関越道で湯沢まで行って滑ったことがある人は、一度沼田エリアで滑るとわざわざ渋滞するのに湯沢に行く気にはなれなくなると思いますけどね。

そうそう、沼田エリアっていうと、ほとんどはその丸沼とか尾瀬戸倉方面に向かって120号線を走って行くのですが、一つだけインター出たら逆方向に行くスキー場があります。

その名も「たんばらスキーパーク」っていうんですけど、ここもなぜか雪質はいいですね。

ファミリースキー場のイメージが高いから、ファミリーとかカップルに人気ですが、雪質と言う意味では、丸沼とほぼ同じぐらいと実感しています。

東急グループが運営していることもあって、レストハウスとかも綺麗ですから、小さいお子さんがいるファミリーとか、カップルで、ラブラブスノボっていう場合はたんばらの方がいいかもしれません。

あと、北向き斜面ってことで、川場スキー場も雪質と言う面では丸沼やたんばらに引けを取りません。

が、川場は風が強いんです。私の様に世間からの風当たりが強いっていう人じゃなくても風が強いから、よくリフトが止まるんですね。

そこだけ注意です。それが気にならない人は、結構川場スキー場のリピーターになっている人も多いから、一度は行ってみてください。


スキー場で雪質の良いところの宿泊は?

そんな訳で、スノボ・スキーオタクの人なら、ああ沼田エリアね。近いけど雪質がいいから、雪質に拘る人はいいんじゃないの?って言われると思います。

じゃあ、今シーズンは泊りで行っちゃおっていう人から、スキー場に近いホテルとか知りたいって言われてしまいました。

丸沼高原スキー場だと、スキー場内にあるシャレ−丸沼が便利ですね。

シャレー丸沼
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/70695/70695.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


たんばらスキーパークだと、ペンション村が隣にあるから、よりどりみどりです。ペンション バン・デ・ルージュ なんかはスキー場の真ん前ですけどね。


たんばら高原 料理とワインが自慢の宿 ペンション バン・デ・ルージュ
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/70695/70695.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


川場スキー場は、基本的に周りにはなんにもなくて、結構下ってこないといけないのですが、そうすると川場温泉ってことで、和風の民宿とかはたくさんありますよ。ホテルSLはSLが敷地内を走っているし、そもそも料理がおいしくて有名。もちろん温泉です。


ホテル田園プラザ(旧:ホテルSL)
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/137976/137976.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


yorezoの戯言

スノボを初めて2〜3年は、私も雪質に拘っていて、3月過ぎたら滑りに行かなかったし、ずっと沼田で滑っていて、初めて白馬行ったときは、白馬って言っても意外と雪は良くないなあと思ったりしていました。

が、その白馬で出会った師匠が、『楽しく滑るには、どんな雪質やどんなバーンでも滑れるようになることが必要ですよ』と言われ、春のざぶざぶ雪とか、カチンコチンのアイスバーンとかのゲレンデにも行くようになったから、今は雪質っていうのは拘らくなりましたけどね。

はいはい、拘らないんじゃなくて、そもそも休憩の合間の滑走ですからね。「今日はちょっと硬いねえ」とか、「ザブンザブンだとこけても痛くないねえ。人生もこういうのだったらいいのにな」とかしか言ってませんでした。失礼、失礼。

ってことで、雪質がいいのにこしたことはないけど、いろんな雪質で滑れるようになると、シーズンもながーくなりますからね。では、良い雪質を。
http://yorezo.xyz/3649.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/931.html#c3

[リバイバル3] 群馬県 たんばらスキーパーク 中川隆
3. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月26日 20:26:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]

スキー場で雪質の良いところって首都圏から行けるところは群馬?2017/02/19
http://yorezo.xyz/3649.html


スキーやスノボで滑りに行っても、カチンコチンのアイスバーンだったり、ザラメ雪だったりすると、がっかりですよね。せっかく行くのなら雪質の良いスキー場に行きたいし。首都圏から行けるところってなると、どのあたりでしょうか。群馬県が意外といいって聞いたけど。っていう貴方にお伝えします。

スキー場で雪質の良いところって首都圏からだと?

雪質が良いスキー場って言っても、パウダースノーのことなのか、それとも、歩くとキュキュって音がする雪なのかによって若干違ってきますよね。

それに時期にもよるし。基本的にいわゆる「雪がいい」っていうのは、1月ですよね。12月の後半でもいいけど、去年や今年みたいに雪が遅いとそもそもスキー場がオープンしてないし。

寒いのは2月っていうイメージですが、やはり厳冬期ってことになると、1月の大寒から立春まで。ですから、寒冷地のこちらでも、2月に入ると少しずつ寒さの厳しが和らいできます。

ってこともあって、1月に滑りに行くのか3月に滑りに行くのかで、同じスキー場でも違ってきますが、まあ、1月とか2月に滑りに行く場合に、雪質がいいってところですよね。

もちろん北海道まで行けば、ホント雪が違いますね。根雪になっているところから違うから、その上に雪が積もっても、いわゆる「エッジが噛む」っていうところばかりで、北海道で滑ると他のところに行く気がしないっていうもの分かります。

が、まあ、首都圏から日帰りなり1泊2日なりで行く場合に、雪質がいいってどこ?って聞かれたので、今回は首都圏近郊で考えてみましょう。

で、滑りに行く時期について書きましたが、もう一つ基本的なこととして、内陸側の方が雪質が良いっていうのがあります。

というのも、例えば新潟って豪雪のところが多いですよね。でも、海に近いっていうか、海に面している県ですからね。そうすると、雪自体は多いんですけど、水分の多い雪だから、ベチャってしているんです。

これが内陸になると、だいたい周りに山がありますよね。ですから、その水分の多い雪が山に当たって、そこで乾いた雪になるので、山を越えてやって来る雪雲による降雪があるところは、サラサラの雪。いわゆるパウダースノーになるって訳です。

そういう意味では、谷川岳に雪雲が当たって水分の少なくなる雪になる群馬県の沼田エリアとかが雪質いいです。湯沢だとイマイチなのに、逆に首都圏に近い方が雪質がいいっていうのも皮肉なものですね。

同じように長野県も海なし県だから、雪質が良さそうですよね。確かに雪質が良いところもあります。

が、例えば白馬なんかは、実は日本海まで50キロって標識出ていて、長野県と言ってもかなり上の方。あっ、上って地図上での話。いわゆる北ということ。

ですから、沼田で滑っている人が白馬に行くと、結構雪質が悪いっていいます。ただし、長野県って縦に長い県ですからね。いわゆる中信とか南信でも北よりの地域だと、雪質は最高です。

志賀高原も標高が高いから雪質は悪くないけど、結構北信っていうか、海が遠くないから、雪が良い雪が良いって聞いてる割には、アレ?っていうカンジもあります。

やはり内陸に行かないとね。とは言っても、内陸でも雪自体が少ないところっていうのもあります。

そういうところだと、今度は寒いんだけど雪が降らない、たまには降るけど、それが凍るから、アイスバーンになる。ってことで、内陸でも降雪自体が少ないところは、これまた雪質はよくないんですね。

ってことで、中々難しいところですが、上に書いたようなことを満たす沼田エリアについて具体的なスキー場を紹介しますね。

スキー場で雪質の良いところは群馬では?

ってことで、首都圏から手軽に行けて、雪質がいいのが群馬県の沼田エリア。高速が混んでなければ、沼田インターまで約2時間。インター降りて、30分から1時間で到着するゲレンデばかりです。

じゃあ、実際どこのスキー場がいいの?ってことなると、そりゃーもうなんたって丸沼高原スキー場ですな。

っていうのも、標高が違います。ベースで1500メートルありますからねえ。ゲレンデトップは2000メートルです。

ってことで、沼田エリアでは一番早くオープンするし、クローズも一番遅いです。沼田インターからは一番遠いし、奥だからちょっと敬遠する人も多かったけど、今は椎坂峠の下がトンネルになりましたからね。

クネクネ道も走らなくていいし。時間も短縮されました。雪質に拘るなら丸沼高原スキー場ですな。

隣と言うか、沼田エリアの奥には尾瀬戸倉スノーパークっていうのもあって、特にボーダーに人気のスキー場です。

ここも沼田エリアだから雪質はいいんですが、この尾瀬戸倉スノーパークのゲレンデトップと、丸沼高原のベースが一緒ぐらいの標高。

ってことは、どんだけ丸沼の方が雪質がいいか想像できますよね。丸沼高原の広告にも、「北海道並みのパウダースノー」って言う表現がありますが、決して誇大広告じゃなくて、行ってみると実感できると思いますよ。

他にも尾瀬戸倉じゃないけど、沼田エリアにはたくさんスキー場があるから、いろいろと滑り比べてもいいんじゃないでしょうか。

特に関越道で湯沢まで行って滑ったことがある人は、一度沼田エリアで滑るとわざわざ渋滞するのに湯沢に行く気にはなれなくなると思いますけどね。

そうそう、沼田エリアっていうと、ほとんどはその丸沼とか尾瀬戸倉方面に向かって120号線を走って行くのですが、一つだけインター出たら逆方向に行くスキー場があります。

その名も「たんばらスキーパーク」っていうんですけど、ここもなぜか雪質はいいですね。

ファミリースキー場のイメージが高いから、ファミリーとかカップルに人気ですが、雪質と言う意味では、丸沼とほぼ同じぐらいと実感しています。

東急グループが運営していることもあって、レストハウスとかも綺麗ですから、小さいお子さんがいるファミリーとか、カップルで、ラブラブスノボっていう場合はたんばらの方がいいかもしれません。

あと、北向き斜面ってことで、川場スキー場も雪質と言う面では丸沼やたんばらに引けを取りません。

が、川場は風が強いんです。私の様に世間からの風当たりが強いっていう人じゃなくても風が強いから、よくリフトが止まるんですね。

そこだけ注意です。それが気にならない人は、結構川場スキー場のリピーターになっている人も多いから、一度は行ってみてください。


スキー場で雪質の良いところの宿泊は?

そんな訳で、スノボ・スキーオタクの人なら、ああ沼田エリアね。近いけど雪質がいいから、雪質に拘る人はいいんじゃないの?って言われると思います。

じゃあ、今シーズンは泊りで行っちゃおっていう人から、スキー場に近いホテルとか知りたいって言われてしまいました。

丸沼高原スキー場だと、スキー場内にあるシャレ−丸沼が便利ですね。

シャレー丸沼
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/70695/70695.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


たんばらスキーパークだと、ペンション村が隣にあるから、よりどりみどりです。ペンション バン・デ・ルージュ なんかはスキー場の真ん前ですけどね。


たんばら高原 料理とワインが自慢の宿 ペンション バン・デ・ルージュ
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/70695/70695.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


川場スキー場は、基本的に周りにはなんにもなくて、結構下ってこないといけないのですが、そうすると川場温泉ってことで、和風の民宿とかはたくさんありますよ。ホテルSLはSLが敷地内を走っているし、そもそも料理がおいしくて有名。もちろん温泉です。


ホテル田園プラザ(旧:ホテルSL)
https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/137976/137976.html?cid=tr_af_1632&scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


yorezoの戯言

スノボを初めて2〜3年は、私も雪質に拘っていて、3月過ぎたら滑りに行かなかったし、ずっと沼田で滑っていて、初めて白馬行ったときは、白馬って言っても意外と雪は良くないなあと思ったりしていました。

が、その白馬で出会った師匠が、『楽しく滑るには、どんな雪質やどんなバーンでも滑れるようになることが必要ですよ』と言われ、春のざぶざぶ雪とか、カチンコチンのアイスバーンとかのゲレンデにも行くようになったから、今は雪質っていうのは拘らくなりましたけどね。

はいはい、拘らないんじゃなくて、そもそも休憩の合間の滑走ですからね。「今日はちょっと硬いねえ」とか、「ザブンザブンだとこけても痛くないねえ。人生もこういうのだったらいいのにな」とかしか言ってませんでした。失礼、失礼。

ってことで、雪質がいいのにこしたことはないけど、いろんな雪質で滑れるようになると、シーズンもながーくなりますからね。では、良い雪質を。
http://yorezo.xyz/3649.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/930.html#c3

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
81. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月26日 20:57:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]
■肉もごはんもお酒も危ない

 タバコが体に悪いというのはおそらく本当のことなのだろう。しかし、それを言うなら、お酒も、肉も白米も健康リスクを高めるというきちんとした医学的根拠がある。

 【お酒】

 英国のがん研究所は、アルコールとの関係が特に指摘されているがんの種類として、口腔がん、咽頭がん、食道がん、乳がん、肝臓がん、大腸がんを挙げている。そのリスクは、ワインやビール、蒸留酒などアルコールの種類とは無関係で、飲む量についても「がんに関しては安全な飲酒量などない」と断言している。(ニューズウィーク日本版18年1月9日)

 【白米・肉】

 ・白米には、糖尿病のリスクと正の相関関係がある。つまり、糖尿病になる危険が増す。
・加工肉の摂取量が1日あたり50グラム増えると脳卒中のリスクが13%増加する。赤い肉の場合は、1日あたり100〜120グラム増えるごとに脳卒中のリスクが11%上がる。
(津川大介著『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』より)

 飲酒が怖いのは、本人が傷つくだけではない。飲酒運転の死亡事故率は飲酒なしの8.4倍にも達している。飲酒は他人の生命を奪うこともある。また、酩酊により攻撃性が増し、暴力事件に直結するケースも。

 刑事処分を受けるほどのDV事件で、加害者の約7割が犯行時に飲酒していたというデータもある。受動喫煙の被害は、喫煙者を避けていればある程度防げるが、飲酒運転の車や、酒を飲んで暴れる人を予測して避けるのは不可能だ。

 厚生労働省は、健康被害が出ておらず、においもない加熱式タバコの使用場所についても「たばこの健康影響評価専門委員会」で規制を強めている。加熱式タバコ規制賛成派の委員を総数の8割も選んで、無理やり議論の方向性をコントロールしているのだ。どう考えてもタバコばかりは、不公平であろう。

 9月下旬、世界保健機関(WHO)は、16年にアルコール依存症など飲酒による健康障害に苦しんでいる成人(15歳以上)が推計2億8300万人に上ったという報告書を発表した。WHOは、タバコ規制の次にアルコール規制に狙いを定めて世界戦略を進めている。世界中の大手酒造メーカーが連携して反対活動を展開しているものの、世界的な潮流は飲酒規制に向かっている。

 日本国内では、厚労省が、アルコールの飲みすぎによる社会的損失は年間4兆円以上に達するという研究データを公表済みだ。こちらは08年の数値を基にしているので多少古いのだが、肝臓病やがんなど飲みすぎによる病気やけがの治療に約1兆円、病気や死亡による労働や雇用面での損失が約3兆円だという。

 厚労省はまた、タバコの社会的損失についても推計を発表しているが、喫煙と関連するとみられる病気の治療費や、タバコが原因で起きる住宅や山林の火災なども含めて年間約2兆円で、飲酒による損失の約半分だ。タバコが許せないという人が一定数いるのは事実だろうが、社会的損失は、お酒のほうが大きいのである。居酒屋を利用していて、タバコを規制せよなどという人は、はっきり言って、無知なのか、論理破綻を起こしているのかの、どちらかなのである。私が、禁煙運動家を禁煙ファシストと呼ぶ理由もここにある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181126-00026656-president-soci&p=1
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c81

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
280. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月26日 20:57:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21151]
■肉もごはんもお酒も危ない

 タバコが体に悪いというのはおそらく本当のことなのだろう。しかし、それを言うなら、お酒も、肉も白米も健康リスクを高めるというきちんとした医学的根拠がある。

 【お酒】

 英国のがん研究所は、アルコールとの関係が特に指摘されているがんの種類として、口腔がん、咽頭がん、食道がん、乳がん、肝臓がん、大腸がんを挙げている。そのリスクは、ワインやビール、蒸留酒などアルコールの種類とは無関係で、飲む量についても「がんに関しては安全な飲酒量などない」と断言している。(ニューズウィーク日本版18年1月9日)

 【白米・肉】

 ・白米には、糖尿病のリスクと正の相関関係がある。つまり、糖尿病になる危険が増す。
・加工肉の摂取量が1日あたり50グラム増えると脳卒中のリスクが13%増加する。赤い肉の場合は、1日あたり100〜120グラム増えるごとに脳卒中のリスクが11%上がる。
(津川大介著『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』より)

 飲酒が怖いのは、本人が傷つくだけではない。飲酒運転の死亡事故率は飲酒なしの8.4倍にも達している。飲酒は他人の生命を奪うこともある。また、酩酊により攻撃性が増し、暴力事件に直結するケースも。

 刑事処分を受けるほどのDV事件で、加害者の約7割が犯行時に飲酒していたというデータもある。受動喫煙の被害は、喫煙者を避けていればある程度防げるが、飲酒運転の車や、酒を飲んで暴れる人を予測して避けるのは不可能だ。

 厚生労働省は、健康被害が出ておらず、においもない加熱式タバコの使用場所についても「たばこの健康影響評価専門委員会」で規制を強めている。加熱式タバコ規制賛成派の委員を総数の8割も選んで、無理やり議論の方向性をコントロールしているのだ。どう考えてもタバコばかりは、不公平であろう。

 9月下旬、世界保健機関(WHO)は、16年にアルコール依存症など飲酒による健康障害に苦しんでいる成人(15歳以上)が推計2億8300万人に上ったという報告書を発表した。WHOは、タバコ規制の次にアルコール規制に狙いを定めて世界戦略を進めている。世界中の大手酒造メーカーが連携して反対活動を展開しているものの、世界的な潮流は飲酒規制に向かっている。

 日本国内では、厚労省が、アルコールの飲みすぎによる社会的損失は年間4兆円以上に達するという研究データを公表済みだ。こちらは08年の数値を基にしているので多少古いのだが、肝臓病やがんなど飲みすぎによる病気やけがの治療に約1兆円、病気や死亡による労働や雇用面での損失が約3兆円だという。

 厚労省はまた、タバコの社会的損失についても推計を発表しているが、喫煙と関連するとみられる病気の治療費や、タバコが原因で起きる住宅や山林の火災なども含めて年間約2兆円で、飲酒による損失の約半分だ。タバコが許せないという人が一定数いるのは事実だろうが、社会的損失は、お酒のほうが大きいのである。居酒屋を利用していて、タバコを規制せよなどという人は、はっきり言って、無知なのか、論理破綻を起こしているのかの、どちらかなのである。私が、禁煙運動家を禁煙ファシストと呼ぶ理由もここにある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181126-00026656-president-soci&p=1
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c280

[昼休み54] アングロサクソンは悪い 中川隆
60. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月26日 21:00:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
石油支配を巡るイエメン人大虐殺
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-4c5b.html
2018年11月26日 マスコミに載らない海外記事


2018年11月20日
F・ウィリアム・イングドール

 2015年に始まったイエメン共和国で継続中の戦争、事実上の大虐殺の最も激しい段階は、ごく最近まで欧米主流のメディアに、ほとんど無視されてきた。スンニ派のワッハーブ主義サウジアラビアにより、表向き、シーア派信徒フーシ派に対する、アメリカに後援されたサウジアラビアの戦争の基本的な戦争原因も同様に無視されてきた。一世紀以上前に、ペルシャ湾でイギリスが最初に豊富な石油発見して以来、ほとんどあらゆる戦争と不安定化と同様、イエメン戦争は、まさに石油、実にたくさんの石油の支配が狙いだ。

 イエメンは、スエズ運河とインド洋を経由し、地中海につながる紅海のきわめて重要な連結点で、戦略上重要な地政学地域だ。そこにあるアフリカの角のジブチから、わずか29キロの距離にある世界で最も戦略的な石油輸送難所の一つ、バブ・エル・マンデブ海峡という狭い航路が、アメリカ・エネルギー省の石油輸送難所の一つになっている。アメリカ・エネルギー省によれば、中国向け石油を含め、両方向に毎日推計470万バレルの石油が、バブ・エル・マンデブ海峡を通過している。

 2015年3月、一般的にフセイン・バドルッディーン・フーシにちなむ名で知られているイスラム教ザイード派集団フーシ派との間で、新しい内戦がイエメンで始まった。ザイード派は、サウジアラビアのワッハーブ主義にとって受け入れがたい、女性の平等を好む伝統的に穏健なグループだ。ザイード派は1962年まで、1,000年以上イエメンを支配していた。

 フーシ派運動は、2011年末、大いに腐敗したアリ・アブドラ・サレハ・イエメン大統領追放を強いた。サレハの副大統領アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが彼の後任となった。当時サレハ、ハーディ両人ともサウジアラビアの影響力を受けた代理大統領だった。

 彼の代表権限権の期限が切れた後、ハーディーが退任を拒否して、事態は変わり始めた。燃料価格への助成金を削減するという彼の決定と、合意した改革の拒否で、2015年早くにフーシ派の動きにより、彼は逮捕されるに至った。2015年3月25日、彼はサウジアラビアへの亡命に成功し、同日、ムハンマド・ビン・サルマーン防衛大臣がイエメンとフーシ派に対して現在も継続中の爆撃戦争の開始を命令した。

 2015年の終わりまでに、ビン・サルマン王子と、彼の連合は、奇妙な名前の決定的な嵐作戦(デザート・ストームを思い出す)で、イエメン一般市民に残虐行為を与えていた。サウジアラビアが率いる6カ月の容赦ない爆撃で、国連はイエメンを最もレベルが高い「レベル3」の緊急事態だと宣言した。爆撃が重要な民生インフラを破壊し、医療施設とサウジアラビアは国際法に違反し、推定2000万人のイエメン人が緊急に必要とした食物や水や医療の支援物資を封鎖した。約2,500,000人のイエメン人が家を追われた。飢饉とコレラは蔓延している。 要するに、大量虐殺だ。

チェイニーの石油戦争

 サウジアラビア率いる湾岸諸国連合により進行中のイエメン戦争の根源は、2001年9月11日の余波とブッシュ-チェイニー政権の、いわゆる対テロ戦争公表でまでさかのぼる。

 2003年のイラク侵略は石油が狙いだった。ポール・ウォルフォウィッツを含め、当時数人のアメリカ当局者がこう認めていた。1998年「石油があるところに行かねばならない。私はあまりそれ[政治的不安定さ]については考えない」とチェイニーは、まだ世界最大の石油サービス企業ハリバートンCEOだった頃、テキサス石油関係業者の会合で述べた。良く知られているようにウェスリー・クラーク大将が数年後にそれを報告した通り、「5年で7つの国を破壊する」ドナルド・ラムズフェルド国防長官のアメリカ軍事行動を、ブッシュ・ジュニアの副大統領として、チェイニーが設計したあらゆる形跡がある。それらの7カ国全てが、中国、EU、そして世界経済にとって、中東石油の巨大な流れの支配に戦略的なものだ。

 2004年、チェイニー-ブッシュが当時のサレハ大統領を支援するためイエメンにまで「対テロ戦争」を広げた当時、サウジアラビアによるイエメン支配は疑う余地がなかった。サレハが、ザイド派宗教指導者フセイン・バドルッディーン・フーシを逮捕しようとした後に始まったフーシ派少数派による蜂起に反対して、アメリカとイギリスの軍隊はサレハを支持した。

 2015年までに、アメリカ代理戦争は変化し、国防総省とオバマ政権はイエメンに対するサウジアラビアの全面的な壊滅的軍事攻撃を密かに支持した。

 イエメンに対するアメリカあるいはサウジアラビアの興味は何だろう? 石油支配は短期的な答えだが、多分いつもの意味でではあるまい。

 2005年11月、イエメン共和国はアメリカのハント石油会社とエクソンモービルから、その石油堆積盆地マリブ-ジャウフ・ブロックを没収した。それは決定的大変革をもたらすものではなく、いらだちの種だった。戦争が新しい形態をとったのは、2014年、サウジアラビアに支援されるハーディ大統領に反対するフーシ派反乱が勝利した時だ。2015年3月までに、サヌアとイエメン政府を占領し、アデンへ進軍した際、フーシ派に率いられた最高革命委員会は、ハディを打ち倒すための総動員を宣言した。

未発見資源の可能性

 イエメン、特に特に、今フーシ派の支配下にある地域を、誰が掌握しているかについて、二つの戦略上の側面がある。一つは、上述のアフリカの角、バブ・エル・マンデブ海峡を通過する石油の流れの地政学的支配だ。もう一つは、イエメン自身の主に未開発石油資源の支配だ。

 2002年、米国地質調査局(USGS)による公開報告が「周知の埋蔵量に、未発見の可能性を加えると、マドビ・アムラン / キシン広域石油システム全体の石油埋蔵量は、石油資源の可能性として、イエメンは、アメリカを除くと51番目となる9.8(10億バーレル原油換算BBOEに増える」と結論した。

 100億バレルの原油は、2660億バレルの石油埋蔵量があるサウジアラビアと比較して莫大には思われないかもしれない。だがここで、1988年CIA報告が興味深い。大幅に編集されて、機密指定から外された報告書「南イエメンの石油資源:富のキメラ」には、イエメンとサウジアラビア間の帰属問題で係争中の広い境界における石油埋蔵の可能性について、謎のようなメモがある。冷戦時代、CIAは北イエメンと南イエメンとの間で帰属問題で係争中の境界中立地帯だったところに沿った石油とガス埋蔵を指摘している。

 テキサスのハント石油会社は1982年からアリフ油田におり、1984年そこで石油を発見した。アリフ油田はサウジアラビアとイエメンの間の不確定境界近く、フーシ派により管轄されるイエメン北部にある。ほぼ20年前、筆者はピーク・オイルと石油地政学の考えについて話し合うため、アメリカ政府と関係する人物とインタビューする機会があった。当時、話し合っていた人物は、サウジアラビアとイエメンの間の不確定な不毛の地には、公開されないアメリカ空撮影像と地球物理調査によれば、サウジアラビアを超える石油埋蔵の可能性があること自発的に語ってくれた。

 その陳述が正確だったかどうか独自に確認するのは不可能だ。明確なのは、イエメンとソマリアを含め、ペルシャ湾と紅海に囲まれた地域が、我々の惑星で、炭化水素発見の必要条件である、最も構造学的に活動的な地域の一つであることだ。イエメンにおける莫大な石油とガス埋蔵の存在は、フーシ派からイエメン支配を奪還するサウジアラビアの残忍な取り組みを国防総省がなぜ積極的に支持したかについて多くを説明するだろう。

 それは、いかなる、ワッハーブ主義スンニ派とシーア派信徒の対立にも、ほとんど関係がない。むしろ、それは世界エネルギーの戦略的支配に関係があるのだ。サレハかハーディかにかかわらず、サナアがサウジアラビアの代理人に支配されている限り、それはワシントンにとって、第二の優先事項だった。たとえイエメン政府がアメリカ会社石油不動産を没収していたとしても、石油は「安全だった」。 決然と独立したフーシ派ザイド派勢力が、イエメン、あるいは主要部分を支配した途端、熱心なサウジアラビアの新皇太子ムハンマド・ビン・サルマン防衛大臣に戦争を開始する正式許可を与えるのに十分なほど脅迫が重大になった。フーシ派が支配するイエメンが、ロシアあるいは中国石油会社の子分になり、本格的な潜在埋蔵探査が始まる可能性があったのだ。これにフーシ派がイランとも友好関係にあるという事実と相まって、オバマ政権内で赤信号が点灯したのは明らかだ。

 サウジアラビア率いる「自由を愛する」スンニ派軍隊に対するイラン率いる「帝国主義者」の戦争だとサルマンが主張したのは驚くべきことではない。今、中国がイエメン真向かいのジブチで、アフリカ最大のアメリカ恒久軍事基地ルモニエの隣に最初の海外軍事基地を保有している。前の植民地宗主国フランスも同様にそこにいる。イエメンには、我々が聞かされているより遥かに多くの問題があるのだ。

 F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師で、プリンストン大学の学位を持っており、石油と地政学に関するベストセラー本の著書。オンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/109.html#c60

[昼休み54] 日本を植民地化する為の「日米地位協定」 中川隆
3. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月26日 21:03:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
 



日本を守らず日本を利用するだけの米国
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-c41e.html
2018年11月26日 植草一秀の『知られざる真実』

衝撃的な著書を次々に放たれている矢部宏治氏が新著

『知ってはいけない2』(講談社現代新書)
https://amzn.to/2DV75OU

を出版された。矢部氏の前作

『知ってはいけない−隠された日本支配の構造−』
(講談社現代新書)
https://goo.gl/2ReERP

について、昨年12月31日付けブログ記事

「2018年読み初めにお勧めの三名著」
https://bit.ly/2Qgdt8V

に、次のように紹介させていただいた。

「日本は米国の隷属国である。単なる観念論ではなく、驚くべき事実がこのことを明らかにする。米国はいかなる根拠を用いて日本を支配しているのか。矢部宏治氏が明らかにする「知られざる真実」に驚愕しない主権者は存在しないはずだ。」

日本のメディアは、尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲にあることを米国高官が認めるたびに大ニュースとして扱うが、まったく無意味な行動である。

日米安保条約第5条の条文は以下のものである。

第5条 各締約国は日本国の施政のもとにある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する

日米安保条約はこの条約の適用範囲について、

「日本国の施政のもとにある領域」

としている。

尖閣諸島は沖縄返還の際に、「施政権」が日本に引き渡された。

したがって、尖閣諸島は「日本国の施政のもとにある領域」である。

したがって、米国の高官が何も言わなくても、尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲なのである。

それにもかかわらず、日本のメディアは、「米国高官が、尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲であることを認めた」と騒ぎ立てる。

2014年4月にオバマ大統領が訪日したときも、日本のメディア、とりわけ読売新聞が大々的にこのことを取り上げた。

日米首脳会談の成果が何もなかったから、演出としてこのことを大ニュースにしたのだと思われる。

しかし、尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲であることは、過去に何度も確認されているのだ。

重要なことは、尖閣諸島の領有権について米国がどのような立場を取ってきたのかということ、そして、尖閣有事の際に、米国がどのような行動を取ることを義務づけられているかなのである。

この点について、モンデール駐日大使が重要な発言を示している。

1996年9月15日付のニューヨークタイムズ紙がモンデール駐日大使の言葉を報じている。

モンデール大使は、

「米国は尖閣諸島の領有問題に、いずれの側にもつかない」、

「米軍は日米安保条約によって介入を強制されるものではない」

と発言しているのだ。

また、2004年3月24日に、エレリ国務省副報道官は、

「尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場を取らない」

と述べ、オバマ大統領も、2014年訪日に際しての共同記者会見で尖閣領有権問題について、領有権問題については日本側にも中国側にもつかないことを明言している。

日本が主張している尖閣諸島の領有権について、米国は、日本側にも中国側にもついていないのだ。

そして、尖閣有事の際に米軍の介入は強制されないことを明言しているのだ。

安保条約の第5条をよく見れば、尖閣有事に際して、米国が具体的に何をしなければならないのかはまったく不明なのだ。

「確定約国は、(中略)、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

としか書かれていない。

現実の日米同盟とは、米国が日本に「核の傘を提供する」代わりに、

日本が「国土の軍事利用権」と「自国軍隊(自衛隊)の指揮権」を米国に献上し、さらに、「巨額の兵器購入」費を米国の命令に従って上納すること、でしかない。

矢部氏は、日米密約の存在を明らかにした上で、日米行政協定第24条が、日米安保条約の第4条と第5条の二つの条文によって再現され、実体上は旧安保条約と新安保条約は同一の効力を持つものであることを明らかにしている。

矢部氏は、日本が現行法体系の下で軍事主権を奪われていることを明らかにしているのだ。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/268.html#c3

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
20. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月27日 08:55:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]

ゴーン前会長の投資損17億円、日産に転嫁か 銀行容認
11/27(火) 5:04配信 朝日新聞デジタル


 役員報酬を有価証券報告書に約50億円分少なく記載した疑いで逮捕された日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が2008年、私的な投資で生じた約17億円の損失を日産に付け替えていた疑いがあることがわかった。証券取引等監視委員会もこの取引を把握し、会社法違反(特別背任)などにあたる可能性があると、関係した銀行に指摘していたという。東京地検特捜部も同様の情報を把握している模様だ。

【独占写真】ゴーン容疑者への捜査、羽田で動いた。動画も公開中

 複数の関係者によると、ゴーン前会長は日産社長だった06年ごろ、自分の資産管理会社と銀行の間で、通貨のデリバティブ(金融派生商品)取引を契約した。ところが08年秋のリーマン・ショックによる急激な円高で多額の損失が発生。担保として銀行に入れていた債券の時価も下落し、担保不足となったという。

 銀行側はゴーン前会長に担保を追加するよう求めたが、ゴーン前会長は担保を追加しない代わりに、損失を含む全ての権利を日産に移すことを提案。銀行側が了承し、約17億円の損失を事実上、日産に肩代わりさせたという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00000007-asahi-soci
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c20

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
21. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月27日 08:59:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
ゴーンの仰天ドケチ実態…ペットボトルの水まで会社持ち(日刊ゲンダイ) 
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/625.html
2018/11/26 日刊ゲンダイ


ゴーン容疑者の使用していた(左上から時計回りに)パリ、アムステルダム、ブラジルのリオデジャネイロ、ベイルートの各住宅/(C)共同通信社

 日産自動車会長だったカルロス・ゴーン容疑者の驚くべきケチケチぶりが、次々と明らかになっている。

 日産がオランダに設立した子会社を通じて、海外で豪邸を無償提供させていた問題。これまで明らかになっていたブラジルのリオデジャネイロ、レバノン・ベイルート、フランス・パリ、オランダ・アムステルダムの4カ所以外に、日産が家賃を負担していた高級住宅が東京都内と米ニューヨークにもあることが発覚した。

 都内のマンションの家賃は月額100万円以上もするという。

 家族がらみの私的流用では、問題のリオの高級マンションに住むゴーン容疑者の姉にアドバイザリー契約料として年間10万ドルを送金させていたほかに、娘が通う海外の大学への寄付金や家族旅行の費用まで会社に負担させていた疑いも。東京地検特捜部は、これらの送金について関係した社員から任意で事情を聴いているもようだ。

 26日の毎日新聞は「ゴーン容疑者は自分ではビタ一文払わなかった。外出先でのどが渇いた時は、部下に会社の経費でペットボトルを買わせていた」という日産関係者の声を紹介している。

 レバノンには「あなたが持っているカネはあなたの奴隷だが、あなたはあなたが持っていないカネの奴隷」ということわざがある。

 ブラジル生まれのレバノン人のゴーン容疑者は知らなかったようだ。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c21

[国際24] 軍拡急ぐ中国、3隻目の空母「建造中」と堂々PR!   赤かぶ
1. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:03:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう


http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/626.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 入管法改正案 与党はあす採決めざすも野党は猛反発(外国人奴隷でアベノミックス?) 戦争とはこういう物
1. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:05:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
中国人移民を入れると日本人は絶滅する

1. 沖縄や北海道で中国系住民が過半数になったら独立宣言して中国小日本省になる
2. 中国軍が自国民保護という名目で沖縄や北海道を占領
3. 日本人浄化にとりかかる
4. 日本政府は遺憾の意を表するが、これは中国の内政問題だとして相手にされない

_____


・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/248.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 縮小し高齢化する社会:警報が鳴り続ける日本列島  エコノミスト(星の金貨 new) 赤かぶ
5. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:06:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21157]
中国人移民を入れると日本人は絶滅する

1. 沖縄や北海道で中国系住民が過半数になったら独立宣言して中国小日本省になる
2. 中国軍が自国民保護という名目で沖縄や北海道を占領
3. 日本人浄化にとりかかる
4. 日本政府は遺憾の意を表するが、これは中国の内政問題だとして相手にされない

_____


・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/249.html#c5

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
22. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:21:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]

日本、「日産自動車」社長が社員向け説明会で表明「提携対等でない」2018年11月27日


日産自動車の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)は26日午前、社内向けの説明会で「ルノーとの提携関係は対等ではない」と述べ、関係を見直す意向を示したという。説明会に出席した社員が明らかにした。日本経済新聞11月26日夕刊が伝えた。

仏ルノーは日産に43%を出資する一方、日産からルノーへの出資比率は15%で議決権がない状態だ。これでは、日産がルノーに占領させているようなもの。日産社内の士気は上がらない。今春、ルノー技術陣が日産技術陣と顔合わせしたが、「占領軍気取り」で命令したとして、顰蹙を買ったという。技術レベルは、ルノー側が低いだけに一層の不満を招いた。

『ブルームバーグ』(11月23日付)は、「日産自、ルノーとの資本構成見直しも、アライアンス持続でー関係者」と題する記事を掲載した。

(1)「日産自動車は仏ルノーとの資本構成を再検討する可能性を示した。カルロス・ゴーン容疑者の会長職を解いた後のアライアンスのあり方を考える。事情に詳しい関係者は23日、匿名を条件にアライアンスの進め方、体制の在り方、資本構成も当然もう1回考え直すこともあると述べた。ゴーン容疑者の会長職解任を全会一致で決めた22日の取締役会ではアライアンスの重要性について再確認した。関係者は、アライアンスを持続可能にするため基本的なことからきっちり見直すと語った。その際には三菱自動車を含めた3社の理解を共有する」

約20年前、ルノーと日産の力関係で決められた出資比率と議決権の有無が、今なお踏襲されていることは不合理である。現在の勢力関係に見合った出資比率と議決権に訂正することが、アライアンス(ルノー・日産・三菱の連合体)を維持し発展させる前提条件だろう。

フランス政府は、現状維持を狙っている。日産・三菱の産み出す蜜を狙っているが、それはいつまで続くはずがない。先に、日仏の閣僚が会談して、互いにアライアンスへの介入を控えることで合意した。これは、日本が先手を打って日産主導権確立への後押しと見られる。フランス政府の介入を抑えて、企業同士の交渉になれば、力関係からみて日産に有利な条件が引き出せるという思惑かもしれない。

(2)「日産自の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)は22日、ルノーとの資本構成について『今は現状の安定化が一番』と答えていた。現在はルノーが日産自に43.4%を出資して議決権があるのに対し、日産自はルノーに15%出資するが議決権はない。日本の会社法では日産自が出資比率を25%に上げるとルノーの議決権が消滅する。また日産自が増資してもルノーの出資比率が下がり、影響力も低下する。SBI証券の遠藤功治企業調査部長は、ルノーと日産自の資本関係について『売上高も利益もルノーより大きい日産自がルノーに支配される不均衡は是正する必要がある』と述べた。同時にルノーが日産自の議決権を持たない形については『ルノー筆頭株主であるフランス政府の理解が得にくく難しいのではないか』との見方を示した」

日産とルノーの関係を安定させるには、現在の力関係に合わせた改訂しかない。世界2位の販売実績を持つアライアンスを崩壊させてはもったいない話である。日本に、トヨタとアライアンスの2大自動車グループが存在すれば事実上、日本が世界の自動車業界を制することになる。このチャンスを生かして、日産にアライアンスの支配権を持たせる工夫をすべきだ。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13880208.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c22

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
98. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:26:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]


雪日記 やっぱりかぐらは楽しいねぇ。


【18-19シーズン 20日目】 天候:曇り時々晴れ
11/26(月) かぐらスキー場でスキー。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3440.html

本日ものんびりお昼過ぎから始動。
みつまたロープウェイからみつまた1高までの移動、
もうほぼピスラボ移動となってしまいました。

リフト降り場からゴンドラライン、
ギリギリ雪上移動できますが、

途中から完全にピスラボ。
端に僅かに残る雪もスプリンクラーで消えてしまいそうです。

かぐらエリアはガスガス〜

1高への道は地雷を上手くかわすテクニックが要求されます。

メインゲレンデもかなり厳しい〜!!

重機、人力フル稼働、
神楽魂で懸命に雪付けを行っております。

本当にありがとうございます。
かぐらがホームで良かった!

帰る頃にやっと晴れてきました。
半日滑走だけど、これだけの距離が滑れると疲れますね。

ゲレンデ内は草や石など刻々と状況は悪化していますが、
不整地を滑るいい練習になります。
こういう経験はBCにも絶対活きるはず!

やっぱりかぐらは楽しいねぇ。

帰りの2ロマ。

コシアブラさんに黒い実がなっている!
冬籠もりの直前はこんな感じだったのですね。

みつまたファミリーはピスラボと雪が半々。
刺激的な滑走でした。

かぐらオープンシーズンインパーティー。

何かシーズンインパーティーばかりやってるような…。

スキー場発表積雪量:50cm

使用板:LINE / FUTURE SPIN
ビンディング:LOOK / PIVOT12
ストック:OGASAKA / LC-FS
ブーツ:K2 / PINNACLE 130

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3440.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c98

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
140. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:30:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]

2018年11月27日
株や投信購入の必要額が下がった 100円や1000円で投資可能


株や投信などの購入必要額は引き下げられている


株式購入の必要額が引き下げ

東京証券取引所など全国の証券取引所は2018年10月1日、売買単位を100株に統一しました。

10年前は1株や50株など8種類もあり、株価を見ただけではいくらあれば買えるか分かりませんでした。

1株1000円の銘柄があってもそれを1株から買えるのか1000株なのかバラバラでした。



企業の都合だけで決められていて個人投資家には不便だったが、これが統一で解消しました。

単位変更でかなり安く買えるようになった銘柄があり、王子HDは83万円必要だったのが7万円台で購入できる。


上場企業株価は数百円から数千円だが、株価を100倍すれば必要金額が出せるのでとても便利です。

株式購入に必要な平均金額は1980年台に150万円以上だったが、制度変更などで現在は25万円以下になっています。

とはいえ平均25万円でも複数銘柄買えば簡単に100万円を超えるので、気軽にという金額でもない

そこでもっと少額で買える投資信託を中心にする人が多いと思います。

投資信託の必要金額も引き下げ

投資信託の最低購入額も以前は数万円だったが、毎月定額積み立てが始まってから引き下げられています。

積み立て投信は以前は1000円だったが、SBI証券や楽天証券などは100円から積み立て可能になりました。

積み立てではない投資信託購入も100円から1000円から購入可能になり、買いやすくなりました。


ただしこの手の投資商品は大口購入ほど手数料が安く、小口になるほど手数料が割高になる場合があります。

手数料が高いほど利益を出しにくいので、小口で買う時の手数料がいくらか確認した方が良いです。。

小口の株式投資として証券会社は「ミニ株」のような商品を販売していて、1万円やもっと少額から購入できる。


これも手数料に要注意で、特に明記していない限り通常の100株購入より手数料が割増しになります。

多くのネット証券では10万円までの株式売買手数料は100円以下だが、1万円などのミニ株では50円取られる。

売買金額が10分の1なのに手数料は半額なので、実質5倍も多く取られます。


100万円の売買だと手数料500円のネット証券もあるので、1万円で50円は非常に高いのです。

何年も放置する人には大きな違いではないが、短期間に売買を繰り返す人には大きな差になります。
http://www.thutmosev.com/archives/78257065.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c140

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
23. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:42:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]

ゴーン前会長ジェット私的利用か
邸宅あるレバノン度々訪問
2018/11/27 07:08 ©一般社団法人共同通信社


 有価証券報告書に自分の役員報酬を少なく記載したとして、金融商品取引法違反の疑いで逮捕された日産自動車の前会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が、日産が費用を負担する業務用のビジネスジェットを私用でも使っていた疑いがあることが27日、関係者への取材で分かった。

 関係者によると、日産は複数のジェットをリースで持っており、1台がゴーン容疑者の専用機。この機体は、日産の主要な拠点がないレバノンなどを行き来しており、業務目的とは言えないフライトがあったという。

 レバノンの首都ベイルートには、ゴーン容疑者が無償利用する邸宅がある。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c23

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
82. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:56:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]

2018.02.01 食の危険性
この10種類の食品添加物は有害かつ毒性がある為、様々な病気や健康被害を引き起こし危険!
https://naturaltaomedical.com/2018/02/food-additives/

「食」という字は、「人」を「良く」すると書きます。
私たちが口にしたもので、私たちの身体がつくられます。

普段何気なく購入している食品に含まれている添加物は十分な試験が行われていなのが現実です。
日本の食品添加物の種類は1500種類以上あり、年々増加しています。

日本は石油由来の化学合成添加物が351品目あります。世界を見てみるとアメリカが133品目、ドイツが64品目、フランスが32品目、イギリスが21品目になります。

世界でも日本がいかに添加物を使用し、消費しているかがわかると思います。
まさに添加物大国です。更に農薬の使用も世界でダントツです。

添加物は少量であれば影響がないと主張しますが、毎日摂取し続けたら健康を害するくらいは容易に想像できるはずです。

それでは、有害で毒性があり様々な病気や健康被害を引き起こす食品添加物を10個見ていきましょう。


Contents [hide]
1 スーパーマーケットの代償
2 10種類の有害かつ毒性のある食品添加物2.1 @グルタミン酸ナトリウム(MSG)
2.2 Aアスパルテーム(人口甘味料)
2.3 B高果糖コーンシロップ(HFCS)
2.4 Cアガベシロップ
2.5 D着色料
2.6 EBHAとBHT(酸化防止剤)
2.7 F亜硝酸ナトリウム、硝酸ナトリウム
2.8 G臭素酸カリウム
2.9 H遺伝子組換え牛成長ホルモン(rBGH)
2.10 I植物油

3 最後に

スーパーマーケットの代償

私たちは週に何度かはスーパーマーケットやコンビニで買い物をします。

スーパーマーケットに入れば、膨大な数の品ぞろえ、心弾む音楽、消費を刺激する香りでできるだけ店内を回遊させ財布のひもをゆるくさせる戦略が仕掛けられています。

複合施設のショッピングモールであれば、更なる誘惑があなたの財布のひもを緩くします。
しかし、あなたはそこで何を買おうが自由です。選択の自由がそこにはあります。

加工された食品はすぐに食べれますが、実際には栄養は含まれていません。そんなことはお構いなしに食べたいものを好きなだけカートに詰め込みます。

膨大な品ぞろえの中から商品を選択しショッピングカートに入れレジで精算し終わったそのカートの中に入っているものは、いつもと変わらない食品であることが多いはずです。

結局、あなたの食べているものはほとんど変化していないはずです。

スーパーマーケットは見せかけの選択しか用意さていないため、私たちが意思決定して購入したつもりが、それはスーパーマーケットが用意したマーケティングにまんまとはまり買わされていたということもあるかもしれません。

商店街での買い物は、スーパーマーケットと違いコミュニティの役割を内包しています。

そこには、日本の原風景があります。肉屋、魚屋、パン屋、酒屋、それぞれのお店で購入することは非効率かもしれませんが、スーパーマーケットでは味わえない心のやりとりがあります。

必要のない商品をストレス発散という名のもとに購入することで、あなたの暮らしは良くなりますか?幸せになれますか?

本当に必要な商品を購入していますか?本当に健康的な食品を選んでいますか?


10種類の有害かつ毒性のある食品添加物

@グルタミン酸ナトリウム(MSG)

グルタミン酸ナトリウムとは、うま味を感じるように人工的に精製した調味料の事です。
化学調味料またはうまみ調味料と呼ばれ、代表的な商品が味の素です。

海外では、MSG(monosodium glutamate)と呼ばれています。加工食品の原材料名に、「アミノ酸等」と表記されているものが、グルタミン酸ナトリウムになります。

1968年、ワシントン大学で行われた動物実験では、グルタミン酸ナトリウム(MSG)の過度の摂取が脳細胞の障害を引き起こすことが判明しました。

米国脳神経外科医のラッセル・ブレイロック博士はグルタミン酸ナトリウムを興奮毒性としています。
興奮毒性は神経毒性化学物質です。興奮毒性は脳のニューロンを過度に興奮させます。

また、MSGの定期的な摂取は、食欲を刺激し、体重増加や肥満につながります。


食と身体を考える 14 shares 1 user 1 pocket


グルタミン酸ナトリウムは毒性があり危険な化学調味料!頭痛や緑内障など害ある副...

グルタミン酸ナトリウムとは、うま味調味料のことです。この化学調味料は毒性があり多くの病気を引き起こす原因になります。グルタミン酸ナトリウムは、飲食店をはじめ多くの加工食品に添加されています。このグルタミン酸ナトリウムの毒性、危険性、副作用を見てい...


Aアスパルテーム(人口甘味料)

アスパルテームは世界で最も使用されている人口甘味料です。

そしてアスパルテームほど、世界で論争されている添加物はありません。

カロリーゼロ、ダイエット、ノンシュガーと書かれているパッケージには必ず含まれています。
砂糖の約200倍の甘さがあり、6000以上の食品、飲料などに使用されています。

グルタミン酸ナトリウム(MSG)と同様に、アスパルテームは興奮性神経毒です。

また、発癌性があると考えられています。その他にも頭痛、めまい、視力障害、痙攣、皮膚発疹、胃腸の問題、糖尿病、アルツハイマー、うつ病など90以上の副作用や健康問題を引き起こすとされています。

アスパルテームには10%のメタノールが含まれています。

このメタノールは体から毒性のある副生成物であるギ酸とホルムアルデヒドに分解されることが示されています。 ホルムアルデヒドは強力な神経毒素と発癌物質であると考えられています。

アスパルテームと同時にスクラロースやサッカリンなども避けたい添加物です。


食と身体を考える 4 shares 1 user


アスパルテーム(人口甘味料)は発がん性があり糖尿病、頭痛、脳腫瘍など90以上の副...

アスパルテームは世界で最も使用されている人口甘味料です。カロリーゼロ、ダイエット、ノンシュガーと書かれているパッケージには必ず含まれています。砂糖の約200倍の甘さがあり、6000以上の食品、飲料などに使用されています。しかしアスパルテームほど、世界で論...

食と身体を考える 3 shares 1 user


スクラロースの7つの危険性!体に悪い毒性のある人工甘味料をやめて天然の5つの甘...

スクラロースは、アスパルテームと同様、世界で多く使用されている人工甘味料のひとつです。ダイエット、カロリーゼロなどの食品ラベルを見たら多くの食品に添加されていることに驚くかもしれません。砂糖の600倍の甘さを持つことから、カロリーゼロ市場では欠かせな...


B高果糖コーンシロップ(HFCS)

高果糖コーンシロップとはトウモロコシのでんぷんを酵素や酸によって分解し精製された甘味料です。
また、コーンスターチは、加水分解と呼ばれるプロセスによってコーンシロップに変換されます。

ほぼすべての高果糖コーンシロップは、遺伝子組み換えトウモロコシから作られています。
これは、米国の食事においてカロリーの第1位の源であり、体重増加や糖尿病の発症につながります。

高果糖コーンシロップ(HFCS)は、心臓血管疾患、関節炎、インスリン抵抗性、中性脂肪やLDLコレステロール増加の主要な原因でもあります。

農業貿易政策研究所が実施した2009年の調査では、商業用のHFCSの20サンプル中9サンプルに水銀が検出されたと報告しています。

水銀は重金属であり、脳にとって非常に危険です。

高果糖コーンシロップの別の言葉として、異性化糖、ブドウ糖果糖液糖、果糖ブドウ糖液糖などが使われ様々な食品に添加されています。

自動販売機で売られている清涼飲料水などにはほとんど添加されています。

家にある食品のラベルを見たら驚くことでしょう。

Cアガベシロップ

アガベシロップは甘味料で、アガベ(サボテン)植物に由来します。
米国で販売されているアガベは、メキシコから販売されています。
日本ではあまり馴染みのない甘味料かもしれません。

多くの消費者は、アガベシロップは健康的な甘味料だと考えています。

アガベシロップは、高果糖コーンシロップ(平均して55%の果糖)を含むすべての市販されている甘味料の中で、最も高い量の果糖(55〜97%)を含有します。

果糖(フルクトース)は、インシュリン抵抗(2型糖尿病の前兆)を増やすことが示されました。

フルクトースは、1日当たり25グラム以上消費されると、尿酸レベルを上昇させることが示されており、身体全体に慢性の炎症を引き起こします。 それは脂肪肝疾患の主な原因でもあります。

また果糖(フルクトース)の摂取は、体重増加、血糖値、中性脂肪の上昇、高血圧につながります。


D着色料

着色料は、もともとコールタールから合成されました。そして今は石油に由来しています。

長い間議論が残る着色料は、動物実験でも悪影響があるため、多くの着色料が禁止されています。
研究により、現在米国での使用が承認された9種類の着色料が、健康上よくないとされています。

公益科学研究センター(CSPI)の研究によれば、最も広く使用されている3種類の着色料が発癌性があるとされています。

その3種類が赤色40号、黄色5号、黄色6号です。

2007年に英国の医学雑誌ランセットに掲載された研究では、様々な着色料や安息香酸ナトリウムは、多動性を高め、子供の注意を弱めることを見出しました。

これらの添加物は、注意欠陥多動障害(ADHD)の子供、行動障害の既往歴のない子供に悪影響を与えることが示されました。

欧州連合(EU)は、消費者に健康リスクを知らせるためのラベル付け規制を設けていますが、米国はこれに従いませんでした。

一方の日本はどうかというと、更に深刻かもしれません。

不自然に真っ赤に染まった紅ショウガや福神漬け、舌の色が変色してしまうカキ氷のシロップ。
アメリカやEUなどで使用禁止になっている着色料も日本では問題なく添加されている状況です。

EBHAとBHT(酸化防止剤)

BHA(ブチルヒドロキシアニソール)とBHT(ブチルヒドロキシトルエン))は、消費期限を延ばすために多くの食品に使用される酸化防止剤です。

世界保健機関(WHO)の一部である国際がん研究機関では、BHAは発癌性があると考えています。
またカリフォルニア州では発癌物質として知られています。

また、BHAはアレルギー反応や多動性障害を引き起こす可能性があることがわかっています。

BHTは、接触アレルギーや皮膚炎を引き起こす可能性があり、血流に入るとビタミンDの破壊を早める可能性があります。

主に使用されている商品は、梱包材、穀物、ソーセージ、ホットドッグ、パティ、チューインガム、ポテトチップス、ビール、バター、植物油、化粧品、動物飼料などがあげられます。

F亜硝酸ナトリウム、硝酸ナトリウム

これらの食品添加物は、肉類を保存するために使用されます。
肉に添加すると、亜硝酸ナトリウムはニトロソアミンに変化し癌のリスクが増加します。

世界がん研究基金の2007年の分析では、毎日1.8オンスの加工肉を食べれば、癌のリスクが20%増加することを明らかにしました。

主に、ベーコン、ハム、サラミ、コーンビーフ、ホットドッグ、缶詰の肉、スモークサーモン、ジャーキーなどに含まれています。


食と身体を考える 2 shares


亜硝酸塩はハムやソーセージなどの加工肉に使用される添加物で毒性があり発がん性...

世界保健機関(WHO)の専門組織である国際がん研究機関(IARC)は、ハムやソーセージなどの加工肉は発がん性があるとして発がん性物質に指定しました。加工された肉や魚の多くは、食品添加物が使われていますが最も危険性が指摘されているのが亜硝酸塩です。...


G臭素酸カリウム

パンや小麦粉の量を増やすための添加剤として使用されます。

臭素酸カリウムは動物の癌を引き起こすことが示され、EU、カナダ、他のいくつかの国では禁止されています。

アメリカ食品医薬品局(FDA)は、1991年以来、パン屋に対して自発的に使用を中止するよう要請しています。
ラベルにはがんの警告が必要なため、ほとんどカリフォルニアでは使用されていません。

H遺伝子組換え牛成長ホルモン(rBGH)

モンサント社によって生産されるrBGHは、牛が生産する天然の成長ホルモンの遺伝子操作されたものです。 乳牛のミルク生産を促進するために使用されます。

「rBGHミルク」には、高レベルのインスリン成長因子(IGF-1)が含まれています。
これは乳癌、大腸癌、前立腺癌の主要な原因として関与しています。

rBGHミルクにはラベルを付ける必要はありません。

牛にrBGHを投与すると、乳房炎の発生率が増加することが示されています。 牛に乳腺炎があると、膿や血液が牛乳に分泌されます。

それはMRSAのような毒性の強いブドウ球菌感染症の広がりと結びついている抗生物質耐性につながります。

rBGHを使用している食品としてハーゲンダッツ、ブレイヤーズ、バスキン・ロビンス(サーティワンアイスクリーム)などがあります。

美味しいアイスクリームの裏には、健康を損なう問題が隠れていることがわかると思います。


食と身体を考える 13 shares 1 user


牛乳や低脂肪牛乳は毒性があり危険で有害です。しかし生乳は健康に良い完全食品

牛乳は毒性成分が含まれており有害で危険なので飲まない方が良いという、牛乳有害説については昔から議論されてきました。しかし、結論が出ない理由は、牛乳と生乳を同じテーブルにのせて議論しているからです。牛乳有害説も牛乳無害説も、どちらも科学的根拠がない...


I植物油

大豆油、トウモロコシ油、ベニバナ油、キャノーラ油、ピーナッツ油など、さまざまな種類の商業的に精製された植物油は脱臭され、漂白されます。

このプロセスは、種子から天然のビタミンとミネラルを除去します。
腐敗し酸化しやすいフリーラジカルを生成することが示されている製品を作り出します。

また炎症を起こし、食事中のオメガ3のメリットを中和するオメガ6脂肪酸も高くなっています。 酸化作用は、体内の炎症、DNA損傷による中性脂肪の上昇、インスリンの障害に寄与することが示されています。

さらに、多くの精製されたオイルは水素化されています。 このプロセスは、心臓病やいくつかの癌に関連するトランス脂肪酸を生成します。

参考:Here Are The Top 10 Worst Food Ingredients to Avoid Like The Plague!

最後に

日本は世界でもトップクラスの食品添加物と農薬を体に取り込んでいます。

これらの食品添加物を子供に食べさせるのは、とても危険なことだと思いませんか。
食品添加物の摂取量と病気は比例しています。

添加物がたくさん含まれている食品を食べて病気になるのは、大人なら自己責任で片づけられますが、小さい子供の場合は親の責任になります。

商品を選ぶときは、鮮やかな見た目や、美味しそうというような判断基準だけで選ぶのではなく、商品ラベルにどのような添加物が使用されているかどうかもチェックして選択することを考えてみて下さい。
https://naturaltaomedical.com/2018/02/food-additives/
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c82

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
281. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月27日 09:56:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21163]

2018.02.01 食の危険性
この10種類の食品添加物は有害かつ毒性がある為、様々な病気や健康被害を引き起こし危険!
https://naturaltaomedical.com/2018/02/food-additives/

「食」という字は、「人」を「良く」すると書きます。
私たちが口にしたもので、私たちの身体がつくられます。

普段何気なく購入している食品に含まれている添加物は十分な試験が行われていなのが現実です。
日本の食品添加物の種類は1500種類以上あり、年々増加しています。

日本は石油由来の化学合成添加物が351品目あります。世界を見てみるとアメリカが133品目、ドイツが64品目、フランスが32品目、イギリスが21品目になります。

世界でも日本がいかに添加物を使用し、消費しているかがわかると思います。
まさに添加物大国です。更に農薬の使用も世界でダントツです。

添加物は少量であれば影響がないと主張しますが、毎日摂取し続けたら健康を害するくらいは容易に想像できるはずです。

それでは、有害で毒性があり様々な病気や健康被害を引き起こす食品添加物を10個見ていきましょう。


Contents [hide]
1 スーパーマーケットの代償
2 10種類の有害かつ毒性のある食品添加物2.1 @グルタミン酸ナトリウム(MSG)
2.2 Aアスパルテーム(人口甘味料)
2.3 B高果糖コーンシロップ(HFCS)
2.4 Cアガベシロップ
2.5 D着色料
2.6 EBHAとBHT(酸化防止剤)
2.7 F亜硝酸ナトリウム、硝酸ナトリウム
2.8 G臭素酸カリウム
2.9 H遺伝子組換え牛成長ホルモン(rBGH)
2.10 I植物油

3 最後に

スーパーマーケットの代償

私たちは週に何度かはスーパーマーケットやコンビニで買い物をします。

スーパーマーケットに入れば、膨大な数の品ぞろえ、心弾む音楽、消費を刺激する香りでできるだけ店内を回遊させ財布のひもをゆるくさせる戦略が仕掛けられています。

複合施設のショッピングモールであれば、更なる誘惑があなたの財布のひもを緩くします。
しかし、あなたはそこで何を買おうが自由です。選択の自由がそこにはあります。

加工された食品はすぐに食べれますが、実際には栄養は含まれていません。そんなことはお構いなしに食べたいものを好きなだけカートに詰め込みます。

膨大な品ぞろえの中から商品を選択しショッピングカートに入れレジで精算し終わったそのカートの中に入っているものは、いつもと変わらない食品であることが多いはずです。

結局、あなたの食べているものはほとんど変化していないはずです。

スーパーマーケットは見せかけの選択しか用意さていないため、私たちが意思決定して購入したつもりが、それはスーパーマーケットが用意したマーケティングにまんまとはまり買わされていたということもあるかもしれません。

商店街での買い物は、スーパーマーケットと違いコミュニティの役割を内包しています。

そこには、日本の原風景があります。肉屋、魚屋、パン屋、酒屋、それぞれのお店で購入することは非効率かもしれませんが、スーパーマーケットでは味わえない心のやりとりがあります。

必要のない商品をストレス発散という名のもとに購入することで、あなたの暮らしは良くなりますか?幸せになれますか?

本当に必要な商品を購入していますか?本当に健康的な食品を選んでいますか?


10種類の有害かつ毒性のある食品添加物

@グルタミン酸ナトリウム(MSG)

グルタミン酸ナトリウムとは、うま味を感じるように人工的に精製した調味料の事です。
化学調味料またはうまみ調味料と呼ばれ、代表的な商品が味の素です。

海外では、MSG(monosodium glutamate)と呼ばれています。加工食品の原材料名に、「アミノ酸等」と表記されているものが、グルタミン酸ナトリウムになります。

1968年、ワシントン大学で行われた動物実験では、グルタミン酸ナトリウム(MSG)の過度の摂取が脳細胞の障害を引き起こすことが判明しました。

米国脳神経外科医のラッセル・ブレイロック博士はグルタミン酸ナトリウムを興奮毒性としています。
興奮毒性は神経毒性化学物質です。興奮毒性は脳のニューロンを過度に興奮させます。

また、MSGの定期的な摂取は、食欲を刺激し、体重増加や肥満につながります。


食と身体を考える 14 shares 1 user 1 pocket


グルタミン酸ナトリウムは毒性があり危険な化学調味料!頭痛や緑内障など害ある副...

グルタミン酸ナトリウムとは、うま味調味料のことです。この化学調味料は毒性があり多くの病気を引き起こす原因になります。グルタミン酸ナトリウムは、飲食店をはじめ多くの加工食品に添加されています。このグルタミン酸ナトリウムの毒性、危険性、副作用を見てい...


Aアスパルテーム(人口甘味料)

アスパルテームは世界で最も使用されている人口甘味料です。

そしてアスパルテームほど、世界で論争されている添加物はありません。

カロリーゼロ、ダイエット、ノンシュガーと書かれているパッケージには必ず含まれています。
砂糖の約200倍の甘さがあり、6000以上の食品、飲料などに使用されています。

グルタミン酸ナトリウム(MSG)と同様に、アスパルテームは興奮性神経毒です。

また、発癌性があると考えられています。その他にも頭痛、めまい、視力障害、痙攣、皮膚発疹、胃腸の問題、糖尿病、アルツハイマー、うつ病など90以上の副作用や健康問題を引き起こすとされています。

アスパルテームには10%のメタノールが含まれています。

このメタノールは体から毒性のある副生成物であるギ酸とホルムアルデヒドに分解されることが示されています。 ホルムアルデヒドは強力な神経毒素と発癌物質であると考えられています。

アスパルテームと同時にスクラロースやサッカリンなども避けたい添加物です。


食と身体を考える 4 shares 1 user


アスパルテーム(人口甘味料)は発がん性があり糖尿病、頭痛、脳腫瘍など90以上の副...

アスパルテームは世界で最も使用されている人口甘味料です。カロリーゼロ、ダイエット、ノンシュガーと書かれているパッケージには必ず含まれています。砂糖の約200倍の甘さがあり、6000以上の食品、飲料などに使用されています。しかしアスパルテームほど、世界で論...

食と身体を考える 3 shares 1 user


スクラロースの7つの危険性!体に悪い毒性のある人工甘味料をやめて天然の5つの甘...

スクラロースは、アスパルテームと同様、世界で多く使用されている人工甘味料のひとつです。ダイエット、カロリーゼロなどの食品ラベルを見たら多くの食品に添加されていることに驚くかもしれません。砂糖の600倍の甘さを持つことから、カロリーゼロ市場では欠かせな...


B高果糖コーンシロップ(HFCS)

高果糖コーンシロップとはトウモロコシのでんぷんを酵素や酸によって分解し精製された甘味料です。
また、コーンスターチは、加水分解と呼ばれるプロセスによってコーンシロップに変換されます。

ほぼすべての高果糖コーンシロップは、遺伝子組み換えトウモロコシから作られています。
これは、米国の食事においてカロリーの第1位の源であり、体重増加や糖尿病の発症につながります。

高果糖コーンシロップ(HFCS)は、心臓血管疾患、関節炎、インスリン抵抗性、中性脂肪やLDLコレステロール増加の主要な原因でもあります。

農業貿易政策研究所が実施した2009年の調査では、商業用のHFCSの20サンプル中9サンプルに水銀が検出されたと報告しています。

水銀は重金属であり、脳にとって非常に危険です。

高果糖コーンシロップの別の言葉として、異性化糖、ブドウ糖果糖液糖、果糖ブドウ糖液糖などが使われ様々な食品に添加されています。

自動販売機で売られている清涼飲料水などにはほとんど添加されています。

家にある食品のラベルを見たら驚くことでしょう。

Cアガベシロップ

アガベシロップは甘味料で、アガベ(サボテン)植物に由来します。
米国で販売されているアガベは、メキシコから販売されています。
日本ではあまり馴染みのない甘味料かもしれません。

多くの消費者は、アガベシロップは健康的な甘味料だと考えています。

アガベシロップは、高果糖コーンシロップ(平均して55%の果糖)を含むすべての市販されている甘味料の中で、最も高い量の果糖(55〜97%)を含有します。

果糖(フルクトース)は、インシュリン抵抗(2型糖尿病の前兆)を増やすことが示されました。

フルクトースは、1日当たり25グラム以上消費されると、尿酸レベルを上昇させることが示されており、身体全体に慢性の炎症を引き起こします。 それは脂肪肝疾患の主な原因でもあります。

また果糖(フルクトース)の摂取は、体重増加、血糖値、中性脂肪の上昇、高血圧につながります。


D着色料

着色料は、もともとコールタールから合成されました。そして今は石油に由来しています。

長い間議論が残る着色料は、動物実験でも悪影響があるため、多くの着色料が禁止されています。
研究により、現在米国での使用が承認された9種類の着色料が、健康上よくないとされています。

公益科学研究センター(CSPI)の研究によれば、最も広く使用されている3種類の着色料が発癌性があるとされています。

その3種類が赤色40号、黄色5号、黄色6号です。

2007年に英国の医学雑誌ランセットに掲載された研究では、様々な着色料や安息香酸ナトリウムは、多動性を高め、子供の注意を弱めることを見出しました。

これらの添加物は、注意欠陥多動障害(ADHD)の子供、行動障害の既往歴のない子供に悪影響を与えることが示されました。

欧州連合(EU)は、消費者に健康リスクを知らせるためのラベル付け規制を設けていますが、米国はこれに従いませんでした。

一方の日本はどうかというと、更に深刻かもしれません。

不自然に真っ赤に染まった紅ショウガや福神漬け、舌の色が変色してしまうカキ氷のシロップ。
アメリカやEUなどで使用禁止になっている着色料も日本では問題なく添加されている状況です。

EBHAとBHT(酸化防止剤)

BHA(ブチルヒドロキシアニソール)とBHT(ブチルヒドロキシトルエン))は、消費期限を延ばすために多くの食品に使用される酸化防止剤です。

世界保健機関(WHO)の一部である国際がん研究機関では、BHAは発癌性があると考えています。
またカリフォルニア州では発癌物質として知られています。

また、BHAはアレルギー反応や多動性障害を引き起こす可能性があることがわかっています。

BHTは、接触アレルギーや皮膚炎を引き起こす可能性があり、血流に入るとビタミンDの破壊を早める可能性があります。

主に使用されている商品は、梱包材、穀物、ソーセージ、ホットドッグ、パティ、チューインガム、ポテトチップス、ビール、バター、植物油、化粧品、動物飼料などがあげられます。

F亜硝酸ナトリウム、硝酸ナトリウム

これらの食品添加物は、肉類を保存するために使用されます。
肉に添加すると、亜硝酸ナトリウムはニトロソアミンに変化し癌のリスクが増加します。

世界がん研究基金の2007年の分析では、毎日1.8オンスの加工肉を食べれば、癌のリスクが20%増加することを明らかにしました。

主に、ベーコン、ハム、サラミ、コーンビーフ、ホットドッグ、缶詰の肉、スモークサーモン、ジャーキーなどに含まれています。


食と身体を考える 2 shares


亜硝酸塩はハムやソーセージなどの加工肉に使用される添加物で毒性があり発がん性...

世界保健機関(WHO)の専門組織である国際がん研究機関(IARC)は、ハムやソーセージなどの加工肉は発がん性があるとして発がん性物質に指定しました。加工された肉や魚の多くは、食品添加物が使われていますが最も危険性が指摘されているのが亜硝酸塩です。...


G臭素酸カリウム

パンや小麦粉の量を増やすための添加剤として使用されます。

臭素酸カリウムは動物の癌を引き起こすことが示され、EU、カナダ、他のいくつかの国では禁止されています。

アメリカ食品医薬品局(FDA)は、1991年以来、パン屋に対して自発的に使用を中止するよう要請しています。
ラベルにはがんの警告が必要なため、ほとんどカリフォルニアでは使用されていません。

H遺伝子組換え牛成長ホルモン(rBGH)

モンサント社によって生産されるrBGHは、牛が生産する天然の成長ホルモンの遺伝子操作されたものです。 乳牛のミルク生産を促進するために使用されます。

「rBGHミルク」には、高レベルのインスリン成長因子(IGF-1)が含まれています。
これは乳癌、大腸癌、前立腺癌の主要な原因として関与しています。

rBGHミルクにはラベルを付ける必要はありません。

牛にrBGHを投与すると、乳房炎の発生率が増加することが示されています。 牛に乳腺炎があると、膿や血液が牛乳に分泌されます。

それはMRSAのような毒性の強いブドウ球菌感染症の広がりと結びついている抗生物質耐性につながります。

rBGHを使用している食品としてハーゲンダッツ、ブレイヤーズ、バスキン・ロビンス(サーティワンアイスクリーム)などがあります。

美味しいアイスクリームの裏には、健康を損なう問題が隠れていることがわかると思います。


食と身体を考える 13 shares 1 user


牛乳や低脂肪牛乳は毒性があり危険で有害です。しかし生乳は健康に良い完全食品

牛乳は毒性成分が含まれており有害で危険なので飲まない方が良いという、牛乳有害説については昔から議論されてきました。しかし、結論が出ない理由は、牛乳と生乳を同じテーブルにのせて議論しているからです。牛乳有害説も牛乳無害説も、どちらも科学的根拠がない...


I植物油

大豆油、トウモロコシ油、ベニバナ油、キャノーラ油、ピーナッツ油など、さまざまな種類の商業的に精製された植物油は脱臭され、漂白されます。

このプロセスは、種子から天然のビタミンとミネラルを除去します。
腐敗し酸化しやすいフリーラジカルを生成することが示されている製品を作り出します。

また炎症を起こし、食事中のオメガ3のメリットを中和するオメガ6脂肪酸も高くなっています。 酸化作用は、体内の炎症、DNA損傷による中性脂肪の上昇、インスリンの障害に寄与することが示されています。

さらに、多くの精製されたオイルは水素化されています。 このプロセスは、心臓病やいくつかの癌に関連するトランス脂肪酸を生成します。

参考:Here Are The Top 10 Worst Food Ingredients to Avoid Like The Plague!

最後に

日本は世界でもトップクラスの食品添加物と農薬を体に取り込んでいます。

これらの食品添加物を子供に食べさせるのは、とても危険なことだと思いませんか。
食品添加物の摂取量と病気は比例しています。

添加物がたくさん含まれている食品を食べて病気になるのは、大人なら自己責任で片づけられますが、小さい子供の場合は親の責任になります。

商品を選ぶときは、鮮やかな見た目や、美味しそうというような判断基準だけで選ぶのではなく、商品ラベルにどのような添加物が使用されているかどうかもチェックして選択することを考えてみて下さい。
https://naturaltaomedical.com/2018/02/food-additives/
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c281

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
24. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:23:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]

確定報酬でなく記載義務ない〜ゴーン容疑者
11/27(火) 5:39配信 日テレNEWS24
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181127-00000008-nnn-soci



有価証券報告書に報酬を少なく記載していたとして逮捕された日産自動車・前会長のカルロス・ゴーン容疑者が、将来、報酬を受け取ることになっていたと認めた上で、確定した報酬ではなく、記載する義務はなかったという趣旨の供述をしていることが分かった。

関係者によると、ゴーン容疑者は、2010年度から、年間10億円を将来に受け取ることになっていたことを認める内容の供述をしているという。

その上で、確定した報酬ではなく、有価証券報告書には記載する必要はなかったとして、容疑を否認しているという。

金融商品取引法などによって、将来受け取ることになる報酬は、金額が確定した段階で記載することが義務づけられている。

特捜部は、証拠などから、ゴーン容疑者が報酬を将来受け取ることが確定していたと立証できるとみて、逮捕に踏み切ったとみられる。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c24

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
25. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:28:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]

大人の事情  11月27日 


日産のゴーン元会長の容疑が日に日に増えて行きますね。

あれだけもらっておいて、もっと欲しいとは・・・。

人間の欲とは本当に底なしですね。

どうなるのかは分かりませんが、これらの容疑で懲役10年ぐらいはありそうだとの話もありますし、いくら金を手にしてもここから10年刑務所では人生が終わってしまいますね。

まあ、やっちゃえ日産がやっちまった日産になってしまった訳ですが、そもそもゴーン会長は凄い人物だったのでしょうか?

かつての日産は放漫経営のツケで経営が破綻しかけており、リストラが必要であったのですが、これを行えずにいました。

必要だったのはリストラを含む経営のスリム化と効率化だった訳ですが、日本人にその知恵が無かったのではなく、日本人的な人情というかやさしさがそれを阻んだのかと思うのです。

そして、外人の力を借りて大規模リストラを行った・・・。

何千だか何万だかは忘れましたが、とにかく大量の首切りを行って経営を立て直した訳ですが、要するに社員の首を切って自分は超高給取りとなった訳です。

それだけの給料を社員に還元すれば、もう少しまともなリストラも出来たのではないかと思いますし、結局は社員の血で得た報酬である訳です。

一般には日産を立て直した名将の様な話ですが、単に血も涙もない異人というだけの話なのではないかと個人的には思うのです。

まあ、次から次に容疑が重なってきておりますし、ワイドショーも悪い面を取り上げて行くでしょう。

ここから先はある事無い事で、本当はそこまで悪くないのに・・・というものもあるでしょう。

しかし、これだけ酷い守銭奴的な行いをしてきたのですから、これはもう自業自得だと言わざるを得ないとも思っているところです。

さて、この件で日産自体も検察が入っている訳で、色々問題が指摘されてきておりますが、この件で上場廃止だとか、倒産だとか、そういう話には絶対にならないでしょう。

これは問題発覚の時にも申しましたが、利益を水増ししていたとか、本当は赤字なのに黒字にしていたとか、株主にとって不利益な話ではないのです。

まあ、余計なカネは使っていたという事にはなりますが、経営を揺るがすような話ではありませんからね。

ですから、発覚当初は上場廃止がどうだとかと騒いでいる人もいましたが、そんなことはないと思ってよいでしょう。

仮に利益水増しなどの悪質な粉飾であったとしても、これほど大きな会社は上場廃止になりません。

なんだかんだと支援されて、上場維持です。

年金やら投信やらに大量に組み込まれているので、上場廃止にするとダメージが大きすぎるのが背景だと思いますが、この程度の事では上場廃止にはなりません。

相場全体に影響が少ないところですと、簡単に上場廃止ですけどね・・・。

まあ、大人の事情です。

相場の世界というのは、ルールがある様でないと言いますか、意外とこの大人の事情というのはあるのです。
http://ssoubakan.com/blog-entry-2923.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c25

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
128. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:44:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]
2018.11.27
大統領選挙を控えたウクライナでキエフ政権がロシアに対して軍事的な挑発


 ウクライナ軍のガンボート(砲艦)2隻とタグボート1隻が11月25日にロシアが領海と定めているケルチ海峡へ無断で侵入、ロシアの警備艇に拿捕されたという。その際、銃撃もあったようだ。その前日にウクライナ軍はウクライナ東部、ドネツクにある中立地帯の一部を占領しているので、3隻の行動はロシアに対する挑発だと見て良いだろう。

 ウクライナでは来年3月に大統領選挙が予定されているが、現職は厳しい戦いになると見られている。ロシアはウクライナを迂回して天然ガスを輸送するパイプラインの建設を進め、アメリカ支配層にとって戦略的な価値が低下、エネルギー価格の暴騰で抗議行動も活発化している。今回の一件で戒厳令を敷くつもりだとも言われているが、追い詰められていることに変わりはない。選挙後、ナチズムがさらに強くなる可能性もある。

 軍事的な挑発をしているキエフ政権は2014年2月22日、ネオ・ナチを主力とするクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除して成立した。その黒幕はアメリカのバラク・オバマ政権にいたネオコンだ。

 ネオ・ナチは2月18日頃からチェーン、ナイフ、棍棒を片手に石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーを持ち出し、ピストルやライフルも撃ち始める。広場では無差別の狙撃もあり、多くの死者が出た。

 本ブログでも繰り返し書いてきたように、​西側の支援を受けたクーデター側が狙撃した可能性が高い​ことは2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相もその翌日、キャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告している。

 イタリアではこの報告を裏付けるドキュメントが放送されている。(​その1​、​その2​)その中で自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。

 この3人を含め、広場の狙撃はアンドレイ・パルビーなる人物が指揮したと語る人が少なくない。この人物はウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)とウクライナ愛国者党、ふたつのネオ・ナチ系政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。2016年4月からは国会の議長を務め、今年(2018年)6月にはフランスとアメリカを訪問、親イスラエルで有名なアメリカ議会から歓待されている。

 ここにきてウクライナの軍事力増強に力を入れているのはイギリス。2015年には軍事訓練のプログラムをスタートさせた。イギリス軍から派遣された教官は9500名のウクライナ軍兵士を訓練している。

 現在、アメリカの民主党、CIA、司法省/FBIはロシアとの関係を悪化させる口実として「ロシアゲート」を使っているが、これがでっち上げであることは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 そのでっち上げの始まりはクリストファー・スティールなるSIS(通称MI6)の元オフィサーが作成した報告。その情報に基づいて下院情報委員会でアダム・シッフ議員は大統領選挙にロシアが介入したとする声明を2017年3月に出している。

 スティールに調査を依頼したのはフュージョンなる会社で、そのフュージョンを雇ったマーク・エリアス弁護士はヒラリー・クリントン陣営や民主党全国委員会の法律顧問を務めていた。

 フュージョンを創設したひとりであるグレン・シンプソンによると、同社は2016年秋に​ネリー・オーなる人物にドナルド・トランプの調査と分析を依頼​しているが、その夫であるブルース・オーは司法省の幹部。このオーとシンプソンは2016年11月に会っている。その直後にブルースは司法省のポストを失い、フュージョンはスティールに調査を依頼することになった。

 ロシアゲートはドナルド・トランプを攻撃するためにも使われている。イギリスのテレグラフ紙によると、トランプを失脚させる目的でSISが本来なら出さない「機密情報」を流したというが、その情報の信頼度が低いことは本ブログでも指摘してきた。SISはトランプを引きずり下ろすため、偽情報を流したと言うべきだ。

 イギリスは中東でも暗躍しているが、ウクライナでも活発に動いている。遅くとも20世紀の初頭にイギリスはロシア制圧を戦略の中心に位置づけているが、それが続いているのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811270000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c128

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
124. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:49:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]


JBL #D130ウーハーのサウンドについて - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2018年11月27日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5139360356eafec01ec7291d9e32eb5e

自宅のSP-707J+αシステムで使っているJBL #D130 38pウーハーのサウンドについて述べて見たいと思います。

D130は1948年発売で1980年代まで生産され、ユニット単体で販売されていました。自宅システムで使っているのは、比較的前期(16Ωコルクガスケット仕様:1950〜1960年代)に作られたユニットです。

オーディオの足跡に記されている仕様

D130の定格

型式: 38cmコーン型フルレンジユニット
許容入力 : 60W(連続プログラム)
インピーダンス: 8Ω/16Ω
指向性: 90゜
音圧レベル(新JIS): 103dB(1kHz)
ボイスコイル径: 10.2cm
マグネットアセンブリー重量: 5.4kg
磁束密度: 12,000gauss
推奨エンクロージャー内容積: 114L〜338L
奥行: 143mm
重量(梱包時): 8.6kg

良く見ると、この38pのユニットは「フルレンジユニット」なんですね。センターのアルミキャップの処で高域を出すように作られているようです。それでも高域は8000〜10000Hzぐらいが関の山でしょう。

驚くべきは「能率」が103dbも有ると云う事です。3dbで±2倍(1/2)になりますので、これだけ能率が良いとアンプの出力は非常に少なくて済みます。今年LUXMAN M-06αを使っていた時、いつも聴く音量ならば、「0.05W/ch以下」でした。

このD130は非常に反応の早い、軽い低音を出してきます。最低再生周波数は40Hz程度だと思います。現代のウーハーの様に30Hz以下を出す様には作られていません。その代わり「深みのある音」を出して「音楽再生」をサポートしています。

D130は30年以上に渡って作り続けられたユニットですので、作られた年代で「コストダウン」されて来ている様だと思われます。シリアル番号の少ない数値程「コストダウン」が少ないと感じます。個人的に使えるのは「16Ω仕様」までだと思っています。8Ω仕様ではかなり音質ダウンしていると感じました。

現在の若い方達(50歳以下)には、縁の薄いユニットかも知れません。「幻のユニット」と言われる方もいます。現在では状態の良いユニットは少なくなっています。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c124

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
45. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:51:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]

自宅 パワーアンプ交換から半年 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2018年11月26日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/18abfb2b8a59736ae9f3ceca59f5ea57

昨年末まで自宅のシステムは「眠った」状態でした。昼間、オリンパスシステムとサブシステムをお腹いっぱい聴いて帰ると、もう自宅システムまで聴こうとは思いませんでした。

尤も、自宅システムは「ローインピーダンス」の為、動作が不安定な事も聴かなくなった主原因でした。今年に入り、
1)プリアンプのボリューム交換(やっと狙っていたボリュームを手に入れました)・・・3月
2)Lchネットワークの修理・・・3月
3)パワーアンプをローインピ対応型への変更・・・4月 LUXMAN M-06αへ変更
4)パワーアンプをよりローインピ対応型へ・・・6月 クレル KST-100への変更
5)全てのゲーブル類のグレードアップ・・・7月

と手を加え調整して来ました。やっと正常化した様な・・・。

クレル:KST-100にしてから約半年が経過して来ました。昨日は午前中、自宅システムで音楽を楽しんでいました。「鳴らし込み」も半年になると「ヌケて」来ます。

昨日の聴き込みの状況では「質感」が非常に良くなっていました。自宅ではストリングスや室内楽をかけるので、「弦楽器」の質感が一番気にかかる所です。それが非常に「雰囲気音」がたっぷりで、表の音(強音)と裏の音(弱音)の合わさり方が非常に良くなって「情報量」豊かでキレのあるサウンドになりつつあります。最高峰のケーブルの音が出始めていると感じました。

まだまだ伸びしろが有る様に感じていますので、このまま鳴らし続けて行けば更に良い音質に仕上がって行くだろうと思います。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c45

[政治・選挙・NHK254] 入管法 立ちどまれと言われて、立ちどまる政権ではない(世相を斬る あいば達也) 赤かぶ
1. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月27日 10:58:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21169]
中国人移民を入れると日本人は絶滅する

1. 沖縄や北海道で中国系住民が過半数になったら独立宣言して中国小日本省になる
2. 中国軍が自国民保護という名目で沖縄や北海道を占領
3. 日本人浄化にとりかかる
4. 日本政府は遺憾の意を表するが、これは中国の内政問題だとして相手にされない

_____


・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html

ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


▲△▽▼


「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


▲△▽▼


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/251.html#c1

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
53. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月27日 11:59:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21172]

諏訪春雄のホームページ
http://home.s00.itscom.net/haruo/index.html

諏訪春雄通信10 2002年 9月

9月21日(金曜日)午後5時から、「中国少数民族の祭りと芸能―トン族・苗族・土家族の世界―」というテーマで、今年の夏におこなった中国調査の報告会を実施しました。


中国の長江中流域地帯には女神信仰がゆきわたっています。たとえば、私たちが調査したトン族社会では、薩神とよばれる民族の祖先の女神にたいする信仰がさかんです。薩神は薩歳ともよばれています。薩はトン族語で祖母を意味します。祖先の女神ということになります。

トン族の神話では、彼らの世界を創生した人物は薩神の子孫姜良姜妹の兄妹です。天下に大洪水がおきて万物がほろんだとき、薩神が送ったひさごにのってたすかった兄妹二人が夫婦となって、山川動植物を生み、トン族をはじめとする人類の祖先になったというのです。水稲農耕もこの兄妹がつくりだしたものとつたえられています。

薩神はまた隋唐時代の女英雄キョウニの伝説と習合しています。キョウニは、都から派遣された官吏の苛政に反乱をおこした村人の先頭にたってたたかい、幾度も勝利をおさめますが、最後は大軍にかこまれて自殺した女性です。

後人は彼女の霊をなぐさめるために祭壇をきずき、神としてまつりました。このキョウニが薩神と同一視されて崇拝の対象になっています。

薩神信仰とならんで、トン族の二大信仰とよべるのが、太陽信仰です。鼓楼、住居、男女の正装、帽子、その他に円形の鏡として造型された太陽をみることができます。年中行事のなかにも太陽信仰は浸透しています。

また、トン族の男女は雨具ではない紙製の傘を冠婚葬祭や日常生活に頻用します。この傘は太陽を象徴するもので、辟邪の働きがあるとされています。

この太陽信仰と薩神信仰はふかくかかわっており、トン族の人々は両者を同一とみなし、太陽光線は薩神の威力をあらわすものとかんがえています。

日本の創世神話とトン族神話には興味ぶかい一致があります。『古事記』によるイザナギ・イザナミを主人公とした創世神話とトン族神話には以下のような一致点があります。

@ イザナギ・イザナミの二神は、神世七代の洪水後に男女対偶神として誕生し、国土の生成、始動にかかわります。姜良姜妹の二神は、洪水のさいにひさごのなかにはいって命がたすかり、国土と人類の生成にかかわります。

A イザナギ・イザナミの二神は、天神の命をうけて、まず天の浮橋に立ち、海をかきまわして得たオノゴロ島に降り、天の御柱をめぐって結婚します。姜良姜妹の二神は最高神の薩神のはからいで結婚します。

B イザナギ・イザナミの二神は、はじめヒルコなどを生んで失敗しますが、天神の指示をあおいで大八島国および石・海・水門・山野の神々を生んでゆきます。イザナギは日向の橘の阿波伎原でミソギをします。そのさいに防塞神や穢れから成る神またはこれを直す神、海の神などが出現し、最後に左右の眼と鼻をあらうと、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが誕生します。姜良姜妹の二神は、十ヶ月に満たない九ヶ月で一人の男子を生みます。その子は、頭はあるが耳はなく、眼があって脚がない不完全な人間でした。その身体が斬りくだかれて民となり、手や指が地におちて高峰となり、骨がおちて岩石に化し、頭髪は万里の河川となり、脳がおちて土手や田畑になり、歯牙が黄金白銀になりました。肝腸が長江大河となり、野牛や野鹿、山脈、三百六十四の姓、トン族をはじめとする人類が誕生しました。

両神話のあいだに、洪水から生存した男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、その結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が生まれたがつぎに国土と人類などが誕生したこと、しかもそうした行為が薩神(『古事記』では天神)の指導ですすめられたことなど、世界創造神話の基本構造が一致していることが注目されます。

さらに薩神とアマテラスとのあいだにもつぎのような一致点があります。

@ 民族の祖先の女神、A太陽神でもある、B稲作の神である、C歴史上の人物(女性英雄神と皇室の祖先)と習合し祭壇がもうけられた、の四点です。

トン族の神話が日本神話の直接の原型であったなどと主張する気はありませんが、長江中流地域が日本の稲作の源流であったことは疑問のない事実である以上、稲作にともなう文化の交流についても真剣に検討する必要があるとおもいます。

この問題についてはつづけてまたこの通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa10.htm


諏訪春雄通信 11

東アジアの王権の問題について、夏期の中国調査の結果をふまえて、その後、かんがえたり、調べたりしたことをのべます。私の最終目的は、日本の天皇制の解明です。しかし、そのためには、東アジア、ことに中国大陸での王権の歴史の検討が絶対必要条件であるとかんがえています。

 

中国北方、黄河流域で巨大な王権が誕生し、南方、長江流域でなぜ巨大王権が成立しなかったのか、という問いについて、最初のきちんとした説明をしたのは、ドイツ生まれの社会学者カール・アウグスト・ウイットフォーゲル(1896〜1988)でした。水利社会論とよばれて有名な彼の考えをまとめれば以下のようになります。

 

黄河流域は黄河文明のさかえた土地である。定期的に氾濫をくりかえした黄河の大量の土砂が堆積してできた沖積平野であり、そのままでは農耕に適せず、大規模な潅漑工事が必要であった。そのため、この土地では、大量の人手をあつめて水を支配しなければならず、それが可能な強大な力をもった者が、王権を獲得し、巨大国家を建設した(平野義太郎監訳『新訂 解体過程にある中国の経済と社会』原書房、1977)。

 

この水利社会論は、現在かなり旗色が悪く、日本でも戦後きびしい批判にさらされています。批判は二つにわけることができます。一つは、彼の政治性にたいする反発です。はじめマルクス主義者として出発したウイットフォーゲルはアメリカにわたって反共産主義者にかわりました。その政治理論から、進んだヨーロッパ社会にたいする停滞したアジアという図式をつくりあげました。この図式が不評を買って、批判者の舌鋒をするどくさせたのです。

 

もう一つは、彼の水利社会論そのものにたいする批判です。最近の代表的な批判者二人を紹介しましょう。中国環境史学者の原宗子氏(流通経済大學教授)は、農業のために黄土は多量の降雨を必要とし、でなければ人工的な潅漑がもとめられるというウイットフォーゲルの主張は空想にすぎないとしりぞけ、年間降雨量そのものが不足していない華北の多くの地では、降った雨や雪の水分を発芽期までどう保持するかが問題になるのであり、潅漑の必要など多くの地域で存在しないと断定します(「土壌から見た中国文明」『四大文明』NHK出版、2000年)。

 

批判者をもう一人紹介します。日本の考古学界はフィールドワーク重視一色です。遺跡を発掘しない考古学者を日本では考古学者とはみとめません。ところが、欧米では考古学理論とか比較考古学という学問方法が市民権を得ています。自分では発掘体験のない土地の発掘報告をもとに、比較をこころみる学問です。

 

カナダ・モントリオールのマッギル大學人類学部教授のブルースG・トリッガー博士は、考古学理論家として現在もっとも生産的な仕事をしている学者です。彼は水利社会論をつぎのように批判します。「いっそう大きい潅漑システムへの要求が結果として文明発展の初期段階に専制国家を生む、というかつての通説は、初期文明においては大部分の水利施設が小規模で断片的であったという特徴を、認識していなかった。大規模な国家管理の潅漑システムは、国家の産物であり、その逆であったようにはみえないのである」(川西宏幸訳『初期文明の比較考古学』同成社、2001年)。

 

こうした批判論に接しますと、ウイットフォーゲルの水利社会論の破綻はみとめざるをえないようです。しかし、黄河流域における巨大王権の誕生という事実をどのように説明するのかという問題は、依然そのままにのこります。

 

水利社会論にかわって提出されている論を検討してみます。

 

前述の原宗子氏はつぎのように説きます。「人類が摂取するエネルギー源として太陽エネルギー利用効率の点でもっとも効率的なのは穀物生産である。当時における人工増加のポイントは、いうまでもなく食糧の確保にあったから、穀物生産を発展させた社会が、人口増加でも軍事力増強でも、他の方法で暮らしている社会にくらべ優位に立ったわけである」(前掲論文)。

 

穀物生産農業が巨大国家を誕生させたという考えです。しかし、この説明は成立しません。年間の降雨量も平均温度も農業に適さない黄河流域(前掲の原氏の批判にもかかわらず、この事実は疑問がありません)で巨大専制国家が誕生したのに、あらゆる条件がより農業に適した長江流域で巨大専制国家がなぜ誕生しなかったのか、という問題の解答にならないからです。

 

北中国と南中国の農耕の発展形態に周到な目配りをしながら論をすすめ、巨大国家成立の秘密を説きあかそうとした論文が、やはり中国史学者の岡村秀典氏(京都大學助教授)の「中国文明の起源―農耕のはじまりから国家の成立へー」(前掲『四大文明』)です。

 

氏は、殷墟から出土した甲骨文に大規模な祭祀儀礼の存在をしめす文言がきざまれていることに注目します。そして、巨大な祭祀儀礼をいとなむために、それをささえる経済システムを整備し、農業の大規模経営がおこなわれ、その結果、巨大な専制王権が誕生したと主張します。

 

しかし、この論も誤っています。事実は逆です。巨大政権が成立したから、それを維持するために巨大な祭祀がいとなまれたのです。そうした事例はいくらでもあげることができます。日本の大和政権成立後の国家祭祀整備や大規模化がさしあたっておもいうかびます。

 

湿潤地帯と乾燥地帯のはざまに巨大な大河文明が誕生したという、文明史学者安田喜憲氏の学説は、ウイットフォーゲルに匹敵するスケールの大きなものです。

 

ユーラシア大陸を、大きく湿潤地域のモンスーン・アジア、大西洋地帯と、乾燥地域の乾燥アジア、北方アジアに二分し、これまで四大文明といわれてきたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河の四大文明は、そのはざまをながれる大河のほとりでおこっていると主張し、乾燥地帯の牧畜民と湿潤地帯の農耕民の接触によって大文明は誕生したと主張するのが、安田理論です(『大河文明の誕生』角川書店、2000年)。

 

牧畜民は主食の穀物を農耕民との交易によって手に入れないかぎり生きてゆくことができない。この牧畜民に主食となる穀物や野菜を提供した人々こそ、乾燥アジアとの接点をながれる大河のほとりに生活する農耕民であった。それゆえ、乾燥と湿潤のはざまをながれる大河のほとりは、農業革命以来、農耕民と牧畜民の異文化の接触地帯になった。安田氏はそのように説きます。

 

この安田理論も、黄河文明にかぎってもいくつかの疑問があります。まず、華南に比較して、寒冷で乾燥した華北の地を湿潤地帯といえるのかという疑問です。

 

もともと、氏の説の立脚点には、1988年にはじめて氏が発見したという5700年まえにおこった地球規模での気候変動がありました(安田喜憲「五〇〇〇年前の気候変動と古代文明の誕生」『科学』五八号、岩波書店)。この変動は、北緯35度以南の大河ほとりの乾燥化をもたらした。このため、牧畜民が水をもとめて大河のほとりに集中した。この大河のほとりへの人口の集中と、もともと大河のほとりにいた農耕民とあらたにやってきた牧畜民の文化の融合が、都市文明の契機になった。これが安田理論の骨格です。

 

しかし、この論は、北緯35度以北に位置し、しかも5700年まえより1000年以上もあたらしい黄河文明に適用できないことはあきらかです。しかも、遊牧民との接触という事実の確認できない長江周辺に、巨大王権ではありませんが、都市文明の誕生したことの説明ができません。

 

批判することはかんたんにできますが、それに代わる理論を提出することは容易ではありません。ウイットフォーゲルに対する批判を丹念にたどってみると、そのことを痛感します。黄河流域に巨大王権が誕生したことは事実です。その事実にたいして納得できる説明がまだありません。

 

ここであたらしい説明を提示できなかったら、私もおなじ非難をうけることになります。次回の通信12で、私の考えをのべます。あらかじめ、私の立場をあきらかにしておけば、私は一つの理由だけを強調する一元論ではなく、複数の要因を考慮する多元論で、この問題を解明したいとかんがえます。しかも、黄河領域で最初に成立した巨大専制国家であった秦の成立要因を分析することによって、その目的を達成したいとかんがえています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa11.htm

諏訪春雄通信 12

前回の通信につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

黄河流域で最初に成立した巨大専制国家は秦です。紀元前221年に、のちに始皇帝とよばれることになった秦王政は、戦国6国のなかでただ一つのこっていた斉をほろぼして、天下統一をなしとげました。この中国史上最初の統一国家の成立要因を検討することによって、華北における巨大王権誕生の秘密を解明してみます。

 

@鉄製農具の出現

春秋時代の終りに、木製や石製にかわって鉄製農具があらわれ、未墾地の耕作が可能になりました。農民はかぎられた土地で氏族制を保持する必要はなく、家族単位に分解、その農民たちをあたらしく発生した官僚たちが再組織しました(西嶋定生『秦漢帝国』講談社学術文庫)

 

A潅漑工事

水利技術者鄭国の献策により、秦王政の即位元年に、渭水北岸の荒地を潅漑する大規模な工事がはじまりました。これが完成して沃野が出現し、秦国が富強になり天下統一の財政基盤ができあがりました(西嶋前掲書)。

 

B経済の発展

春秋時代の後半からはじまった鉄器の発明と普及は、農業や手工業の発展をうながし、経済と文化に繁栄をもたらしました。商業の発展にともなって、商人の往来や産物の流通もさかんになり、列国の封鎖的な国境をこえて、各地の経済はたがいに依存の度をつよめていきました(松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』講談社)。

 

C富国強兵策

北方の強大な遊牧民族である匈奴の進入を阻止する防衛対策のうえからも、強力な統一国家の出現がもとめられました。富国強兵策を実施したために、生産は発展し、兵力は増強しました。戦国後期、秦の国土面積は全国の三分の一弱でしたが、その富は全国の十分の六に達したといわれ、騎馬戦術を得意とする軍団は無敵の強さをほこりました(松丸・永田前掲書)。

 

以上の四つは、主要な要因であって、この四つに限定されるといいはることはできません。また、たとえば、Bについて、経済の発展とまとめるか、鉄器の発明とするかは、意見のわかれるところです。

 

しかし、鶏が先か、卵が先かをあらそうことは、それほど生産的ではなく、秦帝国出現の要因はけっして一元的ではなく、多元的、複合的であったことを確認することが重要です。

 

さらに大切なことがあります。以上の四つは秦帝国出現の要因であって、そののち、漢、晋、隋、唐、五代、宋、金、元、明、清とつづいた歴代王朝のすべてに適応できる成立要因と断定することはできません。鉄器の発明は、秦成立の重要な要因ではありましたが、漢成立の要因とはいえません。

 

黄河流域の王朝成立過程を検討するためには、学問の手続きとして、秦のばあいと同様に、歴代王朝の成立要因を検討し、共通する原因を抽出するという作業が必要になります。

 

その作業の詳細を展開することは、しかし、日本の王権の成立におよぼした中国古代思想の影響という、私のさしあたっての研究テーマからずれることになりますので、ここでは必要最小限の言及にとどめます。

 

私の研究にとっては、秦につづいて、紀元前三世紀に成立し、紀元後三世紀に滅亡した漢帝国までを対象として、両国の共通性をぬきだせば、さしあたっては十分であるといえます。

 

両帝国誕生の共通要因はつぎの3点にまとめられます。

 A 匈奴を中心とした周辺遊牧民との抗争、軋轢

 B 商業を中心とした経済の発展

 C 農民勢力の台頭

 

Aは秦の4に対応します。匈奴が、モンゴル高原一帯の遊牧社会を統一して大帝国に成長したのは、秦末漢初といわれています。秦がこの匈奴の侵入にそなえて富国強兵政策をとったと同様に、漢もまた、強力な騎馬軍団で侵入をこころみる匈奴との対応に腐心し、軍備の充実につとめ、結果として国勢をのばしています。

 

Bは秦のBに対応します。漢の経済政策は商業一辺倒ではなく、税制の改革、塩鉄専売制度の実施、貨幣制度の制定など、多方面にわたっています。それらの総合的な経済政策が効果をあげて、武帝の時代には、「都鄙の倉庫は一杯になって財貨があふれている。都の銭の量は巨万をかさね、ぜにさしはくさってかぞえることができない。国庫の穀物は古米がふえて外にまで流れだし山積みになって腐敗している」と『史記』が叙述するようなゆたかな財政状態を現出させています。歴代の皇帝は、財政の好景気時代に、その資力を駆使して外征を実行し、領土の拡大と国威の昂揚につとめました。

 

Cは秦の@と共通です。巨大帝国秦を倒したのは、農民蜂起でした。決起軍の指導者の一人陳勝は、一時は、河南省の陳に農民王国を建設して王位につくほどの勢いをしめしています。最終的に秦をほろぼして漢を建設した劉邦もまた農民の出身でした。秦代以来の潅漑工事による農地の拡大と農業技術の改革が、農民に力をたくわえさせ、その爆発が秦をほろぼし、漢を誕生させたともいえます。

 

ウイットフォーゲルの水利社会論が批判の矢面にさらされていることについては、前回の通信でふれました。しかし、彼の論が批判されなければならないのは、その一元的主張であって、潅漑水利が巨大王国出現の重要な原因の一つであったことは、秦や漢巨大化の歴史の検討を通しても、みとめられなければなりません。

 

くりかえしになりますが、私の検討すべき課題は、日本の天皇家の永続です。そのために、大陸において巨大王権が交替をくりかえした黄河流域と、そうした現象のみとめられない長江流域を対比的にまずとらえてみようとしています。

 

中国で王朝交替を正当化する理論として生みだされたのが天の思想であり、日本では天皇の永続をささえる理論として太陽の思想が形成されました。これまでの通信でのべてきたところです。

 

天の思想とは、天の命令をうけて王となり、徳をうしなって天の怒りをうけて王の位置を追われるという思想です。一地方政権にすぎなかった周が殷(商)をたおして王権をうばった行為を正当化するためのイデオロギーであり、『書経』『詩経』など、儒教の書物のなかで理論が整備されていきました。『書経』の「多士」という章では、殷をほろぼした周公が、殷の遺臣たちにつげたことばをつぎのようにつたえています。

 

「汝ら殷の王室につかえていた者たちよ。天が亡国の運命を殷にくだした。そこでわが周は王国を開くべき天命を受けて、天の明らかな威光を奉じて、殷に大罰をくわえ、殷にあたえられた天命が終わったことを上帝に告げたのだ。」

 

この天の思想に対立する、日本の天皇家永続の理論的根拠が太陽の思想です。太陽の子孫だけが天皇の地位につくことができ、太陽の永続が天皇家の永続をささえるという考えで、八世紀の天武・持統の両朝のころから理論化され、『古事記』や『日本書紀』に神話体系としてとりこまれてゆきます。

 

『古事記』を例にとれば、そうした思想は全体にゆきわたっていますが、ことに、「三貴子の分治」、「スサノオの追放と五穀の起源」、「草薙剣」、「オオクニヌシの国譲り」、「ニニギの出生と降臨の神勅」、「天孫降臨」、「ホデリノミコトの服従」などの、骨格をなす神話に、天上の太陽神アマテラスの子孫の永続性と絶対性が周到にかたられています。

 

この天の思想と太陽の思想の生まれてくる母胎は、黄河流域の天への信仰と、長江流域の太陽への信仰にあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa12.htm


諏訪春雄通信 13

   前回につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

 

 中国古代の先秦時代、詩ということばは黄河流域でおこなわれた歌謡の歌詞を意味していました。この北方の歌謡はのちに『詩経』とよばれる歌謡集にまとめられました。『詩経』におさめられた詩篇は、周代の民俗と信仰について、かなり豊富な情報をつたえてくれます。北方の民の天への信仰をしめす一篇をつぎに引用します。

 

  ああ諸侯の楽師よ、あなた方は宗廟にいるのだから謹め。
  王はあなた方の豊作のため身を謹み正している。(この事実を)十分よく受け止めよ。
  ああ保介よ、この晩春に、
  (農事以外)また何を求めるのか、新田の様子はどうなのか。
  ああ豊作の麦をみのらせ、多くの実を収穫させたまえ。
  光り輝く上帝よ、豊作をあたえたまえ。
  さて農民たちにいそぎ耕具をととのえさせよ。
  速やかにたくさん刈りいれん。(周頌)

 

 王が臣下とともに神廟で、豊穣を天の神の上帝に祈念し、みずから苗をうえる儀礼をうたった詩です。これを籍田(せきでん)といいました。この祭りに参加した諸侯の楽師につつしんで奉仕することをもとめているのが、一行めと二・三行めです。四行めの保介は農事をたすける者です。

 

 上帝は天命を下して王朝の交替をおこなうだけではなく、豊作を実現させる豊穣の神でもあったことが、この詩であきらかです。

 

 天によって任命された皇帝=天子は、つねに天の祭りをおこない、その意思にしたがって、政治をおこないました。天の神の祭りは天子だけの特権でした。『礼記』によって郊祀(こうし)とよばれた天の祭りの内容をうかがってみます。


 天子は五年に一度諸国を巡視する。その年の二月に、まず東方の巡視をして泰山に至り、柴を焼いて天を祭り、山川にたいして望という祭りをもよおし、その地方の諸侯をあつめて会見し、かつ諸侯の国々に百歳以上の人があるか否かを問い、あれば天子みずから訪問する。そして大師(楽人の長)に命じその地方の詩歌をあつめて並べさせ、その地方の風俗を知る。(王制)


 天子が四方へ行ったときは、まずそれぞれの方角の山嶽に至り、柴を焼いて天を祭る。(郊特牲)

 柴を焼いて煙をたちのぼらせ、その煙をとどけて天をまつることを「燔柴(はんし)」といいました。柴のうえに玉と絹、犠牲などをならべ、これを燃やした祭りでした。

 

 天子による天の祭りは、地方巡行のさいだけではなく、年中行事としても定着し、後続の王朝にもうけつがれていきました。都城の四周に祭壇を常設し、その中心には天をまつる圜丘壇をもうけ、天子みずから祭祀を執行しました。その遺跡である北京の天壇をご覧になった方は多いとおもいます。すでに前漢時代にはおこなわれておりました。その祭祀でも、柴のうえに玉、絹、供物をならべ、焼いて煙を天にとどける儀礼が中心になっていました。

 

 『詩経』が華北の地の民謡や詩であるのにたいし、長江流域の楚の国でうたわれた歌謡の歌詞が『楚辞』です。『楚辞』を分析して、紀元前三、四世紀ごろの中国江南地方の信仰をうかがってみます。


蘭の湯を浴び、香水に髪を洗い、色彩うるわしい衣は花のようである。このように清潔に美しくよそおって神に仕えまつれば、神霊はゆらゆらと降りとどまり、神光はかがやかしく照らして極まりつきることがない。雲の神は、ああ、祭殿に安らごうとして、日月と光をひとしく輝き給う。竜に車をひかせ、天帝の服をつけて、神はしばらく天駆けりさまよい給う。神はかがやいて、すでにここに降り給うたけれども、たちまち遠く雲中にあがってゆかれた(雲中君)

 着飾った巫女が天の神をまつる情景をうたっています。天の神は巫女の招きで地上におりてきます。

 この詩で注意されることは、冒頭部分の神の降臨する場所が、巫女の身体そのものとうけとれることです。この個所は、原詩では、「蘭湯に浴し芳に浴す。華采の衣は英(はな)のごとし。霊連蜷(けん)として既に留まり、爛として昭昭として未だ尽きず」とあります。前の行で巫女をうたい、つづけて神霊がとどまるという表現から、神はその巫女の身体に降り給うたと判断されます。

 この詩は、江南の地のシャーマニズムが、脱魂型(エクスタシー型)、憑霊型(ポゼッション型)の二つのタイプのうち、神が巫女の身体に降りる憑霊型であったことをしめしています。

 太陽をうたった詩があります。つぎにそれを検討してみます。


 赤々と朝日は東方に出ようとして、扶桑のもとにあるわが宮殿の欄干を照らす。私の馬をおさえて静かに駆けると、夜は白白とはや明けてきた。竜に車をひかせ、雷雲に乗り、雲の旗を立てて、ゆらゆらとたなびいている。私は長いため息をついて、いよいよ天に上ろうとするのであるが、心は去りがたくて顧みおもう。ああ、歌声や色うつくしい巫女の私をなぐさめることよ。観る者は皆心やすらかに帰るをわすれる。張りつめた琴と打ちかわす鼓の音、玉でかざった台にかけた鐘を撃つ。鳴り響く横笛と吹き鳴らす笙の調べ。神巫女(かんみこ)の徳すぐれてみめうるわしいのを思うのある。
 巫女たちは飛びめぐり、カワセミのように挙がり、詩を陳(の)べ、集まり舞う。音律に応じて調子を合わせているうちに、もろもろの神の御魂が日を蔽うようにして天下る。私は青雲の上衣に白虹の袴をつけ、長い矢をとりあげて、天狼星を射る。そして自分の弓を持って立ちかえりくだって、北斗の星の柄杓をとり、肉桂のかおる薄い酒をのむ。やがてわが手綱を持って高く馳せかけって、はるかな暗黒の中を私は東へと行くのである。(東君)

 
 東君は太陽です。巫女が太陽神である東君に扮して神威を自賛しています。昇ってゆく朝日である東君が、自分をまつる地上の祭儀に心ひかれて去りがたくおもう。あまりの祭儀の盛観に、日神はついに高い空から降りてきます。太陽神は天狼神を射て、天空を征服し、赫赫と神威をかがやかし、北斗を取って、そなえられた飲み物をのんで、祭りを享受します。そして暗黒の空のなかを東へ去ってゆきます。

冒頭の朝日の光が東君の欄干を照らすという、日神と太陽が分離した表現は、日神に扮した巫女が日の出をうたったもので、客観としての太陽と主観としての日神東君が分離した形式になっています。

 このように、巫女が太陽に扮してその威力を自賛するという詩の表現が成立するのも、神霊が巫の身体に憑依する憑霊型のシャーマニズムが長江流域にひろがっていたからです。

 黄河流域では天にたいする信仰がさかんであり、長江流域では太陽の信仰がさかんでした。このことは、『詩経』と『楚辞』の詩篇からもあきらかですが、より明確なかたちでこの事実を指摘されたのは、中国史の専門である京都府立大學教授の渡辺信一郎氏です。

 今年、二〇〇一年七月二十八日(土)、二十九日(日)の両日、アジア文化研究プロジェクト主催の講演会・シンポジウム「東アジアの王権と祭り」が、学習院百周年記念会館で開催されました。両日をとおして三百五十人余りの方々が参加してくださいました。熱心な聴衆の皆さんに感謝します。

 その初日、「古代中国の王権と祭りー南郊祭天儀礼を中心にー」という題で、中国古代の天子による天の祭りについて、各種の文献を渉猟されて詳細な報告をされた渡辺氏は、結論として、講演内容をつぎのようにまとめられました。覚えておられる方も多いでしょう。

 「匈奴・韓・夫余・高句麗・わい(「さんずい」に「歳」)・烏丸など、中国北方・東北地方ならびに朝鮮半島に活動したモンゴル・トルコ・ツングース系諸族、すなわち遊牧地帯ならびに稲・雑穀栽培地帯には祭天の儀礼が広汎に存在する。しかし、中国南方、長江以南の諸族をはじめ、稲単作文化地帯に属するいわゆる南蛮、西南蛮には祭天の諸儀礼にかかわる記述はない。」

 ここでいう天とは天空または夜空にまたたく星辰をさしています。対する太陽は、昼間は天に位置していますが、夜は地平線にかくれています。太陽は地上の存在と信じられていたのです。

このような太陽にたいする中国人の考え方は、先に紹介した『楚辞』の「東君」にみることができます。そこでは太陽は、夜は扶桑の木のもとにある宮殿にやすんでおり、夜があけると竜車に乗って空にのぼるとうたわれています。同種の観念は、前漢時代初期に成立した『山海経』にもみることができます。

なぜ、黄河流域では天の信仰がおこなわれ、長江流域では太陽の信仰がさかんであったのか。次回はこの問題についてかんがえます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa13.htm

諏訪春雄通信 14

前回にひきつづいて東アジアの王権についてかんがえます。今回のテーマはつぎのとおりです。

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」

 この問題を解明するのに参照すべき現象が三つあります。
 その一つは一神教と多神教の分布です。世界の宗教を一神教と多神教にわけることがあります。一神教は、一柱の神をたてて崇拝する宗教です。一神教の神は一般的には抽象的な男性原理を有し、全知全能にして万物の創造主とかんがえられています。ユダヤ教のヤーウェの神、キリスト教の父なる神、イスラム教のアッラーの神などがそれにあたります。

 これにたいし、複数の神々を同時に崇拝する宗教を多神教とよびます。古代ギリシアの宗教、インドのヒンズー教、日本の神道、仏教、道教などがそれにあたります。

 この両宗教が生まれ、分布する地域に区別があります。一神教は砂漠地帯に生まれ、多神教は農耕地帯に多くみられます。多神教が神と人間との交流を教義に説くのにたいし、一神教は神と人間との隔絶を強調します。これは一神教が、砂漠に誕生したことと関係があるとされています。荒涼たる自然環境の砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願の対象にえらばれる傾向がありました。たいする多神教は豊穣の大地にいます神々が信仰の対象になりました。一神教と多神教は天の神と地上の神の対比でもあるのです。

 二つめは、シャーマニズムにおける脱魂型(エクスタシー型)と憑霊型(ポゼッション型)の分布です。通信13であきらかにしたように、長江流域では、神が巫女の身体にやどる憑霊型がさかんでした。太陽神も巫女の身体に憑依しました。他方、黄河流域の王の祭天儀礼では柴とその上の供物を燃やして、煙を天にとどけました。神は天にあって、人間の側から神に接近していました。そこでは脱魂型がおこなわれていたとみることができます。

 現在も長江南部では憑霊型がさかんであり、黄河の北方では脱魂型のシャーマンが活躍しています。私はかなり長期にわたって、江蘇、浙江、湖南、貴州、広西チワン族自治区、黒竜、吉林、内蒙古自治区などのシャーマンを調査してまわってこの事実を確認しています。天の信仰と太陽の信仰は、また、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型の問題でもありました。

 シャーマニズムでなぜこの両タイプが存在するのか、という問いについてはまだ完全な解答は提出されていません。

 シャーマニズムの研究で大きな業績をあげたM・エリアーデは脱魂型を本質とみて、憑霊型を第二次的な変化とかんがえました。その結論的な部分だけを代表作『シャーマニズム』(堀一郎訳・冬樹社・1985年)から引用します。


 アジア的シャーマニズムは、一つの古代的エクスタシー技術と考えねばならない。この原初的根本理論―天界上昇によって直接の関係を持ち得る可能性のある天界至上神の信仰―は、たえず仏教などの侵入を最頂点とする長い一連の異国からの著彩によって変形せしめられてきた。神秘的死の概念は、漸次祖霊と「精霊」との正常な関係、「憑移」にいたる関係を促進した。

 エリアーデの考えがよくうかがわれます。アジアのシャーマニズムはシャーマンが天界への上昇によって至上神と接触するエクスタシー型こそが真の姿であり、仏教などの侵入による異国からの影響と祖先崇拝によって変化が生まれ、憑移(憑霊、ポゼッション)型を増加させたが、しかし、エクスタシー型をなくするまでにはいたらなかった。このように彼は主張します。

 このエリアーデにたいし、民族学者のW・シュミットはポゼッション型を基本とかんがえ(大林太良「シャマニズム研究の問題点」『北方の民族と文化』山川出版社・1991年)、I・M・エリスは二つのタイプは共存するとみています(平沼孝之訳『エクスタシーの人類学―憑移とシャーマニズム』法政大学出版局、1985年)。

 脱魂型は狩猟文化と関わりをもち、憑霊型は農耕社会に顕著です。この事実は多くの研究者がみとめるところです。日本にかぎっても、本土では脱魂型がほとんど存在しないのに、ながいあいだ狩猟採集社会であった沖縄では他界を旅したり空中を飛翔したりする脱魂型の体験をユタなどから聞くことはまれではありません。

 地球的の規模でシャーマニズムの研究をおこなったアメリカの人類学者エリカ・ブールギェヨンとエヴァンスキーは「全世界からの民族誌的事例の通文化的統計研究において、社会の複雑度が低く、ことに採集狩猟経済にもとづく社会などでは、脱魂型シャーマニズムがふつうで、社会が複雑になり、農耕をいとなむようになると、憑霊型シャーマニズムがさかんになる傾向がある」という結論をみちびきだしています(大林氏前掲書)。

 このようにみてきますと、天の信仰と太陽の信仰を解明する重要な鍵がシャーマニズムの脱魂型と憑霊型にあることがたしかになります。

 華北の天の信仰、華南の太陽の信仰とかかわる現象の三つめは仮面の分布です。
 世界の民族に仮面をもつ民族ともたない民族があります。
 日本の仮面使用の祭りや芸能の分布状況を、『日本民俗芸能事典』(第一法規・1976年)によってみますと、南北につらぬく日本列島で、北から南へゆくほどその分布密度は濃くなり、南島とよばれる九州や沖縄の島々が濃密に仮面芸能をつたえるのにたいし、北の北海道にはこの地で生まれた仮面の儀礼や芸能が存在しません。

 北海道は北緯40度以北に位置します。おなじように朝鮮半島の仮面の祭りや芸能の分布状況を、金両基氏の『韓国仮面劇の世界』(新人物往来社・1987年)収載の表によって検討してみますと、北緯39度線より北に仮面芸能は存在しません。日本と朝鮮半島はともに北緯40線あたりに仮面芸能の北限があったことがわかります。おなじような調査を中国でおこなってみますと、やはり北緯40度の北京あたりに仮面祭式の北限があることがあきらかになります。

 しかし、地球規模に調査の範囲をひろげますと、北緯40度という緯度に特別の意味があるわけではありません。アフリカ大陸の仮面の分布は赤道を中心に南緯15度と北緯15度のあいだにみられ、北アメリカでは北緯65度のアラスカ湾あたりまで仮面をみることができます(吉田憲司編『仮面は生きている』岩波書店・1994年)。緯度に特別の意味はありませんが、世界の民族または人々に仮面をもつ人々ともたない人々のあることは確実です。

 一神教と多神教、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型、仮面の有無、の三つの現象と天の信仰・太陽の信仰はふかい関わりがあると私はかんがえます。三つの現象が解明できれば、黄河流域に天の信仰が誕生し、長江流域に太陽の信仰が誕生した理由もあきらかになると信じています。 

 四つの現象をつらぬく共通のキーワードは農耕です。多神教、憑霊型、仮面、そして太陽信仰の四者を誕生育成した社会は農耕社会でした。他の四者を生みだした社会は狩猟または牧畜社会か、農耕社会への転進のおくれた社会でした。こうした私の断定には異論をもつ向きもあるかもしれません。現存の考古学の発掘資料によるかぎり、黄河流域に農耕がはじまった時期は、長江流域に農耕のはじまった時期にそれほど遅れているとはみえないと…。

 黄河流域では紀元前6000年ころまで農耕開始時期をさかのぼることができます。河北省武安県磁山遺跡からは炭化した粟や耕作用の石製鋤、収穫用の石鎌などの農具が出土しています。

 ちょうどそのころ、長江下流域の浙江省余姚市河姆渡遺跡からは野性稲や栽培稲、耕作用の骨製鋤、炊飯用の土器などが大量に出土しています。猪を家畜化した豚の飼育もはじまっていました。それから2000年ほど経過した紀元前4000年ごろの江蘇省蘇州市の草鞋山遺跡では、人工的な水路や水田があらわれています。

 この比較だけでは、両地域はほぼおなじころに農耕社会にはいっていて差はありません。しかし、長江中流域の湖南省にはさらに1000年以上さかのぼった彭頭山遺跡群が存在し、籾や土器、石製農具、集落跡など、水稲耕作のほぼ確実な証拠が発見されています。長江流域の農耕は黄河流域の農耕を1000年以上さかのぼります。さらに湖南省の玉蟾岩遺跡からは12000年前の炭化米を出土しており、これを栽培稲とみる説が有力です。これがみとめられれば、長江中流域に稲作の起源はじつに黄河流域を6000年さかのぼることになります。

 さらに重要な事実があります。長江流域の農耕が稲作であったのにたいし、黄河流域の農耕は雑穀栽培であったということです。毎年おなじ場所に栽培すると連作障害のおこる雑穀では、粟、黍、豆類などを順番に土地を替えて植えなければなりません。その結果、黄河流域では、農耕だけでは十分な食糧を得ることができなかったために、狩猟採集経済がながく並存しました。

 ここで問題はしぼられます。なぜ農耕社会は太陽の信仰を生み、狩猟社会は天の信仰を生むのか。私はそこにいくつかの段階と理由を想定します。

 

1.農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

2.農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

3.狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

4.農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

5.仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。


 

 今回はこの辺で通信を閉じます。次回は長江流域の少数民族社会に太陽信仰以外の信仰を追いかけてみます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa14.htm


諏訪春雄通信 15

前回予告しましたように、長江流域の少数民族社会にひろまっている太陽神信仰以外の信仰をみてゆきます。今回のテーマは「稲魂信仰」です。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには、学習院大学内外の多くの研究者が「プロジェクト参加者」としてくわわっておられます。これまでなんらかの形で私たちの活動に関わりをもたれた方々です。その参加者の一人に曽紅さんという中国の女性がおられます。この方は、現在は学習院大学の中国語講師をつとめていますが、本来は中国雲南省のハニ族の稲作について調査研究をかさね、すでに多くの論文も発表している比較民俗学者です。私の中国調査にもよく同行され、各地の民俗をいっしょに見てまわった方です。

 曽紅さんの研究の核心は雲南省ハニ族の稲作儀礼と日本の稲作儀礼との比較研究です。彼女はそこに多くの共通性を発見しましたが、しかし、なぜ遠く離れた雲南のハニ族と日本とのあいだに稲作にかかわる共通の信仰や儀礼が存在するのかという問いについては判断を保留しています。というよりも、明確なことはわからないというのが曽紅さんの本音のようです。

 彼女の研究の一端を紹介します。
 ハニ族の年中行事のうち、稲作に関係する行事にはつぎのようなものがあります。

1月 五穀祭(穀物神に豊作を祈願する)
2月 ガマツ祭(稲魂の降臨をむかえる) 
3月 苗床祭(稲の苗を祭る) 稲娘の聖婚式(稲魂を水田におろす儀礼) 穀物神と田の神を祭るハォへへ
6月 夏の松明祭(松明の火に照らして稲の多産を祈願する) 水口祭(水田の水口に供物をささげる)
7月 虫送り(稲の害虫駆除の祭り) 稲花酒を飲む(初穂を神棚にそなえ稲籾をいれた酒を飲む)
8月 新米節(ホスザ 稲刈に先立ちあたらしい稲魂と家の神棚にまつってある昨年の稲魂との新旧交代をおこなう)
9月 田の神への感謝祭(主婦は水田の真中で田の神に供物をささげ感謝の歌をうたい稲刈をする) 倉入れ(新旧稲魂の交替の儀礼)
10月 松の飾りと団子飾り(松の枝と稲の籾や若草を入れた竹筒、栗の枝を玄関にかざる。団子飾りは餅花) 年取り(団子をたべる)
    曽紅「ハニ族の年中行事」(諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)

 ハニ族の古い暦法は一年を十ヶ月とします。この年中行事はその暦法によっています。このかんたんな叙述からも、(1)農家の一年の行事が稲作の作業過程とむすびついて進行する、(2)稲の祭りの中心に稲魂信仰がある、(3)稲魂は家の神棚と倉に祭られる、(4)稲魂は新旧交代する、(5)稲は人々の生命力の根源である、など、日本の稲作の祭りと共通の信仰が存在することがあきらかになります。

 家庭の主婦となった曽紅さんは、最近、中国調査を一時休止しています。曽紅さんのあとをうけて、雲南省の少数民族の稲作儀礼調査に目覚しい成果をあげているのが、麗澤大学教授の欠端実氏です。欠端氏とは国際日本文化研究センターのプロジェクトでご一緒し、しばしばお話を聞く機会がありました。
 氏の説の核心部分を引用してみます。

 現在の雲南省においても、穀物が発芽し成長し開花し結実するのは、穀霊の働きによると考え、そのための儀礼を執り行なっている小数民族は多い。アチャン族の穀霊祭は典型的なものとされる。アチャンは、稲には稲魂があって、稲魂を離れると稲は育たず、実も入らないと信じている。したがって、ぜひとも稲魂を祀らなければならないと考えている……ハニにおいても稲魂信仰は強く残され、日本の稲作儀礼と同じ儀礼が今日に至っても守られている。
 「雲南少数民族における新嘗祭」(『新嘗の研究4−稲作文化と祭祀―』第一書房・1999年)

 ハニは現在でも新穀を供える新嘗祭(フォシージャー)を行なっている。期日は一定していないが、おおむね七、八月の龍の日に行なわれる。稲魂(新穀の女神)はとても恥ずかしがりやなので、新穀を刈り取るときにはめでたい詞を唱えて、穀物を収穫する目的と新穀の女神をお迎えする誠意を表明しなければならない。穂がびっしりとつまっていて虫に食われていないものを選ぶ。刈り取った穀物は三本一くくりとし、三束に分けて先祖の位牌の所に掛け、一年中そのままにしておく。ただしお年寄りが亡くなったときにだけ持ち出して焼く。
 新米節のときにはまず先祖に供える。主な供え物としてはご飯である。(同上論文)

 氏はまたハニ族の新嘗祭の特徴をつぎのようにまとめています。

1.家の祭である。
 新嘗の時には家族全員で新穀を食べる。その際、客を招かず、家族以外の人には食べさせない例が多い。また新穀を収めた穀倉は他人 に見せようとはしない。

2.女性が主宰する祭である。
 調査した60余の村の内、11の村が「新嘗」は女性家長が主宰すると答えた。男性が主宰すると答えた村は2例であった。

3.新嘗儀礼の中心にあるのは穀霊(稲魂)信仰である。
 田畑にいる穀霊を家の中に迎え入れ祖先棚あるいは穀物蔵で休息してもらう。新穀を祖霊、穀霊および天神に供え共食する。新穀を食することは穀霊を食べることに他ならないという観念が今日も残されている。

4.穀霊信仰と祖霊信仰とが結合している。
 田畑から迎え入れられた穀霊は祖先棚に安置される。この祖先棚の移動や新設は新嘗の日に行わなければならない。

5.穀霊を保護しているのは聖樹である。穀霊信仰と聖樹崇拝とは結合している。
 ハニ族最大の祭は、田植前に行なわれる聖樹祭(アマトゥ)である。稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられている。聖樹は村建ての時、村のセンターとして選ばれるものであるが、西双版納(シーサバンナ)では各家で聖樹をもつ村があった。

欠端実「ハニ族の新嘗―アジア稲作の古層―」(アジア民族文化学会秋季大会発表要旨・平成13年11月11日・共立女子短期大学)


 ここでのべられている雲南省のハニ族の新嘗祭はそのままに日本の新嘗祭です。しかものちに変質してしまった日本の新嘗祭の古代の原型を推定する手がかかりさえのこされています。なぜそのような酷似性がみとめられるのでしょうか。これまでの本通信の注意ぶかい受信者ならば、その理由を容易にかんがえつくことができるはずです。

 欠端氏もまた曽紅さんと同様に、日本との類似性は指摘するがその理由についてはふれられません。雲南省は長江中流域にひろがる湖南省、湖北省などよりもさらに西南に位置し、日本からは遠くはなれた山岳地帯です。ここの稲作が、間にはさまる巨大な空間を超えて注目されるようになったのは、いまから三十年以上もむかしに、照葉樹林文化論(上山春平ら編『照葉樹林文化論』中央公論社・1969年初版)が流行したころからです。雲南省のハニ族の稲作が中国の他の土地に先んじて調査対象になったのは、じつはこの照葉樹林文化論の影響でもあったのです。

 1980年代、アジアの稲作の起源地としては、インドのアッサム州から中国の雲南省・貴州省にかけての高原地帯が有力でした。いわゆるアッサム・雲貴起源説です。この説をささえる重要な根拠は、この高原地帯で日本の農学者渡部忠世博士によって野性の稲が発見され、さらに、3、4000年まえにさかのぼる栽培稲が見出されたことでした。渡部博士の説は、1977年に『稲の道』(日本放送出版協会)として発表され大きな影響を学界にあたえました。

 このアッサム・雲貴稲作起源論のうえに華麗な照葉樹林文化論が強化され、日本の学界をにぎわしたことはご記憶の方も多いとおもいます。照葉樹林文化というのは、西ネパール付近からヒマラヤの南山麓を通り、中国南西部を経て西日本にいたる帯状の地帯にひろがっていた照葉樹林地帯(照葉樹林は、クスノキ、シイ、ツバキなどの、葉は革質で光沢のある常緑広葉樹の林で、日本では九州、四国、関東までの沿岸部に分布します)に生まれそだった文化で、焼畑農耕にもとづく雑穀栽培、ナットウやなれずしなどの醗酵保存食の利用、高床式住居の住居形式などなどの文化複合を形成しています。稲作もまたこのルートをたどって日本に到達したと主張されました。

 しかし、湖南省が稲作の源産地として確定した今日、照葉樹林文化論の骨格はくずれました。ほぼ4000年前の雲南省の稲作は、それよりもさらに4000年以上さかのぼる長江中流域から伝来したものと推定されます。したがって雲南の地にひろまった稲作の祭りや信仰もじつは長江中流域が起源地であったということになります。

 日本の稲魂信仰と雲南省ハニ族の稲魂信仰の共通性は、長江中流域の稲作民の稲魂信仰が東西に伝播したためであるといいきることができます。そして、私たちはすでに、湖南、湖北、貴州などの少数民族社会にその原型となる稲魂信仰を見出しています。

 次回は中国長江中流域の少数民族社会の稲魂信仰についてのべます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa15.htm


諏訪春雄通信 18 2002年 12月

 通信15で雲南省のハニ族の稲魂信仰についてのべました。最終のねらいは、中国の長江中流域ではじまった稲作が、日本へ伝来したときに、稲作の技術とともに、稲にかかわる各種の信仰を同時に日本へもたらし、日本の天皇制の基盤となった信仰・精神を形成したという事実の証明です。

 中国の少数民族ミャオ(苗)族の居住地は、湖北、湖南、四川、雲南、貴州、広西チワン族自治区などの各省にひろがっていますが、738万人におよぶ全人口(1990年の調査)の50パーセントまでが貴州省にすんでいます(田畑久夫他編『中国少数民族事典』東京堂出版・2001年)。

 ミャオ族の現在の主要な生業は稲作を中心とした農業です。山間低盆地や河谷を主体とする山間部に形成された平坦地では、付近をながれる河川の水を利用する水田稲作が中心で、一部の水田では鯉などの養殖もおこなわれています。これにたいし、山腹の斜面をきりひらいて造成した棚田では天水を利用した稲作が、段々畑ではトウモロコシ、おかぼ陸稲などが栽培されています。

 この貴州省のミャオ族のあいだに顕著な稲魂信仰をみることができます(潘定智「丹寨苗族的穀神崇拝」『貴州古文化研究』中国民間文芸出版社・1989年・他)。藩氏は穀神ということばつかっていますが実体は稲魂です。

 彼らのあいだに地上の穀物の起源について3種の神話がつたえられています。
1.大洪水がおこりこの世から穀物がなくなった。姜告略という老人がいた。老人は白バトとスズメに命じて天上の銀河のあたりから穀物をぬすませた。人間はそのおかげで稲をうえることができた。


2.むかし、人間は山の洞窟にすんでいた。そのころ、ミャオ族と漢族がおなじ洞窟に居住していた。その洞窟に一人の老婆がいて穀物と酒の麹種をもっていた。穀物は大きすぎて煮てもたべることができなかった。そののち、老婆がいなくなった。利口な人間が斧で穀物をわったところ、その破片からトウモロコシ、麦、稲、高粱、粟などが生え、また土中にはいって芋や蕨が生じた。漢族は麹種を得て、辛い酒をつくり、ミャオ族は甘い酒をつくった。


3.もともと穀物はとおくはなれた神農氏の里にあった。老人が犬に命じて穀物をとりにゆかせた。犬は途中に流れのはやい大河があったので、尾の先に穀物の粒をつけてもどってきた。そのために、現在、穀物の穂は犬の尾とおなじ形をしている。

 以上の3話は東アジアに流布している稲作神話の三つのタイプを代表しています。1の鳥のモチーフは穂落し神の伝承として中国、朝鮮、日本に流布しており、3の犬のモチーフはとくに中国南部にひろくおこなわれています。また2の洞窟から穀物を入手するモチーフは、洞窟から米が流出する、いわゆる「流米洞伝説」の変型とみることができます。このタイプは中国や朝鮮にひろがっています(大林太良『稲作の神話』弘文堂・1973年)。

 この三つの稲作神話のうち、1は日本でも東北から沖縄にまでひろまっています。穀物をもたらす鳥は多くは鶴ですが、雀、鴻などの種類もみることができます。3の犬は弘法大師伝説とむすびついてかなり変型した話がひろく流布しています。2の流米洞伝説はいまのところ日本からは発見されていません。朝鮮半島にまでつたわっていながら、海峡をこえることができず、日本につたわらなかった神話、伝説、習俗などはかなりあります。流米洞伝説もその一つです。

 稲魂のことを、ミャオ族は穀魂、米鬼、穀神などとよんでいます。稲が田圃で生長する旧暦の2、3月から8、9月のころまで、稲魂は田にあって稲の生長を見まもります。この時期の稲作の祭は稲魂を中心にいとなまれます。
 起活路 翻鼓節 撤苗 開苗門 粽節 稲魂祭 苗家稲祭 吃新節 稲魂収倉行事など、農事の節目ごとの行事がそれにあたります。

 起活路は春節(旧正月)ののちの決められた日(旧暦2月の第一亥の日など)の農事始めの行事です。河のそばの田を鋤でほりおこし、カヤ・ススキや山椒を田にさします。これは邪鬼の類の侵入をふせぐための儀礼です。

 開苗門は田植開始の儀礼です。もち米のご飯と魚を苗代にささげ、稲魂の保護を祈願します。そのときにとなえる文句のなかで、稲魂に「姑娘(娘)」とよびかけます。稲魂を女神とみなしていることがわかります。稲魂祭は、虫の害などで稲の発育が不良のとき、その原因を稲魂が田のなかにいないせいとかんがえ、鴨、酒などを持参して田にやってきて、稲魂に田にもどるように祈願する祭りです。

 苗家稲祭は、若者や娘が稲魂になる儀礼です。七月半ばの夜半、若者と娘たちが村の岡にあつまってこの儀礼がおこなわれます。指導者で歌い手になる人(巫師)が田から青々とした稲の葉(稲魂の変身とみなされている)をとってきて、えらばれて稲魂になる若者の頭上にさします。そして若者に耳をふさがせておいて、腰の鈴をならしながら、稲魂に生育をうながす歌をうたう。そのあいだに若者はしだいにトランスにおちいって、あの世にはいってゆきます。そして、途中、亡霊にあったりしながら、もっとも美しい場所までいってひきかえしてきます。これで若者は稲魂と一体になって成長することができると信じられているのです。

 吃新節は稲が成熟してきたころ、各家で田から奇数本の穂をぬき十粒の新米を古米のもち米とまぜて祖先と稲魂に感謝しながらたべる行事です。

 稲魂収倉行事は秋の収穫がおわったのち、一升の米をえらび、一把の稲束を小さな天秤棒にかけたものをその米にさし、倉におさめる儀礼です。そのときに

 九月がきました。十月がきました。穀粒はすべて倉におさまりました。稲魂様もどうぞ倉におかえりください。

ととなえます。

 ミャオの人たちにとって、稲魂は田の神であるとともに彼らの一生を守護する神でもあります。母の胎内にやどったときから、最後の死をむかえるまで、稲魂にまもられることによって無事にすごすことができると信じています。

 女性は懐妊すると巫師をよんで稲束を部屋の入口にかかげて祈祷をしてもらいます。邪鬼の類の侵入をふせぐためです。子供が成長すると、一碗の米と一個の鶏卵をいつも床の上においておきます。稲魂の保護を期待するためです。子供の衣服や帽子には穀物や米をいれた布の袋がぶらさげられています。

 病気にかかると枕もとに一束の稲の束をおいて病魔の退散を祈願します。新築のさいには、まず使用する柱に稲束、鶏、魚、酒などをささげて祈祷し、家が完成すると、大きな梁の両端に稲束をかけておきます。不幸があって巫師がよばれると、稲束が重要な役割をはたします。巫師は占いによって稲魂からその家の不幸の原因を聞きとり、災難を消滅させます。

 ミャオの人たちの一生は稲魂の保護のもとにあり、死ぬと稲魂にみちびかれてあの世にゆくと信じられています。出棺のとき、巫師は通過する道に米をまきちらし、死者をほうむる墓穴にも米を敷きます。こようにして稲魂は死者の霊魂につきそいます。

 このような事例をならべると、稲魂が祖霊神と一つになっていることがあきらかです。梁に稲束をかけて、家の保護を期待するのも、死者が稲魂にみちびかれてあの世にゆくのも、稲魂即祖先神だからです。

 そして、稲魂はまた太陽神でもあるはずです。

 この断定については、すこし説明が必要です。通信15で紹介した雲南省のハニ族の稲魂信仰では穀霊信仰が祖霊信仰とむすびついていました。その事実は、欠端実氏の報告によってあきらかです。信仰の有無や結合の判断はむつかしく、調査者のモチーフの持ち方に大きく左右されます。調査する人の側に太陽信仰というモチーフがないと、調査結果からこの部分がそっくりぬけおちてしまいます。つまり、欠端氏は穀霊信仰と祖霊信仰という二つのモチーフはつよくもっていましたので、両者の結合をとらえることができましたが、太陽信仰というモチーフははじめからもっていなかったので、調査結果からぬけおちてしまったのです。

 じつは、私がこれまでの貴州省ミャオ族の稲魂信仰の記述に主として利用した藩定智氏の報告にも、太陽神信仰という視点ははじめからないので、稲魂信仰と太陽神信仰の結合という事実はまったくうかびあがってきません。しかし、私は貴州省のミャオの稲魂信仰は太陽信仰と結合していたと判断します。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには企画を立案し、活動の基本の方針を審議する10名の運営委員がおります。著名な民俗写真家の萩原秀三郎氏もその委員の一人です。萩原氏の最近の著書に『稲と鳥と太陽の道』(小学館・1996年)があります。天皇制に焦点をしぼっている私のこの通信文のテーマとはねらいがちがいますが、稲魂信仰、鳥霊信仰、太陽信仰の三つが中国から日本へわたってきたという認識は共通しています。

 氏は、この書の中で広西チワン族自治区のミャオ族の信仰習俗にふれ、正月に村の中心にたてられる芦笙柱の本質を鳥竿、宇宙樹、太陽樹としてとらえておられます。この柱の上には鳥の作り物がかざられます。その鳥がすべて東の方向をむいているのは太陽をむかえるためで、太陽は稲の豊穣に不可欠であり、そこから柱と鳥、太陽、稲魂がむすびつくとのべておられます。したがうべき説です。

 今年の八月、私たちが中国長江流域の湖南、湖北、貴州3省の少数民族社会を調査してまわったことは、すでにこの通信でも報告しております。そのさい、調査にはいったミャオ族部落で太陽信仰の証跡をいくつも発見しています。

 8月4日には貴州省のミャオ族のー秋節という秋をむかえる祭りを見学しました。その部落入口の門の中央には木製の太陽がかざられていました。娘さんの正装の飾りにも太陽を象徴するものがみられました。
 8月11日に湖南省ミャオ族の竜舟行事を見学したときにも、竜舟や竜王廟の飾りに太陽のモチーフを見出しています。

 長江流域の稲作民族であるトン族の人たちが、稲魂、太陽、女性祖先神の三者の結合した信仰をもっていることについては、この通信10でくわしく報告しました。

 こうした長江中流域の文化複合が稲作とともに日本へ伝来したことは確実です。これまでながいあいだ、中国大陸をさすらってきましたが、次回の通信からは、比較民俗の視点と方法で、日本の王権の誕生と本質についてかんがえます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa18.htm


諏訪春雄通信 19

 この通信では日本の天皇制をささえる基本の信仰と精神が、中国の長江流域の少数民族がつたえている信仰と精神をうけついでいることについてのべます。そのために、今回は、日本の古代神話を素材とすることになりますが、しかし、私の採用している方法は比較神話学ではなく、比較民俗学です。日中両国の神話の類似を立証するのではなく、日本の天皇制をささえる基本精神の解明が目的です。

 日本の古代神話をつたえている代表的な書物は『古事記』と『日本書紀』です。この二つの書物が記述されるとき、中国の書物、それも黄河流域の漢民族の著述が、多く参照されました。よく知られている事実です。『古事記』や『日本書紀』の神話を分析するときに、留意すべき点はこの書承による修飾的な叙述を排除して、直接に天皇制の支えとなった稲作民の思想を抽出することです。

そうした修飾を排除した、日本神話の基本構造はつぎのように整理されます。主として『古事記』によります。
1.別天つ神五柱、神世七代のあとをうけ、ただよっている国土生成の命を天神からうけて誕生したイザナギ・イザナミの男女二神は、の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてオノゴロ島をつくった。その島に降り、聖なる御柱のまわりをまわって結婚する。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。


2.天神の指示をうけて御柱めぐりと発言をやりなおした二神は、淡路島以下の大八島国、吉備児島以下の六島、石、海、風、木などの神々をつぎつぎに生む。


3.イザナミは日の神カグツチを生んだときに産道を焼かれて病にかかり没した。イザナギはいかってカグツチの首を斬った。その剣の血からは雷神ほか、カグツチの身体からはさまざまな山の神などが誕生した。


4.イザナミは黄泉の国へ去る。そのあとを追ったイザナギは、妻のことばにそむいて死体を見た。「見るなの禁忌」をおかしたイザナミはヨモッシコメらに追われるが桃の実などの呪力で逃走し、黄泉の国と現世との境のヨモツヒラサカを巨大な岩でふさいでしまった。


5.黄泉の国からのがれたイザナギは、筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをする。そのとき、左眼からアマテラスが、右眼からツクヨミが、鼻からスサノオが誕生した。三貴子が誕生したことをよろこんだイザナギは、アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海原の支配を命じた。スサノオは父の命令にしたがわず泣きつづけたので、イザナギは根の国に追放してしまった。


6.スサノオは根の国におもむくまえに高天原のアマテラスをたずねた。スサノオの振舞のあらあらしさをおそれた姉の疑いをはらすために、天の安河をなかにはさんで姉弟は誓約をおこなった。アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。


7.誓約のあと、勝者としてふるまったスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、神聖な機織屋に逆はぎした馬の皮をなげこむなどの乱暴をはたらいた。おそれたアマテラスは天石屋戸にこもった。そのために高天原も葦原中国も暗闇となってさまざまな災いがおこった。八百万の神々は天安河原にあつまって相談され、長鳴鳥をなかせ、天香具山のサカキに玉、鏡、白幣、青幣などをつけてフトダマがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出させておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスが不思議におもってのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。神々はスサノオの鬚と爪をきって追放した。


8.高天原を追放されたスサノオが食物をオホゲツヒメにもとめたところ、鼻・口・尻などから食物をだしたので、汚いといかったスサノオはオホゲツヒメを殺害した。殺害されたオホゲツヒメの身体から五穀や蚕が生じた。


9.天上界をおわれたスサノオは根の国へむかう途中、出雲の肥の河のほとりで、アシナヅチ、テナヅチの夫婦と娘クシナダヒメにあう。娘はヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇にくわれる運命にあったが、スサノオは八つの瓶につよい酒を用意させ、大蛇が酔って寝ているすきにきりころした。そのとき、大蛇の尾のなかから出現した剣をスサノオはアマテラスに献上した。スサノオはクシナダヒメと結婚して出雲の地にすんだ。この二神の子孫からオオクニヌシが誕生する。


10.オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられたいつわりの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。


11.白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオムナチ(オオクニヌシの別名)は兄弟のねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオムナチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。


12.出雲のヤチホコ(オオクニヌシの別名)は高志のヌナカワヒメに求婚に出かけ、歌をうたいかわして結婚した。それを知った正妻のスセリビメがはげしく嫉妬したために大和へ行こうとしたが、夫婦で愛の歌を唱和し、心とけてともに出雲の地に鎮座した。


13.オオクニヌシが出雲の美保の岬にいたとき、小舟にのって海をわたってきたスクナビコナと逢った。両神が力をあわせて国造りにはげんだのち、スクナビコナは常世国へわたっていった。国造りの未完成をなげくオオクニヌシのまえに海を照らして近づいてきた神が国づくりの協力を申しでた。この神は大和の御室の山にまつられた。


14.葦原中国平定のために高天原の神々の命令で派遣されたアメノオシホはオオクニヌシにへつらって三年たっても復命しなかった。そこでアメノワカヒコがあたらしく派遣されたが、オオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚して八年たってももどってこなかった。しかも事情をさぐるためにおくられた雉を射殺し、高木神(タカミムスヒの別名)の射返した矢にあたって死んだ。アメノワカヒコの葬儀がいとなまれ、川カリ、鷺、カワセミ、スズメ、雉が役割を分担して歌舞音曲をつとめた。弔いにおとずれたシタデルヒメの兄アジスキタカヒコネは死者とまちがえられたことをいかって、喪屋をけちらしてしまった。


15.アマテラスはタカミムスヒと相談して、つぎにタケミカヅチにアメノトリフネをそえて葦原中国に派遣した。タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りをせまると、子のコトシロヌシにこたえさせた。コトシロヌシは天神の御子に国譲りするとこたえた。しかし、もう一人の子のタケミナカタは承知しなかったので、タケミカヅチは力比べに勝って信濃の諏訪に追いはらった。オオクニヌシは出雲国に御殿をたててもらって住み、葦原中国を天神御子に献上した。


16.アマテラスとタカミムスヒ(高木神)はアメノオシホミミに天降りを命じた。オシホミミは自分とタカミムスヒとのあいだに誕生したホノニニギを代りに推薦した。ニニギが降臨する途中、天の八ちまたにサルタヒコが眼から光を発してあらわれた。アメノウズメにその正体を問わせると、「先導をつとめるため」とこたえた。ニニギにアメノコヤネ以下の五伴緒、オモヒカネなどの供と、三種の神器があたえられた。アマテラスは、ニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。したがって、鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。


17.ホノニニギは笠沙の岬で大山津見神の娘コノハナサクヤビメと出あった。父神は姉のイワナガヒメをあわせて献上したが、ニニギは醜い姉をかえし、コノハナサクヤビメと一夜の契りをかわした。父神は「コノハナサクヤビメをとどめた天孫のお命は木の花のようにはかないでしょう」と申しおくった。一夜で妊娠したコノハナサクヤビメをうたがったニニギにたいし、ヒメは火中出産によって天孫の子であることを証明した。そのときに生まれた子が、ホデリ、ホスセリ、ホオリの三神である。


18.ホデリとホオリは海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針と弓矢を交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。


19.臨月のちかづいたトヨタマビメは御子を生むために夫のもとにやってきた。しかし八ひろワニとなって出産している姿を夫に見られ、誕生した子ウガヤフキアエズをのこして海の宮へかえっていった。天皇家第一代の神武天皇はこのウガヤフキアエズの四男である。

 以上の19段が『古事記』のつたえる初代神武天皇誕生までの王権神話です。これらの神話の個々のモチーフについては、多くの神話学者による研究のつみかさねがあります。それらは、とうてい長江流域から伝来した稲作にともなう伝承としては解釈できない多様性をもっています。

 たとえば、7の著名なアマテラスの天石屋戸隠れについてはつぎのようなさまざまな説明がこれまでになされています。

A.アマテラスは大嘗祭の準備中に穢れにふれた。
B.日神であるアマテラスの日蝕神話である。
C.日神であるアマテラスの冬至神話である。
D.生命力の回復を祈願する鎮魂祭である。
E.大祓の儀礼の性格をもつ。

 7が以上のような多様のモチーフを複合していることはたしかですが、しかし、『古事記』の王権神話には全体をつらぬく主題があり、19段の神話素はその主題にしたがって、選択、配置、変容をくわえられていることも疑問のない事実です。私がはじめに、この通信で神話の比較研究をこころみているのではなく、王権の永続の秘密を比較民俗学の手法で解明しようとしているのだとのべたことにかかわります。個々のモチーフの由来を検討するのではなく、根本をつらぬく構造の解明とその由来が、私の研究目的になります。

 『古事記』神代の神話(多少形をかえてはいるが『日本書紀』にもいえます)はつぎのような基本テーマで編集されています。

1.日本の天皇は国土を生成し、時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である。1,2,3,5
2.日本の天皇の直接の祖先神アマテラスは太陽神、穀霊である。5,6,7,16
3.日本の天皇は天界から地上に下った。5,6,7,8,14,15,16
4.天皇以前に地上を支配していた勢力は出雲を拠点としたオオクニヌシ一族の神々である。9,10,11,12,13,14,15
5.地上勢力オオクニヌシの権力の根源もじつは天界にある。9,10,11,13
6.天皇は海の神の血統と呪力をとりこんで王権を強化した。18,19

 『古事記』神代の神話は以上の王権にかかわるテーマのほかに、国土生成(1,2)、地上と黄泉国の分離(4)、祭祀の起源(7)、穀物の起源(8)、地上の整備(13)、寿命の限界(16)などのテーマもかたっています。しかし、王権に限定すれば、以上の6つに整理されます。そして、この6つのうち、さらに日本の王権を確立させる最重要テーマが1から3までの3つです。この根本構造を決定する3つが、じつは中国南部の稲作にかかわる信仰に由来しているというのが私の基本の考えです。

 次回は新春にふさわしくこの天皇制の根本問題を中心にのべます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa19.htm


諏訪春雄通信 20 2002年 1月

2002年最初の通信を、「日本の王権神話と中国長江中流域」というテーマでお送りします。

 『古事記』を中心にまとめた日本の王権神話の最初はつぎのようになります。

 別天つ神五柱、神世七代の神々の最後に誕生したイザナギ・イザナミの男女神は、天の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてつくったオノゴロ島に天降り、聖なる柱のまわりをめぐって夫婦となる。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。天神の指示によって御柱めぐりと発言をやりなおし、大八洲の島々と自然の神々を次々に生んだが、火の神を生んだときに火傷を負ってイザナミは死に黄泉国へゆく。妻を追って黄泉国へいったイザナギは妻のつれもどしに失敗する。筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをしたイザナギは身体から、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子を得て、天・夜・海の三界を分治させる。スサノオは父の命令に不満をもつ。

 これと構成要素がほとんど一致する中国江蘇省の「三官伝承」とよばれる民間伝承を大林太良氏が紹介されています(「イザナギ・イザナミ神話と中国の伝説」『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』青土社・1996年)。三官とは天神水神地神の三神です。大林氏はつぎの六つの要素に分類し、イザナギ・イザナミ神話との一致を論証しています。
1.海に囲まれた島に夫婦
2.夫婦別離
3.生まれた子を流す
4.夫は水中に入り新しい妻をめとり三子を得る
5.三子は三つの宇宙領域の代表者となる
6.三子のうちの一人は、自分に割り当てられた領域に不満

 この三官伝承は『西遊記』第九回「陳光蕊、任に赴いて災いに会い江流の僧讐を復して本に報ず」を直接の種本にしています。この事実をもとに大林氏は、「三官伝説がいま紹介したような形になったのは、もちろん『西遊記』が広まってからの新しいことであるが、イザナギ・イザナミ神話と対応するような大筋は、すでに古くから呉越の地に神話として存在していたのではないか」という仮説を提示しています。

 2と3が入れ替わっただけの一致は不思議にさえ感じられます。大林氏が提案されるような母胎の神話は呉越の地に実在したのでしょうか。それはどのような形をとっていたのでしょうか。広大無辺とでもいうべき学識の持主であった大林氏はその具体例をあげることなく昨年2001年4月12日に他界されました。私どものプロジェクトも創立当初からお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 中国の長江中流域の稲作民トン族が明確な洪水伝説を核とした祖先神話をもっていることについては、この諏訪春雄通信の10で紹介しました。日本神話とのあいだは、A洪水から生存した兄妹の男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が誕生したがつぎに国土と人類などが誕生したこと、Cしかもそうした行為が最高神の指導でおこなわれたことなど、基本構造が完全に一致しています。

 世界の神話研究者には意外に知られていない事実ですが、洪水で兄妹が生きのこり、結婚して人類と国土を誕生させるという、いわゆる洪水神話は中国ですくなくとも58話がすでに発見、紹介されています(林河『儺史―中国儺文化概論―』台北東大図書公司・1994年)。

 著者の林河氏が私のふるくからの友人であり、昨年の夏に中国長江流域の少数民族調査を共同でおこなったことについては、この通信の9でのべました。氏は現代中国最高の民俗学者です。この神話の分布状況を、この神話を保持している民族の居住地域で整理するときわめて興味ぶかい結果が出てきます。居住地域の決定は『中国少数民族事典』(田畑久夫ほか編、東京堂出版・2001年)によりました。

雲南省 29  福建省 3  貴州省    12  広西チ自治区 3ワン族
四川省  3  湖南省 8  内蒙古自治区  2  遼寧省       2
湖北省  2  海南島 4  黄河辺     1

 この数値の総計は69となって、58話を超えます。たとえば、トン族は貴州省と湖南省にわかれて居住しています。そのさいにそれぞれを1として計算したために数値がふえたのです。

 洪水神話は、『旧約聖書』のノアの方舟で知られるように、古代オリエント、古代インド、南アメリカ、東南アジアなどにまで分布していて、その起源地についても諸説があって、一定しません。

 しかし、上掲の表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南などの長江周辺の稲作民居住地に稠密に分布していて、そこから南北にずれると、急速に減少しています。このことから、洪水神話の起源地は長江中流域である可能性がきわめて高いといえます。

 私は、さらに、林河氏の紹介例にあたらしく20余話をつけくわえることができます。収集資料の整理・検討がまだ不十分ですので発表は後日を期しますが、私の資料をくわえても、林河氏の資料の分析から得た結論はつよめられこそすれ、ゆれることはありません。

 典型的な洪水神話のいくつかを紹介しましょう。


 むかし、一人の病気がちの老女がいた。彼女は雷神の肉をたべて病をなおそうと、子供たちに雷神をとらえる方法をかんがえさせた。しかし、彼女の孫と孫娘はやさしい性格であったので、こっそり雷神に危険を知らせた。雷神は兄妹に感謝し、歯を一本ぬいて彼らにあたえ、空に雷がなりひびき、大雨がふり、大洪水がおこるようなときには、いそいでこの歯を土中にうめなさい、そうすれば二人の命はすくわれるであろうと告げた。雷神は天の門をひらいて洪水をおこし、人類をことごとくおぼれさせてしまった。兄と妹は天の門がひらかれたときに、すぐ歯をうめた。歯からは大きな瓢箪が生え、兄妹はその瓢箪を割いてなかにかくれ、洪水から身をまもることができた。旧い人類は死にたえ、兄と妹だけがのこった。兄は崑崙山のまわりをまわって妹を追いかけ、天に兄と妹が結婚してよいかどうか、うかがいをたてた。天の許しを得て、ちぎりをむすぼうとするとき、妹ははずかしがって扇で顔をかくし、結婚したあとに肉の卵を生んだ。兄がそれをくだいて人類の種をまいたという(林河著・平石淑子訳「東アジアの動物信仰」諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)。

 この漢民族の神話はほかの少数民族神話の影響下に成立したものとかんがえられます。同型の神話が、トン、ミャオ、トウチャ、チワン、プイ、コーラオなどの各民族につたえられているからです。洪水、生存した兄妹、宇宙の中心をめぐったあとの結婚、失敗、世界の生成などの、重要な要素が出そろっていることに注意してください。

 漢民族の神話と同型のミャオ族の洪水神話をつぎに紹介します。


 おおむかし、天から雷鳴とともに雨がふりそそいだ。雷のしわざである。一人の勇敢な男が鉄の檻を用意して雨のなかにとびだし、雷をとらえた。男が市へ出かけたるす、雷はるす番の子供たち兄妹にたのんで水をそそいでもらった。そのとたん、雷は檻の外へとびだし、天に飛びさった。そのとき、雷は兄妹に礼として歯を一本わたし、土中にうめるようにいいのこした。二人の子供がいわれたとおりにすると、大きな瓢箪が生えた。雷のいかりで大洪水になり、地上の生物はすべて死にたえたが、瓢箪のなかにかくれた二人は生きのこることができた。あるとき、兄が妹に結婚しようと申し出たが、妹はことわった。兄がなおもたのむと、妹は自分を追いかけてつかまえたら結婚するといった。兄は大きな木のまわりをめぐりながら妹を追いかけた。妹はなかなかつかまえられなかったが、兄は急にむきをかえて妹をつかまえた。結婚して間もなく生まれた子は、手足のない肉のかたまりであった。二人は肉塊をこまかにきざみ、天の神にたずねるために天への梯子をのぼりはじめた。しかし、大風がふいて肉の包みが解け、地におちて人間が生まれた。こうして人類は誕生した(君島久子『中国の神話』筑摩書房・1983年)。

 このミャオ族の神話でも洪水と樹めぐりが結合しています。日本の神話との一致は、樹=柱のまわりをめぐる行為が二度目に成功する細部にまでみられます。

 もうひとつ、リス族の民族創成の長編叙事詩を紹介しましょう。


 天空を黒雲がおおい、大地には強風がふきすさぶ。江水、河水がみなぎり、いまや人類は死にたえようとしていた。そのなかで兄一人と妹一人だけが生きのこった。兄妹は瓢箪にかくれて避難した。七日七夜ただよい、九日九夜漂流した。大江の水、大河の水がへりだし、瓢箪は山谷のあいだにただよった。銀刀、金刀で瓢箪をたたきわってみると、屍が大地をうずめていた。兄妹は人類の絶えるのをおそれ、櫛を二つにわり、腕輪を二つに切って交換し、兄は妻をさがしに北へ、妹は夫をたずねて南へゆく。兄と妹は大地の中央、谷の真中で出あった。兄の髪には白髪、妹の目じりにはしわが生じていた。櫛と腕輪はぴたりとあった。兄は妹にむかっていった。伴侶をさがせないのなら、兄妹で夫婦になるほかはない。妹は承知しない。もし結婚をのぞむなら針穴を弓で射なさい。兄は針の穴を射ぬいた。妹はなおも承知しない。池のほとりに臼をおき、谷のそばに臼をおき、もし結婚がうまくゆくなら、二つの臼は一つになるだろうところがした。臼はくぬぎの丘をころがって上部と下部がかさなった。天神は二人をむすびつけ、地神は臼をひきあわせた。二人は涙ながらに結婚し、リス族、漢族、ヌー族、トウロン族などを生んだ。人類は大地をおおい、活力は山野に満ち満ちた(君島久子氏前掲書)。

 この詩でも重要なモチーフはそろっています。洪水、瓢箪、兄妹、中心めぐり、神の意思による結婚など。柱のまわりをめぐる日本神話にたいし、大地をまわって二人は出あっています。柱を立てることは小宇宙(ミクロコスモス)を設定することです(諏訪春雄編『巨木と鳥竿』勉誠出版・2001年)。柱をまわるとは宇宙の中心をまわることであり、それは宇宙の星座が天界をめぐって秩序が更新されることになぞらえられる行為なのです。人類の祖先の結婚は世界の始原の時間の行為であったことをしめしています。

 もう一つ。人類最大タブーの近親婚をやぶるために慎重な配慮がほこされています。五体不満足のヒルコや肉のかたまりが最初に生まれてくるのは、インセスト(近親相姦)を犯した結果なのです。

 イザナギ・イザナミの国生み神話は岡正雄氏(「日本文化の基礎構造」『日本民俗大系』平凡社・1958年)以来、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するものと論じられ、ほぼ定説とされています。また、火の神カグツチの出産を契機としてのイザナミ・イザナミの夫婦別れも沼沢貴市氏の研究(「天地分るる神話の文化史的背景」『アカデミア』・1952年)以来、これも東南アジアに分布している天地分離神話の一種と理解されてきています。

 中国神話にたいする研究が進展していなかった時代の学説がそのまま今日までうけつがれているのです。王権を論じるこの通信のテーマからはなれますので、深入りはしませんが、天地分離神話も中国の少数民族社会に数多くつたえられています。それぞれの民族がそれぞれの天地創造(分離)神話をもっているといってよく、その数は洪水神話を超えるかも知れません。しかも多くは洪水神話とセットでかたられています。東南アジアで発見される断片的な洪水神話や天地分離神話は中国神話が波及していったものと断定できます。

 中国を中心軸として左右対称に、東南アジアと日本・朝鮮には相似の文化や民俗をみることができます。中国で変質してしまったり、うしなわれたりしたものが、東南アジアの各国や極東の朝鮮・日本にのこっている例もすくなくありません。まして、洪水神話や天地分離神話は中国大陸に数多く発見できるのです。これまでの定説は再検討されなければなりません。

 次回は「太陽と稲魂」をテーマに論じます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa20.htm


諏訪春雄通信 21

 今回は、前回お約束したように「太陽と稲魂」というテーマでお送りします。

 前々回19の通信で整理した神話素によりますと、アマテラスにかかわる神話の大筋はつぎのようにまとめることができます。

 黄泉国からのがれたイザナギが穢れをはらうためにみそぎをした左眼から誕生したアマテラスは高天原の支配を命じられた。鼻から誕生したスサノオは海原の支配を命じられたが、したがわなかったので、根の国へ追放された。
 スサノオは根の国へおもむくまえにアマテラスをたずねた。そのあらあらしさに恐れをなした姉の疑いをはらすために、姉弟は誓約をおこない、アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。誓約のあと、勝者としてふるまうスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、機織屋に逆はぎにした馬の皮をなげこんだ。
 おそれたアマテラスは天石屋戸にこもり、高天原も葦原中国も暗闇となりさまざまな災いがおこった。八百万の神々は、長鳴鳥をなかせ、玉、鏡、白・青の幣帛などをつけた榊をフトダマノミコトがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出しておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスがのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。
 アマテラスは、天降りするニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。

 『古事記』によってまとめたこの梗概からもアマテラスの《太陽神+稲魂》という本質はうかがうことができます。高天原の支配を命じられて、名がアマテラス(天空を照らす)であること、天石屋戸にこもったこと、鏡を魂とするとなどは、アマテラスが太陽神であることをしめしています。

 『日本書紀』を援用すると、アマテラスが太陽神であることはいっそうあきらかです。
 『書紀』によると、アマテラスは、日神(太陽の神)、オオヒルメノムチ(太陽の女神)などとよばれ、「この御子は輝くこと明るく美しく、天地四方の隅々まで照りかがやいた」などと叙述されています。

 天石屋戸ごもりについては、日蝕、冬至、などの解釈がありますが、いずれにしてもアマテラスが太陽神であることをうかがわせます。鏡が本来太陽をあらわしていることは、長江流域のトン族、ミャオ族などの習俗からあきらかです。

 姿をかくした太陽を鶏がよびだす招日神話が中国の少数民族のあいだに伝承されています。ここではミャオ族の「オンドリになぜトサカがあるか」という話を紹介します。

 むかし、天に住む天爺さんにはオテントサンとよばれる十人のせがれがいた。天爺さんは自分がねむっているあいだ、十人のせがれに一人ずつ空を見まわるよう命じたが、子どもたちは父の言いつけにしたがわず、皆で一度に空をまわることにした。しかし、末っ子だけは父の命令をまもって、兄たちに同行せず留守番をしていた。
 九つのオテントサンが照りつけるため、地上は干あがって作物はみな枯れてしまった。こまった人間たちは相談し、声の大きな動物にオテントサンを追いはらってもらうことにし、アカウシ、シシなどがよばれたが失敗してしまった。そこでつぎに弓の名人が太陽を射ることになり、九本の矢で九つの太陽を射落とした。
 兄たちの射落とされるのをみた末っ子の太陽は、肝をつぶし、矢のとどかない山の向こうににげこんで、二度と顔をみせようとしなかった。世の中は真っ暗闇となり、人々はこまりはてた。声の大きな動物に太陽をよびださせることになったが、シシ、アカウシが失敗し、オンドリがよばれた。しかし、しわがれ声で一回めは失敗、二回めも失敗した。猛練習をかさねたオンドリの三回めのよび声にオテントサンは東の山の頂上から大地をのぞいた。あたりは明るくなり、人々はニコニコして歓迎した。
 オテントサンはすっかりオンドリが気にいって、自分の真っ赤な服のはしを切りとって赤い帽子をつくってやった。それからは、オンドリの呼び声にきっと山の後ろから顔をだすようになった。(村松一弥翻訳『東洋文庫 苗族民話集』平凡社・1974年)。

 前半は射日神話とよばれる話型で、後半が鶏と太陽の招日神話になっています。この両神話はセットになって、中国のミャオ族のほかに、ワ、ラフ、ハニ、プーラン、リー、ヤオ、イ、チベット、チワン、トンなどの諸族につたえられています。おそらく、日本に伝来した招日神話も本来は討日神話とセットになっていたものを、前半を切りおとして、体系のなかにくみいれたものとかんがえられます(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店・1996年)。

 たいせつなことは、日本の王権神話の重要な骨格が中国長江流域の稲作民族の神話で説明できるということです。

 アマテラスが稲魂であるということも、『古事記』からうかがえます。

1.アマテラスが田をつくり、新嘗を主宰している。
2.地上に降臨したアマテラスの孫ホノニニギは稲穂の豊穣の意味をもつ。

 さらに『日本書紀』を援用するとアマテラスの稲魂、穀霊としての性格はつぎの記述によっていっそう明瞭になります。

1.死んだウケモチノ神の身体から生じた稲などの五穀を天の田にうえ、大きな稲穂を収穫している。
2.新穀をたべる新嘗を主宰している。
3.第二の一書によるとニニギの降臨のさいに高天原の田の稲穂をさずけている。

 皇室の祖先神であるアマテラスは、女神、太陽神、稲魂という三つの性格をかねそなえています。このような性格をもった神がトン族に信仰されていることについては、この通信の10で報告しました。トン族の薩神とよばれる神は、民族の祖先神、女神、太陽神、稲魂、歴史上の人物という五つの性格がアマテラスと一致しています。

 また、祖先神・女神・稲魂・太陽神の四位一体となった神が長江中流の稲作民であるミャオ族やハニ族に信仰されていることについては、通信18で報告しました。

 日本の王権神話の発端となっている、
1 日本の天皇家は国土を生成し時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である
2 日本の天皇家の直接の祖先神アマテラスは太陽神であり稲魂である

という二項の骨格部分が、中国の長江流域稲作地帯の神話伝承や習俗で説明できることをこれまでにのべました。

 次回は、以上の1と2につづく天孫降臨神話についてもおなじ説明方法が適用できるかどうか、検討します。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa21.htm


諏訪春雄通信 22

 前回の通信で次回は「天孫降臨神話」についてお送りすると予告しましたが、1回先延ばしさせていただき、今回は「沖縄の稲作」というテーマでのべます。

 私たちのプロジェクトは学外の各種機関から助成金をもらって活動を継続しています。その援助機関の一つ、サントリー文化財団から、沖縄祭祀研究のテーマで平成12年、13年とつづけて助成金をうけました。そのために、1月23日、大阪の財団本部で、財団理事の方々やほかの研究プロジェクト代表をまえに研究報告をしなければなりません。今回はその報告の概要をお送りします。

 日本列島へ大陸から稲がわたってきた経路は三つかんがえられます。1:朝鮮半島経由ルート、2:江南からの直接ルート、そして3:沖縄経由ルートです。この3のルートは、柳田國男が昭和36年に刊行した『海上の道』で主張した説です。

 1,2は考古学の裏づけがありますが、3には古い遺跡も出土品もありません。いまのところ、沖縄の最古の稲は、玉城の糸数城遺跡から出た、西暦10世紀ごろのもので、それより古い稲は発見されていません。したがって、考古学者や歴史学者は3をみとめませんが、一部の民俗学者や農学者のなかに、かなり根強い支持があります。

 その一人、遺伝子分析で大きな成果をあげている農学者の静岡大学助教授の佐藤洋一郎氏は、東南アジアから台湾、沖縄、九州にかけて、現在、焼畑耕作にともなう熱帯ジャポニカが点在することを根拠に、3の海上の道説は、《魅力ある仮説》といいきっています。

 一方は考古学上の証拠、他方は現在の熱帯ジャポニカの分布、という相反する事由にもとづく二つの対立した立場に、解決の道をさぐろうとして、私は沖縄と本土の稲魂信仰に注目しました。そして、成熟度に差異があることを根拠に、私は沖縄の十世紀以前の稲作の存在を疑問視しています。

 社会人類学者の伊藤幹治氏は、昭和49年に刊行された『稲作儀礼の研究』(而立書房)で、本土と沖縄の稲作儀礼の周到な比較研究をとおして、両者の異質性を指摘し、柳田國男や折口信夫らが研究の立脚点とした本土日本と沖縄の同祖論を否定しています。

 私はおなじ見方が稲魂信仰や太陽信仰に適用できるとみます。そして、本土日本の稲魂信仰と太陽信仰・祖霊信仰の結合は、稲作の誕生地である中国の長江流域の影響を直接にうけているからとかんがえます。沖縄の稲魂信仰は本土を経由して時間をかけて伝来したために、沖縄固有のニライカナイ信仰に包摂されて変質したものと判断しています。以下、私の報告書を掲載しましょう。


沖縄の太陽信仰と稲魂信仰
   沖縄民俗祭祀の源流を東南アジア・中国大陸南部・台湾などの黒潮文化圏に探る研究
                代表:学習院大学文学部 教授 諏訪春雄

 沖縄の神観念
 沖縄の固有信仰の対象となる神々を二つにわける見方がある(高阪薫「沖縄の祭祀と神観念」同氏編『沖縄の祭祀―事例と課題』三弥井書店・1987)。

A 可視と不可視

 見える神…表象認識できる特定の場に滞在する神      
アニミズムの要素をもつ自然の神々 屋敷神 井の神 カマドの神(火の神) 御嶽の神など
 見えない神…表象認識できない不特定な空間のいずこかに存在する観念的、抽象的な神
火の神 ニライカナイの神 竜宮神 アマミヤシネリヤ(開闢神) 祖霊神 オボツ神(天上や山上の神)など
 
B 信仰集団

 家レベル
オナリ神 火の神 祖先崇拝 アニミズム的な具象の神々
 村レベル
御嶽の神 火の神 ニライカナイ神 祖霊神 竜宮神 アマミヤシネリヤ オボツ神など

 このような体系のなかで、太陽神はAでは見える神、Bでは村レベルに分類できるが、ここにあげられた神々ほど顕著な神格ではない。沖縄の年中祭祀を検討しても太陽神だけを対象とした祭祀はみとめられない。粟国島の正月のユークムイ(世を乞う丘)で区長が東方にむかって豊穣を祈願するのは太陽信仰の数すくない事例である。しかし、太陽神を「てるかは」とよんでいる例が『おもろさうし』にみえるところからも、太陽が信仰されていることは確実である。

 これにたいし、稲を対象とした祭りは多い。旧暦の八月前後におこなわれる豊年祭(広義には、八重山諸島の六月下旬のプールィ、八、九月の結願、十月の種子取祭、宮古諸島の世乞いなどもふくめる)は豊穣祈願を目的とし、稲をはじめとする五穀の豊作が、豊漁、子孫繁栄などとともに対象になる。また、稲霊(魂)信仰が存在することは、旧暦八月にアマミ大島でおこなわれるショッチョガマ(片屋根のわらぶき小屋)、つづく平瀬マンカイ(招き合い)によってあきらかである。ともに収穫感謝と豊作祈願の祭であり、この祭で男、女のとなえる文句のなかに稲霊があらわれる

 稲霊が祈願対象となるショッチョガマと平瀬マンカイの基本構造は対応している。

  早朝―男性―垂直神
  夕方―女性―水平神

 ショッチョガマで男たちによってとなえられる文句はつぎのようである。


ハー、トートガナシ(神への尊称・神拝みの常套句)
八月の新節がやってきて
ショッチョガマ祭を祭ってあげましょう
西東の稲霊様は
伊津部の田袋に お寄り下さって
伊津部田袋の稲霊様は
秋名田袋に お寄り下さって
北風が吹いたら上の畔を枕にして
南風が吹いたら下の畔を枕にするように
稲を実らせて下さい
そして名を上げて下さい トートガナシ

 ここで稲霊様は天から招かれている。

 女たちが掛合いでうたう平瀬まんかいの歌はつぎのようである。


〈神平瀬〉
 玉の石に登って 何のお祝いをしましょう 西東の稲霊を 招き寄せよう
〈女童平瀬〉
 秋名の親ノロが すべての稲霊を寄せて 村があるかぎり 祭ってあげましょう
〈神平瀬〉
 朝潮の満ちあがるころは ショッチョガマの祭り 夕潮の満ちあがるころは 平瀬の祭り
〈女童平瀬〉
 今年世は変わって 不思議なことに 海の魚たちが 陸にあがってきたことよ
            (口語訳のみ 『おきなわの祭り』沖縄タイムス社・1991年)

 ここでは稲霊様は海の彼方から招かれている。

 これらの歌から、沖縄の稲霊は、1.稲の豊穣をつかさどる、2.天または海の彼方から招かれる、3.漁労、狩猟などの豊かさをつかさどる神々と同格である、などの性格がみちびきだされる。
 沖縄の稲魂信仰は固有のニライカナイの信仰に包摂されている。


 日本本土の太陽信仰と稲魂信仰

 日本本土では太陽信仰をまだ各地でみることができる。正月に初日の出をおがむこと、彼岸の社日(土地神の祭り)参り、お日待ち、天道信仰、天道念仏、天道花、お火焚き神事、おびしゃの神事、ゲーター祭などの行事や習俗となってあらわれている。

 天道信仰はとくに対馬を中心とし、北九州などにも分布する。日神信仰と稲魂信仰を合体させ、真言密教の教義で体系化したものである。天道は天童とも書き、テンドウサンとよばれる。赤米を耕作し、その稲魂を加持祈祷して神霊とし、崇拝の対象にした。このテンドウとはべつに真言密教系統の天道法師とよばれる菩薩を信仰の対象にした。この天道童子は母が日光に感精して懐妊し、成長して僧となったという伝説をつたえる。

 天道念仏は、福島、茨城、栃木、千葉などの各県におこなわれている念仏行事である。四本の竹で櫓をくんで注連縄をはり、中央に梵天をたて、供え物をして、梵天を中心にして右回りに念仏をとなえながらおどる。一月から三月彼岸にかけて集中しており、テントウすなわち太陽の信仰が核になっており、そこに出羽三山の信仰や大日信仰、念仏信仰などが集合したものとされている。

 関東地方にことに集中して分布するオビシャは、三本足の烏または烏と兎を一対でえがいた的を弓で射る正月行事である。烏は太陽、兎は月をあらわすものとされ、中国にはじまって日本に伝来した射日神話である。太陽の死と再生を儀式化したものと理解されている。おなじように、三重県鳥羽市神島で年の暮れから元旦の早朝にかけておこなわれるゲーター祭も、太陽の死と再生による秩序の更新をはかるものと理解されている。この祭では、アワとよぶぐみの枝に白紙をまいてつくった直径二メートルほどの輪を、若者たちが雌竹ではげしくたたき、初日の出とともに東の浜で高々と空につきあげる。アワは日輪をかたどり、たたくことは偽の太陽をたたきおとすことであり、空につきあげる行為は日の出を意味する。ゲーターとは迎旦つまり日の出をむかえることという。

 稲魂にたいする信仰も、前述の対馬の赤米神事以外にも本土各地でみることができる。その年の初穂を神にそなえて感謝する新嘗祭、十二月の始めに田の神をむかえて収穫を感謝し、二月のはじめに豊作を祈願して田の神をおくりだす能登半島先端部のアエノコトの行事、その年の稔りの豊さを祈願する祈年祭などの行事に稲魂の信仰をみることができるし、ハレの日の餅、悪鬼ばらいの散米、墓への供物としての洗米、病人の枕元での振り米、出産のさいの力米などにも米の霊力にたいする信仰がある。

 本土の太陽信仰と稲魂信仰は全体としてつぎのような特色をもっている。
1.対馬の天童信仰からあきらかなように太陽信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
2.能登のアエノコトにしめされるように祖霊信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
3.稲の豊穣をつかさどるだけではなく、人間の寿命や健康までを左右する米の霊力にたいするつよい信仰が存在する。

 以上を総合して、本土の稲魂信仰は、沖縄よりもはるかに成熟していると、結論づけられる。そして、稲魂信仰と太陽信仰や祖霊信仰との結合は、中国の長江中流の稲作地帯の少数民族社会におこなわれている信仰が、稲作とともに日本に伝来したものとみることができる。


稲の来た道

 よくしられているように、柳田國男は昭和36年(1961)に刊行された『海上の道』で、日本人の先祖は稲作をともなって中国大陸南部から沖縄に漂着して宝貝を発見し、その魅力にとりつかれ、また稲作の適地をもとめて、日本列島各地にひろがったという日本人北上論をとなえた。

 このような柳田の論は現在の考古学の裏づけを欠いている。

 沖縄に稲作のはいった時期は、玉城の糸数城跡から麦とともに出土した炭化米の時代判定によって、10世紀以前とみられ、そのころにはかなり栽培されていたとかんがえられる。また、1477年(尚真一)に与那国島に漂着した朝鮮済州島人(金非衣ら)の記録によると、与那国・西表・伊良部・宮古・沖縄の各島に稲作がおこなわれているとの記述がみられ、15世紀後半には沖縄全域で稲作がおこなわれていた(「いね」『沖縄大百科事典』)。

 沖縄に稲の来た道も最近の研究によれば、中国南部から直接に伝来するよりも日本本土を経由した可能性がつよい。

 本土の最古の稲は岡山県や鹿児島県などから出土しており、縄文時代前期、6000年前にまでさかのぼる熱帯ジャポニカである。おそらく焼畑耕作によって、ヒエやアワ、キビなどの雑穀とともに栽培されていた。この熱帯ジャポニカは中国大陸の江南地方から直接日本に渡来していた。

 日本で熱帯ジャポニカが焼畑で耕作されだした、ちょうどそのころ、中国江南では水田耕作による温帯ジャポニカの生産がはじまっていた。現在わかっている水田の最古の遺跡は江蘇省蘇州市の6000年前の草鞋山遺跡である。この水田は朝鮮半島をへて縄文晩期の2600年前には佐賀県唐津市の菜畑遺跡におよんでいた(浦林竜太「イネ、知られざる1万年の旅」『日本人はるかな旅』NHK出版・2001年)。

 水田稲作は、朝鮮半島を経由せず、直接、中国から日本に伝来したものもあった。遺伝子研究によって、佐藤洋一郎氏は、水稲は、中国からの直接ルートと朝鮮半島経由ルートの二つがあったことを主張している(「DNAからみたイネの道」『日本人はるかな旅』)。

 こうした大陸から本土への稲の道に沖縄は登場してこない。

 柳田國男が主張したように、沖縄への稲の伝来を10世紀以前に想定する可能性がまったくないわけではない。

 佐藤洋一郎氏作成の「熱帯ジャポニかの分布図」によると、現在、熱帯ジャポニカは、中国南西部からインドシナ半島半島奥地にかけての地域と、フィリピンやインドネシアなどの熱帯島嶼部で栽培されている。また、熱帯ジャポニカ固有の遺伝子をもつ品種が、台湾の山岳部から南西諸島を経て九州にまで点在している。この事実から佐藤氏は、〈かつて柳田國男が主張した「海上の道」はがぜん魅力ある仮説となる〉とのべている(佐藤洋一郎氏前掲論文)。

 沖縄から古い米が出るか出ないかはいまのところ判断材料はない。また、アジアの熱帯ジャポニカの原産地は中国長江中流域であり、日本には6000年まえには伝来していた。沖縄の熱帯ジャポニカも本土経由の可能性をすてきれない。しかも、沖縄の稲魂信仰が本土にくらべて、太陽信仰や祖霊信仰とむすびつくことがないなど、未成熟または変質の事実を考慮すると、沖縄に十世紀以前のふるい稲作を想定することはむずかしい。
 沖縄の稲作の祭祀儀礼じたいが本土とはかなり異質である(伊藤幹治『稲作儀礼の研究』而立書房、一九七四年)。長い時間をかけて本土から沖縄につたわったために、独自の風土と信仰のなかで変質していった可能性がかんがえられる。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa22.htm


諏訪春雄通信 23

 今回は「天孫降臨神話」についてのべます。

 日本古代神話のなかでも、天孫降臨神話についての研究は格段にすすんでいます。この神話が、日本の王権神話のなかでも核心となる部分だからです。松村武雄、三品彰英、大林太良、西郷信綱、松前健、吉田敦彦などという名立たる神話学者の研究がつみかさねられ、日本の天孫降臨神話が朝鮮半島から内陸アジアにかけてひろく分布している、祖神の天降り神話に由来することは定説となっています。

 これまでに上記の研究者たちによって指摘されている先行神話はつぎのようなものです。

 まず朝鮮の歴史書『三国遺事』がつたえる檀君神話です。
 天帝の子の桓雄は父の命令によって、天符印三個をもって、風・雨・雲および穀物・生命・疾病などをつかさどる神々をひきいて、太白山山上の檀の木をつたわって降臨した。このさいに、熊がよもぎとにんにくをたべて、女に化身し、桓雄と結婚して檀君を生んだ。この檀君が国をひらいて朝鮮と命名した。

 おなじ『三国遺事』がつたえる首露王神話はつぎのようになっています。
 伽耶地方の村々の首長らが亀旨峰という山にあつまって、迎神の祭りをおこなっていると、天から紫色の紐がたれさがってきた。紐の端をみると、黄金の卵が六つはいっている赤い包みがあり、そのなかの一つから伽耶国の始祖である首露がうまれた。

 もう一つ、ブリヤート・モンゴル族のゲセル神話です。
 至高神デルグエン・サガンは、マラトの民の哀願を聞き、一日も早く天神を降して悪者を退治しなければならないと考えた。彼はドロン・オドウン天に全天の諸神九十九柱の主な神々と、天上に住む数千のブルハンをあつめて、悪者征伐の大評定を開いた。最初、至高神サガンの子、カン・チュルマスを下すべきことが提案されたが、チュルマス神は老齢を理由にことわった。そして自分の末子ゲセル・ボグドゥに天下りを命じるよう乞い、四歳のボグドゥが天命を拝受した。ボグドゥは、1)全天の九つの天の主宰神がもつ智謀のすべて、2)祖父のもつ黒い軍馬、3)英雄の準備金、4)祖父の蹄縄、5)祖父の短い槍、6)一人の妻を所望し、これを手に入れて下った。

 この神話を紹介された大林太良氏は、
1.天神の子が天下ることをことわり、孫がその代りに天下る。
2.天下る神が幼児である。
3.日本の三種の神器にあたるものに蒙古の六種がある。
4.日本では荒ぶる神のいる葦原中国を平らげるために神集いにつどい、その結果国譲りがおこなわれたが、蒙古神話でも、荒ぶる神を平らげるために天神の子をくだそうとして神々の大評定がおこなわれた。

という四点の類似をあげて、「おそらく元来はアルタイ語族系の牧畜民文化を母胎とした神話であって、日本へは、皇室の先祖の起源神話として入ったものであろう」と結論づけておられる(『神話と神話学』大和書房・1975年)。

 以上、日本の天孫降臨神話を北方系としてとらえる視点が定着しています。そのばあい、私がこの通信でこれまでのべてきた日本の王権神話の源流であった南方農耕地帯の神話や習俗との関係はどうなるのでしょうか。

 じつは、南方長江流域の少数民族社会にも、民族の祖先が天から穀物をもって下ったという種類の神話や伝説は流布しているのです。いままで考慮されなかっただけのことなのです。そのなかから二つの神話を紹介します。

 まず雲南省を中心にすんでいるナシ族の神話です。

 大昔、兄弟姉妹が近親婚をはたらいたために神の怒りをかって大洪水がおこり、わずかな人類はほろびました。皮鼓のなかにはいってただ一人生きのこったツォゼルウは、天神ツラアブの娘ツフブブミと出会って恋におち、天にともなわれ、父の天神に会いました。若者が気に入らない天神は、一日のうちに九つの林の木をきる、伐採した木を一日でやきはらう、焼け跡に穀物をまいて収穫する、収穫した穀物のうちじゅずかけ鳩と蟻にたべられた三粒の穀物をとりもどす、岩羊の猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、川魚猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、虎の乳をしぼってくる、などの試練を課しましたが、ツォゼルウは娘の知恵にたすけられてことごとく突破します。さすがの天神も二人の結婚をゆるし、家畜、穀物の種などをあたえて下界へかえしてやります。二人は地上の多くの種族の祖先となりました。

 前半は省略しましたが、天地創造神話と洪水型神話が結合しており、後半はスサノオとオオクニヌシの神話と同型の難題婿の話型になっています。しかも天神の娘が人間の男とむすばれて天上から穀物をもたらし、地上の多くの種族の祖先となる話にもなっています。

 もう一つ、湖南省から広西チワン族自治区にかけて居住するヤオ族の神話を紹介します。

 大昔、天は今よりも低いところにあり、人間は大木をつたわってたやすく天へあそびにゆくことができました。そのころ天神に命じられて地上の水をつかさどっていたのは天上にすむ水仙姫でした。ある日、彼女は地上からきた若者に夢中になって、水口をふさぐのをわすれ、地上は大洪水におおわれてしまいました。天神のはげしい怒りにおそろしくなった水仙姫は、若者の手をとってにげだしてしまいました。水仙姫の両親は二人をさがしまわり、月宮の桂の木の下にいる娘と若者を発見しました。たのもしい若者と娘がいることに安堵した両親は、二人に穀物の種子とゴマの種子をあたえて地上へにがしてやりました。
 地上はすでに水がひいていました。二人は穀物とゴマの種をまき、人類や動物をつくりだしました。天神は地上が元通りに豊かになっているのみて、二人をゆるしました。ただ、地上の人間が天に上ってくるのをふせぐため、天をたかくひきあげてしまいました。このときから、地上の人間は天へ登ることができなくなりました。

 このような神話はまだ数多くつたえられています。いずれきちんと分布状況を整理したいとおもっています。

 さしあたり今はつぎのようなことがいえます。
1.天孫降臨神話の骨格は北方諸民族の山上降臨型神話によって形成された。
2.しかし、その北方系神話をうけいれた基盤は、南方農耕民族の天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる神話、稲魂信仰、太陽信仰などであった。そのために天孫ホノニニギは豊穣な穀霊、太陽神などの性格ももつことができた。
3.天孫降臨神話は、シャーマニズムの二つのタイプ、脱魂型と憑霊型が融合して誕生した。

 この3についてさらに説明をくわえておきます。

 天に神がいますという信仰は、北方狩猟採集民族の脱魂型にもとづきます。他方、その神々が地上に降臨して人間にまじわるという信仰は農耕社会に優勢な憑霊型です。この二つが融合しなければ、天孫降臨神話は成立しません。

 2と3をあわせて、これまで、北方系神話が伝来したものといわれてきた天孫降臨神話を、北方、南方両系統の複合としてかんがえなおそうというのが、この通信23の主題です。

 これ以降の日本王権の展開は、北方原理にもとづく思想と南方原理にもとづく思想の葛藤・複合としてとらえることができます。その最初のモデルが天孫降臨神話なのです。これを北方原理だけとしてとらえると、日本の王権の本質は解明できませんし、永続の秘密もみえてきません。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa23.htm

諏訪春雄通信 24

 今回のテーマは「根の国神話」と「海幸山幸神話」です。この二つの神話は、ともにこれまで長江流域の神話や伝説とむすびつけてかんがえられることはほとんどありませんでした。ほとんどといったのは、海幸山幸神話にかぎっては少数意見として、長江流域に源流をもとめる説が存在するからです。

 まず根の国神話から検討してみます。
 王権にかかわる日本神話の基本構造は通信19で整理しておきましたが、念のために根の国神話の梗概をのべておきます。


 オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられた偽りの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。
 白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオナムチ(オオヌニヌシの別名)は兄たちのねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ、根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオナムチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。

 この神話についても、これまでに、松村武雄、松前健、西郷信綱など各氏の研究がすでに世に出ていますが、一種の成年式、通過儀礼としての解釈をしめすのみで、典拠または原型が指摘されたことはありません。

 しかしこの根の国神話の由来も、長江流域の少数民族の神話や伝説にもとめることができるのです。

 前回の通信23で、私は天孫降臨神話の原型として、雲南省にすんでいるナシ族の神話と湖南省や広西チワン族自治区にすんでいるヤオ族の神話を紹介しました。この二つの神話は地上の人間の先祖が天上から稲をもたらす話であるとともに、前者のナシ族の神話は、地上の若者が天神の課した数々の試練を天神の娘の愛と助けによってのりきり、地上に家畜、穀物の種などの宝物をもたらす話でもあるのです。

 このナシ族の神話と日本の根の国神話とはつぎのような類似点をもっております。
1.地上の若者が異界をおとずれる。
2.異界の王から数々の試練を課せられる。
3.試練を異界の王の娘の助力によってのりこえる。
4.その異界の王の娘と結婚し、王から宝物をあたえられる。
5.二人は地上に生還し、地上の人種の祖先となる。

 もちろん、日本の根の国神話と比較すると、異界が根の国にたいし天界であり、宝物が呪術的な宝器にたいする家畜・穀物である、などの相違もあります。

 しかし、私はこの相違よりも、問題のナシ族の神話が、中国長江流域の少数民族社会の思想や信仰と日本の王権神話の構造的関連を検討するという、大きな構想のなかにうかびあがってきた資料であることを重視します。日本王権神話の骨組みを構成する中国長江流域の神話・伝説群にぴたりと適合する神話であり、いわばミッシングリンクであるということです。

 当然、同地域のほかの民族の神話や伝説のなかに類似の話があるであろうという予想のもとに、私は手許の資料にあたってみましたが、いまのところ、同型の話を見出していません。時間をかけて、ていねいに文献を読むだけのゆとりが、この時期の私にないという事情もはたらいているのかもしれません。この通信を一冊の書物にまとめるときまでに類話を発見しておきたいとかんがえています。

《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、これまで何人もおもいつくことのなかった基本構想のもとに、つぎに海幸山幸神話を検討します。

 海幸山幸神話の梗概はつぎのようにまとめられます。


 ホデリとホオリの兄弟は、海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針を弓矢と交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。

 この神話は通常、兄弟争いと復讐、海神国訪問、異類婚という三つの要素にわけて説明されます。このうち、兄弟争いについては、東南アジア系の類話が報告されています(『上代説話事典』雄山閣・1993年)。
 インドネシアのケイ族につたわるヒアンとパルバラ兄弟の話はつぎのような梗概です。


 天上に兄弟がいた。ある日、弟のパルバラが釣りをしていて、兄のヒアンから借りた釣針をうしなってしまう。兄は返せとせめた。弟はさがしまわり、偶然出あった魚の協力で、のどに針のささった一尾の魚をみつけた。弟は兄に釣針を返したが、一計を案じて兄に油をこぼさせ、その油を返せとせまった。

 ほかにパラウ島の伝承も紹介されています。


 釣針を魚にとられた族長の息子アトモロコトが父にしかられて海中アダックの地にゆく。そこで釣針をのみこんでくるしんでいる女リリテウダウに会う。針を吐きだして痛みがなおった女は、アッダクの支配者であった。アトモロコトが自分の孫であることを知ったリリテウダウはなんでも欲しいものもって帰ることをゆるす。

 このような説話が紹介されたことによって、源流をインドネシア方面にもつ「失われた釣針型説話」を原型として、婚姻や出産、通過儀礼などの要素がそこにくわわってこの神話が形成されたという説が定着しています。

 この定説形成に大きくはたらきかけた要因が、この神話が隼人の服属神話として王権神話にくみここまれたという事実です。隼人の故郷を東南アジアにもとめる視点はかなりな妥当性をもって承認されるからです。

 しかし、私は今年最初の通信20で、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するとこれまでされてきたイザナギ・イザナミの国生み神話がじつは長江流域に数多く発見される洪水神話にもとづくことを論証しました。東南アジアで発見される洪水神話は、分布状況から判断しても、中国から伝播したものとみられます。

 海幸山幸神話の原型も、同様に、中国の長江流域でおこなわれていた伝承が、隼人の服属神話に組みかえられて、『古事記』や『日本書紀』の神話体系にとりこまれたというように判断されます。

 そのように主張するのは、中国の長江流域で、兄弟の争いと復讐、海神国訪問、呪術的宝物の獲得、などの重要なモチーフをそなえた話がつたえられているからです。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa24.htm


諏訪春雄通信 25

 今回のテーマは前回につづいて「海幸山幸神話」です。

 この神話については東南アジアに原型をもとめる説がつよいことについては前回に紹介しました。この神話にかぎらず、全体として日本神話の源流を東南アジアにもとめる傾向が目立つことは、この通信で再三ふれてきました。その理由は二つあります。

 第一の理由は中国神話の調査が不十分だったことです。私は1988年(昭和63)に初版の出た著書『日本の幽霊』(岩波新書)のなかでつぎのようにのべたことがあります。


 中国は幾度も王朝が交替した。王朝が交替するたびに、新しい歴史がつくりなおされ、前王朝の遺制が破壊されたので、日本の『古事記』や『日本書紀』が伝えたような体系的な神話や伝承が後代に残らなかった。中国神話の研究が立遅れている根本の理由はそこにあり、さらにそれに加えて、もともと孔子が『論語』の中で「子は怪力乱神を語らず」といった国柄なので、神話や伝承の類についての研究はあまりさかんではなかった。

 この説明はいまも通用するとおもいます。儒教をまなんだ中国の知識人も、またその影響をうけた日本の研究者も、ながい間、中国には体系的な神話は存在していないとかんがえてきたのです。しかし、この考えは大きな誤りです。私は『日本の幽霊』のなかで、前掲の文につづけてつぎのようにのべました。


 しかし、1950年ごろ、つまり解放の翌年ごろから、中国の神話研究は、ミャオ、チベット、ヤオなどの少数民族のあいだに伝えられてきた口承神話に注目しはじめた。文化大革命によって一時的に頓挫したが、七十七年に復活、前にも増して活発に研究は続行され、少数民族のあいだにそれこそ無尽蔵といってもよいほどに貴重な神話が蔵されていることが明らかになってきた。

 いまから15年もまえに書いた文章ですが、結局、私自身で実践するよりはかはないというのが、この通信をはじめた動機の一つです。

 第二の理由は、当然のことですが、東南アジアについての研究が中国の少数民族の研究よりもはるかにすすんでいるということです。しかもその研究は、日本人による研究ではなく、ほとんどは欧米の学者による研究なのです。海幸山幸神話にかぎっても、前回の通信で紹介したように〈失われた釣針〉型の神話と類似の神話が東南アジアで分布している事実を最初に報告したのは、19世紀以来のフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったようなヨーロッパの研究者たちだったのです。

 ヨーロッパの研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くためにいちじるしくたちおくれていました。この事実が、日本神話の原型を東南アジアにもとめさせることになったのです。

 ただ故人の大林太良氏は、晩年、日本神話の源流として中国南部にとくに注目しておられました。1995年10月28日、29日の両日に私たちのアジア文化研究プロジェクトが学習院大學で開催した公開講演・フォーラム「日本民族の形成」で「日本神話の系統」という題で講演されたさいにも、その最後を、


 このように日本神話の系統論にはまだまだ多くの問題があるということ、そして中国の江南がそのなかで大きな地位を占めていること、を申しあげて、私の講演を終わりたいと思います。

とむすんでおられました(諏訪春雄・川村湊編『日本人の出現―胎動期の民族と文化』雄山閣・1997年)。氏がお元気であられたら、おそらく、中国南部と日本神話の結びつきの研究はかくだんにすすんだこととおもわれます。

 すこし話が横にそれますが、私がこの王権神話と並行して研究をすすめている来訪神祭祀にもまったく類似した現象があります。

 よくご存知のように、日本の各地で、季節の変りめに仮面をかぶったり、蓑笠をつけたりする異様な風体をして集団で部落や村へおとずれてくる来訪神の儀礼が保存されています。秋田県男鹿半島のナマハゲは有名ですが、ほかにも沖縄のアカマタクロマタ、パーントゥ、マユンガナシ、鹿児島県のトシドン、石川県のアマミハギ、新潟県のアマメハギ、山形県のアマハゲ、岩手県のスネカタクリ、青森県のシカタハギなどなど、その数は40種をこえます。

 この日本の来訪神儀礼の源流を、太平洋上のメラネシア・ポリネシアの島々におこなわれている秘密結社の儀礼にもとめる説を提出したのが、日本の文化人類学者の草分けとでもいうべき岡正雄でした(「異人その他―古代経済史研究序説草案の控へー」『民族』三巻六号、昭和3年)。

 岡は、秘密結社には未成年者や女子を参加させず、加入には厳重な入社式をおこない、その成員は時あって異様な服装を身につけ、怪音を出してその出現を報じ、村々を横行して、強奪威圧をあえてし、あるいは祝詞をのべる行為をするなどなど、全部で23条の特色をあげて、この異人こそが日本の来訪神儀礼の源流であると主張しました。

 80年ちかくもむかしにだされたこの岡説は、いまも多くの信奉者をあつめています。しかし、この説は、岡正雄自身が太平洋上の島々を調査して提出した説ではなく、19世紀から20世紀の初頭にかけて、コドリントン、リヴァーズ、ウィリアムソンなどの欧米人類学者の調査に全面的に依拠した説だったのです。

 岡説の問題点は、煎じつめますと、(イ)異人と来訪神が混同されている、(ロ)来訪する目的が日本の来訪神に適合しない、の二つにまとめることができます。男子だけによって維持される仮面結社儀礼は世界各地の農耕社会にひろくみられる習俗であり、日本との関係を想定するためにはその本質が厳密に検討されなければなりません。

 私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その渡来の経路もほぼ特定できます。

 大林太良氏は、海幸山幸神話を海の原理をあらわす海幸と山の原理をあらわす山幸の闘争というようにとらえられ、江南地方につたわる呉越の戦いの伝説をその原型として紹介しておられます(『日本神話の構造』弘文堂)。

 中国江南の浙江省の大河銭塘江は満潮時におこる逆流の高波現象が天下の奇観として有名です。私もちょうどその時間帯にいあわせて、下流から上流にむかっておしよせてくる潮流の迫力に圧倒された体験があります。この逆流現象を春秋時代の呉と越の戦いにむすびつけた伝説が、『呉越春秋』につたえられています。大林氏はその伝説を山の原理をあらわす越と海の原理をあらわす呉との闘争の結果、山の原理が勝利する話として分析されたのです。

 『呉越春秋』の巻三がつたえる伝説です。
 呉と越が一進一退の戦いくりひろげていた時代、呉王夫差は越との和解をかんがえ、越王の提示した講和の条件を呑むことにした。しかし、父の時代から呉につかえていた臣下の伍子胥が講和にはげしく反対したので、夫差は伍子胥に死罪を科した。その死体をなまずの皮の袋にいれて、銭塘江になげこんだ。それ以来、子胥の亡霊はこれをうらんで、潮を逆流させ高波で人びとを溺死させたという。

 また、『呉越春秋』巻六では、越王勾践も家臣の文種に死を命じて、その死体を三峰の下に埋めた。その一年後に、子胥が海上から山に穴をあけて、種をつれさり、共に海上に出現して人々をなやましたという。

 大林氏はこれらの伝承から、越は山の原理、呉は山の原理を代表し、子胥が死後に高潮をおこしたことは、海幸山幸神話で山幸彦が干満珠をもちいておこした満潮に対応するとされました。しかし、山に死体をほうむったから山の原理、海(事実は川)に死体を投じたから海の原理をあらわすというのは、ややくるしい解釈のようにもおもわれます。

 大林氏の紹介した呉越の物語よりも、もっと海幸山幸神話に接近した伝承を紹介されたのが伊藤清司氏でした(「日本と中国の水界女房譚」『昔話―研究と資料21・日中昔話の比較』三弥井書店)。湖南省の土家族のあいだにつたえられている「格山竜珠を与えられる」という話です。


 ある村里に二人の兄弟がいた。兄を格路、弟を格山といった。兄夫婦が格山につらく当たった。堪えられなくなった格山は、ある老人のすすめにしたがって家をぬけだし、さまよいあるく途中、大蛇におそわれて呑みこまれそうになっていた一羽の黄鶯をたすけた。すると、その鶯はうつくしい人間の娘に変わり、竜王の三女と名のり、格山と夫婦になって、竜王の国におもむいた。格山は竜宮で連日歓待をうけたが、やがて望郷の念が昂じ、妻をともなって地上へもどった。帰郷にさいし、竜王が金銀財宝を土産にあたえようとしたが、格山はそれをことわり、
「郷里は水が不足し、田作りもままならず、人びとは暮らしに困っている。水を自由にできるものが欲しい」
と願い出た。そして呪宝の竜珠をもらいうけ、竜王の娘と故郷にもどった。そこで二人は山の上にのぼり、頂から竜珠をたむけると水は奔流となって噴出し、たちまち村の田という田をうるおし、おかげで土家の人びとは裕福になった。

 この話の後日談を伊藤氏が紹介しています。


 如意宝珠である竜珠をもちかえった格山は、その竜珠からりっぱな御殿を出し、その御殿で竜神の娘といっしょに幸福な日々をおくった。意地悪な兄夫婦はそれを知ってねたみ、二人を焼きころそうとするが、格山は竜珠をもちいて逆に兄夫婦を焼きころし、他方、その呪宝から水を噴出させて潅漑の水になやむ土家族の田畑をうるおし、りっぱな耕地に変えた。

 伊藤氏はこの伝説と海幸山幸神話の類似点として、
1.水界訪問
2.水界の女性との結婚
3.水界の女性との結婚
4.水界よりの呪宝の将来
5.呪宝による水の支配
6.兄への復讐

などをあげ、弟の山幸彦が呪宝を得て、最後に日本の統治者の祖先になったという結末と、弟の格山が海神からあたえられた呪宝によって土家族の世界に楽土を実現したという結末とは共通すると主張しています。

 この土家族の伝承と日本の海幸山幸神話の類似性はうたがうことができませんが、「失われた釣針」というモチーフのないのは気にかかるところです。今後、精査する必要があります。

 これまでこの通信でふれてきた稲作農耕地帯に海幸山幸神話につうじるような伝承が散在しています。そのなかには、釣針を魚網にかえただけの同じモチーフの伝承が存在します。私のノートから紹介しましょう。


 むかし、非常にまずしいが人に親切な漁夫がいた。ある日、大河の堤のほとりで網をうって魚をとっていると、一人の老人が大きな岩のうえで泣いているのに出あった。漁夫はすぐに老人にそのわけをたずねた。老人は「自分の娘が奇妙な病気にかかってなおすことができません。どうか家にきて娘の病気を看てください」とたのんだ。承知した漁夫は老人について堤を歩いた。すると老人はどんどん水のなかにはいってゆく。漁夫が老人にむかって、「水のなかには入れない」とうったえると、「いそがずにわしについてきてください。水のなかも地上をゆくのとおなじようになります」とこたえた。ふしぎにも漁夫は地上をゆくように水のなかをすすむことができた。まもなく一軒のうつくしい家がみえてきた。その家の一室に娘が全身を魚網にからめられて横たわっていた。漁夫がその網をとりのぞいてやると娘はすぐに元気になった。父と娘は感謝してたくさんの金銀を礼としてさしだしたが、漁夫はことわって、かわりに刀と鋤をのぞんでその二品をもらった。漁夫がその家を去ろうとすると、門の樹に黄牛と白牛がつながれていた。老人は袋に多量の牛の糞を入れて漁夫に背負わせ、「野菜をうえるときに肥料になさい」といった。漁夫が家にかえると、不思議にも黄牛の糞は金、白牛の糞は銀、刀は金刀、鋤は銀鋤に変わった。漁夫は農夫となって幸福に暮らしたという。

 雲南省のラフ族がつたえている「漁夫の故事」という伝承です。水界の王の娘をたすけ、莫大な宝を得るという話です。その王の娘は魚網にからめられており、漁夫によってその網をとりのぞいてもらっています。失われた釣針と同一のモチーフです。しかも漁夫から農夫に変わるところに、海の原理に野(高地では山)の原理が勝利を占める話にもなっています。日本における海幸山幸神話で、海の原理にたいする山の原理の勝利の意味も、漁労民にたいする狩猟民や農耕民の勝利の話であったことがわかります。

 もう一話、貴州省のコーラオ族がつたえている「竜女と旺哥」という伝承を紹介します。こちらも竜王の娘の報恩物語です。


 むかし、母と子が二人で暮らしていた。母は年をとって眼が見えなかった。子の旺哥は村の金持ちの家にやとわれて毎日手間賃をもらっていた。ある年の正月、旺哥がはじめて金持ちの家に働きにゆくと、主人は「一年はたらいてくれたら三頭の牛を報酬にやろう」と約束した。誠実な旺哥はこの約束を信じて、1年間、金持ちの家の田畑を懸命に耕作した。一年たって、旺哥が主人に約束の三頭の牛をもとめると、主人は「おまえはなにをいうのだ。三頭の牛だって。私はおまえに柄杓で三杯の油をやるといったのだ」といった。あらそうこともできず、旺哥は三杯の油をあたえられただけで帰途についた。
 途中に竜王廟があった。旺哥はせっかく1年間はたらいてもらった油だからと竜王像のまえにその油で灯火ともすことにした。竜王廟を出てまもなく大雨になった。旺哥が村の入口の小川にさしかかったとき、1尾の大きな紅鯉が土砂のうえにのりあげていた。その鯉をとらえて家にもどった旺哥は母に鯉を見せた。鯉の尾から水滴がしたたり、母の眼にはいったとたん、母の眼は見えるようになった。よろこんだ母と子はその鯉を川にはなしてやった。
 その鯉は東海の竜王の娘の変身であった。竜宮にもどり、命をたすけられた恩に報いようと両親に相談すると、竜王夫婦は、ひとり娘であるからと、360日をかぎって旺哥のもとにゆくことをゆるした。うつくしい女性に変わって旺哥の家をおとずれた竜女は、訪問の目的をつげ、一吹き、口でふくと、あばら家はたちまち御殿となり、食物や家具も家内に満ち満ちた。このようにして一家はしあわせな日をおくることになった。
 この噂をきいたのが主人の金持ちであった。旺哥の家にやってきて、うつくしい妻を自分に貸してくれと難題をもちかけた。困惑している旺哥に竜女がそっとささやいた。「わたしは父から360日の日限をみとめられてきたのですが、その日限はもう切れようとしています。あなたは主人の金持ちと家を交換するよう申し出てください」金持ちはすばらしい旺哥の御殿を見て交換の申し出に応じた。母と旺哥は主人の家にうつり、主人は家族をつれて旺哥の御殿にやってきた。
 その夜、主人と竜女が床につくことになったが、竜女は一桶の水をさげて浴室にはいり、そのままもどってこなかった。主人が灯りをともして浴室にいってみると、すでに竜女の姿はなかった。そのとき、一陣の風がふいて御殿が消え、主人はあばら家のなかに身をちぢめて立っていた。 

 長江南部は沼地や河川の多い土地です。ここで数々の水界訪問譚や水界報恩譚が生まれました。海幸山幸神話が海の原理と山の原理が相克するという構造をそなえているとするなら、その誕生地は、地形から判断しても、漁労民、狩猟民、農耕民が混在する中国南部がふさわしいと断言できます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa25.htm


諏訪春雄通信 26

 今回のテーマは「米と雑穀」です。日本の天皇家は、太陽信仰と稲魂信仰にささえられて、その隔絶した地位と永続をたもってきました。この二つの信仰が祖霊信仰や女神信仰などと結合しながら、長江流域から日本に伝来したことについては、これまでこの通信で詳細にのべてきました。

 稲作民にとって米はあらゆる〈穀物や農作物=食料〉のなかで優越した最高の価値をもちます。天皇家の絶対性はこの稲の絶対性にささえられます。しかも稲は大地におち〈朽ちて新しい生命を生みだす〉というサイクルをくりかえすことによって永続性をもちます。天皇家は、この稲の永続性と太陽の永続性の思想にささえられて、その絶対と永続の地位を保証されてきたのです。

 これにたいし、巨大王権が交替をくりかえした黄河流域では天にたいする信仰がさかんであったことについてもこの通信でくりかえしのべてきました。天の信仰は太陽の信仰に対応します。それでは、稲魂信仰に対応して黄河流域で誕生したものは何であったのでしょうか。それがこれからのべようとしている雑穀の信仰なのです。

 低温乾湿の黄河流域は、古来、稲作に適せず、冬小麦、粟、高粱、綿などが栽培の中心になり、水産資源の不足を牧畜などでおぎなってきました。これにたいし、高温多湿の長江流域では、ゆたかな水産資源にめぐまれ、稲をはじめとして、綿、油菜、茶などの多様な作物が栽培されていました。農耕に限定してかんがえると、稲作の長江文明にたいし、雑穀の黄河文明というように対比することができます。

 黄河文明の雑穀は、稲のように一元的絶対的な価値をもつ食物ではなく、複数の穀物にそれぞれ平等の価値をみとめる多元的相対的価値観をそだてます。黄河流域の王権交替を生みだした要因については、通信12で、
1.周辺遊牧民との抗争・軋轢
2.商業を中心とした経済の発展
3.農民勢力の台頭
4.潅漑工事

などをあげて検討しました。こうした要因の基盤にさらに天の思想や雑穀の思想が存在して、王権の交替現象をささえたとみることができます。

 アジアの稲の起源地は、これまでもたびたびのべてきましたように中国の長江中流域に決定しました。そこから日本への稲の伝来ルートの主要なものは二つありました。
  A 江南から直接に九州へ
  B 黄河淮河流域から山東・遼東半島、朝鮮半島を経て九州へ

 注意すべきは、このうち、Aルートが稲単独の伝来であったのにたいし、Bは黄河流域の雑穀地帯を経由したために、稲と雑穀の混合の伝来ルートであったということです。日本の稲作遺跡のほとんどからは雑穀と稲があわせて出土しています。朝鮮半島の稲作遺跡も同様な状況にあることが、この伝来ルートの存在をしめしています。他方、九州の筑後川、矢部川流域の有明湾沿岸部の遺跡からは稲だけが出土しており、江南からの直接ルートの存在をしめしています。

 米がながいあいだ日本人の主要な食物であったことは事実であり、米にともなう稲作文化が日本文化の重要な骨格をつくってきました。日本の王権がこの稲作文化をイデオロギーとして利用してきたのです。そうした様相は、すでに『古事記』や『日本書紀』の神話にみることができます。

 『古事記』の国生み神話で、イザナギ・イザナミの両神は、淡路島以下の大八島国などをつぎつぎに生んでゆきます。その個所で、「讃岐国を米飯の霊のよりつく意味で飯ヨリヒコといい、粟の国を穀物をつかさどるという意味のオホゲツヒメという」とあり、そのオホゲツヒメ神話では、スサノオに殺害されたオホゲツヒメの身体から、「二つの目には稲種、二つの耳には粟、鼻には小豆、陰部には麦、尻には大豆が生まれた」とあります。このあたり、米だけにとくにほかの穀物から超絶した位置をあたえているようにもみえません。

 しかし、しだいに、天孫降臨の地を「みず穂の国すなわち稲穂のみずみずしい国」とし、主役を「ホノニニギすなわち稲穂の豊穣」という名をあたえるなど、米を特別視する意図がつよくなってきます。

 稲を特別視する意図がよりあらわになっているのは『日本書紀』です。国生み神話でも一書第一に天つ神がイザナギ・イザナミに「豊葦原の、豊に稲穂の実る国がある。そこへいって治めるように」と命じ、天孫降臨神話でも、一書第二では、「わが高天原の神聖な稲穂をわが子にあたえなさい」とアマテラスがホノニニギに神聖な稲の携行を命令するなど、稲の特殊化はいちだんとすすんでいます。

 しかし、稲作農業を唯一の日本の農耕文化であるかのようにみなすことに反対する学者や思想家は数多くいます。昭和以降にかぎっても、宮本常一氏を先駆として、坪井洋文、網野善彦、佐々木高明、杉山晃一らの各氏です。

 この人たちは、麦、そば、粟、ひえ、大豆、小豆、胡麻などの雑穀やいも類などが、日本人の主食であり、米よりも重要な食べ物であったと主張しています。これらは米にくらべて、やせ地や寒冷地でそだち、はるかに耕作に手間がかかりません。しかもこれらの雑穀は水田稲作伝播以前の焼畑農耕で栽培されていました。

 弥生時代の初期から中期、日本人は、炭水化物の総摂取量の半分以上は、米以外の雑穀やいも類からとっていたであろうという見解も出されています(佐々木高明『稲作以前』NHKブックス・1983年)。

 網野善彦氏は、米が日本人の唯一の主食であったとかんがえる風潮がつくられたのは、江戸時代の状況を中世にあてはめ、二つの時代がなめらかに同質的に連続しているかのようにみなしたためであると主張します。

 中世の土地税の納め方をしらべてみると、西日本では、租税は米でおさめられていたが、東日本では、これとはちがって、絹や綿でおさめることが多かったといいます。また、米を租税としておさめていた西日本でも、日常、農民がたべていたのは、主に米以外の穀類であったと網野氏はいいます。

 その根拠として、若狭の国太良荘の貞和三年(1347)の記録を氏は提出しました。女百姓の所有物をさしおさえたときの記録によると、没収されたもののなかに、米五斗と、その二倍の量の粟一石がふくまれており、太良荘のような米を税としておさめている稲作地帯でも、ふだんたべていたのは、米ではなく雑穀であったことをあきらかにしています(『日本中世の民衆像―平民と職人』岩波書店・1980年)。

 日本文化のなかで、米に特別の地位をあたえたのは、支配者のイデオロギーであったといえますが、しかし、その観念がながく日本人にうけいれられてきたのは、稲とともに長江流域から伝来した信仰や思想のささえがあったからだということを私は前回までの通信でのべてきました。

3月2日(土曜日)午後2時から、学習院大学西5号館302教室で、公開研究会

「中国の地方劇」

東洋大學文学部助教授 有澤晶子氏

が、アジア文化研究プロジェクト主催で開催されます。講師の有澤先生は中国演劇の専門家です。日本人に馴染みの京劇、昆劇、川劇も中国の地方劇です。その数は300を超えるともいわれています。

   中国の信仰や祭祀→日本の信仰や祭祀
   中国の神話   →日本の神話
   中国の民俗   →日本の民俗
   中国の民間芸能 →日本の民間芸能

という対応がみられるように、

   中国の演劇   →日本の演劇

という対応が存在するというのが、私の確信です。その一端が今回の研究会であきらかになればと期待しています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa26.htm


諏訪春雄通信 27

 今回のテーマは「大嘗祭」です。

 神話時代が終わって、日本は現実の国家経営に乗りだしてゆきます。統一国家の形態をととのえたのは4世紀から7世紀にかけてのころ、中国の隋・唐の王朝制度をとりいれて律令国家の制度を整備したのは7世紀末から8世紀初頭といわれています。

 これ以前、これ以降の国家としての日本の歴史は、中国の北方原理と南方原理の摂取と融合・葛藤のなかに展開してゆきます。その両原理は、また、日本の王権の歴史的展開を解明する重要な鍵にもなります。

 日本の天皇制永続の秘密をあきらかにするという本通信テーマの独自な視点の一つをあらかじめ提示しておくなら、じつは、この《中国の北方原理と南方原理の融合・葛藤として日本の天皇制をかんがえる》ということにあるのです。

 両原理は、一方が優越することもあれば、拮抗することもあり、また対立もしながら、日本の歴史をつくってゆきます。現時点で両原理はつぎのように対比されます。


北方原理  天の信仰   雑穀の思想  男神信仰   多元的  秩序への志向  
南方原理  太陽の信仰  米の思想   女神信仰   一元的  融和への志向

 これらの特性がどのようにあらわれて日本の国家と天皇の歴史を織りなしてゆくかをこれからあきらかにしてゆきます。

 大嘗祭は、天皇の即位後、最初に挙行する大きな規模の新嘗祭です。大嘗祭をおこなうことによってあたらしい天皇としての資格をもつことできるのですから、即位式でもあります。この大嘗祭をテーマにとりあげて、北方原理、南方原理を検討します。

 大嘗祭の文献上の初出は、『日本書紀』の天武天皇2年(673)12月の記事に「大嘗(おおにえ)」とある記事です。式の進行がよくわかるのは、平安時代にはいってからで、『貞観儀式』『延喜式』『江家次第』などの有職故実の書に記載があります。

 4月の悠紀国(ゆきのくに)、主基国(すきのくに)の選定からはじまって、11月の午の日の豊明節会(とよあかりのせちえ、天皇と臣下の饗宴)まで、半年にわたる行事の中心をしめるのは、11月の卯の日におこなわれる大嘗宮の祭りです。

 大嘗宮は、大嘗祭のためにあらたにたてられた黒木造りの建築物で、東西に悠紀殿、主基殿、廻立殿(かいりゅうでん)という三つの建物がつくられ、外部を柴垣でかこみます。

 外部からうかがい知れない秘密の祭りであるために、のちにみるように種々の推測説がだされていますが、基本の骨組みは、天皇の、廻立殿における《湯浴み》、悠紀殿・主基殿における《聖餐》、《就寝》という三つの行事に還元されます。この三つは、日本の各地の民俗行事にふつうにみられる儀礼であって、その一つ一つには、なんの不思議も神秘もありません。

 《湯浴み》は禊ぎです。水、海水または湯によって心身をきよめることで、祭りをおこなう当事者がけがれをさけるための行為です。

 この禊ぎが火の浄化力とむすびついたものが湯立てです。湯立ては、祭りの場の中央にしつらえられた釜で湯をわかし、笹の葉などにその湯をつけて、あつまってきた参加者たちにあびせるかたちをとるのがふつうです。

 この形式の儀礼は各地の民間神楽に一般的にそなわっている行事です。愛知、静岡、長野の3県をながれる天竜川ぞいに演じられる花祭りには、生まれ清まりと称して、すべてこの湯立ての儀礼をつたえていますし、また、暮れから新春にかけておこなわれる湯立て神楽とよばれる行事も、おなじ儀礼を祭りの中心にすえています。

 《聖餐》は、神と人との共食ですが、大嘗宮では、天皇と天皇の祖先の霊であるアマテラスとの共食です。

 天皇が一世一代の即位式として挙行する湯立てと聖餐が、日本人の民俗行事と共通して、特殊なものではないということをのべました。ここまでなら、数は多くありませんが、日本の民俗学者のなかにも指摘する人がいます(真弓常忠『日本の祭りと大嘗祭』朱鷺書房・1990年、森田悌編『天皇の祭り 村の祭り』新人物往来社・1994年)。

 しかし、この通信で、とくに私が強調したいことは、この二つの儀礼の由来が中国の南方にあるということです。

 稲魂信仰と祖霊信仰が結合した新嘗の祭りが、中国の長江南方の少数民族社会でおこなわれていることについては、この通信の15、18などで報告しました。ミャオ族の人たちは日本の新嘗にあたる祭りを《喫新節》といい、ハニ族の人たちは《フォシージャー新嘗祭》とよんでいます。いずれも、新穀を祖霊、穀霊および天神にそなえたのちに共食する儀礼です。

 中国でも一般的に祭りにさいして清めの火と水が重要な役割を演じていることについて、以前、私は日本・韓国・中国の事例について詳細に検討したことがあります(「中世祭祀の構造―道教・別祭・花祭りー」『日中比較芸能史』吉川弘文館・1994年)。

 日本の新春の若水汲みという民俗行事は水に生命更新の力をみとめる信仰です。この習俗が中国南方の稲作民族社会にひろく分布していることは、大林太良氏の報告があります(『正月の来た道』小学館・1992年)。水に清めの力をみとめ、祭りにさいして禊ぎに使用するのは、この若水汲みと共通する水への信仰にもとづきます。

 《就寝》は篭りです。記録によると、大嘗宮の悠紀と主基のあいだに寝具が用意されてありました。この寝具にくるまって天皇はお休みになるものとみられますが、しかし、この就寝の儀礼については、注目される説がこれまでに提出されています。整理するとつぎの4つです。
1.亡くなられた先帝と新帝との共寝
2.新帝と采女(うねめ)との聖婚
3.死者をほうむる喪屋
4.新生児のための産屋

 4つの説ともに新帝に新生の活力、それは天皇霊とよばれることの多い天子の霊力を付与することを目的にするという点では、ほぼ一致していますが、具体的な儀礼順序や性格規定で、以上のような対立があります。

1の説は、折口信夫(「剣と玉と」昭和7年、「上代葬儀の精神」昭和9年)、堀岡文吉氏(『国体起源の神話学的研究』培風館・1929年)などがとなえています。折口の「剣と玉」から引用します。


 古代には死と生とがあきらかに決らなかったので、死ぬものならば生きかえり、死んだものならば他の身体にたましいが宿ると考えて、もとの天皇霊の著いていた聖躬と新しくたましいの著く為の御身体と二つ、一つ衾で覆って置いて盛んに鎮魂術をする。この重大な鎮魂の行事中、真床襲衾と言う布団の中に篭って物忌みをなされるのである。

2の説をもっとも強力に主張しているのは岡田精司氏です(『古代王権の祭祀と神話』塙書房・1970年)。岡田氏は、新嘗祭には、服属儀礼の一環として、天皇と采女とのあいだに同衾がおこなわれたと推定しています。氏は、大嘗祭は新嘗祭の延長とかんがえ、マドコオスフスマは、これにつつまれて祖神と一体化した天皇と、国々の神の資格をもって奉仕する采女との神婚がおこなわれた衾の遺物であろうとします。

 岡田説の根底には、折口信夫の神の嫁という考えがあります。日本の古代、男性の君主と女性の巫女がたすけあって国をおさめていた時代がありました。君主の身近にある女性が神の嫁となって神意をききわけ、それを君主につたえて政治の方向を決定しました。

 巫女は、地方豪族が服属のあかしとして自己の子女を朝廷にさしだしたものでした。彼女たちは、出身の国々の神につかえる巫女の資格をもち、彼女たちが朝廷につかえることは、国々の神が朝廷に服従することを意味していました。采女は、祭りのさいには、神の生活にはいる天皇に奉仕し、神の嫁として、天皇と神聖な結婚をとげることがあったと、折口は説きました(「宮廷儀礼の民俗学的考察」)。

 この折口の説を支持するような事例が『日本書紀』などに記載されていることは事実です。神の嫁という折口の論はそれなりの有効な射程距離をもっていますが、しかし、それを大嘗祭に適用することについては、反対意見のほうが圧倒的に優勢です。

 その一人、谷川健一氏は諸種の資料を引用して、采女は、推古・皇極・斎明とつづいた女帝の成立によって地位を低下させ、天武天皇以降は、後宮十二司の最下位に所属したと主張します。「大嘗祭という一世一代の由々しい盛儀における采女の役割は、神膳をととのえる以外にはあり得ない」というのが谷川氏の断定です(『大嘗祭の成立』小学館・1990年)。したがうべき見解です。

 3の喪屋説は1の説とかかわる論です。この3の説を強力に主張する谷川氏(前掲書)は、南島のモガリの習俗を論拠に、先帝の死にさいして死者が完全に死者になりきるまえに、死者と共寝して、その活力をうけつぐ儀礼が、喪屋としての大嘗宮でおこなわれたといいます。モガリの習俗が日本の古代におこなわれていたことは確実ですから、谷川説は就寝儀礼の本質をついた説といえます。

 しかし、3の裳屋説と4の産屋説は、じつは相互に補完しあう説なのです。産屋説は、折口信夫がはじめにとなえ、いったんすてたのちに、晩年また採用した説でした(「大嘗祭の本義」昭和3年)。大嘗宮の悠紀、主基の両殿に布団がしかれ、枕もそなえられているのは、「日の皇子となられる御方が、資格完成の為に、御寝所に引き篭って、深い御物忌みをなさる場所である。実に重大なる鎮魂の行事である」とのべています。

 おなじ考えは、西郷信綱『古事記研究』(未来社・1973年)にもみることができます。マドコオスフスマの儀礼は、子宮の羊膜につつまれた胎児の状態にもどり、新生児として誕生しようとする模擬行為であったといいます。

 就寝の儀礼は民俗の死生観をあらわしています。民俗では、死と生は連続または循環として意識されます。死んでよみがえる擬死再生の儀礼がおこなわれる場所が大嘗宮であるといえます。それは稲の種子が大地におちて死に、あたらしい生命を得てよみがえる《篭りの精神》の儀礼化でもあります。

 大嘗祭の就寝の儀礼がモガリとウブヤの複合した性格をもっているとすれば、その習俗もまた中国の南方にもとめることができます。

 1993年の4月から5月にかけて、私たちは中国の東海沿岸、ジョウ泗列島、舟山列島の現地調査をおこなったことがあります。その調査報告は『中国東海の文化と日本』(勉誠社・1993年)として刊行されています。

 そのなかですでにのべたことですが、この地方一帯にお墓を二度つくる複葬がおこなわれています。死者がでると、その死骸を、住まいの近くの田畑などに仮の埋葬の墓(殯廓とよんでいます)をつくっておき、1年または3年が経過した時点で、山の傾斜地などに里のほうにむけて永久的な墓をつくって埋葬しなおします。

 日本の古代のモガリや近畿地方などにおこなわれている両墓制の起源もまた江南にあったことをしめす調査結果です。それが農耕民に顕著な篭りの精神と結合したものが、大嘗宮の就寝儀礼なのです。

 このようにみてきますと、大嘗宮での行事は明確に中国の南方原理をしめしていますが、しかし、全体としての大嘗祭は大嘗宮以外の行事もおこなわれており、大きく、

  A 大嘗宮での天皇一人の儀礼
  B 宮中における天皇と群臣の饗宴(豊楽院の節会、最後の豊明の節会)

と二分されます。

 Bは一種の新帝にたいする服属の儀式であり、そこでは悠紀・主基の両国から献上された貢物が分配されます。悠紀・主基の両国は天皇の統治する日本国の象徴であり、Bはあきらかに新しい天皇とそれに仕える臣下の秩序を確定する北方の原理に支配されています。

 このようにみてきますと、大嘗祭は、結局、北方原理の外枠に核心としての南方原理がつつみこまれた儀礼であると規定できます。この構造は、日本の王権構造全体の象徴でもあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa27.htm


諏訪春雄通信 28

 今回のテーマは「天皇号」です。

 3月2日(土曜日)午後2時から東洋大學文学部助教授有澤晶子先生を講師にお招きして、「中国の地方劇」という公開研究会を学習院大學で開催しました。この通信の読者のなかで当日おいでいただいた方々もいらっしゃるとおもいます。

 内容といい、発表形式といい、最近の講演や研究発表のなかでは出色のものでした。当日、おいでになった方は幸運であったといってよいでしょう。

 発表形式はパソコンとビデオを組み合わせたもので、私の所属している国際浮世絵学会などではよくおこなわれている形であり、大學での講義などでも採用される先生が多くなりました。

 ただ、有澤先生のばあいは、その演出がよくゆきとどいており、写しだされることばとビデオの配合が絶妙で、観客を飽かせることがありません。

 機械に習熟せず、機械にふりまわされている発表者(私などはその典型です)がままいますが、有澤先生は機械を、平凡な表現ですが、手足のように使いこなしておられました。

 内容は、360種をこえるといわれている中国の地方劇のなかから4大国劇といわれる、昆劇、京劇、川劇、椰子劇の4種をとりあげ、その概要と特色を紹介したものです。私も前々から関心をもって、研究をすすめている分野ですので、発表内容の評価が多分当日の一般的な聴衆の方々よりはできます。

 小さなテーマで高度な発表をすることは、じつは、一定の水準に達した研究者にはそれほどむずかしいことではありません。真にむずかしいのは、そしてこれからの人文科学系の学者にもとめられることは、

「広く、高度な内容を、わかりやすく、興味ぶかく伝える」

ことなのです。有澤先生の実力をあらためて再認識したというのが、私の率直な感想です。

 この公開研究に先立つ2月26日(火曜日)、私のもとにあるテレビ会社からの取材がありました。といっても、テレビ撮影ではなく、番組の台本づくりのための取材です。松竹株式会社からの依頼をうけて、歌舞伎役者、それも今人気絶頂にある三之助クラスの役者を中国に旅させて歌舞伎の源流をたずねさせるという企画です。

 私が平成12年に吉川弘文館から「歴史文化ライブラリー」の一冊として刊行した『歌舞伎の源流』をじつにていねいに読みこんで、要点をついた質問をしてきました。ディレクターと台本作家と二人で、私の研究室に訪れてきて、交互に質問をしてメモをとっていました。

 そのときに、「歌舞伎の遠い原型が故郷の地を出発して、しだいに演劇としての形をととのえながら、日本にまで到達する歌舞伎ロードという構想は成立しますか」という興味ぶかい問題を、台本作家の方が私に問いかけてきました。

 じつはこの問題はここ数年追いかけている私の重要な研究テーマの一つなのです。

 学習院大学文学部は平成13年に人文科学研究所を創設し、助成金を出す研究プロジェクトを募集しました。そのときに私は「東アジア演劇形成過程の比較研究」という3年計画のテーマで応募し、九件の応募のなかからトップで採用されました。

 有澤先生にもそのプロジェクトにくわわっていただいており、3月2日の公開研究会は、この人文研究所の研究プロジェクトの費用で開催されたものでした。

 この通信の25で私はつぎのようにのべたことがあります。


「私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その伝来の経路もほぼ特定できます」

 その伝来の経路は大きく二つにわかれるとかんがえています。一つは西回りのルートです。ほぼ長江にそって貴州、雲南、広西チワン族自治区などを経由してベトナムにはいり、沖縄にわたり、北上して九州、福井、石川、新潟、山形、秋田などにつたわったものです。有名な秋田のナマハゲはその最末端の痕跡です。

 もう一つの経路は東回りです。西回りが比較的純粋に来訪神儀礼の原型を保存しているのにたいし、東回りのコースは、悪鬼ばらいの儺の儀礼と結合しながら、文化の先進地帯を経過したことによって、高度な演劇化をとげたというのが、私の基本的な考えです。

 私は概略以上のような構想で「東アジア演劇形成過程の比較研究」というプロジェクトを立ち上げたのです。

 したがって来訪されたテレビ局の台本作家から歌舞伎ロードについて質問されたときにすぐにこの東回りのルートをかんがえました。そしてつぎのようにこたえました。

「東回りをたどった来訪神と儺の複合体は、中国では古代演劇、宋元南戯、元雑劇、明清伝奇劇、地方劇などへと発展しました。おなじ複合体は、朝鮮半島では、処容舞、山台雑戯、農楽などを誕生させ、日本にも上陸して、中世以降の民間神楽、田遊び、王の舞、能、狂言などを生み、最後に歌舞伎として結晶しました」

 そして、中国長江中流域からいったん北上し、山東、遼東、朝鮮などの各半島を経過し、日本海側の出雲に上陸し、京都の五条、北野を経て、現在の四条の南座を終点とする歌舞伎ロードの具体的な道筋についても説明しました。

 この構想を、テレビ局が、台本としてどのように生かしてくださるか、仕上がりが楽しみです。

 大風呂敷のひろげすぎと眉をひそめる方も多いとおもいます。ことに実証主義をたいせつな方法とする専門研究者はそのように批判するとおもいます。

 しかし、私は、このごろ、学問の究極とは「志」であり「夢の実現」なのだとおもうようになりました。もちろん、堅固な実証にささえられた「夢の実現」です。

 通信26で、中国の古代文化と日本の古代文化につぎのような対応があると申しました。

    中国の信仰・祭祀→日本の信仰・祭祀
    中国の神話   →日本の神話
    中国の民俗   →日本の民俗
    中国の民間芸能 →日本の民間芸能

 自分でもそれなりに調査したことのあるこのような対応を前提に、


中国の演劇→日本の演劇

という対応も確実に存在するとかんがえています。

 「天皇号」についてのべます。

 天皇は中国の道教に由来することばです。その出典は、中国古代、紀元前3世紀ごろの各種の道教文献に「天皇大帝」とみえるのが最初です。たとえば、その一つ『春秋緯合誠図』には


 天皇大帝は北辰の星であり、元を含み陽を秉(と)り、精を舒(の)べ光を吐き、紫宮中に居りて四方を制御する。

 とあります。わかりやすくいえば、宇宙の根源として全世界を統御する北極星である、ということです。中国の道教では最高神として崇拝される北極星を天皇といったのです(福永光司『道教思想史研究』岩波書店・1987年)。

 ここから、日本の天皇号についてはむずかしい議論が生まれました。道教信仰そのものと関係があるのかないのか、いつごろから、どのような目的で使用されるようになったのか、などです。

 こまかな詮索はおいておいて、最新の研究成果にもとづいて、結論的なことだけをのべますと、最初は単なる尊称として使用されていた段階(推古天皇の時代)があり、持統天皇の時代に君主号としてもちいられるようになりました。また、東アジア世界における日本国家の地位を意識した呼称ではあるが、かならずしも道教思想と関連させる必要はないということです。

 日本が国家体制をととのえつつあった7世紀から8世紀のころに、主として対外意識のなかで採用され、浸透していったことばが天皇であったということになります。

 この天皇にたいする和語が「すめらみこと」です。平安前期に成立した『令集解(りょうのしゅうげ)』には


君は一人を指す。天皇これなり。俗にすめらみことというなり。

とあって、公式用語の天皇にたいする一種の俗語とかんがえらえられていたようですが、天皇号が成立する以前にはひろくもちいられていたことばです。

 すめらみことは「すめら」と「みこと」にわけられます。すめらについては、「統べら(統治する)」とおなじ意味というのが通説でしたが、上代特殊仮名遣いから判断して、「統べ」のベはエ列乙類、「すめ」のメはエ列甲類であって、甲乙が一致しないという疑問が提出されました。

 そこから、アルタイ諸民族が世界の中心とかんがえるSUMERE(梵語で至高・妙高の意味の蘇迷盧)と同義とする説、清澄、神聖の意味の「澄める」とおなじ意味であるとする説などが出されました。

 上代特殊仮名遣いというのは、奈良時代およびそれ以前のある種の仮名(エキケコソトノヒヘミメヨロ、古事記ではモも)に二種類の書き分けがあったという説です。したがって、発音と表記法がちがうことばは、当然意味の違うことばになるという考えです。

 しかし、私はこの法則をあまり厳密に適用すると行き過ぎになりはしないかという危惧をもっています。

 私は新潟県の出身であるためにイとエの発音があいまいで、仮名遣いもよほど意識しないと誤ってしるしてしまいます。私の友人の数代つづいた家に生まれた江戸っ子はヒとシの区別がまったくできません。こうした現象が古代にもあったのではないでしょうか。

 すめらみことの「みこと」は「尊」「命」などの字があてられますが、もとの意味は「御言」とする説が有力です。

 各様の説があるにしても、結局、すめらは尊貴な存在をあらわすことばであり、このことばを上にかぶせたすめらみことは「天の神のことばを代ってつたえる尊貴な御方」という、折口信夫の説(「天子の諡」)が妥当性をもちます。つまり、高位のシャーマンです。

 すめらみこととよばれた尊貴な方は、この世にあって天の神のことばを体現する神の代行者でした。南方原理につらぬかれた存在だったといえます。

 これにたいする天皇は、天界の北極星そのものと合一する北方原理をとりいれた存在です。

 この通信で、私がもっとも強調したかったことは、のちには混同されますが、本来は、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったということです。

 日本が、6世紀から7世紀にかけて、国家組織を整備してゆくときに、南方原理を北方原理で補完してゆくという当時の基本略を象徴的にしめすものが、君主号すめらみことと天皇の使い分けでした。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa28.htm


諏訪春雄通信 29


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 年度末の学校行事が一段落し、ようやく時間的なゆとりも出来ました。そこで、収集してあった中国の神話資料の整理と読み直しをすこしずつはじめました。日本神話とかかわりのある新しい資料が続々と出てきています。

 以前、この通信の24で、《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、私の研究の基本態度を説明しました。新しい資料を補足することによって、この研究姿勢に誤りはないという確信をますますつよめています。

 まだ完全な整理がおわっていませんので、結果が出次第、この通信で概要を報告しましょう。

 今回は「天皇と祭祀」というテーマでお話しします。これも大きな問題ですので、数回にわたって、この通信でとりあげる必要がありそうです。

 前回の通信の最後に、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったと申しました。まず、この結論にたいして説明をくわえます。

 通信27で「大嘗祭」をとりあげました。そこで説明しましたように、大嘗祭の中心行事である大嘗宮での祭りは天皇一人の儀礼であって、女官がその他が奉仕するにしても脇役にすぎず、祭りを進行させる神主はとくにいません。天皇自身が神と直接に接触する祭祀主体=シャーマンです。

 この大嘗祭のほかにも、天皇自身が祭祀主体となる祭りは、宮中行事に数多く存在します。

 奈良時代の養老2年(718)に古代法を集成して編纂された法令集が養老律令です。奈良時代から平安時代にかけての日本国家の基本法でした。そのなかで、国家祭祀を規定した
 「神祇令」には、全部で13の祭祀があげられています。

祈年祭  鎮花祭  神衣祭  三枝祭  大忌祭  風神祭  月次祭  鎮火祭
道饗祭  神嘗祭  相嘗祭  鎮魂祭  新嘗祭(大嘗祭)

 「神祇令」の冒頭の第1条には「およそ天神、地祇は、神祇官が神祇令の規定にしたがって祭れ」とあって、13種の祭りを執行するのは、「神祇官」であって、天皇の名は出てきません。

 このことから天皇は国家祭祀に関与していないという結論を出すことはできません。神祇官は祭祀を管轄する行政官であって神主ではないからです。

 わかりやすい例でいえば、文部科学省の役人は教育の管轄はするが教師ではありません。学校の現場で児童に接触するのは教師です。おなじように、祭りで神に接触したのは天皇でした。

 このあたりの事情は、通信27の「大嘗祭」についての記述をお読みいただければわかります。大嘗祭は、天皇一代一度の大祭であって、例年は神嘗祭として執行されます。その神嘗祭は「神祇令」の規定によれば、神祇官が管轄しますが、実際に祭りの主体者として神と接触するのは天皇です。同様の事情がほかの12種の祭祀にもあてはまります。

 国家的規模の祭りの祭祀主体は天皇であって、神祇官は儀式の管轄者、あるいは代理人にすぎなかったという事実をほかの方法で説明してみましょう(丸山裕美子「天皇祭祀の変容」『日本の歴史8 古代天皇制を考える』講談社・2001年)。

 前掲13の祭祀には、新嘗祭(大嘗祭)のように、天皇が関与したことのあきらかな


月次祭  鎮魂祭  新嘗祭

などのほかに、天皇が直接には関与していない多くの祭祀があります。つまり地方の神社で祭りをおこない、そこに天皇が参加していないものです。

 しかし、そうした祭りでも、中央の神祇官から幣帛つまり供物がわけあたえられます。こうした資格をもつ神社を官幣大社といいます。天皇の参加しない国家祭祀でも、官幣大社でいとなまれます。

 その分与式(班幣)はつぎのように進行します。上京した神主(祝部ほうり)たちは、宮中神祇官の役所前の広場に集合します。大臣以下の役人たちが参列するなかで、神祇官の中臣氏がつぎのような内容の祝詞を奏上します。


 あつまってきた神主・祝部らよ、皆聞きなさい。高天原にいらっしゃいます、スメラミコトがむつまじく親しむ男女皇祖神のご命令にしたがって天神・地祇としてまつる神々の前に申しあげます。今年の二月、ゆたかな収穫をたまわりますように皇孫のスメラミコトが珍しく尊い供え物を、朝日がみごとに輝きのぼるときに祝詞を奏上して、奉ります。

 大宝2年(702)2月に実施された祈年祭の祝詞です。この例からもあきらかなように、国家祭祀の正当性は、高天原の神々の子孫である天皇が奉る供物によって保証されるとともに、天皇は供物をとおして、自身直接に参加しない祭祀の主体者となっているのです。

 この祝詞のなかに天皇ということばは出てきません。和語でとなえられる祝詞に漢語の天皇が出てこないことは当然とかんがえられるかも知れませんが、天皇にあたることばとして「皇」と「皇御孫命」という漢語は出てきます。これは「すめら」、「すめみまのみこと」とよまれています。その基本に「すめらみこと」が祭祀用語として存在したとかんがえます。

 「神祇令」は中国の唐代の祭祀を規定した「祀令」を参照して成立したといわれています。しかし、根本精神は日本流に変更がくわえられています。それは天皇が国家祭祀の主宰者であるという観念です。

 天皇は祭祀王であるという観念は7世紀から8世紀にかけて、日本が国家体制をととのえていったときに、為政者によって周到に準備され、律令にもとりいれられましたが、それだけにとどまらず、『古事記』や『日本書紀』のような編纂物のなかにも布石されています。

 一例を『日本書紀』の第10代崇神天皇の記事にとります。
1.天神地祇に祈願する。
2.天照大神・倭大国魂の二神を宮中にまつる。
3.八百万の神々を神浅茅原に招いて占いをする。
4.お祈りした夜の夢に大物主神があらわれ、大物主神をまつる。
5.八十万の神々をまつる。
6.夢中の神の教えのままに墨坂神・大坂神をまつる。
7.鏡をまつる。

 崇神天皇については各種の説がこれまでに提出されています。


事実上の初代天皇である。
三輪王朝の創始者である。
騎馬民族系の渡来王である。
『魏志倭人伝』の卑弥呼をたすけた男弟である。

 複雑な性格をもった天皇であったことが推測されますが、いずれにしても祭祀王であったことは『日本書紀』の以上の記載からあきらかです。

 天皇が祭祀王としての性格をもつようになった過程については、大きく三つの考え方が成立します。

A.天皇ははじめから祭祀王としての本質をそなえていた。
B.巫女王の時代から男性祭祀王の時代に推移した。
C.男女の祭祀王ははじめから並存していた。

 この問題を解決するためには、巫女王、女帝、斎王、後宮などについて検討する必要があります。次回以降、これらの課題を解明してゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa29.htm

諏訪春雄通信 30

 私たちのプロジェクトは、会員とはべつに、40数名の学識経験者の方々を「参加者(メンバー)」とよんで、会の運営についてご助言をいただいています。その参加者の一人谷川健一先生から久しぶりにお電話をいただき、新宿の中村屋でお会いしました。

 用件は、5月の連休あけに韓国へ取材にゆく予定であるが、適当な案内者を紹介してくれないか、というものでした。さっそく、やはり参加者の一人である広島大学の崔吉城先生に連絡をとり、最適の案内者を谷川先生に紹介することができまし。

 中村屋で谷川先生と一緒に私を待っていた方が、新潮社の文芸誌『新潮』の編集長前田速夫さんでした。その場で『新潮』に7枚の短文の寄稿を依頼され、「日本神話と中国長江流域神話」という一文を書いてすぐに送りました。この通信でこれまでにのべたことをまとめたものですが、その後に新しく発見した資料を追加しています。

 その追加資料をふくむ部分だけを、まず、この通信でお送りします。読みやすいように段落分けをします。


「日本神話と中国長江流域神話」

 日本神話の研究には、中国の少数民族社会の神話・伝承の調査研究が必須である。
しかし、残念ながら、日本神話の研究に中国少数民族の神話が考慮されることは、亡くなられた大林太良氏のような先覚者をのぞくと、これまでほとんどなかった。

 その理由の第一は、中国の民間伝承研究の成果が利用しやすいかたちで日本の学界につたえられていないということである。現在、中国神話として日本に紹介されている類書はほとんどすべて、文献に記載のある漢民族の神話であって、少数民族の口承神話ではない。

 第二の理由は、ヨーロッパ研究者による東南アジアや南太平洋の神話研究がはるかに先行していて、日本の神話学者はその成果をほとんど無批判に利用していることである。

 具体例で説明してみよう。

 海幸彦・山幸彦として漁労と狩猟に従事していたホデリとホオリの兄弟が、釣針と弓矢を交換し、弟が兄から借りた釣針をうしなって、竜宮をおとずれる神話は『古事記』と『日本書紀』がつたえている。日本人にもっともなじみのふかい神話の一つである。

 この神話の源流として、これまでに、インドネシアのケイ族の伝承、パラウ島の伝承などが指摘されている。インドネシア方面の「失われた釣針型説話」を原型として、日本の海幸彦・山幸彦の神話が成立したというのが現在の定説である。

 東南アジアの「失われた釣針型説話」の存在を最初に報告したのは、十九世紀以来、この地方に入って調査にしたがったフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったヨーロッパの研究者たちであった。日本の神話研究はその成果を借用してきたのである。

 しかし、最近、中国の長江南部に海幸彦・山幸彦と類似の話が存在することが報告されている。大林太良氏は、この神話を海の原理と山の原理の闘争ととらえ、江南地方につたえられる呉越の戦いにかかわる伝説を、山を代表する越と海を代表する呉の対立として分析し、日本神話の原型として紹介している(『日本神話の構造』)。

 また、伊藤清司氏は、湖南省のトウチャ族につたわる「格山竜珠を与えられる」という話を紹介し、兄弟の争い、水界訪問、水界の女性との結婚、水界よりの呪宝の将来、呪宝による水の支配、兄への復讐、という六つのモチーフが共通することを説いている(「日本と中国の水界女房譚」)。

 私自身はこのほかに、雲南省のラフ族、貴州省のコーラオ族、四川省のイ族、貴州省のプーイー族などがつたえる二十種を超える異型の水界女房譚を、現時点で発掘している。この数はもっとふえるはずである。これらを総合すると、日本の海幸彦・山幸彦の神話の源流は中国の長江南部であると確信をもって断定することができる。

 もう一例、イザナギ・イザナミの国生み神話について検討する。この神話の原型についてもポリネシア、内陸アジア、インドなどの神話との類似がこれまでに説かれてきた。

 日本の国生み神話は、A洪水で生存した兄妹が結婚する、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全な子が誕生したが試行の結果国土と人類などが誕生する、Cしかもそうした行為が神、動物などの指示によっておこなわれる、という三つのモチーフから成る、いわゆる洪水神話の不完全型である。

 『旧約聖書』のノアの方舟で知られる洪水神話は、インド、南アメリカ、東南アジアなどに分布していて、起源地についても諸説があって一定していない。しかし、私は、中国ですくなくとも八十七種の洪水神話を収集している。その分布状況はつぎのようになる。

雲南省 三十八種   貴州省 十五種  湖南省 十一種  広西チワン族自治区 七種
四川省    五種   海南島  四種  湖北省   三種  内蒙古自治区      三種
遼寧省    三種   福建省  一種  台湾    一種  河南省          一種
青海省    一種   黄河辺  一種  黒竜江省 一種

 総数が九十五種となるのは、同一話が二つの地域にまたがって存在する例があるからである。この表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南など、長江周辺の稲作民の居住地に稠密に分布していて、そこから南北にはなれると、急速に減少している。このことから洪水神話の起源地は長江中流域であると確定することができる。

 このほかにも、「アマテラスの天石屋戸隠れ」、「天孫降臨」、「オオクニヌシの根の国訪問」など、日本の王権の成立にかかわる神話の重要な骨格部分が、ほとんどすべて、中国の長江流域の稲作民居住地の伝承を源流としていることがあきらかになっている。太陽神・女神・祖先神・稲魂という四つの性格を兼備して、皇室の祖先となったアマテラスと同一神格への信仰もこの地方に存在している。

 このような中国長江流域神話と日本神話の類似という事実はけっして偶然の暗合ではない。アジアの稲作は一万年以前に長江中流域にはじまって、長い年月をかけてアジア各地にひろまっていた。そのときに稲作の技術とともに、稲作にかかわる信仰や民俗、神話伝承もまた伝播していった。その末端が日本に保存されているのである。

 以上です。ここで洪水神話87種といっているのは、通信20でのべたように、中国の民俗学者林河氏紹介の58話に私が29話を追加した数値です。中国の少数民族の神話については、なおも調査を続行中ですので、結果がまとまりしだいまたご報告します。

 今回は前回お約束した「巫女王」の問題について簡潔にのべます。

 巫女王とは女王が巫女をかねているものです。典型的な例は、『魏志倭人伝』にしるされて有名な卑弥呼です。彼女は邪馬台国の女王であったが、夫をもたず、一人の弟が政治をおこない、彼女じしんは鬼道につかえていたといいます。

 卑弥呼の没後、和国は混乱におちいったので、人々は卑弥呼の長女壹与を王として国を治めさせたといいます。壹与もまた巫女王でした。

 卑弥呼や壹与は邪馬台国にかぎられた特殊な例でなく、古代の日本にかなり一般的にみられる政治と祭事の形態だったようです。ヒメ・ヒコ制とよばれるものがそれです。

 ヒメ・ヒコ制は、兄弟と姉妹が政事と祭事を分担する統治の形態です。一般に「地名+ヒメ」と「地名+ヒコ」の名をもつ男女が一対となってその地域を支配する原始的な王権のあり方でした。具体例としては、『日本書紀』神武天皇即位前紀のウサの国の祖先ウサツヒコとウサツヒメの場合などがあります。

 このほかにも『日本書紀』には地方の首長が女性であった例をいくつかひろいだすことができます。政事権または軍事権をもつ男性の名がしるされていませんが、女性が祭事権をもつために首長にされたのであろうと推測されています(鳥越憲三郎「巫女の歴史」『講座日本の民族宗教4』・弘文堂)。

 ただ時代がさがると、男女の役割分担に相互移動もあったようで、女性の首長が政事や生産にたずさわる例もありました(今井尭「古墳時代前期における女性の地位」『日本史研究』397)。

 しかし、ヒメ・ヒコ制の精神は日本の歴史を貫流していました。

 『古事記』や『日本書紀』には天皇の代替わりにともなう皇位継承争いの記事が頻繁と出てきます。そのばあい、ライバルが同母の姉妹をもっていますと、皇位継承者がその女性をめとっている例が多いのです。

 これは、霊的守護者である姉妹を兄弟からひきはなすことに目的があったのではないかとかんがえられます。

 平和のうちにそれが成功すれば、皇位継承者はライバルにたいして優位にたつことができましたが、不幸にして両者が対立関係にあるときは、相手を倒してその霊的守護者である姉妹をめとることによって皇位争奪戦の完全な勝利をかちとることになりました(倉塚曄子『巫女の文化』平凡社・1979年)。

 沖縄にオナリ神とよばれる、兄弟を守護する姉妹の霊にたいする信仰があることはよく知られています。柳田國男が『妹の力』(1940)収載の論文で先鞭をつけ、伊波普猷がそのあとを受けて解明をすすめた問題でした。

 オナリは、奄美・沖縄・宮古・八重山の諸地域で兄弟から姉妹をさすことばです。姉妹から兄弟をさすときはエケリといいます。オナリ神信仰は、宮古をのぞく前記の各地にみられます。

 オナリ神の働きは呪詛にもしめされますが、多くは兄弟が危機にたったときの守護に力を発揮します。航海や戦争などの出発のさい、姉妹は守護のしるしとして、手ぬぐいや毛髪をもたせ、兄弟が危地におちいったとき、姉妹の霊は白鳥になって現地に飛ぶといいます。

 姉妹は兄弟にたいし霊的守護の役割をはたしますが、同時に兄弟は姉妹にたいし俗的守護の役割をします。しかも家族のレベルを超えたさまざまな上位の祭祀集団にもこの関係をみることができます。根神(ニーガミ)と根人(ニーッチュ)、ノロと按司(アジ)、聞得大君と王の関係などです。

 こうなると、本土古代のヒメ・ヒコ制の関係と完全にかさなります。

 興味ぶかいことは、このヒメ・ヒコ制、オナリ神信仰の源流についても、ポリネシアなどのオセアニアやインドネシアにもとめる説(馬渕東一『馬渕東一著作集3』、鍵谷明子『インドネシアの魔女』、他)が有力であるのにたいし、少数意見として、中国の守護女神媽祖(まそ)信仰との関係をかんがえる説があることです(植松明石「オナリ神」『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社・1983年)。

 私はいまこの少数意見の立場にくみして、女性の霊力の問題を究明してみようとおもっています。

 さらにまた、女帝、斎王、後宮、采女など、日本の王権の維持にふかくかかわる諸制度で、ヒメ・ヒコ制、オナリ神の観点から説明しなければならないものが数多くあります。

 これらの問題を逐次この通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f04/suwa30.htm



http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c53

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
153. 中川隆[-13625] koaQ7Jey 2018年11月27日 12:00:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21175]

諏訪春雄のホームページ
http://home.s00.itscom.net/haruo/index.html

諏訪春雄通信10 2002年 9月

9月21日(金曜日)午後5時から、「中国少数民族の祭りと芸能―トン族・苗族・土家族の世界―」というテーマで、今年の夏におこなった中国調査の報告会を実施しました。


中国の長江中流域地帯には女神信仰がゆきわたっています。たとえば、私たちが調査したトン族社会では、薩神とよばれる民族の祖先の女神にたいする信仰がさかんです。薩神は薩歳ともよばれています。薩はトン族語で祖母を意味します。祖先の女神ということになります。

トン族の神話では、彼らの世界を創生した人物は薩神の子孫姜良姜妹の兄妹です。天下に大洪水がおきて万物がほろんだとき、薩神が送ったひさごにのってたすかった兄妹二人が夫婦となって、山川動植物を生み、トン族をはじめとする人類の祖先になったというのです。水稲農耕もこの兄妹がつくりだしたものとつたえられています。

薩神はまた隋唐時代の女英雄キョウニの伝説と習合しています。キョウニは、都から派遣された官吏の苛政に反乱をおこした村人の先頭にたってたたかい、幾度も勝利をおさめますが、最後は大軍にかこまれて自殺した女性です。

後人は彼女の霊をなぐさめるために祭壇をきずき、神としてまつりました。このキョウニが薩神と同一視されて崇拝の対象になっています。

薩神信仰とならんで、トン族の二大信仰とよべるのが、太陽信仰です。鼓楼、住居、男女の正装、帽子、その他に円形の鏡として造型された太陽をみることができます。年中行事のなかにも太陽信仰は浸透しています。

また、トン族の男女は雨具ではない紙製の傘を冠婚葬祭や日常生活に頻用します。この傘は太陽を象徴するもので、辟邪の働きがあるとされています。

この太陽信仰と薩神信仰はふかくかかわっており、トン族の人々は両者を同一とみなし、太陽光線は薩神の威力をあらわすものとかんがえています。

日本の創世神話とトン族神話には興味ぶかい一致があります。『古事記』によるイザナギ・イザナミを主人公とした創世神話とトン族神話には以下のような一致点があります。

@ イザナギ・イザナミの二神は、神世七代の洪水後に男女対偶神として誕生し、国土の生成、始動にかかわります。姜良姜妹の二神は、洪水のさいにひさごのなかにはいって命がたすかり、国土と人類の生成にかかわります。

A イザナギ・イザナミの二神は、天神の命をうけて、まず天の浮橋に立ち、海をかきまわして得たオノゴロ島に降り、天の御柱をめぐって結婚します。姜良姜妹の二神は最高神の薩神のはからいで結婚します。

B イザナギ・イザナミの二神は、はじめヒルコなどを生んで失敗しますが、天神の指示をあおいで大八島国および石・海・水門・山野の神々を生んでゆきます。イザナギは日向の橘の阿波伎原でミソギをします。そのさいに防塞神や穢れから成る神またはこれを直す神、海の神などが出現し、最後に左右の眼と鼻をあらうと、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが誕生します。姜良姜妹の二神は、十ヶ月に満たない九ヶ月で一人の男子を生みます。その子は、頭はあるが耳はなく、眼があって脚がない不完全な人間でした。その身体が斬りくだかれて民となり、手や指が地におちて高峰となり、骨がおちて岩石に化し、頭髪は万里の河川となり、脳がおちて土手や田畑になり、歯牙が黄金白銀になりました。肝腸が長江大河となり、野牛や野鹿、山脈、三百六十四の姓、トン族をはじめとする人類が誕生しました。

両神話のあいだに、洪水から生存した男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、その結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が生まれたがつぎに国土と人類などが誕生したこと、しかもそうした行為が薩神(『古事記』では天神)の指導ですすめられたことなど、世界創造神話の基本構造が一致していることが注目されます。

さらに薩神とアマテラスとのあいだにもつぎのような一致点があります。

@ 民族の祖先の女神、A太陽神でもある、B稲作の神である、C歴史上の人物(女性英雄神と皇室の祖先)と習合し祭壇がもうけられた、の四点です。

トン族の神話が日本神話の直接の原型であったなどと主張する気はありませんが、長江中流地域が日本の稲作の源流であったことは疑問のない事実である以上、稲作にともなう文化の交流についても真剣に検討する必要があるとおもいます。

この問題についてはつづけてまたこの通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa10.htm


諏訪春雄通信 11

東アジアの王権の問題について、夏期の中国調査の結果をふまえて、その後、かんがえたり、調べたりしたことをのべます。私の最終目的は、日本の天皇制の解明です。しかし、そのためには、東アジア、ことに中国大陸での王権の歴史の検討が絶対必要条件であるとかんがえています。

 

中国北方、黄河流域で巨大な王権が誕生し、南方、長江流域でなぜ巨大王権が成立しなかったのか、という問いについて、最初のきちんとした説明をしたのは、ドイツ生まれの社会学者カール・アウグスト・ウイットフォーゲル(1896〜1988)でした。水利社会論とよばれて有名な彼の考えをまとめれば以下のようになります。

 

黄河流域は黄河文明のさかえた土地である。定期的に氾濫をくりかえした黄河の大量の土砂が堆積してできた沖積平野であり、そのままでは農耕に適せず、大規模な潅漑工事が必要であった。そのため、この土地では、大量の人手をあつめて水を支配しなければならず、それが可能な強大な力をもった者が、王権を獲得し、巨大国家を建設した(平野義太郎監訳『新訂 解体過程にある中国の経済と社会』原書房、1977)。

 

この水利社会論は、現在かなり旗色が悪く、日本でも戦後きびしい批判にさらされています。批判は二つにわけることができます。一つは、彼の政治性にたいする反発です。はじめマルクス主義者として出発したウイットフォーゲルはアメリカにわたって反共産主義者にかわりました。その政治理論から、進んだヨーロッパ社会にたいする停滞したアジアという図式をつくりあげました。この図式が不評を買って、批判者の舌鋒をするどくさせたのです。

 

もう一つは、彼の水利社会論そのものにたいする批判です。最近の代表的な批判者二人を紹介しましょう。中国環境史学者の原宗子氏(流通経済大學教授)は、農業のために黄土は多量の降雨を必要とし、でなければ人工的な潅漑がもとめられるというウイットフォーゲルの主張は空想にすぎないとしりぞけ、年間降雨量そのものが不足していない華北の多くの地では、降った雨や雪の水分を発芽期までどう保持するかが問題になるのであり、潅漑の必要など多くの地域で存在しないと断定します(「土壌から見た中国文明」『四大文明』NHK出版、2000年)。

 

批判者をもう一人紹介します。日本の考古学界はフィールドワーク重視一色です。遺跡を発掘しない考古学者を日本では考古学者とはみとめません。ところが、欧米では考古学理論とか比較考古学という学問方法が市民権を得ています。自分では発掘体験のない土地の発掘報告をもとに、比較をこころみる学問です。

 

カナダ・モントリオールのマッギル大學人類学部教授のブルースG・トリッガー博士は、考古学理論家として現在もっとも生産的な仕事をしている学者です。彼は水利社会論をつぎのように批判します。「いっそう大きい潅漑システムへの要求が結果として文明発展の初期段階に専制国家を生む、というかつての通説は、初期文明においては大部分の水利施設が小規模で断片的であったという特徴を、認識していなかった。大規模な国家管理の潅漑システムは、国家の産物であり、その逆であったようにはみえないのである」(川西宏幸訳『初期文明の比較考古学』同成社、2001年)。

 

こうした批判論に接しますと、ウイットフォーゲルの水利社会論の破綻はみとめざるをえないようです。しかし、黄河流域における巨大王権の誕生という事実をどのように説明するのかという問題は、依然そのままにのこります。

 

水利社会論にかわって提出されている論を検討してみます。

 

前述の原宗子氏はつぎのように説きます。「人類が摂取するエネルギー源として太陽エネルギー利用効率の点でもっとも効率的なのは穀物生産である。当時における人工増加のポイントは、いうまでもなく食糧の確保にあったから、穀物生産を発展させた社会が、人口増加でも軍事力増強でも、他の方法で暮らしている社会にくらべ優位に立ったわけである」(前掲論文)。

 

穀物生産農業が巨大国家を誕生させたという考えです。しかし、この説明は成立しません。年間の降雨量も平均温度も農業に適さない黄河流域(前掲の原氏の批判にもかかわらず、この事実は疑問がありません)で巨大専制国家が誕生したのに、あらゆる条件がより農業に適した長江流域で巨大専制国家がなぜ誕生しなかったのか、という問題の解答にならないからです。

 

北中国と南中国の農耕の発展形態に周到な目配りをしながら論をすすめ、巨大国家成立の秘密を説きあかそうとした論文が、やはり中国史学者の岡村秀典氏(京都大學助教授)の「中国文明の起源―農耕のはじまりから国家の成立へー」(前掲『四大文明』)です。

 

氏は、殷墟から出土した甲骨文に大規模な祭祀儀礼の存在をしめす文言がきざまれていることに注目します。そして、巨大な祭祀儀礼をいとなむために、それをささえる経済システムを整備し、農業の大規模経営がおこなわれ、その結果、巨大な専制王権が誕生したと主張します。

 

しかし、この論も誤っています。事実は逆です。巨大政権が成立したから、それを維持するために巨大な祭祀がいとなまれたのです。そうした事例はいくらでもあげることができます。日本の大和政権成立後の国家祭祀整備や大規模化がさしあたっておもいうかびます。

 

湿潤地帯と乾燥地帯のはざまに巨大な大河文明が誕生したという、文明史学者安田喜憲氏の学説は、ウイットフォーゲルに匹敵するスケールの大きなものです。

 

ユーラシア大陸を、大きく湿潤地域のモンスーン・アジア、大西洋地帯と、乾燥地域の乾燥アジア、北方アジアに二分し、これまで四大文明といわれてきたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河の四大文明は、そのはざまをながれる大河のほとりでおこっていると主張し、乾燥地帯の牧畜民と湿潤地帯の農耕民の接触によって大文明は誕生したと主張するのが、安田理論です(『大河文明の誕生』角川書店、2000年)。

 

牧畜民は主食の穀物を農耕民との交易によって手に入れないかぎり生きてゆくことができない。この牧畜民に主食となる穀物や野菜を提供した人々こそ、乾燥アジアとの接点をながれる大河のほとりに生活する農耕民であった。それゆえ、乾燥と湿潤のはざまをながれる大河のほとりは、農業革命以来、農耕民と牧畜民の異文化の接触地帯になった。安田氏はそのように説きます。

 

この安田理論も、黄河文明にかぎってもいくつかの疑問があります。まず、華南に比較して、寒冷で乾燥した華北の地を湿潤地帯といえるのかという疑問です。

 

もともと、氏の説の立脚点には、1988年にはじめて氏が発見したという5700年まえにおこった地球規模での気候変動がありました(安田喜憲「五〇〇〇年前の気候変動と古代文明の誕生」『科学』五八号、岩波書店)。この変動は、北緯35度以南の大河ほとりの乾燥化をもたらした。このため、牧畜民が水をもとめて大河のほとりに集中した。この大河のほとりへの人口の集中と、もともと大河のほとりにいた農耕民とあらたにやってきた牧畜民の文化の融合が、都市文明の契機になった。これが安田理論の骨格です。

 

しかし、この論は、北緯35度以北に位置し、しかも5700年まえより1000年以上もあたらしい黄河文明に適用できないことはあきらかです。しかも、遊牧民との接触という事実の確認できない長江周辺に、巨大王権ではありませんが、都市文明の誕生したことの説明ができません。

 

批判することはかんたんにできますが、それに代わる理論を提出することは容易ではありません。ウイットフォーゲルに対する批判を丹念にたどってみると、そのことを痛感します。黄河流域に巨大王権が誕生したことは事実です。その事実にたいして納得できる説明がまだありません。

 

ここであたらしい説明を提示できなかったら、私もおなじ非難をうけることになります。次回の通信12で、私の考えをのべます。あらかじめ、私の立場をあきらかにしておけば、私は一つの理由だけを強調する一元論ではなく、複数の要因を考慮する多元論で、この問題を解明したいとかんがえます。しかも、黄河領域で最初に成立した巨大専制国家であった秦の成立要因を分析することによって、その目的を達成したいとかんがえています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa11.htm

諏訪春雄通信 12

前回の通信につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

黄河流域で最初に成立した巨大専制国家は秦です。紀元前221年に、のちに始皇帝とよばれることになった秦王政は、戦国6国のなかでただ一つのこっていた斉をほろぼして、天下統一をなしとげました。この中国史上最初の統一国家の成立要因を検討することによって、華北における巨大王権誕生の秘密を解明してみます。

 

@鉄製農具の出現

春秋時代の終りに、木製や石製にかわって鉄製農具があらわれ、未墾地の耕作が可能になりました。農民はかぎられた土地で氏族制を保持する必要はなく、家族単位に分解、その農民たちをあたらしく発生した官僚たちが再組織しました(西嶋定生『秦漢帝国』講談社学術文庫)

 

A潅漑工事

水利技術者鄭国の献策により、秦王政の即位元年に、渭水北岸の荒地を潅漑する大規模な工事がはじまりました。これが完成して沃野が出現し、秦国が富強になり天下統一の財政基盤ができあがりました(西嶋前掲書)。

 

B経済の発展

春秋時代の後半からはじまった鉄器の発明と普及は、農業や手工業の発展をうながし、経済と文化に繁栄をもたらしました。商業の発展にともなって、商人の往来や産物の流通もさかんになり、列国の封鎖的な国境をこえて、各地の経済はたがいに依存の度をつよめていきました(松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』講談社)。

 

C富国強兵策

北方の強大な遊牧民族である匈奴の進入を阻止する防衛対策のうえからも、強力な統一国家の出現がもとめられました。富国強兵策を実施したために、生産は発展し、兵力は増強しました。戦国後期、秦の国土面積は全国の三分の一弱でしたが、その富は全国の十分の六に達したといわれ、騎馬戦術を得意とする軍団は無敵の強さをほこりました(松丸・永田前掲書)。

 

以上の四つは、主要な要因であって、この四つに限定されるといいはることはできません。また、たとえば、Bについて、経済の発展とまとめるか、鉄器の発明とするかは、意見のわかれるところです。

 

しかし、鶏が先か、卵が先かをあらそうことは、それほど生産的ではなく、秦帝国出現の要因はけっして一元的ではなく、多元的、複合的であったことを確認することが重要です。

 

さらに大切なことがあります。以上の四つは秦帝国出現の要因であって、そののち、漢、晋、隋、唐、五代、宋、金、元、明、清とつづいた歴代王朝のすべてに適応できる成立要因と断定することはできません。鉄器の発明は、秦成立の重要な要因ではありましたが、漢成立の要因とはいえません。

 

黄河流域の王朝成立過程を検討するためには、学問の手続きとして、秦のばあいと同様に、歴代王朝の成立要因を検討し、共通する原因を抽出するという作業が必要になります。

 

その作業の詳細を展開することは、しかし、日本の王権の成立におよぼした中国古代思想の影響という、私のさしあたっての研究テーマからずれることになりますので、ここでは必要最小限の言及にとどめます。

 

私の研究にとっては、秦につづいて、紀元前三世紀に成立し、紀元後三世紀に滅亡した漢帝国までを対象として、両国の共通性をぬきだせば、さしあたっては十分であるといえます。

 

両帝国誕生の共通要因はつぎの3点にまとめられます。

 A 匈奴を中心とした周辺遊牧民との抗争、軋轢

 B 商業を中心とした経済の発展

 C 農民勢力の台頭

 

Aは秦の4に対応します。匈奴が、モンゴル高原一帯の遊牧社会を統一して大帝国に成長したのは、秦末漢初といわれています。秦がこの匈奴の侵入にそなえて富国強兵政策をとったと同様に、漢もまた、強力な騎馬軍団で侵入をこころみる匈奴との対応に腐心し、軍備の充実につとめ、結果として国勢をのばしています。

 

Bは秦のBに対応します。漢の経済政策は商業一辺倒ではなく、税制の改革、塩鉄専売制度の実施、貨幣制度の制定など、多方面にわたっています。それらの総合的な経済政策が効果をあげて、武帝の時代には、「都鄙の倉庫は一杯になって財貨があふれている。都の銭の量は巨万をかさね、ぜにさしはくさってかぞえることができない。国庫の穀物は古米がふえて外にまで流れだし山積みになって腐敗している」と『史記』が叙述するようなゆたかな財政状態を現出させています。歴代の皇帝は、財政の好景気時代に、その資力を駆使して外征を実行し、領土の拡大と国威の昂揚につとめました。

 

Cは秦の@と共通です。巨大帝国秦を倒したのは、農民蜂起でした。決起軍の指導者の一人陳勝は、一時は、河南省の陳に農民王国を建設して王位につくほどの勢いをしめしています。最終的に秦をほろぼして漢を建設した劉邦もまた農民の出身でした。秦代以来の潅漑工事による農地の拡大と農業技術の改革が、農民に力をたくわえさせ、その爆発が秦をほろぼし、漢を誕生させたともいえます。

 

ウイットフォーゲルの水利社会論が批判の矢面にさらされていることについては、前回の通信でふれました。しかし、彼の論が批判されなければならないのは、その一元的主張であって、潅漑水利が巨大王国出現の重要な原因の一つであったことは、秦や漢巨大化の歴史の検討を通しても、みとめられなければなりません。

 

くりかえしになりますが、私の検討すべき課題は、日本の天皇家の永続です。そのために、大陸において巨大王権が交替をくりかえした黄河流域と、そうした現象のみとめられない長江流域を対比的にまずとらえてみようとしています。

 

中国で王朝交替を正当化する理論として生みだされたのが天の思想であり、日本では天皇の永続をささえる理論として太陽の思想が形成されました。これまでの通信でのべてきたところです。

 

天の思想とは、天の命令をうけて王となり、徳をうしなって天の怒りをうけて王の位置を追われるという思想です。一地方政権にすぎなかった周が殷(商)をたおして王権をうばった行為を正当化するためのイデオロギーであり、『書経』『詩経』など、儒教の書物のなかで理論が整備されていきました。『書経』の「多士」という章では、殷をほろぼした周公が、殷の遺臣たちにつげたことばをつぎのようにつたえています。

 

「汝ら殷の王室につかえていた者たちよ。天が亡国の運命を殷にくだした。そこでわが周は王国を開くべき天命を受けて、天の明らかな威光を奉じて、殷に大罰をくわえ、殷にあたえられた天命が終わったことを上帝に告げたのだ。」

 

この天の思想に対立する、日本の天皇家永続の理論的根拠が太陽の思想です。太陽の子孫だけが天皇の地位につくことができ、太陽の永続が天皇家の永続をささえるという考えで、八世紀の天武・持統の両朝のころから理論化され、『古事記』や『日本書紀』に神話体系としてとりこまれてゆきます。

 

『古事記』を例にとれば、そうした思想は全体にゆきわたっていますが、ことに、「三貴子の分治」、「スサノオの追放と五穀の起源」、「草薙剣」、「オオクニヌシの国譲り」、「ニニギの出生と降臨の神勅」、「天孫降臨」、「ホデリノミコトの服従」などの、骨格をなす神話に、天上の太陽神アマテラスの子孫の永続性と絶対性が周到にかたられています。

 

この天の思想と太陽の思想の生まれてくる母胎は、黄河流域の天への信仰と、長江流域の太陽への信仰にあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa12.htm


諏訪春雄通信 13

   前回につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

 

 中国古代の先秦時代、詩ということばは黄河流域でおこなわれた歌謡の歌詞を意味していました。この北方の歌謡はのちに『詩経』とよばれる歌謡集にまとめられました。『詩経』におさめられた詩篇は、周代の民俗と信仰について、かなり豊富な情報をつたえてくれます。北方の民の天への信仰をしめす一篇をつぎに引用します。

 

  ああ諸侯の楽師よ、あなた方は宗廟にいるのだから謹め。
  王はあなた方の豊作のため身を謹み正している。(この事実を)十分よく受け止めよ。
  ああ保介よ、この晩春に、
  (農事以外)また何を求めるのか、新田の様子はどうなのか。
  ああ豊作の麦をみのらせ、多くの実を収穫させたまえ。
  光り輝く上帝よ、豊作をあたえたまえ。
  さて農民たちにいそぎ耕具をととのえさせよ。
  速やかにたくさん刈りいれん。(周頌)

 

 王が臣下とともに神廟で、豊穣を天の神の上帝に祈念し、みずから苗をうえる儀礼をうたった詩です。これを籍田(せきでん)といいました。この祭りに参加した諸侯の楽師につつしんで奉仕することをもとめているのが、一行めと二・三行めです。四行めの保介は農事をたすける者です。

 

 上帝は天命を下して王朝の交替をおこなうだけではなく、豊作を実現させる豊穣の神でもあったことが、この詩であきらかです。

 

 天によって任命された皇帝=天子は、つねに天の祭りをおこない、その意思にしたがって、政治をおこないました。天の神の祭りは天子だけの特権でした。『礼記』によって郊祀(こうし)とよばれた天の祭りの内容をうかがってみます。


 天子は五年に一度諸国を巡視する。その年の二月に、まず東方の巡視をして泰山に至り、柴を焼いて天を祭り、山川にたいして望という祭りをもよおし、その地方の諸侯をあつめて会見し、かつ諸侯の国々に百歳以上の人があるか否かを問い、あれば天子みずから訪問する。そして大師(楽人の長)に命じその地方の詩歌をあつめて並べさせ、その地方の風俗を知る。(王制)


 天子が四方へ行ったときは、まずそれぞれの方角の山嶽に至り、柴を焼いて天を祭る。(郊特牲)

 柴を焼いて煙をたちのぼらせ、その煙をとどけて天をまつることを「燔柴(はんし)」といいました。柴のうえに玉と絹、犠牲などをならべ、これを燃やした祭りでした。

 

 天子による天の祭りは、地方巡行のさいだけではなく、年中行事としても定着し、後続の王朝にもうけつがれていきました。都城の四周に祭壇を常設し、その中心には天をまつる圜丘壇をもうけ、天子みずから祭祀を執行しました。その遺跡である北京の天壇をご覧になった方は多いとおもいます。すでに前漢時代にはおこなわれておりました。その祭祀でも、柴のうえに玉、絹、供物をならべ、焼いて煙を天にとどける儀礼が中心になっていました。

 

 『詩経』が華北の地の民謡や詩であるのにたいし、長江流域の楚の国でうたわれた歌謡の歌詞が『楚辞』です。『楚辞』を分析して、紀元前三、四世紀ごろの中国江南地方の信仰をうかがってみます。


蘭の湯を浴び、香水に髪を洗い、色彩うるわしい衣は花のようである。このように清潔に美しくよそおって神に仕えまつれば、神霊はゆらゆらと降りとどまり、神光はかがやかしく照らして極まりつきることがない。雲の神は、ああ、祭殿に安らごうとして、日月と光をひとしく輝き給う。竜に車をひかせ、天帝の服をつけて、神はしばらく天駆けりさまよい給う。神はかがやいて、すでにここに降り給うたけれども、たちまち遠く雲中にあがってゆかれた(雲中君)

 着飾った巫女が天の神をまつる情景をうたっています。天の神は巫女の招きで地上におりてきます。

 この詩で注意されることは、冒頭部分の神の降臨する場所が、巫女の身体そのものとうけとれることです。この個所は、原詩では、「蘭湯に浴し芳に浴す。華采の衣は英(はな)のごとし。霊連蜷(けん)として既に留まり、爛として昭昭として未だ尽きず」とあります。前の行で巫女をうたい、つづけて神霊がとどまるという表現から、神はその巫女の身体に降り給うたと判断されます。

 この詩は、江南の地のシャーマニズムが、脱魂型(エクスタシー型)、憑霊型(ポゼッション型)の二つのタイプのうち、神が巫女の身体に降りる憑霊型であったことをしめしています。

 太陽をうたった詩があります。つぎにそれを検討してみます。


 赤々と朝日は東方に出ようとして、扶桑のもとにあるわが宮殿の欄干を照らす。私の馬をおさえて静かに駆けると、夜は白白とはや明けてきた。竜に車をひかせ、雷雲に乗り、雲の旗を立てて、ゆらゆらとたなびいている。私は長いため息をついて、いよいよ天に上ろうとするのであるが、心は去りがたくて顧みおもう。ああ、歌声や色うつくしい巫女の私をなぐさめることよ。観る者は皆心やすらかに帰るをわすれる。張りつめた琴と打ちかわす鼓の音、玉でかざった台にかけた鐘を撃つ。鳴り響く横笛と吹き鳴らす笙の調べ。神巫女(かんみこ)の徳すぐれてみめうるわしいのを思うのある。
 巫女たちは飛びめぐり、カワセミのように挙がり、詩を陳(の)べ、集まり舞う。音律に応じて調子を合わせているうちに、もろもろの神の御魂が日を蔽うようにして天下る。私は青雲の上衣に白虹の袴をつけ、長い矢をとりあげて、天狼星を射る。そして自分の弓を持って立ちかえりくだって、北斗の星の柄杓をとり、肉桂のかおる薄い酒をのむ。やがてわが手綱を持って高く馳せかけって、はるかな暗黒の中を私は東へと行くのである。(東君)

 
 東君は太陽です。巫女が太陽神である東君に扮して神威を自賛しています。昇ってゆく朝日である東君が、自分をまつる地上の祭儀に心ひかれて去りがたくおもう。あまりの祭儀の盛観に、日神はついに高い空から降りてきます。太陽神は天狼神を射て、天空を征服し、赫赫と神威をかがやかし、北斗を取って、そなえられた飲み物をのんで、祭りを享受します。そして暗黒の空のなかを東へ去ってゆきます。

冒頭の朝日の光が東君の欄干を照らすという、日神と太陽が分離した表現は、日神に扮した巫女が日の出をうたったもので、客観としての太陽と主観としての日神東君が分離した形式になっています。

 このように、巫女が太陽に扮してその威力を自賛するという詩の表現が成立するのも、神霊が巫の身体に憑依する憑霊型のシャーマニズムが長江流域にひろがっていたからです。

 黄河流域では天にたいする信仰がさかんであり、長江流域では太陽の信仰がさかんでした。このことは、『詩経』と『楚辞』の詩篇からもあきらかですが、より明確なかたちでこの事実を指摘されたのは、中国史の専門である京都府立大學教授の渡辺信一郎氏です。

 今年、二〇〇一年七月二十八日(土)、二十九日(日)の両日、アジア文化研究プロジェクト主催の講演会・シンポジウム「東アジアの王権と祭り」が、学習院百周年記念会館で開催されました。両日をとおして三百五十人余りの方々が参加してくださいました。熱心な聴衆の皆さんに感謝します。

 その初日、「古代中国の王権と祭りー南郊祭天儀礼を中心にー」という題で、中国古代の天子による天の祭りについて、各種の文献を渉猟されて詳細な報告をされた渡辺氏は、結論として、講演内容をつぎのようにまとめられました。覚えておられる方も多いでしょう。

 「匈奴・韓・夫余・高句麗・わい(「さんずい」に「歳」)・烏丸など、中国北方・東北地方ならびに朝鮮半島に活動したモンゴル・トルコ・ツングース系諸族、すなわち遊牧地帯ならびに稲・雑穀栽培地帯には祭天の儀礼が広汎に存在する。しかし、中国南方、長江以南の諸族をはじめ、稲単作文化地帯に属するいわゆる南蛮、西南蛮には祭天の諸儀礼にかかわる記述はない。」

 ここでいう天とは天空または夜空にまたたく星辰をさしています。対する太陽は、昼間は天に位置していますが、夜は地平線にかくれています。太陽は地上の存在と信じられていたのです。

このような太陽にたいする中国人の考え方は、先に紹介した『楚辞』の「東君」にみることができます。そこでは太陽は、夜は扶桑の木のもとにある宮殿にやすんでおり、夜があけると竜車に乗って空にのぼるとうたわれています。同種の観念は、前漢時代初期に成立した『山海経』にもみることができます。

なぜ、黄河流域では天の信仰がおこなわれ、長江流域では太陽の信仰がさかんであったのか。次回はこの問題についてかんがえます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa13.htm

諏訪春雄通信 14

前回にひきつづいて東アジアの王権についてかんがえます。今回のテーマはつぎのとおりです。

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」

 この問題を解明するのに参照すべき現象が三つあります。
 その一つは一神教と多神教の分布です。世界の宗教を一神教と多神教にわけることがあります。一神教は、一柱の神をたてて崇拝する宗教です。一神教の神は一般的には抽象的な男性原理を有し、全知全能にして万物の創造主とかんがえられています。ユダヤ教のヤーウェの神、キリスト教の父なる神、イスラム教のアッラーの神などがそれにあたります。

 これにたいし、複数の神々を同時に崇拝する宗教を多神教とよびます。古代ギリシアの宗教、インドのヒンズー教、日本の神道、仏教、道教などがそれにあたります。

 この両宗教が生まれ、分布する地域に区別があります。一神教は砂漠地帯に生まれ、多神教は農耕地帯に多くみられます。多神教が神と人間との交流を教義に説くのにたいし、一神教は神と人間との隔絶を強調します。これは一神教が、砂漠に誕生したことと関係があるとされています。荒涼たる自然環境の砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願の対象にえらばれる傾向がありました。たいする多神教は豊穣の大地にいます神々が信仰の対象になりました。一神教と多神教は天の神と地上の神の対比でもあるのです。

 二つめは、シャーマニズムにおける脱魂型(エクスタシー型)と憑霊型(ポゼッション型)の分布です。通信13であきらかにしたように、長江流域では、神が巫女の身体にやどる憑霊型がさかんでした。太陽神も巫女の身体に憑依しました。他方、黄河流域の王の祭天儀礼では柴とその上の供物を燃やして、煙を天にとどけました。神は天にあって、人間の側から神に接近していました。そこでは脱魂型がおこなわれていたとみることができます。

 現在も長江南部では憑霊型がさかんであり、黄河の北方では脱魂型のシャーマンが活躍しています。私はかなり長期にわたって、江蘇、浙江、湖南、貴州、広西チワン族自治区、黒竜、吉林、内蒙古自治区などのシャーマンを調査してまわってこの事実を確認しています。天の信仰と太陽の信仰は、また、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型の問題でもありました。

 シャーマニズムでなぜこの両タイプが存在するのか、という問いについてはまだ完全な解答は提出されていません。

 シャーマニズムの研究で大きな業績をあげたM・エリアーデは脱魂型を本質とみて、憑霊型を第二次的な変化とかんがえました。その結論的な部分だけを代表作『シャーマニズム』(堀一郎訳・冬樹社・1985年)から引用します。


 アジア的シャーマニズムは、一つの古代的エクスタシー技術と考えねばならない。この原初的根本理論―天界上昇によって直接の関係を持ち得る可能性のある天界至上神の信仰―は、たえず仏教などの侵入を最頂点とする長い一連の異国からの著彩によって変形せしめられてきた。神秘的死の概念は、漸次祖霊と「精霊」との正常な関係、「憑移」にいたる関係を促進した。

 エリアーデの考えがよくうかがわれます。アジアのシャーマニズムはシャーマンが天界への上昇によって至上神と接触するエクスタシー型こそが真の姿であり、仏教などの侵入による異国からの影響と祖先崇拝によって変化が生まれ、憑移(憑霊、ポゼッション)型を増加させたが、しかし、エクスタシー型をなくするまでにはいたらなかった。このように彼は主張します。

 このエリアーデにたいし、民族学者のW・シュミットはポゼッション型を基本とかんがえ(大林太良「シャマニズム研究の問題点」『北方の民族と文化』山川出版社・1991年)、I・M・エリスは二つのタイプは共存するとみています(平沼孝之訳『エクスタシーの人類学―憑移とシャーマニズム』法政大学出版局、1985年)。

 脱魂型は狩猟文化と関わりをもち、憑霊型は農耕社会に顕著です。この事実は多くの研究者がみとめるところです。日本にかぎっても、本土では脱魂型がほとんど存在しないのに、ながいあいだ狩猟採集社会であった沖縄では他界を旅したり空中を飛翔したりする脱魂型の体験をユタなどから聞くことはまれではありません。

 地球的の規模でシャーマニズムの研究をおこなったアメリカの人類学者エリカ・ブールギェヨンとエヴァンスキーは「全世界からの民族誌的事例の通文化的統計研究において、社会の複雑度が低く、ことに採集狩猟経済にもとづく社会などでは、脱魂型シャーマニズムがふつうで、社会が複雑になり、農耕をいとなむようになると、憑霊型シャーマニズムがさかんになる傾向がある」という結論をみちびきだしています(大林氏前掲書)。

 このようにみてきますと、天の信仰と太陽の信仰を解明する重要な鍵がシャーマニズムの脱魂型と憑霊型にあることがたしかになります。

 華北の天の信仰、華南の太陽の信仰とかかわる現象の三つめは仮面の分布です。
 世界の民族に仮面をもつ民族ともたない民族があります。
 日本の仮面使用の祭りや芸能の分布状況を、『日本民俗芸能事典』(第一法規・1976年)によってみますと、南北につらぬく日本列島で、北から南へゆくほどその分布密度は濃くなり、南島とよばれる九州や沖縄の島々が濃密に仮面芸能をつたえるのにたいし、北の北海道にはこの地で生まれた仮面の儀礼や芸能が存在しません。

 北海道は北緯40度以北に位置します。おなじように朝鮮半島の仮面の祭りや芸能の分布状況を、金両基氏の『韓国仮面劇の世界』(新人物往来社・1987年)収載の表によって検討してみますと、北緯39度線より北に仮面芸能は存在しません。日本と朝鮮半島はともに北緯40線あたりに仮面芸能の北限があったことがわかります。おなじような調査を中国でおこなってみますと、やはり北緯40度の北京あたりに仮面祭式の北限があることがあきらかになります。

 しかし、地球規模に調査の範囲をひろげますと、北緯40度という緯度に特別の意味があるわけではありません。アフリカ大陸の仮面の分布は赤道を中心に南緯15度と北緯15度のあいだにみられ、北アメリカでは北緯65度のアラスカ湾あたりまで仮面をみることができます(吉田憲司編『仮面は生きている』岩波書店・1994年)。緯度に特別の意味はありませんが、世界の民族または人々に仮面をもつ人々ともたない人々のあることは確実です。

 一神教と多神教、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型、仮面の有無、の三つの現象と天の信仰・太陽の信仰はふかい関わりがあると私はかんがえます。三つの現象が解明できれば、黄河流域に天の信仰が誕生し、長江流域に太陽の信仰が誕生した理由もあきらかになると信じています。 

 四つの現象をつらぬく共通のキーワードは農耕です。多神教、憑霊型、仮面、そして太陽信仰の四者を誕生育成した社会は農耕社会でした。他の四者を生みだした社会は狩猟または牧畜社会か、農耕社会への転進のおくれた社会でした。こうした私の断定には異論をもつ向きもあるかもしれません。現存の考古学の発掘資料によるかぎり、黄河流域に農耕がはじまった時期は、長江流域に農耕のはじまった時期にそれほど遅れているとはみえないと…。

 黄河流域では紀元前6000年ころまで農耕開始時期をさかのぼることができます。河北省武安県磁山遺跡からは炭化した粟や耕作用の石製鋤、収穫用の石鎌などの農具が出土しています。

 ちょうどそのころ、長江下流域の浙江省余姚市河姆渡遺跡からは野性稲や栽培稲、耕作用の骨製鋤、炊飯用の土器などが大量に出土しています。猪を家畜化した豚の飼育もはじまっていました。それから2000年ほど経過した紀元前4000年ごろの江蘇省蘇州市の草鞋山遺跡では、人工的な水路や水田があらわれています。

 この比較だけでは、両地域はほぼおなじころに農耕社会にはいっていて差はありません。しかし、長江中流域の湖南省にはさらに1000年以上さかのぼった彭頭山遺跡群が存在し、籾や土器、石製農具、集落跡など、水稲耕作のほぼ確実な証拠が発見されています。長江流域の農耕は黄河流域の農耕を1000年以上さかのぼります。さらに湖南省の玉蟾岩遺跡からは12000年前の炭化米を出土しており、これを栽培稲とみる説が有力です。これがみとめられれば、長江中流域に稲作の起源はじつに黄河流域を6000年さかのぼることになります。

 さらに重要な事実があります。長江流域の農耕が稲作であったのにたいし、黄河流域の農耕は雑穀栽培であったということです。毎年おなじ場所に栽培すると連作障害のおこる雑穀では、粟、黍、豆類などを順番に土地を替えて植えなければなりません。その結果、黄河流域では、農耕だけでは十分な食糧を得ることができなかったために、狩猟採集経済がながく並存しました。

 ここで問題はしぼられます。なぜ農耕社会は太陽の信仰を生み、狩猟社会は天の信仰を生むのか。私はそこにいくつかの段階と理由を想定します。

 

1.農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

2.農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

3.狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

4.農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

5.仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。


 

 今回はこの辺で通信を閉じます。次回は長江流域の少数民族社会に太陽信仰以外の信仰を追いかけてみます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa14.htm


諏訪春雄通信 15

前回予告しましたように、長江流域の少数民族社会にひろまっている太陽神信仰以外の信仰をみてゆきます。今回のテーマは「稲魂信仰」です。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには、学習院大学内外の多くの研究者が「プロジェクト参加者」としてくわわっておられます。これまでなんらかの形で私たちの活動に関わりをもたれた方々です。その参加者の一人に曽紅さんという中国の女性がおられます。この方は、現在は学習院大学の中国語講師をつとめていますが、本来は中国雲南省のハニ族の稲作について調査研究をかさね、すでに多くの論文も発表している比較民俗学者です。私の中国調査にもよく同行され、各地の民俗をいっしょに見てまわった方です。

 曽紅さんの研究の核心は雲南省ハニ族の稲作儀礼と日本の稲作儀礼との比較研究です。彼女はそこに多くの共通性を発見しましたが、しかし、なぜ遠く離れた雲南のハニ族と日本とのあいだに稲作にかかわる共通の信仰や儀礼が存在するのかという問いについては判断を保留しています。というよりも、明確なことはわからないというのが曽紅さんの本音のようです。

 彼女の研究の一端を紹介します。
 ハニ族の年中行事のうち、稲作に関係する行事にはつぎのようなものがあります。

1月 五穀祭(穀物神に豊作を祈願する)
2月 ガマツ祭(稲魂の降臨をむかえる) 
3月 苗床祭(稲の苗を祭る) 稲娘の聖婚式(稲魂を水田におろす儀礼) 穀物神と田の神を祭るハォへへ
6月 夏の松明祭(松明の火に照らして稲の多産を祈願する) 水口祭(水田の水口に供物をささげる)
7月 虫送り(稲の害虫駆除の祭り) 稲花酒を飲む(初穂を神棚にそなえ稲籾をいれた酒を飲む)
8月 新米節(ホスザ 稲刈に先立ちあたらしい稲魂と家の神棚にまつってある昨年の稲魂との新旧交代をおこなう)
9月 田の神への感謝祭(主婦は水田の真中で田の神に供物をささげ感謝の歌をうたい稲刈をする) 倉入れ(新旧稲魂の交替の儀礼)
10月 松の飾りと団子飾り(松の枝と稲の籾や若草を入れた竹筒、栗の枝を玄関にかざる。団子飾りは餅花) 年取り(団子をたべる)
    曽紅「ハニ族の年中行事」(諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)

 ハニ族の古い暦法は一年を十ヶ月とします。この年中行事はその暦法によっています。このかんたんな叙述からも、(1)農家の一年の行事が稲作の作業過程とむすびついて進行する、(2)稲の祭りの中心に稲魂信仰がある、(3)稲魂は家の神棚と倉に祭られる、(4)稲魂は新旧交代する、(5)稲は人々の生命力の根源である、など、日本の稲作の祭りと共通の信仰が存在することがあきらかになります。

 家庭の主婦となった曽紅さんは、最近、中国調査を一時休止しています。曽紅さんのあとをうけて、雲南省の少数民族の稲作儀礼調査に目覚しい成果をあげているのが、麗澤大学教授の欠端実氏です。欠端氏とは国際日本文化研究センターのプロジェクトでご一緒し、しばしばお話を聞く機会がありました。
 氏の説の核心部分を引用してみます。

 現在の雲南省においても、穀物が発芽し成長し開花し結実するのは、穀霊の働きによると考え、そのための儀礼を執り行なっている小数民族は多い。アチャン族の穀霊祭は典型的なものとされる。アチャンは、稲には稲魂があって、稲魂を離れると稲は育たず、実も入らないと信じている。したがって、ぜひとも稲魂を祀らなければならないと考えている……ハニにおいても稲魂信仰は強く残され、日本の稲作儀礼と同じ儀礼が今日に至っても守られている。
 「雲南少数民族における新嘗祭」(『新嘗の研究4−稲作文化と祭祀―』第一書房・1999年)

 ハニは現在でも新穀を供える新嘗祭(フォシージャー)を行なっている。期日は一定していないが、おおむね七、八月の龍の日に行なわれる。稲魂(新穀の女神)はとても恥ずかしがりやなので、新穀を刈り取るときにはめでたい詞を唱えて、穀物を収穫する目的と新穀の女神をお迎えする誠意を表明しなければならない。穂がびっしりとつまっていて虫に食われていないものを選ぶ。刈り取った穀物は三本一くくりとし、三束に分けて先祖の位牌の所に掛け、一年中そのままにしておく。ただしお年寄りが亡くなったときにだけ持ち出して焼く。
 新米節のときにはまず先祖に供える。主な供え物としてはご飯である。(同上論文)

 氏はまたハニ族の新嘗祭の特徴をつぎのようにまとめています。

1.家の祭である。
 新嘗の時には家族全員で新穀を食べる。その際、客を招かず、家族以外の人には食べさせない例が多い。また新穀を収めた穀倉は他人 に見せようとはしない。

2.女性が主宰する祭である。
 調査した60余の村の内、11の村が「新嘗」は女性家長が主宰すると答えた。男性が主宰すると答えた村は2例であった。

3.新嘗儀礼の中心にあるのは穀霊(稲魂)信仰である。
 田畑にいる穀霊を家の中に迎え入れ祖先棚あるいは穀物蔵で休息してもらう。新穀を祖霊、穀霊および天神に供え共食する。新穀を食することは穀霊を食べることに他ならないという観念が今日も残されている。

4.穀霊信仰と祖霊信仰とが結合している。
 田畑から迎え入れられた穀霊は祖先棚に安置される。この祖先棚の移動や新設は新嘗の日に行わなければならない。

5.穀霊を保護しているのは聖樹である。穀霊信仰と聖樹崇拝とは結合している。
 ハニ族最大の祭は、田植前に行なわれる聖樹祭(アマトゥ)である。稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられている。聖樹は村建ての時、村のセンターとして選ばれるものであるが、西双版納(シーサバンナ)では各家で聖樹をもつ村があった。

欠端実「ハニ族の新嘗―アジア稲作の古層―」(アジア民族文化学会秋季大会発表要旨・平成13年11月11日・共立女子短期大学)


 ここでのべられている雲南省のハニ族の新嘗祭はそのままに日本の新嘗祭です。しかものちに変質してしまった日本の新嘗祭の古代の原型を推定する手がかかりさえのこされています。なぜそのような酷似性がみとめられるのでしょうか。これまでの本通信の注意ぶかい受信者ならば、その理由を容易にかんがえつくことができるはずです。

 欠端氏もまた曽紅さんと同様に、日本との類似性は指摘するがその理由についてはふれられません。雲南省は長江中流域にひろがる湖南省、湖北省などよりもさらに西南に位置し、日本からは遠くはなれた山岳地帯です。ここの稲作が、間にはさまる巨大な空間を超えて注目されるようになったのは、いまから三十年以上もむかしに、照葉樹林文化論(上山春平ら編『照葉樹林文化論』中央公論社・1969年初版)が流行したころからです。雲南省のハニ族の稲作が中国の他の土地に先んじて調査対象になったのは、じつはこの照葉樹林文化論の影響でもあったのです。

 1980年代、アジアの稲作の起源地としては、インドのアッサム州から中国の雲南省・貴州省にかけての高原地帯が有力でした。いわゆるアッサム・雲貴起源説です。この説をささえる重要な根拠は、この高原地帯で日本の農学者渡部忠世博士によって野性の稲が発見され、さらに、3、4000年まえにさかのぼる栽培稲が見出されたことでした。渡部博士の説は、1977年に『稲の道』(日本放送出版協会)として発表され大きな影響を学界にあたえました。

 このアッサム・雲貴稲作起源論のうえに華麗な照葉樹林文化論が強化され、日本の学界をにぎわしたことはご記憶の方も多いとおもいます。照葉樹林文化というのは、西ネパール付近からヒマラヤの南山麓を通り、中国南西部を経て西日本にいたる帯状の地帯にひろがっていた照葉樹林地帯(照葉樹林は、クスノキ、シイ、ツバキなどの、葉は革質で光沢のある常緑広葉樹の林で、日本では九州、四国、関東までの沿岸部に分布します)に生まれそだった文化で、焼畑農耕にもとづく雑穀栽培、ナットウやなれずしなどの醗酵保存食の利用、高床式住居の住居形式などなどの文化複合を形成しています。稲作もまたこのルートをたどって日本に到達したと主張されました。

 しかし、湖南省が稲作の源産地として確定した今日、照葉樹林文化論の骨格はくずれました。ほぼ4000年前の雲南省の稲作は、それよりもさらに4000年以上さかのぼる長江中流域から伝来したものと推定されます。したがって雲南の地にひろまった稲作の祭りや信仰もじつは長江中流域が起源地であったということになります。

 日本の稲魂信仰と雲南省ハニ族の稲魂信仰の共通性は、長江中流域の稲作民の稲魂信仰が東西に伝播したためであるといいきることができます。そして、私たちはすでに、湖南、湖北、貴州などの少数民族社会にその原型となる稲魂信仰を見出しています。

 次回は中国長江中流域の少数民族社会の稲魂信仰についてのべます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa15.htm


諏訪春雄通信 18 2002年 12月

 通信15で雲南省のハニ族の稲魂信仰についてのべました。最終のねらいは、中国の長江中流域ではじまった稲作が、日本へ伝来したときに、稲作の技術とともに、稲にかかわる各種の信仰を同時に日本へもたらし、日本の天皇制の基盤となった信仰・精神を形成したという事実の証明です。

 中国の少数民族ミャオ(苗)族の居住地は、湖北、湖南、四川、雲南、貴州、広西チワン族自治区などの各省にひろがっていますが、738万人におよぶ全人口(1990年の調査)の50パーセントまでが貴州省にすんでいます(田畑久夫他編『中国少数民族事典』東京堂出版・2001年)。

 ミャオ族の現在の主要な生業は稲作を中心とした農業です。山間低盆地や河谷を主体とする山間部に形成された平坦地では、付近をながれる河川の水を利用する水田稲作が中心で、一部の水田では鯉などの養殖もおこなわれています。これにたいし、山腹の斜面をきりひらいて造成した棚田では天水を利用した稲作が、段々畑ではトウモロコシ、おかぼ陸稲などが栽培されています。

 この貴州省のミャオ族のあいだに顕著な稲魂信仰をみることができます(潘定智「丹寨苗族的穀神崇拝」『貴州古文化研究』中国民間文芸出版社・1989年・他)。藩氏は穀神ということばつかっていますが実体は稲魂です。

 彼らのあいだに地上の穀物の起源について3種の神話がつたえられています。
1.大洪水がおこりこの世から穀物がなくなった。姜告略という老人がいた。老人は白バトとスズメに命じて天上の銀河のあたりから穀物をぬすませた。人間はそのおかげで稲をうえることができた。


2.むかし、人間は山の洞窟にすんでいた。そのころ、ミャオ族と漢族がおなじ洞窟に居住していた。その洞窟に一人の老婆がいて穀物と酒の麹種をもっていた。穀物は大きすぎて煮てもたべることができなかった。そののち、老婆がいなくなった。利口な人間が斧で穀物をわったところ、その破片からトウモロコシ、麦、稲、高粱、粟などが生え、また土中にはいって芋や蕨が生じた。漢族は麹種を得て、辛い酒をつくり、ミャオ族は甘い酒をつくった。


3.もともと穀物はとおくはなれた神農氏の里にあった。老人が犬に命じて穀物をとりにゆかせた。犬は途中に流れのはやい大河があったので、尾の先に穀物の粒をつけてもどってきた。そのために、現在、穀物の穂は犬の尾とおなじ形をしている。

 以上の3話は東アジアに流布している稲作神話の三つのタイプを代表しています。1の鳥のモチーフは穂落し神の伝承として中国、朝鮮、日本に流布しており、3の犬のモチーフはとくに中国南部にひろくおこなわれています。また2の洞窟から穀物を入手するモチーフは、洞窟から米が流出する、いわゆる「流米洞伝説」の変型とみることができます。このタイプは中国や朝鮮にひろがっています(大林太良『稲作の神話』弘文堂・1973年)。

 この三つの稲作神話のうち、1は日本でも東北から沖縄にまでひろまっています。穀物をもたらす鳥は多くは鶴ですが、雀、鴻などの種類もみることができます。3の犬は弘法大師伝説とむすびついてかなり変型した話がひろく流布しています。2の流米洞伝説はいまのところ日本からは発見されていません。朝鮮半島にまでつたわっていながら、海峡をこえることができず、日本につたわらなかった神話、伝説、習俗などはかなりあります。流米洞伝説もその一つです。

 稲魂のことを、ミャオ族は穀魂、米鬼、穀神などとよんでいます。稲が田圃で生長する旧暦の2、3月から8、9月のころまで、稲魂は田にあって稲の生長を見まもります。この時期の稲作の祭は稲魂を中心にいとなまれます。
 起活路 翻鼓節 撤苗 開苗門 粽節 稲魂祭 苗家稲祭 吃新節 稲魂収倉行事など、農事の節目ごとの行事がそれにあたります。

 起活路は春節(旧正月)ののちの決められた日(旧暦2月の第一亥の日など)の農事始めの行事です。河のそばの田を鋤でほりおこし、カヤ・ススキや山椒を田にさします。これは邪鬼の類の侵入をふせぐための儀礼です。

 開苗門は田植開始の儀礼です。もち米のご飯と魚を苗代にささげ、稲魂の保護を祈願します。そのときにとなえる文句のなかで、稲魂に「姑娘(娘)」とよびかけます。稲魂を女神とみなしていることがわかります。稲魂祭は、虫の害などで稲の発育が不良のとき、その原因を稲魂が田のなかにいないせいとかんがえ、鴨、酒などを持参して田にやってきて、稲魂に田にもどるように祈願する祭りです。

 苗家稲祭は、若者や娘が稲魂になる儀礼です。七月半ばの夜半、若者と娘たちが村の岡にあつまってこの儀礼がおこなわれます。指導者で歌い手になる人(巫師)が田から青々とした稲の葉(稲魂の変身とみなされている)をとってきて、えらばれて稲魂になる若者の頭上にさします。そして若者に耳をふさがせておいて、腰の鈴をならしながら、稲魂に生育をうながす歌をうたう。そのあいだに若者はしだいにトランスにおちいって、あの世にはいってゆきます。そして、途中、亡霊にあったりしながら、もっとも美しい場所までいってひきかえしてきます。これで若者は稲魂と一体になって成長することができると信じられているのです。

 吃新節は稲が成熟してきたころ、各家で田から奇数本の穂をぬき十粒の新米を古米のもち米とまぜて祖先と稲魂に感謝しながらたべる行事です。

 稲魂収倉行事は秋の収穫がおわったのち、一升の米をえらび、一把の稲束を小さな天秤棒にかけたものをその米にさし、倉におさめる儀礼です。そのときに

 九月がきました。十月がきました。穀粒はすべて倉におさまりました。稲魂様もどうぞ倉におかえりください。

ととなえます。

 ミャオの人たちにとって、稲魂は田の神であるとともに彼らの一生を守護する神でもあります。母の胎内にやどったときから、最後の死をむかえるまで、稲魂にまもられることによって無事にすごすことができると信じています。

 女性は懐妊すると巫師をよんで稲束を部屋の入口にかかげて祈祷をしてもらいます。邪鬼の類の侵入をふせぐためです。子供が成長すると、一碗の米と一個の鶏卵をいつも床の上においておきます。稲魂の保護を期待するためです。子供の衣服や帽子には穀物や米をいれた布の袋がぶらさげられています。

 病気にかかると枕もとに一束の稲の束をおいて病魔の退散を祈願します。新築のさいには、まず使用する柱に稲束、鶏、魚、酒などをささげて祈祷し、家が完成すると、大きな梁の両端に稲束をかけておきます。不幸があって巫師がよばれると、稲束が重要な役割をはたします。巫師は占いによって稲魂からその家の不幸の原因を聞きとり、災難を消滅させます。

 ミャオの人たちの一生は稲魂の保護のもとにあり、死ぬと稲魂にみちびかれてあの世にゆくと信じられています。出棺のとき、巫師は通過する道に米をまきちらし、死者をほうむる墓穴にも米を敷きます。こようにして稲魂は死者の霊魂につきそいます。

 このような事例をならべると、稲魂が祖霊神と一つになっていることがあきらかです。梁に稲束をかけて、家の保護を期待するのも、死者が稲魂にみちびかれてあの世にゆくのも、稲魂即祖先神だからです。

 そして、稲魂はまた太陽神でもあるはずです。

 この断定については、すこし説明が必要です。通信15で紹介した雲南省のハニ族の稲魂信仰では穀霊信仰が祖霊信仰とむすびついていました。その事実は、欠端実氏の報告によってあきらかです。信仰の有無や結合の判断はむつかしく、調査者のモチーフの持ち方に大きく左右されます。調査する人の側に太陽信仰というモチーフがないと、調査結果からこの部分がそっくりぬけおちてしまいます。つまり、欠端氏は穀霊信仰と祖霊信仰という二つのモチーフはつよくもっていましたので、両者の結合をとらえることができましたが、太陽信仰というモチーフははじめからもっていなかったので、調査結果からぬけおちてしまったのです。

 じつは、私がこれまでの貴州省ミャオ族の稲魂信仰の記述に主として利用した藩定智氏の報告にも、太陽神信仰という視点ははじめからないので、稲魂信仰と太陽神信仰の結合という事実はまったくうかびあがってきません。しかし、私は貴州省のミャオの稲魂信仰は太陽信仰と結合していたと判断します。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには企画を立案し、活動の基本の方針を審議する10名の運営委員がおります。著名な民俗写真家の萩原秀三郎氏もその委員の一人です。萩原氏の最近の著書に『稲と鳥と太陽の道』(小学館・1996年)があります。天皇制に焦点をしぼっている私のこの通信文のテーマとはねらいがちがいますが、稲魂信仰、鳥霊信仰、太陽信仰の三つが中国から日本へわたってきたという認識は共通しています。

 氏は、この書の中で広西チワン族自治区のミャオ族の信仰習俗にふれ、正月に村の中心にたてられる芦笙柱の本質を鳥竿、宇宙樹、太陽樹としてとらえておられます。この柱の上には鳥の作り物がかざられます。その鳥がすべて東の方向をむいているのは太陽をむかえるためで、太陽は稲の豊穣に不可欠であり、そこから柱と鳥、太陽、稲魂がむすびつくとのべておられます。したがうべき説です。

 今年の八月、私たちが中国長江流域の湖南、湖北、貴州3省の少数民族社会を調査してまわったことは、すでにこの通信でも報告しております。そのさい、調査にはいったミャオ族部落で太陽信仰の証跡をいくつも発見しています。

 8月4日には貴州省のミャオ族のー秋節という秋をむかえる祭りを見学しました。その部落入口の門の中央には木製の太陽がかざられていました。娘さんの正装の飾りにも太陽を象徴するものがみられました。
 8月11日に湖南省ミャオ族の竜舟行事を見学したときにも、竜舟や竜王廟の飾りに太陽のモチーフを見出しています。

 長江流域の稲作民族であるトン族の人たちが、稲魂、太陽、女性祖先神の三者の結合した信仰をもっていることについては、この通信10でくわしく報告しました。

 こうした長江中流域の文化複合が稲作とともに日本へ伝来したことは確実です。これまでながいあいだ、中国大陸をさすらってきましたが、次回の通信からは、比較民俗の視点と方法で、日本の王権の誕生と本質についてかんがえます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa18.htm


諏訪春雄通信 19

 この通信では日本の天皇制をささえる基本の信仰と精神が、中国の長江流域の少数民族がつたえている信仰と精神をうけついでいることについてのべます。そのために、今回は、日本の古代神話を素材とすることになりますが、しかし、私の採用している方法は比較神話学ではなく、比較民俗学です。日中両国の神話の類似を立証するのではなく、日本の天皇制をささえる基本精神の解明が目的です。

 日本の古代神話をつたえている代表的な書物は『古事記』と『日本書紀』です。この二つの書物が記述されるとき、中国の書物、それも黄河流域の漢民族の著述が、多く参照されました。よく知られている事実です。『古事記』や『日本書紀』の神話を分析するときに、留意すべき点はこの書承による修飾的な叙述を排除して、直接に天皇制の支えとなった稲作民の思想を抽出することです。

そうした修飾を排除した、日本神話の基本構造はつぎのように整理されます。主として『古事記』によります。
1.別天つ神五柱、神世七代のあとをうけ、ただよっている国土生成の命を天神からうけて誕生したイザナギ・イザナミの男女二神は、の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてオノゴロ島をつくった。その島に降り、聖なる御柱のまわりをまわって結婚する。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。


2.天神の指示をうけて御柱めぐりと発言をやりなおした二神は、淡路島以下の大八島国、吉備児島以下の六島、石、海、風、木などの神々をつぎつぎに生む。


3.イザナミは日の神カグツチを生んだときに産道を焼かれて病にかかり没した。イザナギはいかってカグツチの首を斬った。その剣の血からは雷神ほか、カグツチの身体からはさまざまな山の神などが誕生した。


4.イザナミは黄泉の国へ去る。そのあとを追ったイザナギは、妻のことばにそむいて死体を見た。「見るなの禁忌」をおかしたイザナミはヨモッシコメらに追われるが桃の実などの呪力で逃走し、黄泉の国と現世との境のヨモツヒラサカを巨大な岩でふさいでしまった。


5.黄泉の国からのがれたイザナギは、筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをする。そのとき、左眼からアマテラスが、右眼からツクヨミが、鼻からスサノオが誕生した。三貴子が誕生したことをよろこんだイザナギは、アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海原の支配を命じた。スサノオは父の命令にしたがわず泣きつづけたので、イザナギは根の国に追放してしまった。


6.スサノオは根の国におもむくまえに高天原のアマテラスをたずねた。スサノオの振舞のあらあらしさをおそれた姉の疑いをはらすために、天の安河をなかにはさんで姉弟は誓約をおこなった。アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。


7.誓約のあと、勝者としてふるまったスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、神聖な機織屋に逆はぎした馬の皮をなげこむなどの乱暴をはたらいた。おそれたアマテラスは天石屋戸にこもった。そのために高天原も葦原中国も暗闇となってさまざまな災いがおこった。八百万の神々は天安河原にあつまって相談され、長鳴鳥をなかせ、天香具山のサカキに玉、鏡、白幣、青幣などをつけてフトダマがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出させておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスが不思議におもってのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。神々はスサノオの鬚と爪をきって追放した。


8.高天原を追放されたスサノオが食物をオホゲツヒメにもとめたところ、鼻・口・尻などから食物をだしたので、汚いといかったスサノオはオホゲツヒメを殺害した。殺害されたオホゲツヒメの身体から五穀や蚕が生じた。


9.天上界をおわれたスサノオは根の国へむかう途中、出雲の肥の河のほとりで、アシナヅチ、テナヅチの夫婦と娘クシナダヒメにあう。娘はヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇にくわれる運命にあったが、スサノオは八つの瓶につよい酒を用意させ、大蛇が酔って寝ているすきにきりころした。そのとき、大蛇の尾のなかから出現した剣をスサノオはアマテラスに献上した。スサノオはクシナダヒメと結婚して出雲の地にすんだ。この二神の子孫からオオクニヌシが誕生する。


10.オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられたいつわりの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。


11.白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオムナチ(オオクニヌシの別名)は兄弟のねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオムナチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。


12.出雲のヤチホコ(オオクニヌシの別名)は高志のヌナカワヒメに求婚に出かけ、歌をうたいかわして結婚した。それを知った正妻のスセリビメがはげしく嫉妬したために大和へ行こうとしたが、夫婦で愛の歌を唱和し、心とけてともに出雲の地に鎮座した。


13.オオクニヌシが出雲の美保の岬にいたとき、小舟にのって海をわたってきたスクナビコナと逢った。両神が力をあわせて国造りにはげんだのち、スクナビコナは常世国へわたっていった。国造りの未完成をなげくオオクニヌシのまえに海を照らして近づいてきた神が国づくりの協力を申しでた。この神は大和の御室の山にまつられた。


14.葦原中国平定のために高天原の神々の命令で派遣されたアメノオシホはオオクニヌシにへつらって三年たっても復命しなかった。そこでアメノワカヒコがあたらしく派遣されたが、オオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚して八年たってももどってこなかった。しかも事情をさぐるためにおくられた雉を射殺し、高木神(タカミムスヒの別名)の射返した矢にあたって死んだ。アメノワカヒコの葬儀がいとなまれ、川カリ、鷺、カワセミ、スズメ、雉が役割を分担して歌舞音曲をつとめた。弔いにおとずれたシタデルヒメの兄アジスキタカヒコネは死者とまちがえられたことをいかって、喪屋をけちらしてしまった。


15.アマテラスはタカミムスヒと相談して、つぎにタケミカヅチにアメノトリフネをそえて葦原中国に派遣した。タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りをせまると、子のコトシロヌシにこたえさせた。コトシロヌシは天神の御子に国譲りするとこたえた。しかし、もう一人の子のタケミナカタは承知しなかったので、タケミカヅチは力比べに勝って信濃の諏訪に追いはらった。オオクニヌシは出雲国に御殿をたててもらって住み、葦原中国を天神御子に献上した。


16.アマテラスとタカミムスヒ(高木神)はアメノオシホミミに天降りを命じた。オシホミミは自分とタカミムスヒとのあいだに誕生したホノニニギを代りに推薦した。ニニギが降臨する途中、天の八ちまたにサルタヒコが眼から光を発してあらわれた。アメノウズメにその正体を問わせると、「先導をつとめるため」とこたえた。ニニギにアメノコヤネ以下の五伴緒、オモヒカネなどの供と、三種の神器があたえられた。アマテラスは、ニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。したがって、鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。


17.ホノニニギは笠沙の岬で大山津見神の娘コノハナサクヤビメと出あった。父神は姉のイワナガヒメをあわせて献上したが、ニニギは醜い姉をかえし、コノハナサクヤビメと一夜の契りをかわした。父神は「コノハナサクヤビメをとどめた天孫のお命は木の花のようにはかないでしょう」と申しおくった。一夜で妊娠したコノハナサクヤビメをうたがったニニギにたいし、ヒメは火中出産によって天孫の子であることを証明した。そのときに生まれた子が、ホデリ、ホスセリ、ホオリの三神である。


18.ホデリとホオリは海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針と弓矢を交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。


19.臨月のちかづいたトヨタマビメは御子を生むために夫のもとにやってきた。しかし八ひろワニとなって出産している姿を夫に見られ、誕生した子ウガヤフキアエズをのこして海の宮へかえっていった。天皇家第一代の神武天皇はこのウガヤフキアエズの四男である。

 以上の19段が『古事記』のつたえる初代神武天皇誕生までの王権神話です。これらの神話の個々のモチーフについては、多くの神話学者による研究のつみかさねがあります。それらは、とうてい長江流域から伝来した稲作にともなう伝承としては解釈できない多様性をもっています。

 たとえば、7の著名なアマテラスの天石屋戸隠れについてはつぎのようなさまざまな説明がこれまでになされています。

A.アマテラスは大嘗祭の準備中に穢れにふれた。
B.日神であるアマテラスの日蝕神話である。
C.日神であるアマテラスの冬至神話である。
D.生命力の回復を祈願する鎮魂祭である。
E.大祓の儀礼の性格をもつ。

 7が以上のような多様のモチーフを複合していることはたしかですが、しかし、『古事記』の王権神話には全体をつらぬく主題があり、19段の神話素はその主題にしたがって、選択、配置、変容をくわえられていることも疑問のない事実です。私がはじめに、この通信で神話の比較研究をこころみているのではなく、王権の永続の秘密を比較民俗学の手法で解明しようとしているのだとのべたことにかかわります。個々のモチーフの由来を検討するのではなく、根本をつらぬく構造の解明とその由来が、私の研究目的になります。

 『古事記』神代の神話(多少形をかえてはいるが『日本書紀』にもいえます)はつぎのような基本テーマで編集されています。

1.日本の天皇は国土を生成し、時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である。1,2,3,5
2.日本の天皇の直接の祖先神アマテラスは太陽神、穀霊である。5,6,7,16
3.日本の天皇は天界から地上に下った。5,6,7,8,14,15,16
4.天皇以前に地上を支配していた勢力は出雲を拠点としたオオクニヌシ一族の神々である。9,10,11,12,13,14,15
5.地上勢力オオクニヌシの権力の根源もじつは天界にある。9,10,11,13
6.天皇は海の神の血統と呪力をとりこんで王権を強化した。18,19

 『古事記』神代の神話は以上の王権にかかわるテーマのほかに、国土生成(1,2)、地上と黄泉国の分離(4)、祭祀の起源(7)、穀物の起源(8)、地上の整備(13)、寿命の限界(16)などのテーマもかたっています。しかし、王権に限定すれば、以上の6つに整理されます。そして、この6つのうち、さらに日本の王権を確立させる最重要テーマが1から3までの3つです。この根本構造を決定する3つが、じつは中国南部の稲作にかかわる信仰に由来しているというのが私の基本の考えです。

 次回は新春にふさわしくこの天皇制の根本問題を中心にのべます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa19.htm


諏訪春雄通信 20 2002年 1月

2002年最初の通信を、「日本の王権神話と中国長江中流域」というテーマでお送りします。

 『古事記』を中心にまとめた日本の王権神話の最初はつぎのようになります。

 別天つ神五柱、神世七代の神々の最後に誕生したイザナギ・イザナミの男女神は、天の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてつくったオノゴロ島に天降り、聖なる柱のまわりをめぐって夫婦となる。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。天神の指示によって御柱めぐりと発言をやりなおし、大八洲の島々と自然の神々を次々に生んだが、火の神を生んだときに火傷を負ってイザナミは死に黄泉国へゆく。妻を追って黄泉国へいったイザナギは妻のつれもどしに失敗する。筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをしたイザナギは身体から、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子を得て、天・夜・海の三界を分治させる。スサノオは父の命令に不満をもつ。

 これと構成要素がほとんど一致する中国江蘇省の「三官伝承」とよばれる民間伝承を大林太良氏が紹介されています(「イザナギ・イザナミ神話と中国の伝説」『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』青土社・1996年)。三官とは天神水神地神の三神です。大林氏はつぎの六つの要素に分類し、イザナギ・イザナミ神話との一致を論証しています。
1.海に囲まれた島に夫婦
2.夫婦別離
3.生まれた子を流す
4.夫は水中に入り新しい妻をめとり三子を得る
5.三子は三つの宇宙領域の代表者となる
6.三子のうちの一人は、自分に割り当てられた領域に不満

 この三官伝承は『西遊記』第九回「陳光蕊、任に赴いて災いに会い江流の僧讐を復して本に報ず」を直接の種本にしています。この事実をもとに大林氏は、「三官伝説がいま紹介したような形になったのは、もちろん『西遊記』が広まってからの新しいことであるが、イザナギ・イザナミ神話と対応するような大筋は、すでに古くから呉越の地に神話として存在していたのではないか」という仮説を提示しています。

 2と3が入れ替わっただけの一致は不思議にさえ感じられます。大林氏が提案されるような母胎の神話は呉越の地に実在したのでしょうか。それはどのような形をとっていたのでしょうか。広大無辺とでもいうべき学識の持主であった大林氏はその具体例をあげることなく昨年2001年4月12日に他界されました。私どものプロジェクトも創立当初からお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 中国の長江中流域の稲作民トン族が明確な洪水伝説を核とした祖先神話をもっていることについては、この諏訪春雄通信の10で紹介しました。日本神話とのあいだは、A洪水から生存した兄妹の男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が誕生したがつぎに国土と人類などが誕生したこと、Cしかもそうした行為が最高神の指導でおこなわれたことなど、基本構造が完全に一致しています。

 世界の神話研究者には意外に知られていない事実ですが、洪水で兄妹が生きのこり、結婚して人類と国土を誕生させるという、いわゆる洪水神話は中国ですくなくとも58話がすでに発見、紹介されています(林河『儺史―中国儺文化概論―』台北東大図書公司・1994年)。

 著者の林河氏が私のふるくからの友人であり、昨年の夏に中国長江流域の少数民族調査を共同でおこなったことについては、この通信の9でのべました。氏は現代中国最高の民俗学者です。この神話の分布状況を、この神話を保持している民族の居住地域で整理するときわめて興味ぶかい結果が出てきます。居住地域の決定は『中国少数民族事典』(田畑久夫ほか編、東京堂出版・2001年)によりました。

雲南省 29  福建省 3  貴州省    12  広西チ自治区 3ワン族
四川省  3  湖南省 8  内蒙古自治区  2  遼寧省       2
湖北省  2  海南島 4  黄河辺     1

 この数値の総計は69となって、58話を超えます。たとえば、トン族は貴州省と湖南省にわかれて居住しています。そのさいにそれぞれを1として計算したために数値がふえたのです。

 洪水神話は、『旧約聖書』のノアの方舟で知られるように、古代オリエント、古代インド、南アメリカ、東南アジアなどにまで分布していて、その起源地についても諸説があって、一定しません。

 しかし、上掲の表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南などの長江周辺の稲作民居住地に稠密に分布していて、そこから南北にずれると、急速に減少しています。このことから、洪水神話の起源地は長江中流域である可能性がきわめて高いといえます。

 私は、さらに、林河氏の紹介例にあたらしく20余話をつけくわえることができます。収集資料の整理・検討がまだ不十分ですので発表は後日を期しますが、私の資料をくわえても、林河氏の資料の分析から得た結論はつよめられこそすれ、ゆれることはありません。

 典型的な洪水神話のいくつかを紹介しましょう。


 むかし、一人の病気がちの老女がいた。彼女は雷神の肉をたべて病をなおそうと、子供たちに雷神をとらえる方法をかんがえさせた。しかし、彼女の孫と孫娘はやさしい性格であったので、こっそり雷神に危険を知らせた。雷神は兄妹に感謝し、歯を一本ぬいて彼らにあたえ、空に雷がなりひびき、大雨がふり、大洪水がおこるようなときには、いそいでこの歯を土中にうめなさい、そうすれば二人の命はすくわれるであろうと告げた。雷神は天の門をひらいて洪水をおこし、人類をことごとくおぼれさせてしまった。兄と妹は天の門がひらかれたときに、すぐ歯をうめた。歯からは大きな瓢箪が生え、兄妹はその瓢箪を割いてなかにかくれ、洪水から身をまもることができた。旧い人類は死にたえ、兄と妹だけがのこった。兄は崑崙山のまわりをまわって妹を追いかけ、天に兄と妹が結婚してよいかどうか、うかがいをたてた。天の許しを得て、ちぎりをむすぼうとするとき、妹ははずかしがって扇で顔をかくし、結婚したあとに肉の卵を生んだ。兄がそれをくだいて人類の種をまいたという(林河著・平石淑子訳「東アジアの動物信仰」諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)。

 この漢民族の神話はほかの少数民族神話の影響下に成立したものとかんがえられます。同型の神話が、トン、ミャオ、トウチャ、チワン、プイ、コーラオなどの各民族につたえられているからです。洪水、生存した兄妹、宇宙の中心をめぐったあとの結婚、失敗、世界の生成などの、重要な要素が出そろっていることに注意してください。

 漢民族の神話と同型のミャオ族の洪水神話をつぎに紹介します。


 おおむかし、天から雷鳴とともに雨がふりそそいだ。雷のしわざである。一人の勇敢な男が鉄の檻を用意して雨のなかにとびだし、雷をとらえた。男が市へ出かけたるす、雷はるす番の子供たち兄妹にたのんで水をそそいでもらった。そのとたん、雷は檻の外へとびだし、天に飛びさった。そのとき、雷は兄妹に礼として歯を一本わたし、土中にうめるようにいいのこした。二人の子供がいわれたとおりにすると、大きな瓢箪が生えた。雷のいかりで大洪水になり、地上の生物はすべて死にたえたが、瓢箪のなかにかくれた二人は生きのこることができた。あるとき、兄が妹に結婚しようと申し出たが、妹はことわった。兄がなおもたのむと、妹は自分を追いかけてつかまえたら結婚するといった。兄は大きな木のまわりをめぐりながら妹を追いかけた。妹はなかなかつかまえられなかったが、兄は急にむきをかえて妹をつかまえた。結婚して間もなく生まれた子は、手足のない肉のかたまりであった。二人は肉塊をこまかにきざみ、天の神にたずねるために天への梯子をのぼりはじめた。しかし、大風がふいて肉の包みが解け、地におちて人間が生まれた。こうして人類は誕生した(君島久子『中国の神話』筑摩書房・1983年)。

 このミャオ族の神話でも洪水と樹めぐりが結合しています。日本の神話との一致は、樹=柱のまわりをめぐる行為が二度目に成功する細部にまでみられます。

 もうひとつ、リス族の民族創成の長編叙事詩を紹介しましょう。


 天空を黒雲がおおい、大地には強風がふきすさぶ。江水、河水がみなぎり、いまや人類は死にたえようとしていた。そのなかで兄一人と妹一人だけが生きのこった。兄妹は瓢箪にかくれて避難した。七日七夜ただよい、九日九夜漂流した。大江の水、大河の水がへりだし、瓢箪は山谷のあいだにただよった。銀刀、金刀で瓢箪をたたきわってみると、屍が大地をうずめていた。兄妹は人類の絶えるのをおそれ、櫛を二つにわり、腕輪を二つに切って交換し、兄は妻をさがしに北へ、妹は夫をたずねて南へゆく。兄と妹は大地の中央、谷の真中で出あった。兄の髪には白髪、妹の目じりにはしわが生じていた。櫛と腕輪はぴたりとあった。兄は妹にむかっていった。伴侶をさがせないのなら、兄妹で夫婦になるほかはない。妹は承知しない。もし結婚をのぞむなら針穴を弓で射なさい。兄は針の穴を射ぬいた。妹はなおも承知しない。池のほとりに臼をおき、谷のそばに臼をおき、もし結婚がうまくゆくなら、二つの臼は一つになるだろうところがした。臼はくぬぎの丘をころがって上部と下部がかさなった。天神は二人をむすびつけ、地神は臼をひきあわせた。二人は涙ながらに結婚し、リス族、漢族、ヌー族、トウロン族などを生んだ。人類は大地をおおい、活力は山野に満ち満ちた(君島久子氏前掲書)。

 この詩でも重要なモチーフはそろっています。洪水、瓢箪、兄妹、中心めぐり、神の意思による結婚など。柱のまわりをめぐる日本神話にたいし、大地をまわって二人は出あっています。柱を立てることは小宇宙(ミクロコスモス)を設定することです(諏訪春雄編『巨木と鳥竿』勉誠出版・2001年)。柱をまわるとは宇宙の中心をまわることであり、それは宇宙の星座が天界をめぐって秩序が更新されることになぞらえられる行為なのです。人類の祖先の結婚は世界の始原の時間の行為であったことをしめしています。

 もう一つ。人類最大タブーの近親婚をやぶるために慎重な配慮がほこされています。五体不満足のヒルコや肉のかたまりが最初に生まれてくるのは、インセスト(近親相姦)を犯した結果なのです。

 イザナギ・イザナミの国生み神話は岡正雄氏(「日本文化の基礎構造」『日本民俗大系』平凡社・1958年)以来、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するものと論じられ、ほぼ定説とされています。また、火の神カグツチの出産を契機としてのイザナミ・イザナミの夫婦別れも沼沢貴市氏の研究(「天地分るる神話の文化史的背景」『アカデミア』・1952年)以来、これも東南アジアに分布している天地分離神話の一種と理解されてきています。

 中国神話にたいする研究が進展していなかった時代の学説がそのまま今日までうけつがれているのです。王権を論じるこの通信のテーマからはなれますので、深入りはしませんが、天地分離神話も中国の少数民族社会に数多くつたえられています。それぞれの民族がそれぞれの天地創造(分離)神話をもっているといってよく、その数は洪水神話を超えるかも知れません。しかも多くは洪水神話とセットでかたられています。東南アジアで発見される断片的な洪水神話や天地分離神話は中国神話が波及していったものと断定できます。

 中国を中心軸として左右対称に、東南アジアと日本・朝鮮には相似の文化や民俗をみることができます。中国で変質してしまったり、うしなわれたりしたものが、東南アジアの各国や極東の朝鮮・日本にのこっている例もすくなくありません。まして、洪水神話や天地分離神話は中国大陸に数多く発見できるのです。これまでの定説は再検討されなければなりません。

 次回は「太陽と稲魂」をテーマに論じます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa20.htm


諏訪春雄通信 21

 今回は、前回お約束したように「太陽と稲魂」というテーマでお送りします。

 前々回19の通信で整理した神話素によりますと、アマテラスにかかわる神話の大筋はつぎのようにまとめることができます。

 黄泉国からのがれたイザナギが穢れをはらうためにみそぎをした左眼から誕生したアマテラスは高天原の支配を命じられた。鼻から誕生したスサノオは海原の支配を命じられたが、したがわなかったので、根の国へ追放された。
 スサノオは根の国へおもむくまえにアマテラスをたずねた。そのあらあらしさに恐れをなした姉の疑いをはらすために、姉弟は誓約をおこない、アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。誓約のあと、勝者としてふるまうスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、機織屋に逆はぎにした馬の皮をなげこんだ。
 おそれたアマテラスは天石屋戸にこもり、高天原も葦原中国も暗闇となりさまざまな災いがおこった。八百万の神々は、長鳴鳥をなかせ、玉、鏡、白・青の幣帛などをつけた榊をフトダマノミコトがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出しておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスがのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。
 アマテラスは、天降りするニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。

 『古事記』によってまとめたこの梗概からもアマテラスの《太陽神+稲魂》という本質はうかがうことができます。高天原の支配を命じられて、名がアマテラス(天空を照らす)であること、天石屋戸にこもったこと、鏡を魂とするとなどは、アマテラスが太陽神であることをしめしています。

 『日本書紀』を援用すると、アマテラスが太陽神であることはいっそうあきらかです。
 『書紀』によると、アマテラスは、日神(太陽の神)、オオヒルメノムチ(太陽の女神)などとよばれ、「この御子は輝くこと明るく美しく、天地四方の隅々まで照りかがやいた」などと叙述されています。

 天石屋戸ごもりについては、日蝕、冬至、などの解釈がありますが、いずれにしてもアマテラスが太陽神であることをうかがわせます。鏡が本来太陽をあらわしていることは、長江流域のトン族、ミャオ族などの習俗からあきらかです。

 姿をかくした太陽を鶏がよびだす招日神話が中国の少数民族のあいだに伝承されています。ここではミャオ族の「オンドリになぜトサカがあるか」という話を紹介します。

 むかし、天に住む天爺さんにはオテントサンとよばれる十人のせがれがいた。天爺さんは自分がねむっているあいだ、十人のせがれに一人ずつ空を見まわるよう命じたが、子どもたちは父の言いつけにしたがわず、皆で一度に空をまわることにした。しかし、末っ子だけは父の命令をまもって、兄たちに同行せず留守番をしていた。
 九つのオテントサンが照りつけるため、地上は干あがって作物はみな枯れてしまった。こまった人間たちは相談し、声の大きな動物にオテントサンを追いはらってもらうことにし、アカウシ、シシなどがよばれたが失敗してしまった。そこでつぎに弓の名人が太陽を射ることになり、九本の矢で九つの太陽を射落とした。
 兄たちの射落とされるのをみた末っ子の太陽は、肝をつぶし、矢のとどかない山の向こうににげこんで、二度と顔をみせようとしなかった。世の中は真っ暗闇となり、人々はこまりはてた。声の大きな動物に太陽をよびださせることになったが、シシ、アカウシが失敗し、オンドリがよばれた。しかし、しわがれ声で一回めは失敗、二回めも失敗した。猛練習をかさねたオンドリの三回めのよび声にオテントサンは東の山の頂上から大地をのぞいた。あたりは明るくなり、人々はニコニコして歓迎した。
 オテントサンはすっかりオンドリが気にいって、自分の真っ赤な服のはしを切りとって赤い帽子をつくってやった。それからは、オンドリの呼び声にきっと山の後ろから顔をだすようになった。(村松一弥翻訳『東洋文庫 苗族民話集』平凡社・1974年)。

 前半は射日神話とよばれる話型で、後半が鶏と太陽の招日神話になっています。この両神話はセットになって、中国のミャオ族のほかに、ワ、ラフ、ハニ、プーラン、リー、ヤオ、イ、チベット、チワン、トンなどの諸族につたえられています。おそらく、日本に伝来した招日神話も本来は討日神話とセットになっていたものを、前半を切りおとして、体系のなかにくみいれたものとかんがえられます(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店・1996年)。

 たいせつなことは、日本の王権神話の重要な骨格が中国長江流域の稲作民族の神話で説明できるということです。

 アマテラスが稲魂であるということも、『古事記』からうかがえます。

1.アマテラスが田をつくり、新嘗を主宰している。
2.地上に降臨したアマテラスの孫ホノニニギは稲穂の豊穣の意味をもつ。

 さらに『日本書紀』を援用するとアマテラスの稲魂、穀霊としての性格はつぎの記述によっていっそう明瞭になります。

1.死んだウケモチノ神の身体から生じた稲などの五穀を天の田にうえ、大きな稲穂を収穫している。
2.新穀をたべる新嘗を主宰している。
3.第二の一書によるとニニギの降臨のさいに高天原の田の稲穂をさずけている。

 皇室の祖先神であるアマテラスは、女神、太陽神、稲魂という三つの性格をかねそなえています。このような性格をもった神がトン族に信仰されていることについては、この通信の10で報告しました。トン族の薩神とよばれる神は、民族の祖先神、女神、太陽神、稲魂、歴史上の人物という五つの性格がアマテラスと一致しています。

 また、祖先神・女神・稲魂・太陽神の四位一体となった神が長江中流の稲作民であるミャオ族やハニ族に信仰されていることについては、通信18で報告しました。

 日本の王権神話の発端となっている、
1 日本の天皇家は国土を生成し時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である
2 日本の天皇家の直接の祖先神アマテラスは太陽神であり稲魂である

という二項の骨格部分が、中国の長江流域稲作地帯の神話伝承や習俗で説明できることをこれまでにのべました。

 次回は、以上の1と2につづく天孫降臨神話についてもおなじ説明方法が適用できるかどうか、検討します。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa21.htm


諏訪春雄通信 22

 前回の通信で次回は「天孫降臨神話」についてお送りすると予告しましたが、1回先延ばしさせていただき、今回は「沖縄の稲作」というテーマでのべます。

 私たちのプロジェクトは学外の各種機関から助成金をもらって活動を継続しています。その援助機関の一つ、サントリー文化財団から、沖縄祭祀研究のテーマで平成12年、13年とつづけて助成金をうけました。そのために、1月23日、大阪の財団本部で、財団理事の方々やほかの研究プロジェクト代表をまえに研究報告をしなければなりません。今回はその報告の概要をお送りします。

 日本列島へ大陸から稲がわたってきた経路は三つかんがえられます。1:朝鮮半島経由ルート、2:江南からの直接ルート、そして3:沖縄経由ルートです。この3のルートは、柳田國男が昭和36年に刊行した『海上の道』で主張した説です。

 1,2は考古学の裏づけがありますが、3には古い遺跡も出土品もありません。いまのところ、沖縄の最古の稲は、玉城の糸数城遺跡から出た、西暦10世紀ごろのもので、それより古い稲は発見されていません。したがって、考古学者や歴史学者は3をみとめませんが、一部の民俗学者や農学者のなかに、かなり根強い支持があります。

 その一人、遺伝子分析で大きな成果をあげている農学者の静岡大学助教授の佐藤洋一郎氏は、東南アジアから台湾、沖縄、九州にかけて、現在、焼畑耕作にともなう熱帯ジャポニカが点在することを根拠に、3の海上の道説は、《魅力ある仮説》といいきっています。

 一方は考古学上の証拠、他方は現在の熱帯ジャポニカの分布、という相反する事由にもとづく二つの対立した立場に、解決の道をさぐろうとして、私は沖縄と本土の稲魂信仰に注目しました。そして、成熟度に差異があることを根拠に、私は沖縄の十世紀以前の稲作の存在を疑問視しています。

 社会人類学者の伊藤幹治氏は、昭和49年に刊行された『稲作儀礼の研究』(而立書房)で、本土と沖縄の稲作儀礼の周到な比較研究をとおして、両者の異質性を指摘し、柳田國男や折口信夫らが研究の立脚点とした本土日本と沖縄の同祖論を否定しています。

 私はおなじ見方が稲魂信仰や太陽信仰に適用できるとみます。そして、本土日本の稲魂信仰と太陽信仰・祖霊信仰の結合は、稲作の誕生地である中国の長江流域の影響を直接にうけているからとかんがえます。沖縄の稲魂信仰は本土を経由して時間をかけて伝来したために、沖縄固有のニライカナイ信仰に包摂されて変質したものと判断しています。以下、私の報告書を掲載しましょう。


沖縄の太陽信仰と稲魂信仰
   沖縄民俗祭祀の源流を東南アジア・中国大陸南部・台湾などの黒潮文化圏に探る研究
                代表:学習院大学文学部 教授 諏訪春雄

 沖縄の神観念
 沖縄の固有信仰の対象となる神々を二つにわける見方がある(高阪薫「沖縄の祭祀と神観念」同氏編『沖縄の祭祀―事例と課題』三弥井書店・1987)。

A 可視と不可視

 見える神…表象認識できる特定の場に滞在する神      
アニミズムの要素をもつ自然の神々 屋敷神 井の神 カマドの神(火の神) 御嶽の神など
 見えない神…表象認識できない不特定な空間のいずこかに存在する観念的、抽象的な神
火の神 ニライカナイの神 竜宮神 アマミヤシネリヤ(開闢神) 祖霊神 オボツ神(天上や山上の神)など
 
B 信仰集団

 家レベル
オナリ神 火の神 祖先崇拝 アニミズム的な具象の神々
 村レベル
御嶽の神 火の神 ニライカナイ神 祖霊神 竜宮神 アマミヤシネリヤ オボツ神など

 このような体系のなかで、太陽神はAでは見える神、Bでは村レベルに分類できるが、ここにあげられた神々ほど顕著な神格ではない。沖縄の年中祭祀を検討しても太陽神だけを対象とした祭祀はみとめられない。粟国島の正月のユークムイ(世を乞う丘)で区長が東方にむかって豊穣を祈願するのは太陽信仰の数すくない事例である。しかし、太陽神を「てるかは」とよんでいる例が『おもろさうし』にみえるところからも、太陽が信仰されていることは確実である。

 これにたいし、稲を対象とした祭りは多い。旧暦の八月前後におこなわれる豊年祭(広義には、八重山諸島の六月下旬のプールィ、八、九月の結願、十月の種子取祭、宮古諸島の世乞いなどもふくめる)は豊穣祈願を目的とし、稲をはじめとする五穀の豊作が、豊漁、子孫繁栄などとともに対象になる。また、稲霊(魂)信仰が存在することは、旧暦八月にアマミ大島でおこなわれるショッチョガマ(片屋根のわらぶき小屋)、つづく平瀬マンカイ(招き合い)によってあきらかである。ともに収穫感謝と豊作祈願の祭であり、この祭で男、女のとなえる文句のなかに稲霊があらわれる

 稲霊が祈願対象となるショッチョガマと平瀬マンカイの基本構造は対応している。

  早朝―男性―垂直神
  夕方―女性―水平神

 ショッチョガマで男たちによってとなえられる文句はつぎのようである。


ハー、トートガナシ(神への尊称・神拝みの常套句)
八月の新節がやってきて
ショッチョガマ祭を祭ってあげましょう
西東の稲霊様は
伊津部の田袋に お寄り下さって
伊津部田袋の稲霊様は
秋名田袋に お寄り下さって
北風が吹いたら上の畔を枕にして
南風が吹いたら下の畔を枕にするように
稲を実らせて下さい
そして名を上げて下さい トートガナシ

 ここで稲霊様は天から招かれている。

 女たちが掛合いでうたう平瀬まんかいの歌はつぎのようである。


〈神平瀬〉
 玉の石に登って 何のお祝いをしましょう 西東の稲霊を 招き寄せよう
〈女童平瀬〉
 秋名の親ノロが すべての稲霊を寄せて 村があるかぎり 祭ってあげましょう
〈神平瀬〉
 朝潮の満ちあがるころは ショッチョガマの祭り 夕潮の満ちあがるころは 平瀬の祭り
〈女童平瀬〉
 今年世は変わって 不思議なことに 海の魚たちが 陸にあがってきたことよ
            (口語訳のみ 『おきなわの祭り』沖縄タイムス社・1991年)

 ここでは稲霊様は海の彼方から招かれている。

 これらの歌から、沖縄の稲霊は、1.稲の豊穣をつかさどる、2.天または海の彼方から招かれる、3.漁労、狩猟などの豊かさをつかさどる神々と同格である、などの性格がみちびきだされる。
 沖縄の稲魂信仰は固有のニライカナイの信仰に包摂されている。


 日本本土の太陽信仰と稲魂信仰

 日本本土では太陽信仰をまだ各地でみることができる。正月に初日の出をおがむこと、彼岸の社日(土地神の祭り)参り、お日待ち、天道信仰、天道念仏、天道花、お火焚き神事、おびしゃの神事、ゲーター祭などの行事や習俗となってあらわれている。

 天道信仰はとくに対馬を中心とし、北九州などにも分布する。日神信仰と稲魂信仰を合体させ、真言密教の教義で体系化したものである。天道は天童とも書き、テンドウサンとよばれる。赤米を耕作し、その稲魂を加持祈祷して神霊とし、崇拝の対象にした。このテンドウとはべつに真言密教系統の天道法師とよばれる菩薩を信仰の対象にした。この天道童子は母が日光に感精して懐妊し、成長して僧となったという伝説をつたえる。

 天道念仏は、福島、茨城、栃木、千葉などの各県におこなわれている念仏行事である。四本の竹で櫓をくんで注連縄をはり、中央に梵天をたて、供え物をして、梵天を中心にして右回りに念仏をとなえながらおどる。一月から三月彼岸にかけて集中しており、テントウすなわち太陽の信仰が核になっており、そこに出羽三山の信仰や大日信仰、念仏信仰などが集合したものとされている。

 関東地方にことに集中して分布するオビシャは、三本足の烏または烏と兎を一対でえがいた的を弓で射る正月行事である。烏は太陽、兎は月をあらわすものとされ、中国にはじまって日本に伝来した射日神話である。太陽の死と再生を儀式化したものと理解されている。おなじように、三重県鳥羽市神島で年の暮れから元旦の早朝にかけておこなわれるゲーター祭も、太陽の死と再生による秩序の更新をはかるものと理解されている。この祭では、アワとよぶぐみの枝に白紙をまいてつくった直径二メートルほどの輪を、若者たちが雌竹ではげしくたたき、初日の出とともに東の浜で高々と空につきあげる。アワは日輪をかたどり、たたくことは偽の太陽をたたきおとすことであり、空につきあげる行為は日の出を意味する。ゲーターとは迎旦つまり日の出をむかえることという。

 稲魂にたいする信仰も、前述の対馬の赤米神事以外にも本土各地でみることができる。その年の初穂を神にそなえて感謝する新嘗祭、十二月の始めに田の神をむかえて収穫を感謝し、二月のはじめに豊作を祈願して田の神をおくりだす能登半島先端部のアエノコトの行事、その年の稔りの豊さを祈願する祈年祭などの行事に稲魂の信仰をみることができるし、ハレの日の餅、悪鬼ばらいの散米、墓への供物としての洗米、病人の枕元での振り米、出産のさいの力米などにも米の霊力にたいする信仰がある。

 本土の太陽信仰と稲魂信仰は全体としてつぎのような特色をもっている。
1.対馬の天童信仰からあきらかなように太陽信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
2.能登のアエノコトにしめされるように祖霊信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
3.稲の豊穣をつかさどるだけではなく、人間の寿命や健康までを左右する米の霊力にたいするつよい信仰が存在する。

 以上を総合して、本土の稲魂信仰は、沖縄よりもはるかに成熟していると、結論づけられる。そして、稲魂信仰と太陽信仰や祖霊信仰との結合は、中国の長江中流の稲作地帯の少数民族社会におこなわれている信仰が、稲作とともに日本に伝来したものとみることができる。


稲の来た道

 よくしられているように、柳田國男は昭和36年(1961)に刊行された『海上の道』で、日本人の先祖は稲作をともなって中国大陸南部から沖縄に漂着して宝貝を発見し、その魅力にとりつかれ、また稲作の適地をもとめて、日本列島各地にひろがったという日本人北上論をとなえた。

 このような柳田の論は現在の考古学の裏づけを欠いている。

 沖縄に稲作のはいった時期は、玉城の糸数城跡から麦とともに出土した炭化米の時代判定によって、10世紀以前とみられ、そのころにはかなり栽培されていたとかんがえられる。また、1477年(尚真一)に与那国島に漂着した朝鮮済州島人(金非衣ら)の記録によると、与那国・西表・伊良部・宮古・沖縄の各島に稲作がおこなわれているとの記述がみられ、15世紀後半には沖縄全域で稲作がおこなわれていた(「いね」『沖縄大百科事典』)。

 沖縄に稲の来た道も最近の研究によれば、中国南部から直接に伝来するよりも日本本土を経由した可能性がつよい。

 本土の最古の稲は岡山県や鹿児島県などから出土しており、縄文時代前期、6000年前にまでさかのぼる熱帯ジャポニカである。おそらく焼畑耕作によって、ヒエやアワ、キビなどの雑穀とともに栽培されていた。この熱帯ジャポニカは中国大陸の江南地方から直接日本に渡来していた。

 日本で熱帯ジャポニカが焼畑で耕作されだした、ちょうどそのころ、中国江南では水田耕作による温帯ジャポニカの生産がはじまっていた。現在わかっている水田の最古の遺跡は江蘇省蘇州市の6000年前の草鞋山遺跡である。この水田は朝鮮半島をへて縄文晩期の2600年前には佐賀県唐津市の菜畑遺跡におよんでいた(浦林竜太「イネ、知られざる1万年の旅」『日本人はるかな旅』NHK出版・2001年)。

 水田稲作は、朝鮮半島を経由せず、直接、中国から日本に伝来したものもあった。遺伝子研究によって、佐藤洋一郎氏は、水稲は、中国からの直接ルートと朝鮮半島経由ルートの二つがあったことを主張している(「DNAからみたイネの道」『日本人はるかな旅』)。

 こうした大陸から本土への稲の道に沖縄は登場してこない。

 柳田國男が主張したように、沖縄への稲の伝来を10世紀以前に想定する可能性がまったくないわけではない。

 佐藤洋一郎氏作成の「熱帯ジャポニかの分布図」によると、現在、熱帯ジャポニカは、中国南西部からインドシナ半島半島奥地にかけての地域と、フィリピンやインドネシアなどの熱帯島嶼部で栽培されている。また、熱帯ジャポニカ固有の遺伝子をもつ品種が、台湾の山岳部から南西諸島を経て九州にまで点在している。この事実から佐藤氏は、〈かつて柳田國男が主張した「海上の道」はがぜん魅力ある仮説となる〉とのべている(佐藤洋一郎氏前掲論文)。

 沖縄から古い米が出るか出ないかはいまのところ判断材料はない。また、アジアの熱帯ジャポニカの原産地は中国長江中流域であり、日本には6000年まえには伝来していた。沖縄の熱帯ジャポニカも本土経由の可能性をすてきれない。しかも、沖縄の稲魂信仰が本土にくらべて、太陽信仰や祖霊信仰とむすびつくことがないなど、未成熟または変質の事実を考慮すると、沖縄に十世紀以前のふるい稲作を想定することはむずかしい。
 沖縄の稲作の祭祀儀礼じたいが本土とはかなり異質である(伊藤幹治『稲作儀礼の研究』而立書房、一九七四年)。長い時間をかけて本土から沖縄につたわったために、独自の風土と信仰のなかで変質していった可能性がかんがえられる。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa22.htm


諏訪春雄通信 23

 今回は「天孫降臨神話」についてのべます。

 日本古代神話のなかでも、天孫降臨神話についての研究は格段にすすんでいます。この神話が、日本の王権神話のなかでも核心となる部分だからです。松村武雄、三品彰英、大林太良、西郷信綱、松前健、吉田敦彦などという名立たる神話学者の研究がつみかさねられ、日本の天孫降臨神話が朝鮮半島から内陸アジアにかけてひろく分布している、祖神の天降り神話に由来することは定説となっています。

 これまでに上記の研究者たちによって指摘されている先行神話はつぎのようなものです。

 まず朝鮮の歴史書『三国遺事』がつたえる檀君神話です。
 天帝の子の桓雄は父の命令によって、天符印三個をもって、風・雨・雲および穀物・生命・疾病などをつかさどる神々をひきいて、太白山山上の檀の木をつたわって降臨した。このさいに、熊がよもぎとにんにくをたべて、女に化身し、桓雄と結婚して檀君を生んだ。この檀君が国をひらいて朝鮮と命名した。

 おなじ『三国遺事』がつたえる首露王神話はつぎのようになっています。
 伽耶地方の村々の首長らが亀旨峰という山にあつまって、迎神の祭りをおこなっていると、天から紫色の紐がたれさがってきた。紐の端をみると、黄金の卵が六つはいっている赤い包みがあり、そのなかの一つから伽耶国の始祖である首露がうまれた。

 もう一つ、ブリヤート・モンゴル族のゲセル神話です。
 至高神デルグエン・サガンは、マラトの民の哀願を聞き、一日も早く天神を降して悪者を退治しなければならないと考えた。彼はドロン・オドウン天に全天の諸神九十九柱の主な神々と、天上に住む数千のブルハンをあつめて、悪者征伐の大評定を開いた。最初、至高神サガンの子、カン・チュルマスを下すべきことが提案されたが、チュルマス神は老齢を理由にことわった。そして自分の末子ゲセル・ボグドゥに天下りを命じるよう乞い、四歳のボグドゥが天命を拝受した。ボグドゥは、1)全天の九つの天の主宰神がもつ智謀のすべて、2)祖父のもつ黒い軍馬、3)英雄の準備金、4)祖父の蹄縄、5)祖父の短い槍、6)一人の妻を所望し、これを手に入れて下った。

 この神話を紹介された大林太良氏は、
1.天神の子が天下ることをことわり、孫がその代りに天下る。
2.天下る神が幼児である。
3.日本の三種の神器にあたるものに蒙古の六種がある。
4.日本では荒ぶる神のいる葦原中国を平らげるために神集いにつどい、その結果国譲りがおこなわれたが、蒙古神話でも、荒ぶる神を平らげるために天神の子をくだそうとして神々の大評定がおこなわれた。

という四点の類似をあげて、「おそらく元来はアルタイ語族系の牧畜民文化を母胎とした神話であって、日本へは、皇室の先祖の起源神話として入ったものであろう」と結論づけておられる(『神話と神話学』大和書房・1975年)。

 以上、日本の天孫降臨神話を北方系としてとらえる視点が定着しています。そのばあい、私がこの通信でこれまでのべてきた日本の王権神話の源流であった南方農耕地帯の神話や習俗との関係はどうなるのでしょうか。

 じつは、南方長江流域の少数民族社会にも、民族の祖先が天から穀物をもって下ったという種類の神話や伝説は流布しているのです。いままで考慮されなかっただけのことなのです。そのなかから二つの神話を紹介します。

 まず雲南省を中心にすんでいるナシ族の神話です。

 大昔、兄弟姉妹が近親婚をはたらいたために神の怒りをかって大洪水がおこり、わずかな人類はほろびました。皮鼓のなかにはいってただ一人生きのこったツォゼルウは、天神ツラアブの娘ツフブブミと出会って恋におち、天にともなわれ、父の天神に会いました。若者が気に入らない天神は、一日のうちに九つの林の木をきる、伐採した木を一日でやきはらう、焼け跡に穀物をまいて収穫する、収穫した穀物のうちじゅずかけ鳩と蟻にたべられた三粒の穀物をとりもどす、岩羊の猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、川魚猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、虎の乳をしぼってくる、などの試練を課しましたが、ツォゼルウは娘の知恵にたすけられてことごとく突破します。さすがの天神も二人の結婚をゆるし、家畜、穀物の種などをあたえて下界へかえしてやります。二人は地上の多くの種族の祖先となりました。

 前半は省略しましたが、天地創造神話と洪水型神話が結合しており、後半はスサノオとオオクニヌシの神話と同型の難題婿の話型になっています。しかも天神の娘が人間の男とむすばれて天上から穀物をもたらし、地上の多くの種族の祖先となる話にもなっています。

 もう一つ、湖南省から広西チワン族自治区にかけて居住するヤオ族の神話を紹介します。

 大昔、天は今よりも低いところにあり、人間は大木をつたわってたやすく天へあそびにゆくことができました。そのころ天神に命じられて地上の水をつかさどっていたのは天上にすむ水仙姫でした。ある日、彼女は地上からきた若者に夢中になって、水口をふさぐのをわすれ、地上は大洪水におおわれてしまいました。天神のはげしい怒りにおそろしくなった水仙姫は、若者の手をとってにげだしてしまいました。水仙姫の両親は二人をさがしまわり、月宮の桂の木の下にいる娘と若者を発見しました。たのもしい若者と娘がいることに安堵した両親は、二人に穀物の種子とゴマの種子をあたえて地上へにがしてやりました。
 地上はすでに水がひいていました。二人は穀物とゴマの種をまき、人類や動物をつくりだしました。天神は地上が元通りに豊かになっているのみて、二人をゆるしました。ただ、地上の人間が天に上ってくるのをふせぐため、天をたかくひきあげてしまいました。このときから、地上の人間は天へ登ることができなくなりました。

 このような神話はまだ数多くつたえられています。いずれきちんと分布状況を整理したいとおもっています。

 さしあたり今はつぎのようなことがいえます。
1.天孫降臨神話の骨格は北方諸民族の山上降臨型神話によって形成された。
2.しかし、その北方系神話をうけいれた基盤は、南方農耕民族の天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる神話、稲魂信仰、太陽信仰などであった。そのために天孫ホノニニギは豊穣な穀霊、太陽神などの性格ももつことができた。
3.天孫降臨神話は、シャーマニズムの二つのタイプ、脱魂型と憑霊型が融合して誕生した。

 この3についてさらに説明をくわえておきます。

 天に神がいますという信仰は、北方狩猟採集民族の脱魂型にもとづきます。他方、その神々が地上に降臨して人間にまじわるという信仰は農耕社会に優勢な憑霊型です。この二つが融合しなければ、天孫降臨神話は成立しません。

 2と3をあわせて、これまで、北方系神話が伝来したものといわれてきた天孫降臨神話を、北方、南方両系統の複合としてかんがえなおそうというのが、この通信23の主題です。

 これ以降の日本王権の展開は、北方原理にもとづく思想と南方原理にもとづく思想の葛藤・複合としてとらえることができます。その最初のモデルが天孫降臨神話なのです。これを北方原理だけとしてとらえると、日本の王権の本質は解明できませんし、永続の秘密もみえてきません。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa23.htm

諏訪春雄通信 24

 今回のテーマは「根の国神話」と「海幸山幸神話」です。この二つの神話は、ともにこれまで長江流域の神話や伝説とむすびつけてかんがえられることはほとんどありませんでした。ほとんどといったのは、海幸山幸神話にかぎっては少数意見として、長江流域に源流をもとめる説が存在するからです。

 まず根の国神話から検討してみます。
 王権にかかわる日本神話の基本構造は通信19で整理しておきましたが、念のために根の国神話の梗概をのべておきます。


 オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられた偽りの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。
 白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオナムチ(オオヌニヌシの別名)は兄たちのねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ、根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオナムチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。

 この神話についても、これまでに、松村武雄、松前健、西郷信綱など各氏の研究がすでに世に出ていますが、一種の成年式、通過儀礼としての解釈をしめすのみで、典拠または原型が指摘されたことはありません。

 しかしこの根の国神話の由来も、長江流域の少数民族の神話や伝説にもとめることができるのです。

 前回の通信23で、私は天孫降臨神話の原型として、雲南省にすんでいるナシ族の神話と湖南省や広西チワン族自治区にすんでいるヤオ族の神話を紹介しました。この二つの神話は地上の人間の先祖が天上から稲をもたらす話であるとともに、前者のナシ族の神話は、地上の若者が天神の課した数々の試練を天神の娘の愛と助けによってのりきり、地上に家畜、穀物の種などの宝物をもたらす話でもあるのです。

 このナシ族の神話と日本の根の国神話とはつぎのような類似点をもっております。
1.地上の若者が異界をおとずれる。
2.異界の王から数々の試練を課せられる。
3.試練を異界の王の娘の助力によってのりこえる。
4.その異界の王の娘と結婚し、王から宝物をあたえられる。
5.二人は地上に生還し、地上の人種の祖先となる。

 もちろん、日本の根の国神話と比較すると、異界が根の国にたいし天界であり、宝物が呪術的な宝器にたいする家畜・穀物である、などの相違もあります。

 しかし、私はこの相違よりも、問題のナシ族の神話が、中国長江流域の少数民族社会の思想や信仰と日本の王権神話の構造的関連を検討するという、大きな構想のなかにうかびあがってきた資料であることを重視します。日本王権神話の骨組みを構成する中国長江流域の神話・伝説群にぴたりと適合する神話であり、いわばミッシングリンクであるということです。

 当然、同地域のほかの民族の神話や伝説のなかに類似の話があるであろうという予想のもとに、私は手許の資料にあたってみましたが、いまのところ、同型の話を見出していません。時間をかけて、ていねいに文献を読むだけのゆとりが、この時期の私にないという事情もはたらいているのかもしれません。この通信を一冊の書物にまとめるときまでに類話を発見しておきたいとかんがえています。

《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、これまで何人もおもいつくことのなかった基本構想のもとに、つぎに海幸山幸神話を検討します。

 海幸山幸神話の梗概はつぎのようにまとめられます。


 ホデリとホオリの兄弟は、海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針を弓矢と交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。

 この神話は通常、兄弟争いと復讐、海神国訪問、異類婚という三つの要素にわけて説明されます。このうち、兄弟争いについては、東南アジア系の類話が報告されています(『上代説話事典』雄山閣・1993年)。
 インドネシアのケイ族につたわるヒアンとパルバラ兄弟の話はつぎのような梗概です。


 天上に兄弟がいた。ある日、弟のパルバラが釣りをしていて、兄のヒアンから借りた釣針をうしなってしまう。兄は返せとせめた。弟はさがしまわり、偶然出あった魚の協力で、のどに針のささった一尾の魚をみつけた。弟は兄に釣針を返したが、一計を案じて兄に油をこぼさせ、その油を返せとせまった。

 ほかにパラウ島の伝承も紹介されています。


 釣針を魚にとられた族長の息子アトモロコトが父にしかられて海中アダックの地にゆく。そこで釣針をのみこんでくるしんでいる女リリテウダウに会う。針を吐きだして痛みがなおった女は、アッダクの支配者であった。アトモロコトが自分の孫であることを知ったリリテウダウはなんでも欲しいものもって帰ることをゆるす。

 このような説話が紹介されたことによって、源流をインドネシア方面にもつ「失われた釣針型説話」を原型として、婚姻や出産、通過儀礼などの要素がそこにくわわってこの神話が形成されたという説が定着しています。

 この定説形成に大きくはたらきかけた要因が、この神話が隼人の服属神話として王権神話にくみここまれたという事実です。隼人の故郷を東南アジアにもとめる視点はかなりな妥当性をもって承認されるからです。

 しかし、私は今年最初の通信20で、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するとこれまでされてきたイザナギ・イザナミの国生み神話がじつは長江流域に数多く発見される洪水神話にもとづくことを論証しました。東南アジアで発見される洪水神話は、分布状況から判断しても、中国から伝播したものとみられます。

 海幸山幸神話の原型も、同様に、中国の長江流域でおこなわれていた伝承が、隼人の服属神話に組みかえられて、『古事記』や『日本書紀』の神話体系にとりこまれたというように判断されます。

 そのように主張するのは、中国の長江流域で、兄弟の争いと復讐、海神国訪問、呪術的宝物の獲得、などの重要なモチーフをそなえた話がつたえられているからです。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa24.htm


諏訪春雄通信 25

 今回のテーマは前回につづいて「海幸山幸神話」です。

 この神話については東南アジアに原型をもとめる説がつよいことについては前回に紹介しました。この神話にかぎらず、全体として日本神話の源流を東南アジアにもとめる傾向が目立つことは、この通信で再三ふれてきました。その理由は二つあります。

 第一の理由は中国神話の調査が不十分だったことです。私は1988年(昭和63)に初版の出た著書『日本の幽霊』(岩波新書)のなかでつぎのようにのべたことがあります。


 中国は幾度も王朝が交替した。王朝が交替するたびに、新しい歴史がつくりなおされ、前王朝の遺制が破壊されたので、日本の『古事記』や『日本書紀』が伝えたような体系的な神話や伝承が後代に残らなかった。中国神話の研究が立遅れている根本の理由はそこにあり、さらにそれに加えて、もともと孔子が『論語』の中で「子は怪力乱神を語らず」といった国柄なので、神話や伝承の類についての研究はあまりさかんではなかった。

 この説明はいまも通用するとおもいます。儒教をまなんだ中国の知識人も、またその影響をうけた日本の研究者も、ながい間、中国には体系的な神話は存在していないとかんがえてきたのです。しかし、この考えは大きな誤りです。私は『日本の幽霊』のなかで、前掲の文につづけてつぎのようにのべました。


 しかし、1950年ごろ、つまり解放の翌年ごろから、中国の神話研究は、ミャオ、チベット、ヤオなどの少数民族のあいだに伝えられてきた口承神話に注目しはじめた。文化大革命によって一時的に頓挫したが、七十七年に復活、前にも増して活発に研究は続行され、少数民族のあいだにそれこそ無尽蔵といってもよいほどに貴重な神話が蔵されていることが明らかになってきた。

 いまから15年もまえに書いた文章ですが、結局、私自身で実践するよりはかはないというのが、この通信をはじめた動機の一つです。

 第二の理由は、当然のことですが、東南アジアについての研究が中国の少数民族の研究よりもはるかにすすんでいるということです。しかもその研究は、日本人による研究ではなく、ほとんどは欧米の学者による研究なのです。海幸山幸神話にかぎっても、前回の通信で紹介したように〈失われた釣針〉型の神話と類似の神話が東南アジアで分布している事実を最初に報告したのは、19世紀以来のフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったようなヨーロッパの研究者たちだったのです。

 ヨーロッパの研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くためにいちじるしくたちおくれていました。この事実が、日本神話の原型を東南アジアにもとめさせることになったのです。

 ただ故人の大林太良氏は、晩年、日本神話の源流として中国南部にとくに注目しておられました。1995年10月28日、29日の両日に私たちのアジア文化研究プロジェクトが学習院大學で開催した公開講演・フォーラム「日本民族の形成」で「日本神話の系統」という題で講演されたさいにも、その最後を、


 このように日本神話の系統論にはまだまだ多くの問題があるということ、そして中国の江南がそのなかで大きな地位を占めていること、を申しあげて、私の講演を終わりたいと思います。

とむすんでおられました(諏訪春雄・川村湊編『日本人の出現―胎動期の民族と文化』雄山閣・1997年)。氏がお元気であられたら、おそらく、中国南部と日本神話の結びつきの研究はかくだんにすすんだこととおもわれます。

 すこし話が横にそれますが、私がこの王権神話と並行して研究をすすめている来訪神祭祀にもまったく類似した現象があります。

 よくご存知のように、日本の各地で、季節の変りめに仮面をかぶったり、蓑笠をつけたりする異様な風体をして集団で部落や村へおとずれてくる来訪神の儀礼が保存されています。秋田県男鹿半島のナマハゲは有名ですが、ほかにも沖縄のアカマタクロマタ、パーントゥ、マユンガナシ、鹿児島県のトシドン、石川県のアマミハギ、新潟県のアマメハギ、山形県のアマハゲ、岩手県のスネカタクリ、青森県のシカタハギなどなど、その数は40種をこえます。

 この日本の来訪神儀礼の源流を、太平洋上のメラネシア・ポリネシアの島々におこなわれている秘密結社の儀礼にもとめる説を提出したのが、日本の文化人類学者の草分けとでもいうべき岡正雄でした(「異人その他―古代経済史研究序説草案の控へー」『民族』三巻六号、昭和3年)。

 岡は、秘密結社には未成年者や女子を参加させず、加入には厳重な入社式をおこない、その成員は時あって異様な服装を身につけ、怪音を出してその出現を報じ、村々を横行して、強奪威圧をあえてし、あるいは祝詞をのべる行為をするなどなど、全部で23条の特色をあげて、この異人こそが日本の来訪神儀礼の源流であると主張しました。

 80年ちかくもむかしにだされたこの岡説は、いまも多くの信奉者をあつめています。しかし、この説は、岡正雄自身が太平洋上の島々を調査して提出した説ではなく、19世紀から20世紀の初頭にかけて、コドリントン、リヴァーズ、ウィリアムソンなどの欧米人類学者の調査に全面的に依拠した説だったのです。

 岡説の問題点は、煎じつめますと、(イ)異人と来訪神が混同されている、(ロ)来訪する目的が日本の来訪神に適合しない、の二つにまとめることができます。男子だけによって維持される仮面結社儀礼は世界各地の農耕社会にひろくみられる習俗であり、日本との関係を想定するためにはその本質が厳密に検討されなければなりません。

 私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その渡来の経路もほぼ特定できます。

 大林太良氏は、海幸山幸神話を海の原理をあらわす海幸と山の原理をあらわす山幸の闘争というようにとらえられ、江南地方につたわる呉越の戦いの伝説をその原型として紹介しておられます(『日本神話の構造』弘文堂)。

 中国江南の浙江省の大河銭塘江は満潮時におこる逆流の高波現象が天下の奇観として有名です。私もちょうどその時間帯にいあわせて、下流から上流にむかっておしよせてくる潮流の迫力に圧倒された体験があります。この逆流現象を春秋時代の呉と越の戦いにむすびつけた伝説が、『呉越春秋』につたえられています。大林氏はその伝説を山の原理をあらわす越と海の原理をあらわす呉との闘争の結果、山の原理が勝利する話として分析されたのです。

 『呉越春秋』の巻三がつたえる伝説です。
 呉と越が一進一退の戦いくりひろげていた時代、呉王夫差は越との和解をかんがえ、越王の提示した講和の条件を呑むことにした。しかし、父の時代から呉につかえていた臣下の伍子胥が講和にはげしく反対したので、夫差は伍子胥に死罪を科した。その死体をなまずの皮の袋にいれて、銭塘江になげこんだ。それ以来、子胥の亡霊はこれをうらんで、潮を逆流させ高波で人びとを溺死させたという。

 また、『呉越春秋』巻六では、越王勾践も家臣の文種に死を命じて、その死体を三峰の下に埋めた。その一年後に、子胥が海上から山に穴をあけて、種をつれさり、共に海上に出現して人々をなやましたという。

 大林氏はこれらの伝承から、越は山の原理、呉は山の原理を代表し、子胥が死後に高潮をおこしたことは、海幸山幸神話で山幸彦が干満珠をもちいておこした満潮に対応するとされました。しかし、山に死体をほうむったから山の原理、海(事実は川)に死体を投じたから海の原理をあらわすというのは、ややくるしい解釈のようにもおもわれます。

 大林氏の紹介した呉越の物語よりも、もっと海幸山幸神話に接近した伝承を紹介されたのが伊藤清司氏でした(「日本と中国の水界女房譚」『昔話―研究と資料21・日中昔話の比較』三弥井書店)。湖南省の土家族のあいだにつたえられている「格山竜珠を与えられる」という話です。


 ある村里に二人の兄弟がいた。兄を格路、弟を格山といった。兄夫婦が格山につらく当たった。堪えられなくなった格山は、ある老人のすすめにしたがって家をぬけだし、さまよいあるく途中、大蛇におそわれて呑みこまれそうになっていた一羽の黄鶯をたすけた。すると、その鶯はうつくしい人間の娘に変わり、竜王の三女と名のり、格山と夫婦になって、竜王の国におもむいた。格山は竜宮で連日歓待をうけたが、やがて望郷の念が昂じ、妻をともなって地上へもどった。帰郷にさいし、竜王が金銀財宝を土産にあたえようとしたが、格山はそれをことわり、
「郷里は水が不足し、田作りもままならず、人びとは暮らしに困っている。水を自由にできるものが欲しい」
と願い出た。そして呪宝の竜珠をもらいうけ、竜王の娘と故郷にもどった。そこで二人は山の上にのぼり、頂から竜珠をたむけると水は奔流となって噴出し、たちまち村の田という田をうるおし、おかげで土家の人びとは裕福になった。

 この話の後日談を伊藤氏が紹介しています。


 如意宝珠である竜珠をもちかえった格山は、その竜珠からりっぱな御殿を出し、その御殿で竜神の娘といっしょに幸福な日々をおくった。意地悪な兄夫婦はそれを知ってねたみ、二人を焼きころそうとするが、格山は竜珠をもちいて逆に兄夫婦を焼きころし、他方、その呪宝から水を噴出させて潅漑の水になやむ土家族の田畑をうるおし、りっぱな耕地に変えた。

 伊藤氏はこの伝説と海幸山幸神話の類似点として、
1.水界訪問
2.水界の女性との結婚
3.水界の女性との結婚
4.水界よりの呪宝の将来
5.呪宝による水の支配
6.兄への復讐

などをあげ、弟の山幸彦が呪宝を得て、最後に日本の統治者の祖先になったという結末と、弟の格山が海神からあたえられた呪宝によって土家族の世界に楽土を実現したという結末とは共通すると主張しています。

 この土家族の伝承と日本の海幸山幸神話の類似性はうたがうことができませんが、「失われた釣針」というモチーフのないのは気にかかるところです。今後、精査する必要があります。

 これまでこの通信でふれてきた稲作農耕地帯に海幸山幸神話につうじるような伝承が散在しています。そのなかには、釣針を魚網にかえただけの同じモチーフの伝承が存在します。私のノートから紹介しましょう。


 むかし、非常にまずしいが人に親切な漁夫がいた。ある日、大河の堤のほとりで網をうって魚をとっていると、一人の老人が大きな岩のうえで泣いているのに出あった。漁夫はすぐに老人にそのわけをたずねた。老人は「自分の娘が奇妙な病気にかかってなおすことができません。どうか家にきて娘の病気を看てください」とたのんだ。承知した漁夫は老人について堤を歩いた。すると老人はどんどん水のなかにはいってゆく。漁夫が老人にむかって、「水のなかには入れない」とうったえると、「いそがずにわしについてきてください。水のなかも地上をゆくのとおなじようになります」とこたえた。ふしぎにも漁夫は地上をゆくように水のなかをすすむことができた。まもなく一軒のうつくしい家がみえてきた。その家の一室に娘が全身を魚網にからめられて横たわっていた。漁夫がその網をとりのぞいてやると娘はすぐに元気になった。父と娘は感謝してたくさんの金銀を礼としてさしだしたが、漁夫はことわって、かわりに刀と鋤をのぞんでその二品をもらった。漁夫がその家を去ろうとすると、門の樹に黄牛と白牛がつながれていた。老人は袋に多量の牛の糞を入れて漁夫に背負わせ、「野菜をうえるときに肥料になさい」といった。漁夫が家にかえると、不思議にも黄牛の糞は金、白牛の糞は銀、刀は金刀、鋤は銀鋤に変わった。漁夫は農夫となって幸福に暮らしたという。

 雲南省のラフ族がつたえている「漁夫の故事」という伝承です。水界の王の娘をたすけ、莫大な宝を得るという話です。その王の娘は魚網にからめられており、漁夫によってその網をとりのぞいてもらっています。失われた釣針と同一のモチーフです。しかも漁夫から農夫に変わるところに、海の原理に野(高地では山)の原理が勝利を占める話にもなっています。日本における海幸山幸神話で、海の原理にたいする山の原理の勝利の意味も、漁労民にたいする狩猟民や農耕民の勝利の話であったことがわかります。

 もう一話、貴州省のコーラオ族がつたえている「竜女と旺哥」という伝承を紹介します。こちらも竜王の娘の報恩物語です。


 むかし、母と子が二人で暮らしていた。母は年をとって眼が見えなかった。子の旺哥は村の金持ちの家にやとわれて毎日手間賃をもらっていた。ある年の正月、旺哥がはじめて金持ちの家に働きにゆくと、主人は「一年はたらいてくれたら三頭の牛を報酬にやろう」と約束した。誠実な旺哥はこの約束を信じて、1年間、金持ちの家の田畑を懸命に耕作した。一年たって、旺哥が主人に約束の三頭の牛をもとめると、主人は「おまえはなにをいうのだ。三頭の牛だって。私はおまえに柄杓で三杯の油をやるといったのだ」といった。あらそうこともできず、旺哥は三杯の油をあたえられただけで帰途についた。
 途中に竜王廟があった。旺哥はせっかく1年間はたらいてもらった油だからと竜王像のまえにその油で灯火ともすことにした。竜王廟を出てまもなく大雨になった。旺哥が村の入口の小川にさしかかったとき、1尾の大きな紅鯉が土砂のうえにのりあげていた。その鯉をとらえて家にもどった旺哥は母に鯉を見せた。鯉の尾から水滴がしたたり、母の眼にはいったとたん、母の眼は見えるようになった。よろこんだ母と子はその鯉を川にはなしてやった。
 その鯉は東海の竜王の娘の変身であった。竜宮にもどり、命をたすけられた恩に報いようと両親に相談すると、竜王夫婦は、ひとり娘であるからと、360日をかぎって旺哥のもとにゆくことをゆるした。うつくしい女性に変わって旺哥の家をおとずれた竜女は、訪問の目的をつげ、一吹き、口でふくと、あばら家はたちまち御殿となり、食物や家具も家内に満ち満ちた。このようにして一家はしあわせな日をおくることになった。
 この噂をきいたのが主人の金持ちであった。旺哥の家にやってきて、うつくしい妻を自分に貸してくれと難題をもちかけた。困惑している旺哥に竜女がそっとささやいた。「わたしは父から360日の日限をみとめられてきたのですが、その日限はもう切れようとしています。あなたは主人の金持ちと家を交換するよう申し出てください」金持ちはすばらしい旺哥の御殿を見て交換の申し出に応じた。母と旺哥は主人の家にうつり、主人は家族をつれて旺哥の御殿にやってきた。
 その夜、主人と竜女が床につくことになったが、竜女は一桶の水をさげて浴室にはいり、そのままもどってこなかった。主人が灯りをともして浴室にいってみると、すでに竜女の姿はなかった。そのとき、一陣の風がふいて御殿が消え、主人はあばら家のなかに身をちぢめて立っていた。 

 長江南部は沼地や河川の多い土地です。ここで数々の水界訪問譚や水界報恩譚が生まれました。海幸山幸神話が海の原理と山の原理が相克するという構造をそなえているとするなら、その誕生地は、地形から判断しても、漁労民、狩猟民、農耕民が混在する中国南部がふさわしいと断言できます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa25.htm


諏訪春雄通信 26

 今回のテーマは「米と雑穀」です。日本の天皇家は、太陽信仰と稲魂信仰にささえられて、その隔絶した地位と永続をたもってきました。この二つの信仰が祖霊信仰や女神信仰などと結合しながら、長江流域から日本に伝来したことについては、これまでこの通信で詳細にのべてきました。

 稲作民にとって米はあらゆる〈穀物や農作物=食料〉のなかで優越した最高の価値をもちます。天皇家の絶対性はこの稲の絶対性にささえられます。しかも稲は大地におち〈朽ちて新しい生命を生みだす〉というサイクルをくりかえすことによって永続性をもちます。天皇家は、この稲の永続性と太陽の永続性の思想にささえられて、その絶対と永続の地位を保証されてきたのです。

 これにたいし、巨大王権が交替をくりかえした黄河流域では天にたいする信仰がさかんであったことについてもこの通信でくりかえしのべてきました。天の信仰は太陽の信仰に対応します。それでは、稲魂信仰に対応して黄河流域で誕生したものは何であったのでしょうか。それがこれからのべようとしている雑穀の信仰なのです。

 低温乾湿の黄河流域は、古来、稲作に適せず、冬小麦、粟、高粱、綿などが栽培の中心になり、水産資源の不足を牧畜などでおぎなってきました。これにたいし、高温多湿の長江流域では、ゆたかな水産資源にめぐまれ、稲をはじめとして、綿、油菜、茶などの多様な作物が栽培されていました。農耕に限定してかんがえると、稲作の長江文明にたいし、雑穀の黄河文明というように対比することができます。

 黄河文明の雑穀は、稲のように一元的絶対的な価値をもつ食物ではなく、複数の穀物にそれぞれ平等の価値をみとめる多元的相対的価値観をそだてます。黄河流域の王権交替を生みだした要因については、通信12で、
1.周辺遊牧民との抗争・軋轢
2.商業を中心とした経済の発展
3.農民勢力の台頭
4.潅漑工事

などをあげて検討しました。こうした要因の基盤にさらに天の思想や雑穀の思想が存在して、王権の交替現象をささえたとみることができます。

 アジアの稲の起源地は、これまでもたびたびのべてきましたように中国の長江中流域に決定しました。そこから日本への稲の伝来ルートの主要なものは二つありました。
  A 江南から直接に九州へ
  B 黄河淮河流域から山東・遼東半島、朝鮮半島を経て九州へ

 注意すべきは、このうち、Aルートが稲単独の伝来であったのにたいし、Bは黄河流域の雑穀地帯を経由したために、稲と雑穀の混合の伝来ルートであったということです。日本の稲作遺跡のほとんどからは雑穀と稲があわせて出土しています。朝鮮半島の稲作遺跡も同様な状況にあることが、この伝来ルートの存在をしめしています。他方、九州の筑後川、矢部川流域の有明湾沿岸部の遺跡からは稲だけが出土しており、江南からの直接ルートの存在をしめしています。

 米がながいあいだ日本人の主要な食物であったことは事実であり、米にともなう稲作文化が日本文化の重要な骨格をつくってきました。日本の王権がこの稲作文化をイデオロギーとして利用してきたのです。そうした様相は、すでに『古事記』や『日本書紀』の神話にみることができます。

 『古事記』の国生み神話で、イザナギ・イザナミの両神は、淡路島以下の大八島国などをつぎつぎに生んでゆきます。その個所で、「讃岐国を米飯の霊のよりつく意味で飯ヨリヒコといい、粟の国を穀物をつかさどるという意味のオホゲツヒメという」とあり、そのオホゲツヒメ神話では、スサノオに殺害されたオホゲツヒメの身体から、「二つの目には稲種、二つの耳には粟、鼻には小豆、陰部には麦、尻には大豆が生まれた」とあります。このあたり、米だけにとくにほかの穀物から超絶した位置をあたえているようにもみえません。

 しかし、しだいに、天孫降臨の地を「みず穂の国すなわち稲穂のみずみずしい国」とし、主役を「ホノニニギすなわち稲穂の豊穣」という名をあたえるなど、米を特別視する意図がつよくなってきます。

 稲を特別視する意図がよりあらわになっているのは『日本書紀』です。国生み神話でも一書第一に天つ神がイザナギ・イザナミに「豊葦原の、豊に稲穂の実る国がある。そこへいって治めるように」と命じ、天孫降臨神話でも、一書第二では、「わが高天原の神聖な稲穂をわが子にあたえなさい」とアマテラスがホノニニギに神聖な稲の携行を命令するなど、稲の特殊化はいちだんとすすんでいます。

 しかし、稲作農業を唯一の日本の農耕文化であるかのようにみなすことに反対する学者や思想家は数多くいます。昭和以降にかぎっても、宮本常一氏を先駆として、坪井洋文、網野善彦、佐々木高明、杉山晃一らの各氏です。

 この人たちは、麦、そば、粟、ひえ、大豆、小豆、胡麻などの雑穀やいも類などが、日本人の主食であり、米よりも重要な食べ物であったと主張しています。これらは米にくらべて、やせ地や寒冷地でそだち、はるかに耕作に手間がかかりません。しかもこれらの雑穀は水田稲作伝播以前の焼畑農耕で栽培されていました。

 弥生時代の初期から中期、日本人は、炭水化物の総摂取量の半分以上は、米以外の雑穀やいも類からとっていたであろうという見解も出されています(佐々木高明『稲作以前』NHKブックス・1983年)。

 網野善彦氏は、米が日本人の唯一の主食であったとかんがえる風潮がつくられたのは、江戸時代の状況を中世にあてはめ、二つの時代がなめらかに同質的に連続しているかのようにみなしたためであると主張します。

 中世の土地税の納め方をしらべてみると、西日本では、租税は米でおさめられていたが、東日本では、これとはちがって、絹や綿でおさめることが多かったといいます。また、米を租税としておさめていた西日本でも、日常、農民がたべていたのは、主に米以外の穀類であったと網野氏はいいます。

 その根拠として、若狭の国太良荘の貞和三年(1347)の記録を氏は提出しました。女百姓の所有物をさしおさえたときの記録によると、没収されたもののなかに、米五斗と、その二倍の量の粟一石がふくまれており、太良荘のような米を税としておさめている稲作地帯でも、ふだんたべていたのは、米ではなく雑穀であったことをあきらかにしています(『日本中世の民衆像―平民と職人』岩波書店・1980年)。

 日本文化のなかで、米に特別の地位をあたえたのは、支配者のイデオロギーであったといえますが、しかし、その観念がながく日本人にうけいれられてきたのは、稲とともに長江流域から伝来した信仰や思想のささえがあったからだということを私は前回までの通信でのべてきました。

3月2日(土曜日)午後2時から、学習院大学西5号館302教室で、公開研究会

「中国の地方劇」

東洋大學文学部助教授 有澤晶子氏

が、アジア文化研究プロジェクト主催で開催されます。講師の有澤先生は中国演劇の専門家です。日本人に馴染みの京劇、昆劇、川劇も中国の地方劇です。その数は300を超えるともいわれています。

   中国の信仰や祭祀→日本の信仰や祭祀
   中国の神話   →日本の神話
   中国の民俗   →日本の民俗
   中国の民間芸能 →日本の民間芸能

という対応がみられるように、

   中国の演劇   →日本の演劇

という対応が存在するというのが、私の確信です。その一端が今回の研究会であきらかになればと期待しています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa26.htm


諏訪春雄通信 27

 今回のテーマは「大嘗祭」です。

 神話時代が終わって、日本は現実の国家経営に乗りだしてゆきます。統一国家の形態をととのえたのは4世紀から7世紀にかけてのころ、中国の隋・唐の王朝制度をとりいれて律令国家の制度を整備したのは7世紀末から8世紀初頭といわれています。

 これ以前、これ以降の国家としての日本の歴史は、中国の北方原理と南方原理の摂取と融合・葛藤のなかに展開してゆきます。その両原理は、また、日本の王権の歴史的展開を解明する重要な鍵にもなります。

 日本の天皇制永続の秘密をあきらかにするという本通信テーマの独自な視点の一つをあらかじめ提示しておくなら、じつは、この《中国の北方原理と南方原理の融合・葛藤として日本の天皇制をかんがえる》ということにあるのです。

 両原理は、一方が優越することもあれば、拮抗することもあり、また対立もしながら、日本の歴史をつくってゆきます。現時点で両原理はつぎのように対比されます。


北方原理  天の信仰   雑穀の思想  男神信仰   多元的  秩序への志向  
南方原理  太陽の信仰  米の思想   女神信仰   一元的  融和への志向

 これらの特性がどのようにあらわれて日本の国家と天皇の歴史を織りなしてゆくかをこれからあきらかにしてゆきます。

 大嘗祭は、天皇の即位後、最初に挙行する大きな規模の新嘗祭です。大嘗祭をおこなうことによってあたらしい天皇としての資格をもつことできるのですから、即位式でもあります。この大嘗祭をテーマにとりあげて、北方原理、南方原理を検討します。

 大嘗祭の文献上の初出は、『日本書紀』の天武天皇2年(673)12月の記事に「大嘗(おおにえ)」とある記事です。式の進行がよくわかるのは、平安時代にはいってからで、『貞観儀式』『延喜式』『江家次第』などの有職故実の書に記載があります。

 4月の悠紀国(ゆきのくに)、主基国(すきのくに)の選定からはじまって、11月の午の日の豊明節会(とよあかりのせちえ、天皇と臣下の饗宴)まで、半年にわたる行事の中心をしめるのは、11月の卯の日におこなわれる大嘗宮の祭りです。

 大嘗宮は、大嘗祭のためにあらたにたてられた黒木造りの建築物で、東西に悠紀殿、主基殿、廻立殿(かいりゅうでん)という三つの建物がつくられ、外部を柴垣でかこみます。

 外部からうかがい知れない秘密の祭りであるために、のちにみるように種々の推測説がだされていますが、基本の骨組みは、天皇の、廻立殿における《湯浴み》、悠紀殿・主基殿における《聖餐》、《就寝》という三つの行事に還元されます。この三つは、日本の各地の民俗行事にふつうにみられる儀礼であって、その一つ一つには、なんの不思議も神秘もありません。

 《湯浴み》は禊ぎです。水、海水または湯によって心身をきよめることで、祭りをおこなう当事者がけがれをさけるための行為です。

 この禊ぎが火の浄化力とむすびついたものが湯立てです。湯立ては、祭りの場の中央にしつらえられた釜で湯をわかし、笹の葉などにその湯をつけて、あつまってきた参加者たちにあびせるかたちをとるのがふつうです。

 この形式の儀礼は各地の民間神楽に一般的にそなわっている行事です。愛知、静岡、長野の3県をながれる天竜川ぞいに演じられる花祭りには、生まれ清まりと称して、すべてこの湯立ての儀礼をつたえていますし、また、暮れから新春にかけておこなわれる湯立て神楽とよばれる行事も、おなじ儀礼を祭りの中心にすえています。

 《聖餐》は、神と人との共食ですが、大嘗宮では、天皇と天皇の祖先の霊であるアマテラスとの共食です。

 天皇が一世一代の即位式として挙行する湯立てと聖餐が、日本人の民俗行事と共通して、特殊なものではないということをのべました。ここまでなら、数は多くありませんが、日本の民俗学者のなかにも指摘する人がいます(真弓常忠『日本の祭りと大嘗祭』朱鷺書房・1990年、森田悌編『天皇の祭り 村の祭り』新人物往来社・1994年)。

 しかし、この通信で、とくに私が強調したいことは、この二つの儀礼の由来が中国の南方にあるということです。

 稲魂信仰と祖霊信仰が結合した新嘗の祭りが、中国の長江南方の少数民族社会でおこなわれていることについては、この通信の15、18などで報告しました。ミャオ族の人たちは日本の新嘗にあたる祭りを《喫新節》といい、ハニ族の人たちは《フォシージャー新嘗祭》とよんでいます。いずれも、新穀を祖霊、穀霊および天神にそなえたのちに共食する儀礼です。

 中国でも一般的に祭りにさいして清めの火と水が重要な役割を演じていることについて、以前、私は日本・韓国・中国の事例について詳細に検討したことがあります(「中世祭祀の構造―道教・別祭・花祭りー」『日中比較芸能史』吉川弘文館・1994年)。

 日本の新春の若水汲みという民俗行事は水に生命更新の力をみとめる信仰です。この習俗が中国南方の稲作民族社会にひろく分布していることは、大林太良氏の報告があります(『正月の来た道』小学館・1992年)。水に清めの力をみとめ、祭りにさいして禊ぎに使用するのは、この若水汲みと共通する水への信仰にもとづきます。

 《就寝》は篭りです。記録によると、大嘗宮の悠紀と主基のあいだに寝具が用意されてありました。この寝具にくるまって天皇はお休みになるものとみられますが、しかし、この就寝の儀礼については、注目される説がこれまでに提出されています。整理するとつぎの4つです。
1.亡くなられた先帝と新帝との共寝
2.新帝と采女(うねめ)との聖婚
3.死者をほうむる喪屋
4.新生児のための産屋

 4つの説ともに新帝に新生の活力、それは天皇霊とよばれることの多い天子の霊力を付与することを目的にするという点では、ほぼ一致していますが、具体的な儀礼順序や性格規定で、以上のような対立があります。

1の説は、折口信夫(「剣と玉と」昭和7年、「上代葬儀の精神」昭和9年)、堀岡文吉氏(『国体起源の神話学的研究』培風館・1929年)などがとなえています。折口の「剣と玉」から引用します。


 古代には死と生とがあきらかに決らなかったので、死ぬものならば生きかえり、死んだものならば他の身体にたましいが宿ると考えて、もとの天皇霊の著いていた聖躬と新しくたましいの著く為の御身体と二つ、一つ衾で覆って置いて盛んに鎮魂術をする。この重大な鎮魂の行事中、真床襲衾と言う布団の中に篭って物忌みをなされるのである。

2の説をもっとも強力に主張しているのは岡田精司氏です(『古代王権の祭祀と神話』塙書房・1970年)。岡田氏は、新嘗祭には、服属儀礼の一環として、天皇と采女とのあいだに同衾がおこなわれたと推定しています。氏は、大嘗祭は新嘗祭の延長とかんがえ、マドコオスフスマは、これにつつまれて祖神と一体化した天皇と、国々の神の資格をもって奉仕する采女との神婚がおこなわれた衾の遺物であろうとします。

 岡田説の根底には、折口信夫の神の嫁という考えがあります。日本の古代、男性の君主と女性の巫女がたすけあって国をおさめていた時代がありました。君主の身近にある女性が神の嫁となって神意をききわけ、それを君主につたえて政治の方向を決定しました。

 巫女は、地方豪族が服属のあかしとして自己の子女を朝廷にさしだしたものでした。彼女たちは、出身の国々の神につかえる巫女の資格をもち、彼女たちが朝廷につかえることは、国々の神が朝廷に服従することを意味していました。采女は、祭りのさいには、神の生活にはいる天皇に奉仕し、神の嫁として、天皇と神聖な結婚をとげることがあったと、折口は説きました(「宮廷儀礼の民俗学的考察」)。

 この折口の説を支持するような事例が『日本書紀』などに記載されていることは事実です。神の嫁という折口の論はそれなりの有効な射程距離をもっていますが、しかし、それを大嘗祭に適用することについては、反対意見のほうが圧倒的に優勢です。

 その一人、谷川健一氏は諸種の資料を引用して、采女は、推古・皇極・斎明とつづいた女帝の成立によって地位を低下させ、天武天皇以降は、後宮十二司の最下位に所属したと主張します。「大嘗祭という一世一代の由々しい盛儀における采女の役割は、神膳をととのえる以外にはあり得ない」というのが谷川氏の断定です(『大嘗祭の成立』小学館・1990年)。したがうべき見解です。

 3の喪屋説は1の説とかかわる論です。この3の説を強力に主張する谷川氏(前掲書)は、南島のモガリの習俗を論拠に、先帝の死にさいして死者が完全に死者になりきるまえに、死者と共寝して、その活力をうけつぐ儀礼が、喪屋としての大嘗宮でおこなわれたといいます。モガリの習俗が日本の古代におこなわれていたことは確実ですから、谷川説は就寝儀礼の本質をついた説といえます。

 しかし、3の裳屋説と4の産屋説は、じつは相互に補完しあう説なのです。産屋説は、折口信夫がはじめにとなえ、いったんすてたのちに、晩年また採用した説でした(「大嘗祭の本義」昭和3年)。大嘗宮の悠紀、主基の両殿に布団がしかれ、枕もそなえられているのは、「日の皇子となられる御方が、資格完成の為に、御寝所に引き篭って、深い御物忌みをなさる場所である。実に重大なる鎮魂の行事である」とのべています。

 おなじ考えは、西郷信綱『古事記研究』(未来社・1973年)にもみることができます。マドコオスフスマの儀礼は、子宮の羊膜につつまれた胎児の状態にもどり、新生児として誕生しようとする模擬行為であったといいます。

 就寝の儀礼は民俗の死生観をあらわしています。民俗では、死と生は連続または循環として意識されます。死んでよみがえる擬死再生の儀礼がおこなわれる場所が大嘗宮であるといえます。それは稲の種子が大地におちて死に、あたらしい生命を得てよみがえる《篭りの精神》の儀礼化でもあります。

 大嘗祭の就寝の儀礼がモガリとウブヤの複合した性格をもっているとすれば、その習俗もまた中国の南方にもとめることができます。

 1993年の4月から5月にかけて、私たちは中国の東海沿岸、ジョウ泗列島、舟山列島の現地調査をおこなったことがあります。その調査報告は『中国東海の文化と日本』(勉誠社・1993年)として刊行されています。

 そのなかですでにのべたことですが、この地方一帯にお墓を二度つくる複葬がおこなわれています。死者がでると、その死骸を、住まいの近くの田畑などに仮の埋葬の墓(殯廓とよんでいます)をつくっておき、1年または3年が経過した時点で、山の傾斜地などに里のほうにむけて永久的な墓をつくって埋葬しなおします。

 日本の古代のモガリや近畿地方などにおこなわれている両墓制の起源もまた江南にあったことをしめす調査結果です。それが農耕民に顕著な篭りの精神と結合したものが、大嘗宮の就寝儀礼なのです。

 このようにみてきますと、大嘗宮での行事は明確に中国の南方原理をしめしていますが、しかし、全体としての大嘗祭は大嘗宮以外の行事もおこなわれており、大きく、

  A 大嘗宮での天皇一人の儀礼
  B 宮中における天皇と群臣の饗宴(豊楽院の節会、最後の豊明の節会)

と二分されます。

 Bは一種の新帝にたいする服属の儀式であり、そこでは悠紀・主基の両国から献上された貢物が分配されます。悠紀・主基の両国は天皇の統治する日本国の象徴であり、Bはあきらかに新しい天皇とそれに仕える臣下の秩序を確定する北方の原理に支配されています。

 このようにみてきますと、大嘗祭は、結局、北方原理の外枠に核心としての南方原理がつつみこまれた儀礼であると規定できます。この構造は、日本の王権構造全体の象徴でもあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa27.htm


諏訪春雄通信 28

 今回のテーマは「天皇号」です。

 3月2日(土曜日)午後2時から東洋大學文学部助教授有澤晶子先生を講師にお招きして、「中国の地方劇」という公開研究会を学習院大學で開催しました。この通信の読者のなかで当日おいでいただいた方々もいらっしゃるとおもいます。

 内容といい、発表形式といい、最近の講演や研究発表のなかでは出色のものでした。当日、おいでになった方は幸運であったといってよいでしょう。

 発表形式はパソコンとビデオを組み合わせたもので、私の所属している国際浮世絵学会などではよくおこなわれている形であり、大學での講義などでも採用される先生が多くなりました。

 ただ、有澤先生のばあいは、その演出がよくゆきとどいており、写しだされることばとビデオの配合が絶妙で、観客を飽かせることがありません。

 機械に習熟せず、機械にふりまわされている発表者(私などはその典型です)がままいますが、有澤先生は機械を、平凡な表現ですが、手足のように使いこなしておられました。

 内容は、360種をこえるといわれている中国の地方劇のなかから4大国劇といわれる、昆劇、京劇、川劇、椰子劇の4種をとりあげ、その概要と特色を紹介したものです。私も前々から関心をもって、研究をすすめている分野ですので、発表内容の評価が多分当日の一般的な聴衆の方々よりはできます。

 小さなテーマで高度な発表をすることは、じつは、一定の水準に達した研究者にはそれほどむずかしいことではありません。真にむずかしいのは、そしてこれからの人文科学系の学者にもとめられることは、

「広く、高度な内容を、わかりやすく、興味ぶかく伝える」

ことなのです。有澤先生の実力をあらためて再認識したというのが、私の率直な感想です。

 この公開研究に先立つ2月26日(火曜日)、私のもとにあるテレビ会社からの取材がありました。といっても、テレビ撮影ではなく、番組の台本づくりのための取材です。松竹株式会社からの依頼をうけて、歌舞伎役者、それも今人気絶頂にある三之助クラスの役者を中国に旅させて歌舞伎の源流をたずねさせるという企画です。

 私が平成12年に吉川弘文館から「歴史文化ライブラリー」の一冊として刊行した『歌舞伎の源流』をじつにていねいに読みこんで、要点をついた質問をしてきました。ディレクターと台本作家と二人で、私の研究室に訪れてきて、交互に質問をしてメモをとっていました。

 そのときに、「歌舞伎の遠い原型が故郷の地を出発して、しだいに演劇としての形をととのえながら、日本にまで到達する歌舞伎ロードという構想は成立しますか」という興味ぶかい問題を、台本作家の方が私に問いかけてきました。

 じつはこの問題はここ数年追いかけている私の重要な研究テーマの一つなのです。

 学習院大学文学部は平成13年に人文科学研究所を創設し、助成金を出す研究プロジェクトを募集しました。そのときに私は「東アジア演劇形成過程の比較研究」という3年計画のテーマで応募し、九件の応募のなかからトップで採用されました。

 有澤先生にもそのプロジェクトにくわわっていただいており、3月2日の公開研究会は、この人文研究所の研究プロジェクトの費用で開催されたものでした。

 この通信の25で私はつぎのようにのべたことがあります。


「私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その伝来の経路もほぼ特定できます」

 その伝来の経路は大きく二つにわかれるとかんがえています。一つは西回りのルートです。ほぼ長江にそって貴州、雲南、広西チワン族自治区などを経由してベトナムにはいり、沖縄にわたり、北上して九州、福井、石川、新潟、山形、秋田などにつたわったものです。有名な秋田のナマハゲはその最末端の痕跡です。

 もう一つの経路は東回りです。西回りが比較的純粋に来訪神儀礼の原型を保存しているのにたいし、東回りのコースは、悪鬼ばらいの儺の儀礼と結合しながら、文化の先進地帯を経過したことによって、高度な演劇化をとげたというのが、私の基本的な考えです。

 私は概略以上のような構想で「東アジア演劇形成過程の比較研究」というプロジェクトを立ち上げたのです。

 したがって来訪されたテレビ局の台本作家から歌舞伎ロードについて質問されたときにすぐにこの東回りのルートをかんがえました。そしてつぎのようにこたえました。

「東回りをたどった来訪神と儺の複合体は、中国では古代演劇、宋元南戯、元雑劇、明清伝奇劇、地方劇などへと発展しました。おなじ複合体は、朝鮮半島では、処容舞、山台雑戯、農楽などを誕生させ、日本にも上陸して、中世以降の民間神楽、田遊び、王の舞、能、狂言などを生み、最後に歌舞伎として結晶しました」

 そして、中国長江中流域からいったん北上し、山東、遼東、朝鮮などの各半島を経過し、日本海側の出雲に上陸し、京都の五条、北野を経て、現在の四条の南座を終点とする歌舞伎ロードの具体的な道筋についても説明しました。

 この構想を、テレビ局が、台本としてどのように生かしてくださるか、仕上がりが楽しみです。

 大風呂敷のひろげすぎと眉をひそめる方も多いとおもいます。ことに実証主義をたいせつな方法とする専門研究者はそのように批判するとおもいます。

 しかし、私は、このごろ、学問の究極とは「志」であり「夢の実現」なのだとおもうようになりました。もちろん、堅固な実証にささえられた「夢の実現」です。

 通信26で、中国の古代文化と日本の古代文化につぎのような対応があると申しました。

    中国の信仰・祭祀→日本の信仰・祭祀
    中国の神話   →日本の神話
    中国の民俗   →日本の民俗
    中国の民間芸能 →日本の民間芸能

 自分でもそれなりに調査したことのあるこのような対応を前提に、


中国の演劇→日本の演劇

という対応も確実に存在するとかんがえています。

 「天皇号」についてのべます。

 天皇は中国の道教に由来することばです。その出典は、中国古代、紀元前3世紀ごろの各種の道教文献に「天皇大帝」とみえるのが最初です。たとえば、その一つ『春秋緯合誠図』には


 天皇大帝は北辰の星であり、元を含み陽を秉(と)り、精を舒(の)べ光を吐き、紫宮中に居りて四方を制御する。

 とあります。わかりやすくいえば、宇宙の根源として全世界を統御する北極星である、ということです。中国の道教では最高神として崇拝される北極星を天皇といったのです(福永光司『道教思想史研究』岩波書店・1987年)。

 ここから、日本の天皇号についてはむずかしい議論が生まれました。道教信仰そのものと関係があるのかないのか、いつごろから、どのような目的で使用されるようになったのか、などです。

 こまかな詮索はおいておいて、最新の研究成果にもとづいて、結論的なことだけをのべますと、最初は単なる尊称として使用されていた段階(推古天皇の時代)があり、持統天皇の時代に君主号としてもちいられるようになりました。また、東アジア世界における日本国家の地位を意識した呼称ではあるが、かならずしも道教思想と関連させる必要はないということです。

 日本が国家体制をととのえつつあった7世紀から8世紀のころに、主として対外意識のなかで採用され、浸透していったことばが天皇であったということになります。

 この天皇にたいする和語が「すめらみこと」です。平安前期に成立した『令集解(りょうのしゅうげ)』には


君は一人を指す。天皇これなり。俗にすめらみことというなり。

とあって、公式用語の天皇にたいする一種の俗語とかんがえらえられていたようですが、天皇号が成立する以前にはひろくもちいられていたことばです。

 すめらみことは「すめら」と「みこと」にわけられます。すめらについては、「統べら(統治する)」とおなじ意味というのが通説でしたが、上代特殊仮名遣いから判断して、「統べ」のベはエ列乙類、「すめ」のメはエ列甲類であって、甲乙が一致しないという疑問が提出されました。

 そこから、アルタイ諸民族が世界の中心とかんがえるSUMERE(梵語で至高・妙高の意味の蘇迷盧)と同義とする説、清澄、神聖の意味の「澄める」とおなじ意味であるとする説などが出されました。

 上代特殊仮名遣いというのは、奈良時代およびそれ以前のある種の仮名(エキケコソトノヒヘミメヨロ、古事記ではモも)に二種類の書き分けがあったという説です。したがって、発音と表記法がちがうことばは、当然意味の違うことばになるという考えです。

 しかし、私はこの法則をあまり厳密に適用すると行き過ぎになりはしないかという危惧をもっています。

 私は新潟県の出身であるためにイとエの発音があいまいで、仮名遣いもよほど意識しないと誤ってしるしてしまいます。私の友人の数代つづいた家に生まれた江戸っ子はヒとシの区別がまったくできません。こうした現象が古代にもあったのではないでしょうか。

 すめらみことの「みこと」は「尊」「命」などの字があてられますが、もとの意味は「御言」とする説が有力です。

 各様の説があるにしても、結局、すめらは尊貴な存在をあらわすことばであり、このことばを上にかぶせたすめらみことは「天の神のことばを代ってつたえる尊貴な御方」という、折口信夫の説(「天子の諡」)が妥当性をもちます。つまり、高位のシャーマンです。

 すめらみこととよばれた尊貴な方は、この世にあって天の神のことばを体現する神の代行者でした。南方原理につらぬかれた存在だったといえます。

 これにたいする天皇は、天界の北極星そのものと合一する北方原理をとりいれた存在です。

 この通信で、私がもっとも強調したかったことは、のちには混同されますが、本来は、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったということです。

 日本が、6世紀から7世紀にかけて、国家組織を整備してゆくときに、南方原理を北方原理で補完してゆくという当時の基本略を象徴的にしめすものが、君主号すめらみことと天皇の使い分けでした。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa28.htm


諏訪春雄通信 29


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 年度末の学校行事が一段落し、ようやく時間的なゆとりも出来ました。そこで、収集してあった中国の神話資料の整理と読み直しをすこしずつはじめました。日本神話とかかわりのある新しい資料が続々と出てきています。

 以前、この通信の24で、《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、私の研究の基本態度を説明しました。新しい資料を補足することによって、この研究姿勢に誤りはないという確信をますますつよめています。

 まだ完全な整理がおわっていませんので、結果が出次第、この通信で概要を報告しましょう。

 今回は「天皇と祭祀」というテーマでお話しします。これも大きな問題ですので、数回にわたって、この通信でとりあげる必要がありそうです。

 前回の通信の最後に、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったと申しました。まず、この結論にたいして説明をくわえます。

 通信27で「大嘗祭」をとりあげました。そこで説明しましたように、大嘗祭の中心行事である大嘗宮での祭りは天皇一人の儀礼であって、女官がその他が奉仕するにしても脇役にすぎず、祭りを進行させる神主はとくにいません。天皇自身が神と直接に接触する祭祀主体=シャーマンです。

 この大嘗祭のほかにも、天皇自身が祭祀主体となる祭りは、宮中行事に数多く存在します。

 奈良時代の養老2年(718)に古代法を集成して編纂された法令集が養老律令です。奈良時代から平安時代にかけての日本国家の基本法でした。そのなかで、国家祭祀を規定した
 「神祇令」には、全部で13の祭祀があげられています。

祈年祭  鎮花祭  神衣祭  三枝祭  大忌祭  風神祭  月次祭  鎮火祭
道饗祭  神嘗祭  相嘗祭  鎮魂祭  新嘗祭(大嘗祭)

 「神祇令」の冒頭の第1条には「およそ天神、地祇は、神祇官が神祇令の規定にしたがって祭れ」とあって、13種の祭りを執行するのは、「神祇官」であって、天皇の名は出てきません。

 このことから天皇は国家祭祀に関与していないという結論を出すことはできません。神祇官は祭祀を管轄する行政官であって神主ではないからです。

 わかりやすい例でいえば、文部科学省の役人は教育の管轄はするが教師ではありません。学校の現場で児童に接触するのは教師です。おなじように、祭りで神に接触したのは天皇でした。

 このあたりの事情は、通信27の「大嘗祭」についての記述をお読みいただければわかります。大嘗祭は、天皇一代一度の大祭であって、例年は神嘗祭として執行されます。その神嘗祭は「神祇令」の規定によれば、神祇官が管轄しますが、実際に祭りの主体者として神と接触するのは天皇です。同様の事情がほかの12種の祭祀にもあてはまります。

 国家的規模の祭りの祭祀主体は天皇であって、神祇官は儀式の管轄者、あるいは代理人にすぎなかったという事実をほかの方法で説明してみましょう(丸山裕美子「天皇祭祀の変容」『日本の歴史8 古代天皇制を考える』講談社・2001年)。

 前掲13の祭祀には、新嘗祭(大嘗祭)のように、天皇が関与したことのあきらかな


月次祭  鎮魂祭  新嘗祭

などのほかに、天皇が直接には関与していない多くの祭祀があります。つまり地方の神社で祭りをおこない、そこに天皇が参加していないものです。

 しかし、そうした祭りでも、中央の神祇官から幣帛つまり供物がわけあたえられます。こうした資格をもつ神社を官幣大社といいます。天皇の参加しない国家祭祀でも、官幣大社でいとなまれます。

 その分与式(班幣)はつぎのように進行します。上京した神主(祝部ほうり)たちは、宮中神祇官の役所前の広場に集合します。大臣以下の役人たちが参列するなかで、神祇官の中臣氏がつぎのような内容の祝詞を奏上します。


 あつまってきた神主・祝部らよ、皆聞きなさい。高天原にいらっしゃいます、スメラミコトがむつまじく親しむ男女皇祖神のご命令にしたがって天神・地祇としてまつる神々の前に申しあげます。今年の二月、ゆたかな収穫をたまわりますように皇孫のスメラミコトが珍しく尊い供え物を、朝日がみごとに輝きのぼるときに祝詞を奏上して、奉ります。

 大宝2年(702)2月に実施された祈年祭の祝詞です。この例からもあきらかなように、国家祭祀の正当性は、高天原の神々の子孫である天皇が奉る供物によって保証されるとともに、天皇は供物をとおして、自身直接に参加しない祭祀の主体者となっているのです。

 この祝詞のなかに天皇ということばは出てきません。和語でとなえられる祝詞に漢語の天皇が出てこないことは当然とかんがえられるかも知れませんが、天皇にあたることばとして「皇」と「皇御孫命」という漢語は出てきます。これは「すめら」、「すめみまのみこと」とよまれています。その基本に「すめらみこと」が祭祀用語として存在したとかんがえます。

 「神祇令」は中国の唐代の祭祀を規定した「祀令」を参照して成立したといわれています。しかし、根本精神は日本流に変更がくわえられています。それは天皇が国家祭祀の主宰者であるという観念です。

 天皇は祭祀王であるという観念は7世紀から8世紀にかけて、日本が国家体制をととのえていったときに、為政者によって周到に準備され、律令にもとりいれられましたが、それだけにとどまらず、『古事記』や『日本書紀』のような編纂物のなかにも布石されています。

 一例を『日本書紀』の第10代崇神天皇の記事にとります。
1.天神地祇に祈願する。
2.天照大神・倭大国魂の二神を宮中にまつる。
3.八百万の神々を神浅茅原に招いて占いをする。
4.お祈りした夜の夢に大物主神があらわれ、大物主神をまつる。
5.八十万の神々をまつる。
6.夢中の神の教えのままに墨坂神・大坂神をまつる。
7.鏡をまつる。

 崇神天皇については各種の説がこれまでに提出されています。


事実上の初代天皇である。
三輪王朝の創始者である。
騎馬民族系の渡来王である。
『魏志倭人伝』の卑弥呼をたすけた男弟である。

 複雑な性格をもった天皇であったことが推測されますが、いずれにしても祭祀王であったことは『日本書紀』の以上の記載からあきらかです。

 天皇が祭祀王としての性格をもつようになった過程については、大きく三つの考え方が成立します。

A.天皇ははじめから祭祀王としての本質をそなえていた。
B.巫女王の時代から男性祭祀王の時代に推移した。
C.男女の祭祀王ははじめから並存していた。

 この問題を解決するためには、巫女王、女帝、斎王、後宮などについて検討する必要があります。次回以降、これらの課題を解明してゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa29.htm

諏訪春雄通信 30

 私たちのプロジェクトは、会員とはべつに、40数名の学識経験者の方々を「参加者(メンバー)」とよんで、会の運営についてご助言をいただいています。その参加者の一人谷川健一先生から久しぶりにお電話をいただき、新宿の中村屋でお会いしました。

 用件は、5月の連休あけに韓国へ取材にゆく予定であるが、適当な案内者を紹介してくれないか、というものでした。さっそく、やはり参加者の一人である広島大学の崔吉城先生に連絡をとり、最適の案内者を谷川先生に紹介することができまし。

 中村屋で谷川先生と一緒に私を待っていた方が、新潮社の文芸誌『新潮』の編集長前田速夫さんでした。その場で『新潮』に7枚の短文の寄稿を依頼され、「日本神話と中国長江流域神話」という一文を書いてすぐに送りました。この通信でこれまでにのべたことをまとめたものですが、その後に新しく発見した資料を追加しています。

 その追加資料をふくむ部分だけを、まず、この通信でお送りします。読みやすいように段落分けをします。


「日本神話と中国長江流域神話」

 日本神話の研究には、中国の少数民族社会の神話・伝承の調査研究が必須である。
しかし、残念ながら、日本神話の研究に中国少数民族の神話が考慮されることは、亡くなられた大林太良氏のような先覚者をのぞくと、これまでほとんどなかった。

 その理由の第一は、中国の民間伝承研究の成果が利用しやすいかたちで日本の学界につたえられていないということである。現在、中国神話として日本に紹介されている類書はほとんどすべて、文献に記載のある漢民族の神話であって、少数民族の口承神話ではない。

 第二の理由は、ヨーロッパ研究者による東南アジアや南太平洋の神話研究がはるかに先行していて、日本の神話学者はその成果をほとんど無批判に利用していることである。

 具体例で説明してみよう。

 海幸彦・山幸彦として漁労と狩猟に従事していたホデリとホオリの兄弟が、釣針と弓矢を交換し、弟が兄から借りた釣針をうしなって、竜宮をおとずれる神話は『古事記』と『日本書紀』がつたえている。日本人にもっともなじみのふかい神話の一つである。

 この神話の源流として、これまでに、インドネシアのケイ族の伝承、パラウ島の伝承などが指摘されている。インドネシア方面の「失われた釣針型説話」を原型として、日本の海幸彦・山幸彦の神話が成立したというのが現在の定説である。

 東南アジアの「失われた釣針型説話」の存在を最初に報告したのは、十九世紀以来、この地方に入って調査にしたがったフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったヨーロッパの研究者たちであった。日本の神話研究はその成果を借用してきたのである。

 しかし、最近、中国の長江南部に海幸彦・山幸彦と類似の話が存在することが報告されている。大林太良氏は、この神話を海の原理と山の原理の闘争ととらえ、江南地方につたえられる呉越の戦いにかかわる伝説を、山を代表する越と海を代表する呉の対立として分析し、日本神話の原型として紹介している(『日本神話の構造』)。

 また、伊藤清司氏は、湖南省のトウチャ族につたわる「格山竜珠を与えられる」という話を紹介し、兄弟の争い、水界訪問、水界の女性との結婚、水界よりの呪宝の将来、呪宝による水の支配、兄への復讐、という六つのモチーフが共通することを説いている(「日本と中国の水界女房譚」)。

 私自身はこのほかに、雲南省のラフ族、貴州省のコーラオ族、四川省のイ族、貴州省のプーイー族などがつたえる二十種を超える異型の水界女房譚を、現時点で発掘している。この数はもっとふえるはずである。これらを総合すると、日本の海幸彦・山幸彦の神話の源流は中国の長江南部であると確信をもって断定することができる。

 もう一例、イザナギ・イザナミの国生み神話について検討する。この神話の原型についてもポリネシア、内陸アジア、インドなどの神話との類似がこれまでに説かれてきた。

 日本の国生み神話は、A洪水で生存した兄妹が結婚する、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全な子が誕生したが試行の結果国土と人類などが誕生する、Cしかもそうした行為が神、動物などの指示によっておこなわれる、という三つのモチーフから成る、いわゆる洪水神話の不完全型である。

 『旧約聖書』のノアの方舟で知られる洪水神話は、インド、南アメリカ、東南アジアなどに分布していて、起源地についても諸説があって一定していない。しかし、私は、中国ですくなくとも八十七種の洪水神話を収集している。その分布状況はつぎのようになる。

雲南省 三十八種   貴州省 十五種  湖南省 十一種  広西チワン族自治区 七種
四川省    五種   海南島  四種  湖北省   三種  内蒙古自治区      三種
遼寧省    三種   福建省  一種  台湾    一種  河南省          一種
青海省    一種   黄河辺  一種  黒竜江省 一種

 総数が九十五種となるのは、同一話が二つの地域にまたがって存在する例があるからである。この表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南など、長江周辺の稲作民の居住地に稠密に分布していて、そこから南北にはなれると、急速に減少している。このことから洪水神話の起源地は長江中流域であると確定することができる。

 このほかにも、「アマテラスの天石屋戸隠れ」、「天孫降臨」、「オオクニヌシの根の国訪問」など、日本の王権の成立にかかわる神話の重要な骨格部分が、ほとんどすべて、中国の長江流域の稲作民居住地の伝承を源流としていることがあきらかになっている。太陽神・女神・祖先神・稲魂という四つの性格を兼備して、皇室の祖先となったアマテラスと同一神格への信仰もこの地方に存在している。

 このような中国長江流域神話と日本神話の類似という事実はけっして偶然の暗合ではない。アジアの稲作は一万年以前に長江中流域にはじまって、長い年月をかけてアジア各地にひろまっていた。そのときに稲作の技術とともに、稲作にかかわる信仰や民俗、神話伝承もまた伝播していった。その末端が日本に保存されているのである。

 以上です。ここで洪水神話87種といっているのは、通信20でのべたように、中国の民俗学者林河氏紹介の58話に私が29話を追加した数値です。中国の少数民族の神話については、なおも調査を続行中ですので、結果がまとまりしだいまたご報告します。

 今回は前回お約束した「巫女王」の問題について簡潔にのべます。

 巫女王とは女王が巫女をかねているものです。典型的な例は、『魏志倭人伝』にしるされて有名な卑弥呼です。彼女は邪馬台国の女王であったが、夫をもたず、一人の弟が政治をおこない、彼女じしんは鬼道につかえていたといいます。

 卑弥呼の没後、和国は混乱におちいったので、人々は卑弥呼の長女壹与を王として国を治めさせたといいます。壹与もまた巫女王でした。

 卑弥呼や壹与は邪馬台国にかぎられた特殊な例でなく、古代の日本にかなり一般的にみられる政治と祭事の形態だったようです。ヒメ・ヒコ制とよばれるものがそれです。

 ヒメ・ヒコ制は、兄弟と姉妹が政事と祭事を分担する統治の形態です。一般に「地名+ヒメ」と「地名+ヒコ」の名をもつ男女が一対となってその地域を支配する原始的な王権のあり方でした。具体例としては、『日本書紀』神武天皇即位前紀のウサの国の祖先ウサツヒコとウサツヒメの場合などがあります。

 このほかにも『日本書紀』には地方の首長が女性であった例をいくつかひろいだすことができます。政事権または軍事権をもつ男性の名がしるされていませんが、女性が祭事権をもつために首長にされたのであろうと推測されています(鳥越憲三郎「巫女の歴史」『講座日本の民族宗教4』・弘文堂)。

 ただ時代がさがると、男女の役割分担に相互移動もあったようで、女性の首長が政事や生産にたずさわる例もありました(今井尭「古墳時代前期における女性の地位」『日本史研究』397)。

 しかし、ヒメ・ヒコ制の精神は日本の歴史を貫流していました。

 『古事記』や『日本書紀』には天皇の代替わりにともなう皇位継承争いの記事が頻繁と出てきます。そのばあい、ライバルが同母の姉妹をもっていますと、皇位継承者がその女性をめとっている例が多いのです。

 これは、霊的守護者である姉妹を兄弟からひきはなすことに目的があったのではないかとかんがえられます。

 平和のうちにそれが成功すれば、皇位継承者はライバルにたいして優位にたつことができましたが、不幸にして両者が対立関係にあるときは、相手を倒してその霊的守護者である姉妹をめとることによって皇位争奪戦の完全な勝利をかちとることになりました(倉塚曄子『巫女の文化』平凡社・1979年)。

 沖縄にオナリ神とよばれる、兄弟を守護する姉妹の霊にたいする信仰があることはよく知られています。柳田國男が『妹の力』(1940)収載の論文で先鞭をつけ、伊波普猷がそのあとを受けて解明をすすめた問題でした。

 オナリは、奄美・沖縄・宮古・八重山の諸地域で兄弟から姉妹をさすことばです。姉妹から兄弟をさすときはエケリといいます。オナリ神信仰は、宮古をのぞく前記の各地にみられます。

 オナリ神の働きは呪詛にもしめされますが、多くは兄弟が危機にたったときの守護に力を発揮します。航海や戦争などの出発のさい、姉妹は守護のしるしとして、手ぬぐいや毛髪をもたせ、兄弟が危地におちいったとき、姉妹の霊は白鳥になって現地に飛ぶといいます。

 姉妹は兄弟にたいし霊的守護の役割をはたしますが、同時に兄弟は姉妹にたいし俗的守護の役割をします。しかも家族のレベルを超えたさまざまな上位の祭祀集団にもこの関係をみることができます。根神(ニーガミ)と根人(ニーッチュ)、ノロと按司(アジ)、聞得大君と王の関係などです。

 こうなると、本土古代のヒメ・ヒコ制の関係と完全にかさなります。

 興味ぶかいことは、このヒメ・ヒコ制、オナリ神信仰の源流についても、ポリネシアなどのオセアニアやインドネシアにもとめる説(馬渕東一『馬渕東一著作集3』、鍵谷明子『インドネシアの魔女』、他)が有力であるのにたいし、少数意見として、中国の守護女神媽祖(まそ)信仰との関係をかんがえる説があることです(植松明石「オナリ神」『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社・1983年)。

 私はいまこの少数意見の立場にくみして、女性の霊力の問題を究明してみようとおもっています。

 さらにまた、女帝、斎王、後宮、采女など、日本の王権の維持にふかくかかわる諸制度で、ヒメ・ヒコ制、オナリ神の観点から説明しなければならないものが数多くあります。

 これらの問題を逐次この通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f04/suwa30.htm



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c153

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100217  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。