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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100218
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[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
13. 中川隆[-13624] koaQ7Jey 2018年11月27日 12:00:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21175]

諏訪春雄のホームページ
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諏訪春雄通信10 2002年 9月

9月21日(金曜日)午後5時から、「中国少数民族の祭りと芸能―トン族・苗族・土家族の世界―」というテーマで、今年の夏におこなった中国調査の報告会を実施しました。


中国の長江中流域地帯には女神信仰がゆきわたっています。たとえば、私たちが調査したトン族社会では、薩神とよばれる民族の祖先の女神にたいする信仰がさかんです。薩神は薩歳ともよばれています。薩はトン族語で祖母を意味します。祖先の女神ということになります。

トン族の神話では、彼らの世界を創生した人物は薩神の子孫姜良姜妹の兄妹です。天下に大洪水がおきて万物がほろんだとき、薩神が送ったひさごにのってたすかった兄妹二人が夫婦となって、山川動植物を生み、トン族をはじめとする人類の祖先になったというのです。水稲農耕もこの兄妹がつくりだしたものとつたえられています。

薩神はまた隋唐時代の女英雄キョウニの伝説と習合しています。キョウニは、都から派遣された官吏の苛政に反乱をおこした村人の先頭にたってたたかい、幾度も勝利をおさめますが、最後は大軍にかこまれて自殺した女性です。

後人は彼女の霊をなぐさめるために祭壇をきずき、神としてまつりました。このキョウニが薩神と同一視されて崇拝の対象になっています。

薩神信仰とならんで、トン族の二大信仰とよべるのが、太陽信仰です。鼓楼、住居、男女の正装、帽子、その他に円形の鏡として造型された太陽をみることができます。年中行事のなかにも太陽信仰は浸透しています。

また、トン族の男女は雨具ではない紙製の傘を冠婚葬祭や日常生活に頻用します。この傘は太陽を象徴するもので、辟邪の働きがあるとされています。

この太陽信仰と薩神信仰はふかくかかわっており、トン族の人々は両者を同一とみなし、太陽光線は薩神の威力をあらわすものとかんがえています。

日本の創世神話とトン族神話には興味ぶかい一致があります。『古事記』によるイザナギ・イザナミを主人公とした創世神話とトン族神話には以下のような一致点があります。

@ イザナギ・イザナミの二神は、神世七代の洪水後に男女対偶神として誕生し、国土の生成、始動にかかわります。姜良姜妹の二神は、洪水のさいにひさごのなかにはいって命がたすかり、国土と人類の生成にかかわります。

A イザナギ・イザナミの二神は、天神の命をうけて、まず天の浮橋に立ち、海をかきまわして得たオノゴロ島に降り、天の御柱をめぐって結婚します。姜良姜妹の二神は最高神の薩神のはからいで結婚します。

B イザナギ・イザナミの二神は、はじめヒルコなどを生んで失敗しますが、天神の指示をあおいで大八島国および石・海・水門・山野の神々を生んでゆきます。イザナギは日向の橘の阿波伎原でミソギをします。そのさいに防塞神や穢れから成る神またはこれを直す神、海の神などが出現し、最後に左右の眼と鼻をあらうと、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが誕生します。姜良姜妹の二神は、十ヶ月に満たない九ヶ月で一人の男子を生みます。その子は、頭はあるが耳はなく、眼があって脚がない不完全な人間でした。その身体が斬りくだかれて民となり、手や指が地におちて高峰となり、骨がおちて岩石に化し、頭髪は万里の河川となり、脳がおちて土手や田畑になり、歯牙が黄金白銀になりました。肝腸が長江大河となり、野牛や野鹿、山脈、三百六十四の姓、トン族をはじめとする人類が誕生しました。

両神話のあいだに、洪水から生存した男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、その結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が生まれたがつぎに国土と人類などが誕生したこと、しかもそうした行為が薩神(『古事記』では天神)の指導ですすめられたことなど、世界創造神話の基本構造が一致していることが注目されます。

さらに薩神とアマテラスとのあいだにもつぎのような一致点があります。

@ 民族の祖先の女神、A太陽神でもある、B稲作の神である、C歴史上の人物(女性英雄神と皇室の祖先)と習合し祭壇がもうけられた、の四点です。

トン族の神話が日本神話の直接の原型であったなどと主張する気はありませんが、長江中流地域が日本の稲作の源流であったことは疑問のない事実である以上、稲作にともなう文化の交流についても真剣に検討する必要があるとおもいます。

この問題についてはつづけてまたこの通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa10.htm


諏訪春雄通信 11

東アジアの王権の問題について、夏期の中国調査の結果をふまえて、その後、かんがえたり、調べたりしたことをのべます。私の最終目的は、日本の天皇制の解明です。しかし、そのためには、東アジア、ことに中国大陸での王権の歴史の検討が絶対必要条件であるとかんがえています。

 

中国北方、黄河流域で巨大な王権が誕生し、南方、長江流域でなぜ巨大王権が成立しなかったのか、という問いについて、最初のきちんとした説明をしたのは、ドイツ生まれの社会学者カール・アウグスト・ウイットフォーゲル(1896〜1988)でした。水利社会論とよばれて有名な彼の考えをまとめれば以下のようになります。

 

黄河流域は黄河文明のさかえた土地である。定期的に氾濫をくりかえした黄河の大量の土砂が堆積してできた沖積平野であり、そのままでは農耕に適せず、大規模な潅漑工事が必要であった。そのため、この土地では、大量の人手をあつめて水を支配しなければならず、それが可能な強大な力をもった者が、王権を獲得し、巨大国家を建設した(平野義太郎監訳『新訂 解体過程にある中国の経済と社会』原書房、1977)。

 

この水利社会論は、現在かなり旗色が悪く、日本でも戦後きびしい批判にさらされています。批判は二つにわけることができます。一つは、彼の政治性にたいする反発です。はじめマルクス主義者として出発したウイットフォーゲルはアメリカにわたって反共産主義者にかわりました。その政治理論から、進んだヨーロッパ社会にたいする停滞したアジアという図式をつくりあげました。この図式が不評を買って、批判者の舌鋒をするどくさせたのです。

 

もう一つは、彼の水利社会論そのものにたいする批判です。最近の代表的な批判者二人を紹介しましょう。中国環境史学者の原宗子氏(流通経済大學教授)は、農業のために黄土は多量の降雨を必要とし、でなければ人工的な潅漑がもとめられるというウイットフォーゲルの主張は空想にすぎないとしりぞけ、年間降雨量そのものが不足していない華北の多くの地では、降った雨や雪の水分を発芽期までどう保持するかが問題になるのであり、潅漑の必要など多くの地域で存在しないと断定します(「土壌から見た中国文明」『四大文明』NHK出版、2000年)。

 

批判者をもう一人紹介します。日本の考古学界はフィールドワーク重視一色です。遺跡を発掘しない考古学者を日本では考古学者とはみとめません。ところが、欧米では考古学理論とか比較考古学という学問方法が市民権を得ています。自分では発掘体験のない土地の発掘報告をもとに、比較をこころみる学問です。

 

カナダ・モントリオールのマッギル大學人類学部教授のブルースG・トリッガー博士は、考古学理論家として現在もっとも生産的な仕事をしている学者です。彼は水利社会論をつぎのように批判します。「いっそう大きい潅漑システムへの要求が結果として文明発展の初期段階に専制国家を生む、というかつての通説は、初期文明においては大部分の水利施設が小規模で断片的であったという特徴を、認識していなかった。大規模な国家管理の潅漑システムは、国家の産物であり、その逆であったようにはみえないのである」(川西宏幸訳『初期文明の比較考古学』同成社、2001年)。

 

こうした批判論に接しますと、ウイットフォーゲルの水利社会論の破綻はみとめざるをえないようです。しかし、黄河流域における巨大王権の誕生という事実をどのように説明するのかという問題は、依然そのままにのこります。

 

水利社会論にかわって提出されている論を検討してみます。

 

前述の原宗子氏はつぎのように説きます。「人類が摂取するエネルギー源として太陽エネルギー利用効率の点でもっとも効率的なのは穀物生産である。当時における人工増加のポイントは、いうまでもなく食糧の確保にあったから、穀物生産を発展させた社会が、人口増加でも軍事力増強でも、他の方法で暮らしている社会にくらべ優位に立ったわけである」(前掲論文)。

 

穀物生産農業が巨大国家を誕生させたという考えです。しかし、この説明は成立しません。年間の降雨量も平均温度も農業に適さない黄河流域(前掲の原氏の批判にもかかわらず、この事実は疑問がありません)で巨大専制国家が誕生したのに、あらゆる条件がより農業に適した長江流域で巨大専制国家がなぜ誕生しなかったのか、という問題の解答にならないからです。

 

北中国と南中国の農耕の発展形態に周到な目配りをしながら論をすすめ、巨大国家成立の秘密を説きあかそうとした論文が、やはり中国史学者の岡村秀典氏(京都大學助教授)の「中国文明の起源―農耕のはじまりから国家の成立へー」(前掲『四大文明』)です。

 

氏は、殷墟から出土した甲骨文に大規模な祭祀儀礼の存在をしめす文言がきざまれていることに注目します。そして、巨大な祭祀儀礼をいとなむために、それをささえる経済システムを整備し、農業の大規模経営がおこなわれ、その結果、巨大な専制王権が誕生したと主張します。

 

しかし、この論も誤っています。事実は逆です。巨大政権が成立したから、それを維持するために巨大な祭祀がいとなまれたのです。そうした事例はいくらでもあげることができます。日本の大和政権成立後の国家祭祀整備や大規模化がさしあたっておもいうかびます。

 

湿潤地帯と乾燥地帯のはざまに巨大な大河文明が誕生したという、文明史学者安田喜憲氏の学説は、ウイットフォーゲルに匹敵するスケールの大きなものです。

 

ユーラシア大陸を、大きく湿潤地域のモンスーン・アジア、大西洋地帯と、乾燥地域の乾燥アジア、北方アジアに二分し、これまで四大文明といわれてきたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河の四大文明は、そのはざまをながれる大河のほとりでおこっていると主張し、乾燥地帯の牧畜民と湿潤地帯の農耕民の接触によって大文明は誕生したと主張するのが、安田理論です(『大河文明の誕生』角川書店、2000年)。

 

牧畜民は主食の穀物を農耕民との交易によって手に入れないかぎり生きてゆくことができない。この牧畜民に主食となる穀物や野菜を提供した人々こそ、乾燥アジアとの接点をながれる大河のほとりに生活する農耕民であった。それゆえ、乾燥と湿潤のはざまをながれる大河のほとりは、農業革命以来、農耕民と牧畜民の異文化の接触地帯になった。安田氏はそのように説きます。

 

この安田理論も、黄河文明にかぎってもいくつかの疑問があります。まず、華南に比較して、寒冷で乾燥した華北の地を湿潤地帯といえるのかという疑問です。

 

もともと、氏の説の立脚点には、1988年にはじめて氏が発見したという5700年まえにおこった地球規模での気候変動がありました(安田喜憲「五〇〇〇年前の気候変動と古代文明の誕生」『科学』五八号、岩波書店)。この変動は、北緯35度以南の大河ほとりの乾燥化をもたらした。このため、牧畜民が水をもとめて大河のほとりに集中した。この大河のほとりへの人口の集中と、もともと大河のほとりにいた農耕民とあらたにやってきた牧畜民の文化の融合が、都市文明の契機になった。これが安田理論の骨格です。

 

しかし、この論は、北緯35度以北に位置し、しかも5700年まえより1000年以上もあたらしい黄河文明に適用できないことはあきらかです。しかも、遊牧民との接触という事実の確認できない長江周辺に、巨大王権ではありませんが、都市文明の誕生したことの説明ができません。

 

批判することはかんたんにできますが、それに代わる理論を提出することは容易ではありません。ウイットフォーゲルに対する批判を丹念にたどってみると、そのことを痛感します。黄河流域に巨大王権が誕生したことは事実です。その事実にたいして納得できる説明がまだありません。

 

ここであたらしい説明を提示できなかったら、私もおなじ非難をうけることになります。次回の通信12で、私の考えをのべます。あらかじめ、私の立場をあきらかにしておけば、私は一つの理由だけを強調する一元論ではなく、複数の要因を考慮する多元論で、この問題を解明したいとかんがえます。しかも、黄河領域で最初に成立した巨大専制国家であった秦の成立要因を分析することによって、その目的を達成したいとかんがえています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa11.htm

諏訪春雄通信 12

前回の通信につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

黄河流域で最初に成立した巨大専制国家は秦です。紀元前221年に、のちに始皇帝とよばれることになった秦王政は、戦国6国のなかでただ一つのこっていた斉をほろぼして、天下統一をなしとげました。この中国史上最初の統一国家の成立要因を検討することによって、華北における巨大王権誕生の秘密を解明してみます。

 

@鉄製農具の出現

春秋時代の終りに、木製や石製にかわって鉄製農具があらわれ、未墾地の耕作が可能になりました。農民はかぎられた土地で氏族制を保持する必要はなく、家族単位に分解、その農民たちをあたらしく発生した官僚たちが再組織しました(西嶋定生『秦漢帝国』講談社学術文庫)

 

A潅漑工事

水利技術者鄭国の献策により、秦王政の即位元年に、渭水北岸の荒地を潅漑する大規模な工事がはじまりました。これが完成して沃野が出現し、秦国が富強になり天下統一の財政基盤ができあがりました(西嶋前掲書)。

 

B経済の発展

春秋時代の後半からはじまった鉄器の発明と普及は、農業や手工業の発展をうながし、経済と文化に繁栄をもたらしました。商業の発展にともなって、商人の往来や産物の流通もさかんになり、列国の封鎖的な国境をこえて、各地の経済はたがいに依存の度をつよめていきました(松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』講談社)。

 

C富国強兵策

北方の強大な遊牧民族である匈奴の進入を阻止する防衛対策のうえからも、強力な統一国家の出現がもとめられました。富国強兵策を実施したために、生産は発展し、兵力は増強しました。戦国後期、秦の国土面積は全国の三分の一弱でしたが、その富は全国の十分の六に達したといわれ、騎馬戦術を得意とする軍団は無敵の強さをほこりました(松丸・永田前掲書)。

 

以上の四つは、主要な要因であって、この四つに限定されるといいはることはできません。また、たとえば、Bについて、経済の発展とまとめるか、鉄器の発明とするかは、意見のわかれるところです。

 

しかし、鶏が先か、卵が先かをあらそうことは、それほど生産的ではなく、秦帝国出現の要因はけっして一元的ではなく、多元的、複合的であったことを確認することが重要です。

 

さらに大切なことがあります。以上の四つは秦帝国出現の要因であって、そののち、漢、晋、隋、唐、五代、宋、金、元、明、清とつづいた歴代王朝のすべてに適応できる成立要因と断定することはできません。鉄器の発明は、秦成立の重要な要因ではありましたが、漢成立の要因とはいえません。

 

黄河流域の王朝成立過程を検討するためには、学問の手続きとして、秦のばあいと同様に、歴代王朝の成立要因を検討し、共通する原因を抽出するという作業が必要になります。

 

その作業の詳細を展開することは、しかし、日本の王権の成立におよぼした中国古代思想の影響という、私のさしあたっての研究テーマからずれることになりますので、ここでは必要最小限の言及にとどめます。

 

私の研究にとっては、秦につづいて、紀元前三世紀に成立し、紀元後三世紀に滅亡した漢帝国までを対象として、両国の共通性をぬきだせば、さしあたっては十分であるといえます。

 

両帝国誕生の共通要因はつぎの3点にまとめられます。

 A 匈奴を中心とした周辺遊牧民との抗争、軋轢

 B 商業を中心とした経済の発展

 C 農民勢力の台頭

 

Aは秦の4に対応します。匈奴が、モンゴル高原一帯の遊牧社会を統一して大帝国に成長したのは、秦末漢初といわれています。秦がこの匈奴の侵入にそなえて富国強兵政策をとったと同様に、漢もまた、強力な騎馬軍団で侵入をこころみる匈奴との対応に腐心し、軍備の充実につとめ、結果として国勢をのばしています。

 

Bは秦のBに対応します。漢の経済政策は商業一辺倒ではなく、税制の改革、塩鉄専売制度の実施、貨幣制度の制定など、多方面にわたっています。それらの総合的な経済政策が効果をあげて、武帝の時代には、「都鄙の倉庫は一杯になって財貨があふれている。都の銭の量は巨万をかさね、ぜにさしはくさってかぞえることができない。国庫の穀物は古米がふえて外にまで流れだし山積みになって腐敗している」と『史記』が叙述するようなゆたかな財政状態を現出させています。歴代の皇帝は、財政の好景気時代に、その資力を駆使して外征を実行し、領土の拡大と国威の昂揚につとめました。

 

Cは秦の@と共通です。巨大帝国秦を倒したのは、農民蜂起でした。決起軍の指導者の一人陳勝は、一時は、河南省の陳に農民王国を建設して王位につくほどの勢いをしめしています。最終的に秦をほろぼして漢を建設した劉邦もまた農民の出身でした。秦代以来の潅漑工事による農地の拡大と農業技術の改革が、農民に力をたくわえさせ、その爆発が秦をほろぼし、漢を誕生させたともいえます。

 

ウイットフォーゲルの水利社会論が批判の矢面にさらされていることについては、前回の通信でふれました。しかし、彼の論が批判されなければならないのは、その一元的主張であって、潅漑水利が巨大王国出現の重要な原因の一つであったことは、秦や漢巨大化の歴史の検討を通しても、みとめられなければなりません。

 

くりかえしになりますが、私の検討すべき課題は、日本の天皇家の永続です。そのために、大陸において巨大王権が交替をくりかえした黄河流域と、そうした現象のみとめられない長江流域を対比的にまずとらえてみようとしています。

 

中国で王朝交替を正当化する理論として生みだされたのが天の思想であり、日本では天皇の永続をささえる理論として太陽の思想が形成されました。これまでの通信でのべてきたところです。

 

天の思想とは、天の命令をうけて王となり、徳をうしなって天の怒りをうけて王の位置を追われるという思想です。一地方政権にすぎなかった周が殷(商)をたおして王権をうばった行為を正当化するためのイデオロギーであり、『書経』『詩経』など、儒教の書物のなかで理論が整備されていきました。『書経』の「多士」という章では、殷をほろぼした周公が、殷の遺臣たちにつげたことばをつぎのようにつたえています。

 

「汝ら殷の王室につかえていた者たちよ。天が亡国の運命を殷にくだした。そこでわが周は王国を開くべき天命を受けて、天の明らかな威光を奉じて、殷に大罰をくわえ、殷にあたえられた天命が終わったことを上帝に告げたのだ。」

 

この天の思想に対立する、日本の天皇家永続の理論的根拠が太陽の思想です。太陽の子孫だけが天皇の地位につくことができ、太陽の永続が天皇家の永続をささえるという考えで、八世紀の天武・持統の両朝のころから理論化され、『古事記』や『日本書紀』に神話体系としてとりこまれてゆきます。

 

『古事記』を例にとれば、そうした思想は全体にゆきわたっていますが、ことに、「三貴子の分治」、「スサノオの追放と五穀の起源」、「草薙剣」、「オオクニヌシの国譲り」、「ニニギの出生と降臨の神勅」、「天孫降臨」、「ホデリノミコトの服従」などの、骨格をなす神話に、天上の太陽神アマテラスの子孫の永続性と絶対性が周到にかたられています。

 

この天の思想と太陽の思想の生まれてくる母胎は、黄河流域の天への信仰と、長江流域の太陽への信仰にあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa12.htm


諏訪春雄通信 13

   前回につづいて、東アジアの王権についてかんがえます。

 

 中国古代の先秦時代、詩ということばは黄河流域でおこなわれた歌謡の歌詞を意味していました。この北方の歌謡はのちに『詩経』とよばれる歌謡集にまとめられました。『詩経』におさめられた詩篇は、周代の民俗と信仰について、かなり豊富な情報をつたえてくれます。北方の民の天への信仰をしめす一篇をつぎに引用します。

 

  ああ諸侯の楽師よ、あなた方は宗廟にいるのだから謹め。
  王はあなた方の豊作のため身を謹み正している。(この事実を)十分よく受け止めよ。
  ああ保介よ、この晩春に、
  (農事以外)また何を求めるのか、新田の様子はどうなのか。
  ああ豊作の麦をみのらせ、多くの実を収穫させたまえ。
  光り輝く上帝よ、豊作をあたえたまえ。
  さて農民たちにいそぎ耕具をととのえさせよ。
  速やかにたくさん刈りいれん。(周頌)

 

 王が臣下とともに神廟で、豊穣を天の神の上帝に祈念し、みずから苗をうえる儀礼をうたった詩です。これを籍田(せきでん)といいました。この祭りに参加した諸侯の楽師につつしんで奉仕することをもとめているのが、一行めと二・三行めです。四行めの保介は農事をたすける者です。

 

 上帝は天命を下して王朝の交替をおこなうだけではなく、豊作を実現させる豊穣の神でもあったことが、この詩であきらかです。

 

 天によって任命された皇帝=天子は、つねに天の祭りをおこない、その意思にしたがって、政治をおこないました。天の神の祭りは天子だけの特権でした。『礼記』によって郊祀(こうし)とよばれた天の祭りの内容をうかがってみます。


 天子は五年に一度諸国を巡視する。その年の二月に、まず東方の巡視をして泰山に至り、柴を焼いて天を祭り、山川にたいして望という祭りをもよおし、その地方の諸侯をあつめて会見し、かつ諸侯の国々に百歳以上の人があるか否かを問い、あれば天子みずから訪問する。そして大師(楽人の長)に命じその地方の詩歌をあつめて並べさせ、その地方の風俗を知る。(王制)


 天子が四方へ行ったときは、まずそれぞれの方角の山嶽に至り、柴を焼いて天を祭る。(郊特牲)

 柴を焼いて煙をたちのぼらせ、その煙をとどけて天をまつることを「燔柴(はんし)」といいました。柴のうえに玉と絹、犠牲などをならべ、これを燃やした祭りでした。

 

 天子による天の祭りは、地方巡行のさいだけではなく、年中行事としても定着し、後続の王朝にもうけつがれていきました。都城の四周に祭壇を常設し、その中心には天をまつる圜丘壇をもうけ、天子みずから祭祀を執行しました。その遺跡である北京の天壇をご覧になった方は多いとおもいます。すでに前漢時代にはおこなわれておりました。その祭祀でも、柴のうえに玉、絹、供物をならべ、焼いて煙を天にとどける儀礼が中心になっていました。

 

 『詩経』が華北の地の民謡や詩であるのにたいし、長江流域の楚の国でうたわれた歌謡の歌詞が『楚辞』です。『楚辞』を分析して、紀元前三、四世紀ごろの中国江南地方の信仰をうかがってみます。


蘭の湯を浴び、香水に髪を洗い、色彩うるわしい衣は花のようである。このように清潔に美しくよそおって神に仕えまつれば、神霊はゆらゆらと降りとどまり、神光はかがやかしく照らして極まりつきることがない。雲の神は、ああ、祭殿に安らごうとして、日月と光をひとしく輝き給う。竜に車をひかせ、天帝の服をつけて、神はしばらく天駆けりさまよい給う。神はかがやいて、すでにここに降り給うたけれども、たちまち遠く雲中にあがってゆかれた(雲中君)

 着飾った巫女が天の神をまつる情景をうたっています。天の神は巫女の招きで地上におりてきます。

 この詩で注意されることは、冒頭部分の神の降臨する場所が、巫女の身体そのものとうけとれることです。この個所は、原詩では、「蘭湯に浴し芳に浴す。華采の衣は英(はな)のごとし。霊連蜷(けん)として既に留まり、爛として昭昭として未だ尽きず」とあります。前の行で巫女をうたい、つづけて神霊がとどまるという表現から、神はその巫女の身体に降り給うたと判断されます。

 この詩は、江南の地のシャーマニズムが、脱魂型(エクスタシー型)、憑霊型(ポゼッション型)の二つのタイプのうち、神が巫女の身体に降りる憑霊型であったことをしめしています。

 太陽をうたった詩があります。つぎにそれを検討してみます。


 赤々と朝日は東方に出ようとして、扶桑のもとにあるわが宮殿の欄干を照らす。私の馬をおさえて静かに駆けると、夜は白白とはや明けてきた。竜に車をひかせ、雷雲に乗り、雲の旗を立てて、ゆらゆらとたなびいている。私は長いため息をついて、いよいよ天に上ろうとするのであるが、心は去りがたくて顧みおもう。ああ、歌声や色うつくしい巫女の私をなぐさめることよ。観る者は皆心やすらかに帰るをわすれる。張りつめた琴と打ちかわす鼓の音、玉でかざった台にかけた鐘を撃つ。鳴り響く横笛と吹き鳴らす笙の調べ。神巫女(かんみこ)の徳すぐれてみめうるわしいのを思うのある。
 巫女たちは飛びめぐり、カワセミのように挙がり、詩を陳(の)べ、集まり舞う。音律に応じて調子を合わせているうちに、もろもろの神の御魂が日を蔽うようにして天下る。私は青雲の上衣に白虹の袴をつけ、長い矢をとりあげて、天狼星を射る。そして自分の弓を持って立ちかえりくだって、北斗の星の柄杓をとり、肉桂のかおる薄い酒をのむ。やがてわが手綱を持って高く馳せかけって、はるかな暗黒の中を私は東へと行くのである。(東君)

 
 東君は太陽です。巫女が太陽神である東君に扮して神威を自賛しています。昇ってゆく朝日である東君が、自分をまつる地上の祭儀に心ひかれて去りがたくおもう。あまりの祭儀の盛観に、日神はついに高い空から降りてきます。太陽神は天狼神を射て、天空を征服し、赫赫と神威をかがやかし、北斗を取って、そなえられた飲み物をのんで、祭りを享受します。そして暗黒の空のなかを東へ去ってゆきます。

冒頭の朝日の光が東君の欄干を照らすという、日神と太陽が分離した表現は、日神に扮した巫女が日の出をうたったもので、客観としての太陽と主観としての日神東君が分離した形式になっています。

 このように、巫女が太陽に扮してその威力を自賛するという詩の表現が成立するのも、神霊が巫の身体に憑依する憑霊型のシャーマニズムが長江流域にひろがっていたからです。

 黄河流域では天にたいする信仰がさかんであり、長江流域では太陽の信仰がさかんでした。このことは、『詩経』と『楚辞』の詩篇からもあきらかですが、より明確なかたちでこの事実を指摘されたのは、中国史の専門である京都府立大學教授の渡辺信一郎氏です。

 今年、二〇〇一年七月二十八日(土)、二十九日(日)の両日、アジア文化研究プロジェクト主催の講演会・シンポジウム「東アジアの王権と祭り」が、学習院百周年記念会館で開催されました。両日をとおして三百五十人余りの方々が参加してくださいました。熱心な聴衆の皆さんに感謝します。

 その初日、「古代中国の王権と祭りー南郊祭天儀礼を中心にー」という題で、中国古代の天子による天の祭りについて、各種の文献を渉猟されて詳細な報告をされた渡辺氏は、結論として、講演内容をつぎのようにまとめられました。覚えておられる方も多いでしょう。

 「匈奴・韓・夫余・高句麗・わい(「さんずい」に「歳」)・烏丸など、中国北方・東北地方ならびに朝鮮半島に活動したモンゴル・トルコ・ツングース系諸族、すなわち遊牧地帯ならびに稲・雑穀栽培地帯には祭天の儀礼が広汎に存在する。しかし、中国南方、長江以南の諸族をはじめ、稲単作文化地帯に属するいわゆる南蛮、西南蛮には祭天の諸儀礼にかかわる記述はない。」

 ここでいう天とは天空または夜空にまたたく星辰をさしています。対する太陽は、昼間は天に位置していますが、夜は地平線にかくれています。太陽は地上の存在と信じられていたのです。

このような太陽にたいする中国人の考え方は、先に紹介した『楚辞』の「東君」にみることができます。そこでは太陽は、夜は扶桑の木のもとにある宮殿にやすんでおり、夜があけると竜車に乗って空にのぼるとうたわれています。同種の観念は、前漢時代初期に成立した『山海経』にもみることができます。

なぜ、黄河流域では天の信仰がおこなわれ、長江流域では太陽の信仰がさかんであったのか。次回はこの問題についてかんがえます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa13.htm

諏訪春雄通信 14

前回にひきつづいて東アジアの王権についてかんがえます。今回のテーマはつぎのとおりです。

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」

 この問題を解明するのに参照すべき現象が三つあります。
 その一つは一神教と多神教の分布です。世界の宗教を一神教と多神教にわけることがあります。一神教は、一柱の神をたてて崇拝する宗教です。一神教の神は一般的には抽象的な男性原理を有し、全知全能にして万物の創造主とかんがえられています。ユダヤ教のヤーウェの神、キリスト教の父なる神、イスラム教のアッラーの神などがそれにあたります。

 これにたいし、複数の神々を同時に崇拝する宗教を多神教とよびます。古代ギリシアの宗教、インドのヒンズー教、日本の神道、仏教、道教などがそれにあたります。

 この両宗教が生まれ、分布する地域に区別があります。一神教は砂漠地帯に生まれ、多神教は農耕地帯に多くみられます。多神教が神と人間との交流を教義に説くのにたいし、一神教は神と人間との隔絶を強調します。これは一神教が、砂漠に誕生したことと関係があるとされています。荒涼たる自然環境の砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願の対象にえらばれる傾向がありました。たいする多神教は豊穣の大地にいます神々が信仰の対象になりました。一神教と多神教は天の神と地上の神の対比でもあるのです。

 二つめは、シャーマニズムにおける脱魂型(エクスタシー型)と憑霊型(ポゼッション型)の分布です。通信13であきらかにしたように、長江流域では、神が巫女の身体にやどる憑霊型がさかんでした。太陽神も巫女の身体に憑依しました。他方、黄河流域の王の祭天儀礼では柴とその上の供物を燃やして、煙を天にとどけました。神は天にあって、人間の側から神に接近していました。そこでは脱魂型がおこなわれていたとみることができます。

 現在も長江南部では憑霊型がさかんであり、黄河の北方では脱魂型のシャーマンが活躍しています。私はかなり長期にわたって、江蘇、浙江、湖南、貴州、広西チワン族自治区、黒竜、吉林、内蒙古自治区などのシャーマンを調査してまわってこの事実を確認しています。天の信仰と太陽の信仰は、また、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型の問題でもありました。

 シャーマニズムでなぜこの両タイプが存在するのか、という問いについてはまだ完全な解答は提出されていません。

 シャーマニズムの研究で大きな業績をあげたM・エリアーデは脱魂型を本質とみて、憑霊型を第二次的な変化とかんがえました。その結論的な部分だけを代表作『シャーマニズム』(堀一郎訳・冬樹社・1985年)から引用します。


 アジア的シャーマニズムは、一つの古代的エクスタシー技術と考えねばならない。この原初的根本理論―天界上昇によって直接の関係を持ち得る可能性のある天界至上神の信仰―は、たえず仏教などの侵入を最頂点とする長い一連の異国からの著彩によって変形せしめられてきた。神秘的死の概念は、漸次祖霊と「精霊」との正常な関係、「憑移」にいたる関係を促進した。

 エリアーデの考えがよくうかがわれます。アジアのシャーマニズムはシャーマンが天界への上昇によって至上神と接触するエクスタシー型こそが真の姿であり、仏教などの侵入による異国からの影響と祖先崇拝によって変化が生まれ、憑移(憑霊、ポゼッション)型を増加させたが、しかし、エクスタシー型をなくするまでにはいたらなかった。このように彼は主張します。

 このエリアーデにたいし、民族学者のW・シュミットはポゼッション型を基本とかんがえ(大林太良「シャマニズム研究の問題点」『北方の民族と文化』山川出版社・1991年)、I・M・エリスは二つのタイプは共存するとみています(平沼孝之訳『エクスタシーの人類学―憑移とシャーマニズム』法政大学出版局、1985年)。

 脱魂型は狩猟文化と関わりをもち、憑霊型は農耕社会に顕著です。この事実は多くの研究者がみとめるところです。日本にかぎっても、本土では脱魂型がほとんど存在しないのに、ながいあいだ狩猟採集社会であった沖縄では他界を旅したり空中を飛翔したりする脱魂型の体験をユタなどから聞くことはまれではありません。

 地球的の規模でシャーマニズムの研究をおこなったアメリカの人類学者エリカ・ブールギェヨンとエヴァンスキーは「全世界からの民族誌的事例の通文化的統計研究において、社会の複雑度が低く、ことに採集狩猟経済にもとづく社会などでは、脱魂型シャーマニズムがふつうで、社会が複雑になり、農耕をいとなむようになると、憑霊型シャーマニズムがさかんになる傾向がある」という結論をみちびきだしています(大林氏前掲書)。

 このようにみてきますと、天の信仰と太陽の信仰を解明する重要な鍵がシャーマニズムの脱魂型と憑霊型にあることがたしかになります。

 華北の天の信仰、華南の太陽の信仰とかかわる現象の三つめは仮面の分布です。
 世界の民族に仮面をもつ民族ともたない民族があります。
 日本の仮面使用の祭りや芸能の分布状況を、『日本民俗芸能事典』(第一法規・1976年)によってみますと、南北につらぬく日本列島で、北から南へゆくほどその分布密度は濃くなり、南島とよばれる九州や沖縄の島々が濃密に仮面芸能をつたえるのにたいし、北の北海道にはこの地で生まれた仮面の儀礼や芸能が存在しません。

 北海道は北緯40度以北に位置します。おなじように朝鮮半島の仮面の祭りや芸能の分布状況を、金両基氏の『韓国仮面劇の世界』(新人物往来社・1987年)収載の表によって検討してみますと、北緯39度線より北に仮面芸能は存在しません。日本と朝鮮半島はともに北緯40線あたりに仮面芸能の北限があったことがわかります。おなじような調査を中国でおこなってみますと、やはり北緯40度の北京あたりに仮面祭式の北限があることがあきらかになります。

 しかし、地球規模に調査の範囲をひろげますと、北緯40度という緯度に特別の意味があるわけではありません。アフリカ大陸の仮面の分布は赤道を中心に南緯15度と北緯15度のあいだにみられ、北アメリカでは北緯65度のアラスカ湾あたりまで仮面をみることができます(吉田憲司編『仮面は生きている』岩波書店・1994年)。緯度に特別の意味はありませんが、世界の民族または人々に仮面をもつ人々ともたない人々のあることは確実です。

 一神教と多神教、シャーマニズムの脱魂型と憑霊型、仮面の有無、の三つの現象と天の信仰・太陽の信仰はふかい関わりがあると私はかんがえます。三つの現象が解明できれば、黄河流域に天の信仰が誕生し、長江流域に太陽の信仰が誕生した理由もあきらかになると信じています。 

 四つの現象をつらぬく共通のキーワードは農耕です。多神教、憑霊型、仮面、そして太陽信仰の四者を誕生育成した社会は農耕社会でした。他の四者を生みだした社会は狩猟または牧畜社会か、農耕社会への転進のおくれた社会でした。こうした私の断定には異論をもつ向きもあるかもしれません。現存の考古学の発掘資料によるかぎり、黄河流域に農耕がはじまった時期は、長江流域に農耕のはじまった時期にそれほど遅れているとはみえないと…。

 黄河流域では紀元前6000年ころまで農耕開始時期をさかのぼることができます。河北省武安県磁山遺跡からは炭化した粟や耕作用の石製鋤、収穫用の石鎌などの農具が出土しています。

 ちょうどそのころ、長江下流域の浙江省余姚市河姆渡遺跡からは野性稲や栽培稲、耕作用の骨製鋤、炊飯用の土器などが大量に出土しています。猪を家畜化した豚の飼育もはじまっていました。それから2000年ほど経過した紀元前4000年ごろの江蘇省蘇州市の草鞋山遺跡では、人工的な水路や水田があらわれています。

 この比較だけでは、両地域はほぼおなじころに農耕社会にはいっていて差はありません。しかし、長江中流域の湖南省にはさらに1000年以上さかのぼった彭頭山遺跡群が存在し、籾や土器、石製農具、集落跡など、水稲耕作のほぼ確実な証拠が発見されています。長江流域の農耕は黄河流域の農耕を1000年以上さかのぼります。さらに湖南省の玉蟾岩遺跡からは12000年前の炭化米を出土しており、これを栽培稲とみる説が有力です。これがみとめられれば、長江中流域に稲作の起源はじつに黄河流域を6000年さかのぼることになります。

 さらに重要な事実があります。長江流域の農耕が稲作であったのにたいし、黄河流域の農耕は雑穀栽培であったということです。毎年おなじ場所に栽培すると連作障害のおこる雑穀では、粟、黍、豆類などを順番に土地を替えて植えなければなりません。その結果、黄河流域では、農耕だけでは十分な食糧を得ることができなかったために、狩猟採集経済がながく並存しました。

 ここで問題はしぼられます。なぜ農耕社会は太陽の信仰を生み、狩猟社会は天の信仰を生むのか。私はそこにいくつかの段階と理由を想定します。

 

1.農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

2.農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

3.狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

4.農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

5.仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。


 

 今回はこの辺で通信を閉じます。次回は長江流域の少数民族社会に太陽信仰以外の信仰を追いかけてみます。
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諏訪春雄通信 15

前回予告しましたように、長江流域の少数民族社会にひろまっている太陽神信仰以外の信仰をみてゆきます。今回のテーマは「稲魂信仰」です。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには、学習院大学内外の多くの研究者が「プロジェクト参加者」としてくわわっておられます。これまでなんらかの形で私たちの活動に関わりをもたれた方々です。その参加者の一人に曽紅さんという中国の女性がおられます。この方は、現在は学習院大学の中国語講師をつとめていますが、本来は中国雲南省のハニ族の稲作について調査研究をかさね、すでに多くの論文も発表している比較民俗学者です。私の中国調査にもよく同行され、各地の民俗をいっしょに見てまわった方です。

 曽紅さんの研究の核心は雲南省ハニ族の稲作儀礼と日本の稲作儀礼との比較研究です。彼女はそこに多くの共通性を発見しましたが、しかし、なぜ遠く離れた雲南のハニ族と日本とのあいだに稲作にかかわる共通の信仰や儀礼が存在するのかという問いについては判断を保留しています。というよりも、明確なことはわからないというのが曽紅さんの本音のようです。

 彼女の研究の一端を紹介します。
 ハニ族の年中行事のうち、稲作に関係する行事にはつぎのようなものがあります。

1月 五穀祭(穀物神に豊作を祈願する)
2月 ガマツ祭(稲魂の降臨をむかえる) 
3月 苗床祭(稲の苗を祭る) 稲娘の聖婚式(稲魂を水田におろす儀礼) 穀物神と田の神を祭るハォへへ
6月 夏の松明祭(松明の火に照らして稲の多産を祈願する) 水口祭(水田の水口に供物をささげる)
7月 虫送り(稲の害虫駆除の祭り) 稲花酒を飲む(初穂を神棚にそなえ稲籾をいれた酒を飲む)
8月 新米節(ホスザ 稲刈に先立ちあたらしい稲魂と家の神棚にまつってある昨年の稲魂との新旧交代をおこなう)
9月 田の神への感謝祭(主婦は水田の真中で田の神に供物をささげ感謝の歌をうたい稲刈をする) 倉入れ(新旧稲魂の交替の儀礼)
10月 松の飾りと団子飾り(松の枝と稲の籾や若草を入れた竹筒、栗の枝を玄関にかざる。団子飾りは餅花) 年取り(団子をたべる)
    曽紅「ハニ族の年中行事」(諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)

 ハニ族の古い暦法は一年を十ヶ月とします。この年中行事はその暦法によっています。このかんたんな叙述からも、(1)農家の一年の行事が稲作の作業過程とむすびついて進行する、(2)稲の祭りの中心に稲魂信仰がある、(3)稲魂は家の神棚と倉に祭られる、(4)稲魂は新旧交代する、(5)稲は人々の生命力の根源である、など、日本の稲作の祭りと共通の信仰が存在することがあきらかになります。

 家庭の主婦となった曽紅さんは、最近、中国調査を一時休止しています。曽紅さんのあとをうけて、雲南省の少数民族の稲作儀礼調査に目覚しい成果をあげているのが、麗澤大学教授の欠端実氏です。欠端氏とは国際日本文化研究センターのプロジェクトでご一緒し、しばしばお話を聞く機会がありました。
 氏の説の核心部分を引用してみます。

 現在の雲南省においても、穀物が発芽し成長し開花し結実するのは、穀霊の働きによると考え、そのための儀礼を執り行なっている小数民族は多い。アチャン族の穀霊祭は典型的なものとされる。アチャンは、稲には稲魂があって、稲魂を離れると稲は育たず、実も入らないと信じている。したがって、ぜひとも稲魂を祀らなければならないと考えている……ハニにおいても稲魂信仰は強く残され、日本の稲作儀礼と同じ儀礼が今日に至っても守られている。
 「雲南少数民族における新嘗祭」(『新嘗の研究4−稲作文化と祭祀―』第一書房・1999年)

 ハニは現在でも新穀を供える新嘗祭(フォシージャー)を行なっている。期日は一定していないが、おおむね七、八月の龍の日に行なわれる。稲魂(新穀の女神)はとても恥ずかしがりやなので、新穀を刈り取るときにはめでたい詞を唱えて、穀物を収穫する目的と新穀の女神をお迎えする誠意を表明しなければならない。穂がびっしりとつまっていて虫に食われていないものを選ぶ。刈り取った穀物は三本一くくりとし、三束に分けて先祖の位牌の所に掛け、一年中そのままにしておく。ただしお年寄りが亡くなったときにだけ持ち出して焼く。
 新米節のときにはまず先祖に供える。主な供え物としてはご飯である。(同上論文)

 氏はまたハニ族の新嘗祭の特徴をつぎのようにまとめています。

1.家の祭である。
 新嘗の時には家族全員で新穀を食べる。その際、客を招かず、家族以外の人には食べさせない例が多い。また新穀を収めた穀倉は他人 に見せようとはしない。

2.女性が主宰する祭である。
 調査した60余の村の内、11の村が「新嘗」は女性家長が主宰すると答えた。男性が主宰すると答えた村は2例であった。

3.新嘗儀礼の中心にあるのは穀霊(稲魂)信仰である。
 田畑にいる穀霊を家の中に迎え入れ祖先棚あるいは穀物蔵で休息してもらう。新穀を祖霊、穀霊および天神に供え共食する。新穀を食することは穀霊を食べることに他ならないという観念が今日も残されている。

4.穀霊信仰と祖霊信仰とが結合している。
 田畑から迎え入れられた穀霊は祖先棚に安置される。この祖先棚の移動や新設は新嘗の日に行わなければならない。

5.穀霊を保護しているのは聖樹である。穀霊信仰と聖樹崇拝とは結合している。
 ハニ族最大の祭は、田植前に行なわれる聖樹祭(アマトゥ)である。稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられている。聖樹は村建ての時、村のセンターとして選ばれるものであるが、西双版納(シーサバンナ)では各家で聖樹をもつ村があった。

欠端実「ハニ族の新嘗―アジア稲作の古層―」(アジア民族文化学会秋季大会発表要旨・平成13年11月11日・共立女子短期大学)


 ここでのべられている雲南省のハニ族の新嘗祭はそのままに日本の新嘗祭です。しかものちに変質してしまった日本の新嘗祭の古代の原型を推定する手がかかりさえのこされています。なぜそのような酷似性がみとめられるのでしょうか。これまでの本通信の注意ぶかい受信者ならば、その理由を容易にかんがえつくことができるはずです。

 欠端氏もまた曽紅さんと同様に、日本との類似性は指摘するがその理由についてはふれられません。雲南省は長江中流域にひろがる湖南省、湖北省などよりもさらに西南に位置し、日本からは遠くはなれた山岳地帯です。ここの稲作が、間にはさまる巨大な空間を超えて注目されるようになったのは、いまから三十年以上もむかしに、照葉樹林文化論(上山春平ら編『照葉樹林文化論』中央公論社・1969年初版)が流行したころからです。雲南省のハニ族の稲作が中国の他の土地に先んじて調査対象になったのは、じつはこの照葉樹林文化論の影響でもあったのです。

 1980年代、アジアの稲作の起源地としては、インドのアッサム州から中国の雲南省・貴州省にかけての高原地帯が有力でした。いわゆるアッサム・雲貴起源説です。この説をささえる重要な根拠は、この高原地帯で日本の農学者渡部忠世博士によって野性の稲が発見され、さらに、3、4000年まえにさかのぼる栽培稲が見出されたことでした。渡部博士の説は、1977年に『稲の道』(日本放送出版協会)として発表され大きな影響を学界にあたえました。

 このアッサム・雲貴稲作起源論のうえに華麗な照葉樹林文化論が強化され、日本の学界をにぎわしたことはご記憶の方も多いとおもいます。照葉樹林文化というのは、西ネパール付近からヒマラヤの南山麓を通り、中国南西部を経て西日本にいたる帯状の地帯にひろがっていた照葉樹林地帯(照葉樹林は、クスノキ、シイ、ツバキなどの、葉は革質で光沢のある常緑広葉樹の林で、日本では九州、四国、関東までの沿岸部に分布します)に生まれそだった文化で、焼畑農耕にもとづく雑穀栽培、ナットウやなれずしなどの醗酵保存食の利用、高床式住居の住居形式などなどの文化複合を形成しています。稲作もまたこのルートをたどって日本に到達したと主張されました。

 しかし、湖南省が稲作の源産地として確定した今日、照葉樹林文化論の骨格はくずれました。ほぼ4000年前の雲南省の稲作は、それよりもさらに4000年以上さかのぼる長江中流域から伝来したものと推定されます。したがって雲南の地にひろまった稲作の祭りや信仰もじつは長江中流域が起源地であったということになります。

 日本の稲魂信仰と雲南省ハニ族の稲魂信仰の共通性は、長江中流域の稲作民の稲魂信仰が東西に伝播したためであるといいきることができます。そして、私たちはすでに、湖南、湖北、貴州などの少数民族社会にその原型となる稲魂信仰を見出しています。

 次回は中国長江中流域の少数民族社会の稲魂信仰についてのべます。
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諏訪春雄通信 18 2002年 12月

 通信15で雲南省のハニ族の稲魂信仰についてのべました。最終のねらいは、中国の長江中流域ではじまった稲作が、日本へ伝来したときに、稲作の技術とともに、稲にかかわる各種の信仰を同時に日本へもたらし、日本の天皇制の基盤となった信仰・精神を形成したという事実の証明です。

 中国の少数民族ミャオ(苗)族の居住地は、湖北、湖南、四川、雲南、貴州、広西チワン族自治区などの各省にひろがっていますが、738万人におよぶ全人口(1990年の調査)の50パーセントまでが貴州省にすんでいます(田畑久夫他編『中国少数民族事典』東京堂出版・2001年)。

 ミャオ族の現在の主要な生業は稲作を中心とした農業です。山間低盆地や河谷を主体とする山間部に形成された平坦地では、付近をながれる河川の水を利用する水田稲作が中心で、一部の水田では鯉などの養殖もおこなわれています。これにたいし、山腹の斜面をきりひらいて造成した棚田では天水を利用した稲作が、段々畑ではトウモロコシ、おかぼ陸稲などが栽培されています。

 この貴州省のミャオ族のあいだに顕著な稲魂信仰をみることができます(潘定智「丹寨苗族的穀神崇拝」『貴州古文化研究』中国民間文芸出版社・1989年・他)。藩氏は穀神ということばつかっていますが実体は稲魂です。

 彼らのあいだに地上の穀物の起源について3種の神話がつたえられています。
1.大洪水がおこりこの世から穀物がなくなった。姜告略という老人がいた。老人は白バトとスズメに命じて天上の銀河のあたりから穀物をぬすませた。人間はそのおかげで稲をうえることができた。


2.むかし、人間は山の洞窟にすんでいた。そのころ、ミャオ族と漢族がおなじ洞窟に居住していた。その洞窟に一人の老婆がいて穀物と酒の麹種をもっていた。穀物は大きすぎて煮てもたべることができなかった。そののち、老婆がいなくなった。利口な人間が斧で穀物をわったところ、その破片からトウモロコシ、麦、稲、高粱、粟などが生え、また土中にはいって芋や蕨が生じた。漢族は麹種を得て、辛い酒をつくり、ミャオ族は甘い酒をつくった。


3.もともと穀物はとおくはなれた神農氏の里にあった。老人が犬に命じて穀物をとりにゆかせた。犬は途中に流れのはやい大河があったので、尾の先に穀物の粒をつけてもどってきた。そのために、現在、穀物の穂は犬の尾とおなじ形をしている。

 以上の3話は東アジアに流布している稲作神話の三つのタイプを代表しています。1の鳥のモチーフは穂落し神の伝承として中国、朝鮮、日本に流布しており、3の犬のモチーフはとくに中国南部にひろくおこなわれています。また2の洞窟から穀物を入手するモチーフは、洞窟から米が流出する、いわゆる「流米洞伝説」の変型とみることができます。このタイプは中国や朝鮮にひろがっています(大林太良『稲作の神話』弘文堂・1973年)。

 この三つの稲作神話のうち、1は日本でも東北から沖縄にまでひろまっています。穀物をもたらす鳥は多くは鶴ですが、雀、鴻などの種類もみることができます。3の犬は弘法大師伝説とむすびついてかなり変型した話がひろく流布しています。2の流米洞伝説はいまのところ日本からは発見されていません。朝鮮半島にまでつたわっていながら、海峡をこえることができず、日本につたわらなかった神話、伝説、習俗などはかなりあります。流米洞伝説もその一つです。

 稲魂のことを、ミャオ族は穀魂、米鬼、穀神などとよんでいます。稲が田圃で生長する旧暦の2、3月から8、9月のころまで、稲魂は田にあって稲の生長を見まもります。この時期の稲作の祭は稲魂を中心にいとなまれます。
 起活路 翻鼓節 撤苗 開苗門 粽節 稲魂祭 苗家稲祭 吃新節 稲魂収倉行事など、農事の節目ごとの行事がそれにあたります。

 起活路は春節(旧正月)ののちの決められた日(旧暦2月の第一亥の日など)の農事始めの行事です。河のそばの田を鋤でほりおこし、カヤ・ススキや山椒を田にさします。これは邪鬼の類の侵入をふせぐための儀礼です。

 開苗門は田植開始の儀礼です。もち米のご飯と魚を苗代にささげ、稲魂の保護を祈願します。そのときにとなえる文句のなかで、稲魂に「姑娘(娘)」とよびかけます。稲魂を女神とみなしていることがわかります。稲魂祭は、虫の害などで稲の発育が不良のとき、その原因を稲魂が田のなかにいないせいとかんがえ、鴨、酒などを持参して田にやってきて、稲魂に田にもどるように祈願する祭りです。

 苗家稲祭は、若者や娘が稲魂になる儀礼です。七月半ばの夜半、若者と娘たちが村の岡にあつまってこの儀礼がおこなわれます。指導者で歌い手になる人(巫師)が田から青々とした稲の葉(稲魂の変身とみなされている)をとってきて、えらばれて稲魂になる若者の頭上にさします。そして若者に耳をふさがせておいて、腰の鈴をならしながら、稲魂に生育をうながす歌をうたう。そのあいだに若者はしだいにトランスにおちいって、あの世にはいってゆきます。そして、途中、亡霊にあったりしながら、もっとも美しい場所までいってひきかえしてきます。これで若者は稲魂と一体になって成長することができると信じられているのです。

 吃新節は稲が成熟してきたころ、各家で田から奇数本の穂をぬき十粒の新米を古米のもち米とまぜて祖先と稲魂に感謝しながらたべる行事です。

 稲魂収倉行事は秋の収穫がおわったのち、一升の米をえらび、一把の稲束を小さな天秤棒にかけたものをその米にさし、倉におさめる儀礼です。そのときに

 九月がきました。十月がきました。穀粒はすべて倉におさまりました。稲魂様もどうぞ倉におかえりください。

ととなえます。

 ミャオの人たちにとって、稲魂は田の神であるとともに彼らの一生を守護する神でもあります。母の胎内にやどったときから、最後の死をむかえるまで、稲魂にまもられることによって無事にすごすことができると信じています。

 女性は懐妊すると巫師をよんで稲束を部屋の入口にかかげて祈祷をしてもらいます。邪鬼の類の侵入をふせぐためです。子供が成長すると、一碗の米と一個の鶏卵をいつも床の上においておきます。稲魂の保護を期待するためです。子供の衣服や帽子には穀物や米をいれた布の袋がぶらさげられています。

 病気にかかると枕もとに一束の稲の束をおいて病魔の退散を祈願します。新築のさいには、まず使用する柱に稲束、鶏、魚、酒などをささげて祈祷し、家が完成すると、大きな梁の両端に稲束をかけておきます。不幸があって巫師がよばれると、稲束が重要な役割をはたします。巫師は占いによって稲魂からその家の不幸の原因を聞きとり、災難を消滅させます。

 ミャオの人たちの一生は稲魂の保護のもとにあり、死ぬと稲魂にみちびかれてあの世にゆくと信じられています。出棺のとき、巫師は通過する道に米をまきちらし、死者をほうむる墓穴にも米を敷きます。こようにして稲魂は死者の霊魂につきそいます。

 このような事例をならべると、稲魂が祖霊神と一つになっていることがあきらかです。梁に稲束をかけて、家の保護を期待するのも、死者が稲魂にみちびかれてあの世にゆくのも、稲魂即祖先神だからです。

 そして、稲魂はまた太陽神でもあるはずです。

 この断定については、すこし説明が必要です。通信15で紹介した雲南省のハニ族の稲魂信仰では穀霊信仰が祖霊信仰とむすびついていました。その事実は、欠端実氏の報告によってあきらかです。信仰の有無や結合の判断はむつかしく、調査者のモチーフの持ち方に大きく左右されます。調査する人の側に太陽信仰というモチーフがないと、調査結果からこの部分がそっくりぬけおちてしまいます。つまり、欠端氏は穀霊信仰と祖霊信仰という二つのモチーフはつよくもっていましたので、両者の結合をとらえることができましたが、太陽信仰というモチーフははじめからもっていなかったので、調査結果からぬけおちてしまったのです。

 じつは、私がこれまでの貴州省ミャオ族の稲魂信仰の記述に主として利用した藩定智氏の報告にも、太陽神信仰という視点ははじめからないので、稲魂信仰と太陽神信仰の結合という事実はまったくうかびあがってきません。しかし、私は貴州省のミャオの稲魂信仰は太陽信仰と結合していたと判断します。

 私たちのアジア文化研究プロジェクトには企画を立案し、活動の基本の方針を審議する10名の運営委員がおります。著名な民俗写真家の萩原秀三郎氏もその委員の一人です。萩原氏の最近の著書に『稲と鳥と太陽の道』(小学館・1996年)があります。天皇制に焦点をしぼっている私のこの通信文のテーマとはねらいがちがいますが、稲魂信仰、鳥霊信仰、太陽信仰の三つが中国から日本へわたってきたという認識は共通しています。

 氏は、この書の中で広西チワン族自治区のミャオ族の信仰習俗にふれ、正月に村の中心にたてられる芦笙柱の本質を鳥竿、宇宙樹、太陽樹としてとらえておられます。この柱の上には鳥の作り物がかざられます。その鳥がすべて東の方向をむいているのは太陽をむかえるためで、太陽は稲の豊穣に不可欠であり、そこから柱と鳥、太陽、稲魂がむすびつくとのべておられます。したがうべき説です。

 今年の八月、私たちが中国長江流域の湖南、湖北、貴州3省の少数民族社会を調査してまわったことは、すでにこの通信でも報告しております。そのさい、調査にはいったミャオ族部落で太陽信仰の証跡をいくつも発見しています。

 8月4日には貴州省のミャオ族のー秋節という秋をむかえる祭りを見学しました。その部落入口の門の中央には木製の太陽がかざられていました。娘さんの正装の飾りにも太陽を象徴するものがみられました。
 8月11日に湖南省ミャオ族の竜舟行事を見学したときにも、竜舟や竜王廟の飾りに太陽のモチーフを見出しています。

 長江流域の稲作民族であるトン族の人たちが、稲魂、太陽、女性祖先神の三者の結合した信仰をもっていることについては、この通信10でくわしく報告しました。

 こうした長江中流域の文化複合が稲作とともに日本へ伝来したことは確実です。これまでながいあいだ、中国大陸をさすらってきましたが、次回の通信からは、比較民俗の視点と方法で、日本の王権の誕生と本質についてかんがえます。
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諏訪春雄通信 19

 この通信では日本の天皇制をささえる基本の信仰と精神が、中国の長江流域の少数民族がつたえている信仰と精神をうけついでいることについてのべます。そのために、今回は、日本の古代神話を素材とすることになりますが、しかし、私の採用している方法は比較神話学ではなく、比較民俗学です。日中両国の神話の類似を立証するのではなく、日本の天皇制をささえる基本精神の解明が目的です。

 日本の古代神話をつたえている代表的な書物は『古事記』と『日本書紀』です。この二つの書物が記述されるとき、中国の書物、それも黄河流域の漢民族の著述が、多く参照されました。よく知られている事実です。『古事記』や『日本書紀』の神話を分析するときに、留意すべき点はこの書承による修飾的な叙述を排除して、直接に天皇制の支えとなった稲作民の思想を抽出することです。

そうした修飾を排除した、日本神話の基本構造はつぎのように整理されます。主として『古事記』によります。
1.別天つ神五柱、神世七代のあとをうけ、ただよっている国土生成の命を天神からうけて誕生したイザナギ・イザナミの男女二神は、の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてオノゴロ島をつくった。その島に降り、聖なる御柱のまわりをまわって結婚する。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。


2.天神の指示をうけて御柱めぐりと発言をやりなおした二神は、淡路島以下の大八島国、吉備児島以下の六島、石、海、風、木などの神々をつぎつぎに生む。


3.イザナミは日の神カグツチを生んだときに産道を焼かれて病にかかり没した。イザナギはいかってカグツチの首を斬った。その剣の血からは雷神ほか、カグツチの身体からはさまざまな山の神などが誕生した。


4.イザナミは黄泉の国へ去る。そのあとを追ったイザナギは、妻のことばにそむいて死体を見た。「見るなの禁忌」をおかしたイザナミはヨモッシコメらに追われるが桃の実などの呪力で逃走し、黄泉の国と現世との境のヨモツヒラサカを巨大な岩でふさいでしまった。


5.黄泉の国からのがれたイザナギは、筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをする。そのとき、左眼からアマテラスが、右眼からツクヨミが、鼻からスサノオが誕生した。三貴子が誕生したことをよろこんだイザナギは、アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海原の支配を命じた。スサノオは父の命令にしたがわず泣きつづけたので、イザナギは根の国に追放してしまった。


6.スサノオは根の国におもむくまえに高天原のアマテラスをたずねた。スサノオの振舞のあらあらしさをおそれた姉の疑いをはらすために、天の安河をなかにはさんで姉弟は誓約をおこなった。アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。


7.誓約のあと、勝者としてふるまったスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、神聖な機織屋に逆はぎした馬の皮をなげこむなどの乱暴をはたらいた。おそれたアマテラスは天石屋戸にこもった。そのために高天原も葦原中国も暗闇となってさまざまな災いがおこった。八百万の神々は天安河原にあつまって相談され、長鳴鳥をなかせ、天香具山のサカキに玉、鏡、白幣、青幣などをつけてフトダマがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出させておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスが不思議におもってのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。神々はスサノオの鬚と爪をきって追放した。


8.高天原を追放されたスサノオが食物をオホゲツヒメにもとめたところ、鼻・口・尻などから食物をだしたので、汚いといかったスサノオはオホゲツヒメを殺害した。殺害されたオホゲツヒメの身体から五穀や蚕が生じた。


9.天上界をおわれたスサノオは根の国へむかう途中、出雲の肥の河のほとりで、アシナヅチ、テナヅチの夫婦と娘クシナダヒメにあう。娘はヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇にくわれる運命にあったが、スサノオは八つの瓶につよい酒を用意させ、大蛇が酔って寝ているすきにきりころした。そのとき、大蛇の尾のなかから出現した剣をスサノオはアマテラスに献上した。スサノオはクシナダヒメと結婚して出雲の地にすんだ。この二神の子孫からオオクニヌシが誕生する。


10.オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられたいつわりの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。


11.白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオムナチ(オオクニヌシの別名)は兄弟のねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオムナチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。


12.出雲のヤチホコ(オオクニヌシの別名)は高志のヌナカワヒメに求婚に出かけ、歌をうたいかわして結婚した。それを知った正妻のスセリビメがはげしく嫉妬したために大和へ行こうとしたが、夫婦で愛の歌を唱和し、心とけてともに出雲の地に鎮座した。


13.オオクニヌシが出雲の美保の岬にいたとき、小舟にのって海をわたってきたスクナビコナと逢った。両神が力をあわせて国造りにはげんだのち、スクナビコナは常世国へわたっていった。国造りの未完成をなげくオオクニヌシのまえに海を照らして近づいてきた神が国づくりの協力を申しでた。この神は大和の御室の山にまつられた。


14.葦原中国平定のために高天原の神々の命令で派遣されたアメノオシホはオオクニヌシにへつらって三年たっても復命しなかった。そこでアメノワカヒコがあたらしく派遣されたが、オオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚して八年たってももどってこなかった。しかも事情をさぐるためにおくられた雉を射殺し、高木神(タカミムスヒの別名)の射返した矢にあたって死んだ。アメノワカヒコの葬儀がいとなまれ、川カリ、鷺、カワセミ、スズメ、雉が役割を分担して歌舞音曲をつとめた。弔いにおとずれたシタデルヒメの兄アジスキタカヒコネは死者とまちがえられたことをいかって、喪屋をけちらしてしまった。


15.アマテラスはタカミムスヒと相談して、つぎにタケミカヅチにアメノトリフネをそえて葦原中国に派遣した。タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りをせまると、子のコトシロヌシにこたえさせた。コトシロヌシは天神の御子に国譲りするとこたえた。しかし、もう一人の子のタケミナカタは承知しなかったので、タケミカヅチは力比べに勝って信濃の諏訪に追いはらった。オオクニヌシは出雲国に御殿をたててもらって住み、葦原中国を天神御子に献上した。


16.アマテラスとタカミムスヒ(高木神)はアメノオシホミミに天降りを命じた。オシホミミは自分とタカミムスヒとのあいだに誕生したホノニニギを代りに推薦した。ニニギが降臨する途中、天の八ちまたにサルタヒコが眼から光を発してあらわれた。アメノウズメにその正体を問わせると、「先導をつとめるため」とこたえた。ニニギにアメノコヤネ以下の五伴緒、オモヒカネなどの供と、三種の神器があたえられた。アマテラスは、ニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。したがって、鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。


17.ホノニニギは笠沙の岬で大山津見神の娘コノハナサクヤビメと出あった。父神は姉のイワナガヒメをあわせて献上したが、ニニギは醜い姉をかえし、コノハナサクヤビメと一夜の契りをかわした。父神は「コノハナサクヤビメをとどめた天孫のお命は木の花のようにはかないでしょう」と申しおくった。一夜で妊娠したコノハナサクヤビメをうたがったニニギにたいし、ヒメは火中出産によって天孫の子であることを証明した。そのときに生まれた子が、ホデリ、ホスセリ、ホオリの三神である。


18.ホデリとホオリは海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針と弓矢を交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。


19.臨月のちかづいたトヨタマビメは御子を生むために夫のもとにやってきた。しかし八ひろワニとなって出産している姿を夫に見られ、誕生した子ウガヤフキアエズをのこして海の宮へかえっていった。天皇家第一代の神武天皇はこのウガヤフキアエズの四男である。

 以上の19段が『古事記』のつたえる初代神武天皇誕生までの王権神話です。これらの神話の個々のモチーフについては、多くの神話学者による研究のつみかさねがあります。それらは、とうてい長江流域から伝来した稲作にともなう伝承としては解釈できない多様性をもっています。

 たとえば、7の著名なアマテラスの天石屋戸隠れについてはつぎのようなさまざまな説明がこれまでになされています。

A.アマテラスは大嘗祭の準備中に穢れにふれた。
B.日神であるアマテラスの日蝕神話である。
C.日神であるアマテラスの冬至神話である。
D.生命力の回復を祈願する鎮魂祭である。
E.大祓の儀礼の性格をもつ。

 7が以上のような多様のモチーフを複合していることはたしかですが、しかし、『古事記』の王権神話には全体をつらぬく主題があり、19段の神話素はその主題にしたがって、選択、配置、変容をくわえられていることも疑問のない事実です。私がはじめに、この通信で神話の比較研究をこころみているのではなく、王権の永続の秘密を比較民俗学の手法で解明しようとしているのだとのべたことにかかわります。個々のモチーフの由来を検討するのではなく、根本をつらぬく構造の解明とその由来が、私の研究目的になります。

 『古事記』神代の神話(多少形をかえてはいるが『日本書紀』にもいえます)はつぎのような基本テーマで編集されています。

1.日本の天皇は国土を生成し、時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である。1,2,3,5
2.日本の天皇の直接の祖先神アマテラスは太陽神、穀霊である。5,6,7,16
3.日本の天皇は天界から地上に下った。5,6,7,8,14,15,16
4.天皇以前に地上を支配していた勢力は出雲を拠点としたオオクニヌシ一族の神々である。9,10,11,12,13,14,15
5.地上勢力オオクニヌシの権力の根源もじつは天界にある。9,10,11,13
6.天皇は海の神の血統と呪力をとりこんで王権を強化した。18,19

 『古事記』神代の神話は以上の王権にかかわるテーマのほかに、国土生成(1,2)、地上と黄泉国の分離(4)、祭祀の起源(7)、穀物の起源(8)、地上の整備(13)、寿命の限界(16)などのテーマもかたっています。しかし、王権に限定すれば、以上の6つに整理されます。そして、この6つのうち、さらに日本の王権を確立させる最重要テーマが1から3までの3つです。この根本構造を決定する3つが、じつは中国南部の稲作にかかわる信仰に由来しているというのが私の基本の考えです。

 次回は新春にふさわしくこの天皇制の根本問題を中心にのべます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa19.htm


諏訪春雄通信 20 2002年 1月

2002年最初の通信を、「日本の王権神話と中国長江中流域」というテーマでお送りします。

 『古事記』を中心にまとめた日本の王権神話の最初はつぎのようになります。

 別天つ神五柱、神世七代の神々の最後に誕生したイザナギ・イザナミの男女神は、天の浮橋に立ってアメノヌボコで海水をかきならしてつくったオノゴロ島に天降り、聖なる柱のまわりをめぐって夫婦となる。はじめはヒルコや淡島を生んで失敗する。天神の指示によって御柱めぐりと発言をやりなおし、大八洲の島々と自然の神々を次々に生んだが、火の神を生んだときに火傷を負ってイザナミは死に黄泉国へゆく。妻を追って黄泉国へいったイザナギは妻のつれもどしに失敗する。筑紫の日向の阿波岐原でみそぎをしたイザナギは身体から、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子を得て、天・夜・海の三界を分治させる。スサノオは父の命令に不満をもつ。

 これと構成要素がほとんど一致する中国江蘇省の「三官伝承」とよばれる民間伝承を大林太良氏が紹介されています(「イザナギ・イザナミ神話と中国の伝説」『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』青土社・1996年)。三官とは天神水神地神の三神です。大林氏はつぎの六つの要素に分類し、イザナギ・イザナミ神話との一致を論証しています。
1.海に囲まれた島に夫婦
2.夫婦別離
3.生まれた子を流す
4.夫は水中に入り新しい妻をめとり三子を得る
5.三子は三つの宇宙領域の代表者となる
6.三子のうちの一人は、自分に割り当てられた領域に不満

 この三官伝承は『西遊記』第九回「陳光蕊、任に赴いて災いに会い江流の僧讐を復して本に報ず」を直接の種本にしています。この事実をもとに大林氏は、「三官伝説がいま紹介したような形になったのは、もちろん『西遊記』が広まってからの新しいことであるが、イザナギ・イザナミ神話と対応するような大筋は、すでに古くから呉越の地に神話として存在していたのではないか」という仮説を提示しています。

 2と3が入れ替わっただけの一致は不思議にさえ感じられます。大林氏が提案されるような母胎の神話は呉越の地に実在したのでしょうか。それはどのような形をとっていたのでしょうか。広大無辺とでもいうべき学識の持主であった大林氏はその具体例をあげることなく昨年2001年4月12日に他界されました。私どものプロジェクトも創立当初からお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 中国の長江中流域の稲作民トン族が明確な洪水伝説を核とした祖先神話をもっていることについては、この諏訪春雄通信の10で紹介しました。日本神話とのあいだは、A洪水から生存した兄妹の男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が誕生したがつぎに国土と人類などが誕生したこと、Cしかもそうした行為が最高神の指導でおこなわれたことなど、基本構造が完全に一致しています。

 世界の神話研究者には意外に知られていない事実ですが、洪水で兄妹が生きのこり、結婚して人類と国土を誕生させるという、いわゆる洪水神話は中国ですくなくとも58話がすでに発見、紹介されています(林河『儺史―中国儺文化概論―』台北東大図書公司・1994年)。

 著者の林河氏が私のふるくからの友人であり、昨年の夏に中国長江流域の少数民族調査を共同でおこなったことについては、この通信の9でのべました。氏は現代中国最高の民俗学者です。この神話の分布状況を、この神話を保持している民族の居住地域で整理するときわめて興味ぶかい結果が出てきます。居住地域の決定は『中国少数民族事典』(田畑久夫ほか編、東京堂出版・2001年)によりました。

雲南省 29  福建省 3  貴州省    12  広西チ自治区 3ワン族
四川省  3  湖南省 8  内蒙古自治区  2  遼寧省       2
湖北省  2  海南島 4  黄河辺     1

 この数値の総計は69となって、58話を超えます。たとえば、トン族は貴州省と湖南省にわかれて居住しています。そのさいにそれぞれを1として計算したために数値がふえたのです。

 洪水神話は、『旧約聖書』のノアの方舟で知られるように、古代オリエント、古代インド、南アメリカ、東南アジアなどにまで分布していて、その起源地についても諸説があって、一定しません。

 しかし、上掲の表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南などの長江周辺の稲作民居住地に稠密に分布していて、そこから南北にずれると、急速に減少しています。このことから、洪水神話の起源地は長江中流域である可能性がきわめて高いといえます。

 私は、さらに、林河氏の紹介例にあたらしく20余話をつけくわえることができます。収集資料の整理・検討がまだ不十分ですので発表は後日を期しますが、私の資料をくわえても、林河氏の資料の分析から得た結論はつよめられこそすれ、ゆれることはありません。

 典型的な洪水神話のいくつかを紹介しましょう。


 むかし、一人の病気がちの老女がいた。彼女は雷神の肉をたべて病をなおそうと、子供たちに雷神をとらえる方法をかんがえさせた。しかし、彼女の孫と孫娘はやさしい性格であったので、こっそり雷神に危険を知らせた。雷神は兄妹に感謝し、歯を一本ぬいて彼らにあたえ、空に雷がなりひびき、大雨がふり、大洪水がおこるようなときには、いそいでこの歯を土中にうめなさい、そうすれば二人の命はすくわれるであろうと告げた。雷神は天の門をひらいて洪水をおこし、人類をことごとくおぼれさせてしまった。兄と妹は天の門がひらかれたときに、すぐ歯をうめた。歯からは大きな瓢箪が生え、兄妹はその瓢箪を割いてなかにかくれ、洪水から身をまもることができた。旧い人類は死にたえ、兄と妹だけがのこった。兄は崑崙山のまわりをまわって妹を追いかけ、天に兄と妹が結婚してよいかどうか、うかがいをたてた。天の許しを得て、ちぎりをむすぼうとするとき、妹ははずかしがって扇で顔をかくし、結婚したあとに肉の卵を生んだ。兄がそれをくだいて人類の種をまいたという(林河著・平石淑子訳「東アジアの動物信仰」諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣・1998年)。

 この漢民族の神話はほかの少数民族神話の影響下に成立したものとかんがえられます。同型の神話が、トン、ミャオ、トウチャ、チワン、プイ、コーラオなどの各民族につたえられているからです。洪水、生存した兄妹、宇宙の中心をめぐったあとの結婚、失敗、世界の生成などの、重要な要素が出そろっていることに注意してください。

 漢民族の神話と同型のミャオ族の洪水神話をつぎに紹介します。


 おおむかし、天から雷鳴とともに雨がふりそそいだ。雷のしわざである。一人の勇敢な男が鉄の檻を用意して雨のなかにとびだし、雷をとらえた。男が市へ出かけたるす、雷はるす番の子供たち兄妹にたのんで水をそそいでもらった。そのとたん、雷は檻の外へとびだし、天に飛びさった。そのとき、雷は兄妹に礼として歯を一本わたし、土中にうめるようにいいのこした。二人の子供がいわれたとおりにすると、大きな瓢箪が生えた。雷のいかりで大洪水になり、地上の生物はすべて死にたえたが、瓢箪のなかにかくれた二人は生きのこることができた。あるとき、兄が妹に結婚しようと申し出たが、妹はことわった。兄がなおもたのむと、妹は自分を追いかけてつかまえたら結婚するといった。兄は大きな木のまわりをめぐりながら妹を追いかけた。妹はなかなかつかまえられなかったが、兄は急にむきをかえて妹をつかまえた。結婚して間もなく生まれた子は、手足のない肉のかたまりであった。二人は肉塊をこまかにきざみ、天の神にたずねるために天への梯子をのぼりはじめた。しかし、大風がふいて肉の包みが解け、地におちて人間が生まれた。こうして人類は誕生した(君島久子『中国の神話』筑摩書房・1983年)。

 このミャオ族の神話でも洪水と樹めぐりが結合しています。日本の神話との一致は、樹=柱のまわりをめぐる行為が二度目に成功する細部にまでみられます。

 もうひとつ、リス族の民族創成の長編叙事詩を紹介しましょう。


 天空を黒雲がおおい、大地には強風がふきすさぶ。江水、河水がみなぎり、いまや人類は死にたえようとしていた。そのなかで兄一人と妹一人だけが生きのこった。兄妹は瓢箪にかくれて避難した。七日七夜ただよい、九日九夜漂流した。大江の水、大河の水がへりだし、瓢箪は山谷のあいだにただよった。銀刀、金刀で瓢箪をたたきわってみると、屍が大地をうずめていた。兄妹は人類の絶えるのをおそれ、櫛を二つにわり、腕輪を二つに切って交換し、兄は妻をさがしに北へ、妹は夫をたずねて南へゆく。兄と妹は大地の中央、谷の真中で出あった。兄の髪には白髪、妹の目じりにはしわが生じていた。櫛と腕輪はぴたりとあった。兄は妹にむかっていった。伴侶をさがせないのなら、兄妹で夫婦になるほかはない。妹は承知しない。もし結婚をのぞむなら針穴を弓で射なさい。兄は針の穴を射ぬいた。妹はなおも承知しない。池のほとりに臼をおき、谷のそばに臼をおき、もし結婚がうまくゆくなら、二つの臼は一つになるだろうところがした。臼はくぬぎの丘をころがって上部と下部がかさなった。天神は二人をむすびつけ、地神は臼をひきあわせた。二人は涙ながらに結婚し、リス族、漢族、ヌー族、トウロン族などを生んだ。人類は大地をおおい、活力は山野に満ち満ちた(君島久子氏前掲書)。

 この詩でも重要なモチーフはそろっています。洪水、瓢箪、兄妹、中心めぐり、神の意思による結婚など。柱のまわりをめぐる日本神話にたいし、大地をまわって二人は出あっています。柱を立てることは小宇宙(ミクロコスモス)を設定することです(諏訪春雄編『巨木と鳥竿』勉誠出版・2001年)。柱をまわるとは宇宙の中心をまわることであり、それは宇宙の星座が天界をめぐって秩序が更新されることになぞらえられる行為なのです。人類の祖先の結婚は世界の始原の時間の行為であったことをしめしています。

 もう一つ。人類最大タブーの近親婚をやぶるために慎重な配慮がほこされています。五体不満足のヒルコや肉のかたまりが最初に生まれてくるのは、インセスト(近親相姦)を犯した結果なのです。

 イザナギ・イザナミの国生み神話は岡正雄氏(「日本文化の基礎構造」『日本民俗大系』平凡社・1958年)以来、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するものと論じられ、ほぼ定説とされています。また、火の神カグツチの出産を契機としてのイザナミ・イザナミの夫婦別れも沼沢貴市氏の研究(「天地分るる神話の文化史的背景」『アカデミア』・1952年)以来、これも東南アジアに分布している天地分離神話の一種と理解されてきています。

 中国神話にたいする研究が進展していなかった時代の学説がそのまま今日までうけつがれているのです。王権を論じるこの通信のテーマからはなれますので、深入りはしませんが、天地分離神話も中国の少数民族社会に数多くつたえられています。それぞれの民族がそれぞれの天地創造(分離)神話をもっているといってよく、その数は洪水神話を超えるかも知れません。しかも多くは洪水神話とセットでかたられています。東南アジアで発見される断片的な洪水神話や天地分離神話は中国神話が波及していったものと断定できます。

 中国を中心軸として左右対称に、東南アジアと日本・朝鮮には相似の文化や民俗をみることができます。中国で変質してしまったり、うしなわれたりしたものが、東南アジアの各国や極東の朝鮮・日本にのこっている例もすくなくありません。まして、洪水神話や天地分離神話は中国大陸に数多く発見できるのです。これまでの定説は再検討されなければなりません。

 次回は「太陽と稲魂」をテーマに論じます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa20.htm


諏訪春雄通信 21

 今回は、前回お約束したように「太陽と稲魂」というテーマでお送りします。

 前々回19の通信で整理した神話素によりますと、アマテラスにかかわる神話の大筋はつぎのようにまとめることができます。

 黄泉国からのがれたイザナギが穢れをはらうためにみそぎをした左眼から誕生したアマテラスは高天原の支配を命じられた。鼻から誕生したスサノオは海原の支配を命じられたが、したがわなかったので、根の国へ追放された。
 スサノオは根の国へおもむくまえにアマテラスをたずねた。そのあらあらしさに恐れをなした姉の疑いをはらすために、姉弟は誓約をおこない、アマテラスはスサノオの剣をかみくだいて三柱の女神を誕生させ、スサノオはアマテラスの玉をかみくだいて五柱の男神を誕生させた。誓約のあと、勝者としてふるまうスサノオは、田を破壊し、大嘗の御殿を汚し、機織屋に逆はぎにした馬の皮をなげこんだ。
 おそれたアマテラスは天石屋戸にこもり、高天原も葦原中国も暗闇となりさまざまな災いがおこった。八百万の神々は、長鳴鳥をなかせ、玉、鏡、白・青の幣帛などをつけた榊をフトダマノミコトがもち、アメノコヤネが祝詞を奏上し、アメノウズメが神がかりして性器を露出しておどった。八百万の神々が大笑いし、アマテラスがのぞいたところを手力男命が手をとってひきだした。
 アマテラスは、天降りするニニギに「この鏡をわが魂とおもってまつれ」といい、オモヒカネに「神の祭りをつかさどれ」と命じた。鏡とオモヒカネは伊勢の五十鈴の宮にまつられている。

 『古事記』によってまとめたこの梗概からもアマテラスの《太陽神+稲魂》という本質はうかがうことができます。高天原の支配を命じられて、名がアマテラス(天空を照らす)であること、天石屋戸にこもったこと、鏡を魂とするとなどは、アマテラスが太陽神であることをしめしています。

 『日本書紀』を援用すると、アマテラスが太陽神であることはいっそうあきらかです。
 『書紀』によると、アマテラスは、日神(太陽の神)、オオヒルメノムチ(太陽の女神)などとよばれ、「この御子は輝くこと明るく美しく、天地四方の隅々まで照りかがやいた」などと叙述されています。

 天石屋戸ごもりについては、日蝕、冬至、などの解釈がありますが、いずれにしてもアマテラスが太陽神であることをうかがわせます。鏡が本来太陽をあらわしていることは、長江流域のトン族、ミャオ族などの習俗からあきらかです。

 姿をかくした太陽を鶏がよびだす招日神話が中国の少数民族のあいだに伝承されています。ここではミャオ族の「オンドリになぜトサカがあるか」という話を紹介します。

 むかし、天に住む天爺さんにはオテントサンとよばれる十人のせがれがいた。天爺さんは自分がねむっているあいだ、十人のせがれに一人ずつ空を見まわるよう命じたが、子どもたちは父の言いつけにしたがわず、皆で一度に空をまわることにした。しかし、末っ子だけは父の命令をまもって、兄たちに同行せず留守番をしていた。
 九つのオテントサンが照りつけるため、地上は干あがって作物はみな枯れてしまった。こまった人間たちは相談し、声の大きな動物にオテントサンを追いはらってもらうことにし、アカウシ、シシなどがよばれたが失敗してしまった。そこでつぎに弓の名人が太陽を射ることになり、九本の矢で九つの太陽を射落とした。
 兄たちの射落とされるのをみた末っ子の太陽は、肝をつぶし、矢のとどかない山の向こうににげこんで、二度と顔をみせようとしなかった。世の中は真っ暗闇となり、人々はこまりはてた。声の大きな動物に太陽をよびださせることになったが、シシ、アカウシが失敗し、オンドリがよばれた。しかし、しわがれ声で一回めは失敗、二回めも失敗した。猛練習をかさねたオンドリの三回めのよび声にオテントサンは東の山の頂上から大地をのぞいた。あたりは明るくなり、人々はニコニコして歓迎した。
 オテントサンはすっかりオンドリが気にいって、自分の真っ赤な服のはしを切りとって赤い帽子をつくってやった。それからは、オンドリの呼び声にきっと山の後ろから顔をだすようになった。(村松一弥翻訳『東洋文庫 苗族民話集』平凡社・1974年)。

 前半は射日神話とよばれる話型で、後半が鶏と太陽の招日神話になっています。この両神話はセットになって、中国のミャオ族のほかに、ワ、ラフ、ハニ、プーラン、リー、ヤオ、イ、チベット、チワン、トンなどの諸族につたえられています。おそらく、日本に伝来した招日神話も本来は討日神話とセットになっていたものを、前半を切りおとして、体系のなかにくみいれたものとかんがえられます(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』大修館書店・1996年)。

 たいせつなことは、日本の王権神話の重要な骨格が中国長江流域の稲作民族の神話で説明できるということです。

 アマテラスが稲魂であるということも、『古事記』からうかがえます。

1.アマテラスが田をつくり、新嘗を主宰している。
2.地上に降臨したアマテラスの孫ホノニニギは稲穂の豊穣の意味をもつ。

 さらに『日本書紀』を援用するとアマテラスの稲魂、穀霊としての性格はつぎの記述によっていっそう明瞭になります。

1.死んだウケモチノ神の身体から生じた稲などの五穀を天の田にうえ、大きな稲穂を収穫している。
2.新穀をたべる新嘗を主宰している。
3.第二の一書によるとニニギの降臨のさいに高天原の田の稲穂をさずけている。

 皇室の祖先神であるアマテラスは、女神、太陽神、稲魂という三つの性格をかねそなえています。このような性格をもった神がトン族に信仰されていることについては、この通信の10で報告しました。トン族の薩神とよばれる神は、民族の祖先神、女神、太陽神、稲魂、歴史上の人物という五つの性格がアマテラスと一致しています。

 また、祖先神・女神・稲魂・太陽神の四位一体となった神が長江中流の稲作民であるミャオ族やハニ族に信仰されていることについては、通信18で報告しました。

 日本の王権神話の発端となっている、
1 日本の天皇家は国土を生成し時間の秩序をさだめた兄妹神イザナギ・イザナミの子孫である
2 日本の天皇家の直接の祖先神アマテラスは太陽神であり稲魂である

という二項の骨格部分が、中国の長江流域稲作地帯の神話伝承や習俗で説明できることをこれまでにのべました。

 次回は、以上の1と2につづく天孫降臨神話についてもおなじ説明方法が適用できるかどうか、検討します。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa21.htm


諏訪春雄通信 22

 前回の通信で次回は「天孫降臨神話」についてお送りすると予告しましたが、1回先延ばしさせていただき、今回は「沖縄の稲作」というテーマでのべます。

 私たちのプロジェクトは学外の各種機関から助成金をもらって活動を継続しています。その援助機関の一つ、サントリー文化財団から、沖縄祭祀研究のテーマで平成12年、13年とつづけて助成金をうけました。そのために、1月23日、大阪の財団本部で、財団理事の方々やほかの研究プロジェクト代表をまえに研究報告をしなければなりません。今回はその報告の概要をお送りします。

 日本列島へ大陸から稲がわたってきた経路は三つかんがえられます。1:朝鮮半島経由ルート、2:江南からの直接ルート、そして3:沖縄経由ルートです。この3のルートは、柳田國男が昭和36年に刊行した『海上の道』で主張した説です。

 1,2は考古学の裏づけがありますが、3には古い遺跡も出土品もありません。いまのところ、沖縄の最古の稲は、玉城の糸数城遺跡から出た、西暦10世紀ごろのもので、それより古い稲は発見されていません。したがって、考古学者や歴史学者は3をみとめませんが、一部の民俗学者や農学者のなかに、かなり根強い支持があります。

 その一人、遺伝子分析で大きな成果をあげている農学者の静岡大学助教授の佐藤洋一郎氏は、東南アジアから台湾、沖縄、九州にかけて、現在、焼畑耕作にともなう熱帯ジャポニカが点在することを根拠に、3の海上の道説は、《魅力ある仮説》といいきっています。

 一方は考古学上の証拠、他方は現在の熱帯ジャポニカの分布、という相反する事由にもとづく二つの対立した立場に、解決の道をさぐろうとして、私は沖縄と本土の稲魂信仰に注目しました。そして、成熟度に差異があることを根拠に、私は沖縄の十世紀以前の稲作の存在を疑問視しています。

 社会人類学者の伊藤幹治氏は、昭和49年に刊行された『稲作儀礼の研究』(而立書房)で、本土と沖縄の稲作儀礼の周到な比較研究をとおして、両者の異質性を指摘し、柳田國男や折口信夫らが研究の立脚点とした本土日本と沖縄の同祖論を否定しています。

 私はおなじ見方が稲魂信仰や太陽信仰に適用できるとみます。そして、本土日本の稲魂信仰と太陽信仰・祖霊信仰の結合は、稲作の誕生地である中国の長江流域の影響を直接にうけているからとかんがえます。沖縄の稲魂信仰は本土を経由して時間をかけて伝来したために、沖縄固有のニライカナイ信仰に包摂されて変質したものと判断しています。以下、私の報告書を掲載しましょう。


沖縄の太陽信仰と稲魂信仰
   沖縄民俗祭祀の源流を東南アジア・中国大陸南部・台湾などの黒潮文化圏に探る研究
                代表:学習院大学文学部 教授 諏訪春雄

 沖縄の神観念
 沖縄の固有信仰の対象となる神々を二つにわける見方がある(高阪薫「沖縄の祭祀と神観念」同氏編『沖縄の祭祀―事例と課題』三弥井書店・1987)。

A 可視と不可視

 見える神…表象認識できる特定の場に滞在する神      
アニミズムの要素をもつ自然の神々 屋敷神 井の神 カマドの神(火の神) 御嶽の神など
 見えない神…表象認識できない不特定な空間のいずこかに存在する観念的、抽象的な神
火の神 ニライカナイの神 竜宮神 アマミヤシネリヤ(開闢神) 祖霊神 オボツ神(天上や山上の神)など
 
B 信仰集団

 家レベル
オナリ神 火の神 祖先崇拝 アニミズム的な具象の神々
 村レベル
御嶽の神 火の神 ニライカナイ神 祖霊神 竜宮神 アマミヤシネリヤ オボツ神など

 このような体系のなかで、太陽神はAでは見える神、Bでは村レベルに分類できるが、ここにあげられた神々ほど顕著な神格ではない。沖縄の年中祭祀を検討しても太陽神だけを対象とした祭祀はみとめられない。粟国島の正月のユークムイ(世を乞う丘)で区長が東方にむかって豊穣を祈願するのは太陽信仰の数すくない事例である。しかし、太陽神を「てるかは」とよんでいる例が『おもろさうし』にみえるところからも、太陽が信仰されていることは確実である。

 これにたいし、稲を対象とした祭りは多い。旧暦の八月前後におこなわれる豊年祭(広義には、八重山諸島の六月下旬のプールィ、八、九月の結願、十月の種子取祭、宮古諸島の世乞いなどもふくめる)は豊穣祈願を目的とし、稲をはじめとする五穀の豊作が、豊漁、子孫繁栄などとともに対象になる。また、稲霊(魂)信仰が存在することは、旧暦八月にアマミ大島でおこなわれるショッチョガマ(片屋根のわらぶき小屋)、つづく平瀬マンカイ(招き合い)によってあきらかである。ともに収穫感謝と豊作祈願の祭であり、この祭で男、女のとなえる文句のなかに稲霊があらわれる

 稲霊が祈願対象となるショッチョガマと平瀬マンカイの基本構造は対応している。

  早朝―男性―垂直神
  夕方―女性―水平神

 ショッチョガマで男たちによってとなえられる文句はつぎのようである。


ハー、トートガナシ(神への尊称・神拝みの常套句)
八月の新節がやってきて
ショッチョガマ祭を祭ってあげましょう
西東の稲霊様は
伊津部の田袋に お寄り下さって
伊津部田袋の稲霊様は
秋名田袋に お寄り下さって
北風が吹いたら上の畔を枕にして
南風が吹いたら下の畔を枕にするように
稲を実らせて下さい
そして名を上げて下さい トートガナシ

 ここで稲霊様は天から招かれている。

 女たちが掛合いでうたう平瀬まんかいの歌はつぎのようである。


〈神平瀬〉
 玉の石に登って 何のお祝いをしましょう 西東の稲霊を 招き寄せよう
〈女童平瀬〉
 秋名の親ノロが すべての稲霊を寄せて 村があるかぎり 祭ってあげましょう
〈神平瀬〉
 朝潮の満ちあがるころは ショッチョガマの祭り 夕潮の満ちあがるころは 平瀬の祭り
〈女童平瀬〉
 今年世は変わって 不思議なことに 海の魚たちが 陸にあがってきたことよ
            (口語訳のみ 『おきなわの祭り』沖縄タイムス社・1991年)

 ここでは稲霊様は海の彼方から招かれている。

 これらの歌から、沖縄の稲霊は、1.稲の豊穣をつかさどる、2.天または海の彼方から招かれる、3.漁労、狩猟などの豊かさをつかさどる神々と同格である、などの性格がみちびきだされる。
 沖縄の稲魂信仰は固有のニライカナイの信仰に包摂されている。


 日本本土の太陽信仰と稲魂信仰

 日本本土では太陽信仰をまだ各地でみることができる。正月に初日の出をおがむこと、彼岸の社日(土地神の祭り)参り、お日待ち、天道信仰、天道念仏、天道花、お火焚き神事、おびしゃの神事、ゲーター祭などの行事や習俗となってあらわれている。

 天道信仰はとくに対馬を中心とし、北九州などにも分布する。日神信仰と稲魂信仰を合体させ、真言密教の教義で体系化したものである。天道は天童とも書き、テンドウサンとよばれる。赤米を耕作し、その稲魂を加持祈祷して神霊とし、崇拝の対象にした。このテンドウとはべつに真言密教系統の天道法師とよばれる菩薩を信仰の対象にした。この天道童子は母が日光に感精して懐妊し、成長して僧となったという伝説をつたえる。

 天道念仏は、福島、茨城、栃木、千葉などの各県におこなわれている念仏行事である。四本の竹で櫓をくんで注連縄をはり、中央に梵天をたて、供え物をして、梵天を中心にして右回りに念仏をとなえながらおどる。一月から三月彼岸にかけて集中しており、テントウすなわち太陽の信仰が核になっており、そこに出羽三山の信仰や大日信仰、念仏信仰などが集合したものとされている。

 関東地方にことに集中して分布するオビシャは、三本足の烏または烏と兎を一対でえがいた的を弓で射る正月行事である。烏は太陽、兎は月をあらわすものとされ、中国にはじまって日本に伝来した射日神話である。太陽の死と再生を儀式化したものと理解されている。おなじように、三重県鳥羽市神島で年の暮れから元旦の早朝にかけておこなわれるゲーター祭も、太陽の死と再生による秩序の更新をはかるものと理解されている。この祭では、アワとよぶぐみの枝に白紙をまいてつくった直径二メートルほどの輪を、若者たちが雌竹ではげしくたたき、初日の出とともに東の浜で高々と空につきあげる。アワは日輪をかたどり、たたくことは偽の太陽をたたきおとすことであり、空につきあげる行為は日の出を意味する。ゲーターとは迎旦つまり日の出をむかえることという。

 稲魂にたいする信仰も、前述の対馬の赤米神事以外にも本土各地でみることができる。その年の初穂を神にそなえて感謝する新嘗祭、十二月の始めに田の神をむかえて収穫を感謝し、二月のはじめに豊作を祈願して田の神をおくりだす能登半島先端部のアエノコトの行事、その年の稔りの豊さを祈願する祈年祭などの行事に稲魂の信仰をみることができるし、ハレの日の餅、悪鬼ばらいの散米、墓への供物としての洗米、病人の枕元での振り米、出産のさいの力米などにも米の霊力にたいする信仰がある。

 本土の太陽信仰と稲魂信仰は全体としてつぎのような特色をもっている。
1.対馬の天童信仰からあきらかなように太陽信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
2.能登のアエノコトにしめされるように祖霊信仰と稲魂信仰の合体がみられる。
3.稲の豊穣をつかさどるだけではなく、人間の寿命や健康までを左右する米の霊力にたいするつよい信仰が存在する。

 以上を総合して、本土の稲魂信仰は、沖縄よりもはるかに成熟していると、結論づけられる。そして、稲魂信仰と太陽信仰や祖霊信仰との結合は、中国の長江中流の稲作地帯の少数民族社会におこなわれている信仰が、稲作とともに日本に伝来したものとみることができる。


稲の来た道

 よくしられているように、柳田國男は昭和36年(1961)に刊行された『海上の道』で、日本人の先祖は稲作をともなって中国大陸南部から沖縄に漂着して宝貝を発見し、その魅力にとりつかれ、また稲作の適地をもとめて、日本列島各地にひろがったという日本人北上論をとなえた。

 このような柳田の論は現在の考古学の裏づけを欠いている。

 沖縄に稲作のはいった時期は、玉城の糸数城跡から麦とともに出土した炭化米の時代判定によって、10世紀以前とみられ、そのころにはかなり栽培されていたとかんがえられる。また、1477年(尚真一)に与那国島に漂着した朝鮮済州島人(金非衣ら)の記録によると、与那国・西表・伊良部・宮古・沖縄の各島に稲作がおこなわれているとの記述がみられ、15世紀後半には沖縄全域で稲作がおこなわれていた(「いね」『沖縄大百科事典』)。

 沖縄に稲の来た道も最近の研究によれば、中国南部から直接に伝来するよりも日本本土を経由した可能性がつよい。

 本土の最古の稲は岡山県や鹿児島県などから出土しており、縄文時代前期、6000年前にまでさかのぼる熱帯ジャポニカである。おそらく焼畑耕作によって、ヒエやアワ、キビなどの雑穀とともに栽培されていた。この熱帯ジャポニカは中国大陸の江南地方から直接日本に渡来していた。

 日本で熱帯ジャポニカが焼畑で耕作されだした、ちょうどそのころ、中国江南では水田耕作による温帯ジャポニカの生産がはじまっていた。現在わかっている水田の最古の遺跡は江蘇省蘇州市の6000年前の草鞋山遺跡である。この水田は朝鮮半島をへて縄文晩期の2600年前には佐賀県唐津市の菜畑遺跡におよんでいた(浦林竜太「イネ、知られざる1万年の旅」『日本人はるかな旅』NHK出版・2001年)。

 水田稲作は、朝鮮半島を経由せず、直接、中国から日本に伝来したものもあった。遺伝子研究によって、佐藤洋一郎氏は、水稲は、中国からの直接ルートと朝鮮半島経由ルートの二つがあったことを主張している(「DNAからみたイネの道」『日本人はるかな旅』)。

 こうした大陸から本土への稲の道に沖縄は登場してこない。

 柳田國男が主張したように、沖縄への稲の伝来を10世紀以前に想定する可能性がまったくないわけではない。

 佐藤洋一郎氏作成の「熱帯ジャポニかの分布図」によると、現在、熱帯ジャポニカは、中国南西部からインドシナ半島半島奥地にかけての地域と、フィリピンやインドネシアなどの熱帯島嶼部で栽培されている。また、熱帯ジャポニカ固有の遺伝子をもつ品種が、台湾の山岳部から南西諸島を経て九州にまで点在している。この事実から佐藤氏は、〈かつて柳田國男が主張した「海上の道」はがぜん魅力ある仮説となる〉とのべている(佐藤洋一郎氏前掲論文)。

 沖縄から古い米が出るか出ないかはいまのところ判断材料はない。また、アジアの熱帯ジャポニカの原産地は中国長江中流域であり、日本には6000年まえには伝来していた。沖縄の熱帯ジャポニカも本土経由の可能性をすてきれない。しかも、沖縄の稲魂信仰が本土にくらべて、太陽信仰や祖霊信仰とむすびつくことがないなど、未成熟または変質の事実を考慮すると、沖縄に十世紀以前のふるい稲作を想定することはむずかしい。
 沖縄の稲作の祭祀儀礼じたいが本土とはかなり異質である(伊藤幹治『稲作儀礼の研究』而立書房、一九七四年)。長い時間をかけて本土から沖縄につたわったために、独自の風土と信仰のなかで変質していった可能性がかんがえられる。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa22.htm


諏訪春雄通信 23

 今回は「天孫降臨神話」についてのべます。

 日本古代神話のなかでも、天孫降臨神話についての研究は格段にすすんでいます。この神話が、日本の王権神話のなかでも核心となる部分だからです。松村武雄、三品彰英、大林太良、西郷信綱、松前健、吉田敦彦などという名立たる神話学者の研究がつみかさねられ、日本の天孫降臨神話が朝鮮半島から内陸アジアにかけてひろく分布している、祖神の天降り神話に由来することは定説となっています。

 これまでに上記の研究者たちによって指摘されている先行神話はつぎのようなものです。

 まず朝鮮の歴史書『三国遺事』がつたえる檀君神話です。
 天帝の子の桓雄は父の命令によって、天符印三個をもって、風・雨・雲および穀物・生命・疾病などをつかさどる神々をひきいて、太白山山上の檀の木をつたわって降臨した。このさいに、熊がよもぎとにんにくをたべて、女に化身し、桓雄と結婚して檀君を生んだ。この檀君が国をひらいて朝鮮と命名した。

 おなじ『三国遺事』がつたえる首露王神話はつぎのようになっています。
 伽耶地方の村々の首長らが亀旨峰という山にあつまって、迎神の祭りをおこなっていると、天から紫色の紐がたれさがってきた。紐の端をみると、黄金の卵が六つはいっている赤い包みがあり、そのなかの一つから伽耶国の始祖である首露がうまれた。

 もう一つ、ブリヤート・モンゴル族のゲセル神話です。
 至高神デルグエン・サガンは、マラトの民の哀願を聞き、一日も早く天神を降して悪者を退治しなければならないと考えた。彼はドロン・オドウン天に全天の諸神九十九柱の主な神々と、天上に住む数千のブルハンをあつめて、悪者征伐の大評定を開いた。最初、至高神サガンの子、カン・チュルマスを下すべきことが提案されたが、チュルマス神は老齢を理由にことわった。そして自分の末子ゲセル・ボグドゥに天下りを命じるよう乞い、四歳のボグドゥが天命を拝受した。ボグドゥは、1)全天の九つの天の主宰神がもつ智謀のすべて、2)祖父のもつ黒い軍馬、3)英雄の準備金、4)祖父の蹄縄、5)祖父の短い槍、6)一人の妻を所望し、これを手に入れて下った。

 この神話を紹介された大林太良氏は、
1.天神の子が天下ることをことわり、孫がその代りに天下る。
2.天下る神が幼児である。
3.日本の三種の神器にあたるものに蒙古の六種がある。
4.日本では荒ぶる神のいる葦原中国を平らげるために神集いにつどい、その結果国譲りがおこなわれたが、蒙古神話でも、荒ぶる神を平らげるために天神の子をくだそうとして神々の大評定がおこなわれた。

という四点の類似をあげて、「おそらく元来はアルタイ語族系の牧畜民文化を母胎とした神話であって、日本へは、皇室の先祖の起源神話として入ったものであろう」と結論づけておられる(『神話と神話学』大和書房・1975年)。

 以上、日本の天孫降臨神話を北方系としてとらえる視点が定着しています。そのばあい、私がこの通信でこれまでのべてきた日本の王権神話の源流であった南方農耕地帯の神話や習俗との関係はどうなるのでしょうか。

 じつは、南方長江流域の少数民族社会にも、民族の祖先が天から穀物をもって下ったという種類の神話や伝説は流布しているのです。いままで考慮されなかっただけのことなのです。そのなかから二つの神話を紹介します。

 まず雲南省を中心にすんでいるナシ族の神話です。

 大昔、兄弟姉妹が近親婚をはたらいたために神の怒りをかって大洪水がおこり、わずかな人類はほろびました。皮鼓のなかにはいってただ一人生きのこったツォゼルウは、天神ツラアブの娘ツフブブミと出会って恋におち、天にともなわれ、父の天神に会いました。若者が気に入らない天神は、一日のうちに九つの林の木をきる、伐採した木を一日でやきはらう、焼け跡に穀物をまいて収穫する、収穫した穀物のうちじゅずかけ鳩と蟻にたべられた三粒の穀物をとりもどす、岩羊の猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、川魚猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、虎の乳をしぼってくる、などの試練を課しましたが、ツォゼルウは娘の知恵にたすけられてことごとく突破します。さすがの天神も二人の結婚をゆるし、家畜、穀物の種などをあたえて下界へかえしてやります。二人は地上の多くの種族の祖先となりました。

 前半は省略しましたが、天地創造神話と洪水型神話が結合しており、後半はスサノオとオオクニヌシの神話と同型の難題婿の話型になっています。しかも天神の娘が人間の男とむすばれて天上から穀物をもたらし、地上の多くの種族の祖先となる話にもなっています。

 もう一つ、湖南省から広西チワン族自治区にかけて居住するヤオ族の神話を紹介します。

 大昔、天は今よりも低いところにあり、人間は大木をつたわってたやすく天へあそびにゆくことができました。そのころ天神に命じられて地上の水をつかさどっていたのは天上にすむ水仙姫でした。ある日、彼女は地上からきた若者に夢中になって、水口をふさぐのをわすれ、地上は大洪水におおわれてしまいました。天神のはげしい怒りにおそろしくなった水仙姫は、若者の手をとってにげだしてしまいました。水仙姫の両親は二人をさがしまわり、月宮の桂の木の下にいる娘と若者を発見しました。たのもしい若者と娘がいることに安堵した両親は、二人に穀物の種子とゴマの種子をあたえて地上へにがしてやりました。
 地上はすでに水がひいていました。二人は穀物とゴマの種をまき、人類や動物をつくりだしました。天神は地上が元通りに豊かになっているのみて、二人をゆるしました。ただ、地上の人間が天に上ってくるのをふせぐため、天をたかくひきあげてしまいました。このときから、地上の人間は天へ登ることができなくなりました。

 このような神話はまだ数多くつたえられています。いずれきちんと分布状況を整理したいとおもっています。

 さしあたり今はつぎのようなことがいえます。
1.天孫降臨神話の骨格は北方諸民族の山上降臨型神話によって形成された。
2.しかし、その北方系神話をうけいれた基盤は、南方農耕民族の天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる神話、稲魂信仰、太陽信仰などであった。そのために天孫ホノニニギは豊穣な穀霊、太陽神などの性格ももつことができた。
3.天孫降臨神話は、シャーマニズムの二つのタイプ、脱魂型と憑霊型が融合して誕生した。

 この3についてさらに説明をくわえておきます。

 天に神がいますという信仰は、北方狩猟採集民族の脱魂型にもとづきます。他方、その神々が地上に降臨して人間にまじわるという信仰は農耕社会に優勢な憑霊型です。この二つが融合しなければ、天孫降臨神話は成立しません。

 2と3をあわせて、これまで、北方系神話が伝来したものといわれてきた天孫降臨神話を、北方、南方両系統の複合としてかんがえなおそうというのが、この通信23の主題です。

 これ以降の日本王権の展開は、北方原理にもとづく思想と南方原理にもとづく思想の葛藤・複合としてとらえることができます。その最初のモデルが天孫降臨神話なのです。これを北方原理だけとしてとらえると、日本の王権の本質は解明できませんし、永続の秘密もみえてきません。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa23.htm

諏訪春雄通信 24

 今回のテーマは「根の国神話」と「海幸山幸神話」です。この二つの神話は、ともにこれまで長江流域の神話や伝説とむすびつけてかんがえられることはほとんどありませんでした。ほとんどといったのは、海幸山幸神話にかぎっては少数意見として、長江流域に源流をもとめる説が存在するからです。

 まず根の国神話から検討してみます。
 王権にかかわる日本神話の基本構造は通信19で整理しておきましたが、念のために根の国神話の梗概をのべておきます。


 オオクニヌシは、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられた偽りの治療法で苦しんでいた白兎をすくった。
 白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオナムチ(オオヌニヌシの別名)は兄たちのねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ、根の国へのがれた。そこでスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオナムチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。

 この神話についても、これまでに、松村武雄、松前健、西郷信綱など各氏の研究がすでに世に出ていますが、一種の成年式、通過儀礼としての解釈をしめすのみで、典拠または原型が指摘されたことはありません。

 しかしこの根の国神話の由来も、長江流域の少数民族の神話や伝説にもとめることができるのです。

 前回の通信23で、私は天孫降臨神話の原型として、雲南省にすんでいるナシ族の神話と湖南省や広西チワン族自治区にすんでいるヤオ族の神話を紹介しました。この二つの神話は地上の人間の先祖が天上から稲をもたらす話であるとともに、前者のナシ族の神話は、地上の若者が天神の課した数々の試練を天神の娘の愛と助けによってのりきり、地上に家畜、穀物の種などの宝物をもたらす話でもあるのです。

 このナシ族の神話と日本の根の国神話とはつぎのような類似点をもっております。
1.地上の若者が異界をおとずれる。
2.異界の王から数々の試練を課せられる。
3.試練を異界の王の娘の助力によってのりこえる。
4.その異界の王の娘と結婚し、王から宝物をあたえられる。
5.二人は地上に生還し、地上の人種の祖先となる。

 もちろん、日本の根の国神話と比較すると、異界が根の国にたいし天界であり、宝物が呪術的な宝器にたいする家畜・穀物である、などの相違もあります。

 しかし、私はこの相違よりも、問題のナシ族の神話が、中国長江流域の少数民族社会の思想や信仰と日本の王権神話の構造的関連を検討するという、大きな構想のなかにうかびあがってきた資料であることを重視します。日本王権神話の骨組みを構成する中国長江流域の神話・伝説群にぴたりと適合する神話であり、いわばミッシングリンクであるということです。

 当然、同地域のほかの民族の神話や伝説のなかに類似の話があるであろうという予想のもとに、私は手許の資料にあたってみましたが、いまのところ、同型の話を見出していません。時間をかけて、ていねいに文献を読むだけのゆとりが、この時期の私にないという事情もはたらいているのかもしれません。この通信を一冊の書物にまとめるときまでに類話を発見しておきたいとかんがえています。

《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、これまで何人もおもいつくことのなかった基本構想のもとに、つぎに海幸山幸神話を検討します。

 海幸山幸神話の梗概はつぎのようにまとめられます。


 ホデリとホオリの兄弟は、海幸彦、山幸彦として漁労と狩猟にしたがっていた。あるとき、兄弟は釣針を弓矢と交換し、山幸は兄の釣針をうしなった。兄にせめられた山幸は海神の宮をたずね、娘のトヨタマビメをめとり、釣針をとりもどした。海神から呪詛の方法をまなび兄の海幸をくるしめて臣従させた。

 この神話は通常、兄弟争いと復讐、海神国訪問、異類婚という三つの要素にわけて説明されます。このうち、兄弟争いについては、東南アジア系の類話が報告されています(『上代説話事典』雄山閣・1993年)。
 インドネシアのケイ族につたわるヒアンとパルバラ兄弟の話はつぎのような梗概です。


 天上に兄弟がいた。ある日、弟のパルバラが釣りをしていて、兄のヒアンから借りた釣針をうしなってしまう。兄は返せとせめた。弟はさがしまわり、偶然出あった魚の協力で、のどに針のささった一尾の魚をみつけた。弟は兄に釣針を返したが、一計を案じて兄に油をこぼさせ、その油を返せとせまった。

 ほかにパラウ島の伝承も紹介されています。


 釣針を魚にとられた族長の息子アトモロコトが父にしかられて海中アダックの地にゆく。そこで釣針をのみこんでくるしんでいる女リリテウダウに会う。針を吐きだして痛みがなおった女は、アッダクの支配者であった。アトモロコトが自分の孫であることを知ったリリテウダウはなんでも欲しいものもって帰ることをゆるす。

 このような説話が紹介されたことによって、源流をインドネシア方面にもつ「失われた釣針型説話」を原型として、婚姻や出産、通過儀礼などの要素がそこにくわわってこの神話が形成されたという説が定着しています。

 この定説形成に大きくはたらきかけた要因が、この神話が隼人の服属神話として王権神話にくみここまれたという事実です。隼人の故郷を東南アジアにもとめる視点はかなりな妥当性をもって承認されるからです。

 しかし、私は今年最初の通信20で、東南アジアの兄妹始祖洪水神話の系列に属するとこれまでされてきたイザナギ・イザナミの国生み神話がじつは長江流域に数多く発見される洪水神話にもとづくことを論証しました。東南アジアで発見される洪水神話は、分布状況から判断しても、中国から伝播したものとみられます。

 海幸山幸神話の原型も、同様に、中国の長江流域でおこなわれていた伝承が、隼人の服属神話に組みかえられて、『古事記』や『日本書紀』の神話体系にとりこまれたというように判断されます。

 そのように主張するのは、中国の長江流域で、兄弟の争いと復讐、海神国訪問、呪術的宝物の獲得、などの重要なモチーフをそなえた話がつたえられているからです。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa24.htm


諏訪春雄通信 25

 今回のテーマは前回につづいて「海幸山幸神話」です。

 この神話については東南アジアに原型をもとめる説がつよいことについては前回に紹介しました。この神話にかぎらず、全体として日本神話の源流を東南アジアにもとめる傾向が目立つことは、この通信で再三ふれてきました。その理由は二つあります。

 第一の理由は中国神話の調査が不十分だったことです。私は1988年(昭和63)に初版の出た著書『日本の幽霊』(岩波新書)のなかでつぎのようにのべたことがあります。


 中国は幾度も王朝が交替した。王朝が交替するたびに、新しい歴史がつくりなおされ、前王朝の遺制が破壊されたので、日本の『古事記』や『日本書紀』が伝えたような体系的な神話や伝承が後代に残らなかった。中国神話の研究が立遅れている根本の理由はそこにあり、さらにそれに加えて、もともと孔子が『論語』の中で「子は怪力乱神を語らず」といった国柄なので、神話や伝承の類についての研究はあまりさかんではなかった。

 この説明はいまも通用するとおもいます。儒教をまなんだ中国の知識人も、またその影響をうけた日本の研究者も、ながい間、中国には体系的な神話は存在していないとかんがえてきたのです。しかし、この考えは大きな誤りです。私は『日本の幽霊』のなかで、前掲の文につづけてつぎのようにのべました。


 しかし、1950年ごろ、つまり解放の翌年ごろから、中国の神話研究は、ミャオ、チベット、ヤオなどの少数民族のあいだに伝えられてきた口承神話に注目しはじめた。文化大革命によって一時的に頓挫したが、七十七年に復活、前にも増して活発に研究は続行され、少数民族のあいだにそれこそ無尽蔵といってもよいほどに貴重な神話が蔵されていることが明らかになってきた。

 いまから15年もまえに書いた文章ですが、結局、私自身で実践するよりはかはないというのが、この通信をはじめた動機の一つです。

 第二の理由は、当然のことですが、東南アジアについての研究が中国の少数民族の研究よりもはるかにすすんでいるということです。しかもその研究は、日本人による研究ではなく、ほとんどは欧米の学者による研究なのです。海幸山幸神話にかぎっても、前回の通信で紹介したように〈失われた釣針〉型の神話と類似の神話が東南アジアで分布している事実を最初に報告したのは、19世紀以来のフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったようなヨーロッパの研究者たちだったのです。

 ヨーロッパの研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くためにいちじるしくたちおくれていました。この事実が、日本神話の原型を東南アジアにもとめさせることになったのです。

 ただ故人の大林太良氏は、晩年、日本神話の源流として中国南部にとくに注目しておられました。1995年10月28日、29日の両日に私たちのアジア文化研究プロジェクトが学習院大學で開催した公開講演・フォーラム「日本民族の形成」で「日本神話の系統」という題で講演されたさいにも、その最後を、


 このように日本神話の系統論にはまだまだ多くの問題があるということ、そして中国の江南がそのなかで大きな地位を占めていること、を申しあげて、私の講演を終わりたいと思います。

とむすんでおられました(諏訪春雄・川村湊編『日本人の出現―胎動期の民族と文化』雄山閣・1997年)。氏がお元気であられたら、おそらく、中国南部と日本神話の結びつきの研究はかくだんにすすんだこととおもわれます。

 すこし話が横にそれますが、私がこの王権神話と並行して研究をすすめている来訪神祭祀にもまったく類似した現象があります。

 よくご存知のように、日本の各地で、季節の変りめに仮面をかぶったり、蓑笠をつけたりする異様な風体をして集団で部落や村へおとずれてくる来訪神の儀礼が保存されています。秋田県男鹿半島のナマハゲは有名ですが、ほかにも沖縄のアカマタクロマタ、パーントゥ、マユンガナシ、鹿児島県のトシドン、石川県のアマミハギ、新潟県のアマメハギ、山形県のアマハゲ、岩手県のスネカタクリ、青森県のシカタハギなどなど、その数は40種をこえます。

 この日本の来訪神儀礼の源流を、太平洋上のメラネシア・ポリネシアの島々におこなわれている秘密結社の儀礼にもとめる説を提出したのが、日本の文化人類学者の草分けとでもいうべき岡正雄でした(「異人その他―古代経済史研究序説草案の控へー」『民族』三巻六号、昭和3年)。

 岡は、秘密結社には未成年者や女子を参加させず、加入には厳重な入社式をおこない、その成員は時あって異様な服装を身につけ、怪音を出してその出現を報じ、村々を横行して、強奪威圧をあえてし、あるいは祝詞をのべる行為をするなどなど、全部で23条の特色をあげて、この異人こそが日本の来訪神儀礼の源流であると主張しました。

 80年ちかくもむかしにだされたこの岡説は、いまも多くの信奉者をあつめています。しかし、この説は、岡正雄自身が太平洋上の島々を調査して提出した説ではなく、19世紀から20世紀の初頭にかけて、コドリントン、リヴァーズ、ウィリアムソンなどの欧米人類学者の調査に全面的に依拠した説だったのです。

 岡説の問題点は、煎じつめますと、(イ)異人と来訪神が混同されている、(ロ)来訪する目的が日本の来訪神に適合しない、の二つにまとめることができます。男子だけによって維持される仮面結社儀礼は世界各地の農耕社会にひろくみられる習俗であり、日本との関係を想定するためにはその本質が厳密に検討されなければなりません。

 私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その渡来の経路もほぼ特定できます。

 大林太良氏は、海幸山幸神話を海の原理をあらわす海幸と山の原理をあらわす山幸の闘争というようにとらえられ、江南地方につたわる呉越の戦いの伝説をその原型として紹介しておられます(『日本神話の構造』弘文堂)。

 中国江南の浙江省の大河銭塘江は満潮時におこる逆流の高波現象が天下の奇観として有名です。私もちょうどその時間帯にいあわせて、下流から上流にむかっておしよせてくる潮流の迫力に圧倒された体験があります。この逆流現象を春秋時代の呉と越の戦いにむすびつけた伝説が、『呉越春秋』につたえられています。大林氏はその伝説を山の原理をあらわす越と海の原理をあらわす呉との闘争の結果、山の原理が勝利する話として分析されたのです。

 『呉越春秋』の巻三がつたえる伝説です。
 呉と越が一進一退の戦いくりひろげていた時代、呉王夫差は越との和解をかんがえ、越王の提示した講和の条件を呑むことにした。しかし、父の時代から呉につかえていた臣下の伍子胥が講和にはげしく反対したので、夫差は伍子胥に死罪を科した。その死体をなまずの皮の袋にいれて、銭塘江になげこんだ。それ以来、子胥の亡霊はこれをうらんで、潮を逆流させ高波で人びとを溺死させたという。

 また、『呉越春秋』巻六では、越王勾践も家臣の文種に死を命じて、その死体を三峰の下に埋めた。その一年後に、子胥が海上から山に穴をあけて、種をつれさり、共に海上に出現して人々をなやましたという。

 大林氏はこれらの伝承から、越は山の原理、呉は山の原理を代表し、子胥が死後に高潮をおこしたことは、海幸山幸神話で山幸彦が干満珠をもちいておこした満潮に対応するとされました。しかし、山に死体をほうむったから山の原理、海(事実は川)に死体を投じたから海の原理をあらわすというのは、ややくるしい解釈のようにもおもわれます。

 大林氏の紹介した呉越の物語よりも、もっと海幸山幸神話に接近した伝承を紹介されたのが伊藤清司氏でした(「日本と中国の水界女房譚」『昔話―研究と資料21・日中昔話の比較』三弥井書店)。湖南省の土家族のあいだにつたえられている「格山竜珠を与えられる」という話です。


 ある村里に二人の兄弟がいた。兄を格路、弟を格山といった。兄夫婦が格山につらく当たった。堪えられなくなった格山は、ある老人のすすめにしたがって家をぬけだし、さまよいあるく途中、大蛇におそわれて呑みこまれそうになっていた一羽の黄鶯をたすけた。すると、その鶯はうつくしい人間の娘に変わり、竜王の三女と名のり、格山と夫婦になって、竜王の国におもむいた。格山は竜宮で連日歓待をうけたが、やがて望郷の念が昂じ、妻をともなって地上へもどった。帰郷にさいし、竜王が金銀財宝を土産にあたえようとしたが、格山はそれをことわり、
「郷里は水が不足し、田作りもままならず、人びとは暮らしに困っている。水を自由にできるものが欲しい」
と願い出た。そして呪宝の竜珠をもらいうけ、竜王の娘と故郷にもどった。そこで二人は山の上にのぼり、頂から竜珠をたむけると水は奔流となって噴出し、たちまち村の田という田をうるおし、おかげで土家の人びとは裕福になった。

 この話の後日談を伊藤氏が紹介しています。


 如意宝珠である竜珠をもちかえった格山は、その竜珠からりっぱな御殿を出し、その御殿で竜神の娘といっしょに幸福な日々をおくった。意地悪な兄夫婦はそれを知ってねたみ、二人を焼きころそうとするが、格山は竜珠をもちいて逆に兄夫婦を焼きころし、他方、その呪宝から水を噴出させて潅漑の水になやむ土家族の田畑をうるおし、りっぱな耕地に変えた。

 伊藤氏はこの伝説と海幸山幸神話の類似点として、
1.水界訪問
2.水界の女性との結婚
3.水界の女性との結婚
4.水界よりの呪宝の将来
5.呪宝による水の支配
6.兄への復讐

などをあげ、弟の山幸彦が呪宝を得て、最後に日本の統治者の祖先になったという結末と、弟の格山が海神からあたえられた呪宝によって土家族の世界に楽土を実現したという結末とは共通すると主張しています。

 この土家族の伝承と日本の海幸山幸神話の類似性はうたがうことができませんが、「失われた釣針」というモチーフのないのは気にかかるところです。今後、精査する必要があります。

 これまでこの通信でふれてきた稲作農耕地帯に海幸山幸神話につうじるような伝承が散在しています。そのなかには、釣針を魚網にかえただけの同じモチーフの伝承が存在します。私のノートから紹介しましょう。


 むかし、非常にまずしいが人に親切な漁夫がいた。ある日、大河の堤のほとりで網をうって魚をとっていると、一人の老人が大きな岩のうえで泣いているのに出あった。漁夫はすぐに老人にそのわけをたずねた。老人は「自分の娘が奇妙な病気にかかってなおすことができません。どうか家にきて娘の病気を看てください」とたのんだ。承知した漁夫は老人について堤を歩いた。すると老人はどんどん水のなかにはいってゆく。漁夫が老人にむかって、「水のなかには入れない」とうったえると、「いそがずにわしについてきてください。水のなかも地上をゆくのとおなじようになります」とこたえた。ふしぎにも漁夫は地上をゆくように水のなかをすすむことができた。まもなく一軒のうつくしい家がみえてきた。その家の一室に娘が全身を魚網にからめられて横たわっていた。漁夫がその網をとりのぞいてやると娘はすぐに元気になった。父と娘は感謝してたくさんの金銀を礼としてさしだしたが、漁夫はことわって、かわりに刀と鋤をのぞんでその二品をもらった。漁夫がその家を去ろうとすると、門の樹に黄牛と白牛がつながれていた。老人は袋に多量の牛の糞を入れて漁夫に背負わせ、「野菜をうえるときに肥料になさい」といった。漁夫が家にかえると、不思議にも黄牛の糞は金、白牛の糞は銀、刀は金刀、鋤は銀鋤に変わった。漁夫は農夫となって幸福に暮らしたという。

 雲南省のラフ族がつたえている「漁夫の故事」という伝承です。水界の王の娘をたすけ、莫大な宝を得るという話です。その王の娘は魚網にからめられており、漁夫によってその網をとりのぞいてもらっています。失われた釣針と同一のモチーフです。しかも漁夫から農夫に変わるところに、海の原理に野(高地では山)の原理が勝利を占める話にもなっています。日本における海幸山幸神話で、海の原理にたいする山の原理の勝利の意味も、漁労民にたいする狩猟民や農耕民の勝利の話であったことがわかります。

 もう一話、貴州省のコーラオ族がつたえている「竜女と旺哥」という伝承を紹介します。こちらも竜王の娘の報恩物語です。


 むかし、母と子が二人で暮らしていた。母は年をとって眼が見えなかった。子の旺哥は村の金持ちの家にやとわれて毎日手間賃をもらっていた。ある年の正月、旺哥がはじめて金持ちの家に働きにゆくと、主人は「一年はたらいてくれたら三頭の牛を報酬にやろう」と約束した。誠実な旺哥はこの約束を信じて、1年間、金持ちの家の田畑を懸命に耕作した。一年たって、旺哥が主人に約束の三頭の牛をもとめると、主人は「おまえはなにをいうのだ。三頭の牛だって。私はおまえに柄杓で三杯の油をやるといったのだ」といった。あらそうこともできず、旺哥は三杯の油をあたえられただけで帰途についた。
 途中に竜王廟があった。旺哥はせっかく1年間はたらいてもらった油だからと竜王像のまえにその油で灯火ともすことにした。竜王廟を出てまもなく大雨になった。旺哥が村の入口の小川にさしかかったとき、1尾の大きな紅鯉が土砂のうえにのりあげていた。その鯉をとらえて家にもどった旺哥は母に鯉を見せた。鯉の尾から水滴がしたたり、母の眼にはいったとたん、母の眼は見えるようになった。よろこんだ母と子はその鯉を川にはなしてやった。
 その鯉は東海の竜王の娘の変身であった。竜宮にもどり、命をたすけられた恩に報いようと両親に相談すると、竜王夫婦は、ひとり娘であるからと、360日をかぎって旺哥のもとにゆくことをゆるした。うつくしい女性に変わって旺哥の家をおとずれた竜女は、訪問の目的をつげ、一吹き、口でふくと、あばら家はたちまち御殿となり、食物や家具も家内に満ち満ちた。このようにして一家はしあわせな日をおくることになった。
 この噂をきいたのが主人の金持ちであった。旺哥の家にやってきて、うつくしい妻を自分に貸してくれと難題をもちかけた。困惑している旺哥に竜女がそっとささやいた。「わたしは父から360日の日限をみとめられてきたのですが、その日限はもう切れようとしています。あなたは主人の金持ちと家を交換するよう申し出てください」金持ちはすばらしい旺哥の御殿を見て交換の申し出に応じた。母と旺哥は主人の家にうつり、主人は家族をつれて旺哥の御殿にやってきた。
 その夜、主人と竜女が床につくことになったが、竜女は一桶の水をさげて浴室にはいり、そのままもどってこなかった。主人が灯りをともして浴室にいってみると、すでに竜女の姿はなかった。そのとき、一陣の風がふいて御殿が消え、主人はあばら家のなかに身をちぢめて立っていた。 

 長江南部は沼地や河川の多い土地です。ここで数々の水界訪問譚や水界報恩譚が生まれました。海幸山幸神話が海の原理と山の原理が相克するという構造をそなえているとするなら、その誕生地は、地形から判断しても、漁労民、狩猟民、農耕民が混在する中国南部がふさわしいと断言できます。
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諏訪春雄通信 26

 今回のテーマは「米と雑穀」です。日本の天皇家は、太陽信仰と稲魂信仰にささえられて、その隔絶した地位と永続をたもってきました。この二つの信仰が祖霊信仰や女神信仰などと結合しながら、長江流域から日本に伝来したことについては、これまでこの通信で詳細にのべてきました。

 稲作民にとって米はあらゆる〈穀物や農作物=食料〉のなかで優越した最高の価値をもちます。天皇家の絶対性はこの稲の絶対性にささえられます。しかも稲は大地におち〈朽ちて新しい生命を生みだす〉というサイクルをくりかえすことによって永続性をもちます。天皇家は、この稲の永続性と太陽の永続性の思想にささえられて、その絶対と永続の地位を保証されてきたのです。

 これにたいし、巨大王権が交替をくりかえした黄河流域では天にたいする信仰がさかんであったことについてもこの通信でくりかえしのべてきました。天の信仰は太陽の信仰に対応します。それでは、稲魂信仰に対応して黄河流域で誕生したものは何であったのでしょうか。それがこれからのべようとしている雑穀の信仰なのです。

 低温乾湿の黄河流域は、古来、稲作に適せず、冬小麦、粟、高粱、綿などが栽培の中心になり、水産資源の不足を牧畜などでおぎなってきました。これにたいし、高温多湿の長江流域では、ゆたかな水産資源にめぐまれ、稲をはじめとして、綿、油菜、茶などの多様な作物が栽培されていました。農耕に限定してかんがえると、稲作の長江文明にたいし、雑穀の黄河文明というように対比することができます。

 黄河文明の雑穀は、稲のように一元的絶対的な価値をもつ食物ではなく、複数の穀物にそれぞれ平等の価値をみとめる多元的相対的価値観をそだてます。黄河流域の王権交替を生みだした要因については、通信12で、
1.周辺遊牧民との抗争・軋轢
2.商業を中心とした経済の発展
3.農民勢力の台頭
4.潅漑工事

などをあげて検討しました。こうした要因の基盤にさらに天の思想や雑穀の思想が存在して、王権の交替現象をささえたとみることができます。

 アジアの稲の起源地は、これまでもたびたびのべてきましたように中国の長江中流域に決定しました。そこから日本への稲の伝来ルートの主要なものは二つありました。
  A 江南から直接に九州へ
  B 黄河淮河流域から山東・遼東半島、朝鮮半島を経て九州へ

 注意すべきは、このうち、Aルートが稲単独の伝来であったのにたいし、Bは黄河流域の雑穀地帯を経由したために、稲と雑穀の混合の伝来ルートであったということです。日本の稲作遺跡のほとんどからは雑穀と稲があわせて出土しています。朝鮮半島の稲作遺跡も同様な状況にあることが、この伝来ルートの存在をしめしています。他方、九州の筑後川、矢部川流域の有明湾沿岸部の遺跡からは稲だけが出土しており、江南からの直接ルートの存在をしめしています。

 米がながいあいだ日本人の主要な食物であったことは事実であり、米にともなう稲作文化が日本文化の重要な骨格をつくってきました。日本の王権がこの稲作文化をイデオロギーとして利用してきたのです。そうした様相は、すでに『古事記』や『日本書紀』の神話にみることができます。

 『古事記』の国生み神話で、イザナギ・イザナミの両神は、淡路島以下の大八島国などをつぎつぎに生んでゆきます。その個所で、「讃岐国を米飯の霊のよりつく意味で飯ヨリヒコといい、粟の国を穀物をつかさどるという意味のオホゲツヒメという」とあり、そのオホゲツヒメ神話では、スサノオに殺害されたオホゲツヒメの身体から、「二つの目には稲種、二つの耳には粟、鼻には小豆、陰部には麦、尻には大豆が生まれた」とあります。このあたり、米だけにとくにほかの穀物から超絶した位置をあたえているようにもみえません。

 しかし、しだいに、天孫降臨の地を「みず穂の国すなわち稲穂のみずみずしい国」とし、主役を「ホノニニギすなわち稲穂の豊穣」という名をあたえるなど、米を特別視する意図がつよくなってきます。

 稲を特別視する意図がよりあらわになっているのは『日本書紀』です。国生み神話でも一書第一に天つ神がイザナギ・イザナミに「豊葦原の、豊に稲穂の実る国がある。そこへいって治めるように」と命じ、天孫降臨神話でも、一書第二では、「わが高天原の神聖な稲穂をわが子にあたえなさい」とアマテラスがホノニニギに神聖な稲の携行を命令するなど、稲の特殊化はいちだんとすすんでいます。

 しかし、稲作農業を唯一の日本の農耕文化であるかのようにみなすことに反対する学者や思想家は数多くいます。昭和以降にかぎっても、宮本常一氏を先駆として、坪井洋文、網野善彦、佐々木高明、杉山晃一らの各氏です。

 この人たちは、麦、そば、粟、ひえ、大豆、小豆、胡麻などの雑穀やいも類などが、日本人の主食であり、米よりも重要な食べ物であったと主張しています。これらは米にくらべて、やせ地や寒冷地でそだち、はるかに耕作に手間がかかりません。しかもこれらの雑穀は水田稲作伝播以前の焼畑農耕で栽培されていました。

 弥生時代の初期から中期、日本人は、炭水化物の総摂取量の半分以上は、米以外の雑穀やいも類からとっていたであろうという見解も出されています(佐々木高明『稲作以前』NHKブックス・1983年)。

 網野善彦氏は、米が日本人の唯一の主食であったとかんがえる風潮がつくられたのは、江戸時代の状況を中世にあてはめ、二つの時代がなめらかに同質的に連続しているかのようにみなしたためであると主張します。

 中世の土地税の納め方をしらべてみると、西日本では、租税は米でおさめられていたが、東日本では、これとはちがって、絹や綿でおさめることが多かったといいます。また、米を租税としておさめていた西日本でも、日常、農民がたべていたのは、主に米以外の穀類であったと網野氏はいいます。

 その根拠として、若狭の国太良荘の貞和三年(1347)の記録を氏は提出しました。女百姓の所有物をさしおさえたときの記録によると、没収されたもののなかに、米五斗と、その二倍の量の粟一石がふくまれており、太良荘のような米を税としておさめている稲作地帯でも、ふだんたべていたのは、米ではなく雑穀であったことをあきらかにしています(『日本中世の民衆像―平民と職人』岩波書店・1980年)。

 日本文化のなかで、米に特別の地位をあたえたのは、支配者のイデオロギーであったといえますが、しかし、その観念がながく日本人にうけいれられてきたのは、稲とともに長江流域から伝来した信仰や思想のささえがあったからだということを私は前回までの通信でのべてきました。

3月2日(土曜日)午後2時から、学習院大学西5号館302教室で、公開研究会

「中国の地方劇」

東洋大學文学部助教授 有澤晶子氏

が、アジア文化研究プロジェクト主催で開催されます。講師の有澤先生は中国演劇の専門家です。日本人に馴染みの京劇、昆劇、川劇も中国の地方劇です。その数は300を超えるともいわれています。

   中国の信仰や祭祀→日本の信仰や祭祀
   中国の神話   →日本の神話
   中国の民俗   →日本の民俗
   中国の民間芸能 →日本の民間芸能

という対応がみられるように、

   中国の演劇   →日本の演劇

という対応が存在するというのが、私の確信です。その一端が今回の研究会であきらかになればと期待しています。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa26.htm


諏訪春雄通信 27

 今回のテーマは「大嘗祭」です。

 神話時代が終わって、日本は現実の国家経営に乗りだしてゆきます。統一国家の形態をととのえたのは4世紀から7世紀にかけてのころ、中国の隋・唐の王朝制度をとりいれて律令国家の制度を整備したのは7世紀末から8世紀初頭といわれています。

 これ以前、これ以降の国家としての日本の歴史は、中国の北方原理と南方原理の摂取と融合・葛藤のなかに展開してゆきます。その両原理は、また、日本の王権の歴史的展開を解明する重要な鍵にもなります。

 日本の天皇制永続の秘密をあきらかにするという本通信テーマの独自な視点の一つをあらかじめ提示しておくなら、じつは、この《中国の北方原理と南方原理の融合・葛藤として日本の天皇制をかんがえる》ということにあるのです。

 両原理は、一方が優越することもあれば、拮抗することもあり、また対立もしながら、日本の歴史をつくってゆきます。現時点で両原理はつぎのように対比されます。


北方原理  天の信仰   雑穀の思想  男神信仰   多元的  秩序への志向  
南方原理  太陽の信仰  米の思想   女神信仰   一元的  融和への志向

 これらの特性がどのようにあらわれて日本の国家と天皇の歴史を織りなしてゆくかをこれからあきらかにしてゆきます。

 大嘗祭は、天皇の即位後、最初に挙行する大きな規模の新嘗祭です。大嘗祭をおこなうことによってあたらしい天皇としての資格をもつことできるのですから、即位式でもあります。この大嘗祭をテーマにとりあげて、北方原理、南方原理を検討します。

 大嘗祭の文献上の初出は、『日本書紀』の天武天皇2年(673)12月の記事に「大嘗(おおにえ)」とある記事です。式の進行がよくわかるのは、平安時代にはいってからで、『貞観儀式』『延喜式』『江家次第』などの有職故実の書に記載があります。

 4月の悠紀国(ゆきのくに)、主基国(すきのくに)の選定からはじまって、11月の午の日の豊明節会(とよあかりのせちえ、天皇と臣下の饗宴)まで、半年にわたる行事の中心をしめるのは、11月の卯の日におこなわれる大嘗宮の祭りです。

 大嘗宮は、大嘗祭のためにあらたにたてられた黒木造りの建築物で、東西に悠紀殿、主基殿、廻立殿(かいりゅうでん)という三つの建物がつくられ、外部を柴垣でかこみます。

 外部からうかがい知れない秘密の祭りであるために、のちにみるように種々の推測説がだされていますが、基本の骨組みは、天皇の、廻立殿における《湯浴み》、悠紀殿・主基殿における《聖餐》、《就寝》という三つの行事に還元されます。この三つは、日本の各地の民俗行事にふつうにみられる儀礼であって、その一つ一つには、なんの不思議も神秘もありません。

 《湯浴み》は禊ぎです。水、海水または湯によって心身をきよめることで、祭りをおこなう当事者がけがれをさけるための行為です。

 この禊ぎが火の浄化力とむすびついたものが湯立てです。湯立ては、祭りの場の中央にしつらえられた釜で湯をわかし、笹の葉などにその湯をつけて、あつまってきた参加者たちにあびせるかたちをとるのがふつうです。

 この形式の儀礼は各地の民間神楽に一般的にそなわっている行事です。愛知、静岡、長野の3県をながれる天竜川ぞいに演じられる花祭りには、生まれ清まりと称して、すべてこの湯立ての儀礼をつたえていますし、また、暮れから新春にかけておこなわれる湯立て神楽とよばれる行事も、おなじ儀礼を祭りの中心にすえています。

 《聖餐》は、神と人との共食ですが、大嘗宮では、天皇と天皇の祖先の霊であるアマテラスとの共食です。

 天皇が一世一代の即位式として挙行する湯立てと聖餐が、日本人の民俗行事と共通して、特殊なものではないということをのべました。ここまでなら、数は多くありませんが、日本の民俗学者のなかにも指摘する人がいます(真弓常忠『日本の祭りと大嘗祭』朱鷺書房・1990年、森田悌編『天皇の祭り 村の祭り』新人物往来社・1994年)。

 しかし、この通信で、とくに私が強調したいことは、この二つの儀礼の由来が中国の南方にあるということです。

 稲魂信仰と祖霊信仰が結合した新嘗の祭りが、中国の長江南方の少数民族社会でおこなわれていることについては、この通信の15、18などで報告しました。ミャオ族の人たちは日本の新嘗にあたる祭りを《喫新節》といい、ハニ族の人たちは《フォシージャー新嘗祭》とよんでいます。いずれも、新穀を祖霊、穀霊および天神にそなえたのちに共食する儀礼です。

 中国でも一般的に祭りにさいして清めの火と水が重要な役割を演じていることについて、以前、私は日本・韓国・中国の事例について詳細に検討したことがあります(「中世祭祀の構造―道教・別祭・花祭りー」『日中比較芸能史』吉川弘文館・1994年)。

 日本の新春の若水汲みという民俗行事は水に生命更新の力をみとめる信仰です。この習俗が中国南方の稲作民族社会にひろく分布していることは、大林太良氏の報告があります(『正月の来た道』小学館・1992年)。水に清めの力をみとめ、祭りにさいして禊ぎに使用するのは、この若水汲みと共通する水への信仰にもとづきます。

 《就寝》は篭りです。記録によると、大嘗宮の悠紀と主基のあいだに寝具が用意されてありました。この寝具にくるまって天皇はお休みになるものとみられますが、しかし、この就寝の儀礼については、注目される説がこれまでに提出されています。整理するとつぎの4つです。
1.亡くなられた先帝と新帝との共寝
2.新帝と采女(うねめ)との聖婚
3.死者をほうむる喪屋
4.新生児のための産屋

 4つの説ともに新帝に新生の活力、それは天皇霊とよばれることの多い天子の霊力を付与することを目的にするという点では、ほぼ一致していますが、具体的な儀礼順序や性格規定で、以上のような対立があります。

1の説は、折口信夫(「剣と玉と」昭和7年、「上代葬儀の精神」昭和9年)、堀岡文吉氏(『国体起源の神話学的研究』培風館・1929年)などがとなえています。折口の「剣と玉」から引用します。


 古代には死と生とがあきらかに決らなかったので、死ぬものならば生きかえり、死んだものならば他の身体にたましいが宿ると考えて、もとの天皇霊の著いていた聖躬と新しくたましいの著く為の御身体と二つ、一つ衾で覆って置いて盛んに鎮魂術をする。この重大な鎮魂の行事中、真床襲衾と言う布団の中に篭って物忌みをなされるのである。

2の説をもっとも強力に主張しているのは岡田精司氏です(『古代王権の祭祀と神話』塙書房・1970年)。岡田氏は、新嘗祭には、服属儀礼の一環として、天皇と采女とのあいだに同衾がおこなわれたと推定しています。氏は、大嘗祭は新嘗祭の延長とかんがえ、マドコオスフスマは、これにつつまれて祖神と一体化した天皇と、国々の神の資格をもって奉仕する采女との神婚がおこなわれた衾の遺物であろうとします。

 岡田説の根底には、折口信夫の神の嫁という考えがあります。日本の古代、男性の君主と女性の巫女がたすけあって国をおさめていた時代がありました。君主の身近にある女性が神の嫁となって神意をききわけ、それを君主につたえて政治の方向を決定しました。

 巫女は、地方豪族が服属のあかしとして自己の子女を朝廷にさしだしたものでした。彼女たちは、出身の国々の神につかえる巫女の資格をもち、彼女たちが朝廷につかえることは、国々の神が朝廷に服従することを意味していました。采女は、祭りのさいには、神の生活にはいる天皇に奉仕し、神の嫁として、天皇と神聖な結婚をとげることがあったと、折口は説きました(「宮廷儀礼の民俗学的考察」)。

 この折口の説を支持するような事例が『日本書紀』などに記載されていることは事実です。神の嫁という折口の論はそれなりの有効な射程距離をもっていますが、しかし、それを大嘗祭に適用することについては、反対意見のほうが圧倒的に優勢です。

 その一人、谷川健一氏は諸種の資料を引用して、采女は、推古・皇極・斎明とつづいた女帝の成立によって地位を低下させ、天武天皇以降は、後宮十二司の最下位に所属したと主張します。「大嘗祭という一世一代の由々しい盛儀における采女の役割は、神膳をととのえる以外にはあり得ない」というのが谷川氏の断定です(『大嘗祭の成立』小学館・1990年)。したがうべき見解です。

 3の喪屋説は1の説とかかわる論です。この3の説を強力に主張する谷川氏(前掲書)は、南島のモガリの習俗を論拠に、先帝の死にさいして死者が完全に死者になりきるまえに、死者と共寝して、その活力をうけつぐ儀礼が、喪屋としての大嘗宮でおこなわれたといいます。モガリの習俗が日本の古代におこなわれていたことは確実ですから、谷川説は就寝儀礼の本質をついた説といえます。

 しかし、3の裳屋説と4の産屋説は、じつは相互に補完しあう説なのです。産屋説は、折口信夫がはじめにとなえ、いったんすてたのちに、晩年また採用した説でした(「大嘗祭の本義」昭和3年)。大嘗宮の悠紀、主基の両殿に布団がしかれ、枕もそなえられているのは、「日の皇子となられる御方が、資格完成の為に、御寝所に引き篭って、深い御物忌みをなさる場所である。実に重大なる鎮魂の行事である」とのべています。

 おなじ考えは、西郷信綱『古事記研究』(未来社・1973年)にもみることができます。マドコオスフスマの儀礼は、子宮の羊膜につつまれた胎児の状態にもどり、新生児として誕生しようとする模擬行為であったといいます。

 就寝の儀礼は民俗の死生観をあらわしています。民俗では、死と生は連続または循環として意識されます。死んでよみがえる擬死再生の儀礼がおこなわれる場所が大嘗宮であるといえます。それは稲の種子が大地におちて死に、あたらしい生命を得てよみがえる《篭りの精神》の儀礼化でもあります。

 大嘗祭の就寝の儀礼がモガリとウブヤの複合した性格をもっているとすれば、その習俗もまた中国の南方にもとめることができます。

 1993年の4月から5月にかけて、私たちは中国の東海沿岸、ジョウ泗列島、舟山列島の現地調査をおこなったことがあります。その調査報告は『中国東海の文化と日本』(勉誠社・1993年)として刊行されています。

 そのなかですでにのべたことですが、この地方一帯にお墓を二度つくる複葬がおこなわれています。死者がでると、その死骸を、住まいの近くの田畑などに仮の埋葬の墓(殯廓とよんでいます)をつくっておき、1年または3年が経過した時点で、山の傾斜地などに里のほうにむけて永久的な墓をつくって埋葬しなおします。

 日本の古代のモガリや近畿地方などにおこなわれている両墓制の起源もまた江南にあったことをしめす調査結果です。それが農耕民に顕著な篭りの精神と結合したものが、大嘗宮の就寝儀礼なのです。

 このようにみてきますと、大嘗宮での行事は明確に中国の南方原理をしめしていますが、しかし、全体としての大嘗祭は大嘗宮以外の行事もおこなわれており、大きく、

  A 大嘗宮での天皇一人の儀礼
  B 宮中における天皇と群臣の饗宴(豊楽院の節会、最後の豊明の節会)

と二分されます。

 Bは一種の新帝にたいする服属の儀式であり、そこでは悠紀・主基の両国から献上された貢物が分配されます。悠紀・主基の両国は天皇の統治する日本国の象徴であり、Bはあきらかに新しい天皇とそれに仕える臣下の秩序を確定する北方の原理に支配されています。

 このようにみてきますと、大嘗祭は、結局、北方原理の外枠に核心としての南方原理がつつみこまれた儀礼であると規定できます。この構造は、日本の王権構造全体の象徴でもあります。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa27.htm


諏訪春雄通信 28

 今回のテーマは「天皇号」です。

 3月2日(土曜日)午後2時から東洋大學文学部助教授有澤晶子先生を講師にお招きして、「中国の地方劇」という公開研究会を学習院大學で開催しました。この通信の読者のなかで当日おいでいただいた方々もいらっしゃるとおもいます。

 内容といい、発表形式といい、最近の講演や研究発表のなかでは出色のものでした。当日、おいでになった方は幸運であったといってよいでしょう。

 発表形式はパソコンとビデオを組み合わせたもので、私の所属している国際浮世絵学会などではよくおこなわれている形であり、大學での講義などでも採用される先生が多くなりました。

 ただ、有澤先生のばあいは、その演出がよくゆきとどいており、写しだされることばとビデオの配合が絶妙で、観客を飽かせることがありません。

 機械に習熟せず、機械にふりまわされている発表者(私などはその典型です)がままいますが、有澤先生は機械を、平凡な表現ですが、手足のように使いこなしておられました。

 内容は、360種をこえるといわれている中国の地方劇のなかから4大国劇といわれる、昆劇、京劇、川劇、椰子劇の4種をとりあげ、その概要と特色を紹介したものです。私も前々から関心をもって、研究をすすめている分野ですので、発表内容の評価が多分当日の一般的な聴衆の方々よりはできます。

 小さなテーマで高度な発表をすることは、じつは、一定の水準に達した研究者にはそれほどむずかしいことではありません。真にむずかしいのは、そしてこれからの人文科学系の学者にもとめられることは、

「広く、高度な内容を、わかりやすく、興味ぶかく伝える」

ことなのです。有澤先生の実力をあらためて再認識したというのが、私の率直な感想です。

 この公開研究に先立つ2月26日(火曜日)、私のもとにあるテレビ会社からの取材がありました。といっても、テレビ撮影ではなく、番組の台本づくりのための取材です。松竹株式会社からの依頼をうけて、歌舞伎役者、それも今人気絶頂にある三之助クラスの役者を中国に旅させて歌舞伎の源流をたずねさせるという企画です。

 私が平成12年に吉川弘文館から「歴史文化ライブラリー」の一冊として刊行した『歌舞伎の源流』をじつにていねいに読みこんで、要点をついた質問をしてきました。ディレクターと台本作家と二人で、私の研究室に訪れてきて、交互に質問をしてメモをとっていました。

 そのときに、「歌舞伎の遠い原型が故郷の地を出発して、しだいに演劇としての形をととのえながら、日本にまで到達する歌舞伎ロードという構想は成立しますか」という興味ぶかい問題を、台本作家の方が私に問いかけてきました。

 じつはこの問題はここ数年追いかけている私の重要な研究テーマの一つなのです。

 学習院大学文学部は平成13年に人文科学研究所を創設し、助成金を出す研究プロジェクトを募集しました。そのときに私は「東アジア演劇形成過程の比較研究」という3年計画のテーマで応募し、九件の応募のなかからトップで採用されました。

 有澤先生にもそのプロジェクトにくわわっていただいており、3月2日の公開研究会は、この人文研究所の研究プロジェクトの費用で開催されたものでした。

 この通信の25で私はつぎのようにのべたことがあります。


「私は、中国の長江流域、稲作農耕の誕生地である湖南省にはじまって中国全土にひろまっていった来訪神儀礼13種の調査結果にもとづき、出現の時期、役柄、服装、神の性格、扮装、持物、出現の目的、演じ手の6項目にわたって、日本の来訪神儀礼との共通性を確認しています。日本の来訪神儀礼は中国の来訪神儀礼が稲作農耕とともに日本へわたってきたものと断定できるのです。中国、ベトナム、日本などの分布状況から、その伝来の経路もほぼ特定できます」

 その伝来の経路は大きく二つにわかれるとかんがえています。一つは西回りのルートです。ほぼ長江にそって貴州、雲南、広西チワン族自治区などを経由してベトナムにはいり、沖縄にわたり、北上して九州、福井、石川、新潟、山形、秋田などにつたわったものです。有名な秋田のナマハゲはその最末端の痕跡です。

 もう一つの経路は東回りです。西回りが比較的純粋に来訪神儀礼の原型を保存しているのにたいし、東回りのコースは、悪鬼ばらいの儺の儀礼と結合しながら、文化の先進地帯を経過したことによって、高度な演劇化をとげたというのが、私の基本的な考えです。

 私は概略以上のような構想で「東アジア演劇形成過程の比較研究」というプロジェクトを立ち上げたのです。

 したがって来訪されたテレビ局の台本作家から歌舞伎ロードについて質問されたときにすぐにこの東回りのルートをかんがえました。そしてつぎのようにこたえました。

「東回りをたどった来訪神と儺の複合体は、中国では古代演劇、宋元南戯、元雑劇、明清伝奇劇、地方劇などへと発展しました。おなじ複合体は、朝鮮半島では、処容舞、山台雑戯、農楽などを誕生させ、日本にも上陸して、中世以降の民間神楽、田遊び、王の舞、能、狂言などを生み、最後に歌舞伎として結晶しました」

 そして、中国長江中流域からいったん北上し、山東、遼東、朝鮮などの各半島を経過し、日本海側の出雲に上陸し、京都の五条、北野を経て、現在の四条の南座を終点とする歌舞伎ロードの具体的な道筋についても説明しました。

 この構想を、テレビ局が、台本としてどのように生かしてくださるか、仕上がりが楽しみです。

 大風呂敷のひろげすぎと眉をひそめる方も多いとおもいます。ことに実証主義をたいせつな方法とする専門研究者はそのように批判するとおもいます。

 しかし、私は、このごろ、学問の究極とは「志」であり「夢の実現」なのだとおもうようになりました。もちろん、堅固な実証にささえられた「夢の実現」です。

 通信26で、中国の古代文化と日本の古代文化につぎのような対応があると申しました。

    中国の信仰・祭祀→日本の信仰・祭祀
    中国の神話   →日本の神話
    中国の民俗   →日本の民俗
    中国の民間芸能 →日本の民間芸能

 自分でもそれなりに調査したことのあるこのような対応を前提に、


中国の演劇→日本の演劇

という対応も確実に存在するとかんがえています。

 「天皇号」についてのべます。

 天皇は中国の道教に由来することばです。その出典は、中国古代、紀元前3世紀ごろの各種の道教文献に「天皇大帝」とみえるのが最初です。たとえば、その一つ『春秋緯合誠図』には


 天皇大帝は北辰の星であり、元を含み陽を秉(と)り、精を舒(の)べ光を吐き、紫宮中に居りて四方を制御する。

 とあります。わかりやすくいえば、宇宙の根源として全世界を統御する北極星である、ということです。中国の道教では最高神として崇拝される北極星を天皇といったのです(福永光司『道教思想史研究』岩波書店・1987年)。

 ここから、日本の天皇号についてはむずかしい議論が生まれました。道教信仰そのものと関係があるのかないのか、いつごろから、どのような目的で使用されるようになったのか、などです。

 こまかな詮索はおいておいて、最新の研究成果にもとづいて、結論的なことだけをのべますと、最初は単なる尊称として使用されていた段階(推古天皇の時代)があり、持統天皇の時代に君主号としてもちいられるようになりました。また、東アジア世界における日本国家の地位を意識した呼称ではあるが、かならずしも道教思想と関連させる必要はないということです。

 日本が国家体制をととのえつつあった7世紀から8世紀のころに、主として対外意識のなかで採用され、浸透していったことばが天皇であったということになります。

 この天皇にたいする和語が「すめらみこと」です。平安前期に成立した『令集解(りょうのしゅうげ)』には


君は一人を指す。天皇これなり。俗にすめらみことというなり。

とあって、公式用語の天皇にたいする一種の俗語とかんがえらえられていたようですが、天皇号が成立する以前にはひろくもちいられていたことばです。

 すめらみことは「すめら」と「みこと」にわけられます。すめらについては、「統べら(統治する)」とおなじ意味というのが通説でしたが、上代特殊仮名遣いから判断して、「統べ」のベはエ列乙類、「すめ」のメはエ列甲類であって、甲乙が一致しないという疑問が提出されました。

 そこから、アルタイ諸民族が世界の中心とかんがえるSUMERE(梵語で至高・妙高の意味の蘇迷盧)と同義とする説、清澄、神聖の意味の「澄める」とおなじ意味であるとする説などが出されました。

 上代特殊仮名遣いというのは、奈良時代およびそれ以前のある種の仮名(エキケコソトノヒヘミメヨロ、古事記ではモも)に二種類の書き分けがあったという説です。したがって、発音と表記法がちがうことばは、当然意味の違うことばになるという考えです。

 しかし、私はこの法則をあまり厳密に適用すると行き過ぎになりはしないかという危惧をもっています。

 私は新潟県の出身であるためにイとエの発音があいまいで、仮名遣いもよほど意識しないと誤ってしるしてしまいます。私の友人の数代つづいた家に生まれた江戸っ子はヒとシの区別がまったくできません。こうした現象が古代にもあったのではないでしょうか。

 すめらみことの「みこと」は「尊」「命」などの字があてられますが、もとの意味は「御言」とする説が有力です。

 各様の説があるにしても、結局、すめらは尊貴な存在をあらわすことばであり、このことばを上にかぶせたすめらみことは「天の神のことばを代ってつたえる尊貴な御方」という、折口信夫の説(「天子の諡」)が妥当性をもちます。つまり、高位のシャーマンです。

 すめらみこととよばれた尊貴な方は、この世にあって天の神のことばを体現する神の代行者でした。南方原理につらぬかれた存在だったといえます。

 これにたいする天皇は、天界の北極星そのものと合一する北方原理をとりいれた存在です。

 この通信で、私がもっとも強調したかったことは、のちには混同されますが、本来は、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったということです。

 日本が、6世紀から7世紀にかけて、国家組織を整備してゆくときに、南方原理を北方原理で補完してゆくという当時の基本略を象徴的にしめすものが、君主号すめらみことと天皇の使い分けでした。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa28.htm


諏訪春雄通信 29


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 年度末の学校行事が一段落し、ようやく時間的なゆとりも出来ました。そこで、収集してあった中国の神話資料の整理と読み直しをすこしずつはじめました。日本神話とかかわりのある新しい資料が続々と出てきています。

 以前、この通信の24で、《中国長江流域の神話伝説で日本の王権神話の基本構造を説明しきる》という、私の研究の基本態度を説明しました。新しい資料を補足することによって、この研究姿勢に誤りはないという確信をますますつよめています。

 まだ完全な整理がおわっていませんので、結果が出次第、この通信で概要を報告しましょう。

 今回は「天皇と祭祀」というテーマでお話しします。これも大きな問題ですので、数回にわたって、この通信でとりあげる必要がありそうです。

 前回の通信の最後に、天皇は国際的な外交用語であったのにたいし、すめらみことは国家的な祭祀用語であったと申しました。まず、この結論にたいして説明をくわえます。

 通信27で「大嘗祭」をとりあげました。そこで説明しましたように、大嘗祭の中心行事である大嘗宮での祭りは天皇一人の儀礼であって、女官がその他が奉仕するにしても脇役にすぎず、祭りを進行させる神主はとくにいません。天皇自身が神と直接に接触する祭祀主体=シャーマンです。

 この大嘗祭のほかにも、天皇自身が祭祀主体となる祭りは、宮中行事に数多く存在します。

 奈良時代の養老2年(718)に古代法を集成して編纂された法令集が養老律令です。奈良時代から平安時代にかけての日本国家の基本法でした。そのなかで、国家祭祀を規定した
 「神祇令」には、全部で13の祭祀があげられています。

祈年祭  鎮花祭  神衣祭  三枝祭  大忌祭  風神祭  月次祭  鎮火祭
道饗祭  神嘗祭  相嘗祭  鎮魂祭  新嘗祭(大嘗祭)

 「神祇令」の冒頭の第1条には「およそ天神、地祇は、神祇官が神祇令の規定にしたがって祭れ」とあって、13種の祭りを執行するのは、「神祇官」であって、天皇の名は出てきません。

 このことから天皇は国家祭祀に関与していないという結論を出すことはできません。神祇官は祭祀を管轄する行政官であって神主ではないからです。

 わかりやすい例でいえば、文部科学省の役人は教育の管轄はするが教師ではありません。学校の現場で児童に接触するのは教師です。おなじように、祭りで神に接触したのは天皇でした。

 このあたりの事情は、通信27の「大嘗祭」についての記述をお読みいただければわかります。大嘗祭は、天皇一代一度の大祭であって、例年は神嘗祭として執行されます。その神嘗祭は「神祇令」の規定によれば、神祇官が管轄しますが、実際に祭りの主体者として神と接触するのは天皇です。同様の事情がほかの12種の祭祀にもあてはまります。

 国家的規模の祭りの祭祀主体は天皇であって、神祇官は儀式の管轄者、あるいは代理人にすぎなかったという事実をほかの方法で説明してみましょう(丸山裕美子「天皇祭祀の変容」『日本の歴史8 古代天皇制を考える』講談社・2001年)。

 前掲13の祭祀には、新嘗祭(大嘗祭)のように、天皇が関与したことのあきらかな


月次祭  鎮魂祭  新嘗祭

などのほかに、天皇が直接には関与していない多くの祭祀があります。つまり地方の神社で祭りをおこない、そこに天皇が参加していないものです。

 しかし、そうした祭りでも、中央の神祇官から幣帛つまり供物がわけあたえられます。こうした資格をもつ神社を官幣大社といいます。天皇の参加しない国家祭祀でも、官幣大社でいとなまれます。

 その分与式(班幣)はつぎのように進行します。上京した神主(祝部ほうり)たちは、宮中神祇官の役所前の広場に集合します。大臣以下の役人たちが参列するなかで、神祇官の中臣氏がつぎのような内容の祝詞を奏上します。


 あつまってきた神主・祝部らよ、皆聞きなさい。高天原にいらっしゃいます、スメラミコトがむつまじく親しむ男女皇祖神のご命令にしたがって天神・地祇としてまつる神々の前に申しあげます。今年の二月、ゆたかな収穫をたまわりますように皇孫のスメラミコトが珍しく尊い供え物を、朝日がみごとに輝きのぼるときに祝詞を奏上して、奉ります。

 大宝2年(702)2月に実施された祈年祭の祝詞です。この例からもあきらかなように、国家祭祀の正当性は、高天原の神々の子孫である天皇が奉る供物によって保証されるとともに、天皇は供物をとおして、自身直接に参加しない祭祀の主体者となっているのです。

 この祝詞のなかに天皇ということばは出てきません。和語でとなえられる祝詞に漢語の天皇が出てこないことは当然とかんがえられるかも知れませんが、天皇にあたることばとして「皇」と「皇御孫命」という漢語は出てきます。これは「すめら」、「すめみまのみこと」とよまれています。その基本に「すめらみこと」が祭祀用語として存在したとかんがえます。

 「神祇令」は中国の唐代の祭祀を規定した「祀令」を参照して成立したといわれています。しかし、根本精神は日本流に変更がくわえられています。それは天皇が国家祭祀の主宰者であるという観念です。

 天皇は祭祀王であるという観念は7世紀から8世紀にかけて、日本が国家体制をととのえていったときに、為政者によって周到に準備され、律令にもとりいれられましたが、それだけにとどまらず、『古事記』や『日本書紀』のような編纂物のなかにも布石されています。

 一例を『日本書紀』の第10代崇神天皇の記事にとります。
1.天神地祇に祈願する。
2.天照大神・倭大国魂の二神を宮中にまつる。
3.八百万の神々を神浅茅原に招いて占いをする。
4.お祈りした夜の夢に大物主神があらわれ、大物主神をまつる。
5.八十万の神々をまつる。
6.夢中の神の教えのままに墨坂神・大坂神をまつる。
7.鏡をまつる。

 崇神天皇については各種の説がこれまでに提出されています。


事実上の初代天皇である。
三輪王朝の創始者である。
騎馬民族系の渡来王である。
『魏志倭人伝』の卑弥呼をたすけた男弟である。

 複雑な性格をもった天皇であったことが推測されますが、いずれにしても祭祀王であったことは『日本書紀』の以上の記載からあきらかです。

 天皇が祭祀王としての性格をもつようになった過程については、大きく三つの考え方が成立します。

A.天皇ははじめから祭祀王としての本質をそなえていた。
B.巫女王の時代から男性祭祀王の時代に推移した。
C.男女の祭祀王ははじめから並存していた。

 この問題を解決するためには、巫女王、女帝、斎王、後宮などについて検討する必要があります。次回以降、これらの課題を解明してゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa29.htm

諏訪春雄通信 30

 私たちのプロジェクトは、会員とはべつに、40数名の学識経験者の方々を「参加者(メンバー)」とよんで、会の運営についてご助言をいただいています。その参加者の一人谷川健一先生から久しぶりにお電話をいただき、新宿の中村屋でお会いしました。

 用件は、5月の連休あけに韓国へ取材にゆく予定であるが、適当な案内者を紹介してくれないか、というものでした。さっそく、やはり参加者の一人である広島大学の崔吉城先生に連絡をとり、最適の案内者を谷川先生に紹介することができまし。

 中村屋で谷川先生と一緒に私を待っていた方が、新潮社の文芸誌『新潮』の編集長前田速夫さんでした。その場で『新潮』に7枚の短文の寄稿を依頼され、「日本神話と中国長江流域神話」という一文を書いてすぐに送りました。この通信でこれまでにのべたことをまとめたものですが、その後に新しく発見した資料を追加しています。

 その追加資料をふくむ部分だけを、まず、この通信でお送りします。読みやすいように段落分けをします。


「日本神話と中国長江流域神話」

 日本神話の研究には、中国の少数民族社会の神話・伝承の調査研究が必須である。
しかし、残念ながら、日本神話の研究に中国少数民族の神話が考慮されることは、亡くなられた大林太良氏のような先覚者をのぞくと、これまでほとんどなかった。

 その理由の第一は、中国の民間伝承研究の成果が利用しやすいかたちで日本の学界につたえられていないということである。現在、中国神話として日本に紹介されている類書はほとんどすべて、文献に記載のある漢民族の神話であって、少数民族の口承神話ではない。

 第二の理由は、ヨーロッパ研究者による東南アジアや南太平洋の神話研究がはるかに先行していて、日本の神話学者はその成果をほとんど無批判に利用していることである。

 具体例で説明してみよう。

 海幸彦・山幸彦として漁労と狩猟に従事していたホデリとホオリの兄弟が、釣針と弓矢を交換し、弟が兄から借りた釣針をうしなって、竜宮をおとずれる神話は『古事記』と『日本書紀』がつたえている。日本人にもっともなじみのふかい神話の一つである。

 この神話の源流として、これまでに、インドネシアのケイ族の伝承、パラウ島の伝承などが指摘されている。インドネシア方面の「失われた釣針型説話」を原型として、日本の海幸彦・山幸彦の神話が成立したというのが現在の定説である。

 東南アジアの「失われた釣針型説話」の存在を最初に報告したのは、十九世紀以来、この地方に入って調査にしたがったフリードリヒ・ミューラーやフロベニウスといったヨーロッパの研究者たちであった。日本の神話研究はその成果を借用してきたのである。

 しかし、最近、中国の長江南部に海幸彦・山幸彦と類似の話が存在することが報告されている。大林太良氏は、この神話を海の原理と山の原理の闘争ととらえ、江南地方につたえられる呉越の戦いにかかわる伝説を、山を代表する越と海を代表する呉の対立として分析し、日本神話の原型として紹介している(『日本神話の構造』)。

 また、伊藤清司氏は、湖南省のトウチャ族につたわる「格山竜珠を与えられる」という話を紹介し、兄弟の争い、水界訪問、水界の女性との結婚、水界よりの呪宝の将来、呪宝による水の支配、兄への復讐、という六つのモチーフが共通することを説いている(「日本と中国の水界女房譚」)。

 私自身はこのほかに、雲南省のラフ族、貴州省のコーラオ族、四川省のイ族、貴州省のプーイー族などがつたえる二十種を超える異型の水界女房譚を、現時点で発掘している。この数はもっとふえるはずである。これらを総合すると、日本の海幸彦・山幸彦の神話の源流は中国の長江南部であると確信をもって断定することができる。

 もう一例、イザナギ・イザナミの国生み神話について検討する。この神話の原型についてもポリネシア、内陸アジア、インドなどの神話との類似がこれまでに説かれてきた。

 日本の国生み神話は、A洪水で生存した兄妹が結婚する、Bその結婚ははじめうまくゆかず身体不完全な子が誕生したが試行の結果国土と人類などが誕生する、Cしかもそうした行為が神、動物などの指示によっておこなわれる、という三つのモチーフから成る、いわゆる洪水神話の不完全型である。

 『旧約聖書』のノアの方舟で知られる洪水神話は、インド、南アメリカ、東南アジアなどに分布していて、起源地についても諸説があって一定していない。しかし、私は、中国ですくなくとも八十七種の洪水神話を収集している。その分布状況はつぎのようになる。

雲南省 三十八種   貴州省 十五種  湖南省 十一種  広西チワン族自治区 七種
四川省    五種   海南島  四種  湖北省   三種  内蒙古自治区      三種
遼寧省    三種   福建省  一種  台湾    一種  河南省          一種
青海省    一種   黄河辺  一種  黒竜江省 一種

 総数が九十五種となるのは、同一話が二つの地域にまたがって存在する例があるからである。この表によってみると、洪水神話は、雲南、貴州、湖南など、長江周辺の稲作民の居住地に稠密に分布していて、そこから南北にはなれると、急速に減少している。このことから洪水神話の起源地は長江中流域であると確定することができる。

 このほかにも、「アマテラスの天石屋戸隠れ」、「天孫降臨」、「オオクニヌシの根の国訪問」など、日本の王権の成立にかかわる神話の重要な骨格部分が、ほとんどすべて、中国の長江流域の稲作民居住地の伝承を源流としていることがあきらかになっている。太陽神・女神・祖先神・稲魂という四つの性格を兼備して、皇室の祖先となったアマテラスと同一神格への信仰もこの地方に存在している。

 このような中国長江流域神話と日本神話の類似という事実はけっして偶然の暗合ではない。アジアの稲作は一万年以前に長江中流域にはじまって、長い年月をかけてアジア各地にひろまっていた。そのときに稲作の技術とともに、稲作にかかわる信仰や民俗、神話伝承もまた伝播していった。その末端が日本に保存されているのである。

 以上です。ここで洪水神話87種といっているのは、通信20でのべたように、中国の民俗学者林河氏紹介の58話に私が29話を追加した数値です。中国の少数民族の神話については、なおも調査を続行中ですので、結果がまとまりしだいまたご報告します。

 今回は前回お約束した「巫女王」の問題について簡潔にのべます。

 巫女王とは女王が巫女をかねているものです。典型的な例は、『魏志倭人伝』にしるされて有名な卑弥呼です。彼女は邪馬台国の女王であったが、夫をもたず、一人の弟が政治をおこない、彼女じしんは鬼道につかえていたといいます。

 卑弥呼の没後、和国は混乱におちいったので、人々は卑弥呼の長女壹与を王として国を治めさせたといいます。壹与もまた巫女王でした。

 卑弥呼や壹与は邪馬台国にかぎられた特殊な例でなく、古代の日本にかなり一般的にみられる政治と祭事の形態だったようです。ヒメ・ヒコ制とよばれるものがそれです。

 ヒメ・ヒコ制は、兄弟と姉妹が政事と祭事を分担する統治の形態です。一般に「地名+ヒメ」と「地名+ヒコ」の名をもつ男女が一対となってその地域を支配する原始的な王権のあり方でした。具体例としては、『日本書紀』神武天皇即位前紀のウサの国の祖先ウサツヒコとウサツヒメの場合などがあります。

 このほかにも『日本書紀』には地方の首長が女性であった例をいくつかひろいだすことができます。政事権または軍事権をもつ男性の名がしるされていませんが、女性が祭事権をもつために首長にされたのであろうと推測されています(鳥越憲三郎「巫女の歴史」『講座日本の民族宗教4』・弘文堂)。

 ただ時代がさがると、男女の役割分担に相互移動もあったようで、女性の首長が政事や生産にたずさわる例もありました(今井尭「古墳時代前期における女性の地位」『日本史研究』397)。

 しかし、ヒメ・ヒコ制の精神は日本の歴史を貫流していました。

 『古事記』や『日本書紀』には天皇の代替わりにともなう皇位継承争いの記事が頻繁と出てきます。そのばあい、ライバルが同母の姉妹をもっていますと、皇位継承者がその女性をめとっている例が多いのです。

 これは、霊的守護者である姉妹を兄弟からひきはなすことに目的があったのではないかとかんがえられます。

 平和のうちにそれが成功すれば、皇位継承者はライバルにたいして優位にたつことができましたが、不幸にして両者が対立関係にあるときは、相手を倒してその霊的守護者である姉妹をめとることによって皇位争奪戦の完全な勝利をかちとることになりました(倉塚曄子『巫女の文化』平凡社・1979年)。

 沖縄にオナリ神とよばれる、兄弟を守護する姉妹の霊にたいする信仰があることはよく知られています。柳田國男が『妹の力』(1940)収載の論文で先鞭をつけ、伊波普猷がそのあとを受けて解明をすすめた問題でした。

 オナリは、奄美・沖縄・宮古・八重山の諸地域で兄弟から姉妹をさすことばです。姉妹から兄弟をさすときはエケリといいます。オナリ神信仰は、宮古をのぞく前記の各地にみられます。

 オナリ神の働きは呪詛にもしめされますが、多くは兄弟が危機にたったときの守護に力を発揮します。航海や戦争などの出発のさい、姉妹は守護のしるしとして、手ぬぐいや毛髪をもたせ、兄弟が危地におちいったとき、姉妹の霊は白鳥になって現地に飛ぶといいます。

 姉妹は兄弟にたいし霊的守護の役割をはたしますが、同時に兄弟は姉妹にたいし俗的守護の役割をします。しかも家族のレベルを超えたさまざまな上位の祭祀集団にもこの関係をみることができます。根神(ニーガミ)と根人(ニーッチュ)、ノロと按司(アジ)、聞得大君と王の関係などです。

 こうなると、本土古代のヒメ・ヒコ制の関係と完全にかさなります。

 興味ぶかいことは、このヒメ・ヒコ制、オナリ神信仰の源流についても、ポリネシアなどのオセアニアやインドネシアにもとめる説(馬渕東一『馬渕東一著作集3』、鍵谷明子『インドネシアの魔女』、他)が有力であるのにたいし、少数意見として、中国の守護女神媽祖(まそ)信仰との関係をかんがえる説があることです(植松明石「オナリ神」『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社・1983年)。

 私はいまこの少数意見の立場にくみして、女性の霊力の問題を究明してみようとおもっています。

 さらにまた、女帝、斎王、後宮、采女など、日本の王権の維持にふかくかかわる諸制度で、ヒメ・ヒコ制、オナリ神の観点から説明しなければならないものが数多くあります。

 これらの問題を逐次この通信でかんがえてゆきます。
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f04/suwa30.htm



http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c13

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
26. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2018年11月27日 12:12:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21175]

2018年11月27日
日産がルノーと提携解消したい理由 技術と利益とられる

日産に開発させたEVの技術で作ったルノー「ZOE」

金は日産に払わせて技術と金はルノーが受け取っている


画像引用:https://res.cloudinary.com/carsguide/image/upload/f_auto,fl_lossy,q_auto,t_cg_hero_large/v1/editorial/Renault-Zoe-2017-white.jpg


ルノーは日産のお荷物だった

日産のゴーン会長逮捕で注目されているのが企業文化で、日本は企業倫理が低いと指摘する人もいます。

だがゴーンを送り込んできたルノーのフランスを見ると、企業倫理が高い国とはとても思えない。

ルノーは日本ではありえないフランス国営企業で、政府が30%の議決権を持っています。


株式保有率は15%だが、安定株主の議決権を2倍にする国内法によって30%の議決権を得ている。

ルノーの経営はとてもルーズで万年赤字ペース、日産を買収した1999年ごろだけたまたま経営状態が良かった。

ルノーは戦前から国営と民営化を繰り返し、1990年まで公団で実質的な国有企業でした。


1996年に完全民営化し、その後数年だけは景気が良かったが、日産買収後はまた経営悪化しました。

そこでルノーが取ったのが日産から金を吸い上げる方法で、日産車をルノー工場で生産して日産に買い上げさせた。

日産の販売台数が増えれば増えるほどルノーが儲かり、生産拠点をどんどんルノー化していった。


日産車を評判が悪いルノー車として販売したり、日産車をベースにルノー車を作って販売したりした。

こういった業務提携は他社も行っているが、ルノーの異常性は日産の利益を減らしてルノーに付け替えていた点でした。


ルノー工場で日産車を生産する時や、日産車をルノー車として販売する時の取り分は、ルノーだけに有利になっていました。

最近ルノー車の品質や性能が向上しましたが、中身は日産車なので当たり前です。


日産に依存しているルノー

日産はルノーとの関係を断ち切れば他社と提携が可能になり、ルノーと対等になればルノーに金を吸い上げられなくても済む。

ルノーにとって日産は「たかり」の対象で、日産にとってルノーは疫病神でした。

車体やエンジンの共通化についてもルノーは日産の技術をタダで巻き上げてEVを販売し、その費用は日産に支払わせた。


こうしてルノーは経営危機を脱したのだが、日産に絶縁されたらまた元のゴミ企業に逆戻りするでしょう。

問題は共通化や提携と言っても「金を出すのは必ず日産」「金を受け取るのは必ずルノー」になっていた点です。

これにはフランス政府のごり押しも影響していて、政府の影響力を盾に一方的な支配体制を構築しました。


だからゴーンは日産の独裁者になれたのであり、報道では不正資金が120億円に達していた可能性があります・

そろそろ日産はルノーやフランス政府との関係を断ち切るか、日産主導の提携に転換するべきです。

ルノーやゴーンが日産を立て直したのはもう20年前の話で、今はただのお荷物です。
http://www.thutmosev.com/archives/78262245.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c26

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
1. 中川隆[-13622] koaQ7Jey 2018年11月27日 13:28:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21175]
既に何千人も書いてる事を繰り返すなよ

中卒は引っ込んでいた方が恥かかなくていいよ

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c1

[経世済民129] ゴーン氏がデリバティブ取引の損失を日産に引受させていた(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 中川隆[-13621] koaQ7Jey 2018年11月27日 13:30:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21175]

『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html

ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html

 

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/627.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
3. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月27日 14:02:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21181]
>>2
僕は毎日いろんなサイトを見て、価値が有ると思ったものを転記保存しているから

文章を一寸読んだだけで書いた人の知的レベルがわかるんだ。

天橋立の愚痴人間氏の書いたものは、どう見ても中学生レベルなんだよ

自分の頭で考える能力が完全に欠如しているんだ


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c3

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
59. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月27日 14:42:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21184]
北方領土問題の鍵を握る「日米地位協定の考え方」という極秘文書
http://kenpo9.com/archives/4472
2018-11-27 天木直人のブログ

 11月25日の天木塾で講師として来てもらった前泊博盛沖縄国際
大学教授から、北方領土問題の鍵を握っているのは「日米地位協定の考
え方」という外務省の機密内部文書であることを教えてもらった。

 その要旨はこうだ。

 すなわち、外務官僚たちは、あの日米地位協定の解釈について、条文
を見るだけではわからない地位協定の解釈、言いかえれば運用マニュアル
すべて米国に都合のいいように日米地位協定を実施して来た。

 このとんでもない、国民を裏切る文書を沖縄の琉球新報がすっぱ抜い
てスクープ報道したのは2004年1月元旦だった。

 外務省を解雇されたばかりの私は、当時その報道を知って驚いたこと
をいまでも思い出す。

 つまり日米安保条約の密約ぶりが一番凝縮されたのが、この外務官僚
たちが勝手に作った「日米地位協定の考え方」つまり運用マニュアル
なのだ。

 そして、ここからがこのメルマガの本論なのだが、いまや安倍首相が
歴史的偉業として成し遂げ、解散・総選挙に打って出ようとしている
北方領土の鍵を握るのがこのマニュアルなのである。

 外務官僚の書いたマニュアルにはこう書かれている。

 「・・・このような考え方(つまり日本が米国の要求に応じないとい
う事は安保条約上予想しえないと言う意味)からすれば、例えば北方
領土の返還の条件として、『返還後の北方領土には(米軍)施設・区域
を設けない』との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うような事
をソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということ
になる・・・」

 こも運用マニュアルは、琉球新報がスクープした後、「日米地位協定
の考え方 増補版」(高文研)として出版され、公表されている。

 その31ページに上記の文章がそのまま公開されている。

 ロシアそれを研究していないはずがない。

 ロシアの側近が訪ロした谷内正太郎NSC局長に問いただしたのは
まさにこの点だ。

 そして谷内局長はマニュアル通り、約束できない、米軍
が在日米軍基地を返還後の北方領土に置く可能性をあらかじめ否定する
事は出来ない、と、馬鹿正直に答えてしまっただ。

 そこでプーチン大統領は安倍首相に迫ったのだ。

 「君の側近が島に米軍基地が置かれる可能性があると言ったそうだが、
それでは交渉は終わる」と。

 慌てた安倍首相は、「全くの誤解だ、これから交渉しよう」、と応じ
たのだ。

 そして安倍首相は、あらためて外務省の運用マニュアルの検証を命じ、
運用マニュアルはそれを書いた当時の外務官僚の個人的見解だと判断し、
ロシア側との間で2島に米軍を置かない事を確認することは安保条約上
も可能だと結論づけ、それを安倍首相みずからプーチンに大統領に、
そして谷内正太郎NSC局長を派遣してロシア側に伝えたというのだ。

 これが、安倍首相が2島先行返還という決断に踏み切り、そして、
やれると張り切っている背景なのである。

 こんな重要なスクープ記事を朝日新聞は11月16日の紙面で報じて
いたのだ。

 見落としていた私に、それを教えてくれたのが前泊教授だった。

 琉球新報記者として外務省の運用マニュアルについてスクープ取材し
た前泊教授こそ、沖縄問題のキーパーソンだけではなく、いまや北方
領土問題解決の鍵を握るキーパーソンでもあるのだ。

 そして、最後に次の言葉でこのメルマガを締めくくりたい。

 私がこのメルマガで書いてきた事を、きょう11月27日発売のアサ
ヒ芸能(12月6日号)で佐藤優が、私がこれまで書いてきた事のすべ
てをばらしている。

 恐るべき佐藤優だ。

 佐藤優はまさしく安倍首相の2島先行返還の知恵袋である(了)


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c59

[昼休み54] 日本を植民地化する為の「日米地位協定」 中川隆
4. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月27日 14:43:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21184]
北方領土問題の鍵を握る「日米地位協定の考え方」という極秘文書
http://kenpo9.com/archives/4472
2018-11-27 天木直人のブログ

 11月25日の天木塾で講師として来てもらった前泊博盛沖縄国際
大学教授から、北方領土問題の鍵を握っているのは「日米地位協定の考
え方」という外務省の機密内部文書であることを教えてもらった。

 その要旨はこうだ。

 すなわち、外務官僚たちは、あの日米地位協定の解釈について、条文
を見るだけではわからない地位協定の解釈、言いかえれば運用マニュアル
すべて米国に都合のいいように日米地位協定を実施して来た。

 このとんでもない、国民を裏切る文書を沖縄の琉球新報がすっぱ抜い
てスクープ報道したのは2004年1月元旦だった。

 外務省を解雇されたばかりの私は、当時その報道を知って驚いたこと
をいまでも思い出す。

 つまり日米安保条約の密約ぶりが一番凝縮されたのが、この外務官僚
たちが勝手に作った「日米地位協定の考え方」つまり運用マニュアル
なのだ。

 そして、ここからがこのメルマガの本論なのだが、いまや安倍首相が
歴史的偉業として成し遂げ、解散・総選挙に打って出ようとしている
北方領土の鍵を握るのがこのマニュアルなのである。

 外務官僚の書いたマニュアルにはこう書かれている。

 「・・・このような考え方(つまり日本が米国の要求に応じないとい
う事は安保条約上予想しえないと言う意味)からすれば、例えば北方
領土の返還の条件として、『返還後の北方領土には(米軍)施設・区域
を設けない』との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うような事
をソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということ
になる・・・」

 こも運用マニュアルは、琉球新報がスクープした後、「日米地位協定
の考え方 増補版」(高文研)として出版され、公表されている。

 その31ページに上記の文章がそのまま公開されている。

 ロシアそれを研究していないはずがない。

 ロシアの側近が訪ロした谷内正太郎NSC局長に問いただしたのは
まさにこの点だ。

 そして谷内局長はマニュアル通り、約束できない、米軍
が在日米軍基地を返還後の北方領土に置く可能性をあらかじめ否定する
事は出来ない、と、馬鹿正直に答えてしまっただ。

 そこでプーチン大統領は安倍首相に迫ったのだ。

 「君の側近が島に米軍基地が置かれる可能性があると言ったそうだが、
それでは交渉は終わる」と。

 慌てた安倍首相は、「全くの誤解だ、これから交渉しよう」、と応じ
たのだ。

 そして安倍首相は、あらためて外務省の運用マニュアルの検証を命じ、
運用マニュアルはそれを書いた当時の外務官僚の個人的見解だと判断し、
ロシア側との間で2島に米軍を置かない事を確認することは安保条約上
も可能だと結論づけ、それを安倍首相みずからプーチンに大統領に、
そして谷内正太郎NSC局長を派遣してロシア側に伝えたというのだ。

 これが、安倍首相が2島先行返還という決断に踏み切り、そして、
やれると張り切っている背景なのである。

 こんな重要なスクープ記事を朝日新聞は11月16日の紙面で報じて
いたのだ。

 見落としていた私に、それを教えてくれたのが前泊教授だった。

 琉球新報記者として外務省の運用マニュアルについてスクープ取材し
た前泊教授こそ、沖縄問題のキーパーソンだけではなく、いまや北方
領土問題解決の鍵を握るキーパーソンでもあるのだ。

 そして、最後に次の言葉でこのメルマガを締めくくりたい。

 私がこのメルマガで書いてきた事を、きょう11月27日発売のアサ
ヒ芸能(12月6日号)で佐藤優が、私がこれまで書いてきた事のすべ
てをばらしている。

 恐るべき佐藤優だ。

 佐藤優はまさしく安倍首相の2島先行返還の知恵袋である(了)


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/268.html#c4

[戦争b22] 軍拡急ぐ中国、3隻目の空母「建造中」と堂々PR!  :国際板リンク  赤かぶ
1. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2018年11月27日 14:51:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21184]
・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。
・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html


ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。


【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


皆さんは『東トルキスタン共和国』をご存じですか?


現在は「中国ウイグル自治区」と呼ばれています!!


ウイグル族と、さも少数民族のように言われていますが、元々、れっきとした国家でした。


では、なんでそうなってしまったのか?


詳細を明らかにします。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407155.html


1946年、東トルキスタン共和国は、

政府要人閣僚たちがシナ共産党との会議のために北京に向かう途中、搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、政府がなくなった混乱に乗じで侵略を開始したシナ共産党軍により、

滅ぼされた。


シナ共産党軍は、侵略し併合した東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、さもシナの一地域のごとくの名前に変えさせた。


侵略当初、シナ共産党軍は、識者や高い教育を受けたもの、そのほか指導的立場にあった人間たちを次々と 「反乱分子もしくはその疑いがある」 として拘束。 100万人以上が、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺された。


豊富な石油や天然ガスなどの天然資源が発見された後は、資源の簒奪(さんだつ)をすべく、漢民族支配を実現し、ウイグル人の存在自体を消し去るため、各国のマスコミは一切入れず、学校ではウイグルの言葉を話すことは厳しく禁止され、漢民族を1,500万人も入植させ ( 現在、ウイグル人はおよそ900万人まで激減 ) 同化政策を強化。

ウイグル人は漢民族により暴力 (武装警察や軍事力) を背景に仕事を取り上げられ、成人男性で就職できる割合は、わずか5%。

15歳から22歳までの女性は強制的に中国国内に移住させられ、中国人ですら嫌う低賃金の重労働を課されながら、夜は強姦される若い女性が後を絶たず、「民族浄化」「漢民族化」を推し進める中国共産党政権のもと漢民族の男と強制的に結婚させられ、純粋なウイグル人は絶滅の危機を迎えている。


https://ameblo.jp/2013kanyon17/image-12165204118-13658407195.html


※ 漢民族は、一人っ子政策で男子ばかりが出産され(女児は堕胎)男女比率が大きくゆがみ結婚が出来なくなってしまったため、若いウイグル女性を強制移住させることは、一石二鳥。 (おまけに、大変に美人が多い) 

※日本人とは思考回路が見事に異なる漢民族にとって、ほかの民族の女性を強姦したり虐殺することに罪の意識は無い。

 白人国家が有色人種国家を軍事力を背景に侵略し植民地にした時、当たり前のように強姦し大虐殺を繰り広げていた意識とまったく同じ思考回路である 。

結婚相手と職を失ったウイグル人の男たちは、子孫を残すことができないだけでなく、次々とあらぬ罪で連行され、投獄され、拷問を受け、殺害され、民族根絶やしの犠牲となっている。

ウイグルの女性たちには、ウイグルの男性との間に授かった赤ちゃんの、「 計画生育 」の名目で、少なく見積もって850万件もの強制中絶が行われた。 (ウイグルの人口は、950万人!)

それだけでなく、重武装の軍隊および武装した司法・警察権を持つ漢民族による、一切の武器を持たないウイグル人に対しての徹底した弾圧、放火、リンチ、拷問、強姦、輪姦、そして幼い子供に対してまでの大量虐殺が、今もなお続いているのです。


 この漢民族と結婚させ漢民族化させる手法は、今に始まったことではなく3,000年以上の昔から漢民族が取ってきた漢民族の拡領土大手法で、かつては時間をかけゆっくりと浸透させ漢民族に同化させてきたものが、共産党が国家を支配するようになって以降、急速な領土拡大政策をとるようになり、軍事力 (暴力) を背景とする、他民族を根絶やしにする残虐な同化政策を、性急に推し進めるようになった。


今、狙われているのは、沖縄である。


中國武装警察による「恐怖の人間狩り」

いわれの無い罪でその場で殺されたり、連行されたら二度と生きて帰って来ることはない。


少女でも、その場で処刑する


「10代前半の女の子が、『 私は無実です! 私の言うことを聞いて! 』 と叫んだんです。 それでも構わず、(中国当局は) この子を処刑したんですよ、公衆の面前で! 多くの人々がこの光景を見ていました。 それでも、国際社会は沈黙したままだった…… 」

こう一気に言うと、ほんの少しの間、ラビア総裁の言葉が途切れた。


マスコミが一切報道しない真実 が、ここにある。


ウイグル自治区(旧東トルキスタン共和国)では、幼子までが強姦され無差別に虐殺されている

( ※ この幼子も強姦されてから殺されたのだろう。 ズボンが破かれ、陰部が露出している)

この写真は、60年 ・ 70年安保の度重なる失敗で活動の場を失った ヤマトンチュウ左翼 と シナ の 甘言によって 「親シナ ・ 反米」 に洗脳されつつある 【沖縄県民】 の未来を見ているようである。


沖縄では、シナ共産党により主要な土地が買い進められ、地元のマスコミはシナを礼賛し反日論調を騙(かた)り、学校では子供たちに「反日」教育を行いシナ親派を増やし、漢民族の企業誘致を進めた結果、シナの実効支配が進行しつつある。


原爆実験でまき散らかされた高濃度放射能


シナ武装警察による虐殺だけでなく、かつてシルクロードの交易で栄えた楼蘭では、昭和39年から平成8年まで、近くに人々が生活しているにもかかわらず、地上での核実験を 「事前通告なし」 で46回も繰り返し、広島型原爆の1250発分を爆発させ、最低でも即死20万人以上、被害者130万人以上の被害 (約半数の60万人が死亡したと推計されている) が報告され、今も数百万を超えるウイグルの人々は、まき散らされた放射能汚染に悩まされ、甲状腺異常は当たり前すぎて言うに及ばず奇形の子が次々と生まれ、ガンや白血病が多発し、何の医療手当もされず、放射能汚染の被害に苦しんでいるのです。


この広大な原爆実験エリアから発生した 放射能汚染は 「福島第1原発の数百万倍に達した」 (※ 環境に放出された放射能の総量は実に4,000万エクサベクレル ) にもかかわらず、朝日新聞やNHKはその事実を隠ぺい、日本の原発反対だけを叫び、だんまりを決め込んだ。

日本のすべてのマスコミも 「左へ倣(なら)った」。

日本の弱腰を見て、調子に乗ったシナ政府は、福島原発事故の際、「日本は、放射能汚染を世界にばらまいた」と公言した。


どの口が、そのような発言をしたのか、一度見てみたい。


※ 原爆実験の最中、昭和53年、西遊記のロケでウイグルの砂漠に入った女優の夏目雅子さんは、昭和60年、急性骨髄性白血病で逝去した。 27歳の若さであった。※

夏目雅子さんは、昭和53年・54年と、2年続けてウイグルでロケをした。
その後、病気が続いた、昭和56年には、甲状腺が腫れるバセドー病になり、…
甲状腺を手術した。バセドー病なので、瞼が腫れ目が大きくなってた。
次に掛かった病気は、昭和57年くらいに腎盂炎になり、次が、子宮内膜症。
そして、昭和60年2ったのでしょうか月に白血病で倒れ、同年9月に亡くなりました。


高い放射能がある、ウイグルに、なぜ、ロケに行った?


NHKは、シルクロードに取材に行きながら、核実験をしている事実を隠蔽(いんぺい)し、日本国民に知らしめなかった罪は、誠に大きい。 大罪である!
夏目雅子さんも、NHKが告知しなかった、被害者である。


それだけでなく、

NHKの番組を見た多くの日本人が、核実験真っ最中のシルクロード(ウイグル)へ旅行に出かけ被ばくした。

日本のNHKは楼蘭周辺での 「大規模な核実験」 を知りながら、1980年代に大型企画番組シルクロードの現地取材を行い放送を続け、さらにビデオの販売を続けました。 そのため、番組に誘導された日本人、推定27万人が、まだ核爆発が繰り返されていた期間に、現地を観光しています。

当時、実際に現地で核爆発を目撃した青年もいます。 

中国西域の観光から帰国した後に「白血病」、「肺がん」、「悪性リンパ腫」を発症したという方や、そのご家族から情報が寄せられています。

( 高田 純 札幌医科大学教授のコメントより )


ホルマリンで保存されているウイグル・セミパラチンスク州 ( ※ 核実験場のある州) で発生した奇形児


ウイグル人の悲劇


子供でも平気で虐殺


この後、このウイグル男性は頭部を撃たれて死んだ。


漢民族の男たちは何度も強姦した後に、

時間をたっぷりかけてなぶり殺す。

そして、下半身を露出させたまま放置

※ あまりの惨たらしさに、マスキングが掛けられている。


確認すべき、インターネット情報

Stop Chinese Torture

http://www.youtube.com/watch?v=3fIAzl4-Jq8


ウイグルの男たちは連行され、生き地獄の拷問を受けたのち、虐殺される

残った女たちが、命を懸けた、まさに必死の抗議活動を行っている

彼女たちに、命の保証は無い

「甘い言葉」につられてつい心を許し

軍事力をもって

シナに侵略された民族は、皆こうなるのである。


「僕たちは、平和憲法を持っています!」


「憲法9条って、スゴイんだぞぉ!」


では、何の役にも立たないことに、

そろそろ日本人も気づくべきである


「 日本の 人権活動家 たちは、ウイグル の惨状を知っていても、何も言わない… 」


日本のマスメディアも一切、報道しない


忠告しておこう

「 沖縄に入り込んでいる内地の 『 親シナ 』 左翼 の活動家たち、そして
地元新聞社に踊らされ、迷走を始めた 『琉球民族』 も、他人ごとでは無い 」


世間に知られたくない真実をバラされると共産党による監視と嫌がらせが起きる!!


日本共産党→×

中国共産党日本支部→〇


大丈夫か俺!?


でも、負けない


日本ウイグル協会 に援助の手を!

http://uyghur-j.org/japan/about/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8/


https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html


▲△▽▼


習独裁下の中国で「臓器狩り」の証拠をウイグル自治区で発見 2018-10-08
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


習近平独裁下の中国で、ウイグル・チベットなどの少数民族や、キリスト教徒らへの弾圧が苛烈さを増している。そんな中、新疆ウイグル自治区にある空港に、謎の通行標識が出現した。

 昨秋、シルクロードの要衝として知られる中国最西端の都市、ウイグル自治区カシュガルの空港に出現した通行標識がある。

「特殊旅客、人体器官運輸通道」

簡体字とアラビア文字でそう書いてある。
「特殊旅客」が外交官や共産党幹部、国賓待遇の外国要人などを指すのは勿論だが、「人体器官」とは一体何か?


 これは即ち、人間の臓器のことである要は、「ここは大至急運び出さなければならない切りたての移植用臓器が通る通路だから一般人は並ぶな!」と言っているのだ。

引用ここまで…続きは本文をご覧ください↓↓↓
https://www.zakzak.co.jp/soc/amp/181006/soc1810060009-a.html?__twitter_impression=true


国連人権委員そっ閉じ・・・

なんたって国連人権委員会の理事国は中国だもの


臓器移植待ちの患者の待ち時間


↑中国の富裕層は臓器移植が必要と診断されると即日にドナーが現れる不思議
てか、不思議ではない。生体データが合った人が即日処刑されて献体となるのだ!


まさかの人肉を真空パックで売ってる店もあった
流石に画像は貼れんわ(汗)
閲覧注意↓
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/image.php?qid=12157371062

中国こええええええええ!!
なんせ文化大革命で自国民を2千万人は殺した連中だからな
常識で考えては理解できない
日本には無い歴史があるのが、特亜3国


日本にも人体の不思議展が来て多くの日本人が見物した
生きたまま血管に薬品を入れないと作れない毛細血管の標本とかがあった
本物の人体だと言われ気持ち悪がった女性も多かった 又、触ってもいいですよとか
規制が緩かった 随分死者に対する尊敬の念が無いなあと思った
中国の人肉食の歴史を知れば納得


中国共産党による生体臓器狩りビジネスは18年くらい前からやっている
最初のターゲットは、法輪功学習者や政治犯の死刑囚が多かった。ここ最近は中国共産党が気に食わない人物は、すべてが臓器狩りの対象になっている
それでもう一つ大問題なのが、NHKはいまだに報道していないことだ


左翼は日本が中国に占領されれば平和になると思っているが、日本が中国に占領されると日本人が民族浄化の下に殺されて食べられたり、人体標本にされるということだよ


中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/PmZmyKymSI

摘出した心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの臓器を国内外の富裕層らに移し替える移植手術は年間数万から十数万件にも上り、現在1兆円規模の莫大な収益を産み出す一大産業。臓器収奪は「処刑」すなわち国家権力による「殺人」

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
https://t.co/gFbhHYMWb1
「特殊旅客、人体器官運輸通道」
中国当局により開始された12歳から65歳までの全住民を対象に血液を採集し、血液型やDNAデータを調べる他、指紋、眼の虹彩などの生体データを収集
臓器収奪は、ほぼイコールで「処刑」


中共人権弾圧・臓器移植に関心を持ってる人権活動者のレポート「中国では器官移植が10万件、臓器は殆ど法輪功の良心犯とウイグル人!1980年代警察が平気でウイグル人を銃殺、臓器を取る。現在は、外科医者が直接に臓器摘出、被害者は救急車で搬送される時まだ痛くて叫んでる」
酷すぎ、正に悪魔だ。 https://t.co/0Yr6xX5TUr


2016年、中国では2000件の死刑!公開死刑判決の見学にSNSで招待状を拡散(スプートニク) 中国における死刑制度は「真っ黒」であり、政治犯を臓器狩り目的で死刑にしている事実もあります。共産党国家では公開&大量処刑が普通。中国や北朝鮮は「悪質な見せしめ国家」と言えるでしょう。 https://t.co/9wUkSUvGGe


中国共産党は当初、民族浄化の下で殺戮を繰り返していたが、近年は家畜同様に扱い始めた。家畜と違うのは食用ではないこと…臓器売買の為である。
臓器を取られた肉体は人体標本に加工されるのである。


中国で人間として扱われるのは共産党員と富裕層だけかも知れない…漢民族であっても下級人民は詐取の対象でしかないのだ

トランプ大統領は経済戦争から本当の戦争をとるやも知れない…非人道的な行為を今まで国連も見て見ぬ振りをしていたがトランプ大統領は真正面から非難し制裁を加える構えだ
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12410440345.html


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「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  


李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html


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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


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詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/429.html#c1

[リバイバル3] 加工乳・低脂肪乳を飲むとガンになる 中川隆
3. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月27日 15:33:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21187]

遺伝子組換え牛成長ホルモン(rBGH)

モンサント社によって生産されるrBGHは、牛が生産する天然の成長ホルモンの遺伝子操作されたものです。 乳牛のミルク生産を促進するために使用されます。

「rBGHミルク」には、高レベルのインスリン成長因子(IGF-1)が含まれています。
これは乳癌、大腸癌、前立腺癌の主要な原因として関与しています。

rBGHミルクにはラベルを付ける必要はありません。

牛にrBGHを投与すると、乳房炎の発生率が増加することが示されています。 牛に乳腺炎があると、膿や血液が牛乳に分泌されます。

それはMRSAのような毒性の強いブドウ球菌感染症の広がりと結びついている抗生物質耐性につながります。

rBGHを使用している食品としてハーゲンダッツ、ブレイヤーズ、バスキン・ロビンス(サーティワンアイスクリーム)などがあります。

美味しいアイスクリームの裏には、健康を損なう問題が隠れていることがわかると思います。


牛乳や低脂肪牛乳は毒性があり危険で有害です。しかし生乳は健康に良い完全食品

牛乳は毒性成分が含まれており有害で危険なので飲まない方が良いという、牛乳有害説については昔から議論されてきました。しかし、結論が出ない理由は、牛乳と生乳を同じテーブルにのせて議論しているからです。牛乳有害説も牛乳無害説も、どちらも科学的根拠がない...
https://naturaltaomedical.com/2018/02/food-additives/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/726.html#c3

[国際24] 超党派委員会:アメリカはロシアと中国との「恐ろしい」「衝撃的」戦争に備えねばならない(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
1. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月27日 15:36:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21187]
中国、「精華大」米へサイバー攻撃とUSTR発表「汚れた最高学府」2018年11月24日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13790102.html

中国の精華大学と言えば、北京大学と並んで最高の評価を受けている。前国家主席の胡錦濤氏と現国家主席の習近平氏の母校である。その大学がサイバー攻撃に手を染めていた。米国通商代表部(USTR)が発表した。


実は、8月時点で精華大学がハッキングに関わっているという報道が出ていた。


「米情報分析会社のレコーデッド・フューチャーは、中国トップの清華大学からハッカーがスパイ目的で米国のエネルギー・通信関連企業、アラスカ州政府のシステムを調査していたとロイターに明らかにした」(『ロイター』8月16日付け「中国、清華大学から米企業・政府にハッキングの試みー情報分析会社」)


この件は、私のブログ(勝又壽良の経済時評)で取り上げたが、「まさか、精華大学が」という半信半疑な部分もあった。今や、USTRの公式報告書に名前が出てくると、「ついに犯罪行為に手を染めたか」という残念な思いがする。敗戦間近な日本が、大学生を特攻兵として戦線に送ったように、中国もここまで切羽詰まった事態に追い込まれているのだろう。「中国落城」を思わせるような不吉な前兆と見るべきだろう


『大紀元』(11月24日付)は、「中国のサイバー攻撃に名門大が関与、米通商代表部が報告書改定」と題する記事を掲載した。


(1)「米通商代表部(USTR)は20日、米通商法301条に基づき実施した調査の報告書の改訂版を発表した。報告書は、中国当局が米企業の知的財産権を侵害し、技術移転を強要する「不公平」な慣行が改善されていないと指摘した。報告書によると、中国当局はサイバー攻撃を通じて米企業の知財権、商業機密、技術データを取得している。米政府は、中国名門校の清華大学と国有通信大手の中国電信(チャイナ・テレコム)が、サイバー攻撃に関与したと明らかにした。最新報告書では、今年3月にUSTRが初めて米通商法301条に基づき調査を行った以降、中国からのサイバー攻撃の頻度が増えたとの見方を示された。また、手法もより複雑化したという」


精華大学とチャイナ・テレコムが、サイバー攻撃に関わっているという。いずれ、米国政府の制裁対象になろう。米国へのビザ発給停止や大学院留学の禁止措置などだ。


(2)「最新報告書によると、今月米サイバーセキュリティ会社のガーボン・ブラッグ(Carbon Black)は、7〜9月期において米製造業へのサイバー攻撃が急増し、『この種の攻撃はしばしば中国当局とつながりがある』との見解を示した。また、同業のレコーデッド・フューチャー(Recorded Future)は今年5月下旬に、清華大学と関連のあるIPアドレスから米企業にサイバー攻撃をかけただと突き止めた。なかには、米アラスカ州政府の訪中が3月に発表されてから、清華大学を発信源とするハッカー集団は同州政府と関連団体のネットワークを監視し、複数回スキャン活動を実行した。中国のハッカーは、ネットワークにアクセスできるようにシステムの脆弱性を探していたという」


中国が、ここまで米国の国益を害する行為を行いながら、口では「互恵関係の維持発展」などと言っている。何とも、空々しく聞える。多分、中国の意識では自らの行為を正当化しているはずだ。世界覇権を奪取するという「革命戦争」の一環という認識であろう。となれば、もはや戦争状態である。米国は、遠慮会釈なく中国封じ込めに動くべきである。因果応報である。


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中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日


中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。


『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。


(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」


ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。


(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」


デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。


(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」


あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html


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2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


▲△▽▼


詳細は


中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

日本は近い将来、中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/888.html


因みに、僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、
中国関連のスレが滅多に投稿されなくなった。

つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳だ。

阿修羅掲示板の全投稿の 7割以上を投稿している自称 赤かぶ 氏も中国の工作員グループだろうね。
阿修羅掲示板で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員だね。
だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて迫害・投稿妨害されるんだ。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまう


http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/631.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
8. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:01:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21190]
>>4
>黒田日銀総裁の大量の国債購入は、スティグリッツが提唱した政府紙幣発行の代替物だと考えられます。


それは完全な誤解ですね。

日銀の金融緩和のタイミングはすべてアメリカが金融緩和を終了させたタイミングと同時です。つまり、アメリカの出口戦略に協力して、アメリカが金を市場から引き上げる代わりに、日本が金をばら撒いたのですね。

日銀はアメリカ国債を日本の銀行に買わせる為に金融緩和したのです。

日本の銀行が持って居た日本国債を日銀に売らせて、その金でアメリカ国債を買わせた。 アメリカを助ける為に。

日本はデフレだから、日本国内に投資しても儲からない。
だから遊んでいる金は海外に投資するしかない。

アメリカの景気が良くなったにも、アメリカ株がバブルになったのもすべて
日銀が金融緩和した金が原因

日本の銀行がアメリカ国債を買う為に、日本円を売ってドルを買ったから超円安になった。
それで原油や輸入物価が高くなったから、日本の内需企業や一般庶民は貧しくなった。

それがアベノミクスの目的。

日本の景気が良くなったら、日本の資金は海外に投資されないで、日本国内に投資しますからね。。

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c8

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
10. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:06:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21190]
もし政府紙幣を発行するなら、公共事業に使うでしょうね。

そうすると日本の景気が良くなって、日本の余剰資金は国外には行かないんですね。

それで、日銀は銀行所有の日本国債を売らせて、その金でアメリカ国債を買わせる手口を考えたのです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c10

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
11. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:10:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21190]
>>6
>社会保障のための政府紙幣の発行を提唱している記事がありましたら、紹介してください。


経済コラムマガジン 2017/4/3(933号)シムズ理論の裏
http://www.adpweb.com/eco/eco933.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c11

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
12. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:24:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21199]
因みに、

>>8, >>11

は天橋立の愚痴人間氏が管理人をやっている 糾弾掲示板 とかいうアホ掲示板にスレとして投稿したんだけど、すぐに天橋立の愚痴人間氏に削除された。

天橋立の愚痴人間氏は知恵遅れでダブルスタンダードの詐欺師だよ。
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c12

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
15. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:49:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21202]
>>14
8月から休刊しているので、もうダメなのかもしれないですね:

経済コラムマガジン - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3&lr=lang_ja&rlz=&gws_rd=ssl

経済コラムマガジン 17/4/3(933号)シムズ理論の裏


シムズ理論での財源

先週号で述べたように、シムズ理論の最大の疑問はどのような手段で「通貨価値を大きく毀損(大きな物価上昇)」させるかである。シムズ教授は「例えば2%の物価上昇が実現するまで増税を行わないと政府が宣言する」と言った提言を行っている。しかしこの程度のことで「通貨価値を大きく毀損」がうまく行くとは誰しも思わない。実際、安倍政権は2度も消費増税を延期したが物価は上昇しなかった。

一方、シムズ教授は、金融緩和が極限まで行った段階(ゼロ金利)では財政政策が有効と説いている。この点は、筆者達もこれを「オーソドックスなポリシーミックス」と賛同する。しかし教授は、財政政策の具体的な財源については明確にしていない。

財源としては国債の増発が考えられる。しかし国債は償還が前提となり、将来の増税などによる財政の健全化を「予想」させる。これではインフレ期待が生まれず「通貨価値の毀損」は起らないとシムズ教授は判断しているようである。


このようなシムズ教授の政策提言を突き詰めれば、筆者は財源はまさに「政府紙幣」となるのではと思っている。先週号のシムズ理論とシムズ教授の提言の「裏」とはこれだと筆者は考える。ところで教授は他のシニョリッジやヘリコプター・マネーを容認しているようである。さらに中央銀行による国債などの債券の買入れ政策(QE)も決して否定していない。

しかし国債の発行には償還が付きまとい、またQEには「出口」を唱える勢力が必ず現れる。また中央銀行を介したシニョリッジは、中央銀行の独立性が問題にされる。特に米国では、FRBが1951年のアコード締結で独立性を回復した後、政府の金融政策への関与は憚れるようになっている。

これらの障害を全てクリアし、財政支出を増大させ減税を実施するための究極の手段は前述の「政府紙幣の発行」と筆者は考える。シムズ理論に沿った政策を実現するための最も合理的な解答はこれしか考えられないのである。ただ中央銀行が政府に協調し、国債の買入れを行うことには教授は異議を唱えないであろう。また国債の償還期間を長くすることにも賛成すると筆者は考える。要するに教授の発言は、その国での政策の実現性にポイントを置いていると筆者には感じられる。

シムズ理論の「通貨価値の大きく毀損」に対し、当然、「ハイパーインフレ」を意図的に招くとは何と恐ろしい発想というヒスティリックな声が必ず上がる。これに対してシムズ教授はインフレが起るからこそ財政状態が良くなると、両者の主張は噛み合わない。


そこで問題になるのが「政府紙幣の発行」の実現性である。筆者は、日本ではほとんど実現性はないが、米国ではある程度実現する可能性があると見ている。もちろん「政府紙幣」を口に出せば米国でも猛反発が起るであろう。06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」で紹介したように、「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」とスティグリッツ教授も半分冗談を言っているくらいである。

しかし12/12/24(第737号)「日銀とFRBの違い」で述べたように、過去に米国では16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディと3人の大統領が政府紙幣を発行するか、あるいは発行しようとした。特にケネディは政府紙幣発行の大統領令に署名していた。ところがこれらの3人の大統領の全てが暗殺されたのである。シムズ教授も内心では「政府紙幣」と思っていても、なかなか口に出せない事情が色々とあると筆者は勝手に憶測している。


容易ではない通貨価値の毀損

シムズ理論に関して分かりにくい課題を二つ挙げる(一つは来週)。一つは「インフレ」に関する事柄である。シムズ理論に反対する日本の財政再建派(財政規律派)は、シムズ理論に沿った政策はインフレを起こす力が全くないか、あるいはハイパーインフレを招くかのどちらかと支離滅裂なことを言っている。ところが実際のところ、日・米・欧の先進国では、近年、物価上昇が起らなくなっている。米国ではこれを「ニューノーマル」と称している。

一般の国民にとって物価が上昇しない方が好ましいのに、何故、シムズ教授が経済をインフレ化させることを政策目標にしているのか分かりにくいと筆者は思っている。この点を低インフレが消費の弱さの裏返しと解釈でき、またこの低インフレが政府の累積債務問題を悪化させる。この財政悪化による消極財政がさらに低インフレを招くといった悪循環を招くと教授は考えているのであろう。


筆者は、財政が積極財政に転換に転じても容易には物価上昇は起らないと考える。伝統的な経済学の論争では、物価上昇についてはデフレギャップの大きさが問題にされてきた。デフレギャップが大きいと見る経済学者は、多少の財政支出増による需要増ぐらいでは物価は上がらないと見る。一方、デフレギャップが小さいと見る経済学者やエコノミスト(日本の主流派)は、小さな追加的な需要増でも物価は急騰すると主張する。中には今日の日本の雇用状況を既に「完全雇用」とバカげたことを言っているエコノミストがいる。

ところで日本(他の先進国も同様)の消費構造の変化によって、需要が増えるほど価格が下落する「モノ」や「サービス」の消費割合が大きくなっていると筆者はずっと主張してきた。IT製品や通信費などがその典型である。経済学的には「収穫逓減」産業から「収穫逓増」産業への移行と言ったところであろうか。この影響も物価上昇を抑えていると筆者は考える。

また先進国で増えている雇用は概ね専門的な知識や技術を必要としない単純労働が中心である。この分野の労働者は「競争的周辺部」であり(労働組合などない)、人手不足となっても賃金は上がりにくい。特に欧米では、多くの移民がこの種の職業に就くのでますます賃金の上昇が望めなくなっている。しかもこのような労働者の割合は確実に大きくなっている(したがって失業率が下がっても平均賃金は上がらない)。このようにデフレギャップの大きさだけで物価上昇を語るのは、時代の変化に背を向けていると筆者は考える。


先週号で取上げた日本経済復活の会(会長小野盛司氏、顧問宍戸駿太郎筑波大学名誉教授)のシミュレーション分析でも物価はなかなか上がらなかった。公共投資や減税の金額を段々と増やしてみたが、物価への影響力は限定的であった。ちなみに小野さんは日経NEEDSのプログラムをレンタルし(レンタル料はけっこう高かった)、シミュレーションを行った。もちろん計量経済学者の宍戸教授はご自分のプログラムをお持ちであったが、世間で多少なりともオーソライズされている日経NEEDSを使った方が良かろうという宍戸さんのアドバイスがあった。

これも宍戸さんのアドバイスで、小野さんはこのシミュレーション分析の結果を何名かの著名経済学者に送ってみた。すると03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、驚くことにサミュエルソンから返事が来たのである。

その中に「大規模な減税が日本経済の著しい回復をもたらすのであればインフレ率が十分高くならないとしても、気にしなくても良い。インフレ率自身は政策の最終目標ではないからだ。重要なことは、流動性のわなに起因される消費の欠如を取り除くことであり、それ以外のものではない。」(If strong tax cuts were "to bring remarkable recovery of Japanese economy",then I would not worry about a failure to achieve a positive inflationrate. This latter condition is not itself a primary goal of policy.)という記述があった。


筆者は、今日、シムズ理論が脚光を浴びていることを見て、このサミュエルソンのこの指摘を改めて思い出した。おそらく同様にシムズ教授も多少の財政政策で、物価が簡単に上昇すること(三流経済学者の言っているハイパーインフレ)は絶対にないことを承知しているはずと筆者は憶測している。だからこのようなことを踏まえ「通貨価値を大きく毀損させる程の大胆な財政政策が必要」と言っていると筆者は解釈している。

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c15

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
16. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:52:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21202]

経済コラムマガジン 06/4/24(434号)もう一つ勇気を


•森永氏の問題発言

テレビを始め日本のマスコミが、一斉に国内の「格差」問題を取上げ始めた。しかし「格差」そのものについての定義は、議論する人々の間でバラバラである。所得格差を指す場合や、将来の就職機会での格差など様々である。また「格差」を計る統計資料も貧弱である。よく格差の実態を示すために用いられるジニ係数は、世帯単位の所得格差を示す。しかし世帯人数がずっと減少している日本では、実際に所得格差が拡大しているとしても、世帯人数の減少による影響を取り除く必要がある。ジニ係数だけでの説明では正確さを欠くのである。

また所得と言っても、給与や事業の所得の他に、資産から生まれる所得もある。これ以外に、公的年金や生活保護などの社会補償の収入を加える考えもある。このように一口に格差と言っても、議論する人によって念頭に置く「所得や収入」というものの概念が異なっており、意味のある議論にならない。


格差を巡る議論は白熱している。大きな「格差」があり、またこの「格差」は年々拡大しており、日本の格差問題は重要という人がいる。一方、格差が発生しているがそのうち解消する範囲のものであると楽観的に見る人がいる。また統計上では「格差」が大きくなっているとは認められなく(従来からの格差のまま)、つまり日本で取り立てて今日問題にするような格差はないと主張する人々がいる。さらに格差があることは当然であり、むしろ無理に格差を縮めることの方が問題であり、それこそ悪平等に繋がる不健全な考えであると決めつける論者もいる。

だいたい格差を問題にする野党の立場の人は一番目の認識である。一方、与党や権力に近い人々は、二番目から四番目の認識である(本心は分からないが)。これだけ人々の間に格差について認識の差があるのだから、通常格差に関する議論は白熱する割にはまともな結論は出ない。ところが3月31日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で、これに対する有効な対策が飛出したのである。


同番組では、格差に関する識者と言われる論客と与野党の国会議員を集め議論がなされた。「格差拡大、格差問題有り」の代表は、エコノミストの森永卓郎氏であった。森永氏は、大企業と中小企業の給与の推移、貯蓄無し世帯の増加、さらに正社員と非正規労働者の給与格差といった具体的な数字を用いて、今日の格差社会の実態を説明した。

参加者は、森永氏と森永氏の論調を支持しそれに補足する意見を述べる者のグループと、これに真っ向から反対するグループ、さらに時として森永氏に賛成し時には反対すると言った風見鶏派の三つに割れた。だいたい森永氏に同調するのが野党的な立場の人々であり、反対するのが与党の立場の人々である。


そして番組がかなり進行してから、森永氏から問題発言が飛出した。議論が進み、司会の田原総一郎氏でさえ、日本の格差問題は深刻という意見に賛同せざるを得なくなった雰囲気になった。田原氏はそこで森永氏に「では格差問題を解消する具体的な方策はなにか」と問うた。森永氏は日本の金融政策が問題と指摘した。これに対して田原氏「何を言っているの、日本は金融を超緩和にしている」と反論した。当然の反論である。しかし森永氏は「日銀の金融緩和は、本当の金融緩和ではない。単に銀行の当座預金が積み上がっているだけで民間に流れない。」と指摘した。ちょっと一般には理解が難しい話である。また森永氏は「バブルの清算時にもっと適切な金融政策が行われていたなら、リストラも行われずこんなに非正規雇用が増えなかった」と述べた。田原氏は「それじゃ具体的にどうすれば良かったのだ」と畳み掛けた。そしてついに森永氏は「日銀がどんどん政府発行の国債を買えば良かったのですよ」と爆弾発言を行った。これこそまさに筆者が長年主張している広義の「セイニアリッジ政策」である。

•森永氏の腰砕け
森永氏がこの発言を行った瞬間、出席者から「おう!」といった声が漏れた。「ついに言ってしまったか」という雰囲気であった。「セイニアリッジ政策」は日本の論壇ではタブーである。ところが他のパネラーからも「デフレ時には中央銀行が国債を買って、リフレ政策を行うことは世界の常識になっている」、「バーナンキ現FRB議長でさえも日本に来て、同様の政策を奨めていた」と次々に賛同する声が続いた。ちなみにバーナンキ現FRB議長の発言は、04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」で紹介した、平成3年5月31日の日本金融学会の講演での話である。まさに森永氏はパンドラの箱を開けたのである。


「セイニアリッジ政策」と言えば、日銀の国債引受けだけではなく、当然政府貨幣(紙幣)発行という方法がある。こちらは03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」で述べたように、スティグリッツ教授が、日本経済にとって政府紙幣(プリンティングマネー)発行が有効と講演で話をしている。ただこの中で「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」と半分冗談を言っている。ようするに常識のあるまともな(頭がおかしい構造改革派に対抗する意味で)経済学者は、日本経済にとって「国債の日銀引受け」や「政府貨幣(紙幣)」が有効な処方箋と主張しているのである。しかしこの政策は、経済論壇の中では経済学者とって身に危険が及ぶタブーなのである。

注目すべきことは、この経済ノーベル賞学者スティグリッツ教授を日本に招待したのが日経新聞であり、政府紙幣(プリンティングマネー)発行発言が飛出したのが財務省主催の講演会である。構造改革派の巣窟である日経新聞と増税と財政支出削減に熱心な財務省にも、一部にまともな考えの人々がいるということである。今日のような財政再建運動が続けば、日本はボロボロになる(今日十分その徴候は現れている)と危惧する人々がいるのである。

ところで日本では経済財政諮問会議というものが政府の最高意思決定機関ということになっている。今日経済財政諮問会議では、経済成長率と長期金利の動向について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされている(筆者は全く興味がないが)。どうも将来の増税額に影響するという話である。しかし経済の諸条件が全く異なる他国の実績を、互いに持出して議論しても何のたしになると言いたい(基本的な財政の数字も莫大な金融資産を持つ日本と、そうではない他の先進各国と比べては誤解を招くだけである)。

この論争は世間からも「神学論争」と揶揄されている。この延々と続く議論にあきれたあの経済オンチの小泉首相さえが、「マンキュー(米国の経済学者)だかサンキューだか知らないが、財政支出の削減だけを考えれば良い」と怒り出す始末である。間抜けな経済学者や民間委員の間抜けな議論に、小泉純一郎という酔っぱらいが「からんだ」と言った構図である。なさけないがこれが日本の最高意思決定機関の現状である。日本政府が中国や韓国にばかにされ、からかわれるのも当り前である。日銀の国債買上げによるリフレ政策といった、まともな政策からはるか遠い間抜けな議論が政府の最高意思決定機関で延々となされているのである。


しかしここまで思いきった発言を行った森永氏であるが、それ以降腰砕け状態になった。田原氏から「国債の日銀引受けは良いとして、その金を何に使うのか」と突っ込まれ、とたんに森永氏は口ごもってしまった。もちろん「財政支出」に使うとはっきり言えば良かったのである。国債の日銀引受けというタブーを突破してくれたが、もう一つのタブーである「財政支出増大」までは言い及ばなかったのである。森永氏には「もう一つ勇気を」と言いたいところである。

森永氏の指摘するように、単純に日銀の当座預金を増やし、マネーサプライを増やしても効果は期待できない。03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、財政支出を通じ所得を発生させる形でマネーサプライを増やしてやることが必要である。この財源は国債の日銀引受けである(増税では効果が減殺される)。ともかく森永氏の「国債の日銀買入れによるリフレ政策」発言は大きな前進であった。しかしさらにもう一言付け加えるならば、日銀が国債を買入れ(引受け)た場合、その国債は実質的に国の借金にはならないことも説明してもらいたかった。


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c16

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
17. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:53:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21202]

経済コラムマガジン 12/12/24(737号)日銀とFRBの違い

•FRBは議会も根回し

安倍政権発足で、日銀や日銀の金融政策が注目を集めている。自民党の一部やみんなの党は政府に日銀総裁の解任権を持たせるよう、日銀法の改正を主張している。デフレ経済が続く日本では、金融政策によってこれを克服しようという意見が強い。政治家達は、今日の日銀がデフレ克服に真剣に取組んでいないという印象を持っているのである。

ただ金融政策だけでデフレ克服が可能なのか、疑問もある。安倍自民党総裁は、金融政策はあくまでも補助的と考えていて、本筋は財政政策と見受けられる(10兆円を超える補正予算に見られるように)。しかし財政政策を前面に出すと、自民党内にいる日本政府の累積債務を気にする者達の抵抗が考えられ、これらの人々にも配慮が必要になる。そのためどれだけ効果があるか疑わしいが、当分の間、日銀への圧力を強める形を取らざるを得ない。


しかし筆者は、日銀にどれだけ圧力が加わっても、日銀が自ら大きく変身することはないと思っている。日銀のこのような現状に対して、米国のFRBの大胆な金融政策が注目を集めている。先日のFOMCでは、バーナンキ議長が「失業率が6.5%になるまでゼロ金利政策を継続させる」と宣言している。

米国FRBは失業率にまで関与し、それに責任を持っているのである。同じ中央銀行でも日銀と大きく異なる点である。日銀は、欧州の中央銀行と同様、失業率まで責任を持たされていない。ただFRBが失業率に責任を持たされたのは1977年以降という話である。もっともその前からFRBは経済政策全般に深く関わって来た。1951年のアコード締結までの米国国債の青空天井の買入れなんかはその典型である。


米国でも、財政政策に比べ金融政策が弱いことはほぼ常識になっている。01/10/22(第227号)「9月11日の以前と以降」で述べたように、同時多発テロ以降の米国の景気後退に対して、グリーンスパン前FRB議長は、危機感を持って議会関係者に財政出動をするよう働きかけていた。おそらくバーナンキ議長も、金融政策より財政政策の方が有効と思っていると思われる。

しかし小さな政府を指向する共和党が下院で多数を占めていて、オバマ大統領は自由に財政政策を行えない状況にある。失業率を低下させることは、米政府とFRBの共通の目標である。財政政策が議会の都合で縛られている以上、弱いと認識されているが金融政策に負担を掛ける他がないのである。


米国では、経済政策と言えば金融政策と言われた時代が続いた。しかし近年、経済政策の中で財政政策の重みが増している。おそらく米国も、日本と同様、経済がデフレ傾向に傾いているからであろう(デフレは戦前の世界大恐慌以来)。

ただし米国の方が日本より金融政策が有効性を持っていると思われる。それは米国経済の方が金利に感応的と見られるからである。米国民は、ほとんどの人々がクレジットカードを持ち、住宅だけでなく大半の消費を借金で賄っている。大学の授業料なんかもローンである。したがってローン社会である米国では経済全体が金利に敏感であり、金融政策が日本より効果的と言える。


対して日本では、景気後退時には金融緩和に加え、公共投資に代表される財政政策が重視されてきた。これについては金融政策を中心とした米国の方がスマートであると、多くの日本の経済学者やエコノミストが批難をしてきた。この傾向は今日でも続いていて、彼等はいまだに公共投資に抵抗を示している。民主党の「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズもこのような雰囲気に影響され生まれたものであろう。

たしかに日本の景気対策としての公共投資については、昔の米国のエコノミストも違和感を持っていた。これにはいくつかの理由が考えられる。まず米国では、公共投資は州が行うもので連邦政府はほとんど関与しない。連邦政府が主導した公共投資は大恐慌の後のニューディール政策ぐらいなものである。

また米国は広すぎるので、公共投資の効果が国全体に広まらないのである。つまり公共投資による景気対策という発想が米国では元々薄かったのである。したがって米国の景気対策と言えば、もっぱら金融政策や、財政政策ならば減税ということになる。ただ最近では米国のエコノミストも日本での公共投資の有効性を理解するようになっている。いまだに公共投資に反対している日本の間抜けなエコノミストや政治家は、みごとに梯子を外されているのである。しかも彼等はそれに気付いていない。

•日銀の実力は疑問
日銀にFRBのように失業率や国民経済にも責任を持たせるべきという意見がある。しかし筆者はそれはとても無理と考える。今の日銀にそんな実力はないと思っている。だいたい日銀は経済対策としての財政政策にさえ反対している。それによって国債の新規発行が増え物価が上昇することを警戒しているからである。つまり日銀マンにとって唯一大事な事は日銀券の価値を守ることである。したがって日銀は一人円高を喜んでいると言われても仕方がない。

日銀は、日本がデフレ経済で国民が窮地に陥っていることを認めないための理論武装を行っている。06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」や06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」で述べたように、イチキ生産関数を用いて過小にデフレギャプ(デフレギャプをわずか数パーセントと)を推計している。これも財政出動を牽制することが狙いである。

対してバーナンキFRB議長の発言は明解である。「今日の米国の失業の原因は需要不足であり、決してミスマッチではない」と言っている。前段で述べたように場合によっては議会関係者に財政出動を根回しするFRBとこのような日銀では雲泥の差がある。


どうしてこんな事になるのか不思議である。しかし筆者は、これは日銀だけでなく日本の官庁エコノミスト全体の問題と捉えている(またほとんどのメディアや経済誌にも言える)。もっと言えば、日本の経済学界全体がおかしいのである。

08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」で述べたように、米国にもシカゴ学派のように頭のおかしい学者群がいる。しかしこれらの人々は政府の中に入って仕事をすることはない。米政府に関与するエコノミスト多いが、全てがケインジアンである。米国では新古典派の中でも供給サイドを重視する考えの政治家は、共和党のティーパーティぐらいであり限られている。ところが日本の政治家や官僚には、供給サイドを重視する者、つまり構造改革派が実に多い。

これも20年ほど前にシカゴ学派の経済学者が連続してノーベル経済学賞を取ったことが影響しているのかもしれない。しかしシカゴ学派の経済学者は、象牙の塔に隠り現実の経済にはコメントを行わないのが普通である。例外はフリードマンぐらいであるが、彼がケインズの弟子であったことを考えると納得が行く。

当然、FRBに関係するエコノミストも全てケインジアンであり現実的である。一方、日銀や官庁にはシカゴ大学(筆者は上九一色村の道場と呼んでいる)に留学した者が多い。とんでもない勘違いで留学先を選んだものである。これも日本で有名なサミュエルソンやソローが、シカゴ学派の新古典派と同じと誤解されていることと関係しているのだろう。サミュエルソンやソローは立派なケインジアンであり、むしろシカゴ学派は彼等の論敵である。このように今日の日銀の人材の実力を考えると、とても日銀に今以上の仕事を託すことは難しいと考える。


ところで日銀が設立されたのは明治15年(1882年)に対してFRBが創られたのは1913年である。つまり日銀の方が古い。ただしFRB以前にも米国にはいくつかの中央銀行があり発券業務を行っていた。ただし当時の中央銀行は、政府から独立した完全な民間企業であった。

ちなみにこれらの銀行の株式のほとんどはロスチャイルド家(後にロックフェラー家も加わる)が握っていた。もっとも今日の米国連銀の大株主もロスチャイルド系とロックフェラー系の銀行である(連銀は100%民間資本であり、米政府は株式を持っていない)。驚くことに日銀の株主にもロッフェラーやロスチャイルドの名があるという噂が根強くある(日銀の株式(出資証券)の55%は日本政府が所有しているが、残りの株主は明らかにされていないようで真相は分らない)。しかしロスチャイルドやロックフェラーは、株主として配当を受けているだけで米国の金融政策に直接口は出してはいないようである。

政府の一部として金融政策を担う目的でFRB(理事や議長は大統領が任命し、議会が承認する)や日銀は設立された。これは発券業務だけを行うことを目的に自然発生的に生まれた欧州の中央銀行と違う点である。このせいか欧州の中央銀行が経済政策としての金融政策に躊躇してきた歴史がある。しかし今回の欧州の経済危機に遭遇し、これを反省し、欧州中央銀行(ECB)もやや金融政策に積極的になって来たところである。安倍自民党総裁が日銀を戦略的に使おうと発言したところ(当り前の話)、「発展途上国のような発想」と民主党の金融担当相が批難し、経団連などからも同様の声が一斉に上がっていた。しかし彼等は単に世界の中央銀行に関する知識が欠けているだけである。


ついでながら米国は英国から独立後も利息を払って英国の紙幣を使っていた(後にロスチャイルド家やロッフェラー家などが関係する民間銀行が発券業務を開始)。これも米国国民には発券業務をどこかが独占することに長い間抵抗のあったからである。ただ米政府に通貨の発行権を取戻そうとした大統領が過去に三人いた。16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディである。実際、リンカーンはグリーンバックという政府紙幣を発行している。

しかし今日、日米とも政府の影響下にある中央銀行が設立され通貨を独占的に発行(ただし日本の場合コインは財務省)しているので、政府紙幣を発行するという必要性が小さくなっているのも事実である。ちなみに政府紙幣にこだわったこの3人の大統領の全てが暗殺された話は有名である。筆者も政府紙幣と声高に主張するのではなく、国債(永久債)の日銀買入程度に抑えておこう。


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c17

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
18. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月27日 16:55:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21202]

経済コラムマガジン 03/5/5(第295号)政府紙幣発行政策の誤解


•政府紙幣の意味

4月27日、日曜の日経新聞に「政府紙幣」に関するコラムが掲載されていた。執筆者は編集委員の滝田洋一氏である。タイトルは「太政官札の轍踏むな」である。この2週間ほど前にコロンビア大学のスティグリッツ教授が日経の招きで来日し、シンポジウムで意見を述べたり、講演を行った。

教授は、デフレに陥っている日本経済に処方箋をいくつか提案している。「円安誘導」「銀行システムの立直し」と言ったありきたりの政策に加え、なんと「プリンティングマネー(政府紙幣)の発行」をスティグリッツ教授は提案した。これは各方面に衝撃を与えており、今日波紋がひろがりつつある。これはまさに筆者達が以前から主張していた政策である。

ところが日本には、政府貨幣(紙幣)に関する文献は極めて少ない。一緒に政策を主張している小野盛司氏のところにも、あるテレビ局から、氏の著書である「政府貨幣発行で日本経済が蘇る」を至急送ってくれるよう依頼がきているほどである。やはりスティグリッツ発言の影響は大きかったのである。「政府紙幣とは一体何だ」というのが世間の印象である。お札といえば日銀券と思っている人がほとんどである。経済学者やエコノミストも日銀券と政府貨幣(紙幣)の区別がつかないようである。

この政府紙幣発行に対して色々の反論や解説がなされている。しかしそれらのほとんどが間違っているか、的外れである。このような反論を行っている人物達が、日銀の理事だったり、リチャード・クー氏なのだから、こちらも驚く。それほど日本においては政府貨幣(紙幣)に対する知識や情報が乏しいのである。


まず政府紙幣と日銀券の違いを簡単に説明しておく。日銀が発行する日銀券は日銀の債務勘定に計上される。つまり日銀の借金である。もちろん今日の日銀券は兌換紙幣ではないので、これを日銀に持っていっても金に換えてくれない。このような不換紙幣である日銀券が流通しているのも、日銀の信用があるからである。しかし日銀の信用と言っても、実際はバックにいる国家の信用である。

一方、政府貨幣(紙幣)も国家の信用で発行するお札である。政府貨幣の材質は政令で定めることになっており、金属でも紙でも良い。紙の場合が政府紙幣ということになる。また今日流通している10円玉や100円玉といったコインも政府貨幣である。つまり日本においては政府貨幣(紙幣)は、既に立派に流通しているのである。ただ日銀券より政府貨幣の方が、流通している金額がずっと小さいだけである。もちろん今日の法律でも高額の政府紙幣を発行することは可能である。要は政府の決断一つにかかっている。


日銀券と政府紙幣の違いは、日銀券が日銀の債務に計上されるのに対して、政府紙幣は国の借金にならないことである。今日のコインにもいえることであるが、額面からコインの製造経費を差引いた額が国の収入になる。たとえば500円硬貨を製造するのに50円かかった場合には、差額の450円が貨幣鋳造益として政府の収入に計上される。要するに500円硬貨が世の中で「500円玉」として認められれば良いのである。

スティグリッツ教授の主張は「この政府貨幣(紙幣)の発行をもっと大規模に行え」ということである。さらに重要なことはこの貨幣鋳造益や紙幣造幣益を『財政政策』に使えと提案しているのである。今日、国債の発行が巨額になり、政府は「30兆円枠」に見られるように、財政支出を削ろうと四苦八苦している。しかしこれによってさらに日本のデフレは深刻になっている。そこで教授は、国の借金を増やさなくとも良い政府紙幣を発行し、その紙幣造幣益を使って、減税や公共投資を行えば良いと提案しているのである。

•幼稚な反論
しかしこれらの政府貨幣(紙幣)発行への反対論があまりにも幼稚過ぎる。一つはお札が、日銀券と政府紙幣ということになれば、世の中が混乱するというものである。しかし政府が政府紙幣(貨幣)を作成し、それを日銀に持ってゆき、日銀にある国庫(政府預金口座)に入金してもらえば、政府貨幣発行となる(「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42条)第4条3項)。財政支出を行う時には日銀券を使うのである。この方法を用いれば、世間に流通するお札は日銀券だけで済む。また日銀には政府紙幣(貨幣)という資産が計上されることになる。

しかしこれに対して、これは結果的に日銀券の増発に繋がるという批難が考えられる(ところが不思議なことに、心配されて当り前と思われるこのようなことが全く指摘されていないのである)。まず日銀券の増発、つまり通貨の増発はインフレの原因になる。しかしそこがまさにスティグリッツ教授が主張したいところである。今日の日本経済のようにデフレに陥った場合には、通貨増発といったインフレ政策が必要なのである。

スティグリッツ教授も、無闇やたらに政府紙幣を発行しろとは言っていないはずである。大きなデフレ・ギャップが存在する日本では、相当の額の政府紙幣を発行できると言っているだけだ。またこの政策によって、もし物価上昇率が限度額を越えるようならば、政府紙幣の発行をセーブすれば良いのである。もっとも経済がそのような状態になったことこそが、日本経済が相当上向いているを示す。つまり問題となっているデフレが克服されることを意味するのである。

もちろんこの場合には、過度の物価上昇を抑制するためインフレターゲット政策を行うことも一案である。インフレ目標政策は、英国などでうまく行っているのであるから、日本ではうまく行かないと考えることはない。むしろ物価が上昇するような経済活性策がないのに、インフレ目標政策と言っている今日の政府の方がおかしい。彼等は念力で物価を上げるというのか。また物価だけが上がれば良いという考えも根本的に間違っている。物価上昇は、遊休設備が稼動し、失業が解決し、設備投資が生まれる結果として起るべきである。むしろ小泉政権に見られるように、単に物価が上がれば良いという感覚が異常である。


もう一つの大きな誤解は、政府紙幣が発行されても、日銀券が政府紙幣に置き換わるだけであり、経済に何の影響を与えないという意見である。たしかに公務員の給料支払いを日銀券ではなく政府紙幣で行ったり、国債の買いオペを政府紙幣で行えば、そのようなことになる。もっともその分だけ国の借金は増えないが。しかしそのようなばかげたことを主張するため、わざわざスティグリッツ教授が来日し、政府紙幣に関した発言を行うはずがない。

当然、今日行われている経済政策にプラスして、政府紙幣を発行による財政政策を行えと言っているのである。今日、日本には巨額のマネーサプライ残高が存在している。しかしその大半は凍り付いている。金が動かないのである。巨額のマネーサプライが存在するのに、人によっては金不足になっている。経済がこのような状態になれば、政府が財政政策を行う他はない。財政政策によって、所得の発生を伴うマネーサプライを増やすことが肝腎である。これこそが教授の言いたいことである。

ところで政府紙幣を造幣し、それを日銀に入金し、それを財政政策に使うとなれば、先ほど述べたように、当然日銀券を増発することになる。場合によっては、日銀券の大増発である。たしかに以前ならこれは問題になった。しかし平成10年4月から施行されている改正日銀法では、旧法で課されていた日銀券発行に対する保証条件がすべて撤廃された。つまり日銀は、自由かつ無制限に日銀券を発行できるようになっているのである。まるで今日の状況を予見していたような法改正がなされていたのである。


しかし筆者は、スティグリッツ教授の提案に対して、経済の専門家からこのような初歩的で的外れの疑念や批難が続くこと自体を危惧する。このような状況では、いきなり政府紙幣発行はちょっと無理かもしれない。このように混乱している議論に対して、黒田東彦内閣官房参与(前財務省財務官)が「日銀がもっと大量に国債を購入することが現実的」と発言している。これは穏当な意見であり、筆者もこれに同感せざるを得ない。ちなみに黒田前財務省財務官は、以前からリフレ(穏やかなインフレ)政策を主張している。

政府紙幣の発行も、日銀による国債購入も実質的に国の借金にならない。そこで政府紙幣への理解が進まないようなら、まず日銀の国債購入によって積極財政政策のための資金を賄う他はない。ただ日銀による国債購入には難点がある。日銀は国債購入の限度を日銀券の発行額と一応定めているのである。これがネックとなる可能性がある。したがって日銀がどうしても限度額にたいして柔軟な姿勢を示せないなら、最後の手段として政府貨幣(紙幣)のオプションは取って置くべきである。

前段が長過ぎ、本題に入れなかった。来週号は滝田洋一氏の「太政官札の轍踏むな」へ徹底的な反論を行う。

岩田一正日銀副総裁の「日銀の独立性うんぬん」の意見は論外にして、それにしても政府紙幣に対して、経済の専門家と言われている人々の認識が低すぎる。おそらくスティグリッツ教授もあきれはてて米国に帰ったと思われる。今日の日本の経済がどのような状況にあり、このままだとどこまで落込むのか、スティグリッツ教授に食って掛かっていた人々には全く認識がないと言える。教授は真摯に日本のことを考えて、アイディアを提供しているのである。

教授も「政府紙幣発行」なんてとてもオーソドックスな政策とは考えていない(実際、教授も博士号を剥奪されるかもしれないと冗談を言っているくらい)。しかしあえてそのような政策が必要な段階まで、日本経済は窮地に追込まれている。教授に反論していた人々は、政府紙幣に関してほとんど知識がないなら、もっと謙虚になるべきである。教授は日本人に対して「単に物づくりに異常に長けているだけであり、こと経済理論や経済政策に関しては小学生」という印象を持ったはずである。経済の混迷が10年以上続いているのに、いまだ経済政策が迷走しているのを見ていると、日本はどうしようもない。

14日のシンポジウムの様子が30日の日経に掲載されていた。しかし議論は錯綜しており、日本のエコノミストはほとんどスティグリッツ教授の言っていることを理解していない。せっかくフィッシャー理論を持出して、資産デフレの悪影響に言及しているのに、これに対する反応が全くない。日本のエコノミストはあいかわらず「規制緩和」「生産性の向上」「金融政策の浸透」と言った、実現性がないだけでなく、効果もはっきりしない(効果の測定さえ困難)な政策を訴えている。教授が指摘しているように、まず必要な政策は大胆な需要政策である。これによって経済が活性化し、うまく資産デフレが止められるかがポイントである。

5月4日のサンデープロジェクトは、日本のデフレがメインテーマであった。それにしても経済学者・エコノミストそして政治家達の意見は実に悲惨であった。それにしても「徹底した規制緩和」「予算の組替えで経済が回復する」「銀行の経営者をくびにしろ」はいい加減に止めてもらいたい。何もアイディアがないのなら、テレビ出演を断わるべきだ。特に「銀行の経営者をくびにしろ」は出来の悪い若手の銀行員がよく言っていることである。彼等は上がくびになれば、自分達の出世が早くなると考えているだけである。
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c18

[政治・選挙・NHK254] 社会福祉と財源<通貨の増刷は可能である 天橋立の愚痴人間
21. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月27日 17:27:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21214]
>>20
「天橋立の愚痴人間」さんは無知蒙昧だから、ベーシックインカムというのがどういう物か全くわかってないんだよ


ベーシックインカムというのは健康保険や年金の廃止とセットになっているからね

毎月7万円貰える代わりに、65歳過ぎても年金なし、重病になっても公的健康保険なし

ベーシックインカムの方が健康保険や年金より安上がりだから、国際金融資本は
健康保険や年金を廃止してベーシックインカムに変えたがっているんだよ
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/259.html#c21

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
27. 中川隆[-13647] koaQ7Jey 2018年11月27日 17:43:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]
まさかの無罪も…? ゴーン巡る大マスコミの迷走と混乱
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242432

2018/11/26 日刊ゲンダイ 文字起こし


特捜部の取り調べにハッキリと容疑否認(C)日刊ゲンダイ

 カリスマ経営者の電撃逮捕から1週間。日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)の悪事が堰を切ったように表沙汰になっている。巨額の役員報酬ゴマカシにとどまらず、海外子会社を通じて世界各地に数十億円相当の豪邸を購入。ブラジル在住の姉と実態のないアドバイザー契約を結んだ2002年以降、年間10万ドル前後を横流ししていたこともバレた。日産が「重大な不正行為」と指摘した▼実際よりも少ない役員報酬を有価証券報告書に記載▼目的を偽って私的に日産の投資資金を流用▼不正目的で日産の経費を支出――の3点を裏付ける不正が次々に報道されている。

 ゴーンの逮捕容疑は前代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者と共謀し、11年3月期〜15年3月期の役員報酬を実際より約50億円少なく記載したことによる金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)だ。巨額報酬のゴマカシは直近の16年3月期〜18年3月期にも及び、虚偽記載の総額は8年度分で約80億円に上る見通し。

 SAR(ストック・アプリシエーション・ライト)と呼ばれる株価連動報酬の約40億円も隠蔽し、トータルで約120億円をかすめ取った疑いが濃厚だ。

 もっとも、捜査の焦点は逮捕容疑の50億円のチョロマカし方だ。その手法を巡る報道は、二転三転。当初はSARによる報酬の不記載とされたが、退任後に報酬を受け取る契約を毎年交わし、受領を先送りしていた可能性が高まっている。毎年約10億円、5年度分で約50億円という計算である。退任時に顧問などに就く契約を日産と結び、その段階で残額を受け取ろうというスキームだ。東京地検特捜部は契約書が毎年交わされていることから、事実上の隠蔽工作と判断。その都度、役員報酬として有報に記載し、開示する義務があるとみているという。


ルノー支配を強める結果に(C)日刊ゲンダイ


無理筋なのか、「後払い契約」で報酬確定

 日産を完全に私物化し、あの手この手で報酬をゴマカしていたゴーンは容赦なく断罪すべきだが、問題の50億円が「退任後の報酬」だとすると、筋が変わってくる。これで有罪に持ち込み、ゴーンを収監できるのか。

 元特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏は言う。

「報酬の後払い契約とはいうものの、契約を交わした時点で報酬の支払いが確定されたといえるのか。退職慰労金という形式であれば、在任期間の終了に伴って支払われる性質上、確約された報酬と捉えられますが、それとは異なります。しかも、顧問などの形態で新たな契約を締結したことによる報酬という位置づけであれば、在任中の報酬とは断定し難い。そもそも、役員報酬の記載の問題が有報の虚偽記載罪に問われた事例は聞いたことがない。日産の18年3月期連結決算は売上高約12兆円、純利益約7500億円。この経営規模からすると、1期当たり約10億円の虚偽記載額は僅少で、果たして立件に値するのか。逮捕容疑は妥当なのか、起訴できるのか。疑念を持っています」

 ゴーン逮捕を巡る情報は錯綜し、報道の軌道修正が相次いでいる。西川広人社長を中心とする日産執行部の動向を巡り、日経新聞は「西川氏、暫定会長で調整」(22日付朝刊)と見出しを打ったものの、ハズレ。朝日新聞も「日本人の代表取締役 追加へ」(22日付夕刊)との見出しで〈臨時の取締役会で、西川広人社長以外の日本人取締役にも代表権を与える提案をすることが分かった〉と報じたが、ハズした。大マスコミは混乱、迷走を極めている。

「ハッキリ言って、今回のマスコミ報道はメチャクチャ。降ってくる情報をロクに精査せず、垂れ流している印象があります。とりわけ、ゴーン容疑者が日産会長職を解任されるまでがひどかった」(郷原信郎氏=前出)

 この1週間、ゴーン有罪が確定したかのような大騒ぎだった。こうなってくると、ゴーン無罪のマサカの展開もあり得る。大山鳴動してネズミ一匹なんてことになれば、日本の司法は赤っ恥。「推定無罪の原則」を唱えてゴーンのCEO留任を決めた仏ルノー、そのバックの仏政府が黙っているはずがない。


ルノーの声明で株主は雪崩を打つ

 ルノーと日産の経営統合を狙う仏政府の動きは早かった。

 ゴーン逮捕の翌日にはルメール経済・財務相が世耕経産相に電話会談を申し入れ、「協力関係を維持していくという日産とルノーの共通の意思への強力なサポートを再確認した」とする共同声明を発表。2025年の大阪万博開催を決定した博覧会国際事務局(BIE)総会出席のためパリ滞在中の世耕を捕まえて直接会談し、「日産とルノーの連合を両国政府は強く支持する」との共同声明を再度出す念の入れようだ。

 駐日大使が東京拘置所を訪問し、勾留中のゴーンに面会する異例の対応も見せた。「推定無罪」をタテにゴーンを擁護する姿勢を鮮明にし、離反をもくろむ日産執行部を激しく牽制している。

 自動車業界に詳しい経済ジャーナリストの井上学氏はこう言う。

「日産は12月の取締役会で後任会長を選ぶ予定ですが、西川社長の目はない。議決権のある日産株を43.4%保有するルノーの意向を無視した人事案は通りませんし、ルノーの出資比率の引き下げやルノー株の買い増しなどによる資本構成の見直しもはねつけられるでしょう。日産執行部がルノーに対抗するには1%でも多くの議決権をかき集める必要がありますが、大半が一般株主のため現実的に難しい。業を煮やしたルノーが〈このままではルノーと日産のアライアンスは終わる〉とでも声明を出せば、日産はひとたまりもない。販売台数世界2位のグループから二流メーカーに転落することになり、日産株の暴落は避けられない。株主は雪崩を打ってルノーにつき、その提案に乗るでしょう」

■ゴーン復帰で経営統合前倒しシナリオ
 被害者ヅラで記者会見し、「現執行部に影響はない」と断言した西川社長だが、その対応は後手後手に回っているどころか、やることなすこと裏目に出ている。西川・日産のゴーン潰しは完全に目算が狂ってきた。

 ゴーンは特捜部の調べに容疑を否認。黙秘する様子はなく、ハッキリと主張しているという。ケリーも「適切に処理した。社内の人間が外部の法律家らの意見を聞いたりしながら処理した」と報酬隠しを否定。法律事務所や金融庁にも問い合わせたとも供述しているという。

「ルノーCEOの任期が今年までだったゴーン氏に対し、マクロン大統領が22年までの続投を認めたのは、〈ルノーと日産の関係を不可逆的なものにする〉と手形を切り、任期満了時点での経営統合を誓約したからです。ゴーン氏の解任見送りも同様で、これほど利用価値の高い人物はいないからです。ゴーン氏が無罪放免、あるいは罰金刑で決着をつけられれば、現場復帰が視野に入る。ルノーCEOはルノー・日産連合のトップ。日産がガタガタ騒ぐのであれば、カムバックしたゴーン氏の手によって一気に経営統合を進めるシナリオです」(井上学氏=前出)

 日産執行部が総退陣でハラを決め、次世代に託す姿勢を見せれば、日本の世論への配慮で展開は変わったかもしれない。しかし、サイは投げられた。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c27

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
27. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年11月27日 17:55:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]
営利優先で電力不安定化招く本末転倒 再エネビジネスが引き金となるブラックアウト 2018年11月27日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10143

 電気を安定的に供給することは、国民生活と生産活動を維持するために国と電力会社が負っている社会的な責任である。先日、北海道でブラックアウトが起き、全道295万戸が電気のない生活を強いられたが、電気なしの生活を送ることは今の文明社会では困難だ。ところが太陽光発電や風力発電といった、それ自身不安定きわまりない再生可能エネルギーを増やし続けた結果、この電気の安定供給が脅かされている。象徴的な事件が、九州電力が先月におこなった太陽光発電事業者とつながる送電線を切り離す「出力制御」だ。九電はその後も太陽光や風力を切り離す出力制御をくり返しており、それに続いて四国電力が出力制御の準備を進め、最近では中国電力、東北電力、沖縄電力も太陽光や風力の出力制御をする準備を進めると公表した。いったい何が起こっているのか見てみた。

 電力は、常に同時同量(発電量=使用量)、つまり需給バランスを一定に保っておかなければならない。それが崩れると周波数が乱れ、送電線につながる工場の機械や家庭の電化製品が壊れるため、発電所が自動停止して大規模停電(ブラックアウト)になる。そのため電力会社は年間計画、時間計画にもとづいて数分単位でそれを調整している。

 北海道では、地震によって道内の電力需要の半分近くをまかなっていた苫東厚真火力発電所がストップし、需要に対して供給が追いつかずにブラックアウトが起きた。全道295万戸・530万人もの人が2日間、暗闇のなか、家電製品も使えない生活を強いられた。

 それとは逆に供給が増えすぎたのが九電の例だ。政府が2012年にFIT(固定価格買取制度)を開始して以来、土地が安く日照条件のいい九州では太陽光発電に事業者が殺到し、導入量の合計が807万`hになったうえ、10月13、14日には九州の広い地域で晴天となり、太陽光の発電量が急激に増えた。たとえば14日は、発電量が最大となる午前11時〜11時30分に供給力は合計1242万`hに達する一方、需要は758万`hにとどまる見通しになった。そのまま放置すれば需給バランスが崩れてブラックアウトになる危険性が出たため、九電は出力制御に踏み切った【図参照】。

 太陽光は日照時間によって発電量が変動する不安定な電源で、晴天で発電量が増えるが、夜間や雨の日はゼロに近くなり、供給を調整することなどできない。もっと不安定なのが風力で、風速12〜14bという、傘がさしにくく歩きづらいほどの風が吹くとき、はじめて効率よく発電する。風速3b以下のそよ風程度では発電はできないし、風速25b以上の暴風になると故障を避けて自動停止する。

 一方、原子力は常に臨界を維持しなければならず、出力調整などやれば大事故につながりかねない。そこで電力会社は火力発電の出力を増やしたり絞ったりして発電量を調整してきた。しかし、もはや火力によって調整ができないほど太陽光の発電量が増えすぎてしまったのだ。電力会社間で電気を融通する連系線を増強することや、大規模蓄電池をつくることも課題に挙がっているが、いずれもコスト面で現段階では実現困難と見られている。

 再エネの先進地、ヨーロッパではどうか? デンマークは電力の約4割を風力でまかなう「風力大国」だと宣言している。しかし、ヨーロッパは国境をこえて送電線がつながっており、実際には自分のところの不安定な風力の電気は送電線に雲散霧消させて、ドイツやフランスの電気を使っている。

 また、原発を減らし風力や太陽光を爆発的に増やしたドイツでは、雲のかかり具合、風の吹き具合によって電気が頻繁に足りなくなるため、バックアップのための火力がドイツ国内だけでは足りず、オーストリアにも待機させており、そのため年間で莫大な補償金を隣国に支払っている。

安定供給より優先されるビジネス

 ところが、電気の安定供給には役に立たない太陽光発電や風力発電の建設に、全国で参入する企業が後を絶たない。これに対して各地で住民の反対運動が活発になっている。

 長野県では、Looop社(東京)が諏訪市霧ヶ峰下で進める全国最大規模のメガソーラー計画「諏訪市四賀ソーラー事業」に対して、住民が地域ぐるみで反対運動を起こしている。

 計画では霧ヶ峰近くの森林に、面積196・5f、つまり東京ドーム約40個分の土地にソーラーパネル31万枚を敷きつめるというもの。この地域の山林を大規模に伐採するとともに、10dトラック5万台分の土を運び出すという。通常、ソーラーパネルを設置する場合、敷地内の樹木はすべて根こそぎ切り倒し、豊かな腐葉土におおわれている場合はそれをすべてはがして運び出し、やせた土地に強力な除草剤を散布してパネルを設置する。障害物をなくして発電効率を高めるためだ。地元のアセスで事業者はそれを否定しているが、住民は信用していない。


7月の豪雨で60b四方にわたり地盤とともに崩落したソーラーパネル(姫路市)

 住民がもっとも危惧しているのは、森林を大規模に伐採することで保水力が失われ、災害時に土砂崩れや大洪水を引き起こす可能性があることだ。計画地の脇を流れる横河川はこれまで大雨でたびたび氾濫し、地域住民に被害を及ぼしてきた。もう一つは、計画地の下には諏訪市(上流域)や茅野市(下流域)をカバーする水道水の水源があること、また茅野市の生活水や田んぼの水になる大清水湧水が流れていることだ。

 計画地は上桑原牧野農業協同組合、上桑原共有地組合、同山林組合が所有する土地だが、組合員の高齢化で山林の維持管理が困難になるなか、そこにつけ込んでLooop社が土地の買収に動いたという。当初は別の企業が、初期の太陽光1`h時当たり40円(現在は18円)のときに申請し20年間運転する認定を受けており、その権利をLooop社に売った。

 そこで地元の農家らが中心となって茅野市米沢地区Looopソーラー対策協議会を立ち上げ、役員らが8〜10月にかけて100ある区や自治会の役員会に出向いて反対署名を訴えたところ、その7割近くが賛同し、全市的な署名運動になった。集まった4万8900の署名はその後、県知事に提出したという。

 その後、同協議会と諏訪市など六市町村の有志でつくる「太陽光発電問題連絡会」が10月8日に「メガソーラー問題シンポジウム」を呼びかけると、300人定員の会場に入りきれない500人が詰めかけ、うち200人は別会場でモニター画面で参加することになった。

 事務局は、「地元はもちろん、福島県や京都府、岡山県、九州からの参加もあった。メガソーラーが各地で大きな問題になっており、情報交換を求めて来ていた。台風や豪雨災害でソーラーパネルが崩れたという問題だけでなく、太陽光の建設には大規模な森林の伐採がともない、住宅地のそばの裏山が狙われている。災害や飲み水の危険性があり、住民として黙っておれない思いがある。1月には東京で集会をやり、経産省や環境省に申し入れをしようと話し合っている」とのべている。

 一方、風力発電をめぐっては、政府は全国4カ所に促進区域をつくり、一般海域の最大30年の占用を認め、洋上風力発電の建設を推進する法律を、今の国会で成立させようとしている。その促進区域の一つ、秋田県の由利本荘市では、事業者のレノバ(東京)が海岸から1・5〜3`のところに、8000〜9500`hの巨大風車を70〜90基建てる計画を出してきたことに対して、住民が「由利本荘・にかほ市の風力発電を考える会」をつくり運動を広げている。

 すでに陸上には60基以上の風力発電が建っており、住民から頭痛やめまい、睡眠障害などの訴えが出ている。同会はとくに風車に近接している1000人を対象にアンケート調査をおこない、低周波による健康被害の実態を明らかにするとしている。


秋田県由利本荘市で稼働中の海岸風力発電

大企業の為の市場創出

 こうした住民生活を無視した、後は野となれ山となれ式の企業が横行するのも、安倍政府が2030年度の電源構成に占める再エネの比率を22〜24%に上げるといって国策で再エネを推進し、風力や太陽光、バイオマスに参入する企業を増やすためにFITで20年間、高い価格でその電気を電力会社に買い取らせることを保証しているからだ。そのカネは、すべての国民から「再生可能エネルギー促進賦課金」を毎月の電気料金のなかに含めて徴収することで捻出している。

 それはアメリカのオバマ政府がうち出した、グリーン・ニューディールという名の景気刺激策の延長線上にある。アメリカでは「地球温暖化防止」「低炭素社会」を掲げて、原子力とともに再生可能エネルギーによる景気刺激策に舵を切った。「CO2による地球温暖化の危機」を訴えてきた国連IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の議長自身、ロックフェラー財団の再生可能・持続可能エネルギーアドバイザーとして、大企業にあぶく銭を稼がせるCO2排出権取引の指南をやっていたことが暴露されている。そして日本では福島原発の大事故後、原発推進の総本山である経済産業省が、一方で原発を再稼働させながら、他方で「エコでクリーン」と宣伝して再エネ・ビジネスを煽ってきた。

 2011年に当時の民主党・菅政府は、再生可能エネルギー促進のために、民有林や国有林、保安林、農地などにかかっている規制を緩和することを提言した。これと同じものを安倍内閣が2013年に「農山漁村再生可能エネルギー法」として閣議決定し、翌年5月から施行している。それは「これまで農地法で農業利用しか認めていなかった第一種農地でも、農地として再生することが難しい荒廃農地と、今後耕作が見込めない耕作放棄地は再エネ事業への転換を認める」「風力発電の風車は設置に必要な面積が比較的小さく、一度建ててしまえば農作業に支障は出ないので、それ以外の農地でも導入できる」「再エネを導入する事業を2018年までに全国100カ所に増やす」としている。その結果、日本中の山野も海もところかまわず風車を建てたりソーラーパネルを敷き詰めたりすることが可能になり、住民との大矛盾となっている。

 こうして「原発にかわるクリーンな再生可能エネルギー」といって風力や太陽光を増やせば増やすほど、再エネ・ビジネスで一握りの大企業がもうかるだけで、住民生活や地域の環境が脅かされるとともに、電気の供給はますます不安定になり、国民は常にブラックアウトの危険と隣り合わせの生活を強いられることになる。それは社会に甚大な損害を与えるもので、各電力会社が出力制御に踏み出さざるをえないまでになっている。社会などどうなってもかまわないという、新自由主義の本末転倒を象徴している。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10143
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c27

[昼休み54] 風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす 中川隆
5. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月27日 17:55:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]
営利優先で電力不安定化招く本末転倒 再エネビジネスが引き金となるブラックアウト 2018年11月27日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10143

 電気を安定的に供給することは、国民生活と生産活動を維持するために国と電力会社が負っている社会的な責任である。先日、北海道でブラックアウトが起き、全道295万戸が電気のない生活を強いられたが、電気なしの生活を送ることは今の文明社会では困難だ。ところが太陽光発電や風力発電といった、それ自身不安定きわまりない再生可能エネルギーを増やし続けた結果、この電気の安定供給が脅かされている。象徴的な事件が、九州電力が先月におこなった太陽光発電事業者とつながる送電線を切り離す「出力制御」だ。九電はその後も太陽光や風力を切り離す出力制御をくり返しており、それに続いて四国電力が出力制御の準備を進め、最近では中国電力、東北電力、沖縄電力も太陽光や風力の出力制御をする準備を進めると公表した。いったい何が起こっているのか見てみた。

 電力は、常に同時同量(発電量=使用量)、つまり需給バランスを一定に保っておかなければならない。それが崩れると周波数が乱れ、送電線につながる工場の機械や家庭の電化製品が壊れるため、発電所が自動停止して大規模停電(ブラックアウト)になる。そのため電力会社は年間計画、時間計画にもとづいて数分単位でそれを調整している。

 北海道では、地震によって道内の電力需要の半分近くをまかなっていた苫東厚真火力発電所がストップし、需要に対して供給が追いつかずにブラックアウトが起きた。全道295万戸・530万人もの人が2日間、暗闇のなか、家電製品も使えない生活を強いられた。

 それとは逆に供給が増えすぎたのが九電の例だ。政府が2012年にFIT(固定価格買取制度)を開始して以来、土地が安く日照条件のいい九州では太陽光発電に事業者が殺到し、導入量の合計が807万`hになったうえ、10月13、14日には九州の広い地域で晴天となり、太陽光の発電量が急激に増えた。たとえば14日は、発電量が最大となる午前11時〜11時30分に供給力は合計1242万`hに達する一方、需要は758万`hにとどまる見通しになった。そのまま放置すれば需給バランスが崩れてブラックアウトになる危険性が出たため、九電は出力制御に踏み切った【図参照】。

 太陽光は日照時間によって発電量が変動する不安定な電源で、晴天で発電量が増えるが、夜間や雨の日はゼロに近くなり、供給を調整することなどできない。もっと不安定なのが風力で、風速12〜14bという、傘がさしにくく歩きづらいほどの風が吹くとき、はじめて効率よく発電する。風速3b以下のそよ風程度では発電はできないし、風速25b以上の暴風になると故障を避けて自動停止する。

 一方、原子力は常に臨界を維持しなければならず、出力調整などやれば大事故につながりかねない。そこで電力会社は火力発電の出力を増やしたり絞ったりして発電量を調整してきた。しかし、もはや火力によって調整ができないほど太陽光の発電量が増えすぎてしまったのだ。電力会社間で電気を融通する連系線を増強することや、大規模蓄電池をつくることも課題に挙がっているが、いずれもコスト面で現段階では実現困難と見られている。

 再エネの先進地、ヨーロッパではどうか? デンマークは電力の約4割を風力でまかなう「風力大国」だと宣言している。しかし、ヨーロッパは国境をこえて送電線がつながっており、実際には自分のところの不安定な風力の電気は送電線に雲散霧消させて、ドイツやフランスの電気を使っている。

 また、原発を減らし風力や太陽光を爆発的に増やしたドイツでは、雲のかかり具合、風の吹き具合によって電気が頻繁に足りなくなるため、バックアップのための火力がドイツ国内だけでは足りず、オーストリアにも待機させており、そのため年間で莫大な補償金を隣国に支払っている。

安定供給より優先されるビジネス

 ところが、電気の安定供給には役に立たない太陽光発電や風力発電の建設に、全国で参入する企業が後を絶たない。これに対して各地で住民の反対運動が活発になっている。

 長野県では、Looop社(東京)が諏訪市霧ヶ峰下で進める全国最大規模のメガソーラー計画「諏訪市四賀ソーラー事業」に対して、住民が地域ぐるみで反対運動を起こしている。

 計画では霧ヶ峰近くの森林に、面積196・5f、つまり東京ドーム約40個分の土地にソーラーパネル31万枚を敷きつめるというもの。この地域の山林を大規模に伐採するとともに、10dトラック5万台分の土を運び出すという。通常、ソーラーパネルを設置する場合、敷地内の樹木はすべて根こそぎ切り倒し、豊かな腐葉土におおわれている場合はそれをすべてはがして運び出し、やせた土地に強力な除草剤を散布してパネルを設置する。障害物をなくして発電効率を高めるためだ。地元のアセスで事業者はそれを否定しているが、住民は信用していない。


7月の豪雨で60b四方にわたり地盤とともに崩落したソーラーパネル(姫路市)

 住民がもっとも危惧しているのは、森林を大規模に伐採することで保水力が失われ、災害時に土砂崩れや大洪水を引き起こす可能性があることだ。計画地の脇を流れる横河川はこれまで大雨でたびたび氾濫し、地域住民に被害を及ぼしてきた。もう一つは、計画地の下には諏訪市(上流域)や茅野市(下流域)をカバーする水道水の水源があること、また茅野市の生活水や田んぼの水になる大清水湧水が流れていることだ。

 計画地は上桑原牧野農業協同組合、上桑原共有地組合、同山林組合が所有する土地だが、組合員の高齢化で山林の維持管理が困難になるなか、そこにつけ込んでLooop社が土地の買収に動いたという。当初は別の企業が、初期の太陽光1`h時当たり40円(現在は18円)のときに申請し20年間運転する認定を受けており、その権利をLooop社に売った。

 そこで地元の農家らが中心となって茅野市米沢地区Looopソーラー対策協議会を立ち上げ、役員らが8〜10月にかけて100ある区や自治会の役員会に出向いて反対署名を訴えたところ、その7割近くが賛同し、全市的な署名運動になった。集まった4万8900の署名はその後、県知事に提出したという。

 その後、同協議会と諏訪市など六市町村の有志でつくる「太陽光発電問題連絡会」が10月8日に「メガソーラー問題シンポジウム」を呼びかけると、300人定員の会場に入りきれない500人が詰めかけ、うち200人は別会場でモニター画面で参加することになった。

 事務局は、「地元はもちろん、福島県や京都府、岡山県、九州からの参加もあった。メガソーラーが各地で大きな問題になっており、情報交換を求めて来ていた。台風や豪雨災害でソーラーパネルが崩れたという問題だけでなく、太陽光の建設には大規模な森林の伐採がともない、住宅地のそばの裏山が狙われている。災害や飲み水の危険性があり、住民として黙っておれない思いがある。1月には東京で集会をやり、経産省や環境省に申し入れをしようと話し合っている」とのべている。

 一方、風力発電をめぐっては、政府は全国4カ所に促進区域をつくり、一般海域の最大30年の占用を認め、洋上風力発電の建設を推進する法律を、今の国会で成立させようとしている。その促進区域の一つ、秋田県の由利本荘市では、事業者のレノバ(東京)が海岸から1・5〜3`のところに、8000〜9500`hの巨大風車を70〜90基建てる計画を出してきたことに対して、住民が「由利本荘・にかほ市の風力発電を考える会」をつくり運動を広げている。

 すでに陸上には60基以上の風力発電が建っており、住民から頭痛やめまい、睡眠障害などの訴えが出ている。同会はとくに風車に近接している1000人を対象にアンケート調査をおこない、低周波による健康被害の実態を明らかにするとしている。


秋田県由利本荘市で稼働中の海岸風力発電

大企業の為の市場創出

 こうした住民生活を無視した、後は野となれ山となれ式の企業が横行するのも、安倍政府が2030年度の電源構成に占める再エネの比率を22〜24%に上げるといって国策で再エネを推進し、風力や太陽光、バイオマスに参入する企業を増やすためにFITで20年間、高い価格でその電気を電力会社に買い取らせることを保証しているからだ。そのカネは、すべての国民から「再生可能エネルギー促進賦課金」を毎月の電気料金のなかに含めて徴収することで捻出している。

 それはアメリカのオバマ政府がうち出した、グリーン・ニューディールという名の景気刺激策の延長線上にある。アメリカでは「地球温暖化防止」「低炭素社会」を掲げて、原子力とともに再生可能エネルギーによる景気刺激策に舵を切った。「CO2による地球温暖化の危機」を訴えてきた国連IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の議長自身、ロックフェラー財団の再生可能・持続可能エネルギーアドバイザーとして、大企業にあぶく銭を稼がせるCO2排出権取引の指南をやっていたことが暴露されている。そして日本では福島原発の大事故後、原発推進の総本山である経済産業省が、一方で原発を再稼働させながら、他方で「エコでクリーン」と宣伝して再エネ・ビジネスを煽ってきた。

 2011年に当時の民主党・菅政府は、再生可能エネルギー促進のために、民有林や国有林、保安林、農地などにかかっている規制を緩和することを提言した。これと同じものを安倍内閣が2013年に「農山漁村再生可能エネルギー法」として閣議決定し、翌年5月から施行している。それは「これまで農地法で農業利用しか認めていなかった第一種農地でも、農地として再生することが難しい荒廃農地と、今後耕作が見込めない耕作放棄地は再エネ事業への転換を認める」「風力発電の風車は設置に必要な面積が比較的小さく、一度建ててしまえば農作業に支障は出ないので、それ以外の農地でも導入できる」「再エネを導入する事業を2018年までに全国100カ所に増やす」としている。その結果、日本中の山野も海もところかまわず風車を建てたりソーラーパネルを敷き詰めたりすることが可能になり、住民との大矛盾となっている。

 こうして「原発にかわるクリーンな再生可能エネルギー」といって風力や太陽光を増やせば増やすほど、再エネ・ビジネスで一握りの大企業がもうかるだけで、住民生活や地域の環境が脅かされるとともに、電気の供給はますます不安定になり、国民は常にブラックアウトの危険と隣り合わせの生活を強いられることになる。それは社会に甚大な損害を与えるもので、各電力会社が出力制御に踏み出さざるをえないまでになっている。社会などどうなってもかまわないという、新自由主義の本末転倒を象徴している。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10143
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html#c5

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
28. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月27日 19:02:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]


高級スポーツカー「GT-R」も無償提供か 日産・ゴーン容疑者に
2018年11月26日 月曜 午前11:58


逮捕から1週間、私的流用疑惑が次々と明るみに出ている日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン容疑者(64)が、日産の高級スポーツカー「GT-R」についても、会社側から無償で提供を受けていたことがわかった。


カルロス・ゴーン容疑者は、グレッグ・ケリー容疑者(62)と、2015年3月期までの5年間で、ゴーン容疑者の報酬を、有価証券報告書に、およそ50億円少なく記載した疑いが持たれている。


これまで、ゴーン容疑者が会社側に支払わせたものは、ブラジルなどの高級住宅やヨットクラブの会員権などが明らかになっている。


その後の関係者への取材で、ゴーン容疑者は、日産が2007年に発売した市場価格1,000万円以上の高級スポーツカー「GT-R」についても、「自分が第1号の客だ」などと話していたということだが、実際には、無償で車の提供を受けていたことが新たにわかった。


また、報酬の過少記載について、ケリー容疑者は「ゴーン容疑者の報酬を20億から10億に減額して記載したのは、ゴーン容疑者の指示に従っただけだ」などと説明しているという。


ゴーン容疑者は、容疑を否認していて、共に争うことになるとみられている。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c28

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
54. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月27日 19:12:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]

国内最古の大壁建物跡か、奈良 渡来人の定住早まる可能性 2018年11月27日
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2018112701001874.html

 奈良県高取町教育委員会は27日、同町の市尾カンデ遺跡で4世紀末から5世紀初めに渡来人が建てたとみられる朝鮮半島式の大壁建物跡が16棟分見つかったと発表した。国内最古とみられ、これまで5世紀後半以降とされていた渡来人の本格的な定住時期が大幅に早まる可能性がある。

 町教委によると、大壁建物は狭い間隔で柱を立てた後、土で壁の中に柱を塗り込めるのが特徴。全容が分かる最大のもので東西約15メートル、南北約13メートルだった。高取町の森ヲチヲサ遺跡で見つかった大壁建物跡と並び最大級という。同町ではこれまで約40棟見つかっていた。

(共同)
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c54

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
154. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月27日 19:13:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21217]

国内最古の大壁建物跡か、奈良 渡来人の定住早まる可能性 2018年11月27日
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2018112701001874.html

 奈良県高取町教育委員会は27日、同町の市尾カンデ遺跡で4世紀末から5世紀初めに渡来人が建てたとみられる朝鮮半島式の大壁建物跡が16棟分見つかったと発表した。国内最古とみられ、これまで5世紀後半以降とされていた渡来人の本格的な定住時期が大幅に早まる可能性がある。

 町教委によると、大壁建物は狭い間隔で柱を立てた後、土で壁の中に柱を塗り込めるのが特徴。全容が分かる最大のもので東西約15メートル、南北約13メートルだった。高取町の森ヲチヲサ遺跡で見つかった大壁建物跡と並び最大級という。同町ではこれまで約40棟見つかっていた。

(共同)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c154

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
99. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月27日 19:33:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21220]


雪日記 神楽魂は諦めない!
【18-19シーズン 21日目】 天候:晴れ
11/27(火) かぐらスキー場でスノーボード。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3441.html

昨夜のシーズンインパーティーは結局3時過ぎまでアーライッ!

越後湯沢夜の部はとてもハードです(笑)

という事で、本日ものんびり出撃〜
スノーボードブーツなので、みつまたエリアをお散歩いたします。

2日前はギリギリ雪上移動できたのに、もうこんな感じ。
降雪1発のみでは、消えるのはあっという間ですね。

ファミリーコースのスプリンクラーも稼働が始まりました。
僅かに残っていた雪もこれで終了。

嗚呼…、せっかく降った恵みの雪なのに、
このままでは一旦リセットされてしまう。
消えゆく雪を見ている事しかできないのがとても悲しい…。

ゴンドララインにはレッドカーペットが敷かれています。
急斜面のピスラボでも、カーペットのおかげで徒歩移動が楽に。

何故かここだけ花柄!!

残念なお知らせです。

本日より融雪に伴いかぐら第1ロマンスリフトの営業となってしまいました。
メインゲレンデ中間の状況が深刻でしたからねぇ。

せめて降雪機が動かせればなのですが、
冷え込みが不十分で動かせない状況です。

メインゲレンデ下部のみ、
滑走距離は約600メートル。
ちょっと短くなっちゃいました。

かぐらparkもどうにか死守されております。

リフト降り場周辺はまだしっかりと雪が付いています。

しかし、
昨日の時点でもかなり状況が悪く、
降雪もなし、降雪機も動かせないでは状況は悪化する一方。
もはやここまでか…と思われましたが、

神楽魂は諦めない!!

コースの端から雪を出し、人力で雪を付ける。
春の雪出しと違い、まだ降った雪自体が少ないから大変な作業でしょう。
それでも懸命に延命する、これがかぐらスキー場なのです!

本当に本当にありがとうございます!!
後は恵みの雪を待つばかり。
木曜くらいから降雪機は動かせるかもしれませんね。

まだ多くは望みません。
せめてゴンドララインが埋まるくらいでいいので冬将軍様〜お願いします!

久々のリフト下り乗車。
ガーラのコースが見えるあの山、
やっぱりこーやって観ると近いなぁ。

スキー場発表積雪量:40cm(-10cm)

使用板:GENTEMSTICK / INDEPENDENT STICK
ビンディング:BURTON / STEP ON
ブーツ:BURTON / PHOTON STEP ON

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3441.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c99

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
29. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月27日 20:22:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21220]

高橋洋一氏「カルロス・ゴーン逮捕の裏にはトランプ大統領の助言」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=27y6T4w_hBA


渡邉哲也 ゴーン逮捕とその背景 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%A1%E9%82%89%E5%93%B2%E4%B9%9F+%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%B3+

【藤井聡】ゴーン容疑者の姉に1000万円以上送金って・・・泥棒やないか? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Gly6IKH0x3s

【藤井聡】フランスから文句を言われる筋合いなどないわ! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nnTv0fHvncg
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c29

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
30. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月27日 21:42:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21220]
ゴーン逮捕で日産を司法取引に走らせた「史上最高額脱税」の可能性 日産のサクセスストーリ 幹部経費どこまでOK?文化の違い
 



2018年11月27日 戸田一法 :事件ジャーナリスト
ゴーン逮捕で日産を司法取引に走らせた「史上最高額脱税」の可能性

写真:ユニフォトプレス
逮捕状の請求を受けた裁判官も、「被疑者の氏名」欄を見て度胆を抜かれたに違いない。日産自動車の経営再建の立役者であるカリスマ経営者、前会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が19日、東京地検特捜部に逮捕された。昨今の特捜部は大阪地検が証拠改ざん事件を起こしたり、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書の改ざん問題では何も立件できなかったりと、捜査能力の低下と相まって信頼は失墜。関係者には「持ち込み(内部告発)で、よほど固い証拠を頂戴したのだろう」という冷ややかな見方もある。事実、日産側は特捜部と捜査協力の見返りに起訴を免れたり、罪を軽くしてもらう「司法取引」で合意していた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

“やりたい放題”で余罪続々
 ゴーン容疑者は日産の有価証券報告書に自分の役員報酬を計約50億円少なく記載して申告したとして、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で、右腕だった前代表取締役グレゴリー・ケリー容疑者(62)とともに逮捕された。

 2人の逮捕容疑は2011年3月期〜2015年3月期の5年間に計約99億9800万円の報酬を受け取っていたのに、計約49億8700万円と過少に記載した有報を財務省関東財務局に提出した疑い。

 特捜部は逮捕容疑とされた約50億円の内訳を明らかにしていないが、日産の株価に連動して報酬を受け取る権利(ストック・アプリシエーション権、SAR)による報酬数十億円分のほか、オランダの子会社から毎年受け取っていた数億円の報酬を記載していなかったとみられる。

 日産は19日、ゴーン容疑者の逮捕を受け「早急に企業統治上の問題点を洗い出す」との声明を発表。西川広人社長は同日夜、緊急記者会見し、内部通報をきっかけに数ヵ月前から社内調査を実施し、逮捕容疑となった有報の虚偽記載のほか、私的な目的での投資金支出、会社経費の不正支出が確認されたと発表した。

 西川社長が「私的」「不正」などと言い切ったということは、明確な証拠・書類が残っているのだろう。日産が特捜部との司法取引に基づき、全面協力して一切の資料を提供すれば、特別背任罪や業務上横領罪の立件も視野に入る。

 関係者の証言や各報道によると、逮捕容疑以外にも直近の3年分(2016年3月期〜2018年3月期)についても、計約29億円と記載されているが、実際には計約30億円多かった疑いがある。特捜部は時効の関係で古い案件から手掛けたとみられるが、いずれ再逮捕容疑となるだろう。

 西川社長の言う「私的な目的の投資支出」だが、日産が投資目的で設立したとされるオランダ・アムステルダムの子会社「ジーア」が実はペーパーカンパニーで事業の実態がなかった上、ゴーン容疑者がジーアに幼少時代を過ごしたブラジル(リオデジャネイロ)やレバノン(ベイルート)、アムステルダム、フランス(パリ)に高級住宅を購入させ、無償で利用していたことを指すとみられる。

 これは「組織の幹部など組織運営に重要な役割を果たしている者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は組織に損害を加える目的で、その任務に背く行為」であり、特別背任罪に該当するだろう。

 また「会社経費の不正支出」は、業務実態がない姉にアドバイザー契約を結ばせ、毎年約1100万円余りを支払わせていたほか、家族旅行や私的な飲食の代金も日産に負担させていたことを指すとみられる。姉はゴーン容疑者が子会社に購入させたリオの住宅で生活しているとされる。

 いずれも公私混同の極みだが、姉への支出は特別背任罪か「業務上占有する他人の物を横領」したと判断されれば、業務上横領罪が成立する可能性もある。両罪は法的な適用の解釈が専門家でも意見が分かれるが、家族旅行や私的な飲食の代金は業務上横領罪に問われる可能性が濃厚だ。

捜査急展開に2人のキーマン
 今回の逮捕劇は、ゴーン容疑者サイドから見れば「クーデター」、日産サイドから見れば「堪忍袋の緒が切れた」と言えるだろう。

 両者の見方は別として、明らかになっている点が事実なら、どう見ても会社の私物化、横暴が過ぎる。ゴーン容疑者に矢が向くのは時間の問題だったのは間違いない。

 しかし日産としても、経営トップが現職時に行った犯罪行為であれば、放置すれば法人として罪に問われるのは必至で、ゴーン容疑者の追放とともに傷を少しでも小さく抑えたいという意向が働いたはずだ。

 そこで「司法取引」だったのだろう。

 日本の司法取引は今年6月、改正刑事訴訟法施行で導入された。容疑者や被告が共犯者など他人の捜査や公判維持に協力する見返りに、自らの起訴を見送ってもらったり、求刑を軽くしてもらったりする制度だ。

 対象となるのは贈収賄や談合、脱税、独占禁止法違反などの経済事件のほか、銃器や薬物事件に限定される。個人だけではなく、法人(今回の場合は日産)が処罰対象になり得るケースでは、企業も取引が可能だ。

 日本では今年7月までに、タイの発電所建設事業を巡る贈賄事件で、元執行役員が現地の公務員に賄賂を渡したとされる三菱日立パワーシステムズ(MHPS、横浜市)と初めて司法取引が成立。MHPSは捜査に全面協力し、元執行役員は起訴されたが、法人としてのMHPSは不起訴となった。

 今回の事件はどうか。ゴーン容疑者がケリー容疑者にメールで有報への虚偽記載などを指示。それを受けて法務担当の外国人執行役員と、別の幹部社員の2人が実行していたとされる。

 役員報酬は監査法人による監査の対象外だが、日産の監査法人はゴーン容疑者にSARの報酬を有報に記載するよう進言していた。実は日産は春ごろには既に内部調査に着手し、こうした経緯から2人の実行行為を特定。2人には社内処分の軽減などとともに司法取引に応じるよう提案したとみられる。

 日産と特捜部は司法取引制度が導入された6月には既に調整に入っていたとみられ、2人は特捜部と司法取引で合意。これによって捜査は一気に加速したとみられる。いずれ2人は解雇を免れないだろうが、心ばかりの退職金(もしくは報奨金)が用意されているだろう。日産も家宅捜索を受けたが、専門家も口ぶりは慎重ながら「不起訴になるのではないか」との見立てが支配的だ。

史上最高額の脱税の可能性
 ではなぜ、ゴーン容疑者は報酬を少なく見せ掛ける必要があったのか。

1つは「高給過ぎる」との批判をかわす目的だったとされる。瀕死だった日産の救世主とはいえ、トヨタ自動車の豊田章男社長は2018年3月期の有報によると、3億8000万円。ルノーから招いたディディエ・ルロワ副社長は10億2600万円。報酬の算定方法なども違い一概に比較はできないが、それでもゴーン容疑者の報酬は格段に高い印象を受ける。

 もう1つの可能性は「税逃れ」だ。

 筆者は「パナマ文書」が公開された当時、ゴーン容疑者の名前を探したが見つけることはできなかった。納税地がどの国かは不明だが、西川社長は「日本で納税したと思っている」と発言している。

 かつて「長者番付」と呼ばれた国税当局による高額納税者の公示が2006年以降に廃止されたため、ゴーン容疑者の納税地が日本であるかどうかを確認するすべはない。租税条約や国税の関連法などによると、複数の国に居住地がある場合、一般的には1年間の半分以上にわたり滞在しているかどうかが判断基準になるが、何ヵ国も渡り歩いている場合は拠点や生活実態、経済基盤などで総合的に判断される。

 もし納税地が日本であれば、あえて有報に過少申告したのに、実際に受け取っていた報酬を正直に確定申告していたとは考えにくい。もし正しい所得を申告したとすれば、公表されている有報より過大な所得を申告していたことになり、国税側には後に還付金が発生する懸念も生じる。国税当局がそうした情報を見逃すわけがない。

 本来、個人の高額納税者を調査するのは東京国税局であれば課税1部だが、明らかになっている点が事実であれば課税1部から査察部へ移送、もしくは特捜部の捜査を待って一気に査察部が強制調査に着手するかもしれない。いずれ経理ミスのたぐいとされる申告漏れ(無申告加算税、もしくは過少申告加算税)ではなく、所得隠し=脱税(重加算税、刑事罰としての懲役や罰金など)の対象になる可能性が高い。

 すべてが脱税と判断され刑事事件の対象になるとは限らないが、国内では史上最高額の脱税事件になる可能性がある。

 当然、法人としての日産も無傷では済むまい。巨大企業を担当する調査1部が税務調査を担当すると思われるが「会長職にあった人物による個人的な犯罪」では済まされない。不正経理・申告と認定されれば刑事事件にはならないにせよ、重加算税の対象にはなるだろう。

 ほかにも有報を訂正した後、証券取引等監視委員会が調査し、金融庁に課徴金の納付命令を勧告することになりそうだ。金商法では有報への虚偽記載は刑事罰として法人に対し7億円以下の罰金と規定し、行政処分としての課徴金も定めている。不起訴となれば罰金は免れるだろうが、課徴金の納付は避けられないだろう。

 一方、ゴーン容疑者の弁護人を元同特捜部長の大鶴基成弁護士が務めることが明らかになった。また、ケリー容疑者は逮捕後、関係者に「役員報酬は適切に記載していた」と説明していることも判明。ゴーン容疑者も「有報に虚偽の記載はしていない」などと容疑を否認しているもようだ。

 東京地検特捜部の捜査は始まったばかり。今後の捜査の行方が注目される。
https://diamond.jp/articles/-/186648


 

2018年11月27日 Andrew Peaple and Kosaku Narioka
ゴーン氏失墜で浮き彫り、報酬めぐる文化の違い

 日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の失墜により、先進国間でも文化の違いによって企業慣行が大きく異なるエリアが残っていることが鮮明になった。それは、幹部報酬だ。

 企業の財務報告の方法は近年、国際会計基準の広範な導入を受けて世界的に収れんしつつある。だが経営陣の報酬の開示度合いを巡っては、おおむね各国が引き続き独自のルールを設けている。

 ゴーン氏は約50億円の過少申告があったとの容疑で逮捕され、日産から会社資金の流用を指摘される中、会長職を解かれた。同氏は勾留されており、コメントは得られていない。

 日産がゴーン氏の報酬について義務付けられている開示の水準は、同氏が会長兼最高経営責任者(CEO)に留任しているルノーよりはるかに低い。パリ株式市場に上場するルノーは、ゴーン氏や他の幹部の報酬について多くの詳細情報を提供している。フランスでの世論の批判を受けて、ゴーン氏は今年、ルノーでの報酬を削減された。

日本企業と欧米企業

 米国と英国では通常、企業は幹部報酬についてさまざまな詳細を提供する。ロンドンを拠点とするPwCのパートナー、トム・ゴスリング氏によると、幹部報酬の項目が年次財務報告書の10%以上を占めることも少なくない。そうした国々では、企業は報告書に「全てを含む」よう強いられる。これは、経営陣の基本給やインセンティブに加え、年金や手当の情報も全て提供しなければならないという意味だ。

 日本では、幹部報酬に関する情報が相変わらず少ない。2010年以来、上場企業は対象年度に1億円以上の報酬を得た役員を開示するよう法律で義務付けられているにもかかわらずだ。例えば日産は金融庁に提出した直近の年次有価証券報告書で、必要な開示に1ページを割き、ゴーン氏と西川廣人社長の報酬の内容を記載している。

 専門家によると、報酬に関する記載の違いは社会的傾向を反映している面もある。日本企業は欧米企業に比べると、従業員と首脳陣の給与はかけ離れていない。一方で欧米の一部の国では会社内外での経済的格差が大きな政治的争点になっている。

 日本企業の経営陣の給与水準が相対的に低く、報酬の詳細な報告が重視されない背景には、国際的な経営者争奪戦が少ないことやプライバシー尊重などの要因が挙げられている。

 ゴーン氏が日産で得ていた比較的高い報酬は、長期にわたってトップに君臨していたことや、有名日本企業の外国人経営者という珍しい地位も反映していた。一方、その高い報酬は、同氏が強すぎる権力を手にしたと日産社内で見られるようになった一因とも考えられる。

 みずほインターナショナル(ロンドン)の上田亮子氏は「(日本企業幹部の)報酬は低いものだったので、あまり報酬自体が大きなガバナンスの問題とはならなかった」と指摘。「他人の財布の中身」をのぞくのは良くないとの伝統的な考えも開示が限定的であった一つの重要な理由だと述べた。

 欧米諸国で幹部報酬の詳細開示を求める動きがあったのは少し前だ。英国では、民営化された公益会社の幹部が享受していた高い報酬がメディアで批判されたことを受け、1990年代に政府が一段の開示を求めた。

 株主も企業の報酬慣行についての情報、特に経営陣の長期的な業績に連動する報酬の設定に使われる基準が投資家利益に一致するか否かを判断できる材料を要求してきた。

 PwCのゴスリング氏は「投資家にとって幹部報酬の設定に関する開示は、取締役会の運営方法や、彼らが経営陣からどれだけ独立しているかを知る手段の一つだ」と述べた。

 欧州連合(EU)では来年、英国の現行モデルに基づき株主の権利に関する新たな指針が導入され、報酬開示規則が統一される。

 確かに、報酬体系の複雑さが企業の開示水準に影響を与えている面はある。日本企業で一般に開示が少ない一因として、欧米企業の幹部報酬パッケージほど業績ベースの賞与や長期インセンティブプランが利用されてこなかったことがある。

 それでも、日産での問題を受け、報酬の分野で一段と透明かつ明確に定義された規則を求める声が噴出する可能性もある。取締役選任の株主投票を行う株主総会の開催後に報酬を報告しているという慣行は見直すべき時期に来ているのかもしれない。

 例えば日産が2018年3月期の有価証券報告書(役員報酬のページを含む)を提出したのは6月28日。年次株主総会の2日後だった。

 日産のスキャンダルを受けてみずほの上田氏は、日本では「もう性悪説に立って制度設計すべきなのかもしれない」と指摘。「パンドラの箱を開けてしまった」感があるとした。
https://diamond.jp/articles/-/186688


 

2018年11月27日 Chip Cutter
幹部経費どこまでOK? ゴーン氏逮捕で議論再浮上

 企業が幹部に与える最大の特典の1つは、潤沢な経費だろう。だが乱用の疑いが生じれば、キャリア転落の憂き目に遭う恐れがある。

 企業幹部による資金流用疑惑を巡っては、自動車業界の大物、カルロス・ゴーン氏の逮捕により、あらためて注目が集まっている。日産・ルノー・三菱の3社連合を束ねてきたゴーン氏は、報酬過少報告に加え、会社経費を不正利用していた疑いが持たれている。日産の内部調査に詳しい筋によると、ゴーン氏は自宅の購入・改装などに、オランダ子会社の資金およそ1800万ドル(約20億3000万円)相当を流用していたもようだ。

 関係筋によると、ゴーン氏の家族は、住居を会社持ちだと認識しており、購入は日産自動車の正式な承認手続きを経ていると話している。ゴーン氏のコメントは得られていない。同氏はまだ、正式には起訴されていない。

 ここ数年にも、会社資金乱用の疑いで独ダイムラー傘下のメルセデス・ベンツ、英広告大手WPP、旧ヒューレット・パッカードなどの幹部が辞任に追い込まれた。

 WPPのマーティン・ソレル氏は4月、CEOを辞任した。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)がこれまで報じたところによると、WPP取締役会はソレル氏が売春婦への支払いに会社資金を充てた疑いを調査している。調査結果については分かっていない。ソレル氏は疑惑を否定している。

 マーク・ハード氏は2010年、旧ヒューレット・パッカードのCEOを辞任した。会社の調査により、不正確な経費を申告しており、会社側はそれが請負業者との個人的な関係を隠していたと主張していた。ハード氏は現在、オラクルの共同CEOを務めている。

 ダイムラーは11年、会社資金を私的流用していた疑いで、メルセデスベンツの米国部門責任者、アーンスト・リーブ氏を解雇した。

 会社への献身が期待されている幹部は、一般社員には理解できないような経費が認められている。個人の事情にあわせた医療サービス、家賃負担、会社ジェット機の私的使用といった具合だ。だがこうした経費の扱いは幅広い解釈の余地や誘惑を生む、とガバナンス(企業統治)や会計の専門家は指摘する。

 デラウェア大学の企業ガバナンスに関する組織の統括者、チャールズ・エルソン氏は「CEOは年中無休で稼働しているから、やることはすべてビジネス絡みと主張できる」とし、境界があやふやになると話す。

 米内国歳入庁(IRS)や米証券取引委員会(SEC)の規定では、個人と会社の経費を分けるよう定められている。だが、線引きが難しいケースもある。例えば、幹部が会社のジェット機でビジネス関連の会合に出席する際、社外での行動に参加するため配偶者を同伴するといったケースだ。航空法を専門とする法律会社、クーリング・アンド・ハーバースの弁護士、リサ・D・ホルト氏は「そうした移動について、完全にオン・オフの区別が可能なケースはまれであり、線引きが難しい」と話す。

 一方、イエール大学のジェフリー・ソネンフェルド教授(経営学)は、当然の権利であり、非難される余地はないと考える幹部に起因する問題もあると話す。「一部の幹部は英雄気取りとなり、自分と他人のお金の境界線を混同し始める」

 大手企業のCEOであることの本質やプレッシャーが進化する中、経費も変化している。CEOが効率よく、かつ気持ち良く仕事を遂行する上で、スポーツ競技場のスカイボックス(ガラス張りの特別観覧席)やゴルフクラブ会員権といった手当てよりも、セキュリティー対策や家族を含めたプライベートジェット利用などの方が優先順位が高くなっている。

 アップルは昨年12月、セキュリティー対策として、ティム・クックCEOに対し、公私問わず、プライベートジェット機の利用を義務づけると明らかにした。私用目的で利用する場合、コストは追加報酬とみなされ、クック氏は税金を支払うとしている。

 企業幹部の雇用契約では、どのような裁量経費が認められるか定めている。だがたとえ、内部監査が最初に承認していても、取締役会は少なくとも定期的にCEOの経費について調べることが望ましい。法律事務所マクダーモット・ウィル・アンド・エメリーの企業ガバナンス専門弁護士、マイケル・ペレグリン氏はこう指摘する。また、何らかの不正が疑われる場合、審査官が取締役に報告できる経路を確保すべきだという。こうした手段を講じなければ「まさにそこから誘惑が生まれる」という。
https://diamond.jp/articles/-/186689

 


【第199回】 2018年11月27日 上久保誠人 :立命館大学政策科学部教授

ゴーン逮捕は「日産のサクセスストーリー」と捉えるべき理由

ゴーン容疑者の逮捕は、今後日本企業と日本人が世界で生き残っていくための1つの指針を与えているといえる
写真:ユニフォトプレス
 ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務していたカルロス・ゴーン氏と、日産の代表取締役のグレッグ・ケリー氏が、金融取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で、東京地検特捜部に逮捕された。日産自動車は臨時取締役会を開き、ゴーン氏の会長職解任を全会一致で決めた。一方、ルノーはティエリー・ボロレ氏を「暫定会長」としたが、ゴーン氏を当面会長職にとどめることを決め、日産とルノーの間で、ゴーン氏逮捕を巡る対応が分かれることになった。

 日本のメディアは、ゴーン氏が逮捕の理由となった、2010年度から5年間の99億9800万円の役員報酬を49億8700万円と記述した有価証券報告書の虚偽記載に加えて、海外の高級マンションなど、さまざまな形で行われた毎年10億円程度の日産からの便宜供与を詳細に報じている。ルノーという外資と、ゴーン氏という外国人経営者に20年間に渡って支配された日産の「負」の側面が一挙に噴出しているようだ。

 これに対して、この機会にルノーとの関係を清算し、日産・三菱の「日本の民族系資本」としての地位を回復すべきだという主張も出てきているようだ(現代ビジネス『反強欲・反グローバル資本主義という潮流で読み解くゴーン事件』)。だが、筆者はその主張に同意するつもりはない。

 むしろ、日産のストーリーは「日本政府からも見捨てられていた会社が、外国のカネと経営者を受け入れ、技術力と勤勉さで立場を逆転し、外資を飲み込む世界屈指の企業グループを形成し、経営の主導権を取り戻した」という、「サクセスストーリー」として語られるべきであり、今後の日本企業と日本人が世界で生き残っていくための、1つの指針を与えているからだ。

英国で考えた「欧米の経営者」と
「日本の技術力」の相性の良さ
 この連載では、「欧米で経営学を学んだ経営者」と「日本の技術力」の組み合わせは、新たなビジネスモデルとなると主張してきた(第125回・P.4)。筆者が英国の大学で見たものの1つは、将来ビジネス界で成功しようと志す若い学生が、経営学やMBAを専門的に勉強していたことだった。

 これは、日本では「現場主義」「ものづくり」への強い「信仰」があり、就活では企業側が、大学時代の成績や、何を学んできたのかをほとんど評価しないことと対照的で興味深かった。欧米と比較することで、日本では「学問」「専門性」は軽視されてきたと言わざるを得ないことがよくわかった。

 日本の製造業では、製造部門出身者が取締役会の多数派を占め、代表取締役会長・社長のポジションを占めることが多い。だが、彼らは経営を専門的に学んだわけではない「素人経営者」であるのは明らかだろう。そして、オリンパス、東芝、シャープなど、素人経営者による不祥事、経営の失敗が多発してきた。武田薬品のように、M&Aで獲得した外国企業を日本人が経営できず、社長以下取締役、部長級のほとんどを外国人に切り替えざるを得なかった企業もある(日経ビジネスオンライン『モンゴル人こそ真のグローバル人材』)。

 中小企業についても、高い技術力に基づく「ものづくり」への評価が高いが、実は経営は問題が多いのではないだろうか。親会社の言いなりになって、長年蓄積してきた部品の開発・製造ノウハウが詰まった仕様書を親会社に差し出し、それが外国企業に渡り、技術を盗まれ、商権を失っている。これは日本人の誠実さを示す「美談」として扱われてしまうことも多い(第8回)。しかし、見方を変えれば、利益を度外視して親会社への忠誠を誓うのは、「素人経営」の極みではないだろうか。

 世界の若手経営者が中小企業を買収すれば、こんなことは起き得ないのではないだろうか。彼らは考え方が「ドライ」だからだ。親会社との関係を始めとして、ものづくりを「聖域化」する裏で隠されてきた中小企業の経営の問題点を、徹底的に洗い出し、純粋に「高い技術力」を生かす経営を、経営学の専門的な観点から考えるはずだ。だから、筆者は「欧米の経営者」と「日本人の技術者」の相性はいいはずと考えるのだ。その仮説を証明する格好の事例が、「ゴーン改革」初期の日産であるように思うのだ。

日産を復活させたゴーン氏の
「理論的経営」を振り返る
 ここで、業績が長期にわたって低迷し、2兆円の負債を抱えて倒産寸前となり、日本政府も見捨てたといわれた日産が「ゴーン改革」で復活した経緯を振り返ってみたい。1999年にルノーの傘下に入った日産に来たゴーン氏は、これまで長年の慣習と文化に浸り、経営者の経験と勘に依存していた日本企業に、「理論的経営」を導入した。

 まず、ゴーン氏は、開発、生産、購買、販売という主要部門が責任をなすり合って意思決定と実行が遅れる縦割り組織の弊害を正すために、「クロスファンクショナル(CFT)チーム」を設置した。解決すべき課題ごとに9つのCFTチームを発足させて、そのチームリーダーを「パイロット」と名付けて40代の課長クラスに任せた。CFTは日産再建策「リバイバルプラン」の原案をわずか4ヵ月で作成した。

「リバイバルプラン」では、国内5工場の閉鎖やグループ従業員の14%に当たる2万1000人の削減、部品調達先を1415社から600社へ削減、航空宇宙部門など本業以外の事業の売却など、総額1兆円のコスト削減を断行した。

 このコスト削減策を通じて、ゴーン氏は、日本企業の長年の慣習であり文化であるといえる「系列」を破壊した。部品調達先などとの「系列」関係が、日産社員の天下り先となり、甘えの構造の基になっていると見抜き、容赦なく切り捨てたのである。

 また、ゴーン氏は「コミットメント(必達目標)」という概念を導入した。具体的に「リバイバルプラン」では、2001年3月期までの黒字化、2003年3月期までに営業利益率4.5%の達成と有利子負債の50%削減の「3つのコミットメント」を掲げた。

 そして、ゴーン氏は、「黒字化できなかったら責任を取って退任する」と宣言した。当時、日本企業の経営者が、「経営責任を取る」と明言するようなことはなかった。どこか曖昧さが許されてきた日本の企業経営に、ゴーン氏は明確な「ノー」を突き付けた。

 ゴーン氏の「理論的経営」によって、倒産寸前だった日産は、ルノーの傘下に入ってわずか2年後の2001年3月期決算で、過去最高の当期純利益2500億円を達成したのだ。

ゴーン氏の「自滅」で経営の主導権を
回復する日産の「サクセスストーリー」
 元々、日産はルノーよりも企業規模が大きく、開発や生産の能力が劣っているわけではなかった。長年の慣習や文化によるしがらみを断ち切ることができず、経験と勘に依存する経営が問題だっただけだ。「ゴーン改革」で目覚めた日産は、社員が持ち前の「勤勉さ」を発揮したこともあり、業績を急激に回復させた。

 現在、ルノーの純利益の半分程度は日産からの利益である。ルノーは日産からの配当金や技術供与がなければやっていけなくなっている。ルノーと日産の立場は逆転した。むしろ日産からすれば、ルノーに利益を吸い取られているという不満が強くなっていった。

 しかし、ルノーの大株主であるフランス政府が、2年以上保有する株主の議決権を2倍にする「フロランジュ法」を制定し、ルノーの経営に強く関与するとともに、ルノーと日産を統合させて、日産をフランス企業の傘下に収めようとする動きを見せた。

 ゴーン氏はこれに抵抗し、ルノーと日産の経営の独立性を守ろうとしたとされる。だが一方で、ゴーン氏が2018年で切れるルノーCEOの任期を2022年まで延長する代わりに、ルノーと日産の関係を後戻りできない不可逆的なものにすることを、フランス政府と「密約」したと囁かれていた。

 そんな時に起きたのが、「ゴーン氏逮捕劇」であった。これは、日産の経営陣が、フランス政府・ルノーによる日産支配の強化策を排除するために仕掛けた闘争であるという見方が存在する。それが事実であるかどうかはさておき、1つだけ言えることは、日産は経営の自立性を取り戻そうとしているということだ。ルノーからの「新しい会長」を派遣するという打診を、日産はきっぱりと拒絶したのだ。

 ゴーン氏の失脚という「自滅」の結果とはいえ、本稿の最初に述べたように、「日本政府からも見捨てられていた会社が、外国のカネと経営者を受け入れ、技術力と勤勉さで立場を逆転し、外資を飲み込む世界屈指の企業グループを形成し、経営の主導権を取り戻した」という、日産復活のサクセスストーリーが浮かび上がりつつある。

 日産の今後だが、ルノーを排除して「日本の民族系資本」の企業グループに戻ろうとするのは間違った考えだ。現在、ルノー・日産・三菱のアライアンスは、生産台数でトヨタを抜いて世界第2位を誇っている。ルノーと組むことで達成した大成果を、わざわざ捨てることはない。

 経営の自立性を回復した日産は、今後は逆にルノーを買収するなど、世界第2位のアライアンスの主導権をどう握るかの戦略を立てることが重要だ。もちろん、ルノーの背後にフランス政府がいるのであれば、日産も安倍晋三政権の後ろ盾を得て、戦略を練る必要があるだろう。

 しかし、それは政府によって企業の「民族主義」を強化するという意味ではない。安倍政権は、日産のストーリーをサクセスストーリーと捉えて、外資のカネと経営理論を、日本企業を強化するために利用するという、したたかな戦略を考えるべきなのだ(第57回)。

「日産再生のサクセスストーリー」という
ポジティブな側面こそ「本質」である
 この連載で主張してきたが、日本は外資導入を経済成長につなげられる条件を備えている(第43回)。「有名ブランド」「地理的条件の良さ」「知識・情報の集積」「高い技術力」「質の高い労働力」「政治的リスクの低さ」というグローバルビジネスのための好条件を備える日本は、政府が余計な規制を作って斜陽産業を守るような愚策を取らない限り、世界中からヒト、モノ、カネが集まってきて、「豊かな場所」になるはずなのである。


本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されます。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)
 日本は戦後、「開発主義国家モデル」と呼ばれる独特の国家モデルにより、高度経済成長を達成した。それは、経済成長に必要な人材、産業を政府(中央省庁)の主導により自国内ですべて育成する「自前主義」のモデルであった。

 しかし、1990年代以降、経済のグローバル化による大競争に晒された日本企業が多国籍化し、国内産業が空洞化した。それに対応するための構造改革や大学の国際化が取り組まれたが、高度成長の成功体験から抜けられず、日本は「失われた20年」と呼ばれる停滞期に入り込んだままである。

 グローバル経済の時代には、もはや「自前主義」は通用せず、諸外国とのネットワークにより分業体制を築くことがより重要となる。しかし、過去の成功体験を忘れることができず、停滞期から抜け出すために、「自前主義」により再び世界一を目指すという方法にどうしてもこだわってしまう。そのため、もはや斜陽産業となった輸出産業を保護しようとしたり、国内空洞化を防ごうと、無理に企業の海外進出を引きとめようとして、結果として経済の停滞を長引かせてきたのだ。「失われた20年」とは、この堂々巡りであったといえる。

 今後、日本は「自前主義」にこだわらず、諸外国の力も利用しながら、したたかに、しなやかに経済力を強化していく道を選んでいくべきではないかと考える。「ゴーン氏逮捕」という衝撃的な事件があったために、ネガティブな側面に焦点が当たりがちだが、「日産再生のサクセスストーリー」というポジティブな側面にこそ、我々が考えるべき事の「本質」がある。

(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)
https://diamond.jp/articles/-/186649


 


2018年11月27日 Chip Cutter
幹部経費どこまでOK? ゴーン氏逮捕で議論再浮上

 企業が幹部に与える最大の特典の1つは、潤沢な経費だろう。だが乱用の疑いが生じれば、キャリア転落の憂き目に遭う恐れがある。

 企業幹部による資金流用疑惑を巡っては、自動車業界の大物、カルロス・ゴーン氏の逮捕により、あらためて注目が集まっている。日産・ルノー・三菱の3社連合を束ねてきたゴーン氏は、報酬過少報告に加え、会社経費を不正利用していた疑いが持たれている。日産の内部調査に詳しい筋によると、ゴーン氏は自宅の購入・改装などに、オランダ子会社の資金およそ1800万ドル(約20億3000万円)相当を流用していたもようだ。

 関係筋によると、ゴーン氏の家族は、住居を会社持ちだと認識しており、購入は日産自動車の正式な承認手続きを経ていると話している。ゴーン氏のコメントは得られていない。同氏はまだ、正式には起訴されていない。

 ここ数年にも、会社資金乱用の疑いで独ダイムラー傘下のメルセデス・ベンツ、英広告大手WPP、旧ヒューレット・パッカードなどの幹部が辞任に追い込まれた。

 WPPのマーティン・ソレル氏は4月、CEOを辞任した。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)がこれまで報じたところによると、WPP取締役会はソレル氏が売春婦への支払いに会社資金を充てた疑いを調査している。調査結果については分かっていない。ソレル氏は疑惑を否定している。

 マーク・ハード氏は2010年、旧ヒューレット・パッカードのCEOを辞任した。会社の調査により、不正確な経費を申告しており、会社側はそれが請負業者との個人的な関係を隠していたと主張していた。ハード氏は現在、オラクルの共同CEOを務めている。

 ダイムラーは11年、会社資金を私的流用していた疑いで、メルセデスベンツの米国部門責任者、アーンスト・リーブ氏を解雇した。

 会社への献身が期待されている幹部は、一般社員には理解できないような経費が認められている。個人の事情にあわせた医療サービス、家賃負担、会社ジェット機の私的使用といった具合だ。だがこうした経費の扱いは幅広い解釈の余地や誘惑を生む、とガバナンス(企業統治)や会計の専門家は指摘する。

 デラウェア大学の企業ガバナンスに関する組織の統括者、チャールズ・エルソン氏は「CEOは年中無休で稼働しているから、やることはすべてビジネス絡みと主張できる」とし、境界があやふやになると話す。

 米内国歳入庁(IRS)や米証券取引委員会(SEC)の規定では、個人と会社の経費を分けるよう定められている。だが、線引きが難しいケースもある。例えば、幹部が会社のジェット機でビジネス関連の会合に出席する際、社外での行動に参加するため配偶者を同伴するといったケースだ。航空法を専門とする法律会社、クーリング・アンド・ハーバースの弁護士、リサ・D・ホルト氏は「そうした移動について、完全にオン・オフの区別が可能なケースはまれであり、線引きが難しい」と話す。

 一方、イエール大学のジェフリー・ソネンフェルド教授(経営学)は、当然の権利であり、非難される余地はないと考える幹部に起因する問題もあると話す。「一部の幹部は英雄気取りとなり、自分と他人のお金の境界線を混同し始める」

 大手企業のCEOであることの本質やプレッシャーが進化する中、経費も変化している。CEOが効率よく、かつ気持ち良く仕事を遂行する上で、スポーツ競技場のスカイボックス(ガラス張りの特別観覧席)やゴルフクラブ会員権といった手当てよりも、セキュリティー対策や家族を含めたプライベートジェット利用などの方が優先順位が高くなっている。

 アップルは昨年12月、セキュリティー対策として、ティム・クックCEOに対し、公私問わず、プライベートジェット機の利用を義務づけると明らかにした。私用目的で利用する場合、コストは追加報酬とみなされ、クック氏は税金を支払うとしている。

 企業幹部の雇用契約では、どのような裁量経費が認められるか定めている。だがたとえ、内部監査が最初に承認していても、取締役会は少なくとも定期的にCEOの経費について調べることが望ましい。法律事務所マクダーモット・ウィル・アンド・エメリーの企業ガバナンス専門弁護士、マイケル・ペレグリン氏はこう指摘する。また、何らかの不正が疑われる場合、審査官が取締役に報告できる経路を確保すべきだという。こうした手段を講じなければ「まさにそこから誘惑が生まれる」という。
https://diamond.jp/articles/-/186689


 

2018年11月27日 真壁昭夫 :法政大学大学院教授
ゴーン逮捕でルノー・日産・三菱連合に変化、世界自動車大再編も
カルロス・ゴーン
写真:ユニフォトプレス
ゴーン日産会長の突然の逮捕
3社のアライアンス体制に影響
 11月19日、突然、日産自動車のゴーン会長が逮捕された。それに伴い日産自動車は、「当社代表取締役会長らによる重大な不正行為について」のプレスリリースを出し、夜には西川(さいかわ)社長が記者会見を行った。これまでの報道等によると、日産は時間をかけて不正行為の調査を進めてきたことが分かる。

 羽田空港にプライベート・ジェット機で到着したゴーン容疑者に、東京地検特捜部は任意同行を求めその後逮捕したようだ。記者会見で西川社長は、ゴーン容疑者が日産の経営再建に重要な役割を果たしたことを認めつつ、1人の人物にあまりに大きな権限が集中し、不正行為の発生を防げなかったと述べた。

 今回の問題をより複雑にするのは、ルノー・日産・三菱自動車のアライアンス体制に大きな影響が出ることが予想されることだ。自動車産業は、主要先進国で最も重要な産業分野で、自動車メーカーはいわば「稼ぎ頭」と言ってもよい。

 足元で支持率の低迷に直面するフランスのマクロン大統領にとって、ルノー・日産・三菱自動車のアライアンスは自身の経済運営にとって最も重要なファクターの1つと言っても過言ではない。

 今後、その3社のアライアンス体制に変化が生じ、世界の自動車業界に波紋が広がることも考えられる。

日産の経営危機を
救ったゴーン容疑者
 時計の針を巻き戻せば、1999年3月、経営危機に直面していた日産は、ルノーと資本提携(アライアンス)を結んだ。9月には17人のルノー管理職が日産に送り込まれた。10月に入ると、日産の経営トップに就任したゴーンCOO(最高執行責任者、当時)が“日産リバイバルプラン”を発表した。

 その主な目標は、2000年度に黒字化を達成すること、および、2002年度までに連結ベースの売上高営業利益率を4.5%に引き上げることだった。ゴーンは目標が1つでも達成できなければ役員は総退陣すると退路を断ち、組織の改革に取り組んだ。

 ゴーン容疑者は目標達成に向け、固定費の削減を進めた。村山工場をはじめとする国内5つの工場の閉鎖や、サプライヤー数を半分に削減することが進められた。“ゴーン、イコール、コストカッター”との印象を持つ人が多いのはこのためだ。

 同時に、ゴーン容疑者はルノーとの共用プラットフォームの使用などを進めて新商品開発を強化しつつ、生産拠点を集約することで生産性の向上を目指した。また、ゴーン容疑者は従来の企業間のつながりよりも、競争を重視しグローバルに競争力のあるサプライヤーとの関係強化を徹底した。

 当時の国内経済は、金融システム不安を受けて低迷していた。その後、2002年2月からは、米国経済の回復などに支えられてわが国の景気は回復局面に移行した。それに伴い、日産リバイバルプランも徐々に効果を表した。

 特に、ゴーン容疑者は中国をはじめとする新興国市場でのシェア拡大を重視した。リーマンショック後の景気低迷を挟みつつ、中国を中心にインド、ブラジル、ロシアなどに進出し、販売台数を伸ばしてきた。

 ゴーン容疑者の経営手腕は日産の経営再建とその後の成長に欠かせなかったのである。市場参加者の中には、「ゴーンなくして今日の日産なし」と評する者もいるほどだ。企業文化の異なる自動車メーカーの統合はうまくいかないと考え、ゴーン容疑者が資本関係を維持しつつ各社の自立性を重視したことも大きかった。

想定以上に強かった
ゴーン容疑者の権力欲
 今回の逮捕容疑(有価証券報告書の虚偽記載、実際の報酬額よりも少ない金額を有価証券報告書に記載していた)、および日産の投資資金の不正使用などは、ゴーン容疑者の権力欲、強欲さがすさまじく強かったことを示している。同氏は、越えてはならない一線を越えてしまったといえる。

 大きな原因は2つあるだろう。

 まず、ルノーは日産の窮地を救った筆頭株主だ。1999年にルノーは日産自動車の36.8%の株式を取得し、現在の保有比率は43.4%だ。過半数は保有していないものの、事実上の意思決定権はルノーが持っているといってよい。その中で親会社から派遣されたトップ=ゴーン容疑者の意向には従わざるを得ない。それが資本の論理だ。

 また、経営者として、ゴーン容疑者は優れた資質を持っている。リバイバルプラン以降の業績がそれを示している。従来の発想では、聖域なき構造改革を進めると同時にグローバルな視点で成長を目指すことは難しかったかもしれない。ゴーン容疑者は日産にとって、困難な目標を成し遂げた救世主といえる。

 また、ゴーン容疑者の指揮の下、日産は英語を公用語にした。中途採用人材も増えた。同社の企業文化は大きく変わったのである。その中で、日産再生の立役者であるゴーン容疑者の意見には従わざるを得ないという雰囲気が組織全体に広がったことは想像に難くない。

 その結果、ゴーン容疑者の権力欲と強欲さをいさめることは、かなり難しくなったと考えられる。2005年にゴーン容疑者は日産のCEOとルノーのCEOを兼務した。その上、ゴーン容疑者はアライアンスの運営を管理するルノー・日産BV(オランダ・アムステルダムが拠点)のトップにも就いた。同社のトップはルノーCEOが就くと内規に定められていると報じられている。また同社は非公開企業であるため、内部の経営状態などはわかりづらい。

 アライアンス体制の最高意思決定権者の地位を手に入れたことによって、ゴーン容疑者の権力基盤は一段と強固になった。それが、長年にわたって有価証券の虚偽記載が行われ、会社資金が不正に使用される原因となった可能性がある。

アライアンスの今後と
世界の自動車業界への波紋
 今後、日産とルノーの関係は変化する可能性がある。ルノー・日産・三菱自動車の3社アライアンス体制の背景には、フランス政府の利害が深く、密接に絡んでいることは重要だ。

“産業政策のプロ”との評価を受けてきたマクロン大統領が産業政策を推進するために、国内自動車メーカーの競争力向上は非常に重要である。

 自動車のような組立型の産業は雇用増加にもってこいだ。マクロン大統領としては、独フォルクスワーゲンなどを上回るフランスの自動車企業を生み出し、今後のEV開発競争などのイニシアチブを取りたいだろう。日産のリーフをはじめとする電気自動車の開発力は、どう考えても手放すわけにはいかない。

 そのためマクロン大統領は、ルノーと日産および三菱自動車の経営統合を重視してきた。ルノー・グループがゴーン容疑者のCEO任期を2022年まで延長した理由は、3社の経営統合を進めるためだろう。ルノーが逮捕されたゴーンCEOの解任を見送った理由は、同氏以外に3社の経営統合を進める手腕を持つ人材が見当たらないからだと考えられる。

 今後、フランス政府はルノーに3社の経営統合の実現を求めるだろう。

 それは、世界の自動車業界の再編につながる可能性がある。日産が日本企業としての再出発を目指すのであれば、ルノーとの関係は悪化する可能性が高い。その場合、他の自動車メーカーなどが日産に提携などを申し出ることが考えられる。

 そうなると、EV技術などの取り込みや生産の効率化を目指して、アライアンスや買収を真剣に検討する企業は増える可能性がある。すでにIT先端企業はEV開発や自動運転テクノロジーの開発を進めている。今後の再編は自動車メーカーだけではなく、異業種を巻き込んだものに発展することも考えられる。

 ゴーン容疑者の逮捕を受け、3社アライアンス体制の先行き不透明感は高まった。フランス政府の利害や他の自動車メーカーなどの利害が複雑に絡み、今後の自動車業界はより大きな変化に直面する可能性も高まったと考える。

(法政大学大学院教授 真壁昭夫)
https://diamond.jp/articles/-/186625

 
トップニュース2018年11月27日 / 12:14 / 8時間前更新
焦点:ゴーン会長解任劇で注目、「敏腕」西川日産社長の横顔
Norihiko Shirouzu and Maki Shiraki
3 分で読む

[東京 22日 ロイター] - 日産自動車(7201.T)の西川廣人社長兼最高経営責任者(CEO)は、長年「指導役」であったカルロス・ゴーン容疑者を会長職から解任したことで、大義のためなら周りを敵に回すことも辞さないタフなリーダーとしてその名を轟かせることとなった。

自動車業界で最も著名なリーダーの1人であるゴーン容疑者が金融商品取引法違反で19日に逮捕されたことを受け、日産は22日の臨時取締役会で同容疑者の会長職と代表取締役の解任を決めた。

日産関係者は、西川社長について、頭が切れ、厳しく、結果重視だと語る。

今回の逮捕はゴーン容疑者や仏ルノー(RENA.PA)とのアライアンス(提携)に不満を抱く取締役会メンバーによるクーデターだとの疑惑や、失われた評判、司法上や規制上の問題に対処する上で、西川社長はこうした資質を総動員する必要があるだろう。

ある日産幹部は同社長について、とても強くてアグレッシブだと語り、もし業績が彼が求める水準を下回った場合、会議の場で担当者に恥をかかせることもいとわないと付け加えた。

社内では、西川氏のことを慕う人がいる一方、嫌っている人もおり、同氏が非常に厳格であることが嫌われている理由だとこの幹部は語った。

日産は、ゴーン容疑者が会社の資金を私的流用し、報酬を過少申告していたと主張している。東京地検によると、5年間で得た報酬99億9800万円の半分程度しか申告しなかった疑いが持たれている。

ロイターは、東京地検によって勾留されているゴーン容疑者、あるいは同容疑者の弁護士に接触することができなかった。

西川氏は長年ゴーン容疑者の後任として育てられ、昨年社長に就任したばかりだ。

また別の日産幹部は、西川社長が物事を徹底的に追及する性格だと説明。こうした性格が、社内でゴーン容疑者に関する疑惑が浮上した際に取った対応にも反映されたことは確かだろうと語る。

西川社長は非常に規則を重んじる人であり、私用と社用の電話2つを持っているが、家族にかけるときは絶対に社用電話は使わないとこの幹部は言う。

また、日産が国内で無資格者に完成検査を行わせていたことが昨年発覚してから、西川社長は一段と慎重になり、コンプライアンス上の問題は見過ごすことはできないと考えるようになっていたと同幹部は話す。

日産はこの幹部による西川氏の評価についてコメントするのを控えた。また、西川社長からコメントを得ることはできなかった。

 11月22日、日産自動車の西川廣人社長兼最高経営責任者(写真)は、長年「指導役」であったカルロス・ゴーン容疑者を会長職から解任したことで、大義のためなら周りを敵に回すことも辞さないタフなリーダーとしてその名を轟かせることとなった。横浜市の本社で19日撮影(2018年 ロイター/Issei Kato)
<今や反ゴーン派>

普段は早口な西川社長だが、ゴーン容疑者逮捕を受けて19日夜に開いた記者会見では、弁護士や他の幹部を同席させず、急がず冷静な態度で90分近く質問に答えた。その姿にはソーシャルメディアで称賛の声が上がった。

西川社長が頭を下げて謝罪しなかったこともかなり効果的だったと、日産の元幹部は指摘。まるで自身は個人的に悪くないと示しているかのようだったとこの元幹部は付け加えた。

西川社長はまた、「ゴーン統治の負の側面」を率直に認め、前会長に権力が集中し過ぎていたと説明。ゴーン容疑者は金銭的不正に加え、必要な意見を求めることなしに独断で物事を決定していた時期もあったと明らかにした。

一方、20日開かれた幹部会議では、西川社長はいつもの冷静さを欠いていたと、同会議に出席した2人が明かした。そのうち1人は、社長の目は潤んでいるように見えたと述べ、もう1人は声を震わせる場面もあったと語った。

Nissan Motor Co Ltd
975.7
7201.TTOKYO STOCK EXCHANGE
-2.70(-0.28%)
7201.TRENA.PA7211.T
日産とルノーの他の社員同様、西川氏のキャリアもゴーン容疑者の影に隠れてきた。カリスマ的で、「コストカッター」と呼ばれた同容疑者は、日産の5工場を閉鎖して2万1000人をリストラすることにより、負債に苦しむ同社を再生させ、高い評価を得て日本で新境地を開いた。当時、このような大なたを振るえるのは外国人だけだと広く思われていた。

しかし今度は、西川社長が未知の領域に踏み出す番である。

日産、ルノー、三菱自動車工業(7211.T)の3社連合をうまく率いていくことができるのはゴーン容疑者だけだと、多くの専門家はみていた。

自動車産業コンサルティング会社カノラマのマネジングディレクター、宮尾健氏は、3社連合を率いることは西川社長にとって非常に困難であり、日産の株式43.4%を保有する筆頭株主のルノーが支持するか定かではないとの見方を示した。

西川社長はルノーの取締役を10年務めているが、フランス政府と交渉したり、ルノーを率いたり、仏タイヤメーカー、ミシュランの上級幹部を務めたりといったゴーン容疑者のような多岐にわたる経験はない。

だが、西川氏はやり手の交渉人であり、それでなければゴーン容疑者は同氏を社長に選ばなかっただろうと宮尾氏は指摘する。

ゴーン容疑者より数カ月年上で現在65歳の西川氏は40年以上前、東京大学から日産に入社。目立つことは嫌いといわれ、既婚者であるという以外、私生活はあまり知られていない。

キャリアの大半を調達とサプライチェーンの管理に費やし、ゴーン容疑者がコスト削減のため部品供給網を解体するのに貢献した。

2013─16年はチーフ・コンペティティブ・オフィサー(CCO)として、原材料調達費や調整費、企画開発費の節約により、製造費を削減する仕事を任された。西川氏はまた、三菱自動車との資本業務提携交渉でも大きな役割を果たした。

西川氏は数字が全てで、結果を出さない人には厳しいが、自分にも厳しいと、前出の日産元幹部は言う。優しさに欠けるという人がいるかもしれないと、この元幹部は付け加えた。

(翻訳:伊藤典子 編集:山口香子)
https://jp.reuters.com/article/nissan-saikawa-idJPKCN1NW07Y
 

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c30

[政治・選挙・NHK254] 平成時代を象徴する人物のナンバーワンに選ばれた小泉純一郎  天木直人  赤かぶ
2. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月27日 21:48:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21220]
コイズミが代議士になってから、10年近くも通いつめてた六本木のSMクラブは、今はなくなっちゃったけど、当時は東京のSMクラブの老舗で、コイズミ以外にも、何人もの政治家や財界人たちがメンバーになってた。

でも、ほとんどの政治家がマゾだったのに対して、生粋のサディスト、コイズミは、SMクラブのコースメニューにある通常のプレイでは満足できずに、毎回、特別料金を払って、相手の女性が失神するまで、何時間でも責め続けたそうだ。

当時、何度もコイズミの相手をしたことがあると言う女性は、

「小泉先生のお相手をすると、(激しく痛めつけられるため)2〜3日は
クラブに出勤できなくなるので、そのぶんのお手当てもいただいていました」

と語っている。また、この女性によると、コイズミは、さんざん痛めつけた
最後に、女性を大の字に寝かせ、両方の二の腕を両足で踏みつけ、仁王立ち
して、笑いながら女性の顔面に放尿したそうだ。この女性は、その時の
高笑いをするコイズミの顔は、今でも決して忘れることはできないと言っている。

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20050115

「小泉という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である。なんでも、『小泉部屋』なるSMルームを作らせ、日夜励んでいるとか。このハードSの小泉という男は、女の子のクビを絞めながらプレイするのが好きなんだそうだ。なんでも『締りがよくなるから』らしいのだが、全くもって噂どおりの変人、変態である」(「噂の真相」、ジャーナリストの二階堂豹介氏の公開日記、2003.10.3)とある。


「都内の有名SMクラブ『M』に、郵政大臣時代の小泉が足繁く通っていたとの情報がある。首相に就任した後も総理公邸にSM嬢が“出張”していたともいわれる。(中略) 

本誌はこのSM嬢を特定、その女性と親しい人物と接触することに成功したのだ。このSM嬢と親しい人物が語る。『彼女から小泉のことを聞いたことがあります。彼女は女王サマではなく、小泉の方がSだと聞いた』。

そこで彼女にも連絡を取ってもらったが、『まだ仕事をしているし、しゃべることはできない』との返事。(後略)」(「噂の真相」2004.4別冊)。


「小泉純一郎さんは7、8年前から、高級SMクラブ目黒ラビリンスの常連として有名よ。なんでもハードSらしいわ」

 92年5月号特集4「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」
「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」
●匿名座談会・女王様サトミ(ビジネス派)宮城県出身の19歳。元ホステス。
仕事では女王様とM女の両方をこなす。

ここの場所は目黒であるが、歩いて30分以内なら自宅出張するシステムがある。
この目黒ラビリンスと五反田の小泉首相の仮公邸は、歩いて30分以内の距離にある。
その他に、SMホテルとして目黒ラビリンスが使うホテルである。

お部屋の紹介を見ると「奴隷市場」や『サド侯爵』とある。

そしてオールナイトという出張システムがあり、15万円するという。
うわさの真相最終号に小泉氏は首相公邸にSM嬢を出張させているという
話がのっていた。

http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/224.html


目黒ラピルス出張SM嬢との品川仮公邸での爛れた日々ーあの夜もそうだったー


3人の日本人若者人質事件の夜、小泉レイプ魔は品川区にある仮公邸で高級SMクラブ目黒ラビリンスの出張SM嬢と朝までプレイ

婦女暴行魔・小泉の記事がある。

「小泉純一郎さんは7、8年前から、高級SMクラブ目黒ラビリンスの常連として有名よ。なんでもハードSらしいわ」

 92年5月号特集4「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」 (スコア: 46)
著者: 不明 日付: Mon, 13 Sep 1999 15:15:38920504「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」●匿名座談会・女王様サトミ(ビジネス派)宮城県出身の19歳。元ホステス。仕事では女王様とM女の両方をこなす。


ここの場所は目黒であるが、歩いて30分以内なら自宅出張するシステムがある。
この目黒ラビリンスと五反田の小泉首相の仮公邸は、歩いて30分以内の距離にある。
その他に、SMホテルとして目黒ラビリンスが使うホテルである。
http://www.hotelalphain.com/


お部屋の紹介を見ると「奴隷市場」や『サド侯爵』とある。

そしてオールナイトという出張システムがあり、15万円するという。噂の真相最終号 に小泉は、首相公邸にSM嬢を出張させているという話がのっていた。

<小泉首相が、日本人人質問題で緊急の一報が入ったとき、通常、首相公邸にいくべきところを、予定通り、品川区にある仮公邸に直行。翌朝までそこから出てこなかった。→
一体何をやっていたのか?>(似たような事例では、森前首相は、趣味のゴルフのプレイを続行していた。)


「アサヒ芸能4・22」P.32〜33の「小泉「仮公邸引きこもり」で決断丸投げ:「事件一報にもワイン宴会を続行した」」より:

「3人の人質に関する情報がアルジャジーラから外務省に入ったのが18日の午後6時20分でした。午後7時に川口順子外相が外務省に駆けつけたほか、午後8時20分には福田官房長官が官邸入り。さらに石破防衛庁長官、外交、防衛、警備担当の主要官僚が勢ぞろいして、慌ただしい対応に追われていた。しかし、そこに、小泉首相の姿はありませんでした」

 小泉首相の耳に外務省からの第一報がもたらされたのは午後6時45分。そのとき、小泉首相は東京・紀尾井町にある高級ホテルへ向かう車中にあった。


「マスコミ関係者4人との酒席が予定されていたんです。小泉首相は、ビールやワインのグラスをぐいぐいと空け、ステーキを平らげていた。赤ら顔で上機嫌そうに熱弁を振るっていたといいます。会食の途中で、外務省幹部が同席した自民党幹部に『男性2人、女性1人が拘束され、まもなく、ビデオの模様も放送される』と、緊迫した状況を伝えていたが、小泉首相が(中略)促され退席したのは、さらに1時間後。

第一報から約2時間もたった午後8時41分でした」しかも、あろうことかホテルを出た小泉首相はそのまま、品川区にある仮公邸に直行。翌朝までそこから出てこなかったのだ。翌朝までそこで何をしていたかは、想像に難くない。

予約してあったSMの館:目黒ラピルスの出張サービスを受ける為に、3人の日本人の若者の人質の救出のために鳩首の対策会議が開かれていたのを中座して、品川の仮公邸に引きこもって、そこで翌朝の朝までその予約してあったSMの館「目黒ラピルスの出張嬢」と共に閉じこもっていたというのだから、そこでこの最低の人間の屑が中で何をしていたのかは、全国民のご想像の通りである。

このような最下層の劣等な婦女暴行魔の男を、支援して来た、売国奴マスコミが「日本の癌」であろう。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/143.html

人の災難を喜ぶ小泉脳  


脳のCTスキャンを使用した最新の研究によると、すぐにけんかを始める、うそをつく、物を壊してはしゃぐ、そんないじめっ子の脳には、他人の苦しみを見ると喜びを感じる回路が備わっているかもしれないという。今回の最新研究は、「Biological Psychology」誌の最新号に掲載される。

 研究チームの一員でシカゴ大学の心理学者ベンジャミン・レイヒー氏は、「この発見は予想外だった」と話す。研究チームでは、いじめっ子は他人の苦痛を目撃したときになんの反応も見せないだろうと予想していた。なぜなら、彼らは冷酷で、感情を高ぶらせることがないために、例えば良心の呵責(かしゃく)を感じることなくおやつ代を盗むことができると考えていたからだ。

 レイヒー氏は、「人が他人の苦痛を目にすると、自身が苦痛を経験したときと同じ脳内領域が光ることはこれまでの研究で判明していた。感情移入を示す反応だ」と話す。今回の最新研究では、いじめっ子の脳の場合、該当領域がさらに活発に活動を行っていることが判明した。

 しかし、いじめっ子が示す感情移入反応は、扁桃体(へんとうたい)と腹側線条体(ふくそくせんじょうたい)の活動によってゆがめられたものだと思われる。扁桃体や腹側線条体は脳内領域の中で報酬や喜びに関係すると考えられている部位である。「つまり、いじめっ子は人の苦痛を見るのが好きだと考えられる。この考えが正しい場合、彼らは弱い者いじめをして他人を攻撃するたびに心理的な報酬を受け取り、反応の強化が進んでいることになる」とレイヒー氏は話す。

 今回の最新研究では、うそや窃盗、公共物破損、弱い者いじめといった経歴を持つ16〜18歳の少年8人の脳活動を検査した。8人の少年は臨床分野で攻撃型行為障害(aggressive conduct disorder)と呼ばれる症状を持っており、そのような経歴を持たない同年代の少年グループとの比較を通じて調査が行われた。


 検査では、苦痛の状況を描く短いビデオ映像数本をいじめっ子グループに見せた。映像には、つま先に金づちが落ちるシーンなど不慮の事故を描くものと、ピアノの演奏中にふたを閉め演奏者の指を挟むシーンなど意図的な行為を描くものが含まれていた。

 脳のCTスキャンを行った結果、喜びに関係する脳内領域と、苦痛に関係する脳内領域の活動が判明し、さらに、感情の統制に関係する脳内のある部位が、いじめっ子の脳では活動していないことが明らかになった。言い換えると、いじめっ子は、例えば昼食の列に並んでいるときに子どもが誤ってぶつかってきた場合などに、自分を抑制するメカニズムを欠いていることになる。

「自己制御を欠いている点を処置する、あるいは埋め合わせる治療法を開発する必要があるだろう。いじめっ子が自己制御を欠いているのは事実だと考えているし、他人を傷付けるたびに心理的な報酬を受け取り、反応の強化が進む可能性がある」とレイヒー氏は語る。

 クレムゾン大学家族・近隣生活研究所でオルヴェウスいじめ防止プログラムを担当するマレーネ・スナイダー氏は次のように話す。「今回のテーマについて脳撮像による科学的調査で次第にさまざまなことが発見されるのは驚くことではない。脳がどのように機能しているのか、その解明は始まったばかりなのだ。脳の仕組みの理解が進めば、有意義な関与方法を見いだすことができるようになるだろう」。

http://asyura2.com/08/senkyo55/msg/952.html

小泉氏トップ、2位麻生氏=貧乏人が自殺すると勃起して射精する首相ランキング−時事世論調査


時事通信社が11〜14日に実施した4月の世論調査結果によると、ワーキングプアや鬱病人が自殺すると手を叩いて喜んでそうな政治家は、

自民党の小泉純一郎元首相が71.2%でトップだった。

2位は16.0%の麻生太郎前幹事長。

民主党の小沢一郎代表は7.2%で3位、

福田康夫首相は7.1%で4位と、ともに振るわなかった。

【硫化水素自殺者の数で金を賭けている政治家】−時事世論調査

時事通信社が11〜14日に実施した4月の世論調査結果によると、【硫化水素で自殺する国民の数で賭けをしている政治家では

自民党の小泉純一郎元首相が88.2%でトップだった。

2位は4.3%の冠冠生生

前幹事長。民主党の小沢一郎代表は1.2%で3位、福田康夫首相は0.1%で4位と、ともに振るわなかった。

小泉純一郎前内閣総理大臣は将来を悲観した国民が自殺するニュースをマスコミに流してもらってその報道で勃起して射精するのが趣味として知られている。

参院予算委員会の質疑での小泉総理の答弁から・・・


「格差が出るのは別に悪いことだとは思わない。今まで悪平等だという批判が多かったし、能力のある人が努力すれば報われる社会にしなければならない」

「私の改革に対する抵抗は強かったが、ようやく光が見えてきた。これまで影ばかりだったところに光が見えてきたのだから、この光をさらに延ばし、その一方で影の部分にいかに手当てをしていくかが大事なことだ」

「(引用者注:貧困層が)ますます増えているとの認識はない。どの時代でも成功した人と成功しない人がいる」

「貧困層をなくす対策と同時に、成功をねたむ風潮や能力のある人を引っ張る風潮は厳に慎んでいかないと、社会の発展はない」

「闘って敗れた負け組は褒められるべきで、むしろ闘おうとしない人が問題」

「負け組にチャンスをたくさん提供する社会が小泉改革の進む道」

 こういう思想を持った人を私たちは、首相にしてしまったのだ。昨年の総選挙で小泉自民党に投票した人たち・・・そのうちの多くの人は「勝ち組」ではないだろうに・・・。もう、好き勝手に馬鹿にされるのは、このぐらいにしましょうよ。

 レッツらさんが次のように書かれています。全く同感です。
 <小泉内閣の支持率が一桁台になるまで: 小泉さんのいう格差社会>

「成功者をねたんだり、能力のある人の足を引っ張ったりする風潮」って、あったのだろうか?

どのデータを見れば、わかるのだろう?
あまり聞いたことがない風潮だと思いますが。

能力のある人の足を引っ張ったりする人って誰だろう?
田中真紀子さんはスカートのすそを踏まれたと言ってましたが。

小泉さんの格差社会の認識に対して

・今まで悪平等だったんでしょうか

・今まで能力のある人が努力しても報われない社会だったんでしょうか

・成功者をねたんだり、能力のある人の足を引っ張ったりする風潮があったんでしょうか
http://literacy.jugem.jp/?eid=22#sequel

「増税してくれというまで削れ」首相、諮問会議で発言(アサヒコム)

 小泉首相が22日の経済財政諮問会議で「歳出をどんどん切り詰めていけば『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と発言していたことがわかった。27日に公表された会議の議事録で明らかになった。

 首相は「ヨーロッパを見ると野党が(増税を)提案するようになっている」と、欧州の消費税をめぐる論議を引き合いに出し、増税には徹底した歳出削減が必要との考えを強調した。 2006年06月27日22時56分

削るといいながら米軍再編には3兆円。軍事予算は拡大し、
福祉予算はカットし、増税の口実にしようとしている。卑劣なやり方だ。

http://asyura2.com/09/senkyo58/msg/411.html


コイズミが5年間もかけて行なったことは、史上最悪の「障害者自立支援法」の強行採決を始めとして、2度にも渡る「介護保険料引き上げ」「老年者控除の廃止」「老人医療費の改悪」「生活保護老齢加算廃止」「生活保護生活扶助基準額引き下げ」など、まだまだ他にも数え切れないほどありますが、お年寄りや障害者など、社会的弱者にばかり負担を押しつけ、ひと握りのお金持ちや大企業だけが得をする格差社会を作ることでした。

そして、今年の2月1日の参議院予算委員会の総理答弁で、社民党の福島みずほが、格差が広がり続ける現状について質問したところ、コイズミは次のように言い放ちました。

「成功者をねたむ風潮、能力のある者の足を引っぱる風潮は厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない。できるだけ成功者に対するねたみ、そねみという感情を持たないで、成功者なり才能のある者を伸ばしていこうという面も必要じゃないか」

そして、コイズミの号令によって、自民党と公明党がムリヤリに採決した「介護保険制度の見直し」によって、今までは1割の自己負担でレンタルすることができていた電動ベッドが、10月1日から、介護の程度が軽い人は「一律全額負担」となることを受けて、札幌市内では、約2000人が電動ベッドを回収されてしまいました。

電動ベッドを回収されてしまった1人、札幌市白石区に住む四戸千代さん(74才)は、狭心症の持病があり、腰と頚椎の痛みのため、杖と車イスを手放せない生活をしています。トイレに行くときは、夫の博さん(77才)に抱えてもらい布団から起き上がっていたため、昨年の10月に電動ベッドを借りたのです。千代さんは、「(電動ベッドを)回収された日は、途方に暮れて涙が出た」と言っています。

札幌市東区の坂東八太郎さん(76才)は、自分は足が悪く、妻の喜代子さん(68才)はパーキソン病で、2人とも自力で布団から起き上がるのが困難な状態です。しかし、電動ベッドを回収されてしまったため、中古の電動ベッドの購入を考えましたが、値段が7万円〜12万円もするため、とても買うことができません。そのため、現在では、布団の横に手すりを作り、それを使って必死に寝起きしているそうです。

これこそが、コイズミの言うところの「成功者」を生み出すための犠牲者と言えるのではないでしょうか?

http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/402.html


厚生労働省の直近の調査で、2005年には82人(男性70人、女性12人)が餓死していました。

04年には、71人(男性57人、女性14人)、03年には97人(男性77人、女性20人)となっています。

厚労省によると、調査は死亡診断書に「餓死」と記されたものを集計したもの。餓死状態で発見されたさい、死亡診断者に別の病名がつけられる場合もあり、実態はさらに多いとみられ、「厚労省調査の数字は氷山の一角」と研究者は指摘します。

餓死者は1995年を境に急増します。前年まで20人台だったのが、95年に61人となり、以後毎年、100人近くが餓死しています。05年まで11年間の餓死者は867人にのぼっています。

財界と自民党政府は、85年の派遣法の成立、96年の改悪などと労働法制を改悪、一方で大規模リストラを繰り返し、非正規雇用が急増、95年に1000万人を超え、06年には1677万人と増え続けています。完全失業率も、それまで2%台だったのが95年には3%台になり〇六年には4・1%になっています。

働いても生活保護水準以下の生活しかできないワーキングプアの増大が社会問題として噴出しています。厚労省は、生活に困った人の最後のセーフティーネットである生活保護について申請拒否や追い出しなど排除策をとり、予算も削減してきました。この結果、生活保護を必要とする
人のうち生活保護をとっているのは二割前後(捕捉率)との試算もあり、大半が最低生活水準以下の生活を余儀なくさせられています。

年間の餓死者数
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-23/2007072301_02_0.jpg
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-23/2007072301_02_0.html

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/276.html#c2

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
31. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月27日 22:35:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21223]
愛用機は70億円…評判は「金に汚い男」ゴーンの私生活 “暴君”ゴーンの落日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242467
2018/11/27 日刊ゲンダイ


ゴーン容疑者の自宅マンション(右)/(C)日刊ゲンダイ

<我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。昔の賢人たち、エピクロスやセネカ、そしてアイマラ人(南米の先住民族)たちは言っています。貧しい人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだと>(ウルグアイのムヒカ前大統領)

 拘置所で彼は何を思うのか――。

 羽田空港に降り立った日産の社用機「ガルフストリームG550」。空飛ぶ応接室と呼ばれる豪華ビジネスジェットで、購入当時の価格は約70億円。日産の社用機ではあるが、ほぼひとりしか使えないプライベートジェットだ。

 カルロス・ゴーン容疑者(64)は馴染みの焼き鳥屋に向かう予定だったが、羽田で身柄を拘束されてしまった。行くはずだった焼き鳥屋は、子供たちを連れて何度も通った店。大衆店と70億円のジェット機が異様なコントラストを描く。

「来日当初のゴーン氏は、『趣味といえば家族』と思われるほど、家族優先でした。一時期、家族全員がみそラーメンにハマっていて、奥さんと娘3人、息子1人で仲むつまじくスープをすすっている姿が頻繁に目撃されています」

 こう話すのは、経済ジャーナリストの大山功男氏。愛用の時計も庶民でも手に入るセイコーの「アストロン」で、数十億円の報酬をもらう経営者にしては質素だ。

 ただし、住居は最高級の元麻布ヒルズにあり、他にブラジル、レバノン、フランス、オランダ、米国にも住宅がある。言い方は悪いが、ポケットマネーではラーメンというケチ、会社のカネなら途端に気が大きくなるタイプだ。周囲からも「カネには汚い」と見られていた。

 そんなゴーンは、31歳で当時まだ薬学部の学生だったリタ前夫人と結婚。前夫人は大の親日家として知られ、著書には「ゴーンは日本人と同じ発想で家族を大切にしてくれる」と記している。一時、代官山などに「マイレバノン」というレバノン料理店を3店舗経営していたが、週刊文春に「5ドル稼ぐために人に尽くすなんて……」と夫のゴーンからバカにされたと証言している。

「欲には際限がなく、庶民的だった人でも強欲になっていく。再婚相手のキャロルさんとベルサイユ宮殿で結婚披露宴を挙げたと聞き、驚きました」(大山功男氏)

 では、他の外国人社長の生活ぶりはどうなっているのか。

 武田薬品工業のクリストフ・ウェバー社長(52)の自宅も麻布永坂町の高級レジデンス。昨年度の役員報酬は12億1700万円で、ゴーンに負けず劣らずの好待遇だ。

 日本マクドナルドHDのサラ・カサノバ社長(53)の家も、六本木の高級タワーマンションにある。役員報酬は赤字決算だった15年度こそ1億6700万円だったが、V字回復した昨年度は6億3200万円にジャンプアップしている。

 外国人社長は日本に来るプロ野球の助っ人と同じでオプションボーナス契約を結んでいる。日本マクドナルドHDは業績連動型、ソフトバンクは株式報酬型で、共に億単位の出来高が付くという。

 わが世の春を謳歌したゴーン。今回は身内に密告され、司法取引で悪事がバレた。強欲が身を滅ぼす典型例だ。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c31

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
100. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月28日 09:19:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21223]
2018年11月28日(水)

8:00よりロープウェーの運行を開始いたします。
7時現在の天候は晴れ、気温0℃、N・0m/sとなっております。
『晴ののち曇』予報です。

かぐらメインゲレンデは融雪により、かぐら第1ロマンスリフトの営業となります。
滑走ゲレンデは、かぐらメインゲレンデの一部となります。

滑走距離:約600メートル
積雪:40cm、コース幅:30〜50m

みつまた第1高速リフト・みつまた第2ロマンスリフト・かぐらゴンドラは、かぐらメインゲレンデへの連絡用となります。

※ファミリーコース・ゴンドララインは、スノーブラシ滑走か徒歩移動となります。
 かぐらエリアからお帰りの際は、みつまた第1高速リフト下りもご利用いただけます。

※みつまた第1高速よりゴンドラ山麓駅間はキャリーサービス実施しております。
http://www2.princehotels.co.jp/ski/kagura/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c100

[政治・選挙・NHK254] 通貨発行権<福祉政策の為の通貨の増刷は可能であるスレッドの続き 天橋立の愚痴人間
3. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月28日 09:26:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21223]
既に何千人も書いてる事を繰り返すなよ

中卒は引っ込んでいた方が恥かかなくていいよ(親切に忠告)



http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/285.html#c3

[政治・選挙・NHK254] 通貨発行権<福祉政策の為の通貨の増刷は可能であるスレッドの続き 天橋立の愚痴人間
4. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月28日 09:39:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21226]
>>2

日銀が債務超過となっても全く問題ない 2018-02-13


 日銀が貨幣を回収するときは、企業会計の書式に従って、そこに記されている日銀の持つ国債などの資産を売却し換金するということになります。

 日銀が貨幣を回収する相手は、政府と金融機関です。政府から回収するのは政府のバランスシートが黒字になったときです。それ以外はありません。また、政府のバランスシートが黒字になったときは、日銀の国債を買い取るしかありません。民間の国債を買い取れば、政府が金融政策に介入することになり、中央銀行制度に違反するからです。

 日銀が金融機関から貨幣を回収する場合は、日銀が保有する国債を金融機関に売りつけます。これを売りオペレーションと言います。これは、金融緊縮政策になり、金利が上がります。

 日銀の資産は日銀のものという感覚があるようですが、日銀の市場の貨幣の量をコントロールするという役割上、民間企業のように、値上がりを待って持ち続けたり、値下がり前に売り抜けたりして、自由に処分して収支を改善することは出来ません。

 社会の景気動向次第であり、役割上の必要によって行うものです。そのことだけでも、日銀のバランスシートを問題とするのはナンセンスであることが判ります。

 また、仮に、日銀が債務超過となった場合でも、前述したように、日銀の資産は、たまたま企業会計の書式を採用しているために、たまたま日銀の持つ国債などの資産を売却する方式で市場から貨幣を回収する役割を果たすものでしかありません。市場から貨幣を回収する手段は、他にもいろいろあります。

 市場からの貨幣の回収は、日銀よりも政府の得意分野です。例えば増税です。これは、ほとんど万能な手段です。しかし、それゆえ劇薬でもあります。使い方を間違えて、黒字企業にかかる法人税や、富裕層にかかる所得累進課税ではなく、低所得者と貧困層から取れば、経済のみならず社会の根幹を滅ぼすことになります。現に、今、日本は滅びかけています。

 景気の良い時は税率を上げるような増税をしなくても、税収弾性値によって自然に税収は増加します。税収弾性値による自然増収は法人税や所得税によるものです。これは、富裕層から上がってきた税金ですから、増え続けても構わないものです。というか、むしろ、法人税や所得税については税率を上げるような増税をすべきなのです。

 逆に、たとえ、景気の過熱期といえども、低所得者や貧困層から貨幣を回収してはいけません。景気循環によって、景気後退したときに、低所得者や貧困層が生きて行けなくなるからです。

 景気過熱期はみんな気が大きくなっていますから、政治家は特に気を引き締めて、低所得者や貧困層への増税にならないよう、増税の相手を注意して選ばなければなりません。

 新古典派経済学、新古典派総合と呼ばれる勢力は税金の種類による影響を無視しています。ニューケインジアンと呼ばれる学派もケインジアンの名を騙っているだけで、正体は新古典派経済学ですから、同様に、税金の種類による影響を無視しています。

 これらは故意の無視であり、低所得者にかかる消費税を上げ、富裕層にかかる所得税と法人税を下げるための策謀の一つです。

 民間保有貨幣の回収(税金)以外の方法である、民間保有貨幣の凍結(国債)の手段としては、政府が国債を増刷して、富裕層に売りつければ良いのです。このように、市場の貨幣の回収(税金)や、貨幣の凍結(国債)は簡単に出来ます。日銀のバランスシートとは無関係です。

 インフレが激しくなった場合は、政府は市場への貨幣の供給を減らし、なお、必要な場合は、市場から貨幣の回収を行わなければなりませんが、この方法として、上記の通り、税金と対民間国債発行という二つの方法を用いることが出来るのですが、これらは政府の政策であり、日銀の出番はほとんど無いのです。

 それでも、あえて、日銀が保有する資産を活用したいときは、それは市場から貨幣を回収しようとするとき以外にありませんが、景気の過熱期に日銀が金融機関に国債を売りつける売りオペレーションがこれに当たります。

 しかし、大概、景気が過熱していれば国債の市場価格が暴落しており、案外、日銀のバランスシートは時価相場で査定すれば債務超過になっているかも知れません。しかし、誰も騒ぎません。

 金融引き締めが国債の売りオペレーションによって行われるとは言っても、日銀の資産が無ければ金融引き締めが出来ないということではありません。金融の緊縮の定義は、長期金利を上げることですから、伝家の宝刀の政策金利を強制的に上げるとか、法定準備率を上げるとか等の手段もあります。

 ゆえに、たとえ、日銀の資産が無くなっても、例えば、それらが紙くずになったところで何も問題ありません。

 日銀の保有する国債の資産価値が下落し、日銀が債務超過になったら大変なことが起きるとか言って、大騒ぎしたがっている連中がいますが、これは、日銀の債務の意味と、民間企業の債務の意味をわざと混同して、何らかの経済的危機を信じ込ませようとするプロパガンダなのです。

 日銀が今程度の貨幣を出している結果起こっているのが、今程度の物価水準であり、為替相場です。それでも、デフレから脱却できないのですから、日銀の保有する資産の出番は、もはや無いと言って過言ではありません。

 日銀が債務超過になっても、金融政策が出来なくなるような問題は何ひとつありません。よって、日銀のバランスシートの黒字を守ることに意味はありません。

 日銀のバランスシートが赤字になれば、わけのわからない何人かの国会議員が騒ぎ、財政緊縮派の国会議員の誰かに恥をかかせたという理由で日銀総裁の首が飛ぶといった茶番が演じられるかも知れませんが、国民にとってはドタバタ喜劇にすぎません。
https://ameblo.jp/reisaiouen/entry-12060735326.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/285.html#c4

[昼休み54] 『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった 中川隆
35. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月28日 09:39:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21226]

日銀が債務超過となっても全く問題ない 2018-02-13


 日銀が貨幣を回収するときは、企業会計の書式に従って、そこに記されている日銀の持つ国債などの資産を売却し換金するということになります。

 日銀が貨幣を回収する相手は、政府と金融機関です。政府から回収するのは政府のバランスシートが黒字になったときです。それ以外はありません。また、政府のバランスシートが黒字になったときは、日銀の国債を買い取るしかありません。民間の国債を買い取れば、政府が金融政策に介入することになり、中央銀行制度に違反するからです。

 日銀が金融機関から貨幣を回収する場合は、日銀が保有する国債を金融機関に売りつけます。これを売りオペレーションと言います。これは、金融緊縮政策になり、金利が上がります。

 日銀の資産は日銀のものという感覚があるようですが、日銀の市場の貨幣の量をコントロールするという役割上、民間企業のように、値上がりを待って持ち続けたり、値下がり前に売り抜けたりして、自由に処分して収支を改善することは出来ません。

 社会の景気動向次第であり、役割上の必要によって行うものです。そのことだけでも、日銀のバランスシートを問題とするのはナンセンスであることが判ります。

 また、仮に、日銀が債務超過となった場合でも、前述したように、日銀の資産は、たまたま企業会計の書式を採用しているために、たまたま日銀の持つ国債などの資産を売却する方式で市場から貨幣を回収する役割を果たすものでしかありません。市場から貨幣を回収する手段は、他にもいろいろあります。

 市場からの貨幣の回収は、日銀よりも政府の得意分野です。例えば増税です。これは、ほとんど万能な手段です。しかし、それゆえ劇薬でもあります。使い方を間違えて、黒字企業にかかる法人税や、富裕層にかかる所得累進課税ではなく、低所得者と貧困層から取れば、経済のみならず社会の根幹を滅ぼすことになります。現に、今、日本は滅びかけています。

 景気の良い時は税率を上げるような増税をしなくても、税収弾性値によって自然に税収は増加します。税収弾性値による自然増収は法人税や所得税によるものです。これは、富裕層から上がってきた税金ですから、増え続けても構わないものです。というか、むしろ、法人税や所得税については税率を上げるような増税をすべきなのです。

 逆に、たとえ、景気の過熱期といえども、低所得者や貧困層から貨幣を回収してはいけません。景気循環によって、景気後退したときに、低所得者や貧困層が生きて行けなくなるからです。

 景気過熱期はみんな気が大きくなっていますから、政治家は特に気を引き締めて、低所得者や貧困層への増税にならないよう、増税の相手を注意して選ばなければなりません。

 新古典派経済学、新古典派総合と呼ばれる勢力は税金の種類による影響を無視しています。ニューケインジアンと呼ばれる学派もケインジアンの名を騙っているだけで、正体は新古典派経済学ですから、同様に、税金の種類による影響を無視しています。

 これらは故意の無視であり、低所得者にかかる消費税を上げ、富裕層にかかる所得税と法人税を下げるための策謀の一つです。

 民間保有貨幣の回収(税金)以外の方法である、民間保有貨幣の凍結(国債)の手段としては、政府が国債を増刷して、富裕層に売りつければ良いのです。このように、市場の貨幣の回収(税金)や、貨幣の凍結(国債)は簡単に出来ます。日銀のバランスシートとは無関係です。

 インフレが激しくなった場合は、政府は市場への貨幣の供給を減らし、なお、必要な場合は、市場から貨幣の回収を行わなければなりませんが、この方法として、上記の通り、税金と対民間国債発行という二つの方法を用いることが出来るのですが、これらは政府の政策であり、日銀の出番はほとんど無いのです。

 それでも、あえて、日銀が保有する資産を活用したいときは、それは市場から貨幣を回収しようとするとき以外にありませんが、景気の過熱期に日銀が金融機関に国債を売りつける売りオペレーションがこれに当たります。

 しかし、大概、景気が過熱していれば国債の市場価格が暴落しており、案外、日銀のバランスシートは時価相場で査定すれば債務超過になっているかも知れません。しかし、誰も騒ぎません。

 金融引き締めが国債の売りオペレーションによって行われるとは言っても、日銀の資産が無ければ金融引き締めが出来ないということではありません。金融の緊縮の定義は、長期金利を上げることですから、伝家の宝刀の政策金利を強制的に上げるとか、法定準備率を上げるとか等の手段もあります。

 ゆえに、たとえ、日銀の資産が無くなっても、例えば、それらが紙くずになったところで何も問題ありません。

 日銀の保有する国債の資産価値が下落し、日銀が債務超過になったら大変なことが起きるとか言って、大騒ぎしたがっている連中がいますが、これは、日銀の債務の意味と、民間企業の債務の意味をわざと混同して、何らかの経済的危機を信じ込ませようとするプロパガンダなのです。

 日銀が今程度の貨幣を出している結果起こっているのが、今程度の物価水準であり、為替相場です。それでも、デフレから脱却できないのですから、日銀の保有する資産の出番は、もはや無いと言って過言ではありません。

 日銀が債務超過になっても、金融政策が出来なくなるような問題は何ひとつありません。よって、日銀のバランスシートの黒字を守ることに意味はありません。

 日銀のバランスシートが赤字になれば、わけのわからない何人かの国会議員が騒ぎ、財政緊縮派の国会議員の誰かに恥をかかせたという理由で日銀総裁の首が飛ぶといった茶番が演じられるかも知れませんが、国民にとってはドタバタ喜劇にすぎません。
https://ameblo.jp/reisaiouen/entry-12060735326.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html#c35

[昼休み54] 『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった 中川隆
36. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月28日 09:49:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21229]
経済コラムマガジン 03/5/5(第295号)政府紙幣発行政策の誤解
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•政府紙幣の意味
4月27日、日曜の日経新聞に「政府紙幣」に関するコラムが掲載されていた。執筆者は編集委員の滝田洋一氏である。タイトルは「太政官札の轍踏むな」である。この2週間ほど前にコロンビア大学のスティグリッツ教授が日経の招きで来日し、シンポジウムで意見を述べたり、講演を行った。

教授は、デフレに陥っている日本経済に処方箋をいくつか提案している。「円安誘導」「銀行システムの立直し」と言ったありきたりの政策に加え、なんと「プリンティングマネー(政府紙幣)の発行」をスティグリッツ教授は提案した。これは各方面に衝撃を与えており、今日波紋がひろがりつつある。これはまさに筆者達が以前から主張していた政策である。

ところが日本には、政府貨幣(紙幣)に関する文献は極めて少ない。一緒に政策を主張している小野盛司氏のところにも、あるテレビ局から、氏の著書である「政府貨幣発行で日本経済が蘇る」を至急送ってくれるよう依頼がきているほどである。やはりスティグリッツ発言の影響は大きかったのである。「政府紙幣とは一体何だ」というのが世間の印象である。お札といえば日銀券と思っている人がほとんどである。経済学者やエコノミストも日銀券と政府貨幣(紙幣)の区別がつかないようである。

この政府紙幣発行に対して色々の反論や解説がなされている。しかしそれらのほとんどが間違っているか、的外れである。このような反論を行っている人物達が、日銀の理事だったり、リチャード・クー氏なのだから、こちらも驚く。それほど日本においては政府貨幣(紙幣)に対する知識や情報が乏しいのである。


まず政府紙幣と日銀券の違いを簡単に説明しておく。日銀が発行する日銀券は日銀の債務勘定に計上される。つまり日銀の借金である。もちろん今日の日銀券は兌換紙幣ではないので、これを日銀に持っていっても金に換えてくれない。このような不換紙幣である日銀券が流通しているのも、日銀の信用があるからである。しかし日銀の信用と言っても、実際はバックにいる国家の信用である。

一方、政府貨幣(紙幣)も国家の信用で発行するお札である。政府貨幣の材質は政令で定めることになっており、金属でも紙でも良い。紙の場合が政府紙幣ということになる。また今日流通している10円玉や100円玉といったコインも政府貨幣である。つまり日本においては政府貨幣(紙幣)は、既に立派に流通しているのである。ただ日銀券より政府貨幣の方が、流通している金額がずっと小さいだけである。もちろん今日の法律でも高額の政府紙幣を発行することは可能である。要は政府の決断一つにかかっている。


日銀券と政府紙幣の違いは、日銀券が日銀の債務に計上されるのに対して、政府紙幣は国の借金にならないことである。今日のコインにもいえることであるが、額面からコインの製造経費を差引いた額が国の収入になる。たとえば500円硬貨を製造するのに50円かかった場合には、差額の450円が貨幣鋳造益として政府の収入に計上される。要するに500円硬貨が世の中で「500円玉」として認められれば良いのである。

スティグリッツ教授の主張は「この政府貨幣(紙幣)の発行をもっと大規模に行え」ということである。さらに重要なことはこの貨幣鋳造益や紙幣造幣益を『財政政策』に使えと提案しているのである。今日、国債の発行が巨額になり、政府は「30兆円枠」に見られるように、財政支出を削ろうと四苦八苦している。しかしこれによってさらに日本のデフレは深刻になっている。そこで教授は、国の借金を増やさなくとも良い政府紙幣を発行し、その紙幣造幣益を使って、減税や公共投資を行えば良いと提案しているのである。

•幼稚な反論
しかしこれらの政府貨幣(紙幣)発行への反対論があまりにも幼稚過ぎる。一つはお札が、日銀券と政府紙幣ということになれば、世の中が混乱するというものである。しかし政府が政府紙幣(貨幣)を作成し、それを日銀に持ってゆき、日銀にある国庫(政府預金口座)に入金してもらえば、政府貨幣発行となる(「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42条)第4条3項)。財政支出を行う時には日銀券を使うのである。この方法を用いれば、世間に流通するお札は日銀券だけで済む。また日銀には政府紙幣(貨幣)という資産が計上されることになる。

しかしこれに対して、これは結果的に日銀券の増発に繋がるという批難が考えられる(ところが不思議なことに、心配されて当り前と思われるこのようなことが全く指摘されていないのである)。まず日銀券の増発、つまり通貨の増発はインフレの原因になる。しかしそこがまさにスティグリッツ教授が主張したいところである。今日の日本経済のようにデフレに陥った場合には、通貨増発といったインフレ政策が必要なのである。

スティグリッツ教授も、無闇やたらに政府紙幣を発行しろとは言っていないはずである。大きなデフレ・ギャップが存在する日本では、相当の額の政府紙幣を発行できると言っているだけだ。またこの政策によって、もし物価上昇率が限度額を越えるようならば、政府紙幣の発行をセーブすれば良いのである。もっとも経済がそのような状態になったことこそが、日本経済が相当上向いているを示す。つまり問題となっているデフレが克服されることを意味するのである。

もちろんこの場合には、過度の物価上昇を抑制するためインフレターゲット政策を行うことも一案である。インフレ目標政策は、英国などでうまく行っているのであるから、日本ではうまく行かないと考えることはない。むしろ物価が上昇するような経済活性策がないのに、インフレ目標政策と言っている今日の政府の方がおかしい。彼等は念力で物価を上げるというのか。また物価だけが上がれば良いという考えも根本的に間違っている。物価上昇は、遊休設備が稼動し、失業が解決し、設備投資が生まれる結果として起るべきである。むしろ小泉政権に見られるように、単に物価が上がれば良いという感覚が異常である。


もう一つの大きな誤解は、政府紙幣が発行されても、日銀券が政府紙幣に置き換わるだけであり、経済に何の影響を与えないという意見である。たしかに公務員の給料支払いを日銀券ではなく政府紙幣で行ったり、国債の買いオペを政府紙幣で行えば、そのようなことになる。もっともその分だけ国の借金は増えないが。しかしそのようなばかげたことを主張するため、わざわざスティグリッツ教授が来日し、政府紙幣に関した発言を行うはずがない。

当然、今日行われている経済政策にプラスして、政府紙幣を発行による財政政策を行えと言っているのである。今日、日本には巨額のマネーサプライ残高が存在している。しかしその大半は凍り付いている。金が動かないのである。巨額のマネーサプライが存在するのに、人によっては金不足になっている。経済がこのような状態になれば、政府が財政政策を行う他はない。財政政策によって、所得の発生を伴うマネーサプライを増やすことが肝腎である。これこそが教授の言いたいことである。

ところで政府紙幣を造幣し、それを日銀に入金し、それを財政政策に使うとなれば、先ほど述べたように、当然日銀券を増発することになる。場合によっては、日銀券の大増発である。たしかに以前ならこれは問題になった。しかし平成10年4月から施行されている改正日銀法では、旧法で課されていた日銀券発行に対する保証条件がすべて撤廃された。つまり日銀は、自由かつ無制限に日銀券を発行できるようになっているのである。まるで今日の状況を予見していたような法改正がなされていたのである。


しかし筆者は、スティグリッツ教授の提案に対して、経済の専門家からこのような初歩的で的外れの疑念や批難が続くこと自体を危惧する。このような状況では、いきなり政府紙幣発行はちょっと無理かもしれない。このように混乱している議論に対して、黒田東彦内閣官房参与(前財務省財務官)が「日銀がもっと大量に国債を購入することが現実的」と発言している。これは穏当な意見であり、筆者もこれに同感せざるを得ない。ちなみに黒田前財務省財務官は、以前からリフレ(穏やかなインフレ)政策を主張している。

政府紙幣の発行も、日銀による国債購入も実質的に国の借金にならない。そこで政府紙幣への理解が進まないようなら、まず日銀の国債購入によって積極財政政策のための資金を賄う他はない。ただ日銀による国債購入には難点がある。日銀は国債購入の限度を日銀券の発行額と一応定めているのである。これがネックとなる可能性がある。したがって日銀がどうしても限度額にたいして柔軟な姿勢を示せないなら、最後の手段として政府貨幣(紙幣)のオプションは取って置くべきである。

前段が長過ぎ、本題に入れなかった。来週号は滝田洋一氏の「太政官札の轍踏むな」へ徹底的な反論を行う。

岩田一正日銀副総裁の「日銀の独立性うんぬん」の意見は論外にして、それにしても政府紙幣に対して、経済の専門家と言われている人々の認識が低すぎる。おそらくスティグリッツ教授もあきれはてて米国に帰ったと思われる。今日の日本の経済がどのような状況にあり、このままだとどこまで落込むのか、スティグリッツ教授に食って掛かっていた人々には全く認識がないと言える。教授は真摯に日本のことを考えて、アイディアを提供しているのである。

教授も「政府紙幣発行」なんてとてもオーソドックスな政策とは考えていない(実際、教授も博士号を剥奪されるかもしれないと冗談を言っているくらい)。しかしあえてそのような政策が必要な段階まで、日本経済は窮地に追込まれている。教授に反論していた人々は、政府紙幣に関してほとんど知識がないなら、もっと謙虚になるべきである。教授は日本人に対して「単に物づくりに異常に長けているだけであり、こと経済理論や経済政策に関しては小学生」という印象を持ったはずである。経済の混迷が10年以上続いているのに、いまだ経済政策が迷走しているのを見ていると、日本はどうしようもない。

14日のシンポジウムの様子が30日の日経に掲載されていた。しかし議論は錯綜しており、日本のエコノミストはほとんどスティグリッツ教授の言っていることを理解していない。せっかくフィッシャー理論を持出して、資産デフレの悪影響に言及しているのに、これに対する反応が全くない。日本のエコノミストはあいかわらず「規制緩和」「生産性の向上」「金融政策の浸透」と言った、実現性がないだけでなく、効果もはっきりしない(効果の測定さえ困難)な政策を訴えている。教授が指摘しているように、まず必要な政策は大胆な需要政策である。これによって経済が活性化し、うまく資産デフレが止められるかがポイントである。

5月4日のサンデープロジェクトは、日本のデフレがメインテーマであった。それにしても経済学者・エコノミストそして政治家達の意見は実に悲惨であった。それにしても「徹底した規制緩和」「予算の組替えで経済が回復する」「銀行の経営者をくびにしろ」はいい加減に止めてもらいたい。何もアイディアがないのなら、テレビ出演を断わるべきだ。特に「銀行の経営者をくびにしろ」は出来の悪い若手の銀行員がよく言っていることである。彼等は上がくびになれば、自分達の出世が早くなると考えているだけである。
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経済コラムマガジン 06/4/24(434号)もう一つ勇気を
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•森永氏の問題発言
テレビを始め日本のマスコミが、一斉に国内の「格差」問題を取上げ始めた。しかし「格差」そのものについての定義は、議論する人々の間でバラバラである。所得格差を指す場合や、将来の就職機会での格差など様々である。また「格差」を計る統計資料も貧弱である。よく格差の実態を示すために用いられるジニ係数は、世帯単位の所得格差を示す。しかし世帯人数がずっと減少している日本では、実際に所得格差が拡大しているとしても、世帯人数の減少による影響を取り除く必要がある。ジニ係数だけでの説明では正確さを欠くのである。

また所得と言っても、給与や事業の所得の他に、資産から生まれる所得もある。これ以外に、公的年金や生活保護などの社会補償の収入を加える考えもある。このように一口に格差と言っても、議論する人によって念頭に置く「所得や収入」というものの概念が異なっており、意味のある議論にならない。


格差を巡る議論は白熱している。大きな「格差」があり、またこの「格差」は年々拡大しており、日本の格差問題は重要という人がいる。一方、格差が発生しているがそのうち解消する範囲のものであると楽観的に見る人がいる。また統計上では「格差」が大きくなっているとは認められなく(従来からの格差のまま)、つまり日本で取り立てて今日問題にするような格差はないと主張する人々がいる。さらに格差があることは当然であり、むしろ無理に格差を縮めることの方が問題であり、それこそ悪平等に繋がる不健全な考えであると決めつける論者もいる。

だいたい格差を問題にする野党の立場の人は一番目の認識である。一方、与党や権力に近い人々は、二番目から四番目の認識である(本心は分からないが)。これだけ人々の間に格差について認識の差があるのだから、通常格差に関する議論は白熱する割にはまともな結論は出ない。ところが3月31日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で、これに対する有効な対策が飛出したのである。


同番組では、格差に関する識者と言われる論客と与野党の国会議員を集め議論がなされた。「格差拡大、格差問題有り」の代表は、エコノミストの森永卓郎氏であった。森永氏は、大企業と中小企業の給与の推移、貯蓄無し世帯の増加、さらに正社員と非正規労働者の給与格差といった具体的な数字を用いて、今日の格差社会の実態を説明した。

参加者は、森永氏と森永氏の論調を支持しそれに補足する意見を述べる者のグループと、これに真っ向から反対するグループ、さらに時として森永氏に賛成し時には反対すると言った風見鶏派の三つに割れた。だいたい森永氏に同調するのが野党的な立場の人々であり、反対するのが与党の立場の人々である。


そして番組がかなり進行してから、森永氏から問題発言が飛出した。議論が進み、司会の田原総一郎氏でさえ、日本の格差問題は深刻という意見に賛同せざるを得なくなった雰囲気になった。田原氏はそこで森永氏に「では格差問題を解消する具体的な方策はなにか」と問うた。森永氏は日本の金融政策が問題と指摘した。これに対して田原氏「何を言っているの、日本は金融を超緩和にしている」と反論した。当然の反論である。しかし森永氏は「日銀の金融緩和は、本当の金融緩和ではない。単に銀行の当座預金が積み上がっているだけで民間に流れない。」と指摘した。ちょっと一般には理解が難しい話である。また森永氏は「バブルの清算時にもっと適切な金融政策が行われていたなら、リストラも行われずこんなに非正規雇用が増えなかった」と述べた。田原氏は「それじゃ具体的にどうすれば良かったのだ」と畳み掛けた。そしてついに森永氏は「日銀がどんどん政府発行の国債を買えば良かったのですよ」と爆弾発言を行った。これこそまさに筆者が長年主張している広義の「セイニアリッジ政策」である。

•森永氏の腰砕け
森永氏がこの発言を行った瞬間、出席者から「おう!」といった声が漏れた。「ついに言ってしまったか」という雰囲気であった。「セイニアリッジ政策」は日本の論壇ではタブーである。ところが他のパネラーからも「デフレ時には中央銀行が国債を買って、リフレ政策を行うことは世界の常識になっている」、「バーナンキ現FRB議長でさえも日本に来て、同様の政策を奨めていた」と次々に賛同する声が続いた。ちなみにバーナンキ現FRB議長の発言は、04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」で紹介した、平成3年5月31日の日本金融学会の講演での話である。まさに森永氏はパンドラの箱を開けたのである。


「セイニアリッジ政策」と言えば、日銀の国債引受けだけではなく、当然政府貨幣(紙幣)発行という方法がある。こちらは03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」で述べたように、スティグリッツ教授が、日本経済にとって政府紙幣(プリンティングマネー)発行が有効と講演で話をしている。ただこの中で「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」と半分冗談を言っている。ようするに常識のあるまともな(頭がおかしい構造改革派に対抗する意味で)経済学者は、日本経済にとって「国債の日銀引受け」や「政府貨幣(紙幣)」が有効な処方箋と主張しているのである。しかしこの政策は、経済論壇の中では経済学者とって身に危険が及ぶタブーなのである。

注目すべきことは、この経済ノーベル賞学者スティグリッツ教授を日本に招待したのが日経新聞であり、政府紙幣(プリンティングマネー)発行発言が飛出したのが財務省主催の講演会である。構造改革派の巣窟である日経新聞と増税と財政支出削減に熱心な財務省にも、一部にまともな考えの人々がいるということである。今日のような財政再建運動が続けば、日本はボロボロになる(今日十分その徴候は現れている)と危惧する人々がいるのである。

ところで日本では経済財政諮問会議というものが政府の最高意思決定機関ということになっている。今日経済財政諮問会議では、経済成長率と長期金利の動向について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされている(筆者は全く興味がないが)。どうも将来の増税額に影響するという話である。しかし経済の諸条件が全く異なる他国の実績を、互いに持出して議論しても何のたしになると言いたい(基本的な財政の数字も莫大な金融資産を持つ日本と、そうではない他の先進各国と比べては誤解を招くだけである)。

この論争は世間からも「神学論争」と揶揄されている。この延々と続く議論にあきれたあの経済オンチの小泉首相さえが、「マンキュー(米国の経済学者)だかサンキューだか知らないが、財政支出の削減だけを考えれば良い」と怒り出す始末である。間抜けな経済学者や民間委員の間抜けな議論に、小泉純一郎という酔っぱらいが「からんだ」と言った構図である。なさけないがこれが日本の最高意思決定機関の現状である。日本政府が中国や韓国にばかにされ、からかわれるのも当り前である。日銀の国債買上げによるリフレ政策といった、まともな政策からはるか遠い間抜けな議論が政府の最高意思決定機関で延々となされているのである。


しかしここまで思いきった発言を行った森永氏であるが、それ以降腰砕け状態になった。田原氏から「国債の日銀引受けは良いとして、その金を何に使うのか」と突っ込まれ、とたんに森永氏は口ごもってしまった。もちろん「財政支出」に使うとはっきり言えば良かったのである。国債の日銀引受けというタブーを突破してくれたが、もう一つのタブーである「財政支出増大」までは言い及ばなかったのである。森永氏には「もう一つ勇気を」と言いたいところである。

森永氏の指摘するように、単純に日銀の当座預金を増やし、マネーサプライを増やしても効果は期待できない。03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、財政支出を通じ所得を発生させる形でマネーサプライを増やしてやることが必要である。この財源は国債の日銀引受けである(増税では効果が減殺される)。ともかく森永氏の「国債の日銀買入れによるリフレ政策」発言は大きな前進であった。しかしさらにもう一言付け加えるならば、日銀が国債を買入れ(引受け)た場合、その国債は実質的に国の借金にはならないことも説明してもらいたかった。
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経済コラムマガジン 09/2/9(557号)政府紙幣(貨幣)論の急な盛上がり
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•制度面の解説
筆者も驚くように政府紙幣(貨幣)発行について、最近、急速に議論が盛上がっている。きっかけは東洋大学教授の高橋洋一氏や自民党の構造改革派が一斉に政府紙幣(貨幣)発行に言及し始めたことである。かって政府紙幣(貨幣)は一部の積極財政派の主張であったが、最近は正反対の考えの構造改革派が言い出した。

たしかにこれまで構造改革派の主張は迷走の連続であり、彼等が本当に政府紙幣(貨幣)発行を真剣に考えているのか疑わしい。しかし世の中の空気が変わって来たことは事実である。筆者は、この背景に米国政府の経済政策があると見ている。米国FRBが長期国債の買取りのオプションを示したのである。実際にはいつ実行されるか不明であるが、米国がこの広義のセイニアーリッジ政策に踏出す可能性が出てきたことが大きい。


本誌は何回もセイニアーリッジ政策、つまり「政府紙幣(貨幣)発行特権の発動」を取上げてきた。その中で政府紙幣(貨幣)の基本的な説明としては、02/11/11(第273号)「セイニア−リッジ政策の推進(その2)」が一番適当と考える。しかし政府紙幣(貨幣)に関する理解の度合は人によって大きく異なる。

そこで今週は、改めて政府紙幣(貨幣)をダイジェスト的に取上げる。ただ政府紙幣(貨幣)という言葉さえ初めてという読者の方もいると思われるので、分り易くQ&A形式で説明する。前半は政府紙幣(貨幣)の制度面の解説を行い、後半はこの発行による効果と副作用を取上げる。


Q1:政府が勝手に貨幣(紙幣を含む)を発行できるのでしょうか。また担保は必要ないのですか。

A:「政府貨幣」の発行は、独立国家固有の権限です。日本現行法では「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年6月1日、法律第四二号)で定められています。同法の第四条には「貨幣の製造および発行の権能は、政府に属する」と明記されています。また同法によれば「貨幣」の素材や形式などは政令で定めることになっています。

今日使用されている、一円玉、100円玉などの補助貨幣もこの法律に基づいて発行されています。記念コインの発行も同様です。また「貨幣」の素材や形式などは政令で定めることになっていますから、コインの形ではなく、紙幣でもかまわないわけです。

さらに同法には、政府貨幣発行に関しては、発行額の制限や担保の規定はありません。発行は政府の自由なのです。ちなみに政府貨幣の額面から製造コストを差引いた額が、貨幣鋳造益となり、政府の収入になります。

Q2:新しい貨幣や紙幣が発行されると混乱が起りそうなのですが。

A:もちろん新しく貨幣や紙幣を発行してもかまいませんが、政府貨幣の発行権を日銀に売却し(政府紙幣を日銀に入金するという表現の方が適切か)、日銀の小切手を受取る方法があります。この場合には、新しい紙幣などを印刷する必要はないのです。つまり現実に流通する紙幣は、現行と同様に日銀券のみで済ませますことができ、複数紙幣の流通という混乱は避けられます。

Q3:日銀券の大増発になりそうですが、大丈夫ですか。また日銀券の発行には制限があったり、担保が必要ではありませんか。

A:まず政府紙幣を日銀に入金した場合、政府が日銀に持つ口座(国庫)の預金残高が増えます。しかしほとんどの支払いは銀行振込みですから、政府が財政支出に伴い預金を引出す時に、日銀券を物理的に増発しなければならないとは考えられません。仮に日銀券の増発が必要になっても、平成10年4月の日銀法改正によって、旧法で課せられていた日銀券の発行額の制限と担保条項は撤廃されてり、問題はクリアされています。

Q4:高額の政府貨幣や政府紙幣を発行することは可能ですか。

A:発行額に上限は有りませんが、上記「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」によって貨幣の種類は、以下の通りに制限されています。
「第五条  貨幣の種類は、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とする。
2  国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣の種類のほか、一万円、五千円及び千円の三種類とする。
3  前項に規定する国家的な記念事業として発行する貨幣(以下この項及び第十条第一項において「記念貨幣」という。)の発行枚数は、記念貨幣ごとに政令で定める。」

たしかに最高額の500円硬貨でも、10兆円の政府貨幣発行となれば200億枚の鋳造が必要になり、とても現実的な話とは言えません。つまり現実の政策として実行するには、法律の改正が必要になると考えます。この点が政治的に難しい話になると思われます。

•効果と副作用
次は政府紙幣(貨幣)の効果と副作用である。効果については、財政支出に需要創出効果があるかどうかのいつもの議論になる。しかし当然、筆者達は日本での積極財政に賛成であるという立場であり、ここではこの議論は割愛する。一方、副作用についてはていねいな説明が重要である。また政府紙幣(貨幣)に反対する人々は副作用を強調し勝ちであるが、これについても適切な反論を行うことが必要である。


Q5:通貨の流通量が増えることによる物価上昇が心配です。

A:日本には、巨額のデフレ・ギャップが存在し、これが今日のデフレ経済の原因になっています。まずこのデフレ・ギャップの大きさが問題になります。しかしこのデフレ・ギャップの大きさには、諸説があり、数十兆円から数百兆円と大きな幅があります。真相はこの間にあると思われます。いずれにしても日本にはかなり大きなデフレ・ギャップがあることは事実です。

この結果、今日、企業の設備稼働率は極めて低く、街には失業者が溢れています。また金融面からも日本では巨額のマネーサプライが凍り付いたままです。デフレ・ギャップがある限り、物価は上昇しにくいのです。しかし政策を進めるに当り、とにかく物価を上昇させないことが肝腎です。国民の物価上昇の許容範囲が年率2〜3%なら、物価の上昇がこの範囲に収まるよう、場合によっては途中で政府貨幣の発行を抑える必要があります。

Q6:それでもインフレによる物価上昇が心配です。

A:デフレギャップの存在を別にしても、日本の経済は物価が上昇しにくい体質になっています。このことを、まず財を「物」と「サービス」に分けて説明します。

「物」については、先程からご説明しているように日本には大きな遊休の生産設備があり、需要が増えても価格は簡単に上昇しないと考えても良いでしょう。実際、大手製造業に対する「需要が伸びた場合の増産方法」というアンケートの調査でも、大半の企業が既存設備の活用や稼働率引上げと答えています。

また今日消費財に大きな比率を占めているのが工業製品です。最近では、この工業製品は需要が増えると、中長期にはむしろ価格が下落する傾向にあります。たとえばエアコン、パソコン、DVDなどです。

「物」の次はサービスです。サービスと言えば、まず公共料金です。これは政府のコントロール下にあり、当然抑えることは可能です。また医療費も公共料金同様、実質的に政府の管理下にあると言え、抑えることは比較的簡単と考えます。

近年、サービス支出の中で比重が大きくなっているのが通信費です。この通信費は、工業製品と似て、需要が増えるほど価格が低下する傾向にあります。携帯電話の通話料やインターネットの利用料などはこの典型です。これらを理論経済学的に説明すれば、08/11/10(第548号)「デフレ経済の足音」で述べたように、総供給曲線が右肩上がりではなくフラット化しているということです。

残る問題は、コストに占める人件費の比率が大きい一般のサービスです。しかし多くの失業者がいる今日の雇用状況を見れば、人件費が直ぐに高騰することは考えられません。

これらを総合的に勘案すれば、よほどの大きな需要の増大がない限り、サービス価格の上昇は限定的 と考えます。

Q7:政府貨幣の発行で、「円」は信認を失い、暴落しませんか。

A:長期的には為替水準は、経常収支で決まると言う考えがあります。政府貨幣の発行によって、経済活動が活発になり、国民所得が増えれば、輸入が増え経常収支の黒字が減ったり、さらに赤字になることが考えられます。たしかに経常収支が赤字になるといった事態は円安要因となります。

また政府貨幣の発行によって、多少物価の上昇が起ることが考えられます。諸外国と同程度の物価上昇なら問題はありませんが、他の国よりも大きな物価上昇があった場合には、「円」の価値が相対的に減価することなります。これも物価上昇は円安要因となります。

しかし日本は、海外に差引き180兆円もの資産を持っています。この海外資産から大きな配当金や利息と言った所得が毎年発生しています。つまり仮に貿易・サービス収支が仮に赤字になっても、簡単には経常収支が赤字にはなりません。

さらに今日、資本取引による国際的な資本の移動が大きくなっています。中短期的に為替相場も、経常収支より、この資本収支の影響がより大きくなっています。まず国際的な資本には金利差で動くものがあります。政府貨幣の発行で経済活動が活発になれば、日本の金利が少しは上昇する可能性があります。これが円高要因となります。

そして国際的な資本の移動に関して重要なことは、経済が成長している国には資金が集まりやすいと言う事実です。もし日本が政府貨幣の発行よる積極財政に転換すれば、日本の景気が良くなります。資本は、期待収益率によって動くと考えられます。日本の景気が良くなり、日本での期待収益率が大きくなれば、「日本に投資を行ったり、日本株を買えば儲かる」と言うことになり、日本に資本が流れて来る可能性が大きいのです。

特に今日のように、欧米の経済がスランプになっており、国際的な資金は行き場を失っています。したがって期待収益率が大きくなった日本には、より大きな資金が集まりやすいのです。さらにこのような状況では「円の先高」を予想した投機的な資金も流入してくることが考えられます。この場合には、かなり急激な円高となる可能性があります。

実際、日本の過去の為替動向では、政府が積極財政を行うと「円高」になり、反対に緊縮財政に転換すると円安に傾向にあります。やはりこれも為替相場に対する資本取引の影響が大きくなっている証拠と考えます。このように政府貨幣を発行した場合には、為替は「円安」にも「円高」にもなる可能性があります。つまり少なくとも政府貨幣の発行によって「円」が暴落するという話は根拠が薄弱です。

これら以外にも政府紙幣(貨幣)発行については色々な意見があり、それについては再来週以降に取上げる。それにしても急速に議論が盛上がっているのには驚かされる。
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経済コラムマガジン 2017/4/3(933号)シムズ理論の裏
http://www.adpweb.com/eco/eco933.html


シムズ理論での財源

先週号で述べたように、シムズ理論の最大の疑問はどのような手段で「通貨価値を大きく毀損(大きな物価上昇)」させるかである。シムズ教授は「例えば2%の物価上昇が実現するまで増税を行わないと政府が宣言する」と言った提言を行っている。しかしこの程度のことで「通貨価値を大きく毀損」がうまく行くとは誰しも思わない。実際、安倍政権は2度も消費増税を延期したが物価は上昇しなかった。

一方、シムズ教授は、金融緩和が極限まで行った段階(ゼロ金利)では財政政策が有効と説いている。この点は、筆者達もこれを「オーソドックスなポリシーミックス」と賛同する。しかし教授は、財政政策の具体的な財源については明確にしていない。

財源としては国債の増発が考えられる。しかし国債は償還が前提となり、将来の増税などによる財政の健全化を「予想」させる。これではインフレ期待が生まれず「通貨価値の毀損」は起らないとシムズ教授は判断しているようである。


このようなシムズ教授の政策提言を突き詰めれば、筆者は財源はまさに「政府紙幣」となるのではと思っている。先週号のシムズ理論とシムズ教授の提言の「裏」とはこれだと筆者は考える。ところで教授は他のシニョリッジやヘリコプター・マネーを容認しているようである。さらに中央銀行による国債などの債券の買入れ政策(QE)も決して否定していない。

しかし国債の発行には償還が付きまとい、またQEには「出口」を唱える勢力が必ず現れる。また中央銀行を介したシニョリッジは、中央銀行の独立性が問題にされる。特に米国では、FRBが1951年のアコード締結で独立性を回復した後、政府の金融政策への関与は憚れるようになっている。

これらの障害を全てクリアし、財政支出を増大させ減税を実施するための究極の手段は前述の「政府紙幣の発行」と筆者は考える。シムズ理論に沿った政策を実現するための最も合理的な解答はこれしか考えられないのである。ただ中央銀行が政府に協調し、国債の買入れを行うことには教授は異議を唱えないであろう。また国債の償還期間を長くすることにも賛成すると筆者は考える。要するに教授の発言は、その国での政策の実現性にポイントを置いていると筆者には感じられる。

シムズ理論の「通貨価値の大きく毀損」に対し、当然、「ハイパーインフレ」を意図的に招くとは何と恐ろしい発想というヒスティリックな声が必ず上がる。これに対してシムズ教授はインフレが起るからこそ財政状態が良くなると、両者の主張は噛み合わない。


そこで問題になるのが「政府紙幣の発行」の実現性である。筆者は、日本ではほとんど実現性はないが、米国ではある程度実現する可能性があると見ている。もちろん「政府紙幣」を口に出せば米国でも猛反発が起るであろう。06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」で紹介したように、「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」とスティグリッツ教授も半分冗談を言っているくらいである。

しかし12/12/24(第737号)「日銀とFRBの違い」で述べたように、過去に米国では16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディと3人の大統領が政府紙幣を発行するか、あるいは発行しようとした。特にケネディは政府紙幣発行の大統領令に署名していた。ところがこれらの3人の大統領の全てが暗殺されたのである。シムズ教授も内心では「政府紙幣」と思っていても、なかなか口に出せない事情が色々とあると筆者は勝手に憶測している。


容易ではない通貨価値の毀損

シムズ理論に関して分かりにくい課題を二つ挙げる(一つは来週)。一つは「インフレ」に関する事柄である。シムズ理論に反対する日本の財政再建派(財政規律派)は、シムズ理論に沿った政策はインフレを起こす力が全くないか、あるいはハイパーインフレを招くかのどちらかと支離滅裂なことを言っている。ところが実際のところ、日・米・欧の先進国では、近年、物価上昇が起らなくなっている。米国ではこれを「ニューノーマル」と称している。

一般の国民にとって物価が上昇しない方が好ましいのに、何故、シムズ教授が経済をインフレ化させることを政策目標にしているのか分かりにくいと筆者は思っている。この点を低インフレが消費の弱さの裏返しと解釈でき、またこの低インフレが政府の累積債務問題を悪化させる。この財政悪化による消極財政がさらに低インフレを招くといった悪循環を招くと教授は考えているのであろう。


筆者は、財政が積極財政に転換に転じても容易には物価上昇は起らないと考える。伝統的な経済学の論争では、物価上昇についてはデフレギャップの大きさが問題にされてきた。デフレギャップが大きいと見る経済学者は、多少の財政支出増による需要増ぐらいでは物価は上がらないと見る。一方、デフレギャップが小さいと見る経済学者やエコノミスト(日本の主流派)は、小さな追加的な需要増でも物価は急騰すると主張する。中には今日の日本の雇用状況を既に「完全雇用」とバカげたことを言っているエコノミストがいる。

ところで日本(他の先進国も同様)の消費構造の変化によって、需要が増えるほど価格が下落する「モノ」や「サービス」の消費割合が大きくなっていると筆者はずっと主張してきた。IT製品や通信費などがその典型である。経済学的には「収穫逓減」産業から「収穫逓増」産業への移行と言ったところであろうか。この影響も物価上昇を抑えていると筆者は考える。

また先進国で増えている雇用は概ね専門的な知識や技術を必要としない単純労働が中心である。この分野の労働者は「競争的周辺部」であり(労働組合などない)、人手不足となっても賃金は上がりにくい。特に欧米では、多くの移民がこの種の職業に就くのでますます賃金の上昇が望めなくなっている。しかもこのような労働者の割合は確実に大きくなっている(したがって失業率が下がっても平均賃金は上がらない)。このようにデフレギャップの大きさだけで物価上昇を語るのは、時代の変化に背を向けていると筆者は考える。


先週号で取上げた日本経済復活の会(会長小野盛司氏、顧問宍戸駿太郎筑波大学名誉教授)のシミュレーション分析でも物価はなかなか上がらなかった。公共投資や減税の金額を段々と増やしてみたが、物価への影響力は限定的であった。ちなみに小野さんは日経NEEDSのプログラムをレンタルし(レンタル料はけっこう高かった)、シミュレーションを行った。もちろん計量経済学者の宍戸教授はご自分のプログラムをお持ちであったが、世間で多少なりともオーソライズされている日経NEEDSを使った方が良かろうという宍戸さんのアドバイスがあった。

これも宍戸さんのアドバイスで、小野さんはこのシミュレーション分析の結果を何名かの著名経済学者に送ってみた。すると03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、驚くことにサミュエルソンから返事が来たのである。

その中に「大規模な減税が日本経済の著しい回復をもたらすのであればインフレ率が十分高くならないとしても、気にしなくても良い。インフレ率自身は政策の最終目標ではないからだ。重要なことは、流動性のわなに起因される消費の欠如を取り除くことであり、それ以外のものではない。」(If strong tax cuts were "to bring remarkable recovery of Japanese economy",then I would not worry about a failure to achieve a positive inflationrate. This latter condition is not itself a primary goal of policy.)という記述があった。


筆者は、今日、シムズ理論が脚光を浴びていることを見て、このサミュエルソンのこの指摘を改めて思い出した。おそらく同様にシムズ教授も多少の財政政策で、物価が簡単に上昇すること(三流経済学者の言っているハイパーインフレ)は絶対にないことを承知しているはずと筆者は憶測している。だからこのようなことを踏まえ「通貨価値を大きく毀損させる程の大胆な財政政策が必要」と言っていると筆者は解釈している。
http://www.adpweb.com/eco/eco933.html


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html#c36

[政治・選挙・NHK254] 通貨発行権<福祉政策の為の通貨の増刷は可能であるスレッドの続き 天橋立の愚痴人間
5. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月28日 10:13:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21229]
因みに

因みに、>>4

は天橋立の愚痴人間氏が管理人をやっている 糾弾掲示板 とかいうアホ掲示板に
天橋立の愚痴人間氏の明らかな誤解を指摘する為に、新スレとして投稿したんだけど、すぐに天橋立の愚痴人間氏に削除された。

天橋立の愚痴人間氏は知恵遅れでダブルスタンダードの詐欺師だよ。

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/285.html#c5

[政治・選挙・NHK254] 通貨発行権<福祉政策の為の通貨の増刷は可能であるスレッドの続き 天橋立の愚痴人間
6. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月28日 10:22:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21232]
僕は毎日いろんなサイトを見て、価値が有ると思ったものを転記保存しているから
文章を一寸読んだだけで書いた人の知的レベルがわかる。

天橋立の愚痴人間氏の書いたものは、どう見ても中学生レベルなんだよ

自分の頭で考える能力が完全に欠如しているんだ
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/285.html#c6

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
32. 中川隆[-13647] koaQ7Jey 2018年11月28日 10:45:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21235]
ゴーン不正の実態を会計から読み解く…金商法違反、脱税、特別背任 八田進二・青山学院大学名誉教授に聞く
https://diamond.jp/articles/-/186764
2018.11.28 ダイヤモンド・オンライン編集部


有価証券報告書への報酬未記載や、住宅などさまざまな個人的利益を日産から受けていたといった報道が連日出ているゴーン容疑者。これらは果たして、どの程度の罪になるのか。また、ゴーン容疑者以外の日産経営陣の責任はどう考えるべきなのか。会計の専門家で、青山学院大学名誉教授の八田進二氏に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 津本朋子)

<論点1>
「退任後の報酬」は記載すべきか?


驚くような不正の数々が明らかになってきたゴーン容疑者。今後一体、どんな罪に問われていくのだろうか? 写真:ユニフォトプレス

――ゴーン容疑者の逮捕容疑は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)。2010年から5年間にわたって毎年、役員報酬の約10億円、合計50億円を記載しなかったというもので、その後の3年間(30億円)分も合わせて80億円になるとの見方もあります。

 高額な報酬という批判を避けるために、毎年の役員報酬20億円のうち、半分の10億円を「退任後に受け取る」という契約にし、その年の有価証券報告書には記載しなかった、ということのようですが、原則としては、これはアウトです。「退任後なら、役員退職慰労金扱いであり、今は記載する必要はないのでは」との見方もあるようですが、役員退職慰労金とは在任年数などを勘案して、退職時に決めるものです。「2010年は10億円、2011年も10億円」といった具合に毎年、金額を決めて契約していたのなら、それぞれ当該年に会計処理すべきです。

 ただ、この約束が単に「それくらい払うよ」という、一種の希望的観測じみた効力しかないようなものならば記載の必要はない、という解釈もなくはない。その辺りは、会社がどういった処理をしているかを、詳しく見ていかなければ分からないでしょう。

――さらに、株価に連動した報酬を受け取れる「SAR(ストックアプリシエーション権)」も約40億円分、開示しなかったとされています。

 次々に明らかになっていることを一言でいうと、ゴーン容疑者は会社の財産をほしいままにしてきた、ということです。検察は最終的には特別背任を狙っているのではないかと思います。

 ただし、特別背任は検察側が越えるべきハードルが高いのも事実。どういう意思決定プロセスを経ていたのか、本当にほかの取締役は一切知らなくてゴーン容疑者の独断なのか、などといったことをきっちり詰めて行かなければいけませんから、相当時間がかかるだろうと思います。

<論点2>
「住宅の無償供与」は脱税行為にもなる


八田進二/青山学院大学名誉教授・大原大学院大学会計研究科教授
慶應義塾大学経済学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了、慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(プロフェッショナル会計学)。 駿河台大学経済学部教授、青山学院大学経営学部教授、同大学大学院会計プロフェッション研究科教授を経て、青山学院大学名誉教授。2018年4月より、大原大学院大学会計研究科教授。他に、日本監査研究学会会長・日本内部統制研究学会会長・会計大学院協会理事長・金融庁企業会計審議会委員(内部統制部会長)等を歴任。また、複数の企業等の社外監査役および監事を務めている。 《主な著訳書》 『公認会計士倫理読本』(財経詳報社)、『「逐条解説」で読み解く 監査基準のポイント』『逐条解説 内部統制基準を考える』『会計プロフェッションと監査』『会計・監査・ガバナンスの基本課題』『会計のいま、監査のいま、そして内部統制のいま』『会計人魂』『COSO全社的リスクマネジメント』 (以上、同文舘出版)『会計プロフェッションの職業基準』『開示不正―その実態と防止策―』『21世紀 会計・監査・ガバナンス事典』(以上、白桃書房)、『決定版COSO不正リスク管理ガイド』『内部統制の統合的フレームワーク−フレームワーク篇、ツール篇、外部財務報告篇』(以上、日本公認会計士協会出版局)、他多数。

――さらに、今回の逮捕容疑には入っていませんが、オランダの子会社を通じてレバノンやブラジルに高級住宅を購入させたり、挙げ句の果てには家族旅行の費用や、娘の大学への寄附金などを日産に出させる、姉との不正なアドバイザリー契約を結んで年10万ドルを支払うなど、明らかに私的な出費も日産に負担させていたようです。会計的には、これらはどのような問題だと捉えられるでしょうか?

 会社名義で従業員が私的利用するもの、たとえば社宅などを買って提供するというのは、いわゆるフリンジベネフィット(福利厚生費など、会社規定による付加的な報酬の総称)です。しかし、ゴーン容疑者が独占的に使い、かつ家賃などを一切払っていないのなら問題です。家賃相当額は給与と見なすべきなのです。当然課税対象になりますから、ゴーン容疑者はここで脱税をしていたということになります。

 家族旅行費用や姉への報酬、娘の学校の寄附金といった類いも、実質的な給与と考えるべきです。いずれも事業目的とは無縁なので、経費に認められるわけがありません。これは不当な支出であり、背任とも言える、違法性の高い話でもあります。

<論点3>
会社側はどの程度悪いのか?

――独裁者として君臨するゴーン容疑者を駆逐するため、日産の役員たちが立ち上がったクーデターである、との世論醸成がされている印象もありますが、やりたい放題の独裁者をこれまで支えてきた日産経営陣にも大きな責任があるのではないかと感じます。

 両罰規定が適用されるだろうと思いますが、日産の取締役会、さらに監査役にも大きな問題があります。日産ほどの規模の会社であれば当然、経理・財務はチームで働いています。司法取引に応じた執行役員らがいたわけですが、そのほかの取締役たち、監査役たちは本当に一切、何も知らなかったのか?大いに疑問ですね。歴年にわたって随所で行われてきた不正ですから。断片的であっても、いろいろ耳に入っていたと考えるのが自然じゃないでしょうか。これは取締役会、そして監査役会の機能が果たせていないということです。

 また、たとえば今年6月に提出された有価証券報告書には、西川廣人社長名で「当社の第119期(自 平成29年4月1日 至 平成30年3月31日)の有価証券報告書の記載内容が金融商品取引法令に基づき適正に記載されていることを確認しました」と記載されていますが、西川社長が今回の不正を知ったのは、今年3月だったと報道されています。これが事実なら、なぜ「適正に記載されていることを確認」できたのでしょう?

 さらに、ゴーン容疑者解任を決議した取締役会では、ルノー出身の2人の取締役がフランスからテレビ会議で参加したという点も、私に言わせれば大問題です。監視・監督は現地現物であるべきです。でないと、会社の内部監査を適切に行うことなどできない。普段から、グローバル企業の名の下で、こんなやり方がまかり通っていたから、会長解任という一大事に際しても、テレビ会議での出席で済ませてもいいや、という感覚なのでしょう。これは、監査役会の問題です。取締役会の執行がきちんと行われているかどうか、見極めるのは彼らの役割ですから。

 もちろん、最大の権限を持つトップ自らが不正を働いた、というのは、非常に食い止めるのが難しい話ではある。日産の不幸だったと言えます。しかし、ガバナンスが緩かったからこそ、ゴーン容疑者は独裁者としてやりたい放題できたのでしょう。私は、取締役たち全員が、ゴーン容疑者とほぼ同罪であると言いたいですね。今年6月に就任した取締役2人は、さすがに責任がなかったかもしれませんが、その他の役員は全員責任がある。特に、西川社長と軽部博CFOの責任は重いのです。

<論点4>
監査法人の責任は?

――日産の監査法人はEY新日本。あの東芝やオリンパスも担当した大手監査法人です。売上高11兆円の大企業ですから、数億円の住宅やゴーン容疑者の姉への年10万ドルのアドバイザリー契約などという少額の不正は、なかなか見抜けなかったのでしょうか?

 もちろん、売上高の9割に貢献している事業を重点的に見る、という重要性の基準はあります。ただし、たとえ小さな規模のものであっても、定性的に見て、コンプライアンス違反が潜んでいるんじゃないかと疑わしい、つまり信用できないものがあれば、規模の大小に関わらず、きちんとチェックすべきだというルールになっています。

―― 一部報道によれば、ゴーン容疑者の住宅購入に使われたオランダの子会社「ジーア」は資本金60億円の小さな会社ですが、監査法人は「会社の実態が不透明だ」と指摘したものの、日産側からかわされたようです。

 企業の連結ベースでの不正はたいてい、子会社や関連会社、外国事業拠点を通じて行われるものです。そして、この手の不正は、監査法人が疑念を感じたのにもう一歩、きっちり踏み込めていないというケースが多い。新日本は指摘するだけでは役割を果たしたとは言えないのです。2011年に起こったオリンパスの不正事件を受けて、金融庁は2013年に監査基準の改正を行い、疑問を持った際には徹底的に深掘りすべしという旨を盛り込みました。

 今回のケースであれば、疑問を投げかけるだけでなく、実際にオランダに行って調査をすべきです。

 確かに手間ひまがかかる話ではありますが、EY(アーンスト・アンド・ヤング)のネットワークを活用したっていいわけで、とにかく疑念がある場合にはしっかり調査すべき。会社側のお茶を濁すような釈明に言いくるめられるようではダメなのです。

<論点5>
金額は決して大きくないけれど…

――東芝の不正会計事件は、経営危機に陥るほどのインパクトがありました。日産の一件は、驚くような話ではあるものの、業績に大打撃を与えるような規模の金額ではありません。

 会計監査の世界では、「ある情報が間違っていた場合、正しい情報を知っていたとしたら、情報の利用者(投資家など)は違う意思決定をしただろうか?」という点が重要視されます。その意味から言うと、確かに数字的インパクトは小さい。しかし、投資家は数字のみならず、ガバナンスの状況など非財務情報も重要視しているはずです。

 ゴーン容疑者がこだわったであろう役員報酬の開示も、投資家は関心を持っています。だから、株主総会では「前期より利益が下がっているのに、なぜ役員報酬は上がっているのか」といった質問が出たりするわけです。つまり、報酬が納得の行く金額であって、かつ正しく開示されているかどうか、ということは、投資家からすればその企業や経営者を信頼できるかどうかという大切なポイントなのです。

 2001年に破綻した米エンロンは、巨額の簿外債務があるなどの不正が起きていた一方、経営者は高額な報酬をもらっていました。米国ではエンロン事件後、監査強化やディスクロージャー強化などを盛り込んだSOX法が制定され、経営者の不正は厳罰化。虚偽記載は罰金も強化された上に、経営者は最長20年の懲役が科され、二度と上場企業の役員にはなれません。

 日本では2007年に金融商品取引法ができたときに経営者の責任が重くされましたが、それでも最大で懲役10年。これは「軽すぎる」という議論もあります。

 過去には長銀や日債銀の経営者がさんざん争った挙げ句に無罪となった事例もあり、東芝の歴代社長の立件に検察が及び腰になった原因だと言われています。検察は日産で失地回復を狙っているのではないでしょうか。しかし、ゴーン容疑者のケースでも、脱税や横領はまだしも、特別背任まで視野に入れるとすると、簡単な戦いではないはずです。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c32

[昼休み54] 『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった 中川隆
37. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年11月28日 11:00:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21235]

経済コラムマガジン 12/12/24(737号)日銀とFRBの違い

•FRBは議会も根回し

安倍政権発足で、日銀や日銀の金融政策が注目を集めている。自民党の一部やみんなの党は政府に日銀総裁の解任権を持たせるよう、日銀法の改正を主張している。デフレ経済が続く日本では、金融政策によってこれを克服しようという意見が強い。政治家達は、今日の日銀がデフレ克服に真剣に取組んでいないという印象を持っているのである。

ただ金融政策だけでデフレ克服が可能なのか、疑問もある。安倍自民党総裁は、金融政策はあくまでも補助的と考えていて、本筋は財政政策と見受けられる(10兆円を超える補正予算に見られるように)。しかし財政政策を前面に出すと、自民党内にいる日本政府の累積債務を気にする者達の抵抗が考えられ、これらの人々にも配慮が必要になる。そのためどれだけ効果があるか疑わしいが、当分の間、日銀への圧力を強める形を取らざるを得ない。


しかし筆者は、日銀にどれだけ圧力が加わっても、日銀が自ら大きく変身することはないと思っている。日銀のこのような現状に対して、米国のFRBの大胆な金融政策が注目を集めている。先日のFOMCでは、バーナンキ議長が「失業率が6.5%になるまでゼロ金利政策を継続させる」と宣言している。

米国FRBは失業率にまで関与し、それに責任を持っているのである。同じ中央銀行でも日銀と大きく異なる点である。日銀は、欧州の中央銀行と同様、失業率まで責任を持たされていない。ただFRBが失業率に責任を持たされたのは1977年以降という話である。もっともその前からFRBは経済政策全般に深く関わって来た。1951年のアコード締結までの米国国債の青空天井の買入れなんかはその典型である。


米国でも、財政政策に比べ金融政策が弱いことはほぼ常識になっている。01/10/22(第227号)「9月11日の以前と以降」で述べたように、同時多発テロ以降の米国の景気後退に対して、グリーンスパン前FRB議長は、危機感を持って議会関係者に財政出動をするよう働きかけていた。おそらくバーナンキ議長も、金融政策より財政政策の方が有効と思っていると思われる。

しかし小さな政府を指向する共和党が下院で多数を占めていて、オバマ大統領は自由に財政政策を行えない状況にある。失業率を低下させることは、米政府とFRBの共通の目標である。財政政策が議会の都合で縛られている以上、弱いと認識されているが金融政策に負担を掛ける他がないのである。


米国では、経済政策と言えば金融政策と言われた時代が続いた。しかし近年、経済政策の中で財政政策の重みが増している。おそらく米国も、日本と同様、経済がデフレ傾向に傾いているからであろう(デフレは戦前の世界大恐慌以来)。

ただし米国の方が日本より金融政策が有効性を持っていると思われる。それは米国経済の方が金利に感応的と見られるからである。米国民は、ほとんどの人々がクレジットカードを持ち、住宅だけでなく大半の消費を借金で賄っている。大学の授業料なんかもローンである。したがってローン社会である米国では経済全体が金利に敏感であり、金融政策が日本より効果的と言える。


対して日本では、景気後退時には金融緩和に加え、公共投資に代表される財政政策が重視されてきた。これについては金融政策を中心とした米国の方がスマートであると、多くの日本の経済学者やエコノミストが批難をしてきた。この傾向は今日でも続いていて、彼等はいまだに公共投資に抵抗を示している。民主党の「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズもこのような雰囲気に影響され生まれたものであろう。

たしかに日本の景気対策としての公共投資については、昔の米国のエコノミストも違和感を持っていた。これにはいくつかの理由が考えられる。まず米国では、公共投資は州が行うもので連邦政府はほとんど関与しない。連邦政府が主導した公共投資は大恐慌の後のニューディール政策ぐらいなものである。

また米国は広すぎるので、公共投資の効果が国全体に広まらないのである。つまり公共投資による景気対策という発想が米国では元々薄かったのである。したがって米国の景気対策と言えば、もっぱら金融政策や、財政政策ならば減税ということになる。ただ最近では米国のエコノミストも日本での公共投資の有効性を理解するようになっている。いまだに公共投資に反対している日本の間抜けなエコノミストや政治家は、みごとに梯子を外されているのである。しかも彼等はそれに気付いていない。


•日銀の実力は疑問
日銀にFRBのように失業率や国民経済にも責任を持たせるべきという意見がある。しかし筆者はそれはとても無理と考える。今の日銀にそんな実力はないと思っている。だいたい日銀は経済対策としての財政政策にさえ反対している。それによって国債の新規発行が増え物価が上昇することを警戒しているからである。つまり日銀マンにとって唯一大事な事は日銀券の価値を守ることである。したがって日銀は一人円高を喜んでいると言われても仕方がない。

日銀は、日本がデフレ経済で国民が窮地に陥っていることを認めないための理論武装を行っている。06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」や06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」で述べたように、イチキ生産関数を用いて過小にデフレギャプ(デフレギャプをわずか数パーセントと)を推計している。これも財政出動を牽制することが狙いである。

対してバーナンキFRB議長の発言は明解である。「今日の米国の失業の原因は需要不足であり、決してミスマッチではない」と言っている。前段で述べたように場合によっては議会関係者に財政出動を根回しするFRBとこのような日銀では雲泥の差がある。


どうしてこんな事になるのか不思議である。しかし筆者は、これは日銀だけでなく日本の官庁エコノミスト全体の問題と捉えている(またほとんどのメディアや経済誌にも言える)。もっと言えば、日本の経済学界全体がおかしいのである。

08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」で述べたように、米国にもシカゴ学派のように頭のおかしい学者群がいる。しかしこれらの人々は政府の中に入って仕事をすることはない。米政府に関与するエコノミスト多いが、全てがケインジアンである。米国では新古典派の中でも供給サイドを重視する考えの政治家は、共和党のティーパーティぐらいであり限られている。ところが日本の政治家や官僚には、供給サイドを重視する者、つまり構造改革派が実に多い。

これも20年ほど前にシカゴ学派の経済学者が連続してノーベル経済学賞を取ったことが影響しているのかもしれない。しかしシカゴ学派の経済学者は、象牙の塔に隠り現実の経済にはコメントを行わないのが普通である。例外はフリードマンぐらいであるが、彼がケインズの弟子であったことを考えると納得が行く。

当然、FRBに関係するエコノミストも全てケインジアンであり現実的である。一方、日銀や官庁にはシカゴ大学(筆者は上九一色村の道場と呼んでいる)に留学した者が多い。とんでもない勘違いで留学先を選んだものである。これも日本で有名なサミュエルソンやソローが、シカゴ学派の新古典派と同じと誤解されていることと関係しているのだろう。サミュエルソンやソローは立派なケインジアンであり、むしろシカゴ学派は彼等の論敵である。このように今日の日銀の人材の実力を考えると、とても日銀に今以上の仕事を託すことは難しいと考える。


ところで日銀が設立されたのは明治15年(1882年)に対してFRBが創られたのは1913年である。つまり日銀の方が古い。ただしFRB以前にも米国にはいくつかの中央銀行があり発券業務を行っていた。ただし当時の中央銀行は、政府から独立した完全な民間企業であった。

ちなみにこれらの銀行の株式のほとんどはロスチャイルド家(後にロックフェラー家も加わる)が握っていた。もっとも今日の米国連銀の大株主もロスチャイルド系とロックフェラー系の銀行である(連銀は100%民間資本であり、米政府は株式を持っていない)。驚くことに日銀の株主にもロッフェラーやロスチャイルドの名があるという噂が根強くある(日銀の株式(出資証券)の55%は日本政府が所有しているが、残りの株主は明らかにされていないようで真相は分らない)。しかしロスチャイルドやロックフェラーは、株主として配当を受けているだけで米国の金融政策に直接口は出してはいないようである。

政府の一部として金融政策を担う目的でFRB(理事や議長は大統領が任命し、議会が承認する)や日銀は設立された。これは発券業務だけを行うことを目的に自然発生的に生まれた欧州の中央銀行と違う点である。このせいか欧州の中央銀行が経済政策としての金融政策に躊躇してきた歴史がある。しかし今回の欧州の経済危機に遭遇し、これを反省し、欧州中央銀行(ECB)もやや金融政策に積極的になって来たところである。安倍自民党総裁が日銀を戦略的に使おうと発言したところ(当り前の話)、「発展途上国のような発想」と民主党の金融担当相が批難し、経団連などからも同様の声が一斉に上がっていた。しかし彼等は単に世界の中央銀行に関する知識が欠けているだけである。


ついでながら米国は英国から独立後も利息を払って英国の紙幣を使っていた(後にロスチャイルド家やロッフェラー家などが関係する民間銀行が発券業務を開始)。これも米国国民には発券業務をどこかが独占することに長い間抵抗のあったからである。ただ米政府に通貨の発行権を取戻そうとした大統領が過去に三人いた。16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディである。実際、リンカーンはグリーンバックという政府紙幣を発行している。

しかし今日、日米とも政府の影響下にある中央銀行が設立され通貨を独占的に発行(ただし日本の場合コインは財務省)しているので、政府紙幣を発行するという必要性が小さくなっているのも事実である。ちなみに政府紙幣にこだわったこの3人の大統領の全てが暗殺された話は有名である。筆者も政府紙幣と声高に主張するのではなく、国債(永久債)の日銀買入程度に抑えておこう。
http://www.adpweb.com/eco/eco737.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html#c37

[政治・選挙・NHK254] 音を立てて崩れていく憲法9条の日本  天木直人  赤かぶ
1. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月28日 11:09:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21235]
アホが書いた日本国憲法


経済コラムマガジン 15/6/15(848号)

22才のベアテが作った日本国憲法条文


•日本の憲法学者の素性

6月4日の衆院憲法審査会で、安保法案の審議に影響を与えかねないハプニングが起った。与党の参考人の憲法学者がなんと「集団的自衛権は違憲」と表明したのである。野党側参考人二人はもちろん「集団的自衛権は違憲」としているので、三名の参考人全員が違憲を表明したことになる。野党はこの「棚からぼたもち」的発言に飛びつき、反安保法案の攻勢を強めている。

安倍政権は安保法案を今夏までに仕上げる予定であったが、この憲法学者の不規則発言がとんだ逆風になっている。直接的には関係のない衆院憲法審査会が、現在の重要法案審議の足を引張る形になった。マスコミも事態を面白がり、連日、これを取上げている。


そこで今週は、経済から離れ日本国憲法と憲法学者を取上げる。まず筆者は、昔から「日本国憲法はばかばかしく」、また「日本の憲法学者は怪しい」とずっと思ってきた。図らずしもそれを示してくれたのが、衆院憲法審査会での三名の憲法学者の意見表明というハプニングであった。

よく知られている話であるが、日本国憲法とその成立過程は本当にデタラメであった。新憲法の原案をGHQがたった8日間で作成し、これを和訳して日本政府に示した。日本政府はこのデタラメの原案を元に体裁を整え日本国憲法を策定し、47年5月3日に新憲法は施行された。この成立過程を見れば、いかに現行の日本国憲法がデタラメであるか理解できるはずである。

しかし卑怯者の日本の憲法学者は、当然、成立過程の真相を知っているのに、ほとんどこの真実に触れない。むしろ日本国憲法の正統性を声高に唱えるばかりである。そもそも成立過程が本当にデタラメなのだから、一つ一つの条文を吟味することは無意味とさえ筆者は考える。この無意味でばかばかしいことを毎日やっているのが、ほとんどの日本の憲法学者である。


このデタラメさを示す一例として、ベアテ・シロタ・ゴードンという当時22才の女性が日本国憲法作成に関与した話を取上げる。ベアテ女史は、両親がウクライナ系ユダヤ人であり、元の国籍はオーストリアであったが(ロシア革命でユダヤ人が排斥されたため両親がウクライナからオーストリアに移住した)、後に米国に変った。父親レオは有名なピアニストで、演奏会を開くため半年の滞在予定で来日した。しかし東京音楽学校(現在の東京芸大)の教授の職を父親のレオが得たため、5才のベアテは両親と共に日本に住むことになった。

彼女は大森ドイツ学園とアメリカンスクールで16才まで教育を受けた。途中でアメリカンスクールに移ったのは、ドイツでナチスが台頭し、ユダヤ人のベアテが大森ドイツ学園に居づらくなったからである。両親は教育熱心で、ベアテにフランス語と英語の家庭教師を付けた。この結果、彼女は、ドイツ語、ロシア語だけではなく、フランス語、英語、さらにラテン語にも堪能になった。また10年間も日本に住んでいたため日本語もできた。この語学の才が後に日本国憲法起草に関わるきっかけを作った。

16才で彼女はサンフランシスコのミルズ・カレッジに留学した。一時、両親も訪米したが、大平洋戦争開戦の直前に日本に戻った。戦争で両親との連絡が途絶え、仕送りがなくなったベアテは、アルバイトとして米連邦通信委員会(FCC)で日本短波放送の翻訳の仕事を得た。さらにFCCから戦争情報局(USOWI)に移り、ここでは対日プロパガンダの原稿作成のアルバイトを行った。彼女はタイム誌を経て、終戦後、両親が住む日本に戻りGHQ民政局に職を得た。GHQに採用されたのも、ベアテが日本語が堪能であったからである。とにかく当時の米国には、日本語を理解する者がほとんどいなかった(日本語が出来る白人は全米で60名程度)。

•日本国憲法は「埋草」

GHQは、日本の占領統治に法律の整備が必要と考え、まず憲法を新たに制定することにした。ところが時間に迫られ、憲法の原案を一週間で策定することになった。ここで狩り出されたのが、日本語が出来る22才のベアテ女史であった。まるで冗談のような話であるが本当の事である。

実際、彼女は日本国憲法の24条、25条、27条の制定に深く関わった。特に24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)はほぼベアテ女史が原案を策定したと言って良い。GHQ上層から日本国憲法策定の指示を受けた彼女が参考にしたのは、ワイマール憲法、米国憲法、フィンランド憲法、そして何とソ連憲法であった(都内の図書館でこれらを閲覧)。ちなみにソ連憲法を参考に「土地の国有化」を日本国憲法に取入れようと条文を作ったが、さすがにこれは上司が削ったという。


このように日本国憲法の成立過程は相当デタラメであった。ところがこのデタラメさはGHQにとって決して不合理ではなかった。とにかく早急な日本統治に必要な法体系の整備に迫られていた。明治憲法を廃する以上、これに替わる新たな憲法を作る必要があった(もちろん暫定的な憲法)。つまり明治憲法の「埋草」が新しい日本国憲法である。したがって「埋草」だから体裁が整っておれば何でも良かったのである。

GHQは、連合国の占領が終わり日本が独立すれば、当然、日本国民は自分達で憲法を新たに制定するものと考えた。しかし少なくとも占領終了までは憲法は形として必要であり、したがって占領政策を邪魔するものでなかったなら何でも良かった。法律を専門に学んだわけでもない22才女史のアルバイト感覚で作った憲法の条文も可であったのである。また暫定的な憲法だからこそ、素人の22才の女史に憲法原案の策定を命じることができたのである。むしろ占領が終結して60年以上も経っているのに、このデタラメな憲法を改正しない日本の方が異常と米国は考えていると筆者は思っている(内政干渉になるから口には出さないのであろう)。


問題の戦争放棄の第9条も日本の占領政策に沿うものである。当然、敗戦国の日本が占領軍にクーデターを起こすことを警戒した条文と考えられる。しかし未来永日本が戦力を持たないということは全く想定していなかった。それどころか第9条を押付けておきながら、早くも新憲法施行の翌年の48年には米側の関係部署で「日本の限定的再軍備」という答申がなされている。

再軍備は日本側が働きかけたのではなく、新憲法で日本に戦争放棄を迫ったはずの米国から打診されたのである。むしろ再軍備を渋ったのは、吉田茂首相率いる日本政府の方であった。たしかに戦後の経済の混乱で食う物も食えない状態の日本にとって、とても再軍備の余裕はなかった。

しかし朝鮮戦争の勃発などによって、米国からの再軍備の要請はさらに強くなった。ついにこの要請を受け入れ日本は、50年に警察予備隊を設立、また52年はこれを保安隊に改組し、さらに54年には自衛隊を発足させた。これから解るように戦争放棄を唱った第9条は、米側(GHQ)の手違いみたいなものであった。実際、筆者は、新憲法の施行が1年遅かったなら、戦争放棄の第9条は憲法に盛込まれなかったとさえ思っている。


筆者は、日本国憲法のいい加減な成立過程を考え、大半の憲法学者を筆頭に日本の護憲派に対して強い嫌悪感を持つ(はっきり言って彼等は軽蔑の対象である)。護憲派は、嘘つきで詐欺師とさえ思っている。またなぜか憲法学者には、不遜で理由もないのに他人を見下すような者が多い。

衆院憲法審査会で「集団的自衛権は違憲」と表明した憲法学者の中には、よくテレビでよく見かける者がいる。彼は討論番組に出ると他の出席メンバーを「もっと勉強しろ」と罵倒する。しかし意見を聞かれると決まって「憲法を改正するのが筋」としか言わない。まるで小学生の答えである。もちろん現憲法の改正が事実上無理と解っていての発言である。筆者は、この憲法学者がテレビに登場すると直にチャンネルを変える。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/295.html#c1

[政治・選挙・NHK254] 音を立てて崩れていく憲法9条の日本  天木直人  赤かぶ
2. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月28日 11:12:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21235]
2017年05月04日
安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面

マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


憲法改正の日程

安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。

首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。

また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。


自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。

日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。

改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。


国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。

日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。

GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。


2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。

その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。

2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。


日本国憲法の根本的矛盾

2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。

緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。

衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。


世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。

この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。

少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。


なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。

この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。

誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。


だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?

連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。

1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。

トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。


独裁者になった尿漏れ男

1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。

マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。

厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。


マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。

マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。


1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。

特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。

イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html






4. 中川隆[-6571] koaQ7Jey 2017年8月30日 08:20:52: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼

2016年08月19日
日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html

マッカーサーはやらせ写真を作るのが大好きで、こういう写真を撮らせてはマスコミに掲載させた。

http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/8/c8d8b55f.jpg


日米両国の高官が「日本国憲法を作ったのは我が国だ」と主張している。


日本国憲法の珍論争

日本国憲法を作ったのは誰かという珍論争が日米の政府当局者で勃発し、互いに牽制している。

8月15日に大統領候補ヒラリークリントンの応援演説をした、副大統領のバイデンが次のように発言した。

「日本が核兵器を持てないように、我々が日本の憲法を書いたのを、トランプ候補は知らないのではないか」


この前に対立候補のトランプは様々なヒラリー批判や民主党批判をしていて、その中に次のような演説があった。

「日本には米軍駐留陽を負担してもらう。あるいは米軍に頼らず核武装して自分で守ってもらう」という趣旨の発言だった。

バイデンはトランプへの反論として、日本が核武装出来ないことを指摘し、そうなるように我々が憲法を作ったと話した。


実際はどうかというと、日本国憲法に核武装を禁止した条文はないし、軍隊の保有も軍事行動も禁止するとは書かれていない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と憲法に書いてあるのに陸海空軍が存在するのは周知の事実で、これは次の理由による。

『国権の発動たる戦争』は先制攻撃『武力による威嚇又は武力の行使』は侵略戦争という意味で書かれていた英語の日本語訳だとされている。

国の主権者による戦争の禁止、恫喝行為と武力行使禁止、それらを行うための軍事力禁止と書かれています。


終戦後に軍事政権樹立した日本

ひっくり返すと侵略戦争や先制攻撃以外の戦争は認められているし、軍事力による反撃も、核保有も禁止していません。

集団的自衛権もミサイル防衛も、安保法制も、もちろんどこにも禁止とは書いてありません。

バイデン副大統領の発言の半分は誤解ですが、もう半分の「我々が憲法を作った」の部分はどうでしょうか。


英語の原文があり、それを日本語に訳したから「変な日本語」になっているのですが、そもそも英語の原文が存在するのが奇妙です。

時間を追って経緯を見るために1945年(昭和20年)8月15日に戻ってみます。

8月30日に帝国海軍厚木飛行場にマッカーサーが降り立って、パイプを咥えた有名な写真を撮ったが、このポーズはやらせだった。


マッカーサーという男はこういう記念写真が大好きで、硫黄島に旗を立てる写真などを作っては見せびらかしていた。

それはともかく10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、軍による独裁には従わないとして東久邇宮内閣は総辞職しました。

マッカーサーは連合軍という軍隊の司令官にすぎず、日本政府や議会に命令する立場に無いのに、勝手に軍事政権を作った事になる。


日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。

1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。

日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。


アルバイトに適当な憲法を書かせて「拒否するなら何発でも原爆を落す」と議員らを脅迫した。


軍事政権が作った憲法

マッカーサーは民政局長のコートニー・ホイットニーに憲法作成を命令し、ホイットニーはアルバイト職員らに草案を書かせた。

こうして約7日間で書き上げたのが「日本国憲法」の原文の英語版でした。

当時日本の新聞はGHQの支配下にあったので、マッカーサーは日本政府に伝える前に、勝手に新聞で発表してしまいました。


先に日本政府に伝えるとまたゴネだして、内容を変更したり無効になると考えたからでした。

日本の国会議員らは新聞を読んで初めて憲法の内容を知り、激怒して絶対反対の態度を取りました。

するとマッカーサーは「新憲法を承認しなければもう一度戦争だ、原爆をまた落す」と言って脅迫しました。


東京大学などの法学者は新憲法を違法だと言い、反対の態度を取ったが、これも「認めなければ戦犯にしてやる」と脅迫して認めさせました。

当時マッカーサーはA級戦犯、B級戦犯などランク付けし、連合軍に反抗的な公務員や学者らを逮捕しては処刑していました。

GHQを恐れた東京大学は「憲法学」という学問を作り、日本国憲法は日本国民が作ったと言い出しました。


これが今日に残っている「憲法学」で、マッカーサーが「戦犯になるか憲法を認めるか」と脅迫して作らせた学問です。

GHQ支配下の新聞、NHKはこぞって「国民が新憲法を作った」という嘘の報道を繰り返し、やがて嘘の方が事実として広まりました。

帝国議会は「もういちど原爆を落とされたいか」と脅迫され、ほとんど審議せず新憲法を承認しました。


新憲法は「国民が作った」という宣伝の後で、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、今日に至っている。

これを誰が作ったと考えるかはその人の考え次第だが、少なくとも日本の総理大臣や国会議員はまったく関与していない
http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/295.html#c2

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
33. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2018年11月28日 11:42:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21241]

立花聡の「世界ビジネス見聞録」2018年11月28日
ゴーン独裁者への制裁願望、ルサンチマンに遡源する復讐情念
立花 聡(エリス・コンサルティング代表兼首席コンサルタント)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14629


ゴーン植民王国から、日産自動車は見事に独立を果たした。これからの日産は「日本的経営」に戻るとすれば、グローバル競争を勝ち抜くことができるのだろうか。という懸念がある。しかし、私は別の懸念をもっている。


独裁者の降臨と日産の蘇生

 1999年、瀕死寸前の日産にゴーン氏がやってくる。最高執行責任者(COO)に就任した氏は再生計画の「日産リバイバルプラン」を発表する。村山工場など完成車工場3か所の閉鎖や、グループ従業員2万1000人の削減に踏み切り、日本人経営者ではなかなかできないドラスティックな経営改革を断行した。

 そもそも日本人経営者といっても、経営陣という集団をベースとした経営意思決定を行う形態が取られており、激痛を伴う大改革のコンセンサスを形成するには非常に困難である。日産がこのような大改革に踏み切れたのも、まず日産が瀕死状態に陥ったことと、そして日本の常識をもたない外国人であるゴーン氏がやってきたことが大きな原因だったのではないか。

 独裁者の降臨で日産が救われたのだった。逆にいえば、権限が集中していなければ、日産はすでに死んでいたのだと言っても差支えない。ゴーン氏が逮捕された11月19日の日産の記者会見で、西川廣人社長は「あまりにも1人に権限が集中し過ぎていた。長年のゴーン統制の負の側面だ」と語り、カリスマ体制を批判する。

 しかし、19年前の独裁者降臨がなければ、権限集中下の企業統治がなければ、今日の日産ははたしてあるのだろうか。無論その辺は「歴史にもしもはない」と言われたら返す言葉もないだろうが、逆に、世の中いかなる後付け的な美辞麗句や正義論にも同じことが言えるのではないか。

 19年という期間も、日産はほぼゴーン独裁統治下の植民地であったという言い方は少々過激かもしれないが、ある意味で脱日本的な企業統治にアレルギーを起こす社員も少なからずいたのだろう。瀕死の日産がしばらくすると危機から脱出し復活する。徐々に好調に恵まれるようになれば、人間は徐々に欲望が出るものだ。日本社会特有の平等意識は資本主義制度下の真の自由競争と相容れない部分が多く、社員間の格差、上下間の格差、特にゴーン氏という独裁者自身と一般幹部や社員間の格差がどうしても目立ってしまう。

トップと「みんな」の関係

 あらゆる成功は必ず「みんなが頑張ってくれたおかげです」という日本的な低姿勢が求められる日本社会においては、ゴーン氏の異色の存在と振舞いは日産社内のみならず、日本社会全体との非親和性、いやミスマッチが目立ってしまうのだ。「成功したらみんなのおかげ、失敗したら自分のせいなのはなぜですか」、日本企業で働く外国人にこう聞かれたのは一度や二度ではない。

 多くの外国人は、「成功したのも私のお陰であれば、失敗したのも私のせいだ」という「成敗均衡論」をもって仕事をしているわけだから、ゴーン氏ももしやその1人だったかもしれない。すると、日本人的な感覚からすれば、ゴーン氏は社員全員の功績をある意味で横取りし、高額な経営者報酬を独り占め、庶民から見れば雲の上のような王侯貴族同然の贅沢な生活を送っているようにも見えてしまう。

 私が欧米企業勤務時代に見てきた欧米的な感覚はこうである――。「実務レベルでは一般管理職や一般従業員の努力や貢献を否定しない。ただ、他者に取って代われない経営者の不可代替性が成す価値は唯一である」と、つまりはトップの唯一性、希少性に絶対的価値が置かれるのである。したがって、トップと一般従業員の賃金報酬の格差は量的格差よりも、質的格差がより本質的な意味をもつ、こういう認識が持たれていた。

この辺は、日本人の目線との間に本質的な差が存在していることを看過できない。ゴーン氏からすれば、1999年当時瀕死状態に陥った日産を引き受けたとき、再建に成功できるのかそれとも失敗するかがまったく見えなかった。あらゆるリスクを彼が一身に引き受けた以上、当然ながらも果実を享受する身分であり、独裁者の地位にとどまる特権をも手に入れてしかるべきだと認識したのだろう。プライベートジェット機に乗ったり、南米や欧州の高級住宅に滞在したり、豪華なバカンスを楽しんだり、これくらいの特権は当り前ではないかと。


庶民的感覚の逸脱と「制裁願望」

 要するに「庶民的な感覚」をどうしても重要視する日本人的価値観との隔たりが大きい。このような庶民的感覚はしばしば、ルサンチマンと呼ばれる側面もあろう。ただこれに関しては日本という農耕社会的な文化を背景とする価値観や世界観をも無視できない。「みんな」という言葉に価値を置き、「みんな」と違うことをする人間はやはり共同体から様々な制裁措置を受ける存在にならざるを得ない。

 この「制裁」とは必ずしも行動によるものとは限らない。より多くの場合は、「制裁願望」という形で「みんな」の心底に密かに芽生え、外部で一旦制裁可能な状況になったり、あるいは制裁の実施に付されたりする場合になれば、「みんな」は一斉に乗り出して「言論制裁」を発動するのである。

「制裁願望」をくすぐるのは無論メディアである。週刊誌や最近一部週刊誌化した報道機関も視聴率やなんとか率という商業目的で動き出す。誤解のないようにお願いしたい。私はこれらの現象を批判しているのではない。むしろあって当たり前だと言っているのだ。

 羽田空港に降り立ったゴーン容疑者を逮捕するシーンよりも、氏が乗ったとみられるプライベートジェット機の滑走シーンを長く映し出しているところ、何らかの暗示をかけていませんか。ほらほら、見て見て。こいつ、こんなに贅沢な生活を送っているのだ。それで数十億円もの高額所得をごまかしているのだ。そういうヤツなんだよ」。そこで庶民たちの「制裁願望」がより一層高揚する。

 ゴーン氏の海外不動産疑惑報道も同様な手法が見られる――。「日産の子会社に海外4か国で高級住宅などを購入させた疑いが出ています」と、ニュース番組は実際に現地の物件を映し出し、高級感を漂わせるところ、類似の暗示を仕掛けようとしているのではないか。海外不動産の一件、企業法務的な検証は、次のようなポイントを挙げられる――。

(1)海外不動産の登記簿上の所有名義は誰なのか?会社かゴーン氏個人か?

(2)日産の子会社という会社名義による購入なら、購入目的や用途・予算等を含めて購入の決裁にあたって会社定款等の規定に沿ったものであるかどうか?

(3)購入された物件の使用権(たとえば、役員社宅など)について、会社定款等の規定に沿ったものであるかどうか?

(4)不動産投資について、出資等の当事者間に何らかの信託契約は存在しているかどうか?・・・

 このようなポイントをまず理性的に洗い出し、一つひとつ検証していくのが筋だろう。しかし、庶民向けの番組ではこんなことを一々しゃべったら難解で仕方ない。視聴者がさっさとチャンネルを変えてしまうのがオチだ。すると、感性的な部分を情緒的にアピールするのがメディアであって、いつの間にかこのような情報がネット上にも溢れてしまうわけだ。

ルサンチマンに遡源する善悪観と富裕層叩きの復讐

 庶民の「制裁願望」は恐ろしい。フェイスブック上も賑わっている。こういう過激な投稿もあった――。「そりゃこいつらの財産を全て没収して庶民にバラまいて欲しい。高所得者の累進課税率を爆上げして合法的にぶんどれ」。このあたりにくると、極端なリベラル、あるいは共産主義者の出番になる。革命というのは基本的に、庶民のルサンチマンと「制裁願望」を源とする。

 ニーチェの「道徳の系譜学」で描かれたルサンチマンは、非暴力的な被抑圧者、いわゆる善人でありながらも、いざ革命という段に来れば、たちまちに豹変し、他人を攻撃するようになり、報復するようになり、そのときだけは復讐の神に自らなり、仇敵をギロチンにかけ、容赦なく命を奪っていくのである。

 中国の建国史も然り。地主や資本家という富裕層への庶民の「制裁願望」が革命の原動力となっていた。富裕層に「悪」というレッテルを張り付けたところ、社会は危険を孕む。そこまで発展しなくとも、実際の分配ルールを下手に変えた場合も深刻な結果を招来する。ITの時代、そしてグローバルの時代である今日において、日本の富裕層が資産を海外に移転させることはそんなに難しい話ではなかろう。ゴーン氏を塀の中に入れることができても、カネを塀の中に入れることはできまい。

 縷々と述べてきたが、私は決してゴーン氏を弁護しているわけではない。むしろ、罪を犯した場合はきちんと法の制裁を受けてもらうのが当然だと思っている。ただ庶民の「みんな」の「制裁願望」ではなく、確固たる証拠に基づき、正当な司法手続きを経ての制裁である。日本は法治国家である。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c33

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
125. 中川隆[-13648] koaQ7Jey 2018年11月28日 12:41:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21241]

オリンパスシステムのウーハーLE15 について - Mr.トレイルのオーディオ回り道
2018年11月28日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d7c55d93baead85252dfab19e8a52e22

昨日紹介したD130と対照的なサウンドがLE15(LE15A)だと思います。明るい音色はそのままに、最低再生周波数帯域を30Hz以下に延ばしています。

このLE15のサウンドは本来のJBLサウンドと呼ばれるものでしょう。非常にパワフルで音の厚みが有り、エネルギッシュなサウンドを奏でてくれます。

私がこのユニットと出会ったのは、「コンサートマスターL-200」のサウンドを聴いたのが最初です。1972年当時「カルチャーショック」を受けました。それまで国産スピーカーをあちこち聴きまわりましたが、こんな鮮烈なサウンドは初めてでした。エネルギー感が全く違います。L-200はLE85との2ウェイです。生演奏の醍醐味がサウンドから溢れていました。以後、JBL派になりました。

このLE15はのちにLE15Aとなって行きます。私の場合、LE15Aのシリアル番号を若い方に遡って行った結果、このLE15にたどり着きました。使っているLE15はシリアル番号が#1000番台の多分最初期のロットです。フレームの色は「ブルー」です。このブルーのフレームは3000本くらいしか作られていなかったと思います。その後は「グレーフレーム」に変わっていきます。

16Ω品はおそらくシリアル番号#10000番以下だと思います。(過去に#7000番台を使っていました) 8Ω品になって「粘る様な低音」の癖が強くなった様に感じます。LE15Aと違ってLE15は非常に癖のないサウンドです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c125

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
56. 中川隆[-13647] koaQ7Jey 2018年11月28日 13:02:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21241]

2018年11月23日
縄文体質の史的足跡〜第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html


第7回(最終回)は夜這い・婚姻を扱います。

シリーズ「縄文体質とは何か?」第4回縄文の”性”を知る にあるように

>縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。

日本人の”性”への意識はつい50年ほど前まで集団・社会を安定させる基盤であり、性充足により安心で安定した集団を核として日本人は西洋とは違う民族性=縄文体質を維持してきました。

このように、本来、婚姻様式は社会の根幹を成す規範・制度であり、個人主義に傾斜した現代の一対婚制度により、現代は日本でも集団性が破壊され、縄文体質も薄れつつある危機的な状況にあります。

今回は縄文から今日に至る婚姻の変遷をおさらいし、今の日本で失われつつある精神を探っていきたいと思います。

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以下るいネットから要約します。

【縄文から弥生への婚姻様式の変化〜共認風土に取り込まれていく渡来人〜】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=270746

縄文社会に変化が起きたのは2,450年前の渡来人である呉人以降だろう。 稲作水田は大規模化し、環濠集落が生まれ階層化した村社会の構造が現れてくる。この時代の呉人は大陸での略奪闘争の負け組みだが、私権闘争を経験し支配社会のパラダイムを始めて日本社会に取り込んだのがこの第2波の呉人と思われる。

日本では、二群単位とはかぎらず、二群でも三郡でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナドとし、集落の全男女が相集まって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。

縄文前期までは単一集団内での族内婚のみであったが、集団規模が大きくなっていく縄文中期から後期は、村と村の要路がヒロバとなり、全男女を対象とした族外婚(クナド婚)が形成されていった。このクナド婚は、それまでの族内婚であった全員婚を、そっくりそのまま族外にも適用した婚姻様式であり、共認充足を第一とする縄文社会を端的に現したものであるといってよい。

そして、第2波の渡来人によって、このクナドも変化を見せる。

しかし、そうした日本も、縄文中期以降は、ようやく集落を定着させて、農耕段階へと進みつつあったと思う。それにつれて婚姻形態も、一方では族外群婚を発達させたが、また他方では北アメリカで20世紀初頭までみられたような母系制的対偶婚への道をひらこうとしていた。紀元前2、3世紀のころに移入されたといわれる水田農耕の普及は、社会関係を複雑にし、孤立した氏族集落対から部族連合体への道が開け始めた。   なおクナド婚は市場や入会山で威力を発揮し、部族連合の一つの動力となって活動したが、その方式に特記すべき変革が起こった。それは神前集団婚から神前婚約が始まり、それによって男が女の部落へ通う妻問形態の個別婚を生み出したことであった。

ここでいう対偶婚は渡来人によってもたらされた婚姻様式。大規模水田とともに新たなパラダイムで縄文を取り込み、そのことによって全員共婚のクナド婚から、対偶婚、さらに時代が進み妻問婚への個別婚へと表向きの婚姻制度が変化していったことが伺える。

クナド婚の場所で、こうした神前婚約が成立すると、男が女に通う妻問形態の個別婚が新しい時代に照応する正式の婚姻制として表面化してくる。しかし、そうなっても、群婚原理はまだ容易にたちきれず、婚約した相手だけでなく、相手の姉妹や兄弟にも波及する。

このように、この全員共婚であるクナド婚は、その後日本の村落共同体では様相を少しずつ変えながら根強く残り続けることになる。(夜這婚はその系譜にあるだろう) むしろ興味深いのは、妻問婚を持ち込んだ渡来人でさえ、共認充足に導かれて実態はクナド婚へ傾斜しているように見える点だ。支配者側であった渡来人は、表向き血筋を明らかにするために個別婚である必要があったが、縄文の共認風土に導かれて平和裏に共存していく様子が婚姻様式にも現れているように思える。

【母系社会の伝統が決定的に影響した日本の婚姻様式2】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=320152

万葉集には、両親を歌った歌が100首ばかりあるが、それらの殆どは母親を歌っており、父親だけを歌ったものは1首しかない。子の母親に対する情愛は現代にも通じるものがあるが、万葉集の世界においては、子は父と同居することがなくても、母親とは常に強い絆で結ばれていた。上の数字はそのことを反映しているのだともいえよう。

では、古代の男女はどのように結ばれたのか。

上層階級は別にして、庶民の間では遠方の地域との婚姻はそう盛んではなかったのではないか。部族集団の中か、せいぜい近隣地域との出会いが中心だったと考えられる。

結婚生活は基本的には、男が女のもとに通う通い婚であった。そのほか男が女の家族と同居する場合や、夫婦が独立して住居を構えることも行われた。だが女が男の家族のもとに同居する例は殆どなかったようである。したがって、近年の社会問題たる嫁舅の関係は、古代には存在しなかったと考えてよい。

通い婚の場合、新婚早々には男は足しげく女のもとに通ったであろう。しかし女が妊娠したり、あるいは男に他の思い人ができたりして、その足が遠のきがちになることもあった。古代の女性の歌には、男の到来を待ちわびる女の歌がそれこそ数多くあるが、そんな文化を日本以外に求めることはできないだろう。

こうした場合、結婚は自然と解消され、女は他の男と再婚することもできたようだ。古代には、男の女に対する責任がきつく問われなかったかわりに、女のほうにも相応の自由が保障されていたのである。

女が比較的簡単に離婚を決意しえたのは、後の時代と異なって、女が経済的に男に従属していなかったからだと思われる。先史時代以来の共同体のあり方に守られて、女は男がいなくとも、何とか生きていくことができたのだと考えられる。

こうした女中心の婚姻や家族の形態が大きく変容するのは平安時代中期である。それには家の成立が深くかかわっている。古代的な共同体が解体され、その中から社会の基本単位として家というものが成立した。家は社会的・経済的な単位として国家機構の中に組み込まれ、課税の単位ともなった。

この新しい家にとっては、家を代表するものとしての戸主というものが登場し、家族の成員はその戸主の名の下に把握された。そこで新しく戸主となったものは男たちだったのである。

家の成立は上流層では10世紀ごろ、庶民層では12世紀ごろだとされている。家が社会の公的な構成単位となったからといって、すぐさま女が男に従属したわけではない。中世初期まで家の中での女の力はまだ根強く残っており、女にも独自の財産を持つことが許されていた。女房が亭主を相手に貸付をしたという記録も残っているほどである。

だが一旦成立した家は次第に機能の増殖をはじめ、ついには家の中の長たる男の権威が妻のそれを圧倒するようになる。女は経済的にも男に従属するようになり、婚姻の形態も自然と、女を男の家に迎える「嫁取り婚」へと変化していくのである。

【中世の社会と婚姻制度・相続制度】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=338907

鎌倉時代は貴族は婿取婚(母系氏族が婿を迎える)という制度であったが、武士は次第に嫁取婚へと移行していく。それは、戦闘軍団ゆえに男の武力が制覇力となったことによるが、とりわけ地方武士は土着性が強いが故に、土地を離れるわけに行かなかったという事情が実際上は大きい。父系制の成り立ちの時期は、それぞれの社会階層によって異なり、武家上層においては、院政期から鎌倉時代において、そして一般武家は鎌倉時代から南北朝時代、さらに庶民層においては、南北朝時代から戦国時代である。 但し、庶民は江戸時代に至るまでも夜這い婚を併用している 因みに、公家層が嫁取りに移行するのは、武士の力が強まり、公武の結婚が行われるようになって以降である。 また鎌倉時代は「分割相続」を原則としており、新しく建てられた分家は本家の惣領(家督)のもとで血縁集団を形成した。惣領は戦時には一門を率いて闘い、軍役と恩賞を一門の各家に割り当てた。この惣領制を土台に幕府は御家人たちを束ねていたのである。 しかし父系制とはいえ、当時は夫と妻とは別々の姓(氏の名)を名乗り、それぞれが父母から相続した氏の財産を継承するという、夫婦別財産制度をとっており、妻も自前の財産を有していた。(女子が惣領となるケースもあった)

この惣領制が揺らぐのは、元寇(鎌倉中期)以降である。それまでは、承久の乱や元寇を通じて、荘園領や非御家人領に支配が及び、分家の所領も確保できていたが、安定期に入ると所領の増加がなくなり、所領は相続の度減少し、御家人たちの収入は激減する。 その結果、戦闘集団として一体化していた本家と分家の結びつきは弱まり、次第に一門同士の血縁的統合から、生産基盤を共にする地縁的結合が高まっていく。このことが地域の独立性を高め惣村の自立性を強める大きな要因となっていく。

【夜這い婚の情景@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=89190

■若衆宿 その頃は、一人前と認められ、若者宿への参加が認められることが、子供の楽しみであった。十三、四、五歳から参加が認められ、結婚するまでの間、毎年農閑期の何ヶ月間か、そこで共同生活をしたものだ。中には、一年通して、つまり数年間、若者宿で過ごす者も、少なくなかった。彼らは、農繁期の強力な助っ人として、重要な存在であった。

共同生活を通じて、親からの躾とは違う、共同体の一員としての ケジメ を先達から教えられる場であった。また、年に何ヶ月かの共同生活を、数年繰り返すことで、自然と仲間内の序列、派閥なども形成されていった。つまり、仕事のときの采配はだれだれ、遊びはだれだれ、交渉ごとのうまい奴、物資調達のうまい奴、情報通のものなど、互いに相手を知り合う機会でもあった。

■夜這い規範 夜這いといっても、誰もが好き勝手に、女の家へ忍び込んだわけではない。通常、相手の娘が、承知してくれた場合のみ、あるいはその娘が、自分の誘いに応じてくれたときのみ、夜這いに行けたものである。相手の望まない夜這いは、無理に忍び込み、ことに及ぼうとするとき、娘に騒がれて、親に捕まった時など、村のさらし者にされる恐れがあった。

また、忍び込んだ娘の家で、あまり無茶をしないよう、夜這いの礼儀作法というものも教えられた。先達たちが、四方山話の一環として、面白おかしく話すこともあったが、実際は、ベテラン女性に、手取り足取り教えてもらったものである。

■性の指導 若者宿ではまず、新入りには忍び込みのテクニックを教える。そして筆下ろしのため、先輩が事前に了解を得て、ベテランの女性に、童貞の子への筆下ろしを頼んだものである。上農の場合には、元服の際、両親が相談し、親類縁者のなかから、これという女性を選びだして依頼し、文字通り手取り足取り、女性の体の 造り を教え、扱い方 の指導を任せたものである。

娘の場合も、赤飯を炊いて祝った夜、一族の年配者や、主家筋の、しかるべき長老の誰かに、水揚げというか、道を通してもらうのが慣わしであった。そうしておかないと、夜這いされたとき、戸惑うことになる。そして、母親や叔母さん、先に一人前になっていた近所の姉様たちが、具体的に心構えや、手練手管を伝授するなど、共同体の一員としての教育がなされてきたのである。

■性の喜び:活力源 当時は、男女とも、性の悦びを味わうことは、タブーではなかった。もちろん、公然たる不倫は咎められ、相手かまわず交合する者も嫌われた。しかし、農民においては、性とは、心行くまで自由に楽しむべきものであり、過酷な労働に耐える農民の、活力源でもあった。男は十数歳で元服し、女も初潮を迎えれば、ともに一人前として、大人の扱いを受けることになった。

大人の扱いを受けるということは、一人前の労働力として期待されることでもあったが、同時に、自由意志で性を楽しむことを、認められることを意味した。自由とは、規律を守ることにより、自由を保障される。その規律を教えるのが、若者宿であり、赤飯の祝いの夜の儀式であった。当時は男も女も、互いに相手が複数の異性と、交渉を持っていたことを当然として、結婚したものである。

結婚後も、一定の規範の元に、自由であった。不自由なのは、支配者階級である。なまじ、守り、引き継ぐべき、金や富を持っているため、子の血筋を重視するがために、女を家に閉じ込め、他の男との接触を不義として、禁じてきた。下これに倣うで、家臣も、町家の者も、女性の人権、自由度を制限し、現在に到っている。のではなかろうか。

【ムラの「公事」であった「夜這い」】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=156930

>明治以降、国家権力の弾圧によって旧来の日本の夜這い文化は衰退の一途を辿ります。

以下「村落共同体と性的規範の6.弾圧と亡失」より引用)

ところが「筆おろし」の年齢を一挙に引き上げる事件が起こった。すなわち徴兵検査の励行で、富国強兵の政府といたしましては、国家の干城たる青年に花柳病が蔓延するのを座視することはできない。これは古い若衆組の罪で、質実剛健を主旨とする青年会に改組する。「夜這い」などもってのほか、青年、処女は純潔でなければいけぬことになって、教育も。これに応じて大合唱したから、若衆組も、夜這いも決定的な打撃を受けた。

男も男なら、女も女ということになるが、若衆組や夜ばいの盛んであった時代には、こんなことは想像もできなかっただろう。四十六の仲人あっぱが、若衆も娘も実地教育してみせたので、昔の若衆の初夜教育が、いかに適切、かつ科学的教育方法として作動したか、を実証している。まさにあっぱはムラの性教育の伝統を継ぐ、最後の一人であったのだろう。

では、近代教育の「純潔」とか、「貞操」とかはなんであったのか。肉体的な抑制を強要するだけで、健康な発散を考えなかった結果として、いま私たちは、その当然の代償を支払わせられている。娘を商品として高価に売り込むための処女性尊重と「貞操」の強要、息子を売春風俗産業の購買力に仕立てる手段としての「純潔」教育、そこには資本主義社会の露骨な商品化政策があるだけだ。

私たちは若衆組の行事や夜這いを、かつて淫風陋習として退けたのである。しかしムラがムラであったとき、成熟した女性にとって若衆へ心身ともに健全な教育をすることは、次代への継承を維持するために負った義務であり、また権利であっただろう。

ムラが一つの共同体として作動しているとき、夜這いも結婚関係も、若衆組その他と同じく、それぞれムラの「公事」であったから、かれらに「純潔」や「貞操」の観念はなく、どうして生活を維持するかが根本の約束であったものと思われる。

つまり個人として私匿しなければならない密室の作業ではなく、いつでも公開されているルールに乗った行為であった。長い間、私たちは「夜這い」を誤解してきたが、それはムラの古い共同結婚方式を継承したものとして、まさに「公事」として維持されてきたのである。近代日本は結婚を「私事」に変質させることで、「夜這い」の伝統と継承とを否定したが、そのためにかえって社会的性生活を荒廃させた。

【日本における現行の婚姻制度〜日本国憲法@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=225216

戦後日本の家族のあり方に最大の影響をもたらしているもの。それは、日本国憲法である。日本国憲法は、戦後、GHQによって押しつけられた憲法である。その基本理念は欧米の価値観に基づいている。その理念の一つが、個人主義である。これは家族や国家より個人を重んじる考え方である。日本の社会に個人主義を植えつけること、それが日本を「民主化」することであり、同時に日本を弱体化することだった。

西洋近代の思想の一つである啓蒙主義は、17世紀イギリスのホッブス、ロックらによって展開された。彼らは、デカルトの要素還元主義の影響を受けていた。そのため、まるで幾何学的空間におかれた原子(アトム)のようなものとして、人間をイメージした。「個人主義」とは、原子(アトム)的な個人を、集団より先在する要素とし、個人を原理として、社会の構成を考える考え方である。

日本国憲法は、こうした西洋近代啓蒙思想が根底に置かれている。そして、この思想をさらに極端に推し進めた学説が普及した。すなわち、「個人の尊厳」を持って「個人主義の原理」とし、アトム化した個人を持って「人間社会における価値の根源」などと説明する宮沢俊義らの学説である。

こうした極端な学説が出てくる原因は、日本国憲法にある。具体的に挙げれば、第24条である。この条項には婚姻に関する規定がある。すなわち第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。また第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。

このように憲法に婚姻に関する規定が設けられているのは、世界的に見ても異例である。男女が恋愛をし、性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、私的な事柄であり、国家が介入すべきことではない。しかし、結婚した男女は、単なる同棲者ではなく、親や家族や親族・友人などの認知を得た関係となる。私的な男女関係が、ここで公認による公の関係となるのである。それは、結婚は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的だからである。つまり、結婚とは、社会の基本単位である家族を形成するという公共性のある行為なのである。そこに、結婚を法律に定める必要があるわけである。そして家族の安定のために、婚姻の安定性を求める法律も定められる。それゆえ、憲法に規定する必要があるのは、婚姻よりも家族に関する規定である。

しかし、第24条は、個人の尊厳と両性の権利の平等を強調する一方、家族の大切さを規定していない。そこに大きな欠陥がある。条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である、親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視している。憲法の全体に、世代間の縦のつながり、民族の歴史が断ち切られている。

【婚姻が社会と切り離されて50年も経ってない】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=87512

日本の婚姻史を調べてみると、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、ほんのこの50年くらいしかなかったようだ。

まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられた。

子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられた。決して個人課題ではない。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していた。

このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつであった。それゆえ、性をみんなの期待として、肯定的に捉えていた。

次に、貴族や上位層の武士は、父系制の一夫多妻・一夫一婦制をとるが、基本的には政略結婚である。結婚は個人の課題という現代の感覚からすると、無理やり嫁がされてかわいそう、ということになるが、おおきな間違いだと思う。

私権社会での集団維持という歪んだ側面をもつことは否めないが、明らかに集団維持のための婚姻である。 それは、採取時代の人類は、男女の婚姻関係・性関係が、“集団統合上の重要課題である”ことを、ごく当たり前のように認識していたと思われることです。

そして、貴族の娘も、いい家柄に嫁げるように、家庭教師を招いて、教養を身につけるのが、役割であった。娘自身も教養あるおしとやかな女になることを、目指していたのである。ちなみに清少納言や紫式部は、上記の家庭教師だった。

そして、昭和の30年から45年くらいまでの婚姻制度も、基本的には家という基盤を背後に持ちながら、恋愛結婚という形をとった。この源流は、武士や貴族の婚姻制度にある。かなり社会との関係は薄れるが、まだつながりを保っていた時代だと思う。

このように、この50年を除けば、性は社会とつながっており、衰弱することはなかった。そして現在、まったく社会とつながりを失い、当人同士以外だれの期待も受けない性が始めて登場した。そのときから、性は衰弱し続けている。

再生のためには、社会の中でみんなに期待される『性』が役割として再認識される必要がある。そのためには、性も生産も包摂した新しい本源集団の再生が不可欠になる。

http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c56

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
155. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年11月28日 13:03:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21241]

2018年11月23日
縄文体質の史的足跡〜第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html


第7回(最終回)は夜這い・婚姻を扱います。

シリーズ「縄文体質とは何か?」第4回縄文の”性”を知る にあるように

>縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。

日本人の”性”への意識はつい50年ほど前まで集団・社会を安定させる基盤であり、性充足により安心で安定した集団を核として日本人は西洋とは違う民族性=縄文体質を維持してきました。

このように、本来、婚姻様式は社会の根幹を成す規範・制度であり、個人主義に傾斜した現代の一対婚制度により、現代は日本でも集団性が破壊され、縄文体質も薄れつつある危機的な状況にあります。

今回は縄文から今日に至る婚姻の変遷をおさらいし、今の日本で失われつつある精神を探っていきたいと思います。

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以下るいネットから要約します。

【縄文から弥生への婚姻様式の変化〜共認風土に取り込まれていく渡来人〜】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=270746

縄文社会に変化が起きたのは2,450年前の渡来人である呉人以降だろう。 稲作水田は大規模化し、環濠集落が生まれ階層化した村社会の構造が現れてくる。この時代の呉人は大陸での略奪闘争の負け組みだが、私権闘争を経験し支配社会のパラダイムを始めて日本社会に取り込んだのがこの第2波の呉人と思われる。

日本では、二群単位とはかぎらず、二群でも三郡でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナドとし、集落の全男女が相集まって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。

縄文前期までは単一集団内での族内婚のみであったが、集団規模が大きくなっていく縄文中期から後期は、村と村の要路がヒロバとなり、全男女を対象とした族外婚(クナド婚)が形成されていった。このクナド婚は、それまでの族内婚であった全員婚を、そっくりそのまま族外にも適用した婚姻様式であり、共認充足を第一とする縄文社会を端的に現したものであるといってよい。

そして、第2波の渡来人によって、このクナドも変化を見せる。

しかし、そうした日本も、縄文中期以降は、ようやく集落を定着させて、農耕段階へと進みつつあったと思う。それにつれて婚姻形態も、一方では族外群婚を発達させたが、また他方では北アメリカで20世紀初頭までみられたような母系制的対偶婚への道をひらこうとしていた。紀元前2、3世紀のころに移入されたといわれる水田農耕の普及は、社会関係を複雑にし、孤立した氏族集落対から部族連合体への道が開け始めた。   なおクナド婚は市場や入会山で威力を発揮し、部族連合の一つの動力となって活動したが、その方式に特記すべき変革が起こった。それは神前集団婚から神前婚約が始まり、それによって男が女の部落へ通う妻問形態の個別婚を生み出したことであった。

ここでいう対偶婚は渡来人によってもたらされた婚姻様式。大規模水田とともに新たなパラダイムで縄文を取り込み、そのことによって全員共婚のクナド婚から、対偶婚、さらに時代が進み妻問婚への個別婚へと表向きの婚姻制度が変化していったことが伺える。

クナド婚の場所で、こうした神前婚約が成立すると、男が女に通う妻問形態の個別婚が新しい時代に照応する正式の婚姻制として表面化してくる。しかし、そうなっても、群婚原理はまだ容易にたちきれず、婚約した相手だけでなく、相手の姉妹や兄弟にも波及する。

このように、この全員共婚であるクナド婚は、その後日本の村落共同体では様相を少しずつ変えながら根強く残り続けることになる。(夜這婚はその系譜にあるだろう) むしろ興味深いのは、妻問婚を持ち込んだ渡来人でさえ、共認充足に導かれて実態はクナド婚へ傾斜しているように見える点だ。支配者側であった渡来人は、表向き血筋を明らかにするために個別婚である必要があったが、縄文の共認風土に導かれて平和裏に共存していく様子が婚姻様式にも現れているように思える。

【母系社会の伝統が決定的に影響した日本の婚姻様式2】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=320152

万葉集には、両親を歌った歌が100首ばかりあるが、それらの殆どは母親を歌っており、父親だけを歌ったものは1首しかない。子の母親に対する情愛は現代にも通じるものがあるが、万葉集の世界においては、子は父と同居することがなくても、母親とは常に強い絆で結ばれていた。上の数字はそのことを反映しているのだともいえよう。

では、古代の男女はどのように結ばれたのか。

上層階級は別にして、庶民の間では遠方の地域との婚姻はそう盛んではなかったのではないか。部族集団の中か、せいぜい近隣地域との出会いが中心だったと考えられる。

結婚生活は基本的には、男が女のもとに通う通い婚であった。そのほか男が女の家族と同居する場合や、夫婦が独立して住居を構えることも行われた。だが女が男の家族のもとに同居する例は殆どなかったようである。したがって、近年の社会問題たる嫁舅の関係は、古代には存在しなかったと考えてよい。

通い婚の場合、新婚早々には男は足しげく女のもとに通ったであろう。しかし女が妊娠したり、あるいは男に他の思い人ができたりして、その足が遠のきがちになることもあった。古代の女性の歌には、男の到来を待ちわびる女の歌がそれこそ数多くあるが、そんな文化を日本以外に求めることはできないだろう。

こうした場合、結婚は自然と解消され、女は他の男と再婚することもできたようだ。古代には、男の女に対する責任がきつく問われなかったかわりに、女のほうにも相応の自由が保障されていたのである。

女が比較的簡単に離婚を決意しえたのは、後の時代と異なって、女が経済的に男に従属していなかったからだと思われる。先史時代以来の共同体のあり方に守られて、女は男がいなくとも、何とか生きていくことができたのだと考えられる。

こうした女中心の婚姻や家族の形態が大きく変容するのは平安時代中期である。それには家の成立が深くかかわっている。古代的な共同体が解体され、その中から社会の基本単位として家というものが成立した。家は社会的・経済的な単位として国家機構の中に組み込まれ、課税の単位ともなった。

この新しい家にとっては、家を代表するものとしての戸主というものが登場し、家族の成員はその戸主の名の下に把握された。そこで新しく戸主となったものは男たちだったのである。

家の成立は上流層では10世紀ごろ、庶民層では12世紀ごろだとされている。家が社会の公的な構成単位となったからといって、すぐさま女が男に従属したわけではない。中世初期まで家の中での女の力はまだ根強く残っており、女にも独自の財産を持つことが許されていた。女房が亭主を相手に貸付をしたという記録も残っているほどである。

だが一旦成立した家は次第に機能の増殖をはじめ、ついには家の中の長たる男の権威が妻のそれを圧倒するようになる。女は経済的にも男に従属するようになり、婚姻の形態も自然と、女を男の家に迎える「嫁取り婚」へと変化していくのである。

【中世の社会と婚姻制度・相続制度】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=338907

鎌倉時代は貴族は婿取婚(母系氏族が婿を迎える)という制度であったが、武士は次第に嫁取婚へと移行していく。それは、戦闘軍団ゆえに男の武力が制覇力となったことによるが、とりわけ地方武士は土着性が強いが故に、土地を離れるわけに行かなかったという事情が実際上は大きい。父系制の成り立ちの時期は、それぞれの社会階層によって異なり、武家上層においては、院政期から鎌倉時代において、そして一般武家は鎌倉時代から南北朝時代、さらに庶民層においては、南北朝時代から戦国時代である。 但し、庶民は江戸時代に至るまでも夜這い婚を併用している 因みに、公家層が嫁取りに移行するのは、武士の力が強まり、公武の結婚が行われるようになって以降である。 また鎌倉時代は「分割相続」を原則としており、新しく建てられた分家は本家の惣領(家督)のもとで血縁集団を形成した。惣領は戦時には一門を率いて闘い、軍役と恩賞を一門の各家に割り当てた。この惣領制を土台に幕府は御家人たちを束ねていたのである。 しかし父系制とはいえ、当時は夫と妻とは別々の姓(氏の名)を名乗り、それぞれが父母から相続した氏の財産を継承するという、夫婦別財産制度をとっており、妻も自前の財産を有していた。(女子が惣領となるケースもあった)

この惣領制が揺らぐのは、元寇(鎌倉中期)以降である。それまでは、承久の乱や元寇を通じて、荘園領や非御家人領に支配が及び、分家の所領も確保できていたが、安定期に入ると所領の増加がなくなり、所領は相続の度減少し、御家人たちの収入は激減する。 その結果、戦闘集団として一体化していた本家と分家の結びつきは弱まり、次第に一門同士の血縁的統合から、生産基盤を共にする地縁的結合が高まっていく。このことが地域の独立性を高め惣村の自立性を強める大きな要因となっていく。

【夜這い婚の情景@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=89190

■若衆宿 その頃は、一人前と認められ、若者宿への参加が認められることが、子供の楽しみであった。十三、四、五歳から参加が認められ、結婚するまでの間、毎年農閑期の何ヶ月間か、そこで共同生活をしたものだ。中には、一年通して、つまり数年間、若者宿で過ごす者も、少なくなかった。彼らは、農繁期の強力な助っ人として、重要な存在であった。

共同生活を通じて、親からの躾とは違う、共同体の一員としての ケジメ を先達から教えられる場であった。また、年に何ヶ月かの共同生活を、数年繰り返すことで、自然と仲間内の序列、派閥なども形成されていった。つまり、仕事のときの采配はだれだれ、遊びはだれだれ、交渉ごとのうまい奴、物資調達のうまい奴、情報通のものなど、互いに相手を知り合う機会でもあった。

■夜這い規範 夜這いといっても、誰もが好き勝手に、女の家へ忍び込んだわけではない。通常、相手の娘が、承知してくれた場合のみ、あるいはその娘が、自分の誘いに応じてくれたときのみ、夜這いに行けたものである。相手の望まない夜這いは、無理に忍び込み、ことに及ぼうとするとき、娘に騒がれて、親に捕まった時など、村のさらし者にされる恐れがあった。

また、忍び込んだ娘の家で、あまり無茶をしないよう、夜這いの礼儀作法というものも教えられた。先達たちが、四方山話の一環として、面白おかしく話すこともあったが、実際は、ベテラン女性に、手取り足取り教えてもらったものである。

■性の指導 若者宿ではまず、新入りには忍び込みのテクニックを教える。そして筆下ろしのため、先輩が事前に了解を得て、ベテランの女性に、童貞の子への筆下ろしを頼んだものである。上農の場合には、元服の際、両親が相談し、親類縁者のなかから、これという女性を選びだして依頼し、文字通り手取り足取り、女性の体の 造り を教え、扱い方 の指導を任せたものである。

娘の場合も、赤飯を炊いて祝った夜、一族の年配者や、主家筋の、しかるべき長老の誰かに、水揚げというか、道を通してもらうのが慣わしであった。そうしておかないと、夜這いされたとき、戸惑うことになる。そして、母親や叔母さん、先に一人前になっていた近所の姉様たちが、具体的に心構えや、手練手管を伝授するなど、共同体の一員としての教育がなされてきたのである。

■性の喜び:活力源 当時は、男女とも、性の悦びを味わうことは、タブーではなかった。もちろん、公然たる不倫は咎められ、相手かまわず交合する者も嫌われた。しかし、農民においては、性とは、心行くまで自由に楽しむべきものであり、過酷な労働に耐える農民の、活力源でもあった。男は十数歳で元服し、女も初潮を迎えれば、ともに一人前として、大人の扱いを受けることになった。

大人の扱いを受けるということは、一人前の労働力として期待されることでもあったが、同時に、自由意志で性を楽しむことを、認められることを意味した。自由とは、規律を守ることにより、自由を保障される。その規律を教えるのが、若者宿であり、赤飯の祝いの夜の儀式であった。当時は男も女も、互いに相手が複数の異性と、交渉を持っていたことを当然として、結婚したものである。

結婚後も、一定の規範の元に、自由であった。不自由なのは、支配者階級である。なまじ、守り、引き継ぐべき、金や富を持っているため、子の血筋を重視するがために、女を家に閉じ込め、他の男との接触を不義として、禁じてきた。下これに倣うで、家臣も、町家の者も、女性の人権、自由度を制限し、現在に到っている。のではなかろうか。

【ムラの「公事」であった「夜這い」】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=156930

>明治以降、国家権力の弾圧によって旧来の日本の夜這い文化は衰退の一途を辿ります。

以下「村落共同体と性的規範の6.弾圧と亡失」より引用)

ところが「筆おろし」の年齢を一挙に引き上げる事件が起こった。すなわち徴兵検査の励行で、富国強兵の政府といたしましては、国家の干城たる青年に花柳病が蔓延するのを座視することはできない。これは古い若衆組の罪で、質実剛健を主旨とする青年会に改組する。「夜這い」などもってのほか、青年、処女は純潔でなければいけぬことになって、教育も。これに応じて大合唱したから、若衆組も、夜這いも決定的な打撃を受けた。

男も男なら、女も女ということになるが、若衆組や夜ばいの盛んであった時代には、こんなことは想像もできなかっただろう。四十六の仲人あっぱが、若衆も娘も実地教育してみせたので、昔の若衆の初夜教育が、いかに適切、かつ科学的教育方法として作動したか、を実証している。まさにあっぱはムラの性教育の伝統を継ぐ、最後の一人であったのだろう。

では、近代教育の「純潔」とか、「貞操」とかはなんであったのか。肉体的な抑制を強要するだけで、健康な発散を考えなかった結果として、いま私たちは、その当然の代償を支払わせられている。娘を商品として高価に売り込むための処女性尊重と「貞操」の強要、息子を売春風俗産業の購買力に仕立てる手段としての「純潔」教育、そこには資本主義社会の露骨な商品化政策があるだけだ。

私たちは若衆組の行事や夜這いを、かつて淫風陋習として退けたのである。しかしムラがムラであったとき、成熟した女性にとって若衆へ心身ともに健全な教育をすることは、次代への継承を維持するために負った義務であり、また権利であっただろう。

ムラが一つの共同体として作動しているとき、夜這いも結婚関係も、若衆組その他と同じく、それぞれムラの「公事」であったから、かれらに「純潔」や「貞操」の観念はなく、どうして生活を維持するかが根本の約束であったものと思われる。

つまり個人として私匿しなければならない密室の作業ではなく、いつでも公開されているルールに乗った行為であった。長い間、私たちは「夜這い」を誤解してきたが、それはムラの古い共同結婚方式を継承したものとして、まさに「公事」として維持されてきたのである。近代日本は結婚を「私事」に変質させることで、「夜這い」の伝統と継承とを否定したが、そのためにかえって社会的性生活を荒廃させた。

【日本における現行の婚姻制度〜日本国憲法@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=225216

戦後日本の家族のあり方に最大の影響をもたらしているもの。それは、日本国憲法である。日本国憲法は、戦後、GHQによって押しつけられた憲法である。その基本理念は欧米の価値観に基づいている。その理念の一つが、個人主義である。これは家族や国家より個人を重んじる考え方である。日本の社会に個人主義を植えつけること、それが日本を「民主化」することであり、同時に日本を弱体化することだった。

西洋近代の思想の一つである啓蒙主義は、17世紀イギリスのホッブス、ロックらによって展開された。彼らは、デカルトの要素還元主義の影響を受けていた。そのため、まるで幾何学的空間におかれた原子(アトム)のようなものとして、人間をイメージした。「個人主義」とは、原子(アトム)的な個人を、集団より先在する要素とし、個人を原理として、社会の構成を考える考え方である。

日本国憲法は、こうした西洋近代啓蒙思想が根底に置かれている。そして、この思想をさらに極端に推し進めた学説が普及した。すなわち、「個人の尊厳」を持って「個人主義の原理」とし、アトム化した個人を持って「人間社会における価値の根源」などと説明する宮沢俊義らの学説である。

こうした極端な学説が出てくる原因は、日本国憲法にある。具体的に挙げれば、第24条である。この条項には婚姻に関する規定がある。すなわち第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。また第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。

このように憲法に婚姻に関する規定が設けられているのは、世界的に見ても異例である。男女が恋愛をし、性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、私的な事柄であり、国家が介入すべきことではない。しかし、結婚した男女は、単なる同棲者ではなく、親や家族や親族・友人などの認知を得た関係となる。私的な男女関係が、ここで公認による公の関係となるのである。それは、結婚は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的だからである。つまり、結婚とは、社会の基本単位である家族を形成するという公共性のある行為なのである。そこに、結婚を法律に定める必要があるわけである。そして家族の安定のために、婚姻の安定性を求める法律も定められる。それゆえ、憲法に規定する必要があるのは、婚姻よりも家族に関する規定である。

しかし、第24条は、個人の尊厳と両性の権利の平等を強調する一方、家族の大切さを規定していない。そこに大きな欠陥がある。条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である、親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視している。憲法の全体に、世代間の縦のつながり、民族の歴史が断ち切られている。

【婚姻が社会と切り離されて50年も経ってない】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=87512

日本の婚姻史を調べてみると、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、ほんのこの50年くらいしかなかったようだ。

まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられた。

子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられた。決して個人課題ではない。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していた。

このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつであった。それゆえ、性をみんなの期待として、肯定的に捉えていた。

次に、貴族や上位層の武士は、父系制の一夫多妻・一夫一婦制をとるが、基本的には政略結婚である。結婚は個人の課題という現代の感覚からすると、無理やり嫁がされてかわいそう、ということになるが、おおきな間違いだと思う。

私権社会での集団維持という歪んだ側面をもつことは否めないが、明らかに集団維持のための婚姻である。 それは、採取時代の人類は、男女の婚姻関係・性関係が、“集団統合上の重要課題である”ことを、ごく当たり前のように認識していたと思われることです。

そして、貴族の娘も、いい家柄に嫁げるように、家庭教師を招いて、教養を身につけるのが、役割であった。娘自身も教養あるおしとやかな女になることを、目指していたのである。ちなみに清少納言や紫式部は、上記の家庭教師だった。

そして、昭和の30年から45年くらいまでの婚姻制度も、基本的には家という基盤を背後に持ちながら、恋愛結婚という形をとった。この源流は、武士や貴族の婚姻制度にある。かなり社会との関係は薄れるが、まだつながりを保っていた時代だと思う。

このように、この50年を除けば、性は社会とつながっており、衰弱することはなかった。そして現在、まったく社会とつながりを失い、当人同士以外だれの期待も受けない性が始めて登場した。そのときから、性は衰弱し続けている。

再生のためには、社会の中でみんなに期待される『性』が役割として再認識される必要がある。そのためには、性も生産も包摂した新しい本源集団の再生が不可欠になる。

http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c155

[議論21] 「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるのか? ワヤクチャ
41. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月28日 13:04:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21241]

2018年11月23日
縄文体質の史的足跡〜第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html


第7回(最終回)は夜這い・婚姻を扱います。

シリーズ「縄文体質とは何か?」第4回縄文の”性”を知る にあるように

>縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。

日本人の”性”への意識はつい50年ほど前まで集団・社会を安定させる基盤であり、性充足により安心で安定した集団を核として日本人は西洋とは違う民族性=縄文体質を維持してきました。

このように、本来、婚姻様式は社会の根幹を成す規範・制度であり、個人主義に傾斜した現代の一対婚制度により、現代は日本でも集団性が破壊され、縄文体質も薄れつつある危機的な状況にあります。

今回は縄文から今日に至る婚姻の変遷をおさらいし、今の日本で失われつつある精神を探っていきたいと思います。

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以下るいネットから要約します。

【縄文から弥生への婚姻様式の変化〜共認風土に取り込まれていく渡来人〜】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=270746

縄文社会に変化が起きたのは2,450年前の渡来人である呉人以降だろう。 稲作水田は大規模化し、環濠集落が生まれ階層化した村社会の構造が現れてくる。この時代の呉人は大陸での略奪闘争の負け組みだが、私権闘争を経験し支配社会のパラダイムを始めて日本社会に取り込んだのがこの第2波の呉人と思われる。

日本では、二群単位とはかぎらず、二群でも三郡でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナドとし、集落の全男女が相集まって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。

縄文前期までは単一集団内での族内婚のみであったが、集団規模が大きくなっていく縄文中期から後期は、村と村の要路がヒロバとなり、全男女を対象とした族外婚(クナド婚)が形成されていった。このクナド婚は、それまでの族内婚であった全員婚を、そっくりそのまま族外にも適用した婚姻様式であり、共認充足を第一とする縄文社会を端的に現したものであるといってよい。

そして、第2波の渡来人によって、このクナドも変化を見せる。

しかし、そうした日本も、縄文中期以降は、ようやく集落を定着させて、農耕段階へと進みつつあったと思う。それにつれて婚姻形態も、一方では族外群婚を発達させたが、また他方では北アメリカで20世紀初頭までみられたような母系制的対偶婚への道をひらこうとしていた。紀元前2、3世紀のころに移入されたといわれる水田農耕の普及は、社会関係を複雑にし、孤立した氏族集落対から部族連合体への道が開け始めた。   なおクナド婚は市場や入会山で威力を発揮し、部族連合の一つの動力となって活動したが、その方式に特記すべき変革が起こった。それは神前集団婚から神前婚約が始まり、それによって男が女の部落へ通う妻問形態の個別婚を生み出したことであった。

ここでいう対偶婚は渡来人によってもたらされた婚姻様式。大規模水田とともに新たなパラダイムで縄文を取り込み、そのことによって全員共婚のクナド婚から、対偶婚、さらに時代が進み妻問婚への個別婚へと表向きの婚姻制度が変化していったことが伺える。

クナド婚の場所で、こうした神前婚約が成立すると、男が女に通う妻問形態の個別婚が新しい時代に照応する正式の婚姻制として表面化してくる。しかし、そうなっても、群婚原理はまだ容易にたちきれず、婚約した相手だけでなく、相手の姉妹や兄弟にも波及する。

このように、この全員共婚であるクナド婚は、その後日本の村落共同体では様相を少しずつ変えながら根強く残り続けることになる。(夜這婚はその系譜にあるだろう) むしろ興味深いのは、妻問婚を持ち込んだ渡来人でさえ、共認充足に導かれて実態はクナド婚へ傾斜しているように見える点だ。支配者側であった渡来人は、表向き血筋を明らかにするために個別婚である必要があったが、縄文の共認風土に導かれて平和裏に共存していく様子が婚姻様式にも現れているように思える。

【母系社会の伝統が決定的に影響した日本の婚姻様式2】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=320152

万葉集には、両親を歌った歌が100首ばかりあるが、それらの殆どは母親を歌っており、父親だけを歌ったものは1首しかない。子の母親に対する情愛は現代にも通じるものがあるが、万葉集の世界においては、子は父と同居することがなくても、母親とは常に強い絆で結ばれていた。上の数字はそのことを反映しているのだともいえよう。

では、古代の男女はどのように結ばれたのか。

上層階級は別にして、庶民の間では遠方の地域との婚姻はそう盛んではなかったのではないか。部族集団の中か、せいぜい近隣地域との出会いが中心だったと考えられる。

結婚生活は基本的には、男が女のもとに通う通い婚であった。そのほか男が女の家族と同居する場合や、夫婦が独立して住居を構えることも行われた。だが女が男の家族のもとに同居する例は殆どなかったようである。したがって、近年の社会問題たる嫁舅の関係は、古代には存在しなかったと考えてよい。

通い婚の場合、新婚早々には男は足しげく女のもとに通ったであろう。しかし女が妊娠したり、あるいは男に他の思い人ができたりして、その足が遠のきがちになることもあった。古代の女性の歌には、男の到来を待ちわびる女の歌がそれこそ数多くあるが、そんな文化を日本以外に求めることはできないだろう。

こうした場合、結婚は自然と解消され、女は他の男と再婚することもできたようだ。古代には、男の女に対する責任がきつく問われなかったかわりに、女のほうにも相応の自由が保障されていたのである。

女が比較的簡単に離婚を決意しえたのは、後の時代と異なって、女が経済的に男に従属していなかったからだと思われる。先史時代以来の共同体のあり方に守られて、女は男がいなくとも、何とか生きていくことができたのだと考えられる。

こうした女中心の婚姻や家族の形態が大きく変容するのは平安時代中期である。それには家の成立が深くかかわっている。古代的な共同体が解体され、その中から社会の基本単位として家というものが成立した。家は社会的・経済的な単位として国家機構の中に組み込まれ、課税の単位ともなった。

この新しい家にとっては、家を代表するものとしての戸主というものが登場し、家族の成員はその戸主の名の下に把握された。そこで新しく戸主となったものは男たちだったのである。

家の成立は上流層では10世紀ごろ、庶民層では12世紀ごろだとされている。家が社会の公的な構成単位となったからといって、すぐさま女が男に従属したわけではない。中世初期まで家の中での女の力はまだ根強く残っており、女にも独自の財産を持つことが許されていた。女房が亭主を相手に貸付をしたという記録も残っているほどである。

だが一旦成立した家は次第に機能の増殖をはじめ、ついには家の中の長たる男の権威が妻のそれを圧倒するようになる。女は経済的にも男に従属するようになり、婚姻の形態も自然と、女を男の家に迎える「嫁取り婚」へと変化していくのである。

【中世の社会と婚姻制度・相続制度】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=338907

鎌倉時代は貴族は婿取婚(母系氏族が婿を迎える)という制度であったが、武士は次第に嫁取婚へと移行していく。それは、戦闘軍団ゆえに男の武力が制覇力となったことによるが、とりわけ地方武士は土着性が強いが故に、土地を離れるわけに行かなかったという事情が実際上は大きい。父系制の成り立ちの時期は、それぞれの社会階層によって異なり、武家上層においては、院政期から鎌倉時代において、そして一般武家は鎌倉時代から南北朝時代、さらに庶民層においては、南北朝時代から戦国時代である。 但し、庶民は江戸時代に至るまでも夜這い婚を併用している 因みに、公家層が嫁取りに移行するのは、武士の力が強まり、公武の結婚が行われるようになって以降である。 また鎌倉時代は「分割相続」を原則としており、新しく建てられた分家は本家の惣領(家督)のもとで血縁集団を形成した。惣領は戦時には一門を率いて闘い、軍役と恩賞を一門の各家に割り当てた。この惣領制を土台に幕府は御家人たちを束ねていたのである。 しかし父系制とはいえ、当時は夫と妻とは別々の姓(氏の名)を名乗り、それぞれが父母から相続した氏の財産を継承するという、夫婦別財産制度をとっており、妻も自前の財産を有していた。(女子が惣領となるケースもあった)

この惣領制が揺らぐのは、元寇(鎌倉中期)以降である。それまでは、承久の乱や元寇を通じて、荘園領や非御家人領に支配が及び、分家の所領も確保できていたが、安定期に入ると所領の増加がなくなり、所領は相続の度減少し、御家人たちの収入は激減する。 その結果、戦闘集団として一体化していた本家と分家の結びつきは弱まり、次第に一門同士の血縁的統合から、生産基盤を共にする地縁的結合が高まっていく。このことが地域の独立性を高め惣村の自立性を強める大きな要因となっていく。

【夜這い婚の情景@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=89190

■若衆宿 その頃は、一人前と認められ、若者宿への参加が認められることが、子供の楽しみであった。十三、四、五歳から参加が認められ、結婚するまでの間、毎年農閑期の何ヶ月間か、そこで共同生活をしたものだ。中には、一年通して、つまり数年間、若者宿で過ごす者も、少なくなかった。彼らは、農繁期の強力な助っ人として、重要な存在であった。

共同生活を通じて、親からの躾とは違う、共同体の一員としての ケジメ を先達から教えられる場であった。また、年に何ヶ月かの共同生活を、数年繰り返すことで、自然と仲間内の序列、派閥なども形成されていった。つまり、仕事のときの采配はだれだれ、遊びはだれだれ、交渉ごとのうまい奴、物資調達のうまい奴、情報通のものなど、互いに相手を知り合う機会でもあった。

■夜這い規範 夜這いといっても、誰もが好き勝手に、女の家へ忍び込んだわけではない。通常、相手の娘が、承知してくれた場合のみ、あるいはその娘が、自分の誘いに応じてくれたときのみ、夜這いに行けたものである。相手の望まない夜這いは、無理に忍び込み、ことに及ぼうとするとき、娘に騒がれて、親に捕まった時など、村のさらし者にされる恐れがあった。

また、忍び込んだ娘の家で、あまり無茶をしないよう、夜這いの礼儀作法というものも教えられた。先達たちが、四方山話の一環として、面白おかしく話すこともあったが、実際は、ベテラン女性に、手取り足取り教えてもらったものである。

■性の指導 若者宿ではまず、新入りには忍び込みのテクニックを教える。そして筆下ろしのため、先輩が事前に了解を得て、ベテランの女性に、童貞の子への筆下ろしを頼んだものである。上農の場合には、元服の際、両親が相談し、親類縁者のなかから、これという女性を選びだして依頼し、文字通り手取り足取り、女性の体の 造り を教え、扱い方 の指導を任せたものである。

娘の場合も、赤飯を炊いて祝った夜、一族の年配者や、主家筋の、しかるべき長老の誰かに、水揚げというか、道を通してもらうのが慣わしであった。そうしておかないと、夜這いされたとき、戸惑うことになる。そして、母親や叔母さん、先に一人前になっていた近所の姉様たちが、具体的に心構えや、手練手管を伝授するなど、共同体の一員としての教育がなされてきたのである。

■性の喜び:活力源 当時は、男女とも、性の悦びを味わうことは、タブーではなかった。もちろん、公然たる不倫は咎められ、相手かまわず交合する者も嫌われた。しかし、農民においては、性とは、心行くまで自由に楽しむべきものであり、過酷な労働に耐える農民の、活力源でもあった。男は十数歳で元服し、女も初潮を迎えれば、ともに一人前として、大人の扱いを受けることになった。

大人の扱いを受けるということは、一人前の労働力として期待されることでもあったが、同時に、自由意志で性を楽しむことを、認められることを意味した。自由とは、規律を守ることにより、自由を保障される。その規律を教えるのが、若者宿であり、赤飯の祝いの夜の儀式であった。当時は男も女も、互いに相手が複数の異性と、交渉を持っていたことを当然として、結婚したものである。

結婚後も、一定の規範の元に、自由であった。不自由なのは、支配者階級である。なまじ、守り、引き継ぐべき、金や富を持っているため、子の血筋を重視するがために、女を家に閉じ込め、他の男との接触を不義として、禁じてきた。下これに倣うで、家臣も、町家の者も、女性の人権、自由度を制限し、現在に到っている。のではなかろうか。

【ムラの「公事」であった「夜這い」】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=156930

>明治以降、国家権力の弾圧によって旧来の日本の夜這い文化は衰退の一途を辿ります。

以下「村落共同体と性的規範の6.弾圧と亡失」より引用)

ところが「筆おろし」の年齢を一挙に引き上げる事件が起こった。すなわち徴兵検査の励行で、富国強兵の政府といたしましては、国家の干城たる青年に花柳病が蔓延するのを座視することはできない。これは古い若衆組の罪で、質実剛健を主旨とする青年会に改組する。「夜這い」などもってのほか、青年、処女は純潔でなければいけぬことになって、教育も。これに応じて大合唱したから、若衆組も、夜這いも決定的な打撃を受けた。

男も男なら、女も女ということになるが、若衆組や夜ばいの盛んであった時代には、こんなことは想像もできなかっただろう。四十六の仲人あっぱが、若衆も娘も実地教育してみせたので、昔の若衆の初夜教育が、いかに適切、かつ科学的教育方法として作動したか、を実証している。まさにあっぱはムラの性教育の伝統を継ぐ、最後の一人であったのだろう。

では、近代教育の「純潔」とか、「貞操」とかはなんであったのか。肉体的な抑制を強要するだけで、健康な発散を考えなかった結果として、いま私たちは、その当然の代償を支払わせられている。娘を商品として高価に売り込むための処女性尊重と「貞操」の強要、息子を売春風俗産業の購買力に仕立てる手段としての「純潔」教育、そこには資本主義社会の露骨な商品化政策があるだけだ。

私たちは若衆組の行事や夜這いを、かつて淫風陋習として退けたのである。しかしムラがムラであったとき、成熟した女性にとって若衆へ心身ともに健全な教育をすることは、次代への継承を維持するために負った義務であり、また権利であっただろう。

ムラが一つの共同体として作動しているとき、夜這いも結婚関係も、若衆組その他と同じく、それぞれムラの「公事」であったから、かれらに「純潔」や「貞操」の観念はなく、どうして生活を維持するかが根本の約束であったものと思われる。

つまり個人として私匿しなければならない密室の作業ではなく、いつでも公開されているルールに乗った行為であった。長い間、私たちは「夜這い」を誤解してきたが、それはムラの古い共同結婚方式を継承したものとして、まさに「公事」として維持されてきたのである。近代日本は結婚を「私事」に変質させることで、「夜這い」の伝統と継承とを否定したが、そのためにかえって社会的性生活を荒廃させた。

【日本における現行の婚姻制度〜日本国憲法@】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=225216

戦後日本の家族のあり方に最大の影響をもたらしているもの。それは、日本国憲法である。日本国憲法は、戦後、GHQによって押しつけられた憲法である。その基本理念は欧米の価値観に基づいている。その理念の一つが、個人主義である。これは家族や国家より個人を重んじる考え方である。日本の社会に個人主義を植えつけること、それが日本を「民主化」することであり、同時に日本を弱体化することだった。

西洋近代の思想の一つである啓蒙主義は、17世紀イギリスのホッブス、ロックらによって展開された。彼らは、デカルトの要素還元主義の影響を受けていた。そのため、まるで幾何学的空間におかれた原子(アトム)のようなものとして、人間をイメージした。「個人主義」とは、原子(アトム)的な個人を、集団より先在する要素とし、個人を原理として、社会の構成を考える考え方である。

日本国憲法は、こうした西洋近代啓蒙思想が根底に置かれている。そして、この思想をさらに極端に推し進めた学説が普及した。すなわち、「個人の尊厳」を持って「個人主義の原理」とし、アトム化した個人を持って「人間社会における価値の根源」などと説明する宮沢俊義らの学説である。

こうした極端な学説が出てくる原因は、日本国憲法にある。具体的に挙げれば、第24条である。この条項には婚姻に関する規定がある。すなわち第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。また第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。

このように憲法に婚姻に関する規定が設けられているのは、世界的に見ても異例である。男女が恋愛をし、性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、私的な事柄であり、国家が介入すべきことではない。しかし、結婚した男女は、単なる同棲者ではなく、親や家族や親族・友人などの認知を得た関係となる。私的な男女関係が、ここで公認による公の関係となるのである。それは、結婚は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的だからである。つまり、結婚とは、社会の基本単位である家族を形成するという公共性のある行為なのである。そこに、結婚を法律に定める必要があるわけである。そして家族の安定のために、婚姻の安定性を求める法律も定められる。それゆえ、憲法に規定する必要があるのは、婚姻よりも家族に関する規定である。

しかし、第24条は、個人の尊厳と両性の権利の平等を強調する一方、家族の大切さを規定していない。そこに大きな欠陥がある。条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である、親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視している。憲法の全体に、世代間の縦のつながり、民族の歴史が断ち切られている。

【婚姻が社会と切り離されて50年も経ってない】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=87512

日本の婚姻史を調べてみると、集団や社会から切り離された婚姻や性関係は、ほんのこの50年くらいしかなかったようだ。

まず、庶民の生活の中で、縄文時代から昭和10年から30年頃まで受け継がれてきた、夜這い婚などの集団婚。それらは、村単位で性充足を高めるシステムで、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えられた。

子育ても、誰の子であろうと、娘の親が育てるというように、村の規範の中で育てられた。決して個人課題ではない。また、性や子育て規範を共有する単位(村)と、生産にかかわる規範を共有する単位(村)は一致していた。

このように、性や婚姻は社会とつながっていて、性自体が集団維持の課題のひとつであった。それゆえ、性をみんなの期待として、肯定的に捉えていた。

次に、貴族や上位層の武士は、父系制の一夫多妻・一夫一婦制をとるが、基本的には政略結婚である。結婚は個人の課題という現代の感覚からすると、無理やり嫁がされてかわいそう、ということになるが、おおきな間違いだと思う。

私権社会での集団維持という歪んだ側面をもつことは否めないが、明らかに集団維持のための婚姻である。 それは、採取時代の人類は、男女の婚姻関係・性関係が、“集団統合上の重要課題である”ことを、ごく当たり前のように認識していたと思われることです。

そして、貴族の娘も、いい家柄に嫁げるように、家庭教師を招いて、教養を身につけるのが、役割であった。娘自身も教養あるおしとやかな女になることを、目指していたのである。ちなみに清少納言や紫式部は、上記の家庭教師だった。

そして、昭和の30年から45年くらいまでの婚姻制度も、基本的には家という基盤を背後に持ちながら、恋愛結婚という形をとった。この源流は、武士や貴族の婚姻制度にある。かなり社会との関係は薄れるが、まだつながりを保っていた時代だと思う。

このように、この50年を除けば、性は社会とつながっており、衰弱することはなかった。そして現在、まったく社会とつながりを失い、当人同士以外だれの期待も受けない性が始めて登場した。そのときから、性は衰弱し続けている。

再生のためには、社会の中でみんなに期待される『性』が役割として再認識される必要がある。そのためには、性も生産も包摂した新しい本源集団の再生が不可欠になる。

http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3382.html
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c41

[昼休み54] ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界 中川隆
85. 中川隆[-13650] koaQ7Jey 2018年11月28日 16:21:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

経済的理由で「売られた」子ども4か月で161人、アフガニスタン
2018年11月28日 15:05 発信地:ジュネーブ/スイス


【11月28日 AFP】アフガニスタンでは干ばつ被害の影響で、すでに劣悪な人道的状況がさらに深刻化しており、借金の支払いや食料を買うための金銭を必要とする親が、強制結婚などを通じて子どもを「売る」ことを余儀なくされる例が増加している。国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)が27日明らかにした。

 ユニセフの推計によれば、干ばつに見舞われたヘラート(Herat)州やバドギス(Baghdis)州では、過去4か月の間に生後1か月から16歳までの少なくとも161人の子どもが「売り」に出されたという。

 スイス・ジュネーブでアフガン支援国会議に参加したユニセフ広報のアリソン・パーカー(Alison Parker)氏は記者団に対し「アフガニスタンの子どもたちが置かれている状況は悲惨だ」と述べた。

 今年7月から10月にかけて行った調査で、負債に苦しむ両親の下で子どもたちが、婚約や結婚をさせられたり、売買されたりしていることが明らかになったという。同氏は「干ばつ被害を受ける前にすでに80%以上の世帯が負債を抱えていた」が、収穫によって負債を支払えると考えていた人々の多くにとってそうすることが難しくなった現状を説明した。

 同氏によると「不幸なことに現状では子どもたちは担保として使われて」おり、最年少では乳児が婚約させられたり、11歳やそれ以下の女児が強制結婚させられたりしている例もあるという。さらに「売られた」とされる161人の子どものうち6人は男児で、「児童の強制労働」も増加していると警告した。(c)AFP

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html#c85

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
34. 中川隆[-13649] koaQ7Jey 2018年11月28日 16:27:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

神格化していたゴーン氏を強烈批判する日本社会の「ヤバい経営感覚」 だから、この国はナメられる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58672
2018.11.28 加谷 珪一 現代ビジネス


日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕された。国内では、ゴーン氏がいかに会社を食い物にしてきたかという話のオンパレードになっているが、現時点において、事件の内容はほとんど何も分かっていない。

仮にゴーン氏が会社を食い物にしてきた人物であったとしても、そうした経営者を、正規の手続きを踏まない形で追放したところで、問題が根本的に解決するわけではない。

そもそも日産が経営危機に陥ったのは、当時の経営陣や従業員が会社を食い物にし、放漫経営を続けてきたからである。ゴーン氏も同じなのだとすると、首謀者が前経営陣や従業員からゴーン氏に変わっただけである。

一連の日産のスキャンダルは、日本企業のお粗末なガバナンス体制が生み出したものであり、ゴーン氏を逮捕したところで何も変わらない。

日産がルノーの軍門に下った理由は「放漫経営」

ゴーン氏が日産のトップに就任し、同社がV次回復を果たしたことで、同氏はカリスマ経営者としてもてはやされた。高い業績を残した経営者を評価すること自体は悪いことではないが、日本人はしばしば情緒不安定かと思うほど、常軌を逸した神格化に走ることが多い。

歯の浮くような賛辞の一方、ゴーン氏に対する激しい批判も一部には存在していたが、感情的なものがほとんどであり、的を射ていたとは言い難かった。ゴーン氏がなぜV字回復を実現できたのかという現実を考えた場合、ゴーン氏を神聖視することも、手のひら返しで批判することも合理的ではない。

日産は1999年に経営危機に陥り、仏ルノーに救済された。経営を立て直すためルノーからhttp://www.asyura2.com/18/senkyo254/index.html派遣されたのが、当時ルノー副社長だったカルロス・ゴーン氏である。

ゴーン氏の経営手法は極めて教科書的なものであった。トップダウンで徹底的なコストカットを行い、経営方針に反対する幹部は次々に更迭した。ゴーン氏への批判はたいていの場合、一連のコストカットやトップダウンのマネジメント手法に向けられることが多いのだが、考えなければならないのは、プロ経営者であるゴーン氏がなぜ、コストカットに邁進したのかという部分である。

高いブランド力を持つ著名企業が経営危機に陥るのは、たいていの場合、放漫経営が原因である。会社の経費を湯水のように使い、コスト感覚が麻痺し、最終的には巨額の損失を引き起こす。日産の経営危機はまさに放漫経営の典型であり、その意味では、経営陣も従業員も全員が共犯といってよい状況だった。

トヨタと日産の違い

中高年の読者の方なら直感的に理解できると思うが、1990年代までトヨタと日産はライバルであると同時に対照的な企業カルチャーで知られており、当時のビジネスマンの間ではこんな冗談がよく交わされていた。

「トヨタと日産のどちらがスゴいかと聞くと、ほぼ100%の人がトヨタの方がスゴいと答える。だが自分の息子をどちらの会社に就職させたいかと聞くと、ほぼ100%の人が日産と答える」と。

トヨタは今でこそ社員に優しい企業というイメージだが、20年前まで同社の企業イメージというのは「苛烈」そのものであった。全社員が「カイゼン」を行うよう、日々、徹底的に追い詰められる。一方、日産にはゆとりがあり、社員は楽しく仕事をこなし、クルマ作りにも遊び心をふんだんに盛り込むことができた。

こうした企業カルチャーの違いは、最終的には業績にあらわれてくる。日産が経営危機に陥った原因は、製造技術の低下でも、クルマ作りへの情熱の喪失でもなく、行き過ぎたゆとりがもたらした放漫経営そのものであった。そうであるならば、再建を託されてトップに就任したゴーン氏が選択する手法はコストカット以外にあり得ない。

その後、国内では日産がV字回復を果たしたといって、ゴーン氏に対する賞賛の嵐となったが、これは逆に考えれば、いかに日産のコスト感覚が甘かったかということの裏返しでしかない。ゴーン氏に対しては、カリスマなどといった情緒的な賛辞を贈るのではなく、コストカットを徹底的に進めた実行力こそ評価すべき点だったはずだ。

ゴーン氏はグローバル・スタンダードの人物ではない

今となっては批判の的となっている高額報酬についても奇妙な世論だった。日本では、ゴーン氏はいわゆるグローバル・スタンダードの象徴と見なされており、当時の日本の平均的な企業経営者とは比較にならない水準の高額報酬が許容されてきた。

「上場企業の経営者の報酬は高額で当たり前」という話の引き合いに出されるのは決まってゴーン氏だった。

ゴーン氏の影響なのかは不明だが、その後、日本の経営者の役員報酬はうなぎ登りに上昇し、お話にならないレベルの業績しか上げていない企業の役員までもが億単位の報酬をもらうようになった(今の日本では、業績は国内基準で、役員報酬だけがグローバル基準というご都合主義となっているところが少なくない)。

筆者は、国籍に関わらず有能な人物を高額で雇うことについて、基本的に賛成する立場だが、ゴーン氏が、高額報酬の妥当性の根拠となる、いわゆるグローバル・スタンダードな人物なのかという点については疑問がある。

本当のグローバル企業というのは、明確な国籍がなく、拠点も人材も多国籍になっているものだが、こうした体制の企業はそれほど多くない。米自動車大手のGM(ゼネラル・モーターズ)はまさに米国を象徴する企業だし、グーグルもアップルも国際的に事業は展開しているが、れっきとした米国企業である。

その論理で考えれば、フランス政府が筆頭株主となっているルノーは、グローバル企業ではなく、典型的なフランス企業ということになる。

日本ではフランスというと「自由の国」といった曖昧なイメージしか持っていない人が多いが、現実のフランスは異なる。同国はもともと革命国家であり(今の体制は第5共和制)、ミッテラン政権時代には企業の国有化を強力に進めるなど、社会主義的・官僚主義的な色彩が極めて濃い。ゴーン氏自身もレバノン系ではあるが、フランスの官吏養成機関であるグランゼコールを卒業した典型的なフランスのエリートである。

権力闘争も中国並みに激しく、かつて大統領候補になったこともある有力政治家ドミニク・ストロスカーン氏(当時IMF専務理事)はニューヨークのホテルに滞在中、性的暴行の疑いで突然逮捕され、そのまま政界から追放された(その後、同氏は不起訴になっている)。政治家が逮捕によって失脚するケースはかなり多い。

フランスでは、高額報酬は許容されていない

国営企業が中心のフランスでは、企業のトップにはグランゼコールの卒業生(つまり国家が養成したエリート)が就くケースが多く、強力な権限が付与される一方、米国企業やグローバル企業のような超高額報酬は許容されない。

ゴーン氏は、日産のトップに就任して以降、高額な報酬を受け取ってきたが、ゴーン氏は親会社であるルノーからは多額の報酬をもらっていない。最近でこそルノーからの報酬も引き上げたが、フランス政府はゴーン氏の報酬引き上げに反対してきたし、フランスの世論も高額報酬を許容していないのだ。

ゴーン氏自身はこうしたフランスの社会主義的な風潮について快く思っていなかった可能性が高いが、フランス政府が筆頭株主である以上、その意向を無視するわけにはいかない。

結果として、日産という地球の裏側にある現地子会社を使い、目立たないよう多額の報酬を得ていたというのが実態である。日本にあてはめれば、進出した東南アジアの現地法人で好き放題やった経営者をイメージすればよいだろう。こうした経営者は果たしてグローバル・スタンダードといってよいのだろうか。

ちなみにルノーと日産の統合を強く求めてきたフランス政府に対してゴーン氏は、日産の独立性維持を主張していたとされる。だが、それは日産が独立している方が、ゴーン氏自身にとってメリットが大きかったからである。日産が日本で独自に上場していれば、それを盾にフランス政府からの圧力をかわすことができる。

一連の出来事を総合的に考えると、もっとも甘いのは日本の株式市場や世論という結論にならざるを得ない。

ゴーン氏が仮に日産を食い物にしていたとしても、日本で上場している以上、それを是正することは可能であり、いつでもそのチャンスはあった。

だが企業経営者に甘い日本の株式市場や世論は、日産の穴だらけのガバナンス体制を放置し、結果としてゴーン氏のような経営者を長期にわたって続投させてきた。そもそも日産の危機的な状況に対して、日本の企業や投資ファンドがリスクを取って日産に資本参加していれば、外資の支援など仰ぐ必要はなかったという現実を忘れてはならないだろう。

ルノーと日産が分離すれば…

日本国内では、ルノーと日産の今後について、両社が分離することを望む声が大きいように見える。だが市場が飽和しつつある自動車業界では、生き残りを賭けた激しいシェア争いが始まっており、規模のメリットが存続の命綱となっている。

現在、グローバル販売台数でトップに立っているのは独フォルクスワーゲンで、2017年の販売台数は1000万台を突破した。続いて、ルノー・日産連合、トヨタ、GM(ゼネラル・モーターズ)の順となるが、上位4社の販売台数にそれほど大きな違いはない。一方、5位の現代は730万台、6位のフォードは660万台と、上位4社とはかなりの開きがある。

業界では上位グループに入らない限り、総合自動車メーカーとしては生き残れないというのが常識となっている。

ここで、日産、ルノー、三菱自動車の3社が分離した場合、日産を含む各社は一気に下位グループに転落してしまう。日産もルノーも、もはや大手ではなくなり、スバルやマツダのようなニッチ戦略に転換せざるを得なくなる可能性もある。

本当にそれでよいのか、情緒ではなく論理で判断する必要があるはずだ(ルノー・日産の経営統合が実現したとしても、数多くの拠点を日本に構える企業であることに変わりはなく、工場や社員が丸ごとフランスに行ってしまうわけではない)。

今回のゴーン氏追放劇には、日産を独立させたいとの思惑が働いているとの報道もある。今後のグローバルな企業戦略まで考慮に入れた上でのクーデター劇ならまだマシだが、単にゴーン氏を追い出したいという情緒的な話だとすると、お粗末極まりない。場合によってはかつての日産に逆戻りという可能性すらあるだろう。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c34

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
35. 中川隆[-13648] koaQ7Jey 2018年11月28日 16:31:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

2018年11月28日
ゴーン容疑者の海外住宅、監査法人が何度か疑義を指摘=関係筋
https://jp.reuters.com/article/nissan-ghosn-houses-idJPKCN1NX0JK

[東京 28日 ロイター] - 金融商品取引法違反容疑で逮捕された日産自動車(7201.T)の前会長、カルロス・ゴーン容疑者が使用していた海外の高級住宅購入をめぐり、関与が疑われているオランダの子会社の業務について、監査法人が適切なのかという指摘を複数回していたことが明らかになった。

関係筋が28日、ロイターの取材に答えた。

関係筋によると、日産は監査法人から2013年ごろを中心に、この子会社が設立目的である投資に沿った業務を行っているのかどうかと複数回、指摘を受けていた。


これに対し、日産側は「問題がない」と説明していた。

また、ゴーン容疑者は株価に連動する報酬を受け取る権利を持っていたことが明らかになっており、一部報道では、その規模は40億円分と伝えられている。

この権利について、監査法人は記載が必要ではないかと指摘したが、日産側は「必要がない」との見解を示していた。


日産と監査法人は、上記の点について、見解が一致していないとの立場だったという。

日産の西川廣人社長は19日の会見で、ゴーン容疑者と前代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者の2人は、1)報酬額を減額して有価証券報告書に記載した、2)目的を逸脱し、同社の投資資金を使って投資した、3)同社の経費を不正に使用した──と指摘していた。

監査法人の指摘に関し、日産は「コメントできない」(広報部)とし、EY新日本監査法人は「個別の案件について、コメントできない」(広報担当者)と述べている。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c35

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
252. 中川隆[-13647] koaQ7Jey 2018年11月28日 16:39:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

韓国、「身勝手」大企業労組は雇用世襲制廃止を拒否「労働貴族」2018年11月28日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13951822.html


文在寅政権を支える大企業労組は、「労働貴族」と呼ばれている。生産性を上回る高賃金を要求して強烈なストを打つからだ。企業が根負けして、最後は折れるという結果が、大企業賃金が先進国一という異常事態を招いている。

これでは、大企業従業員が定年後、自分の家族を入社させる「雇用世襲制」の廃止に抵抗するはずである。この身勝手さは、大企業労組だけの現象でない。ありとあらゆる場所に見られるのだ。私はこれを「氏族制の名残」と呼んでいる。自分の身内だけが幸せになれば良い。そのために、他の集団に対しては、徹底的な差別化行動をとる。

現政府も同じである。革新派の身内には超法規的な振る舞いを許す。北朝鮮は、文政権にとって金日成の「チュチェ思想」でつながり身内である。だが、国内の保守派は敵である。だから「積弊一掃」の名の下に、大統領経験者でも獄窓へつなぐことを平気で行なう。バランス感覚が著しく欠けた国家である。

『朝鮮日報』(11月28日付)は、「韓国大企業労組、雇用世襲是正要求を拒否」と題する記事を掲載した。

(1)「労働組合員の子女に働き口を引き継ぐいわゆる『雇用世襲』を規定した大企業の団体協約を巡り、韓国政府は是正を求めたが、多くの大企業労組がそれを拒否していることが分かった。韓国雇用労働部(省に相当)などによると、国会の国政監査では先月、大企業の労使が定年退職者の子女を優先採用する内容の団体協約を維持している点が論議を呼んだ」

日本でも、過去には存在した。従業員の会社への忠誠心と、会社の従業員への恩顧という持ちつ持たれつの関係が成り立っていた。韓国の場合、会社への忠誠心はゼロどころか、敵対意識で臨んでいる。「チュチェ思想」に毒されており、企業は敵という認識である。それでも、労組が「雇用世襲制」を守りたいのは、自分たちの利益だけ守れば良い。そういう「氏族制の名残」であろう。

(2)「これに対し、一部企業は直ちに問題の団体協約を破棄するか、地方自治体が是正措置を下したが、現代自動車、ロッテ精密化学、錦湖タイヤ、S&T重工業、斗山メカテック、現代ロテムの6社はいかなる措置も取っておらず、政府は11月中旬まで団体協約を改正するよう求めていた。しかし、期限内に団体協約を修正したか、政府に修正すると通知した労組は皆無だった。現代自はこのほど、臨時代議員大会を開き、来年の団体協約交渉で組合員子女の優先採用条項を削除する方針を決めたとされるが、政府には通告されていない状態だ」

「労働貴族」の象徴的な存在は、現代自動車労組である。会社側は、この「労働貴族」によって食い物にされているが、「雇用世襲制」を破棄しないでいる。労組の報復を恐れているのであろう。これで、現代自動車が立ち直れるであろうか。多くの疑問点を残している。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c252

[昼休み54] 韓国は既に共産体制へ向かって驀進中 中川隆
30. 中川隆[-13646] koaQ7Jey 2018年11月28日 16:40:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

韓国、「身勝手」大企業労組は雇用世襲制廃止を拒否「労働貴族」2018年11月28日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13951822.html


文在寅政権を支える大企業労組は、「労働貴族」と呼ばれている。生産性を上回る高賃金を要求して強烈なストを打つからだ。企業が根負けして、最後は折れるという結果が、大企業賃金が先進国一という異常事態を招いている。

これでは、大企業従業員が定年後、自分の家族を入社させる「雇用世襲制」の廃止に抵抗するはずである。この身勝手さは、大企業労組だけの現象でない。ありとあらゆる場所に見られるのだ。私はこれを「氏族制の名残」と呼んでいる。自分の身内だけが幸せになれば良い。そのために、他の集団に対しては、徹底的な差別化行動をとる。

現政府も同じである。革新派の身内には超法規的な振る舞いを許す。北朝鮮は、文政権にとって金日成の「チュチェ思想」でつながり身内である。だが、国内の保守派は敵である。だから「積弊一掃」の名の下に、大統領経験者でも獄窓へつなぐことを平気で行なう。バランス感覚が著しく欠けた国家である。

『朝鮮日報』(11月28日付)は、「韓国大企業労組、雇用世襲是正要求を拒否」と題する記事を掲載した。

(1)「労働組合員の子女に働き口を引き継ぐいわゆる『雇用世襲』を規定した大企業の団体協約を巡り、韓国政府は是正を求めたが、多くの大企業労組がそれを拒否していることが分かった。韓国雇用労働部(省に相当)などによると、国会の国政監査では先月、大企業の労使が定年退職者の子女を優先採用する内容の団体協約を維持している点が論議を呼んだ」

日本でも、過去には存在した。従業員の会社への忠誠心と、会社の従業員への恩顧という持ちつ持たれつの関係が成り立っていた。韓国の場合、会社への忠誠心はゼロどころか、敵対意識で臨んでいる。「チュチェ思想」に毒されており、企業は敵という認識である。それでも、労組が「雇用世襲制」を守りたいのは、自分たちの利益だけ守れば良い。そういう「氏族制の名残」であろう。

(2)「これに対し、一部企業は直ちに問題の団体協約を破棄するか、地方自治体が是正措置を下したが、現代自動車、ロッテ精密化学、錦湖タイヤ、S&T重工業、斗山メカテック、現代ロテムの6社はいかなる措置も取っておらず、政府は11月中旬まで団体協約を改正するよう求めていた。しかし、期限内に団体協約を修正したか、政府に修正すると通知した労組は皆無だった。現代自はこのほど、臨時代議員大会を開き、来年の団体協約交渉で組合員子女の優先採用条項を削除する方針を決めたとされるが、政府には通告されていない状態だ」

「労働貴族」の象徴的な存在は、現代自動車労組である。会社側は、この「労働貴族」によって食い物にされているが、「雇用世襲制」を破棄しないでいる。労組の報復を恐れているのであろう。これで、現代自動車が立ち直れるであろうか。多くの疑問点を残している。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/278.html#c30

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
36. 中川隆[-13645] koaQ7Jey 2018年11月28日 17:30:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

【渡邉哲也】報道されないゴーン脱税の闇手口 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FlDv42QSaFQ

2018/11/27 に公開
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c36

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
37. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月28日 17:48:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]
親中派ゆえ標的に? 特捜部ゴーン逮捕にチラつく米国の影
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/242494

2018/11/28 日刊ゲンダイ


中国では「EVの父」(C)共同通信社

「逮捕の正当性に重大な疑問がある」――。26日、外国特派員協会で会見した元検事の郷原信郎弁護士が漏らした通り、日産のカルロス・ゴーン前会長らが金融商品取引法違反の疑いで逮捕された事件は、経済や司法に詳しい専門家ほど、真相や背景について首をヒネっている。逮捕容疑とされる役員報酬を巡る有価証券報告書の虚偽記載が事実としても、慎重を期してまずは任意同行を求めて事実関係を確認し、逮捕に踏み切るのが一般的な流れ。それなのに特捜部はいきなりパクったからだ。

 ゴーン前会長は世界的な企業のトップであり、各国の政府要人とも関係が深い。ヘタをすれば日仏の外交問題に発展する可能性もある。逮捕するには起訴はもちろん、公判を維持し、有罪に持ち込めるだけの絶対的な違法事実が必要だ。

 ところが検察や日産内部から漏れ伝わるリーク情報はどれもショボイものばかり。とてもじゃないが、特捜部案件とは思えない。同様のケースで思い出されるのが、2009年3月に民主党の小沢一郎代表の公設第1秘書が政治資金規正法違反の疑いで東京地検特捜部に突然逮捕された「陸山会事件」だ。当時も新聞・テレビでは検察リークによる小沢バッシング報道があふれたが、この時、ささやかれたのは「米国の圧力説」だった。

 政権交代が現実味を増す中、小沢氏は「米国に唯々諾々と従うのではない」と、ヒラリー国務長官(当時)との会談を断ったり、「極東を防衛する米軍は第7艦隊で十分」と踏み込んだりして米国の保守層を“刺激”。米国の参加を想定しない東アジア共同体構想をブチ上げ、総勢600人を引き連れて北京を訪問した。こうした行動に危機感を募らせた米国が特捜検察の尻を叩いて小沢失脚を狙った、といわれたのだ。中曽根康弘元首相は、著書「天地有情 五十年の戦後政治を語る」で、「ロッキード事件の原点は田中角栄の石油政策」と書いた。ロッキード事件も、田中首相が親アラブ政策を打ち出し、米国に頼らない独自の石油外交を展開したことが米メジャーの逆鱗に触れ、日本政府に圧力を掛けたのがきっかけで起きた――というのがもっぱらだ。

■トランプ政権が親中派のゴーンを標的に?

 ではゴーン前会長はなぜ、米国の不満を買ったのか。カギはやはり、対中関係だ。

 ゴーン前会長は親中派で知られ、中国で「電気自動車(EV)の父」と呼ばれている。武漢市では、1988年に「中国・フランス合資自動車30万台生産プロジェクト」が締結され、2016年には東風ルノー(東風汽車とフランス・ルノーの合弁会社)が同市に進出。東風汽車はルノーや日産などとEVの共同開発を行うなど新エネ車の研究開発に精力的だ。今月25日まで広州で開かれていた国際モーターショーでは、ゴーン前会長が新たなエネルギー車(NEV)戦略を大々的に発表する、ともみられていた。

 そんなゴーン前会長の姿勢を、中国と激しい貿易戦争を繰り広げているトランプ政権が面白いはずがない。トランプは、第1次世界大戦終戦100年の記念式典で、国家主義を「愛国心の裏切り」と訴えたマクロン仏大統領をツイッターで激しく非難。「米国第一主義」のために仏政府の資本が入ったルノーや、親中派のゴーン前会長を標的にしても不思議じゃない。そう考えると、日本政府や特捜部がヤケに強気なのも理解できる話だ。

 ちなみにゴーン前会長の弁護人に就いたと報じられている大鶴基成氏は、検事時代に「陸山会事件」を指揮した人物。偶然だろうが、この事件、まだ奥が深そうだ。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c37

[政治・選挙・NHK254] 消費税を増税をしても景気を落ち込ませない方法(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月28日 17:52:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]
『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/301.html#c1
[昼休み54] 日本のマスコミは悪い 中川隆
48. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月28日 18:09:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]
なぜ、日本の報道関係者はつきたくないウソを平気でつくのか?
2018.11.26 121 by 武田邦彦『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』
https://www.mag2.com/p/news/376954

去る11月6日に行われたアメリカの中間選挙を受け、日本のメディアはこぞって「大統領の公約の実現が一層厳しくなり、政権運営が難しくなる」と報じました。

これを「フェイクニュースだ」と断じるのは、『武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』』の著者、武田中部大学教授。日本の報道関係者が「フェイク」に走る理由について、武田先生が持論を展開しています。

ねじれで「大統領の公約の実現、政権運営が難しく」は嘘

先日、アメリカの中間選挙が行われ、多くのフェイクニュースが流れました。そこで、以前からよく質問を受ける「フェイクニュースの見分け方」について、整理をしたいと思います。

第一回は、「トランプ大統領のもとで行われた2018年(今年)の中間選挙で、上院は共和党、下院は民主党と『ねじれ』の結果が得られた」というニュースが日本のテレビ、新聞で流れたことについて解説をします。 たとえば、日本の最大のメディアは選挙結果に対して、


「上院はトランプ大統領の与党・共和党が多数派を維持する一方で、下院は野党・民主党が多数派を奪還することになりました。上院と下院で多数派が異なる『ねじれ』の状態が続き、トランプ大統領の公約の実現が一層厳しくなるとみられ、難しい政権運営を迫られそうです」

と報じています。(この文章はある報道からとったものですが、著作権法によると、著作権が及ぶのは「思想、感情に基づいて創造されたもので表現されたもの」となっている。この記事は事実を示したものだから著作権がないものと判断したので、そのまま引用した。また、特に引用元をしめす必要がないので割愛した) この報道から、読んだ人は、


1.上院と下院の多数派が異なる「ねじれ」の状態は珍しい
2.それによって大統領の公約の実現、政権運営が難しくなる

と思うでしょう。では事実はどうでしょうか? アメリカの大統領は一期4年で、選挙は2年ごとに行われます。だから標準的には2期務める大統領は4回の選挙を経験することになります。

ニクソン大統領が50年前に大統領選挙に勝ってから、2018年の今回の中間選挙まで26回の選挙がありましたが、大統領と議会の多数派の政党が違ったり、上院と下院の多数派政党が違うという「ねじれ」がどの程度あったかというと、わずか9回は「ねじれなし」でしたが、17回が「ねじれ」です。つまり、ほぼ3回に2回がねじれ状態だったことがわかります。

日本では自民党が長く政権を取っていましたし、衆議院の多数派が首相を出すので、基本的に「ねじれ」が生じにくい制度ですが、アメリカでは大統領選挙と議会選挙が独立(行政権と立法権を別に選ぶ)なので、ねじれは普通に発生することがわかります。


それでは次に、「ねじれ」が生じると大統領の政策が実施しにくいかというと、ニクソン、レーガン、クリントンなどの有名で政策も多く実施されたといわれる大統領の時はいずれもほとんどすべて「ねじれ」状態でした。ねじれていなかったのは、あまり評判の良くなかったカーター大統領の時と、クリントンとオバマの一期目(4分の1)だけです。つまりアメリカでは「ねじれ」と「政策の実施」とはほぼ無関係であることがわかります。

報道関係者はなぜつきたくない嘘をつくのか?

アメリカの大統領と議会が多くの場合「ねじれ」ていること、それによっては大統領の執務にさほど影響を及ぼしていないことは、日本の主要メディア、記者、政治評論家などはよく知っていることです。知っていて「ねじれは大変だ」とニュース原稿を書き、解説をするのですから、それには意図があるのです。人間はだれしも「嘘はつきたくない」と思っているのですから、フェイクニュースを流したり解説したりするときにちょっとは迷うと思うのですが、それでもフェイクするのです。

報道に関係する人たちが、なぜフェイクなどするのでしょうか?それには二つの原因があります。一つは、日本では「人と同じことを言わないとバッシングを受ける」という文化があります。中間選挙が判明した直後、誰かが「ねじれ」と言ったら、他の人はそれに右へ倣えするということです。そして第二は「事実と違っていても、大袈裟に言うとか不安をあおった方が儲かる」という原則があるからです。台風でも大雨でも大袈裟に言うほど視聴率が上がるのは事実です。

でも、こんなことをしていたら徐々にメディアも信用を失うのは間違いありません。

事実、ニューヨークの株価は「ねじれ」の結果がでた時、大幅に値を上げました。もしアメリカ人が「ねじれは大変だ」と思ったら株価は上がらないでしょう。大統領、上院、下院が同じ党で占められているより、一部ねじれている方が政治がまともに進むことはよくわかっているからです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/104.html#c48

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
38. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月28日 18:16:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]

日産ゴーン会長逮捕とフランスで「モラハラ激増」の浅からぬ関係
2018.11.22 128 by 河合 薫『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』
https://www.mag2.com/p/news/377331


ルノー・日産・三菱アライアンスCEOから一転、容疑者となってしまったカルロス・ゴーン氏。

瀕死の日産を始め数々の企業を再生させた経営手腕は高く評価されましたが、その「コストカッター」ぶりは少なからぬ人々を不幸にしていたようです。

健康社会学者の河合薫さんは、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』で、仏ルノー社で起きた社員の自殺とゴーン氏の関連性を指摘した当地の「揶揄の声」を紹介しています。


プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

ゴーンの呪縛

やっと、本当にやっと「パワハラ防止」の法整備の方針が決まりました。

経営側が、最後の最後まで「パワハラと業務上の指導の線引きが困難。いきなり法による措置義務を課すことには慎重であるべきだ」と反対し続けたことへの意見は、日経ビジネスオンラインに詳しく書きましたので、ここでは省略します(「『組織の病』を見過ごすトップと指導という詭弁」)

ただ、呪いの言葉のように繰り返されてきた「指導とパワハラの境界線」が昨年、厚労省が立ち上げた「職場のパワーハラスメント防止対策検討会」(パワハラ検討会)が示したパワハラの概念により、かなりクリアにされていますので、その要点のみこちらでも再掲しますね。

新たな「職場のパワーハラスメントの概念」は、ワーキンググループが示した次の「パワハラ定義と6つの行為類型」を踏まえながら、
1.暴行や傷害などの「身体的攻撃」
2.脅迫や侮辱、暴言などの「精神的攻撃」
3.隔離や無視などの「人間関係からの切り離し」
4.遂行不可能な行為の強制などの「過大な要求」
5.実際の能力や経験とかけ離れた程度の仕事を命じるなどの「過小な要求」
6.私的なことに過度に立ち入る「個の侵害」

次の3つの要素のすべてを満たすもので、それが「パワハラ」となります。
1.優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
2.業務の適正な範囲を超えて行われること
3.身体的もしくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

つまり、3要素を事例に当てはめて考えれば、「パワハラに該当するか、該当しないか」が判断できるというわけです。

私はこの定義はとても良くできていると考えています。もちろんすべてのケースで100%白黒つけられるわけではないかもしれません。

でも、この3要素が加わったことで、境界線のグレー部分がかなり薄められ「指導とは何か」が考えられるはずです(具体的な事例集は厚労省が今後公表する予定)。


さて、今回は日本ではなくフランスの「モラハラ」について、少しお話をします。「モラハラ」とは、モラル・ハラスメント。日本でいうところのパワハラです。

フランスで「モラハラ」という言葉が一般化したのは、日本と同じ1990年代後半に遡ります。

きっかけは精神科医のマリー・F・イルゴイエンヌの著書、『Le Harcelement Moral: La violence perverse au quotidien(邦題『モラルハラスメント・人を傷つけずにはいられない』)』が大ベストセラーになったことでした。

それまで多くの人たちが、「職場のいじめや暴力」を経験したり、目撃していたのですが、その“問題”を“問題にする”ための言葉が存在しませんでした。

そこで、イルゴイエンヌ氏はもともと夫婦間の精神的暴力を示す言葉だった「モラハラ」を、職場で日常的に行われているイジメに引用したのです。

さらに、イリゴイエンヌ氏はいくつもの事例を被害者目線でとりあげ、「企業経営がモラハラを助長している」との見解を示し、批判は「個人」ではなく「組織」に向けられるべきであるとしました。

その結果、1999年には国会で法案が提案され、2002年1月17日職場でのモラルハラスメントに言及した「社会近代化法」(労働法)が制定されたのです。


従業員は、権利と尊厳を侵害する可能性のある、身体的・精神的健康を悪化させるような労働条件の悪化をまねく、あるいはそれを悪化をさせることを目的とする繰り返しの行為に苦しむべきではない。雇用者には予防義務があり、従業員の身体的・精神的健康を守り、安全を保障するために必要な対策をとらなければならず、また、モラルハラスメント予防について必要な対策を講じなければならない。
(労働法より引用)

つまり、個人の問題ではなく組織の問題として、企業にパワハラ=モラハラに関する予防・禁止措置を課しました。

1冊の本が法案提出につながるとは、さすがフランスです。というか、むしろそれほどまでに、フランスの多くの職場でモラハラに苦しんでいる人が存在した証なのでしょう。

実は、フランスでは2000年代から職場のモラハラを原因とする自殺が頻発していました。

その引き金のひとつとされているのが、1990年代に左派政権によって導入された「週35時間労働制」です。

労働時間の規制の主たる目的は「雇用の維持と失業者対策」。

政府の目論見通り、2000年〜2002年にフランス全土で実施された大規模調査では、5割が「職場の人員が増えた」とし、6割超が「生活の質が向上した」と回答(失業率の改善には好景気が影響した、という意見も多い)。

ところが、その一方で、4割が「業務の負担が増えた」とし、そのうちの6割超の労働者が、「ストレスが増加した」と回答しました。

いかなる法案も使い方次第で負の側面が出るものですが、皮肉にも労働時間短縮規制を徹底したことで、「コスト命」の愚弄な経営者が仕事量は従来どおりで労働時間だけを短縮し、賃金を抑制。その結果、職場の人間関係が悪化し、上司からの攻撃や暴力など、「モラハラ」が爆発的に増加したのです。

その先陣をきったのが、自動車メーカー「ルノー」。2007年に、4カ月間に3人が自殺。カルロス・ゴーン氏が、ルノー本体のCEOに復帰した時期と重なることから、「ゴーンは、日本の『過労自殺』という経営手法までフランスに持ち帰ったのか」とフランス国内で揶揄されました。

実際ゴーン氏の要求は高く、自殺者が残したメモには「会社が求める仕事のペースに耐えられない」と書かれ、夫を失った妻は「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」とサービス残業が常態化していたと告白するなど、ゴーン氏の経営手法は問題視されました。

また、2008年にはフランスの銀行で働く12人の従業員が自殺。2009年にはフランス最大手の電話会社「フランス・テレコム」で、わずか1年8カ月の間に24人もの社員が「自殺」するという、衝撃的な事件もありました。

結局のところ、“コストカット”による企業再生は、現場の犠牲の上に成立するという、やりきれないリアルが存在します。

リストラされた人はもちろんのこと、カネだけを追いかけるトップが作った劣悪な職場風土につぶされるのです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c38

[政治・選挙・NHK254] 通貨発行権<福祉政策の為の通貨の増刷は可能であるスレッドの続き 天橋立の愚痴人間
12. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月28日 18:35:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21247]
>>11
天橋立の愚痴人間氏は無知蒙昧だから、

マネタリーベースとマネーストック(マネーサプライ)の違いが理解できていないんだな(呆れ)
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/285.html#c12

[リバイバル4] 買ってはいけない 300B ダメ・アンプ _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) SV-91B 中川隆
11. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月28日 19:00:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]

乗鞍高原 ペンション ウインズ _ ザ・キット屋の詐欺商法の片棒担いだのが運の尽き?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/328.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/124.html#c11
[昼休み54] 中国人のウイグルでの民族浄化の手口 中川隆
36. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月28日 19:20:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]

中国の駐米大使、ウイグル問題で警告 「中国に制裁発動なら報復」
2018.11.28 Wed posted at 18:27 JST

中国の崔天凱駐米大使がウイグル問題での批判に反論/CHRIS KLEPONIS/AFP/Getty Images



(CNN) 中国の少数民族ウイグル族に対する人権侵害が報告されている問題をめぐり、同国の崔天凱駐米大使は27日、トランプ米政権が中国政府に対する制裁の発動に踏み切れば中国側も報復措置に出ると警告した。

ロイター通信とのインタビューで述べた。米議会の報告書によれば、中国西部の新疆ウイグル自治区ではイスラム教徒100万人が中国政府により「再教育施設」に強制収容されたとみられている。

26日には世界各国の専門家270人が共同で声明を出し、中国政府の施策を厳しく非難。収容者らは「栄養不良の状態に置かれ、耐え難い精神的苦痛にさらされている」と主張した。

米国ではトランプ政権がこうした現状への批判を強めているほか、超党派の議員グループからも中国政府への制裁を求める声が上がっていた。

崔大使はこれらの批判に反発し、中国政府はあくまでもテロリストへの「再教育」を試みているのだと強調。中国の対応を過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と戦う米軍になぞらえ、「ISISと戦う米国の当局者に制裁が科される事態など想像できるだろうか」と述べた。

また米軍が中東でテロリストを殺害しているのに対し、中国政府はそうしたテロリストの多くを再教育することで「彼らが普通の人間として、普通の生活に戻れるようにしている」と説明した。

そのうえで中国の当局者に何らかの制裁が科されるのであれば、中国政府も相応の報復措置に踏み切らざるを得ないと警告した。ただ具体的な報復の内容については明らかにしなかった。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html#c36

[番外地6] アホが書いた日本国憲法 中川隆
29. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月28日 19:49:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]
日本の防衛費はアメリカの同盟国で最下位、その分をアメリカが負担している

防衛費GDP1%問題

安倍首相は今までに何度か防衛費のGDP1%は存在しないと言ってきたが、実際にはGDP比1%以内に抑えている。

中韓に親しい左派は防衛費削減を主張し、保守派は増額を主張するので、中間をとって従来通りにしていた。

防衛費は「日本が戦争に負けて嬉しかった」という発言で有名な三木首相が1%以内と決め、以来40年守られてきた。



80年代に中曽根内閣で一瞬だけ1%を上回ったが、当時はまだ日本の成長が続いていて、GDP(GNPだった)も急増していた。

安倍首相は総裁選や2012年の衆院選で防衛費増額を約束したが、一度たりとも増額していない。

防衛費は微増だがGDPも同じペースなので、結局防衛費のGDP比率は三木内閣当時から変わっていない。


アメリカではトランプ政権が発足してから同盟国への防衛費負担要求が強まっている。

アメリカの国防費は2018年度が約73兆円(6780億ドル)でGDPは19.39兆ドル(2017年)なのでGDP比は約3.5%になっている。

対してフランス2.3%、イギリス1.8%、ドイツ1.2%で日本は1%以下なので「同盟国中最悪」となっている。


同盟国が防衛費を払わない分をアメリカが払っていて、アメリカの納税者は年間数兆円を英仏日独などのために払っている。

トランプはこう主張していて何割かのアメリカ人も同じように考えています。

アメリカが得をしている部分もあり、「軍事力=外交力」という絶対法則によってアメリカは強大な外交力を持っている。

2枚舌で防衛費を使い分け

例えば日本は米軍なしには一日たりとも存在しえない非武装国家なので、日銀が金利変更するにもアメリカの許可を得ている。

国家予算もアメリカの承認が必要だし、新総理が就任すると最初にアメリカを「参勤交代」することに決まっている。

憲法改正や改正しないことにもアメリカの許可が必要なので、体のいい属国というところです。

防衛費を増額すれば日本もフランスやイギリス並みの外交力を手に入れ、経済的にもプラスの効果がある。


日本がGDP比でアメリカと同じ防衛費を負担すると約20兆円になり、中国やロシアを圧倒する軍事大国になります。


まあそれは困難なのだが2%とか1.5%にしても中国に匹敵する規模になり、もはやアメリカの指図を受けなくても良くなる。


新聞によると日本政府は「実は日本の防衛費はGDP比1.3%だった」としてアメリカの理解を得る方針です。

在日米軍関連費用や恩給や国連軍への派遣費用など防衛省の予算以外を含めると、およそ1.3%になるという。


トランプはNATO諸国に防衛費4%を求めていて、実際には2%以上が最低ノルマと考えている。


「ノルマ」を上回っている主要国はフランスだけで、日本は1.3%とすると1.2%のドイツを上回り最下位脱出できる。

国内的には1%以下と説明しアメリカには1.3%、中国や韓国には1%だと言って刺激しないようにする。

安倍政権はこんなことをこれからも続けるつもりなのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/78273500.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/613.html#c29

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
39. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2018年11月28日 20:29:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]
国税庁OB「脱税が立件できればルノーも仏も何も言えない」 ファクトチェック・ニッポン!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242507

2018/11/28 日刊ゲンダイ


既にマルサと特捜部の共同作業に(C)日刊ゲンダイ

「巨額脱税事件。特捜部の狙いはゴーン氏の脱税事件の摘発だろう。国税の出番だ」

 日産のカルロス・ゴーン元会長が東京地検特捜部に逮捕された翌日、複数の国税庁OBは異口同音にそう言った。このうち、脱税事件を摘発する際に特捜部の下支えをする東京国税局査察部を指揮したOBは、推測だと断った上で次のように話した。

「既にマルサ(査察部)と特捜部の共同作業は始まっているはずだ。脱税事件が立件できれば、ルノー本社もフランス政府も何も言えない」

 また企業調査をトップとして仕切った経験のある別の元幹部は、まずはゴーン元会長、日産双方の税務申告を徹底的に洗う作業が始まると話す。

「有価証券報告書には嘘の報告をして税務申告では正しい報告をする……なんて、あり得ない。特に、彼(ゴーン元会長)のもらっている金額の役員報酬は税務署に報告義務がある。だから、有価証券報告書の記載と税務申告とは同じなはずだ」

 有価証券報告書を提出する先は財務局、税務書類は税務署に出す。どちらも財務省の一部局(国税庁は外局)だ。別の報告書を出すことは考えられない。

 ゴーン会長の逮捕容疑は金融商品取引法違反。有価証券報告書に自身の報酬を実際よりも過少に報告した虚偽記載の疑いだ。各社の報道では、実際より約80億円少なかったという。その後のNHKの報道では、記載されていなかった報酬は社内で積み立てられていたという。

「考えにくいが、これが本当なら日産も無傷ではいられない。積み立てた報酬をどう会計処理していたか? 会社の税務申告も問題だ」(前出の国税OB)

 ゴーン元会長逮捕翌日、日産の西川広人社長は会見を開き、ゴーン元会長が他に会社の資金を私的に利用していた点や、関連会社が海外に購入した複数の住宅を私的に利用していた点を挙げた。そして、東京地検特捜部に相談し、その後は捜査に協力していたことも明らかにした。これを受けて報道各社は、特別背任や業務上横領に捜査が進むと報じている。しかし、この会見が特捜部の「本丸」を伝えるものとは考えない方がよい。会見内容について日産は特捜部にお伺いを立てているはずだ。特捜部がターゲットとしている案件を日産が明かすなど、特捜部が許すわけがない。特別背任なども視野に捜査はするだろうが、「本丸」はそこで語られなかった事案だろう。

 ただ、脱税事件を立件するには、仮に税の申告漏れが判明しても、それを隠すための仮装隠蔽を認定する必要がある。これについて、国税OBは、「有価証券報告書の虚偽記載そのものが脱税のための仮装隠蔽だと認定することは可能だろう」と話した。各国の富裕層が国境を越えて課税を逃れる実態を明かした「パナマ文書」を取材している時、国税庁の現役幹部が言った言葉を思い出す。

「富裕層が国境を越えて資金を隠す。これを摘発するのは各国の課税当局の最大の課題だ。しかし実際にはなかなか難しい。何かひとつ、良い案件があればモデルになる」

 仮に、この事件が巨額脱税事件に発展すれば、フランスを含め各国の税務当局も動かざるを得ない。その時、この捜査は、巨額な報酬を得る多国籍企業の経営者に対して、各国の捜査、課税当局が協力してメスを入れるモデルケースになるかもしれない。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c39

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
40. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月28日 20:36:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c40
[経世済民129] ゴーン昨年度報酬は上限超え25億円?“後払い”は絵画で(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月28日 20:42:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]

脱税の手口

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 画像
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI


詳細は

ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/654.html#c1

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
41. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月28日 20:44:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21250]

ゴーン昨年度報酬は上限超え25億円?“後払い”は絵画で
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242578

2018/11/28 日刊ゲンダイ


ゴーン(右)、ケリー両容疑者/(C)共同通信社

 日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が金融商品取引法違反容疑で逮捕された事件で、2017年度の報酬が約25億円に上っていた疑いが浮上した。28日の朝日新聞が報じた。

 17年度の有価証券報告書によると、ゴーンの報酬は前年度比33%減の約7億3000万円。ゴーンは同年4月に社長兼最高経営責任者を退任。また、日産の工場で無資格検査問題も発覚した。

 日産は08年の株主総会で、取締役の報酬総額の上限を29億9000万円と決定。17年度の取締役総報酬は約15億円だったため、ゴーンの報酬が約25億円だとすれば、上限を超える計算になる。

 無資格検査事件の責任を取って報酬を減らしたふりをして、株主総会で決められた上限を超える報酬を得ていたとしたら悪質だ。

 また、有価証券報告書に記載されていない報酬の「後払い」分の受け取りについて、日産が高額で購入した絵画をゴーンに役員退任後に譲渡し、それを売却して現金化する方法が検討されていたことも発覚した。

 28日の読売新聞によると、ゴーンは同じ容疑で逮捕されたグレッグ・ケリー前代表取締役(62)らとの間で、年度ごとの後払い分の金額を明記した覚書を作成し、ゴーンとケリーらが署名。この文書には後払い分の支払方法が記されていないため、別に覚書を交わして、絵画などによる具体的な授受の方法を検討していたとみられる。

 さらに、28日のNHKによると、ゴーンに無償提供されていたブラジルやレバノンなど海外の高級住宅の購入に関わっていたオランダの子会社の業務について、監査法人が13年前後に、「投資という設立目的に沿った業務をしているのか」という指摘を複数回にわたって行ったが、日産はそのたびに「問題はない」と説明をしていたという。

 また、後払いの報酬についても10年ごろに監査法人から「有価証券報告書に記載が必要」という指摘があったものの、日産は「プライベートな情報」などとして記載しなかったという。

 これが事実なら、日産はゴーンの数々の不正を知りながら目をつぶっていたことになり、グルだった可能性も出てくる。



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c41

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
2. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月28日 21:00:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]

ビル・ゲイツはハンバーガーがお好き


ビル・ゲイツといえばマイクロソフト創業者で世界一のお金持ちとしても有名です。世界長者番付でずっと1位をキープしてきましたが2010年版ではメキシコの通信王であるカルロス・スリム・ヘルに抜かれ2位になってしまいました。3位は投資家で有名なウォーレン・バフェット。2011年版も順位は変わっていません。日本のIT系では、ソフトバンクの孫社長が113位、楽天の三木谷社長が182位に入っています。

ビル・ゲイツの推定資産は530億ドル(4兆2400億円)。お金持ちといっても資産として持っているマイクロソフト社の株であり、簡単に売るわけにはいきません。2006年度のビル・ゲイツの年間報酬は61万6667ドル。賞与は35万ドルで、あわせて96万6667ドル、100万ドル以下です。1ドル80円で計算すると年収8000万円。

ビル・ゲイツの8000万円はアメリカの経営者としては意外と少ないのですが、他に株の配当や銀行預金の金利がありますので毎年入ってくるキャッシュは膨大です。若い時からビル・ゲイツはお金に困らない生活をしていますが、食生活はいたって質素でハンバーガーが好物です。


昼食はドライブスルーのハンバーガー

マイクロソフトの秘書がハンバーガーを買いに来ていた

IBMと提携し、MS-DOSをひっさげ若くしてパソコン業界に君臨するビル・ゲイツ。1980年代、既にマイクロソフトの従業員が300人ほどに拡大している頃、本社の隣に「バーガーマスター」というハンバーガー屋さんがありました。今で言うドライブスルー形式ですが、一風変わったシステムでした。

駐車場に車を止めて、柱にあるメニューをチェック。注文が決まり車のライトをつけるとお店のお姉さんが注文を聞きに来るシステムです。持ち帰ってもよし車で食べてもよし、テイクアウト専門です。お昼になると毎日、このバーガーマスターへマイクロソフトの秘書がハンバーガーを買いに来ていました。これがビル・ゲイツの昼食でした。

来日しても分刻みのスケジュールをこなすビル・ゲイツ。移動中も食事はハンバーガーが定番。ただ同じはさむ食べ物ですが冷たいサンドイッチは苦手。

1992年、PCウィンドウズ・ワールド・エキスポ東京が幕張であった時、ビル・ゲイツのために事務局はふだん出すお弁当の何倍もする特上のお弁当を用意しておいたのですが、会場に来る途中でマクドナルドを見つけていたビル・ゲイツはお弁当には見向きもせずハンバーガーが食べたいと要求。あわててマイクロソフト社のスタッフが買いに行きました。

1993年、日本での発売が始まったWindows3.1。新高輪プリンスで発表会が行われましたが、ホテルがお昼に用意したのがビル・ゲイツの苦手な冷たいサンドイッチ。あわててスタッフがマクドナルドまでチーズバーガーを買いに行き、ことなきをえました。

その後、幕張で行われたイベントでは基調講演のリハーサルを終えたビル・ゲイツが控え室にいません。ビル・ゲイツがいないとスタッフが大騒ぎしていると、駅近くのマクドナルドへ自分でハンバーガーを買いに行ったビル・ゲイツがひょっこり帰ってきました。前回、幕張に来た時に店をチェックしていたのですね。それにしてもマクドナルドのレジの列にビル・ゲイツが並んでいたら皆、驚いたでしょうね。アメリカの空港待合室でもよくハンバーガーを買っているようです。


ハンバーガーをひっくり返すことがチャンスだ

アメリカの高校でビル・ゲイツが行ったスピーチ「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」がインターネットで話題になりました。実際はビル・ゲイツが考えた言葉ではなく本からの引用なのですが、なかなか含蓄に富んでいます。

「先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。」
「人生は公平ではない。それに慣れよ。」

ビル・ゲイツらしく「オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。」というのもあります。

このスピーチの中にまでハンバーガーが登場します。

「ハンバーガーを引っくり返すということは沽券にかかわることではない。君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。それはチャンスと呼ばれた。」

数々のチャンスをモノにしてきたビル・ゲイツならではの言葉です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/397569/


ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットの意外な共通点――世界長者番付の上位者がよく食べるものとは? 2016/12/17


マクドナルドが好きです。

ハンバーガーとマックフライポテトが食べたくて、2日に1度くらいのペースで店に行きます。じつは、そんな自分が恥ずかしくてたまらないのです。


だって、マクドナルドってジャンクフードの代表格じゃないですか。実際、マックの商品を食べ終わったあとには、えもいわれぬ「ジャンクな香り」が全身から立ちのぼります。たとえるなら、情事のあとにシャワーも浴びずにベッドから抜け出してきたみたいで、周りの人たちに見透かされるようで、なんだか恥ずかしいのです。


マクドナルドが好きすぎる自分にすこし悩んだ時期もありました。しかし、ある事実を知ることによって、わたしは救われたのです。


ビル・ゲイツの好物はチーズバーガー

アメリカの経済誌「Forbes」は、毎年の恒例行事として世界長者番付を発表しています。


2016年版の第1位はビル・ゲイツ氏でした。資産額は約750億ドル(発表当時の為替レートで約8.5兆円)。ご存じのとおり、ゲイツ氏は、Windows、Word、Excel、PowerPointなどのソフトウェアを開発・販売しているマイクロソフト社の共同創業者です。


大富豪のゲイツ氏ですが、若いころから「ファストフード店のハンバーガー」が好きだったようです。好みは現在も変わっていないらしく、ソーシャルニュースサイト「Reddit」で開催されたゲイツ対ネットユーザーの一問一答イベント(2013年)や、海外紙「Telegraph」の取材記事(2016年)でも、あらためて「チーズバーガーが好き」であることが紹介されています。


つまり、わたしとゲイツ氏は「ジャンクフード仲間」ということになります。


うれしいです。


あの「スーパー経営者」が帰還直後に欲しがったもの

ファストフード店のハンバーガーを好んで食べたがる大富豪は、ほかにも存在します。『アイアンマン』ことトニー・スターク氏です。


スターク氏は、アメリカにおける最大手の軍需企業「スタークインダストリーズ」社のCEOです。架空の人物なので、現実のForbes誌にはランクインしていませんが、おそらく数千億円から数兆円レベルの大富豪でしょう。


映画『アイアンマン(Part.1)』の序盤において、スターク氏が死地から生還するシーンがあります。米軍の輸送機から降り立ったスターク氏が、まずはじめに欲しがったものが「チーズバーガー」でした。そのあとスターク氏は、バーガーキング製のチーズバーガー2個をペロリと平らげています。


バフェットがジャンクフードを食べ続けるワケ

ビル・ゲイツ氏にくらべて一般的な知名度が低いのですが、ウォーレン・バフェット氏は、Forbes誌における世界長者番付ランキング3位の大富豪です。伝説的な投資家であり、資産額は約600億ドル(発表当時の為替レートで約7兆円)。


有名なエピソードを紹介しましょう。


あるとき来日したバフェット氏は、日本企業が用意した高級和食にはいっさい箸をつけようとせず、そのかわりに「肉とパンだけのハンバーガー」と「チェリーコーク」を希望したというものです。


これはバフェット氏が質素な生活を好む「倹約家」であることを印象づけるものです。しかし、出典元を調べてみると、ほかにも違った見方ができるようです。


ひとつは『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(桑原晃弥・著/朝日新聞出版・刊)の一節。


バフェットの食生活とリスク回避のスタイルは、とてもよく似ている。自分が好きなもの、理解できるもの以外には決して手を出さないのだ。

(中略)

バフェットが食べるのは、慣れ親しんでリスクのないチョコレートチップ・アイスクリームやコーラ、ハム・サンドイッチだったからだ。

(中略)

また、一流料理店の料理より、マクドナルドやウェンディーズのほうを好んだ。

(『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』から引用)


ほかにも、バフェット氏に近い人物(次男の嫁)が著したビジネス書には、次のように書いてあります。


暴食に関して言うと、ウォーレンはコーラとハンバーガーと分厚いステーキと大量のフレンチフライを主食としている。本人によれば、この取り合わせの妙は、幼少時代の誕生会で発見したそうで、これを与えてさえおけばいつもご機嫌である。

(『史上最強の投資家バフェットの教訓』から引用)


要するにバフェット氏は、「おいしい」という単純な理由からポテトやハンバーガーが大好きなのでしょう。つまり、わたしとバフェット氏も「ジャンクフード仲間」ということになります。
http://getnavi.jp/cuisine/94221/



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1日にコーラ5本? バフェットのユニークな食習慣に学ぶ「賢人」の投資戦略
Bob BryanOct. 27, 2017

ビリオネアの投資家ウォーレン・バフェットは、1日にコーラを5本飲む。


•ウォーレン・バフェットはユニークな投資家だ。
•その食習慣もユニークで、筆者は1週間、バフェットの食習慣をまねてみた。
•ウォーレン・バフェットの食事から、彼の投資戦略について3つの教訓を得た。


ウォーレン・バフェットになることは、誰にもできない。

物理的に彼そのものになることは当然だが、バフェットに匹敵するような投資能力を持つ人はまずいないし、彼が買収した企業のポートフォリオは、これからもユニークであり続けるだろう。

だが、バフェットにはもう1つ、その異彩ぶりを際立たせ、常人には継続するのが難しそうな一面がある。食習慣だ。「オマハの賢人」と呼ばれるバフェットの食事は、彼自身が認めているように、まるで「6歳の子ども」の食事だ。チェリーコークやジャンクフード、ピーナッツ・ブリトルまで、彼の食事はとにかく偏っている。筆者は1週間、同じ食事を試したが、なんとも悲惨だった。

砂糖と加工肉ばかりの1週間は、なんとも恐ろしい体験だったが、筆者はそこから2つのひらめきを得た。

1つは、バフェットの食事は本人が言うほど無節操ではなく、筋が通っているということ。もう1つは、彼の食事と投資戦略には共通点があるということだ。

目の前の数式がある日突然、自然に解けて、どの企業にどのタイミングで投資すべきか分かったと言っているわけではない。だが、バフェットの食事と投資には、3つの共通点があることに気が付いたのだ。

1. 自分が知っているものにこだわる

バフェットは、途中で道をそれることがあまりない。今も地元ネブラスカ州オマハで、同じレストランに通い続けている。ニューヨークに来た時も、同じステーキハウスへ行く。朝の株式市況にかかわらず、いつも同じ朝食を食べる。

これは、自分が通い続けるレストランを良くわかっているからだ。彼は自分が好きなもの、その食事から得られるものを探り、明確に理解している。同じ朝食を食べ始めて4日目には、私も自分が好きなものが理解できた。

自分が食事をする場所に精通するのと同様、バフェットは自分が投資する企業を徹底的に研究し、把握する。彼は読書家で、投資に乗り出す前には、膨大なリサーチを行うことでも有名だ。

2. 寛大であれ、だが、なすがままではない

食事でも投資でも、自分が求めているものが分かったら、バフェットは徹底的にそれを追求する。

チキンフライドステーキやハンバーガーをオーダーし、何にでも塩を振り、ピーナッツ・ブリトルを食べる。とにかく、バフェットの食事はヘビーで、まるで1日中、自分の胃袋を痛めつけているようだ(バフェットの食習慣を体験してからもう1カ月近くたつが、その1週間で増えた体重は最近やっと減ってきた)。

食事に対する自由なアプローチ同様、バフェットは投資に対しても大抵はフリースタイルだ。

例えば、バフェットは上場企業7社の株式、合計1億株以上を保有し、さらに全体の5%以上の株式を保有する上場企業が20社ある。他にも、2009年には440億ドルでBNSF鉄道を、2015年には372億ドルでプレシジョン・キャストパーツといった非上場企業の大規模な買収を行ってきた。

バークシャー・ハサウェイの株式ポートフォリオは比較的小さいが、バフェットが投資を仕切るときは大きく出る。シーフードタワーに2ポンド(約910グラム)のステーキ、ハッシュドポテト、ほうれん草、ココナッツケーキを1度に平らげるように。

3. 好きを極める

バフェットはとにかく大量の炭酸飲料を飲む。心からチェリーコークが好きなのだ。家族を除けば、彼が人生の中で最も長く愛し続けているのがチェリーコークだろう。

同じように、バフェットは自分が何を欲しているのかを把握するだけでなく、とにかくそれにこだわる。自身の信念に情熱を持っているからだ。

「自らの情熱に従え」2012年のインタビューでバフェットはこう述べている。「私がいつも大学生に言うのは、経済的に独立しているなら、やりたい仕事をやれということ。そうすれば、良い結果が出る」

人生のアドバイスとしてはいささか常套句のようだが、健全だと考えた投資に対するバフェットのこだわりにも、これは当てはまりそうだ。

例えば、アメリカン・エキスプレスへの投資を例に取ってみよう。バフェットは同社の17%以上の株を保有しているが、その業績は過去数年間、控えめにいっても厳しい状況にある。2014年半ばには95ドル前後だった株価は、2016年半ばには、辛うじて50ドル超えという水準まで下落した。重要な取引先の一角だったコストコを失い、カード業界のエコシステムはアメリカン・エキスプレスから遠ざかりつつあった。

だが、バフェットは1991年から続けてきた同社への投資にこだわった。むしろ先週18日(現地時間)に退任を発表した、同社CEOケネス・シュノールト(Kenneth Chenault)氏を、17年間にわたって擁護した。その結果、今でも問題を抱えてはいるが、その株価は過去最高値に近い水準まで持ち直している。

バフェットが自身の投資先を支援するのは、彼らを心から信頼しているからだ。そして好きな食べ物にこだわるのは、それを心から楽しんでいるからなのだ。
https://www.businessinsider.jp/post-106299


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絶対に真似しちゃダメ!天才ジョブズ氏の奇妙な食習慣 2011.11.04


米アップル社創業者の評伝『スティーブ・ジョブズ』が、日本でも発売10日目で100万部を突破するという勢いです。

ジョブズといえば、様々な逸話が残っていますが、食生活についてもかなりのこだわりがあったよう。

ニュースサイト『msnbc.com』では、その奇妙な食生活について以下のような分析を行っています。


■1. リンゴ・にんじんダイエット

ジョブズ評伝によれば、彼は1週間に1種類か2種類の食べ物しか食べないことが時折ありました。たとえば、にんじんとリンゴだけといった具合です。

こうした食習慣について、管理栄養士のエリザ・ザイド氏は以下のように述べています。

「リンゴとにんじんは健康的で炭水化物も供給してくれます。しかし、たんぱく質がほとんどありません。脂肪や炭水化物と違って、たんぱく質は体内に貯蔵されないので、毎日の食事で十分なたんぱく質を摂取する必要があります」

タンパク質はエネルギーの供給源になるとともに、体の組織を作ります。また引き締まった筋肉を維持し、メタボになるのを防いだり、筋肉の働きをサポートしたりもします。

十分なタンパク質を摂らなければ、必須アミノ酸が得られません。

「必須アミノ酸は、身体組織の成長や維持に役立つものです」

とザイド氏。また脂肪不足については以下のように説明しています。

「十分な食物脂肪がなければ、体内の脂肪貯蔵が枯渇します。そうすると肌が衰えますし、寒さも感じやすくなります。また身体の器官や組織が痛みに弱くなって、慢性的な病気にかかりやすくなるということもあります」


■2. 果実食主義もどき

ジョブズは果実食主義になることもありました。果実食主義とは菜食主義の一種。果物やナッツ、種、野菜や穀物しか食べず、動物性食品は絶対に摂りません。

こうした食生活には、健康的な食物が含まれているものの、食事プランを慎重にしなければ、必要な栄養が得られないとザイド氏は警告を発しています。

「こうした食生活は制限が厳しくなりがちです。ナッツと種を大量に食べなければ十分な食物脂肪を摂ることができません」

とザイド氏。

「飲み食いするものが限られていると、栄養が偏ってしまいます」


■3. 菜食主義で入浴拒否

ジョブズは菜食主義に傾倒すれば、分泌物が洗い流されて体臭もないと信じており、毎日シャワーを浴びる必要がありませんでした。

しかし、評伝によれば元同僚は彼が間違っていたと述べています。

菜食主義スタイルの食生活で、タンパク質が不足すると身体の解毒作用が弱まるので、体臭がひどくなることもあるのです。

ただ分泌物に関しては、ジョブズにも一理あったのかもしれません。食生活の改善で、分泌物は減ります。病気で過剰に分泌物が生じる場合には特にそうです。


■4. 断食の苦痛とエクスタシー

ジョブズは多幸感やエクスタシーを得るために断食を行うこともありました。とりわけ彼が最も好んだのはケトーシス状態とよばれる体験。

ケトーシス状態とは、断食のあとに訪れるマイルドな多幸感です。

普通の食生活を送っていると、ブドウ糖が身体の主なエネルギー源です。

しかし断食をすると、ブドウ糖のかわりになるケトンという化学物質が身体で作られ、細胞のエネルギーとして使われます。

「必要以上にケトンが作られると、ケトーシス状態という危険な状態が起こります。身体から水分とナトリウムが不足し、吐き気や虚脱感、疲労を引き起こすのです」


いかがでしたか? 天才と呼ばれる人物の食生活はやはり常人の理解を越えています。

このような個性的な食生活は一種の願掛けのようなものとして、彼のひらめきに一役かっていたとも考えられます。ただし、栄養学的には上で紹介したように決してオススメできるものではありません。

良い子は絶対にマネしないでくださいね!
https://www.news-postseven.com/archives/20111104_68959.html


果実食だったスティーブジョブス氏は脾臓ガンになった August 13, 2014 02:51:02


「ジョブズ氏の病気療養の発表は、世界中に衝撃を与えましたが、実はユニークな発想で知られるジョブズ氏の食事についても、改めてスポットが当たることになりました。菜食主義のことです」

 こう語るのは、IT業界に詳しい米国人ジャーナリストである。

「iPhone」や「iPad」などの大ヒットで、増収増益を続ける米・アップル。

 その創業者であり、現在も最高経営責任者(CEO)として最前線で指揮をとっているスティーブ・ジョブズ氏(55)の"病気療養宣言"は全世界を揺るがした。

 ジョブズ氏が、病気療養に入ることを全社員にメールで通達した---。

 『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)などが、このニュースを1面トップで報じたのは1月18日のこと。すると、米・株式市場は即座に反応。当日発表された '11年度第1四半期の業績が、前期比78%の増益だったにもかかわらず、アップルの株価は一時最大で6.5%も下落。終値は、前日比で下げ幅2.3%となる340.65ドルで引けた。


'00年、ジョブズ氏が44歳の頃。この頃が一番ふくよかだったと思われる。4年後、膵臓がんの手術を受ける

 時価総額でマイクロソフトを抜き、世界最大のハイテク企業となったアップルだが、図らずも、カリスマ経営者の存在感がブランドイメージに影響力を持つ企業の脆さを露呈することになった。

 前出の米国人ジャーナリストが話す。

「今回、社内メールで公表されたのは、『ホルモンバランスが崩れ、健康体の維持に必要なたんぱく質が失われる病気を患っている』とのことでした。療養期間が不明なままなので、様々な憶測が飛び交っていますが、ジョブズ氏の病気療養は、今回が初めてではありません」

 ジョブズ氏は '04年、膵臓がんの摘出手術のため1ヵ月間療養。

 '09年には、肝臓の移植手術を受け、半年間の入院を経験している。この時は、「約6ヵ月」と、明確な療養期間を事前に発表していた。


「今回の病状については米マスコミでもあまり報じられていません。そうした中、ジョブズ氏の食生活に体調不良の原因があるのではないか、との説まで囁かれ始めているのです。

ジョブズ夫妻が、究極の菜食主義者と言われるヴィーガンであることは有名で、ジョブズ氏は、特に果物にこだわる果実食主義者。リンゴが大好物で、肉も魚も、卵も乳製品すら摂らない。ミルクも蜂蜜もダメ。それが激やせの原因ではないかというのです」(前出の米国人ジャーナリスト)


インド放浪とリンゴ

 ヴィーガンとは、衣食を含むあらゆる目的のために動物を殺すことがないようにしている人々のこと。厳格なベジタリアン(菜食主義者)として知られる。

 ジョブズ氏の果実食主義への傾倒は相当なもの。例えば、 '04年の休養時には、手術を受けずに食事療養で治療しようとしていたというほどだ。最終的には手術を受けたが、その時の模様を、米国の経済誌『フォーチュン』( '08年3月5日号)は巻頭特集で、次のように伝えている。

〈仏教徒で菜食主義であるアップルCEOは、現在主流の、西洋医学に懐疑的だった。膵臓がんの治療でも別の治療法を採用することを決め、特殊な食事療法によって手術を回避する道を希望した〉


アップルの創業仲間、スティーブ・ウォズニアック氏と。左がジョブズ氏

 ジョブズ氏の果実食は復帰後も続いたようで、「サンフランシスコ市内の菜食主義レストラン『Greens』で食事するジョブズ氏の姿が何度も目撃されている」(前出・米国人ジャーナリスト)。

 もちろん、今回の体調不良と果実食主義との関係は明確ではない。

 しかし、ジョブズ氏の経歴を振り返れば、カリスマ経営者と果実食の"ユニークな関係"が垣間見えてくる。


'77 年、1298ドルで発売され大ヒットしたApple Uとジョブズ氏

 ジョブズ氏は '72年、オレゴン州のリード大学に入学するが、半年で大学への興味を失い中退。 '74年にはビデオ・ゲーム会社「アタリ」の社長、ノーラン・ブッシュネル氏に気に入られ、エンジニアとして入社する。


 社内では異彩を放ち、風呂に入らず長髪にサンダル姿でうろつくという奇行が目立った。

 友人のダン・コトケ氏と仕事でドイツに行った帰りにインドに寄り、数ヵ月間放浪したりもした。インドでは、修行僧のグルに気に入られ山で一緒に修行、丸坊主になって出社したこともあったという。

 アタリを退社したジョブズ氏は、 '77年1月3日、高校時代からの悪友、スティーブ・ウォズニアック氏、それにブッシュネル氏に紹介されたマイク・マークラ氏とともにアップルを創業する。


ジョブズ氏と面識があり、アップルジャパンの立ち上げにもかかわった、PR会社「井之上パブリックリレーションズ」の井之上喬社長は、こう語る。

「ジョブズ氏が付けたと言われている社名の由来についてはいろいろ説がありますが、大学を中退した後に、彼がリンゴ農園で働き、よくリンゴの木の下で瞑想していたためにアップル≠ニ命名したと聞いています。インドを放浪したり仏教の修行に没頭したり、ハイテク企業の経営者ながら、自然主義的でオリエンタルなものに人並み外れた畏敬の念を持つのも、彼のユニークさの一つでしょう」

 ちなみに、ジョブズ氏は日本の禅にも傾倒し、日本食、特に蕎麦が好物で、アップル本社の食堂には「刺身蕎麦」というメニューがあるのは有名な話である。

 今後の経営はどうなるのか。ジョブズ氏は社員に宛てたメールで、「今後もCEO職にとどまり、主要な戦略的意思決定に関与する」と明言していることから、日常業務は最高執行責任者(COO)のティム・クック氏が代行するとみられている。クック氏はIBM、コンパックなどを経てアップルに入社。これまで2回ジョブズ氏が休養した際にも代行などを務め、収益を安定させてきた。

 しかし、米・投資銀行「グリーチャー」のアナリスト、ブライアン・マーシャル氏は、WSJ紙の取材に対し、「病気は、スティーブ(ジョブズ)個人にとって大変なことだと思うが、彼が療養生活に入ったことで生まれる市場の反応は生やさしいものではない」

 と答え、ジョブズ氏の療養はアップルに暗い影を落とすと指摘している。

 とはいえ、これまで2度の病気療養を経験したジョブズ氏は、iPhone、iPadなどの大ヒット商品を引っさげて復帰を果たしている。カリスマは3度目の復活で、どんな新商品を掲げて見せてくれるのか。

[取材・文:松崎隆司(経済ジャーナリスト)]


これは2011年2月のまだ亡くなる前の記事ですが結果的には亡くなってしまった理由が何とフルータリアンによる膵臓がんだったそうです!(今トリファラスキーさんの記事で知りました)手術拒否で食事療法や針療法で膵臓がんを治そうとしたそうですが悪化してしまったようです。手術を結局はする事になり免疫抑制剤などを大量投与、肝臓移植などもしてしまったためにガンが増殖して激ヤセして亡くなったようです。

果実食は究極の食事かと思ってましたがどうやら人によっては致命傷になるようです。脾臓に負担がかかるとは知りませんでした。。。

ジョブス氏を演じたアシュトン・カッチャーまで同じ症状になったのですからこれは事実なのでしょうね。実行出来なくて幸いでした。。。マクロビも私にはいいと思えず、年齢が増すにつれ玄米を美味しいとは思えなくなりました。やはり身体が食べたいものを食べるのがいいんじゃないかな。

今年齢的にも外見とか殆ど気にしていないので私にとっては寝る方が大事ですね。


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アシュトン・カッチャーは、スティーブ・ジョブズの果実食を真似た結果入院していた


メソッド俳優は、自分が演じるキャラクターを理解するのに夥しい時間をかけることで知られている。ナタリー・ポートマンはブラック・スワンでバレリーナを演じるために20ポンドも体重を落とした。

アシュトン・クッチャーは、評伝jOBSでスティーブ・ジョブズを演じるための準備が極限に達し、病院に搬送される結果となった。USA Todayによると、彼はスティーブ・ジョブズの果実ダイエットを実践しようと試みた結果、2日間の入院生活を強いられた。果物とナッツ、種子類だけを食べていた。

「撮影が始まる2日前くらいに入院しました。痛みで身をよじらんばかりでした。私の膵臓は完全に機能不全に陥っていました。本当に恐ろしくて・・・あらゆることを考えました」

「あらゆることを考えた」というのは、2011年にジョブズを死に致らしめた膵臓ガンのことかもしれない。ジョブズは果実食を続けてきたことで知られており、クッチャーはそれを役作りに取り入れたほか、ジョブズの猫背の歩き方や身ぶりを真似するために何時間も彼の映像を見て研究した。

しかしクッチャーは、テクノロジーへの愛以外にも、故Apple共同ファウンダーとの共通点が多いと感じている。

「彼は失敗の後立ち直った男です。私は、何かを目指して進んでは失敗する人生のどこかで、誰もが共感できることだと思います。立ち直ってもう一度進むためには勇気が必要です。私はそれも共有していると思っています」、クッチャーは語った。

もう一人のApple共同ファウンダー、スティーブ・ウォズニアックは、同映画の初めて公開されたクリップを見て、期待していたほど現実に即していないと言った。彼は、ジョシュ・ギャッドによるウォズの描写の方が、クッチャーのジョブズよりもリアルだったとも指摘した。しかし、アシュトンの不断の努力は、映画の他の未公開部分で役立っているだろう。
https://ameblo.jp/eva-omega/entry-11909102746.html


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「スティーブ・ジョブズ」婚外子が暴露本 最期の言葉は“お前はトイレの匂いがする”
8/24(金) 6:00配信 デイリー新潮

 これをお読みのデバイスも、ひょっとしたらアップル製――? MacBookやiPad、そしてiPhoneなどのヒットにより、いまや世界中に顧客をもつ同社は、このほど史上初の時価総額1兆ドル(約111兆円)企業となった。その折も折、創業者にまつわる暴露本が、海の向うで出版されるというのだ。

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 すい臓がんを患っていたスティーブ・ジョブズ氏がこの世を去ったのは、2011年10月のことだった。享年56。1976年に前身となるアップルコンピュータをスティーブ・ウォズニアックと共に立ち上げたジョブズ氏は、いわずと知れたカリスマ経営者であると同時に、91年に結婚した妻との間に1男2女をもうけた父でもあった。

 ところが彼らのほかに、かつての恋人との間にもうけた娘がいる。9月4日に発売される『Small Fry』の著者、リサ・ブレナン・ジョブズ(40)さんだ。

「タイトルには、親が子を呼ぶ“おちびちゃん”と同時に“とるに足らないもの”というニュアンスがあります。推測するに、自分が父にとってそういう存在だった、ということでしょうか。というのも、発売に先駆け、米誌「ヴァニティ・フェア」で内容の一部が公開されているのですが、その内容がなかなか衝撃的なんです」

 と解説するのは、カナダ在住ライターの関陽子氏だ。

「ジョブズ氏の“ハイスクール・スイートハート”、いわゆる初めての恋人がリサさんの母親で、2人は10代から交際していたと伝えられます。この母親自身も過去に自伝を書いていて、それによれば、リサさん以前にも子を宿しましたが、合意の上で中絶を選んだそうです。リサさんは、ジョブズ氏が23歳の時の子。出産を機に2人は別れ、ジョブズ氏は自分が父であることをなかなか認めませんでした」

 認知について、ジョブズ氏は“パイプ・カットしているから子供を作れない”と自身の子であることを否定してきていたとか(先述のとおり、その後に3人の子供をもうけているので、真っ赤なウソ)。そして養育費をめぐっては、裁判所が介入する事態ともなっている。最終的にはDNA鑑定によって父娘関係が確定され、養育費の支払いが決まったのだが、ここでも信じられない振る舞いを見せる。

「当初、命じられた支払いは月額385ドルでした。ジョブズ氏はこれを500ドルに引き上げ、双方の合意を急いだんです。なぜなら、アップル社の上場が迫っていたから。事実、支払い手続きが完了した4日後に上場し、ジョブズ氏の資産は2億ドルに跳ね上がりました。上場後に養育費を算出されると支払額が増えるための判断なのでしょう」(同)

 在りし日のジョブズ氏が説いたところの“ステイ・ハングリー”も、また違った意味に聞こえてくる……。

デイリー新潮


「スティーブ・ジョブズ」婚外子が暴露本 最期の言葉は“お前はトイレの匂いがする”


Apple Lisa(Wikimedia Commons)


お前には何もやらない

 ザンネンなエピソードはこれに留まらない。

「養育費の支払いを受けてはいたものの、リサさんと母は、生活保護を受けながら生活し、彼女が7歳になるまでに13回も引っ越しを強いられたといいます」(同)

 母からは“パパは、ちょっとキズがついただけで新車に買い替えるような人”と聞いて育ったリサさんは、ある時、ジョブズ氏の運転するポルシェの助手席に座った際、“この車、いらなくなったらくれない?”と尋ねたことがあった。

「すると返事は、“お前には何もやらない。わかるか? 何ひとつ、だ”。質問したことを後悔したとも著作で明かしています。ただ不思議なのは、こうした言動をとるくせに、車の助手席に乗せたり、幼い頃もちょくちょくリサさんと会って写真を撮っている点なんです。最初から相手にしないのではなくて、わざわざ近づいていって遠ざける。なんでもジョブズ氏は、妻との間の3人の子供に対しても、長男は可愛がり、残る娘たちには冷たかったそうです。ですからリサさんに対する振る舞いも、素直ではない愛情の裏返し、男児が好きな女の子に『ブス!』と言ってしまうような、そんな感情なのかも」(同)

 リサさんに冷たいジョブズ氏だったが、遺言で彼女に数百万ドルを残したと伝えられるから、本心はまた別にあるのかもしれない。ちなみに、リサさんの母に遺した額はゼロで、遺産を相続した未亡人は総資産200億ドル(2兆円)超えである。
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「お前はトイレの匂いがする」

 リサさんへの思いは、Macの前に開発したコンピューターを「Lisa」と名付けたことからも窺える。83年に発売された当初は「Local Integrated System Architecture」の略と発表されていたが、

「長年、リサさんも『Lisa』の由来が自分かどうかを知りたがっていて、ジョブズ氏からはずっと否定されていたそう。それがはっきりしたのは、彼女が27歳のとき。“ジョブズ氏一家”の夏休暇に同行してフランスへ行き、U2のボノの別荘を訪れた際のことでした。ランチをとりながら、ボノは『Lisa』の由来がリサさんであるかどうか、ジョブズ氏に尋ねたそうなんです。しばらく無言を貫いたジョブズ氏が出した答えは『そうだ』。リサさんはボノに感謝したといいます」(同)

 そんなリサさんは、ジョブズ氏の晩年まで交流を続けた。今回の著作で話題を呼んでいるのが、父からの最期の言葉が「お前はトイレの匂いがする」だったというエピソードだ。まさか実の娘にションベン臭いと言い放ったか――。

「これはちょっと説明が必要で、ジョブズ氏はもともとスピリチュアルとかオーガニックに関心を持つ人でした。リサさんの母との出会いも、当時のヒッピーブームの流れだったといいますからね。それは晩年になっても変わらずだったのでしょう、リサさんがお見舞いにジョブズ氏の家を訪れた際、バスルームに置かれたバラの香りのフェイシャルミストが、ナチュラルなものだったそうです。それを吹きかけ父と向き合ったリサさんでしたが、人工香料でないためか、ミストは時間が経つにつれヘンな匂いに……。ご本人いわく“沼地のような臭い”。それを受けての、ジョブズ氏にとっての『トイレの匂い』だったというわけです」(同)

 かねてより“天才”と共に“変人”との評があったジョブズ氏だが、今回の著作から先行紹介されるエピソードの数々に、早くも「まさかここまでとは」との反応を集めている。ヒットセールスを予感させる『Small Fry』、日本語訳の刊行があるか定かではないが、ここまで取り上げただけでもリサさんの筆力にはなかなかのものを感じさせる。

「現在、リサさんの母は画家、そしてリサさんはライターをされているそうです」

 仕事の際には、Macを使っているのだろうか。

週刊新潮WEB取材班

2018年8月24日 掲載


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ジョブズ自身は何も発明していないし、パソコンを開発してもいない。

2018年09月05日
投資は損失を他の人に回すこと

プロ投資家が必ずファンド運営するのは「客に損失を負わせるため」


画像引用:https://www.etf-gateway.jp/wp-content/uploads/2016/06/dreamstime_s_11585145-1.jpg


成功者が言わないこと

成功者に投資のコツは、ビジネスのコツはと質問すると、表向きは紳士的な答えが返ってきます。

真面目に働くこととか誠実さ、人脈や自分なりの成功術を披露するかもしれません。

成功者が決して口にしないのは、失敗を誰かのせいにして押し付けている点です。

成功者は自分は成功報酬だけを受け取り、失敗した損失を誰かに回すことで成功しました。

たとえばビルゲイツはウィンドウズなどを発売してマイクロソフトを成功させたが、同じような試みで失敗した人は多い。

OS(オペレーションシステム)というアイディアはアポロ計画で生まれ、発展してきました。


OSが高度化してパソコンが量産商品になったとき、たまたまウィンドウズが時流に乗ったのが真相に近い。

ウィンドウズ以前にコンピュータソフトに貢献した人たちは1ドルも受け取れず、ビルゲイツは数兆円も受け取った。

ビルゲイツがお金を奪ったわけではないが、間接的に他の人に失敗を負わせて、自分は利益だけを手にした。


アップルのスティーブジョブズも同じような経緯で、ジョブズ自身は何も発明していないし、パソコンを開発してもいない。

コンピュータが開発されたのは大戦前後のアメリカまたはドイツで、やはりアポロ計画で急速に発展した。

コンピュータが個人に普及する時期に成功を手にしたのがジョブズで、それ以前の人は何も得られなかったのにジョブズは大金を手にした。


プロ投資家は負けても損をしない

ほとんどすべての成功者にこうしたストーリーがあり、失敗したときは他の誰かや何かに損失を押し付けた。

世界的な投資家のジョージソロスやWバフェットは自分の金ではなくファンド運営を行っている。

他の人が出資した金で投資して、手数料収入を得るのがソロスやバフェットのビジネスで、世間で思われているイメージとは違う。


ファンド経営では投資が失敗しても手数料収入は得られるので、自分の財布は痛まない。

自分の個人資産も運用しているのでその意味では損失は出るが、「損失は客に追わせて利益は自分が手にする」事をしてきた。

日本のある有名なプロディーラーは著書の中で「損をしても客の金だから関係ない」と悪びれずに書いていました。


多くの人は「プロなんだから責任感を持って投資している」と考えているが、そうではありません。

証券会社にしても銀行にしてもファンドにしても、「客に損をさせても自分の給料はもらえる」制度で働いています。

これらは勝ったときに歩合制で報酬が貰えるのではなく、勝っても負けても手数料収入は同じなのです。


だからプロ投資家は、損失は客に負わせて儲けは自分のものにできるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/77425588.html


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ビッグマック×2、フィレオフィッシュ×2、チョコレートシェイク! トランプの定番は2420キロカロリー
2017年12月5日 ニューズウィーク日本版ウェブ編集部


同じメニューに挑戦した若い記者は苦い思いをしたようだ spflaum1-iStock.


<トランプの胃袋はどうなっているのか――>

ドナルド・トランプ米大統領の元参謀による暴露本が12月5日に発売され、その食事にまつわる衝撃的な事実が明らかになった。

2016年の大統領選挙でトランプの選対本部長を務めたコーリー・ルワンドウスキと選対本部長代理だったデービッド・ボッシーは、『Let Trump Be Trump』(トランプにはトランプらしくやらせておけ)というタイトルで、トランプの元で働いた体験を綴った本を発売。もちろん、当時のトランプ陣営の人事交代劇の裏側やトランプの素顔がテーマであるが、それ以上に注目を集めているのが「食事」だ。

専用機の「4大食品群」

同書を発売日前に入手した米紙ワシントン・ポストによると、トランプの乗る飛行機の機内食はファストフード尽くしで、「トランプの専用機には、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ピザ、ダイエットコークスという『4大食品群』があった」とさえ書かれた。

さらに強烈なのは、トランプが大好きなファストフード、マクドナルドでする注文だ。お気に入りの組み合わせは決まっている。「ビッグマック2個、フィレオフィッシュ2個、チョコレートシェイク」だ。

マクドナルドの栄養データによると、この注文の総カロリーは2420キロカロリーに達する。米国当局が推奨する成人男性の1日当たりの摂取カロリーは約2500キロカロリーだから、トランプはほぼ1食でこれに届いてしまう。

さらに細かく見てみると、この組み合わせには112グラムの脂肪が含まれている。これはトランプの年齢の男性が摂るべき目安の172%。塩分は3470ミリグラムで、1日の推奨摂取量の144%に相当する。

実際に食べてみた

米ニュースサイトのビジネスインサイダーのホリス・ジョンソン記者は早速、同じメニューを試して感想を伝えている。「想像以上に悪い」と。ジョンソン自身もマクドナルドの大ファンだと豪語していたが、トランプのお気に入りメニューはその気持ちを打ち砕く破壊力だったようだ。

それでもトランプの胃袋は底知れない。ワシントン・ポストは、クッキーなどのお菓子や軽食が途切れない環境にいることから、トランプが摂取するカロリーは本からの試算のさらに上を行く可能性を示唆している。

英ガーディアンは「トランプの口に入るものがトランプの口から出てくるものと同じくらい健全なのは、驚くべきことではない」と皮肉っている。では、トランプの「4大食品群」が正常化すれば、状況は何か変わるのだろうか。

答えは分らない。ただ目の前には、今日も元気にトランプは公務に就いているという現実がある。




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マック偏食で塩分や糖分摂り過ぎ、トランプ氏の食生活を分析
2017.12.11 Mon posted at 17:01 JST

ファストフード好きで知られるトランプ氏の栄養状態を専門家が分析


(CNN) ファストフードを愛する米国のトランプ大統領は、米食生活指針に照らし合わせると、マクドナルドで注文する1回の食事でほぼ1日分のカロリーと塩分を摂取してしまい、飽和脂肪酸は1日の限度とされる量のほぼ2倍、糖分は2.5倍を摂取していることがこのほど分かった。

トランプ大統領のファストフード好きは、2016年の大統領選当時から有名だった。機内で巨大な容器に入ったケンタッキー・フライド・チキンを食べる写真をツイッターに投稿しているほか、元選対本部長の著書によれば、マクドナルドのビッグマック2個とフィレオフィッシュ2個、チョコレートのミルクシェイクを注文するのが常だった。ただしパンは食べなかったという。

だが栄養士のリサ・ドレイヤー氏はこの食事内容について、「たとえパンの炭水化物を摂取しなかったとしても、健康な食事とはいえない」「タンパク質は半分に、飽和脂肪酸は大幅に抑えた方がいい」と指南する。

バンズを除いても、トランプ大統領が食べたマクドナルドの食事のカロリー量は1880キロカロリー以上。米国では1日の摂取量は2000カロリーが目安とされ、その日にほかのものを食べる余地はほとんどない。

トランプ大統領の身長は約190センチ、体重は約107キロ。BMIは29.5で、太り気味に分類される。検診の結果は「正常の範囲内」(主治医)とされているが、71歳でファストフードに偏った食事は健康に影響を及ぼしかねない。

「加齢とともに代謝は低くなり、血圧は高くなる。こうした食事を毎日続ければ、心疾患やがんのリスクが増す」とドレイヤー氏。大統領がどの程度頻繁にこうした食事をしているのかは不明だが、フルーツやサラダなどに入れ替えた方がいいと同氏は助言している。





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ダイエット・コークを1日12本、トランプ氏に専門家が懸念
12/12(火) 17:55配信 CNN.co.jp


ダイエット・コークに目がないというトランプ氏に対し、健康への懸念が浮上している


(CNN) トランプ米大統領はカロリー、糖分ゼロの炭酸飲料「ダイエット・コーク」が大好物で、1日12本のペースで飲んでいることが、米紙ニューヨーク・タイムズの最近の記事で分かった。専門家らは、人工甘味料などによる健康への影響に懸念を示している。

最近の研究では、人工甘味料「アスパルテーム」を使ったダイエット飲料は甘い物への欲求をかえって強めることや、体内で砂糖入り飲料と同じような生理反応を引き起こすことが分かってきた。

米パデュー大学のスーザン・スウィザース教授によると、人工甘味料で甘さを感じたのに実際には糖分が入ってこないという食い違いが繰り返されると、体は甘さにすぐ反応しないようになる。この状態で砂糖を口にすると、通常より取り過ぎてしまう恐れがある。

ダイエット飲料を飲む人は飲まない人に比べ、生活習慣にかかわる2型糖尿病や高血圧、脳卒中、認知症のリスクが大きくなると、同教授は指摘する。

ボストン医科大学が今年実施した研究では、人工甘味料入りの炭酸飲料を毎日1缶以上飲む人は飲まない人より、血栓による脳卒中と認知症のリスクがそれぞれ3倍近くに増大することが判明した。

テキサス大学の研究チームが65歳以上の年代でダイエット炭酸飲料と腹囲の変化の関係を長期的に調べたところ、ダイエット飲料を飲むと腹部の肥満が悪化し、さらに心臓病のリスクも増すとの結果が出たという。

このほか炭酸飲料に含まれる酸が歯のエナメル質を傷めたり、カフェインの取り過ぎが不眠や不安感、不整脈につながったりする可能性も懸念される。

栄養学の専門家は「トランプ氏にはダイエット・コークの少なくとも半分を水に換えるよう勧めたい」と話している。




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コーラ1日12本、一度にマック4個…トランプ米大統領、ついに体に異変発生
http://biz-journal.jp/2017/12/post_21845.html
2017.12.27 構成=編集部、協力=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事 Business Journal

 アメリカのドナルド・トランプ大統領の食生活と健康不安が波紋を呼んでいる。

 ニューヨーク・タイムズによると、トランプ大統領は大好物のダイエット・コークを1日12本のペースで飲んでいるという。同飲料はカロリーや糖分がゼロだが、専門家からは人工甘味料の多量摂取による健康への影響を懸念する声も出ている。

 かねてファストフード好きを公言するトランプ大統領は、相当な偏食家だ。昨年の大統領選挙でトランプ陣営の選挙対策本部長を務めた人物の著書によれば、トランプ大統領はマクドナルドでビッグマック2個、フィレオフィッシュ2個、チョコレートのミルクシェイクを注文するのが定番だったという。

 そのため、マクドナルドでの食事1回で、ほぼ1日分のカロリーと塩分を摂取するばかりか、飽和脂肪酸は1日の限度量のほぼ2倍、糖分は2.5倍を摂取する計算になるという。

 その影響か、最近のトランプ大統領は“異変”が指摘されることが多くなっている。今年11月には発言の最中に水を求めて口の渇きを訴えるような振る舞いが波紋を呼び、12月にも演説中に同じく口の渇きを訴えたほか、ろれつが回らなくなる一幕もあったことで健康不安説が噴出している。

 ホワイトハウスのサラ・サンダース報道官は「バカげている」と健康不安説を一蹴するが、トランプ大統領は年明けに健康診断を受けることが発表された。

「世界最高の権力者」ともいわれるアメリカ大統領の食生活は世界的な関心事ともいえるが、ここまでその内容が注目されるのも珍しい。いったい、何が問題なのか。以下、フードプロデューサーで一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事の南清貴氏が解説する。

■「食事」の勝負は日本の首相に軍配?

 トランプ大統領の食生活が話題となり、彼の健康問題まで取り沙汰されています。北朝鮮やイスラエルの首都認定の問題、パリ協定離脱や核兵器禁止条約への不参加など、あくまでも独自の路線を貫こうとするトランプ大統領ですが、もっとも重大な問題は「側近に優秀な人がいない」あるいは「側近を誰も信用できない」という点にあるのでしょう。

 日本の首相もあまり優秀でないことは周知の事実ですが、それでも側近らしき人はいるようですし、首相自身も頼りにしているようです。しかし、彼らは保身ばかりを考え、忖度することが忠誠心の表れと思っており、ご機嫌をうかがうことを旨とするような人たちですから、日本もアメリカもたいした変わりはないのかもしれません。

「こっちのほうが、まだまし」とすら言えないレベルの2人のリーダーですが、こと「食事」に限定すれば、トランプ大統領のほうが劣っているのではないでしょうか。

「ファストフードが大好き」と公言してはばからないトランプ大統領ですが、大統領として以前に、ひとりの大人としての見識を疑います。いずれにしても、そうした食生活についてアドバイスする人が誰もいないようですから、なお始末が悪い状況です。

■ファストフードを食べすぎると怒りっぽくなる?

 一度の食事でハンバーガーを4個も食べ、ダイエット・コークを1日に12本も飲むというトランプ大統領の健康状態が良いものであるはずもなく、食生活を改めるに越したことはありません。

 ゼロカロリー飲料などに含まれている人工甘味料には、さまざまな種類がありますが、なかには発がん性が指摘されたものや脳腫瘍や白血病などとの関連性が強く疑われているものもあります。人工甘味料は外食や中食でも使われることが多くなっていますが、摂取すると体の免疫力低下につながることもあります。そのため、妊婦や子どもはもちろん、すべての人にとって摂取すべきでないものです。

 また、ファストフードで提供されるのは工業製品化された食品であり、人工のトランス脂肪酸が多く含まれています。アメリカ食品医薬品局は、トランス脂肪酸が悪玉コレステロールの数値を上昇させるだけではなく、善玉コレステロールの数値を低下させることを認めていますが、これは冠状動脈(心臓)や脳の血管に悪影響を与えるということを意味します。

 また、トランス脂肪酸の摂取はアルツハイマー病やパーキンソン病の原因になるという研究結果も出ているほか、米カリフォルニア大学と米ハーバード大学の研究では、それぞれ「トランス脂肪酸は、人を怒りっぽく攻撃的にする」「トランス脂肪酸を多く含む食品を好む人たちは糖尿病になりやすい」という結果が発表されています。

 当然ながら、トランプ大統領のような食生活は誰にもまねしてもらいたくないものです。ただ、支持率が歴代最低の37%、不支持率は驚異の59%(ワシントン・ポストの世論調査結果)というトランプ大統領ですから、アメリカ国民でまねする人は少ないと思われます。その点だけは、安心していいのかもしれません。

■アメリカには伝統的な食文化がない

 私たちは、食事から2つの異なる栄養素を摂取しなければなりません。ひとつは約50種類あるといわれる必須栄養素で、もうひとつは5000種類以上あるといわれる植物栄養素です。

 この2つを過不足なく体の外側から内側に摂り込むことが食事の役割ですが、ファストフードばかりを食べていれば、そうした本来の食事の役割が果たせないことくらい、誰でも想像できるでしょう。

 そして、その2つの栄養素を摂取できない状態が長く続けば、体はどうなってしまうのでしょうか。前述のように、さまざまな病気の引き金になりかねないわけですが、少なくとも株価の推移を予想するよりはるかに簡単なことだと思います。

 私たちは、食事から2つの異なる栄養素を摂取しなければなりません。ひとつは約50種類あるといわれる必須栄養素で、もうひとつは5000種類以上あるといわれる植物栄養素です。

 この2つを過不足なく体の外側から内側に摂り込むことが食事の役割ですが、ファストフードばかりを食べていれば、そうした本来の食事の役割が果たせないことくらい、誰でも想像できるでしょう。

 そして、その2つの栄養素を摂取できない状態が長く続けば、体はどうなってしまうのでしょうか。前述のように、さまざまな病気の引き金になりかねないわけですが、少なくとも株価の推移を予想するよりはるかに簡単なことだと思います。

 残念なことに、アメリカには伝統的な食文化がありません。そのため、「どのような食事が自分たちに適しているのか」という指標もないのです。そもそも、さまざまな人種が寄り集まっているために「アメリカ人全体にとってのオプティマル(最適)な食事」という全体像を示すことができないのです。従って、「食べるものなんて、なんでもいいんじゃないの」ということになり、大統領までがその考えに沿っているということなのでしょう。

 もちろん、すべてのアメリカ人がそんな浅はかな考えではなく、きちんとわかっている人もいるはずですが、少なくともトランプ大統領の周辺にはいないのでしょう。

 少しうがった見方をすれば、もしかしたら、側近たちは全部わかっていながら、あえてトランプ大統領に食生活のアドバイスをしないでいるのかもしれませんね。早めに倒れていただいて、マイク・ペンス副大統領が大統領になることを望んでいるという考え方もできます。

 要するに、「食事に関してのアドバイスなんてできないし、する意味もわからない」ということなのかもしれません。いずれにしても、その影響力の大きさからして、トランプ大統領の食生活はアメリカ人のみならず世界全体にとっての悲劇というべきなのかもしれません。

 日本の首相が本当にトランプ大統領と仲良しなのであれば、およそたいしたアドバイスもできない政治の話よりも、「もうちょっとましなものを食べたほうが身のためだぞ」といったアドバイスをしたほうがいいように思います。

■トランプの食事改善は世界平和への貢献?

 翻って、読者諸氏はいかがでしょうか。まさか、トランプ大統領のように「自分が食べるものに無頓着」などという愚かしい食生活ではありませんよね。ファストフードを一度に大量に食べたり食べ続けたりするのは、人体にとって非常に危険な行為です。

 もっと、人間にとってふさわしい食事をしましょう。それは、未精製の穀類と豆類を2対1の割合で摂る、野菜中心にする、肉類などの動物性たんぱく質を食事全体の10%程度にする、オメガ6脂肪酸とオメガ3脂肪酸を4対1の割合で摂る、という食生活です。

 トランプ大統領に、この内容を教えてあげたいものです。こうした食生活を続ければ、彼の頭脳も少しは良くなり、「正義とはなんなのか」「大統領とはどういう仕事をする人なのか」というところにも考えがめぐらされるのではないかと思います。

 それこそ、トランプ大統領の食生活を変えることは世界平和に貢献することだと思いますが、いかがでしょうか。

(構成=編集部、協力=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事)



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2018-01-06
貧困層も富裕層もみんなジャンクフードの虜になる現代社会
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180106T0402240900.html

ドナルド・トランプ大統領は、典型的なアメリカ人で食生活はマクドナルドやステーキが主になっている。アメリカのメディアが「あまりにも身体に悪いのではないか」と特集を組むほどマクドナルド一辺倒だ。

資産家にして大統領の男がマクドナルドのようなジャンクフードを食べてコカコーラをガブ飲みするのだから、典型的なエスタブリッシュメントとはいささか雰囲気が違う。ワインを嗜み、フランス料理を食すわけではないのだ。

実は、マクドナルドとコカコーラが食生活の主軸になっている資産家はトランプ大統領だけでない。

典型的なアメリカ人は金持ちだろうが貧困層だろうがジャンクフード中毒と化している。

たとえば、ヒラリー・クリントンの夫、ビル・クリントン元大統領もまたジャンクフード中毒で、ジョギングに行くとヒラリーに嘘をついてマクドナルドに行っていた。

大統領候補だったミット・ロムニーもマクドナルド好きだが、その父親ジョージ・ロムニー元ミシガン州知事もマクドナルドが好きで、マクドナルドから特別なカードをもらってどこに行ってもマクドナルドを食べていた。


ビル・ゲイツもウサイン・ボルトもジャンクフード

マイクロソフトの創始者であるビル・ゲイツも、マクドナルド中毒で「マクドナルドを買収したい」と本気とも冗談ともつかないことを言っていた。

世界最大の投資家であるウォーレン・バフェットもジャンクフード狂で、シリアルフードにチョコレートにマクドナルドにアイスクリームにステーキで生きている。

トランプ大統領も一日12本もダイエットコークを飲んでいるのだが、ウォーレン・バフェットも一日4本はチェリーコークを飲んでいる。

細身の女優として知られているクリスティーナ・リッチもジャンクフードばかり食べており、1週間に3回もマクドナルドに通っていると自らインターネットで発言している。

スポーツ選手はジャンクフードを食べないのではないかというイメージがあるが、そうでもない。タイガー・ウッズもまたマクドナルド中毒で知られていた。

ツアー中もずっとハンバーガーを食べ続け、優勝ディナーの席でも「チーズバーガーが食べたい」と言ってまわりを呆れさせながらそれを食べていた。

人類で最も速い男であるウサイン・ボルトもマクドナルド狂で知られている。

北京オリンピック開催中もマクドナルドに通っており、中華料理を一切食べずにチキンナゲットばかり食べていた。

「最初はランチに20個、ディナーも同じ数だけ食べた。翌日の朝は40個、昼は20個、夜は40個。フライドポテトとアップルパイも食べた。1日100個は食べた。10日で1000個の計算になる」

最も、年齢がいくに従ってチキンナゲットでは体力が回復しないということを悟って、野菜中心のメニューになったのだが、トレーニングよりもチキンナゲットが食べられないのが「つらい」というほどチキンナゲットに執着している。

チキンと言えばアメリカの歌手ビヨンセもファストフードのチキンにケチャップを付けて食べるのが大好物で、アメリカのマイナーなファストフード店のチキンにケチャップをたっぷりかけて食べている。

スポーツ選手はジャンクフードを食べないのではないかというイメージがあるが、そうでもない。タイガー・ウッズもウサイン・ボルトもジャンクフード好きだ。


トランプ大統領は暗殺されるよりも心臓病で死ぬ?

太ったり痩せたりを繰り返して、最近は胃の縮小手術をして無理やり痩せたアメリカの歌手マライア・キャリーはピザに狂っているので有名だ。

この女性は一時、体重が120キロになっていたのだが、ピザばかり食べているとそうなっても仕方がない。

歌手でもあり、女優でもあるヒラリー・ダフもマライア・キャリーと同じく太ったり痩せたりを繰り返しているのだが、この女性もまたジャンクフードが大好きで、中でもフライドポテトが止められないという。

さらにブリトニー・スピアーズも、ジャンクフード好きで、サブウェイ、ドミノ・ピザ、マクドナルド、スターバックスばかりで食事をしているのが暴露されている。

セレーナ・ゴメスは以前、栄養失調と疲労で倒れたことがあったのだが、その原因はジャンクフードばかり食べて栄養が完全に偏っていたことからきていた。

その時期、セレーナ・ゴメスはアイスクリームや、チョコレートのようなものしか食べなかった。

人一倍痩せていなければならないはずのモデル業をしているカーラ・デルヴィーニュはイギリス人のはずだが、この女性もまたジャンクフード中毒で、どこに行ってもマクドナルドばかり食べている。

女優ジェニファー・ローレンスも、華やかな場所で談笑しているよりも、家でテレビでも見ながらジャンクフードを食べるのが好きだと告白している。

食事を厳しく制限し、食べ物に気遣い、健康的なものしか食べない実にストイックな生活をする人がいる反面、ジャンクフードだけで生きているような人もいることに気付く。

ジャンクフードが身体に悪いのは事実だ。ジャンクフードは肥満を生み出し、短期な性格を生み出し、味覚障害を生み出し、病気を引き寄せる。

マクドナルド狂いのドナルド・トランプ大統領の食生活を見て「トランプ大統領は暗殺されるよりも心臓病で死ぬ確率が高い」と分析する記者もいるのだが、それは的中するかもしれない。

マクドナルド狂いのドナルド・トランプ大統領の食生活を見て「トランプ大統領は暗殺されるよりも心臓病で死ぬ確率が高い」と分析する記者もいるのだが、それは的中するかもしれない。


それは、そう簡単に止められないようになっている

こうしたアメリカ人のジャンクフード好きを嘲笑って「日本食は健康だ」と日本人は言う。

しかし振り返って見ると毎日寿司や刺身ばかり食べている日本人はほとんどいない。実は、日本も凄まじいまでのジャンクフードで満ち溢れている。

ハンバーガーやピザを食べないという人でも、牛丼を食べ、カレーを食べ、コンビニでスナックを買い、インスタントラーメンを食べる。

缶ジュースを飲み、スターバックスで飲み、菓子パンを食べ、お好み焼きやタコ焼きを食べ、チョコレートを食べ、アイスクリームを食べ、ケーキを食べている。

別にマクドナルドだけがジャンクフードではない。日本人の食べているものも、かなりのものがジャンクフードになる。

日本の食環境も、カロリーが高く栄養価が低いもので満ち溢れているのだ。そういった意味で、日本もアメリカと大差ないジャンクフード大国である。

忙しい社会だ。「手早く料理できて、手軽に食べられる」ものが求められているのだから、突き詰めていけばジャンクフードに辿り着くのは仕方がない。

健康のためにはジャンクフードを排除するのが一番いいのだが、あまりにも忙し過ぎてジャンクフードが排除できない世の中になっているのである。

だから、全人類がこのスピード社会で生きるために、ジャンクフードまみれになっていく。

いずれ、このジャンクフード狂いは肥満や心臓病といったツケになって回ってくるのだが、もうそんなことは気にしていられないというべきか……。

それに、ジャンクフードは高カロリー高脂肪なので激しい依存性がある。それはドラッグと同じほどの精神的・肉体的依存を引き起こす。

健康に悪いから止めるべきと言っても、そう簡単に止められないようになっている。もしかしたら、あなたもまた知らずしてジャンクフードに依存しているかもしれない。

そうだとしたら、それを止められるだろうか。止められなければ、そのまま一直線に突き進むしかない。ドナルド・トランプが絶対にマクドナルドを手放さないように……。

健康に悪いから止めるべきと言っても、そう簡単に止められないようになっている。止められなければ、そのまま一直線に突き進むしかない。ドナルド・トランプが絶対にマクドナルドを手放さないように……。




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2018年09月07日
アップルとアマゾンが時価総額1兆ドル 巨大IT企業はどこから生まれたか

アメリカはアポロ計画で膨大なIT技術者を養成し、余った技術者はシリコンバレーで民間サービスを始めた


画像引用:https://amd.c.yimg.jp/amd/20170716-00000002-storyfulp-000-1-view.jpg

1兆ドルをめざす米IT企業

米IT企業のアップルとアマゾンが相次いで株式時価総額1兆ドル(約110兆円)を達成しました。

続いてアルファベットとフェイスブックも、やはり株価1兆ドルを超える可能性があるといわれている。

この中でもっとも創業が古いのはアップルで1975年に自宅でパソコンを作り始めた。


アマゾンは1995年にワシントン州でネット書店を開業した。

アルファベットのグーグルは1996年にフォード大学の構内で、検索エンジンの開発を始めていた。

フェイスブックは2004年にハーバード大学の学生が連絡を取り合うために開設された。


4つのうち3つは1995年のウィンドウズ95以降に誕生し、うち2つは学生が始めていた。

この中で計画性があったのはアマゾンだけで、創業者のベゾスはヘッジファンド重役を退職して開業した。

退職した時点では何をするか決めておらず、ネットブームに乗り遅れまいとネットで何かを売ろうと考えていた。


最初は偶然はじまった

結局本を売ることにしたのだが、最も簡単でありふれた商品を選んだと言える。

4つの巨大企業の誕生のほとんどは偶然で、国家プロジェクトなどとは関係ない。

最初のサービスや製品はとても初歩的なもので、少しでもタイミングが遅ければ通用しなかったでしょう。


創業者たちが成功した要因としてアメリカの旺盛なIT需要と投資、有り余るほどのIT技術者の存在があげられる。

最初の始まりは第二次大戦で、アメリカはITにつながる高度技術を開発し始めた。

その成果はレーダーと高射砲で、遠くの飛行機を探知して照準を合わせ、”命中しなくても近くで爆発する”装置を投入した。


日本やドイツの高射砲は事前に設定した場所で爆発するのに対し、アメリカのVT信管は飛行機に接近すると起爆した。

VT信管の投入前、日本の飛行機はほとんど撃墜されなかったが、投入後はほとんどが撃墜されるようになり敗戦の一因になった。

VT信管とレーダーの成果にアメリカは喜び、さらに高度な機械を開発し、アポロ計画も始まった。


アメリカのIT産業黎明期

アポロ計画は当時の国家予算に匹敵する金を使ったが、自己満足以上の成果はなく世紀の大失敗と言われた。

だがアポロ計画で膨大な人数の技術者が養成され、彼らが後にIT企業群の創設者や技術者になった。

たとえばジョブズやビルゲイツの大学には1970年ごろには世界最先端のコンピュータがあり学生が自由に使えるようになっていた。


学生が自分の金儲けのためにコンピュータを使い、教授がそれに協力するような環境が既にアメリカにはあった。

彼らが通った大学はアポロ計画にも協力していて、月に帰還する宇宙船が使用するコンピュータプログラムなどを開発していた。

こうして最初の技術はできたが忘れてはならないのが「投資家」の存在です。


成功するか失敗するか分からないが、とりあえず金を出そうという無謀な投資家が居て初めて事業を拡大できる。

もし学生のコンピュータ遊びに金なんか出さないという投資家ばかりだったら、アップルはファミコンすら作れなかったでしょう。

4大IT企業ともアメリカだから必然的に生まれたので、日本やソ連やドイツでは決して生まれなかった。
http://www.thutmosev.com/archives/77451079.html



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凡人のスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが成功した理由

「囲い込み」というビジネスモデルの崩壊や賞味期限切れは来るか? │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=4839


現在でも世界トップの資産家であるビル・ゲイツは、今でこそ慈善家として知られるようになっているのだが、かつてはマイクロソフトの創始者としてIBMやアップルと凄じい競争を繰り広げて勝ち抜いてきた経営者だ。

このマイクロソフトの決定的な市場独占は、ウィンドウズの成功によって成し遂げられた。

ところで、全世界を掌握したウィンドウズというOSは、決して「最高のOS」でもなかったし「独創的なOS」でもなかった。堅牢性で言えばUNIXに劣っていたし、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスはアップルのOSの真似だった。

しかし、ウィンドウズはマーケティングに成功して優位性をつかんだところで、もはや他が追いつけないほどの圧倒的な独占を手に入れて、それがビル・ゲイツを世界最強かつ裕福な経営者に押し上げた。

最初に確固としたポジションを手に入れたことによって、その後は独占が独占を生む効果をもたらした。これは「囲い込み」と呼ばれるビジネス手法なのだが、「囲い込み」が世界で最も強烈に機能したのがウィンドウズだったのである。

ウィンドウズは、当初から「出来の悪さ」が批判されて、OSを改変すればするほど、重くなり、バグが増え続けていくのだが、それでも人々はウィンドウズを使い続けた。(鈴木傾城)


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c2

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
3. 中川隆[-13637] koaQ7Jey 2018年11月28日 21:48:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]

カルロス・ゴーンの脱税の手口
渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

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ゴーン不正の実態を会計から読み解く…金商法違反、脱税、特別背任 八田進二・青山学院大学名誉教授に聞く
https://diamond.jp/articles/-/186764
2018.11.28 ダイヤモンド・オンライン編集部

有価証券報告書への報酬未記載や、住宅などさまざまな個人的利益を日産から受けていたといった報道が連日出ているゴーン容疑者。これらは果たして、どの程度の罪になるのか。また、ゴーン容疑者以外の日産経営陣の責任はどう考えるべきなのか。会計の専門家で、青山学院大学名誉教授の八田進二氏に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 津本朋子)

<論点1>
「退任後の報酬」は記載すべきか?


驚くような不正の数々が明らかになってきたゴーン容疑者。今後一体、どんな罪に問われていくのだろうか? 写真:ユニフォトプレス

――ゴーン容疑者の逮捕容疑は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)。2010年から5年間にわたって毎年、役員報酬の約10億円、合計50億円を記載しなかったというもので、その後の3年間(30億円)分も合わせて80億円になるとの見方もあります。

 高額な報酬という批判を避けるために、毎年の役員報酬20億円のうち、半分の10億円を「退任後に受け取る」という契約にし、その年の有価証券報告書には記載しなかった、ということのようですが、原則としては、これはアウトです。「退任後なら、役員退職慰労金扱いであり、今は記載する必要はないのでは」との見方もあるようですが、役員退職慰労金とは在任年数などを勘案して、退職時に決めるものです。「2010年は10億円、2011年も10億円」といった具合に毎年、金額を決めて契約していたのなら、それぞれ当該年に会計処理すべきです。

 ただ、この約束が単に「それくらい払うよ」という、一種の希望的観測じみた効力しかないようなものならば記載の必要はない、という解釈もなくはない。その辺りは、会社がどういった処理をしているかを、詳しく見ていかなければ分からないでしょう。

――さらに、株価に連動した報酬を受け取れる「SAR(ストックアプリシエーション権)」も約40億円分、開示しなかったとされています。

 次々に明らかになっていることを一言でいうと、ゴーン容疑者は会社の財産をほしいままにしてきた、ということです。検察は最終的には特別背任を狙っているのではないかと思います。

 ただし、特別背任は検察側が越えるべきハードルが高いのも事実。どういう意思決定プロセスを経ていたのか、本当にほかの取締役は一切知らなくてゴーン容疑者の独断なのか、などといったことをきっちり詰めて行かなければいけませんから、相当時間がかかるだろうと思います。

<論点2>
「住宅の無償供与」は脱税行為にもなる


――さらに、今回の逮捕容疑には入っていませんが、オランダの子会社を通じてレバノンやブラジルに高級住宅を購入させたり、挙げ句の果てには家族旅行の費用や、娘の大学への寄附金などを日産に出させる、姉との不正なアドバイザリー契約を結んで年10万ドルを支払うなど、明らかに私的な出費も日産に負担させていたようです。会計的には、これらはどのような問題だと捉えられるでしょうか?

 会社名義で従業員が私的利用するもの、たとえば社宅などを買って提供するというのは、いわゆるフリンジベネフィット(福利厚生費など、会社規定による付加的な報酬の総称)です。しかし、ゴーン容疑者が独占的に使い、かつ家賃などを一切払っていないのなら問題です。家賃相当額は給与と見なすべきなのです。当然課税対象になりますから、ゴーン容疑者はここで脱税をしていたということになります。

 家族旅行費用や姉への報酬、娘の学校の寄附金といった類いも、実質的な給与と考えるべきです。いずれも事業目的とは無縁なので、経費に認められるわけがありません。これは不当な支出であり、背任とも言える、違法性の高い話でもあります。

<論点3>
会社側はどの程度悪いのか?

――独裁者として君臨するゴーン容疑者を駆逐するため、日産の役員たちが立ち上がったクーデターである、との世論醸成がされている印象もありますが、やりたい放題の独裁者をこれまで支えてきた日産経営陣にも大きな責任があるのではないかと感じます。

 両罰規定が適用されるだろうと思いますが、日産の取締役会、さらに監査役にも大きな問題があります。日産ほどの規模の会社であれば当然、経理・財務はチームで働いています。司法取引に応じた執行役員らがいたわけですが、そのほかの取締役たち、監査役たちは本当に一切、何も知らなかったのか?大いに疑問ですね。歴年にわたって随所で行われてきた不正ですから。断片的であっても、いろいろ耳に入っていたと考えるのが自然じゃないでしょうか。これは取締役会、そして監査役会の機能が果たせていないということです。

 また、たとえば今年6月に提出された有価証券報告書には、西川廣人社長名で「当社の第119期(自 平成29年4月1日 至 平成30年3月31日)の有価証券報告書の記載内容が金融商品取引法令に基づき適正に記載されていることを確認しました」と記載されていますが、西川社長が今回の不正を知ったのは、今年3月だったと報道されています。これが事実なら、なぜ「適正に記載されていることを確認」できたのでしょう?

 さらに、ゴーン容疑者解任を決議した取締役会では、ルノー出身の2人の取締役がフランスからテレビ会議で参加したという点も、私に言わせれば大問題です。監視・監督は現地現物であるべきです。でないと、会社の内部監査を適切に行うことなどできない。普段から、グローバル企業の名の下で、こんなやり方がまかり通っていたから、会長解任という一大事に際しても、テレビ会議での出席で済ませてもいいや、という感覚なのでしょう。これは、監査役会の問題です。取締役会の執行がきちんと行われているかどうか、見極めるのは彼らの役割ですから。

 もちろん、最大の権限を持つトップ自らが不正を働いた、というのは、非常に食い止めるのが難しい話ではある。日産の不幸だったと言えます。しかし、ガバナンスが緩かったからこそ、ゴーン容疑者は独裁者としてやりたい放題できたのでしょう。私は、取締役たち全員が、ゴーン容疑者とほぼ同罪であると言いたいですね。今年6月に就任した取締役2人は、さすがに責任がなかったかもしれませんが、その他の役員は全員責任がある。特に、西川社長と軽部博CFOの責任は重いのです。

<論点4>
監査法人の責任は?

――日産の監査法人はEY新日本。あの東芝やオリンパスも担当した大手監査法人です。売上高11兆円の大企業ですから、数億円の住宅やゴーン容疑者の姉への年10万ドルのアドバイザリー契約などという少額の不正は、なかなか見抜けなかったのでしょうか?

 もちろん、売上高の9割に貢献している事業を重点的に見る、という重要性の基準はあります。ただし、たとえ小さな規模のものであっても、定性的に見て、コンプライアンス違反が潜んでいるんじゃないかと疑わしい、つまり信用できないものがあれば、規模の大小に関わらず、きちんとチェックすべきだというルールになっています。

―― 一部報道によれば、ゴーン容疑者の住宅購入に使われたオランダの子会社「ジーア」は資本金60億円の小さな会社ですが、監査法人は「会社の実態が不透明だ」と指摘したものの、日産側からかわされたようです。

 企業の連結ベースでの不正はたいてい、子会社や関連会社、外国事業拠点を通じて行われるものです。そして、この手の不正は、監査法人が疑念を感じたのにもう一歩、きっちり踏み込めていないというケースが多い。新日本は指摘するだけでは役割を果たしたとは言えないのです。2011年に起こったオリンパスの不正事件を受けて、金融庁は2013年に監査基準の改正を行い、疑問を持った際には徹底的に深掘りすべしという旨を盛り込みました。

 今回のケースであれば、疑問を投げかけるだけでなく、実際にオランダに行って調査をすべきです。

 確かに手間ひまがかかる話ではありますが、EY(アーンスト・アンド・ヤング)のネットワークを活用したっていいわけで、とにかく疑念がある場合にはしっかり調査すべき。会社側のお茶を濁すような釈明に言いくるめられるようではダメなのです。

<論点5>
金額は決して大きくないけれど…

――東芝の不正会計事件は、経営危機に陥るほどのインパクトがありました。日産の一件は、驚くような話ではあるものの、業績に大打撃を与えるような規模の金額ではありません。

 会計監査の世界では、「ある情報が間違っていた場合、正しい情報を知っていたとしたら、情報の利用者(投資家など)は違う意思決定をしただろうか?」という点が重要視されます。その意味から言うと、確かに数字的インパクトは小さい。しかし、投資家は数字のみならず、ガバナンスの状況など非財務情報も重要視しているはずです。

 ゴーン容疑者がこだわったであろう役員報酬の開示も、投資家は関心を持っています。だから、株主総会では「前期より利益が下がっているのに、なぜ役員報酬は上がっているのか」といった質問が出たりするわけです。つまり、報酬が納得の行く金額であって、かつ正しく開示されているかどうか、ということは、投資家からすればその企業や経営者を信頼できるかどうかという大切なポイントなのです。

 2001年に破綻した米エンロンは、巨額の簿外債務があるなどの不正が起きていた一方、経営者は高額な報酬をもらっていました。米国ではエンロン事件後、監査強化やディスクロージャー強化などを盛り込んだSOX法が制定され、経営者の不正は厳罰化。虚偽記載は罰金も強化された上に、経営者は最長20年の懲役が科され、二度と上場企業の役員にはなれません。

 日本では2007年に金融商品取引法ができたときに経営者の責任が重くされましたが、それでも最大で懲役10年。これは「軽すぎる」という議論もあります。

 過去には長銀や日債銀の経営者がさんざん争った挙げ句に無罪となった事例もあり、東芝の歴代社長の立件に検察が及び腰になった原因だと言われています。検察は日産で失地回復を狙っているのではないでしょうか。しかし、ゴーン容疑者のケースでも、脱税や横領はまだしも、特別背任まで視野に入れるとすると、簡単な戦いではないはずです。


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ゴーンの仰天ドケチ実態…ペットボトルの水まで会社持ち(日刊ゲンダイ) 
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/625.html
2018/11/26 日刊ゲンダイ

ゴーン容疑者の使用していた(左上から時計回りに)パリ、アムステルダム、ブラジルのリオデジャネイロ、ベイルートの各住宅/(C)共同通信社

 日産自動車会長だったカルロス・ゴーン容疑者の驚くべきケチケチぶりが、次々と明らかになっている。

 日産がオランダに設立した子会社を通じて、海外で豪邸を無償提供させていた問題。これまで明らかになっていたブラジルのリオデジャネイロ、レバノン・ベイルート、フランス・パリ、オランダ・アムステルダムの4カ所以外に、日産が家賃を負担していた高級住宅が東京都内と米ニューヨークにもあることが発覚した。

 都内のマンションの家賃は月額100万円以上もするという。

 家族がらみの私的流用では、問題のリオの高級マンションに住むゴーン容疑者の姉にアドバイザリー契約料として年間10万ドルを送金させていたほかに、娘が通う海外の大学への寄付金や家族旅行の費用まで会社に負担させていた疑いも。東京地検特捜部は、これらの送金について関係した社員から任意で事情を聴いているもようだ。

 26日の毎日新聞は「ゴーン容疑者は自分ではビタ一文払わなかった。外出先でのどが渇いた時は、部下に会社の経費でペットボトルを買わせていた」という日産関係者の声を紹介している。

 レバノンには「あなたが持っているカネはあなたの奴隷だが、あなたはあなたが持っていないカネの奴隷」ということわざがある。

 ブラジル生まれのレバノン人のゴーン容疑者は知らなかったようだ。



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愛用機は70億円…評判は「金に汚い男」ゴーンの私生活 “暴君”ゴーンの落日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242467
2018/11/27 日刊ゲンダイ

ゴーン容疑者の自宅マンション(右)/(C)日刊ゲンダイ

<我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。昔の賢人たち、エピクロスやセネカ、そしてアイマラ人(南米の先住民族)たちは言っています。貧しい人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだと>(ウルグアイのムヒカ前大統領)

 拘置所で彼は何を思うのか――。

 羽田空港に降り立った日産の社用機「ガルフストリームG550」。空飛ぶ応接室と呼ばれる豪華ビジネスジェットで、購入当時の価格は約70億円。日産の社用機ではあるが、ほぼひとりしか使えないプライベートジェットだ。

 カルロス・ゴーン容疑者(64)は馴染みの焼き鳥屋に向かう予定だったが、羽田で身柄を拘束されてしまった。行くはずだった焼き鳥屋は、子供たちを連れて何度も通った店。大衆店と70億円のジェット機が異様なコントラストを描く。

「来日当初のゴーン氏は、『趣味といえば家族』と思われるほど、家族優先でした。一時期、家族全員がみそラーメンにハマっていて、奥さんと娘3人、息子1人で仲むつまじくスープをすすっている姿が頻繁に目撃されています」

 こう話すのは、経済ジャーナリストの大山功男氏。愛用の時計も庶民でも手に入るセイコーの「アストロン」で、数十億円の報酬をもらう経営者にしては質素だ。

 ただし、住居は最高級の元麻布ヒルズにあり、他にブラジル、レバノン、フランス、オランダ、米国にも住宅がある。言い方は悪いが、ポケットマネーではラーメンというケチ、会社のカネなら途端に気が大きくなるタイプだ。周囲からも「カネには汚い」と見られていた。

 そんなゴーンは、31歳で当時まだ薬学部の学生だったリタ前夫人と結婚。前夫人は大の親日家として知られ、著書には「ゴーンは日本人と同じ発想で家族を大切にしてくれる」と記している。一時、代官山などに「マイレバノン」というレバノン料理店を3店舗経営していたが、週刊文春に「5ドル稼ぐために人に尽くすなんて……」と夫のゴーンからバカにされたと証言している。

「欲には際限がなく、庶民的だった人でも強欲になっていく。再婚相手のキャロルさんとベルサイユ宮殿で結婚披露宴を挙げたと聞き、驚きました」(大山功男氏)

 では、他の外国人社長の生活ぶりはどうなっているのか。

 武田薬品工業のクリストフ・ウェバー社長(52)の自宅も麻布永坂町の高級レジデンス。昨年度の役員報酬は12億1700万円で、ゴーンに負けず劣らずの好待遇だ。

 日本マクドナルドHDのサラ・カサノバ社長(53)の家も、六本木の高級タワーマンションにある。役員報酬は赤字決算だった15年度こそ1億6700万円だったが、V字回復した昨年度は6億3200万円にジャンプアップしている。

 外国人社長は日本に来るプロ野球の助っ人と同じでオプションボーナス契約を結んでいる。日本マクドナルドHDは業績連動型、ソフトバンクは株式報酬型で、共に億単位の出来高が付くという。

 わが世の春を謳歌したゴーン。今回は身内に密告され、司法取引で悪事がバレた。強欲が身を滅ぼす典型例だ。



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日産ゴーン会長逮捕とフランスで「モラハラ激増」の浅からぬ関係
2018.11.22 128 by 河合 薫『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』
https://www.mag2.com/p/news/377331

ルノー・日産・三菱アライアンスCEOから一転、容疑者となってしまったカルロス・ゴーン氏。

瀕死の日産を始め数々の企業を再生させた経営手腕は高く評価されましたが、その「コストカッター」ぶりは少なからぬ人々を不幸にしていたようです。

健康社会学者の河合薫さんは、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』で、仏ルノー社で起きた社員の自殺とゴーン氏の関連性を指摘した当地の「揶揄の声」を紹介しています。


プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。


ゴーンの呪縛

やっと、本当にやっと「パワハラ防止」の法整備の方針が決まりました。

経営側が、最後の最後まで「パワハラと業務上の指導の線引きが困難。いきなり法による措置義務を課すことには慎重であるべきだ」と反対し続けたことへの意見は、日経ビジネスオンラインに詳しく書きましたので、ここでは省略します(「『組織の病』を見過ごすトップと指導という詭弁」)

ただ、呪いの言葉のように繰り返されてきた「指導とパワハラの境界線」が昨年、厚労省が立ち上げた「職場のパワーハラスメント防止対策検討会」(パワハラ検討会)が示したパワハラの概念により、かなりクリアにされていますので、その要点のみこちらでも再掲しますね。

新たな「職場のパワーハラスメントの概念」は、ワーキンググループが示した次の「パワハラ定義と6つの行為類型」を踏まえながら、
1.暴行や傷害などの「身体的攻撃」
2.脅迫や侮辱、暴言などの「精神的攻撃」
3.隔離や無視などの「人間関係からの切り離し」
4.遂行不可能な行為の強制などの「過大な要求」
5.実際の能力や経験とかけ離れた程度の仕事を命じるなどの「過小な要求」
6.私的なことに過度に立ち入る「個の侵害」

次の3つの要素のすべてを満たすもので、それが「パワハラ」となります。
1.優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
2.業務の適正な範囲を超えて行われること
3.身体的もしくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

つまり、3要素を事例に当てはめて考えれば、「パワハラに該当するか、該当しないか」が判断できるというわけです。

私はこの定義はとても良くできていると考えています。もちろんすべてのケースで100%白黒つけられるわけではないかもしれません。

でも、この3要素が加わったことで、境界線のグレー部分がかなり薄められ「指導とは何か」が考えられるはずです(具体的な事例集は厚労省が今後公表する予定)。


さて、今回は日本ではなくフランスの「モラハラ」について、少しお話をします。「モラハラ」とは、モラル・ハラスメント。日本でいうところのパワハラです。

フランスで「モラハラ」という言葉が一般化したのは、日本と同じ1990年代後半に遡ります。

きっかけは精神科医のマリー・F・イルゴイエンヌの著書、『Le Harcelement Moral: La violence perverse au quotidien(邦題『モラルハラスメント・人を傷つけずにはいられない』)』が大ベストセラーになったことでした。

それまで多くの人たちが、「職場のいじめや暴力」を経験したり、目撃していたのですが、その“問題”を“問題にする”ための言葉が存在しませんでした。

そこで、イルゴイエンヌ氏はもともと夫婦間の精神的暴力を示す言葉だった「モラハラ」を、職場で日常的に行われているイジメに引用したのです。

さらに、イリゴイエンヌ氏はいくつもの事例を被害者目線でとりあげ、「企業経営がモラハラを助長している」との見解を示し、批判は「個人」ではなく「組織」に向けられるべきであるとしました。

その結果、1999年には国会で法案が提案され、2002年1月17日職場でのモラルハラスメントに言及した「社会近代化法」(労働法)が制定されたのです。


従業員は、権利と尊厳を侵害する可能性のある、身体的・精神的健康を悪化させるような労働条件の悪化をまねく、あるいはそれを悪化をさせることを目的とする繰り返しの行為に苦しむべきではない。雇用者には予防義務があり、従業員の身体的・精神的健康を守り、安全を保障するために必要な対策をとらなければならず、また、モラルハラスメント予防について必要な対策を講じなければならない。
(労働法より引用)

つまり、個人の問題ではなく組織の問題として、企業にパワハラ=モラハラに関する予防・禁止措置を課しました。

1冊の本が法案提出につながるとは、さすがフランスです。というか、むしろそれほどまでに、フランスの多くの職場でモラハラに苦しんでいる人が存在した証なのでしょう。

実は、フランスでは2000年代から職場のモラハラを原因とする自殺が頻発していました。

その引き金のひとつとされているのが、1990年代に左派政権によって導入された「週35時間労働制」です。

労働時間の規制の主たる目的は「雇用の維持と失業者対策」。

政府の目論見通り、2000年〜2002年にフランス全土で実施された大規模調査では、5割が「職場の人員が増えた」とし、6割超が「生活の質が向上した」と回答(失業率の改善には好景気が影響した、という意見も多い)。

ところが、その一方で、4割が「業務の負担が増えた」とし、そのうちの6割超の労働者が、「ストレスが増加した」と回答しました。

いかなる法案も使い方次第で負の側面が出るものですが、皮肉にも労働時間短縮規制を徹底したことで、「コスト命」の愚弄な経営者が仕事量は従来どおりで労働時間だけを短縮し、賃金を抑制。その結果、職場の人間関係が悪化し、上司からの攻撃や暴力など、「モラハラ」が爆発的に増加したのです。

その先陣をきったのが、自動車メーカー「ルノー」。2007年に、4カ月間に3人が自殺。カルロス・ゴーン氏が、ルノー本体のCEOに復帰した時期と重なることから、「ゴーンは、日本の『過労自殺』という経営手法までフランスに持ち帰ったのか」とフランス国内で揶揄されました。

実際ゴーン氏の要求は高く、自殺者が残したメモには「会社が求める仕事のペースに耐えられない」と書かれ、夫を失った妻は「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」とサービス残業が常態化していたと告白するなど、ゴーン氏の経営手法は問題視されました。

また、2008年にはフランスの銀行で働く12人の従業員が自殺。2009年にはフランス最大手の電話会社「フランス・テレコム」で、わずか1年8カ月の間に24人もの社員が「自殺」するという、衝撃的な事件もありました。

結局のところ、“コストカット”による企業再生は、現場の犠牲の上に成立するという、やりきれないリアルが存在します。

リストラされた人はもちろんのこと、カネだけを追いかけるトップが作った劣悪な職場風土につぶされるのです。

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大人の事情  11月27日 


日産のゴーン元会長の容疑が日に日に増えて行きますね。

あれだけもらっておいて、もっと欲しいとは・・・。

人間の欲とは本当に底なしですね。

どうなるのかは分かりませんが、これらの容疑で懲役10年ぐらいはありそうだとの話もありますし、いくら金を手にしてもここから10年刑務所では人生が終わってしまいますね。

まあ、やっちゃえ日産がやっちまった日産になってしまった訳ですが、そもそもゴーン会長は凄い人物だったのでしょうか?

かつての日産は放漫経営のツケで経営が破綻しかけており、リストラが必要であったのですが、これを行えずにいました。

必要だったのはリストラを含む経営のスリム化と効率化だった訳ですが、日本人にその知恵が無かったのではなく、日本人的な人情というかやさしさがそれを阻んだのかと思うのです。

そして、外人の力を借りて大規模リストラを行った・・・。

何千だか何万だかは忘れましたが、とにかく大量の首切りを行って経営を立て直した訳ですが、要するに社員の首を切って自分は超高給取りとなった訳です。

それだけの給料を社員に還元すれば、もう少しまともなリストラも出来たのではないかと思いますし、結局は社員の血で得た報酬である訳です。

一般には日産を立て直した名将の様な話ですが、単に血も涙もない異人というだけの話なのではないかと個人的には思うのです。

まあ、次から次に容疑が重なってきておりますし、ワイドショーも悪い面を取り上げて行くでしょう。

ここから先はある事無い事で、本当はそこまで悪くないのに・・・というものもあるでしょう。

しかし、これだけ酷い守銭奴的な行いをしてきたのですから、これはもう自業自得だと言わざるを得ないとも思っているところです。

さて、この件で日産自体も検察が入っている訳で、色々問題が指摘されてきておりますが、この件で上場廃止だとか、倒産だとか、そういう話には絶対にならないでしょう。

これは問題発覚の時にも申しましたが、利益を水増ししていたとか、本当は赤字なのに黒字にしていたとか、株主にとって不利益な話ではないのです。

まあ、余計なカネは使っていたという事にはなりますが、経営を揺るがすような話ではありませんからね。

ですから、発覚当初は上場廃止がどうだとかと騒いでいる人もいましたが、そんなことはないと思ってよいでしょう。

仮に利益水増しなどの悪質な粉飾であったとしても、これほど大きな会社は上場廃止になりません。

なんだかんだと支援されて、上場維持です。

年金やら投信やらに大量に組み込まれているので、上場廃止にするとダメージが大きすぎるのが背景だと思いますが、この程度の事では上場廃止にはなりません。

相場全体に影響が少ないところですと、簡単に上場廃止ですけどね・・・。

まあ、大人の事情です。

相場の世界というのは、ルールがある様でないと言いますか、意外とこの大人の事情というのはあるのです。
http://ssoubakan.com/blog-entry-2923.html

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「日産の金は俺の金」…ゴーン氏、異常な強欲さの裏に「例外者的な特権意識」と幼少期の屈辱
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25651.html
2018.11.22 文=片田珠美/精神科医 Business Journal

カルロス・ゴーン容疑者(写真:ロイター/アフロ)


 日産自動車のカルロス・ゴーン容疑者が自身の報酬を約50億円過少に申告したとして、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕された。この逮捕を受けて記者会見した日産の西川廣人社長は、社内調査の結果、3点の重大な不正行為が判明したと述べた。報酬を減額して記載しただけでなく、私的な目的での資金流用と経費の不正支出もあったという。

 事実とすれば、ゆゆしきことである。すでに莫大な財産を築き、経営者として高額の報酬を得ていたにもかかわらず、なぜゴーン氏はこれほどまで金に執着したのか? その理由を分析すると、次の3つの要因が浮かび上がる。

( 1 )「コストカッター」
( 2 )特権意識
( 3 )<例外者>

■「コストカッター」

 2万人以上のグループ従業員のリストラや5工場の閉鎖などによって日産のV字回復を成し遂げたゴーン容疑者は、「コストカッター」として名高い。その負の側面があらゆる場面で顔をのぞかせているように見える。

 まず、自らの報酬を過少に申告したのは、支払う税金をできるだけ少なくしたいという思惑があったからではないか。また、海外の子会社にブラジルやレバノンなどで高級住宅を購入させ、ゴーン容疑者が無償で提供を受けていた疑いもあるらしい。これは、自分が利用する住宅であっても、自分の財布からは一銭も出したくないからで、「コストカッター」の面目躍如といえる。

 私生活においても「コストカッター」ぶりを発揮している。ゴーン容疑者は前妻との離婚手続きの際に「お前に与える財産はない」と主張し、財産分与の権利を放棄するよう前妻に迫ったと今年5月に「週刊文春」(文藝春秋/5月24日号)で報じられている。そのうえ、離婚訴訟費用まで日産に出させたという報道もある(同誌11月29日号)。事実とすれば、離婚はしたいが、そのコストを自分で負担するのは嫌だったのだろう。

 ゴーン容疑者がカットしたかったのは金だけではないようだ。超せっかちで、社内食堂でものすごいスピードで食事を取る姿が社員に目撃されている。また、ゴルフも「時間がかかるから」という理由でやらなかったらしい。いずれも、時間をできるだけカットしたいからにほかならない。

 つまり、ゴーン容疑者は、金にせよ時間にせよ、自分がコストとみなし、無駄と判断したものは徹底的にカットする。良くいえば合理的で、こういう人物が日産の再建のためには必要だったのかもしれない。だが、その反面、「非情」「がめつい」などと批判されても当然といえるほどの「コストカッター」ぶりである。今回告発された一連の不正は、こうした負の側面によると考えられる。

■特権意識

 ゴーン容疑者は、「俺は経営危機に陥った日産を立て直した功労者なのだから、特別扱いされて当然」と特権意識を抱き、「少々のことは許されるはず」と思い込んでいた可能性が高い。もしかしたら、「俺が改革しなければ、日産はつぶれてもおかしくなかった。だから、俺のおかげで立ち直った日産が現在稼いでいる金をどう使おうと俺の勝手」とさえ思っていたかもしれない。

 こうした特権意識は、ゴーン容疑者が日産で長年トップの座にあり、彼1人に権限が集中しすぎたことによって助長されたはずだ。また、「カリスマ経営者」として日本だけでなく世界中で称賛されたことも、彼の特権意識を強めたに違いない。

 だが、それだけではない。ゴーン容疑者の特権意識の根底には、強烈なエリート意識が潜んでいるように見える。彼は、グランゼコールの代表格であるエコール・ポリテクニックを卒業している。グランゼコールは、フランスのエリート養成校だ。ちなみに、マクロン現大統領も、オランド前大統領も、シラク元大統領も、グランゼコールの1つである国立行政学院( ENA )出身である。

 当然、グランゼコール出身者はエリート意識が強く、ゴーン容疑者も例外ではない。このエリート意識が、ミシュランとルノー、さらには日産での成功体験によって強化され、強い特権意識を生み出したのではないだろうか。

■<例外者>

 見逃せないのは、ゴーン容疑者が移民であるがゆえの悲哀を味わった形跡があることだ。彼は、ブラジルでレバノンからの移民の家庭に生まれたが、6歳のときに家族とともにレバノンに戻っている。そして、レバノンで少年時代を過ごした後、フランスで大学教育を受けるために単身渡航したという。

 いくら優秀とはいえ、レバノンでアラビア語を、フランスでフランス語を流暢に話せるようになるまでは、からかわれたり笑われたりしたことがあったはずだ。子供には大人よりも残酷なところがあり、友達のなまりをバカにしたり、まねしたりする。ゴーン容疑者も、そのターゲットにされて、“エトランジェ”(異邦人)としての悲哀を味わった可能性が高い。

 こういう屈辱的な体験をバネにしてがんばったからこそ、輝かしい成功をおさめたのだろうが、同時に自分には責任のないことで苦しみ、不自由な思いをしたと感じ、「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と考えたのではないか。

 このように自分が味わった体験や苦悩を根拠にして、自分には例外的な特権を要求する権利があると思い込む人をフロイトは<例外者>と名づけた。<例外者>は次のような思考回路に陥りやすい。

「人生は俺に損害賠償をする義務がある。俺は賠償を取り立てる。俺には自分が<例外者>であることを要求する権利がある。普通のやつらが遠慮するようなことでも、実行する権利があるのだ」

 しかも、<例外者>は、自分が味わった屈辱や悲哀を「不公正」なことと受け止めがちで、「俺は不正をすることができる。俺に不正が行われたからだ」と考える。そして、しばしば自分自身の不正を正当化する。幼少期に貧しい家庭で苦労した人が、大人になってから不正に手を染めてでも金儲けに執着することがあるが、これは<例外者>だからである。

 ゴーン容疑者も<例外者>だろう。しかも、彼が典型的な<例外者>であるがゆえに、特権意識が一層強化されている。彼が「不公正」なことと受け止めたであろう“エトランジェ”としての悲哀には同情すべき点もあるが、だからといって不正が許されるわけではない。

 一連の不正が解明され、ゴーン容疑者の強欲さを生み出した精神構造、そしてそれに影響を与えた体験に光が当てられることを切に望む。

(文=片田珠美/精神科医)

 参考文献
ジークムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの 』光文社古典新訳文庫)

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私物化「限度超えている」 ゴーン容疑者に日産幹部
株式会社 産経デジタル 2018/11/23 01:00 w

 カルロス・ゴーン容疑者をめぐっては、日産自動車側が購入した高級住宅を私的に使用するなどゴーン容疑者が会社資金を私物化していた実態が次々と明らかになっている。ある幹部は「不正の限度を超えている」と憤りを隠さない。

 「権力の座を理由にした会社の私物化が激しい」。ゴーン容疑者に浮上した内部調査を受け、日産幹部は22日、こう吐き捨てるように言った。

 1年の多くを海外で過ごすというゴーン容疑者だが、事件発覚後、明らかになったのは日産子会社を通じて購入させるなどした海外の高級住宅を無償で利用していたことだった。

 提供を受けたのは、ブラジル・リオデジャネイロ▽レバノン・ベイルート▽仏パリ▽オランダ・アムステルダム▽米ニューヨーク▽東京−の6カ所にある住宅。ブラジルやベイルートは幼少時代を過ごし、パリは仏ルノーの本社がある。

 他の役員報酬の配分を決められる権限まで持っていたゴーン容疑者。他の取締役に毎年支払われていた報酬総額が、株主総会で承認された約30億円より約10億円少ないことも判明し、一部がゴーン容疑者に流れていた疑いもあるという。

 自ら決められるのは現金だけではない。同社で導入されている株価と連動した報酬を受け取れる権利(ストック・アプリシエーション権)についても、約40億円分を自らに付与していながら、報酬として記載されていないことも発覚した。

 私物化はゴーン容疑者本人にとどまらない。計数千万円に上るという家族旅行の代金や、日産が姉と実態のない「アドバイザリー」業務を契約し、毎年10万ドルを支払っていたことも社内調査などで明らかになった。

 コンプライアンス担当の経験がある日産幹部は「ショックを受けている。世界が注目しているだけに、ゴーン容疑者には捜査にしっかりと協力して真実を話してほしい」と話した。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%a7%81%e7%89%a9%e5%8c%96%e3%80%8c%e9%99%90%e5%ba%a6%e8%b6%85%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8d-%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%ab%e6%97%a5%e7%94%a3%e5%b9%b9%e9%83%a8/ar-BBPZeS0#page=2

日産前会長逮捕
邸宅購入や家族旅行…「私物化」続々
毎日新聞2018年11月26日 06時45分(最終更新 11月26日 07時48分)
https://mainichi.jp/articles/20181126/k00/00m/040/122000c?inb=ys

ゴーン前会長を巡る疑惑の構図
https://mainichi.jp/articles/20181126/k00/00m/040/122000c?inb=ys


日産関係者「何から何まで会社のお金を」

 国内外に大きな衝撃を与えた日産自動車前会長、カルロス・ゴーン容疑者(64)らの逮捕から、26日で1週間。この間、日産の業績を回復させた「カリスマ経営者」を巡る疑惑は、逮捕容疑となった約50億円の役員報酬の過少記載のほか、会社資金の不正流用などにも広がっている。日産側は、前会長が会社を「私物化」していたとして法的措置も検討する方針だ。【服部陽、大久保昂、片平知宏】


 ゴーン前会長が日産の最高執行責任者(COO)に就任したのは1999年6月。以後、社内の大規模リストラに乗り出すなど「コストカッター」として経費を切り詰めていった。しかし、その裏で巨額の会社資金を私的に流用するなどしていた疑いが指摘されている。

 これまでにゴーン前会長は、日産側に世界6カ国(ブラジル・リオデジャネイロ▽レバノン・ベイルート▽フランス・パリ▽オランダ・アムステルダム▽アメリカ・ニューヨーク▽東京)で高級住宅を無償提供させていた疑いが浮かんでいる。

 関係者によると、このうちリオとベイルートの住宅の購入には、日産がオランダに出資して設立した子会社「ジーア」から、租税回避地(タックスヘイブン)に設けた孫会社など複数の会社を経由させた資金が充てられた疑いがあるという。住宅購入などに使われた費用は数十億円に上るとみられる。

 ある日産関係者は「オランダの会社は、いろいろなベンチャービジネスを買収するために設立された。しかし、そうした投資は一切行われていなかった」と指摘する。

 また、前会長の姉に業務実態のない契約料▽娘の通う大学への寄付金▽家族旅行の費用−−などに会社資金が充てられた疑いも浮上している。送金に関わっていたとされる社員らは東京地検特捜部に任意で事情聴取されており、送金の詳細を説明している模様だ。

 日産関係者は「前会長は、自身ではビタ一文出していなかった。外出してのどが渇いて部下に水を買わせる時も会社持ち。何から何まで会社のお金を使っていた」と強調する。

 ゴーン前会長の私的流用も、共に逮捕された前代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者(62)が、外国人執行役員らに具体的に指示していたとみられる。特捜部は資金の流れを示す送金記録を入手し、裏付け捜査を進めているものとみられる。

 一方、前会長の役員報酬の過少記載について、特捜部は逮捕容疑となった2010〜14年度の5年分に加え、15〜17年度の3年分についても立件を検討している。計8年分の不記載分計約80億円について、ゴーン前会長は退任後に受け取る仕組みを考案し、日産と契約を結んでいたという。

 有価証券報告書に記載すべき役員報酬について、検察幹部は「将来受け取る報酬であっても、受取額が確定していれば確定した時の報告書に記載しなければならない」との見方を示している。

 日産は特捜部の捜査を見守りながらゴーン前会長に民事訴訟で損害賠償を請求することや、刑事告訴も検討している。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c3

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
42. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2018年11月29日 08:34:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]

秘書室に極秘の報酬文書 ゴーン前会長に支払い確約か
11/29(木) 3:00配信 朝日新聞デジタル

 日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン容疑者(64)が約50億円の役員報酬を有価証券報告書に記載しなかったとして逮捕された事件で、この約50億円を退任後に受け取ることで日産と合意した文書は、秘書室で極秘に保管されていたことが、関係者への取材でわかった。東京地検特捜部は、文書作成に直接関与した秘書室幹部と司法取引し、将来の支払いを確定させた文書だという証言を得た模様だ。


 関係者によると、この文書は役員報酬を管理する秘書室で管理され、経理部門や監査法人には伏せられていた。退任後に支払うという仕組みは取締役会にも諮られなかったという。

 ゴーン前会長と前代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者(62)は、2014年度までの5年間の前会長の報酬が実際は約100億円だったのに、有価証券報告書に約50億円と虚偽記載したという金融商品取引法違反の疑いで逮捕された。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c42

[昼休み54] ヒラリー・クリントンの正体 中川隆
1. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年11月29日 08:46:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
ガーディアン紙のロシアゲートに関する記事が偽情報だった可能性が高まった
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811280000/
2018.11.29 櫻井ジャーナル

 イギリスのガーディアン紙はドナルド・トランプ陣営の選対本部長だったポール・マクフォートと内部告発支援グループであるウィキリークスのジュリアン・アッサンジがロンドンのエクアドル大使館で3回会ったとする記事を11月27日に掲載したが、その直後に主張をトーンダウンさせた。匿名の情報源はそう言っているが、編集部は確認していないという曖昧な表現に変更したのだ。最初の記事が出たすぐ後、マクフォートもウィキリークスも報道を全面否定していた。

 記事が出た日、マクフォートがFBIに嘘を話したとする話がFBIから出た。今年(2018年)9月にマクフォートは特別検察官のロバート・マラーと司法取引したが、マラーが期待した話を得られなかったようだ。

 司法取引が冤罪を生み出す仕組みだということは公然の秘密。支配層が何らかの事情でターゲットを収監したいと考えた場合に使われる。

 本ブログでも繰り返し書いてきたように、「ロシアゲート」はヒラリー・クリントンを担いでいたアメリカの支配層やイギリスの情報機関によるでっち上げ。2016年のアメリカ大統領選挙にロシア政府が介入したという主張だが、そうした疑惑の存在を裏付ける事実は示されてこなかった。

 アメリカの電子情報機関NSAで最高の分析官のひとりと言われ、同機関の不正を内部告発したことでも知られているウィリアム・ビニーによると、この疑惑が事実ならNSAから通信の傍受記録を取り寄せるだけで決着が付く。NSAは全ての通信を傍受、記録しているからだ。

 ビニーを含む専門家が指摘しているように、技術的な分析からクリントンの電子メールはハッキングではなく内部からのリークだった可能性が高いことがわかっている。

 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、​電子メールをウィキリークスへ渡したのはDNC(民主党全国委員会)のスタッフだったセス・リッチ​であり、その漏洩した電子メールをロシア政府がハッキングしたとする偽情報を流たのは2013年3月から17年1月までCIA長官を務めたジョン・ブレナンだという。

 ブレナンが長官に就任した2013年の夏、NSAの監視システムに関する内部告発を行った​​エドワード・スノーデンから受け取ったデータの入ったパソコンをガーディアン紙の編集部は当局の命令に応じて破壊している。

 勿論、ガーディアン紙は反体制でも左翼でもなかったが、この一件を境にして単なるプロパガンダ機関になったと見る人は少なくない。実際、中東情勢に関しても偽情報を流し続けてきた。

 そうしたガーディアン紙の編集部もすぐ軌道修正しなければならないようないい加減な話に基づく記事を載せる新聞もあるようだが。


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/324.html#c1

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
43. 中川隆[-13634] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:02:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法


渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI


税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c43

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
4. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:02:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c4

[経世済民129] ゴーン逮捕の副産物(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
19. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:03:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/616.html#c19

[経世済民129] まさかの無罪も…? ゴーン巡る大マスコミの迷走と混乱(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
16. 中川隆[-13631] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:04:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/629.html#c16

[経世済民129] 親中派ゆえ標的に? 特捜部ゴーン逮捕にチラつく米国の影(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:05:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/652.html#c9

[経世済民129] ゴーン昨年度報酬は上限超え25億円?“後払い”は絵画で(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 中川隆[-13629] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:05:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/654.html#c5

[経世済民129] 国税庁OB「脱税が立件できればルノーも仏も何も言えない」 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 中川隆[-13628] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:05:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/653.html#c7

[経世済民129] 神格化していたゴーン氏を強烈批判する日本社会の「ヤバい経営感覚」 だから、この国はナメられる(現代ビジネス) 赤かぶ
4. 中川隆[-13627] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:08:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21253]
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/648.html#c4

[経世済民129] 役員報酬「隠蔽」は退任後の「支払の約束」に過ぎなかった〜ゴーン氏逮捕事実の“唖然”(郷原信郎が斬る) 赤かぶ
20. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:16:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
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税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/613.html#c20

[経世済民129] ゴーンの逮捕容疑「50億の報酬」は払われていなかった! 検察の杜撰すぎる捜査とリークに丸乗りするマスコミ(リテラ) 赤かぶ
8. 中川隆[-13643] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:20:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
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税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/628.html#c8

[経世済民129] 役員報酬は少ないが...ゴーンも真っ青の配当金長者リスト(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 中川隆[-13642] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:20:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
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税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/641.html#c4

[経世済民129] ゴーン容疑者に“最強の味方” 米の著名弁護士事務所と契約(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:21:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
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税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/638.html#c7

[政治・選挙・NHK254] 疑問だらけのゴーン逮捕 「やっちゃえ日産」特捜部なのか ニュース深読み裏読み(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
11. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:21:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/290.html#c11

[経世済民129] 三菱グループは棚ボタ…ゴーン解任で“つっかえ棒”とれる(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:22:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/651.html#c2

[経世済民129] 経営危機時に密約…日産にルノーが送る「西川追放」の刺客(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
3. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:23:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21271]

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/631.html#c3

[政治・選挙・NHK254] 最大の被害者は日本共産党ではないか?   赤かぶ
10. 中川隆[-13658] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:40:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21292]

カルロス・ゴーンが日産からの報酬を過少申告した理由
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F

カルロス・ゴーンの悪行の詳細は

ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/322.html#c10

[昼休み54] 高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口 中川隆
17. 中川隆[-13657] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:46:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21292]

中国、「モリディブ」この小国への債権いくらか「食い違う理由」2018年11月29日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13963230.html


インド洋に浮かぶ小国モルディブで今月発足したばかりのイブラヒム・モハメド・ソリ新政権は、中国からの債務がどの程度に膨らんでいるのか見当もつかないと述べた。モリディブで起きた建築ブームの裏側で過去5年間に膨らんだ債務が持続不能となるリスクを懸念している。 ロイターが伝えた。

中国には、大国としての度量はないのだろうか。小国に法外な請求書を突き付けている。黄河の中原から始った漢族が、現在のような広大な版図に広げた経緯は、こうやって小国を食い物にしながら拡大してきたのだろう。その「あくどいやり口」をモリディブで「再演」していると思えば、貴重な歴史の体験をさせて貰っていることになる。

『ロイター』(11月27日付)は、「中国への借金は一体いくら 小国モルディブの困惑と警戒」と題する記事を掲載した。

(1)「17日に就任したソリ大統領の参謀役を務めるモハメド・ナシード元大統領によれば、駐モルディブ中国大使Zhang Lizhong氏は、モルディブ政府に対し32億ドル(約3600億円)に上る『請求書』を渡したという。これは国民1人当たり約8000ドルに相当する額だ。ただし中国側はこれを否定しており、金額は15億ドルに近いと述べている。『あれはまさに請求書だった。32億ドルという金額だけが記載されていた。衝撃的だった』とナシード氏『単なる会話ではなく、文書を突きつけられた。はっきりと、あなた方はわれわれにこれだけ借金があると告げていた』」

モリディブの実質GDPは、30億6900万ドル(2016年)である。この国に、32億ドルの請求書を突き付けられたというナシード元大統領。中国大使はウソだと言うが、ナシード元大統領は、金額だけ書いた請求書を持って来たという。不思議な話だ。中国大使が、わざと意地悪な気持ちで過大請求書を出してからかったのか。いずれにしても不謹慎な振る舞いだ。親中派の前大統領が落選した意趣返しであろう。中国人のやりそうなことである。

(2)「9月の大統領選挙で親中派のアブドラ・ヤミーン前大統領を破り、驚くべき勝利を収めたソリ大統領は、10月6日に行われた会談の席で中国大使からこの通達を受け取った。ナシード氏はそう明かすが、正確な文面については、詳細を明らかにしなかった。この発言について、中国外務省は、駐モルディブ大使が『事実ではない』と声明で否定していると指摘。ニュースサイト『アバス』で、対中債務報道が『ひどく誇張されている』と語った同大使のインタビューについて言及した」

こういう行き違い起るとは、モリディブ新政権と中国の関係が悪化している証拠だろう。

(3)「Zhang中国大使は、「アバス」のインタビューで、モルディブの対中債務は6億ドルで、首都マレと空港を結ぶ海上橋の建設、空港の拡張、埋立地でのタワーマンションの建設に投じられたと述べている。同大使によれば、これとは別に、発電から住宅に至るさまざまなプロジェクト資金として9億ドルが複数の国有企業向けの銀行融資として確保されているが、その融資の多くはまだ実施されていないという」

中国大使は、あとからモリディブの対中債務は6億ドルと発表した。騒ぎが大きくなったので、実際の数字を出したのでないか。モリディブ新政権が気付かなければ、32億ドルで通そうと考えたのでないか。中国という国は、これほど信用がならない国である。相次いで「債務漬け」にして平然としている国であるからだ。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html#c17

[昼休み54] 中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口 中川隆
21. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:52:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21295]

米国に尻尾を掴まれた中国、経済成長ままならず来年が危機 2018年11月29日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13962098.html


米中首脳会談は、今週末(11月30日〜12月1日)のG20サミットで開催予定です。米中貿易戦争が、「一時休戦」するのかどうか注目されます。事前の事務レベルの折衝では、肝心のハイテク技術をめぐる問題で溝が埋まりません。この点が、米中貿易戦争の核心部分です。米国には、対中貿易赤字の改善も大きな問題です。ただ、中国が米国企業の技術窃取を是正しない限り、米中貿易戦争は解決しないのです。

米通商代表部(USTR)が、米通商法301条に基づく中国の知的財産権・技術移転政策に関する最新調査で、次のような行為が継続されていると指摘しました。

1. サイバー空間での米知的財産権の侵害行為やそれを支援する政策・慣行を継続している。

2. 差別的な技術ライセンスの制限を引き続き行っている。

3. 外資規制を利用して米企業に中国部門への技術移転を強制したり圧力をかけたりする。

「中国製造2025」が壁

米国の基本的な立場は、中国が前記3点の行為を中止することを求めています。これに対して、中国が回答を渋っている理由は、習近平国家主席の肝いりで始った「中国製造2025」計画の実現が遅れることにあります。この計画は、7年後の中国の産業構造をハイテク化して、海外からのハイテク製品輸入に頼らずとも、自立できる体制を目指したものです。

米国といえども、中国の計画を阻止はできません。内政干渉に当ります。米国の言い分は、米国を初めとする先進国技術の窃取行為を止めることを求めているだけです。ところが、中国は前記の3つの手段で窃取計画を継続する意思を鮮明にしているのです。これでは、制裁を加えるしかありません。米国企業の技術を窃取して製造した製品には、高い関税を科すという大方針を中国に突き付けているのです。ただ、ハイテク製品以外にも対象品目が拡大されています。家具などはそういう好対照ですが、「流れ弾」が当ったような被害を被っています。

中国は、必死になって来る米中首脳会談で、「一時休戦」に持ち込みたいと米側に申入れています。米国の関税第3弾2000億ドル相当製品の上乗せ関税率25%(現在は10%)が、来年1月1日から実施予定です。トランプ米大統領は、米中首脳会談で米国の望むような解決案が提示されない限り、第3弾関税上乗せ分を実行する。同時に、第4弾として残り2630億ドル相当製品に関税をかけ、中国からの全輸入品を対象にすると迫っています。ここまで事態が悪化すると、世界経済への影響が大きくなります。その前に、中国経済が金融的に破綻するリスクを抱えます。(つづく)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html#c21

[経世済民129] ゴーン逮捕で永田町関係者がささやく仰天の「トランプ黒幕説」とは(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
1. 中川隆[-13658] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:55:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21295]
カルロス・ゴーンが日産からの報酬を過少申告した理由
海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法
渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI


税金を避けて国を転々とする“パーマネントトラベラー”ってどんな人達?


 パーマネントトラベラーとは節税を目的として、1年間に居住地を数か国転々と移動する人々のことです。彼らは、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、国をまたいで定期的な移動を繰り返すことで、居住者としての課税を避けます。果たして、日本政府はこのような人にどんな反応を示しているのでしょうか?


“パーマネントトラベラー”とは課税を避けて国を転々と移動する人々
 読者の皆様は、“パーマネントトラベラー”という言葉をご存知ですか?

 言葉を直訳すると、「永遠の旅人」「さすらいの旅人」という意味を持ち、凄く格好良い感じに聞こえるかもしれません。

 ところがこの言葉、各国政府の立場から見ると厄介者を指すようです。

 パーマネントトラベラーとは、節税を目的として、1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する人々のことです。

 どのように彼らは課税を避けるのでしょうか?

“パーマネントトラベラー”はどのように課税を避けるの?
 各国の税制はそれぞれ異なるものですが、共通して「居住者に対して課税し、非居住者に対しては課税を行わない」という原則があります。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人達は、滞在するそれぞれの国で非居住者とみなされる日数しか滞在しないよう予め計算し、定期的な移動を繰り返します。

 たとえば、世界の多くの国には「183日ルール」というものが存在し、1年間で182日までその国に滞在した人を非居住者とし、183日以上滞在した人を居住者とみなします。

 タイ、シンガポール、カナダ、オーストラリア、などがその代表国です。

 パーマネントトラベラーと呼ばれる人々は、この183日ルールを意識して、特定の国に滞在する期間を決めます。

 それなりの収入がある場合は、居住権をタックスヘイブンと呼ばれるような国に置き、なるべく課税がされないようにします。

 また、既にある程度の資産を持っているならば、これを切り崩しながら生活していけばよいわけですから、財産税のかからない国に居住権をもっていれば、事実上無税状態で暮らすことができるわけです。

  日本で会社を売却し資産を得た後、シンガポールのような税率の低い国へ移住し、別会社を同国内に作って暮らし、年の半分を稼ぐために日本へ来て過ごす

  世界各国を旅して周り、企業のプロモーションを手がけながら、居住地は税率の低いモナコに置く

  音楽アルバム制作はアイルランドで行い、販売契約はアイルランドに作った会社と日本のレコード会社とで行う。制作したアルバムのセールスプロモーションのために「日本へ凱旋帰国」など銘打ったキャンペーンを行う

 このような形で行動している有名人は、日本で稼いでいるにも関わらず、日本に税金を落とさないパーマネントトラベラーではないか?と疑われています。

政府は表面だけで居住者判定を行わないとコメント
 ただし、日本政府もこのようなパーマネントトラベラーを野放しにしようとしているわけではありません。

 国税庁は、居住者か非居住者かの判定を、183日ルールだけで行わないことを、以下のように伝えています。


3 複数の滞在地がある人

 ある人の滞在地が2か国以上にわたる場合に、その住所がどこにあるかを判定するためには、例えば、住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実によって判断することになります。

(注) 滞在日数のみによって判断するものでないことから、外国に1年の半分(183日)以上滞在している場合であっても、わが国の居住者となる場合があります。

 1年の間に居住地を数か国にわたって転々と移動する、いわゆる「永遠の旅人(Perpetual Traveler, Permanent Traveler)」の場合であっても、その人の生活の本拠がわが国にあれば、わが国の居住者となります。

 外国(A国)の居住者となるかどうかは、A国の法令によって決まることになります。A国で居住者と判定され、わが国でも居住者と判定される場合、租税条約では、二重課税を防止するため、居住者の判定方法を定めています。どちらの国の居住者となるかを判定するに当たっては、わが国とA国との租税条約によりますが、国籍をひとつの判断要素としている条約もあります(日米租税条約等)。なお、必要に応じ、両国当局による相互協議が行われることもあります。

(所法2、3、7、所令14〜15、所基通2-1、3-1〜3-3、各租税条約)

国税庁HP No.2012 居住者・非居住者の判定(複数の滞在地がある人の場合)

 国税庁は上記の通り、表面上は日本政府に納税する義務が無いように見えても、実質的に日本で稼いでいるならば居住者とみなすとしています。

 パーマネントトラベラーとなるならば、相当の税金に対する知識と高度な判断、そして、いざという時に国を捨てる覚悟が必要となりそうです。
https://setsuyaku.ceo/post/2658/%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%81%A6%E5%9B%BD%E3%82%92%E8%BB%A2%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%9C%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%81%94%EF%BC%9F


カルロス・ゴーンの悪行の詳細は

ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html


http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/658.html#c1

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
44. 中川隆[-13657] koaQ7Jey 2018年11月29日 09:58:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21295]
ゴーン逮捕で永田町関係者がささやく仰天の「トランプ黒幕説」とは
https://diamond.jp/articles/-/186760
2018.11.29 窪田順生:ノンフィクションライター ダイヤモンド・オンライン


検察や日産がリークを連発する一方、ゴーンサイドからの情報がほとんどない現在、あのウォール・ストリート・ジャーナルですら、ゴーンはハメられた的な「陰謀論」を展開する事態になっている。さらに驚くのは、永田町界隈でまことしやかにささやかれる仰天の陰謀論だ。(ノンフィクションライター 窪田順生)

米有力紙も「ゴーン擁護」へ
国内外に広がる陰謀論


少なからぬ永田町関係者がなんと本気で信じているのが「トランプ黒幕説」。つまらない陰謀説であっても、あえて背景を考えてみることで、リーク渦巻く情報戦に振り回されない情報リテラシーを養うことができる Photo:Reuters/AFLO

「ありゃ裏でもっと悪いことしてるぞ。コストカッターとか言われてた時から、俺は怪しいと思ってたんだよ」「いやいや、あれはハメられたんだって。日本人の側近がルノーに吸収されないように起こしたクーデターらしいぞ」――。

 世界に激震が走った逮捕劇から10日、部下にハメられた哀れな外国人リーダーか、強欲な独裁者かという「ゴーン論争」は、今やすっかりサラリーマンたちの「酒の肴」として定着した。

 この「メシウマ状態」に拍車をかけているのが、GT−Rを会社からタダでもらっていた、なんて調子で、日産や東京地検特捜部からせっせと毎日のようにリークされる「しっくりこない話」だ。

 ゴーンのしょうもない悪事を聞けば聞くほど、「監査役もいる上場企業なのに、なぜここまで見抜けなかったのか」とモヤモヤが深まる。そのためか、海外ではすっかり、ゴーンはハメられた的な「陰謀論」が広まっている。

 例えば、26日の米ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)でも、「中国で起きたことかと思った」と揶揄したほか、「島国特有の閉鎖的な企業文化」「日本の経済界に汚点を残す」との論調を展開するなど、露骨に「ゴーン擁護」へと舵を切っている。

 もちろん、この手の「陰謀論」は国内でも飛び交っていて、中には、落合信彦氏の国際スパイ小説も真っ青のストーリーも聞こえてくる。そこで本稿では、その一部をご紹介していきたい。

「フェイクニュースを撒き散らすな!」と怒り出す方もおられるかもしれないので、言い訳をさせていただくと、「陰謀論」というものの多くは「情報の飢餓」が原因である。

 ネットでカモを探す怪しげな自己啓発セミナーが、「大手マスコミが報じない」なんて宣伝文句を多用するように、「陰謀論を語るのは危険だ」とみんなが“お口にチャック”をすると、かえって「陰謀論」の価値を高めて、それを広めることとなってしまうのだ。

 また、火のないところに煙は立たぬではないが、「陰謀論」にだってささやかれるだけの理由はある。信じるも信じないもあなた次第、と話半分のエンターテイメントとして楽しんでいただきながら、そのバックグラウンドを読み解くことは、むしろデマやフェイクニュースに惑わされない情報リテラシー向上の役に立つのではないだろうか。

永田町でまことしやかに
ささやかれる「トランプ黒幕説」

 一通り陰謀論を語る「意義」を説明させていただいたところで、さっそく本題に入っていこう。

 日産をルノーに奪われたくないという「国策」で東京地検特捜部が動いた、という「陰謀論」は既にいたるところで語られているので割愛するが、それを遥かに上回るスケールのストーリーが囁かれているのをご存じか。

 それは、「トランプ黒幕説」だ。

 先日、永田町で、国際政治に精通し国内外に豊富な情報ソースをお持ちの方とお茶をしていた時、ゴーン逮捕が話題に上ると、さも常識という感じでこんなことをおっしゃった。

「あれはね、トランプがやらせたんだよ。知らなかった?」

 聞けば、トランプから命じられた“忠犬ポチ”の日本が東京地検特捜部を使って、ゴーンを日産から「排除」したというのである。

「妄想乙」と言う人も多いだろう。だが、実はこれ、この方だけではなく、政治に携わる一部の方たちの間でまことしやかにささやかれている、わりとメジャーな「陰謀論」なのだ。

「おいおい、こんな妄想を真に受けている人が永田町に多いなんて、日本の政治は大丈夫か」と心配になった方も多いかもしれないが、先ほど述べたように「陰謀論」にだって、ちゃんと理由がある。この「トランプ黒幕説」も然りで、複数の方からお話を聞いていく中で、この「説」のバックグラウンドが見えてきた。主なポイントは以下の3つだ。

(1)トランプの「マクロン大統領叩き」
(2)対中国戦略としての「電気自動車(EV)開発潰し」
(3)アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄

 納得というものもあれば、何のことやらというのもあると思うので、(1)から順に説明しよう。

「トランプ黒幕説」では、トランプが日本を使ってゴーンを排除した最大の理由は、マクロン仏大統領を弱らせることだと説明される。

ゴーン失脚で米が狙うのは
「テスラのEV復権」!?

 マクロン大統領といえば、日本国内では、日産をルノーに吸収しようと目論む張本人というイメージが強いが、国際政治的には、トランプとバチバチのバトルを繰り広げているEUリーダーとして知られている。

 かつてはトランプと蜜月関係なんて言われた時期もあったのだが、フランスが主導してきた「イラン核合意」や、地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」をトランプがこき下ろしたうえ、サクッと離脱してしまったことで関係が悪化。ちょっと前のトランプと金正恩のバトルのように、互いに会見やTwitterで罵り合う事態になっているのだ。

 ゴーンに「横領外国人経営者」の悪名を着せてルノーと日産を「分断」すれば、日産を欲しがっていたマクロンは大打撃。いかにもトランプが考えそうな「謀略」だというのだ。

 いくらなんでもそんなくだらない喧嘩くらいで、日本に世界的企業の社長をパクらせないだろ、と思う方も多いかもしれないが、トランプには他にもゴーンを排除したい理由がある、と「トランプ黒幕説」は考える。

 実はゴーンは、トランプと目下、激しい「貿易戦争」を繰り広げている中国で、「EVの父」と呼ばれている。ルノー・日産は早くから中国に進出し、2017年には東風汽車とEVの共同開発をする合弁会社を設立。中国でのEV事業を積極的に進めているからだ。

 そんな“親中派”のゴーンを「罪人」として追放できれば、高いEV技術を持つ日産とルノーの関係に「溝」をつくることができる。それはすなわち、彼らと共同でEV開発に力を入れる中国にもダメージを与えることでもある、というわけだ。

 ご存じのように、アメリカのEVは大苦戦で、経営危機がささやかれるテスラは中国に工場を建設すると発表して中国市場へすり寄ったものの、「米中貿易戦争」の煽りを受けて中国国内の販売が70%減になったと報じられたばかりだ。

 つまり、トランプが日本にゴーンを排除させたのは、中国でルノー・日産の影響力をそぎ、テスラにEV開発の主導権を持たせるためのものだというのである。

永田町関係者が思い出すのは
田中角栄の「奇妙な逮捕劇」

 もちろん、自動車業界関係者やジャーナリストたちからすれば、「そんなことあるわけないだろ」という失笑レベルの話かもしれないが、政治の世界で長く生きていた人ほど、このような「陰謀論」を強く支持する傾向が強い。

 その理由が(3)である。

 実は政治の世界に生きる者であれば、アメリカと東京地検特捜部という組み合わせを聞くと、脊髄反射で思い浮かべる、昭和を代表する陰謀論がある。

 もうお分かりだろう、ロッキード事件だ。

 日本の首相経験者がパクられる、というあまりにも有名で衝撃的な事件なので、その詳細はここでは割愛するが、一部の方たちの間では、この事件は「角栄がアメリカの虎の尾を踏んだから起きた」という認識で一致している。

 日本独自のエネルギー安全保障を進めるため、サウジアラビアと石油取引の交渉をしようとしていた田中角栄を、アメリカが東京地検特捜部と日本のマスコミを陰ながら操って、「世紀の犯罪者」に仕立て上げたというのだ。

 ここでこの「説」についての真偽をああだこうだと論じても仕方ないが、ただ一つはっきりしていることは、政治の世界では、これを「真実」だと信じている方が、今でもたくさんいるということだ。

 あの奇妙な逮捕劇をリアルタイムで覚えている人たちからすれば、中東で「日の丸オイルメジャー」をつくろうと動いた後、「カネ」の問題でパクられた角栄と、中国のEV覇権を取りに動いていた最中に、同じく「カネ」で監獄に放り込まれたゴーンは妙に重なってしまうのだろう。確かに、今回の逮捕劇は、ロッキード事件とムードはよく似ている。

 何の前触れもなく動く東京地検特捜部。手のひら返しで悪口を言い立てる側近たち。次から次へとマスコミにリークされる不可解なネガティブ情報、そして、ちらつくアメリカの影――。

 このような要素を踏まえれば、「トランプ黒幕説」がまことしやかにささかれるのも当然といえば、当然のことなのかもしれない。

陰謀論をあえて深読みすると
情報リテラシーが向上する

 もちろん、「陰謀論」はこれだけではない。筆者が他に耳にしたのは、いわゆる「原子力マフィア」の関与である。

 経営危機に陥っているフランスの原子力総合メーカー、アレバグループに、三菱重工が出資していることで、実はこの騒動の本丸は、日産ではなく「三菱」なのだ云々というような、これまた陰謀論好きな方たちがワクワクしそうなストーリーだったので、機会があればまたどこかでお伝えしたい。

 いずれにせよ、ゴーンサイドから大した情報が出てこない段階で、このような「陰謀論」が盛り上がっているのだ。日産、特捜部、ルノーなど、さまざまなプレイヤーが入り乱れた情報戦の本番はこれからだ。そんな中で我々にできることは、魅力的な「陰謀論」の中に、どのような意味があるのかを読み解くことである。

 なぜそのような話がニュースに出るのか。一体誰が話をしているのか、そしてこのような情報が流れると、誰が得をするのか。

 ポジティブに捉えれば、今回のゴーン逮捕は、我々日本人の「情報リテラシー」を磨く、いい機会になるのかもしれない。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c44

[経世済民129] ゴーン逮捕で永田町関係者がささやく仰天の「トランプ黒幕説」とは(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
2. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年11月29日 10:42:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21298]

カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/658.html#c2

[経世済民129] まさかの無罪も…? ゴーン巡る大マスコミの迷走と混乱(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 中川隆[-13658] koaQ7Jey 2018年11月29日 10:43:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21298]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI

http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/629.html#c18

[経世済民129] ゴーン逮捕の副産物(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
20. 中川隆[-13657] koaQ7Jey 2018年11月29日 10:44:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21298]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

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渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
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http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/616.html#c20

[経世済民129] ゴーン昨年度報酬は上限超え25億円?“後払い”は絵画で(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 中川隆[-13656] koaQ7Jey 2018年11月29日 10:46:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21298]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税法

渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/654.html#c8

[政治・選挙・NHK254] 最大の被害者は日本共産党ではないか?   赤かぶ
13. 中川隆[-13655] koaQ7Jey 2018年11月29日 10:47:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21298]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

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渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/322.html#c13

[経世済民129] 親中派ゆえ標的に? 特捜部ゴーン逮捕にチラつく米国の影(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:02:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21313]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

所得税をゼロにする為に海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているカルロス・ゴーンの悪質な脱税手口


渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/652.html#c11

[経世済民129] 神格化していたゴーン氏を強烈批判する日本社会の「ヤバい経営感覚」 だから、この国はナメられる(現代ビジネス) 赤かぶ
6. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:03:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21313]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた

所得税をゼロにする為に海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているゴーンの悪質な脱税手口


渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dCeLlUsNnQI
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/648.html#c6

[経世済民129] ゴーンの逮捕容疑「50億の報酬」は払われていなかった! 検察の杜撰すぎる捜査とリークに丸乗りするマスコミ(リテラ) 赤かぶ
9. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:06:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21313]
カルロス・ゴーンは日本での所得税をゼロにする為に過少申告していた


所得税をゼロにする為に海外各地の日産所有豪邸を転々として生活しているゴーンの悪質な脱税手口


渡邉哲也 カルロス・ゴーン問題がさらに!! 田中秀臣 解説! - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=oJ2lPq2nSWI
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/628.html#c9

[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
11. 中川隆[-13675] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:19:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

2018年11月29日 水道民営化に見る安倍政権の正体
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授

「外国人労働者受け入れの拡大を目指した入管改正法案が衆議院で可決しました。
この法案は言うまでもなく事実上の移民解禁法案です。」ヨーロッパの移民国家化の惨状から何も学ぼうとせず、しかも起こりうる事態に対して何の準備も整えていないひどい法案ですが、それについては、すでに多くの人の指摘があるので、ここでは触れません。以前、このメルマガでも扱ったのですが(2018年1月投稿)、
https://38news.jp/economy/11527
水道民営化法案(水道法改正法案)は、現在すでに衆議院を通過しており、今国会で参議院での継続審議案件となっています。

当然、どさくさに紛れて数の勢いで国会を通過してしまうでしょうが、マスコミは相変わらず、この法案の危険性について報道しません。

この法案の目的は、もちろん、フランスのヴェオリア社など、水や環境にかかわるグローバル企業の便宜を図るところにあります。

ちなみに、これまでも水道事業の多くの部分は、民間企業に業務委託されてきました。

しかし、それは今回立法化されようとしている管理運営権の売り渡しとはまったく意味が違います。

業務委託の場合は、自治体が公共的な観点から必要と判断された業務の一部を、その範囲内で業者に委託するので、契約更新は毎年度になります。

これに対して、今回の水道民営化法案では、運営権を丸ごと企業に譲渡するので、企業は企画から実行までをすべて行い、契約期間も15年以上まで可能です。

その間、運営に不満が出たとしても、消費者も自治体も原則として契約条項を変えさせることができません。

水道民営化法案の問題点は、次の六点に要約できます。
(1)今回のコンセッション方式(所有権は自治体、管理運営権は民間企業)では、運営権の売却は地方議会の議決を必要とせず、水道料金も届け出制で決められることになっています。
政府は上限を設けるなどと言っていますが、水道をめぐる状況は地域によって複雑で多様なので、それは無理でしょう。

(2)何か問題が起きた時の修復や後始末は、運営会社ではなく、自治体が解決することになっています。
https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/1947720121973442/UzpfSTE2MDc4MjYwODI6MzA2MDYxMTI5NDk5NDE0Ojc1OjA6MTU0MzY1MTE5OTotNDEzNjgzNzEwODg1MDg5MzUz/

(3)他のモノやサービスと違って、消費者には選択の自由が与えられていないので、企業間の競争が起こりえず、寡占化が進み、料金の高騰を招きます。

実際、世界の事例では、ボリビアが2年で35%、南アフリカが4年で140%、オーストラリアが4年で200%、フランスが24年で265%、イギリスが25年で300%上昇しています(堤未果著『日本が売られる』)。

(4)ビジネスは利益を出さなくてはなりませんから、そのぶん、料金が消費者に上積みされますし、利益は株主への配当に流れるので、現在のようなデフレ下では労働者の賃金低下を招きます。
また採算が取れないとわかったら、企業はさっさと撤退しかねません。

(5)一度民営化してしまうと、失敗した時に再公営化するためには、たいへんなコストと時間がかかります。

(6)一番の問題は、当の推進論者たちが、なぜ民営化するとこれまでよりサービスが「よい」ものとなるのかを、積極的な論拠をもって説明できないことです。

今年は災害が多かったので、彼らはそれに乗じて、「災害時に効率的に対応できるように」などとひどい屁理屈をつけていますが、「おいおい、そりゃ逆だろう!」と言いたくなりますね。

擬似ショック・ドクトリンとでもいうべきでしょうか。

じつはこの政策は、ずっと前から竹中平蔵を筆頭とする規制緩和論者たちの間で立てられていたもので、民主党政権がそれにまんまと引っかかったのです。

災害の増加とは何の因果関係もありません。

以上、水道民営化の問題点を見てきましたが、世界で実際に民営化した自治体はさんざんな目に遭っています。
先のメルマガでは、パリ、ベルリン、クアラルンプール、アトランタをはじめ、世界180の自治体で再公営化に踏み切っていると書きましたが、堤氏の前掲書によると、最新のデータでは、世界37か国、235都市で公営化に戻しているそうです。
要するに、この政策は、グローバル企業が儲けるためだけの政策なのです。

いまや、水も環境も電気も医療も農作物も、すべてが巨大グローバルビジネスの対象になっています。
安倍政権は、国民の命を犠牲にしても、グローバル企業の利益に奉仕する政策をずっととってきたのです。

売国政権と呼んでも過言ではありません。

労働者派遣法改正、農協法改正、混合診療解禁、発送電分離、種子法廃止、消費増税、移民(特に単純労働者)受け入れ、そして今度は水道民営化です。

こういう悪政を平然と行っている政権の最新の支持率がなんと10月から4ポイント上がって46%になっています(「支持しない」は37%)。
http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/
これはいったいどういうわけでしょうか。
日本以外の国なら、暴動が起きてもおかしくないでしょう。

現にフランスでは、マクロン大統領の支持率は26%で、パリをはじめとして各地で暴動が起きています。

日本の現政権が、内外に迫る危機を少しも解決できていないどころか、むしろひたすら国家的自殺行為に走っているのに、高い支持率を維持できている。

これには、次の理由が考えられます。

(1)もともと日本人は、政治、特に経済政策に関心が薄く、社会の悪化を自然現象のように見なしてしまう習慣を身につけている。

(2)移民問題、貧富の格差問題、文化摩擦問題などが、まだ欧米社会ほど深刻でない。

(3)政治の上部組織と国民の私生活との間に乖離感覚があり、誰がやっても同じというあきらめ感が強い。

(4)平和が続いたために危機に対する緊張感を喪失して、今日明日が過ごせればそれでよいという能天気状態に陥っている。

(5)高度成長期やバブルを経験したころの感覚がいまだに残っている。
(6)社会全体が複雑化したために、国民だけでなく、政治家やマスコミや学者が、個々の不全現象を個別バラバラにしか把握できず、統合失調症に陥っている。

(7)政治現象を右か左か、保守かリベラルか、の軸で解釈しようとする習慣から抜けきっていない。

まだあるでしょうが、いずれにせよ、こういう日本の状態をそのままにしておいてよいはずがありません。

単に移民政策や水道民営化政策だけでなく、安倍政権が採っている経済政策が、みな国民生活を犠牲にしてグローバル資本に奉仕する性格のものであること、まずはこのことに気づく必要があります。

個々の社会問題は、それ一つだけで切り取られるものではなく、ほとんどすべての原因が、一つの間違った政治運営に収斂するものなのだという統合された視野を、ぜひとも回復しなければなりません。
https://38news.jp/economy/12751
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c11

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
45. 中川隆[-13674] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:27:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

2018年11月29日
焦点:日産など3社、29日にトップ会合 すれ違う人事・資本関係での思惑


[東京 29日 ロイター] - 日産自動車(7201.T)、ルノー(RENA.PA)、三菱自動車(7211.T)の3社の経営トップが29日、会合を開く。3社連合を主導してきたカルロス・ゴーン容疑者の逮捕後、初となる話し合いでは、今後の3社連合のあり方を協議する。資本を中心とするルノーとの「不平等な」関係を見直したい日産に対し、支配力を維持し続けたいルノーの思惑はすれ違っており、最終的にどのような合意にたどり着けるのか、明確な姿は見えていない。


<トップ人事、ガバナンスがテーマか>

アムステルダムで開かれる今回の協議でまず焦点になるのが、ゴーン容疑者が務めている開発や調達など共通の戦略を策定する統括会社「ルノー・日産BV」のトップの人選だ。

日産の西川廣人社長兼最高経営責任者(CEO)と三菱自の益子修CEO兼暫定会長は、テレビ中継で参加。ルノーからは暫定CEOのティエリー・ボロレ最高執行責任者(COO)が出席する。  

益子CEOは、会合では「今後のことについて話し合う時間を持ちたい」と記者団に説明。また、「1回の打ち合わせですべてが(決まる)ということではない」とも付け加えた。


ルノー・日産BVは、2002年に日産とルノーが折半出資で設立。そのトップは、ルノーのCEOが兼務するという規定があり、重要事項の決定で強い権限を持つ。ルノーの大株主は15%を出資するフランス政府。同国のルメール経済・財務相も、統括会社のトップは規定通りルノー出身者が望ましいと主張している。

ただ、ルノー出身のゴーン容疑者が東京地検特捜部に逮捕されたことで、統括会社のトップが引き続きルノー出身者となることには「やや抵抗がある」と日産幹部は話す。

ルノーは逮捕の証拠が明確でないとしてゴーン会長の解任を見送っており、解任した日産、三菱自とは対応が分かれた。再びルノーからトップが就けば「日産への『干渉』がきつくなるのでは」(日産幹部)と警戒する。

ゴーン統治の負の側面があった、権力が1人に集中し過ぎた――。西川社長はゴーン容疑者逮捕を受けた19日の会見で、こう言い放った。日産に約43%出資するルノーのトップが日産のトップも兼任していたことはガバナンス(企業統治)の点で問題だったとも指摘。事業運営を含め、「(見直しが)必要な部分は、時間を置かずに明確な手を打っていきたい」と明言した。

<資本関係見直しを模索する日産>


ゴーン容疑者の不正問題は、日産にとってこれまで不満がくすぶり続けていた「ゆがんだ資本関係も見直せる、千載一遇のチャンス」(自動車業界アナリスト)でもある。「今回は踏み込んだ議論はされない」(日産幹部)予定だが、3社のトップ会合がその第一歩となる可能性もある。

別の日産幹部は「ルノーと日産が対等な関係を構築し、各社がより独立した形で、ウィン・ウィンを目指すという原点に戻るべきではないか」と述べ、ルノーとの資本関係を見直す必要性を強調する。

ルノーは日産株を約43%持ち議決権もある一方、日産はルノー株を15%持つが議決権はない。フランスの法律上、40%以上の出資を受けている企業は、出資元の企業の株式を保有していても議決権を持てないためだ。

両社の資本関係は1999年に経営危機に陥った日産をルノーが救済したことに始まるが、現在はルノーを日産の業績が支えている。日産は販売台数や収益力などの点でルノーを上回っているが、資本面ではルノーに支配される形だ。業務面でも「ルノー救済策」(元・日産幹部)とみられる判断が、たびたびあったという。

ゆがみを解消するために取りうる選択肢として、1)ルノーの日産への出資比率を40%未満に引き下げれば、日産が議決権を持てる可能性がある(フランスの法律に基づく)、2)日産がルノー株を25%まで買い増せば、ルノーが持つ日産に対する議決権が消える(日本の法律に基づく)――の2つがあるとみられている。

<協定の見直し>


Nissan Motor Co Ltd987.7


7201.TTokyo Stock Exchange

+16.20(+1.67%)

7201.T

RENA.PA

7211.T

協定の見直しも焦点だ。日産とルノー間には1999年の提携時に結ばれた、取締役会の構成や資本関係などに関する協定(RAMA)がある。ルノーが日産に会長を含むCOO以上の役職者を送り込むことなどを定めており、これまで数回にわたり改定されてきた。

関係者によると、日産のゴーン前会長解任に際し、ルノーは日産に解任決議の先送りや後任会長の指名を申し入れたが、日産はこれを拒否。日産はゴーン容疑者の後任会長に日本人の取締役を充てる予定だが、ルノーはRAMAを根拠に反対し、後任会長を送り込む可能性もある。

2015年には、フランス政府が株式を2年以上保有した株主の議決権が2倍になるフロランジュ法を制定し、日産の経営への関与を強めようとした。

この際、両社は日産の経営の独立性を保つことに合意、協定に盛り込まれた。

具体的には、ルノーが日産の承認を得ずに、日産株を買い増したり、株主総会に決議提案しないことなどを明記。ルノーやフランス政府が日産の経営に介入するなど合意内容に反した場合、日産はルノーへの出資比率を25%以上に引き上げられ、日本の法律に基づき、ルノーの議決権を消せるようにした。

今後、この切り札を日産が行使する意思をにじませつつ、資本関係の見直しを求めることもできる。


ただ、先の自動車業界アナリストは「協定をちらつかせたら、ルノーの不信感を再び買うかもしれない。日産がルノー株を買い増しても配当をもらえる程度。あまり意味がない。ルノーの議決権を消すためだけに金を使うのかと、日産の株主はがっかりする」といい、「一番現実的なのは『現状維持』ではないか」とも語る。

フランスのマクロン大統領の支持率は、燃料課税引き上げの影響もあり低迷している。国内投資や雇用の増加を通じて支持率の回復を図ろうとするこの局面で、ルノーの雇用増は、マクロン大統領にとって極めて重要な要素となっている。

今年2月、ゴーン容疑者のルノーCEO再任時に、マクロン大統領は、続投の条件として日産との「不可逆的な関係」を求めていた。それだけにルノーの日産への支配力が弱まる選択肢をやすやすと受け入れる政治的な環境ではないとの指摘も、ルノー・日産関係に詳しい関係者から出ている。

電動車や自動運転などの技術開発、パワートレーンなど基幹部品の共通化、部品調達などの事業面では「もう別れられない」(日産幹部)3社。日産とルノー、そしてフランス政府は歩み寄れるか。それとも平行線か。会合の内容や3社連合の行方に内外の注目が集まっている。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c45

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
126. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:34:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]
表現力の大部分はスピーカーユニットで決まる - Mr.トレイルのオーディオ回り道
2018年11月29日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/1c7fd374ce55726c50256603123f859b

ステレオの「表現力」の大部分はスピーカーユニットの性能で決まると私は考えて居る。昨日、一昨日とJBL:D130とLE15のことを書きましたが、同じ型番のユニットでも作られた年代で「月とスッポン」の質感の違いが有る。同じ型番・規格なので同じ系統のサウンドで有っても「性能」の違いは「質感」や「癖」の違いとなって出て来る。

特に、500Hz以下を受け持つウーハーの「質感」は非常に大事だ。ここが基音となって倍音が載って来る。出てくる音の70%以上、エネルギー感の80%以上は500Hz以下の帯域で決まる。エンクロージャーの方式やサイズ・材質もユニットの性能を引き出す為に重要な点だ。

同じ型番でも30年以上に渡って作られている訳で、その年代ごとに音質が違う。だから、それを聴いた方も判断が違う。雑誌に投稿された記事でも、そのSPの年代によって評価が違って来て当たり前である。直接サウンドを確認して購入されることをお勧めする。

中域や高域を受け持つユニットでも同じ事が言える。その時代時代でコストダウンされているかどうかでサウンドも変わって来る。またオーディオメーカーは「短命」な処が多い。その時代でなければ買えないユニットも有る。また使い方が良く判っていない場合(未成熟)も有る。それらを自分の感性で磨いて行くのも必要だろう。「お金」さえ出せば何とかなる部分とどうにもならない部分が有る。長い期間、この趣味を続けて行くと自ずと見えてくるものが有る。問題意識を持たない方の40年と、問題意識を持って対策してきた方の40年では比べるべくもないだろう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c126

[リバイバル3] 酒を飲むとバカになる 中川隆
28. 中川隆[-13672] koaQ7Jey 2018年11月29日 11:55:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

肝臓を壊すアルコール〜勝谷誠彦さんの死から考える
榎木英介 | 病理専門医かつ科学・技術政策ウォッチャー 11/28
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20181128-00105781/



アルコールは肝臓を痛めつける(写真:アフロ)


肝不全で…

 この前兵庫県知事選挙に出てたじゃないか…。その訃報に耳を疑った。

コラムニストや写真家として活躍した勝谷誠彦(かつや・まさひこ)氏が28日午前1時48分、肝不全のため生まれ故郷の兵庫県尼崎市内の病院で死去した。57歳だった。

出典:スポニチ

 まだまだこれからというときの訃報に、心からお悔やみ申し上げる。

 勝谷さんは以前私が所属する全国医師連盟の集会に来られ、講演されたことがあるが、医療に関する鋭いご意見は私たちにもとても参考になった。こうしたご意見が聴けないと思うととても残念に思う。

 報道によれば、勝谷さんは8月に重症アルコール性肝炎で入院したという。

関係者によると勝谷氏は「重症アルコール性肝炎」と診断され、入院当初はICUに入り、非常に危険な状態にあったが、治療の後に奇跡的な回復をみせて、重篤状況を脱したという。

出典:デイリー

 10月に退院したが、黄疸は続いていたという。今月再入院されたのち、病態が急変し亡くなられた。

重症アルコール性肝炎とは何か

 勝谷さんが入院するきっかけとなった重症アルコール性肝炎とは何だろうか。

 肝臓は私達が生きていくために不可欠な臓器の一つだ。とても重要なことを「肝心(もしくは肝腎)」というが、それは肝臓と心臓、腎臓が命の維持に不可欠なことからきている。

肝臓の主な働きは3つあります。1つ目は、私たちの体に必要な蛋白の合成・栄養の貯蔵、2つ目は、有害物質の解毒・分解、それと3つ目が、食べ物の消化に必要な胆汁の合成・分泌です。

出典:大塚製薬ウェブサイト

 飲酒は肝臓にダメージを与える。こうした人が大量飲酒をすると発症することがあるのが、重症アルコール性肝炎(重症型アルコール性肝炎)だ。

重症型アルコール性肝炎(Severe Alcoholic Hepatitis: SAH)は、禁酒しても肝腫大が持続し、肝性脳症、肺炎、急性腎不全、消化管出血、エンドトキシン血症などを合併し、多くは1ヶ月以内に亡くなると言われています。

出典:国立国際医療研究センター 肝炎情報センター

 「肝性脳症」は以下のようなものだ。

重症の肝硬変の症状の一つ。本来肝臓で解毒されるはずのアンモニアなどの有害な物質が、肝臓の働きが低下したために解毒されず、全身、ことに脳へ回ってしまうため、意識がぼんやりしたり、無くなったりする症状。

出典:肝性脳症

 脂肪の分解を助ける胆汁の成分であり、肝臓で作られるビリルビンは、肝臓の細胞が壊れると体のなかに溜まってしまう。これが黄疸だ。黄疸があるというは、肝臓がダメージを受けていることを意味している。

 勝谷さんは「奇跡的」と言われるほどの回復を見せたものの、肝臓の働きはもとには戻らず亡くなられた。

アルコールは肝臓を削る

 勝谷さんには長年飲酒の習慣があったようだ。

勝谷:いや、会社には夕方にしか行かないから。で、朝にまず飲んで、もう一回寝ていると、バスの「ピンポン、ピンポン」っていう音が聞こえてくるんですよ。それから、突然お巡りさんが自分を逮捕しにくるっていう幻覚も見えてくる。

出典:勝谷誠彦が逮捕に怯える? 「アル中状態」での幻覚体験告白

 こうした飲酒習慣が、肝臓にダメージを与えていたのだろう。

 アルコールが肝臓を痛めつけるのはよく知られているが、肝臓を顕微鏡でみている病理医の視点から解説したい。

 まず、アルコールを摂取し続けると、アルコールやアルコールの分解産物であるアセトアルデヒドが肝臓にダメージを与える。また、肝臓がアルコールの分解にかかりきりになって、脂肪の分解などの正常な働きが邪魔される。

 だから、次第に肝臓の細胞に脂肪が溜まり(脂肪肝)、肝臓の細胞が壊される(慢性肝炎)。壊された部分は再生するが、次第に壊れた部分がもとに戻らなくなっていく。だんだんゴツゴツになって硬くなり(肝硬変)、がんができることも多い(アルコール性肝がん)。
•参考 肝炎情報センター アルコール性肝疾患、日本病理学会コア画像

 肝硬変になると、もうもとには戻らない。血液の流れが邪魔されて、食道や肛門に静脈瘤ができることもある。この静脈瘤が破裂して、大量出血で死に至ることもあるのだ。

 私の祖父も、大量飲酒の末肝がんになって死んだ。

 アルコールは肝臓を削る恐ろしい毒物なのだ。

肝臓だけではない

 アルコールの害は肝臓だけではない。私達病理医は、アルコールに壊された膵臓を見ることも多い。アルコールにやられた膵臓は細胞が壊れ、原型をとどめなくなることもある(病理学会コア画像)。また、食べ物を消化する膵液が自分を溶かし出す急性膵炎を引き起こすこともある。

 アルコール摂取は食道がんを引き起こすこともある。このほか、体の様々な臓器に悪影響を与える(参考 お酒の飲み過ぎが原因となる身体の病気)。

誰でもなりうるアルコール依存症

 体を破壊しても酒を飲み続ける…。これは病気だ。そう、アルコール依存症だ。

 過去1年間に次の6項目中、3項目以上に当てはまる場合、アルコール依存症と診断される(参考 アルコール依存症治療ナビ)。
1.お酒を飲めない状況でも強い飲酒欲求を感じたことがある。
2.自分の意思に反して、お酒を飲み始め、予定より長い時間飲み続けたことがある。あるいは予定よりたくさん飲んでしまったことがある。
3.お酒の飲む量を減らしたり、やめたりするとき、手が震える、汗をかく、眠れない、不安になるなどの症状がでたことがある。
4.飲酒を続けることで、お酒に強くなった、あるいは、高揚感を得るのに必要なお酒の量が増えた。
5.飲酒のために仕事、付き合い、趣味、スポーツなどの大切なことをあきらめたり、大幅に減らしたりした。
6.お酒の飲みすぎによる身体や心の病気がありながら、また、それがお酒の飲みすぎのせいだと知りながら、それでもお酒を飲み続けた。

 一つくらい当てはまる人は多いのではないか。そう考えると、アルコール依存症は誰でもかかりうる病気だと言える。

 現在、アルコール依存症は日本国内に100万人程度いるとされるが、医療機関にかかっている人は僅かだ。

25年の厚労省研究班の調査によると、アルコール依存症の人は約109万人と推計。予備軍として多量飲酒者が約980万人いるとされる。医療機関で治療を受けている患者数は厚労省の調べで約4万9千人(26年)と推計。自殺者の2割以上にアルコール関連の問題が見られるという。

出典:産経新聞
•WHO世界戦略を踏まえたアルコールの有害使用対策に関する総合的研究

 アルコール依存症はきちんと治療すれば治る。しかし、治療には時間がかかる。

アルコール依存症治療を開始するうえで最初の壁となるのは、患者さんが依存症であることを否認して自分の症状を認めず専門医療機関への受診を拒否することです。また、専門医療機関での治療を開始してからも回復には2〜3年かかる場合が多く、長い年月を経てようやく安定した断酒生活を送ることができるようになります。

出典:アルコール依存症治療ナビ

 アルコールを含む酒は様々な害を及ぼす飲み物であることを認識し、行政、医療機関を含め対策が必要だ。
•厚生労働省 アルコール健康障害対策

 近年「ストロング系」とされるチューハイが人気だという。
•ストロング系缶チューハイ、なぜアルコール依存症患者増加?「缶」ゆえの危険性、がんリスク増も

 こうした高いアルコール度数の酒がコンビニエンスストアなどで手軽に手に入る。電車のなかでも飲酒している人がいる。大阪の繁華街では、昼間から酔っ払って転がっている人をよく見かける。このような毒物がいわば野放しになっているのが、今の日本の現状なのだ。

 私自身、決して酒が嫌いではない。だから自分自身注意しなければならないと自覚している。

 勝谷さんには、まだまだ日本の社会に毒舌を振りまいてほしかった…。酒が憎い…。
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20181128-00105781/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html#c28

[リバイバル3] 酒を飲むとバカになる 中川隆
29. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:00:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

そういえば、毎日ワインを飲んでいた 安井かずみさん、川島なお美さん、野際陽子さん もまだ若いのに癌で亡くなりました。

ワインやビールでも毎日飲んでいると必ず癌で死ぬ運命なのですね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html#c29

[リバイバル3] インド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害 中川隆
5. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:17:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

米宣教師を殺したセンチネルは地球上最後の「石器人」
11/27(火) 16:53配信 ニューズウィーク日本版


地球上で最後の石器時代を生きるといわれるセンチネル族 BBC News


<接近が厳しく制限されているインドの離島で殺害された米国人の遺体は先住民保護のため収容断念となる可能性も>

インドの北センチネル島で先住民に殺害された米国人宣教師ジョン・アレン・チャウの遺体は、今も収容できていない。最古の推定では6万年も前からこの島で暮らしてきたといわれる「貴重な」先住民、センチネル族を傷つけかねないからだ。

センチネルの動画を見る

AP通信によれば、11月21日にチャウが殺害されたとの見解を発表したインド当局は、アンダマン・ニコバル諸島に属するこの離島に船舶を派遣。同島で暮らす先住民、センチネル族と衝突することなく、チャウの遺体を収容する計画を作ろうとした。

今も石器時代の暮らしを続ける地球上で最後のコミュニティーとされるこの先住民は、外部との接触に強い抵抗を示している。遺体収容のためとはいえ不用意に近づけば、互いにさらなる犠牲者が出かねないことをインド当局は懸念している。

アンダマン・ニコバル諸島を管轄する警察のトップであるデペンドラ・パタックは、センチネル族は「宝だ」として「島に乗り込んで我々のやり方を押しつけることはできない」と説明した。「彼らに害を及ぼすようなことはしたくない」

チャウは11月半ば、地元の漁師にカネを払って手助けして貰い、上陸が禁止されている同島を訪れて殺害された。彼が最後に書いた複数の手紙には、島の住民にキリスト教を布教したいという思いと、地元漁師の船を拠点にして複数回、島に上陸したことが記されていた。
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遺体が埋められるのを漁師が目撃

またこれらの手紙には、センチネル族との緊迫したやりとりがあったことも書かれていた。ある時はセンチネル族の若者がチャウに向けて放った矢が、彼が持っていた聖書を射抜いたという。

それでもチャウは11月16日に再び北センチネル島に接近し、漁師たちに「船には戻らない」と告げて島に上陸した。翌朝、漁師たちは先住民がチャウの遺体を引きずって運び、海岸に埋めるところを見たという。その後、チャウが島に接近するのを手引きした罪で7人の漁師が逮捕された。

11月23日と24日には警察や当局者がボートで同島に接近し、双眼鏡でセンチネル族の様子を観察。パタックによれば、彼らは弓矢で武装していたものの、過去に接触が試みられた際のように火をつけた弓矢を放ってくることはなかったという。「我々は離れた場所から彼らを観察し、彼らも我々を観察していた」とパタックは説明した。

当局者たちは今もチャウの遺体の収容を諦めていないが、センチネル族は過去にも島を訪れた外部の人間を殺害しており、それらの遺体はいまだに収容されていない。

2006年には、船で眠っていた2人の漁師が北センチネル島に漂着。センチネル族はこの2人を殺害し、その遺体を海岸に埋めた。遺体収容のためにヘリコプターで接近したが、弓矢で追い払われたという。


インド政府は、先住民を病気や搾取から守るために島の周囲およそ4.8キロを立ち入り禁止にするなど、北センチネル島への接近を厳しく制限している。このため同島に暮らす先住民の正確な数は分かっていない。

「島で何が起こったのか、センチネル族が何をしたのかを注意深く調べている」とパタックは説明した。「複数の人類学者の協力を得て、どのような善意の意思表示ができるかを検討している」

さらに彼はこう続けた。「先住民側から、彼らの生活に支障をきたすことなく接触する方法が提案されなければ、遺体収容は難しい。彼らと対立するつもりはない」

当局者や人類学者たちは過去に何度か、センチネル族にココナッツやバナナの贈り物を届けて限定的な接触を試みている。センチネル族は贈り物を喜んで受け取ったこともあったものの、それ以上の交流は頑として拒んできた。

デリー大学の教授で人類学者のP.C.ジョシはAP通信に対して、チャウがどのような状況で死亡したのかを知るためには、遺体を収容することが重要だと語った。だが加害者を「訴追することはできず」、また北センチネル島は高温多湿なため、早くしなければ遺体の腐敗が進み、収容も分析も「無益な試み」になるだろうとも指摘した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181127-00010001-newsweek-int
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html#c5

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
58. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:32:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

宮崎の山村に伝わる「百済王伝説」の謎


いったいなぜこんな山奥の地に!?

古代の朝鮮半島に栄え、日本とも交流が多く、仏教をはじめとする多くの文化をもたらした王国「百済」。

その百済の王族が隠れ住んでいたと伝説に残る村が宮崎県にある。

南郷村という、九州山地の山間にある小さな村である。

今から1300年ほど前、百済の王族の禎嘉王とその息子の福智王が、宮崎の海岸に漂着して、南郷村に移り住んだという。

このふたりの霊を鎮めるため、南郷村では、毎年、旧暦の哩月に、息子の福智王が父の禎嘉王を訪ねる「師走祭り」という祭りが行われるが、この祭りには、朝鮮半島に伝わる風習とよく似た儀式がまじっている。たとえば、師走祭りでは、氏子や、祭りに参加した人々の行列が、途中で河原に降りて石を2つずつ拾い、自分の肩に乗せて、禎嘉王が祁られている神門神社の近くの石塚に納める。

いつぽう韓岡では、道を通る人々が道中の安全を願って石を供える「ソナンダン」という風習があるが、このソナンダンと、師走祭りで石塚に石を納める儀式はよく似ている。

また、祭りの最後に、「ヘグロ塗り」といって、神門神社の境内で、ナベやカマの炭を互いの顔に塗りあう風習があるのだが、韓国でもやはり、旅立つ人の魔よけとして、顔に炭を塗る習わしがある。

さらに、神門神社には、正倉院の遺物と同じ型の「瑞花六花鏡」が納められている。

こういったことからすると、南郷村の伝説は、史実を伝えたものと思われるのだが、そうすると不可解なのが、どうしてこんなところに隠れ住んだのかという点である。この百済の王族の親子が朝鮮半島から逃げてきたのだとすれば、朝廷に保護を求めればょさそうなものだ。どうしてわざわざ、宮崎の山奥の村に逃げ込んだりしたのだろう?

これについて、作家の金達寿氏は、この百済の王族親子は、朝鮮半島からではなく壬申の乱で逃げてきたのではないかという仮説を述べている(「歴史発見喝」角川書店刊)

天智天皇は、百済の危機に際して朝鮮半島に出兵したことからもうかがえるように、百済と親密な関係にあり、百済滅亡後、多くの百済人が日本に亡命してきていた。この百済からの亡命者たちは、天智天皇が現在の滋賀県大津に築いた近江京において官僚として仕え、天智天皇の死後、壬申の乱が起こったときには、天智天皇の子の大友皇子側についた。

これに対し、百済を滅ぼした新羅は、大海人皇子(天武天皇)の側についたものと考えられる。壬申の乱で大友皇子側が敗れると、近江朝廷に仕えていた百済人たちも、敗者として都から落ち延びることになるが、南郷村の伝説の禎嘉王と福智王も、史料には出てこないながら、この近江朝廷側の官僚、おそらくは武官だったのではないかという。

この仮説を裏付けるように、福智王を刷った比木神社の縁起では、禎嘉王と福智王はいったん安芸国厳島に滞在し、その後、日向の浜にたどり着いたという。安芸を経由して落ちのびてきたのなら、壬申の乱で都から逃げてきたという可能性も高そうだが、なぜこんな山深くに?という謎は依然として残る。
http://www.w-a-mozart.jp/entry/therekishi11.html  


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朝鮮半島からの流入民

 
日本列島へは、旧くからアジア大陸での争いに伴って、アジア大陸(主に朝鮮半島)からの流入民が多くいた。ここでは、大きく3回に分けて大陸からの流入について整理していく。


 
★流入第一波 〜紀元前4世紀頃 楚からの難民流入〜

約2400年前(紀元前4世紀頃)、中国は戦国時代と呼ばれる時代で、諸国(燕・斉・趙・魏・秦・韓・楚)が争っており、燕・秦・楚からの難民が南朝鮮へ流入し、日本列島へも海洋ルートで楚からの難民が流入していた。


 
★流入第二波 〜2世紀頃 朝鮮半島からの亡命部族(侵略部族)の流入〜

紀元後146年〜189年(桓帝・霊帝の治世)の間に「倭国大乱」が起こったと「後漢書」(東夷伝)に記されており、「三国志」(魏志倭人伝)他の書物にも2世紀後半に「倭国大乱」があったことを記述している。
 
一般には「倭国」=「日本」と解されていることが多いが、戦国時代〜前漢時代にかけて編纂された「山海経」の記述からは、朝鮮半島中部にあった国であると読み解け、「倭国」の範囲は倭人たちの領有地域に規定されており、前漢以前の時代はむしろ朝鮮半島中部〜南部が「倭国」の主要領土で、倭人の一部が日本列島にも上陸していたとみなせる。
 
よって、「倭国大乱」とは、日本列島だけでの出来事ではなく、2世紀頃に朝鮮半島南部にあった3つの部族連合

「馬韓(→4世紀に百済によって統一)」

「弁韓(→4世紀に部族連合のまま伽耶連合)」

「辰韓(→4世紀に新羅によって統一)」

の争いであり、その争いによって追いやられた部族が、日本列島へ流入したと考えられる。
 
「倭国大乱」期に朝鮮半島からの流入民は、数的に第一波より多いのはもちろん、亡命部族であると同時に武装した侵略部族であり、彼らによって縄文人たちは制圧されたであろう。
 
この大乱は最終的に女王(卑弥呼)を共立して収まったとされているが、これは女首長をおく母系集団的な治め方であり、この時期でも縄文的性質が失われておらず、むしろ統治のためには縄文的性質への同化が不可欠であったと言える。


 
★流入第三波 〜6世紀の任那滅亡、7世紀の百済滅亡と流入民〜

朝鮮半島では、新羅によって562年に任那が、新羅−唐連合軍によって660年に百済が滅ぼされた。

「倭国」がもともとは現在の「日本」だけではなく、南朝鮮と日本列島の一部を占めていたことを考えると、これは単なる朝鮮半島という地域の出来事ではない。
 
これは、日本列島にいた(伽耶を出身地とする)「倭人」にとっては、故地(伽耶・任那)を奪われ、同盟国(百済)を滅ぼされたことを意味する。

滅亡した百済の遺臣達からの要請に応じて、「倭国」が大軍を派遣して白村江の戦い(663年/百済・倭国軍敗戦)に挑んだのは、このような事情があったからに他ならない。
 
そして伽耶・任那滅亡から百済滅亡、白村江の戦いまで、大量に伽耶人、百済人の流入が続き、これらの中には社会的に高位の者も少なからずいた。
 
このような大量流入が起これば、使用言語が大きく変化したり、あるいは流入者の母語に取って代わられかねないが、この流入第三波によってもそのような事態にならず、縄文的性質が継承されていった。
 
【参考】
「渡来人の氏神様A…分化の融合−D渡来人」韓郷神社社誌
http://park15.wakwak.com/~yoshimo-2/moto.176.html

http://blog.trend-review.net/blog/2008/08/000799.html#more



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古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた 


古代日本、とりわけ朝鮮半島が戦乱にあけくれた2世紀〜6世紀に 、彼らは日本にやってきた。当時南朝鮮は、部族連合から国家への 移行期であり、激しい戦いを繰り広げ、そこから押し出された部族 が、一族郎党で武装のまま新天地の日本にやってきたのだった。


彼らは既に鉄製の剣を持ち、戦慣れした武装勢力であり、当時の縄文人・弥生人が敵う相手ではない。西日本に侵略部族による国が、あっという間に出来 あがる。


この2世紀ごろ西日本に成立した国々は、

・邪馬台国(ヒミコ)・・・・・・・・・・後の伊勢神宮系
・狗奴(くぬ)国(スサノウ、須佐氏)・・・・・宇佐神宮(八幡宮)系
・伊都国( 葛城氏、物部氏)・・・・・・加茂神社系
・不弥国(須佐氏)・・・・・・出雲大社

・・・・など

その後も、蘇我氏(高句麗からの侵略部族、神社を持たず仏教を導入)などが相次いだ。特に6世紀中ごろの任那滅亡、7世紀中ごろの百済滅亡の際には、任那・百済の支配部族の中核・大半が日本に移住した。


ここで注目するのは、2世紀にはよく言われる邪馬台国だけではなく、既にそれと同程度の国が各地に出来上がっているということです(邪馬台国ばかりに注目するのは意味がない)。そしてそれら侵略部族は自分の氏神として神社をもっていたこと。


その後これらの国々が、せめぎあい、勢力争いを繰り広げた後に、連合して作ったのが、大和王権(朝廷)であり、天皇制であり、日本における支配制度だった。


・・・・・・その名残が、名字(姓)と神社(神道)である。

★明治前まで支配部族だけが、名字(姓)をもっていた。=氏族という血統主義によって支配階級を形成。庶民は名無しだった。


日本では名字をもっていることが、支配階級(朝鮮からの渡来部族)の証であった。それが氏族の血統の証であり、当然名字のある階級と無い階級が交じり合うことは殆ど無かったと見られること。

従って姓を持っている名家は明らかに侵略部族の末裔であり、支配階級であった。


※従来、貴族制→武家支配が日本の支配機構で、それが明治維新でなくなったというのが定説だったが、より根本的な部分にこの“氏族による血統主義”があるということ。

ヨーロッパの身分主義、インドのカースト制とも少し違うが、明確な身分制度があったのだ。


※ちなみに百姓は、元々は農民を指すのではなかった。戦国時代までは、庄屋や下級武士など支配階級の最末端であり、“その他大勢 ”という意味だった。

大きくは名字のある無しの2階級だが、細かくは、

支配氏族>百姓(下級氏族)≫平民>エタ・非人 の4階級。


これらの朝鮮からの侵略部族が古代から一貫して苗字を持ち、氏族 を名乗り、血統を保ちながら、日本を支配してきた。なので平民が歴史上に登場 することはなかった。このような縄文人の末裔のあり方は、権力に従順ともいえるし、反抗しないし欲が少ないと言う点では本源的とも言える。


★神道は、支配部族(氏族)の氏神を祭る神であり、神社は、支配部族(氏族) の邸宅or砦であり、氏族の血統主義の権化、精神的な支柱であった。


神道や神社といえば、日本古来のものというのが一般的な認識だと思うが、そうではなかった。これは“右”的な人が聞いたら卒倒するかもしれないくらいの認識転換ではある。ただ古代からの事実をおさえていけば分かることだろう。


以上のように考えると歴史上の出来事と符号してくることがある。

なぜ有史以来朝鮮への出兵を繰り返してきたか?

 ・7世紀 天智天皇:白村江の戦い 
 ・16世紀 秀吉  :朝鮮出兵 
 ・19世紀〜明治以降の天皇による:日清・日露戦争〜太平洋戦争


いずれも、天下を取ったばかりor体制変革直後の時期に、急いで朝鮮へ出兵し、失敗している。天下をとった後は本来内部の体制固めが重要な時期である、それをおいてまず朝鮮に出兵している。彼らにとっては祖国奪還であり、至上命題だったのではないか?(イギリス王朝にとってのノルマンディーに近い。)


※秀吉は、“百姓”だが農民出ではない。下っ端氏族で修験者の出 。

(修験道は、天武天皇の時代に始まったもので、日本古代版のCIA(諜報機関)である。この修験道の修験者によって、各地の情報が集められ、監視され、また天皇崇拝の世論工作が行われた。そのための忍術や各種武術(剣道・柔道)もここから始まる。)


このように有史以来の日本の歴史は、朝鮮からの侵略部族により、 原住民である縄文→弥生人が支配されてきた歴史でもある。縄文人の末裔は、従順で反抗することも少なく、プロパガンダを疑うこともなく、天皇制を崇めてきた。

その一方で、朝鮮半島からの侵略部族が数次にわたって渡来してきたが、いずれ縄文・弥生の言葉(→日本語)を話すようになり、日本に同化していったのもまた事実です。朝鮮では分かれて合い争っていた部族が日本に来たら、大連合(=大和朝廷)を組んだのが象徴的だ。
http://blog.trend-review.net/blog/2008/08/000801.html


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古代日本史は、氏族集団間の闘争史


大和朝廷以降、日本の政治を仕切ってきたのは、氏族集団(同じ姓を持った血縁集団)であった。史上、最も長く実権を持ち続けていたのは平安時代の藤原氏である。

氏族集団が勢力争いを繰り広げ、実権を握った氏族集団が政治を動かすというこの体制は、ヤマト朝廷誕生以前から続いている。この氏族集団が、朝鮮半島からの渡来人だと考え、日本の歴史を見ていくと、日本史の意外な側面が見えてくる。


邪馬台国が成立した時の朝鮮半島は、北部を高句麗が支配し、半島南部を馬韓・弁韓・辰韓という部族集団が存在していた。

この部族同士の争いの結果、勝ち残った部族が国家を作っていく。

(馬韓→百天照済、弁韓→任那(みまな)、辰韓→新羅) 

この部族間闘争の結果、負けた部族が日本に渡り、クニを作っていく。
邪馬台国、狗奴国など、百国以上のクニが成立した。


天照大神は、日本書紀では最初「大日巫女貴(おほひるめのむち)」という名前で登場しており、太陽神を祭る巫女(=日の巫女)を示している。

女シャーマンであった卑弥呼が統治する邪馬台国の南に、男子の王を立てる狗奴国(くなこく)が大きな勢力を誇っていた。邪馬台国と狗奴国は何度も領土争いを繰り広げていたようだが、両者の和合により大連合政権が九州にできたと考えられる。


任那系渡来人と、新羅系渡来人の連合国家が九州に誕生したことになる。

九州に誕生した王権は、その後、奈良へと移動し、大和朝廷が誕生する。

この九州から奈良への遷都を描いたのが、「神武天皇の東征」である。

神武天皇以降、大和朝廷は基盤を固めていくが、西暦550年前後に、高句麗から蘇我一族が日本に渡り、朝廷内で勢力を拡大していく。推古天皇の時代には当時の諸氏族の中でも最大の勢力をほこり、十七条憲法や冠位十二階制など中央集権国家としての体制を固めていった。

当時、朝鮮半島は北部を高句麗が、南部を百済、任那(伽耶諸国)、新羅が統治していたが、562年には、任那(伽耶諸国)が新羅に吸収される。その後、唐と手を組んだ新羅は、百済、高句麗を滅ぼし、朝鮮半島に統一国家が成立する。

この朝鮮半島の混乱期に、日本に百済系渡来人が渡ってくる。中臣氏(→藤原氏)一族である。天智天皇と組んだ中臣鎌足は、蘇我一族を滅ぼし、土地制度、戸籍制度の改革を実行する。(大化の改新)

しかし、天智天皇は制度改革の途上で、滅亡した百済王家の願いを聞き入れ、百済奪還のため朝鮮半島に出兵する(白村江の戦い)。改革途上の出兵は、古代史上でも謎だとされているが、天智天皇の最大の後ろ盾であった藤原氏が百済の王族であり、彼らが一貫して朝鮮半島での国家復活を求めていたと考えれば、辻褄が合う。

天智天皇の死後、天智天皇の太子(大友皇子)と皇弟(大海人皇子)との間で後継者争いが起こる。結果、大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位する(壬申の乱)。天武天皇は、それまでの親百済政策を一転させ、親新羅政策へと舵を切っていく。

おそらく、天武天皇は新羅系王族の末裔で、壬申の乱とは、新羅系渡来人が百済系渡来人に勝利したという出来事だったのではなかろうか。実際、天武天皇の時代には、百済系渡来人・藤原氏(中臣氏)は衰亡の危機を迎えている。

この天武天皇の命により、古事記と日本書紀の編纂が開始される。

天武天皇の死後は、天武天皇の皇后が即位し、持統天皇となる。持統天皇となってからは、対朝鮮外交政策は天智天皇時代に近いものとなり、藤原氏一族が再び勢力を拡大し続ける。

これは、持統天皇が、天智天皇の娘、つまり百済系であったこととが関係していると考えられる。

この後、持統天皇系→天智天皇系が即位する時代が続いていく。


このように、朝鮮半島からの血縁集団が朝廷内に勢力を作り、氏族集団を形成した。大和朝廷成立以降、誰が天皇となり、どのような政策を取るかは、この有力氏族間の勢力図によって決まっていた。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2008/08/000797.html


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小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P38


第二章 皇極天皇 ミステリアスな女帝

 皇極天皇は謎多き女帝といわれている。
なかでも、もっとも不可思議なのが結婚をめぐる謎である。

『日本書紀』は舒明大王との結婚を再婚とし、―はじめ用明天皇の孫の高向王〔たかむくのおおきみ〕に適〔みあい〕して、漢皇子〔あやのみこ〕を生〔あ〕れませり―と伝えている。つまり皇極女帝は好明大王に嫁ぐ前、高向王と結婚して漢王子という男子をもうけていたというのだ。

 そのころ、国の頂点に立つ大王の妃はよりどりみどりのはずである。にもかかわらず、舒明大王は子持ちで再婚の妃を迎えたという。なぜだろうか。そして先夫との子が漢王子というのも気になる。

というのは当時、百済からの渡来人の多くが漢人を称していたからだ。


皇極天皇は百済の王女

小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P39

 天皇家の系譜『本朝皇胤紹運録〔ほんちょうこういんじょううんろく〕』によると、皇極は推古二年(五九四)に舒明大王の弟、茅渟王〔ちぬおう〕を父とし、推古の姪の吉備姫〔きびひめ〕王女を母として生まれ、幼名を宝〔たから〕王女といった。

ところが茅淳王の生母の大俣王〔おおまたおう〕には漢王女という記述がある。
百済の王女だというのだ。


 良くも悪くも倭国は朝鮮半島とは緊密で、皇居には「園神〔そののかみ〕」「韓神〔からのかみ〕」という朝鮮の神が祀られており、平安時代の中ごろまで二月と十一月の卯の日には盛大なお祭りがおこなわれていた。『大日本史料』にはその日付がはっきりと明記されており、現在の建国記念の日は戦前の「紀元節」に当たり、この日を「韓神」の祭日とする学者もいるし、さらにいえば、「韓神」は今も皇居に祀られているという。

こんな具合だから、百済王室が倭国と結ぶために大王家に王女を送り込むことは、十分あり得ることだった。

 古代においては百済の方が先進国で、韓国の歴史博物館の展示物を見ると、百済の方が倭国より二百年くらい先を歩いている。先進国の百済の女性は垢抜けていてチャーミングだったし、当時は神意を問うて天下を治める時代で大王家は雨乞いのできる巫女を求めていたから、霊力の優れた王女であれば、再婚であっても子持ちであっても構わなかった。

ただ、唐や新羅との関係から、皇極には百済の王女と明記することは憚られ、そのために謎多き女帝とよばれたのである。


天智天皇は百済の王女の息子

小石房子『物語 日本の女帝』(平凡社新書)P52〜53

『日本書紀』には、入鹿が殺されたとき、古人大兄王子はすばやく宮殿を抜け出して宮居に戻り、

「韓人〔からひと〕が入鹿臣を殺した。心が痛む」

と叫んで寝所に籠ったと書かれている。
 古人は上席にいて、葛城が入鹿を誅伐するのを目の当たりにしている。史書には三韓の使者が殺したとするものもあるが、それはおかしい。

皇極が百済王女だとすれば、葛城王子は百済の血をひく王子、おそらく王族の間では韓人とささやかれていたのだろう。古人にとって葛城は王位継承のライバル。だから蔑視の意を込めて常々そうよんでいたのだろう。

※葛城王子=中大兄皇子、後の天智天皇
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1337418189/


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天皇陛下のお言葉

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」


天皇のゆかり発言と帰化人の出自詐称と武寧王の出生の秘史
http://www.youtube.com/watch?v=dmkRfkZ6ZVE&feature=player_embedded

いまの天皇家のルーツ

 韓国に対して天皇自らが「縁を感じる」とおっしゃったお言葉がきっかけになって、血筋の真実はかなり広くに知れ渡ったようだ。「天孫」が「朝鮮人」に変わってしまったことについては、天皇をはじめ皇族方のお立場に同情を禁じ得ない。いままた、私がこうして天皇家のルーツを細かく述べることに、私自身かなりの苦痛を覚える。けれども、これは広く国民が知らなければならない重要な問題だと思うから、勇を鼓して書き進めている。


 六六三年、白村江の戦いで日本・百済遺民の連合軍が唐・新羅連合軍に大敗し、朝鮮半島の百済の国が完全に滅びたとき、百済王族が一族配下数千人(一万人説もある)を引き連れて日本へ亡命してきた。彼らは貴族として迎え入れられ、土地や官職まで与えられ、複数の者が天皇に仕えた。

澤田洋太郎著『歴史教科書あなたはどう考える』によると、多くの百済人が住みついた近江の地は第二の百済国のようであったという。この集団の核となったのは百済王子豊璋、善光兄弟の直系子孫たちであった。


 白村江の戦いの途中に姿をくらませた百済遺民軍の指揮官・豊璋は、長年、賓客扱いの人質として滞在していた日本に密かに逃げ帰り、天智天皇から藤原鎌足の名をもらって日本に帰化した。


 その子孫は日本の上層部に深く根を張り巡らせた。狡猾なこの一族は初代天皇家を乗っ取り、他系を全て排除した。


 百済王族の血一筋になったのは、豊璋の弟善光の直系子孫・桓武天皇(七三七年生まれ)のときであり、天皇の周りは百済人ばかりだったという。

天皇が百済人に囲まれた形は、そのまま引き継がれているであろう。

私の友人の結婚相手に、公家出身の人がいる。実家は敗戦によって雲の上から転がり落ち、邸宅を売却したと聞いているが、その姓は「多羅」。明らかに百済系である。


 話を戻して、天皇家の血筋は父系は善光、母系は藤原、という形が桓武天皇の後、しばらく続いた。ところが、陰謀家の藤原氏は、赤ん坊すり替えの手段によって、善光の血筋まではじき出してしまったのである。父系、母系ともに藤原氏つまり百済王子豊璋の血一筋になったのは鳥羽天皇(一一〇三年生まれ)のときだった。鳥羽天皇の本当の父は藤原公実、母はその側室・藤原光子であると思われる。


 それ以降、実に九百年という歳月を天皇家は藤原氏に完全に私物化され、藤原氏の思うがままに操られ続けてきた。


 天皇暗殺、すり替えも辞さない冷酷な藤原氏のもとで天皇家は翻弄され続けてきたのである。日本の頂点に立ったのは天皇ではなく、実は黒幕・藤原氏だったということになる。


「藤原にあらずんば、人にあらず」の横暴ぶりを学校で教えられた記憶があるが、「人にあらず」どころか実は「天皇にあらず」でもあったのだ。


 あの大戦のとき、天皇の運命を握っていたのは藤原五摂家の筆頭・近衛家の当主文麿であった。具体的な話は別項に譲ることにする。余談だが、「麿」は朝鮮語で「高み」を表わす「まら」に由来する言葉だという。


 百済王族が日本の支配者であったことの裏付けになりそうな文章を、李青若著『在日韓国人三世の胸のうち』(草思社)から原文そのまま引用する。


「実家がある町の一角には、先祖が朝鮮半島から来たと思われる人たちが住んでいる。名字が『百済』というような家がある。彼らは、日本に文化を伝えた人の子孫ということで、由緒ある家柄とみなされているらしい。そういうところからお嫁さんをもらうのは難しい、と言われることもあるそうだ」


 まさに、それこそ百済王族の血筋であろう。辿っていけば天皇家と共通の先祖にいきつくことはまず間違いなかろう。
http://bunei321.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e15a.html



http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c58

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
59. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:32:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]


収奪と悪徳の限りを尽くした平安貴族 _ 朝鮮から渡って来た華僑は日本の支配階級となったが…


暴走の源流=平安貴族1 収奪と悪徳の限りを尽くした平安貴族


射殺された清少納言の実兄、不正のかぎりを尽くして私腹を肥やす受領……。

藤原道長や藤原行成の日記に書かれていたのは、王朝貴族たちの犯罪と暴力だった!
 
風雅で優美なイメージの裏側に隠蔽されてきた衝撃の実態。

平安時代には支配階級・特権階級である貴族たちが、庶民から収奪の限りを尽くし、暴走に次ぐ暴走を重ねている。


『王朝貴族の悪だくみ』(柏書房 繁田信一)
「序 清少納言の実兄、白昼の平安京にて射殺される」
「結 清少納言、源頼光の四天王に殺されそうになる」
「あとがき」

から要約する。


現代日本人がイメージする王朝貴族は、和歌や音楽や恋愛に人生の喜びを見出す繊細な人々であり、血が流れるのを見たら気絶するような気の弱い人々である。

このような王朝貴族のイメージを形成してきた情報源は『源氏物語』や『枕草子』に代表される一群の文学作品である。

紫式部や清少納言の作品に親しむ人々にとって、王朝貴族社会は犯罪や暴力とは縁のない、風雅で優美な世界である。

しかし、疑いのない事実として、王朝貴族が諸々の犯罪行為に手を染め、数々の暴力沙汰を起こしていた。王朝貴族の犯罪行為も数々の暴力沙汰も、王朝時代には当たり前の日常茶飯事だったのである。

その証拠は、藤原道長や藤原行成といった上級貴族たちの日記である。

彼らの日記を紐解けば、王朝貴族が犯罪や暴力に関与していたことは否定のしようがない。

1017年の藤原道長の日記『御堂関白記』によると、清少納言の実兄清原致信が騎馬武者の一団の襲撃を受けて殺されている。 清原致信は王朝貴族の一人であり、朝廷に仕える中級官人であった。大宰府の三等官である大宰少監を務めていた。そして、清少納言の実兄である清原致信が襲撃され殺されたのは、それに先立って、致信自身が人殺しをしていたからである。

清原致信を殺したのは、源頼親の武士団であり、致信殺害は源頼親が命じたものである。
そして、源頼親は王朝貴族たちから「人を殺すことを得意としている」と見られていた。一方で、源頼親は淡路守や右馬頭といった官職を帯びる中級官人であり、王朝貴族であった。

同時に、大江山の酒呑童子を退治したことで知られる源頼光の弟であり、「大和源氏」と呼ばれる武士団の祖でもあった。王朝貴族の一員でありながら自ら強力な武士団を率いていた、「軍事貴族」と呼ばれる存在だったのである。

その軍事貴族の源頼親が、配下の武士たちに命じて清原致信を殺害したのは、仲間の当麻為頼の仇を討つためであった。当麻為頼が清原致信によって殺されていたからである。

ところが、当麻為頼殺害の真の首謀者は清原致信ではなく、その背後にいた。清原致信が仕える藤原保昌であろう。

丹後守として丹後国に赴任した藤原保昌は、悪名高い王朝時代の受領国司たちの一人だった。しかも丹後守の他に日向守・肥後守・大和守・摂津守などをも歴任した保昌は、その貪欲さと悪辣さとで知られる受領を代表する存在であった。

藤原保昌が1017年の清原致信殺害事件に先立って大和守の任にあった。従って、藤原保昌の朗等であった清原致信は、大和国において大和守保昌の汚い欲望を満たすことに勤しんだこともあっただろう。

当時、大和守の住人であった当麻為頼は保昌にとって邪魔な存在であり、保昌が為頼の抹殺という汚れ仕事を致信に押しつけたものと想像される。

清原致信殺害の首謀者であった源頼親は、配下の武士たちに致信を殺させたことが露見したため、それまで帯びていた淡路守および右馬頭の官職を取り上げられたが、当時の朝廷は、これ以上には頼親を罰しようとはしなかった。つまり、致信の殺害を謀った頼親は、ただ官職を失うだけで済んだ。しかも、1017年に淡路守と右馬頭を罷免された頼親も、1024年には、新たに伊勢守を拝命し、続けて大和守と信濃守を務めている。

さらに真の黒幕である藤原保昌に至っては、致信が殺されても、馴染みの朗等の一人を失っただけで、1020年あたりに丹後守に任命され、その後、大和守を経て、摂津守に任命されている。

それにしても、人を殺すという凶悪な犯罪行為が、王朝貴族にとっては、いかに身近なものであったことか。

王朝貴族の世界とは、悪事を働いた者が臆面もなく暮らすような、悪徳に満ちた世界だったのである。

この事例は、王朝貴族の悪だくみの氷山の一角にすぎない。

当時の受領たちは、さまざまな不正行為によって多大は財を獲得していた。彼らは、不当課税・不当徴税・恐喝・詐欺・公費横領など、考えつく限りの不正を行った。それにとどまらず、私利私欲のために不正を働く受領たちは、自らの不正行為が露見することを防がんとして、口封じのために殺人をも躊躇しなかった。

清少納言の実兄である清原致信殺害事件の真相は、次のように理解される。

1013年頃、大和守に任命された藤原保昌は、同国の豪族たちから少しでも多くの財を巻き上げようとして、不当課税・不当徴収・恐喝・詐欺・公費横領といった不正行為の数々に手を染めていた。

だが、そんな藤原保昌に歯向かったのが、大和国の当麻為頼である。

地元の有力豪族として大和守藤原保昌との確執を深めた当麻為頼は、藤原保昌の配下によって消される。保昌から当麻為頼殺害という汚れ仕事を任されたのが、保昌の朗等であった前大宰少監清原致信であった。清少納言の実兄である致信は、藤原保昌が大和国で財を成すことを助けるため、保昌の命じるままに為頼の始末を実行した。

しかし、清原致信が藤原保昌から与えられた汚れ仕事は、為頼抹殺だけではなかっただろう。藤原保昌が企図した不当課税・不当徴収・恐喝・詐欺・公費横領などの実行にあたったのは、藤原保昌の朗等たちだったはずであり、その中には(清少納言の実兄)清原致信がいたに違いない。

清少納言が『枕草子』に描いた王朝貴族社会の豊かさは、悪徳受領たちが地方諸国において不正行為を用いて築き上げた汚れた富によって支えられたものだったのである。

それだけではない。試験制度の弊害は枚挙に暇がないが、試験制度(官人採用試験)は平安時代には既に整えられていた。


宮中での取っ組み合いの喧嘩、従者の殴殺。
果ては邸宅建設のために平安京を破壊するなど、優雅な王朝時代のはずが、貴族たちはやりたい放題の暴れぶり。当時の記録をもとに貴族たちの意外な素顔を探り出した意欲作。

『殴り合う貴族たち〜平安朝裏源氏物語』繁田信一著 柏書房刊

序 素行の悪い光源氏たち
藤原道長、官人採用試験の試験官を拉致して圧力をかける」

によると、


988年当時、23歳の権中納言の藤原道長が、従者たちに命じて、式部少輔橘淑信という貴族を拉致させた。

橘淑信は式部省という官司の次官であった。式部省とは官人の採用や評価を職掌とする官司であり、この頃の橘淑信には官人採用試験の試験官の職務が与えられていた。当時、家柄のぱっとしない者にとっては、式部省の官人採用試験で好成績を残すことが、出世のための重要な足がかりとなった。

ところが、藤原道長は、自身が懇意にしている受験者の試験結果に手心を加えさせようと、試験官に脅しをかけた。この受験者を何とか官人にしようとする道長の身勝手な思惑の犠牲となったのが、官人採用試験の試験官式部少輔橘淑信であった。

この事件は瞬く間に世間の知るところとなり、この一件を伝え聞いた人々は、嘆きの吐息を洩らしたという。

庶民からの収奪と云い、試験験制度と云い、現在の特権階級の暴走の原型は平安時代に出来上がっていたのである。


これから、平安貴族の不当課税・不当徴収・恐喝・詐欺・公費横領、さらには殺人やその隠蔽をはじめとする暴走の実態を紹介し、平安時代の支配構造を明らかにしてゆく。
おそらく、現代日本の支配構造(特権階級の暴走)に繋がる源流がそこにあるからである。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/05/002556.html


暴走の源流=平安貴族2 

収奪の限りを尽くした王朝貴族は、地元の豪族達から生命を狙われていた

国府を焼く平忠常の乱 

前回の記事(暴走の源流=平安貴族1 収奪と悪徳の限りを尽くした平安貴族)
では、

●庶民からの収奪と云い、試験験制度と云い、現在の特権階級の暴走の原型は平安時代に出来上がっていたこと。

●これから、平安貴族の不当課税・不当徴収・恐喝・詐欺・公費横領、さらには殺人やその隠蔽をはじめとする暴走の実態を紹介し、平安時代の支配構造を明らかにしてゆく。おそらく、現代日本の支配構造(特権階級の暴走)に繋がる源流がそこにある。

ということを提起しました。


今回記事では、

●当時の受領たちは、さまざまな不正行為によって多大は財を獲得していた。彼らは、不当課税・不当徴税・恐喝・詐欺・公費横領など、考えつく限りの不正を行った。それにとどまらず、私利私欲のために不正を働く受領たちは、自らの不正行為が露見することを防がんとして、口封じのために殺人をも躊躇しなかった。

ということについて、事例を紹介して追求を深めていきます。

 『王朝貴族の悪だくみ』(柏書房 繁田信一)「第2章 公共事業費を横領し尽くす」から要約します。 


@収奪の限りを尽くした王朝貴族は、地元の豪族から生命を狙われていた。

1007年の7月1日、鎮西の大宰府において大隅守菅野重忠が殺されるという事件が起きた。

歴史書の『日本紀略』によれば、重忠を殺したのは、大宰大監大蔵種材の息子の大蔵光高であった。その光高が、重忠を弓矢で射殺したのである。 こうして生命を落とした大隅守重忠は「王朝貴族」と呼ばれる人々の一人であった。彼は、受領国司として鎮西に下向した王朝貴族だったのである。従って、その重忠が非業の最期を遂げたという話は、当時の貴族層の人々に大きな衝撃を与えたことだろう。

大隈守菅野重忠を射殺した大蔵光高の父親は、1019年の「刀伊の入寇」の折に異国の賊徒を相手に奮戦するように、鎮西の軍事貴族の一人であった。しかも、大宰府の三等官である大宰大監を務めたことから見て、鎮西において相当に有力な軍事貴族であったらしい。その彼を「豪族」と呼ばずに「軍事貴族」と呼ぶのは、彼が従五位下以上の位階を持つ厳密な意味での貴族の一人だったことが推測されるからに他ならない。

ただし、大蔵種材という実在の軍事貴族は、おそらく、大隈国の有力者だったのだろう。また種材の一族は、大隅国内の権益を守るため、ときとして同国の受領国司である大隅守と衝突しなければならなかったに違いない。そして、歴代の大隅守たちの中で最も激しく種材の一族と対立したのが、寛弘4年に種材の息子によって射殺された菅野重忠だったのではないだろうか。

このように、一条天皇が玉座にあった1007年、わが国の西の辺境である鎮西において、大隅守が大隅国の軍事貴族によって殺害されるという事件が起きていたわけだが、これは、けっして希有な出来事ではなかった。

例えば、一条天皇の曾祖父にあたる醍醐天皇の治世にも、かつて本朝の東の辺境であった上野国において、同国の豪族たちが上野介を殺すという事件が起きていた。

そして1002年の年末もしくは、その翌年の年頭には、平維良という下総国の軍事貴族が、下総守の公邸である下総守館に焼き討ちをかけていたらしい。『百錬抄』という歴史書によれば、長保五年二月八日の公卿会議において、「平維良が下総国府および下総守館に火を放ったうえに下総国府および下総守館に火を放ったうえに下総国の公有財産を掠奪したこと」が議題にされているのである。

受領国司の生命を狙って守館に焼き討ちをかけるという事件は、鎮西の軍事貴族よって引き起こされている。すなわち、一条天皇の息子の後一条天皇が帝位にあった長元2年(1029)の春もしくは夏、大隅国を活動拠点とする従5位下平兼光などとともに、大隅国府や大隅守館などを襲撃して火を放ったのである。この一件でも、大隅守自身は難を逃れていたようだが、『小右記』によれば、国府・守館に攻め込んだ季基・兼元の一党は、その場に居合わせた人々を殺戮しつつ、大隅国の国有財産を掠奪したらしい。

A地元の王朝貴族(受領)は、地元の豪族から恨まれていた。その証拠として
 「尾張国郡司百姓等解」という文章があります。


■「尾張国郡司百姓等解」

永祚元年(989)の2月5日および同6日、両日の公卿会議における議題の一つは、「尾張国の百姓などが朝廷に尾張守藤原元命の違法行為を告発したこと」であった。 尾張守元命は、任国の百姓たちからのみならず、国守を助けて働くべき郡司たちからまでも、その罷免を強く望まれていたことになろう。そして、尾張国の百姓たちと歩調を合わせて朝廷に尾張守の交替を求めた尾張国の郡司たちというのは、尾張国内の各郡の統治にあたる地元出身の地方官人たちである以前に、それぞれの郡内に地盤を持つ古くからの豪族達であった。
 
ここで朝廷に尾張守元命の更迭を要求したとされている「尾張国の百姓」というのは、映画「七人の侍」やテレビドラマ「水戸黄門」に登場するような、汗と泥にまみれて朝から晩まで働き続けながらも食うや食わずの生活を送らねばならないという、貧しく憐れな農民ではない。むしろ、そうした無力な農民たちを自在に使役することによって広大な田地から膨大な収益を上げようとしていた、才覚ある農業経営者として理解されるべきであろう。王朝貴族が「尾張国の百姓」と呼んだのは、尾張国において豪族のような立場にあった人々であり、あるいは、尾張国の豪族そのものとみなされるべき人々であった。

尾張守元命の罷免を望む尾張国の百姓達は、元命の行った31種類もの違法行為を書き連ねた解を、元命の頭越しに朝廷に提出したのである。そして、その嘆願書あるいは告訴状こそが、われわれが「尾張国郡司百姓等解」や「尾張国解文」などの名称で聞き知っている文書に他ならない。

その嘆願書なり告発状なりに示されているは、郡司あるいは百姓として尾張国に根を張っていた大勢の豪族達の総意なのである。


■5種類の悪行

「尾張国郡司百姓等解」の冒頭に置かれたのは、文書の表題の役割を果たす次のような一文であった。この嘆願書もしくは告発状を朝廷に提出したのが尾張国の郡司と百姓とであるということは、ここに改めて確認されよう。

「尾張国の郡司および百姓が解を提出して朝廷によるお裁きをお願い致します。」
「願わくば、ご裁断くださいませ。当国の国守である藤原元命殿は、本年を含む3カ年の間、税の名目で物品を奪い盗るという違法を行うとともに、暴力を用いた脱法を行いましたが、それらの違法行為や脱法行為は、合わせて31ヶ条にも及びます。これが本状の趣旨です。

そこで、尾張国の郡司や百姓が数え上げる尾張守元命の不正は、おおむね、以下の5つに分類されよう。

A.不当課税および不当徴税(9ヶ条)
B.恐喝およびさ詐欺(3ヶ条)
C.公費横領(10ヶ条)
D.恐喝および詐欺の黙認(4ヶ条)
E.その他(4ヶ条)
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/06/002566.html

暴走の源流=平安貴族3 

収奪の限りを尽くした王朝貴族は、どんな悪行を働いてきたのか?


任国に赴く受領(因幡堂縁起) 

前回の記事(暴走の源流=平安貴族2 収奪の限りを尽くした王朝貴族は、地元の豪族達から生命を狙われていた)
では、


●当時の受領たちは、さまざまな不正行為によって多大は財を獲得していた。彼らは、不当課税・不当徴税・恐喝・詐欺・公費横領など、考えつく限りの不正を行った。それにとどまらず、私利私欲のために不正を働く受領たちは、自らの不正行為が露見することを防がんとして、口封じのために殺人をも躊躇しなかった。

ということについて、事例を紹介して追求を深めました。

この地元の受領たちが恨まれていた証拠として、「尾張国郡司百姓等解」という書物が残っています。今日はこの書物に綴られている悪行の数々について具体的な中身を紹介していきます。


■悪用された公的融資制度

[第1条]公的融資の利息を名目とした不当な増税を行った。

 王朝時代、尾張国をはじめとする地方諸国の政府=国府は、われわれ現代人には少し奇異なもの見えるような公的融資を行っていた。それは、毎年の春先、国内の百姓=農業経営者たちに対して一年間の農業経営の元資となる米を貸しつけるというものであり、また、その年の冬、新たに収穫された米の中から元本と三割ほどの利率と利息とを回収するというものであった。

こうして公的な融資は、表面上、国府による農業振興策に見えるのではないだろうか。しかし、これは借り手の意志を無視した強制的な融資であった。つまり、農業経営に携わる百姓達は、たとえ経営の元資に困っていなくとも、毎年、必ずや国府から融資を受けなければならなかったのである。そしてこの融資をまったく無意味に受けた百姓であっても、融資を受けた以上、絶対に利息を払わなければならなかった。当然豊富な元資を持つ百姓にしてみれば、右の公的融資の制度は、迷惑なものでしかなかっただろう。

 結局、王朝時代の国府が行っていた公的融資は、農業振興策であるどころか、融資の体裁を借りた課税でしかなかった。当時の百姓たちは、正規の税を納めさせられた上に、公的融資に対する利息を名目とする不可解な税の納付をも義務づけられていたのである。

 986年に着任した尾張守藤原元命は、こうした従来よりの規定を平然と無視したという。988年までの3ヶ年に合計で2万1500石を超える額の強制融資を追加して、百姓たちから6400石以上もの米を利息として取り立てたのである。

 ちなみに、こうして元命が尾張国の百姓たちから巻き上げた米6400石は王朝時代の大半の人々にとって、一生を費やしても稼ぎ出し得ないほどの巨富であった。当時一般的な雑役に従事する労働者は、朝から晩まで働いても、一升(0.01石)もしくは二升(0.02石)ほどの米しか手にできなかったのである。そんな庶民層の人々にしてみれば、6400石というのは、数百年分から千数百年分の年収に等しい額であった。


■着服のための増税

 尾張国の富を吸い上げられるだけ吸い上げるつもりであった元命は、本来的な課税制度をも、存分に悪用したのである。

[第2条]課税対象ではない田地からも税を取り立てた。

 当然のことながら、本来は徴収されないはずの税は、徴収された後、国府の財政に組み込まれることもなければ、朝廷に上納されることもなかった。非課税のはずの田地から不当に徴収された税の行き先は、言うまでもなく、尾張守元命の懐であったろう。


[第3条]朝廷の許可を得ずに税率を大幅に引き上げた。

 違法な税率を用いて百姓達から税を取り立てた尾張守は、けっして藤原元命だけではない。王朝時代の尾張国においては、法定に倍する税率での課税が慣例化してしまっていたようなのである。だが、そんな尾張国に生きる百姓たちも、元命が986年に新しく採用した税率には、さすがに憤慨せずにはいられなかった。というのも、元命の提示した新税率が1町につき21.6石というあまりにも高いものだったからである。それは従来の違法税率の1.8倍から2.4倍の税率であり、法定税率と比較すれば4.8倍にもなる高すぎるほどに高い税率であった。


[第4条]着服するためにまったく名目の立たない税を取り立てた。

 一町につき8.4石というのは、尾張守元命が任国の百姓たちに臨時で課した特別税の税率である。これが本来の税の法定税率の2倍に近い高い税率であることは、ことさらに言うまでもないだろうが、この高税率の特別税は、一片の正当性もないまったく違法なものであった。すなわち、この税は、ただたんに元命の懐を温めるためだけに課されたものだったのである。


[第5条]前3条の不正によって毎年のように5万石を超す不当な利益を上げた。

 15万石というと、王朝時代の一般的な労働者の2万年分の年収を上回る額である。それは、当時の庶民層の人々にとって、まったく現実感のない数字であったかもしれない。だが、確かな現実として、尾張国の百姓達は3年間の間にそれだけの富を尾張守元命によって巻き上げられていたのである。


■公務としての掠奪


[第6条]絹織物の公定価格を不正に改変して事実上の増税を行った。

尾張国の百姓たちが負っていた税には、2.4町の田地について一疋(0.67メートル×15.56メートル)の絹織物を納めるというものもあった。そしてこの税の税率は、田地一町につき米2石というものとして理解されていた。


[第14条]絹織物を納付する期限を不当に早めた上に乱暴な取り立てをした。

 尾張守に就任した藤原元命には、任国の百姓の都合など、まったく考慮するに値しないものであったらしい。元命が絹織物の取り立てを開始したのは、毎年、いまだ多くの田地において田植が完了していなかったであろう5月中旬だったのである。それまでより半月以上も早く絹織物が徴収されはじめるようになったことは、尾張国の百姓たちをひどく困惑させたことだろう。

 しかも、尾張守元命による絹織物の徴収は、実に乱暴なものであった。元命の配下の徴税使は、その郎等や従者を百姓たちの家宅に踏み込ませ、徴収するべき絹織物の他、めぼしい物品の全てを、手当たり次第に奪い去ったというのである。これでは強盗団の掠奪と何ら変わるところがあるまい。いや、強盗よりも始末が悪かったかもしれない。というのは、あくまで公務を遂行していることになっていた徴税使たちには、手向かう者があった場合、尾張守元命の名のもとに容赦のない刑罰を与えることも可能だったからである。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/06/002571.html

暴走の源流=平安貴族4 

収奪の限りを尽くした王朝貴族は、どんな悪行を働いてきたのか?(第2回)


今回も、引き続き古文書から平安貴族の実態を暴きます!

以下引用は、繁田信一氏「王朝貴族の悪だくみ〜清少納言危機一髪〜」からです。

●熱心な取り立て

藤原元命のような悪徳受領は、ときとして、あたかも謹厳な国司であるかのような顔をすることもあった。

〔第八条〕過去の未納分の税を無関係な郡司や百姓から不当に取り立てた。

元命が尾張守を拝命した当時、どこの国の国府の帳簿を見ても、ずいぶんと昔の国司たちが取り立て損ねた税が、累積しつつ繰り越され続けているものであった。が、当時の朝廷は、そうした税を徴収することを、すでに締めていたらしい。そうした意味では、過去の未納分の税というのは、あくまでも帳符上の数字にすぎなかったのである。

そう、税の徴収が大好きな尾張守元命は、すでに時効を迎えたものとして扱われていた過去の未納分の税をも、かなりの熱意を持って完璧に取り立てようとしたのであった。

つまりその時点で尾張国内に住んでいた郡司や百姓が、まったく理不尽にも、かなり以前に赤の他人が滞納した税を負わされたのである。「尾張国郡司百姓等解」 によれば、このときの徴税もまた、掠奪さながらに実行されたらしい。


〔第十五条〕課税対象でない作物にも税を課した。

しかし、貪欲な元命は、そうした非課税の作物にさえ、徴税の手を延ばした。尾張何の隅々から、麦や豆をも容赦なく取り立てたのである。

そして、もちろん、任期中に多量の漆をせしめておくことも忘れなかった。彼の治めた尾張国には、上質の漆を産出することで知られる丹羽郡があったのである。


●不払いを決め込む受領国司

王朝時代の受領国司は、税として徴収した米を財源として、さまざまな物品の買い上げを行った。

というのも、任国にて調達した多様な物品を朝廷に上納することもまた、当時の受領たちが帯びていた重安な任務の一つだったからである。

 だが、尾張守藤原元命のような悪徳受領は、そうした公務としての買い上げの際にさえ、私腹を肥やさんとして、あまりにもえげつない不正を働いたのであった。

                                     
[第七条] 買い上げの名目で種々の物品を騙し盗った

元命が尾張守として尾張国において買い上げたのは、絹織物・麻織物・漆・油・苧麻・染料・綿といった品々である。そして、これらの物品を生産して元命に売ったのは、尾張国の百姓たちだったわけだが、その百姓たちの不満は、元命が物品を不当に安く買い上げたことにあった。そうした不公正な買い上が尾張国の百姓たちにもたらした損失は、絹織物に関してだけでも、数千疋にも及んでいたという。

貸しつけというかたちで元命のために絹織物を用立てた百姓の中には、その貸しっけを踏み倒された者もあった。


〔第九条〕借り入れの名目で大量の絹織物を騙し盗った

この絹織物の借り入れに関して、元命が一瞬でも返済の意思を持ったことがあったとは思えない。おそらく、ここでの借財は、当の元命にとって、返済するつもりなど初めからまったくない、事実上の接収だったのだろう。彼が、彼が借り入れの名目で集めた絹織物の総量は、一二一二疋にも及んでいたという。

尾張守元命が踏み倒した借り入れの総額は、当時の庶民層の人々にとって、八〇〇年分ほどもの年収に相当するものだったようだ。

ちなみに、こうした不正によって元命のもとに番えられた富を都に運び上げたのは、運送業をも営む百姓たちであったが、そうした百姓たちは、ここでもひどい目に遭っていた。


[第二十二条]物品の運送に雇った人々に不当に安い賃金しか支払わなかった


どうやら、貪欲な元命は、払うべき運賃の四割弱ほどしか払わなかったらしいのである。

●救民策の完全な放棄

 さて、尾張守藤原元命が悪辣な受領国司であったことは、ここまでに見てきたところからも、すでに十分に明らかであろう。しかし、元命の行った悪事を数え上げる「尾張国郡司百姓等解」は、まだまだこれでは終わらない。尾張国の郡司や百姓は、元命による公費横領の数々をも、かなり強い口調で弾劾しているのである。


〔第十条〕 貧民救済に充てる費用の全てを着服した

〔第十三条〕灌漑施設補修費および災害対策費の全てを着服した

地方諸国の漑漑施設の補修は、当時、受領国司たちに期待されていた重安な役割の一つであった。

また、それは、当の受領たちにとっても、切実な意味を持つ事業であったろう。任国から少しでも多くの利益を上げたかった彼らは、それぞれの任国の農業力を維持あるいは強化するため、ある程度漑施設を整えておかねばならなかったはずなのである。

しかし、王朝時代を代表する悪徳受領として知られる尾張守元命は、潅漑施設補修費および災害対策費として計上されていた六〇〇石余りの米の全てを、何のためらいもなく横領したという。

●食い尽くされた公共事業費

尾張守藤原元命が任国において横領した公共事業費は、灌漑施設補修費や災害対策費だけではない。

〔第十一条〕公的な連絡網を維持するための費用の全てを着服した。

〔第十二条〕公有の馬の飼育費および購入費の全てを着服した。


「駅」と呼ばれる施設を置いていた。そして、朝廷から諸国への命令や諸国から朝廷への報告は、駅から駅へと運ばれるかたちで、ほぼ確実に伝達されていたのである。
それぞれの駅には、多数の馬が用意されていた。駅ごとに馬を替えながら情報や使者を選ぶというのが、王朝時代の国家的な連絡網としての駅の制度であった。

また、その広域連絡網の結節点であった諸国の駅は、それぞれの国を治める受領国司の責任において維持されることになつていた。つまり、諸国に下った受領は、駅を維持するために、一定の規模の財源を確保しなければならなかったのである。

 しかし、尾張守藤原元命の場合、そうしたことに意を砕くことはなく、むしろ、駅のために支出するべき費用を丸ごと自分の懐に入れていたらしい。

そして、その尻拭いをさせられたのは、尾張国の郡司たちであったという。尾張国を治めていた三ケ年の問、同国の駅の全ては、同国の郡司たちの私財によって維持されていたのである。

しかも、これと同様の不正は、水上交通網の整備を巡っても行われていた。

   任地に赴く受領

●罰あたりな横領

〔第二十四条〕国分尼寺の再建に充てられるべき費用の全てを着服した。

王朝時代の受領国司たちは、国分寺や国分尼寺を存続させることに意を用いねばならなかった。要するに国分寺・国分尼寺の修理や改築などは、受領の責任において行われなければならなかったのである。

 ところが、尾張国の受領国司となった藤原元命は、任国の国分尼寺が火災によって失われていたにもかかわらず、けっして同寺の再建に必要な費用を支出しようとはしなかった。いや、それどころか、国分尼寺再建費に充てられるべきであった米九〇〇石に相当する財を、悪びれることなく自分のものにしてしまっていたのである。

〔第二十五条〕国分寺の僧および国分尼寺の尼への公的な布施の全てを着服した。
ここで元命が横領したとされる布施の総額は、六〇〇石強にもなったというが、それは、本来、国分寺あるいは国分尼寺において仏法を行う僧尼の生活費となるべき財であった。


●給料未払い

こうして、多様な名目の公共事業費を着服し尽した藤原元命であったが、そんな悪徳受領の元命は大胆にも、彼以外の尾張国司たちの給料にまで手を出していた。


〔第二十条〕掾(じょう)、目(さかん)、史生(ししょう)など下級国司の給料を全て着服した。

諸国の国司としては、長官である守と次官である介との下に、文書の作成や管理などに当たる国府の書記官のような官職もあった。これら国司の給料というのは、諸国の国府が行なう公的融資の利息を財源として支払われることになっていた。しかし、尾張国では、元命がその大半を横領し、結果として、下級国司には給料はほとんど支払われていなかった。


〔第二十一条〕国府に勤務する国司以外の人々の給料の全てを着服した。


「尾張国郡司百姓等解」が国府関係者の給料に関する不正をも糾弾しているのは、右の二カ条に見える横領によって損害を被った下級国司や国府職員の多くが、毛張国諸郡の郡司を兼任する人々だったからに他ならない。つまり、ここにおいてもまた、元命によって少なからぬ財を巻き上げられたのは、尾張国の郡司たちだったのである。 

以上は、役職を利用した横領や着服ですが、次の文を見ると、配下の者を使って、直接略奪を働いていたようです。こうなると完全なギャングです。


●受領に仕える野獣たち

王朝時代の受領国司にとっては、連れ下った子弟・郎等・従者こそが、任国における悪辣な蓄財活動の実行委員であった。尾張守藤原元命、彼の子弟や郎党や従者は、尾張国の郡司や百姓から財を巻き上げるため、元気に横暴の限りを尽くし続けた。


[第十六条]徴税使が人々に贅沢な接待や土産を強要するのを黙認した。

[第二十七条]子弟や郎等が郡司や百姓から物品を脅し取るのを黙認した。

[第二十八条]息子が馬を持つ人々から私的に不当な税を取り立てるのを黙認した。

[第二十九条]子弟や郎等が郡司や百姓から私的に不当な税を取り立てるのを黙認した。


 尾張守藤琴冗命の徴税便を務めたのは、当然、元命が都から連れ下った子弟や郎等や従者であった。そして、この連中は、公務にかこつけて頻繁に尾張国内の村々を訪れては、接待や土産などの名目で、郡司や百姓から多くの財を脅し盗っていた。「尾張同郡司百姓等解」によれば、そうして奪われた尾張国の冨は、数千石にも及んだらしい。

また、尾張守の威光を振りかざす元命の子弟や郎党は、尾張国の人々のもとに何か欲しいものがあれば、とにかく何でも奪い去ったという。これを「尾張同郡司百姓等解」は。「民の物を奪ひては、則ち京洛の家に運ぶ」と訴え、また、「日に見る好物は乞ひ取らざる莫く、耳に閃く珍財は使を放ちてしひ取る」と弾じる。

そして、尾張国の郡司や百姓による元命の手下たちについての総合的な評価は、おおよそ次のようなものであった。「尾張守殿の子弟や郎等の様子は、辺境に住む野蛮人と異なるところがなく、むしろ、山犬や狼のような野獣に近いほどです」。

●隠匿された法令

藤原元命が尾張守の任にあった三ケ年の間、尾張国の人々が悩まされ続けたことの一つは、ありにも頻繁に都への物品の移送に駆り出されることであった。

[第二十三条] 物品の還送のために国内の人夫や荷馬を動員することが不当に多かった。

[第二十六条]任地の大半を都の自宅で過ごして郡司や百姓からの陳情機会を奪った。

都からそう遠くない国々を預かる受領の場合、任国の支配を郎等たちに任せて、自身は多くの時間を住み慣れた都で過ごしていたのであった。

〔第三十条〕 官人身分の悪人たちを積極的に国内に連れ込んだ。


尾張守元命が下向の折に任国へと連れ込んだのは、位階や官職を持つ宮人であり、中級貴族層あるいは下級貴族層に属する人々であった。当然、彼らは、それなりに身元の確かな者たちであったろう。だが、この連中こそが、尾張守に仕える野獣の如き郎等たちの主力となったのであった.

[第三十一条]受領国司に都合の悪い新規の法令を発布しなかった。

●幸運な悪徳受領

さて、以上に「尾張国都司百姓等解」 の内容を少し詳しく見てきたわけだが、これによって明らかになったように、尾張守藤原元命がその任国において犯した罪は、あまりにも大きなものであった。

数々の悪行が尾張国にもたらした損失は、経済的なものだけを見ても、十七万数千石にもなっていたのである。それは、王朝時代において、一般労働者の二万数千年分の年収に匹敵する額であった。そして、国司の権力を振りかざして欲望のままに犯行を重ねた悪徳受領は、989年の四月五日、ついに尾張守を罷免されることになる。

右に見た『小右記』の一節に明らかなように、元命を失職に追い込んだのは、「尾張国都司百姓等解」あるいは「尾張国解文」として知られる一過の文番であった。朝廷に元命の更迭を決断させたのは、この嘆願書もしくは告発状だったのである。そして、件の「尾張国郡司百姓等解」を朝廷に提出したのは、当然のことながら、尾張国に暮らす郡司たちや百姓たちであった。

とすると、受領ぶりを遺憾なく発揮した尾張守藤原元命は、尾張国に地般を持つ豪族たちからひどく憎まれていたということになろう。そう、元命の更迭を願って「尾張国郡司百姓等解」を作成した尾張河の郡司たちや百姓たちというのは、要するに、同国に根を張る新旧の豪族たちだのである。

このことからすれば、現実には罷免されるだけですんだ尾張守元命も、ことによっては、任国の豪族たちの手により、むごたらしく血祭りに上げられていたかもしれないのである。

すでに幾つかの事例を紹介したように、受領国司たちが任国の軍事費族や豪族に生命を狙われるというのは、王朝時代において、まったく珍しいことではなかった。激しく憎まれていた尾張守元命ならば、彼に恨みを持つ豪族たちに襲撃されて血塗れの最期を迎えていたとしても、それは、実に似つかわしいことであろう。


・・・・以上が平安時代の貴族の実態です。これでも日本人か?もうこれ以上の悪は居ないだろう・・・と思うくらいですね。

でも上には上が、もっと悪い奴が居たようです。「尾張国郡司百姓等解文」という告発文により藤原元命は解任されたのですが、もっとあくどい奴は、このように告発されないように、事前に手を廻して押さえつけていたようです。次回紹介します。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/07/002574.html


暴走の源流=平安貴族5 

自分の都合の悪いことを隠蔽、口封じする貴族たち

前回までの記事は、貴族たちが行ったありえないほどのえげつない収奪についてまとめました。
 
平安貴族たちの悪行はこれだけに止まりません。
 
今回は自分達の都合が悪いことを隠蔽、口封じしまくった貴族たちについてまとめます。
 
『王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪』より抜粋引用します。
  
  『餓鬼草子』に描かれている貴族の食事
 
  『餓鬼草子』に描かれている庶民の様子

 
○告発者の親兄弟を皆殺しにした『藤原文信』

尾張国の豪族たちが「尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)」を通じて朝廷に強く求めたのは、要するに、悪徳受領の罷免であった。そして、この国司更迭の請願は、あっさりと聞き届けられることとなった。すなわち、「尾張国郡司百姓等解」によって尾張守藤原元命(おわりのかみふじわらのもとなが)の度を越した悪辣せを知った朝廷が、永祚元年(九八九)の四月五日、元命に代わる新たな尾張守を任命したのである。

そして尾張国の豪族たちは、藤原元命の追放を成し遂げた後、その成功に味をしめてか、朝廷に受領国司の解任を要求することを繰り返すようになる。

 
 ところが、現存する史料を見る限り、藤原元命の後任の尾張守については、朝廷によって罷免されたという事実もなければ、尾張国の豪族たちから退任を要求されたという事実もない。どうやら、元命の次の尾張守は、その任を無事に務めおおせたようなのである。

そして、その藤原元命の後任の尾張守というのは、藤原実資の『小右記』の藤原文信であった。
  
尾張国の豪族は藤原元命の悪行に怒りを示し、「尾張国郡司百姓等解」を作成し、朝廷に罷免を求め、見事成功。それ以来、受領国司の解任要求を朝廷に繰り返すようになります。

しかし、元命の後任の藤原文信は地方豪族ではまったく手も足も出ないほど飛び抜けて凶悪だったようです。
 


 だが、この事実は、文信が善良な受領国司であったことを示すとは限らない。また、尾張国の豪族たちが文信に好感を抱いていたことを示すとも限らない。任国の豪族たちから明白なかたちで拒絶されることのなかった尾張守文信は、ことによると、尾張国の郡司や百姓にとって、現に彼らの働きかけによって尾張守の職を追われた元命や経国などよりも、はるかに厄介な受領だったかもしれないのである。もしかすると、文信というのは、地方豪族などではまったく手も足も出ないほど飛び抜けて凶悪な受領だったのではないだろうか。

というのもこの藤原文信という中級貴族には、恐ろしい前科があったからに他ならない。実は、かつて筑後守の任にあった頃の文信は、自身に不都合な筑後国の住人を抹殺しようとしたうえ、その筑後国人の親兄弟を皆殺しにしていたのである。

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朝廷が藤原文信を尾張守に任命したのは、永祚元年四月五日のことであったが、その直前となる同月一日、当の文信が暴漢に襲われて頭部に傷を負うという事件が起きていた。

そして、永祚元年四月六日の『小右記』には、次のような記述が残されている。

「藤原文信を負傷させた安倍正国(あべのまさくに)が、伊賀国の以忠(もちただ)という名前の追捕使によって捕獲されたらしい。

そこで、検非違使の右衛門尉藤原惟風(うえもんのじょうふじわらこれかぜ)が、伊賀国追捕使以忠から正国の身柄を引き取ったところ、件(くだん)の正国は、両手の指を切断されたうえ、脚をへし折られていたらしい。また、その文信襲撃事件の犯人と見られる男は、鎮西(ちんざい)において文信に父母・兄弟・姉妹を殺されたことから、その報復をしようと、文信が隙を見せるのを待っていたらしい」。

 こうして検非違使が安倍正国の身柄を確保したことで都の人々の前に明らかにされたところによれば、前筑後守藤原文信が正国に生命を狙われねばならなかったのは、かつて文信が正国の家族を殺害していたためであった。検非違使が正国の口より「鎮西において文信に父母・兄弟・姉妹を殺された」との供述を引き出したことから見て、また、正国がたった一人で家族の仇を討とうとしていたらしいことから見て、筑後守であった頃の文信は、その任国において、正国の家族を皆殺しにしていたにちがいない。

 
このように、藤原文信は安倍正国の家族を皆殺しにし、そのあだ討ちに来た正国自身も返り討ちにし殺してしまいます。しかも、両手の指を切断し、脚をへし折るという残虐なやり方で、、、

この凶暴さに地方豪族もびびってしまい、文信が朝廷に受領の任期を伸ばす要請を出しても止めることができず、長期間受領を勤めることができたようです。
  

文信の筑後守の任期は、本来、天元四年正月の四年後の正月となるはずであった。

文信が受領としてその任国から富を吸い上げ得る期間は、正規のかたちで正月に任命された受領の場合に比して、ほとんど一年間も短くなってしまうはずだったのである。

 だが、これに納得できなかった文信は、彼の筑後守としての任期を天元五年正月からの四年間とするよう、文章を通じて朝廷に願い出たのであった。そうして少しでも長く受領国司の任にあり続けようとするのは、当時の中級貴族層の人々にとって、あまりにも当たり前のことであったろう。

そして、『小右記』によれば、文信から上げられた申請が朝廷において検討されたのは、天元五年、の二月二十五日のことであったが、この新任の筑後守の切実な願いは、すんなりと承認されたものと思われる。

 
○自分の横領を知った盗人の口を封じる『伯耆守』
 

王朝時代の人物と思しき橘経国(たちばなのつねくに)は、伯耆守(ほうきのかみ)の任にあった頃、国府の倉庫に忍び込んだ盗人を、捕らえた途端に処刑したことがあった。その盗人は、四十歳ほどの男であったが、身形もよく肌の色も白かったというから、おそらくは、伯耆国に地盤を持つ新旧の豪族たちの一人だったのだろう。そして、そんな人物が盗みなどに手を染めたのは、折からの飢饉のため、食べるものがまったく手に入らなかったからであったという。
      
しかし、王朝時代のこととはいえ、ただの盗人が死刑に処されるというのは、尋常なことではない。そもそも、当時の朝廷の方に従えば、わが国の臣民を死刑に処し得たのは、日本の国の主である天皇だけであり、天皇の名代として諸国を治めるにすぎない受領たちは、その任国の住人に対してさえ、独自の判断で死刑を科してはならないはずであった。

 それにもかかわらず、伯耆守経国が盗人の処刑を強行したのは、『今昔物語集』によれば、「後の聞こえも有り」という事情を鑑みてのことであったらしい。つまり、同様の犯罪の再発を防ぐため、敢えて盗みの罪を犯した程度の罪人に死刑を科したというのである。

 だが、『今昔物語集』が語るのは、経国の本音ではあるまい。

 というのは、伯耆国府の倉庫に忍び込んだ盗人が、そこには何もないことを目撃していたからである。これは、『今昔物語集』も認める事実であるが、国府の倉庫が空になっていたというのは、受領国司が国府の財を横領していたことの動かぬ証拠であろう。そして、そんな重大な証拠を握ってしまった盗人を、悪徳受領が放置するはずはなかったのである。
 
当然、筑後守藤原文信も、国府の倉庫に入った盗人を生かしてはおけなかっただろう。また、その盗人が倉庫の中で見たことを彼の家族に話したとすれば、盗人本人のみならず、その家族までもが、文信に生命を狙われることになったにちがいない。そして、安倍正国の家族が皆殺しにされた理由は、もしかすると、こんなところにあったのかもしれない。

 
前稿でまとめたように、当時の貴族達は横領を当たり前のように行っていました。そのため、倉庫が空になったのだと思いますが、それを知ったものは口封じのため容赦なく殺されたようです。
 
藤原文信が安倍正国に命を狙われたのもこんなやりとりがあったからかもしれません。
 
 
○殺人を隠蔽する『常陸介』 

 ところで、王朝時代において、受領国司が任国の住人を殺害するというのは、少しも珍しいことではなかった。いや、むしろ、当時の受領たちについては、殺人の常習犯であったと見ておいた方がいいようにさえ思われる。

 しかも、自分の犯した殺人の罪を姑息に隠蔽しようとするのが、王朝時代の受領たちの常であった

常陸国(ひたちこく)において同国に住む公侯有常(きみこのありつね)が殺害されたのは、万寿元年(一〇二四) のことである。そして、その頃に常陸介(ひたちのすけ)として常陸国の受領国司であった平維衡(たいらのこれひら)が朝廷に報告したところによると、有常の生命を奪ったのは、常陸国住人の公侯有材(つねもと)であった。
 ここに登場する公侯有常と公侯常材とは、それぞれの氏名から推測されるように、おそらく、かなり近い親類であったろう。 

しかし、常陸介維衡によれば、そんな二人の間でおきてしまったのは、あろうことか、生命のやりとりであった。つまり、万寿元年に常陸国で起きた殺人事件は、同国の責任者として事件の捜査を指揮した維衡の言うところ、親類間のいざこざが激化した末の悲劇だったのである。
 
だが、万寿二年の三月、都の貴族社会の人々は上の殺人事件に関して、それまでに得ていたのとは全く異なる情報を与えられることになる。
 
 同月二十六日の『小右記』から知られるように、前年より公侯有常殺害事件の犯人と見なされていた公侯常材が、みずから朝廷に出頭したうえで、有常の最後について「国司の為に殺される」と証言したためであった。

結論から言えば、有常殺害事件に関する事実は、常材が捨て身で告発した通りであった。
すなわち、同年七月二十一日の『小右記』によると、維衡の後任の常陸介となった藤原信通(のぶみち)が、朝廷の指示に従って事件の捜査をやり直したところ、かつて犯人断定の決め手とされた被害者の妻の証言は、維衡によって捏造されたものだったのであり、また、そうして常材を殺人犯に仕立て上げた維衡こそが、有常殺害の真犯人だったのである。

 
常陸介は自分に都合の悪い人間を殺しておきながら、それを他の人間、しかも親縁に罪をなすりつける
 
○書生に帳簿を改ざんさせ口封じのために殺した悪徳受領『日向守』
 

 地方諸国の国府に勤める下級事務職員として「書生(しょせい)」と呼ばれた人々も、その本来の姿は、それぞれの国に根づいた豪族であった。それゆえ、任国の豪族たちから富を吸い上げようとする悪徳受領にしてみれば、公式には彼の下僚ということになっている書生たちも、けっして信頼できる部下などではあり得なかっただろう。いや、それどころか、現に国府の事務処理に携わっていた如くに読み書きに長じていた書生たちは、いつ受領国司の不正を告発しないとも限らない、どうにも厄介な存在であったにちがいない。

 一方、その書生たちの側でも、任国で蓄財に励むことしか考えていない悪徳受領に対しては、けっして気を許すわけにはいかなかったはずである。とくに、何らかの事情で受領国司の不正行為に手を貸してしまった書生ともなれば、不正の露見を未然に防ごうとする悪辣な上司に消されてしまわないよう、つねに警戒していなければならなかったことだろう。

 そして、実際のところ、日向国の国府に勤務していた一人の書生が、若くして生命を落とさねばならなかったのは、強いられてのこととはいえ、悪徳受領である日向守(ひゅうがのかみ)の不正の片棒を担いでしまったがゆえのことであった。

 その日向守某が手を染めていた不正の多くは、おそらく、「尾張国郡司百姓等解」が弾劾する違法行為や脱法行為と同じものであったろう。すなわち、問題の日向守もまた、尾張守藤原元命と同様、さまざまな機会に不当課税・不当徴税・恐喝・詐欺・公費横領といった悪事を働き、郡司や百姓として任国に暮らす豪族たちから、多くの財を巻き上げていたと考えられるのである。

 それにもかかわらず、この日向守の場合、受領国司としての任期を全うすることができたわけだが、任期満了を迎えた日向守某は、後任者の下向を待つ間、それまでに多くの不正が行われてきた痕跡を消し去ることに余念がなかった。すなわち、自身の行った不正が次の日向守によって暴かれることのないよう、何か辻褄の合わないところのある書類を徹底的に洗い出し、それらを全て整合性のあるものへと書き直していったのである。当然、それは、かなり根気の要る作業であったろう。

 そして、この困難な隠蔽作業のために重用されたのが、かねてより日向国府に出仕していた一人の書生であった。機転が利くうえに字も上手かったという彼は、国府の一室に監禁され、二十日ほどもの間、書類を改竄する作業を続けさせられたのである。


もちろん、切れ者であった書生は、自身が悪事に関与していることに気づいていた。が、日向守某の従者たちに厳しく監視されていたため、逃亡することもかなわず、命じられるままに偽装書類の作成を続けるしかなかったという。

 しかも、こうして意に反して不正行為に荷担することになった書生は、その役割を終えるや、彼に不正への関与を強いた悪徳受領の勝手な都合により、あっさりと殺されてしまう。『今昔物語集』巻第二十九第二十六の「日向守口口□□の書生を殺す語」という話によれば、書類の改竄を完了した日のうちに、日向守某の郎等に射殺されたのであった。

日向守某が私利私欲のためにまったく非のない書生の生命をを奪ったというのが、正真正銘の史実であったとすれば、やはり、『今昔物語集』の編者としては、「日向守□□□□」の氏名を明かすわけにはいかなかったにちがいない。

 
このように、平安貴族達は自分の都合の悪いことを隠蔽、口封じしまくっていたようです。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/07/002575.html

うーん、漢民族は中国でも、日本に来ても えげつなさは変わらないですね。
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c59

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
60. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:34:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

日本の支配階級になった漢民族は選民思想が強く、日本人を人間だと思っていなかった

6:名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/28(金) 18:06:18.76 ID:RNVRwNQp0

貴族遊びまくり庶民餓死しまくり
貴族が牛車で呑気におでかけする脇道には死体がゴーロゴロ


17:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/28(金) 18:13:14.61 ID:j5KVDQzL0
>>6
あいつら死体が道に落ちてたらソッコーで家に帰って清めするだろ

28:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/28(金) 18:15:52.73 ID:+z8ty5Br0

平安時代は和歌とか紫式部とかのほほんとした平和なイメージだけど あれは貴族の話。
一般市民は餓死しまくりで路上に死体が転がっていて政治機能はマヒだから次の時代に武家社会が到来した


37:名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/28(金) 18:20:58.16 ID:T8Am9NQl0

藤原家の奴とか大体和歌詠んでは天皇や上皇にゴマすってるだけで何にもしてないよな


45:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/28(金) 18:23:39.06 ID:j5KVDQzL0
>>37
あいつら道端に猫の死骸がありましたとかで仕事休むからな
自分とこの荘園管理以外仕事してないな
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1331048080/


京都名物
1. ぶぶ漬け
2. さかさぼうき
3. やらずぶったくりの精神


大阪名物
1.儲かってまっか? という挨拶
2.関東と聞くと うどん と そばの汁の濃さの違いばかり言うアホ
3. 電車で乗客が降りるのも待たないで我先に席を取ろうと突進するアホ人間

京都のさかさぼうき  

「ゆっくりしていかはったらよろしやないの、
今おいしいお茶いれまっさかいに。新幹線なんか待たしといたらよろしいがな」

といいながら、後ろにさかさぼうきが立っている。これが最初のサントリーのお茶のコマーシャルです。

これは市田ひろみさんが出演されていたコマーシャルの事です。

「さかさぼうき」とは、長居をしたり、食事の時間になってもなかなか帰らないお客さんがいる時に、玄関や出入口にほうきを逆さまに立てかけておくというもの。

京都の人は本当に恐ろしいですね.


_________


京都の人の家に訪問して、

「ぶぶ漬けでもどうどす?」

と食事をしていくように勧められても、あくまでそれは婉曲表現であって、本心では「もう帰ってくれ」という意思表示なのです。

 私の知り合いの先生の体験ですが、京都で法事があり、その家の人に

「ご飯食べて帰りよし」

と何度も言われたので、ぶぶ漬け伝説は知っていたのですが、あまりの熱心さに

「そんなに言わはるのやったら」

と食べていかれたのです。すると遠くのほうから、

「あの人、ほんまにぶぶ漬け食わはった」

「ほんまや、ほんまや」

と陰口が聞こえてきて、その後3日間ほど寝込んでしまったらしい(笑)。
http://www.dnp.co.jp/jis/g_gakko/talk/45/45_talk2_1.html

それは、友人Aが京都に旅行したときの時の話である

そのAには、京都に行ったら寄ろうと心に決めていた料理屋があった
ガイドブックに載るほどの有名店で、各界の著名人も多数出入りする店である

しかしAは、京都についての知識をそれなりに持っていたのでその店に入るのをためらっていた

なぜなら、京都の有名店、いや京都の料理屋は大概が「一見さんお断り」の店だと聞いていたからだ

(※一見さん→誰からの紹介もなく、初めて店を訪れる客)

普通の料理屋でも「一見さんお断り」だという噂があるのに、果たしてその有名店に入れるのだろうか?

Aはビクビクしながらも、その有名店に足を踏み入れることにした

ダメでもともと!断られたら断られたでしょうがない

まずは、その店に行ってみよう

断られたら諦めよう、それでいいじゃないか
とにかく行かずに諦めるなんて悔いだけは残したくない

Aは勇気をふりしぼり、単身その店ののれんをくぐった


女将「おいでやすー」

A「あのー、はじめてなんですけど、食事できますでしょうか?」

女将は、オドオドしながら標準語で問いかける客に一瞬怪訝そうな表情をしたが
すぐに笑顔でこう答えた

「どうぞ、入っておくれやす〜」

友人は、あまりにアッサリと店に招き入れる女将に多少面食らったものの
憧れの名店で食事できる喜びと、店に入れた安堵感で有頂天だった

「一見さんお断り」なんて、ただの都市伝説だったんだ〜

おしぼりで手を拭きながら、友人はウットリとそんなことを考えていた

そして、まずは店員にビールを注文することに
緊張で乾いていた喉を、まずはビールで潤したかった

京都の有名店での食事。あれも食べたい、これも食べたい
何を食べようか迷う友人の所に、ビールを注文した店員とすれ違いに別の店員がやってきた

あれ、この店員は何をしに来たんだろう?食事の注文を取りに来たのかな?
そんなことをボンヤリ思った友人の目の前に置かれたのは…

その、あまりにも早い登場にAは面食らった

まだビールも出てないのにぶぶ漬け!

座って5分も経たずにぶぶ漬け!

問答無用でぶぶ漬け!


あまりの衝撃と屈辱に言葉を失ったAは
箸に手をつけることなく、席を立ちフラフラと店の出口へ向かった
その背中に女将からの声が響く

「あら?お客はん、もうお帰りどすか〜?」

とか「お代は結構どす〜、おおきに〜」

そんな台詞が、Aの背中に向かって投げかけられたそうな

女将の顔は見なかったが、Aにはわかったという

Aの背中を見ながらニタァーッと笑う、鬼か、はたまた化け狐の如く顔のゆがんだ女将の笑顔が、友人にはハッキリと見えていたそうな
http://taketaka.cocolog-nifty.com/mogu/2004/05/post_24.html

京都のお宅を訪問するからには、自ら”ぶぶ漬け”を忍ばせて訪問するぐらいの備えと心構えが必要である。

そして敢えて長居を決め込み、

「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」

と言われたら、

「いえ、手持ちのものがありますから」

と、その場でオカ持ちから”ぶぶ漬け”を取り出してムシャムシャと食べ始める。

もちろん、それだけじゃ許さない!! 

逆に

「ぶぶ漬けいかがどす?」

と、こちらから茶碗を差し出してやるのだ! 

”必殺ぶぶ漬け返し”!

 京の伝統に従って、ぶぶ漬けをすすめられた者は、その場を立ち去らねばならない。相手は自分の家であるにも関わらず、荷物をまとめてその家を出て行くことになるわけだ。

途方にくれた相手がとりあえずホテルで一泊を過ごそうとしても、先回りしてホテルの前に”ぶぶ漬け”を置いておく。ドラキュラが十字架を恐れるように、京都人は”ぶぶ漬け”を越えることができない。

仕上げはここからだ。途方に暮れる相手の前にタイミングよく現れて仲直りを持ちかけて温泉へと誘いだす。そして相手がリラックスして湯につかっているところに、ご飯とお茶っ葉をぶち入れて叫ぶのだ!

「どうだー! おまえが、ぶぶ漬けだー!!!」


だが一度噴火した怒りの火山は相手を退治したぐらいでは納まらない! 今度は、”ぶぶ漬け”宅配業者となって京の都を恐怖に陥れてやる! まず手近なラーメン屋に忍び込み、かかってきた注文の電話を何食わぬ顔でとる。そしてラーメンの出前を頼んだ気になって油断している客の家に、いきなり”ぶぶ漬け”を届けてやるのだ!

宅:「お待たせしました。来来軒でーす!」

家の奥から子供が走りだしてくる。

子:「わーい、らーめんらーめん!」

宅:「おい、ぼうず。これはな…ぶぶ漬けだーー!!!!」

子:「ぎゃーー!」

一家で出前ラーメンを食べるはずの楽しい夕べは、”ぶぶ漬け”によって家を追い立てられる悲劇の時間に変わるのだ!! 京都人である以上、この不文律を破ることは許されない。破れば京都人失格だ。京の都は家を失った人であふれかえる。子供達は全員トラウマだ。

更に今度は市の職員を装い、腹を空かせた人々の前に現れて食料配給を行うのである。もちろん、配給する食糧は”ぶぶ漬け”に決まっている。そして集まってきた人々に茶碗を差し出しながらこうささやくのだ…。

「ぶぶ漬け食べますか? 京都人やめますか?」
http://www1.odn.ne.jp/aaa55210/kara1/bubu1.htm

58 :七つの海の名無しさん:2009/04/22(水) 01:39:29 ID:qsEUqLPo

キッシンジャー国務長官は来日したときに、
京都でものすごいハイテンションで祇園遊びをした。

酒に酔ったキッシンジャーは隣にいた舞妓に舞妓は"Yes Yes”と答えるだけだった。

次の日、舞妓は驚くべき事実を告げられた。
なんとキッシンジャーが大激怒しているというのだ。

実はあの時キッシンジャーは舞妓に

『今夜、私の部屋に来るか?』

と問いかけていた。

舞妓はYesと答えていたので、てっきりOKと思ったキシンジャーは
一晩中有頂天になって舞妓を待ち続けていたのだった。


160 :七つの海の名無しさん:2009/04/25(土) 03:28:01 ID:obWA5jPE
>>58
京都では Yes=No なのだよ。
わからん阿呆キッシンジャ−は
”田舎もん、どすな〜、キッシンジャ−はん。ぶぶ漬けでもいかがどすえ?”
(とっとと、帰れという意味)

______


京都の人間は、笑止な選民思想を持っており、自分は1200年の伝統が醸し出す洗練された人間と勘違いしているが実は野暮ったい田舎っぺそのもの。前述の通り差別(逆も含む)が凄まじく、閉鎖的なムラの論理ばかりが横行し、新住民や新しい文化、気質を受け入れない。住みやすいなんてのは全くの嘘。


「比叡山より東は蛮族の棲み家」

が彼らの口癖。 究極の井の中の蛙!東京って知ってる?


頭の中は坂上田村麻呂征夷大将軍の時代で止まっているらしい。おそらく彼らの世界観は高句麗や唐、せいぜい天竺どまりで、地球が丸いことも知らないのだろう。京都が学術の都というのもガセ。確かに大学数が多いが、殆どが極右、極左で、何も知らないで入学すると変な思想で洗脳され、卒業するときとんでもない人間になってたりする。


人口も、もはや茨城県にも抜かれ停滞気味。それでも京都「府」という特権意識だけは非常にがめつい。


最後に自称雅やかな古都の礼儀作法「三度の辞退」をば。


他県人「どうぞつまらんものですが、召し上がって下さい」

京都人「いいえ、けっこうです」

他県人「まあそうおっしゃらずに、軽い気持ちで遠慮なくどうぞ」

京都人「いいえ、けっこうなんです」

他県人「本当にいらないんですか?」

京都人「はい」

他県人、それならと差し出したお菓子を引っ込めようとする。京都人、突然ブチ切れる。

京都人「何やボケ!そんな謙遜を真に受ける奴がおるかこの田舎者め!わしに食わさんとは礼儀知らずなやっちゃのう!!!」

他県人「・・・・・(唖然)・・・・」

「はるばる田舎からようきやんしたなあ」

「あの、東京から来ました」

「それはそれは」

「はるばる田舎からようきやんしたなあ」(爆


京都で進学・就職後、今関東にいるが、京都気質がぬけず苦労している。

京都では、徹底して相手をこきおろす社会やったから、なかなか他人を信じられない。人間不信、瞬間にして敵・味方を判別、相手を罵倒・威嚇する。この癖は当分、なおらんと思う。


京都に旅行に行ったとき、やたらと「差別をなくそう!」という看板やビラがあり、その時は何のことかさっぱりわからなかった。(東北出身なもので)

事実を知り、ゾッとした。

古都とか日本情緒あふれる・・・なんて優雅なイメージは表だけ、実は非常にドロドロした所だと感じた。京都には住みたくありません


京都生まれ・京都育ちのくせに「この人性格いいな」と思ったら、大抵その人の両親は、他府県出身者。ジジババのころから代々京都生まれの奴に、ロクなのがいない。

他府県出身で、京都に住んでも何とかなるのは、大学生だけ。一般人は踏み込むべきではありません。

京都の常識は、世間では非常識!!

京都人ほど、高慢ちきで、人間関係において内・外を使い分ける人種を他に知らない。他人を無視するのでも一度無視したら、あいつら何年という期間で無視するやん。ホンネはいわへんし、執念深いし。したたかで、ずる賢くて他人を利用するし。こんな陰湿な常識が、他の世界に通用するか?

大半の人間は、驚いて「あしらう」レベルに到達しいひんで、ただオロオロするだけちゃうか?

ただし、極少数のいい人がいるのも事実。知っている限りでいい人達の特徴は、京都生まれで京都育ちだけど両親が他府県出身のひとたちと、高卒の人達が多かった。京都の私学の附属あがりの金持ち連中及び西陣・祇園の商売人の息子・娘たちは、ホント高飛車にも程がある、根性腐った奴が多かったよ。


オレも京都嫌い。
湯豆腐1000円で売ったり、あんなチャッチい野菜高く売りつけたりする
ボッタクリ商売人は氏んで欲しい。消費者の敵。

オレ、和牛オーナーだったが預託会社が高槻に高級肉の直売店を建てたところ
京都のクサレ食肉団体がカス議員→ゴミ警察に圧力掛けてその店を潰した。
そのせいで預託会社は倒産して金は返ってこなくなった。
金返しやがれカス!


京都駅の八条口にタクシー乗り場がありますが運賃値下げをしたMKタクシーは“村八分”状態にされて乗り場内に立ち入ることを他のタクシーが阻止していた。


新幹線で大坂から東京に帰るとき、自由席だと京都から乗ってくる人が何とか席に座ろうとして、あまりにもあさましいのを何度も見てるからです。でも、京都の人のあの独特の性格は必要悪だと思っています。あの異常なまでの誇りがなければ、他の地方都市と同じようにミニ東京になってしまうでしょう


ヤフーで個人売買していた際に最も嫌な思いをした取引相手は京都人でした。もーずうずうしいったらありゃしない。
京都ではそうかもしんないけど、東京や神奈川は違うんだよ!!
あたしゃずっと神奈川だからさ、そんな京都の常識語られたって知らんよ、もう。

ちなみに取引物は某少女趣味のブランド服。
勝手に電話番号調べてきて「他の人より高く買うから自分に譲ってくれ」と文句たれ。あんまり煩いからそれでOKしたら今度は「東京は知りませんけど京都ではこの服もっと安く買えるからもっと安くしてくれ」だって。
最初と話ちがうじゃん。

「こっちもね、主婦だからたいへんなんですよ。」って知るかもう・・・・。
この態度がまた自分のほうが正当である!!とさも言わんばかり。
あーもうアンタ逝っていいよ・・・・と何度口から出そうになったことか。

この厨房主婦の次の京都人も最悪だった。
それ以来京都人を見る目がかわった。もー逝ってくれ。


京都人の武器はやはり口です。そして彼らに口で勝つのは至難の業です。

彼らはこちらが失敗などして劣勢にあるとき、落ち込んでいるとき、つまり反撃できない状態にある時を機敏に察知して、攻撃してきます。

やり方は「○○ちゃうんけ!」といった言葉をややヒットアンドアウェイぎみにかますことが多いと思います。(あとでむかついてくる)

また、こちらが一般的に優位な立場にある場合は、過去の細かな失敗を適当に誇張して、こちらを蹴落とす世論を構築しようとします。

この行動はこちらも察知できて、しゃくなのですが、そのような細かい事をいちいちとがめることも出来ず、非常にストレスがたまります。

で、一番言いたいのは、このような理不尽な行いも受け止めることです。
彼らが何故このようなことをするのか、道徳的に心の中で批判してみてもこちらのストレスがたまって参ってしまいます。そういうものなのだと受け止めて下さい。

彼らのなれなれしい言葉、親切に心を開かないこと、また、とりあえず下手に出て彼らの弱みを握るチャンスを得ること、これが対策法だと思います。

おれが大学で東京に住んだときはなんちゅう「ばか正直」なやつが多いんやとおもったなあ。普通にしゃべる中で、ちょっとかま掛けても「そうなんだ、ふうん」とかえされて、こまってしもたわ。

私は東京出身だけど、京都で働いてた時によく地元の人に「あんた。素直やねぇ」とよく言われました。バカ正直って意味なのね。ごめんなさいね。関東人の美徳なのよ。

私は、知的でセンスがあって、出が良くて気の利いた会話が出来ても性格が屈折して陰険な人物は最初から(人として)低いと思うけどね。


京都は関西のくせに、隠れ見栄張りが多いね。そのくせして、居酒屋とかで飲んでも、1円単位まできっちりと割り勘にする。このギャップにずいぶんとまどった。見え張りというよりも、やせ我慢に近い。。。

ようするに、せこいくせに、プライドだけは一人前って事。
矛盾してるのに、認めようとせずに、突っ込まれたら急に、流暢な京都弁でさらりとかわす・・これが手口。


京都の富裕層、特に金持ちの商売人(祇園・西陣)が最悪やね。あと、材木屋・漬物屋・かんざし屋とか地場産業の連中。洛南出身の人達は、おそらく京都の富裕層階級の子弟だと思われる。


だから、言ってるやん。京都の金持ちは、根性汚いのが多いって。全員が全員やないけど、私の知っている限りの、京都の有名私学の金持ち連中たちの世界は別世界。ほんまに極悪!!!


ちなみに、私の妹は小学校途中で左京区の学校に転校したが、卒業するまで、いじめぬかれたよ。絶対、よそもんは入れない社会やね。


悪いけど、京都を日本と思ったらあかん、京都の常識は、世間の非常識やしね。


京都は怖くていけないよね…。


自分の知らないしきたりで意思表示されても知らないから、裏で陰口言われるんだろうね。


「あの人、嫌だって言ってるのに居座りつづけてるよ。 だから、東京の田舎もんはやなんだ。」
http://mimizun.com/log/2ch/yasaitr/971890080/

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c60

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
61. 中川隆[-13666] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:37:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21322]

京都は美しい街、 しかし幽鬼の住む死の世界


いい日旅立ち 京都へ
http://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA&feature=related


遥かな しまなみ 錆色の凪の海
セピアの雲は流れて どこへ行く

影絵のきつねを追いかけた あの頃の夢を今もふところに 西へ行く

ああ 日本のどこかに私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち ふたたび風の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに


蛍の光は 遠い日の送り火か
小さく見える景色は 陽炎か

出逢いも別れも 夕暮れにあずけたら自分の影を捜しに 西へ行く

ああ 日本のどこかに私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち 朝焼けの雲の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに

ああ 日本のどこかに私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 憧憬は風の中 今も聞こえるあの日の 歌を道連れに


いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html


▲△▽▼


京都のおもてなし文化を全身で体感したかったらここ

京都御艶の会席料理 お品書き
http://www.kyoto-gyoen.com/menuSystem.html


おいでやす、京都ならではの「おもてなしの文化」を現代に色濃く伝える『京都御艶』へ

デリヘル「京都御艶」(京都) by ナンニバル氏


 お世話になってます。ナンニバルです。

 すごい悪徳な店を見つけました!と、よろこんでもいられないのですが、せめて皆さんのお役に立てばと投稿します。

【店名】:京都御艶
【業種】:デリヘル
【HP】:http://www.kyoto-gyoen.com/
【日時】:10月下旬
【場所】:とあるホテル
【費用】:95分15000円+指名料2000円


 サイトの写真を見ると、なかなか可愛い子がいて、しかもなぜか値段が安い(その時点で気づけよ、自分)。電話をしたら

「75分12000円です」

とのこと。「30分ほどかかります」とのことで、じっと待つ。待つ。待つ。

 しかし来ない。何の連絡も入らないまま1時間以上が経過。んー。まあ寝るかなあ、とおもったらチャイムが鳴る。ノゾキ穴から外を見ると、男が一人つったている。ドアをあけると、遅れたことにわび一つなく、

「どうも。12000円と指名料2000円で合計14000円です」

と言い放つ。ドライバーらしい。

「じゃ95分で」というと、「合計で17000円です」と答える。

支払いを済ますと「じゃ今から女の子上げますから、しばらくまってください」。

 5分ほどするとチャイムがなる。

 これはいわゆる..「アナタハドチラサマデスカ?」現象だ!  指名した子とはまったくの別人。

パネルマジックとか、そんな生やさしいもんじゃないぜ。完全な別人だ。

ヤニだらけの歯、そばかす面、とがった口、マジックペンで書いたかのようなアイシャドウ、そして茶髪のおばさんが、サングラスをかけミニスカートを履いてそこにいるのだ。

その容姿は、絶滅した恐竜T.rexを彷彿とさせた。T.rex。まさに「暴君」にふさわしいその容姿が与える恐怖はタダゴトではなかった。

 「うわああああああああ(心の叫び)」。

完全なる戦意喪失。しかし支払い済みなこともあり、仕方なく部屋へ入れる。「シャワーを」というので、「どうぞどうぞ」と万全の注意を払いながらシャワーへ誘導。T.rexが衣服を脱ぎきったところを見計らって、こちらもすばやく裸になりシャワーへ。

 体型は、下腹部プックリ、タレ気味の乳房、力強い太もも。加えて猫背ぎみの姿勢。やはり、暴君T.rex(ただしメス)。

 こちらはさっさと先にシャワーを出て、再度の対峙に備える。なんとかやってみよう。心を落ち着かせよう。目をつむってみた。決戦の時は迫っている。

「ガラアァァッッッ」

ドアが開いた。前傾姿勢をとりつつのっそり出てくる様子には、やはり隙がない。

「さあプレイしようよ」

というドスの効いた威嚇がこちらに向かって発せられた!

とりあえず、どうでもいい会話を交わしつつ、ソファへ移動。

 すると、携帯が大音量で鳴る。T.rexは着信を確認。どうしようかなあと思案しながらどうでもよいさらに会話を続けていると、また携帯が鳴る。T.rexが確認。さらに5分ほど後、またしても着信。

 T.rexの咆吼。

「いかなきゃあああ」。

「はあ?まだ30分もたってないよ」

「忙しいの」

「いや、115分で頼んでるけど」

「だから忙しいっていってるでしょ。なんでそんな自分勝手なこと言うの!」

「自分勝手もなにも、115分で頼んだから」

「じゃあドライバー呼ぶから話したら。まったく、人の都合も考えないで」。

 来た!T.rexの本領発揮だ!

とりあえずは穏やかだった顔が、おそろしい形相に。そして吠えまくる。

プレイ時間115分は30分に。

こりゃ、時短なんてレベルじゃないぜ!

そして一瞬にして悟った。これ以上の抵抗は無駄だと。即時退却を決心する。

 T.rexは、到着時の遅れとは対照的な素早さでドアを開け、最後の雄叫びを上げて走り去っていった。「まったく嫌な奴やな!」

 おう...。やれやれ、命だけは助かったようだ。


 では評価です。

【嬢】T.rex
【サービス】サービス?なにそれ食べられるの?
【店員】店ぐるみのぼったくりです。
【金額】人生勉強にはこんなものか。

 みなさん、くれぐれも気をつけてください。命は大切にしようね!
http://www.kyoto-gyoen.com/

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[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
62. 中川隆[-13677] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:46:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21334]

皇族初夜の儀式

厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html  

▲△▽▼

天皇霊について二三の事(メモ)


 天皇霊とはあまり聞いたことのない言葉かもしれないが、民俗学の創始において折口信夫博士が唱えた興味深い説の一つである。藤原氏の隆盛と他氏の没落の元となったことなのでここに置くこととした。


天皇霊とは、狭義にいえば天皇家の祖霊である。

祖霊はイエの祖先の御霊の集合体で、どのイエにも個々人にも存在し、さして特別なものではないが、天皇家の祖霊は大大和のうちでも最も力の強い祖霊であるとみなされ、とくに「天皇霊」と呼んだ。

天皇霊は天皇に即位するものに宿る。返していえば、天皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行なわれる「大嘗祭」 なのである。


 この大嘗祭の内容は秘中の秘で明らかにはされていない。しかし、ある程度のことは漏れ伝わってい て、それによれば天皇は殿中で三つの儀式を行なうとされる。


 一、「霊水沐浴」。白い帷子(天羽衣)をきて水風呂に浸かり、浴槽の中で着ている物を脱ぎ去る。

 二、「神人共食」。その年、悠紀田と主基田から取れた米を神と共に食する。

 三、「御衾秘儀」。衣に包まり眠る。


 この三つである。

 直接的に見ると、霊水沐浴は禊であり、天羽衣を脱ぎ去るのは地獄の「脱衣婆」が衣を剥ぎ取るのと 同じで、この世の穢れをすべて衣に移してしまい綺麗な体になることが目的である。

天羽衣の名は「日御子」のイメージからそう呼んだのであろうか、天皇が異人であることを強調している。

そして神人共食をすることでその「ケ」、つまり自然の力をその体内に取り込む。

また、御衾秘儀で神と共に添い寝することで「神婚」をするのである。

 異見として、これを「誕生の模倣」と見る向きもある。

つまり霊水に浸かり天羽衣を脱ぐことにより「羊水と胞衣からの離脱」を、「神人共食」で「歯固め」を、衣に包まることで「おくるみ或いはむつき」をあら わしているというのだ。

確かに「御衾秘儀」は『古事記』の「天孫降臨」に見られる「真床覆衾」(ニニギの 命があまりにも幼かったので天から降ろすときに包んだオクルミのこと)に比定されるのは揺るがないところだと思われる。多面的に見た場合そういう意味合いも含まれているのは否定はできないが、まずは 単純に見るべきであろう。

 最後の三、は古代中国にも見られる風習であると白川静先生が述べられているのを読んだことがあるし、古代バビロニアにも神降ろしの巫女との「神婚」による王位継承がなされたことをご指摘いただいてもいるので、おそらくこの御衾秘儀は相手のあって行われたものである可能性もある。

ではこの相手は誰か。

思うに「伊勢斎王」なのではないだろうか。

伊勢斎王は天皇の即位のたびに新しくなる。仕事は といえば伊勢神宮に天皇の代わりに年三度の奉幣をするだけである。だがこの斎王にはもっと重要な 仕事、「神降ろし」をするための、天皇霊の依り代であったのではないか。

柳田國男先生は

「神を降ろす には巫女とこの言葉を伝える司祭が必要であった。」

と述べられている。これは天皇と斎王の関係をよくよくあらわしている。

斎王は天皇霊をその身に降ろし、天皇はその口から発する言葉に従い政(まつり ごと=祀り事)を行なう。『魏志倭人伝』に描かれた卑弥呼とその弟の関係にそっくりではないか。(斎 宮と天皇の「神婚」は近親姦というタブーを神を介することで神聖化している。)

折口信夫先生によれば 「神婚」は神降ろしの巫女との添い寝と、先帝(の骸)との添い寝が考えられるとおっしゃっておられる。

エロスとタナトスが交錯する儀式。

いずれにしても、いつまでそのようなことをやっていたかは知る由もな く、その後はもっと形ばかりになり、先帝の御衣を身にまとうばかりとなったのだろう。

 これにより分かることは、天皇には二度の即位儀礼があるということである。

はじめは「即位礼」。そして「大嘗祭」。

即位礼は中国の皇帝の即位式を真似たもので、いわば対外的に見せる「昼の儀」であ る。

一方、大嘗祭は夜に秘して行なわれる「夜の儀」で、天皇を天皇足らしめる為の儀式はこちらなの である。


 ではこの天皇霊はどのように創造されたのか。

おそらく大化の改新以後、天智天皇から聖武天皇の 在位中に、祭祀を司っていた中臣氏により成形されたと推定される。それまで一大王家の祖霊であった 神を様々な工程を経る事で、日本全体を覆うまでの巨大な霊体に仕立てるのだから並の作業ではなか ったはずだ。それは取りも直さず「天皇霊=国家神」の創造であり、その先には「現人神」という危うい 一面も内包して誕生した思想であった。

 大化の改新以前でも天皇家(正しくは「大王家」であるが)の祖霊は特別な扱いを受けてきたが、けして国家の神ではなかった。そして天皇家の祖霊を祀る御諸山、いわゆる三輪山での祭祀は他氏と同じように族長たる天皇自らが司っていたのである。

そう、実は伊勢神宮が天皇家の祖霊を祀る地になったのは、そのかなり後になってからのことで、それまでは御諸山が天皇の祖霊の坐ます地(今でもお盆 には死者が山から帰ると言い伝えられる地域もある)であった。

この「天皇家の祖霊」を「国家神」とし、 御諸山から伊勢へと遷したのは、思金命を祖とする中臣氏であった。

古来より、中臣氏は忌部氏と共に 祭祀を職掌としいたが、両氏が祭祀してきたのは「国の霊(いまだアミニズムが抜け切らない自然と一体になっている神)」で、けして天皇家個人の祖霊ではなかったはずである。ところが、いつしか「天皇家の祖霊」は「国家の神」となり、両氏はこれを祭祀するようになっていたのである。

中臣鎌子が中大兄皇子の側近となり名を藤原鎌足に改めた頃から、不十分であった「大王」から「天皇」への移行を完全なも のにするため、様々な試みがなされている。「天皇家の祖霊」を「国家の神」と成すべく、中臣(藤原)氏 が奔走したのもその一端であったと見られる。

 まず、今までの歴史を再編することからこの作業は始まった。

天皇家の始祖を「日の光の神=アマテルの神」とし(これは元々そう云われていたのかもしれない)、これを天上の最高神にした。

と同時に『アマテラスオオミカミ』と改められた神の名は、天皇家の祖霊に付けられた名前でもあった。

この神を、三輪山から伊勢へと移したのもこの頃である。

なぜ伊勢か?

疑問はあるが、太陽神を日の昇る地、どこよりも早く日が拝せる地に祀るのは自然な考えであろう(鹿島神宮も香取神宮も海が近く、東が開けてい る。)。

元々伊勢は磯部氏の所領であったが、天皇家に献納され(というより壬申の乱で取り上げられた)、条件がよいとして遷宮の地と白羽の矢が立ったらしい。わざわざ遷宮させたのは、天皇家の神か ら国家の神へと変貌させるため、旧来染み付いた「祖霊」の記憶から切り離す意図があったのだろう。

三輪山は「大王家の祖霊を祀った地」の記憶を払拭するかのように、大国主命の和霊「大物主命」を祀り、のちに大田々根子(大三輪君)の一族にこれを祀らせている。寺山修二が「書き換えられない過去 はない」といったというが、まさに天皇家として新たな一歩を踏み出すためにすべての過去は都合の良いよう書き換えられた。

この功が認められてか、すでに奈良後期に中臣氏は朝廷で祭祀をつかさどる神祇官で重きをなし、平安初頭には神祇の官位を独占しいたため、他氏の介入は皆無となっていた。

これを憂いた斎部広成は『古語拾遺』を著し、史書の誤謬を指摘し、古来からの職掌の重要性を説き、 中臣氏の専横の非を論じたが、その後も改善は見られなかった。(少々脱線をする。この祭祀を司った 中臣氏と忌部氏、あるいは軍事を司った大伴氏と物部氏(衰退ののちに佐伯氏)など特定の職掌には必ず専らとする家が二つある。これは天皇が新たに即位するたびに斎王が入れ替わるように、各職掌の家も入れ替わったため「二家」あるのではないか。

時代が下るとその制度自体も明確さを失い、上記のようなことが起こったのである。膳部を任されていた安曇氏と高橋氏の争いも『高橋氏文』の上奏にまで発展している。)

「天皇霊」は稲の霊である。このような見解もある。なぜ「大嘗祭」に天皇霊を降ろすのか、という疑問に 対し、かなり傾いた答えではあるが、納得できる点も多く存在する。

 天皇はまず「神人共食」をし、その身に天皇霊を降ろす。

そうすると、本朝でもっとも強い「ケ」の塊で ある天皇霊は、天皇の身の中に充満する。「ケ」をたくさんに取り込んだ天皇はこれを小分けにし、「幣帛」にこめて、これを各地に配布する(奉幣)ことにより、ケが枯れていた各地に天皇霊が撒かれれ、国 はまた再生するのである。(民俗学講義になってしまうが、ここでいう「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」は今一般 化されている「日常・非日常」の考え方とは違っている。

「ケ」は一種のエネルギーであり、生活をしてい るとだんだんに減ってくる。これが涸れて無くなると「ケ・ガレ」の状態となる。この状態を元に戻すため、 「ハレ」を作り、「ケ」を集め取り込むのである。)つまり天皇霊がケガレを回復してくれるのである。

 戦後まもなく、昭和天皇が各地を巡幸したことがあった。この行為は荒野となった日本の国土を「反閇」して清め、天皇霊を撒くことで「ケ」で満たそうとしたのだとみられている。
http://www8.plala.or.jp/furan/page064.html

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c62

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
63. 中川隆[-13676] koaQ7Jey 2018年11月29日 12:47:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21334]

「良子(りょうし)、天狗はどこにいる?」

義詮は息も絶え絶えに正室の良子に春王(しゅんおう)を呼ぶように言った。

「はい、今すぐに呼んでまいります。上様」

貞治(じょうじ)六年師走の十二月、室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)は三十八歳の若さで一粒種の春王を残して逝去した。

その時、後の三代将軍足利義満(よしみつ)こと幼名春王は十一歳の若さで、内裏の女人貞子と情を交わしていた。

貞子は二十四歳の女御で、後光厳(ごこうごん)天皇の寵愛を嘗て受けていたが、薹(とう)が立つにつれて遠ざけられ、淋しい想いをしていたところへ春王が、義満の名を賜るために父の義詮に連れられ内裏(だいり)に参上した。

襖越しに春王を見た貞子はその日から春王に恋文の歌を贈って誘惑したのである。
それから一年の間、春王は人目を偲んでは貞子の部屋に忍び込み情を交わす日々が続いた。

父の義詮が逝去した際も、春王は貞子の激しい欲望に応えていたのだ。

陽も沈みかけていたその日の夕方、将軍の館である室町第(むろまちだい)の門の前に着いた春王は、館の中が騒々しいのに奇異な感じを持ったが、それが父の死だとは思うべくもなかった。

まだ三十八歳の父が急死するなど考えてもいなかった春王は、門の中で家中の者が、「若君が戻られましたぞ!」と叫んでいるのを聞いて、母の良子に何かあったのではと思った。

良子は帝の后である崇賢門院仲子の妹で体が病弱であったからだ。
その母が跳んで春王のところへやって来たから、春王は安心した。

「春王。上様が亡くなられましたぞえ!」

涙を流しながら良子は春王を抱えた。

女人の香りが春王の衣類からしたのを感じた良子は、情けない表情で春王に言った。

「父君が亡くなられた時にも、お前は女人を抱いておられたのか。ああ先が思いやられる!」

春王が父・将軍義詮、母良子の顔を見たのはこの日が最後となったのである。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu1-1.htm


応安の変

二代将軍義詮が死んだ貞治六年十二月の三ヶ月後、応安元年三月南朝の後村上(ごむらかみ)天皇も死んだ。享年四十一歳。

後村上天皇は吉野に南朝を開いた後醍醐天皇の子である。

義詮の父・足利尊氏は後醍醐天皇の仇敵であり、後村上天皇は義詮のライバルであったが、その二人がたった三ヶ月の間にこの世から去ってしまった。

南北朝と言っても天皇の正統性は南朝が持っていた。
それは三種の神器が南朝方にあったからだ。

義詮が死ぬ一ヶ月前の貞治六年十一月に四国の守護だった細川頼之が管領になった。

頼之が管領になった後、数ヶ月の間に、室町幕府将軍と南朝の後村上天皇が死んだことになる。

しかも後村上天皇は父の後醍醐とは違って温厚な性格で、管領・細川頼之と和平するつもりだったし、将軍義詮もその話に乗り気だった。

それがすべて水の泡となり、もとの木阿弥に戻ってしまった。

まだ十一歳の若き将軍義満にとって、都合のいい出来事ばかりが次々と起こる。
そしてそれから十一年後の康暦(こうりゃく)元年、二十二歳になった義満は満を持して十一年続けた管領・細川頼之を解任し、この時点から義満の独裁政治が始まることになる。

だが義満の暗躍は既に十歳になった頃から始まっていて、そのきっかけをつくったのが内裏の女人たちであった。

特に貞子は後光厳天皇の寵愛を得られなくなった頃から義満に近づき、夜な夜なの閨事(ねやごと)の際の寝物語で指嗾(しそう)していった。

父である義詮が急死した際も、貞子と閨事をしていたが、母の良子はそれ以上の疑いを持たなかった。だが、後に義満の異常なほどの朝廷、特に天皇家に対する仕打ちを遠くから眺めていくうちに、良子は我が子とは思えない魔性を義満に感じ取っていた。

後村上天皇が死んだ応安元年に、細川頼之は「応安の半済令」を発した。
この禁令は後代まで悪法と言われたものだが、頼之が管領として発したことになっている。しかし幕府の棟梁・義満が発したものである。
その年の十二月三十日、足利義満は征夷大将軍に就任した。

「春王殿。ことはうまく運びましたね」

貞子は寝所で義満に優しい声で囁いた。

「わしは、もう春王ではない。これから上様と呼ぶのじゃ」

まだ十二歳の少年だと思っていた貞子も、良子が感じた義満の魔性をこの時一瞬感じたが、肉体の欲望が心を曇らせた。
後に命とりになる運命を貞子は知る由もなかった。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu2-1.htm

応安六年(1373年)、三代将軍足利義満は十八歳の青年に成長した。

管領細川頼之は今川了俊(りょうしゅん)を九州探題に任命し、九州南朝の支配者・懐良(かねよし)親王を筑後の高良山(こうらさん)へ追い込み、九州の中心である大宰府を奪い、南朝の勢いを落とす活躍をした。そして頼之の実権は絶頂期に達していた。

応安の半済令という悪法も、この九州平定で帳消しになり四国の一守護から管領になった当時はそれほどの欲もなかった頼之だったが、この時期になると権力欲が頭を擡げてきた。

天狗の鼻柱を持つ、誇り高い義満には我慢ならない時期でもあった。
義満と頼之との関係は徐々に表面だってぎくしゃくしだし、後光厳天皇も心配していた。

「天狗はおとなしくしているのか?」

久しぶりに貞子を招き入れた後光厳天皇は閨事(ねやごと)の後、義満のことを尋ねた。

帝は貞子と義満の関係を承知の上で、貞子を閨(ねや)に招いた。
帝から御召しがあれば断ることは出来ない。

貞子の情は完全に義満に向いていたが、頼之との確執が激化していることを憂えた貞子は帝の後押しを期待した。

「春王どのは、いま管領どのとうまくいっておられません。それが貞子には気がかりでございます。お上から管領どのにたしなめて頂ければ貞子は・・・」

子猫がじゃれつくような声を出して貞子は帝の胸に顔を埋めた。

義満が十歳そこそこの頃から閨事を交わしていた貞子は、年齢は三十歳(みそじ)であったが、閨事の技は巧みになって、老いた帝にはこの上ない相手になっていた。

二度目の閨事の後、帝は貞子の願いを寝物語として聞いてやった。

貞子は帝が義満の後押しの約束をしてくれたものと思い、精一杯奉仕した。

しかし、それは所詮寝物語であったとは貞子は思ってもいなかった。

明くる年、北朝第四代天皇・後光厳帝は崩御され、元号も明徳元年となり、第二皇子である緒仁(おひと)親王が第百代(北朝第五代)後円融天皇として即位した時点で、この約束は水の泡となったのである。
貞子は先帝を恨み、その由を義満にうち明けた。

義満は烈火のごとく怒り、

「必ずや、王権を纂奪(さんだつ)してみせようぞ!」

貞子に言い放った。 義満の怒りの表情をまざまざと見ていた貞子は、「これこそ、天狗の怒りぞえ!」と絶叫した。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu5-1.htm

大嘗祭の夜の閨事

後円融天皇の即位式である大嘗祭が永和元年(1375年)十月二十二日に伊勢神宮で執り行われることが決まった。

征夷大将軍でありながら、まだ中納言であった義満は従三位であったから、天皇即位式の大嘗祭には直接参列できない。

義満はこのことにも恨みを抱き、その後、管領細川頼之を解任した義満は強引なやり方で永和六年(1380年)には二十五歳で従一位に昇り、翌弘和元年(1381年)には内大臣、同二年には左大臣、そして遂に武家から初めての太政大臣にまで昇りつめることになる。

もともと官位に執着がなかった義満であったが、後円融天皇の即位式の時に抱いた屈辱感が、義満をして太政大臣延いては自らの子を天皇にし、治天の君(上皇)の位まで目指さしめたのである。

武家としては破格の出世で、祖父の尊氏は正二位大納言、父の義詮も、死後従一位左大臣を賜った程度である。

大嘗祭の行われる伊勢神宮で義満ははじめて帝の后である厳子と顔を合わせた。
五十鈴川に架かる橋の上で帝の輿が右側を通り過ぎて行く際に、帝の後の輿から顔を出した厳子は後ろに控えている義満の視線と合ったのである。
その時、義満の従兄弟である緒仁こと後円融天皇は満面の笑みを輿の中で浮かべていた。

『今に見ておれ、このわしが日本国王になってみせる!』

実際にそれから十九年後の応永元年(1394年)、四十歳で将軍職を我が子の義持に譲った義満は出家し天山道義と称し、法皇となって天皇家の纂奪を狙うのである。

貞子も後光厳天皇の女御として即位式に参列していた。
直接参列できない義満の序列は貞子よりも低かったのである。

その夜、貞子は厳子を伴って義満の寝室に潜り込んできた。
貞子と二十歳も違う厳子は輝くような美しさであった。

「そなた達は本当に姉妹なのか?」

義満は信じられない様子であった。

「腹違いの姉妹で、藤原信秋の子種であることは事実です」

貞子が答えたら、横で厳子も恥ずかしそうに頬を赤めながら頷いて義満を見つめた。
その表情はたとえ彼女が帝の后であろうと抑えることが出来ない程強烈に、義満の欲望を突き上げるものだった。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu7-1.htm


大嘗祭の即位式は夜を徹して行われる。

夜半に行われる儀式がまさに皇祖神天照大神から天皇として認められるもので、即位する天皇が一人で皇祖神と対面するのだ。

数時間に亘る儀式は想像を絶する厳しさで、大嘗祭で病に臥せてしまう天皇もいる。

緒仁親王が後円融天皇になる、まさにその瞬間に、義満はその后に最初の裏切り行為をさせたのである。

しかも聖地である伊勢神宮で、義満は日本国の権威の象徴である天皇を侮辱したのだ。

平治の乱で源義朝を討ち取り、ついでに義朝の愛妾である常磐御前まで奪った太政大臣平清盛でさえ、後白川上皇と真っ向から対立はしたが、皇位纂奪までは考えなかった。

初の武家支配の幕府を開いた源頼朝も征夷大将軍で甘んじていたのは、天皇家の万世一系の伝統には対抗できなかったからである。

義満の足利家は源氏の直系であり、貞観(じょうがん)元年(858年)に即位した第五十六代清和天皇がその祖先であるから、義満の代までに既に五百年の歴史を誇る名家であった。

しかし、後円融天皇が第九十九代にあたる天皇家の伝統には遠く及ばない。
嘗て、武力で日本の国を制覇した人物は多くいたが、天皇家を覆す者は誰一人いなかった。

時代が要請したのか、第九十九代天皇が即位する真っ只中で、その后と密通する大胆不敵な怪物が登場したのだ。

「そなたの名前は厳子(げんし)と申すのか。貞子(じょうし)とは姉妹と聞いたが、貞子は先帝のお手つきにあったにもかかわらず、そのままこのわしに払い下げられた気の毒な女人であった。しかしそなたは新しい帝の后となった運のいい女人ではないか。

それが選りにも選って帝の即位式の夜に、このわしと閨事をするとは大胆な女御であらせられる。なぜそのようなことをするか、理由(わけ)を申せられよ」

義満は帝の后である厳子に精一杯の礼を尽くして言った。

「あなたはこの国の実質の支配者と藤原家ではみな申しております。必ずや近い将来、皇位を奪われる方だと聞きおよびます。だから帝など怖くはございません。またあの方は手弱男で、あなたと同い年でありながら、わたしにまだ手をつけようともなさいませぬ。

それに比べてあなたは、貞子さまと十一歳の頃から寝床を共にしておられるとか、たくましゅうございます。何の、何の、どうかわたしの体を喜ばせてくださいませ」

義満は大胆な厳子の言葉に唖然として、

「女人とは、永遠に分からぬものよ・・・」

と言って、貞子がいるそばで厳子を抱いた。

その間、緒仁(おひと)こと後円融天皇は大嘗祭のまさに一番中心の御衾(おぶすま)秘儀の儀式の真っ最中で、皇祖神天照大神との神人共寝をするのである。

神と同じ霊格になるため、皇祖神と神聖なる共寝をしている時に、その后が同じ神宮で、従三位中納言足利義満と閨事をしているのだ。


大嘗祭の夜には三つの儀式がある。

聖水沐浴、神人共食、御衾秘儀である。

聖水沐浴は、沐浴時に「天羽衣」と呼ばれる湯帷子(ゆかたびら)を天皇が羽織り湯殿に入り、湯槽の中で脱ぎ捨てられ、湯槽から出られて新しい「天羽衣」
に着替えられることで天から生まれ変わられ天子となられる儀式である。

それに合わせて、義満は厳子と一緒に湯殿に入り、湯殿で閨事を交わし厳子に自ら次の天子の種づけをしたのである。

神人共食は、天子となって生まれた天皇が天照大神と、外宮の豊受(とようけ)大神から生命エネルギーの大御饌(おおみけ)である新穀を与えられ、共に食される儀式である。

饌(ケ)とは食であり、生命エネルギーを指し、また新しい魂でもある。

皇祖神・天照大神と同じ霊格を持たれる。

この時、義満は貞子と厳子の二人と共に同じ大御饌を食したのである。

大嘗祭とは一年に一回行われる収穫の感謝と次の豊穣を祈願する新嘗祭(にいなめさい)に合わせて行われる、天皇にとって一生に一度の祭事で、その時に神宮の斎宮も交代される。

貞子は大嘗祭の意義を義満に教えていた。

義満は皇位簒奪を決意し、その予行演習のつもりで、この大嘗祭に臨んだのである。

「必ずや、天皇になってみせる!」と貞子に約束した、その時であった。
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推古二十八年(593年)に、聖徳太子による十七条憲法と十二の官位が制定されてから半世紀後の大化元年(645年)、中大兄皇子と祭祀の中臣鎌足が、聖徳太子没後、権力を掌握していた蘇我馬子・入鹿親子を宮中で成敗し、大化の改新を成し遂げた。

祭祀の中臣鎌足が中心になって、天皇による祭祀が始まり、文武天皇の大宝元年(701年)に刑部(おさかべ)親王と中臣鎌足の子・藤原不比等によって大宝律令が制定され、本格的中央集権国家が確立された。

七世紀後半に始まる律令天皇制国家の祭祀によって大嘗祭が制定されたのだ。
律令制によって、それまでの氏姓(うじかばね)制時代には、各地の豪族たちが既得権として所有していた土地を、「公地公民」「班田収授」の導入で、国有地にしてしまったのが正式な税の始まりである。

各地の豪族である国造(くにのみやつこ)が郡司となり、それを監視するために朝廷から国司(くにのつかさ)が派遣され、米の収穫感謝と豊作祈願をする年一回の新嘗祭(にいなめさい)が行われ、その時に最初の収穫を、祭祀を行う神社に納め、その次の収穫を朝廷に納めるのが税となったのである。

律令中央集権天皇制国家となって、この新嘗祭が新しい天皇の即位式となり大嘗祭となったのである。

日本における税の概念は、最初に収穫する穀物に対する収穫感謝と次の豊作祈願から始まったものであるのだ。

天皇の即位式である大嘗祭と税制は、中央集権国家ができる前の共同体社会において既に存在した慣習であった。

各地の豪族を土豪と言って、彼らがほとんどの税を納めていたのである。

その土豪が、永和四年(1378年)、義満、22才の時に大和(おおやまと)国で反乱を起こした。

後円融天皇即位の三年後の出来事である。

大嘗祭の神宮で種づけをしたはずの厳子が身ごもらず、後円融天皇が晴れて即位した後は、厳子との閨事もままならなくなった義満は鬱憤を溜めていた。

その時、管領として権勢を誇っていた頼之が、この土豪の反乱で窮地に立たされた。

父、義詮の治世の頃の権力者であった斯波義将(しばよしまさ)が、将軍義満に頼之の管領解任を陳情した。

それまで、政事は頼之に任せ、もっぱら朝廷の女人遊びに溺れていた義満だったが、いらいらが募っていたこともあって、十年以上も任せてきた頼之を解任してしまった。

頼之は翌・康暦(こうりゃく)元年、京の屋敷を焼き払い四国に引っ込んでしまった。
この時から、義満の政治家としての怪物ぶりが発揮されることになる。
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細川頼之を追放し、斯波義将を管領に復帰させた義満は御家人を信用していなかった。

詰まるところ自分の家第一で、幕府第一とは誰も思っていないことを、義満は女人に溺れ、管領に政事を任せている間に女人から教わったのである。

男は如何なる身分でも、それ以上のものを常に望む動物であることを女人達は体で知っていた。

まだ元服もしていなかった春王の時から貞子や他の女人と情を交わすことで、自分と同じ男の性を知ってしまった。

「男というものは、たとえ帝であっても欲は尽きないもので、肉欲と権力欲は裏表の関係でありますぞ。女は肉欲の対象とされ、権力欲の道具として使われる哀しい動物であります。どうかお忘れなきように」

貞子から口酸っぱく言われてきたことだ。

貞子は後光厳天皇の寵愛を受けていたが、春王という天狗の化け物が登場すると、我が子の時代になった時のことを考えた帝は貞子を春王に与えたのである。

それが仇になるとは先帝も思っていなかった。

女が男の気持ちを測ることが出来ないように、男は女の気持ちを測ることは出来ない。

貞子は、相手が帝であろうが、その瞬間(とき)に情を交わした男に全てを与えることを、男である帝には理解出来なかった。これは男と女の永遠に埋めることの出来ない溝なのである。

権力を持つ男の性を嫌という程教えられた春王は、三代将軍になっても若年だということもあって、権力に全く関心を持たなかった。

男の権力欲の醜さを知っていたためであり、まだそれを吸収するだけ男として成熟していなかったからである。

御家人どころか義満は我が子たちも、腹の底では信用していなかったようである。
嫡男義持を将軍にはしたが、院政を引き、一方で次男義嗣を寵愛した振りをしていたことでも分かる。

義嗣の元服式を天皇の内裏で挙げるという前代未聞の天皇家侮辱を平然とやってのけた。

義満の絶大なる権力は管領頼之を追放した時から始まった。

生まれもっての天性か、権力の本質を知り抜いていたのか、義満はまず近衛軍の設置をした。

奉行人という将軍直属の文人と、奉公衆という将軍直属の軍人を掌握したのである。

現代世界で言えば、アメリカ合衆国の大統領がそうであり、戦前の昭和天皇が国家の大権と軍隊の統帥権を持っているのと同じである。

そうなれば現人神になれるのである。 義満の女人遊びは決して無駄ではなかった。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu10-1.htm

貞子は義満によって女官としては最高の位を賜った。

徳川三代将軍家光と春日局との関係に酷似している。

後小松天皇の母である皇太后が厳子であり、厳子の姉である貞子は朝廷の女人を悉く品定めをしてから義満に献上していたのである。

その献上の方法が義満に大いに気に入られた。

永年続いた貞子と厳子との三つ巴の閨事を、目ぼしをつけた女人に覗き見させるのである。

上皇の后とその姉が絡む情交を見せられた女人は大胆になり、情交の仲間入りをする。

そして二人の前で義満に味見されるのである。

最初は貞子との閨事だったのが、その後厳子が加わり、そして按察局(あぜちのつぼね)と悉く上皇の愛妾が義満の女人天国の住人になっていった。

まさに、その情景は男冥利に尽きる天国であった。

それを演出していたのが、後光厳天皇に捨てられた貞子であったということは、歴史の裏の話とはいえ余りにもドロドロしたものである。

そして義満は精力家としてだけではなく、政治家としても大きく育っていくのである。

まず手始めに、義満は自分に反抗的な公家をいじめ抜くことをした。
その餌食にされたのが西園寺、久我、葉室の御三家である。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu14-1.htm

義満が若い将軍でありながら絶大な権力を掌握していったのは、その政治力に拠るところが多い。

これほどの若さでありながら、公家や武家の老獪な連中を手玉に取る能力は際立っていた。

「犯罪の影に女あり」ではないが、義満の政治力の影には二品尼貞子を筆頭に、厳子、按察局、池尻殿、加賀局、誠子といった宮中の女御がいた。

彼女らとの閨事は、義満にとっては大事な政事の場でもあったのだ。

改元権をも握った義満が元号を考えた中に応仁というのがあったが、結局義満が五十一才で暗殺された後、彼の三男で青蓮院門跡であった義円こと、後の六代将軍義教(よしのり)も暗殺されることで室町幕府はその求心力を失っていくことになる。

そして戦国の乱世となっていった時代の元号が応仁であったのは歴史の皮肉と言えるだろう。

応仁の乱を最後に制したのは、義満没後その義満の意を継いだ義教が赤松満祐に殺害されてから百年後に颯爽と登場した寵児・織田信長であった。

信長は義満のように三代将軍の地位を利用して、政治力によって天下を握ることはしなかった。いや出来なかったと言った方がいいだろう。

室町幕府時代の管領職を細川家と争った名門・斯波家の家来の一人が織田家であったから、義満とはいくら大名とは言え大きな差があった。

そういう意味では、天皇家から王権を奪い取ろうとして結局暗殺されていった二人の英雄ではあったが、信長は創始者であったから、力づくで天下を抑えようとしたのに対して、先祖の遺産を受け継いだ三代目義満が政治力を駆使して天下を支配していったのは慧眼であったと言える。

その影で義満の力の源泉となって支えていたのが女御たちであり、彼女らとの閨事は政事よりも重要な勤めであったのかも知れない。

歴史に「もし・・」は無いが、「もし」織田信長が義満のような政治力を駆使して公家や朝廷を掌握していたら、明智光秀に暗殺されるようなことは無かったであろう。

明智光秀は細川藤考(幽才)と共に信長と京都の朝廷の橋渡し役をしていた人物で、朝廷との突き詰めれば天皇とのパイプ役を家来に任せ、女性を政略の道具にしか使わなかったことが、本能寺の変を招いたのであり、義満のように女性を味方に取り込んだ政事をしていたら、その後の歴史は大きく変わっていたことは想像に難くない。

やはり「犯罪の影に女あり」は歴史の真実であり、また人間社会の真理であるのかも知れない。

女性を敵にすると怖いのは、いつの世も同じであり、逆に女性に沈溺しても身の破滅を招く。

女性の扱いは、いつの時代でも、最も難しい問題であるようだ。

現代の日本の政治は、まさに女性人気だけに支えられた政権である。

厳密に言うなら女性的体質の人間の支持基盤が重要な時世になっていると言える。
女性と男性の決定的違いは、男性は行動で己の想いを示すが、女性は言葉で示して貰わないと理解出来ない生き物なのだ。

言葉巧みな男には、いくら賢明な女性でもころりと参る。

我が国の宰相は、その言葉だけで政治をやっているように思えてならない。

歴史はその結末を教えてくれる。 義満が暗殺されたように。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu22-1.htm

改元は本来天皇若しくは治天の君が変わった時に行われるものであったが、叙任権・改元権・祭祀権を掌握した義満は、自分の権威を高めるために、二、三年に一回の間隔で、管領細川頼之の解任による頼之の造反で起こった康暦の政変以来次々と改元していった。

永和四年(1378年)、西園寺公永(きみなが)は右近衛大将になりたくて、貞子に近づいて、義満に頼み込んだ。

しかし、貞子に頼んだのが仇になった。

貞子に何度も煮え湯を飲まされてきた後円融上皇は、この上奏を徹底してはねつけた。

そして序列に従って、徳大寺実時(さねとき)が右大将になった。

『あの不能者めが、わしに楯突きおって!』

義満は貞子と上皇の后である厳子を前にして怒りを露にした。

まさに腹いせとばかりに、二人の女御を相手に情を交わし、怒りのエネルギーを彼女らにぶつけた。

その様は、長いつき合いの貞子ですら、さすがに異常かと思わせるほどの荒々しさで、まるで動物を犯すような残虐さと執拗さであった。

特に厳子に対する情交は、何が何でも自分の種を植えつけてやるといった執拗さで、妹である厳子が目の前で義満に犯し殺されるのではないかと、貞子が思う程の激しさであった。

管領細川頼之を解任して、いよいよ独裁体制にと考えていた矢先の康暦元年八月、義満は廷臣の最高位にいて、自分に肩入れしてくれている二条良基の摂政再任を奏聞したが、後円融上皇の猛反対で、左大臣二条師嗣(もろつぐ)に宣下された。

怒り心頭の義満に対して、後円融の反撃もここまでであった。
厳子が身ごもったのである。

『してやったり!』と狂喜する義満を見つめる貞子と厳子には、まさに大天狗に見えたのであった。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu24-1.htm

身籠った厳子だが、上皇の寝所お召しには応じていた。

義満の官位叙任権を撥ねつけた後円融は、近侍の者たちに、我が権威を大いに見せ付けることが出来たと満足し、厳子との関係もいたって順調だと思っていた。

厳子自身も、大天狗に変貌した義満に不安を感じていた反動で、上皇のお召しに進んで応じていた。

そこへ孕んだことを知った厳子は、それが天狗の種であることを直感した。

義満は、厳子が自分の子を孕んだことを貞子より伝え聞き、喜色満面で狂喜した。

上皇の方に気持ちが傾きかけていた厳子は、自分が孕んでいることを上皇には教えずに、厳子の方から積極的に連夜の閨事を上皇に求めた。

そして、とうとう厳子は連夜の閨事の過労で、出血して腹の子を流してしまった。

上皇には、閨事の過労で風邪の病に臥したと伝え、上皇から、「体を癒すことに専念するよう大事に」と心篭ったお言葉まで賜り、三条家の実家で体を癒した。

貞子は、厳子が流産したことを聞き、義満に伝えた。

「何ゆえ、流産したのか?」

「分かりませぬ。厳子の話では、風邪の病が高じたのが原因だと申しておりました」

上皇に対する怒りのエネルギーを上皇の后の体内で爆発させることで、収まっていたものが再び再燃した。

「厳子を、今夜呼べ!」

貞子に命じたが、さすがの貞子も流産した直後の厳子に、義満の激しい情交の相手をさせることは出来ないと断った。

鬱憤を晴らせぬ義満は、仕方なく尼になった按察局(あぜちのつぼね)を召そうとした。

しかし、按察局事件で後円融上皇が持明堂事件を起こし、「自殺してやる!」と喚き立てたのを、生母の崇賢門院に説得されやっと収まった事件の張本人である按察局に手を出すことは余りにも不条理だと、又もや貞子から諫言された。顔を真っ赤にして黙っている義満に、貞子は言った。

「今夜は、わたくしを弄びなされ」

義満は駄々を捏ねる子供のように貞子の胸に顔を埋めた。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu25-1.htm

束の間の栄華

永和四年(1378年)及び康暦元年(1379年)の義満の奏上による西園寺公永及び二条良基の官位の叙任を、決死の覚悟で拒否した後円融上皇は、義満の種を孕み、それを意図的に流してまで上皇のことを憂慮した厳子の想いに応えて、精神的に最も落ち着いた時を送っていた。

義満との相克もさほど無く、穏やかで平和な期間であったが、それは上皇最後の悲劇の序曲であった。

永徳二年(1382年)。厳子は後円融の子を孕んだ。

この時期、義満は病がちで、まだ嫡男が生まれていないこともあって、閨事(ねやごと)は正室日野業子(なりこ)だけに絞っていた。

その間に厳子は後円融の子を孕み、もともとしっくりしていなかった夫婦関係が極めて良くなった時期であった。

貞子から、厳子が身篭ったことを聞いた義満は、自分の子種でないことは明白であったので地団太を踏んだ。

貞子も義満に言わなければよかったのだが、女の気持ちは計りしれない。
妹の厳子に必死に子種を植え付けようとする義満に対してではなく、妹の厳子に嫉妬心を燃やしていたのだ。

自分から進んで天皇の后である妹を義満に提供し、三人交えての閨事も重ねていたのに、嫉妬心を抱く女の気持ちを、まだ若い男の義満には到底理解できるはずもなかった。

しかし、老獪な年齢に達した貞子には、義満の心情は手に取るように分かっていた。

その結果、厳子が後円融の子を孕んだことを敢えて義満に知らせたのである。

政治力においては、見事なまでの老獪さを発揮する義満も、男女の問題では貞子の手中に入っていたのだ。

地団太を踏んで悔しがった義満が、どういう手を打つのかも貞子には読めていた。

「日野資康を呼べ!」

義満は武家伝奏である日野資康を呼び付け、罠を仕掛ける相談を持ち込んだ。
日野資康は武家伝奏という役職もあって、情報操作にかけては右に出る者はいないことを知っての相談であった。

貞子さえ、この相談事の中に入れてもらえなかったが、貞子は察しがついていた。
そして予想通り、後円融上皇の束の間の平和をぶち壊したのであった。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu26-1.htm

後円融天皇の父である後光厳天皇の典侍で、遁甲(とんこう)という忍びの役目も負っていた三条貞子という女性がいた。

貞子は後光厳天皇の肝煎りで、足利義満の幼名・春王のところへ、閨事の指南役として送り込まれたが、ミイラ取りがミイラになって、貞子は春王の遁甲になってしまい、自分の妹であり、後円融天皇の皇后であった三条厳子をも、春王との閨事に引きずり込んだのである。

後円融天皇が若くして上皇である治天の君になったのも、そして若死したのも、元はと言えば皇后三条厳子と義満との密通疑惑が原因であった。

義満が権勢を誇り始めたのは、管領細川頼之が失脚してからであったが、十一才で征夷大将軍になった時から、既に怪物の片鱗を見せていた。

後顧の憂いを懸念した後光厳天皇が、十一才の春王が将軍になるために元服した際に義満という名を与えたのである。

後光厳天皇の寵愛を受けていたこともある貞子だが、自分の体をいとも簡単に、まだ十才程度の義満に払い下げられたその失望は計り知れないほど大きかった。

今も昔も変わらない人間関係、特に男女関係には、ひとつの真理がある。

相手を人間として扱わない人間は、必ず男女関係でつまずき、そういう人間の本質である上昇志向の強さとは裏腹に、最終的には人生の敗北者になる。

その時、そのつまずきの原因になるのが、人間扱いせずに物扱いした相手である。
男女の関係では、男にその傾向性が強いのは当然である。

最も代表的な例が、女性を利用した政略結婚である。
豊臣秀吉と徳川家康の関係においても、自分の妹で既に夫持ちの旭姫を、離婚させてまで家康に嫁がせた。

徳川家康も今川義元によって政略結婚させられた築山殿に裏切られている。
現代においても、宰相にまでなった政治家が、たかだか三百万円を吝嗇(けち)って、宰相の地位を棒に振っている。

「英雄色を好む」の真意は、本当の英雄は、いかなる人間をも人間として扱う公正・平等の体質を持っている。だから英雄になれる。そしてその影には支えとなる女がいる。英雄はその女が愛妾であっても人間として大切にする。

だから多くの女が、英雄に心奪われ自ら進んで愛妾になって、英雄の周りには、女がつきまとうことになるのである。

女にとって、男と体質が正反対だから見抜くことは困難なことであるが、一番警戒しなければならない男は、人間を物扱いする種類(たぐい)であることを忘れてはならない。

足利義満が、権勢を縦にすることが出来、王権纂奪まで考えた背景には、払い下げされた貞子を最後まで大事にし、人間扱いしていたからであり、後円融天皇の皇后となった三条厳子が密通の噂まで流れても、義満との閨事を重ねたのも、義満に、「英雄色を好む」体質が具わっていたからであろう。
http://www.satoshi-nitta.com/tengu/tengu48.htm

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