99. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月23日 08:32:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21025]
この続きは
ヒラリー・クリントンの正体
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ヒラリー・クリントンの正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/324.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/719.html#c99
自宅の近くに、子供の調子が悪い時に診ていただく、小児科医の先生がいる。
はやっている病院のようで、近所には子供が多いので、いつも診察待ちの人々が溢れているような状態だ。
ところが妻に聞くと、その小児科医の先生の、近所の人達の評判は、真っ二つに分かれるという。
一つは、「とても誠実で、信頼できる」という高い評価。
そしてもう一つは、「はっきりしなくて、信用できない」という低い評価。
熱狂的なファンがいる一方で、めちゃくちゃにこき下ろす人もいて、カルト的人気(?)を誇る診療所である。
それにしても、なぜこのように評価が明確に分かれるのか。
先生にかかってみればすぐに分かるのだが、私が強く感じたのはこの先生、おそらく「正直すぎる」のである。
例えば、昔、娘が熱を出して、変な咳をしているので病院へ連れて行ったときのこと。
先生に聴診器を当ててもらい、喉を見てもらい、耳の中を覗いてもらったあと、先生はこう言った。
(注:会話はうろ覚えなので、医学的な見地からは、会話の中身が正確でない可能性がある)
「んー、中耳炎の可能性はないし、肺からおかしな音もしない。喉が赤いから、まあ、ウイルス性の風邪の可能性が高いですね……」
「風邪ですか、良かったです。」
「ただ、せきの音がちょっとね……。」
「おかしいですか?」
「クループかもしれないねえ。」
説明によれば、クループというのは、喉がウイルスなどに感染して、呼吸が困難になる状態のことで症状がひどいと、窒息死に至るケースもあるという。
参考:
クループ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
窒息死、と聞いた時点で、私は少なからず動揺した。
「どうすればいいでしょう?」
「薬を出しておきますけど、今の段階では、正直、加湿する以外に、あまり有効なことはできないですね。」
「そ、そうなんですね。夜に特に咳がひどいんですけど、息がくるしそうだったら、病院に連れて行ったほうがいいですかね?」
「そうなったら、迷わず救急車を読んでください。ただ……。大抵の場合は救急車は間に合わないと思います。呼吸が止まったら数分持たないですから。」
……先生、正直すぎるぜ。
「あと、あくまでも可能性、リスクがある、という話であって、重篤化するのは稀です。また、クループ、というのもあくまで可能性の一つですから……。」
「そ、そうなんですね。重篤化するのでしょうか?」
「いやー、わからないね。なんとも言えない。経過を見て、症状がおさまらない場合は、また来てくださいとしか。」
先生が言うには、要するに、薬を飲んで安静にしているほかは特にやれることもない。
重篤化したら運が悪かった、病名も可能性でしかわからない、ということのようである。
つまり、病院に連れて行っても、あまり安心できなかったのだ。
少し前、こんな記事を読んだ。
「病名がつかない」は医者には当然
「医者に病名をハッキリと言われない不安」とは何だろう。
知人から送られてきた質問を見て、私は疑問に思いました。「そんな不安があるのだろうか?」と。私はすでに医者の脳みそになっていて、患者さんのお気持ちが分からなくなって来ているのかもしれません。
皆さんが調子が悪くて病院にかかった時、「ナントカ病ですね」などとハッキリ医者に言われないことは多いのではないでしょうか。そんな時、「結局自分はどこが悪いんだ?」と不安に思われることと思います。
しかし医者からすると、はっきりと病名を断言できることはそれほど多くありませんし、病名を言いづらいことも多いのです。
患者さんは病名を言ってほしいけれど、医者は病名を言いづらい。この点、患者さんと医者の間に大きな認識のズレがあるのではないか。私はそう考えています。
(日経ビジネス)
この記事は、医師の抱えるジレンマを本質的に示している。
患者は、「はっきりとした原因の究明と、適切ですぐに効果の出る治療」を求める。
命がかかっていれば、なおさらだ。
だが、実際に医師ができることは、「病気の原因の仮説と、治療手段の可能性を示すこと」に過ぎない。
おそらく、「はっきりしなくて、信用できない」という低い評価を与える人たちは、はっきり言ってくれない、断定してくれないことを嫌気したのだろう。
極端な話、「嘘でもいいから、安心させてくれ」という要望である。
しかし、である。
私はこの小児科医に、むしろ好感をもった。
なぜなら、この医師は間違いなく、本当のことを言っているからだ。
「病名を断言することは難しく、かつ、今はできることも限られている」と、この医師は言った。
そして、それはおそらくそのとおりなのだ。
ここに、医療の難しさがある。
*
考えてみれば、医療は企業へのコンサルティングとよく似ている。
実際、「会社の抱える問題について、原因を診断すること」をコンサルティングではよく求められ、そして、クライアントが「単純化」を求めるシーンによく遭遇する。
例えば、
会社の方針が曖昧だ、
人事制度が良くない、
システムが古い、
管理職のスキルが低い……
そういった、「わかりやすい理由」を求めるクライアントは多い。
むしろそういう「わかりやすい理由」を知りたいから、コンサルタントを雇ったんだろ、というわけだ。
もちろん、クライアントの言うことだから、多くのコンサルティング会社はそれに従う。
(もちろん、そうでない会社もたくさんある)
わかりやすいレポートに、わかりやすい話をくっつけて。
クライアントに望むような結末をつけてあげるのだ。
そんな話はいくらでもある。
しかし本来、会社の抱える問題を、シンプルな原因に求めること自体、無理がある。
会社は複雑系であり、システムや制度、人のモチベーションなどが相互に影響しあっているので、「◯◯◯が悪いです」と断定できるケースは、ごく簡単なケースに限られている。
結局のところ、業績を改善するためには、企業のあらゆる活動を、気長に少しずつ改善していくことが求められる。
例えばこんなケースがある。
会社で、売上目標が未達の状態をなんとかせよ、と経営者が吠えていた。
それでは、ということで営業部が内部で調査をした結果、営業の「訪問件数」が著しく減っていることがわかった。
前年に比べ、営業が顧客に訪問している数が少ない事がわかると、経営者は
「営業はなにをやっているんだ。行動量が少ないから、売上が減ったのだ」と営業部長を詰める。
営業部長は真っ青になって、営業一人ひとりの尻を叩く。
「行動量を増やせ」と。
ところが、1ヶ月、3ヶ月、半年と過ぎ、営業の行動量は若干増えたのに、売上はたいして伸びていないことがわかってしまう。
「なぜだ」と経営者はますます営業部長への圧力を強め、それが現場に届く。
現場も行動量が落ちると、評価に響く事はわかっているので、必死になってお客様への売り込みを激しくする。
だが、成果はあまり出ない。
なぜ行動しているのに、売上が増えないのだ?
経営者は悩み、ついに、原因は営業部長の無能にあると決めつけ、営業部長をクビにして、後釜を据える。
そして、後釜の営業部長は、前の営業部長を批判する。
「本当の課題は、訪問件数なんかじゃありませんよ。訪問をいくら伸ばしたところで、営業のスキルが低ければ成約には結びつきません。」
と、次の営業部長は経営者に誇らしげに言う。
経営者はなるほど、と思い、営業のスキルアップのために、外部の研修会社を使って研修を行った。
ところが、営業のスキルもあがり、訪問件数も増えたら、当然のことながら成果が出る……と思っていた経営者は、
またもや裏切られる。
売上が依然として、伸びないのだ。
これはどうしたことだ、と経営者は怒り、結局次の営業部長もクビにし、別の人間を営業部長に据える。
3人目の営業部長はこう言う。
「今、訪問件数を追求し、スキルアップせよと言われ、必死に動いていますが、実際は、営業の現場は疲弊しています。生産性を高める工夫をしなければなりません。」
経営者は、じゃあなにをすればいいのだ、と営業部長に聞くと、「営業管理システムを入れてください」と営業部長は言う。
そして、営業は営業管理システムに日々の情報を入力し、効率的な営業を目指すことになった。
ところが、残念ながら、どうしても売上が伸びない。
経営者は、またもや営業部長をクビにして、ついに自分が営業部長になった。
だが、経営者は営業部長3名をクビにしたものの、お手上げ状態だった。
三人も営業部長を入れ替えてきたのに、目立った成果が何も上がっていない。
「結局なにが悪いんだ」とその経営者は、半ばヤケになって思う。
ついに経営者は、大学時代の友人であった、現役のコンサルタントに相談をした。
コンサルタントは言った。
「売上を伸ばしたいなら、会社全体を強化しないと。」
「どういうこと?」
「採用、商品開発、マーケティング、営業、アフターサポート、すべてが売上という結果につながっている。どこか一部だけをいじっても、大した効果はない。お前は安易すぎる。」
「……はっきり言うな。で、何を変えればいいんだ?」
「お前、全くわかってないな。そう言うところが、お前のダメなところだ。何が悪い、何を変えればいい、とわかりやすい答えだけを求める。」
「……」
「いいか、健康な体を作るのに、何を食べればいい?と聞かれても、「バランスよく」としか言えないだろう?食べるものだけを変えるのじゃなく、生活習慣すべてを見直さないと、健康な体は実現できないだろう?」
「ああ……説教はたくさんだよ。」
「何いってんだ、経営者が考えなくなったら、会社は終わりだ。」
「……わかった。」
「じゃ、まず採用から話を聞こうか……」
*
世界中で「トランプ的政治家」が人気を集めているという記事を見た。
「トランプ的政治家」が世界で増殖中
この話はとても良くわかる。
「わかりやすい敵」を設定すれば話はとても単純になるし、手軽に安心感も得られる。
だが、本来政治は複雑であり、会社経営と同じく、あるインプットに対して、線形のアウトプットが得られる、という性質のものではない。
物事をそのように単純に捉えることばかりをしていると、上の経営者のように、右往左往するだけで、結局何も成果をあげることはできないのである。
私は「シンプルな打ち手」や「明快な発言」をする専門家には確かに魅力を感じる。
だが、信頼できると考えるのは、冒頭に紹介した、わかりにくい話であっても、煮え切らなくても、ホントのところを言う、小児科医の先生のような方なのである。
https://blog.tinect.jp/?p=54499
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/928.html
アンダマン諸島 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6
アンダマン諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6
アンダマン人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA
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先住民、米国人を矢で殺害=立ち入り禁止の島−インド アンダマン島 2018/11/22
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int
インド東部アンダマン・ニコバル諸島・南アンダマン島の海岸=2007年9月撮影(AFP時事)
【ニューデリー時事】インド主要メディアは21日、同国東部アンダマン・ニコバル諸島の北センチネル島で、米国人男性(27)が先住民に矢で射られるなどして殺害されたと報じた。同島の先住民は、外部との接触を拒否し、近づく者を攻撃してきた。政府も独自文化保護などの観点から島への立ち入りを禁じている。
民放NDTVによると、殺害された男性は牧師で、先住民を改宗させようとしていたという。16日にインド人漁師の舟に乗って島に近づき、カヌーを使い上陸したものの、矢を浴びた上、首に縄を掛けられて引きずられ、殺害された。(2018/11/22-08:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int
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インドの孤立部族、米国人宣教師を殺害か 北センチネル島
2018.11.22 Thu posted at 11:45 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html
住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram
住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram
ニューデリー(CNN) インド東部アンダマン・ニコバル諸島の警察は22日までに、同諸島の北センチネル島を訪れていた米国人宣教師が地元部族に殺害されたとみられると明らかにした。
北センチネル島はインド本土の数百キロ沖合にあり、住民は世界で最も孤立した部族の1つとなっている。
地元警察幹部がCNNに明かしたところによると、殺害された男性はジョン・アレン・チャウさん(27)で、インドには観光ビザで訪れていた。しかし10月にアンダマン・ニコバル諸島に来た際は、明らかに布教目的だったといい、「彼のことを観光客とは呼びたくない」としている。
チャウさんから警察に対し、住民の改宗を目的とした渡航だとの報告はなかった。
同島にはインドの法律で保護対象の「センチネル族」が住む。公式記録では住民は十数人に過ぎないとされる。
島は保護区域となっており、5カイリ(約9キロ)以内への進入は禁止されている。以前に外部の人間への攻撃的な行動が2件確認されたことを受けた措置で、2006年には地元漁師2人が部族に殺害されていた。
警察によれば、米国人宣教師は現地の友人に頼んでボートを手配してもらい、島への上陸を助ける漁師も見つけていた。訪問を手助けした7人の現地住民は全員逮捕されている。
警察はチャウさんが死亡したことを独自に確認していないが、漁師たちの話をもとに殺害されたとみている。
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html
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先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」
2018年11月22日 23:06 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198832?cx_part=top_topstory&cx_position=4
先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」
【11月22日 AFP】現代文明から隔絶されたインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で、米国人青年が先住民から多数の矢で射られて死亡した事件で、青年が同島を訪れたのはキリスト教の布教のためだったと、複数のメディアが22日報じた。
報道によると、ジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)は先週、インド洋上の同島に不法に上陸しようとカヤックで接近。チャウさんは贈り物として、魚やサッカーボールを持参していたという。
チャウさんは、「私の名前はジョンです。私は皆さんを愛しています、イエス(Jesus)も皆さんを愛しています…魚を持ってきました!」と声を掛けていたという。
先住民らはチャウさんに向かって矢を放ち、矢の1本がチャウさんが手にしていた聖書を射抜いたため、チャウさんは上陸を手助けしていたインド人漁師らの舟に戻った。夜が明けてから再びカヤックで島への上陸を試みたチャウさんが、漁師の舟に戻ってくることはなかった。
米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は、別の宣教師がチャウさんの母親に電子メールで知らせた話として、先住民が浜辺にチャウさんの遺体を埋めているのを漁師らが目撃したと報じた。
ベンガル湾(Bay of Bengal)に浮かぶ北センチネル島には、約150人の先住民が暮らしている。独自の生活様式を保護するため、インド人も外国人も一様に島から5キロ以内に近づくことを禁じられている。北センチネルの先住民は、外部の者に対して敵対的な行動を取ることで知られている。
報道によると、チャウさんは両親に宛てた手紙の中で「こんなことをして正気じゃないと思うかもしれないけれど、ここの人々にイエスについて教える価値はあると思っている」「私がもし殺されたとしても、彼らや神を恨まないで」と書いていたという。
北センチネル島にはインド当局も上陸を避けており、チャウさんの殺害が犯罪として扱われるかどうかは不明。
英ロンドンを拠点とする先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」はツイッター(Twitter)で、今回の事件は起こさせてはならなかった「悲劇」であり、先住民と外部者の安全を確保するため、双方の保護対策を適切に講じておくべきだったと指摘した。(c)AFP
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html
菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0
福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。
菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました
あの日責任者達は何をしていたのか
6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。
東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。
福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。
翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。
燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。
燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。
福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。
この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。
事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。
後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。
枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。
「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。
「炉心溶融」を禁止したのは菅直人
調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。
メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。
清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。
東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。
事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。
自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。
3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。
だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。
清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。
枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。
自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。
燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。
菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg
「なんだ、馬鹿野郎」
ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。
菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。
首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。
結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。
所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。
しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。
自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。
自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。
アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。
吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。
海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。
嘘だらけの閣僚達
その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。
菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。
だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。
だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。
要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。
こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。
空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。
だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。
果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。
だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。
最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。
その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。
なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html
▲△▽▼
北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html
発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html
太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html
風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html
原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html
反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/576.html#c2
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
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【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。
来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。
UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。
パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。
エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html#c38
温室ガス濃度、史上最高更新 国連
2018年11月23日 6:25 発信地:ジュネーブ/スイス
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
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【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。
来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。
UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。
パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。
エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/576.html#c3
中国が笛や太鼓で人気を煽ってきた「一帯一路」プロジェクトが、「債務漬け」によって主権さえ失いかねない実例が出るに及んで人気急落である。中国の言いなりでインフラ投資を実施すると、不採算工事が多く工事費の返済もままならなくなる。最後は、担保を取られる「高利貸し商法」の穴に落込むのだ。
先頃のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では、米国ペンス副大統領が600億ドルのインフラ投資計画を発表した。その席で、中国の「一帯一路」について「債務漬け」にして主権を奪うと強烈に批判。これが影響したのか、APEC宣言とりまとめ段階では、中国を除いたすべての国が、米国の主張に賛成する事態となった。これに不満をもった中国外交官が、パプアニューギニア外務大臣室に乱入する騒ぎを起こしたほど。こうして、APEC宣言は見送られたのである。
中国の「一帯一路」が馬脚を現したと言える。日米が共同で1000億ドルの資金をAPEC諸国に提供する案が提示されるほか、EU(欧州連合)も、来年春にはアジアでのインフラ投資計画を発表する。こうなると、中国の「一帯一路」の魅力は大幅にダウンする。すでに多くの国が、「一帯一路」プロジェクトの返上・縮小を申し出てきた。
『大紀元』(11月22日付)は、「不安と懸念、混乱を広げる中国「一帯一路」停止や見直しは300億ドルに」と題する記事を掲載した。
(1)「中国の経済圏構想『一帯一路』と協力関係を結んだ各国では、プロジェクトを見直す動きが活発化している。アジア、中東、アフリカに広がる複数のインフラ計画はこの数週間、関係国政府による停止や再検討が相次ぎ、総計300億ドル(約3兆4000億円)以上が頓挫している」
総計300億ドルのプロジェクトが撤回・縮小になった。今後も、この動きは拡大される見通しだ。日米やEUの安い金利で安心して借りられる資金の方が、「一帯一路」より魅力あるからだ。中国もとんだ「伏兵」が現れて地団駄踏んでいるであろう。「設け損ねた」と。中国の認識はこの程度のものと見られる。相手国の利益を優先するのでなく、自国利益優先が中国であるからだ。
(2)「米ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の取材に答えた、北京大学深圳匯豊商学院の経済学者クリストファー・バルディン氏によると、パキスタン、マレーシア、モルディブなど、いくつかの国における一帯一路関連事業は、選挙や政権交代などにより頓挫した。『これらの国の人々は、中国融資による膨大な負債のレベルを非常に心配している。重要なことは、国内の一部の反中勢力だけが声を上げているのではなく、国全体に懸念が広がっていることだ』。中国国営新華社通信によると、一帯一路によるインフラ融資は数千億米ドルに及ぶ」
中国にとって、「一帯一路」は資金的に負担となっていた。「一帯一路によるインフラ融資は数千億米ドルに及ぶ」という記述の通り、この資金調達が困難になっていた。昨年、中国の対外負債は前年よりも5550億ドル増えていた。海外で借金してそれを「一帯一路」で貸し付けていたのだ。貸出金利が高くて当然。「又貸し」であるからだ。
対外投資の資金は、経常収支黒字で賄われるのが普通である。中国の昨年の経常黒字は1400億ドル。今年は急減して200億ドル程度の黒字へ減少し、来年は経常赤字が必至である。もはや、対外投資は不可能な事態へ落込む状況へ急変した。「一帯一路」などと言って、「旦那風」を吹かしているゆとりがなくなるのだ。ただの「貧乏国家」
へ逆戻りする
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html#c15
技術は日進月歩で進歩しています。
最初期の福島原発と最新の原発とを同列には語れないのです。
菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0
福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。
菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました
あの日責任者達は何をしていたのか
6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。
東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。
福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。
翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。
燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。
燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。
福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。
この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。
事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。
後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。
枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。
「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。
「炉心溶融」を禁止したのは菅直人
調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。
メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。
清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。
東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。
事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。
自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。
3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。
だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。
清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。
枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。
自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。
燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。
菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
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引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg
「なんだ、馬鹿野郎」
ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。
菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。
首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。
結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。
所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。
しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。
自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。
自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。
アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。
吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。
海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。
嘘だらけの閣僚達
その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。
菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。
だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。
だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。
要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。
こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。
空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。
だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。
果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。
だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。
最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。
その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。
なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html
▲△▽▼
発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
温室ガス濃度、史上最高更新 国連
2018年11月23日 6:25 発信地:ジュネーブ/スイス
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
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【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。
来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。
UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。
パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。
エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1
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北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html
発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html
太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html
風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html
原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html
反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/112.html#c1
逮捕されたカルロス・ゴーン容疑者(写真:ロイター/アフロ)
日本はおろか世界にまで激震が広がった、日産自動車会長のカルロス・ゴーン容疑者逮捕の一報。かつて経営難を乗り越えたことで称賛を浴びたゴーン容疑者だが、強引な経営策に内外から不満の声が噴出していた点に改めて注目が集まっている。
東京地検特捜部が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いでゴーン容疑者と同社代表取締役グレッグ・ケリー容疑者を逮捕したのは11月19日。日産は逮捕直後にニュースリリースを掲出し、内部調査による不正行為の判明や、これまで検察当局に情報提供・捜査の面で全面協力を行ってきたことを発表した。また、ゴーン容疑者、ケリー容疑者それぞれの役職解任を取締役会で提案すると明かした。
ゴーン容疑者はフランスの自動車会社ルノーで役職を持つ傍ら、1999年に同社と日産の業務提携によって日産の最高執行責任者(COO)に就任。「日産リバイバル・プラン」を発表し、人員削減を含めたコスト削減を次々と断行して日産の業績を劇的に回復させた。
経営の立て直しを評価される一方、“数字重視”の改革に疑問を唱える声も少なくない。自動車ジャーナリストの遠藤徹氏は、毎日新聞の取材に「彼が来てから国内販売網はズタズタにされ、売れそうな車種以外は切り捨てられた」と答えている。また、ゴーン容疑者は2014年3月期決算が予想を大きく下回った際、日本人トップの志賀俊之COOを事実上の更迭。17年9月に国土交通省から検査不備を指摘された際も、対応を西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)に丸投げした。自己保身に走り首尾よく立ち回る姿には、「責任逃れ」との指摘が相次いだ。
ジャーナリストの井上久男氏はウェブメディア「現代ビジネス」で、ゴーン容疑者の逮捕について、日産とルノーの関係性に言及している。ルノーの筆頭株主であるフランス政府のエマニュエル・マクロン大統領は日産との経営統合に意欲を見せており、井上氏は「日産の西川CEOは、経営の独自性が維持できなくなるとして、これ以上ルノーの支配が強まることを嫌った」と指摘。このままルノーCEOでもあるゴーン容疑者とゴーン派のケリー容疑者が失脚すれば、西川社長が日産の取締役会で大きな権限を持つことになる。
ゴーン容疑者らの逮捕直後に開いた会見で、西川社長は「クーデターではない」と強調した。しかし、今回の一件をめぐっては、強引な舵取りを見せたゴーン容疑者への不満の爆発や、今後の日産の経営を見定めた上での逮捕劇という見方が強い。強権者への不満と経営をめぐる利害関係が見え隠れしており、単純に“ゴーン容疑者らの不正”という言葉だけでは片づけられない様相を呈している。
●「ゴーンの奇跡」のまやかし
また、逮捕を転機に、かつては称賛された「ゴーン流改革」「ゴーンの奇跡」に対する懐疑的な見方も広がっている。
ネット上では、「コストカッターとして冷酷な首切りをやりながら、自分は莫大な不正蓄財をやっていたのか」「そもそもゴーンのやったことは“日産版ショック・ドクトリン”にすぎない。経営陣と労組の争いに外から入ってきて、2万人のリストラと5つの工場閉鎖を断行したんだから」「『日産の業績を奇跡的にV字回復させた』と言われるけど、その陰に大勢の解雇者がいることに納得できない」という声があがっており、「もし松下幸之助が生きていたらなんて言うだろう?」と、業績が苦しいときでも従業員を解雇しない方針だった“経営の神様”と比較する声も見られる。
また、横浜合同法律事務所はツイッターで19日に「2009年2月9日、カルロスゴーンの記者会見で、国内で約8000人もの非正規労働者が解雇されました。いわゆる『派遣切り』です。今もこの派遣切りの撤回を求めて、5人の原告が労働委員会でたたかっています。不正された50億円があれば、派遣切りはなかったのではないでしょうか。怒りしかありません」と投稿し、1400以上のリツイートを記録している。
●過去3回、役員報酬トップに
逮捕容疑では、ゴーン容疑者はケリー容疑者と共謀して、10年度から14年度の5年分の報酬を約50億円過小申告していたという。東京商工リサーチの調査によると、ゴーン容疑者は上場企業の1億円以上の役員報酬の開示制度が始まった10年3月期決算から9年連続で1億円以上の役員報酬を得ている。16年5月に日産の傘下に収めた三菱自動車工業からも、18年3月期に2億2700万円の役員報酬を受け取っている。18年3月期は2社合計で9億6200万円で、これは同年度の11位に相当する。
累計額は過去9年で合計90億900万円(日産が9回で87億8200万円、三菱自が1回で2億2700万円)。過去最高は17年3月期の10億9800万円で、これは1億円以上の役員報酬を受け取った役員の歴代30位に該当するという。さらに、09年度(10年3月期)、10年度(11年3月期)、12年度(13年3月期)には年度別で役員報酬トップに立っている。
かねて高額報酬に対する批判に反論してきたゴーン容疑者だが、その代償は大きそうだ。
https://this.kiji.is/437923820846941281
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c5
2018年11月22日
北京が初の「市民ポイント制」導入、信用度に応じて付与
[北京 20日 ロイター] - 中国が導入すると表明して物議を醸している「社会信用システム」の先駆けとして、北京市は2020年までに、市民や市内の企業に対し「信用度ポイント」を付与する制度を導入する。国営メディアが伝えた。
2014年に政府が打ち出したロードマップによれば、2020年までに、ハイテクを駆使して負債、個人的行動、企業の不正行為などさまざまな評価を記録し、市民や企業に対する表彰や懲罰を行う「社会信用システム」を構築することを目指している。
この計画は海外メディアから注目を集め、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」になぞらえられるとともに、すでに厳しい規制を強いている共産党の権力を助長するとの批判が出ている。
ポイント制は北京市が初めて提唱したもので、市内のビジネス環境改善のためとして19日に計画を公表した。具体的なシステム運用方法は発表に含まれていないが、このシステムにより、信用に値すると判断された個人には「グリーン・チャンネル」が与えられる一方、ブラックリストに載った人物は「1歩も動けなく」なるという。
システムからの情報は市場アクセス、公共サービス、移動、雇用、起業の是非などに影響が出るという。
一方、政府の役人や役所の信用度を評価する第2システムも導入される予定で、契約や約束が守られているかなどで判断され、その結果は業績評価で考慮されるという。
https://jp.reuters.com/article/point-idJPKCN1NR06M
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html#c89
[北京 20日 ロイター] - 中国が導入すると表明して物議を醸している「社会信用システム」の先駆けとして、北京市は2020年までに、市民や市内の企業に対し「信用度ポイント」を付与する制度を導入する。国営メディアが伝えた。
2014年に政府が打ち出したロードマップによれば、2020年までに、ハイテクを駆使して負債、個人的行動、企業の不正行為などさまざまな評価を記録し、市民や企業に対する表彰や懲罰を行う「社会信用システム」を構築することを目指している。
この計画は海外メディアから注目を集め、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」になぞらえられるとともに、すでに厳しい規制を強いている共産党の権力を助長するとの批判が出ている。
ポイント制は北京市が初めて提唱したもので、市内のビジネス環境改善のためとして19日に計画を公表した。具体的なシステム運用方法は発表に含まれていないが、このシステムにより、信用に値すると判断された個人には「グリーン・チャンネル」が与えられる一方、ブラックリストに載った人物は「1歩も動けなく」なるという。
システムからの情報は市場アクセス、公共サービス、移動、雇用、起業の是非などに影響が出るという。
一方、政府の役人や役所の信用度を評価する第2システムも導入される予定で、契約や約束が守られているかなどで判断され、その結果は業績評価で考慮されるという。
https://jp.reuters.com/article/point-idJPKCN1NR06M
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c15
「自国民の屍を累々と積み上げながら外国人の人権を守り続けている」フランスの記事からいくつか紹介します。
独仏「欧州軍」創設協力で一致(毎日)というのは、移民で混沌状態から抜け出せなくなった両国が内戦でも始めるのかと思いましたが、なんと“敵は米ロ”など欧州外にいるそうです。え゛!
灯台下暗しか?
マクロン氏に「国家主義は愛国心の裏切り」と言われたトランプ氏は「問題は、26%(調査によっては21%)というフランス国内での非常に低い支持率にエマニュエルが苦しんでいるということだ。失業率も10%近い。彼は単に、話題を変えようとしてるだけだ」とツイートしています。
(BBC)
※マクロンの自信満々ぶりを解説している記事がありました。この通りになっても私たちにはつらく厳しい人生のようです。(世界多極化による第三次世界大戦と金の国家間の移動 カレイドスコープ)
国境と国籍を無くそうとするグローバリズムを善とする世界の指導者たちこそ「国民への裏切り者」です。国境と国籍を軽んじて平和だった自国民を侵略者に売り渡し、自分だけ高みの見物なのです。
燃料価格高騰で抗議デモ 1人死亡、28万人が参加 フランス(2018.11.18 CNN)
軽油価格が上がり続け、さらに軽油、ガソリンにかかる税金が今年1月に引き上げられ、来年も増税が予定されているそうです。
パリ協定 (気候変動)のことを考えるとこういうものを増税するのは正しそうに見えますが、それなら今や世界のCO2排出量の約1割を占めている観光業こそ大幅に縮小させないと意味がありません。グローバリズムを推し進めるうえで役に立つから誰もそういわないのでしょうか?
安い費用で飛行機を大増便して観光公害も引き起しているこんな産業をこれから大きくしようというのは国境と国籍を無くす準備のように見えます。外国人ファーストの観光業に頼るのは最後のあがきです。日本大安売りをしている安倍首相も、私たちごと見世物小屋の見世物兼従業員にしているだけです。
さて、日本のメディアが嬉しそうに仏大統領、自国第一主義に警鐘(読売は記事を削除したので東京新聞でどうぞ)と報じ、私達を「地球市民」になるよう洗脳していました。外国人の人権を守るために自国民への攻撃を厭わないという狂気のリーダーが率いる国と、安倍首相が目指す日本は同じです。
四角02
クリスマスプレゼントを持っていた男性が「不信仰者」として攻撃される―パリ
11月14日午後6時20分頃、60歳の男性がクリスマスの買い物に行き、クリスマス用ラッピングされた商品を抱えてパリ14区のAlesiaから出てきました。Avenue du Maineまで歩いていたところ待ち伏せ攻撃されました。
見知らぬ人間が彼に近づいてきて乱暴に押し、ひっぱたいて眼鏡を落としました。
攻撃者はすぐに逃げましたが、その時に「これが不信仰者に対する我々のすることだ」と言いました。
男性は事件を警察に訴えました。現在宗教を理由とした暴力事件として捜査しています。
※ちょっと捕捉しておきますと、これはムスリムにとって正しいことをしただけです。エ!
信仰する者よ、あなたがたに近い不信者と戦え。そして、あなたがたが意志堅固で力強いことを、かれらに知らせなさい。アッラーは主を畏れる者と共におられることを知れ。
コーラン9-123
四角02
難民に理由もなく殺されるフランス人
19歳のフランス人Baptisteさん(写真)が難民に殺されました。
今年9月15日、Baptisteさんが友人の家に遊びに行って帰る時、友人宅を出たところで騒音苦情の見知らぬ人に出くわしました。2人は「それは僕たちとは無関係だ」と答えたところ、突然ナイフでBaptisteさんの喉を8回刺し、そして体中を15回刺しました。友人は助けようとしましたがBaptisteさんは殺されてしまいました。
Baptisteさんの両親が11月16日に報道関係者の取材を受けていますが、彼らによると、フランス当局は数日前に初めて両親に対して息子を殺したのが移民だったと伝えたそうです。
(警察はすぐに逮捕したものの釈放し犯人が既にフランスを出国したという報道もあります)
父親は取材にこう答えています。
「息子を殺した犯人はまだ無実だと仮定されています。犯人は戦争から逃れ平和を求めてフランスに来たそうです。私の息子は殺されました。これは犯人が求めた平和ではありません。これは彼(難民の犯人)が持ち込んだ別の戦争です。こんなことは許されることではなく国は息子を守るべきでした。当局は何もしてくれませんでした。何の情報もくれませんでした。
私はフランス人ですが本当に嘆かわしいです。国が恥ずかしいです。ムカムカします。」
https://voiceofeurope.com/2018/11/french-teen-dies-after-refugee-stabs-him-23-times-for-no-reason/
四角02
モスク建設の許可をしない市長が罰金を言い渡される
パリ近郊Mantes-la-Ville(マント=ラ=ヴィル)のCyril Nauth市長がモスク建設の許可を出さないことに対して、ベルサイユ行政裁判所は3,000ユーロの罰金を言い渡しました。
1ヶ月の猶予ののち命令に従わなければ、毎日150€の罰金が科されることになります。
南マントのイスラム協会は声明を出してこう述べています。
独断的な理由によって、市長は法律の基本ルールを踏みにじり長期間財政負担を市に強いてきました。市長によって使われた多額のお金は他に必要とされる行政サービスに使うことができたものでした。私たちは人々の共生を守り続けすべての過激主義と戦います。
四角02
今回紹介したのは大規模テロなどではなくて地味なものです。
異常事態が日常となると慣れてしまいますし、今子供として生きている人たちには劣化した社会が普通で、自国社会が劣化したとは思わないわけです。
我々を阻もうとする勢力がたくさんある。公共の論争を妨害し、自由主義的な民主社会を攻撃し、互いを戦わせようとている。我々はこの世界情勢を非常に深刻に捉えなければならないし、その中で我々の力は、本当の力は、団結することにある(BBC)
こうマクロン大統領は話しましたが、立場があべこべで、私達こそ国に言論弾圧され、国が勝手に持ち込んだ移民のために混乱しているのです。
しかし、最初からこの状態しか知らない世代には、それすら理解できないのでしょう。ショック!
このマクロン大統領を見出したジャック・アタリ氏は「世界的な知性」と呼ばれています。
カレイドスコープではジャック・アタリ氏を次のように評していました。
『私たちが住む地球の行く末を決めるビルダーバーグ会議のメンバーであり、同時にロスチャイルド系の大物スポークスマンであることは、よく知られています。』
『シオニストで、かつ世界統一政府を確立し、日本も含めて世界奴隷構造を構築しつつあるグループの広報マンである』
ユダヤ系フランス人、ジャック・アタリ氏のNHKインタビュー(2009年)をこちらで見ることが出来ます。これから起きること(同時進行もあり)を述べています。
「国家はグローバルな市場よりも弱い」。「各国間の国際協調はグローバルに勝てない。」「グローバル市場が帝国になり、全てが民営化。」
その中で、二つの力が強大になる。
一つ目は、「エンターティメント」―国民を大事な物事から目をそらさせるため。
二つ目は、「保険の世界」―リスクから身を守るため。
一つ目はすでにそうなっていますからよくわかります。そして二つ目がこれから日本人をターゲットに搾取が本格的に始まる分野だと思っていました。(これについてはまた別にします。)
その後、
「様々な地域で紛争がおきる。」「誰もコントロールができない。」「市場は無秩序化される。」「全人類において貧困層の拡大がおこる」。「痛みで国が混乱。」「2060年頃〜別の統治方法=超民主主義が考えられる。」
それは、「利他主義」=人は他人を援助することによって幸せになれること。
となっていますが、最終予言(またはグローバル化を操る支配層の目標?)まで生きているであろう多くの人々にとって、一握り以外はろくでもない大惨事を迎えることになっています。
皆が一緒なら大惨事でもいいというのが日本人ですが、最期までの途中経過は人それぞれですので苦しみ方が違ってきます。
他人より少しでも苦しみを遅らせ和らげるため競争を続けて勝ち抜くか…
またはこの通りにさせないよう国境と国籍に基づく国民国家を安倍首相達から守るのか…。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12420143471.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html#c17
<40年近く生活していたスウェーデンから、最近ハンガリーに非難してきたひとりのスウェーデン人の女性が、テレビのインテビューでハンガリー人にその経験、移民の流入による安全と治安について、急速な悪化を詳述した。
ナタリー・コンテッサは両国の二重国籍者である、しかし、スウェーデンでの彼女の人生の大部分を過ごした後、彼女は母国に避難しなければならないと感じた。彼女の友人や家族の多くもまた危険がほとんどない西側諸国に移住していると、ハンガリー国営放送局M1に話した。
コンテッサ氏は次のように語った。
「安全性はまったくありません。国に受け入れたすべての移民のせいで、残念ながら状況がさらに悪化しました」
「例えば、女性が移民から性的暴行されても誰も助けないため、日中でも私が住んでいたストックホルムの地下鉄に乗ることができません。警察は出てきません」
「あなたが昼間にコーヒーハウスに座っているとしたら、突然、15歳または16歳の5,6人の移民に、ナイフで脅しされ、携帯電話とバッグを奪われます」
彼女は、彼女が働いていた病院も含め多くの仕事は、経験の浅い移民に引き渡されており、ノルウェーのような他国にスウェーデンの医療従事者の移住があおられていると説明した。
彼女はまた、病院が危険に曝されていると主張し、スウェーデンの女性を食い物にすることで有名なイスラム移民が詰まっているため、性的暴力が増加していると主張している。
コンテッサは、政府、メディア、さらには左翼の犯人たちによって圧倒的に抑圧されていると次のように付け加えた。
「移民に性的暴行をされるので、病院で働く多くのスウェーデンの看護師が仕事を辞めます。職場でも。」
「そのことで意見を述べる人は中傷を受け、追放され、刑事責任を問われます」
コンテッサの医療界からのゾッとするような話は、ヨーロッパの地域では、当たり前のことになってきている。既に根絶した病気に蝕まれた移民が、看護師や医者に大便と尿を投げつけて襲う。一人のソマリアからの移民は、仕事中でさえイタリア人の女性に性的暴行を加えた。
最近、スプートニックは次のように報じた。
「スウェーデンが、世界で最も安全な国の一つと考えられた時代は過去のものとなった。スウェーデンの日常的な状況は、非常に危険であり、スウェーデンの病院の人間でさえも、命を気遣わなければ危険である」
「(移民の)ギャング達は、銃で割り込んできたり、待合室でナイフを持ち出し喧嘩したり、入り口付近に投げ込まれた犠牲者を撃ったりするなど、すべてマルメ病院の救急部の厳しい現実となっている」
コンテッサは、ここ三年で、スウェーデンの雰囲気が急速に暗くなり、ハンガリーへの移住に駆り立てたと主張した。彼女は、仕事の途中で性的暴行を受け、助けを求めたにも関わらず、彼女の叫び声は無視された。おそらく、関わると自らの身の安全を恐れた有能な傍観者によって。
ハンガリーのメディアによると、インタビューが放映された直後、左翼のメディアによる組織的中傷が始まった。コンテッサは、個人情報がインターネット上に明かされ、彼女の住所、生命を脅され、ソーシャルメディアのアカウントがハッキングされた。
彼女は現在、元特殊部隊の兵士による保護の下で生活している。
国家犯罪防止協議会が収集した最新のデータによると、スウェーデンには61のイスラム教の「行進禁止区域」が存在し、これは1年前の55から増加したことが明らかになった>(以上「ONTiB」より引用)
長々と「世界ニュース情報翻訳局」の記事を引用させて頂いた。そこにスウェーデンの現状が生々しく掲載されていたからだ。
スウェーデンはかつて世界最高の「福祉国家」だった。しかし移民を受け入れだしてから状況がガラリと変わった。単位人口当たり殺人事件は世界で第三位の犯罪大国になってしまった。
スウェーデンは2015年当時で人口は約1,000万人、その内移民・難民は約185.8万人で人口に占めるスウェーデン以外にルーツのある人たちの人口比率は19.6%(2015年の数字だが、調べてみると2018年では24.1%だ)に達している。しかもスウェーデン人の出生率は低く、人口増はすべて移民・難民によるものだ。
上記記事を読んでも日本国民は「移民」に関して平気でいられるだろうか。安倍自公政権が推進している外国人労働者を大量入国させる政策はまつしく「移民政策」に他ならない。
国際的な基準でいえば他国に居住する期間が一年を超えるものは「移民」だ。移民は旅行者と異なり、働いたその国に税を支払う者だから、当然参政権も付与されなければならないし、労働力が過剰になったからといって企業や政府の都合で勝手に帰国させることは問題がある。
国際機関に提訴されれば負ける可能性が高いことを覚悟しておくべきだ。安倍氏は「移民」ではなく「労働者」だといっている。つまり日本国民でもなければ外国人旅行者でもない。派遣労働者の一環で、特殊技能を習得したものには1号や2号の資格を与えて長期在留資格や永住権を与える、などと日本政府のご都合主義丸出しの「政策」を弄している。しかし、そうした日本政府の基準が五年後に適用しようとした際に国際問題化しないという保証は何もない。
移民・難民によるスウェーデンの社会破壊は悲劇的だ。高度福祉社会保障制度を移民・難民が食い潰す勢いだ。すでに社会秩序は完全に破壊されている。
明日の日本をスウェーデンのようにしたくないのなら、安倍自公政権とバカな維新の党がタッグを組んで国会を通そうとしている「入国管理法改正法」を廃案にしなければならない。安倍自公政権はまさしく日本を亡ぼす亡国政権でしかない。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html#c18
ハリウッドでのセクハラ告発など世界的に#MeToo運動が広がるのに対し、フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーヴさんらフランス人女性100人が「ル・モンド」に「口説く自由を」などの公開書簡を発表し異議を唱えた。このフランスとアメリカをはじめとする各国の温度差はなぜ生じたか。
『フランス人の性 なぜ「#MeToo」への反対が起きたのか』(光文社新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%80%A7-%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8C-MeToo%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%89/dp/4334043674
が話題のフランス在住ジャーナリスト、プラド夏樹氏に、フランス人にとっての性愛、#MeTooムーブメントへのフランス国内の反応、子どもへの性教育について話を聞いた。
(RyanKing999/iStock/Getty Images Plus)
――フランスと聞くと映画や小説などで目にするように愛、または性愛などをとても大事にしている国柄という印象があります。実際に、フランスで生活されていて、フランス人にとって性愛とはどんなものなのでしょうか?
プラド夏樹:本の中でも言及しましたが、「人生で一番大切なのは?」という質問に男性の54%、女性の51%が「カップル生活」と答え、仕事より上位に挙げられているほど、セクシャリティは大切にされています。
――日本から渡仏したプラドさんにとってフランス人の性愛に対するそうした態度は衝撃的だったのではないですか?
プラド夏樹:私は80年代末に渡仏したのですが、その頃から、フランスでは、セクシャリティに関するテーマが日常生活の中で堂々と話し合われたり、政治の中で大きく取り扱われることに注目していました。
たとえば、数年に一度の割合で定期的に売春法に関して世論が炎上し、まったく関係なさそうな年配のマダムも「あら、私の身体は私のもの。売ろうと何しようと私が決めること!」と言ってデモに参加していたりする。昨年、#MeToo運動が起きたときは、ル・モンド紙のようなインテリ左派日刊紙の論壇でも、大きくページを割き、「性的自由とは?」などというテーマで、賛否両論ガンガン議論される。つまりセクシャリティは、若者や当事者だけの問題ではなく、すべての国民にとって「自分の問題」として捉えられています。
――なかでもカトリーヌ・ドヌーヴさんらの公開書簡は議論を呼びましたね。
プラド夏樹:最初にお話したようにフランスではセクシャリティが大切にされています。その背景には、中世から広まったキリスト教では、性に対する規制が厳しく、出産を目的としたセックス以外はご法度、つまり、快楽を目的にしたセックスは固く戒められていたという歴史があります。
しかし、18世紀末の大革命以降、「自由」、「個人」というものが庶民の間でもだんだんと意識されるようになりました。そして19世紀から20世紀にかけてさまざまな紆余曲折を経て民主主義が確立していく過程の中で、性的自由は「個人の権利」として考えられるようになりました。つまり性的自由は棚からボタもちで得たのではなく、お上から押し付けられたモラルと戦って国民が奪取したものとして捉えられています。
それゆえに、未だに、フランスではセクシャリティはいわば「貴重なもの」、「ゲットすべきもの」、ビッグデーターに全てが取りこまれる時代における「個人の自由の最後の砦」としての位置を維持し続けている。それだけに、ドヌーヴ宣言のように、上からのモラルが個人のセクシャリティに介入しすぎることに拒否反応を起こしてしまう人たちもいるのだと思います。もちろん、#MeTooは「私の自由」と「他者の自由」の間で起こる摩擦に対して起きた運動で、大切なものだと思います。
――#MeToo運動に対するフランス国内の一般的な反応とはどんなものだったのでしょうか?
『フランス人の性 なぜ「#MeToo」への反対が起きたのか』(プラド夏樹、光文社)
プラド夏樹:もちろん男性たちは居心地悪そうにしていましたよ。でも、フランスでの#MeToo運動への一般的な反応の特徴は、セクハラを告発しても、それが「だから男はもうイヤ」といった男性排除の方向には向かなかったことだと思います。「男女が気持ちよく同じ社会で暮らせるように男性も協力してくださいよ」というニュアンスが一般的だったような感じがします。
たとえば、痴漢が問題になっても、では女性専用車両をということになると、女性の方から「それはイヤだ」ということになる。先日、プランニング・ファミリアル(避妊・中絶の無料相談に乗ったり、性教育の講師を派遣する非営利団体)の会長にインタビューをする機会がありましたが、そういったフェミニズム系の団体の人々でも、「男性たちにちょっとは女性の立場をわかってくれ、配慮が欲しいって言いたかっただけのこと。同じエレベーターに乗ってくるなとか、目を合わせるなとか、話しかけるなとかそこまで言ってるわけじゃない」と言っていました。
もう一つ、フランスに特有だったのは、「職場セクハラやレイプの取り締まりは強化すべき、法制化はしっかりやってもらいたい、でも……」という多様なニュアンスの議論が生まれたことだと思います。
その極端な例の一つが、女性の側から生まれた「プライベートな場でのセックスに関してお上から風紀の取り締まりを受けるのは我慢ならん。YesかNoかは自分で言わせてほしい」というド・ヌーヴ宣言だったと思います。この宣言には確かに挑発的な部分もあり、バッシングも受けましたが、#MeToo全体主義になるのを防いで、多様なニュアンスの議論を可能にしたという点でメリットがあったと思います。
――1990年代にアメリカらフランスへセクシャルハラスメントの概念が輸出されたと聞きます。その際にも、今回の#MeToo運動同様に浸透したわけではなかった。この理由についてはどうお考えですか?
プラド夏樹:アメリカとフランスでは歴史が違いますよね。アメリカは原住民であったインディアンの土地を奪い、大量虐殺して建国された国です。さらに建国以来、絶えず他国へ軍事干渉し、国民間での分断も激しい。こうした暴力の連鎖の中では、女性目線が社会の中に取り入れられることは難しく、女性の立場は辛いものだったのでは? と思うんです。
だからそこには、早くからセクハラを告発すべき必然性があったのではないかと思います。でも、それを土壌が違うフランスに直輸入しても、すぐには根付きませんでした。
もちろん、フランスにも女性蔑視はありました。女性は王権を握る資格がなかったし、選挙権も1945年までありませんでした。ただ、女性がそれほど差別を「許せない!」と思わないですむ文化、「まあいいっか」と腹の虫を収めることのできる文化がありました。たとえば、聖母マリア信仰や、女性が上位である騎士道恋愛、女性に敬意をはらうマナーであるガラントリー(簡単に言えばレディファースト)といったものがあり、社会の中に女性目線がある程度取り入れられていた。あるいは女性は公の政治参加はできなかったけれども、16世紀以来、サロンというプライベートな場では貴族女性が政治に対する意見を言っていた。特に18世紀は女性が強かった時代ですが、その頃の警察の書類の中には、民衆レベルの女性に対する暴力に関する裁判や、子どもの養育費を払わない男性に対する判決が残っていたりと、女性の立場はそれなりにあったわけです。
そうした文化の中で、「差別されている」という感情が、よく言えば幾分、緩和されていた、悪く言えば気づかずにすんだ、それがアメリカ生まれのセクハラ概念の浸透がフランスで遅れた理由だと思います。
――ここまでのお話を聞いていると、フランス独特の性愛に対する考え方があるのがよくわかりました。そうなると、子どもに対する性教育というのも独特なのでしょうか?
プラド夏樹:私は1963年生まれで日本で大学まで行きましたが、セクシャリティに関することは「いけないこと」という雰囲気がまだ濃厚でした。家庭でも学校でも、セクシャリティについておとなに相談できるような雰囲気はありませんでした。
そして、フランスに来て、出産し、子育てが始まりました。まだ、子どもが小学校の頃でしたが、数人の友達が家に来て遊んでいた時のことです。私は他のことをしながら耳を澄ましていたのですが、そのうち、一人が「パパとママンの部屋から明け方、物音がしてくる」と言い出し、すると、他の子どもたちが、目をキラキラさせて、羨望の眼差しで「ええ!!! 本当?」と。そのうち、それぞれが「うちだってたくさんキスしてる!」「いや、うちの方がもっとラブラブだもん!」と自慢し始めてびっくりしました。私にとっては親のセックスなんて「ええ? あの色気ゼロの二人が?」と思うような想像しにくいものでしたが、こちらの子どもたちにとっては「幸せ」の象徴なんだなあと。
また、息子が思春期に入ると、今度は、彼がセクシャリティに対してまったく罪悪感を感じていない、それどころかいかにも「これは僕の権利」というような言動をするので、「あれ?」と思いました。これは日本とは違うなと、少なくとも、私が中高生だった頃の「親にはコソコソ隠れて」とは違うなと。
具体的には、本にも書きましたが、彼が家出をした時に、私にショートメッセージを送ってきて、「コンドームするから心配しないでね」と言ってきた事件があったり、その後は、ごく普通のことのように、彼女を家に泊まりに連れてくるようになりました。彼女と二人で部屋に籠っているので、心配してドアをノックしたら、「ママン、プライバシーは大切にしてね」とやんわり言われたり……。
何しろ私は外国人なので、「これってこの国では普通?」と思いがちな自信のない母親でした。でも、そういうとき、多くの他のママ友たちが相談にのってくれて、彼女たちとの会話の中で、親たちが、子どものセクシャリティを大人になる過程の一つの重要なステップとして、暖かく見守っていることに気づきました。「決して悪いことではなくて、人生の中で大切なことだよ。でもルールはあるからね」というメッセージを、それぞれの親がなんらかの形で子どもに送っていることに。
フランスには授業参観というシステムがないのですが、上記のようなことをきっかけに、私も、性教育に興味を持ち、子ども向けの性教育の図書を探したり、授業例のビデオを探してみました。学校では、生殖の仕組みや避妊、性病予防といったことだけではなくて、愛情表現としてのセクシャリティ、性的同意についても言及していることを知り、これは是非、日本の人々にもお伝えしたいなと思いました。私が若かった時の日本では、商品化された性は街に氾濫している一方、セクシャリティに関する大人からのポジティブなメッセージがないという状態で、性は「怖いもの」「恥ずかしいもの」というイメージに随分、苦しめられました。これからの子どもたちには、そんな思いをして欲しくないなと思います。
こうした子育ての経験が、本書の執筆の直接的な動機となりました。
――そのような性教育の授業は、実際にはどのように行われているのですか?
プラド夏樹:基本的には子どもたちに「なんでも聞きたいこと聞いていいよ」というスタンスで質問させるようです。でも、そうすると、おとなもタジタジのスゴイ質問も出てくるので、性教育の講師は学校教師ではなくて医師や看護師、あるいはプランニング・ファミリアルの職員が担当します。そういう方のほうが、性的な事柄をプロとして話すことができるから、また、成績に関係しないから、子どもたちもリラックスして発言することができます。
質問内容は幼稚園や小学校低学年なら、圧倒的に「赤ちゃんってどうやってできるの?」です。高学年なら「家で自動車工になりたいといったら親に女らしくないからやめなさいと言われたんだけど、女らしさって何ですか?」とか。中学になると、「ポルノ映画で見たんですけど、こんなことしていいんですか?」「セックスするときは20分しなきゃいけないんですか?」という実際の場面に即してどうするか?というような質問。高校生になると、「彼女はイヤって言ったけどそれは本当にはOKという意味なの?」というような性的同意についての質問が多いらしいです。日本でいうところの文科省では年に3回と決めていますが、実際には、各学校の校長の決定に任されていて、その通りにいかない学校もあるそうです。しかし、#MeToo運動以降は、性的同意に関する授業を依頼する学校が急増したそうです。
びっくりしたのは、中学校や高校でコンドームの自動販売機があったり、もし必要な場合にはアフターピルを保健室でもらうことができる。それも、親バレしないように極秘でということです。この辺りは「私の身体は私のもの」という意識は徹底していて、未成年者と言えども自分の身体のことを親に詮索されずにすむというネットワークが出来上がっていることです。中絶手術も、親に知らされることなしに、担任教師や保健室の先生が保証人としてすることもできます。私が学生だった時と比べて、とても羨ましく思いました。
――本書は話題になっていますが、どんな方々に勧めたいですか?
プラド夏樹:やはり性教育の章、日仏の性、セックス事情の比較をした章への反響が大きいようです。
もちろんさまざまな方に読んでほしいですが、特に、お子さんをお持ちの方、教育関係の方々、#MeTooのもう一つの在り方に興味がある方たちに読んでいただけたら嬉しいです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/766.html#c34
昨日 15:30 『かぐらスキー場 OPEN延期のお知らせ』
2018-2019スキーシーズンを11月23日(金・祝)に予定しておりましたが、自然降雪ならびに人工降雪機での雪の確保が難しく、23日(金・祝)の営業を止むなく延期とさせていただきます。
ご来場を予定されていた皆さまには、大変ご迷惑をお掛けいたしますが、あらかじめご了承くださいませ。
なお、雪の確保が出来次第営業を開始いたしますのでどうぞご利用くださいませ。
★営業開始する際は、当ホームページでお知らせいたします。
https://www.facebook.com/pg/snowkagura/posts/
32分前 『2018-2019スキーシーズンOPEN決定!!』
こんにちは😍
かぐらスキー場、明日24日(土)から営業を開始いたします!
かぐらメインゲレンデ全長1,300m・コース巾50〜70m・積雪50〜70p
かぐら第1高速リフト&かぐら第1ロマンスリフトの営業となります。
大変お待たせいたしました😄
どうぞご利用くださいませ🙇♂️
https://www.facebook.com/pg/snowkagura/posts/
昨日 15:30 『かぐらスキー場 OPEN延期のお知らせ』
2018-2019スキーシーズンを11月23日(金・祝)に予定しておりましたが、自然降雪ならびに人工降雪機での雪の確保が難しく、23日(金・祝)の営業を止むなく延期とさせていただきます。
ご来場を予定されていた皆さまには、大変ご迷惑をお掛けいたしますが、あらかじめご了承くださいませ。
なお、雪の確保が出来次第営業を開始いたしますのでどうぞご利用くださいませ。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c139
★2018-2019スキーシーズンを11月24日(土)から開始いたします。
みつまたロープウェー営業開始は7:30〜
・滑走ゲレンデは、かぐらメインゲレンデ
・滑走距離は、約1,300メートル、
積雪:50〜70cm・コース幅:50〜70m
営業リフトは、かぐら第1高速リフト・かぐら第1ロマンスリフト
なお、みつまた第1高速リフト・みつまた 第2ロマンスリフト・かぐらゴンドラは、かぐらメインゲレンデへの連絡用となりますので、滑走は、かぐら メインゲレンデのみとなります。
ゴンドララインについては、雪不足のため、スノーマットが出ているため、滑走には、十分ご注意くださいませ。
春スキーと同様にお荷物のキャリーサービスも行いますのでスノーマットの滑走が苦手な方は、ご利用ください。
かぐらメインゲレンデは、中・上級者用となりますので、初心者・初級者の方はご遠慮ください。
営業レストランは、レストランかぐら・和田小屋となります。
道路には一部積雪および凍結箇所がございますので、お車でお越しのお客さまは、冬用タイヤまたは、チェーンをご用意ください。
http://www2.princehotels.co.jp/ski/kagura/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c140
★2018-2019スキーシーズンを11月24日(土)から開始いたします。
みつまたロープウェー営業開始は7:30〜
・滑走ゲレンデは、かぐらメインゲレンデ
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営業リフトは、かぐら第1高速リフト・かぐら第1ロマンスリフト
なお、みつまた第1高速リフト・みつまた 第2ロマンスリフト・かぐらゴンドラは、かぐらメインゲレンデへの連絡用となりますので、滑走は、かぐら メインゲレンデのみとなります。
ゴンドララインについては、雪不足のため、スノーマットが出ているため、滑走には、十分ご注意くださいませ。
春スキーと同様にお荷物のキャリーサービスも行いますのでスノーマットの滑走が苦手な方は、ご利用ください。
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営業レストランは、レストランかぐら・和田小屋となります。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c96
ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html
日産の西川広人社長(2018年11月19日撮影)
米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は22日、日産自動車の筆頭株主であるルノーが日産の取締役会にカルロス・ゴーン容疑者に代わる会長を指名する意向を伝えたものの、日産が拒否したと報じた。日産はルノーが指名する資格はないとした。
日産の西川広人社長はルノーとの提携関係を継続する考えを示しているが、日産の社内では経営に対するルノーの影響力が強すぎるとの意見もある。ルノーによる日産の経営への関与を巡り、両社の綱引きが激しくなりそうだ。
同紙は、ルノーが日産にゴーン容疑者の不正に関する詳細な情報提供を要請したが、日産が「東京地検の捜査を妨害していると受け止められる恐れがある」として拒否したとも報じた。日産の取締役会はルノーに書簡で回答したという。
ロイター通信によると、ルノーはゴーン容疑者の代表取締役会長職の解任を見送ることを求めていたが、日産は22日の取締役会でゴーン容疑者を解任した。取締役からも外すために早期に臨時株主総会を開催する見通しだ。(共同)
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c6
【東京発信・Cool Eyes】第21回 歴史学者・宮脇淳子 台湾を語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J-MM1p7gPXw
鄭成功氏前の台湾・台湾出兵・旧慣調査と台湾私法等
(2018年7月収録)
台湾を乗っ取った中国人の悪質な嘘
ほとんどの日本人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、日本人がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、これは間違いなのである。
台湾人は漢民族ではない―知っておきたい隣国の真実
2009/02/01/Sun
■最新の研究結果―南島語族の起源は台湾
台湾では人口の八四%が所謂「本省人」で、一四%が戦後中国から渡って来た「外省人」、そして二%が原住民とされるが、これまで本省人は清国統治時代(一六八三〜一八九五)に移民してきた漢民族の子孫で、原住民はそれ以前に東南アジアから渡って来たマレー・ポリネシア民族(オーストロネシア語族=南島語族)と説明するのが常識だった。
そうした中、「マレー・ポリネシア人の起源は台湾だ」との研究結果が、一月下旬の米誌「サイエンス」で発表された。
これはニュージーランドのオークランド大学の地域言語学研究によるもの。東南アジア、太平洋地域での四百種以上の言語をコンピューターで分析し、簡単な動詞、動物、色、数字などの基本的な語彙の比較から、同語族の移動ルートを割り出したのだ。
その結果「南方民族は五千二百年前に台湾を出発し、東南アジアで約一千年滞留。その後の一千年以内の時間内でフィージー、サモア、トンガに至り、そこで約一千年留まった後、さらにポリネシアへ進出。最後はニュージーランド、ハワイ、そしてイースター島へと拡散して行った」と言う。ちなみにニュージーランドでは、マオリ族が定住したのは今から七、八百年前とのことだ。
研究グループによると「丸木舟を用いる優れた航行技術があったため、速いスピードで太平洋諸島に拡散できた。偉大な人類の移動の旅だった」とのこと。まさに壮大なロマンを書き立てる話である。
ちなみに最近のDNA研究からも、台湾を南方語族の起源とする結果が出ており、台湾の原住民にとっては誇りともなろうが、ここで台湾人全体が考えなくてはならないことがある。
■台湾人は漢民族移民の子孫ではなかった
沈建徳氏はこれまで、統計学の観点から、台湾の人口の歴史的変遷を克明に調査し、台湾の「本省人」が清国統治時代に同化(漢民族化)させられた原住民の子孫であり、移民の子孫とするのは古文献上の記録の政治的捏造であることを突き止めた人物。その研究成果の正しさは、医学界での住民のDNA調査でも裏付けられているのである。
だがこの事実を台湾人がなかなか受け入れようとしないのは、国民党の中国人化教育の影響、そして原住民を蔑視する伝統意識(これも漢化の影響)などと言った理由考えられるようだ。
そのため血統上は異なっても、漢民族意識があるかぎり、台湾人は漢民族のままである。しかし台湾人は中国の漢民族との比較を通じ、自分たちが異質の存在であることを知り、台湾人意識(台湾人としての誇りの意識)を高めているはずである。日本人から見ても台湾人は、漢民族よりも正直でやさしく、開放的な性格を持っており、民族的なDNAの違いが感じられる。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-644.html
一六二四年、オランダ人が台湾を統治することになる。それが台湾人が体験した初めての国家としての権力であった。
著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は五〇万人だったという。今から一〇年ほど前までは、台湾では原住民のことを「山胞」、つまり山に住んでいる民族と呼んでいた。しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野である。住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり住んでいるなどというおかしなことはない。実は、当時の台湾人のうち二〇万人は山に、三〇万人は平野に住んでいたのである。
余談だが、当時の台湾でいちばんの資源は鹿だった。台湾産の鹿の皮がとても綺麗だったので、日本の武士は好んで兜の飾りにしていたという。
●台湾に来たがらなかった中国人
オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。その数は七〇〇〇人から八〇〇〇人で、五〇万人のなかの八〇〇〇人だ。人口の一・六パーセントにすぎない。
鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年であるから、オランダの統治は三八年間つづいたことになる。今、台湾人が中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、鄭成功が多くの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。しかし、一六六一年の台湾の人口は六二万人であり、中国からやってきたB成功一族と彼の軍隊はそのなかのたった三万人なのである。
その一族が台湾を統治したのは二二年間で、清朝によって滅ぼされた。当時の台湾の人口は七二万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千人だ。なぜ中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だったからだ。瘴癘とは風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日咳など、ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。「台湾に一〇人行けば七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせいぜい二人」という中国のことわざが残っているほどだ。
実際、清朝は二〇〇年間にわたって台湾を統治するが、その間、統治者は三年交替だった。三年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、一〇人を超えていない。もちろん統治者としてやって来るわけであるから、いちばんよい食事、いちばんよい環境、いちばんよい住まい、つまりいちばんよい衛生状況を保てたはずだったが、その彼らがほとんど台湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。
そして、一八九五(明治二八)年に日本が台湾を領土としたときの人口は二五〇万人だったが、そのとき、清朝出身者のほとんどは中国に引き揚げている。だから、このように歴史をたどってみれば、われわれ台湾人が漢民族であるという認識はいかに間違っているかがよくわかるのである。
●税金のために漢民族になろうとした原住民
清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。漢人、つまり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。この戸籍制度は、日本の統治時代まで使われている。
熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない原住民を指す。山に住んでいる原住民は首を狩る。そのことを「出草」という。自分が一人前の男であることの証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。私のなかでときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかもしれない。
生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前は林にしましょう。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。苗字のない原住民は競って苗字のある漢民族になろうとしたのである。生蕃もできるだけ熟蕃になろうとした。だから、台湾人が漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。要は名前を漢人風にしただけのことであり、表面だけを見て漢人と言っていたのである。
●血液学からも台湾人は漢人でない
台湾の人口は、一六二四年の五〇万人から一九四五年にはざっと六〇〇万人になった。環境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。清朝統治の二〇〇年間には、台湾に渡るなという禁止令があった。それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になっていたので、人が増えることは好ましくなかったからで、できるだけ台湾に渡らせないようにしようというのが清の姿勢だった。
日本が統治した当時の人口は二五〇万人で、もちろん日本統治の五〇年間に中国から台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、五〇年間で六〇〇万人になったのである。ただ一九四五年以降、台湾から引き揚げた日本人は約四〇万人いたから、総数としては六四〇万人ということになる。そのなかにもし中国人がいたとしても、ごくわずかなのだ。
血液学的調査でも、台湾人が漢人でないことは証明されている。台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明しているのだ。
台湾人は漢民族ではなかったのだ。
http://kb-news.at.webry.info/200904/article_15.html
昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。
君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に天使の面を被った悪魔でした。国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に追い込まれてしまいました。
外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていません。学生、若者、医者、学識ある者、特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795276897/aoiumi-22/ref=nosim/
一九四七年二月二七日、台北市で闇タバコを販売していた女性を、支那人である国民党政府の官憲が摘発した。この女性が土下座して許しをえようとしたにもかかわらず、支那人官憲は銃剣の柄で殴打しただけけでなく、商品、所持金を没収した。この時、タバコ売りの女性に同情して、集まった台湾人民衆に向かってこの支那人官憲が発砲したさいに、無関係な台湾人を射殺し逃亡。
この事件によって台湾人の人々が、二八日に市庁舎に押しかけたが、そのデモ隊に向かって支那人憲兵隊は市庁舎の屋上から機関銃にて、無差別に発砲し、多くの台湾人が殺害される。
その後、蒋介石の命令により支那本土から派遣された支那兵による第二一師団と憲兵隊が、台湾一般市民に対しての無差別的な発砲や、裁判官・医師・役人など日本統治下で高等教育を受けたエリート層が目標とされ投獄・拷問などにより虐殺される。
基隆では針金を台湾人の手に刺し込んで縛って束ね、チマキと称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込むという醜い虐殺もおこなわれた。この手に針金を通すというやり方は、支那人そして、それに事大して生きてきた朝鮮人など特有の残虐さを感じる。
この支那人による台湾人への虐殺事件によって、約二八〇〇〇人が殺害・処刑されました。
一九八七年まで継続していたこの時に発令された戒厳令下、支那人による白色テロと呼ばれる恐怖政治が永らく続く。そんな台湾において、「民主化」が実現するのは、当時の李登輝総統が一九九二年に刑法を改正し、言論の自由が認められるまで待たなければならなかった。
http://www.tamanegiya.com/syoukaiseki20.2.28.html
台湾人の無差別な殺戮は高雄・基隆から始まり、約2週間で全島を鎮圧した。殺戮には機関銃が使用されたが、手のひらに針金を刺し、数人1組に繋いだり、麻袋に詰めて海や河に投げ捨てたり、また、処刑前に市中引き回しを行い、処刑後は数日間放置されたり、と今世紀に生きる近代文明の人間がなしえる業とは思えぬ野蛮きわまりない手口だった。
3月14日、警備総司令部により「粛奸工作」が開始される。「粛奸工作」の対象は、事件に直接関与していない者も多く含まれ、社会的指導者はもとより、危険人物と見られた民意代表、教授、弁護士、医者、作家、教師など、多くの知識人が逮捕された。意図的に日本教育を受けた知識人を根こそぎ粛清するかのようである。このため、台湾の知識人の存在は一時期の間空白となってしまう。
「二・二八事件」の関係者の逮捕は1949年になって緩和されるが、「要注意人物」の逮捕はまだ暫く続くのであった。国民党の発表によると、事件後1ヶ月に殺された台湾人は28,000に上る。これは50年の日本統治において日本軍によって殺戮された台湾人の数に匹敵する。また、有罪判決を受けて有期・無期の投獄に処せられた人数は計り知れないという。
国民党の台湾における「二・二八事件」に対する過剰な殺戮と鎮圧は国際社会の痛烈な批判を浴びた。国共内戦で劣勢にあり米国の援助が必要だった国民党は、米国の駐中国大使の抗議を受けると、蒋介石は米国の意向を無視できず、4月22日、陳儀を免職、5月1日に南京に召還した。余談になるが、陳儀は1950年に、中国共産党と通じたして反逆罪で逮捕、やがて処刑された。
日本統治下では「法の支配」、「法治国家」の精神を植え付けられ、国民党にもそれを期待していた。日本統治下では、いくら政府を批判しても、悪法とは言えども、治安警察法などの法によって裁判と処罰を受けていた。しかし、国民党は抵抗するものを手当たり次第に「鉄砲」で裁く事しかしなかったのだ。
http://tokyo.cool.ne.jp/masakim/Taiwan/History/history9.html
なぜ台湾人は台湾語を話していませんか?
作者:TAN Uichi(タン・ウイチー)(2008年の秋に来日)
台湾の歴史をあまり知らない人にとって、ちょっと理解できない
でしょう。韓国人は韓国語で話しているのではないでしょうか。
どうして台湾人は台湾語で話していませんか。あるいは話せませ
んか。
実は僕は、日本に来て、一番うれしいのは、自由に台湾語で話せ
ることです。
ちょっと変でしょう?台湾で台湾語を話してはいけませんか。自
分の国で自分の言葉を話したら、どうにかなるのでしょうか。
台湾では、1945年以前、中国語が話せる人はほとんどいませ
んでした。しかし、その4年後、中国の内戦で負けた中国国民党
が台湾に逃げてきました。
中国の統治者からみると、台湾人は日本人の奴隷になってしまい
ました。そのため、愛国教育、反日教育、中国語教育が入りまし
た。学校で、中国語しか使えません。台湾語を話したら、罰金を
払わなければなりませんでした。
また、このような、「犬カード」と言われるものを、首に掛けさ
られました。「方言を使いません。国語で話します」と書いてあ
りました。
そのせいで、大勢の台湾人はアイデンティティーが変わりました。
自分自身が中国人だと考える人が多くなり、台湾語で喋っている
人は、なにか、変な人、低いレベルの人、格好悪い、と見られま
した。
僕は高校時代までその差別について、あまり知りませんでした。
しかし、大学時代のある日、クラスメートとバスケットボールを
していた時に、つい台湾語が出ました。そのとき、「お前、人間
の言葉を話せ!」と叱られました。
みなさん聞こえますか。「人間の言葉を話せ!」と叱られました。
前、本で読んだ「台湾人の悲哀」は、これなのかと気がつきまし
た。僕は本当に悔しくて、恨めしかったです。
それから他の人を啓蒙しようと、いろいろな活動をしましたが、
やはり、一般の人を無関心にさせるのが最高の統治方法です。
「自分のことしか興味がない。自分が将来出世できるかどうかが
心配だ。そんな暇はない」という言葉がよく聞こえてきました。
1980年代後半から、中国国民党は革命を避けるために自由化
の政策を採り、政党や言論の自由などの禁止をやめました。確か
に、人々のアイデンティティーが変わってきました。がしかし、
中身はあまりかわっていません。学校の教育は中国を中心にして
続いています。
また、台湾語の罰金は、もう必要なくなりました。なぜなら、み
んなが中国語の正統性を信じるようになって、台湾語を話さなく
なってきたからです。つまり、多くの人々は独裁者が作成した価
値観でそのまま生きています。
選挙があっても、民主的のようになっても、台湾語で話す人は、
前と同じように差別されました。それでも台湾人の国でしょうか。
最近、『海角七号(ハイチャオチーハウ、かいかくななばん、ハ
イカクチッホー)』という映画のおかげで、その影響があって、
台湾語を学ぶ日本人の若者が増えているといいます。本当です。
私も知っています。
台湾人が変わらなければ、いつか台湾語がなくなってしまうかも
しれません。将来は日本語のために日本に来るのではなく、台湾
語のために来るかもしれません。
残念ながら、外国の日本に来て、台湾人と台湾語で話すようにな
りました。これから、尊厳をもって、自信をもって、台湾で台湾
語を話すようになって欲しいです。少なくとも今の自分がどうし
てそうなったのかちゃんと分かってほしいです。
平成21年7月31日
JET日本語学校日本語スピーチコンテスト最優秀賞受賞作品
http://blog.livedoor.jp/hjm2/archives/51373250.html
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コメント
01. 2010年2月24日 03:41:34
遺伝学と統計学を全然知らない記者が書いた記事をばかが良い振りして転載。
JETのバアさんって金美怜だろ。
02. 中川隆 2012年10月13日 15:35:53 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM
ポリネシア人のルーツと移民の流れ
トール・ヘイエルダールが唱えた南米からの植民説、ベン・フィニーらが唱えたアジアからの植民説があるが、1975年にハワイで建造された双胴の航海カヌー、ホクレアによる数々の実験航海や、言語学的・人類学的な各種の検証により、現在では東南アジア説が定説となっている。
アボリジニーの祖先となったオーストラロイド系の民族は中国大陸から約5万年前にスンダランドに移住。一部は後に現在のオーストラリアへ渡る(その逆で、彼等がアフリカ、南アジアからスンダランド経由で北東アジアに移住していったという見解もある。)のだが、ポリネシア人の祖先とされるラピタ人の移住はもう少し後の時代である。
ラピタ人はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始した。この時に別のグループは黒潮や対馬海流に乗って日本列島にも渡っており、縄文人の骨格との類似性から、縄文人と現在のポリネシア人を形成した人種は共通するとされている。ちなみに日本語は文法がアルタイ諸語のものであるが、音韻体系はポリネシア語の属するオーストロネシア語族と共通している部分がある。
一方、南下したグループはフィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達した。ラピタ人はここで進路を東に変え、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に 到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。サモアに到達した時点 でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、その間に現在のポリネシアの文化が成立していったと考えられている。
再び東への移住を開始するのは紀元1世紀頃からで、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。
生活
元来のポリネシア人の生活は極めてシンプルで石器や貝殻を用いた漁撈を主としていた。カヌー製作や航海技術に卓越した知識を保有し、天体や波のうねりなどから各島の位置を察知し、頻繁な海上交流を行っていた。漁法は環礁での単純捕獲のほか、投槍、漁網、釣り針、毒など多彩な手段を用いていたことが判明している[3]。通常の魚だけでなくカニ、エビ、ナマコなど様々な魚介類を捕食しており、特に外洋での危険を伴うサメやクジラの捕獲は胃袋を満たすだけでなく個人の名声を高める手段のひとつでもあった。
食材を葉にくるんで蒸焼きにするウム料理が一般的で、魚介類のほかにはタロイモ、ヤムイモ、バナナ、ココヤシ、パンノキ、サツマイモなどの農作物が採られた。一部儀礼の際には犬肉や豚肉も食される[1]。飲料はメラネシア人などと同じくコショウ科植物の根を原料としたカヴァが飲まれていたが、アルコール性飲料は一般的では無かった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA
03. 中川隆 2012年10月13日 15:41:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM
沖縄県先島諸島の住民、遺伝的に本島と最も近いことが判明 台湾先住民や東南アジア系とは近縁性なし 2009/10/23(金)
先島住民 遺伝的に本島と近く 琉大と東大大学院研究 台湾先住民と近縁性なし
先島諸島(宮古島、石垣島)の住民は沖縄本島住民と遺伝的に近く、いわゆる「琉球クラスター(集団)」の一つであることが22日までに、琉球大学医学部と東京大学大学院の共同研究で分かった。
考古学的には沖縄本島と先島諸島は約1000年前まで文化的交流は少なく、先島諸島は台湾先住民を含む東南アジアの海洋民との共通点が多いとされてきた。
しかし、今回の研究で現在の先島住民は遺伝的には沖縄本島に最も近く、台湾先住民との近縁性はないことが明らかになった。(黒島美奈子)
研究は琉大医学部形態機能医科学講座解剖学第一分野研究室と、東大大学院新領域創成科学研究科が共同で実施。
2007年に3代続けて住む石垣島の高校生63人、宮古島の高校生66人、沖縄本島の専門学校生95人の歯形、血液、唾液(だえき)を採取し分析した。
結果、母方の遺伝を示すミトコンドリアDNA配列は沖縄本島、宮古島、石垣島が琉球クラスターに属し、台湾先住民とは離れた系統に位置した。
同じく父方の遺伝を示すY染色体データに基づく系統樹でも3島の集団は、台湾先住民とは離れた。
歯形の分布では沖縄本島の今帰仁、嘉手納の住民と、宮古島、石垣島の住民は、
歯の幅が狭い上に唇と舌の間の歯ぐきが太く、日本や東アジアなど、ほかのどの地域とも異なる位置に存在することも分かった。
琉球大学医学部の石田肇教授は
「活発な文化的・遺伝的交流があったとされる琉球王朝時代に、琉球クラスターができあがったのではないか」
と推測する。
日本人の起源に関する研究でアイヌ民族と琉球人はともに東南アジア起源の縄文時代人の直接の子孫であるとされてきたが、石田教授は
「琉球クラスターは昔からある縄文集団に、ある時点でほかからの移入があり、個性的な要素を持った可能性がある」
と分析した。
ソース 沖縄タイムス 10/23
http://logsoku.com/thread/yutori7.2ch.net/news4plus/1256302453/
アイヌ人・琉球人・本土日本人はGm遺伝子ではどういう違いが認められるのだろうか。
このグラフはもちろん現代の人々のデータである。従って松本によれば、例えばアイヌの人々のデータは、遺伝学的に60〜70%の純粋さしかないという。しかしそれでも、本土日本人との同化が進んだ現代において、奇跡的なデータといわねばならない。
また宮古島の人々は一般の沖縄の人との間に言葉が通じない、あるいは民俗的にも違いが見られる人々であるという。上図のデータはそういう風に出来るだけ本来の姿に近づける努力をした結果の数値であると、松本は言う。
まずアイヌ人と琉球諸島人とくに宮古人とは、非常に高い青のag遺伝子と、極端に低い赤のafb1b3遺伝子をもつという明らかな等質性が認められる。アイヌ人と琉球人が二重構造モデルにもあるように、縄文人の直接の子孫の可能性がGm遺伝子からも窺える。しかもそのGm遺伝子の頻度は、きわめて北方的であり、南方系の可能性はほとんどない。
しかし奄美から与那国までの集団は、afb1b3遺伝子の頻度が非常に低い、極めて北方的な遺伝子セットになっている。アイヌ系と言ってもいいのかもしれない。
そしてひとたび台湾に入ると、afb1b3が76%という高頻度の南方的なGm遺伝子のセットになる。ab3stという北方蒙古系の標識遺伝子も台湾ではほとんど認められない。
すなわちGm遺伝子で見ると、日本の南西諸島と台湾とでは断崖絶壁というような集団間の違いがある。もし海上の道を南方の集団が島伝いに北上したとするなら、そういう絶壁のような遺伝子の断絶は見られず、なだらかに南方要素が大から小へ、北方要素が小から大へ推移するはずである。
したがって、 松本秀雄は言っている。
−−「現在の日本民族の基層となっている原日本民族が南方から琉球諸島、奄美大島を島づたいに遡上し、原日本民族を形成した」ということは、Gm遺伝子の分布に基づいた人類遺伝学的検証の結果では、全く考え難いことである。もし、南方から遡上したとするならば、南方型蒙古系の標識遺伝子・赤のafb1b3は与那國のみならず、琉球、奄美大島においても、もっと高い値を示すはずである。(p.109)
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_08.html
縄文人、アイヌ人、琉球人と日本人は遺伝子は非常に近い。
台湾原住民と台湾内省人の遺伝子は非常に近い。
しかし、(縄文人・アイヌ人・琉球人・日本人) と (台湾原住民・台湾内省人) は完全に別グループ
台湾原住民と台湾内省人の遺伝子は非常に近い:
Gm遺伝子の頻度
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html
04. 2012年11月11日 21:33:00 : HNPlrBDYLM
中国最大のタブー、台湾問題
ここしばらくの間、仕事に追われ、日記を書かない間に、あっという間に3ヶ月近くが過ぎてしまいました。読者の方からも催促のメールをいただきました。申し訳ありませんでした。今後も仕事の関係で、間が空くことが多々あると思いますが、この日記はどのような形であっても書き続けていくつもりですので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は長いあいだ取り上げたいと思いながら、なかなか書けなかった問題、台湾問題について書きたいと思います。
8月の末、エミリー・ラウという香港立法会の女性議員が台湾で「台湾人の前途は台湾人が自ら決めるべきである」と発言しました。中国の一部のメディアはこの問題を大きく取り上げ、ラウ氏が「台湾独立を吹聴した」と断定し、激しく攻撃しました。そして、ついには「中国の領土の統一を維持する」という内容を含んだ基本法を擁護するという宣誓に反した(香港の立法会の議員は就任の際、基本法を守る趣旨の宣誓をする)として、「虚偽の宣誓をした罪」で警察が調査する騒ぎに発展しました。
いろいろなメディアでラウ氏の発言を見ましたが、「台湾独立を支持する」と発言しているものは一つもありませんでした。ただ、「台湾人が自らの将来を決めるべき」と言っているだけです。しかも、ラウ氏は大陸に比べたら相対的には自由な発言が可能な香港の議員です。にもかかわらず、「台湾独立派」と決め付けられ、メディアの集中砲火を浴び、ついには警察沙汰にまでなってしまったのを見たとき、正直なところ、恐ろしいなあ、と思ったものです。
もし、中国人との共通認識を得るのが最も難しい問題を一つ挙げろと言われたら、私は台湾問題を挙げます。私はこれまで多くの中国人と台湾問題について討論しましたが、この問題ほど、日本人と中国人の観念の違いというものを強く感じさせる問題はありません。
「台湾は大陸と統一するべきか、それとも独立するべきか」。「台湾問題」と呼ばれる問題の核心を一言で言えば、こういうことになるでしょう。中国ではほとんど99.9%の人が「台湾は大陸と統一すべき」と考えているように思います。共産党の一党独裁を批判したり、江沢民や胡錦涛を批判することはメディア上ではほぼ不可能ですが、日常生活の中ではごく普通に行われています。しかし、「台湾統一」に異を唱えることは民間でもかなり困難といっていいでしょう。これに反対することは中国ではほとんどタブーと言ってもいいと思います。
この問題について、日本人である私が「統一すべき」または「独立すべき」などという権利はないでしょう。しかし、私が少なくとも思うのは、ラウ氏と同様、「台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだ」ということです。つまり、多数の人が統一したいと思うなら統一する、独立したいと思うなら独立する、ということです。「民主主義」という考えに慣れ親しんだ日本人にとって、この考えはごく普通のものだと思います。
ところが、中国でこのようなことを口にしたら、どこに行っても賛同を得られないだけでなく、激しい批判の対象になります。
かつて、こんなことがありました。私が武漢に留学した最初の年、留学生を対象にした「中国文化」という授業に参加していました。授業の始まる前、台湾の話になり、私は先のような考えを先生に言いました。すると、先生は急に興奮しはじめました。
「君、それは間違っている。台湾は中国のものだ。なぜ、そう言えるのか、これから説明しよう」
そう言うと、中国文化の講義はそっちのけで、台湾問題についての「講義」を始めました。普通、授業は約2時間で、間に10分休憩が入るのですが、先生は、休憩を取る様子も全くなく、まるまる2時間熱弁を振るい続け、とうとう台湾問題だけで、授業が終わってしまいました。この時は、中国人の台湾問題に対する執着ぶりに本当に驚いたものです。
しかし、先生の言う「台湾は中国の一部だ」という論理は「もし台湾が独立したら、アメリカの台湾に対する影響力が増し、中国にとって脅威になる」「中国はこんなに台湾に譲歩している」といった、「大陸側からの論理」を並べるばかりで、当の台湾の人たちがどう考えているか、という論理は全く見られませんでした。また、「日本だって北方領土は自国の領土だと言って譲らないだろう。それと同じことだ」と言いました。私は、北方領土の問題は2国間のどちらに属するかという問題であり、独立か統一かという問題とは性質が違うと言った上で、沖縄のことを取り上げました。
「沖縄でも独立を主張する人がいますが、もし沖縄の半数以上の人が独立に賛成するなら、当然、独立を認めるべきだと思います」
私がこう言った時の先生の驚愕とも困惑ともつかぬ表情を忘れられません。先生には私のこのような観念が全く理解できなかったのです。もちろん、日本人でも沖縄の過半数の人が賛成しようが、独立には反対だという人もたくさんいるでしょうし、日本政府も簡単に独立を認めるとは思えません。しかし、少なくとも中国人のような「統一」への極度な執着は日本人にはないと思います。
また、こんなこともありました。近くの大学で、毎週「漢語角」というのを開いていました。これは、「イングリッシュ・コーナー」の中国語版で、中国人学生と留学生が中国語で交流する場でした。私も一度それに参加したことがあります。その時は、留学生の参加が少なかったらしく、私が日本人だと知るや、多くの中国人学生たちが何重にも私を取り囲み、次々と質問を浴びせ始めました。そんな中で、ふと台湾のことも話題に上りました。ある女子学生が言いました。
「台湾の人たちのほとんどは統一を望んでいるのに、李登輝らの一部の人間が妨害しているのよ」
私は、これは明らかに現状と違うことを言っていると思ったので、それに反論しました。すると、彼女はやや語気を強めて、反論してきました。同時に、私を取り囲んでいた中国人学生たちの雰囲気が急に殺気立ってきたのを感じました。私は身の危険を感じ、慌てて彼女の主張を受け入れるようなことを適当に言い、話題を変えました。
中国人たちが台湾を中国の一部分と主張するのには、いろいろな理由があります。明の時代から中国の領土だった、日本がポツダム宣言を受託した時に、台湾の中国への返還を約束している、国際社会のほとんどの国が、台湾を中国の一部分と認めている、といったものです。
こうした国際法や歴史的経緯からすると、確かに台湾は中国の一部だと言えるのかもしれません。しかし、私が中国人たちの意見に違和感を感じるのは、彼らの多くに、台湾の人たちは一体なにを望んでいるのか、もし統一を望まない人がいるなら、それはなぜなのか、ということを真剣に考えている人があまりいないということです。その前に、中国人の多くは、台湾の歴史や現状をほとんど知らない、あるいは知らされていないという現状があります。
中国人のほとんどは、「本省人」「外省人」という言葉すら知りません。本省人というのは、明の時代に台湾に渡り、ずっと台湾に住みついている人たち、外省人というのは、共産党との戦いに敗れた国民党とともに1949年に台湾に渡った人たちです(このほかに、もっと以前から台湾に住んでいる少数民族もいます)。国民党の統治が始まってからは、本省人は様々な面で差別されつづけ、それに対する反抗は、徹底的に弾圧されました。
1947年の2.28事件では2万人前後の犠牲者が出たと推計されています(92年の台湾政府の調査による)。このような、本省人と外省人の対立、いわゆる「省籍矛盾」は今でも存在しています。統一派には外省人が多く、独立派には本省人が多いのは、このためです。人口の比率では、本省人の方が圧倒的に多いため、世論調査をして、統一を望むという人の比率は、低くなっています(2002年11月の行政院研究発展考核委員会の世論調査によると、台湾独立 32.3%、両岸統一 21.8% 、現状維持 19.7%となっています )。したがって、もし台湾をどうしても統一したいというなら、まず台湾のこうした現状をつかみ、どうしたら台湾の人たちが統一を望むようになるのか、ということを考えなければならないはずです。
しかし、残念ながら、大陸の人たちの中にはこのような思考方法はほとんど見られません。あるのは、まず、先にも述べたような「台湾の大多数の人たちは統一を望んでいるのに、一部の人たちが妨害している」という根拠のない思い込みです。
「アメリカや日本が軍事上、台湾の独立を望んで策動しているために、台湾が統一されない」と外部に原因を求める人もいます。アメリカや日本にこのような考えを持っている人がいないとは言えないにしても、少なくとも政府レベルにおいてはアメリカも日本も「一つの中国」の原則を認めているわけで、このような「外因論」は全く成り立たないのですが、こうした根拠のない論理が多くの人たちに信じられています。
統計的に見て、統一を望んでいる人が多数派ではないのを知っている人たちもいます。しかし、その人たちも「これは台湾のメディアが民衆を『誤導』(誤った道に導くこと)しているのだ」と言います。民主化された台湾のメディアは少なくとも大陸よりは自由であること、また、あえて言うなら、台湾のメディアにおいては国民党系の力のほうが強いことなどを考えれば、このような主張も全く的外れですが、現実にはこのような論理がまかり通っています。
そして、もう一つあるのは次のような考え方です。
「台湾は中国の一部だ。したがって、台湾の統一・独立については台湾の人たちの投票によってではなく、全中国人の投票によって決められるべきだ」
これは、台湾で統一を支持するひつが少ない現実に対応した新たな論理と言えるでしょう。しかし、これは「一つの中国」をすでに前提にした論理で、台湾の人たちからして見れば、すでに独自の政府も持っている一つの「国」の運命を、全く別の政治体制を持っている「国」の人たちによって決められるべきだなどという主張が受け入れ難いでしょう。
いずれにしても、ほとんどの中国人は台湾が統一されない理由を一部の「台湾独立派」、アメリカや日本などの外国の「策動」に求め、決して大陸自らに原因を求めようとしません。また、台湾を大陸と対等な対象と見ず、まるで子供か何かのように見る考え方があるように思います。このような考え方がある限り、台湾の人たちが進んで統一に向かうことはないのではないでしょうか。
さて、それでは中国には台湾問題に対する異論は存在しないのでしょうか?私が最初に「台湾独立容認論」に触れたのは、ある理系の大学の先生に会った時でした。その先生は言いました。
「台湾もチベットも独立したければすればいいんですよ。独立した結果、統一したほうが有利だとわかれば、こちらが何も言わなくても向こうから頭を下げてきますよ。唐の時代もそうだったでしょう。こんなことを私が言ったと決してほかの人に言ってはいけませんよ。大変なことになりますから」
この先生の考え方は、本当の意味での台湾独立支持ではなく、やはり戦略的な統一論と言えます。
台湾問題について、以前この日記でも書いたA先生に訊いたことがあります。A先生ならきっと、他の中国人とは違う考えが聞けると思ったのです。
「先生、私は台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだと思うのですが、先生はどう思いますか?」
私がこう訊くと、A先生の顔が苦渋に満ちた表情に変わりました。そして、言いました。
「その問題に答えることはとても難しい」
「先生、もし答えにくかったら無理に答えなくてもいいですよ。すみません、こんな問題を訊いてしまって」
「いや、いいんだよ。ただ、一つだけ言えば、解放当時の中国ではレーニンの唱えた『民族自決権』ということが盛んに強調されたが、その後の中国では『民族自決権』ということがほとんど言われなくなった」
これがA先生のギリギリの回答でした。私はこれを聞いて、A先生が圧倒的大多数の中国人とは違う考え方を持っていることが知りました。しかし、授業で天安門事件の時の学生運動を絶賛するなど、タブーを恐れず発言してきたA先生ですら、このような形でしか台湾問題を語れないのを見たとき、中国でこの問題について統一に異を唱えることがいかに困難で、プレッシャーの大きいことなのかを思い知らされました。
それでは、当の台湾の人たちはどう考えているのでしょうか?私が武漢に留学していた当時、台湾の留学生が数人いました。彼らは皆、独立も統一も望んではいませんでした。ただ、「現状維持」を望んでいました。これは、多くの台湾人の考えを代表していると言えるのでしょう。
一人の台湾人留学生がこんなことを言ったことがあります。
「中国が日本に侵略されたのは、中国があまりにも遅れていて、愚かで、腐敗していたからだよ。これは日本の責任じゃなくて、中国の問題だよ」
私はこれを聞いて、びっくりしました。こんなことを大陸の人が言ったら袋叩きに合うでしょう。しかも彼はこれを卑下した感じではなく、実に爽やかな様子で言い放ちました。まるで他の国のことにようです。そうです。彼にとっては「中国」は自分の国ではないのです。彼の話を聞いて、大陸と台湾の間には、いかに大きな溝があるのかを思い知らせれました。そして、多くの大陸の人たちは全くといっていいほどこの溝の大きさを理解していないように思いました。
留学時代、ある中国人の友人が言いました。
「台湾は中国の一部という考え方は、僕らにとっては理屈じゃない。骨の髄まで染み込んだ考え方なんだ」
一体、なぜ中国人がここまで台湾に執着するのか。一つには、かつて日本を含む列強に侵略され、台湾を含む領土を切りきざまれた歴史があるように思います。中国人と話していると、チベットや新疆が独立して領土が縮小し、国家が弱体化することへの恐怖とも言える感情を感じることがあります。そのトラウマとも言えるものは侵略された民族のみが理解できるものなのかもしれません。そして、そのトラウマを知るもののみが台湾への執着を理解できるのかもしれません。
しかし、それなら、なおのこと、大陸の人たちには台湾の人たちの心にもっと思いを寄せてほしいと思います。大陸の人たちと台湾の人たちがいかに違うのかを理解してほしいと思います。本当に統一を望むのなら、それが第一歩であると思います。
2003.10.7
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/kangomei/
05. 中川隆 2014年9月18日 12:01:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
領土と国(1) 台湾 (平成24年8月28日)
・「領土」と言うからには、その前提として「国」がなければならないのは当然です。そして、日本に住んでいると歴史が長いことと、四方が海なので国というのは「大昔からあるもの」と考えがちですが、世界では「国」や「国境」がハッキリしている方が珍しいということをまずは頭に入れなければなりません。その意味で「固有の国土」などというものはほとんど無いのです。
・たとえば、台湾ですが、明治初期の台湾は「清」という中国の国が軍隊を派遣していましたが、「清の国土」なのか「清の勢力範囲」なのかはハッキリしていませんでした。
・明治4年に琉球王国のご用船が難破して台湾に漂着した時、乗員69人の内、54名が斬首されるという事件がありました。今の常識では考えられませんが、「今の常識」はまさに「今の常識」であり、これを歴史的なことにそのまま適応するのは不適切です。
・ともかく、琉球王国も「国かどうかハッキリしない」という時期だったので、琉球政府に代わって日本政府がこの事件について清に賠償を求めます。難破して漂着した人を殺害するのですから、もし「国」であればその国の政府が賠償しなければなりません。
・ところが清は「台湾の中国人がやったのなら別だが、現地人がやったのだから俺には責任がない」と回答しました。この回答でわかることは台湾は清のものではなく清の一部が台湾に駐留していたということです。私たちは現代人ですから、どうしても「どこの国か?」と聞きたくなりますが、昔(たった150年ほど前)でも、「地域」があっても「国」ではないところは多かったのです。
・かくして紆余曲折はあったのですが、日本軍が台湾に上陸して報復します。ところが、中国の守備隊は台湾を守るのではなく、台湾の人を殺戮し、台北を放棄して逃げてしまいます。このことも、台湾は「清の領土」ではなく「清の軍隊が駐留していた」と言うことを示します。後に整理しますが、「中国」というのは「地域」の名称であって、「中国」という「国」ができたのは共産党が中国を統一したごく最近の事です。
・建国は1949年ですからまだ60年ほどしか経っていません。これは政治的な意味合いではなく学問的な解釈で、詳しくは歴史学者宮脇先生とシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」で詳しく解説をしています。
・結局、台湾は歴史的に「国」であったことはなく、日本と清の間の戦争(日清戦争)のあとの下関条約で「清の統治下」から「日本の統治下」に入り、まもなく1915年に「内地延長主義」、つまりそれまでの「植民地統治」から「日本国の延長」ということにかわり、歴史的にははじめて台湾は「日本国」という国の一部になったのです。
・私が「日本国は千島列島(占守島)から台湾まで」と言っているのは、政治的とか、良い悪いではなく、単純に歴史的には有史以来、台湾が国になったのは日本国の一部になってからという意味です。
・たとえば、アメリカ合衆国というのは最初は北アメリカの一部に13州を作って独立したのですが、その後、西に進み、インディアンやメキシコなどと戦って、州を増やして今のアメリカ大陸の「国」ができたのです。カリフォルニアがアメリカ合衆国の一部であるということと同じく、台湾は日本であるということになります。
・その後、日本が戦争に負けて台湾を放棄し、そのすぐ後(日本が降伏した1945年8月の2ヶ月後)、中華民国という国(中国ではない)が台湾に進駐して「実効支配」している状態です。
・200年前の状態という意味では台湾は台湾人(中国は台湾を植民地にしていたので、インドとイギリスの関係と同じ)のもの、100年前というと日本国、そして50年前というと誰のものでもないということになります。もし、台湾をもともとの人に返すということなら台湾人(1945年に移ってきた中華民国人ではなく、もともとの台湾人)という事になります。
・もちろん、領土は政治的、感情的なものですから、このようなことを言うと日本を支持してくれている今の台湾の人からも文句を言われますが、歴史的にはこのような事だったということです。
・http://takedanet.com/2012/08/post_29f2.html
06. 2014年9月18日 12:05:07 : 3cdYZYbVIc
・台湾はサンフランシスコ条約で日本が放棄して当面、アメリカをはじめとした連合国の信託統治になり、その後、中華民国の人が移動してきて実効支配しています。
・その意味では、台湾の最終的な帰属は今の中華人民共和国(大陸)が決めることはできず、中華民国(台湾)、アメリカ、そして日本が参加して平和の内に最終決定することが必要でしょう。
・くり返しますが、中華人民共和国は台湾の帰属について口を出すことはできません。
・その中華民国が自分の国土を示した切手をだしていますが、その切手の中には尖閣諸島は含まれていません。つまり、台湾の実質的な占拠者である中華民国ですら、尖閣諸島は自分たちと関係がないとしているのです。
・http://takedanet.com/2012/09/post_e7dd.html
7. 中川隆[3502] koaQ7Jey 2016年8月03日 11:26:38: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3857]
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2016年08月03日
沖縄と台湾とハワイの違い
http://thutmose.blog.jp/archives/64595428.html
日本時代の高砂族、既に琉球の人口の半分しか居なかった。
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/2/2/22a0d499.jpg
台湾先住民
台湾総統に就任した蔡英文は16の先住民族代表を総統府に招き、過去400年の権利侵害を謝罪しました。
唐突な行動に見えたが、後からやってきた華人が先住民から全てを奪ったと説明しました。
蔡英文の母方の祖母は少数民族の出身とされ、父方は中国系の豪商で、裕福な家庭で育ったとされています。
台湾には中国大陸からいわゆる中国人や漢民族が渡ってくる前から、先住民族が暮らしていました。
日本列島にいわゆる縄文人が暮らしていた頃、琉球、台湾、北海道、千島、樺太などでも同じような人々が暮らしていた。
縄文人は人種の名前ではなく、種々雑多な部族や人種が多くの島で混在していました。
これらの島々に最初に住んだ人々は、氷河期に地続きだったので、歩いてやってきたと言われている。
氷河期が終わり島々は海で区切られたが、木製の船で断続的に渡ってきた人々が加わって、多様な人種が混ざり合った。
こうして同じ島でも別な民族が同居するようになり、台湾でも多くの部族あるいは民族が存在している。
大陸では秦の始皇帝以降、大陸を統一する国家が出現し、そうした大国は台湾島にも政府機関を置いた。
だがそれは自国の一部という事ではなく、今で言う領事館のようなもので、台湾における権益確保が目的だった。
台湾島を最初に領有した国家はオランダで、1624年年から1662年まで領有していた。
平地から追われた台湾先住民
外国に占領される事で初めて台湾にも国家意識が生まれ、中国系の鄭成功が占領したが20年ほどで滅んだ。
その後は清国が政府機関を置いていたが、「化外の地」と呼び自国の領土ではないとわざわざ宣言していた。
日清戦争で清国から日本に帰属が移り、日本は敗戦で領有権を放棄し、現在は中華民国が占領している。
この間の台湾先住民の生活はどうだったかというと、先史時代の人口は良く分かっていません。
台湾先住民の人口調査を始めておこなったのは日本帝国で1905年に戸別調査を実施している。
1905年の台湾全体の人口は約303万9千人、高山族は76,443と記されていました。
現在の台湾先住民の人口は約48万人で、台湾の人口の約2%を占めています。
1600年以前の台湾島では、この立場が逆で、先住民が圧倒的多数だったと想像できる。
1632年、江戸時代初期の琉球の人口が約10万人、一時18万人に増えたが地震と津波で江戸末期には13万人でした。
中世以前の琉球の潜在的な人口が10万人程度とすると、台湾島はずっと大きいので、元々40万人くらい住んでいた可能性が高い。
台湾先住民は島の大部分を漢民族に取られ、高山族の呼び名の通り、限られた高山で暮らしている。
これを琉球、つまり沖縄やハワイと比べると興味深い事がわかります。
台湾先住民と琉球人の違い
先ほど書いたように江戸時代以前の琉球の人口は10万人という所で、江戸末期には13万人でした。
もっとも琉球では王に収める税金を逃れる為、住民の人数を少なく申告するのが一般的だったとする説があります。
ともあれ、琉球人の子孫である直系の沖縄人は沖縄県の人口の80%以上を占めています。
沖縄県に住んでいる琉球系の人が約100万人、本土に住んでいる人が120万人と言われ、合計220万人まで増えています。
人数が増えれば発言力も増すわけで、最近沖縄県が基地問題などで強気なのは、偶然ではありません。
琉球人の人口は140年で15倍以上に増え、基地が在るとはいえ沖縄の大半を「所有」しています。
現代の沖縄人はヤマトがいかに横暴に、琉球を搾取し弾圧したかを言いたがるが、事実はまるで逆だと分かります。
江戸時代に薩摩と幕府が「人頭税」など苛烈な搾取を行ったというのは沖縄で定説に成っていますが、これも事実ではありません。
幕府や薩摩が琉球に税を課した事は無く、琉球王が独自にやっていた事です。
それどころか幕府と薩摩は琉球が破綻するのを防ぐ為に、物資や資金や人的援助を行って、幕末まで助けていました。
もう一つの孤島の先住民、ハワイ先住民と比べると、ヤマトの琉球人への優遇ぶりは一層はっきりしてきます。
ハワイには数十万人の先住民が住んでいたが、1778年にキャプテンクックがハワイを「発見した」と称してから侵略が始まった。
ハワイと沖縄の違い
最初西洋諸国は少人数で小さな船だったため、国交を結んだり交易したりしてハワイは栄えた。
だが小船が大型船になり蒸気船に代わると、大勢の宣教師や移民や軍隊が移住してきてきて、伝染病を持ち込みました。
ハワイ先住民は人口が10分の1程度に減ったとされ、これ幸いとアメリカは「住民投票」でアメリカに併合しました。
先住民が減少したことで白人が多数派になり、白人は銃を持っているので、先住民を支配できたのです。
現在純粋なハワイ先住民は僅か8000人で、混血を含めて24万人がハワイに居住しているとアメリカ政府は発表しています。
自分の土地というものは持っておらず、厄介者のような存在になっている。
離島に限らず、世界の多くの先住民はこんな感じで暮らしていて、元の居住地にそのまま住んでいる琉球人は稀有な例外なのです。
アメリカ先住民のいわゆるインディアンとか、アジア諸国の先住民の多くも、先祖の土地を追い出されています。
追い出されたからこそ「先に住んでいた人」と呼ばれるのですが、琉球人は「今も住んでいる」ので先住民ではない。
9. 中川隆[-13435] koaQ7Jey 2018年10月04日 19:37:12: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19009] 報告
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台湾は人民解放軍の上陸作戦に勝てる(ニューズウィーク)
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/354.html
2018年10月4日(木)17時10分 タナー・グリーア(フォーリン・ポリシー誌記者) ニューズウィーク
台湾で毎年恒例の「漢光」軍事演習では海岸線での撃退作戦も TYRONE SIU-REUTERS
<注目すべき2つの研究から予測する中台戦争のシナリオと、台湾が知るべき自らの「勝ち目」>
昨秋の中国共産党第19回党大会でのこと。延々3時間に及ぶ習近平(シー・チンピン)国家主席の演説で最も盛大な拍手を受けたのは次の一節だった。
「われわれには、台湾の分離独立を目指すいかなる計画も打ち破る強固な意志と完璧な自信、そして十分な能力がある。誰であれ、どんな組織であれ、どんな政治勢力であれ、中国からその領土の一部を奪い取るような行為は断じて許さない」
勇ましいが、別に目新しい発言ではない。台湾の「分離独立派」を相手にして中国が負けるはずはなく、その再統一は歴史の必然だ。いざとなれば人民解放軍は台湾の軍勢を打ち破り、力ずくで台湾の民主主義を破壊できる。中国共産党は一貫して、そう主張してきた。
そんな発言をあえて繰り返したのは、台湾総統の蔡英文(ツァイ・インウェン)と与党・民主進歩党(民進党)の独立志向を本気で警戒している証拠だ。最近は台湾海峡周辺での軍事的威嚇も執拗に繰り返している。
しかし、中国には本当に台湾を武力制圧する力があるのだろうか。確かに国力の差は歴然としている。しかし小さな台湾が巨人・中国からの攻撃を自力で撃退するというシナリオにも、一定の現実味がある。
実際に中国と台湾の軍隊が激突した場合を想定し、結果を予測した詳細な研究がある。米タフツ大学の政治学者マイケル・ベックリーによるものと、シンクタンク「プロジェクト2049研究所」フェローのイアン・イーストンの著書『中国侵攻の脅威/台湾防衛とアジアにおけるアメリカの戦略』だ。
■中国の危ないギャンブル
どちらの研究も人民解放軍の出した統計や訓練マニュアル、計画文書などを分析し、米国防総省と台湾国防部がそれぞれに行ったシミュレーションなどの情報も踏まえている。
そこから導かれる「中台戦争」の様相は、中国共産党が繰り返す大言壮語とは大きく異なるものだ。台湾海峡を挟んだ戦争で中国が勝利するのは確実でも必然でもない。むしろ危険なギャンブルになりかねない。
中国側のシナリオによれば、このギャンブルはミサイルによる先制攻撃で始まる。人民解放軍のロケット部隊は、何カ月も前からひそかに準備を進めているはずだ。そして第1撃を放った瞬間から上陸作戦が始まる日まで、台湾の沿岸部にミサイルの雨を降らせる。標的は空軍基地や通信系統、レーダー設備、交通の要所、官公庁などだ。
それと同時に、ひそかに台湾島内に潜伏していた中国側のスパイや特殊部隊が要人の暗殺作戦を開始する。標的は蔡総統や民進党の幹部、閣僚、主要な言論人や科学者、技術者とその家族などだ。
この段階での目標は2つ。まずは台湾空軍機の大部分を地上で破壊し、指揮系統を混乱させて制空権を確保すること。もう一つの目標は台湾社会を麻痺させること。総統が死亡し、通信が遮断され、移動の手段も奪われ、交通機関が使えなくなれば、軍人たちの士気も下がり、混乱状態に陥るはずだ。そうなったら、いよいよ本格的な上陸作戦の始まりだ。
■上陸1週間で台北攻略
この作戦は壮大な規模になる。何万隻もの船(その多くは徴発された民間船だろう)が動員され、総勢100万の部隊を乗せて台湾海峡を渡る。護衛の戦闘爆撃機も出撃する。
混乱し分断された台湾の兵士たちは、やがて弾薬も尽きて海岸からの退却を余儀なくされる。上陸した中国軍は海岸線に拠点を築き、さらに内陸部を目指す。ここから先は簡単だ。
既に制空権を確保しているから、中国の空軍機はどこでも空爆できる。一方で地上の侵攻部隊は孤立した台湾兵の残党を次々に敗走させる。上陸から1週間もあれば、中国軍は台北を占領できる。2週間もあれば戒厳令を発し、島全体をアメリカや日本からの反撃に備える前線基地とすることができる。
これが中国側の描くベストなシナリオだ。しかし、そう簡単に運ぶ保証はない。そもそも先制攻撃で台湾側の「意表を突く」のは至難の業だ。
まず、海峡を渡れるのは4月か10月だけだ。1年のうち、台湾海峡の気象条件が良好なのは4月と10月の各4週間しかない。
それに、大艦隊が海を渡る大掛かりな作戦で「意表を突く」のは不可能だ。しかも台湾の情報機関は中国本土に深く潜入している。イーストンの推定では戦闘開始の60日以上前に上陸作戦の準備中と判明し、台湾だけでなく日米両国も警戒態勢に入る。そして最初のミサイルが発射される30日以上前に、警戒は確信に変わるという。
それだけ時間の余裕があれば、台湾側はいろいろできる。軍隊の主な施設を山間部のトンネルに移し、無防備な港湾から艦船を退避させる。中国側の工作員などとおぼしき者の身柄を拘束する。周辺海域に機雷を敷設する。地上部隊を島内各地に分散・偽装する。島全体に戦時体制を敷き、予備役165万人に武器を配る。
台湾島の西部海岸で上陸作戦が可能と思える場所は13カ所しかない。その全てで、既に備えはできている。想定される上陸地点には地下トンネルが縦横に張り巡らされている。装備品などを隠すコンクリートの地下倉庫もある。浜辺から内陸部に通じる境界に沿った地面には鋭い葉先を持つ植物が茂る。海岸地帯には化学工場が多いので、無差別に爆撃すれば有毒ガスが拡散する恐れもある。
開戦間近となれば、どの海岸にも容赦ない防御網が築かれているはずだ。台北に通じるルートは厳重に警戒されており、いざ非常事態となれば爆弾を仕掛けるなどして進撃を阻む用意ができている。
広東省で上陸作戦の訓練をする中国の海兵隊(17年8月) ZHOU QIQING-CHINA NEWS SERVICE-VCG/GETTY IMAGES
中国側の資料によると、高層ビルや岩山の間にワイヤを張り渡し、ヘリコプターを墜落させる仕掛けもある。トンネルや橋、高架道などには、ぎりぎりの段階で破壊できるように弾薬が仕掛けられる。建物が密集した都市部ではおのおのの建物が小さな要塞と化し、激しい市街戦が繰り広げられるだろう。
こうした防衛戦の怖さを理解するには、人民解放軍の歩兵の身になって考えてみればいい。ご多分に漏れず、きっと貧しい地方の農村出身者だ。生まれてこの方、台湾が中国に太刀打ちできるはずはないと教え込まれ、分離独立派に身の程を思い知らせてやるつもりでいる。
■上陸部隊は撃退される
ところが、現実はそう甘くない。あと数週間で戦闘開始というタイミングで、安徽省の祖父母に仕送りをしていた上海のいとこが失業する。台北からの電信送金が全面的に停止され、台湾企業で働く数百万の中国人への給与支給も止まったからだ。
彼は戦闘開始を広東省汕尾で待つ。なじみのない華南地方の森で3週間、戦闘の特訓を受けるのだ。外部からの情報は遮断されているが、噂は耳に入る。昨日の列車が10時間遅れたのは鉄道事情ではなく、妨害工作のせいだという。今日の噂では、広東省湛江で海兵隊の第1旅団長が暗殺された。繰り返される停電が本当に計画的なものなのかも、疑問に思えてくる。
そして上陸部隊の集結する福建省福州に到着した頃には、中国軍の無敵神話も疑わしくなる。当地の軍事施設はミサイル攻撃を受けて瓦礫の山だ。台湾から飛来するミサイルより台湾へ撃ち込まれるミサイルのほうが多いはずだと思って気を取り直しても、とうてい適応できない。度重なる空爆の衝撃により、軍隊への信頼感が薄れていく。
恐るべき一斉攻撃を浴びるのは揚陸艦に乗り込んでからだ。立派な強襲揚陸艦に乗り込める彼は幸運なほうだ。急きょ商船を改造した揚陸艦もある。
この日のために台湾側が用意した潜水艦が魚雷を撃ち込んでくるかもしれない。上空の戦闘機からアメリカ製の対艦ミサイルが飛んでくるかもしれない。内陸部の地下基地を飛び立ったF16戦闘機が接近してくる。
死者が一番多いのは機雷による被害だ。海峡を渡ってきた艦隊の目前に、場所によっては幅13キロの帯のような機雷の海が広がる。荒波にもまれて船酔いする歩兵の彼は、乗り込んだ揚陸艦の幸運を祈るしかない。
海岸に近づくにつれ、彼の心理的圧力は高まる。イーストンの研究によれば、岸に向かう最初の船は突如として海面から立ち上る炎の壁に行く手を阻まれる。炎は水面下に設置された数キロに及ぶ石油パイプラインから噴き出す。
幸運にも搭乗艦が炎をくぐり抜けても、上陸後には「有刺鉄線、鉄条網、スパイクストリップ、地雷、対戦車障害物、竹槍、倒木、トラック、廃車になった車など」の障害物が1キロ以上にわたって配置されている。
彼にとっては分が悪い戦いだ。たとえば90〜91年の湾岸戦争で、アメリカ主導の多国籍軍は8万8500トンの銃弾を使ったが、イラクの移動式ミサイル発射車両を1台も破壊できなかった。その後のコソボ紛争でも、NATO軍の78日間にわたる空爆は、セルビア側の移動式ミサイル発射装置22台のうち、3台を破壊したにすぎない。中国空軍の攻撃の成功率が、これ以上に高いと考える理由はない。
哀れな歩兵が上陸時の集中攻撃を生き延びたとしても、その先の進軍は苦難の連続だ。まず台湾軍の主力部隊、そして各地の都市やジャングルに散らばる165万人の予備役、地雷原やブービートラップ、瓦礫の山などが待ち受けている。
実戦の経験がなく、しかも無敵の中国軍という宣伝を信じ込んでいた歩兵にとっては手に余る想定外の事態だ。
こうしたシナリオに現実性があるからこそ、中国軍の将校用マニュアルには彼らの不安が色濃く反映されている。戦争が大きな賭けになることを、彼らは知っている。だからこそ中国政府は、少しでも台湾に武器が供与されることに猛反発する。中国軍が無敵でないことは、彼ら自身がよく理解している。
アメリカのアナリストによれば、敵国の沿岸部で攻撃側が空・海軍力の優位を維持することは技術的に非常に難しい。コスト面でも、防衛側のほうが攻撃側より有利だ。軍艦を建造するより、それを破壊するミサイルを買うほうが安上がりだ。
■敗北主義こそが真の脅威
つまり、今は守る側が有利な時代。だから台湾は、中国ほどの軍事予算を計上しなくても中国軍の侵攻を食い止められる。
台湾の人たちは、この事実に気付くべきだ。筆者は台湾で徴兵された兵士や職業軍人に直接取材したが、彼らは一様に悲観的だった。兵士の士気の低下は、徴兵制度の深刻な運営上の問題を反映している。熱心な愛国者さえも、徴兵期間の経験で軍隊に幻滅してしまう。
同様に問題なのは、自国の防衛力に対する台湾人の知識の欠如だ。最近の世論調査によると、台湾人の65%が中国軍の攻撃を阻止する台湾軍の能力に「自信がない」ことが分かった。
台湾には中国の侵攻を阻止する軍事力があることを島民にアピールする取り組みがなされない。一方、台湾と正式な国交を維持する国がどんどん減っているといった無意味な指標で住民は悲壮感を募らせている。
中国軍の作戦は、士気を失った台湾軍を圧倒し、服従させるように計画されている。最も重要な戦場は、台湾人の心の中なのかもしれない。台湾の民主主義にとって、敗北主義は中国の兵器よりも危険なものだ。
アメリカや日本も、台湾の防衛についてはもっと楽観的かつ強気になるべきだ。確かに台湾軍は、上陸した中国軍を抑えられるのは2週間と予測している。だが中国軍も、2週間以内に台湾を制圧できなければ戦争に負けると考えている。
中国と台湾の軍事予算の差は大きく、差は広がる一方だが、台湾は中国の侵略を抑止するために中国と同等な軍事費など必要としない。必要なのは侵攻を思いとどまらせるに足る武器を購入する自由だ。そのためにはアメリカ議会を説得する必要があるが、その政治的バトルに台湾が勝利すれば、中国も台湾侵攻を諦めるはずだ。
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台湾は中国ではない
【東京発信・Cool Eyes】第21回 歴史学者・宮脇淳子 台湾を語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J-MM1p7gPXw
鄭成功氏前の台湾・台湾出兵・旧慣調査と台湾私法等
(2018年7月収録)
http://www.asyura2.com/17/china12/msg/799.html#c1
いつかはちゃんと走れるでしょうが近い将来ではなさそう
画像引用:https://japan.cnet.com/article/35120410/
高い期待と低い評価
どうも自動運転は高すぎる期待が先行して現実は追いつかないことが多いようです。
世界初の自動運転車は2015年に登場したテスラのオートパイロットで、その後「自動運転ではない」と言い直した。
テスラは自動運転状態で何件も事故を起こしていて、最初の頃から技術的に進展していない。
つまりドライバーは常に手を添えている必要があり、車は白線の間を走り車間距離を維持するがそれだけの機能しかない。
横から車線変更してきた車は探知できず、白線が消えていると道路外に飛び出したり分離帯に衝突します。
テスラが走行可能なのは高速道路上だけで、一般道路での走行は認められていない。
ウーバーは自動運転を開発していたが、一般道で横断する自転車(降りて押していた)を探知できず衝突した。
このように現在市販されたり路上で試験されている自動運転は、実用的には使い物にならないレベルです。
だが運転者が居眠りや失神して運転不能になった場合には、自動運転によって事故を回避できるかも知れません。
現実はその程度でありとても人間の運転を変わることはできません。
自動運転が既に実用化されている場所があり、それはアマゾンの倉庫などで走行するロボットたちです。
倉庫には歩行者も他の車両もなく完全にコントロールできるので、自動運転にまかせても衝突しない。
自動運転バスの低い評価
日本や外国でバスの自動運転が始まっていて、メディアの人が自分で乗ってみた感想などを記事にしている。
自動運転バスは自動で運転することも可能だが、手動で運転することもできるようになっている。
なぜかというと完全な自動運転ではスムーズに走行できないため、運転者が運転したほうがうまいからです。
例えば道路わきに歩行者が立っていた場合、AIはその人が飛び出すのか歩いているだけか、それとも電柱や看板かを理解できない。
絶対に歩行者を回避できるようにすれば、歩行者の横を通るたびに徐行か停止しなくてはならない。
あるいは前方に車両が止まっている場合、待てば良いのか反対車線に出て前に出るべきかという判断ができない。
もっとダメなのは横道から出てくる車両や自転車などを探知できない点で、構造上横方向から接近するものを認識できない。
バイクや自転車がわきをかすめてチョロチョロ前に出ると、自動運転ではお手上げになる。
そこで自動運転バスが止まると人間の運転手が交代するのだが、最初から人間が運転したほうが早い。
今の時点ではせいぜいこんなもので、近い将来自動運転で運転手が失業するような気配はまったくない。
自動運転で近い将来可能なのはせいぜい、人間が眠った時に一時運転を交代するくらいでしょう。
あるいは高速道路を走行する時だけAIが運転し、一般道路では人間が運転するなども考えられます。
これらは人間の運転手の疲労軽減には役立ちそうです。
http://www.thutmosev.com/archives/78223351.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/122.html#c2
外国人労働者の大規模受け入れ(入管法改正)の議論がどんどん進められていますね。
日本の事実上の「移民国家化」が進められているといってもよいでしょう。
受け入れ人数を、5年間でおよそ最大34万人に設定するとの数値が現在のところ上がっています。
一度、外国人労働者を大規模に受け入れてしまえば、西欧の例をみればわかるように簡単に後戻りはできません。
西欧諸国はどの国も移民国家化するなどと明確に決めたわけではないのに、外国人労働者受け入れを1950年代から進めた挙句、結果的に移民国家化してしまいました。
当メールマガジンや『表現者クライテリオン』のメールマガジンなどで、私はたびたび参照していますが、いま英国でベストセラーとなっているダグラス・マレーというジャーナリストが昨年(2017年)著したThe Strange Death of Europeという本があります。
この本では、英国など西欧諸国が「人手不足」などの安易な理由から外国人単純労働者を受け入れた結果、後戻りできなくなり、「国のかたち」が変わってしまい、移民国家化していく様子が多様な角度から描かれています。
この本、もうすぐ邦訳が出ます。東洋経済新報社から『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』(町田敦夫訳)というタイトルで12月14日に発売予定です。解説は、中野剛志さんが書いています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4492444505
アマゾンのサイトの「内容紹介」にあるように、この本では、「欧州各国がどのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか」、「マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明がどのようにしてタブー視されるように至ったのか」、「エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか」といった点について、詳細に論じられ、明らかにされています。
例えば、「エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか」という論点について少し内容に触れてみましょう。
この本の第三章では、「移民大量受け入れ正当化の「言い訳」」というタイトルで、移民受け入れ推進派の主張がいくつか紹介され、著者はひとつひとつそのインチキ臭さを暴露していきます。
「移民受け入れは、経済成長に寄与する。だから必要だ」というような主張です。
著者は、英国の推進派がこのような主張を裏付けようと都合のいい数値だけを取り上げてきた様子を示します。
一例をあげると、2013年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)が公表した「英国に対する移民の財政的影響」という調査結果を、BBCなどの英国のマスコミは広範に報道しました。推進派に都合が良かったからです。
「近年の移民は英国にたくさん税金を納めており、財政改善に大いに貢献した」と報じたのです。調査報告書では、「移民の治める税金は、彼らが受け取る社会保障などの給付金を34%上回っている。他方、移民以外の人々(英国生まれの人々)の治める税金は、受け取る給付金を11%下回っている」ということが強調されました。
つまり、移民は、社会保障などで受け取るよりもはるかに多くの税金を納めており、英国経済に貢献しているというのです。
もちろん、この数値は推進派に都合のいいところだけをつまみ食いしたものでした。
ここで「移民」とは、高学歴の移民であり、とりわけ「欧州経済圏」(EEA:EU、およびアイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェイ)からやってきた人々だけを指していました。
この人たちだけを「移民」として取り上げれば、「2001〜11年にEEAからやって来た移民は、英国経済に約220億ポンド(約3.2兆円)の貢献を果たした」と推定することができます。
しかし、これはあくまで、「EEA諸国」からの「最近の」移民だけを考慮した場合です。大多数である途上国からの移民を含め、全移民について見てみると、数値は大きく変わります。
UCL自体が、翌2014年に公表した調査結果によると、全移民について見た場合、1995年から2011年にかけての移民は、実際には英国に約1140億ポンド(約16.5兆円)ほどのコストを負わせていました。つまり、治めた税金よりも、受け取る社会保障などの給付金のほうが、1140億ポンドも多かったのです。
マスコミは、こちらの数値については、ほとんど報じませんでした。「移民が英国に1000億ポンド以上の負担を背負わせていた」というような事実は報じられず、多くの人が知ることはなかったのです。
英国のマスコミは、ほとんどがリベラルな政治信条のためか、あるいは財界と結託しているためか、移民受け入れ推進派です。ですので、推進派に都合いい数字だけを、つまみ食い的に報じたのです。
日本でも、同様のことが生じないか私は懸念します。
例えば、下記のリンク先の記事で報じられている法相の答弁をみると、そういう懸念が増します。
「日本人雇用への影響否定 外国人受け入れ拡大で法相見解」(『東京新聞』2018年11月13日 夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201811/CK2018111302000285.html
山下貴司法相が、外国人労働者受け入れの日本人の雇用に対する影響を否定したという記事です。
この答弁、臭いものにはフタ、とういか、事実を見つめず都合の悪い事実からは目を逸らすものですよね。
外国人労働者を大量に受け入れようとしているのは、どう考えても、人手不足から生じる賃金上昇や正社員化の流れに歯止めをかけたいからです。そして、グローバルな企業や投資家に有利な条件を整えたいからでしょう。外国人労働者受け入れが、日本人の雇用に影響を及ぼさないなんてことはあり得ません。影響を与えたいからこそ、受け入れようとしているのです。
政治家が、自らに不利になるような事実からは目を逸らし、ぬけぬけとこのような答弁をし、また多くのマスコミもあまり厳しく突っ込まない。すでにそういう状況を日本でもちらほら目にします。
英国など西欧諸国と同じように、日本でも、このままでは外国人労働者や移民の受け入れの負の側面をきちんと検討することなく、ずるずると後戻りできない地点に至ってしまうのではないでしょうか。まったく困ったことです。どうにかしなくてはいけませんね。
(´・ω・`)
追伸1
マレーの本で言及されている「少子高齢化が進むので移民を受け入れざるを得ない」という移民推進派の別の主張に対する反論については、以下の拙メルマガで触れています。ご参照ください。
施 光恒「少子化をめぐる議論の盲点」(『表現者クライテリオン メールマガジン』2018年8月31日付)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180831/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c45
サハリン沖で油田が発見されたという。ロシアは中国との貿易を拡大、すでにヨーロッパを上回るビジネス相手になり、シベリアでもロシアは天然ガスや石油を輸送するパイプラインを建設している。新たな油田が開発された場合、その販売相手としても中国のほか韓国が想定されているだろう。
言うまでもなく、エネルギー資源の輸入先としてロシアは中東より優位にある。輸送コストや戦乱のリスクが低いからだ。アメリカ支配層の命令に従ってロシアとの関係を拡大しない場合、日本は経済的に置いてきぼりを食うことになる。20世紀の前半とは違い、侵略戦争で利権や資産を奪うことは容易でない。
日本の大企業はロシアや中国との関係修復を望んでいるだろうが、アメリカ支配層の手先になることで自分の地位と収入を保証されている官僚や政治家、その周辺の学者やマスコミ関係者は違うだろう。日本の支配システムが抱える矛盾は大きくなりつつある。
そうした中、安倍晋三首相がロシアや中国を訪れているが、これは経済界に対するポーズだろう。安倍首相によると、「1956年(日ソ)共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」のだというが、安倍本人はアメリカ支配層に逆らってまで締結する気はないだろう。
平和条約を締結する上で最大の問題は日本側が主張する「北方領土」。歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島は日本領だと主張、「返還」を要求している。この要求をソ連/ロシアは拒否してきた。
第2次世界大戦後、日本が一貫して「返還」を要求してきたわけではない。鳩山一郎政権は1956年10月に日ソ共同宣言に署名しているが、その際、歯舞島と色丹島を日本領にするというソ連案を受け入れている。
そもそも、日本が受け入れたポツダム宣言はカイロ宣言の履行を求め、日本の主権は本州、北海道、九州、四国、そして連合国側が定める小さな島々に限られるとしている。
その小島は1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」で示されているが、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島は日本の領土から除かれている。
また、カイロ宣言には、日本が清国(中国)人から奪った全ての地域を中華民国(中国)へ返還すると明記されている。18世紀に作られた中国や日本の地図では尖閣諸島を中国の支配下にあるとしていることなどを根拠に、この宣言でこの島々は中国領だというのが中国の主張だ。
歯舞島と色丹島を日本へ渡すというソ連側の案は決して悪くなかったのだが、アメリカのドワイト・アイゼンハワー政権は日本とソ連の接近を許さない。国務長官だったジョン・フォスター・ダレスは重光外相に対し、2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したという。日本が「4島返還」を主張するようになるのは、それ以降である。
日本がアメリカの属国である以上、ロシアが引き渡した島にアメリカ軍の基地が作られる可能性は高い。日本政府に最終的な決定権がない以上、アメリカ支配層の意向が重要になるが、そのアメリカ支配層は約束を守らない。ドナルド・トランプ云々の話ではないのだ。
例えば、1990年に実現した東西ドイツの統一のケース。ソ連のミハイル・ゴルバチョフは側近だったKGB幹部のアドバイスに従って東西ドイツの統一を認めたのだが、その際にアメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOを拡大することはないと約束したとされている。
ベイカー自身はこの約束を否定していたが、ドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)
また、ドイツの外務大臣だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年2月にシェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)
言うまでもなく、この約束は守られなかった。1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃してからNATOは東へ拡大、ロシアとの国境へ迫っていく。2014年2月にはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、NATO軍はロシアとの国境近くにいミサイルを配備して先制核攻撃の準備を整えつつある。
ウラジミル・プーチン大統領を始め、現在のロシア政府がアメリカによる保証を信じるとは思えない。まして日本政府の約束など何の意味もない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811230000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c126
ゴーン容疑者、母親の住宅も日産側に購入させる
11/23(金) 13:32配信 TBS News
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181123-00000053-jnn-soci
22日に日産自動車の会長を解任されたカルロス・ゴーン容疑者(64)が逮捕された事件で、ゴーン容疑者が自身の母親の住宅についても海外にある子会社を通じて日産側に購入させていたことが、関係者への取材で分かりました。
カルロス・ゴーン容疑者は有価証券報告書に自らの報酬をおよそ50億円少なく記載したとして、金融商品取引法違反の疑いで逮捕されました。ゴーン容疑者は社長に就任した翌年の2002年ごろ、オランダにある日産の子会社を通じて、ブラジル・リオデジャネイロにある高級マンションを日産側に購入させ、自身の姉を住まわせていたことが分かっていますが、その後の関係者への取材で、ゴーン容疑者の母親の自宅も子会社を通じて購入させていたことが分かりました。
また、ブラジルにあるヨットを子会社の名義でおよそ600万円で購入し、その後、ゴーン容疑者の名義に変更するなど会社の経費を私的に支出させていた疑いもあるということです。
日産側は、こうした情報を東京地検特捜部に提供していて、特捜部は不透明な資金の流れを調べています。
また、ゴーン容疑者の報酬をめぐり、逮捕容疑とは別に直近の3年間についても有価証券報告書へのうその記載をした疑いがあることが関係者への取材で分かりました。ゴーン容疑者は2014年度までの5年間に、自らの報酬をおよそ50億円少なく記載した疑いで逮捕されましたが、2015年度から2017年度までの3年間でもおよそ30億円少なく記載していたということです。
特捜部は直近の3年度分のおよそ30億円の不記載についても、立件を検討するものとみられます。(23日11:24)
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c7
2018年11月23日
二つの悲劇 / 犯された娘と命を絶った母
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68741378.html
黒人に犯され殺された乙女
Hannah Cornelius 7Hannah Cornelius 4blacks in SA 005
(左と中央: ハンナ・コーネリウス / 右: 南アフリカの黒人 )
ある特定の人種と犯罪を結びつけるのは強引だが、異人種が混ざって暮らせば良いことよりも悪いことの方が多く起きる。米国の例は言うまでもないが、アフリカでも黒人同士の部族紛争が絶えず、日本人が想像もできない残酷な殺人が頻発しているそうだ。したがって、こんな暗黒大陸に白人と黒人が共存すれば、どんな摩擦が起きるのか容易に想像できるだろう。歐米人や日本人は南アフリカでアパルトヘイトが撤廃された、と歓迎しているが、その地に留まる白人のアフリカーナにとっては悪夢の到来である。最近では黒人が大威張りで闊歩するから、白人地区でも殺人や強盗の発生率が上昇し、オランダ系のブーア人らは恐怖に怯えながら毎日を暮らしているらしい。
歐米のミニコミ紙や保守系雑誌なら、南アフリカの人種問題を取り上げるが、大手メディアは白人が犠牲者なので無視を決め込んでいる。リベラル派の報道番組は黒人の貧困とか伝染病の蔓延、独裁政権の横暴ばかりに注目し、「マイノリィティー」となったヨーロッパ系住民に対する同情は水よりも薄かった。「アパルトヘイト」の原罪を背負うゲルマン人には「人権」が無いのだろう。だから、人権を標榜する有名人でも、虐殺されるのが白人だと結構冷たく、たとえ女性が強姦されても知らんプリ。南アフリカ出身の藝人だっているのに、故郷の惨状には目をつむっている。南ア出身者の著名人といったら、女優のシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)とか、スーパー・モデルのキャンディス・スワンポール(Candice Swanepoel)、あるいは南ア出身の母親を持つシエナ・ミラー(Sienna Miller)が思い浮かぶけど、彼女達が「白人女性を救え !」といった声明を発したというニュースは聞いたことが無い。養子にした黒人の子供、息子のジャクソンと娘のオーガストを育てるセロンは、祖国のアパルトヘイトを非難し、その時代に育ったせいで人権と平等意識にとても敏感になったと語っていた。さらに、この心優しい人気女優は、米国に蔓延する差別や暴力にも怯えているという。でも、南アで殺されている同種族に関しては興味が無いらしい。
Charlize Theron 0125Candice Swanepoel 4Sienna Miller 11
(左: シャーリーズ・セロン / 中央: キャンディス・スワンポール / 右: シエナ・ミラー)
余談だけど、南ア出身者と言えば、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出演したオーランド・ブルーム(Orland Bloom)を思い出す。彼の義父は南ア生まれのハリー・サウル・ブルーム(Harry Saul Bloom / 本名Solomon Harris Bloom)というユダヤ人であった。毎度言うのも何だけど、このハリーもユダヤ人らしく、アパルトヘイトに反対する極左活動家であった。彼はネルソン・マンデラと一緒に活動していたが、それが元でケニアに逃れ、最終的にイングランドに落ち着いたという。英国はクロムウェル時代から、こうしたユダヤ人を受け容れいるんだから、イギリス人の頭がおかしくなるのも当然である。歐米のリベラル派は脳天気にマンデラを讃えていたが、この名物指導者は投獄前から裏でKGBと繋がっていたという。つまり、ソ連はレアメタルが豊富な南アに目を附け、赤い黒人を利用していたという訳だ。(マンデラが共産党員だった事については、Stephen Ellis, External Mission, Oxford University Press, 2013に詳しい。)
Orlando Bloom 03Harry Bloom 1Orlando Bloom & Colin Stone 1Tolkin 1
(左: オーランド・ブルーム / ハリー・ブルーム / オーランド・ブルームとコリン・ストーン / 右: J.R.R.トルーキン )
ロンドンに定住したハリー・ブルームはケント大学で講師になったというが、一番目の妻のベリル(Beryl Cynthia Gordon)とは離婚。その後、オーランドの母親となるソニア・コープランドと出逢って結婚する。しかし、ハリーはオーランドが4歳の時に亡くなり、ソニアの恋人であるコリン・ストーンが養父となった。オーランドはは13歳までハリーを実父と思っていたそうだが、母親のソニアは不倫相手のコリンが実父であると告げたそうだ。ちなみに、役者となったオーランド・ブルームは、大ヒット映画『ロード・オブ・ザ・リング』に出演したが、原作者のジョン・R・R・トルーキン(John Ronald Reuel Tolkin)も南アフリカ出身者である。
Hannah Cornelius 5(左 / ハンナ・コーネリウス)
脱線したので話を戻す。南アで殺人事件など珍しくもないが、女子大生のハンナ・コーネリウス(Hannah Cornelius)が殺害された事件は大粒の涙を伴う悲劇であった。彼女は名門のステレンボッシュ大学に通っていた21歳の白人女性。2017年5月下旬の夜だった。ハンナは祖母からプレゼントされた青いフォルクスワーゲン・ゴルフに友人のチェスリン・マーシュ(Cheslin Marsh)を乗せ、マーシュのアパートメント近くでクルマを停め、車内で彼と雑談をしていたそうだ。すると突然、スクリュードライバーを持った黒人が現れ、開いていた窓越しに、その兇器をハンナの胸に押し当て、外に出るよう命じたそうである。カージャクを行ったのはジェラルド・パーソンズとヴァーノン・ウィットブイ、ナッシュヴィル・ジュリアス、エーベン・ヴァン・ニーカークという四人の黒人であった。(Sara Malm, "Student who gang-raped and killed in South Africa," Daily Mail, 24 October 2018)
ハンナとチェスリンを襲った犯人たちは、チェスリンの現金と携帯電話を奪うと、クルマのトランクに彼を押し込めた。一方、美人のハンナは「性的獲物」として後部座席に確保された。襲撃犯らは麻薬を買うため密売人の家に向かい、クリスタル・メスを吸引したそうである。犯人たちは11マイルほどクルマを走らせ、人気の無いケープ・タウン郊外に着くと、チェスリンをトランクから引き摺り出したそうだ。この黒人ギャングどもは彼の頭を地面の岩に押しつけ、石を持っていたウィットブイとパーサンズがその頭を打ちつけたという。チェスリンは激痛で気を失い、ギャングどもは彼が死んだものと錯覚し、そのまま置き去りにして犯行現場を後にした。翌日、彼は奇蹟的に目を覚まし、まだ意識朦朧としていたが、近所の民家に辿り着き、事件の経緯を警察に通報してもらったそうだ。頭蓋骨を砕かれたチェスリンは血を流しており、そのうえ腕も折れていた。残念なことに、頭部に受けた怪我のせいで、彼は片方の耳が聞こえなくなったという。
Hannah Corneluis murderers 1Cheslin Marsh 1
(左: 逮捕された四名の犯人 / 右: 負傷したチェスリン・マーシュ)
しかし、囚われの身になったハンナの運命はもっと酷かった。彼女はケダモノに等しい黒人らに輪姦され、凌辱の限りを味わった。後の裁判で明らかとなったが、彼女は犯人たちに強姦ししてもいいから、命だけは許して欲しいと懇願したそうだ。ところが、この下郎どもは心ゆくまで白い肉を堪能すると、彼女との約束を平気で破った。彼らはハンナをクルマのトランクに押し込め、近くにある葡萄畑に向かったそうだ。そして、強姦魔たちがハンナをトランクから引き出そうとすると、彼女はクルマにしがみつき、必死で抵抗したらしい。だが、命の危険を察知したハンナがパニックを起こすと、イーベンが現れ、彼女の首を数箇所も刺した。真っ赤な鮮血がハンナの傷口から滴り落ちる。そして、別の黒い悪魔ヴァーノンがトドメを刺す。この冷血漢は大きな岩を持ち上げ、ハンナの頭に投げつけたのだ。病理学者のデイドレ・アブラハム(Daidre Abrahams)医師によれば、よほどの力が加わらない限り、頭蓋骨を粉砕するのは容易なことではないという。ただし、法廷で兇器の岩を見た者なら納得できる。
Hannah Cornelius rockHannah Corneluis murderers 2
(左: ハンナの殺害に使われた岩 / 右: 法廷に連行された犯人たち)
輪姦され数箇所も刺されたハンナの遺体は、ステレンボッシュ近くの農場に運ばれ、道路脇に捨てられていたそうだ。しかし、四人の強姦殺人鬼はハンナを殺害した後、さらに二人の女性を襲っていたのだ。もう、犯罪というより趣味に近い。犯人たちは11時間後に逮捕されるが、「やはり」と言っては何だが、ふてぶてしいジェラルド・パーソンズは前科持ちのギャング・メンバーだった。しかも、体に彫った刺青が本人の下劣さを物語っており、「カネが欲しい」とか「血に飢えている」「殺人者」「殺し屋」「糞食らえ警官」といった文字が彫られていたのである。本当に腹立たしいけど、こんな奴があっさりと刑務所から釈放されるから、一般人の犠牲者が増えてしまうのだ。
Hannah Cornelius Gerald Parsons tattoos. 2Hannah Cornelius Gerald Parsons tattoos
(写真 / ジェラルド・パーソンズの刺青)
残された親の人生とは?
子供を失った親の悲しみは、それを体験した者でないと解らない。ハンナの父ウィレム・コーネリウス(Willem Cornelius)氏と母親のアンナ(Anna)夫人は深い哀しみに包まれていた。娘を惨殺された父親は、「ハンナと共に私の家族は死んでしまった」と歎く。彼の慟哭は理解できる。娘を輪姦されただけでも胸が張り裂けそうなのに、その頭がメチャクチャに粉砕されてしまったのだ。普通なら、遺体確認など辛すぎてできない。ハンナは本当に自慢の娘だったそうである。彼女はオランダ語や英語、フランス語を操る才女で、成績を見ればオールAの優等生。しかも、ハッとするような美女ときている。両親にしたら娘の将来が楽しみだ。それなのに突然、娘の死を告げられ、無惨な遺体を目にしたんだから、犯人が死刑になっても癒やされない哀しみが残るじゃないか。どんな理由を聞かされたって納得できるものではない。
Hannah Cornelius & mother Anna(左 / 娘のハンナと母のアンナ)
悲しみは往々にして人の心を蝕むことがある。母親のアンナは立ち直れなかったのかも知れない。事件が起こってから10ヶ月が過ぎた頃、56歳のアンナは朝7時にケープ岬へと赴き、氷のように冷たく、嵐で荒れる海に入って“泳いだ”という。しかし、彼女は生きて帰る事はなかった。心臓が止まった彼女の体は冷たい海に浮いていたそうだ。(Sebastian Murphy, Sara Malm and Julian Robinson , "Thugs who killed and gang-raped Hannah Cornelius Attacked TWO MORE women", Daily Mail, 9 November 2018) 夫のウィレムは妻が自殺したとは信じていない、と語っていたが、彼女は困難に立ち向かうだけの精神的・肉体的強さは持っていなかった、とも述べている。遺体を引き上げた救命士によれば、アンナは溺死と判断されたようだ。黒人擁護の人権派は、彼女の死を偶然の「事故死」と片付けるが、まともな日本人なら「自殺」と考えるだろう。なぜなら、事件の一週間前から、アンナは風邪を引いており、喉の痛みも抱えていたからだ。そんな人物が早起きして海岸に向かい、凍(い)てつく大西洋に飛び込んで「海水浴」を楽しむのか? 健全な精神を持った日本人なら、「きっと娘の死を耐えられず、自ら命を絶ってしまったんだろうなぁ」と憐れむはずだ。
大学教育を受けたアメリカ人や日本人は、リベラル派と聞けば「良心的人物」と思ってしまうが、こうした連中は意外と薄情で自分しか愛さない。白人男性が黒人女性を強姦するのは滅多に無いけど、もし発生するれば、蜂の巣を突いたようにメディアは騒ぐ。しかし、黒人男性が白人女性を襲ってもさほど騒がず、「ローカル・ニューズ」程度の扱いで、サラリと受け流すくらい。黒人を奴隷にした白人だから因果応報というわけだ。しかも、主要メディアは「政治的に正しい」放送を心掛けているから、犯人を「黒人」とは表記せず、「男達」とだけ述べて人種を曖昧にする。現地を取材するレポーターは、白人女性の輪姦に激怒する白人男性を意図的に避け、被害者の死に対してだけ悲しむ“中立的”な人々にインタビューを行い、「とても哀しい事件でした」とお茶を濁す。しかも、慎重に選んだ黒人と白人の両方に尋ね、テレビ局は公平性を装っている。もっと不愉快なのは、普段「女性の人権」とやらを聲に叫んでいるフェミニストが、事件の核心である人種から目を逸らしていることだ。確かに、フェミニストの評論家たちは被害者の死を悼むが、黒いケダモノに対して牙を剝くことはない。トランプ大統領みたいな白人だと悪魔のように罵るが、オバマみたいな黒人強姦魔には矢鱈と理解を示す。
Hannah's father Willem Cornelius(左 / 父親のウィレム・コーネリウス)
ニュース報道というものは一般的に刺身料理みたいなもので、早く捌(さば)いて二、三日すればポイ捨てだ。事件後、「誰がどうした」という追跡調査は無く、たまに懐メロ程度の報告しか行わない。娘を無惨に殺され、妻を失ったウィレム・コーネリウス氏の余生とは何なのか? 成長を楽しみにしていた愛娘は灰となり、人生の伴侶も土に還った。そして“生きる屍”となった彼は毎朝、目が覚めても話す相手はなく、夕食になっても一人きり。街で若い女性を見かければ亡き娘を思い出し、「あの子が生きていれば・・・」と心の中でつぶやく。同級生は大学を卒業して就職したり、結婚をして子供を産んだり、と幸せな人生を迎えているのに、独りぼっちのコーネリウス氏はただ老けるだけ。普通なら、孫をだっこしてあやしたり、クリスマスを一緒に過ごすなどして、笑顔の日々を送っていたはずだ。それなのに、現実では家族の写真を抱いて涙を流す日々。いったい、残された時間にどれ程の価値があるのか? 天国で再会することを楽しみにする人生なんて本当の人生じゃない。多民族共生を讃美する日本人は、その結果をどう思っているのか?
日本政府は技能実習生という名目で、アジア諸国から「低賃金労働者」を輸入しようと謀っている。祖国を捨てて日本にやってく出稼ぎ人が総て「善人」とは限らない。むしろ、碌(ロク)でなしの下層階級が多いし、潰しの利かないダメ人間、能力が低いくせに自惚れだけは一人前の下郎、カネになれば犯罪も辞さずという不良外人などが予想できるじゃないか。アジア人労働者は日本で差別され、低賃金のまま酷使されれば、日本人全体に恨みを抱く。また、期限が迫って帰国となっても日本に居坐り、行方(ゆくえ)を眩まして不法滞在を続けるだろう。中には職場から失踪して闇社会で稼ぐ者もいるはずだ。こうなれば、日本社会は多民族共生のディズニーランドではなく、ネズミや幽霊さえ逃げ出すギャングランドになってしまうだろう。昼間でも日本人女性は一人で歩けず、いつ襲われるか分からないし、男性だってどんな被害を受けるか分からない。
migrants 111asylum seekers 556
(写真 / ヨーロッパに押し寄せた黒人難民)
人権派は「外国人が全員犯罪者なんて偏見だ !」とか、「日本人の差別が外国人を傷つける !」と反論し、逆に我々を「罪人」のように責め立てる。だが、左翼陣営は簡単な事実を見ない。そもそも、アジア移民を受け容れなければ、犯罪を未然に防げたはずなのだ。つまり、存在しない人間が日本で強姦や殺人を行う事はできない。「ドラえもん」じゃあるまいし、「何処でもドア」を持っているアジア人なんか居ないだろう。人手不足など企業が儲けるための口実で、異民族はトラブルの素(もと)だ。例えば、100万人の移民が流入すれば、1千人ないし1万人くらいの犯罪者がていも不思議ではない。しかし、移民排除の政策を取れば、未来の犯罪1,000件以上を防ぐことができるのだ。移民促進派は「婦女強姦が数千件減るくらいじゃないか」と反撥するが、移民を予め閉め出せば、犠牲者となるはずの女性を1,000名ないし3,000名も救うことができる。強姦や殺人が起きてからでは遅いのだ。警官だって銀行強盗が発生するより、不審人物を摘発して強盗を未然に防ぐことを優先するはずだ。だから、警官は街中で怪しい奴を見かけると職務質問をして、シャブや兇器を持っていないか、と所持品を調べたりする。一般人は気付かないが、こうした立派な警察官がいるから、不幸な事件が起きなかったりするのだ。
安倍総理は入管庁を設置したり、規制を厳しくすることで移民を取り締まるそうだが、そんなのは絵空事に過ぎない。歐米諸国を見てみれば分かるじゃないか。子供を持つ親は、これから「まさか !」に備えるべきだ。「レイシスト」の烙印を恐れた日本人は、家族を亡くす覚悟を持った方がいい。「うちの子に限って、そんなことは起きない」と信じる親は甘いぞ。コーネリウス夫妻も娘の死を予想していなかったんだから。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68741378.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/886.html#c19
カルロス・ゴーン容疑者をめぐっては、日産自動車側が購入した高級住宅を私的に使用するなどゴーン容疑者が会社資金を私物化していた実態が次々と明らかになっている。ある幹部は「不正の限度を超えている」と憤りを隠さない。
「権力の座を理由にした会社の私物化が激しい」。ゴーン容疑者に浮上した内部調査を受け、日産幹部は22日、こう吐き捨てるように言った。
1年の多くを海外で過ごすというゴーン容疑者だが、事件発覚後、明らかになったのは日産子会社を通じて購入させるなどした海外の高級住宅を無償で利用していたことだった。
提供を受けたのは、ブラジル・リオデジャネイロ▽レバノン・ベイルート▽仏パリ▽オランダ・アムステルダム▽米ニューヨーク▽東京−の6カ所にある住宅。ブラジルやベイルートは幼少時代を過ごし、パリは仏ルノーの本社がある。
他の役員報酬の配分を決められる権限まで持っていたゴーン容疑者。他の取締役に毎年支払われていた報酬総額が、株主総会で承認された約30億円より約10億円少ないことも判明し、一部がゴーン容疑者に流れていた疑いもあるという。
自ら決められるのは現金だけではない。同社で導入されている株価と連動した報酬を受け取れる権利(ストック・アプリシエーション権)についても、約40億円分を自らに付与していながら、報酬として記載されていないことも発覚した。
私物化はゴーン容疑者本人にとどまらない。計数千万円に上るという家族旅行の代金や、日産が姉と実態のない「アドバイザリー」業務を契約し、毎年10万ドルを支払っていたことも社内調査などで明らかになった。
コンプライアンス担当の経験がある日産幹部は「ショックを受けている。世界が注目しているだけに、ゴーン容疑者には捜査にしっかりと協力して真実を話してほしい」と話した。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%a7%81%e7%89%a9%e5%8c%96%e3%80%8c%e9%99%90%e5%ba%a6%e8%b6%85%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8d-%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%ab%e6%97%a5%e7%94%a3%e5%b9%b9%e9%83%a8/ar-BBPZeS0#page=2
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c8
志賀高原 熊の湯スキー場 ‐ スキー場情報サイト SURF&SNOW
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r0294s.htm
熊の湯スキー場スタッフのブログ
https://ameblo.jp/kumakumanoyu/theme-10032237452.html
5ちゃんねる 【パウダー】志賀高原 【スノー】
https://find.5ch.net/search?q=%E3%80%90%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC%E3%80%91%E5%BF%97%E8%B3%80%E9%AB%98%E5%8E%9F%20%E3%80%90%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%80%91
▲△▽▼
志賀高原 熊の湯スキー場 2018-19シーズンオープンのお知らせ
本日、11/23(金)より、熊の湯スキー場オープン致します。
しばらくは、第2ペアリフト中間降り場から下、距離約600m・幅約30〜50mの1コースをお滑りいただけます。
今後、人工降雪も含め、準備が出来次第、他のコースもオープンする予定です。
また、平日も含め、毎日営業する予定です。
【11月23日 :6:00時点の状況 】
天候:雪 気温:-4 ℃ 積雪:20cm 新雪:2cm
長野県 下高井郡 山の内町 大字志賀高原 熊の湯温泉
電話 0269-34-2166
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c141
現在、東京拘置所の単独室で過ごしているとみられる、カルロス・ゴーン容疑者。
高級住宅の購入に複数のペーパーカンパニーが関わっていたことが、FNNの取材で明らかになった。
衝撃の逮捕から4日目。
ゴーン容疑者は、22日も東京拘置所で取り調べを受けているものとみられている。
来日直後の19日に逮捕され、22日に会長職を解任される見通しのカルロス・ゴーン容疑者。
拘留中の東京拘置所は、高さ50メートルの12階建てで、刑事裁判の判決が確定しない未決拘禁者と、死刑囚が収容されている。
家族や弁護士が面会する入り口の向かいには喫茶店、さらには差し入れを販売する商店も並んでいる。
2018年6月に撮影が許可された、東京拘置所の内部。
複数の収容者が入る共同室は、畳敷きでトイレ、木のテーブルが設置されている。
一方、1人で入る単独室は、3畳ほどの広さ。
元刑務官・作家の坂本敏夫氏は、「(ゴーン容疑者は)単独室です、間違いなく。まだどちらかわからない身分だから、ほかの人とは一緒にしない。入る時の身体検査も含めて、今までやったことないような、経験のないような屈辱を味わったと思う」と話した。
午前7時起床で、消灯は午後9時。
また、拘置所の生活には、食事の面などに外国人向けの規則があるという。
坂本氏は、「食事が違う外国人は、特別な食事を出しなさいと。それがパンとサラダと卵料理とか、そういうふうに変える。1日の食事代も、日本人と外国人だと、外国人の方が高くなっている。寝具についてもベッドを利用しなさいとか」と話した。
およそ50億円の報酬を隠した疑いで逮捕された、ゴーン容疑者。
FNNは、その豪勢な暮らしぶりのために、ペーパーカンパニーが使われていたことを新たに突き止めた。
8年前、日産自動車がオランダのアムステルダムに、およそ60億円を出資して設立した子会社「ジア・キャピタル」。
関係者によると、この子会社のさらに下に設立されたのが、「ハムサ1」、「ハムサ2」という孫会社。
いずれもペーパーカンパニーとみられ、社長は、日産の外国人執行役員が務めている。
「ハムサ1」はブラジルのリオデジャネイロ、「ハムサ2」はレバノンのベイルートに、それぞれ高級住宅を購入していた。
ブラジルのリゾートビーチ、コパカバーナ。
ゴーン容疑者の家は、このビーチの目の前にある。
世界屈指の有名リゾート、ブラジルのコパカバーナの高級住宅。
その相場を、地元の不動産会社に聞いてみると、「(住宅の広さは?)海に面した不動産物件は、150〜400平方メートルくらいになる。相場は、約533万ドル(約6億円)くらいだ」という。
2つの物件は、改修費用をあわせると、50億円になるとみられる。
こうした不動産の契約や資金の流れについては、ゴーン容疑者の指示のもと、側近のケリー容疑者が主導し、外国人の執行役員と日本人の幹部社員が実務にあたっていた。
また、ゴーン容疑者の姉にも、不正な資金が流れていたとみられることがわかった。
日産は2002年以降、ゴーン容疑者の姉と実体のないアドバイザー業務契約を結び、毎年、日本円にして、およそ1,100万円前後を支払っていたことも関係者の話でわかった。
22日午後から始まった臨時取締役会では、ゴーン容疑者の会長職解任が提案され、可決される見通し。
今後の見通しだが、ゴーン容疑者が2015年までの有価証券取引報告書の不記載で逮捕されたのが、19日。
今後、2016年3月期以降の分など、別の時期の不記載でも再逮捕されるかどうかが最初のポイントになる。
しかし、この報告書不記載は、法律で決めた形式的規定に反する犯罪、いわゆる「形式犯」のため、検察が、業務上の横領や特別背任といった、ゴーン容疑者個人に関わるより、重大な罪で逮捕できるかどうか、これが最大のポイントになる。
また、処分が決まったところで、保釈の話にもなる。
その場合には、保釈保証金の額の問題になるが、過去における保釈保証金、最高額は牛肉偽装事件などで逮捕された浅田ハンナン元会長の20億円。
東京地検特捜部の元検事・高井康行弁護士は、「保釈金は当人の資産状況にもよるが、報告書不記載だけなら単なる形式犯だから、50億円の不記載とはいえ、5億円から10億円ではないか。ただし、横領や背任が加われば、当然高くなる」と分析をしている。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181122-00406100-fnn-soci
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c9
aki********さん 2012/11/13 22:28:43
高句麗は朝鮮ですか大陸(中国?)ですか?民族的に文化的に言語的にどうなのか、それぞれの視点からお願いします。
補足
回答ありがとうございます。
高句麗が騎馬民族だったことを示す、文献なり遺跡なりは残っているのでしょうか?
高句麗は農業大国扶余の分国という情報をネットで拾い読みしましたが、これは間違っているでしょうか?
ベストアンサーに選ばれた回答
aka********さん 2012/11/15 08:36:25
高句麗国の神宮(高天原)の日の巫女の王の忌名と姫姓を受け継ぐ、社家の者としてお答えします。
高句麗は扶余と同じツングースで、北から来たと思っている人も多いようですが、じつはスンダランドが消滅したことで、中国大陸東岸を北上した人々の血がかなり入っているようです。言語的に日本語と近いことは数詞の一致などから見て取れます。固有語レベルで共通性がほとんどない現在の朝鮮語と日本語の関係と比べると、大違いです。とはいえ、地理的に隔たった分だけ差異が認められます。文献研究者が吏読と思っている言葉の多くが、じつは高句麗語というケースが多々あります。当家では日の巫女の王の名を襲名する者は高句麗語(文語的)を第一言語として育てられるので、はっきり認識出来るのですが、そうでない一般の日本人は、失われた言語についてほとんど認識出来ないと思います。
縄文人達は、鬼界カルデラの大噴火の災厄から逃れるために、海外脱出しています。疎開先に東北平原の地域を選んだ人々もいたようです。日の昇る方角に二柱の祖先神が立っていると考える、扶桑信仰が誕生しました。扶は寄り添って立つ同根一対の御神木を指す言葉で、扶余の国名になったようです。この二柱の神々は、現在の日本神話ではイザナギ・イザナミと呼ばれていますね。
扶余国は広大な平野に興った国ですが、寒冷化の影響を受けやすい地域です。太陽の力が陰ったのは王の人徳に問題があるからだという噂が広まって、民から責められた出来事を、漢民族が書き留めています。食糧難が発生して南下を余儀なくされた結果、高句麗や百済が派生したと見るべきでしょう。
高句麗は扶余と同じ太陽信仰の国でした。国母神とその息子の男王の二廟を祀っていることを漢民族が記録しています。これは、夜明けが太陽を産む→明姫(アカルヒメ)が東明聖王を産む→天照大神(神功皇后)が皇統を産んだ、という形で、皇室神道へと繋がっています。高句麗国が半農の国だったことは、東盟祭を観察すれば明らかです。隧穴を大地母神のホトに見立てて、隧神の男性のシンボル(箸=丸太の棒)で突いて、翌年の豊穣を祈願するお祭りをしていました。現代の新嘗祭の原型となった、纏向型祭祀(土坑祭祀)と共通します。箸墓古墳の箸でホトを突くという伝承は、墓の主の死因ではなく巫女が主宰した祭祀形態の伝承です。後世の人々が意味を取り違えたのです。隧穴は高句麗式の石組みのトンカラリン遺跡として日本にも残ります。隧神の箸は日矛鏡で反射した陽光(日矛)へと変り、隧穴を照らす形になりました。天岩戸伝説にも見ることが出来ますね。五穀豊穣を祈願する祭祀は農耕文化の象徴です。当家の主食は今もヘンプ(麻の実)の醗酵粥の醍醐です。東明聖王は朱蒙(弓の名手)の異名を持ちますから、半狩猟民族です。当家の者はボーラや印地の技を伝えています。
扶桑信仰は神仙思想と習合して、東夷=倭人=和人の人々の、蓬莱(日本)への東進を促す原動力になりました。和人文化圏が、山東・遼東半島付近から纏向の地まで広がっていたようです。もし東征だったら、男性は移動しても女性の移動は見られない筈です。ところが、九州の弥生の遺跡からは、縄文に見られないミトコンドリアの遺伝子の型、N9aやZが見出されます。今日の日本人と共通性を持ったパターンが、山東半島や遼東半島付近まで分布しています。つまり女性を伴っての移動だったのです。ところが、男性が担うY染色体のO2bのほうは、かつての和人文化圏に沿った分布が見られません。朝鮮半島付近は、後から男性のみの集団が侵入してY染色体を上書きしています。つまり侵略を受けたのですね。
天照大神の原型となった日の巫女の王が、難民達に日国への里帰りの託宣を下して、自ら日本に渡来して大王家(後の天皇家)を産みだした結果、高句麗の精神文化と言葉が日本にもたらされました。飛鳥や大和や息長などは、高句麗語の音写が変化せずに現代まで残ったものです。この時はO3の型を持った人々が大勢含まれていたと思われます。東明聖王が5部族を無血統一した故事に由来する、和を尊ぶ大和民族の精神に導かれた豊葦原瑞穂の国への里帰りの入植だったようです。京都や奈良の湿地帯の干拓事業を行ったので、古くから日本に住んでいた人々の土地を奪ったわけではないようです。平和的な入植だったので、Y染色体のD2遺伝子などが駆逐されずにちゃんと日本には残っていますね。
高句麗は半農半狩猟の民族で、言語や精神文化は日本が受け継いでいます。難民となって移動した人々は、Y遺伝子で見るとO2bやO3のほうが多いようです。多くの高句麗国の人々は大陸に残ったようですね。東進しやすかったのは、高句麗の民よりも半農・半漁労の人々だった、ということでしょう。
当家の神庫に残る故老の伝承を裏付けるものが多く見出せます。それなりに史実を反映していると思われます。
質問した人からのコメント
2012/11/15 09:09:10
高句麗に大和民族の精神的ルーツがあるという姫様のお家の伝承を元にした御説を以前から読ませて頂いてきましたが、遺伝的な痕跡まであったとは驚きです。
東北平原の土地は肥沃で中国最大の食糧生産地ですが、寒冷化が当時の扶余のヘンプの生産にどういう影響を与えたのか詳しく知りたくなってきました。日女神のお家の主食が米でなく麻の実の発酵粥の理由が、なんとなく分かってきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197169726
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c44
aki********さん 2012/11/13 22:28:43
高句麗は朝鮮ですか大陸(中国?)ですか?民族的に文化的に言語的にどうなのか、それぞれの視点からお願いします。
補足
回答ありがとうございます。
高句麗が騎馬民族だったことを示す、文献なり遺跡なりは残っているのでしょうか?
高句麗は農業大国扶余の分国という情報をネットで拾い読みしましたが、これは間違っているでしょうか?
ベストアンサーに選ばれた回答
aka********さん 2012/11/15 08:36:25
高句麗国の神宮(高天原)の日の巫女の王の忌名と姫姓を受け継ぐ、社家の者としてお答えします。
高句麗は扶余と同じツングースで、北から来たと思っている人も多いようですが、じつはスンダランドが消滅したことで、中国大陸東岸を北上した人々の血がかなり入っているようです。言語的に日本語と近いことは数詞の一致などから見て取れます。固有語レベルで共通性がほとんどない現在の朝鮮語と日本語の関係と比べると、大違いです。とはいえ、地理的に隔たった分だけ差異が認められます。文献研究者が吏読と思っている言葉の多くが、じつは高句麗語というケースが多々あります。当家では日の巫女の王の名を襲名する者は高句麗語(文語的)を第一言語として育てられるので、はっきり認識出来るのですが、そうでない一般の日本人は、失われた言語についてほとんど認識出来ないと思います。
縄文人達は、鬼界カルデラの大噴火の災厄から逃れるために、海外脱出しています。疎開先に東北平原の地域を選んだ人々もいたようです。日の昇る方角に二柱の祖先神が立っていると考える、扶桑信仰が誕生しました。扶は寄り添って立つ同根一対の御神木を指す言葉で、扶余の国名になったようです。この二柱の神々は、現在の日本神話ではイザナギ・イザナミと呼ばれていますね。
扶余国は広大な平野に興った国ですが、寒冷化の影響を受けやすい地域です。太陽の力が陰ったのは王の人徳に問題があるからだという噂が広まって、民から責められた出来事を、漢民族が書き留めています。食糧難が発生して南下を余儀なくされた結果、高句麗や百済が派生したと見るべきでしょう。
高句麗は扶余と同じ太陽信仰の国でした。国母神とその息子の男王の二廟を祀っていることを漢民族が記録しています。これは、夜明けが太陽を産む→明姫(アカルヒメ)が東明聖王を産む→天照大神(神功皇后)が皇統を産んだ、という形で、皇室神道へと繋がっています。高句麗国が半農の国だったことは、東盟祭を観察すれば明らかです。隧穴を大地母神のホトに見立てて、隧神の男性のシンボル(箸=丸太の棒)で突いて、翌年の豊穣を祈願するお祭りをしていました。現代の新嘗祭の原型となった、纏向型祭祀(土坑祭祀)と共通します。箸墓古墳の箸でホトを突くという伝承は、墓の主の死因ではなく巫女が主宰した祭祀形態の伝承です。後世の人々が意味を取り違えたのです。隧穴は高句麗式の石組みのトンカラリン遺跡として日本にも残ります。隧神の箸は日矛鏡で反射した陽光(日矛)へと変り、隧穴を照らす形になりました。天岩戸伝説にも見ることが出来ますね。五穀豊穣を祈願する祭祀は農耕文化の象徴です。当家の主食は今もヘンプ(麻の実)の醗酵粥の醍醐です。東明聖王は朱蒙(弓の名手)の異名を持ちますから、半狩猟民族です。当家の者はボーラや印地の技を伝えています。
扶桑信仰は神仙思想と習合して、東夷=倭人=和人の人々の、蓬莱(日本)への東進を促す原動力になりました。和人文化圏が、山東・遼東半島付近から纏向の地まで広がっていたようです。もし東征だったら、男性は移動しても女性の移動は見られない筈です。ところが、九州の弥生の遺跡からは、縄文に見られないミトコンドリアの遺伝子の型、N9aやZが見出されます。今日の日本人と共通性を持ったパターンが、山東半島や遼東半島付近まで分布しています。つまり女性を伴っての移動だったのです。ところが、男性が担うY染色体のO2bのほうは、かつての和人文化圏に沿った分布が見られません。朝鮮半島付近は、後から男性のみの集団が侵入してY染色体を上書きしています。つまり侵略を受けたのですね。
天照大神の原型となった日の巫女の王が、難民達に日国への里帰りの託宣を下して、自ら日本に渡来して大王家(後の天皇家)を産みだした結果、高句麗の精神文化と言葉が日本にもたらされました。飛鳥や大和や息長などは、高句麗語の音写が変化せずに現代まで残ったものです。この時はO3の型を持った人々が大勢含まれていたと思われます。東明聖王が5部族を無血統一した故事に由来する、和を尊ぶ大和民族の精神に導かれた豊葦原瑞穂の国への里帰りの入植だったようです。京都や奈良の湿地帯の干拓事業を行ったので、古くから日本に住んでいた人々の土地を奪ったわけではないようです。平和的な入植だったので、Y染色体のD2遺伝子などが駆逐されずにちゃんと日本には残っていますね。
高句麗は半農半狩猟の民族で、言語や精神文化は日本が受け継いでいます。難民となって移動した人々は、Y遺伝子で見るとO2bやO3のほうが多いようです。多くの高句麗国の人々は大陸に残ったようですね。東進しやすかったのは、高句麗の民よりも半農・半漁労の人々だった、ということでしょう。
当家の神庫に残る故老の伝承を裏付けるものが多く見出せます。それなりに史実を反映していると思われます。
質問した人からのコメント
2012/11/15 09:09:10
高句麗に大和民族の精神的ルーツがあるという姫様のお家の伝承を元にした御説を以前から読ませて頂いてきましたが、遺伝的な痕跡まであったとは驚きです。
東北平原の土地は肥沃で中国最大の食糧生産地ですが、寒冷化が当時の扶余のヘンプの生産にどういう影響を与えたのか詳しく知りたくなってきました。日女神のお家の主食が米でなく麻の実の発酵粥の理由が、なんとなく分かってきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197169726
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c144
終戦後 満州・朝鮮での「接待」とは
満州からの帰国者は被害者なのに加害者扱いされた
日本人を捨てて逃げた皇軍
最近第二次大戦終了後の満州などで行われた「接待」が問題視されています。
この問題が特異なのは事件が1945年8月15日つまり終戦後に発生し、被害者の日本人は「加害者」に仕立て上げられた点です。
順に説明すると1945年8月、敗戦を確信した関東軍(日本陸軍の満州駐留軍)は大本営の指示を受け密かに全軍を南朝鮮に移動させた。
8月9日にソ連軍は満州に侵攻したが、本格戦闘には至らず「日本軍が下がった分だけソ連軍が前進」する戦略を取った。
極東のソ連軍は弱く、満州の日本軍が本気を出せばまだまだ強敵なので、日本軍が下がるのを待ったのでした。
8月9日に関東軍は満州脱出を開始したが、「我々はソ連軍と最後の決戦に向かう」と日本人をだまして夜逃げしました。
満州国の首都新京では数十万人の日本人居留民が日の丸の旗を振って送り出したが、実は朝鮮半島まで我先に脱走したのでした。
騙された日本人居留民100万人は押し寄せる中国人やソ連兵におそわれ、30万人から50万人が現地でなくなりました。
この時残された日本人居留民は中国人やソ連兵に命乞いするために、自分の娘を差し出して「接待」をさせました。
ソ連兵に日本人の女を差し出した
ソ連兵の規律は悪く、居留民の全てを奪ったので、カメラを没収され終戦後の満州の写真も残されていません。
それでも大勢が集まっていた新京では居留民が協力して大きな被害はなかったが、農村や朝鮮半島北部は深刻でした。
関東軍は黙って逃げ去ったので日本人はどうしたら良いか分からず、38度線まで逃げれば良いのに途中でとどまった人が多かった。
38度線の南側はまだ日本軍が駐留し規律が守られていたが、北側は無政府状態になった。
やはりソ連兵に命乞いをするため、避難民の中の年頃の娘を差し出しました。
また朝鮮人もソ連兵の気に入られようと、日本人をおそって金品を奪って差し出したり、娘をさらってソ連兵に差し出したりした。
そうしてソ連のお気に入りになった人間が後に北朝鮮で要職を占めることになった。
命からがら日本まで逃げ帰った人々は、戦後GHQの方針で「侵略者」と定義され加害者扱いされることになった。
このように接待をやらされた人や日本人居留民たちは、被害者であるにもかかわらず加害者のレッテルを貼られることになった
http://www.thutmosev.com/archives/78224941.html
拙著『日本を直撃する「複合崩壊」の正体』
https://amzn.to/2PPBhAE
の販売が開始された。
日本がなぜ成長できないのか
日本を蝕む病巣がどこにあるのか。
日本の主権者はどのようにわが身を守ればよいのか。
資産防衛のための投資極意とは何か。
株式市場の混迷が深まっている背景は何か。
詳述しているのでぜひご高読賜りたく思う。
臨時国会が開かれており、極めて重大な法案が提出されている。
「奴隷貿易制度」を確立する入管法改定
ハゲタカに日本の水道を支配させる水道法改定
日本の一次産業を破滅に追い込む日欧EPA承認案
既存の漁業者から権利を奪い、日本の漁業をハゲタカに献上するための漁業法改定、
売国法案、日本崩壊法案のオンパレードである。
とりわけ、入管法改定では、法務省が失踪した技能実習生に対する聴取票結果に関して虚偽の報告を国会にしていたことが明らかになった。
働かせ方改悪法を強行制定するために厚生労働省が捏造データを報告したのとまったく同じ図式が明らかになった。
メディアが連日連夜、技能実習生を雇用する日本企業のブラックな実態に光を当てれば、入管法改定をこの臨時国会で強行することが難しくなる。
安倍内閣はハゲタカ資本のために、法改定による「奴隷貿易制度」を2019年4月に施行することを目論んでいるが、こうした暴政を許すわけにはいかない。
メディアの事実報道が求められる局面である。
この局面を打開するために検察がゴーン逮捕を表面化させた。
法務省不祥事を隠蔽するためのスピン報道を誘導したのだ。
大物芸能人の麻薬事案、大物芸能人の刑事事件、資産家殺害事件など、どうでもよい情報を意図的にリリースして、電波ジャックを図る。
実際、ゴーン逮捕以来、報道の大半をゴーン事案が占拠している。
その裏側で上記の売国法強行制定が着々と進行する。
こうして日本の崩壊がさらに加速されるのだ。
日本の政治は確実に悪い方向に突き進んでいる。
そして、2019年に向けて最重要の事案が消費税増税である。
消費税増税を強行しようとする財務省がNHKと日本経済新聞を活用して「TPR」を展開している。
「TPR」は1985年に創設されたTAXのPRのことである。
実態は権力を活用した世論操作、情報操作活動である。
消費税増税の根拠とされているのは、社会保障制度の維持と、財政健全化であるが、現実の消費税増税にこの二つは無関係である。
1989年度と2016年度の税収構造を比較すれば、その実態が明らかになる。
何度も繰り返すが、この最重要事実がメディアによってまったく報道されない。
税収規模は1989年度が54.9兆円、2016年度が55.5兆円で、ほぼ同額である。
変化したのは主要税目の税収構成比である。
所得税 21.4兆円 → 17.6兆円
法人税 19.0兆円 → 10.3兆円
消費税 3.3兆円 → 17.2兆円
各税目の税収変化は
法人税=9兆円減少、
所得税=4兆円減少、
消費税=14兆円増加
である。つまり、消費税増税は、法人税減税と所得税減税のために実施されてきたことが分かる。
また、日本財政が危機とされる根拠が政府債務1000兆円だが、これも「印象操作」情報でしかない。
2016年末時点で、日本政府は1285兆円の負債を抱えているが、1302兆円の資産を保有しており、18兆円の資産超過である。
「借金1000兆円による財政危機」というのも真っ赤な嘘なのだ。
「国家の嘘」を明らかにして、日本の世直しを進めなければならない。
弓矢で米国人殺害、インド・北センチネル島の先住民とは?
2018年11月23日 15:03 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198906?cx_part=top_topstory&cx_position=2
上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。
印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL
【11月23日 AFP】米国の若い宣教師がインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で命を落とした事件は、世界で最も現代文明から隔絶されたグループの一つと考えられているこの島の人々に、再びスポットライトを当てるきっかけとなった。
先週、宣教目的でインド洋上の同島にカヤックで近づき、不法に上陸しようとして殺害されたのはジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)。チャウさんは、複数の矢で射られて死亡したとみられている。
この島の先住民について、これまでに分かっていることは以下のとおり。
■隔絶
北センチネル島は、米ニューヨーク・マンハッタン(Manhattan)ほどの広さがある。ここで暮らす唯一の先住民のグループは、強い警戒心を持って自分たちの土地を守っている。食料は、森や海から調達しているとされる。
北センチネル島の人々は、アンダマン諸島(Andaman islands)のいくつかの先住民族の中で最も外界から隔絶されている。また、インドの法律でも、先住民と接触することは固く禁じられている。島に暮らす人々は、現代文明から隔絶された生活を送っているため、免疫を持たない病気に対して身を守る術を持っていないのだ。
英国は18世紀にこれら島々の植民地化を試みた。当時の記録では、約8000人が暮らしていると推定されていた。現在の人口は約150人と考えられているが、遠方から撮影した写真を頼りに行った国勢調査では、15人程度とも記録されている。
センチネル島の先住民に関する大半の情報は、島から遠く離れた沖合の船から観察して得られたものだ。しかし、チャウさんが死亡する数時間前に書き留めたとされる日記によると、島の男性らの身長は約1メートル65センチで、顔は黄色く塗られていたという。
一時期、センチネル島の先住民たちは、外部からの訪問者を受け入れていた。人類学者らによって、贈り物の交換や現地調査が1960年代に行われていたのだ。しかし、2004年のスマトラ島沖地震後、同島上空を飛行する印沿岸警備隊のヘリコプターに対して、先住民らが敵対する態度を示したことから、以降の交流継続が断念された。当時、先住民との接触は金輪際しないと宣言されたが、遠方からの監視はその後も継続して行われている。
■「人間サファリツアー」に批判
50年前に北センチネル島を訪れたことのある人類学者のT.N.パンディット(T.N.Pandit)氏は、彼らとの接触を急ぐべきではないと話す。同氏は、インド誌「Down To Earth」との最近のインタビューで、「アンダマン諸島の4部族のうち、外界と密に接触している部族が最も困難な状況に置かれている。人口統計学的にも文化的にも」と語っている。
アンダマン諸島の先住民の中で英国が最初に接触したのは、近くの島で暮らしていたジャラワの人々だった。2011年に実施された国勢調査では、人口は約400人と推定されている。
彼らは当初、外部の人々との接触をかたくなに拒否していたが、1970年代になると次第に接触を許すようになった。当時、一部の旅行会社が、ジャラワの人々の暮らしぶりを見ることができるとして「人間サファリツアー」を企画し、非難されるという出来事もあった。
現地を訪れた人々によると、観光客との頻繁な接触によって、若い世代はヒンディー語を少し理解できるようになり、飲酒や喫煙を始めた者もいたという。
2012年には、観光客相手に裸で踊るジャラワ人女性の映像が拡散。こうした現状が問題視され、規制や取り締まりが強化された。また2016年には、島の外の男性が父親とみられる色白の赤ちゃんが生まれ、グループのルールにのっとって殺されたと複数のメディアが報じている。(c)AFP
日産の西川広人・社長兼最高経営責任者(CEO)は同日夜、記者会見を開き、内部通報を受けて社内調査を行った結果を検察に報告し、検察当局と協力して調査を進めてきたと説明。さらに、「(ゴーン氏は)目的を偽って私的な目的で当社の投資資金を支出したという不正行為、それから私的な目的で当社の経費を支出したという不正行為」もはたらいていたと明かした。ジャーナリストの河村靖史氏は、次のように解説する。
「会見では触れられていませんでしたが、今回の不正は昨年発覚した無資格者による完成車検査の問題を調査する過程で判明したといわれています。経営陣のなかでも限られたメンバーで内々に調査を進めた結果、“完全にクロ”であることを示す証拠が見つかったことで、検察への報告に至ったようです。一部では、日産が2017年3月期の税務申告をめぐり約200億円の申告漏れの指摘を東京国税局から受け、日産が国税不服審判所に審査請求をしていることに対する国税の“報復措置”との見方もありますが、今回の件では国税が関与する隙きは見当たらないので、その可能性は低いでしょう」
日産といえば、昨年9月に検査不正が発覚した際も、ゴーン氏はその対応を西川社長らに押し付け、自身は責任追及を逃れたとして批判を浴びた。また、2014年3月期決算が予想を大幅に下回った際、当時ゴーン氏に次ぐNO.2で日本人トップだった志賀俊之COO(最高執行責任者)を事実上更迭するなど、いつも自身は責任を取らずに部下に責任を取らせ、さらには反抗的な人物を子会社の販売会社に飛ばすなど、その強権的な手法に社内で不満がたまっていたともいわれている。今回のゴーン逮捕の背景には、そうしたゴーン氏と他の経営陣との軋轢も影響しているのだろうか。
「直近では、ゴーン氏と他の経営陣の間で、特に目立った軋轢はありませんでしたが、西川社長としては、絶対的な権力者であるゴーン氏をこれで追い落とせるという確信があったからこそ、検察に報告したのでしょう。会見での西川社長のサバサバとした表情からも、そのように感じます」(同)
異常に高額だった役員報酬
では、今回の逮捕が今後の日産の経営に影響を与える可能性はあるのだろうか。
「日産というよりは、ルノー・日産・三菱自動車のアライアンスには、大きな影響が出てくるかもしれません。現在アライアンスを束ねているのはルノー会長兼CEOのゴーン氏ですが、今回の逮捕でルノーはトップ不在となり、誰がアライアンスの舵取りを担うのかという問題が出てきます。企業規模でいえば日産が一番大きいですが、日産はルノーの議決権を持っていない。一方、ルノーは日産株の4割超を保有し議決権も持つ。このようななかで、両社のどちらが主導権を握るのかで揉める局面が出てくるかもしれません。
また、ルノーの筆頭株主であるフランス政府のマクロン大統領は、かねてからルノーと日産の経営統合を唱えており、それに反対するゴーン氏と鋭く対立していました。そのゴーン氏が失脚したことで、フランス政府による経営介入が強まれば、アライアンスに大きな変化がもたらされることも考えられます」(同)
ちなみに、ゴーン氏といえば、高額な役員報酬が毎年話題になってきた。2017年度を例にとれば、日産会長としての報酬7億3000万円に加え、仏ルノー会長兼CEOとして同9億5000万円、三菱自動車工業会長として同2億2700万円と、合計で約19億円に上る報酬を手にしている。そんなゴーン氏が、なぜ自身の報酬を有価証券報告書に過少に記載するなどという行為に手を染めたのだろうか。
「一言でいえば“金に汚い”ということでしょうか……。そもそもゴーン氏は2000年に日産の社長に就任して以降、ずっと役員報酬が異常に高かったのですが、2005年に廃止されるまで毎年公表されていた高額納税者に、なぜかゴーン氏の名前が掲載されていませんでした。罰則金を払ってまで申告を遅延させることで公表を免れていたのではないか、という噂もありましたが、当時リストラで苦労を強いられていた日産社員のやっかみを買うことを恐れていたのかもしれませんね」(同)
日産は22日に開く取締役会でゴーン氏を解任するとしているが、“ゴーンなき日産”は、どこに向かうのだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=341065
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c10
全会一致で決まったゴーン容疑者の会長解任。4時間にわたる取締役会の内幕が明らかになった。
22日、午後4時過ぎから始まった日産自動車の臨時取締役会。場所は横浜にある本社ビル内の会議室。
私物化の実態に「これはひどい」
複数の日産関係者によると出席した取締役はゴーン容疑者とケリー容疑者を除く7人。そのうちルノー出身の2人はフランスからテレビ会議で参加した。
取締役会は、ゴーン容疑者らの不正の実態に関する内部調査の結果説明から始まった。
その際、ルノー出身の2人は、「情報が十分にない。事実を教えてくれ」と強く主張。
これに対し、調査担当者は実際の帳簿類のコピーを示しながら不正の手口を細かく説明した。調査結果が示していた私物化の実態には異論を挟む余地がなく…「これはひどい。」
そして、4時間近くに及んだ会議終盤。ゴーン容疑者の会長解任などの提案について賛否を求められると…
「異議なし。」
ルノー出身の2人の取締役を含む全会一致でゴーン容疑者の会長職解任が決まった。
今回の取締役会について、自動車評論家の国沢光宏さんは「ルノー側は最初はゴーン容疑者の会長職解任に対して『待った』をかけようとしたようですけど、あまりにもやっていることが厳しかったので、了承せざるを得なかったということらしいです。ルノーの会長職解任も確実だと思います。」と語る。
後任の会長人事は、現在の取締役の中から提案
ゴーン容疑者が全幅の信頼を置いていた“ゴーンチルドレン”の1人西川広人社長は、取締役会を終えて「厳しい状況だが一歩、少し進んだかなというのが実感です。」と語った。
後任の会長人事については、今後現在の取締役の中から候補者を提案し、年内にも開かれる次の取締役会で決まる見通しだ。
揺れに揺れる日産の今後についてフジテレビ経済部の智田裕一解説委員は、「有価証券報告書という、企業が投資家に開示する重要な資料がウソだったということについては、ゴーン容疑者以外の経営陣にも責任があると言えます。
企業統治の立て直しに向け、この先の経営を誰がどう担っていくのか、日産は大きな課題を抱えています。」と指摘する。
ポイントは株主総会
倉田大誠キャスター:
日産が臨時取締役会でゴーン容疑者を会長職から解任して単なる取締役とし、次期会長は現在の取締役の中から選出するとしました。ポイントはどこでしょうか。
反町理キャスター:
ゴーン、ケリー両容疑者がいない取締役会を舞台に日産はルノーの影響をどれくらい薄い新体制を作れるか。ポイントは株主総会です。
元東京地検特捜部の若狭弁護士によりますと、「日産側は株主総会で両容疑者を取締役からも外す提案をするだろうが、43%以上の株を持つルノーは2人を外すと同時に新たにルノー系の新取締役2名の選出を求めるだろう」としています。
「そうなると、取締役の選任・解任が可能な株主総会の緊張感が一気に高まります。なぜならば、取締役会の構成が会長人事や会社の大方針を決めることになるからですが、ルノーによる日産の持ち株比率は43%を超えています。過半数を得るためには多数派獲得競争が展開される可能性が出てきます」と若狭弁護士は指摘します。
日仏両国政府の思惑も絡んでこの問題は大変難しい局面に差し掛かっています。
(「プライムニュース イブニング」11月23日放送分より)
http://www.asyura2.com/18/hasan129/msg/588.html
aki********さん 2012/10/31 13:54:35
天照大神は女神とされていますが、なぜ伊勢神宮などに男神の装束が奉納されているのですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
aka********さん 2012/11/4 08:51:34
日の巫女の王を襲名した斎の巫女としてお答えします。
日本人は初日の出を拝む風習を持っていますが、神道本来の太陽信仰の姿は、為政者の宗教改革によって見えなくなっています。詳細は省きますが、蘇我馬子は天皇暗殺に飽き足らず、皇祖大兄を名乗って皇統に割り込み、没後は天照大神・男神として祀られるように画策しました。皇祖神・蘇我馬子を後世の人々は否定したものの、太陽信仰の姿が定かでなくなってしまい、本来の太陽神もろとも封印される形になったのです。日本の国姓の姫を母系継承する当家や他の幾つかの社家が、より古い時代の太陽信仰の姿を伝承しています。しかし、天皇記や国記が燃やされるなど、焚書が横行したので、神庫と古い書物の存在は秘匿されたのです。
天照大神は、日本の国号と記紀神話が成立したときに創作された新しい神です。より古い時代に「天照国なになに」という名で祀られた天照系の神々がいますが、そのなかに女神が単体で祀られたケースは見当たりません。信仰実績がないのですから、蘇我馬子達の暴挙が否定された後で、記紀神話が創作された時に、新しく設定された皇祖神と分かります。
記紀神話以前の古い国母神は、比売許曽(ひめこそ/姫の社という意味の古い高句麗語)に祀られていた明姫(アカルヒメ)でした。阿加流比売(アカルヒメ)という音写しか一般に知られてませんよね。天照大神・荒魂・瀬織津姫もまた記紀神話から除外されて、神社からもその名を消されていった女神です。隠蔽体質が顕著です。古い日女神達や建国にまつわる神話は、新たな日本国の神話と信仰を確立する妨げになるので、日本書紀に掲載されませんでした。本当の王統の誕生を祝うお祭りは、京都の葵祭です。建国神話はこのお祭りと一対一対応する桃太郎の昔話として知られています。
詳細を省きますが、アカルヒメが新羅から渡来した女神という神話は真に受けないでください。特有の仮託された表現で構成されているものを、矛盾に気付かずに、太陽神と巫女神が夫婦喧嘩したとか、元祖ストーカー王子と解釈するのは間違いです。書き手の地理的感覚や時間軸も混乱しています。阿加流比売を奉斎する巫女集団が大陸の高天原から渡来した時期は、黄巾の乱の後、卑弥呼登場の少し前です。
記紀神話成立以前の本来の太陽信仰を再生するうえで、国外の和人文化の記録が参考になります。
纏向型祭祀(土坑祭祀)と高句麗の東盟祭の類似性が指摘されています。中国大陸東岸の長江文明の稲作が日本まで伝わってきたことから分かるように、東夷とも倭(和)人とも呼ばれた人々の渡来によって、縄文時代は弥生時代に変わっていきました。黄巾の乱で発生した難民の渡来は、弥生時代を古墳時代に変えていきました。山東半島から纏向遺跡に至る東進ルート沿いに、和人文化圏が形成された時代がありました。高句麗地域(渤海湾岸文明)の朝日に対する信仰は東明信仰です。これを漢民族は扶桑信仰として書き残しています。高句麗では国母神とその息子の男王神の二霊廟を祀っているという記述も残ります。
明姫は「日が明ける」という意味を持つ日女神です。夜明けを神格化した女神です。夜明けから生まれてくるのは太陽です。太陽を神格化した男神が東明聖王です。夜明けが産む太陽。明姫が産む東明聖王。皇祖神・天照大神(女神)が産み出した皇統。高句麗の国母神とその息子の男王神に対する信仰とも対応します。
飛鳥と書いても明日香と書いてもアスカと読みます。飛鳥はじつは「日が明ける(新しい)」を意味する古い高句麗語(祝詞の吏読のルーツ)の音写です。朝鮮語でも「日が明ける」と「飛ぶ鳥」は「날 새/ナルセ」で同音です。「明日」は「日が明ける」の漢語表記です。語尾の「香」は「郷」の音写です。つまり飛鳥郷(京)は、国母(皇祖神)とされた日女(姫)神の明姫の名にちなんだ太陽(東明)信仰の王都なのです。
記紀神話は、イザナギとイザナミの男女一対の神による国産みから始まります。これは陰陽思想に基づきます。天照大神も陰陽思想の影響を受けて設定された太陽神です。天上に輝く陽の存在(太陽)は男神で、その光を受けて人の姿を取るとき、陰の存在の女神の姿を取るとされます。ですから、太陽神・天照大神の依り代となる巫(かんなぎ)は、生き神扱いの男装の巫女なのです。
記紀神話のなかで、スサノオは天照大神のことを姉と呼びます。また、スサノオと対峙するとき、女性の髪形を解いて男装する描写があります。人の姿をした天照大神は、記紀神話の伝承でも女神として描かれます。私が天照大神と心身一体の状態になって神座に座るときに着る神服もまた、男装の剛装束です。皇室から伊勢神宮に奉納される神服も男神用です。普通の人が着るには、やや大きめに作られた物が奉納される慣習があるのは、日の巫女の王の一族は体が大きいことが知られてきたからです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296497722
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c45
>>144 の妄想の続き
aki********さん 2012/10/31 13:54:35
天照大神は女神とされていますが、なぜ伊勢神宮などに男神の装束が奉納されているのですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
aka********さん 2012/11/4 08:51:34
日の巫女の王を襲名した斎の巫女としてお答えします。
日本人は初日の出を拝む風習を持っていますが、神道本来の太陽信仰の姿は、為政者の宗教改革によって見えなくなっています。詳細は省きますが、蘇我馬子は天皇暗殺に飽き足らず、皇祖大兄を名乗って皇統に割り込み、没後は天照大神・男神として祀られるように画策しました。皇祖神・蘇我馬子を後世の人々は否定したものの、太陽信仰の姿が定かでなくなってしまい、本来の太陽神もろとも封印される形になったのです。日本の国姓の姫を母系継承する当家や他の幾つかの社家が、より古い時代の太陽信仰の姿を伝承しています。しかし、天皇記や国記が燃やされるなど、焚書が横行したので、神庫と古い書物の存在は秘匿されたのです。
天照大神は、日本の国号と記紀神話が成立したときに創作された新しい神です。より古い時代に「天照国なになに」という名で祀られた天照系の神々がいますが、そのなかに女神が単体で祀られたケースは見当たりません。信仰実績がないのですから、蘇我馬子達の暴挙が否定された後で、記紀神話が創作された時に、新しく設定された皇祖神と分かります。
記紀神話以前の古い国母神は、比売許曽(ひめこそ/姫の社という意味の古い高句麗語)に祀られていた明姫(アカルヒメ)でした。阿加流比売(アカルヒメ)という音写しか一般に知られてませんよね。天照大神・荒魂・瀬織津姫もまた記紀神話から除外されて、神社からもその名を消されていった女神です。隠蔽体質が顕著です。古い日女神達や建国にまつわる神話は、新たな日本国の神話と信仰を確立する妨げになるので、日本書紀に掲載されませんでした。本当の王統の誕生を祝うお祭りは、京都の葵祭です。建国神話はこのお祭りと一対一対応する桃太郎の昔話として知られています。
詳細を省きますが、アカルヒメが新羅から渡来した女神という神話は真に受けないでください。特有の仮託された表現で構成されているものを、矛盾に気付かずに、太陽神と巫女神が夫婦喧嘩したとか、元祖ストーカー王子と解釈するのは間違いです。書き手の地理的感覚や時間軸も混乱しています。阿加流比売を奉斎する巫女集団が大陸の高天原から渡来した時期は、黄巾の乱の後、卑弥呼登場の少し前です。
記紀神話成立以前の本来の太陽信仰を再生するうえで、国外の和人文化の記録が参考になります。
纏向型祭祀(土坑祭祀)と高句麗の東盟祭の類似性が指摘されています。中国大陸東岸の長江文明の稲作が日本まで伝わってきたことから分かるように、東夷とも倭(和)人とも呼ばれた人々の渡来によって、縄文時代は弥生時代に変わっていきました。黄巾の乱で発生した難民の渡来は、弥生時代を古墳時代に変えていきました。山東半島から纏向遺跡に至る東進ルート沿いに、和人文化圏が形成された時代がありました。高句麗地域(渤海湾岸文明)の朝日に対する信仰は東明信仰です。これを漢民族は扶桑信仰として書き残しています。高句麗では国母神とその息子の男王神の二霊廟を祀っているという記述も残ります。
明姫は「日が明ける」という意味を持つ日女神です。夜明けを神格化した女神です。夜明けから生まれてくるのは太陽です。太陽を神格化した男神が東明聖王です。夜明けが産む太陽。明姫が産む東明聖王。皇祖神・天照大神(女神)が産み出した皇統。高句麗の国母神とその息子の男王神に対する信仰とも対応します。
飛鳥と書いても明日香と書いてもアスカと読みます。飛鳥はじつは「日が明ける(新しい)」を意味する古い高句麗語(祝詞の吏読のルーツ)の音写です。朝鮮語でも「日が明ける」と「飛ぶ鳥」は「날 새/ナルセ」で同音です。「明日」は「日が明ける」の漢語表記です。語尾の「香」は「郷」の音写です。つまり飛鳥郷(京)は、国母(皇祖神)とされた日女(姫)神の明姫の名にちなんだ太陽(東明)信仰の王都なのです。
記紀神話は、イザナギとイザナミの男女一対の神による国産みから始まります。これは陰陽思想に基づきます。天照大神も陰陽思想の影響を受けて設定された太陽神です。天上に輝く陽の存在(太陽)は男神で、その光を受けて人の姿を取るとき、陰の存在の女神の姿を取るとされます。ですから、太陽神・天照大神の依り代となる巫(かんなぎ)は、生き神扱いの男装の巫女なのです。
記紀神話のなかで、スサノオは天照大神のことを姉と呼びます。また、スサノオと対峙するとき、女性の髪形を解いて男装する描写があります。人の姿をした天照大神は、記紀神話の伝承でも女神として描かれます。私が天照大神と心身一体の状態になって神座に座るときに着る神服もまた、男装の剛装束です。皇室から伊勢神宮に奉納される神服も男神用です。普通の人が着るには、やや大きめに作られた物が奉納される慣習があるのは、日の巫女の王の一族は体が大きいことが知られてきたからです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296497722
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c145
糸島郡の平原遺跡 2014-11-02
平原遺跡 :糸島郡前原町平原
昭和40年糸島郡前原町平原(当時、現在は平原市)において、農作業の最中に多量の朱と共に大小鏡の破片等が発見された。
偶然の発見であったが、福岡県教育委員会はただちに原田大六を調査団長とした発掘調査団を組織し、調査・発掘が実施された。結果、遺構は東西十八m、南北十四mの長方形の方形周溝墓で、弥生時代から古墳時代にかけての遺構であるとされた。原田大六は、2世紀中頃であるとしている。
遺構の中央部には、割竹形木棺を収めていたと思われる痕跡もあった。
この遺跡からは、破砕された合計39面の鏡、ガラス・メノウなどの装身具、素環頭太刀等が出土し、鏡の枚数は一墳墓からの出土数としては我が国最多であった。
又、復元された内行花文鏡は直径が46.5cmもあり、これ又我が国では最大経の鏡であった。太刀等武具の少なさ、装飾品の豪華さ、それに鏡の多さなどから、原田は、この遺構を「伊都国の女王」の墓だと想定している。
平成2年には、平原方形周溝墓出土品が国の重要文化財に。さらに、平成18年には国宝に指定されました。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されていて、銅鏡のなかには日本最大級の直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありました。ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一。
副葬品にネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、この墓に葬られた人物は女性で、特に超人的な力を持った女性ということで、卑弥呼の墓という説もあるほどです。
1号墓出土品(国宝)
大型内行花文鏡 4面(5面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、仿製鏡(日本製)、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡である。
内行花文鏡(内行花文四葉鏡) 2面
方格規矩鏡 32面、(鋸歯文縁方格規矩四神鏡が23面、流雲文縁方格規矩四神鏡が9面)
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉 12個
ガラス製(瑪瑙:めのう)勾玉(くだたま) 3個、ガラス丸玉 約500個
ガラス小玉 一括(約500)
ガラス管玉 一括(30以上)
ガラス連玉 一括(約886)
耳璫(じとう、耳珠)3
素環頭大刀 1振
鉄鏃10
鉄やりがんな1
鉄のみ1
鉄斧1
日本一大きな国産の内行花文八葉鏡四枚について、考古学者故原田大六(だいろく)はその図抜けた大きさと特異文様とが、伊勢神宮に関する種々の史料から内宮の御神体である八咫鏡( や たのかがみ)と同じものではないかと推察し、次のように述べている(『実在した神話』、学生社)。
「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
森浩一氏も、この原田説を支持され、
「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」
と述べておられる(『日本神話の考古学』)。
豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう玉依姫ということになる。
その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、
「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」
とある『書紀』に従えば、このときからアマテラスこと玉依姫の依り代である八咫鏡が、現在の鎮座地である伊勢へと至る長い巡幸が始まるのである。
その伊勢神宮内宮を見てみれば、アマテラスこと玉依姫の相殿に万幡(よろずはた)豊秋津姫こと豊玉姫が鎮座している。
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3124.png
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3122.jpg
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/11/IMG_3123.png
原田先生の報告書は『平原弥生古墳 大日霊貴の墓』
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
tokyoblog April 2015 八咫の鏡
「咫(た)」とは円周の長さの単位で、1咫=8寸、直径2.5寸の円周(円周率3.2)とされている。
八咫鏡とは直径2尺、46センチの鏡という事になる。
平原遺跡からは、まさに直径46センチの国内出土最大の鏡が4枚出土している。御統は勾玉や管玉などを緒に通して首飾りにしたもので、五百箇の御統とは、珠が五百箇ある首飾りという事になる。平原遺跡出土の首飾りを写真で数えてみると約470個の珠があった
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E9%83%A1%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%81/
平原遺跡(ひらばるいせき)は、福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。 曽根遺跡群の一つとして、昭和57年10月、国の史跡に指定。平成12年10月追加指定。
平原遺跡は弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称である。 1965(昭和40)年1月、平原遺跡1号墓が偶然発見され、原田大六を中心に学術調査された。昭和63〜平成11年度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に5基の墳丘墓が発見されている。 この遺跡は「平原歴史公園」として、1号墓のみが墳丘墓として復元管理されている。
1号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年、国宝に指定された(文化庁所有、伊都国歴史博物館保管)。
1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。
その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あった。これらの破片は当初、39面分に復元されていた。
その後の調査の結果、従来4面に復元されていた直径46.5センチメートルの大型内行花文鏡の破片が実は5面分の破片の可能性があると指摘された。(前原市調査報告書)。このうち1面が九州国立博物館、4面が伊都国歴史博物館に展示されている。
1990年の重要文化財指定時には、銅鏡の員数は39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は40面分となっている[1]。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多である(2009年現在)。
なお直径46.5センチメートルの鏡の外周は鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。
この副葬された多数の銅鏡片は「人為的に破砕されたモノではない」と発掘責任者の原田大六は主張している[2]。
学術調査時に、2〜5号墓からは青銅器類の遺物は発見されず、出土した土器や石器類などから弥生時代後期の墓と推定された。5号墓から発見されたとする銅鏡の鈕部分2個は、この破片が土中から発見されたことから5号墓の発見に繋がっていることによる。
主な出土品
1号墓大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
内行花文鏡 2面
方格規矩鏡 32面
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900
耳璫 3破片
素環頭大刀 1
国宝指定名称は以下のとおり。
福岡県平原方形周溝墓出土品 銅鏡 40面分
玉類 一括
鉄素環頭大刀 1口
附:土器残欠、ガラス小玉、鉄鏃等 一括
5号墓銅鏡片 2
1号墓から出土した大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)を、その文様と大きさから原田大六は「八咫鏡」と解し、伊勢神宮の八咫鏡も元々は同型の鏡であったのではないか、との説を提示している[5]。『御鎮座伝記』に「八咫鏡」の形は「八頭花崎八葉形也」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、この「大型内行花文鏡」のみである。
1号墓は副葬品の多くが勾玉や管玉、耳璫(耳飾り)[6]などの装身具であり、武器類が少ないため、この墓に埋葬された人物は女性であると考えられている。 原田大六はこの平原1号墓の主を玉依ヒメとし、大日孁貴であるという説を提示している[5]。
1号墓の東南にある直径約70センチメートルの縦穴を、発掘調査した原田大六は、湧水の存在から井戸として報告している。この縦穴を「前原市報告書」は大柱跡(穴中の土壌成分未調査)として、墓から見て東南の日向峠の方角に位置していることから、この大柱跡は太陽信仰に関係するものとの説を提示している。
墓壙周辺の12本の柱穴の遺構について、原田大六は「銅鐸や弥生式土器などの絵画に見られる棟持柱を持つ切妻造の倉庫建築の柱の配置にこの柱跡の遺構が似ている」として、この墓壙周辺の12本の柱跡は「殯宮関係の建築物の遺構と考えられる」としている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c46
糸島郡の平原遺跡 2014-11-02
平原遺跡 :糸島郡前原町平原
昭和40年糸島郡前原町平原(当時、現在は平原市)において、農作業の最中に多量の朱と共に大小鏡の破片等が発見された。
偶然の発見であったが、福岡県教育委員会はただちに原田大六を調査団長とした発掘調査団を組織し、調査・発掘が実施された。結果、遺構は東西十八m、南北十四mの長方形の方形周溝墓で、弥生時代から古墳時代にかけての遺構であるとされた。原田大六は、2世紀中頃であるとしている。
遺構の中央部には、割竹形木棺を収めていたと思われる痕跡もあった。
この遺跡からは、破砕された合計39面の鏡、ガラス・メノウなどの装身具、素環頭太刀等が出土し、鏡の枚数は一墳墓からの出土数としては我が国最多であった。
又、復元された内行花文鏡は直径が46.5cmもあり、これ又我が国では最大経の鏡であった。太刀等武具の少なさ、装飾品の豪華さ、それに鏡の多さなどから、原田は、この遺構を「伊都国の女王」の墓だと想定している。
平成2年には、平原方形周溝墓出土品が国の重要文化財に。さらに、平成18年には国宝に指定されました。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されていて、銅鏡のなかには日本最大級の直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありました。ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一。
副葬品にネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、この墓に葬られた人物は女性で、特に超人的な力を持った女性ということで、卑弥呼の墓という説もあるほどです。
1号墓出土品(国宝)
大型内行花文鏡 4面(5面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、仿製鏡(日本製)、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡である。
内行花文鏡(内行花文四葉鏡) 2面
方格規矩鏡 32面、(鋸歯文縁方格規矩四神鏡が23面、流雲文縁方格規矩四神鏡が9面)
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉 12個
ガラス製(瑪瑙:めのう)勾玉(くだたま) 3個、ガラス丸玉 約500個
ガラス小玉 一括(約500)
ガラス管玉 一括(30以上)
ガラス連玉 一括(約886)
耳璫(じとう、耳珠)3
素環頭大刀 1振
鉄鏃10
鉄やりがんな1
鉄のみ1
鉄斧1
日本一大きな国産の内行花文八葉鏡四枚について、考古学者故原田大六(だいろく)はその図抜けた大きさと特異文様とが、伊勢神宮に関する種々の史料から内宮の御神体である八咫鏡( や たのかがみ)と同じものではないかと推察し、次のように述べている(『実在した神話』、学生社)。
「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
森浩一氏も、この原田説を支持され、
「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」
と述べておられる(『日本神話の考古学』)。
豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう玉依姫ということになる。
その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、
「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」
とある『書紀』に従えば、このときからアマテラスこと玉依姫の依り代である八咫鏡が、現在の鎮座地である伊勢へと至る長い巡幸が始まるのである。
その伊勢神宮内宮を見てみれば、アマテラスこと玉依姫の相殿に万幡(よろずはた)豊秋津姫こと豊玉姫が鎮座している。
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原田先生の報告書は『平原弥生古墳 大日霊貴の墓』
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
tokyoblog April 2015 八咫の鏡
「咫(た)」とは円周の長さの単位で、1咫=8寸、直径2.5寸の円周(円周率3.2)とされている。
八咫鏡とは直径2尺、46センチの鏡という事になる。
平原遺跡からは、まさに直径46センチの国内出土最大の鏡が4枚出土している。御統は勾玉や管玉などを緒に通して首飾りにしたもので、五百箇の御統とは、珠が五百箇ある首飾りという事になる。平原遺跡出土の首飾りを写真で数えてみると約470個の珠があった
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E9%83%A1%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%81/
平原遺跡(ひらばるいせき)は、福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。 曽根遺跡群の一つとして、昭和57年10月、国の史跡に指定。平成12年10月追加指定。
平原遺跡は弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称である。 1965(昭和40)年1月、平原遺跡1号墓が偶然発見され、原田大六を中心に学術調査された。昭和63〜平成11年度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に5基の墳丘墓が発見されている。 この遺跡は「平原歴史公園」として、1号墓のみが墳丘墓として復元管理されている。
1号墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとして多数の出土品があり、その全てが「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年、国宝に指定された(文化庁所有、伊都国歴史博物館保管)。
1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。
その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あった。これらの破片は当初、39面分に復元されていた。
その後の調査の結果、従来4面に復元されていた直径46.5センチメートルの大型内行花文鏡の破片が実は5面分の破片の可能性があると指摘された。(前原市調査報告書)。このうち1面が九州国立博物館、4面が伊都国歴史博物館に展示されている。
1990年の重要文化財指定時には、銅鏡の員数は39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は40面分となっている[1]。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多である(2009年現在)。
なお直径46.5センチメートルの鏡の外周は鏡の円周の単位で八咫(やあた)あることから、八咫鏡と同じ大きさになる。
この副葬された多数の銅鏡片は「人為的に破砕されたモノではない」と発掘責任者の原田大六は主張している[2]。
学術調査時に、2〜5号墓からは青銅器類の遺物は発見されず、出土した土器や石器類などから弥生時代後期の墓と推定された。5号墓から発見されたとする銅鏡の鈕部分2個は、この破片が土中から発見されたことから5号墓の発見に繋がっていることによる。
主な出土品
1号墓大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
内行花文鏡 2面
方格規矩鏡 32面
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900
耳璫 3破片
素環頭大刀 1
国宝指定名称は以下のとおり。
福岡県平原方形周溝墓出土品 銅鏡 40面分
玉類 一括
鉄素環頭大刀 1口
附:土器残欠、ガラス小玉、鉄鏃等 一括
5号墓銅鏡片 2
1号墓から出土した大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)を、その文様と大きさから原田大六は「八咫鏡」と解し、伊勢神宮の八咫鏡も元々は同型の鏡であったのではないか、との説を提示している[5]。『御鎮座伝記』に「八咫鏡」の形は「八頭花崎八葉形也」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、この「大型内行花文鏡」のみである。
1号墓は副葬品の多くが勾玉や管玉、耳璫(耳飾り)[6]などの装身具であり、武器類が少ないため、この墓に埋葬された人物は女性であると考えられている。 原田大六はこの平原1号墓の主を玉依ヒメとし、大日孁貴であるという説を提示している[5]。
1号墓の東南にある直径約70センチメートルの縦穴を、発掘調査した原田大六は、湧水の存在から井戸として報告している。この縦穴を「前原市報告書」は大柱跡(穴中の土壌成分未調査)として、墓から見て東南の日向峠の方角に位置していることから、この大柱跡は太陽信仰に関係するものとの説を提示している。
墓壙周辺の12本の柱穴の遺構について、原田大六は「銅鐸や弥生式土器などの絵画に見られる棟持柱を持つ切妻造の倉庫建築の柱の配置にこの柱跡の遺構が似ている」として、この墓壙周辺の12本の柱跡は「殯宮関係の建築物の遺構と考えられる」としている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c146
日産自動車がカルロス・ゴーン容疑者の代表取締役会長職を解任した22日の臨時取締役会の詳細なやり取りがわかった。約4時間の長丁場となった取締役会のほとんどは、ルノー出身の2人の取締役から「解任やむなし」の結論を得るために費やされていた。
横浜市の日産本社。午後4時半、22階建てビルの最上階に近い役員会議室に西川(さいかわ)広人社長ら5人の日本人取締役が着席し、ルノー出身のベルナール・レイと、ジャンバプティステ・ドゥザンの両取締役はフランスからテレビ会議で参加した。
「情報がない、事実を教えてくれ」「日本の司法手続きはどうなっているのか」。ルノー出身の2人から矢継ぎ早に質問が上がった。
フランスでは、日産とルノーの統合を計画したとされるゴーン容疑者を、日産側が追放したとの「陰謀説」が連日報道されていた。日産には、2人が解任に反対した場合、ゴーン容疑者を陥れたとの印象が広がりかねないとの懸念があった。
しかし、報酬を実際より大幅に低く見せたうえ、会社の資金も私的に流用していた手口が詳細に説明されるにつれ、雰囲気は変わった。「ほんの一握りの人間が金脈を取りに行っていた。こんなことができるのか」。想像を超える内容に、ある日本人取締役は言葉を失った。
「解任に賛成いただけるでしょうか」。西川社長が決議に移ると、ルノー出身の2人は「アグリー(賛成)」と答え、解任は全会一致で決まった。
ある日産幹部は、取締役会を終えた後、「陰謀ではないと2人は納得し、はっきり賛成に回った」と解説し、安堵(あんど)の表情を浮かべた。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c12
大臣就任が裏目。文春砲に狙われた片山さつき大臣の「四面楚歌」
https://www.mag2.com/p/news/377442
2018.11.23 新恭(あらたきょう)『国家権力&メディア一刀両断』 まぐまぐニュース
連日、数々の疑惑により野党議員からの集中砲火を受け続けている片山さつき内閣府特命担当大臣。そのきっかけとなったのが、週刊文春が報じた国税庁への口利き疑惑でした。元全国紙社会部記者の新 恭さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で、次々明らかになる「新事実」を挙げつつ、この疑惑を徹底追求しています。
音声データを認めてもなお往生際の悪い片山さつき大臣
「別に私がそう申し上げてもおかしくないなというものはある」
片山さつき地方創生大臣は今月15日、週刊文春が国税への口利き疑惑をめぐって公開した音声データの声について国会でそう答弁した。声の主が片山氏自身であることを認めたといっていい。
製造業社長X氏の依頼で国税当局に「青色申告の承認取り消し」をしないよう口利きする見返りに、100万円を税理士資格を持つ秘書の口座に振り込ませたという、その疑惑。“文春砲”が放たれて以来、国会では片山氏への追及が続いている。
文春オンラインによると、音声データは、2016年7月26日のもの。X氏からの電話に、片山氏とおぼしき女性が「もしもし。ああ、はいはい、どうもご無沙汰しております」と応じるところから録音は始まっている。
2015年、X氏の会社に税務調査が入り、青色申告の承認が取り消される恐れがあった。
このためX氏は知人の紹介で財務省OBの片山さつき事務所を訪れ、私設秘書で税理士資格を持つ南村博二氏に対応を依頼した。
その後、「着手金100万円を、至急下記にお願い申し上げます」と片山議員、南村秘書の名を明記した書類が送られてきたので、X氏は指定通り、南村氏を代表とする税理士法人の口座に15年7月、100万円を振り込んだ。
ところが、結果として、青色申告は取り消された。話が違うではないか、とX氏は憤って片山氏の携帯に連絡してきたのだ。
X氏はこの会話が録音される10カ月ほど前、すなわち100万円を振り込んで約2か月後の15年9月に、片山氏を参院議員会館に訪ねている。約束通り国税への働きかけをしてくれているか、確かめるためだ。
このとき、片山氏はX氏の地元の国税局長に電話した。連絡はとれなかったが、「うまくいったら100万円なんて決して高いものじゃないわよね」とX氏に言ったという。
だが、そもそも今どき、財務省OBの国会議員が、かつて同僚だった国税局長に電話でひと声かけたからといって、どうなるものでもない。人事上の圧迫感を受ける総理や官邸に忖度して官僚が動くのとはワケが違うのだ。片山氏も南村氏もそれを承知のうえで、引き受けたフシがある。
片山氏がX氏の前でこれ見よがしに国税局長に電話をしたのは、自分の力を誇示しようとしたにすぎないだろう。安倍首相に顕著なことだが、政治家は、できないことでも、“やってる感”を見せたがる。
音声データに戻ろう。片山氏の声は続く。
「すいません、大変申し訳ないんですけど、いつから、その話(取材に来た)って始まったんですか?選挙の前だったのは覚えてるんですけど。何曜日くらいですか?」
文春の取材は、今から2年半前に始まったという。2016年の春か初夏だろう。片山氏の知人から同誌に寄せられた「片山事務所が財務省への口利きをめぐりトラブルになっている」という断片情報がきっかけだった。
16年7月10日に参院選の投開票があり、自民党公認で比例区から出馬した片山氏は再選された。7月に入って同誌の記者が南村氏に接触しているので、おそらく同じ時期にX氏へもアプローチしたのだろう。
「うーん、まあ(南村氏は)ちょっと荒っぽい、パニックになる人だからね。とにかく電話はすぐしてみますけど」
文春の2018年10月25日号には、当時、記者が南村氏に取材したさいの様子が次のように書かれている。
「業者から口利きの金を受け取ってトラブルになっていると聞いたが」と問うと、南村氏自らX氏の名前や相談内容、会社の内情などを記者に語りはじめたのだった。…X氏から「交通費と日当以外、受け取っていませんよ」などと、金銭を受け取ったことを否定していた。
南村氏からX氏のことを聞いた記者は、すぐにX氏に取材をしたはずだ。そのさい、南村氏が「金銭をもらっていない」と記者に語ったことを知り、X氏が片山氏に電話をかけたという流れだろう。X氏にすれば、100万円をもらってないように言い、青色申告の取り消しについて力になってくれなかった片山事務所に対し腹の虫がおさまらなかったとみえる。
片山氏は南村氏のせいにして、「とにかく電話してみます」と空っとぼけたのに違いない。そればかりか片山氏は以下のようにX氏と出会ったことが自身の不幸であるかのごとき言い方をしたのである。
「Yさんのご紹介(電話では実名。元事務所スタッフ(がなかったら、(私も)Xさんと会うこともなかったんで」
X氏に100万円の件を追及されたらしい片山氏の声。
「(南村氏は)私にそんなものは実費だって言ってましたけどね。私はちょっと金額としてお高いんじゃないですかということだけは(南村氏に)言いましたから、当時、はい」
文春オンラインでは、事務所関係者が明かした話として次のような内容が報じられている。
「当時、片山氏はX氏の仲介者にも『上手くいけば、1億(円)だってかかる話ですよ』などと話していた。100万円はあくまで手付金で、国税への口利きが上手くいけば、X氏から片山事務所に1億円入るという意味だと思います」
1億円はオーバーとしても、片山サイドとしては、国会議員にものを頼むのに100万円くらいは挨拶程度のもので、上手くいかなくてもあきらめてもらうしかない。上手くいったら、成功報酬をたっぷもらいますよ、という“相場観”があるのだろう。もっとも、それが国会議員の通常の感覚だとしたら由々しきことである。
ところで、片山氏は国会で南村氏のことを「秘書ではない」と主張、週刊文春を相手取った訴訟でも「南村が原告(片山氏)の秘書であったことはない」としている。つまり、南村氏は税理士としてX氏と契約しただけで、片山事務所とは関係がないと言いたいわけだ。
しかし、秘書しかもらえない参院の通行証を南村氏が持っていたことを国会で追及され、「強く要望したので、2011年10月から15年5月までの間、保有していた」と片山氏は認めている。片山事務所が秘書でない人を秘書だとしてニセ書類をつくり参院に申請したとしたら、これもまた問題ではないか。
そもそも、南村氏は片山氏の「旦那さんと互角に並ぶ」側近であることを自ら文春の記者に明言しているし、それは南村氏の下記のブログ記事を見ても推察できる。
2011年02月17日 昨朝の全国紙でリリースされた片山さつき議員の御母堂様の葬儀が台東区内で行われ、来賓受付や電報整理等のため深夜に戻りました。
2011年08月27日 来月予定している片山さつき議員の香港での経済講演の準備のため、香港日銀支店長、香港商工会議所理事長、香港日本人倶楽部会長、香港総領事、その他の挨拶に香港入りし、本日帰国した。
2012年01月27日 日本初の女性県議会議長を歴任した、福岡県議会田中秀子議員の新年祝賀パーティーにて、片山さつき参議院議員を代理して挨拶した。
それにしても、この南村という人物、よほどおエライ方との人脈を誇りたいらしく、ブログを見ていると、登場するのは政官界のしかるべき地位にある人ばかり。
そういう点では、いまだに東大、財務省出身の超エリートであることを鼻にかけ、左右を問わず人望がなく、信頼できる部下の少ない片山氏とは、互いに利用し合える似た者どうしと言えるかもしれない。
アエラドットは南村氏の今の思いを、11月18日の配信でこう伝えている。
「片山さんは、私が秘書でないほうが都合がいいのでしょう。わかりませんが、秘書との連座制とかがある場合があるからかな。片山さんから電話があって、『あなたなんて顔を見たこともない。会ったこともないわよね』と言われましたが、私は『それは無理でしょう』と押し戻したんですよ。これまでどれだけ一緒に方々を回って、秘書の名刺も切ったか」
この期に及んで片山氏がいかにうろたえているかが、よく分かる。
片山氏は収支報告書への政治資金の不記載が次々と見つかり、訂正届けに追われている。「秘書の交代時に引継ぎが悪かった」などと、例によって秘書たちのせいにしているが、カネの動きを隠す意図がないのなら、いい加減な事務所運営をしているということにほかならない。
片山さつきの名と顔写真が表示された自著の大きな広告看板を浜松、名古屋、埼玉の計4か所に設置していることも国会で指摘された。片山氏が出馬した16年参院選以前から設置されているものがあり、公職選挙法違反ではないかと指摘されている。
週刊文春は先述の通り、2年半ほど前に片山事務所の口利き疑惑を取材したが、確証を得られないということでいったん記事にするのを見送っている。
このタイミングで再取材し、大々的に報じ始めたのは、片山氏が大臣に登用されたことと無関係ではないだろう。念願の大臣になったことが運のつき、ということだろうか。
日本で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。
ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。
https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html
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東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。
7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
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もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。ベトナムでは、現地の日本大使館書記官が、技能実習生制度は「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らすほどの事態に至っている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1
さらに、今年前半の半年だけで4,279名の技能実習生が失踪。
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長妻昭氏「外国人技能実習生、失踪者は今年1〜6月までで何人いるか」
山下法相「4279名です」
長妻昭氏「これ、異常ですよ。逃げた方が悪いのか。私はそう思わない。逃げざるを得ない。こういう現状を放置して新たに外国人労働者を受け入れる。非常に無責任だ」#kokkai #国会中継 #国会2018
— shinkai10911 (@jubilee0710) 2018年11月1日
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失踪の背景には、最低賃金以下の異常かつ違法な低賃金、職場での差別やいじめ、暴力(性暴力含む)の横行がある。
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https://t.co/6VQe6M5DBe"茨城県のシソ生産農家が中国人女性の技能実習生(25)に深夜2時3時まで時給300円の深夜残業を強いただけでなく、セクハラ行為を働き、実習生側から未払い賃金などの賠償を請求されている。この裁判で被告訴訟代理人を務めているのが丸山議員"
— 外教 (@yuantianlaoshi) 2016年2月24日
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東京新聞1面。技能実習生たちの証言。
・飛び降り自殺を図った中国人女性「職場でいじめに遭いました。仕事を頑張っても認めてもらえない」「今、うつ病の治療を受けています」
・指を切断し治療費の自己負担と帰国を求められた中国人男性「けがをしたら、なぜ帰らないといけないのか」 pic.twitter.com/sM39kAjh6Z
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月8日
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しかも、在留資格の制約で技能実習生には転職の自由がなく、過酷な職場から逃げようとするとそれ自体が違法行為となり、入管収容→強制送還となってしまう。
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外国人技能実習生にも最低賃金は適用されるから、300円は当然違法ですよ。問題は、外国人がその違法な企業での実習を辞めて自分で転職すると、それ自体が別な違法行為(入管法違反)になり日本から追い出されてしまうということです。 https://t.co/rJOAmLSfEd
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月9日
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ブラックな実習先にあたった技能実習生は転職の自由もなくまずその実習先に閉じ込められる。
実習先から逃走して在留資格を失った元実習生は次に入管に摘発され収容所に閉じ込められる。
これだけ転職の自由やジョブマッチの大切さが語られる時代に「人手が足りない」だけで残していい制度ではない。
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月9日
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「外国人技能実習制度」の実態は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力する」(by厚労省)などというご立派な建前とはまるで違う。これは、弱い立場の外国人を、搾取されても逃げることのできない安価な労働力として企業や農家に供給する現代の奴隷制度にほかならない。
その背景には、自分たちより「遅れている」と見なすアジア諸国の人々への、日本人の根深い差別意識がある。
そういえば、安田浩一氏の著書『差別と貧困の外国人労働者』の中に、次のような印象的な一節があった。[1]
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本文へ入る前に、結論めいたことをひとつだけ述べたい。
外国人労働者の姿、置かれた環境は、その国(受け入れ国)の民度を測る重要なモノサシになるのではないか、ということだ。少なくとも私は、外国人労働者が漏らすため息と憤りの言葉から、あらためて「日本」を思った。
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敗戦による「民主化」から70年以上が経っても、なおこのザマなのだ。「人権」など問題にもされなかった戦時中における「徴用工」や「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)たちへの扱いがどのようなものだったかは、容易に想像できる。
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徴用工が高給取りだっただの、相変わらず汚物のようなデマが湧いてきているが、教育実習生を時給数百円で搾取したうえに、住居費だ制服代だのとハイエナのようにむしり取る今の日本をみてれば、一瞬で出鱈目だと分かりそうだけどな。
— ペロンパー (@klezmer722) 2018年11月1日
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「日本の外で甘言で騙して若者を集めて、連れて来たら日本人でないことを利用して好き放題に搾取する」ってやり口、従軍慰安婦から技能実習生までこの国の常套手段なんだよな。そうやって日本がアジアに振り撒いた被害の事実はその後何十年にわたって日本への不信と摩擦を生み続けてる。
— シュナムル (@chounamoul) 2018年11月3日
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[1] 安田浩一 『差別と貧困の外国人労働者』 光文社新書 2010年 P.7
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/433403568X
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/706.html#c34
日本で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。
ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。
https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html
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東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。
7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。ベトナムでは、現地の日本大使館書記官が、技能実習生制度は「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らすほどの事態に至っている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1
さらに、今年前半の半年だけで4,279名の技能実習生が失踪。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長妻昭氏「外国人技能実習生、失踪者は今年1〜6月までで何人いるか」
山下法相「4279名です」
長妻昭氏「これ、異常ですよ。逃げた方が悪いのか。私はそう思わない。逃げざるを得ない。こういう現状を放置して新たに外国人労働者を受け入れる。非常に無責任だ」#kokkai #国会中継 #国会2018
— shinkai10911 (@jubilee0710) 2018年11月1日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
失踪の背景には、最低賃金以下の異常かつ違法な低賃金、職場での差別やいじめ、暴力(性暴力含む)の横行がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://t.co/6VQe6M5DBe"茨城県のシソ生産農家が中国人女性の技能実習生(25)に深夜2時3時まで時給300円の深夜残業を強いただけでなく、セクハラ行為を働き、実習生側から未払い賃金などの賠償を請求されている。この裁判で被告訴訟代理人を務めているのが丸山議員"
— 外教 (@yuantianlaoshi) 2016年2月24日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京新聞1面。技能実習生たちの証言。
・飛び降り自殺を図った中国人女性「職場でいじめに遭いました。仕事を頑張っても認めてもらえない」「今、うつ病の治療を受けています」
・指を切断し治療費の自己負担と帰国を求められた中国人男性「けがをしたら、なぜ帰らないといけないのか」 pic.twitter.com/sM39kAjh6Z
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月8日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかも、在留資格の制約で技能実習生には転職の自由がなく、過酷な職場から逃げようとするとそれ自体が違法行為となり、入管収容→強制送還となってしまう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
外国人技能実習生にも最低賃金は適用されるから、300円は当然違法ですよ。問題は、外国人がその違法な企業での実習を辞めて自分で転職すると、それ自体が別な違法行為(入管法違反)になり日本から追い出されてしまうということです。 https://t.co/rJOAmLSfEd
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月9日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブラックな実習先にあたった技能実習生は転職の自由もなくまずその実習先に閉じ込められる。
実習先から逃走して在留資格を失った元実習生は次に入管に摘発され収容所に閉じ込められる。
これだけ転職の自由やジョブマッチの大切さが語られる時代に「人手が足りない」だけで残していい制度ではない。
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月9日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「外国人技能実習制度」の実態は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力する」(by厚労省)などというご立派な建前とはまるで違う。これは、弱い立場の外国人を、搾取されても逃げることのできない安価な労働力として企業や農家に供給する現代の奴隷制度にほかならない。
その背景には、自分たちより「遅れている」と見なすアジア諸国の人々への、日本人の根深い差別意識がある。
そういえば、安田浩一氏の著書『差別と貧困の外国人労働者』の中に、次のような印象的な一節があった。[1]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文へ入る前に、結論めいたことをひとつだけ述べたい。
外国人労働者の姿、置かれた環境は、その国(受け入れ国)の民度を測る重要なモノサシになるのではないか、ということだ。少なくとも私は、外国人労働者が漏らすため息と憤りの言葉から、あらためて「日本」を思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敗戦による「民主化」から70年以上が経っても、なおこのザマなのだ。「人権」など問題にもされなかった戦時中における「徴用工」や「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)たちへの扱いがどのようなものだったかは、容易に想像できる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
徴用工が高給取りだっただの、相変わらず汚物のようなデマが湧いてきているが、教育実習生を時給数百円で搾取したうえに、住居費だ制服代だのとハイエナのようにむしり取る今の日本をみてれば、一瞬で出鱈目だと分かりそうだけどな。
— ペロンパー (@klezmer722) 2018年11月1日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日本の外で甘言で騙して若者を集めて、連れて来たら日本人でないことを利用して好き放題に搾取する」ってやり口、従軍慰安婦から技能実習生までこの国の常套手段なんだよな。そうやって日本がアジアに振り撒いた被害の事実はその後何十年にわたって日本への不信と摩擦を生み続けてる。
— シュナムル (@chounamoul) 2018年11月3日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
[1] 安田浩一 『差別と貧困の外国人労働者』 光文社新書 2010年 P.7
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/433403568X
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/392.html#c28
日本で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。
ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。
https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html
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東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。
7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
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もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。ベトナムでは、現地の日本大使館書記官が、技能実習生制度は「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らすほどの事態に至っている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1
さらに、今年前半の半年だけで4,279名の技能実習生が失踪。
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長妻昭氏「外国人技能実習生、失踪者は今年1〜6月までで何人いるか」
山下法相「4279名です」
長妻昭氏「これ、異常ですよ。逃げた方が悪いのか。私はそう思わない。逃げざるを得ない。こういう現状を放置して新たに外国人労働者を受け入れる。非常に無責任だ」#kokkai #国会中継 #国会2018
— shinkai10911 (@jubilee0710) 2018年11月1日
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失踪の背景には、最低賃金以下の異常かつ違法な低賃金、職場での差別やいじめ、暴力(性暴力含む)の横行がある。
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https://t.co/6VQe6M5DBe"茨城県のシソ生産農家が中国人女性の技能実習生(25)に深夜2時3時まで時給300円の深夜残業を強いただけでなく、セクハラ行為を働き、実習生側から未払い賃金などの賠償を請求されている。この裁判で被告訴訟代理人を務めているのが丸山議員"
— 外教 (@yuantianlaoshi) 2016年2月24日
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東京新聞1面。技能実習生たちの証言。
・飛び降り自殺を図った中国人女性「職場でいじめに遭いました。仕事を頑張っても認めてもらえない」「今、うつ病の治療を受けています」
・指を切断し治療費の自己負担と帰国を求められた中国人男性「けがをしたら、なぜ帰らないといけないのか」 pic.twitter.com/sM39kAjh6Z
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月8日
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しかも、在留資格の制約で技能実習生には転職の自由がなく、過酷な職場から逃げようとするとそれ自体が違法行為となり、入管収容→強制送還となってしまう。
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外国人技能実習生にも最低賃金は適用されるから、300円は当然違法ですよ。問題は、外国人がその違法な企業での実習を辞めて自分で転職すると、それ自体が別な違法行為(入管法違反)になり日本から追い出されてしまうということです。 https://t.co/rJOAmLSfEd
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月9日
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ブラックな実習先にあたった技能実習生は転職の自由もなくまずその実習先に閉じ込められる。
実習先から逃走して在留資格を失った元実習生は次に入管に摘発され収容所に閉じ込められる。
これだけ転職の自由やジョブマッチの大切さが語られる時代に「人手が足りない」だけで残していい制度ではない。
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月9日
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「外国人技能実習制度」の実態は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力する」(by厚労省)などというご立派な建前とはまるで違う。これは、弱い立場の外国人を、搾取されても逃げることのできない安価な労働力として企業や農家に供給する現代の奴隷制度にほかならない。
その背景には、自分たちより「遅れている」と見なすアジア諸国の人々への、日本人の根深い差別意識がある。
そういえば、安田浩一氏の著書『差別と貧困の外国人労働者』の中に、次のような印象的な一節があった。[1]
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本文へ入る前に、結論めいたことをひとつだけ述べたい。
外国人労働者の姿、置かれた環境は、その国(受け入れ国)の民度を測る重要なモノサシになるのではないか、ということだ。少なくとも私は、外国人労働者が漏らすため息と憤りの言葉から、あらためて「日本」を思った。
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敗戦による「民主化」から70年以上が経っても、なおこのザマなのだ。「人権」など問題にもされなかった戦時中における「徴用工」や「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)たちへの扱いがどのようなものだったかは、容易に想像できる。
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徴用工が高給取りだっただの、相変わらず汚物のようなデマが湧いてきているが、教育実習生を時給数百円で搾取したうえに、住居費だ制服代だのとハイエナのようにむしり取る今の日本をみてれば、一瞬で出鱈目だと分かりそうだけどな。
— ペロンパー (@klezmer722) 2018年11月1日
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「日本の外で甘言で騙して若者を集めて、連れて来たら日本人でないことを利用して好き放題に搾取する」ってやり口、従軍慰安婦から技能実習生までこの国の常套手段なんだよな。そうやって日本がアジアに振り撒いた被害の事実はその後何十年にわたって日本への不信と摩擦を生み続けてる。
— シュナムル (@chounamoul) 2018年11月3日
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[1] 安田浩一 『差別と貧困の外国人労働者』 光文社新書 2010年 P.7
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/433403568X
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c248
日本で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。
ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。
https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html
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東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。
7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もちろんこれは氷山の一角に過ぎない。ベトナムでは、現地の日本大使館書記官が、技能実習生制度は「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らすほどの事態に至っている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1
さらに、今年前半の半年だけで4,279名の技能実習生が失踪。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長妻昭氏「外国人技能実習生、失踪者は今年1〜6月までで何人いるか」
山下法相「4279名です」
長妻昭氏「これ、異常ですよ。逃げた方が悪いのか。私はそう思わない。逃げざるを得ない。こういう現状を放置して新たに外国人労働者を受け入れる。非常に無責任だ」#kokkai #国会中継 #国会2018
— shinkai10911 (@jubilee0710) 2018年11月1日
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失踪の背景には、最低賃金以下の異常かつ違法な低賃金、職場での差別やいじめ、暴力(性暴力含む)の横行がある。
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https://t.co/6VQe6M5DBe"茨城県のシソ生産農家が中国人女性の技能実習生(25)に深夜2時3時まで時給300円の深夜残業を強いただけでなく、セクハラ行為を働き、実習生側から未払い賃金などの賠償を請求されている。この裁判で被告訴訟代理人を務めているのが丸山議員"
— 外教 (@yuantianlaoshi) 2016年2月24日
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東京新聞1面。技能実習生たちの証言。
・飛び降り自殺を図った中国人女性「職場でいじめに遭いました。仕事を頑張っても認めてもらえない」「今、うつ病の治療を受けています」
・指を切断し治療費の自己負担と帰国を求められた中国人男性「けがをしたら、なぜ帰らないといけないのか」 pic.twitter.com/sM39kAjh6Z
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月8日
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しかも、在留資格の制約で技能実習生には転職の自由がなく、過酷な職場から逃げようとするとそれ自体が違法行為となり、入管収容→強制送還となってしまう。
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外国人技能実習生にも最低賃金は適用されるから、300円は当然違法ですよ。問題は、外国人がその違法な企業での実習を辞めて自分で転職すると、それ自体が別な違法行為(入管法違反)になり日本から追い出されてしまうということです。 https://t.co/rJOAmLSfEd
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年11月9日
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ブラックな実習先にあたった技能実習生は転職の自由もなくまずその実習先に閉じ込められる。
実習先から逃走して在留資格を失った元実習生は次に入管に摘発され収容所に閉じ込められる。
これだけ転職の自由やジョブマッチの大切さが語られる時代に「人手が足りない」だけで残していい制度ではない。
— 望月優大 (@hirokim21) 2018年11月9日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「外国人技能実習制度」の実態は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力する」(by厚労省)などというご立派な建前とはまるで違う。これは、弱い立場の外国人を、搾取されても逃げることのできない安価な労働力として企業や農家に供給する現代の奴隷制度にほかならない。
その背景には、自分たちより「遅れている」と見なすアジア諸国の人々への、日本人の根深い差別意識がある。
そういえば、安田浩一氏の著書『差別と貧困の外国人労働者』の中に、次のような印象的な一節があった。[1]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文へ入る前に、結論めいたことをひとつだけ述べたい。
外国人労働者の姿、置かれた環境は、その国(受け入れ国)の民度を測る重要なモノサシになるのではないか、ということだ。少なくとも私は、外国人労働者が漏らすため息と憤りの言葉から、あらためて「日本」を思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敗戦による「民主化」から70年以上が経っても、なおこのザマなのだ。「人権」など問題にもされなかった戦時中における「徴用工」や「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)たちへの扱いがどのようなものだったかは、容易に想像できる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
徴用工が高給取りだっただの、相変わらず汚物のようなデマが湧いてきているが、教育実習生を時給数百円で搾取したうえに、住居費だ制服代だのとハイエナのようにむしり取る今の日本をみてれば、一瞬で出鱈目だと分かりそうだけどな。
— ペロンパー (@klezmer722) 2018年11月1日
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「日本の外で甘言で騙して若者を集めて、連れて来たら日本人でないことを利用して好き放題に搾取する」ってやり口、従軍慰安婦から技能実習生までこの国の常套手段なんだよな。そうやって日本がアジアに振り撒いた被害の事実はその後何十年にわたって日本への不信と摩擦を生み続けてる。
— シュナムル (@chounamoul) 2018年11月3日
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[1] 安田浩一 『差別と貧困の外国人労働者』 光文社新書 2010年 P.7
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%A8%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/433403568X
http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/822.html#c594
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね
朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店
朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。
1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。
下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。
1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。
そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。
すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。
実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。
三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。
ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。
昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。
「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。
このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。
つまり、日本の責任は重いということです。
1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。
当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。
1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。
その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。
貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。
そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。
朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。
朝鮮を日本の植民地としていた。
植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html
野添憲治 地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日
北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。
こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。
そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。
第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。
「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。
内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。
中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。
遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。
遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。
冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。
二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭
ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。
中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52
旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88
旭川 中国人墓地(上川郡)
とても有名な心霊スポット。
日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。
墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203
日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289
いわゆるホンモノです。
心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。
しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。
その1つは、北海道の「中国人墓地」です。
北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。
日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。
彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。
実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害
1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った
また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。
ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。
なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。
極秘情報 中国人墓地にまつわる事故
中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。
この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。
このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。
そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。
当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。
ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。
それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。
当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。
確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。
しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……
「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」
それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。
全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289
北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川
2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。
今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。
北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。
東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。
慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。
資料:
中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。
うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。
戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。
しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。
残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。
こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。
戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。
そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494
旭川中国人墓地
昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。
地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja
この地図のおおむね中心付近にあります。
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。
私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・
8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・
コンビニの店員曰く、
この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」
我々は早速、現地へ向かった。
しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!
『ごるぅぁぁああああ!!!!』
天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」
驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・
出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。
我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。
そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。
【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。
一つ目、二つ目ははずれだった・・・
そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。
給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、
店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」
とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。
そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、
店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」
と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。
細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。
店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」
そして、店長は去っていった。
我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!
沢山の手形が着いているではない
か!!!!!
私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると
「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」
なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・
ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。
でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。
ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。
「なるほど、これが幽霊か・・・・」
幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html
91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14
旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。
ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。
そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。
その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。
何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。
そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。
このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14
旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。
それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。
「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」
「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」
堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。
この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。
これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24
ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー
国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。
「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」
「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。
「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」
「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」
そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」
彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。
「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。
今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。
そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。
そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。
またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。
そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。
どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。
しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。
3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。
中国人殉難裂士慰霊碑
忠別発電所
中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24
92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf
太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。
タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。
@東9号第一遊水池側(東川の方の証 言)
A東8号第一遊水池の向かい(同) 遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。
B東6号南(同) 第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。
C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠 別村の方の証言) 鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。
D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証 言)
Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ 部屋(同)
Fノカナンの沢取水口(同)
G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)
H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内 在住の方の証言) 学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。
I旧江卸発電所放水路の下(東川の方 の証言)
Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)
ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。
当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。
この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。
戦後しばらくたってから、
「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」
と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。 逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。
母親から
「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」
と聞かされた。
江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生
93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日
北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。
ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。
北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。
小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。
また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。
ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。
…奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル
此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…
この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。
しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。
本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。
民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。
このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。
タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。
いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。
このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。
暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。
私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。
北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例
この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。
この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。
広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。
あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。
北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例
当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。
滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。
今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。
空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。
「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。
人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。
また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。
さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。
…国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた
殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…
この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。
昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。
何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。
また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。
そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。
囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。
いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。
私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。
また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。
過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。
過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。
ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。
最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。
人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287
【笹の墓標】
戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。
遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった!
道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!
序章
深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。
火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。
宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。
「起きろ。働け」
棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。
土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。
タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。
宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。
前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。
食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。
食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。
「おれはもうだめだよ」
朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。
李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。
高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。
「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」
朴は李の耳に口を寄せて励ました。
朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。
今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。
厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。
李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。
現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。
「この身体ではアヒルは無理です」
朴は棒頭に訴えた。
「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」
労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。
「棒頭、李さんが死んでしまいます」
朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。
「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」
棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、
「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」
となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、
「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」
と朴に命じた。
宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。
「朴さん、おれはもう助からない」
「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」
「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」
「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」
「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」
「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」
「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」
李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。
「李さん」
「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」
朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。
死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。
翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、
「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」
と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、
「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」
と李が答えたようにおもえた。
朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。
「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」
一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。
「べつになにもしていないよ」
朴が答えると、
「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」
当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。
「1日5円から10円だって」
朴は目を丸くした。
「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」
男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。
だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。
朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。
朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。
雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。
飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。
「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」
棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。
逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。
「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」
朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。
飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。
起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。
冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。
ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。
だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。
現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、
「シャツを脱げ。ズボンを取れ」
と命じて、褌1本でしばらく働いた後、
「褌を取れ」
と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、
「気合いを出せ」
と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。
異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。
日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。
まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。
そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。
そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。
強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。
朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。
まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。
朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。
飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。
南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。
朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。
若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。
模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。
冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。
4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。
最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。
首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。
月はないが、雪明かりで充分明るい。
おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。
朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。
かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。
これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。
警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。
山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。
駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、
「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」
と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。
老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。
1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。
客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。
幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。
朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。
「あっ、あなたは」
「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」
顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。
娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。
肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。
「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」
娘の父親が言った。
ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、
「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅
南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」
と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。
「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」
「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」
と徐はいたわるように言った。
地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。
ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。
2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。
「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」
と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。
「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」
「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」
そこへ徐東雲が来た。
「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」
と徐東雲は言った。
朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」
協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。
「元気でね」
朝子が言った。
「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」
「朴さん、絶対捕まらないでね」
朝子がすがりつくように言った。
「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」
「待ってるわ」
朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。
間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。
そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm
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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画
「労務動員計画」を参照
1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。
山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。
≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫
松代大本営建設の徴用
1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。
「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。
「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。
また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。
≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である
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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫
(1)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)
10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。
安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。
こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。
(2)
日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。
たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。
強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。
たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。
日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。
(3)
韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。
1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。
徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。
今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。
日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。
日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。
「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を
志位委員長の一問一答
日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致
――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。
志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。
「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。
裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。
この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。
国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を
――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。
志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。
同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。
私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。
先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。
国家間の請求権についてどう考えるか
――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。
志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。
韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。
その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。
私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。
ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html
245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三
ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。
そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。
しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。
いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。
「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。
「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。
2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。
上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。
2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。
さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。
次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。
そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?
ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。
要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。
「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。
(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)
2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。
現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。
しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。
成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。
日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。
3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。
以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html
僕はチョンとチャンコロが大嫌いなんだけど、阿修羅は右翼の悪質な嘘ばかりで、もう黙っていられないから、真実を書いておくね
朝鮮人が反日になった理由 _ 日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店
朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。
1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。
下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。
1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。
そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。
すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。
実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。
三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。
ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。
昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。
「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。
このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。
つまり、日本の責任は重いということです。
1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。
当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。
1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。
その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。
貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。
そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。
朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。
朝鮮を日本の植民地としていた。
植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html
野添憲治 地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日
北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。
こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。
そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。
第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。
「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。
内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。
中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。
遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。
遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。
冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。
二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭
ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。
中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52
旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88
旭川 中国人墓地(上川郡)
とても有名な心霊スポット。
日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。
墓の入り口にはなぜか倒れてる地蔵が放置されていてこれだけならよくある心霊スポットなのだが、この中国人墓地が恐ろしいのは目撃した人の多数いることだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141196042705461601/2141207737036401203
日本の最怖心霊スポット、旭川『中国人墓地』には「お前ら行くな!」
http://ranpo.co/article/6063688203414540289
いわゆるホンモノです。
心霊スポットは、全国各地に数多く点在します。オカルト好きは、廃墟や廃病院などに肝試しに行ったこともあるでしょう。
しかし、数ある心霊スポットの中には”ガチ”で行ってはいけないスポットがあります。
その1つは、北海道の「中国人墓地」です。
北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。
日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。
彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。
実際に、中国人墓地に肝試しに行った方が多数被害に遭っています。
行ってはいけない‼多数の被害
1.車に白い手形がビッシリとついた
2.肝試しに行った日、夢の中で中国人に追いかけられた
3.肝試しに行ったメンバーが行方不明になった
4.撮影していたスマホが突然故障した
5.肝試しに行った帰りに交通事故に遭った
また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。
ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。
なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。
極秘情報 中国人墓地にまつわる事故
中国人墓地は、旭川市近郊の上川郡東川町にあります。
この東川町というのは、本当にド田舎。都会に住んでいる方が想像もできないような場所なのです。
このような場所は、若者たちにとって格好の遊び場。それは、危険な無謀運転でドライブを楽しむのにピッタリです。
そして興味本位で「このまま肝試しに行くか!?」なんて話もよくあるパターン。
当時、旭川市ではけっこうな話題になったのですが、5年くらい前に大きな事故がありました。若者たちが定員オーバーの状態でドライブし、事故。そして全員死亡。
ニュースで画像も出ていましたが、車は悲惨な状態でした。
奇妙な噂と口を閉ざす地元民
実は、この事故には噂がありました。
それは、中国人墓地に行った帰りの事故、だということ。
当時、事故を目撃した地元の方の話によると、絶対にあり得ない事故、だそうです。
確かに定員オーバーでスピードも出ていた。しかし、ブレーキ痕などからわかる状況としては、死亡事故にまではいたらない。また、運転手が運転をミスした理由が曖昧なのだそうです。
しかし、それ以上に話を地元の方から伺うことはできまでした。皆一同に口を閉ざすのです。詳しく話を聞こうとしても地元の方は……
「ごめん、ご遺族のためにもこれ以上は話せない…K察にも口止めされてるんだ」
それはつまり、中国人墓地に行った若者がありえない状況での事故で亡くなった、ということではないでしょうか。
全国各地にある心霊スポット。興味本位で遊びに行くことも、若気の至りであることでしょう。しかし、中国人墓地だけはやめたほうがいい。これが本音です。
http://ranpo.co/article/6063688203414540289
北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川
2016年7月7日、北海道旭川上川郡東川町東14号共同墓地で、第44回中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭が行われました。
今年7月7日は盧溝橋事件勃発79周年、日中友好正常化44周年、慰霊碑建立44周年、日中平和友好条約締結38周年です。北海道各地から70名余りの参列者が慰霊祭に参加しました。「再び中国と日本が争うことなく、ともに友好を深めていくことを誓います」と犠牲者の冥福を祈りました。NHKの取材も入り、当日の全国ニュースに放送されました。
北海道中国会は去年から会員花島徳夫さんが東川町長松岡市郎さんとの関係で、北海道中国会が始めて慰霊祭に参加することになりました。今年は快晴の天気で、北海道中国会の運営委員長陶恵栄院長と鈴木国夫さんが慰霊祭に 参加しました。
東川町仏教会会長栄禅寺の大久保孝英住職から「法語」をしていただき、参列者が焼香しました。中国人強制連行事件殉難烈士慰霊碑管理委員会代表委員、外山弘美さん、東川町長松岡市郎さん、西川将人旭川市長(代読)、撫順の奇蹟を受け継ぐ会北海道支部長大原雅樹さんがそれぞれ追悼文を読み上げました。旭川日本中国友好協会理事藤原一朗さんが弔電を読み、最後に旭川日本中国友好協会会長鳴海良司さんからお礼の言葉と閉会の挨拶を頂きました。
慰霊祭終了後、旭川市内の華僑総会会員さんが経営する北京楼菜館で、駐札幌領事館の張毅領事を囲む交流会をしました。札幌から来た北海道日中友好協会の古本理事長から、旭川日中友好協会、旭川華僑総会、旭川ハルビン友好 協会、旭川市議会日中友好促進議員連盟、留学生など30名近い人が参加して、日中友好の二度と戦争を起こさない決意を固めました。
資料:
中国人強制労働による殉死の墓
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった事であります。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。
うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。
戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。
しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。
残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。
こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめてしまい、戦争の悲劇はここにもあったわけです。その殉難者は88名にもおよんでいます。
戦後、多くの人々や心ある人達によって何回かの大法要がおこなわれ、特に東川町はこうした行事にも力を入れまして、昭和47年7月7日、旭川市の日中友好協会の方々と共に「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」を除幕するに いたったのであります。
そして遊水地は今もなお東川町、旭川市に及ぶ美田をうるおし、農産業に多くの貢献をにない、日中の友情と平和のちぎりをむすんでいるのであります。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494
旭川中国人墓地
昔、中国から強制連行されてきた労働者の墓がある。
戦前に一家惨殺された家族の墓がある。
車に無数の手型がつく。
白い車が特に狙われる。
車の上に無数の幽霊が見える。など。
地図
https://mapfan.com/map?c=43.65136515839951,142.58872269128318,15&s=std,pc,ja
この地図のおおむね中心付近にあります。
北海道旅行の「目玉」として、北海道内有数の心霊スポットといわれる中国人墓地を選んだ。
私は行くのが怖かった。なぜなら・・そう・・・
私は白い車に乗っているのだ!!
それゆえ、もしかしたら狙われるのかも・・・と心配していた。
しかし、自分の車がまさかあんな姿になろうとは・・・・
8月1日
内地(爆)では猛暑だと言うのに
この北海道では相変わらず涼しい
私とSKYLINE氏は中国人墓地の正確な場所を割り出すため、
東川町にある、北海道ローカルコンビ二【セイコーマート】にて
詳しい場所を聞くことにした。
ちなみにこのセイコーマート、茨城にも多数ある・・・
コンビニの店員曰く、
この中国人墓地は「東8号の第3小学校付近だったと思うのですが・・」
我々は早速、現地へ向かった。
しかし、それらしいものは何処にも無い。
その代わり、なぜかヘリコプター十数機が保管されている
ヘリコプター基地にたどり着いてしまった。
これは見たい!!見なければならない!!
早速車から降り、ヘリコプターを見物しようとしたそのとき!!
『ごるぅぁぁああああ!!!!』
天地を揺るがす雄叫と共に突如、前方の扉が開き、
中から怪物が飛び出してきた!?
これはもしや?北海道名物「クマ!?」
驚いた私は「スイマセン!スイマセン!」と平謝り・・・
出てきた熊・・・ではなく警備会社のオッチャンに
事情を説明したところ、ヘリにいたずらする奴がいるため警備中との事だった。
早速オッチャンに中国人墓地の場所を聞くと
山の上で、なおかつ隣町の東神楽に近いところだと言う・・
ちなみにヘリは農薬散布用とのこと。
我々は早速東神楽へ向かったが、それらしい場所は無い。
やっぱり夜に探すのは厳しいのか!?
我々はいったん撤収し、明日昼間に探すことにした。
そして次の日、
旭川ローカルデパート「マルカツ」にて1/25000地図を購入。
東川の墓地という墓地をすべてチェック、
しらみつぶしに探す作戦に出た。
【小高い丘、峠道、東神楽の近く】
事前情報からこの3つの条件をみたす墓地を探すことにした。
一つ目、二つ目ははずれだった・・・
そろそろガソリンも無くなって来たので
ガソリンを入れるため北海道ローカルGS【ホクレン】にて給油することにした。
給油中、私は「北海道大学 歴史研究会」を名乗って
店長らしき人物に中国人墓地の場所を尋ねる。
すると、
店長:「ああ、あそこね・・・あんまり遊び半分で行かないほうがいいよ・・
中国人の慰霊碑と、あと【一家惨殺の墓】があるんだよ・・・
行くんなら、道わかんないだろうから、後ついてきて・・」
とのこと。
早速我々は店長の車の後をつけた。
交通量の多い(北海道にしては)道道(=県道)から、
丘の上に登っていく狭い(北海道にしては)道を進むと
店長は車を停め、我々の方へ向かってきた。
そして右手の細い(本当に)砂利道を指差し、
店長:「この先が墓地だから。あんまりふざけた気持ちはもたないこった」
と言い、再び車に乗ると、細い砂利道を進んでいった。もちろん我々も後に続く。
細い森の中の道を100mくらい進んだところに墓地があった。
店長:「これが中国人の慰霊碑で、こっちの7つの地蔵が一家惨殺の奴ね・・
じゃあ、気ィつけてね・・・」
そして、店長は去っていった。
我々は墓地を一通り見た後、帰る事にした。
特に、霊的にヤバイ感じは無かったが、
車のリアガラスを見た我々は凍りついた!!
沢山の手形が着いているではない
か!!!!!
私は恐怖と共に車のリアガラスを見つめると
「ポタッ、ジワ〜」
「ポタッ、ジワ〜」
なんと手形の正体は上の木の枝から落ちてきた雨水であった・・・
ボンネットを見ると、確かに雨水が無数の「手形」を作っている。
確かに噂どおり、水垢がつきやすい「白い車」のほうが手形は目立つだろう。
そして夜ならば夜露が雨水の代わりをし、同じように手形を作るに違いない。
でも、夜なら夜露が手形を作る瞬間は暗くて見えないだろうし、
帰ってからこの手形を見つけたのではビビるのも無理は無かろう。
ふと、ボンネットに目をやると、エンジンの熱で温められ、白い湯気が立っていた。
「なるほど、これが幽霊か・・・・」
幽霊の正体を暴いた我々は、意気揚揚と引き上げ、そして夜にもう一度行くことにした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4641/page013.html
91. 中川隆[-6460] koaQ7Jey 2017年9月09日 10:50:07: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14
旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。
ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。
そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。
その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。
何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。
そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。
このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14
旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。
それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。
「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」
「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」
堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。
この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。
これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17
旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24
ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー
国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。
「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」
「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。
「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」
「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」
そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」
彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。
「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。
今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。
そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。
そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。
またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。
そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。
どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。
しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。
3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。
中国人殉難裂士慰霊碑
忠別発電所
中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24
92. 中川隆[-6462] koaQ7Jey 2017年9月09日 11:41:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷な た こ部屋は 11カ所あ っ た - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf
太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。
タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。
@東9号第一遊水池側(東川の方の証 言)
A東8号第一遊水池の向かい(同) 遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。
B東6号南(同) 第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。
C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠 別村の方の証言) 鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。
D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証 言)
Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ 部屋(同)
Fノカナンの沢取水口(同)
G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)
H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内 在住の方の証言) 学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。
I旧江卸発電所放水路の下(東川の方 の証言)
Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)
ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。
当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。
この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。
戦後しばらくたってから、
「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」
と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。 逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。
母親から
「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」
と聞かされた。
江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生
93. 中川隆[-6458] koaQ7Jey 2017年9月09日 18:08:37: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日
北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。
ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。
北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。
小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。
また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。
ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。
…奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル
此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…
この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。
しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。
本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。
民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。
このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。
タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。
いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。
このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。
暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。
私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。
北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例
この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。
この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。
広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。
あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。
北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例
当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。
滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。
今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。
空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。
「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。
人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。
また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。
さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。
…国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた
殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…
この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。
昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。
何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。
また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。
そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。
囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。
いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。
私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。
また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。
過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。
過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。
ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。
最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。
人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287
【笹の墓標】
戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。
遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった!
道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!
序章
深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。
火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。
宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。
「起きろ。働け」
棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。
土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。
タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。
宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。
前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。
食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。
食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。
「おれはもうだめだよ」
朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。
李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。
高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。
「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」
朴は李の耳に口を寄せて励ました。
朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。
今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。
厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。
李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。
現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。
「この身体ではアヒルは無理です」
朴は棒頭に訴えた。
「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」
労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。
「棒頭、李さんが死んでしまいます」
朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。
「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」
棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、
「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」
となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、
「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」
と朴に命じた。
宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。
「朴さん、おれはもう助からない」
「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」
「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」
「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」
「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」
「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」
「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」
李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。
「李さん」
「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」
朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。
死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。
翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、
「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」
と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、
「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」
と李が答えたようにおもえた。
朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。
「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」
一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。
「べつになにもしていないよ」
朴が答えると、
「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」
当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。
「1日5円から10円だって」
朴は目を丸くした。
「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」
男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。
だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。
朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。
朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。
雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。
飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。
「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」
棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。
逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。
「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」
朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。
飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。
起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。
冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。
ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。
だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。
現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、
「シャツを脱げ。ズボンを取れ」
と命じて、褌1本でしばらく働いた後、
「褌を取れ」
と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、
「気合いを出せ」
と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。
異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。
日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。
まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。
そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。
そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。
強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。
朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。
まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。
朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。
飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。
南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。
朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。
若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。
模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。
冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。
4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。
最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。
首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。
月はないが、雪明かりで充分明るい。
おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。
朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。
かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。
これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。
警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。
山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。
駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、
「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」
と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。
老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。
1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。
客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。
幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。
朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。
「あっ、あなたは」
「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」
顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。
娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。
肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。
「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」
娘の父親が言った。
ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、
「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅
南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」
と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。
「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」
「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」
と徐はいたわるように言った。
地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。
ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。
2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。
「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」
と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。
「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」
「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」
そこへ徐東雲が来た。
「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」
と徐東雲は言った。
朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」
協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。
「元気でね」
朝子が言った。
「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」
「朴さん、絶対捕まらないでね」
朝子がすがりつくように言った。
「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」
「待ってるわ」
朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。
間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。
そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm
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日本統治時代の朝鮮人徴用(抜粋)
日中戦争期
労務動員計画
「労務動員計画」を参照
1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[24][18]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[25])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][18]。1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた[27]。水野直樹はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている[27]。
山口公一[28]もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。」と説明している。山口は、日本政府の労務動員計画を3段階に分け、@39年1月からの「募集形式」A42年からの「官斡旋方式」B44年9月からの「徴用令方式」があったとし、その最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があった。したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している[29][30]。
≪↑募集で応募した場合でも、実態は強制連行だったという事 ≫
松代大本営建設の徴用
1944年11月11日から着工された松代大本営建設における徴用の場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。延べ人数では西松組・鹿島組県土木部工事関係12万人、付近の住民などの勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった[50]。
「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた[51]。しかしその労働は過酷であり[52]、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという[53]。
「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた[54]。しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという[55]。
また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある[56][57]。そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている[58]。
≪↑こりゃ なんぼ やり玉に挙げられても文句は言えないな ≫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
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以上 このリンクを 徹底的に読めば 弁解の余地など微塵もない労働搾取であった事は明白である
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徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について
2018年11月1日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫
(1)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko-1.jpg
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/11/20181102_choyoko.pdf
PDF(記者の質問と答えも収録)
10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。
安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。
こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。
(2)
日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。
たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。
強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。
たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。
日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。
(3)
韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。
1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。
徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。
今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。
日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。
日本共産党の志位和夫委員長は11月1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。
「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を
志位委員長の一問一答
日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致
――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。
志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。
「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。
裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。
この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。
国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を
――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。
志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。
同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。
私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。
先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。
国家間の請求権についてどう考えるか
――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。
志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。
韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。
その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。
私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。
ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html
245. 中川隆[-13585] koaQ7Jey 2018年11月12日 19:23:13: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20587] 報告
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「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三
ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。
そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。
しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。
いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。
「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。
「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。
2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。
上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。
2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。
さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。
次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。
そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?
ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。
要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。
「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。
(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)
2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。
現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。
しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。
成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。
日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。
3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。
以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html
【東京発信・Cool Eyes】第21回 歴史学者・宮脇淳子 台湾を語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J-MM1p7gPXw
鄭成功氏前の台湾・台湾出兵・旧慣調査と台湾私法等
(2018年7月収録)
http://www.asyura2.com/17/china12/msg/799.html#c4
志賀高原焼額山スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46673
北志賀高井富士スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46678
奥志賀高原スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46674
志賀高原中央部の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46672
ロシアからトルコへ天然ガスを輸送するタークストリームが今年(2018年)11月に完成、同月19日にトルコのイスタンブールでセレモニーが行われた。アゾフ海の入り口に近くから黒海を横断、トラキアのトルコ領へつながっている。
輸送開始は来年12月からで、天然ガスはトルコで消費されるほか、ヨーロッパの南部や東南部の国々が市場として想定されている。
前に計画されていたサウス・ストリームはアメリカ政府の圧力でブルガリア政府が建設許可を出さずに挫折しているので、ブルガリアを回避してヨーロッパへ運ぼうとするなら、ギリシャを通り、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアを結ぶルートが考えられる。
ウクライナを経由せずにロシアからEUへエネルギー資源を運ぶルートには、ロシアのビボルグからバルト海を南下してドイツのグライフスバルトへつながっているノード・ストリームがある。このパイプラインの成功を受けて計画されたのがノード・ストリーム2。
ドイツは新パイプラインの建設に積極的だが、EUに対する支配力の低下を恐れるアメリカ支配層は必死に妨害している。そうした圧力を受けてデンマークはサウス・ストリーム2の建設に反対、ロシア、ドイツ、フィンランド、スウェーデンはデンマークを迂回するルートを検討しているという。
かつて、ロシアからEUへエネルギー資源を運ぶ主要ルートはウクライナを経由していた。アメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月、ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒すことに成功した。そのクーデターを実行するために使われたのがステファン・バンデラを信奉するネオ・ナチだ。
ヤヌコビッチの地盤だったウクライナの東部や南部では住民がクーデターに反発、ロシアへ助けを求めた。素早く動いたクリミアはロシアと一体化、東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)はキエフのクーデター政権が送り込んだ部隊との戦闘が続いている。
アメリカ支配層は天然ガスがロシアからEUへ運ばれないようにウクライナでクーデターを実行、ノード・ストリームの建設を妨害しているのだが、アメリカの手先になったウクライナではロシアから供給された天然ガスや石油に対する代金を支払わず、その一方でアメリカから高額の天然ガスや石炭を購入している。その結果として代金は庶民の支払い能力を超えてしまい、国内は混乱しはじめた。
そうした混乱の中、アメリカをはじめとする西側の支援を受けたナチズムの信奉者が勢力を伸ばしつつあるのがウクライナ。アメリカを中心とするファシズム体制とロシアや中国を中心とする多極的な体制の対立は今後、激しくなりそうだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811240000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c127
ros********さん 2012/11/13 23:45:16
オオナムチについて。
福岡県朝倉市にオオナムチ神社という神社があります。
質問します。
@このオオナムチ神社は、日本で最も古い神社だと聞きましたが、これは本当ですか。
逆に言えば、日本で最も古い神社は、どこなのでしょうか。
Aオオナムチ⇒オオクニヌシノミコト
として同一視されているそうですが、オオナムチ自体は、何の宗教のどんな神なのでしょうか。
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aki********さん 2012/11/18 10:25:00
日本最古の神社は、縄文時代の日本に建っていた、という説を採らせて頂きます。天津神が渡来する前から、縄文時代の日本にも神社があった、一万年の歴史を持つ、と思います。
伊勢神宮の内宮などに、心の御柱と呼ばれるものが建っています。これに注目します。廣田神社に天照大神荒魂、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とあります。撞賢木厳之御魂は、撞=依り憑く、賢木=御神木、厳之御魂=男神の魂、です。その後に続くのは、おそらくこの神を奉斎した巫女の名前。御神木に依り憑く男神の魂を奉斎する巫女を神格化した神、と読めます。男神が依り憑く御神木こそが、伊勢神宮の内宮にある心の御柱と考えます。
神は一柱二柱と数えます。これは、神が宿る御神体の御柱を数えるところから来たもの。三内丸山遺跡や諏訪の祭りを観察すれば、神が依り憑く巨大な柱の存在が明確になってきます。三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉です。数千年から一万年前まで遡れるかもしれません。
猿の子供のメスは、木の枝を赤ん坊に見立てて、お人形遊びをして、母親の心を学んでいきます。宗教を生みだすアニミズムの発想の原型は、母親の尻尾を獲物に見立てて追い回して遊ぶ、子猫にも認められるそうです。哺乳類がもともとアニミズム的な発想をする習性を持つ動物だとすれば、人類はまだ猿だった時代から、原始宗教を持っていた可能性があります。猿の時代から依り代として使ってきた木の棒を巨大化して大地に建てれば御柱です。これが神社の原型です。扶桑信仰の扶桑は、日出国の日本に縄文時代から建っていた。これは、間違いないと思います。それもおそらく最初は蛇と関わりが深い蒲葵だった。しかし、現在の神社のような建築物はまだなかった、御神体の柱だけだった可能性もあります。
オオナムチの蛇神のほうですが、縄文の模様を観察していると、縄模様に蛇の頭が付いたものが散見されます。たしかに蛇は土坑祭祀と関連があるのかもしれません。土坑に見立てた縄文の壺の穴の周囲にも蛇がトグロを巻いて守っていたのだと思います。壺に入れたものに腐敗などの邪気が寄り付かないように。縄文人達が注連縄模様を描いたものを、考古学者が縄文と名付けたのが真相と思います。
壺の中で蛇を飼う昔話は、常陸国風土記のヌカヒメ伝承があります。蛇を飼育する容器が神聖視されて祀られていたことが分かる伝承です。
鏡とは、カカメが転化したもので、カカ=蛇、メ=目で、本来は蛇目のことだったそうです。鏡餅は、カガ=蛇、ミ=身で、蛇がトグロを巻いた姿に見立てて飾ってあるものと考えられます。また神社の御神木とされるナギ(梛)の木は、ナギ=蛇の木だったと思われます。
オオナムチは、政争に敗れて出雲に島流しになる前は、縄文として描かれていた時代からの日本の神だった、と思います。日本神道には渡来系の天津神だけでなく、縄文時代からそのまま引き継がれた在来系の国津神の系列があり、オオナムチは後者かと。ただ、大陸の扶余に渡る前の巫女達が、縄文時代の日本に存在した可能性もあり、両系統は同根で、明確な区分はないのかもしれない。すでに日本最古の神社や信仰の姿を示す証拠品は出土しているものの、現代人はその情報をまだ整理しきれていないと考えます。
銅鐸に刻まれた、太陽の三態を表す記号、朝『\』昼『○』夕『/』とか、火起こしの回転運動に由来する、火(日)の神の力を召喚するパワーを表す、左右の連結された渦巻とか、いろんなものが残っているものの、我々はまだその信仰の姿を十分読み解けていません。
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aka********さん 2012/11/18 01:56:35
神道施設の成立過程から順に明らかにしていきましょう。
神道は、八百万の神々を祀っていますから、多くの信仰が習合しています。そのほとんどは自然崇拝と祖霊崇拝です。自然崇拝は霊山や島や磐座や塚や御神木など、自然物が対象(御神体)ですから、本来は建物を建てて祀るものではありませんでした。神社は社(ヤシロ)とも言い、元は屋代です。代(シロ)とは、お祓いして清められた神が降臨する場所のこと。そこに建てられるのが屋代です。古い時代は仮の宮とされ、神事のときだけ存在して、用がなくなれば解体されていました。
対して、祖霊崇拝の場合は、生前の業績を称えて祀るのが基本ですから、生前の住まいである宮を子孫が大切に保存したり、霊廟を建てることもありました。神宮と神社の違いは、神宮は貴人の住まいが原点というところです。一般的に、神社には依り代となる御神体を祀る神棚の類はあっても、神様が寝起きしたり座る場所はありません。しかし、祖霊崇拝の場合は、依り代となる現人神(生き神)の巫女が寝起きしたり座る、神座がなくてはなりません。両者の違いを、皇室関係の神社とそれ以外と解説するケースが目立ちますが、神道施設が生まれた過程から見れば、不自然な俗説です。
神道のルーツは扶余の名前の由来になった扶桑信仰にあります。扶桑とは日が昇る場所に立つ同根二柱の神木の夫婦神のことで、現在はイザナギとイザナミと呼ばれていますね。扶桑信仰を作った人々は、後の狛犬のモデルになった狼犬を連れて、日本から大陸に渡っています。おそらく縄文時代の鬼界カルデラの大噴火のときに、噴煙による日照条件の悪化に伴う食糧危機を避けるため、青森県まで逃げて、そこから海外脱出した人々です。大陸から祖先の国を拝んだのが、扶桑信仰の始まりだったと推測できる神話が、日の巫女の王の家の神庫に残っています。扶桑信仰は今でも、初日の出を拝む大和民族の風習として残っていますね。つまり、神道の朝日を拝む歴史は七千年程度あると考えられます。
その長い歴史から見ると、神社という言葉は、かなり新しい時代に生まれた高句麗語&日本語です。扶余から派生した高句麗も、太陽信仰の国でした。神庫に残る故老の伝承を総合すると、高句麗は日の巫女の王が宮を構えていた五女山の神宮(高天原)の境内都市から生まれているようです。天照大神の原型となった女神は明姫(アカルヒメ)と言い、東明聖王の母とも妹ともされています。夜明けの情景から太陽が昇る→夜明けを神格化した明姫から太陽を神格化した東明聖王が生まれてくる→天照大神から皇統が生まれた、というのが、天津神の一族が日本へと渡来してもたらした、祖霊崇拝の日拝の神事を起点とする太陽信仰の原初の姿です。
高句麗の国教の姿を伝える中国の文献には、国母とその息子の王の二霊廟を祀っているとあります。あるとき高天原に難民が押し寄せて、国難を解決するために、明姫は豊葦原瑞穂の国(日国)への里帰りを託宣しました。渡来後の宮はヒメコソと呼ばれたようです。これを古い朝鮮語で「姫の社」という意味だと指摘する人々がいますが、私達は神宮を指す古い高句麗語と認識しています。つまり、最も古い日本の神道系の建物は、明姫を奉斎する日の巫女達が住まう神宮で、最初の入植地姫島のヒメコソだった、ことになります。
オオナムチは大国主の別名です。出雲の神々は四国に入植した渡来氏族が奉斎していた神々で、畿内に移動して大和朝廷の基盤を作りましたが、政権闘争に敗れて出雲へと島流しになっています。前方後円墳の原型は、近畿地方に出現するより百年古い時代から四国で痕跡が認められます。また出雲の神々の信仰実績は四国から見つかっています。つまり、オオナムチは、明姫の日国への里帰りの託宣に従って、九州から四国にかけて入植した人々が奉斎していた蛇神の名残りです。
蛇信仰は纏向型祭祀(土坑祭祀)や東盟祭用の隧穴に棲む蛇から生じたもので、注連縄は雌雄一対の蛇の交尾を表したシンボルです。大地母神の多産の象徴であるホトを表しているのが隧穴で、トンカラリン遺跡などにも見ることが出来ます。天岩戸伝説も隧穴信仰から派生しています。鏡の光を当てると、天照大神がなんだろうと思って岩戸から出てきたエピソードがあります。これは、日矛鏡で陽光を反射して作った、太陽神の男性のシンボル(日矛)の光で、多産を祈願して大地母神のホトを突く神事が元になっている表現です。箸墓古墳のホトを箸(隧神の男性の象徴の木の棒)で突いたという伝承もこの系統です。天照大神が隧穴(天岩戸)から出たとき、再び入らないようにと注連縄を渡したことからも、隧穴とそこに棲む神遣の蛇への信仰の関係が見て取れますね。隧穴と一対の男神のシンボルとして蛇信仰が考えられることもあり、蛇神のオオナムチも古い隧穴信仰の名残りの一つなのです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1097174915
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c47
ros********さん 2012/11/13 23:45:16
オオナムチについて。
福岡県朝倉市にオオナムチ神社という神社があります。
質問します。
@このオオナムチ神社は、日本で最も古い神社だと聞きましたが、これは本当ですか。
逆に言えば、日本で最も古い神社は、どこなのでしょうか。
Aオオナムチ⇒オオクニヌシノミコト
として同一視されているそうですが、オオナムチ自体は、何の宗教のどんな神なのでしょうか。
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aki********さん 2012/11/18 10:25:00
日本最古の神社は、縄文時代の日本に建っていた、という説を採らせて頂きます。天津神が渡来する前から、縄文時代の日本にも神社があった、一万年の歴史を持つ、と思います。
伊勢神宮の内宮などに、心の御柱と呼ばれるものが建っています。これに注目します。廣田神社に天照大神荒魂、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とあります。撞賢木厳之御魂は、撞=依り憑く、賢木=御神木、厳之御魂=男神の魂、です。その後に続くのは、おそらくこの神を奉斎した巫女の名前。御神木に依り憑く男神の魂を奉斎する巫女を神格化した神、と読めます。男神が依り憑く御神木こそが、伊勢神宮の内宮にある心の御柱と考えます。
神は一柱二柱と数えます。これは、神が宿る御神体の御柱を数えるところから来たもの。三内丸山遺跡や諏訪の祭りを観察すれば、神が依り憑く巨大な柱の存在が明確になってきます。三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉です。数千年から一万年前まで遡れるかもしれません。
猿の子供のメスは、木の枝を赤ん坊に見立てて、お人形遊びをして、母親の心を学んでいきます。宗教を生みだすアニミズムの発想の原型は、母親の尻尾を獲物に見立てて追い回して遊ぶ、子猫にも認められるそうです。哺乳類がもともとアニミズム的な発想をする習性を持つ動物だとすれば、人類はまだ猿だった時代から、原始宗教を持っていた可能性があります。猿の時代から依り代として使ってきた木の棒を巨大化して大地に建てれば御柱です。これが神社の原型です。扶桑信仰の扶桑は、日出国の日本に縄文時代から建っていた。これは、間違いないと思います。それもおそらく最初は蛇と関わりが深い蒲葵だった。しかし、現在の神社のような建築物はまだなかった、御神体の柱だけだった可能性もあります。
オオナムチの蛇神のほうですが、縄文の模様を観察していると、縄模様に蛇の頭が付いたものが散見されます。たしかに蛇は土坑祭祀と関連があるのかもしれません。土坑に見立てた縄文の壺の穴の周囲にも蛇がトグロを巻いて守っていたのだと思います。壺に入れたものに腐敗などの邪気が寄り付かないように。縄文人達が注連縄模様を描いたものを、考古学者が縄文と名付けたのが真相と思います。
壺の中で蛇を飼う昔話は、常陸国風土記のヌカヒメ伝承があります。蛇を飼育する容器が神聖視されて祀られていたことが分かる伝承です。
鏡とは、カカメが転化したもので、カカ=蛇、メ=目で、本来は蛇目のことだったそうです。鏡餅は、カガ=蛇、ミ=身で、蛇がトグロを巻いた姿に見立てて飾ってあるものと考えられます。また神社の御神木とされるナギ(梛)の木は、ナギ=蛇の木だったと思われます。
オオナムチは、政争に敗れて出雲に島流しになる前は、縄文として描かれていた時代からの日本の神だった、と思います。日本神道には渡来系の天津神だけでなく、縄文時代からそのまま引き継がれた在来系の国津神の系列があり、オオナムチは後者かと。ただ、大陸の扶余に渡る前の巫女達が、縄文時代の日本に存在した可能性もあり、両系統は同根で、明確な区分はないのかもしれない。すでに日本最古の神社や信仰の姿を示す証拠品は出土しているものの、現代人はその情報をまだ整理しきれていないと考えます。
銅鐸に刻まれた、太陽の三態を表す記号、朝『\』昼『○』夕『/』とか、火起こしの回転運動に由来する、火(日)の神の力を召喚するパワーを表す、左右の連結された渦巻とか、いろんなものが残っているものの、我々はまだその信仰の姿を十分読み解けていません。
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aka********さん 2012/11/18 01:56:35
神道施設の成立過程から順に明らかにしていきましょう。
神道は、八百万の神々を祀っていますから、多くの信仰が習合しています。そのほとんどは自然崇拝と祖霊崇拝です。自然崇拝は霊山や島や磐座や塚や御神木など、自然物が対象(御神体)ですから、本来は建物を建てて祀るものではありませんでした。神社は社(ヤシロ)とも言い、元は屋代です。代(シロ)とは、お祓いして清められた神が降臨する場所のこと。そこに建てられるのが屋代です。古い時代は仮の宮とされ、神事のときだけ存在して、用がなくなれば解体されていました。
対して、祖霊崇拝の場合は、生前の業績を称えて祀るのが基本ですから、生前の住まいである宮を子孫が大切に保存したり、霊廟を建てることもありました。神宮と神社の違いは、神宮は貴人の住まいが原点というところです。一般的に、神社には依り代となる御神体を祀る神棚の類はあっても、神様が寝起きしたり座る場所はありません。しかし、祖霊崇拝の場合は、依り代となる現人神(生き神)の巫女が寝起きしたり座る、神座がなくてはなりません。両者の違いを、皇室関係の神社とそれ以外と解説するケースが目立ちますが、神道施設が生まれた過程から見れば、不自然な俗説です。
神道のルーツは扶余の名前の由来になった扶桑信仰にあります。扶桑とは日が昇る場所に立つ同根二柱の神木の夫婦神のことで、現在はイザナギとイザナミと呼ばれていますね。扶桑信仰を作った人々は、後の狛犬のモデルになった狼犬を連れて、日本から大陸に渡っています。おそらく縄文時代の鬼界カルデラの大噴火のときに、噴煙による日照条件の悪化に伴う食糧危機を避けるため、青森県まで逃げて、そこから海外脱出した人々です。大陸から祖先の国を拝んだのが、扶桑信仰の始まりだったと推測できる神話が、日の巫女の王の家の神庫に残っています。扶桑信仰は今でも、初日の出を拝む大和民族の風習として残っていますね。つまり、神道の朝日を拝む歴史は七千年程度あると考えられます。
その長い歴史から見ると、神社という言葉は、かなり新しい時代に生まれた高句麗語&日本語です。扶余から派生した高句麗も、太陽信仰の国でした。神庫に残る故老の伝承を総合すると、高句麗は日の巫女の王が宮を構えていた五女山の神宮(高天原)の境内都市から生まれているようです。天照大神の原型となった女神は明姫(アカルヒメ)と言い、東明聖王の母とも妹ともされています。夜明けの情景から太陽が昇る→夜明けを神格化した明姫から太陽を神格化した東明聖王が生まれてくる→天照大神から皇統が生まれた、というのが、天津神の一族が日本へと渡来してもたらした、祖霊崇拝の日拝の神事を起点とする太陽信仰の原初の姿です。
高句麗の国教の姿を伝える中国の文献には、国母とその息子の王の二霊廟を祀っているとあります。あるとき高天原に難民が押し寄せて、国難を解決するために、明姫は豊葦原瑞穂の国(日国)への里帰りを託宣しました。渡来後の宮はヒメコソと呼ばれたようです。これを古い朝鮮語で「姫の社」という意味だと指摘する人々がいますが、私達は神宮を指す古い高句麗語と認識しています。つまり、最も古い日本の神道系の建物は、明姫を奉斎する日の巫女達が住まう神宮で、最初の入植地姫島のヒメコソだった、ことになります。
オオナムチは大国主の別名です。出雲の神々は四国に入植した渡来氏族が奉斎していた神々で、畿内に移動して大和朝廷の基盤を作りましたが、政権闘争に敗れて出雲へと島流しになっています。前方後円墳の原型は、近畿地方に出現するより百年古い時代から四国で痕跡が認められます。また出雲の神々の信仰実績は四国から見つかっています。つまり、オオナムチは、明姫の日国への里帰りの託宣に従って、九州から四国にかけて入植した人々が奉斎していた蛇神の名残りです。
蛇信仰は纏向型祭祀(土坑祭祀)や東盟祭用の隧穴に棲む蛇から生じたもので、注連縄は雌雄一対の蛇の交尾を表したシンボルです。大地母神の多産の象徴であるホトを表しているのが隧穴で、トンカラリン遺跡などにも見ることが出来ます。天岩戸伝説も隧穴信仰から派生しています。鏡の光を当てると、天照大神がなんだろうと思って岩戸から出てきたエピソードがあります。これは、日矛鏡で陽光を反射して作った、太陽神の男性のシンボル(日矛)の光で、多産を祈願して大地母神のホトを突く神事が元になっている表現です。箸墓古墳のホトを箸(隧神の男性の象徴の木の棒)で突いたという伝承もこの系統です。天照大神が隧穴(天岩戸)から出たとき、再び入らないようにと注連縄を渡したことからも、隧穴とそこに棲む神遣の蛇への信仰の関係が見て取れますね。隧穴と一対の男神のシンボルとして蛇信仰が考えられることもあり、蛇神のオオナムチも古い隧穴信仰の名残りの一つなのです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1097174915
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c147
文政権は、何をやっても上手くいかなかったが、今回の犬の食用禁止はクリーンヒットである。今年8月、大統領府の国民請願板で「家畜から犬を外して犬の食用を禁止してほしい」という請願に20万人以上の同意が寄せられた。大統領府は、これに対して「家畜から犬が除外されるように関連規定の整備を検討する」と明らかにしていた。それが、ついに実行に付された。
世界の愛犬家にとって、韓国で犬を食用にしていると聞けば悲鳴を上げるほど残酷な話だ。韓国は昔からの伝統であり別段、動物愛護精神に反することとも思わずにきた。それが、残酷この上ないことであると知って、ようやく禁止の方向に向かっている。
『レコードチャイナ』(11月23日付)は、「韓国最大の犬の食肉処理施設の解体始まる」と題する記事を掲載した。
(1)「中国紙『新京報』(11月23日付)は、韓国最大の犬の食肉処理施設解体作業が始まったと報じた。記事はまず、英BBCの報道を引用。『韓国当局は22日、動物の権利活動家らの圧力に迫られ、国内各地の犬肉料理店の最大の供給元となっていた、ソウル南部の城南市太平洞にある施設の解体作業を始めた』と報じた。当局者によると、解体作業は2日間行われ、その後は公園に改築されるという。記事によると、韓国の動物権利保護団体(KARA)は声明で、『これは歴史的な瞬間だ』とし、『全国の犬の食肉処理施設の閉鎖のための扉を開き、犬肉産業全体の減少を速める』と述べた」
中国でも、韓国から輸入された「犬肉缶詰」が販売されている。以前、中国人留学生が、「旨いから持って来ます」と言われて、ビックリしたことがある。もちろん断ったが、缶詰になって輸出されていることにさらに驚いた。韓国もこれで、「近代化」の階段を一つ上った感じだ。
(2)「記事は続けて、韓国・聯合ニュースの報道を引用。『2004年には韓国国民の約9割が犬食を禁止する必要はないと答えたが、今年は犬食に賛成する人は18.5%だった。今年8月、『畜産法を改正し、家畜から犬を除外して食肉処理を違法化してほしい』とする大統領府への請願に20万人を超える署名が集まったことを受け、政府は関連規定の整備を検討すると回答した』ことを紹介した」
大統領府への請願では、賛成者が20万人以上に達すると、大統領府は何らかのアクションをしなければならない決まりになっている。今回のケースでは良い結果が出たものの、多くの問題を含んでいる。他人を誹謗する「リンチ」のようなケースが多発しているのだ。自分の不満を請願板に書いて鬱憤晴らしに利用する。韓国社会の歪んだ姿が映し出している。
この請願板は、国連で高い評価を受けている。今年、国連の評価でオンライン参加部門1位になったからだ。形式上は、民意を反映するシステムである。使い方を間違えると、他人を誹謗中傷する道具になるから危険なのだ。
ウソのような本当の話が登場した。かねてから、中国は米欧から技術入手で閉出されたので、日本とイスラエルへ接近していると言われてきた。この両国ならば、うまく騙して技術を手に入れられというのが理由だ。日本も随分と甘く見られているが、イスラエルは現実に被害にあったという報道が出てきた。日本企業も騙されないように、くれぐれも用心して欲しいものだ。
『大紀元』(11月23日付)は、「ニセ商談で外国企業機密を入手、契約間近で消える中国企業ーイスラエルメディア」と題する記事を掲載した。
イスラエルで中国企業はビジネス交渉や協力関係の強化を名目に、同国企業が開示した企業機密を盗み出していると、同国メディアが報じた。世界第2のシリコンバレーとも例えられるイスラエル。近年、技術移転の強要や知的財産の盗用問題が露呈して、欧米への接近が難しくなった中国共産党政権は、この中東のハイテク先進国家に接近している。
この記事は、中国が商談を装ってスパイ活動している実例を明かしている。極めて巧妙に接近してくるので注意することだ。論語で「巧言令色、鮮し仁」と警告している。ぺらぺら喋る人間には仁がない。その通り。中国人でぺらぺら喋るのに出会ったら、先ず疑ってかかることだ。
(1)「イスラエルのメディアYnetニュースは7月下旬、調査報道を行い、中国企業がイスラエルの企業に近づき、企業機密を取得していると報じた。イスラエルのあるセキュリティ企業CEOによると、中国側との会議には常に4〜6人の部門別「代表者」から成り、話すのは一人だけ。英語ではなく中国語を話し通訳を介して会議が行われる。「通訳がついているが、私が見た限りでは全員が英語をよく理解できているのは明らかだ。通訳の話を聞かずとも、私たちの話した内容をメモしたりPCにタイプしたりしているのだから」とCEOは付け加えた」
(2)「イスラエル政府の元スパイ防止担当局高官アブナ・バーナ氏は、「中国民間企業の商談や会議のなかで、中国チーム内には政府関係者がいて、優れた英語能力を持つ」と分析している。セキュリティ企業CEOは、中国の民間企業や政府の諜報部門を含め10数回以上の会議を交わしてきた。彼らは開示された情報に敏感に反応し、すべての情報を記録していたという。たとえば商談のなかで製品、人材、販売や営業形態などあらゆる情報を聞き取り、記録する」
(3)「CEOによると、中国チームは話の流れを中国側に持っていくよう操作するのに長けていた。一様に会議の出だしには、イスラエルを称え、米国の評価を下げるという「まるで同じ台本を読んでいるかのような」セリフを使うという。「私たちには5000年の文化がある、あなたたちユダヤ人は3500年の文化だ。アメリカはわずか200年の歴史しかなく、マクドナルドの運営(薄利多売を揶揄)に忙しい。2000年間もの亡国の歴史にもかかわらず、イスラエルには文化が保たれていることを称えたい。私たちには共通する歴史が多いでしょう…」
(4)「奇妙なことに、契約が取りまとめられる直前になると、中国チームとは連絡が取れなくなる。イスラエルのあるインターネット関連企業のマーケティング部代表も、「中国企業が契約前に姿を消した」ケースをYnetニュースに明かしている。中国企業は、交渉の「信頼性」を高めるためにイスラエル企業に数百万ドルの前金を払った。この「誠意」への期待感から、イスラエル側も多くの交渉材料を提示する。しかし、交渉が発展段階に進むと、またしても中国チームは失踪する。こうした例を多くのイスラエル企業は経験している」
(5)「つまり、中国チームはイスラエル企業の製品を購入する気はなく、商談や交渉を通じて企業機密を集めるスパイだ。ビジネスモデルや技術情報、顧客情報、企業機密など情報を得たら、消える。前出のセキュリティ企業CEOは語る。イスラエル企業は、中国の諜報活動の巧妙さに気付いていない。ある日、中国代表団がヘルズリヤを訪問し、大手セキュリティ企業の買収を提案した。提示金額は「天文学的な数字」で、西側企業の示した最高額の4倍に当たるという」
(6)「会議参加者のイスラエル企業関係者によると、中国団の不審な行動を目撃した。「交渉の途中、ある中国企業マネージャーは何も言わずに離席し、カバンを持って会議室から出た。私はその姿を追うと、彼は建物内をウロウロとさまよっていた。盗聴かサイバー工作のための情報伝送装置をつけに行くためだと思う」
まさに、スパイ映画で見るような手口を使って、イスラエル企業の技術を盗みだそうとしている。国家ぐるみの犯罪をやっているのだ。ここまで悪事が露見しているにもかかわらず、日中友好という美名に騙されて、日本の知的財産を奪われてはならない。日本人の血と汗が詰まった貴重な知的財産を甘言に釣られて渡してはならない。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13775110.html
中国、「工作機械需要急減」日本の対中輸出不調で「長期停滞予想」2018年11月24日
日本製工作機械は、中国の工作機械需要で大きなウエイトを占めている。その中国受注は不振を極めており、中国の設備投資が低迷していることを裏付けている。
『日本経済新聞 電子版』(11月23日付)は、「中国工作機械受注、停滞期入りか」と題する記事を掲載した。
(1)「日本工作機械工業会が22日発表した10月の工作機械受注額(確報値)によると、中国向け輸出が前年同月比36.5%減と8カ月連続の減少となった。中国は明らかに調整局面にあり、トーンダウンしている。日工会の飯村幸生会長は、中国の市場環境の悪化が顕著になっており、不振だった2015〜16年の水準に落ち込んでいるとの認識を示した。外需(輸出)額は同2.4%減。欧州向けは同8.0%増、北米向けは同16.0%増と堅調だった。日米欧中の主要4極では、中国だけが落ち込んでおり、全体の足を引っ張る構図となっている。今後も米中摩擦など政治的要素が絡むだけに見通しが難しい」
中国向け工作機械受注が、前年同月比で今年3月から連続8ヶ月減少している。3月と言えば、米中貿易戦争が始る初期に当っており、中国製造業が敏感に反応して設備投資抑制に動いた結果だ。この一事を以てしても、中国経済にとって米中貿易戦争は、いかに大きな心理的な影響を与えているかが分る。日本の工作機械輸出需要の中では、中国だけが落込んでいる。
(2)「中国向けの受注額は直近のピークである17年11月の412億円から6割超減少した。日工会の飯村会長は低迷の要因として、『供給過剰を抑制する生産調整や半導体の景況悪化、米中摩擦の先鋭化による設備投資を控える動きがある』と指摘。その上で、受注額の水準が15年後半から16年にかけての低迷期に近づきつつあるとの認識を示した」
対中工作機械受注ピークは、昨年11月。現在は、このピークに比べて6割の減少に当る。10ヶ月で6割の受注減であるのは、減少速度が加速化していることを窺わせている。つまり、中国企業の設備投資が急速に冷却化していることを裏付ける。回復は、米中貿易戦争の推移いかんによるが、長期化が避けられまい。
(3)「中国を巡っては市況悪化に加え、中国商務省による日本や台湾の工作機械メーカーに対する反不当廉売(ダンピング)調査も懸念材料に浮上している。飯村会長は調査について『不当廉売は考えにくく大変困惑している』と述べた。調査対象の『立形マシニングセンター』について日本勢は中国メーカーに比べ性能や価格、供給力に差があり、市場では競合関係にないとされている。反ダンピング調査の対象となったことへの違和感は強い。中国勢と競合関係にある台湾メーカーも調査の対象となったことから『本当の狙いは台湾メーカーではないか』(業界関係者)との推測もあるが真相は分かっていない」
反ダンピング調査目的は何か。韓国のサムスンなどが半導体ダンピングで調査を受けた。その際、無関係な書類まで押収したという。サムスンの機密を探っていた様子が報じられていた。日本の工作機械メーカー調査も、機密を探るのが目的と見られる。ともかく、中国政府は、技術窃取のエキスパートである。油断してはならない。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13773326.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html#c19
ガントラック氏 世界同時株安はまだ下落余地がある
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2018年11月23日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8021
トランプ相場の株高予想を的中させ、更に2018年の株価下落も予想していた債券ファンドマネージャーのジェフリー・ガントラック氏が、2018年10月から始まる世界同時株安にまだ下落余地があると主張している。Reuters(原文英語)などが報じている。
世界同時株安は今後どうなるか
ガントラック氏はここ数年で一番予想を当てている著名投資家である。2016年にトランプ氏が大統領に選ばれた後の上げ相場をいち早く予想した他、2018年の相場についても見事に的中させている。
•ガントラック氏: 2018年、米国株は一度上昇してから大幅に下落する (2018/1/11)
そのガントラック氏が今回の世界同時株安について語っているので、そのコメントを紹介したい。ガントラック氏は次のように指摘している。
株式市場は下落はしているが、パニックのようなものは見られない。つまり、もっと下落余地があるということだ。
株価が下落しているのに、ボラティリティ・インデックス(訳注:価格の上下動の激しさを示す指標)がまだ低いことには驚かされる。
どういうことか? 先ず、一般的には下落相場になると投資家がパニックになり、相場の振れ幅が大きくなる(ボラティリティが上昇する)のが普通である。今回の急落でもそうなってはいるが、ボラティリティ・インデックスの上昇はそれほどでもないとガントラック氏は指摘しているのである。
実際にチャートを見てみよう。先ずは年始からの米国株のチャートである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/11/2018-11-23-s-and-p-500-chart.png
そして次がボラティリティ・インデックスのチャートである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2018/11/2018-11-23-vix-chart.png
ボラティリティは確かに上昇してはいるが、2月の下落相場に比べると低い位置にあると言える。
通常、ボラティリティの高まりは投資家がパニックに陥っていることを示す。市場がパニックに陥って株価が下落しているのであれば、パニックが収まれば株価は戻るかもしれない。しかし今回の下落はそういう種類の下落相場ではないとガントラック氏は指摘しているのである。
ビットコイン価格が世界同時株安の先行きを予想する
また、ガントラック氏はビットコイン相場と世界同時株安の関係についても言及している。世界同時株安の最中、ビットコイン価格が暴落していることは少し前に報じた。
•世界同時株安を脇にビットコインが久々の暴落中
そしてこの記事では、ガントラック氏が以前、ビットコイン価格の下落が株価の下落に先行する状況が続いており、ビットコイン価格を見れば株価の先行きが分かると主張していたことを指摘したが、ガントラック氏はやはり今回の報道でもこの相関関係に言及している。彼は次のように述べている。
ビットコインは過剰な資金がもたらした上げ相場の代表格のようなものであり、ビットコイン価格は市場の投機的なムードを可視化している。
因みにビットコイン価格は先述の記事の頃から更に下落を続けている。
ガントラック氏の言うように、これが株価の先行きを示しているとすると、株価はどうなるだろうか。因みにビットコイン価格の先行きについては2月に記事を書いている。
•ビットコインの価値は遠からずゼロになる (2018/2/20)
ガントラック氏を含め、世界同時株安について著名投資家の意見は概ね一致しているようである。
•世界最大のヘッジファンド: 世界同時株安の原因は米国利上げ
•ドラッケンミラー氏が米国株空売り、バブル崩壊を予想
•ロスチャイルド卿: 今はリスクを取る時ではない、株価は量的緩和で底上げされている
しかし今回の下落に関してはわたしの見解が一番正確だろう。
•世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因
現状ではまだ株価は反発していない。個人的にはもう一度ぐらいは市場が楽観のムードに振れてくれなければ、2008年以来の上げ相場の大天井に相応しくないと思っているが、どうなるだろうか。短期的な値動きはあまり気にせず、元々の投資戦略をただ継続したい。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8021
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c139
海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698
日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。
特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。
ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。
相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」
ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。
子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。
ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。
生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。
さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。
彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。
ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。
これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。
東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。
そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。
また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。
東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。
ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。
日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。
言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。
魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。
そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。
もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。
しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。
アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。
そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。
こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。
日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。
日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。
▲△▽▼
地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)
東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)
地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。
「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。
「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」
壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。
2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。
日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。
ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。
ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。
昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。
前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。
日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
▲△▽▼
自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印
海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。
こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。
ところで、こんなニュースがひっそりとありました。
9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。
小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。
ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ
以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。
欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。
日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜
今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。
今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*
インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。
【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」
ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。
日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。
とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?
日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。
<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。
この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。
現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。
私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。
仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。
このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。
だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。
それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?
大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。
中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?
南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。
外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。
日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。
よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。
そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。
私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。
むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。
外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。
日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。
海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。
元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応
プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。
国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。
EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。
それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。
だからといって野党を応援しているわけではありません。
「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」
このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。
工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?
内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る
ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。
「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及
自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。
移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。
日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。
携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。
そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。
余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。
人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。
それをやるのが政治です。
それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る
日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。
外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。
日本人 大丈夫?
日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698
日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。
特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。
ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。
相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」
ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。
子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。
ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。
生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。
さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。
彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。
ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。
これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。
東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。
そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。
また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。
東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。
ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。
日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。
言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。
魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。
そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。
もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。
しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。
アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。
そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。
こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。
日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。
日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。
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地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)
東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)
地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。
「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。
「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」
壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。
2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。
日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。
ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。
ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。
昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。
前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。
日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印
海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。
こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。
ところで、こんなニュースがひっそりとありました。
9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。
小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。
ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ
以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。
欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。
日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜
今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。
今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*
インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。
【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」
ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。
日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。
とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?
日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。
<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。
この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。
現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。
私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。
仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。
このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。
だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。
それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?
大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。
中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?
南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。
外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。
日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。
よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。
そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。
私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。
むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。
外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。
日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。
海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。
元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応
プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。
国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。
EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。
それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。
だからといって野党を応援しているわけではありません。
「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」
このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。
工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?
内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る
ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。
「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及
自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。
移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。
日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。
携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。
そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。
余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。
人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。
それをやるのが政治です。
それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る
日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。
外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。
日本人 大丈夫?
日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698
日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。
特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。
ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。
相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」
ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。
子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。
ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。
生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。
さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。
彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。
ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。
これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。
東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。
そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。
また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。
東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。
ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。
日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。
言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。
魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。
そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。
もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。
しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。
アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。
そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。
こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。
日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。
日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。
▲△▽▼
地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)
東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)
地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。
「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。
「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」
壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。
2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。
日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。
ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。
ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。
昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。
前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。
日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印
海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。
こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。
ところで、こんなニュースがひっそりとありました。
9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。
小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。
ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ
以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。
欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。
日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜
今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。
今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*
インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。
【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」
ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。
日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。
とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?
日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。
<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。
この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。
現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。
私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。
仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。
このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。
だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。
それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?
大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。
中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?
南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。
外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。
日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。
よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。
そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。
私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。
むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。
外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。
日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。
海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。
元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応
プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。
国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。
EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。
それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。
だからといって野党を応援しているわけではありません。
「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」
このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。
工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?
内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る
ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。
「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及
自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。
移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。
日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。
携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。
そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。
余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。
人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。
それをやるのが政治です。
それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る
日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。
外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。
日本人 大丈夫?
日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698
日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。
特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。
ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。
相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」
ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。
子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。
ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。
生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。
さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。
彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。
ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。
これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。
東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。
そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。
また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。
東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。
ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。
日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。
言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。
魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。
そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。
もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。
しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。
アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。
そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。
こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。
日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。
日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。
▲△▽▼
地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)
東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)
地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。
「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。
「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」
壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。
2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。
日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。
ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。
ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。
昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。
前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。
日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html
▲△▽▼
自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印
海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)
かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。
こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。
ところで、こんなニュースがひっそりとありました。
9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。
小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。
ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ
以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。
欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。
日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜
今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。
今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*
インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。
【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」
ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。
日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。
とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?
日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。
<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。
この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。
現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。
私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。
仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。
このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。
だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。
それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?
大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。
中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?
南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。
外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。
日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。
よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。
そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。
私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。
むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。
外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。
日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。
海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。
元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応
プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。
国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。
EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。
それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。
だからといって野党を応援しているわけではありません。
「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」
このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。
工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?
内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る
ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。
「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及
自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。
移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。
日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。
携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。
そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。
余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。
人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。
それをやるのが政治です。
それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る
日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。
外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。
日本人 大丈夫?
日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html
なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!ムキー
日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!
日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。
文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。
マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。
公道カートなんて、
日本人が馬鹿にされているんですよ。
わかりますか?はこ怒る
貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。困
対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)
公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28
やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。
私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。
外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)
未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。
一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。
外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?
ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?
それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。
金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。はこ怒る
それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。
(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)
こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。
日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。
例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。
もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。
でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?
日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。
これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。
外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。
外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。
今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。
これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。ムキー
外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る
「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。
この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html
日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。
安倍首相が人為的に操作しているのです。
日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。
グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。
貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。
観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。
押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)
私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。
パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。
世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。
「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c161
なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!ムキー
日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!
日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。
文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。
マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。
公道カートなんて、
日本人が馬鹿にされているんですよ。
わかりますか?はこ怒る
貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。困
対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)
公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28
やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。
私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。
外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)
未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。
一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。
外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?
ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?
それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。
金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。はこ怒る
それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。
(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)
こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。
日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。
例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。
もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。
でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?
日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。
これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。
外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。
外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。
今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。
これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。ムキー
外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る
「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。
この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html
日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。
安倍首相が人為的に操作しているのです。
日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。
グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。
貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。
観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。
押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)
私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。
パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。
世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。
「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c163
なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!ムキー
日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!
日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。
文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。
マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。
公道カートなんて、
日本人が馬鹿にされているんですよ。
わかりますか?はこ怒る
貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。困
対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)
公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28
やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。
私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。
外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)
未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。
一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。
外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?
ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?
それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。
金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。はこ怒る
それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。
(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)
こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。
日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。
例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。
もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。
でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?
日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。
これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。
外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。
外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。
今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。
これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。ムキー
外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る
「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。
この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html
日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。
安倍首相が人為的に操作しているのです。
日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。
グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。
貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。
観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。
押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)
私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。
パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。
世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。
「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c118
なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!ムキー
日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!
日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。
文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。
マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。
公道カートなんて、
日本人が馬鹿にされているんですよ。
わかりますか?はこ怒る
貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。困
対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)
公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28
やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。
私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。
外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)
未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。
一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。
外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?
ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?
それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。
金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。はこ怒る
それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。
(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)
こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。
日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。
例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。
もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。
でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?
日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。
これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。
外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。
外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。
今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。
これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。ムキー
外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る
「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。
この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751504.html
https://ameblo.jp/evening--primrose/image-12372382304-14180751509.html
日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。
安倍首相が人為的に操作しているのです。
日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。
グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。
貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。
観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。
押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)
私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。
パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。
世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。
「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c183
韓国の犬食文化について、我々日本人はもっと詳しく理解すべきかもしれません。
その残虐性は、温和な日本人の感性からは想像もつかないような凄まじい物です。
「犬焼酎」これは焼酎の銘柄ではありません。
文字通り「犬のエキスが入った焼酎」のことです。
韓国では犬食が当たり前ですが、この焼酎の製法は想像を絶します。
なんと、犬を生きたまま3日間茹でて作るというのです。
残酷極まりない韓国人の習慣。こんな国で学べるものなど何一つありません。
新潟中央高校の生徒さんに一度アンケートを取るべきかもしれません。
「あなたは犬の肉を食べたいですか?」と。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2012092042628
現在、韓国は全国的に
●食用犬の飼育場は1万5000〜2万ヵ所に達し、
●500万匹の犬が飼育されていると推定されている。
http://news.livedoor.com/article/detail/6918016/
ご存じのように、韓国には犬を食べる習慣がある。といっても、その辺を散歩しているペットや野良犬を捕まえて鍋にぶちこんだりはせず、「犬牧場」で食用として育てた「雑犬」と呼ばれる国産種を食材としているのだ。
セリやネギとともに唐辛子や山椒のスープで煮込む「補身湯(ほしんとう)」という鍋料理は有名だが、雑犬を●生きたまま瓶に入れ、漢方薬や酒と一緒に3日間茹で、皮膚はもちろん脂肪などがエキスとなった「犬焼酎」もあり、欧米などからは「なんて残酷な」と批判されている。
犬を生きたまま瓶に入れ、漢方薬や酒と一緒に3日間茹で・・・韓国の食文化を堪能するんですか?
この「生きたまま」というのが信じられません。
韓国人は生き物に地獄の苦しみを味わわせても何とも思わないのか。
人間としての感性が欠落しています。人間ではないということです。
チェ・ジウが美容の為に犬焼酎を愛用していると言うのをテレビで見てドン引きした... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q123525787
米国の韓国大使館前で「犬肉反対」デモ
http://japanese.joins.com/article/231/157231.html?servcode=400§code=410
チェ・ジウが美容のために食す位ならば、多少は効果があるのかとも思えますが・・
この犬肉、本当に健康によいのか?
今年9月、犬屠殺場の様子を公開した動画が話題になりました。
【韓国】「生きたまま犬を吊り下げて、内臓は釜で煮て・・・」 違法な犬屠殺場の動画公開[09/05]
仁川のある屠畜場の姿を収めた映像がインターネットに公開されて衝撃を与えている。
動物愛実践協会は最近インターネットホームページを通じて‘仁川市清川洞不法犬屠畜現場’という題目の動画を公開した。
2分34秒分量のこの動画には犬を吊り下げて屠畜する直前の場面を含んで非衛生的な屠畜場の姿が収められていた。特に映像には犬のエサとして与えるために屠畜した犬から出たと思われる内臓を釜で煮る残酷な場面も記録された。生ゴミよりみすぼらしいエサが器に盛られていたり、家で育てられたと思われる愛玩犬たちも汚い状態で檻に閉じ込められていた。
この団体はホームページに管轄区役所の電話番号と部署名、民願掲示板のリンクなどを一緒に掲示して抗議電話と文を書けるようにした。このため管轄区役所ホームページには屠畜場撤去を要求し、これを幇助した区の行政を指摘する抗議文が持続的に上げられている。
該当区は虐待行為に対して動物保護法違反の疑いで該当屠畜場の事業主を警察に捜査依頼するという方針だ。
▲京仁日報(2012/09/05)
http://www.kyeongin.com/news/articleView.html?idxno=677035
■動物愛実践協会
http://www.fromcare.org/info/notice.htm?code=notice&bbs_id=27998&page=1&md=read
殺した犬の内臓を煮て、他の犬の餌にする。
単なる共食いだけでなく「次は自分の番か」と恐怖に震えるわけです。
犬の殺し方は他にも様々あるようです。
☆犬を堵殺する理由は、「栄養価が増す。」 「味がよくなる。」と信じられ、様々な創意工夫がされています
首を吊る殺し方は、殺し方の中で最も安楽なのではないか、と言われている方法です
1. 撲殺 2 絞殺
3. 生きたまま茹でる
4. 生きたまま蒸す
5. 首を吊られたときにもがくと、センサーに反応して下から火が吹き上げる。絞殺と焼殺をどうじに行う。サンガクテという台を使う。
6. 生きたままケージに入れたり、上から鎖で吊るして焼きころす。こうすると犬がもがいて体をねじるので、万遍なく焼け、堵殺する人は見ているだけでよい。
7. シーズーなどの小型の犬は麻袋に入れ結んだ後、金串であちこちを刺す。こうすると、犬が発狂して死んでいく。この方法は、血がこぼれ出るため、血が滲まずあとの処理が楽だという。
8. 手製の電気衝撃機にかける。意識と感覚は残っていても体は硬直するので、痛みにもがくことはできない。まだ生きている状態で、体の表面の毛がちりちり焼けてくる。 また、電気をかけて一気に殺すのではなく、20分くらいの感覚をおいて何回かに分けてかけ、じわじわと殺す。 この方法には電気で処分した場合、血が早く固まって、肉から血をしっかり取り除くことができず、肉の味が落ちるという。
(^_^)v この電気衝撃機での殺し方については、効率的で安楽な死に方だと理解されていることが多い。
* 特に大型の犬は、堵殺後、毛を焼くために火であぶるとき裏返すのが大変なので、
生きたまま焼き殺すのが通常です。
【犬肉】韓国は年間200万匹おいしくいただいてます♪
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2965815
http://www.all-creatures.org/ha/kaps.html
犬の屠殺
http://saisyoku.com/dogs.htm
http://www.all-creatures.org/ha/kaps.html
このサイトに数々の残虐な犬殺し動画や画像が収録されています。
http://www.yellowdog.or.kr/html/movie.html
これは犬を吊るす動画です。もがき苦しみ、涙が溢れたまま絶命しました。
肉食文化を否定するわけではありませんが、
生き物を殺める際に、一体なぜここまで苦痛を味わわせる必要があるのか?
極力苦痛を与えない屠殺方法を考えるのが、人間としてやれることではないのか?
韓国人の犬食文化は、肉食文化の欧米から見ても残酷すぎるとの声。
韓国人は「苦しんで死んだ犬ほど美味しい」という言い伝えを本気で信じています。
ユダヤ教伝統のコーシャ―フードは「苦しまないで殺した肉のみ食す」という厳格なルールがあります。
韓国人のやり方は真逆です。苦しんで死んだ生き物の肉が体によいわけがない。
韓国人がキチガイのような気質をもつようになった原因でしょう。
【韓国BBS】外国人が見た不思議な韓国料理ベスト10は?
韓国のコミュニティサイト「ガセンイドットコム」の掲示板に「外国人が見た不思議な韓国料理/変な韓国料理ベスト10」とのスレッドが立てられたところ、さまざまな意見が寄せられた。
スレ主は、韓国料理のトップ10を挙げ、それぞれの料理の写真を掲載し解説した。
10位は血を混ぜて作った韓国式ソーセージの「スンデ」
9位「鶏の足」
8位「豚皮」
7位「どじょう汁」
6位「ユムシ」
5位「ふぐ料理」
4位 カイコのサナギの佃煮「ポンテギ」
3位 「犬肉のスープ」
2位は犬をお酒に漬けて作った精力剤「犬焼酎」
1位は生きたテナガダコをぶつ切りにした踊り食いの「サンナクチ」
となった。
スレッドには、この順位に納得する声が並んだ。
「外国人はタコやイカが苦手だから」
「タコやイカは西洋では悪魔の化身とみなされ、避けられますよね」
「このようなランキングでは、人間の倫理道徳と自然の包容力を計ることができるよね」
また、韓国など他国の食文化に疑問を持つ風潮を批判する声も見られた。
「文化の違いだ」
「犬肉は、捨てられたペットの犬を食べるのではなく、食用の犬を食べるのに」
「フランスでもわずか6〜70年前には犬を食用にしていました。ヨーロッパでもそう。今は食べないからといって、アジアの犬食を未開の文化というのはおかしい」
「犬肉を食べる韓国、グジラやイルカの肉を食べる日本」
「他国の文化を理解しないと自分の国の文化も誇れないのでは」
一方、犬肉やポンテギに拒否反応を示した発言も見られ、またランクインした料理は男性が好むものばかりではないかとの指摘もあった。
「犬肉は無理」
「スンデ、鶏の足、豚皮を除いては食べたことがない。食べたくもない」
「男性が好むものばかり」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0720&f=national_0720_030.shtml
朝鮮半島は侵略をされ続けた悲惨な地域であり、まともな文化が根付いた歴史はない。
万年奴隷国家の食「文化」など存在せず、その全てが間違っていると断言してもいいでしょう。
予測ですが、おそらく白人に嘘の言い伝えを吹き込まれたのではないか。
ここまで見て、朝鮮の食文化は日本とはかけ離れていることを理解できるはずです。
こんな国の家庭へ女子高生だけで訪問し手料理をいただく?
何を入れられるか分かりません。
犬食を学んで来いというのならば、パンフレットにそう書くべきです。誰も行きたくなくなる。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c250
米政府報告書、気候変動に警鐘 トランプ氏主張と矛盾
2018.11.24 Sat posted at 10:48 JST
https://www.cnn.co.jp/usa/35129133.html
(CNN) 米政府は23日、気候変動とその影響に関する報告書「第4次全米気候評価」を発表した。気候変動に伴う米経済の損失は今世紀末までに数千億ドルに達し、最悪のシナリオでは国内総生産(GDP)の10%以上を失う可能性があるとしている。
報告書は連邦政府によって作成が義務づけられている。12月に公開されるとみられていたが、トランプ政権は連休中の国民が多い23日に発表した。今回発表されたのは同報告書の第2巻で、第1巻は昨年11月に公開されている。
米海洋大気局(NOAA)環境情報センターの技術サポート部門責任者、デービッド・イースターリング氏は、「報告書をまとめる過程で外部からの干渉はなかった」と強調した。
さらに、「世界の平均気温は近代文明が経験したことのない高さと上昇ペースになっている」と指摘。こうした温暖化傾向は人間の活動によってしか説明できないと述べた。温室効果ガスの大きな削減が実現しない場合、産業革命以前と比べて気温が今世紀末までに5度以上上がるという。
報告書は13の連邦機関から集めたチームがまとめた。代表的な科学者300人を含む1000人の支援を受けそのうち約半数は政府外からの支援だった。
報告書の内容は、気候変動をでっち上げだとするトランプ大統領の主張と食い違っている。トランプ氏は21日、一部の国民にとってこの100年で最も寒い感謝祭になるとの見通しに触れ、「地球温暖化はどうなったんだ?」ツイートしていた。
報告書は山火事による焼失面積の増加も指摘する/JOSH EDELSON/AFP/AFP/Getty Images
報告書によると、気候変動に伴うコストは年間数千億ドルに上る可能性がある。米南東部だけでも、異常な暑さで2100年までに5億時間の労働時間が失われるとみられている。
農家に対する影響は特に大きく、高温化や干ばつ、洪水により全米で作物の量や質が落ちるという。熱ストレスによる生産性の低下、海洋の酸性化に伴う貝類の死滅での経済損失も指摘されている。
健康面では、高温化による死者が増加する見通しで、中西部では2090年までに早死にする人が年間2000人増えるとしている。蚊やダニを媒介する病気の増加、ぜんそくやアレルギーの悪化、食品や水由来の疾病リスクも挙げられている。特に夏の高温は、子どもや高齢者、経済的困窮者などの病気や死亡を招く恐れがあるという。
自然への影響では、山火事で年間焼失する面積が2050年までに現在の6倍に増え、ハワイやカリブ海では高温により安全な飲み水が脅かされると指摘。海面上昇や高潮も発生し、華氏100度(摂氏約37.8度)を超える日が増加する。
今世紀中頃には北極の海氷が夏の終わりに全て解け、永久凍土の融解を誘発。さらに多くの二酸化炭素やメタンガスが放出される結果となり、温暖化を加速させる可能性があるという。
報告書は政策担当者に情報提供する目的で作成され、対応策に関する具体的な提言は記載されていない。ただ、米国が直ちに化石燃料の使用や温室効果ガスの排出を削減すれば、多くの人命を救い経済的に巨額の利益を得られる可能性を示唆している。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html#c39
菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0
福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。
菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました
あの日責任者達は何をしていたのか
6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。
東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。
福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。
翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。
燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。
燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。
福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。
この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。
事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。
後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。
枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。
「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。
「炉心溶融」を禁止したのは菅直人
調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。
メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。
清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。
東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。
事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。
自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。
3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。
だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。
清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。
枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。
自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。
燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。
菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg
「なんだ、馬鹿野郎」
ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。
菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。
首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。
結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。
所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。
しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。
自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。
自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。
アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。
吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。
海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。
嘘だらけの閣僚達
その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。
菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。
だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。
だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。
要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。
こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。
空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。
だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。
果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。
だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。
最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。
その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。
なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html
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発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
温室ガス濃度、史上最高更新 国連
2018年11月23日 6:25 発信地:ジュネーブ/スイス
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?pid=20742169
1984年以降の、大気中の二酸化炭素(CO2)、メタン、一酸化二窒素の濃度の変化を示したグラフ(2018年11月21日作成)。(c)SIMON MALFATTO, PAZ PIZARRO / AFP
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【11月23日 AFP】国連(UN)は22日、気候変動の主な原因である大気中の温室効果ガスの濃度が史上最高記録を更新したと発表し、行動するための残り時間が少なくなっていると警告した。
来月ポーランドで開催予定の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)を前に、国連高官らは、2015年の地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定(Paris Agreement)」で設定した、気温上昇の限度を2度未満に抑えるとの目標達成のため、各国政府に再び圧力を強めている。
UNの世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス(Petteri Taalas)事務局長は声明で「二酸化炭素(CO2)や他の温室ガスを早急に削減しなければ、気候変動は地球上の生命にますます破壊的で不可逆的な影響を与えるだろう」と警告した。
パリ協定から離脱したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は22日、気候科学に再び疑問を投げ掛け、ツイッター(Twitter)に「猛烈で長期化した冷たい突風があらゆる記録を打ち破るかもーー地球温暖化はいったいどうなったんだ」と投稿した。
エレナ・マナエンコバ(Elena Manaenkova)WMO事務局長補は、記者団からトランプ氏の投稿について問われ、同氏への直接の言及を避けながらも、科学的に実証された地球温暖化は「疑う余地がない」と述べた。(c)AFP/Agnès PEDRERO
http://www.afpbb.com/articles/-/3198854?cx_part=top_topstory&cx_position=1
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北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html
発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html
太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html
風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html
原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html
反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html
中国、「技術泥棒」当局がグルになって技術移転迫る「犯罪事実」2018年09月29日
中国は、対米貿易戦争で完全に「シラ」を切っている。その鉄面皮を剥がす記事が登場した。ここまでやって、貴重な先進国の知財権を奪い取る。強盗行為である。
『大紀元』(9月28日付)は、「中国当局による技術移転の強要、組織的かつ手際よくー米紙」と題する記事を掲載した。
(1)「米中貿易戦の激化で、中国当局による外国企業に対する技術移転の強要が批判の的となっている。米企業は、中国当局の技術移転の強要、企業の競争力が低下し、イノベーションの原動力が失ったと訴えている。ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っている。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が28日伝えた」
ホワイトハウスの試算では、強制技術移転によって米企業は毎年500億ドルの損失を被っているという。経済倫理感の喪失した中国で、起こるべくして起こった事件だ。彼らをまともに扱って、常識を期待しても無駄である。倫理感のない相手に、知財権の重要性を説いても理解しようとしない以上、ビジネスの相手から排除することである。
(2)「中国当局は現在、化学製品、コンピューター用半導体チップ、電気自動車など各分野の外国企業の技術を狙い、様々な方法を使っている。なかには、脅迫などの強制手段を用いることもある。WSJの報道によると、米化学大手デュポンは昨年、提携先の中国企業が同社の技術を盗もうしているとして、技術漏えいを回避するために仲裁を申し立てた。しかし昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。当局の捜査員らは、同社の担当者に対して、提携関係にあった中国企業への申し立てを取り下げるよう命じたという」
デュポンが、知財権侵害を訴えたら、逆に捜査員から被害に遭ったケースである。昨年12月、中国独占禁止当局の捜査員20人がデュポンの上海事務所に踏み込み、同社の世界的研究ネットワークのパスワードを要求し、コンピューターを押収した。警察官が泥棒に早変わりしたような話だ。無法地帯そのもの。これで、立派な口を訊くから腹立たしくなる。
(3)「WSJは、中国当局が「組織的かつ手際よく技術を入手しようとして」との見方を示した。その手法について、「米企業に圧力をかけて技術を手放させること、裁判所を利用して米企業の特許や使用許諾契約を無効にすること、独占禁止当局などの捜査員を出動させること、専門家を当局の規制委員会に送り込ませ、中国の競争相手企業に企業機密を漏らさせること」などがあるという。同紙は、外国企業の中国市場への進出を認可する代わりに、その技術の移転を求めることは、党最高指導者だったケ小平が考案した戦略だと指摘した」
あと数年、このような強盗行為を重ねて「中国製造2025」を実現させるつもりであったのだろう。トランプ大統領は、これを止めさせるべく関税引上げをやっている。1年遅れれば500億ドルも、中国へ献上するところだった。ケ小平は、「市場と技術を交換する」という言葉を使っていた。技術窃取の元祖はケ小平である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12506250.html
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中国、「企業内」共産党下部組織を強制的に設置し「政治支配狙う」2018年10月04日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12617860.html
中国政府は、国内の企業だけでなく外資系企業にも政治的な支配権を及ぼす動きを強化している。習近平氏は約6年前に権力の座に就いて以降、自身を「核心」と位置付けて共産党の優位性を繰り返し説いてきた。これは中国の工業生産の約40%を占める国有企業の人事や経営戦略のほか、大学などに対する党のコントロールがより強まることを意味するものだ。
昨年10月の「7中全会」において発表されたコミュニケでは、「あらゆる活動への党の指導を確保する」と明記してある。企業経営への関与強化が念頭にあったのだ。鉄鋼をはじめとする過剰な生産能力の削減といった産業構造改革などを大胆に進める狙いとみられていたが、その程度の支配に留まらないことが分ってきた。中国共産党が、企業経営の実権を握るという野望が明らかになってきたのである。
『日本経済新聞 電子版』(10月3日付)は、「企業に広がる中国共産党の細胞 」と題する記事を掲載した。筆者は、同紙編集委員の飯野克彦氏である。
(1)「香港取引所に上場している2262社のうち123社に中国共産党の下部組織――。香港紙『蘋果日報(アップルデイリー)』は9月26日、上場企業の5.43%が社内に共産党委員会を正式に設けている、と報じた。蘋果日報によれば、香港の上場企業の間では2017年から定款を改め共産党委員会の設置を明記するところが増えてきた。企業によっては『取締役会が重大な問題について決断するときは、まず党委員会の意見を聞かなくてはならない』などと定めている」
政治が経済に介入している現実が、この記事の中で明らかにされている。これは、ケ小平が推進した「経済の市場化」でなく、「経済の政治化」であろう。ここまで共産党が企業支配を徹底化させる目的は、経済的に行き詰まっていることの裏返しであろう。本来ならば、市場が企業間調整をするもの。中国は、共産党がその役割をするというのだ。まさに、「国進民退」の究極の姿だ。習氏はこれで、中国経済が発展すると見ているならば、それは逆である。イノベーション能力を剥奪する「金太郎飴」企業の大量生産である。
(2)「一例として、同紙が紹介している徽商銀行を取り上げてみたい。18年7月に公表された新しい定款を旧定款と比べると、まず第1条に「中国共産党規約と上級の党組織の要求に基づき、本銀行に中国共産党組織を設ける」といった文章を盛り込んだのが目につく。より具体的なことは新たに加えた第294〜301条で定めている。(1)党委員会と規律検査委員会を設ける(2)党委トップの書記は董事長(取締役会会長)を兼任する(3)長期経営計画や年度計画、幹部人事など重大な決定をする際には、董事会(取締役会)と経営陣は党委による研究を事前に経なければならない(4)党組織にかける経費は前年度に行員に払った報酬総額の1%以上――といった内容だ」
これらの4項目の中で、「(4)党組織にかける経費は前年度に行員に払った報酬総額の1%以上」に注目したい。共産党費を企業に払わせる狙いが鮮明である。財政的は逼迫を企業に負担させる。中国経済の行き詰まりを象徴するような話だ。「貧すれば鈍する」という面が、多分に感じられる。
(3)「中国本土では17年10月時点で、上海と深圳の両取引所に上場している3410社のうち436社、つまり12%強が共産党の経営関与を認める定款を定めていることが、日本経済新聞の独自調査で明らかになっている。党組織が浸透しているのは国有企業だけではない。共産党中央組織部の斉玉・副部長が17年10月に明らかにしたところでは、中国に進出している外資のうち7割が党組織を設置済み。『細胞』とも呼ばれる共産党の下部組織が文字通り細胞のように増殖しているわけである。外資の間で懸念と反発が浮上しているのも、当然だろう」
このように、外資系企業にも党組織(党委)をつくらせている。疑心暗鬼に陥っているのだろう。これは当初の意図と別に、中国から外資系企業を「追出す効果」を持っている。現在の米中貿易戦争では、外資系企業が嫌気を出して、中国からの撤退を検討され始めている。
実は、米中貿易戦争の兆候が強まった3月の時点で外資系企業は反発を見せていた。
『ブルームバーグ』(3月23日付)は、「政治的統制では動かぬ経済、中国共産党のコントロール強化」と題する記事を掲載していた。
(4)「米中ビジネス評議会(USCBC)の中国業務担当バイスプレジデント、ジェイコブ・パーカー氏は、『社内に党組織を設置すれば、共産党が経営判断に関与することを意味することになり、各企業はビジネス上の理由ではなく政治的な理由に基づく判断につながることを懸念している。外資系企業に政治目標や経営の役割を導入することは企業にとって前向きな一歩ではない』と述べた」
中国共産党の短慮が、外資系企業を思わぬ方向へ動かすきっかけになりかねない。米中貿易戦争での米国政府の狙いの一つは、外資系企業の「脱中国」である。中国共産党の外資系企業への支配は、思わぬ方向へ展開しそうである。
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中国、「建党100年」49年までに世界覇権の秘策「軍民融合」2018年10月05日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12642836.html
米トランプ大統領の対中外交戦略が、貿易問題から安全保障政策へシフトすることで、自由主義諸国の賛成を得られた点は大きな変化である。高関税が世界経済を破綻させる。むろん、そういう批判は正しいし、できればそのような状況を回避することが望ましい。だが、中国はWTOの貿易自由化原則を食い物にしており、中国自らは保護主義を貫いている国である。この裏に、世界覇権への野望が隠されている。多くの国が、このことに気付いたのだ。これが、世界世論において「米国批判」を緩めさせ「中国批判」へ転じさせた大きな理由であろう。
『大紀元』(10月3日付)は、「建党100年で大国狙う中国、軍民融合戦略ー米国務次官補」と題する記事を掲載した。
(4)「クリストファー・フォード米国際安全保障・不拡散担当国務次官補は最近、中国共産党は米国の技術を獲得し、ハイテク軍事能力を高めるため、『中国製造2025年』と『軍民融合』戦略を用いた、大規模な戦略があると明かした。中国は違法行為も含め、あらゆる手段で米国の技術を手にし、米国に戦いを挑んでいるという。フォード氏が9月、『連邦調査局(FBI)と商務部によるカウンターインテリジェンスと輸出入管理』に関する会議の中で発言した。同次官補は、中国人入国ビザの審査を強化するなど、5つの対応戦略を提案している」
中国共産党には米国の技術を窃取し、ハイテク軍事能力を高めるため、「中国製造2025」と「軍民融合」戦略を用いた大規模な軍事戦略が存在する。「軍民融合」戦略とは、民間企業にある先端技術を軍備に活用するもの。このパラグラフでは、中国が総力を挙げて米国と軍事対決する準備に入っていると指摘している。「中国製造2025」は、米国の先端技術を盗み出して、中国の遅れた分野をカバーする計画である。壮大な技術泥棒計画と言っても良さそうだ。
中国が、昨年10月の「7中全会」において発表したコミュニケでは、「あらゆる活動への党の指導を確保する」と明記した。これは、共産党による企業経営への関与強化が念頭にあったものだ。具体的には、国有・私営・外資のあらゆる企業に共産党支部をつくらせ、共産党が企業経営を支配する方針を明確化した。この狙いが、「軍民融合」にあることは疑いない。企業にある先端技術を軍備に利用するという「軍事経済化」を狙っていると言える。
こうした「戦時体制」を想像させることまで行い、世界覇権論に挑もうというメリットはなんだろうか。軍事的に米国を打ち負かすことで最小限、アジアの軍事覇権を握る構想であろう。日本は、中国の「属国」として位置づけようという野望だろうか。これで、中国共産党と中国人民解放軍の夢が叶ったとしても、中国国民は幸せになれる保証はない。膨大な軍備費負担が、中国の国力を消耗させるからだ。
(5)「フォード氏は会議の中で、この大規模な対米戦略への対応措置として、1.包括的な輸出入管理と特許 2.安全保障意識 3.ビザ審査の再検討 4.投資の審査 5.同盟国を中心とした多国間の連携と協力、といった対策を示した。フォード氏は、中国は、世界の覇権を狙い影響力を強めるだけでなく、世界に及ぶ米国の力を、中国にすり替えようとしていると指摘。この計画は長期的な戦略であり、米国は大規模で全面的な中国問題に直面していると警鐘を鳴らした」
米国の対中戦略では、次の5つが上げられている。簡単に説明しておく。
1.包括的な輸出入管理と特許=対中国輸出管理(チンコムの復活)、特許使用制限
2.安全保障意識=中国を修正主義国として規定済み
3.ビザ審査の再検討=留学生ビザや国際学会への入国制限で技術窃取を防ぐ
4.投資の審査=中国の対米投資を厳格規制する
5.同盟国を中心とした多国間の連携と協力=日欧米の三極構造の強化と貿易協定促進
(6)「具体的には、中国共産党政府は少なくとも建党100年にあたる2049年までに、大国としての地位を確立し、東アジアの主導権を握る計画があると、フォード氏は述べた。フォード氏の分析によれば、中国共産党政権による『国の総合力』とは、他国のような競争力の向上のみならず、ハイテク技術による経済力を掲げている。これは、米国が国家として追及する、軍事におけるハイテク技術の発展を指すという。中国軍事戦略の基本は、民間セクターを取り込んだ『軍民融合』である。これは、中国の民間企業のもつ最先端技術を戦闘能力に反映させるもので、共産党の新たな軍事改革の一つと考えられている。共産党の優先事項である『高度で最先端の欧米技術を取得して、軍事転用する』の実践とみられる」
中国軍事戦略の基本は、民間セクターを取り込んだ「軍民融合」であるという。米企業も多くが中国へ進出している。これら企業の最先端技術が、中国軍に利用されるリスクを避けるには、いずれ中国からの撤退命令を出す時期も来るであろう。米国が、ここまできめ細かい戦略を打ち出す状況になれば、同盟国が一体になって、中国を除外した一大経済圏(多国間自由貿易協定)を形成し、中国を経済封鎖する局面が来るにちがいない。戦前の日本経済が、ABCDラインで包囲されたときの再現である。ちなみに、Aは米国、Bは英国、Cは中国、Dはオランダである。
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2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
技術のない国家の覇権挑戦
革命意識で始めた技術窃取
好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。
だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。
ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。
ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。
@ 科学的発展は、第一の生産力である。
A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。
B 社会主義の中国は誰も動かせない。
C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。
以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。
5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。
このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。
技術のない国家の覇権挑戦
『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。
この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。
その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。
『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。
@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。
1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。
2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。
3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」
上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。
(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」
中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。
(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。
@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。
A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。
B 中国が対象技術製品を輸入する。
C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。
D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。
E インターネットやその他の手段で盗み取る」
中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。
中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。
現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。
(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」
ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。
中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。
革命意識で始めた技術窃取
(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」
中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。
中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。
(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」
中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。
(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」
中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。
(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」
冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。
世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
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知財を盗んで肥大化する中国は「20年後は世界で最も貧しい国になる」のか?=鈴木傾城 2018年9月30日
https://www.mag2.com/p/money/535600
米中の覇権争いが取り沙汰されるが、イノベーションも言論の自由も市場の健全性もない中国が覇権を握ることは決してない。この先の受難を中国の経営者たちが置かれている現状とともに解説する。
イノベーションなき中国が世界覇権を握る日は決してやってこない
ジャック・マーは何を恐れてアリババを退くのか?
中国で最も尊敬されている経営者がいるとしたら、それは阿里巴巴集団(アリババ・グループ)を一代で時価総額50兆円企業にしたジャック・マー氏である。
英語教師だったジャック・マーは早くからインターネットの可能性に気づき、ネット通販のビジネスに邁進して現在の地位を築いた立身出世の人である。
一目見たら忘れられない特徴のある顔に、鋭い知性と、熱い情熱を秘めたカリスマ経営者として欧米でもよく知られた存在であり、これからも中国の代表的な経営者として実業界をリードしていく存在であると目されていた。
ところが、である。このジャック・マーが2018年9月7日、54歳の若さで電撃退任することを発表した。「今後は慈善活動、特に教育事業に時間と精力を注ぎたい」と説明したのだが、この説明を字義通り受け止める人はいない。
「ジャック・マーは、自分の身に危険が迫っていることを察して、生き延びるためにそうせざるを得なかったのではないか」と中国人は噂している。
大胆な行動力と決断でビジネスの修羅場で生き残ってきたジャック・マーを恐れさせていたのは「何」だったのか。
その正体は言うまでもない。中国政府である。
中国の有力経営者に起きている受難とその裏側
ジャック・マーが電撃退任をすると発表したのと同じ頃、香港の新聞はもうひとり別の大物経営者を記事にしていた。香港の格式あるホテルとして知られている「ザ・キンバリーホテル」のオーナーである劉希泳氏の死だ。
劉希泳は贈賄の疑いで中国の公安当局に身柄を拘束されていたのだが、拘束中に、目隠しされて椅子に縛られ、足の裏を突かれ、骨を7ヶ所折られ、水責めにされるような拷問を受けて非業の死を遂げていた。劉希泳は、朝から晩までずっと拷問され続けていた。
2017年には「江沢民派の富豪である」として中国政府に目をつけられていた経営者・肖建華氏も、香港に滞在しているときに拉致されて行方不明になっていた。肖建華は明天控股有限公司の創業者で中国富豪ランキングで32位だった。
肖建華を拉致したのは中国公安当局であるというのは、香港警察当局が発表した。
その発表の後、肖建華はSNSで「身柄を拘束されて中国国内に連行されたことはまったくない」と書き込んで香港警察当局の発表を否定していたのだが、その後にアカウントは消された。
ジャック・マーが電撃退任する1ヶ月ほど前に、この肖建華が中国で獄中死したという噂が駆け巡っていた。
さらに、その1ヶ月前にも奇妙な事件が起きていた。中国海南省に拠点を置く航空会社グループ「海航集団(HNAグループ)」の王健氏が崖から15メートル下に落下して死んでいた。
王健の企業は習近平一派の資金源だったことがリークされたのが2017年のことだったが、王健は中国政府にとっては「知りすぎた人物」だったのだ。このリーク以後、HNAグループは急激に資金繰りが難しくなっていた。
その最中に王健が不審死しているのだが、王健の死は本当に不慮の事故だったのかどうか、それとも抹殺だったのかは誰にも分からない。
中国の経営者には必ず「汚職」がついて回る
ところで、海航集団(HNAグループ)が習近平一派の資金源だったというリークはどこから出たのか。それが習近平政権のスキャンダルを握ったままアメリカに亡命した郭文貴である。
郭文貴は不動産で財を成した政商なのだが、共産党指導部のメンバーになることに失敗したことから当局批判を行い、中国政府から目をつけられるようになって2014年にアメリカに亡命したのだった。
郭文貴は中国が秘密工作活動でアメリカを侵略していることを暴露し、海航集団と習近平一派のつながりを暴露した。そして、中国のハイテク企業であるアリババやテンセントの経営者がいかに中国共産党と結びついているのかを暴露する予定だったのである。
中国でビジネスを行うというのは、必然的に中国共産党の意向を汲み、恩恵を与えるということでもある。そのために、汚職は必ずついて回る。これが中国の経営者の弱みになる。
中国共産党は一枚岩ではない。現在は習近平派と江沢民派が裏側で血みどろの覇権争いを繰り広げているが、経営者はどちらに付いても別の側から汚職を暴露されて追い落とされる危険が生じるのだ。
公安当局に拉致されて獄中死するかもしれない?
2018年9月7日に電撃退任を決めたアリババの創始者ジャック・マーも、裏側で「中国共産党の犬」と叩かれていたのを見ても分かる通り真っ白(クリーン)ではなく、何らかの汚職に関わっている。
暴露されたら地位も名誉も吹き飛ぶばかりか、「知りすぎた男」として公安当局に拉致されて獄中死するかもしれないネタを抱えていたとしても不思議ではない。
アリババのライバルであるJDドットコムのCEOである劉強東は、アメリカで強姦容疑で逮捕されているのだが、この事件に関しても単なる強姦事件ではなく、中国政府が絡んだ策略が裏側にあるのではないかとも噂されている。
中国政府は自国内の巨大企業の経営者を「選別」し、すべて手中に収めようとしている。ジャック・マーは、その中で電撃退任を選択したのだ。経営から退きたかったのではなく、身の安全を求めているように見える。
決してイノベーションを起こせない中国
最近、中国では范冰冰(ファン・ビンビン)という美人女優が3ヶ月以上も行方不明になっている。やはり、中国の公安当局によって拉致されたと見られている。
この女優は莫大なカネを稼ぐ中国のトップ女優だったのだが、脱税容疑が取り沙汰されていた。
さらに、この女優は習近平一派ともカネでつながっていたと郭文貴によって暴露されていた。分かるだろうか。この女優もまた「知りすぎた人間」だった。
中国は、政府に都合が悪い情報や企業は消されるのだが、それだけでなく「人間も消される」国なのである。その消し方は手段を選ばない。
中国という国は中国共産党の独裁政権であり、すべては独裁政権のために犠牲にされる。
中国の経済的成長も、別に国家が中国人民の幸せや夢を願っているからではなく、中国共産党の権勢がどこまでも膨れ上がり、世界が自分たちにひれ伏すことを願っているからだ。
中国はイノベーションを生み出せない体質にある。中国政府に都合が悪いものはすべて抹殺される恐怖政治の中でイノベーションは育たない。
トランプが報復関税をかけるのは当然か…
このイノベーションの欠如を中国政府は全世界から知財を盗むことで補完しており、だからこそドナルド・トランプ大統領は中国に報復関税をかけているのである。
自由な言論もなく、インターネットも政府に都合の悪い歴史・言葉・発言は、すべて摘発の対象になる。情報統制をかいぐぐって都合の悪い事実を発信している人間は、即座に拉致監禁を行って潰す。
今まで世界が中国を大目に見ていたのは、中国が経済成長したら民主化するのではないかという期待があったからだ。
しかし、習近平の独裁志向によってその期待が水の泡と消えた今、アメリカは急激に中国を「仮想敵国」と認定するようになっている。
アメリカは2018年7月6日から中国に報復関税をかけ始めた。トランプ大統領は、「中国による貿易・経済面における乱用を容認することはできない」と述べているが、これからアメリカと中国は長期に渡って敵対していく。
ヒラリー・クリントンは2012年に何と言ったのか?
イノベーションも言論の自由も市場の健全性もない中国が覇権を握ることはない。
トランプ大統領と激しく大統領選挙を戦ったヒラリー・クリントンが2012年にハーバード大学で講演し、印象深い見解を発表していたのを思い出す人もいるはずだ。
ヒラリー・クリントンは、「中国は責任と義務がわかっていない」「中国国民が崇拝しているのは権力と金銭のみ」「中国政府は国民を騙している」「拝金主義と堕落が空前絶後だ」「環境破壊、略奪、浪費に明け暮れている」と述べて、中国の未来について、このように結論付けていた。
「20年後は中国は世界で最も貧しい国になる」
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2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる
中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。
慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。
トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。
彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。
これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。
逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。
策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。
盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人
日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。
正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。
しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。
策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。
騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。
まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。
日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。
食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。
彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。
日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。
最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。
日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている
日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。
民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。
朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。
テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。
もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。
こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。
さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。
言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。
辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。
日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。
そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。
だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。
しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。
「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく
ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。
親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。
たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。
だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。
しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。
彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。
それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。
その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。
関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。
これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。
中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html
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日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない
振り返って考えて欲しいことがある。
まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。
それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。
また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。
同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。
マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。
中国では物の価値よりも、価格が重視される
しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。
日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。
日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。
今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。
中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。
しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。
その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。
もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。
安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。
だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。
丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」
これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。
たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。
そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。
しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。
そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。
先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。
しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。
そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。
中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。
そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。
しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。
中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う
欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。
しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。
丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。
「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」
丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。
しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。
中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。
目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。
とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。
カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。
そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。
日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない
「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」
それが、今までの日本人の基本的な認識だった。
しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。
つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。
その認識は間違っていない。
中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。
中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。
今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。
客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。
中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。
しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。
日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html
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コメント
1. 中川隆[-13430] koaQ7Jey 2018年10月05日 18:03:59: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19030] 報告
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中国に関わると技術・ノウハウ・サービス・ブランドをすべて盗まれる │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=4979
アメリカのドナルド・トランプ大統領は断固たる決意で中国に貿易戦争を仕掛けているのだが、そもそもその発端となったのは中国による「意図的かつ悪質な知的財産の侵害」であった。
中国は自力で発展した国ではない。そして、中国はイノベーションを生み出している国ではない。中国はいかにしてアメリカと並ぶ大国となったのか。それは、徹底的な知財の侵害がその根底にあった。
「知財の侵害」と言えば、言葉が柔らかい。「中国は他人の技術・ノウハウ・サービス・ブランドを盗みまくっている」と言えば実態が分かるだろうか。
中国は、進出してくる海外企業に対して「合弁会社を設立しなければならない」と命令する。海外企業は、その条件を飲まないと中国には絶対に進出できないので、仕方がなく合弁会社を作る。
その「合弁会社」がワナなのだ、(鈴木傾城)
2. 中川隆[-13401] koaQ7Jey 2018年10月08日 06:00:46: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19063] 報告
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日本の潜水艦技術を盗もうと狙っているのが、例の中国である。
大量のスパイを日本へ送り込んでいると、かつて『大紀元』が報じた。
中国の潜水艦は、静謐性において劣っているので、簡単に潜水地点が捕捉されているという。潜水深度も浅く、その下に日本の潜水艦が潜っているケースもあるという。これでも、中国は大言壮語しているのだ。
日本、「新型潜水艦」リチウム電池を初搭載し「長時間音無し潜水」2018年10月08日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12711244.html
日本の潜水艦技術は、静謐性で世界一とされる。その技術がさらに磨きがかかる。初めてリチウムイオン電池を搭載するので、完全に無音で長時間潜航可能という。これで、海の守りがさらに一歩進む。
潜水艦は最近、各国で導入を急いでいる。日本は、海に囲まれた国土だけに、敵艦がどこから現れるか分らない地勢にある。それだけに、「長時間音無し潜水」は日本の安全保障に果たす役割は大きい。
『日本経済新聞』(10月5日付)は、「潜水艦、音なしで長時間」と題する記事を掲載した。
「三菱重工業が防衛省から受注した潜水艦「おうりゅう」が4日、神戸造船所(神戸市)で進水した。潜水艦として初めてリチウムイオン電池を搭載する。蓄電容量が増えることで、エンジンを回さずにより長く、静かに潜航することができる。貿易赤字の解消を狙う米トランプ政権は日本政府に武器の輸入拡大を迫るが、日本の防衛関連企業は技術革新を進めて生き残りを目指す」
「音楽隊の演奏の中、進水を祝う日本酒の瓶が割られ、全長84メートルの巨体がドックごと海水に沈んでいった。基準排水量は2950トン、水中での速力は約20ノット。進水後も様々な作業が続き、海上自衛隊への引き渡しは2020年3月の予定だ」
「おうりゅうは05年から建造するディーゼル駆動式では世界最大級の「そうりゅう」をベースにした11番目の潜水艦。最大の特徴は鉛蓄電池に代えて、GSユアサ製の高性能リチウムイオン電池を搭載した点だ。一般に同じ個数、サイズであれば、蓄電容量は2倍程度に増えるとされる」
「新型潜水艦はディーゼルエンジンを回して発電した電気を蓄電し、実際の作戦や戦闘の際には電池からの電力だけで艦を動かす。エンジン音を消し、敵に見つかりにくいようにすることで優勢に戦う。リチウムイオン電池を搭載することで、行動半径や水中での活動時間が大幅に向上した」
日本の潜水艦技術を盗もうと狙っているのが、例の中国である。大量のスパイを日本へ送り込んでいると、かつて『大紀元』が報じた。中国の潜水艦は、静謐性において劣っている
ので、簡単に潜水地点が捕捉されているという。潜水深度も浅く、その下に日本の潜水艦が潜っているケースもあるという。これでも、中国は大言壮語しているのだ。
3. 中川隆[-13378] koaQ7Jey 2018年10月10日 11:17:20: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19105] 報告
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EU、「サイバー攻撃」中国から防御すべく来年5月までに「対抗策」2018年10月10日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12754417.html
中国の企業倫理感は、どうなってしまったのか。孔子の国が、世界中から警戒される国になっている。今度は、EU(欧州連合)の企業が中国のサイバー攻撃で技術窃取されていると訴えている。同じアジアの中国が、欧州でも警戒されている。恥ずかしい限りだ。そこまで背伸びして先進技術を盗み取る。その心根の卑しさに心も凍る思いだ。
『大紀元』(10月9日付)は、「EU、中国サイバー攻撃への対抗策を検討、来年5月までに導入」と題する記事を掲載した。
欧州連合(EU)は、中国からのサイバースパイの脅威に対して、対抗策の準備を進めている。2人の情報筋は米ニュースサイト『ポリティコ』に対して、企業秘密の保護に関するEU指令案に新たな措置を盛り込むと話した。今期の欧州議会が任期満了を迎える来年5月までに完成させるという。
(1)「同紙によると、欧州委員会は10月4日、EU加盟国の専門家、外交関係者、産業界のロビイストたちと会談した。委員会は、世界四大会計事務所・コンサルタントファームの一角を占めるプライスウォーターハウスクーパース(PwC)がまとめた調査報告について議論を行った。この調査は、『ヨーロッパの公的機関および民間企業が企業秘密のサイバー盗難に伴うリスクの増加について懸念を抱いている』と指摘した。調査によると、欧州の製造部門のなかで、企業秘密を狙う産業スパイの手法は、サイバー攻撃が94%を占める。また、この調査によれば、サイバースパイによる欧州産業への影響は、600億ユーロ(約8兆円)に及ぶと推計している」
企業秘密を狙う産業スパイの手法は、サイバー攻撃が94%を占める。また、サイバースパイによる欧州産業への影響は、600億ユーロ(約8兆円)に及ぶと推計している。サイバー攻撃で、労せずして知的財産権を窃取する。人間として国家として、最低行為である。倫理感のない国家の犯罪である。
(2)「過去の欧州委員会での報告は、サイバースパイ活動の活発な国として、中国政府を指摘してきた。PwCは、10月下旬をめどにこの調査報告を完了させる。委員会が公表後、その後の行動に移ると述べた。PwCはまた、EUと加盟国が中国と、米中会談のような通商会談を開催するよう提案している。PwCの調査によると、欧州内ではイタリア、フランス、ドイツ、オランダの産業部門で働く人々が、サイバースパイに最も懸念を示している。同社によると、なかでも、ドイツは最もこの影響を受けているという。2015年から2017年まで、17%のドイツ企業がサイバースパイの被害を報告している。PwCは、主要セクター外にある企業にも、サイバー攻撃事案について情報を通知するよう求めた。調査によると、EU全体では60%の企業が同攻撃による危険情報の共有を望んでいるという」
ドイツ企業は、2015年から2017年までに全体の17%が、サイバースパイの被害を受けている。メルケル首相は頻繁に訪中している。この件についてなぜ、沈黙していたのか。習近平氏に談じ込むべき事件である。ドイツは、この中国に対してM&Aで安易な姿勢を取っていた。警戒しなかったことが疑問である。
(3)「欧州最大のビジネスロビーであるビジネス・ヨーロッパは10月4日の声明で、EUに対して『中国のような敵対的勢力を抑止する戦略』を提示するよう求めた。そのなかで、『外交的な行動や経済的報復が検討に値する』とし、『EUは米国、日本、その他のOECD諸国と協力して、政治的圧力をかけるよう求めることも可能だ』と付け加えた」
中国が、これだけ広範囲にサイバースパイをやってきた以上、日米欧の3極が核となって中国を封じ込めるべきだ。有効な制裁措置とはなにか。米国が高い関税をかけて中国製品を追い払う。こういうトランプ米大統領の怒りも、分るような気持ちもするのだ。
4. 中川隆[-13362] koaQ7Jey 2018年10月11日 13:50:30: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19114] 報告
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米、産業スパイ容疑で中国情報部員逮捕 ベルギーが身柄引き渡し
10/11(木) 7:40配信 AFP=時事
【AFP=時事】米政府は10日、航空業界の機密情報窃盗を試みたとして、ベルギーから米国に身柄を引き渡された中国情報部員の男を逮捕・起訴したと発表した。
米司法省によると、逮捕・起訴されたのは中国国家安全省職員のXu Yanjun被告。2013年以降、米ゼネラル・エレクトリック(GE)傘下のGEアビエーション(GE Aviation)などの企業の機密入手を企てたとされる。今年4月1日、米国の令状に基づきベルギーで逮捕され、今月9日に米国へと身柄を引き渡された。
中国情報部員が他国から犯罪容疑者として引き渡されるのはこれが初めて。米司法省のジョン・デマーズ(John Demers)司法次官補(国家安全保障担当)は「これは孤立した事件ではなく、米国を犠牲にして中国を発展させる経済政策全体の一部だ」と指摘した。
米中間ではこのところ、地政学的問題や貿易摩擦、ハッカー行為、産業スパイをめぐり緊張が高まっている。米連邦捜査局(FBI)幹部は「前例のない中国情報部員の引き渡しにより、米国に対する経済スパイ活動を中国政府が直接監視していることが明らかになっている」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
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米、スパイの疑いで中国人逮捕=当局に技術者情報提供か (2018/09/26-09:00)
【ワシントン時事】米司法省は25日、米技術者や科学者の情報を中国情報当局に提供したスパイの疑いで、中西部イリノイ州シカゴ在住の中国籍の男(27)を逮捕したと発表した。
司法省によると、男はイリノイ工科大学で電気工学を学ぶ目的で学生ビザ(査証)を取得し、米国へ2013年に入国。中国国家安全省の情報当局者の指示を受け、米軍事産業で働く技術者ら8人の経歴などの情報を提供した疑いが持たれている。技術者には中国人も含まれているという
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米、産業スパイ罪で中国人教授ら6人を起訴
2015年5月20日 14:31 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 北米, 米国 ]
【5月20日 AFP】米国の携帯電話技術に関する企業機密を中国政府のために盗んだとして、米検察当局が3人の大学教授を含む中国人6人を起訴していたことが、19日に公開された起訴状から明らかになった。
4月1日付の起訴状に記載された32件の訴因によると、被告らは長年にわたり、中国国営の大学や企業のために米国の企業秘密を入手しようとしていた。
米当局によると、6人のうち、天津大学(Tianjin University)の張浩(Hao Zhang)教授は、15日に米国へ入国しようとしたところで身柄を拘束された。米司法省高官によると、起訴状で名前が挙がっている他の5人は中国国内にいるとみられる。今回の起訴は、1996年に制定された米経済スパイ法(Economic Espionage Act)に基づき行われたものとしては11件目だという。
6人は有罪となった場合、長期刑が見込まれる。罪状には経済スパイ、企業秘密窃盗、さまざまな共謀などが含まれ、それぞれの罪に禁錮10〜15年と罰金が科される可能性がある。
窃盗被害に遭ったのは、携帯電話などの端末の性能を向上させる「FBAR(圧電薄膜共振器)技術」の情報とされる。(c)AFP/Rob Lever
5. 中川隆[-13361] koaQ7Jey 2018年10月11日 13:54:17: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19114] 報告
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米アップルの機密盗み中国へ=自動運転担当の元従業員を逮捕
【シリコンバレー時事】米連邦捜査局(FBI)は10日までに、米IT大手アップルが開発中の自動運転車に関する企業秘密を盗んだとして、元従業員の男を訴追した。男は中国の新興電気自動車メーカーに転職しようとしていたとされ、米中両国がハイテク分野で摩擦を繰り広げる中、事件は波紋を広げそうだ。
男は、アップルの自動運転プロジェクトの技術者として機密にアクセスできる立場だった。「母親の容体が悪いので中国に戻る」と退職を申し出たが、不審に思った会社側が調査したところ、休暇中に出社し、機密データを抜き取っていたことが発覚。7日、中国に向けて出国直前に空港で逮捕された。(2018/07/11-16:48)
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米中経済戦争 中国留学生による技術持ち出しに懸念 米、ビザ発給厳格化
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/seiji-keizai-kokusai/light.cgi?
中国留学生による技術持ち出しに懸念 米、ビザ発給厳格化
http://www.sankei.com/world/news/180810/wor1808100023-n1.html
【ワシントン=加納宏幸】トランプ米大統領が中国を念頭に「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」と述べたとする報道が米国であり、国務省のナウアート報道官は9日の記者会見で報道内容を知らないとしながらも、中国人学生が技術を自国に移転させることを米政府として「懸念」していると述べた。
米政治メディア「ポリティコ」は8日、トランプ氏が7日夜、ニュージャージー州の自身のゴルフ場で開いた経営者との夕食会で「中国人学生スパイ説」を唱えたと伝えた。ホワイトハウスは発言の内容を確認していない。
ナウアート氏はこの発言への言及を控えつつも、「米国は中国と強い人的つながりを持っているが、学生の一部が米国の技術や情報を持ち帰ることを懸念している」と述べた。
米メディアによると、中国との「貿易戦争」が激化する中、国務省は6月11日、知的財産の保護を目的に、ロボット工学や航空工学、高度な製造技術を専攻する中国人学生へのビザ(査証)発給を厳格化し、オバマ前政権が1年間から5年間に拡大していた有効期間を1年間に戻した。
トランプ政権は昨年12月、安全保障政策の基本方針を示す「国家安全保障戦略」に競争相手国への知的財産の流出を防ぐためビザ発給手続きを見直し、「特定国からの理工系留学生への規制を検討する」と明記した。同政権は中国の知的財産権侵害に対抗する制裁措置を発動している。
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中国人はなぜ米国でトウモロコシの種を盗むのか
2014.09.21 Sun posted at 17:31 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35051021.html
トウモロコシの種の窃盗から見えてくるものは
香港(CNNMoney) 米検察当局は7月、米国の遺伝子組み換え種子メーカーの商業機密を盗んだ疑いで、中国人の莫雲容疑者を逮捕・起訴した。同被告は、夫である邵根伙氏が創始したバイオテクノロジー企業・北京大北農科技集団(DBNグループ)のためにトウモロコシ近交系種子にまつわる商業機密を盗んだ疑いを持たれている。
この事件を巡っては、莫雲被告の兄弟でありDBNの国際事業部ディレクターを務めていた莫海龍被告を含む中国人6人が、特許権の保護対象となっているトウモロコシ種子を盗み中国に持ち込もうとした疑いで昨年起訴されていた。7月の起訴状で新たに莫雲被告が追加された格好だ。
起訴状によると、被告らは米中西部のトウモロコシ畑を中心に車で移動し、米パイオニアやモンサントといった種子開発大手企業のトウモロコシ近交系種子を盗んで回っていたとされる。
貯蔵庫を借り自前の実験場を購入するなど、大規模な農業スパイ活動を展開していたが、莫海龍被告がアイオワ州の農場を掘り返しているところを警備員に目撃され、盗みが発覚した。
対象となる分野は、トウモロコシの種から宇宙関連技術まで多岐にわたるという
DBNとグループ傘下のトウモロコシ種子会社、北京金色農華種業科技は、この件に関してコメントを出していない。
標的となったトウモロコシ近交系種子の開発を巡っては、干ばつや害虫に対する耐性を高めるため、米国の大手種子メーカーがそろって大金を投じている。中国は近年、トウモロコシの輸入大国に転じており、国内のトウモロコシ生産を増大させるために盗んだテクノロジーが使われていた可能性もある。
米国ではこのところ、中国人による産業スパイ事件が相次いで露見しており、今回の農業スパイ行為の発覚もそのひとつ。
窃盗の対象となっている分野は、米の品種改良テクノロジーから航空宇宙産業関連の機密情報に至るまで、多岐にわたっている。
アナリストの分析によると、こうした動きの背景には、何年もの時間がかかる研究開発のプロセスを省略し、一気に自国の近代化を進めようとする中国政府の狙いがあるようだ。
企業秘密の入手により近代化を一気に推し進めようとしているとの見方も
頻発する産業スパイ事件を受けて、米連邦捜査局(FBI)や米国政府も対策に乗り出している。
FBI特別捜査官のトマス・メッツ氏は「商業機密や特許、機密情報、国家の安全保障にかかわる情報を盗みだそうと躍起になっている人間を特定し、犯行を事前に防ぐのは、テロ対策に次ぐFBIの第2の優先課題だ」と話し、問題の重要性を説く。
政府レベルでも、米オバマ大統領が中国の習近平(シーチンピン)国家主席に対して問題提起してきた。
ただ、今年3月、エドワード・スノーデン元中央情報局(CIA)職員により、米国の政府機関が中国の電気通信大手、華為技術(ファーウェイ)を監視対象としていたことが暴露されて以降、オバマ大統領の言葉も説得力を欠いている。
実際、中国外務省は5月、サイバー攻撃による産業スパイ活動を行っていると指摘された際、米国の側こそ通信を傍受して機密情報を盗んでいると反論し、米国の偽善を批判していた。
6. 中川隆[-13360] koaQ7Jey 2018年10月11日 13:55:27: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19114] 報告
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GEの企業秘密盗んだ中国系技術者を起訴、夕日の画像に情報隠す 米国
2018年8月3日 17:00 発信地:ワシントンD.C./米国
【8月3日 AFP】米ゼネラル・エレクトリック(GE)から重要技術情報を盗んだとして中国国籍も持つとみられる米国人技術者が逮捕・起訴された。米司法省が明らかにした。盗んだ情報を中国に持ち込むため夕日の画像データに埋め込んで隠していたという。
鄭暁青(Xiaoqing Zheng)被告(56)は1日、米連邦捜査局(FBI)に逮捕され、同州ニスカユナ(Niskayuna)の自宅も家宅捜索を受けた。裁判所の文書によると、所持品の中から中国政府が特定の技術情報を提供した個人に与えるという「リソース」の詳細を記した冊子が見つかったという。同時に押収したパスポートから、鄭被告がこの2年間に5回中国に行っていたことも分かった。
FBIによると鄭被告は、GE子会社でガスや蒸気、原子力などをエネルギー源とする各種発電装置の製造やその関連事業を手掛けるGEパワー(GE Power)と同じ分野の中国企業での勤務経験や、そのような中国企業を所有した経歴があった。
GEは、監視していたところ、鄭被告がステガノグラフィー(steganography)という手法を使ってタービン関連のファイルの情報を夕日の画像データに埋め込んで隠し、自身の私用電子メールアカウントに送信したとしている。1日に鄭被告を取り調べたFBI捜査官らによると、鄭被告はGEの企業秘密をステガノグラフィーの手法を使って5〜10回程度盗んだことを認めたという。捜査当局は、鄭被告がGEの企業秘密を盗み始めた時期は2014年にまでさかのぼる可能性があり、盗んだファイルは数千点に上る恐れがあるとしている。
企業秘密を盗んだ罪1件で起訴された鄭被告は、最大で10年の禁錮刑と25万ドル(約2800万円)の罰金刑を受け、釈放後も3年間は監視下に置かれる可能性がある。ただし同様の事件ではこれより軽い刑になることが多い。
ニューヨーク州南部地区連邦検事局によると、連邦裁判所は3日、鄭被告のパスポートを没収し、10万ドル(約1100万円)の保釈金と電子監視を条件として保釈を認めた。(c)AFP
7. 中川隆[-13359] koaQ7Jey 2018年10月11日 13:56:49: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19114] 報告
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2005年に豪州に政治亡命した元中国外交官の陳用林
父親を無実の罪により中国共産党の拷問で亡くした陳は、天安門広場の虐殺を目の前で目撃して衝撃を受けたそうだが、それでもいつしか外交官として中共政府の「先兵」となっていた。命ぜられるままに、法輪功信者の弾圧、反政府勢力の監視、中共にとっての危険人物の拉致などに携わっていた陳は、ついに良心の呵責に耐えかねて豪州政府に政治亡命を申請した。
その際、陳の「告白」は豪州を震撼させた。陳によれば、その時点で豪州に1千人の中共スパイが潜伏し、軍事、科学、経済分野などのあらゆる情報を盗んでいるとのことだった。
スパイには2種類ある。現地にダミー会社を作り、そこにビジネスマンとして工作員を送り込んだり、研究機関に研究者として送り込むケース。そして、もうひとつは現地に住んでいる中国人や留学生を勧誘して「エージェント」に仕立て上げるケースだ。エージェントの勧誘には金とハニートラップが使用され、中央政府を含むあらゆる個所にスパイ網が張り巡らされている。その他にも、現地に住む中国人が自由主義に目覚め、中共に批判的にならないように、ありとあらゆる洗脳工作がなされるという。
陳は最近もテレビのインタビューに応じ、「この10年間でスパイの数は相当増加しているはずだ」と述べている。
最重要標的の米国や、その同盟国の日本にははるかに多くのスパイが入り込んでいると陳は言う。中華系団体(留学生を含む)の代表は、ほぼ間違いなく中共政府に繋がっている。政府やマスコミなど、あらゆる主要機関にすでにスパイ網が張り巡らされていると考えて間違いない。米国のフランクリン・ルーズベルト政権に、驚くほど多くのソ連のスパイが入り込んで日米開戦を工作していた事実が思い起こされる。
私が最も衝撃を受けたのは、陳の政治亡命申請に対し、豪州政府が当初取った冷淡な態度だった。わざわざ中国総領事館に陳の個人情報を照会し、実質的に陳の亡命をリークする有様だった。なぜそんなことをしたのか。答えは「経済」である。2000年のシドニーオリンピック後、豪州は資源を爆買いする中国への依存を高める一方だった。政治的な問題で、お得意様の中国の機嫌を損ねたくなかったのである。
日ごろは高邁な理想を掲げていても、現実には経済最優先で、お得意様がどんなに酷い人権侵害を繰り広げていたとしても、結局は二の次、三の次なのである。昨年は北の要衝ダーウィン港を人民解放軍と密接に繋がる中国企業に99年間リースするという大失態までやらかした。もちろん、州政府に対する工作がなされていたことは疑う余地がない。「極めて愚かだ」と陳は嘆く。
去る1月17日、法務省が外国人の永住許可について、高度な能力を持つ人材に限って許可申請に必要な在留期間を最短で「1年」に短縮する方針を発表した。これも、経済界からの要請によるものだろう。
私はグローバル企業勤務が長いので、国際的観点から、いかに日本で人材が枯渇しているかよく知っている。そして前述したように、私は移民の効果、特に高度人材の有効性をよく認識している。しかし、「親日的で融和的」という大前提を忘れれば、わざわざ反日工作員に城門を開ける愚を犯すことになる。すでに相当浸食されていると思われる日本にとどめを刺す「ダメ押し」となるだろう。戦わずして占領できる可能性がにわかに高まり、ほくそ笑んでいるのは間違いない。そして、日本の滅亡は、皮肉なことに長期安定保守政権である第二次安倍内閣が決定づけたと歴史に記憶されることになるだろう。
陳用林は今もシドニーで中共の監視下に置かれながら生きている。彼の生命を賭したメッセージを受け取れるかどうかに、日本の命運がかかっていると言っても過言ではない。
https://ironna.jp/article/5962?p=3
8. 中川隆[-13359] koaQ7Jey 2018年10月11日 18:28:39: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19123] 報告
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米司法省、中国国家安全省の経済スパイを逮捕・起訴 航空宇宙企業の専門家を標的に活動
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-11088.php
2018年10月11日(木)11時08分 ニューズウィーク
米司法省は10日、GEアビエーションなど米国の航空宇宙企業数社から企業秘密を盗もうとした疑いで中国国家安全省の経済スパイを逮捕、起訴したと明らかにした。写真はGEアビエーションのジェットエンジン試験のようす。Matt Sullivan-REUTERS
米司法省は10日、GEアビエーションなど米国の航空宇宙企業数社から企業秘密を盗もうとした疑いで中国国家安全省の経済スパイを逮捕、起訴したと明らかにした。
逮捕されたのは江蘇省の国家安全省で次官を務めるYanjun Xu被告で、4月にベルギーで拘束され、10月9日に米国に身柄が引き渡された。ワシントン・ポスト紙によると、米国の工作員によりベルギーにおびき出されたという。
起訴状によると、Xu被告は2013年12月頃から航空会社をターゲットとして活動。企業に勤務する専門家らと接触した上で、大学での講演などのため中国へ招待し、費用や給与を負担していたという。
連邦捜査局(FBI)防諜部門のビル・プリースタップ氏は「今回の中国情報部員の前例のない引き渡しで、中国政府が米国への経済スパイを直接監督していることが明らかになった」と述べた。米政府は通商政策や知的財産問題に関し、中国政府への圧力を強めている。
ジョン・デマーズ司法次官補(国家安全保障担当)は「米国を犠牲にして自国を発展させるという中国の経済政策の一環だ」とし、「わが国の原動力や頭脳の生み出した成果をかすめ取ろうとする国を許すことはできない」と述べた。
中国大使館や同被告の弁護士からのコメントは得られていない。
米国では共謀罪および経済スパイの量刑は最長15年。共謀罪および営業秘密窃取罪は最長10年。
9. 中川隆[-13355] koaQ7Jey 2018年10月12日 06:19:52: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19129] 報告
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米国、「中国情報部員」産業スパイ海外で拘束し起訴「米中対立に火種」2018年10月12日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12807928.html
ペンス米副大統領が、ワシントンのハドソン研究所で4日行った演説で、中国は米国の世論操作を目的に、スパイや関税、強硬措置、宣伝工作など「政府ぐるみの取り組み」に従事していると主張した。その証拠とも言うべき中国人産業スパイが起訴された。
『ブルームバーグ』(10月11日付)は、「中国情報部員を経済スパイの罪で起訴−米国に身柄引き渡し」と題する記事を掲載した。
(1)「中国政府の情報部員が米オハイオ州の航空関連企業から機密情報を盗んだとしてベルギーで4月1日に逮捕され、同国から米国側に身柄が引き渡された。米司法省が明らかにした。同省は経済スパイ活動などの罪で中国国家安全省に所属したシュ・イエンチュン被告を起訴した。訴状によれば、同被告は複数の名前を用い、米欧の航空宇宙企業を標的としていた」
シュ容疑者が2013年から今年にかけて、米企業から重要情報や特許などを不正に取得しようとしていたとしている。従業員を勧誘し、意見交換を装って中国へと派遣するなどの手口を使っていたという。中国は、「技術窃取」という動かぬ証拠を突き付けられた形だ。米国の遣り方は、全て証拠を集めてから逮捕・起訴している。この捜査過程で、中国の産業スパイ網が芋狡式に出てくるかどうかだ。
中国にとっては、米中貿易戦争のまっただ中で起こった事件だけに、何とも罰の悪い思いをしているにちがいない。
(2)「デマーズ司法次官補(国家安全保障担当)によれば、中国情報部員が米国の要請によって国外で逮捕され、米国への引き渡しを経て経済スパイの罪で起訴されるのは初めて。シュ被告が狙った企業の1社はゼネラル・エレクトリック(GE)傘下のGEアビエーションで、同社の協力は捜査に欠かせなかったという」
米複合企業ゼネラル・エレクトリック(GE)の広報担当者は、シュ容疑者が傘下のGEアビエーションの元社員を標的にしていたが、会社への影響は最小限にとどまると述べた。米連邦捜査局(FBI)の捜査に協力しているとし、軍事プログラムに関する重要情報は標的にされておらず、盗まれてもいないとしている。以上は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』(10月11日付)が伝えた。
中国は、スパイ事件でなくても影響力のある人物へ接近している。旅行やもてなしなどして、相手が断りにくい状況へ追い込み、中国の意図を発表させる。あるいは反対させる方式をとっている。著名人が中国側の発言をするときは、その裏に金品が動いていないか疑って見ることが必要である。
10. 中川隆[-13353] koaQ7Jey 2018年10月12日 16:45:49: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19138] 報告
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知財を根こそぎ盗んでいく中国に、日本もアメリカと共に戦う必要がある │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=4994
中国の国家や企業や個人が「他国の知的財産の侵害」に邁進する理由は簡単だ。知的財産をゼロから生み出す環境も体質も中国にはないからだ。つまり、イノベーションを生み出す土壌が中国に存在しない。
何でもそうだが、「新しいもの」を生み出すというのは大変なことなのだ。
何もないとこから考え、試行錯誤し、多大な時間と多大な問題をひとつひとつ解決していかなければならない。時には途中でどうしても困難が解決できずに今までの時間を無駄にしてしまうことすらもある。
そして、それだけ手間暇をかけても、それが世間に受け入れられるかどうかはまったく分からない。莫大な時間、投じた資金が無駄になる可能性もある。
オリジナルを作り出し、それが知的財産として構築される裏には大きな苦難や苦労がある。知的財産とは、そうした苦難を乗り越えた末に生まれてくるものなのだ。
しかし、「知的財産の侵害」は楽だ。単に成功しているものを盗み、模倣し、激安で売って儲ければいい。中国は国家ぐるみでそれをしている。だから、アメリカは中国を「敵」として認定した。(鈴木傾城)
11. 中川隆[-13348] koaQ7Jey 2018年10月15日 11:07:23: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19204] 報告
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米国、「対中国」核技術の輸出を厳格化「チンコム復活か」2018年10月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12876925.html
米国の中国に対する警戒観は沸点に達してきた。貿易戦争に留まらず、安全保障問題にまで拡大されている。1年前には想像もできない急ピッチな展開である。オバマ前政権が手を付けなかった問題へ着手している背景に、当局による長年の調査が裏付けになっているのだろう。
先に、中国の産業スパイが逮捕・起訴された事件が公表された(10月10日)直後の措置である。相当の裏付けの証拠を握った結果であろう。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』(10月12日付)は、「米政権、対中国の核技術輸出を厳格化」と題する記事を掲載した。
(1)「米当局者は11日、中国に対する核技術輸出に新たな制限を設けることを明らかにし、即日実施した。背景には、中国が自国の軍事力を増強するとともに、米産業を弱体化するため、不正に核技術を取得しようとしているとの懸念がある。トランプ政権はこれまでにも、シリコンバレーや他の重要産業に中国資本が投資を行う場合の審査を強化するなどの対策を講じており、中国による米国の基幹技術取得を阻止する姿勢が鮮明となった」
米国は1952年、朝鮮戦争勃発後に、対中国への輸出禁止項目を増やした。今回の措置は、チンコム復活であるのか。事態の推移を見ながら行なうのだろう。
(2)「当局者によると、中国国営の原子力大手、中国広核集団(CGN)に対しては、輸出を基本的に禁止する。今回の措置は全面的な販売禁止ではないが、販売には米国の技術が不正利用されないとの相当な確証が必要になるとしている。CGN関連以外の組織に対する販売は個別に判断するという。米当局者によると、中国は軍事目的での核技術の入手を急いでいるようだ。これには南シナ海に建造した人工島での利用に加え、洋上原発や空母・潜水艦向けに核技術の取得を目指している兆候があるという。また中国は、米国の技術を他国に不正転用しているとしている」
米当局者によると、中国は軍事目的での核技術の入手を急いでいるという。南シナ海に建造した人工島での利用に加え、洋上原発や空母・潜水艦向けに核技術取得を目指している兆候があるという。その技術を、こうやって手に入れようという狙いだ。他人の褌で相撲を取る、大胆な戦略である。全て、「他人任せ」で世界覇権狙いである。重ねて、大胆と言うほかない。
12. 中川隆[-13384] koaQ7Jey 2018年10月22日 08:52:54: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19453] 報告
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中国、「新4大発明」なんと日本の新幹線を自国発明品に「パクリ」2018年10月22日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13034188.html
中国は、日本の発明した新幹線を、高速列車と呼び変えて「中国発明」と言い出している。インターネットで勝手に言いふらす類いの無責任発言でなく、中国で著名大学である復旦大学中国研究院の張維為院長の発言(『人民網』3月18日付)だ。
張氏は、「中国はイノベーション主導とイノベーション型国家の建設を強く推し進めており、これは掛け算のような効果を生み出す方法である。『新四大発明』が経済と社会にもたらす効果から、人々はこの点についてすでに目にしていると言えるだろう」と意気軒昂である。
習近平氏が、世界覇権に挑戦して勝てると踏んでいる根拠には、前記の「新4大発明」が基盤になっているようだ。まず、その「4大発明」なるものの内容を見ておきたい。
『人民網』(2017年12月19日付は、「世界の人々の暮らしを変える中国の『新4大発明』」と題する記事を掲載した。
(1)「今年に入り、『一帯一路』参加国である20ヶ国の若者たちにより、高速鉄道とネット通販、支付宝、シェア自転車が中国の『新4大発明』」として選ばれた。五大陸の異なる人種の留学生にとって、中国の最も便利なライフスタイルである『新4大発明』は、すでに彼らの生活に深く根ざしている。
@ 高速鉄道は「中国の速度」を示し、都市間の距離を縮めた。
A 発達したECサイトを通じて、世界各地の消費者の手に高品質の商品が届けられる。
B QRコードをスキャンする決済方法が流行し、財布を持たず外出することが日常茶飯事になっている。
C シェア自転車は「最後の1キロ」の解決策を提供し、交通渋滞を効果的に緩和させている。
『新4大発明』は中国の近年の科学技術革新の縮図と言える。中国人の暮らしを変えたばかりか、世界の中国への認識を新たにし、中国の革新モデルを活き活きと分かりやすく世界に示した。新華網が伝えた」
新華網といえば、中国政府機関紙『新華社』の電子版である。ここで取り上げた「新4大発明」記事が、今度は中国共産党機関紙『人民日報』の電子版である「人民網」に転載された。よほどうれしいニュースなのだろう。しかも、日本の新幹線が原型である、高速鉄道を「中国生まれ」と誤解した留学生の誤りを正すことなく、チャッカリと悪用して「中国生まれ」として通用させる。大袈裟に言えば、こういう手法で中国にとって都合の良い誤りでも広めてきた。尖閣諸島問題も、悪知恵を使って「中国領」にでっち上げてきたに相違ない。
この伝で言えば、「中国三大発明」とされる、火薬・磁石・印刷も怪しくなる。私は、古代中国が、当時の文明国アラブ世界と交易関係を持っていたので、アラブから伝わってきた技術を、いつの間にか「中国三大発明」として詐称したのでないかと見ている。英国の科学史家は、古代中国とアラブ世界の交易関係を取り上げている。
前記の「新4大発明品」の中味をみて驚く。高速鉄道は日本技術である。他の3つの中に、シェア自転車が入っている。このシェア自転車は、今やすっかり下火である。乱立した業界は整理統合され、大手も消えてしまった。街中に、「シェア自転車」が放置されて、都市の美観を損ねるほかに、交通の邪魔になったのが衰退した理由である。雨後の筍のように、新規企業が殺到するが長続きしない。これが、中国の限界である。要するに、真のイノベーション能力がなく、「イミテーション能力」に長けているだけだ。
13. 中川隆[-13369] koaQ7Jey 2018年10月23日 12:52:10: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19471] 報告
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中国へのODA終了へ 26日の日中首脳会談で合意へ
10/23(火) 10:32配信 テレ朝 news
日本が40年間、続けてきた中国に対するODA(政府開発援助)が今年度で終了することが分かりました。26日に行われる安倍総理大臣と李克強首相との首脳会談で合意する見通しです。
中国に対するODAは1979年からスタートしました。
有償と無償の資金協力、技術協力を合わせて総額3兆円以上を供与し、インフラ整備の支援など中国の経済成長を支えてきました。中国が世界2位の経済大国となり、中国へのODAを疑問視する声も高まるなかで、今年度で終了することになりました。
26日の首脳会談で、両国が対等な立場で第三国のインフラ整備などで連携していくことを確認します。
14. 中川隆[-13390] koaQ7Jey 2018年11月02日 09:51:30: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19807] 報告
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2018年11月2日 / 09:38
米司法省、中国・台湾の2社など起訴 マイクロンの企業秘密窃盗で
[ワシントン 1日 ロイター] - 米司法省は1日、米半導体大手マイクロン・テクノロジー(MU.O)のメモリー・ストレージ製品に関する研究開発(R&D)を巡る企業秘密の窃盗に関与したとして、中国と台湾に本拠を置く企業2社と3人の個人を起訴したことを明らかにした。
起訴された企業は、台湾に本拠を置くユナイテッド・マイクロエレクトロニクス(UMC)(2303.TW)、および中国国有の福建省晋華集成電路(JHICC)。起訴された3人は以前にマイクロン傘下の部門で勤務していた。
中国による米企業に対するスパイ行為で司法省が起訴するのは、9月以降これで4件目となる。
セッションズ司法長官は記者会見で、中国によるスパイ行為は「急速に増えている」と説明。米政府は産業スパイ行為を取り締まる新たな活動を始めていると語った。
ワシントンの中国大使館はコメントを出していない。UMCはコメントの求めに応じていない。
米商務省は今週、米国の製品やソフト、技術の輸出が制限される「エンティティーリスト」にJHICCを加えたと発表。米国企業がJHICCに対する米国企業の輸出を制限したと発表。JHICCの新型メモリーチップによって、米軍システム向けにチップを提供する米企業が脅かされる「重大なリスク」があると指摘していた。
米政府は起訴にあたり、中国は自国で所有しないDRAM技術の獲得に関心があると主張している。マイクロンは米国を拠点とする唯一のDRAMメーカー。
Micron Technology Inc40.12
MU.ONasdaq
+2.40(+6.36%)
MU.O
2303.TW
セッションズ長官は、中国が最終的に米国からDRAM技術を盗み、それを利用して米国と競争することを目的に、UMCは中国国有企業と協力していたと指摘した。
起訴状や司法省筋の話によると、起訴された3人のうちの1人、Chen Zhengkun被告は台湾でマイクロンに勤務していたが、2015年7月にマイクロンを辞めてUMCに移った。その後、他のマイクロン従業員に企業秘密を持ち出すように働きかけたという。また、DRAM技術の開発だけを目的とした合弁会社をJHICCと設立したとされる。
米司法省はさらに、今回起訴した2社を相手取り民事訴訟も起こした。2社が企業秘密を利用して生産した製品を輸出することと企業秘密のさらなる流出を阻止するのが目的。
マイクロンは声明を出し、「当社は過去数十年にわたり、知的財産の開発に多額の資金を投じてきた。きょう発表された措置で、犯罪となる不正流用には適切な対応がとられることが明確になった」とした。
15. 中川隆[-13422] koaQ7Jey 2018年11月05日 11:13:56: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19999] 報告
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中国、「産業スパイ」米国内で相次ぐ逮捕ネットワーク「大打撃」2018年11月05日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13314571.html
10月4日、ペンス米副大統領が歴史的は「中国批判演説」を行なった。経済、政治、人権、軍事など多方面から中国の政策を批判したもの。ペンス副大統領は、「中国の安全保障機関が、最先端の軍事計画を含む米国の技術の大規模な窃盗の黒幕です」と言及したが、その後、次々とスパイが逮捕された。
『大紀元』(11月4日付)は、「貿易戦争に変化か 米中首脳が電話会談 中国側が低姿勢に」と題する記事を掲載した。
(1)「司法省は(10月に入って)中国産業スパイの取り締まり強化に乗り出し、中国の情報部員を次々と起訴・逮捕した。司法省はまた11月1日、米半導体企業の企業機密を盗んだとして、中国国有半導体メーカー「福建晋華集成電路」(JHICC)などを起訴した。米政府のこの動きで、今後中国当局が米で作り上げたスパイ・ネットワークが完全に破壊する可能性が高い。スパイ行為に関係する国有企業、党幹部らは米政府による資産凍結や他の金融制裁を受けるとみられる」
このパラグラフで注目されるのは、次の点だ。
@ 中国当局が米で作り上げたスパイ・ネットワークが完全に破壊される可能性が高い。
A スパイ行為に関係する国有企業、党幹部らは米政府による資産凍結や他の金融制裁を受けるとみられる。
米国の執拗な捜査によって、中国の産業スパイ網が一網打尽になったかどうか。いずれ、中国の国有企業などは金融制裁を受ける。この金融制裁は、米国銀行との取引を禁じられるもの。広範囲な経済活動が制限を受ける痛手は大きい。
中国の産業スパイ網が、今回の米司法省の摘発で大きな打撃を受ければ、技術窃取は困難になる。これが、「中国製造2025」に影響を与えるであろう。ここから、中国が弱気になって米国との貿易戦争で妥協の姿勢を見せ始めるのでないか、という観測も出ている。
16. 中川隆[-13479] koaQ7Jey 2018年11月06日 11:00:28: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20131] 報告
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中国、「スパイ・スカウト」パソコン・女性・学費支給「3大接近法」2018年11月06日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13343988.html
映画で見るスパイには、必ず女性が登場する。男をスパイの手先にするには、これが、古典的手法のようだ。このほど、米司法省が相次いで逮捕した中国スパイの3大手口では、女性のほかに、パソコン供与と学費支給で学生をスパイに一本釣りした様子が分るという。
『大紀元』(11月5日付)は、「米ジャーナリスト、中国のスパイ・スカウトの手法を分析」と題する記事を掲載した。
(1)「正式な接触の前、「スポッター(spotter)」と呼ばれる中国の調査員が、ターゲットについて調査・評価を行う。そして、その結果を情報機関の幹部に提出する。幹部らは、正式なスカウトに値するかを再評価する。スポッターの多くは、シンクタンク、大学、企業幹部であり、スカウトに直接関与していない」
(2)「ターゲットになった米技術者をスパイ活動に駆り立てるため、さまざまな手段で動機づけをする。金品の供与、イデオロギーの宣伝、脅迫、またはスパイ生活のスリル感を味わせるなどなど。中国当局は、中国人をスカウトする場合、脅迫や愛国心の利用などの手段を多用している。欧米人に対しては、金品の提供が多い」
(3)「中国の工作員はターゲットとなった欧米人に、直ちに祖国への反逆を求めることはない。まず気づかれないように良好な関係づくりに腐心する。米中央情報局(CIA)ブレナン前長官は、「(スパイになった米国人が)気づいた時点ですでに時遅し」とその手口は巧妙だと述べた」
(3―1)「2001年中国に留学し、その後中国上海に移り住んだバージニア州出身の大学生、グレン・シュライバー(Glenn Shriver)氏は04年、諸外国の貿易白書の作成スタッフを募集する新聞広告を見て、応募した。広告を掲載した中国人が、シュライバー氏に120ドル(約1万3537円)の論文作成費を支給し、同時に2人の男性を紹介した。学生と2人の男性は親しくなるにつれ、男性らは学生に対して、米への帰国、米の国務省またはCIAでの就職を薦めた。中国の情報機関は、大学生に採用試験の参加費として、3万ドル(約338万円)を与えた。大学生は2回採用試験を受けたが、2回とも失敗した。2007年、CIAの秘密プロジェクトの採用試験にも応募した。中国情報機関はその際、学生に4万ドル(約451万円)を渡した。大学生はその後、逮捕された。米諜報当局は大学生をモデルにした啓発ビデオを作成した。海外に留学している米国人学生に対して、中国人工作員からの誘惑に警戒を高めるよう呼び掛けた」
(4)「ターゲットとなる人に対して、中国情報部員は時にストレートにスパイ行為の強要を切り出す。2017月2月、CIA元幹部のケビン・マロリー(Kevin Mallory)氏がソーシャルメディアのリンクトインで、中国の上海社会科学院の職員と自称する人物からリクエストを受け取った。FBIは、中国国家安全省は、中国社会科学院と連携して活動していると指摘した。社会科学院の職員と名乗る中国の工作員は多く存在するという。マロリー氏はその後、電話を通じてこの上海社会科学院の職員と連絡を取り、17年4月に中国で2回面会した。そこで、マロリー氏は特別な電話機を受け取り、 安全なメッセージ機能を使って中国の「顧客」に連絡する方法を教えられた。マロリー氏は中国の対米政策白書の作成に2回協力した」
FBIは、中国国家安全省が中国社会科学院と連携して活動していると指摘した。社会科学院の職員と名乗る中国の工作員は多く存在するという。中国社会科学院といえば、哲学及び社会科学研究の最高学術機構であり、総合的な研究センターだ。研究所31、研究センター45、研究者4200人を擁し、中国政府のシンクタンクとして大きな影響力をもつ。また世界80ヵ国のシンクタンク、高等研究機関200余りと日常的に交流する。政府直属事業である。
この中国社会科学院が、中国のスパイ活動の一端を担っているとは驚きである。学術研究に名を借りてスパイに誘い込むとは、恐るべき国家である。ここまでスパイする意図は何か。相手国を出し抜き、陥れる謀略を秘めているのだろう。この地球上に、このような国家が存在すること自体、恐怖である。後進国が、先進国へのし上がろうという謀略である。労せずして甘い汁を吸う策略だ。「中国製造2025」は、まさに謀略のシンボルであろう。
中国が、ここまで謀略に長けているのは、中華帝国の戦略そのものを受け継いでいる証拠だ。こうした手練手管を駆使し、中国の版図を拡大してきたに違いない。
(5)「スパイとその指令役(handler)の連絡方法は以前の直接会うことから、現在暗号化された通信機器の利用に変わった。FBIは今年1月、中国情報機関の指示を受けて米国内でスパイ行為を繰り返していたとして、CIA元職員の李振成(英語名、Jerry Chun Shing Lee)氏を逮捕・起訴した。起訴状によると、2010年4月李氏は中国の工作員2人に会った。工作員は李氏に金品の供与を約束し、その見返りとしてCIAに関する情報の提供を求め、密かに連絡するために、李氏に複数の電子メールアドレスを提供した」
17. 中川隆[-13515] koaQ7Jey 2018年11月07日 10:07:17: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20239] 報告
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中国、「ファーウェイ」当局にアクセス・コードを提供「スパイ支援」2018年11月07日
中国政府は、表向きは「ニーハオ」と言って愛嬌振りまきながら、裏にまわれば公然とスパイ活動を行なう。まさに、「ジキルとハイド」の国家のようである。次々と明らかにされる中国のスパイ活動は、止まるところを知らない。
『大紀元』(11月6日付)は、「中国通信大手ファーウェイ、当局にアクセス・コードを提供―豪メディア」と題する記事を掲載した。
(1)「オーストラリア政府関係者が入手した機密調査報告書はあらためて、中国通信大手の華為技術(ファーウェイ)と中国当局が緊密的な関係にあることを指摘した。同報告書によると、中国情報機関は海外で浸透工作を展開するため、ファーウェイの社員に海外のインターネットのアクセス・コードを提供するよう要求していた。豪メディア「ウィークエンド・オーストラリアン」電子版が3日報じた」
オーストラリアは、中国の政治的浸透の対象にされていたことが判明以来、中国に対して極度に神経を払っている。その点では米国並みだ。華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)は、中国政府の別働隊とさえ見なされている。これは、もはや国際的な常識になっている。日本の警戒心は薄いようだ。
(2)「オーストラリア通信電子局のマイク・バーガス局長は10月29日、キャンベラで開催されたサイバーセキュリティの関連イベントで、ファーウェイとZTEが「危険性の高い企業」であると指摘した。また、5G技術の整備は国民生活に関わる重要な通信インフラであるため、豪国内のサイバーセキュリティを考慮して5G構築から2社を除外することを支持する考えを示した」
日本では、次世代通信網5Gをめぐって、ファーウェイとZTEの扱いについて結論を発表していないが、一部報道では排除するとしている。米国や豪州が排除しているのに、わざわざ日本が危険な選択をする必要はない。国家の安全保障確保が第一である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13363589.html
18. 中川隆[-13570] koaQ7Jey 2018年11月11日 06:57:15: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20467] 報告
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(朝鮮日報日本語版) 中国企業に引き抜かれ、使い捨てられる韓国IT人材
11/11(日) 5:09配信 朝鮮日報日本語版
サムスン電子でメモリー半導体の設計を担当していた元常務が昨年夏、中国の国有半導体メーカー、合肥長キン(キンは金を上に1つ、下に2つ並べた字)に移籍していたことが分かった。
A元常務は2000年代にDRAMのナノメートル設計を担当し、10年代に入ると、40代の若さで常務に抜てきされた有力人物だ。A元常務は昨年末、サムスンSDIにマーケティング担当として異動を命じられたが、数カ月後に一身上の理由で突然退職願を提出したという。サムスン関係者は「中国の半導体メーカーに転職したといううわさは聞いていた。確かな技術流出が認められないため、法的対応までは考えていない」と話した。
韓国経済を下支えしている半導体、ディスプレーなど技術分野で、キーパーソンを引き抜くための中国企業の動きがますます露骨になってきている。中国企業が一気に技術格差を狭めるため、無差別的な「人材ハンティング」に乗り出した格好だ。サムスンのA元常務が移籍した合肥長キンは、安徽省合肥市政府が出資する国有企業で、清華紫光集団(清華ユニグループ)、福建省晋華集成電路(JHICC)と並び、中国政府の半導体崛起(くっき)政策の先頭を走る企業だ。合肥長キンは今年7月からDRAMの試作品の生産を始めたと発表している。
合肥長キンが過去2年間で引き抜いた韓国の技術人材は50人余りと推定される。SKハイニックスでDRAM生産グループ長を務めたB常務も合肥長キン設立初期の2016年に移籍したとされる。
半導体業界関係者は「半導体の中核的人材が50人いるだけで、DRAM製造プロセスの構築を画期的に短縮できる。どんな半導体生産設備を使うのかが分かるだけでも工程の全体像を描きやすくなる」と指摘した。
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中国企業は韓国の半導体メーカーの退職者について、ブローカー経由で引き抜きリストを作成し、2倍の年俸、5年間の勤続保証、車や滞在費の支援など破格の条件を提示している。今年8月、サムスンディスプレーでフレキシブルOLED(有機発光ダイオード)パネルの生産を担当していた部長クラスのエンジニアが中国企業への移籍を試みた。この人物は韓国国内の船舶会社に就職するという採用通知書を提示し、2年間はライバル企業に就職しないという誓約書を提出して退職した。ところが、退職翌日に中国の液晶パネルメーカー、成都中光電科技(成都COE)と就業契約を結んだ。同社は誓約書上の転職禁止対象だった中国の国有液晶パネル大手、京東方科技集団(BOEテクノロジーグループ)からわずか650メートルの距離にある下請け企業だった。BOEは現在、世界最大の液晶パネルメーカーで、サムスンやLGディスプレーが技術力を確保しているOLED分野へと事業を拡大している。その上、この人物が外国人就労許可を申請するために中国政府に提出した健康診断書には会社連絡先として、BOE社員の電話番号が書かれていた。さらに驚くべきことに、本来転職先とされた船舶会社は昨年4月の事業開始から9カ月後の今年1月に廃業していたことが判明した。サムスンは事実関係を把握後、水原地裁に転職禁止の仮処分を申し立てて認められた。サムスン関係者は「問題のエンジニアは履歴をロンダリングするため、中国側のブローカーと組み、ペーパーカンパニーまで使ったとみられる」と話した。
■中国に渡っても将来は用無しに
中国企業はディスプレーだけでなく、半導体分野の重要人材も露骨に引き抜いている。国家レベルでの半導体崛起に取り組む中国の国有半導体メーカーとしては、世界1、2位のサムスン、SKハイニックスで先進的な技術や製造プロセスを経験した人材が必要だからだ。韓国の半導体業界関係者は「中国のヘッドハンターがサムスン電子、SKハイニックスの本社前まで来て、しつこく移籍を説得するほど全方位的な人材引き抜きを行っている」と話す。
しかし、中国に渡った韓国人技術者の大半は厚遇されていないという。実際に中国のスマートフォン、半導体、ディスプレー分野の企業で幹部まで出世したケースは皆無だ。サムスンの元社長クラス役員は「中国は必要な製造プロセスに合わせ、ピンポイント式に人材を連れ去り、必要な技術の確保が終われば、仕事を与えずに捨てる」と指摘した。例えば、清華紫光集団では初期の研究開発段階にサムスン出身のエンジニアを多数参加させたが、現在は大半が現場から排除されたという。スカウト時には「3年保証プラス2年延長」といった契約条件を掲げるが、実際に研究開発に携わる期間は1年未満だという。技術関連の知識さえ確保すれば、後は関連企業の研究関係とは無関係の部署に異動させてしまう。前出の元役員は「中国語ができない韓国人の研究人材は初めから役割が限られている。(理系名門の)清華大出身者、海外留学組、台湾出身者などが掌握した中国の技術系企業で韓国人が昇進するチャンスはほとんどない」と述べた。
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/605.html#c1
2018.08.31
フランケンハイマー監督の映画「5月の7日間」が上映されます
ジョン・フランケンハイマーの監督した映画「5月の7日間」が9月26日に東京琉球館で上映されます。
この映画の原作はジャーナリストのフレッチャー・ネベルとチャールズ・ベイリーが1962年に書いた小説。1961年7月にアメリカ空軍の参謀総長に就任したカーティス・ルメイをインタビュー、それが小説を書くひとつの切っ掛けになったようです。
ルメイは第2次世界大戦の終盤、東京を含む日本の都市を焼夷弾で焼き尽くして多くの非戦闘員を殺した作戦の責任者で、1948年にはSAC(戦略空軍総司令部)の司令官就任します。
1950年6月に勃発した朝鮮戦争では日本以上の空爆を実施、朝鮮の人口の20%を殺したと本人も認めているほどです。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下したのは約16万トンですが、朝鮮戦争で投下された爆弾は約63万5000トンに達しました。
1960年10月から統合参謀本部議長を務めたライマン・レムニッツァーもルメイと同じように好戦的な人物で、1961年1月に大統領となったジョン・F・ケネディは1962年9月、レムニッツァーの再任を拒否しています。
レムニッツァーが出世できた理由はイギリスの軍人、ハロルド・アレグザンダーに気に入られたからだと言われています。アレグザンダーは1943年7月にシチリア島の上陸作戦を指揮、その下にジョージ・パットン司令官の第7軍(アメリカ軍)とバーナード・モントゴメリー司令官の第8軍(イギリス軍)がいました。
アレグザンダーの紹介でレムニッツァーはアレン・ダレスと親しくなり、大戦の終盤にダレスたちが行ったナチ高官を救出するサンライズ作戦にも参加しました。大戦後、1955年から57年にかけてレムニッツァーは琉球民政長官を務めています。
1957年の初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成、その内容は300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊するというものでした。1950年代に沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められましたが、これはアメリカの戦争計画と関係しているはずです。
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によりますと、1961年7月、軍や情報機関の幹部は大統領に就任して半年のケネディ大統領に対して先制核攻撃計画について説明し、63年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュールになっていたそうです。この計画を阻止したケネディ大統領は1963年11月に暗殺されました。
そのケネディ大統領は1962年、ホワイトハウス報道官だったピエール・サリンジャーを介してフランケンハイマーにネベルとベイリーの小説を映画化するように頼みました。アメリカの民主主義が危機に瀕していることをアメリカ国民に知らせたかったと言われています。
言うまでもなく、ケネディ大統領はこの映画を見ることはできませんでした。1964年2月に公開されたのですが、その3カ月前に暗殺されていたからです。その年の12月、カーティス・ルメイは日本政府から「勲一等旭日大綬章」を授与されました。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201808310000/
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2018.06.07
50年前の6月6日にロバート・ケネディが暗殺された
今から50年前の6月5日にロバート・ケネディが銃撃され、翌朝に死亡した。その2カ月前、4月4日の夕方にはマーチン・ルーサー・キング牧師が殺されている。いずれも「犯人」とされる人物は存在するが、それを信じていない人は少なくない。
そうしたひとりがロバート・ケネディ・ジュニア、つまり殺されたロバート・ケネディの息子だ。ロバート・ケネディの暗殺に兄で大統領だったジョン・F・ケネディの暗殺が関係していると推測している人もいる。
ロバートは1961年1月から64年9月にかけて司法長官、65年1月から68年に暗殺されるまで上院議員は上院議員をそれぞれ務めた。殺されたときは次期大統領を目指して活動中。当選する可能性は高いと見られていた。
この上院議員を殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死したトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2.5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致している。つまり、公式説明によると、ロバートの前を歩いていた人物が発射した銃弾がロバートの後方からあたったことになる。しかも、命中した銃弾はサーハンのピストルから発射されたものではなかった。
朝鮮戦争が休戦になって間もない1954年1月にドワイト・アイゼンハワー政権の国務長官だったジョン・フォスター・ダレスは国家安全保障会議でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。このときのCIA長官はダレス国務長官の弟であるアレン・ダレスだ。
その前からアメリカはインドシナの再植民地化を狙うフランスの戦争を支援していたが、1954年5月にフランス軍はディエンビエンフーの戦いで降伏、それをアメリカが引き継ぐことになった。
しかし、アイゼンハワーの次に大統領となったジョン・F・ケネディはアメリカ軍の撤退を決断、1963年10月にNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出している。それによると、1963年末にアメリカの軍事要員1000名を撤退させ、65年12月までに1万1300名を完全撤退させることになっていた。そうした動きは秘密でなかったようで、米軍の準機関紙、パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。
言うまでもなく、これは実行されなかった。ケネディ大統領が1963年11月22日に暗殺されたからだ。ケネディ暗殺を受けて副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは1963年11月26日付けでNSAM273を出して撤退計画を取り消してしまったのだ。
ジョンソン政権は1964年8月の「トンキン湾事件」を利用してベトナムへ本格的な軍事介入を開始しているが、この「事件」はアメリカ側が仕掛けた偽旗作戦だった。翌年の2月には本格的な北爆を開始、地上部隊を増派する。1965年末になると、ベトナムで戦うアメリカ兵は18万人に達していたという。そして1968年1月に始まったテト攻勢ではアメリカ大使館が一時占拠され、その様子がテレビで伝えられた。アメリカ人は泥沼化した戦争の実態を知ることになったのである。
ロバート・ケネディはベトナム戦争に反対、キング牧師の弁護士だったウィリアム・ペッパーによると、キング牧師側に対し、自分が民主党の大統領候補になった場合に牧師を副大統領にしたいと打診してきたという。(John L. Potash, “Drugs as Weapons Against Us,” Trine Day, 2015)
キング牧師は殺される1年前、つまり1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言している。公民権運動という限られた領域の運動ではなく、アメリカの支配システムそのものと対決する道を歩き始めたとも言えるだろう。
当時、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたとロン・ポール元下院議員は話している。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視した。
なお、ジョン・F・ケネディは暗殺される5カ月前の1963年6月10日にアメリカン大学の卒業式でソ連との平和共存を訴える「平和の戦略」と呼ばれる演説を行っている。フランス大統領だったシャルル・ド・ゴールは1962年8月22日、OAS(秘密軍事機構)の一派に命を狙われているが、そのド・ゴールは1968年の5月革命の影響もあり、69年4月に失脚している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806070000/
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2018.07.13
米英がヨーロッパ支配とソ連/ロシア侵略を目的として創設したNATO
NATO(北大西洋機構)は7月11日から12日にかけて首脳会議を開いた。国防費の負担を巡ってアメリカと他の国とで対立があったと伝えられているが、アメリカが1992年2月に作成した世界制覇プランを妨害しているロシアに対する敵対的な姿勢では一致したようである。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、この世界制覇プランはDPG(国防計画指針)として作成されたのだが、そのときの国防長官はリチャード・チェイニー。作成の中心は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツで、I・ルイス・リビーやザルメイ・ハリルザドも参加している。いずれもネオコンだ。
このドクトリンは国防総省内部のシンクタンク、ONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルの戦略に基づいているのだが、そのマーシャルはイギリス出身のバーナード・ルイスから世界観を学んでいる。ルイスはイスラエルやサウジアラビアの支持者で、ウォルフォウィッツを含むネオコンを育成したヘンリー・ジャクソン上院議員(1953年〜83年)からも信奉されていた。マーシャルは偽情報に基づくソ連脅威論や中国脅威論を広めた人物でもある。
ソ連消滅はジョージ・H・W・ブッシュ大統領(1989年〜93年)を中心とするアメリカのCIA人脈やローレンス・サマーズ、ポール・ウォルフォウィッツらがKGBの頭脳とも呼ばれたフィリップ・ボブコフを含むKGBの将軍たちと手を組んで実行した工作の結果。
東西ドイツが1990年に統一される際、ブッシュ政権の国務長官、ジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるが、東へNATOが拡大されることはないと約束している。この約束を信じたゴルバチョフはドイツ統一で譲歩したのだが、約束は守られなかった。
NATOは1949年、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクによって創設された。ソ連に対抗することが目的だとされたが、その当時のソ連には西ヨーロッパに攻め込む能力はない。何しろ、ドイツとの戦闘でソ連の国民は2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だったのである。
第2次世界大戦の終盤、アメリカとイギリスはゲリラ戦を目的としてジェドバラという組織を作った。その人脈は戦後も生き続け、1948年頃にはCCWU(西側連合秘密委員会)という組織が統括していた。その人脈はNATOに吸収され、CPC(秘密計画委員会)が指揮することになる。その下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が1957年に設置され、NATOの秘密ネットワークを動かすことになる。
その秘密ネットワークはソ連軍が侵攻してきた際にレジスタンスを行うとされていたが、実際はソ連圏への工作や西ヨーロッパの支配が目的。NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書にも署名する必要があると言われている。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)コミュニストと戦うために彼らは役に立つという理由からだという。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)
こうしたネットワークの中で最も知られているのはイタリアのグラディオ。1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾テロを繰り返していた。活動はイタリアの情報機関がコントロール、その上には米英の情報機関が存在していた。
フランスで1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)もその人脈に属していた。OASへ資金を流していたパイプのひとつ、パーミンデックスはジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。
こうした人脈が存在することは1947年6月にフランスの内務大臣だったエドアル・ドプが指摘している。政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたというのだ。しかも、その年の7月末か8月6日には米英両国の情報機関、つまりCIAとMI6と手を組んで秘密部隊はクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずになっていたと言われていた。
OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデターについて話し合っている。アルジェリアの主要都市を制圧した後でパリを制圧するという計画で、4月22日にクーデターは実行に移される。
CIAはクーデターを支援していたのだが、ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。アルジェリアにいるクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということだ。CIAは驚愕、クーデターは4日間で崩壊した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
その後、ド・ゴール大統領はフランスの情報機関SDECEの長官を解任、第11ショック・パラシュート大隊を解散させる。OASは1962年に休戦を宣言するが、ジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐に率いられた一派は同年8月22日にパリで大統領の暗殺を試みて失敗。暗殺計画に加わった人間は9月にパリで逮捕された。全員に死刑判決が言い渡されたが、実際に処刑されたのはバスチャン=チリー大佐だけだ。
暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリを追い出す。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年のこと。NATOへの完全復帰は2009年にニコラ・サルコジ政権が決めている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201807130000/
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政府紙幣を発行しようとするとロスチャイルドに暗殺される?
日銀が設立されたのは明治15年(1882年)に対してFRBが創られたのは1913年である。つまり日銀の方が古い。ただしFRB以前にも米国にはいくつかの中央銀行があり発券業務を行っていた。ただし当時の中央銀行は、政府から独立した完全な民間企業であった。
ちなみにこれらの銀行の株式のほとんどはロスチャイルド家(後にロックフェラー家も加わる)が握っていた。もっとも今日の米国連銀の大株主もロスチャイルド系とロックフェラー系の銀行である(連銀は100%民間資本であり、米政府は株式を持っていない)。
驚くことに日銀の株主にもロッフェラーやロスチャイルドの名があるという噂が根強くある(日銀の株式(出資証券)の55%は日本政府が所有しているが、残りの株主は明らかにされていないようで真相は分らない)。
政府の一部として金融政策を担う目的でFRB(理事や議長は大統領が任命し、議会が承認する)や日銀は設立された。これは発券業務だけを行うことを目的に自然発生的に生まれた欧州の中央銀行と違う点である。このせいか欧州の中央銀行が経済政策としての金融政策に躊躇してきた歴史がある。
ついでながら米国は英国から独立後も利息を払って英国の紙幣を使っていた(後にロスチャイルド家やロッフェラー家などが関係する民間銀行が発券業務を開始)。これも米国国民には発券業務をどこかが独占することに長い間抵抗のあったからである。
ただ米政府に通貨の発行権を取戻そうとした大統領が過去に三人いた。
16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディである。
実際、リンカーンはグリーンバックという政府紙幣を発行している。
政府紙幣にこだわったこの3人の大統領の全てが暗殺された話は有名である。
筆者も政府紙幣と声高に主張するのではなく、国債(永久債)の日銀買入程度に抑えておこう。
http://www.adpweb.com/eco/eco737.html
J・F・ケネディ-は FRBを公有化しようとして暗殺された。
その昔、ケネディ大統領が暗殺されますた。
なぜ暗殺されたのか、いろんな理由が取りざたされていますが、皆様はエグゼクティブオーダー11110というのをご存じでしょうか?
ケネディさんは、政府紙幣を言い出した。
エグゼクティブオーダー11110というのはFRBが持っている通貨発行権をFRB以外の政府財務省が発行できるようにしましょうという法案ですた。
ケネディさんは総額42億ドルの政府券を発行したと言われています。
これをやったので殺された。
当たり前です。
奴らの力の源泉はなんですか。
何度も書いています。前の記事にも書きますた。
通貨発行権
です。
この無から有を生み出す錬金術を使って奴らは世の中を支配している。
この錬金術さえあれば、誰が法律を作ろうが、何党が政権をとろうが関係ないという話です。
無限に金を生み出せるのですから至極当たり前のことだと思います。
エグゼクティブオーダー11110は、ケネディさんがFRB以外の政府財務省が発行できるようにしましょうという法案だったのですた。アメリカ政府版の通貨を取り戻せ!をやったのです。
これをやられてはたまらない。
奴らは自分たちの力の源泉、錬金術が奪われるのですから、一番恐れる話なのです。
だからこの法案を通したケネディさんは、法案を出すが早いか瞬速の速さで暗殺されてしまったのですた。
中川さんが金融相だった時、自民党は何を言い始めますたか。
政府紙幣。
ケネディさんと同じです。
ケネディさんと同じ虎の尾を踏んでしまった。
政府紙幣というのは実は奴らが一番困る話なのです。
景気悪化。もうだめだ。日本経済は終わりだ。
そんなことを言ってこの世の終わりのように思っている皆さんには信じられないかもしれませんが、単純明快に景気を回復させる方法があります。
ごく簡単な話です。
経済の仕組みを分かっていればすぐにできてしまう話なのです。
本当なのだからしょうがありません。
単純です。政府紙幣を発行する。それも減価通貨で。
ただそれだけです。
今、民主党さんの言う子供手当とかなんとか。福祉の財源はどうするんだ。という議論が起こっていますね。
財源は政府紙幣です。これを言うだけです。
現在、日本なら日銀が通貨発行権利を持っています。
もちろん世界の中央銀行システム。
ピラミッドの頂点にはスイスのBISが存在しています。日銀はその日本支部です。FRBはアメリカ支部。
日銀は奴らの出先機関であって、日本の機関ではない。奴らの機関です。
何を今さらな一般常識です。
今のあなた方が持っているお札は日本銀行が発行している券。
競馬をやるには馬券。行列に並ぶなら整理券。子供が親に渡すのは肩たたき券。
日本で物を買うなら日銀券です。
単なる紙っぺらです。
今まで政府は公共事業なり、子供手当なり、とにかくお金のかかることをやろうとすれば日銀からお金を借りなければなりませんですた。
日銀はと言えば、やっていることは輪転機を回して紙っぺらをバカスカ刷っているだけです。
元手なんてゼロです。紙代だけの紙っぺらに巨額の利子をつけて政府に貸し出している。
お馬鹿な話です。
しかし、政府紙幣ならそんなお馬鹿なペテン話に付き合う必要はまったくありません。
日銀なんかに借りる必要はない。日本政府が刷るお金、政府発行券、政府紙幣を作りますというだけです。
日銀がやってたことを政府がやる。政府がバカスカ札束を刷りまくるだけ。
財源は?と聞かれれば政府紙幣です。何か文句ある?
と言えば良いだけなのです。
単純明快なのです。
今まで日銀がやっていたことを政府がやる。
政府が紙幣を刷りまくったらインフレになるでしょという突っ込みもありそうですが、そんな心配はありません。
減価紙幣にすれば良いだけです。
減価紙幣とは一定期間、時間が過ぎるとお金の価値がゼロになってしまうお金のことです。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
ケネディさんのお父さんは禁酒法時代にお酒を売ってもうけたマフィアさんですた。
エリオットネスとアルカポネさんとの死闘。映画アンタッチャブルで有名ですね。
カナダのブロンフマン一族というのを知っていますか。お酒の密売王、ブロンフマン。
禁酒法時代に嫌というほど儲けた人達です。
イーディッシュ語でブロンフマンは「酒屋」です。まぁ、名前そのまんまなのですが。
ケネディさんは親子ともどもブロンフマンさんの手下だったのですた。
部ロンフマンさんについて書くと何回かに分けて書かねばならないのでまた別にするとして、ケネディはその酒屋さんファミリーに入って大統領になるまでお膳立てしてもらった。
なのに裏切って、理想に突き進んだのです。
世の中には勇気のある人もいるのです。
これ以上好き勝手にはさせん!やらせはせん!ケネディさんは立ちあがったのですた。まさに泥の中から出でる優曇華の花。
苦しめられるイタイケナ人々を見ていられなかったのでしょう。
奴らの中にはそういう善意に目覚める人だっているのです。
ワタスが人生捨てたものじゃないと思う瞬間です。
どんな悪人でも良心に目覚める場合もあるのです。
http://nobu369.blog11.fc2.com/blog-entry-1.html
■FRBは、米国政府の支配下にある国立の中央銀行ではなく、「欧米ユダヤ国際金融資本支配下の私有私立銀行」として設立されたゆえに、米国政府は1株も保有していない。
■「ロスチャイルドとロックフェラーが支配する民間銀行」と言えるFRBは、米国政府によって、米国通貨ドルの独占的発行権を与えられている。
<FRB制度とは>
連邦準備制度理事会(FRB)は、理事と協議しつつ連邦諮問評議会が行い、評議会は、連邦準備制の組織委員会で選定された(1914年)12の特権的都市の地区連邦準備銀行の役員によって選出される。
全米12の地区連邦準備銀行は、短期金利水準を決定し公開市場操作を行い、通貨の供給等を管理するが、その地区連邦準備銀行の中で、最大の銀行がNY連邦準備銀行。
NY連銀(1914年)の株主たる金融機関とは
(1) ロスチャイルド銀行(ロンドン)・・・ロスチャイルド系
(2) ロスチャイルド銀行(ベルリン)・・・ロスチャイルド系
(3) ラザール・フレール(パリ)・・・ロスチャイルド系
(4) イスラエル・モーゼス・シフ銀行(イタリア)・・・ロスチャイルド系
(5) ウォーバーグ銀行(アムステルダム)・・・ロスチャイルド系
(6) ウォーバーグ銀行(ハンブルグ)・・・ロスチャイルド系
(7) リーマン・ブラザーズ(ニューヨーク)・・・ロスチャイルド系
(8) クーン・ローブ銀行(ニューヨーク)・・・ロスチャイルド系
(9) ゴールドマン・サックス(ニューヨーク)・・・ロスチャイルド系
(10) チェース・マンハッタン銀行(ニューヨーク)・・・ロックフェラー系
現在のNY連銀の大株主は
JPモルガンチェース+シティバンク・・・53%(実質、ロスチャイルドとロックフェラーが支配)
【参考:日銀は?】
50%=財務省(旧大蔵省)
39%=ロスチャイルド
11%=内外大手金融機関ほか
http://blogs.yahoo.co.jp/kabushikisobatenbo/10121805.html
『ニューヨーク連邦準備銀行』は欧米の銀行が株の100%を保有していて、米国政府は1株も保有していません。上記の中でチェース・マンハッタン銀行が米国のロックフェラー系ですが、他はすべてがユダヤ系(ロスチャイルド系)と言われる金融機関です。つまり、外国の金融資本が米国の中央銀行を支配しているということになります。ロックフェラーはロスチャイルドの代理人であるという説もあります。ということは、全てロスチャイルドによって支配されているということなのでしょうか。
来年早々に起こるかもしれない世界恐慌は、ロスチャイルドによってシナリオが描かれたのでしょうか。彼らの独占欲は無限です。なんでもかんでも独占・寡占化していきます。彼らにとって、地球は小さすぎるのかもしれませんね。
http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/841598/
ロスチャイルド一族が世界を支配していると言っても、ほとんどの人は「そんなバカな」とか「くだらない陰謀論だ」と思うことだろう。
その原因は、ほとんどの人が「おカネのことを知らない」ためだと思われる。
「おカネのことぐらい知ってるよ」と思われることだろう。しかし、本当におカネの仕組みを理解している人は、この世にほとんどいないのが実状らしい。
国家を奴隷に
かくして銀行家カルテルは物質的な金に囚われることなく自らおカネを創り出し、それを誰にどれだけ分配するか決める権限を持ったのです。
このようにおカネの主流が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなりました。
ヨーロッパの君主たちは、お人好しにも、銀行家は大量の金を持っているのだと信じたのです。そして、国家がおカネを必要とし、しかし税収をもう上げられないとなると、銀行家から借りるしかないとなりました。
「借りる者は貸す人の奴隷となる」(旧約聖書)
こうして次々と“国家に対して貸付ける”ことによって、ロスチャイルド家は絶大な影響力を手に入れるようになったのです。
1815年、ロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めました。
1913年には米国に連邦準備制度(FRB)を設立し、米国の通貨発行権と管理権を手中に収めています。
21世紀初頭、ロスチャイルド家が中央銀行の所有権を持っていない国は、全世界でアフガニスタン、イラク、イラン、北朝鮮、スーダン、キューバ、リビアの七ヵ国だけでした。
その後、アフガニスタンそしてイラクに対する米国の侵攻により、現在では残り僅か五ヵ国のみになっています。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/hadano/rothschild/
ケネディを撃ったのは、運転手とグラシノールの丘の狙撃手です。
つまり、実行犯として逮捕されたオズワルドは、一切関係なかったというわけです。
この事件は、初めから計画されていたシナリオどおりの暗殺でした。
それにしても、ケネディは、なぜ暗殺されたのでしょうか?
理由の一つは、前にも述べましたが、人種差別問題、CIAとの確執、麻薬とマフィアの撲滅、軍需産業の縮小、ベトナム戦争撤退など、彼の政策は、シークレットガバメントに逆らう行為だったからです。
また、他にも彼は米政府を支配するシークレットガバメントから、自由を取り戻そうとしたり、
連中が支配している貨幣発行権を取り戻したり、
さらには、パレードの日に、シークレットガバメントの存在を、国民の前で発表しようとしていたのです。
だから、邪魔者とされ、この世から消されたのです。
ケネディは暗殺される前に、シークレットガバメントの存在を、彼の愛人だった「マリリン・モンロー」に話しています。
それを聞いたマリリン・モンローは、知人のジャーナリストに、そのことを電話で喋ってしまいました。
電話の内容は、CIAが盗聴。
マリリン・モンローもまた、邪魔者として暗殺されたというわけです。
〈マリリン・モンロー〉
ケネディが暗殺され、マリリンモンローが暗殺され、これだけでは終わりませんでした。
実はケネディの次男も殺され、
三男は車で秘書と共に海に転落させられ、秘書が死亡・・・
以後、その恐怖で三男は政界から去ってます。
マイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、ダイアナ妃、尾崎豊、中川昭一などは、
ケネディ同様にシークレットガバメントの命令で何者かによって暗殺された人たちです。
ファシズム国家である米国では、政府に反対する発言や行為は非常に危険で、それは警察や軍も敵に回すことになるのです。
ケネディ暗殺後、当時の副大統領だった「リンドン・ジョンソン」が中心となり、
ケネディ暗殺に関する資料や証拠物件をまとめた「ウォーレン報告書」という調査報告書が存在します。
この報告書には、事件の詳細を2万ページにも及んで記載しています。
が、その内容は未だ明らかにされていません。
〈ウォーレン報告書〉
副大統領だったリンドン・ジョンソンが、ケネディの後、大統領に就任しました。
ジョンソンは、フリーメイソンのメンバーでした。
シークレットガバメントは、彼が大統領に就任すれば、米国をコントロールするのに好都合だったのです。
だから彼をケネディの後の大統領に据えたのです。
http://sekainoura.net/oworen.html
マリリンを殺した4人の男たち
1960年代アメリカ暗殺史の系譜と符号
「1962年6月、モンローの女優としての評判は下降線を辿っていた。モンローはCIAと組織の陰謀を知っていた上、著しく精神の安定を欠いていた。7月にはボビー(ロバート・ケネディ)との関係も切れ『何もかもばらす』と脅しをかけるようになった。
彼女の電話を盗聴し逐一監視していたCIAは、復讐にかられた麻薬中毒のモンローに全てを暴露されることを恐れ、ムーニー(サム・ジアンカーナ)に彼女の始末を依頼した。
1963年8月5日、殺し屋たちは暗くなるのを待って、午前零時前に自宅に侵入した。すでに彼女はボビーの医師が鎮静剤を打っていたおかげで、ぐったりしていた。
彼らはマリリンを裸にすると、口をテープで封じ、医師が特別に処方したペントバルビタールの座薬を注入した。
口から致死量の睡眠薬を服用させれば嘔吐しかねないが、座薬は肛門膜組織から直接血管に吸収され、胃から検出されるものは何も無い。彼らは彼女が完全に意識を失ったのを確認すると、テープをはがしマリリンの口元をきれいに拭いて、そして静かに消えて行った」
---「DOUBLE CROSS」by Sam Giancana and Chuck Giancana P370-373より抜粋
モンローの死因を扱ったテレビ番組はこれまで何度か放映されてきたが、その決定的な真相に迫るものは何一つなかった。せいぜい死亡当日にボビーが彼女と言い争いをしていた程度に留まるもので、ためにボビー犯人説を示唆するという、無責任なものであった。
確かにボビーはモンローと会ってはいたが、司法長官という立場上からも暗殺までするとは考えられない。そのことを最も熟知し、徹底して利用したのがCIAだった。しかもCIAはFBIを使ってボビーが訪れた痕跡すら消して、その後の司法長官としてのボビーに圧力をかけるようになる。つまり恩を売ったわけだ。
しばらくは大人しくしていたボビーも、その潔癖な正義感から再び不正に挑むようになる。激怒した彼らは大統領でもあった兄を公開処刑してボビーに警鐘を鳴らす。自分たちに逆らう者はこうなるのだと・・・だが、ボビーはかえってそれを契機に発奮すると大統領選にうって出る。これこそが彼らが最も恐れていたことであった。再び闇の政府が始動する。その結果が1968年6月6日だった。
http://oriharu.net/gabana_n/zaakan/hibi0506/hibi-niisi-050607.htm
2039年の真実・ケネディ暗殺
本日は、政治も株式もお休みしてこの話題です。
ちょうど49年前の1963年11月22日(日本時間では翌23日未明)、米国35代大統領ジョン・F・ケネディが遊説先のテキサス州ダラス市で暗殺されました。
表題を「2039年の真実」としたのは、この事件に関する資料の機密指定解除が2039年と異常に長く設定されているからです。落合信彦氏が同題の本を書いています。
この話題を取り上げたのは、これを米国国家による陰謀・隠匿と決めつけるのは簡単なのですが、この機会にもう一度振り返ってみて米国という国の「言いようもない奥深い不気味さ」を感じたからです。
事件発生直前のケネディ大統領には、以下の「敵」がいたはずです。
まず大統領就任直後の1961年4月、キューバのカストロ政権を打倒するためにCIAが1600人もの亡命キューバ人をビックス湾に侵攻させたものの大失敗に終わりました。ケネディ大統領はCIAのアレン・ダレス長官やチャールズ・カベル副長官(実弟が暗殺時のダラス市長)らを解任し、同時に実弟のロバート・ケネディ司法長官に命じてCIAの不法行為を厳しく取り締まり始めました。
そもそもなぜCIAがキューバのカストロ政権を打倒しようとしたのかですが、カストロ以前のキューバは自由主義国でマフィアにとって大切な収益源でした。もともとマフィアと親密だったCIAも恩恵を受けていたはずで、ケネディはマフィアを厳しく取り締まると同時にCIAの解体も考えていたようです。
ケネディの父親ジョセフは禁酒法時代に酒の密輸で財をなしており、実際に息子の大統領選挙ではマフィアに協力を依頼していました。従ってマフィアにとってケネディ大統領の行動は裏切りでしかなかったことになります。
またケネディは当時のベトナム戦争を徐々に終結させようとしており、軍事予算を削り各種兵器の開発を中止しました。ケネディの存在は軍部・軍事産業全体(軍産複合体)にとって死活問題だったのです。
つまりCIA・マフィア・軍産複合体がケネディの敵だったのですが、これらも互いに密接な関係を持ち、また当時の米国政府や議会内にもこれらと親密な人物が数多くいたはずです。
ケネディがテキサス州のダラスを訪問した目的は、もちろん1年を切った次回の大統領選のためでした。前回の大統領選では地元のリンドン・ジョンソンを副大統領候補にしたもののテキサス州は僅差の辛勝で、ケネディ本人とテキサス州の民主党との関係は必ずしも良好ではなかったようです。想像を逞しくすれば、テキサス州ではリンドン・ジョンソン「大統領」待望論があったはずです。
さて事件は、ロシア亡命から帰国したリー・ハーヴェイ・オズワルドがパレード中のケネディ大統領に3発の銃弾を撃ち込んで暗殺し、逮捕されたオズワルドも2日後に何と警察署内でジャック・ルビーに射殺されました。
昇格したリンドン・ジョンソン大統領は、すぐに連邦最高裁判所長官のアール・ウォーレンを委員長とする調査委員会(ウォーレン委員会)を立ち上げます。約10か月後に出来上がった報告書ではオズワルドの単独犯行で一切の背後関係が無いとされていました。
唯一の証拠は、パレードの通り道にある教科書ビルの6階でオズワルドの指紋の付いたライフルと薬莢が3つ発見されたことです。
このライフル銃は第二次世界大戦時にイタリア軍が使っていた旧式のもので、オズワルドは19ドルほどで入手しています。これを報告書では5.7秒間で3発発射して2発を命中させたとしていますが、後ほど同条件でどんな名手が撃っても当たりませんでした。
さらにケネディの乗ったオープンカー(普通は防弾車を使うはずですが)にはコナリー・テキサス州知事(後に財務長官)も同乗して被弾しているのですが、実は委員会の調査中に「外れた」弾が1つでてきてしまい、ケネディが2発被弾しているため、コナリーを撃った弾丸の説明がつかなくなってしまいました。
そこで何とケネディの体を通過した弾丸がコナリーにも当たったという「魔法のような」説明で済ませています。
たまたまですが先導していたパトカーの無線がONのままで、ライフフルの発射音を捉えていますが「はっきりと5発」録音されています。音を分析すると「少なくとも2種類のライフルから発射されている」ようです。どう考えてもオズワルドの単独犯行ということは考えにくいのです。
改竄されたサプルーダーフィルムについて書く紙面が無くなってしまったので省きますが、ご興味のある方はネットにも出ていますので読んでみて下さい。
そして事件後の数年間で「目撃者」が少なくとも32人変死していることや、国立公文書館の機密資料も大半が「紛失」しているらしいことなどを考えると、2039年になっても何も解明されないような気がします。
そして現在もCIA・マフィア・軍産複合体は「健在」のままなのです。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-621.html
2039年の真実・ケネディ暗殺 その2 2013年11月26日
少し時間が過ぎてしまったのですが、1963年11月22日に米国第35代大統領のジョン・F・ケネディが遊説先のダラスで暗殺されてから、ちょうど50年がたちました。
また先日、ケネディ大統領の長女のキャロライン・ケネディ氏が駐日大使として着任しており、再び記憶が蘇ってきました。
昨年11月22日付け「2039年の真実・ケネディ暗殺」の続編です。ここでは軍産複合体、CIA、マフィアの「仕業」と思えるような状況について書いてありますので、併せて読んでください。
米国政府の正式な調査報告書であるウォーレン委員会報告書では、オズワルドの単独犯行で、一切の背後関係は発見されなかったとされていますが、それを信じている米国人はほとんどいません。
そこで昨年の記事で書ききれなかった内容の追加です。
ケネディが暗殺半年前の6月4日に、政府紙幣を発行する大統領令11110に署名したので、FRBを牛耳るユダヤ資本に暗殺されたという「陰謀論」があります。実際に42億ドルの政府紙幣が発行されていたのですが、ケネディの暗殺で全額が回収されてしまい、その後は発行されていません。
写真でみるとFRB発行のドル紙幣とほぼ同じデザインですが、FRBのマークの代わりにUnited States Note(政府券)と印刷されています。
それではどうしてケネディは、こんな中途半端な額の政府紙幣を発行したのでしょう?
確かにFRBは1913年に設立されたユダヤ系銀行が株主の「純粋の民間銀行」です。しかしそれだけでケネディはユダヤに対抗して通貨発行権を取り戻そうとしたというのも単純すぎます。ケネディが歴代大統領で唯一のカトリック教徒だから出てきた陰謀論でしょう。
FRBの発行するドル紙幣は、米国国債を小口・無記名・無利息に分割したもので、正確には通貨ではありません。米国憲法では通貨発行権は議会に属すると規定されているからです。しかしこのFRBが発行する「小口国債」が、世界で唯一の「米国の通貨」として流通しているのです。
米国では議会(立法)と政府(大統領・行政)の権限が厳格に区別されており、大統領には通貨発行権がありません。この大統領令11110とは、もともと憲法上で認められている政府紙幣の発行権限を、改めて確認しただけのようです。
現在でも政府は3億ドルを上限に政府紙幣の発行が認められています。
つまりケネディの大統領令11110は、FRBから「通貨」発行権を取り上げる目的でもなかったはずです。
繰り返しですがFRBは「通貨」を発行できません。しかし発行する「小口国債」が世界で唯一の「米国の通貨」として流通しているため、実質的には通貨発行権があることになります。しかし裏付けとなる米国国債を取得しなければならないので、「打ち出の小槌」を所有しているわけではありません。
どうもケネディが政府紙幣を発行したために暗殺されたというのも「無理」があるようです。
もう1つ、昨年の記事で書ききれなかったザプルーダー・フィルムについてです。
これはウォーレン委員会にも証拠として提出されており、数多くのコピーが「勝手に」作成されているのですが、どうも重要なコマが抜かれているようで肝心なところがギクシャクした動きになっていました。
しかし、コマが抜かれる前のフィルムとされるものがユーチューブにアップされています。確かに当時みたフィルムよりも動きがスムーズのようです。謎とされる晴天に黒い「コウモリ傘をさす男(?)」や、レインコートを着て合図を送るような男も映っています。
実際にみて確認してください。
ユーチューブはこちら→http://youtu.be/kq1PbgeBoQ4
いずれにしても、謎は永久に解明されないのでしょうね。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-956.html
歴史上最も有名な大統領令はケネディ大統領が発令したNo.11110で、政府(財務省)に政府紙幣を発行させるものでした。実際に42億ドルの政府紙幣が発行されました。
これがケネディ暗殺の最大の理由とも言われますが、2013年11月26日付け「2039年の真実・ケネディ暗殺 その2」にも書いてあるように、単なる陰謀論でしょう。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1922.html
2017.01.27
シークレット・サービスのベテランがヒラリー支持を表明、トランプ警護を全うしないことを示唆
アメリカの場合、大統領を含む要人の警護はシークレット・サービスの役割になっている。1865年に偽造通貨の取り締まりなどを目的として財務省の機関として創設され、大統領の警護が任務として定められたのは1951年のこと。現在は国土安全保障省(DHS)の指揮下にある。
その機関に23年近く所属しているというエージェントのケリー・オグラディが公務員の政治活動を規制するハッチ法を愚弄して大統領選挙の期間中にヒラリー・クリントン支持を表明、ドナルド・トランプが大統領になった場合、警護の責任を全うしないことを示唆していたとして問題になっている。
ジョン・F・ケネディ第35代大統領が1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された際、シークレット・サービスが大統領警護の任務を放棄していた疑いが持たれている。シークレット・サービスで最初のアフリカ系エージェントで、1961年にケネディの指名で大統領警護の任務に就いたアブラハム・ボールデンによると、機関の内部でもケネディ大統領を嫌う人物は多く、大統領が銃撃されたら道を空けるという「ジョーク」が雑談の中で口にされていたという。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008)実際、暗殺当日の映像を見るとシークレット・サービスの動きに疑問点がある。
大統領が暗殺された翌年、ボールデンは内部文書を関係者に売ろうとしたとして逮捕され、6年間を刑務所で暮らすことになった。ボールデン自身はこの疑惑を否定、でっち上げだとしている。ケネディ警護を担当していた一部エージェントによる過度の飲酒などの不品行をウォーレン委員会で証言しようとしていたという。
オグラディはトランプがアメリカやそこに住む女性や少数派にとって大きな災難をもたらすと主張しているが、人類を死滅させかねない核戦争については触れられていない。第2期目のビル・クリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権は露骨な軍事侵略を継続、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどを戦乱に巻き込み、破壊と殺戮の限りを尽くしてきた。その口実が人権、民主化、自由などだが、勿論、それは看板だけの話で中身は逆だ。別に「民主主義の押し売り」をしようとしているわけでもない。
政府機関の動きに疑惑が持たれているのはケネディ大統領の暗殺だけではない。公民権運動の指導者として知られているマーチン・ルーサー・キング牧師やケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディにも言える。
ベトナム戦争に関する国防総省の秘密文書、いわゆるペンタゴン・ペーパーズを明らかにしたことで知られているダニエル・エルズバーグは宣誓供述書の中で、キング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBIの捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだとする話を聞いたと語っている。この話は下院暗殺特別委員会のウォルター・ファウントロイ議員から話を聞いたブラディ・タイソンが話していたという。タイソンは国連大使だったアンドリュー・ヤングの側近だった人物だ。ただ、ファウントロイ議員は後にこの話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)
なお、エルズバーグはウィリアム・コルビーCIA長官の指示でペンタゴン・ペーパーズを公表したと言われ、この公表自体に裏の事情があるのだが、今回はそこへ足は踏み入れない。
キング牧師は1968年4月4日にテネシー州メンフィスで暗殺された。この時、軍の部隊も動いていたと言われている。1956年にバス内で引き起こされた人種差別に抗議して始めたバス・ボイコット運動から公民権運動を率いることになったキング牧師はその後、労働/貧困問題、そして反戦運動に取り組んでいく。
そのキングが1968年に殺された理由として指摘されている演説がある。1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会で行ったもので、ベトナム戦争に反対する声を上げようと訴えるものだった。
ちなみに、ケネディ大統領は暗殺される5カ月前の1963年6月10日、アメリカン大学の学位授与式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行っている。アメリカの軍部や情報機関の好戦派を押さえ込み、ソ連との核戦争を回避することに成功したケネディはパクス・アメリカーナ(超大国アメリカによる世界支配)を否定し、ソ連との平和共存を訴えたのである。
1968年3月にはロバート・ケネディ上院議員が大統領選に出馬すると表明、当選する可能性は高いと見られていた。キング牧師の弁護士だったウィリアム・ペッパーによると、ケネディ議員はキング牧師側に対し、彼が民主党の大統領候補になった場合に牧師を副大統領にしたいと打診してきたという。(John L. Potash, “Drugs as Weapons Against Us,” Trine Day, 2015)そのロバート議員は1968年6月5日に暗殺された。大統領に就任したなら兄の暗殺を再調査する意向を示していたとも言われている。
女性や少数派の差別に取り組むことは許されるが、労働問題に取り組んだり戦争に反対すると命が危うくなるように見える。それが支配のルールなのだろうか。そうした意味で、ロシアとの関係改善を公言しているトランプは危険な立場にいると言える。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701270000/
アメリカでは支配層が望む選挙結果以外は受け入れられない。例えば、1932年の大統領選挙でニューディール派でウォール街と対立関係にあったフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街はクーデターを計画している。これは失敗に終わったが、その頃はまだ支配層の力が足りなかったということだ。
ジョン・F・ケネディもそうして一例だろう。選挙戦ではタカ派的な言動をしていたケネディだが、大統領に就任してから巨大企業の行動を規制、通貨発行権を政府の手に取り戻そうと計画、キューバに対する軍事侵攻に反対、ソ連との平和共存を訴えていた。イスラエルのパレスチナ弾圧にも批判的だった。支配層にとって好ましくないこの大統領は暗殺によって排除されている。
被支配者である庶民が自分たちの計画に同意させる仕組みも重要。有力メディアやハリウッド映画を使ったプロパガンダ、教育という名の洗脳で庶民の意思をコントロールしようとしている。「安全保障」を口実にした情報の統制も人びとを操るために行っている。支配層による情報統制は1970年代から世界的な問題になっていたが、日本人は鈍感で、そうした話を「リベラル派」や「活動家」なども興味を持とうとしなかった。
第2次世界大戦の前からアメリカの支配層は有力メディアをプロパガンダ機関と見なしていた。ルーズベルトを大統領の座から引きずり下ろし、ファシズム政権を樹立しようというクーデターを計画した際、新聞で偽情報を流すことも計画に含まれていた。
大戦後、ウォール街は組織的な情報統制に乗り出す。そこで始められたプロジェクトがモッキンバードで、アレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムが中核グループを形成している。ダレスは破壊工作のドン的な存在で、ウィズナーやヘルムズはその側近。グラハムも大戦中、情報活動に従事していた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
ヘルムズがCIA長官だった時期にウォーターゲート事件が起こり、ワシントン・ポスト紙が「大統領の犯罪」を追及、デタント(緊張緩和)を打ち出していたリチャード・ニクソンを排除することに成功した。その時の社主はフィリップと結婚していたキャサリン・グラハム。世界銀行の初代総裁だったユージン・メイアーの娘だ。
同紙でこのスキャンダルを追いかけたのは若手記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインだが、バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
しかし、アメリカで報道統制が強化されるのはその後。ベトナム戦争でアメリカが敗北したのは国内で反戦運動のためだと好戦派は考え、運動を激しくした責任は戦場の実態を伝えるメディアにあると評価した。自立したジャーナリストは邪魔な存在だと支配層は考え、統制を強化していく。
先日、心臓発作で急死したウド・ウルフコテはドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者だが、彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に嘘を教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないこと。多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。その結果、ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっていると考え、2014年2月にこの問題に関する本を出したという。
西側、特にアメリカの有力メディアを有り難がる「リベラル派」や「革新勢力」がいたとするなら、一種の「トロイの木馬」だと思った方が良いだろう。ラベルで騙すのはアメリカ支配層の得意技だ。
TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)も巨大資本が国を支配する仕組みで、被支配階級、つまり大多数の人間から基本的な権利は奪われてしまう。フランクリン・ルーズベルトの定義によると、この仕組みはファシズムにほかならない。
1953年のイラン、54年のグアテマラ、60年のコンゴ、73年のチリは悪名高い。2003年にジョージア(グルジア)で実行されたバラ革命、2004年から05年にかけてウクライナで行われたオレンジ革命もそうだと言える。最近では2013年から14年にかけてネオ・ナチを使って成功させたウクライナのクーデター、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ったリビアやシリアに対する軍事侵略も選挙結果の否定にほかならない。民主主義の破壊とも言える。アメリカの支配層は反民主主義なのだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701270000/
アレン・ダレスやライマン・レムニッツァーと同じようにソ連を先制核攻撃しようと目論んでいたひとりがカーティス・ルメイ。この好戦派グループとケネディ大統領は対立、キューバ侵攻作戦ではアメリカ軍が軍事侵攻することを認めず、ミサイル危機を話し合いで解決する。つまり、ソ連を攻撃するチャンスを潰してしまった。
アメリカ軍がキューバ軍を装って「テロ」を繰り返し、キューバに軍事侵攻するというストーリーのノースウッズ作戦も拒否した大統領はダレスをはじめとするCIA幹部を解任、レムニッツァーの議長再任を認めない。レムニッツァーはNATOを指揮するようになるが、NATOには秘密部隊が存在、イタリアやフランスで要人暗殺や擬装テロを繰り返すことになる。
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。
アメリカの支配層にとって核兵器は一貫して攻撃のためのもの。これが「抑止力」や「核の傘」の実態だ。守りという点から考えると沖縄に基地を集中させるのは得策でないが、使い捨ての出撃基地だと考えれば納得できる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708070000/
2017.09.27
イスラエルにコントロールされているイラクのクルドが「独立」すれば「第2のイスラエル」になる
イラクのクルド組織が「独立」を問う住民投票を実施、圧倒的な多数が賛成したようだ。アメリカに侵略されて破壊されたイラクの現状、投票の仕組みを考えれば当然の結果だろう。
圧倒的な多数が独立に賛成したという点はクリミアに似ているが、両者は決定的に違う。クリミアはキエフでネオ・ナチが成功させたクーデターに反対しての行動だったが、クルドの場合はアメリカやイスラエルの中東支配のために行動しているからだ。前者は侵略に反対してのことであり、後者は侵略の一環だ。クルドの独立国家ができたなら「第2のイスラエル」になる。
前にも書いたが、イラクのクルドは遅くとも1960年代からイスラエルの支配下にある。当時の指導者、ムラー・バルザニはイスラエルの情報機関、モサドのオフィサーになったとも言われている人物だが、その息子、マスード・バルザニは現在の指導者。イスラエルはクルドを支援する目的でクルドが盗掘した石油を買っている。
西側の政府や有力メディアはイスラエルの利益になる組織や人物は実態に関係なく、好意的に扱う。そのため、クルドも英雄的なおとぎ話の主人公として語られてきた。
21世紀だけでもイラクやシリアをはじめとする中東、リビアがある北アフリカ、ロシアに接したウクライナなどを侵略、破壊と殺戮を繰り広げてきたアメリカはイスラエルの強い影響下にある。議員の圧倒的多数はイスラエルの忠実な僕だ。
アメリカがイスラエルに逆らわなくなるのは1967年からだと言えるだろう。1963年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領は生前、イスラエルの核兵器開発には厳しい姿勢で臨んでいる。同国のダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙をケネディ大統領は送りつけているのだ。核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告していた。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)
それだけでなく、ケネディ大統領は「イスラエル建国」のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持していた。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)
ケネディ暗殺を受け、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは上院議員の時代から親イスラエルで知られ、そのスポンサーはイスラエルの建国や核兵器開発のスポンサーだった富豪のエイブ・フェインバーグ。ハリー・トルーマンのスポンサーでもあった。フェインバーグと並ぶイスラエルの後ろ盾と言える人物はフランスを拠点にしていたエドモンド・アドフル・ド・ロスチャイルド。そのシオニズム信仰は祖父譲りのようだ。
親イスラエルのジョンソンが大統領だった1967年6月8日、アメリカ海軍の情報収集戦、リバティがイスラエル軍に攻撃されている。乗組員のうち34名が死亡、171名が負傷しているが、イスラエル軍の執拗な攻撃は船を沈没させ、乗組員を皆殺しにすることが目的だった可能性がきわめて高い。
アメリカとイスラエルはこれを「誤爆」で処理したが、アメリカの艦船だと報告、命令に背いて攻撃しなかったイスラエル軍のパイロットは処罰されている。状況から考えてもアメリカの情報収集戦だということをわかった上での攻撃だった。
この攻撃で沈没を免れたリバティは壊された通信機器を修理、第6艦隊へ救援を要請、すぐに空母サラトガから複数の戦闘機が向かおうとしたのだが、艦隊司令官やホワイトハウスは引き返すように命令している。救援に向かうのはその約1時間後だった。
この時の遣り取りは近くにいたアメリカ海軍の潜水艦や上空を飛んでいた電子偵察機が記録していたが、命令でデータは破棄され、リバティの乗組員には沈黙が命じられた。そうした隠蔽工作の責任者だった人物はジョン・マケイン・ジュニア(ジョン・マケイン上院議員の父親)だ。
実は、攻撃の2カ月前、ジョンソン政権で秘密工作を統括していた303委員会がフロントレット 615という計画を始めている。イスラエル政府の一部と手を組み、アメリカ軍がエジプトとの戦争に介入する口実を作ることが目的だった。その一部、サイアナイド(シアン化合物)作戦でリバティを沈没させようとしたと言われている。
しかし、リバティを沈没させられず、生存者がいたことから作戦は破綻してしまった。もし、計画通り沈没させていたなら、ソ連とアメリカとの核戦争が始まっていただろう。イスラエルはアメリカ支配層の弱みを握ったとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709270000/
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2017.10.21
選挙だけで国の行く末を変えることはできず、事態が悪化してきたことを過去の出来事は教えている
投票日が近づいているが、選挙だけで国の行く末を決められるとは言えない。「自由と民主主義の国」だと宣伝されているアメリカでは事実上、選択肢は民主党と共和党という大差のない政党だけ。この2党に属さない大統領が誕生する可能性があったのは2000年の選挙だが、このときは最有力候補と言われていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。
より露骨な形で排除されそうになったり、排除された大統領も存在する。例えば、ウォール街と対立関係にあったニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の選挙で大統領に選ばれると、33年から34年にかけてウォール街の大物たちはクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、記録に残っている。金融資本、巨大鉄鋼会社、情報機関や軍の好戦派、イスラエルなど少なからぬ敵がいたジョン・F・ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。
日本の場合、明治維新からイギリスやアメリカの強い影響下にある。アメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本に君臨するようにあったのは関東大震災から。1932年にはウォール街の影響下にあったハーバート・フーバー大統領がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーを大使として日本へ送り込んできた。
このグルーが結婚したアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで九条節子、後の貞明皇后と親しくなったと言われている。
グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)のだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、その翌年6月に離日する直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
言うまでもなく、岸信介の孫が安倍晋三。安倍は「戦前レジーム」を復活させたいようだが、その体制とはウォール街に支配された天皇制官僚国家だ。ニューディール派が実権を握った期間だけ、この構図が崩れた。
第2次世界大戦後の日本を形作る司令塔的な役割を果たしたグループが存在する。ジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物がジョセフ・グルー。アメリカのハリー・トルーマン政権ががあわてて作った現行憲法の第1条は天皇制存続の宣言で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。「神聖にして侵すべからざる存在」から「象徴」へタグは取り替えられたものの、その本質に根本的な変化はなかった。
日本が降伏した直後はアメリカの影響力が圧倒的に強かったが、時間を経るに従って日本の戦争責任を追及するであろう国の影響が強まってくることが予想された。当然、天皇の戦争責任が問われることになる。その前に「禊ぎ」を済ませる必要がある。日本国憲法にしろ、東京裁判にしろ、「天皇制」の存続が重要な目的だったのだろう。
比較的日本に寛容だったと思われるアメリカ軍の内部にも厳しい意見はあった。そのターゲットのひとつが靖国神社。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していた。それをブルーノ・ビッテル(ビッター)の働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
このビッターはカトリックの聖職者で、ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされている。ジョバンニ・モンティニ(後のローマ教皇パウロ六世)を除くと、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ最も重要な人物。ビッターもCIAにつながっている可能性は高い。
1953年秋にリチャード・ニクソン副大統領が来日、バンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と伝えられている。この席にビッターもいたという。ドワイト・アイゼンハワー大統領がニクソンを副大統領に選んだ理由は、ニクソンが闇資金を動かしていたからだと言われている。
そのビッターはニクソンと会談した2カ月後、霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だったが、ビッターが逮捕されたときに押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、闇ドルに関する捜査は打ち切りになってしまう。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。
日本では天皇制官僚国家という型を壊すことは許されない。「左翼」とか「リベラル」というタグをつけていても、この型から抜け出さなければ許される。
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モンローの肉体を嘗めたユダヤ人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の糸 (後編)
ゴイム(異教徒)を妻にするユダヤ人
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マリリン・モンロー
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テレビ東京が2013年頃、朝の時間帯に昔懐かしい「奥様は魔女(Bewitched)」を再放送していた。綺麗なカラー映像に修正されたコメディー番組を観た方も多いんじゃないか。
このアメリカ・ドラマは元々、昭和40年代に放送されたシットコム・コメディーで、主役のサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth V. Montgomery)とダーリン役を演じたディック・ヨーク(Dick York)は今でも有名だ。義母のエンドラを演じたアグネス・モアヘッド(Agnes Moorehead)も意地悪の魔女が板に付いていて、とても印象に残る女優であった。米国にはこういった雰囲気を醸し出す、憎いくらい上手な演技をする脇役がいるからすごい。人気ドラマ「ダイナスティー」のジョアン・コリンズ(Joan Collins)みたいな実力派がいるから、ややもすると緩みがちな連続ドラマが引き締まる。
ちなみに、今回「奥様は魔女」を調べてみたら、日本版も制作されていたそうで、人気女優の米倉涼子がサマンサ役を演じていたそうだ。知らなかった。まさか日本人バージョンがあったなんて。観てないから何とも言えないが、おそらく駄作なんじゃないか。日本人がアメリカドラマを模倣して成功した例は少ないだろう。
ドラマじゃないけど、以前に野口五郎がサンタナのヒット曲「スムーズ(Smooth)」を拝借し、「恋はメラメラ」という題にして唄っていた。サンタナのオリジナル版では、人気歌手のロブ・トーマス(Rob Thomas)を起用して素晴らしい出来だったが、野口五郎の方は一度聴けば恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほどの代物である。元曲をあれほど無惨にしたカヴァー曲も珍しい。
脇道に逸れたから話を戻すと、ドラマの中で美人妻を演じたエリザベス・モンゴメリーは、何とプロデューサーのウィリアム・アッシャー(William Asher)と結婚していたのだ。
彼はユダヤ人の父親とカトリック信徒の母親を持つユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤ人支配のハリウッドでは一般的にユダヤ人制作者と見なされていた。
我々とってショックなのは、貞淑な妻を演じていたエリザベスが、私生活では同性愛者や妊娠中絶を支持する筋金入りの左翼活動家であったことだ。確かに、「奥様は魔女」の中にも人種差別を取り上げたエピソードがあって、黒人を対等に扱うサマンサの姿があった。今から思えば、1960年代後半から1970年代にかけて放送されていた番組だから、リベラル色が強くてもしょうがないと考えられるが、「奥様は左翼だった」じゃ笑えない。
それにしても、売れっ子女優がユダヤ人プロデューサーと結婚するなんて、いかにもハリウッドらしい現象である。もし、彼女が一般人女性のままだったら、ユダヤ人と結婚せずに普通の白人男性と結婚していたんじゃないか。
こんな異人種間結婚を見ているから、ユダヤ人に警戒心を抱く西歐系白人や、藝能界に入りたがる娘を叱る親がいるのだろう。仔羊を狼の群れに解き放つようなものだから、まともな親が反対するのも無理はない。それに、生まれてくる孫がユダヤ人の血統なんて考えただけでも恐ろしい。
左: エリザベス・モンゴメリー
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中央: ウィリアム・アッシャー
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右: 「奥様は魔女」
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マリリン・モンローを取り巻くユダヤ人
ユダヤ人がうじゃうじゃいるハリウッド村は、藝能界というより匪賊や傭兵がたむろする無法地帯と考えた方が的確である。こんな蟻地獄に入って行く若者が跡を断たないんだから、エンターテイメント業界は麻薬に満ちた魔界と呼んでもいい。
米国史の中でも輝かしい1960年代、後世に名を残すこととなった人気女優マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)も、ユダヤ人の魔の手に落ちた悲惨な一例であった。
父親は不明だが、グレイディス・パール・ベイカー(Gladys Pearl Baker)の娘として生まれた、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jean Baker)は、義父の「モンロー」姓をつけて藝能界にデビューした。
彼女はラルフ・グリーンソン(Ralph Greenson/ 本名Romeo Greenschpoon)という名うてのユダヤ人を自分の精神科医として雇っていた。このユダヤ人はモンローが自殺した時のセラピストであった。彼はマリリンの精神を安定させるために、過度な薬物治療を行っていたらしい。何かマイケル・ジャクソンに「プロポフォル(propofol)」を過剰投与したコンラッド・マレー(Conrad Murray)医師を思い出してしまう。
こんな麻酔薬(鎮静薬)を個人の邸宅で与えてしまうなんて信じられないが、アメリカという異常な国では非常識が罷り通る。たぶん、グリーンソンも自信満々の医師で、どんどん睡眠導入剤や鎮静剤をマリリンに与えていたのだろう。彼女の友人が証言していたが、マリリンはグリーンソンに会えば会うほど衰弱していったそうだ。
マリリンの周りには矢鱈とユダヤ人が多かった。グリーンソンの妹エリザベスは、ユダヤ人ミルトン・ミッキー・ラディン(Milton “Mickey ” Rudin)と結婚しており、そのラディンは有力な人脈を持ち、エンターテイメント業界で活躍する法律家であった。そして、彼はマリリンの顧問弁護士も務めていたのである。彼女と昵懇の出版業者アーサー・ジェイコブズ(Arthur Jacobs)や、娯楽企業のMCAで彼女のエージェントを務めるジェイ・カンター(Jay Kantor)とモート・ヴィナー(Mort Viner)もユダヤ人だった。
出演作でもユダヤ人監督に重宝されており、「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」ではビリー・ワイルダー(Billy Wilder)が監督だったことは有名だ。「恋をしましょう」だとジョージ・クコー(George Cukor)が監督で、「帰らざる河」ではオットー・プレミンジャー(Otto Preminger)が総指揮を執っていた。マリリンの個人マネージャーのナターシャ・ライテス(Natasha Lytess)もユダヤ人で、いつも一緒にいたから、二人はレズビアンの関係か、と疑われるくらいだった。また、ユダヤ人写真家のミルトン・グリーン(Milton Greene)も、マリリンのマネージャーになって親しく付き合っていたから、彼女との仲を噂にする者もいたという。
売春の伝統が根強い韓国では、体で仕事を取る藝能人が多いそうで、悲惨な運命を辿った女性も少なくない。
我が国の藝能界でも所謂「枕営業」があるそうで、さほど人気のない女性藝人は、演技力や歌唱力よりも、有力制作者とか大御所に体を提供して、望む仕事を獲得するらしい。
マリリン・モンローも名声と幸運を摑むために、誰彼となくベッドを共にしたという。
ユダヤ人が跋扈(ばっこ)するハリウッドだから、マリリンが「春」を売った相手も当然ユダヤ人だった。ユダヤ人のテッド・ジョーダンによると、マリリンはキャリアを進展させる為なら誰とでも寝たそうだ。
(Ted Jordan, Norma Jean: My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.121)
また、アンソニー・サマーズ(Anthony Summers)によれば、彼女がフォックス社と最初のコンタクトを持った時、そのキーパーソンはベン・リヨン(Ben Lyon)で、彼もマリリンと性的関係を持っていたらしい。シェイラ・グラハム(Sheila Graham)も、マリリンが未来のキャリアの為にリヨンと寝たことを述べている。
マリリンの肉体を堪能したリヨンは、キャスティング・ディレクターのソル・ウルツェル(Sol Wurtzel)を呼びつけ、「デインジャラス・イヤーズ」という1947の映画で使ってやれと命じ、マリリンはちょっとした脇役を与えられたという。何とも生々しい裏話だが、藝能界って多かれ少なかれ、こんな横槍が入ってくる。
大物プロデューサーがいきなり素人の小娘をドラマに押し込んだり、ニュース番組の「お天気お姉さん」に任命したり、とやりたい放題の横暴をはたらく。周りのスタッフは大迷惑だけど、有力者に睨まれたら自分の出世が危なくなるから、長いものに巻かれてしまうのだ。
視聴者だって、あまり人気のない女優がどこからともなく新ドラマに抜擢されるから、「どうしてこんな女優が、いきなり重要キャストに抜擢されたんだ?」と訝(いぶか)しく思うだろう。でも、「大人の事情」が絡んでいるから仕方がない。
中央: ナターシャ・ライテスとマリリン・モンロー
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「美女と野獣」という映画があったけど、美女のマリリンに群がる野獣は本当に多かった。
被服業界の大御所たるヘンリー・ローゼンフェルド(Henry Rosenfeld)も、白くて美しい肌を嘗(な)めた薄汚いユダヤ人の一人だった。彼はアトランティック・シティーにある自宅にマリリンを招き、自分のスピード・ボートに乗せて、甘い一晩を過ごしたそうだ。
マリリンは映画業界で顔が利く、悪名高いユダヤ人ギャングのバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)とも寝ていたらしい。彼の伝記は映画化されたので、このシーゲルについて知っている日本人もたくさんいるんじゃないか。日本もそうだが、藝能界と暴力団は裏で繋がっているから、堅気の人間が毛嫌いするのも分かる気がする。
マリリンのセックス・ライフは10代の頃から既に始まっており、17歳の時にはテッド・ジョーダン(Ted Jordan / 本名 Edward Friedman)と交際していて、彼は後に『ノーマ・ジーン』という本を書いて、マリリンとの性生活を暴露していた。
このジョーダンにはテッド・ルイス(Ted Lewis / 本名 Theodore Leopold Friedman)というミュージシャンの叔父がいて、マリリンはこのルイスとも寝ていたというのだ。彼女が麻薬を覚えたのは、このルイスからであった。本当に腐った奴らである。
後に有名女優となる野心家のノーマ・ジーンは、のし上がるためには何でもすると心に決めており、ジョーダンにも、誰とでもセックスをするし、その心構えもできている、と語っていたそうだ。
そこで有言実行のマリリンは、著名なゴシップ・コラムニストで、ユダヤ人のウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)と寝たらしい。しかし、一介のコラムニストと性交したくらいでは、ハリウッドで大女優にはなれない。
まだ無名のマリリンはコロンビア・ピクチャーズのハリー・コーン(Harry Cohn)社長に近づいた。「またユダヤ人か !」とウンザリするが、映画会社の社長や重役にはユダヤ人が多いからしょうがない。
このユダヤ人社長はマリリンを自分のヨットに乗せ、夜のクルージングに誘ったそうだ。美しい獲物を捕まえたコーンは、マリリンに向かって服を脱げ、と命じたという。彼女は言わるままに服をぬぎ始めた。すると、あろうことか、この助平ユダヤ人は、自分のペニスを握りながら彼女に近寄ってきたのだ。
大抵の女性なら、「えっぇぇ!! 何 ! 嫌だ!!!」と真っ青になって叫ぶだろう。マリリンも同じで、彼女はコーンを拒絶したそうだ。そりゃそうだろう。こんな変態ユダヤ人とセックスするなんて、どこか精神が異常じゃないとできない。
マリリンに肘鉄を食らったコーンは、とても激怒したそうで、マリリンは「あんなに怒った人を見たことがない」、と語っていたそうだ。
(Ted Jordan, Norma Jean : My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.91)
左: マリリン
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自分のペニスを握って近寄ってくるユダヤ人なんて、想像しただけでも背筋に戦慄が走る。いくら出世のためとはいえ、マリリンの眼に映る発情したコーンの姿は、余りにも酷かったのだろう。若い娘なら当然である。
しかし、権力者を怒らせたマリリンは、コーンからの報復を受けた。彼女はコロンビアの撮影所に出入りすることを禁じられたそうである。かつて、マリリンは藝能界の実情を語っていた。
プロデューサーが女優に台本に関して話があるからオフィスに来いという時があるでしょう。でもね、それは台本の打ち合わせじゃないのよ。・・・私はプロデューサーたちと寝たわ。もし、寝ていないと言ったら嘘になるもの。
1955年に20世紀フォックス社と大きな契約を結んだ時、彼女はようやく不動の地位を手にした女優になれた。そして、マリリンはこう呟いたという。
「私はもう二度と、あいつ等のペニスをしゃぶらないわ」、と。
マリリンは年を重ねる毎に反ユダヤ的感情が募ったようで、大御所のジョー・シェンク(Joe Schenck)のことを「あの糞ユダ公(that Jew shit)」と呼んでいたらしい。他のハリウッド・ユダヤ人に対しても、「あのユダ公 ! とか、このユダ公 !」と罵っていたようだ。しかし、彼女は後にユダヤ教に改宗するが、この反ユダヤ感情は妨げにならなかったらしい。やはり、女優の頭はどこか普通と違うのだろう。
中央と右: マリリン・モンロー
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マリリンは性的に弄ばれていたが、政治的にも利用されていたようだ。精神科医のラルフ・グリーンソンは、彼女の指導者みたいな身分になっていたが、彼には別の顔があった。このユダヤ人は積極的な共産党員で、コミンテルンにも係わっていたという。そして、彼の妹エリザベスの証言によれば、兄のラルフは熱心なシオニストで、イスラエルとの太いパイプを持っていたそうだ。
まったく、ユダヤ人のコミュニストって本当に多いんだから嫌になる。かつて、ハリウッドの共産主義者をあぶり出す「赤狩り」が行われたけど、真っ赤なユダヤ人の映画監督や脚本家、プロデューサーなどが至る所にいたから、保守派のアメリカ人が怪しんだのも当然である。
よく知られているのは、左派が多数を占めるユダヤ人に対するチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の警告である。この「アメリカ第一主義」を掲げる大空の英雄はこう述べた。
ユダヤ人は我が国にとって最大の脅威である。彼らは我々の映画界、出版界、ラジオ局で広範囲な所有権を持ち、我々の政府において絶大な影響力を行使しているのだ。
(Harold Brackman, The Attack on “Jewish Hollywood”: A Chapter in the History of Modern American Anti-Semitism, Modern Judaism, Vol. 20 , 2000,p.5.)
ユダヤ人の害悪については、リンドバーグのみならず、他の議員も警戒心を強めていた。例えば、ミュズーリ州選出のジョン・ランキン(John Rankin)下院議員は、ユダヤ人が合衆国政府の転覆を狙った最大の陰謀の一つに責任がある、までと述べていたのである。また、彼は大胆さを以て、米国においてユダヤ人は反政府活動の温床である、と喝破していたのだ。 現在の政治家なら絶対に口に出来ぬ発言である。しかし、当時のアメリカには、まだ言論の自由が残されていた。保守派のアメリカ人が1950年代を懐かしんだのも理解できよう。
ついでに言えば、マリリンと結婚した三番目の夫アーサー・ミラー(Arthur Miller)は、ユダヤ人の劇作家であったが、これまたハリウッドのユダヤ人らしく極左活動家で、黒人に対する人種差別に反対し、労働活動にも熱心に係わっていた人物である。彼も真っ赤なユダヤ人仲間を持っていたので、反共の闘士ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)議員に目を附けられていた。彼は下院の反アメリカ活動調査委員会に召喚されたことがあるが、仲間を裏切ることを拒否し、断じて口を割らなかったという。ユダヤ人にとったら、愛国心よりも同胞愛の方が大切だからねぇ。
マリリンがセックスした中で最も権力を持っていた男と言えば、やはりジョン・F・ケネディー大統領だろう。
大統領と姦通したマリリンがもたらす寝物語は、グリーソソンにとって貴重な情報源となったはずだ。いくら大統領とはいえ、惚れた女とベッドを共にすれば、何てことはない雑談の中で、国家機密に繋がる重要な情報を漏らすことだってあり得る。当時は冷戦真っ只中。合衆国大統領がどんな考えなのかを直に知る絶好の機会だ。
特に、コミュニストのグリーンソンは、ソ連やキューバに対する外交方針や、イスラエルに関する大統領の考えを知りたかったはず。だから、セラピストのグリーンソンに何でも打ち明ける、警戒心が全く無いマリリンは「便利な馬鹿(useful idiot)」だった。
大女優になっても精神的に不安を抱えるマリリンは、何でも医者に頼る癖がついていたという。当時のハリウッドでは、リー・シュトラスバーグ(Lee Strasberg)という精神分析医が非常に持て囃されていた。大物俳優といえども、人には言えぬ悩みを抱えているだろうから、誰かしら相談役になる人が必要だったのであろう。だから、こうした弱点を持つ有名人を食い物にするセラピストがいたのも当然で、こうした悪徳医は患者にとっての「神」を演じていたのである。
自分の判断一つで大女優や二枚目男優を操ることができたから嬉しくてたまらない。名優のマーロン・ブランドーには、ベラ・ミッテルマンという精神科医がついていたが、ブランドーはシュトラスバーグについても述べていた。ブランドーの評価では、シュトラスバーグは俳優が集まるスタジオに来る人々を餌食にする冷血漢であったという。しかも、相当な野心家で自分勝手ときている。
彼は自分自身を、まるで神託を告げる司祭か、新興宗教の教祖のように思っていたらしい。彼にたぶらかされた人々は、シュトラスバーグをラビ(ユダヤ教の教師)の如く崇めていたという。ところが、マリリンはこんな類いの精神科医に傾いていたのだ。
日本でもよく藝人が、怪しい霊媒師とか占い師に嵌まることがあるけど、アメリカでも似たような事が多い。マリリンはフロイトの精神分析にも興味を示したそうで、彼女は実際フロイドの娘アンナ・フロイトにロンドンで会っていた。彼女の診断でも、マリリンは相当精神を病んでいたらしい。
左: マーロン・ブランドー
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右: マリリン
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精神的に不安定なマリリンだったから、薬の過剰摂取で死亡したのだろう。だが、彼女はある意味、主治医のハイマン・エンゲルバーグ(Hyman Engelberg)とセラピストのラルフ・グリーソンに殺されたようなものだ。グリーンソンは助手に鎮静剤の投与を指示していたのだ。しかし、投与されたバルビツール酸系薬が多すぎたため、マリリンは副作用を起こして心不全となり、若くしてこの世を去ることになった。助手からの報告を受けたグリーンソンが、彼女の部屋に駆けつけた時には、既にマリリンは死亡していたという。
後に、色々な陰謀説が囁かれたが、実際は薬物中毒による死亡である。それにしても、哀れな最期だ。おぞましい枕営業を経て、大女優への道を駆け上ったのに、その栄光を味わう精神が衰弱していたのとは。
華やかな藝能生活を送っていた人気女優が、裏では薬漬けの日々を送っていたのだ。何の苦労だったのか分からなくなる。
右: マリリンとジョー・ディマジオ
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何はともあれ、マリリンの人生には色々な男がいた。映画界の大物やマフィアのギャングと寝ていたかと思えば、野球選手のジョー・ディマジオと再婚したり、はたまたフランク・シナトラと浮き名を流したり、と寄り添う男の幅が広い。
中でも、ジョン・F・ケネディーとロバート・ケネディーとのダブル不倫は有名だ。
英雄は色を好むと言うが、このケネディー兄弟は異常である。
世間はハーバード大卒の爽やかな紳士と評するが、一皮剝けば下半身がだらしないアイリス系移民の倅(せがれ)たちである。兄が肉体関係を結んだ女に、弟も手をつけるなんて、恥知らずというか変態に近い。
一方、マリリンにも倫理観がこれっぽっちも無かった。女房や子供を持つ男と姦通しても平気なんだから。これではユダヤ人たちがマリリンのことを「シクサ(Shiksa)」、則ち「穢れたケダモノ」と呼んでも致し方ないじゃないか。
マリリンからすれば、男を踏み台にして出世したつもりだろうが、セックス相手からすれば、精液を噴射できる共同便所に過ぎない。
ただ、ユダヤ人に蔑まれながらも、ユダヤ人のアーサー・ミラーが結婚してくれたんだから、これだけでも彼女にとって救いになる。たぶん、ミラーは本気で彼女のことを愛していたのだろう。
ただし、ミラーがマリリンのことを「トロフィー・ワイフ」と見なしていたら残念だ。仮に、そうであっても仕方がない面もある。冴えない容姿のユダヤ人作家が、世間が持て囃す金髪美女を手に入れたのだ。親戚や友人に自慢したくなるのも無理はない。三番目の旦那なんだから、マリリンだって贅沢な要求はできないだろう。
凌辱される同胞の女性
マリリン・モンローが送った波瀾万丈の人生は、多くの事を我々に教えてくれる。
まづ、藝能界はヤクザの世界、ということだ。堅気の娘が足を踏み入れる職場ではない。
ハリウッドは賤しいユダヤ移民が築き上げた悖徳の帝國で、当初はアメリカ白人に媚びて映画界の社会的イメージを向上させたが、一旦巨大な帝國が出来上がれば、そこに飛び込んでくる白人娘を娼婦と見なした。
憧れのハリウッドに旅立つ女優の卵は、狼の群れに迷い込むひよこと同じだ。
映画での配役を獲得すべく、ユダヤ人達に“輪姦”されても、必要経費としか考えない。娘の藝能界入りを許した両親は、娘が裏で凌辱されている事に気づかないんだから、まさに「知らぬが仏」だ。
日本人の親も充分認識すべき現実である。娘がモデルとかアイドル、女優になりたいと言い出し、それを許すなら、可愛い娘を穢らわしいヤクザや下劣な朝鮮人どもへ「生け贄」として差し出した、と諦めるべきだ。
左: 桃井かおり
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右: 「エロスの甘き香り」
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ちょっと痛ましい話になるけど、女優の桃井かおりには国際政治学者の桃井眞(ももい・まこと)がいた。1991年に起きた湾岸戦争の時、報道番組に出演していたのを覚えている方もいるだろう。桃井かおりは少女時代、英国にバレー留学していたことがあり、どうも可愛い孫娘が立派なバレリーナになるようと、バレリーナの祖母が望んだらしかった。父親の真は娘をたいそう可愛がったようで、まさしく箱入り娘として育てたらしい。しかし、白人ばかりのバレー教室に通っていたかおりは、黄色いアジア人ということで劣等感を抱き、バレリーナになる夢を断念する。
帰国したかおりは演劇を始め、親に内緒で女優になっていた。一時は勘当されたこともあったそうだ。父親が女優業に反対したのも当然であろう。とりわけ、出演した映画の中にエロ作品があったからもう大変。映画ファンならロマン・ポルノ作品の「エロスは甘き香り」や、70年代らしい「けだるさ」を表現した「もう頬づえはつかない」をご存知だろう。
大切に育てた娘が、見知らぬ男と裸でからむベッドシーンを見て、父親の桃井眞はどんな気持ちだったのか? もしかしたら、劇場へは行っていないのかも。そもそも、娘の裸を銀幕で見たいと思う父親はいないだろう。だって、相手の男優が娘の肌を嘗めたり、乳房を揉んでいるんだぞ。怒りと悲しみで胸が張り裂けてもおかしくはない。映画を観る以前に、涙がこぼれてくるじゃないか。
右: 「もう頬づえはつかない」の桃井かおり
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若い娘を凌辱するユダヤ人はトンデモないが、それを平然と行うユダヤ人の心情とは如何なるものなのか?
一番考えられるのは、欲望剝き出しの世俗主義者という点だ。
純情な白人娘を裸にすれば、大金が儲かるからドンドン淫乱な映画を作るのは分かる。だが、その根底には、西歐社会への憎悪が漲っているのだろう。
ユダヤ人にしてみたら、アメリカ社会は西歐白人が作ったもので、彼らの祖先が築いたものではない。米国は散々ユダヤ人をイジメてきた西歐人が建てた国家であるから、彼らの倫理観や価値観、伝統文化をを守る必要性はどこにも無いのだ。
キリスト教徒が仲間の女性に求める貞操観念や立居振舞い、女性らしさ、気高さなんて、むさ苦しい生活を送ってきたユダヤ人にとって、何の意味も無いし、犬の糞みたいに踏み潰しても気にならない。むしろ、踏み潰すことに快感を覚える。
興味深いことに、ユダヤ人の監督や脚本家は、喜んでキリスト教徒の家庭を愚弄するが、ユダヤ教徒の家庭や価値観を馬鹿にすることは滅多にない。
キリスト教徒の西歐系アメリカ人であれば、「そんなに伝統的価値観を毀したいなら、まづ最初に因習的なユダヤ人社会をターゲットにしたらどうか」と提案したくなる。なぜなら、男尊女卑で人種差別の激しいユダヤ人コミュニティーには、リベラル派のユダヤ人が攻撃したくなるような材料がごまんとあるからだ。わざわざ異教徒(ゴイム)たる西歐キリスト教徒に、その矛先を向けていないで、身近な同胞のコミュニティーを批判する方が先じゃないのか。
「社会正義」をふりかざす赤いユダヤ人は、普通に黒人を「黒いケダモノ」と呼ぶユダヤ人のオバちゃんを非難しろ。
中央: ユダヤ人女性
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右: ユダヤ人男性
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米国のユダヤ人を見れば、いかに異人種と共存することが危険であるか、が判るだろう。
現在のアメリカでは同性愛者を擁護したり、黒人を礼讃するTVドラマが着々と作られている。すでに長いこと左翼作品が日常にしっかりと組み込まれているから、一般人はもはやその異常性を不思議と感じないのだ。
日本でも藝能界やマスコミに朝鮮人や支那人が浸透し、正常な日本人の精神を歪めている。
そして、藝能界に魅せられた少女たちが、どんどん卑劣な連中に犯され、それが表面に浮き出で問題になることはない。暴露される前に握り潰されるからだ。
ヤクザ的な藝能関係者やアジア系の大物にとって、日本人娘の肉体は、どれほど侮辱しても構わない肉の塊だ。みんなで廻して凌辱すれば、「あの淫売女め !」と酒場で笑い罵ることができ、ますます酒が旨くなる。大日本帝國に支配された朝鮮人にしたら、祖国の同胞が成し遂げられなかった復讐を、個人レベルで果たしたことになるだろう。
そして、日本人の女を性的に従属させることは、被征服民にとって勝者の証となる。ユダヤ人に加え支那人、朝鮮人といったアジア人に対抗できない気弱な民族は、徹底的に打ちのめされるまで被害に気づかない。毎回言うけれど、後悔が先に立ったことはないんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html
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2017.10.22
JFK暗殺に関する資料を公開する意思をトランプ大統領は示したが、重要証拠は処分済みの可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710210000/
1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する未公表の資料を10月26日までに公開する方針をドナルド・トランプ大統領は示した。1992年10月26日に発効したJFK記録法は25年のうちに公開することを求めている。
暗殺直後に設置されたウォーレン委員会はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行だとしているが、この結論を信じていない人は少なくない。重要な証拠や証言が改竄、隠蔽、あるいは処分され、非論理的な説明がなされているからだ。そうした批判の声はすぐに広まり、それを押さえ込むために使われ始めた「呪文」が「謀略論」だ。支配層にとって都合の悪い事実、指摘、分析などが出てくるとこの呪文が連発される。
しかし、ケネディ大統領の公式見解に対して疑問を表明する人は後を絶たず、1991年に公開されたオリバー・ストーン監督の映画『JFK』は話題になった。この映画がJFK記録法を成立させた大きな理由だ。
この映画の主人公はニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンがモデル。大統領暗殺に絡み、ギャリソンは1969年に実業家のクレイ・ショーを逮捕、起訴するが、その理由はショーが重役を務めていたパーミンデックスという会社にメスを入れたかったからだと見られている。
ウォーレン委員会が犯人だとしているオズワルドは厚木基地での任務を終えた後、カリフォルニア州のエル・トロ基地でロシア語の試験を受けて不合格になり、1959年9月に名誉除隊、イギリスを経由してフィンランドのヘルシンキにあるホテルへチェックインしているが、この間、軍用機を使ったと推測する人もいる。民間航空を利用すると、日程的に無理があるからだ。そしてフィンランドからソ連へ入る。オズワルドがヨーロッパへ渡る際のチケットを買った会社がインターナショナル・トレード・マートで、その理事にショーが含まれている。ショーはサントロ・モンディアール・コメルシアールやパーミンデックスの理事でもあった。
サントロはイタリアにおける反コミュニスト工作に協力、パーミンデックスはアルジェリアの独立に反対するフランスの軍人グループへ資金を供給していたとイタリアでは報道されている。
その軍人グループとは1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)。イタリア政府もサントロとパーミンデックスを危険な存在だと認識、1962年に国外へ追放する。両者は本部をヨハネスブルクへ移動させた。(Jim Garrison, “On The Trail Of The Assassins”, Sheridan Square Press, 1988)
パーミンデックスがスイスで設立された当時の社長兼会長、ルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの破壊工作機関SOE(特殊作戦執行部)の出身。第2次世界大戦後、SOEは対外情報機関MI6に吸収される。MI6とSOEはアメリカの情報活動や破壊活動の師匠的な存在の機関だ。ブルームスフィールドはカナダでシオニスト運動を指導していたとも言われている。
ケネディ大統領の暗殺を調べたウォーレン委員会は委員長がアール・ウォーレン判事、そのほかのメンバーはウォール街の弁護士で大戦後には高等弁務官としてナチスの幹部を保護していたジョン・マックロイ、やはりウォール街の弁護士で大戦中から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレス、FBIと関係の深いジェラルド・フォードも含まれていた。暗殺直後の週末、ダレスはバージニア州にあるCIAの極秘施設、ファームに身を潜めていたという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
オズワルドの単独犯行説を支持していたのはマックロイ、ダレス、フォードの3人で、3人の議員は疑問を持っていた。そのうちのひとり、ヘイル・ボッグス下院議員はCIAと関係が深く、当初は単独犯行説を支持していたのだが、途中で見方を変えている。このボッグス議員はアラスカで飛行中、行方不明になった。
この暗殺では多くの証人や関係者が死亡しているが、そのひとりがマリー・ピンチョット・メーヤー。後にCIAの秘密工作に深く関与することになるコード・メーヤーと結婚、離婚した後にケネディ大統領と愛人関係になったことで知られている。妹はニュウーズウィークの幹部編集者だったアントワネット・ピンチョット・ブラドリーと、大学時代からの親友はアレン・ダレスの側近で破壊活動でも名前が出てくるジェームズ・アングルトンとそれぞれ結婚している。
マリーは機密情報を知りうる立場にいたのだが、ウォーレン委員会が報告書を出した3週間後の1964年10月12日に散歩中、射殺された。ハーバード大学で心理学を教えていたティモシー・リアリーによると、「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」とマリーは語っていたという。(Timothy F. Leary, “Flashbacks,” Tarcher, 1983)
ケネディ大統領の暗殺はシャルル・ド・ゴール暗殺未遂、マーティン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺にもつながっている可能性が高く、事実が明らかになるとひとりの暗殺に関する話では済まなくなるだろう。
当然、重要な証拠は廃棄済みで、証人も消えてしまった。マインド・コントロールを目的としたMKウルトラ、キューバへアメリカ軍が直接軍事侵攻、さらにソ連との核戦争を視野に入れていた偽旗作戦のノースウッズ、イスラエル軍がアメリカの情報収集戦リバティを攻撃して多くの死傷者を出した事件などでは証拠が廃棄されている。出てくる資料は廃棄し損なったものだけだ。ケネディ大統領暗殺も似たような状況だろうが、それでも全資料の開示は重要だ。
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ケネディ暗殺文書、全面公開せず 米情報機関が延期要請
2017年10月27日 07時56分
【ワシントン共同】トランプ米大統領は26日、これまで非公開だった1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する機密文書のうち約2800件の公開を許可した。残る一部は非公開のままで、今後180日間で公開の是非を検討する。
トランプ氏は、ケネディ暗殺関連の記録について全面公開する方針を表明していた。しかし政府当局者は中央情報局(CIA)など情報機関から公開延期の要請があり、トランプ氏が安全保障上の理由で受け入れたとしている。
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マリリン・モンローから19歳のインターンまで、ケネディが流した浮名
2013年11月18日 13:45 発信地:ワシントンD.C./米国
http://www.afpbb.com/articles/-/3003473
【11月18日 AFP】ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領は多くの魅力的な女性に囲まれていた。妻のジャクリーン(ジャッキー、Jacqueline Kennedy)はもちろん、大統領就任を後押しした母親のローズ。それから映画スターに、ホワイトハウスで働く10代のインターン、マフィアと関係のある女性……。
50年前に暗殺されたケネディが、多くの女性たちと複雑な関係にあったことに疑いの余地はない。
彼がこうした女性たちを、大統領に上りつめ権力を維持するうえで助けになる人物として大切にしてきたのか。あるいは自分の旺盛な性欲を満たすために、彼女たちをもて遊んだだけなのだろうか。
「ケースバイケースだ」と言うのは、10月に『The Kennedy Half-Century: The Presidency, Assassination and Lasting Legacy of John F. Kennedy(ケネディ半世紀)』を上梓し、ベストセラー作家となったラリー・サバト(Larry Sabato)氏だ。
「JFKは、力や影響力のある人々に対しては上品で礼儀正しく振る舞った。だが彼の性欲は飽くことがなかった。今日で言うなら、彼は若く美しい女性を性の対象として扱っていたのだ」と、バージニア大学(University of Virginia)政治学センターのセンター長も務めるサバト氏はAFPに語った。
ケネディの人生の中心にいたのは、妻のジャッキーだ。旧姓ジャクリーン・ブーヴィエ(Jacqueline Bouvier)は1929年7月、裕福な家庭に生まれた。彼女の洗練されたファッションスタイルには、世界中が注目した。
ケネディがテキサス(Texas)州ダラス(Dallas)で暗殺されたとき、ジャッキーはあのオープンカーで彼の隣に座っていた。その後の数時間、彼女が夫の血が飛び散ったシャネルのピンクのスーツを着替えることを拒んだのは有名な話だ。「犯人たちがジャックに何をしたのか見せてやりたい」と、彼女は言った。
ケネディ家は現代アメリカの恵まれた家庭を象徴するイメージを世間に与え続けたが、大統領のプライベートは愛人に囲まれた生活だった。
最も有名なのは女優のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)だ。ハリウッドのセックスシンボルは、1962年の民主党の資金集めパーティーで、色気たっぷりに「ハッピーバースデー」を歌った。誕生日を祝ってもらったケネディは喜びを隠さなかった。
今年8月に出版された『These Precious Few Days: The Final Year of Jack with Jackie(貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の年)』の著者でジャーナリストのクリストファー・アンダーソン(Christopher Andersen)氏によれば、ジャッキーは2人の関係を知っていただけではなく、モンローに夫を譲ってあげると告げたという。
「あなたがホワイトハウスに入って、ファーストレディーとしての責務を負って、すべての問題を抱えればいいのよ」と、ジャッキーはモンローに語ったといわれる。モンローは1962年8月、薬物の過剰投与で亡くなった。
ジャッキーの言う「問題」には、ジュディス・キャンベル・エクスナー(Judith Campbell Exner)のことも含まれていたかもしれない。彼女がケネディと2年間、熱い関係にあったことは、歴史家たちも認めるところだ。
ホワイトハウスのインターンだったミミ・ビアーズリー(Mimi Beardsley)の場合は、ケネディに言い寄られたときはまだ19歳だった。彼女が言うには、男性と性的関係を持ったのはケネディが最初で、初めてのセックスはケネディ夫妻の寝室だった。その後、2人は大統領のバスタブでアヒルのおもちゃで遊ぶほど親しくなる。2人の関係は1年半続いた。
「後悔していない。私は若かったし、誘惑された。その事実は変えられない」と、彼女は2012年に出した回顧録で記している。
ケネディがいったい何人の売春婦を雇ったのかは誰にもわからない。だが護衛たちが、ソ連との核戦争前夜ともいわれた時代に、スパイ行為や脅迫を恐れるに足る人数だったことは確かだ。
「彼はときに、少し問題がある女性をそばに置こうとする傾向があった」と、ケネディの護衛を務めていたアンソニー・シャーマン(Anthony Sherman)氏は1997年にABCテレビのドキュメンタリー番組で語っている。素性が怪しい女性たちだ。
サバト氏も、「JFKは大統領職と家族を何度も危機にさらした。外国の諜報機関が彼の問題行動について何らかの情報を得ていたのは、ほぼ確実だ」と語っている。
母親のローズ・ケネディ(Rose Kennedy)が息子の女遊びを知っていたのは間違いない。彼女もジャッキーと同じく、夫の数々の浮気に耐えた女性だ。実業家で大使も務めたケネディの父親ジョセフ(Joseph Kennedy)は、1920年代に当時の映画スター、グロリア・スワンソン(Gloria Swanson)と3年間、愛人関係にあった。それは、まるで40年後のケネディとモンローを予兆させるような関係だった。(c)AFP/Robert MACPHERSON
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ケネディ暗殺
2017年10月28日 Paul Craig Roberts
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-d9a4.html
読者の皆様、皆様の中には、ラスヴェガス銃乱射事件について、更に続きをという方がおられるが、ケネディ大統領暗殺に関するファイル公開をどう解釈するべきか知りたいという方々もおられる。読者の皆様が、公式説明に関心をお持ちで、公式説明にあきたりないことを嬉しく思っている。
ジェームズ・W・ダグラスの『JFK and the Unspeakable』(サイモン & シャスター、2008年)などの徹底的に調査した書籍のおかげで、我々は既に、公開されたファイルより遥かに多くのことを知っているというのが私の答えだ。
我々が何を知っていようと、あるいは、事実が何であろうと無関係に、公式説明は決して変えないというのが私の答えだ。例えば、イスラエルが意図的にアメリカ艦船リバティー号を攻撃し、アメリカ海軍要員に膨大な死傷者をもたらしたという全く疑う余地がない事実を我々は知っているが、元海軍作戦部長で、統合参謀本部議長だったトーマス・モーラー海軍大将が率いたモーラー委員会による実に明快な反対の発言にもかかわらず、全て間違いだったといって、アメリカ政府は、隠蔽し続けている。
友好国を敵に変え、核のハルマゲドンの危険を新たにするウソと対ロシア非難の絶え間ない流れのような進行中の陰謀を防ぐのに時間を使った方が、賢明なのではないかというのも私の答えだ。実際、現代最大の陰謀論は、軍安保複合体と民主党全国委員会と売女マスコミが放っている、ロシアがドナルド・トランプと共謀して、アメリカ大統領選挙を乗っ取ったという説だ。
ロシア政府は、これがウソだと知っており、裏付ける一片の証拠も無しに、今や丸一年、ウソが果てし無く繰り返されているのを見れば、ロシア政府は当然、ワシントンは、アメリカ人を戦争に備えさせていると結論する。ワシントンの意図に対するロシアの信頼を破壊すること以上に、無謀で無責任な行為を私は想像できなき。プーチンが言った通り、人生で彼が学んだ大事な教訓は“もし戦いが避けられないのであれば、先に攻撃することだ。”
ケネディ大統領を、一体誰が、一体なぜ殺害したのかを本当に知りたいのであれば、『JFK and the Unspeakable』を読まれたい。そう、他にも入念に調査した書籍がある。
ダグラスは、ケネディが平和の方向に進もうとしたがゆえに殺されたと結論づけている。彼はフルシチョフと協力して、冷戦を終わらせようとしていた。彼はピッグス湾侵略に対する、CIAによるアメリカの上空援護を拒否した。政権転覆を正当化するため、カストロにせいにするアメリカ国民に対する偽旗攻撃の実行計画、統合参謀本部のノースウッド作戦を彼は拒否していた。ライマン・レムニッツァー大将の、統合参謀本部議長再任を彼は拒んだ。彼は、アメリカ海兵隊総司令官のディビッド・シャウプ大将に、アメリカをベトナムから撤退させるつもりだと語っていた。彼は再選されたら、“CIAを粉々にする”つもりだと言っていた。こうしたこと全てが、軍安保複合体の権限と利益を脅かし、彼は共産主義に甘く、アメリカの国家安全保障にとっての脅威だと軍/安保勢力に確信させたのだ。
ザプルーダーが撮影したフィルムは、ケネディを殺害した銃弾が、前から命中して、彼の後頭部を吹き飛ばしたことを示している。ケネディ夫人、ジャクリーンが、後部座席からリムジンのトランク上に身を乗り出して、夫の後頭部を集めようとしているのがわかる。他の観光客のフィルムは、障害物無しで、直接ケネディを銃撃できるようにするため、銃撃前の瞬間に、シークレット・サービス職員が大統領のリムジンから離れるよう命じられたのを示している。フィルムは、一人のシークレット・サービス職員が命令に抗議しているのを示している。
ケネディが背後から銃撃されたという医学的“証拠”は、命令を受けた医師たちが捏造したものだ。解剖で、海軍の医師たちを手助けした海軍衛生兵たちは、正面からの射入創は無視しろというカルバン・ギャロウェイ大将の命令に愕然としたと証言している。衛生兵の一人は“その瞬間、わが国が第三世界の国よりましなわけではないことを理解しました。その時以来、政府を全く信頼せず、全く尊敬していません。”と証言した。
ウソをつくよう強いられた医師の一人、チャールズ・クレンショー医師は、後に沈黙を破り本を書き、彼を中傷する激しいマスコミ攻撃を受けた。
ベセスダ海軍病院視聴覚部長のウィリアム・ピッツァー少佐は解剖を撮影した。フイルムは正面からの射入創をはっきり示していた。ピッツァーは、海軍医療センター制作スタジオの床で射殺死体で発見された。例によって、自殺とされた。
J. エドガー・フーバーとFBIは、ダグラスが、CIAとFBI両方から給料をもらっていただろうと考えているオズワルドが、本人自身それと知らずに仕立てあげられていたスケープゴート役としての話を確立するため、CIAによってキューバに送られたことを知っていた。とは言え、フーバーは、LBJや、アール・ウォーレンや、ウォーレン委員会のメンバーたちと同様、アメリカ国民に、大統領は、アメリカ軍とアメリカの治安機関によって暗殺されたなどと言うことか不可能だということを理解していたのだ。冷戦という不確かな時代には、自国政府に対するアメリカ国民の信頼を破壊するのが無謀なことは明らかだった。
フィニアン・カニンガムが、集められた証拠の多くの要約をしてくれている。あらゆる専門家たちは、とうの昔に、ウォーレン委員会報告は隠蔽工作だと結論づけていた。
https://www.strategic-culture.org/news/2017/10/28/jfk-files-cover-up-continues-president-assassination.html
私は専門家ではない。ダグラスがしたように、調査し、目撃者にインタビューし、目撃者たちの原因不明の死を追跡し、得られる膨大な情報つなぎ合わせ、全体像をまとめるのに30年間あるいはそれ以上を費やしたわけではない。一体何が起きたのかを知りたいのであれば、スマートフォンを置き、画面を閉じ、ダグラスや同類の本をお読み願いたい。
Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、
The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Order.が購入可能。
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フーバーはスタンフォード大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に見込まれて出世、大統領になった人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
1932年の大統領選挙でもJPモルガンをはじめとするウォール街の住人はフーバーを支援していたが、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。このグループは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するという政策を打ち出し、植民地やファシズムにも反対していた。ウォール街とは対立関係にある人物が大統領に選ばれたわけである。そこで日米従属関係が揺らぐ。
その当時、大統領就任式は3月に行われていたが、その前の月にルーズベルトはマイアミで銃撃事件に巻き込まれている。大統領に就任した後にはウォール街のクーデター計画が待ち受けていた。
ウォール街のクーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に注目し、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」を研究、改憲して別の政府を設立するわけでなく、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の仕事を引き継ぐというシナリオだったという。クーデターを成功させるため、ウォール街の勢力は名誉勲章を2度授与され、人望が厚かった海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込みにかかるのだが、失敗してしまう。
計画に反発した少将はクーデター計画をジャーナリストのポール・フレンチに話し、そのフレンチは1934年9月にクーデター派を取材している。その時、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたと語っている。
それに対し、バトラー少将はクーデター派に対し、「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。(“Statement of Congressional Committee on Un-American Activities, Made by John W. McCormack, Chairman, and Samuel Dickstein, Vice Chairman, Sitting asa Subcommittee” / ”Investigation of Nazi Propaganda Activities and Investigation of Certain Other Propaganda Activities,” Public Hearings, Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, December 29, 1934)
その際、クーデター派は新聞を使い、「大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。そうすれば、彼を見て愚かなアメリカ人民はすぐに信じ込むに違いない。」とも話していたとしている。ルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する直前に急死してウォール街がホワイトハウスで主導権を奪還した。その際、ルーズベルト大統領には健康に問題があったと宣伝された。
こうしたアメリカの権力バランスの変化は日本の占領政策にも影響、「逆コース」が推進される。その中心で活動していたのが1948年6月に設立されたACJ(アメリカ対日協議会)、いわゆるジャパン・ロビーである。そのACJの中心的な存在だったのがジョセフ・グルーにほかならない。
ACJはウォール街が創設した破壊工作(テロ)機関のOPCとも人脈が重なっているが、そのOPCはアレン・ダレスの腹心だったフランク・ウィズナーが率いていた。ちなみに、ふたりともウォール街の弁護士だ。
OPCの東アジアにおける拠点は上海に設置されたが、49年1月に解放軍が北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立するという展開になったことから日本へ移動している。日本では6カ所に拠点を作ったが、その中心は厚木基地に置かれた。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。つまり、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。そして1950年6月に朝鮮半島で戦争が勃発する。朝鮮戦争だ。
この戦争でアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は63万5000トンの爆弾を投下したと言われている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トンであり、その凄まじさがわかるだろう。1948年から57年までSACの司令官を務め、日本での空爆も指揮しいたカーティス・ルメイは朝鮮戦争の3年間で人口の20%を殺したと認めている。
その後、ルメイやアレン・ダレスを含むアメリカの好戦派はロシアに対する先制核攻撃を計画、1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。
この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201711080000/
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FBI長官、発生2日後に陰謀説を警戒、何を語るケネディ暗殺事件文書
樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11158
ジョン・F・ケネディ米大統領の54回目の命日が11月22日(日本時間23日)にやってくる。中年以前の人たちには、なじみが少ない名前かもしれないが、若くして超大国の指導者となり、在任3年足らずで暗殺された悲劇の大統領だ。2017年1月に離任したキャロライン・ケネディ前駐日大使の父親といったほうが、通りはいいかもしれない。
ケネディ暗殺についてはいまなお謎が多いが、それに関する機密文書が公開された。膨大な量にのぼり、現在、米内外の記者、研究者らによる精査の真っ最中だ。情報機関の横ヤリで、多くの文書が公開を見送られ、事件の全容解明に結びつく資料は少ないとみられているが、いくつか興味深い事実も明らかになっている。
容疑者殺害で多くの謎が未解明に
ケネディ大統領暗殺事件は1963年11月22日(日本時間23日)に起きた。大統領は再選めざしてテキサス州を遊説、ダラス市内をオープンカーでパレード中、何者かに狙撃され頭部などに銃弾を受け死亡した。現場の通り沿いの教科書倉庫ビルで働くリー・ハーベイ・オズワルド(当時24歳)という元海兵隊員が、6階の窓からライフル銃で大統領を撃ったとして、事件直後に逮捕された。オズワルドは2日後にダラス警察署内でナイトクラブ経営者のジャック・ルビーという男に撃たれ死亡した。
ケネディ氏の死後、副大統領のリンドン・ジョンソン氏が大統領に昇格、同氏は真相を解明するために、事件から1週間後の11月29日、連邦最高裁長官(当時)のアール・ウォーレン氏を委員長とし、当時下院議員だったジェラルド・フォード氏(その後、大統領)ら7人のメンバーからなる委員会(通称、ウォーレン委員会)を設置した。委員会は延べ500人以上から証言を求めるなどして調査を行い、翌年9月に「オズワルドの単独犯行」という報告書を提出した。しかし、疑問点が数多く未解明のまま残っていたため、いまなおさまざま憶測がなされている。
1991年に制作されたオリバー・ストーン監督の「JFK」もそうした疑問に根差した映画だった。もっとも強い疑問は、オズワルドの単独犯行なのか、動機は何かーだ。オズワルド自身は犯行を否定、本格的取り調べが始まる前に殺害されているために、疑問が残るのは当然だった。
今でも6割以上が陰謀説信じる
未解明の謎は、憶測に発展する。
「大統領と実弟のロバート・ケネディ司法長官がマフィアの取り締まりを強化したために報復を受けた」
「米国と冷戦状態にあったソ連(当時)、やはり敵対していたキューバが関与していたのではないか」
「ケネディ大統領の外交政策を嫌う中央情報局(CIA)のクーデター≠セった」
ジョンソン大統領の関与説まで流布され、半世紀を経た2013年の世論調査では、61%にのぼる米国民がいまだに陰謀説を信じているという結果が出た。
公開で、明らかになった興味深い事実を見るとー。
オズワルド暗殺予告
•FBI(連邦捜査局)のフーバー長官(当時)が事件翌々日の11月24日、「前夜、FBIダラス支局に、オズワルドを殺害する委員会≠フメンバーと名乗る男から電話があった。ダラス警察の責任者に連絡したが、適切に保護がなされていると請け合った。今朝、もう一度連絡したが、十分な保護がなされているということだった。しかし、実際は、なにもされていなかった」と部内で語った(1963年11月日24日のFBI内部文書)
•フーバー長官は、「オズワルドが死んだという以外に何もわからないが。オズワルドが真の暗殺者であることを示す何かを公開する必要がある。そうすれば国民を納得させられるだろう。ジャック・ルビーは、共犯者はいないといっている」と語った(同文書)
•キューバの駐カナダ大使のケネディ暗殺に対する反応は喜ぶべき、幸せなこと≠セった。しかしオズワルドがキューバ・フェアプレー委員会≠ニいう団体に関係していたことから、米国で反キューバ感情が起こるのを警戒して、キューバの国連大使が駐カナダ大使に、深刻ぶった¢ヤ度をとるように求めた(1963年11月27日のCIAオタワ支局から本部あて報告)
ソ連はジョンソン大統領関与説
•CIAの通信傍受記録では、オズワルドは1963年9月、メキシコシティのソ連大使館を訪ねた際、ソ連行きのビザのことで、領事と話したが、この領事はKGB(旧ソ連の情報機関、国家保安委員会)の要員だった(1963年11月23日のCIA内部から副長官代理へのメモ)
•FBIの(ソ連内部の)情報源によれば、ソ連はオズワルドとは何の関係もないと主張している。KGBは、「ジョンソン大統領が事件に責任があることを示すデータをもっている」といっている(1963年12月1日のフーバー長官からマービン・ワトソン大統領特別補佐官へのメモ)
•FBIの情報源によると、ソ連は、ケネディ大統領の暗殺によって米国内のリーダーシップが失われ、無責任な将軍たちがソ連にミサイル攻撃を仕掛けてくるのではないかと恐れていた(同)
•ケネディ暗殺の25分前、英国のローカル紙に「ビッグ・ニュースがあるからロンドンの米大使館に連絡しろ」と電話があった。地元警察が英国の情報機関、MI5を通じてCIAに連絡した(1963年11月26日のCIA副長官からFBI長官あてのメモ)
ケネディ暗殺に関連する文書は過去にも随時、公開されてきたが、ことし7月から11月月までは、5回にわたって約3万1000件が順次公開された。
注目されたのは10月26日の公開だった。ケネディ暗殺の機密指定を25年後に解除するという1992年の法律の期限が、この日で切れるため、すべての機密文書が日の目を見るのではないかと期待が高まっていた。
ところが、CIAのポンペオ長官らが、安全保障上の問題を理由に解除延期を要請。トランプ大統領は法律に従って公開を容認する方針を示していたが、当日になって一転、CIA、FBIの要請を容れ、一部非公開を決めた。
情報機関が公開に反対することについて、諜報活動の実態が明らかにされるのを避けたいという思惑と、大統領暗殺を防げなかった不手際≠ェ暴露されることを恐れているのではないかなどの憶測もなされている。
未公開分については、今後180日間に公開の是非が検討される。11月以降公開されたのは、指定解除に問題なしと判断されたとみられる。
米国立公文書館に保存されているケネディ大統領暗殺に関連する公文書は全部で500万ページにものぼるというが、10月22日のロイター電子版は、これらが全面的に公開されても、リー・ハーベイ・オズワルドの動機についてあらたな大きな情報は期待できないとする一方で、マフィアやキューバの存在を指摘する陰謀説も将来にわたって、消えないだろうという研究者の分析を伝えている。
ケネディ暗殺に関して、筆者はワシントン在勤中の2003年11月、故大統領の40回目の命日にあわせて、ウォーレン委員会メンバーで当時、ただひとり健在だったジェラルド・フォード元大統領(在任、1974年ー77年、2006年死去)にインタビューし、陰謀説などについて聞いてみたことがある。
妻に男らしさ≠ンせるのが動機
Q:ウォーレン委員会の報告は正しい結論という確信には今でも揺るぎはないか?
元大統領「委員会は全員一致で、オズワルドが暗殺実行犯、国内外のいかなる陰謀についても証拠はなかったという結論に達した。(1979年の)下院特別委員会も同様の報告を取りまとめている。私自身、この二つの結論に対していかなる疑問ももっていない」
Q:しかし、あなたは回想録「和解への時」のなかで、「ウォーレン報告は必ずしも完全ではない」と述べている。
「暗殺事件というものはいつでも疑問に包まれたものだ。リンカーン大統領の暗殺だって、100年以上たったいまでもさまざまな憶測がなされている。批判というものは常にある。委員会の結論は正しい」
Q:1979年の下院特別委員会報告は、マフィアによる陰謀の可能性にも言及している。
「マフィアの関与というのは、“あったかもしれない”という推測にすぎない。下院委員会の報告もオズワルドの犯行という結論には同意しているはずだ。陰謀の証拠は、どの調査でもみつかっておらず、マフィアによる犯行という推測には同意できない。
Q:ウォーレン報告では、オズワルドの犯行の動機が解明されていない。
「(オズワルドの)妻やその他の人たちの証言によると、オズワルドは精神的な問題を抱えていたようだ。日ごろから夫人に軽侮されており、それを見返すために“男らしい”、劇的なことをしてみせる必要があった。それが大統領暗殺にかりたてたとみるべきだ」
20世紀最大の謎のひとつといっていいケネディ大統領暗殺事件。当時を知る人たちにとっては、忘れようにも決して忘れることのできない事件だ。未解明のまま、歴史の闇に消えていくのだろうか。
いまなお語り継がれるケネディ神話
第35代、1961年1月、選挙で選ばれた大統領としては最年少の43歳で就任した。父親は元駐英大使というボストンの名門の出身、若くてハンサム、美しい妻、ジャクリーン夫人という存在もあって、その周辺は華やかさに包まれ、米国だけでなく全世界でその人気を誇った。第2次世界大戦では魚雷艇艇長として活躍、日本軍との戦闘で、自らも負傷しながら部下を救ったという英雄でもあった。悲劇的な最期と相まって、理想化された人物像、その時代は「ケネディ神話」と呼ばれ、いまだに追慕する米国民は少なくない。
政権の司法長官をつとめた実弟のロバート・ケネディ氏が、兄の死から5年後、大統領選挙運動中にやはり暗殺されたことも、「神話」をいっそう劇的なものにしている。
現代において、大統領が多くの国民の目の前で撃たれ、その瞬間が全世界でテレビ放映された衝撃は大きく、暗殺事件にとどまらず、大統領やその家族らにまつわる書物、映画などが数多く制作された。夫人の愛称をタイトルに、夫を失ったのちの、その生き方を描いた映画「ジャッキー」が今春、わが国でも公開された。
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本ブログでは何度か指摘したが、アングロ・シオニストは遅くとも20世紀初頭からロシアを侵略する戦略を始動させている。日本もその手先として使われた可能性が高い。
第2次世界大戦後、ドイツとの死闘で疲弊したソ連を破壊するため、アメリカの好戦派は1957年にドロップショット作戦を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊しようとしていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していた。これが「核の傘」である。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
ソ連消滅後、ロシアはボリス・エリツィン大統領の時代に国の資産は略奪され、軍事力も大幅に低下した。アメリカ支配層の内部でもそうした感覚は21世紀に入っても残っていたようで、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)の2006年3/4月号で、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。
ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は今でもロシアや中国を核戦争で脅している。米ロ、米中間で相互に核兵器発射はしない体制を構築しているということはない。正常な感覚の持ち主なら、この状況を知れば恐怖するだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712010000/
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2018.01.23
自由と民主主義を破壊し続けるアメリカが中東に執着する理由(その1:ウォール街の利権)
日本にはアメリカを「自由と民主主義の旗手」と呼ぶ人もいるが、そのアメリカを支配してきた人々は民主的に選ばれた政権を軍事力、あるいは破壊活動で破壊してきた。つまり「自由と民主主義の破壊者」がその実態であり、彼らのターゲットのひとつがシリアにほかならない。アメリカによる侵略、破壊、略奪は大統領の個人的な資質によるのでなく、構造的な問題なのである。大統領を交代させても問題は解決しない。公的な情報の全面公開、巨大企業や富豪から特権を剥奪し、資本の移動を制限、オフショア市場を禁止するなど民主的な「レジーム・チェンジ」が必要なのだ。
シリアに限らず、欧米諸国は世界規模で植民地化を進めていた。言うまでもなく植民地は露骨な略奪の仕組みであり、その仕組みがなければ欧米の資本主義体制は維持できなかった。当然、植民地では人々の意思が暴力的に封印され、富は奪われていく。
植民地化は戦争から始まる。そこで、アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将は戦争を不正なカネ儲けの手段だと言ったわけだ。有り体に言うなら、押し込み強盗だ。
しかし、アメリカでは1932年の大統領選挙でこうしたカネ儲けに反対する人物が当選してしまう。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。そこでウォール街の住人たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。この計画を議会で明らかにしたのがバトラー少将。クーデターを成功させるためにはバトラーを抱き込む必要があったのだが、その工作に失敗したということだ。バトラーはクーデター派の中心はJPモルガンだとしている。
接触してきたクーデター派に対し、バトラーはカウンター・クーデターで対抗すると警告、またバトラーの話を聞いて取材したポール・フレンチは議会によると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と答えたという。
JPモルガンは関東大震災以降、日本の政治経済に大きな影響力を持った巨大金融機関。そのJPモルガンの総帥と結婚した相手のいとこ、ジョセフ・グルーをハーバート・フーバー大統領はアメリカ大使として日本へ送り込んだ。その前年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こし、1932年には「満州国」の樹立を宣言している。
当然のことながら、植民地やファシズムに反対する姿勢を見せていたルーズベルト政権が日本の中国侵略に対して厳しい姿勢で臨むことになる。日本はアメリカの情勢変化に対応できなかった。日本の支配層はウォール街の傀儡だからだ。
植民地やファシズムに反対していたルーズベルトはドイツが降伏する前の月、1945年4月に急死、第2次世界大戦が終わると欧米諸国は植民地の継続支配と目論むのだが、それに異を唱える人物がアメリカの上院に現れた。1957年7月にジョン・F・ケネディ上院議員がアラブ世界の自己統治とアラブ諸国に対する帝国主義的な介入の終焉を訴えたのだ。
ケネディは1961年に大統領となり、軍や情報機関の好戦派が目論んだソ連に対する先制核攻撃を阻止、63年6月にはアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える「平和の戦略」を宣言する。
テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1960年10月から62年9月までJCS議長を務めたリーマン・レムニッツァーやSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたが、この目論見の前にもケネディ大統領が立ちはだかった。そのケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺される。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801230001/
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2018.03.23
東京の下町が米軍の空爆で10万人前後の市民が焼き殺されて73年経つが、変わらない米支配層の体質
今から73年前の3月9日から10日にかけて東京の下町、深川、城東、浅草などがアメリカ軍の投下した焼夷弾で火の海になり、7万5000人から20万人の非戦闘員が殺された。焼夷弾とは一種のクラスター爆弾で、中には38個の小爆弾が収納されていた。上空約610メートルで子爆弾はバラバラに飛び散り、建造物や地面に到達すると数秒後、焼夷剤のゲル化ガソリンが燃え上がる仕組み。
日本の軍や警察による政策が被害を拡大させた要因のひとつではあるだろうが、アメリカ側の作戦や戦略を徹底的に検証することも重要だ。たとえ、それが不都合な真実であったとしても。
この時の爆撃は典型的だが、ターゲットは軍事工場でなく一般市民。先住民を殲滅したように、日本の市民を皆殺しにしようとした作戦であり、都市部の爆撃は「無差別」でなく「計画的」だったとする人もいる。
この作戦を指揮したアメリカ空軍のカーチス・ルメイは広島と長崎に対する原爆投下、あるいは朝鮮戦争における空爆の責任者でもある。1950年6月に勃発した朝鮮戦争でルメイは朝鮮半島北部の78都市と数千の村を破壊、多くの市民を殺している。ルメイ自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。勿論、カーチス・ルメイが独断で行った大量殺戮ではないだろう。彼の周辺には仲間がいる。
ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任、朝鮮戦争が休戦になった翌年の54年にはソ連を核攻撃する作戦を立てている。それによると、600から750発の核爆弾をソ連へ投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっていた。
SACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下するとされている。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだが、市民の大量虐殺自体も目的だ。この当時もSAC官はルメイ。
この計画で攻撃目標とされた都市はモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。
日本列島が中国に対する攻撃の拠点として想定されていたことは確かだろう。1953年4月に沖縄では布令109号「土地収用令」が公布/施行され、基地化が強引に進められた。土地の強制接収は暴力的なもので、「銃剣とブルドーザー」で行われたと表現されている。
沖縄の基地化が進められていた1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーは後に統合参謀本部議長に就任、ルメイを同じようにキューバへの軍事侵攻、ソ連への核攻撃を目論んでいる。つまりルメイとレムニッツァーは仲間。第2次世界大戦の終盤、アレン・ダレスはフランクリン・ルーズベルト大統領の意向を無視してナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行したが、レムニッツァーもその作戦に参加していた。
レムニッツァーとダレスを引き合わせたのはイギリスの軍人。連合軍大本営最高司令官だったイギリス人のハロルド・アレグザンダー伯爵だ。レムニッツァーはイギリスの貴族に憧れを持っていた人物で、シチリア島上陸作戦の際に知り合い、アレグザンダーから目をかけられることになった。
この人脈が影響したのか、1960年10月にレムニッツァーは統合参謀本部議長へ就任、CIA長官になっていたアレン・ダレスとキューバへの軍事侵攻を目論む。その背後にはソ連や中国に対する先制核攻撃計画があった。この攻撃計画にはダレス、レムニッツァー、ルメイも参加している。
レムニッツァーとルメイはジョン・F・ケネディ大統領と激しく対立した。ケネディ大統領がソ連に対する先制核攻撃に反対、戦争の準備だったキューバ侵攻作戦ではアメリカ軍の直接的な介入を阻止する。
キューバ軍を装って「テロ」を繰り返し、キューバに軍事侵攻するという「ノースウッズ作戦」をレムニッツァーは1962年3月に国防長官のオフィスで説明するが、ロバート・マクナマラ長官は拒否する。(Thierry Meyssan, “9/11 The big lie”, Carnot Publishing, 2002)ケネディ大統領はその年の10月、レムニッツァー議長の再任を拒否した。そのレムニッツァーへ欧州連合軍最高司令官にならないかと声をかけてきたのがハロルド・アレグザンダーだ。
再任拒否の直前、1962年8月にアメリカの偵察機U2がキューバで対空ミサイルの発射施設を発見、10月にはアメリカ軍がキューバを海上封鎖する自体になっていた。いわゆるキューバ危機だが、これを外交的に解決したケネディ大統領に好戦派は反発、ダニエル・エルズバーグによると、その後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)
本ブログでは何度も書いてきたが、レムニッツァーやルメイのような好戦派は1963年の後半がソ連を核攻撃するチャンスだと考えていた。先制攻撃に必要なICBMが準備できる見通しで、ソ連が追いつく前に戦争を始められると考えていたのだ。
ところが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのはその年の11月のことだ。その翌年、日本政府はルメイに対し、「勲一等旭日大綬章」を授与した。
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1961年1月からアメリカ大統領になったジョン・F・ケネディはイスラエルのレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)のだが、そのケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されてしまった。
副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは議員時代から親イスラエル派の中心的な存在で、富豪のエイブ・フェインバーグを後ろ盾にしていた。この人物はベングリオンから信頼され、ハリー・トルーマン大統領のスポンサーとして知られているが、フランスのエドムンド・ド・ロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発を資金面から支えていたという側面もある。
1969年からアメリカ大統領を務めたのはリチャード・ニクソン。その補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語ったという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)
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情報と資金の流れていく先に権力は存在する。その流れが変化すれば体制の変革が起こるということでもある。したがって支配層はそうした流れの変化が起こらないように努めるわけだ。秘密保護法の制定や1970年代から米英主導で行われた「金融改革」の主要な目的のひとつもそこにある。アメリカで内部告発を防止するための仕組みが1970年代から強化された理由も同じだ。アメリカの場合、「国家安全保障」も情報隠蔽の理由に使われている。例えば、国防省との取り引きがあると、企業は情報の開示を免れることができるのだ。権力犯罪を内部告発すると厳罰に処されるということは本ブログでも書いてきた。
情報を統制するため、第2次世界大戦の前から新聞は巨大資本に支配されていた。戦後間もない1948年頃からメディアを支配するためにモッキンバードというプロジェクトがアメリカでスタートしたことも知られている。そのプロジェクトの中心になっていた人物がワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハム、戦時情報機関のOSS、戦後創設されたCIAで大きな影響力を持ち続けたアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズの4人。この4名は秘密工作(テロ活動)にも深く関与していた。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士で、ヘルムズは母方の祖父が国際決済銀行の初代頭取。グラハムの場合、妻のキャサリンの父親が世界銀行の初代総裁だ。
(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
フィリップ・グラハムはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、キャサリンがワシントン・ポスト紙の社主に就任している。キャサリンはウィズナーの妻、ポリーと親しかった。
ワシントン・ポスト紙の編集部でキャサリンから目をかけられていたベンジャミン・ブラッドリーの妻がトニー・ピンチョット。その姉にあたるマリーはOPC/CIAの幹部だったコード・メイヤーと結婚していた時期がある。離婚後、ジョン・F・ケネディと親密な関係になったのだが、ウォーレン委員会がケネディ大統領暗殺に関する報告書を公表した3週間後に射殺された。マリーは生前、ケネディ大統領暗殺の内幕を知っていることをうかがわせる発言をしていた。
リンドン・ジョンソン政権でアメリカはベトナムを本格的に軍事侵攻して泥沼化、反戦気運が高まった1972年の大統領選挙では戦争反対を明確にしていたジョージ・マクガバンが民主党の大統領候補に選ばれ、民主党の幹部は慌てる。そこでヘンリー・ジャクソン上院議員を中心に反マクガバン派がグループを組織する。それがCDM(民主党多数派連合)。ネオコンはこのグループを核にして編成されていく。一般党員に支持されたマクガバンを民主党幹部が潰したのだ。
その結果、当選いたのがリチャード・ニクソン。そのニクソンがデタント(緊張緩和)を打ち出すと支配層内の好戦派が激怒、スキャンダルが浮上する。それがウォーターゲート事件だ。このスキャンダルでワシントン・ポスト紙が活躍したのは必然だった。
ウォーターゲート事件を追及したワシントン・ポスト紙の若手記者のうちボブ・ウッドワードは少し前まで情報将校だったこともあり、取材の大半はカール・バーンスタインが行ったと言われている。そのバーンシュタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。有力メディアがCIAの影響下にある実態を明らかにしたのだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)ウォーターゲート事件の内幕と見ることもできる。
公文書の改竄も報道統制も根はひとつ。権力者による情報支配だ。その情報支配を妨害するメディア、サイト、個人が現在、攻撃されている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201804030000/
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1972年の選挙で勝利したリチャード・ニクソンもベトナム戦争の現実を無視できず、デタント(緊張緩和)政策を推進する。大統領選挙が行われた年の2月に彼は中国を訪問して毛沢東や周恩来と会談、ベトナム戦争から手を引く動きも見せた。1973年1月にはパリ休戦協定が調印されて停戦が実現している。そのニクソンがウォーターゲート事件で1974年に辞任、副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領はホワイトハウスからデタント派を粛清、好戦的な政策へ戻している。
このフォードを破ってジミー・カーターが大統領となった1977年にバーンシュタインはワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いた。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとするCIA高官の話を紹介している。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
バーンシュタインの記事はウォーターゲート事件の内幕と解釈することもできる。本ブログでも繰り返し書いてきたが、戦後間もない1948年頃からメディアを支配するためにモッキンバードというプロジェクトがアメリカでスタートしている。
そのプロジェクトの中心になっていた人物がワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハム、戦時情報機関のOSSや戦後創設されたCIAで大きな影響力を持ち続けたアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズの4人だ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
フィリップ・グラハムはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、キャサリンがワシントン・ポスト紙の社主に就任している。キャサリンはウィズナーの妻、ポリーと親しかった。新社主もCIAと緊密な関係にあったのだ。
ワシントン・ポスト紙の編集部でキャサリンから目をかけられていたベンジャミン・ブラッドリーの妻がトニー・ピンチョットで、その姉にあたるマリーはOPC/CIAの幹部だったコード・メイヤーと結婚していた時期がある。離婚後、ジョン・F・ケネディと親密な関係になるが、ウォーレン委員会がケネディ大統領暗殺に関する報告書を公表した3週間後に射殺された。マリーは生前、ケネディ大統領暗殺の内幕を知っていることをうかがわせる発言をしていた。
第2次世界大戦後、ベトナムが独立を目指したのに対し、それを阻止するためにフランスが軍事介入する。アメリカもその方針を支持していた。ところが1953年5月にフランス軍はディエンビエンフーで北ベトナム軍に包囲され、翌年5月に降伏する。その4カ月前、1954年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官は国家安全保障会議でベトナムでのゲリラ戦を準備するように提案している。その年の夏、ダレス国務長官の弟であるアレン・ダレスが長官だったCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、破壊活動を開始した。この時の大統領はアイゼンハワーだ。
それに対し、1961年から大統領になったジョン・F・ケネディはベトナム戦争から手を引く決断をしていた。1963年10月、ケネディ大統領はアメリカの軍隊をインドシナから撤退させるためにNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出したのだ。
NSAM263によると、1963年末にアメリカの軍事要員1000名を撤退させ、65年12月までに1万1300名を完全撤退させるとしている。そうした動きは秘密でなかったようで、米軍の準機関紙、パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。
しかし、この覚書が出された翌月にケネディはテキサス州ダラスで暗殺され、新大統領のリンドン・ジョンソンは同年11月26日付けでNSAM273を、また翌年3月26日付けでNSAM288を出し、NSAM263を取り消してしまった。
ケネディが暗殺された11月22日に「大統領」、つまりジョンソンはベトナム駐在のヘンリー・ロッジ大使と話し合い、「南ベトナムに関する討議」の内容を再検討、NSAM273を作成したとされている。この討議は暗殺直前の11月20日にホノルルで行われていた。
ホノルルの会議にはディーン・ラスク国務長官やC・ダグラス・ディロン財務長官のほか、内務長官、労働長官、商務長官、そして農務長官が参加しているのだが、NSAM263の作成に関与したマクナマラ国防長官とロバート・ケネディ司法長官は出席していない。アメリカが本格的な軍事介入を始める口実に使われた偽旗作戦、トンキン湾事件が引き起こされたのは1964年8月のことだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201804050002/
こうして始められたベトナム戦争にマーチン・ルーサー・キング牧師は明確に反対していたが、こうした発言に困惑する人もいた。人種差別に反対する公民権運動の指導者という位置づけからの離脱を受け入れられなかったのだ。リバーサイド教会でも彼の周囲のそうした雰囲気を口にしている。平和と公民権は両立しないという人もいたという。
ロン・ポール元下院議員によると、当時、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視したのである。
大統領の意思には関係なく、戦争に反対し、平和を望む人々をアメリカの支配システムは危険視している。例えば、FBIが1950年代にスタートさせた国民監視プロジェクトのCOINTELPRO、CIAが1967年8月に始めたMHケイアスもターゲットはそうした人々だった。
MHケイアスによる監視が開始された1967年はキング牧師がリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言、またマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成された年でもある。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表した。いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」である。
この報告書を有力メディアへ渡した人物はダニエル・エルズバーグだが、エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。
その話をエルズバーグにしたのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)
キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2・5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。
1991年12月にソ連が消滅した直後からアメリカの有力メディアはユーゴスラビアでの組織的な住民虐殺を宣伝、1999年3月にはNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃した。この宣伝は嘘だったことが判明している。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、詳しい調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと断定、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクのサダム・フセインを倒すために同国を先制攻撃している。この時に口実として大量破壊兵器が使われたが、これも嘘だった。
2011年にはリビアやシリアで戦争が始まる。西側は「独裁者」による「民主化運動の弾圧」を阻止すると主張していたが、これも嘘だということが明確になっている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟とイギリスとフランスのサイクス-ピコ協定コンビ、そしてオスマン帝国の復活を妄想するトルコと天然ガスのパイプラインの建設をシリアに拒否されたカタールなどが侵略の黒幕だった。その間、本格的な軍事侵攻を正当化するためにさまざまな嘘が宣伝されてきたことは本ブログでも繰り返し書いている。
この間、西側で反戦運動は盛り上がっていない。沈黙しているのだ。沈黙を正当化するために侵略勢力が提供した作り話を受け入れている。事実を見れば西側の政府や有力メディアが主張していることが嘘だということは容易にわかるのだが、嘘だと認めるたなら、破壊と殺戮を認めるのか、あるいは支配層を批判しなければならなくなる。リベラル、あるいは革新勢力を名乗る人々は破壊と殺戮を認められない。支配層の作り話を受け入れざるをえないのだ。
日本が敗戦した直後、映画監督の伊丹万作はこんなことを書いている:戦争が本格化すると「日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていた」。「このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオの馬鹿々々しさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心に且つ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみれば直ぐに判ることである。」(伊丹万作『戦争責任者の問題』映画春秋、1946年8月)
より正確に表現するなら、「騙されたふりをしていた」のだろう。そうしたことをしているうちに、その嘘が事実だと錯覚しはじめたかもしれないが、始まりは「騙されたふり」だったのではないだろうか。事実を語るには、それなりの覚悟が必要だ。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201804060000/
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ケネディ暗殺に関する機密資料の全面公開がまたしても見送られた 2018年06月05日
少し前になりますがトランプ大統領は4月26日、1963年11月22日にダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領に関する機密資料の全面公開を「引き続き」見送り、2021年10月までに改めて公開の是非を検討するようCIAやFBIなど関連官庁に指示しました。
これには少し解説が必要です。ケネディ暗殺については約500万件の資料があり、そのうち約4万件については安全保障上の理由から公開禁止となっていました。米国ではその安全保障上の理由とは便利な言葉で、先日もトランプ大統領が通商問題に使っています。
ケネディ暗殺については1992年に成立したJFK暗殺記録収集法により、すべての未公開資料が25年以内に一般公開されるよう定められました。
そしてその25年目となった2017年10月26日に2891件の資料が公開され、そのうちこれまで完全未公開だった資料も53件含まれていました(後述します)。ところがトランプ大統領はそこでも安全保障上の問題があるとして、一部資料(件数は不明ですが2万件ほどあるはずです)の公開を6か月間の期限付きで見送っていました。
そしてその6か月目だった本年4月26日、トランプ大統領は再び未公開の重要資料すべてについて、今度は2021年10月まで2年半もの期限付きで一般公開を見送ってしまいました。
またそれとは別に未公開の重要資料がかなり「紛失」しているようで、ケネディ暗殺の「真相」はまだまだ解明されないことになります。これはもちろん一般公開されると都合が悪い関連官庁があるからです。
具体的にはCIA、FBI、国務省などですが、ケネディ暗殺への直接・間接の関与というより、関連する「悪事」が明るみに出ることを恐れているか、逆に致命的ミスでケネディが暗殺された責任を問われたくないからと考えられます。
さてケネディ暗殺については、事件を調査したウォーレン委員会が1964年9月に「オズワルドの単独犯行で、一切の政治的背景はない」と結論づけてしまいました。もちろん素直にそう信じている米国民はほとんどいません。
そこで2017年10月26日に公開された資料の中で、それまで完全未公開だった53件に何が含まれていたのかを見てみましょう。
まずテキサスにあったジョンソン副大統領(ケネディ暗殺で大統領に昇格)の自宅を訪れた訪問者リストがありますが、ジョンソンは副大統領だったのでテキサスの自宅も警護されていたはずで、訪問者リストがあってもおかしくはありません。
また初代のFBI長官で、何と37年間(1935〜1972年)もその地位にあったエドガー・フーバーが、オズワルド容疑者がダラス警察署内で射殺された翌日に「これでオズワルドが犯人ではなかったとの陰謀説が出回ることを懸念している」と書いたメモもあります。
いろいろな意味にとれるメモですが、そんなメモを残すということはFBIもケネディ暗殺に何の関係もなかったことになります。
そしてこの53件の中で最も注目すべきは、ケネディ暗殺の数週間前にオズワルドがメキシコを訪れ、メキシコシティにあるソビエト大使館でKGB第13課(暗殺などを担当する部門)の人物と会っていたというCIAのメモがあります。
オズワルドは1959年にソ連に亡命していますが、1962年に米国に帰国しています。そしてCIAはケネディ暗殺の2か月も前からオズワルドの家の電話を盗聴していたようです。
ダラスにおけるパレードの道順を決めたダラスのカペル市長の実兄が、ビックス湾事件の責任をケネディに問われてダレス長官とともに解任されたCIA副長官のチャールズ・カペルであり、CIAはいろいろな意味でケネディ暗殺に最も深く関与していたはずです。
そのCIAもオズワルドの電話を2か月も前から盗聴しておきながら、事件当日はオズワルドに何の警戒もしていなかったことになります。
つまり公開されなかった資料と言っても、それでケネディ暗殺の真相がすべてわかるようなものがある可能性が少なく、結局のところケネディ暗殺は永遠の謎となってしまうような気がしています。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2236.html
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2018年6月7日
ロバート・ケネディ氏暗殺から50年、再調査求める声高まるか
樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13049
ロバートF・ケネディ氏といっても、今の若い人には、なじみが薄いかもしれない。暗殺されたジョン・F・ケネディ米大統領の実弟といえば、「そうか」と思う人もいるだろう。兄の政権で司法長官をつとめ、その死後、遺志を継ごうとしたものの、大統領選の最中に、兄同様暗殺された。
6月6日はちょうど50回目の命日だった。半世紀という節目にあって、ロバート氏の暗殺をめぐっても、その真相をめぐる憶測かまびすしい。現場に居合わせて巻き添えを食った友人や、ケネディ議員の家族が、犯人とされた人物の単独犯行説を否定、事件の再捜査を求めるなど、真相解明を望む声が再び高まることも予想される
ロバート・F・ケネディ氏(Photo by Harry Benson/Express/Getty Images)
長女、次男が再調査求める
6月5日付の米紙「ワシントン・ポスト」は、故上院議員の友人で、事件当時、近くにいて流れ弾で負傷したポール・シュレード氏(93歳)の証言を掲載。シュレード氏は、他にも銃を発射した者がいて、ケネディ氏に致命傷を与えたのは、それらの銃弾だったとの見方を示した。
同じ記事で注目を引いたのは、長女で元メリーランド州副知事、キャスリーン・ケネディ・タウンゼンド女史の写真だ。「再調査が必要」とコメントし、半世紀を経た今も、「真相」に納得していないことを明らかにした。
同紙はこれに先だって先月、故上院議員の次男、ロバート・ケネディ・ジュニア氏が2017年12月に服役中の犯人に刑務所で面会したと報じた。同氏は「あなたが父を殺したとは思わない」と伝えたといい、ロバート・ジュニア氏は、「違う人が父の殺害で有罪を宣告されたかもしれない」と、キャスリーン女史と同様の懸念を持っているとことをうかがわせた。
予備選勝利直後撃たれる
ロバート・ケネディ氏はどんな人物で、その暗殺の状況はどうだったのか。
大統領の8歳下の当時42歳。1963年11月に大統領が暗殺された後に司法長官を辞し、1965年からニューヨーク州選出の民主党上院議員として活躍していた。1968年春、ジョンソン大統領(ケネディ政権の副大統領、暗殺を受けて昇格)が、同年11月の大統領選への不出馬を表明したため、急遽、自らが出馬することを決断した。6月4日夜、カリフォルニア州の予備選で勝利をおさめ、ロサンゼルス市内のホテルで大勢の支持者らを前に勝利演説を行った直後、拳銃で頭部、背中を撃たれて6日に死亡した。
パレスチナ系移民で当時24歳の青年、サーハン・サーハンが現場で取り押さえられ、起訴された。動機はケネディ議員が親イスラエルであったことに反発したためといわれる。翌年、終身刑の判決を受け、70歳を超えたいまも服役中だ。
兄の大統領暗殺事件をめぐっては、さまざまな憶測が飛び交い、あまたの著作や映画を通じて真相に迫る試みがなされてきたのはよく知られるところだ。ロバート氏の暗殺についても1970年代に再捜査が行われたこともあるが、サーハン受刑者の単独犯行を覆すあらたな証拠は見つからなかった。
6月5日付けのポスト紙は、シュレード氏の証言などをもとに、暗殺についての疑問をあらためて投げかけている。
多くの物証が無視される?
ほかにも狙撃者がいたというのが、もっとも有力な説だ。後頭部と背中を撃たれた傷が致命傷というが、サーハンがケネディ氏の前方に立っていたのを、多くの人たちが目撃している。
FBI(連邦捜査局)やロス市警は、暗殺現場近くのホテルの食器室のドアなどから、サーハンの拳銃に装填されていた8発を上回る数の弾丸が発射されたことを示す弾痕を発見しながら、その証拠を無視したという説、狙撃するには好都合の位置にいた武装ガードマンについて、所持していた銃の検査など必要な捜査をしなかったという説もある。サーハンが事件前、ナゾの黒髪女性と一緒にいたという証言も単独犯行を否定する根拠になっている。
ハリウッドのセックス・シンボル=Aマリリン・モンローが自殺した際に検視した著名な検視医、トーマス・ノグチ氏も登場、91歳の同氏が、最近行われた事件に関する研究会で、ケネディ氏の衣服に付着していた火薬がなどから、サーハン受刑者の銃による傷という見方に疑問を表明したという。
シュレード氏はポスト紙に対して「サーハンはロバートと他の人を傷つけたのは事実だが、致命傷を与えたのは彼の拳銃ではなかった。検察は第2のガンマン≠ェいたことを知りながら、サーハンだけを有罪に追い込んだ」と述べ、強く再捜査をもとめている。
もっとも、再捜査の是非について、ケネディ家では意見が分かれているという。ロバート・ジュニア氏、キャスリーン女史が強く求めているのに対して、長男、ジョゼフ・ケネディ元下院議員ら3人は反対。故上院議員の未亡人で90歳のエセル夫人は、沈黙を守っているといい、ケネディ家の苦悩が伝わってくるようで痛ましい。
同時期のキング牧師暗殺にも謎
暗殺事件、とくに超有名人のそれには、さまざまな謎、憶測や疑念がつきものだ。ことの性質を考えればあり得ることとはいえ、他の事件を含め、どうしてこうまで、ナゾめいた事件ばかりなのだろう。
兄のジョン・F・ケネディ大統領の暗殺について、いまなお、さまざまな議論があるのは周知のことだし、ロバート氏暗殺事件の2カ月前に起きた公民権運動指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師の殺害事件でも同様の疑念が取りざたされた。しかも、キング牧師の暗殺事件では、やはり遺族が犯人とされていた男の無実の主張を強く支持。ロバート・ケネディ暗殺事件と類似点がある。
キング牧師は、68年4月4日にテネシー州メンフィスでやはり銃で撃たれた。
ジェームズ・レイという男が逮捕、起訴され、禁固99年の刑が宣告されたが、レイ服役囚は一貫して「犯人は他にいる」と容疑者の具体名まであげて訴えていた。キング牧師の未亡人や長男は、強くこの主張を支持し、連邦政府に再捜査を働きかけるなどしていた。
レイ服役囚は、事件後ちょうど30年経った1998年4月、テネシー州の刑務所で、再審の望みかなわず死亡した。
事件の年1968年は世界が激動
ロバート・ケネディ氏が暗殺された1968年という年は、思い起こしてみれば、世界でさまざまな出来事があった。世界史上に特筆される年ともいわれている。
ベトナム戦争が激化、多くの戦死者を出し、反戦運動が米国の内外で高まりを見せた、キング牧師の暗殺はマイノリティーの地位向上を求める運動に拍車をかけた。11月の大統領選挙では、1960年にケネディ大統領相手に一敗地にまみれた共和党のリチャード・ニクソン氏がニュー・ニクソン≠スローガンにして復活当選を果たした。しかし、それは弾劾寸前に辞職に追い込まれるウォーターゲート事件という一大スキャンダルの序曲だった。
東側では、8月に起きたソ連・東欧5カ国軍によるチェコ侵入事件が世界を震撼させた。民主化を求める「プラハの春」を戦車の轍で押しつぶしたツケが、30年以上も後のソ連崩壊の遠因になったという分析もある。
日本では、学生運動がベトナム反戦と相まって頂点に達した。
札幌医科大学で、日本初の心臓移植手術が行われたが、「心臓提供者の死亡確認が不十分だったのではないか」などの疑惑から刑事事件に発展、執刀医は不起訴になったものの、外科医たちを萎縮させ、日本の移植治療の進歩を阻んだ。
栄華を誇ったケネディ家にしても、その後は衰退の一途をたどった。ケネディ家の末弟、エドワード・ケネディ上院議員も、大統領選出馬に意欲を見せたこともあったが、車に同乗していた秘書を事故で死亡させたスキャンダルなどが災いして果たせなかった。長男で駐日大使をつとめたキャロライン・ケネディ女史の実弟、ジョン・ジュニア氏は1999年、自家用機を操縦中に事故でなくなっている。
ロバート・ケネディ暗殺事件の真相解明をもとめる声が大きなうねりとなるのか、死後50年という節目のエピソードにとどまるのか−。今後の展開は、予測できないが、この事件も時代の変化への暗い象徴だったのかもしれない。
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事実に追い詰められた人びとが逃げ込む「陰謀論」という呪文
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020001/
2018.09.03 櫻井ジャーナル
少なからぬ日本人が「アメリカ様」を信仰している。「世の中はアメリカ様の描いた予定表にしたがって動く」のであり、「アメリカ様の御言葉こそが真実」で、その「御言葉」に異を唱えることは許されないという態度だ。その「御言葉」が嘘だと言うことを事実に基づいて説明する人物が現れたなら、「陰謀論」という呪文を彼らは唱える。
本ブログでも書いたことがあるが、「陰謀論」という呪文が盛んに使われるようになったのはジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月22日に暗殺された後のこと。新大統領のリンドン・ジョンソンはアール・ウォーレン判事を委員長とする調査委員会を設置するが、その中にはリチャード・ラッセル上院議員(当時、以下同じ)、ジョン・クーバー上院議員、ヘイル・ボッグス下院議員、ジェラルド・フォード下院議員、アレン・ダレス元CIA長官、ジョン・マックロイ元世界銀行総裁がいた。そして主席法律顧問はリー・ランキン。
大戦中から破壊活動を指揮、ケネディ大統領にCIA長官を辞めさせられたダレスや世界銀行の総裁を経てドイツの高等弁務官としてナチスの大物たちを守ったマックロイ、フーバーFBI長官に近かったフォードがメンバーに含まれ、ランキンはCIAとFBIにつながっていた。ダレスの側近で1966年6月から73年2月までCIA長官を務めたリチャード・ヘルムズによると、彼がダレスを委員にするように説得したのだという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
この委員会で専任だったのはダレスくらいで、調査はダレスを軸に動いていく。そして出てきたのはリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行説。この報告書が出ると疑問が噴出、疑惑の目はCIAへ向けられる。その後の調査でオズワルドはFBIに情報を提供していた可能性が高いとも言われている。少なくともウォーレン委員会の主張は矛盾だらけで、説得力は全くない。
その報告書が出た3週間後、1964年10月12日に散歩していたひとりの女性が射殺された。ケネディ大統領と親密な関係にあったマリー・ピンチョット・メイヤーだ。銃弾の1発目は後頭部、2発目は心臓へ至近距離から撃ち込まれていた。
この女性が1958年まで婚姻関係にあったコード・メイヤーはCIAの幹部として秘密工作に関わっていた。アレン・ダレスの仲間だったわけだ。
ケネディ大統領が暗殺された直後、マリーは友人でハーバード大学で心理学の講師をしていたティモシー・リアリーに電話し、泣きながら「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」と語ったという。(Timothy F. Leary, “Flashbacks,” Tarcher, 1983)
その後も多くの人がケネディ大統領暗殺に関して調査、今ではオズワルドの単独犯行説を信じる人は少数派だろうが、有力メディアやアカデミーの世界でウォーレン委員会の説に異を唱えると「陰謀論」扱いだ。
ソ連が消滅した後、1990年代からアメリカを中心とする西側の政府や有力メディアは証拠を示すことなく、自分たちに都合の良いストーリーを「事実」として露骨に宣伝することになった。そうした傾向は特に21世紀に入ってから強くなり、今では事実を探すことが困難なほどだ。
ここに来て新たに使われ始めた呪文に「偽情報」とか「偽報道」というものがある。当初は西側の政府や有力メディアに向けられていた表現だが、それを批判者側へ向けている。勿論、証拠や根拠は示さない。「アメリカ様の御言葉を信じろ」ということだ。西側はすでにカルト化している。
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アメリカの偽りの歴史
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-60bc.html
2018年9月18日 マスコミに載らない海外記事
2018年9月14日 Paul Craig Roberts
デヴィッド・レイ・グリフィンは、私が読めるより早く本を書く。そこで私は、悪魔的偽旗帝国という書名にした方が良かったと示唆している、グリフィンによるアメリカ合州国の歴史: 『The American Trajectory: Divine or Demonic?』のエドワード・カーティン書評を借用する。
https://www.amazon.com/American-Trajectory-Divine-Demonic/dp/0998694797/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1536407631&sr=1-1&keywords=David+Ray+Griffin
グリフィンの著書は非常に素晴らしいもので、洗脳されたアメリカ超愛国者を激怒させるのは確実だが、他の国々に対するワシントンの侵略が、政治家やマスコミやと御用歴史家の高潔な言い回しによって、いかに隠蔽されているかを徹底的に立証している。“アメリカ例外論”の尊大さと傲慢と無知が、核のハルマゲドンによる絶滅の軌道に向けて、世界を固定していると私は考えている。
カーティンは、グリフィンが、ジョン・F・ケネディ大統領の評価で、グリフィンほど注意深い学者にしては稀な途方もない間違いをしていると指摘している。ケネディ大統領は、アメリカの軌道を、悪魔的な道から変えようと試み、その企てゆえに、自身の政府によって殺害された大統領だった。だが、私が前に言った通り、全てのことを知っている人はいない。我々は他の人に頼らねばならないことが多く、他の人々も間違いをするのだ。
ワシントンの侵略戦争のグリフィンによる説明、あるいは、おそらく、カーティンの書評で単に触れられなかっただけの一つの省略は、南部連合国に対するワシントンの侵略と戦争犯罪だ。北部諸州の侵略には、一般市民に対する戦争遂行や、彼らの生活手段の意図的な破壊も含まれる。アメリカとイギリスによるドイツの都市への焼夷弾爆撃と、ワシントンによる原子爆弾での長崎と広島の破壊と、当時は変わらないものだ。
ワシントンは、道徳がその帝国を邪魔するのを決して許したことがない。
ワシントンは、条約や国内法が邪魔するのを決して許したこともない。例えば
-チェイニー/ブッシュ政権は、1971年に議会で成立し、ニクソン大統領が署名した非拘禁法に違反した。
-チェイニー/ブッシュ政権は、上院が1994年に批准し、世界のどこにおいても、アメリカ政府職員が誰かを拷問することを禁じるアメリカ法に裏打ちされた拷問等禁止条約に違反した。
-チェイニー/ブッシュ政権は、一方的に弾道弾迎撃ミサイル制限条約から脱退した。
-トランプ政権は、一方的にイラン核合意から脱退した。
-オバマ政権はアメリカ憲法による適正手続きの保護を拒絶し、起訴、裁判、有罪判決無しに、アメリカ国民を恣意的に暗殺した。
上記の例は単に表面を引っ掻いたものに過ぎない。ワシントンが無効にした様々なアメリカ・インディアン部族とのあらゆる条約をお考え願いたい。
ワシントンの約束は無意味なのだから、イランとロシアがワシントンと無価値な協定を結ぶのは謎だ。答えは、希望が経験より優先するということに違いない。
Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。
悪魔のような偽旗帝国
エドワード・カーティン
https://www.lewrockwell.com/2018/09/edward-curtin/a-diabolic-false-flag-empire-a-review-of-david-ray-griffins-the-american-trajectory-divine-or-demonic/
過去は死んではいない。眠っているのは人々だ。我々がうなされている現在の悪夢、忌まわしい白日夢は、現在にまで続く、我々の過去の奥深く焼きついている殺人に起因するのだ。いくら記憶喪失を装っても、アメリカ史の血まみれの真実、我々が自身に与えた安物の恩寵を消し去ることはできない。ハロルド・ピンターがノーベル賞講演で語ったように、我々は“ウソの巨大な織物”我々を取り巻く、虚無的な指導者や、連中の代弁人マスコミが極めて長い間が語ってきたウソを食べ物にしている。真実の抑圧と、国内と外国での、何百万人もの人々の残虐な殺害の積極的、あるいは沈黙の共犯者であることを認めないことで、我々は良心の呵責を感じているか、感じるはずなのだ。
だが、ピンターが言った通り“途方もない困難が存在していますが、我々の生活と社会の本当の真実を明らかにするという、市民として、ひるまず、動じない強い知的決意は、我々全員に託された極めて重要な義務であると私は思います。それは実際、必須の義務です。”
この高貴な取り組みで、2001年9月11日の攻撃以来、次から次の著書で、丹念にアメリカ帝国の裏面と、その悪の主人たちを暴露するデヴィッド・レイ・グリフィン以上に象徴的な人物はいない。人々に手を差し伸べ、彼らに攻撃の結果の恐怖を警告しようとする彼の粘り強さは類まれだ。彼の哲学と神学の著書を除いて、これは2004年以来、こうした生と死や世界の未来という重要な問題に関する彼の15冊目の著書だ。
この素晴らしい本で、最初のヨーロッパ人入植者到着の初めから、この国、アメリカは神の力によって設立され、導かれたというあらゆる言説にもかかわらず、“良性というよりは悪性で、神のようにと言うより悪魔的だ”という説得力ある歴史的主張を彼はしている。主張を証明する詳細な文献で裏付け、彼は年代順に、この歴史を提示している。彼の以前の著書『Bush and Cheney: How They Ruined America and the World』で、グリフィンは、9月11日の内部犯行/偽旗攻撃に続く、悪の行為を羅列したが、その前日談の本書では、彼は、何世紀もさかのぼるアメリカ史の教訓を示し、アメリカ合州国を“偽旗帝国と呼んだ方が正しいことを示している。
2001年9月11日の攻撃は、彼の二冊の本がそれを軸にしている偽旗作戦だ。何千人もの無辜のアメリカ人の死を招いた行為本来の残虐さゆえのみならず、それが世界中の何百万人もの人々に死をもたらした“対テロ戦争”と呼ばれるアメリカ合州国による進行中の残忍な軍事作戦の正当化になっているので、あの攻撃の重要性は強調しすぎることはない。international array of expendable people。Terrifying as they were、and were meant to be、この歴史の多くは闇に隠されているとは言え、彼らには多数の前例があるのだ。
グリフィンは、そこに光を当てており、彼の分析の大半は、1850年-2018年の期間に集中している。
神学と哲学の学者として、社会として、国民をテロと、生活の無数の恐怖から守る方法、保護の神話によって アメリカ合州国が他の国々を脅すのに、巧みに利用してきた、非宗教的な支配者にとっての、宗教的正当化の必要性の重要性を彼は十分承知している。アメリカが神に“選ばれた国”として、アメリカ人が神に“選ばれた人々”として正当化に使われる用語が、宗教からの分離と、多元的共存が根付くにつれ、時代とともにいかに変わったかを彼は示している。名前こそ変わったが意味は変わっていない。神は我々の側にあり、そうであれば、相手側は呪われており、常に悪魔(el diabalo)と戦っている神が選んだ人々に殺されてしかるべきなのだ。
国を導く“見えざる手”と“神意の代理人”について語ったジョージ・ワシントンの最初の就任演説から始め、“私は全身全霊で、アメリカ例外論を信じている”というオバマの言葉を引用して、これを実証し、この二つの間に、アンドルー・ジャクソンの言う“天祐がこの祝福された土地に、無数の天の恵みをどっさり与えてくださった”や、1900年、アメリカが神から与えられた任務を“自明の宿命説”と特徴付けたヘンリー・カボット・ロッジがある。現在のアメリカの宗教はアメリカ例外論、古めかしい“神の新イスラエル”やら“世界の救い主”の更新版の遠回しな言い方。
このことば遣いの中核には、ヒラリー・クリントンが、“我々は善なので、我々は偉大だ”と言って、2016年大統領選挙運動中に宣言したように、また2004年、ジョージ・W・ブッシュが“我々以前の世代と同様、我々には自由のために戦うよう、空から与えられた天命がある”と言ったように、祝福された良き国として、“民主主義”と“自由”を世界中に広める神から与えられた任務があるというアメリカ合州国の妄想がある。グリフィンが実証している通り、そのような決まり文句は、時折、アメリカの暴力的指導者によって“自由”にされた無数の犠牲者による嘲笑いを受けるだけでしかない。
神に与えられた立場というアメリカの主張の事実を明らかにした後、アメリカ合州国が善良か悪性かという問題で、一方の側についた様々な思想家を彼は検証する。これは全て、この本の核心、アメリカの軌道の中核にある悪性度を立証する歴史の教訓への準備だ。
“アメリカ帝国主義は、キューバとフィリピンが主な獲物だった1898年に始まったと言われることが多い”と彼は始めている。“とは言え、その時点で新しかったのは、アメリカが北アメリカ大陸外の国々を支配したということだけだ”。他者の土地を強奪し、彼らを殺害する“神の権利”は、通常の帝国主義の解釈である海こそ渡っていないものの、ずっと前から始まっており、アメリカ先住民の大量虐殺は、1898年よりずっと前のことだった。メキシコとの戦争と、メキシコの土地占領と、太平洋へと西への拡張を推進した“自明の宿命説”もそうだった。この帝国形成期は、“人類に対する他の大罪”つまり奴隷制度自身の吐き気がする残虐性に加え、1000万人のアフリカ人が亡くなったと推計されている奴隷貿易に大きく依存していた。“手口がいくら残虐であろうとも、アメリカ人は神の目的の道具なのだ”とグリフィンは書いている。更に、彼は、1850年に、ペリー提督がアメリカの商業のため、砲艦外交によって“傲慢な日本”に開港を強いており、海外でのアメリカの帝国主義的冒険が、1898年に始まったということさえ真実でないと正しく付け加えている。
1898年、キューバとフィリピンの占領と、ハワイ州併合で終わった“米西戦争”で、海外での帝国拡張のペースが劇的に速くなった。これらの戦争は“スペイン植民地奪取戦争”と呼んだ方がより正確だとグリフィンは言う。これらの行為の残虐さと傲慢さの彼による分析は、ソンミ村虐殺事件や、他のより最近の虐殺事件には、国家構造の一部として、長い伝統があることを読者に認識させ、フィリピン人やキューバ人や非常に多くの他の人々が虐殺される中、グリフィンは書いている。“‘我々は帝国主義をしない’というドナルド・ラムズフェルド国防長官の宣言を予想して、マッキンリー[大統領]は言った。帝国主義は‘この自由で寛大な国民の気質や才能になじまない。’”
おそらくそうした全くのたわごとに対する唯一の反応は、当時、今と同様、狂った笑いで、グリフィンが、フィリピン国旗を作るのは簡単だというマーク・トウェインを引用している。
我々のいつもの国旗を使い、白い線を黒く塗り、星を頭蓋骨と交差した骨に置き換えさえすれば良い。
これは、モンロー・ドクトリン・イデオロギーのもとで従属させられたコロンビアやパナマ、プエルトリコ、ドミニカ共和国、ハイチ、ニカラグアや他の国々にも当てはまるはずだ。どこであれ、自由と国家独立が、その醜い頭を上げると、アメリカ合州国が、すぐさま強力な反革命軍隊と財政的いじめで介入する。極東では、中国、日本や他の国々を略奪するのに“門戸開放”政策が利用された。
だが、こうしたこと全て、始まりに過ぎなかった。アメリカを第一次世界大戦の局外に保ちたがったと主張する、典型的なずる賢い不誠実なリベラル民主党政治家ウッドロー・ウィルソンが、彼の資本家のご主人たちが要求したアメリカによる外国市場支配を確実にするため、いかに正反対のことをしていたかをグリフィンは示している。ウィルソンが、ルシタニア号沈没を、開戦の理由として利用するのに、いかにウィンストン・チャーチルと共謀したか、また、ヴェルサイユ条約によるドイツの厳しい扱いが第二次世界大戦のお膳立てをしたかをグリフィンは探っている。
二つの世界大戦間の時代に、ロシアと新ソ連の悪魔化がいかに始まったかを彼は説明してくれる。現在、全力でがなり立てているこのロシア非難は、アメリカの軌道で、繰り返される主題だ。その重要性はいくら強調しても、しすぎることはない。ウィルソンは、ボリシェヴィキ政府を“テロによる政府”と呼び、1918年には“数千人の兵士を北部と東部ロシアに派兵し、1920年までそこに駐留させた。”
アメリカがロシアを侵略したという事実は触れられることが稀で、アメリカ人にはほとんど知られていない。おそらく、一世紀にわたるソビエト社会主義共和国連邦/ロシアの悪魔化の認識は、“ロシアゲート”と呼ばれる現在の反ロシア・プロパガンダを信じている人々を啓発するはずだ。
海外での帝国主義的干渉という“神の”行為に対応させて、ウィルソンは、国内で、赤の恐怖を醸成したが、グリフィンが言う通り、それが今日に至るまで存在しているアメリカ人の急進思想や革命への恐怖を作り出し、世界中の残虐な独裁者支持と、国内での自由弾圧(現在起きているような)の正当化として機能するので、それには持続的な、計り知れない重要性があるのだ。
彼はアメリカが支持した何人かの独裁者について簡単に要約し、もう一人のリベラルな民主党政治家フランクリン・ルーズベルトの残虐なニカラグア独裁者アナスタシオ・ソモサにまつわる有名な発言“彼はろくでなしかもしれないが、彼は我々のろくでなしだ”を挙げている。かくして、ソモサが、43年間もニカラグア国民を脅すことになったのだ。同じことが、キューバ、チリ、イラン、グアテマラ、ドミニカ共和国、ハイチなどで起きた。アメリカはムッソリーニも支持し、フランコのファシストがスペイン共和国を打倒するのを防ぐために何もせず、蒋介石右翼政権による中国支配の取り組みを支持していた。
世界中でのアメリカ行動の悪魔的本性を裏付ける実に暗く醜い歴史だ。
更に、グリフィンは、いわゆる“良い戦争”の第二次世界大戦にまつわる多くの神話を論破する。彼は日本の真珠湾“奇襲”について語られているウソを説明している。ルーズベルトが、太平洋とヨーロッパの両方で、どれほどアメリカを参戦させたがっていたか。どれだけのアメリカの経済的私利がその背後にあったか。残虐なファシスト政権との戦いで、自由を愛する人々をアメリカは献身的に守ろうと望んでいたという神話を彼は批判する。彼によれば、それは歴史の一部に過ぎない。
ところが、これは第二次世界大戦中のアメリカ政策の正確な姿ではない。多くの人々が、確かに、連合軍の勝利によって、恐ろしい独裁から解放された。だがこれらの人々が恩恵を受けた事実は偶然の結果で、アメリカ政策の動機ではない。これらの政策は[アンドリュー]ベースヴィッチが発見した通り‘倦むことを知らない私利’に基づいていた。
更に、広島と長崎に対する原子爆弾攻撃だ。グリフィンが示している通り、これ以上悪魔的なものはあり得ない。もしも、こうした一般市民の血も涙もない大量虐殺と、それを正当化するためにつかれたウソが、don’t convince読者を、アメリカ史の核心には、長期にわたり、何かradically evil、nothing will。ドワイト・アイゼンハワーや、トルーマンの首席補佐官、Admiralウィリアム・D・リーヒーを含むトルーマンと彼の顧問たちや軍幹部連中が、原子爆弾投下は戦争を終わらせるのには不要だと知っていたが、連中はそれでも投下したことを、グリフィンは示している。
クリントンによる壊滅的打撃を与える経済制裁の結果としての、500、000人以上のイラク人児童の死は、それだけの価値があったと考えるのかという質問へのクリントンの国務長官、マデレーヌ・オルブライトの答えを彼は想起させている。“でも、思うに代償は、その値打ちはあるのです。” (彼女が話した時も、これら戦争犯罪は継続中なので、“です”と言ったことに注目) だが、この人物は“我々は必要欠くべからざる国民です。我々は堂々としています”と言った同じ人物だ。
グリフィンは、他の何章かを、様々な話題の中でも、冷戦の創造、冷戦中のアメリカ帝国主義、冷戦後の介入、ベトナム戦争、世界支配への衝動、偽旗作戦に割いている。偽旗作戦については、“実際、アメリカ帝国の軌道は、この種の攻撃に大いに依存しているので、偽旗帝国と表現できるほどだ”と彼は述べている。偽旗作戦の章では、本の中で、スイス人歴史学者ダニエル・ガンサーが広範囲に実証した、共産主義者と社会主義者の信用を傷つけることを狙って、ヨーロッパ中で行ったアメリカ/NATOテロ作戦、グラディオ作戦を含む、アメリカが関与した多くの偽旗作戦を論じている。そのような作戦は、OSSや、CIAや、その長官アレン・ダレスや、彼の腹心の部下、ジェームズ・ジーザス・アングルトンや、連中のラインハルト・ゲーレン少将のようなナチス共犯者と直接つながっていた。そうした攻撃のひとつで、1980年、イタリア鉄道のボローニャ駅で、こうしたアメリカ・テロリストが、85人を殺害し、20人を負傷させた。サウジアラビアが今日イエメン人生徒に投下した爆弾は、アメリカ軍用に製造されたものだ。これら実証されたアメリカの残虐行為に関して、グリフィンはこう言っている。
“こうした暴露は、アメリカ国民が広く信じている前提の虚偽を示している。アメリカ軍が敵に対しては、時にとんでもないことをすることは認めていても、大半のアメリカ人は、アメリカ軍指導者は、政治目的のために、同盟諸国の無辜の一般市民を殺害するよう命じないはずだと思い込んでいる。グラディオ作戦が、この前提がいつわりであることを示している。”
彼は正しいが、この黒幕指導者連中は、軍同等、あるいは軍以上に、文民であることを補足したい。
“ノースウッズ作戦”の場合、ケネディ大統領に、アメリカによるキューバ侵略の正当化になるこの偽旗作戦提案をしたのは統合参謀本部だった。アメリカ国内でのアメリカ国民殺害や爆撃や旅客機乗っ取りなどが起きていたはずだった。ケネディ大統領は、そういう連中や、そういう計画を非常識と考え、そういうものを拒絶した。他の多くの大統領連中だったら、承認していたはずのことに対する彼の行動が多くを物語っている。そして、またしても、一体どれだけ多くのアメリカ人が、記録として残され、容易に入手可能なこの邪悪な提案のことを知っているだろう? 一体何人がこのことを熟考したいと望んでいるだろう? 歴史の事実から目を逸らし、アメリカ支配者の本質的な善を信じ続けるのを打ち砕くのは大変な難題だ。グリフィンは、まさにそれをしようとして、2001年9月11日に関し、かなり多数の本を書いている。
だが、歴史的事実を進んで受け入れる気があるなら、この素晴らしい本は、アメリカ支配者連中による行動の長年にわたる悪魔的本性に開眼させてくれる。読者は、自ら課した空想の世界中で暮らしているのでない限り、明快に提示されている歴史に影響されずに、本書を読み終えることはできない。連中の実績は明白で、グリフィンは、その全てのあからさまな恐怖を詳細に描いている。アメリカは“良いこと、悪いこと、両方をしているので、純粋に神々しいとか、純粋に悪魔的だとか呼ぶのは分別あることではない”と言っているのではない。そういう純度の疑問は、基本的な真実をあいまいにするのが狙いだ。そして、彼が副題で問うている疑問 - 神のようか、悪魔のようか? - 実際は答えを必要としない修辞疑問で、アメリカ史の“軌道”ということになれば、悪魔が楽勝だ。
グリフィンが読者を失望させている一カ所を指摘しなければ、私は怠慢ということになろう。素晴らしい事実と分析に満ちた長いベトナムの章で、彼らしくない致命的間違いをしている。この間違いは、ケネディ大統領のベトナム政策に関する4ページ部分にある。そのページで、グリフィンは、ベトナムに関して、ケネディが顧問連中やCIAや軍と一致していたと描いている、証拠や事実に全く敬意を払っていないノーム・チョムスキーの酷い著書『Rethinking Camelot: JFK、Vietnum War, and US Political Culture』(1993年)に依拠している。これは事実の上で間違いだ。グリフィンは、より慎重にし、これを理解すべきだった。彼を孤立化させるのが狙いで、彼の指示を無視し、ベトナムでの連中の目標を実現するために彼を殺害した悪魔のような連中に、ケネディは包囲され、取り囲まれていたのが真実だ。彼の最後の年、JFKは、ベトナムにおいてのみならず、ソ連やキューバや世界中について、和平に向けた根本的転換をしていた。そのような転換は、戦争愛好者連中にとって受け入れ難いものだった。そこで、彼は死ななければならなかった。彼のケネディ憎悪が動機で、おそらくは、何かより悪意からのチョムスキーのごまかしとは逆に(彼はウォーレン委員会も支持し、JFK暗殺はたいしたことではないとし、2001年9月11日攻撃の明らかに偽りの公式説明を受け入れている)、グリフィンは、ケネディが1963年10月11日に、ベトナムからのアメリカ軍撤退を要求する命令NSAM 263を出しており、彼が暗殺されて一カ月後、リンドン・ジョンソンが、この撤退命令を、NSAM 273でひっくり返したことを強く主張すべきだった。チョムスキーがそう言っても、あらゆる最高の研究や文書証拠が、これを証明している。素晴らしい学者のグリフィンが、ケネディからジョンソンへの交代を“この大統領交代は政策の基本的変化をもたらしていない”と書いているのは衝撃的な間違いだが、真実に熱心な人物のグリフィンは単にうっかりして、おろそかになったのだと思う。これほど真実から隔たっていることは他にない。
悪魔的進路をゆくアメリカ歴史の軌道を変えるための取り組みで、自分の生命を犠牲にした、一人の極めて重要な人物、ジョン・ケネディ大統領を忘れて、グリフィンは、実に論理的に彼の主張の正しさを説明しているのは皮肉なことだ。
これは、アメリカ外交政策の悪の本質を疑うあらゆる人々にとって必読書たるべき極めて重要で素晴らしい本の中の一つの間違いだ。もしこのまま続けば、世界を核による忘却へと運んでいる軌道を変える助けになる必要な歴史的情報源と刺激を得られるのだから、既に確信している人々も読むべきだ。
夢のような願望だが、もし『American Trajectory: Divine or Demonic?』が、アメリカの学校や大学の必読書になれば、おそらく、アメリカの悪魔を天使に変えるための新世代が立ち上がり、将来のアメリカ道徳世界の弧を公正へと向け、実に長期間そうあり続けている、現代世界最大の暴力の流布者であることを止めるだろう。
記事原文のurl:https://www.paulcraigroberts.org/2018/09/14/americas-false-history/
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1961年にはOAS(秘密軍事機構)なる秘密組織が作られている。ド・ゴールに反発する軍人らによって構成される組織だが、その黒幕もCIAの破壊工作部門。OASはこの年の4月にマドリッドで開いた会議でクーデターを計画する。
まず、アルジェリアの主要都市、アルジェ、オラン、そしてコンスタンチンの支配を宣言し、その後でパリを制圧するという計画。その中心にはモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍だった。
それに対し、アメリカ大統領に就任して間もないジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。クーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということを意味しているわけで、CIAは驚愕する。その後、ド・ゴール大統領はSDECE長官を解任、SDECEの暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。
クーデターに失敗したOASだが、その一部は1962年8月にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試み、失敗している。暗殺計画に加わったメンバーは9月にパリで逮捕され、全員に死刑判決が言い渡された。ただ、実際に処刑されたのはジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐だけ。ド・ゴールを救ったケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809240001/
2018.09.24
ロシア軍機の撃墜でも登場するフランスという国(その2)
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の父親、ベンシオンはポーランドからパレスチナへ移民した人物で、大学時代にジャボチンスキーの「修正主義シオニスト世界連合」へ参加、1940年にはアメリカへ渡り、ジャボチンスキーの秘書になった。
その直後にジャボチンスキーは死亡するのだが、死んだ後もベンシオンはアメリカで活動を続け、パレスチナへ戻るのはイスラエルの「建国」が宣言された翌年、1949年のことだ。1950年代からはアメリカの大学で教鞭を執っている。
アメリカでエマニュエル・マクロンに近いのはヒラリー・クリントン、ベンヤミン・ネタニヤフに近いのはドナルド・トランプだ。
マクロンは昨年(2017年)5月の大統領選挙で勝利、大統領になったのだが、そのときのライバルがマリーヌ・ル・ペン。フランスの裁判所はル・ペンのダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)批判に絡み、彼女に精神鑑定を受けさせるように命じた。ル・ペンにつけられた「極右」というタグに影響され、「左翼」や「リベラル」を自称している人の相当部分は反射的に敵視する。彼女からなら言論の自由を奪ってもかまわないという発想なのだろうが、その矛先は全ての人びとに向けられる。
アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が2003年にイラクを先制攻撃した際、フランスはアメリカ政府の命令に従わず、戦争に反対した。そのときのフランス大統領はド・ゴール派のジャック・シラク。その後、シラクはスキャンダルに巻き込まれ、2011年12月に有罪判決を受けている。
シャルル・ド・ゴールは1959年から69年にかけてフランス大統領を務めた人物。アメリカ支配層とは一線を画していた。
フランスはイタリアと同じようにコミュニストの影響力が強かった国で、それはCIAの積極的な秘密工作につながる。1947年にフランスで社会党政権が誕生すると、その内部大臣だったエドアル・ドプは、右翼の秘密部隊が創設されたと語っている。その黒幕はアメリカとイギリスの支配層だったと見られている。
その年の夏、アメリカのCIAとイギリスのMI6は秘密部隊を使い、「青計画」と名付けられたクーデターを実行、シャルル・ド・ゴールを暗殺しようとする。発見された文書によると、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すことになっていた。フランスの情報機関SDECEも関与してたと見られている。
1961年にはOAS(秘密軍事機構)なる秘密組織が作られている。ド・ゴールに反発する軍人らによって構成される組織だが、その黒幕もCIAの破壊工作部門。OASはこの年の4月にマドリッドで開いた会議でクーデターを計画する。
まず、アルジェリアの主要都市、アルジェ、オラン、そしてコンスタンチンの支配を宣言し、その後でパリを制圧するという計画。その中心にはモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍だった。
それに対し、アメリカ大統領に就任して間もないジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。クーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということを意味しているわけで、CIAは驚愕する。その後、ド・ゴール大統領はSDECE長官を解任、SDECEの暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。
クーデターに失敗したOASだが、その一部は1962年8月にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試み、失敗している。暗殺計画に加わったメンバーは9月にパリで逮捕され、全員に死刑判決が言い渡された。ただ、実際に処刑されたのはジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐だけ。ド・ゴールを救ったケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。
ド・ゴール暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出した。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年のこと。完全復帰は2009年、ニコラ・サルコジが大統領だったときだ。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809240001/
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ソ連がICBMの生産でアメリカに追いつく前なら核戦争でアメリカは圧勝できるとライマン・レムニッツァーJCS議長やカーティス・ルメイ空軍参謀長を含む好戦派は考えた。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年後半に核攻撃するというスケジュールを決めたとされている。その作戦を実行する上で最大の障害だったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
2018.10.04
沖縄の米軍基地は先制核攻撃のために建設され、その計画は今も生きている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810040000/
沖縄県知事選で翁長雄志前知事の政策を継承するとしている玉城デニーが勝利した。名護市辺野古へ新しい基地を建設するという計画に沖縄県民は反対している。そのことを改めて示したと言える。
沖縄県にある基地を存続させたがっているのは日本政府であり、アメリカ政府は執着していないという議論がある。悪いのは日本政府であり、アメリカ政府は悪くないと言いたいのだろうが、これには疑問がある。
ヨーロッパを見るとアメリカ軍/NATO軍はロシアとの国境近くまで勢力を拡大し、国境近くにミサイルを配備している。東アジアでは韓国にTHAAD(終末高高度地域防衛)を強引に持ち込み、日本はイージス・アショアが配備される。中国やロシアとの国境近くにミサイルを配備しているのだ。その理由は先制核攻撃の態勢を整えたいからにほかならならず、沖縄の基地を放棄できないのもそのためだ。
アメリカやイギリスの巨大資本は第2次世界大戦の前からソ連が的だった。ウォール街はドイツと深く結びついていた。そのドイツが軍の主力にソ連を攻撃させるが、スターリングラードで反撃にあって壊滅、1943年1月に降伏する。これでドイツの敗北が決定的になった。
そこで慌てたのがイギリスとアメリカの支配層。両国はソ連との新たな戦争について協議している。イギリスではウィンストン・チャーチル首相が中心になったが、アメリカではアレン・ダレスたちOSSの幹部がフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でドイツ側と接触している。
そして1945年5月、ドイツが降伏した直後にチャーチル首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、5月22日に提出されたのがアンシンカブル作戦。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。これはイギリスの参謀本部が反対して実現していない。7月5日には総選挙があり、保守党は敗北してチャーチルは辞職した。下野したチャーチルは大戦後に冷戦の開始を宣言、ソ連に対する核攻撃をアメリカのハリー・トルーマン大統領に要請したことは本ブログでも書いてきた。
核兵器を手にしたアメリカはソ連に対する先制核攻撃を目論む。例えば1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
1954年になると、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(前掲書)
実際にソ連を先制核攻撃するための準備が始まったのは1957年だと言われている。この年の初頭に作成されたドロップショット作戦では、300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(前掲書)
核爆弾の運搬手段は戦略爆撃機かICBM(大陸間弾道ミサイル)。1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかった。ソ連がICBMの生産でアメリカに追いつく前なら核戦争でアメリカは圧勝できるとライマン・レムニッツァーJCS議長やカーティス・ルメイ空軍参謀長を含む好戦派は考えた。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年後半に核攻撃するというスケジュールを決めたとされている。その作戦を実行する上で最大の障害だったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
ケネディ大統領は1962年にレムニッツァーの議長再任を拒否するが、イギリス軍の幹部によってNATO軍の司令官に就任する。大戦中、このイギリス軍幹部の紹介でレムニッツァーはアレン・ダレスと知り合い、ナチス幹部を救出するサンライズ作戦に参加した。これはルーズベルト大統領に知らせず実行されている。
1950年代に沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていく。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。これがアメリカの先制核攻撃計画と密接に結びついていることは言うまでもないだろう。そうした土地の接収が行われていた1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物がライマン・レムニッツァーだ。
この当時からアメリカの基本戦略に変化はない。ロシアとの戦争に突き進む姿勢を見せていたヒラリー・クリントンを批判、ロシアとの関係修復を主張して大統領になったドナルド・トランプだが、有力メディア、議会、司法省/FBIからの執拗な攻撃を受け、今ではロシアや中国との軍事的な緊張を高める政策を打ち出している。それがアメリカ支配層の意思であり、日本の政治家、官僚、マスコミはその意思に従う。改憲や緊急事態条項はそうした背景から出てきている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810040000/
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1962年にソ連がキューバへ中距離ミサイルを配備したときのアメリカ側の反応
当時、ジョン・F・ケネディ大統領はキューバを海上封鎖したが、カーティス・ルメイ空軍参謀長などJCS(統合参謀本部)の強硬派は大統領に対し、即日ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたという。(Martin Walker, "The Cold War," Fourth Estate, 1993)
1950年代にアメリカ軍やCIAの好戦派はソ連に対する先制核攻撃計画を始動させ、1963年の後半に実行するつもりでいた。ICBMでアメリカはソ連を圧倒できるという判断から立てられた計画。ソ連は中距離ミサイルで反撃するしかなく、そうしたミサイルをソ連が配備できる場所であるキューバを軍事的に制圧しようとした。それが1961年4月に実行されたピッグス湾侵攻作戦で、これはアメリカ軍の直接的な介入が想定されていた。これをケネディ大統領が止めたのだ。
ルメイの仲間にはJCS議長だったライマン・レムニッツァーも含まれ、偽旗作戦でキューバを軍事侵攻するという作戦を1962年に作成している。これもケネディ政権に拒否され、その直後にレムニッツァーは議長再任を拒否された。このレムニッツァーはNATO軍のトップになるが、これはイギリス軍の幹部の計らいがあったからだと言われている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810220000/
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当時、アメリカでは軍や情報機関の好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画、その準備を始めていた。 こうした好戦派はドイツとの戦争で疲弊したソ連の状況を熟知、核兵器やその運搬手段の開発状況からアメリカは核戦争で圧勝できると信じていた。その実行期日として設定されたのが1963年。
この計画の前に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
2018.11.07
中間選挙には関係なく、米国支配層の基本戦略は侵略とファシズム化(その1)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811070000/
アメリカの中間選挙でもドナルド・トランプを悪役として描く人が少なくない。これまでニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポストアメリカ紙といった有力メディアは国外での侵略を正当化し、国内ではファシズム化を推進するために嘘をつき続けてきた。その有力メディアが必死に攻撃しているということは、トランプにはまだ希望があるということを意味しているのだろう。
トランプを排除すればアメリカは民主的な国になるかのような主張もある。「左」とか「リベラル」と見なされている有名人の中にもこうした妄想を口にする人がいる。これは非常に危険なことだ。国外での侵略と国内でのファシズム化は少なくとも1970年代以降、政権に関係なく続いてきたアメリカ支配層の基本戦略なのである。
言うまでもなく、アメリカはヨーロッパからの移民が「異教徒」、つまりインディアンと呼ばれる先住民を虐殺、土地を占領して生まれた国だ。ヨーロッパのキリスト教徒はこうした殺戮をしてもかわないと考えていたのだろうが、こうした考えを持っていたヨーロッパ人はメイフラワーでアメリカへ渡ったピルグリム・ファーザーズやその後継者たちに限らない。11世紀終盤から13世紀にかけて中東を侵略した十字軍も同じ思想に基づいている。この時点で一部のキリスト教徒はカルト化している。
しかし、侵略とファシズム化がシステム化されるのは比較的最近。アメリカの憲法を麻痺させる上で重要な役割を果たしたのは2001年10月25日に成立した「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act / テロリズムの阻止と回避のために必要で適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化するための法律)」である。
ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたことを受け、1カ月あまりで書き上げられた340ページを超す法律で、議会はこれを1週間で承認している。これだけの分量の法律をこの程度の期間で書きたことには驚く。承認前にこの法律を呼んだ上が議員が多いとも思えない。
憲法の機能を停止させるこの法律がこれほど短期間に書き上げられた理由は、すでに準備が整っていたからにほかならない。1982年にロナルド・レーガン大統領が承認したCOG(政府の継続)プロジェクトによって地下政府を構築する作業が始まったのだ。
伝えられているところによると、ジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたちで構成される上部組織と、官僚、将軍、CIAの幹部、「引退」した軍人や情報機関員など数百人で編成される下部組織に分けられていた。この計画では、仕組みを作るだけでなく演習も実施している。この地下政府を始動させる当初の条件は核戦争の勃発だったのだが、1988年に出された大統領令12656によって国家安全保障上の緊急事態に変更された。そして2001年9月11日に国家安全保障上の緊急事態が発生したとされたわけだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811070000/
2018.11.07
中間選挙には関係なく、米国支配層の基本戦略は侵略とファシズム化(その2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811070001/
COGプロジェクトと並行して思想戦が始められている。「民主主義」といった標語、タグを使い、人びとの心理を操ろうということ。国内向けは「プロジェクト・トゥルース」、国外向けは「プロジェクト・デモクラシー」と名付けられた。
このプロジェクトで中心的な役割を果たしていたウォルター・レイモンドはCIAのプロパガンダ担当オフィサーで、1982年からNSC(国家安全保障会議)のスタッフになっている。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
COGの源流は1958年にドワイト・アイゼンハワー政権が設置した地下政府。本ブログでも繰り返し書いてきたが、当時、アメリカでは軍や情報機関の好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画、その準備を始めていた。沖縄の軍事基地化が強引に進められた理由もここにある。その当時、琉球民政長官だったのが好戦派のひとりでアレン・ダレスと親しく、後に統合参謀本部議長になるライマン・レムニッツァーだ。
こうした好戦派はドイツとの戦争で疲弊したソ連の状況を熟知、核兵器やその運搬手段の開発状況からアメリカは核戦争で圧勝できると信じていた。その実行期日として設定されたのが1963年。この計画の前に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
このときに設置された地下政府は9つの局で構成され、それぞれの長も決められた。その後、ひとりが交代になったことから、この局長候補たちは「アイゼンハワー・テン」と呼ばれている。この計画はFEMA、そしてCOGにつながった。
世界制覇が計画され、国外での侵略の準備が始まるのはソ連が消滅した直後の1992年2月。国防総省では次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心にDPG草案が作成されたのだが、これは世界制覇を目的としていた。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリン。ウォルフォウィッツを含むネオコンは、ソ連の消滅によってアメリカが唯一の超大国になり、国連を無視して単独で行動できるようになったと考えたのだ。
ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にし、9/11の10ほど後にはドナルド・ラムズフェルド国防長官たちは侵略予定国のリストを作成していた。イラクからはじまり、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランだ。ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃したのは2003年3月、11年にはバラク・オバマ政権がシリアやリビアをジハード傭兵で侵略しはじめる。
ブッシュ政権はアメリカ軍を主力とする正規軍で攻め込んだが、当初の予定とは違って親イスラエル政権を樹立することに失敗、イランに近い体制になった。そこでアメリカのネオコンはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、アル・カイダ系のジハード傭兵を使うことになる。その方針に基づき、オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を主力とする傭兵で体制転覆を目論んだのである。
ところで、国内のファシズム化や国外での侵略で中心的な役割を果たしてきたのはネオコン。基本的にはシオニストで、元トロツキストが多いと言われている。この勢力が台頭してくるのは1972年の大統領選挙だった。
当時のアメリカはベトナム戦争で疲弊、反戦的な機運が高まっていた。そこで支配層を動揺させる事態が生じる。戦争に反対していたジョージ・マクガバン上院議員が民主党の大統領候補に選ばれてしまったのである。
民主党の幹部は慌てる。そこでヘンリー・ジャクソン上院議員を中心に反マクガバン派が形成され、マクガバンを落選させるための工作が始まった。マクガバンの周辺にいたのはポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パール、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキー、エリオット・エイブラムスなど、後にネオコンの中枢になる若者たちだ。
反マクガバンのキャンペーンではジョージア州知事だったジミー・カーターも率先して参加、そのカーターに目をつけたのがデイビッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーだ。カーターは1976年の大統領選挙で勝利するが、イスラエルへの忠誠度が足りなかったこともあり、再選されなかった。
選挙では共和党のリチャード・ニクソンが勝利するが、デタントへ舵を切ったことから好戦派は反発する。そうした中、ウォーターゲート事件が起こり、1974年8月に辞任し、副大統領だったジェラルド・フォードが昇格した。フォードはJ・エドガー・フーバーFBI長官と親しく、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する委員会で委員を務めている。
このフォード政権でデタント派は粛清される。特に重要だとされているのは、CIA長官と国防長官の交代。CIA長官は議会でCIAの秘密工作の一端を明らかにしたウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ、また国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ替わっている。
1970年代の半ばから巨大資本によるメディア支配が強化され、気骨あるジャーナリストは排除される。その一方で情報機関では内部告発が難しくなるようにシステムを変更、議会の監視から逃れるために「民営化」を進めた。この民営化は他国の情報機関とのネットワーク化を推進、各国政府の情報機関コントロールは難しくなっていく。そしてCOGがはじまり、ソ連消滅をはさんでウォルフォウィッツ・ドクトリンへとつながるわけだ。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811070001/
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2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(前)
ドナルド・トランプ大統領が批判されているひとつの理由に彼の差別的な言動がある。そのトランプは2016年の大統領選挙、あるいはその選挙で当選した直後はロシアとの関係を修復しようとしていた。その政策は彼を当選させた一因だが、有力メディアはそれが許せずに「ロシアゲート」なる話を作り上げ、特別検察官を任命させることに成功した。大統領選挙でライバルだった民主党のヒラリー・クリントンは戦争ビジネスや巨大金融資本を後ろ盾にする人物だ。
1929年1月15日に生まれたマーチン・ルーサー・キング牧師は人種差別と戦い、ベトナム戦争に反対、そして50年間の1968年4月4日に暗殺された。キングと親しくしていたロバート・ケネディは同じ年の6月6日に殺されている。ロバートの兄で大統領だったジョン・F・ケネディと同じように公式見解は単独の個人的な犯行だが、「政府機関」が暗殺に関与したと疑う人は少なくない。
1968年2月、アメリカがベトナム戦争で負けていると印象づける出来事があった。解放戦線が南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)や古都のユエなどで攻勢、北爆の停止とパリ和平会談の開催へとつながったのだ。アメリカ支配層は大きく揺れていた。
アメリカはドワイト・アイゼンハワー政権の時代にベトナムへ軍事介入を始めていたが、ケネディ政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラの回顧録によると、大統領は1963年10月にアメリカ軍をベトナムから撤退させる決断をしていた。(Robert McNamara, “In Restrospect”, Random House, 2005)そのために出されたのがNSAM(国家安全保障行動覚書)263だが、これは副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン大統領が取り消し、本格的な軍事介入へと進んだ。
軍事介入を正当化するために使われたのが1964年8月の「トンキン湾事件」。アメリカの駆逐艦マドックスが8月2日に、また4日にマドックスと僚艦のC・ターナー・ジョイが北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとジョンソン大統領は宣伝、7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのだ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)そして1965年2月には報復と称し、北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めた。
このトンキン湾事件はOPLAN34Aと名づけられた計画が関係していた。この計画をジョンソン大統領は1964年1月に承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOG(特別作戦グループ、後に研究監視グループに名称変更)が編成された。そのメンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊から集められ、司令官は陸軍大佐が務めている。(John L. Plaster, "SOG," Simon & Schuster, 1997)
この作戦の一環として1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、北ベトナムは高速艇を派遣して対抗した。攻撃した哨戒艇は姿を消してしまうが、そこではアメリカの駆逐艦、マドックスが情報収集活動をしていたのだ。31日にはSEALsのふたりが20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃している。この襲撃に対する報復として北ベトナムは8月2日にマドックスを攻撃したと言われている。なお、マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船はアメリカ軍機などの攻撃で撃沈された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801160000/
2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(中)
こうして始められたベトナム戦争は泥沼化、1965年10月にはアメリカ国内で組織的な反戦運動が始まり、67年にはマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成されている。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表する。これがいわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」だ。
この報告書を有力メディアへ渡したダニエル・エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。
エルズバーグは1964年からマクナマラ国防長官の下で特別次官補を務め、2年間を南ベトナムで過ごしている。その時の上司はCIAの破壊工作部門に所属し、旧日本軍の略奪物資を回収するプロジェクトに参加していたエドワード・ランズデール少佐(後に少将)。その後、ランズデールはCIAのキューバに対する秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。
ベトナム戦争でCIAは軍の特殊部隊と手を組み、反米色が強いと見られる地域の住民を皆殺しにする秘密作戦、フェニックス・プログラムが1967年から始められた。「解放戦線と関わりを持つと殺される」という恐怖心をベトナム人に植えつけるための一種の心理戦だったと見る人もいる。似た戦略をCIAはその後も繰り返す。例えばラテン・アメリカにおける「死の部隊」、そして中東におけるアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。
フェニックス・プログラムを提案したNSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーは1967年5月にDEPCORDS(民間工作と革命的開発支援担当のMACV副官)としてサイゴン入りし、MACVとCIAは共同でICEXを6月に始動させている。本ブログで何度か言及しているジェドバラにその人脈はつながる。ICEXはすぐ、フェニックス・プログラムと呼ばれるようになるが、それを現地で指揮したひとりが後のCIA長官、ウイリアム・コルビーだ。このコルビーがエルズバーグにペンタゴン・ペーパーズを明らかにするよう命令したとも言われている。CIA長官時代、コルビーは議会で情報機関の秘密工作の一端を明らかにし、支配層の逆鱗に触れることになった。
1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民がウィリアム・カリー大尉の率いる部隊に虐殺されている。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。この虐殺もフェニックス・プログラムの一環だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801170001/
2018.01.18
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(後)
ソンミ村での虐殺が広く知られるようになったのは1969年11月のこと。この事件に関するシーモア・ハーシュの記事が報道されたのだが、虐殺の直後に従軍していた記者やカメラマンはその事実を知っていたにもかかわらず報道していない。後の国務長官、コリン・パウエルは少佐としてベトナムへ派遣されているが、彼もこの事件について知ったいたことを明らかにしている。(長くなるのでこの話はこれ以上深入りしない。)
ところで、エルズバーグにキング牧師を暗殺したのはFBIのチームだと話したのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは1978年に開かれた国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)
キング牧師が人種差別と戦う切っ掛けになる出来事が引き起こされたのは1955年12月。アラバマ州モンゴメリーで公営バスで白人に席を譲ることを拒み、ジム・クロウ法(人種分離法)違反の容疑でローザ・パークスが逮捕された事件を切っ掛けだ。その後、キング牧師は公民権運動の指導者として知られるようになり、FBIの監視対象になる。
しかし、この段階では要注意人物にすぎない。危険人物と見なされるようになるのは1967年4月4日だと考える人もいる。この日、キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言したのだ。
ロン・ポール元下院議員によると、当時、キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視した。その結果、支配層の中でリベラル派とされる人々と対立することになる。差別反対は許されても戦争反対は許されないとポール元議員は考えている。
FBIは1950年代に国民監視プロジェクトのCOINTELPROを開始、CIAは1967年8月にMHケイアスという監視するプログラムを始めている。当初、COINTELPROはコミュニストをターゲットにしていたが、途中でその矛先を平和運動に向ける。CIAも監視対象は戦争に反対する人々だ。デタント(緊張緩和)に政策を切り替えようとしたリチャード・ニクソンがスキャンダルで排除され、ロシアとの関係修復を訴えたトランプが激しく攻撃されたことも偶然とは言えないだろう。
キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2.5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。
(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801180000/
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2018.11.15
日本とロシアが真に接近することをアメリカ支配層は許さない(1/4)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811140000/
シンガポールで11月14日から15日にかけてロシア-ASEAN首脳会議が開かれ、ASEAN各国の首脳はウラジミル・プーチン露大統領と相次いで会談している。そのひとりが日本の安倍晋三首相だ。その際、安倍は「1956年(日ソ)共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」のだという。
安倍政権は今後、ロシアと平和条約の交渉をするだろうが、条約の調印に到達する可能性は小さい。日本とロシアが真の意味で友好的な関係築くことをアメリカ支配層は許さないだろう。そうしたことを安倍自身だけでなく、アメリカもロシアもわかっているはず。この交渉自体、アメリカの命令かもしれない。ロシアや中国と日本が真に友好的な関係を築けるのはアメリカを支えるドル体制が崩れてからだろう。
この共同宣言は1956年10月、内閣総理大臣だった鳩山一郎がソ連を訪れ、ソ連閣僚会議議長のニコライ・ブルガーニン首相と日ソ共同宣言に署名したもので、同年12月に発効している。この宣言は当時のアメリカ支配層を激怒させたが、発効した事実は消せない。プーチン大統領もこの宣言からスタートせざるをえない。
鳩山一郎を首班とする内閣がスタートしたのは1954年12月。鳩山首相だけでなく、重光葵外務大臣、河野一郎農林大臣、石橋湛山通産大臣たちもソ連や中国と友好関係を結ぼうと考えていた。1955年6月にはロンドンのソ連大使館で米ソ両国は国交正常化の交渉を始めている。
重光は8月末にアメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、その際に重要な提案をしている。「相互防衛条約」の試案を提示、その第5条で「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始」、「アメリカ合衆国の陸軍及び海軍の一切の地上部隊は、日本国の防衛六箇年計画の完遂年度の終了後おそくとも九十日以内に、日本国よりの撤退を完了するものとする」としている。
1945年4月にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死した後、ホワイトハウスではニューディール派の影響力が急速に低下、ウォール街が実権を握る。新しく大統領になったハリー・トルーマンのスポンサーだった富豪のアブラハム・フェインバーグは裏でシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供、イスラエルの核兵器開発を資金面から支えた人物だ。
トルーマン政権は国民党に中国を支配させようとしたが、1948年の後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒、49年1月に解放軍は北京に無血入城した。5月にはアメリカの破壊工作組織OPCが拠点にしていた上海がコミュニストに制圧される。中華人民共和国が成立するのはその年の10月のことだ。そうした流れの中、OPCは拠点を日本へ移動させている。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)
1949年には国鉄を舞台とした「怪事件」が相次ぎ、それを口実として労働組合など左翼と見なされる人びとが弾圧された。その事件とは7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。
1950年10月にOPCはCIAに吸収されたが、その4カ月前、6月25日に朝鮮半島で戦争が勃発している。その直前にジョン・フォスター・ダレスは東アジアを歴訪、日本では6月22日にニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれた夕食会に参加した。日本側からは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康正、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三が出席している。そのダレスに対し、天皇から軍国主義的な経歴を持つ「多くの見識ある日本人」に会い、「そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべき」だとする口頭のメッセージが伝えられたという。メッセンジャーはパケナムだ。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年)(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811140000/
2018.11.15
日本とロシアが真に接近することをアメリカ支配層は許さない(2/4)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811130000/
1951年1月にジョン・フォスター・ダレスが率いる講和使節団が来日、占領後の日本をめぐる交渉が始まる。ダレスは日本に対し、自分たちが「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を求めようとしていた。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年)
少なくともウォール街にとって朝鮮戦争が対中国戦争の一環だと言うことを示唆する出来事が1951年4月に引き起こされている。ウォール街が作り出したCIAの軍事顧問団が約2000名の国民党軍を率いて中国領内に侵入、一時は片馬を占領したのだ。翌年の8月にも国民党軍は中国侵攻を試みたが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わる。
この当時、CIAやアメリカ軍の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していた。例えば、1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれ、この戦争を戦うために特殊部隊のグリーン・ベレーが創設されている。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)
好戦派の中心メンバーのひとり、カーティス・ルメイは日本や朝鮮半島で非武装の住民を大量虐殺した作戦の責任者で、1948年から57年にかけてSAC(戦略空軍総司令部)、空軍副参謀長を経て61年から65年にかけて空軍参謀総長を務めている。
SACは1954年、ソ連に600から750発の核爆弾を投下し、118都市に住む約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)SACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、そして東ヨーロッパの最重要目標に対しては水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。
攻撃目標とされた大都市にはソ連の都市だけでなく、中国の北京も含まれている。沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められ、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはルメイと同じ好戦派で、1960年から62年にかけてのJCS議長。キューバへアメリカ軍を侵攻させる口実として偽旗作戦が計画されたが、その中心メンバーでもあった。レムニッツァーの議長再任はジョン・F・ケネディ大統領が拒否した。
ルメイやレムニッツァーを含む好戦派は1957年初頭、ソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成した。それによると300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
鳩山政権はこうした中、ソ連との友好関係樹立を目指していた。重光外相は1956年8月上旬の頃に歯舞島と色丹島の返還というソ連案を受け入れ、平和条約を締結しようと言い始めたが、同月下旬に態度を一変させ、国後と択捉も要求するようにという訓令を出す。2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝されたとアメリカの国務長官だったジョン・フォスター・ダレスからその間に言われたのだという。そうした脅しにもかかわらず、鳩山首相は共同宣言に署名したわけだ。
共同声明が発効した1956年12月に鳩山は辞任、CIAとの関係が指摘されている岸信介、つまり安倍晋三の祖父が後継総理になると見られていたが、鳩山と政策が近かった石橋湛山が勝ってしまう。
ところが、アメリカにとって好都合なことに石橋が自宅の風呂場で倒れた。軽い脳梗塞だったと言われているが、石橋は退陣せざるをえなくなり、岸が総理臨時代理として政府を動かすことになる。正式に岸が首相となるのは1957年2月のことだ。
アメリカの支配層は日本が中国やソ連/ロシアに接近することを嫌ってきた。彼らの長期目標は中国やソ連/ロシアの制圧であり、日本は侵略の拠点だからだ。日本のそうした立場は明治維新の当時から変化していない。安倍は岸と同じように、アメリカ支配層の手先だ。
その安倍は今年(2018)年9月、ウラジオストックで開催されたEEF(東方経済フォーラム)でロシアに対して平和条約の締結を呼びかけたのだが、プーチンから「いま思いついた。平和条約を前提条件なしで結ぼう。今ここでとはいわない。今年末までに結ぼうではないか」と逆に提案され、安倍は返答できなかったという。安倍の発言はアメリカ支配層が書いたシナリオに沿うものだったはずだが、プーチンの逆提案はそこに書かれていなかったのだろう。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811130000/
2018.11.16
日本とロシアが真に接近することをアメリカ支配層は許さない(3/4)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811150001/
現在、東アジアではロシアと中国を中心に状況が大きく変化しつつある。その中心にはロシアの鉄道とパイプラインの建設、中国の一帯一路プロジェクトがある。そうした状況の変化を象徴する出来事が朝鮮半島で展開されている。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスやアメリカはユーラシア大陸の沿岸部を支配し、海運を押さえて内陸の中国やロシア/ソ連を締め上げようとしてきた。それに対抗してロシアは鉄道を建設したのである。
帝政時代、ロシアはモスクワとウラジオストクを結ぶシベリア横断鉄道の建設を計画、1891年に着工して1916年に完成させた。その鉄道を朝鮮半島へ延ばそうという計画もある。それと並行して天然ガスや石油のパイプライも建設、東アジアをビジネスで結びつけ、経済的な発展を目指そうというわけだ。
その計画のネックになっていたのが朝鮮。1991年12月にソ連が消滅、後ろ盾を失った朝鮮はイスラルや統一教会との関係を強めたとも言われている。その朝鮮に対し、ロシアのドミトリ・メドベージェフ首相は2011年夏、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると金正日に提案している。2011年12月に金正日が急死するが、翌年の4月にはロシア議会がこれを承認している。(金正日の急死に暗殺説があることは本ブログでも紹介したが、今回はこの話を割愛する。)
今年のEEFで朝鮮は自国の鉄道と韓国に鉄道を結びつけることに前向きな姿勢を見せた。こうしたプロジェクトの実現はアメリカの世界制覇プロジェクトを揺るがす。そこで使われているのが「制裁」。この「制裁」はロシア、中国、韓国で進めているプロジェクトの阻止が目的だろう。
韓国の動きを牽制するため、バラク・オバマ大統領は自分たちの忠実な下僕である日本を使おうとした。韓国を自分の支配下から離れないように日本との関係を強化させようとしたのだ。
日本と韓国が対立している原因のひとつが慰安婦の問題。オバマ大統領は日韓両国の首脳との会う際、数年にわたり、毎回のように慰安婦の問題を採りあげて両国の対立を解消させようとしていたという。これは同政権でNSC(国家安全保障会議)の安保副補佐官だったベン・ローズの話だ。
朴槿恵が韓国の大統領だった2015年12月に日本と韓国の外務大臣は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と発表したが、文在寅政権になって状況が変わる。外務大臣直属の検証チームは2017年12月、その合意は朴槿恵と安倍晋三の側近ふたりによる秘密交渉で進められた結果であり、慰安婦だった女性の意見が十分反映されなかったと指摘したのだ。
そして今年、つまり2018年の3月26日に金正恩朝鮮労働党委員長は特別列車で北京へ入って釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談、4月27日に朝鮮の金正恩労働党委員長と文在寅大統領が板門店で会談、緊張緩和の方向へ動き始める。
文大統領と金委員長が会談する前日、アメリカ政府はCIA長官だったマイク・ポンペオが朝鮮で金委員長と握手する様子を撮影した写真を公表した。4月1日頃、つまり中朝首脳会談の直後に撮影されたようだ。アメリカの存在をアピールしたかったのだろう。
紆余曲折はあったが、今年6月12日のシンガポールでドナルド・トランプ大統領は朝鮮の金委員長と会談、朝鮮半島の完全な非核化が確認された。その日、トランプは2017年4月6日のシリアに対するミサイル攻撃は中国への威嚇だったと語っている。
おそらくトランプの発言は事実だが、この攻撃によって判明したのはロシアの防空システムが優秀だということ。この出来事に限らないが、2015年9月30日に始まったシリア政府の要請に基づくロシア軍の軍事介入はロシア軍の強さを証明することになった。アメリカ軍を恐れる必要はないと朝鮮も判断しただろう。
2017年4月6日の攻撃では59機のトマホーク(巡航ミサイル)が発射され、そのうち目標へ到達したんは23発。6割強が撃墜されたことになる。アメリカにとっては嫌な結果。その1年後にもアメリカ軍はシリアをミサイルで攻撃するが、ロシア側は前年の反省から短距離用の防空システム、パーンツィリ-S1を配備していた。それが友好で、約7割のミサイルが撃墜されたと言われている。アメリカ軍の攻撃は威嚇になっていないだろう。
シンガポールでの米朝会談から間もない6月22日、トランプ大統領は朝鮮を「尋常でない脅威」だとし、制裁を続ける方針を示した。その日、韓国の文大統領はロシアでウラジミル・プーチン大統領と会談、平和的な朝鮮半島の非核化を目指すことで一致、国境を越えたエネルギー・プロジェクトを推進し、FTA(自由貿易協定)に関する話し合いを始めることで合意したという。ロシア、中国、韓国、そして朝鮮は手を組み、アメリカは孤立した形だ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811150001/
2018.11.16
日本とロシアが真に接近することをアメリカ支配層は許さない(4/4)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811160000/
アメリカのバラク・オバマ政権が仕掛けたウクライナのクーデターは中国とロシアを戦略的な同盟国にした。この関係は崩れそうもない。アメリカの影響下にあるものの、韓国はロシアや中国に接近、ビジネス上の関係は深まっている。日本の大企業もロシアや中国との取り引きなしに生き残ることは困難で、中ロとの接触は強まっていた。
しかし、ロシアと中国が主導する形で和平が進み、経済が発展することをアメリカ支配層は認められない。ドルを使った金融マジックで世界を支配しているアメリカに生産能力はなく、ドルが基軸通貨の地位から陥落すればアメリカの支配システムは崩壊する。各国がドル決済をやめたなら、アメリカの金融マジックは破綻する。そうした流れを止めるため、アメリカはロシアと中国を軍事的に脅しているが、効果はない。
朝鮮半島の問題でアメリカが受け入れそうな条件は、核兵器開発を放棄させた上で軍事侵略するリビア・モデル、体制の違う国を統一させて全体をアメリカが制圧して支配地域を拡大させるドイツ・モデル、疲弊した状況を利用して庶民を低賃金労働者として西側巨大資本のカネ儲けに奉仕させるというベトナム・モデル。アメリカの支配地域を拡大させるものでなければ、アメリカは受け入れない。
日本とロシアとの関係でも同じことが言える。日本がロシアや中国と友好的な関係を結ぶことをアメリカ支配層は望まない。アメリカ支配層に従属することで自分の地位と収入を約束されている政治家や官僚、その周辺の学者やマスコミ関係者なども同じだ。
日本の検察やマスコミは東シナ海を「友愛の海」にしようと提案していた鳩山由紀夫を2010年に首相の座から引きずり下ろした。次に菅直人が首相に就任するが、この内閣ができて間もなく、石垣海上保安部は「日中漁業協定」を無視して中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まり、日本と中国との関係を壊しにかかる。当時の国土交通大臣は前原誠司だ。2011年9月に首相は菅直人から野田佳彦へ交代、野田は「自爆解散」して2012年12月からは安倍晋三が首相に就任した。
経済的にはロシアや中国との関係を強める方が日本にとって有利。業種にもよるが、日本の大企業が中国との取り引きなしに維持できなくなって久しい。前にも本ブログで書いたように、日本の大企業もアメリカ支配層の戦略に耐えられなくなり、日本の経済界は水面下でアメリカ離れを画策している。政治家や官僚のようなアメリカ支配層の代理人と違い、大企業の忍耐が限界に達することも否定できない。そうした中、日本では大企業のスキャンダルが相次いで発覚したのは興味深い「偶然」だ。
日本で推進されてきたTPP(環太平洋連携協定)は巨大資本のような私的権力が国を支配する体制を築くことが目的で、トランプのFTAはアメリカがターゲット国を支配する仕組みだ。こうした仕組みができてしまえば、日本は主権を完全になくし、ロシアや中国とまともな取り引きができなくなる。別個の戦略が交錯しているが、日本を支配し、食い物にしようとしている点で大差はない。
アメリカの支配層は単にカネ儲けしよとしているだけでなく、世界制覇を目指している。これは1992年2月に国防総省のDPG草案という形で作成された。草案作成の最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニーで、作業の中心はポール・ウォルフォウィッツ国防次官だった。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。
その翌年の12月にソ連が消滅したことでアメリカは唯一の超大国になったと彼らは認識、他国に配慮することなく、つまり国連を無視して単独で世界制覇に乗り出すという宣言だ。そのドクトリンに日本を組み込むという宣言が1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」だ。そのレポートに基づいて安倍首相も日本をアメリカの戦争マシーンに組み込みつつある。
ちなみにその前年、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同じく3月30日に警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。そして8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙は日本航空123便に関する記事を掲載した。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811160000/
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2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html
非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。
この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。
日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。
http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/
(一部のみ)
1月14日付け
EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters
世界を支配しているCIAの3派
By the Anonymous Patriots
The Millennium Report Exclusive
(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)
CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。
大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。
CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。
現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。
オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。
更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。
CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する
組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。
DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。
1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。
国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。
クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。
クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。
法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。
クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。
彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。
オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。
ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。
オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。
スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。
CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。
CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。
CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。
CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。
現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。
CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。
オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。
CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。
CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。
GB-CIA:Gold backed CIA
元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。
GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。
GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。
GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。
また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。
Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):
パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。
パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。
パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。
ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。
ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。
パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。
ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。
ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。
パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。
最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。
パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の
金(ゴールド)を盗んだ。
そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。
Ex-CIA:
既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。
政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。
Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。
Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。
コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。
ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。
これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。
アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。
クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。
トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。
トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。
CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。
トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。
トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。
CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。
ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。
以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html
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日本の中のCIAエージェント
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/436.html
「覚醒剤」_ CIA が麻薬の総元締め
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/126.html
小沢一郎先生を襲った恐怖とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html
日本を売った小沢一郎 _ 平成バブルとその崩壊は CIA が仕組んだ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/233.html
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JFK Assassination Zapruder Stabilized Motion Panorama HD plus SloMo - 50th anniversary - YouTube 動画
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kenedy-vs-lansky.html
ケネディ暗殺に関わったランスキー一族。
これは、ケネディ家VSランスキー一族の物語なのです。
JFKを暗殺することぐらいディープステートには造作もなかった。
普通に影に隠れて暗殺すればよかった。
なぜテキサス州ダラスの広場で衆人の見守る中、暗殺しなければならなかったのでしょうか。
それは見せしめです。
組織の裏切者は酷いやりかたで葬らなければならない。
それがマフィアの掟です。
そしてそれをやった連中は。。
殺人数第2位はカナダのブロンフマン一族。
電通の親分です。
そして殺人数代1位が。ランスキー一族。
これは映画にもなったランスキーさん
マイヤー・ランスキー(英語: Meyer Lansky, 1902年7月4日 – 1983年1月15日)
2018.11.19
2039年の真実 シリーズ ケネディ暗殺の真相 ケネディ一族VSランスキー一族 その1
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kenedy-vs-lansky.html
さて、やりすぎ都市伝説では、ジョンFケネディさんは
宇宙人情報を暴露しようとしたから暗殺されたと言ってましたね。
うーん。
ワタスの見たところ、それはないんじゃないでしょうかね?
いや、そっちの理由もあったかもしれないが。
本当はやはりFRBが絡む話でしょう。
通貨発行権をケネディさんが取り戻したのでぶっ殺された。
虎の尾を踏んでしまった。
ワタスはそう見てるのですが。
ちなみに犯人はリー・ハーヴェィ・オズワルドさんと言われてますが、
そのオズワルドも2日後に射殺され死んでしまいました。
ドキューン。
これはダラス警察の地下駐車場、移送中に撃たれるオズワルドさん。
そしてオズワルドを射殺したジャック・ルピーも獄中死した。
じゃぁ、本当の犯人は?
その真相を調査するため、政府は調査委員会を発足させた。
連邦最高裁長官のアール・ウォーレンの名前をとってウォーレン委員会と名付けられた。
でも、不可解なことに。
ウォーレン委員会の調査報告書は、なぜか2039年まで封印されることになってしまった。
ぇえ?
なんで2039年?
これはあの落合信彦氏の2039年の真実という本です。
2039年まで封印する表向きの理由は、内容を公表すると、
二次的に関係者が殺害されてしまうからというものですた。
まぁ、誰もがそんな言い訳を信じる訳がないでしょう。
犯人は分かり切った話。
ディープステート。
落合信彦さんは軍産複合体と表現しています。
このシリーズは、そのディープステートとはどんな連中なんだ?
その詳細。
ケネディ暗殺からその正体を暴いてしまうシリーズとします。
当たり前ですが長すぎて1回では書けない。
ちょっとずつ書いていこうと思います。
ちなみに皆様はケネディ家の呪いというお話はご存知ですね?
ケネディ家というのはロクな死に方をした人がいないというお話です。
Wikiにも載ってます。
Wiki ケネディ家の呪い
ケネディ家に次々と起こる不幸を、ある人々は「呪い」と呼ぶ。一族の数人は普通の死に方をしておらず、そのうち最も有名なのはジョンとロバートで、二人はそれぞれ1963年と1968年に銃で暗殺された。ジョンJrは1999年に妻と義姉と共に飛行機事故で死亡した。
呪いを信じる者は一般に、一族の不運の証拠として次の主だった事件を挙げる。
1941年 – ローズマリー・ケネディは知的障害だと考えられていた。しかしいくつかの証拠によると、彼女は鬱病のような精神疾患に罹っていた。彼女の暴力性と気分障害が悪化したため、父のジョセフは秘密裏に、ロボトミー手術を彼女に受けさせた。この手術は彼女の認知能力をさらに損い、結果として、彼女は2005年に没するまで施設で過ごすことになった。
1944年8月12日 – ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアは第二次大戦中、イギリス東部で危険な飛行任務に従事している最中、飛行機の空中爆発で戦死した。
1948年5月13日 – ハーティントン侯爵夫人キャスリーン・キャヴェンディッシュ (ジョンの妹)は、飛行機事故によって同伴者の第8代フィッツウィリアム伯爵ピーター・ウェントワース=フィッツウィリアム と共にフランスで死亡した。
1956年8月23日 – ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディは娘アラベラを死産した。(赤ん坊に名前は無く、アーリントン国立墓地にて両親の隣に「娘」と記され葬られた。その後の調べで、ケネディ夫妻は彼女にアラベラと名付けるつもりだったことが分かった。)
1963年8月9日 – パトリック・ブーヴィエ・ケネディ は6週間ほど早産で生まれ、2日後に死亡した。
1963年11月22日 – アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺された。
1964年6月19日 – アメリカ合衆国上院議員エドワード・ケネディは飛行機事故に遭い、補佐官とパイロットが死亡した。エドワードは同僚の上院議員バーチ・エヴァンズ・バイ2世 によって機の残骸から引き出され、負傷した背中、気胸、肋骨骨折、内出血を治療するため数週間入院した。
1968年6月6日 – ロバート・ケネディはカリフォルニアでの民主党の大統領予備選挙に勝利した直後、ロサンゼルスでサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された。
1969年7月18日 – エドワード・ケネディの運転する自動車がマーサズ・ヴィニヤードに架かる橋から転落し、同乗していたマリー・ジョー・コペクニが溺死するというチャパキディック事件が起こった。7月25日に彼はテレビで「事故の夜、何らかの恐ろしい呪いが本当に全てのケネディ一族に降りかかるのか、疑問に思っていた」と述べた。
1973年8月13日 – ジョセフ・パトリック・ケネディ2世 の運転する自動車が事故に遭い、同乗者の一人パム・ケリーは麻痺の後遺症が残った。
1973年11月17日 – エドワード・ケネディ・ジュニアは12歳にして骨腫瘍のため右足の一部を切除された。
1984年4月25日 – デイヴィッド・ケネディ はフロリダ州パームビーチのホテルの一室で、ペチジンとコカインの過剰摂取により死亡した。
1991年 – ウィリアム・ケネディ・スミス は強姦容疑をかけられ、全ての容疑について無罪となった。
1997年12月31日 – マイケル・ルモアーヌ・ケネディ はコロラド州アスペンにてスキー事故で死亡した。
1999年7月16日 – ジョン・F・ケネディ・ジュニアは飛行機事故で、妻のキャロリン、義姉と共に死亡した。自身で操縦していた軽飛行機 Piper PA-32R が誤操縦によってマーサズ・ヴィニヤード沖の大西洋上に墜落したのである。
2011年9月16日 – カラ・ケネディは心臓麻痺で死亡した。
2012年5月16日 – メアリー・リチャードソン・ケネディは自殺した。
こりゃ酷い。。
もう、事故死とかなんとか。みんなロクな死に方してない。
生き残った人として知られてるのはあのキャロラインケネディさんですね。
JFKジュニアのお姉さんです。
2013年から2017年まで日本で駐日大使やってましたね。
恋ダンスも踊ったりしてますたね。
ケネディ大使も「恋ダンス」踊った!すでに再生回数50万超え
ちなみに、キャロラインさんの息子さん。
ジャック・シュロスバーグ君24歳はJFKジュニアにそっくりと話題になってます。
まぁとにかく、なぜこんな呪いのような悲劇がケネディ家を襲ったのか。
この物語は、この人から始まる。
ジョン・F・ケネディの父
ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア(1888年9月6日 – 1969年11月18日)
この人は。。
息子のJFKとは正反対の。。
そう。
完全にギャング。
完全にあちら側。
犯罪に手を染めた立派なマフィアの一員ですた。
それもかなりあくどいことをやってた人でした。
父さん。もう悪いことはやめてよ。
僕は犯罪者の息子なんてやだよ。
人のためになることをしてよ。
その昔、ゴクセンというドラマがありますたが。
あれも極道の娘が、高校の先生になるというドラマですた。
良くある話で、実家が極道やマフィアだったとしても。
僕はこんな家もう嫌だよ。我慢できない。
正義に目覚めてしまう息子さんや娘さんがいるものです。
心の声を聴いて目覚めてしまう人はいる。
仮面ライダーだって最初はショッカーの改造人間だったのでした。
でも正義に目覚めてしまった。
ヒーローとはそういうものです。
そのため深く奴らの組織を知っている。
だって元は組織の一員だったのだから。
このままで良いんだろうか。。
毎日、自分の心の声が責め立てる。
その苦悩。
そしてついに目覚めた。
自分の良心に従おう。そしてついに組織を裏切る。
その勇気。
それがヒーローたらしめる所以です。
JFKこそまさしく、暗闇を引き裂いて生まれたリアルヒーローだったのでした。
だからワタスはWe follow JFKという文字を書き加えたのです。
JFKを暗殺することぐらいディープステートには造作もなかった。
普通に影に隠れて暗殺すればよかった。
なぜテキサス州ダラスの広場で衆人の見守る中、暗殺しなければならなかったのでしょうか。
それは見せしめです。
組織の裏切者は酷いやりかたで葬らなければならない。
それがマフィアの掟です。
そしてそれをやった連中は。。
殺人数第2位はカナダのブロンフマン一族。
電通の親分です。
そして殺人数代1位が。ランスキー一族。
これは映画にもなったランスキーさん
マイヤー・ランスキー(英語: Meyer Lansky, 1902年7月4日 – 1983年1月15日)
ランスキーアメリカが最も恐れた男
ケネディ暗殺にも関わったこのランスキー一族。
これは、ケネディ家VSランスキー一族の物語なのです。
昔は危なっかしくて書けなかった。
でも今は書ける。
ちょっと前置きが長くなってしまいますたが。
このシリーズではこの人類史に残るであろう物語(サーガ)を語るシリーズとします。
まずは第1回目ですた。
近々第二回を書きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kenedy-vs-lansky.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/325.html
J・F・ケネディ-は何故暗殺されたのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/325.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/904.html#c10
平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券
http://jcoffee.g2s.biz/retsuden3.html#soromon
私にとって、最もつらい経験は、1990年の平成バブルの崩壊です。発表しようとも思いますが、なかなかその気にはなれません。
ところが、この年、空前の利益をあげた証券会社があります。野村でも大和でもありません。外資系のソロモン・ブラザース証券が、巧みな方法で日本の市場を舞台に、安全かつ巨額の利益を手中に収めたのです。
同社のこの勝負を、振り返って見ましょう。
1989年11月9日、偶発的に、国境に押し寄せた東独市民により、ベルリンの壁が崩壊します。資本主義が社会主義より優れていることが、誰の目にも明らかになります。
株価の先高感が強まり、12月にはいり、日経平均先物と現物との差がなんと1000円以上開いてしまうのです。この先物高と現物安の異常格差が大問題だったのです。
ブラック・マンデーなどで裁定取引の経験を深め、鍛え上げた外資系証券会社と比較して、日本の証券会社や投資家は、知識不足で無防備でした。
ソロモンのトレーダーは、千載一遇のチャンスを逃さず、大きな勝負にでます。
1989年12月上旬、同社は、現物買いの先物売り(3月限)の裁定取引をなんと1900億円分実施します。ソロモンの現物買いでバブルは、ますます膨らみます。 1989年12月末、日経平均は、38916円の史上最高値となります。この瞬間がピークだったのです。
裁定取引は、株が上がろうが下がろうが利益には、影響を与えません。
現物と先物の差がどう変化するかで勝負が決まるのです。
1990年大発会以来、株価の不振が続きます。この値動きから、同証券のトレーダーは、日本株バブルの崩壊を確信します。
1900億円分の裁定取引から、最大の儲けを引き出すにはどうしたらよいか?思案を重ねます。
◆◆そして、バブル崩壊を促進するための秘策を思いつきます。◆◆
◆◆ 1990年1月11日、その秘策は実行に移されます。◆◆
ソロモン証券は、日本株の暴落へ備え、大量のプット(株を一定価格で売る権利)を買います。そして、ほぼ同時期の、1990年1月11日、不人気の国債の入札に参加、600億円分を購入します。
同社は、大証で購入した日経平均のプットの一部をもとに、アメリカ中の顧客に「日本株売りファンド」を販売します。(簡単にいうと一定金額を払い、日経平均が下がると下がった分だけ利益の出るファンドです。)
これで、準備完了です。
1月16日、ソロモン証券は、買って間もない大量の国債を、損を承知で投売りします。国債価格は暴落して、金利は暴騰します。
日経平均と長期国債の金利のグラフの90年1月を見ると、両者の関係がよくわかります。
金利の上昇をきっかけに株価は下落、先安感が支配的になります。国債で損をしても、株がそれ以上に暴落すれば、同社は儲かるのです。
そして、運命の2月26日が巡ってきます。
先安感が強くなると、現物より先物のほうが早く下がる傾向があります。この日、日経先物は、ストップ安になります。
ソロモン証券は、この機を逃さず、大量の裁定取引を解消して巨額の利益を確定します。
下がりきった先物を買い戻し、大量の現物を売ったのです。
1990年2月26日同社の大量の現物売りが、東京市場に衝撃をもたらします。
日経平均は、34891円から33322円へとたった一日で4.5%も暴落します。
当時、日本の投資家(私もその一人)は、裁定取引についての知識がありませんでした。
翌日の朝刊には、外資系証券会社の裁定取引が暴落の原因、と書いてあります。
「なにか得体の知れない、ヌエのようなアメリカの怪物が
コンピュータを使って暴れまわり、日本市場を破壊している。」
そんな印象でした。
ソロモンと同社から「日本株売りファンド」を買ったアメリカ国民は、日本株の暴落で膨大な利益をあげます。
◆◆無知で未開な市場は、◆◆
◆◆先進技術を持ったアメリカ人に収奪されてしまうのですね。◆◆
◆◆ 二度とこうしたことがないことを、日本人として望みます。◆◆
▲△▽▼
1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。
平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。
事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。
ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。
バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。
バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。
CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。
ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。
かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。
60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。
その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。
デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。
次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。
大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。
それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。
彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。
彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。
1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。
ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。
彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。
こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。
その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉(しゅうえん)を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括(くく)っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。
大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。
ソロモン・ブラザーズの真の狙い
当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に乗って、買いに転じる時機(とき)だと確信していたのです。その結果、バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。
この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。
1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。
『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図っていたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。
彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは「年末から年始に掛けて、日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」でした。
1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かったのです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因(ちな)み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。
そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。
日本人はまだ、この時にも何も気付いていなかったのです。そして日本経済が、瀕死(ひんし)の重傷に陥っている自覚症状すら、エコノミスト達は感じ取ることが出来なかったのです。
当時の政治背景としては、自民党の政治家は2月中旬の衆議院選挙で大勝したことに祝杯を上げていた頃で、政界も財界も危機管理意識はなく、全く無防備でした。
日本人は、まさに「ライオンに、餌を差し出す為に手を伸す呑気(のんき)な兎」でした。腕ごと食いちぎられるか、体ごと丸呑みされるかの、こうした危険すら感じる事もなく、呑気な行動をとっていたのです。
日本人投資家が、株を買いに奔走している頃、アメリカの金融の裏側ではソロモン・ブラザーズの売り攻勢が激化を極め、これまでジリ安で状態であった株価は、一挙に大暴落へと転じました。バブル崩壊の引き金はこの時に引かれたのです。
ついに1990年2月末には、膨らむだけ膨らんだバブルは、日経平均15,000円台を大幅に割れ込みました。一挙に大暴落が起こったのです。
ソロモン・ブラザーズの秘密兵器はデリバティブでした。
デリバティブは説明の通り、現物と先物との価格差を狙った「サヤ取り」であり、「裁定取引」と「オプション」で、日本の株価は下落したら大儲けという派生商品です。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。バブル崩壊の大暴落は証券会社のみならず、大蔵省までを翻弄(ほんろう)の渦に巻き込んだのです。
この巧妙な仕掛けでソロモン・ブラザーズは、僅か三年の研究とその実行で、一兆円にも昇る莫大な利益を手にしたのです。
そしてこの後、日本では更に悲惨な状態が続くことになります。
日経平均株価の大暴落は、株式市場の株価下落だけに止まらず、不動産の分野にも悪影響が及びます。この悪影響は、政府が不動産融資へのマネー供給を停止するという事から始まり、今まで高騰(こうとう)を見せていた大都市の不動産の資産価値が急速に下落したことでした。
この現象は大都会だけに止まらず、地方にまで波及していきます。不動産の資産価値が下落するとは、それを担保にしていた金融機関の担保価値も大幅に減少したということになります。こうして不良債権の波及が表面化するのです。
これに対して政府の後手政策は、次から次へと傷口を広げ、日本の資産とマネーの急速な収縮は、今日に見る不景気と連動し始めることになります。
昇り詰めたものは、いずれ落ちる。これは物事の道理です。この道理に随(したが)い、ソロモン・ブラザーズは、次のプロセスへと準備にかかります。
ソロモン・ブラザーズの真の目的は、ただ単に、日経平均株価を下落させて大儲けすることだけではなかったのです。彼等の真の目的は、日本人の個人金融資産の1300兆円にも上る郵貯(郵便局で取り扱う国営の貯金事業で、元金・利子の支払いは国によって保証される)の食い潰しでした。日本のエコノミスト達は、この事すらも見抜けなかったのです。
ソロモン・ブラザーズが研究の末に計画した事は、こうした下落が生じた時、政治家はもとより、財界人を始めとして、証券会社等が「これを何とかしろ」と、政府に詰め寄り、殺到することを計算に入れていたのでした。これこそ彼等の真の目的であり、ここに「日本発世界大恐慌」を画策した真の狙いが、ここにあったのです。
http://www.daitouryu.com/iyashi/shinizama/shinizama20.html
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その昔、日本は国民総ででバブルに踊った時代がありますたね。
バブルを起こして潰す。奴らの詐欺手口の最たるものですた。
バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。
その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。
最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。
そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。
最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。
これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。
いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。
その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。
澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。
プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。
そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。
バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。
その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。
それを二束三文で奴らが買い叩く。
昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。
さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。
澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。
そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。
澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。
澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロス茶イルドフランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。
ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
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外国人投資家の正体と350兆円のゆくえ
1991年から輪郭が見え始めた日本の経済崩壊は、兜町を土台から大きく揺るがした。92年の4月からの暴落に続いて、7月にかけて東証第一部の平均株価が1万5000円台に突入し、ついに8月10日には一万4000台を記録した。いつまでも続く最安値の更新が、日本の国全体を震え上がらせた。そして外国人勢力による上場企業の買収・合弁へと、事態が急速に展開し始めた。
もはや投資家の損害どころか、日本経済が土台から崩壊しようとしていた。日本株式会社の中枢部が、が一句人投資家によって買い占められるところまで株価が急落し、安い株券が誰か特定の金融ファミリーに集中していたのである。果たしてこれらの暴落が、マーケットの自然な経済原理によってたまたま起こったものだったのか。
日本がこれまで利益を守ってこられたのは、国際金融マフィアが悔しがる『系列会社』の株の持合によるものだった。三井グループ、三菱グループ、住友グループ等はもちろんのこと、富士銀行〜安田財閥は丸紅と連携し、三和銀行〜日本生命〜東洋信託の三水会は日商岩井と連盟を組み、第一勧業は伊藤忠と、それぞれがチームで利権を守るように動いてきた。ところがこの相互持合い方式は、国際金融マフィアが、内部からトロイの木馬方式で侵入してくると、逆に一挙に乗っ取られ大変危ない構造であることがわかり始めた。つまり芋づる式にあっという間に買収されてしまうからである。
今までは株式会社日本独特の『株の系列持ち合い制度』があるため、外国人ブローカーはまるで歯が立たなかった。ところが金融マフィアが巧みに仕組んだ『バブル』という名の時限爆弾によって、兜町の上場株の内の四分の一近くを握っていた銀行業界が、不良債権の焦げつきで、これまで宝物だった手持ち株を大放出せざるを得ない羽目に陥ってしまったのだ。仕組まれた『バブル』の崩壊によって、株価・地価の暴落→銀行の不良債権の急増→融資不能→経済危機→更なる株価・地価の暴落という悪循環に陥った日本経済は、坂道を転げ落ちるように谷底へと転落していった。
その上さらに駄目押しをするかのごとく、国際金融マフィアによる残虐な圧力が日本の大手金融機関に加えられた。88年6月、スイスのバーゼルで開かれた“バーゼル・クラブ”こと国際決済銀行(BIS)の銀行規制会議において、今では知らない者がいない「銀行は、自分が持っている資本金の8%以上を貸し出してはいけない」と定められたのである。これは日本経済にとって、結果的に第2の時限爆弾となった。それほど国際金融マフィアにとって、70年代〜80年代に海外に大々的に進出し始めた日本の金融資本の力が、目の上のたんこぶだったわけなのだ。
この規制のよって、『バーセル・クラブ』の謀略通り、日本の銀行の手足を縛ることが可能となった。むやみに国民から預金を取れなくなった日本の銀行は、増資のよって自己資本を大きくし、この壁を何とか打ち破ろうとした。そして自己資本が運用されている不動産やノンバンク等の資金回収に必死になって走り回った。折から、地価の暴落が始まり、起こるべくして起こった不良債権に青ざめた銀行が貸し出しを渋るようになると、その融資に頼っていた経済界がガタガタになり、それに連鎖して兜町の株がみごとに下降線を描き始めた。
そして最後に、これを見越していたかのように、劇的な92年4月の『外国人投資家による銀行株の大放出』という第3の時限爆弾が、ついに仕掛けられたのだ。ソロモン・ブラザースやモルガン・スタンレーなどが一斉に投売りを始めて、まるで絨毯爆撃のような攻撃を日本の銀行に向かって開始したのだ。彼ら国際金融マフィアは、かなり以前からアメリカ・ヨーロッパ等の経済紙に、『日本のバブル』という言葉をすでに頻繁に紙面に載せていて、いつの日か近いうちに、このシャボン玉に針を刺されて経済崩壊が瞬く間に起こることを、すでに予告していたのだ。
では、このバブル崩壊で、兜町に出入りしていた外国人投資家は、いくら儲けたのか。92年の経済白書によると、株の暴落だけでほぼ350兆円が吹き飛んでいる。金融取引の世界はあくまでゼロサムの世界だから、その莫大な消えた金額とまったく同額のお金を、闇に隠れて誰かがまんまと手に入れたことになる。世界的な株価の変化に目をやってみると、不思議なことが起きている。
年初から8月までの株価の暴落率は、日本だけがダントツで、32・8%という急激な下げ幅を記録している。ロンドン、ニューヨーク、フランクフルト、パリ等はほとんど変化なしで、全体としてはわずかに上昇である。香港では、天安門事件後の反動で中国経済特区が急成長したために、逆に35・8%の急騰である。その中心にある香港上海銀行は、ロスチャイルド・ファミリーの創業した銀行である。
この時期世界の銀行界では、日本が断崖絶壁に立たされていたにもかかわらず、アメリカの巨大銀行が、チェース・マンハッタン、J・P・モルガンを筆頭に、その第二・四半期で恐ろしいほどの利益急上昇を達成したことを、UPI電が7月に伝えた。日本の証券会社が、全国210社合計で3600億円の経常赤字を記録したというのに、日本で活動している外国証券50社合計で、なんと前期の5・6倍という馬鹿げた収益を記録していた。
ちなみに外資系の1位がソロモン、2位がゴールドマン・サックス、3位がモルガン・スタンレー、4位がソシエテ・ジェネラルとなっている。ソロモンとゴールドマンは、すでに大和を抜いて、野村に次ぐ兜町の2位と3位に入っている。メリル・リンチのの純利益は53%増加と、前年と比べると過去最高を打ち立て、6月に入ってモルガンもまた東証株式の「売買高」の部門で兜町の3位に入り、四大証券のうち大和、日興を抜いてしまったのだ。
ここで彼ら外資系証券の開発した巧妙な手口のひとつ、裁定取引と呼ばれるまことに不思議な手口を挙げてみよう。裁定取引( arbitrage)とは、辞書で調べると『ピンハネ』と書いてある。売り買いをする商品には、目の前で取引する『現物』と、何ヶ月か先の取引を扱う『先物』がある。もし何ヶ月か先の株価を知っていれば、現物を先物とのあいだに出る差額(サヤ)をあらかじめ計算して、買いだめでも、売り逃げでも、コンピューターの操作だけで好きなように利益をあげられる。
今回最大の利益をあげたソロモンなどは、ずっと先の株価を知っているものと見え、このシステムでぼろ儲けしたのだ。日本の証券会社は、裁定取引に熱中すると証券取引所が混乱して自滅するという理由から、手控えてきた。しかし外資系にとって兜町の運命なんかどうでもいいのである。ウォール街の大スキャンダルとなったアメリカ国際不正入札事件の犯人、それが兜町を揺るがした同じソロモン・ブラザースである。 今まであえてはっきり書かなかったけれど、彼らは、何ヶ月先の株価を知っているわけはなく、未来の株価を、自作自演のインチキで上下させてきたのだ。つまり集団でつるんで物音ひとつ立てずに、一気に売る。理由は後で何とでもつけられる。チャートや実勢価格なんかまるで無視して、人工的に平然と株価を操作してきたのだ。はっきり言えばインサイダー取引であり、詐欺である。
このとき、チームで株価を完璧にコントロールできるだけの『巨大な資金』と『秘められた実行力』が戦略のキーワードとなる。そのチームを、日本の証券業界では「外国人投資家」と簡単に呼んで、なぜか曖昧なままの存在にしてきた。彼ら数百年の伝統を持つ金融業のプロに対して、あまりに幼稚な認識と言えないか。
日本人が初めて世界の金持ちの仲間入りをしたと言われながら、その実、投機のテクニックとして使われたのは、財テクと呼ばれる一般的な株券・政権の購入に過ぎなかった。要するに、知的な金融能力とはまったく無縁のものだったのだ。
そして今も、日本には本当の金融のプロは存在していない。
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20031025.html
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アメリカの日本叩き落とし戦略
アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしかなくなる。
そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。
実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者として重要な働きをしたと考えられる。
だから現在のブッシュ政権の経済担当責任者とも親交が深い。異例とも言われた経済財政・金融担当の二つの経済ポストが竹中に与えられた時、グレン・ハバード米大統領経済諮問委員長は「竹中氏は申し分のない改革論者で、ブッシュ政権は竹中氏を全面的に支持している」との見解を発表すると同時に「不良債権処理と日銀の金融緩和の必要性」を強調した。
竹中大臣が10月に訪米した時、「大手銀行だからといって容赦しないぞ!」と言わんばかりの不見識な「大失言」(竹中ショック)のためニッケイは大暴落となり日本は時価総額で約50兆円の資産を失った。この時ハバード委員長をはじめ、バウチャー米国務省報道官、テーラー米財務次官らは必死になって竹中大臣をかばった。アメリカが日本に経済高官を送り込んでまでの竹中支援ぶりは異常。ここでまた経済の基本に戻るが、不良債権処理が日本経済の現況下では不要であることは再三解説したのでご理解いただいたと思う。
日本企業は現在リストラ中であり、総需要も資金需要もマイナスだから特に銀行機能を求める環境にない。こうした時、銀行の脆弱な財務体質を目の敵にするのは不自然である。しかも国会でもマスコミでも世を挙げて不況の結果である不良債権処理とデフレ対策に議論が集中し、不況の真の原因から目を避けている。異常ではないか。何故竹中大臣とアメリカはこの時期に不良債権処理と金融緩和を急ぐのか。
それはアメリカの国益の立場になって考えればすぐ分る。自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難いこと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し日本市場に向かうからである。
今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。住宅バブルが弾けるのも時間の問題。
不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」を与えてしまった。
竹中平蔵は、もともと日本からハーバード大学に留学していった。米国では世界各国から来るエリートを選び、その人物に、洗脳教育を施していると聞く。つまり、「国際金融資本に、すべて任せることがよい」という洗脳である。
○ 竹中の推し進めてきた政策を振り返るとあることに気づく。それは、すべて日本の企業を倒産させて、米国の企業に買い取らせるという結果になっている政策ばかりであり、しかも竹中はこれを「すばらしい」と表現している。
○ここでハーバードまで留学して、結局、「すべて国際金融資本に任せるべきだ」という思想を植えつけられているとする。
<竹中の破壊の歴史>
振り返ってみれば、日本は世界最強の銀行として、誇っていたのを台無しにしたのは自己資本比率規制の導入であった。これを導入することを熱心にやっていたのが竹中であり、金融ビッグバンも竹中の提案であり、不良債権処理も竹中路線であり、就任以来54もの金融機関を次から次へと倒産させてきたのは彼の政策のためである。
小泉内閣になってついに、竹中金融担当大臣が就任した。
周囲は、机上の空論の大臣だといって猛烈に反対していたが、小泉は、
「すぐれた頭脳で貢献していただく」といって任命した。
竹中はそれまでやっていた慶応大学教授からいきなり金融大臣となった。
それでは竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。
竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも最強を誇って
いた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。
そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が
6行も入るすごい状態にいたのだった。
竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。
竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも
最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。
○竹中が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、
それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、
長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。東
邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。
日興コーデイアル証券となった。
倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前までいった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった。
竹中金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況となる。不良債権
と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。
この竹中金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、54も
の金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産したときに、竹中
金融担当大臣は、とてもよろこんだ。 「これが構造改革の進展している証拠だ」
そして、竹中金融担当大臣は、4月1日からペイオフを唱えている。
ペイオフは世界各国でどこもやっていない政策である。ところが、竹中が「どこもやっている」とテレビでいうことで、このとんでもない破壊的な政策をやる流れ
になっている。
そしてこの数年間、日本を痛めつける政策をずっと立案してきた人物の竹中が郵政を解体してしまおうとしている。 というわけだ。
http://ime.nu/www.asyura2.com/0505/hasan41/msg/915.html
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私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。
彼等のやり口はこうでした。
一、株式は自己資本の半分以下にすること。
二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める
私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり長銀は国有化され長銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした 長銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。
瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。
そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。
そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。
四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、りそな銀行の国有化が決まり、長銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした
あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。
その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。
日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。
私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。
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最近、株価が上昇してますが、日本経済に株価が上昇するようなファクターがあったっけかな?と不思議に思っていました。GENDAI NETに気になる記述を見つけました 2005年11月30日 掲載
10月23日(日)の「がっちりマンデー!!」という民放番組を見ていると、ゲストに当時の竹中蔵相を招いて「竹中大臣の新日本経済入門U」みたいなのをやっていました(リンク)。
その番組中で竹中前蔵相は、「それを私の口から言ってしまうと問題がある」とは言いつつもニヤニヤしながら“これから投資の時代ですよ〜”、みたいなニュアンスを醸し出していました。民放とつるんで、朝からTV漬けの主婦など(竹中氏曰く“IQが低い”←リンク)の層を個人投資家として株式市場に参加させ、バブルを起こさせようというのが狙いか?と疑ってしまいます。それでも個人投資家のシェアは15年前から7%程伸びただけというのが実情。
注目はやはり、15年間で4倍にも跳ね上がって、いまやシェアの半分になろうとしている外国人投資家の方でしょう。日本の株式市場なのに、国内機関投資家のシェアがたったの3%以下(信託入れても12%)なのに、外国人投資家が46.7%もあるというのも、いかにも異常な感じがします。
国内機関投資家は、体力が無いのと前回のバブルでひどい目にあったので“羹に懲りて膾を吹く”みたいなことでシェアが少ないのかもしれませんが、個人投資家はしっかり37%のシェア。もしかして彼らは、バブルを経験していない(orその当時ひどい目に遭わなかった?)新興の勢力なのかもしれません。だとしたら、外国人投資家にとっては、投資にそれほど慣れていない(でも、「もうからへんかいな〜」と甘い夢を見ている)連中は恰好の“カモ”に映っているのではないでしょうか(実際、投資経験の浅い学生や主婦がデイトレを始める中心層とよく聞きます)。
もしそうだとすると、いやな予感が脳裏をよぎります。
彼らの投資資金は、海千山千の外国人投資家に揺さぶりをかけられて丸ごと持っていかれる…というシナリオなのではないでしょうか。
1994年:メキシコをはじめとする中南米バブル、1997年:東南アジアバブル、1998年ロシア金融危機など、次々と各地でバブルを演出し、そのたびに自分達だけがっぽり儲けて、地元の経済や社会をボロボロに破壊し、そこに付けこんでIMFを介して世界各国の経済支配を強化してきた勢力がいます(参照:17664、リンク)。
今回は、小泉首相をはじめ官庁やマスコミまでがグルになって旗を振って、国民を道連れにバブルに突き進もうとしているかのように見えます。私達は、それらの勢力やエコノミストたちの戯言に惑わされて、前回のバブル崩壊や中南米・アジアと同じ轍を踏むようなことはあってはならないと思います。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101985
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/326.html