最近の経済・金融情勢、・日中関係が著しく悪化した原因、
・今後の日本外交の指針を講演 !
戦前の日中戦争の深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/10/31より抜粋・転載)
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1)10月30日、『日中友好継承発展会』
設立記念講演会が開催された !
10月30日、東京音羽に所在する鳩山会館において、日中平和友好条約締結40周年『日中友好継承発展会』設立記念講演会が開催された。
日中両国から関係者70名ほどが集まり、記念講演会ならびに懇親会が盛大に執り行われた。
『日中友好継承発展会』は、日中平和友好条約締結40周年にあたり、日中交流に貢献された先達の精神を受け継ぎ、将来に向かって発展させてゆく枠組みとして、各界の人々ともに設立されたものである。
2)鳩山友紀夫元内閣総理大臣が、主催者を
代表されて、挨拶をされた !
記念講演会では、日中友好継承発展会理事長に就任した、坂下重信氏が、開会あいさつならびに司会を務められ、発展会代表に就任された、鳩山友紀夫元内閣総理大臣が、主催者を代表されて、挨拶をされた。来賓として、駐日中国全権大使が、出席予定であったが、やむを得ない公務で、出席が叶わなかったため、駐日公使が出席され、祝辞を述べられた。
記念講演では、元伊藤忠商事株式会社会長・社長で、駐中国全権大使を務められ、現在は日中友好協会会長を務められている、丹羽宇一郎氏が「激動する国際情勢と日中関係のこれから」の演題で記念講演をされた。
3)駐日公使の祝辞後、丹羽宇一郎氏・植草一秀氏が講演をした !
引き続いて、私が、「近年の日中経済情勢と今後の課題」の演題で講演をさせていただいた。
丹羽氏は、日本はこれから重要な連立五元方程式の正しい解を求めなければならないことを述べられた。連立五元方程式とは、日中関係、日韓関係、日朝関係そして、日米関係、日ロ関係である。
連立方程式を解くということは、すべての方程式に当てはまる、たった一つの解を求めるということである。その解を適正に求めることができるのかどうかに、今後の平和と繁栄がかかっていることを強調された。とりわけ、米国のトランプ大統領の行動が重要性を持つことを強調された。
極めて示唆に富む講演であった。
4)最近の経済・金融情勢、・日中関係が著しく
悪化した原因・今後の日本外交の指針を講演した !
私からは、三つのことがらについてお話をさせていただいた。
・最近の経済・金融情勢、・日中関係が著しく悪化した原因、・今後の日本外交における指針である。
日本は中国を歴史的に極めて深いつながりを持つ。
日本文化のルーツの多くは中国に起源を有する。
日本にとって、最も近い大国が中国であり、日中関係の健全な発展が日本の未来にとって極めて重要であることは間違いない。
5)世界の株式市場に変調が生じている事
が目下の警戒要因である !
経済金融情勢では、2009年を起点に、9年にわたる株価急騰を続けてきた、世界の株式市場に変調が生じていることが目下の警戒要因である。
2018年は、1月末から米国発で株式市場での調整が発生し、これが世界に波及した。
それでも日米株価は、4月以降に回復基調に転じ、10月初頭には、1月の史上最高値、27年ぶりの高値を更新する動きになった。
ところが、10月10日前後を、境に再度の急落を演じている。
他方、中国株価は、1月末以降の下落に歯止めがかからずに、10月までで3割の暴落商状を示している。
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
蒋介石軍・日本軍に銃弾を放ったのは
中国共産党工作隊(ソ連の子分)だった !
T.米英中国などやマスコミのウソ宣伝を見破ろう !
1、中国の主張・「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」への反論
中国側の文献が示す“中国共産党の謀略"説
渡部昇一教授の主張:
日中戦争の発端となった昭和十二(1937)年七月の盧溝橋事件は、中国では「七七事変」とも呼ばれ、教科書で特に詳しく記述されている。自民党政権は、反論を国民に教育してこなかったし、国際的な啓蒙も怠ってきた。中国・韓国は、自論を、徹底的に国民に教育し、国際的にも啓蒙を徹底的に数十年間実行してきた。
(1)中国の教科書記述
中国人民教育出版社の「中学歴史教科書」は、こう書いている。
「1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(北京)西南の盧溝橋に進攻し、長い間からもくろんでいた全面的な侵華戦争を開始した」「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で盧溝橋進攻を目標とした軍事演習を行った。
彼らは一人の兵士の失踪を口実に、苑平県城に入って捜査することを理不尽に要求し、中国守備軍に拒絶された。日本軍はすぐさま苑兵県城に向けて攻撃を開始した」
(明石書店「中国の歴史」より)
侵略の機会をうかがっていた日本軍が、兵一人の行方不明を口実に中国側に無理な要求を突きつけ、断られたため、全面的な侵略戦争に突入したという書き方である。
東京裁判でも、元北京市長の秦徳純証人が同じような"日本軍挑発"説を主張したが、事実は全く異なる。 日本では、戦後の実証的な研究により、最初に誰が撃ったか分からない「謎の発砲」があり、原因不明のまま偶発的に日中両軍が衝突したという「偶発」説が有力になった。(原因については、”歴史を考える1”を参照)
(2)冷戦終結後の研究で中国共産党の謀略が濃厚と判明 !
盧溝橋事件について、最近の日本側の研究では、逆に、「中国側が事件を起こした」のではないか、という疑惑が深まっている。
事件に詳しい秦郁彦氏は、最初の謎の発砲が中国軍側から行われたことをうかがわせる事実を、二十九軍の第三大隊長をしていた金振中の手記から突き止め、昭和六十二年十月、久留米大で開かれた国際政治学会で発表した。
金振中はその後、中国共産党軍に身を投じ、金振中の上官だった第百十旅団長の何基?も事件後、中国共産党軍に転じている。
このころ、中国共産党北方局第一書記をしていた「劉少奇」は、北京の図書館に勤務しながら、地下工作を指揮していたといわれる。国民政府の第二十九軍にも、副参謀長の張克侠をはじめ、多数の共産党員やシンパが潜伏したことが、戦後の「中国側文献」などで判明している。
また、事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の「中国共産党軍司令部」に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が、元日本軍情報部員の「証言」で明らかになった(平成六年九月八日付産経新聞)。
当時、日本政府も、蒋介石総統の率いる国民政府も、「衝突を望んではいなかった」のである。
“衝突を望んでいたのは、旧ソ連のコミンテルンと中国共産党だった”のである。
真相はなお不透明な部分があるが、盧溝橋事件は、「中国共産党の謀略」によって起こされた疑いが極めて濃厚になってきている。少なくとも、日本軍が仕掛けたということは、「絶対にあり得ない」ことである。
中国当局はまず、秦氏らが調べた中国側の文献をきちんと読み直すべきである。
2、銃弾を放ったのは 中国共産党工作隊(コミンテルンの子分)だ !
(菅沼光弘元公安調査庁第2部長の主張)
1935年7月、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム人民戦線戦術が採択され、各国共産党は、フランス、イギリスと手を結んでドイツ・イタリア・日本の全体主義・軍国主義と戦うことが、最大の目標になった。
蒋介石軍と日本軍を戦わせることで、国民党と中国共産党の国共合作戦略は、コミンテルンの指示通りの戦略だったのである。
盧溝橋事件の頃、中国共産党は、国民党との内戦で追い詰められ、逃避行(長征)の連続であった。共産党が生き残る道は、日本と国民党が戦争になって、内戦を中止し、共産党と国民党が抗日統一戦線を作る方向に誘導する以外なかった。
中国共産党の文献に記述されているように、日中戦争誘導のため、盧溝橋の銃弾は、共産党・劉少奇が率いる工作隊が放ったものであった。
したがって、かつて、毛沢東は、中華人民共和国の成立は、「日本のおかげだ」、と言っていました。アメリカと中国は、表面的には対立しているようでも、裏の情報世界では、もともと親密な関係なのです。
日中戦争中、米国ОSS(CIAの前身)長官の命令で、ОSS幹部が延安の共産党根拠地に出向いて、対日戦争において、武器等を提供して支援していた(『この国を支配管理する者たち』201〜207頁、『誰も教えないこの国の歴史の真実』108〜112頁)のである。
3、日中戦争には英国・米国の謀略もあった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、景気大回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。
自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである
(『昭和史からの警告』。