加計事案を逃げ回る、安倍・自公 !
公明党は、自民党と共謀して 前川前次官の証言潰し !
自公連立前、非自民党政権を目指していた、本来の公明党の理念・基本路線は ?
公明党が、大変質したのは、なぜか ?
(http://31634308.at.webry.info:2017/05/28 22:02より抜粋・転載
ナイス ブログ気持玉 42 :
公明党の山口代表が、5月25日のBSフジの「PRIME NEWS」に出演して 、前川前文科次官の加計学園に対する証言について、「辞めた方が、そもそもこういうことをおっしゃるのは、いかがなものか」と述べた。
この言い草は、与党の間で言われている。公明党は、自民よりはまともな人が集まっていると思っていたが、やはり自民の腰巾着であった。
いくら与党の一員とは言え、「赤を青とした」日本の行政を正したいと決死の思いで、「総理の意向」、「最高権力」の話をした前川氏に対して、「辞めた人」が言ってはいけないという。
山口氏はこのような話は、現役の官僚がしないと信用出来ないとでもいうのか?
それが出来ないのは、同じ幹部の佐川理財局長がいい見本であろう。
人事権を握られているトップの意向には逆らえないのはわかるはずである。暴露するということは、辞職覚悟ということだ。前川氏は、辞めたから言えたのだ。
また、山口氏は森友学園問題での籠池氏の証言で、「新しい事実は出てこなかった」と述べた。これも本気で言っているのなら、頭の構造を疑う発言である。
さらに、山口氏は前川氏を証人喚問で招致する要求に対して「何が問題で、何が必要かをはっきりしないまま、ただ『呼んでください』、『呼びましょう』では解決にはならない」と述べ、否定的な考えを示した。
これも、本気で公明党が言うのなら、国民の大多数の意見に逆らうものであり、随分落ちたものだ。
行政を曲げている安倍政権の片棒である。公明党を支持している創価学会の人もこれを容認しているのなら、まさに「公明」の理念に反するように思える。
(参考資料)
T 自公連立前、非自民党政権を目指していた、
本来の公明党の理念・基本路線は ?
*池田会長時代:「中道革新連合政権」構想5項目の解説
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁):
@反自民党、反大資本
A平和・自立・中立政策に基づく外交政策:
「日米安保条約の段階的解消」、在日米軍基地段階的縮小
B日本国憲法と議会制民主主義の擁護
C国民福祉優先の経済政策
D政治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
*昭和42(1967)年8月、創価学会学生部幹部会で、池田会長は「沖縄返還」を主張した。
昭和43(1968)年、「安保条約廃棄」を基本としていた、公明党は、在日米軍基地を実態調査し、有効利用されていない、基地の一部返還を主張した。
さらに、昭和43年9月、池田会長は、学生部総会で、「日中国交回復」を提言した。
昭和44(1969)年10月、創価学会系学生組織・新学生同盟が、東京で結成大会を行い、
7万5千人を結集し、「安保粉砕」を叫んでいた。
◆池田第三代会長の箴言
政治家について(創価学会指導集:348〜350頁)
*いくら民衆の幸福と平和を願ったとしても、権力志向の政党は、ひとたび政治権力を握ると、
権力のひそむ魔性を発揮して、民衆を犠牲にして、恥ずるところがない。―中略―
政治の頽廃は、政治家の頽廃であり、人間の頽廃にほかならない。
*政治家は、民衆のためにこそあるという鉄則が、今日ほど身にしみる時はない。―中略―
政治家が、権力の行使をひとたび誤ると、権力は、民衆の生活を荒廃させる「魔力」と化してしまう。
こもの厳しい自戒を忘却した時、政治家は、失格する以外に道はない。
政治権力が、魔力と化すのは、政治家が「傲慢」になった時だ。
また、政治家が傲慢になる時は、彼を選んだ多くの民衆の実態を忘れた時である。
*政治家の発言には、先憂後楽の言葉がほしい。現在いくら中傷、批判されてもいいから、あとになって、あの指導者のいったこと、または、政治家の言った事が、本当に自分の希望につながったと言えるようなことを、勇気をもって言ってもらいたい。
*一党一派の利益や、一部勢力の便宜のために働くことはやめて、国家百年の大計、さらには、全世界的視野に立つことが、今日の政治家の最も望まれる資質であると思う。
*戦争を避け、平和裡に解決するところに、政治家の使命があるのであって、戦争への突入は、政治家の無能と怠慢を証明する以外のなにものでもないといえるようだ。
◆『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』第三文明社、より要約
*日蓮大聖人は、全人類の未来のために妥協なく権力と戦われました。
戦ったからこそ弾圧され、佐渡に流罪されたのです。
ところが、その姿を見て、多くの弟子達が、大聖人を守るどころか、非難した。
「師匠のやり方はまずい。あんなやり方だから、迫害されるのだ。私たちは、もっとうまく柔らかに法華経を弘めよう」こういって批判した。牧口先生の時も同じでありました。
あからさまに「私は退転する」とは言わない。しかし、実際には、大難を恐れた「心の退転」であった。その臆病の姿を、大聖人は、悠々と見おろしておられました。
牧口先生もそうであられた。
この牧口先生の大確信をそのまま受け継がれたのが、戸田先生です(63〜64頁)。
*学会精神というと、なにかめんどうなことのように思うであろうが、それは、ただ「日蓮大聖人様の時代に還れ」というだけです。日蓮大聖人様の御心を心として、この大御本尊様を、みんなに受け持たせたいというだけなのです。
佐渡からお帰りになった時に、「三千貫の寺領を受けて法華経を弘めてよい」という北条幕府の申し入れに対し、ニッコリ笑っておおせには、日本の国を救わんがため、間違った宗教が人心を弱めているから、それらをやめさせるために叫んだのであると、三度いさめて聞かずんば去ると申されて、身延の山へこもられたのであります。この精神が、すなわち「学会精神」なのであります。「広宣流布して、日本の国を安泰にしたい」それが、我々創価学会の念願なのです(211〜212頁)。
1999年以降、公明党が自民党へ従属している事は、日蓮大聖人、
牧口・戸田・池田、三代会長の箴言・精神への違背・裏切りになりませんか ?
U 自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す !
○石田公明党委員長:
1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田委員長は、「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる 改革が実現しない 選挙で政権が動かないまた腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。
この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。
1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」
と主張しました。
○政権を選択できる、二大政党制をつくりたい !
浜四津敏子代表:
日本が構造改革のできない行き詰ったシステムになったのは、自民党一党支配の政治できたからです。これを脱却し、健全で成熟した民主主義を発展させるには、一党だけが長期に政権を握り続ける体制は好ましくありません。つまり、国民が政策・政治姿勢を判断し、「今回は、こちらの政権に日本の政治を任せてみよう」という、政権を選択できる二大政権政党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが、中長期的に好ましいと思います
(浜四津敏子代表「公明新聞1998年8月16日号1面」)。
V 公明党創立者・池田会長・長期構想、宗門事件、
政権交代、自公連立の軌跡と真相
1 自公連立前:政権交代、非自民党政権樹立路線の時代
1) 大阪事件:自民党・岸信介(安倍首相の祖父)政権下、昭和32(1957)年、池田青年室長等創価学会への迫害事件。台頭する民衆に国家権力が抹殺を狙った。数年後、無罪判決。
2) 言論出版事件:この頃、750万世帯達成。自民党等が脅威を感じて、大迫害に熱中。
昭和45(1970)年、既成政党(自民・民社・共産)・マスコミから創価学会への迫害
*池田第三代会長の長期構想(昭和41・1966年公表):
1990年までに1500万世帯の創価学会にする。公明党政権で福祉社会建設可能にする。*「中道革新連合政権」構想:@反自民党、反大資本、A平和・自立・中立政策に基づく外交政策、B日本国憲法と議会制民主主義の擁護、C国民福祉優先の経済政策、D政治経済の改革手段として、漸進主義を選択する
3) 第一次宗門事件:昭和52(1977)年、活動家僧侶・マスコミから創価学会への誹謗中傷が全国的に激化(実は、自民党・米国CIAによる、日蓮正宗と創価学会への分断工作)。山崎正友弁護士が裏で暗躍した。さらに、自民党・共産党(迫害回避の隠れ自民補完党)・米国CIAが、対米隷属・自民党体制固定化のため、裏から支援していた。
4) 池田会長辞任:昭和54(1979)年4月。宗門の権威に屈服した首脳の真相を、池田大作氏は、20年後に漸く、公表できた。
*弘安2(1279)年、熱原法難・大御本尊御図顕から約700年後の出来事。
5) 平成2(1990)年:日蓮正宗・日顕一派が、C作戦(分断工作の黒幕は山崎弁護士、自民党・米国CIA)決定・実行。
*山崎弁護士が、裏で暗躍した。さらに、自民党・共産党・米国CIAが裏から支援していた。
6) 日蓮正宗・日顕一派が、創価学会を破門:平成3(1991)年11月。
7) 細川連立政権誕生:平成5(1993)年。公明党、大臣4人(石田・坂口・神崎・広中)。
*ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。
“狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・創価学会へのあからさまな攻撃”である。その攻撃の尖兵となり、「自民党の意志」を代弁したのは、やはり、一部週刊誌・月刊誌であった。
一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、「日顕、悪いのは、お前だ!」などと弾呵され、窮乏した日顕。「すっかり落ち目の大自民党と凋落一途の「日顕」一派は、同病相哀れむもの同士となり、公明党・創価学会を「共通の敵」とすることで、しっかりと結びついていった。
8) 自民党は、野党に転落した。自民・マスコミは、細川政権の基盤・公明党・創価学会への誹謗中傷激化させた。
*反創価学会(弾圧目的)の自民党系団体:「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」
「憲法二十条を考える会」・「民主政治研究会」・「四月会」(宗門幹部も参加・自公連立後、解散)など。平成6(1994)年12月、小沢一郎グループと公明党等が新進党結成。非自民党政権樹立、政権交代可能な民主政治体制構築に邁進。
平成9(1997)年12月、新進党解党(裏に、自民党の巧妙な分断工作・謀略あり)。
6政党に分裂。
2 自公連立固定化・政権交代阻止・自民党公明派に大転換 ?
1) 自自公連立:平成11(1999)年10月:自民・自由・公明の連合政権誕生。
2) 平成12(2000)年4月、自由党が、政権離脱、自公保連立政権→自公政権へ移行
3) 1998年4月・民主党結成。2003年9月・民主党・自由党合併。2009年9月鳩山政権成立。
W 自民党の「反公明党・創価学会キャンペーン」
1998年以前、政権交代を目指していた、公明党・創価学会攻撃のため、
自民党がつくった主な組織 :1979年4月、池田第三代会長は、辞任させられた。
次第に自民党への戦う精神が弱くなり、1999年自民党と連立した。
自民党・CIAは、一次・二次宗門事件(日蓮正宗と創価学会の内紛・自民党による分断工作)
の黒幕であった !
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」(死学会):代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達(評論家)
X 自民党権力に迎合・屈服した公明党の理由は ?
魚住昭氏の主張:(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/8179.html