8. 中川隆[-10370] koaQ7Jey 2019年5月18日 18:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1949]
天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/01/20120122T2313000900.html
「共感覚」という言葉をご存知だろうか。天才と言われる人たちや、一瞬見たものをすべて記憶できるという劇的な記憶力を持つ人たちサヴァン症候群の人たちに共通する感覚がこの「共感覚」である。
これは、「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」と説明されるの現象である。
つまり、こういうことだ。
数字を見れば、数字ひとつひとつに特定の色が見えて絵が見える。音を聞けば、音の高さによって特定の色が見える。
共感覚が記憶の強化に結びつく
単語を見れば、単語の文字列の長さによって特定のイメージが湧く。数式を見れば、やはり数字の色と公式の形でよって特定の形が浮かんできたり、特定の味がする。
他にもいろんな「共感覚」があるのだが、そういった「ひとつの感覚刺激が別の感覚を引き起こす」感覚を持った人が世の中にはいて、それが記憶の強化に結びつくのだと言われている。
音を聞けば色が見えるのが、なぜ記憶の強化に結びつくのかと言うと、感覚を総動員してその音を脳裏に刻みこむことになるからだ。
たとえば、"aroy"という単語があったとする。これはタイ語で「おいしい」という意味のものだ。
これを覚えなければならないとき、「おいしい」という意味を単に記憶するのが普通の人の記憶方法だ。
しかし、「共感覚」を持った人は、"aroy"という単語を見た瞬間に舌においしいものを食べた感覚を蘇らせることができる。
共感覚を持った人は、おいしいものを食べたときにだけ聞こえる音もあったりするから、そんな音が聞こえる。
さらには、おいしいものを食べたときにだけ見える色もあったりするから、"aroy"という単語を見た瞬間に特定の色まで見える。
さて、あなたは"aroy"という単語を見た瞬間に、味を感じ、音を聞き、色を見るだろうか?
そんな感覚を持っていたら、それが共感覚を持っているということだ。もちろん、普通の人はそんな感覚など何も持っていない。
だから、"aroy"という単語を見たところで、何ら感慨も思い浮かばないし、ましてや何度覚えても忘れるし、覚えたことすらも覚えていない状態になる。
しかし、共感覚を持っている人は、たちどころにそれを記憶することができる。あまりにも「感覚が鋭敏」すぎて、「覚えざるを得ない」というのである。
音を聞くと、色が見える。音が色を感じさせる。共感覚は、ある感覚が別の感覚を呼び起こす。
共感覚は天才の入り口
なぜ単語を見て、そんなたくさんの感覚が一度に感じられるのか、普通の人はまったく分からない。
「そんなたくさんの感覚が湧き上がったら、毎日疲れてしょうがない」と思うかもしれないが、どうやらそれは当たっている。
実際、ありとあらゆるイメージがどんどん入り込んでくることになるので、共感覚を強く持つ人は非常にナイーブで、自閉症的な症状もあって最初から意思疎通も難しい人たちである。
サヴァン症候群の人たちも共感覚を持っていると書いたが、まさに意思疎通が非常に困難な「天才たち」なのである。
ここに1個のリンゴがあるとする。彼らの見ているリンゴは、私たちの見ているリンゴの数十倍にも数百倍にも拡大されたものであり、すべての感覚が総動員されて迫ってきているはずだ。
リンゴを見ただけで、味から色からイメージから喜怒哀楽まですべてが再現されていたら、たしかに共感覚も度が過ぎれば日常生活が送れなくなるのもうなずける。
もっとも、共感覚を持っていたからサヴァン症候群になったのか、それともサヴァン症候群だったから共感覚を持つのかは何も分かっていない。
自閉症は、その原因はまだ詳しく解明されたものではないようだ。しかし、興味深いものではある。
普通の人が、ほどほどにそのような共感覚を持っていたら、恐らく「天才」だと絶賛されるはずだ。
特定の日の曜日をたちどころに言え、一瞬見ただけの風景を書き起こすことができ、一度聞いただけの曲をピアノで弾くことができ、円周率を延々と暗唱することができ、複数の外国語を覚えることができるようになる。
共感覚は天才の入り口なのである。
よく、物を覚えるときは音読すればいいと言われる。これも共感覚を使った記憶になるからだと考えられている。
見て、それを声に出して、それを聞くのである。ただ黙読するよりも3倍の感覚を使っている。効果があるのは当然だ。
数字や数式に色がつき、味がつき、音がつき、イメージがつく。共感覚は、数字を見ても何も感じない一般人には想像もつかないが……。
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
ところで、記憶とは何かを調べているうちに出会ったこの「共感覚」という言葉や現象をはじめて見た時、私は「ああ、あれのことか」と思いながら読み進めていた。
私は一般人であり「共感覚」など持っていないし、そんな能力の欠片もない。しかし、共感覚がどんなものだか知っている。
それが「共感覚」という言葉で表す現象だということを知らなかっただけで、実は共感覚というものがどんな感覚で、どうやれば手に入れることができるのか、知っているのである。
もちろん、あなたも「共感覚」を試してみることができる。
答えは"Lucy in the sky with diamonds"(ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)だ。
Lucy In The Sky With Diamonds - The Beatles (lyrics) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eKXfqpg-Q-k
自分の描いた絵の中の、川に浮かぶボートの中
タンジェリンの木と、ママレードの空
『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』はビートルズの名曲中の名曲だ。
この意味のわからない不思議な世界と、サイケデリックな映像を見ていると分かると思うが、これはいかにも「共感覚」を現している。
空には色があってマーマレード
女の子の目は万華鏡
空に女の子とダイヤモンド
この歌が歌われたのは1967年。アメリカではサイケデリック・ロックが盛んなときだった。
共感覚は、これで手に入れることができる
1943年の春。スイスのある研究所でアルバート・ホフマンという研究者が麦角アルカロイドについて研究していた。1938年、研究を進めていたホフマンは合成したこの薬をLSDと命名した。
LSDは期待された薬効成分としてあまり効果がなかったので一時的に研究は中止された。
しかし、改めて1943年にこの合成薬は取り出されて研究されることになった。
その研究中に、アルバート・ホフマンはこの薬を誤って自ら吸引してしまったのである。
途中で気分が悪くなったアルバート・ホフマンは研究を中止して、めまいがする中で休んでいたとき、「幻覚」が爆発した。
物が歪み、万華鏡のような光が渦巻き、幻想的な光景が次から次へと浮かんでは消えていく。
これに驚いたアルバート・ホフマンは、今度は幻覚を見るために、改めて自分を臨床実験にした。
最初の気分の悪さが消えると、そのあとから浮かんで来るのは「信じがたい多幸感」と「見たこともないような鮮明で、美しく、幻想的な世界だった」というのである。
LSDを摂取すると、ほとんどの人に現れるのが視覚の変容だ。光が幸せなシャワーのようになだれ込んできて、それが例えで言うと、まさに「万華鏡」の世界なのである。
Lucy in the sky with diamonds(頭文字はL.S.D)の空飛ぶ女の子ルーシーの目も「万華鏡」だと歌われている。
「LSD-幻想世界への旅」ではアルバート・ホフマンはこのように言っている。
視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。
ここで注目して欲しい。「それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった」と書かれているのが分かる。
それぞれの音にふさわしい色?
それぞれの音にふさわしい形?
これはまさに「共感覚」であると、誰もが認めるはずだ。そうなのだ。つまり、LSDを取るだけで、「共感覚」を手に入れることができるのである。
枠を打開するためにLSD
結論から言えば、あなたが共感覚というものがどんなものなのかどうしても手に入れたいと思うのであれば、LSDを試してみればいいということになる。
これほど手軽で共感覚を手に入れることができる手段を他に知らない。LSDは規制され、違法となっているが、感覚を増幅させるパワーはあまりにも強烈過ぎるからだろう。
しかし、このクスリがまだ違法ではなかった1965年までは、多くの人たちがLSDを試して、その幻覚の素晴らしさに酔い、爆発的にLSDの幻覚音楽が生まれた。
このときの音楽をサイケデリック・ロックというが、音楽史上、これほど芳醇の時代はなかった。
まさに「共感覚」がそれを生み出していたので当然だ。
LSDを得て、共感覚を手に入れたミュージシャンは、まさにみんなまとめて「天才」にまで増幅されていたのである。
ミュージシャンには、マリファナも、LSDも与えられていたが、このふたつは幻覚や多幸感には必須なのだ。そして、一般の感覚に煮詰まったミュージシャンは、枠を打開するためにLSDを切望する。
LSDで共感覚を得たミュージシャンとそうでないミュージシャンの差は圧倒的に違う。
感覚が「共感覚」となって増幅されているほうは、もはや「音符に書き表せない」まで「超越」していく。
言葉ではよく分からないというのであれば、「音符を超越した音楽」、すなわち「共感覚」が産み出した音楽を「見て」ほしい。
アメリカ国家をここまで素晴らしく表現できるミュージシャンは、ジミ・ヘンドリックスの前にも後にも登場していない。
あなたは何も発言しないほうがいい
共感覚は普通を簡単に超えさせる。LSDは共感覚を生み出す。だから、結論から言えば、LSDを取れば誰でも簡単に共感覚が得られる。
知覚が変化し、感情が変化し、意識が変化し、視覚が変化する。LSDを取れば、あなたも簡単に常識を超えることができるのである。
ミュージシャンはその共感覚が音楽に活かせる。
あなたが、何に活かせるのかは分からない。もしかしたら、あなたの何らかの天才性は、LSDで常識を超えるかもしれない。共感覚が常識を超える感覚を現すのだから、そうなって当然だ。
今でも、LSDなどは、どこでも手に入るドラッグなのだが、いかんせん違法であり、逮捕されれば人生を棒に振ることになる。
アルコールで共感覚は得られない。共感覚どころか、感覚のすべてが「鈍感」になるだけである。鈍感になった感覚から素晴らしいものは生まれてこない。
LSDはその逆だ。強烈なまでの鋭敏な感覚、万華鏡のような多彩な光を得て、新しいものが生み出される確率が高い。
本当はアルコールを麻薬指定して厳禁とし、かわりにLSDを解禁すれば、共感覚を得た人たちが才能を爆発的に開花させるので文化をさらに深化させることができる可能性もあった。
共感覚を得るLSDは禁止された。
多幸感を得る大麻は禁止された。
そして、その代わりに「禁止されなかった」のは何だったのか。それは、酒とタバコだ。
感覚を鈍感にさせる酒は与えられた。
病気を引き起こすタバコは与えられた。
あなたは才能を伸ばすLSDを厳禁されて、かわりに鈍感になるアルコールが与えられている。アルコールならどこにでも手に入って、どんどんあなたの感覚を鈍らせる。
あなたは多幸感を得て治療薬にもなっていた大麻を厳禁されて、かわりに病気になるタバコが与えられている。タバコならどこにでも手に入って、どんどんあなたを病気にさせる。
なぜ国際社会や国家が、人々を愚鈍にさせる酒と病気にさせるタバコを許して、才能や多幸感を与えるLSDや大麻を禁止したのか分からない。
まるで、国民を天才にしたり、幸せな感覚を味わせるのは、絶対に許さないと叫んでいるかのようだ。
そして、人々はLSDも大麻も禁止されたので、自分が何を禁止されたのか、それを最初から知らない。
あなたが禁止されたのは、才能と多幸感だ。あなたが与えられたのは、鈍感と病気だ。
しかし、それに気がついても、あなたは何も発言しないほうがいい。それを指摘すると、「反社会的だ」「危ない人間だ」と後ろ指を指されることになる。
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