現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件9 > 186.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 下:<溝> 本当の謝罪、見極める遺族 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 07 日 09:50:02)
記事より:「補導後1カ月、連絡もなくほったらかされた。公の場で謝罪してほしい」。遺族の強い意向だった。
9月24日、長崎家裁の審判廷で園児の両親らは裁判官に向かって涙声を振り絞った。「なぜ1分1秒でも早く直接謝罪を形にしなかったのでしょうか」「あなたたちを絶対に許しません」
長崎家裁は処分の中で、「遺族に対し、できる限りの謝罪の措置を講じる必要があるのに、対応は十分なされていない」と、生徒の両親へ異例の言及をした。
付添人は「両親も追いつめられていた。(生徒に会って)事実関係を確かめてからにしたかったようだ」と説明する。
心に深い傷を負った遺族と、衝撃の大きさに立ちすくむ加害者側。その深い溝は、容易に埋まる気配はない。
-------------------------------------------------------------------------------------------
警察やメディアが少年の犯行だと“断定”する情報を流し続けたなかでの判断だから、被害者の親を責める気にはならないが、付き添い人や裁判官は当然のこととして、朝日新聞の担当記者も、少年の両親が、「(補導から一カ月過ぎた)八月九日ごろ、付添人弁護士に連絡を取り、長崎家裁に行った後、長崎少年鑑別所で、事件後初めて息子と面会した」(長崎新聞)ことを知っていながら、まともな対応をしていないことに愕然とする。
「付添人は「両親も追いつめられていた。(生徒に会って)事実関係を確かめてからにしたかったようだ」と説明する」という“軽い”事情説明で済ませられることではない。
被害者の親に事情を説明しろとは言わないが、親権者である両親が会おうとしなかったのか、警察や県が会わそうとしなかったのかくらいは調査してはっきり報道すべきである。
警察や県が親権者に会わさなかったのなら、法に基づかない拘禁だから、それこそ拉致である。(少年が両親に会いたがらなかったというのは、親権侵害であり、言い訳にはならない)
朝日新聞の担当記者が少年の両親に会っているかどうかはわからないが、「種元さんへの謝罪の文は書いて持っていたが、どうしても息子の犯行なのかを確認したかった。面会のとき、息子が「はい」と認めたので、弁護士を通じて謝罪の手紙を清書して送った。全然兆候が見えず、頭では息子がやったと分かっていても「まさか、あの子が…」と思った」(長崎新聞)という親の気持ちが忖度できないのなら、記者であること以前に大人として失格である。
足を踏んだの踏まないというのなら「ことが丸く収まるのならとりあえず謝っておくか」でいいかもしれないが、ああいう経緯で幼児が殺された事件の犯人が息子だと警察やメディアから断定されたからといって、事実を精査しないままほいほい謝罪するのは大バカである。
ほいほい謝罪しない態度を、「遺族に対し、できる限りの謝罪の措置を講じる必要があるのに、対応は十分なされていない」と非難がましく処分決定に書く家裁裁判官こそが“精神異常”である。
そして、我々以上に経緯を知っているはずの付き添い人(弁護士)が、ことを穏便に済ましたほうが両親や少年にとってもいいことだという配慮なのかか無能の故かはわからないが、ふざけた“人権侵害”に声を上げないのは犯罪的である。
朝日新聞の担当記者は、「心に深い傷を負った遺族と、衝撃の大きさに立ちすくむ加害者側。その深い溝は、容易に埋まる気配はない」などとしたり顔で書いて恥じらいを感じないほどの愚鈍である。
少年の両親が事実を精査してきちんと納得できる条件をつくろうともせず、一方的な断罪言動を繰り返して少年とその両親を地獄に落とした“権力テロ”であり“メディアテロ”である。
政府や国会議員を含むこんな連中に、法治国家・人権・個人の自立・自己責任などをあれこれ言って欲しくない。