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「死ぬ場所探した」 中1両親一問一答
「息子を一生懸命育てたつもりだが、すべて私たち二人の責任です」。長崎市の男児誘拐殺害事件で、中学一年の少年の両親は「何としても両親と社会におわびしなければ」と心に決め一日、長崎新聞社の取材にあらためて応じた。父親は終始硬い表情で、母親は時折、言葉を詰まらせながらも「これからは償いのために生きる」と誓った。
一問一答は次の通り。
―駿ちゃんと遺族、社会に対してどういう気持ちでいるか。
父親 大変申し訳ない。すべて親の責任だと思っている。わびてもわびきれないが、わびる以外に何もできない。本当に申し訳ないことをした。
母親 法が許すなら、少年院でも刑務所でも入れてもらい、普通の殺人者と同じように罪を償わせたかった。これからは誠意を尽くして、生活を切り詰め、一生をかけて三人で償っていきたい。今まで隠れたような形になって申し訳ない。深く深く反省しています。息子をきちんと専門家に治療してもらい、社会の役に立つ人間に更生させたい。
―これからの生活は。
母親 社会を不安に陥れ、長崎にいるのも心苦しいが、生きて償っていくためには長崎に住んでいくしかない。批判も正面から全部受け止め、罪を償いたい。
―事件後、どう過ごしていたか。
毎晩めい福祈る
父親 毎日、生きているのがつらかった。抜け殻のような生活で、眠れない日々が続いた。夫婦とも体調を崩し、貧血や目まいで倒れた。毎晩寝る前に、駿ちゃんのめい福を祈って手を合わせていた。息子にも「反省しながら毎日忘れずにお祈りしなさい」と伝えた。
母親 死に場所を探してさまよった。アドレス帳や免許証も処分した。
―どうして謝罪が遅れたのか。
母親 (補導から一カ月過ぎた)八月九日ごろ、付添人弁護士に連絡を取り、長崎家裁に行った後、長崎少年鑑別所で、事件後初めて息子と面会した。種元さんへの謝罪の文は書いて持っていたが、どうしても息子の犯行なのかを確認したかった。面会のとき、息子が「はい」と認めたので、弁護士を通じて謝罪の手紙を清書して送った。全然兆候が見えず、頭では息子がやったと分かっていても「まさか、あの子が…」と思った。
父親 駿ちゃんは帰らないが、息子は生きている。それを思うと心が痛んで会えなかった。
―少年の両親に対して「市中引き回し」との大臣発言もあったが。
母親 自分が子供の代わりに死刑になってもいいと思った。
―遺族の意見陳述書には目を通したか。
父親 胸が詰まってどうしようもなかった。大切なご子息の尊い命をなくしてしまい、ご両親、ご親族の方に申し訳ない気持ちでいっぱい。
母親 あんな残忍なことをして自分たちの罪です。家庭環境が至らなかった。一日も早く三人で謝罪に行くことを当面の目標にしたい。何が何でも生きて、子供を更生させたい。
―どんな子供だったのか。
犯行気付かず
母親 寂しがり屋で、買い物に行くときにはいつも付いてきた。私たちにとってはいい息子だった。息子の犯行とは全然気付かなかった。息子が自分の犯行を打ち明けられない雰囲気の家庭だったのかと思うとつらい。手足も不器用で体力もなかった。将来どうやって食べていくのか心配で、マンツーマンで勉強を教えたりした。いいところを伸ばしてあげたかった。
本人はコンピューター関係の仕事に就きたいと言い、普通に近づけようと頑張ったことが負担だったかもしれない。周囲に相談していればよかったと、悔やんでいる。
私がぜんそくで寝込むと優しくしてくれた。子供が変わっているとは思えなかった。気付いてあげられなかった。自分のいたらなさが犯行に追いやってしまったのだと思う。親子三人の罪だと思っている。
父親 自分は仕事人間で家庭のことはすべて妻に任せっきりだった。妻から何度も相談を受けたが、仕事の疲れもあり十分に相談にも乗れなかった。一部週刊誌などで妻だけ悪く言われるが、本当によくやってくれていた。自分の父親としての責任が足りなかったと感じている。
―長崎家裁の処分をどう受け止めているか。
幼さ消え別人
母親 息子のこととはいえ軽過ぎる。きちんと病気を治し、罪を償うまで出てきてほしくない。
父親 われわれは死んでしまえば楽だが、子供だけに責任を負わせるのではなく、子供を治していくのが償い。
母親 次の審判までを目標に生きてきた。
父親 このままでは最終審判までは持たないとも思った。
―補導(七月九日)前後はどんな様子だったのか。
母親 (補導当日は)警察が家に来て、信じられなくあぜんとした。朝食の後片付けの最中で着の身着のまま出て行った。
父親 職場で「犯人が捕まった」とのうわさが流れ、よかったと思っていた。
母親 息子と一緒に事件を報じるワイドショーを見た。息子は全然表情を変えず普通にしていた。私が「ひどいね」と言うと、息子も「ひどいね」と言った。
父親 本人は一生懸命ごまかしていたのかもしれない。
―面会のときの少年の様子は。
母親 表情がなく別人のよう。自分の子供とは思えない感じ。幼さが消えて神妙な面持ちだった。返事しかしなかった。
―今一番何を望んでいるか。
両親 一日も早く種元さんにお会いして、謝罪することができたらと思います。
2003年10月2日長崎新聞掲載
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/yuusatu/10/006.html