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(回答先: アジ研酒井啓子の分析1:イラク「新政権」民主化の前途多難(中公2003/2) 投稿者 YM 日時 2003 年 3 月 16 日 13:57:23)
「民族、宗派の分権」という虚構
だがアメリカもチャラビ個人に反体制派を統括する能力がないことに気がついていないわけではない。とくに「フセイン政権の転覆」を目標に掲げた「イラク解放法」が九八年に米議会で可決されて以降は、フセイン政権に代わる具体的な「新政権」候補として新たな人選が開始された。このとき以来、英米で曝かれてきた「候補」には、王政時代の外務高官や王族の末裔(シャリーフ・アリー)などの名前があげられている。
こうした王政期からの亡命者の多くが、共和制革命で国を逃れた「旧貴族」や部族的・封建的名望家出身であり、いわば過去の「貴族的議会政治」にノスタルジーを抱く人々であると言えよう。だが、国を離れて何十年にもなる旧特権層の人々が、フセイン体制後のイラクの国づくりを即座に担えるわけではない。彼らが「民主化」を担うとして、かつての限定的民主主義、「革命的」勢力によって打倒された「大衆」不在の議会制度以上のものが期待できるだろうか。
その限界を補完するため、イラクの新政権を、より「民主的」でイラク社会を広範に代表しているように見せるために、米政権がシーア派やクルド民族などの「地場勢力」に対する抱きこみを本格化するようになったのは、九九年以降のことである。この年、アメリカは初めてイスラーム主義を掲げるシーア派を中心とした政治組織、SCIRIへの支援を明らかにした。
このことは一見、アメリカが「革命的」イスラーム勢力を「新政権」の一翼に組み込んだかのように見える。だが実態は、むしろ「シーア派」という宗派集団を一種のエスニック的に独自の存在と捉えて、多文化主義的色彩を「新政権」にまぶすための措置であると言えよう。ポスト・フセイン政権を構想する際、なるべくイラク全体を「代表」しているように見える体制を整えるために、「革命的」イスラーム主義組織であるSCIRIはむしろ「シーア派」の代表として支援対象に選ばれた。このような、「シーア派=イスラーム主義」という分類は、先に指摘したように、もともとバアス党政権が「革命的」勢力を押し込めるために採用した考え方である。イスラーム勢力の間には、本来全国政党として中央に進出していくべき性格の政党であるにもかかわらず、「イラク南部=シーア派地域」のみに限定された「地方勢力」として制約されることに、根強い不満がある。
ブッシュ政権がフセイン後の政権構想のために接触を持っているイラク反体制派の様相を総合すると、次のようになろう。すなわち、欧米的発想の通用しやすい欧米在住の個人政治家を通じて、基本的には王政期の「貴族的議会制度」の流れを汲む地方名士を登用し、それがイラク社会全体を代表しているような形式をとるためにエスニック・宗派ラインに沿った権力の分散を図る。
だがこうした権力のエスニック・宗派的な分散は、もともと存在している社会集団に対してなされるのではない。むしろこうした措置は、「権力」を前に新たな「民族」や「部族」の出現や消滅を促し、既存の社会を分断し亀裂を生むことになりかねない。表面的な地方分権に反発し、イラクの都市政治エリートの間に再び中央集権へめ野望が駆り立てられる可能性もある。地方に君臨する「封建貴族」に対する都市下層住民の「革命」志向という、かつて経験された展開が踏襲されるのではないか。
「暴力」に乗って「民主化」へ
ところで、本論の冒頭で、イラクでは「革命」が常に未完であるとの認識に基づいて、党や軍が専横的な体制を維持し、できた、と述べた。彼らがなぜ「未だ革命ならず」としているかといえば、その原因はパレスチナ問題の未解決に他ならない。イスラエルによるパレスチナに対する不正の存在が、アラブ民族主義であれイスラーム主義であれ、「未だ闘争過程」としてすべての民主的なプロセスを棚上げにする口実となっている。
その意味で、アメリカがフセイン後としてイラクに期待している政権がイスラエルに対していかなる対応を取るのかが、イラクにおける「未完の革命」意識がその後どのように国政に影響を与えるかに、大きく関わってこよう。アメリカの新保守主義者たちの一部が、無能であることがわかっていながらチャラビを常に支援対象としてきたことの原因には、チャラビだけがイラクの政権担当者として、戦後、イスラエルとの和平協定を結ぶ用意があるからだ、とはしばしば噂されることである。
王政期の「貴族性」と名文化主義的分権政策を融合したようなかたちで「新政権」が成立し、しかし国内での大衆的支持基盤がそれとは別のところにあって、しかも「未完の革命」意識を抱えた勢力が存在するそのような環境が生まれるとき、すべての政治勢力が注目するのは、やはり軍の動静であろう。
旧来の「革命的」運動が常に依存してきたのは、唯一「中央」を目指すことのできる「乗り物」としての国軍であった。アメリカの戦後構想のなかに、日本型GHQ占領というアイディアがあることは冒頭に触れたが、おそらく焦点はイラクに対して戦後日本のような徹底した武装解除と国軍の解体を行うことができるかどうか、であろう。いかに現政権の徹底的な排除を主張する反体制派であっても、国軍の国防・治安上の役割において「強力な国軍の必要性」を強調する。筆者は二〇〇二年五月にワシントンで開催された反体制派会議を傍聴する機会を得たが、そこでの議論もまた、戦後のイラク国軍をどうするか、という点に集中していた。アメリカの軍事行動に依存してフセイン政権を倒すことは反体制派として禍根を残す、と考えて、イラク反体制派はむしろ政権打倒の核としてイラク国軍の積極的な活躍に期待するものの、つまるところそれが、短絡的な「力依存」による政権転覆であることには変わりがない。
「力」で政権を変えてきたという「革命的」政権奪取の手法から脱却することこそが、「民主化」の第一歩だとすれば、いずれの方法を選んだとしても、彼らは初めから「民主化」に頓挫している。少なくとも「外国」の力によって植え込まれた新政権が、制度としての「民主主義」を導入したとしても、それが新たな「革命的」勢力の、同じく「力」による挑戦を拒否できるだけの正統性を持たないことは、明らかである。