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(回答先: 【対話】 日本とイラクの高校生 テレビ電話で平和語る 埼玉 [毎日] 投稿者 ファントムランチ 日時 2003 年 2 月 27 日 03:58:51)
2003/02/26 21:00〜
米英のイラク攻撃準備が着々と進むなか、国連査察団は連日、イラクの大量破壊兵器疑惑の調査に取り組む。結果いかんでは戦争の火ぶたが切られるだけに、査察団の報道官は世界中のマスコミの注目を集め、ひと言一言が瞬時に世界を巡る。一瞬も機を抜けない大役で、それを果たしているのは日本人である。
記者「イラク人科学者の聴取はまだ?」
報道官「リストをイラクが出すのを待っているところです」
記者「(イラクが非協力的で)いらだっているということか」
報道官「いいえ。それは貴方の意見ですね」
誘導尋問しようとする記者の質問を堪能な英語とユーモアでかわし、記者会見場はドッと笑いの渦に包まれる。
「彼は優れた外交官」と報道陣に言わしめる報道官こそ、植木安弘氏(49)である。
植木氏は昭和29年栃木県生まれ。51年に上智大外国語学部ロシア語学科を卒業し、コロンビア大国際関係大学院に留学。在学中の57年に国連職員となる。
その後、平成6年に国連事務総長報道官室広報官、11年には東ティモール・ミッション副報道官、12年に広報局平和安全保障課長を経て、昨年11月にバグダッド行きを命じられた。
国連とのかかわりは中学時代にさかのぼる。
コンゴ動乱解決のため、現地を訪問中に事故で死んだダグ・ハマーショルド第2代国連事務総長の伝記を読み、「世界のために働きたい」と思ったという。
コロンビア大に留学当時、国連広報局長をしていた明石康氏と出会う。「日本人が1人辞めたので仕事をしないか」と誘われ、飛び込んだ。
以来、広報畑で活躍を続けるが、後進のためにも骨身を惜しまない。
青山学院大などで夏季休暇を利用して集中講座を受け持つ。国際政治経済学部の学生や大学院生を対象に国連研究のテーマで過去3回開かれ、今年も予定している。
「学生には現場のナマの声を聞ける機会と好評だが、こういう情勢なので流動的」(同学部)
現在の仕事では、イラクと査察団、報道陣の三者の間に立つだけに、それぞれの思惑に振り回されることも多い。
植木氏のひと言が戦争に結び付くかもしれない。もってまわった言い回しが多くなり、報道陣から「慎重すぎる」と言われることもある。それでも、「こういう状況では仕方ない」とおおむね好意的だ。日本人報道陣の間でも「栃木なまりが残っていて、誠実な人柄そのまま」と評される。
次はイラクとの摩擦。現地で取材をするジャーナリストは「『極秘の核開発につながる可能性がある軍事プログラムについて、科学者が証言した』と発表したところ、科学者が『私が核開発に関与して、それを証言したようにとれる』と猛抗議してきた。植木氏は翌日、『一般論として述べただけ』と釈明するということがあった。科学者にしてみれば自分が機密をばらしたとなると、消されてしまうだけに、必死だ」と説明する。
米英両国の単独行動も含め、「3月開戦」はやはり濃厚である。
査察の期限は安保理での各国の思惑も絡む。とりあえず任期は3カ月延長された。米NYの自宅では妻と子供2人が帰りを待っているという。
転載元
http://www.zakzak.co.jp/top/t-2003_02/3t2003022601.html