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(回答先: 米国務長官報告:対イラク新証拠 詳報その2 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 06 日 16:16:21)
★生物兵器
UNSCOMは4年間の査察で、生物兵器を発見した。1995年、イラクは大量破壊兵器の保有を認めた。
イラクは8500リットルの炭疽(たんそ)菌の保有を認めたが、特別委員会はイラクが2万5000リットル製造したとみている。
イラクは生物兵器の製造に使われる有機物質などを説明していない。
イラクは98年に国連査察官を追放したあとも、引き続き生物兵器の開発を行っている。
目撃情報によると、イラクは車輪や鉄道で移動する生物兵器製造施設を保有している。容易に移動でき、査察官から身を隠せるように設計されている。数カ月間で湾岸戦争時と同じだけの生物兵器をつくることができる。
イラクの移動式(大量破壊兵器)製造計画は90年代半ばに始まったが、査察団は漠然とした手がかりしかつかめなかった。こうした移動式施設のひとつを管理したイラク人科学技術者の目撃情報により、00年になってから存在が確認された。彼は、98年に技術者12人が生物兵器にさらされ死亡した事件の現場にも居合わせた。
特別委員会がイラクで(98年12月まで)査察を行っていた時、生物兵器用物質の製造は決まって木曜日の夜中から金曜日にかけて行われた。イスラム教の休日である金曜日には査察が行われないと考えたからだ。
★移動式施設
00年夏、生物化学兵器の生産施設をトレーラーで移動させていることが報告された。また、移動式の生物研究施設の保有も確認された。
移動式(生物兵器工場)施設はトラックと列車搭載型がある。複数の筋が施設の技術的な構成を詳細に描写してくれた。ここにその絵を示す。発酵器やタンク、ポンプ、圧縮器などの様子が分かる。
こうした工場は容易に隠すことができる。我々はイラクの移動生物兵器工場は最低7施設あることを知っている。ひとつの施設はトラック2、3台分で、トラックは全体で18台になる。
移動式施設は洗練された設備を持ち、炭疽菌やボツリヌス菌を製造できる。イラクはこうした施設で、アフラトキシンやリシンなどの生物兵器の製造にも成功している。
イラクはガス壊疽(えそ)、ペスト、チフス、破傷風、コレラ、出血熱など何十もの生物兵器を研究し、天然痘を兵器として開発した。
★兵器の散布・使用
イラクは水道供給や空中散布で、無差別に生物兵器を広める方法を開発している。特別委員会が数年前に入手したこのビデオは、ミラージュ・ジェット戦闘機から2000リットルの炭疽菌を空中散布する模擬実験をしている様子を示している。
95年、イラク軍の士官は査察団に対し、イラクは無人飛行機に改造したミグ21戦闘機に(生物兵器の)散布タンクを搭載しようとしていた、と述べた。無人機は、生物兵器を使ったテロ攻撃としては理想的な方法だ。
イラクは散布タンクを4個生産したことを認めた。だが、今日、これを破壊したとの証拠はない。これらの情報はすでに特別委員会の99年の報告で明らかにされている。
フセインは自国民にも化学兵器を使った。第一次大戦以降、イラクのフセインほど大量の化学兵器を使用した国はない。
フセインはマスタードガス入りの砲弾550個とガスを抜いた砲弾3万個、最大500トンの化学兵器の貯蔵の可能性について説明していない。国連によると、イラン・イラク戦争以来、6500個の爆弾が失われており、化学兵器に換算すれば1000トン単位となる。
イラクは神経性ガスのVXを製造していたと認めるのに数年かかった。フセインの義理の息子、故カーメル氏が亡命し査察官に明らかにしたためだが、イラク政府は今日もVXを武器化したことは否定している。
★化学工場
アルムサイドと呼ばれる化学工場では、少なくとも3年間にわたって化学兵器が製造され、発送された。02年5月、我々の衛星が撮影したこの写真では、運搬車両と、消毒用の車両が写っており、生物化学兵器の(出荷)作業が行われたことがわかる。
同年7月に撮影された同じ場所の写真では、施設が取り壊され、ブルドーザーで完全に地ならしされている。化学兵器の証拠を隠すためだ。
今からわずか数週間前、我々はイラクの共和国軍第2師団の2人の司令官の無線による会話を傍受した。一人は「除去しろ、除去しろ。神経ガスだ」と話し、もう一人は「分かった」と話した。こうした会話が証拠となる。
★ロケット弾
控えめに見ても、イラクは今日100〜500トンの化学兵器を持ち、1万6000発のロケット弾に搭載できる。
100トンの化学兵器ではマンハッタン島の5倍の面積で大量の被害者を出すことができる。
最近国連査察団が見つけた122ミリ弾頭は、氷山の一角にすぎない。
80年代以降、フセイン体制は生物化学兵器の人体実験を行い、ある筋によると95年には1600人の死刑囚がこうした実験のための特別集団組織に変えられたという。目撃者の証言では、囚人はベッドに縛り付けられ、実験が行われた。フセインの非人道性には限界がない。
★核兵器
フセインが核兵器計画を捨てたことを示す証拠は何もない。91年に査察団がイラクの核兵器施設を初めて調査したとき、なにも出てこなかったが、同年5月、亡命者は、フセインが秘密の核兵器開発を行い、電磁式の放射性同位体分離など複数のウラン濃縮技術を持っていることを明らかにした。我々はこうした計画にイラクが数十億ドルをかけたとみている。
イラクは、妨害がなければ93年までに核爆弾を製造できていたはずだ。
95年、別の亡命者によって、フセインがクウェート侵攻後にも国連決議に違反して核開発を始めたことが分かった。フセインは核爆弾を製造するのに必要な技術者と製造設計図を持っている。98年以降、フセインは実際に核爆弾を造るための濃縮ウランの開発に集中している。
フセインは核爆弾製造を強く決意しており、査察が始まった後もウラン濃縮のためのアルミ管の入手などを行っている。
[毎日新聞2月6日] ( 2003-02-06-14:44 )