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(回答先: 「寄生性」&「知的謀略」が国際金融家や国際商人の“危険因子” − トヨタなど日本の国際商人(輸出優良企業)も“危険因子”を持ちつつある − 投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 06 日 22:07:51)
あっしらさん。 レスありがとうございます。 公安調査官のすみちゃんです(「げいたさん」命名。 この肩書カッコいいなあ。 偉くなったみたいな気がする。)。
今回は、「閉じたカルタゴ世界」の論理が我々に及ぼす影響の考察ですね。
あっしらさんの議論は非常に多岐にわたっており、しかもどの議論も重要です(我々、その子孫代々の運命に直接関わってきますね)。 まるで吉田松陰だな。
すべての議論にまとめてレスすることは困難ですし、深く掘り下げて考えることができません。
そこで、今回のレスは、「原理論」的側面を中心にしたいと考えますので、ご教示下さい。
(寄生性と共同体との関係)
「地理的に継承される共同体ではなく宗教(価値観)的つながりを基礎に、地理的に継承されているほかの共同体との経済取引を通じて利益を得ようとする構えを意味します。」
近代経済学は、このような「寄生体」と「共同体」との取引を正当化する理論に満ちあふれていることに、今更ながら驚きを禁じ得ません。
スミス、リカードを始めとして、近代経済学は国際分業と近代市場の賛美に溢れていますね。 奇怪なことです。 だけど19世紀ドイツが発展したのは、リスト的な思想によって近代産業の育成に力を入れたからだと思います。
スミスもリカードも東インド会社関係者ですよね。 だから寄生者の理屈を代弁したんじゃないかな。 特にリカード。 私は昔から奇怪な理屈だと思ってきました。 だけどイギリス人はインドの織物工を多数集めて、その手首を切断したんですね。 高付加価値製品を自作できないように。 イギリス人が本当にリカードの理論を信じてるんなら、こんなことをする理由がない。 最適地生産が両方の利益になるなんて理論は真っ赤な嘘であることは良く分かってたんですね。 だけどドイツ人はだませなかったと理解しています。 彼らは大資本を集めて工業生産に励みました。
イギリス人(その寄生者)は、インド人をだませなかったんでその手首をきりました。 ドイツ人はだませず、手首を切ることもできなかったので、工業生産力で追い抜かれてしまいました。 彼らがドイツ人の手首を切ったときには1918年になっていました。
現在人は簡単にだまされますから、手首を切る必要がありません。
現在は、グローバリズムとか、トランスナショナルエコノミーとか偉そうな名前が付いていますが、要するに低コスト地で生産し、高く売れる場所で販売するという話だと理解しています。
それが全体の利益になるという理屈は、リカードの嘘の高級バージョンにすぎないと思います。
昔読んだカール・ポランニー(日本での紹介者.栗本慎一郎)の経済人類学は、近代経済学に比べると説得的に思えました。
市場経済は、共同体の外部から侵入する異物だという考え方のようです。
例えば、ギリシャの都市国家でも、街の外れに居留地があって、異人が住んでいます。 外部との接点です。 そこが市場経済の発祥となったそうです(ポランニー:「アリストテレスが経済を発見した」)。 決して共同体内部で市場が自生したわけではない、異物だったんだという観察です。
あっしらさんのお考えは、こちらに割合近いように思いますが、いかがでしょう。 (私は最近閲覧を始めたもので、貴論考のまだごくごく一部しか読んでないので、そう決めつけてはいなませんが)
この考え方を延長すると、近代とは、異物が巨大化し、共同体の内部に入り込むプロセスと言っていいように思います。
異人はなんで交易をするのでしょうか。 それは物品を動かすことによって利ざやを得られるからです。 なぜ物品を動かすことによって利ざや巣が得られるんでしょう。 それは、共同体ごとに、物品の値段が異なり、かつ物品の生産に必要な費用が異なるからです。
こう考えてみると、リカードとか、トランスナショナルエコノミー関係というのは、要するにこの商売人の理屈を体系化したものにすぎないことが明らかになります。
商売人は言います。 「お前は焼き物を作れ。 お前は農作物を作れ。 そうすれば生産力は最大になって皆得するぞ。 最大多数の最大幸福だ。」
しかしそうなりません。 そのうちみんなが段々貧乏になってきます。 生産力は上がったはずなのに、なんでこんなに貧乏なのか。 一般貨幣で交易しているからです。 貨幣を商売人にごっそり持っていかれたんです。
あっしらさんの理解とは違うでしょうか? 違ってたら間違いを教えてください。
カルタゴ的世界はこういう「寄生」原理が普遍化した世界だと理解しています。 この世界では、共同体が克服され終わった異物となります。 それは細胞内に残留したミトコンドリアのごとき遺物となります。
(寄生的世界観の増殖)
寄生的世界観は、近代人多数の世界観そのものです。
昔はこういう世界観は少数派だったでしょう。 それは異人の世界観でした。 しかし、こうした世界観は、ご指摘のように共同体内部に入り込み、既に破壊は目を覆わんばかりに進行しています。
こうした事態は、既にカルタゴ支配層遺民の働きや思惑を超えて全面化しつつあります。
こうした事態を観察していると、どうも「レトロウイルス」の一種かなあという気がしてきます(これは独創的アイディアではありません)。
この寄生虫は、パラサイトというよりも、「ウイルス」的な増殖形態を持っているようです。 それも致死性の癌ウイルス(オンコウイルス)です。
近年の悪徳金融の跋扈を見ていると、癌の進行が感じられます。
わりとこの考え方には魅力を覚えるんですが、いかがでしょう。 比喩にすぎないのかもしれませんが。
(寄生的世界観によって人は得をしたのか)
一時的、局部的に得になることはあっても、長い目で見ると損をします。 あなたの時代は得でも、子供は損をします。 後世のことが気にならない構え自体が、既に寄生者的世界観のように思います。 共同体では人はそういう考え方をできません。
(寄生的世界観の起源)
古代文明における激烈な文明の相剋、人種間、民族間の激闘に起源があるように思います。
この点はあっしらさんも少し書かれているようですが、まとまってお書きになっているでしょうか? もしあればご教示下さい。 長くなったので、この点はできれば次に掘り下げたいと思います(ご迷惑かな)。
なお、もし可能でしたら、貴論考に関連して、(寄生性と日本および日本企業) (寄生性と日本国家) (カルタゴ史と日本) (次代の論理)について、順次お伺いしたいと思います。 今の事態を放置すると、我々の子孫は悲惨な目にあいそうに思われるんで、とりあえず現実の理解だけでもしておきたいからです(これは私の都合ですが)。 どうもありがとうございました。