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(回答先: キリスト教もイスラムも“寛容”は重要な態度です 投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 05 日 14:34:56)
あっしらさん。ひどいっすよ。あっしらさんいう原理主義者はあなたの頭の中だけでしか通用しません。ジャップやシナがそのもとが差別語ではなかったにしろ、現在、差別語として認識されています。原理主義者も現在、聖書を文字どうり解釈し、不寛容であるものと認識されていると思います。あっしらさんにキリスト教原理主義者や、かれらを知る知り合いがいるなら、そう主張するのも解かりますが。
参考:神浦さんのサイトで、2/27のボストン通信員のレポート
http://www.kamiura.com/report_0302.html
あとラザリスという存在のチャネラー、ジャック・パーセル氏のインタビューも載せときます。
ご両親やご家族は、このことを知っていかがでしたか。
母の反応はこうでした。
「うちの息子はどこへ行ってしまうわけ?ちゃんともどってくるかしら?」
母は心底びっくりしていましたが、いったん安心してからはくつろいで、実際ラザリスとの会話を面白がりさえしました。いっぷう変わったやりかたで、体験したことを確認していました。話している相手が誰でだろうと、27年間付き合ってきた息子ではないことを知っていました。からだは私のであっても、しゃべっているのは私でないのを知っていたんです。
父は全然興味を示しませんでした。というか、父自身が、興味がないといったんです。ラザリスがしゃべるだすまで、父は一見新聞を読んでいるふりをしていましたが、それから誰も気がついていないと思って、新聞のかげからこっそり覗いていました。かわいらしものでしたよ。
実のところ、二人とも起こりつつあることについては、つらい思いをしていたのではないでしょうか。いくつになっても私は末っ子ですから。
あなたの宗教的素養はどうでしたか。
プロテスタントでたいへん自由主義的でした。もう一度振りかってみますと、宗教的素養は、私の傾向をかたちづっくているものの一部だと思います。父はセールスマンで次々と担当地区をかわりましたので、わたしたちは引っ越してばかりいました。どこに住んだときも、私達は家に一番近いか、一番きれいなプロテスタントの教会に行きました。ですから私は会衆派教会やメソジスト派の教会や長老派の教会や、しばらくはバプテスト派の教会まで行きました。そんなわけでわたしには宗教的な束縛や思惑がなかったんです。
ご兄弟は?皆さんの反応はいかがでしたか?
兄弟の反応も様々でした。一番上の姉は、私が会うようになった名士たちがどんな人かと言うことに興味がありました。唯一の男兄弟の兄は、チャネリングのことを「私のビジネス」と言ってまして、「この瞑想とかいうしろもの」に好奇心を抱いています。妹もいるんですが、聖書を文字どうり信じる根本主義のクリスチャンなので、このことは一切話していません。
輪廻体験 片桐すみ子訳 人文書院
あんまり参考にならないかもしれませんが、家族間に秘密をつくらせる気まずさを感じ取ってもらえれば、原理主義者の不寛容さも読み取れる思います。何年も前に読んだ本ですがよく覚えていたと思います。どっちにしろ福音書を文字どうり信じるのは馬鹿げているでしょう。数匹の魚と数個のパンで数千人の腹を満たしたり、湖の上を歩いたり、死人を生き返らしたりの奇跡は読み手の経験上疑ってみるのが普通でしょう。湖上で暴風に対して、止みなさい、と命じたら風が止み弟子たちが驚くシーンや、イエスがお腹をすかしている時に、通りがかりの無花果の木が実をつけてないのに腹をたて呪って枯らしてしまうところなどは笑ってすますところでしょう。