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(回答先: 「聖書を文字どうり解釈し、不寛容である」というのは誤った理解です 投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 05 日 21:17:28)
社会的な考え方に対する名称の定義には2通りあるようです。
一つは、美しき理想としてのxx(xx主義)。
もう一つは、悪しき現実としてのxx(xx主義)。
xxの部分には次のようなモノが入ります。
民主主義、自由主義、共産主義、資本主義、近代主義、復古主義、キリスト教、イスラム教、仏教、原理主義、民族主義、グローバリズム、法律、国家……。
僕としては、どの理想も一理あると思います。悪しき現実も理解できます。言葉の定義の問題なので、ちゃんと定義されていれば、その定義で議論を進めることが可能だと思います。
しかし、言葉の定義が異なっている場合には、議論は成立しません。
ある人がある思想について論じ始めた場合には、その人の定義が理想的意味におけるxx主義なのか現実的意味におけるxx主義なのかを見極めたうえで、その意味での定義に従って議論を進めるのが良かろうかと思います。
別の定義で反駁しても議論が混乱するだけです。
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その思想に共感する人は美しき理想としてのxx主義(理想的意味におけるxx主義)という定義で語り、その思想に共感しないしとは悪しき現実としてのxx主義(現実的意味におけるxx主義)という定義で語る傾向があるようです。
理想を語る人を軽蔑する現実主義者が多いので、美しき理想としてのxx主義を語ることは躊躇されます。しかし、理想は目的地であり、判断基準でもあります。自らの理想を自覚しない人は判断能力を失って行くでしょう。(理想は理想として語り合える友と場所が欲しいものだ)。
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参考:(「現実的意味における民主主義」批判)
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/512.html
花電車さんが定義された「近代化というのは、市民的自由を基礎とした民主主義を基礎とした資本主義体制のことです」は、 近代を宣伝する言葉でしかありません。