現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 居候掲示御容赦 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2002 年 12 月 27 日 16:11:56)
『人類は荒野を目指す』
人類は今から約500万年前のある日、住み慣れた密林をあとにして未知のサバンナに向かって歩き出し
た。姿はまだまだ猿のままだったが、その猿はたしかにちょっと変わっていた。スッくと二本の足で
立つ様はすでに王者の風格をそなえ、凛と見開いた瞳はその未来を確信するかのように、地平のか
なたに向けられていた・・・とか書いてみたらちょっとポエムだろうか(笑)
彼の武器は鋭敏な頭脳と器用な手先だ。しかし、余談とはなりますが、その人間の本分を忘れてツラの
皮の厚さだけで世渡りしようとする香具師、いるんだね、これが。そんなことやってたら即自然淘汰で
すよ。第一、ツラの皮の厚さで勝負しようと思ったらマントヒヒにかなうわけないものな。
余談ついでにレミング。これは集団自殺するバカなネズミということになっていますが違うんだね。
ネズミ算式に大発生したあげく食い物がなくなったレミングは新天地を目指す。その中であるものは、
海や大河に向かうということらしい。レミングには相当の遠泳能力があり、あるものは新天地にたどり
着く。今度はライバルはもういないから、ウマイもの食い放題。再び繁栄を謳歌するわけだ。
悲観的に集団自殺するどころか、ベンチャースピリット溢れる種がレミングだという。ビッグコミッ
クの獣医ドリトルに書いてあったから多分間違いないと思います(笑)
こうして人類は歴史のほとんどをサバンナに住み、狩猟採取の生活をおくってきた。もっとも動物は自
然状態では皆、狩猟採取で食ってるわけで、税金で食ってる動物なぞ居ないのだから、これが人類(動
物)のデフォルトというものだろう。人類が農耕を始めたのはつい2万年前のことなのだそうだ。
人間に関する論評といったものをイマイチ信用する気になれないのはこの辺で、本来の人間性といった
ものがもしあるのであれば、それは「トラの皮のパンツをはいてキリンを追いかける」といったものの
はずで高邁とも崇高とも縁のないものだろう。「どいつもコイツもいいかげんなことを言いやがって」
というのが正直な感想でもある。かって「思想の科学」の鶴見俊輔は、こともあろうに「百万羽科学工
業養鶏株式会社」を「原始共産制」として紹介した。ちなみにこの「原始共産制」というのはマルクス
主義でいう社会のデフォルトで、階級分化以前の状態(従って所有はない)をいいますが、マルクスの
時代ならいざ知らず、20世紀に入ってからの実証研究ではすっかり否定され「所有観念も無く、平和
に暮す首狩族」などはかって存在しなかったと言われています。
ただ、経済学の場合は、スターや巨匠はいるが、カリスマも教祖もいない。結局「あいつの言ったとお
りやったらエライ目にあった」といった類の話ばかりだもんね。
ところで、いつもながら聖書にはさすがと思う記述があります。
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた(創世記3/24)
地はあなたの為に呪われ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る(創世記3/17)
人類最初の農耕はメソポタミヤのどこかで始まったものだという。聖書は相当程度史実に基づいている
といいますから、失楽園の物語は農耕文明の始まりを意味するものであったかもしれない。知恵の実を
食べ、善悪を知ることとなった原罪が農耕にあったことも事実なようで「相手を皆殺しにするような戦
争」、「奴隷的な屈従」「陰湿な因習」が起こったのもこの時代のこと。一般民衆のレベルでは農耕の開
始によって平均寿命が大きく低下したといいます。穀物に過度に依存した食生活。過酷な労働。集中し
て定住することによる環境の汚染と疫病。縄文時代の日本人は現代人と変わらないほど長寿で、江戸時
代の日本人の平均寿命が40歳に満たなかったことを思えは、”不幸”もまた農耕から始まったと言え
るのかも知れません。
人間がさらに不幸に思えるのは帰るべき原点を持たないということでもある。いくら狩猟採取が自然だ
からといって、いまさらそんな生活に帰るわけにもいかない。マンモスなぞとっくの昔に食い尽くして
しまった。タマちゃんは美味そうだが、あんなもの食ってしまったら世論の袋叩きに合う。いやがおう
でも、少なくとも誰かが生産(農業も含めて)しなければ、全員が餓死するしかない。
他方でデフォルトの人間性(本能や報酬系も)は狩猟採取(つまり蒔かないところから刈り取る)にあ
る。ということは、相当に制度的、文化的バイアスが生産の方向にかからない限り、持続的な生産を維
持することはやがて困難になるのかも知れない。
でも、それは、どうやって?