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(回答先: あけましておめでとう御座います 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2003 年 1 月 02 日 10:18:49)
ユートピアコレクションさん、こんにちは。
関係するサイトを紹介していただきお礼を申し上げます。
そして、これは個(ミクロ)の問題という観点からは首を突っ込むには難しい事案であると感じました。一つには、動機はどうあれヤマギシへの参画は皆さんが自身で選び取ったことであり、また脱会も皆さんが選択したことだからです。さらには、それぞれの総括のあり様にたいする評価者として当事者(元参画者)ならばその資格があるのかも知れないのですが、自分にはそれに代るものを見い出し得なかったからに外なりません。自身で選び取ったと意識させるほどに洗脳の効果が示されているとも云えるでしょうし、今も尚傷跡を留めている心情を察するとヤマギシへの皆さんの思い入れやコミットメントが如何に深く強かったのか見えてくるような気がします。
想うに、己の気づきを他者から受け容れられ称賛されることは、例えば神から赦されるが如く大いなる愛に抱かれるにも等しい感覚でありましょう。宗教的儀式でなくともそうしたイニシエーションの状況を創ることは可能だと思います。しかし、この感覚は長続きせず保持のためには外的にも内的にもある種の強制力が必要になり、宗教色の濃いものならばその標を替えるだけで脱却ができるでしょうが、自身で選んだという自覚が強い場合は簡単なプロセスでは済まされないでしょう。この点に関してはご紹介いただいたサイトのCHIAKIさんが受け皿になろうとされています。
では、社会(マクロ)の問題という観点から見た場合はどうかというと、その点についてはユートピアコレクションさんの問題意識に幾分かは応じることもできるのではと思っています。
そこで、「青本」も「赤本」も手にしたことはありませんが、無所有というヤマギシの本源的な理念からどの程度の世界を展望できるのか疑問を抱かざるを得ません。おそらくユートピアコレクションさんの疑念は同じ様なところから芽吹いたのではないでしょうか。
私は「生産手段の、共有に基づく個人的所有」を中核理念とする生産関係による経営システムについて探究していますが、関係するアジェンダめいたものは他のスレッドでも披瀝しています。個人的所有はヴェブレンの解説に拠るまでもなく株券あるいは債券の所有といった形で、共有は株式会社が現代の経済主体の有り様として定着していることからもプロトタイプは広汎に現実化しつつあると云えましょう。しかしながら、最も困難なのが労働主体にとって生産手段を所有することの意義を如何に認識するかなのです。とりわけ日本人には難しいようですが、どうしてそうなのかは他日に期したいと考えます。そして、所有の形体や共有の理想形についてもさらに研究と検証を重ねていく必要があるとも思っています。
また寄せさせていただきます。