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(回答先: 貴殿の問いかけに答えわすれていたこと 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 9 月 05 日 09:25:33)
確信犯的構造改革論者と確信犯的微温主義者による認識の差異ですから、評価が異なるのは当然としても、経済論理的には、“97年政策”は、日本経済を「デフレ・スパイラル」に突き落としたと判断すべきです。
>97年以降の負担増が仮になかった場合、どういうことになっていたか想像してみま
>しょう(これがないなら、その前にくる減税実施もなかったのですが、まあ、そこは
>無視します)。3%程度の経済成長を実現し、失業率は再び2%程度まで低下し、企
>業の設備投資は旺盛になり、所謂自律的拡大基調に転じていた、とお考えですか?
自律的拡大基調に転じていたとはとうてい思えませんが、98年からの本格的な「デフレ不況」は、米国経済のバブル崩壊という今時まで先延ばしされたと思っています。
97年の低中所得者層負担増は、可処分所得の減少が見える金融危機と同時的に生じたことで、供給>需要のギャップ幅を負担増分以上に拡大しました。
端的に言えば、多くの国民が将来の日本経済及び自分自身にただならぬ予感を抱く大きなきっかけになったわけです。
(日本経済がとんでもない状況にあるとの認識と社会保障に対する信頼感の喪失が同時的に訪れたのですから...)
また、デフレと実質経済成長マイナスが一体化することで、捕らぬ狸の皮算用でしかありませんが、デフレ下でもなんとか利益を確保しようと、国内向け商品の生産を製造コストの低い海外に移していく大きな動機となりました。
このような動きは、財的供給量は変わらないまま供給=需要を減少させ、デフレ・ギャップが拡大していきました。
(これもマクロ論理とミクロ論理の一体性を知らないミクロ経営者の愚かさの現れです。供給のないところに需要はないのであり、それに輪をかけるかたちで海外から財のみ供給すれば、経済がどうなるかくらいの理解はして欲しいものです)
政策による供給>需要のギャップ拡大が、財的供給量は変わらない供給減少=需要減少を促進し、そのリアクションとして供給減少(失業者増加)を招き、供給>需要のギャップ拡大と供給減少=需要減少をさらに進めるという「デフレ・スパイラル」に突っ込ませていったと判断しています。
97年に消費税率アップや社会保険負担増を行うのであれば、それ以上の「低中所得者減税」を行うべきでした。
それでも自律的な拡大基調に転じたとは思いませんが、デフレ・ギャップは縮小したと考えていますから、デフレ・スパイラルに陥ることは防げ、国民意識の“健全性”や国民生活の“安定性”もそこそこ保たれたはずです。
>私はそうは思いません。無論、当時景気回復の兆しが見られ、それゆえ負担増にも踏
>み切れたわけですが、あの景気回復も本物ではなかったと思います。今の日本の構造
>を抱えたままでは本当の回復など当時もあり得なかったし、今後もないのです。橋本
>政権を失脚させたのは日本国民の誤りでした。その後の小渕型大盤振るまいに入るこ
>となく、改革モード全開で突っ走るべきでした。金融のシステミック・リスクが現実
>のものとなり、国民が危機感を抱く絶好のタイミングだったのに、抜本措置を避けま
>した。
97年の“景気回復”は、95年までの円高傾向から円安への変動と米国の株式バブル景気による輸出増加に負うもので、ご指摘の通り、本物の景気回復ではなく、供給力>供給のギャップを縮小させたというものです。
“97年政策”により、それを一気に吹っ飛ばすどころか、逆にギャップを拡大させました。
貿易黒字の推移は、95年10兆円・96年7兆円・97年10兆円・98年14兆円・99年12兆円・00年10兆円ですから、98年からの本格的「デフレ不況」は、“97年政策”の責が大です。
「橋本政権を失脚させたのは日本国民の誤り」としても、それが民主制であり、再生のための死も訪れないという見通しの一つの根拠でもあります。
98年からの財政出動のうち5兆円が「低中所得者減税(負担減)」に使われていれば、経済状況・国民生活・経済価値観のいずれもがよりましなものになっていたと考えています。