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(回答先: 御都合主義 投稿者 baka 日時 2002 年 10 月 13 日 09:08:55)
私にもbaka氏と同じ様に読めた。
別にチョンマゲに戻れという極論にはとれない。
日本も縄文、弥生、奈良〜〜江戸、現代、と時代が変わっていくにつれ、大陸の影響などもあってファッションやライフスタイルは変わってきているのだし、故に純日本的スタイルなんてものがあるとも思えない(縄文時代なんて、女性はスカートはいてポニーテールに派手なピアスをつけ、現代の西洋風のそれと大して違わない、クッキーやハンバーグを食べていたそうである)。
そんなことより、江戸時代にも世界に誇れる日本製品やビジネスもあっただろうに(チョンマゲだって、決して恰好悪いファッションだとは思わない。女性の着る着物は、いささか機能的に問題はあるが)。むしろ、江戸時代の町民文化のもつベンチャー性や、精度の高い工芸品(からくり人形のようなロボットのハシリまであった)や建築技術などは、充分に世界に通じる近代的特性をもっていたと思うのだが、コンプレックスに圧し潰されたのか、それらを堂々と世界に売り込んで地位を築く努力を放棄してしまったかのように思える。
もし、坂本龍馬なんかが生きていたら、そういう独自のベンチャービジネスや伝統の技術を発掘、援助して、世界の生産・商業の世界に堂々とチャレンジしていたのではないかとも思える。
らっかせい氏のあげる国粋主義者や民族主義者を標榜する権威の中に、ある種の自家撞着が目立ってあるというのは、事実のようである。
正直言って、どこか恰好悪いのである。お金を使い込んで西洋の金持ちの真似をしたり、ダンディを気取ったりすればする程・・・。そんなことをいくらしてもジェームス・ディーンにもクリント・イーストウッドにもトム・クルーズにも近づけないのである。
もっと飾らず自分に徹していれば、誰にだってその人らしい魅力はあると思うのだが。
彼らには、わざわざ外見やライフスタイルを欧米人に近づけてみながら、彼らのようになりきれないという劣等感を強調し、そこから生じるより一層の嫉妬心や対抗心を欧米に対するあまり具体的でない「憎しみ、怒り」に転化して正当化し、他の同じような構造にある日本人にアピールする「必要」に駆られているのではないかという嫌いがあるのだ。
少なくとも、私にとって彼らが「かっこいい、世界に通用する日本人」のモデルには、どうしてもなり得ない以上そう思わざるを得ない。
多くの日本人には、どうも欧米人に比べて顔もスタイルも力もダメで、身体能力も劣っている、というコンプレックスが
根強くあるようだが、今日の野球やサッカーの海外移籍組の活躍を見ても(WCの時なんか、欧米の新聞などで、日本選手の「ルックスの良さ」「素早い身体能力」などを挙げて評価するコラムがいくつもあったそうである。イチローなども、向こうでは本当に「カッコイイ」選手なのだそうだ)
そういうコンプレックスの根拠には「?」がつく。
アニメだってカッコイイし、映画だって海外で評価されている。創造性だって充分ある。
そりゃ、人前でおどおどしていれば貧相にも見えるし、みんな同じ恰好をして個性を打ち消せば、「東洋人はみな同じ顔、同じ性格」に見えてしまうだろう。でも、それは、生来備わっている「どうしようもない」ものじゃないと思う。
素直に恰好よくなりたい、恰好良く生きたい、と思うのは素直でいいことだ、と思う。でも、その為には自分を開いて自信を着けていかなければならないし、ちょっとしたことでへこたれないよう、ポジティブシンキングで努力して自分を磨き、個性を発揮しようとすることが必要なのだ(茶髪にしてもピアスをしても構わないとは思うが、ただみんながしているからやるとかでは意味がないし、それだけにとらわれて中身が薄っぺらにならないように気をつけるべきである)。それが出来て個性や実力が発揮できるようになってもなお、欧米人に劣っているのかどうか、よく考えてみるべしだ。
自分としては日本人に生まれたことを誇りとし、日本の風土や伝統を本当に愛し、実力を信頼することが出来る人が、他国のそれを否定したり、国粋主義者になる必要を感じるとはとうてい思えない。