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(回答先: Re: 茶髪と英語のブーム 投稿者 赤髪 日時 2002 年 10 月 15 日 12:47:52)
私も、髪の傷みもあって今は自毛(太い黒髪と細い赤毛の混合)にもどしているが、以前は、茶髪、金髪はおろか、緑やピンクに染めたり、赤、緑、黄(ラスタカラー)の3色にしたり、オレンジのメッシュを入れたりと、かなり奇抜な髪色にしてきた。
目だってきた白髪を隠す意味もあったが、どちらかと言えばアート系の仕事をしているので、アーティスティックな自己主張の意味があった。丸坊主にしていたこともあった(よく「カイヤさん」とか呼ばれたな(笑)。あそこまで派手な顔の造りじゃないけど)。
実は目立ってきた白髪を隠す意味もあったのだが・・・(爆
欧米でも、髪の色を変えるおしゃれは結構浸透している。
黒髪や茶髪を金髪や銀髪に染めることもあるし、逆に金髪を黒髪や茶髪に染めることもある。もちろん、派手な色に染めることもあるし、老齢の白髪の人も、様々な色に染めている。うちの母(日本人)は、生前総白髪になってきた頃、髪を紫やライトブルーに染めていた。結構似合っていたと思う。
要は、何色に染めても髪の毛は伸びてくれば結局自然の色にもどってしまうもので、いろいろな種類の洋服に着替えたり、化粧をしたりしてファッションを楽しむのとあまり違わない意味があると思っている。
しかし、そうは言っても、自分はまずは自然な姿がいちばんいいと思っているのであって、あとは余興みたいなものだと思っている。私も若い頃、よくアメリカ人に「豊かな黒髪がうらやましい」と言われたりしたものだ。
ただ、黒髪至上主義もファッショ的になりかねないので考えものだ。
最近は、日本人の中にも、生まれつき赤みがかった髪色をしている人も目だってきていると思うが、そういう人も自然な個性である限り、美しいと思う。
昨今の若者全体の傾向を見ていると、茶髪や金髪に染めたら染めたでみんな同じように見えてしまい、あまり個性があるように見えない。また、多くの若者があるがままの自分の姿に自信があるというようにも思えない。主張も集団的なものが多く、個的なものはあまり伝わってこない。迎合主義的な感じがある。無意識に集団に対する隠れ蓑にしているんじゃないかというか。なにか、うら寂しい気もする。
また、らっかせい氏がいうように、国粋主義的権力者が、「精神的茶髪」というのはメタファーとしては的を得ているかも知れない。
しかも、彼らの場合は着脱できるファッションというより、完全に染まりきってるんじゃないかとさえ思う。