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(回答先: あっしら民族派シンパ説 投稿者 多分すぐに御本人から説明あるとは思いますが(笑) 日時 2002 年 10 月 13 日 12:57:45)
民族派も進歩派もそれぞれ該博な知識をお持ちの方々が論争しながら、建設的議論にならないのはなぜかを考えてみます。
まず民族派に理解が足りないのは批判にさらされているポイントを腑に落とし込んでない点です。第一に、自国民を何百万人も
死に追いやった責任をどう感じているのかという点(同じ敗戦でももっと賢い負け方があった)。次に天皇を現人神とする宗教をでっち上げ(これがでっち上げでなければ今でも
残っているはず)、全国民を緊縛し実質上信仰や思想の自由を認めず、結果的に全体主義に陥ってしまった点。
そして成立の経過はともあれ、戦後日本が獲得した民主的・平和的価値観を否定する点にあります。
戦争に負けたのだから、幾らゴタゴタ言っても「泣き言」である、しかも全体主義国に負けて民主主義を捨てざるを得なかったのならともかく、
良い方向に転換したのだから良いじゃないか、という主張に必ずしも十分な反論がなされていません。
次に進歩派の問題点を見ます。戦前・戦中を暗黒の時代と切り捨て、その実相を明確に認識しようとしないから、日本が戦後まともな国
たり得なかったのだ、という批判は核心を突いており、進歩派はこれにまともに応えておりません。はな氏(?)などは、自分とは価値観が
異なるから巻き込まないでくれ、と逃げており論争すら成立しない状況です。これまでの日本の教育は進歩派的なキレイゴトで済んできたわけですが、それでは済まなくなっているという時代背景も無視し得ません。
両者の立場を止揚するにはどうすれば良いか。どちらの立場にも批判的に臨み、最終的には憲法を多数の国民にすっきりと合点のゆく形に
改正することが必要だと私は考えます。まず対外膨張主義、軍国主義、全体主義は誤まりであって、これらの復古はあり得ないことを明確にしておくことが重要です。当時日本のリーダーが誰であってもあのような結果にしかならなかったとしても、リーダーの結果責任は問われるべきです(東京裁判ではなく、日本国民を権威の礎とする組織による裁決の方が望ましかった)。
次に日本の安全保障問題を真剣に考える必要があります。アメリカの核の傘の下にいる以上、外交面でアメリカの準植民地的な対応しかできないのは当然とも言えます。現実論としてはすぐに転換は無理としても、祖国自主防衛は主権を有する国として当然でしょう。在留米軍には漸次お引取り願う方向を志向すべきでしょう。
しかし、日本のみが高らかに宣言できる平和主義というものは国際社会において極めて価値ある理念です。その意味で、軍備の保有と個別自衛権は保有は憲法に明記する一方で、集団的自衛権を放棄する革新的立場を打ち出す
べきではないかと思います。