現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: ウッチャーさんへ はじめまして 投稿者 如往 日時 2002 年 8 月 31 日 06:30:46)
如往さんへ
こちらこそ、はじめてまして。とても優秀なかたのようで、僕のような者に書いていただいて畏れ多いという気がしています。
本とかに載ってもおかしくない、とても文才のある御文章で、楽しませていただきました。
ほんとうにありがとうございました。
御文中にありました、
「日本人が久しくVision questのような思惟方法を採らずに来たこと、あるいはそれで済んだこと」
は、ほんとにそうであると思うと同時に、現時点で最も問題にされてよいものであると思います。
またたしかに、哲学とVisionを形造れる能力は別だと思います。政治や行政に自分の人生からの確乎とした意見を持っている人がいたとしても、それがそのまま未来への設計図作りとしての役割も果たせるかどうかというのは別の問題だと思います。無論そういう貴重な意見が無駄だと言っているわけではなく、設計図作りの大なる参考になります。ただ設計図作りということになると、政治・行政などに関する専門的な知識や経験も必要になってきますし、様々な情報からの現在の状況の正確な把握、また未来の見通しという才覚も必要になってくるように思います。
官僚がMissionの遂行者としては能力があるというのもたしかだと思います。
僕の感触では官僚というのは多くそのMissionの立案者をも兼ねている集団だという気がしますが、その点の現実問題も含め、そのMissionを与える人間、あるいは集団は誰なのか(この場合、国自体を考えての「Vision」からのものであるのか、あるいは多くは私利益を考えてのものであるのかは問いません)、これがとても曖昧で不透明であるのが問題であると思います。
たとえば、「メディア規制3法案」と言われているものでも、法案の進行過程を時間軸で見れば、政治家などが週刊誌などでスキャンダルや裏舞台を暴露されるようなことを防ごうという意思が途中で合流しているのは確かだと思います。けれど、そもそもの最初の立案過程で、誰かが、上の政治家のメディア封じといったようなものだけでなく、広い意味で「言論や表現」の自由を奪おうと意図したのか、あるいは能力の問題で偶然そういうものが出来あがっただけなのか…、またもし最初から意図したのなら、それは誰が何のためにそうしたのか、この点がとても不透明なのです。
成立過程がどうであろうが、その法案が「言論や表現」を妨げるものであるのは事実なのだから、それに反対していればよいということにもなるのですが、ちょうど敵が何処かの物陰に潜んで矢を矢継ぎ早に放ってくるのにも似ていて、飛んでくる矢を落としているだけでは、相手にダメージを与えられないばかりか、真の解決にもならないのです。
こういう相手の正体をはっきりさせるのがジャーナリズムの仕事だと思うのですが、現実にそのようなアプローチをしている人間は文字通り数えるほどしか今はいないようです。
Visionということでは、もし現在のこのような法案その他を計画的に遂行している集団があるとすれば、そのシステム作り的な能力だけはある者たちということになりますね。アングロサクソンという言葉が出てきましたが、僕はこういう体系的なものである疑惑があるものをみると、アメリカの人間が深いところで関わっていやしないかと考えてしまいます。もしそうであるとしたら、まさにアイロニーとしての「アングロサクソン的Art」ですが。
だけど、正直な話、地球環境も問題も含めて、日本の為政者には長期的な展望とその実践ができる者を選出しないとほんとうにいけないと思います。”日本的な真面目さ”とそのようなVisionが組み合わせられれば、その時こそ官僚の能力が発揮できる場ができるでしょう。