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僕は教育関係者ではありませんが、恐らくもっとも偏差値教育とか受験が当たり前に思われていた世代の人間です。当時の記憶によると誰もが、偏差値50を目指しましたし、実際に殆どの学生がそこに到達出来るような言い方をされていました。
余り飛びぬけた学校は群制をしいて、妙な平均化を狙ったり逆にちょっと足らない偏差値の学校は、全校が一体化して受験に取り組んでいる所もありました。
しかし、時代が変わり一端不景気になると今までのシステムが崩壊し、それにともなって学歴社会までも大きな影響を与えました。ゆとり教育はそういう時代背景に、今までの学歴偏重の社会を反省するような、まさに理想の教育を目指しているように思われますが、実際はそういう前回の偏った偏差値教育の問題点を反省することなく作られた、本来の意味とはかけ離れた逃げの教育方針であるような気がします。
国民の殆どを偏差値50に近づけるという、文部省の儚い夢は、結局は達成されないまま終わり、後に残されたのは、膨大なその偏差値以下の学校とその生徒でしょう。特に、偏差値30を切ったような高校に到っては定員割れ、卒業までに過半数が中退する、タバコや麻雀、苛めなどの横行など教育難民といわれるほど、惨澹たる状態が今でもあるようです。
何故50でなければならなかったのかは解りませんが、せめて40ぐらいなら、もっと多くの生徒を元気ずけたのかもしれません。何れにせよ、文部省、教育委員は偏差値教育の失敗を考慮することなく、次のあやふやな方針に向かって進んでいます。
「学級」崩壊どころか、「学校」崩壊を巻き起こして現状を把握せず、どのような理由であれ、一旦落ちこぼれた生徒を日数や授業数を減らすことで個性教育などどという曖昧な方針で救われると思ったら、大きな誤算でしょう。
市中の学習塾は、端から学校の授業とはかけ離れた受験用のカリキュラムをひいており、あれだけ平均化したかった国とは裏腹に益々、学校の優劣の差はついています。
青年が少なくなってくる一方で、学校の統廃合はさらに進んでくることかと思います。その際、是非必要なのが教育難民の救助ではないでしょうか。
ゆとり教育は、僕はそういう意味で放置教育であるような気がします。
放置された青年は、やがて社会全体に歪んだ考えや感情を持ち、あっまさえテロのような存在になりうるかもしれません。