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三浦朱門氏はゆとり教育について、斎藤貴男氏の取材に対し、こう答えています。
「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審(引用者注:教育課程審議会)
をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本は
どうにもならんということです。つまり、できんものはできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、
できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて
彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な
精神だけを養っておいてもらえばいいんです。(中略)
国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも
出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが
“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、
回りくどく言っただけの話だ」
(斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋、税抜き1619円、ISBN4-16-356790-9、40〜41頁)
斎藤氏の著書から続きです。
――それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサス
だったのですか?
「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見は
みんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一
名誉教授も……。教課審では江崎玲於奈さんのいうような遺伝子診断の話は
出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」
(前掲書41頁)
また、江崎氏の発言はこうです。
「ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に
遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形に
なっていきますよ」(前掲書12頁)
斎藤氏が『東奥日報』
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2001/syukudai/0502.html
の取材に応えて述べた感想、
支配層には、小さくなったパイをみんなで分け合う発想はない。自分たちの取り分を減らさず、恵まれない層の分をかっさらう−私の目にはそう映る。
象徴的なのが「ゆとり教育」だ。教育課程審議会長だった三浦朱門氏の発言を忘れない。「新学習要領で授業内容は三割減る。学力低下を招かないか」と尋ねた私に三浦氏は言った。
「戦後はできないやつのために手間と暇をかけすぎた。落ちこぼれにかけすぎた手間をこれからは有能なエリート候補に振り向ける。彼らが日本を引っ張ってくれる。無才、非才にはただ実直な精神だけを養ってもらえばいいんだ」
「エリート教育がゆとり教育の目的。それを言うと抵抗が大きいので、ゆとり教育とまわりくどく言っただけだ」
「私は衝撃を受けた。エリートにならないやつに勉強などされても社会の無駄だと、
彼は言っている。ゆとりはゴマカシだった。
根底には経済界の要請がある。どうしたら日本経済を活性化できるか、企業が
活力を得る手っ取り早い方法は何か、というのが発想の原点だ。
公立学校はゆとり方針に従うだろうが、私立はビジネスチャンスととらえる。
落ちこぼれはごめんだと危機感を持つ親が増えるから、競争はなくなるどころか過熱する。
経済力のある親を持つ子供だけに自由が許される世の中でいいのか。規制緩和を
教育や福祉にあてはめるのは、安易で無謀だ。働く場では今、弱い立場の人間が
真っ先に切り捨てられている。」