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日本列島は欧米の侵略の拠点で日本人は手先。イギリスもアメリカも日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許さない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/136.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 30 日 07:38:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: トランプはユダヤのエージェントでキリスト教原理主義のネオコンだった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 28 日 02:49:20)


日本列島は欧米の侵略の拠点で日本人は手先。イギリスもアメリカも日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許さない


2020.05.30
「英国の戦略から見た米中戦争」


 アメリカと中国は経済的に「ズブズブ」の関係にあり、軍事的な緊張が高まることはないと主張する人がいましたが、そうした見通しは崩れています。

 1991年12月にソ連が消滅したことでアメリカの支配層は世界制覇はほぼ達成したと考え、ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく詰めの戦争を始めました。

 ところが21世紀に入ってロシアが曲がりなりにも再独立、2014年のウクライナでのクーデターや香港での反政府運動をアメリカが仕掛けたことを見て中国も警戒しはじめています。

 香港は19世紀のアヘン戦争でイギリスに奪われた土地ですが、その時は海岸部分を制圧できただけでした。内陸部を支配するためには軍事力が圧倒的に不足していたからです。イギリスにはロシア(ソ連)を制圧して世界の覇者になるという野望があるのですが、自力で達成することは不可能です。

 そこでイギリスが建てた長期戦略はユーラシア大陸の沿岸部分を支配し、海路を抑えて締め上げていこうというものでした。それでもイギリス軍だけでは無理で、ターゲット国同士を戦わせたり傭兵を雇ってきました。イギリスが明治維新に関与、明治政府の「富国強兵」に協力したのもそのためでしょう。

 そうしたイギリスの戦略をアメリカは引き継ぎました。彼らにとって中国やロシアは侵略の対象でしかありません。日本列島は侵略の拠点であり、日本人は手先ということになります。イギリスにしろアメリカにしろ、日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許しません。

 中国やロシアがアメリカに屈することを拒否すれば必然的に戦いは始まります。共和党にしろ民主党にしろ、アメリカの支配システムに組み込まれている政党はこの道を進むのです。新型コロナウイルスもそのために利用されているのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202005300000/  

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コメント
1. 2020年6月06日 05:42:59 : Givnpa6wBA : cXlVbWN1OFlsTkk=[3] 報告
テレビ局を含むマスコミはアメリカ支配層の意向に沿う形で罵詈雑言や誹謗中傷を繰り返している。

アメリカにとって目障りなロシア、中国、朝鮮、シリア、ベネズエラなどの話の多くは事実に基づかない罵詈雑言や誹謗中傷の類いだ。それを正当化するためにマスコミが使う呪文が「オーソライズ」である。

日本は明治維新以降、イギリスやアメリカのアジア侵略に加担してきた。シティやウォール街は日本に対して大きな影響力を持ってきたのだ。波はあるものの、そうした構造は第2次世界大戦の前も後も同じ。その象徴とも言える人物がジョセフ・グルーだ。日本列島は米英にとってアジア侵略の拠点であり、日本人は彼らの傭兵的な存在だ。

 明治維新まで日本は中国や朝鮮を含むアジアの国々と友好的な関係を結んでいた。薩摩と長州を中心とする明治政府がイギリスの手先になる道を選んだ瞬間、日本はアジアの裏切り者になったとも言える。

アジア侵略のため、明治政府は日本人にアジア蔑視の感情を植えつけたのだろう。そうした感情が罵詈雑言、誹謗中傷という形で噴出する。そうした洗脳から日本人は未だに抜け出せていない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006060000/

2. 2020年6月19日 17:48:10 : mtaSPXV036 : cHI5NGdJOGx1M2c=[42] 報告
2020.06.19XML
米国に見切りをつけられた安倍政権がイージス・アショアの配備計画を停止
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006190000/


 地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を停止すると安倍晋三政権は発表した。配備が予定されていた場所は秋田県と山口県で、システム2基の価格は4664億円だが、1機約40億円というミサイルは別売りのため、建設費などを入れると合計7000億円以上になるという。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、明治維新以降、日本はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソン系国が描く長期戦略の強い影響下にあり、そうした国々が日本へ技術を提供、資金を供給してきた理由もそこにある。彼らは日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えてきたとしか考えられない。イギリスが自力で中国を制圧する戦力がないことはアヘン戦争を見ても明白だ。


 アングロ・サクソンの長期戦略は、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシア/ソ連を制圧、覇権を握るというもの。制海権を握っていたことを利用しての戦略だ。


 イギリスは海を支配するために海賊を使った。イギリスはエリザベス1世の時代、海賊を使い、富を築いたのである。例えば西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売りさばき、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。海賊は略奪だけでなく、反乱の鎮圧にも利用されている。


 もっとも、イギリスに襲われたポルトガルやスペインは南アメリカなどでの略奪で富を築いていた。例えば1521年にスペインのエルナン・コルテスはアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を侵略、莫大な金銀を奪って国を滅亡させている。同じスペインのフランシスコ・ピサロはインカ帝国(現在のペルー周辺)を侵略して金、銀、エメラルドなどを略奪して国を滅ぼした。


 ヨーロッパ人は莫大な量の貴金属品を盗んだだけでなく、先住民を奴隷として使い、鉱山開発も行った。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山。盗み出した資源の総量は不明だが、そうした財宝や資源がヨーロッパ支配層の支配力を強めることになった。欧米、特にアングロ・サクソンは今でも強盗の習性から抜け出せないでいる。


 この長期戦略は1991年12月のソ連消滅で達成したと考えた人たちがいる。ネオコンもそう考え、潜在的なライバル国や従属度の足りない体制を破壊し、力の源泉である資源を支配しようと目論む。そして1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。この思い込みが現在、ネオコンを苦しめている。21世紀に入り、ウラジミル・プーチンが曲がりなりにもロシアを再独立させたからだ。


 当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツが作成の中心。そこでこのプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。


 このプランのベースを考えたのは国防総省内のシンクタンクONAで室長を務めていたアンドリュー・マーシャルで、マーシャルの師と言われている人物はイギリス出身のバーナード・ルイス。ネオコンはこのルイスの戦略を信奉している。


 ソ連消滅後、ネオコンを含むアメリカの好戦派は自分たちが世界の覇者になったと考え、単独行動主義を打ち出す。日本もアメリカの命令に従えば良いと彼らは考えたであろうが、細川護煕政権は国連中心主義を維持した。


 そこで細川政権は潰されるが、同政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその後、「日本の安全保障と防衛力のあり方」という報告書を発表した。いわゆる樋口レポートだ。


 この報告書が国連中心主義に基づいて書かれていたことからネオコンは激怒する。最初にこのレポートを問題にしたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンで、ふたりはカート・キャンベル国防次官補を説得してジョセイフ・ナイ国防次官補らに自分たちの考えを売り込んだという。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。


 日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込んでいくということだが、それに抵抗する政治家もいた。日本側の反応は鈍い。そうした中、1994年6月に松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件が引き起こされる。その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃され、1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。


 その1995年には大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失が発覚、98年には長銀事件。この当時、証券会社や銀行の不正が相次いで明るみにでたが、こうした問題には大蔵省(現在の財務省)が深く関与していたはずで、アメリカに脅されたとしても不思議ではない。


 1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。旧ソ連圏での工作には深く関与していないだろうが、ネオコンたちが最も警戒すべき潜在的ライバルと考えている中国の問題では日本に重要な役割を求めてくる。そうした流れの中でイージス・アショアの配備は決まった。


 こうした防衛システムは先制核攻撃の後、破壊を免れた相手の報復攻撃を迎え撃つことが目的だとする考え方があるが、それだけでなく、先制第1撃に使われるという見方もある。


 イージス・アショアではSM-3というミサイルが使用されるが、その発射装置は射程距離が2500キロメートルという巡航ミサイルのトマホークも使えると言われている。防衛という名目でロシアや中国の周囲にランチャーを配置、INFの廃棄でトマホークを配備するということになると懸念する人もいる。


 こうしたミサイル・システムのアメリカは強引に東アジアでも配備してきた。そのひとつが2017年4月に韓国へ持ち込まれたTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システム。


 そうしたシステムの持ち込みを朴槿恵政権は、保守派ではあるが、嫌がっていた。その朴大統領は2017年3月にスキャンダルで罷免され、文在寅が大統領に就任するまでの空白期間にアメリカは強引に配備したわけだ。


 安倍晋三政権の場合、ここにきてアメリカの支配層から見切りをつけられたように見える。そしてイージス・アショアの配備計画を停止する決断をした。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006190000/

3. 2020年8月15日 06:09:57 : XAcXkcJt3k : TjQybE9UVUxDQy4=[4] 報告


2020.08.15
戦後日本への道は戦前を経てアヘン戦争から続いている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008150000/

 今から75年前、1945年8月15日に昭和天皇(裕仁)の日本人向けの声明、いわゆる「終戦勅語」が放送された。その頃、上海にいた堀田善衛は中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)


 天皇は「象徴」にすぎないという理由で極東国際軍事裁判(東京裁判)の被告にならず、天皇制の維持は日本国憲法の第1条から第8条で定められた。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」だというが、同じ理由で天皇は戦争犯罪を問われなかったのだ。


 近代天皇制、つまり天皇制官僚システムは明治維新によって生み出された。その思想的な核になったのが水戸学と言えるかもしれないが、その背景には長州や薩摩を中心とする勢力、その背後にはアヘン戦争で中国(清)侵略を始めたイギリスが存在している。そうした勢力が存在しなければ、水戸学が描く幻影は影響力を持ちえない。


 1837年6月から1901年1月までのイギリスはビクトリア女王の時代。ビクトリア女王の母親であるビクトリア(ケント侯爵夫人)と女王の助言者だった夫のアルバートが1861年に42歳で死亡した後、南部アフリカで金やダイヤモンドが発見されてから女王の周辺に支配者グループが生まれた。


 そのグループの中心にはセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナーらがいた。1890年代に入ってからこのグループの活動が本格化する。


 ハルフォード・マッキンダーが「歴史における地理的要件」を発表したのは1904年。日英同盟が締結されてから2年後だ。ユーラシアとアフリカを支配するためにはロシアを制圧する必要があり、そのためには東ヨーロッパを支配しなければならないとマッキンダーは主張している。


 ポーランドにはポーランド・リトアニア連邦の復活を夢見る勢力が存在、それはバルト海とエーゲ海に挟まれた中央ヨーロッパにカトリックの帝国を作ろうというインターマリウム構想と重なった。その構想を実現しようと動いていたひとりがユセフ・レッティンゲル。ヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようとしていた。この人物はポーランド生まれで、第2次世界大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのブワディスラフ・シコルスキー将軍の側近。1954年に創設されたビルダーバーグ・グループの生みの親はレッティンゲルだと考えられている。


 明治維新後に日本で作り上げられたのが天皇制官僚システム。第2次世界大戦後、アメリカの手先になる軍の幹部は温存され、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈が戦後も生き残り、要職に就く。


 日本が降伏した後、哲学者の三木清が獄死しているのは象徴的な出来事。疥癬という皮膚病の患者が使っていた毛布を三木にあてがい、意識的に病気を感染させて不眠と栄養失調で死に至らしめた可能性が高い。その前日、ソ連のバチェスラフ・モロトフ外相は憲兵や警官など戦前の治安体制が存続していることを批判しているのだが、その通りだった。


 戦後日本の進む方向を定めたジャパンロビーの中心にいたジョセフ・グルーは1932年から41年にかけて駐日アメリカ大使を務めている。そのグルーのいとこにあたるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻だ。


 そのJPモルガンは1932年から33年にかけての頃、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルト大統領を倒してファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画している。


 グルーは日本の支配層に太いパイプがあり、秩父宮、近衛文麿、松平恒雄、徳川家達、幣原喜重郎、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右らと親密な関係にあった。JPモルガンと最も深くつながっていたとされているのは井上準之助。「適者生存」の信奉者で、今なら新自由主義者と言われるだろう。


 A級戦犯として岸信介と松岡洋右は起訴されているが、米英金融資本はこのふたりを救出するつもりだっただろう。松岡は1946年に病死したが、岸は48年に釈放されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008150000/

4. 2020年8月31日 10:22:21 : 1W8zcIRgE2 : aUhEYmQ0L2hWREU=[8] 報告

2020.08.31
第2次世界大戦で日本の敗北が決まったのは75年前の9月2日
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008310000/

 第2次世界大戦における日本の敗北が正式に決まったのは今から75年前、1945年9月2日のことである。この日、日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎がアメリカの軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印したのだ。


 日本は1941年12月7日(現地時間)にハワイの真珠湾にあったアメリカ軍の基地を奇襲攻撃してアメリカとの戦争を始めたのだが、言うまでもなく、その前から東アジアで侵略戦争を続けていた。


 石油は日本とアメリカとの戦争においてキーワードのひとつだ。その当時、世界の石油生産量はアメリカが圧倒的で、全体の約50%を占めていたという。アメリカ政府の内部には日本への石油禁輸を主張する勢力があり、財務省は石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えていた。


 日本が使っていた石油の生産地はカリフォルニアと現在のインドネシア。アメリカが石油の輸出を止めたなら、日本にインドネシアを攻めさせることになると考えたフランクリン・ルーズベルト大統領は禁輸に消極的だったのだが、実行されることになる。


 真珠湾を攻撃する前に日本でも石油の需給見通しを試算、アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていたが、戦争を継続できる程度の石油は供給されていた。


 やはりアメリカに石油を頼っていたドイツの場合、ロックフェラーのスタンダード石油がベネズエラの支社からスイス経由でドイツ占領下のフランスへ売り、そこからドイツへ運んでいたという。日本へも何らかのルートを利用して売られていたということだろう。


 1933年にアメリカ大統領となったフランクリン・ルーズベルトはファシズムや植民地に反対していたこともあり、日本に対しても批判的だったが、それはアメリカの支配層全般には当てはまらない。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、日本の支配層はウォール街の影響下にあった。1923年9月1日の関東大震災で大きな損害を受けた日本は復興資金を調達するために外債を発行したが、その発行を引き受けたのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も緊密な関係にあったと言われている人物が井上準之助だ。それ以降、JPモルガンは日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。


 アメリカの政治経済もウォール街によって動かされていたが、そうした強者総取りの政策に反発した人びとは1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選ぶ。そうした事態に危機感を抱いたJPモルガンなどの金融資本は1933年から34年にかけてクーデターを準備したわけだ。計画の詳細はスメドリー・バトラー少将が議会で証言している。


 ウォール街のクーデター派はヨーロッパのファシスト、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本と関係が深い国務省の内部、つまりアメリカの外交官にファシストが多かったのは必然ということだ。


 クーデターの司令官としてウォール街が選んだ軍人がバトラー。人望があるバトラーを抱き込まないとクーデターは成功しないという判断だったが、抱き込みに失敗した。計画を聞き出した上で彼はカウンタークーデターを宣言している。


 日本にはそうしたウォール街の傀儡が少なくない。総理大臣としてウォール街の意向に沿う政策を進めていた浜口雄幸は1930年に銃撃されて翌年に死亡、井上準之助は32年に殺された。井上と同じ年には三井財閥の大番頭と言われ、ウォール街とも緊密な関係にあった団琢磨も殺されている。


 団は1871年にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業しているが、同じ時に彼の親友、金子堅太郎も渡米した。金子はハーバード大学ロースクールで1878年まで学ぶ。金子はその後、セオドア・ルーズベルトと親しくなる。セオドアは1880年にハーバード大学を卒業しているが、そうしたこともあり、90年にセオドアの自宅でふたりは初めて会ったという。


 セオドアは1898年のアメリカ・スペイン戦争を主導した人物。1901年には大統領に就任した。イギリスと同じようにアメリカも日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えていた。


 アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)


 フィリピン、台湾、琉球、日本が東アジア侵略の拠点だとするなら、朝鮮半島は橋頭堡。日本が朝鮮の植民地化をセオドア・ルーズベルトが容認したのもそのためだろう。


 そうした日本側の動きを察知した朝鮮の高宗は特使としてホーマー・ハルバートをワシントンへ派遣するが、セオドア大統領やエリフ・ルート国務長官はその特使と会おうとしない。朝鮮は米朝修好通商条約の第1条に基づいて独立維持のための援助を求めたが、これをアメリカ政府は拒否している。すでにセオドア・ルーズベルト政権は桂太郎や金子堅太郎らと韓国併合で話がついていたのである。


 こうしたアングロ・サクソンと日本との主従関係は明治維新から現在に至るまで続いている。例外はフランクリン・ルーズベルトが大統領を務めていた1933年3月から45年4月までの期間くらいだろう。ソ連との平和共存を訴え、侵略戦争に反対、イスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢で臨み、労働者の権利を認めて大企業の行動を規制しようとしたジョン・F・ケネディは暗殺で最初の任期を全うできなかった。フランクリンとセオドアは親戚だが、立場は全く違う。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008310000/

5. 2020年9月23日 06:28:09 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[36] 報告
2020.09.23
米国のインド・太平洋戦略に中国が対抗の姿勢
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009230000/

 アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更した。太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱おうというわけである。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。

 アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。アメリカのインド・太平洋戦略はアングロ・サクソンの長期戦略と合致している。

 太平洋からインド洋にかけての海域は、中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」と重なる。この構想を習近平国家主席が北京で開かれたアジア太平洋経済協力首脳会議で提唱したのは2014年11月だが、始めて口にしたのは2013年の秋。これ以降、中国はアメリカとの関係を見直し、自立の道を歩み始めた。2019年3月にはイタリアがBRIに参加する。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、2014年は国際関係を大きく変える出来事が引き起こされた。2月にバラク・オバマ政権のネオコン(シオニストの一派)はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させてビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、9月から12月にかけては香港で反中国運動、「佔領行動(雨傘運動)」を仕掛けた。ウクライナではイスラエル、香港ではイギリスと手を組んでいる。そうした出来事はロシアと中国を急接近させることになった。

 2015年1月にロシアを中心とするEAEU(ユーラシア経済連合)が創設された。現在のメンバー国はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、そしてロシア。同年5月にそのEAEUとBRIが連結すると宣言される。ロシアと中国が戦略的同盟関係に入ったことを象徴する出来事だ。

 アメリカは新疆ウイグル自治区にジハード傭兵を侵入させ、アフガニスタンでは軍事介入を続けているが、その理由のひとつはBRI潰しだと見られている。ジハード傭兵の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。ワッハーブ派はミャンマー、インドネシア、フィリピンなどでも活動している。

 アメリカのインド・太平洋戦略は中国と同盟関係にあるロシアも刺激し、ロシアと中国をさらに接近させることになったが、この戦略は日本も無縁ではない。安倍晋三首相は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で、「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたという。その安倍が直前に会談したという中国の習近平国家主席は軍部に対し、南シナ海と台湾の監視を強め、戦争の準備をするように命じたと伝えられている。

 中曽根康弘は首相に就任した直後の1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受けた。その中で「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。中曽根は「不沈空母」でなく「巨大空母」と表現したとうが、本質的な差はない。

 ソ連を想定しているので、日本を不沈空母(巨大空母)とした上で4海峡封鎖を中曽根は口にしたのだろうが、相手が中国になると、沖縄から台湾にかけての西南諸島が重要になる。

 アメリカのドナルド・トランプ政権は8月にアレックス・アザー保健福祉長官を、また9月17日にはキース・クラッチ国務次官を台湾へ派遣、蔡英文総統と会談させているが、これは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことで、中国との関係を見直すシグナルと見られる行為だ。こうした訪問に中国は強く反発することは台湾も予想していただろう。これは沖縄におけるアメリカや日本の軍事的な動きと連動していると見られても仕方がない。

 ところで、中曽根の訪米から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖にエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群を終結させ、艦隊演習「フリーテックス83」を実施した。この大規模な演習を報道しなかった日本のマスコミは国外のメディアから嘲笑されている。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとも伝えられている。

 この艦隊演習から4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空の007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。航空機はアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行した後にカムチャツカを横切り、ソ連側の警告を無視して飛び続けてサハリンで再び領空を侵犯、モネロン島の上空で撃墜されたとされている。

 その年の11月にアメリカ軍は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、NATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画していた。この演習では核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑う。ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、ソ連側は応戦の準備を始めた。そこでNATOは演習を中止しているが、非常に危険な状況にあったことは間違いない。

 そうした出来事があってから2年後の1985年8月12日、羽田空港から伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡している。この墜落に自衛隊が関係している可能性は高いが、その当時、アメリカ軍も自衛隊もまだ軍事的な緊張は高かったはずだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009230000/

6. 2020年9月24日 09:59:24 : FGqpD48T5s : RDVTamFLOWx0L1E=[12] 報告

2020.09.24
米国財務省が隠していた巨大銀行の不正行為を明らかにする文書が明らかに
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009240000/

 世界的に有名な金融機関がマネーロンダリングなど不正行為に手を染めていることを示す文書が公表された。その金融機関とはJPモルガン、HSBC(旧社名は香港上海銀行)、スタンダード・チャータード銀行、ドイツ銀行、ニューヨーク・メロン銀行。文書を作成したのはアメリカ財務省のFinCEN(金融犯罪捜査網)だが、これまで秘密にされていた。それを​ICIJ(調査ジャーナリスト国際協会)が公表​、​FinCEN​から犯罪行為だと非難されている。

 JPモルガンは反ニューディール派のクーデターを目論んだことで知られる巨大銀行。1932年の大統領選挙で当選したフランクリン・ルーズベルトを失脚させ、ニューディール派をホワイトハウスから追い出す目的でウォール街の住人は1933年から34年にかけてクーデターを計画したことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、そのクーデター計画の中心的な存在がJPモルガンだった。

 JPモルガンの創設者はジョン・ピアポント・モルガン。その父親であるジュニアス・モルガンはジョージー・ピーボディーと銀行を経営していた。その銀行が19世紀の半ばに業績が悪化、ピーボディーが親しくしていたロスチャイルド一族の支援を受けている。そのロスチャイルド一族に見込まれたのがジョン・ピアポント・モルガンだ。

 HSBCとスタンダード・チャータード銀行は19世紀の半ば、アヘン戦争の直後に創設されたイギリスの金融機関で、いずれも香港と密接な関係がある。イギリスに割譲されて以降、香港は犯罪組織やイギリスやアメリカの情報機関の資金を処理するための拠点になった。1953年にイギリスとアメリカの情報機関はイランのムハマド・モサデク政権をでクーデターで倒したが、その際に工作資金を動かし、後にロッキード事件でも名前が出てくるディーク社も香港を拠点にしていた。アメリカやイギリスが香港に執着している理由のひとつはこの辺にあるのだろう。

 中国におけるアヘン取引を18世紀に始めたイギリス人はシェルバーン伯。東インド会社の商人や聖ヨハネ騎士団のメンバーと手を組んでのことだった。イギリスはインド産のアヘンを売っていた。アメリカ人も中国でのアヘン取引で大儲けしているが、そのアヘンの原産地はトルコだ。

 イギリスの支配者は中国にアヘンを売りつけるだけでなく、植民地化して富を奪い尽くすつもりだった。当時の中国は満州族が支配する清の時代で、漢民族の不満を利用するため、イギリスを拠点とするイングランド・グランドロッジは清に秘密結社を作る。そのひとつが三合会だ。

 アヘンの取り引きで中心的な存在だった会社がジャーディン・マセソン。中国での麻薬取引で大儲けしたこの会社は1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込んだ。ひとりは長崎を拠点にしたトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のウィリアム・ケズウィック。

 日本に渡ってから武器商人としても活動するグラバーは歴史小説に登場するので有名だが、大物はケズウィック。ジャーディン・マセソンの創業者一族に属し、後に香港上海銀行の重役になる。現在、ジャーディン・マセソンはケズウィック一族が経営している。

 イギリスの支配者は1970年代にロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークを築き上げた。それまでの有名な税金避難地はスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどだったが、秘密度はシティのシステムが圧倒的に高い。

 イギリスのシステムはロンドンのシティが中心で、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなど、かつで大英帝国を構成していた国や地域が結びついている。

 ロンドンに対抗するため、アメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では86年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせたが、ここにきてアメリカが租税避難の主導権を握ったとされている。

 そうした状況を象徴する出来事が2015年9月にあった。ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーがサンフランシスコ湾を望む法律事務所で講演したのだが、そこで​税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべき​だと語ったという。

 アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけで、ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。シティを中心としたオフショア市場からアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ富豪たちは口座を移動させたと言われている。

 世界の富豪は資産を地下へ隠し、大多数の人びとはその実態を知ることができない。巨大金融機関はそうすた資産隠しもビジネスにしている。その一端が今回、明らかにされたわけだが、アメリカでは財務省だけでなく、公的な機関は富豪の不正を取り締まる意思はなさそうだ。内部告発を支援していたウィキリークスのジュリアン・アッサンジを厳罰に処そうとしているのもそのためである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009240000/

7. 2020年10月01日 06:51:25 : B74PUDZOsk : Qm5DT2VLQzlKcDI=[7] 報告

2020.10.01
戦国時代から欧米諸国は日本人を東南アジア侵略のための傭兵として使っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010010000/

 太平洋からインド洋にかけての海域で軍事的な緊張が高まっている。中国は一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」をそこに築こうとしているのに対し、アメリカはその構想を潰そうとしているからだが、その緊張の中へ日本が引きずり込まれつつあり、自衛隊は与那国、石垣、宮古、奄美へ活動範囲を広げている。

 安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたというが、彼は日本の立場を理解していたのだろう。その安倍が直前に会談したという中国の習近平国家主席は軍部に対し、南シナ海と台湾の監視を強め、戦争の準備をするように命じたと伝えられている。

 アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。2018年5月にインドのナレンドラ・モディ首相はインドネシアを訪問、ジョコ・ウィドド大統領と会談している。

 一帯一路はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソン系国の長期戦略とも衝突している。これらの国は制海権を利用してユーラシア大陸の周辺部を支配、その三日月帯から内陸部を締め上げてきたのだ。

 この長期戦略を1904年にまとめた学者が地政学の父とも呼ばれているイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーだということも本ブログでは繰り返し書いてきたこと。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。

 イギリスはこの三日月帯の上にイスラエルとサウジアラビアを作り、インドや東南アジアを植民地化している。その三日月帯の東端にあるのが日本列島にほかならない。その日本をアメリカは現在、太平洋側における拠点と位置づけている。

 1991年12月にソ連が消滅するとネオコン(シオニストの一派)をはじめとするアメリカの好戦派はアメリカが唯一の超大国になったと認識し、他国に配慮することなく単独で行動できる時代になったと考えた。そして1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。

 アメリカの支配者は自分たちの属国である日本にも国連を無視することを望んだのだが、細川護煕政権は国連中心主義を捨てない。そこでこの政権は潰されたのだが、それと同時に新たな日本の軍事戦略を押しつけてくる。国防次官補だったジョセイフ・ナイが1995年2月に発表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」だ。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていくが、それは日本人がアメリカ支配層の傭兵になることを意味している。

 アメリカやイギリスは19世紀に中国(清)へ麻薬を売りつけることで大儲けしたことは本ブログでも書いてきた。そうした中、イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛け、略奪を本格化させている。

 これらの戦争でイギリス側が勝ったことは事実だが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本人はその獲物を手にするための傭兵ということになる。

 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。

 日露戦争の後、セオドア・ルーズベルト大統領は日本が自分たちのために戦ったと書き、団琢磨の友人である金子堅太郎はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。金子はルーズベルトとも親しい。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 日本人がヨーロッパ人の傭兵として東アジアで戦うという構図は戦国時代にもあった。当時、日本では勝者側の雑兵や忍びが敗者を殺したり放火するだけでなく、財産を奪い、女性や子どもを中心に拉致して奴隷として売りさばくことが普通だった。その一部はポルトガルの商人らの手を経て国外へ連れ出され、売られている。正確な人数は不明だが、売られた日本人は10万人を超えていたという推計もある。

 その中には若い男性もいて、イエズス会のカブラルは1584年、日本人を雇い入れて中国を武力で征服しようとスペイン・ポルトガル国王に提案していたという。また平戸に置かれたオランダの商館は同国の東インド会社が行う軍事作戦を支える東南アジア随一の兵站基地だったともされている。(藤木久志著『雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)

 徳川体制に入り、第2代目の将軍、徳川秀忠は人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止、オランダやイギリスは傭兵を日本で調達することが困難になった。そうした禁輸令を受け、オランダのインド総督は日本人傭兵に代わる兵士を急いで本国から派遣するように要請している。(前掲書)そして徳川体制が倒れて明治体制へ移行した際、イギリスは日本人を再び傭兵として使い始めたと言えるだろう。

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8. 2020年10月09日 09:29:28 : yrjMIAA0P3 : NDRaMkxRWk5XM2c=[5] 報告
日本は明治維新後、アングロ・サクソンの巨大金融資本に支配されてきた。彼らは日本列島を東アジア侵略の拠点とし、日本人を傭兵として使ってきたのである。ヨーロッパ人が日本人を東アジア侵略の手先に使うという構図は戦国時代にも見られた。(藤木久志著『新版 雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)

 麻薬の取引で大儲けしていたイギリスの会社、ジャーディン・マセソンのほか、日露戦争で日本政府が戦費を頼ったロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブ、関東大震災の復興資金を調達したロスチャイルドから派生したJPモルガンを抜きに日本の近代史を語ることはできない。


 日本への影響力を強めた頃、JPモルガンを率いていたのはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア。その結婚相手のいとこであるジョセフ・グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めたが、この人物は第2次世界大戦後、ジャパンロビーの中枢として日本の進路を決めることになる。


 グルーは秩父宮をはじめ皇室に強力な人脈を持っていたが、最も親しくしていた日本人は松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。日本軍が1941年12月7日(現地時間)にハワイの真珠湾を奇襲攻撃、グルーは翌年の6月に日本を離れるが、その直前に彼がゴルフした相手は商工大臣だった岸信介だ。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 いわゆる「戦後民主主義」とはウォール街の下に築かれた天皇制官僚システムという枠組みの中での「民主化」にすぎない。システムが民主化されなかった以上、「学問の自由」も「言論の自由」も砂上の楼閣だったと言えるだろう。


 アメリカでは1983年1月にNSDD11をロナルド・レーガン大統領が署名、プロジェクト・デモクラシーやプロジェクト・トゥルースを始めた。デモクラシーという看板を掲げながら民主主義を破壊し、トゥルースという看板を掲げながら偽情報を流し始めたのだ。その偽情報を信じ、あるいは信じた振りをし、アメリカは自由で民主的な国だという幻影を受け入れてきたのが日本の学者、記者、編集者といった人々だ。

アメリカの支配者の下に築かれた日本の天皇制官僚システムは政府を通じ、学問や言論の自由を侵害してきた。そうした傾向は1980年代から急速に強まったが、学者、記者、編集者といった人々は萎縮し、抵抗らしい抵抗をしてこなかった。ジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」主催の講演会で冒頭に「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言した(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、くたばっていたのは学者も同じである。

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9. 2020年10月11日 09:09:15 : 8gCSXuGjH6 : VVFpZC9XN0RpaEk=[2] 報告

2020.10.10
ポンペオ国務長官が東京で日本、インド、豪州の代表と会った目的
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 アメリカの​マイク・ポンペオ国務長官は10月6日、東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った​が、それに続いて8日には​岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談​した。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。

 今回、ポンペオは日本とインドのほか、オーストラリアの代表と会っている。オーストラリアは1951年9月1日にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)でニュージーランドやアメリカと軍事同盟を組織している。

 言うまでもなく、この3カ国はアングロサクソン系。オーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、アメリカ(US)をつなげてANZUSと呼ばれている。ちなみに、日本とアメリカは同じプレシディオで1951年9月8日に安保条約を締結した。

 ANZUS構成国にカナダとイギリスを加え5カ国は情報活動を中心とする連合体を編成している。いわゆるファイブ・アイズだ。その起源はイギリスとアメリカとの間で1943年5月に結ばれたBRUSA協定。第2次世界大戦後、それを核とする電子情報活動を目的としてUKUSA協定が締結された。

 UKUSA協定はUKとUSAの電子情報機関、つまりGCHQとNSAの連合体で、残りの3カ国の機関はその指揮下にある。つまりファイブ・アイズとは米英の支配者がカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの政府を監視する仕組みでもある。その​ファイブ・アイズと協力関係を結びたいと河野太郎防衛大臣は8月12日に語った​。すでにイスラエル軍の電子情報機関、8200部隊(ISNUとも呼ばれている)はファイブ・アイズと協力関係を結んでいる。

 オーストラリア政府とニュージーランド政府はファイブ・アイズの犠牲になっている。そのひとりは1972年12月にオーストラリアの総選挙で勝利した労働党のゴウ・ウイットラム。

 1973年9月11日にチリではCIAを後ろ盾とする軍事クーデターがあったが、それに関する情報を手にしていたウイットラムはASISがCIAに協力していたことを知っていた。そこで彼は自国の対外情報機関ASISに対し、CIAとの協力関係を断つように命令する。さらに同政権の司法長官は1973年3月、重要な情報を政府に隠しているという理由で対内情報機関ASIOの事務所を捜索させ、翌年8月には情報機関を調査するための委員会を設置している。(David Leigh, "The Wilson Plot," Pantheon, 1988)

 そこで米英の情報機関はウィットラムの排除を決断。1975年11月にCIAはイギリス女王エリザベス2世の総督であるジョン・カー卿を動かし、ウイットラム首相を解任した。アメリカのジャーナリスト、ジョナサン・ウイットニーによると、カーは第2次世界大戦中にオーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣され、CIAの前身であるOSS(戦略事務局)で活動している。(Jonathan Kwitny, "The Crimes of Patriots," Norton, 1987)工作の内容は女王にも報告されていたという。

 また、ニュージーランドでは1984年7月に首相となった労働党のデイビッド・ラングが犠牲になっている。ラングは反核政策を掲げ、米英から嫌われていた。そのニュージーランドに停泊していたグリーンピースの船、レインボー・ウォリアーをフランスの情報機関DGSEは1985年7月に爆破したが、その情報を事前に入手していたにもかかわらず、UKUSAはニュージーランド政府に警告していない。(Nicky Hager, "Secret Power," Craig Potton, 1996)

 現在、日本が巻き込まれている軍事戦略の動きは中心にアメリカとイギリスが存在している。この戦略は19世紀から続いているが、それを理論化したのはハルフォード・マッキンダー。この理論は1904年に発表されている。

 彼は世界を3つに分け、ひとつはヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、ふたつめはイギリスや日本のような「沖合諸島」、そして最後に南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」と名付けた。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指している。

 世界を支配するためにユーラシア大陸の周辺部を支配、そこからロシア/ソ連や中国のような内陸国を締め上げていくという戦略で、日本列島は重要な拠点であり、日本人は重要な傭兵だ。

 ユーラシアを囲む三日月帯はインド、東南アジア諸国、朝鮮半島を結ぶ。その西端がイギリスであり、東端が日本だ。その途中、中東に空白地帯があった。そこにイギリスはイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作っている。スエズ運河の重要性もわかるだろう。

 ポンペオも日本政府もこの長期戦略に従って動いている。

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10. 中川隆[-10758] koaQ7Jey 2020年10月20日 14:06:36 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[13] 報告

2020.10.20
日本と台湾を巻き込みながら東アジアの軍事的な緊張と高める米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010200000/

 アメリカ大統領の国家安全保障補佐官、​ロバート・オブライエンは10月16日、台湾は要塞化するべきだと語った​。軍事侵攻だけでなく、経済的に台湾を孤立させるような政策を中国に取らせないためだとしている。アメリカ政府が中国に対して行っていることを中国が台湾に対して行うことは許さないということだ。

 その発言の直前、​アメリカ空軍のRC-135S偵察機が60回以上、中国の周辺を飛行​、そのうち41回は南シナ海、6回は東シナ海、13回は黄海だったという。この情報を出したのは中国の南シナ海戦略情勢調査イニシアチブだ。

 アメリカ側の動きを振り返ってみると、​7月4日から2隻の空母、ロナルド・レーガンとニミッツを中心とする空母打撃群が南シナ海に入って軍事演習​を実施。これは中国に対する威嚇以外の何ものでもない。

 8月にはアレックス・アザー保健福祉長官、9月17日にはキース・クラッチ国務次官が台湾を訪問して蔡英文総統と会談しているが、こうしたアメリカ政府の高官が台湾を訪れるのは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことだ。

 これに対し、中国軍は9月18日に18機の軍用機を台湾の防空識別圏近くを飛行させ、19日にはJ-16戦闘機など19機の編隊を派遣、一部は台湾海峡を飛行、台湾軍がF-16を緊急発進させる事態になっている。

 その前、9月16日に中国外務省の汪文斌報道官は、アメリカ軍が偵察飛行の際に虚偽のICAO(国際民間航空機構)の24ビット・アドレスを使い、​フィリピンなど他国の民間航空機を装っていた​と発表している。

 そして10月6日にアメリカの​マイク・ポンペオ国務長官​が東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った。「4カ国同盟」だという。8日には​岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談​している。

 アメリカ政府が東アジアの軍事的な緊張を高めようとしていることは明かだが、こうした戦略は遅くとも1992年2月にできあがっている。国防総省のポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)などネオコンがDPG草案という形で世界制覇プランを作成したのだ。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。

 ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)が書き上げ、1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」は、その戦略を日本へ強要することが目的である。

 1991年12月のソ連消滅でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、そのアメリカに君臨している自分たちが世界の覇者になったと考えたのだ。ソ連の復活を許さないだけでなく、最も警戒すべき潜在的ライバルである中国に矛先を向ける。これが東アジア重視だ。

 21世紀に入ってロシアが曲がりなりにも再独立に成功、2014年にネオコンが仕掛けたウクライナのクーデターや香港の反中国運動が逆効果になって中国とロシアは現在、戦略的な同盟関係にある。アングロ・サクソンは中国とロシア/ソ連を分断し、個別撃破しようとしてきたはずだが、その基本が崩れた。この両国を倒そうとアメリカの支配者たちは必死だろう。

 こうした状況の中に日本も巻き込まれている。首相だった安倍晋三は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたという。一応、彼は自分の置かれた立場を理解していたようだ。こうした状況を理解していない人が安倍を馬鹿にすることはできない。

 南シナ海は中国が進める一帯一路の東端にある海域にあり、重要な海域。アメリカがそこをコントロールすることで中国の交易計画を潰そうとしている。その手先にされようとしているのが海上自衛隊だ。

 こうした動きはウォルウォウィッツ・ドクトリンに基づいているのだが、19世紀から続くイギリスの長期戦略にも合致している。制海権を握っていることを利用し、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧するという計画だ。それをまとめたのが地理学者だったハルフォード・マッキンダー。この理論は1904年に発表されている。大陸を締め上げる三日月帯の西端がイギリス、東端が日本。日本列島は大陸を攻める拠点であり、日本人は傭兵だ。

 一帯一路は陸のシルクロードと海のシルクロードで構成され、今ではロシアの交通網やパイプラインと結びつきつつある。海のシルクロードを潰すために黄海から南シナ海でアメリカ軍は軍事的な緊張を高め、太平洋軍をインド・太平洋軍へ変えた。陸のシルクロードの要衝はいくつかあるが、そのひとつが新疆ウイグル自治区である。

 こうした要衝を攻める場合、アメリカは少数民族を利用してきたが、ここも例外ではない。ウイグル問題で鍵を握る団体のひとつがハッサン・マフスームの創設したETIM(東トルキスタン・イスラム運動)。その政治部門がトルキスタン・イスラム党だという。1990年代にETIMは拠点をアフガニスタンへ据え、そこでマフスームはオサマ・ビン・ラディンらと知り合っている。

 その前、1980年代に新疆で勧誘されたウイグル人がアフガニスタンでジハード傭兵に加わり、戦闘に参加しているが、その傭兵の中心がイスラム同胞団やワッハーブ派だということは本ブログでも書いてきた通り。2013年以降、ウイグル人がシリアで侵略軍の傭兵になり、一時期、1万8000人に達したと推定されていた。そうした経験を経たウイグル人を新疆へ戻っているという。

 2003年にマフスームをパキスタン軍が暗殺、アンワル・ユスフ・トラニが新たなリーダーになり、本拠地をワシントンDCへ移動させる。アメリカで活動できるのはCIAという後ろ盾があるからだろう。

 アメリカをはじめとする西側の有力メディアは「新疆ウイグル自治区に設けられた強制収容所」を宣伝してきた。その発信源は「​人種差別撤廃委員会​」に所属するゲイ・マクドゥーガル。この委員会は国連の人種差別撤廃条約に基づいて設立され、独立した専門家で構成されている。マクドゥーガルの発言は国連と無関係である。

 マクドゥーガルの発言を取り上げたロイターはその根拠を示していないが、中国によるウイグル人弾圧に関する情報として​CHRD(中国人権擁護者)​という団体の主張を引用している。このCHRDの資金の一部はCIAの工作資金を流しているNEDからのものだ。

 ​ドイツの人類学者でキリスト教系カルトの信者としても知られているアドリアン・センス​も中国におけるウイルグル人弾圧の情報源として重宝されている。中国批判は自分が神から与えられた使命だと考えているようだ。

 こうした反中国プロパガンダの背景は明確になってきたが、100万人規模のウイグル人が拘束されているという強制収容所の存在を示す証拠は出てこない。ウイグル問題の根は中国政府による弾圧ではなく、CIAによる浸透にあると言うべきだろう。ここでもアメリカの支配者による情報操作は機能している。明治時代から日本で続く「反亜教育」の効果は絶大だ。

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11. 2020年10月26日 00:46:25 : maeqeulk3U : ai5wQnR4S0NjYVU=[31] 報告

2020.10.26
米英の世界制覇戦略の主力としての性格を鮮明にしてきたNATO
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010250001/

 ​NATO(北大西洋条約機構)は今年9月、新たな統連合軍の司令部をアメリカのバージニア州にあるノーホーク基地に設置​した。オランダのブルンスム司令部とイタリアのナポリ司令部と連携して活動することになる。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、NATO創設の目的のひとつはアメリカとイギリスの支配者が第2次世界大戦後のヨーロッパを支配することにあった。今回の新司令部設置はアメリカの戦略にも続くものだ。

 そのアメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称を変更した。太平洋側の拠点を日本、インド洋側の拠点をインド、そしてインドネシアで領海域をつなごうという構想。これは中国が進めている一帯一路政策のうち、いわゆる「海のシルクロード」を睨んでのことだろう。

 今年6月にイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長はNATO2030なるプロジェクトを始めると宣言したが、これは機構を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにしようというもの。

 アメリカはすでにふたつの軍事同盟を太平洋地域で組織している。ひとつはアメリカと日本、もうひとつはアメリカ、オーストラリア、そしてニュージーランドの3カ国によるものだ。前者は1951年9月8日にサンフランシスコのプレシディオで調印された安保条約から始まるが、そのその1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。

 こうした軍事同盟を統合したいのだろうが、アメリカの戦略が順調に進んでいるようには見えない。​今年10月6日にアメリカのマイク・ポンペオ国務長官は東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った​が、インドネシアは参加せず、インドやオーストラリアも積極的とは言えなかったようだ。フィリピンの現政権はアメリカに批判的だ。最も従属的な日本の菅義偉首相はポンペオの使いっぱしりとしてインドネシアとベトナムへ行かされた。​8日には岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談​している。

 こうしたアメリカの動きは中国とロシアを念頭に置いたもの。ユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸国を締め上げていくというイギリスが19世紀に始めた長期戦略に基づいている。

 この長期戦略を理論化、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と言われているハルフォード・マッキンダー。彼はヨーロッパ、アジア、アフリカを「世界島」、イギリスや日本を「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」と名付けた。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指している。このハートランドを支配できれば世界の覇者になれるということだ。

 ユーラシアを囲む三日月帯はインド、東南アジア諸国、朝鮮半島を結ぶ。その西端がイギリスであり、東端が日本だ。その途中、中東に空白地帯があった。そこにイギリスはイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作っている。日本列島は東アジアにおける侵略の拠点であり、日本人は傭兵だ。

 イギリスやアメリカの支配者はシティやウォール街を拠点にして新自由主義を世界に広めてきた。この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩とも言える学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエク。このハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。彼らは社会や民主主義を否定、強大な私的権力が支配する市場と支配者が定める道徳を「新しい生活様式」の柱にしようとしている。そうした「リセット」を実現する上でCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)は重要な役割を果たしている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010250001/

12. 中川隆[-10166] koaQ7Jey 2020年11月05日 17:22:26 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[33] 報告
【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
2019.12.17
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html

 現在、アメリカではトランプ大統領の弾劾訴追へ向けた動きが活発化していますが、私のところに入ってきている情報では、いろいろな組織の陰謀や各国の思惑が絡み合って面白いことになっています。いま、その交通整理の真っ只中にいますので、準備とタイミングが整い次第、随時公開していきますので、お待ちください。

 今回はそのための予備知識として捉えておいてほしい情報として、日本の支配層を取り巻く不思議な話を紹介しましょう。

 皆さんは山口県の田布施という地名を聞いたことがありますか? 

 TOCANA読者であれば当然ありますよね。実はこの土地は我々エージェントにとっても注目する特異な場所なのです。

 どう特異なのかというと、小さな町なのに総理大臣を多数輩出しているからですよね。しかも、例の替え玉天皇であり、騎兵隊天皇とも言われた大室寅之祐の伝説や田布施システムという噂もありますから、私も気持ちが高鳴るんですね(笑)。あとでお話しますが、都市伝説ってエージェントにとって結構大切なんですよ。

 しかし、話が荒唐無稽すぎて、多くの人は田布施システムなんか信用してはいません。もちろん、私も信用していません。なぜなら、確証を探すのが極めて困難だからです。

 それではなぜ、この連載で取り上げるのかというと、日本を読み解く上で重要な部分が田布施および田布施システムという“伝説”には内包されているからです。

■田布施システムという情報を整理

 まず、事実関係から整理していきましょう。そもそも、あのあたりの土地は昔から地元では朝鮮部落として知られています。といっても田布施だけが特別なのではありません。奈良平安の頃から瀬戸内海沿岸は朝鮮半島から渡ってきた人たちが多数移り住んできた土地なので、彼らの集落があっても別段珍しいことではないのです。彼らは皆、陶工であったり、刀鍛冶であったり、特殊技能を持った職人の集団として活躍していました。

 ですから、彼らは自らの出自を恥じてはいませんし、地名や家名に半島の名残りを示す名や縁のようなものを残しています。

 実際、戦国武将の秦氏は百済の王族弓月君の祖先だと言われていますね。『日本書紀』にも弓月君が百済から日本に渡ってきたといった記述があります。単純な話、名前を見ただけで半島っぽい感じがするのでだいたい想像はつきます。

 ところが、田布施出身の人々は少し違います。半島らしい名前があまりないのです。そのいい例が岸信介氏であり、佐藤栄作氏です。岸も佐藤もごく普通の日本人名であり、半島名とはとても思えません。

 実は田布施の謎、不思議さはここにあるのです。田布施システムも興味深い内容ですが、岸家と佐藤家の謎を解かない限りは田布施の本質は見えてこないのです。

■岸家、佐藤家の秘密

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像2
岸信介。画像は「Wikipedia」より引用
 半島から渡ってきた人たちが名前をつける場合、例えば、金さんであれば、金田など、わりとわかりやすい日本名をつけます。

 ところが、岸家も佐藤家もそういった半島らしさがありません。ですから、多くの人は「朝鮮系の人たちが多く住む田布施」と言われてもピンとこないのです。しかし、それは私たちが日本の歴史と半島の歴史をしっかり理解していないからです。

 まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。

 勘のいい方ならもうおわかりですよね。彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。

 そして、岸家も佐藤家も地位の高い両班(李氏朝鮮における貴族階級)であり、もっと言えば、岸家は李氏王朝の血を引く一族で、その証拠が「岸」という家名なのです。


■岸家と李氏朝鮮の関係

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像3
佐藤栄作。画像は「Wikipedia」より引用
 岸と李氏のなにが関係しているのか?

 たぶん、皆さんは不思議に思うでしょう。しかし、李=岸なのです。

 種明かしをしましょう。まず李の文字はよく見てください。分解すると「木」の下に「子」という文字でできていますね。これを日本語で読むとどうなるでしょうか? 

 木=キと読みます。子はコと読むのではなく、シと読むのです。

 そうです。李という文字はキとシの文字から成立しており、だから「キシ」=「岸」なのです。

 岸家は李氏朝鮮を興した李氏に直接つながる王家の一族だった可能性が極めて高いのです。

 どうですか? 多くの朝鮮集落が存在する瀬戸内で田布施だけが特別なのは、こういう理由だからです。

 これは佐藤家もそうです。佐藤の佐は補佐の佐を意味します。藤は藤の花の藤ではなく、朝鮮語で舟を意味する藤になります。佐藤家の祖先は李氏朝鮮時代の海軍の将軍補佐のような役目をしており、佐藤とは舟の補佐という役職を表す家名だったのです。

 実はこれが田布施システムの大元になっているのです。

■朝鮮と明治維新の濃密なつながり

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像4
伊藤博文。画像は「Wikipedia」より引用
 岸家も佐藤家も田布施という町も、李氏朝鮮王朝の血を引く、とても由緒正しい人たちでした。ただし、それは朝鮮から見た場合であり、日本から見た場合は話が変わってきてしまいます。

 考えてもみてください。田布施からは伊藤博文、木戸幸一が出ており、さらに山口県そのものがかつての長州藩(正確には萩藩)です。明治維新を薩摩藩とともに推進した土地です。

 さらに、鹿児島にも田布施という町名が最近まで残っており(そこの出身者として小泉純一郎元首相がいます)、かつての肥後藩である佐賀県にも、字こそ違いますが多布施という土地があります。維新を引っ張った薩長土肥のうちの3つにタブセという名が絡んでいるのです。

 もっと言えば、維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮集落でした。さらに言えば、維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。

 このように明治維新と朝鮮は極めて親しい関係なのです。

 このことを皆さんはどう感じますか?

 エージェントという外から日本を見る立場で言えば、明治維新は朝鮮系の人々によるクーデターに感じてしまうのです。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取りなのに、なぜか、日本人は明治維新が好きだよね」と言います。

 実は私たちにとってここが大切なのです。

 ちょっと調べれば、明治維新の実態や正体は簡単に見えてくるのですが、明治以降の約150年間もこれを問題視する人たちがいませんでした。明治維新に対して疑義を唱える人たちが出てきたのはここ数年のことです。

 もちろんそこにはメディアの操作があったのです。

 具体的に言えば、朝日新聞などですが、ここで不思議なのは、彼らは朝鮮系というよりは共産主義の人たちなのです。

 そして、再び話は田布施に戻ります。田布施からは岸や佐藤のほかにも有名な人物が輩出されています。その一人が日本共産党の書記長であった宮本顕治です。

 そして、その後ろにはもちろん、ソ連のエージェントがいます。

 彼らは田布施システムを上手に利用して、日本のメディアを巧みに操り、世論を操作していたのです。

 現在、我々の世界ではロシアの諜報技術に学ぶものが多いと感じていますが、その実力、その結果がまさに日本の戦後を作っていたと言っても過言ではないのです。

 ただし、ロシアが介入したのは戦後であり、戦前は別の勢力が日本を影から操っていました。その勢力とは維新の志士たちのスポンサーであったイギリスです。そして、その裏には隠れユダヤの存在もありました。

 次回はイギリスの植民地支配と隠れユダヤの観点から日本の維新を見ていきましょう。ただし、先にトランプ大統領の弾劾ネタの整理がつくかもしれません。その時はそちらを優先しますが、この話の続きは必ず書きますので。

 さて、今回もウソのような話ばかりでしたが、私はエージェントです。事実をもとにした“誇大”推論がこの世界のやり方です。実はこのやり方が真実にたどり着く一番の近道なんですよ(笑)。

文=ジェームズ斉藤

13. 中川隆[-9809] koaQ7Jey 2020年11月18日 09:22:46 : tfHVcpIIE4 : eWlvdnpzNllRZUk=[4] 報告
2020.11.18
自衛隊が米、豪、印3軍とアラビア海で軍事演習する理由
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011180001/


 アメリカ、オーストラリア、インド、そして日本の4カ国の海軍が北アラビア海で艦隊演習を11月17日から始めた。演習の中心はアメリカ海軍の空母ニミッツとインド海軍の空母ヴィクラマーディティヤだ。この4カ国は11月3日から6日にかけてベンガル湾でも軍事演習を実施している。自衛隊はアメリカの戦争マシーンにしっかり組み込まれた。

 アメリカ軍は2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ変更、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐという構想だ。

 ユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸部を締め上げるという長期戦略戦略がイギリスやアメリカにはある。この戦略をハルフォード・マッキンダーは1904年に発表したが、実際は19世紀から始まっているように思える。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。

 締め上げるターゲットは中国やロシア/ソ連。制圧して略奪しようということだが、ロシア/ソ連を支配できればアングロ・サクソンが世界の覇者になると考えていた。

 1991年12月にソ連が消滅した際、アメリカは唯一の超大国になったとネオコンなどが喜んだのはそのためであり、21世紀にロシアを曲がりなりにも再独立させたウラジミル・プーチンを彼らが憎むのもそのためだ。

 ネオコンはロシアを屈服させるためにロシアとEUを分断しようと考え、2014年にウクライナでネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。同じ年の9月から12月にかけてはイギリスと手を組み、香港で佔領行動(雨傘運動)を仕掛けて中国を揺さぶろうとした。

 しかし、この強硬策は裏目に出る。ロシアと中国が接近して戦略的同盟関係に入り、それまでアメリカと友好的な関係にあった中国はアメリカから離れていく。カネ儲けさせておけば中国人はアメリカに従属すると思い込んでいた人も少なくないようだが、それは間違いだった。

 その後、中国は一帯一路(BRI/帯路構想)を推進。そのうち「海のシルクロード」は東シナ海からインド洋、アラビア海を経由してアフリカやヨーロッパへつながる。その海路を断ち切ることがインド・太平洋軍の役割であり、今回の艦隊演習はその意思を誇示することにあるのだろう。

 ユーラシア大陸を囲む三日月帯は西端のイギリスからイスラエル、サウジアラビア、インドを通り、東端が日本。アヘン戦争で勝利しても中国を占領できなかったイギリスの傭兵的な役割を果たすことになるのが日本にほかならない。

 明治維新後、日本は琉球を併合し、台湾に派兵して侵略の拠点を整備し、1875年には朝鮮の要衝、江華島へ軍艦を派遣して挑発、大陸に橋頭堡を築くことに成功した。

 現在、似たようなことをアメリカは行っている。自衛隊は与那国、石垣、宮古、奄美へ活動範囲を広げ、アメリカは台湾での軍事演習に参加させるためだとして海兵隊の部隊を派遣。そして韓国に対する締め付けを厳しくしている。

 安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたと伝えられているが、安倍は日本の立場を理解していた。そうした日米の動きを中国が理解していることは言うまでもない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011180001/

14. 中川隆[-9596] koaQ7Jey 2020年11月26日 11:11:57 : EuJAkMbW46 : MGpuSWk1dkhka2c=[7] 報告
ナチスはロシアを占領して耕作地と油田を確保した後、スラブ民族を奴隷にする予定だったが、そのナチスのスポンサーはウォール街やシティだった可能性が高い。実際、資金は米英の金融機関からナチス時代のドイツへ流れ、アメリカでは金融資本が1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制の樹立を目指していた。

 イギリス資本が明治維新の背後で暗躍、大陸への軍事侵攻を支援していたのもロシアや中国を制圧するため。日本列島から南西諸島を経て台湾へ至る弧状の島々は大陸を侵略するための拠点であり、朝鮮半島は橋頭堡だと言えるだろう。ロシアや中国の支配を達成するまで、この弧状列島の役割に変化はないはずだ。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#cbtm

15. 2020年12月04日 08:42:48 : YO1hkrE8IA : ZXNlbFRSRk9jaVE=[11] 報告
元々は中国の一部だった香港はアヘン戦争に負けたことからイギリスに奪われた。

 アヘン戦争は1840年から42年にかけて行われたが、56年から60年にかけても同じ構図の戦争、第2次アヘン戦争(アロー戦争)が行われている。当時、イギリスはインド産のアヘン、アメリカはトルコ産のアヘンを中国へ売りつけ、大儲けしている。

 大儲けした会社のひとつ、ジャーディン・マセソンは1859年にふたりのエージェントを日本へ送り込む。ひとりは長崎へ渡ったトーマス・グラバーであり、もうひとりは横浜のウィリアム・ケズウィック。ケズウィックの母方の祖母はジャーディン・マセソンを創設したひとり、ウィリアム・ジャーディンの姉だ。

 アヘン戦争で勝ったイギリスだが、内陸部を占領するだけの戦力がない。この国は傭兵を利用して植民地を広げてきた。中東ではイスラム系カルトのワッハーブ派に目をつけてサウジアラビアを建国、インドでも傭兵を使っていた。中国侵略で目をつけたのが日本だ。

 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決める。

 選ばれた若者は井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)。1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンで、すでに独立していたグラバーも渡航の手助けをしている。ケズウィックは1862年にジャーディン・マセソンの共同経営者となるために香港へ戻っていた。

 後にケズウィックが幹部になる香港上海銀行は麻薬資金を処理するため、1865年に創設されている。1866年には横浜へ進出し、大阪、神戸、長崎にも支店を開設。明治政府とも深く結びついた。

 アヘン戦争後に香港をイギリスは中国侵略の拠点にするが、後にアメリカも秘密工作の拠点にする。ベトナム戦争でアメリカの情報機関は東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」で栽培したケシを原料にするヘロインで大儲けしたが、その時も香港が拠点として使われている。イギリスの金融界、シティを中心とするオフショア市場ネットワークにも組み込まれた。

 アヘン戦争後、香港は秘密工作と犯罪の拠点として「繁栄」したと言える。その「繁栄」に郷愁を感じる人もいるようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012040000/

16. 中川隆[-9432] koaQ7Jey 2020年12月08日 10:26:04 : lLc7YEFIro : MUlJdEVVZjhSQ2c=[11] 報告


2020.12.08
グローバルNATOに組み込まれ、中国やロシアと戦争する道を進む日本
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012080001/

 日本、アメリカ、フランスは来年5月に合同軍事訓練を実施、またイギリス海軍が空母クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群を来年初めにも南西諸島周辺を含む西太平洋へ派遣すると伝えられている。こうした場合、日本政府は尖閣諸島の領有権問題を口実に使うが、勿論、表面的な口実にすぎない。

 本ブログではすでに書いたことだが、アメリカとその従属国はグローバルNATOなる戦略を打ち出している。その内容はNATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグが説明した通りだろう。

 ストルテンベルグは今年6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言した。NATO(北大西洋条約機構)の活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本を巻き込む計画を明らかにしたのだ。

 11月17日にオーストラリアのスコット・モリソンは東京で菅義偉首相と会談、その後で両者は日本とオーストラリアが相互アクセス協定(RAA)の大筋で合意したと発表し、その日にアメリカ、オーストラリア、インド、そして日本の4カ国の海軍が北アラビア海で艦隊演習を開始した。NATO2030は始動している。

 NATOは1949年4月に創設された軍事同盟で、最初のメンバー国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルク。

 アメリカは1951年9月1日にオーストラリアやニュージーランドとサンフランシスコのプレシディオでANZUS条約に調印、同年9月8日には日本と同じ場所で安保条約に調印している。このふたつの軍事同盟をアメリカは一体化させようとしているのだろう。

 NATOが組織された表面的な目的はソ連軍の侵攻に備えることだが、その当時のソ連に西ヨーロッパへ攻め込む能力はなかった。ドイツとの戦いで疲弊していたからだ。

 イギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルはドイツが降伏した直後、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令、アンシンカブル作戦が作成された。

 その作戦によると、7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めることになっていた。この作戦が実行されなかったのは参謀本部が拒否したからだと言われている。

 その当時、イギリスとアメリカは原子爆弾の開発が進められていた。マンハッタン計画だが、それを統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシズムで、反コミュニストでロスチャイルド系金融機関と関係が深いチャーチルよりソ連のヨシフ・スターリンに近かったと言われている。ルーズベルトが1945年4月に急死した際、スターリンはチャーチルに毒殺されたのではないかと疑ったとも言われている。

 アンシンカブル作戦が中止になった後、1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が実施されて成功、副大統領から大統領に昇格していたハリー・トルーマンは原子爆弾の投下を7月24日に許可し、広島と長崎へ投下された。これはソ連を意識した爆撃だった。

 この当時、アメリカにはチャーチルの仲間がいた。1933年から34年にかけてルーズベルトを排除してファシズム政権を樹立させるクーデターを計画したウォール街の金融機関を中心とする富豪たちだ。

 こうしたイギリスやアメリカの支配者はユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げるという長期戦略を持っている。おそらく19世紀には存在していた。それをまとめ、1904年に発表したのが地政学の父と呼ばれるハルフォード・マッキンダーだ。

 マッキンダーの理論の詳細は割愛するが、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。アメリカはその戦略を実行する軍事的な主体をグローバルNATOにしようとしているわけだ。それがNATO2030。

 こうした戦略のターゲットには中国だけでなくロシアも含まれる。ここにきてロシアは択捉島に防空システムS-400V4を配備したというが、アメリカ側の動きを考えれば当然だろう。

 ソ連が消滅した直後の1992年2月、国務次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツを中心に国防総省ではDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンである。

 そのドクトリンに基づき、1995年2月にジョセイフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきた。そして現在、アメリカの支配者によって自衛隊は中国軍やロシア軍と対峙させられようとしている。「新型コロナウイルス」という蜃気楼に怯えていられるような状況ではないのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012080001/

17. 中川隆[-9387] koaQ7Jey 2020年12月10日 09:57:12 : A8APEzsbZs : WjdVYXowTk04bEk=[14] 報告
2020.12.10
英労働党の議員が人権の先駆者と書き込んだチャーチルは人種差別主義者だった
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012100000/
 ​イギリス労働党のデイビッド・ラミー議員​(影の国務大臣)は12月8日、保守党の現議員を批判する目的で、ツイッターに「ウィンストン・チャーチルは人権の先駆者だ」と書き込み、物議を醸している。イギリスによる支配(大英帝国)は社会進化論の結果であり、優秀なプロテスタントの白人がアフリカ、オーストラリア、カリブ海、アメリカ、インドなどの野蛮な先住民の上に君臨するのは当然だと彼は考えていたからだ。1999年から2008年まで南アフリカの大統領を務めたタボ・ムベキはチャーチルを人種差別主義者と呼んでいる。

 イギリスの支配者が中東政策の一環としてイスラエルとサウジアラビアを作り上げたことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、アラブ民族を軽蔑し、シオニズムを強く支持していたチャーチルもイギリスのそうした政策に賛成、パレスチナにおける「ユダヤ人国家」の建設に賛成していたイブン・サウドを支持している。

 日本でも語られることは少ないようだが、チャーチルはベンガル(現在のバングラデシュ周辺)に住む人びとを餓死に追い込んだことでも知られている。

 イギリスの資金と技術で明治維新を実現した日本がその後、イギリスの影響から逃れることはできなかった。イギリスがアヘン戦争で勝利しても支配できなかった中国(清)へ日本が軍事侵攻、さらにロシア/ソ連を攻めようとするのは必然だったと言えるだろう。

 琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争、満州国の建国という流れの先にはロシア/ソ連があった。そして1939年5月に満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦、日本側は関東軍が陸軍省と参謀本部の方針を無視して戦闘を拡大させるが、8月にソ連軍の機械化部隊が攻勢に出て関東軍は敗北した。

 ドイツ軍がソ連へ攻め込んだ直後の1941年7月に日本軍はソ連へ軍事侵攻する目的で関東軍特種演習(関特演)を計画したが、8月に中止、ターゲットを東南アジアへ切り替えた。中国への兵站を叩き、石油を確保することが目的だったと言われている。

 イギリスの首相だったチャーチルは日本の動きを見て1941年11月にベンガルで焦土作戦を実行した。日本軍の食糧にしないということでサイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。その作戦を遂行中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンに襲われている。

 ベンガルからインドにかけての地域における食糧の不足は不可避で、飢餓が見通された。1943年10月には現地の提督からチャーチル首相へ政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているが、それを首相は無視、それだけでなく食糧を送るというフランクリン・ルーズベルト米大統領の提案も拒否した。実際、懸念されたようにベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012100000/

18. 中川隆[-8493] koaQ7Jey 2021年1月07日 15:30:40 : ZAmZh6mKuA : OElLMUprbS85UXc=[23] 報告
現在、日本を支配しているシステムの基本構造は明治維新に作られている。
アングロ・サクソン系の巨大資本が彼らの長期戦略に基づいて作り上げた天皇制官僚体制だ。

本ブログでは繰り返し書いてきたが、いわゆる戦前レジームも戦後レジームも基本構造に変化はない。

それを象徴する人物がJPモルガンと深い関係にあり、1932年6月から41年12月まで駐日米大使を務めたジョセフ・グルーだ。この人物は第2次世界大戦後、ジャパンロビーの中心的存在として戦後日本のあり方や進む方向に大きな影響を及ぼした。

 グルー自身もアメリカのエリート一族に属しているが、彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚している。1932年のアメリカ大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、すぐに反ルーズベルトのクーデターを計画する。

 JPモルガンを中心とするウォール街のグループが1933年から34年にかけて、ニューディール派の打倒とファシズム体制の樹立を目指すクーデターを目論んだことは、クーデター軍の司令官になることを要請されていたスメドレー・バトラー退役海兵隊少将によって明らかにされた。議会で詳しく証言しているので、誰でも確認できる。

 今ではウォール街の少なくとも一部がナチへ資金を流していたことが判明しているが、そうしたパイプのひとつがユニオン・バンキング・コーポレーション。その頭取を務めていたジョージ・ヒューバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュ(第41代アメリカ大統領)の母方の祖父にあたる。

 ジョージ・H・Wの父親であるプレスコットはウォーカーの部下だった。その金融機関の背後にいたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関。日本を戦前から戦後にかけてコントロールしたアメリカの巨大金融資本はファシストのスポンサーだったとも言えるだろう。

 アメリカやイギリスの金融資本は1970年代から経済のカジノ化を進めた。生産活動を基盤とする経済の破綻を受け、金融マジックでの延命と繁栄を図ったのだが、21世紀に入って行き詰まりが明確になる。

 その前、1991年12月のソ連消滅でアメリカの支配者は自国が唯一の超大国になったと認識、世界を屈服させ、パクス・アメリカーナの時代に入れると考えていた。そして1992年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが打ち出される。旧ソ連圏を破壊すると同時に、中国など潜在的なライバルを叩き、エネルギー資源を抱える中東などで自立の道を歩もうとする体制を破壊するという計画だ。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、侵略戦争が始まる。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく戦争だと言えるだろうが、このドクトリンはソ連が消滅し、ロシアを属国化にしたということが前提になっていた。ところがロシアでウラジミル・プーチンが曲がりなりにも再独立させることに成功、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が破綻してしまう。2015年頃になるとアメリカ支配層は内部で対立が生じたように見えるのはそのためだろうが、ドナルド・トランプ政権の終盤には関係の修復に成功したようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101070000/

19. 中川隆[-7986] koaQ7Jey 2021年1月21日 11:21:44 : jbp26dqTF6 : dUN0QjhOZ1ZiNWc=[18] 報告


2021.01.21
COVID-19のパンデミック騒動を作り出した米英の長期戦略
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101210000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)と呼ばれる悪霊が世界の仕組みを変えつつある。人びとは集まることができなくなり、生産活動は麻痺、交易は停滞、少なからぬ企業の経営が悪化して倒産に追い込まれ、失業者、ホームレス、そして自殺者を増加させている。働き、集まり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあるのだ。

 ロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)は2010年5月、​「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」​という報告書を発表した。

 そこに書かれたシナリオによると、2012年に新型インフルエンザのパンデミック(感染爆発)が起こり、人や物資の国際的な移動が停止。その対策としてマスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制されるとし、さらに全ての人の強制的な隔離が推奨されている。

 パンデミックに対する恐怖は人びとに基本的な人権を放棄させることになり、対策として打ち出される管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くと報告書は見通す。そうした体制は支配者が望み、築いてきたが、パンデミックはそうしたことを促進するだけでなく、被支配者である大多数の人びとに主権やプライバシーを自発的に放棄させることになるとしている。かつて正常とされた状態には戻らないとする分析はMIT(マサチューセッツ工科大学)の​「MITテクノロジー・レビュー」の2020年3月11日号​にも掲載された。

 欧米の支配者は今回のパンデミックでルビコン側を渡った、つまり回帰不能点を超えたと言えるだろう。社会の収容所化を進め、ライバルであるロシアや中国を殲滅するしかないということだ。

 これまでアメリカはさまざまな手段で戦争を遂行してきた。2003年3月に始まったイラクへの軍事侵略は自国の正規軍が使われたが、2011年春にリビアやシリアを侵略する際にはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする傭兵を前面に出している。

 しかし、南オセチアやシリアにおける戦争でアメリカやイスラエルは戦術だけでなく武器/兵器の能力でも後れを取っていることが明らかになった。アメリカが勝っていると言えそうなのは軍隊の規模くらいだ。

 アメリカは貿易や金融を使った戦争も展開、自然環境への働きかけも視野に入っていると言われているが、1990年代から急速に重要な役割を果たすようになったのはプロパガンダだろう。宣伝会社がシナリオを描き、そのシナリオに基づく幻影を有力マスコミが人びとの頭に刷り込む、洗脳するということである。

 これまでインターネットの世界では彼らの情報統制が徹底していなかったが、ここにきてツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、グーグルといったシリコンバレーの巨大企業が検閲を強めている。それだけ私的権力の力が強くなり、ファシズム化が進んでいるということだ。

 こうした戦術は戦略に基づいて実行される。アメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての海域を一体として扱うことを示している。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという構図を描いているようだ。日本は完全なアメリカの属国、インドも現政権はアメリカやイスラエルに従っている。問題はインドネシアだろう。

 NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは2020年6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言した。NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにするというのだ。オーストラリアとニュージーランドはアメリカやイギリスの影響下にあり、日本は属国。問題は韓国だ。

 こうしたアメリカ軍やNATOの方針は19世紀にイギリスの支配者が描いた長期戦略に従っている。この戦略をまとめ、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と呼ばれているハルフォード・マッキンダーである。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げていくというものだ。

 締め上げていく三日月帯の西端はイギリス。この国が1822年から支配するようになったエジプト、1757年のプラッシーの戦いで制圧したインド、1886年から全土を占領することになったビルマを経て東端が日本だ。その三日月帯にイギリスはイスラエルを1948年に、サウジアラビアを1932年に建国させている。明治維新でイギリスが金融や技術面で日本を支援した理由は言うまでもないだろう。

 日本は1923年9月1日に起こった関東大震災の復興資金調達をJPモルガンに頼り、それ以降、その強い影響下に入った。

 この金融機関の創設者と言われているジョン・ピアポント・モルガンだが、その父親、ジュニアスはロンドンでジョージ・ピーボディと銀行を経営していた。その銀行の経営状況が悪化した際、助けたのがネイサン・ロスチャイルド。このロスチャイルドに評価され、アメリカでのビジネスを任されたのがジョン・ピアポント・モルガン。関東大震災当時は息子のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの時代になっていた。

 このジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚した相手のいとこが1932年から駐日アメリカ大使に就任したジョセフ・グルー。日本で彼が最も親しくしていた人物は松岡洋右と言われている。そのほか松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らとも親しく、真珠湾攻撃の後、1942年8月に離日する直前、岸信介とゴルフをしたと言われている。

 グルーが来日した1932年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが勝利した。その政権を倒すため、JPモルガンを中心とするウォール街の住人たちが1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制を樹立させようとしていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。このクーデターを阻止、計画の内容を議会で詳細に証言したのがスメドリー・バトラー退役少将だ。第2次世界大戦で日本は敗北するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。戦後レジームと戦前レジームは基本的に同じだ。

 アメリカでグルーの仲間たちが完全に復活したのは1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてからだろう。リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後に副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードの時代にシオニストの一派であるネオコンが台頭した。

 1991年12月のソ連が消滅するとネオコンたちはアメリカが唯一の超大国になったと考え、世界制覇を仕上げるために戦争を始める計画をたてる。これがウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。日本もアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

 ネオンコンは2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃、いわゆる9/11を利用して支配層の内部で主導権を握り、中東や北アフリカで破壊、殺戮、略奪をはじめ、ウクライナではネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。

 9/11でアメリカの憲法は機能不全になり、国内のファシズム化と国外での侵略戦争が本格化したのだが、ロシアで想定外のことが起こる。ウラジミル・プーチンがロシアを曲がりなりにも再独立させ、アメリカのライバルとして再登場してきたのだ。2014年にネオコン政権はウクライナでクーデター、香港で反中国運動を実行するが、これにが切っ掛けになってロシアと中国が戦略的な同盟関係に入ってしまった。

 COVID-19で始まったパンデミックで欧米の支配者は「資本主義のリセット」をするというが、これはファシズム化。そのためにはロシアと中国を殲滅しなければならない。そうした戦争を彼らは始めたのである。ジョー・バイデン政権の陣容を見ると、まずロシアとの戦争に力を入れそうだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101210000/

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