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19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 27 日 00:44:18: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 20世紀初めはこういう時代だった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 20 日 10:36:36)

19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない


2017.06.14
【ショパンが愛したピアノ】なにが違う? ピアノメーカーの特徴を紹介2


こんにちは! ピアニストのRiLuMi(リルミ)です。


ピアノは持ち運びができない楽器なので、演奏の仕事では各会場にあるピアノを弾くことになります。ピアニストにとってはどこのメーカーのピアノが置いてあるのかなということも楽しみのひとつなのですが、ピアノに馴染みのない方の中にはあまりメーカーの違いに関心を寄せたことがないという方も多いようです。


そこで、ピアノの種類やメーカーについて紹介してみようと思い立ちました。前回はビギナー向けということで YAMAHA の Cシリーズと Steinway & Sons のコンサートグランドを取り上げました。


今日はフランスのピアノメーカー、PLEYEL(プレイエル)とErard(エラール)を紹介します。


どちらもピアノ好きの方以外には聞きなれない名前かもしれませんが、プレイエルは世界最古のピアノメーカーであり、かのショパンが愛用していたことでも知られています。エラールも様々な作曲家が所持し、顧客にマリー・アントワネットがいたりと、どちらも歴史的人物に関わりのあるメーカーです。


そんなロマンある2社のピアノですが、現在演奏会などで聴くことはなかなか難しいので、音源をご紹介します。


ショパンが愛した音、プレイエル
早速プレイエルの音から聴いてみましょう。


1830年頃 ピアノ I.J.プレイエル 概要



プレイエル社は1807年パリ設立のピアノ・メーカー。創業者であるイグナツ・プレイエルは、ハイドンに学んだ優れた音楽家でもある。


動画内使用音源:
浜松市楽器博物館 コレクションシリーズ35
「ショパン ピアノ協奏曲第2番 室内楽版 〜プレイエル・ピアノと弦楽五重奏による〜」より
「バラード 第3番 変イ長調 作品47」(F.ショパン)
(演奏:小倉貴久子)



創始者のイグナッツ・プレイエルは作曲も演奏もこなす多才な人物でしたが、様々な要因とフランス革命によって市民に糾弾され、音楽家として生きていくのが難しくなります。そこでまず楽譜の出版業を起こし、その 2 年後からピアノ製造をはじめました。


息子カミーユ・プレイエルは父イグナッツから会社を譲り受け、作曲家の支援をしたり演奏会用ホールを作り事業を拡大したりします。そういった中で出会ったひとりがショパンでした。


こちらはプレイエルショールームの紹介動画です。


世界最古のピアノメーカーPleyel、夢のショールーム!




19世紀初頭に誕生し、名作曲家でありピアノの名手でもあったフレデリック・ショパンに愛されたフランス発、世界最古のピアノ製造ブランド『プレイエル』。


その本拠地でフランスを代表するコンサートホールとしても名高いサル・プレイエルに併設しオープンしたのが、このショールーム・プレイエル。


独特のタッチと響きを持つ伝説の楽器、世界にたった一つのデザイン・ピアノにも出会える夢のスペースを発見!



上記のショールーム動画内でも説明がありますが、ショパンの曲にはプレイエルがピッタリ。ピアニストのコルトーは、プレイエルのピアノを使ってショパンの録音を残しています。


もとは家具職人! 才能ありすぎのエラール


エラールの創始者であるセバスチャン・エラールは建築をはじめ機械や機構にも鋭い感性があり、家具職人からチェンバロメーカーへと移ります。


技術力のあった彼はあっという間に師匠の能力を超えてしまうと、それが理由でクビになってしまいました。次の職場も才能ゆえにうまくいかず、自分の工房を持ったのちに初のピアノを発表するも、周囲のやっかみで職人のグループから外されてしまいます。


しかし彼はピアノ作りを続けるために、時の王妃マリー・アントワネットに取り入り、多くのピアノを贈ったとされています。


そんな波乱万丈なエラールのピアノはどんな音がするのでしょう?


アヴデーエワ、1837年パリ製エラールを弾く



ユリアンナ・アヴデーエワ[ヒストリカル・ピアノ]
1837年パリ製エラール
(2013年4月3日 すみだトリフォニーホール)



こちらはスタインウェイとエラールの比較動画です。音の違いがハッキリわかると思います。



エラール(平均律)のリハーサル



サントリーホールが所有するエラール(平均律)を弾かせて頂きました。この翌日に、2,000人の前で、このエラールを『純正律432Hz』に調律してもらい、演奏しました。


エラールの音は、『優雅さ』や『おごそかさ』が無い所が好きです。でも、『華やかさ』がはんぱないです。
パーンってはじける感じ。


この動画は、平均律ですが、平均律でも十分にその素晴らしさがかいま見えます。
さわれて、光栄でした。


動画からもわかるように、現在のピアノより鍵盤も少なく、聴きなれない音がしますよね。チェンバロからピアノへの過渡期には、様々なピアノが発明され作られてきました。プレイエルもエラールもその流れがあったことが伝わると思います。


そしてこの二社はフランス革命・世界恐慌・第二次世界大戦と大きな時代の波を受け、最終的にひとつの会社となりますが、すでに生産を終えています。


新たにピアノが作られることがないと思うと寂しくもありますが、今ある楽器は長く大切にされていくでしょう。


今後もし見かけたり、演奏する機会があるとしたら、それはとても幸運なことだと思います。


https://cosmusica.net/?p=4203


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13277] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:45:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1627] 報告

ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。

3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。

ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・

そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。


最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。

チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。

このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)


ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。

彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。

一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。

そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。

ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。

フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。

手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。


現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。


様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。

1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。

ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。


質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。


ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。

ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。

ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。

ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。

ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。

総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。

このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

https://www.miyajimusic.com/piano/known/known1_1.php



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No.12"エラール"
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html
解説:伊藤 綾子

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。

歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。

パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。

そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。
http://www.piano.or.jp/enc/kenban/erard.html


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エラール
https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

製作者:フランス、エラール社 
製作年:1899年
サイズ:全長=257p、幅=151p、高さ=106.5p
音域:A₂〜a⁴、85鍵

「ピアノの貴婦人」と称され、外装はホワイトクリーム色で側板や脚に見事な彫刻が施されています。全体的に、ヴェルサイユ宮殿を建てたルイ14世の時代の様式を持っている豪華なグランド・ピアノです。


ベートーヴェンとエラール

ベートーヴェンのピアノ作品のなかで1803〜1816頃はフランスのエラール製(F₁〜c⁴、68鍵)のピアノを使用して作曲していたと言われています。

ベートーヴェンはこのピアノの音域の広さをピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に反映しています。低音の反復音で始まり、突然最高音域に跳躍して旋律が奏でられます。

第23番の「熱情」の終楽章では、このピアノの最高音c⁴がふんだんに使われています。

https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_G00240.html

2. 中川隆[-13276] koaQ7Jey 2020年3月27日 00:54:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1628] 報告

ヤマハやカワイを弾いている音大の学生には音楽は絶対にわからない



久元 祐子・エラールによる『革命』




オリジナルのエラールのよる、ショパンのエチュード『革命』です。
Chopin:Etude "Revolutionary" ;Erard 1868(original) played by Yuko Hisamoto


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久元祐子・プレイエルとエラールによるショパン。




オリジナルのプレイエルとエラールによるショパンの演奏をお聴きください。
Pleyel(1843);Erard(1868):Chopin by Yuko Hisamoto


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Satie (1866-1925) - Gnossienne No.1 played on a Pleyel Pianino (upright piano, 85keys, 1858)




プレイエル1858年製ピアニーノ(85鍵、鉄骨無し)で弾いたサティです。非常に優秀な修復のおかげで楽器からさまざまな雰囲気が生み出されるようになっており、少々時代が下りますが雰囲気が極めて独特なサティのグノシエンヌを試してみました。

このピアニーノはショパンが自宅に持っていたピアニーノと構造的にはほとんど変化がありません。ピアニーノはアップライト型でありながらこの時代のグランドピアノと使っている材料も変わらず、プレイエルの楽器作りに対する矜持が伺える気がします。

プレイエル:ピアニーノ
(1858年製造/高さ117cm/横幅131cm/奥行61.5cm/85鍵)

修復:ピアノ バルロン・ジャパン
http://francepiano.jp/home.htmlhttp://francepiano.blogspot.com/
   
さいたまピアノ工房(http://saitama-piano.main.jp/

古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:
http://bergheil.air-nifty.com/blog/



3. 中川隆[-13275] koaQ7Jey 2020年3月27日 01:09:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1629] 報告

フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109 ハイドシェック




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Eric Heidsieck plays Chopin, Faure, Liszt, Bach, Beethoven, Debussy - live 1985






A magnificent recital by Eric Heidsieck, live in 1985. He might have played the pieces in a different order than this. The photo shows Eric sitting on a stump playing a silent keyboard in Brittany, 1964. Timing below:

00:00 - Chopin Barcarolle, op. 60
08:46 - Faure Nocturne no. 7, op. 74
16:36 - Faure Nocturne no. 8, op. 84 no. 8
18:13 - Liszt Reminiscences de Norma
37:41 - Bach Partita no. 1, BWV 825
55:15 - Beethoven Piano Sonata no. 23, op. 57, Appassionata
01:16:47 - Debussy Prelude, Book 2 no. 2, Feuilles mortes




▲△▽▼




Handel - Complete Keyboard Suites / New Mastering + Presentation (Century’s record.: Eric Heidsieck)





Georg Friedrich Haendel (1685-1759) - Complete (16) Keyboard Suites.
Click to activate the English subtitles for the presentation (00:00-02:05)
Suite No.1
I.Prélude (00:00) II.Allemande (02:22)
III.Courante (05:18) IV.Gigue (07:59)

Suite No.2
I.Prélude (10:52) II.Toccata (14:03)
III.Sarabande (15:27) IV.Fugue (17:23)

Suite No.3
I.Prélude (19:34) II.Fugue (20:47)
III.Allemande (22:46) IV.Courante (25:54) V.Air (27:33)
VI.Variation 1 (32:23) VII.Variation 2 (33:13)
VIII.Variation 3 (34:06) IX.Variation 4 (34:57)
X.Variation 5 (35:47) XI.Presto (36:26)

Suite No.4
I.Fugue ‘’la grande’’ (39:09) II.Allemande (42:50)
III.Courante (45:01) IV.Sarabande (47:02) V.Gigue (51:54)

Suite No.5 ‘’L’harmonieux Forgeron’’
I.Prélude (53:32) II.Allemande (55:47)
III.Courante (59:21) IV.Air (1:00:45)

Suite No.6
I.Prélude (1:05:19) II.Fugue (1:09:51) III.Gigue (1:13:05)

Suite No.7
I.Ouverture (1:15:47) II.Allemande (1:21:41)
III.Courante (1:24:27) IV.Sarabande (1:25:29)
V.Gigue (1:27:35) VI.Passacaille (1:28:54)

Suite No.8
I.Prélude (1:33:31) II.Fugue (1:35:40)
III.Allemande (1:39:23) IV.Courante (1:41:19)
V.Gigue (1:42:52)

Suite No.9
I.Allemande (1:44:50) II.Courante (1:47:21)
III.Gigue (1:50:58)

Suite No.10
I.Allemande (1:55:35) II.Courante (1:57:54)
III.Air (1:59:27) IV.Gigue (2:02:31) V.Menuet (2:03:55)

Suite No.11
I.Allemande (2:09:05) II.Courante (2:11:25)
III.Sarabande ‘’La Grande’’ (2:12:51)
IV.Variations 1 à 6 (2:13:31) V.Strette (2:16:46)
VI.Gigue (2:17:14)

Suite No.12
I.Allemande (2:17:59 II.Courante (2:21:13)
III.Gigue (2:23:04)

Suite No.13
I.Allemande (2:25:56) II.Courante (2:27:56)
III.Sarabande (2:29:33) IV.Gigue ‘’La Grande’’ (2:33:07)

Suite No.14
I.Allemande (2:34:44) II.Allegro (2:36:25)
III.Courante (2:37:27) IV.Air (2:40:08)
V.Menuet (2:40:45) VI.Gavotte (2:42:42)
VII.Gigue (2:45:45)

Suite No.15
I.Allemande (2:47:42) II.Courante (2:49:39)
III.Sarabande (2:51:36) IV.Gigue (2:54:24)

Suite No.16
I.Allemande (2:55:40) II.Courante (2:57:00)
III.Sarabande (2:59:21) IV.Gigue (3:02:02)

Piano : Eric Heidsieck


▲△▽▼




ハイドシェックの音色の秘密はここにあり。。。
エラール製のピアノと共に。
http://monchemin.exblog.jp/11777098/




フランスの好み


 どういうわけか…というのもちょっと変かもしれないが、このところフランスではピアノといえば──コンサートや録音の現場では──ヤマハを好む一派が主流をなしているようで、この国でのヤマハの支持のされ方は我々日本人から見るとちょっと意外でもあり、驚きでもある。



 この現象、いつごろからとははっきりわからないけれども、気がつくと現役のフランス人有名ピアニストの大半が、申し合わせたようにみんなヤマハを弾いているのにはどうしたわけかと不思議に思うところであるし、同時に、これは非常に興味をそそられる点でもある。



 フランス人は、横並び大好きの日本人とは正反対のメンタリティを持った人達で、ことさら人と違うもの、自分独自のものでなくては気がおさまらないところがあるから、世界的なスタインウェイ偏重の流れに一定の抵抗心と実践力があるのだとすれば、それはフランスならあり得ることのような気がする。しかし同時に、個人レヴェルで見た場合、多くがヤマハという同一メーカーばかりを談合したように弾くのは、これはこれで一種の横並びじゃないかと解釈できないこともないところではあるが。

 とはいえ、何事においても独自性を重んじ、あくまでも自分達の感性や眼力で選び抜いたものを、独特の流儀で使いこなすというのはいかにもフランス人らしい点であろう。



 そしてそれが、自国のプレイエルではなく、他ならぬヤマハであるというところが正直言って驚かされるところだが、彼らのヤマハの使い方を見ていると、なるほどと思わせられる点もなくはない。



 まったくの想像だが、フランス人のヤマハ好みの火付け役は遠くはエリック・ハイドシェック、近くはジャン=マルク・ルイサダあたりではなかろうかとも思ってしまうがどうだろう。

 彼らはキャリアのはじめの頃はスタインウェイを使っていたし、ルイサダはさらにファブリーニ(イタリアの高名な調律家で、名匠タローネの弟子)のスタインウェイを弾くなどして録音をやっていた。マロニエ君の印象としては、ファブリーニのピアノはイタリア的な華やかさというよりは、非常にコントロールの行き届いたなめらかさがあり、同時に極めて精密で均一な鳴り方をするという印象がある。ハンブルクのスタインウェイをベースに、より精度を高めると共に、ところどころの音域間にある音色の段差などは極力抑えられてムラなく繋ぐなど、どちらかというと整然とした印象で、ファブリーニ氏の理想と個性に彩られたピアノになっていると感じられる。



 そのせいか、彼が手がけたプレイエルを2種類ほど録音で聴いたことがあるが、おそらく極上の調整がされているのだとは思うけれども、それがいささかやり過ぎなのか、ひどくつまらない、面白味のないピアノになっていたことは残念に感じたものだった。

 こういうことを言うと多くの技術者から叱られるかもしれないが、それでも敢えて言わせてもらえば、楽器というのは基本は素晴らしく調整されていなくてはいけないけれども、音造りの面にまで綿密を極めた仕事を行き届かせるあまり、生来の個性までもを押さえ込んでしまうことに繋がっていくやり方は感心できない。あくまで大局的見地に立って楽器が持って生まれたものを尊重しながらピアノに自由と健康を与え、最後のところでは良い意味でのアバウトさみたいなものさえも必要ではないだろうか。それが上手く作用することによって楽器が本来の声で開放的におおらかに鳴るものだと感じるし、こういう在り方のほうをマロニエ君は好む。



 そういう意味では、あまりに厳しく統制されたガチガチのピアノはまるで自由のない盲導犬のようで、どこか技術者の技術にしめつけられた窮屈さみたいなものを抱えていて好きにはなれない。それに、細緻を極めた調整をやりすぎると楽器の器までもが矮小化する場合があると感じるのはマロニエ君だけだろうか。機械的な調整はやりすぎるということはないけれど、そういう場合、往々にして調律師も相当の凝り性であろうし、彼らの中には楽器の個性を超越したところに理想の音というのがあって、それがどうしてもピアノに投影されすぎるような場合があるように感じる。

 楽器本来の持って生まれた音色や響きを絶対優先──場合によっては「理解」というべきかもしれない──させずに、優秀ではあっても調律師個人の主観と理想によって仕上げられたピアノというのは、一見とてもクリアーで素晴らしいように感じるが、不思議と深い感銘が得られない場合が少なくなく、結局はただ技術者の技ばかりを見せつけられるだけに終わってしまう。

 これはピアノ本来の特性や持ち味と、音造りの方向性や思想が、根本のところで噛み合っていないためだと思われる。



 ちなみに、横山幸雄氏が日本で現在進めている戦前のプレイエルを使ってのショパンの録音は、すでに3枚がリリースされたところだが、その調整の見事さには本当に舌を巻くし、日本人の技術というのはまさに世界の頂点だと言っても差し支えないと思う。よくぞここまで戦前のプレイエルを完璧といいたいまでに端正に仕上げたものだと思うが、ただひとつ残念というか心に添わない点は、では、これがこの楽器の本来の響きかどうかということになると、少なくともマロニエ君はどうしてもそうは思われないところがあるのである。



 フランスのヤマハに戻す。

 上記のファブリーニを弾いた後あたりから、ルイサダはヤマハを使うようになったとおぼろげに記憶しているが、もしかしたら間違っているかもしれない。ただ、ルイサダは現在彼が獲得しているピアニストとしての地位からすれば、指のメカニックは悲しいかな相応のものではないのは周知の事実だろう。彼の演奏するショパンの評価が高いのも、ひとつには彼が技巧的な劣勢をカバーするために追求され磨き込まれたところの成果ではなかろうかという推測がマロニエ君にはある。



 同じスタインウェイでも、技術者の手が存分に入ったピアノは、弾きやすさの点、音色の美しさという点では他の平均を大きく上回るものがあるが、当然ながら逆の場合もある。そういう機械的な確実性という観点から彼らがヤマハに辿り着いたのだとしたらじゅうぶん考えられることだろう。というのも、ヤマハは単なるアクションの問題だけでなく、その音色も含めた総合的な意味において、少なくともコンサートグランドの場合、とても弾きやすくピアニストに寛大なピアノであるということは言えるような気がする。



 ルイサダはコンサートはもちろん、録音なども現在はほとんど日本でやっているようだし、中堅のミシェル・ダルベルトや古典作品を得意とするアレクサンドル・タローもヤマハをヤマハを多用、いま最も期待される実力派フランス人ピアニストのひとりであるジャン=フレデリック・ヌーブルジェに至っては、年代や収録場所の異なるCDでもピアノはすべてと言っていいほど徹底してヤマハを弾いているようだ。

 逆にこの流れに入らないのはピエール=ロラン・エマールとエレーヌ・グリモーで、彼らは一貫して定番のスタインウェイを弾いているものの、フランス人ピアニストとしてはこちらのほうがちょっと異端な感じがするし、彼らの演奏はスケールこそ大きくはないものの、そのスタイルは国際規格であって、フランスという枠内にとどまってはいない。



 ひとついえることは、フランスで録音されたヤマハを聴いている限りにおいては、日本で聴くヤマハとはかなり違うという印象がなくもない。ひとくちに言うと、これがヤマハかと思うほど、とても繊細で音が柔らかく、やや小ぶりに上品にまとまっている。そしてピアノの個性があまり前面に出ることなく、演奏をあくまでも黒子的に支えているピアノという感じだ。

 これらの要素を考えていくと、もうおわかりかも知れないが戦前のエラールを連想させるタイプという気がしてくるわけで、ピアノは完全に脇にまわり、あくまで作品と演奏が主役となっている。



 ルイサダが日本でおこなった録音の中には、同じヤマハでも本当に美しい華やかな音色のピアノがあるかと思うと、いかにも日本的な味噌汁みたいなヤマハの音で思わず抵抗を覚えるものもあるが、その点、フランスでのヤマハには目のつまった上質な布地のようなしなやかさと上品さがあって、独特の節度ある美しさがはっきり聴き取れるのはマロニエ君も認めないわけにいかない。

 その代価というべきか、楽器としての大きさはないけれども、ベーゼンドルファーのような一種独特の臭味もなしに、弱音域の繊細さを表現できる垢抜けたピアノになっている点は大いに評価したい。

 ひょっとすると、はじめからフランス人たちは確信犯的に、ヤマハにスタインウェイ的なスケール感を見切った上で、ピアノにより華やかでセンシティヴな面だけを活かした音造りをやっているのかもしれないし、それに適った演奏によって洗練された音楽表現をしていることも考えられる。



 こういう成り立ちの演奏を聴いていると、なるほどスタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいたのかもしれないという気がしてくるし、それがしだいに理解できてくるところがおもしろい。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わないことは充分考えられる。



 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めているようにも思われてくる。決して既存の基準に盲従することなく、そのようなイメージの問い直しができる点もフランスの文化の深さを感じさせられるところで思わず唸ってしまう。



 そういう意味では、フランス人のイメージにあるヤマハは、ヤマハ自身が本来目指しているものとは少々違ったニュアンスに落とし込まれている可能性もあるのかもしれない。つまり、フランス人はヤマハをあくまで自分達流にちょっと上手に使いこなしているように感じられるのだが、そういう実に巧みな、他では思いつかないような使い方を発見する彼らの独創性にはいまさらながら敬服する。要はヤマハを使っていても、それは決してヤマハに対する全的肯定ではないのだろう。



 かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。



 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。



 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。



 そして、このところ彼らが目をつけたのがヤマハということだろうか。少なくともフランスに於けるヤマハへの支持の高さは並々ならぬものがあるのは間違いないようで、この勢いなら少なくともパリでは、コンサート会場はもしかしたらヤマハのほうがスタンダードという可能性もあるだろう。



 そういえば、スタインウェイに鞍替えして、生産国の日本でさえもヤマハを弾かなかったショパンコンクールの覇者アヴデーエワは、パリでのリサイタルでは、あのオフィス着みたいな黒いパンツ姿からお姫様風ドレスに大変身して、再びヤマハを弾いているのにはまたまた驚いてしまった。

 まったく何がどうなっているやらこの業界のことはさっぱりわからないが、いずれにしてもフランスはやはり独自のものを失っていないということだろうか。



 面白いのは、これほどヤマハが異例の高い評価を受けながら、カワイは見向きもされず、その気配もないのはどうみるべきだろう?

 マロニエ君の想像では、カワイにはわずかながら伝統的ピアノの源流を思わせる色があるからだと思う。その色というのは、ドイツ的とまで明確には言い切れないけれども、強いていうなら中央ヨーロッパ的とてもいうべきで、少なくとも西ヨーロッパの明るくて軽い色彩と燦々たる光りのまぶしさはない。どちらかというと、わずかな陰鬱さと深いものを求める生真面目なピアノである点をフランス人は敏感にかぎ取って、自分達の求めるものとはやや異なる要素の存在を見逃していないのだろう。

 その点、ヤマハは明るめといえば語弊があるが、少なくとも現代的な音色でありながら、しかもこれという楽器が放つ主張がない。音だけを聞いているといったいどこのピアノかまるでわからないような匿名的かつ無国籍的な音だし、しかも古臭さのない音がするところを、フランス人は自分達の必要なところだけ上手く捉えて使っているように思われる。

 ヤマハの持つこれらの要素、さらにはピアノとしてのある種の寛大さ、楽器としての潜在力があまり大きくないことがフランス人の求める色合いにたまたま適合したのではないだろうか



 かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。



 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。



 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。



 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 そのうちこの新生プレイエルにフランス人が触手を伸ばすのかどうかは知らないが、ここ当分はヤマハを使い続けることになるような気もする。
http://music.geocities.jp/petroler/mrn70.html
4. 中川隆[-13245] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:11:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1659] 報告



























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Claude Debussy plays Debussy | Clair de Lune | Préludes | Images | Estampes | Arabesques | Rêverie
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Adagietto


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)


Claude Debussy plays Debussy | Complete recordings made by Claude Debussy:





The Composer as Pianist. Compilation from all Debussy recordings available "Claude Debussy Plays His Finest Works" (1904-1913).

I Claude Debussy plays Debussy (Piano Rolls, before 1913):
Préludes for piano, Book I, L. 125 (117)


00:00 1. No. 1 Danseuses de Delphes (Dancers of Delphi). Lent et grave [1907-10]
3:00 2. No. 3 Le vent dans la plaine (The wind on the plain). Animé
5:00 3. No.10 La cathedrale engloutie (The sunken cathedral). Profondément calme
10:39 4. No. 11 La danse de Puck (Dance of Puck). Capricieux et légere
13:04 5. No. 12 Minstrels. Modéré

14:50 Children's Corner (Le Coin des Enfants), suite for piano, L. 119 (113) [1906]
6. Docteur Gradus ad Parnassum. Modérément animé
7. Jumbo's Lullaby (Berceuse des éléphants). Assez modéré
8. Serenade for the Doll (Sérénade à la poupée). Allegretto ma non troppo
9. The Snow is Dancing (La Neige Danse). Modérément animé
10. The Little Shepherd (Le Petit Berger). Très modéré
11. Golliwogg's Cakewalk (La Marche de la poupée de chiffon). Allegro giusto)

27:22 12. D'un Cahier D'Esquisses (From A Sketchbook), for piano, L. 112 (99) [1903]
31:45 13. La Plus que Lente (A Slow Waltz), waltz for piano, L. 128 (121) [1910]
35:18 14. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 2 La Soirée dans Grenade (Evening in Granada). Mouvement de Habañera [1903]
40:23 15. Estampes, for piano, L. 108 (100), No. 3 Jardins sous la pluie. Net et vif (Gardens in the Rain) [1903]
43:52 16. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No. 8 La fille aux cheveux de lin (Girl with the flaxen hair). Très calme et doucement expressif
46:05 17. Préludes for piano, Book II, L. 131 (123), No. 3 La Puerta del Vino (The Gateway of the Alhambra Palace). Mouvement de habanera [1910-12]
49:54 18. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 1 in E major. Andantino con moto [1888]
53:59 19. Arabesques for piano, L. 74 (66), No. 2 in G major. Allegretto scherzando [1891]
56:51 20. Préludes for piano, Book I, L. 125 (117), No.2 Voiles (Sails). Modéré
59:34 21. Clair de Lune, for piano (Mondglanz, Mondschein, Moonlight), Suite Bergamasque No. 3, L. 82/3 (75/3) [1890-1905]
1:03:17 22. Rêverie, for piano, L. 76 (68) [1890]
1:08:24 23. Images, for piano, Set II, L. 120 (111), No. 3 Poissons d'or (Goldfish). Animé [1907]
1:11:24 24. Images, for piano, Set I, L. 105 (110), No. 1 Reflets dans l'eau (Reflections in the Water). Andantino molto [1905]

II. Claude Debussy with Mary Garden, soprano:
Ariettes oubliées, song cycle for voice & piano, L. 63 (60) [1885-87]
1:17:25 25. No. 2 Il pleure dans mon coeur comme il pleut sur la ville
1:19:40 26. No. 3 L'ombre des arbes dans la rivière embrumée
1:22:06 27. No. 5 Green (Aquarelles 1)
Pelléas et Mélisande, Opera in 5 acts, L. 93 (88) [1893-1902]
1:23:48 28. Act III - Mes Longs cheveux [Mary Garden as Mélisande]
1:25:38 29. Interview with Mary Garden about Claude Debussy.
5. 中川隆[-13240] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:19:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1664] 報告


クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)

Piano Rolls Recordings from 1913 and Acoustic Recordings fom 1904 in Public Domain.






Recordings of Debussy playing the piano

It is not very well known that Debussy made recordings of himself playing the piano.


I The Piano Rolls

He recorded several of his own pieces on piano rolls, to be played on a mechanical Welte Mignon player piano. The Welte "reproducing system" could capture the performance of the pianist, and reproduce it more or less accurately, complete with dynamics and pedalling. The piano rolls are now in the Simonton collection at the University of Southern California. There would probably also exist some copies of the rolls elsewhere.
Roll no. 2738
- Préludes I: Danseuses de Delphes
- La cathédrale engloutie
- La Danse de Puck
Roll no. 2739
- Préludes I: Minstrels
- Le vent dans la plaine
Roll no. 2736
- La plus que lente
Roll no. 2735
- Estampes: La soirée dans Grenade
Roll no. 2733
- Childrens Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
- Jimbo's Lullaby
- Serenade for the Doll
- The Snow is Dancing
- The Little Shepherd
- Golliwog's Cake Walk
Roll no. 2734
- D'un cahier d'esquisses


II The Acoustic recordings

Acoustic recordings are of course more interesting when we want to get an impression of Debussy's playing, since piano rolls cannot be completely trusted to faithfully reproduce what the pianist played. Unfortunately there are not many acoustic recordings of Debussy. He did however make a recording accompanying the singer Mary Garden for the G & T (Gramophone and Typewriter Co.) in 1904.
The songs they recorded:
- W Mes longs cheveux (Pelléas et Mélisande)
- W Green (Ariettes Oubliées)
- W L'ombre des arbres (Ariettes Oubliées)
- W Il pleure dans mon coeur (Ariettes Oubliées)
6. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:31:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1666] 報告

ラヴェル 自作自演

モーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875年3月7日 - 1937年12月28日)


Miroirs, Oiseaux tristes (Sad Birds)



Piano roll, 1912
7. 中川隆[-13237] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1667] 報告

ラヴェル 自作自演

RAVEL PLAYS RAVEL CA. 1930. (Not a Piano Roll.)




Maurice Ravel in live performance as accompanist to soloist Madeleine Grey singing "Mejerke" from the composers "Trois Chants Hebraiques." 78 rpm Recording played on a 1926 Victor Orthophonic Credenza Phonograph.
8. 中川隆[-13235] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:39:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1669] 報告

モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』


ラヴェル 自作自演 1922
Ravel "Pavane pour une infante défunte" 1922 piano roll




Ravel at the piano playing his composition "Pavane pour une infante défunte"/"Pavane for a Dead Princess" in 1922. It was imprinted onto a piano roll, and then long after his death it was played back and recorded, which is why the sound is so clear. The tempo and dynamics were not altered in this process. Of course we cannot know what happened on the day that he performed it, but for those suggesting that he did not play it, or that he played it differently, you would be wrong.
9. 中川隆[-13234] koaQ7Jey 2020年3月27日 14:44:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1670] 報告

フォーレ自作自演


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)


Fauré plays Fauré ~ Nocturne No.7 Op.74 ~ Roll recording C.1910





Faure plays Faure




Gabriel Faure plays Pavane, Op. 50, 1913 Welte Mignon recording.
10. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2020年3月27日 15:34:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1672] 報告

バルトーク自作自演

バルトーク・ベーラ(Bartók Béla, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)


Béla Bartók at the piano Allegro Barbaro






Béla Bartók plays Bartók "For Children"




For Children, BB 53 (excerpts)

Vol. 1: No. 3. Quasi adagio – No. 4. Pillow Dance – No. 6. Study for the Left Hand – No. 10. Children’s Dance – No. 12. Allegro - No. 13. Ballade – No. 15. Allegro moderato – No. 18. Soldier’s Song – No. 19. Allegretto – No. 21. Allegro robusto
Vol. 2: No. 26. Moderato – No. 34. Allegretto – No. 35. Con moto – No. 31. Andante tranquillo – No. 30. Jeering Song

rec. 1945
11. 中川隆[-13222] koaQ7Jey 2020年3月27日 21:03:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1682] 報告


グリーグ自作自演

エドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)

Edvard Grieg plays Edvard Grieg





Recorded between 1903 and 1906

Butterfly, Op.43, no.1
To Spring, Op.43, no.6
Remembrances, Op.71, no.7
Finale, from Piano Sonata, Op.7
Gangar, Op.54, no.2
Alla Menuetto, from Piano Sonata, Op.7
Wedding Day at Troldhaugen, Op.65, no.6
Humoresque, Op.6, no.2
Bridal Procession, Op.19, no.2
Bridal Prosession, Op.19, no.2
12. 中川隆[-13179] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:48:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1725] 報告

♯70.フランスの好み

スタインウェイのいかにもスケールの大きな華麗な音色は、フランス人ピアニストの好むデリケートなニュアンスには若干齟齬を生んでいた。

 楽器そのものが強靱かつブリリアントで、すでにスタインウェイという色の付いたピアノであること、またこのピアノの持ついかにも英雄的な性格が、彼らの軽妙で陰翳を必要とする感性にはやや合わない。

 さらにフランス人は、ピアノに対するイメージを、今日的なコンサートの基準であるホールよりも、ショパンの時代に見られるようなサロン的な規模のこまやかさのある楽器と捉えて、よりコンパクトでデリカシーに溢れた楽器であることを求めている。

かつて、ミシェル・ベロフやジャン=フィリップ・コラールが彗星のごとく世に出てきた70年代の録音などは、ピアノはスタインウェイだったが、その音はかなり通常のスタインウェイとは違うものだった。いかにもフランスピアノ的華やかさに溢れたもので、スタインウェイの持つ音の太さや荘重さを犠牲にしてでも、線は細いけれども贅肉をそぎ落としたようなシャープかつ華やかなピアノだった。とうてい他の国では受け容れられないピアノだったと思う。

 その他にもジャン・ドワイヤン、セシル・ウーセ、フランソワ=ルネ・デュシャーブルなどは一時期ベーゼンドルファーを使っていたが、ドワイヤン以外はこのウィーンの強いイントネーションに最終的に馴染めなかったのか、その後はスタインウェイを弾いたようだ。

ベーゼンドルファーはもちろん素晴らしいピアノだが、ウィーン特有なある種の個性──野暮ったいことを逆手にとって崇高な美にまで高めたような──は、おそらくフランス的センスの前では、民族学的にも相容れないもののほうが大きいはずだ。

かつてのプレイエルのようにフランス人そのものから出てきたような個性ならば相性も抜群だろうが、そうではない場合は、却って特徴的な音色がないほうがいいことは、エラールのようなピアノが昔からプレイエルの陰でしっかりと同時並行的に支持されてきたフランスの土壌ならではと言えるかもしれない。

 現代のプレイエルはついにコンサートグランドをカタログに載せるに至り、その音色はたいそう柔らかなものではあったが、まだまだ完成の域には達しているとは言い難い印象だった。フランス人にはどんな評価を下しているのか聞いてみたいところである。

 ちなみに、プレイエルのコンサートグランドP280はバイロイトの老舗、シュタイングレーバーによって委託生産されているということを耳にしたので、日本のシュタイングレーバー輸入元であるS氏にその旨を聞いてみたところ、現在のプレイエルにはまだコンサートグランドを製造する力がないので、おそらくそういうことだろうという回答が返ってきた。

 それが事実だとするなら、やはりピアノは民族性が色濃く出てこその楽器なので、わけてもコンサートグランドともなればぜひとも自前で作って欲しいものだし、それができないのなら、他国の工房に委託してまで作る必要があるのかと思われる。ドイツで作られたプレイエルという構図は昔も一度あったことだが(シンメル)、それでは一体何のためのプレイエルかとも思うし、だいいちこれではドイツピアノなのかフランスピアノなのかも甚だわかりにくいものとなる。

 シュタイングレーバーはドイツピアノらしい規律と実直さの中に、柔らに薫るような肉感的な響きを併せ持ち、あたかもドイツの威厳と優雅と官能が共存しているといった印象があるが、あのプレイエルP280の柔らかな要素はシュタイングレーバーの潜在力を活かしつつ、フランス的に味付けを変えて出来上がったものというわけか。

 ただし、いまだ発展途上というべきで、フランス人ピアニストたちが歓迎しているようにもあまり感じない。


 名匠イーヴ・ナットはエラールとスタインウェイを引き分けていたようであるし、コルトーは大半をプレイエル、晩年にスタインウェイ、フランソワは多くをスタインウェイで弾いていたように思う。

 これほどフランス人ピアニストがスタインウェイを使いつつもそこに安住せず、さまざまなピアノの音色に試行錯誤してきたのは、自国のピアノが大戦を境に弱体化してしまい、同じDNAを持つピアノを失ってしまったためかもしれない。
http://www.piano-pia.com/mrn70.html

13. 2020年3月30日 17:56:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1726] 報告

コルトーのピアノ


シュナーベルといえばベヒシュタイン、ラザール・レヴィはエラール、ギーゼキングはグロトリアン、ボレットはボールドウィン……といった具合にピアニストの名がその愛器と強く結びついた例はあげるに事欠きませんが、わがコルトーの場合、それは云うまでもなくプレイエルです。

コルトーは専らプレイエルを愛奏し、遺された録音もプレイエルを弾いているものとわたしは思っていました――しかし、恐らくこれはわたしひとりに限ったハナシではなく、それこそ「コルトー=プレイエル神話」と仮に呼んでもおかしくないような厳然たる共通認識として世に広くおこなわれているような気がします。その一例として鈴木智博氏の『コルトーのレコード録音(IV)』中の一文を以下に掲げましょうか。

「コルトーは占領下のパリで、アルベール・スタジオに於いてショパンの4作品の全曲録音を行っている。いずれの録音も、コルトーには珍しく、スタインウェイのピアノが使用されている。……(下略)」


これを要するに、コルトーがスタインウェイのピアノを弾いているのは戦時下という特別な状況のしからしむるところであり、いつもはプレイエルを愛用していたものと氏は信じておられたように思われます(少なくともわたしはかく理解しました)。日本における斯道の権威たる鈴木氏の竜言ではありますし、実際あれらの戦中録音、コルトーにしては少しく枯れた感じのあるショパンは、弾いているピアノからして三十年代の艶麗きわまる名レコードと違うのではと思わせる体のものでした――

しかるに、近年ナクソスから復刻された一連のCDに附された Jonathan Summers の解説によると、少なくとも三十年代に集中的に録音されたショパンの多くはスタインウェイによる演奏で、プレイエルで弾かれた曲はごく一部(いま手許に資料がないのですが、確か前奏曲集がそうだとか……)に限られているのだそうです。

一九三二年に録音されたフランクの『前奏曲、アリアと終曲』に至ってはブリュトナーで弾かれていたとのこと(これはAPR盤の解説による)。何とまあ、HMV盤と仏グラモフォン盤と、それぞれのエチュードやワルツは実のところ同じスタインウェイで演奏されていたというのです。

そう云われてみると、件のフランクは少し落ち着いた響きでいつものコルトーとは何となく違うような気がしないでもありません――が、ブリュトナーならではの特色、と云われてもわたしのポンコツな耳にはチンプンカンプンですし、もっと問題なことには、プレイエルとスタインウェイの場合これがプレイエル、あれはスタインウェイと云われても違いがまるで分からなかったりします(笑)。

閑話休題――小林秀雄の音楽好きは周知のところですが、レコードで使用楽器を聴き分けられることを以て得意としていたそうで、フーベルマンはグァルネリウスだと断定していたとか。しかるにフーベルマンは実際のところストラド弾きだったような気が……(少なくとも世に名高きギブソンの盗難に遭うまでは)

他山の石とするに足ります。

ネットの音盤批評サイトにも使用楽器にこだわってこの演奏は何を弾いているだの何だのと大いに拘っておられる向きがありますが、そのような方々にお聞きしてみたいものです、コルトーの録音で使用されているピアノを正確に聴き分けておられたのか、否か。
http://d.hatena.ne.jp/mischa/20090814/1250258135

14. 中川隆[-13178] koaQ7Jey 2020年3月30日 17:59:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1727] 報告

久元 祐子 (ひさもと ゆうこ) Pianist

Erard (1868)
1868年制作 (パリ) 製造番号39608
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm

1868年製作のこのエラール・ピアノをよく弾いています。

パリのエラール社は、フランスを代表する歴史あるピアノ名門会社で、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界的な評判をとり、コンサートホールや各国の王宮にエラール・ピアノが備えられました。

リストはこのピアノを愛し、よく弾きました。制作年代から見て、リスト自身がこのピアノを弾いた可能性も捨てきれません。

典雅な雰囲気と高貴な音色が、19世紀の香りを今に伝えてくれています。

エラール社の創立者は、セバスティアン・エラール(1752−1831)です。

ストラスブールに生まれ、パリに出て、チェンバロの制作を始め、弟とともに、会社を設立しますが、フランス革命が勃発すると、ロンドンに逃れ、ピアノ製作技術を学びました。

フランス革命が終わり、フランスが落ち着きを取り戻すと、パリに戻り、エラール社を再興します。セバスティアン・エラールがこの頃制作に熱中したのがハープでしたが、甥のピエール・エラール(1796?−1855)とともに、ピアノの制作に精力を注ぐようになり、1821年にダブル・エスケープメン・アクションを完成させます。このメカニズム上の改良により、連打が楽にできるようになり、ピアノ演奏法、ひいては、ピアノ作品の可能性を大きく広げることになりました。

1830年にパリで7月革命が起こり、翌年にセバスティアンは亡くなります。後を継いだピエール・エラールは、エラール・ピアノの生産に取り組みました。

エラール・ピアノを愛用したのが、フランツ・リストです。リストは早くも、1824年の6月29日のロンドン王立劇場でのコンサートで、エラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。

エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。


このエラールを弾いた感じは、走りが軽快な車を運転している気分です。免許を持たない私が言うのも変なのですが、面白いようにスピードが出て、ちょっとしたアクセルの踏み具合ですぐに反応してくれるしなやかな感性を持ち、音色は華やかで宝石のような輝かしさを持っています。

プレイエルのようなくぐもった香りとは対称的です。

リストはプレイエルを弾かなかったそうですが、エラールで華麗な演奏をしたリストの姿は想像に難くありません。

ダンパーは弦の上にあるのではなく弦の下にあります。ですから、ダンパーペダルを踏んだとき、ダンパーが上がるのではなく、下に降りるという構造です。

最初に弾いたときは、ギョッとしたのですが、考えてみるとペダルを踏む(下げる)という方向性がダンパーが降りる(下がる)という方向性に合致していて、慣れてくると足に直結したペダルのように感じてきます。

プレイエルとエラール。私は体調に関係なく?!どちらも曲によって使い分けながら弾いています。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/erard.htm


Pleyel (1828)
1843年制作 (パリ) 製造番号10717
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm


ショパンが愛用した楽器として有名なプレイエル社のピアノで、ショパンが生きていた時代に制作された貴重な楽器です。

ショパンがこの楽器を弾いたかもしれません。

ショパンの生家(ワルシャワ)に1848年製の同型ピアノが、またフランス国立パリ高等学院の楽器博物館に1839年製の同型ピアノが 展示保存されています。

数年前、調律師協会主催コンサートで、プレイエル、エラール、ベーゼンドルファーと、3台のピアノを弾かせていただきました。そのときのパンフレットに記されていたショパンの言葉は、

「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」

でした。

プレイエルは、音を出すのにエネルギーが必要で、エラールは、すぐに良い音が出る、タッチがたやすくて体調が悪いときは、エラールのほうが演奏が楽。

つまり、気分が優れインスピレーションの表出、自らの内なる声を音にしたいときには、プレイエルが最も自分の分身としてふさわしい、ということだったのではないか、と想像しています。

ショパンと友情で結ばれていたカミーユ・プレイエルは、プレイエル2代目です。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで行われています。ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に出帆するときにもこのピアノの手配を忘れていません。


アクションを手前に引きますとドノゴエのサインがあり、胸がときめきました。
NHKのある番組では、ドノゴエを「ショパンの専属調律師」と言い切っていましたが、ドノゴエは、当時のプレイエル社のアクション部門の主任技術者でした。ドノゴエがアクションを担当し、その際、OKがでた楽器のみに、焼き印がつけられたとされています。

プレイエルには、時折出会いますが、このドノゴエのサインが入っているものは数が少なく、ショパン時代のオリジナルアクションであり、当時の響きを再現しているという証でもあります。

(写真)

この楽器は、頭の後ろから柔らかく発声しているようなフランス語の響きにも似た、独特の魅力を持っています。タッチは、しっとりしていて、エラールのように軽やかに動くことができるタッチとは違っていて、コントロールしずらい楽器です。

「気分の優れないときはエラールを選ぶ」

と言ったと言われるショパンの気持ちがわかるような気がします。

また、プレイエルの大きな特徴として「第2響板」の存在があります。とりはずして弾くことも可能なのですが、やはりこの響板をつけて弾いたほうが、中で蠢くような情念、底鳴りするような一種独特の魅力を醸し出してくれます。

人によって好みが分かれるかもしれませんが、長年弾いてきて、私は、この第2響板をつけて弾く方がプレイエルの良さがでるような気がしています。

革命のエチュードを弾くと、最後の左手バスの音は、この楽器の最低音になります。楽器の限界ギリギリまで使って自分の心情を表現しようとしたのだと思われます。

この楽器は大きな音が出ませんが、この楽器でフォルテッシモを弾くと、かえって悲痛な思いが楽器の中でうずまくような感じがします。現代のスポーツカー並みの性能を持ったフルコンサートピアノで、余裕のフォルテッシモを出すと力強さは出るのですが、なかなか悲痛な思いが伝わりません。その点、プレイエルは、楽器自身が語ってくれるように思います。

ペダル記号をはじめ、ショパンが楽譜に書き込んだ指示記号は、このプレイエルを使って書いたものです。ですから現代のピアノで演奏するときは、少し現代用語に翻訳するような感覚でコントロールしたり、音の濁りが起きないように細心の注意を払ったりしなくてはなりません。

その点、プレイエルでショパンの指示を守って弾くと、ショパンが考えていた響き、そしてアーティキュレーション、ディナーミクを感じることができます。

右手で弾く高音部の黒鍵は、少し角が丸くなっています。ショパンが好んだ独特の指使い、黒鍵から白鍵に指を滑らせるようなレガート奏法です。

そのようにしてこのピアノは、ショパン自身、ショパンの女弟子、同時代のピアニストたちの手によって弾かれているうちに、少しずつ角が丸くなっていったのかもしれません。

プレイエルは、同音反復のしずらさ、スピードや音量の面で、エラールにははるかに及びませんでした。そうしたことから、ヨーロッパを席巻し、各地の宮殿やサロンに広まっていったのは、エラールでした。

プレイエルは、個々の楽器が手づくりの試作品のようです。一台、一台、微妙にタッチも音色もサイズ、高さも異なります。

注文を受け、芸術家とつくり手の間に濃厚なコミュニケーションが存在していた当時のピアノ界のありようにも思いを馳せることができる楽器です。
http://www.yuko-hisamoto.jp/piano/pleyel.htm

15. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2020年4月15日 13:08:04 : HgktOnod6s : ZkdSQWE4ZmxFWHc=[7] 報告

アルフレッド・コルトー、来日時の会話(1952年)2016-07-06
https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/89f69cd72559b456c94e2a0764d6b1ba

― 先生がお好きな楽器は何ですか。

CORTOT スタインウェイ。昔からです。何と素晴らしいピアノでしょう。ピアニストにとって良い楽器はかけがえのない物ですからね。楽器が本当に良くないと自分の気持を外に現すことが出来ません。自分の気持が聞いている人の心に伝わるのが音楽なのですから楽器の役目は非常に偉大なのです。

― どういうのが本当に良いピアノなのでしょう。

CORTOT 弾き出す時に、まず一寸抵抗があってそれからやわらかくなることと、ペダルが怠け物でないことです。前にいったように、はじめの抵抗だけでかるいパッセージは弾けなければなりません。美しいピアノ(弱い美しい音)を出すのには、色々の研究を必要とします。楽器、そして自分の経験。日本の楽器が非常に良い楽器なのには感心しました。普通新しい楽器ピアノを作る時は自分の家特有なものを作りたがるものです。だから本当に他のピアノを研究して、その良いところを取り上げて作るピアノは珍しいです。

― フランスのプレイエル、ガボ、エラールはどうなりましたか。

CORTOT 戦後は駄目です。エラールは全然終ってしまい、プレイエルもほとんど下り気味で駄目です。昔、あなたも会ったことがあるでしょう。三十年間私についていた調律師、あれが死んでからおちてしまいました。努力をしているピアノ、しかし儚い努力をしているピアノはガボです。その努力には頭が下ります。


芸術新潮1952年11月号に来日中のコルトーへのインタビュー記事がありました。聞き手はコルトーの弟子、本野照子さん。

-----------------

恩師コルトオが日本に着いてからもう十日以上となる。その間先生に附添って、親しくその生活にふれ、言葉を交すことが出来たのは、後の日までも私の心に残るに違いない。いま、その会話の数々の中から、とくに個人的に亙るものを除いて、いくつかをコルトオを愛する人々のために記しておこうと思う。

↑ 帝国ホテルにて

― やっと日本へお出になられましたね。

CORTOT 文明の国、芸術の国、詩的な国、日本に来られてこんなにうれしい事はありません。旅行は汽車で出来るでしょうね。芸術的な自然美に接するには、汽車か自動車でなければ駄目です。日本へ来ることについて、私の楽しみの一つは景色をよく眺めることですから。

― 今、フランスでは若い人で音楽をやっている人は沢山いますか。日本では、戦後とくに学生で音楽をやっている人、又やらないでも愛好者が非常にふえたように思われるのですが。

CORTOT 非常に多いです。私は七人のリセ(高等学生)の若い人を集めて音楽サークルをはじめましたが、今では、フランス全体で二百万人もいます。皆、戦争の為に荒だった気持や思想を音楽によって癒されているのです。演奏だけではなく一般の音楽的教養を身につけているのです。

― 御希望どおり学生の為の演奏会を催されるそうですがそれには何をお弾きになりますか。

CORTOT 学生達の好きそうな曲を弾きたいと思います。練習曲(エチュード)はどうでしょう。ピアノをやる学生は皆、一度は弾くでしょうから。

― お気に召すか知れませんがお部屋にピアノを入れておきました。

CORTOT それは有難う。ルービンシュタインが昔言っていたように、「一日弾かないと自分が気がつく、二日弾かないと友達が気がつき、三日弾かないと聴衆みながそれに気がつき」ますからね。

― もし大阪で一回しか演奏会が出来なかったとしたら、どのプログラムをお選びになりますか?

CORTOT 大阪は大きな町ですから、プログラムA(前奏曲と練習曲)を選びます。

― 地方でしたら?

CORTOT 皆に知られていて、偉大な作品ばかり入っている、プログラムC(ショパン、シューマン)を選びましょう。この中には、シューマンの謝肉祭、葬送行進曲の入っているショパンのソナタなどがあります。

― ただ一度の演奏会の時、聴衆の希望によりショパンの物、たとえばフランスの近代作曲家の曲をまぜる事は出来ますか?

CORTOT 絶対に出来ません。そんな事をしたら作曲家が泣きますよ。食事の時にスープとデザートをまぜて食べられないように、ロマンチックと近代をまぜることはできません。演奏する時は自分を輝かせることを考えてはいけません。それから聴衆のことを考えるより前に、作曲家のことを考えないといけません。

― お好きな作曲家はやはりショパンとシューマンですか。

CORTOT いいえ、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナーです。無論ショパン、シューマンは好きですが、全然違った意味で好きなのです。あの三人(バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー)は偉大なる音楽家ですからね。バッハの中には、何でも入っています。バッハ以後の作曲家の曲には彼の何かが入っています。たとえば、世界中の楽譜がなくなってバッハの平均律の一、二がどこかの島に残ったとしたら、今までの作曲家達の作品を全部つくりなおすことが出来るに違いありません。シューマンの作品の中にはシューマン自身が入り込んでいます。クレイスレリアーナを作曲したとき、クララに、この曲の中には、君に対しての喜び、悲しみ、淋しさ、怒りのすべてが入っていると言ったそうですね。

― 近代音楽では、誰の作品がお好きですか。やはりドビュッシーですか?

CORTOT 良い曲であれば誰のものでも好きです。別に好き嫌いはありません。ラヴェル、フォーレなど好きですね。ドビュッシーは日本の俳句と同じです。とてもきれいな曲があります。好きな曲では、ドビュッシーのプレリュード、ラヴェルの夜のガスパール、まだ他にもありますが。

― バッハを本当に弾くには宗教がなければいけないのではないでしょうか、教会の中での厳粛な空気にひたらないとバッハの気持が分からないように思われるのですが?

CORTOT バッハはアンテルプレタシオン(解釈)が非常にむずかしいですね。何時も天にむかって上へ上へと行く建物......これが教会の――どの宗教でも同じですが――スタイルです。それと同じようにバッハの音楽は天にむかって弾くものです。神への賛美、神への訴え。バッハでも他の作曲家の曲でもすべて音楽は指で弾くものでなく、魂と心で弾かなければなりません。それを現すために手首のやわらかさが手伝ってくれるのです。西洋の音楽は、すべて感情の現れです。だから、弾く時には当然、自分の感情を、現わさなければなりません。大きな鼻を持っているとか小さな口を持っているというようにその曲に対して持っている感情は各々違うものですからそれを現すのが、アンテルプレタシオンです。

― 今度の演奏会でバッハをお弾きにならないのは非常に残念です。

CORTOT バッハは自分の為にだけ弾くのです。

― 小さい時から曲を弾く時にその曲のイメージを描いて弾いていたのですが、同じ曲を弾いても子供の時と今とでは、イメージが全然、違ってしまっています。やはり子供の時は、童話に出てくるようなイメージを描いていたのですね。自分勝手なイメージですから作曲家自身の考えていたのとは違うのかもしれませんが、自分のイメージで弾くと弾きやすいのです。いけないことですか?

CORTOT いいえ、それは非常に良いことです。指を忘れて、曲のイメージを作って弾くものです。アンテルプレタシオンは前にもいったように自分の気持ちの現れですからね。

― 暗譜で弾く時一人の折は良いのですが、人の前では、何となく不安で困ります。どうしたら良いでしょう?

CORTOT 演説家が書いたものを見ないで話す時、話そうとしている内容を前からよく知っていれば、先へ先へと何のこだわりもなく話していくことができます。それと同じように音楽も曲の内容を前もって良く知っていれば、心配なく弾けます。内容とイメージだけで後のことは、忘れて良いのです。楽譜を目の前に置いて弾くのだと、見るということを意識するので、本当のアンテルプレタシオンを現すことはむずかしいのです。

― 「舞踏への勧誘」のナマをうかがうのは今度が初めてです。レコードではよくうかがいました。

CORTOT 可愛い美しい曲でしょう。レコードと今度弾くのとではアンテルプレタシオンが少し変わっていますよ。あれを吹き込んだのは1918年頃だったでしょう。

― たとえばどういう風に....

CORTOT レコードに吹き込んだ頃の私が想像(感じ)していたイメージは、大勢の人が舞っている風景でした。だからブリリアントに弾いていたのですが、今は違います。大勢舞っている中から、一組だけ抜け出した、恋人達の様子が目に浮かびます。そして、踊りながらする恋物語、私はこの曲が大好きです。この曲ではどこでも聴衆が失敗をするのですよ。最後の一寸前で曲が終わったように思われるので拍手をしてしまうのです。そうして実際に終ったときは拍手をしないのですよ。

― 戦後若いピアニストは女と男に区別してどちらが多いのですか。

CORTOT どちらが多いか知りませんが多分女でしょう。女といえば面白いことがあります。女の人が一番良く勉強するのは14、5の時ですよ。年頃になるとお化粧、ダンス、初恋などに忙しくて不勉強になりがちです。音楽の勉強には、必ず努力、根気、(遊ぶことへの)犠牲が必要ですからね。

― 手が小さくて、本当に困る事があります。

CORTOT 手が小さくて良いこともあるのですよ。三度などが美しく弾けるでしょう。私などは三度が美しく弾けなくて困ります。

― ポロネーズなど弾けなくて困っております。

CORTOT 自分の肉体にマッチした作品を選ばねばいけません。そうしないと手にこだわって本当に弾くことは出来ないものです。

― では手の小さな人には何がよいのでしょう?

CORTOT ドビュッシー、モーツァルト、ヴィヴァルディなどがいいでしょう。モーツァルトのファ・ディエーズを含むソナタなどがよい。【←嬰ヘの楽章ありましたっけ?】

― リストのハンガリー狂詩曲をお弾きになってお疲れになったでしょう。

CORTOT 私はピアノを弾いて疲れたことはありません。第一、狂詩曲を弾くのはベートーヴェンのアンダンテを弾くのよりずっと楽です。

― ショパンのプレリュードの中ではどれがお好きですか。

CORTOT 2番です。何とすばらしい曲でしょう。

― エチュードの最後の三つはひどく疲れる曲でしょう。お疲れになりません?

CORTOT そう、確かに全身の神経を必要とする曲ですね。

― お能をご覧になったご感想は....

CORTOT 何とすばらしいものでしょう。音楽ではありませんが、魂を圧倒する何かがあります。そして重みのあるもの、クローデルの詩みたいです。

― 文楽はいかがですか。人形をあやつる人は邪魔になりませんでしたか?

CORTOT これもまた違った意味ですてきです。動かない顔が体や手の動きのために、生きた表情に見えるのには感心しました。あやつる人と人形は一つになっていますね。そして、三味線が非常に美しかった。とても上手です。神経質なテンポに変わる所など、音楽家として立派ですね。あの日本の音楽家達に非常に感心したと伝えておいてください。

― 東洋人の音楽は、何となく冷たいような気がするのですが。

CORTOT 我々は日常の生活で喜び悲しみすべて感情を外に現していますが、東洋人は今までの教育で自分の感情に出さないように育っているようですから音楽に現わすのもむずかしいのではないのでしょうか。今までの習慣のために.....

― 日本固有の芸術家に対して何かご意見がありますか。

CORTOT 日本みたいに古い歴史と芸術をもっている国ではそれ自体の美を生かすべきだと思います。音楽にしろ絵にしろ自分の国の個性を出さずに西洋のまねをすることは非常に惜しいことです。もっともっと日本の個性を出してほしいですね。スペインの音楽、ポーランド、ハンガリーの音楽のように祖国の個性を出したものの作曲家を私は聞いてみたいと思います。

― 日本の景色はいかがでしたか?

CORTOT すばらしい自然の美、まるで手入れを良くしてある庭みたいです。そして清潔な緑の田畑の瑞々しさ、東京から大阪の間、一瞬も窓から目を離すことが出来なかった程美しかった。

― 日本で今まで目にお付きになったことは?

CORTOT 和服の色彩の美しいこと、陶器のしぶさ。それから書の美しさ、あれはまさに絵です。柔らかい感じと固い感じの調和が実に良く筆で現れています。ペンで書かれると美しさが少し落ちるようですね。

― 先生がお好きな楽器は何ですか。

CORTOT スタインウェイ。昔からです。何と素晴らしいピアノでしょう。ピアニストにとって良い楽器はかけがえのない物ですからね。楽器が本当に良くないと自分の気持を外に現すことが出来ません。自分の気持が聞いている人の心に伝わるのが音楽なのですから楽器の役目は非常に偉大なのです。

― どういうのが本当に良いピアノなのでしょう。

CORTOT 弾き出す時に、まず一寸抵抗があってそれからやわらかくなることと、ペダルが怠け物でないことです。前にいったように、はじめの抵抗だけでかるいパッセージは弾けなければなりません。美しいピアノ(弱い美しい音)を出すのには、色々の研究を必要とします。楽器、そして自分の経験。日本の楽器が非常に良い楽器なのには感心しました。普通新しい楽器ピアノを作る時は自分の家特有なものを作りたがるものです。だから本当に他のピアノを研究して、その良いところを取り上げて作るピアノは珍しいです。

― フランスのプレイエル、ガボ、エラールはどうなりましたか。

CORTOT 戦後は駄目です。エラールは全然終ってしまい、プレイエルもほとんど下り気味で駄目です。昔、あなたも会ったことがあるでしょう。三十年間私についていた調律師、あれが死んでからおちてしまいました。努力をしているピアノ、しかし儚い努力をしているピアノはガボです。その努力には頭が下ります。

― 日本の聴衆をどうお思いになりましたか。

CORTOT 実に真面目で礼儀正しいです。そうして音楽を愛していることが良く判りました。私のピアノ演奏など問題ではありません。作曲家達の気持をよく判ってくれていることが弾いている私に通じて本当にうれしいです。そして、音楽を愛している人達がこれから先の長い若い人々であることはこの年取った私をどんなに喜ばせてくれていることかお分かりになるでしょうか。

― 最後に、若いピアニストへ何かご忠告を頂けませんでしょうか。

CORTOT ピアノを忘れて音楽にひたること、それだけです。

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このときのコルトーは目を引くような、刺激的なことは言っていませんが、優しいひとだったんだな〜と思いました。

https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/89f69cd72559b456c94e2a0764d6b1ba

16. 中川隆[-13296] koaQ7Jey 2020年4月15日 13:20:38 : HgktOnod6s : ZkdSQWE4ZmxFWHc=[10] 報告

ピアニスト・文筆家 青柳いづみこ 2014年5月22日 ·
アルフレッド・コルトーの手

ベルナール・ガヴォティ『アルフレッド・コルトー』(白水社・遠山一行、徳田陽彦訳)にはまっている。

コルトーと言えばショパン弾きで、すばらしい録音を残し、楽譜の校訂もしている。しかし、若いころの彼はワーグナーの指揮者だったのだ。1896年、パリ音楽院で一等賞を得て卒業したコルトーは、プレイエル・ホールの支配人のとりもちで、バイロイト祝祭歌劇場の舞台音楽助手をつとめている。

この年バイロイトでは、こけら落とし後はじめて『指輪4部作』を上演している。ハンス・リヒターとフェリックス・モットル、巨匠の息子のジークフリート・ワーグナーが交替で指揮にあたった。コルトーはコレペティトーアとして、歌唱指導、合唱指導、プロンプター、練習指導などあらゆる役をこなした。裕福なツーリストたちに楽劇の粗筋を説明する仕事まであった。

1861年に『タンホイザー』の初演がスキャンダルを巻き起こして以来、パリではワーグナーの舞台に接することはできなかった。コルトーは師のディエメールと、プレイエルが発明したピアノ・ドゥブル(ひとつの響板に2つの鍵盤をもつ楽器)でワーグナーの楽劇を演奏して名をあげた。

1900年にはようやく『トリスタンとイゾルデ』がパリで上演された。熱狂したコルトーは、自分でもワーグナー作品 を上演したいものだと思い、メセナのグレフュール伯爵夫人(プルースト『失われた時を求めて』のゲルマント侯爵夫人のモデルの一人)に援助を求めた。

1902年5月、ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』初演のひと月後、弱冠25歳のコルトーは、自ら指揮棒をとり、シャトー・ドー劇場で『神々の黄昏』をフランス初演し、6月には『トリスタンとイゾルデ』を再演した。ピアニストとしては繊細なタイプだったコルトーの豪胆な指揮ぶりは評判になったが、財政的には大コケで、35万フランもの借金を背負った。

コルトーが職業演奏家になったのは、この負債を返すためだったのだ。数年間なおざりにしていた練習を始め、1903年から12年までヨーロッパのあらゆる場所で弾いた。「ピアニストが指揮者の軽はずみな行為の代償を払っていたのだ」とコルトーは語る。

コルトーのショパンはルバート(テンポののびちぢみ)が多く、私の学生時代には「くずれるので真似してはいけません」と言われたものだが、そのロマンティックなスタイルにはこんな背景があったのか・・・。

それにしても、登場人物の豪華なこと! コルトーはパリ音楽院の先生ドゥコンブから、数回指導を受けたというショパンの思い出をきいた。コジマ・ワーグナーはまだ存命で、父のリストや夫の話を何度も語ってくれた。クララ・シューマンもまだ生きていた。

アントン・ルービンシュタインの前では『熱情』ソナタを弾いた。巨匠はコルトー少年に、坊や、べートーヴェンは小細工するものではなく再創造するものだよと言い、それがコルトーの演奏指針となった。

ジョルジュ・エネスコはパリ音楽院の同級生だった。13歳の少年は、見事にヴァイオリンとピアノを弾きこなし、「まだ交響的序曲を3曲しか書いてないか、交響曲を書くのが夢だ」と語った。ジャック・ティボー、パブロ・カザルスとは伝説のトリオを組んだ。

1921年に創設したエコール・ノルマル音楽院の公開講座では、この2人の他、チェンバロにワンダ・ランドフスカ、ピアノにブランシュ・セルヴァとマルグリット・ロン、声楽にレイナルド・アーン、オルガンにマルセル・デュプレ、フルートにフィリップ・ゴベール、作曲にストラヴィンスキーらを招いた。
20世紀初頭から第2次世界大戦まで、ヨーロッパのきらびやかな文化的背景と楽壇風景には頭がくらくらする。
https://www.facebook.com/aoyagi.izumiko/photos/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%89%8B%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E7%99%BD%E6%B0%B4%E7%A4%BE%E9%81%A0%E5%B1%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%BE%B3%E7%94%B0%E9%99%BD%E5%BD%A6%E8%A8%B3%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%B0%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3%E5%BC%BE%E3%81%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%97%E6%A5%BD%E8%AD%9C%E3%81%AE%E6%A0%A1/275857509252184/

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