http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/712.html
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以下に貼るのは、「令和」の考案者と言われる中西進氏が最近おこなった講座について日刊スポーツが簡単に報じた記事である。(記事本文は最後に貼り付けてあります。)
ある意味で衝撃的な内容の記事である。
ここに書いてあることを中西氏が本気で言ってるのなら、投稿者とてしは、中西氏の知性を大幅に過大評価していたことを認めなくてはならない。
私は、万葉集研究の第一人者とされ、漢書にも詳しいと言われる中西氏がそれにふさわしい知性の持ち主であろうと想定し、想像した上で、
そのような知性の持ち主が「令和」の考案者であることはあり得ないだろうと考えていた。
そう考えた最大の理由は、「令和」の意味や字面そのものよりも
この「令和」がさかのぼれば漢書に源泉を持つことを隠して選定され、発表されたという事実である。
相当の知性の持ち主であるはずの中西氏がそのようなことを許すわけがないと思ったからだ。
それに、「令和」はかなりあとになって、中西氏に「追加注文」して出てきたとも報じられていたが
それもまた、まともな知性の持ち主であるなら、「今さら何を言うのか? 私はいいと思う候補はすべて出してある」と拒絶したに違いないと思ったからだ。
この記事を読んで、以上の想定と前提はすべて崩壊した。
その内容は、はっきり言って「とても上等な知性の持ち主とは思えない」ものである。
まず
> 令和の「令」は発音が美しいと評価した上で、「令」には命令の意味があるとの見解について「当たらない」と説明した。
>「命令の令との指摘は、こじつけだ。令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」と強調。
発音はともかく、これはいったいどうしたことか。
「令」には間違いなく命令の意味がある。命令という言葉自体がその証拠ではないか。
それに対して説得力のある反論をするのではなく(講演では何か言った可能性もあるが)、ただ「ごじつけだ」とか「当たらない」とは何事か。
まるで無能低脳で有名なスガ官房長官の「その批判は当たらない」「その質問は事実に反する」と同じではないか。
たぶん本音としては「そういう意味を込めてはいない」と言いたいのだろうが
自分が考案者でないと言っている手前、そう言うことはできない。
だが、言葉というものは、発せられた瞬間から、それを発した人間の意図とは関係なく生き始めるものである。
そういう「言葉を考える上での基本中の基本」が、中西氏は理解できていないようだ。
(品田悦一氏も、『「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ』の中でこう書いている。
> 「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。)
次は、『文選』について
> 令和の典拠である万葉集に先行する漢籍(中国古典)「文選(もんぜん)」に類似の文章があるとの意見には「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」と反論。
これは「考案者である私には理解できない。私は知らなかった」という告白と解するしかなさそうだ。
中西氏の迷走は続く。
>「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」とした。
ここまで来ると、いやはやなんとも。
万葉集――「初春令月、気淑風和」――和訳(例)「初春の令月、気淑しく風和らぐ」
文選――「仲春令月、時和気清」――「仲春令月、時和し気清らかなり」
ほとんど同じ発想の、季節を初春から仲春に平行移動しただけのこの類似関係を
中西氏は「同じ言葉があるだけで、文脈が違う」と見るのだろうか。
ごくごく控えめに言うが、とても上等な知性とは思えない。
> 自らを比較文学研究の第一人者とした上で、文選の一節とは「並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集を出典とするのがいい」と述べた。
どこが冷静なのか。冷静さのかけらもないではないか。
(この言葉の「空疎さ」は、まさに安倍やスガのそれと恐ろしいほどに似ている。)
> 4月1日の令和発表について「テレビで見た。世論調査では高い割合の人が令和を支持している」と語った。
多くの人に支持されている、だからいい元号なんだ、と考案者である自分を慰めているのだろうか。
> 講座では「同姓同名の中西進という人が考案者とされている」と何度も発言。
「令和」が思いのほか不評なので、相当に混乱し、逆上している様子がうかがわれる。
結局、以上の言葉の端々から浮かび上がってくるのは
「なんだよ、私がせっかく考えてやったのに、しかもわざわざ追加してまで考えてやったのに、なんだかんだと文句つけ(やがっ)て。令和ってのはそんな意味じゃないんだよ! もっと感謝しろよ!評価しろよ! これじゃ私が考案者だなんて、とても言えないじゃないか!」という、知性とは程遠い、幼稚なメンタリティーと言わざるを得ないのである。高齢のなせる技なのだろうか。
なんだかんだで記事本文より長くなってしまった。あしからず。以下に貼り付けます。
以上
「令和」考案者とされる中西進氏「誤解多すぎる」(日刊スポーツ)
https://www.nikkansports.com/general/news/201904120000640.html
[2019年4月12日18時24分]
新元号「令和」の考案者との見方が浮上している中西進大阪女子大元学長(89)=日本古典=は12日、万葉集の講座を東京都内で開いた。
令和の「令」は発音が美しいと評価した上で、「令」には命令の意味があるとの見解について「当たらない」と説明した。
自身が考案者かどうかに関しては「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間だ。元号は世の中の一人の個人が決めることではない」と明言を避けた。
講座冒頭、令和について「あまりにも誤解が多すぎる。一個人として感想を述べる」と切り出し「命令の令との指摘は、こじつけだ。令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」と強調。これまでに「和」が付けられた元号を列挙しながら意味を解説した。
令和の典拠である万葉集に先行する漢籍(中国古典)「文選(もんぜん)」に類似の文章があるとの意見には「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」と反論。「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」とした。
自らを比較文学研究の第一人者とした上で、文選の一節とは「並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集を出典とするのがいい」と述べた。
4月1日の令和発表について「テレビで見た。世論調査では高い割合の人が令和を支持している」と語った。
講座では「同姓同名の中西進という人が考案者とされている」と何度も発言。「あくまで一個人の意見」と念押ししながら、1時間半にわたって解説した。(共同)
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- 中西進さん、「令和」批判への反論・弁明は、お見苦しい。(澤藤統一郎の憲法日記) 肝話窮題 2019/4/17 16:26:45
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