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司令長官・山本五十六を悩ませた だまし討ちと天皇の言葉 保阪正康 日本史縦横無尽(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/711.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 4 月 17 日 12:10:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

 


司令長官・山本五十六を悩ませた だまし討ちと天皇の言葉 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252000
2019/04/17 日刊ゲンダイ


山本五十六・連合艦隊司令長官(C)共同通信社

 真珠湾攻撃を成功させた連合艦隊司令長官・山本五十六が、奇襲攻撃の成功に喜色を浮かべなかったのは何故なのか。そのことも改めて考える必要がある。

 旗艦長門の作戦室で笑顔を浮かべることなく、物思いにふけっていた理由は推測する以外にないが、私はすぐに2つの理由が思い浮かぶ。ひとつはだまし討ちだ。外交交渉の中止、つまり外交関係が切れることにより開戦という通告が可能になる。その通告が遅れるならば、攻撃はだまし討ちになる。山本から見れば、非常に汚い手を使ったことになる。当時、ハルノートの通告を受けて開戦を決意した軍首脳は、藤井茂(元海軍省軍務局の幕僚)を人事異動で山本の部下に据えていた。山本は彼を長官室に呼んで「アメリカへの通告が時間的に遅れたなどということはないな」と何度も念を押している。アメリカのラジオ放送がだまし討ちを徹底的に批判しているのを気にしていたのである。

 山本は藤井の報告を聞いてルーズベルト大統領のだまし討ち批判を次第に信じるようになった。その表情は日を追って厳しくなった。自分がだまし討ちの張本人にさせられたという怒りであった。

 もうひとつは、真珠湾攻撃の5日前の出来事だ。その日、山本は東京に赴き、海軍首脳との作戦上の調整を行ったが、その折に天皇に拝謁している(12月3日)。天皇は勅語を与えた。「惟うに連合艦隊の責務は極めて重大にして事の成敗は真に国家興廃の繋る所なり」とあった。山本はすぐに奉答している。「謹んで大命を奉じ、連合艦隊の将兵一同、粉骨砕身、誓って出師の目的を貫徹し、以て聖旨に応え奉るの覚悟で御座います」との内容であった。

 天皇が山本をどれだけ意識していたかは資料ではわからない。しかし米内光政らとともに強硬に三国同盟に反対していたことは、聞かされていたと推測できる。天皇もまた三国同盟には消極的だったからである。

 山本は、アメリカに対して背反行為で戦争に入ったこと、そして天皇にそういう汚名を浴びせることになる申し訳なさを痛切に感じていたように思われる。山本は通告なしの攻撃が間違いないと知ってからは周辺の者にこうつぶやいた。

「日本の武士は、たとえ夜討ちをかける時でも熟睡している者に斬りつけるようなことはしない。このままでは日本海軍の名がすたる」

 このような自省を漏らす軍事指導者が軍中央にはまったくいなかったのである。

 (つづく)



保阪正康 作家
1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。






 

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コメント
1. しんのすけ99[357] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月17日 13:04:08 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[119] 報告
うーーーむ 保坂さん おおかたの軍人には極めて厳しい口調で非難するが まあそれが当然としても
山本五十六には、少々甘いと言わざるを得ない 山本五十六にだって 極めて大きな責任は存在するし
もしかしたら、「山本五十六こそ 一番罪が大きい」 のかもしれない

それは別に 変な陰謀論などではなく、戦争を推し進めた強硬派と 妥協してしまった事にある
「半年や一年は大いに暴れてみせましょう」 という言葉が 勝手に一人歩きをしたと私は思うのだが。

2. 2019年4月17日 15:09:14 : 9l5PiA1wZA : azlYY3BJT0paZFk=[3] 報告
 当時の状況をほんの少しかじった者として言わせてもらえば、1さんの言う通り、強硬派に妥協してしまったところが、山本の残念なところ。

 山本は避戦派ではあったが、加藤寛治、末次信正ら艦隊派の流れをくむ開戦派と徹底して戦うことをしなかった。陸軍に比べればはるかに少数勢力の海軍の仲間意識が災いした。開戦派の伏見宮に対する遠慮もあったかもしれない。
 山本は米内光正、井上成美とともに海軍左派トリオとも呼ばれていた。しかし会議で論理だって避戦を論じることができたのは山本でなく、井上。

 筋を通す井上がいまの時代に生きていればとつくづく思う。井上の生き方はもっとクローズアップされるべき。
 たとえて言うならば、山本太郎君が政権を担っている自民党に仮にいたとして、身内であっても、弁舌鋭く安倍らのウソとインチキを糾弾する(糾弾できる)人材が井上だろう(井上は海軍兵学校校長に出され、軍政から遠ざけられてしまった)。
 いまの自民党には身内を断ずるこうした人材は望むべきもない。

 タラレバの話になるが、山本の生涯の友、兵学校同期で、海軍一の逸材とされた良識派の堀悌吉が予備役に回されていなかったら、そして、堀が海軍に残り、海軍軍政を仕切っていたら、開戦には至らなかったとも思う。

 博打好きの山本には多少なりの山っ気はあった。

 

3. しんのすけ99[358] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月17日 16:29:50 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[120] 報告
2さんのおっしゃる通り 山本五十六の盟友と言われた井上成美ではあるが 実は 山本五十六を後に批判している
盟友と言われた間柄で その人物の死後に非難するなんて よっぽどの事だ

井上の非難は 「なんであんな事(大いに暴れて)言ってしまったのだ」 という事に尽きるようだが
非戦派の井上からしてみれば 「裏切り」 と映ったのではないだろうか

そう 開戦強硬派たちは 馬鹿ばっかり揃っていたと言われるが どっこい、海軍大学校や陸軍大学校は
今の東大に匹敵するほどの超難関で 馬鹿では絶対に進めないスーパーエリートばかりであるからして
「アメリカと戦争なんぞ勝てる訳がない」 という事が理解出来ないような馬鹿は まずいなかったはずである

昭和16年の夏に 敗戦は必死と シュミレーションして結果は出ていたのだ

つまり 開戦強硬派たちは 虚勢を張っていただけの事で、イキがっていたその内心では敗北必至と理解は
ほぼ全員が認識できていたと 私にはそうとしか思えない なのになぜ 「アメリカとの無謀なる戦争」 へと
突き進んでしまったのか この日本の近代史 最大の謎に、一定の答えを出した歴史家はほとんどいない
この保坂さんですら 山本五十六に甘いのでは 答えを出せていない


◆ つまり 山本五十六の 「早期開戦早期講和論」 が、虚勢を張って二進も三進も行かなくなっていた
 開戦強硬派たちに対する“助け舟”となってしまった訳で 「そうだ 勝てないと判ったら 早期に止めればいい」
 という安易な考え方を生む結果になったと これはまったく私個人の考えでしかない事だが ◆

4. 2019年4月17日 17:09:52 : t38MnW8aDE : amRvZy5LeUxjL00=[1] 報告
これっていわゆる「陸軍悪玉、海軍善玉論」じゃないでしょうか。
5. 2019年4月17日 17:48:50 : 9l5PiA1wZA : azlYY3BJT0paZFk=[4] 報告
 2です。しんのすけさんと代わりばんこで「おっしゃる通り」の言い合いになってしまい、いささか気持ちも悪いのですが、3のコメント、同感です。

 「そうだ 勝てないと判ったら 早期に止めればいい」。
 エクスキューズなんですよね、これが。頭では分かっていても、これができないのがほとんどの日本人。ガダルカナル然り、インパール然り…。大局に立った論理的な行動ができない。時の“空気”やメンツや情に流される。
 堀悌吉や井上成美は違うと思うけれど、ただ、彼らのような性格の人間は政治の世界では上に立てない。

 ただ、いまの時代、わたしは自民党の中から、井上のような人間が出てきて欲しいんですよね。安倍一派のやっていることを叱責するという、当たり前の事ができる政治家が出てきてほしい。野党が安倍を批判するのは当然だろうが、いまは与党内から安倍を引きずり下ろす動きがあってもおかしくない。
 安倍のやっていること、無茶苦茶なんだから。日本が壊れる。
 石破、村上、船田あたりが…とも思うが、無理だろうね。自分がかわいくて、まだ身を捨てる心構えはできていない。でも、10−15人が自民党から離れれば、“空気”は変わる。中村喜四郎ももっと吠えてほしい。

 野党共闘なんてちっぽけなレベルでなく、救国内閣ですよ。鈴木貫太郎になれそうなひとはいると思うんだけれど…。

6. 2019年4月17日 20:57:32 : bvfBR2ZTk6 : WEx3SG8ybE10RzY=[5] 報告
@ 天皇裕仁が、真珠湾攻撃を命じた。

> in September 1941, three months before
Pearl Harbor, the emperor had been given a detailed
briefing on the High Command's plans for a surprise attack
on the United States Navy base and a coordinated lightning
conquest of Southeast Asia.


真珠湾攻撃計画は、1年ほど前に、当時のグリュ―米国大使の耳にも入っていて、決して秘密ではなかった。

> the plan to attack Pearl Harbor was not
a well kept secret. Nearly a year ahead of time, in January
1941, Ambassador Grew picked up unsettling rumors

そして、イギリスのチャーチル首相も、米軍関係者も、事前に真珠湾攻撃を知っていた。

> Churchill had full advance notice of Pearl Harbor. See
Elphrick, p.182.

The exchange between Tedder and Fellers about the
impending attack on Pearl Harbor is reported by
Elphrick, p. 435.

A 戦争を、天皇裕仁の責任から、政府や軍の責任にするために、マッカーサー配下のフェラーズと米内光正は、私的な会談を行った。当時の政府・軍関係者は、その線で証言するよう脅された。

全責任を取らせるために、東條と話をすることも、米内の役割であった。

> Fellers and MacArthur employed
simple intimidation. All Japanese officials and military
officers were expected to take the line that responsibility
for the war lay exclusively with the government and the
military; the emperor was not in any way to blame. Fellers
had a private talk with Admiral Yonai Mitsumasa, a former
prime minister and navy minister.

天皇裕仁と秩父宮が主導した「金の百合」では、東アジアの民を殺害し強奪した金銀財宝を輸送することで、米内自身が、それに深く関わっていたにもかかわらず、何の咎めも負うことがなかった。

これは、不可解なことだ。

> Many people were puzzled why Yonai himself evaded
prosecution, because he had been deeply involved in
looting and the shipment of war loot・・・・

7. 2019年4月17日 21:30:05 : bvfBR2ZTk6 : WEx3SG8ybE10RzY=[6] 報告
>>06補足

そして、イギリスのチャーチル首相も、米軍関係者も、事前に真珠湾攻撃を知っていた。

> While the US was reading Japanese diplomatic messages,
Britain had cracked the Japanese naval code IN-25.
According to British sources, Churchill had full advance
notice of the Pearl Harbor attack. In Cairo, US Army
attache Colonel Bonner Fellers was told by British Air
Chief Marshal Sir Arthur Tedder that he had seen a
secret signal on 6 December that Japan would strike at
America within 24 hours.

天皇裕仁は、アングロサクソンの手先となって、計画通りに戦争を起した。

その目的は、日本軍、憲兵隊、特務機関、ヤクザを使って、東アジアを侵略し、その民から金銀財宝を簒奪して、それをアングロサクソンと折半することだった。

アングロサクソンの目的は、戦争経済を活発化して、世界恐慌の負の遺産を解消することだった。

同時に、国民同士を戦わせることによって、社会的な不満がもたらす政治的危機を解消し、支配を継続するためだった。

8. 2019年4月17日 21:38:54 : ETdbtmk0KA : cmkxbHh5YVM0a0U=[50] 報告
「騙された!」 怒り覚える 騙し討ち
9. 2019年4月17日 21:53:28 : 8U3xgblDtc : bnVKZnNjWGxFdms=[17] 報告
> 保阪正康 日本史縦横無尽(日刊ゲンダイ)

「日本史縦横無尽」は、真の歴史を知らない保阪正康の個人的妄想である。
保阪正康はアメリカ人の書いた本も読むべきである。

フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)の前任者、フーバー第31代米大統領は
「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」[1]
と言っている。

[1]【真珠湾攻撃70年】「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 フーバー元大統領が批判★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1323310737/
1:有明省吾◆BAKA1DJoEI@有明省吾ρ★:2011/12/08(木)11:18:57.96ID:???0?PLT(12066)
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、
米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、
「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した
「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。
ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした−などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、
米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。
46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。

その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。
在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

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