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司令長官・山本五十六を悩ませた だまし討ちと天皇の言葉 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252000
2019/04/17 日刊ゲンダイ 山本五十六・連合艦隊司令長官(C)共同通信社 真珠湾攻撃を成功させた連合艦隊司令長官・山本五十六が、奇襲攻撃の成功に喜色を浮かべなかったのは何故なのか。そのことも改めて考える必要がある。 旗艦長門の作戦室で笑顔を浮かべることなく、物思いにふけっていた理由は推測する以外にないが、私はすぐに2つの理由が思い浮かぶ。ひとつはだまし討ちだ。外交交渉の中止、つまり外交関係が切れることにより開戦という通告が可能になる。その通告が遅れるならば、攻撃はだまし討ちになる。山本から見れば、非常に汚い手を使ったことになる。当時、ハルノートの通告を受けて開戦を決意した軍首脳は、藤井茂(元海軍省軍務局の幕僚)を人事異動で山本の部下に据えていた。山本は彼を長官室に呼んで「アメリカへの通告が時間的に遅れたなどということはないな」と何度も念を押している。アメリカのラジオ放送がだまし討ちを徹底的に批判しているのを気にしていたのである。 山本は藤井の報告を聞いてルーズベルト大統領のだまし討ち批判を次第に信じるようになった。その表情は日を追って厳しくなった。自分がだまし討ちの張本人にさせられたという怒りであった。 もうひとつは、真珠湾攻撃の5日前の出来事だ。その日、山本は東京に赴き、海軍首脳との作戦上の調整を行ったが、その折に天皇に拝謁している(12月3日)。天皇は勅語を与えた。「惟うに連合艦隊の責務は極めて重大にして事の成敗は真に国家興廃の繋る所なり」とあった。山本はすぐに奉答している。「謹んで大命を奉じ、連合艦隊の将兵一同、粉骨砕身、誓って出師の目的を貫徹し、以て聖旨に応え奉るの覚悟で御座います」との内容であった。 天皇が山本をどれだけ意識していたかは資料ではわからない。しかし米内光政らとともに強硬に三国同盟に反対していたことは、聞かされていたと推測できる。天皇もまた三国同盟には消極的だったからである。 山本は、アメリカに対して背反行為で戦争に入ったこと、そして天皇にそういう汚名を浴びせることになる申し訳なさを痛切に感じていたように思われる。山本は通告なしの攻撃が間違いないと知ってからは周辺の者にこうつぶやいた。 「日本の武士は、たとえ夜討ちをかける時でも熟睡している者に斬りつけるようなことはしない。このままでは日本海軍の名がすたる」 このような自省を漏らす軍事指導者が軍中央にはまったくいなかったのである。 (つづく) 保阪正康 作家 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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