明治維新と日英同盟の背景明治維新から現在に至るまで日本の支配構造は基本的に変化していない。その連続性を象徴する人物がウォール街の中枢から大使として日本へ派遣されていたジョセフ・グルーだ。第2次世界大戦の前、グルーが所属するウォール街は親ファシストで、ニューディール派を敵視していた。そのため、フランクリン・ルーズベルトが大統領に当選すると、クーデターを計画したわけだ。 関東大震災以降、グルーと緊密な関係にあるJPモルガンが日本に大きな影響力を及ぼしていた。この巨大金融資本は親ファシズムだ。この問題と向き合わないようにするため、「軍国主義」というタグが使われているのではないだろうか。
このJPモルガンはロスチャイルドから派生した。明治維新はそのロスチャイルドを含むイギリスの支配層から強い影響を受けていた。清(中国)を侵略するためにイギリスはアヘン戦争を仕掛けたのだが、本ブログでも指摘したように、大陸を支配するための戦力がなかった。イギリスが日本の軍備増強を支援した理由はそこにある。傭兵にしようとしたのだ。そして作り出されたのが天皇制官僚国家。これが日本の国体だ。
イギリスの手先として日本は琉球を併合、台湾へ派兵、江華島で軍事的な挑発、日清戦争、日露戦争と大陸侵略を進めていく。モスクワが革命で揺れていたとはいえ、戦争が長引けば日露戦争で日本が勝つことは難しかった。そこで、棍棒外交で有名なシオドア・ルーズベルト米大統領が仲裁のために登場してくるわけである。
日清戦争で日本が勝利した1895年、日本の三浦梧楼公使たちは朝鮮の閔妃(明成皇后)を含む3名の女性を惨殺した。その際、性的な陵辱を加えているのだが、筆者個人の経験では、そうした日本側の行為に憤っている韓国のエリートは今でもいる。なお、暗殺に加わった三浦公使たちを日本の裁判官は「証拠不十分」で無罪にしている。その後、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職につく。
日本でどのような教育や宣伝がなされても、少なからぬ韓国人は日本に支配されていた時代を忘れてはいない。何かの切っ掛けで、そうした感情は噴出する。今回、韓国で日本製品の不買運動が始まっているようだが、当然の結果だ。
元徴用工の問題も日本による支配の中で生じたのであり、安倍政権の言動はそうした感情を噴出させることが目的だったとしか思えない。安倍政権には中国との関係を破壊しようとした菅直人政権と同じものを感じる。
ロシアや中国との関係を強める韓国を引き戻すために脅しているのかもしれない。日本に脅させ、アメリカが「白馬の騎士」として登場するつもりかもしれないが、安倍政権の行動は韓国の自立を促進、ロシアや中国へ追いやる可能性がある。そうしたことがロシアや中国でも起こった。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907170000/
▲△▽▼ かつて、中国から西アジアを経由して地中海へ至るシルク・ロードという交易ルートがあったが、物流の中心はやはり海運だった。その海路を支配することで勢力を伸ばした国のひとつがイギリスである。海路を支配するということは、自由な航行を許さないということでもある。
その戦略を体系化したのがハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者。1904年に世界制覇のため、ユーラシア大陸の沿岸地域を制圧して内陸部を締め上げていくという戦略を発表している。
マッキンダーは世界を制覇するためにロシアを支配する必要があると考えた。ロシアには耕作地が広がり、19世紀には領内で油田が発見された資源国であり、国民の教育水準も高い。ロシアの南にある中国も古くから栄え、莫大な資産が蓄えられている。
ロシアや中国を締め上げるため、マッキンダーは西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯を想定した。
内部三日月帯を海路でつなぐためにスエズ運河がイギリスにとっていかに重要かということは言うまでもないだろう。地中海からスエズ運河を通って紅海へ入り、そこからインド洋へ抜ける際に通過するアデン湾はアラビア半島の南端(イエメン)とアフリカの角(ソマリア)に挟まれている。
マッキンダーが想定する内部三日月帯はアラビア半島を通過しているが、かつて、そこにイギリスの拠点はなかった。そしてイギリスはイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作る。その三日月帯の東端に日本はある。大陸を侵略する拠点として格好の場所だ。
イギリスは19世紀から中国(清)を食い物にしようとしてきた。そして実行されたのが1840年に勃発したアヘン戦争と56年に始まった第2次アヘン戦争だ。
前にも書いたことだが、アヘン戦争と第2次アヘン戦争でイギリスは勝利したものの、内陸部を支配する戦力がない。アヘン戦争に投入されたイギリス軍は5000名。7000名はインドの兵士だった。第2次アヘン戦争でイギリス軍は兵士の数を増やしたが、それでも1万3127名。フランスから7000名ほどが参加している。
要するに、イギリスは戦力が圧倒的に不足している。そこで目をつけられたのが日本だ。明治維新はそうした側面から考える必要がある。ちなみに日清戦争で日本軍は24万人が投入された。明治維新以降、日本は大陸侵略の拠点であり、日本人はアングロ・サクソンの傭兵としての側面があるのだ。明治維新によって安藤昌益を生んだ徳川時代は終わり、大陸を侵略する天皇制の明治時代が始まる。
イギリスがアヘン戦争を仕掛けたのは資本主義が破綻したからにほかならない。資本主義は富を循環させるのではなく集中させる。必然的に貧富の差が拡大し、経済は持続できない。そこで国外で略奪するしかないのだ。世界市場の形成、原料の入手と言えば聞こえは良いが、押し売りと略奪だ。押し売りの商品の中には麻薬も含まれている。
今回のタンカー拿捕はアメリカが東シナ海や南シナ海で展開している軍事行動の性格も示している。中国などアメリカに楯突く国の海上輸送をいつでも断ち切れる体制を確立したいということだ。日本はその手先にされている。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907070000/
▲△▽▼ インドはロシアにとってもアメリカにとっても重要な国。アメリカ太平洋軍は2018年5月に名称をインド太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての地域を統括して扱うようになった。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。
ソ連が存在していた当時、インドはソ連、インドのライバルであるパキスタンは中国と結びついていたが、今、ロシアと中国は戦略的な同盟関係にあり、インドとパキスタンを接近させる力として働いている。 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀からアジア大陸の東側を支配、略奪する拠点としてインドと日本を利用した。イギリスの後継国であるアメリカも同じだ。その戦略をまとめた理論をハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表している。今でもアメリカはこの戦略に基づいて動いているように見える。
この理論はイギリス(アメリカ)が海洋を支配しているという前提で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部、つまり中国やロシアを締め上げていくというもの。ヨーロッパの内陸国もターゲットだったのだが、ふたつの世界大戦で米英の支配下に入っている。NATOの役割のひとつはそのヨーロッパを支配することだ。
フランスの大統領だったシャルル・ド・ゴールは1966年に自国軍をNATOの軍事機構から離脱させ、67年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出しているが、これはそうした事情を熟知していたからだろう。
イギリスやアメリカの中国侵略が本格的に始まったのは19世紀のアヘン戦争からだが、イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒して新体制を樹立、その新体制を支援した理由は中国の内陸部を支配するためだったようにしか思えない。
そのアヘン戦争でイギリスが奪い取った地域のひとつが香港である。それ以来、ここはアジア侵略、麻薬取引、マネーロンダリングなどの拠点として利用されてきた。シティを中心とするタックス・ヘイブンのネットワークにも組み込まれている。
明治時代、朝鮮はイギリスの侵略に加担しようとせず、日本の侵略を受けた。現在、朝鮮半島は北の朝鮮と南の韓国に分かれているが、朝鮮だけでなく韓国も中国やロシアに接近している。アメリカが朝鮮半島を支配することは難しい情勢だ。
アメリカとしては日本支配を強めようとするだろうが、ボリス・エリツィン時代のロシア人と同じように、日本人は絞め殺されることになる。ロシアでは大多数の国民が貧困化、その一方で西側巨大資本の手先になった一部は巨万の富を手にしたわけだが、それこそが日本の「エリート」が望んでいることだ。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201909060000/
▲△▽▼ アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。
こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。
連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。
こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。
ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。
そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。
クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。
ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。
グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。
すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。
2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907030000/
▲△▽▼ 2019.09.01 日本がウォール街の属国になる切っ掛けになった関東大震災から96年
今から96年前、1923年の9月1日午前11時58分に東京周辺は巨大地震に襲われた。被災者は340万人以上に及び、死者と行方不明者を合わせると10万5000名以上、損害総額は55億から100億円に達していたと言われている。
その直前、8月24日に加藤友三郎首相が死亡、山本権兵衛が組閣している最中だったことから政府は機能していない。そうした中、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監が震災対策の責任者になる。両者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビだ。
1日の夕方になると「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」、「不逞鮮人が来襲して井戸への投毒・放火・強盗・強姦をする」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、2日夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電して戒厳令も施行された。
こうした雰囲気が社会に蔓延、少なからぬ朝鮮人が虐殺されている。どういうプロセスでこうした流言蜚語が広まったのかは不明だが、その結果として数千人の朝鮮人や中国人が殺されたと言われている。さらに社会主義者やアナーキストが虐殺されているが、そうした犠牲者のひとりがアナーキストの大杉栄だ。彼は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉だった甘粕正彦に殺されたのである。地震当時、東京に住んでいた人の話では、焼き殺された朝鮮人もいたようだ。実行者は日本の庶民にほかならない。
その時、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われ、殺されそうになっている。伊藤は後に俳優や演出家として活躍することになるのだが、その時には「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、「千田是也」と名乗った。
地震は日本の経済も揺るがした。そこで山本内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だ。
銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になる。しかも銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。
そこで復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助である。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。
必然的にJPモルガンは日本に対して大きな影響力を持つようになり、緊縮財政と金本位制への復帰を求めてくる。1929年7月に誕生した浜口雄幸内閣がこの要求を実現、日本の経済状況を悪化させ、庶民は塗炭の苦しみをなめさせられることになった。その時の大蔵大臣は井上だ。
JPモルガンは1932年から33年にかけての頃、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルト大統領を倒してファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。
この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将が阻止、議会でクーデターについて詳しく証言している。そのバトラー少将によると、ウォール街は金本位制に執着していた。
日本では金本位制へ復帰した結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。
そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。
ルーズベルトを大統領にした選挙は1932年に実施されたが、その年にハーバート・フーバー大統領は駐日大使としてジョセフ・グルーを日本へ派遣する。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻だ。
グルーは日本の支配層に太いパイプがあり、秩父宮、近衛文麿、松平恒雄、徳川家達、幣原喜重郎、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていた。その中で最も親しくしていた人物は松岡洋右。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、翌年の8月にグルーは日本を離れるが、最後にゴルフをした相手は岸だった。ちなみに、松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1932年に日本は「満州国」をでっち上げているが、そこで権勢を振るった「二キ三スケ」の中に松岡(スケ)と岸(スケ)は含まれている。そのほかのメンバーは東条英機(キ)、星野直樹(キ)、そして鮎川義介(スケ)だ。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。戦前レジームと戦後レジームはつながっている。 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201909010000/ ▲△▽▼
昭和天皇が戦後 日本軍を作らせなかった理由
東京を囲むように米軍基地がある。 横須賀に海軍もある。 東京に敵は攻めて来るか? なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。 天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね: 革命とは市民のデモ行進が始まりかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。
2019年07月19日 香港革命がおそらく起きない理由 鍵を握る香港警察 革命には香港警察の中国裏切りが必要だが、中国人にそういうセンスがあるだろうか
画像引用:Hong Kong protesters weigh Bank of China 'stress test' after latest clashes | The Japan Times https://cdn.japantimes.2xx.jp/wp-content/uploads/2019/07/f-hkprotest-a-20190709-870x580.jpg
香港革命は起きるか 容疑者の本土引き渡し方案への反発から、香港で民主化デモが盛り上がっています。 市民数十万人が抗議デモを行ったほか、香港議会庁舎にデモ隊が突入したりしました。 香港警察は庁舎に突入した数十人を逮捕するなど、徐々に圧力を強めている。 デモ隊が庁舎に突入する前に警官隊が撤退しており、突入を誘って逮捕する口実を作ったとも言われている。
これは毛沢東の共産軍や蒋介石の国民党軍が日本軍に繰り返した戦術とうりふたつでした。 国民党軍は日本軍が近づくと市街地に火をつけて引き上げ「日本軍の犯行」と宣伝しました。 2014年の香港雨傘運動の時も同様に盛り上がったが、首謀者が拘束されるとあっけなく鎮静化しました。
1989年天安門事件の時もそうだったが、学生運動はリーダー格の学生が逮捕されるとひとたまりもない。 2019年の香港民主化運動はリーダーが存在せず、ネット上で運動を呼びかけて自主的に集まった。 中国政府としてはリーダーを逮捕して終わりという訳にはいかず、鎮圧に手こずっている。
ではこうした民主化運動で中国政府が民主化を認めたり、香港革命が起きるかというと望み薄です。 中国政府は一時的に妥協して容疑者引き渡し方案を撤回する事はあるでしょうが、後で名前を変えてこっそり成立させます。
フランス革命の有名なバスティーユ襲撃、本当の主役はデモ隊を見逃した警官隊と、国王を裏切ったフランス軍だった
画像引用:https://sistemaspoliticos.org/wp-content/uploads/2016/05/Prise_de_la_Bastille-20.24.04.jpg 革命は軍隊が寝返って起きる 世界中のあらゆる革命は市民のデモ行進などで起きた事になっているが、真実ではありません。 フランス革命の原因はルイ14世が革命を認めてしまった事と、フランス軍が裏切って革命派についたからでした。 ロシア革命もまったく同じで、ニコライ2世が革命派に譲歩を繰り返し、最後に軍が寝返った。 明治維新も同じで徳川慶喜は長州征伐以降譲歩を繰り返し、旗本百万騎が徳川を裏切った。
薩長軍が江戸を包囲した時、江戸城に集まった武士は500人だけで、全員が同心など下級武士だった。 清国が滅んで中華民国が成立した辛亥革命は、地方軍が反乱軍となり、孫文のもとに革命軍となって清国を倒した。 アメリカがイギリスの植民地から脱した独立戦争は、植民地軍がイギリス軍を倒したから実現した。
もしイギリス軍が植民地軍に勝っていたら、その後のアメリカ合衆国は誕生せず、今日のアメリカもなかった。 同様にロシア軍やフランス軍が裏切らず、革命軍を倒していたら今もロマノフ王朝やフランス王家は続いていたかも知れない。 つまり革命とは市民のデモ行進が始まりだったかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。
軍が王や国家に忠実なら革命は絶対に起きないので、いくらオウムや赤軍があばれても日本で革命は起きない。 香港には香港軍が存在せず、守備隊すらないのでこれだと革命が起きる可能性は小さい。 香港警察は民主主義に目覚めるか
もし香港で革命が起きるとしたら、東ドイツ崩壊の時のように警察が国家を裏切って市民側に味方した時です。 香港警察の指導部や警官たちが、急に民主主義に目覚めて市民を守るなどありえるのでしょうか? 中国人の役人にそうしたメンタリティがあるとは聞いたことがないし、強きを助けて弱きを叩くのが中国の伝統です。 例えばソ連邦が崩壊した時、共産軍の戦車部隊が市民のデモ隊と遭遇し、市民らは戦車の前に立ちふさがったり寝転んだりして戦車隊は停止しました。
90年の天安門事件でも同じことがあったが、中国共産軍の装甲車は天安門広場の学生約3000人の前で止まる事は無かった。 同じ事は2008年チベット騒乱でも2009年ウイグル騒乱でも起きていて、装甲車に立ちふさがる僧侶を共産軍と治安部隊は蹴散らした。 中国4000年の歴史で軍や警察が「市民のために国家と戦った」など一人も聞いたことがない。
もし香港警察が中国を裏切って市民側につき、香港革命が起きたら、日本人は中国人への認識を変えなくてはならない。 だがその可能性は宝くじで一等が当選するよりも低いでしょう。 http://www.thutmosev.com/archives/80437741.html#more. ▲△▽▼ ▲△▽▼ 植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった 2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳 ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。
一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。 驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である
実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。 輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。
日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・ 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。
しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。 「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。 http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html
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