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表に出始めた明治維新の真実
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投稿者 中川隆 日時 2019 年 12 月 03 日 17:15:45: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


表に出始めた明治維新の真実 〜総集編 2018年12月31日 えとせとら
https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/etcetera/%E8%A1%A8%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%9F%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%80%80%EF%BD%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8/

戊辰戦争150年を偲んで

表に出始めた明治維新の真実 総集編

目次

「歴史小説」と「歴史」全く異なる明治維新

「一発逆転サヨナラ満塁弾」将軍様仰天の敵前逃亡

公文書偽造による討幕令、大嘘から始まった明治維新

京の都、大阪城、江戸城を無償で敵に渡した将軍様

討幕の英雄三傑、慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚のその後

徳川家乗っ取り作戦、討幕派のリーダーを徳川将軍に

密貿易で荒稼ぎする島津家と使用人坂本龍馬

明治維新の金の出どころ〜 福井松平家

年表 明治維新の流れ 

(黒船 +2年) 長崎海軍伝習所に討幕派集結

(黒船 +5年) 安政の大獄はじまる 

(黒船 +6年) 討幕派拠点、長崎海軍伝習所閉鎖 

(黒船 +7年) 桜田門外の変 漁村にジャーディンマセソン商会横浜支店開設翌年開業

(黒船 +8年) グラバーから購入した印刷機で福井藩札発行 絹製品ギルド結成 明治維新の資金源稼働

(黒船+10年) 真打ち英東洋艦隊登場し薩英戦争、島津家領内の意志統一 オリエンタルバンク支店開設

(黒船+11年) 漁村に神戸海軍操練所開設 福井松平家大規模投資 討幕派の一大拠点

( 同 年  ) 卒業生らが禁門の変に参加、翌年操練所閉鎖、責任者の勝海舟罷免

( 同 年  ) 高杉晋作ら奇兵隊、外国船砲撃、馬関戦争により英軍が長州領一部占領

( 同 年  ) グラバーが英国留学させた伊藤博文・井上門多を英軍が長州へ送る

(黒船+13年) 第二次長州征伐 14代将軍・攘夷派の天皇急死 翌年解兵

(黒船+15年) 第15代将軍慶喜、島津軍陣地へ攻撃命令、鳥羽伏見の戦い勃発 明治元年 福井藩士だった吉田茂養父ジャーディンマセソン商会支店長就任 福井絹輸出拡大と武器大量輸入

「歴史小説」と「歴史」全く異なる明治維新

今年は戊辰戦争150年ということで山口県に縁深き首相をいただく官邸主導で「まあ過去のことは水に流しましょう」という趣旨のイベントが企画されていました。ところが会津を中心とする旧奥羽越列藩同盟側は「水に流せるようなものではない」とするムードが強く、むしろ「歴史」としての明治維新は、「歴史小説」の中で作られた英雄物語のイメージとは全く異なるという内容の出版や講演などが相次ぎました。

中には明治維新とは長州人テロリストによるこの国の乗っ取り行為であり同国人に対する人間とは思えない非道な残虐行為に満ちるとする主張もありますが、歴史上そうした面は事実としてあります。特に戊辰戦争時の会津城下は数百の亡骸が散乱し、多くが長州兵によって凌辱された婦女子が虐殺されたものでした。死体は放置されたまま「処理」してはならないとされたと伝わっていましたが、今年、地元研究者の調査で死体処理の記録が発見され、放置され続けたのではないと従来の通説を覆す証拠が提示されました。 戦争が終わっても、それ以上の悲劇が続きます。青森でも不毛とされる地に移封された旧会津藩領民は過半が飢餓や凍死で世を去ります。明治新政府は各地で圧政を行い反乱する農民らを徹底して弾圧します。これを150年経ったから水に流しましょうというのですから歴史的事実を訴える人々が声を大きくし始めたのです。

外国の侵略から日本を守る、外国勢力を背後につけた同朋から自分たちを守る、その中心が会津です。京の都に荒れ狂った無差別テロ。狙われたのは幕府要職にある侍ばかりではありません。手当たり次第に特に抵抗できない女性は狙われ今日のISやタリバンと変わらない非道な暴力が吹き荒れていました。京の都を夜な夜な騒がせた有名な人斬り○○と名前がよく知られているのは多くが薩摩人ですが、戊辰戦争の際に会津で暴れたのは長州人が中心でした。 京都の警察業務と非常時には軍の全権を掌握する京都守護代の任を請けた会津は外国勢力から資金を得て活動するテロリストの取締りに精を出します。薩摩人とか長州人といっても、島津家や毛利家との主従関係を切り、固定収入を無くしたはずの人たちが活動し続けたのです。 背後の資金提供者が黒幕です。 「歴史小説」では会津・桑名の兵や京都守護代会津松平家の直属である新撰組や見回り組は何かものすごく反動的な歴史の流れに竿を刺す問題の塊のようにも描かれますが、歴史的には彼らは正々堂々とした警察であり、非常時治安維持の正規軍であり、彼らが戦っていた薩摩人や長州人は無差別テロを繰り返す犯罪者だったのです。 これが歴史的事実です。 NHKの大河ドラマでやっと会津松平家からみた維新が取り上げられ、随分と会津側への誤解が解けたことは大きな前進だったと考えます。 禁門の変においては長州人武装集団が口では尊王攘夷と言いながら日本史上前代未聞の皇居に砲弾を撃ち込む暴挙に及んだのに対し、宮廷を護り抜いたのが会津兵です。 これも動かしようのない歴史的事実です。 今でも蛤御門には当時の銃砲撃の跡が残っていますが、私たち日本人にとって大切な存在である天皇のいらっしゃる御所に向かって砲撃したのです。 それも尊王のスローガンを掲げながらです。 歴史の事実としては維新の志士と呼ばれる人々がどうやって収入もないはずなのに活動資金を得たのか、誰が何の目的で金を出したのか、そこが大きなポイントなのですが、この点もISやタリバンと同じです。あれだけの軍隊が兵員募集、訓練、戦闘員への給与の支払い、兵器や弾薬、燃料、食料の調達と最低でも数兆円かそれ以上ともいわれる資金をどこが何のために出したのでしょうか。狂信的なテロリスト集団が集まっただけで、あのような軍隊は動かせません。 お金のでどころを読むのは要ですが、明治維新において、心情的には皇居砲撃をどう弁解、説明できるのか、そこは問いたいところです。 そして軍事クーデターを起こしながら公文書偽造つまり偽物の討幕令をつくり自らを官軍と偽った薩長連合は目の上の瘤であった会津、そして共に立ち上がった奥羽越列藩同盟を朝敵とします。新政府は徹底してこれを弾圧、人間のやることとは思えない迫害を加えます。 いやいや軍事クーデターだったんだ、国外勢力からの資金提供も受けたんだ、武器も供給された、それが悪いのか、と開き直るならまだわかりやすいのです。なぜ堂々とあれは軍事クーデターだったんだ、と認めないのでしょうか。

歴史小説に登場する英雄、幕末の志士たちは、固定収入もない職を捨てた浪人が中心で一部農民と徒党を組み全国に情報網を巡らし、海外に留学や視察を行い、高価な外国製武器を揃え、圧倒的な軍事力を誇る徳川軍に一方的な勝利を収めたことになっています。

それはないでしょう。 無理というものです。 当然、背後に巨大なパワーが動いています。

大河ドラマ等で流布される明治維新のイメージ。吉田松陰先生の松下村塾で学問を学んだ長州の下級武士たちが外国の脅威から国を救う志を抱き、圧倒的に強大ながら古い体質から脱却しない徳川家を倒し、更に古い時代にしがみつく会津を征圧し日本を統一、あっという間に富国強兵を成し遂げ、外国勢力の植民地になることを防いだ。あるいは土佐藩を脱藩した稀代の英雄坂本龍馬が互いに意地を張りあう薩長にかけ合い、同盟を結ばせ、長州が外国製の武器を購入できるように取り計らった。 こうした話は誰もがどこかで聞いたことがあると思うのですが、個々の事実は歴史的事実を引用していても、ストーリーの展開としては「あくまでも小説」です。

「竜馬はいく」など「空想歴史小説」の中で描かれたイメージは歴史的事実をちりばめながら物語としては真逆なほどひっくり返してあります。流石に作者も本名「坂本龍馬」ではなく一文字変えて「竜馬」としており、余りにも事実とイメージが異なることには「ご容赦ください」とお詫びのコメントもしておられます。まあ、小説なのですから、どう書こうと作家の自由なのですが結果的に大きな誤解を生んでいます。

明治維新の歴史小説に登場する様々な言葉、まず明治維新という言葉にはじまり、藩とか幕府、朝廷、といったものは実在はするのですが、当時の呼び方とは異なります。ちなみに鎖国令は実在しません。坂本龍馬は土佐藩を脱藩したのではなく、最初から島津家に雇われていたのですが、そもそも当時は藩ではなく、山内家とか島津家といったファミリー集団があり、その家臣団がおり、ファミリーが領有権をもつ領地、領民がいました。これを地名に藩をつける呼び方に変え、更に都道府県に変える廃藩置県を行いましたが、江戸時代には藩はなかったのです。明治維新は御一新と呼ばれていました。こういうことを細かく配慮すると書きにくくなるのですが、それだけ歴史は曲げられているということです。実は日本語まで変えられてしまったのです。 明治維新の前と後では日本語の発音がまるで違っています。円はJ.YEN と書きますが、実際に当時までは「いぃぇん」という発音でした。

ここは適宜、流れの中で棚に上げるなり、表現を選ばせて戴きます。

列強諸国がアフリカ、アジア、北中米の諸民族、文化、国などに何をしたかは教科書にも少し載っています。民族絶滅や、歴史から国や文化の名前まで消してしまうなど、(消えたので消えたこともわかりません。たとえば古代マリ王国という偉大な文明が存在したことをどれだけの人が覚えているでしょうか) かなりえげつないわけですが、阿片戦争で清を籠絡した次の標的が日本です。無事ですむわけありません。日本が一部を除いて軍事占領されず、直接植民地にされなかったのは各国の事情があったからです。米国は南北戦争であまりに忙しく日本に侵攻する余裕はありません。また世界大戦と言う規模のクリミア戦争で数百万の将兵が動員されており、ロシア、フランスは東アジアに廻す兵力がありません。オランダはインドシナ植民地で圧政を行っており、抵抗運動を武力で排除するのに躍起です。英国だけがクリミア戦争を戦いながらも東洋艦隊を動員していましたが、植民地を広げる戦費が国費負担で、利権が東インド会社という構図に議会が紛糾、これ以上国費の浪費を続けると国家財政がもたないと、超低予算による日本侵略、つまり少人数の特殊工作員による日本乗っ取り作戦を遂行することになります。パークス公使や諜報員アーネスト・サトー、これに阿片戦争の利権で巨大資本となったジャーディンマセソン商会とその代理人トーマス・グラバー等がオランダ人フルベッキ等と共に、この国のどこをつつけば体制がひっくりかえるか徹底検証し、新たな権力を握るグループを国外からコントロールしながら間接的な植民地支配を目論みます。

明治維新は、外国勢力の動き、最大勢力である徳川家を倒す国内勢力の動き、新政府が何をしたか、に大きく分かれます。明治維新そのものの山場は軍事クーデター「鳥羽伏見の戦い」です。歴史小説では大政奉還によって幕府が幕を閉じ、天皇を中心とする体制へ平和裏に移行したとなっています。実際、徳川家から禁裏に対して確かに政権一括委任権の返上が奏上されたので、正に大政奉還が行われたのですが、直後に外交権を皮切りに部分的な政権再委任が次々に公布され、政治は徳川家が執り行う体制に戻っていきます。大政奉還の形骸化です。 明治維新は、鳥羽伏見の戦いに端を発する戊辰戦争という内戦によって、武力による政権奪取が行われたものです。 大きな謎は圧倒的な軍事力をもつ徳川軍がなぜあっさり敗れたか、です。

「一発逆転サヨナラ満塁弾」将軍様仰天の敵前逃亡

大政奉還後も政権担当を徳川家が担うことで何も変わらない状況が続きました。そこで西郷隆盛の弟を首謀者の一人とする強盗団が江戸市中で暴れます。数百人の暴徒が乱暴狼藉の限りを尽くし、大店(大きな商店)などを次々に襲い、盗み、強姦、殺人、放火などやり放題です。維新の志士といいますが、実際の「業務」の多くがこうした無差別テロだったのです。激高した江戸留守居役諸家、何せ将軍様は将軍に就任して一度も江戸城へ登城したことなくずっと京や大阪にいましたので留守の警備を命じられていた諸家の軍勢が江戸の街を警護していたのですが、彼らが島津家江戸屋敷を焼き打ちします。暴徒が島津家の指図で動くことはわかっていた上、島津家江戸屋敷に逃げ込むのでここを潰さないと取締りにならないからです。 京や大阪も江戸での事件に俄かに緊張感が高まりますが、先に手を出したのは徳川軍です。第15代将軍慶喜公が島津軍の陣営に対する攻撃を命じます。こうして天下分け目でもあり、日本の半分を戦場にする戊辰戦争の緒戦ともなる鳥羽伏見の戦いの幕が切られました。この将軍様、決して腰抜けなどではありません。政治手腕も辣腕で、列強との交渉も自分でやります。度胸もあり、自ら抜刀して長州軍と白兵戦を戦ったこともあります。戦国時代を別にすれば、なかなかいなかったタイプの行動的な将軍様をリーダーに士気旺盛な徳川軍が大阪城に集結、そこで将軍様が「一兵たりともこの城を退くでない」と檄を飛ばします。その舌の先も乾かぬ夜、列強公使と密談し、乗船許可書を発行してもらって米軍艦艇に乗り込み、さらに咸臨丸に移ってそのまま江戸城へ逃げ帰ります。この際、供回りはわずかですが、松平容保ら、会津の重鎮らも同伴させます。京都守護職であった会津松平容保は畿内有事の際の軍事権ももっており、将軍様が逃亡となれば松平容保が自動的に指揮を執ることになります。念押しで、容保の弟で京都守護職の配下になる京都所司代に任ぜられていた桑名松平定敬も同行させられます。新撰組や見廻り組といった実戦部隊は京都守護職の直属です。それまでの実績からいっても命を懸けて任務を全うするであろう松平兄弟が徳川軍の指揮を執っては全面戦争となり、寡兵の薩長軍が重囲の中で蒸発するのは目に見えています。将軍様に余について参れ、と言われて行かない訳にもいかない松平兄弟が去った大阪城には権限をもつ指揮官がいません。当時の大阪湾には兵庫港開港を要求する英東洋艦隊などがびっしり並び、砲口を大阪城に向けていました。咸臨丸の艦長榎本武揚は大阪城に居ましたが咸臨丸が将軍様の命令で逃げてしまいました。 外からの威圧下、指揮官が次席や次々席の指揮官らと突然、将兵に黙って米国艦艇で敵前逃亡という「いったい何がどうなっているわけ???」状態となり、徳川軍は総崩れとなり軍事クーデターは成功します。

公文書偽造による討幕令、大嘘から始まった明治維新

禁裏の重鎮、岩倉具視は偽の討幕令を偽造、さらに偽物の「錦の御旗」を、ま、こんなもんだろ、と適当に作らせて、「吾は官軍、幕府は朝敵なるぞ」と心理作戦も仕掛けます。明治維新は大嘘から始まったのです。

京の都、大阪城、江戸城を無償で敵に渡した将軍様

江戸へ戻った将軍様は勝海舟に江戸城明け渡しを命じます。結局、この将軍様、在位わずか1年。その間に一気に徳川家は崩壊します。京都守護職に自らが指揮する大阪城からの敵前逃亡に同行させ、今度は江戸城も空にしろ、です。軍事的にも政治的にも経済的にも重要な京、大阪、江戸を自ら放棄したのです。これではどれほど徳川軍が圧倒的な軍事力をもっていても勝てるわけありません。困ったのは勝海舟です。 圧倒的な軍事力を維持しながら全面無条件降伏ですから、いつ反乱や暗殺を招くかわかったものではありません。命懸けで江戸を抜け出し、仲間の西郷隆盛に平穏に徳川が負ける算段を詰めるため密談します。そこへ榎本武揚が檄を飛ばし、これより東海に討って出て薩長の兵站を切る、志ある者は吾と共に参れ、と徳川艦隊への集結を呼び掛けます。血気盛んな将兵は海軍陸戦隊として艦隊に乗り込み勇躍出撃、最も血気盛んな抵抗勢力が江戸を離れ、その間に江戸はあっけなく開城され、一応、艦隊の東海への出撃もあったにはあったのですが、一路北上した榎本艦隊は最後は五稜郭にて志ある者の大半が討死します。

討幕の英雄三傑、慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚のその後

徳川軍崩壊に大きな功績のあった第15代最後の将軍慶喜公は、元幕臣が生活にも困窮する凄惨を舐める中、豪邸で悠々自適の暮らしを送り、やがて明治政府の要職にも就き、明治時代を生き残り、大正二年に没します。

勝海舟も明治政府に厚遇され、要職も歴任し、恵まれた余生を送り明治32年に没します。

榎本武揚は自分が連れ出した志ある者どもが尽く戦士を遂げる中、自身は降伏し一応、しばらく牢獄暮らしとなります。その後は大出世を遂げます。幕末の欧州留学時代には自ら軍艦の購入交渉をまとめたり、ドイツ最大の財閥クルップの総裁とも面談、バリバリのエリートだった訳ですが、明治政府でも外交交渉をはじめ、各分野で重責を担い、多くの省の大臣職を歴任、明治41年に没します。

薩長土肥側の志士と言われた人々の大半が明治維新後数年以内に非業の死を遂げたのとは対照的です。

徳川家乗っ取り作戦、討幕派のリーダーを徳川将軍に

徳川家を倒す作戦の要は討幕派のリーダーを将軍にすることでした。そもそも慶喜公は一橋家に養子入りしたとはいえ、水戸徳川の出自です。家康公の血を引き将軍継承権をもつわけですが、水戸徳川は桜田門外の変を起こしたばかりでなく、先鋭な討幕派であり、政権は武力で倒すもの政敵は殺せばいい、という過激な思想を持ちます。水戸学派の親派は全国に散り、彼らが討幕のネットワークを構築します。吉田松陰は水戸学派の言ってみれば下っ端ですが、このネットワークには大物が加担しています。禁裏にあって大きな影響力をもつ岩倉具視、討幕令を偽造した張本人です。他、島津斉彬、山内容堂、松平春嶽らです。松平春嶽は福井松平家当主ですが、薩長土肥の武装集団よりも重要な役割を果たします。新生明治政府の財務を握る重鎮です。明治維新は福井の金で実現した、と言ってもいいほどです。明治政府のお札が越前和紙でつくられたのは偶然ではありません。福井松平家が地元の名産品でお札をつくったのです。松平春嶽は京都守護代の人選の際に執拗に会津松平容保を推しました。天保の大飢饉により奥羽越の諸家は大変な危機にありました。江戸の米市場を押さえる有力な勢力であった仙台も疲弊し、明治維新に対しておそらく最後まで徹底抗戦するであろう有力諸家が困窮しているところへ莫大な出費を要する京都守護代の任を押し付けたのです。会津は財政破綻を覚悟で京の守護に乗りこんだのでした。時々、どこかでテロ事件を起こす薩長側の方が、常に大兵力を動員して各地を警備する守護代より遥かに低コストでオペレーション可能でした。松平春嶽は「松平」家ですから徳川の縁者であり、将軍継承問題にも干渉します。島津家は関ヶ原で家康本陣に突撃し、戦後の交渉でも一歩たりとも領土を譲らなかった徳川最大の敵でした。ところが島津家は徹底的に訓練した子女を公家や諸大名と縁組させ血縁ネットワークを広げます。公家から正室をもらう将軍家と島津家は只ならぬ血縁の絆で結ばれていきました。病弱な子が続く将軍家を後目に健康爛漫、ポコポコと子を産み続け教養も高い島津家血縁ネットワーク軍団は評判よろしく、ついには将軍様正室に篤姫を送り込み、大奥の権力の頂点を握ります。将軍家継承問題に干渉するという半端なレベルではありません。最高レベルの実権を握ったのです。篤姫は島津斉彬の実の娘との噂もあるそうですが、超エリート諜報員として同期の小松帯刀らと共にあらゆる訓練を受け、非常に有能だったとされています。公家に嫁入りし、宮中での術数に長ける諜報員、幾島が付人として大奥に入り、江戸市中には連絡員として諜報員西郷隆盛が赴任します。彼らを束ねる大久保利通ら、わずか数名の工作部隊だけでも徳川家中枢への強い影響力を持つに至りました。

密貿易で荒く稼ぐ島津家と使用人坂本龍馬

島津家は税金のかかる米よりサツマイモを領民に食べさせ、米で測る石高にしては強大な兵力を動員できましたが、古くから外国勢力との密貿易によって財政を支えていました。当然、非合法取引ですから実務は土佐の荒くれな海男にやらせます。その中で商才を顕したのが坂本龍馬です。彼が薩長を仲直りさせたのではなく、元々、島津家の武器密輸の実務を担当する雇われ人だったのです。毛利に売ってこい、となれば毛利に売るのが仕事です。歴史小説では長州人が先陣を切り、当初、幕府側にいるように見えた薩摩が討幕へ方針を変えていくように描かれますが、歴史上は逆です。薩摩は最初から徹頭徹尾、討幕派の中心であり、訳あって長州を巻き込む必要があったのです。日本の事実上の植民地化を狙う英国とも早くから交渉がありました。土佐山内容堂は、領内のいってみれば不良のようにも見える徒党が島津家の密貿易業務に就くのを取り締まらず、むしろ家臣として登用するようになります。また長崎出島に近い肥前鍋島家も外国商人とのパイプが太く薩土肥連合の絆は早くから結ばれていきました。長州を巻き込むには時間と手間がかかります。そこが逆に歴史小説のネタになるドラマになっていきます。

ちなみに坂本龍馬はグラバー商会の資金と船を預かり海運業を営みます。積荷は武器などです。要するに密貿易の使用人から武器商人に昇格したのです。帳簿係りが岩崎弥太郎。龍馬暗殺後、後を次いだ岩崎弥太郎は大阪に九十九商会(つくも)を設立します。同じく資金と船はグラバー商会から提供され廻船業を営みます。これが後に三菱となります。グラバーは家康指南役ヤン・ヨースティン邸宅跡、名前を縮めて八重洲ビル(場所は丸の内)から毎朝、馬車にのって三菱各社を視察していました。私が就職した時、八重洲ビルは三菱商事本店、私がいた三菱商事ビル別館は、旧三菱商事(九十九商会を継承する三菱。戦後の三菱は別法人で、新旧二つの三菱が存在していました。)の本店でした。

明治維新の金の出どころ〜 福井松平家

鎖国令というのは出たことはないのですが、貿易制限は実在しました。日米修好通商条約の発効により貿易自由化の方向へ進みだしたころ、素早く稼いだのが福井松平家です。トーマスグラバーの入れ知恵により、特産品である絹織物の量産体制を整備します。作りさえすればグラバー商会が売りさばくのですが、このやり方は今日でも続いています。宇宙船や戦闘機をつくるのにカーボンファイバーが使われますが、あれを織っているのが福井の普段、着物の生地をつくっている業者です。今日、近江商人が呉服の商いを牛耳っていますが製作は今もこの福井の組合が受託しています。福井の製造者の組合は明治維新前から物をつくるだけで流通を押さえられています。所謂、商社金融方式で、原材料仕入れも製品売掛債権の回収も全て資金繰りの面倒をみてもらう代わりに、自社営業を禁じられています。 さて、グラバーから買った印刷機を使って越前和紙で藩札をつくり、桑を育てる農家や養蚕業者、絹を扱う職人や織り機をつくる職人など、各事業を整備するのに必要な資金は文字通り紙切れに与えた信用で築きます。こうして他家に先駆け事実上の独占貿易の利を得た福井松平家は薩長など他家を圧倒する財力をもつに至り、討幕資金の提供者となったばかりでなく、新政府の貨幣もつくり財政を支えます。 特産品の絹製品の輸出により外貨であるポンドを手にしましたので、グラバー商会から英国製の武器を購入する決済に使うことができます。 一方、新政府が越前和紙でこれがお金なんですよ、と勝手に紙切れに信用を与えることで、それを信用した人々の間で貨幣として流通することで国内の財政を成立させることはできますが、新政府軍が戊辰戦争のために大量購入した元込め式新型ライフル・エンフィールド銃の代金はやはりポンドで用意しないといけません。越前和紙を印刷しただけでは売ってくれません。この外貨資金の提供者が明治維新の最大のスポンサーであり黒幕ということになります。

日本に最初に開設された銀行はセントラルバンクオブウェストインディア、通称オリエンタルバンクの横浜支店ですが明治維新の5年前にオープンしています。薩英戦争の年であり英艦隊に支払う賠償金をポンドで幕府に貸付ます。明治政府はこの銀行に600万ポンドの債務を背負い、借金返済のために富岡製糸工場の悲劇などが起こっていくわけですが、この債務は江戸幕府が薩英戦争や長州が招いた下関戦争などの賠償金を英艦隊などへ支払うために借りていたものを明治政府が引き継いだものがメインで明治政府としての新規の借入も行っています。 一方、日米修好通商条約が発効するや幕府は漁村に過ぎなかった横浜を港として開発することに決め、その翌年、つまり明治維新の9年前には早くもジャーディンマセソン商会上海支社の横浜支店が開設されさらにその翌年には「英一番館」として事業所建物も完成しています。英一番館オープンのころ、福井の藩札が発行され絹製品ギルドが量産した商品を横浜から輸出し稼いだ外貨で武器を購入というお金の流れが動き始めます。明治元年には福井松平家家臣の吉田健三が支店長に就任、絹糸の輸出と軍艦や陸戦兵器の輸入に奔走します。戊辰戦争真っ盛りのころですが外貨をもたない新政府は結局、福井の特産品絹糸の輸出で外貨を稼ぎ兵器の購入資金を確保したのでした。この吉田健三の養子の吉田茂は幼少時に当時の金額で50万円以上という莫大な遺産を相続し、大磯の巨大な別邸も手にしますが、第二次大戦敗戦後の日本の方向を決めた時代、総理大臣を務めることになります。 なおトーマスグラバーはジャーディンマセソン商会の長崎での代理人として事業を起こした人物です。

明治維新の大まかな流れ

主な登場人物がある程度そろったところで、全体の流れを押さえていきます。

鳥羽伏見の戦いが明治元年とされます。

黒船来航はその15年前です。

阿片戦争は更にその13年前に始まり2年で勝負がついています。

黒船来航を機に、水戸徳川によって海防の建白書が奏上されます。海の守りを固めましょうという当たり前の話ですが、この建白書が討幕プラン実行開始の号砲となります。

(黒船  元年) 世界大戦クリミア戦争勃発 露仏は総動員で日本どころではなし

(黒船 +2年) 長崎海軍伝習所開設 討幕派集結、卒業生が各地でテロ活動を展開

(黒船 +5年) 安政の大獄はじまる 討幕派へ大打撃

(黒船 +6年) 安政の大獄の一環として討幕派拠点、長崎海軍伝習所閉鎖

(黒船 +7年) 桜田門外の変 討幕派慶喜を将軍に推す勢力が反対派をほぼ排除

(黒船+10年) 薩英戦争、島津家領内が英軍をバックに討幕戦へと意志統一

           幕府が賠償金建替、予算を得た英東洋艦隊が日本をうろつく

(黒船+11年) 神戸海軍操練所開設 福井松平家大規模投資 討幕派の一大拠点

     卒業生らが禁門の変に参加、翌年操練所閉鎖、責任者の勝海舟罷免

     高杉晋作ら奇兵隊、外国船砲撃、馬関戦争により英軍が長州領一部占領

     グラバーが英国留学させた伊藤博文・井上門多を英軍が長州へ送る

     第一次長州征伐

(黒船+13年) 第二次長州征伐 14代将軍・攘夷派の天皇急死 翌年解兵

(黒船+15年) 第15代将軍慶喜、島津軍陣地へ攻撃命令、鳥羽伏見の戦い勃発

(黒船+2年) 長崎海軍伝習所に討幕派集結

長崎海軍伝習所には、勝海舟、榎本武揚をはじめ、全国から討幕派のエリートが集まります。長崎の地には坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、トーマス・グラバーら、明治維新の役者たちが一同に会します。討幕派が集まったという一面と、集まってから討幕派に加わったという一面もあり、この辺りは微妙です。結果的には集まった人々が討幕派になっています。伝習所といっても遠洋航海、海戦、造船から砲や火薬の製造、医学に航海術、海軍をつくるのに必要なあらゆることを実地でやるのですが、遠隔地との暗号による交信など、討幕活動にそのまま応用できるもの一切を含んでいます。教官はオランダが誇る重鎮がズラリ数十人。総力を挙げて最高レベルの人材を投入してきました。インドシナでは現地食糧を作らさずに自分たちの貿易の稼ぎになる工芸作物ばかりを作らせ飢餓輸出による餓死者が続出しても放置、反乱が起これば武力で鎮圧するという人々が日本人には親切に海軍の作り方を教えてくれる、わけはありません。 そんな甘い連中ではありません。 これは絶対をつけても。

国を乗っ取るネットワークをつくったのです。

彼らは流石に永年、日本との交易を通して諜報活動に長じただけあって、この国に脈々と流れる政権交代の震源を見抜いていました。どこを叩けば小さなエネルギーだけでも大きな地震が起こるのか。 将軍家周辺、天皇家や公家、各大名など表向き対立するかどうかにかかわらず、各々の勢力に属する特定の人々を横糸で束ねる鍵を握ったのです。南朝を正統とする水戸学派を揺り動かせば、各組織に潜む南朝派を束ねることができます。そこへ資金と武器を提供、諜報支援や艦隊による威嚇などを組み合わせれば、この国を乗っ取らせる手先となる結社を編成できる、その要員を集めて徹底した工作活動の訓練を実施します。

肥前佐賀の鍋島家も長崎海軍伝習所に人材を送り込みますが、わざわざ同様の施設を鍋島家領内にもつくり徳川海軍と拮抗する海上戦力を保持するに至ります。 この教官の中にオランダ人フルベッキがいます。女学院の名前として今も残る米国の宣教師フェーリスの弟子です。この人物こそ、討幕派を束ねた張本人とみられています。東京駅がなぜアムステルダム駅のコピーなのか。なぜ天子南面するこの国において、国家元首たる天皇が外国の要人を歓迎する際に、日出づる東の方、アムステルダム駅へ、つまり「上(かみ)」へ向かって僥倖するのか、なぜ途中にトーマスグラバーが毎日馬車で視察する丸の内の大企業群の真ん中を通るのか。 フルベッキが明治維新前に直接指導した工作員は3分の2が鍋島家の家臣ですが、明治維新成立後ほどなく佐賀の乱というおそらくでっちあげの反乱の疑いにより大半が逮捕され弁護機会なき密室即決裁判により直ちに死刑が執行されました。そのため、歴史小説としての明治維新には薩長土肥と言う割には肥前の人が登場しません。鍋島海軍の新鋭艦が活躍した時、日本では唯一の榴弾砲であった鍋島家のアームストロング砲が江戸に籠る徳川方の勢力を蹴散らしたことなど、目につくエピソードの時だけ肥前の名前が登場します。 明治維新に参加した人物の大半は、維新成立後に速やかに粛清され、生き延びたのはごく僅かです。

長崎海軍伝習所開設後1年、有能な人材の一部は欧州へ向かい、一部は全国に散り各地でテロ活動を活発化させます。最初は残虐なテロ行為で世相を騒然とさせる、ISやタリバンとやり方は同じです。

(黒船 +5年) 安政の大獄はじまる

島津斉彬は5000の兵をもって上洛、一気に状況を動かそうとしますが、急死します。斉彬の死を合図に大老井伊直弼は討幕派連合に鉄槌を加えます。水戸徳川斉昭、一橋慶喜、福井松平春嶽、土佐山内容堂、ら討幕諸家の当主に蟄居を命じ、討幕連合のまとめ役である橋本佐内を最高レベルの罪人として極刑に処します。佐内は松平春嶽の懐刀でした。100人以上が処罰を受けた安政の大獄は当時の重要人物を軒並み、処刑、投獄、蟄居とした激震でした。

この当時、長州は目立った動きをしていません。長州を無用に刺激しないため、吉田松陰への処罰は軽くなるはずでした。それほどの重要人物とは見られていませんでした。ところが、白洲の場で幕府重臣へのテロ計画をべらべらと喋ってしまい、これは捨て置けぬと極刑に処します。歴史小説では長州や水戸を中心に新しい時代を作ろうとする志士の活躍があり、これを古い体制を守ろうとする井伊直弼が弾圧したというイメージで語られますが、実際は逆です。長州では領内でさほど影響力のない一部勢力が騒いでいただけ。力をもつ討幕派は島津、福井松平、水戸徳川、土佐山内、肥前鍋島、そして禁裏の岩倉具視らです。討幕派は尊王攘夷を叫ぶ王政復古派であり、古い伝統を前面に押し出しています。尊王ですので、幕府中心の体制にとっては反動勢力となります。一方の井伊直弼は開国派です。独断で日米和親条約、そして日米修好通商条約を締結しました。当時の米国には日本侵略の余裕はなく、基幹産業であった捕鯨産業のためにクジラが回遊するルートに近い伊豆下田を捕鯨船の補給基地として真っ先に開港を迫ったものという事情を見抜いていました。

安政の大獄の最大の争点は将軍お世継ぎ問題です。討幕派の水戸から慶喜を将軍に据えようとする王政復古派と、普通に徳川家の存続を図る紀州家から徳川将軍を出そうとする開国派の井伊直弼の戦いです。

(黒船 +6年) 討幕派拠点、長崎海軍伝習所閉鎖 

徳川海軍創設のために創立した海軍伝習所が何のことはない討幕派の拠点となり、オランダの工作員が指導をしている、井伊直弼は伝習所閉鎖を命じます。当時、阿片戦争で猛威を振るい、日本にも艦隊を派遣し陸戦隊で上陸戦をかけてくる可能性があるのは英国だけです。クリミア戦争で総動員体制の露仏はそんな戦力をさけません。そこで徳川海軍および新設された騎兵銃隊を主力とする陸軍の指南役としてフランス軍人と顧問契約を締結します。

(黒船 +7年) 桜田門外の変 

水戸浪士を中心に島津家浪士を加えた一団が井伊直弼を暗殺、ここに徳川本家において討幕派の慶喜の将軍就任を拒める勢力は消滅します。島津家や福井松平家の当主の方が、家康公の血を引く誰かと血縁があり、徳川本家家臣団よりよほど影響力があるわけです。ましてや大奥のトップに篤姫を送り込んだ島津家は圧倒的な影響力を持ちます。15代将軍慶喜誕生と徳川崩壊は時間の問題となりました。後は、14代将軍、さらに将軍と気脈を通じる攘夷派の天皇がこの世から消え、次期天皇候補の血統を抱える長州を討幕派に巻き込むことです。 もう一つやるべきことは、英東洋艦隊を招き入れ、その活動資金を幕府から拠出させることです。そのため生麦事件が勃発します。

(黒船+10年) 真打ち英東洋艦隊登場し薩英戦争、島津家領内の意志統一

攘夷というから英国人を切り捨てたんだ、と。薩摩示現流の使い手により生麦事件が起こります。待ってました、と英東洋艦隊が大挙押し寄せ、島津家領内に猛烈な艦砲射撃を加えます。神風吹く台風の中、陸上砲台から砲撃する島津側も善戦はしますが、街の一部を焼かれた島津家領民は英艦隊の圧倒的な火力の威力を見せ付けられます。それまでは殿様と一部エリート諜報部員や密輸部隊が暗躍していただけの島津家は大規模な兵力を動員したわけではありません。薩英戦争によって上から下まで、英国艦隊の軍事力に対する畏怖の念から敵にするよりバックにつけるという方針が受け容れられ、総動員による討幕戦の方向へ領内の意志統一が浸透します。そして賠償金は徳川家に払わせます。これで英艦隊は俄かに日本近海での軍事行動を活発化させます。徳川家は立替えた、という建前でしたが島津家は徳川家への返済を踏み倒します。徳川家も英艦隊に払う賠償金となるとポンドで用意する必要があり、これは英国の銀行から借り入れます。既に徳川家も英国戦略の手の平の上を転がっていたのです。

(黒船+11年) 神戸海軍操練所開設 福井松平家大規模投資 討幕派の一大拠点

英東洋艦隊は兵庫港の開港を要求し、大阪湾に居座ります。当時、兵庫に大きな港はありません。英東洋艦隊の目的は徳川の大阪城と、砲弾は届きませんが陸戦隊が2〜3日で突入できる距離にある京の都にいる攘夷派の天皇への威嚇です。 そこへ勝海舟が動き、神戸海軍操練所を開設させ、徳川家からの投資以上に、福井松平家からの投資を招き入れます。グラバーとの絹の貿易で儲けた資金を次は英国が開港を要求する港を作るために投じたのです。周辺施設への莫大な投資が続き、今日の国際貿易港神戸の礎が築かれます。この港で外航船と艀の間で荷を積み下ろしする甲仲士と艀と桟橋の間で荷を積み下ろしする乙仲士が生まれ国外とのやり取りの現場業務ですので表向きでない取引にはうってつけです。この組織が多いにご発展され今日でもあまり合法的ではないお仕事をされる最大の組織としてご活動されています。ちなみに港での麻薬密貿易を取り締まる凶悪犯罪専門組織が今日の厚生労働省の中核となり今もそのままの名前の部署が実在しています。操練所には勝海舟の他、坂本龍馬も集い、やはり全国から討幕派の活動家が集結します。 長崎に続いてまたか、と徳川家は勝海舟を問い詰めますが、各地のテロ活動が一気に燃え上がり、次々に事件が起こり、操練所は翌年には閉鎖されます。

卒業生らが禁門の変に参加、翌年操練所閉鎖、責任者の勝海舟罷免

操練所ができてほどなく禁門の変(蛤御紋の変)が勃発、これに操練所練習生が参加したため大問題になります。そもそも御所に砲弾を撃ち込んだのですから、長州に対する征伐論が沸き起こります。

高杉晋作ら奇兵隊、外国船砲撃、馬韓戦争により英軍が長州領一部占領

松下村塾の塾生の多くが討死した禁門の変とは別働隊として行動した高杉晋作ら奇兵隊は、天皇も幕府も攘夷って言うんだから、と外国船を砲撃します。前年に活動資金を得た英東洋艦隊を大挙呼び寄せることになります。直ちに馬関戦争となり長州軍は惨敗、英東洋艦隊は陸戦隊を上陸させ一部領土を占領、砲台を破壊、資産の没収、更に婦女子への暴行など彼らのやり方、「恐怖を植え付け、言うことを聞かせる」基本行動を取ります。

グラバーが英国留学させた伊藤博文・井上門多を英軍が長州へ送る

長州は窮地に陥ったというより当然そうなるべくそうなったのですが。英国側は艦隊を送り込むタイミングに合わせて伊藤博文と井上門多を長州に送り込みます。元々、グラバーがロンドンへ留学させていたものでした。もちろん、留学資金はポンドでしっかりと払わせます。相手をとことん利用して国を乗っ取る手先として使うためにでも費用は相手に払わせる、これが英国紳士の流儀です。恰好のタイミングで帰国した(英国が送り込んだのですが)両名を長州では通訳として起用、彼らは英国が高杉晋作を出せと言ってると伝えます。高杉晋作はただ一方的に英艦隊側の要求を受け入れたと記録にありますが、歴史小説では長州を救った英雄として描かれています。賠償金は徳川家に払わせる、この土産を手に高杉晋作ら奇兵隊は防長二州領内での影響力を増す努力を尽くしますが、そう簡単にはいきません。最初から殿様が討幕派の当事者だった薩土肥や福井松平家と異なり、長州領内の意思統一には最も時間と手間がかかります。 第一次長州征伐では一部重臣の切腹となりますが、討幕派にとって反対派一掃までにはまだまだ戦いが続きます。ここはかなりのドラマ性がある物語となりますので、歴史小説の恰好のネタになります。歴史上は先をいく島津などが、はよこいや、と長州の準備が整うのを待っているのですが、歴史小説では長州の少数勢力だった奇兵隊らが領内の権力を掌握するプロセスを中心に描き、そこへ今ひとつ腰が重い薩摩を巻き込むようなストーリーになっています。そのため、薩長をつないだんだ、ということで武器商人坂本「龍馬」を英雄「竜馬」として美化する必要があったのです。

(黒船+13年) 第二次長州征伐 14代将軍・攘夷派の天皇急死 翌年解兵

奇兵隊による領内統一が進み、外国製の武器を坂本龍馬が業務代行するグラバー商会から購入した長州の寄せ集め軍団はかなりの戦闘力をもつレベルに成長しました。そこへ第二次長州征伐が始まりますが、ここで大活躍する長州新興勢力は完全に領内の実権を握ります。島津家は静観。徳川家が軍事力を見せつけ、長州を圧倒するはずが勝海舟率いる海軍は大島に居座り、全く動きません。対岸の高杉晋作率いる第二奇兵隊もまるで動きません。両軍が協力して田布施町に匿う南朝直系の貴種、つまり次期天皇候補を護っていたという説があります。毛利家は代々、足利将軍や三条家など、時勢によっては天下人となる血筋でありながら反主流派に貶められ、都落ちする貴種を匿う習性があります。田布施町は代々、毛利家に仕える忍者の家系である伊藤家の本拠地があり、暗殺を本職とする博文が初代総理大臣に就任しています。自身が暗殺された際のヒットマンが残した罪状告発の条、第一は「自ら天皇を暗殺した罪」とあります。田布施町出身の総理大臣は他にも二人。岸伸介と佐藤栄作です。日本を代表する3人の首相を輩出した小さな町。 この町の出身ではありませんが、岸伸介氏と佐藤栄作両氏を大叔父とするのが現職の総理大臣です。なお資金の出どころ福井松平家家臣であった吉田健三氏(ジャーディンマセソン商会横浜支店長)の養子である吉田茂氏は戦後の首相となりますがその奥さんは大久保利通の孫、親族・血縁を辿ると麻生太郎氏(明治天皇とも直系ではありませんが血縁があります)、鈴木善幸氏らとも血縁があり、少し横にすべる遠縁となりますが岸信介氏や佐藤栄作氏とも血縁があります。藤原摂家直系の細川護熙氏らも血縁でつながっています。

第二次長州征伐は討幕派の罠であり、乗ってはならない、とする反対意見を押し切り、大阪まで出陣した第14代将軍本人と将軍と気脈を通じる時の天皇は相次いで謎の変死を遂げ、ここにほぼ完全に討幕将軍慶喜誕生の期が熟します。なお、この時期の伊藤博文は天皇を暗殺できるような位置にはいません。結局、長州征伐は討幕派統一に力を貸しただけに終わり、翌年、解兵となります。

(黒船+15年) 第15代将軍慶喜、島津軍陣地へ攻撃命令、鳥羽伏見の戦い勃発

主だった敵が消え失せた状況で慶喜が将軍に就任するや1年ほどの間に徳川解体が一気に進みます。禿鷹ファンドの辣腕ファンドマネージャーの如く、徳川の主要資産を次々に新政府軍に譲渡します。

明治政府の正体

新政府誕生後、政権の中枢を握る要人の大半が岩倉具視使節団に随行し、米英に長期滞在し、みっちりと「教育」を受けます。フルベッキは数百人のエリートを自身が卒業した米国のビジネススクールに送り込み、日本の官僚の人材を揃えます。南朝復興を旗印に大同団結した討幕結社だったはずが、当の天皇は国会での「南朝が正統」発言など、本人が南朝と考えなければ辻褄が合わない言動を繰り返しますが、表向きは北朝の天皇ということになっています。真相を知るはずの長崎海軍伝習所時代からの同士はほぼ互いに暗殺合戦で倒れ、生きのこった者はわずかです。 ISやタリバンも真っ青の残虐なテロ行為を繰り返していた志士たちは新政府の要人となるや日本の伝統の破壊に躍起になります。廃仏毀釈令をまともに実行していれば法隆寺や四天王、また実際に潰される寸前だった姫路城を始め、日本の伝統的な建造物は一つも残らなかったでしょう。日本の民衆は新政府に猛反発し、多くの伝統遺産は守られました。廃仏毀釈もまた、ISやタリバンがシリアの数千年の歴史を誇るパルミラ神殿や洞窟の大仏を破壊したのと同じ行動原理に基くものです。 日本語も徹底して改造されます。 卑弥呼は「ふぃヴぃぃくぅぁぉ」というような発音だったのですが、これが「ヒミコ」に変えられます。 日本人の精神を骨抜きにするため、言葉と音、歴史の改竄が断行され、男女の自由な交わりにも恥ずかしいものとの決めつけが行われ混浴にも規制がかかります。 多民族国家日本における少数民族は無きものとされ単一民族国家ということにされ、今日アイヌ民族のみが国会でも存在を認められた少数民族ですが、それ以外、サンカ、隼人ら、数々の民族は歴史から消されたままです。 要するに文化大革命が断行されたのです。

列強は直接支配による植民地化のかわりに間接支配の手法を取りましたが、まず器用な日本人には高品質な絹製品など、世界市場で高く売って儲かる特産品の量産を要求します。過酷な労働を嫌う一般民衆から労働者のなり手がでてこず、権力階層が列強のご意向に応えるべく自分たちの娘を指し出します。富岡製紙工場の女工哀史はこうして生まれました。表面的には植民地化を逃れたようにみえても、植民地に課される過酷な重労働を強いられ、こうして生産された特産品の交易により英国商人が莫大な富を得たのです。

日本は短期間で富国強兵を実現した。それはそうですし、日本人は有能であったことは事実であり、何といっても超大国ロシアと戦い、当時の戦争の定義からすれば賠償金を取れなかったので「引き分け」なのですが、戦闘には次々に勝利を収めました。 旅順港陥落、ロシア太平洋艦隊全滅、パルチック・黒海連合艦隊全滅、奉天大会戦での大勝利等、アジア人が世界第一位の陸軍国と真っ向正面勝負の大会戦で勝ち、要塞戦でも勝ち、世界第二位の海軍と艦隊決戦で圧倒的勝利を得たことは、全アジア・アフリカの人々にとっては狂喜乱舞の大フィーバーとなったとされています。 と言っても内情は。 大国ロシアと闘う戦費22億円(国家予算は8800万円)はウォール街の大物ヤコブ・シッフに全額引き受けてもらいます。高橋是清がロンドンへ向かい、ヨーロッパの大資本家の米国での代理店であるクーンローエブ商会の代表者シッフと会い、一発で戦費を賄ってもらいました。この資金で英国製の兵器などを購入するのですが、バルチック艦隊を撃破した連合艦隊の艦艇はほぼ英国製です。何のことはない、戦争債を引き受けて払った金は、自分たちが株主であるヴィッカース社などが製造する兵器代金としてぐるぐる回っているのです。 結局、列強の資金で列強の兵器を買って、それで日本人が血を流して戦争をやったわけです。日本政府発行の戦争債を引き受けたシッフは他の投資家にも転売します。過半を買ったのがハリマン氏です。鉄道財閥であるハリマン氏は当然、満州鉄道の利権を要求しますが、日本政府が断り、大きな禍根を残し第二次大戦への伏線となります。ハリマン家の支配人、つまり雇われ経営者を代々務めたのがブッシュ家です。親子二代、米国大統領となったブッシュ家です。選挙資金はハリマン家からの寄附、選挙対策委員長もハリマン氏です。ハリマン家は石油財閥と世界初の持ち株会社サザンインプルーブメント社を設立、一夜にして鉄道・石油連合財閥が誕生し、自社石油の輸送費は半額、他社石油の輸送費は倍増とします。この突然の奇襲にライバルは倒れ、世界の石油ビジネスを独占するスタンダードオイルが誕生します。

米国の御家の事情

米国は南北戦争で忙しく、ペリーやハリスも南軍との海戦で有名を馳せた提督です。当時、米国では捕鯨事業が基幹産業となっていました。「油」の主たる供給源だったのです。クジラを片っ端から捕まえては、ぶった切りにしてぐつぐつとお湯で煮て浮いてきた油をすくいます。あとは捨ててしまいます。小笠原群島はクジラの十字路であり、捕鯨船が立ち寄っていました。そのまま放置すると米国領となっているところでした。これは徳川家が奪回します。クジラの回遊ルートに近い伊豆下田の開港を迫ったのは日本占領への序曲というより、基幹産業のために寄港地を確保するのが目的でした。ところが、折しも石油産業が勃興し、更に大豆の搾油による食用油の量産も広がり、捕鯨産業は急速に萎んでいきます。米国にとっては日本進出はとりあえず先延ばしとなります。

南北戦争は産業構造の転換によって勃発しました。南部では黒人奴隷を使って綿花を栽培し、これを英国へ輸出し、英国では機械によって綿糸を紡ぎます。勃興してきた北部の五大湖周辺の機械産業が労働力を求めるようになります。当初、劣勢だった北軍は機械力に物を言わせ、最後は南軍を圧倒します。そしてミシシッピ川を利用して南部から黒人奴隷を吸い上げ北部工業地帯へと移住させます。ちなみにエイブラハムリンカーンは、若いころ、ミシシッピ川で輸送船を操船し、荷物や奴隷を運んでいました。 北部工業地帯の興隆に伴い石油産業が大量の燃料を供給します。ところが、黒人奴隷は農業には向いていても、工場労働には余り向いていないという評価になっていきます。農場での作業は必ずしも迅速な作業効率を要求するものではなく、むしろなるべくコストをかけずに季節の変動に合わせて作物が育つのを手助けするというもので、動かしようのない時間に遅れなければいいのです。ひたすら作業効率を求める必要はありません。 むしろ可能な限り自給自足で必要経費を抑え、黒人奴隷自体も交配所で「生産」されていました。都市に住む工場労働者とは生活スタイルも仕事のやり方もかなり異なります。 俄然、精力を伸ばしてきたのがデラノ財閥です。

工場労働向きの中国人苦(クーリー)を大量に北部工業地帯へ送り込みます。デラノ財閥が大統領として送り込んだセオドア・ルーズベルトは日露戦争の調停役を買ってでますが、なぜ日本とロシアの戦争に米国大統領がでてくるのか。日本の戦争債を引き受けたのは英国投資家ですが引き受けた戦争債を主に販売した相手は米国の名だたる財閥であり満州鉄道の利権に興味をもつ勢力です。日本が戦争債を償還できなければ最大債権者として徹底して利権を要求できますので、日本がロシアから償還原資となる賠償金をとれなくする、これが米国側のご都合なわけです。 その後時間が経過し、米国北部工業地帯は世界を圧倒する巨大工業地帯となり、労働者を送り込む人身売買事業も巨大化しました。次の策は中国にコピー工場をたて、中国人をこき使って物を作らせることです。そこでデラノ財閥はフランクリン・デラノ・ルーズベルトを大統領に送りくこみます。中国での利権譲渡を日本に要求するハルノートをつきつけ、金で雇った中国人の軍隊「国民党軍」と米国軍をみかけ上退役させて給与はそのまま米国が払い続けた「民間ボランティア団体」フライングタイガー戦闘機部隊を送り込み無理やりでも日本を全面戦争にひきずりこむ手もうっていました。中国を米国のための工場にする(北部工業地帯は失業の嵐となりますが、そんなことは気にしない人たちです)これがうまくいくなら日本人は不要になるので原子爆弾を大量投入して抹殺する、そうしたプランによって太平洋戦争への仕掛けを始めます。相棒はフィリピン植民地の利権を握るマッカーサー一族の長、ダグラス・マッカーサーです。この将軍も当初は、日本人は原子爆弾数十発を落として抹殺すればいいという意見でした。彼らの先祖はインディオを徹底して研究し、何をやっても精神を失わないという結論に達し、抹殺することを決めました。実際に、おとなしいナバホ族以外はほとんどこの世から消えます。馬がいなかった北米に騎馬隊を持ち込み、圧倒的な機動力でバッファローを虐殺しました。中西部のインディオはバッファローの肉を食べ、乳をのみ、皮や骨、糞までも利用して生活の糧にしていたのでこれを全滅させればインディオも滅ぶという発想です。こういう連中ですから、他の民族は、利用できるなら利用する、できないなら抹殺です。 日本人は精神性は抜群に高いが外来文化に寛容なのでうまく骨抜きにでき、工場労働者として物を作らせればいい、という一派と、いや中国人をつかえばいいというルーズベルト派が対立したまま太平洋戦争へ突入します。日本は明治維新によって植民地化を逃れたのではありません。どういう形で利用するのか結論を先延ばしにされただけです。沖縄戦が終われば、マッカーサーは上海へ侵攻し、中国を植民地化する予定でした。ところが沖縄戦の最中にルーズベルトが急死し、対日戦略も見直され、上海侵攻も延期されます。ルーズベルトは原爆投下の正式な意思決定前に急逝し、突然、重責を担わされた副大統領だったトルーマン大統領は強引に原爆投下の承認をさせられますが、広島、小倉へ向かった爆撃機が、実際には広島、長崎に投下後、3発目以降の投下を明確に拒絶します。 日本はぎりぎりのところで最悪の事態はまぬかれたのです。2発は投下されてしまいましたが。。。
https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/etcetera/%E8%A1%A8%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%9F%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%80%80%EF%BD%9E%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8/

 

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コメント
1. 中川隆[-13890] koaQ7Jey 2020年2月11日 02:20:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-519] 報告
2020年02月06日
明治維新の美談はウソだらけ! テロやり放題でも「正義」だった黒歴史
http://web.joumon.jp.net/blog/2020/02/3656.html

「降る雪や明治は遠くなりにけり」は1931年に中村草田男が詠んだ作の一句です。明治維新から63年が経っていました。この年、近代化の象徴である鉄道網計画の中であった清水トンネルが9月に開通しました。このトンネル開通は戦前の国定教科書にも取り上げられました。このトンネルは川端康成の『雪国』の冒頭のトンネルのモデルになったともいわれています。

こういった近代化の一方で同じ9月に柳条湖事件と呼ばれる鉄道爆破事件が日本の関東軍の謀略によって引き起こされました。満洲事変の勃発です。この年は軍国日本の侵略・拡張主義が前面に出てきた年にもあたります。

草田男は当時の日本のきな臭さ、息苦しさを感じて、明治の健全だった(と思われている)精神を懐かしみ、それが失われていくことを嘆じたのでしょうか。

こう回顧される明治を作り出した明治維新はどう考えられていたのでしょうか。

講談社BOOK倶楽部http://news.kodansha.co.jp/20170923_b01より

──誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じ込まされていた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのである。──

この明治維新観は、原田さんによれば「官軍教育」で作られ教え込まれたものということになります。官軍教育とは勝者によって解釈され、綴られた歴史解釈のことです。この官軍教育で無条件に正義とされた明治維新観に根本的な疑問を投げかけ、批判をしました。 原田さんが追ったのは、幕末の“志士”と呼ばれた人たちの実態であり、また倒幕戦(鳥羽伏見、上野、会津、奥州等の戦争)の実態でした。

「長州藩士、薩摩藩士を中心とする『尊皇攘夷』派の『志士』たち」の実態とは端的にいえば「テロリスト」というものでした。幕末のテロリストというとまず新選組の名があがるでしょう。ですがテロリストは幕府側だけではありません。倒幕派の中でも人斬りの異名をとった4人、田中新兵衛、河上彦斎、岡田以蔵、中村半次郎たちはテロリストと呼ばれていました。

ですが、彼らだけではありません。天誅を叫んで暗殺に走った無名のものや、さらには明治の顕官となった伊藤博文、山県有朋、非命のうちに倒れた西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らも「現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちであった」のです。

さらに維新の原動力となった志士、その志士たちのバックボーンともなった吉田松陰の実態も厳しく批判されています。私たちが抱く松陰のイメージは松下村塾で有能な若者を育成した教育者・思想家として知られていますが、それは「明治がが立してから山県有朋がでっち上げた虚像」なのだと。むしろ「乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない」と。ちなみに松陰が多くの弟子を育てたという松下村塾は松陰の叔父の玉木文之進の私塾でした。松陰=松下村塾というイメージも後から作り上げられものだったのです。

幕末・維新の姿がこの本を読むと一変します。そもそも江戸時代を鎖国だったというのも明治以降につくられた説だともいわれています。最近の文科省の学習指導要領でも「鎖国」という言葉が消え、「幕府の対外政策」に改められるそうです。あるいは鎖国というものも、孤立した江戸幕府を倒し、近代を作り出したという明治維新の意義を高めることに使われていたようにも思えます。

つまるところ、赤報隊を指嗾して江戸に騒擾をもたらし、武力行使に持っていった長州・薩摩に幕府がのせられてしまったのが戊辰戦争であり、その帰結のとしての明治維新でした。徳川慶喜が将軍でなかったら維新はどうなっていたのかわかりません。この本でも自分の才覚に溺れた慶喜では倒幕派の胆力や知恵に及ばなかったということがいわれています。皮肉にも尊皇思想を育てた水戸家出身の将軍が大政奉還の賭けに出て、思惑通りにいかず破れていった……。

2018年には明治維新150年を迎えます。はじめの77年は近代化、帝国主義、軍国主義へと至る年月であり、後の73年は民主主義の年月といえるでしょう。150年の祝賀が明治維新をいたずらに美化すると、その後に続いた77年の歴史を肯定するような史観が出てくるかもしれません。そうでなければ、昭和の3分の1は間違っていたけれどそれ以外はよかったというような史観が出てくるかもしれません。どちらも明治維新だけは間違っておらず「無条件の正義」だということを出発点にしています。その「維新=正義」に根本的な批判を加えたこの本は、すべての歴史ファン、近代日本に関心がある方には必読だと思います。

http://web.joumon.jp.net/blog/2020/02/3656.html

2. 中川隆[-13889] koaQ7Jey 2020年2月11日 02:33:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-518] 報告

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
2015/1/14 原田 伊織 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E9%81%8E%E3%81%A1%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%97%E3%81%9F%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0%E3%81%A8%E9%95%B7%E5%B7%9E%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E4%BC%8A%E7%B9%94/dp/490162282X


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内容(「BOOK」データベースより)

いまも続く長州薩摩社会。偽りに満ちた「近代日本」誕生の歴史。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

原田/伊織
作家。クリエイティブディレクター。昭和21年京都・伏見生まれ。近江・佐和山城下、彦根城下で幼少年期を過ごし、大阪外国語大学を経て広告、編集制作の世界へ。現在も、マーケティングプランナー、コピーライター、クリエイティブディレクターとして活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー


非君子

福沢理解は全く間違っている 2017年4月18日に日本でレビュー済み

 本書は、私が最近めずらしく興味深く読んだ本の一つである。ただし学術書ないしそれに近い本ではないため、どこまでが真実なのかが検証できないという根本的な欠陥がある。著者がこれまでの歴史認識に本気で挑戦する気があるのなら、出典を明示すべきであった。

 そうした基本的な問題があるが、これまでの「明治維新史」に関する平均的理解に深い疑問を投げかけた点で、小さくない意味はあると思う。特に戊辰東北戦争についての章(第5章)は、私には勉強になった。

 ただし、最終章に出る福沢諭吉に関する理解は完全に間違っている。著者は福沢をほとんど読まずにこれを書いている。

だいいち、「新聞記者は政府の飼犬に似たり」という福沢の文言(307頁)は、福沢自身についてもあてはまるという事実を、著者は知らないだろう。

福沢が、最晩年に至るまで、「〔明治〕政府のお師匠様」(これは福沢による福沢自身についての自己評価)として、どれだけ明治政府に方向付けを与え、かつ明治政府の所業を合理化したか。そればかりか福沢は、新聞記者に対して政府のために口をつぐめと何度も主張している(1880年代前半もだが、特に1894〜95年に顕著である)。

福沢はそういう矛盾したことを、自分を棚に上げて平気で書ける人物である。それに福沢が「抵抗の精神」を常に重視した(306頁)などという理解も、安易すぎる。福沢は、同時代の最大の事件たる「秩父事件」および「足尾鉱毒事件」における人民の抵抗に、明確に敵対した。

 こうした明らかな間違いがあるために、本書の記述を興味深く感じつつも、安易に信じるわけにいかないというのが、私の最終的な評価である。その限り本来3の、よくても4の評価くらいしか与えられないが、今後、出典を明示した決定版を出すことを期待して、5の評価を与えておきたい。


waves

着眼点は面白い。尊王攘夷の志士はテロリストであり、坂本龍馬は英国武器商人の手先であり、彼らは結果として日本史上稀なほど好戦的な政権を生み出し、80年後の破局を招いた。日本書紀の例を引くまでもなく、歴史は常に勝者の立場から語られることから、明治維新史も疑って読む必要がある、というのはその通りだと思う。

ただ、そういう大事なことを語る割に、論証が不足し、感情に走り過ぎて同じことの繰り返し、といった文章が目立った。

尊王攘夷運動の果てに出来た明治政府は、廃藩置県、四民平等、徴兵令と次々と革新的な政策を打ち出し、封建社会的な枠組みを完全に捨て、西欧型の近代国家へと舵をきる。おそらく、背後には戊辰戦争で薩長を支援した英国の存在があり、加えて維新を主導した岩倉、西郷、大久保、木戸といった中間層が、藩主や家老など上層部を排して主導権を握ろうと動き、さらに伊藤、山県、井上らの維新第二世代にまで引き継がれたところで明治政府は安定期を迎えた。そういう血生臭い歴史をどこまで論証できるかでこういう本の価値が決まると思うと、ちょっと残念。

3. 中川隆[-13765] koaQ7Jey 2020年2月16日 06:28:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-356] 報告
大河ドラマが嘘だらけな理由 西鋭夫
http://www.prideandhistory.jp/lp/nikoumj/lp2/ydn11.html?yclid=YJAD.1581801748.uiLiEp.dcq2Vdl5qC94CegKfwJVkbdEgGoGkSKAQPb3ykwOFkswBquytenexSnzGkU_VaRB8pm.J8WAiqjFTxCBc7B7.sVeEH8W0McT9Y2R1LRw-


ここ10年ほどの大河ドラマを眺めると、ほぼ半分の主人公が幕末維新の人物。

天璋院篤姫 → (直江兼続) → 坂本龍馬 → (徳川秀忠の正室) → (平清盛)→ 新島八重 → (黒田官兵衛) → 吉田松蔭の妹 → (真田丸) → (井伊直虎) → 西郷隆盛


これほど大河で幕末のヒーローが取り上げられるのは、日本人がこの時代、人物に憧れを持つからではないでしょうか。実際、私たちはこのヒーローたちが好きですし、「彼らが日本を駆け回り、人に影響を与え、大きな決断をし、行動していった。だからこそ、強大な力を持つ幕府が倒されて、明治維新を成しとげた」と信じている人がほとんどです。

ですが、このストーリーがまったくの「嘘」の上に作られていることをご存知でしたか? この時代を動かしていたのは、私たちが知る英雄たちではなく、誰かが書いたシナリオ通りに彼らが動いていただけだったとしたら?

その証拠となるのが、幕末に膨大にある都合の良い謎の数々です。その謎を追っていくと、あなたが知っている幕末のストーリーの至るところに矛盾が見えてきます。そして、ドラマには決して出てこない、この時代を操っていた「ある存在」の姿が浮かび上がってくるでしょう。「ただ楽しく何も考えないで歴史ドラマを観たい」というなら、これから先は読まないほうがいいかもしれません・・・
例えば・・・

維新のヒーロー坂本龍馬に誰がカネを出したのか?

海援隊という5〜60人の働いてない男たち を養うカネはどこからでてきたのか?
大量の武器(今の価値で50億円とも言われます)を買うカネはどこからでてきたのか?
軍艦を買う金は?
全国各地に出張しまくるカネは?
一体、誰が何の目的でそのカネをだしたのか?

日本中の刺客から狙われていた坂本龍馬、一体だれが殺したのか?
なぜ犯人が分からなかったのか?

「攘夷!攘夷!」と叫び、外国人の追い出し活動に走り回った伊藤博文などの長州藩の志士。それがなぜ、明治維新前に突然、手のひらを返して敵国であるイギリスに留学したのか?

中国にアヘンをばらまき中毒者だらけにすることで、巨大な中国を骨抜きにし、侵略したイギリス。なぜ、同じ手を次の標的の日本に使わなかったのか?

現在も世界最大手のイギリス系金融グループの銀行が、明治維新前に既に横浜に支店を開設していたのはなぜか?

100万人の幕府軍は簡単に圧勝できたのに、なぜ突然、戦闘を放棄したのか?

新政府軍が旧幕府軍と戦った戊辰戦争。降参したらそこまで追い詰めなかったサムライ文化のはずが、会津・函館と最後まで徹底的に皆殺しにしたのはなぜか?

これはまだほんの一部ですが、ここまで見ても、私たちが知っている美しい、憧れの明治維新とは全く違った、現実の姿を教えてくれます。この講演録を読み終わった後には、きっとあなたの「幕末維新のイメージ」は完全に変わっているでしょう。


さらに、歴史ドラマや小説はもちろんのこと、その後の歴史の見方そのものが変わるかもしれません。

明治維新以降の日本は、なぜ終戦で焼け野原になるまで、戦争をしまくっていたのか・・・。

そんな秘密まで明治維新に隠されていたなんて、考えたことはありましたか? 
その後の歴史も全く違った視点から見ることができるようになるでしょう。


西鋭夫教授曰く、

われわれが知っている明治維新はその時の御用学者が書いた歴史で、真実とは違うようです。

ぜひ、この講演録からあなた自身で何が真実なのかを判断してください。


忍山様 「歴史は金の流れを追いかけろ」との言葉は新鮮な驚きでした。事実その通りであると納得しました。そして坂本龍馬は武器商人、それ故に薩摩でもあんなに大事にもてなされたのかと納得がいきました。北朝鮮が武器輸出を大事な柱としているのも当然です。西先生の話が教科書に一部でも載っていれば、明治以降の近代史も面白く学べると思います。私は昭和20年の生まれなので歴史の勉強と言えば明治維新で終わってしまっています。日本が何故あの無謀な太平洋戦争に突入したのか、その理由を勉強すれば子供たちにとって素晴らしい生きた勉強になるはずと思います。


山田様 もう何十回聴いただろう。とにかく引き込まれる。
現代日本人が常識と思っていた、学校やメディアから習った明治維新から今までの近代史が、上っ面だけの知識だった事にショックを受ける。ずっとコントロールされて近代を作って来た日本。日本が再生して、世界に出て行く手伝いを、微力ながらしていきたいと思わせてくれる。乱暴な話し方をされるときもありますが、それも含めて魅力あるすばらしい先生です。


岡田様 ずっと昔からイギリスやアメリカにより、財産を搾取され裏で操られ、何でも言うことを聞かせれてきた日本。今後も沖縄の基地問題やTPPに関しても、日本は良い様に操られてしまうのだろうか。なぜ日本の教育では真実を教えてくれないのか?なぜ、麻薬で大きくなった会社の片棒を担いでいた男を、英雄に仕立て上げる必要があったのか?今まで見てきたことや聞いたことを一度クリアにして、真実は何かを見極め、日本人としてやるべきことは何か考えていかねばならない、と痛切に感じた。


長谷川様 実に明快な新説を拝聴させて頂いた。明治維新で動き回った維新の志士たちの活動費をどこから調達していたかについての疑問が、講演を拝聴してすっきりした。それぞれの国がすべて、国益を第一に考えてあの手この手を打っているのに、この日本だけが戦後まったくの、野放し状態が71年も続いている。大東亜戦争に出兵した亡き父が話していた戦後の在り方についての話は、改めて正しい認識に立っていたと思った。大正時代に生まれ、昭和初期の不況を経験し、大東亜戦争を生き抜いて来た人たちの話は事実だったと、西先生の講演から強く感じた。子供たちに伝えて行かなければならない、日本史だと受け止めました。

http://www.prideandhistory.jp/lp/nikoumj/lp2/ydn11.html?yclid=YJAD.1581801748.uiLiEp.dcq2Vdl5qC94CegKfwJVkbdEgGoGkSKAQPb3ykwOFkswBquytenexSnzGkU_VaRB8pm.J8WAiqjFTxCBc7B7.sVeEH8W0McT9Y2R1LRw-

4. 中川隆[-12980] koaQ7Jey 2020年3月06日 14:25:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[554] 報告

高度経済成長期もバブルの時もそうでしたが、どちらの時期も、日本人は金儲けに夢中でしたが、国民的な分断はなかった。僕のような反時代的な、生産性も社会的有用性のまるでない人間のことも構わず放っておいてくれた。「なんで金儲けをしないんだ。バカじゃないか」と冷笑はされましたけれど、していることを「やめろ」と言われることはなかった。

みんな自分の仕事に忙し過ぎて、隣の人がやっていることに口を出す暇がない。それが僕の考えるとりあえず現実的な国民再統合のイメージです。

 今日本は分断されていますけれど、それは隣の人間のやっていることをうるさく詮索して査定して、気に入らないと「非国民」とか「反日」とかレッテル貼りをするバカが湧いて出ているからです。「日本人は一つにまとまるべきだ」と言い立てながら、国民的分断を進めている。そのせいで日本はここまで国力を失った。

「自分がほんとうにやりたいことに専念する」というのが一番生産性を高めるふるまいであることはどなたでも同意して頂けると思いますけれど、ただし「専念する」には「他人のことに構ってる暇がないほど」という条件がつくんです。

 隣の人間が何しようとどうだっていいんです。自分が何をするかだけが問題なんだから。幕末のころには「志士」というのが大挙して登場しましたけれど、あの人たちは「オレが頑張らないとこの国はダメになる」と思っていた。個人の努力が国の運命を左右する、と。そういう一種の関係妄想を病んでいる人間の人口比率が一定の値を超えると、国力は増大し、国運が向上する。逆に、その比率が少ないと(つまり「オレが何をしようと、国の運命には影響がない」と思っている人ばかりだと)、国運は衰える。明治の日本が東アジアで例外的に短期間に近代化に成功したのは、その比率が例外的に高かったからだと思います。

 でも、安倍政権は70%の国民に対して、「自分が何をしても世界は変わらない」という無力感を刷り込み続けて、ついにそれに「成功」してしまった。残り30%は「オレが別に頑張らなくても、あっちの方からぜんぶお膳立てしてくれる」という居心地のよいネポティズム政治に居着いてしまった。「オレが頑張らないとこの国はダメになる」という使命感に身を焦がす・・・というタイプの人間を減らすことを制度的に推進したのです。それでは国力も低下します。

 安部政権は個人の努力が国運向上にリンクするという幻想をみごとに粉砕しました。そうすることで、無気力な、権威に尻尾を振るだけのイエスマンの大量育成には成功しましたけれど、そんな人間をどれほど頭数揃えても、国は衰えるばかりです。
http://blog.tatsuru.com/2020/03/06_1314.html  

5. 中川隆[-12991] koaQ7Jey 2020年4月23日 17:20:31 : GQpq4C3J56 : WFRrYkRPZmZYYWc=[10] 報告
人びとに衝撃を与える出来事を利用して支配者は自分たちに都合の良い社会システムを築いてきた。例えば、関東大震災の際に公布された治安維持令などを集成する形で2年後の1925年に治安維持法が公布され、社会の収容所化が強化されている。この震災は日本をアメリカの巨大金融機関、JPモルガンの支配下に置くことになった。

 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、JPモルガンをはじめとするウォール街の住民は親ファシズムで、1933年から34年にかけて、アメリカのニューディル派政権を倒すためにクーデターを実行しようと動いていた。

 JPモルガンが日本支配を始める前、徳川体制が崩壊する頃から日本はイギリスの影響下にあった。アヘン戦争でイギリスは清(中国)に勝ったものの、内陸部の制圧はできていない。戦力が圧倒的に足りなかったのである。そこで目をつけたのが日本。日本はイギリスの傭兵になることでイギリスからさまざまな支援を受けることになった。アジア侵略の手先になることで富と地位を獲得した人びとがその後の日本を支配することになるわけだ。

 アヘン戦争で儲けたイギリス系企業のひとつ、ジャーディン・マセソンが明治体制ができあがる過程で大きな役割を果たしているが、日露戦争の際にはロスチャイルド系銀行のクーン・ローブが日本へ戦費を貸していた。JPモルガンとロスチャイルドの関係も有名だ。

 こうしたイギリスやアメリカの金融資本を後ろ盾として築かれたのが日本の天皇制官僚システムにほかならない。1932年にアメリカから駐日大使としてジョセフ・グルーがやってくるが、そのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人だが、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 JPモルガンの中枢につながるグルーは第2次世界大戦後、日本の進路を定めたジャパン・ロビーの中心的な存在になった。「民主的」とされる日本国憲法は天皇制の維持を宣言している。戦前も戦後も支配体制は米英の金融資本を後ろ盾とする天皇制官僚システム。基本構造は同じということだ。大正デモクラシーも戦後民主主義も天皇制官僚国家の構造の民主化ではなく、政策の民主化にすぎない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004230000/

6. 中川隆[-11494] koaQ7Jey 2020年9月06日 05:28:09 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[4] 報告


2020.09.06
ユーラシア大陸沿いの軍事同盟を強化している米国だが、思惑通りに進んでいない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/


 太平洋地域にはアメリカを中心とするふたつの軍事同盟が存在する。ひとつはアメリカと日本、もうひとつはアメリカ、オーストラリア、そしてニュージーランドの3カ国によるものだ。アメリカと日本の同盟は1951年9月8日にサンフランシスコのプレシディオで調印された安保条約から始まるが、そのその1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。


 その太平洋地域へNATOを広げようという動きがある。NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言したが、それは機構を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにしようということ。


 2018年5月にアメリカ太平洋軍はインド・太平洋軍へ名称変更になった。インド洋と太平洋を一体と考えることを意味しているが、太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。


 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国(清)に対して仕掛け、略奪を本格化させたが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本はその獲物を手にするための手先ということになる。


 三井財閥の大番頭と言われ、ウォール街とも深く結びついていた団琢磨は1871年にアメリカへ渡り、マサチューセッツ工科大学を卒業している。団の親友だった金子堅太郎も渡米したが、金子はハーバード大学で法律を学び、同大学の後輩にあたるセオドア・ルーズベルトと親しくなる。ふたりは1890年にルーズベルトの自宅で初めて会ったという。


 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。


 日露戦争の後、ルーズベルトは日本が自分たちのために戦ったと書き、金子はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)


 ロシアでは1905年1月に「血の日曜日事件」を切っ掛けにして始まった第1次革命で国内は混乱していたが、国力で差のある日本は戦争が長引くと劣勢になる可能性は高く、それを嫌ったルーズベルトが調停に乗り出した。この功績でルーズベルトは1906年にノーベル平和賞を授与されている。


 こうした状況の中、ポーツマスで講和条約が結ばれるが、その内容に不満を持つ人びとは日比谷公園で抗議大会を開き、暴動につながった。戦利品が少ないという不満が爆発したわけだ。暴動の際、17名が死亡したと言われている。


 その後、関東大震災を切っ掛けにして日本はウォール街の巨大金融機関JPモルガンの影響下に入り、1932年にはJPモルガンの総帥と結婚した女性のいとこにあたるジョセフ・グルーが駐日大使として赴任してくる。


 その1932年にはアメリカで大統領選挙があり、ウォール街への不満を高めていた人びとはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選んだ。そこでウォール街の住人は1933年から34年にかけてクーデターを目論んだが、失敗した。この辺の話は本ブログで繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。


 ニューディール派は反ファシズム、半植民地の立場で、大企業の活動を規制して労働者の権利を拡大しようとしていたが、1945年4月にフランクリン・ルーズベルトが急死、ホワイトハウスはウォール街が主導権を奪還することに成功した。戦争後、反ファシスト勢力はレッド・パージという形で粛清されていく。戦後日本の進む方向を決めたのはジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物はジョセフ・グルーにほかならない。


 アメリカは1949年にNATO(北大西洋条約機構)を組織を創設。その中に軍事員会が設置され、ヨーロッパ連合軍最高司令部や大西洋連合軍最高司令部が置かれた。そうした軍事部門の中心がヨーロッパ連合軍で、一般的にNATO軍と呼ばれている。


 NATOが作られる前年、アングロ・サクソン系のアメリカとイギリスはACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を創設した。ヨーロッパの統合が目的だとされている。


 委員長を務めたのはウォール街の弁護士でOSS(CIAの前身)の長官だったウィリアム・ドノバン、副委員長はアレン・ダレス。言うまでもなく、ダレスもウォール街の弁護士で、OSSやCIAの中心的な存在だった。委員会のスポンサーはフォード財団やロックフェラー財団などだ。


 ACUEの下部組織にはビルダーバーグ・グループも含まれている。その創設者はオランダ女王の夫、ベルンハルトとユセフ・レッティンゲルだとされている。


 レッティンゲルは世界大戦の前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動していた人物で、ポーランドのブワディスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。戦争が始まるとシコルスキーは1939年9月にロンドンで亡命政府を樹立し、翌年の6月にはウィンストン・チャーチルと会談、ポーランドがイギリスと一緒に戦うことを約束している。


 戦後、レッティンゲルはベルンハルトに接近、その人脈を利用してアメリカのハリー・トルーマン政権やドワイト・アイゼンハワー政権につながる。


 ソ連軍の軍事侵攻に備えるという名目で創設されたNATOだが、ヨーロッパをアングロ・サクソンが支配する仕組みという側面がある。同じことは安保条約やANZUSにも言えるだろう。同じ長期戦略に基づき、別々に創設された軍事同盟を統一する動きがあるわけだが、そこには大きな問題が横たわっている。アングロ・サクソンが立てた戦略の求心力が弱まっているのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009050000/

7. 中川隆[-11072] koaQ7Jey 2020年10月01日 06:55:00 : B74PUDZOsk : Qm5DT2VLQzlKcDI=[10] 報告

2020.10.01
戦国時代から欧米諸国は日本人を東南アジア侵略のための傭兵として使っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010010000/

 太平洋からインド洋にかけての海域で軍事的な緊張が高まっている。中国は一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」をそこに築こうとしているのに対し、アメリカはその構想を潰そうとしているからだが、その緊張の中へ日本が引きずり込まれつつあり、自衛隊は与那国、石垣、宮古、奄美へ活動範囲を広げている。

 安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたというが、彼は日本の立場を理解していたのだろう。その安倍が直前に会談したという中国の習近平国家主席は軍部に対し、南シナ海と台湾の監視を強め、戦争の準備をするように命じたと伝えられている。

 アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。2018年5月にインドのナレンドラ・モディ首相はインドネシアを訪問、ジョコ・ウィドド大統領と会談している。

 一帯一路はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソン系国の長期戦略とも衝突している。これらの国は制海権を利用してユーラシア大陸の周辺部を支配、その三日月帯から内陸部を締め上げてきたのだ。

 この長期戦略を1904年にまとめた学者が地政学の父とも呼ばれているイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーだということも本ブログでは繰り返し書いてきたこと。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。

 イギリスはこの三日月帯の上にイスラエルとサウジアラビアを作り、インドや東南アジアを植民地化している。その三日月帯の東端にあるのが日本列島にほかならない。その日本をアメリカは現在、太平洋側における拠点と位置づけている。

 1991年12月にソ連が消滅するとネオコン(シオニストの一派)をはじめとするアメリカの好戦派はアメリカが唯一の超大国になったと認識し、他国に配慮することなく単独で行動できる時代になったと考えた。そして1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。

 アメリカの支配者は自分たちの属国である日本にも国連を無視することを望んだのだが、細川護煕政権は国連中心主義を捨てない。そこでこの政権は潰されたのだが、それと同時に新たな日本の軍事戦略を押しつけてくる。国防次官補だったジョセイフ・ナイが1995年2月に発表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」だ。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていくが、それは日本人がアメリカ支配層の傭兵になることを意味している。

 アメリカやイギリスは19世紀に中国(清)へ麻薬を売りつけることで大儲けしたことは本ブログでも書いてきた。そうした中、イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛け、略奪を本格化させている。

 これらの戦争でイギリス側が勝ったことは事実だが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本人はその獲物を手にするための傭兵ということになる。

 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。

 日露戦争の後、セオドア・ルーズベルト大統領は日本が自分たちのために戦ったと書き、団琢磨の友人である金子堅太郎はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。金子はルーズベルトとも親しい。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 日本人がヨーロッパ人の傭兵として東アジアで戦うという構図は戦国時代にもあった。当時、日本では勝者側の雑兵や忍びが敗者を殺したり放火するだけでなく、財産を奪い、女性や子どもを中心に拉致して奴隷として売りさばくことが普通だった。その一部はポルトガルの商人らの手を経て国外へ連れ出され、売られている。正確な人数は不明だが、売られた日本人は10万人を超えていたという推計もある。

 その中には若い男性もいて、イエズス会のカブラルは1584年、日本人を雇い入れて中国を武力で征服しようとスペイン・ポルトガル国王に提案していたという。また平戸に置かれたオランダの商館は同国の東インド会社が行う軍事作戦を支える東南アジア随一の兵站基地だったともされている。(藤木久志著『雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)

 徳川体制に入り、第2代目の将軍、徳川秀忠は人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止、オランダやイギリスは傭兵を日本で調達することが困難になった。そうした禁輸令を受け、オランダのインド総督は日本人傭兵に代わる兵士を急いで本国から派遣するように要請している。(前掲書)そして徳川体制が倒れて明治体制へ移行した際、イギリスは日本人を再び傭兵として使い始めたと言えるだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010010000/

8. 中川隆[-10956] koaQ7Jey 2020年10月09日 09:38:27 : yrjMIAA0P3 : NDRaMkxRWk5XM2c=[10] 報告
日本は明治維新後、アングロ・サクソンの巨大金融資本に支配されてきた。彼らは日本列島を東アジア侵略の拠点とし、日本人を傭兵として使ってきたのである。ヨーロッパ人が日本人を東アジア侵略の手先に使うという構図は戦国時代にも見られた。(藤木久志著『新版 雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)
 麻薬の取引で大儲けしていたイギリスの会社、ジャーディン・マセソンのほか、日露戦争で日本政府が戦費を頼ったロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブ、関東大震災の復興資金を調達したロスチャイルドから派生したJPモルガンを抜きに日本の近代史を語ることはできない。


 日本への影響力を強めた頃、JPモルガンを率いていたのはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア。その結婚相手のいとこであるジョセフ・グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めたが、この人物は第2次世界大戦後、ジャパンロビーの中枢として日本の進路を決めることになる。


 グルーは秩父宮をはじめ皇室に強力な人脈を持っていたが、最も親しくしていた日本人は松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。日本軍が1941年12月7日(現地時間)にハワイの真珠湾を奇襲攻撃、グルーは翌年の6月に日本を離れるが、その直前に彼がゴルフした相手は商工大臣だった岸信介だ。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 いわゆる「戦後民主主義」とはウォール街の下に築かれた天皇制官僚システムという枠組みの中での「民主化」にすぎない。システムが民主化されなかった以上、「学問の自由」も「言論の自由」も砂上の楼閣だったと言えるだろう。


 アメリカでは1983年1月にNSDD11をロナルド・レーガン大統領が署名、プロジェクト・デモクラシーやプロジェクト・トゥルースを始めた。デモクラシーという看板を掲げながら民主主義を破壊し、トゥルースという看板を掲げながら偽情報を流し始めたのだ。その偽情報を信じ、あるいは信じた振りをし、アメリカは自由で民主的な国だという幻影を受け入れてきたのが日本の学者、記者、編集者といった人々だ。

アメリカの支配者の下に築かれた日本の天皇制官僚システムは政府を通じ、学問や言論の自由を侵害してきた。そうした傾向は1980年代から急速に強まったが、学者、記者、編集者といった人々は萎縮し、抵抗らしい抵抗をしてこなかった。ジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」主催の講演会で冒頭に「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言した(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、くたばっていたのは学者も同じである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010090000/  

9. 2020年10月19日 08:27:09 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[3] 報告

2020年10月19日
幕末の軍事力 徳川軍はなぜ長州軍に負けたか

高杉晋作率いる長州軍は、幕府軍の欠点を見抜き、3,000人で15万人を迎え討った。

引用:http://www.historyoffighting.com/resources/Takasugishinsaku_kendo.jpg

15万人が400人に負けた戦争

明治維新に至る長州と幕府軍の戦争が長州征伐だが、260年間続いた徳川幕府が小藩に負けた。

長州と幕府の直属の軍事力を比較すると、意外にも徳川幕府は強大ではなく、むしろ弱かった。

徳川幕府軍の瓦解の始まりは、1864年(元治元年)の第一次長州征伐から始まる。


同年7月19日、尊皇攘夷を掲げる長州藩は、京都守護職の会津藩や幕府から朝廷を解放するため、京都御所に攻め込んだ。

前年の8月まで朝廷は長州藩に攘夷を命じるなどし、長州藩は主導権を握っていたが、幕府の巻き返しによって京都から追放されていた。

長州藩はこれを幕府の陰謀であるとして、朝廷を解放すると共に、再び京都で主導権を握る狙いがあった。


7月19日の禁門の変で長州藩は散々に打ち破られ、敗軍として帰還し、7月23日に朝廷は長州追討の勅命を発した。

14代将軍徳川家茂の号令に15万人が集結し、長州藩は戦わずして降伏し、幕府も犠牲を出したくないので、形式的な処分をして引き上げた。


1866年(慶応2)6月に幕府は再び朝廷から長州討伐令を得て、再び15万人の兵力を得て、兵力3,000人あまりの長州藩に襲い掛かった。


ところがなんと兵力15万人の幕府軍は、実質1,000人程度しかいなかった長州軍に、こてんぱんに負けて逃げ帰ってしまった。

高杉晋作と山縣有朋率いる長州軍の主力部隊約400人は、元治2年(1864年)1月5日に絵堂を、1月7日に太田を奇襲し占領した。

幕府軍は総崩れとなり、後は散り散りになって逃げ帰るだけとなり、この時実質的に徳川軍は崩壊した。

どうして幕府軍は弱かったか

15万人で400人に負ける徳川軍が、薩長連合に勝てるはずが無く、連戦連敗で1868年(慶応4年)に江戸城を明け渡した。

ここまでで誰しも疑問に思うのは、どうして幕府軍は15万人もいて、長州の数百人に勝てなかったのだろうという点でした。


薩摩藩は1866年(慶応2年)に薩長同盟を結び、長州藩に近代鉄砲などを渡していたが、幕府軍の敗因はこれでは無かった。


徳川幕府軍の編成には根本的な欠陥があり、1600年に豊臣軍と戦うために編成され、260年間そのままでした。

まず幕府軍には直属の兵士が1人もおらず、全員が「借り物」のレンタル兵士でした。

戦国期以前の軍隊では、配下の武将に領地を与えて、後はほったらかしで自給自足させます。


徳川軍には旗本八万旗が居ましたが、領地を与えただけで徳川幕府は、何の面倒も見ていないのです。

旗本は兵士から武器まで自前で揃えなくてはならないが、関が原の合戦で使用した甲冑や槍しか持っていませんでした。

また旗本が戦争に参加する義務は無く、「参加したくない」と断る武将が多く居ました。

戦意無き幕府軍

というのはもし長男が戦争に出て戦没したら、家禄没収でお家取り潰しになり、何もメリットが無いからです。

参戦しなくても罰則は無く、せいぜい出世が遅れる程度だったので、多くの旗本は代理人を立てたと言われています。

お金で代わりの人を雇って出兵してもらい、「形だけで良いから」と言って送り出しました。


当然そうした人達が真剣に戦うはずが無く、長州軍の鉄砲の音を聞くと逃げ回り、さっさと帰還してしまいました。

徳川軍の欠点は江戸開城の時にも現われ、薩長軍が江戸を包囲したとき、江戸城を守るべく集まったのは、500人だけだったと言われています。


500人は幕府から直接給料を貰っていた同心達などで、旗本は今回も参戦せず、降伏するか逃げ出していました。


直接雇っていた兵士の人数で比較すると、長州は3,000人、幕府は500人だけであり、むしろ幕府軍のほうが少なかった。

しかも幕府が直接給料を払っていた500人の同心は犯罪捜査などをしており出兵しませんでした。

幕府についた諸藩も旗本と同じで、参戦義務もやる気も無く、何のメリットもない戦いに戦意は停滞していました。


鉄砲などの装備はむしろ徳川軍が優れており、長州藩より少ないことはなかった。

参戦義務のない武将や兵士が十万人居たとしても、結束した数百人には勝てませんでした。
http://www.thutmosev.com/archives/72822319.html

10. 中川隆[-10189] koaQ7Jey 2020年11月05日 09:39:07 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[7] 報告
明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取り
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/358.html

独裁者列伝 _ 昭和天皇
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html

11. 中川隆[-10173] koaQ7Jey 2020年11月05日 17:16:21 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[26] 報告
【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
2019.12.17
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html

 現在、アメリカではトランプ大統領の弾劾訴追へ向けた動きが活発化していますが、私のところに入ってきている情報では、いろいろな組織の陰謀や各国の思惑が絡み合って面白いことになっています。いま、その交通整理の真っ只中にいますので、準備とタイミングが整い次第、随時公開していきますので、お待ちください。

 今回はそのための予備知識として捉えておいてほしい情報として、日本の支配層を取り巻く不思議な話を紹介しましょう。

 皆さんは山口県の田布施という地名を聞いたことがありますか? 

 TOCANA読者であれば当然ありますよね。実はこの土地は我々エージェントにとっても注目する特異な場所なのです。

 どう特異なのかというと、小さな町なのに総理大臣を多数輩出しているからですよね。しかも、例の替え玉天皇であり、騎兵隊天皇とも言われた大室寅之祐の伝説や田布施システムという噂もありますから、私も気持ちが高鳴るんですね(笑)。あとでお話しますが、都市伝説ってエージェントにとって結構大切なんですよ。

 しかし、話が荒唐無稽すぎて、多くの人は田布施システムなんか信用してはいません。もちろん、私も信用していません。なぜなら、確証を探すのが極めて困難だからです。

 それではなぜ、この連載で取り上げるのかというと、日本を読み解く上で重要な部分が田布施および田布施システムという“伝説”には内包されているからです。

■田布施システムという情報を整理

 まず、事実関係から整理していきましょう。そもそも、あのあたりの土地は昔から地元では朝鮮部落として知られています。といっても田布施だけが特別なのではありません。奈良平安の頃から瀬戸内海沿岸は朝鮮半島から渡ってきた人たちが多数移り住んできた土地なので、彼らの集落があっても別段珍しいことではないのです。彼らは皆、陶工であったり、刀鍛冶であったり、特殊技能を持った職人の集団として活躍していました。

 ですから、彼らは自らの出自を恥じてはいませんし、地名や家名に半島の名残りを示す名や縁のようなものを残しています。

 実際、戦国武将の秦氏は百済の王族弓月君の祖先だと言われていますね。『日本書紀』にも弓月君が百済から日本に渡ってきたといった記述があります。単純な話、名前を見ただけで半島っぽい感じがするのでだいたい想像はつきます。

 ところが、田布施出身の人々は少し違います。半島らしい名前があまりないのです。そのいい例が岸信介氏であり、佐藤栄作氏です。岸も佐藤もごく普通の日本人名であり、半島名とはとても思えません。

 実は田布施の謎、不思議さはここにあるのです。田布施システムも興味深い内容ですが、岸家と佐藤家の謎を解かない限りは田布施の本質は見えてこないのです。

■岸家、佐藤家の秘密

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像2
岸信介。画像は「Wikipedia」より引用
 半島から渡ってきた人たちが名前をつける場合、例えば、金さんであれば、金田など、わりとわかりやすい日本名をつけます。

 ところが、岸家も佐藤家もそういった半島らしさがありません。ですから、多くの人は「朝鮮系の人たちが多く住む田布施」と言われてもピンとこないのです。しかし、それは私たちが日本の歴史と半島の歴史をしっかり理解していないからです。

 まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。

 勘のいい方ならもうおわかりですよね。彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。

 そして、岸家も佐藤家も地位の高い両班(李氏朝鮮における貴族階級)であり、もっと言えば、岸家は李氏王朝の血を引く一族で、その証拠が「岸」という家名なのです。


■岸家と李氏朝鮮の関係

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像3
佐藤栄作。画像は「Wikipedia」より引用
 岸と李氏のなにが関係しているのか?

 たぶん、皆さんは不思議に思うでしょう。しかし、李=岸なのです。

 種明かしをしましょう。まず李の文字はよく見てください。分解すると「木」の下に「子」という文字でできていますね。これを日本語で読むとどうなるでしょうか? 

 木=キと読みます。子はコと読むのではなく、シと読むのです。

 そうです。李という文字はキとシの文字から成立しており、だから「キシ」=「岸」なのです。

 岸家は李氏朝鮮を興した李氏に直接つながる王家の一族だった可能性が極めて高いのです。

 どうですか? 多くの朝鮮集落が存在する瀬戸内で田布施だけが特別なのは、こういう理由だからです。

 これは佐藤家もそうです。佐藤の佐は補佐の佐を意味します。藤は藤の花の藤ではなく、朝鮮語で舟を意味する藤になります。佐藤家の祖先は李氏朝鮮時代の海軍の将軍補佐のような役目をしており、佐藤とは舟の補佐という役職を表す家名だったのです。

 実はこれが田布施システムの大元になっているのです。

■朝鮮と明治維新の濃密なつながり

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像4
伊藤博文。画像は「Wikipedia」より引用
 岸家も佐藤家も田布施という町も、李氏朝鮮王朝の血を引く、とても由緒正しい人たちでした。ただし、それは朝鮮から見た場合であり、日本から見た場合は話が変わってきてしまいます。

 考えてもみてください。田布施からは伊藤博文、木戸幸一が出ており、さらに山口県そのものがかつての長州藩(正確には萩藩)です。明治維新を薩摩藩とともに推進した土地です。

 さらに、鹿児島にも田布施という町名が最近まで残っており(そこの出身者として小泉純一郎元首相がいます)、かつての肥後藩である佐賀県にも、字こそ違いますが多布施という土地があります。維新を引っ張った薩長土肥のうちの3つにタブセという名が絡んでいるのです。

 もっと言えば、維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮集落でした。さらに言えば、維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。

 このように明治維新と朝鮮は極めて親しい関係なのです。

 このことを皆さんはどう感じますか?

 エージェントという外から日本を見る立場で言えば、明治維新は朝鮮系の人々によるクーデターに感じてしまうのです。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取りなのに、なぜか、日本人は明治維新が好きだよね」と言います。

 実は私たちにとってここが大切なのです。

 ちょっと調べれば、明治維新の実態や正体は簡単に見えてくるのですが、明治以降の約150年間もこれを問題視する人たちがいませんでした。明治維新に対して疑義を唱える人たちが出てきたのはここ数年のことです。

 もちろんそこにはメディアの操作があったのです。

 具体的に言えば、朝日新聞などですが、ここで不思議なのは、彼らは朝鮮系というよりは共産主義の人たちなのです。

 そして、再び話は田布施に戻ります。田布施からは岸や佐藤のほかにも有名な人物が輩出されています。その一人が日本共産党の書記長であった宮本顕治です。

 そして、その後ろにはもちろん、ソ連のエージェントがいます。

 彼らは田布施システムを上手に利用して、日本のメディアを巧みに操り、世論を操作していたのです。

 現在、我々の世界ではロシアの諜報技術に学ぶものが多いと感じていますが、その実力、その結果がまさに日本の戦後を作っていたと言っても過言ではないのです。

 ただし、ロシアが介入したのは戦後であり、戦前は別の勢力が日本を影から操っていました。その勢力とは維新の志士たちのスポンサーであったイギリスです。そして、その裏には隠れユダヤの存在もありました。

 次回はイギリスの植民地支配と隠れユダヤの観点から日本の維新を見ていきましょう。ただし、先にトランプ大統領の弾劾ネタの整理がつくかもしれません。その時はそちらを優先しますが、この話の続きは必ず書きますので。

 さて、今回もウソのような話ばかりでしたが、私はエージェントです。事実をもとにした“誇大”推論がこの世界のやり方です。実はこのやり方が真実にたどり着く一番の近道なんですよ(笑)。

文=ジェームズ斉藤

12. 中川隆[-10162] koaQ7Jey 2020年11月05日 17:28:32 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[37] 報告
【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」! 米に見捨てられ実は逮捕寸前だった…暴かれた二階と今井の親中政治とは!?
2020.08.29
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html

 8月28日、突如、安倍首相が辞任を表明した。前日まで辞める意思などまったくなかった首相がなぜ、一転して辞意を固めるに至ったのか? 首相の側近たちも寝耳に水の事態で、永田町界隈が大騒ぎとなった、安倍首相の辞任劇の裏側を某国現役エージェント、ジェームズ斉藤が最新にして最深の情報を徹底暴露!

ジェームズ 結論からいいますと安倍さんは辞める気なんかなかったんです。しかし、辞めざるを得なかったのはアメリカが見放したからです。しかも、その見放し方は内々に首をすげ替えるといったものではなく、CSIS(戦略国際問題研究所)のレポートという形で全世界に公開されたのでダメージが大きかったんです。CSISについてはトカナ読者なら知ってると思いますが、日本政府が最も信頼しているジャパンハンドラーのシンクタンクです。特に安倍政権になってから、官邸機密費からCSISに毎年数億規模の研究資金を提供したり、安倍首相自身も2012年に首相の座に復帰してすぐにCSIS詣でをしています。そんな安倍首相肝いりの機関でもあったところから、先月23日に、「日本における中国の影響力」というレポートが出て、自民党幹事長の二階(俊博)さんと首相補佐官の今井(尚哉)さんが名指しで親中派と批判されたんです。

──それ覚えています。結構ニュースになっていて、今井さんと二階さんは中国に媚びている媚中派だと日本でも辛辣に書いていましたね。

ジェームズ ただし、日本の記事は肝心なことは書いていません。まず、このレポートが出された裏側には米国務省の世界関与センターが暗躍しています。ここは表向き中露の影響工作と戦うことを目的とした諜報機関ですが、本当はアメリカが世界中で内政干渉するための口実を作るための機関です。ここが今回のレポートの研究資金を提供しています。

──ということは最初から安倍政権をひっくり返す目的があったということですか? 

ジェームズ そのとおりです。しかも安倍総理が長年信頼し、永田町や霞ヶ関では「泣く子も黙る」CSISがこれを出したのですから、インパクトは計り知れないないものだったでしょう。特に、二階さんは自民党の幹事長ですし、今井さんなんか「影の総理」とまで言われた、安倍首相の側近中の側近です。その二人を「中国のための政治をしている二人」と書いているんです。これは完全に内政干渉であると同時に、トランプ政権が安倍政権に対して最後通牒を突きつけたということでもあるんです。大切なのはここなんです。その証拠にレポートの表紙を見てください。安倍さんの顔が大きく出てますよ。明らかに安倍さんに対するメッセージなんです、このレポートは。

https://www.csis.org/analysis/chinas-influence-japan-everywhere-yet-nowhere-particular

──あっ、確かに思い切り安倍さんの顔ですね。

ジェームズ トランプ政権の感情としては日本に対する苛立ちがずっとあったんです。なんの苛立ちかというと米中が対立している現在の国際政治において、日本のアメリカに対する貢献度が少ないと。安倍さんはトランプ大統領とゴルフをやって親密度を演出するなど、パフォーマンスばかり夢中ですが、経済政策はずっと中国寄りだったんです。日本のカジノ事業なんてその最たるもので、これらはもともと中国の意向のもと、今井さんと二階さんが率先して進めてきたんです。レポートでもそれははっきり書かれています。

──安倍政権は極右だと言われていたんですが、中身は全然違ったんですね。

ジェームズ 媚中政権です。それを今井さん、二階さんが率先してやってきたんです。もともと二階さんは朝鮮系で国内政治では朝鮮利権と被差別利権をうまくマネージして第三者的存在として中国の利権を引っ張ってきたんです。ですから、中国といえば二階さんと決まっていて、安倍政権では絶大な影響力を持っていたんです。今年4月予定されていた習近平の国賓級来日は、二階さんに対する恩返し的な意味合いが強かったのです。その一方で、都知事の小池(百合子)さんと裏でつながって彼女の国政復帰を画策したり、フィクサー的なことをずっとやってこれたのも中国のバックがあったためです。それは今井さんも同じで、やはり彼も朝鮮系なんですよ。実は安倍政権というのは朝鮮政権のA級戦犯的な人たちの集まりなんです。

──ちょっと待ってください。「朝鮮系」ってどういうことですか? 安倍さん、今井さん、二階さんって在日朝鮮人ということなんですか?

ジェームズ そういう意味ではありません。永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

──えっ、そんなこと初めて聞いたんですが…。本当のことなんですか!? 

ジェームズ これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。安倍政権というのは、完全にお友達政権ですから、これまで以上に朝鮮系の人々が集まっていて、21世紀の「両班政権」だったのです。国益や公益など一切無視で、「政治でビジネスをする」という、完全な拝金第一主義が安倍政権の正体でした。したがって、経済政策は単に一番儲かるという理由だけで中国寄りだったんです。だから、尖閣問題なんて最初からやる気なんかなかったんです。そういったところがいま対中政策で強行になっているアメリカにとっては我慢ならなかったわけです。安倍首相はこのCSISのレポートが出てから急激に体調が悪化し始めるんですけど、それでも退陣する気なんかありませんでした。彼の意向としては11月のアメリカの大統領選挙まで粘ろうと。それでトランプが勝てば、さらに続行し、バイデンが勝てば、辞任して麻生(太郎)副総理に暫定的に首相を譲って、いまアメリカ側で評価が高まっている河野(太郎)防衛大臣を一旦、財務大臣にし、その後に首相にする、という流れだったはずです。詳しくは安倍総理辞任前に発信した私のツイートを見てください。

──じゃあ、急に辞めなければいけない状況が起きたってことですか?

ジェームズ たぶん、辞意を表明する前日の夜だと思います。安倍首相のお母さんの安倍洋子さんから「もう辞めなさい」と言われて辞めることをしぶしぶ決意したもようです。

──お母さんから言われたってことですか!?

ジェームズ 簡単に言ってしまえばそういうことです。安倍さんはマザコンですから、お母さんの意向は大きいと思います。ただし、洋子さんが「もう辞めなさい」と言った理由は息子可愛さだけではありません。安倍さんに司法の手が伸びていたからです。実は、安倍さんは逮捕される寸前だったんです。河井(克幸)前法相夫妻の選挙違反がらみの件をきっかけに、警察も検察も現役首相を捕まえようと本気になっていました。安倍さん一派はこれまで司法を捻じ曲げることばかりしてきましたからね。お友達の記者のレイプ事件を揉み消したこともありましたし、検事長の定年を延長しようとしたこともありました。あんなやりたい放題なことをしてたら、警察、検察に恨まれて当然です。そういう中で、アメリカに見放された安倍さんを現役首相のうちに牢屋にぶち込みたい、というのが検察側の狙いだったんです。それに関してはアメリカからのお墨付きも出ていたと思います。首相辞意表明の当日にアメリカで下のような記事が出ていますから。

https://www.thedailybeast.com/japans-longest-serving-pm-shinzo-abe-quits-in-bid-to-escape-potential-prosecution

──それでも、安倍さんは辞める気はなかったんですよね?

ジェームズ なかったんですが、お母さんの安倍洋子さんから「岸家から犯罪者は出せない」ときつく言われたようです。洋子さんは岸信介の長女ですし、李氏朝鮮の元王族のプライドも高い人ですから。それで辞めるしかなかったんだと思います。たぶん、このことは、麻生副総理の耳にも入っていなかったんじゃないでしょうか。辞意を表明した28日にかなり翻意を促していたようですが、安倍さんの意思は固かったので、麻生さんも諦めたんでしょう。以後、麻生さんは表に出てきていませんから。

──二階さんはどうですか? CSISで酷評された二階さんが次の総裁選を取り仕切っているようですが。

ジェームズ 日本ではまだまだ、二階さんは力を持っていますから、まとめ役としてはうってつけなんでしょう。しかし、今後は変わってきます。トランプが大統領選で勝ったら完全に終わりでしょうね。次期首相に関しては菅(義偉)さんが最も有力でしょう。日本のメディアもいま誰が次期総裁になるのか、とかやってますけど、いま彼らがやるべきことは総裁選レースの予想屋ではないと思います。安倍さんの追及こそ彼らの仕事で、メディアが率先して「東京裁判」を開き、安倍政権のA級戦犯たちを裁くべきです。確かに民主党時代の迷走よりは安倍時代のほうがはるかにマシで、総理には「お疲れ様」と見送るのが礼でしょう。しかし、首相時代の彼の縁故主義に基づく独裁は目に余るものがありました。自分のお友達を集めて、都合の悪いことがおきると、やはり友達の検事たちに頼んで事件を揉み消すという、本当に頭の悪い、政治ごっこをしてきたんです。これは朝鮮式両班政治の極みです。日本本来の武士政治では、もっと高潔さがあったはずです。しかも、多くのマスコミがこれに異を唱えず、提灯記事を垂れ流していました。こういうものをすべてえぐり出さないと、この国は終わってしまいますよ。1920年代の政党政治の迷走を彷彿させます。辞任したから逮捕は許してやるという、判官贔屓的ないまの風潮は大きな間違いだと私は思いますね。なので、真実をありのままに伝えるトカナの役割は非常に大きいと思います。ポスト安倍の日本はメディアの在り方から変えていかなければなりません。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html


▲△▽▼


【重要】菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり…ジェームズ斉藤が暴露
2020.09.27
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 


ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) 下馬評通り、菅さんが総理になりましたね。早速日経の世論調査が出てましたが、支持率74%はさすがに異常です。発足したばかりで何日も経っていない政権を10人中7人以上が支持するのはありえないです。さすがは取材権を餌にアメとムチを駆使して、マスコミに菅グループと呼ばれる御用ジャーナリストを養成している菅さんらしい老獪さです。今後日本の主要メディアは壊死するでしょう。

──いきなり辛口ですね。菅さんって一見地味な方ですが、実際どういう人なんですか?

ジェームズ はっきり言えば怖いですよ。まず、彼のお父さんの菅和三郎さんですけど、謎多き人物で、公開情報のほとんどがフェイクです。私の情報源である永田町のドンの方々の話によると、和三郎氏は●●●●の調査部出身です。これはググっても出てきません。

──えっ! ●●●●の調査部って!

ジェームズ そうです。バリバリの諜報機関です。特に、菅総理のお父さんが所属した時期は第二次世界大戦の真っ最中で、関東軍肝入りの特務機関の頃でしたから、世界最高レベルのエージェントばかり揃っていました。ゾルゲ事件の尾崎秀実や大川周明なんかもいましたので。ただ、日本が戦争で負けたあとは、秋田で暮らし始めたんです。

──秋田で!?

ジェームズ そうです。日本の政治家の中枢がそうであるように(詳しくはこちらの記事を参照)、菅さんのお父さんも朝鮮半島の人ですから。正確に言うと日本統治下の朝鮮で生まれているので日本の臣民とも言えますが。菅総理の名前菅義偉が朝鮮名みたいなのもそういう理由です。これで「すが・よしひで」と読むのは珍しいですからね。また、菅和三郎氏も「和」という、「清和会」の由来にも通じる朝鮮系が好む漢字を使っています。しかもあえて音読みとなっているので、朝鮮系であることはほぼ間違いないところです。

──ということは今回の総理も、例の永田町独特の朝鮮系の人ということなんですね。

ジェームズ いえ、朝鮮系は朝鮮系なんですけど、安倍(晋三)さん、今井(尚弥)さん、二階(俊博)さんみたいな人たちとは違います。彼らは李氏朝鮮の両班出身で、要は貴族です。彼らの祖先が渡日した時期も古く、ほとんどが豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れられてきた人たちです。一方、菅総理は戦後日本に来た家系なのでかなり新参者です。

 だからこそ、お父さんは切った張ったの世界でのし上がれる特務機関に入っていったんだと思います。そこで人脈を作った。そして諜報活動の経験が功を奏してか、新天地秋田ですぐにイチゴ栽培の事業に成功し、後に地方議員にもなり、地元の「ドン」になっていきます。

 ですから、菅総理はそこそこの名望家の出ということになるのですが、永田町でいう「両班朝鮮系」ではありませんので、そっちのグループには入れません。じゃあ、何系かという最初の派閥が宏池会の小渕派なんです。この小渕(恵三)さんと最初につながったというのが菅総理らしいんです。実は、小渕さんは菅総理と一緒の諜報系の人なんですよ。


──諜報系? あのブッチホンの小渕さんがですか? 

ジェームズ まあ、小渕さん自身が諜報機関の人というわけではないですけど、小渕さんの叔父さんが陸軍中野学校出身で台湾どで活動していた人だったんです。なので、小渕さんは叔父さんの薫陶を受け、その知識と人脈を外交に活かしていました。例えば、エリツィン大統領が病気になった時には病状を確かめるために官房機密費を使って、あの大物三重スパイの佐藤優さんをモスクワに送ったりもしています。ですから、小渕さんと菅総理というのはインテリジェンスの世界でつながっていたんですよ。この二人は、親しい身内に諜報組織の人間がいたという点で、戦後の総理の中でも際立った存在です。


──なんか、インテリジェンスな首相って聞くとカッコいい感じもしますが。

ジェームズ いや、それは映画や小説の世界の話で、実際はかなりドロドロですよ。その辺のことはあとで話しますが、菅総理はそういう出身だということです。これが意味することは本来、永田町の中ではメインストリームには上がってこれない、ということです。なにしろ、日本の政治家としての出世には両班であることが第一条件ですから。しかも、両班であれば誰でもOKではないんです。両班の中にも序列があって、足の引っ張り合いやいがみ合いがしょっちゅうおきてますから。それで思い出しましたが、昔、宏池会の林芳正さんと清和会の安倍さんがケンカになったことがあって、「お前は同じ両班でも俺より下だろう」とか言ってたらしいですよ。ホント、どこの国の話なのかと思いますが(笑)。

──まったくです。ちなみに、そのケンカは安倍さんが勝ったんですよね、李氏朝鮮の王家ですから。

ジェームズ いえいえ、勝ったのは林さんです。李氏朝鮮の王家であっても直系と傍流ってあるじゃないですか? それで見ると林さんのほうが直系に近いらしいんですよ。だから、安倍さん対林さんのケンカは林さんが勝ったみたいですよ。しかし、日本の政治ではこれが重要なんです。なぜなら、普通に実力勝負だと上にいけば行くほど似たりよったりで優劣がつかないんです。例えば、組閣になったときにどっちを大臣にするんだって場面で実力は一緒となったら、バックグラウンドで決めるしかないんです。つまり、両班かどうか? 両班同士であれば、どの階級の両班なのか? なんです。これが日本の政治の実態です。


──永田町にはいまどのくらい両班階級がいるんですか? 

ジェームズ かなり多いですよ。この前話しました安倍さん、二階さんもそうですし、岸田(文雄)さんもそうです。小泉純一郎、進次郎親子も鹿児島の旧田布施出身(田布施システムについてはコチラを参照)ですからそうですし、清和会の創設者の福田赳夫、康夫親子も釜山系の両班です。一方、宏池会の岸田さんは北系の両班なので、釜山よりは上なんですよ、林さんもここですね。

──もともと李氏朝鮮って北にあったんで、北出身のほうがヒエラルキーは上だと。

ジェームズ 中華の世界観では、北が特別な意味を持ち、北を制するものが政治権力を支配します。したがって、北系のほうが格は断然上です。ただし、宏池会は清和会のような朝鮮系というわけではないです。宏池会を作ったのは池田勇人ですから、吉田茂の流れです。

──そうするとイギリス系ですか?

ジェームズ そうですね。どちらかというと。吉田茂の義理のお父さんは大英帝国のジャーディン・マセソンという横浜にあった商社の支店長で、イギリスのユダヤ利権を継承していましたから。11歳だった吉田茂に当時で60億円ぐらいの遺産を残しています。もともとこの家系は幕末に暗躍した武器商人グラバーの財務下請けをやっていて、坂本竜馬とかああいうのが営業ですね。伊藤博文は転売屋というイメージです。一言で言えば、せどりですね(笑)。吉田とセットで語られる白洲次郎はケンブリッジ留学時代にMI6にリクルートされています。彼はそもそもウォーバーグ財閥のウォーバーグの隠し子だと言われていて顔立ちもハーフみたいですからね。遺言にも「葬式無用、戒名不要」と世間の注目を嫌うスパイの葬られ方を選んでいます。そんな感じなので、確かに外国の勢力は多いですね。

──日本人の勢力はないんですか?

ジェームズ もちろんありますが…●●●系ですね。日本の政治の世界は朝鮮系が多く、次いで●●●系が多いです。普通の日本人の勢力でいうと、ごくたまに麻生太郎さんのような旧貴族系日本人がいる程度という構成です。

──日本の政治が日本のためにやっているように見えない理由がわかりますね。  

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菅義偉首相の黒い正体(中編)― ユダヤに売った魂、五族協和…安倍政権の方が断然マシな理由をジェームズ斉藤が解説!
2020.09.28
https://tocana.jp/2020/09/post_172263_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 


──ところで、菅さんはがのしあがったということはバックなり、金なりが相当しっかりしていたんですよね? 

ジェームズ そうです。彼は、議員秘書時代は神奈川で活動してたんですけど、そこで横浜の港湾労働者を配下に収めて裏社会とも関係ができたんですよ。横浜のドンである藤木企業の藤木幸夫会長も、菅総理の政治キャリアを語る上で欠かせない人物です。

──横浜のドンに可愛がられていたとよく書かれていますね。

ジェームズ 可愛がられた理由は、お父さん譲りの情報収集能力に長けていたからだと思います。彼はいまでも毎朝5時に起きて腹筋100回と散歩の後、優秀な官僚を招いて情報交換しながら朝食を摂るんです。この官僚たちが菅グループと呼ばれる人たちで、すべての省庁にいます。菅さんはカリスマ性はないんですけど、情報収集能力、集金能力があるんですよ。

 そういう姿を見ていると、私はアメリカの政治家のディック・チェイニーに似てると思います。彼も菅総理と同じでカリスマ性はないんですが、ずっとバカなブッシュJrを好きなように操って、アメリカを動かしていましたから。

 菅総理も、岸家のボンボンの安倍さんのもとで、政治を牛耳っていました。その象徴的な話として永田町界隈に伝わっているのが、官房機密費5億円を政党「●●」の××さんに渡したという噂です。官房機密費は年間12億円ぐらいしかないのに、当時の菅官房長官は5億円も渡してしまったんです。なぜそんなことをしたのか、というと、●●を菅さんのバックにつけるためです。これは自民党のバックにつけるためではありません。あくまで菅さんの個人のためで、これで完全に●●は菅さん支持になったと言われています。


ジェームズ 菅政権は利権政治、金権政治で相当ヤバい政権です。最初に怖いと言ったのはここです。菅さんはお金のためなら義理人情も関係ありません。そのわかりやすい例が国内カジノのIR政策の件です。菅さんはトランプ大統領に儲け話を囁かれると、カジノ反対派だった恩人の藤木会長を切り捨て、「ユダヤのカジノ王」シェルドン・アデルソンが運営するラスベガス・サンズの横浜IR参入に同意してしまうのです。横浜IRの実現によって港湾労働者と裏社会ネットワークを完全制覇し、自身の不動の地を築く計算です。そのためには、同胞や恩人を裏切り、ユダヤにも魂を売ります。そんな冷酷無比な菅総理が目指しているのが「五族協和」です。
──つまり、韓国、中国、日本が手を組んでいこうということですか?

ジェームズ いえ、これは国内の話です。日本の中にあるマイノリティのバランスをうまく取るという国家ビジョンです。だから、政党「●●」とも組んでいるんです。●●●●●●●(※あまりに危険な情報なので削除しています)。

 これの恐ろしいところは、日本にはそれほどマイノリティがいないということです。いないのに五族協和を謳うわけですから、これはマイノリティをこれから作り出すつもりんです。これは在日の人たち、アイヌの人たちにとって迷惑と困惑と混乱を生み出します。なぜなら、いまほとんどの在日の人たちは日本に帰化しています。その子供たち、孫たちは自分たち在日だと知りもしません。実際、日本に生まれて日本に育っているのですから、間違いなく日本人ですよ。親たちだって教えるつもりなんかありません。

 ところが、「五族協和」はこれをわざわざ掘り起こし、「キミは朝鮮人なのだから朝鮮人としての誇りを持て」「アイヌの誇りを持て」というんです。これは本人も含めて誰も得しません。得するのは差別ビジネスをする人たちだけです。これはいまのアメリカ民主党がやっていることと同じです。みんながアメリカ人という、ひとつのアイデンティティを持とうとしている時に、「いや、お前は黒人だ、黒人の誇りを持て」「お前はスパニッシュだ。スパニッシュの誇りを持て」とやっているのです。これをしたら国がバラバラになります。暴動だらけの今のアメリカがその証拠です。だから、怖いのです。


──本当にこれからの日本が心配になってくる話です。

ジェームズ 極めて危険です。変な話ですが、安倍政権のほうがまだマシだったと思います。なぜなら、一応、安倍さんには夢があったからです。ビジョンとまでは言えないものの、「こんな国にしたい」という夢はあったんです。それに国民も乗った時期があったと思いますが、菅総理の場合、夢もビジョンもなにもないです。完全に「自分ファースト」の利権政治です。岸信介の悪いところ、田中角栄の悪いところ、竹下登の悪いところを全部合わせたような人物です。欧米メディアも菅総理が選ばれた背景をクレムリンの密室政治だと揶揄してましたが、本当にプーチン顔負けの密室政治がこれから展開されるでしょう。これについては、安倍政権で大臣も務めた超大物議員が私に言ってました。「菅さんが首相になる様子を見ていると、日本に民主主義がないことがよくわかる」と。つまり総裁選からして金権、利権争いだったんです。

──今はつなぎの総理という扱いですが、長期政権になるかもしれないですね。

ジェームズ すでに菅総理は安倍夫妻を逮捕しないよう、検察と警察も黙らせました。検察と警察の目付役として、それぞれ配下の上川陽子法務大臣と小此木八郎国家公安委員会委員長を任命していますので。これで安倍さんは菅総理にもう文句は言えないです。

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菅義偉首相の黒い正体(後編)― 恐ろしい組閣人事「4人の裏事情」と裏の北方領土ビジネスをジェームズ斉藤が暴露
2020.09.29
https://tocana.jp/2020/09/post_172879_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 

──組閣人事で気になるところってありますか?

ジェームズ 組閣にこそ、菅総理の恐ろしさが出ています。菅内閣の人事に共通していえることなんですけど、自分の手を汚さないんです。自分の手を汚さずに汚い仕事を、将来性のある若手にやらせて、自分の権力が脅かされるのを防ぐというやり方です。


画像は「Getty Images」より引用
──つまり、将来有望な若手を潰すってことですか?

ジェームズ そういう配置ですね。日本のことをまったく考えてないです。

・岸信夫

 例えば、防衛大臣で初入閣した岸(信夫)さんはご存知のように安倍さんの実弟です。この人事は一応安倍さんのお母さんである安倍洋子さん肝入りの両班朝鮮系継続人事だそうですが、防衛はイージス・アショアの後始末とか面倒なことが山積しています。初入閣ではかなり荷が重いと思います。

・河野太郎

 そして、将来の総理候補と言われた河野(太郎)さんが行政改革大臣になりました。これは本当にえぐい人事です。行革大臣はみんなに恨まれる仕事をやらないといけないんです。いろんな反対を押し切って強引に解約、解体する役割を担うことになってしまうので、のちのちまで禍根を残す、どう考えても汚れ仕事なんです。議員たちの話を聞いていても河野さんはもう総理の道を断たれたんじゃないか、というぐらい悲観視されています。

・小此木八郎

 極め付けは前述の小此木さんです。何しろ、犯罪の温床だった安倍政権と、これからそうなるであろう菅政権を警察から死守するというのが今回の国家公安委員会委員長の役回りです。これは法の支配を完全に踏みにじる、ヘタすれば後ろに手が回りかねないものです。司法機関に人治主義を押しつける最凶ブラック人事と言っていいでしょう。

 しかも、そんな役回りを小此木さんに振ったというのが私には信じられません。小此木さんのお父さんの故・小此木彦三郎議員は、若き日の菅総理を同じ朝鮮系として私設秘書に雇い、政治人生をスタートさせてあげた大恩人です。その息子さんを自分が官房長官時代には冷や飯を食わせておいて、総理の座についた瞬間、恩返しのように大臣(内閣府特命担当大臣)の椅子を作ってあげたんですが、実際は国家公安委員会委員長という爆弾を押し付けているんです。これは小此木さんを政治的自殺行為に追い込むような、恩を仇で返すようなことになる可能性があります。


──河野さんは嫌われたなとは思いましたが、小此木さんは普通に恩返しをしたのかと思っていました。官房長官になった加藤勝信さんはどうですか?

・加藤勝信

ジェームズ これも表向きは、安倍洋子さんの肝入りの人事だそうですが、真実は菅総理からのメッセージです。加藤さんは釜山グループの両班です。福田康夫さんと一緒の系統で、自民党の両班序列の中では一番下です。それを党の要職につけたということは、「別階級が両班階級をコントロールする」というメッセージを岸田さん、林さんら北系両班に突きつけたってことです。

 これでわかるように、今回の組閣でいろんな流れが変わりました。菅総理の独裁体制ですね。自分の権力をほしいままにしたいというのがアリアリです。

・北方領土問題

 日本もこれから変わってくると思いますが、注目しておかなければいけないのは北海道です。去年の3月に菅さんがバッグについて鈴木直道という人が北海道知事に当選してるんですが、ここで菅さんとディールがあって、北海道の道庁予算の特別枠として5000億円をつけたんですよ、菅さんが。この5000億円は何に使うかというと北方領土事業です。しかし、北方領土にいま5000億円なんか必要ありません。これは完全に北海道の公共事業を地元の土建屋さんにバラ撒くためのものです。あとアイヌ問題です。これは鈴木宗男さんと結託してアイヌ新法みたいなものを作ったんです。ですから、最近、アイヌの博物展とかが多いんですよ。

──あれは『ゴールデンカムイ』が人気だからかと思ってました。

ジェームズ それもあるかもしれませんが、いまアイヌ関係の仕事は予算がつくんですよ。その流れを菅さんが作ったんです。つまり、これから彼がアイヌの利権を代弁するってことなんです。これがさきほど言いました「五族協和」の正体です。そもそもいまの日本にアイヌを制度的に差別するシステムなどありますか? ないですよ。なのに、アイヌの権利を守るアイヌ新法を作った真意は利権勢力図の塗り替えです。差別がないところに差別を作り出して金にする、いままでにないような利権政治が今後始まってくると思いますよ。


・日中、日米関係はどうなる?

──最後に対米関係、対中関係は変わりますか?

ジェームズ 外交は安倍政権の継続ですね。菅総理はビジョンをもっていないので変わらないと思います。ただし、対中に関しては二階さんが持ってる利権をうまく吸い取りたいというのがあると思うんです。二階さんはCSISのリポートもあって息子さんに権力基盤を継承するようですが、菅総理が黙っているとは思えません。

 対米関係も変わりません。これは安倍元総理にも共通しますが、日米同盟が大事だと言っている一方で、アメリカの目が届かないところでコソコソやりたいんです。彼らは単純でアメリカが見てなければ何をしてもいいという発想なんです。しかし、アメリカは全部見てます。電話も全部盗聴してます。

 ともかく、菅政権は五族協和を旗印に利権、金権政治に徹する「自分ファースト」の政治をすると思います。特に懸念されるのが日本のマイノリティ勢力の利権を吸収しようと画策しているところです。これは、以前、記事で紹介した現米国民主党副大統領候補のカマラ・ハリスのやり方と酷似しています。つまり、菅総理の正体は極左です。極左は実質、全体主義ですから、ポスト安倍の日本は、ビジョンなき政治と極左の国、全体主義の国になり、亡国の道まっしぐらです。新総理自身の陰湿なイメージのように、菅時代の日本は全体主義の特徴である暗く、息苦しい雰囲気が漂うでしょう。

文=ジェームズ斉藤


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怪情報?<本澤二郎の「日本の風景」(3893)
http://jlj0011.livedoor.blog/archives/26844325.html
2020年11月03日 


<「菅義偉の黒い正体」(J・斎藤)記事は本当か?>

 昨日、大手出版社に勤務していた知り合いが、ジェームズ・斎藤情報なるものをメール送信してきた。開いて見ると、既に知っていることや、全く知らなかった、事実なのか嘘なのか確認しようがない事柄が記述されている。

 菅の実父・和三郎は、満鉄調査部で活躍していた。いうなれば関東軍の特務機関である。電通の元祖・アヘン王の甘粕と関係があったのか、なかったのか?諜報機関の人物ゆえに、いち早く逃亡してソ連抑留を回避できたのだろうか。

 和三郎のルーツは不明というが、秋田県に定住すると、イチゴ栽培で成功して、地方のドンになっている。

 毎朝、腹筋運動100回と散歩のあと、ホテルでの秘書やその他様々な人物と会って、直接自ら情報収集に専念している姿は、父親譲りというのだ。昼食や夕食でも、首相として諜報活動に専念しているだという。合点するほかない。

 背後を警察官僚による「防護服」で身を固め、なんと電通株主の共同通信から、現役記者を引っこ抜いて、そばに置いている。恩師・小此木彦三郎の息子・八郎を、警察庁を監視・監督する国家公安委員長に起用、官邸犯罪捜査をさせない布陣はさすがだ。こうした完璧ともいえる「防護服」は、議員秘書時代に、横浜の悪役のドン・藤木企業の藤木幸夫会長から学んでいたという。裏社会とのつながりは、桜を見る会でのやくざとの記念写真でも証明されている。

<政治屋の「出自」を暴きながらの政治分析は欧米流なのか>

 ジェームズ・斎藤という名前は本名ではないだろうが、一つ参考のなるのは、政治屋の出自を暴くことで、人脈の太さ、つながりを分析している点である。

 岸信介と文鮮明の関係を無視してきた政治記者は、いま老いて猛省するばかりである。安倍晋太郎の「俺は朝鮮人」にも、首をひねるばかりだった。

 そもそも政治記者20年の間、政治屋の出自を話題にすることなどなかった。社会党の議員の中に「部落出身者がいる」という情報にも、一向に意に介さなかった。そもそも、今もそうだが、差別主義反対の憲法人間だったのだから。

 朝鮮をルーツにする人たちの祖先は、言うところの貴族階級・両班が、永田町でも出世頭という。ただし「菅家は戦後組で、身分は低かった。それゆえの諜報勤務だったろう」と分析している。この両班にも、身分上の高低があるというのだ。

 「祖先は豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れてこられた」という。嘘か真か、清和会の創設者の福田赳夫は、釜山系という?半島の北部、現在の北朝鮮の出身者の方が、格が上だという。

 欧米の諜報機関の日本分析は、この出自に注目するらしい。原文をコピーして、ここに貼り付けようとしたが出来なかった。

<「日本の政治屋は朝鮮系が多い」は本当らしい>

 安倍晋三分析で、長州の田布施を知った。同時に、安倍を天下人に押し上げた小泉は、薩摩の田布施だったことに、当初は驚いていたが、ほかにも沢山いるではないか。

 「日本の政治屋に朝鮮系が多い」というのは、もはやハッタリでもなんでもない。本当らしいのだ。朝鮮人は、よく勉強するは、安倍晋三には当てはまらないが、勉学と清潔さは、他を抜きんでて優秀である。

 宇都宮太郎・陸軍大将が、長男の徳馬に対して「大きくなったら朝鮮の女性をもらえ」は本当のことである。経済界のみならず、スポーツや芸能界も、朝鮮系の活躍が目立つ日本である。

 韓国・北朝鮮いじめをやめて、協力支援する関係が正しいのだが、日本の朝鮮系の政治屋は、なぜか逆のことをしてふんぞり返っている。

<海を挟んで朝鮮半島と日本列島は結びついてきた>

 朝鮮人・韓国人・日本人と区別する国際政治は、どうかしていると思えてならない。確かに言葉の発音は異なるが、それ以外に違いなどないだろう。顔かたちは同じである。区別など出来ない。

 世は戦国時代ではない。覇を競う時代ではない。お互い隣組として、仲良く楽しくがいいに決まっている。どちらかというと、それでも両班は陰謀と喧嘩好きである。強い日本を目指そうとする。そこから改憲軍拡に傾倒する。そこで恩恵を受けるのは、財閥のみである。

 改憲軍拡は、戦争によってのみ、彼らの期待する蕾が開花する。毒花である。この毒花を解毒、解消する憲法9条である。南北朝鮮にも、9条が誕生すると、東アジアは永遠に平和が約束される。帆船・日本丸が隣国にも波及すれば、極東にL字型の平和と繁栄する世界が開花するだろう。

<朝鮮王朝史を知らないと日本政治は分からない?>

 旧赤坂プリンスホテルは、朝鮮王朝の末裔である世継ぎ(世子)、すなわちプリンスの住まいだった。敗戦後に西武が買い取って、赤坂プリンスホテルとなった。ここに福田赳夫の清和会が、本陣を構えた。岸信介派も流れ込んだ。現役時代はよく通ったが、そこに朝鮮の歴史があることなど気づかなかった。

 朝鮮プリンスの屋敷を、西武に売却する手助けをした星島二郎の書生の話では「神社の神主の靴は間違いなく朝鮮靴。天皇家も神社も、半島から渡ってきたものだ」は事実に相違ない。

 神社の鳥居の原型は、古く中国に存在する。大陸―半島ー列島は、悠久の古からの、人・物・食材などの往来を見て取れる。そもそも日本という名称は、いつ確立したのか。朝鮮王朝時代は、倭国・倭寇である。やはり明治なのか。

 朝鮮王朝史を紐解きながら、日本史を学ぶと、正確な歴史が見えてくる。そのことを、安倍ー菅の内閣が教えているではないのか。

2020年11月3日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

13. 中川隆[-10147] koaQ7Jey 2020年11月05日 18:16:35 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[52] 報告
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった


故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画




熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)


田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。

永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html


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田布施システム

そもそも、あのあたりの土地は昔から地元では朝鮮部落として知られています。といっても田布施だけが特別なのではありません。奈良平安の頃から瀬戸内海沿岸は朝鮮半島から渡ってきた人たちが多数移り住んできた土地なので、彼らの集落があっても別段珍しいことではないのです。彼らは皆、陶工であったり、刀鍛冶であったり、特殊技能を持った職人の集団として活躍していました。

まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。
彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。

朝鮮と明治維新の濃密なつながり

 岸家も佐藤家も田布施という町も、李氏朝鮮王朝の血を引く、とても由緒正しい人たちでした。

田布施からは伊藤博文、木戸幸一が出ており、さらに山口県そのものがかつての長州藩(正確には萩藩)です。明治維新を薩摩藩とともに推進した土地です。
 さらに、鹿児島にも田布施という町名が最近まで残っており(そこの出身者として小泉純一郎元首相がいます)、かつての肥後藩である佐賀県にも、字こそ違いますが多布施という土地があります。維新を引っ張った薩長土肥のうちの3つにタブセという名が絡んでいるのです。

 もっと言えば、維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮集落でした。さらに言えば、維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。

 このように明治維新と朝鮮は極めて親しい関係なのです。

 このことを皆さんはどう感じますか?

明治維新は朝鮮系の人々によるクーデターに感じてしまうのです。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取りなのに、なぜか、日本人は明治維新が好きだよね」と言います。
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry_3.html 


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鬼塚英昭さんは本を沢山書いていて、その結論をビデオで紹介しているんですね:

鬼塚英昭さんの著書
https://www.amazon.co.jp/%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/e/B004LVD7MC/ref=dp_byline_cont_book_1

こういう話もありますが、マスコミではタブーになっています:

世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

______

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。
14. 中川隆[-9389] koaQ7Jey 2020年12月10日 09:56:21 : A8APEzsbZs : WjdVYXowTk04bEk=[12] 報告
2020.12.10
英労働党の議員が人権の先駆者と書き込んだチャーチルは人種差別主義者だった
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012100000/
 ​イギリス労働党のデイビッド・ラミー議員​(影の国務大臣)は12月8日、保守党の現議員を批判する目的で、ツイッターに「ウィンストン・チャーチルは人権の先駆者だ」と書き込み、物議を醸している。イギリスによる支配(大英帝国)は社会進化論の結果であり、優秀なプロテスタントの白人がアフリカ、オーストラリア、カリブ海、アメリカ、インドなどの野蛮な先住民の上に君臨するのは当然だと彼は考えていたからだ。1999年から2008年まで南アフリカの大統領を務めたタボ・ムベキはチャーチルを人種差別主義者と呼んでいる。

 イギリスの支配者が中東政策の一環としてイスラエルとサウジアラビアを作り上げたことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、アラブ民族を軽蔑し、シオニズムを強く支持していたチャーチルもイギリスのそうした政策に賛成、パレスチナにおける「ユダヤ人国家」の建設に賛成していたイブン・サウドを支持している。

 日本でも語られることは少ないようだが、チャーチルはベンガル(現在のバングラデシュ周辺)に住む人びとを餓死に追い込んだことでも知られている。

 イギリスの資金と技術で明治維新を実現した日本がその後、イギリスの影響から逃れることはできなかった。イギリスがアヘン戦争で勝利しても支配できなかった中国(清)へ日本が軍事侵攻、さらにロシア/ソ連を攻めようとするのは必然だったと言えるだろう。

 琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争、満州国の建国という流れの先にはロシア/ソ連があった。そして1939年5月に満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦、日本側は関東軍が陸軍省と参謀本部の方針を無視して戦闘を拡大させるが、8月にソ連軍の機械化部隊が攻勢に出て関東軍は敗北した。

 ドイツ軍がソ連へ攻め込んだ直後の1941年7月に日本軍はソ連へ軍事侵攻する目的で関東軍特種演習(関特演)を計画したが、8月に中止、ターゲットを東南アジアへ切り替えた。中国への兵站を叩き、石油を確保することが目的だったと言われている。

 イギリスの首相だったチャーチルは日本の動きを見て1941年11月にベンガルで焦土作戦を実行した。日本軍の食糧にしないということでサイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。その作戦を遂行中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンに襲われている。

 ベンガルからインドにかけての地域における食糧の不足は不可避で、飢餓が見通された。1943年10月には現地の提督からチャーチル首相へ政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているが、それを首相は無視、それだけでなく食糧を送るというフランクリン・ルーズベルト米大統領の提案も拒否した。実際、懸念されたようにベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012100000/

15. 中川隆[-8495] koaQ7Jey 2021年1月07日 15:29:48 : ZAmZh6mKuA : OElLMUprbS85UXc=[21] 報告
現在、日本を支配しているシステムの基本構造は明治維新に作られている。
アングロ・サクソン系の巨大資本が彼らの長期戦略に基づいて作り上げた天皇制官僚体制だ。

本ブログでは繰り返し書いてきたが、いわゆる戦前レジームも戦後レジームも基本構造に変化はない。

それを象徴する人物がJPモルガンと深い関係にあり、1932年6月から41年12月まで駐日米大使を務めたジョセフ・グルーだ。この人物は第2次世界大戦後、ジャパンロビーの中心的存在として戦後日本のあり方や進む方向に大きな影響を及ぼした。

 グルー自身もアメリカのエリート一族に属しているが、彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚している。1932年のアメリカ大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、すぐに反ルーズベルトのクーデターを計画する。

 JPモルガンを中心とするウォール街のグループが1933年から34年にかけて、ニューディール派の打倒とファシズム体制の樹立を目指すクーデターを目論んだことは、クーデター軍の司令官になることを要請されていたスメドレー・バトラー退役海兵隊少将によって明らかにされた。議会で詳しく証言しているので、誰でも確認できる。

 今ではウォール街の少なくとも一部がナチへ資金を流していたことが判明しているが、そうしたパイプのひとつがユニオン・バンキング・コーポレーション。その頭取を務めていたジョージ・ヒューバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュ(第41代アメリカ大統領)の母方の祖父にあたる。

 ジョージ・H・Wの父親であるプレスコットはウォーカーの部下だった。その金融機関の背後にいたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関。日本を戦前から戦後にかけてコントロールしたアメリカの巨大金融資本はファシストのスポンサーだったとも言えるだろう。

 アメリカやイギリスの金融資本は1970年代から経済のカジノ化を進めた。生産活動を基盤とする経済の破綻を受け、金融マジックでの延命と繁栄を図ったのだが、21世紀に入って行き詰まりが明確になる。

 その前、1991年12月のソ連消滅でアメリカの支配者は自国が唯一の超大国になったと認識、世界を屈服させ、パクス・アメリカーナの時代に入れると考えていた。そして1992年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが打ち出される。旧ソ連圏を破壊すると同時に、中国など潜在的なライバルを叩き、エネルギー資源を抱える中東などで自立の道を歩もうとする体制を破壊するという計画だ。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、侵略戦争が始まる。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく戦争だと言えるだろうが、このドクトリンはソ連が消滅し、ロシアを属国化にしたということが前提になっていた。ところがロシアでウラジミル・プーチンが曲がりなりにも再独立させることに成功、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が破綻してしまう。2015年頃になるとアメリカ支配層は内部で対立が生じたように見えるのはそのためだろうが、ドナルド・トランプ政権の終盤には関係の修復に成功したようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101070000/

16. 中川隆[-7987] koaQ7Jey 2021年1月21日 11:21:11 : jbp26dqTF6 : dUN0QjhOZ1ZiNWc=[17] 報告


2021.01.21
COVID-19のパンデミック騒動を作り出した米英の長期戦略
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101210000/


 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)と呼ばれる悪霊が世界の仕組みを変えつつある。人びとは集まることができなくなり、生産活動は麻痺、交易は停滞、少なからぬ企業の経営が悪化して倒産に追い込まれ、失業者、ホームレス、そして自殺者を増加させている。働き、集まり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあるのだ。

 ロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)は2010年5月、​「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」​という報告書を発表した。

 そこに書かれたシナリオによると、2012年に新型インフルエンザのパンデミック(感染爆発)が起こり、人や物資の国際的な移動が停止。その対策としてマスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制されるとし、さらに全ての人の強制的な隔離が推奨されている。

 パンデミックに対する恐怖は人びとに基本的な人権を放棄させることになり、対策として打ち出される管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くと報告書は見通す。そうした体制は支配者が望み、築いてきたが、パンデミックはそうしたことを促進するだけでなく、被支配者である大多数の人びとに主権やプライバシーを自発的に放棄させることになるとしている。かつて正常とされた状態には戻らないとする分析はMIT(マサチューセッツ工科大学)の​「MITテクノロジー・レビュー」の2020年3月11日号​にも掲載された。

 欧米の支配者は今回のパンデミックでルビコン側を渡った、つまり回帰不能点を超えたと言えるだろう。社会の収容所化を進め、ライバルであるロシアや中国を殲滅するしかないということだ。

 これまでアメリカはさまざまな手段で戦争を遂行してきた。2003年3月に始まったイラクへの軍事侵略は自国の正規軍が使われたが、2011年春にリビアやシリアを侵略する際にはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする傭兵を前面に出している。

 しかし、南オセチアやシリアにおける戦争でアメリカやイスラエルは戦術だけでなく武器/兵器の能力でも後れを取っていることが明らかになった。アメリカが勝っていると言えそうなのは軍隊の規模くらいだ。

 アメリカは貿易や金融を使った戦争も展開、自然環境への働きかけも視野に入っていると言われているが、1990年代から急速に重要な役割を果たすようになったのはプロパガンダだろう。宣伝会社がシナリオを描き、そのシナリオに基づく幻影を有力マスコミが人びとの頭に刷り込む、洗脳するということである。

 これまでインターネットの世界では彼らの情報統制が徹底していなかったが、ここにきてツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、グーグルといったシリコンバレーの巨大企業が検閲を強めている。それだけ私的権力の力が強くなり、ファシズム化が進んでいるということだ。

 こうした戦術は戦略に基づいて実行される。アメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての海域を一体として扱うことを示している。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという構図を描いているようだ。日本は完全なアメリカの属国、インドも現政権はアメリカやイスラエルに従っている。問題はインドネシアだろう。

 NATOの事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは2020年6月8日、NATO2030なるプロジェクトを始めると宣言した。NATOの活動範囲を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにするというのだ。オーストラリアとニュージーランドはアメリカやイギリスの影響下にあり、日本は属国。問題は韓国だ。

 こうしたアメリカ軍やNATOの方針は19世紀にイギリスの支配者が描いた長期戦略に従っている。この戦略をまとめ、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と呼ばれているハルフォード・マッキンダーである。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げていくというものだ。

 締め上げていく三日月帯の西端はイギリス。この国が1822年から支配するようになったエジプト、1757年のプラッシーの戦いで制圧したインド、1886年から全土を占領することになったビルマを経て東端が日本だ。その三日月帯にイギリスはイスラエルを1948年に、サウジアラビアを1932年に建国させている。明治維新でイギリスが金融や技術面で日本を支援した理由は言うまでもないだろう。

 日本は1923年9月1日に起こった関東大震災の復興資金調達をJPモルガンに頼り、それ以降、その強い影響下に入った。

 この金融機関の創設者と言われているジョン・ピアポント・モルガンだが、その父親、ジュニアスはロンドンでジョージ・ピーボディと銀行を経営していた。その銀行の経営状況が悪化した際、助けたのがネイサン・ロスチャイルド。このロスチャイルドに評価され、アメリカでのビジネスを任されたのがジョン・ピアポント・モルガン。関東大震災当時は息子のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの時代になっていた。

 このジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚した相手のいとこが1932年から駐日アメリカ大使に就任したジョセフ・グルー。日本で彼が最も親しくしていた人物は松岡洋右と言われている。そのほか松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らとも親しく、真珠湾攻撃の後、1942年8月に離日する直前、岸信介とゴルフをしたと言われている。

 グルーが来日した1932年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが勝利した。その政権を倒すため、JPモルガンを中心とするウォール街の住人たちが1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制を樹立させようとしていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。このクーデターを阻止、計画の内容を議会で詳細に証言したのがスメドリー・バトラー退役少将だ。第2次世界大戦で日本は敗北するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。戦後レジームと戦前レジームは基本的に同じだ。

 アメリカでグルーの仲間たちが完全に復活したのは1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてからだろう。リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後に副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードの時代にシオニストの一派であるネオコンが台頭した。

 1991年12月のソ連が消滅するとネオコンたちはアメリカが唯一の超大国になったと考え、世界制覇を仕上げるために戦争を始める計画をたてる。これがウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。日本もアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

 ネオンコンは2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃、いわゆる9/11を利用して支配層の内部で主導権を握り、中東や北アフリカで破壊、殺戮、略奪をはじめ、ウクライナではネオ・ナチを利用してクーデターを成功させた。

 9/11でアメリカの憲法は機能不全になり、国内のファシズム化と国外での侵略戦争が本格化したのだが、ロシアで想定外のことが起こる。ウラジミル・プーチンがロシアを曲がりなりにも再独立させ、アメリカのライバルとして再登場してきたのだ。2014年にネオコン政権はウクライナでクーデター、香港で反中国運動を実行するが、これにが切っ掛けになってロシアと中国が戦略的な同盟関係に入ってしまった。

 COVID-19で始まったパンデミックで欧米の支配者は「資本主義のリセット」をするというが、これはファシズム化。そのためにはロシアと中国を殲滅しなければならない。そうした戦争を彼らは始めたのである。ジョー・バイデン政権の陣容を見ると、まずロシアとの戦争に力を入れそうだ。

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