日本政府が意図的に日本人を少子高齢化させた理由 _ 3 2015年07月12日 日本国籍を持つアジア人は日本人か? / 家族としての日本国 (1) http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68405830.html
テレビ局が仕組む多民族社会 最近、日本国籍を取るアジア人が増えて不愉快だ。街角で支那人が北京語や上海語を喋りながら歩いていると、目障りだけでなく耳障りである。新宿駅では支那語で構内放送があるし、看板や案内表示には朝鮮語と支那語が書かれているから気分が悪い。電気店や食料品店に行けば、朝鮮人ばかりか、フィリピン人やタイ人まで見かけるから、日本が侵略を受けているみたいだ。藝能界やスポーツ界に目を向ければ、事態はもっと酷くて、支那人や朝鮮人の帰化人が異常に多い。テレビをつける一般国民は、多民族共生の宣伝番組を観ているのと同じだ。日本を異人種混淆社会にしようと目論むテレビ局は、意図的に外国人や混血児を番組に出演させ、日本人を精神的に改造しようとしている。 日本人が異邦人に対してアレルギー反応を示すのは、普段の生活で見慣れていないからである。人間は異質な物でも、何度も目にすればヘンだと思わない。丁度、臭い物でも長期間嗅いでいると、鼻がバカになるのと似ている。例えば、ペットを飼っているいる家庭では、犬や猫の臭いに鈍感になり、他人を招いた時にその異臭に気づくだろう。テレビ局の確信犯的制作者は、視聴者が外人に親しみを持つように、番組の中でわざと外国人や混血児のゲストを登用するのだ。しかし、いきなり朝鮮人や支那人を大量に見せつけると、日本人が嫌悪感を催すから、過度な露出を抑えるよう注意している。犯罪者は殺したい相手に独を飲ませる時、砒素(ひそ)をカプセルに詰めたり、コーヒーに混ぜたりして、気づかれないようにするだろう。だから、本命のアジア人を控えて、西欧人との混血藝人を先に導入し、日本人の拒絶反応を抑えてから、徐々に支那人やアジア人、アフリカ人を挿入するのだ。そうすれば、外国人というのはヨーロッパ人を含めた異邦人ということになる。 不思議な用語だが、藝能界では「ハーフ・タレント」という奇妙な藝人が存在する。これといった特殊な才能(タレント)が無いのに、テレビ番組に登場してお金がもらえる人がいる。彼らの大半は、強欲な藝能事務所が送り込んだモデルや歌手もどきの商品なのだろうが、最近では「多民族主義」の道具となっているみたいだ。民放番組に詳しくないので、はっきりとしたことは言えないが、反日放送局の総本山たるNHKは、藝能事務所とツルんでいるのかも知れない。NHKに関して言えば、最近の傾向として、語学講座に藝人を入れるようになった。ドイツ語講座にはLIZAというドイツ系モデルやトリンドル玲奈(れいな)、英語講座にはShelly(シェリー)というアメリカ系モデルが出演していた。もっとも、彼女たちが起用されたのは、ネイティヴ講師と同じ発音で喋ることが出来るからだろう。しかし、怪しいのは中国語、つまり支那語講座である。別名、テレビ・チャイナ北京支局のNHKは、支那語の印象を良くしようと藤原紀香を起用していた。既にアグネス・チャンは老婆に近いし、支那工作員の張景子では、余りにも露骨すぎるからNHKは使用できないのだろう。だがその代わり、阿部力(あべつよし)という若い藝人(モデル?)を採用していた。どれほど人気がある藝人なのか定かではないが、きっと若い日本人女性の支那に対するイメージを改善したかったのだろう。 昔の語学講座なら、NHKといえども少しはまともだった。今でも覚えているが、英語講座の講師にはマーシャ・クラッカワーが登用されており、昭和の頃までは真面目な番組作りをしていたのだ。民放でも、竹村健一がイーデス・ハンソンと一緒に英会話番組を担当していた。ちょっと俗的な英語番組だと、ディスク・ジョッキーの小林克也を使い、気楽な流行英語を教えていたものだ。日本をアジア社会にしたいテレビ局は、まず日本語を少し喋ることが出来る西欧系外国人や白人との混血児を視聴者に紹介する。英語習得に熱心な日本国民を熟知しているから、白人の外国人を先に使用するのだ。そのあとから、英語を喋る支那人やフィリピン人を徐々に混ぜてくる。ついでに言えば、朝鮮人歌手が日本で活動する場合、紹介する曲は英語か日本語になっている。やはり、朝鮮語の歌では人気が出ないと分かっているからだろう。英語は世界言語になっているから、どんな民族の教師でもいいはずなのに、NHKはアジア系アメリカ人を講師として採用しない。本当は朝鮮系アメリカ人を起用したいのだろう。一般的に、日本人は白人の英語教師を希望するから、狡猾な番組制作者はフィリピン人やインド人、香港の支那人を使わない。たとえ学校で採用する外国人英語教師でも、フィリピン人やインド人、ケニア人、エジプト人だと、日本の子供は落胆するだろう。左翼は国際化社会を警戒する日本人の心を開くにあたり、まずヨーロッパ人を囮(おとり)に使うことを認識しているのだ。 以前、藝人の山田邦子が「外人とは白人のことかと思っていた」、と何かの番組で話していたのを聞いて驚いた。「じゃあ、黒人やインディオは外国人ではないのか」と反論したくなるが、外国を知らない一般人ならこの程度の認識だろう。筆者が高校生の時に起こった些細な「事件」を紹介したい。学校にオーストラリアからの交換留学生がやって来ることになって、同級生の女子生徒はちょくちょく話題にしていた。ところが、その留学生が学校に来た時、女子生徒たちは一様に落胆したようだった。イギリス系オーストラリア人と期待していたのに、南洋土人系の男子生徒が現れたからだ。つまり、アングロ・サクソン系の西洋人ではなく、マオリ系の南洋人が来たから、胸を膨らませていた女の子たちは落胆したのである。筆者はその横でこっそり笑っていたが、あまりにも身勝手な期待にアホらしさを感じたものだ。国名と人種・民族が一致するのは日本くらいで、外国だとどんな容姿の人間なのかはっきりしない。昭和から平成の初めまで片田舎の日本人は、アメリカ人と聞いて白人を想像する者が多かった。「ハーフ」の子といえば、白人との混血児を指すことがほとんど。「混血児」は「黒人との合いの子」を意味することが多かった。やはり、戦後のパンパンが産んだ黒人兵との子供を想像してしまうからだろう。 テレビ局は語学講座だけではなく、ドラマを用いて外国人の社会浸透を促進していた。今では『相棒』という刑事ドラマで人気を博す水谷豊は、教師ドラマの『熱中時代』からスピンオフしたドラマ『熱中時代/刑事編』に出演していた。そのドラマでは米国から来た白人娘がヒロインになっていた。この役にミッキー・マッケンジーが起用され、彼女と水谷氏は当時、大変な脚光を浴びていたのである。ドラマは高視聴率を記録し、この共演がきっかけで二人は結婚した。その後、彼らは離婚したが、一大ブームを呼び起こしたことは間違いない。しかし、このドラマはヒロインがアメリカ人だったからヒットしたのだ。もし、ヒロインが朝鮮からの娘という設定で、南鮮人か在日朝鮮人が演じていたら、あれほどの話題にはならなかったであろう。仮に、朝鮮人を支那人に変更してもヒット作にはなるまい。それどころか、ドラマの企画書さえ通らないだろう。ヒロインを北鮮から逃れてた鮮人工作員とか、上海マフィアから追われた香港の支那人娘とかにしたらリアルだろうが、肝心の視聴者が興味を示さない。やはり、美しい西歐人女性でなけりゃ、画面が暗くなるし視聴者がワクワクしないだろう。 平成になると、街中にアジア人が溢れているのに、NHKの連続ドラマは昭和のドラマと同じパターンを踏む。平成26年、ニッカウィスキーを題材とした『マッサン』というドラマがNHKで制作されたそうだ。大正時代の日本でウィスキー製造を取り組んだ夫婦の物語というが、そのヒロインにアメリカ人女優が採用されたことで話題になった。(実際に観ていないのでドラマ内容の評価は出来ない。) アメリカでは無名のシャーロット・ケイト・フォックス(Charlotte Kate Fox)が抜擢され、その美貌に注目が集まり、マスコミも数多く彼女を取り上げたという。まぁ、これだけの美人なら仕方ないだろうが、やはりスコット人女性と日本人が結婚した物語だから、日本人視聴者は抵抗なく視聴できたのかも知れない。これがフィリピン人妻と日本人男性が、共にフィリピン・パブを経営するドラマなら、高視聴率を取れたかどうか疑問が残る。昔、ルビー・モレノというフィリピン女優がいたけれど、彼女を使うとジャパユキさん物語になってしまい、気分が重たくなるし観るのがつらい。でも、朝から他人の不幸を観るのが好きな人もいるから、もしかしたらヒットするかも。しかし、西洋人との国際結婚の方が明るいんじゃないか? だから、NHKはその辺をちゃんと理解しているのだろう。自分の出世に係わることなら、NHK職員は現実的になる。 日本に於ける現実の国際結婚はTVドラマと乖離している。結婚相手の外国人配偶者は、支那人や朝鮮人、フィリピン人といったアジア人が圧倒的に多い。ニュース番組で流れる「国際化」社会に向かう日本だと、来日する外国人は、アジア人がほとんどなのに、報道番組は世界各地から外国人が均等に訪れているかのように印象を操作するのだ。例えば、観光地を訪れる外国人を取材するレポーターは、まず西歐人を見つけてインタヴューを行うのだ。ぶっきらぼうな支那人やがさつな朝鮮人の大群を目にしても、なるべく彼らをカメラに写さないよう心掛けている。視聴者に気分が悪くなるようなアジア人の集団を見せたくないのだ。これでは実態隠しじゃないのか? 至る所に痰を吐き、ゴミを平気で投げ捨てる支那人を報道して、日本国民に注意を促す事はしたくないのだろう。朝鮮人問題でも、マスコミは「外国人」問題と呼んで曖昧にする。在日朝鮮人が求めている選挙権なのに、報道では「外国人参政権要求」と伝え、要求している外国人を特定しないよう配慮している。実態は、参政権を朝鮮人が要求しているのに、どの放送局も「朝鮮人参政権」とは呼ばなかった。アジア人帰化や国際結婚の報道でも、「外国人」という表現を前面に出すのが、左翼マスコミの特徴である。マスコミはわざとアジア人による日本の「国際化」を話題にしないのだ。 アジア人との混血児は都心だけでなく、地方でも徐々に増えている。2006年、新潟県魚沼市をアンケート対象にしたトヨタ財団の調査は、田舎の実態を知る上で参考になる。若い女性が少ない、あるいは結婚難の男性が多い農村で、外国人配偶者がどのように扱われるのか、第三者には中々うかがい知ることができない。もっとも、アンケートに応えた人々が、家族の事情をあからさまに告白することはないだろうし、外人の嫁について率直に答えることはないだろう。しかし、一般人の考えが分かって有益だ。調査では、地域に外人が増える理由を国際結婚、外人労働者、留学生と答えている人が多いのは予測通りだ。外人が増えて良いと思う人は、20代や30代の若者層に多く約50パーセントいる。一方、60代から70代の高齢層では減少して40パーセントの人々が肯定的で、「分からない」という人や「避けるべき」という意見が過半数を超えている。やはり、高齢者の方がマスコミの洗脳が届いていないのだろう。60から70歳代の人々は、言葉や生活習慣の違いから、アジア人の流入に「何となくの不安」を抱いているらしい。(武田里子 『ムラの国際結婚再考』 めこん 2011年, pp.124-125) こうしたアンケートで不満なのは、外国人を受け入れても良いと答える若者が、自らの生活に影響が出た時も同じ答えを述べるのかという点である。例えば、アンケートの質問に、自分の配偶者がフィリピン人やタイ人で、生まれた子供の顔つきが東南アジア風になっても気にしないのか、という項目がない。子供の体に受け継がれる遺伝子は、親の職業や学歴とは関係なく、受精と同時に決定されてしまうのだ。フィリピン人の妻に似て欲しくないと願う日本人の亭主でも、子供は確実に母親と似てしまう。しかも、生まれながら日本国籍を持っていても、一生「フィリピン人」との烙印を押されてしまうのだ。子供が学校に通うようになって、世界地理を学ぶようになれば、同級生から「お前の母ちゃんの国なんだろう?」とからかわれる。フィリピンなんていう底辺国に連なる混血児は、恥ずかしくて堪らない。自分の祖国は日本だと自分に言い聞かせても、鏡をのぞけばフィリピン人の顔をした自分が映っている。日本で生まれ育ってしまった混血児にとって、フィリピン文化など学ぶ価値もないし、遠く離れた南洋の国民を同胞とも思えないのに、彼らと血で繋がっているのだ。まるで自分の足が鎖でフィリピンに繋がれているようで、たとえ足首を斧で切断しても、すぐに鎖が手や首に巻き付くような感じがする。それにもし、細胞の一つ一つに「フィリピン」という刺青が彫られていたら嫌だろう。アジア人と結婚する日本人は、こうした子供の苦悩を考えずにセックスしてしまい、悲劇が起きてから後悔するのだ。 地元にアジア人が増えることを心配する高齢者も、国際結婚については良いと思う意見が6割近くに達する。やはり、嫁不足を深刻に受け止めているからだろう。外国人、つまりアジア人は嫌だけど仕方ない、と現実に屈服する老人が増えているのも事実だ。1990年には「何とも言えない」と意見を保留する中高年が50パーセントもいたのに、2006年には16.5パーセントに減り、必要であれば良いとする人が55.2パーセントに達していた。1990年には「深刻な結婚難からやむを得ない」とする人は、17.2パーセントしかいなかったのだ。マスコミや学校の洗脳を若者ほど受けていない中高年は、嫁が見つからずに高齢化する独身男性が居る現状と、出来ればアジア人配偶者は回避したいという願望の間で揺れているのだ。「国際結婚」を「望ましくない」と答えた人の理由をいくつか紹介したい。「金目当ての結婚じゃないのか」、「偽装結婚が多い」、「言葉や慣習の違いが不安」などがあった。その他にも、「犯罪の増加」や「国が乱れる」「嫁の親族まで家庭に入ってくる」「子供が差別を受ける」などを答える者がいたという。中でも、「国が乱れる」と答えた人が一人だったのには、とても哀しい。現代の日本人は、アジア人流入が国家の危機に発展するという意識がまったくないのだ。 左翼のマスコミや学者は憤慨するだろうが、どの回答も正鵠を得た意見である。支那人や朝鮮人が増えれば犯罪が増えるし、日本国籍を目的とした偽装結婚があるのも事実だ。嫁ぎ先の財産を狙う支那人妻は珍しくないし、亭主に内緒で金銭を実家に送るフィリピン人妻もよく耳にする。それに、アジア人との混血児が生まれれば、日本人の学校でイジメに遭うことも予想されるから、日本人の親と祖父母が心配するのもうなづけよう。息子の嫁にアジア人を容認した親でさえ、孫が混血児だと不憫でならない。孫の肉体が半分は朝鮮人とか、フィリピン人、タイ人では気分が暗くなる。他(よそ)の家庭だと堂々と孫を自慢しているのに、自分の孫は何となく他人に見せたくない。可愛い孫でも劣等民族の子供じゃあ、友人や隣人に何となく隠したくなる。一般人は口にしないが、心の底でアジア人は劣等種族と思っている。例えば、南鮮人の嫁を友人の前で「韓国のひと」と呼んだり、周囲の者もそれとなく朝鮮人の話題を避けようとする。まさかぶっきらぼうに「最近、鮮人どもの犯罪が多くなったし、南鮮の反日行為はけしからん」なんて言えないだろう。日本人同士なら気を許して喋れることが、朝鮮人を嫁に持つ者が話に加わると、とたんに遠慮して話題にできなくなる。 国際結婚カップルで特徴的なのは、西歐人と結婚した日本人は欧州風の名前に抵抗がないのに、アジア風の名前だと嫌がる。日本人の親は、朝鮮、支那、フィリピンの名前を子供につけることは滅多にない。また、日本人女性が支那人や朝鮮人男性と結婚しても、亭主の姓にすることはない。「佐藤」あるいは「鈴木」という女性が、「金」とか「劉」といった姓にすることはまずないだろう。日本人と結婚した朝鮮人男性は、たいてい女房の姓に変え、子供は日本人の氏名を名乗る。日本人妻だって、結婚して「金」や「朴」になるなんて嫌だろう。朝鮮人に零落(おちぶ)れたようで涙が頬を伝わり流れてくる。実家の両親だって大反対だろう。娘は立派な日本人なのに、朝鮮名をつけるなんて我慢がならない。家門の恥である。朝鮮人や支那人と結婚する女性は、偶然の恋愛ということもあるだろうが、階級や教養が低かったり、家系や将来を考えない人が多い。特に朝鮮人と結婚すれば、苦労が多くなる。南鮮人の親戚と付き合わねばならぬ日本人は、朝鮮式の考え方が理解できないし、老人たちの厚かましさに腹が立つ。押しつけがましい親切や、何かにつけ「高級な」朝鮮文化を自慢されれば、鬱陶(うっとう)しくてたまらない。また、日本人女性は朝鮮人と結婚しても、朝鮮文化まで愛せないだろう。ファッション・センスの良い女性なら、まず「チマ・チョゴリ」を着ることができない。あの野暮ったい民族衣装を身につけたら、恥ずかしくて友達に見せられないし、朝鮮人に降格したようで惨めだ。それに、朝鮮文化をよく知らぬまま結婚した日本人は、ヘドロのような朝鮮人の人間関係に嫌気がさす。恩着せがましい朝鮮の親戚を見ると、つい「そっさと南鮮に帰ればいいじゃないか」と思ってしまう。日本人は朝鮮人と夫婦(めおと)になっても、心までは中々朝鮮人になれないのだ。 日本人の親は朝鮮人の配偶者を馬鹿にするわけではないが、自分の子供を日本人として育てたいと思う傾向が強い。「半分朝鮮」とか「半チョッパリ」なんて呼ばれたくないのだ。しかし、日本で生まれ育っても、朝鮮人混血児はその鮮人の親を通して、何千何百という朝鮮人の祖先や親類と繋がっている。子供が成長し、李朝や日本統治時代のみすぼらしい朝鮮人を見た時、その子供はどう感じるのか? 物心がつけば、自分の同胞が朝鮮人だという冷酷な事実に直面するだろう。あのおぞましい在日朝鮮人や朝鮮半島の劣等民族が、自分と肉体的に同じであることを思い知るのだ。それを友人たちも認識するから、恥ずかしくてたまらない。それ以上に恥ずかしくてて辛いのは、恋人にプロポーズしようとする時だ。恋人やその両親に自分の出生を告げるときに躊躇いが生じる。相手の親が寛容ならいいが、家門を気にする上流家庭だと気が重くなる。学歴なら自分の努力で立派にできるが、朝鮮の肉体は改革できない。こうした朝鮮人混血児は、テレビで「朝鮮」という言葉を聞く度に、心臓に突き刺さるから気の毒だ。 黒いブリテン人はイギリス人ではない 人種・民族を異にする混血児の精神は、自己識別(アイデンティティー)をするときに乱れる。日本では支那人や朝鮮人との混血児が多数派で、黒い肌の混血児は少ないけど哀しいことは結構あった。出典が思い出せないのではっきり言えないが、むかし黒人混血児にまつわる悲惨な話を聞いたことがある。ある混血児の少年が黒い肌が嫌で、カミソリを持って顔の皮膚を削ぎ落とそうとしたらしい。本当にそうしたわけではなかろうが、思い詰めてカミソリを握ったのだろう。アフリカ以外で生まれた黒人は、生きて行くのが大変である。日本と違い英国では、黒人との混血児がとても多い。北欧人ではなく、アフリカ系の黒人とイギリス白人との間に生まれた浅黒い混血児は、自分が属する集団が曖昧になる。あるインタヴューで質問された混血児は、ジャマイカ人とイギリス白人の両親を持つが、「何人か」という質問に困ってしまう。ある少女は、 いいえ、私は自分を黒人とは思ってないの。つまり、実際のところブリテンで生まれたんだから、ブリテン人だと思っているんだけど、正確に言うと、半分ブリテン人で、半分ジャマイカ人かな。(Barbara Tizaed and Ann Phenix, Black and White or Mixed Race? , Routlege, London, 1993, p.47) 彼女の言葉遣いで気になるのは、「ブリテン(British)」人という単語を用いていることだ。「イギリス人(English)」という言葉には、「アングル人」という意味が含まれてしまうので、英国の混血人や有色人は「ブリテン人」という言葉を選ぶ。「ブリテン人」ならブリテン島に住む国民、すなわち非イギリス人のウェイルズ人やスコット人、アイリス人に混じることができるからだ。英国籍を取得したアラブ人やインド人、アフリカ人は、自らを「イギリス人」ではなく、「ブリテン人」と呼びたがる。しかし、当のイギリス白人はどちらでも気にしない。 白人の母を持つ別の混血少女は、戸惑いながらも答えている。 私は自分を黒人と思わないけど、たいていの人が私を黒人と同じくらいの混血児だ、て呼ぶの。でもそれって、白人のお母さんを否定しているように思うわ。 白人の母と暮らす母子家庭の少女は「有色人(coloured)」について意見を述べている。 私はその言葉が嫌いで、馬鹿げていると思うわ。だって論理的に考えたら、「有色」っていうのは、青、黄、緑、赤ってこともあるでしよう。そんな色の人はいないし、そんなの馬鹿げている。(上掲書 p.48) 確かに、「白」だって色だから、「カラード」かもしれない。しかし、英語というのはアングロ・サクソンの言葉だから、彼らの感覚や文化が反映されているのだ。例えば、気分が悪そうな人を「彼は青白く(pale)見える」という表現は、肌の色が白いからで、アフリカ人ならそんな表現は用いないだろう。しかも、イギリス人が黒人系住民に対して、「君、気分でも悪いのか。顔が青いぞ」と言えば、馬鹿にしているのかと誤解されるだろう。また、ウェディング・ドレスは白いのに、葬式の礼服は黒い。辛辣な冗談はブラック・ジョークだし、ブラック・ブックは閻魔帳ときている。英国の人気バンド「ブラック・サバス」はイタリアのホラー映画から由来するし、ロック歌手ジョーン・ジェットのバンドは「ブラック・ハーツ」で「邪悪な心」という意味だ。黒人混血児にとったら、英語の慣習的表現は気に入らないだろうが、言葉は固有の歴史の中で発展するから仕方ない。 次に、黒人の父親と別れ白人の母親と暮らす少年は、「白人もカラードであり、単に色黒じゃないだけだ」という意見について語っていた。 俺はそんなに酷い表現だと思わない。何となくだけど、そんなに気分を害する言葉じゃないよな。俺はカラードよりブラックと呼ばれる方が好きなアフロ・カリビアン系の友達をたくさん知っているんだ。なんで「ブラック」のほうがいいのか分かんねぇけど、そう聞いたんだ。 これはアメリカでも同じである。黒人は「ニグロ」と呼ばれるより、「ブラック」とか「アフリカ系」と呼ばれたい。同じ意味だが、響きが良くないのだろう。ラテン語の「ニグロ」が侮蔑的という理由はない。これは、黒人が惨めな時代に使われていた言葉だから避けたいのだろう。日本でも似たような配慮がある。例えば、「朝鮮料理屋」を「焼肉屋」と呼ぶのは、明らかに「朝鮮」という言葉がネガティヴな響きをもつからだ。「ドイツ」と比較すれば分かりやすい。日本人はハンバーグ専門のドイツ料理店を「焼肉屋」とは呼ばないだろう。「ドイツ料理店」に悪いイメージを持っていないからだ。ワイマール共和国の頃だって、日本人はゲルマン人を「ドイツ人」と呼んでいた。そういえば、アニメにもなった漫画で『じゃりん子チエ』で気になることがある。主人公の少女チエは遊び人のぐうたらオヤジをよそに、ホルモン屋を一人で仕切っていた。娘に店を任せっきりで一緒に働かないオヤジのテツは、もしかしたら朝鮮人じゃないのか? 無職でヤクザな父親を観ていると、なんか大阪にいそうな在日朝鮮人に思えてくる。それに、「ホルモン焼き屋」はいかにも朝鮮人が経営しそうな業種だ。廃棄されるような動物の内臓を煮込んだ料理を朝鮮人は自慢しているのだろうか? 世間がどう見ているのか興味がある。 黒人との混血児には、時々黒い肌の色が薄い子がいる。やや白い肌の少女は、自分のアイデンティティーについてこう話していた。 時々、私は自分のことをイギリス人だって思うわ。そして時には、アフリカ人以上だと思うことがあるの。でも時と場合によるけどね。それにね、私は(黒人白人の)どちらでもでもなくて、浅黒いブリテン人じゃないかって思うわ。(p.49) ある少女は白人の親に寄り添うような発言をしていた。 もし、どちらかを選ぶとしたら、白人の側を選ぶと思うわ。だって私が好きな家族は白人の方だから。もちろん、黒人側の家族も好きよ。どちらかの家族を選ぶより、私を受け入れてくれる側に附きたいの。 色黒の混血児のなかには、黒人であることが嫌で堪らない子を見かけることがある。黒人の亭主と離婚して、混血児を育てる白人の母親は、白人の両親に子供を預けて働いたりするからだ。そして、家に招く友人が白人だったりすると、混血児は黒人と接触することが少なくなり、学校で黒人の級友と交わるくらいの環境になってしまう。すると、自分が黒人という意識が希薄になった混血児は、白人社会の方に親近感を持つようになるし、まともな生活をする白人世界に属したいと考えてしまうのだ。ところが、自分の姿を見れば、顔つきは黒人みたいだし、肌も白人と比べれば黒いから、どうしても疎外感を味わってしまう。こうなると、自分が住む国家に愛着が湧かないし、自国の歴史や社会について考えようとはしなくなる。自分が属していない国家の伝統や過去はどうでもよく、現在を楽しく生き、豊かな将来を確保できれば充分と思ってしまうのだ。したがって、混血児は悠久の歴史を記憶する高等人間ではなく、現在の縄張りだけを注意する野生動物と等しくなる。 イングランド王国には栄光の歴史と豊かな文化がある。国家の中心はもちろん王室で、我が国の皇室には到底及ばないが、それでも立派な伝統がある。女王エリザベス2世は、長寿であることから曾孫のジョージ王子を抱くことができた。孫のウィリアム王子ばかりか、その息子ジョージまで見ることが出来た女王は幸せである。そして、この微笑ましい光景を目にするイングランド臣民も幸福なはずだ。ところが、オランダ人やデンマーク人ではなく、アフリカ人やアラブ人、支那人を親に持つ混血人やイギリス人の両親を持たない移民や有色帰化人は、どんな気持ちで、女王と王子を眺めていたのか? まだ言葉もよく話せないジョージ王子が、「おばあちゃん(granny)」と言って、女王陛下に甘える姿をイギリス人は喜んだ。シャーロット王女が洗礼式を受ける日には、ケンブリッジ公爵夫妻を見ようと、ノーフォークの聖メアリー・マグダレン教会に多くのイギリス人が集まった。彼らはまるで自分たちの孫が洗礼を受けるかのように見守っていたのだ。尊王精神を持つイギリス人は、王族が結婚式を挙げれば歓喜の声を上げるし、王室に王子や王女が生まれれば、自分の子や孫のように喜ぶ。王侯貴族を呪うのは共産主義に染まった左翼国民くらいである。 ところで、イギリス人の遺伝子を共有しない非西欧系国民はどう思ったのか? 非イギリス系たるブリテン国民でも、オランダ人やドイツ人、デンマーク人なら自然と王室に敬愛の念を抱くだろう。イギリス王室は他のヨーロッパ貴族と血縁関係を持つから、西歐系移民ならさほど問題なく王党派(トーリー)になれる。しかし、アラブ人やインド人、アフリカ人の帰化国民はどうだろう? 彼らはかつて武力で征服された植民地の出身者である。そこから移住してきた有色人は、素直に宗主国の王族を尊敬できるのか? また、イスラム教徒はキリスト教の儀式で洗礼を受ける王子や王女を祝福できるのか? 「国王(king)」とは元々「部族長(cyning)」を意味しているから、種族を同じくするイギリス人しか素直に臣従できない。別の部族出身者は、王に忠誠を誓えば臣下になれるが、部族の仲間にはなれないだろう。容姿が全く違うアフリカ人や支那人が、アングル人やサクソン人といったチュートン族の同胞になれるとは思えない。先祖崇拝が強い支那人は、イギリス王族を見て自分の先祖が使えた主君とは見なさないだろう。支那人にとって皇帝とか王は奴隷所有者だ。そもそも支那人には、「忠誠」という文化がないのだ。銭目当てでイングランドに住みついた支那人は、百年戦争で国王と一緒にフランス兵と戦った祖先を持たないし、ネルソン提督に率いられて激戦を共にした祖先だって持っていない。バトル・オブ・ブリテンの恐怖すら共有していないのだ。英国史については、支那人はアヘン戦争の愚痴をこぼすことくらいしかない。全くの異邦人である。 ニュース報道で、ベールを被ったイスラム教徒の女性たちが、街道に集まってウィリアム王子やキャサリン妃に手を振っている光景を見ることがある。茶色い肌のパキスタン系や黒い肌のアフリカ系国民も、同様に若いケンブリッジ公爵夫妻を歓迎していた。しかし、彼らにとって王族とはどんな意味があるのか? 彼らは王子や王妃を有名人(セレブリティー)として眺めてはしゃいでいるのではないか? 彼らにとりイングランドの君主は、自分の祖先が忠誠を誓い、苦難や歓喜を共にした主君ではないだろう。ケニア人やパキスタン人、トルコ人といった非西欧系国民にとって、キャサリン妃はテイラー・スウィフトやブリトニー・スピアーズといった歌手と同じだ。ケンブリッジ公爵夫人は、華やかで高貴な美人だから“ファン”になっているだけで、自分が属している民族のプリンセスという訳ではない。シャーロット王女も彼らにとったら、サッカー選手デイヴッド・ベッカムの娘ハーパーと同じ扱いだろう。有名人の子供を見て感激しているだけだ。 非西歐系国民には重大な欠落がある。彼らにはイギリス人がもつ魂の共鳴がない。日本人なら理科の実験で知っているだろうが、ある音叉(おんさ)を鳴らすと、それと同じ固有振動数をもつ音叉が震える現象が共鳴である。英国女王が臣下に語りかける言葉は、イギリス人と非イギリス系国民に対して違った反応を引き起こす。女王陛下の声は、イギリス人の心に直接響く。その心は祖先の血と肉を継承しているので、祖先が共鳴したように、その子孫も同じように共鳴する。しかし、アジア・アフリカからの移民には魂の共鳴はないし、彼らの遺伝子が混ざった混血児だと共振が鈍ってしまう。帰化したアフリカ黒人でも、女王陛下に拝謁すれば感動するだろうが、それは高貴な人物に会った時の衝動である。先祖代々仕えてきた家系の子孫が持つ感佩(かんぱい)ではない。異質な肉体を持つ帰化国民は、生粋のイギリス人が持つ素朴な感情を共有できないのだ。一方、混血児は複雑な心理となる。例えば、イギリス人とアフリカ人の混血児は、イギリス人の血統により王室に対する畏敬の念を持つだろうが、異邦人の血が混ざることで純粋に王族を慕うことができない。黒人を劣等人種に指定した国の元首を仰慕することに無意識の抵抗があるのだ。それは本人も気づかない本能的嫌悪感や怨恨が、心の底にとぐろを巻いているからだろう。 英国の状況を見れば、日本人にも心当たりがあるんじゃないか? 近頃は、秋篠宮家の佳子内親王殿下が世間からの注目を浴びたから、在日朝鮮人や帰化した支那人、その他のアジア系混血児でも好感を持ってる人物がいるだろう。しかし、彼らの皇室観はどのようなものなのか? 彼らは内親王殿下を単なる有名藝能人と同一視しているのではないか? アジア系移民がどんどん日本に帰化するようになれば、日本人の魂を持たない国民が増えることになり、国民を礎(いしずえ)とする皇室の存続が危機に瀕するかも知れない。女系天皇問題が起きた時、男系男子の皇統を守りたい国民が熱心に頑張ったから、伝統的皇位継承が維持された。しかし将来、似たような問題が起きた時に、皇室伝統は本当に守られるのか? その時に、国民の多数派が皇統に無関心だったりすれば心配だ。もし、朝鮮人や支那人の家系が一大勢力を形成していて、日本人左翼と結託したら、皇室廃止とはゆかなくても、皇室弱体化法案などを可決するんじゃないか? 王室を潰したいイギリスの左翼は以前、貴族院を廃止する提案を出したことがある。日本でも、皇室を撲滅したい左翼やアジア系国民は、皇室財産を削減したり、宮家を廃止あるいは存続できないような状況に追い込むかも知れない。また彼らはわざと皇室行事を激増させて、天皇陛下を過労死させようと計るかも知れないのだ。皇太子殿下を極寒のスキー大会に招き、雪が吹き付ける中を長時間観戦させて、病気にさせることだって考えるだろう。つまり、天皇陛下や皇太子殿下を暗殺できないのなら、あちこちに引きずり回し、肉体的・精神的に衰弱させるかも知れないのだ。これなら自然死でも暗殺と同じ結果だろう。 現在でも左翼は皇室破壊を目論んでいる。とりわけ雅子妃殿下は皇室行事を敬遠されているから、将来皇后陛下になられたとき、左翼勢力は一斉に雅子妃を攻撃し、精神的苦痛を与えるだろう。天皇陛下の実質的離婚・別居状態をなんとか実現させようと躍起になるんじゃないか? 皇室の弱点たる雅子妃だけではなく、愛子内親王殿下と悠仁親王殿下をもターゲットにするだろう。大学で赤い教授から寵愛を受けるアジア系学生は、左翼軍団にとって頼もしい助っ人になる。朝鮮人や支那人の家系から、政治家や官僚、大学教授が輩出されて、日本破壊が更に激化するだろう。アジア移民を引きずりこんだ財界人や国民は、大問題が起きても、知らぬ顔を決め込んで絶対責任を取らない。アジア人研修生を安くこき使う日本人は、将来の国難を何ら心配していないし、それを想像する頭もないのだ。次回に続く。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68405830.html 2015年07月15日 アジア系日本人の犯罪者が出現する / 家族としての日本人(2) http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68407360.html
移民政策で日本人は増えない
少子化に悩む日本では、人口減少を食い止めるための手段として、外国人労働者の受け入れが叫ばれている。しかし、この外国人というのは、支那人を始めとするアジア人のことで、「将来の同胞」ではなく安い労働用家畜なのだ。低賃金で働く若い日本人が不足しているから、人間が有り余っているアジアから労働者を呼び寄せようというわけである。しかし、大量の外人労働者が一旦日本に入れば、自主的に帰郷する者はごく僅かだろう。大半の者は、帰国期限を過ぎても日本に居坐り続け、何とか永住しようと画策するに違いない。滞在ビザの期限が迫る前に、日本人と結婚してしまえば、堂々とした配偶者となり、国籍取得への道が開ける。それにもし、オーバースティで入管職員や警察官に捕まっても、日本人との間に子供をつくっておけば、強制送還されないのだ。子供の存在で罪が帳消しになり、子供の親という立場を利用して、無期限の滞在延長を実現できるから笑いが止まらない。彼らは子供を盾にすれば、甘っちょろい日本政府を説得できると計算しているから狡賢いのだ。違法滞在の合法化に赤ん坊を利用するなんて、普通の日本人にはできないが、支那人やフィリピン人なら通常の手段として選択するだろう。こんな外国人も国籍を取得すれば、我々と同等な日本国民となる。ふざけているが、現実は非常識で動いているのだ。 filipino nurse in Walesfilipino nurse 4 (左: 英国ウェイルズで働くフィリピン人看護婦/右: 米国で働くフィリピン人看護婦)
日本国民がお金を出して存続させているNHKは、アジア人との混淆社会を望んでいる。7月9日、BS-NHKで放送された「キャッチ世界の視点」で、解説委員の広瀬公巳(ひろせ・ひろみ)が失踪する外国人研修生をレポートしていた。アジアからの「研修生」は、労働現場で単なる低賃金労働者と化しており、技術を習得して帰郷する実習生ではない。契約した給料さえ払われていない研修生は、劣悪な環境のもとで働く疑似奴隷とみなされる。国連の報告によれば、日本は低賃金で外国人を酷使するブラック企業の如き、人権侵害国家だという。こうした研修生は突如として職場から姿を消し、どこかへ姿をくらますことが多い。元々が出稼ぎ目的のアジア人だから、もっと稼ぎの良い職業に就いてしまうのだろう。NHKはこうした現実と乖離した研修制度を改め、正式な労働者として迎え入れようと提案する。それには韓国を参考にしましょう、とキャスターが述べていた。アジア人国家を目指すNHKは、労働者の送り出し国と正式な派遣協定を結ぶよう薦めていた。自国民でさえ見棄てる南鮮人なら、要らなくなった外国人を叩き出すこともできよう。しかし、人道主義の建前を破棄できぬ日本政府には、問題となる外国人を期限が来たからといって強制的に帰国させることはできない。必ず滞在期間の延長を許し、外国人労働者は100年くらい日本に住むことができるだろう。これは在日朝鮮人で証明されている。 Korea Bubble sistersKorea Migrant workers (左: 黒人に扮する朝鮮人 : ザ・バブル・シスターズ/右: 韓国で抗議活動をする外国人労働者)
人口増加のために移民を受け入れようとする日本人は、本当にその政策で日本人が増えるとでも思っているのか? 確かに、外人は子供をドンドン産んでその総数が増えるだろう。しかし、日本人が増えることはあるまい。逆に、労働賃金の低下が起こり、ますます若年層の年収が減って、結婚できない日本の若者が増えるだろう。高度な技術を要しない職場では、貧しい田舎で育った支那人と豊かな生活を送った日本人が同等に扱われるのだ。時給300円もらって喜ぶアジア人と対等になって、格下げになった日本の若者は幸せなのか? しかも、日本は恐ろしい階級社会に自ら突入しようとしている。居酒屋とかコンビニで働くアジア人は多いが、アジア人の低賃金労働者が入国してくれば、こうした業種には日本人がほとんど居なくなるだろう。米国に派遣された日本人ビジネスマンは、タクシーを乗るたびに日本との違いを痛感することがある。タクシー運転手に白人を見かけることはまずないのだ。例えば、ニューヨークのJFK空港でタクシーを拾えば、運転手はほぼ全員、黒人、ヒスパニック、あるいはパキスタン人、レバノン人、イラク人とかの非西欧人である。話す英語は曖昧で心許ないし、行き先を告げてもちゃんと地図を理解しているのか分からない。なまりの強い発音で英語を話し、気軽に「OK」と口にする外人には不安を感じる。すでに業種と民族が一体化した米国では、白人はもうその職業に就かない。アメリカ社会では、ホワイト・カラー職に白人が集まり、筋肉労働や単純労働には有色人が群れる、という構図が出来上がっているのだ。 Taxi Drivers 1taxi drivers 5 (左: インド人のタクシー運転手/右: アフリカ出身のタクシー運転手)
日本をアジアの泥沼へ引きずり込みたい左翼マスコミは、慢性的に人手不足の福祉業界に目をつけた。「福祉の充実」とは政治家の殺し文句である。「福祉」と言えば、誰も反対できない。このことを熟知している新聞社は、日本で介護職に就きたい東南アジア人をやたらと支援する。以前、フィリピン政府は日本側に、フィリピン人の看護婦と介護士の受け入れを拡大するよう求めてきた。フィリピンとの自由貿易交渉(FTA)が「人の移動の自由」を議題にしていたので、マスコミはこれに便乗していたのだ。(「外国人受け入れ申請次々」 読売新聞 2004年7月1日) 朝日新聞と毎日新聞は何とかしてアジア人を増やそうと熱心にキャンペーンを張っていた。我が国は看護師や介護士を目指す外国人を受け入れだしたのである。2008年からインドネシア人を、そして2009年からはフィリピン人を輸入し、看護師候補者約360名、介護士候補者約480名が来日したことを覚えている国民は多いだろう。しかも、時は民主党政権時代だ。日本解体を目指す政党が、アジア人を受け入れれば、どうするかは明らかだろう。 インドネシア人介護師3インドネシアの介護師たちインドネシア人看護師5 (上写真 / インドネシアからの介護師) 日本語はアジアの言語と語彙や文法を異にするから、アジア人が日本の国家試験を受ければ苦労するのは当然だ。フィリピン人やインドネシア人の看護師候補者254名が受験し、たった3人しか合格しなかった。毎日新聞は残念で堪らない。さっそく支那人の手先である岡田克也に駆け寄る。毎日新聞は岡田の「漢字が難しい試験を改善してほしい」という声明を掲載した。(有田浩子、岡田英、古賀三男 「うれしいけど・・・・超難関」 毎日新聞 2010年3月27日) そして、岡田の意見を補強すべく、移民推進派の安里和晃(あさと・わこう)京都大准教授に意見を伺う。安里氏曰く、「不合格者を大量に出せば相手国のプライドを傷つける」んだってさ。それなら、京都大学の入試を受けようとする受験生が、ある高校から大量に来た場合でも同じ見解を述べるのか? もし、多くの不合格者が出たら京都大学は、その高校のプライドを傷つけたとして反省するのか? 京都大学が可哀想な受験生に、特別入学を許すことはないだろう。試験内容が難しいから易しくしろ、と言えば世間から笑われるし、毎日新聞だって気まずくなる。毎日新聞社だって入社試験は簡単じゃなかろう。格好つけている毎日は、過去に学歴重視とかコネ採用とかは無かった、と言えるのか? 岡田克也2安里和晃フィリピン人介護師2 (左: 岡田克也 / 中央: 安里和晃 / 右: フィリピン人看護婦)
毎日がアジア人を支援するなら、親分の朝日新聞だって負けちゃいない。アジア人受験者の合格率が1パーセントにも満たないことに業を煮やしている。朝日の記者である細見るい、田中康晴、辻外記子の三名は、母国の看護学校で学び、心臓専門の病院で働いた経験もあるインドネシア人、ヤレド・フェブリアン・フェルナンデスと、病院勤務経験のあるリア・アグスティナの二名を紹介していた。 彼女らは睡眠時間を削って試験勉強をしたという。朝日は試験に難解な漢字が多いことに不満なのだ。朝日記者は「褥瘡(じょくそう)」とか「誤嚥(ごえん)」は日本人にとっても難しいじゃないか、と文句を垂れて読者に同情を求める。(「外国人看護師 門広げるには」朝日新聞 2010年3月27日) 漢字には「ルビを振って」とか「母語の訳語をつけて」という声を掲載し、インドネシア人に配慮した試験に変えてしまおうと、世論を誘導したのである。 ついでに言えば、新聞社は昔漢字にルビを振ることを嫌がっていた。パソコン以前の新聞印刷では、印刷職人が鉛の活版印字を拾って、一字一字埋め込んで記事を組み立てていたのだ。小さなルビを嵌め込むのは面倒だから職人が嫌がったのである。そこで新聞社は小さな「ルビ」は子供の目に悪いとかの理由をつけて、「ふりがな」をつけないようにした前科があった。しかも、政府権力に立ち向かうはずの新聞社は、文部省が開発した現代仮名遣いと新造漢字(非正字)を使うことに躊躇(ためら)いがなかった。朝日の偽善はそれだけではない。安保闘争の学生を支援していた左翼新聞社なのに、自分とこの新入社員、特に幹部要員には東大法学部を軸とした超一流大学の秀才ばかりを採用していたのだ。(俵孝太郎 『我、「朝日新聞」と戦えり』 光文社 1988年 p.169) 朝日は安保闘争で暴れ回った学生は採用しなかったという。日本国の安全保障はメチャクチャになってもいいが、朝日社内の平和を乱す者は許さない、という裏の掟(おきて)があったのだ。そういえば、テレ朝の「ニュース・ステーション」で久米宏が受験戦争のむなしさとか、学歴重視社会を批判していたが、朝日新聞社員はどんな気持ちで観ていたのだろうか? おそらく、「二枚舌の社会正義」は朝日のモットーだから、誰も気にしなかったのだろう。 田中宏内藤正典近藤敦2岡本行夫2 (左: 田中宏 / 内藤正典 / 近藤敦 / 右: 岡本行夫)
朝日新聞と毎日新聞は兄弟だから、会社ビルは別の土地に建っていても、社説と人材は共通している。(さらに付け加えると、朝日新聞は「赤旗」を薄めた普及版とも言える。) 毎日新聞が安里氏の意見を掲載すれば、朝日も彼にインタヴューをしていたのだ。他に移民政策の専門家はいないのか? 移民反対派の学者には取材しないのが左翼新聞の鉄則。案の定、朝日の細見、田中、辻の三名と毎日の有田、岡田、古賀の三名は裏で繋がっていたのである。つまり、アジア人を日本に引き込みたい学者と記者が同じ穴の狢(ムジナ)ということだ。だから、移民や外国人労働者問題が起きると、左翼記者は一橋大学内藤正典や龍谷大学の田中宏、名城大学の近藤敦といった極左学者のもとを訪れる。移民問題を担当する記者は、事実解明の取材ではなく、既に結論が出ている記事にお墨付きをもらうため、大学教授にインタヴューを行うという慣習がある。しかも、日頃から仲のいい御用学者を選んでいるからヤラセは明らか。こうした八百長記事を購読している日本人は、洗脳されていることに気づかない。朝日記者の伊木緑と北村晃治は、フィリピン人1名とインドネシア人2名が看護師試験に合格した事を喜んでいたが、不合格者の多くが帰国することになるのを残念がっていた。(朝日新聞2010年3月27日) アジア人の看護師候補生は、滞在期間の三年で合格できなければ、帰国する羽目になるからだ。 アジアからの看護婦や介護師を呼び込むことについては、産経新聞も朝日・毎日と同じ論調である。産経新聞はテレ朝の御用学者で元外務官僚の岡本行夫に意見を述べさせていた。岡本氏は「日本がまともに外国に向き合わない」とか、「外国と交流し学ぶ必要性を感じなくなっている」とぼやく。そして、アジア人看護師が国家試験にたった3名しか合格しなかったのを受けて、それを試験問題の形式にあるとし、筋違いのケチをつけた。「褥瘡(じょくそう)」といった難しい漢字を問題に使ったらアジア人は答えられない、と嘆き、「ほとんどイジメではないか」と非難する。岡本氏によれば、フィリピンやインドネシアの人は、心が優しく最も介護に優れた評価があるそうだ。だから何んだ? 外務省は優しい心を持っていれば、三流大学の応募者でも入れてくれるのか? 不合格になったアジア人が失意のうちに帰国するから、岡本氏は問題を易しくしろとでも言いたいのだろう。インドネシア人は難解な日本語より、英語を学んでシンガポールで働けばいいじゃないか。岡本氏はどうしてもアジア人を繋ぎ止めたいようだ。 岡本氏は外務省官僚上がりだから、馬鹿なのは許せるが詭弁は見過ごせない。明治の日本は外国人の支援で助かったことは、岡本氏の言う通りだろう。約千人の顧問や技師、教師が近代日本の建設に貢献したのは確かである。しかし、その外国人は西洋人であって、アジア人ではなかった。インドネシア人が近代的軍隊の知識や製鉄所の建設を日本人に教えてくれたのか? インドネシアから大勢の物理学者や数学者がやって来たとは、未だに聞いたことがない。岡本氏は「もう一度開放型の社会に戻り、異なった国の人々の才能と文化を受け入れなければ、この国は前へ進まない」と説教していた。(岡本行夫 『再び明治の開放性を』 産経新聞 平成22年3月31日) 岡本氏は明き盲(めくら)か? 我が国はいつも異文化を輸入しているし、優秀な人材なら積極的に求めているじゃないか? 老人のオムツを交換するインドネシア人が、日本文化を発展させる高度人材とは思えない。単なる廉価なアジア人の輸入は、利益よりも弊害の方が多いのだ。安価な筋肉労働者を仕入れたい財界が、看護婦や介護師をきっかけにして、他のアジア人労働者を大量輸入しようとする魂胆が見え見えじゃないか。本当に役人を辞めて評論家になる輩にロクな奴がいない。肩書きだけが頼りの岡本氏に、深い洞察力があるわけないだろう。官庁で優秀と呼ばれている人物でも、民間に天下れば能無しの穀潰しというのが定番だ。 フィリピンからの介護師インドネシア人介護師2 (左: フィリピン人介護師 / 右: インドネシア人介護師) 給料が安いからしょうがないのかも知れないが、産経新聞の記者には頭(オツム)の軽い奴がいるらしい。今泉有美子記者が、来日したインドネシア人看護師を取材した。彼女も国家試験で漢字が難しいことに触れていた。(日本で働きたい (上) 「のしかかる言葉の壁」 産経新聞 平成22年2月22) 専門職に就く人物に、専門知識が要求されるのは当然じゃないか? 産経新聞の入社試験は「なるほどザ・ワールド」程度なんだろう。経済担当記者だって、「リフレ」や「デフレ」「スタグフレーション」といった初歩的知識を持っているはずだ。もし、産経の新米記者が英語やドイツ語の専門用語は難しいから、発音記号と「ルビ」を振ってくれと、上司にお願いしたら、ベテラン記者が「このバカ野郎 !」と叱るだろう。今泉記者が取材したインドネシア人の看護師候補者ピピット・サフィトリは、「合格したら夫と2人の子供を呼んで4人で暮らしたい」と語っていた。やっぱり、日本移住が真の目的なのだ。日本で就職することで、安定給料の他に特典として日本国籍が附いてくる。熱心に日本語を勉強するのは、日本で家族を養うことが狙いなのだ。アジア人は家族を次々に日本に連れ込むが、その連中は日本人とはかけ離れた外人である。アジア人を求める介護施設は、日本永住権や日本国籍をボーナスにしているが、国籍は無料だから自らの懐は痛まない。それに、平成26年に出入国法が改正されて、高度専門職の外人は継続的に滞在資格が与えられ、家族や使用人まで日本に住むことができるようになった。滞在期間が長期に亘れば、アジア人はその間に適当な日本人を見つけて結婚するかも知れない。結婚だって利用するのがアジア人である。 今泉記者は別のインドネシア人ルシィ・フィトリニアにも取材していた。彼女は「出稼ぎに来たのではない。最先端医療の勉強に来たのです。それをわかってほしい」と語っていた。(日本で働きたい (中) 「出稼ぎじゃない」 産経新聞 平成22年2月23日) ルシィは日本の最先端医療を学んで、その知識をインドネシアに持ち帰りたい、と抱負を述べていたが、額面通りに受け取ることができない。最先端技術なら他の先進国だってあるだろう。なぜ、日本の看護施設で働きながら日本語まで習得しようとするのか? 試験に落ちて帰国しても、インドネシアで日本語が活かせるのか? 英語を習得する方が自然だろう。英国に就職できなくても、アメリカ、カナダ、オーストラリアがある。欧米諸国にも日本と同様の最先端医療技術があるから、無理して日本語を学ぶ必要はないじゃないか。睡眠時間や娯楽の時間を削ってまで日本語を習得し、日本で就職したいのは、永住権が欲しいからだろう。欧米では国籍取得が難しいし、人種差別も露骨だから、お人好しで間抜けな日本をターゲットにしたんじゃないか? 外国に逃げ出すアジア人は、騙す相手をよく観察するものだ。時には笑顔を見せたり涙を流して手玉に取ることもある。口には出さないが、日本人という天然馬鹿はチョロいと分かっている。今泉記者には「取材相手の話を鵜呑みにするな」と叱責したいが、社説を書く論説委員でさえ「言葉の壁を低くする工夫を」なんて主張しているくらいだから、ヒラ社員に注意しても無駄だろう。(産経新聞 「主張」 平成24年4月2日) アジア系日本人が外国で犯罪者になる日 ムルアカhaku 1韓昌祐孫正義 (日本国籍を取った人々/左: 売国奴鈴木宗男の秘書だったムルアカ / 心から韓国に奉仕する参議院議員 : 白真勲 / 密入国者で大物賭博業者の韓昌祐 / 右: 心から日本を憎む孫正義)
朝日から産経まで新聞社は皆、アジア人介護士の輸入に賛成だから、NHKが張り切るのも当然だろう。NHKは介護福祉現場でアジア人の介護師が助けになる、と宣伝し、アジア人の受け入れをせかしていた。しかし、アジア人は日本に利益をもたらす人材だけではない。むしろ、禍(わざわい)をもたらす人物の方が圧倒的に多い。外国からの労働者受け入れを推進するマスコミは、人材不足の介護現場や少子化人口ばかりに焦点を当てるが、異邦人が流入することで生じる弊害には目をつむっている。これでは悪質な保険勧誘員と同じだろう。狡い保険の外交員だと、会社に都合の良いことばかり客に宣伝し、客に不利な条項は一切説明しないことがよくある。役所だって同類だ。厚生省は国民に安心の年金積み立てを呼びかけて大金を集めたが、高級官僚や木っ端役人が掛け金を流用してしまった。全国各地にグリーンピアを建設したり、その管理会社に官僚が天下りをしたのである。中には愛人を伴って欧州旅行を楽しんだ官僚さえいたのだ。一般国民はネコババを容認したことはないのに、「国民への福祉をする」という名目で、遠慮なく積立金を食い潰していったのだ。横領が発覚した時には、既に事態は取り返しがつかぬ状態になっており、結局国民が尻ぬぐいをする羽目になった。なんとグリーンピアの解体費用は、年金から拠出されたのだ ! 役人を信用すると国民は酷い目に遭う典型例であった。 少子化対策に移民や労働者を輸入しても、日本人の子供は増えないだろう。かえって少子化が進行するかもしれない。それでも、移民の子供が増えれば日本の総人口は増えるから、移民賛成派は満足だろう。しかし、それが一般国民の望む結果なのか? 移民を受け入れた西欧諸国の実例を知らない日本人は、異邦人が犯罪者になることを予想していないのだ。支那や朝鮮、フィリピン、タイから移住してくるアジア人が国籍を取得すれば、横滑りで対等な「日本国民」となってしまう。一般の日系人は彼らが帰化しても、依然として外人扱いだろうが、こうした帰化人は法的に日本国民の権利を有する。したがって、彼らが外国で拉致されれば、巨額な身代金を支払わねばならぬし、場合によっては自衛隊の特殊部隊が投入されるだろう。被害者が日系人ではなくアジア系なら、反自衛隊のマスコミはこぞって、自衛隊を使えと要求するに違いない。日系日本人の場合は、犯人と根気強く話し合え、と主張するだろう。つまり、見殺しも「OK」ということだ。さらに腹立たしいのは、信用ある日本のパスポートを濫用し、外国で悪事を重ねる帰化人が出てくることである。「まさか」と思う人もいるだろうが、我が国では「まさか」の事件が起こるから油断はできない。(北鮮による邦人拉致、ダッカの人質事件とテロリストへの屈服、オウム真理教によるサリン・テロ、など多数ある。) Australia 1English people 1 (左: 多民族主義のオーストラリア人 / 右: 新しいイギリス人)
日本人は先進国で起こった問題をすぐ忘れる癖がある。NHKはしょっちゅう「お隣の韓国」という気持ち悪い表現で、南鮮の明るい話題を熱心に提供するが、都合の悪いニュースは極力かる〜く流そうとする。オーストラリアはかつて白豪主義を掲げる、アングロ系白人社会だったのに、多文化主義に感染してアジア人やアフリカ人の楽園と化してしまった。これまたユダヤ人が有色人種の移民を引き込んだのだが、今はそのことに触れないようにする。(毎回ユダヤ人の話じゃ嫌になるし、読者だって「ええ加減にせい !」と怒るでしょ。) 日本人観光客だって、美しい自然に恵まれたオーストラリアで、アングロ・サクソン系の国民に会えば気分がいいだろうが、街角で支那人やレバノン人、マレー人、朝鮮人に出逢えば不愉快になるだろう。せっかくの観光が台無しである。こうした多民族国家に零落(おちぶ)れたオーストラリアには、当然アフリカ・アジア系の犯罪者がうぢゃうぢゃ出現した。紛争地域のシリアやイラク、パキスタン、レバノンからやって来た者が、平穏なカントリー・ジェントルマンなわけないだろう。血みどろの内戦を日常とした者にとり、窃盗や殺人、麻薬なんて恐ろしくない。白人娘を強姦するのは、アラブ系青年にとり週末の娯楽である。 帰化した移民オーストラリア人は、外国でも犯罪をはたらく。麻薬密輸で処刑されたオーストラリア人が報道されたが、その容姿を見ると西歐人ではないことが分かる。例えば、2002年ヴァン・トン・グエン(Van Tuong Nguyen)というベトナム系オーストラリア人が、シンガポールのチャンギ空港で逮捕された。彼は約400グラムのヘロインを所持していて、その麻薬をオーストラリアに持ち帰ろうとしていたらしい。ヴァンはヘロイン所持の罪で死刑判決を受け、25歳になった2005年にこの世を去った。彼は金銭トラブルに陥った兄弟を助けようとして、麻薬密輸を試みたが、厳罰で有名なシンガポールで捕まったことがまさに致命的であった。その他にも、マリア・E・P・エクスポスト(Maria Elvira Pinto Exposto)がクアラルンプール空港でマレーシアの警察に拘束されたという。彼女は1.5kgのメタンフェタミンを密輸しようとして捕まったらしい。また、ヘンー・チン(Henry Chhin)は、オーストラリアに700gのメタンフェタミンを郵送しようとして、上海警察に逮捕されたという。チンは死刑判決を受けてしまった。でも、オーストラリア人の中には、アジア人犯罪者を抹殺してくれる支那裁判所に、こっそりと感謝しているんじゃないか? Australian Van Tuong NguyenAustralian Maria Elvira Pinto ExpostoAustralian Andrew Cahn & Myuran Sukumaran (左: ヴァン・トン・グエン / マリア・エクスポスト / アンドリュー・チャン / 右: ミュラン・スクマラン)
インドネシアも麻薬密輸については厳罰を科している。支那系オーストラリア人のアンドリュー・チャン(Andrew Chan)が密輸グループを結成していて、運悪く麻薬所持の現行犯でバリ当局に逮捕された。チャンには数名の手下がいたが、そのうちの一人にミュラン・スクマラン(Myuran Sukumaran)というオーストラリア人がいたので厄介なことになる。他の先進国同様オーストラリアでは、麻薬密輸で死刑になることはないが、外国ではありうる話だ。オーストラリアのトニー・アボット首相は、インドネシア政府に二人の助命を嘆願したが却下されてしまった。(Tony Abbott confirms Bali nine member Myuran Sukumaran has lost appeal against death penality, ABC News Australia, 29 January 2015) いくらアボット首相でも他国の刑法にまで介入できないから、犯罪者のオーストラリア人が死刑になってもしょうがないだろう。ちなみに、処刑されたミュランはスリカンカ人の両親を持ち、ロンドンで生まれたという。4歳の頃イングランドからオーストラリアに移住してきたそうだ。ブリテンからの移民が全て白人というわけではないから、アングロ・サクソン世界は複雑である。この麻薬事件で注目すべき点は、たかが支那人犯罪者のために一国の首相が動いたことだ。支那人といえども国籍を取れば、イギリス系国民と平等の扱いになり、首相が自国民保護に乗り出すのである。支那人とくれば犯罪を連想するくらい、悪事をを何とも思っていない。ゼニのためなら命を賭ける。博打好きの支那人にとって、株式市場と麻薬市場の区別はない。こんな支那人のために、ジュリー・ビショップ(Julie Bishop)外相が貴重な外交カードを切るんだから、オーストラリア白人が不機嫌になるのも理解できる。 Tony Abott 1Julie Bishop 3Naomi Watts 5Lai Peng Chan 2 (左: トニー・アボット首相 / ジュリー・ビショップ外相 / オーストラリアのイギリス系女優ナオミ・ワッツ / 右: 支那系女優ライ・ペン・チャン)
日本人は支那人や東南アジア人が帰化することに抵抗がない。それは彼らを歓迎しているからではなく、同胞になってることに気づかないからである。もしも、帰化支那人が麻薬密輸で支那警察に逮捕され、即決で死刑判決が下されたら、日本政府はどうするのか? おそらく外務省を通して減刑を願い出るだろう。そうなったらしめたもの。支那人は水面下で途方もない要求を出してくるに違いない。死刑囚を釈放あるいは減刑してやるから、経済援助をよこせ、と迫るだろう。支那人など大陸ではゴキブリくらいの価値しかないのに、日本国籍を取得したとたん、あら不思議。数億倍の価値を持つ黄金の鶏に変身するのだ ! 支那人の要求に屈することを屁とも思わない外務省は、総理大臣を説得して巨額の経済支援を約束するだろう。その際、国民の怒りを買わぬよう、迂回融資を行ってこっそり北京政府に献上するのだ。たかが支那人ごときに、日本国民の税金が億円単位で渡ってしまうのである。一方、北京政府は日本で捕まった支那人犯罪者を助けようなんで絶対思わない。むしろ、日本人は「厄介者を刑務所で養う間抜け」とつぶやくだけで、涼しい顔をしている。テロリストでも支那人は滅多に拉致しない。赤い皇帝に身代金を要求したって「ばぁ〜か」と言われて笑われるだけだ。イスラム教テロリストは人肉を喰わないから、支那人は一文にもならない。金持ちのペットを攫った方が、よほどお金になるだろう。 Khaled Sharrouf & Mohamed ElomarKhaled Sharrouf, 2 (左: カリード・シャロフと右モハメッド・エロマー/殺害した兵士の首を持ち上げるカリード)
アジア系国民が増えれば、当然日本のパスポートを持って海外旅行をする者が多くなる。そうなったら、邦人拉致の危険性が高まるかも知れない。帰化朝鮮人のジャーナリストや左翼活動家が、中東アジアでテロリストに拘束されるかも知れないし、インドネシアでフィリピン系日本人がムスリム過激派に誘拐される懼れもある。邦人拉致を告げられた外務省はあたふたするだろうし、政府閣僚だって人命第一とばかりに犯行グループの要求を呑もうとするだろう。軍隊を持たない日本としては、強襲部隊の投入や、報復攻撃といった選択肢がないから、お金で解決するしかない。拉致犯のテロリストばかりではなく、仲介の労をとった現地有力者にも報酬を支払う羽目になるから、何億円も使うことになる。勝手に危険地帯をうろつき回るアジア系国民のために、日系日本人の税金が浪費されてしまうのだ。移民受け入れの議論では、こうしたケースを検討することはまずないだろう。それに、移民を受け入れれば、日本人テロリストだって出現するのだ。オーストラリア政府はカリード・シャロフとモハメッド・エロマーという国民2名に対する逮捕状を発行した。(Australia issues arrest warrants for pair holding severed heads of Syrian soldiers, The Telegraph, 29 July 2014) 彼らはシリア内戦に義勇兵として参加し、シリア兵の首を切断して、その頭を掴んだ映像をネットに流した。しかも、カリードは7歳になる息子に、切断した頭を持たせて記念写真を撮ったのだ。「オーストラリア人テロリスト」と報道されるが、この2名の容姿を見れば、明らかに西欧人ではないことが分かる。普通のイギリス系白人が、テロリストになってシリアに渡航しようとは考えないだろう。移民とは実に迷惑な存在である。 Khaled Sharrouf ChildrenKhaled Sharrouf'S son 7Mohamed Elomar 1 (左: 子供をつけたカリード・シャロフ/中央: 殺害した兵士の頭を持つカリードの息子/右: 武器を持つモハメッド・エロマー) 高遠菜穂子4高遠菜穂子8高遠菜穂子 6 (左: イラク人の子供を見つけて喜ぶ高遠菜穂子/中央: 現在の高遠/右: 虎と無邪気に遊ぶ高遠)
日本人なら2004年にイラクで人質になった馬鹿三人組を覚えているだろう。左翼活動家の高遠菜穂子(たかとう・なおこ)と極左家庭の息子、今井紀明およびジャーナリストの郡山総一郎がテロリストに捕まり、日本政府は大金を支払ったのだ。高遠のようなロクでなし左翼といえども日本国民であったので、小泉政権はテロリスト集団と現地の有力者に巨額の税金を捧げたのである。国民感情としては、勝手に危険地帯に行ったのだから、見殺しにしてしまえばいいじゃないか、と思うだろう。しかし、邦人の安全を確保するためなら、日本国政府はいくらでも税金を使うのだ。政治家にとっては税金とは「他人の銭」だから。ちなみに、高遠は無事帰国してから数年後、再びイラクに向かい、イラクの子供たちを訪れたのである。NHKの「クローズアップ現代」でその模様を放送していたが、高遠には反省の色が全く見られなかった。この女は哀れな中東の子供を見ると昂奮してしまうのだ。貧乏で惨めな生活を送るイラク人を目にすると、嬉しくなって「うぉぉぉー」と胸が高まり、感涙にむせてしまう。つまり、豊かな日本から来た小娘が、イラクでは救世主のように崇められるから、高遠はイラク人が好きなのだ。貧乏人に施しを与える快感がたまらない。高遠はシャブ中のようにイラクに惹かれてしまい、惨めな子供を抱きしめることで有頂天になってしまうのだ。日本国民の税金で助かった高遠は、貧民捜しなどしないで、無報酬で老人介護に献身しろ。そうした罪滅ぼしもしないで、ヌケしゃあしゃあとイラクに舞い戻るとは、この女には我々と共通する道徳心がないのだろう。同行したNHKのスタッフも高遠とグルなんじゃないか? NHKには受信料を使って、自らの政治活動を推し進める左翼が多いから、その番組も赤いスタッフによって企画されたのかも知れない。 高遠菜穂子2今井紀明2郡山総一郎2 (左: 解放された時の高遠と今井/中央: 今井紀明/右: 郡山総一郎)
救出された高遠たちのあっけらかんとした態度を見て、怒り狂った国民も多かったはず。しかし、もっと憤慨する事件が将来起こるかも知れない。アジア人帰化を賛成する日本人は、彼らを救出するために自衛官が死ぬことを予想しているのか? 首相が特殊部隊に命令すれば、精鋭の自衛官は命を賭けて任務を遂行しようとする。反日思想の朝鮮系国民であっても、愛国心に溢れた部隊員は危険を顧みず助けようとするはずだ。その結果、クズのような朝鮮人が助かり、高潔で立派な自衛官が死ぬことになる。こうなったとき、大半の国民はその勇気を褒め称えるだろうが、帰化を賛成した日本国民は反省しないだろう。移民受け入れに賛成した有権者や、帰化の条件を緩めた政治家は、決して責任を問われることがないからだ。良識ある日本人なら、欲しくもない朝鮮人を養子に取らないし、隣に住む朝鮮人が拉致されたからといって、全財産を拉致犯に渡すことはないだろう。しかし、国家規模になると無関心になってしまうから、移民問題は深刻化するのだ。好ましくない人物でも帰化を許せば、同じ権利を有する同胞になってしまい、国家の威信を賭けて救出することになる。また、外国で支那系国民やフィリピン系国民が犯罪を起こせば、日本人の評判が悪くなり、日系国民も同類に見られてしまうだろう。日系日本人は外国でアジア系日本人と同一視されると目くじらを立てるが、外国人からすれば日本のパスポートを持っている者は人種・民族は関係なく「日本人」である。 秋山成勲4秋山成勲2 (左: 朝鮮人と仲がいい秋山成勲 / 右: 日の丸をつけた柔道着姿の秋山)
朝鮮事情に詳しい室谷克美氏によれば、朝鮮人は外国で悪さをして外人に捕まったら、「アイ・アム・ザパニーズ(ジャパニーズ)」と言って、日本人の評判を落とすよう心掛けているという。日本を憎む朝鮮人ならやりそうなことだが、そうした朝鮮人でさえ日本に住みつけば、便利だからと言う理由で日本国籍に切り替える。また、愛国心の欠片(カケラ)も無い朝鮮人でさえ、日本人と結婚すれば簡単に日本国籍を取れるのだ。こうなれば、アメリカで逮捕された時には、堂々と「アイ・アム・ジャパニーズ」と言えるし、日本大使館に何とかしろ、と要求できる。短気で見境のない朝鮮人が、日本国民になったら大変なことになるだろう。例えば、学校でライフルを乱射した朝鮮系日本人留学生だって、日本国籍を有しているから、米国のマスコミは「アメリカ人を虐殺した日本人」と報道するはずだ。いくら在米日本人が「あいつは朝鮮系帰化人だ」と言っても通用しない。こうした極端な例のほかにも不愉快なことがある。オリンピックに出たいから帰化した秋山成勲は、総合格闘家に転身した。彼が米国の有名なUFCに出場すれば、日本出身と紹介されてしまう。しかし、秋山を応援するのは在米日本人ではなく、朝鮮系アメリカ人だったりする。それに、薄汚い反則の前科を報道されても、日本人選手として扱われるのだ。悪役が定着した秋山は日本での人気がないので、祖国の南鮮で活動し、お金を稼いでいるらしい。やはり、同族と暮らす方がリラックスできるのだろう。 大半の日本人は、日本人の両親から生まれた日系人だから、普段の生活で国旗を振ったり、国籍を変更するという意識がない。しかし、これからは日本人の血筋を守る者とアジア人の血統が混じった混血児、そして日本人とは思えないアジア系帰化人などが、微妙な差別と反目を感じながら暮らすことになる。口には出さない僅かな差別は、露骨な差別より根が深い。お互い笑顔で付き合いながら、血筋や家柄を意識するから、日本国民は民族別に分離して行くはずだ。いずれ、日本人が持っていた国民的一体感は失われて行くだろう。そうなれば、日本人の定義が「日本列島に住む単なる人間」となる日は近い。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68407360.html
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