http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/829.html
Tweet |
(回答先: 英語教育を廃止しよう 投稿者 蒲田の富士山 日時 2024 年 2 月 09 日 17:33:58)
英語を公用語としている国は、インド、フィリッピン、その他も、あるかもしれない。
英語ではないが、西洋文字を導入してしまった国(ベトナム)もある。
但し、文字だけ。
伊藤博文は若い頃、英語を公用語とするべきだ、という意見を持っていたらしい。
人生の一時期にそう思っただけだったのか、Wikiを見てみたら、まったく、その事には触れていない。
あまり、関係のない記事になるが、せっかくWikiを見たのだから、Wikiから以下を引用する。
―――以下引用(部分引用)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
明治18年(1885年)12月の内閣制度移行に際し、誰が初代内閣総理大臣になるかが注目された。衆目の一致する所は、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三条実美と、大久保の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤だった。しかし三条は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の一つ三条家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。
太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいるなか、伊藤の盟友であった井上馨は「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくては駄目だ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成。これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなくなった。つまり英語力が決め手となって伊藤は初代内閣総理大臣となったのである。以後、伊藤は4度にわたって内閣総理大臣を務めることになる。
なお、44歳2か月での総理大臣就任は、2022年現在日本の歴代総理大臣の中でもっとも若い記録である(2番目は近衛文麿の45歳、現行憲法下では安倍晋三の52歳)。維新以来、徐々に政府の実務から外されてきた公卿出身者の退勢はこれで決定的となり、以降、長きにわたって総理大臣はおろか、閣僚すらなかなか出せない状態となった。
第1次伊藤内閣では憲法発布前の下準備の機関創設に奔走、明治19年(1886年)2月には各省官制を制定し、3月には将来の官僚育成のため帝国大学(現・東京大学)を創設し、翌年3月には国家学会が創設、これを支援した。一方、井上馨を外務大臣として条約改正を任せたが、井上馨が提案した改正案に外国人判事の登用などを盛り込んだことで外国人司法官任用問題が起こって閣内分裂の危機を招いたため、明治20年(1887年)7月に外国へ向けた改正会議は中止、9月に井上馨が辞任したため失敗に終わった。同年6月から夏島で伊東巳代治・井上毅・金子堅太郎らとともに憲法草案の検討を開始する。
- 黒船を撃ち攘い、国を守ることこそ、維新回天の大業の目的だったではないか。(阿修羅・富士山) 蒲田の富士山 2024/5/21 14:57:27
(0)
- 明治時代初期に日本での英語の公用語化(英語の国語化)を提唱したのは森有礼さんではなかったか? 新共産主義クラブ 2024/3/10 21:02:15
(0)
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。