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(回答先: 伊藤博文と英語 投稿者 蒲田の富士山 日時 2024 年 3 月 10 日 15:09:25)
2012年1月4日
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/729.html
陸軍大将西郷隆盛が、たまたま「天子の御親戚」に当たる後輩の軍人を叱りつけている。有栖川宮に対する個人的な親近感は、「征討将軍宮様」とゆう呼称に表れ、相手の身分に対する敬意は、「あらせられ」等々の敬語に表れてはいるが、だからといって西郷は、宮の前で少しも畏れ入ってはいない。このように、皇族が叱責や批判の対象になるばかりではない。「天子」すら西郷にとっては、決して無謬とは考えられていないのである。
何故なら、「天子」もまた「御失徳」に「立至」る可能性があるからであり、現に皇族に命じて「意外千万」の挙に出させたりしているからである。かくのごとく、「天子」も皇族も絶対ではないとするなら、西郷はやはり逆賊というべきなのだろうか?
振返って、西郷が政府の「姦謀」の証拠としてあげているのは、「隆盛等を暗殺すべき旨官吏の者に命じ、事成らざる内に発露に及」んだとゆう一條である。ために人民は「激怒」したけども、「激怒」したからといってそれを「征討」の口実にすることは赦せない。それではそもそも、「天子征討」を「私」することになるのではないか。そんなことを黙視するとすれば、当然「千歳の遺憾」になる。政府は「万国」に対して、どんな申開きができるというのか。
それなら、「天子」も皇族もいずれも絶対ではないが、西郷自身は絶対だというのだろうか。その絶対者の暗殺を企てたのが赦せないということになれば、西郷はやはり私怨で挙兵したという事実を自認していることになりはしないか。何故それが「姦謀」であり、人民はどうしてそれに「激怒」したのか。
おそらく西郷は、こういいたかったに違いない。この「激怒」こそは、純粋な怒りなのだと。その怒りは、国が亡びることへの、国を亡ぼそうとしている者たちへの、人民の怒りなのだと。その怒りを、自分も共有しているからこそ、敢えて出師に及んだのだと。そこにはもとより、一片の私心もない。もし、「天子」に歯向い、皇族を叱責することが不忠だとするなら、いかにも陸軍大将西郷隆盛は不忠の臣かも知れない。いや、逆賊ですらあるかも知れない。その汚名は、この際甘受してもよいとしよう。
だが、その「天子」と皇族が、それを戴く政府の「姦謀」が、ともに相寄って自ら国を亡ぼそうとしているとすれば、この一事だけはどうしても赦すことができない。人は一口に、「尽忠報国」という。しかし、「尽忠」ではなくとも、「報国」、即ち国恩に報いずにはいられないという一途な熱情を、どうして抑えることができるだろうか。然り、西郷は、「報国」の至情のために挙兵したのである。国を亡ぼそうとする「天子」と皇族と政府の「姦謀」を、粉砕するためにこそ鹿児島を出立したのである。
それでは何故に、「天子」と皇族と政府の輩とが、相集うて国を亡ぼそうとしているといえるのか。彼等こそは兵力と小銃大砲と弾薬と、軍資と糧食と運輸機関と、軍艦と通信電線との力によって、この国を西洋に変えようとしている者たちである。黒船を撃ち攘い、国を守ることこそ、維新回天の大業の目的だったではないか。しかるに今や、「天子」と皇族と政府の「姦謀」は、自らの手でこの日本の津々浦々に黒船を導き入れ、国土を売り渡そうとしているではないか。西郷はそれが赦せない、しかるが故に立ったのだと。
熊本の春日神社境内に設けられていた薩軍の本営で、この「別紙」の稿を認めていたときの西郷の心境が、このようなものであったことを私は疑わない。その西郷の心眼が、昭和20年八月末に、相模湾を埋め尽くした米国太平洋艦隊の姿を遠く透視していたことについても、私はほとんどこれを疑わない。今国を守らなければ、遠からず必ず国は滅びる。それなのに熊本県は、「庁下を焼払」い、川尻駅まで鎮台兵を「押出」して、砲撃に及んで来た。何故西郷の心情がわからないのか。
「ただ一蹴して過ぎんのみ。別に方略なし」というよりほかにないではないか。
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