http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/832.html
Tweet |
(回答先: 伊藤博文と英語 投稿者 蒲田の富士山 日時 2024 年 3 月 10 日 15:09:25)
「蒲田の富士山」さんの「伊藤博文と英語」という投稿記事を読ませていただき、興味を持たせていただいたので、明治時代初期の英語公用語化(英語の国語化)論を少し調べさせていただきました。
私が調べた範囲では、明治3年(1870年)に少弁務使として米国に赴任し、簡易化された英語(変則英語)の日本での公用語化(英語の国語化)に関して、1872年(明治5年)頃に米国の有識者に意見を求めた森有礼さんが、明治時代初期の政府における英語公用語化(英語の国語化)論の提唱者であったことが分かりました[1−4]。
森有礼さんが意見を求めた一人の、言語学者の大家であったイェ―ル大学教授の W.D.ホイットニーさんは、森有礼さんの考えに対して否定的な返答をして、日本での英語公用語化(英語の国語化)は回避されました[1−2]。
【参考文献】
[1] 八田洋子『日本における英語教育と英語公用語化問題』
(文教大学文学部紀要 16-02 pp.107-136,2003.01)
若き外交官としてアメリカに滞在していた森有礼は、1872 年、イェ―ル大学教授の W.D.ホイットニー宛ての書簡に、「日本語がいかなる目的にも役立たない言語である」から文明語である英語を日本帝国に導入したいと書いてさえいる。
……
西洋文明摂取に躍起になった明治政府は多数のお雇い外国人を雇用し、また海外へ多くの留学生を派遣した。維新後の文明開化熱の高まりとともに英語学習熱も白熱し、明治 4,5 年頃には一つのピークを迎える。象徴的な出来事として、当時外交官としてニューヨークに滞在していた森有礼は、イェ―ル大学の言語学者 W.D.ホイットニーに書簡を出し、国際語として最も適しているのは英語であり、日本語は近代的概念を表現するのに不十分なので英語を簡易英語にして日本帝国に導入したい、と訴えるに至る。
しかしホイットニーは、そのような英語を使うと返って英米人の誹りを受けることになると、日本国への英語導入に反対している。
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/451/files/BKK0000341.pdf
[2] 森有礼とホイットニー
(堀田隆一,hellog〜英語史ブログ,2016-01-20)
明治時代の英語公用語化論の急先鋒といえば,初代文部大臣を務めた森有礼 (1847--89) の名前が上がる.1870年代,森は日本を欧米列強のように近代化するためには英語で国づくりしなければならないと信じていた.今から思えば極端な思想に思えるが,森は日本語に欧米の先進的な概念を表わす語彙が著しく欠けていたことを真剣に憂いていたのである.
森は,日本の英語公用語化論のための後ろ盾を得ようと,欧米の知識人に手紙を送り,英語の簡易化の要請とともに持論を説いて回った.照会した欧米知識人の一人に,当時のアメリカ言語学会の重鎮でイェール大学の教授である William Dwight Whitney (1827--94) がいた.ところが,おもしろいことに,Whitney は森の勇み足を諫めるような回答を返している.施 (71--72) より,要旨を引用する.
ホイットニーからの返答は、おおよそ次のようなものだった。
母語を棄て、外国語による近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない。しかも、簡易化された英語を用いるというのでは、英語国の政治や社会、あるいは文学などの文明の成果を獲得する手段として覚束ない。そもそも、英語を日本の「国語」として採用すれば、まず新しい言葉を覚え、それから学問をすることになってしまい、時間に余裕のない大多数の人々が、実質的に学問をすることが難しくなってしまう。その結果、英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
まさに、ホイットニーが懸念したのは、前章で見たラテン語から「土着語」への知識の「翻訳」の努力を通じてヨーロッパの庶民が享受した知的な進歩への道を、日本人が自ら閉ざしてしまうのではないかということだったのだ。
さらに、ホイットニーは次のように述べ、森有礼に日本語による近代化を勧めている。
「たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても、多数の国民に新奇な言語を教え、彼らを相当高い知的レベルにまで引き上げるには大変長い時間を要するでしょう。もし大衆を啓蒙しようというのであれば、主として母国語を通じて行われなければなりません」
そしてホイットニーは、日本文化の「進歩」のなかには、「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説いた。豊かになった「国語」こそ、日本の文化を増進する手段であり、それが一般大衆を文化的に高めることにつながるというのである。
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2016-01-20-1.html
[3] 国語外国語化論
国語外国語化論(こくごがいこくごかろん)は、外国語を国語にするという主張である。日本においては、日本語を国語から除くという前提が含まれる論が多い。
・「英語を日本の国語に」
明治初頭に後の初代文部大臣森有礼が、また、終戦直後に「憲政の神様」尾崎行雄が主張したことがある。
・「フランス語を日本の国語に」
「小説の神様」志賀直哉がフランス語に代替せよと主張したことがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%8C%96%E8%AB%96
[4] 森有礼
・英語の国語化を提唱(国語外国語化論)。
・森の国語英語化論においては、馬場辰猪・西周・清水卯三郎・黒川真頼が反対の説を唱えた。黒川真頼は明治8年(1875年)6月、『言語文字改革ノ説ノ弁』を『洋々社談』第二号に発表し、痛烈に批判した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E7%A4%BC
「新自由主義」から「新共産主義」へと、政治と経済のパラダイムシフト(潮流変化)を導き、
人と社会の未来を築(つ)くる、『新共産主義クラブ』.
© 2024 新共産主義クラブ.
The New Communist Club builds the future for human and society,
leading the paradigm shift, the change of the tide,
in politics and economy from neoliberalism to new communisim.
Copyright © 2024 New Communist Club. All Rights Reserved.
「新共産主義クラブ」のウェブサイトは、阿修羅掲示板のサーバー内の下記のURLにあります。
http://www.asyura.us/ncc/
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。