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(回答先: 親切で慎み深いベドウィンたち〜招待されるのは相手に栄誉を与えること/本多勝一 投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 30 日 13:06:04)
≪親切で慎み深いベドウィンの正体〜テイク・アンド・テイク≫
(チャーターしたのでもない従者がつれてきたロバやラクダをちょっと借用しただけで、法外な使用料金を請求された例など、さまざまな例が列挙)
≪親切の正体〜サバクの掟≫
もし私たちが、アブヒダートのテント村に1、2日いただけで通過したなら、そして他のテント村も同様に次々と通過したなら、私たちはこう結論したに違いないー「アラビア遊牧民は世界一親切で遠慮深い人たちである」。
だが、私たちはドッカリ腰を据えて観察を始めたのであった。「定評」は、一週間とたたぬうちに崩れていった。
サバクではよく語られる美談は、違反すれば非難される「理想的規範」の典型であろう。裏返せば、その姿勢に沿って、ある程度まで習慣化したマナーとして万人が実行している。実はこれこそ、一見親切らしく見える接待の正体なのである。一種の慣習法、不文法。サバクの掟。
慣習法であるから、ベドウィンは心から「この旅人に親切にしたい」という善意で子羊を提供するのではない。ベドウィンの接待は、あの程度の親切と思えばよい。あとでごっそり取られる。サバクの掟は、エビタイを兼ねている。
都会人をさげすみ、農民をバカにしてきた誇り高いベドウィンの場合、こうした掟はメンツと結びつく。敵に対して、もし水を与えなかったとしたら、それは敵に対するブジョクである以上に、本人の重大な面目失墜である。
違った国には、違った生活があり、違った定義のメンツや名誉がある。
≪エスキモーとベドウィン≫
(当初は)エスキモー式のギブ・アンド・テイクが始まったと思った。だが、一歩進むと、ベドウィンはやらずブッタクリになることを証明した。
「親切」の正体が、きびしい自然に起因する慣習法にすぎないことを知っても、だからといって、この「エセ親切」をバカにすることはできない。いや、「善意」による親切よりも、確実な効果がある。善意は往々にして気まぐれであり、相手よりも自分を慰めるためのものが多いが、慣習は、一種の不文法として、確実な力を持っている。こうした慣習は、その民族の長い歴史の経験が集積した生活の知恵であり、無数の犠牲者を踏み台にしている。
私たちは、好むと好まざると、このような「つきあいにくい隣人」と、世界を共にしている。世界は「異民族」の寄り集まりなのである。この事実を無視して、一方的考え方で多民族に接する「大国」は、憎まれる。
≪略奪文化≫
ベドウィンに劣らずがめつい人間は、どこの国にもいるだろう。多くの場合、大都会に多く、いなかに行くほど純朴になるものだ。
だが、ベドウィンの場合は、平時でも、いくらいなかのサバクでも、都会以上にブッタクリが横行する。
ブッタクリー略奪は、誇り高いベドウィンにとっては悪ではない(こじきや泥棒とは根本的に違う)。彼らはタダで物をくれとは言わないし、コソ泥にあったことも断じてない。だが、サバクの掟に触れない限り、ここぞとばかりフンだくった。
これはもはや、カルチュアでさえある。略奪文化。酷薄な自然を舞台に、惜しみなく奪い合い、惜しみなく殺し合う酷薄な人間たち。
≪人間不信≫
ベドウィン哲学ー信頼できるものは、自分自身とアラー以外にない。ここまで徹底した民族と、煙のような”善意”を信じている民族とでは、1対1で対決したら結果は自明である。
【出展】同前
- ベドウィンの略奪文化は、海賊と本質的に変わるところがない〜ベドウィンは、誇り高い「サバクの海賊」であった/本多勝一 仁王像 2016/2/01 20:05:08
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