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(回答先: ベドウィンの正体〜信頼できるものは、自分自身とアラー以外にない/本多勝一 投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 31 日 09:04:28)
前出≪略奪文化≫を補足する。
≪略奪文化≫
ベドウィンはたいてい怖ろしい盗賊として知られてきた。しかし、この程度の評判は、まだ神話の時代に属する。私たちが現実に接したベドウィンは、神話ならざる、まことに非ロマンチックな遊牧民であった。
(ここに前出文「ベドウィンに劣らず… 酷薄な人間たち」が入る)。
現在では、部族間の戦争や隊商の襲撃はなくなったが、ほんの40年前(1926年、サウジ建国)までは、これが普通の状態であった。アラビア史学者も言うように、ベドウィンは「日本の農家が秋になれば稲を刈るのと同じ感覚で、喜々として略奪に出かけた」のである。食うに困って襲うのではなく、当然の収穫として、むしろ余裕のあるときに実行した。その証拠に、略奪の遠征は好んで冬が選ばれた。サバクにいくらか雨があり、牧草が豊富で、家畜の乳がよく出て、最も生活の楽なシーズンだ。
ほとんど定期的な略奪が、生活の一部を形成する社会。これは海賊と本質的に変わるところがない。アラビアのサバクの大部分を支配してきたベドウィンは、誇り高い「サバクの海賊」であった。彼らにとっては、ベドウィン以外の人間は略奪の対象としてのみ意味がある。
町の住人や農民や羊を主とする弱い牧畜民など、オアシス中心の人々は、サバクの海賊に何千年以来いじめられぱなしだった。酷薄な自然と酷薄な人間。徹底的略奪と全村皆殺しのような惨劇の繰り返し…。アラビア付近が古くから大宗教の発生地だったことと、これは無関係ではない。宗教さえもカルチャアとしての現象である。
アブヒダードのベドウィンの略奪的性格には、このような背景がある。決してここだけが特殊なテント村ではない。
ムハンマド自身も言っているように、彼らの性悪ぶりを裏付ける資料にはこと欠かないが、イスラム教はそれをかなり教化し、相対的には暗黒時代(ムハンマド以前)より格段の差でよくなった。それでも略奪というスポーツはなかなか消えなかった。
文字通りの略奪はなくなっても、風土に密着した「思想」としての略奪文化は、変わりにくいものである。
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