>われわれはそれにもまして彼らの感覚の鋭さ、特に視覚と聴覚との異常な発達に注意しなければならない。 >(果てない沙漠で、水の気配を感じ、地平のかなたにうごめく動物や木立を発見し、また敵の部族が近づく前に、陣形や人員を見分ける必要から発達)。 完全に勘違いしているけど、砂漠は一瞬で遠くまで見通せるから感覚なんて不要なんだよ
イスラム世界の超能力者なんか聞いた事ないしね。 ムハンマドは予言力や超能力が完全にゼロだったしね。 感覚が極限まで研ぎ澄まされているのは狩猟民族だけだよ: アイヌのシャーマンの治療分野として大きく以下のジャンルがある。 1.ウェインカラ(透視・千里眼) 霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。「空」の境地に入るといわれる。 2.トゥス 治療師のトレンカムイ(憑き神)や患者の先祖などを降ろし、トゥスクル(トゥスする人)の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はないらしい。 3.ウェポタラ 祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。 4.フッサラ 悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの。 ウェンカムイ(悪霊)払い。 6.薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法) 多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合するらしい。 筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。 9.テクマウ(手当て療法) カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応するらしい。 これらの秘儀の継承は家系的に受け継がれるのもと、臨死体験し、魂が持っている要素を引き出し秘儀を授かることが多い。 REF034 二風谷アイヌのウェポタラ 1 Ainu Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 1 N.G.Munro D-2 13'00" 1933 白黒サイレント 94011001 (ORG・RETAKE)(Hi8), 92090202 93052603 (AGFA版・字幕無・チセノミと混)(Hi8), 96030801 (非復元版・日本語字幕・チセノミ混)(β-CAM)
帰化スコットランド人医師N.G.マンローは、第二次大戦前、二風谷アイヌへの医療と健康改善につくしながらアイヌ研究を続けた。その中で撮影され、生前未完成に終った悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その1(原版16mm)。エカシの祈祷(アッツシ、イナウ)、儀礼(庭先、家の脇:樹の枝)、治療(庭先・川岸、数種類のイナウ)、樹に祈祷(刀、着物を治療に使用)、火のついた草束を患者がくぐる、エカシの踊り(イナウ、刀の使用)、女性の踊り REF048 二風谷アイヌのウェポタラ 2 Ainu Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 2 N.G.Munro D-2 15'00" 1934 白黒 サイレント 92090202 93052603 (チセノミと混じっている)(Hi8)
N.G.マンローの悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その2(原版35mm) 川辺での治療、家の脇での呪い・治療、織物(糸紡ぎ、アットゥシを織る)、揺り篭の子供をあやす、赤ん坊を背負う、頭にのせたものを運ぶ、炉端の周りに集まり食事をする、女性の踊り、輪舞(男女) http://tokyocinema.net/far-eastlist.htm 不思議なアイヌの超能力 アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-56-%E8%97%A4%E6%9D%91-%E4%B9%85%E5%92%8C/dp/4098200562
著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、 現在は北海学園大学の名誉教授ですが、 以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに 主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、 さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、 その本質に触れていくことができるようになったということでした。
この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、 ・誰にでも憑き神は憑いている。
・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、 その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。 ・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。 ・後天的に憑く霊は4種類ある。 非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。 ・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。 ・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。 ・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。 ・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。 ・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。 …などなど、という感じですね。
現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、 そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。 「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。 「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、 「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。 そして、それらの憑き神などの存在を、 普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、 どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、 上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/023/ 本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、 そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。
・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。
・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、 母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。 ・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、 ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。 ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。
そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、 そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。 そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。 また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、 著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、
・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。
・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。 ・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、 左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。 ・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。 ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、
・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。
・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。 ・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。 という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、 細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。
それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、 私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、 つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。 つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、 サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。
ですから、いろいろ便利そうだからと 若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、 きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、 受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。 ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、 離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、 霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。
そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、 向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、 天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、 カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、 今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、 昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。 http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/024/
アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、 ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。
要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、 何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、 いわゆる「シャーマン」がいたわけです。 具体的にはどのような感じだったかということで、 今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、 なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として 『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』 青木愛子 述 長井博 記録 樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0asyuracom-22/250-1298541-7861852 の記述をお借りしますね。 『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。 対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。 これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、 電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、 今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。 想うと見えてしまうのである。 …病人が来て愛子の治療を受ける。 治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。 開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。 貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。 こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。 牧場主が1〜2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。 生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。 商売の運勢を見てもらいに人が来る。 その商売で動くおかねの様子が見える。 ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』 …ということで、この本に出て来る青木さんも、 なかなかお見通しな方だったようですねー。 見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、 とても霊感がおありの方だったようです。
それで、そのような能力というのも、 青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。 臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、 「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか 守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、 いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。 また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、 各地の伝統宗教などにも良く見られますね。 ネイティブアメリカンの方などでは 呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、 精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、 ほんとに命がけで行なったようです。 ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、 自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。 ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、 霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。 そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは 霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。 http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/020/ アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。
それは何かというと「千里眼」ですね。 「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;) まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。 たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。
この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。 あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。 それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。 それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。 だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。 そして書いてあります。 『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。
明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。 何も見えないほど暗い人もある。 暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。 ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。
現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』 ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。 http://blogs.yahoo.co.jp/fy3on3/6770078.html
ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う 1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。 はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。 どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。 これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。 アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。 表紙の言葉をそのまま紹介すると 「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。 本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」 と書かれていた。 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。 「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。 初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。 参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、 「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。 私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。 「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。 連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。
質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。 祈り終わるとババはすぐに 「ババのこと信じるか。」 とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、 「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」 と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も 「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」 と言った。 その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。 この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。 生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。 ■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。
研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。 また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。 しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。
ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。 「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。 「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。 「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。 「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。 ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。
また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。 「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。 ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、 「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」 と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。 こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。
愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。 助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。 つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。 ■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。
私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。 唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。 そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。 ■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。
「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。 アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。 こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。 自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。 http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html 青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。
…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。 例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。 ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。 というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。
では実際にはどのような感じでわかったかというと、 距離と時間を越えて見える ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。 これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。 …病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。 牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。 商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。 …例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。 死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。 四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。 またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。
一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。
暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。 明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。 と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。
ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。 「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」 とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。 http://www.uranaiblog.net/user/fy3on3/fy3on3/62550.html 歴代継承者について 本書より引用 この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。
初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。
この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている 天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。 天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。
薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。 初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。 初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。 この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。 この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。 初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。 三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。 四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。 五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。 アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。 真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを 行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。 二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。 しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。 http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Books/Upashikuma.html 青木愛子さんについては
アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫) 本多 勝一 (著) http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572 でも詳細に紹介されています。 部族社会では危機が訪れるとシャーマンが変成意識状態の中で啓示を受け部族を導き、部族を危機から救おうとする。
シャーマンのイニシエーションには「シャーマンの病」と呼ばれる精神的な危機がある事が知られている。 その構造は神話の構造と共通している。 1、セパレーション(分離・旅立ち) 地下世界 天上界 異界への長く苦しい旅立ち
2、イニシエーション (通過儀礼) 異界で神々、悪霊、祖先霊、動物の霊と遭遇する。 精霊に出会ったシャーマンは苦痛の中で象徴的にバラバラに引き裂かれる。 死と再生のプロセスを通過して シャーマンは深い人格変容をとげる。
3、リターン(帰還) シャーマンは宇宙の智慧と癒しの力を得て共同体の一員として再統合する。
現代の、拝み屋、新興宗教の教祖などの霊媒体質のシャーマンに共通するのは人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれることだ。 病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。 危機状態を通過したのち霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になるのである。 ただし祈祷師、拝み屋、今風にいえばスピリチュアル・カウンセラーにもピンキリがあり、無意識が浄化されていないと物質的な現世利益に走り精神を病んだり、体調を崩したりする者がいる。 シャーマンの危機は現代医学では重度の精神病と診断されている。 精神的な危機に陥った住民を経験豊富なシャーマンは歌や踊り、祈りによって適切な処置を施し共同体の中に着地させる。 精神的な危機を理解できる指導者がいない文化では精神病の患者は共同体から隔離され誰からも相手にされない。
薬づけにされ、病室に閉じ込められる。 シャーマンがいない共同体では危機状態に陥った者の精神の苦しみはより増すばかりである。 神話に表れる英雄、シャーマン、神秘家の体験、精神分裂病患者(統合失調症)の旅には共通の構造がが見られる。 自我の境界を超えると様々な無意識のイメージやヴィジョンの洪水に襲われる。 同じ無意識の海に飛び込んでも神秘家やシャーマンは泳ぎ、精神分裂病患者は溺れてしまうのである。
20世紀の初頭イヌイットのシャーマンはデンマークの探検家に偉大な精霊シラについて話した。 「宇宙の霊であるシラは、目には見えない。声が聞こえるだけだ。 わたしらが知っているのは、シラが女のようにやさしい声をしているということだ。 とても上品でやさしい声なので、子どもでさえこわがらない。 そしてシラはこう言う。『宇宙を恐れるな。』」 と シャーマニズムの研究によるとシャーマンになるには二つのパターンがある。 召命型と探求型である。
沖縄と奄美には「カンカカリャ(神懸かり)」「ムンスイ(物知り)」「カンヌプトゥ(神の人)」と地域によって呼び名がことなるユタが存在する。 ユタはほとんどが女性であるがカミグルイ、カンブレ、カミダーリィと呼ばれるイニシエーションを経験する。 ある日、結婚生活を送っていた主婦の心身に異常が起きる。 夢や日常の中に神々が表れたりして精神状態が不安定になり、様々な体の不調を訴えるのである。 そのうちに神の歌を歌い一日中踊り続けたりするようになる。 当然、「モノグルイだ」「神グルイだ。」と近所で噂になる。 シャーマニズムの伝統が生きづいている地域ではこれが「聖なる病」であることが理解され家族は精神病院ではなくユタを訪れる。 やはり、カミダーリィとわかり一人前のユタを目指す。 ただしカミダーリィが起きた人が全員ユタになる訳ではないようだ。 「精霊から何代か前の先祖の葬られた場所を探し当てて供養しなければいけない。」 といわれ何年も探し歩いて彷徨しているユタもいる。 精霊にもやり残した仕事があるのだろう。 又、精霊と交流するうちに自分は特別な存在としてエゴがますます強化することもある。 無意識の抑圧に無自覚な人が妄想の中で神社巡りをつづけることもあるのである。 無意識に抑圧や緊張がある者が霊的な能力を得るとその能力故に自滅するケースもある。 突発的に神懸かりになる召命型のユタには人生でさまざまな災難が降りかかり、病気、貧乏、友人、家族、兄弟の死、夫の浮気、離婚などの苦悩と極端な不幸な経験をつむものが多い。 絶望しても死ねないことは普通の人では耐えきれない人生である。 しかし3次元の世界では不幸だがのちに神様の世界から見れば素晴らしい経験だという事を知るのである。 そして超自然的な出来事の中で思考が落ち、神に選ばれた自分の運命を受け入れ自覚した人がユタになるのである。 生まれながらのユタとして人々は「ウマレユタ」と呼び神と直接交流出来る人として特別視する。 ユタには人々をカミンチュ(神の人)に導くことを使命と自覚している人もいる。 カミダーリィを経ないでユタのもとに通っているうちに、ユタのシステムをおぼえていつのまにかユタ稼業を始める者を「ナライユタ」と呼ぶ。 探求、修行型は東北のイタコに相当する。 カミダーリィをシャーマンの病とも呼ぶが召命型のイニシエーションは世界中の先住民の文化に共通してみられる。
変成意識状態の中でシャーマンの今までの肉体は完全に解体される。 頭は切り離され手足と骨盤、関節はバラバラに分解される。 心臓や内蔵が生きたままとりだされる。 筋肉が奇麗にそぎ落とされ目がくり抜かれたりする。 体液が抜き取られ、そして釜で煮込まれたりする。 シャーマンはその間ほとんど息をせず臥せっているのである。 最後に骨が拾い集められ、肉がかぶせられる。 解体と再生は3日から7日続きイニシエーションは終了する。 これらはLSDやメスカリン、アヤワスカなどの向精神物質の摂取でも同様な報告がある。 シャーマンの病とはまさしく跳ぶ前に屈むことなのである。 http://homepage.mac.com/iihatobu/index.html うつとシャーマニズム
以前このブログで、私のうつ体験について書いたとき、インディアンのシャーマニズム(呪術的民間信仰)について詳しいある人が、
「先生の体験って、シャーマンのイニシエーション(呪術師になるための通過儀礼)そのものですね」 と話してくれた。 そう言われてみれば、自分ばかりでなく、うつの人のカウンセリングをしていても、自然とシャーマニズムについて話すことが少なくない。
どうやら私の目には、うつの人々とシャーマンとが、重なって見えることが多々あるらしい。 一体なぜそうなるのか、話の流れなどを具体的に思い出し、考えてみた。 シャーマンは、世界各地、特に古くから続く文化を踏襲している地域において、より多く存在し、日本語では「呪術師」あるいは「巫師(かんなぎ)」と訳される。
多くはトランス状態に入り、神の言葉を伝えるという職能の人々のことである。 日本で代表的なものとしては、巫女があげられるが、現在なお実質的な影響力を持つ人々として知られるのは、沖縄周辺の「ユタ」や青森県の「イタコ」が有名である。 青森県の「イタコ」の場合、視力障害を持つ人などが、その職能を身につけるために厳しい修行を行い、その立場を得る。 しかし、沖縄地方の「ユタ」の場合、一部の例外を除き、それまで一般人として生活していた人が、何らかのきっかけで一種の精神病様状態「カミダーリ(神障り)」に陥り、それを克服する中で、自らの「ユタ」としての能力と天命に目覚めていくという経緯をたどる。 イニシエーションにおいてシャーマンがたどるプロセスについて、井上亮(故人)という心理学者から聞いた話がある。 井上氏は大学に助教授として在任中、海外留学先を決める際、周囲の驚愕をよそに、さっさとアフリカはカメルーンの呪術師のもとに留学することを決め、1年を経て、実際に呪術師の資格を得て帰国した人で、さほど口数は多くないが非常に魅力的な人物であった。 シャーマンになるためのプロセスの中では、いくつかの課題を克服せねばならないという。 中でも、特に私の記憶に強く残っているのは、「孤独」と「恐怖」の克服である。 氏自身も、「恐怖」の克服こそがもっとも大きな課題であるとして、通過儀礼の中心に位置づけておられたように思う。 シャーマンの通過儀礼においては、「恐怖」の対象は、単なる観念ではない。 戸のない小屋で、夜一人で睡眠をとることを命じられ、ベッドに横たわっていると、黒豹が小屋の中に入ってくるというのである。 この黒豹は、たしかに実体ではあるが、ある大きな存在の化身らしく、普通に自然の中で生活している生きた黒豹とは違うようだ。 通過儀礼を受ける者は、これから逃げてはならないし、起き上がってもならない。 氏が儀礼を受けていた際も、確かにこの黒豹が、小屋に侵入してきた気配があったということである。 これまで自分が生活していた日常の世界から、未知の異世界へと通路が開かれていくとき、夢や物語の中では、異世界を象徴する存在は、しばしば獰猛な動物的性格を帯びる。 以前、このブログで『こぶとり爺さん』の解釈を試みたことがあったが、爺さんが最初に見た異世界の姿もまた、異形の鬼(妖怪)どもの宴であった。 そして、やはりこの爺さんも、「鬼に食われてもよい、わしは踊るのだ」という形で、恐怖を克服したのである。 ごく普通の人の場合でも、外部からの圧力によって表現することを妨げられた感情は、「怒り」という様相を帯びる。 それは、檻に閉じ込められた、あるいは鎖につながれた獣が、怒りのためにより凶暴になるというイメージに似ている。 異世界も異世界への通路も、潜在的にはとっくに存在していたのだが、ただ人の側にそれを受け入れる準備ができていなかったために、意識の向こう側に閉じ込められていたに過ぎない。 かなり前の放送だが、NHKスペシャル『脳と心』の最終章「無意識と創造性」に、宮古島のユタである、根間ツル子さんという女性が出演しておられた。 先に述べたユタの例に漏れず、彼女もまた離婚という節目をきっかけに精神病様状態となり、他のユタのもとを訪れて、「この人はユタになる人だ」と見抜かれたのだという。 都会であれば、「精神病」あるいは「人格障害」で片付けられてしまう状態だ。 根間さんに初めて神がかりが起きた頃、ある一つのことが強く訴えられた。 番組では、当時の神がかり中の根間さんの肉声が放送されていたが、まさに壮絶なまでの叫びであった。 「ああ私が悪かったぁー!………… 何としてもこの井戸を、これだけは、これだけは頼みます……!」 と、すでに使われなくなり、埋もれてしまっていたある井戸を再び掘りなおすことに、強く執着したのである。 根間さんは実際にこれを実現し、そしてユタとなった。 万物の根底にある地下水脈、地下世界という異界と、この世とをつなぐ通路。 根間さんの魂、あるいは宮古島の人々や自然の魂にとっては、それがその井戸だったと言えるだろう。 この場合、「井戸は、単に象徴に過ぎない」と言うことはできない。 心理的に大きな何かを乗り越えるというのは、単に「心の持ちようを変える」というのとは、まったく次元を異にする。 うつという病を乗り越えるにも、まず例外なく、ある現実との実際の闘いなくして、遂げられることはない。 だから根間さんも、実際に井戸を開通させねばならなかったのだ。 万物の根底にある地下世界のイメージによって表現される領域を、ユング心理学では「普遍的無意識」と呼ぶが、ユング自身もまた、当時ヨーロッパを席巻していたフロイト心理学と袂を分かった後、精神病様状態をともなう極度のうつを経験している。 そののち、ユングはこの考えを体系化するに至るのだが、彼もまた、フロイトとの決別という苦難に満ちた過程を経ることで、普遍的無意識に達する井戸を開通させたのだと言える。 うつの人々の特徴は、一言でいうならば、ものごとの本質・本筋・矛盾を見抜く目に、曇りがないことである。
だから、まわりの雰囲気や、慣習や、馴れ合いに流されず、いつも本当のことが見えてしまう。 要するに、非常にシャーマン的なのだ。 こういった人々の割合は、どれほど多く見積もっても1パーセントくらいではないかと、私は考えている。 はっきり言って、特殊と言わざるを得ない。 そして、そこにこそうつの人々の苦悩と劣等感がある。 一般の人々は、自力では大きな存在とは繋がれない。 それを導き、繋げてやるのがシャーマンである。 本来の姿のままに自然と人間とが有機的に絡み合い、人間性が生き生きとした文化の中であるならば、シャーマンのような立場となるべき人が、うつになるタイプの人々の中には少なくないのではないかと思うのである。 本来ならば、常に真実を見、正しい言葉を語り、尊敬を集めてこそしかるべき人々が、踏みつけにされ、もがき苦しまねばならない社会。 一体われわれは(というよりも私は)、これをどうすればいいのだろうか。 http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-55.html ■カミンチュ(ユタ)とは
沖縄本島・離島・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・シャーマンのことを一般にユタと呼ぶ。
運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる。 昔からカウンセラーや精神科医の役割も果たしていた。 他の地方のシャーマンたちと同様、ほとんどのユタは女性である。 カミンチュになった動機を聞くと、ほとんどが「好きでなったのではない」と言う。 他の地方の霊能者と違い、沖縄や奄美のユタは、ユタになることを運命づけられていると思われる人が多い。 そういう人々のことを「サーダカウマリ(性高生まれ)」とか「カンダカウマリ(神高生まれ)」などと言う。 ■ユカミンチュの成巫(せいふ)過程
カミンチュの多くは人生のあるときに、離婚や親族との死別などの不幸な体験をきっかけに神懸かりになり、「カンダーリィ(神ダーリィ)」と呼ばれる巫病を患う。
この期間中は精神状態が不安定になり、人によっては不眠、拒食、意識喪失、大声で歌い騒ぐ、身体が震えるなどの状態が続き、精神病者と紙一重になる。 しかし、これはほとんどのカミンチュが経験する「関門」なのだ。 この間、彼らは自分に憑いた神霊や先祖霊に命じられるままに、いろいろな御嶽を回って祈らされたりする。 こうして彼らは自分と関係が深い神霊や先祖霊によって祖先の道を悟る。 するとカミダーリが収まり、霊感が得られる。 この状態をチヂアキという。 そして、ユタと神霊との関係ができ、判示をする存在ができる。 こういう存在のことを「ジヂブン(守護霊)」などと呼ぶ。 カミンチュになった後でも、病気、貧乏、身近な人の死、離婚などの不幸な体験を何度も経験する。 また、幼少時から病弱な人が多い。 ユタのほとんどを占める女性のユタは、ほとんどといって良いほど離婚歴がある。 こうして、ユタになることを拒む彼らにさまざまな災難が降りかかり、けっきょくイヤイヤながらカミンチュに招命されることを承諾するのだ。 ■カミンチュの分類
カミンチュには2つのタイプがあり、宮古では天ヌザーを扱う者と、グソー(あの世)ザー を扱う者にわかれる。
前者は、主に神や遠い先祖に向けた儀式を行う。 後者は死に関連した儀式を専門とし、宮古ではグソーザスとかスンガンカカリャと呼ばれたりする。 沖縄では死者が出ると一族揃ってユタのところへ行き、ユタは死者の胸の内を家族に語り聞かせる 「生まれユタ」と「習いユタ」という区別をする場合もある。 生まれユタは生まれつき神懸かり能力をもっていたり神事を直接神から習った人で、習いユタは、そういうことを他のシャーマンから習ったという違いがある。 ■カミンチュの役割
沖縄文化圏では古くから、ユタ禁止、ユタ征伐、ユタ狩りなど、琉球王国時代から明治政府、戦時体制下まで幾度もユタを禁圧した歴史がある。
だが、民衆の要求に支えられて潜伏し、いままで生き続けてきた。 青森のイタコなどは絶滅寸前のようだが、沖縄・奄美のユタは、民衆の必要性に応じて、その数は増える一方であるようだ。 ユタの存在に対して否定的な見解をもつ人々の多くは、祖先の祟(たた)りをことさらに強調し、人の心を畏怖(いふ)させることを問題とする。 だが近年は学者の間でもユタに対する肯定的な意見が多くなってきつつある。 たとえば1997年の多文化間精神医学会のシンポジウム「癒しと文化-土着の中の普遍」では、沖縄土着の癒しの三つのキーワードの一つにユタの「判じ」を挙げ、ユタはある意味で地域の精神保健を担っていたという意見も出ていた。 専門家の間にも、ユタによって「精神的安定」が得られ、それが沖縄人の長寿の秘けつの一つとする見解さえあるようだ。 ユタに見てもらうことを「ユタ買い」という表現をする。 沖縄の精神科医は、患者さんにユタを薦めることもあるという。 こういう習慣を「医者半分、ユタ半分」という。 お医者さんも、その効果をある程度認めているからこそ薦めるのだろう。 多くの人は「カミンチュ=霊能者」と思うだろうが、まったくイコールだとは言えない部分があるように思われる。 カミンチュの多くは先祖ごとを主として行い、人々に「癒し」を与える。 だが、社会や人間を罪から救うというもっと普遍的な目的のために、カミンチュとして立つ者も存在する。 私(百瀬)が会ったある女性カンカカリャは、自分の使命は皆を公平に扱い、神の教えを広め、新しいカンヌプトゥ(神の人)を産み出すことにあると信じている。 だからこそ、われわれはユタの存在を無視できないのだ。 http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/mikoclub/yuta01.html 神人(カミンチュ)=ユタへの道先日、伊良部島でお会いした女性から、お電話をいただきました。
その内容は、沖縄の神人(カミンチュ)から、 「あなたは、神さまから、神人(カミンチュウ)にならなければいけない時期に来ています」 と告げられたので、そのことを受け入れて宣言した後、今、毎日、拝所(ウガンジョ)を回っているんですが、何か、アドバイスはありますか?ということでした。 神人になるということは、最終的に、 自分の神を持つ = 神につながる = 神の役目として生きる道 のことを言います。 これは、決して、なまはんかな気持ちではできないことです。 今年の3月の宮古島・伊良部神事のときに、伊良部島に住んでいる方で、現在、神人修行中という女性に逢いました。 その方の苦しさがよくわかりますので、これからのアドバイスをしましたが、神の声と、自分の気持ちをどうバランスよく調和をとるかが、とても難しい期間なのです。 この神人になる道は、普通は、”三年修行”と呼ばれていて、三年間は何をさしおいても、最優先のテーマとして、神の言葉に素直に動かなければいけません。 特に、沖縄以南の神人と呼ばれる人たちは、昔からこのこの期間の苦しさを経験していますので、よく知っています。 でも、周りの人に頭がおかしくなったと思われたり、変な人になったと敬遠されたりするので、この苦しさから逃げ出そうとして、家族の命をとらえたり、大きな事故が起きたり、想像を絶する経験をしている神人も少なくありません。 だから、ほとんどの神人は、自分の三年修行の話はしません。普通の方には、理解できない苦しみがあるからです。 この期間がどんな感じかというと、まず、自分のしたいことは、ほとんでできません。 すべての意思は、神にあるからです。 自我を完全に消すための修行期間ですので、自我と神のいうこととのはざまに陥る苦しい時期なのです。 そして沖縄地方独特の神さまごとに手をあわせる祈りには、必要なものを買い揃えたりもしますので、祈るたびに、お金もかかります。 さらに、祈る時間は、朝も夕も夜中も関係ありません。 神が必要とするときに、動けなくてはいけませんから、ほとんどの方は、仕事ができなくなってしまいます。 こういう経済的な問題や生活パターンの変化は、家族の問題を引き起こしたり、夫婦関係や親戚関係にも、大きな影響がでてきます。 皆さんが、普通だと思っている日常の現実世界での優先事項が、一切できないこともよくあるからです。 神に使え、神の一部となり、神の役目をする神人(カミンチュウ)とは、そういう役目の方たちなのです。 伊良部の神人と話しているときに、”大和の国の人”と私たち日本人のことを呼んでいましたが、現在の日本で活躍しているセラピストやヒーラー、また、スピリチュアルカウンセラーよ呼ばれる人たちとは、まったく違う存在くらいに、ものすごい経験をしなければできない仕事だと理解してください。 私も昔は、自分のことを”霊媒師”としか説明できなかった時代がありますが、今は、癒しの時代のおかげで、世間で受け入れられていることに感謝しています。 しかし、神人は、土地を守り、先祖を守り、すべての御霊のふるさとの神さまの伝言を正しく伝える役として、一生、働らかなければいけない役目の人なのです。 私も実は、大和の人間ではめずらしく、”三年修行”を経験しています。 だから、沖縄や伊良部島の神人に逢っても、互いの歩んできた道の苦しさを理解しあえますし、その結果で得られたお互いの”霊格”を尊重しあえるのです。 お電話いただいた60代の女性は、琉球地方に最初に神が降りた場所と呼ばれる久米島出身ですし、さらに、現在、沖縄本島でも、自分なりに祈ることをずっと続けていた方ですが、それまでの祈りとは、桁はずれの修行の道に入ったことになります。 守るべきところを守る方がいない場所が多くなってきているのも、沖縄以南の島々の現在の大きな問題です。実は、そういう方たちがいないと、天災や災いから、守る霊力や神さまの力が弱まってしまうからです。 現代の風潮の面倒なことはなるべくしないで楽をしようとする一方で、こういう苦難の道へ進んでも、みなさんの土地や日本や地球を守ろうとする方もいらっしゃることを知っておいてください。 だから、皆さんにお願いしたいのは、ウタキや拝所のルールを正しく知り、神人(カミンチュウ)の方たちとの付き合い方も覚えて、その大切なルールを誰かに伝えていかなければ、この日本を守る大きな霊力バランスが、崩れてしまうことになることを知っておいてほしいのです。 現在、それぞれの土地を守っている神人たちと、これから神人(カミンチュウになられる方たちへのご理解と、大切にすることの意味を知り、これからもさらなるご理解とご支援をよろしくお願いいたします。 すべての過去を司る神々たち、そして、その役目を果たす神人たちに、心からの感謝と愛をこめて。 http://heartland.ti-da.net/e979275.html ノロ神様に会いに行く
蝉のシャワーを浴びながら、緑の森の中を登っていきます。 どこへ向かうかというと… ノロ神様という生き神様に会いに行こうと山を登っていきました。 奄美大島には「ノロ神様」とか「ユタ神様」といった生き神様がいらっしゃる。 見てもらったという友達が「すごいよ〜。」と言っていた。 何がすごいって、例えば電話で話をしていたら 「テレビの上に赤ちゃんの写真を飾ってあるわね。やめた方がいいわよ」 と見てもないのにぴたりとあてるんだそうだ。 実は奄美に来てから病気やケガばかり、いいことがないなあと思う今日この頃。 今後の指針のために見てもらおうと思って以前から考えていて、やっと実現したわけ。 「卯年の子供がいるね」 「馬がいるね〜。男の子みたいに活発な女の子」 などなど、不思議にピタリと何年かを当ててくる。 「何に気をつけなさいね」など注意した方がいいこととか、色々お話ししてくださった。 最後に持ってきた焼酎に何やら唱えてくださってから 「これを家の水回りに全部流してお清めをしてね。 それから外に塩を撒きなさいね。それで家の状態が良くなるから」 「あなたは下をよく見て気をつけて歩きなさいね」 ハハハそういえば、何もないところで転ぶのは私の特技。 実は男の子が欲しいと切望してはいたのでちょっと聞いてみたのだが、 「二番目は男の子みたいに活発でしっかりしてるから男の子だと思ってその子に期待なさいな」 と笑顔で言われてしまった。 それにしても、生き神様。 そこまでみることができるとは。結構すごいのではないかな? うなずきながら、また道を下っていった。高く昇った太陽が眩しい……。 ____________
ユタ神様の所へ行かれたんですね!
島の皆さんもユタとノロを混同してノロ神と言うことが多いのですが、ノロは那覇ン世の時代琉球王朝から辞令を受けて政を担った神女のことでもちろん制度としても今は残っていません。 tokorineさんが行かれたのは奄美の土着信仰のユタ神様です。 同様の例に青森むつのイタコがありますね。 よく当たると言われるユタ神様が島内には二人か三人いらっしゃいますね。 一般の人が普段の生活で意識することはまずありませんし、話題にすることもありませんが、人をみることの出来るユタ神まで昇華できた方はほんの一握り氷山の一角です。 それは過酷な修錬(奇怪な言動を伴なう心身分裂状態)を乗り越えられた稀有な方です。 突然の天命に打たれその道に踏み込んだ殆ど大多数の人たちは心身分裂の迷路を抜け出すことなくその状態のままひっそりと各シマの家々で半隔離状態のまま忘れ去られたように生涯を終わります。 その数はかなり多いようです。またその状態から元の健全な状態に戻ったという例は殆ど聞きません。 普通人からすれば怪しい幻聴の天声に操られ彷徨い行った修行祈念の跡(人知れず夜中に徘徊して行った呪術の跡)を、(少しだけ霊場を感じとれる)私は泉や林や山中の随所でみかけます。 奄美の土にしみ込んだこの霊力が島の闇にぶきみな奥深さを与えているのかも知れません。 投稿: tokorin | 2006/07/13 17:36 ユタ神様に会われたのですか?
私も奄美時代にユタ神様体験あります。 本当にいろいろぴったり当てるので、びっくりしてしまいます。 私はユタ神様のような自然から力を授かった人たちを尊敬します。 だって、その力を悪い方向で使わず、私たちを助けようという良い方向で使ってくださるから・・・。 投稿: patinha | 2006/07/13 19:57 http://tokorin.cocolog-nifty.com/sky/2006/07/post_83da.html こんにちは…私は沖縄県に移住して、10年になる男性です。 人間は、二つの人がいます。
1つは、無宗教・無関心・信じない人 もう1つの人は、信じる人 以前は、正直前者でした… 何が、霊だ?はぁ〜?って感じでした。 しかし、災いや、女性関係のもつれや、事故に不幸、まるで、映画の中にいる気分でした。 ある日突然呼吸が出来なくなり、首を締め付けられ、耳元では何やらゴチャゴチャ… 頭がおかしいのか? それとも、アルコール中毒か? おっかしい自分がいました。 精神科はチョット抵抗があったので、うつかな?と思い、心療内科へ行く。 しかし、処方された薬は効果なし。 7つの心療内科に出向いたが、薬の副作用が… おかしい…おかしい…あ゛ーーーーーーって感じでしたが、ある日友人が、 お前変やね。 さっきから、水ばかり飲んでるよ。 ん? それと炭水化物ばかり採る。 ????? 友人は、私のことを心配してくれて、ユタと呼ばれる人や神人と呼ばれる人に、僕の写真を持って 相当相談に行ってくれたのですが、 どれもこれも、偽者で、3万円5万円のお金がドンドン出て行きました。 ホームページを調べては、出向き、偽者。 新聞読んでは出向き、偽者。 自分も動ける時は、ネットで調べて、東京へ行ってみたりしましたが、最後には、壷買えとか 供養するには、100万円かかるとか、ほんと、偽者しかいない…。 ある日の事、もうこうなったら、ヤケくそで、適当に会えそうな霊能者に予約を入れ、言われた 10万円を封筒に入れて、ICレコーダー(録音機)をポケットに入れて、大阪まで出向いてみました。 話をしている最中に、色々試してみようと思った。 結局話し上手なただのオッサンだった。 ホテルで、再生すると会話は全て、聞きだした情報から、もっともらしい事を言っているだけ。 あきれたもんだ… そうこうしている間、ドンドン調子が悪くなり、病院へ。 お医者様から、あなたの場合、私たちの領域では何も出来ない。 と言われたり、原因不明の病気(症状は当てはまるが病名はつけれない)などに、6ヶ月間苦しみ 続け、 総合病院のMRIや血液あらゆる観点から4ヶ月もかけて入退院、 挙句の果てには心臓にカテーテルをグサリさして、全ての検査を沖縄で二つの病院で行ったが、原因は解からず、 結局、実家に逃げ帰り、皆さんも知っている程の大病院で検査しましたが、何の回答も無い。 戻った時に友人からの電話 → いたいた! 本物!!
慌てて飛行機に飛び乗り、向かうは沖縄。 着陸した瞬間に、ドーンと重たい。 ロビーを出て、友達の車へ飛び乗った。 彼は無言で、見知らぬ山へ… で、友達に本物? まず、間違いない。 何で? 金いらんらしい… そんなん、後で壷か? … 行けば解かる… そうこうしてると、到着。 ん? 敷地に入った瞬間、軽い…? 何で? 友達もニヤリ? お邪魔したのは、だだっ広いフローリングの25畳はある小屋。 座布団も無い。 ひんやりしたお寺みたいな空間だった。 鏡がでっかくて、自分が写った。 んー確かに、死人みたいな色してる。 待つ事10分。 きったない、軽自動車で、オバサンがお待たせ♪ って、大丈夫か? どう見ても、ただのオバサンで、時計もしていないし、化粧も無い。 貧乏臭い… でも、近くで目を合わせた瞬間!!!! 眼光の鋭さに、びびった。 何一つ会話せず、膝を突き合わせて、じーーーーーーっとこっちを伺う。 ドンドンずけずけズバズバ、人の過去喋る喋る。 全て当たり。 そして、今度は、質問した瞬間に、涙がポロポロでて(男なのに恥ずかしい)号泣した。 それから、しばらくして、私の側面から出てきた、(誰か知らん)に、文句と罵声を浴びせ この子に構うな!! 離れろ!! さもなくば… って言う、対決をしてくれました。 オバサンは、取り除いてくれた。 苦痛も1週間ほどでウソみたいに無くなった。 http://blogs.yahoo.co.jp/okinaha001/1121743.html イタコの口寄せ
恐山 http://www.youtube.com/watch?v=-WUGBMDBC2E&feature=related イタコおろし http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97 死者の名前や命日などの手がかりを元に、動物の牙や骨のついた数珠を鳴らしながら行う儀式。 1回あたり約20分。謝礼として数千円を払う。 神社で働く巫女とは区別され、口寄せ巫女や村巫女と呼ばれる。起源は不明だが、江戸時代後期に東北を旅した紀行家・菅江真澄の日記に登場する。イタコの語源は「神の委託(いたく)」とも、アイヌ語の「イタク(言うの意味)」とも言われる。 「イタコ」にはどこで会える
当地域(むつ・下北)では、 恐山大祭(毎年7月20日〜24日)と恐山秋詣り(毎年10月、体育の日を最終日とする土、日、月の3日間)の年2回、 恐山境内の中にいるので、入山料を支払って恐山へ入る。 時間は、恐山開山時間(6:00〜18:00)。 予約等はなく、順番待ちとなる。また、最近ではこの期間以外にも恐山にいる場合があるらしい。 料金には特に決まりはなく、”気持ち”や”志(こころざし)” で金額や品物を渡すそうだが、目安として一口(一人降ろして、一人につき)3,000円位からといわれている。 ”口寄せ”の雰囲気
サウンドFILE1(386K)35秒 サウンドFILE2(276K)24秒 http://www.mutsucci.or.jp/kanko/itako-03.htm 消えゆくイタコ 修行を敬遠・高齢で廃業…今や十数人 盲目の女性が死者を呼び寄せる。「口寄せ」と呼ばれる儀式を受け継いできた東北地方の巫女(みこ)が姿を消そうとしている。厳しい修行が敬遠され、福祉政策の充実で生計を立てる手段としての意味も薄れている。
目の不自由な巫女は、青森県の「イタコ」が有名だが、それ以外の東北各地にも存在していた。
秋田「イタコ」、岩手と宮城が「オガミサマ」、山形「オナカマ」、福島「ミコサマ」。近親者を亡くした人たちからの要請で「死者の霊を体に乗り移らせ、言葉を伝える」という儀式が「口寄せ」だ。依頼者のタイプに合わせて定型の口上を使い分けているとの見方もあるが、健康や縁談、商売などのよろず相談にも応じている。いずれも国の無形民俗文化財に選ばれている。 かつて東北には500人以上いたが戦後、廃業が相次ぎ、秋田、山形、福島県では途絶えたとされる。いまは青森、岩手、宮城県に十数人残っているだけだ。 遠洋漁業の基地である宮城県気仙沼市の唐桑町で「オガミサマ」をしている小野寺さつきさん(85)は14歳の時、病気で視力を失った。20歳から岩手県の巫女の家に住み込みで修行をした後、独立した。この半世紀、海難事故と隣り合わせの漁師町で、「口寄せ」や行方不明者捜しの相談に乗ってきた。多い時には1日に十数人の訪問者があったが、最近は体調を崩し寝たきりになった。 戦後の一時期まで20〜30代の若い女性も珍しくなかった巫女は今、高齢化が進み平均年齢が70歳を超えている。 日本三大霊山の一つ、青森県下北半島の恐山では年数回の祭事の際、北東北各地から「イタコ」が集まってくる。かつては40人近くが参加していたが、近年は4人だけだ。大半の女性が高齢化で足腰が弱くなり、外出が難しくなってきた。
■視覚障害者の環境、変化
青森県八戸市で63年間、「イタコ」を続けている中村タケさん(78)は「厳しい修行が敬遠され、後継者がいなくなった」と話す。 巫女は少女期から師匠役の先輩巫女の家に住み込み、家事をこなしながら技術を習得する。すべてが口伝えで、断食の一種である「穀断ち」や水ごりもある。修行は3〜5年かかり、師匠への「お礼奉公」も義務だ。 文化庁伝統文化課の石垣悟調査官は「目の不自由な女性を取り巻く環境が大きく変わった」と分析する。巫女は戦前まで、三味線と歌で各地を巡り歩いた「瞽女(ごぜ)」などとともに視覚障害者が社会で生きるための重要な仕事だった。ところが、戦後は盲学校への就学が義務化され、修行を支える徒弟関係が成り立たなくなった。音声ソフトの普及でパソコンへの入力作業が簡単になり、視覚障害者の職業選択の幅も広がってきた。眼科医療の進歩で幼少期の失明も減っている。 _________
青森の恐山のイタコについて
1 名前: こわい 投稿日: 2000/07/16(日) 11:58
青森の恐山のイタコと呼ばれる霊媒師達は本当に死者の霊を自分の体に落として遺族に 話が出来るのでしょうか?知ってる人教えてください。 2 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/16(日) 13:12
本当に出来る人も居る・・と聞いた事があります。 まあ・・あくまで噂ですけどね。 3 名前: いたろう 投稿日: 2000/07/16(日) 14:19
ある男が恐山のイタコに死んだ女房の口よせをしてもらった。 女房が降りてきて、 「私は、あなたより○○さんの方が好きで、関係もっていた」 というような内容を話した。 男は、イタコを死んだ女房だとマジで思いこみ、逆上してその場でイタコを絞め殺した。 恐山で本当にあった話です。 5 名前: 名無しさん@おっぱいがいっぱい 投稿日: 2000/07/16(日) 17:50 「すいません友人の○○を呼んで貰えますか?」 「仏さんの没年月日は?」 「昭和○○年○月○日、交通事故で死んでます」 ジャラジャラと数珠を鳴らすと経を唱えしばらくすると何かが降りてきたようで歌うように話し始めた・・・・・ 実は呼んで貰った友人の○○は今でもピンピンと生きておりイタコが本物かどうか試したのです、 9割方のイタコは偽物でその能力はかなり低い物です、でも中には 「これ仏さんでねぇ、悪戯は止めてくれ」 とズバリ言い当てるイタコも居ます。 12 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/18(火) 22:32
ホンモノのイタコにあいたけりゃ、冬、行け。 籠もってるイタコがそうだ。見つけだせるかな? 閉山されてるから、途中で凍死するかも知れないし、間違いなく幽霊に会える。 それでも行くなら、止めはしないが。 ホンモノのイタコはすごいよ。
当人しか知らない事、例えば銀行の暗証番号を当てたもん。誕生日とか、簡単な数字じゃないぞ。 俺と、死んだ人の体重をあわせた数字だったから。 それがビンゴだったのは驚いた。それに、メッセージを聞く事も出来て、すっきりした。 ホンモノのイタコに間違いなく会いたかったら、冬、行け。 ただし、命の保証はないぞ。 36 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:24
家では毎月お払い行ってるけど(あおもりにいないおでしさん) その人は新聞にも載った行方不明者のいどこを突き止めたよ。 新聞は汚いからその辺を伝えなかった(作りと思われたくないから)。 みんなメディアで知ったのはうそだよ。 ほんとにあった話はメディアに載らないから。 39 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:35 入院先の病院名をあてたイタコが一人います。調べようはなかったって話。 千葉の旅館の女将から聞きました。 http://piza.2ch.net/occult/kako/963/963716325.html イダコ祭り 去年亡くなった義母をおろしてもらいに親戚と一緒に、青森県おいらせ町のイダコ祭りに向った。普通はイタコだがここではなまってタが濁音のダになって「イダコ」とよぶ。イダコ祭りは午後1時からと聞いていたので、途中、八戸で昼食をとり午後1時過ぎた頃においらせ町の法運寺に到着した。一人200円の入場料(下足代)を支払い、入り口で手渡されたビニール袋に履物を入れて手に持ち、およそ100畳近い本堂の中に足を踏み入れると、すでにイタコの口寄せを聞く為に集まった人々で一杯だった。中年のカッチャ(おかあさん)もいるが見た所ほとんどがバッチャ(お婆さん)である。横になって仮眠をとったり、お菓子をたべたり、それぞれ畳の上でイタコを囲み自由な姿でくつろぎ順番待ちをしている。バッチャ(お婆さん)の住む霊界に迷いこんだような一種独特な非日常的な風景である。
近くのバッチャ(お婆さん)に話を聞こうとしたらどうも様子がおかしい。素性のはっきりしない者にいきなり話しかけられたのでバッチャ(お婆さん)は驚いて引いてしまったらしい。それと長髪の男を身近で見かけることがなかったのか私を男か女か判別できなかったらしい。目もそうとう悪いのかイルカのTシャツのお陰なのか50過ぎの中年男を20歳の大学生と思ってくれた。それでも思いっきり地元の訛りをいれて話すと安心したのか口を開いてくれた。 イタコの順番待ち 「早朝4時から来て待っていた。」という。すでになんと8時間も経過している。それでも誰かに先を越されたらしい。
「1年に一度は先祖の声を聞かないと落ち着かないので、毎年欠かさず来ている。」 「ほとんどの人が死んだ旦那や両親、兄弟姉妹、子どもと次々におろす。」 「ほとけを一人おろす度に千円をはらう。」 恐山では一霊三千円なので何故か法運寺は二千円も安い。昔は二十銭、百円だった。
おそらく恐山は全国からバスで大挙してやってくる観光客を相手にしているので値上げしても客足は落ちず、恐山と違って法運寺はどちらも地元なので口寄せもリピーターが多いからではないかと思われる。それでも大抵5〜6人も降ろすのでバッチャ(お婆さん)達にとっては結構な金額になり、さらに値上げすればかなりの金銭的な負担になってしまう。 「一人で何人もほとけを降ろす人が多いので待つ人ごとに30分以上かかるのがざらだ。今からだとあんたたちは夜になるのではないか。」という。 イタコが何人いるか数えてみると6名いてそれぞれ膝元にメモ帳が置いてある。順番を待つ人が多いのでそこに名前を記入することになっている。すでに名前が20名ほど記入済みである。 衰退するイタコ祭り イタコは恐山が有名だが、恐山にイタコが住んでいるのではなく、普段は青森に散らばって住んでいる。イタコが恐山の大祭の時だけ各地から集まって来るのである。
青森県は昔、右側は南部藩で左側は津軽藩に分かれていた。以前は盛んだったイタコの市も最近では恐山の他に津軽の川倉地蔵堂と南部の法運寺の三カ所だけだという。法運寺の本堂は明治14年に建立され翌年の15年よりイタコの口寄せがはじまり、その歴史は昭和10年頃から始った恐山よりも古い。 法運寺に集まったイタコの人数は最盛期80人もいたが昭和29年には50人、昭和40年に31人で今年は6人である。イタコはあきらかに衰退の一路をたどっている。 シャーマニズムの形態 最も古い日本の宗教の形態はと問えば仏教でも神道でもなく、それはシャーマニズムである。シャーマニズムはおそらく数十万年も遡ることができる人類最古の宗教的伝統でもある。世界中の狩猟採集民族にはあらゆる事物には精霊が宿るというアニミズムの信仰がほぼ共通して見受けられる。そして霊的存在と交流する人々をシャーマンと呼ぶ。 エリアーデによるとシャーマンにはトランス状態になって肉体から抜け出して霊的存在と交流して帰還するエクスタシー(脱魂型)と霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション(憑依型)がありイタコは憑依型である。 東北地方におけるシャーマンが誕生するプロセスには2つのタイプがありイタコ系とカミサマ系に分かれる。
カミサマ系はある日、突発的に神懸かり、シャーマンの病とよばれる変容をへて、祈祷師としてデビューする。信者を持つ新興宗教の教祖タイプである。南部では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれる。津軽ではゴミソと呼びカミサマ系は死者の口寄せをせず予言や託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行なう。 イタコ系はほとんどが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして一定期間修行して、死んだ人の霊をおろさせる口寄せの技術を学んで自立する。 イタコの口寄せ イタコの順番待ちが22番で遅くなるのは明らかなので、夕方まで外に出て海に行くなり、ゆっくり温泉につかるなりすることにして法運寺を後にした。三沢市内の200円の温泉につかり、さっぱりした所でとりあえず5時頃戻ってみると待っているのはちょうど後一人で、次にはあっけなく順番が回って来てしまった。順番待ちのメモ帳を見るとかなりの人がキャンセルしている。どうやら待つことを嫌って、あきらめたのか、すぐに口寄せ可能なほかのイタコに移動したようだ。 中村タケ 私たちが口寄せを依頼したのは中村タケ巫女である。 現在75歳、3歳の時に麻疹で失明して、13歳のころイタコの修行に入り、15歳で法運寺でデビューした、この道約60年のベテランである。 CD「日本語を歌・唄・謡う」(アド・ポポロ企画、制作)では人間国宝の中村鴈治郎や桂米朝とともに中村タケ巫女の口寄せも収録されている。マスコミに登場することもあるが、かといって尊大なところはなく人柄はいたって純朴で謙虚だ。 昔の口寄せ 昔の口寄せには決まりがあり「百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にした。
百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだという。 しかし厳格に定められていたこの決まりも守られなくなり最近はなんでもかんでも降ろすイタコもいるようだ。 明治以前の仏おろしは一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に1〜2回が精一杯だったらしい。 特に恐山はあまりにも有名になったために、商売目当てにイタコのほかにカミサマやゴミソも参加するようになった 短時間で現金収入が得られるので、口寄せの時間も2〜3分と短くなり、本来の地元のイタコによる死者の巫儀の意義はすたれ、観光客相手に簡単な口寄せで済ましてしまうお粗末なものになってしまった。 イタコはかつては地元の人々との繋がりの中で部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていた。
口寄せには死口(しにくち)といって行方不明になった死者の霊を憑依させ「ワ(私)のからだはどこそこにある。」と遺体の場所を遺族に告げることもあった。 ほかに生口(いきくち)といって行方不明の生霊(いきりょう)を憑依させ居場所をつげることさえあった。生口(いきくち)は最も辛く3時間も汗だくになりながら全国の神さん稲荷さんにお願いして四方八方手を尽くして探してから魂を抜きイタコの身体に寄せる、 そうしてタコ部屋に監禁させられていた行方不明者をあてたイタコ(三浦かしの)もいた。 昔の東北は津々浦々までイタコが大勢いた。かつては生者と死者の境界が分たれてはおらず生と死は連続していた。その名残りをイタコは今に伝えている。 形骸化した口寄せ 間山タカ(1988年恐山)
嘘のほとけでも降ろすからイタコはインチキだといわれるがイタコにもピンからキリまであり、よく当たると評判がたつイタコには長蛇の列ができた。 特に最も評判が高かったのは伝説のイタコ間山タカだった。 しかし優れたイタコもよる年波には勝てず次々と他界しイタコの数はかなり激減した。真性のシャーマニズムを期待して出かけても恐山でのほとけおろしは型にはまった口寄せしかみられないのが現状である。 恐山の口寄せパターン イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌う。
「あーいーやーあー」 「今日は呼んでくれてうれしい。」 「本当は死にたくなかった。」 「家族の健康を願っている。」 「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」 「某月某日、喜びあり。良いことがある。」 「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。」 「今日はおまえに会えて良かった。喜んで帰る。」
イタコが数珠をじゃらじゃら鳴らす。 はい3000円です。
イタコの修行 昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道はなかった。盲目の娘は特に霊能力がなくとも、まわりの勧めにより、しかたなく、イタコの師匠のもとに弟子入りするのである。入門は早いほど良いとされる。 J・ピアスによると7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESPも多数報告されるという。そして7歳から14歳 ころまでの子ども達は暗示にかかりやすく、8歳から11歳がその頂点だといわれる。子供は大人の様に世界と自我との境界がはっきりと確立されてはいない。自我がまだ未発達の方がイタコの世界感を受け入れやすいのである。 師匠も弟子も盲目なので般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしでおぼえる。様々な仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞をおぼえなくてはならず、おぼえが悪く10年もかかったイタコもいたという。 イタコの入魂儀礼 仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれる。祭壇が祀られている行場で弟子に神懸かりが訪れるまでおこなわれる。食事は精進で塩断ち、穀断ちをして干し柿、干し栗、などの果実で餓えをしのぐ。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき、白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶる。マントラを唱えながら右回りにぐるぐる旋回したり、気合術師を呼んで気合いをかけることもあったらしい。イタコの弟子は極度の疲労と緊張の中ではげしく身体を震わせて失神する。師匠はその時に「何がついたか?」と問いかける。そうして答えた神仏の名がイタコの生涯の守護霊になるのである。 最後に「師匠上がり」といって商売道具の数珠を譲り受けて師匠から独立するのである。イタコの数珠はイラタカ数珠と呼ばれ普通の数珠と違い独特である。珠は無患子(むくろじ)の実で子安貝、熊の爪、獣の牙と角が使われている。イタコはこのイラタカ数珠をじゃらじゃらならしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来てもらうのである。 シャーマンの病 イタコの入魂儀礼も時代と場所によって多様であるが、いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をする。寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させる。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じるのである。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴である。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しているように思える。正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続ける。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのである。
右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれている。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが解っている。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになる。 イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのだ。儀礼はスイッチが入るまで続く。
そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生するのだ。 イタコ系は人為的だがカミサマ系の教祖達は人生の中で極端な不幸、災難、困難を経験して発狂寸前まで追い込まれる。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。 日常を超えたこのような体験はシャーマンの病と呼ばれる。 意識の成長・進化 体験を否定して自我の崩壊、分裂が起こることもある。自我がある程度発達していないと恐怖のあまり退行してしまうのだ。閉じこもってそこから出て来ようとしなくなる。退行してしまうと、自我を越えることも社会にも適応できない状態に置かれてしまう。
体験が肥大化すると、自分は凄い人間なんだとうぬぼれてしまう。教祖が信徒に攻撃的になったり人に対して抑圧的、支配的になってしまうのは抑圧された無意識のエネルギーに巻き込まれてしまっているからである。カルトや新興宗教の教祖にこのようなタイプがいるので注意が必要だ。 私たちは自分の思考や感情を波動として周囲に放射しているので自我の境界が薄くなった人は気をつけなくてはいけない。霊能や特殊な能力をえて人に認めてもらいたいというのは自己評価欲求が満たされていない段階なので、問題を生じやすいのである。 不思議なヴィジョンを見たり、異常な肉体の感覚を経験したり、このような普通では考えられない体験を大いなる自己に統合できれば意識の成長・進化がおこる可能性がある。 それには抑圧されたエネルギーを解放し、体験を否定も肯定もせずただあるがままに見てゆく観察的な自我を育てることが必要だ。 http://homepage.mac.com/iihatobu/work/itako.html#anchor11 輪廻転生とシャーマニズム われわれには自我があり、それは脳などの有機的な組織に依拠しておらず、ゆえに死後も存在し続けると仮定してみよう。 では、その次にはどうなるのか? 一つの可能性として、霊魂は死した身体を離れた後ただちに、あるいは間隔をおいて生まれ変わり、別の身体に入って新たな人生を始めるという考え方がある。 実際、太古から特定の信仰を持った人々は死後の生まれ変わり、すなわち『輪廻転生』を疑わざる事実として受け入れてきた。 世界の主要宗教のうちヒンドゥー教と仏教の二つはとりわけそういった思想の中核を成しており、初期のケルト人のキリスト教会でも積極的に輪廻転生を教義として導入していた。 近代科学の登場以前、人間には霊魂が存在するということ、そして死後の世界の存在は疑問を差し挟む余地もない“事実”であって、その存在を疑う者などほとんどいなかったのである。 世界宗教の教えはそれぞれ、独特の死後の世界観を持っていて、それは基底となる精神風土あるいは文化潮流によって大きく異なっている。前述したヒンズー教や仏教の教えでは、人は最終的に現世の苦しみを逃れ、最高原理である梵天との神秘的で至福に満ちた合体に至るか、涅槃に入るとされる。また古代ギリシア人、ローマ人、ヘブライ人は、死後の霊魂は暗いハデスや冥土に向かって旅立つものと信じられてきた。 肉体は滅んでも霊魂は永遠に消えず、再びこの世に生まれ変わる――催眠術での『過去生』への退行、子供が突然思い出す他人の経験、あるいは大人の中にある『遠い記憶』、デジャ・ビュ(既視体験)の経験――生まれ変わりの証拠であるとされるこれらの体験を徹底的に収集かつ分析するため、中国国際生命科学院が大規模な調査を実施した。 同院の性現象研究室の科学者、賈天全(カーテンゼン)、張建佛(チョウケンウェイ)両教授はその調査結果から、輪廻転生の存在を確信している。調査では6人の転生が確認され、分析の結果、中国で起こった転生には次のような特徴があることが分かった。 転生は都市部では起こらない。中国の転生事例は辺鄙な山奥の小村に多く、人口の多い都市部には一例もない。 前世から今世への転生時間は一定しない。 収集した事例では4時間、4ヶ月、11年あるいは18年と“再生”に要した時間はバラバラであった。 前世の記憶は、3〜7歳くらいまで残る。 言葉を話せない2歳以前は不明だが、7歳以降は前世の記憶よりも今世の生活の比重が重くなるため、前世の記憶は薄れるか、時には完全に消滅してしまう。 転生した人間は、超能力を持つ人が多い。 調査では千里眼、予知能力、念力を持つ人や、心霊能力(死後の霊を実体として見る能力)を持つ人が確認されている。 前世と今世の性は同じとは限らない。 前世で男性だった人が女性に生まれ変わる場合もあるし、その逆もある。 生活習慣や趣味嗜好には前世の影響力があるとされる。前世で煙草好きだった人は、今世でも三歳の頃から煙草を吸っていたとか(オイ…)。 前世を思い出すのは、肉体的負担を伴う。前世のことを連日話したあと2、3日間、思い風邪のような症状になる人もいる。 前世を覚えていると主張する人は世界中に数多く存在する。
しかし、よく耳にする批判の一つとして、有名な歴史上の人物の生まれ変わりと称する人があまりにも多すぎるというものがある。 1930年代には、ジョアン・グラントというイギリス人女性が、古代エジプト(ギリシアと並んで前世の話によく出る行き先)の華やかな人生の思い出を続けざまに脚色してみせて名声を得た。 他にも、スコットランド王ジェームズ四世としての前世を思い出した女性や、チャールズ二世の愛妾ネル・グウィンだったと称する女性などがいる。 しかし、アメリカにおける188件もの事例を対象とした最近の調査では、大半の被験者が矛盾だらけのお粗末な前世を思い出していることが分かっている。 ◆逆行催眠と前世
逆行催眠というものがある。 催眠術を使うことで、人を青春時代や子供時代、幼児期へと年齢退行させ、忘却の彼方にある過去の記憶を取り戻そうというものだ。 この逆行催眠を徹底すると、胎児の状態を超えて前世にまで遡ることができるという。 輪廻転生の研究においては、当初、意識的に前世を思い出すケースが対象となる事例の中で大部分を占めていたが、1950年代初めに催眠術の被験者が誕生の瞬間からさらに前世まで逆行することで、輪廻の証拠となる比類ないほど大量の情報を採集できることが発見され、この分野の研究は飛躍的に進歩した。俗に『前世逆行』と呼ばれる初の重要な事例は、1952年コロラド州で行なわれている。 モーリー・バーンスタインという名のアマチュア催眠術師が、ヴァージニア・タイという若い女性に催眠術をかけ、精神を前世まで逆行した結果、彼女が1798年から1864年まで中流階級のアイルランド女性ブライディー・マーフィーとして生活していたことが分かったというものだ。 その時、タイは中西部アクセントからアイルランドなまりにすっかり切り替わると、19世紀前半のコークやベルファストでの日常生活について、説得力ある細かい内容をとうとうと述べたという。 バーン・スタインが1956年にこの事例の記録を出版すると、たちまち大評判となり、彼に倣って催眠術による前世逆行実験を行おうとする者が雨後の筍のように続出した。 もっとも当時のアイルランドに関する記録はほとんど残っておらずタイの話を確認することは難しいことから、バーンの実験に疑問を呈する人も少なくない。 結局、逆行催眠で得られた記憶が本当に前世の記憶なのかどうかは、歴史的にも確認できる詳細な前世記録を収集し、その中に時代錯誤と思われるものを探すことでしか証明され得ないのだ。 催眠術によって極めて暗示にかかりやすい状態にある被験者が、催眠術師の誘導的な尋問によってヒントを得たか、あるいは知っている歴史記録をもとに空想を作り上げただけという可能性を完全に除外することはできないだろう。 例えば、ハリー・ハーストという被験者は、前世逆行によってラムセス三世時代のエジプトに古代都市テーベが存在したことを記憶していた。 その他にも、彼はローマで広く使用されたセステルティウス硬貨を持っていたと述べた。 しかし、ハートの証言の細部を確認するように依頼されたエジプト学者は、そこに明らかな矛盾点を数多く見出した。 ラムセス時代のエジプト人なら、この都市を“オン”とは呼んでも“テーベ”とは言わない。テーベとは後代のギリシャ人作家たちがつけた地名なのだ。 さらに、エジプト人は歴代のファラオに番号をつけたりはせず、誕生や王位や治世の名前を複雑に大系立てて、同名異人の支配者を区別していた。 当時のエジプト人がラムセス“三世”などという現代的な称号を知ってるはずがないのだ。 また、セステルティウス硬貨が初めて流通したのは、ラムセスの治世から1千年後のことだった。 しかし、このような決定的な矛盾点にさえ、逆行催眠による前世の記憶の妥当性が完全に否定されるわけではないと主張する研究者もいる。前世の記憶が現世の体験にどの程度ふるいにかけられるかの問題にしかならないと言うのだ。 研究者たちがこうした前提を認める以上、前世でイタリア人だった人がその記憶を英語で述べたとしても、被験者が空想にふけっているという決定的証拠にはならないということになる。 一方で、被験者が異国語を話した数少ない事例を調べれば、前世の記憶の信憑性をより確実に評価することができるという主張も確かであろう。 心理学者イアン・スティーヴンソンは、逆行催眠の被験者がノルウェー語を的確に交えながら当時のスウェーデン語を流暢に話したという事例を紹介している。 しかし、こうした事例に対して心理学的な立場から有力な批判・反駁を行おうという研究者も存在する。その一人イアン・ウィルソンは人間の驚異的な記憶力を証明するある事例を挙げている。 ジャンというマージサイト出身の若い被験者は、1556年にチェルムズフォードで行なわれた巡回裁判で魔女として裁かれたジョアン・ウォーターハウスという少女の劇的な前世を思い出したと言う。 ウィルソンは古い記録を徹底的に捜索し、確かに同名の女性がこのときの巡回裁判で魔女として裁かれたことを確認した。 では、ジャンの事例は輪廻転生の確固たる証拠になり得たのかというと、それとは逆だったのである。 当時の資料によれば、実際に裁判があったのはジャンが述べた日時から10年後の、1566年7月だったことが分かったのだ。 この混乱の元凶と思われる情報源は巷に流布していた巡回裁判に関する書籍であった。 ジャンの語った1556年とは植字工が犯した致命的な写植ミスであったのだ。 ジャンが、どこからその記憶を仕入れたのかは正確には指摘できなかったが、安っぽいラジオ・ドラマか少女漫画、あるいは図書館で隣の人が開いていたページから偶然的に拾った記憶だったのかもしれない。 ウィルソンは自分の研究結果をまとめて、次ぎのような結論を下している。 催眠術下で得られる前世の記憶は、実際は、脳が記憶とは認識しない内容を想起するときに起こる無意識の剽窃、つまり“隠された記憶”という心理学的現象の例である。
ウィルソンはさらに、催眠術下でさまざまな人生を思い起こすのは、一般的には子供時代の精神的外傷(トラウマ)の結果として、一部の精神病患者に現われる多重人格になぞらえることができるとも示唆している。 生まれ変わり現象に対して、多重人格障害を理由に持ち出したウィルソンの主張は物議をかもしたが、1950年代以降、多重人格障害は催眠逆行療法と並行して増加傾向にあり今や世界的な広がりを見せている以上、彼の論点は軽視されるべきものではないであろう。 ◆シャーマニズムと人格分裂
興味深いことに、多重人格症の患者の中には分裂した人格のほかに不可解な人格、例えば死んだ人間の“魂”の人格が存在する例があり、『悪魔憑き』や『憑依現象』と勘違いされることがある。 また交代人格が、自分は複数の人間に乗り移っていた『霊』だと主張したケースもあり興味深い。 当然、そのような死者の記録を調査して、実際に該当する人物が見つかった例は皆無に等しく、被験者が潜在意識の奥で作り上げた空想上の“魂”であることは歴然としている。 このように近年、退行催眠で“思い出した”記憶には多分に被験者の空想が混在することが分かったため、すでに欧米では退行催眠の妥当性に対する信頼は大きく後退している。 確かに被験者に催眠術かけ、記憶を遡って昔の自分に戻させることで、顕在意識の上では忘れてしまった潜在的記憶を呼び起こす退行催眠は、現在でも幼少時のトラウマをさぐる目的で心理カウンセリングなどで活用され、また宇宙人に連れ去られ記憶を消されたと主張する人たちの記憶を取り戻す目的で用いられることがある。 しかしその一方で、催眠術師あるいは心理療法師の誘導の仕方如何によって、退行催眠が偽の記憶を作り出してしまう可能性も警告されている。 カールトン大学のニコラス・スパノスと共同研究者は、このことに関する興味深い実験を行っている。 スパノスらは被験者に、「自分の眼球運動と視覚探索能力がよく連動している」と信じさせ、それはベビーベッドの上で揺れるモービルのある病院で生まれたからと説明した。 そして、被験者の半数には「実際にそう確かめる」という名目で退行催眠をかけ、半分には幼児期の体験をイメージするようにという“記憶再構成誘導”を施した。 すると、催眠をかけられた人の56%、誘導を受けた人の46%が、実際にはなかった揺れるモービルの病院の様子を思い出したのだ。 あるいは退行催眠に依って前世を思い出したという事例は古来から存在したシャーマニズム、ないしシャーマンによる憑霊現象などと比較することができるかもしれない。 多くの部族社会で重要な地位を占めるシャーマンは宗教や呪術を司る特殊技能者で、シベリア、中央アジア、北アメリカ、オセアニアなどの狩猟採集文化に広く見られる。 シャーマニズムは、シャーマンを中心とする宗教形態で、通常、そこでは精霊や冥界や霊の世界が一般的に信じられている。 シャーマンは恍惚状態に入ることで自己の魂を霊の世界に送り込み、霊と意思を通じ合わせる特殊な存在であるとされる。 その際シャーマンはしばしば幻覚や幻聴を引き起こす――彼らに言わせれば“神聖な薬物”を使用する。 例えばシベリアのシャーマンは、トランス状態や幻覚を起させる薬として、ベニテングタケやカラカサタケなどのキノコを煎じた液を飲む。 多数の人類学者や古代宗教の研究者によれば、このように意識の変革を起させるためにキノコなどの幻覚性物質を用いるのは極めて古い時代、おそらく人類の歴史と同じくらい古いのではないか、と述べている。 古代ギリシアでは、エレウシスの神秘宗教の新入会員に“女神の姿が見えるようにするため”、特殊な菌類を飲ませた。 同じように、古代インドでは、ソーマというものが“神々の食物”であると同時に、神々の顕現に接したいと考える人々のために選ばれた食物でもあると言われていた。このソマの正体が、シャーマンが飲んだ何らかの幻覚性物質のようなものであろうことは現在では異論がない。 さらにスペインの年代記作家ゴンサロ・ドビエドによれば、ネイティブ・アメリカンのシャーマンたちは、霊と意思を通じ合わせることができる秘密の手段を持っていたという。 「シャーマンは恍惚状態にあるように見え、また不思議な苦痛を感じているようでもあった。…… 彼は意識もなく地面に横たわり、族長やその他の人々が自分たちの知りたいと思うことを尋ねると、霊がシャーマンの口を通して、きわめて正確な答えを与えた」 と彼は書いている。しかし、古代のシャーマンたちと同様、トランス状態に入る現代の霊媒師たちは幻覚性物質など用いていない。彼らが霊を憑依させる(厳密にはそう信じ込む)ための主要な手段はおそらく“自己催眠”であろう。
先に多重人格障害について述べたが、シャーマンや霊媒師が“支配霊”とか“霊の導き”と呼んでいるものの大半は、この多重人格症の一例に過ぎないのではないか、という解釈である。 この場合“別の自我”は、表面に現われると本来の人格を完全に乗っ取ってしまうため、当人には別の人格になっていたときの記憶はまったくない。 こういうと、通常の多重人障害のパターンと、シャーマニズムの憑霊あるいは交霊会で霊媒が支配霊を呼び出すときの様子はあまりにも違いすぎる、という反論もあるだろう。 しかし、シャーマンや霊媒師は霊魂を呼び出す際に、ほぼ例外なくトランス状態に入る。とすれば、トランス状態の下で、霊媒が自分でも気付かないうちに別の人格を出現させたと考えることも可能なのだ。 実際、この現象は精神病歴のない正常な人に催眠術をかけた際にも、不意に起こる場合があることが知られている。 ではこの場合、霊媒の出現させた“第二の人格”が特定の限られた人しか知り得ない情報を知っているのはなぜだろう。 これを説明するには、人間の心に潜む驚異的な力、俗に『神話作成』として知られる能力を引き合いに出さねばならない。神話作成とは、誰かが催眠術にかけられてトランス状態にあるときに、よく“過去生”という形で語られるものだ。 これは非常に説得力のある詳細な話や、神話を創作する能力を伴っており、その結果が一部の霊媒に“潜在意識の偽造”の能力を与え、死者の声や生前の癖や筆跡、さらには作曲やデッサンのスタイルまで真似る力を与えるという。 実際に、催眠術にかかった被験者が、突然、通常の生活では気付いてもいなかった才能を示す場合があることはよく知られており、ある人は催眠状態で見事な絵を描き、またある人は巧みな歌を歌う。 人間は通常、脳細胞の1割しか使っていないといわれ、残りの9割の部分は無意識状態で普段は意識できない領域である。 催眠中に失われていた記憶を呼び戻したり、あるいは非常に重たいものを軽々と運んだりするなど、催眠術には脳細胞の残りの9割を活性化させる働きがあると言えるのだ。 潜在意識の偽造は、交霊会の霊媒師や恐山のイタコなどに特有の心理現象というわけではない。意識的であれ無意識的であれ、おそらくは死人の生まれ変わりを称する多くの人々に適用できると言わなければならないだろう。 いわゆる前世を記憶していると主張する人々は、宗教的に輪廻転生が認められてるインドやスリランカ、その他アジア地域などで出生している場合が多い。 ヴァージニア大学の朝心理学者、イアンスティーヴンソンがインドで収集した事例の3件のうち2件は、貧しい境遇の子供が上位カーストの一員として前世を記憶していたという。 この場合、子供の側に願望的思考が窺えるだけでなく、生まれ変わった人格が元の家族に財産の所有権を主張する可能性も認められる。 実際、ヴィア・シンという子供が、前世での父親ラクシュミ・チャンドに財産の三分の一の分与を公然と要求したが、チャンドが不運にみまわれて新しい父親より貧しくなってしまうと、元の家族への関心を失ってしまったという妙に現実的な事例まである。 スティーヴンソンが収集した有力な事例には、前世で負った傷跡に相当するアザを持った子供たちが数多く含まれている。 その一例がラヴィ・シャンカールというインド人少年の場合で、この少年は前世で惨殺されて首をはねられたアショーク・クマーという少年だったと主張した。 実際、スティーヴンソンはシャンカールの顎の下にナイフの傷跡に似た、細長いアザがあるのを発見している。しかし、アザは生まれ変わりが実在する決定的証拠にはとてもなり得ないのが実状である。 むしろ、このようなアザに合理的な説明をつけるために、わざわざ前世の記憶を作り上げたというのが本当のところだろう。とはいえ、多くの事例の中には、虚言や精神分裂症そして催眠による神話作成だけでは説明できない事例があることも確かである。 http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinrei/rinnetensei.html 「神々の糧」:トリプタミン幻覚剤と意識のビッグバーン
ホモ・サピエンスは5万年前に知性が爆発的に急成長し、アフリカから脱出した150人程度のグループが現在のすべての人類の祖先となったとされている。アフリカで意識のビッグバーンを引き起こしたものは何だったのか。 『神々の糧(Food of the Gods)』のテレンス・マッケナは、強いエクスタシー感覚をもたらす世界中の向精神性植物を比較検討し、アフリカ中部で幅広く植生し、人類祖先の食糧となった可能性があるのはトリプタミン幻覚剤を含有する植物・キノコ類ではないか、と推理する。 トリプタミン系のシロシビンを摂取すると視覚が鋭敏になり、性的な興奮を誘発するという実験を引き合いにしながら、マッケナは5万年前の激変を以下の3点から考察している。 ■ 1. 鋭敏な視力は狩猟や採集を大幅に向上させ、食糧の大量確保が可能になった。
■ 2. 性的な興奮を引き起こし、人類の急速な繁殖に役に立った。 ■ 3. シャーマン的なエクスタシーを経験し、超自然的な判断力・予知能力・問題解決力をもつ指導者が現れた。 視力向上によって「狩猟される側」から「狩猟する側」に転換したともいえる。裸眼視力が3.0〜5.0に上がっただけではなく、心の目による察知能力も高まり、安全な住み家や集落を確保したうえで、生めよ殖やせよ、が起こったのかもしれない。
やがて超自然との交流を専門にするシャーマンの家系が生まれ、神秘世界や生命現象が徐々にコトバで表現されるようになり、ここから宗教や文字社会へと発展した、と想像できる。 わたしが主張したいのは、初期人類の食物に含まれていた突然変異を起こさせる向精神性化学化合物が、脳の情報処理能力の急速な再編成に直接影響を与えたということである。 植物中のアルカロイド、とくにシロシビン、ジメチルトリプタミン(DMT)、ハルマリンといった幻覚誘発物質は、原人の食物の中で、内省能力の出現の媒介を果たす化学的要素となり得るものだった。<中略> この過程のもっと後の段階で、幻覚誘発物質は想像力の発達を促し、人間の内部にさまざまな戦略や願望をさかんに生み出し、そしてそれらが言語と宗教の出現を助けたのかもしれない。(p41) 著者はエクスタシー感の高い“ドラッグ”を以下の4つに分類する。
1. LSD型化合物・・・近縁はヒルガオ、麦角など
2. トリプタミン幻覚剤・・・DMT、シロシン、シロシビン(豆類など) 3. ベータ・カルボリン系ドラッグ・・・ハルミン、ハルマリン(アワヤスカのベース) 4. イボガイン科の物質・・・アフリカと南米に存在 余談だが、本書では『神々の果実(Magic Mushroom)』にも登場するベニテングダケについては、若干の向精神性はあるものの、安定的なエクスタシーはもたらさないとして除外されている。
私も『神々の果実』を読んでみたが、インドのソーマ(Soma)に関しては文献学的に説得力があるが、飲尿習慣を絶対の前提とするところが難点だ。また、神話学やユダヤ・キリスト教に関しては、拡大解釈が甚だしい。 ともあれ、人類の祖先がアフリカのトリプタミン幻覚剤で意識のビッグバーンを経験したと仮定すると、その後の放浪地では良質の幻覚剤に恵まれなかったということか。
エジプト脱出のモーゼは麦角(LSD)の知識が豊富だったという説もある。エレウシスの秘儀は麦角ビールのような特殊大麦飲料を使っていたという考察もある。だが、麦角は一歩間違うと大量の死者を出す猛毒物質でもあるため、扱いが困難だ。 アヘンは中国を攻略する薬物となり、“スピリット(精神)”と呼ばれるようになった蒸留アルコール飲料も、大量の中毒者を出して社会不安を広げた。
アヤワスカは現在注目されているものの、これを使っていた中南米の民族が戦略的な優位に立てていたかどうか。 砂糖・コーヒー・茶・チョコレートは、医薬品や催淫剤としては期待倒れだった。現代社会が抱えるタバコの害についてはすでに周知の通りだ。 現代社会では草原で狩猟をするような視力は不要であり、人類全体の視力は低下する一方だ。生めよ殖やせよの効果が効き過ぎたせいなのか、地球上の人口がこれだけ増えても年中型の発情は続き、それでも満足できず、「もっともっと」とドラッグを求めている。
残された快感と英知の世界は、シャーマン型のエクスタシーの世界だ。このエクスタシーを一般庶民が常時体験するような革命の日々は、果たして訪れるのだろうか。 モーゼが視たヘルメス蛇の幻想 ― 龍神イエスを導くマトリックス
ヘブライ大学の認知心理学の教授がモーゼ研究で面白いことを言っている。
◆AFP:十戒を受けたときモーゼはハイだった、イスラエル研究報告(2008/3/6) 旧約聖書に登場するモーゼ(Moses)はシナイ山(Mount Sinai)で神から10の戒律を授かったとされているが、それは麻薬の影響による幻覚経験だった――イスラエルの研究者によるこのような論文が今週、心理学の学術誌「Time and Mind」に発表された。
ヘブライ大学(Hebrew University)のベニー・シャノン(Benny Shanon)教授(認知心理学)は、旧約聖書に記されている「モーゼが十戒を授かる」という現象に関し、超常現象、伝説のいずれの説も否定。 モーゼもイスラエルの民も麻薬で「ハイになっていた」可能性が極めて高いとしている。 モーゼが「燃える柴」を見たり、聖書によく出てくる「声を見た」という表現も、麻薬の影響を示しているという。 教授自身も麻薬を使用して同様の感覚を味わったことがあるという。 1991年、ブラジルのアマゾンの森林で行われた宗教儀式で、「音楽を見る」ための強力な向精神薬、アヤフアスカを服用。精神と宗教のつながりを視覚的に体験したと言う。 アヤフアスカには、聖書の中でも言及されているアカシアの樹皮でつくる調合薬と同程度の幻覚作用があるという。 「アヤフアスカ」はアヤワスカとも呼ばれる幻覚調合剤で、エハン・デラヴィやグラハム・ハンコックなど意識の冒険家たちが何度も服用している。 このアヤワスカを飲むと大蛇の幻覚を例外なく見ると言われているが、シャーマンとしてのモーゼがアカシア樹脂を使って同様の幻覚作用を得ていたとすると、モーゼの「蛇の杖」や「炎の蛇」や「青銅の蛇」も説明がつく。 蛇信仰は世界中で普遍的に存在するが、旧約聖書の創世記では蛇はサタンの化身であり、イブをけしかけて知恵の実を食べさせた。
一方、エジプト脱出のモーゼは杖を蛇に変えたり、堕落した民を炎の蛇で殺してしまうという“蛇使い”だ。 ◆旧約聖書 『民数記(Numbers)』 21:4−9 (新共同訳)
彼らは、ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海を通って行った。 しかし、民は途中で耐え切れなくなって、神とモーセに逆らって言った。 「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 主は炎の蛇を民に向かって送られた。 蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 民はモーセのもとに来て言った。 「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」 モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。 「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者ががそれを見上げれば、命を得る。」 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。 最も不思議なのは、ユダヤの民が許してくださいと哀願したときに、蛇にかまれても死ぬことのない“解毒装置”として、「青銅の蛇」を用意したことだ。蛇にかまれても、この青銅の蛇を見ると命を得るという。 偶像を拝んではいけない、他の神を拝んではいけないといいながら、チャッカリ蛇の偶像を用意したことになる。 みんな死ぬのが怖いので、この青銅の蛇をありがたや、ありがたやと拝むに決まっている。どうして蛇の天敵である「鷲」や「鷹」の像を使わないのか。あるいは「ヤウェ、ヤウェと10回繰り返せば直る」という言葉のパワーを使わないのか。 ◆旧約聖書 『列王記 下(II Kings)』 18:1−4 (新共同訳)
イスラエルの王、エラの子ホシュアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。 彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。 その母の名はアビといい、ゼカルヤの娘であった。 彼は父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。 イスラエルの人々は、このころまでにこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。 時代が下ってヒゼキヤ王の時代になると、モーゼの造った青銅の蛇は打ち砕かれてしまう。
蛇神は拝んではいけませんよ、何度注意しても、人々は蛇を拝んでしまっていたということだろう。 しかしながら、この蛇拝みの元を造ったのはユダヤ教の開祖モーゼなのだ。 蛇神というとおどろおどろしいが、いわゆる地の神の象徴であり、龍神さまと言ってもいい。龍神の側に立って、旧約聖書にある「ヤウェ vs 龍神」の対立構造を読み取ると以下のようになる。
ヤウェがこの世を創造したけれど、ロクなもんじゃないよ、この世界は。
アダムとイブを救うべく、知恵の実を食べさせる龍神さまの電撃作戦がついに決行! ところがヤウェが「原罪」と恐怖政治の手法を使って闇の人間支配を継続。 これに反撃すべく、モーゼが登場。ヤウェだけを拝むように見せかけて、「青銅の蛇」を拝まざるを得ない仕組みを構築。 ヤウェの化身ヒゼキヤ王がこの工作に気づき、龍神の通信機「青銅の蛇」を破壊。 互角の戦いといったところか。 で、この後にユダヤの律法主義を批判しながら登場するイエスは、さて、どちら側の化身なのか。 正統派のキリスト教会は口先でユダヤ教を否定・超克したと言いながら、<ユダヤの神=キリストの神>という路線を選択。 一方、キリスト教の異端であるグノーシス派は<ユダヤの神=サタン、キリストの神=龍神>を選択している。 ユダヤ教の神ヤウェがサタンであるとすると、アダムとイブに知恵づけをした蛇が本当の神さま(龍神さま)だったということになる。 また、イエスこそが龍神の化身であり、ヤウェが仕組んだ「原罪」を浄化するために、あえて十字架に掛かって犠牲になったという解釈や、スキをついてサタンをコブラツイストで締め上げたという解釈も成り立つ。 中世のキリスト教では、旧約の神様が偶像崇拝はいけないと何度も警告したにもかかわらず、イエスの磔刑や聖母マリアを偶像にしてしまう。 一方、東欧で栄えたグノーシスのボゴミール派は、龍神イエスを処刑した十字架を拝むなんてトンでもないということで、十字架を含めいっさいの偶像を否定した。 ルネサンスになると、エジプトのヘルメス主義やギリシャの秘儀、ユダヤ教のカバラなどを融合した新プラトン主義が台頭する中で、「十字架に架かる蛇」(フラメル紋章)も現れる。 反カトリックの神秘主義者は<蛇神=イエス>をほのめかし、詭弁のキリスト教徒は<これはモーゼの青銅の蛇を意味し、イエスの磔刑を予言したもの>とうそぶいて、“旧約は新約の予表”という預型論(タイポロジー)に溺れる。 いずれにせよ、一方が神で他方はサタンであるという善悪二元論を超越しない限り、旧約を“聖”書に仕立て上げたバイブルであれ、旧約を全面的に否定したグノーシスであれ、英知に至ることは不可能であろうね。 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1714647
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