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ベドウィンの方が普遍的で、日本人こそ特殊なのだ〜秘境日本/本多勝一
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/349.html
投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 31 日 15:33:56: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

(回答先: 親切で慎み深いベドウィンたち〜招待されるのは相手に栄誉を与えること/本多勝一 投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 30 日 13:06:04)

≪ベドウィンの方が普遍的で、日本人こそ特殊なのだ〜秘境日本≫
 サラを割った日本人なら、直ちに「まことにすみません」というに違いない。しかし、この美徳は、世界に通用する美徳ではない。アラビア人は正反対。インドもアラビアに近いだろう。フランスだと「イタリア製ならもっと丈夫」などと言うだろう。多くの知人・友人その他の本から、「過失に対する反応」を採集したが、世界の主な国で、サラを割って直ちにあやまる習性があるところは、まことに少ない。ヨーロッパ諸国はずっとアラビア寄りである。中国も謝る例が絶無に近い。
 こうした実例を並べてみると、おおまかな原則が分かる。「異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族は、異民族との接触による悲惨な体験が少ない。たいへんお人好しの、珍しい民族である」
 基本的な「ものの見方について」考えると、ベドウィン、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。探検歴の豊富な中尾佐助教授(大阪府大)にこの話をすると、「日本こそ、世界の秘境かもしれないね」と言った。

≪一挙一動すべて文化≫
 異なった国、異なった文化を100%完全に知るということは、不可能だからこそ、どの程度に不可能かを認識することは大切だと思う。
 「戦場にかける橋」というイギリス映画の例。日本人が根底から馬鹿にされている。奇妙なものを直覚したのは、早川隊長が、イギリス軍に対して、実にしばしば「お前らの責任だ。おれの責任じゃない」と変な英語でどなることだ。
 日本人の卑劣さを訴えたかったのだろうが、このような習慣は日本にはない。イギリスにこそ、よくある日常的習慣なのである。このやり方は、イギリスでも良くないのは当然だ。その潜在意識が、あの映画のような形になって現れた。
【出典】同前  

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コメント
 
1. 中川隆[1355] koaQ7Jey 2016年1月31日 16:16:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[1177]
>異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない


これは誤解

侵略するのは遊牧民だけ

侵略されるのは農耕民だけ


つまり、自分の過失を認めないのは遊牧民だけというのが正しい

遊牧民は乳製品しか作れないし、定期的に旱魃で家畜が全滅するから
農耕民から食料を略奪しないと生きていけないんだ

良いとか悪いとか言っていたら略奪なんかできなくなる

[スレ主【仁王像】による初期非表示理由]:2重投稿(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)

2. 中川隆[1356] koaQ7Jey 2016年1月31日 16:18:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[1178]
1、遊牧民族はなぜ強いか?

そもそもなぜ遊牧民族は戦争に強いかと言えば、普段から馬の扱いになれており、戦争になればすぐさま騎兵に転用できるからだ。

騎兵というのはコーエー作品をやっていると勘違いしがちだが、実際のところ運用するには膨大な資金と時間を費やすことになる。大量の飼葉を用意しなければならないし、乗りこなすにはそれだけ訓練が必要だ。中国にしろローマにしろ、古代の文明圏で馬を用意できるということは金持ちの証明だった。中世では日本の鎌倉武士にしろヨーロッパの封建貴族にしろ、馬の訓練に命をかけていた。

それでも、文明圏にとって騎兵はそれだけ頼りになる存在だった。文明圏は火器や野戦構築を発明するまで、野戦で騎兵に突撃されればほとんど為す術もなかったからだ。だから高価でも、専門的に訓練させてまで用意する価値があった。これが遊牧民族にしてみれば全くの正反対の状況で、仕事(遊牧と交易)に馬を使うからわざわざ訓練するまでもないし、そもそも飼葉を求めて遊牧しているのだから膨大な資金なんて必要が無い。むしろ歩兵を用意するほうが金がかかるくらいだろう。金属をふんだんに用いた鎧や槍なんて、どこから調達すればいいのだ。


もう一つ重要なこととして、彼らの通常の仕事といえば馬や羊、山羊の放牧だが、それだけをやっているわけではない。先史の時代ならいざ知らず、歴史上最初に出てくる遊牧民族スキタイでさえ(紀元前8世紀頃から紀元前3世紀頃まで、南ロシア〜西トルキスタンで活動)、すでに貴金属や嗜好品を持っていたし、衣服や薪などの生活必需品は遊牧だけでは手に入らなかった。

つまり彼らは遊牧のかたわらで、オアシス都市に住む民族の隊商に警備として雇われたり、逆に隊商やオアシス都市を襲う蛮族側になったり(その点で見事なマッチポンプなわけだが)、自分たちが隊商として牛や羊の皮や肉を文明圏の商品と交易することに従事していた。彼らも人類が文明を構築して以来、例外なく貨幣経済に十分組み込まれていたということだ。シルクロードで何より潤ったのは、オアシス都市の住民を除けば彼らであっただろう。

さて、遊牧民にとっての領土とは、自分たちの遊牧地と、交易にすんなりと従ってくれるオアシス都市群ということになる。彼らとて略奪するよりは交易したほうが将来的には儲かることくらいの知恵は働く。それでも遊牧民=略奪のイメージがどうしても存在しているのは、やはり貧すれば鈍すと言うべきか、食うものがなくなったり、一度反逆したオアシス都市は破壊しつくすからだ。

すると、彼らの領土には文明圏よりもだだっぴろい範囲が必要であるということも自然と理解されうるだろう。遊牧にも交易にも、膨大な土地がいる。そしてどちらも、広ければ広いほど、自分たちの生業にとって有利であるということも自明である。より多くの馬や羊を飼うことができるようになるし、商品はより遠方へ輸送したほうが高値になりやすい。つまり、彼らには征服することに対する見返りが大きく、とかくその首長は野心が芽生えがちであったということだ。


2−1、遊牧民は有能な君主を抱くと急激に強勢となる

いかに遊牧民の騎兵が強いといえども、基本的に彼らは文明の民ではなく、無文字であることも多く、まあはっきり言ってあまり頭は良くない。

しかし個人個人で見ればそんなこともなく、時折バカみたいに力強くかつ頭の切れる奴が登場する。

遊牧民族は大概の場合実力社会なので、そういう奴はすぐに出世して首長になる。遊牧民は普段バラバラに生活しているが、一度「有能な奴が現れた」となると結束力は高い。反抗しても何も良いことはないし、そんな頭の切れる奴と戦争しても勝てないことは明白だからだ。それよりは結束して新たな文明圏に侵攻し、領土を広げたほうがずっと儲かる。

そして一度結束して文明圏に侵攻すれば、大して負けることなく略奪、服属に成功する。そしてより儲かるので、遠方にまでその名声は広がり、より多くの遊牧民が彼の下に服属する。なにせ遊牧民の活動範囲は広い。東はモンゴル高原とオホーツク海、南はイラン、西は黒海沿岸やカフカースまで、中央アジアを横断して存在する。こうして、一大交易圏が構築されていく。

しかし、逆に言えば彼があっさり死ぬと、途端に後継者争いが始まる。実力社会なのであまり血縁は重視されない。それでも一応世襲されることが多いが、大概の場合さっさと瓦解して内紛に陥り、それも二人連続で優秀な頭脳の持ち主が現れることはめったにないので、一度内紛が起きれば各文明圏の反抗が始まり、あまりにもあっさりと駆逐される。いかに騎馬が強かろうとも、人口は文明圏のほうが多いし、歩兵だって集まれば強いし、教育水準の関係上優秀な人物も文明圏のほうが出現しやすい。

実のところ、あまり長く文明圏に居座ってもよろしくない。当たり前といえば当たり前のことだが、基本的に遊牧民の生活よりも都市での生活のほうが居心地がいい。彼らの生業のうち軍事と商業は都市でも可能だが、遊牧は言うまでもなく不可能である。ゆえに一度都市の支配者として定住してしまった遊牧民族は二度と馬に乗れなくなり、その特権的地位を失う。元々少数でもあるのでそのまま都市の支配層として同化してしまう。中国の大帝国、隋や唐の支配者層も、元々は鮮卑というモンゴル系の民族出身で、漢民族に同化したものだ。


3−1、遊牧民の活動領域と、他の遊牧民族の領土

1と2で示した通り、遊牧民族の活動範囲というのは広く、中央アジア一帯に広がる。それは四つの文明圏に囲まれている。

一つは中国、一つは中近東・イスラーム、一つはインド、そして最後にギリシア・キリスト教のヨーロッパだ。

逆に言えば、ユーラシア大陸の残りは全て遊牧民の活動領域だったと言ってしまっても、言いすぎにはならないだろう。このうち、西トルキスタンは中近東文明(特にペルシア)と、東トルキスタンは中国文明との係争地であり続けた。

ただし、地域としてのペルシア(イラン)については、扱いが難しい。現在の国号がイランであるように、イランのど真ん中に存在するペルシア高原はイラン系の民族の原住地である。イラン系もまた、モンゴル系やトルコ系と並ぶ遊牧民の一つであった。ここから登場したアケメネス朝ペルシア帝国が、やがて大帝国を築くことになる。

これを前提として、まず他の代表的な遊牧民族の最大領域を確認してみる。

たとえば突厥の場合、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E5%8E%A5、こうなる。

ご覧の通り、中国と中近東の両文明に接する形でユーラシアの中央ほぼ全域を支配している。インドにはチベットとペルシアに阻まれて接しようがないし、ヨーロッパはウクライナに侵入しているという意味では接しているとも言えなくもない。

別の例として、突厥の次に強勢となったウイグルの支配領域を見てみよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD

突厥と比較すると小さく見えるが、モンゴル高原と東トルキスタンを支配している。

実は820年の時点ですでに西トルキスタンにはイスラーム帝国(アッバース朝)が進出しており、イスラーム化が始まっている。

西トルキスタンを通過しないとインドにもヨーロッパにも行けないから、その意味ですでにウイグルの攻勢は限界だったと言えるかもしれない。しいて言うなら、イスラーム帝国を倒して西トルキスタンを確保することはできたのではないかというくらいだが、当時はアッバース朝も最盛期なので無理難題というものだろう。

現在、東トルキスタンに住むトルコ系ムスリムを「ウイグル人」というように、実はこの8〜9世紀に活躍したウイグルと現在の彼らに直接的なつながりはないものの、ウイグル人もトルコ系の遊牧民族であって、最盛期を過ぎた頃からイスラーム化したようだ。
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697675.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697689.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697690.html


アラブ人に一番近いのはゲルマン人

ゲルマン人もアラブ人も自分達では乳製品以外は何も作れないので、略奪で食べていくしかなかったのです。

ゲルマン人もアラブ人と同様、遊牧民出身なので略奪が生業だったのです。

欧米流の植民地支配というのは略奪と「やらずブッタクリ」の精神がないとできないのです。

アングロサクソンの文化  

アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。

戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。

それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?

それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。


だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。

アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。

だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm


アングロサクソンは純粋のゲルマン文明

アングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。

 太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。

 では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。


戦争を生業とするゲルマン人


「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。

 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。

 こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。

 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。

だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。


「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。

 私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。

 (注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
    家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
    べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
    暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。

 ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。

 つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
 しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。


 「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)


戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。

 (注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
    い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
    柄を賭けても争う・・。」(112頁)

 注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)

 以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。

 そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。


ゲルマン人の個人主義


ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。

 「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。

 それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。

 その個人主義と民主主義です。

 「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81〜82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89〜90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。

 また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65〜69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。

 以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)


「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。

 ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。

 (注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
    ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
    に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
    したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
    近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。

 タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。

 しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。

 そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)


自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。

 部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。


アングロサクソンの起源


では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。

 「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。

5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)

 このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
 更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)

 このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです


「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)

 以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)

(*4)コラム#74<アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html

(*5)コラム#1397<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html

(*6)コラム#1687<アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html


つまり、欧米の文化もアラビア遊牧民と同じで、略奪が生業の「やらずブッタクリ」の遊牧民文化


結論

欧米人もアラブ人も人間の屑

キリスト教もイスラム教も狂ったアホ宗教


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