http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/588.html
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ついでと言ったら失礼だが、「真相の道」さんが転載している池田信夫氏の「「カロリーベースの食料自給率」という嘘」(http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/573.html)についても少し触れたい。
池田氏は、「農水省の発表している食料自給率は、2010年度はカロリーベースでは39%、生産額ベースでは69%である。ところが農水省は、前者だけを公式の自給率として発表している。これによれば畜産品の国産比率は70%だが、その飼料となる穀物の自給率が低いため、これをかけたカロリーベースの自給率は17%になる。卵の96%は国産だが、その自給率はわずか9%だ。こんな計算に意味がないことは明らかだ」と主張している。
池田氏らしい勢い余っての勇み足なのかしれないが、カロリーベース食料自給率は、その値と別の方法で算出した自給率を比較して日本のほうが低いとか高いとかというのは間違いだとしても、それなりの意味がある指標である。
廃棄割合が高い実態も含めて、現在の食生活で得ているカロリーが、国内でどれだけ供給できているのかがわかる指標だからである。
もちろん、食糧の生産や輸送に使われている燃料のほとんどが輸入されていること、農業機械や農機具を製造するための原材料が輸入されていることなどを考慮した「カロリーベース食料自給率」も必要である。
(それらの要素の金額を生産への寄与率に置き換えて加味すると、カロリーベース食料自給率は低下するはずだが、廃棄する部分を考慮すると無視できるものかもしれない)
池田氏の「カロリーを取るだけなら、たとえば小麦の輸入が止まったら他の作物を食えばよい」という主張の方が、いざというときの選択肢としては意味があるとしても、現実的な意味がないものだと言える。
さらに、「自給率を高めることだけが目的なら、実現するのは簡単だ。すべての農産物の輸入を禁止すれば100%になる」というのも、今風の食生活が国内からの供給でどれだけできているのかという話なのに、現在の食生活を根底からひっくり返すような話を持ち出すのは、子どもの口げんかレベルの論でしかない。
「カロリーベース食料自給率」は、現在の国民が選択している食生活が国内の供給力でどの程度持続性があるかを知る一つの指標として見ればいいのだ。
それにあれこれ意味を付与するときに、政治的思惑や価値観が付きまとっていることは否定しない。
「カロリーベース食料自給率」にイチャモンをつけながら、「生産額ベース自給率」をまるで問題がない指標であるかのように放置していることに疑問を感じる。
金額ベースで語るなら、せめて、付加価値額ベースで語らなければ意味がないはずだ。
細かな計算ではなくても、生産額から生産のために輸入された金額を差し引いたものでも十分だ。
「こんな計算に意味がないことは明らか」という直接的な根拠は、「畜産品の国産比率は70%だが、その飼料となる穀物の自給率が低いため、これをかけたカロリーベースの自給率は17%になる」とか「卵の96%は国産だが、その自給率はわずか9%だ」というものだが、算定に問題があるのなら、肉や生乳そして卵の生産に対する飼料のウェイトが高すぎるなど、何が問題なのかを指摘しなければならない。
算定に問題がないのなら、それを事実として受け止めればいいのであり、十分に意味があるデータと言える。
転載した「真相の道」さんも、「現実に卵の96%は国産なのに、農水省の計算するカロリーベース自給率ではわずか9%になってしまう」ことを、「農水省による、自給率詐欺」だと書いているが、どこの何が詐欺なのか明示する必要があるだろう。
「「新興国の食料需要が増えて穀物価格が上がったらどうする」という話があるが、川島博之氏もいうように、農業技術の向上によって農産物の生産も拡大している」という部分も、農業技術の向上によって農産物の生産が増大する可能性は認めるが、土壌・水・天候など農業技術ではカバーしきれない大きな生産要因があるのだから、あまりにも雑駁な説明である。
せめて、新興国の食生活の変化と穀物の生産増加の重ね合わせは必要だし、農業技術以外の生産制約要因が今度どうなるのかという予測を示す必要もあるだろう。
TPP参加を声高に要請している経団連の坂根副会長も、10年後か20年後には食糧危機が必ず起きると言っている。
実際にそうならないとしても、少なからぬ人が食糧危機や食糧輸入制約の発生を危惧する論考を出しているのだから、もっと多面的に考えそれに備える必要はあるはずだ。
「価格が問題だとすると、世界の穀物相場よりはるかに高い価格で国内生産する意味はない。以前の記事でも書いたように、自給率を高めるというのは割高な国内穀物を増産することだから、価格高騰の対策にはならないのだ」という説明も、前提条件がなく無媒介なすっからかんの論理だ。
というのは、現在の価格ではなく、池田氏自身が設問しているように、「新興国の食料需要が増えて穀物価格が上がったらどうする」に対する解だからである。
そのとき、国内生産の穀物価格(生産費ベース)が国際相場より高いと決まっているわけでもないし、通貨円が今のように強いとも限らない。
円安になれば、ドル建て国際穀物相場に近づく。カロリーベース自給率が低いから円安の影響で穀物の生産費も高くなるが、円が半分の価値になれば大きく国際相場に近づくはずだ。
このような影響を予測するためにも、「付加価値額ベース食料自給率」が有用なのでる。
ということで、「自給率を高めるというのは割高な国内穀物を増産すること」とは断定できない。
何より、経済団体はともかく、国民の多くはコメの価格よりも持続的な供給を心配しているだろう。
カロリーベース食料自給率は、「農水省が1983年から発表し始めた日本だけの統計だ」というものなら、貿易政策や農業政策の選択は別として、農水省をほめるべきで文句を言うのは筋違いだろう。
紙幣を食べるのが好きな人は別だが、そこそこバラエティーに富んだ食事をしている人なら、その持続可能性を知るデータとして金額ベースのデータより有用性を感じるはずだ。
「そもそもこのように補助金や関税で守ることが農業のためにならないことは、補助金漬けの米を見れば明らかだ。どんな産業も、競争がないかぎり健全に発達できない。農業だけを特別扱いするのはやめるべきだ」と、締めくくりの一つ目にを書いているが、戦後の日本の製造業が、補助金・関税・直接投資制限・優先的外貨付与などの保護主義的政策により育成・強化されてきた歴史を知らないのだろうか?
競争が健全な発達に不可欠のものとは思っていないが、日本の農家は、国内の他の農家とも競争をしているし、外国の農家(たぶんに日本の商社だが)とも競争している。
それは、ここ数年のスーパーの店頭価格を見ている人ならわかることだ。日本の農業の代表とも言える多品種高級品(イチゴやりんごはその象徴)も競争の産物とも言えるだろう。
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