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100616 菊池英博氏(岩上チャンネル) その4 (書き起こし)
http://www.asyura2.com/10/hasan68/msg/840.html
投稿者 読書中。 日時 2010 年 6 月 29 日 00:52:51: ak3IxOSAEFjas
 

(回答先: 100616 菊池英博氏(岩上チャンネル) その3 (書き起こし) 投稿者 読書中。 日時 2010 年 6 月 29 日 00:51:29)

続きです。


100616 菊池英博氏07.flv
http://www.youtube.com/watch?v=3df3kpHATPo&feature=related
菊池:
二つに分ける必要がある。クリントンが日本に冷たかった理由は、クリントンではなく日本側にあると思う。こういう経緯がある。調べてまとめてある。
まず1997年3月にゴア副大統領が来日し、橋本首相・大蔵省を集めて「どうして1997年度予算で緊縮財政をするのか。日本は財政危機じゃないのに、どうして緊縮財政をやるんだ?健全財政じゃないか」と言ったら、日本側は追い返した。
結局その後どうなったかというと、橋本財政改革で1997年になってから株がどんどん売られた。11月には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券がつぶれた。そして結局、98年3月に公的資金案が出た。出たのだが、中途半端。というのは公的資金を入れるのに一番躊躇したのが、大蔵省。財政が赤字だ、赤字だと。とんでもない話で、その後いくら財政を出しても効かない。
クリントンの時代、1993年から2000年まで8年間、クリントンから見れば「いろいろ忠告したに、そのとおりやらないから、日本は自分でひっくり返った」。97年3月にゴアが来たときに忠告を聞かなかった。ワシントンで、ホワイトハウスがどこどこの株を売れといったという話も耳にした。確証はないから言わないが。考えてみると、副大統領が来て緊縮財政はたいへんだと忠告してくれた。それをもう決まっているからとやってしまったために金融恐慌を起した。
そして1998年4か5月のバンクーバーでのAPEC会議で橋本総理はクリントン大統領に謝った。岩波新書の『経済敗戦』にはっきり事実として書かれている。クリントンに対して橋本氏は謝った。それでクリントン民主党政権から見ると、日本を言ったことをその通りやらないから、だらしない」と軽視した。これが背景じゃないかと思う。
だからアメリカ民主党政権が日本に強いことを行ってくると言うよりは、結構親切で言ってきてくれる。
また98年になってから、日本の銀行が株を売られて、金融恐慌になったとき、サマーズ財務副長官が来日し、マッカーサーの再来と言われたが、こういう風に公的資金を入れるんだよとアドバイスをした。
手前味噌になるが、自分は1930年代の研究をしていたので、公的資金注入を公で初めて主張した。8月25日、日経に記事が出た日、国会では菅民主党党首が小渕総理を徹底的にやっつけた。小渕氏は、賢明なことだと思うが、菅氏の主張を丸呑みした。菅氏は公的資金を入れるべきだとまでは言わなかった。
この前に、1998年6月10日発行の雑誌で、次いで8月5日に朝日新聞の「21世紀の対立軸」で私と、違う意見の翁百合と言う女性が出た。この人は市場原理主義で「銀行を潰してしまえ」の一点張りで、中身が何にもない。ところが今でも政府の委員になっている。おかしな話だと思う。はっきり言って何の実績もない。会ったことのない人だが、客観的に言って。そういう実績のない人がたくさんいた。
まあいずれにしても「対立軸」に出た。私の意見は、日本は金融恐慌で公的資金を入れてやらなければいけない。そうしたらそれを読んだ日経から連絡があり、原稿を書いたが、国会で長銀を取り上げるときに掲載すると言う。8月25日と決まったのは3日前。客観情勢を手直しして、正に8月25日、「もはや金融恐慌、大手行対応で特殊法の制定を」という記事が出た。そうしたら自民、公明、民主からすぐ会いたいと連絡があった。
一番最初に具体的に法案にしたいといったのが、日本再生会議。後から分かったが、亀井静香氏が立ち上げた会議。

100616 菊池英博氏08.flv
http://www.youtube.com/watch?v=bLQqFEXvaTg&feature=related
菊池:
何とか法案にしたいといったのが「日本再生会議」。亀井静香氏が立ち上げた。後から知った。平沼赳夫氏が「日本再生会議」の幹事長。いくら金が要るかとのことで、計算していた25兆と答え、それを平沼氏がきちっとまとめ、官房長官の野中廣務氏に持っていき、それで行く、となった。『金融恐慌の罠』に残そうと思って書いた。
話を戻すと、アメリカの民主党、当時のクリントン政権というのは、日本を叩こうというよりは、しっかりしろと。金融恐慌前はゴアが警告し、恐慌後はサマーズが公的資金の入れ方をアドバイスした。そしてようやくサマーズの言うとおり、公的資金注入となった。サマーズは、まず自己資本で不良債権を償却し、原資に公的資金の投入を、と言った。それは1930年代の金融恐慌のやりかたで、私も8月25日の日経に書いた。
いずれにせよ、そういう経緯があって当時民主党政権は日本に親切だったが、日本が従わなかった。なぜなら、準備が乏しかったこと、財政危機の旗印を上げたこと、財政赤字を95年間からの5年で縮小しようとしたこと。そのため橋本首相は責任を取って辞任した。選挙にも負けた。

岩上:
アメリカの国益、資本のために、日本の富を吸い上げようというのが、今は顕著に見える。どこまで意図的かは分からないが。
少なくとも97年当時は、軍事・安全保障的な面では日本の利用に踏み出したが、金融恐慌に至るほどにはアメリカは謀略をめぐらすほどではなかっただろう。アメリカも多様だから、心ある忠告をしてくれた人もいる、ハゲタカの問題もこの辺りから始まっていたから、自己利益を追求した人もいただろう。いろいろだったが、日本の富の吸い上げを熱心にし始めた時期とは言えないと?

菊池:
熱心に吸い上げ始めたのは、私はブッシュになってからだと思う。そして小泉改革。これは後ほど。
その前に1990年代の後半で言っておきたいことは、アメリカが日本に言ってきたのは「内需拡大」。1993年のクリントン=宮沢会談後、対日要望書ということで、互いに文書で要望を交わそすことになった。宮沢首相は反対だったが飲んだ。その理由として、当時アメリカの貿易収支の赤字の7割は日本だった。今は1・2割を切って、中国のほうが多いが。それで輸出ではなく内需拡大を要求した。
ところが、これを断って逆の政策を出したのが、橋本財政改革。それでゴアが怒って来日したのを日本が無碍にし、潰してやろうかと思った。97年から98年に金融機関の株の空売りをしたのは全部アメリカ。数年後、元下院議員と「時々アメリカはホワイトハウスからどこの株を売れという意見が出るんだよ」「ああ、日本の株か」と話した。そこは私なりに読んでいる。だから、日本がゴアや民主党の要求に対してうまくやらなかった、そう読んでいる。
当時のアメリカ民主党政権は、90年代を通じて、日本に対してとにかく内需の拡大による経済の振興を訴えた。日本の市場を拡大させて、輸出しようとしていた。

岩上:
日本の市場を拡大し、そこにアメリカが輸出すれば、貿易が均衡し、輸出に偏重する日本の経済体制が改まるだろうと。するとアメリカの双子の赤字もかなり解消するだろうと。
この頃までは、世界の貿易問題は日米貿易で、中国は勃興し始めた頃で、そろそろ視野に入ってくるが(菊池氏否定のそぶり)、まだ巨大なプレーヤーになるとは見えてなかった。あくまで日米間だった。
いよいよブッシュ、小泉の登場で大きく様変わりを始める。

 

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