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(回答先: 自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。 投稿者 matuoka yuuji 日時 2009 年 7 月 03 日 08:33:41)
自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。
先日に、Asyuraに分けて投稿した上記の題名の記事である下記の@ABの投稿記事をひとまとめにして、より読みやすく、理解されるように、校正、訂正、修正をしてみました。
@ 本文部;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/716.html
→ 上記修正版を 《 § 1 》 とする。
A 追記部;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/720.html
→ 上記修正版を 《 § 2 》 とする。
B 追記の追記;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/732.html
→ 上記修正版を 《 § 3 》 とする。
(注)校正日 ; 2009年7月4日
《修正版;以下のとおり》
《 § 1 》
《 自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。 》
1.読売新聞、もともと、社主であった正力松太郎氏が自民党の議員であったから、自民党よりの、論調であったが、いつの間にやら、朝日新聞や毎日新聞の論調の方向が、自公政権よりの論調が主流となってしまっている。 読むのに非常に、耐え難く、義憤が生じるのである。。
2.自活して独立してから。40年以上の間に、1,2年間は、読売を購読したが、後は、朝日新聞の購読をしてきたが朝日新聞の近年の論調は、購読に耐えないものになりはててしまっているのである。
かっての、朝日新聞の社会的正義感あふれる姿は、どこへ、消えてしまったのであろうか???。
3.大いに、疑念がある。この論調の変転に、大きな謎が、隠されている様である。
4.新聞は、もともと、広報宣伝と社会的な論争においては、どこかの機関誌ではないのであるから言論の公正さと客観的な正義が、読者から強く求められるべきものである。
5.しかし、これが、現在の日本での、大新聞会社は、それと正反対なことをしているのである。他の報道機関の状況も似たものである。
6.若者の多くは、ワーキングプアーになり、購読自体が不可能な状態にあり、年長のもの達にも、そのような、広報機関誌のような報道かみきれに、あいそがつき始めて来ているのである。
7.自分達のしていることが自分の首を絞めていることに、気がつかないのであろうか???
8.たぶん、そのことに、気はついていて、あえて、このようなことをしなければならないなんらかな理由と外部からの強い力が加えられているのであろう。
9.たぶん、この裏には、隠された仕組みと秘密の資金を供与し、その報道を担当する上層責任者を懐柔させてしまっているのであろうか?。その意図されて仕組まれた広報誘導的な狙いを持って実行されているのであろう。これらの新聞報道機関の社内においても、そのことは、おそらく、ごく一部のものに限られていて、隠密でなされているのであろう。
昔日の隠密忍者のよう役割を担っていて、社内的な特権的な権限を行使して行われている様なのである。
10.このような状況でも、種々の情報源をもっている購読者達は、あるいは新聞の論調に、気をつけて、熟読、吟味して購読する人達は、、その記事の中で、目的のもった意図を隠して、偏った表現の論調で、記されたことが、直ちに、理解されるのである。
11.このことが、論説の上層の主幹等あるいは校正担当の首脳達の判断で、行はれているのかは、購読者には、わからないのである。
12.しかし、そのような方法で、意図的な作為のある論調をのせるような新聞社等の記事は、社会的な欺瞞を嫌う我々には、読むに耐えないのである。
13.購読者の不信を生むような報道は、もはや、必要とされないのである。
14.もはや、日本の新聞業界全体が、社会的な正義を提供する言論誌ではなくなったのである。
15.なんとも、情けのない業界になってしまった。
16.国民の多くは、インターネット等で、広く、多方面からの情報を得るようになっているが、そのインターネットを利用できない老齢者は、この購読する新聞記事の論調を頼りに、社会問題についての判断をしてしまうのである。公平さのない真実を歪曲するような論調は、このような人たちをあざむいていることになるのである。
17.現代の新聞業界が、このようなものでは、社会をかく乱し、社会の発展に妨げになってくるのである。
18.新聞業界が、将来に渡り、生き残ることを望むならば、自分達の危機感と使命感をもって、社会的な公平さと中立性と社会的な正義を提示して、読者の信頼を勝ち取って行かなければ、そこに、待つのは滅亡にほかならないのである。
19.社会的な、公器である新聞に、その主柱である論調に関して、その欺瞞性について、購読者から指摘や抗議がなされることは、その新聞の存在の意義が問われていることである。
20.残されている時間は、少ない。
21.特に若い記者達や報道関係者に、その隠された意図で、報道がなされていることに対して、正義感をもって、そのような欺瞞性に対抗ができる能力になって、社会的な報道に、使命感と危機感をもって、自己の職分に誇りをもって、社会的な貢献をして頂きたいのである。
新聞報道に、社会的な公正と正義を取り戻して頂きたいのである。 このことを切に願う次第である。
そうしなければ、日本の社会は、先の大戦時の時代ような、統制的な、不自由で、不正、欺瞞に満ちた社会に、陥ってしまうことであろう。
(注:朝日新聞の配達を数年前に、2年間したことのある義理のある販売店の要請と購読の契約で、今年の末までは、朝日新聞を購読をせざる得ないことが、非常に、無念に思っている次第である。)
《 § 2 》
1.誤謬のあった自公政権の近年10年間の経済運営路線によって、経済的な困窮に至る人々が増大していくこの日本の社会で、家計を何とか、節約し、切り盛りさせながら、新聞を購読している人々も、かなりの数になるであろう。
2.その人達は、その購読する新聞に対して、もっと、世の中が良くなって欲しいと必死な気持ちを願いながら、その記事、論調に接するのである。
3.そのような、読者達の貴い汗に基づいて、新聞の購読が、維持されているのである。
4.ところが、その記事、論調に、求められるべき社会的な公正さと正義感がなければ、その読者は、亡失して。その言論に対して、不信を生んでしまうのである。
5.日々に、明日は、今日よりも少しは、社会の状況が、良くなって欲しいと願いながら、その新聞に期待をもって、を購読している人々の姿を思い起こして欲しい。
6.話題がそれるが、敢えて、ここで述べるのであるが、私が、若かりし日に、私の師になった一人の新聞記者(当時60歳を越える)との出会い中で知遇を得た人で、当時の静岡新聞の論説委員の星野芳樹氏は、若き時代に、日本の軍事政権下で、中国の上海で、亡命生活を余儀なくされ、戦争反対の意思を貫き通して、戦争中に監獄の身を置かれた経験を持っていたのであるが、この人の外国での情報の取り方は、2,3等車の列車とか、キチン宿の安い宿に。おいて、庶民との対話の中で、生の声をひろいあげるような努力を進んでしていたのであった。
そこを退職して、ケニアにて、しばらくの間は朝日新聞の支援もあり、日本(ケニア)アフリカ協会を設立し、現地で、日本で募集した若者にスワヒリ語を学ばせていたのである。 その中で、当時の政情不安定のアフリカの各地、各国をめぐり、種々複雑な状況を日本に伝えたのである。また、この人は、戦後すぐ、思想転向し、自由党の国会議員になり、外地からの引き上げ者の促進のために、その努力を注いだ人であった。
7.報道すべき記事は、人から、受身で、情報を与えられて、書くものでは、ないのである。自分から、その庶民の生活に飛び込んでこそ、生の本当の記事が書けるのである。ましてや、政府のある筋からの広報的な宣伝記事など、困窮する国民にとって、一銭の価値もないのである。
追記:余談になるが、日本が敗戦し、外地からの命からがら、引き上げてきた多くの人たちも、その人の恩恵を受けたであろう。 その困難な道をたどった引揚者の中の一人として、満州からの引き上げてきた公明党の冬柴氏がおられるが、現在のその氏の、国民・国政に対する増長的な政治姿勢は、その貴い人生経験を生かしておらないようである。どのような政治家に対しても、周りの人は、あらゆる場所から、常にその人なりを客観的に見ているのである。 たぶんこの人の人生は、謙虚さを失ったことで、最後は、みじめなものとなるであろう。
( 追記1 ;
ここで、改めて、この企画を支援された当時の静岡新聞の社主 大石氏と静岡新聞の関係者に対して、感謝を表明を記させて頂きます。
当時静岡新聞社主 大石氏は自民党所属の国会議員であった。)
( 星野氏の自邸に、あるとき誘われて出かけたときに、当時の創価学会の幹部であると紹介された市川雄一氏が同席していて、創価学会についての私達の若者の意見を聞かせてほしいとのことであったので、当時の私派、創価学会に関心はあまり、感じていなかったが藤原弘達氏がTV等で創価学会と公明党の正教分離に対する 批判を展開していた時代であった。 その時の私の返答は、政治と宗教を何を基準に分けるかは、困難であるから、正教分離はできないのではないか、遠慮なく意見を述べたことを思い出す。 私が当時において、この人に、したしみを感じて分かれたのである。
後世において、小沢一郎氏と並んで、一々路線の政治路線を進めた創価学会の主流を形成した人であった。 このようなベテランの政治家が創価学会を率いていれば、現在の日本の混迷の深まるような政治状況にはならなかったようなに思うのである。
最近、私が Asyura に投稿した市川氏に関係する記事を参考リンクとして、ここに加えてみます。
Asyura投稿:2009年5月26日
《 Re: 二見伸明:燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(THE JOURNAL)【「小沢問題」の本質は民主主義の根幹に関わる問題である】》
→ http://www.asyura.com/09/senkyo64/msg/167.html
【参考リンク:市川雄一:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E9%9B%84%E4%B8%80 】
現在は、創価学会員として、10年近くに渡り、経験した中での私の結論において、創価学会の正教一致の活動に対して、退会したからであろうが、大きな疑問と不信を、生じてもっている。
後世において、現在は、1998年51歳の時に、ある縁で、創価学会に入会し、その日常活動において、参加していたのであるが、近年の自民・公明党の与党政権による政治・経済路線の大きな疑念を持って、創価学会本部に電話をした時に、私が、創価学会員であり、自分の姓名を名乗り、現在の公明党の取る政策に反対し、民主党を支持することの表明をしたとたんに、電話が、無言電話になってしまったのである。創価学会員の話を受付なかったのである。 こちらは、遠距離の電話賃を気にしながら、電話しているにもかかわらずにである。こちらが、話かけても、電話を切るわけでないのである。 無言のままである。 相手が出ないものであるから、再度電話をかけて、同一人物に、つながったとたんに、再度無言電話であった。電話をかけた者に対して、大変に、失礼なことで、大変に、憤慨したのである。このような態度の人を、創価学会本部において、平然として、電話の応対をさせているのであった。
いつものことであるが、創価学会本部の係りの者は、こちらから、名前を尋ねても、決してこたえないのである。 話の内容によっては、地方の支部の人は、名前を教えてくれる人もあった。親切な応対を年功者の人も多くあったが、このような横柄で、傲慢不遜なこの比較的に若い中堅の者達が、この現在の創価学会本部の主流的な勢力となっている様なのであろう。
このことが、創価学会を辞める決意をした一つの大きな要因であった。退会した理由は、これだけでないが、2008年の10月に、創価学会を退会したのである。
《 § 3 》
1.先に述べた星野芳樹氏の兄弟で、その長男 星野直樹氏は、満州国の総務長官を経験している人である。
その満州国において、この星野直樹氏は、岸信介、松岡洋介氏と並ぶ存在の人であった。
【 参考に星野直樹氏のWikepediaを下記にリンクする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E7%9B%B4%E6%A8%B9 】
2.星野芳樹は、その3男であった。芳樹氏には、共産党の活動の中での亡命生活中に韓国人の鄭氏との間に生まれて韓国内で、生まれ母親の手で育てられた隠された娘(このことは、おそらく身内には、伝えずに、あの世に旅たって行ったのであろう。》その娘の子である長男と長女が現在において、存命されているはずである。 【Asyura投稿時には、5男 と誤記したのを訂正いたします。】
【 星野芳樹氏の参考リンク:
1. http://www.jacii.net/page004.html
2. http://www.suikodo.com/job/book.html
3. http://www.jacii.net/newpage13.html
当時の静岡在中の大学生(当時の県立静岡大学、静岡薬科大学、東海大学海洋学部)から、選ばれた私達4人を乗せて、老齢にもかかわらず韓国への日本からフェリーを使い、自動車での韓国旅行の引率し、実子の娘とプサン市で合流して、同行されたのである。その娘さんの通訳で、快い旅となったのである。
3.私が訪れた当時の韓国の政権は朴大統領であった。フェリーでプサン港に上陸し、すぐに、私達一行は、KCIAの人に、監視されたようである。 当時のプサン港は、地方の小さな漁港のようなものであったが現在のプサン港は、世界的でも、有数の国際流通港湾になっている。
4.途中慶州市と浦項市に立ち寄って、浦項市では最新式の鉄鋼所の新設のための港湾施設造成の最中であった。当時の八幡製鉄所の協力のもとで、浦項製鉄所が作られようとしていた。
5.ソウル市では、現在のサムソン財閥:三星財閥を率いる三星物産の会長の李氏の本人が、自ら、私達一行を迎えてくれて、懇談をしてくれた。その理由は日本から、きた若い人の意見を聞きたいとのことからであった。私は、その時に、会長に、遠慮なく、次のように話しをしました。 (韓国において、これからも、まだやるべきことがたくさんあるようです。)と伝えたのである。その時代から、すでに、40年経過したサムソン:三星財閥の成長や韓国経済の成長は、すばらしいものになったのである。
この三星物産の起源は、敗戦となって、日本から、撤収され、現地に返却された施設を政府から融通されて、出発していったようである。
6.ソウル市では、ソウル郊外にある南北を隔てる38度線上の板門店を建物内で、見物したのである。北朝鮮側と厳しい対立がある中で、米国憲兵に守られながらの緊張した場面であった。
7.ソウルでは、成均館大学、李花女子大学生等との楽しい懇談も行われた。その間に東亜日報新聞社の人々にも、大変なお世話になったのである。
8.国や国籍が違えても、若者同士の心や思いは、会い通じるものであることを経験できたのである。
9.そのような青年達を、権力者の都合で、再び、醜い戦場につかせてはならないのである。
10.戦前までは、長い間、日本の植民地支配で、ソウル市に日本の総督府が置かれていたのであるが、植民地の象徴として議論の中で、近年その建物が取り壊されることになったようである。
11.戦前には、当時の日本政府は、韓国の人からは反発を受ける中で、軍事強制的に日本語で、教育を行ったのである。
12.名前は、覚えていないので申し訳ないのであるが、途中で、立ち寄った50歳代頃のある市長は、私達を親切で、丁寧に迎えて、私達と懇談の中で、私達に、《夏草やつわども達の夢の跡》と日本語で親しく語ってくれたことに感動し、今も思い出される。 この言葉は、訪れた日本人の若者に対して、て、戦争の無意味さを示す教訓として、話をなされたのであろう。当時の殖民地主義の日本語強制の教育制度の中で、生き残るがために、必死で、学んだのであろう。
13.日本に帰って、翌年後に、当時の大統領選挙で、朴大統領を凌いでいたとの世評もあった金大中氏は、本国を避けて、日本に滞在し、日本の政治家や日本の世論に、自論の広報をしていたのであるが、朴政権の圧力で、日本からの拉致事件が、発生したのである。その後において、朴大統領は、その身内の側近によって、拳銃で殺されたのである。金大中氏が大統領になったのは、朴大統領から2人、3人が大統領となって、金大中大統領はその後である。その後に 先日、自殺(?)したと発表されたノテイウ大統から、引き継いだ現在の李大統領が政権を担っている。 この李大統領の育ちは、親が日本に強制連行されて日本で生活する中で、生まれ育ったのである。 日本にうらみを持って当然であろうが、この大統領は、親日的である。立派な精神を有してがんばっておられる。 睡眠時間も4,5時間程度で、その政務に励んでおられるとの報道もあった。
国内的には、不安定な韓国政権や韓国の人々は、取り巻く国際的な力に翻弄されながらも世界へ活動を拡げることに成功しているのである。
日本にとって、隣国であるこの韓国民族は、歴史の中で、幾度かの戦争状態や紛争があったのであるが、日本の文化の源流には、この韓国民族の帰化人等の活躍がによって、築き上げられた文化源流が、この日本に強く影響しているのである。
モンゴル系統の同じ顔、姿である。朝鮮半島から、その地の戦乱で、逃れてきた人々が私達の日本の先祖であったかもしれないのである。 その温故ある民族に対して、人種的な差別等の扱いをしてはならないのである。差別する人は、自分達の先祖につばをかける行為と同然であることに、気がつかなければならないのである。
14.旅行から帰り、その年の4月から、就職し、社会人として、歩みを始めた。その星野芳樹からの連絡で、国会近くの尾崎行雄(咢堂)記念館での、バングラデッシュ独立の記念の会合に、誘われてでかけたが、そこに、当時自民党総裁候補として、田中角栄氏と争っていた福田赳夫氏にバングラデッシュの大使との通訳を駆ってでて相互間に紹介をしていた。 その数ヶ月後に、私は福田赳夫氏が総裁選で選ばれると予想していたのだけれど、天の声の間違えもあると福田氏はコメントを公表していた。
(参考リンク: 尾崎行雄 Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E9%9B%84 )
(参考リンク: 福田赳夫 Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E8%B5%B3%E5%A4%AB )
大分、言論についての本論から、外れて、申し訳ありませんでしたが、これも、老婆心の思いで、国や国籍が異なっても、若い人々が、仲良く、相互に協力して、生きていくことが、大事な大きな時代の流れだと考えるからである。
【 結論 】
言論報道は、あくまでも、政権の片方に、肩入れや不公平な報道をして、国民の撹乱の要因になってはならないのである。
新しい社会を築き上げ、時代を形成する原動力は、若者にあるのである。 この大事な若者達をこのような社会状況に陥らせた現自民・公明党与党政権は、この責任を、国民から求められているのである。
若者は、この状況を抜け出すために、社会的な正義の旗を高く掲げて、声を張り上げて、非暴力的な言論闘争を開始していかなけれならないのである。 自信と勇気を持って進めば、恐れることや恐れる者など存在しないのである。
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