★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK66 > 732.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: 追記 from matuoka yuuji 投稿者 matuoka yuuji 日時 2009 年 7 月 03 日 10:25:28)
Re: 追記の追記 from matuoka yuuji
1.先に述べた星野芳樹氏の兄弟で、その長男 星野直樹氏は、満州国の総務長官を経験している人である。
その満州国において、この星野直樹氏は、岸信介、松岡洋介氏と並ぶ存在の人であった。
参考に星野直樹氏のWikepediaを記載する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E7%9B%B4%E6%A8%B9
2.星野芳樹は、その5男であった。芳樹氏には、共産党の活動の中での亡命生活中に韓国人の鄭氏との間に生まれて韓国内で、生まれ母親の手で育てられた隠された娘(このことは、おそらく身内には、伝えずに、あの世に旅たって行ったのであろう。》その娘の子である長男と長女が現在において、存命されているはずである。
星野芳樹氏の参考リンク:http://www.jacii.net/page004.html
当時の静岡在中の大学生から、選ばれた私達4人を乗せて、老齢にもかかわらず韓国への日本からフェリーで、自動車の旅の通訳で、韓国旅行を同行されたのである。
3.私が訪れた当時の韓国の政権は朴大統領であった。フェリーでプサン港に上陸し、すぐに、私達一行は、KCIAの人に、監視されたようである。
当時のプサン港は、地方の小さな漁港のようなものであったが現在のプサン港は、世界的でも、有数の国際流通港湾になっている。
4.途中慶州市と浦項市に立ち寄って、浦項市では最新式の鉄鋼所の新設のための港湾施設造成の最中であった。当時の八幡製鉄所の協力のもとで、浦項製鉄所が作られようとしていた。
5.ソウル市では、現在のサムソン財閥:三星財閥を率いる三星物産の会長の李氏の本人が、自ら、私達一行を迎えてくれて、懇談をしてくれた。その理由は日本から、きた若い人の意見を聞きたいとのことからであった。私は、その時に、会長に、遠慮なく、次のように話しをしました。
(韓国において、これからも、まだやるべきことがたくさんあるようです。)と伝えたのである。その時代から、すでに、40年経過したサムソン:三星財閥の成長や韓国経済の成長は、すばらしいものになったのである。
この三星物産の起源は、敗戦となって、日本から、撤収され、現地に返却された施設を政府から融通されて、出発していったようである。
6.ソウル市では、ソウル郊外にある南北を隔てる38度線上の板門店を建物内で、見物したのである。北朝鮮側と厳しい対立がある中で、米国憲兵に守られながらの緊張した場面であった。
7.ソウルでは、成均館大学、李花女子大学生等との楽しい懇談も行われた。その間に東亜日報新聞社の人々にも、大変なお世話になったのである。
8.国や国籍が違えても、若者同士の心や思いは、会い通じるものであることを経験できたのである。
9.その青年達を、権力者の都合で、再び、醜い戦場につかせてはならないのである。
10.戦前までは、長い間、日本の植民地支配で、ソウル市に日本の総督府が置かれていたのであるが、植民地の象徴として議論の中で、近年その建物が取り壊されることになったようである。
11.戦前には、当時の日本政府は、韓国の人からは反発を受ける中で、軍事強制的に日本語で、教育を行ったのである。
12.名前は、覚えていないので申し訳ないのであるが、途中で、立ち寄った60歳前の市長は、私達と懇談の中で、私達に、《―−― つわども達の夢の跡》と日本語で親しく
語ってくれたことが、今も思い出される。
13.日本に帰って、1、2年後に、当時の大統領選挙で、朴大統領を凌いでいたとの世評もあった金大中氏は、本国を避けて、日本に滞在し、日本の政治家や日本の世論に、自論の広報をしていたのであるが、朴政権の圧力で、日本からの拉致事件が、発生したのであ
る。
その後において、朴大統領は、その身内の側近のから拳銃で殺されたのである。
金大中氏が大統領になったのは、朴大統領から2人、3人が大統領となって、金大統領はそのあとである。その後に 先日、自殺(?)したと発表されるたノテイウ大統から、引き継いだ現在の李大統領が政権を担っている。
この李大統領の育ちは、親が日本に強制連行されて日本で生活する中で、育ったのである。 日本にうらみを持って当然であろうが、この大統領は、親日的である。立派な精神を有してがんばっておられる。 睡眠時間も4,5時間程度で、その政務に励んでおられるとの報道もあった。
国内的には、不安定な韓国政権や韓国の人々は、取り巻く国際的な力に翻弄されながらも世界へ活動を拡げることに成功しているのである。日本にとって、隣国であるこの韓国民族は、歴史の中で、幾度かの戦争状態や紛争があったのであるが、日本の文化の源流には、この韓国民族の帰化人等の活躍がによって、築き上げられた文化源流が、この日本に強く影響しているのである。 モンゴル系統の同じ顔、姿である。朝鮮半島から、その地の戦乱で、逃れてきた人々が私達の先祖であったかもしれないのである。
その温故ある民族に対して、人種的な差別等の扱いをしてはならないのである。
差別する人は、自分達の先祖につばをかける行為と同然であることに、気がつかなければならないのである。
大分、言論についての本論から、外れて、申し訳ありませんでしたが、これも、老婆心の思いで、国や国籍が異なっても、若い人々が、仲良く、相互に協力して、生きていくことが、大事な大きな時代の流れだと考えるからである。
結論
言論報道は、あくまでも、政権の片方に、肩入れや不公平な報道をして、国民の撹乱の要因になってはならないのである。
時代を形成する原動力は、若者にあるのである。
自信と勇気を持って進めば、恐れることや恐れる者など存在しないのである。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK66掲示板
フォローアップ: