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あの時代でも、この程度の知見は可能だったわけですね。参考までに貼って置きます。
「日本主義」に着地せざるを得ないのが、この時代の限界でしょうか。
交流の広場 <読者からのお便り>
http://chikyuza.net/modules/news4/article.php?storyid=1778
: <近代の超克>論者にみるマニフェスト群 <上条三郎>
きのう、「交流の広場」にマルタのめだかさんが<「マニフェスト」は「宣言」のこと
だったのか!?>を投稿し、そこで<近代の超克>に言及していらっしゃるので、「座談
会<近代の超克>」の現場(1942.7)から<近代の超克>論者のマニフェストまがいを拾
い出してみました。(参考:河上徹太郎ほか『近代の超克』冨山房、1979年)
・1941.12.08ショックの原因は、西欧知性と日本人の血の間の相剋にある
・一方でアジアを主張し、他方では西欧を主張する使い分けをしてきた
・これまでの日本人は西洋近代は非常に偉い、無条件に秀れたものと思っていた
・近代の超克とは我々自身の超克である
・現代人の「人性」は殆ど古代と異らぬ
・輸入品としての「近代」と我国に独自の「近代」の関係を無視するな
・統一の中世→分裂の近代→再統一による超克、神と信仰による再統一
・近代においては仕事が極度に分化し全人性を喪失してきた
・完璧でない西洋の文化を受け入れた不健全な明治の文明
・近代化の過程が近代化の成果を破綻させた
・近代人が近代に勝つのは近代によってである
・西洋とは近代であって古代などでなく、近代性の克服とは西洋近代性の克服のことだ
・真似してきた見本=目標である西欧を否定する矛盾、目標の喪失
・歴史力のダイナミック(変化)に足をとられて、歴史力のスタチック(不変化)を忘却
・近代をのりこえる力は神への信である
・進化論は近代の迷信である
・外国の影響を断乎として受けないありのままの日本人、その本然の姿
・欧米文化か伝統文化か、一国民一国家か地域(間)共同体か、ゲマインシャフトかゲセルシャフトかアソシエーションか
・戦争は本質的には指導だ、和は大和だ
・八紘為宇の理念は自他不二の国家間的な共同性である
・帝国主義としての日本は別の帝国主義を倒すことができない
・今次の戦争は、対外的には英米勢力の覆滅であるが、内的にいえば近代文明のもたらした精神的疾病の根本治療だ
・ヨーロッパの世界支配を超克する大東亜戦争は一つの近代の超克といえる
・戦争の二重構造にクサビを打ち戦争の性格を変えることだ
・機械の形成は一応精神の勝利といえる
・科学的精神は万能薬で催眠術的暗示を衆愚に与える
・機械文明とか科学技術を統御するより高い文化の理念が求められる
・近代の超克という場合必ず科学の問題を何とか解決しなければならない
・自然を拷問して自然自身に答えさせ、自然的に存在しないものを現出せしめる魔術は実験的方法の科学精神に連なる
・自然学と形而上学、科学と宗教の統一こそ近代の超克の具体的な問題だ
なお、関心ある方は石塚正英・工藤豊編『近代の超克―永久革命』(理想社、2009年)を
読んでみてください。