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(回答先: 家永三郎『太平洋戦争』より抜粋 投稿者 スットン教 日時 2009 年 8 月 08 日 21:27:16)
・・・一九四五年七月にはロシア人の母親と三歳か四歳の娘とをガラス張装置の中に入れ毒ガスを噴出させて絶命時
間を測ったり、野外実験で「マルタ」の集団逃亡が発生したとき、自動車で追跡して一人残らずひ
き殺したりするなど、言語に絶する鬼畜の諸行が継続していたのであった。ソ連が開戦すると、七
三一部隊の存在を完全に抹殺するため、「マルタ」をことごとく殺し、施設内で死体を焼却し、骨
を松花江に運んで投入し、また半焼けの死体を粉砕機にかけて粉砕し、工兵隊をしてダイナマイト
で建物を爆破させ、いっさいの器具その他証拠物件を焼却した上、隊員は嵌頓軍の他の部隊に先
立って真先に内地に帰還させた、という。・・・
・・・
戦争末期には、日本本土においても、大学医学部で生体解剖が行われた。日本の都市爆撃の際
捕虜となった米軍B29搭乗員八名が、西部軍幹部と九州帝国大学医学部の外科担任教授石山福二郎
との共同謀議に基づき、一九四五年五月一七日・二三日・二九日・六月3日の四回にわたり生体解
剖の実験に供せられた。石山は、ある捕虜の肺臓を取り出して洗盤に入れ、肺動脈を切開して血液
を全肺腔に充満させて死亡させ、またある捕虜の胃を全部剔出した上、肋骨五本を切り、手を心
臓近くに突っこみ大動脈を把握し、どれくらいの事件を血流をとめることができるかの実験などを行
なって死にいたらしめ。またある捕虜の頭蓋骨に四個の孔をあけ、順次頭蓋孔に達し、錐体側索道
を探し出そうとして死に到らしめるなどの行為を繰り返している。・・・
・・・四五年四月英印軍がラングーンに向かって進撃して来ると、ビルマ方面軍司令官木村兵太郎は、
ラングーンから逃走し、四五年一月フィリピンの戦況が悪化するなかで、第四航空軍司令官富永恭次は
上級司令部に無断で台湾に逃亡した。四四年スマトラ島バレンバン南方第九病院長に着任した陸軍軍医
大佐北沢義章は看護婦を次々と強姦し、・・・
ソ連の進撃が開始されると、関東軍はいち早く軍人家族を真っ先に列車に乗せて避難させ、在留邦
人を置き去りにして軍司令部も新京から通化に避難した。残された人たちは「馬鹿にしている。軍
人だけ逃げて」「みつともない。関東軍なんて、一体なんだ」と口々に叫んだ。北朝鮮でも徒歩で
喘ぎながら病院・老幼婦女をふくむ一般の邦人が避難して行く道を「第一線部隊、憲兵のトラッ
ク・牛車が之を蹴散らすように追いこして行」き、白茂線の列車は後退軍人の専用と化し、「よう
やくにして列車の端にすがりつかんとする民衆に対して『貴様達は死んでしまえ』と怒鳴りながら
剣をふりまわす暴状さえも示した」。「満州国軍」を傀儡部隊としてきた日本軍人の軍事部
顧問は、敗戦時にとるべき措置をなんら指示することなく、何百万という「満州国」の公金を懐に
して姿を消したのである。(以上、原資料引用註省略)