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(回答先: 家永三郎『太平洋戦争』より抜粋 〜「だましうち」のついての嘘〜 投稿者 スットン教 日時 2009 年 8 月 09 日 10:36:38)
日露戦争および第一次世界大戦の日独戦争(青島攻略戦)においては、日本軍は戦時国際法
の優等生だったといわれる。国際法学者信夫淳平によれば、日本軍は「日進、日露の両戦争に
は、国際法学者を従軍させ、各国は「日本のこの先例にならうべし」と賞賛し、特に「捕虜の
人道的取り扱い振りは欧米各国の真に驚嘆したる所で、泰西(西洋)国際法学者はほとんどあげ
て、わが日本をば国際法を忠実に遵守する点において世界に冠たるものと称揚した」とある。
一九〇〇年の北清事変におけるヨーロッパ軍隊のはなはだしい狼狽ぶりに反し、日本軍
の行動が世界的賞賛を博したことも著名な事実であろう。
(中略)
長谷川伸の『日本捕虜志』には多数の具体例が述べられているが、ロシア兵捕虜に対する待
遇はときには度をすぎているとさえ思えるほどで、世界の新聞雑誌は日本のことを、「武士道
の国、サムライの国、礼儀の国」と賞賛したという。日露戦争時代の大山、児玉、黒木などの
大将を知っていたアメリカのある将軍は、「太平洋戦争の日本の大将と比べ、人種がちがう
ように感じた」と語ったともいわれる。
以上、『日本の戦争責任』より抜粋。
『日本の戦争責任』は開戦詔書における国際法の問題等も詳細に取り上げられていて、参考に
なります。
第一次大戦以後、西洋は進歩主義の動揺によって、求心力を低下し、その影響は「西洋国の
一等国」たらんことを一大目標として歩んでいた日本にも及ぶわけです。検証はしてません
が、日本人の「西洋人」としての意識は第一次世界大戦によって消滅し、擬似アジア主義で
ある「大東亜共栄圏」が喧伝され始めたのでありましょう。私は十九世紀的な(「日本民族」
がその一環であったところの)国民国家型世界体制を擁護するつもりはありませんが、その
終焉によって、逆に日本人が変に増長をし始めたのは確かであると思われます。ここら辺の
議論は始まったばかりであり、日本近代の克服(京都学派は戦時中、「近代の超克」などと
言ってますが)のための、これからの検討課題でありましょう。