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(回答先: 家永三郎『太平洋戦争』より抜粋 〜戦後日本の常識〜 投稿者 スットン教 日時 2009 年 8 月 09 日 08:56:42)
「奇襲」という行為そのものが、そもそも開戦方法としては「禁じ手」であったわけで、大戦果を
収めるのはある意味当たり前ですね。この大戦果に気を良くした山本五十六はミッドウェー海戦を
強行して大損害を被り、以後、日本は「転進(一方的後退)」を強いられるわけです。
大使館員の責任云々というのは、駐米大使館に書き直しをくり返し命じて意図的に通告遅れを
狙った軍部の謀略である可能性が高く、総体的に評価すると開戦責任の転嫁を狙った旧軍勢力の
戦後の国内プロパガンダに過ぎないのは明らかです。以下、抜粋。
これよりさき、すでに連合艦隊に属する有力な機動部隊は択捉島の単冠湾を出発し、秘密裡に
ハワイに向け進発していたが、一九四一年一二月八日午前三時二〇分(東京時間)、母艦より飛び
立った航空機は真珠湾のアメリカ軍港を奇襲し、碇泊中の主力軍鑑をほとんど全滅させるという大
戦果をおさめた。それよりもさきに、対米通帳伝達予定時間より四五分も早い午前二時十五分、南
方ではイギリス領マレー半島に日本陸軍部隊の上陸侵入が開始されていたことをも、ここにぜひ一
筆しておく必要があるが、こうして米・英両国に対するいっせい先制攻撃が開始された。かねて日
本では真珠湾攻撃開戦の寸前に高尚打ち切りをアメリカ国務省に通告する予定であったが、駐米大使
館員の手落ちのため通告分の作成がおくれ、野村・来栖両代表がハルを訪問したときには、ハルは
すでに真珠湾攻撃の通報を接受した後であったという醜態をさらしている。したがって、そのこと
から日本が計画的にだましうちを行ったと非難するのは当たらないが、この文書には単なる交渉打切
りが宣言されているのみであって開戦の意志は明示されておらず、イギリスに対しては全然事前の通告な
しに攻撃を開始したのであり、宣戦の詔書の公にされたのは、攻撃開始後約八時間を経過した午
前十一時を過ぎたのちであった。このような開戦の手続は、日本が一九一一年(明治四四)年に批准し
た「開戦ニ関スル条約」第一条「締約国ハ理由ヲ付シタル開戦宣言ノ形式又ハ条件付開戦宣言ヲ含
ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告ナクシテ其ノ相互間ニ戦争ヲ開始スベカラザルコトヲ
承諾ス」に違反すること明白といわなければならない。日清戦争の宣戦の詔書には「苟(いやしく)モ国際
法ニ戻ラザル限リ各々職能ニ応ジテ一切ノ手段を尽スニ於テ必ズ遺漏ナカラムコトヲ期セヨ」、日
露戦争の宣戦の詔書には「凡ソ国際条規ノ範囲に於テ一切の手段ヲ尽シ遺算ナカラムコトヲ期セ
ヨ」。日独戦争の開戦の詔書には「凡ソ国際条規ノ範囲に於テ一切ノ手段ヲ尽シ必ズ遺算ナカラム
コトヲ期セヨ」という文句がそれぞれふくまれていたが、今回の米英に対する宣戦の詔書に「億兆
一心国家の総力を挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達スルニ遺産ナカラシムコトヲ期セヨ」とあるのみで国際法
の遵守を命ずる言葉を故意に省略しているのは、本書の随処に紹介するとおり、十五年戦争を通じ
さまざまな形での国際法の公然たる無視のくり返されてきたこととよく照応するものであって、こ
開戦条約違反などもその一端を示すにとどまると見てよいであろう。