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(回答先: では、釣りじゃなく本論を展開します 投稿者 smac 日時 2009 年 2 月 08 日 16:39:06)
>smacさん どうもです。
これは、どうも、Kには反論出来そうもありません。
>【極端に利己的な社会は、体罰の衰退が招いたものではありません。
社会の利己主義化傾向も、体罰の衰退傾向も、伝統的共同体の崩壊がもたらした結果です。
片方が原因で片方が結果じゃないんです。】
この辺はKも薄々感じていたことです。
>【伝統的共同体の崩壊は、人間関係を希薄にします。
そして人は摩擦を避けようとして、接触を避けるようになります。
すると当然「闘争」が激減し、衝突も減り、体罰なども衰退するわけです。
同時に、社会では相互依存の意識が薄れ「金さえあれば、他の人間なんか必要ない」という錯覚が蔓延します。】
ここまで、ハッキリと「言語変換」されてしまうと、反論の余地はありません。
まあ、全部ではないのでしょうが、大きな要因として「大人の偽善性」は影響しているでしょうし、人の繋がりの煩わしさが、社会の衰退を招いたのも確かでしょう。
で、結果論としてKの最初の意見である。
>【体罰を与えても反省もしなければ憎しみを持つだけの「くず」の比率によれば、一概に体罰を与えれば良いとも言い切れない。
で、多分、今の日本では「自称人権主義者の活躍」のおかげで、すでに体罰できる状況ではないくらい「くず」が増えているような気がする。
日本は終わっている。】
とも繋がるのですが、「自称人権主義者の暗躍」という部分こそが、今の社会を生み出してしまったので、「体罰」だけ復活させても駄目というのは、正しいと思われますね。
子供は敏感ですから、偽善者に体罰されても、守ろうとしているのは体裁くらいと見破り、愛の鞭とも何とも思わず、力の強い者、金のある者、権力に近い者こそが、「暴力で相手を支配できるだけ」と気づいても不思議はない。
つまり、K自身も「自称人権主義者」という枠から逃げられる者ではなく、自称人権主義者を批判しているだけの自称人権主義者でしかないということになります。
>【大人たちは、口じゃ『友情、協調、連帯、正直、親切、真面目』などと唱えるが、実際の社会じゃ、そんなものは幻想さ。彼らだって、実はそんなもの信じちゃいないんだから…」】
結局は、大人こそが子供に「ルールに明記されていることだけを守って、後は、人を出し抜くことだけ考えろ」という「姿を見せている」のだから、良い子が育つわけがない。
う〜ん、まあ、無理に反論すれば、多少の反論もできるでしょうが、体裁だけ整えても無駄でしょうから、反論はできません。
確かに「体罰」だけを問題にしても、根本的な解決にはなりませんので、Kの負けを認めてしまいましょう。
面白い意見に感謝しておきます。m(__)m