★阿修羅♪ > 雑談専用35 > 539.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 今の日本では体罰と称されるものの99%は単なる暴力 投稿者 関飛 日時 2009 年 2 月 12 日 11:34:09)
>関飛さん どうもです。 確か、はじめてですよね。
気が付きませんでしたので、レスが遅れたことはお詫びしておきましょう。
Kも99%という比率は別にして、相当な量で「単なる暴力がある」ということは認めざるを得ないと思います。
しかし、Kを怒ってくれた「教師」の体罰には「理性」があったとも思います。
>【イギリスなどでは子供の尻を棒で叩くようなルールに乗っ取った正しい体罰があるようですが、今の日本で感情の爆発なしに体罰を与える例はほとんど見ることができません。】
イギリスでは「正しい体罰」というようなルールもあるのか、というのは初耳です。
だとすれば、やっぱり、日本も「体罰という方法論を、思考停止的に放棄する。」のも問題なのでしょうね。
【今の日本で感情の爆発なしに体罰を与える例はほとんど見ることができません。】というのは個人の主観に基づく感覚でしょうから、評価は分かれるところでしょう。
多分ですが、これは「体罰をされる方」つまり「体罰を受け止める側」の問題なのでしょう。
自分が「悪い事をしたのだから仕方がない」と受け止め、素直に反省できるか?
それとも「逆恨みするだけなのか?」
多分ですが、体罰を課す方が「100%」の憎しみだけで暴力をするという例も少ないだろうとKは思っています。
怒りが主因だとしても、例えば教師であるなら「義務感」とか「使命感」とか「愛情」とかの様々な要因が複雑に混ざり合っている上での体罰だろうと言うことです。
体育系の教師なら、悪ガキを数名を並べて、ビンタを浴びせるようなこともします。
これは、感情の爆発ではなく、理性を保持した上での「体罰」でもあるでしょう。
受けた方の経験者でもあるKには、むしろビンタしたくないようにも思えました。
それを、どう受け止めるか?
>【教育者による体罰はもちろん大反対です。】
教育を教師に任せるという「依存」が学校にいる時間内においては「全権委任」なのか?
「自分の子供の成長は、自分が全責任を負うので、教師は知識面だけのサポートで良い」と覚悟を決めた上で、そのように思うのか?
その判断次第では、その後の子供の「生活態度」には「親が全責任を負うことになり、学校に生活指導部なる部署も不要となる」ということになるのでしょうね。
「大反対」と決め付ける前に「もう少し考えるべき問題」という気がしますね。