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(回答先: いやはや、いちいちごもっともな主張ですから、今のKでは反論できませんね。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 2 月 08 日 19:28:23)
白熱する議論に横槍を入れるようで申しわけありませんが、私見を述べさせていただきます。
私は日本で体罰と主張される行いのの99%は単なる暴力だと思います。
イギリスなどでは子供の尻を棒で叩くようなルールに乗っ取った正しい体罰があるようですが、今の日本で感情の爆発なしに体罰を与える例はほとんど見ることができません。(理性のもとでの暴力は逆にSMじみていて気持ちの悪さを感じますが・・・)
愛情ゆえの感情の爆発だと言えば聞こえはいいですが、要は大人になりきれていない若輩者が自分を抑え切れなかった結果でしょう。
しかし私はそこにこそ子供の成長という視点からの意味を感じます。
体罰に限らず暴力を受けた側は少なくともその感情の激しさを瞬時に実感することができるからです。つまり、ここまで我を忘れるほど感情が乱れていたのだという恐怖を感じることができます。
同時に世の中には問答無用でどうにもならないことがあるのだということも知ることになります。たとえ自分が正しくてもです。
そういう経験を積んで初めて、人は相手の感情の変化に気を配りながらコミュニケーションをとることができるようになるのではないでしょうか。
暴力の経験が全くないと、人は言葉の暴力に走ります。ネット上にあふれる言葉の暴力は肉体的暴力を凌駕するほどその激しさを増しています。私はそれらの人たちは暴力を経験したことがないのではないかと思ってしまいます。
議論の趣旨と乖離してしまったこと、申しわけありません。
教育者による体罰はもちろん大反対です。